『プロレス「悪夢の10年」を問う』 (別冊宝島)
世紀の「大沈没劇」を検証する
またプロレスネタですみません。でも、これは私にとって、自分の生き方そして社会の変化について考える、非常に重要なヒントを与えてくれるもの、いやほとんどテーマそのものなので、どうしても避けて通れないんです。
やはり、プロレスは自分や社会を映す鏡なんですよね。ですから、プロレスの凋落激しかったこの10年というのは、まさに自分たちや社会が、そういうふうに変わった10年だったということなんです。
世間ではいったい犯人は誰だ!?のような議論が盛んに行われました。そして、実際にいくつかの原因が取りざたされましたが、どうもすっきりしない。そう、最も激しく犯人扱いされたのは、ミスター高橋の暴露本でしょう。もちろん私もそれを読みましたが、それはまあ不文法を明文化しただけであって、何を今さらとは思いましたが、世の中を改革してしまうほどの力は感じませんでした。やっぱり原因はそれじゃあない。
このムックも基本、一般論に対する懐疑的な立場をとっています。しかし、だからと言って何か一つの結論が提示されているわけでもない。冒頭に「変わったのはプロレスか、自分か、それとも−」とある通り、結局よく分からないまま終わっています。というか、ずいぶんと話がそれていって、あれ?この本って何の本だっけ?という感じ。そして、なぜかそのそれた部分の方が読み物としては面白かった。
特に、昭和を彩った怪物記者、怪物編集者の皆さんのくだらない(失礼)ぶっちゃけ話と、彼らに対するある意味プロレス的なわざとらしさを伴った宝島側のツッコミには、大いに興奮させられました(笑)。
あと、「大沈没劇」のおかげで味わえる哀愁という意味では、最後の阿修羅原のインタビューと劇画が秀逸でした。もうほとんど演歌の世界ですよ。そうそう、去年泣いたラッシャー木村の劇画と同じ「もののあはれ」だな。沈没の美…国際プロレスって本当にいいですねえ。カミさん曰く「人生の春夏秋冬…(涙)」。
さて、いきなりですが、私はよく分かってるんですよ。なんでプロレスが凋落したか。変わったのは、プロレスであり、自分であり、社会なんです。そうですねえ、順番としては、まず社会が変わった。そして自分(私たち)、最後にプロレスなんじゃないでしょうか。
2001年、ミスター高橋の暴露本が出版された年ですね、この年は小泉構造改革が始まった年でもあります。そして、どんどん世の中のいわゆる「ムダ」が排除されていきました。全てがリアルにオープンの方向を目指し、それこそがいいという神話が形成されていきました。ガチンコ社会こそが「機会の平等」を生むという幻想が生まれたんです。
そこで消えたのが例えば談合です。私はこちらで書いた通り、談合こそプロレスであり、それが人間の本質と智恵であると考え、行きすぎた談合はですね、それはいかんとは思いますが、だからと言って、それを徹底的に排除して自分たち個人個人の欲望と無力さを露呈させるのには大反対なんです。
でも、世の中はみんなそっちの方向に行ってしまった。リアルを求めてしまった。総合格闘技の人気が出たのも、そういう我々の意識が商売になるからでしょう。談合じゃなくて、ガチンコでオープンのオークションの方が正しいし、面白いと思ってしまった。
レスラーたちも喰っていかねばなりませんから、市場がそちらに流れれば、自然とそういう方向に行きたくなります。特に体の小さな人たちはそうでした。体が小さいと、プロレス的にはルチャをやるしかないわけですから。
そういう意味で、このムックで一番勉強になったのは元UWFインター山本喧一選手のインタビューでした。彼は本当にいいことを言っています。今、彼は格闘技の世界で頑張っているわけですけど、彼も体が小さかったので、いわゆるプロレスラーにはなれなかったクチです。自分でもそう言っています。彼は「プロレスは化け物の世界」と語っていますが、まさにそれですね。今のプロレス界には馬場や猪木やアンドレや鶴田のような化け物がいません。プチ化け物やシロウトがずいぶんと増えてしまいました。それも凋落の原因でしょうね。
逆に言えば、それは「見世物文化」の衰退とも言えます。世の中のエセ福祉、エセ思いやり、エセ平等、エセ人権、エセヒューマニズムが、そういう「モノ」を幽閉しつつあります。教育現場でもモノノケはずいぶんと生きにくくなってますよ。まったくねえ。
大相撲の凋落も、まったく同じ原因でしょうね。日本古来の素晴らしき神道的伝統である、談合的全体主義と見世物的福祉と物の怪への畏敬の念が消えてしまった。残ったのは、我々人間個人の不純なる「自己」と単純な勝ち負けの図式だけでした。そういう「コト」を包み込んでいた母性のようなモノはどこに行ってしまったのでしょうか。人間のデジタル化なんでしょうかね。アナログ的なあいまいさと、美しきムダやムラはもう評価されないんでしょうか。
…と、話がふくらみすぎてしまいましたね。なんだか自分でも何を言っているのかわからなくなりました。とにかく、とんでもない怪物が現れて、総合でも完全王者になってくれるしかないですね。私たちの欠落感を埋める物語を紡ぐ、そういうある意味天皇みたいな、恒星みたいな、そういう存在が現れねば。朝青龍もジョシュ・バーネットもいいけど、やっぱり日本人のそういう怪物が現れてくれないかなあ…やっぱり三沢さん?
