カテゴリー「文学・言語」の908件の記事

2017.06.21

日地月合せて作る串団子星の胡麻かけ喰ふ王仁口

Th_0432 口王仁三郎の短歌です。これ、いいですね。大好きです。
 「にっちげつあわせてつくるくしだんごほしのごまかけくらうわにぐち」と読みます。
 ウチの家族はこれを家訓(?)としています。マジです(笑)。
 先日も、カミさんが職場の会議か何かで、「太陽と地球と月で団子を作って星のゴマをかけて食べたい」と言ったら、みんなシーンとしてしまったとか(笑)。そりゃそうだ。
 いや、ウチはみんな、このくらいのスケールで生きたい!と思っているのですよ。
 どうも世の中セコセコしてていかん。目の前のことに心を奪われたり、ちっちゃなプライドに振り回されたり、隣の人に嫉妬したり、顔を合わせないで互いに中傷合戦したり、逆に身の回りの小さな幸せに満足してしまったり…。
 というわけで、皆さんもぜひご一緒にこのスペシャル団子を食べましょう。理屈抜きです。
 こういうスケールで生きていたら、凡夫の日常の悩みなんか吹っ飛んじゃいますよね。
 で、団子食べたらお茶じゃないですか。お茶のスケールもすごいですよ。
 のちに王仁三郎を次のような歌も詠んでいます。さすが。好きだわあ。

日地月星の団子も食ひ飽きて今や宇宙の天海を呑む
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.06.19

太宰治 『八十八夜』

「桜桃」の供えられた御坂太宰文学碑
Th__20170620_100416 日は桜桃忌(太宰治の誕生日にして遺体の上がった日)。
 午後から甲府に出張で、御坂峠を越えて暑い暑い盆地に入りました。太宰治にとっても深い因縁のある峠路を上り下りしながら、富士山、御坂山系、甲斐駒ケ岳、茅ヶ岳、八ヶ岳などを眺めました。
 そこで思い出したのがこの小説。あまり知られていない作品ですが、いろいろな山が出てきます。諏訪が舞台ですが、道すがら山梨の山々も出てくる。
 いかにも太宰らしい、陰鬱な雰囲気の中に咲くささやかな幸福。美しい旋律、リズム。すごいなぁ。

八十八夜

      太宰治


諦めよ、わが心、けものの眠りを眠れかし。(C・B)



