カテゴリー「モノ・コト論」の1000件の記事

2021.06.14

追悼 小林亜星さん…あなたとコンビに…

Th_unknown_20210615084301 曲家にして名俳優でもあった小林亜星さんがお亡くなりになったとの報が…。

 「北の宿から」という名曲を残してくれただけでも本当に素晴らしい作曲家でした。

 しかし、作曲家として特に評価すべきは、歌謡曲ではなくCMソングでしょう。いちいち挙げませんが、あれもこれもです。全て一瞬で印象に残るメロディーばかり。

 これってコピーライターの仕事と似ていますよね。短いパッセージをいかに印象的にするか。その商品の、特に映像印象とどう有機的に結びつけるか。

 そういう意味で、私が特に「すごいな」と思っていたのが、あのコンビニのテーマソングです。

 ファミリーマートというと、あの入店音「大盛況」が有名というか印象的ですが、実はこちらのテーマソング(サウンドロゴ)も耳になじんでいますね。Img_7780

 楽譜を見てください。たった12個の音符を並べただけですが、どこか温かみを感じる音印象になっていますよね(ちなみに入店音は11個の音符)。

 歌詞の「あなたとコンビに、ファミリーマート」はコピーライター仲畑貴志さんのお仕事です。

 最小限の情報で最大限の効果を上げるという意味では、日本人は俳句や短歌の歴史を持っていますよね。逆の言い方をすれば、行間、音間のイメージを大切にしているということ。

 いや、少ない情報どうしの関係性のクオリアに、モノの本質を感じるということです。関係性においては、実はコトという情報の数が少ない方が多様性や深さを担保できるんですよね。

 コトという不動点が増えると、その引力のベクトルによって、どんどん自由度が下がっていく。科学は基本、そういう方向性を指向し、西洋音楽もそちらに向って発達しました。

 日本の文化の本質は、コト(言語)ではなくモノ(非言語的印象)にあると、私は考えているので、こういうコピーやロゴに興味がありますし、自分も比較的そういうモノが得意なのです。

 このファミマのサウンドロゴは2017年に「音商標」として登録されました。小林亜星さんの偉大なるお仕事は永遠に語り継がれ、聞かれ継がれることでしょう。

 最後に、弔意と敬意を込めて、海上自衛隊による小林亜星オムニバスを紹介します。いかにすぐれた「モノガタリ」作家であるかが分かります。そして、ニセ亜星がいい味出してますね(笑)。

| | コメント (0)

2021.04.30

『未来は決まっており、自分の意志など存在しない。~心理学的決定論~』 妹尾武治 (光文社新書)

Th_b08z3gg65b01_sclzzzzzzz_sx500_ 日のプロレスリング・ノア名古屋大会、抜群に面白かった!プロレスの楽しさ、激しさ、深さを堪能いたしました。

 私と同様プロレス・マニアを標榜している気鋭の心理学者、妹尾武治さんの自称「トンデモ本」。これがまた抜群に面白く、あっという間に読了。アカデミック味だけれども、ぷんぷんサブカル臭がするという絶品(笑)。

 タイトルの通り、「未来はビッグバンから全て決まっており、私たちの意志では変えられない」というお話です。

 たしかに全てが物理法則(宇宙法則)に則っているならば、そのとおりですよね。宇宙人である(?)私もそう思っています。

 しかし、人間(地球人)の感覚からすると、どうもそれだと納得いかない。そして、虚しさすら感じてしまう。

 その私たちの「意志」こそ幻であるというのもわかります。ワタクシの「モノ・コト論」で解釈するところの、「もののあはれ」こそ真理。まさに「意志」「意識」「情報」「言語」を表わす古い日本語「コト」はフィクションなのです。宇宙の法則たる「モノ=不随意」のみが真理。

 お釈迦様もそれにお気づきになったのです。

 ということで、私にとっては全然「トンデモ本」ではありませんでした。著者の言うとおり「トンデモなく面白い本」ではありましたが。

 さて、その面白さは読んでいただけばわかるわけですが、「モノ・コト・トキ論」を展開し、まさにアマノジャク的なトンデモ理論「時間は未来から流れてくる」を訴え続けている私にとって大きな発見は、妹尾さんの専門分野「ベクション」についてでした。

