カテゴリー「文学・言語」の1000件の記事

2019.04.18

THE YELLOW MONKEY 『9999』

Th_61yalk3kehl れしい。くやしい。かっこわるい。かっこいい。オレも頑張るぞ!
 イエモン19年ぶりのニューアルバム。昨日発売になりました。昨日からずっと聴き込んでおります。同世代として、こういう成熟ぶりを見せてくれると本当に刺激になります。
 もう細かいことは書きません。書きたいけれど書きません。音楽についてずっと語ってきましたが、もう語るのをやめて、ひたすら聴こうと思わせてくれるアルバムです。
 ただ一言。やっぱり吉井和哉の歌詞はすごい!これってある意味、私の人生に対するアンチテーゼですよ。だからこそスカッとする。
 ここからはあえて「吉井くん」と呼ばせていただきます。後輩の吉井くんにこれだけ気持ちよく挑発されると、オレも黙っていられなくなるよ!
 そう、吉井くんは中学の後輩。イエモン再集結の少し前には、本当に不思議なご縁から(ライヴで拝顔していたのを除けば)ウン十年ぶりに再会して、中学時代のことや、志村正彦くんのことについて話しました。吉井くんと「大岩中央スーパー」の話したのは、たぶん私だけです(笑)。
 まあある意味、それだけ共通した青春の記憶があるということです。あの鬱屈した、カッコつけてもカッコ悪い時代の風景を共有している。そして、彼はこんなにカッコいい五十代になっている。オレだって負けていらない!本気でそう思うのでした。
 アンチテーゼというのは、彼が全く勉強をしない少年だったことに起因します。そう、つまり、私はまあ比較的優等生で、それなりに文学や言語の勉強をして国語のセンセイになり、なっちゃって歌人をきどったりしているワケですが、彼はですね、そんな勉強はしていないのに、しかし、今や現代日本を代表する「詩人」になっているわけですよ。
 学校で習う、お行儀の良い日本語なんかからとっくに自由だから、だからはっとさせられる詩を書くことができる。悔しいけれど、私には絶対に不可能です。たとえ中学時代に戻って、彼と同じように学校をさぼっても(笑)。
 それと気持ち良いくらいに嫉妬してしまうのは、こんな音を奏でる、こんなアンサンブルのグルーヴを出せる仲間が彼にはいるということに対してですね。今回のアルバム、本当にそれぞれの楽器の音がすごい自己主張しているのに、しかしそこに共通の「愛」があるからか、全体としては不思議と落ち着いたバンド・サウンドになっている。それだけでも涙ちょちょぎれです。
 あと、やっぱり「愛」なのは、エッジのきいたロック・ナンバーと、実に優しいバラードのバランスの良さですね。荒魂と和魂の幸せな融合、融和。泣けます。
 ああ、結局、語ってしまったではないか。チクショー!吉井和哉、いや一哉にすっかりやられてしまった。悔しいから武道館行きます!

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2019.04.02

令=命

159ef11 日の続きになります。
 「令」の文字についていろいろ書きましたが、世間では「命令」されるようでイヤだ!とか騒いでいる人もいるようです(苦笑)。
 私個人としては「令」の字と「和」が同居していることに、ある種の感動を覚えます。
 「和」については、このブログでいやというほど書いてきました。こちらからいろいろお読みください。
 「令」についても本質的なことを書いておきましょう。
 まず確認しておきたいのは「令」=「命」であるということ。よく見ればわかるとおり、「命」の中に「令」があります。「令」+「口(お皿)」が「命」です。
 もともと「令」という漢字がありました。これは、礼帽をかぶって跪いて神意を聴く人の姿とも言われています。上の金文の文字を見ればわかりますね。
 つまり、神のご意思を素直に受けいる様子であり、誰か人間に命令されているということではありません。
 さらに丁寧になって、目の前に祝詞を受けるお皿を置いたのが「命」。「令」をさらに丁寧に謙虚にしたのが「命」というわけです。
 その「命」が「いのち」の意味になったのは、さらに後のことで、すなわち私たちの「いのち」こそが天(神)から授かったものであると気づいてからのことです。
 ですから、このたびの元号「令和」は、読み替えると「命和」となるわけであり、まったくもって素晴らしい元号であるということになります。少なくとも私はそのように直観いたしました。
 「命令」という言葉も、そう考えますと、偉そうな上司や先輩や先生が用いるべきものではないということになりますね。あくまで、天命、使命という意味合いで使われるべきです。
 まさに、令和の時代は、私たち人間が天から与えられた「命」に目覚め、他者の「命」をも重んじつつ、地球全体が「和」していく時代になっていくことでしょう。日本という国の大きな使命を感じる次第です。

