カテゴリー「歴史・宗教」の392件の記事

2010.02.07

『霊の発見』 五木寛之・鎌田東二 (角川文庫)

04129440 といいますと、なんとなく、胡散臭い、あるいは嘘臭い、あるいはただ恐い、そんな感じを持つ方も多いと思います。とにかくあんまりそういうことを言っていると、現代においてはかなり怪しまれるようです。あるいは逆にメチャクチャ尊敬されるか。
 この前、「鬼=もの」について書きましたね。昨日も「権現さま」の話を書きました。私はそんな感じで、自分の「モノ・コト論」の中で「モノ」を扱っているために、それほど抵抗はありません。また、もともと科学で証明できるものとか、目に見える、耳に聞こえるものの方が「全体の一部」であるという、実は当たり前のことを認めている立場というか、実感としてそれらに対する「その他」を認めて生きてきた人間ですから、一般の人よりもかなりそういう世界に近いところで生きている方かもしれません。
 さて、この本ですが、なかなか内容が濃い。あの五木寛之さんと、「霊学」や「言霊学」の専門家にして、神道ソングライター、そして現在は京都大学こころの未来研究センター教授としても御活躍の鎌田東二さんの対談ですから、それは面白くなりますよね。
 ここで語られる「霊」は、いわゆる死者の魂的なものだけではなく、神仏や物の怪など、それこそ「その他大勢」にわたっています。それは当然ですよね。我々の知っている「コト」より、知らない「モノ」の方が圧倒的に多いことだけは確実ですから。
 五木さんはまあ作家さんですから、そういう世界をいくらでも表現できる立場だと思いますが、鎌田さんは学者さんですから、なかなか難しいとも思うんですよ。なにしろ、「霊」は、まさに「学問」や「科学」の補集合だからです。
 鎌田さんの御著書は何冊も読んできています。特に「言霊」に関する学術的な研究書には大変お世話になっているとも言えます。それらでもそうでしたが、とにかく、そういう世界に対するアプローチのしかたがしなやかでしたたかなんですよね。自然体の強さというか。
 普通、そういう世界を対象にすると構えちゃうと思うんですよ。胡散臭くならないようにするために。しかし、さすが御本人も神主さんであられ、また、石笛などを演奏される、それこそ「霊的」な生活を普通にしている鎌田さんですから、その辺のアプローチが本当に自然なんです。正直うらやましく思います。
 この本が出版された2006年は、いわゆるスピリッチュアル・ブームの頃です。それらが商売になった、ちょっと異常な状況でした。それらがカネになり、そして一方で批判されていたのは、やはりそこに胡散臭さか伴っていたからでしょう。その胡散臭さとは、そうした本質的な実感を実は持っていない、すなわち霊的な生活体験を本当はしていない人々が、無責任に語りすぎた結果だと思います。
 私は美輪明宏さんや江原啓之さんに関しては、それなりに認めていたわけですが、ただその取り巻きというか、メディアの側というか、カネもうけをしようとした側の胡散臭さは、やはり感じていました。
 結果として、あのブームは、私たちから「霊的」な世界を遠ざけてしまったと思っています。
 おそらくそうした風潮を受けての対談であり、出版であったのでしょう。無責任なメディアとは大違いで、実に深く重い、しかし肩ひじ張らない対話が展開されています。つまり「善意」に満ち溢れているのです。やはり「畏敬」こそ「愛」であり、「魂」であり「善意」なのだなあと再確認。現代にはそれらが欠けているのです。
 今までそういう世界に抵抗があった方も、また逆に必要以上に(?)興味を持っていた方も、ぜひこの本を読んでいただきたい。私たちが知っている世界はあまりに狭いということもわかります。そして、「その他」の世界を知ることによって、我々の人生が確実に豊かになるということもお解りになるでしょう。
 私がいちおう専門に勉強している出口王仁三郎も、もちろん世界史上最強の霊能者として何度も登場します。また、私の運命を変えた、富士北麓に伝わる古文書のことも一言出てきます。
 私の心の中の風景を知りたい方もぜひお読みください…って、そんな人いないか(笑)。

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2010.02.06

病院 vs 権現さま

B0da0e000000f78k 梨県立中央病院に、下の娘とカミさんを迎えに行ってきました。下の娘が鼠径ヘルニアの手術で2泊3日の入院をしていたのです。
 まあ、「脱腸」ってやつですね。女性の鼠径ヘルニア率は2〜3%だといいますが、上の娘も手術しましたし、私の姉もそうでしたから、けっこう我が家系の脱腸率は高い方だと思います。ちなみに男性の鼠径ヘルニア率はなんと25%以上だとのこと。4人に一人ですよ。知りませんでした。
 ちょっとした設計ミスという程度ですから、手術と言っても軽く切って貼るようなものです。私も別に心配もしていませんでしたし、娘本人もママとのお泊まりということで、なんだか非常に楽しみにしていました。
 手術はもちろん問題なく終わったのですが、麻酔で寝ていた娘は寝ぼけて、というか全然記憶がないらしく、術後「手術は?今から?」と言っていたそうです(笑)。
 鼠径ヘルニアは病気というより、先ほども書いたように設計ミスのようなものですから、自然治癒はしません。ごくまれにそれが原因で面倒な病気になることもあるようなので、幼いうちに修繕しておいた方がいいですね。場所が場所ですから、大人になるとなんとなく躊躇されますし。
 で、そんなことをカミさんのお母さんに報告したところ、驚くべき事実が判明いたしました(笑)。
 以下、電話の内容を復元します(秋田弁のまま)。カ=カミさん 母=カミさんの母

カ「○○(娘の名)、しゅじゅつするがら、にゅういんさねねぐなった」
母「あら、なしてよ?」
カ「だっちょうだど。ひゃぐにんにふたりしかならねなだど」
母「あら、おれもだ」
カ「え〜しらねがった、いづしゅじゅつしたなよ」
母「しゅじゅつなさねえ。べってじぎ、ばあちゃんどもんぜんのごんげんさまさおがんできた…」
カ「え〜、しゅじゅつさねぱ、ぜったいなおらねんだど」
母「あや、おれなばえおの。おしてやればひっこむがら…」

