カテゴリー「歴史・宗教」の1643件の記事

2017.05.23

『第二次大戦前夜史 一九三六・一九三七』 仲小路彰 (国書刊行会)

Th_41wmdwk5icl_sx359_bo1204203200_ 日、昭和11年、12年は歴史の転換点だというようなことを書きました。しかし、日本国民は案外明るい未来を展望しており、特に都市部はお祭り気分だったとも書きました。
 昭和11年は私の母が生まれた年でもあります。父は5歳。ですからその時の記憶はほとんどありません。時代の空気なんか分かるわけありませんし。
 かつて祖父母に聞いたところでは、やはりそれほど暗い雰囲気ではなかったようです。実際、世界恐慌に伴う昭和5年あたりの昭和恐慌からもいち早く脱し、昭和8年以降は一部の農村を除いて好景気だという感触があったようです。
 この高橋是清による昭和恐慌という大デフレ脱却政策が、アベノミクスに似ているとの見方もありますが、のちに高橋是清は昭和11年、二・二六事件で暗殺され、日本は戦争へまっしぐら…という、それこそ戦後歴史教育に洗脳された悪意ある解釈ですね。そんな単純な話ではありません。
 さて、そのように庶民は好景気に浮かれ、かつての戦争景気の記憶もまだ新しく、ある意味では戦争への期待さえあったとも言えます。そんな中、いったい世界や、世界と直接やりあっていた日本の上層部ではいったい何が起きていたのか。つまり、庶民が知らないうちに、いったい何が進行していたのか。
 それが恐ろしいほどによく分かる本が、この仲小路彰による「一九三六」と「一九三七」です。仲小路彰が高嶋辰彦陸軍中佐(当時)の支援を受け、戦争文化研究所の名の下に全121巻の刊行が予定されていた(実際は43巻まで刊行)「世界興廃大戦史」の一部。
Th_31ogxpnu8l_sx298_bo1204203200_ 昭和16年9月から17年4月までの間に刊行されていますから、間に真珠湾攻撃を挟んでいるわけですね。戦争が始まらんとしているその時に、およそ5年前の世界と日本の動きにその端緒を見ていたのです。
 内容としては、今では忘れ去られた事象も取り上げられており、いったい当時どのような情報源をして、ここまで詳細に世界情勢を分析し得たのか。非常に興味がありますね。
 実はまだ全部読んでいませんし、読んでも知識が足りないために理解できないでしょう。しかし、現代の研究成果よりも不思議とリアルな感じがするんですよね。情報の選択、そしてそれらの配置の妙は、世界史、特に戦争史を知り尽くした仲小路ならではのものでしょう。
 このような本が復刻されたということは、ようやく歴史学の戦後レジームが崩れる時が来たということでしょうか。
 一方で、仲小路彰の全貌を俯瞰した立場からしますと、こうした戦前、戦中の著作のみで彼の業績を評価してほしくないというのも事実です。
 こうした一見右寄りな活動の先にある、終戦工作、グローバリズム構想、未来学こそが、仲小路彰の「本体」であると、私は思っています。
 当然、逆の発想も必要です。つまり、戦後の仲小路彰のみ見ていても、やはりその本質には近づけない。未来から見れば、戦後も戦前も連続した過去であり、またその無限の過去は、その時の「現在」の無限の集合体なのですから。

