カテゴリー「文学・言語」の1000件の記事

2024.08.19

いかりや長介と立川談志の対話

 

 日学校の先生方に対する研修の講師を務めます。そこでもある意味厳しく言うつもりですが、学校の先生たちって全然「しゃべりの勉強」をしないんですよ。しゃべりのプロであるべきなのに。まず自分のしゃべりを録音して反省したりすることもない。

 今はYouTubeの時代ですから、本当に簡単に良きサンプルから学ぶことができます。人気YouTuberの語り口も、予備校の先生の授業も、落語も漫才も演劇も、いくらでも勉強できる。

 というわけで、今日も勉強しましょう(笑)。

 昨日は九州人の洒脱な会話を楽しみましたが、今日は江戸っ子の二人の軽妙な会話です。いかりや長介さんと立川談志さん。二人の天才による贅沢な教材です。

 江戸っ子のテンポと間がよ〜く分かりますよね。早口でも間があれば聞き取りやすい。あと表情、手振り身振り。

 それにしてもこの二人の天才の会話、本当に貴重ですよね。今はお二人、向こうでこんな調子で話していることでしょう。若かりし爆笑問題も勉強になっただろうなあ。

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2024.08.18

九州人による爆笑九州談義(筑紫哲也、タモリ、武田鉄矢)

 

 10月に九州ツアーがあります。その計画を立てたりしていました。そこでなんなとく観たのがこの動画。これが実に面白かった!

 この3人、やっぱりすごいですね〜。こういうのをやっていた昭和のテレビもすごかったということか。

 まず「教養」ですね。しかし、その教養がちょっと胡散臭いところが良い(笑)。本で読んだ知識教養とはちょっと違う。生活実感の言語化とでも言うのかなあ。ディテールの真偽はともかく全体としては正しい。

 男たちのこういうダラダラした、ある意味どうでもいい対話って楽しいですよね。日本語が豊かだったとも言える。3人とも比喩が抜群にうまい。

 こういう会話ができる男になりたいですね〜。私も還暦を迎え、すっかり前時代の人間になってしまいましたが、過去を振り返って懐かしむのではなく、先人たちが未来に投げたボールをしっかりキャッチしていきたいと思っています。そして私はいずれこの世を去るので、しっかり未来にボールを投げていきます!

 九州ツアーがより楽しみになってきました。そして「翔んで埼玉3(九州編?)」も楽しみですな(笑)。

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2024.08.10

富士山と八ヶ岳のケンカ

Image45 杜市でセミナーでした。八ヶ岳山麓の皆さんは、富士山麓とは違う雰囲気を持っていますね。地元民もですが移住者も違う。対照的とも言えるかも。

 そこで思い出すのが、有名な「富士山と八ヶ岳のケンカ」の話ですね。ケンカの原因は「どちらが高いか」です。

 女神の富士山と男神の八ヶ岳の激しいケンカ(噴火)を見て、阿弥陀様が勝敗を決するために両山に樋をかけて水を流してみることにしました。そして、結果は八ヶ岳の勝ち。

 これは地学的にも正しいものです。今から10万年くらい前までは、実際に八ヶ岳の方が高かったと考えられます。つまり八ヶ岳(古阿弥陀岳)は崩れていなかったし、富士山は小御岳や古富士の段階ですからね。

 その結果に憤慨した女神富士山は、かけてあった樋を振り上げて、男神八ヶ岳の頭をしこたま殴りつけました(笑)。それで山頂が崩壊して「八ヶ岳」になってしまったと。もちろん背は低くなってしまって、今のように富士山の方が高くなったということです。けっこう怖い話ですね(汗)。

 とは言え、数万年前の記憶が伝説になっているとは考えにくいので、もう少しリアルに考えると、平安時代の記憶がそこに反映しているのではないかと推察されます。

 すなわち、私が時々書いている、9〜10世紀の日本の大活動期の記憶です。復習してみましょう。

 864年貞観の富士山噴火→869年貞観の三陸沖地震(津波)→887年仁和の東海・東南海・南海連動型地震→888年八ヶ岳水蒸気爆発?&山体崩壊→915年十和田大噴火(日本史上最大規模)

 ここにあるように、富士山の噴火から始まって三陸沖大地震、そして南海トラフ巨大地震、おそらくその影響で八ヶ岳が山体崩壊しているのです。

 貞観の富士山噴火は3年ほど続いたと思われますし、その後も噴煙は上がっていた可能性が高い。そんな中、巨大地震が連発して、八ヶ岳が崩壊したわけですから、当然当時の人たちは富士山が怒って八ヶ岳が崩れたという感覚だったことでしょう。

