カテゴリー「歴史・宗教」の1898件の記事

2018.12.10

窮して変じ、変じて通ず。

20181211_160534 このところ、重い案件に関わってきました。疲れていないといえばウソになりますが、いろいろな気づきをいただいたという意味では、悪いことばかりではありませんでした。
 そう、「重い」による想定外のモノがいくつかあったのです。
 まず家内の方の親族に不幸がありました。とはいえ、結果としては大往生であり、語弊をおそれず言うなら、ある意味とても幸福な時間を提供してくれた。
 それから、まるでこちらのストレスを肩代わりしてくれたかのように、冷蔵庫とボイラーが故障しました。しかし、それもいつの間にか直っていた。不思議としか言いようがありません。
 あと、「重い」とバランスを取るためか、「軽い」ことに関して、自分の才能が爆発しました(笑)。普段では絶対にできない作品がポンポン生まれる。びっくりしました。
 そして、なんと言っても、自分が信じてきたことが生かされた、というか、生きていたのだなと実感できたことが大きかった。
 人間、やはり窮しないと変じないものなのですね。変ずるというか、生まれるというか。内在していたモノが生まれる。そして、変ずると通ず。
 結果論的に言うならば、「窮すると通ずる」ということです。困ると結果として何かが通じる。滞っていたコトに穴があき、新しいモノが噴出したり見えたりする。
 「窮して変じ、変じて通ず」とは、美濃は伊深の正眼寺元住職、昭和の名僧梶浦逸外老師の言葉です。こちらにも書きましたとおり、川上哲治さんもこの言葉を老師から聞かされたと言います。
 そう考えると、窮することも悪いことではないと。逆に窮している時こそチャンスだとも言えます。おそらく自分が変ずるチャンスでもありましょうし、自分を取り巻く環境が変ずるチャンスでもあるのでしょう。
 よく私も言うのですが、「今日はいろいろと平穏無事に終わった」ということは、昨日の自分と何ら変わっていない、成長していない証なので喜ぶべきことではないのです。
 「今日は大変だったなあ。なんとか乗り切った」という日こそ、昨日と違う自分になっているのです。
 そうしますと、いろいろなモノに感謝できます。このたびも本当にいろいろな方々に感謝しております。

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2018.12.03

【討論】グローバリズムは衰退したのか?

 みません、お騒がせしております。とっても忙しい状況です。家に帰ると疲れ果てて眠ってしまうという感じです。寝ながら半分聞いていたのがこの討論。
 夢の中でなんとなく理解しているから、それはそれで怖いかも。
 いつも書いているように、ここで言われる「グローバリズム」と、仲小路彰の「グローバリズム」は似て非なるもの…いやいや、名前は同じですが中身は全く違います。そこについても、いつかちゃんと発信しなくては。近い未来に実現すると思います。
 夢見半分で気がついたのは、マネーのためにテクノロジーが進歩しているわけではなく、テクノロジーの進歩の上にマネーがあとから乗っかって流通しているということですね。
 ですから、はじめからグローバル経済があったわけでもなく、たとえばインターネットなんかも、それを想定して設計されたわけではない。
 だから、ある意味ではマネーは弱いんですよ。ウイルスみたいなもの。本体がなくなれば全く機能せず死ぬのです。
 それで?だからなんなの?ですが、夢の中で一つの答えを得たような気がしました。ここからの展開はまたいつかまとめて書きます。とにかく眠い。
 まあ、間違ったグローバリズムが衰退して、本来の日本発本当のグローバリズムが勃興してくるといいですね。なにしろ本物は今、国譲りの作法によって雌伏の時を過ごしているからです。雄飛の時は近い!?

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2018.12.02

権代敦彦作曲『子守歌』

Th__20181203_161534 NHKFMで聴きました。心震えるとはこういうことですね。
 附属池田小事件がきっかけで作られた曲。古典的な宗教音楽の要素もありつつ、語りと音楽の微妙な、いや壮絶なぶつかり合いと調和が、なんともすごい(ボキャブラリーを奪われる)。
 この曲のこの演奏にまつわるストーリー「レクイエムに心を動かされ・・・
“附属池田小事件”から生まれた『子守歌』」をこちらで見ることができます(10/23付の動画です〉。
 今回この放送を教えてくれたのは、先日のウリッセの帰還の時にもお会いした古楽仲間です。ウリッセでも波多野睦美さんが素晴らしい歌唱を聞かせてくれましたが、こちらの「子守歌」でも、大変清澄な、まさにこの子守歌にふさわしい天上の声を降ろしてくれました。
 そして、作曲者の権代敦彦さんとは、先日京都男二人旅をさせていただきました。あらためて、とんでもない天才とマニアックな旅をさせていただいたものだと再認識させられました。いやあ、彼は天才です。そして、今、そんな権代さんに新曲を依頼しているところでもあるのです。
 神奈川フィルハーモニー管弦楽団には知り合いも何人かいることもあり、作曲家、歌手、演奏家すべてとご縁がある特別な演奏でもありました。
 音楽が結ぶご縁は、この地上界の関係を超えています。高次元のご縁に動かされる毎日。ありがたいかぎりです。
 

