カテゴリー「文学・言語」の1000件の記事

2024.04.09

『anemone(アネモネ)〜2024年5月号』(ビオ・マガジン)

81eifth0g2l_sl1500_ ネモネさんに私の説を紹介してもらいました。

 正直いわゆる(なんちゃって・勘違い・金儲け)スピ業界はあまり好きではないのですが(笑)、こちらは老舗の雑誌ですし、私の尊敬する人も連載しているので、今回はご縁と神機を大切にし取材を受けることとしました。

 「宇宙の中心・富士山で再会した大国主の分魂と縄文高天原の復活」というタイトルをつけていただきましたが、まさにそのとおり。

_01  40年以上に及ぶ、私の富士山生活、そして宮下文書研究、さらには出口王仁三郎研究から到達した、一つの直観的な持論です。

 他の記事も読ませていただきましたが、私の説はちょっと次元が低いかもしれません(他が高すぎて理解不能でした…笑)。あの中だと、ちょっとアカデミックな感じさえするかも。

 まあ、私のお役目はそこにあると自負して、宮下文書、出口王仁三郎、そして仲小路彰を研究してきましたから、それはそれで満足です。ある意味中途半端なので、なかなか紹介してもらえないんですよ、私のフィールドというかレイヤーは。

_02 今回感動感心したのは、短時間のインタビューでこれだけの記事にまとめてくださった、編集長さんはじめライターやスタッフの皆さんの力量と度量の豊かさです。ありがとうございました。イラストも素敵。

 この記事を読んでいただき、富士山と出雲の関係、荒魂と和魂の関係、縄文と弥生の関係、そして宮下文書と出口王仁三郎の関係などに興味を持っていただければ幸いです。

 あっそうそう、最後に「グレート・ニコニコ・スピリッツ」の話も出てきます。それが発信できたのも幸いでした。

 書店もしくはネットでお買い求めくださいませ。

Amazon アネモネ 2024年5月号

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2024.04.08

天上天下唯我独尊とは…

Baka04_04 日は降誕会、お釈迦様がお生まれになったと言われる日です。ウチの学園では入園式と入学式が行われました。

 お釈迦様の誕生といえば、すぐに七歩あるき、「天上天下唯我独尊」と言ったとか。もちろん、それはフィクションでしょうけれど、人類史上それを実際にやった人物がいることをご存知ですか?

 そう、それはバカボンのパパです(笑)。

 それほど天才だったわけですが、くしゃみをした時にネジが一本はずれ、あんな感じになったというわけです。

 ちなみに「天才バカボン」という不思議なタイトルの由来はいろいろ語られていますが、その一つとして仏教の尊者を表す「バガヴァン」から来たとの説もあります。

 はじめちゃんが仏教学者の「中村元」にちなんでいるとか、レレレのおじさんがブッダの弟子で掃除しかできなかったという「周梨槃特」がモデルだとか、「これでいいのだ」という悟り、あるいはパパの理不尽だがどこか真理を突いた禅問答のような言葉たちなど、冗談抜きで仏教的の影響が感じられる作品ですよね。

 で、お釈迦様とパパが宣言した「天上天下唯我独尊」ですが、表面的には「天にも地にも自分だけが一人尊い」という尊大な言葉のように感じられます。

 しかし「我」を否定したお釈迦様がそんなことを言うわけがない…いやいや、生まれたばかりでまだ悟りを得ていないとも言えますよね。バカボンのパパもまだネジがはずれる前(笑)。王子として生まれたお釈迦様も、まさに「天才的にバカなボンボン」だった可能性があるわけです。

 というのは半分冗談で、実は私は次のように考えています。

 古い文献には「天上天下唯我為尊 三界皆苦 吾当安之」とあります。これを私は次のように訳します。

「世界中、ただ自分だけが尊いとする人ばかりだ。そのために欲界・色界・無色界の三界では皆苦しむのである。私はこれを安んずる(ために生まれた)」

 学問的な説ではありませんが、お釈迦様の言いたいことという意味では、当たらずとも遠からずだと思いますが、いかがでしょう。

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2024.04.05

『無礼語辞典』 関根健一 (大修館書店)

61e76ukdxil_sl1200_ ういう辞典がほしかった!