Sany0033 お分かりになりますか?簡単に言えば、実は義母も鼠径ヘルニアであったと。そして、病院には行かず、村の権現様に拝みに行った。今でも出っ張ったら押して引っ込めているということです(笑)。
 いやあ、「権現様」ですか!?こっちは最新のホテルのような病院で至れり尽くせりの入院、最新医療の手術をしました(上の娘は静岡のこども病院でした)。それに対して、なんと古典的な対処法でしょう。素晴らしい!
 考えてみれば、昔の日本にはそんな手術はありませんでした。出たら手で引っ込めるしかなかったわけですよね。あとは、神仏にお願いするしかありません。みんなそうやっていたはずです。
 もう少し前なら、病気やケガは「物の怪」のしわざでしたから、それこそ祈るしかありません。貴族なら、医者を呼ぶかわりに坊さんや修験者を呼んで加持祈祷したわけです。庶民は村の社や祠に行って拝むしかありません。
 たしかに、今でも、あの神社は「目の神様」、あの地藏さんは「皮膚病の神様」などと、分業の痕跡が残っています。大きな寺や神社ですと、総合病院よろしくいろいろな「科」が集められていたりしますね。
 カミさんの実家があったあたりは、本当に時代を超えた田舎、絵にかいたような日本の原風景が広がるところです。いまだに「もののけ姫」の世界ですから。
 しかし、なんでも、科学や医療で片づける(すなわちお金で解決する)のではなく、そういう神仏に自分の運命を託す気持ちというのも大切なような気がします。我々現代人はすっかりそれを忘れてしまっていますね。子どもたちもそうです。「想像」や「妄想」、「祈り」、そして「畏怖」というモノから遠ざかっているのが、よくわかります。その結果、ウチの娘たちも「感謝」の気持ちが不足しているように感じます。
 「コト(自己・内部・情報・随意・不変)」と「モノ(他者・外部・現象・不随意・無常)」のバランスが崩れているんですよね。特に、デジタル化による「コト」化の行き過ぎは、たとえば病気やケガに対する人間の抵抗力、あるいは自然治癒力を奪っているように思えてなりません。今こそ、「権現さま」パワーを見直す時なのかもしれません。
 この笑い話は、実は深刻な問題をはらんでいるのでした。

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2010.02.03

心の鬼…モノノケハカランダ

P204mane03 日は節分。いつだかのこの日にも書きました通り、我ら出口王仁三郎ファンにとっては「鬼は内、福は内」の日です。
 皆さん、鬼を無反省にいじめていませんか?そろそろ艮(鬼門)に幽閉された国祖「国常立尊」の復権を待望してもいいのではないでしょうか。私たちの考える善悪のほとんどは、自分で判断したものではありません。
 という、ちょっと難しい宗教学的、いや民俗学的、あるいは哲学的な話は置いておいて、今日は文学のお話をしましょう。
 また最後はフジファブリックの志村くんの話になってしまいますが、ご了承ください。それほど、私にとって大切な人だったということです。今まで彼や彼の音楽に興味がなかった方も、これを機にぜひその世界に触れてみてください。
 さて、今日いつもの「モノ・コト論」研究のため、枕草子の注釈書を繰っていましたら、本当にたまたま「心の鬼」が出てきました。「故殿の御ために」という段です。ここには、イケメン藤原斉信が清少納言にかまかけるシーンがあるんです。それを軽くいなす清少納言。つまりはモテ話に振り話、いつもの通りの自慢話ですね(笑)。
 斉信は「夫婦になりませんか」とかまかけるのですが、清少納言は「夫婦になるとあなたをほめることができなくなる」と言って断ります。うん、たしかに人前ではなかなか配偶者をほめられませんよね。「あいつはダメで…」という物言いになります。
 で、そんな微妙な夫婦間の心情について、「心の鬼出で来て…」と表現しているんです。つまり、結婚すると、本当は好きでほめたいのだけれど、「心の鬼」が現れてそれができなくなる、ということです。
 では、この「心の鬼」とは何を指しているのでしょう。
 実は、枕草子の時代、「鬼」は、あの角のはえた赤や青の鬼(虎のパンツの鬼)とは全然違うイメージでした。あれが定着して、「鬼」が悪者になっていくのは平安末期だと思われます。それまでは、中国の「鬼」、すなわち死者の魂というイメージが強かったものと思われます。
 和語ではそれを「もの」と言いました。「鬼」の文字を「もの」と読ませる例が、万葉集なんかにもわんさか出てきます。
 私の「モノ・コト論」の出発点と終着点はまさにそこです。非常に単純です。簡単に言えば、今我々が「物体」「物質」「商品」のような意味で使う「モノ」という言葉も、実は「異界」「自分にとって外界」「思いどおりにならない外部」というような意味だととらえるのです。「もののあはれ」の解釈もそれにもとづき、「不随意(世の無常など)に対する嘆息」とします。これは他の人が全く言っていない盲点です。
 ですから、ここでも「心の鬼」というのは、自分の心の中の「意思に反する」あるいは「制御できない」何か、ということですね。たしかに、恋人どうしが夫婦になった瞬間から生じる、あの妙な違和感というか、変容というものは、なんとも説明がし難いですよね。それを「心の鬼」と言っている。別に恐いものではないのです。不安にはなるかもしれませんが。
 一般的に、たとえば私が読んだ注釈書なんかは、「心の鬼」を「良心の呵責」とか「気がとがめること」などと解釈しています。たしかにそう読めないこともないのですが、ここではそこまで善悪が関わっていないと思います。
 これが、中世以降、先ほどの角のはえた鬼のイメージ、すなわち「悪」のイメージが定着してきますと、「心の鬼」は「邪念」とか「妄想」とか「性的な欲求」などを表すようになるんですね。「豆とりて我も心の鬼うたん」なんていう節分の俳句も生まれたりします。邪念を消そうとしているわけです。
 あるいは恐い者の象徴として、自分の心を抑制する存在としてとらえられることもあります。「心の鬼が身を責める」という慣用句も生まれます。これなんか、やっぱり地獄の閻魔様のようなイメージから、悪事や良心の呵責と結びついているんでしょうね。
 というわけで、いきなり現代に話が飛んできます。
 先ほど書いたように、「鬼」=「もの」とは、自分のコントロールできない「何か」を広く表す言葉でした。そして、その「鬼」=「もの」を幽閉し、あるいは自らの制御下に置こうとしたのが「近代」であると言えます。ですから、我々現代人は、基本的にそうした「鬼」=「もの」を忌み嫌ってきたわけです。見ないようにする、あるいは、皆でいじめる。豆まきはその象徴です。
1 さて、そんな中、「鬼」=「もの」を、決して拒否せず、またそれから逃げずに、しっかり向かい合った青年がいました。それが志村正彦くんだったというわけです。
 彼を評するのによく使われる言葉は「叙情」「変態」などですが、それらはある意味「心の鬼」と言えます。「敏感」で「繊細」な「叙情」は、「説明できない孤独や切なさ」であり、「変態」は「妄想」や「性的な欲求」かもしれません。それらは、古文の時代においては「もののけ(物の怪・鬼の気)」と呼ばれました。
 そう考えると、彼らの代表曲の一つ(音楽的にも世界に不二な存在です)「モノノケハカランダ」は、まさに古典的な日本語、あるいは古典的な日本人の感性や世界観をそのまま継承していると言えますね。
 YouTubeで聴いてみましょう。

