カテゴリー「モノ・コト論」の942件の記事

2019.04.08

『科学と非科学 その正体を探る』 中屋敷 均 (講談社現代新書)

Th_61we2ytbz3l 1ヶ月ほど前に東大の入試問題に出題された、中屋敷さんの科学と非科学のはざまで…を紹介しました。
 そのまた1ヶ月前にこの本が発刊されていました。東大の入試問題ですっかり(勝手に)意気投合してしまった私は、当然この本を買って読み始めました。
 ものすごく面白いし読みやすかったので、線を引きまくったのですが、読破する前に、それこそ想定外の非科学的「モノ」に襲われまして、その分析と解釈と言語化(コト化)に奔走することになりました。しかし、いまだ「はざま」を漂っております。やはり人間に関わることは、そう簡単にシロクロはっきりさせられません。
 さらにそこに想定外の人事(ひとごとではないジンジ)が降りかかり、ますます非科学的な?毎日になっております。特に幼稚園児に関わるようになりまして、その「モノノケ」ぶりに振り回されている(笑)。
 なるほど、大人になるとは「科学的」になる(なろうとする)ことでもあり、しかし、何歳になっても、いくら仕事(シゴト)を一生懸命しても、自分の中にさえ「非科学的」なモノ(子ども)がいくらでも存在していることに気づかされ、結局安定しない。まあ安定する時は死ぬ時でしょうから、その不安定や不安こそが生命の本質なのでしょうね。
 人生とは、科学自身と同様に、目標というか理想は100%科学的なコト(おそらくマコトのこと)であるが、現実には不如意でゴールのないモノだというコトです。そう、お釈迦様の説いた「マコト」は、世の中「モノ」だよという唯一のコトなのでした。
 というわけで、この素晴らしい本の内容からはかけ離れた(いや実は密着している?)言葉の羅列になってしまいましたね。
 最後にもっと密着していて、かつかけ離れたことを書きます。そう、今まさに私は、誰の目にも再現性はあるが現在の科学では証明されない、あるモノ(物体)に大きく関わっています。これこそ、現代の魔術。未来の科学であると信じています。妖しくて結構。科学(コト)がいつそのモノに追いつくのか。楽しみですよ。

Amazon 科学と非科学

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2019.04.07

『the four GAFA 四騎士が創り変えた世界』 スコット・ギャロウェイ (東洋経済新報社)

Th_71duhozcml GAFA、すなわち Google、Apple、Facebook、Amazon はどのように世界を変えたのか。そして、10年後彼らはどうなっているのか。
 たしかに10年前、これほどまでにGAFAが私たちの生活を支配しているとは思いませんでした。同様に10年後の世界は、まったく今とは違う風景になっているのかもしれません。いや、なっていることでしょう。
 では、どうなっているのか。ただ一つはっきりしているのは、この四騎士の中ではAmazonが生き残るということです。それはこの本の著者だけでなく、多くの予言者たちが語っていることです。
 ここで、私という予言者も勝手なことを語りたいと思います。
 Amazonが他の三者と違うのは、物品という意味でモノを扱っていることです。他の三者は基本的に情報、つまりコトを扱っています。コトはコピー可能ですし劣化しませんが、モノはいくら大量生産品であっても個別の価値があって完全なコピーは不可能です。
 私たち人間自身がモノであるかぎり、私たちはコトだけを食べて生きていくことはできません。違う言い方をするなら、Amazonの最終的な強みは「食品」を扱っているところです。
 私自身、今のところAmazonで食品を購入しませんが、もしAmazonでしか手に入れられなくなったら…つまり、Amazonが取り扱う食品がどこのスーパーよりも新鮮で品質が良く、そして廉価であったなら、スーパーはどんどん潰れ、コンビニはかろうじて緊急用に生き残る程度になってしまったら…結局Amazonから毎日の食品、食材が届くことになるでしょう。
 それも特に注文しなくても、まさに今日食べたいモノが届く…それがAmazonの考えている次の一手です。食品に限らず、私たちがほしいと潜在的に思っているモノが見事なタイミングで「勝手に」届けられる。いらなければ返品すればよい。もしかすると1回くらいは無料お試しがついてくるかもしれない。
 そのように私たちの物質的欲望をハッキングして、その欲望を顕在化させ肥大化させるのが、Amazonの目論見です。
 な〜んて、私が勝手に妄想していますが、逆に言うと、そういう想定通りにはならず、全く違ったモノに私たちが支配されている可能性もあるわけですね。
 実はその方が可能性としては高い。私が想像できるようなことは、私でも回避、拒否することができるわけですから、人類をハックして支配するなんてことはできなくなってしまう。あるいは同じ発想の強力なライバルが登場するかもしれない。
 というわけで、この本はたしかにそれなりに面白かったけれども、全て想定内であり、もしかすると、想定外の未来からすると、全く当たらない予言書となるかもしれないわけですね。
 さてさて、この10年後の自分は、この記事をどのように論評するのでしょうか。楽しみですね。

