『失敗の科学』 マシュー・サイド (ディスカヴァー・トゥエンティワン)
今日は某プロ野球選手に会いに出かけましたが、その旅程にいろいろ「失敗」がありました。
しかし、まあ私としてはいつものことですが、その「失敗」のおかげで面白い展開が…。
というわけで、私にとって「失敗」は「失敗」ではないことが多い。反省しないのは良くないのですが、失敗を恐れないどころか、歓迎するのは一つの特技かもしれません。
この本でも、失敗は「してもいい」ではなく、「欠かせない」と書かれていますね。失敗は悪いことと教えるのは学校であり、そういう意味で学校教育自体が失敗とも言えます。まさに「クローズド・ループ」の「成功(実現)例」です(苦笑)。
この本で特に印象に残ったのは、学校では良しとされる「集中」「努力」「自尊心」「知性」といったものが、失敗を招いたり、進歩を妨げたりするという話ですね。
たしかに自分勝手な「自己肯定感」や「自己正当性」のために、批判・非難を避け、言い訳をし、他人のせいにし、失敗を認めない人というのは多い(私も少なからずそういう部分があると自覚しております)。
この本では、教育界ではなく医学界がその悪しき典型とされています。逆に失敗が単純に非難の対象にならず、その経験が共有され、進歩が著しいのが航空界。
まさに空から地上を見るがごとく、最初の失敗が起きた時に、冷静に第三者的に状況を俯瞰することが大切なのです。それが失敗の拡大を防ぎます。逆に異常な「集中」や「保身」や「ごまかし」が、失敗の上塗りを生んでいくのです。
私の未来学的視点(逆因果説)から言うと、全ての「失敗」は、未来の「成功」を原因とする結果であるわけですが、それが正しい因果となるためには、その「失敗」が未来に投げかけるボールをしっかり受け取る必要があるのです。
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