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この本のほかに、数学(算術)のテキストもありました。「受験問答叢書 新撰算術問答」という本です。これもなかなか興味深い内容でした。「算術とは何か」「数とは何か」というところからスタートして、四則計算、小数、分数、比例、歩合、利率といった内容に進んでいきます。最後には当時の高等学校や師範学校、陸軍士官学校や海軍兵学校の入試問題が載っていまして、それを見ますと、今の数学の試験とは違って、生活に根ざしたより実用的な問題が課されているのがわかります。今の数学はずいぶんと抽象的な世界になっているんだなあと思いました。それがいいのか悪いのか、なんとも言えません。
さて、この算術のテキストを繰っていたら、とっても素敵なものを見つけました。押し花です。きっと若かりしひいおじいちゃんが、勉強の合間に野の花を摘んできて、なんからの気持ちをこめて押し花にしたものでしょう。なんかジーンとしちゃいました。明治のロマンですね。今の若い男で、こういうシャレたことする人いませんよね。私はそこに本当の「日本男児らしさ」を感じましたね。おそらくこの名もない花、百年ぶりくらいに陽の光を浴びたのではないでしょうか。美しいなあ。豊かだなあ。ちょっとうらやましくも思いました。
中沢さんと対談者たちは言います。異質の「もの」どうしが結びつくエロティックな力。それはロゴスでもコスモスでもない。贈与の力。イマジネールからリアルへ。客観の方へ。物の方へ。コミュニケーションとしての言語ではない。モノとしての言語。嘘こそが存在の様式。
あなたは(オレたちは)頑張った。よくやった。安らかに眠れ。オタキングによるオタクへの追悼文です。
昨日はある意味での
ウチにあるレアCDの中でもかなりのツワモノですなあ。たぶん当時コスモメイト(現ワールドメイト)の信者だった友人にもらったのだと思います。
それにしてもあらためて深見東州という人はとんでもない人ですね。それこそ一般的なこの世では「トンデモ」に属してしまうことでしょう。ご存知の方も多いとは思いますが、彼自身も自らを現代の
山梨県立博物館で開かれている「木喰展」に行ってまいりました。ここ数日の悲しみに沈んだ心が、少し救われたような気がします。そんなことからも、信仰の本質というものがなんなのか、知ることができたのかもしれません。



ダライ・ラマが来日。チベットでの暴動、北京五輪について記者会見しました。その様子を見て、日曜深夜に録画したこの番組をようやく観る気になりました。
しかし、ここで描かれた南京での出来事は、あくまでも陣中日記やテレビ番組として「語られた」ものであり、もちろん本当の出来事の一部でしかありません。物語やメディアの本質はそういうところにあるのだということをしっかり把握してかからないと、つい自分の口からも妙な「語り(騙り)」が始まってしまいます。それがどんどん伝播して増殖して、そうしてあの戦争も起きたんでしょう。そこのところをしっかり意識して臨まねばなりません。
結局、こういう無責任で自己中心的な人間個人の集合体としての「人間」が悪いんでしょう。罪を憎んで人を憎まず、なんていうのは最も無責任な非人道的な物言いです。でも、そう言ってしまって終わりにしてしまうのが「人間」であり、また、そう言ってでも終わりにしてしまいたいと思うのも「人間」であり、そういう逃げ道を作っておいて再び馬鹿なことをしてしまうのもまた「人間」なのでありました。
昨日の奇跡的な米山家訪問に続きまして、今日は『
市之助さん、この写真では左から2番目で笑っている方です。奥さんは子どもの足もとで笑っておられる。
土方巽と細江さんと市之助さんら農民たちの奇跡的な出会いは、機会としては奇跡的だったかもしれませんが、その不思議な縁が生み出した「鎌鼬」という芸術は、やはり生まれるべくして生まれたのだな、と今回の訪問で痛感したしだいです。
今日は剃髪の日。いちおう禅宗の習慣に従いまして、「四」と「九」のつく日に剃ってます。5日に1回っていうことですね。これはたしかにちょうどいいサイクルです。ツルツルに剃っても、そうですねえ、4日目くらいにちょっと伸びたなあ、剃りたいなあと思うものです。ヒゲをイメージしていただければいいんじゃないでしょうか。頭の毛もヒゲと同じくらいの伸び方ですね。
読むべし。これは名著ですぞ。人生の課題図書。本当にものすごく勉強になりました。
昨日、今日と国立の二次試験が行なわれました。3年生のみんな、どうだったかなあ。私は担任する2年生のギャル8人と一緒に、先輩が受けに行っている東大の問題を早速やってみました。
先日紹介した名著
そんな王仁三郎と赤塚不二夫が、こんなふうにコラボレーションするとは。王仁三郎とバカボンのパパが同じところにいるなんて!長谷さん