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2019.04.01

令和

Th_as20190401004285_comm 元号が発表になりました。「令和」。おお、なるほど、こうきたか。
 万葉集からの引用ということですが、ラ行音で始まる和語はないので、ある意味とっても中国的だと感じました。
 調べてみると、ラ行音(R)で始まる元号は今回で四つめ。
 平安時代の「霊亀」、鎌倉時代の「暦仁」、南北朝時代の北朝「暦応」、そして「令和」です。
 なんとなく新しい感じがするのは、ラ行音で始まっているからだと思います。先ほど書いたように、大和言葉においては、ラ行音が語頭に来ることはありません。ラッパもリンゴも全て外来語です。
 外来語はすなわち新しい文化。また往時においては、半島や大陸は尊敬すべき存在でしたから、ラ行音にはどこか神聖な感じもあった。
 尊敬、自発、受身、可能を表す助動詞「る・らる」がラ行音なのも偶然ではありません。自分の力の及ばない感じを表す助動詞ですから。
 さて、別の日本語的興味としては、アクセントの問題がありますね。「昭和」もそうでしたが、頭高アクセントなのか平板アクセントなのか。
 これはおそらく慣れてくると平板化して落ち着くと思います。これも日本語のクセです。頭高はエネルギーを要しますから、楽な発音に移行していくんですよね。
 それから長音の問題もある。「れいわ」なのか「れーわ」なのかということですね。これも楽に発音できる「れーわ」に収束していくでしょう。
 また、漢字の問題もあります。ご存知のとおり、「令」いう字は、書体によって最後の画が縦棒なのか(そしてはねるのか)、右下に向かう点なのかという違いがあります。これはどちらも許された字体なのですが、これも楽な方、すなわち「マ」で終わる方が一般的になるでしょうね。
 そして、元号が私たちの生活になじんでいくわけです。
 続きはまた明日。

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2019.03.24

オリジナル技とは?

 田真奈美さんの「他の選手に勝手に使ってもらいたくない」発言が地味に物議を醸しております。

 ジャパニーズオーシャン・サイクロン・スープレックス・ホールド(日本海式竜巻原爆固め!?)

 もともとプロレスの話なんですが、実はいろいろなところでこの問題は起きています。昨日のAIバッハはいまいちでしたが、たとえば音楽なんかの「パクリ」もそうですよね。真似しようと思えば、いくらでも分析してコピーできる。

 いわゆるパロディなら、そのオリジナルの出所が自然と分かるので問題ですし、そこにはある種のリスペクトや軽みがあるので問題ないケースが多いのですが、コピーとなるといろいろ問題がある。

 プロレスでは、同じ技でも違う名前をつけて、まるでオリジナル技のように使う人もいます。また、かつてはあるレスラーの専売特許だった技が、あまりにも多くの人たちに使われ公共物のようになってしまっているものもあります。

 今回の豊田真奈美さんの場合は、その技の開発からネーミングに至るまで、御本人の相当の努力と思い入れがあったのだと思います。ある意味特殊な技ですからね。

 

 

 たしかにスポーツの技には著作権はありません。ただ、プロレスは純粋なスポーツとは言えず、「物語」的な部分が多いある種の文学の香りがする文化ですから、こういう問題も起きてくるのでしょう。

 ちなみに「日本海式」というのは、豊田さんの出身が島根だからでしょう。それをイギリス人が意味もわからず勝手に使ったということで、多分に文学的感情ですね。ビー・プリーストリー選手は、単純に「日本の海」だと思ったのでしょう。それも責められないし、難しいですね。

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2019.03.16

【討論】御代替わりとこれからの皇室


 日は中学の卒業式とジャズバンド部の感謝祭がありました。双方ともに「平成最後の」が枕詞となりました。

 いよいよ5月には御代替わり。はたして新元号は何になるのでしょうか。いずれにせよ、歴史的な「譲位」となるわけでして、その意味は非常に深いと思います(何度か書いてきたとおりです)。

 さて、この討論の中でも言及されていますが、今回の「譲位」、あるいは今上天皇の「退位」は、ある意味日本国憲法下の現行法を凌駕したことです。まさに、憲法よりも天皇陛下のご意思が優先する、優先されるという、日本の国家の本質を体現する現象であります。