 この前ゆる言語学ラジオでも紹介されてましたね。

 私はデジタル版をiPhoneとMacBookで使っております。読み物としても面白いので、iPhoneで持ち歩けるのはありがたい。

 「無礼語」という言葉があるのは知りませんでしたが、たしかに使っていて「これはもしかして失礼?」と思う表現がけっこうあり、気になってはいました。

 それをこのような形で明確に説明し、そして言い換えまで教示してくれるというのは、本当に画期的です。20種類の無礼ラベル、そして無礼マップもわかりやすい。

20240408-103851 今までなんとなく違和感のあった表現が出ていて納得したこともありましたし、えっ?これ、普通に使ってたという発見もたくさん。

 もちろん、言葉は生き物であり、新語やユーモアや敬意の逓減を考慮に入れると、他の辞書と同様に頻繁に改訂版を出すべきものかもしれませんね。

 いずれにせよ、いちおう日本語の専門家であると自己紹介している自分としては、大変価値のあるバイブルとなりそうです。

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2024.03.25

ドリフの楢山節考

 崎二日目。こちらも面白すぎる会となりました。まるでドリフという神展開(笑)。

 まじめに一番盛り上がっていたところで、とんでもないアクシデントが!w

 本当に見事なドンガラガッシャンでした。怪我もなくて良かった。まさにドリフ的体当たり演技(?)。

 ということで、ドリフの名作を思い出したので、一つ紹介します。前半のまじめな展開だからこその後半の面白さ。今日のセミナーもこんな感じでした(笑)。王仁三郎P、やるな。

 楢山節考がはやっていたのを逆手にとって、これですからね。これは外国の方々にもウケるでしょう。ドリフ、カトケンには無数の名作コントがありますが、私は原作とのギャップという面でもこれが一番好きですね。

 ちなみに「楢山節考」は山梨のお話です。こちらを参照ください。

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2024.03.22

惟神(かんながら)=大欲

Img_5166 日は富士山スペシャル合宿の1日目。茶碗が11個並んでおります!

 すごいメンバーが集まっております。そして、神の采配の妙…人間界から見ると過労だ倒れたり、入院したりと大変に見えますが…珍しく当日、寸前になってのキャンセルが相次ぎました。そしてそこにキャンセル待ちの方が入ってくるという、まさに神のシナリオ通りなのでしょう。

 ちなみに、私がいう「神」とは「自分以外」のことを指す言葉です。決して特定の宗教とは関係がありません。

 たしかに出口王仁三郎の話が多少入りますが、王仁三郎自身が「宗教がなくなるのがみろくの世」「芸術は宗教の母」と言っているくらいですからね。

 そしてここで言う「芸術」とは宇宙の仕組みのこと。自然と言ってもよい。それこそ自我以外の全てということになります。

 今回たまたまですが、この前ある雑誌の取材を受けたことから、「富士山と出雲」のことについて語りました。そうしましたら、参加してくださっていた世界的なミュージシャンのお二人が急遽、出雲をテーマにセッションをしてくれました。

 もう涙、涙。私の言葉よりなにより、その音楽の素晴らしさよ。歌詞の意味も、今日初めてわかりました。なるほどです。

 合宿のテーマをあえて言葉にするなら「惟神(かんながら)」です。

 自我、自己、自分を捨てて、神(自然、宇宙)の命ずるままに生きる。そこには金や地位や名誉などという小欲はありません。ただただ神の夢の実現のお手伝いをしたいという大欲しかないのです。

 今回も「自己実現」「自己肯定感」を思いっきり否定させてもらいました。それこそ小欲だからです。

 今日は、偶然なのか必然なのか、お隣の会議室でウチの高校の進学合宿が行われていました。ある意味対照的な世界が並んでおり、その両方に行ったり来たりする自分に不思議を感じましたね。そういうお役目なのでしょう。

 高校生たちもぜひ大欲のために励んでほしいと思いました。きっかけは小欲でも良いのです。私もそうでしたから。

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2024.03.19

小川国夫 『ハシッシ・ギャング』 (文藝春秋社)

Img_5151 朝、母を藤枝の病院へ送り、蓮華寺池公園へ。CS60仲間とスタバで打ち合わせ。

 蓮華寺池と言えば、藤枝出身の文士、小川国夫さんがよく散歩したところ。

 静岡の家に帰ってから、そう言えば小川国夫さんのエッセイを昔読んで感銘を受けたなと思っていたところ、母が一冊の短編集を持ってきてくれました。

 私が読んだエッセイ集はこれではなかったかもしれません。しかし、ページを繰り始めると止まらなくなる、止まらなくなる。

 この文体、私は影響受けていますね。句読点の付け方も自分に似ている。全体のリズム感もしっくり。自分の言語美学のルーツの一つがここにあったかと思いました。

Img_5149 母は、藤枝の親戚を通じて、この本にサインをしてもらっていました。

 「やがて鷹が来ました」…繊細で物静かという印象とは対照的な、骨太なサインです。

 この一文を探して読み進めると、ありました。この短編集の中でも圧巻と言える「オディル」という作品の一部です。

 著者がこの一文を選んでサインしたことからもわかりますが、この一見なんでもない一文が、この珠玉の短編集の中心になっているのでした。

 まあしかし、文がうまい。私の好きな「です・ます調」の極点ですね。

 その魅力、私はうまく表現できないので、帯にあった川村二郎さんの評の一部を写しておきます。評もうまい。

 文章その平明な調子が、そのまま自然な透明な表現のレヴェルに高まり、余計な枝葉をそぎ落として原型に還元されたかのような文章の骨格が、白々と際立って浮き出ていると見える。

