カテゴリー「歴史・宗教」の1708件の記事

2017.09.11

『原節子の真実』 石井妙子 (新潮社)

Th_51e8lrqjt5l 日の続き。優れた評伝。実に面白かった。文章も秀逸。
 原節子と、義兄熊谷久虎について、非常に詳しく書かれています。一箇所だけですが、仲小路彰の名前も出てくる。もちろんスメラ学塾主宰として。
 今、数人で仲小路彰邸内を整理しているのですが、その中で熊谷久虎の名前が入った文書が多数見つかっています。ちなみに原節子の名前が入ったものは、私の知る限り一つだけ。この本の著者の石井さんにもいずれお伝えしなければならないでしょう。
 原節子がなぜ独身を貫いたのか…その答は、仲小路彰がなぜ独身を貫いたのかという問いの中にあるような気がするのは、私だけでしょうか。
 実は、当時の関係者から、そういう噂を聞いたこともあります。今まで知られていた(知られていなかった)以上に、仲小路と原の関係は近かったのでしょう。
 この本の第六章「空白の一年」にあるように、熊谷久虎のスメラ学塾入塾(川添紫郎ルートでしょう)を通じて、原節子も仲小路彰と深く関わったと思われます。
 ただ、人気女優であったからでしょう、その名前はその当時の仲小路文書の中には出てきません。
 また、地元山中湖の方々に聞いても、原智恵子や三浦環が仲小路彰と一緒にいたことは覚えていても、原節子がいたとか来たとかいう話はありません。また、実際に智恵子と環の資料は山中湖で大量に見つかっていますが、原節子に関するものはほとんどありません。
 しかし、昭和19年から20年にかけて、お忍びで山中湖の「サロン」に来ていた確率は高いと思います。熊谷、川添との関係を考えれば、そう考えるほうが自然なほどです。
 原節子に関する資料が「ほとんどない」と書いたのは、私の知るかぎり、戦後になってのある文書(映画企画書)に、細川ガラシャをはじめとする日本の歴史上重要な女性を演ずるのは原節子しかいないというような内容があるのみです。
 この本にも書かれているとおり、原節子が映画人としての晩年に異常に「細川ガラシャ」にこだわったのは、仲小路彰の話を聞いたからに違いありません。仲小路は細川ガラシャに関する文章を多数残していますし、「ガラシア物語」という歌曲集まで作曲しています。
 そのあたりの富士山を取り巻くミッシングリンクには興味がわきますね。
 いずれ、この本の筆者石井さんにも山中湖に来ていただきましょうか。「原節子の真実」のそのまた真実が眠っている可能性がありますので。

