カテゴリー「歴史・宗教」の1000件の記事

2021.01.20

『「生きる力」としての仏教』 町田宗鳳・上田紀行 (PHP新書)

Th_51v0zndriil 日は仏教についての本を読みました。

 先日お会いし、コロナが落ち着いたら飲みましょうと約束させていただいた町田宗鳳先生と、東工大のリベラルアーツ教育院長にして武内陶子さんのダンナさん(!)である上田紀行先生の、めちゃくちゃ興味深くエキサイティングな対談。

 仏教を「未来を切り開く爆発」と捉えるお二人のトークは、噛み合ったり、ぶつかったりしながら、どんどん熱を帯びていきます。

 そこにはいわゆる暗く静かなイメージとは反対の、明るくまぶしい光を感じました。

 本来、宗教とはそういうものなのではないでしょうか。そして縁起とはそういうものなのではないでしょうか。

 私は「生きる力」という言葉があまり好きではないので、よく「死なない力」という表現をします。

 この対談でキーワードとなっている「エロス」と「タナトス」を総合すると、私は「死なない力」になるように思います(なんとなくですが)。

 「死なない」には「生きる」という意味もあり、また死後も生き続けるという意味もあるからです。

 ですから、もし、もし私がこの二人の対話に割って入るなら、『「死なない力」としての仏教』を放り込みたいと思います。

 私は、見た目だけのエセ坊主ですから、人間界では偉そうなことはとても言えませんが、それでも宇宙人の大先輩としてのお釈迦様の言いたいことがなんとなくわかるのです。なんとなく。

 私も、昨日の出口王仁三郎のように、最後は言葉(コトの端)ではなく、何かモノを作って表現しなければならないのでしょうか。そのためにも、この対談のように、自我のコトを徹底的にぶつけ合っていかねばならないのかもしれません。

 最近もある仏教系大先輩との対話の中で、けちょんけちょんにダメ出しされてますが、これからもいろいろな方と「問答」してみたいですね。それが結局、モノの本質に近づく王道なのかもしれません。つまり、漸近線のごとく絶対に到達できないけれど確実に近づくことができる「マコト」が、そこにあるのでしょう。

「生きる力」としての仏教

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2021.01.19

日本人は何を考えてきたのか…第9回「大本教 民衆は何を求めたのか」 (NHK Eテレ)

 日は出口王仁三郎の命日。王仁三郎は昭和23年1月19日に昇天しました。

 この日にちなんで、NHK Eテレで放送された番組を紹介します。

 NHKが一宗教団体、それも新興宗教団体を取り上げるのは珍しいですよね。90分にわたる実に濃厚な内容の番組になっています。

 当時北海道大学の准教授だった中島岳志さんをナビゲーターに、東大の島薗進さん、一橋の安丸良夫さん、京大の上田正昭さん、関西学院の對馬路人さんという錚々たる宗教学者、歴史学者の皆さんが、出口なおについて、出口王仁三郎について、大本について語っています。

 いかに大本が民衆宗教の枠を超えて、当時の政治、経済、軍事、思想などに影響を与えたかがよく分かりますね。もちろん、時代的な功罪はあったにせよ、とんでもないスケールで人々を動かしていたのは事実であり、特に王仁三郎を無視して当時の歴史は語れないでしょう。

 いずれ、大河ドラマで王仁三郎の一代記を作ってもらいたいですね。あまりにドラマチックでエキセントリック、センセーショナルでインターナショナル、そしてスピリチュアルな人生ですから。一本の映画ではとても表現しきれません。

 この番組でも最後に紹介される王仁三郎の耀わん。そして、発見されたという、なおの糸車。まさに言葉にできない未来への祈りが、そこに感じられますね。

 

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2021.01.17

今こそ!俺たちの東京スポーツ最強伝説

Th_ermsq_dvcaafy9w548x365 近、ウチの女子3人がK-POPアイドルにキャーキャー言って幸福感を味わっているようで、なんとも羨ましいなあ、男にはこういう世界はないなあ…と思っていたら、ありました(笑)。

 今日新宿ロフトプラスワンで行われたイベント「今こそ!俺たちの東京スポーツ最強伝説」が、実に萌え燃えでした。

 うん、やっぱりこういう世界が好きだし、めちゃくちゃ自分の人生に影響を与えているのだなあと思った次第です。東スポとムーね(笑)。

 まあ、こういう世界観を受け入れられるか、あるいは楽しめるか、あるいははなから無視したり、馬鹿にしたりするかで、人生の豊かさは大きく変わってくることでしょう。

 プロレス、野球、芸能、競馬、性風俗、カッパ、UFO、宇宙人、そして1面タイトル名作集…討論メンバー、ゲストの皆さんの話が抱腹絶倒すぎて、久しぶりに酸欠になってしまいました。ホント男のロマンはここにあり!っていう感じでしたね。女に負けていられるかと(笑)。

