カテゴリー「文学・言語」の1000件の記事

2021.01.15

『聖断 天皇と鈴木貫太郎』 半藤一利 (文春文庫)

Th_51qrnjotobl_sy346_ 藤一利さんが亡くなりました。残念です。

 半藤さんにも仲小路彰の残した文書群を見てほしかった。間に合いませんでした。

 半藤さんの本の中で、特に印象に残っているのは、この「聖断」です。

 二・二六事件の安藤輝三の霊に関わってから、私たち夫婦は鈴木貫太郎に対する格別な思い入れを抱くようになりました。

 その鈴木の人柄をこれほど的確に表現した作品はありません。的確ではありますが、実に淡々としている。いわば文学的に表現しているのです。

 そして、その鈴木を照らす天皇の威光、いや鈴木に照らされる昭和天皇の苦悩。

 日本の運命には、やはり神がかった何かがありました。

 たとえば、「聖断」の背後には、やはり安藤輝三の思いもあったことでしょう。

 そうした裏ストーリーを知ってしまってから読むこの本には、別格の感動があります。

 さらに言えば、この本にも重要なポイントで登場する高松宮。その裏に仲小路彰があったわけです。

Th_unknown_20210116143201 終戦へ向けての対ソ政策については、この本だけでなく一般には、近衛文麿に白羽の矢が立ったごとく語られていますが、その裏では、高松宮を特使とする別計画が練られていました。

 すなわち、仲小路のグループは、戦前から近衛が左翼勢力やユダヤ国際金融資本と結んでいて、日本を世界大戦に巻き込ませたことを察知していたので、終戦にあたって再び近衛に「活躍」させることはなんとしても避けたかったのです。

 そのへんの裏事情を知ってから、またこの本を読むと実に興味深い。スリルと言っては不謹慎ですが、ものすごい緊張感の数カ月間ですね。

 さて、半藤さんは昭和史の反省からの教訓として、次の五つを挙げています。

 ①国民的熱狂をつくってはいけない。そのためにも言論の自由・出版の自由こそが生命である。
 ②最大の危機において日本人は抽象的な観念論を好む。それを警戒せよ。すなわちリアリズムに徹せよ。
 ③日本型タコツボにおけるエリート小集団主義(例・旧日本陸軍参謀本部作戦課)の弊害を常に心せよ。
 ④国際的常識の欠如に絶えず気を配るべし。
 ⑤すぐに成果を求める短兵急な発想をやめよ。ロングレンジのものの見方を心がけよ。