Amazon GAFA 四騎士が創り変えた世界
 

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2019.03.31

『ストロング本能』 青木真也 (KADOKAWA)

人生を後悔しない「自分だけのものさし」
20190403-113501 One初の日本大会のメインイベントで、見事リベンジをはたしチャンピオンに返り咲いた青木真也選手。
 あえて打撃(キック)で揺さぶり、見事なタックルから寝技に移行。じわじわと体勢を作り、最後は完璧な肩固めで相手を落としました。
 素晴らしい職人的な試合運びでしたね。いかにも青木選手らしい勝利に、日本中が涌きました。私も実に爽快な気分になりました。
Th_51e8mb087l_sx339_bo1204203200_ ちょうど彼の新著を読んでいたところでした。「ストロング本能」。周囲に流されない、常識にとらわれない、自分だけのものさし。それはつまり「本能」。
 AIの時代にあえて「本能」。いいですね。たとえば総合格闘技はAIやロボットではできません。ぜったい。本能をベースにした論理性が必要です。技術や理論よりも本能が優位なのです。
 イチローもそうですが、青木選手も含めて世界レベルのアスリートになると、「禅」を感じさせる哲学を持つようになります。
 青木選手のこの本もそう。すべてをシンプルにする。悩みや嫉妬をどうコントロールするか。
 ワタクシ流にいいますと「コトよりもモノ」なんですね。まさに「理屈・常識・学問よりも本能」。「科学よりも自然」とも言える。
 もう一つ感じたのは、これもイチロー選手と似ている、あるいは長嶋さんなんかもそうですけれど、一流の人は自分の「言葉」を持っているということ。つまり、コトの最先端たる「ことのは」に操られることなく、逆にそれを操ってモノガタリできるのです。それこそ、辞書的な言葉の意味領域だけでは表現できない、モノ世界をコトのはで語ることができる。そこにイメージとして現出させることができるんですね。
 格闘技の基本は、動物の本能的な「レッスル」です。この世の中は、実は政治も経済も文化もなにもかも「レッスル」なのかもしれない。そんなことを思いました。私が格闘技の観戦が好きなのは、おそらく「コトを窮めてモノに至る」世界があるからでしょう。
 私もこの年齢になり、そしてこういう社会的立場になったからこそ、もう一度自分の「本能」を信じてみようかと思っています。

 

