カテゴリー「歴史・宗教」の1000件の記事

2020.09.26

トランシルヴァニアの古楽

 

 BTSがアジアからアメリカに進出した話の続きで、アジアがヨーロッパに進出した昔の話を一つ。

 このあたりの世界史にはあんまり詳しくないというか、勉強したけれど忘れてしまっています、実は。

 しかし、世界の大きなデザインとして、ヨーロッパという辺境の地がモンゴルとトルコというアジアの強国にいじめられたというのが、私の雑なイメージであります。

 そういう意味では、トランシルヴァニア地方は非常に複雑な文化を持っています。現在のルーマニアの西部、ハンガリーの東部あたりですかね。

 このアルバムで取り上げられている17世紀はトランシルヴァニア公国時代。ハプスブルク家やオスマン帝国に攻められ、実効支配されていた時代ですね。

 そんなわけで、音楽も非常に複雑。ヨーロッパからバロック音楽も入ってきていましたが、いわば地元ジプシー系の民族音楽もありましたし、トルコが持ち込んだアジアの音楽もあったようです。

 それらが併存したり、融合したりというのが、このアルバムを聴くとわかります。そして、それが絶妙に魅力的なんですね。ある意味ワールドワイドな音楽の坩堝だったのではと想像されます。

 そう考えると、当時鎖国下の日本は、本当に音楽が純粋に発達しましたね。そういう文明国も珍しいと思いますよ。その後開国し、昭和日本がワールドワイドな音楽の坩堝となったわけです。

 そして、今はどうなのか…トランシルヴァニアの音楽を聴きながら、そんなことを考えていました。

| | コメント (0)

2020.09.22

右傾化・左傾化

Th_images1_20200923135001 しそうなタイトルですが、ふざけた記事です(笑)。

 安倍さん、退任後特に外交に関して評価が上っていますよね。これは世界が認める事実です。だから、世界はけっこう安倍ロス状態ですよ。

 特にこの写真が象徴しているように、米中の間でうまく両者を取り持ったことは、ほとんどマスコミでは伝えられておりません。めちゃくちゃ難しいことなのですが。

 さて、この写真でも分かりますとおり、トランプ氏は右傾化、習近平氏は左傾化が激しい。安倍さんはやや右傾化。

 そう、首の傾け方に、みんなクセがあるんですよ(笑)。

 特に気になるのは習氏ですよね。いつも左に傾いている。

 これは偶然なのでしょうか。それとも必然的現象なのでしょうか。首が思想に従うのか、それとも思想が首に従うのか。

 いずれにしても「首脳」というだけのことはありますね(笑)。首が傾けば脳も傾きます。脳が傾けば思想も傾きます。

 脳が右に傾くと、左脳より右脳の方が血流が良くなります。左に傾くと逆。

 すなわち、右脳が活発に働くと保守的な思考に、左脳が活発に働くとリベラル的な思考になるわけです。たしかに、右脳は感覚的、左脳は論理的な働きをすると言われていますね。

 本来、保守は「理性への懐疑」を、革新は「理性への信頼」をベースにした思考ですから、なるほどと思われる部分もあります。しかし、今や革新はリベラルに変貌してしまいましたから、ワタクシから見ますと、両翼ともに「感覚的」になってしまっているような気さえします。

 いつも言う通り、鳥は片翼では飛べません。両翼をバランス良く、つまり、感性と理性をバランス良く備え、使っていかなければ、未来に向って飛翔できないのであります。

 というわけで、上の写真の安倍さんのように、両翼の真ん中に位置するべき「日本」という国は、そのバランスを取って行きたいですね。なんだかんだ安倍さんは、右からも左からも批判され続けましたから、そのバランスが取れていたのかもしれません。

 はたして、菅総理はいかに。

| | コメント (0)

2020.09.17

菅菅諤諤?その後

Th_-20200918-91049 っそく麻生さんがやらかしてくれています。

 「菅内閣」「菅政権」を「カン内閣」「カン政権」と言ってしまったとか(笑)。

 かつて「カン内閣」「カン政権」が実際にあった、それも敵対する側にあったから、これは実に面倒くさい。

 こうやって言い間違ってくれればまだ分かりやすいが、書き言葉となるともう本当に「菅菅諤諤」であります。

 このことについては、実は7年前に記事にしております。

 菅菅諤諤?

