カテゴリー「歴史・宗教」の1876件の記事

2018.10.20

高城剛 KEYNOTE SPEACH 『30年後の未来へ』(INNOVATION WORLD 2018)

20181022_131745 うそう、この前のイノフェスの高城さんの講演が本当にすごかったんですが、やっぱりあれも「即興」だったそうな。空っぽでその場に立つと、ちゃんと流入してくるらしい。それであれだけ淀みなくしゃべれるんだら、まあ天才ですわ。キース・ジャレットと同レベルですね。
 その基調講演の一部がラジオでオンエアされました。今日はそれを紹介します。全体の3分の1くらいですが、それでもかなり衝撃的な未来像が紹介されていますし、私たちが考えるべき課題も提示されています。
 高城さんは、基本、実際に現場に行って自らの五感(+六感)で確認したこと、あるいは実際に会って聴いて納得した情報以外は信用しません。インターネットの寵児のように思われがちですが、逆に彼はインターネットの情報は信用しません。
 そこに彼の発信する情報の価値の基盤があります。ぜひお聞きください。

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2018.10.18

禅とインプロヴィゼーション

 このところ忙しいと言いつつ、音楽について熱く?語っておりますな。
 今日から二日間、禅宗の教えに基づく教育をしている先生方との交流をいたします。
 禅と言えば不立文字。あるいは以心伝心、教外別伝。つまり、言葉や文字を頼りにしてはいけないというのが基本。
 音楽で言えば、楽譜はダメということですよね。しきたり(為来り)再現をするにしても耳で覚えなければならない。
 では、勝手に即興をやっていいかというと、禅ではそれもダメ。しかし、茶道などもそうですが、型を忠実に再現する中で、生きた人間としての差異、誤差というのが、ある種のその場性になるというのはある。
 それが一期一会であります。
 おとといのキース・ジャレットの彼らしさというのは、ある意味では「型」とも言えます。それがその時、その場という中で微妙な、しかし無限の差異や誤差を生じて、まさに一期一会の音楽となる。
 そうそう、キースも禅に興味を持っているんですよね。京都大好きです。ステージでの最後の礼の時も、必ず合掌しますし。
 また、違う言い方をすると、キースは空っぽになっているとも言える。器としての型はあるけれども、そこに注がれる何ものかは、完全に自由です。
 不変なるコト(型)と流動するモノとの関係性はかくも面白い。それがこの世を作っている(…と私は思っている)。
 キースの演奏で言えば、西洋音楽の理論という制約、そしてピアノという楽器と人間の肉体という制約がコト(型・器)になっていて、そこに時の流れに根ざしたモノが流入して一期一会が成立している。
 キースはある種の瞑想状態で演奏するわけです。間違いなくガンマ波が出ています。私も何度か彼のライヴを鑑賞しましたが、彼の脳波に誘導され、プチ瞑想状態に陥りました。会場全体が波打つのです。量子論的波動の世界ですよ。
 そんな過酷な状況を続けたために、彼は慢性疲労症候群になってしまったこともありました。まあ、あの集中状態はやばいですよ。私なんか、この前たった6分弱の即興演奏をしただけで、ぐったり疲れてしまいました(苦笑)。
 というわけで、今日もまたキース・ジャレットのソロ・コンサートの動画を紹介します。動画からも波動が伝わってきますよね。いったいどういう意識の状態になっているのか、そして、どうやって戻ってくるのか、いつも不思議でしかたありません。


 
 