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2017.09.10

『新しき土』 原節子主演・アーノルド・ファンク監督作品

 の前紹介した伊丹万作の「戦争責任者の問題」。あれを書いたあと伊丹はすぐにこの世を去りました。
 「だまされる」側を断罪した伊丹、そこには当然自らの愚かさへの反省の気持ちもこめられています。おそらくそうした反省の一つがこの作品でしょう。
 ご存知のように、この作品には、アーノルド・ファンク版と伊丹万作版の二種類のバージョンがあります。もともと共同監督という形でという話だったのですが、二人は大げんかしてしまい、結局別々に編集することに。
 結果として、伊丹版は散々な評価で終わり、伊丹は恥をかくことになりました。また、歴史的に言えば、日独防共協定への道を作り、「戦争責任」の一端を担ったことになってしまった…。
 伊丹にとっては、本当に思い出したくもない作品でしょう。ちなみにその伊丹版、私は未見です。観るのも辛いかも。
 ファンク版も正直大した作品ではないわけですが、なんと言っても16歳の原節子が理屈抜きに素晴らしすぎてたまりません。
 また、無駄にたくさん配置された「日本の名所」たち。貴重な記録ですね。特に様々な富士山のアングルは興味深い。冒頭の荒々しい冬の富士山は富士吉田の富士山ですね。数年後には防共の砦となる富士山です。
 原節子は、この映画の宣伝のため、公開直後に欧米を回ります。その時同行したのが、義兄の熊谷久虎。二人はその外遊の最中に、フランスで川添紫郎と出会います。
 それがのちに、二人を仲小路彰と結びつけるきっかけとなるんですね。
 仲小路彰と原節子の微妙な関係については、こちらこちらに少し書きました。
 この映画が、仲小路彰と原節子を結びつけたと言えます。私にとってはそういう意味で興味深い作品です。戦後、原節子が映画界から姿を消したのちも、仲小路彰は彼女が「細川ガラシャ」を演じることにこだわりました。そして原節子自身もこだわりましたが、結局それは実現しませんでした。
 もう一つ番外編。この映画製作のために来日していたファンク夫妻は、偶然、万平ホテルにおいてリアルに二・二六事件に巻き込まれました。なにか象徴的な感じがしますね。ちなみにその日は仲小路彰36歳の誕生日でした。
 あっそうそう、この映画の結末で、原節子演じる光子が火山の噴火口に飛び込もうとするシーンが、あまりに唐突だし現実味がないという批判がありますが、これって木花咲耶姫の伝説に基づいたものですよね。
 多くの富士山のシーンとともに、いろいろな日本的な過去・現在・未来が象徴されていると感じました。私はこの映画、大した作品ではないけれども、しかし嫌いではありませんね。役者さん、音楽、円谷英二の特撮など、実は見るべきところが多い作品ですし。

Amazon 新しき土

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2017.09.09

パーセル 『一つの音の上のファンタジア』

Purcell : Fantasia a 5 "Upon one note", Z.745
Th_unknown OneNoteというMicrosoftのクラウドサービスを時々使っております。
 で、そのOneNoteというのは、おそらく「一つのノート(手帳)」みたいな意味だと思うんですけれど、そういえば音楽にもOneNoteというのがあるなと突然気づきましたので、今日はそれらを紹介します。
 noteには言うまでもなく「音符・音」という意味もあります。noteはもともとラテン語のnota(印)から来ています。
 そう、音楽において「記述」ということが始まったのは、一つの革命でありました。それまでは、全てが即興か口伝だったわけですから。楽譜が登場したのは西洋では3世紀ごろ、日本ではずっと遅く8世紀くらいでしょうか(もっと早かったという説もあり)。
 OneNoteは「一つの音(音符)」。実際のところ、記述される以前の音楽というのは、ある意味OneNoteの上に構築されることが多かった。いわゆるドローン・バスですね。古い楽器にはドローン弦がついていたりすることが多い。この前復元した八雲琴も基本そういう構造をしています。
 今でも、即興演奏にはドローン・バスがよく使われます。一つの音(主音か属音)という基礎の上に、自由にメロディーやハーモニーを構築していく。単純なようで、実はとても複雑な音楽を作ることができます。
 音楽が記述されるに従って、より意識的に新しい可能性を追求することになり、結果としていわゆる近代西洋音楽が成長していきました。しかし、バッハのような、いかにも記述的、建築的な音楽でも、たとえばフーガの掉尾には、それこそ終わりを予告する「印」のようにドローン・バスが鳴り響くことが一般的です。面白いですね。ルーツに帰って終わるというのが。
 ほかにもあえて一つの音にこだわった音楽というのは無数にありますが、今日は天才パーセルの「一つの音の上のファンタジア」を聴いていただきましょう。これは「OneNote」がバスではなくど真ん中でずっと鳴っているという珍しい曲です。さすがパーセルですね。

 この曲、なにしろど真ん中にOneNoteが鳴っているので、よく聴かないとそれが分からない。ですので、イメージ化した動画で「見て」みましょう。すごい曲ですね。

 私もこの曲を演奏したことがあります。それもど真ん中の音を(笑)。これが意外に難しいんですよ。というのは、ずっと同じ音を弾いているわけですが、周囲の音の関係で、その音のキャラクターがどんどん変わるわけです。それを意識して音にしてゆくとなると、非常に高度な表現力というか演奏力を期待されことになるわけです。
 とか言って、実際には周りの人たちが苦労して弾いているのを、ニヤニヤしながら見ていただけなんですけどね(笑)。
 しかし、考え方によっては、これぞまさに「縁起」。すなわち他者によって初めて自分が生まれ、変化していくという、お釈迦様の教えの表現でもありますね。面白い。