モノノケハカランダ

20100204_62102 すごい音楽ですね。イントロからして、私の常識ではありえない音楽です。天才。
 歌詞を読んでみましょう。「思いのほか」、「止まるなって言ってる」、「獣の俺」、「もうモノノケ」、「止まれなくなってる」…これこそまさに「心の鬼=モノ」世界です。
 昔ならこの感情を和歌で表現していたのです。あるいは、皆さん御存知の徒然草冒頭にある「ものぐるほし」という言葉もそうですね。あれなんかも、学校の先生や学者さんたちは、その真意をとらえていません。
 一方の「説明できない孤独や切なさ」についても、もう例を挙げるまでもなく、フジファブリックの曲に満載です。志村くん最後のアルバムとなってしまった「CHRONICLE」は、まさにその双方の「心の鬼=モノ」の競演、せめぎ合いであったと言えます。
 そういう我々がつい幽閉してしまう「モノ」に、正面から対峙したのが志村正彦くんだったわけですね。それを「天才」と言ってしまうのは、もしかすると安易なのかもしれません。彼のその「まじめすぎる」「不器用な」生き方は、すなわち「命を削る」生き方そのものだったわけですから…。

 PS 今日「鬼は内」と言ってマメを食べたら、皆さんが追い出した鬼がみんなウチに来てしまいました。カミさんがまさに鬼の形相になって、ものすごいことになりました(笑)。2時間ほどで正気に戻りましたが、全然覚えてないとのこと…おいおい(笑)。しかし、そういう手荒いカタルシスも必要なんです。あとには晴れ晴れしく澄んだ空気と心が残りました。ふぅ。

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2010.01.26

今年の4月は「来春」か「今春」か

↓写真は志村くんゆかりの忠霊塔の「春」
O0800053510163967887 ほど、ご意見番(ウチの父親)から電話があり、「昨日の記事には間違いがある!『来春開校の中学…』ではなく『今春…』と書くべきだ!」と強く叱られました。「そんな先生が中学生に国語を教えているとなると、親から苦情が来る!」とまで言われました(笑)。
 父親が言うに、「辞書に『来春=来年の春』『今春=今年の春』と書いてある!」とのこと。たしかにそうです。
 しかし、ちょっと皆さん、考えてみて下さい。1月である今、3ヶ月後に来る春を「今春」と言うのには、ちょっと抵抗がありませんか?
 ない…?なるほど、そういう人もいるかもしれません。それもわかります。なぜなら、やはり辞書的に正しいし、新聞やテレビなどのマスコミも当然辞書に従っているため、実際にそのような表現を目に耳にすることが多いからです。
 では、完全に私の間違いかと言いますと、そうとも言いきれません。
 父が辞書と言った、その辞書は当然現代の国語辞典です。たしかにほとんど全ての辞書に上記のような記述があるようです。しかし、事情は辞書ほどに明解、いや明快ではありません。
 たとえば、こんなふうに、私の感覚や使い方の肩を持つこともできます。
 まず、もっと古い辞書を引っ張ってきましょう。17世紀初頭の「日葡辞書」です。

『来春「Raixun (ライシュン)。キタル ハル〈以下ポルトガル語の訳〉今度の春。文書語』

 そう、来たる春が来春なのです。next springということです。今、季節はどう考えても冬ですから、今年の4月は(次に)来たる春に間違いないことになります。
 考えてみると、本来「今〜」とか「来〜」とかいう熟語の「今」や「来」には、「今年の」とか「来年の」とかいう意味はありません。
 「今週」「来週」、「今月」「来月」、「今年」「来年」、「今学期」「来学期」などと言う時の「今」と「来」は、「(話し手が)今いる時間的範囲(期間)の」と「今いる時間的範囲(期間)が終了したのち来たるべき次の時間的範囲(期間)の」という意味です。
 ついでに言うと、一つ前のスパンを表すのは「昨」ですね(「昨〜」が使われない場合もありますが)。
 そうした本来の「今」「来」の使い方からすると、「今春」とは「今身を置いている春」、「来春」とは「今身を置いている春の次に来る春」ということになり、たしかに「今年の春」「来年の春」と同義になります。
 ただ、この解釈ですと、「春」に身を置いている時にしか、この表現はできないことになりますね。夏や秋や冬には使えない表現ということになります。
 しかし、どうも事情はもう少し複雑なようです。たとえばプロ野球で、ある年のペナントレースが終了し、その結果を振り返るのに、「今季」と言いますし、次のシリーズに向けて「来季に期待しましょう」などと言います。
 つまり、それらの「時間的範囲(期間・節)」が連続していない場合もあるわけですね。シーズンオフがはさまれたり、別の「節」が挿入されたり。その場合には、「今」「来」のニュアンスが少し変わってきます。
 すなわち、その「節」が連続しておらず、間に違う「節」がある場合、その違う「節」に身を置いている際には、「今〜」の「今」は「直近の過去の〜」ということになり、「来〜」の「来」は「直近の未来の〜」ということになるわけです。
 季節もそういうことになりますから、今の解釈に従って、「今季」「来季」と同じ感覚で「今春」「来春」と言ったとしたら、私の「来春」の解釈で間違っていないことになります。今、冬で、その「直近の未来の春」ですからね。
 では、なぜ、「今春」「来春」の場合には、辞書に「今年の春」「来年の春」といった異様な解釈が載っているのでしょう。
 もうお分かりかと思いますが、これには旧暦から新暦に移行した際の複雑な事情が絡んでいるのです。
 お正月を新春と言いますよね。つまり、旧暦では、1月1日はほぼ「春」でした。「ほぼ」と言ったのは、立春よりも早く年が明けることもけっこうあるからです。それでも、感覚としてはだいたい「立春」の頃が「元旦」でした。
 そうすると、旧暦のもとでは、「来春=直近の未来の春」はすなわち、ほとんど全て「来年の春」となるわけですね。「今春=直近の過去の春」は「今年の春」です。
 と、そんな事情もあって、旧暦下では私の解釈も父の解釈も正しいし、同じことになってしまうんですね。
 ところが、明治以降、かなり無理をして新暦を導入した結果、まあ、暦はめちゃくちゃなことになってしまいました。「暦の上では」という表現とか、「お盆」なんか「旧盆(旧暦7月15日)」「新暦7月15日盆」「月遅れ盆(新暦8月15日)」とか…もう本当に訳がわからん状態です。
 この「来春」「今春」問題もまた、そうした弊害の一つと言えるでしょう。
 辞書というのは、実は孫引きに孫引きを重ねて成立してきています。今の辞書の原形は明治時代の辞書たちです。大槻文彦の「言海」や、山田美妙の「日本大辞書」、上田万年の「大日本国語辞典」などですね。そのあたりを参照してみないと分かりませんが、江戸や明治初期の暦の感覚のまま「今春=今年の春」「来春=来年の春」と書いてしまった可能性は高いと思います。そして、それを孫引きして、論理矛盾に気づくこともなく、また、本来の「今〜」や「来〜」の意味を無視して現在に至る…と。
 というわけで、たしかに辞書的には私の「来春」の使い方は間違っているかもしれませんが、語誌的に、また日本人の感覚的に考えて、立春前である昨日、あのような表現をしたのは、あながち間違いでないと思います。
 ま、ここは私が素直に間違いを認めましょうか。親子ゲンカになるのも面倒なので。直しておきます。「来春(この春)」と(笑)。
 ただ、「そんな先生がうんぬん」の発言は撤回してもらいたいですね(お互いかなり頑固でして…苦笑)。

