カテゴリー「モノ・コト論」の958件の記事

2019.11.24

『時間は存在しない』 カルロ・ロヴェッリ ・冨永 星(訳)(NHK出版)

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 日は東京にてある会合に参加してまいりました。地球の未来に関わる、大変重要なミーティングであったと思います。

 いろいろな方といろいろな話をいたしましたが、高城剛さんの下で活躍されている映像作家の方との対話の中に、この本のことが出てきました。

 私もちょうど最近読み切ったところでしたので、ずいぶんマニアックなところでシンクロしたなと思った次第です。

 さて、その高城剛さんとのラジオ対談でもお話しましたが、私は「時間は未来から過去へと流れている」と考えています。

 実は、これは「考えています」というところがミソでして、つまり、「あえてそう考えている」ということなのです。

 本当は「時間は存在しない」。あるいは「今」しかない。しかし、人間として、いや宇宙人として、すなわち生命体としては、方便として「時間は存在し、未来から過去へと流れている」と考えているのです。

 多くの地球人は「時間は過去から未来へと流れている」と「考えています」。それは間違いではありませんけれども、しかし楽しいか楽しくないかと言ったら、楽しくない考え方です。

 より、前向きに、そして未来的に無限の可能性に運命を任せる生き方をしたいなら、絶対に「未来から過去」と考えたほうがよい。つまり「方便」なのです。

 この本に書かれている「時間は存在しない」というのは、全くそのとおりの真実です。私の「未来の記憶」とも詳細の部分で一致しています。

 上の写真の帯に書かれているとおり、「時間とは、人間の生み出すもの」です。そして、その流れの捉え方も、それぞれの人間が生み出すものなのです。

 ワタクシの「未来の記憶」(胡散臭いでしょ…笑)によると、世の中は「モノ(未知)」と「コト(既知)」だけで構成されており、モノをコト化する時に、「トキ」が生まれます。モノをコト化する、すなわち「シゴト」をするのは、人間などの生命だけです。

 ですから、「モノ」世界には時間はありません。そして「コト」世界はデータであって記録なので、その再生の方向は「過去から未来」となります(音楽を想像するとよくわかります。ライヴにおいて音は未来からやってきますが、楽譜の再生や、録音の再生においては意識は過去から未来へと向かいます)。

 そうした「コト」世界を重視する、特に近代西洋の学問や教育によって、私たちは本来自由であるべき「時間が流れる方向の選択の可能性」を失っているのです。

 時間はもともと存在しないモノなので、どちらに流れるコトにしても構わないし、どちらが正しいとも言えないのだけれども、しかしその選択によって、現世の「楽しさ」は大きく変わってきます。

 ちなみに、生命でありながら、「時間は存在しない」状態を体験するにはどうすればよいか。モノのコト化をやめればいいのです。それはたとえば瞑想や座禅によって得られる境地です。とすると、まずはとりあえず「仕事」をやめる必要がありますな(笑)。

Amazon 時間は存在しない

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2019.10.18

祇園祭と富士山の噴火

Th_img03 人に頼まれて、富士吉田市内のある神社の祭神について調べております。いずれ、その内容も掲載しようと思っています。

 その調査の過程で知ったことなのですが、あの京都の祇園祭の起こりには、富士山の噴火が深く関わっているんですね。

 その噴火とは、青木ケ原樹海のベースになる溶岩台地を作った貞観の噴火です。西暦で言いますと864年からの数年間。私もその溶岩流のすぐ横に住んでいますので、大変身近な噴火(というのも変ですが)です。

 言うまでもなく、現在の八坂神社の祭神はスサノヲ。もとは牛頭天王です。インドの神様。お釈迦様の生地である祇園精舎を守る神です。

 その牛頭天王、日本に伝えられてからは、その荒々しいキャラの類似性からスサノヲと習合しました。江戸時代までは、八坂神社は祇園社などと呼ばれておりましたが、ご存知廃仏毀釈により、その名は祭や地名に残ることになりました。

 平安時代の当時、都では疫病もはやり、また富士山も噴火、さらに東北で大地震があったということで、荒御魂の象徴であるスサノヲ(牛頭天王)を鎮めるために、祇園祭は始まりました(諸説あり)。

 当時の都(京都)の人たちが、東国であった富士山や陸奥の自然災害にも敏感であったというのは、なかなか興味深いことでもあります。やはり日本列島全体を一つの龍体としてとらえていたのでしょうか。