 明日から共通テストが始まります。コロナ禍の中でありながら、教育現場はほとんど総特攻の状況です。若者の命よりも予定通り戦うことを優先しています。

 私は昨年からずっと大学のみ9月入学を訴えてきました。コロナなくともこの厳寒期に人生を決する試験を行なうべきではないということです。

 日本はいまだ変わらない。変われない。残念であり、恐ろしいことです。

 半藤さんの遺言をしかと胸に刻み、そんな旧弊と戦っていかねばなりませんね。

Amazon 聖断

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2020.12.24

追悼 中村泰士さん なかにし礼さん

Th_ent20122508260007p1 リスマスイブはいつまでも悲しい夜。

 「北酒場」のコンビ、なかにし礼さんと中村泰士さんの訃報が…。筒美京平さんに続き、また昭和の文化を支えた天才がこの世を去ってしまいました。

 地元の天才作詞家、作曲家である、フジファブリックの志村正彦くんの命日でもある今日。

 昨年で彼の突然の死から10年ということもあり、一つの区切りをつけたつもりでした。クリスマスイブはクリスマスイブを楽しもうと。

 それなのに。

 今日は先に中村さんの訃報が入ってきました。あらためて北酒場を聴いていたところ、なんと今度はその詩を書いたなかにし礼さんが今日亡くなったとの第一報が。

 クリスマスイブはいつまでも悲しい夜。

 新しい時代が始まるために、古い時代は消える運命なのか。いや、そんなはずはない。

 彼らの詩やメロディーは、もろちん時代を超えて生き続けます。それでもやっぱり悲しい。

 なかにし礼さん、中村泰士さんのコンビと言えば、やはりなんと言っても細川たかしさん。

 北酒場も名曲ですが、デビュー曲である「心のこり」が少年時代の私に与えた衝撃は忘れられません。

 今あらためて聴いてみると、あの頃感じた衝撃というのは、日本語の高低アクセントを無視した中村さんの自由な作曲技法にあることがわかります。

 演歌の世界は比較的アクセントとメロディーの関係性を大切にする、すなわち語りとして聞き手に内容が伝わることを重視していたのですが、中村さんはそれをあえて破った。

 ユーミン、拓郎、陽水ら、いわゆるニューミュージックの若者たちが、そうした作曲伝統を自由に破って、豊かなメロディー世界を作り出していた…それはメロディー(音楽)による言葉への下剋上であった…中、そうした当時の流れを見事に演歌的な世界に持ち込んだ一人が中村さんでした。

 メジャーキーというレベルではなく、解放されたメロディーのおおらかさや明るさが、細川たかしさんの声質や歌唱力、キャラクターとうまくマッチしたのですね。

 もちろん、それを承知し認めたなかにし礼さんの、日本語に対するある種のこだわりを捨てた創造的な愛も素晴らしい。全く新しい歌詞の世界が生まれた瞬間です。作詞家によっては、アクセントをものすごく気にしますからね。シンガーソングライターならまだしも、職業作詞家ならそれが普通です。

 そんなお二人の偉業をしっかり胸に刻み、かつ、彼らの世界観を平成の世にブラッシュアップして聴かせてくれた志村正彦くんにも感謝しながら、「心のこり」を聴いてみたいと思います。レコード大賞新人賞受賞の映像。

 ご冥福をお祈りします。

 

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2020.12.22

『異界探訪 パワースポットの最深部に異界への扉があった』 町田宗鳳 (山と渓谷社)

Th_51x7aabw2yl_sx337_bo1204203200_ 近の出会いには全く無駄がありません。そして、全て完璧なタイミング。

 今日もそんな出会いがありました。いつかお会いしたいと思っていた町田宗鳳師とお話をする機会を得ました。

 大徳寺で20年修行したのち渡米、ハーバード大学で神学修士、ペンシルバニア大学で哲学博士となり、その後世界や日本の大学で教鞭をとるとともに、世界各地を旅し、命懸けのとんでもない経験を積み重ねてきた謎の(笑)僧侶です。

 いちおう比較宗教学がご専門で、現在も広島大学名誉教授なのですが、縁あって富士山麓に無宗派の「ありがとう寺」を建立し、それこそ謎のご活躍をされています。

 私の母校の特任教授でもあって、今日はその母校で行われた講演会に飛び入りで参加いたしました。ちょうど仕事で母校に行く用事がありましたのも有り難い偶然、いや必然でした。

 初対面ながら、勝手に私は共鳴する波動を感じまして、いろいろお話をさせていただきました。まだまだ入口の部分しかお話していないので、近く「ありがとう寺」に参拝させていただき、お酒など酌み交わしながらマニアック談義に花を咲かそうとお約束いたしました。

 今日の講演のテーマは「文明論としての『イワンの馬鹿』」。その内容は、まさに今の私の問題意識にぴったり。思いっきり背中を押していただきました。ありがとうございます。

 さてさて、町田先生は本当に多岐にわたるご著書を書かれているのですが、比較的最近出たこの「異界探訪」がまた、私の今の感性にぴったりの内容です。いわゆるスピ系のパワースポット本とは完全に一線を画しております。

 私は普通にこういう話をうんうんと聞ける(読める)のですが、一般の方はどうでしょうね。ご本人も書かれているように、フィクションとして読んだ方がすんなり入ってくるのではないでしょうか。

 そう、世の中のリアル、ノンフィクションが、実はフィクションなのですよ。昨日の冬至をもって、そういうフィクションの時代は終わり、今までフィクションとか、トンデモとか言われていた世界がリアル、ノンフィクションになっていく。間違いなくそうなります。

 そういう意味では、今日からは町田先生やワタクシの時代が始まるのです(笑)。いや、マジで。

 この本でも、異次元からのメッセージを受け取る話が中心になっていますし、それがちっぽけな人間の自我、意識を越えた「無意識」や「マナ」からの情報であることがはっきりと書かれています。つまり、私の言う「モノ」ですね(もちろん「モノ」と「マナ」は同源です)。

