カテゴリー「歴史・宗教」の1673件の記事

2017.07.19

はなたれ小僧

Th_659a18e5471c59ac6640df66d3708ac9 日、日野原先生のご冥福をお祈りした記事で、「105歳ということでいえば、私なんかまだ折り返し地点にすら到達していない。本当に洟垂れ小僧です」と書きました。
 考えてみると、私はもうすぐ53歳になりますので、ちょうど折り返し地点をグルっと回っているところですね。ようやく往路。そう考えると楽しみです。
 かの渋沢栄一は「四十、五十は洟垂れ小僧、六十、七十は働き盛り、九十になって迎えが来たら、百まで待てと追い返せ」という名言を残しました。
 日野原先生は、この渋沢の言葉を地で実行した方ですよね。
 そして、私のような年齢の者は「洟垂れ小僧」ということになります。なるほど、六十、七十が働き盛りか。わかるような気がします。
 最近、渋沢栄一に縁の深い方とお話する機会が多いのですが、その方も七十台にしてまさに働き盛り。本当に素晴らしいバイタリティーの持ち主です。
 というわけで、私は立派な「洟垂れ小僧」ということで納得し、またそれが「まだまだこれから」という若い頃の精気を取り戻すための自分自身へのエールになるんですね。
 多くの50台の方々が、定年まであと何年とか、老後は何しようかななどと考え始めると聞きますが、私はまだまだ青年以下の少年(中二病?)なので、そのようなことを考えたことはありません。
 そうそう、そう言えば、最近、いわゆる青っぱなを垂らしている「ハナタレ小僧」を見ませんよね。昔はたくさんいましたよ。袖をテカテカにしてるヤツ(笑)。
 あれはいわゆる蓄膿症なんですってね。栄養環境がよくなり、子どもの蓄膿症が激減したようです。しかし、その一方で昔はなかった花粉症なんかが猛威を奮って、青っぱなではなくて、水みたいな透明な鼻水に苦しめられる子どもが増えてきたのは皮肉なことです。どっちがいいかって、青っぱなの方がいいですよね。ずっと楽だと思います。
 さてさて、「はなたれ」ついでにもう一つ。あさってから岐阜の正眼寺にプチ修行に行ってきます。学校の先生の中で、「はなたれ小僧」に認定された3人が寺に送り込まれるのです(笑)。
 せっかくですから、しっかり座って、「洟垂れ小僧」を卒業し、自我から解放された「放たれ小僧」になって帰ってきたいと思います(笑)。頑張ります。

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2017.07.18

『今日すべきことを精一杯!』 日野原重明 (ポプラ新書)

Th_51hsy5xrgl 野原重明さんが、105歳の天寿を全うされました。最期の最後まで、まさに本当の長寿長命、人間にとっての健康、幸せ、仕事の大切さを体現し続けた人生でした。
 このブログでも何回かご著書を紹介してきました。そこにも書きましたとおり、日野原先生と私とはあまりにもその命、人生の質が違いますけれども、ただ一つ共通していたのは、「一日一食」でした。基本夕食一食。
 日野原先生の食生活や仕事ぶりを拝見し、私もずいぶんと勇気づけられ、そしておかげさまで健康に、そして幸福に日々を過ごさせていただいています。
 あらためて、感謝の気持ちを表したいと思います。ありがとうございました。
 日野原さんのご著書で最近読んだのはこの本でした。85歳の時のご本ですから、20年ぶりの新装版ということになります。その時から20年もずっと現役でいらしたんですからね。本当に驚きですし、尊敬申し上げたいと思います。
 105歳ということでいえば、私なんかまだ折り返し地点にすら到達していない。本当に洟垂れ小僧です。
 「人は必ず死ぬのだから、今日すべきことを精一杯やりなさい」という思想は、非常に仏教的であるとも言えます。過去や未来にとらわれず、「今ここ」になりきる。それが難しいから人は「生老病死」に苦しむのです。
 医師はまさにその「生老病死」と対面する仕事。他者の「生老病死」を手助けするとも言える。その四苦は避けられないのだから、いかにその質を上げ幸福に転ずるか、それをアシストするのが医師の仕事とも言えます。
 そういう意味では、私たちは職業上の医師でなくとも、他人の、そして自分の「生老病死」をしっかりプロデュースしていかねばならないはずです。それはもしかすると、修行のような厳しいものではなく、もっと軽やかで楽しいものなのではないか、そんなことを予感させてくれるのが、この本です。
 まさに大往生された日野原さん。医学だけでなく、栄養学、哲学、倫理学、キリスト教や仏教、神道の立場から見ても、たいへん大きな遺産を残してくださいました。本当にありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。 