PS いつか書きたい「時間」に関する論理矛盾(謎)を挙げておきます。
 正午は午前12時か、午後12時か、それとも午後0時か…。
 日曜は週の始めなのに、なぜ「週末」に含まれるのか…。
 電車ホームの告知板の「こんど」と「次」とは…。

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2010.01.14

『よくわかる!日本の新宗教』 島田裕巳(監修) (笠倉出版社)

07231446jpg ういう系統の本はたくさん持っていますが、これはちょっと毛色が違っていて面白かった。カミさんも面白い面白いと言っておりました。つまり、ちょっと週刊誌的な感じがあるんです。マニア向けではなくて大衆向け。
 いやもう、「笠倉出版社」というだけで、私は飛びついちゃったんですよね。えっ笠倉が新宗教の本?っていう感じだったんで。
 御存知のように、「笠倉」と言えば、レディースコミック、BLコミック、パチンコに競馬、改造車にPC裏技っていうイメージじゃないですか。私の趣味からはほど遠いけれども、なぜか研究対象としては身近な感じがする分野ばかり(笑)。ある意味日本の裏伝統文化を支えてきた(いる)出版社ですよね。
 正直すごく分かりやすかったんです。今まで、どちらかというと教典などの各教団出版物、学術書や事典、せいぜい『日本の10大新宗教』『平成宗教20年史』のような新書を読むばかりでしたので、まあ知識は豊富な方だったと思いますが、なかなか頭の中で整理されていない感じがあったんです。でも、笠倉さんのおかげでだいぶ整理できましたよ。
 冒頭の「日本の新宗教相関図」という樹型図をはじめとして、2ページに1ページはいわゆる「図解」ですからね。やっぱりこういう大衆への優しさというのは大切ですよ。よくまとまっていました。
 そして、やっぱり根本の視点が他所と違っている。帯には「カネ」「信者数」「勧誘術」etcとあります。ね?面白そうでしょ?
 特に各団体の「集金モデル」は、単純と言えば単純ですが、なるほどと思わせるものがありました。なんとなく宗教団体というと強引な勧誘と多額のお布施みたいなイメージがありますが、たしかにこうやって示されると、全然そういうシステムではないことがわかりますね。
 だいたい、一人当たりの上納金は大したことないんですよ。1ヶ月100円とか、せいぜい3000円とか。しかし、チリも積もれば山となるということで、その数が100万人なら、1000円も1年で12億円とかになるわけですね。あとは出版ビジネスですね。確実に100万部売れるんですから。
 出版やその他のメディアビジネスということでは、この本でも取り上げられている、そして昨日の記事でも登場した出口王仁三郎がそのはしりですよね。昨日も書いたとおり、彼はカミとカネを有機的に結びつけた最初の宗教人だと思います。
 これも昨日書きましたが、その影響は両世界において、とんでもなく大きいものがあります。我々はふだん気づきませんが、宗教、経済、政治、芸術といった分野での、地下水脈としての彼の影響力は多大なものがあります。
 冒頭の「相関図」を見てもわかるとおり、彼の教団「大本」はまさに「大本」で、現在名だたる神道系教団のほとんどが根っこをたどると「大本」に行き着きます。
 ある意味「万教同根」を唱えた王仁三郎の言うとおりであり、また逆に言えば、「万教帰一」のはずが、今はどんどん枝分かれしてしまっているという皮肉なことになっているとも言えます。
 そして、当然のことながら、枝分かれし、袂を分かち、暖簾を分けるうちにどんどんパワーダウンしていくという図が読み取れます。20世紀は分裂の時代でしたね。やはり21世紀は再び融和、融合、合流の時代ではないでしょうか。そして、数がどんどん減っていき、「1」になり、最後は「0」になるというのが、王仁三郎の理想でした。
 今ここにたまたま「祭政一道」と書かれた色紙があります。王仁三郎の書です。この意味もまた、単純に「政教分離」の逆ということではありません。もっと根本的なことを言っているような気がしますね。
 さてさて、この本ですが、先ほど書いたように充分に「笠倉的」であったわけですが、もう一つ思わず苦笑してしまったのは、「誤植」というか「誤変換」の多さです。見開きに一つは見つかります(…は、ちょっとおおげさかな)。いくら初版とはいえ、さすがに多すぎでしょう。小見出しにまでそれがあって、大いに楽しませていただきました。島田裕巳さん、ちゃんと「監修」してくださいよ(笑)。それにしても、最近の島田さんは、異常なほどに精力的に著作を出していますね。どうしたんでしょう。
 最後にこの本で取り上げられた教団の名前を列挙しておきます。全部で20です。出てくる順です。

創価学会・幸福の科学・アーレフ(オウム真理教)・立正佼成会・天理教・パーフェクトリバティ教団(PL教)・真如苑・霊友会・GLA・阿含宗・大本・生長の家・世界救世教・神慈秀明会・崇教真光・善隣会・金光教・霊波之光・世界基督教統一神霊協会・ものみの塔聖書冊子協会