 かなりぶっ飛んだ人生を送られている町田先生ですが、そんな先生をびっくりさせるような情報を持って、なるべく早い時期に「ありがとう寺」にうかがおうと思っております。楽しみです。

 町田先生、ご縁を取り持ってくださった先生、そして異次元のネットワークに心より感謝します。ありがとうございます。

異界探訪

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2020.12.09

霊方山 薬王院 温泉寺 (加賀市山代温泉)

Th_img_7146 日は仕事で山代温泉に宿泊。宿のすぐ近くにワタクシお目当てのお寺があります。自由時間に参拝してきました。

 個人的な興味ポイントがいくつかあります。

 まず、開基が行基と伝えられていること。白山信仰のもと、この地を訪れた行基が、不思議な烏に導かれて来てみると、そこに温泉が湧いていたと言います。そして、一宇を創建。薬師如来を祀ったようです。

Th_img_7144 温泉と薬師如来はよく結びつきます。もちろん「癒やし」という共通点があるからです。しっかり薬師瑠璃光如来の碑が立っておりました。

 先ほどの「不思議な烏」は、よく見ると3本の足があったそうです。すなわち八咫烏だったわけですね。お隣の服部神社の手水に烏がおりましたが、足は…2本でした。あれ?

 この温泉守護の寺、中興は明覚上人だそうです。この明覚がまた、私にとってはとても身近な存在でした。

 国語学徒なら必ず習いますね。「五十音図」を発明したのは明覚上人だと。

 明覚は比叡山の僧侶。空海、最澄を嗣ぐ天才です。天才というか努力家、勉強家でした。インドや中国の仏典や悉曇学、そして半切を研究している中、この山代温泉寺で発明したのが、日本語の「五十音図」なのです。約千年前、11世紀のことです。

Th_50 明覚の五十音図は何種類かあり、母音の並びは現在と同じ「アイウエオ」ですが、子音の並びは現在とは違います。

 とは言え、現在の五十音図がなぜ「アカサタナハマヤラワ」の順に並んでいるのかは、正直分かっていません。明覚発案の並びの方が、実は論理的だったりします。

 一般的には、明覚は学問的な姿勢からこの五十音図を発明したと言われていますが、今日私はちょっと違った感じを受けました。やはり温泉、薬師如来の「癒やし」と、五十音図の言霊による「癒やし」に関係があるのではないでしょうか。そういう視点から五十音図を見直してみると面白いかもしれませんね。

あいうえお五十音図は明覚さんが映し出したことばの曼荼羅です。

 

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2020.12.02

(いろいろな)パンデミック

Th_-20201203-161137 日は身近な所でコロナ陽性者が確認されまして、ちょっとした緊張感が走りました。

 なんだかんだ言って、欧米などと比べると日本の感染拡大状況は緩やかであり、この第3波もそろそろピークアウトかと感じます。

 この世界的な「パンデミック」を宇宙視点で見ると、人間以外の動植物はなんら日常と変わらない生活をしているのに、人類だけ右往左往していることが分かります。

 そういう意味では、「パンデミック」はウイルスに限りません。

 たとえば、私たち人類だけがスマートフォンを保有しています。これもある種の感染爆発によって拡がり、そして今「with スマホ」の時代を迎えたわけです。

 もっと前で言えば、自動車なんかもそう。もっと古くは衣服や食べ物もそうです。そんなこと言えば、人間だけに起こった「パンデミック」は無数にありますよね。「言語」も実はそうだっりします。

 それらは有用なモノだから感染拡大が起きて良かったのでしょうか。その裏にあるリスクは克服しているのでしょうか。そんな風に「パンデミック」の歴史を俯瞰するのも面白いものです。

 ウイルスなど、一見敵のように見えるモノも、それを完全になくすことはできませんし、結局は共存していくしかない。逆に、もしかすると、私たちにとって有用なモノなのかもしれない。そのような観点も必要です。

 これは世に広まる情報に対しても有意な観点ですね。これも極端な例になるかもしれませんが、たとえば陰謀論などもすぐに感染します。今回のコロナに関する情報、米大統領選挙に関する情報、いくらでも挙げられますね。