 笠井はじめさんは、作家である。ひどく貧乏である。このごろ、ずいぶん努力して通俗小説を書いている。けれども、ちっとも、ゆたかにならない。くるしい。もがきあがいて、そのうちに、けてしまった。いまは、何も、わからない。いや、笠井さんの場合、何もわからないと、そう言ってしまっても、ウソなのである。ひとつ、わかっている。一寸いっすんさきは闇だということだけが、わかっている。あとは、もう、何もわからない。ふっと気がついたら、そのような五里霧中の、山なのか、野原なのか、街頭なのか、それさえ何もわからない、ただ身のまわりに不愉快な殺気だけがひしひしと感じられ、とにかく、これは進まなければならぬ。一寸さきだけは、わかっている。油断なく、そろっと進む、けれども何もわからない。負けずに、つっぱって、また一寸そろっと進む。何もわからない。恐怖を追い払い追い払い、無理に、すさんだ身振りで、また一寸、ここは、いったいどこだろう、なんの物音もない。そのような、無限に静寂な、真暗闇に、笠井さんは、いた。
 進まなければならぬ。何もわかっていなくても絶えず、一寸でも、五分でも、身を動かし、進まなければならぬ。腕をこまぬいて頭を垂れ、ぼんやりたたずんでいようものなら、――一瞬間でも、懐疑と倦怠けんたいに身を任せようものなら、――たちまち玄翁げんのうで頭をぐゎんとやられて、周囲の殺気は一時に押し寄せ、笠井さんのからだは、みるみる蜂の巣になるだろう。笠井さんには、そう思われて仕方がない。それゆえ、笠井さんは油断をせず、つっぱって、そろ、そろ、一寸ずつ真の闇の中を、油汗流して進むのである。十日、三月みつき、一年、二年、ただ、そのようにして笠井さんは進んだ。まっくら闇に生きていた。進まなければならぬ。死ぬのが、いやなら進まなければならぬ。ナンセンスに似ていた。笠井さんも、流石さすがに、もう、いやになった。八方ふさがり、と言ってしまうと、これもウソなのである。進める。生きておれる。真暗闇でも、一寸さきだけは、見えている。一寸だけ、進む。危険はない。一寸ずつ進んでいるぶんには、間違いないのだ。これは、絶対に確実のように思われる。けれども、――どうにも、この相も変らぬ、無際限の暗黒一色の風景は、どうしたことか。絶対に、ああ、ちりほどの変化も無い。光は勿論もちろん、嵐さえ、無い。笠井さんは、闇の中で、手さぐり手さぐり、一寸ずつ、いも虫の如く進んでいるうちに、静かに狂気を意識した。これは、ならぬ。これは、ひょっとしたら、断頭台への一本道なのではあるまいか。こうして、じりじり進んでいって、いるうちに、いつとはなしに自滅する酸鼻さんびの谷なのではあるまいか。ああ、声あげて叫ぼうか。けれども、むざんのことには、笠井さん、あまりの久しい卑屈にり、自身の言葉を忘れてしまった。叫びの声が、出ないのである。走ってみようか。殺されたって、いい。人は、なぜ生きていなければ、ならないのか。そんな素朴の命題も、ふいと思い出されて、いまは、この闇の中の一寸歩きに、ほとほと根も尽き果て、五月のはじめ、あり金さらって、旅に出た。この脱走が、間違っていたら、殺してくれ。殺されても、私は、微笑ほほえんでいるだろう。いま、ここで忍従の鎖を断ち切り、それがために、どんな悲惨の地獄に落ちても、私は後悔しないだろう。だめなのだ。もう、これ以上、私は自身を卑屈にできない。自由!
 そうして、笠井さんは、旅に出た。
 なぜ、信州を選んだのか。他に、知らないからである。信州にひとり、湯河原にひとり、笠井さんの知っている女が、いた。知っている、と言っても、寝たのではない。名前を知っているだけなのである。いずれも宿舎の女中さんである。そうして信州のひとも、伊豆のひとも、つつましく気がきいて、口下手くちべたの笠井さんには、何かと有難いことが多かった。湯河原には、もう三年も行かない。いまでは、あのひとも、あの宿屋にいないかも知れない。あのひとが、いなかったら、なんにもならない。信州、上諏訪の温泉には、去年の秋も、下手へたくその仕事をまとめるために、行って、五、六日お世話になった。きっと、まだ、あの宿で働いているにちがいない。
 めちゃなことをしたい。思い切って、めちゃなことを、やってみたい。私にだって、まだまだロマンチシズムは、残って在るはずだ。笠井さんは、ことし三十五歳である。けれども髪の毛も薄く、歯も欠けて、どうしても四十歳以上のひとのように見える。妻と子のために、また多少は、俗世間への見栄みえのために、何もわからぬながら、ただ懸命に書いて、お金をもらって、いつとは無しに老けてしまった。笠井さんは、行い正しい紳士である、と作家仲間が、決定していた。事実、笠井さんは、良い夫、良い父である。生来の臆病と、過度の責任感の強さとが、笠井さんに、いわば良人おっとの貞操をも固く守らせていた。口下手ではあり、行動は極めて鈍重だし、そこは笠井さんも、あきらめていた。けれども、いま、おのれの芋虫に、うんじ果て、爆発して旅に出て、なかなか、めちゃな決意をしていた。何か光を。
 下諏訪まで、切符を買った。家を出て、まっすぐに上諏訪へ行き、わきめも振らずあの宿へ駈け込み、そうして、いきせき切って、あのひと、いますか、あのひと、いますか、と騒ぎたてる、そんな形になるのが、いやなので、わざと上諏訪から一つさきの下諏訪まで、切符を買った。笠井さんは、下諏訪には、まだいちども行ったことがない。けれども、そこで降りてみて、いいようだったら、そこで一泊して、それから多少、迂余曲折うよきょくせつして、上諏訪のあの宿へ行こう、という、きざな、あさはかな気取りである。含羞がんしゅうでもあった。
 汽車に乗る。野も、畑も、緑の色が、うれきったバナナのような酸い匂いさえ感ぜられ、いちめんに春が爛熟らんじゅくしていて、きたならしく、青みどろ、どろどろ溶けて氾濫はんらんしていた。いったいに、この季節には、べとべと、せるほどの体臭がある。
 汽車の中の笠井さんは、へんに悲しかった。われに救いあれ。みじんも冗談でなく、そんな大袈裟おおげさな言葉を仰向いてこっそりつぶやいた程である。懐中には、五十円と少し在った。
「アンドレア・デル・サルトの、……」
 ばかに大きな声で、突然そんなことを言い出した人があるので、笠井さんは、うしろを振りむいた。登山服着た青年が二人、同じ身拵みごしらえの少女が三人。いま大声を発した男は、その一団のリイダア格の、ベレ帽をかぶった美青年である。少し日焼けして、仲々おしゃれであるが、下品である。
 アンドレア・デル・サルト。その名前を、そっと胸のうちで誦してみて、笠井さんは、どぎまぎした。何も、浮んで来ないのだ。忘れている。いつか、いつだったか、その名を、仲間と共に一晩言って、なんだか議論をしたような、それは遠い昔のことだったように思われるけれども、たしかに、あれは問題の人だったような気がするのだが、いまは、なんにもわからない。記憶が、よみがえって来ないのだ。ひどいと思った。こんなにも、綺麗きれいさっぱり忘れてしまうものなのか。あきれたのである。アンドレア・デル・サルト。思い出せない。それは、一体、どんな人です。わからない。笠井さんは、いつか、いつだったか、その人にいて、たしかに随筆書いたことだってあるのだ。忘れている。思い出せない。ブラウニング。――ミュッセ。――なんとかして、記憶のつるをたどっていって、その人の肖像に行きつき、あッ、そうか、あれか、と腹に落ち込ませたく、身悶みもだえをして努めるのだが、だめである。その人が、どこの国の人で、いつごろの人か、そんなことは、いまは思い出せなくていいんだ。いつか、むかし、あのとき、その人に寄せた共感を、ただそれだけを、いま実感として、ちらと再びつかみたい。けれども、それは、いかにしても、だめであった。浦島太郎。ふっと気がついたときには、白髪の老人になっていた。遠い。アンドレア・デル・サルトとは、再び相見ることは無い。もう地平線のかなたに去っている。雲煙模糊もこである。