Amazon 第二次大戦前夜史 一九三六 第二次大戦前夜史 一九三七

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2017.05.22

第7回世界教育会議〜日本文化講座

Th_sekaikyouiku201409171 日紹介した徳富蘇峰の「経天緯地」の研究をされた方からの情報。その扁額が奉納されたのは昭和11年。
 昭和11年は日本の近代史を考える上で、一つの分岐点となった重要な年ですね。二・二六事件があり、一般的にはその頃から一気に戦争へ向けての右傾化が進行したというイメージかと思います。
 しかし、どうも実際にはだいぶ違う雰囲気が世の中を支配していたようですね。だいたい、二・二六事件の時の東京も、「せっかく景気がよくてお祭ムードだったのに…水を差しやがって」という感じだったとか。戒厳令で遊びに行けない。東京音頭の時代ですからね。
 事件と言えば、二・二六よりも同年に起きた阿部定事件の方が巷間の話題だったのでは。
 実際、軍部の一部以外はどちらかというと国際的お祭ムードであり、あえて言うならずいぶんとリベラルな雰囲気があったと言えます。
 中止になった1940年の東京オリンピックの開催が決定したのもこの年ですし、紀元2600年に向けて多くの催し物が企画され始めています。その紀元2800年節にしても、今では天皇中心の国家観を象徴しているようなイメージがありますが、庶民にとっては単純にお祝いムードだったようです。
 ただ、昭和12年になりますと、少し雰囲気が変わり始めます。庶民はまだまだ呑気でしたけれども。
 昨日も名前が出てきた和平派の宇垣一成に組閣命令が下りながら、陸軍内の反対によって流産したのは象徴的だったかもしれません。ヨーロッパではスペイン戦線が喧しくなり、年の終わり頃には日独伊防共協定が締結されます。ちょっときな臭くなってきましたよね。
 一方、そんな昭和12年、すなわち今からちょうど80年前の1937年に、なんと日本で第7回世界教育会議が開催されています。アメリカを筆頭に世界中から教育関係者が東京に千人単位で終結し、実に高度な教育会議が行われました。
 どれほど平和的で、リベラルな内容であったかについては、国会図書館のデジタル資料を垣間見るだけでもよく分かります。
 で、その会議の一環というか、プレイベントとして、なんと山中湖で「日本文化講座」が開催されているんですね。10名以上の外国人が山中湖を訪れ、鈴木大拙や谷川徹三らの講演を聞いたり、地元の皆さんと交流したようです。
 たしかにこんなことがあったとはほとんど知られていませんし、もちろん私も全く知りませんでした。地元の人も全く知らない。
 この「日本文化講座」は国際文化振興会(今の国際交流基金)が主催したもののようですが、山梨の山中湖での開催にあたっては、私の勘ですとやはり徳富蘇峰や宇垣一成、そして富士吉田にいた川合信水、また山梨の生んだ鉄道王根津嘉一郎が関わっていると思います。
 この「日本文化講座」については、昨年山中湖で企画展が行われ、新聞記事としてもこのように紹介されました。第1回全日本カーリング大会にもびっくり。
 う〜ん、学校で学んだ歴史とはかなり違う雰囲気だなあ。自分で調べることがいかに大切か思い知らされます。
 この世界教育会議に関する記録などをじっくり読んでみたいですね。鈴木大拙の講演の内容も知りたい。どうも記録映画が製作されたようですから、それの再発見にも期待したいところです。
 のちに疎開してくる仲小路彰は、当然この会議、講座のことを知っていたでしょう。仲小路が富士北麓に一大教育都市を構想したのにも、それが影響しているかもしれません。
 いやあ、近過去の歴史の勉強は実に面白い。