 あの頃は、スガさんは官房長官でしたから、まだ良かったけれども、いよいよ(7年前はご本人も想定していなかったでしょうね)総理大臣になっちゃいましたから、ますます「菅菅諤諤」な状況ですね。

 漢字が苦手な麻生さんが、「内閣」や「政権」といった音読みに引っ張られて、ついつい「カン」と言ってしまうのは仕方ない…いや、さすがにダメか(笑)。

 ところで、この記事、自分で言うのもなんですが、今読むとなかなか秀逸です。ちらりとさりげなく極秘情報も書かれていますし。

 その後の様々な調査からも、この記事の最後に書いた結論は、単なる偶然ではなく、それこそ「因果」であるなと実感しております。

…西から東北へ行った「すが」さんと、中央から東北へ行ってそこから西に流された「あべ」さんの連合軍が、ずっと西にいた「カン」さんのしでかした東北での不始末について、侃侃諤諤を繰り広げるのは、まあなんとも因果なことではありますな。

 つまり、そのストーリーから言えば、今回の安倍→菅の流れは、「東日本」の復権を象徴しているようなのです。

 私の歴史カン(観・感・勘)というのは、こんなふうでして、すなわち、歴史をリニアな一本の線で捉えるのではなく、また単なる「繰り返す」的なサイクルで捉えるのでもなく、未来に視点を置いて、現在(は瞬時に過去になる)と過去を透視投影的に見るやり方であります。

 これは地球上では全く論理的、学問的ではないとされる技法です。よって、こじつけ、妄想、トンデモ、ハッタリ、などと言われるわけですね。

 しかし、この方法、期せずして仲小路彰のそれと同じでした。彼の言説が学術的にはなかなか受け入れられないけれども、しかし現実には大きな影響を与えていたというのも、なるほどと首肯されるのであります。

 さてさて、その壮大なストーリーは今後どのように展開していくのでありましょうか。未来からよく観察してみたいと思います。

 

| | コメント (0)

2020.09.16

菅内閣誕生

Th_img_c8281a0c669b52fa297474e2e72a5fdf2 よそ8年ぶりの総理交代。秋田県初の総理誕生。

 安倍さんと我が家とは、まあいろいろな因縁がありましたが、続く菅さんにも不思議なご縁を感じます。

 まず、菅さんはウチの家内の高校の先輩にあたりますし、家内のおじさんや私もお世話になっている知り合いは高校の同級生とのこと。

 また、菅さんのお母様は羽後町田代の出身という情報が。田代といえば「鎌鼬の里」。私たち夫婦にとって不思議すぎるご縁のある場所です。

Th_img_4234 ちなみに今だから書けますが、昨年の6月、某VIPとお忍びで羽後町の田代から軽井沢、そして上到米を訪れまして、安倍氏と白鳥氏、物部氏とニギハヤヒについてディープなお話をさせていただきました。

 菅さんのお母様の出身地近くには石切場があり、石切信仰(イシキリ様)、すなわちニギハヤヒ信仰があった地域です。同地の信仰の対象である鳥海山は、言うまでもなくニギハヤヒ降臨の山であり、「モノ」を祀る神社(大物忌神社)があります。

 さらに言いますと、4年前に直観で訪れた湯沢市駒形の八面神社、実は代々菅家に縁のある神社だそうで、新総理もかつて参拝されたとのこと。

 4年前は宮司さんからそんな話を聞いても、まさか菅さんが総理になるとは思っていませんでしたが、上の記事にあるとおり、我が家の神宝「十和田」を奉納させていただいたことを考えると、その時に運命が決していたのかもしれません。

 いや、冗談ではなく、98代、99代の総理誕生に微妙に(いやかなり深く)「十和田」が関与しているので、ちょっと恐ろしくもあります。

 ここでさらなる中二病ぶりを発揮しましょう(笑)。私は98代、99代という数字に反応してしまうのです。というのは、私のテーマでもある「南北朝」の本当の意味での統合、融合、不二の観点から言うと、そう、南朝の98代は富士北麓にゆかりの深い長慶天皇、そして99代は歴史上の南北朝合一の主役後亀山天皇だからです。