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2018.11.28

垈(ぬた)〜「のたうつ」の語源

Unknown 梨県民なら読めなくてはいけない漢字「垈」。逆に言うと、山梨県民以外はほとんど誰も読めない漢字ですし、もしかすると子どもまで含めれば、山梨県民でも読めない方の方が多いかも。
 長らくパソコンの世界では「幽霊文字」と言われていたこの字。一般的な漢和辞典には載っていないこともあって、いったいなんと読むのか、どこで使うのかと物議を醸していました。
 実際、この字が使われているは山梨県だけなんですね。
 ちなみに私も大学時代に山梨県に来て、初めてこの字を見て、そして読み方を覚えました。そう、ドライブ中に出会ったんですね、この字に。そして、ローマ字標記で読み方を知ったのだと思います。
 その後、山梨県内で複数の場所でこの字を見かたので、一般的な漢字なのかと思っていました。たまたま今まで出会わなかっただけで、全国的に使われているのだと思った。
 山梨には、たとえばこのような地名があります。

大垈(甲斐市、身延町)、垈(市川三郷町)、砂垈(富士川町)、藤垈(笛吹市)、相垈(韮崎市)

Th_unknown1 私が初めて出会ったのは「藤垈」です。有名な藤垈の滝があります。ずばり「垈」という地名は、四尾連湖の近く。
 「ぬた」というのは「沼田」、すなわち湿地という意味で間違いないとは思いますが、よりリアルなのは、「猪の寝床」という意味です。我が家の近くでも、山に入りますと、ああここは猪の寝床だなと思われる泥だまりがあります。それを地元では「ぬた」と呼んでいます。
 平安時代の和歌に次のようなものがあります。

君こふとゐのかる藻よりね覚してあみけるぬたにやつれてぞみる

 ここでは、猪が泥の上に草を敷いて寝るように、恋しい人のことを思って悶え憔悴する様子を、「ぬた」という言葉を使って表現しています。まさにドロドロした感情ですね。
 ちなみに山梨県大月市に「黒野田(くろのだ)」という地名があります。甲州街道の宿場町でしたが、かつては「黒奴田」と標記していたことがあるのを見ると、これも元は「くろぬた」であった可能性が高いと思います。いかにも猪のいそうな山に囲まれています。
 また、富士山の東側、御殿場に「柴怒田」という地名があります。なんと読むかといいますと、「しばんた」。これも「しばぬた」であったと思われます。
 これらは「奴」という漢字を嫌った結果ですね。
 ああそうそう、「のたうつ」っていう言葉があるじゃないですか。「のたうち回る」とか。これって、もともと「ぬたうつ」だったんですよ。
 猪が、体温を下げるため、あるいは虫を払うために、草や泥に激しく体をこすりつける動作です。まさに「のたうち回る」のです。

 猪のこういう行為を「ぬたを打つ」と言います。そこから「ぬたうつ」→「のたうつ」という動詞が生まれ、「のたうち回る」になったというわけです。
 あっちこっち行ったり来たり申し訳ないのですが、平安時代にこういう和歌もあります。

恋をしてふす猪の床はまどろまでぬたうちさますよはのねざめよ

 恋に身悶えることを、猪の「ぬたうち」になぞらえる習慣があったのですね。
 それにしても、なぜ山梨だけ「ぬた」に「垈」の漢字を当てたのか。これは不思議です。この漢字、韓国では使わているのだとか。「垈地」は「敷地」という意味だそうです。泥のイメージはない。
 もしかすると、かつて朝鮮系渡来人が巨摩郡に移住してきた際、この漢字を持ち込んだのかもしれませんね。証拠はありませんが、そのくらいしか理由が考えられません。

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2018.11.22

御札(ふだ)とお札(さつ)

