岡崎市円山の神明宮と古墳群
愛知岡崎で中級セミナー。いったい何度岡崎に呼ばれるのでしょうね。
家康さんはもちろん、南朝天皇とも関わりの深い岡崎という地。三浦天皇によると岡崎の大門に三種の神器が埋まっているとか。まあ、それは近代の物語としまして、リアルな歴史について一つ。
この日はセミナーの前に岡崎市円山町の神明宮に日本酒を奉納してお参りいたしました。
丸山というくらいで、この地には多くの円墳があり、その代表が神明宮横にある神明宮第1古墳です。6世紀後半に作られたと思われる直径約20メートルの円墳。
石室も保存状態が良いようです。門扉が設置され、中を覗き見ることしかできませんでしたが、なかなか立派な古墳とお見受けいたしました。遅近くに乙川が流れており、おそらく古代から豊かな自然に恵まれた集落があったものと思われます。そのリーダーの墳墓でしょうか。
墳墓がいつしか信仰の対象となり、神社になっていくというのは全国的にもよく見られることです。
神明宮の祭神は天照大神と猿田彦。おそらく近世以降の伊勢勢力の影響で、そのような形になっていますが、もっと古い信仰があったのでしょう。近くに「龍宮の宮」がありますから、蛇行する乙川を龍に見立てての信仰があったのではないでしょうか。
神社名鑑によると、大正時代に社宮社を合祀となっていますので、ミシャグジ信仰、すなわち蛇や龍の信仰と合流していることがわかります。もしかすると、社宮社の方が古かったのかもしれませんね。
ちなみに「おとがわ」には「乙川」と「男川」がありますが、現在は矢作川の支流が乙川、その乙川の支流が男川となっているようです。「おと」とは「弟」の「おと」と一緒で「年下」を表します。「乙姫」というのも元々は「いもうと」を指す言葉でした。
乙姫と言えば龍宮城。乙川沿いに龍宮伝説が残るというのは、日本語の観点からしても面白いですね。
そして、乙姫の話は翌日に続いていくのでした。

今も仕事場の机の上に、いつでも開けるように置いてあります。こんなふうに。「2024年度用 審査用見本」とありますね。
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