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2017.09.06

伊丹万作 『戦争責任者の問題』

Th_exi_14_03a り合いからぜひ読みたまえと言われたので、初めて読んでみました。
 伊丹万作。言うまでもなく、偉大な映画監督であり、伊丹十三の父であり、大江健三郎の義父です。私にとっては、「手をつなぐ子ら」の脚本を書いた人物としても意識されている。

…だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。  しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」ことを主張したいのである。

 うん、たしかに鋭い指摘ですね。
 この「だまされていた」という言い訳はたしかに、いろいろなところで聞かれますし、私自身ももしかすると、何度か使ったことがあるかもしれない。先の戦争のことのみならず、日常の失敗についてもこう言って逃げたことがあるかもしれない。
 だました側のこともちゃんと書き、状況が一変したとたん、かつての強者を集団で糾弾しはじめる弱者に対する批判も手厳しい。
 まさに弱者こそが強者になりつつある現代における「モンスター◯◯」や「なんでも反対派」に読んでいただきたい名文です。
 もちろん、「だまされてはいけない」というメッセージとして、現代のあれやこれやに当てはめてみてもいいでしょう。「国民は常に指導者たちの意のままになるものだ。とても単純だ」…ちょうど一昨日ゲーリングの名言を引用したじゃないですか。
 皆さんも、こちらでじっくり読んでみてください。

Amazon 伊丹万作エッセイ集

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2017.09.04

パールハーバー・アーカイブ

 日の記事の続きです。
 私はむやみに危機感を煽ることはあまり好きではありません。ナチスのゲーリングの次の言葉を忘れてはいけません。

 もちろん、一般市民は戦争を望んでいない。貧しい農民にとって、戦争から得られる最善の結果といえば、自分の農場に五体満足で戻ることなのだから、わざわざ自分の命を危険に晒したいと考えるはずがない。当然、普通の市民は戦争が嫌いだ。

 しかし、結局、政策を決定するのは国の指導者達であり、国民をそれに巻き込むのは、民主主義だろうと、ファシスト的独裁制だろうと、議会制だろうと共産主義的独裁制だろうと、常に簡単なことだ。

 国民は常に指導者たちの意のままになるものだ。とても単純だ。

 自分達が外国から攻撃されていると説明するだけでいい。そして、平和主義者については、彼らは愛国心がなく国家を危険に晒す人々だと公然と非難すればいいだけのことだ。

 この方法はどの国でも同じように通用するものだ。

 しかし、一方でこのような歴史も忘れてはなりません。
 真珠湾攻撃。言うまでもない日本海軍によるハワイ海戦、大東亜戦争の緒戦の一つです。
 日本側の戦果、アメリカ側の損害が非常に大きかった一つの理由に、アメリカの油断があったことは定説となっています。
 自然環境のみならず、軍備的にも「最強」と言われたハワイが、これほど見事なほどにやられるとは、正直アメリカ人のほとんどが思っていなかったと思います。
 「リメンバー・パールハーバー」とは、そうした油断は禁物であるという意味です。
 今の日本はどうでしょう。
 北朝鮮のミサイルが実際に日本の上空を通過しても、大多数の日本人が「まあ戦争にはならないだろう」「北朝鮮が攻めてくるなんてことはないだろう」「アメリカがなんとかしてくれるだろう」といった感覚でしょう。
 いくら国際的孤立という意味において似ているとはいっても、当時の日本と北朝鮮を同列に並べるのはナンセンスとも言えますが、「リメンバー・パールハーバー」の感覚は持っていてもいいのではないでしょうか。
 もちろん、それは日本だけでなくアメリカにとってもそうです。実際、トランプ大統領は臨戦態勢にあるとも言えます。
 この前こちらに書いたとおり、北朝鮮にとっては、日本はアメリカ軍の前線基地でしかありません。すなわち、当時の日本にとってのハワイと同じ感覚でとらえているのです。
 そうしますと、当時のハワイの住民の立場が、今の私たち日本国民ということになりますよね。そう考えた時、参考になるのが、「パールハーバー・アーカイブ」です。
 昨年、首都大学東京システムデザイン学部の渡邉英徳研究室によって公開された「パールハーバー・アーカイブ」。広島、長崎などと同様に、貴重な証言が上手にまとめられています。ぜひご覧ください。