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2017.05.21

徳富蘇峰 『経天緯地』の扁額

Th_img_0429 日は全く想定外のお導きによって幸運に恵まれました。不思議としか言いようがありません。
 上の娘が池袋ジャズフェスに出演するということで、朝学校に送り届けました。そのあとすぐに帰宅しようと思ったのですが、昨日から家のWiFiの調子が悪く、ずいぶん長く使っているのでそろそろ寿命かなと思い、近くの家電量販店に寄っていくことにしました。
 ただ、朝早かったので開店まで小一時間あったんです。で、ふと思いついて地域の神社参りをすることにしました。まずは学校の近くの小室浅間神社(下浅間)へ。次に町内の渡辺大明神へ。ここはいわくつきの神社ですよ(こちら参照)。
 そして、いよいよ家電量販店に行こうと移動をするその途上、ふと「あそこにもお参りしよう」とひらめき、久しぶりに天神社(機神社)へ。
Th_img_0439 すると、いつもは閉ざされている機神社の入り口が開いている。そして、正面の祭壇の上に、徳富蘇峰が揮毫した「経天緯地」の扁額が見えるではないですか。
 お参りをすませてしげしげと中を覗いていると、氏子の方が私に声をかけてくださりました。そう、なんと今日は機神社(と軍刀利神社)の例大祭の日だったのです。全く知りませんでしたし、本来は5月15日に行われるべき例祭が、時代の流れで5月の第3日曜日に催されることになったとか。
 いろいろ興味深いお話をうかがえた上に、「正午に神事があるから来てください」と、あまりに自然に言われてしまいました。なんというお導きでしょう。どこの誰とも分からぬ者に温かいお誘い、本当にありがたいと思いました。
 さっそく家内と、神社の近所で織物業を営む家内の友人親子を誘って、正午に境内に行ってみますと、祭礼を執り行う神主さんと数人の氏子さんらが集まっていました。そして、なぜか私たちはゲスト(?)として神事に同席させていただき、さらに玉串奉奠まで仰せつかるという僥倖に恵まれました。
 徳富蘇峰の扁額も間近に拝見することができ大感激。なにしろ、年に1回、この例大祭の日にしか一般の人は拝むことができないのですから。不思議すぎます。
 さらに本殿右にあった奉納札を見ると、これまた驚きの事実が。
Th_img_0434 左から「金一封 県会議員 天野義近殿」、「金一封 衆議院議員 堀内良平殿」、「扁額揮毫 徳富蘇峰殿」、「扁額揮毫 陸軍少将 久世為次郎閣下」、「扁額揮毫 陸軍大将 宇垣一成閣下」。
 蘇峰と久世と宇垣の両軍人は、山中湖に別荘を持っていました。蘇峰については説明するまでもありませんね。山中湖に住む文化人として、当時絹織物で隆盛していた下吉田の神社に関係したのはありえること。一方、和平派である意味陸軍の中では悲運であった宇垣一成が、この小さな神社に関わっていたのは意外でしたね。総理大臣になりそこねた人物です。
 また宇垣は、のちに山中湖に疎開してきた仲小路彰とは昵懇の仲となり、時に仲小路に叱責されたとも伝えらています。最近仲小路彰を研究している私が、こんなところで宇垣一成の名前に出会うとは思いもよりませんでした。
 まったく不思議な霊縁であります。そう、この一連のお導きのオチもありました。夜、ある人から久しぶりに電話があったのですが、その方は徳富蘇峰の研究家であり、この機神社の扁額の「再発見者」だったのです。
 今日の話をすると先方も驚いておりました。こういう人知を超えた流れがある時は、何かの使命をいただいた時です。それをしっかり見極めて役目を果たしていきたいと思います。本当にありがとうございました。