 それがこの伝説に反映していると考えられるわけです。

 それにしても、何度も確認しますが、この50年間はすごいですね。ちなみに893年と917年には、お隣北朝鮮の白頭山も破局的噴火を起こしております。

 まだ3.11から13年です。富士山の噴火も南海トラフ巨大地震も、まあこれからであることは確かですね。新しい伝説が生まれるのでしょうか。 

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2024.08.06

上野三碑(こうずけさんぴ)

Unnamed_20240811103101 日は新函館北斗から高崎まで新幹線で移動してセミナーでした。

 新幹線ってやっぱりすごいですね。昨日の北海道縦断は10時間近くかかったのに、函館から高崎まで4時間半ですからね〜。900kmの移動ですから、表定速度200km/hってことですよね。

 朝、新函館北斗を出まして、昼から高崎でセミナーができるのですから、本当にすごいですよ。

 さて、高崎と言えば、駅前にもオブジェがあったり、いろいろパネルがあったりする「上野三碑」です。いちおう日本語や歴史を専門とするワタクシとしてはじっくり味わいたい逸品であります。

 ユネスコ「世界の記憶」に登録されながら、あまりに地味な存在のため、なかなか知られることがない石碑たちですが、日本語の成立や中国語の受容の歴史を知るためには非常に重要な資料です。

 また、関東地方への大陸や半島からの文化の流入の様子や、仏教の拡大の過程を知る資料としても貴重であり、しかもごく狭い地域に三つが揃っていること、そしてそれらの保存状態が非常に良いのも特徴です。

 今回は時間がなくて、現地には行くことができませんでしたが、本屋さんでいくつかの資料を斜め読みしてきました。個人的には「物部」が現れる金井沢碑に惹かれました。

 詳細は以下のHPからどうぞ。

ユネスコ「世界の記憶」上野三碑

 

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2024.07.28

東北のネーミングセンス

02301_2600542n_02 の日は盛岡にてセミナー。大盛りあがりでした。感謝。

 いわて県民情報交流センター「アイーナ」が会場。いやあ立派すぎる施設でした。素晴らしい。びっくり。各フロア、けっこう有効利用されているように見えました。20年前なんですね、できたのは。箱物としては成功例なのではないでしょうか。

 この「アイーナ」、県民から募集した名前から選ばれたとのこと。そう、私、東北地方の公共施設のネーミングセンスが好きなんですよ。

 この「アイーナ」、ローマ字で書くと「aiina」。施設内のそれは最初の「a」が緑字になっていました。つまり、「あ、いいな」なのでしょう(笑)。

 東北の人たちって日本語(和語)をカタカナにして外来語っぽくするのが得意でして、この日の翌日の八戸の開催場所「ユートリー」も、基本「ゆとり」だ思います。

 公式の説明によると「あなたの木」=「YOU TREE」らしいのですが、それだったら「ユアツリー」でしょう!ww

 秋田市の「アルヴェ」も七夕のアルタイルとヴェガという説明は取ってつけた感があり、やはり「あるべ」でしょう。実際、秋田の人たち「アルヴェあるべ?」って自虐的に言ってますよ(笑)。

 温泉施設の名称なども大変おもしろいので、いろいろ調べてみてください。会社名とかも。なんか可愛いセンスですよね。好きです。

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2024.07.27

「仙台」の語源

197233_main の日は仙台にてセミナー。前日は先生方への「まじめな」?講演でしたが、今日はその学校や先生をディスりまくるという(笑)。我ながら面白い。

 午前中少し時間があったので、地下鉄に乗ってゆかりのあるお寺などを回りました。仙台という街もちょうど良いサイズ感の都会でいいですね。都会と自然のバランスも良い。お酒も食べ物もおいしい。

 ところで「せんだい」という地名、どういう語源があるのでしょう。

 調べるといろいろ説があるようですね。

「仙台」の地名の由来については諸説ある。川に囲まれた山の手を「川内」と称
したことから、音読で「せんだい」と呼ばれ、転じて「千代」の文字が生まれたとする説、
アイヌ語の「sep-nay 広い川」が語源になっているとする説もあるが、『仙台事物起原考』
の「一四八 仙台市地名の由来」の項に詳細な記述のある以下の説が最もよく知られてい
る。
もともとこの地に祭られていた千体仏にちなんで「千体」の字が当てられていたが、い
つのころからか「千体」の雅名である「千代」の文字が使用されるようになった。「千代」
の文字は、仙台城を築城した伊達政宗により、慶長5 年12 月の築城縄張始の折に「仙臺」
と改称された。この改称の由来は、中国の唐の詩人韓翃(かんゆう)の七言律詩の「仙臺
初見五城楼」という起句から採ったものと考えられている。

 なるほどですが、日本語学をやっている者としてはちょっと違和感があるのも事実です。

 アイヌ語由来の東北地名として考えると、やはり「台」はよくある「タイ(川岸の森を意味するアイヌ語)」ではないかと思われます。センは微妙ですが、可能性としては上記の「セプ(広い)」が濃厚かと。

