カテゴリー「歴史・宗教」の1696件の記事

2017.08.21

(直日の)八雲琴復元

Th_img_1323 楽祭が終わり、ようやく夏休みの「工作」をする時間がとれました。
 秋に八雲琴を演奏することになりそうでして、多くの人の前で弾くからにはちゃんとした楽器で演奏しようと考えました。
 実はすでに八雲琴を1台持っていますし、何度か人前で演奏したこともあります。こちらで紹介した楽器ですね。しかし、これはちょっと謎の楽器でして、記事にも書いてあるとおり、勘所(壺)はないし、装飾も本来決められたものと違う。龍角(ペグ)や駒のデザインも一般的なものと違う。出自が分からない謎の楽器なんです。ほかに似たものを見たことがありません。
 また演奏用の台もなかったので、このたび新たにヤフオクで2台の八雲琴を手に入れ、合計3台を組み合わせてちゃんとしたものを1台作ったのであります。
Th_img_1332 一番古いけれども状態や材質の良いものを基本にして、あとの2台は部品取りとして使うことにしました。
 いちおう江戸時代に書かれた文献八雲琴譜を参考にしながら、なるべくオリジナルに近い形になるように復元。
 ま、こういう姿勢というのも、昨日まで開かれていた都留音楽祭において、長年にわたって楽器作りの職人さんから教わったものと言えますね。ちゃんと当時の文献にあたって復元するというやり方。
 なんとか部品も足りまして、それなりのできになったと思います。音も出してみましたが、すごく良い!胴体がいいんですね。
Th_img_1333 そう、その胴体、実はけっこうやばいものなんです。裏側にですね、なんと「直日」の署名があるんです。
 直日と言えば出口王仁三郎の娘、大本の三代教主です。明らかに自筆の署名です。直日所有の琴だったかもしれません。あるいは、上に「玉松」とも書いてあるのを見ると、信者さんの琴に直日が銘をつけたのかもしれません。
 いずれにせよ、直日が一度は手に取った琴だということで、これは非常に貴重なものであると思います。
 そして我が家で復元され、父王仁三郎の耀わんと祖父有栖川宮熾仁親王の書の前にて、何十年ぶりかに音が掻き鳴らされたのですから、不思議な因縁を感じずにはいられません。
 さて、秋までにちゃんと練習して、直日さんに恥ずかしくない演奏ができるようにいたしましょう。


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2017.08.20

第31回都留音楽祭 最終日(都留と古楽の因縁)

