『仏教は宇宙をどう見たか』 佐々木閑 (化学同人 DOJIN文庫)
アビダルマ仏教の科学的世界観
「時間は未来から過去へと流れている」ということを私もずっと言ってきているわけですが、同様の捉え方をしていた人たちは無数にいます。
特に昔はそういうふうに感じるほうが一般的であったようで、たとえば仏教の倶舎論(アビダルマ)の中にも、未来が向こうからやってきて去っていくというようなことが記述されています(ただし因果関係は過去→未来)。
非常に難解なその倶舎論を、おそらく最大限に優しく易しく語ってくれているのが、佐々木閑先生のこの本ではないでしょうか。
その独特な時間論についても、映写機を比喩としてわかりやすく説明してくれています。
そのおかげさまで、やはりアビダルマの時間観と私の時間観は似て非なるものだなと確認できました。私のトンデモ時間論は全く論理化、言語化できていないので、どう違うかの説明すらできないのですが。ただ、違うことだけはたしか。
いったいいつになったら言語化できるのか。昨日の話ではないが、もしかすると、それは科学者がやってくれのかもしれません(そうだと助かる!)。
そうした、文系と理系のコラボというか、より高い次元での止揚というか、そんなある種の理想世界を体現してくれているのが、京都大学で化学と仏教を学んだ佐々木先生ですね。
佐々木先生の世界観との出会いは14年前。知り合いの和尚様から「犀の角たち」をお借りしたのがきっかけ。それから著書や動画を通じて先生からは本当にいろいろなことを学んでおります。
直接お会いする機会がありそうだったのが3年前。当時の花園大学の学長さんからチベット旅行に誘われた時です。佐々木先生も同行するはずでした。
しかし、その夢のような旅行はコロナで中止。いまだお会いする機会はありませんが、いずれご縁があるでしょう。
それにしても、この世界一わかりやすい「倶舎論」も、やはり難解でした(私の頭では)。
お釈迦様後の仏教論には、どこか行き過ぎた知的遊戯的なところもあって、私のような無明の凡夫はそういう意味で、それってお釈迦様が一番嫌ったことじゃないの!?とツッコミを入れたくなってしまうのでした。
そしてもう一つ思うのは、2500年前の天才の考えに近づこうとするのもいいけれども、この現代にふさわしい新しい哲学や宗教が生まれてもいいのではないかなということです。
そのヒントとなるのが、近過去の天才、出口王仁三郎や仲小路彰の残したモノたちであると思うのです。科学万能となった現代においては、そういう思索が、カルトやスピ扱いされてしまう傾向がありますが、やはりそこを乗り越えていかねばならないと思う今日この頃であります。
少なくとも、お釈迦様や王仁三郎、仲小路が21世紀の今生きていたら、いったいどんな考え方をし、どんな言葉を発するのか、そういう想像力を働かせることは大事でしょうね。
この本に関するこの動画をぜひご覧ください。後半の「ワクチン陰謀論」と「宗教」に関するところも興味深いです。そのとおりだと思いますよ。
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