 「ベクション」とは、あの電車や車に乗っていて、並走している車輌が動くと、自分か反対方向に動いているかのように感じてしまう錯覚のことです。

 この空間的なベクションが、時間においても起きているのではないか。いや、起き続けているのではないか。つまり、本当は時間が未来からこちらに流れてきているのに、人間(地球人)は、まるで自分が人生の主役になって、人生の道のりを歩いていると錯覚していると。本当は自分が止まっていて、時間が動いているのに。

 ぜひ、この辺に関しまして、妹尾さんといつか直接お話してみたいと思います。

 最後に、もう一度プロレスについて。妹尾さんは「人生はプロレスである」と書いています。納得です。最初から勝敗が決まっていても、つまり決定論でもこれだけ楽しめるわけですから、同様に人生の結末が決まっていても、あるいは過程(筋書)が決まっていても、全然いいじゃないですか。楽しみましょうよ。その一つの方法として、私の「モノ・コト・トキ論」もあるのでした。

Amazon 未来は決まっており、自分の意志など存在しない。

| | コメント (0)

2021.04.16

Keith Jarrett 『All The Things You Are』(楽譜付き)

 

 日「鬼」(モノ)の話をしました。これもまさに「モノ」ですよ。どうなっているのか全くわからない世界。

 キース・ジャレットのインプロヴィゼーション(即興演奏)の世界、こうして音になり、そして楽譜にしてくれて目に見えるようにしてくれているわけですが、それで「分かる」すなわち「コト」になるかというと逆でして、余計にわからなくなる。信じられなくなる。

 こういうインプロヴィゼーションというのは、もちろん過去の「コト」(記憶)の蓄積でもあるわけですが、そこからこうして生命ように、今までなかった世界が生れるわけですから、まさに「生きモノ」です。

 本当にキース・ジャレットの演奏を聴く(感じる)と、人間ってすごいなあ、神に限りなく近づける存在なんだなあと思います。

 ブートレグなので、この演奏、初めて聴きました。トリオでのこの曲の名演は多数ありますが、このソロ・パフォーマンスもまた格別に素晴らしいですね。

 「ケルン・コンサート」もそうですが、いくら精確にトランスクリプションしても、そしてそれを精確に演奏しても、インプロヴィゼーションの生命力は生まれないんですよね。それこそコトとモノの違いです。

 古い日本語では、音楽のことを「もののね」と呼びました。おそらくほとんどが即興演奏だったのでしょう。

 そう考えると、即興を認めない楽譜(コト)の再生という構造を造った、西洋近代音楽の演奏の方がずっと難しいとも言えます。なにしろ、既存の曲(コト)を、今まさに生まれたかのごとく(モノのように)演奏しなければならないからです。

| | コメント (0)

2021.04.15

「鬼-人はなぜ鬼になるのか?〜日本人の闇・1500年物語〜」 (NHK BS ダークサイド・ミステリー)

Th_-20210417-72300 「」の時代の再来ですね。

 この番組は個人的にも大変面白かった。私の「モノ・コト論」を間接的に説明してくれていましたね。

 そう、「目に見えないモノ」「コントロールできないモノ」を古い日本語では「もの」と言ったのです。

 かつては「もの」という和語に、「鬼」「霊」「神」という漢字を当てていました。

 その反対が「コト」なのです。単純な話なんですよ。モノはあっち側、コトはこっち側。

 番組では説明されていませんでしたが、「おに」の語源は漢語の「隠(おぬ・おん)」だと言われています。まさに「隠れて見えない」ということですね。

 コロナはそういう意味で「おに」なわけで、だから今「鬼ブーム」「鬼退治ブーム」なのです。

 ただ、日本ではそういうモノ的な存在を単純に敵視することはなく、「慰め」の気持ちをもって接してきました。能(や本来の相撲)はそういう機能の形式化、芸術化したものですね。だから御神事なわけです。

 それにしても、この番組中、何度「もの」という言葉が出てきたことか。それらはすべて「何か」に置き換えられると思いながら鑑賞しておりました。20日のお昼11時45分から再放送がありますから、未見の方はぜひ御覧ください。

 そうそう、ポケモンの話も出てきましたが、「モンスター」の「モン」と「もの」はなんと同源なんですよ。ちなみにお金の「マネー」もです。

 

| | コメント (0)

2021.04.01

『日本習合論』 内田樹 (ミシマ社)