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2017.07.14

田中英道『聖徳太子の和と悟り』

 中英道さんの聖徳太子論を紹介する記事が続いています。そんな中、ちょうど今日、またこの番組が放送されました。
 「ほとけ」は「ブッダの形」か。なるほど。仏像信仰なんですね。そして、日本の「権威と権力」の基礎を作ったのが聖徳太子だというのも納得です。
 「和」を「やわらぎ」と訓むか「にぎ」と訓むかについては、一昨日書きました。
 私は「和」を英語で説明する時、「global familism」と表現しています。まさに「家」であり、そういう意味で、田中さんの言うとおり「国家」という日本化した漢語があるわけで、それは「nation」とは全く違うわけです。そして、「八紘一宇」「八紘為宇」という概念をも生んだと。
 家の構成員として「役割分担」をするというのは、まさに仲小路彰の「グローバリズム」の発想と同じですね。異論もあるのを承知で言いますが、戦後の仲小路のグローバリズムは、戦前、戦中の「八紘為宇」の巧みな言い換えという部分もあると思います。
 いずれにせよ、聖徳太子という偉大な思想家の影響が、今の日本にもしっかり息づいているばかりでなく、今後世界に広がっていくことを期待します。田中さんのご著書が英訳されるのを楽しみにしています。

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2017.07.13

聖徳太子日本国未来記

Th__20170714_132648 徳太子シリーズ。
 聖徳太子自身が虚構だともいいますが、その虚構が書いたとされる偽書となれば、いったいこれはなんなのか…いや、グルっと回って真実になっているとか(笑)。
 いつの時代にも、この聖徳太子の未来記を持ち出して、ある種の危機感をあおる人たちがいます。南北朝時代から700年以上続いている。これは「真実」です。
 最近でも、未来記を現代流に解釈して、2016年に何かが起きる、それがはずれると2017年に…というふうに、相変わらず「伝統」は引き継がれています。


 今日は時間がありませんので、オリジナル(?)「未来記」から派生したと言える書物の一つを紹介します。ネットで読むことができます。
 慶安元年(1648年)発行の「聖徳太子日本国未来記」。
 まず、弘前市立弘前図書館所蔵のもの。刊本を筆写したものでしょうか。
 続いて、早稲田大学図書館所蔵のもの
 同書は巻末に「摂州天王寺の宝庫より出づ」とありますが、やはりアヤシイと言わざるを得ません。
 やはり未来記に関わっているとも言える先代旧事本紀や、当地に伝来する宮下文書など、江戸期になり版本が出回って、歴史が庶民のものとなってからというもの、どんどんアヤシイ文献が「発見」されることになります。
 それに影響を受け、ある種の事大主義に陥った文化人、学者もたくさんいました。そうした本居宣長や平田篤胤、佐藤信淵、そしてそこに強く共感した近代人、現代人も無数にいます。もちろん大歴史哲学者仲小路彰もその一人です(ワタクシもその一人です…笑)。
 そのあたりの事情や現代につながる意義については、また機会を見て書きたいと思います。

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2017.07.12

田中英道『聖徳太子の日本思想史上の重要性』 (日本国史学会講演)

 日の続きでもう一つ。相変わらず時間がありません。最近はこうした動画の音声を倍速で聴きながら、他の仕事ができるようになりました。おっ?もしかして聖徳太子(豊聡耳)に近づいてきたのか(笑)。
 ま、それは冗談といたしまして…こちらの講演も実に興味深いものですね。
 考えてみると、日本国史学会で講演されている、竹田恒泰さん、伊藤隆さん、渡辺利夫さんとは、個人的にお会いして直接お話をさせていただきましたね。田中さんにはまだお会いしたことがありません。
 伊藤先生、渡辺先生とは仲小路彰の話をしました。お二人ともちょっと引いていました。重鎮でさえも引いてしまうくらい、日本史にとっても、国史にとっても非常にアブナイ存在なのですね。
 さて、そんな仲小路彰の聖徳太子論は、「夢殿の幻〜聖徳太子の救世悲願」に明らかです。
 田中先生のご意見は、仲小路の聖徳太子論と重なる部分も多々あります。さすがですね。特に1条が神道であるという点。
 ただ、田中先生は「和」を「やわらぎ」と訓んでいますが、仲小路は「にぎ」と訓んでいます。すなわち一霊四魂の「和魂(にぎみたま)」。まあ、両方とも同じ意味とも言えますので問題はありませんね。
 仲小路の論が優れていると感じたのは、「和」を積極的に出雲のオオクニヌシの和魂、つまり「にぎ」ととらえているところです。
 出雲の和魂を継ぐ三輪山の物部氏を、蘇我氏とともに滅ぼしてしまったことに苦悩し、結果として、その魂である「和魂」を十七条憲法の第一条に置いた…私にとっては、非常に説得力のある説です。
 そのあたりについても、田中さんにお伝えして知っていただく機会を得たいものです。