パールハーバー・アーカイブ
 
 

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2017.09.03

北朝鮮が核(水爆)実験

Th_be3045fbb5605166db658bdd129f8003 浜で結婚式に参列中入ってきたニュース。「ICBM用の水爆実験に成功」。北朝鮮による6回目核実験はICBMの弾頭用であると。
 期せずして昨日の記事「第二次世界大戦終結から72年」の続きとなりますが、なぜ、北朝鮮が今日核実験を行ったのか。それは9月3日が「対日戦争勝利記念日」だからです。
 中国やロシアなどかつての共産主義国は9月3日を「対日戦争勝利記念日」としています。北朝鮮では解放記念日は8月15日です。しかし、やはり政治的な影響関係から、9月3日を特別な日としているようです。
 マスコミでも、このことはほとんど指摘されていませんね。
 ところで、昨日もたまたま引用しましたが、富岡定俊による(つまり仲小路彰による)昭和32年のこの文章の先見性はすごいですねえ。先見性というか未来性。単なる理想論ではなく、人間の霊性に関わる現実論だと思いますよ。
 再掲しようと思います。今こそ、この精神が大切でしょう。両トップにも読んでいただきたい。もちろん、日本のトップにも。

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2017.09.02

第二次世界大戦終結から72年

 本人に、終戦の日はいつ?と聞くと、ほとんどすべてが8月15日と答えます。
 しかし、正確に言いますと、その日は玉音放送が流された日でしかなく、世界標準ではやはり日本が降伏文書に調印した9月2日が一般的だと言っていいでしょう。
 実際、アメリカでは9月2日は対日戦勝記念日(VJデー)としてお祝いします。
 今日で日本の降伏から72年ということになりますね。大東亜戦争(太平洋戦争)の価値評価は大変難しいところがありますが、今日を独立記念日としている国が複数あることからも分かるとおり、日本が列強国と戦った結果、多くの植民地が解放されたというのも事実です。
 上の動画は、その降伏文書調印式の様子をカラーでとらえた非常に珍しいフィルムです。戦勝65年を記念して公開されたもののようです。
 1ヶ月ほど前に、昭和32年の「ICBM」という記事にも書きましたが、この調印式には富岡定俊海軍少将も随員として参列しています。
 作戦部長として戦った富岡少将にとっては、これ以上の屈辱はなかったと思います。実際、式典終了後に自決しようとまで考えたそうです。
 ちなみに、この調印式が行われていたまさにその時、富岡少将の奥様操さんは山中湖にいました。そして、仲小路彰に誘われ「かじや荘」を訪れました。そこには、仲小路とともに、歌手の三浦環、ピアニストの原智恵子が待っていました。そして、小音楽会が開かれたといいます。
 戦争の象徴ともなっていた富士山が、再び平和の象徴に戻った日。穏やかな湖のほとりで、そのような音楽会が開かれたことは、私も最近まで全く知りませんでした。