 日本の国家の本質を「国体」と表現することには、私は多少の抵抗がありますが、現実としてこのような言語を超えた現象が起きることこそ、この国の名(コト)ではなく体(モノ)を表していると思います。
 さて、新元号は何になるのでしょう。世間ではいろいろな憶測が飛び交っておりますが、そうした内容は避けるようにするのが慣例ですから、ある意味意外なものになることでしょう。ちなみに私は「K…」になると思っています。

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2019.03.14

唐猫

Th_img_3560 大の入試問題の続きです。第二問古文は闌更編『誹諧世説』より「嵐雪が妻、猫を愛する説」が出ました。

問題

 誹諧世説は蕉風の復活に尽力した俳人、高桑闌更がまとめた有名な俳人の逸話集です。嵐雪というのは、芭蕉の弟子服部嵐雪のことです。
 本文は、嵐雪の奥さんが異常に唐猫を溺愛したのを、嵐雪がある意味嫉妬したんでしょうかね、奥さんが外出したすきにその猫をよそにやってしまうという話です。猫狂いですね。我が家と一緒です(笑)。
 まあ、私も猫狂いのカミさんに猫以下の扱いを受けていますから(笑)、嵐雪の気持ちもわからないではありませんけれども、さすがにやりすぎかなあ…。結局バレちゃってますし。
 ところで、古文によく出てくる「唐猫」ってどんな猫なのでしょう。
 実はよくわからないのです。源氏物語の若菜にも「からねこ」が登場しているんですが、どんな猫なのかはっきりわかりません。

「からねこの、いと小さく、をかしげなるを」
「唐猫の、ここのに違へるさましてなむ侍りし」

 とりあえず外来種ということで、日本の猫とは違う外見だったことはわかります。一説では黒猫のことかとも。のちに描かれた絵巻物や絵本では、ぶち猫や三毛猫が描かれていますが、それだと日本猫と変わらないような気がします。やっぱり黒猫だったのではないでしょうかね。
 ちなみに枕草子には「猫は、上のかぎり黒くて、ことはみな白き」の一文があり、背中は黒くてあとは白い猫がいいとされていますが、まあこれは清少納言の好みなのでしょう。
 ちなみに我が家の「唐猫(舶来猫)」は、やはりチョモでしょう(上の写真)。黒猫で長毛。もしかすると、源氏物語の唐猫もこんな猫だったかも?さすがにそれはないか…。

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2019.03.13

是枝裕和「ヌガー」

 稲田出身の是枝監督の文章が東大の国語の問題として出題されました。あっ、大学院は東大なんだ。「ヌガー」の全文。対談集に所収のエッセイです。
 これがまたいい文章でして。さすがですね。映像的です。そのまま映画のワンシーンになりそうな文章。風景と味覚が心の動きを象徴する。人間の存在や成長、邂逅と別離を実に端的に共有してくれます。
 昭和の天才たちと比べて、平成の天才たちは文才がない…などと、自分のことは棚に上げてかこちておりましたが、いやとんでもない。こういう人がちゃんといるのだなと思いました。すみません。
 というわけで、これも数分で読めてしまう「短編映画」ですから、ぜひお読みください。
 こういう文章についての問題を解くのは野暮でしょう。東大に入りたいのでなければ。

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「誰も知らない是枝先生」世界的映画監督から学ぶ、物の見方・考え方


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2019.03.12

科学と非科学のはざまで…

20190314_110728 ういう季節になりまして、ウチの学校でも卒業生の進路がほとんど決まりました。
 今年は東大受験者はいなかったのですが、東大の国語の問題が大好きなワタクシは当然のごとく解いてみました。
 今年もまた良問ぞろいというか、良文ぞろいで楽しく読ませていただきました。解くのはそれなりに大変ですけれど。
 今年びっくりしたのは、文系の第四問に是枝裕和監督の文章が出たことです。言うまでもなく「万引き家族」の監督さんです。とってもいい文章だったので、これは明日にでも紹介しましょう。
 さて、第一問ですが、中屋敷均さんの「科学と非科学のはざまで」からでした。これは、私の「モノ・コト・トキ」論に近い内容でしたので、うんうんとうなずきながら読ませていただきました。
 中屋敷さんの文章とワタクシの論の関係を簡単に図式化するとこうなります。

科学・秩序・固体・氷・静的・形・不動・真実・分かること=コト
生命・縁(ふち)・間(はざま)・水・特殊・複雑性・多様性=(トキ)
非科学・無秩序・カオス・気体・水蒸気・動的・無明・分からないこと=モノ