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2017.05.17

ものまね芸人さんから学ぶ神事

 日はご縁がありまして、ものまね芸人の方々とお話する機会がありました。
 神奈月さん、ホリさん、エハラマサヒロさん、ミラクルひかるさん、みかんさんという、超実力派の大御所の皆さんです。
 いろいろなお話ができて、本当に勉強になったのですが、中でも憑依系(?)であるミラクルさんに私の「ものまね=招霊」説をお伝えできたことは嬉しかった。
 それを脇で聞いていたホリさんが、「そうですよね、ものまねは日本書紀なんかにもそのルーツが書いてある」とおっしゃっておりました。
 そう、「ものまね」という言葉は出てきませんが、記紀に登場する「隼人舞」は、まさに招霊して「ものまね」をする種類の舞です。
 つまり、もともと「ものまね」とは神事であって、だからこそ多くの舞が今でも神社で奉納されているわけです。
 ちみなに記紀の時代から、そのような神事としての「招霊(ものまね)」をする人を「俳優」と呼んでいました。「はいゆう」ではなく「わざをき」と読みます(こちらの記事参照)。
 「わざ」というのは、神霊の力のことです。「ことわざ(諺)」や「わざはひ(災)」の「わざ」もそういう意味です。良い意味でも悪い意味でも、人知を超えた力ということです。
 そして「をき」は「をく」という動詞の連用形。「をく」を漢字で書くと「招く」であり、意味もまんま招くです。ですから、「俳優」も「招霊する者」という意味なんですよね。
 ついでにいいますと、「をかし」という古語の語源は「招く」です。「招きたい」、つまり「常に手元に置いておきたい」、現代風に言いますと、録画しておきたいとか、フィギュアとして所有したいとか、そんなニュアンスです。
 ということは、たとえば俳優さんが物真似をして、それを私たちが「面白おかしい」と思うのは、千数百年前の理屈のとおりだということですね。
 それにしても、超一流のものまね芸人さんの皆さんは、ホントすごすぎました。日本古来の伝統文化を継承する、それこそ神人に見えましたね。心から尊敬いたします。皆さん、見事に招霊していました。
 上の動画は京田辺市に伝承する「大住隼人舞」です。あえて九州のものではなく、京都に伝来したものを紹介しておきましょう。というのは、田辺の月読神社は、能楽の宝生流と深く結びついているからです。ここでまた観阿弥・世阿弥の「ものまね」論とつながります。
 そのあたりについては、またじっくり書きましょう。

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ものまね芸人さんから学ぶ神事

 日はご縁がありまして、ものまね芸人の方々とお話する機会がありました。
 神奈月さん、ホリさん、エハラマサヒロさん、ミラクルひかるさん、みかんさんという、超実力派の大御所の皆さんです。
 いろいろなお話ができて、本当に勉強になったのですが、中でも憑依系(?)であるミラクルさんに私の「ものまね=招霊」説をお伝えできたことは嬉しかった。
 それを脇で聞いていたホリさんが、「そうですよね、ものまねは日本書紀なんかにもそのルーツが書いてある」とおっしゃっておりました。
 そう、「ものまね」という言葉は出てきませんが、記紀に登場する「隼人舞」は、まさに招霊して「ものまね」をする種類の舞です。
 つまり、もともと「ものまね」とは神事であって、だからこそ多くの舞が今でも神社で奉納されているわけです。
 ちみなに記紀の時代から、そのような神事としての「招霊(ものまね)」をする人を「俳優」と呼んでいました。「はいゆう」ではなく「わざをき」と読みます(こちらの記事参照)。
 「わざ」というのは、神霊の力のことです。「ことわざ(諺)」や「わざはひ(災)」の「わざ」もそういう意味です。良い意味でも悪い意味でも、人知を超えた力ということです。
 そして「をき」は「をく」という動詞の連用形。「をく」を漢字で書くと「招く」であり、意味もまんま招くです。ですから、「俳優」も「招霊する者」という意味なんですよね。
 ついでにいいますと、「をかし」という古語の語源は「招く」です。「招きたい」、つまり「常に手元に置いておきたい」、現代風に言いますと、録画しておきたいとか、フィギュアとして所有したいとか、そんなニュアンスです。
 ということは、たとえば俳優さんが物真似をして、それを私たちが「面白おかしい」と思うのは、千数百年前の理屈のとおりだということですね。
 それにしても、超一流のものまね芸人さんの皆さんは、ホントすごすぎました。日本古来の伝統文化を継承する、それこそ神人に見えましたね。心から尊敬いたします。皆さん、見事に招霊していました。
 上の動画は京田辺市に伝承する「大住隼人舞」です。あえて九州のものではなく、京都に伝来したものを紹介しておきましょう。というのは、田辺の月読神社は、能楽の宝生流と深く結びついているからです。ここでまた観阿弥・世阿弥の「ものまね」論とつながります。
 そのあたりについては、またじっくり書きましょう。