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2017.09.01

宇宙人同志との再会・対話

Th_img_1439 縁あって高城剛さんとお会いし、じっくりお話をさせていただきました。
 3時間すぎても話題が尽きずタイムアップ。科学、宗教、教育、文学、音楽、医学、食、健康、歴史、霊界、言語…あらゆる分野にわたる壮大なる、しかし、何モノか一つに収斂する対話でした。
 その内容は、おそらく普通の人が聞いても全く理解できないのではないでしょうか(笑)。
 根本的にはですね、私たちは「同窓生」だったという話。53年ぶりの再会だったという話。
 お互い53歳なのにですよ。
 つまりですね、私たちはこの地球に生まれる前に一緒にいたということです。そして、1日だけ私が早く地球に来て、翌日高城さんが来たということ。
 もう、余計に分かりませんよね(笑)。
 ま、簡単にいえば、私たちは宇宙人だということです。そして、同じミッションを持ってこの地球にやってきた。すなわち「宇宙人同志」
 今まではそれぞれ別々の人生を歩んできましたが、いよいよ再会してこれからは一緒に何かをやっていくということです。
 おいおい、先生!大丈夫?
 そんな声が聞こえてきそうですが、しかたありません。本当のことなので。
 ま、濃密な会話の内容はここではとても開陳できませんが、そのうちに時機がくれば社会現象として現れてくるでしょう。
 一つ言うなら、私たちの「意志」は過去は全く相手にせず、未来だけを見ているということです。時間は当然のことながら、未来から過去へ向かって流れている。
 それからどうも同窓生は全部で20人くらいいたらしいので、ほかの人達ともこれからどんどん再会していくだろうということ。これは面白いことになりましたね。
 それにしても、本当に想像していた以上に波動が合いました。そして、高城さん、素晴らしい。賢い。解き放たれている。謙虚。かっこいい。
 某ホテルのラウンジで異常に盛り上がる宇宙人二人を、金曜日の夜の赤坂に繰り出していた地球人たちは、実に不思議そうな顔をして見ておりました(笑)。
 これから、大きな進展があると思いますので、そのたびに経過報告できる部分はしていきます。お楽しみに。

高城未来研究所

Amazon 高城剛

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2017.08.29

『知ってはいけない 隠された日本支配の構造』 矢部宏治 (講談社現代新書)