 遠い蝦夷の地であるからこそ、身近にはあり得ない火山の大噴火や、大地震とそれに伴う大津波などに、「モノ」恐ろしさを感じていたのかもしれません。

 たしかに、祇園祭の山鉾(山車)は、もともと「山」自体を神として引き回すものですね。ある意味、山にお散歩していただき、ご機嫌をとるようなものです。そんな観点で、いろいろなお祭りを見てみるのも面白いかと思います。

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2019.09.08

ザ・ビートルズ 『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・バンド』

Th_profile さら、この人類の、いや宇宙の名作をおススメするのもなんですよね。もう、はっきり言って語ることないですよ。みんなが語り尽くしてますし、語れば語るほどホンモノから離れていってしまうという、まあよくある名作のジレンマというやつですね、そういうことに陥ります。

 しかし、今日はあえてこのアルバムを聴き直してみたいと思うのです。

 7日のサロンのお客様に、DJのロバート・ハリスさんがいらっしゃいました。私の話が終わったあと、少しですが、二人で語り合う時間がありました。

 私からすると、1948年生まれのハリスさんは、1960年代、70年代、あるいは昭和という時代を最先端で感受しながら駆け抜けた人。憧れの世代の代表のような方です。

 そんなハリスさんのお話の中で、特に印象的だったのが、サージェント・ペパーズの話でした。うわっ!って思いました。まさに「うわっ!」です。想定外すぎて。

 ビートルズとストーンズの本質的な違いのことを話していたんですよ。その中で、ハリスさんがこんな話をされたんです。

 「アフガニスタンにいる時に初めてサージェント・ペパーズを聴いた。その響きがイスラムの空気と一緒だった。アラー!って感じだった」

 これは、まさにリアルタイムで、そしてその場でなければ感じ得ないモノです。理屈じゃない。解説も語りもいらない。ただそういう事実。

 それが、なぜか私、妙に納得できたんです。僭越ながら、「そうそう!」と思ってしまった。自分にとっても時空や個人を超えた不思議な瞬間でした。

 サージェント・ペパーズを聴いてきて、すごいんだけれど、何かすっきりしない感覚があったのが、瞬時に腑に落ちてしまった。あまりにあっけなくストンと。

 これはやはりコトではなくモノの世界での伝達ですね。波動の伝播ですよ。語りではない、しかし実体験でもない、そういう体験って、やっぱりあるんだ!と思いました。

 というわけで、その波動のおすそ分けです。いろいろイメージして感じてみてください!

 

 

ロバート・ハリス公式サイト

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2019.08.29

「夢カンタービレ コンサート」より藤田真央(ピアニスト)

Th_img_4570 日は主催者(指揮者)の方にお誘いいだたきまして、東京オペラシティのコンサートホール「タケミツメモリアル」で素晴らしいコンサートを聴かせていただきました。

 驚いたことに私たち夫婦はVIP席に案内されまして、最高の位置から鑑賞させていただきました。ありがたや。ちなみにお隣はこの方でした!(写真がほぼ一緒…笑)

 本当に全体に素晴らしい演奏会だったのですが、オープニング(前座にはもったいなさすぎる!)の藤田真央くんのピアノの演奏がすごすぎました。

 チャイコフスキー・コンクールで2位というのはニュースでもちろん知っていました。しかし、これほどすごい演奏家だとは…。

 今日はショパンのポロネーズとバラードを演奏したのですが、恥ずかしながらこれほどショパンに聴き入ってしまったのは初めてでした。

 未来からどんどん音が押し寄せてくる!それも知っているはずの曲なのに、全く初めて聴くかのように感じた。実際、未知だった(意識化したことがなかった?)内声の豊かなメッセージがビンビン伝わってくる。

 天才ですね。音楽と一体化している。まさに「コト」たる音符から背後の本質である「モノ」を弾き出している。「もののね」の真骨頂。

 まだ大学生でしょ。20歳でしょ。もう宇宙メディアとして完成していますよ。完全に。やられました。

 動画からも伝わってくるでしょうか。いやあ、やっぱり生で聴いていただきたいですね。

 すっかりファンになってしまいました。

 

 