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2010.01.13

稲盛和夫と出口王仁三郎

Biz1001132308048n1 盛和夫さんが日本航空の新しい最高経営責任者(CEO)になりましたね。はたして「日本の翼」は復活するのか。
 「経営の神」と言われる稲盛さんですが、彼の経営観には多分に本物の宗教色があります。
 私は、稲盛さんの考え方ややり方が好きですね。なぜなら、ワタクシ的には彼は「出口王仁三郎」の霊的世界を現界において体現していると思うからです。
 御本人はあまり意識されていないかもしれませんが、彼にはそうした霊脈が感じられます。私は最初、彼の「臨済宗妙心寺派円福寺にて得度」という経歴に注目しました。私も今、臨済宗系の学校で禅の勉強をさせてもらっているからです。しかし、のちある方からいろいろと示唆に富む情報をいただきまして、調べてみましたらたしかに王仁三郎の息吹を受け継いでいるように感じられるようになりました。
 稲盛さんは、昭和19年の末、12歳の時に結核の初期症状である肺湿潤に冒され、死の恐怖と闘っていました。その時、隣の奥さんが「読んでごらん」と言って渡してくれたのが、かの『生命の実相』でした。稲盛少年はこの本を読んで、自分の中で革命が起こるのを感じました。稲盛さんの現在の経営観、世界観は、ある意味この瞬間に出来上がったとも言えます。
 『生命の実相』は言うまでもなく、「生長の家」創立者谷口雅春の著書です。そして、谷口雅春(正春)は王仁三郎の霊界物語の筆記者の一人ですね。谷口にも、また現在の「生長の家」にも、王仁三郎の影響は実に色濃く表れています。
 昭和19年と言えば、王仁三郎が京都で、のちに「ようわん」と呼ばれる焼き物(楽焼)を祈りを込めて(ある意味狂ったように)焼いていた時期にあたりますね。
 そして昭和30年、不思議なことに、鹿児島で生まれ育った稲盛さんは、吸い寄せられるように京都に向かいます。碍子製造会社に就職するのです。そして、ニューセラミック(焼き物)の研究に携わり、のちに「京都セラミツク(京セラ)」を創業し、世界的な企業に成長させました。
 つまり、稲盛さんには、思想的(宗教的)にも、実業的にも、王仁三郎の魂が流れ込んでいるのです。
 「大本」の関係者の話によると、どうもこれは単なるこじつけではないようです。彼の著書などを読んでみると、宗派を超えた独特の宗教観、世界観を感じます。まさに出口王仁三郎(大本)の「万教同根」、谷口(生長の家)の「万教帰一」ですね。
 さて、そんな稲盛さんですが、今回CEOという仕事を通じて、きっと世界をつなぐ「日本の翼」の傷を癒してくれることでしょう。単なるお金の問題ではないのです。社員の幸福、利用者の幸福、日本の幸福、世界の幸福を見据えてのお仕事をしてくれることでしょう。
 昨日のプロレス界の話もそうなんですよね。「カミ」と「カネ」の関係。これはなかなか難しいのです。「神」が「金」をコントロールできているうちはいいのです。
 稲盛さんはもちろん、松下幸之助さんや船井幸雄さんなんかもそうですね。みんな宗教的な勉強をちゃんとしている。「カネ」という悪神の働きもよく分かっているのでしょう。
Ai そう考えると、王仁三郎の「金神」観というのも面白く感じられますね。もともと最強の祟り神である「艮の金神」を善神に転換する発想は、そのまま、貨幣経済、市場経済における「金」という「神」の両面性とその可能性を示唆しています。
 私の「モノ・コト論」で言いますと、現在は「モノ」より「コト」、つまり、目に見えない不随意な「モノ」よりも、目に見える随意な「コト」に偏りすぎているんですよね。いつも書いているように、見えない価値を見える数値に換える「カネ」は、「コト」の権化みたいなものです。それが威張りすぎているのが現代というわけですね。人間の脳内のフィクションが調子に乗っているというか。
 そんなわけで、私はこれからの教育には、ある程度宗教的なものが必要だと考えています。もちろん、私は特定の宗派に属しているわけでもなく、まさに「万教同根」を信じて、「万教帰一」を目指し、いや、王仁三郎の理想、「宗教のない世界」の実現を夢見ている者ですから、変に偏った宗教教育をしようだなんて考えていませんよ。ただ、やっぱり若いうちに、そういう「目に見えない」「教科書に載っていない」世界があるということをしっかり「体感」させてあげたいとは思います。
 これからは「コト」より「モノ」の時代です。もちろん、ここで言う「モノ」は「物質」とか「商品」とかいう意味ではありませんよ。世間では、これからは「物質文明」ではなく「精神文明」の時代だという意味で、「モノ」より「コト」と言われていますが、私はあえてワタクシ的観点から「コト」より「モノ」と宣言させてもらいます。平たく言うと、「カネ」より「カミ」、「自己」より「他者」ということでしょうかね。
 結局は双方のバランスの問題、主従の問題なのでしょう。王仁三郎の言う「霊主体従」ですね。
 とにかく、その辺りをよく理解しておられる稲盛和夫さんの手腕に期待いたしましょう。

稲盛和夫公式

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2010.01.12

『プロレスは生き残れるか』 泉直樹 (草思社)

