カテゴリー「歴史・宗教」の1788件の記事

2018.04.22

松任谷ビル〜新宿西口(仲小路彰の残影)

Th_img_1356 夜は東京に泊まり、久々に会う友人とお酒を飲みながら深く楽しい会話。やはり魂のカラーが似ている人との対話は楽しいですね。時間が経つのを忘れてしまいました。
 そして今日は千駄ヶ谷にて5/26横浜ラモーの練習。いよいよ歌手の方々との合同練習が始まりました。やっぱり歌と合わせるのは難しいけれど、実に勉強にてなります。
 ところで、練習が始まる前に、練習場所のすぐ近いにある「松任谷ビル」に行ってみました。
 そう、『愛国とノーサイド 松任谷家と頭山家』 に紹介されている、歴史的因縁の深〜いビルです。松任谷とは、言うまでもなく松任谷正隆、ユーミンにごく近い松任谷家です。
 このビルが建ったのが、昭和38年。すなわち東京オリンピックの前年です。まさに旧国立競技場が目の前で完成していくのを見ながらのこと。
 前掲の本にも書かれていたとおり、かの頭山満が愛する孫娘が松任谷家に嫁ぐにあたり、はなむけとしてこのビルを建ててあげたそうです。
 そして、このビルの地下には、伝説の会員制クラブ「易俗化(エキゾチカ)」があり、三島由紀夫、石原慎太郎、裕次郎、丸山(現・美輪)明宏、寺山修司、浅利慶太、力道山などが夜な夜な集まっていた!
 今ではエレベーターもない古いビルとなり、行き交う人も気にもとめませんが、ここにはすさまじい昭和のエネルギーが閉じ込められているのです。
Th_img_1357 折しも、2020年の東京五輪に向けて、新国立競技場の工事が着々と進んでいます。この写真はまさに、松任谷ビルから見たその光景。
 私が生まれたのが昭和39年ですから、このビルは私よりも一つ年上。そして、いよいよ2回目の東京オリンピックを間近に見るということになりますね。なんとも感慨深かった。
 昨日、藤井厳喜さんにお渡ししたのは、仲小路彰の資料。考えてみれば、仲小路彰も深いところで松任谷家とつながっています。
 ある意味、ユーミンは仲小路彰の思想哲学によって生まれたとも言える。今、そのあたりをしっかり発掘したいと思い、いろいろな方々に連絡をとっているところです。
Th_img_1360 練習が終わり、私は車を停めてある新宿西口へ。娘も新宿駅にいるということで、会おうと思ったけれども、田舎もんの娘が見事迷子になり断念(笑)。
 ちなみにこの、地下にありながら空が見える、あまりに斬新な新宿西口広場は、仲小路彰の片腕であった坂倉準三の設計です。1966年の完成。こんなところにも仲小路彰の魂が生きているのでした。
 言うまでもなく、ここでは反戦フォークゲリラが行われた「舞台」でもあります。感慨深いですなあ。

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2018.04.21

【討論】属国からの脱出はありうるか?

 日は東京で仕事。それが終わってからある会合に出席し、藤井厳喜さんにお会いしました。藤井さんは優れた国際政治アナリスト。今日は仲小路彰について少し情報を提供させていただきました。
 定期的に過去・現状の分析、そして未来の予想をし、個人や企業にその情報を提供しているという意味では、現代の仲小路彰とも言える方です。
 藤井さんも今日のお話の中で、「いい加減な憲法なんだから、いい加減に改正してもいい」と、独特の表現で現憲法の問題点を指摘しておられました。
 日本国憲法が、GHQによって「日本をアメリカの属国にするために」作れられたというのは、もう説明をする必要のない事実です。
 しかしその憲法をありがたく戴いているのが現状の日本です。改正や自主憲法制定の話をすると、すぐに右翼とか言われる。大日本帝国憲法の復活なんてもってのほか。
 私は独自の「国譲り理論」から、いわゆる保守派の方々とはかなり違った憲法観を持っているのですが、かと言って護憲派というわけではありません。というか、思考停止した護憲派の方々を軽蔑さえしています。一方、ちゃんと思考して未来的な理想としての現憲法を守ろうとする方々とは話ができます。
 逆も言えます。改憲派の中にも思考停止している人がいて困ることがあります。
 さて、この討論に参加しておられる方々はどうでしょうか。
 藤井厳喜さんもおっしゃっていましたが、大幅な改憲や自主憲法となると、各条文を一つ一つ考えなければならないわけで、九条のみならずそれぞれ侃々諤々になり、いったい完成までに何百年かかることやら。
 つまり言語の限界なんですよ。コトを窮めてモノに至る。
 私は聖徳太子の十七条憲法を復活させればいいと思っています(笑)。
 そうそう、世界中の現行憲法で、一字一句変更が加えられていないという意味で最も古いのは、実は日本国憲法なんですよね。誇りと言えば誇りですよ。日本人が言葉にこだわらない、言語による契約を信用していないことの証明です。
 そして、天皇の存在こそが「モノ」性の象徴なのであります。終戦後、こうして天皇制が存続しただけで、じゅうぶん「コンスティテューション」が保証されたでしょう。
 属国とか主権国家とか、そういう言葉にもあんまりこだわらなくていいいのではないでしょうか。悩みだけが増えてしまいますよ。