 「ナイ」が「ダイ」となる例は、九州の「川内(せんだい)」はもちろん、古くからある漢語である境内・内裏・参内など西日本にはたくさんありますが、関東・東北ではあまり見かけません。

 今回仙台平野を眺めて感じたたのは、広瀬川など豊かな水に囲まれた広大な森のイメージです。なにしろ「杜の都」ですからね(かつては「森の都」と書いたそうです)。

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2024.07.05

大和魂=グレートにこにこスピリッツ

Img_6476 の日は銀座でセミナー。80名の方々にお集まりいただきました。遠くはアメリカ、イギリス、タイ、ベトナム、沖縄からも!ありがたいかぎりです。

 5時間にわたりお話させていただき、話題は多岐にわたりますが、今回特に共感いただいたのは「大和魂=グレートにこにこスピリッツ」とする私独自の解釈に関してでした。

 近代になって言われるようになった「大和魂=武士道・侍・男らしさ・命を捨てて国を守る」はフィクションであり、「大和撫子」が「グレートにこにこレディー」であるように、本来(旧来)の「大和魂」は「グレートにこにこスピリッツ」であり、ひいてはそれが縄文のスピリットであり、また聖徳太子が憲法十七条の冒頭に挙げた「和」であり、源氏物語の少女巻に初出する「やまとだましゐ」であり、天皇の「にこにこ」であるというようなことを、なるべく学術的な視点から説明したつもりです。

 先日、天皇皇后両陛下がイギリスを訪問された際、あの気難しいチャールズ国王が終始にこにこされていたのは、まさにこの本来の「大和魂」が伝染したものと見て感動したところです。

 あやまった「大和魂」のために戦争に突入していったあの不幸な時代が終わり、いよいよホンモノの「大和魂」復活の時が来たと感じるこの頃です。

 この日も若い人たちが世界中から集まり、それぞれの地に本当の「大和魂」を持ち帰ってくれました。感謝です。これから大きなムーブメントを創っていってくれることでしょう。あとはお任せします(^^)

 

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2024.07.01

三島の水と吉田の水〜太宰治「富嶽百景」より

11_20240707100001 島での合宿、大盛況のうちに終了いたしました。

 静岡出身、そして今は富士山の北麓に住む者でありながら、こうして三島でゆっくり時間を過ごしたのは初めてでした。

 そこで実感したのは、やはり三島が「水の都」であること。そして思い出したのが、太宰治の「富嶽百景」の一節。

 そう、教科書ではカットされている「悪口」の部分です。何に対する「悪口」かというと、富士吉田に対する「悪口」です。読んでみましょう。

 いちど吉田に連れていつてもらつた。おそろしく細長い町であつた。岳麓の感じがあつた。富士に、日も、風もさへぎられて、ひよろひよろに伸びた茎のやうで、暗く、うすら寒い感じの町であつた。道路に沿つて清水が流れてゐる。これは、岳麓の町の特徴らしく、三島でも、こんな工合ひに、町ぢゆうを清水が、どんどん流れてゐる。富士の雪が溶けて流れて来るのだ、とその地方の人たちが、まじめに信じてゐる。吉田の水は、三島の水に較べると、水量も不足だし、汚い。

 これはたしかに教科書には載せにくい。たまたまか必然か、私は富嶽百景の舞台の一つ、富士吉田の月江寺界隈で高校生にこの作品を読んで聞かせることになったわけですが、当然この省略された部分もちゃんと読みました。

 一見不名誉な記述のように感じられますが、いやいやどうして、太宰にここまで言われるのは逆に名誉なことですよ(笑)。

 今回再確認しましたけれど、たしかに三島の水の方が圧倒的に水量が多く、そしてきれいでした。しかし、その「裏富士」の裏たるコンプレックスが、太宰のそうした性質とマッチして、あの歴史的な名作、名文を生んだのだと思います。

 逆に言えば三島ではあの名作は生まれなかった。この名文は生まれなかった。特に私の学校のすぐ横を舞台とするこの部分は、世界の文学の中でも格別なる名文であると信じます。