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2018.10.12

Power FemaleーMother Earth/神聖なる女性

Th_img_2770 人であるマシュー・エリクソンの写真展「Power FemaleーMother Earth/神聖なる女性」。本当に素晴らしい展覧会、いや「天」覧会でした。21世紀のアートが宇宙に発信されました。
 写真の歴史と可能性、絵画との接点と相違点、天地人の調和、女性の神聖…本当にいろいろなことを感じさせてくれる素晴らしい作品群でした。
 僭越ながら、多くの皆様の前で、そこで感じたことを言葉に変換してお話させていただきました。私が私の言葉を弄すれば弄するほど、それはアートから離れていってしまう。まさにアートとは言語を超えた存在であることを知らされました。
Th_img_2793 しかし、あえて引用させていただいた仲小路彰の文章は、そのままアートでしたね。天才の言葉は言葉を超えます。朗読させていただきながら感動してしまいました。
 ただ、トークの寸前に降りてきた「かげ」という言葉は、自分においても大きな発見であり、その「場」を表現するのにふさわしかったかなと思います。
 「かげ」…日本語では、「光」「影」「姿」、そして「おかげさま」という四つの意味がある。それがマシューの作品には全て含まれている…。
Th_img_2765 そして、私のエレクトリック・ヴァイオリンの即興演奏に合わせた、マシューの奥様アムリッタ朝子さんの即興舞の美しさ。それはまさに「女性の神聖」そのものでした。あの奇跡的な「場」で共演させていただき光栄です。
 たしかに世界が変わりつつあります。今日も不思議な出会いがいくつもありました。人と人のご縁は、全てこの地球のためにあり、宇宙に開かれており、神聖なるお役目のためだと思いました。
Th_img_2762 これはトークのお礼にといただいたマシューの作品「クリスタル・ジャズ」です。
 まさに私たちの世界はジャズの名手たちの奏でる音楽のように、自由であり、他者との関係性の中で豊かであり、陰陽があり、色彩がある。
 これからも友人たちと、この地球が平和であるために、できることをしっかりやっていきたいと思います。ありがとうございました。

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2018.10.08

『大宏池会の逆襲』 大下英治 (角川新書)

Th_71pglillrl 倍一強という、自民党として、いや日本として今までになかった状況が続いています。それが良いことなのか、悪いことなのかは、のちに歴史が教えてくれることでしょう。
 そうした現状は「宏池会」の弱体化であるとも言えます。保守本流、穏健ハト派である「宏池会」が、その内部分裂などによって自らの力を弱めてしまったのは事実です。
 そして、だからこそ「大宏池会の逆襲」なのです。歴史は繰り返す。偏りすぎたものは揺り戻す。これは政治の力学だけでなく、宇宙の法則でもあります。
 そう考えると、今の安倍一強というのは、未来のスウィングのためのバックスウィングということになります。
 今年の夏、バックスウィングの当事者の別荘にお招きいただき、そして2021年以降の話をさせていただきました。
 実はもうそういう方向で動いているのです。政治の現場というのはそういうものです。未来的に今動いている。
 岸田さんが昨年「未来戦略研究会」を設立し、この夏に2050年のヴィジョンを発表したのは象徴的でした。
 そこで私が思い出さずにいられないのは仲小路彰のことです。知られざる黒幕ですから、もちろんこの本にも出てきませんが、宏池会の誕生と成長に、間接的であれ仲小路が影響を与えたのは間違いありません。
 仲小路彰は、熊本の五高で、池田勇人、佐藤栄作と同級生でした。そして、彼らよりはるかに成績が良かった。言うまでもなく、池田と佐藤は宏池会と深い関係があります。
 また、山中湖での隠棲(ある意味院政)にあたっては、富士急行創始者の堀内良平やその子孫たちの援助がありました。堀内家も宏池会の歴史のど真ん中に存在しています。
 戦後、仲小路は吉田茂に多くの提言をしています。仲小路の言う「グローバリズム」や「地球平和」、さらに「未来学」、そしてそれらの中における対米政策などが、吉田に大きな影響を与えたことも間違いありません。そして、それが吉田学校を通じて宏池会の精神につながっている。
 この大下さんの著書が表の宏池会史だとすると、私がここに書いていることは裏の宏池会史ということになるかもしれませんね。
 そろそろバックスウィングも折り返し点に至りつつあります。2021年以降、はたしてどんなスウィングが様々な逆境を打ち返すことになるのか。私は非常に楽しみにしているのであります。
 その時代はきっと(また)富士山が鍵を握ることになるでしょう。仲小路が富士山麓に40年間蟄居していたのには、そういう未来的な意味があったのです。