晴信ゆかりの栖雲寺(甲州市)に残る「十字架を抱いた菩薩像」
Th_img_0_m うとう、30年以上続いた都留音楽祭が終わる日が来てしまいました。
 ここまで盛大に、盛会に、誰しもが大満足で終われることは、実に幸せなことです。
 先生方、アシスタント、ボランティアの皆さん、ホールスタッフの皆さん、そして何と言っても遠方から毎年おいでになってくださった受講生の皆さん、本当にありがとうございました。
 最終回とはいえ、特にいつもと変わらず、また来年ね〜という雰囲気で終わったのは、実に都留音楽祭らしかったと思います。たぶん、何かの形で、皆さん再会できると感じていらっしゃるのでしょう。それほどに、まるで家族のような、まさにアットホームな音楽祭でした。
 大学受験失敗という偶然(必然?)を経て、どういうわけか大好きな古楽の祭典に第1回から関わり、ここ都留が古楽の聖地と言われるまでになる、その歴史を中からじっくり体験できたのは、本当に私の人生にとって最高の運命的邂逅でした。
 今日も受講生コンサート、そしていつまでも続くフリーコンサートと、実に充実した感動的な1日でしたが、特に個人的に感慨深かったのは、フリーコンサートで、有村先生指揮合唱クラスの演奏でジョスカン・デ・プレの「千々の悲しみ」が披露されたことです。
 そう、私が30年以上抱いてきた、「なんで都留で古楽なんだろう」という純粋かつ難解な疑問への、ワタクシ的な解答がそこにあったからです。
 先日、こちらの記事で紹介したように、なんとあのキリシタン大名の有馬晴信は、甲斐国都留郡谷村藩(まさに都留文科大学やうぐいすホールのあるところ)に「島流し」になり、そしてそこで斬首の刑に処されているんですね。
 晴信は、天正遣欧少年使節を派遣したその人です。使節の中には晴信のいとこ千々石ミゲルもいました。ミゲルはヨーロッパで音楽を学び、鍵盤楽器の名手となって帰国しました。そして聚楽第で豊臣秀吉に西洋音楽を演奏して聞かせました。
 その時演奏されたのがジョスカンの「千々の悲しみ」だと言われています。
 その後、ミゲルは棄教し、晴信は岡本大八事件に連座して都留に配流、切腹を命じられます。最後まで信仰を捨てなかった晴信はキリスト教で禁止されている自害はせず、十字架の前で悄然として斬首されたと言います。
 きっとその時、以前千々石ミゲルから直接聞いたジョスカンの「千々の悲しみ」が頭の中で静かに流れていたのではないでしょうか。
 そのことを、今回の音楽祭の初日に有村音楽監督に申し上げ、ぜひとも「千々の悲しみ」を演奏してほしいとお願いしましたところ、なんと「その曲をやるつもりで楽譜を持ってきた」とおっしゃるではないですか。有村先生は、晴信のエピソードはご存知なかったので、全くの偶然と言えば偶然でした。
 そして、合唱クラスで練習をしてくださり、最終日に実際に演奏してくださったのです。400年の時を超えて流れる「千々の悲しみ」。この地に眠る有馬晴信は、どんな気持ちで聴いたのでしょう。
 まさか、400年後にこの地で日本人によって「千々の悲しみ」が生演奏されるなどとは夢にだに思わなかったでしょう。いや、晴信やミゲルが、私たち古楽人をこの都留に招いたのかもしれませんね。霊界というのは、そういうものだと私は信じています。
 そういう意味も含めて、この「千々の悲しみ」は感動的でした。最後の最後に間に合ってよかった…考えてみますと、「千々」と「千々石」も不思議な符合ですよね。
 晴信やミゲルのことは、イエズス会の宣教師によってヨーロッパに伝えられ、当時のジャポニスムの流行もあって、いくつかの戯曲として創作されたようです。時はまさにバロック音楽全盛期。当然、音楽劇(バロック・オペラ)として上演されたこともあるでしょう。
 もしかして、処刑のシーンもあったりするのでしょうか。そうだとすると、私たちの全く知らないところで、「都留」がそのまんま「バロック音楽」になっていたということです。
 もうこれは偶然ではありませんよね。あまりにピンポイントすぎます。
 そんな奇跡的なストーリーを知っていただいた上で、「千々の悲しみ」をお聴きください。
 400年以上前から、音楽に関わってくれたすべての人に感謝して、この音楽祭の幕を閉じたいと思います。ありがとうございました。


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2017.08.19

第31回都留音楽祭 4日目

歌謡曲バンド「山口組」
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 留音楽祭も佳境を迎えようとしています。4日目ともなると、いよいよ「終わり」が見えてきてしまいますね。ちょっとセンチメンタルになる瞬間が増えました。
 個人的な話になりますが、大学4年の時以来ずっと自分の人生の中心にあった音楽祭ですからね。30年超えますから、人生の半分以上。いろいろなことが思い出されます。
 都留音楽祭と言えば、昨日の海外講師コンサートも目玉の一つですが、参加者の楽しみとしては、また違った次元で(?)クロージング・パーティーも欠かせませんよね。これは本当に世界一と言っていいレベルの高さ(笑)。
 これぞ参加してくださった方のみが体験できる特別な「場」なので、このブログを読んでくださる方には伝わらないのがとっても残念です。
 今年もまた私もいろいろやらせていただきました。かつては私の宴会芸と言えば「お琴ブラザーズ」でしたが、今や解散状態で再結成のメドも立たないということでして、実は昨日のフリーコンサートでちょっとやらせていただきました。
 かつて琴2面でやらせていただいたクープランの「恋のうぐいす」を、「恋のうぐいすホール」という形で編曲(?)しなおしまして演奏いたしました。かなり面白かったのではないかと思います…(自分としては)。
 ということで、今回をもっていよいよ都留名物のパーティーも「最終回」。全体を記録してはありますが、とても外には出せない高尚な(?)内容ですので、これもまた、参加者の皆さんの心の中の思い出にしていただくしかありませんね。
 やはり、「場」、「ライヴ」というのが、音楽のみならず、さまざまなパフォーマンスにとっては重要であります。
 ただ、ほんの少し、その雰囲気を感じていただくために、パーティー(宴会)担当のつのだたかし先生と私の打ち合わせメモを特別にご覧いただきましょう(初期稿なので、実際の演目とは違います)。
 本当に最終回にふさわしい、31回の歴史の中でも最高の大宴会、パフォーマンス大会となりました。海外講師を含む先生方、そして受講生が、まったく同じ次元に上がって(下がって?)の至芸の数々。これぞ古楽界のよき雰囲気、人間関係を象徴していると思います。皆さん、特に先生方、本当にありがとうございました。超一流は軽々と壁を超え、そして聖俗をスイッチできるということを、身をもって教えていただきました。