Th_41rifxmlql の本のクライマックスに登場する、次の一節こそ、この本で内田さんがおっしゃりたかった「可能性」でしょう。

 「氷炭相容れず」というほどに隔たったものを「水波の隔て」に過ぎないと見立てること、遠いものを近づけ、異質なもののうちの共生可能性を見出すこと、僕はそれが「できる」というところに日本人の可能性があると思っています。

 先日の鈴木孝夫先生の「日本の感性が世界を変える」に深くつながる本。そして、三島由紀夫と東大全共闘の話もでてきます。

 内田先生のいう「習合」「雑種」「ハイブリッド」等は、ワタクシのモノ・コト論ではもちろん「モノ」に属し、作られた「純粋」や「純血」は「コト」に属しますね。

 「これからはコトよりモノの時代」という、一般論とは一見逆に感じられる私のスローガンも、こうして解釈すれば多少は理解されることでしょう。

 私の言説は内田先生に比べるとかなり乱暴で粗悪ですが、言いたいことは完全に一致していると感じました。私は日本語のモノ、コト、トキを通して、いつか日本論、日本人論、日本文化論を書いてみたいと思います。

 「モノ」という言葉が持つそうした深い性質、論理では説明できない性質は、「物語」「物の怪」「物寂しさ」「もののあはれ」さらには「〜なんだもん(の)」に至るまで、私たちのよく知る日本語に生きています。

 さらに言えば、物部氏が信仰した「大物主」にも、そしてその神が象徴する「和魂(にぎみたま)」ともつながってきます。また、その物部氏を倒してしまった聖徳太子が憲法の第一条に置かざるを得なかった「和」に、そのエッセンスが凝縮しているとも言えます。そして、それが「習合」の起点とも言える。

 この本を読みながら、私自身がずっと考えてきた、いや感じてきた何か(=モノ)がはっきりとコト化されたような気がしました。おそらくはそれこそが内田さんの「物語」そのものの機能であるのでしょう。

 実に楽しかった。私もぜひ「頭がでかい」人間になりいモノです(このモノも他者性を表していますね)。

Amazon 日本集合論

 

| | コメント (0)

2021.03.26

『俺の家の話』最終回に嗚咽…

Th_-20210328-92436  やあ、本当に感動しました。号泣どころか、自分の嗚咽でセリフが聞き取れないという初めての事態に陥りました。

 宮藤官九郎、そして長瀬智也、西田敏行…その他の皆さん、本当にすごい。これはテレビ・ドラマ史上に残る名作でしょう。

 前にも書いたとおり、能、プロレス、介護と、まさに「俺の家の話」じゃん、と思っていたのですが、そんな次元の話ではありませんでした。

 本当にこの最終回で、私の能やプロレス、そして命や霊に対する考え方が、すっかり変わってしまいました。テレビ・ドラマでここまで自分の魂が変わったのは初めてです。

 娘が能楽師を目指していることもあり、また、まさに人間国宝の宗家と交流する機会もあって、それなりに能について理解しているつもりでしたし、プロレスについても多くのレスラーの方々とお話してきたので、なんとなく分かったつもりになっていたんですね。

 甘かった。どちらも命に、霊に、そして「家」に関わる文化、芸だった。

 少し前に紹介した野村四郎先生のオンライン講座で野村先生がおっしゃっていた「成仏得脱」「祝言性」「悲しみの慰め」ということが、このドラマの最終回を観て、すっと腑に落ちました。まさかこういう形で能の本質に近づけるとは。

 そう、現代の夢幻能だったわけですね。この最終回は。いや、最初からそうだったのかもしれない。

 目に見えないモノの悲しみを、形にするコトによって昇華する。それが能の機能であり、また、怒りや攻撃性を昇華するのがプロレスの機能であり、さらにそれらを総合的に昇華するのがドラマだったのです。

 まさに「モノを招く」という意味での「ものまね」、そして「ワザを招(を)く」という意味での「俳優(わざをき)」であったと。長瀬くんもまた稀有な「俳優」であったと。

 このタイミングで「俺の家の話」を超える「俺の家の話」を、本当にありがとう。クドカン、長瀬くん、西田さん、その他の皆さんに心より感謝します。もう一度最初から全部観ます。

| | コメント (0)

2021.03.20

地下鉄サリン事件から26年

 