Amazon 大宏池会の逆襲

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2018.10.06

『大正天皇』原武史(朝日文庫)

Th_41uwic3gryl_sy346_ 々大正天皇のお墓参りをしております。なぜか分かりませんが、ふと思い立ってお参りすると、必ずなにか不思議なことが我が身に起きます。
 もともとは出口王仁三郎を通じて大正天皇に興味を持ちました。王仁三郎は一説では有栖川宮熾仁親王のご落胤とも言われております。
 大正天皇は有栖川宮威仁親王を心から信頼し敬慕していました。結果、有栖川宮家は断絶するわけですが、大正天皇はその祭祀をのちの高松宮に託すことになります。
 その高松宮のブレーンだったのが仲小路彰ということで、私の半生におけるキーパーソンは全てリンクすることになります。
 まあ、それはごく個人的なことであって、そこになんの意味があるかはよく分かりません。しかし、その不思議なリンクを考える上で、大正天皇というのはどうしても外せない存在です。
 一般には病弱でちょっと頭も…というとんでもない評価をされてしまっている大正天皇ですが、10年前こちらにも書いたとおり、大正天皇は素晴らしい漢詩人でありました。そこ一つをとっても、とても暗愚の方とは言えません。
 ある意味、時代が強制的に大正天皇を追いやり、まさに暗愚な時代というべき昭和の初期が到来することになります。明治維新150年の今年、大きな流れの中で見ますと、大正天皇は軍事を嫌い平和的世界を切望した方だったことが分かってきます。
 そんな心優しきお人柄をしっかり描写、紹介してくれているのがこの本です。今、考えるべきは、いったい何が、誰が、大正天皇を日本の歴史から追いやったのか、大正天皇が高松宮さまに託した思いはなんだったのか、そして高松宮家も断絶してしまった今、その大正天皇の想起した「国体」はどこにあるのか、ということでありましょう。
 ちなみに大正天皇のお后さま、節子皇后については、同じ原さんの「皇后考」に詳しく書かれています。そちらもおススメです。

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2018.10.05

『オカルト化する日本の教育』 原田実 (ちくま新書)