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2017.08.18

第31回都留音楽祭 3日目

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 留音楽祭の3日目。3日目と言えば、恒例の海外講師コンサート。
 今年は最終回ということもありまして、世界を代表する素晴らしい歌手お二人においでいただいています。まず、ソプラノのロベルタ・マメリ。そして、テノールのルーファス・ミュラー。今まで大変お世話になり、そしてそれぞれの素晴らしすぎるリサイタルに何度も感動させていただいたお二人です。
 今年はなんと、そのお二人と、そして日本を代表する歌手であるメゾ・ソプラノの波多野睦美さんの三人が共演するという、まさに夢のまた夢のコンサートが実現いたしました。いやあ、夢でも実現しそうにない組み合わせです。
 そして、それが本当に夢でもありえないような至福の時間となったのです。
 本当に初めてです。コンサート中に「このまま死ぬんじゃないか」と思ったのは。神の声を聴いたというか…いや、マメリさんにも申し上げましたが、「天国のささやき」を聴いてしまったと…そんな感じでした。
 三人とも弱音(微音)のコントロールが神がかりでした。そして、それら三神のささやきが共鳴しあい、より微細な世界へ私たちを誘う。
 ああ、なるほど、神の世界は広大かと思いきや、実は極微なんですね。ミクロがマクロ。無限小が無限大というような感じなんですね。
 歌ってすごいなあ…あらためて思いました。そして、音楽はたしかに私たち人間が高次元宇宙(神)につながる方法なのだなあと感じました。
 歌詞の世界も重要ですが、それだけとれば、それはあくまでもこの3次元的世界に刻印された情報にすぎません。しかし、それが音楽に乗ると、突然高次元の宇宙意識の世界につながるわけですから、本当に不思議ですね。
 そういう意味において、たしかに私たち人類にとって、音楽は進化への道標となるわけで、まさに「No Music No Life」ですね。
 それにしても本当に幸せな時間でした。この三人のリサイタルでありながら、大ホールは空席が多かったのは残念といえば残念ですが、逆に言うと、あのうぐいすホールの素晴らしい残響がフルに生かされたわけで、そういう意味においても、大変贅沢なコンサートであったと思います。
 生きていてよかった。大学受験に失敗して都留に来てよかった。心からそう思える瞬間の連続でした。人生とは面白いものですね。
 プログラムを載せておきます。マメリさんもおっしゃってました。パーセルの「ダイドーとイニーアス」はすごい作品だと。歌い手も特別な精神状態に追い込まれるということでした。

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 あっ、それから、ある意味お恥ずかしい話なんですが、ルーファスさんの歌と小倉さんのフォルテピアノのおかげで、人生で初めてシューベルトっていいなあと思いました!


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2017.08.17

第31回都留音楽祭 2日目

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 年の(最終回)都留音楽祭が本格的に始まりました。
 午前中は個人レッスン。今日は私は小倉貴久子先生のフォルテピアノのレッスンを少し聴講。これぞ高次元音楽というべき、実に魅力的なレッスン。受講生の真剣な眼差しも印象に残りました。
 そしてお昼にはフリーコンサート。ずっと司会を務めてきた私は、ここ数年はその一部を若者に譲っております。今日は小倉先生の娘さんが担当。ものすごく上手。あとで小倉先生とともに「そっちの道に進んだら?」などと、本気とも冗談ともとれる会話をいたしました(笑)。
 ちなみに今日は私と有村夫人の誕生日でして、声楽の皆さんが即興で素晴らしいハッピーバースデーを歌ってくださりました。半世紀以上生きておりますが、今までで最も感動的なお祝いをしていただきました。感謝です。ありがとうございました。
 午後の前半はアンサンブル中心のワークショップ。今年はヴァイオリン受講者が多く、そのレベルも非常に高いので、ヴィヴァルディ、コレルリなどの合奏協奏曲を演奏。私もヴィオラで参加させていただきました。実に楽しいですね。明日はチェロの武澤くんも加わるということで、ここだけの楽団にするのはもったいないくらいですね。フリーコンサートで披露いたしましょう。
 午後の後半は全体アンサンブル。今年はモンテヴェルディのマドリガーレ。これがすごい。今日初めて全体を音にしてみたのですが、まあ、まるで現代音楽のように新鮮で過激な音楽ですよ。やっぱりモンテヴェルディは天才だ。YouTubeの音源をちょっと聴いてみてください。
 これはアレッサンドリーニによる小編成の演奏です。半音進行と不協和音の構造がよく分かりますね。