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2018.04.10

『ミライの授業』 瀧本哲史 (講談社)

Th_4130o1rvisl 校は、未来と希望の工場である――。そしてきみたちは魔法を学んでいる。
 そうありたいですね。
 なんで勉強しなきゃならないんだ。数学がなんのためになるのか。自分もそうでしたが、生徒は必ず一度はそういう疑問を持ちます。
 そして、自分もそうですが、教師はそれにちゃんと答えられない。
 実際、学校には不合理や不条理がたくさんあって、それを改革していかなければならない時代ではあります。勉強の中身に関してももちろんそうです。
 しかし、人類のみがずっと続けてきた「勉強」には、変わらない何か大切なものがあるに違いありません。その漠然としていた「何か大切なもの」を、偉人たちの勉強と仕事を通じて実感のあることにしてくれるのがこの本です。
 たしかにこういう授業ができるようになりたいですねえ。こういう話を上手にしたい。
 教師ならずとも大人が読むべき本かもしれません。14歳の生徒向けの本のはずですが、大人の方がいろいろ発見があるかもしれません。なぜなら、自分たちには勉強に関して失敗の体験があるからです。
 子どもたちはまだ失敗が足りないですし、あるいはこの本に刺激を受けて失敗をしないかもしれない。そういう意味では、案外子どもたちはこの本に心を打たれないかもしれない。ああそうだったのか!という発見の感動がないかもしれない。ほとんどの大人にはあるでしょう。
 それにしても、偉人たちの人生にも知らないことがたくさんあったなあ。それぞれ名前はよく知っている、一般的な伝記は読んでいたけれども、そこに隠された「何か大切なもの」はずいぶん知らなかった。それこそ勉強になりました。
 近く県の新任教員に対して研修をするんですが、この本、必読書として紹介しましょう。

Amazon ミライの授業

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2018.04.09

『空海 -KU-KAI- 美しき王妃の謎』 チェン・カイコー監督作品

 ず結論から。かなり楽しめました。
 そして、日本版タイトルが良くない。オリジナルの「妖猫伝」でいいじゃないですか。
 正直、空海が主役ではない。日本人のためにそうしたのでしょうけれど、やっぱり黒猫ちゃんが主役でしょう。
 というわけで、大学生になった上の娘にベースを届けるために、下の娘と吉祥寺に行きました。ついでに映画でも観るかということで、この「妖猫伝」を選びました(ちなみに昨日が入学式だったので、今日は代休だったのです)。
 映画としては本当に魅力的だったと思いますよ。久しぶりに映画の世界に没頭しました。
 夢枕獏の原作が優れているということもありますが、まず日中の人物絵巻として面白い。歴史に残る人々が出会っていたという事実(おそらく史実)。それだけでもワクワクしますね。
 楊貴妃が日本に渡って生き延びたという伝説もありますが、なるほどそこに阿倍仲麻呂が関わっていたのか。ありえない話ではないところがまた面白い。
 阿倍仲麻呂を阿部寛が演じているのがいいですね(笑)。いや、阿部寛も染谷将太も、中国人から見るとかなりエキゾチックに見えるでしょう。楊貴妃を演じた彼女も。
 実際、超巨大都市「大唐」は非常に国際的な街だったと想像されます。その雰囲気もよく出ていた。
 なにしろ「大唐」のセットがすごい。いやあ、今の中国は本当に力がありますね。お金も技術も世界最高レベルであり、そういう意味では唐代の再来かもしれません。日本はそこに乗っかったという感じで、そこもリアル唐代かも。
 伝説としての妖術、幻術が、現代のそれと言えるCGによって蘇ったという点も、ある意味でリアルでした。CG嫌いのワタクシも、この作品に関しては納得。
 そして、やっぱり黒猫マニアにはたまらない作品でしょうね。もちろんほとんどがCGでしたし、猫としては不自然な動きなどもありましたが、これも人間が乗り移った姿と考えれば案外自然。
 かつて飼っていた黒猫の新之介に似ていることもあって、最後のシーンは泣けてしまいました。
 というわけで、これは「妖猫伝」として観るべきですよ。繰り返しますが、「空海」だと思って観るとガッカリするかもしれない。彼はそれほど活躍していない。染谷くんはいい演技しているけれど。
 あと、ごめんなさい。RADWIMPSの挿入曲はいらなかったなあ。夢が一気に醒めてしまった。エンディングだけで良かったのでは。
 中国語(日本語字幕)版の上映が決まったようなので、そちらでもう一度観てみようかなと思わせる佳作でした。映画にうるさい下の娘も「良かった」と言っておりました。

