カテゴリー「文学・言語」の1000件の記事

2019.12.08

『あらすじで読む霊界物語』 飯塚弘明ほか (文芸社文庫)

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 日は歴史的特異日。何度も書いていますが、成道会、第二次大本事件、真珠湾攻撃、力道山刺される、ジョン・レノン暗殺、もんじゅ事故…。

 そのうち、世界史の中でも最も苛烈な宗教弾圧であった第二次大本事件からは、今年で84年になります。その事件の主人公、すわなち弾圧され死刑判決を受けたのが出口王仁三郎。

 事件の寸前まで王仁三郎は霊界物語の校正をしていました。霊界物語には第二次大本事件も予言されていると言われています。

 そう、霊界物語はこのデジタル時代になってようやくそこに隠された暗号的な内容が解読されてきているのです。昨日紹介した「百鏡」の多くの歌も霊界物語から採られています。ここでもデジタルデータによる照応がされたようですね。

 さて、そんな、まさに未来に向けて書かれた圧倒的情報量を誇る霊界物語。私も全巻持っていますし、デジタルデータも持っていますが、なにしろ膨大すぎて実はほとんど読んでいません。

 もともと読書が苦手な私。いちおうライフワークとして、源氏物語、宮下文書、霊界物語、そして仲小路彰の未来学原論を死ぬまでに読破しようと思っているのですが、今のところ一つとして実現しそうにありませんね(苦笑)。

 そして、とうとう私のような人のために(?)、こんな素晴らしい本ができました。さすが飯塚さん。彼はまさに自力で霊界物語の全デジタルデータを作った人です。つまり、ちゃんと全て読破している!

 あらすじだけでも520ページ!やばい!あらすじさえ読めないかも(笑)。

 しかし、こうしてあらすじを書いていただいたことによって、露頭に迷わず長い長い旅路を歩けるような気がいたします。まずは、この道先案内を頑張って読みます。

 飯塚さんはもちろん、コラムを書いている黒川さんもお世話になっている知り合いです。私にはとてもできないことを、皆さん地道に続けておられて、心より感謝・尊敬申し上げます。

Amazon あらすじで読む霊界物語

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2019.12.07

出口王仁三郎 『瑞能神歌 一人百首かるた【百鏡】』

Th_5_000000000347 以来さぼっていた作歌を再開しました。

 本当に何かを創造する仕事って大変ですよね。一度さぼってしまうと、どうやって作っていたのか忘れてしまう。できる予感すらしなくなってしまう。

 これがスランプと言われるものなのかもしれませんね。私のような趣味人でさえ、そういう苦悩を味わうわけですから、プロの方々は本当に大変でしょう。

 で、再開のきっかけとなったのが、これです。百鏡。

 出口王仁三郎は日本最大級の歌人です。なにしろ全歌数は15万首以上。ほとんど日常会話が短歌だったらしい。スランプとは無縁の天才です。

 そんな王仁三郎が、自身の歌を百選し、かるたにしてしまったのがこの百鏡です。

 最近、八幡書店から復刻されまして、早速購入しました。これがまあ面白いのなんのって。いや、歌もいつものとおり面白いのですが、何よりかるたの読み札の写真がたまらない。王仁三郎の百面相ならぬ百神相なのです。

 本人はいたって真面目でしょうし、信者さんにとっては面白がるより有難がる対象なのでしょうが、いやいやもう正直「笑ってはいけない」状態ですよ、我が家では(笑)。

Th_4_000000000347 今風に言えば、コスプレ写真集ですよ。まあ貴重な王仁三郎の写真をまとめて百枚見ることができるだけでもすごいことではありますがね。

 なんかこれを眺めていたら、歌ができるような気がしてきた。あれほど意欲もわかず、またできる予感もしなかったのに、あっという間に何首もできてしまいました(クオリティは?)。

 やっぱり自我が強すぎたんでしょうね。作ってやろうという自我が。器になったら簡単にダウンロードできた。たしかにこうやって作ってたっけ。思い出しました。

 オニさん、ありがとう。救われた。さすが救世主。

八幡書店「百鏡」

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2019.12.04

まじ、つらみ…

Th_-20191205-103951 じ、つらみが深い…期末テスト中の娘が、そう言っております。

 昨日の「読解力低下」と表裏一体で語られることの多い「若者言葉の乱れ」。はたして「乱れ」と片付けていいのか。

 「〜み」という言葉が耳についてきたのは、昨年あたりからでしょうか。特に若者が使います。30代になると厳しい?