 路を歩きながら、ばかな話をして、まちはづれの田辺の知合ひらしい、ひつそり古い宿屋に着いた。
 そこで飲んで、その夜の富士がよかつた。夜の十時ごろ、青年たちは、私ひとりを宿に残して、おのおの家へ帰つていつた。私は、眠れず、どてら姿で、外へ出てみた。おそろしく、明るい月夜だつた。富士が、よかつた。月光を受けて、青く透きとほるやうで、私は、狐に化かされてゐるやうな気がした。富士が、したたるやうに青いのだ。燐が燃えてゐるやうな感じだつた。鬼火。狐火。ほたる。すすき。くずの葉。私は、足のないやうな気持で、夜道を、まつすぐに歩いた。下駄の音だけが、自分のものでないやうに、他の生きもののやうに、からんころんからんころん、とても澄んで響く。そつと、振りむくと、富士がある。青く燃えて空に浮んでゐる。私は溜息をつく。維新の志士。鞍馬天狗くらまてんぐ。私は、自分を、それだと思つた。ちよつと気取つて、ふところ手して歩いた。ずゐぶん自分が、いい男のやうに思はれた。ずゐぶん歩いた。財布を落した。五十銭銀貨が二十枚くらゐはひつてゐたので、重すぎて、それで懐からするつと脱け落ちたのだらう。私は、不思議に平気だつた。金がなかつたら、御坂まで歩いてかへればいい。そのまま歩いた。ふと、いま来た路を、そのとほりに、もういちど歩けば、財布は在る、といふことに気がついた。懐手のまま、ぶらぶら引きかへした。富士。月夜。維新の志士。財布を落した。興あるロマンスだと思つた。財布は路のまんなかに光つてゐた。在るにきまつてゐる。私は、それを拾つて、宿へ帰つて、寝た。

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2024.06.25

凪良ゆう 『流浪の月』(Audible)

91fhvknbjs_sl1500_ 日からしばらく大阪。昨日学校勤務を終えて静岡に移動し、朝イチのこだまグリーン車で大阪へ。

 ここのところ移動時間に聴いていた「小説」を聴ききりました。先日映画で観た「流浪の月」です。

 映画とは全く違った後味が残りましたね。久しぶりにちゃんと小説を読みました…いや聴きました。そう最近は本を読む時間が全くありませんで、聴いてばかりです。というか、自分にはそちらの方が向いている。

 ただまず最初にこの小説については、朗読がいわゆるアニメ系の声優さん(土師亜文さん)だったため、そちらに慣れていない自分としてはちょっと違和感が拭えませんでした。

 もちろん、これは原作者のキャラクターというか、読者層を意識しての演出でしょうから文句は言えないのですが。

 原作の小説、映画の数倍濃いですね。映画は映画としての良さがありますが、やはり小説というか文学の表現の幅の広さ、深さ、細やかさというのはすごい。特に作者の比喩力の高さには感動さえしました。巧い!

 映画ではオミットされてしまった複層的なテーマが、その巧みな表現によって見事に響き合っていたと思います。

 もちろん映画においては、それを全て盛り込んでしまうと、作品として破綻してしまう。この前紹介したように映画のシーンさえもあれだけ切り落とされるわけですからね。あらためて映画表現の難しさも感じることとなりました。

 それにしても切ないお話ですなあ。救いがあったような、なかったような。最後にふと思ってしまいました。更紗は本当はストックホルム症候群だったのではないか…。

Amazon 流浪の月(Audible)

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2024.06.23

歌川広重 『六十余州名所図会〜信濃 更科田毎月鏡台山』

S0000068a 松二日目中級編。今日も盛り上がりました。

 17時すぎに終了後、新幹線で長野へ。長野からは車で山梨へ。富士山に着いたのは22時半でした。やっぱり5時間はかかるなあ。

 さて、車で長野道を走る途中、姨捨SA(上り)に立ち寄りました。ここにある田毎庵の蕎麦が好きなのです。

 本物の手打ちそばですからね。実演しているのを見ることもできます。高速道路上でのそば打ちというのはなかなか見られるものではありません。

 これぞ更科そばなのかは不明ですが、やや幅があってコシもあるこのおそば、なんとも言えないワタクシ好みの食感なのです。今日はかき揚げそばを注文しましたが、かき揚げもエビ満載でとてもおいしい。おススメです。

 さて、「姨捨」といえば、高校の古文の教材の定番でもある大和物語の「姨捨」の段ですね。皆さんも学校で習った記憶があるのではないでしょうか。

 日本全国に「姨捨伝説」はありますが、平安時代からすでにこのあたりの「姨捨」は有名であり、またおそば屋さんの名前のルーツともなった「田毎の月」の景色もまた、多くの文学や絵画の題材となってきました。

 姨捨サービスエリアも「月の里おばすて」として、ちょっと怖いイメージからオシャレな感じに生まれ変わりました。

 「たごとの月」とはまさに「田んぼごとに一つ一つの月」ということで、広重もこのように描いています(クリック!)。


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Img_0243 実際にこのように同時に多数の月が映ることはないにせよ、一つ一つ移動してそれぞれの田んぼに月が映る事実をこのように描いたのでしょうね。日本的リアリズムというやつです。

 千曲市では、このあり得ない情景を実現するために、かつてLEDを使って棚田をライトアップしたことがありました。面白い試みですね。

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