79421741 局、私の人生は、正しい「歌」と「言葉」と「肉体芸術」の伝承のためにあるのだなあと思います。
 それらを無理矢理まとめると「祭」ということになりましょうか。まずは神仏の存在という「モノ」があって、それを現し世に「コト」としてうつす(写す・映す・移す・遷す)作業です。
 現代は、まず我々を超えた「モノ」の存在を忘れてしまっています。全てが自分たち人間の世界観、ものさしで展開しています。特に本来の「神」に代わる悪神「カネ」はたちが悪い。我々は悪神の示す「勝ち負け」だけで自らの幸不幸を語るようになってしまいました。
 そうした「カネ」を価値基準とした世界からは、まず「祭」などという実に非論理的、非生産的なものが切り捨てられます。
 何度も書いているように、負の祭祀を司ったヤクザさんが消え、その鏡像たる皇室の権威も蹂躙され、もうこの国日本はすっかり乾いてしまっています。残念です。
 そうした世の動きとともに、衰退してしまった「モノ」と「コト」。その一つがプロレスです。もののけたちの肉体による供宴。神仏に捧げる非日常的マレヒトの来訪。
 この本では、そのような文化史的な考察は皆無ですが、しかし、この十数年で起きたプロレスを取り囲む変化が、比較的冷静に語られています。
 プロレスマニア的には、やや深みが足りないという感じもしますし、私の読んだ単行本やムックからの引用が多く、まあ復習には良かったかもしれませんけれど、少し物足りなかったかなあ。
 しかし、よくあるプロレス本の胡散臭さや過度なマニアックさがなく、一方でずぶのプロレス素人が書いたような痛さもなかったということは、ある意味今までにない距離感の良書なのかもしれません。
 他の分野でもあるんですよねえ。たとえば宝塚みたいに。極度に分かる人と全然分からない人に分かれる世界が。プロレスもその最たるものでしょう。ですから、一般書籍としての距離感が難しい。
 特に、先ほど書いたような世の中の現状ですから、我々プロレスファンは、まるで時代遅れのお変人のように扱われてしまう。総合格闘技というエセ(!)スポーツの方が、単純ですしカネになりましたからね。つまり、私たちの物語を紡ぐ力、創造力やら想像力やらがどんどん欠乏していっているわけです。
 おっと、またそっちの視点になってしまった。ええと、この本では、そのような視点ではなく、どちらかというと経営的な視点やトレーニングのあり方などが中心となっています。つまり、業界側の話。
041031_kak_zen_08_mutou_b そういう意味で面白かったのが、全日本プロレスの武藤敬司社長と内田雅之取締役、そして道場で若手の教育役を担っているカズ・ハヤシ選手の現場の声でしょうかね。リアルで興味深かった。
 なかなかインタビューなどの協力が得られなかった中、結局多くを語ってくれたのは全日本プロレスだったようです。そんな姿勢にも、全日の「自由」な発想が感じ取れましたね。いまだに閉鎖的なところも多いですし。
 昨日も全日の1月3日後楽園ホール大会をテレビで観戦しましたけれど、たしかに見事なパッケージ・プロレスでしたよ。武藤社長のプロレス観や経営センスに、私は違和感はありません。正しいかどうかは分かりませんけれど、一つのプロレス道であることは認めます。実際に今、非常に安定感がありますからね。
 私は一方で、現在の全日とは違った方向性を持ついくつかのプロレス団体の関係者の方ともご縁があります。私からしますと、どれも間違っていないように感じるんですね。もともとプロレスはその定義すら難しいほどに混沌として幅広く、奥の深い世界です。いろいろなシステムや目標があっていいですし、それらの微妙な行き違いや、奇跡的な交接というのが、プロレス的物語世界の面白さですから。
 この本の中でも話題になっていた「非合理的なスクワット」なんかも、両方の考え方があっていいと思うんです。その多様性こそがプロレス的世界だと思いますから。武藤選手のように「そんなことしたから膝が壊れた」として若手にそれを強要しないのも一つの考え方ですし、宮戸優光さんのように新年早々若手とスクワット1000回やるというのもいい。
 私はスクワットなんて50回しかやったことありませんから(笑)、全然無責任な考えなんですけど、なんとなく信じたいんですよね、その「非合理的、非科学的トレーニング(単なるしごきとも言われる)」から生まれる「何か」があることを。もしかすると、武藤選手も今の輝き(頭じゃなくてオーラ)があるのは、その無駄なスクワットのおかげかもしれません。膝が動かないからこそ生まれた、あの武藤ムーヴは、もう完全に芸術の域に入っていますから。
 まあ、そんな無責任で根拠のない「信じたいもの」こそが、神仏を招く「物語」なのだと思いますよ。
 そういう意味では、業界の危機に際して、単に大同団結したりするのも危険と言えば危険です。他の業種とのコラボレーションも慎重でなければなりません。プロレスには常に、我々凡人がタッチできない「聖域」があってほしいものです。「わからない」ことの面白さを失わないでほしい。
 なんか頭の中がまとまらないうちに書きなぐっているので、文もまとまりませんね。すみません。私の意見を一言で書いちゃいましょう。
 「プロレスは生き残れるか。衰亡か、復活か」…その答えは、実は、プロレスラーやプロレス業界側にあるのではなく、それを観る、そして囃す我々や我々の社会の側にある。
 だからこそ前途多難なのです。でも、私はあきらめません。
 結局、この本はある意味「武藤本」でした。三沢光晴さんの死をきっかけとして書かれたというこの本が、「武藤本」になってしまったというのは、なんとなく皮肉なような気もしましたが…いや、三沢さんも武藤さんも、観客やファンの立場に立つ冷静さを持っているように感じますから、ある意味両者とも「王道」の継承者なのかもしれませんね。
 昨年末、富士吉田が生んだ天才、フジファブリックの志村くんが急逝してしまいました。残る富士吉田出身の天才武藤敬司には、まだまだ頑張ってもらいたいところです。近いうちにぜひお会いしてお話してみたいと思います。

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2010.01.09

「自然」は「不自然」?

P10406063 ッポン(ラバーカップ)を知らないカミさんが生まれ育った地域の風景です(「知らない」というより「必要ない」か…)。
 まさに日本の原風景。美しい棚田と里山、そして茅葺き屋根…ですが、今日は(も)カミさんに対して、少しいじわるな内容になるかな?
 今日、今年4月開校する中学校の初めての入試が行われました。準備をしてきた者として、実に感無量な一日でした。私たちの教育方針を理解していただき、予想より多くの子どもたちが入学を希望してくれたことに、まずは正直安心しましたし、さあこれからだという身の引きしまるような気持ちもありました。
 今までずいぶんと長く教員生活を送ってまいりましたが、このような充実感と緊張感(+疲労感?)を感じたのは初めてです。いずれにせよ、本当にありがたいことですし、私は特別な幸せ者だと思います。一つの学校の創立に関われるのですから。受験してくれた皆さん、そして親御さん、また学校スタッフの皆さん、本当にありがとうございました。
 以前、こちらにも書きましたように、本校の国語の入試問題は、オリジナルの文章を使います。つまり、せっかく受験してくれる子どもさんのために、メッセージ性のある文章を私自身が書きます。それをもとにシンプルな語句の問題と、情報処理的な問題、そして作文を課します。
 今日はその文章を紹介します。はたして私のメッセージは小学生に伝わったでしょうか。

    自然

 「自然」と書いてなんと読むでしょう。
 そう、「しぜん」ですね。
 そんなこと当たり前です。でも、実はこれがちょっと考え方を変えると、当たり前でなくなります。
 「自」はなんと読みますか? 
 「じ」ですよね。
 さっきは当たり前に「自然」を「しぜん」と読みました。「然」は「ぜん」に違いありませんから、この場合「自」を「し」と読んでいることになります。ところが、「自」だけでは、異口同音に「じ」だと答えます。
 「自然」以外に、「自」を「し」と読む例は、実を言うとないのです。だから、「自然」を「しぜん」と読むのは、ある意味「不自然」だということになります。
 このように、私たちの常識(それはたいがい学校で習うことなのですが)を疑ってみたり、その「不自然」な点に気づいたりすることが、「勉強」や「学問」の面白さを知る原点となるのです。
 ちなみに、仏教の用語としては、「自然」は「じねん」と読みます。「天然」のように、「然」を「ねん」と読むことは日常的にありますから、こちらの方が「しぜん」より「自然」かもしれませんね。
 皆さんもよく知っている「だるまさん」こと達磨大師の言葉にこういうものがあります。
 「結果自然成(けっかじねんになる)」
 一般には、「努力していれば、それ相応の結果が出るものだ」という意味だと言われています。なるほど、私たちはそう信じているからこそ、勉強にしてもスポーツにしても習い事にしても、日々がんばれるのですね。
 しかし、もともとの意味を考えてみますと、「結果」というのは、「果実を結ぶ」、すなわち「実がなる」ということですから、「結果は人間の意思を超えて、自然に出るものである」とも解釈できそうです。だるまさんは、座禅を通して「自分を捨てる」考えをきわめた人ですので、そういう意味でこの言葉を使ったのかもしれません。
 私はこの「結果自然成」という言葉が好きです。どちらの意味でとらえるとしても、全ての「結果」には意味があって、自分や世の中にとって最良なものであるのだと考えられるからです。そうだとすれば、いろいろな「結果」を素直に受け入れることができますね。
 さて、もう一つ、「自然」についての常識を覆してみましょう。
 みなさんは東京に行ったことがありますか? おそらく全員が「はい」と答えるでしょう。
 では、東京と山梨、どちらが「自然」に恵まれているでしょうか。
 そんなことは言うまでもない、山梨に決まってるでしょ。みんなそう考えますね。しかし、本当にそうなのでしょうか。実はこの答も、少し視点を変えるとちょっとあやしくなってくるのです。
 話を分かりやすくするために、私の経験を話させてください。
 私は毎年春と夏に、親戚のいる東北地方のある県に行きます。
 皆さんもテレビか何かで見たことがあるかもしれませんが、東北地方では、一面に美しい水田がひろがり、そして、その向こうにこれまた美しい里山の続く風景が、いたるところに見られます。
 私は最初この風景を見た時、なんとすばらしい自然なのだろうと思いました。
 その感想はある意味では正しかったと思いますが、しかし、あのきれいに区画された田んぼや、整然と杉の木が植林されている山々が、はたして「手付かず」の「自然」なのか、ある時そう考えはじめたら、ちょっと分からなくなってしまいました。少なくとも「多様」な「自然」とは言えないような気がしてきたのです。
 一面の稲穂ということは、そこには「イネ」という植物しかないことになりますね。水田では、雑草や虫はいろいろな農薬によって殺されてしまっています。同じことは杉だけが立ち並ぶ山にも言えます。
 あまりに画一的で単調な「不自然」さが、そこにはあるのです。
 逆に、東京には案外多様な自然が残っているのを知っていますか?
 東京には昔からたくさんの人が住んでいました。そのため、墓地やお寺、神社などがたくさんあります。そういうところは、手入れはされますが、なかなか簡単に木を切ったり、薬品をまいたりはできず、多様な雑木林が残ったり、樹齢何百年の古木が残ったりしているものです。東京の都心部にも、実はかなりの程度「手付かず」の「自然」が残っているのです。
 このように、私たちは視点を変えることによって、違う風景を見ることができるようになります。こういう話を聞くと、次に東京に行った時、電車の窓から見える風景が変わって見えるようになると思います。また、山梨の自然も今までと違った風に見えてくるかもしれません。
 先ほども書いたように、こうした視点の転換こそ、勉強や研究の面白さなのです。
 私たちには、「新発見」をすることは難しいかもしれませんが、「再発見」することはいくらでもできるのです。