 そう言えば、アメリカの「今年の言葉」は「パンデミック」だそうですね。検索が大幅に増えたと。まさに「パンデミック」という言葉、情報が「パンデミック」を起こした。

 これから「蔓延」するであろう、新型コロナ用のワクチンもまた、そのような捉え方ができます。

 はたして、人類は何に振り回されているのでしょうか。本当に排除すべき、共存すべきはウイルスだけではないような気がします。

 今回のコロナ騒動をきっかけに、いろいろな「パンデミック」について考えてみるのも良いのではないでしょうか。

 

 

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2020.11.30

格安モバイルモニター

Th_img_7094 日の記事で引用した仲小路彰の文献を活字化する際にも使いました。

 この写真のような使い方です。縦置き。拡張ディスプレイ。

 このたびの「Amazonブラックフライデー&サイバーマンデー」で購入しました。通常16,800円のところ11,760円也。

 このような使い方をするには何の問題もありません。画像の鮮明度も必要十分です。

 付属品が多くてびっくりしました。各種接続ケーブルが大変充実していますが、マックとつなぐ場合には付属のものは一つも使いませんでした(笑)。

 もともと付いているカバー兼スタンドも立派なもので、このように立てて使うのも問題ありません。

 電源はMacからUSB-Cで供給。つまり別電源は不要ということになります。

 今まで一つの画面を切り替え切り替え、そしてスクロールしたり拡大縮小したり、正直煩わしかったのですが、実にスッキリしました。

 Macですと、このように縦置き表示するのも設定で簡単にできます(90度回転)。

 これから大量のスキャンファイルを活字化する予定ですので、このディスプレイに活躍してもらいましょう。

モバイルモニター(Geoyeao)

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2020.11.29

豊饒の海〜仲小路彰の三島由紀夫評

250pxlocation_of_mare_fecunditatis 日の続きです。

 三島の遺作となった「豊饒の海」。「豊饒の海」という言葉からは、まさに豊かな生命をたたえた大海を想像しがちですが、実はこの名の由来は月にあります。

 折しもアポロが月面着陸し、「海」が実際に荒涼たる虚無であることが確かめられた、その直後のことですから、当然三島はそこに意味を見出したわけです。

 「豊饒の海(豊かの海)」は、この写真の赤丸で囲っているところ、つまり、餅をつくウサギの片方の耳にあたります。

 古来日本では一つのモノ語りとして信じられてきた「餅をつくウサギ」が、それこそ無機的な玄武岩の台地であるコトに、三島はある種の絶望を抱いたのでありましょう。

 三島とは因縁の仲であったとも言える仲小路彰は、三島自決の直後12月1日に「三島の死の象徴的意味ー彼の死の後に来るものー」という文書を発行しています。

 なかなか厳しい三島評が続くのですが、「豊饒の海」の命名については次のように書いています。

 

 そして彼の最後の作品「豊饒の海」は、かのアポロ・ロケットが到着した月面の荒涼とした天文学上の名を用いたように、彼の予見的天分は、あるいは核戦争か地球的公害の果てに来る、死の地上の終末的光景を、まざまざと感覚したことによるかも知れないのである。

 

 また、仲小路らしい未来視点的な三島評の中にも「月」が登場します。

 

 すでに明らかなように、彼の死は未来に開かれたものではなく、かすかでも未来からひびく声に応じたものでもなく、まさに亡びゆく過去なるものへの対決であり、その絶対的否定であった。

 彼の生涯はその最期の告白に見るように、一切が偽善にみちみちたものであり、彼の作品そのものも、また偽善者の文学であるとして、彼はそれ故におしげもなく捨て去ろうとしたのである。

 これを知らぬ彼への批評も讃美も非難も無視も、彼にとってはことごとく我を理解し得ぬ縁なき衆生として、孤独に苦しんだのである。

 その生活の外面的華やかさがあればあるほど、彼の真実は荒涼として月面の人の如くであった。

 さればこそ、彼はその最期の「天人五衰」に羽衣の月からの天女の悲しみになぞらえてその終曲を書くのであった。

 ここに彼の遺志として示されたものが唯物的、無神論的米ソ中心の現体制の否定として鋭い拒否をなしながら、彼自らそれとともに死んだのである。

 