 これは、「つらみ」「やばみ」「うざみ」など、やや語感の強い形容詞(つらい・やばい・うざい)などの語幹に「み」をつけることによって、ニュアンスをやわらかくする、いわば婉曲表現だと思いますね。

 普通に「つらい」とか「やばい」とか「うざい」とか書くと、読み手や聞き手に圧迫感を与えてしまいます。真剣に心配されてしまったりすると面倒だなあという時に、こういう婉曲表現は有効です。

 かつてなら、「つらい(涙)」とか「つらい…orz」とか「つらい…(ノ_・。)」とか、場合によっては「つらい(笑)」とか書いていたのかもしれません。特に文章では書き手の表情が見えませんので、こうして読み手に過度なストレスを与えないような工夫がなされてきました。

 それをさらに簡略化したのが、「〜み」でしょう。「つらい」という言い切りよりも、マ行音の「み」を語末に持ってきた方が、何か柔らかくなる。

 「つらみが深い」というような場合は、「つらみ」は名詞として扱われます。「つらさ」と同じ意味とも言えますが、やはりやや語感が軽くなるように感じますね。

 ちなみに名詞の「つらみ」という言葉、皆さんよくご存知の「うらみつらみ」という言葉として、とっくの昔から使われていました。江戸時代にはやった表現です。つまり、「うらみつらみ」でしか使われなかった「つらみ」という名詞が、この令和の時代になって完全に独立したというわけです。

 江戸時代の「つらみ」は、「うらみつらさ」の「つらさ」が「うらみ」に引きずられて語調を整えたものです。もちろん音に引きずられただけでなく、実際に「形容詞の語幹+み」という表現が古来あったというのも大きい(ちなみに「うらみ」は「うらむ」の連用形の名詞用法です)。

 そう、たとえば今でも「おもしろみ」とか「深み」とか「高み」とか「重み」とか言いますよね。「茂み」という当たり前の名詞も、もともとは「しげし」という形容詞の語幹に「み」がついたものです。万葉集にすでに用例があります。

 さらに言うと、「辛み」を「からみ」と読んだ場合、これは「辛味」と書くこともあります。「甘味」とか「旨味」などもそうですが、味に関する形容詞の場合、和語の「み」と漢語の「味」が混同してしまって、「味」という漢字を当てるようになりました。

 なんか話があっちこっち行ってしまいましたが、とにかく、日本語の歴史においては「若者言葉の乱れ」こそが「言葉の変化・進化」の尖兵なのでした。

 あとは、この新型「〜み」が定着するのか、それとも消え去る運命なのか。

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2019.12.03

読解力の低下=◯◯◯の増加?

Th_1575365820_2019120300050212yom000view ISA調査 日本の読解力低迷 、読書習慣の減少も影響か

 さあ、国語のセンセーであるワタクシがコメントいたしますよ。

 アマノジャク宇宙人である私のことですから、世間様とはちょっと違うことを「あえて」書きます。

 まず、読解力の低下とは何かということ。これはズバリ

「読解力の低下」=「面倒くさがり屋の増加」

 です。

 そこから逆算しますと、「読書量の低下(本や新聞を読まなくなったこと)が原因」というのも眉唾です。

 「朝ごはんを食べない生徒の成績が低い、集中力がない」というのと同じくらい無責任な「懐古趣味」でしょう。先生はじめ、多くの「識者」が、「とりあえす昔は良かった」とか「自分はこうだった」というのを振りかざしている時は、まず疑ってかかった方がいいでしょう。

 「読書、新聞購読、朝ごはん」というのは昭和の常識です。そうでない世の中を目指し、作ってきたのは私たち大人でしょう。少なくとも子どもたちのせいではない。

 ちょっと言い過ぎましたかね。もう少し冷静に言うなら、こういうことです。

 「勉強が嫌いな子どもの家庭では、朝ごはんを食べさせないことが多い」

 「読書をさせたり、新聞を読ませたりする家庭の子どもは面倒くさがらず長文を読解する」

 それぞれの「家庭」が全く逆の性質を持っていることを明らかにしますと、これも差別的な発言だと糾弾されそうですね。しかし、そういうふうに常識的な因果関係を一度裏返してみることも大切なのですよ。世の中を読解するにあたっては。