 指揮者の有村音楽監督の説明にもありましたように、様々なコントラストを強調し、ドラマチックな表現を多用して、いわゆるバロック時代を招来した超天才モンテヴェルディの、そのまた円熟期の作品ということで、演奏していても鳥肌が立ちます。
 たった三日間、4時間ほどのレッスンでどこまで完成度を高めるか。最終日の発表が楽しみです。それにしても、こんなすごい曲を私たちアマチュアを中心に具現化できるなんて、それこそ夢のような話ですね。この音楽祭の魅力の一つでしょう。

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2017.08.16

第31回都留音楽祭 1日目

 よいよ最終回の都留音楽祭が始まりした。思えば30年以上、日本の古楽界をリードし、また自分の夢をたくさん叶えてくれもしたこの音楽祭。本当に終わってしまうのでしょうか。不思議な感じがします。
 というのは、音楽祭自体は今回も例年同様にたくさんの参加者がありますし、最終回とはいえ、特にいつもと変わったプログラムがあるわけでもなく、実に淡々と始まったからです。
 第1回から運営側として携わってきた私自身もまた通常運行。
 たしかにこうして全盛期に潔く終わる方がいいのかも…あえてそんなふうに思ってみるのですが、そんな感慨もやはりうたかたのようにすぐに消えてしまうのでした。
 さて、そんなわけで、このブログでの報告もいつもどおりということにいたします。
 音楽祭初日は恒例となった講師陣コンサートです。かつては4日目に行われていた講師陣コンサートですが、1日中レッスンをしつつ、受講生のリクエストにこたえてフリーコンサートで演奏し、夜は宿で深夜まで飲み、そしてパーティーでの出し物の練習をし、そのうえ講師陣コンサートのリハを重ねる…となると、さすがにタフな講師の皆さんもかなりきつい(年々高齢化するわけでもありまして)…ということでいつからか初日のウェルカムコンサートということになりました。
 これは本当に受講生にとってはぜいたくすぎる話でありまして、これから自分が教えてもらう超一流の先生方が、最高の演奏で自分たちを迎えてくれるわけですからね。それは俄然やる気になります。
 今回もまた、本当に素晴らしすぎる演奏の連続でした。毎年書いているように、こんなぜいたくなコンサート、ここでしか聴けません。
 また、都留のうぐいすホールの響きのよさも特筆すべきです。受講生中心の少人数の聴衆もあいまって(もったいない!)、さらにホールの残響が生き、古楽演奏にベストな空間となっているのです。まさに至福の時空。
 皆様に音をお届けできないのが残念ですが、写真とプログラムを御覧になりながら、想像の翼を広げて下さい。

↓アルルカン組曲(構成トーマス・ベアード)
ダンス:浜中康子 トーマス・ベアード
ヴァイオリン:渡邊慶子 伊藤誠
ヴィオラ・ダ・ガンバ:福沢宏 武澤秀平
チェンバロ:岡田龍之介
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↓スペインのフォリア(ギニョン)
ヴァイオリン:渡邊慶子 宮崎桃子
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↓スペインのフォリア(マレ)
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↓トリオ・ソナタト長調(バッハ オルガン・トリオの編曲版)
チェンバロ:岡田龍之介 平野智美
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↓組曲ホ短調(オトテール)
ヴィオラ・ダ・ガンバ:福沢宏 武澤秀平
チェンバロ:山縣万里
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↓Songs(ダウランド)
メゾ・ソプラノ:波多野睦美
リュート:つのだたかし
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↓変奏曲ヘ短調(ハイドン)
フォルテピアノ:小倉貴久子
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2017.08.15