 たしかに現在のSNSのフェイクとファクトの按配、そして炎上商法など、ずいぶん昔からやっていたんですよね、東スポさんは。

 これはもう完全に「文化」です。東スポ博物館とか出来たら、ぜったい世界中から人が集まりますよ。ぜひ、あえて「東京」ではなく「富士山」に造ってもらいたい。

 1600円払って、これだけ楽しめるのであれば、めちゃくちゃ安上がりです。とりあえず2回観ました。次は多少オヤジ臭のするウチのカミさんと一緒に楽しもうと思います。

 ということは、カミさんは男女両方の萌え燃えを楽しんでいるということか。最強だな。

 今こそ!俺たちの東スポ最強伝説

 東スポWeb

 

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2021.01.16

『江戸の妖怪革命』 香川雅信 (角川ソフィア文庫)

Th_51uuenykcdl_sx353_bo1204203200_ あ、昨日「特攻」と書いた共通テストが始まりました。ウチの次女はしっかり玉砕して帰ってきました(苦笑)。

 センター試験時代はよく問題評(批判)をやっていましたが、直接の現場を離れてしまった今、そこまでの根性がありません。ただ、いちおう全部は解いてみました。

 記述式が採用されなかった点も含めて、基本的な構造はセンター試験、いやその前の共通一次試験と何ら変りはありませんが、設問にはそれらしく今風なものも散見されました。

 文章として興味深かった(すなわち高校生も取り組みやすかった)のは、第1問評論の香川雅信さんの「江戸の妖怪革命」の序章でしょう。こちらでぜひお読みください。

 ワタクシの「モノ・コト論」とは少し違う解釈ですが、共通している部分も多かった。

 近世中期から妖怪のフィクション化(キャラクター化)が始まり、実は近代になって再び中世的なリアリズムを取り戻したというのは、よく分かります。

 近代は心霊の時代、現代はスピリチュアルの時代ですからね。私もどっぷりそこに浸かっている。そして、その中心には「私」がいるというのが面白い。

 この本の全編を読んだわけではありませんから、細かいことは分かりませんが、おそらく現代日本の妖怪ウォッチやポケモン、そして鬼滅の刃につながっているような論考になっているのではないかと推測されます。

 私は独自の「モノ・コト論」から、「もののけ」のモノ(無意識・不随意・他者)と「ことば」のコト(意識・随意・自己)を対比させて、妖怪の変遷を捉えており、もののけがいくらキャラ化して(名付けられ、デザインされ、図鑑化されて)愛すべきコトになっても、膨大無限なモノ世界からどんどん「わからないモノ」は供給されて、言葉にはならない「モノ」の気配たる「もののけ」がなくなることはないと考えています。

 新型コロナウイルスもそういう「もののけ」の一つとして健在であり、こうして共通テストという型にはまったコト世界を見事に揺さぶっているのでした。

 そして、香川さんの言うように、そんな「もののけ」を退治することができず、対峙するしかない私たちもまた、「私」に潜む新たな、しかし実は昔からずっと同居している「妖怪」と対峙せざるをえなくなっているわけです。

 さあ、いつになったら、私たちは新型コロナを因果理解の中でコントロールすることができるようになるのでしょうか。しばらく妖怪の跳梁跋扈は続きそうな予感がします。

Amazon 江戸の妖怪革命

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2021.01.15

『聖断 天皇と鈴木貫太郎』 半藤一利 (文春文庫)

Th_51qrnjotobl_sy346_ 藤一利さんが亡くなりました。残念です。

 半藤さんにも仲小路彰の残した文書群を見てほしかった。間に合いませんでした。

 半藤さんの本の中で、特に印象に残っているのは、この「聖断」です。

 二・二六事件の安藤輝三の霊に関わってから、私たち夫婦は鈴木貫太郎に対する格別な思い入れを抱くようになりました。

 その鈴木の人柄をこれほど的確に表現した作品はありません。的確ではありますが、実に淡々としている。いわば文学的に表現しているのです。

 そして、その鈴木を照らす天皇の威光、いや鈴木に照らされる昭和天皇の苦悩。

 日本の運命には、やはり神がかった何かがありました。

 たとえば、「聖断」の背後には、やはり安藤輝三の思いもあったことでしょう。

 そうした裏ストーリーを知ってしまってから読むこの本には、別格の感動があります。

 さらに言えば、この本にも重要なポイントで登場する高松宮。その裏に仲小路彰があったわけです。

Th_unknown_20210116143201 終戦へ向けての対ソ政策については、この本だけでなく一般には、近衛文麿に白羽の矢が立ったごとく語られていますが、その裏では、高松宮を特使とする別計画が練られていました。