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2024.03.12

F.クープラン 『室内楽曲全曲集』

220pxfranois_couperin 日は某バンドの練習。フランス・バロックの粋と言える、フランソワ・クープランの「諸国の人々」から「フランス人」を練習いたしました。

 皆さん、フランス・バロックについてはほとんど素人。フランス・バロックは非常に独特の語法を持っており、私もある程度の習得に数年を費やしましたが、少しでもその楽しさをお伝えできればと思い演奏させていただきました(ちなみに私はヴィオロンチェロ・ダ・スパッラで、各パートを模範演奏しました)。

 フランス革命前の爛熟した貴族社会が生み出した、装飾過多な音楽世界。これはこれで「極み」ですよね。装飾が多いということは、不協和音が響く時間が長いということでもあります。

 いや、皆さん、とても理解と上達が早くびっくりしました。たしかに自分もそうでしたが、見様見真似をしているうちに、なんとなく雰囲気が分かってくるという、まさに言語習得と同じ過程を踏みます。

 メンバーは国際外交で活躍された方など、外国語と外国生活に慣れた方々なので、適応力というか学習力が高いのでしょう。

 ということで、今日はそんな独特な「ことば」をたっぷりすぎるほど堪能できる全集を紹介しましょう。冒頭が今日の「フランス人」です。

 

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2024.03.08

『ある男』 平野啓一郎 原作・石川慶 監督作品

320 の日は博多から東京に帰って、若者中心に100人が集まる某イベントにてお話をさせていただきました。珍しく山陽新幹線が人身事故で止まってしまい、どうなることかと思いましたが、幸運にも席が取れて間に合いました。

 しかし、ダイヤは乱れておりまして、博多から東京までちょうど6時間という長旅。おかげでいろいろたまった仕事をすることができたとともに、映画も1本観ることができました。それがこちら。

 物語の舞台の一つである「文具店」は山梨県笛吹市に実在するお店を使ったとのこと。安藤サクラ演ずる主人公は非常に辛い役柄。サクラさんは役に入り込むタイプでもあるので、辛すぎて東京の家族の元に「あずさ」で緊急避難したとのこと。たしかに良い演技です。

 家族と言えば、サクラさんの義父である柄本明さんの怪演もすごい。一癖も二癖もある人物の怪物性を見事に表現していますね。息子さんたち含めてすごい家族だ。

 対する窪田正孝さんも、寂しさと優しさ、そして狂気を持った不幸な男を見事に演じています。妻夫木聡さんはその点、いつもの爽やかさで、周囲の暗さに対する光の存在として好演しているなと思ったのですが、まさかの最後には「闇」が待っていたと。

 そう、平野啓一郎さんの原作小説もかつて読みました。小説と映画は当然描写法が違うわけですが、この作品については比較的同じイメージを受けることができた。案外珍しいケースですね。ひとえに石川慶監督の手腕によるところ大です。個人的には「蜜蜂と遠雷」よりも良かった。

 映画を観たあと、あらためてAudibleで原作を「聴いている」のですが、平野さん、初期のあの難解な節回しから解放されて、本当にリズム感の良い文章を「聴かせてくれる」ようになりましたね。

 

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2024.02.26

『オタク用語辞典 大限界』 名古屋短大小出ゼミ (三省堂)

91zew4h9xl_sl1500_ 日はこの冬買ったもので満足度が高かったストーブを紹介しましたが、こちらは面白かったけど、買って意味があったかどうかは微妙なもの(笑)。

 巷でも評判になっていましたが、こちらの「辞典」。いちおう日本語の辞典ですから、日本語を専門とするワタクシには有用であるはずなのですが…。

 う〜む、あまりにも知らない世界すぎて、まるで外国語の辞典のような気さえしたのでした。覚えられない…以前に理解できない(苦笑)。

 ちなみにウチの娘たちは、めちゃくちゃ盛り上がってました。あいつら真性のオタクだ。ただ、二人はやはり得意分野が微妙に違うようで、そのあたりの会話は面白かったかも。

 オタク用語は、その時々の流行に乗って生まれたり死んだりするので、この辞書も数年後には「古語辞典」あるいは「死語辞典」になっていくのでしょう。

 もちろん、中には純正な(?)日本語として定着していくものもあるでしょう。そのような推移にも注目ですね。

 まあ、考えてみれば、今ちょっと話題の源氏物語も枕草子も、かなり女流オタク的作品なので、そこで使われている日本語もかなりオタク的です。

 そのあたりについては、かつてお硬い学術雑誌「國文學」にこんな論文を寄稿したことがあります。今や「萌え」という言葉も死語となってしまいましたが、今自分で読んでもなかなか面白い。私のこのぶっ飛びエッセイのおかげで(?)このあと「國文學」ごと死んでしまいましたっけ。よろしかったらお読みくださいませ。