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ものまね芸人さんから学ぶ神事

 日はご縁がありまして、ものまね芸人の方々とお話する機会がありました。
 神奈月さん、ホリさん、エハラマサヒロさん、ミラクルひかるさん、みかんさんという、超実力派の大御所の皆さんです。
 いろいろなお話ができて、本当に勉強になったのですが、中でも憑依系(?)であるミラクルさんに私の「ものまね=招霊」説をお伝えできたことは嬉しかった。
 それを脇で聞いていたホリさんが、「そうですよね、ものまねは日本書紀なんかにもそのルーツが書いてある」とおっしゃっておりました。
 そう、「ものまね」という言葉は出てきませんが、記紀に登場する「隼人舞」は、まさに招霊して「ものまね」をする種類の舞です。
 つまり、もともと「ものまね」とは神事であって、だからこそ多くの舞が今でも神社で奉納されているわけです。
 ちみなに記紀の時代から、そのような神事としての「招霊(ものまね)」をする人を「俳優」と呼んでいました。「はいゆう」ではなく「わざをき」と読みます(こちらの記事参照)。
 「わざ」というのは、神霊の力のことです。「ことわざ(諺)」や「わざはひ(災)」の「わざ」もそういう意味です。良い意味でも悪い意味でも、人知を超えた力ということです。
 そして「をき」は「をく」という動詞の連用形。「をく」を漢字で書くと「招く」であり、意味もまんま招くです。ですから、「俳優」も「招霊する者」という意味なんですよね。
 ついでにいいますと、「をかし」という古語の語源は「招く」です。「招きたい」、つまり「常に手元に置いておきたい」、現代風に言いますと、録画しておきたいとか、フィギュアとして所有したいとか、そんなニュアンスです。
 ということは、たとえば俳優さんが物真似をして、それを私たちが「面白おかしい」と思うのは、千数百年前の理屈のとおりだということですね。
 それにしても、超一流のものまね芸人さんの皆さんは、ホントすごすぎました。日本古来の伝統文化を継承する、それこそ神人に見えましたね。心から尊敬いたします。皆さん、見事に招霊していました。
 上の動画は京田辺市に伝承する「大住隼人舞」です。あえて九州のものではなく、京都に伝来したものを紹介しておきましょう。というのは、田辺の月読神社は、能楽の宝生流と深く結びついているからです。ここでまた観阿弥・世阿弥の「ものまね」論とつながります。
 そのあたりについては、またじっくり書きましょう。

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ものまね芸人さんから学ぶ神事

 日はご縁がありまして、ものまね芸人の方々とお話する機会がありました。
 神奈月さん、ホリさん、エハラマサヒロさん、ミラクルひかるさん、みかんさんという、超実力派の大御所の皆さんです。
 いろいろなお話ができて、本当に勉強になったのですが、中でも憑依系(?)であるミラクルさんに私の「ものまね=招霊」説をお伝えできたことは嬉しかった。
 それを脇で聞いていたホリさんが、「そうですよね、ものまねは日本書紀なんかにもそのルーツが書いてある」とおっしゃっておりました。
 そう、「ものまね」という言葉は出てきませんが、記紀に登場する「隼人舞」は、まさに招霊して「ものまね」をする種類の舞です。
 つまり、もともと「ものまね」とは神事であって、だからこそ多くの舞が今でも神社で奉納されているわけです。
 ちみなに記紀の時代から、そのような神事としての「招霊(ものまね)」をする人を「俳優」と呼んでいました。「はいゆう」ではなく「わざをき」と読みます(こちらの記事参照)。
 「わざ」というのは、神霊の力のことです。「ことわざ(諺)」や「わざはひ(災)」の「わざ」もそういう意味です。良い意味でも悪い意味でも、人知を超えた力ということです。
 そして「をき」は「をく」という動詞の連用形。「をく」を漢字で書くと「招く」であり、意味もまんま招くです。ですから、「俳優」も「招霊する者」という意味なんですよね。
 ついでにいいますと、「をかし」という古語の語源は「招く」です。「招きたい」、つまり「常に手元に置いておきたい」、現代風に言いますと、録画しておきたいとか、フィギュアとして所有したいとか、そんなニュアンスです。
 ということは、たとえば俳優さんが物真似をして、それを私たちが「面白おかしい」と思うのは、千数百年前の理屈のとおりだということですね。
 それにしても、超一流のものまね芸人さんの皆さんは、ホントすごすぎました。日本古来の伝統文化を継承する、それこそ神人に見えましたね。心から尊敬いたします。皆さん、見事に招霊していました。
 上の動画は京田辺市に伝承する「大住隼人舞」です。あえて九州のものではなく、京都に伝来したものを紹介しておきましょう。というのは、田辺の月読神社は、能楽の宝生流と深く結びついているからです。ここでまた観阿弥・世阿弥の「ものまね」論とつながります。
 そのあたりについては、またじっくり書きましょう。