 もひとつついでに言えば、菅さんの奥様は静岡市の出身。秋田と静岡の組み合わせということでは、ウチと同じということになりますね(男女逆ですが)。

 あっ、それから、前も書いたように河野行政改革担当大臣の奥さんは、小学校の同級生です。また、ウチの姉は加藤官房長官に毎週会ってます…と、書き出すとキリがありませんので、このへんで(笑)。

 ここまで脳内の統合失調…いや「統合過剰」が進むと周囲からドン引きされるのがオチですが、まあこれは私の趣味ですし、案外冷静に自己観察する自分がいますから、ご心配なく(笑)。

| | コメント (0)

2020.09.12

『遠い日のゆくえ』 朝原雄三監督作品

Th_61nnk4hqsl_sx300_ 日の「ミッドサマー」とは対照的な印象の作品。

 「感動」する作品かと思いきや、けっこう怖かった。

 特殊清掃の仕事のシーンというより、崩壊する家族像が怖い。また、コミュニティからも疎外された孤独死が悲しい。

 まさに、ホルガの世界とは対照的。

 両映画ともテーマは「生と死」ではありますが、どうもすっきりと肚におさまらないという部分では似ているとも言えます。

 両方の世界、すなわち現代にも前近代にも答えはないということでしょう。

 では、どこに答えがあるのか。それは未来です。

 もちろん、誰かが言うような「地球家族」のようなチープな言葉遊びとは違いますよ。ただ、本当の地球平和を実現するには、まず足もとのコミュニティの平和を実現しなければならないのです。

 ところで、この映画でもまた、富田靖子さんが素晴らしい演技を見せてくれました。この作品での役柄は特に難しかったと思います。

 WOWOWシナリオ大賞の作品化ということですが、私としてはちょっとシナリオに無理(無理やり)があったなと感じました。後半、富田さんの演技がそれをなんとかカバーしたかなという印象でした。

| | コメント (0)

2020.09.11

『ミッドサマー』 アリ・アスター監督作品

Th_202002midsommar_yzwtk_l_full 日は、ドイツ公共放送の取材を受けました。そこで話題になったのことの一つは「集団と個」の問題。

 やはり日本とヨーロッパは大きく違います。言うまでもないけれども、日本は「個より集団(共同体)」、ヨーロッパは「集団より個」。

 もちろん、そんな簡単に対比できるものではありませんが、今日の対話では、やはりそのコントラストが際立ちました。

 欧米の立場から、その問題に深く切り込んだのがこの作品です。

 ホラー映画として「怖い」と宣伝されてしまっていますが、いやいや、実際観たら全然怖くないし、気持ち悪くもない。ホラーを期待していた次女は、心からがっかりしていました(笑)。

 まあ、ある意味、そうした民俗学的な部分に関して、ウチの家族がいろいろ知りすぎているのかもしれませんが、それにしても、ここで表現されていた「おぞましい(とされる)」習俗は、日本のどこかにかつて存在したもの、そして今でも受け継がれているものばかりでした。

 以前書いたように、棄老伝説とエロティシズムということでいえば、まさに「楢山節考」の焼き直し、ただ舞台をスウェーデンにしただけとも言えます。

 田舎に都会人が迷い込むという設定も、洋の東西を問わず無数にありますしね。観客をそういう「現代の前近代」に引き込むという意味では、横溝正史のシリーズにも共通する感覚がありました。

 というわけで、特に目新しい発見や、衝撃的なシーンはありませんでした(ウチだけか?)。「なんかきれいだったね」という感想は異常なのかなあ。

 話をテーマに戻しますと、そう、結局のところ、「現代=個」「前近代=集団(共同体)」ということで、欧米でもやはりそのような問題意識が表面化していることですよね。

 先日、フランス人YouTuberと話した時も、そんな話になりました。

 欧米から見ると、私たちの「学校」さえも「前近代」に見えるわけです。ただ、面白かったのは、それに対して、フランス人は「ヨーロッパが忘れてしまった大切なモノがそこにある」と言い、ドイツ人は無言で呆れ顔になったことです。

 では、友人であるスウェーデン人の日本映画研究者は、この映画についてどのような評価を下すのでしょうか。いやあ、いろいろな国の人たちと文化に語り合うのは、実に楽しいですね。