「アンリ・ベックの、……」背後の青年が、また言った。笠井さんは、それを聞き、ふたたび頬を赤らめた。わからないのである。アンリ・ベック。誰だったかなあ。たしかに笠井さんは、その名を、つて口にし、また書きしたためたこともあったような気がするのである。わからぬ。ポルト・リッシュ。ジェラルディ。ちがう、ちがう。アンリ・ベック。……どんな男だったかなあ。小説家かい? 画家じゃないか。ヴェラスケス。ちがう。ヴェラスケスって、なんだい。突拍子とっぴょうしないじゃないか。そんなひと、あるかい? 画家さ。ほんとうかい? なんだか、全部、心細くなって来た。アンリ・ベック。はてな? わからない。エレンブルグとちがうか。冗談じゃない。アレクセーフ。露西亜ロシア人じゃないよ。とんでもない。ネルヴァル。ケラア。シュトルム。メレディス。なにを言っているのだ。あッ、そうだ、デュルフェ。ちがうね。デュルフェって、誰だい?
 何も、わからない。滅茶苦茶に、それこそ七花八裂である。いろんな名前が、なんの聯関もなく、ひょいひょい胸に浮んで、乱れて、泳ぎ、けれども笠井さんには、そのたくさんの名前の実体を一つとして、鮮明に思い出すことができず、いまは、アンドレア・デル・サルトと、アンリ・ベックの二つの名前の騒ぎではない。何もわからない。口をついて出る、むかしの教師の名前、ことごとくが、匂いも味も色彩もなく、笠井さんは、ただ、聞いたような名前だなあ、誰だったかなあ、を、ぼんやり繰りかえしている仕末しまつであった。一体あなたは、この二、三年何をしていたのだ。生きていました。それは、わかっている。いいえ、それだけで精一ぱいだったのです。生活のことは、少し覚えました。日々の営みの努力は、ひんまがった釘を、まっすぐにめ直そうとする努力に、全く似ています。何せ小さい釘のことであるから、ちからの容れどころが無く、それでも曲った釘を、まっすぐに直すのには、ずいぶん強い圧力が必要なので、傍目はためには、ちっとも派手でないけれども、もそもそ、満面に朱をそそいで、いきんでいました。そうして笠井さんは、自分ながら、どうも、はなはだ結構でないと思われるような小説を、どんどん書いて、全く文学を忘れてしまった。けてしまった。ときどき、こっそり、チエホフだけを読んでいた。その、くっきり曲った鉄釘かなくぎが、少しずつ、少しずつ、まっすぐに成りかけて、借金もそろそろ減って来たころ、どうにでもなれ! 笠井さんは、それまでの不断の地味な努力を、泣きべそかいて放擲ほうてきし、もの狂おしく家を飛び出し、いのちをして旅に出た。もう、いやだ。忍ぶことにも限度が在る。とても、この上、忍べなかった。笠井さんは、だめな男である。
「やあ、やつたけだ。やつがたけだ。」
 うしろの一団から、れいの大きい声が起って、
「すげえなあ。」
「荘厳ね。」と、その一団の青年、少女、口々に、駒が岳の偉容を賞讃した。
 八が岳ではないのである。駒が岳であった。笠井さんは、少し救われた。アンリ・ベックを知らなくても、アンドレア・デル・サルトを思い出せなくっても、笠井さんは、あの三角にとがった銀色の、そうしていま夕日を受けてバラ色に光っているあの山の名前だけは、知っている。あれは、駒が岳である。断じて八が岳では、ない。わびしい無智な誇りではあったが、けれども笠井さんは、やはりほのかな優越感を覚えて、少しほっとした。教えてやろうか、と鳥渡ちょっと、腰を浮かしかけたが、いやいやと自制した。ひょっとしたら、あの一団は、雑誌社か新聞社の人たちかも知れない。談話の内容が、どうも文学に無関心の者のそれでは無い。劇団関係の人たちかも知れない。あるいは、高級な読者かも知れない。いずれにもせよ、笠井さんの名前ぐらいは、知っていそうな人たちである。そんな人たちのところへ、のこのこ出かけて行くのは、なんだか自分のろくでもない名前を売りつけるようで、面白くない。軽蔑されるにちがいない。慎しまなければ、ならぬ。笠井さんは、溜息ためいきついて、また窓外の駒が岳を見上げた。やっぱり、なんだかいまいましい。ちえっ、ざまあ見ろ。アンリ・ベックだの、アンドレア・デル・サルトだの、生意気なこと言っていても、駒が岳を見て、やあ八が岳だ、荘厳ねなんて言ってやがる。八が岳は、ね、もっと信濃へはいってから、この反対側のほうに見えるのです。笑われますよ。これは、駒が岳。別名、甲斐駒かいこま。海抜二千九百六十六メートル。どんなもんだい、と胸の奥で、こっそりタンカに似たものを呟いてみるのだが、どうもわれながら、栄えない。俗っぽく、貧しく、みじんも文学的な高尚さが無い。変ったなあ、としんから笠井さんは、苦笑した。笠井さんだって、五、六年まえまでは、新しい作風を持っている作家として、二、三の先輩の支持を受け、読者も、笠井さんを反逆的な、ハイカラな作家として喝采かっさいしたものなのであるが、いまは、めっきり、だめになった。そんな冒険の、ハイカラな作風など、どうにも気はずかしくて、いやになった。一向に、気がはずまないのである。そうしてすこぶる、非良心的な、その場限りの作品を、だらだら書いて、枚数の駈けひきばかりして生きて来た。芸術の上の良心なんて、結局は、虚栄の別名さ。浅墓あさはかな、つめたい、むごい、エゴイズムさ。生活のための仕事にだけ、愛情があるのだ。陋巷ろうこうの、つつましく、なつかしい愛情があるのだ。そんな申しわけを呟きながら、笠井さんは、ずいぶん乱暴な、でたらめな作品を、眼をつぶって書き殴っては、発表した。生活への殉愛である、という。けれども、このごろ、いや、そうでないぞ。あなたは、結局、低劣になったのだぞ。ずるいのだぞ。そんなふうささやきが、ひそひそ耳に忍びこんで来て、笠井さんは、ぎゅっとまじめになってしまった。芸術の尊厳、自我への忠誠、そのような言葉の苛烈が、少しずつ、少しずつ思い出されて、これは一体、どうしたことか。一口で、言えるのではないか。笠井さんは、昨今、通俗にさえ行きづまっているのである。
 汽車は、のろのろ歩いている。山の、のぼりにかかったのである。汽車から降りて、走ったほうが、早いようにも思われた。実に、のろい。そろそろ八が岳の全容が、列車の北側に、八つの峯をずらりとならべて、あらわれる。笠井さんは、瞳をかがやかしてそれを見上げる。やはり、よい山である。もはや日没ちかく、残光を浴びて山の峯々がかすかに明るく、線の起伏も、こだわらずゆったり流れて、人生的にやさしく、富士山の、人も無げなる秀抜しゅうばつと較べて、相まさること数倍である、と笠井さんは考えた。二千八百九十九米。笠井さんはこのごろ、山の高さや、都会の人口や、たいの値段などを、へんに気にするようになって、そうして、よくまた記憶している。もとは、笠井さんも、そのような調査の記録を、写実の数字を、極端に軽蔑して、花の名、鳥の名、樹木の名をさえ俗事と見なして、てんで無関心、うわのそらで、わば、ひたすらにプラトニックであって、よろずにうといおのれの姿をひそかに愛し、高尚なことではないかとさえ考え、甘い誇りにひたっていたものであるが、このごろ、まるで変ってしまった。食卓にのぼる魚の値段を、いちいち妻に問いただし、新聞の政治欄を、むさぼる如く読み、支那の地図をひろげては、何やら仔細らしく検討し、ひとり首肯うなずき、また庭にトマトを植え、朝顔の鉢をいじり、さらに百花譜、動物図鑑、日本地理風俗大系などを、ひまひまに開いてみては、路傍の草花の名、庭に来て遊んでいる小鳥の名、さては日本の名所旧蹟を、なんの意味も無く調べてみては、したり顔して、すましている。なんの放埒ほうらつもなくなった。勇気も無い。たしかに、疑いもなく、これは耄碌もうろくの姿でないか。ご隠居の老爺ろうや、それと異るところが無い。
 そうして、いまも、笠井さんは八が岳の威容を、ただ、うっとりと眺めている。ああ、いい山だなあと、背を丸め、あごを突き出し、悲しそうに眉をひそめて、見とれている。あわれな姿である。その眼前の、凡庸ぼんような風景に、おめぐみ下さい、とつくづく祈っている姿である。かにに、似ていた。四、五年まえまでの笠井さんは、決してこんな人ではなかったのである。すべての自然の風景を、理智にって遮断し、取捨し、いささかも、それにおぼれることなく、謂わば「既成概念的」な情緒を、薔薇ばらを、すみれを、虫の声を、風を、にやりと薄笑いして敬遠し、もっぱら、「我は人なり、人間の事とし聞けば、善きも悪しきも他所事よそごととは思われず、そぞろに我が心を躍らしむ。」とばかりに、人の心の奥底を、ただそれだけを相手に、鈍刀ながらも獅子奮迅ししふんじんした、とかいう話であるが、いまは、まるで、だめである。呆然ぼうぜんとしている。