 の日から26年ですか。当時私は30歳。事件を起こした人たちと同世代。そして富士山麓に住み、仏教をはじめとする宗教に興味を持ち、世の中に違和感を抱いていました。

 すなわち、この事件は全く他人事ではなかった。実際、オウムに興味を持ち、今は亡き信者の方々何人かに会ってもいました。まさに紙一重。

 10年前にある本を読んでこんな記事を書きました。

『革命か戦争か オウムはグローバル資本主義への警鐘だった』 野田成人 (サイゾー)

 この記事を書いた時、まだ私は仲小路彰に出会っていませんでした。グローバル資本主義のアンチテーゼとしての革命と戦争というのは、まさに仲小路彰が戦前から取り組んでいたテーマでした。そう、その3者をどのように避ければ良いのか、高次元から考察し続けたのが仲小路でした。

 そう考えると、ある意味オウム事件があったからこそ、私は仲小路彰に出会えたのかもしれません。私(や彼ら)のような低次元の宗教理解では到達し得ない答えを与えられた私は幸運でした。

 もちろん、その答えは目の前に提示されてはいますが、完全に理解できているわけでも、実践できているわけでもありません。それはこれからの私に課せられた大きな大きな課題であります。 

 映画『AGANAI 地下鉄サリン事件と私』、ぜひ観てみたいですね。正直あれから世の中も私たちもほとんど変わっていない。その中で、こうして当事者同士が語り合うということは非常に重要なことです。時間が経つということは、こういうことが可能になるということでもあるのです。

 そうして過去に流れ去っていく「事実」を思い出すだけではなく、未来から流れてくるモノをしっかり捉えることによって、ようやくその流れていったそのコトの意味が分かってくるのです。

 私自身の葛藤もまだまだ続きます。ただその解決策が、自分自身の中の革命でも、自分自身との戦いでもないということだけはわかりました。時がもたらす出会いのおかげで。

| | コメント (0)

2021.03.13

能・狂言から「いま」を読み解く (武蔵野大学オンライン講座)

 

 日、誠に有難いことに、ウチの次女が東京藝術大学に合格いたしまして、この春より能を勉強させていただくことになりました。

 本当に多くの方々のお陰様であり、稀有なご縁に報いることができますよう、しっかり精進させたいと思います。

 私もこれから一緒に能の世界をさらに勉強させていただきます。

 そんな親子の覚悟にちなみ、娘の師匠である野村四郎先生のご講義と仕舞を紹介させていただきます。武蔵野大学能楽資料センターのオンライン講座です。今月末まで視聴することが可能ですので、ぜひご覧ください。

 このコロナ禍だからこそ注目されるべき「能」の世界。見えないモノをカタチにすることよって、それを慰めるのが能の機能の一つでしょう。

 前半の、元国立感染症研究所室長の加藤さんのお話も非常に面白い。なるほど感染症はそれこそ「モノ(不随意)」であり、だからこそ当時の人間にとってある意味とても身近な存在であったのですね。だからこそ生まれた文化もありました。

 科学(医療)だけでは、ここでも言われている「不安の世界的パンデミック」は抑えられません。そこの慰撫は文化の仕事なのではないでしょうか。

 病は気からと申すとおり、不安がこのパンデミックの縮小を妨げているかもしれません。

 モノ(未知・不随意・他者)を敵対視するのではなく、語弊はありましょうが、ある意味仲良き存在として見ることも必要かもしれません。with コロナとはそういうことでしょう。ウイルスを言向け和すことも、きっと昔の人はできた…いや、未来の私たちはできるようになると信じます。

 能の奥義「ものまね」とはそういうことでしょう。「モノを招く」のです。ディスタンスの逆です。

 そして、娘も私も、そうした古くは存した「テクノロジー」を復活させるべく精進させていただきます。

| | コメント (0)

2021.02.25

(マイナスな)コトタマは恐ろしい…

Th_-20210227-100606 「トタマ」は文献的に言いますと「言霊」よりも「事霊」と書かれることの方が多く、一般的な「言葉が持っている不思議な霊力」というよりは、「意識のエネルギー」と解釈した方が自然です。