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2017.07.11

田中英道『聖徳太子虚構説批判』 (日本国史学会講演)

 変忙しいので、また週末に見た動画を紹介します。昨日の田中英道さんの聖徳太子論。
 大山誠一さんの聖徳太子虚構論に対する批判が中心です。
 私は、たとえば宮下文書の世界をも「歴史」として認証する、つまり虚構さえも虚構という形で存在する事実と認定する立場を取りますので、ある意味、聖徳太子が実在しようとしまいと関係なく「歴史」であることは間違いないと考えています。
 それは宗教というある種の虚構が世界を動かしていることが事実であることと同じです。虚構だからこそ「ある」「あった」とも言えるわけです。なぜなら意識化されているからですね。忘れ去られた以前に、意識化されなかった「事実」も無限にあるわけですよ。
 そういう意味で、私が大山さんか田中さんか、どちらの立場に近いかというと、当然田中さんになるわけです。
 まあ、こうして論争になること自体、異常なほどに意識化されているわけで、その点では、大山さんの視点というのも実は面白い。なぜ「信仰」に至るまで意識的に意識化されたのか。
 今、私はそこに興味がありますし、そこにこそ日本人の歴史の要点があるような気がするんですよね。
 その一つの解答として、くり返しになりますが、仲小路彰の聖徳太子論があるのだと思います。
 

 

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2017.07.10

田中英道 『リベラリズムの蛮性』

 ャンネル桜シリーズが続きます。これも大変共感したので紹介します。
 いちおう私は自称、いや他称リベラリスト。家庭内リベラリストと言われています(笑)。
 いや、本当のリベラリズムは、もちろん現代社会においては非常に重要な価値を持っています。しかし、それはあくまで「本当の」リベラリズムのことですし、私がもしリベラリストと言われるなら、「本当の」意味で言われたい。
 ところが、もうお気づきのとおり、最近の日本ではいわゆる「保守」の反対側を「リベラル」というようになってしまった。
 これはよくありません。左翼とリベラリズムは基本的に関係ありません。正直、カタカナ語によるごまかしだと感じます。
 そして、左翼陣営がその「ふわふわ言葉」の衣を着て、自らの暴力性を隠す、あるいは自己肯定する場合があります。田中先生の指摘のとおりです。
 リベラルを自称する人に限って、口汚く相手を罵倒したり、裏で無言の恫喝をしたり、あるいは相手を陥れる罠をかけたりする。まさに武士道にもとる…もともと武士道否定か(笑)。
 というわけで、なるほど田中先生のおっしゃる「日本人にはリベラリズムは必要ない」というのは、歴史的、文化的に見ても納得できますね。
 今こそ聖徳太子の「和」ですよ。それについても田中先生が最近素晴らしい本をお書きになったので、また近く紹介します。仲小路彰の聖徳太子論とよく似ています。

Amazon 日本人にリベラリズムは必要ない。「リベラル」という破壊思想

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2017.07.09

青山繁晴 『妬みの産物、陰謀論とリアルポリティクスの違い』

 日の討論に続いて観た動画。共感したので紹介しておきます。
 陰謀論、陰謀説に対する私の基本的な姿勢は、こちらこちらに書いたとおりです。否定はしない。嫌いではない。いや結構好き(笑)。しかし、与しない。
 非常にストレートに言えば、陰謀論というのは「単純化」です。実際の人間社会、いや自然界は非常に複雑であり、しかし一方で宇宙の仕組み的に言えば、もしかすると単純なのかもしれない。
 そうした矛盾した「実感」を物語化したのが「陰謀論」だと思います。ですから、人間の脳という小宇宙の中では、もしかすると真実なのかもしれない。
 陰謀論を生み出す要因の一つに、個人的なルサンチマンや恐怖、あるいは妬みというモノがある。そこがある意味リアルですよね。歴史を動かすのは最後は個人的感情ですから。
 前掲の秦さんの本に、陰謀論の主役の一人として仲小路彰の名が出てきます。
 仲小路に対する評価としては、ある意味正しいとも言える。伊藤隆先生も似たような評価をし「アブナイ」とおっしゃっていました。
 つまり、従来の歴史学の限界がそこにあるわけですね。逆に言えば実証的な歴史学や、青山さんの言うリアルポリティクスが、ギリギリのところで「物語」の巨大化を防いでいるとも言えます。
 そうして、私たちはバランスを取って生きており、社会を形成し、歴史を紡いでいくわけです。
 それにしても、たしかに世の中の陰謀論はなかなか消えません。というか、陰謀論ありきで、そこから逆算して現実が動いていくこともある。
 さらに言えば、「いい陰謀論」もあるわけですね。誰かが見えないところでこの世の中を良くしようとしていると。そう、宗教がそうなんです。神の存在とは、まさに「いい陰謀論」なのです。
 そして、その「いい陰謀論」と「悪い陰謀論」の両方を感知し、総体としてこの宇宙や自分の脳内を観察できるようになったのが、たとえば出口王仁三郎や仲小路彰のような大天才なのではないでしょうか。
 そう言えば、今日の「そこまで言って委員会」は面白かったですね。まさに各新聞社がそれぞれの「陰謀論」に従って動いているように見えました。もちろん「いい」&「悪い」両陰謀論です。
 昨日の討論でのメディア論にも全く同じことが言えますね。仮想敵というのこそ身近な陰謀論の主役です。