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2019.08.26

福島第一原発の発光現象

 日の「福島第一原発のUFO」の続きとなります。

 宇宙人(未来の地球人)による献身的な復旧作業には、本当に頭が下がります。もちろん「現在の地球人」の皆さんのご努力にも。

 今日はそんな時空を超えた作業の様子をご覧いただきましょう。

 今年の3月30日未明の映像です。特に重篤な2号機付近と思われますが、実に不思議な発光現象が映像に記録されました。

 流星のような光芒が…しかし流星(群)とは真逆に…ある収束点に向かって連続的に四方八方から流れる様子は、全く不思議というしかありません。

 これはある種のエネルギーを問題箇所に集中的に集めている様子に違いありません。少なくとも放射線に伴う自然現象ではないでしょう。

 私たちはこうして未知の科学によって救われているのです。トンデモと言われて当然です。現代の科学で説明できないモノは全て「トンデモ」と称されるわけですから。

 いつか私たち地球人の歴史書に、「◯◯年◯月◯日、2019年3月30日の福島第一原発において◯◯作業」という記録が残るのでしょうか。

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2019.08.04

月刊 たくさんのふしぎ『一郎くんの写真 日章旗の持ち主をさがして』 (福音館書店)

Th_5145gtjtmfl_sx376_bo1204203200_  日は実は10日です。ようやく時間ができました。たまった記事をさっさと書いていきます。

 8月3日に発売になったこの本。月刊たくさんのふしぎの最新刊。「一郎くんの写真…日章旗の持ち主をさがして」です。

 実はこの絵本に、私の父が実名で登場しています。

 もう最近では、父はすっかりボケてしまって、この本に自分が登場することになった経緯も覚えていません。

 記者さんの取材を受けたのは今から5年ほど前。その直後からアルツハイマーが進行し、過去の記憶は(1分前も含めて)ほとんど消えてしまいました。

 もしかすると、この感動的な物語を、この時代に完成させるために、自らの記憶を全て絞り出したのかもしれません。

 「物語」…そうです、「モノの語り」です。意識の奥に眠っていた「無意識=モノ」が語り始めた。モノは「波動」ですから、時や空間を超えます。

 特にこの時代になって、70年、80年前の「モノ」が語り始めています。ちょうど父が記憶を失うのと並行して、私と家内もとんでもない「モノ」の語りに巻き込まれていきました。そう、このプログではあまり詳しく書いていませんが、「二・二六事件」に関わる奇跡的な偶然(必然)の出会いがありました。

 そのアナザー・ストーリーもこの令和を迎える時になって一つの結末を迎えました(こちら参照)。そう考えますと、我が家はどうもそういう運命のもとにあるようです。そのような天命を感じます。まあ、二・二六事件に関する不思議すぎる物語は、絵本にするにはあまりにオカルトめいていますが。

 この「一郎くんの写真」、ぜひお読みいただきたい。本当に不思議な実話です。そして、「一郎くん」がこの時代、この世に、言葉を超えたメッセージを送ってくれています。私の父が記憶していた、一郎くんの行動と表情は、何を物語っているのか。私もしっかり受け止めていきたいと思います。

 正直、仕事以外、あまり世のため人のためにならなかった父。晩年に素晴らしいモノを残してくれたと思います。GJ!おやじ。

 

Amazon 一郎くんの写真 日章旗の持ち主をさがして

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2019.07.11

BUMP OF CHICKEN 『aurora arc』

Th_81gedliboul_sl1500_  村正彦くんの誕生日に発売となった、フジファブリックと同世代のバンドBUMP OF CHICKENのニューアルバムです。

 3年ぶりのアルバムとはいえ、14曲中11曲が既に発表されていた曲であるため、正直新鮮な感動というのありませんでした。

 逆に言えば「安定のバンプ節」です。しかし、それが単なる既視感ではないところがまたバンプっぽいところです。

 バンプの音楽を聴く時の脳の状態は、他のバンドを聴く時とは違う気がするんですね。そう、語弊があるかもしれませんが、ここまで来ると、ある種の文学鑑賞に近くなってきているように感じる。

 藤原くんの書く音楽は完成した個性を持っています。このアルバムの曲たちも、音楽的には既視感が満載です。コード進行、メロディーのうねり、ギターのリフ…新しい挑戦はないわけではないけれども、それよりも自分の美意識を重視しているようです。