 すなわち、仲小路のグループは、戦前から近衛が左翼勢力やユダヤ国際金融資本と結んでいて、日本を世界大戦に巻き込ませたことを察知していたので、終戦にあたって再び近衛に「活躍」させることはなんとしても避けたかったのです。

 そのへんの裏事情を知ってから、またこの本を読むと実に興味深い。スリルと言っては不謹慎ですが、ものすごい緊張感の数カ月間ですね。

 さて、半藤さんは昭和史の反省からの教訓として、次の五つを挙げています。

 ①国民的熱狂をつくってはいけない。そのためにも言論の自由・出版の自由こそが生命である。
 ②最大の危機において日本人は抽象的な観念論を好む。それを警戒せよ。すなわちリアリズムに徹せよ。
 ③日本型タコツボにおけるエリート小集団主義(例・旧日本陸軍参謀本部作戦課)の弊害を常に心せよ。
 ④国際的常識の欠如に絶えず気を配るべし。
 ⑤すぐに成果を求める短兵急な発想をやめよ。ロングレンジのものの見方を心がけよ。

 明日から共通テストが始まります。コロナ禍の中でありながら、教育現場はほとんど総特攻の状況です。若者の命よりも予定通り戦うことを優先しています。

 私は昨年からずっと大学のみ9月入学を訴えてきました。コロナなくともこの厳寒期に人生を決する試験を行なうべきではないということです。

 日本はいまだ変わらない。変われない。残念であり、恐ろしいことです。

 半藤さんの遺言をしかと胸に刻み、そんな旧弊と戦っていかねばなりませんね。

Amazon 聖断

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2021.01.14

『芸術は宗教の母なり~耀盌に見る王仁三郎の世界~』 (出口飛鳥)

 

 口王仁三郎ネタが続きます。

 王仁三郎の残した「耀わん」の数々。その魅力と威力を、もしかすると世界で最も実感しているのが私かもしれません。

 また、私なりの解釈ですが「芸術は宗教の母」という王仁三郎の名言についても、ある程度理解しているつもりです。

 しかし、これはあくまでも「かも」「つもり」であって、まだまだ学び、気づくべきことはたくさんあります。無限でしょう。

 この出口飛鳥さんの講義を聴いて、ますますそんな気持ちになりました。それこそ、思い込みや勘違いもあります。日々更新されることこそが、生命ある芸術や宗教のあり方なのではないでしょうか。

 思い込みやドグマは過去へのこだわりでしかありません。それは「死」を意味します。未来から流れてくるメッセージを常に受け取ることが生きること。そのためには、自分を「うつわ(空輪)」にしておかねばなりません。過去の情報は水に流しましょう。

 それにしても、いいお話です。ぜひ一度、ゆったりと耀わんの世界に浸ってみてください。そして、亀岡のギャラリーおほもとへ足を運んでみてください(緊急事態宣言のため一時観覧停止になるようですが)。3月31日までです。

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2021.01.13

神俗もまた不二一如 (出口王仁三郎)

Th_0432 日の続きとなります。

 善悪や正邪が不二であるとはよくわかりました。王仁三郎はさらに神俗も究極的には一如であること語ってくれます。

 これは私たち凡夫にとっては、非常なる救いとなる言葉です。普通の宗教者は、我欲を捨てろと言います。それが第一歩かのように言います。

 しかし、王仁三郎は違う。スケールの違いだと言うのです。自我の宇宙的拡大。私はこの言葉に救われました。そして、今も救われています。

 自分の延長線上に神がいる。そういう意味では私たちは「神の子」「子どもの神」であって、そのまま成長すれば(スケールを拡大すれば)神になれるという自信、安心。

 昨日の「回顧録」の続き、少し中を飛ばして「顕幽一致」のラストの部分をお読みください。

 禁欲主義はいけぬ。恋愛は神聖であると謂って、而も之を自然主義的、本能的で、即ち自己と同大程度に決行し、満足せんとするのが凡夫である。之を拡充して、宇宙大に実行するのが神である。