 で、現場的に言いますと、私も含めてですが、凡人は基本「面倒くさがり屋」です。

 PISAのような舶来のテスト形式に慣れていない凡人にとっては、それはもっと面倒くさい対象になります。だから、白紙答案が多いのですよ。結果として平均点が一気に低下する。

 もちろん「面倒くさがらない」ことこそが「読解力」の入り口にあることも分かっています。しかし、その面倒くさがり屋さんたちに、「読書しろ」「新聞読め」と言っても、もっと面倒くさくなるだけで、なんの解決にもなりません。

 無理やり朝ごはんを食べさせたら、みんな成績が良くなるとか、学校を休むことがなくなるとか、集中力が増すとか、まあ巡り巡って結果として少しはあるかもしれませんけれども、「朝ごはん=勉強好き」という直接的な因果関係はそこにはほとんどありませんよね。

 朝ごはん食べないのも、食べさせないのも「面倒くさがり」の結果だったりします。

 しかし、その面倒くさがり屋たちも、いざとなると驚異の集中力を発揮すること知っています。そういう例がわんさかいます。今ちょうど期末テスト中でして、最強のぐうたら女である次女も、まさに火事場の馬鹿力を発揮しております(笑)。

 表面的な結果を表面的な因果関係だけで解釈して表面的に心配して表面的に騒ぐだけでは、本質的な改善にはつながりませんよ。

 では、どうすれば良いか。そのヒントは…極度な面倒くさがり屋のワタクシが、夜中起きてでもやっている「ゲーム」の仕組みの中にある…と真剣に思っています。

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2019.11.22

甲野善紀 「教わる」ことの落とし穴

 

 日は都留文科大学国文科の学生さん二人とたっぷりお話をしました。国語の教員を目指す、まさに私の後輩ということになります。お二人とも不思議な、不思議すぎるご縁があってお互いにびっくりしました。偶然は必然です。

 いつもの私らしく、話があっちこっち行ってしまい、結局何を話したか自分ではほとんど覚えていないのですが、たまたま帰ってから観た動画に、そのエッセンスが語られていることに気づき、自分でも思わず「なるほど」と思ってしまいました。

 代わりに(?)語ってくれているのは、かの甲野善紀師であります。言わずもがな、武道の達人であります。最も尊敬する心の師のお一人。

 「教える」こと、「教わる」ことの限界や危険性、すなわち「言葉」の限界や危険性ですね。国語の教員こそが、それらを意識すべきです。

 守破離ですね。学習はすなわち「まねび」「ならふ」こと。真似して慣れることで満足してはいけない。それを「破」って「離」れなければ。

 本当の「師」とはそこへ導く存在です。それを促す存在です。

 私が恩師大村はま先生に言われた言葉を思い出します。「私の真似をするなら100%しなさい」。厳しいお言葉でした。

 これは禅や道の修行と同じことを言っている。真似する、すなわち「守」ることを突き詰めて、結果として、それが無理であることを悟る。その結果、本当の自分に出会うことができ、ようやくオリジナルが生まれる。

 つまり、それこそ都留文科大学の学生だった私に大村先生が言いたかったのは、「あなたらしい国語の先生になりなさい」ということだったのです。

 出会ったのが偉大な師であればあるほど、それを破ってそこから離れることは難しい。高い山を越えて、さらに高い山を築くことは難しいけれども、それに挑戦することには大きな喜びがあるとも思います。

 辛いことと喜びとが一致するということを、なかなか教えにくい世の中になってしまいました。せいぜい、教師(先生)である自分が、そうして生きている姿を見せることくらいしかできませんが、それもまた、いやそれこそが、「教える(教わる)」や「言葉」を超える究極の方法なのかもしれません。

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2019.11.09

野村四郎先生の「船弁慶」

 日はあっちこっちで大忙しでしたが、その分楽しかった。午前中は園長会。午後は東京は銀座へ。

 下の娘は今日、沖縄修学旅行から帰ってくる日だったのですが、羽田空港で友達とは別れ、そのままGINZA SIXの観世能楽堂へ。

 そう、今日は観生会がありまして、娘は羽田から直行で「船弁慶」を舞ったのであります。

 いつもながら、人間国宝野村四郎先生をはじめとして、お世話になっている師匠の皆さんに謡や囃子で応援してもらいながらの、超贅沢な舞台。身内ということを抜きにしても、本当に感動的な時間を過ごさせていただきました。