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2017.07.08

【討論】作られた内外マスメディアの嘘を暴く(チャンネル桜)

 末は、日常生活ですっかりお花畑になった脳内を正常化(清浄化)するために、比較的保守的な番組を観ることにしています(あるいはプロレス観戦)。
 今日の夜の「日本よ、今…闘論!倒論!討論!2017」は実に面白く勉強になりました。
 最近、TBSの某番組に出演させていただき、いまだに地上波民放の影響力がかなりあることを実感いたしました。
 今度はNHKの全国番組に出る予定ですので、なんか不思議なタイミングで、既存メディアであるテレビの力を再確認する機会を得ている感じです。
 その地上波テレビの実態、実体は、この討論で述べられているとおりだと思います。新聞社を中心とする日本の既存のメディアの異常な状況は恐ろしいかぎりですね。
 いくらネットがここまで発展したとはいえ、やはり既存メディアが長年築いてきた「偽りの信用」は、なかなかそう簡単に崩れるものではありません。
 スポンサーという形で企業の経済活動と直接結びついてきたメディアや広告業界が、ある意味では、この情報革命のさ中に、最後の抵抗をしているようにも感じられますね。
 そしてNHKでさえも「偏向」を指摘される。ただし、NHKの場合は、左派(リベラル?)からは政権べったりだと言われ、右派(保守?)からは中国べったりだと言われる。
 ある意味バランスが取れているとも言えますね(笑)。大変だと思います。
 民放は、これはもうたしかに画一化、硬直化していて、かなり危険な状況だと私も思います。
 今では、たとえばこのチャンネル桜のように、独立系の新しいスタイルの放送局が増えでいますが、やはりある意味一方通行で選択の余地がない(逆に言えば視聴者としては楽な)地上波民放の影響力は、まだまだ衰えそうもありません。
 「一億総白痴化」と言われた時代からずいぶん経ちましたが、たしかにそれは正しかったのかもしれない。日本人ほど情報リテラシーのない民族も珍しいですよ。教育の問題かなあ…。
 というわけで、地上波民放を観る機会の多い方には、ちょっと我慢してこの番組を観ていただきたい。そして、まずは疑うという意味で、あんまりお人好しでないちょっと性格の悪い視聴者になってもらいたいものです。

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2017.07.05

やりすぎ都市伝説 『昭和史を裏で動かしていた安岡正篤』

 日の安岡正篤について、中田敦彦さんがプレゼンしております。
 あっちゃん、しゃべり上手いですよね。教員としては見習わなければなりません。
 「黒幕」という意味では、安岡よりももっと知られていない人がたくさんいます。昨日も登場した仲小路彰もそうです。
 このあっちゃんのプレゼンのごとく5分で、たとえば仲小路を一般の人たちに興味を持ってもらうにはどうすればいいのか。考えるだけでも恐ろしい(笑)。けれども、いずれそういうこともしていかねばならないでしょう。
 安岡の言うとおり、生前においては「無名有力」というのは事実だと思いますが、没後において無名の偉人の業績を世に活かすには、当然それを学問的な研究対象にしなければなりません。
 そういう意味で、安岡は生前から「有名」であったとも言えます。彼を中心とした勉強会などがありましたし、没後も複数の研究会があり、また著作もほとんど全てが出版され、研究者による安岡本も多数書かれ、ベストセラーになってもいます。
 その点、たとえば仲小路に関しては、全貌はおろかその一部分さえもいまだ闇の中です。そのまま忘れ去られてしまうことは人類の未来にとって大きな損失となるでしょう。
 生前の仲小路を知る人の中には、本人は没後も表に出ることを望まないだろうと言う方もいらっしゃいますが、多くの歴史的偉人がそうであったように、遺された情報については、御本人の生前の意思から独立し、多様な視点からの解釈にさらされて、そうして現代的、未来的意義を獲得していくものです。
 芸術作品と同じですね。よく言われるように、作品が作家から親離れして成長していく。そういうものだと信じます。
 はたして、仲小路彰が民放のバラエティ番組に登場する日は来るのか!?まずはNHKスペシャルかなあ。とりあえずあっちゃんに知らせてみましょう。
 さて、あっちゃんのプレゼンをついでにもう一つ。伊集院光ナイスです(笑)。

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