 ――山よりほかに、……
 なぞという大時代的なばかな感慨にふけって、かすかに涙ぐんだりなんかして、ひどく、だらしない。しばらく、口あいて八が岳を見上げていて、そのうちに笠井さんも、どうやら自身のだらけ加減に気がついた様子で、ひとりで、くるしく笑い出した。がりがり後頭部をきながら、なんたることだ、日頃の重苦しさを、一挙に雲散霧消させたくて、何か悪事を、死ぬほど強烈なロマンチシズムを、とえぎつつ、あこがれ求めて旅に出た。山を見に来たのでは、あるまい。ばかばかしい。とんだロマンスだ。
 がやがや、うしろの青年少女の一団が、立ち上って下車の仕度をはじめ、富士見駅で降りてしまった。笠井さんは、少し、ほっとした。やはり、なんだか、気取っていたのである。笠井さんは、そんなに有名な作家では無いけれども、それでも、誰か見ている、どこかで見ている。そんな気がして群集の間にはいったときには、煙草たばこの吸いかたからして、少し違うようである。とりわけ、多少でも小説に関心持っているらしい人たちが、笠井さんの傍にいるときなどは、誰も、笠井さんなんかに注意しているわけはないのに、それでも、まるで凝固して、首をねじ曲げるのさえ、やっとである。以前は、もっと、ひどかった。あまりの気取りに、窒息、眩暈めまいをさえ生じたという。むしろ気の毒な悪業あくごうである。もともと笠井さんは、たいへんおどおどした、気の弱い男なのである。精神薄弱症、という病気なのかも知れない。うしろのアンドレア・デル・サルトたちが降りてしまったので、笠井さんも、やれやれと肩の荷を下ろしたよう、下駄げたを脱いで、両脚をぐいとのばし、前の客席に足を載せかけ、ふところから一巻の書物を取り出した。笠井さんは、これは奇妙なことであるが、文士のくせに、めったに文学書を読まない。まえは、そうでもなかったようであるが、この二、三年の不勉強にいては、許しがたいものがある。落語全集なぞを読んでいる。妻の婦人雑誌なぞを、こっそり読んでいる。いま、ふところから取り出した書物は、ラ・ロシフコオの金言集である。まず、いいほうである。流石さすがに、笠井さんも、旅行中だけは、落語をつつしみ、少し高級な書物を持って歩く様子である。女学生が、読めもしないフランス語の詩集を持って歩いているのと、ずいぶん似ている。あわれな、おていさいである。パラパラ、ページをめくっていって、ふと、「なんじもしおの心裡しんりに安静を得るあたわずば、他処にこれを求むるは徒労のみ。」というれいの一句を見つけて、いやな気がした。悪い辻占つじうらのように思われた。こんどの旅行は、これは、失敗かも知れぬ。
 列車が上諏訪に近づいたころには、すっかり暗くなっていて、やがて南側に、湖が、――むかしの鏡のように白々と冷くひろがり、たったいま結氷から解けたみたいで、にぶく光って肌寒く、岸のすすきのくさむらも枯れたままに黒く立って動かず、荒涼悲惨の風景であった。諏訪湖である。去年の秋に来たときは、も少し明るい印象を受けたのに、信州は、春は駄目なのかしら、と不安であった。下諏訪。とぼとぼ下車した。駅の改札口を出て、懐手ふところでして、町のほうへ歩いた。駅のまえに宿の番頭が七、八人並んで立っているのだが、ひとりとして笠井さんを呼びとめようとしないのだ。無理もないのである。帽子もかぶらず、普段着の木綿もめんの着物で、それに、下駄も、ちびている。お荷物、一つ無い。一夜泊って、大散財しようと、ひそかに決意している旅客のようには、とても見えまい。土地の人間のように見えるのだろう。笠井さんは、流石さすがに少しびしく、雨さえぱらぱら降って来て、とっとと町を急ぐのだが、この下諏訪という町は、またなんという陰惨低劣のまちであろう。駄馬が、ちゃんちゃんとくびの鈴ならして震えながら、よろめき歩くのに適した町だ。町はば、せまく、家々の軒は黒く、根強く低く、家の中の電燈は薄暗く、ランプか行燈あんどんでも、ともしているよう。底冷えして、みちには大きい石ころがごろごろして、馬の糞だらけ。ときどき、すすけた古い型のバスが、ふとった図体をゆすぶりゆすぶり走って通る。木曾路、なるほどと思った。湯のまちらしい温かさが、どこにも無い。どこまで歩いてみても、同じことだった。笠井さんは、溜息ためいきついて、往来のまんなかに立ちつくした。雨が、少しずつ少しずつ強く降る。心細く、泣くほど心細く、笠井さんも、とうとう、このまちを振り捨てることに決意した。雨の中を駅前まで引き返し、自動車を見つけて、上諏訪、滝の屋、大急ぎでたのみます、と、ほとんど泣き声で言って、自動車に乗り込み、失敗、こんどの旅行は、これは、完全に失敗だったかも知れぬ、といても立っても居られぬほどの後悔を覚えた。
 あのひと、いるかしら。自動車は、諏訪湖の岸に沿って走っていた。闇の中の湖水は、鉛のように凝然と動かず、一魚一介も、死滅してここには住まわぬ感じで、笠井さんは、わざと眼をそむけて湖水を見ないように努めるのだが、視野のどこかに、その荒涼悲惨が、ちゃんとはいっていて、のど笛かき切りたいような、グヮンと一発ピストル口の中にぶち込みたいような、どこへも持って行き所の無い、たすからぬ気持であった。あのひと、いるかしら。あのひと、いるかしら。母の危篤きとくに駈けつけるときには、こんな思いであろうか。私は、魯鈍ろどんだ。私は、愚昧ぐまいだ。私は、めくらだ。笑え、笑え。私は、私は、没落だ。なにも、わからない。渾沌のかたまりだ。ぬるま湯だ。負けた、負けた。誰にも劣る。苦悩さえ、苦悩さえ、私のは、わけがわからない。つきつめて、何が苦しと言うならず。冗談よせ! 自動車は、やはり、湖の岸をするする走って、やがて上諏訪のまちの灯が、ぱらぱらと散点して見えて来た。雨も晴れた様子である。
 滝の屋は、上諏訪に於いて、最も古く、しかも一ばん上等の宿屋である。自動車から降りて、玄関に立つと、
「いらっしゃい。」いつも、きちっと痛いほど襟元えりもとを固く合せている四十歳前後の、その女将おかみは、青白い顔をして出て来て、冷く挨拶あいさつした。「お泊りで、ございますか。」
 女将は、笠井さんを見覚えていない様子であった。
「お願いします。」笠井さんは、気弱くあいそ笑いして、軽くお辞儀をした。
「二十八番へ。」女将は、にこりともせず、そう小声で、女中に命じた。
「はい。」小さい、十五、六の女中が立ち上った。
 そのとき、あのひとが、ひょっこり出て来た。
「いいえ。別館、三番さん。」そう乱暴な口調で言って、さっさと自分で、笠井さんの先に立って歩いた。ゆきさんといった。
「よく来たわね。よく来たのね。」二度つづけて言って、立ちどまり、「少し、おふとりになったのね。」ゆきさんは、いつも笠井さんを、弟かなんかのように扱っている。二十六歳。笠井さんより九つも年下のはずなのであるが、苦労し抜いたひとのような落ちつきが、どこかに在る。顔は天平てんぴょう時代のものである。しもぶくれで、眼が細長く、色が白い。黒っぽい、じみなしまの着物を着ている。この宿の、女中頭である。女学校を、三年まで、修めたという。東京のひとである。
 笠井さんは、長い廊下を、ゆきさんに案内されて、れいの癖の、右肩を不自然にあげて歩きながら、さっき女将の言った二十八番の部屋を、それとなく捜していた。ついに見つからなかったけれど、おそらくは、それは、階段の真下あたりの、三角になっている、見るかげもない部屋なのであろう。それにちがいない。この宿で、最下等の部屋に、ちがいない。服装が、悪いからなあ。下駄が、汚い。そうだ、服装のせいだ、と笠井さんは、しょげ抜いていたのである。階段をのぼって、二階。
「ここが、お好きだったのね。」ゆきさんは、その部屋のふすまをあけ、したり顔して落ちついた。
 笠井さんは、ほろ苦く笑った。ここは別棟になっていて、ちゃんと控えの支度部屋もついているし、まず、最上等の部屋なのである。ヴェランダもあり、宿の庭園には、去年の秋は桔梗ききょうの花が不思議なほど一ぱい咲いていた。庭園のむこうに湖が、青く見えた。いい部屋なのである。笠井さんは、去年の秋、ここで五、六日仕事をした。
「きょうは、ね、遊びに来たんだ。死ぬほど酒を呑んでみたいんだ。だから、部屋なんか、どうだって、いいんだ。」笠井さんは、やはり少し気嫌きげんを直して、快活な口調で言った。