 終了後の直会で、野村先生からは稽古における「体験」の重みについてお話いただきました。本当にありがたいことです。

 そんな野村四郎先生の素晴らしい「船弁慶」の動画がありましたので紹介します。説明は不要ですね。すさまじい芸です。まさに娘とは雲泥の差以上の差。雲の上の星ですね、先生は。

 

 

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2019.10.25

南アルプス市 ふるさと文化伝承館

Th_afr1910250062p1_20191026090501 日も大雨。朝、焼津から富士吉田に帰ってきたのですが、ずっとすごい嵐でした。海水の温度が高い状態はこれからも続きますので、この秋口の荒天は恒例のものとなるでしょう。あとは人間側の対策いかんです。

 さて、そんな中、今日こんなニュースがありました。

台風19号】武田信玄が築いた堤防が一部陥没 山梨の御勅使川

 御勅使川…みだいがわと読みます。難しいですね。

 実はちょうど22日に御勅使川の氾濫と治水について、専門家のお話を聞いてきたところでした。

 南アルプス市の「ふるさと文化伝承館」。

 ここに関しては9年前、こちらにディスクレシア(失読症)と縄文について書きました。歴史上の天才たちはもちろん、縄文人はみんな文字が読めなかった!ゆえに天才。

 昨年この「ふるさと文化伝承館」がリニューアルしたということで、久しぶりにうかがったわけです。実はこの伝承館が位置する「小笠原」は、「山口氏」のルーツでもあります。

Th_img_4873 9年前にうかがって衝撃を受けた「世界的縄文土器がゴロゴロある」感はそのままで、さらに最近の中部横断自動車道工事で見つかった、のちの時代の遺物や、それこそ御勅使川の治水、あるいはこの度の台風被害でなぜか英雄的に語られた「信玄堤」が、「こちら側」では「うらみの信玄堤」だったという事実が、新たに整理され展示されています。そこがまた面白かった。

 味のある(ありすぎる?)係のおじいさんが、詳しく熱く説明してくれて、それがまた、なんというか妙に縄文ワールドとマッチしていて最高。

Th_img_4874 これを無料で体験できるなんて。正直、今縄文をやっている県立考古博物館や、ちょっと有名な釈迦堂遺跡博物館より、ずっと面白いですよ。

 キャラのラヴィちゃんも妙な可愛さがありますね(笑)。

 

ふるさと文化伝承館FB

 

 

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2019.10.24

清見寺の朝鮮通信使詩書

Th_34 日、日韓両首相が会談したようですね。戦後最悪と言われる両国の関係ですが、民間レベルでは相変わらず韓国アイドルや韓国ドラマの人気は高く、そちらはある意味戦後最良とも言える状況です。

 今日はたまたま、静岡は興津の清見寺を参拝いたしまして、かつての両国の友好関係を垣間見る機会がありました。

 この清見寺には、江戸時代に来日した朝鮮通信使たちが残した多くの漢文が残されています。それが刻字されて仏殿に掲げられていました。

 それぞれ、立派な五言絶句・律詩、七言絶句・律詩です。日韓(朝)が中国を通じてつながるというのも面白いですね。日中韓の幸せな関係です。

 今では、韓国では漢詩の勉強はしないのではないでしょうか。それどころか、現代中国人は漢詩・唐詩などは読めないようです。日本人が一番中国の古典を勉強している。

 秀吉の朝鮮出兵で崩れた日本と朝鮮の関係を、家康は見事に修復しました。ここから学ぶべきことはたくさんあります。

 この清見寺の朝鮮通信使詩書・遺跡は、県の文化財、国の史跡であり、またユネスコの記憶遺産となっています。まさに世界レベルでの平和友好の象徴と言えましょう。

 なお、清見寺には素晴らしい鐘があるのですが、その鐘楼には「瓊瑶世界」と刻まれています。「瓊・瑶」はともに「輝く玉」という意味だそうで、二つの輝く玉とは、日本と朝鮮のことであると、ご住職の解説がありました。