この国を動かす「本当のルール」とは?
Th_51kqmxwoll 朝鮮がミサイルを発射しました。西日本に配備された迎撃ミサイルをあざ笑うかのようにミサイルは北海道上空を通過して、太平洋に着弾しました。
 事前通告はなし。今どき、自国の上空を他国のミサイルが自由に行き来する国なんて、世界中見ても日本以外にはありません。
 どこまで馬鹿にされているのかという気もしますが、これを単純に「狂った国」のしわざとするわけにはいきません。
 彼らにとっては、日本は日本にして日本にあらず。
 日本という島は、アメリカの植民地であり、領土であり、軍事基地である。そういう認識でしょう。
 いや、世界中でそういう認識を持っていないのは、当の日本人だけだと言っても、決して言い過ぎではないでしょう。
 この本に書かれている「知ってはいけない」ことは、もちろん「知るべき」ことです。正直、半分は私も知っていたことでしたが、半分は全く知らないことでした。知らないことでも、まあ予想の範囲内ということもありますし、予想以上で驚いたこともあります。
 いずれにせよ、この本に書かれている「不都合な真実」は、どれも戦後発見されつつある公文書に書かれていることであって、決して陰謀論者の妄想ではありません。
 「戦後レジーム」ではなく「朝鮮戦争レジーム」に生きている日本人。なるほど、現状の半島情勢は、停戦中の朝鮮戦争の再開であるとも言えますね。そう、朝鮮戦争は終結してないのですから。
 多くの密約があり、日本がその空域のみならず、国民の深層心理の部分まで、アメリカに、いやアメリカ軍に支配されているということは、今までも知られていたことです。
 しかし、それと、たとえば憲法9条との関係を、ここまで明快に説明した本はなかったと思います。まさに私にとっては目からウロコでした。
 そういう意味では、あまりの闇の深さに暗澹たる気持ちになってしまったのも事実ですが、一方でまた少し違った感想も持ちました。
 というのは、私がたまたま最近、仲小路彰が戦後残した文書に触れる機会を持ち得ているからでしょう。まさに、日本の大転換期になった、終戦から朝鮮戦争、そしてサンフランシスコ講和条約のあたりに、仲小路は大量の政策提言文書を残しているのです(それが実際にどの程度影響があったものか、検証の余地が大いにあります)。
 仲小路の構想した21世紀日本の未来像(今で言えば現在像)は、「アメリカの力を借りて日本は復興し、未来的な価値において日本は世界に貢献する」というものでした。
 つまり、この矢部さんの本に書かれていることはたしかに「事実」ではあるけれども、そのまた裏側、あるいは向こう側には、さらに深淵なる計らいがあるということになります。
 私は夢想家ですので、そういった未来的意味、裏の歴史の裏の意味については期待をしたいと感じました。
 もう少しわかりやすく言うとですね、たしかに戦後70年に及ぶ、「占領下の戦時体制」は日本自身にとっては、とんでもなく惨めな、それこそ「不都合な真実」でありますが、世界全体、人類全体、地球全体(グローバル)の歴史からすると、大きな意味があるのではないかと思いたいのです。
 実際、冷戦体制が終わり、仲小路も恐れた世界大戦の可能性はかなり少なくなっています。テロの脅威という問題はありますが、世界史全体の中で見れば、21世紀はずいぶんと平和な時代だと言えます。
 こうした世界史の進展、進化に、戦後日本の果たした役割は大きかったのではないか。それこそ、身を削って世界に貢献したとも言えるのではないか。そんな気がしたのです。
 従米の形は、たしかに外見上は惨めであり、誇りを持てるものではないのかもしれません。それを、無意識にせよ呑み、大きな不満も持たず、いやどちらかと言えば幸福に平和に発展を遂げてきた日本。そんな国のあり方は、本当に恥ずかしいものなのでしょうか。
 そうした国のあり方、日本人のあり方を、ある意味支えてきたのは天皇です。戦勝国アメリカさえもが一目置いた存在、天皇。その天皇が、日本やアメリカや世界に何を期待したのか。逆に、日本やアメリカや世界が天皇に何を期待したのか。
 そのあたりについては、それこそ仲小路彰が詳しく述べてくれています。
 そう、仲小路とその周辺グループ(高松宮含む)は、この本の主役とも言えるマッカーサーやダレスと、非常に親密に意見交換をしていた形跡があるんですよね。そこにもある種の密約があったかもしれません。
 それらが21世紀人に知られるところとなり、未来的な日本の存在価値と、そこにつながってきた過去的事実の意味が明らかになる時も近いのかもしれません。
 その日のためにも、まずはこの本に書かれている「不都合な真実」を知っておく必要があるかもしれませんね。

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2017.08.28

追悼 羽田孜さん(徐福末裔)

 田孜元首相が亡くなりました。64日という超短命政権でしたが、なんとなく私の印象に強く残っているのは、羽田さんご自身が自らを徐福の末裔であると公言していたからでしょうか。
 富士吉田市に残る宮下文書を研究している私としては、ある意味「富士高天原」が一時的に復興したかのよう感じた記憶があります。
 当地にも「羽田」さんはたくさんいますが、「はだ」と読みます。羽田孜さんは「はた」です。大田区蒲田で生まれ、長野県上田で育った羽田さん。先祖は長和町の名家とのこと。
 徐福伝説がそんなところまで伝わっていたとは。富士山のある富士吉田は別として、徐福伝説はだいたいが海に近いところに残っていますからね。
 そんな羽田さん、徐福の末裔を名乗るだけあって、日中の友好に大変大きな貢献をしました。もともと田中角栄の影響が大きい方ですから、親中であるのは当然です。ある意味、そうした政治思想から徐福を持ち出してきたとも言えるかもしれません。
 ご病気を患ってからあまり表に出ていらっしゃいませんでしたが、長野県においてはそれなりの力を持っていたようです。
 現在、富士北麓では徐福にまつわる神社が復興しつつあります。一度はおいでいただきたかったのですが、間に合いませんでした。残念です。
 現在、中国では、徐福が日本の神武天皇だったという説がブームになっています。そうしますと、羽田さんは天皇家の血筋ということになりますね。実際そのようにも捉えられていたようです。
 中国のテレビで紹介された、徐福の子孫羽田孜さんです。

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