 宿のどてらに着換え、卓をへだてて、ゆきさんと向い合ってきちんと坐って、笠井さんは、はじめて心からにっこり笑った。
「やっと、――」言いかけて、思わず大きい溜息をついた。
「やっと?」とゆきさんも、おだやかに笑って、反問した。
「ああ、やっと。やっと、……なんといったらいいのかな。日本語は、不便だなあ。むずかしいんだ。ありがとう。よく、あなたは、いてくれたね。たすかるんだ。涙が出そうだ。」
「わからないわ。あたしのことじゃないんでしょう?」
「そうかも知れない。温泉。諏訪湖。日本。いや、生きていること。みんな、なつかしいんだ。理由なんて、ないんだ。みんなに対して、ありがとう。いや、一瞬間だけの気持かも知れない。」きざなことばかり言ったので、笠井さんは、少してれたのである。
「そうして、すぐお忘れになるの? お茶をどうぞ。」
「僕は、いつだって、忘れたことなんかないよ。あなたには、まだわからないようだね。とにかくお湯にはいろう。お酒を、たのむぜ。」
 ずいぶん意気込んでいたくせに、酒は、いくらも呑めなかった。ゆきさんも、その夜は、いそがしいらしく、お酒を持って来ても、すぐまた他へ行ってしまうし、ちがった女中も来ず、笠井さんは、ぐいぐいひとりで呑んで、三本目には、すでに程度を越えて酔ってしまって、部屋に備えつけの電話で、
「もし、もし。今夜は、おいそがしい様ですね。誰も来やしない。芸者を呼びましょう。三十歳以上の芸者を、ひとり、呼んで下さい。」
 しばらく経って、また電話をかけた。
「もし、もし。芸者は、まだですか。こんな離れ座敷で、ひとりで酔ってるのは、つまりませんからね。ビイルを持って来て下さい。お酒でなく、こんどは、ビイルを呑みます。もし、もし。あなたの声は、いい声ですね。」
 いい声なのである。はい、はい、と素直に応答するその見知らぬ女の少し笑いを含んだ声が、酔った笠井さんの耳に、とてもさわやかに響くのだ。
 ゆきさんが、ビイルを持ってやって来た。
「芸者衆を呼ぶんですって? およしなさいよ。つまらない。」
「誰も来やしない。」
「きょうは、なんだか、いそがしいのよ。もう、いい加減お酔いになったんでしょう? おやすみなさいよ。」
 笠井さんは、また電話をかけた。
「もし、もし。ゆきさんがね、芸者は、つまらないと言いました。よせというから、よしました。あ、それから、煙草。スリイ・キャッスル。ぜいたくを、したいのです。すみません。あなたの声は、いい声ですね。」また、ほめた。
 ゆきさんに寝床を敷いてもらって、寝た。寝ると、すぐ吐いた。ゆきさんは、さっさと敷布を換えてくれた。眠った。
 あくる朝は、うめく程であった。眼をさまし、笠井さんは、ゆうべの自身の不甲斐なさ、無気力を、死ぬほど恥ずかしく思ったのである。たいへんな、これは、ロマンチシズムだ。げろまで吐いちゃった。憤怒ふんぬをさえ覚えて、寝床を蹴って起き、浴場へ行って、広い浴槽を思いきり乱暴に泳ぎまわり、ぶていさいもかまわず、バック・ストロオクまで敢行したが、心中の鬱々は、晴れるものでなかった。仏頂づらして足音も荒々しく、部屋へかえると、十七、八の、からだの細長い見なれぬ女中が、白いエプロンかけて部屋の拭き掃除をしていた。
 笠井さんを見て、親しそうに笑いながら、「ゆうべ、お酔いになったんですってね。ご気分いかがでしょう。」
 ふと思い出した。
「あ、君の声、知っている。知っている。」電話の声であった。
 女は、くつくつ肩を丸くして笑いながら、床の間を拭きつづけている。笠井さんも、気持が晴れて、部屋の入口に立ったまま、のんびり煙草をふかした。
 女は、ふり向いて、
「あら、いいにおい。ゆうべの、あの、外国煙草でしょ? あたし、そのにおい大好き。そのにおい逃がさないで。」雑巾ぞうきんを捨てて、立ち上り、素早く廊下の障子と、ヴェランダに通ずるドアと、それから部屋の襖も、みんな、ピタピタしめてしまった。しめて、しまってから、二人どぎまぎした。へんなことになった。笠井さんは、自惚うぬぼれたわけでは無い。いや、自惚れるだけのことはあったのかも知れない。いたずら。悪事が、このように無邪気に行われるものだとは、笠井さんも思ってなかった。笠井さんは、可愛らしいと思った。田舎くさい素朴な、直接に田畑のにおいが感じられて、白い立葵たちあおいを見たと思った。
 すらと襖があいて、
「あの、」ゆきさんが、余念なくそう言いかけて、はっと言葉を呑んだ。たしかに、五、六秒、ゆきさんは、ものを言えなかったのだ。
 見られた。地球の果の、汚いくさい、まっ黒い馬小屋へ、一瞬どしんと落ちこんでしまった。ただ、もやもや黒煙万丈で、羞恥しゅうち、後悔など、そんな生ぬるいものではなかった。笠井さんは、このまま死んだふりをしていたかった。
「幾時の汽車で、おちなのかしら。」ゆきさんは、流石さすがに落ちつきを取りもどし、何事もなかったように、すぐ言葉をつづけてくれた。
「さあ。」その女のひとは、奇怪なほどに平気であった。笠井さんは、そのひとを、たのもしくさえ思った。そうして、女を、なかなか不可解なものだと思った。
「すぐかえる。ごはんも、要らない。お会計して下さい。」笠井さんは、眼をつぶったままだった。まぶしく、おそろしく、眼をひらくことが、できなかった。このまま石になりたいと思った。
「承知いたしました。」ゆきさんは、みじんも、いや味のない挨拶して部屋を去った。
「見られたね。まぎれもなかったからな。」
「だいじょうぶよ。」女は、しんから、平気で、清らかな眼さえしていた。「ほんとうに、すぐお帰りになるの?」
「かえる。」笠井さんは、どてらを脱いで身仕度をはじめた。下手におていさいをつくろって、やせ我慢して愚図々々がんばって居るよりは、どうせ失態を見られたのだ、一刻も早く脱走するのが、かえって聡明でもあり、素直だとも思われた。
 かなわない気持であった。もう、これで自分も、申しぶんの無い醜態しゅうたいの男になった。一点の清潔も無い。どろどろ油ぎって、濁って、ぶざまで、ああ、もう私は、永遠にウェルテルではない! 地団駄じだんだを踏む思いである。行為に対しての自責では無かった。運がわるい。ぶざまだ。もう、だめだ。いまのあの一瞬で、私は完全に、ロマンチックから追放だ。実に、おそろしい一瞬である。見られた。ひともあろうに、ゆきさんに見られた。笠井さんは、醜怪な、奇妙な表情を浮べて、内心、動乱の火の玉を懐いたまま、ものもわからず勘定かんじょうをすまし、お茶代を五円置いて、下駄をはくのも、もどかしげに、
「やあ、さようなら。こんどゆっくり、また来ます。」くやしく、泣きたかった。
 宿の玄関には、青白い顔の女将をはじめ、また、ゆきさんも、それから先刻の女中さんも、並んでていねいにお辞儀をして、一様に、おだやかな、やさしい微笑を浮べて笠井さんを見送っていた。
 笠井さんは、それどころではなかった。もはや、道々、わあ、わあ大声あげて、わめき散らして、雷神の如く走り廻りたい気持である。私は、だめだ。シェリイ、クライスト、ああ、プウシュキンまでも、さようなら。私は、あなたの友でない。あなたたちは、美しかった。私のような、ぶざまをしない。私は、見られて、みんごとくそリアリズムになっちゃった。笑いごとじゃない。十万億土、奈落ならくの底まで私は落ちた。洗っても、洗っても、私は、断じて昔の私ではない。一瞬間で、私はこんなに無残むざんに落ちてしまった。夢のようだ。ああ、夢であってくれたら。いやいや、夢ではない。ゆきさんは、たしかにあのとき、はっと言葉を呑んでしまった。ぎょっとしたのだ。私は、舌んで死にたい。三十五年、人は、ここまで落ちなければならぬか。あとに何が在る。私は、永久に紳士でさえない。犬にも劣る。ウソつけ。犬と「同じ」だ。
 どうにも、やり切れなくて、笠井さんは停車場へ行って二等の切符を買った。すこし救われた。ほとんど十年ぶりで、二等車に乗るのである。作品を。――唐突とうとつにそれを思った。作品だけが。――世界の果に、蹴込まれて、こんどこそは、謂わば仕事の重大を、明確に知らされた様子である。どうにかして自身に活路を与えたかった。暗黒王。平気になれ。
 まっすぐに帰宅した。お金は、半分以上も、残っていた。要するに、いい旅行であった。皮肉でない。笠井さんは、いい作品を書くかも知れぬ。



| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.05.14

【追悼特番】渡部昇一先生を偲んで (チャンネル桜)

 日は東京でひと仕事。往復の車の中で、この動画の音声を流しておりました。
 番組の中で小堀桂一郎さんや水島総さんらもおっしゃておられましたが、渡部先生は本当に敵を作らない方でした。直接お会いすることは残念ながらありませんでしたが、多くの方から渡部先生のお人柄の素晴らしさについてうかがっておりました。
 そして、もちろん先生のご著書の言葉たちが、そのお人柄を雄弁に語ってくれていましたね。
 そう、左派、リベラルの皆さんからも尊敬されていましたね。文化は政治や思想を凌駕するということでしょうね。
 ご専門の英語学だけでなく、比較文化論、比較文明論…いやいや、そういう範疇にも収まらない、まさに博物誌的な該博さでしたね。そういう方は尊敬されます。憧れますね。
 そして、なんとも純粋なお茶目な面もお持ちだったことが、この番組でよく分かりますね。決して偉ぶらない。愛が深かったのでしょう。
 それにしても、朝日新聞との戦いは壮絶ですね。朝日新聞って、やっぱりああいう役どころなんですよ。異常じゃないないですか、執念が。ヒール。おかげで、渡部さんや小堀さんはいい仕事できたわけですから、結果として。
 そんな辛い体験も含めて、きっと天国で笑い飛ばしておられることと思います。改めてご冥福をお祈りします。
 足元にも及びませんが、できるかぎり、渡部先生のような人間になれるよう、私も精進していきたいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.05.13

平和を愛する諸国民の公正と信義「に」信頼して

Th_20131129192548b40s 日の憲法改正の記事に関連して、ご質問をいただきましたのでお答えします。ご質問とは、憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」の「に」は日本語として不自然ではないかという内容でした。
 たしかに、「〜に信頼する」という言い方は、私達にはなじみがありませんね。かつて石原慎太郎さんが「おかしい」と言っていましたし、最近では作家の百田尚樹さんや櫻井よしこさんも同様に「間違っている」「美しくない」というようなことを言っておりました。
 これは英語を急いで直訳したためだとも言われますが、ちょっと冷静になってみますと、実は間違いではないということはすぐにわかります。
 すなわち、憲法作成当時、「〜に信頼する」という言い方は「あった」ということです。それも比較的普通に用いられていた。
 つい70年前のことなのに、その後の日本語を取り巻く環境の変化のために、ほとんど忘れ去られてしまったのです。
 今日はあまり専門的に詳しくは書きませんが、とにかくこの「に」をもって、「日本語として間違っている。こんな憲法は改正すべし!」とは言えないということだけは確認しておきたいと思います。
 「〜に信頼する」という言い方の例ですが、日本国語大辞典にも次の文が挙がっています。

歩兵操典〔1928〕第一一四「自己の銃剣に信頼し最後の勝利を求むることに勉むへし」

 軍隊の教本ですから、ちょっと特殊な例かもしれませんね。堅苦しい言い方。実際、戦前戦中の勅令などでは、よく出てくる表現だったようです(こちら参照)。
 かと思うと、実際はそういうわけでもなく、長崎純心大学准教授石井望さんのブログに、一般的な用法がたんと挙げられています。錚々たる書き手たちですね。
 もちろん当時も今と同じように「〜を信頼する」という言い方もしていました。やはりどちらかと言うと「に」は漢文訓読調で硬いイメージがあったかもしれません。庶民の口語としては「を」だったのではないでしょうか。
 それから「に」と「を」という助詞の本質的な意味からして、「に」の方が「を」よりもやや主体性を欠くイメージがあります。「に信頼する」だと「に頼る」、「を信頼する」だと「を信じる」というように。
 あと一つ言うならば、「平和を愛する」のところで「を」を使っているので、続けて「を」は使いたくなかったという心理も働いたかもしれませんね。私たちも文章を書く時、そういうことを気にするじゃないですか。あり得ます。
 たしかに現代の私たちにはなじみがないかもしれませんが、当時としてはそれほど不自然ではなかった。実際、発布当時には「おかしい!」という人がいなかったわけです。
 そう考えると、石原さんや百田さんという日本語を操る専門家、そして誰よりも日本を愛する櫻井さんが、軽々にあのようなことをおっしゃったのは、ちょっとどうかとも思いますね。
 ついでですので、私の感覚としては…蛇足も蛇足ですが…「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」という日本語は、けっこうカッコイイと思います(小さい声で)。
 その意味、内容に関する私の意見は、また改めて書きますね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.04.30

『渡部昇一と渋沢栄一』 最終章

 月18日に追悼 渡部昇一さんという記事を書きました。そこで紹介した渋沢栄一に関する動画の「最終章」が公開されましたので、ここに掲載いたします。
 本当に最後の映像でしょうね。たしかにお声がかすれていますが、しかしその言葉の力は全く衰えていません。それどころか、最後に振り絞るように渋沢の生き様を通じて、自らの人生を語ったおられる。
 多くの文人、偉人を紹介してきた中で、最後に渋沢栄一をお選びになったのは、これはきっと必然であったのでしょう。
 「交際術の中心に敬意を置け」
 「細かいことをゆるがせにするな」
 渋沢の男の流儀を通じて遺された渡部昇一さんのメッセージをしっかり心に、いや魂に刻みたいと思います。
 あらためてご冥福をお祈りましす。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.04.20

ボリティカル・コレクトネス?