Th_149dd5 都の旅でも両方に出会いました。というか、お札で御札を買ってる人をたくさん見かけました(笑)。
 と書いてみて、なるほど「御札」は「おふだ」、「お札」は「おさつ」ですね。
 「札」という漢字はもともと単に「木片」を表す字です。すなわち「さつ」は木片ということです。
 木片にはよく字が書かれます。紙がない時代は木片に書きました。木簡とか。
 で、文字を書いたので、「文板(ふみいた)」と言われ、それがなまって「ふだ」となりました。
 大昔は文字も神聖なものでしたから、文字の書かれた木片、すなわち「ふだ」も神聖なものとされました。それが「御札」となって現代でも神聖なものとして扱われているわけです。
 「お札」の方はどうでしょう。今では「紙幣」のことを「さつ」と言いますが、最も古くは「手紙」や「書状」のことを「さつ」と言いました。
 兌換紙幣が登場するのは江戸時代でしょうか。金札とか銀札とか米札とか。その頃から「さつ」が「紙幣」を表すようになったようです。
 その頃にはすでに貨幣経済が一般化し、庶民にとっても「おカネ」は重要なものとなっていました。ある意味神仏よりもありがたいものになってきたんですね。
 そういう意味では、「御札」よりも「お札」がありだかい時代になったとも言える。皆さんはどうですか。「御札」と「お札」、どっちがほしいですか(笑)。
 最初に書いたように、「お札」で「御札」を買うわけですから、そこでは「御札」の方が「お札」よりも価値が高いということになりますよね。
 しかし、それは神社仏閣という非日常空間の話であって、日常的には「御札」よりも「お札」をもらった方が嬉しいでしょう。「御札」の束より「札束」の方がいい!?
 つまり、よく言われるようにですね、おカネ(マネー)が現代の神になったのです。紙が神になるのは、「御札」の時代からあったけれども、現代では仮想通貨のように紙すらない。
 データが神になったというのは、実は昔に戻ったとも言える。そう、もともと神は実体のないモノだったのです。神像ができたのは仏像の影響です。
 ちなみに「マネー」の語源は「モンスター」の語源と重なり、それは「モノノケ」の「モノ」とも重なってきます。面白いですね。
 「マネー」という「モノ(霊)」が世界に広がり、ある意味一神教による征服が完成しつつあります。そうなった時、王仁三郎が喝破した「一神即多神即汎神」が実現するのかもしれません。
 「御札」も「お札」もなくなる日。それが「みろくの世」が到来する日なのかもしれませんね。そういう予感がします。
 そうそう、ちょっと違う視点ではありますが、「御札」と「お札」についてホリエモンがいいこと言ってます。ぜひお読みください

堀江貴文さんが語る「みんな『お金』のことを勘違いしていないか?」

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2018.11.21

田中英道 『日本らしさの基礎を築いた聖徳太子(その7)』

 リーズ最後。なるほど、「遣隋使」「遣唐使」と対等に「遣日使」を想定すべきか。たしかに鑑真はなぜ命懸けで日本に来たのか。なぜ帰化人がこんなに多いのか。渡来人ではなく帰化人ですよ。
 学校の歴史学習においては、とにかく日本は中国から学んだと教わります。しかし冷静に見れば、その逆もあったはず。
 そう言えば、今、百田尚樹さんの「日本国紀」が大変な騒ぎを巻き起こしていますね。読まなくてもだいたい内容が予想される、すなわち、保守派の語る歴史というのはパターン化していて、私もそれをいやというほど読んできたのです。
 それを一つまとめたことに関しては、まあ百田さんの一つの功績だと思いますよ。また、ぜったいに毀誉褒貶があることは予想されたわけですから、さすが幻冬舎さんの商売はうまいということでしょう。
 まあ歴史というのは元来解釈する立場によってその景色が違うのは当たり前です。なにしろ、その時代時代にも、ほとんど無限の多様性を持つ人々が生きていたわけですから。
 それを十把一絡げにして「正解」を得ようというのですから、それは全て「でっちあげ」「捏造」「パクリ」になりますよ。ですから、議論することは意味ありと言えども、それによって勝敗を決しようとするのは、それこそ戦争の歴史に学ばないバカということになるでしょう。
 