 非常に貴重な評ですね。これはほとんど今まで世に出なかったものです。三島の研究者も知らないでしょう。ここに引用してものは、全体のほんの一部です。いつか全文が公開できる時が来ればと思います。

 明日は満月。そして、半影月食。あらためて影のさす「豊饒の海」を眺めてみたいと思います。

 

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2020.11.28

ETV特集 『転生する三島由紀夫』

Th_-20201129-101152 中湖の三島由紀夫文学館設立にも関係した方から是非との連絡を受け、観ました。

 非常に面白かった。個人的には、今まで観た三島関連の番組の中で最も惹きつけられました。

 こうして現代に、そして未来に「転生する」からこそ三島由紀夫なのであり、それはある意味、三島の設計どおりなのでした。

 今から50年前の11月25日。その日を選んだのは、その49日後の1月14日が三島の誕生日だったからです。

 この番組でも紹介されていた「サロメ」の演出も、もちろん設計されたもの。

 三島が未来に投げたボールを、私たちは思わずキャッチしてしまっているのです。

 正直個人的にはあまり好きではない三島ですが、その違和感もまた、彼の意図するところに違いありません。

 そして、そうして三島に翻弄されているうちに、私もいよいよ「転生する」時が来たのかなと思いました。

 そう、国のために殉じるのです。もちろん、私には、文部科学省を乗っ取って演説をぶって切腹するような勇気はありません(笑)。

 しかし、三島の予言したとおりの空虚な日本に対する憂いはたしかにあり、そのために行動しなければならないということもよく分かっています。

 そのタイミングが今なのかなと。個人的な環境にも変化があり、世間的にはコロナのこともあり、また今年の3月で56歳7ヶ月となり、王仁三郎的に言えば「みろく下生」という「転生』の時を迎えるにあたり、三島にも、そして三島に近くて遠い存在でもあった仲小路彰にも背中を押されているような気がします。

 とにかく違和感がすごいのです。人一倍適応力や社会性があるものと信じてきましたが、それでも耐え難いのですから、相当日本は病んでいるのでしょう。

 これはもうしかたないですね。運命というのは、やはりあるのだなと思った次第です。

 というわけで、私も一度死んで生まれ変わり、小説でも書いてみましょうかね(笑)。

 12月3日0時(2日24時)から再放送があります。見逃した方はぜひ!

ETV公式 転生する三島由紀夫

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2020.10.31

『人間失格 太宰治と3人の女たち』蜷川実花監督・小栗旬主演作品

20201101-104957 年秋に地元で(なんちゃって)文学講座をやっております。

 今まではずっと古典作品を扱ってきましたが、今年初めて近代文学を取り上げます。

 というわけで、ここは富士北麓にゆかりの深い太宰治に登場願いましょう。地元の人にしか分からない作品がいくつもありますので、私も楽しみです。

 で、久しぶりに太宰ワールドにどっぷり浸かろうと思い、この映画を観ました。

 結論から言いましょう。悪くなかった。小栗旬の太宰は思ったより違和感がありませんでした。

 3人の女を演じた3人の女優もそれぞれの良さが出ていました。

 この映画公開直後逮捕されてしまった沢尻エリカの輝きが格別でしたし、対照的な宮沢りえも良かった。個人的に一番物足りなかったのが二階堂ふみでした。

 というか、私の中でのキャラ設定としては、エリカ嬢に山崎富栄役をやってほしかった。そして太田静子役に二階堂ふみ。年齢設定に無理がありますが。

 太宰のダメ男ぶりと、ダメ男に惹かれる女たちという構図には、もうすっかり慣れてしまいました。映像作品ほとんど観てますからね。そうそう、私のイチオシは役所広司が太宰役をやったドラマ「グッド・バイ 私が殺した太宰治」です。ちゃんと「5人の女」を描いていますし。最近YouTubeで観られるようになったので探してみて下さい。