『731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~』(NHKスペシャル)

 戦の日。昨日まで出かけていたので、たまっていた録画をいくつか観ました。その一つがこれ。
 人間性を奪う戦争の恐ろしさを感じずにはいられません。
 これを「捏造だ!」と言ってしまうのは簡単ですし、実際、アメリカやソ連の思惑がからんだ難しい事件であることはたしかです。
 南京事件などもそうですが、「なかった」と言ってしまうのは、やはり言い過ぎでしょう。かと言って「あった」として全面的に認めるのもどうかと思います。
 そう、8月15日にはいつも思うのですが、たとえば靖國の英霊たちも、まさに十人十色で、戦争で散ったことを無念に思い、国を恨む人もいれば、お国のために戦ったことを心から誇りに思っている人もいます。
 軍人に限らず、あの戦争を正しかったという人もいれば、いや間違っていたという人もいるはずでし、あの当時もいたはずです。
 いつかも書いたとおり、そうした無数の感情や志、未来への思いなどを十把一絡げにしてしまうのが「歴史」の残酷さだと思います。
 ですから、この番組をめぐって左右の人たちがお互いを認めず、罵り合ったり蔑み合ったりしているのを見ると、実に残念な気持ちになります。
 これもいつも書いているとおり、私たちは、自分の中にも、残酷な自分や弱い自分、ずるい自分、反対に強い自分や正義を守る自分、あるいは迷う自分などがいることを認めないといけません。
 一面的に過去の戦争を語ることが対立を生み、次の戦争を準備してきたという歴史的真実を忘れないことも忘れてはいけません。
 最近、かつて日中戦争に赴いた祖父が書いた本をあらためて読みました。私と同じ高校の教師だった人です。教育者として兵隊になり、戦後帰国してから再び教壇に立った祖父。喜寿を迎えた祖父が書き残してくれた大切な真実です。
 祖父は私にとっては本当に人間味あふれる、尊敬すべき人でした。そんな祖父が戦地でどのような体験をし、どのような精神状況におかれたか、その本には詳細に書かれています。
 ごく身近な人にのみ配布された私家本でしたが、非常に重要な記述も含まれていますので、近くこのブログで全文を紹介しようかと考えています。
 

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2017.08.14

【討論】これでいいのか?政治と宗教(チャンネル桜)

 田から12時間かけて富士山に帰って来ました。東北道や関越道は大渋滞ですので、日本海回り、山形、新潟、長野を経由するいつものコースをゆっくり走ってきました。
 なにしろ12時間も時間がありますから、車内では高校野球をラジオで聞いたり、いろいろな音楽を聞いたり歌ったり。そして、家族が寝ているスキを狙って(?)1.7倍速で聞いたのが、この討論。
 いやあ、実に面白かった。まあ最も興味のあるテーマですしね。そして、島田さんや上祐さんが参加している。すごいなチャンネル桜。水島先輩。
 彼らか参加したことにいろいろ批判もあるかもしれませんが、私の感覚としては、やはりお二人は重要なことをおっしゃっていると思いましたよ。
 そう、以前こちらにも書きましたとおり、オウム真理教事件は自分にとっては他人事ではないのです。他人事のように一方的に糾弾したり、忌避したりできません。
 彼らが(おそらく)そうであるように、自分たちなりの方法で、そこを乗り超えないと未来的真理には近づけないのです。
 …というわけで、時間があまりないので細かいことは書きませんが、とにかく面白いので、ぜひ聴いてみてください。それにしても、「政治=まつりごと」と誰も言わなかったのは意外といえば意外でした。核心すぎるのかな。

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2017.08.13

太平山煙岡神社(羽後町)

 田でお盆の墓参り。秋田の不思議なお盆については、ずいぶん前にこちらにも書きました。あまりに見事な神仏習合。
 その帰り、カミさんが懐かしい所に行きたいということで、いくつかのポイントを回りました。たしかにこれが日本の原風景、ある意味消えてゆく姿もまた、国譲り的な美しさを感じました。
 さて、そんな中、逆にカミさんが地元でありながら、実は一度も行ったことのない所にも行ってみました。
 羽後町の太平山にある煙岡神社です。すぐ近くのみはらし荘には、私も一度連れて行ってもらったことがありますが、煙岡神社は初めて。