 バンプの作品は、藤原基央という天才詩人による文学的要素が非常に強い。その異様ともいえる歌詞の文字数の多さからして、すでに文学です。

 世界一般的には、音楽は右脳で、言語は左脳で処理されるとされています。そうしますと、たとえば多くの洋楽の場合がそうであるように、音楽鑑賞という状況においては右脳が活発化しており、歌詞を処理すべき左脳の働きは低下しています。結果として、歌詞は「雰囲気」になってしまう。

 洋楽の影響を強く受け、洋楽的音楽を目指すサザン(桑田佳祐)などは、やはり歌詞が「雰囲気」化していますね。今、アメリカで流行りの日本の80年台、90年台シティ・ポップなんかもそうです。ちょっと方法論は違いますが、椎名林檎さんの世界も「雰囲気」ですよね。

 それらに比して、日本の和歌の世界の正統的継承者である(と私が思う)J-Rockの世界は、日本語が世界でも珍しく右脳で処理される言語であることを武器に、音楽と歌詞(日本語)を右脳の次元で見事融合させています。ですから、まるで小説や詩を読む時のような脳の状態になるのです。

 特にバンプの、つまり藤くんの作品においては、その傾向が強く現れています。場合によっては、歌詞が純粋音楽を凌駕してしまうこともある。それも右脳領域において。

 私がバンプのライヴで感じる、ある種の「宗教空間」というものは、おそらくそうした独特な右脳世界が生み出すものだと思います。もちろん、そこに私たち日本人は、生活言語を超えた、ある種普遍的な「あちら側」を読み取るのでしょう。

 なんか理屈っぽくなってしまいましたね。左脳的です(苦笑)。

 そんな「コト」は抜きにして、相変わらずバンプの音楽世界は「コトを窮めてモノに至る」、すなわち言語や西洋音楽理論という「コト」世界を使って、その先の「モノ(のね)」世界を表現しているのでした。

 この世界は、もしかして西洋人には理解できないかもなあ…。

 

Amazon aurora arc

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2019.07.07

【経済討論】MMT(現代貨幣理論)は日本を救うか?

 費税増税には私も反対です。このままでは財政破綻するという、財務省の「経済学」は大変古臭い。

 中学・高校はもちろん、大学の経済学部で教えられている経済学も同様です。賛否両論のMMTについて、保守派の皆さんが熱く語り合ったのが、このチャンネル桜の討論。大変面白かった。

 

 

 私なんかMMTも通り越して、「ストリーミング経済」ですからね。だれも理解してくれません(笑)。

 しかし、貨幣がどんどん具体から抽象になっていくという意味では、MMTと一緒ですね。抽象になるということは、物々交換とどんどんかけ離れていくということです。

 抽象になるということは、言語として流通するということです。すなわち、帳簿に金額を書くと貨幣が生じるのです。今や、帳簿も抽象化していますから、紙にペンで書くわけではありませんね。言語もより抽象度を増しているわけです。

 ストリーミングが可能な根拠も実はそこにあるわけです。ほしい金額を書く(入力する)と、そこに貨幣が生じ降りてくる。そこには誰か(神)との貸借関係が自然成立しています。

 かつての古典的な資本主義経済においては、誰かがもうかれば、誰かが損をするという「均衡・不均衡」の考え方がありましたが、今や貨幣はいくらでも創り出すことができます。

 そんな夢のような、錬金術や永久機関のようなことが可能ではないと考えるのも当然ですが、実はその貨幣創造の裏側に、古典的とも言える「信用創造」が伴っており、その「信用」の裏側には「善意」「利他」「誠実」といった、これまたスーパー古典的な「倫理」や「道徳」、さらには「宗教」とも言えるような抽象世界が広がっているのです。

 だから、私は経済の未来的発展は「人類の究極の修行」であると考えているわけです。宇宙経済では、そんなことは当たり前です。経済は「経世済民」であるという、これまた原点に帰るというわけですね。