 役所広司版と比べても物足りなかったのは、やはり役者陣のオーラというか存在感なんですよね。これは最近の若い役者さんたちに共通して感じることです。

 その点、沢尻エリカと宮沢りえは良かったのです。やはり、それまでの人生の重みのようなものが画面に表れてしまうのでしょうね。

 考えてみれば、エリカ嬢は太宰みたいなところがあった。私の大切な友人はエリカ嬢の元夫なのですが、彼はまさに太宰に対する石原美智子、すなわちこの映画での宮沢りえのように、才能あるパートナーを薬物など様々な誘惑、悪意から救おうとした人物です(何十年後かに映画化できるかも)。

 そういうところを通っているから、そして太宰のように結局その献身を裏切って落ちてしまったからこそ、ああいう演技ができたのかもしれませんね。

 この、ノンフィクションでありながらフィクショナルな物語を描くにあたって、蜷川監督独特の色彩感覚や映像美、三宅純さんの音楽のあの世っぷりが非常に有効に働いたのは事実であり、その点では今までの作品群よりも、かなり優れていました。

 ぶっ壊す…最近の私の口癖ですが、こうやって命がけで家族まで破壊するのは、ちょっと無理です。たしかに太宰にはそれができる強さがありました。ちょっと悔しい。ずるい。嫉妬します。

 結論。太宰はずるいけれど、やっぱりイケメンです。言葉がね。

公式サイト

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2020.10.29

火(霊)の洗礼

Th_5cb4e32ed2ce7847bf31721f960480 ロナ禍の前、昨年のことを思い出してください。

 4月にパリのノートルダム大聖堂が火災に見舞われました。8月にはアマゾンの熱帯雨林で大規模な火災。10月には沖縄の首里城が全焼しました。

 まさに「火の洗礼」ではありませんか。

 ここで、王仁三郎の言葉を引用してみます。大正14年の「神の国」に掲載された文章です。

 

 火をもって、バプテスマを行うという事は、人間を霊的に救済するという事である。これ大乗の教えであって、今までの誤れる総てのものを焼きつくし、真の教えを布かれる事である。水をもってバプテスマを行うという事は、人間を体的に救済する事である。

 火は霊であり、水は体(たい)である。

 瑞霊(みづのみたま)の教えは永遠の生命のため欠くべからざるの教えであって、厳霊(いづのみたま)の教えは人生に欠くべからざるの教えである。

 厳霊の教えは、道義的であり、体的であり、現在的である。

 瑞霊の教えは道義を超越して、愛のために愛し、真のために真をなす絶対境である。いわゆる三宝(さんぽう)に帰依し奉(たてまつ)る心である。火の洗礼と、水の洗礼とは、それほどの差異があるのである。

 某地の大火災を目して、火の洗礼だと人は言うけれど、それは違う。水の洗礼である。いかんとなれば、それは体的のものであるから。

 

Th_images_20201030091501 「火の洗礼」と言った時の「火」は、私たちが考える「火」とは違うのですね。

 よく言われるように、「霊」は大和言葉では「ひ」と読みました。あるいは「もの」と読みました。すなわち、目に見えない何かのことです。

 fireの「火」は目に見えます。ですから、昨年の大火災を表面的に見ているだけでは「洗礼」の意味は分かりません。

 そして、昨年の大火災のあと、まさに「目に見えないモノ」である新型コロナウイルスが世界を覆いました。

 そう、これこそが「霊(ひ)の洗礼」であって、昨年の「火」はその序章に過ぎなかったということです。「火」をもって「霊」に気づくチャンスはあったはずですが、残念ながら私たち人類はそのチャンスを活かすことができませんでした。

 「霊の洗礼」とは「今までの誤れる総てのものを焼きつくし、真の教えを布かれる事」。そう、コロナ禍によって、私たちはそれまでのあらゆる習慣や常識や経済や文化を失ってしまいました。

Th_unknown_20201030091601 それらが「誤れる総てのモノ」だということではありません。それは「コト」です。目に見える(私たちが認知している)「コト」の背後にある、無意識の「霊(モノ)」の方が誤っていたのです。

 そこに気づかないと、このコロナ禍、すなわち「霊の洗礼」は終わらないでしょう。そして、さらなる「焼きつくし」が行われる可能性があります。

 今、私たちは、「体」ではなく「霊」の次元で生まれ変わる必要があるのです。

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