 ここのところ、特に「意識のエネルギー」が未来に働きかけていることを実感することが多い。それはマイナスの意識の結果である場合の方が強く感じられます。

 私は、比較的穏やかで人を恨んだりしない性格に見られがちですが、実は心の奥底には強いマイナスの意識も持っています。口には出しませんが、どうしても人道的に許せない人と接していると、絶対に失脚させてやるとまで思うのです。

 ただ、実際に手を下すかというと、そういうことは全くありません。なぜなら、自ら手をくださなくても結果思い通りになるからです。怖いですね(笑)。

 実は今日ニュースになった某団体の元事務局長や会長さんに対しても、2年ほど前に「絶対許さない」「社会的に葬り去ってやる」と真剣に思ってしまいました。それがこういう形で現実化したので、かなり驚いている次第です。

 実際、彼らの保身的、偽善的、高圧的な行動にはひどい目にあいました。彼らの文京区の本拠地に呼び出され、4人の屈強な連中に囲まれて一方的に詰問されました。彼らの権威主義、隠蔽体質をその時確信し、私は時間をかけてでも絶対に反撃してやると決心したのです。

 私の中で、具体的に反撃する術も考えていましたが、結果としては何もせず、ただ意識し続けるだけで「思い通り」になってしまいました。

 怖いですね。

 実はこういうことが結構あります。身近な所はもちろん、こういう全国ニュース的なところまでいろいろです。ですので、自分でも「やりすぎ」に注意しつつ、一方で世の中に跋扈する悪や偽善を退治するために利用しているのでした。

 スミマセン、なんだか怖いことお話しして。

 もちろん、おそらくこれは私だけの意識の結果ではなく、「集合意識」の結果でありましょう。多くの人に恨まれるようなことをするといいことがないということですね。気をつけましょう。

| | コメント (0)

2021.02.10

「歴史ミステリー 関ヶ原の勝敗を決めた細川ガラシャ」…麒麟は家康だった?

 

 日、明智光秀の娘、細川ガラシャのことを少し書きました。彼女の人生はまさに波乱万丈。

 しかし、その行動を中心に戦国の世を見ると、いろいろと不思議なことが見えてきます。

 ちなみに出口王仁三郎は明智光秀を智将とたたえるだけでなく、山崎の合戦後も生き残り千利休になったというトンデモ説を残していますが、それもまた、表層的な歴史的事実というわけではなく、おそらくは霊的な同一性について語ったものと思います(すなわち「コト」レベルでの話ではなく「モノ」レベルでの話)。

 ついでと言ってはなんですが、王仁三郎の光秀評を読んでみましょうか。「大鏡」の中にある文章です。

 明智光秀は稀に見るの明将であつたのである。太閤秀吉にあの偉業を遂げさした裏面には光秀の功績を無視することは出来ない、然し表面伝はつて居る歴史では、主殺し親殺しの大罪人の汚名を着て居るが決してそんな大悪人ではない、天下の将来を達観して大所高所から身を殺して仁を為した大勇者である。それでわしは其城趾を手に入れて亀岡に皇道の大法城を築いたのである。建設当時数百年土中に埋没して居つた石垣の根石を掘起して現在の石垣の大部分を築いたのであるが、其の石には毛利とか小早川とか西国大名から献じた印のある石が沢山出て来た、是らから推測しても其当時すでに西国大名の多くは光秀に款を通じていた事が判る。太閤記の十段目の文句に「主を殺した天罰に報いは親にも此の通り」と言ふのがあるが、天恩郷ではそれを絶対に口にすることを禁じて居る。其外光秀を悪ざまに言ふことを一切禁じて居る所以である。人為の歴史といふものは信ずるに足らぬものである。

 ここにもあるように、秀吉に天下を取らせた功績は、ただそれのみでなく、結果として徳川の世を招くきっかけになったと評価すべきです。

 のちに利休は秀吉に切腹を命ぜられるわけですが、これとてもその後の歴史的未来的展開には必要なことであり、また上の動画にもあるように、ガラシャがその後の関ヶ原の戦いの行方を左右したことを考えると、光秀の「天下の将来を達観して大所高所から身を投じて仁を為」さんとしたその志、霊性が娘のガラシャに宿ったとも言えましょう。

 つまり、麒麟は家康であり、それを招くために光秀とガラシャは命をかけたということになりましょう。そうすると、一方の都市伝説、光秀=天海僧正説が生まれたのも納得できるというものです。

| | コメント (0)

より以前の記事一覧