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2018.04.08

大相撲の女人禁制について

Th_2018040600000024nkgendai0001view 相撲の春巡業での「女人禁制」問題について様々な意見が出ております。
 いろいろ書くこともできますが、一つだけ皆さんが見落としている視点を紹介しておきます。
 すなわち「(男性)力士は女性を象徴している」ということです。
 ご存知といいますか、ご覧になってお分かりのように、力士は豊満な肉体をしております。決して筋骨隆々ではなく、いわゆるアンコ型が多いですよね。
 アンコ型の造形というのは、妊婦を原型としています。豊満な乳房、大きく突き出た腹。大銀杏も、ある意味男性と女性の髪型の中間形態とも言えます。
 化粧廻しという言葉からも分かるとおり、化粧と力士の関係も深い。江戸時代には、力士は頬紅を塗ったり、乳首に紅を塗ったりして、女性を模すことがありました。
 つまり、もともと相撲というのは女性、それも妊婦どうしがぶつかりあうという儀式から生まれたのであり(おそらく)、それを現実的な危険性などを考慮して、男性が代わりに行うようになったものなのです(たぶん)。
 そうしますと、明治時代以降に生まれたかもしれない大相撲における「女人禁制」というのも、本質的には女性差別ではなく、あくまでも女性尊重のためであることがわかります。
 それはたとえば富士山が女人禁制であったのと同じ構図であります。ある時期、富士山は女性の山だとされた。あまりに崇高で尊い女性性を認めたがために、逆に一般の女性が排除されたのですから。
 大相撲においても同じことが言えます。本来、女性の持つ「産霊(むすび)」の力を象徴した相撲というものに、日常的な女性ではなく、非日常的な男性を登場させるというのは、非常に日本的なパラドックスです。
 私のいつも言う「国譲り理論」に近い。他者、場合によっては敵に(この場合女性が男性に)「譲る」ことで、最も大切な本質を純粋な形で継承していく。これです。
 もちろん、今回の巡業での救命措置で女性が土俵に上がったのは当然許されることです。しかし、その論議が、私からすると賛否双方ともにトンチンカンに見えるんですよね。
 少し(大きく?)視点を変えてみると面白いですよ。

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2018.04.01

ラモー 『優雅なインドの国々』

 日のスペクトラムの映像もなかなか前衛的でしたが、こちらルセによるラモーのオペラ・バレエ『優雅なインドの国々』も面白い。
 冒頭いきなり全裸の人たちが登場して踊りだし、度肝を抜かれます(笑)。しかし、すぐに慣れてしまうから面白い。その後はご覧になれば分かる通り。非常に現代的な演出です。そして、それに耐えるラモーの未来性にも驚きますね。
 「インド」とは、もちろん当時のイメージでは「ヨーロッパ以外」を表しました。ラモーの音楽は、基本ヨーロッパ音楽ですが、そこにエキゾチック、オリエンタルなイメージを加えたために、実に面白いことになっています。当時のヨーロッパの人たちにとっても、そうとう刺激的だったことでしょう。
 そういう意味では、日本人がなんちゃって洋楽をやってるのと同じであり、昨日のスペクトラムなんかも、そういう面白さがあるんでしょうね。決して悪いことではないと思います。なんちゃっても真剣にやるとそれなりの新しい世界になる。想像力がリアルなフィクションを生んでいく。
 平和と戦争、未開と文明…そうしたテーマの交錯ぶりも実に楽しいオペラ・バレエ「優雅なインドの国々」は、間違いなく音楽史に残る名作でしょう。
 ちなみに私たちは音楽会形式で演奏しますので、決して裸踊りはいたしませんので、ご安心を(笑)。演奏会については明日の記事で紹介します。