 ま、こんな宇宙経済はもっと先の話として、とりあえずMMTを受け入れられるか、これもまた修行ですね。MMTは間違っていません。トンデモではありません。

 MMTの成功例として挙げられている我が国日本でありながら、その経済を牽引すべき政治家や学者さんは修行が足りないようです。

 コトを窮めてモノに至る。コトの権化「マネー」は今、急速にモノに近づいてきています。微分された粒子を無数に積分していくと波動に戻っていくのでした。

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2019.07.05

Googleは過去(うんこ)の商売

Th_-20190707-83315  日Google様のお世話になっております。皆さんもそうでしょう。

 Google検索のワードの履歴を見ますと、まるで自分の日記を読むような感覚になります。その日のことをいろいろ思い出しますよね。

 そう、実はGoogleは過去の商売なのです。「過去の商売」というのは、もう時代遅れという意味ではなく、「過去で商売している」ということですね。

 いつかも書きましたが、Googleの目指しているところは、「世界のインデックス化」すなわち「世界のコトの整理整頓」です。言葉(コトのは)をはじめとする様々な「情報(コト)」を収集して整理している。

 その収集するコトは、収集できるわけですから、すでに存在しているコトです。存在というより認識したコトですね。すなわち、それは過去のコトです。まだ見ぬモノは収集できない。

 仏教(禅宗)でいうと「過去はカス」ですから、Googleはゴミ収集業者だということです。そして収集したカスを整理して再利用している。いや、再利用させるべくカスを売っているわけです。

 たとえば、最近テレビで見るこのCM。マツコさんが見ているのは、過去のマツコさんです。カスのマツコさん、マツコさんのカス(うんこ)だとも言える。

 

 

 Googleはとっても最先端で、そして未来を見せてくれるかのように感じますが、実は現在すら見せてくれません。商品はすべて過去です。カスです。うんこです(笑)。

 そういう意味で、私はGoogle様のお世話になっていますが、それに今の自分が支配されている感覚はありません。過去の誰かの、未来への妄想は記録されていますが、今の私の、未来への妄想はどこにも書いてありませんから。

 Googleが見せてくれるコトたちが、カスであり、うんこであると思うと、それだけでも人生が豊かになりますよ。うんこに振り回され、うんこに感心し、うんこに動かされ、また人のうんこを誰かに語るような人生は、そりゃあ避けたいですよね(笑)。

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2019.06.29

第13回 富士山の森ジャズフェスタ

Th_img_4283  日は、私を楽器の道にいざなった人を紹介しましたが、今日は上の娘をベーシストに育ててくれた我が校ジャズバンド部の演奏を聴きにいきました。

 2年ぶりに開催された「富士山の森ジャズフェスタ」。本校のジャズバンド部が主催で、中学生から大学生まで、様々な学校からビッグバンドが参加してくれました。

 このジャズフェスタでの、それぞれの世代での演奏については今までたっぷり(辛口で)書いてきましたので繰り返しません。

 上の娘もこの日のために帰省しまして、一緒に鑑賞いたしました。彼女は本校のジャズバンド部で素晴らしい6年間の体験をさせていただきました。そして今、東京の大学に通っているのですが、さんざん誘われた各大学のビッグバンドには所属していません。その理由はあえて書きません。まあ本人や私、また指導してくださっているプロの皆さんが納得できる理由ですので、それなりの重い意味があると思います。

 いや、プロの皆さんの中には、けっこう大学のビッグバンド出身者がいるわけでして、その「重い意味」を乗り越えて、次の次元に行かねばならないというのも真実でしょう。その点、ウチの娘は逃げたとも言えますね。ま、全く違う道もありますから、それが正解か不正解かはわかりません。

Th_img_4284  そうそう、とにかく今回もそうした文脈も含めて感激したのは、やはり「プロ」の演奏でしょう。内堀勝さんのビッグバンド。あまりの素晴らしさに愕然としてしまいました。キレ、ノリ、語り、遊び、メリハリ…当たり前ですが、プロはそれらを波動レベルで共有してアンサンブルしています。

 逆に言うなら、大学生は「粒子」で音楽を捉えすぎるということですね。中高生までは、まだ「波」なのですが。ワタクシ流の言い方ですと、プロと中高生は「モノ」として、大学生は「コト」として音楽を捉え、表現しているということです。

 しかし、音楽の本質は「モノのね」なので、聴いている人にとっては「コトのね」はつまらなくなってしまう。しかし、いつも言うように「コトを窮めてモノに至る」という修行の真理がありますので、プロセスとしては大学生も間違っていないのです。さっき言った「次の次元」の話ですね。

 ただ音楽に限らず、芸事で怖いのは「勘違い」です。私もそうでしたが、大学時代というのは、実はその「勘違い」が最も発生しやすいお年頃なのでした(苦笑)。

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