Th_images 野綾子さんが「大人の言葉遣い わからぬ幼稚」というコラムを書いておられました。いわゆるポリティカル・コレクトネスに対する懐疑を主張されていました。
 言葉尻をとらえて、そして場合によっては謝罪させることが普通になる社会が、いかに幼稚なのものであるか、心の奥底を表現できない世界がいかに硬直化したものとなるかを述べておられました。
 曽野さん、2月だったかの南アに関するエッセイなど、それこそ「政治的」にはちょっと不用意だったかなという言説もありましたが、今回の「言葉狩り」に関する考えには全面的に賛成します。いちおう言葉を専門にしている立場としてです。
 「ポリティカル」な世界は、私に言わせてもらえば「コト」世界ですね。法律における言語はそういう性質のものです。あえて言うなら数字、数式に近づけようとしています。ぶれや余白のない絶対言語に近い世界。
 一方、私たちが使う「言葉」は、まさに「コトの端」であり、せいぜいそうした絶対世界の端っこをかじるくらい、そのほとんどは曖昧模糊とした、しかし豊かな「モノ」世界が広がっています。
 それを、差別だとかいう過剰な「忖度」によって制限することに、私も反対です。
 学校現場なんか、本当に最近は堅苦しくなってきています。愛情と信頼に根ざしたコミュニケーションの中には、あえての「悪い言葉」もたくさん存在します。活字にしてしまって、第三者が見れば、とんでもない「いじめ」や「虐待」と取られかねない言葉も日常的に行き交っています。
 もちろん、そこにはお互いの関係性があり、そこに至る文脈があり、言語的な意味論を超えた「創造的忖度」があり、肉体的表情もあります。そんな「コト」にはまらない「モノ」があるからこそ、私たちは教育をすることができます。
 また、それら「モノ」世界を含む可能性を秘めているのが、まさに言葉の力であり魅力であるわけで、それをまるで法律用語のように、堅苦しく縛ってしまうのは、結局人間の「心」をも縛ってしまう結果になると思います。
 英語では「〜マン」という言い方はやめて、「〜パーソン」というようになっていますよね。女性もいるからということでしょう。日本語の「看護師」などと一緒です。
 笑い話ですが、それでは「スーパーマン」も「ウルトラマン」も「アンパンマン」もダメなのかということになってしまいますね。
 スチュワーデスも今はダメですが、スチュワードという言い方もあったわけで、それはそれでいいような気がするんですが。同様に保母と保父でもいいようにも思います。
 なんでも平等、非差別ということになっていくと、結局極端な共産主義国のような「言いたいことが言えない国」「きれいごとだけしか許されない国」になってしまう可能性があります。こわいですよね。
 言葉は生き物です。生き物を人間の都合で縛る、制限するということがどういうことか考えておきたいところです。
 もちろん、逆に全て自由にというわけにもいかないのは言うまでもありません。野放しではなく、自分の「飼い言葉」として、それなりのしつけをしなければなりませんね。お互いに。
 ちなみに、内田樹さんも「政治的に正しいこと」は正しいのか?でポリティカル・コレクトネスに対して鋭い指摘をしています。ぜひご一読を。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.04.18

追悼 渡部昇一さん

Th_41xw782ar2l 語学者にして保守派論客の重鎮、渡部昇一さんがお亡くなりになりました。
 「知的生活の方法」を読んだ高校生の頃から、言語、文化、思想、歴史観、いろいろな面で大きな影響を受けてきました。最近もネット番組等でお元気なお姿を拝見していたので、突然の訃報に驚いています。
 最も最近の動画がこれでした。渋沢栄一を紹介する渡部さん。渡部さんがご自身の人生を振り返るように、渋沢について語っています。
 私も昨年、仲小路彰研究の関係から、渋沢栄一記念財団の会員になりまして、遅ればせながら渋沢の偉業を知り、その人生訓を学ぶことになっております。
 そんな中、尊敬する渡部昇一先生が分かりやすく渋沢栄一を紹介するとあって、続編も楽しみにしておりました。完結編もおそらく収録済みと思われます。渡部さんが最後に渋沢を語ったというのは、本当にいろいろな意味において象徴的であったのかもしれません。
 ご冥福をお祈りします。

Amazon 知的生活の方法

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.04.07

「忖度」とは…

Th_o0412042413757107253 ちおう日本語を専門にしている者として一言。
 「忖度」…今年の流行語大賞でしょうかね(笑)。皆さんはこの言葉を使ったことがありましたか?
 私は時々使っていました。他の言葉と同様、いつか誰かが使っていたのを真似したんでしょうね。
 その時の私の理解、すなわち使っていた時の理解としては、「推量の同義語」でした。
 日本国語大辞典の用例を見てみましょう。

*東京新繁昌記〔1874〜76〕〈服部誠一〉初・人力車「盖し人の行く所を忖度(〈注〉ハカル)して而して何れの帰りと唱ふ者は」

*文明論之概略〔1875〕〈福沢諭吉〉二・四「他人の心を忖度す可らざるは固より論を俟たず」

*浮雲〔1887〜89〕〈二葉亭四迷〉一・一一「文三の感情、思想を忖度し得ないのも勿論の事では有るが」

*近代絵画〔1954〜58〕〈小林秀雄〉ピカソ「ピカソの真意を忖度(ソンタク)しようとすると」

 最初の例は、まさに「推量」ですよね。別に「人の心の中」という特定はありません。そして、福沢、二葉亭、小林の例では、それぞれ「他人の心を」「文三の感情、思想を」「ピカソの真意を」という目的語がくっついている。
 そう、やはり「忖度」はもともと「推量」でしかなく、日国も含む現在の辞書的な意味「他人の心中やその考えなどを推しはかること」というのは、ちょっと行き過ぎな気がするんですね。せいぜい「(他人の心中やその考えなどを)」とカッコ書きすべきだと思います。
 では、流行語大賞になりそうな、今の世で使われている、つまり森友学園問題において使われている「忖度」はどうでしょうか。
 「自分より偉い人に気を遣って(無言のうちに)便宜を図ること」という、さらに限定的な意味に、あるいは悪い意味になってしまっていないでしょうか。
 もちろん、先ほどの日国の文例がそうであるように、実際の言葉の意味というのは、時代ともに変化し、そして往々にして限定的になっていくものですが、このたびの「忖度」に関しては、かなり行き過ぎのような気がしてなりません。
 まあ、いずれにせよ、「言挙げせぬ」「コト化しない」という「モノ」文化の日本では、相手の心中を読んだり、言葉なしに阿吽の呼吸で事を進めたり、空気を読んだり、以心伝心と言ったり、そういうモノがコトよりも重視されますよね。そんな中、「忖度」くんが新たな意味を持つようになったということでしょう。
 「忖度」くんの心中を「忖度」するに、ちょっと申し訳ないような気がしますが…。
 今回、誰が「忖度」という言葉を言い始めたんでしたっけ?責任は重大ですよ(笑)。
 それにしても、「忖度」という熟語、漢字の読みの問題としても難しいですよね。漢検準一級レベルかな。
 「忖」という字は、日本では「忖度」以外使いませんよね。「度」を「たく」と読むのはどうでしょうか。これもほとんどありません。
 ちなみに室町の辞書には「忖度 シュント 推量義也」とあります。呉音で「じゅんど」と読んでいたのでしょう。そして、意味は単に「推量」とのことです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.04.06