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2018.11.20

田中英道 『日本らしさの基礎を築いた聖徳太子(その6)』

 日は京都花園にて仕事を終えたあと、ゆっくり太秦まで「太子道」を歩きました。ちょうどこの動画の内容とリンクしますね。偶然にしてはよくできすぎている。
 途中蚕の社の三柱鳥居を見たりしながら、太子と秦氏に思いを馳せ、キリスト教ネストリウス派のこともふと思い浮かべられました。そして最後は、中学校の修学旅行以来、すなわち40年ぶりに廣隆寺を参拝しました。
 言うまでもなく、聖徳太子ゆかりの寺。弥勒菩薩、半跏思惟像のあるお寺です。中宮寺の弥勒菩薩さまにはここのところ毎年お会いしていましたが、こちらはそれこそ40年ぶりでした。なんともお美しい。向かって左に少し傾いていらっしゃるのが不思議と印象に残りました。それが一つの動きのエネルギーを生んでいる。
 また隣にあった秦河勝夫妻像にもある種の霊感を覚えました。富士北麓と秦河勝との因縁は深い。深すぎます。富士山と京都、いろいろ不思議なミッシングリンクがあるのですが、そんなえにしをその場から感じた結果、旅の最後は亀岡の天恩郷となりました。そこもまた富士山や「みろく」と関係の深い整地です。
 本当に霊的に動かされた旅でした。いろいろな場所で、いろいろお祈りすること、お誓いすることがたくさんあり、もちろん本来の仕事の上でも学ぶことの多い旅でしたが、それ以上にこのタイミングで一人京都に来た意味がよく分かった気がします。ありがたや。

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2018.11.19

田中英道 『日本らしさの基礎を築いた聖徳太子(その5)』

 日は京都におります。ある敬虔なカトリック信者の方と、某神道系教団本部と禅宗のお寺を訪問しました。
 今、彼はキリスト教に少しばかり疑問を感じ始めているようでした。逆に、今日行った宗教施設では期せずして、キリスト教をも呑み込んだ、まさに「宗際化」を目指す話で大いに盛り上がりました。
 そうした宗際化ということでいえば、聖徳太子はそのパイオニアであり、ある意味最大の巨人であったともいえます。
 この動画の中でも語られているとおり、多神・汎神は一神を容易に併呑することができます。かの出口王仁三郎は「多神=汎神=一神」と喝破しました。
 そう考えると、これからの世の中、日本が世界に及ぼす影響、日本の果たすべき役割は大きそうですね。

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2018.11.18

田中英道 『日本らしさの基礎を築いた聖徳太子(その4)』

 詩に恋愛ネタがない、和歌は恋愛ばっかり…というのは確かにそう(笑)。
 ふむ、仏教が恋愛の感性を磨いたと。それはあるかもしれませんね。無常観。たしかに恋愛は、ワタクシの言うところの「モノのあはれ」(不随意へのため息)の代表ですな。思い通りにならない。
 神社(神棚)が「場」や自然、お寺(仏壇)が「人間(個人)」を祀るというのも面白い。それが両方ある、今の私たちの信仰の形は、たしかに聖徳太子が作ったと言えます。
 やはり、神道(という言葉さえありませんでしたが)が仏教を包み込んでいるのが、日本の特徴でありましょう。私は仏教は最強の思想だと思っていますし、お釈迦様は宇宙人だと思っていますが(笑)、それを意識せずとも、すでに日本は自然の中にあって無我、空、縁起を体現していたのでしょう。その姿勢こそが「あはれ」=「諦念」であったのです。

Amazon 聖徳太子 本当は何がすごいのか

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2018.11.17

田中英道 『日本らしさの基礎を築いた聖徳太子(その3)』

 小路彰が聖徳太子を敬愛する理由は、その「融合性」にあります。ここで語られている神道と仏教の融合も、たしかに非常に高い次元での融合を実現しています。
 ただここでは、集団と個という対比をしていますが、私からすると仏教も無我や空、縁起ということからすると非常に集団的な宗教というか思想だと思いますがね。
 まあたしかに、自己を見つめるところから、最終的に自己から離れるという意味では、個人宗教とも言えるかもしれません。
 田中先生も少し言っているとおり、日本が外来のもの、たとえば仏教をスムーズに取り入れたのは、もともと仏教的な思想というか生き方が普通にあったからだと思います。
 それが裏を返せば、外来勢力に制服されなかった理由。つまり、最新技術や最新哲学を持って「おらおら!」とやってきた人たちが、日本人を見て、「あらら、こっちの方が進んでた」と思ったから、自ら帰化したりして日本人になり、日本語をしゃべっていたわけでしょう。普通逆ですよ。
 奈良や京の都の人口の7割が帰化人(渡来人)だった、特に政治、文化の中心は…という説があります。もしそうだとしたら、絶対に日本語は駆逐されたはずですよ。世界史を見るかぎり。

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