江戸しぐさと親学にひそむナショナリズム
Th_41oku2eqe5l_sx304_bo1204203200_ 日の話(教育勅語トンデモ本?)ともつながりましょうか。
 実はこの本、6月に読んで記事を書いていたのですが、タイミングをはかっていたら、4ヶ月も経って今日になってしまいました。ということは、今日がベストタイミングなのでしょう。
 今年読んだ本の中では出色の面白さ。勉強にもなりました。
 特に後半、近現代日本の陰謀論とオカルトナショナリズムを概観する部分は最高にエキサイティングでしたね。左右にぶれまくるフィクションの生命力に、我ながら感動してしまいました(笑)。
 我ながら…というのは、もうご存知のとおり、ワタクシはまさにその爆発的エネルギーの中で生きてきた人間です。
 実際、この本に出てくるアヤシイ(?)世界のかなりの部分に、私も直接関わりを持っています。会って(楽しく)話したことがある人ばかり。そういう意味では、原田さんよりもよく分かっている部分があるかもしれません。
 そして、もちろん私も「教育」の中心にいるセンセイです。いちおう教育のプロとして、現場をいやというほど知っています。いい面も悪い面も(圧倒的に後者が多い)。
 では、私はどっち側の人間なのかというと、これがまた自分でも面白くてですね、両方OKな立場なんですよね。右・左、宗教・科学などの対立構造についても、どちらも否定はしませんし、どちらも正解だと思っていない。
 昨日もそんな、ある意味ずるい優等生的なポジション取りをしていましたが(笑)、まあ本当だから仕方ない。
 それが私らしさ、つまり「アヤシサ」そのものであり、また、客観的に見れば、そうして地球人の上に立とうとする、それこそエセ宇宙人のいやらしさでもあるわけですが、これはもう生まれ持った性質なので仕方ないですね。諦めてます。
 さてさて、前半の「江戸しぐさ」については、原田さんの『江戸しぐさの正体–教育をむしばむ偽りの伝統』『江戸しぐさの終焉』を読んで記事を書いております。後者の記事には、原田さんご自身がコメントくださりました。今読むと、たしかに原田さんの言う通りで、さすがに私のモダンチェンバロのたとえは、ちょいと牽強付会という気がします。
 しかし、なんでしょうねえ、どうしても「江戸しぐさ」というフィクションにシンパシーも湧いてしまう。自分にそういう嘘つき、ハッタリ屋の部分があるからでしょう。
 「親学」については、これはTOSS、すなわちワタクシの宿敵である向山洋一氏が関わっているので、これまた複雑な気持ちで読みました(向山洋一氏に対する恨み節はこちら)。
 この4ヶ月の間、ずっと「学校こそ諸悪の根源」という本を書こうと思い準備をしておりました(匿名で書こうと思ってたのにカミングアウトしてしまった!)。しかし、ここに来て、やっぱりやめようと思い始めたのです。それは北欧の教育関係者とのご縁ができ、本当にいろいろな人たちとお互いの教育について対話ができたおかげです。
 お互いに、外から見ると全く違った風景が見えてくる。良いところも悪いところも新たに発見できる。あるいは、善悪が逆転したり、自分の中での教育観の変化に驚くばかりです。
 北欧の方々から見ると、軍国主義的、軍隊文化的な日本の教育は、それ自体がオカルトに見えるでしょう。しかし、一方で理想的、先進的に見える北欧の教育がもたらす社会的な弊害というのも実はあり、それはある意味では、科学的ではない理想主義というオカルトに起因しているとも言えるのでした。
 教育は大切です。だからこそ難しい。正解がないが、迷いながら正解を求めるのが教育なのでしょう。そんな難しさの中には、オカルトが入り込みやすい。新しい(しかし古くからありそうな)特効薬のように見えるからです。そういう意味では、常にオカルトとの戦いであるとも言えるかもしれません。

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2018.10.04

『聖なる約束4 ヤマト人への福音 教育勅語という祈り』 赤塚高仁 (星雲社)