 

| | コメント (0)

2020.09.09

論理用語を理解するだけで世界の捉え方が変わる!(出口汪の学びチャンネル)

 

 日の討論でずいぶん誤解され非難されていた「論理国語」。もう何十年も前から国語における「論理」の重要性を訴え続けてきた出口汪さん。

 私の国語の師匠の一人です(もう一人は大村はま先生)。また、これは偶然…いや必然だったのですが、尊敬する出口汪先生はなんと出口王仁三郎の曾孫だったのでした。それを後から知り、またそういうご縁から、のちに何度もお会いすることになったのですから、本当に不思議です。

 さて、出口先生が始めたYouTubeチャンネルが、毎度とても勉強になります。中高生の国語だけでなく、これも不思議ですが、お互いに最近深く関わり始めた「幼児教育」についても、実に有益な情報を発信してくれています。

 この動画はたまたま今日公開されたものなのですが、面白いのは「もの」と「こと」について言及しているところ。

 もちろん、出口先生は受験や一般社会で通用することを伝えていますので、ここで語られている「もの」と「こと」は、普通の常識的な解釈です。

 つまり、私の変わった(一般的ではない)「モノ・コト論」とは逆のことを言っていますね。私にとっては、形のないものが「モノ」であり、言葉に象徴される象(かたちど)ったものが「コト」ですので。「カタ」と「コト」は同源です。

 出口先生の一般論は、明治以降確立し、今につながっているものです。私はそれ以前の日本語の「もの」「こと」を研究した上で特殊な論を立てているのです。そう、一般の人が「時間は過去から未来へと流れる」と言っている後、私は「時間は未来から過去へと流れる」と正反対のことを言っているのと同じ構図です。

 どちらが正しいのかということではなく、視座が違うということですね。これもまた論理的に考えれば分かるはずです。

 ただ、私は江戸時代以前の、すなわち西洋近代の影響を受ける前の、日本人の「哲学」を復活させたいと思っていて、それで現代人と逆のことを言っているわけです(なかなか理解してもらえませんが)。

 古くから変わらない言葉と、私たちの概念(世界の捉え方)が矛盾してしまっているのです。「もの」「こと」もそうです。「もののけ」なのに形があることになってしまうとか、目に見えない「こと」とは言えないで、目に見えない「もの」としか言いようがないとか。

 時間で言えば、先週の「先」が過去だったり、「前(さき)の副将軍」も過去だったりするのに、明治以降「10年先の未来」などという言い方が生れてしまったり。

 そんなわけで、今の仕事が終わって時間ができましたら、「モノ・コト・トキ」という本を書こうかと思っています。私がワタクシ流の「モノ・コト・トキ」論で、どのように世の中を見ているか、皆さんに紹介したいと思います。

| | コメント (0)

2020.09.08

【討論】安倍政権の功罪と日本の教育

 

 日はご縁あって、フランス人の人気YouTuberのギギさんと丸一日ご一緒させていただきました。

 基本、ウチの中学校を取材してくれたのですが、たっぷり日仏の文化や教育についてお話させていただきました。

 おそらく1ヶ月後くらいに動画が完成すると思いますので、公開されましたら、また紹介しますね。

 さて、フランス人と一緒に日常を見直すことによって、私もあらためて「日本の教育」の光と影について考えさせられることになったわけですが、日本人、それも真正日本人を(おそらく)標榜するであろう保守系の人たちは、どのように「日本の教育」を見ているのか、いや憂えているのか、お話を聞いてみましょう。

 たまたまフランスの教育の話も出てきますね。「哲学」を重視していると。

 しかし、今日ギギさんから聞いたフランスの教育の現状とは、ちょっと違う感じがしますね。逆に、フランスには「哲学」がなく、日本には「尊敬・敬意」「公共心」という「哲学」があるというのが、ギギさんの感覚のようでした。

 まあ、どちらが正しいということではなく、いろいろな視点があるということでしょうね。

 それにしても、保守派の安倍さん評は、リベラルのそれよりも辛辣ですね(苦笑)。左右両方から強烈に批判されてきた安倍政権というのは、実はとってもバランスが取れているのかもしれません。