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2018.03.30

『戦後 春陽文庫 資料集成 β版』 小野純一編 (盛林堂ミステリアス文庫)

Th_7e764766260b6e030e5fddd206f15f32 はあまり詳しくないのですが、知り合いの古書マニアの方から紹介いただきました。
 春陽文庫、私が初めて文庫サイズの本を読んだあの日。ちょっと大人になったような気がしました…ということは鮮明に覚えているのですが、しかし、それが小学校何年生の時だったのか、その本がなんだったのかは定かではありません。
 曖昧な記憶をあえて無理やりクリアに画像処理したところ、どうも江戸川乱歩の「パノラマ島奇談(綺譚)」だったような気がしてきました。まあ、気がする程度ですが。
 そうしますと、たぶん昭和39年版の春陽文庫ですね。友人の誰かに借りた記憶があります。その内容はもちろん、文庫の小ささ、装丁の渋さなどが、きっと少年ワタクシをアヤシイ気持ちにさせたのでしょう。
 さて、そんな春陽文庫、私もその後何気なく何冊か読んでいると思いますけれども、とにかくその全貌が分からないことで、ある意味有名な文庫です。
 その全貌に迫ろうとして断念した人は多数いたでしょう。そんな中、「とりあえず」リストを作っておこうと立ち上がってくれた方がいました。
 小野さんは、昨年の夏頃から神田の古本市場に出回り始めた戦後の貴重な春陽文庫を買いあさり、なかばご自分のためにこのリストを作られたようです。
 それでも、全貌にはほど遠いということでβ版と名付けられているのでしょう。というか、もしかすると永遠にβ版だったりして(笑)。それほどに、この春陽文庫の沼は深いらしい(私は全然はまっていないので分かりませんが)。
Th__20180327_172009 ちなみに、私の職場のすぐ近くにある昭和24年以来続いている本屋さんの屋根横には、堂々と「春陽文庫」の文字が踊っています。
 まあ春陽文庫自体、まだしっかり存続していますから、この看板というか宣伝もちゃんと生きていいるということですよね。
 ちなみに、春陽堂書店と言えばですね、私が今研究しつつある仲小路彰が、東大卒業後編集者として勤めた会社でもあります。仲小路は、そこでヘーゲルやマルクスの弁証法についての本の編集にあたっています。
 考えてみれば、仲小路彰の書き残したモノは、春陽文庫の全貌を森とすればですね、まるで富士山全体とでも言うような量と質と未知・未発見加減です。
 全貌を、なんて言わないで、こちらも「とりあえず」のβ版を作らねばなりませんね。

盛林堂公式


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2018.03.29

是非初心不可忘

Th_51nry78lul 日は下の娘の人生にとって、とても大きな節目の日でした。
 人間国宝の能楽師野村四郎先生に入門したのです。
 ここに至る過程もいちいち不思議なことばかりでした。すなわち運命であったのでしょう。
 まさか自分の娘がそちらの道に進むとは夢にも思いませんでしたし、人間国宝の弟子になるなどとは夢にだに思いませんでした。
 これから大変厳しい道を歩んでいかねばなりません。私も一緒に勉強させていただきます。
 今日も野村先生は本当に深い話をいろいろしてくださりました。一つ一つのお話がそれぞれ胸に響きましたが、そのお話のベースにあったのは、先生の「勉強熱心」さです。
 芸の道を極めていながら、謙虚、素直、勉強熱心。本当にすごいと感じました。

 是非初心不可忘

 先生が娘のために書いてくれた言葉です。言うまでもなく世阿弥の言葉ですね。
 私たちは「初心忘るべからず」と覚えていますが、実は「是非初心不可忘 時々初心不可忘 老後初心不可忘」という三つの「初心忘るべからず」があるのです。
 そのうちの、「是非初心不可忘」は特に重要だといいます。「是非」とは「ぜひとも」の意味ではなく、「良いことと悪いこと」「正しいことと間違ったこと」という本来の意味です。
 すなわち、何が正しいのか、何が間違っているのか、まだ答えが出ていない時の姿勢、すなわち初心を忘れてはいけないということです。
 私もそうですが、「先生」と言われるようになると、何か答えを知っているかのごとく勘違いをしたり、他の意見を取り入れられなくなったりしがちです。そうした「分かったふり」を戒める言葉とも言えましょう。
 なるほど野村先生は、今もまさにそうして精進しておられる。分からないことは、気づいたこと、疑問に思ったことは、徹底的に調べる。その専門家のところに行って教えてもらう。真理に対して謙虚であり、素直であられる。
 なるほどこれが超一流かと気づかせていただきました。本当にありがとうございました。どうぞ、これからもよろしくお願い申し上げます。私も素直に勉強させていただきます。