統合失調=統合しすぎ

Th_koyoshio1129 いぶん前に読んで面白い!これだ!と思ったのですが、今まで忘れていました。そして、なぜか今日急に思い出した。

「霊がいるなら、“大腸菌の霊”が見えないのはおかしい」苫米地英人が語る、スピリチュアルと統合失調(康芳夫対談)

 苫米地英人さんと康芳夫さんの対談。平成と昭和の怪物どうしの対談ですよね。ほかの回も面白かったのですが、この「スピリチュアルと統合失調」の話は特に興味深かった。
 そう、あっこれ、自分じゃん!と思ったのです。昨日の記事もうそうですが、私はいい年して、そして学校の先生でありながら、けっこう「トンデモ」な発言をするじゃないですか。学校でも若い頃からそれが売りみたいなのところがあって、昔の教え子たちに会うと「あっ幽霊の先生だ」とか言われる(笑)。授業中そんな話ばっかりしてたんでしょうね。
 まあ、たしかにそういう話って子どもたち大好きですしね。雑談としてはおいしいネタです。そして、これは客観的に考えればですね、ある種の「権威」になりうるんですよ。
 すなわち、「反知性主義」的な尺度をもって「知性主義」的な学校という場で優位に立つというか。もっと端的に、自己批判的に言えば、学歴や学力のなさを、そうした検証不能な物語でごまかすというか。
 ワタクシ流に言えば、「コト」ではなく「モノ」で勝負するってことなんですがね。理屈では存在しないはずの共通実感の方を重視する。
 そういうことをしているうちに、そして、それを多数の他者に受け入れてもらっているうちに、なんとなくその「モノ」の方が実体で、「コト」がフィクションのようにさえ感じるようになる。自分はそういうプロセスを経て、今のようなトンデモ人間に成長したとも言えます。
 昨日の記事における、森友学園と稀勢の里を結びつけるのなんか、まさに「統合しすぎ」のいい例でしょうね。自分でもアヤシイと思いますが、しかし、どこかそういう世界観もあるんだという、変な自信もあったりする。
 でも不思議ですよね。苫米地さんの言うとおり、それは「頭がおかしい」のだと結論づけることもできるのに、なぜか、あんまり人からはそういうふうには言われないで、逆に面白がられたりますんですよね。
 ということは、やっぱり人間の脳にはそういう非科学的なモノを受け入れるプログラムがあるのだと思います。そのように進化してきたということは、やはりそこに意味がある、宇宙生命として必要だと判断されてきたのでしょう。
 最近は「スピリチュアル」という言葉がよく使われますが、古い古い日本語ではそれを「モノ」と言ったのです。ですから、万葉集あたりで「モノ」という和語には「霊」とか「鬼」という漢字が当てられているんですよね。
 さて、自分のこれからの人生、コトとモノのバランスがどのようになっていくのか、自分でも楽しみです。
 コトを窮めてモノに至る…という私の哲学すると、コトとモノも統合されていくはずです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.03.16

演劇実験室◎万有引力 『身毒丸』 (作=寺山修司、演出・音楽=J・A・シーザー)

Th_cfddcf_50fa38ac36de415bbc2d741a6 異的な体験でした。寺山修司の「身毒丸」。万有引力の舞台を堪能してきました。
 堪能では軽すぎる。作品とともに生きて死んだという感覚。本当に脳ミソがひっくり返り、人生が裏返しになりました。
 今回の舞台でも歌い手として非常に重要な役を務められた竹林加寿子さんとの不思議なご縁から、トントン拍子にことが進み、今日の観劇と相成りました。家族4人+寺山とは因縁深い(?)姉と5人での衝撃体験。
 う〜ん、言葉にならないというのは、まさにこのことですね。つまり、「コト」ではなく「モノ」世界なのです。まさに見世物、物語、物怪。
 姉の影響もあって、高校時代あたりから今に至るまで、なんだかんだ私の人生に大きな影響を与え続けてきた寺山修司。私が今、歌詠みの端くれとしてなんとかやっていけているのも、まさに寺山のおかげですし、私の短歌の師匠である笹公人さんも寺山に心酔し続けてきた方。全く不思議なご縁です。
 と言いつつ、恥ずかしながら、実は寺山作品を舞台で観るのは初めてでした。これははまりますね。中二と高二の娘二人もすっかりはまってしまいましたし、家内はやはり北東北出身ということで、私たちよりもより深い根源的なところで共感してしまったようです。姉は寺山熱がウン十年ぶりに再燃したようですし。
 それほどすごいパワー、エネルギーだったのです。寺山は言葉を操る天才ですが、結果として、その言葉たちは吹っ飛んでしまう。「コトを極めてモノに至る」そのものですよ。
Th__20170319_172932
 コトが吹っ飛ぶから、自分も単なるモノになってしまう。異形という判断、あるいは定義も単なる常識的な「コト」ですから、しまいには、舞台上の「モノ」が正常で、こちら側(観客たち)が異常であるという感覚にもなってしまう。最後客電が点いた時、本当にそう思いましたよ。
 私たちが大人になって身につけてしまった「コト」というある種の安定規格を揺さぶる、前近代的(プリミティヴ)な、そして幼児体験的な「モノ」。
 もちろん、それを現出させるJ・A・シーザーさんの演出、さらには彼の「モノの音」たる音楽。いやあ、本当にすごい人だ。寺山も納得でしょう。
 …と思っていたら、なななんと、終演後の打ち上げ(反省会?)で、竹林さんからシーザーさんを紹介していただき、お話させていただき、握手までしていただきました!なんという幸運でしょう(涙)。
 当然、昨年某所で発見した寺山版「HAIR」のシナリオをお見せしました。ぜひ「初演(!)」しましょうと。もしこれが実現したら、大変なことになりますよ。1969年当時ボツになった、あの過激なシナリオが21世紀に舞台化される。
 私自身も何かに突き動かされているような気がします。それを確認するのに充分すぎるほどの衝撃的爆発的なエネルギーを感じる舞台でした。
 シーザーさん、万有引力の皆さん、そして寺山修司さん、本当にありがとう。人生は面白い。

追伸 こちらもぜひお読みください…J・A・シーザー&ヒロイン蜂谷眞未インタビュー

万有引力公式

竹林加寿子さん公式

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