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2017.05.16

結縁尊縁随縁

Th_2017051600000074san0002view 日、中曽根康弘元首相の「白寿」を祝う会が開かれたとのこと。
 総理大臣という重責を長期間担ったということだけでも、大変なストレスがあったでしょう。さらに引退後も政治力学の隠然たる中心点の一つとして、多くのご苦労があったと思いますが、このようなご長寿で、さらに健康、聡明でいらっしゃることに対し、純粋に尊敬の念をいだきます。
 今年の憲法記念日に中曽根さん作詞の憲法改正の歌を紹介しました。そこにも書いたとおり、憲法改正に対して、私は中曽根さんとは相容れないところがあるのですが、しかし、まさに白寿に至っても衰えない深い「祈り」の力にも、純粋に心を打たれます。
 そう、この会で中曽根さん自身が「この国をよりよくして未来へとつないでいく。それこそ人生の深い祈りにも似た願いだ。その強い思いを持って、最後のご奉公に励み、自らの天命を全うする所存だ」とおっしゃったんですね。
 「人生の深い祈りにも似た願い」…この言葉は重いですね。そして「未来」「天命」。こうした言葉を、私もついつい格好つけて使ってしまいますが、中曽根さんの半分しか生きていない、それも市井の輩とは、その深みが違いすぎますね。
 さらにいい言葉だなと思ったのは、「結縁尊縁随縁」です。「縁を結び、縁を尊び、縁に随う」…これは私もかなり分かってきました。縁によって生かされているというのは、まあ仏教の教えの根本の一つではありますが、それもまた、百年生きた、いや職業渡世の中で修行された中曽根さんがおっしゃると、やはり理屈ではなく体験の重さ、深さというものを感じさせますね。
 まずは縁を結ぶ。そこにはということもあるでしょう。それらも含めて全てを尊ぶ。結果として、「随う」という他者性(モノ性)に到達する。
 総理大臣をされた方でも百年かかるわけですから、私は最低でも二百年くらい生きないとなあ。それを30そこらで悟ったお釈迦様はやっぱり特別な天才ということにもなるでしょう。
 ところで、あくまでも「自主憲法制定」を志とする中曽根さん、安倍総理のあの「加憲的改正論」に対して、心の中ではどのように評価しているのでしょうか。
 

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2017.05.14

【追悼特番】渡部昇一先生を偲んで (チャンネル桜)