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 まず、その社名に興味が湧きますよね。どうも、幻の羽後城の狼煙台だったらしい。証拠はありませんが、たしかにここからの眺望は素晴らしすぎ。狼煙台には最高の山ですね。
 横手盆地を一望できるだけでなく、日本海も見える日があるとのこと。夜景も美しいとか。

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 夕刻、入道雲の立ち上る田園と遥かな稜線は、普段空の狭い山梨県に生活する者にとっては、実に新鮮。と言いますか、なにか異世界に迷い込んだような感じさえします。
 さて、この煙岡(けむりがおか)神社、田代の地主、昨日の鎌鼬美術館の建物の持ち主でもあった、長谷山家によって「再興」されたということです。かつては山自体がご神体であったのでしょう。祭神は結局分からずじまい。
 義父母に聞くところによると、雨乞いの神様だとのこと。社務所は田代の旦金森(だんごもり)にあります(鉱山の匂いのする地名ですね)。麓の人々がお山に雨乞いをしたのでしょう。

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 ちなみに太平山という名前から分かるとおり、煙岡神社の近くに三吉神社もあります。秋田だけでも太平山という山は八つあるとか。本家秋田市の太平山信仰、三吉信仰が各地に広まり、いわゆる太平山講、三吉講がここにも到達していたことがわかります。
 参拝して中を覗かせていただくと、日の丸の扇が祀られていました。どのような由緒がある扇なのでしょうか。

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2017.08.12

鎌鼬美術館(羽後町田代)

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 うやく訪問することができました。素晴らしい美術館でした。感無量です。
 伝説の舞踏家土方巽。若い頃彼の大ファンだった私が、まさか美術館設立に(ほんのちょっとですが)関わることになろうとは。
 というか、それ以前に、まさか自分の嫁さんのお母さんの実家前が、あの「鎌鼬」の撮影場所だったとは…。
 そのあたりの驚きの連続は、こちらからお読みください。まったく人生とは不思議なものです。
 そんな舞踏の聖地、写真の聖地に、本当に素敵な美術館ができました。設立に尽力されたお二人の地元の方とも春に、そして今日もお話させていただきましたが、やはり「場」というのはとても重要です。「場」には「魂」が記録されるのです。
 それはおそらく7次元的意識の世界が、5次元的情報の世界、3次元的物質世界に投射されるということなのだと思います。
 歴史的な作品が生まれた場、その「リアル」を超えるのは難しい。別の場所にいくらお金をかけて資料を集めてもだめです。そこには「魂」が刻印されていないからです。
 土方を研究するある外国人舞踏家は、それこそ義母の実家の前の田んぼの泥を体に塗りつけて舞ったといいます。それはたしかに正しい。50年の時を超えても、そこには間違いなく「魂」が生きていると思うからです。
 鎌鼬の撮影場所ともなった、旧長谷山邸の蔵を改装して作られた鎌鼬美術館。そこに土方がいるかのような「リアル」さを体験できました。
 もちろん、貴重な展示物や美しい田代紹介のビデオも素晴らしかったのですが、やはり、その「体感」ですね。これぞ本当の聖地、メッカであると感じました。
 昨秋の開館以来、冬期は休館、基本土日のみ開館にも関わらず、すでに世界中から1000人以上の人が、この知られざる山村を訪れたとのこと。
 慶應義塾大学という中央と、地元の協力体制、愛情、行動力が、このような遺産を現代に、そして未来に甦らせたのだとも感じました。
 今、富士山麓のいくつかの遺産の保存、顕彰に携わっていますが、なるほど、こういう形を取るのが一番だなと痛感しました。そちらも頑張らねば。
 どうそ、皆さんも、この美術館を中心とした村全体を舞台に、今に生きる土方巽、そして細江英公の魂を体験してみてください。
 私も秋田を訪問したおりには、必ず訪れたいと思います。関係者の皆さん、本当にありがとうございました。
 最後に…ワタクシ的に最も感激したのは、写真集鎌鼬のために撮影され、しかしボツになった、多くの写真をペタ焼きの形でたくさん見ることができたことです。それはまたまた実にリアルな作品群でありました。
 公開することを前提に許可をいただき写真を撮らせていただいたので、どうぞご覧ください。

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『鎌鼬 田代の土方巽』 (慶應義塾大学出版会)

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