 また、琉球王朝との交流を伝える「永世孝享」の扁額もあります。鎖国していた江戸時代、ここは実に国際的だったということです。

清見寺公式

 

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2019.10.22

花園天皇 『誡太子書』

Th_ehdegcnvaaeax0 位礼正殿の儀も無事終わりました。これで天災も減ることでしょう。特に水に関する災害は。

 いろいろ語りたいことはありますが、儀式については今日は一言だけ。アメノウズメによってアマテラスが顔をのぞかせまして、虹まで架かりましたね。

 素晴らしいと思いました。さすがですね。全体を見ませんと、それぞれのお役割はわかりませんよ。残念がったり、批判したりするのは人間レベルでの話。以上。

 陛下のお言葉を拝聴しながら、思い出されたのは、第95代花園天皇が上皇時代に、甥でもある当時の皇太子(のちの北朝1代光厳天皇)に残した、ある意味大変厳しいお言葉。

 天皇になる者として、いかに徳を積むことが重要か。宮中にいるといかに世間知らずとなり、国民から遠い存在になってしまうか。システムとして自動的に天皇になってしまう危険性…。お前恥ずかしくないのか!?と。

 たしかに、時は南北朝時代。皇室が二分され、今風に言えば「国民分裂・分断の象徴」になってしまった時代ですからね。しかし、今まで何度か書いてきたように、実は700年前に後醍醐天皇が即位して以来、分裂してしまった皇室が、また一つに統合される、和合するチャンスがこのたびの御代替わりなのです。最後のチャンスかもしれない。

 それをよく御存知の陛下は、学生時代からこの「誡太子書」を「花園天皇という天皇がおられるんですけれども……誡太子書(太子を誡〈いまし〉むるの書)と呼ばれているんですが、この中で花園天皇は、まず徳を積むことの必要性、その徳を積むためには学問をしなければならないということを説いておられるわけです。その言葉にも非常に深い感銘を覚えます」とおっしゃり、大変重要視しております。

 内容だけではなく、歴史的な流れの中で、ご自身のお役割をよくお分かりになっておられるということです。さすがです。

 ちょうど私も、あさってから花園上皇の御所であった妙心寺の関係学校会議に出席します。これも何かのご縁と観じて勉強をしてこようと思っています。天皇に徳が必要であるということは、私たち国民にも徳が必要だということです。

誡太子書

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2019.10.19

【討論】クールジャパンの空虚と日本文化の現在

 日の「東京ブラックホール」で素晴らしい演技を見せてくれた山田孝之さんを、皆さん高く評価されていますね。「全裸監督」、早く観なければ。Netflixかあ。

 ちょっと変な話になりますが、「クールジャパン」は「お寒い日本」になってしまう可能性がありますが、あの時代のアダルトビデオはまさに「ホットジャパン」。今でも、世界で高く評価されています(最近の作品よりも)。水島社長の言う「色ごと」文化ですね。

 さて、今回のチャンネル桜の討論も面白かった。なんといってもカリスマ的なアニメーターである平松禎史さんが参加しているのがすごいですね。その世界に収まらない、まさにメタな視点でのご意見に感動しました。

 特に最後のお言葉。河合隼雄さんの「中空構造」のお話は、一昨日の「ブロックチェーン」の構造ともつながりますね。

 まあ日本文化については、本当にいろいろ言いたいことがありますし、この討論の皆さんの意見に反論したい部分もありますが、とりあえず宇宙人日本人(笑)から、これだけは申しておきます。あいちトリエンナーレもこういう視点で語りたいワタクシです。

 出口王仁三郎は「芸術は宗教の母」と言いました。これはすごい言葉です。そして真理だと思います。

 そこを起点に私の考えを発展させますと、「芸術は政治の母」とも言えます。ですから、ピカソのゲルニカは政治性を帯びても、それ以上に芸術なのです。

 そういう意味では、やはりこの討論で出ていた「土俗性」もまた、芸術の下位概念です。土俗性、地方性、民俗性がなくても、当然芸術は存在できます。

 もっと言えば、「芸術は経済の母」でもあります。また「芸術は科学の母」でもある。究極を言うと、「芸術は戦争以外の全ての母である」となります。

 違う言い方をすれば、「戦争の対義語は(平和ではなく)芸術である」ということです。宇宙的な視点での真理です。これってとても重要です。いずれ詳しく書きますね。

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