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2019.03.22

イチロー選手引退会見

Th_2019032200008_2 夜遅くから今日にかけての84分間。イチロー節全開と表現されていましたが、はて、そのイチロー節とはどんな節なのでしょうか。
 このブログでも何回か取り上げてきたイチロー選手の言葉。そこには、まるで禅問答のような、コト化を拒否するモノ性がありました。
 今日の引退会見も結局それでしたね。禅の老師の境地に至ることができないように、私たちはイチロー選手に近づくこともできません。
 11年前のこの記事を読み返してみましょう。
 得意のコト化を恫喝されてしまった(?)茂木健一郎さんは、このあとちょっと心を病んでしまいました。そして、今はまた元気になって、この前はなんとワタクシのことをラジオで語ってくれました(こちら笑)。
 イチロー選手はその後も修行を淡々と続け…いや、2009年、あのWBCの奇跡のタイムリーの前後、胃潰瘍になってしまったんですよね。イチロー老師も人間なんだと知った出来事でした。
 まあ、いずれにせよ、イチローのすごさを私が語ってもしかたない。それこそコト化できないから「大モノ(ノケ)」なのですから。
 今回の引退会見で印象に残った「禅語」はこれでしょうかね。最後の最後。お腹が空いて眠くもなってきたところでのこの発言。ようやくストレートな言葉が聞けたような気がしました。


…アメリカに来て、メジャーリーグに来て、外国人になったこと、アメリカでは僕は外国人ですから。このことは、外国人になったことで人の心を慮ったり、人の痛みを想像したり、今までなかった自分が現れたんですよね。この体験というのは、本を読んだり、情報を取ることができたとしても、体験しないと自分の中からは生まれないので。
 孤独を感じて苦しんだこと、多々ありました。ありましたけど、その体験は未来の自分にとって大きな支えになるんだろうと今は思います。だから、つらいこと、しんどいことから逃げたいというのは当然のことなんですけど、でもエネルギーのある元気のある時にそれに立ち向かっていく。そのことはすごく人として重要なことではないかと感じています。

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2019.03.20

第六感=磁覚?

 日、今日と面白い記事がありました。

人間の「第六感」 磁気を感じる能力発見 東大など
あなたも「地磁気」を感じる“第六感”がある!? 何に役立つのか 東大の研究者に聞いてみた

Th_unknown コメント欄を見るとまた面白いですね。ブラウン管テレビの話とか。磁気と電磁気、モスキート音、いろいろごっちゃになっていますが、要は今まで科学では証明されていなかった感覚があると信じている人が実に多いということですね。
 私はかなり危ない宇宙人なので(笑)、幼少期からいわば「霊感」のようなモノを信じてきた…というか、それに頼って生きてきました。ですから、別に科学で証明されようがされまいが、その存在は疑わずにきました。
 アブナイとかオカルトだとか非科学的だとか、なんと言われようと構いません。音楽に関する感性すら科学では全く証明できませんが、しかし、そこに感動が存在することはたしかですよね。そういうことです。
 またまたモノ・コト論で申し訳ありませんが、私たち人類が共有しているコトなんてほんのわずかであり、その他補集合のモノの方が圧倒的に膨大であり、また本質であるのです。
 「ものがなしい」とか「もののあはれ」とかいう日本語古来の「もの」は、まさにそういう意味であります。「なんとなく」とか「得も言われぬ」とか、そういう感覚ってない人はいませんよね。
 低気圧が近づくと不調になったり、地震の寸前の体感など、モノとコトの中間のような感覚というのもあります。ちょっと変な話ですが、家族が生理の時、男の私もいつも不調になります。これも科学では証明しにくい共鳴現象ですね。
 いずれにせよ、コト(科学)はモノ(非科学)をついも追いかけている存在なのです。最近の若い科学者の皆さんは、それをよく分かっていらっしゃる。とても良いことだと思います。これからの科学の発見に大いに期待しましょう。