 最近ようやくモノとコトの間に「トキ」を置くことを思いつきました。生命の本質に日本語から迫ることができそうな予感があります。
 どうぞ皆さんもこちらから本文をお読みください。私たちが「はざま」を生きていることの喜びが分かると思います。

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2019.02.28

「逃げ恥」の原理

Th_images いっきり時代遅れな話ですみません(笑)。
 実はあのドラマ観てないんですよ。原作の漫画も読んだことがない。昨日、老師さまとお話していて、なんと「逃げ恥」の話が出ました。私の観ていないあのドラマをなんとご覧になったのだとか(たまたま一部を観たとのこと)。
 しかし、ただ観ただけでは終わらないのが、さすが老師さま。そこからいろいろな深い人生論につながっていきました。あの「逃げるは恥だが役に立つ」ということわざのルーツであるハンガリーにまで行かれて、その奥深い御法話をなさってきたのだとか。さすがです。
 さて、その御法話の内容はここでは控えるとしまして(著作権の関係?)、ハンガリーのことわざとしての「逃げ恥」について書きましょう。
 ハンガリーと言えば「ジプシー」ですよね。まさに「逃げる(走る)」というのは、ジプシーの本質を示す動詞です。ハンガリーは「ハン」は「フン族」の「Hun」でもあり、マジャールは「モンゴル」とも同源とされています。フン族も一説では匈奴であるとも言われています。フィンランドの「フィン」も同系の言葉ですよね。
 すなわち、彼らはアジア系の遊牧民といいますか、コーカソイドとモンゴロイドの混血とも言えると思います。いわばゲルマン民族らに追われて、移動せざるを得なかった民族ですね。
 この前演奏したバッハのカンタータ18番には、トルコに対する恐怖と嫌悪が露骨に表現されていました。バッハのルーツはハンガリーなのに(笑)。
 面白いのは、フン族の末裔や血脈と言われる民族の言語の多くが、膠着語であり、また開音節構造であり、語順も日本語流です。
 日本も極東という、それこそ逃げて逃げて背水のところまで来てしまった民族ですからね。やはり同系の民族である可能性は十分あります。ですから、「逃げるは恥だが役に立つ」がヒットしてもおかしくありません。
 追いやった民族の原理(一神教的な原理)と、追いやられた民族の原理とは大違いで当然です。「逃げる」とは「戦わない」ということでもありますし、自我や財産にこだわらないということでもあります。それは非常に仏教的であるとも言えますね。
 なんだかまとまらない話になってしまいましたが…さて、21世紀、22世紀の価値観はどちらになるのでしょう。逆転なるのか。老師さまともそんな話をいたしました。
 二月は逃げていく。本当にそうですね。今日は高校の卒業式でした。明日から三月です。三月も去るのがはやいのでしょうね。

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2019.02.25

追悼 ドナルド・キーンさん

Th_k10011826371_1902241336_19022413 ナルド・キーンさんがお亡くなりになりました。震災をきっかけに日本人になったキーンさんは、愛する日本の土に還ることになりました。
 現代のどの日本人よりも、ある意味深く日本を理解し愛していたキーンさん。日本人として少し恥ずかしくもあります。
 だいたいですね、今回キーンさんにについて書こうかと思ったのですが、実際書こうとしたら何も書けなかったのです。自分でも意外なほどに、キーンさんの本を読んでいなかった。なんとなく尊敬していたというだけで、その功績もよく知らなかったというわけです。
 つまり、私なんかよりずっと日本文学、日本文化に詳しかったのはたしか。川端康成や三島由紀夫と懇意だったのは、ある意味キーンさんが外国人だったからでしょう。川端や三島のレベルになりますと、これは意外に感じられるかもしれませんけれども、決して「日本的」ではないのです。地球的であり、宇宙的なのです。
 それがたまたま日本という国の風土文化の中で、日本語を使って表現されたから、まるで「日本的」であるように見えるのです。
 ドナルド・キーンさんもそういう意味では地球人であり、宇宙人であったということですね。決してアメリカ的ではないし、ご先祖のロシアやユダヤの感じでもない。
 それこそたまたま日本語、日本文学、日本文化を通じて、その先にある地球的な、あるいは宇宙的なスケールでの本質を観ていたのでしょう。
 「鬼怒鳴門」という当て字がなんとも象徴的です。「鬼怒」で「キーン」、「怒鳴門」で「ドナルド」。「怒」が「掛漢字」になっているところが素晴らしいですね。
 ご冥福をお祈りしながら、遅ればせながら著作を読んでみたいと思います。

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