 神は三千世界の衆生は、皆わが子となし、一切の衆生を済度せんとするための、大欲望があるのである。凡俗は我が妻子眷属のみを愛し、少しも他を顧みないのみならず、自己のみが満足し、他を知らざるの小貪欲を欲にするものである。人の身魂そのものは、本来は神である。故に宇宙大に活動し得べき、天賦的本能を具備して居る。夫で此の天賦の本質なる、智、愛、勇、親を開発し、実現するのが、人生の本分である。之を善悪の標準論より見れば、自我実現主義とでも言うべきものである。吾人の善悪両様の動作が、社会人類の為め済度の為めに、其儘賞罰二面の大威力、大活動を呈するように成るものである。此の大なる威力と、活動とが、即ち神である。所謂自我の宇宙的拡大である。

 孰れにしても、此の分段生死の肉身、有漏雑染の識心を捨てず、又苦穢濁悪不公平なる現社会に離れずして、悉く之を美化し、楽化し、天国浄土を眼前に実現せしむるのが、皇道大本の成神観であって、また一大眼目とする所である。

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2021.01.12

善悪不二・正邪一如 (出口王仁三郎)

Th_unknown_20210113111801 日の「ジョーカー」にも書きましたが、何が善で何が悪かという問いに答えはありません。

 全ての争いごとにおいて、こちらの善はあちらの悪です。また、あの時の善が今の悪であったりするのも歴史の必然。正邪もまた同じ。

 それを悟ることが宗教や哲学の目的であるはずなのですが、それまた逆転してしまって、自らを正善、他者を邪悪と決めつけることに終始してしまっている。

 そのような誤りを正すために、近代に現れた聖者である出口王仁三郎が、こんな文章を残しています。

 「霊界物語」の第一巻第二篇第十二章「顕幽一致」からの抜粋です。

 実はこの文章を含む、霊界物語の冒頭部分は、第一次大本事件の直前に書かれた「回顧録」をそのまま使用する予定だったのですが、当時の幹部たちのご都合(善悪正邪判断)によって削除、あるいは改竄されてしまったいわくつきのものです。

 もう21世紀になって久しいわけですから、そのような当時の(今でも続いている)善悪、正邪を乗り越えるためにも、しっかり読んでおきたいですね。

 今日はあえて「回顧録」に従って引用しておきます。当時の時勢から「霊界物語」では削除された部分もあります。

 (「回顧録」第十二章より抜粋)

 凡て宇宙の一切は、顕幽一致、善悪一如にして、絶対の善も絶対の悪も無い。従って又、絶対の極楽も無ければ、絶対の苦艱も無いと謂って良いのである。歓楽の内に艱苦があり、艱苦の内に歓楽の在るものである。故に根の国、底の国に堕ちて、無限の苦悩を受けるのは、要するに、自己の身魂より、産出したる報いである。亦顕界の者の霊魂が、常に霊界に通じ、霊界からは、常に顕界と交通を保ち、幾百千万年と雖も、易ることは無いのである。『神諭』に示されたる如く、天国も地獄も皆自己の身魂より顕出するのである。故に世の中には、悲観を離れた楽観は無く、罪悪と別立したる、真善美も無いのである。苦痛を除いては、真の快楽は求めらるゝものでない。又凡夫の他に、神はない。言を換えて曰ば、善悪不二にして、正邪一如である。佛典に曰う「煩悩即菩提。生死即涅槃。娑婆即浄土。佛凡本来不二」である。神の道から謂えば「神俗本来不二」が真理である。

 佛の大慈悲と云うも、神の道の恵み幸わいと云うも、凡夫の欲望と云うのも、其の本質に於ては、大した変りは無いのである。凡俗の持てる性質その儘が、神であると謂って良い。神の持って居らるゝ性質の全体が、皆悉く凡俗に備わって居ると謂って良いのである。

 天国浄土と、社会娑婆とは、其の本質に於て、毫末の差異も無いのである。斯の如く本質に於ては、全然同一のものでありながら、何故に神俗、浄穢、正邪、善悪が分るゝので在ろうか。要するに此の本然の性質を、充分に発揮して、適当なる活動をすると、せぬとの程度に対して、附したる仮定的の、符号に過ぎないのである。