Amazon 狂言の家に生まれた能役者


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2018.03.25

薬師如来の薬壺の秘密

 日、薬師如来が持っている薬壺は?という記事を書きました。
 今日は、そこに書いた未来医療の器具の発明者の方(&仲間たち)と飲みました。
 法隆寺での私の発見についても報告いたしましたが、皆さん驚きとともに納得されていたようです。
 この歴史的大発明、現代の「薬壺」の開発はですね、なんと夢の中で行われたのです。まさに夢殿で瞑想した聖徳太子のごとく。つまり未来から降ろされたと。
 実は、今日も地元の方何人かにその「薬壺」を使って施術をしました。皆さんあまりの効能に驚いていました。
 薬師如来の薬壺は、今では「薬壺(やっこ・やくこ・くすりつぼ)」と呼ばれていますが、かつては特に名前はなかったようです。
 日本に仏教が伝来してしばらくは、薬師如来像は何も持っていませんでした。
 中国の古い文献には、「薬師如来には薬器か椀を持たせるべし」と書かれているそうですが、決して「薬壺」ではありません。ですから、正式に「薬壺」を持っている薬師如来というのは、日本にしかないのですね。朝鮮半島にもありません。
Th_20161029kouyakushi09 日本で(つまり世界で?)初めて「薬壺」を持った薬師如来は、白鳳期の名作、そして2年前くらいに失われた右手が見つかった(つまり本体はまだ行方不明)の、あの新薬師寺の香薬師像です。すなわち、日本最古の薬壺は行方不明です。
 しかし、逆に最新の薬壺は今、こうしてここにある。そしてどんどん世界に広がっていっています。
 現在、重要文化財に指定されている薬師如来247体のうち、薬壺を持っているのは約77%である191体。
 もうすでに、現代の薬壺はその数を上回っています。
 薬師如来の効験は、諸根具足(身体障害者であっても 薬師如来を信仰すれば治療される)、除病安楽(病気が治り,心の不安が除かれる)などです。
 現代の薬壺はまさにそのような効果を発揮するようです。私たちは現代の薬壺を持つことによって、薬師如来になれるのかもしれません。
 仏の世界では、(私たちの言う)「薬壺」が一般的だったのでしょう。それが地球(日本)にもたらされることを象徴していたのが、薬師如来のお姿だったのかもしれませんね。
 …と、トンデモな話を書いてきましたが、もしそのトンデモを体験されたい方はメールください。もちろんボランティアで「薬壺」の技を施させていただきます。
 そういえば、20年前、周防国分寺の薬師如来像が持つ薬壺の中に、米や生薬、鉱物などが入っていることが分かりました。この像は江戸時代の作なので、「薬壺」という名称が一般的になり、それなら薬を入れようと考えた人がいたのでしょう。これは唯一特殊な例です。

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2018.03.24

金閣…光の演出

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 学旅行最終日は金閣寺と嵐山散策。
 金閣すなわち鹿苑寺、朝一番だったのに外国人の長蛇の列。まあたしかにインパクトあるよなあ、あの作品は。黄金の国ジパング。
 金閣というと、それこそ金箔貼りまくりの過剰なゴージャスさが売りという感じですが、毎度訪れるたびに、どうも本当は違うのではないかと思うのであります。
 というのは、毎年天気が違うわけですよね。それで全然印象が変わってしまう。
 その一つの要因として、光の演出があるなと思った次第です。
 そう、あの池にですね、陽の光が当たるわけですよ。そうしますと、池の面の微妙な波のおかげで、あの金閣に実に動的な光の模様が現れるわけですね。
 実は動画を撮ってきたつもりが、なんだかミスってしまい、手元に残っていませんでした。そこで、YouTubeで分かりやすいものを探したんですが、全然ない!みんな大切なところを見逃している!
 写真じゃ絶対伝わらない、動的な、生命感あふれるデザインですよ。そこに皆さんあまり注目していないように思います。
 朝の時間帯に東側の壁面を見るのが一番いいのではないでしょうか。近くで見られますし。もちろん夕刻の色合いの変化も見ものですが、本来は朝のあの光の揺らぎを見るべきでしょう。
 2年前に撮った写真を見つけました。これでなんとなくイメージできるんじゃないでしょうかね。ああ、動画撮れてればなあ。スミマセン。今度はちゃんと撮ってきます。ただし晴れてないとダメなんですよね。

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