 日は東京でひと仕事。往復の車の中で、この動画の音声を流しておりました。
 番組の中で小堀桂一郎さんや水島総さんらもおっしゃておられましたが、渡部先生は本当に敵を作らない方でした。直接お会いすることは残念ながらありませんでしたが、多くの方から渡部先生のお人柄の素晴らしさについてうかがっておりました。
 そして、もちろん先生のご著書の言葉たちが、そのお人柄を雄弁に語ってくれていましたね。
 そう、左派、リベラルの皆さんからも尊敬されていましたね。文化は政治や思想を凌駕するということでしょうね。
 ご専門の英語学だけでなく、比較文化論、比較文明論…いやいや、そういう範疇にも収まらない、まさに博物誌的な該博さでしたね。そういう方は尊敬されます。憧れますね。
 そして、なんとも純粋なお茶目な面もお持ちだったことが、この番組でよく分かりますね。決して偉ぶらない。愛が深かったのでしょう。
 それにしても、朝日新聞との戦いは壮絶ですね。朝日新聞って、やっぱりああいう役どころなんですよ。異常じゃないないですか、執念が。ヒール。おかげで、渡部さんや小堀さんはいい仕事できたわけですから、結果として。
 そんな辛い体験も含めて、きっと天国で笑い飛ばしておられることと思います。改めてご冥福をお祈りします。
 足元にも及びませんが、できるかぎり、渡部先生のような人間になれるよう、私も精進していきたいと思います。

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2017.05.13

平和を愛する諸国民の公正と信義「に」信頼して

Th_20131129192548b40s 日の憲法改正の記事に関連して、ご質問をいただきましたのでお答えします。ご質問とは、憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」の「に」は日本語として不自然ではないかという内容でした。
 たしかに、「〜に信頼する」という言い方は、私達にはなじみがありませんね。かつて石原慎太郎さんが「おかしい」と言っていましたし、最近では作家の百田尚樹さんや櫻井よしこさんも同様に「間違っている」「美しくない」というようなことを言っておりました。
 これは英語を急いで直訳したためだとも言われますが、ちょっと冷静になってみますと、実は間違いではないということはすぐにわかります。
 すなわち、憲法作成当時、「〜に信頼する」という言い方は「あった」ということです。それも比較的普通に用いられていた。
 つい70年前のことなのに、その後の日本語を取り巻く環境の変化のために、ほとんど忘れ去られてしまったのです。
 今日はあまり専門的に詳しくは書きませんが、とにかくこの「に」をもって、「日本語として間違っている。こんな憲法は改正すべし!」とは言えないということだけは確認しておきたいと思います。
 「〜に信頼する」という言い方の例ですが、日本国語大辞典にも次の文が挙がっています。

歩兵操典〔1928〕第一一四「自己の銃剣に信頼し最後の勝利を求むることに勉むへし」

 軍隊の教本ですから、ちょっと特殊な例かもしれませんね。堅苦しい言い方。実際、戦前戦中の勅令などでは、よく出てくる表現だったようです(こちら参照)。
 かと思うと、実際はそういうわけでもなく、長崎純心大学准教授石井望さんのブログに、一般的な用法がたんと挙げられています。錚々たる書き手たちですね。
 もちろん当時も今と同じように「〜を信頼する」という言い方もしていました。やはりどちらかと言うと「に」は漢文訓読調で硬いイメージがあったかもしれません。庶民の口語としては「を」だったのではないでしょうか。
 それから「に」と「を」という助詞の本質的な意味からして、「に」の方が「を」よりもやや主体性を欠くイメージがあります。「に信頼する」だと「に頼る」、「を信頼する」だと「を信じる」というように。
 あと一つ言うならば、「平和を愛する」のところで「を」を使っているので、続けて「を」は使いたくなかったという心理も働いたかもしれませんね。私たちも文章を書く時、そういうことを気にするじゃないですか。あり得ます。
 たしかに現代の私たちにはなじみがないかもしれませんが、当時としてはそれほど不自然ではなかった。実際、発布当時には「おかしい!」という人がいなかったわけです。
 そう考えると、石原さんや百田さんという日本語を操る専門家、そして誰よりも日本を愛する櫻井さんが、軽々にあのようなことをおっしゃったのは、ちょっとどうかとも思いますね。
 ついでですので、私の感覚としては…蛇足も蛇足ですが…「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」という日本語は、けっこうカッコイイと思います(小さい声で)。
 その意味、内容に関する私の意見は、また改めて書きますね。

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