 善悪と謂うものは、決して一定不変のものでは無く、時と処と位置とに因て、善も悪と成り、悪も善と成る事がある。人を殺すのは悪に相違ないが、一朝宣戦の詔勅が降って、勇士が戦場に出て敵を殺傷しても、是を以て大悪と云う事は出来ない。寧ろ軍功者として賞賛されるようなものである。

(後略)

 

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2021.01.10

絹糸ヴァイオリン(ヴィオラ)

Th_img_7293 急事態宣言がなければ、今日は東京にて演奏をする予定でした。

 先日お会いした、日本を代表する生田流箏曲家、安藤政輝さんとのコラボ。新春ということもあり、宮城道雄の「春の海」を共演するはずだったのですが、残念ながら私は行けませんでした。

 昨年末、安藤先生に初めてお会いした時の記事はこちら

 そこには「シルクとガットの共演」のようことを書きましたが、実は今回は「シルクとシルク&ガット」の共演になる予定だったのです。

 というのは、前回お会いした時に、お琴の絹糸や三味線の絹糸を何本かいただきまして、それを翌日のモーツァルトの演奏が終了してすぐに、私の5弦なんちゃってバロック・ヴィオラに張ってみたのです。

Th_img_7294 お琴の絹弦はD線にぴったり。さらに三味線の二の糸がA線にぴったり。そしてヴァイオリンのE線にあたる5弦目は三の糸を。これはちょっと細すぎ。二の糸を張ってみましたが、さすがにEまでは上げられず(切れませんが)C止まり(ちなみに写真の5弦は三味線三の糸)。

 ということで、本番はC線とG線はガット、D線とA線、そして5弦目Cはシルクというハイブリッド・スコルダトゥーラで調弦して臨む予定だったのです。

 で、肝心の音ですが、これが素晴らしい!びっくりしました。今回はお琴と三味線の弦を適当に代用したので、ややテンションが足りず、音量はガットの8割くらいまで下がってしまいますが、その音質、倍音の豊かな音色は予想以上に美しい。お聞かせできないのが残念です。

 知り合いの琴糸職人さんが、これからヴァイオリン属やヴィオール属のために試作品をたくさん作ってくれるということなので、いずれ「シルク・オーケストラ」や「シルク・コンソート」を実現してみようと思います。

 演奏側としての心配として、より糸は弓で弾きにくいのではないかということがありましたが、これは杞憂でした。裸ガットを弾き慣れている人にとってはなんの問題もないでしょう。

 かつて戦前ヴァイオリンがブームになった時、なかなか弦が手に入らず、多くの演歌師たちが三味線の弦を代用したという話をどこかで聞きましたが、なるほど可能性ふつうにありますね。やってみてよくわかった。

 そしてその音がこんなに素晴らしいとは。現代のヴァイオリン属や、その集合体であるオーケストラの音って、正直どうなの?と思ってしまいます。戦前まではウィーン・フィルもベルリン・フィルも裸のガット張ってたみたいですし、もしかすると、日本にはシルク・オーケストラがあったかもしれない?

 このプロジェクト、これからの展開が楽しみです。宮城道雄という東西の音楽を結んだ天才の作品もまた、ここで新しい魅力を発揮するかもしれません。なにしろ、今普通の演奏は、ナイロン弦の箏と金属弦のヴァイオリンによるものなのですから。

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2021.01.06

日本列島は今後どうなるのか?

 

 から109年前の今日、ウェゲナーが大陸移動説を発表しました。大地が動くなどということは、それまでの人間の頭では考えられないことでしたから、当然最初は受け入れられませんでした。

 しかし、ウェゲナーの死後、様々な証拠や大陸を動かす原動力の正体が明らかになり、大陸移動説は今や教科書に載る常識となったのです。

 その過程に松山基範の磁場反転説の存在があることは、日本人にとって誇りとすべきことですね。松山基範はお坊さんにして能楽師、そして、地球物理学者。昔の人はユニークでしたね。

 さて、そんな大陸移動説は、もちろん大昔の話ではありません。今もリアルタイムで移動中です。では、今後の日本列島はどうなっていくのか。そんな動画もありましたので、見てみましょう。

 

 

 あらら、また日本は大陸に吸収されてしまうのですね。案外近い将来、まずは朝鮮半島が我が領土になり(笑)、そして中国に併合される(涙)。そして、オーストラリアとも合体。

 なんだか、こういう地球的スケールで見ますと、領土問題とかどうでも良くなりますね。なんだかセコいことで争ってるなと。

 コロナでうんざりすることの多いこのところ、たまにはこういうスケールで自分たちを眺めてみるのもいいのではないでしょうか。

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