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2010.01.03

赤い糸

Bkoiob 「い糸」というと、最近では、ケータイ小説やそこから派生したドラマ、映画、ゲームを思い起こす人も多いことでしょう。
 あの話はずいぶんと入り組んでいて、ちょっとやりすぎ、さすがの運命もそこまで面倒なことはしないでしょうに。
 一般には、「運命の赤い糸で結ばれている」というと、夫婦になるべき男女の仲を示す言葉として使用されますね。
 ウチの夫婦なんかも、ある意味そんな感じの不思議な縁で結ばれたのですが、私はそうした男女の関係のみならず、様々な運命的な出会いに「赤い糸」を感じます。
 ネットがそのような「赤い糸」の役割を果たすことも多々あります。ネットは網ですからね。糸がたくさん張り巡らされているのでしょう。そういう意味では、現代人は、多くの赤い糸を見つけたり、たぐりよせたりできるようになりました。それらはいったい体のどの部分に結びつけられているのでしょうか。
 そう、日本では一般的に、互いの(左)手の小指に見えない赤い糸が結ばれていると言われますが、この話の原典である中国の故事(「続幽怪録」の中にある「定婚店」の話など)では、赤い縄を足首に結びつけるということになっています。なんとなく大陸的ですね。
 その「赤縄の縁」については、江戸時代にあの上田秋成が自著の中で紹介したり、昭和の初期に怪談研究家として知られる田中貢太郎が怪譚小説の話の中で紹介したりしています。
 つまり、この話、昭和の初めまでは怪異譚として伝来していた、つまり決してロマンチックなものではなく、どちらかというと怖い話として伝わっていたと思われるのです。
 それを見事に「ロマンチック」に仕立て上げて現在に至らしめたのは、やはりあの男です。
 ロマンチックの達人、太宰治。
 太宰の小説の中で、この話は二回出てきます。そして、そこでは「赤い縄」が「赤い糸」になっているんですね。「糸」になることで、急に日本的になり、そしてロマンチックになってしまう。すごいですね。
 まず、「思ひ出」の中に次のような印象的な一節があります。

 秋のはじめの或る月のない夜に、私たちは港の棧橋へ出て、海峽を渡つてくるいい風にはたはたと吹かれながら赤い絲について話合つた。それはいつか學校の國語の教師が授業中に生徒へ語つて聞かせたことであつて、私たちの右足の小指に眼に見えぬ赤い絲がむすばれてゐて、それがするすると長く伸びて一方の端がきつと或る女の子のおなじ足指にむすびつけられてゐるのである、ふたりがどんなに離れてゐてもその絲は切れない、どんなに近づいても、たとひ往來で逢つても、その絲はこんぐらかることがない、さうして私たちはその女の子を嫁にもらふことにきまつてゐるのである。私はこの話をはじめて聞いたときには、かなり興奮して、うちへ歸つてからもすぐ弟に物語つてやつたほどであつた。私たちはその夜も、波の音や、かもめの聲に耳傾けつつ、その話をした。お前のワイフは今ごろどうしてるべなあ、と弟に聞いたら、弟は棧橋のらんかんを二三度兩手でゆりうごかしてから、庭あるいてる、ときまり惡げに言つた。大きい庭下駄をはいて、團扇をもつて、月見草を眺めてゐる少女は、いかにも弟と似つかはしく思はれた。私のを語る番であつたが、私は眞暗い海に眼をやつたまま、赤い帶しめての、とだけ言つて口を噤んだ。海峽を渡つて來る連絡船が、大きい宿屋みたいにたくさんの部屋部屋へ黄色いあかりをともして、ゆらゆらと水平線から浮んで出た。
 これだけは弟にもかくしてゐた。私がそのとしの夏休みに故郷へ歸つたら、浴衣に赤い帶をしめたあたらしい小柄な小間使が、亂暴な動作で私の洋服を脱がせて呉れたのだ。みよと言つた。

 続いて、「津軽」にも同じような話が出てきます。

 秋のはじめの或る月のない夜に、私たちは港の桟橋へ出て、海峡を渡つてくるいい風にはたはたと吹かれながら赤い糸について話合つた。それはいつか学校の国語の教師が授業中に生徒へ語つて聞かせたことであつて、私たちの右足の小指に眼に見えぬ赤い糸がむすばれてゐて、それがするすると長く伸びて一方の端がきつと或る女の子のおなじ足指にむすびつけられてゐるのである。ふたりがどんなに離れてゐてもその糸は切れない、どんなに近づいても、たとひ往来で逢つても、その糸はこんぐらかることがない、さうして私たちはその女の子を嫁にもらふことにきまつてゐるのである。私はこの話をはじめて聞いたときには、かなり興奮して、うちへ帰つてからもすぐ弟に物語つてやつたほどであつた。私たちはその夜も、波の音や、かもめの声に耳傾けつつ、その話をした。お前のワイフは今ごろどうしてるべなあ、と弟に聞いたら、弟は桟橋のらんかんを二三度両手でゆりうごかしてから、庭あるいてる、ときまり悪げに言つた。大きい庭下駄をはいて、団扇をもつて、月見草を眺めてゐる少女は、いかにも弟と似つかはしく思はれた。私のを語る番であつたが、私は真暗い海に眼をやつたまま、赤い帯しめての、とだけ言つて口を噤んだ。海峡を渡つて来る連絡船が、大きい宿屋みたいにたくさんの部屋部屋へ黄色いあかりをともして、ゆらゆらと水平線から浮んで出た。
 この弟は、それから二、三年後に死んだが、当時、私たちは、この桟橋に行く事を好んだ。