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2019.03.18

追悼 内田裕也さん

 の周りはピエロばかり…内田裕也さんが昨日亡くなったとのこと。
 内田さんに近いある方から、かなり弱ってしまっていると聞いた矢先でした。
 はやり奥様であるKKさんを失ってから、かなり衰えてしまったとのこと。まあそうでしょう。唯一頭が上がらなかった、それほど尊敬し感謝していた支えを失ってしまったのですから。
 内田さんに近いその方のご主人もとんでもない偉人でしたが、その偉人と内田さんもまた一触即発になったことがあったそうです。いったいどんなことがきっかけでそうなるのでしょう。凡人には分からないすごい世界です。
 私自身はそれほど内田裕也さんに影響は受けていませんが、この東京都知事政見放送はよく覚えています。91年だと思いますから、私は27歳ですか。まだまだ若造でバカすぎた頃です。全然ロッケンロールしてませんでした(苦笑)。
 ロックは反抗です。私は世の中に反抗する勇気も気概も思想も持ち合わせていませんでした。
 今、この時の内田さんの年齢を越えてみて、遅ればせながら少しロックな気持ちになっています。しかし、実際にこうして行動することはできない。内田さんは晩年までずっと政治の現場に足を運んでいましたからね。
 そう、音楽は政治と深い対立関係があるのです。政治が「コト」だとすると、音楽は「モノ」ですから。もののね。今の音楽はどうなんでしょうね。政治と対立していますか?
 今さらながら、内田裕也さんの偉大さに気づきつつある私でした。ご冥福をお祈りします。

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2019.03.16

【討論】御代替わりとこれからの皇室


 日は中学の卒業式とジャズバンド部の感謝祭がありました。双方ともに「平成最後の」が枕詞となりました。

 いよいよ5月には御代替わり。はたして新元号は何になるのでしょうか。いずれにせよ、歴史的な「譲位」となるわけでして、その意味は非常に深いと思います(何度か書いてきたとおりです)。

 さて、この討論の中でも言及されていますが、今回の「譲位」、あるいは今上天皇の「退位」は、ある意味日本国憲法下の現行法を凌駕したことです。まさに、憲法よりも天皇陛下のご意思が優先する、優先されるという、日本の国家の本質を体現する現象であります。

 日本の国家の本質を「国体」と表現することには、私は多少の抵抗がありますが、現実としてこのような言語を超えた現象が起きることこそ、この国の名(コト)ではなく体(モノ)を表していると思います。
 さて、新元号は何になるのでしょう。世間ではいろいろな憶測が飛び交っておりますが、そうした内容は避けるようにするのが慣例ですから、ある意味意外なものになることでしょう。ちなみに私は「K…」になると思っています。

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2019.03.12

科学と非科学のはざまで…

20190314_110728 ういう季節になりまして、ウチの学校でも卒業生の進路がほとんど決まりました。
 今年は東大受験者はいなかったのですが、東大の国語の問題が大好きなワタクシは当然のごとく解いてみました。
 今年もまた良問ぞろいというか、良文ぞろいで楽しく読ませていただきました。解くのはそれなりに大変ですけれど。
 今年びっくりしたのは、文系の第四問に是枝裕和監督の文章が出たことです。言うまでもなく「万引き家族」の監督さんです。とってもいい文章だったので、これは明日にでも紹介しましょう。
 さて、第一問ですが、中屋敷均さんの「科学と非科学のはざまで」からでした。これは、私の「モノ・コト・トキ」論に近い内容でしたので、うんうんとうなずきながら読ませていただきました。
 中屋敷さんの文章とワタクシの論の関係を簡単に図式化するとこうなります。

科学・秩序・固体・氷・静的・形・不動・真実・分かること=コト
生命・縁(ふち)・間(はざま)・水・特殊・複雑性・多様性=(トキ)
非科学・無秩序・カオス・気体・水蒸気・動的・無明・分からないこと=モノ

 最近ようやくモノとコトの間に「トキ」を置くことを思いつきました。生命の本質に日本語から迫ることができそうな予感があります。
 どうぞ皆さんもこちらから本文をお読みください。私たちが「はざま」を生きていることの喜びが分かると思います。

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2019.03.03

YMO 『東風』(4th August, 1979. Live at The Greek Theatre in L.A.)