 素読と論理国語の話は興味深いですね。私は(意外かもしれませんが)素読になんの魅力も感じない国語教師です。もともと暗記が苦手だからでしょう。論理的に意味的に構造として理解しないと覚えられないタチなんです。

 そして、国語を文学と言語にはっきり分けよ!と、ずっと言ってきた国語教師はこのワタクシです。

 はたして、保守の皆さんは、「理性」を信頼しているのか、それとも「理性」を疑っているのか…よく分かりません、私は頭が悪いので(苦笑)。

 ただ、たしかに「今だけ、金だけ、自分だけ」ではなく、共同体に対する想像力を重視するというのは賛成です。教育がそういう中で生れる「信用」に根ざしているというのも、その通りだと思います。

 教育とは、学校とは、そして教養とは、道徳とは何なのか。難しいですね。現場の人間には、目の前には現実が横たわっていますし。けっこう「豊饒」ですよ。

| | コメント (0)

2020.09.07

物理的に「時間」は存在しない!! MUTube(ムー チューブ)

 

 よいよ「ムー」が登場で、ますます怪しくなってきました(笑)。

 いえいえ、私の経験上、「ムー」と「東スポ」は時々本当のことを書くのです。全体として胡散臭さがあるために、その真情報まで誰も信じない、あるいは注目しない。だからこそ、本当のことが書ける。

 これは、このブログもそうかもしれません(笑)。出口王仁三郎の霊界物語もそうですし、偽史と言われる宮下文書や仲小路彰の文献群もそうかもしれません。昨日の保江先生もそうですね。

 本当のこと、すなわち危険なことを示すためには、そのようなある種のカモフラージュが必要なのです。これは世の中を見る時の大事な視点です。

 逆に言えば、学校で教えていること、認めていること、それらしく共有されていることこそ、ウソだったりするわけです。

 まさに都合よく編集された「コト」よりも、有象無象の総合体たる「モノ」に本質「まコト」が潜むというパラドックスであります。

 さて、そんな尊敬すべき「ムー」の最新の動画に、ちょうど保江先生や時間の話が出てきましたので紹介します。

 三上編集長とも何度かお会いしましたが、とっても頭の良い、楽しい方でした。

 なんだかんだ言って、昭和の時代から淘汰されないで残ってきた「ムー」と「東スポ」こそ、未来のバイブルかもしれませんね。

| | コメント (0)

2020.09.06

保江邦夫さんにきく (羽賀ヒカル 神社チャンネル)

 

 

 日に続き、羽賀ヒカルさんの神社チャンネルから。

 この方も、またお会いしたいお一人ですね。かつては、いや今でも、「ぶっとび」と評価されることが多いでしょう保江邦夫先生。時代がようやく追いついてきたかなとも思います。

 その証拠と言ってもなんですが、この動画でも語られ、私もかねてから強く訴えてきた「時間は未来から過去へと流れる」という話が、ここへ来て急速に受け入れられるようになってきています。さっと理解してくださる方がずいぶん増えました。

 カタカムナについては、何も知らないのに懐疑的な私がいましたが、保江先生がおっしゃるなら何かあるに違いありません。なるほど、湯川秀樹と直接つながっていたというのは、あの時代だからこそあり得る話ですね。

 私たちの直観や、陰陽師が身につけていた感覚というのは、まさに「モノ」を「モノ」のまま把握する能力から発したものでしょう。現代人は、なんでも「コト化」(言語化・論理化・数式化…)して捉えるクセがついてしまっている。学校教育の弊害ですね。

 コロナの話も「コト化」(ここでは名付けや数値化)の弊害、そしてそういう負の言霊を使って「戦争」を起こす人たちがいるという、世界の歴史の一側面を明示してくれていますね。

 正体の分らない「モノ」と仲良くし、無意識の領域にまで習慣化した理屈抜きの、たとえば「作法」「礼法」によって、見事にディスタンスを取っていたということですね。実に面白い。

 今回、コロナ騒動によって、私たちは「コト化」の弊害を知ることになりました。もちろん「コト化」は(都市)社会を形成する上で、非常に重要な方法論ではあります。

 しかし、行き過ぎ、依存過多はいけません。モノとコトのバランスを取ること…それが時間の流れを操ることにもつながるわけですが…が重要になってくるでしょう。

 

| | コメント (0)

より以前の記事一覧