Th_41tdvbirshl_sx337_bo1204203200_ 日はいろいろなお客様が入れ代わり立ち代わりいらっしゃり、合計6時間ほどお話をしました。
 「対話に貴賎なし」がモットーのワタクシといたしましては、大変楽しい一日でした。
 その中のお一人、政治家の方とは「教育勅語」の話になりました。そう、新文科大臣の発言がありましたので、そこからのお話でありました。
 教育勅語が素晴らしいという人と、教育勅語なんかとんでもないという人の溝は埋まりません。なぜなら、論点、評価のステージが全然違うからです。
 私はそのステージを行き来できると自負しておりますので、称賛も批判も両方できるつもりです。
 ただ一つ、直視していなければ教育勅語自身が持つ矛盾もしっかり直視しなければならないと思います。すなわち、教育勅語の眼目である「忠孝」は儒教の教えであり、決して日本古来のもの(国体の精華)ではないということです。
 いや、我が国の国柄は宏遠であり、彼の国の教えをも内包しているのである…なんて言い訳もありえます(いかにも私が言いそう…苦笑)。あるいは、忠孝のルーツは日本であるという言い方もありかな。
 しかし、教育勅語の時代性から考えると、実は単純な構造であって、江戸時代以来の儒教的家族観、友人観の最上位に、天皇への忠義を置いたものにほかなりません。
 そこを基準に論じると、たしかにいいことを言っている部分もあるが、それは別に教育勅語でなくてもいいだろうという、非常に単純な結論に至るわけですね。儒教の教えのエッセンスを紹介したものはほかにもいくらでもあるし、天皇家の素晴らしさを、あるいはあの時代の天皇制の危険を語るものもいくらでもある。
 教育勅語に関しては別にケンカすることはない。どっちも正しいし、どっちも間違っている。原理主義的二元論の罠にはまっているだけです。議論の仕方がいかんのです。
 では、私たち現代人は、教育勅語全体とどう付き合えばいいのか。それ自身が内包する矛盾をどう乗り越えればいいのか。
 というわけで、今日紹介する本は、知り合いである著者御本人からお送りいただいたものです。これは、今述べた二元論的な判断基準によるものではなく、儒教の上に「やまとこころ」を置き、天皇をキリスト(救世主)に見立てるという、全く別次元のお話です。
 これはこれで実に面白いストーリーであり、私は楽しく読ませていただきました。もちろん小馬鹿にしたり、ましてや怒り出したりはしません。21世紀において、そのような読みが可能ならば、それはそれでいいと思います。
 世の中には「教育勅語トンデモ本」というジャンルがあります。この本なんか、その中でもかなり先鋭な存在でしょう。たしかに常識的には「トンデモ」の称号を与えられてしかるべきでしょう。
 しかし、出口王仁三郎や仲小路彰に親しんでいる私としては、こういうトンデモ世界に、世の中の本質が見え隠れしているように思えてならないのです。
 少なくとも不毛なケンカのタネにするよりは、こうして新たな意味を付与する方が、当時の皆さんにも失礼がない…と思います。
 それにしても、著者赤塚さんのピュアな魂と行動力には、本当に頭が下がります。自らのお役目をよく知っていらっしゃる方です。

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2018.10.03

菅野よう子インタビュー

Th_kannoyokointerview01 だ停電が続いていますよ!
 真っ暗なので、音楽を聴きながら寝るしかありません(笑)。あるいはスマホでゆっくり読み物を読んだり。
 今日読んで感動したのがこれ。昨日は天才ユーミンの曲を紹介しましたが、こちらも負けず劣らずの天才ミュージシャンです。作曲家として尊敬している菅野よう子さんのインタビュー。
 菅野さんと言うと、ゲーム音楽や、「花は咲く」で有名ですよね。このブログではどうかなと思って検索してみましたら、おおっありました。なるほど坂本真綾さんか!

坂本真綾 『うちゅうひこうしのうた』

 そこにも書いてますが、菅野よう子さんの楽曲って「職人」を感じさせます。天才というより職人なのかな。いや、天才職人というのが正しいか。
 そんな天才職人が、いかに天才職人であるか、このインタビューを読んでよ〜く分かりましたね。正直、笑いながら読んでしまいました。いや、面白おかしいんじゃなくて、その天才ぶりがぶっ飛んでて楽しくなってしまったのです。

菅野よう子インタビュー

 メロディーやコードではなく、最終的にビートやリズムに逢着したあたり、なにか音楽と宇宙の本質に迫る何かを示唆しているように直観しました。
 最近、作曲家の方とご縁があります。宇宙の波動をダウンロードできる彼らに、ちょっと嫉妬しているワタクシであります。