 萌え=をかし論

Amazon 大限界

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2024.02.14

文字を持たない選択をした縄文人

20240216-111709 日、西湖畔の龍宮洞穴でばったり会った方とまさかの再会。もう面白すぎて笑っちゃいます。時代がそういうふうになっているんですよね。旧暦元旦を過ぎてますますその傾向は強まるでしょう。

 今日は某所で合宿です。テーマは縄文。今日は直接的に縄文のお話をしませんでしたが、地下水脈では完全につながっているお話をたっぷりさせていただきました。皆さん、目からウロコが落ちまくったことと思います。

 ここではその一部、縄文と「文字」の関係についてちょっと書きます。

 日本は漢字が入ってくる以前には(西洋的な意味での)文字はありませんでした。それを未開だとか、低次元だとか思う人もいらっしゃるでしょう。

 昔の人もそうでした。江戸後期以降、特に蘭学が流入してきた際、日本には古代文字がなかったということにコンプレックスを感じた一部「知識人」が、国学を発達させると同時に「神代文字」を「発見」してゆきました。

 その「発見」は(多くの古史古伝と同様)ほとんど「捏造」なのですが、まあそれほどの焦りがあったことは事実で、その気持ちは私も共感するところであります。

 私は、たとえば地元の宮下文書について肯定的に言及しているように、そのやむにやまれぬ「捏造」自体は「歴史的事実」なので、いわゆるアカデミズム側のごとく一笑に付すとか、無視するとか、そういう姿勢は取りたくないと思っています。

 ただ、最近(いや江戸時代からずっとか)の一部オカルト(スピリチュアル)界におけるブームのように、たとえばですね、カタカムナは縄文人が使っていた「文字」であるというような主張をされると、さすがにドン引きしてしまうのです。

 はっきり言います。それは縄文人に対して失礼です!

 なぜなら、彼らは戦略的な意味で「文字を持たない」選択をしたのです。そして、だからこそ1万5千年以上その「文化」を持続させえたのです。

 世界史を俯瞰してみてください。文字を持った「文明」は例外なく千年持たず滅亡しています。少なくとも戦争を起こし文化を破壊していますね。

 文字の発明と使用は人類の特徴です。つまり、この日本列島においても、いつでも文字を発明し使用するチャンスはありましたし、実際それを試みた縄文人もいたことでしょう。

 しかし、文字なる「事の端」が、「事(意識)」自身ではなく、あくまでも「端」であって、つまり抽象化、捨象されたものであり、あるいは四捨五入された世界であって、そこには必ず発信者と受容者の解釈が入ってしまうため、文字を使えば使うほど、「真事(まこと)」から離れていってしまうこと、そしてしまいには分裂、分断を生んでしまうということを、縄文人はよくわかっていたのです。

 だから、「文字を持たない」選択をした。

 これは大変高度な思考です。劣等感を抱くなんてもってのほかで、逆です、誇りに思っていいことなのです。だから、先述の「カタカムナ」の件を失礼だと言ったわけです。

 もちろん、文字ではなく(あえて言えば)「デザイン」というものはありました。一つ一つの記号がそれ自体単独で、あるいは単純な組み合わせで、宇宙や神とつながるという機能を持っていた。そういうものはたしかに残っています。

 近代西洋的な考えで文字を考案し、それを並べて文章を作るという、まあ現代日本人にとっては当たり前のこと(たとえば私もこうして語って、騙っている)が、実は当たり前ではなく、分断や戦争を生むきっかけになっているということを思い出さねばなりません。

 さて、そういう「文字に対する不信感」を持った日本人が、現代に至るまで、どういう独特な文化を創造してきたか。それは私のセミナーや合宿に参加するとわかると思います。出口王仁三郎の耀わんはその文化・芸術の至高点でしょうね。

 私の話を聞けば、江戸末期以降の間違った「言霊」論、そして「大和魂」論も完全な形で是正されるでしょう。皆様とご縁のあることを願います。

 ちなみに、カタカムナ自体は最も新しい新作神代文字です。多くの神代文字がそうであるように48文字で五十音図を作っている時点で、その時代性が現れてしまっており、日本語学的には古代文字として認められません(かと言ってカタカムナ自体に価値がないとは思っていません)。私はそこは譲れませんね、神代文字研究家として。

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