 お読みの通り、完全に同じです。続く文は違いますが、この「赤い糸(絲)」に関する挿話に関しては完全に同じ文です。パクリですね(笑)。
 おそらく「思ひ出」でも、そこそここの話は読者の印象に残ったのでしょう。太宰自身も「こりゃいいぞ」と思ったのでしょうね。自らの作り出した「赤い糸」のロマンチシズムに酔ってしまったようです。それで、もう一回使おうと思ったと。
 比較的事実に近いと言われ、静かに感動的な「津軽」も、実はほとんどがフィクションあるいは事実のパロディーであるとのこと。さすが太宰ですね。この「赤い糸」を弟に語る話、どこまでが本当なのか。ま、小説にとっては、そんなことはどうでもいいのですが。
 ちなみに、ここでは「左手の小指」ではなくて、「右足の小指」になっていますね。皆さんは、「左手の小指」と「右足の小指」、どちらがよりロマンチックに感じられますか?このへんの変遷についても調べてみると面白いかもしれませんね。縄から糸へ、足首から右足の小指、そして左手の小指へ、どんどん「繊細」になっているような気がします。これじゃあ、せっかくの「運命」も切れてしまいそうですね(笑)。いや、その危うさ、はかなさがいいのか。切れそうで切れなかったからこそ、運命的な出会いなのか…日本人ですなあ。
 そうそう、この太宰、自分が作り出したこのロマンチックなお話に魅入られてしまったのか、昭和23年、愛人の山崎富栄さんをですね、「オレたちは赤い糸で結ばれていたんだよ。一緒に死のう」みたいなこと言って誘い、玉川上水で心中します。
 その時、赤い糸で二人の足の小指を結びつけていた…かと思いきや、「赤い紐」で二人の腰のあたりを結んでいたようですね。心中にとっては、より実際的なロマンチシズムです。そして、二人の遺体は、太宰の誕生日に発見されたのでした。出来過ぎです(実際は死後1週間ほど経っていたので、全然ロマンチックな風景ではなかったようですが)。やるな、太宰。

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2009.12.24

クリスマス・イヴ…母性>父性

↓プリューガーさん
20091225_83744 リスマス・イヴ。昨日は冒頭あのようなことを書きましたが、実際は貴き実践者としてのイエス様は尊敬申し上げていますから、当然お誕生日は祝わせていただきます。聖なる夜。
 今年のクリスマス・イヴは南甲府教会の聖夜音楽礼拝にて奏楽の奉仕。先日八ケ岳で演奏した「来れ異教徒の救い主よ」を改めて演奏いたしました。ピッチの関係で、楽しみにしていたプリューガーのパイプオルガンとの共演はなりませんでしたが、聖なる夜にこのような形で美しく幸福に満ちた信仰に触れたことは、本当に私にとっても祝福すべき体験でありました。皆様、お誘いいただきありがとうございました。
 やっぱりカンタータなどの宗教曲は、そういう「時」と「場」で演奏しなければ意味がありませんね。いや、意味がないとは言いきれないけれども、一般のホールでコンサートとして演奏するのとは、全然気持ちが違います。もちろん、家でCDなどを聴くのとも全く違う。
 礼拝の最後にヘンデルのメサイアより「ハレルヤ・コーラス」を演奏致しました。やっぱり名曲ですなあ。ヘンデルはうまい。ツボを押さえまくっていますよ。やっぱり聴いても弾いてもあれほど高揚する曲はそうそうないですよ。ああいう西洋音楽での構築された高揚感と、キリスト教的信仰の高まりとの関係には、大変興味がありますね。日本の祭の高揚感とは明らかに違う。音楽が宗教を生むのか。宗教が音楽を生むのか。王仁三郎は「芸術は宗教の母」と言っていましたね。
180pxraphael__madonna_dell_granduca というわけで、とても幸せな聖夜を過ごさせていただきましたが、帰宅しますと、我が家でも近所のお宅と合同でささやかなクリスマス・パーティーが催されておりました。女子ばかり集まっているぞ。男は私だけ。少し場違いな感じあり。
 キリスト教は「父性」の方向から語られることが多いのですが、実際は案外母性的な温かさが重要なような気がしますね。今日の礼拝でも強く感じました。処女懐胎が事実かどうかなんていうことは置いておいて(今日の説教を拝聴しながら、男たるワタクシは「おい!ヨセフよ!それでいいのか!?お前は草食系男子の走りなのか!?」などと思いましたが…笑)、やはり良き実践者イエスを生んだのは確かにマリアであり、肉体的にも魂的にもマリアの母性がなければ、イエスはイエスたりえなかったと思うのですね。
 それなのに…特にプロテスタントの一部教派によるマリア否定ともとれる言動には、異教徒の私からしても非常に違和感を抱きます。イスラム教でもマリアは聖人としてとらえられているのに。ま、いろいろ事情があるんでしょうね、神学的に(神学は言葉の解釈に過ぎませんからね)。
 そうそう、日本では、遠藤周作が「母なるもの」で語ったように、隠れキリシタンにおいては、厳格な父「でうす」よりも、包容力のある「さんたまりあ」の方が人気があったとのこと。
 たとえばバッハの音楽やヘンデルの音楽は、どちらかというと父性的ですね。ルターはややマリアを軽視していたようですし、当時のドイツキリスト教のあり方からして(詳しくは知りませんが)、どうしてもそういう傾向にならざるをえなかったのでしょうか。
 そう考えてきますと、いわゆる厳格な父という近代日本での「虚像」も、実は明治以降キリスト教の輸入によって生まれたものだったのかもしれないと思われてきますね。全然日本古来じゃなかったと。日本男児や大和撫子なんて嘘っぱち。やっぱり男は草食系、女は肉食系でしょ、本来(笑)。
 というわけで、家ではまさにチキンを食いまくる肉食系の女子たち(おばさん含む)のパワーにすっかり気圧され、小さくなっていたヨゼフ…ではなく、ワタクシでありました。
 まあ、こうして今年も平和にこの夜を迎えられたわけで、それだけでも神仏に感謝すべきことですよね。子どもたちが元気、いや、女が元気なのがこの世のためには一番いいのです。アーメン。

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