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2018.10.01

異常気象は人為か天意か

Th_img_2694 日の夜から今日の未明にかけて、台風24号が接近しました。
 当地富士山北麓でも大変な風雨となり、多数の倒木が発生し、長時間にわたって停電しております。
 我が家では、地震、噴火、台風などで被災した時のために、いろいろと防災グッズを準備しておりますので、そこそこ快適な生活を維持しています。
 とはいえ、灯油ボイラーが使えず、結果として風呂に入れない状況です。今日は、とりあえず私と娘は風呂割愛ですが、秋田出身温泉大好きな家内はここぞとばかりに近くの温泉施設でゆっくりしてきたようです。
 近くの携帯電話の基地局も機能しておらず、スマホもポケットWi-Fiも圏外で、インターネットに接続されない状況です。まあ、それでもなんとかなると言えばなりますが。
 今年は豪雨、酷暑、台風など、明らかに異常気象ですね。実は毎年のようにいろいろあるのですが、私たちは喉元すぎれば「暑さ」忘れる存在です。去年のことも覚えていないので、来年になると今年の災害のことも忘れてしまうんでしょうかね。
 さて、先日のイノフェスで高城剛さんが、最近の地球的な異常気象は太陽の活動に起因する「宇宙気候変動」であるという、天文学者の説を紹介していました。なんと、温暖化ではなく「ミニ氷河期」が訪れると。
 私もかねてから、二酸化炭素などの温暖化ガス排出による温暖化よりも、太陽活動による寒冷化の方が勝るのではないか、その日のために、今はなるべく温暖化させておいた方が良い、などと極端なことを言ってきました。
 一方で、標高の高い寒冷地に住んでいることを、短期的人為的な温暖化の中においては「勝ち組」だ、あるいは、2020年東京オリンピックの夏は「冷夏」になって全てがうまくいく、などという無責任な楽観論を言ったりして、温暖化反対派を故意に刺激してきました。まあ、軽い戯れのつもりなんですがね。
 しかし、どうもそれは冗談のレベルではなかったようです。実際に寒冷化が進む可能性が高いとか。
 実際、私が上のような戯言を言ってきたのは、地球レベル、あるいは宇宙レベルと、いわゆる人間レベルとを比べると、圧倒的に前者の方が上位にあると認識しているからです。逆に言うと、良いことにおいても、悪いことにおいても人間がなんでもできると思うのは、それは完全なる思い上がりです。
 日本には宗教がないと言っていいと思いますが、この確信において、おそらく本来の日本人は「神」を共有していたのだと思います。
 言うまでもなく「かみ」は「上」という意味であり、それは「天」そのものを指します。つまり「宇宙」ですね。それを忘れてはいけません。
 そういう意味において、このプチ被災状況をも天意であると受け入れ、ある意味楽しんでいきたいと思います。


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2018.09.28

武久源造さんのシャコンヌ(バッハ)

 日の話につながります。
 武久源造さん編曲の、バッハのシャコンヌがとってもいい。まずは、私の大好きな(実は得意な)クラヴィコードでの演奏をどうぞ。

 言うまでもなく、原曲は無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ。楽器の制約上、演奏できる音はかなり限られます。しかし、だからこそ、そこに「空」が生まれるわけですね。
 特にシャコンヌのような変奏曲の場合、たとえば循環するバスは記憶の中で鳴り続けます。ですから、楽譜上になくとも(つまり実際に発音されなくとも)、そこには存在しているわけです。
 無でもなく有でもない「空(くう)」。そういうことです。
 それを武久さんは見事にダウンロードしてきた。さらに次の動画の解説にあるとおり、その曲の背後の「空」に存在したであろう物語もダウンロードして演奏している。実に面白いですよね。
 フォルテピアノでの素晴らしい演奏です。

 このシャコンヌ、バッハ自身はもちろん、本当に多くの鍵盤奏者が編曲(ダウンロード)して演奏しています。それらはまさに千差万別(レオンハルトやコーネンの編曲も良かった)。「空」ですから「無限」なのです。
 そこがまた「禅」的ですよね。エンプティーだからフルなんです。
 いつかも書いたような気がしますが、「マインドフルネス」が流行っていますけれども、その究極は「マインドエンプティネス」なんですよ。空っぽの器になった時、最も満たされるのです。
 そんなことを、バッハは教えてくれるのでした。特にこのシャコンヌ、本当にすごい曲です。超えようがありません。

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