 女が春休みで帰省しており、一日中ベースを弾いております。高校時代はよく分かっていなかったスタンダード・ジャズのすごさに急に気づいたようで、チャールス・ミンガスからジャコ・パストリアスまで、やたらとコピーをしております。
 その合間には、日本の歌謡曲、特に演歌のベースの練習もしており、それはそれでスーパーかっこいいことを改めて知ったようで、昭和の父親としては「どうだ!」といい気分になっております。
 たしかに自分も大学1年から2年にかけて、音楽的に急に「深み」がわかるようになったかもしれない。そういう時期なんですね。次元上昇。
 さて、そんな娘に刺激されてか、今日は私も懐かしいけれどもまだまだ学ぶべき音楽というものをたくさん聴きました。そのうちの一つ、娘も興味津々だったのがYMO。昨年40周年ですが、まだまだ全然新しい。それこそこの歳になって、音楽経験をかなり積んだからこそわかるその「深み」。
 なんだかんだ、彼らは当時30歳前後だったんですよね。すごいわ。
 さて、今日特に感動したのが、上の演奏。これって、12年前にこちらで紹介したやつですよね。ウチのビデオよりずっと鮮明ですし音もいい。
 感想としては12年前と大きく変わるわけではありませんが、違った感覚で彼らを見るとすれば、やはり、この、まさにこのリアルタイムで彼らは仲小路彰の「未来学原論」に出会っているんですね。
 ちなみに昨年末来日した際に、ある知り合いを通じて、坂本龍一さんに仲小路彰のことを覚えているか聞いてもらいました。
 「結局、御本人には会うことはできなかったけれども、未来学原論は何度も読んだ」
 とのことでした。やっぱり。
 私もまさかこういう形でYMOに裏側から近づくことになろうとは、夢にも思いませんでした。
 たしかにYMOの音楽は、21世紀的でありながら全近代的(東洋的)、デジタルなようでめちゃくちゃアナログという、まさに未来学原論の根本部分を高次元で表現してくれているような気がします。
 霊界物語に対する耀わんのように、未来学原論という「コト」の世界を音楽(もののね)という「モノ」で表現したものなのかもしれませんね。

Amazon 未来学原論

未来学原論(国書刊行会)

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2019.02.27

和合僧

 日は岐阜正眼寺師家、山川宗源老大師さまと夕餉をともにしながら、いろいろお話をさせていただきました。
 おいしいお酒の勢いで、老師さまを相手に図々しく偉そうなことを語ってしまったと後悔しております(苦笑)。
 しかし、その図々しさのおかげさまで、本当に稀有なる教えをいただきました。中でも、聖徳太子の十七条憲法についての意見交換は楽しかった。
 私は、仲小路彰流の第一条の「和」を「和魂(にぎみたま)」とする考えをお伝えしましたが(こちら参照)、老師さまからは「和合僧」のことであるとのご意見をいただきました。なるほど。
Th__20190301_144340 和合僧というと、この写真のように某新興宗教教団たちがよく使う「破和合僧」というネガティブな表現が有名です。たしかに「破和合僧」は小乗で説く五逆罪の一つであり、さまざまな教団において、ある意味裏切り者を断罪する便利な言葉でもあります。
 そのもとになる「和合僧」とは、まさに「和合するサンガ」という意味です。そして、それを破ってはいけないということです。たしかに十七条憲法の第一条「以和為貴、無忤為宗」の「忤」は「破」と同じ意味だとも言えますね。
 老師さまもおっしゃっていましたが、そういう「真理」はそれぞれ違う土地で同時に生まれるものだというのはたしかです。違う言葉で表現されるから、ある意味次元が低くなってしまっていて、それで別のものに見えてしまう。いつも言うように、「コト」より「モノ(物質ではないですよ)」の方が高次元なのです。
 言葉にこだわるのではなく、言葉の向こう側にある本質を観るべき。これこそ禅の教えでありましょう。老師さま、ありがとうございました。
 

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