カテゴリー「文学・言語」の1000件の記事

2020.09.14

素晴らしい縦読み(横読み)…静岡新聞「大自在」

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20200915-84543 

 ょうどこのコラムが掲載された先週土曜日、静岡市の実家におりまして、リアルタイムで読んだのですが、その時は正直気づきませんでした。まさかの(縦読みならぬ)「横読み」だったとは!

 いやあ、普通に読んだ時も、ああ面白いコラムだなと思ったのです。文章の構成もいいし、静岡新聞もなかなかやるなと。めったに静岡新聞を読む機会がないので。

 しばらくして、このコラムがツイッターで評判になっていてビックリ。

 もうお気づきかと思いますが、そう、一番下の文字を右から横読みすると…すごいメッセージが!

 いやあ、ここまで見事な「折句」はそうそうないですよ。もちろん、こういう言葉遊びは大昔からありました。それこそ「折句」のように。

 あるいは新聞のテレビ欄でも時々ありますよね。そうした遊びが。ネット掲示板やSNSでもよく見かけます。

 しかし大概が、その本文か潜ませた文かどちらかが多少破綻をきたすものなのですよ。その点、このコラムは両方完璧。お見事です。

 特にコラム書式なので、いろいろな制約があって、何文字目に折り込ませれば良いというものでもない。これはずいぶんと時間をかけて作ったものでしょう。

 先に潜文を考えて、それに合わせて本文を作っていったのだと思いますが、まあ大変な作業だったことでしょう。

 こうして注目されることで、コラム本文のメッセージも潜文のメッセージもより多くの人に届くというわけですから、これは古くて新しいメディア戦術なのかもしれません。

 私も入試問題の本文書いたりするので、そこでやってみようかな。

 ちなみにこの文章にはなんの仕掛けもありませんよ…たぶん(笑)。

 

 

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2020.09.09

論理用語を理解するだけで世界の捉え方が変わる!(出口汪の学びチャンネル)

 

 日の討論でずいぶん誤解され非難されていた「論理国語」。もう何十年も前から国語における「論理」の重要性を訴え続けてきた出口汪さん。

 私の国語の師匠の一人です(もう一人は大村はま先生)。また、これは偶然…いや必然だったのですが、尊敬する出口汪先生はなんと出口王仁三郎の曾孫だったのでした。それを後から知り、またそういうご縁から、のちに何度もお会いすることになったのですから、本当に不思議です。

 さて、出口先生が始めたYouTubeチャンネルが、毎度とても勉強になります。中高生の国語だけでなく、これも不思議ですが、お互いに最近深く関わり始めた「幼児教育」についても、実に有益な情報を発信してくれています。

 この動画はたまたま今日公開されたものなのですが、面白いのは「もの」と「こと」について言及しているところ。

 もちろん、出口先生は受験や一般社会で通用することを伝えていますので、ここで語られている「もの」と「こと」は、普通の常識的な解釈です。

 つまり、私の変わった(一般的ではない)「モノ・コト論」とは逆のことを言っていますね。私にとっては、形のないものが「モノ」であり、言葉に象徴される象(かたちど)ったものが「コト」ですので。「カタ」と「コト」は同源です。

 出口先生の一般論は、明治以降確立し、今につながっているものです。私はそれ以前の日本語の「もの」「こと」を研究した上で特殊な論を立てているのです。そう、一般の人が「時間は過去から未来へと流れる」と言っている後、私は「時間は未来から過去へと流れる」と正反対のことを言っているのと同じ構図です。

 どちらが正しいのかということではなく、視座が違うということですね。これもまた論理的に考えれば分かるはずです。

 ただ、私は江戸時代以前の、すなわち西洋近代の影響を受ける前の、日本人の「哲学」を復活させたいと思っていて、それで現代人と逆のことを言っているわけです(なかなか理解してもらえませんが)。

 古くから変わらない言葉と、私たちの概念(世界の捉え方)が矛盾してしまっているのです。「もの」「こと」もそうです。「もののけ」なのに形があることになってしまうとか、目に見えない「こと」とは言えないで、目に見えない「もの」としか言いようがないとか。

 時間で言えば、先週の「先」が過去だったり、「前(さき)の副将軍」も過去だったりするのに、明治以降「10年先の未来」などという言い方が生れてしまったり。

 そんなわけで、今の仕事が終わって時間ができましたら、「モノ・コト・トキ」という本を書こうかと思っています。私がワタクシ流の「モノ・コト・トキ」論で、どのように世の中を見ているか、皆さんに紹介したいと思います。

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2020.09.08

【討論】安倍政権の功罪と日本の教育

 

 日はご縁あって、フランス人の人気YouTuberのギギさんと丸一日ご一緒させていただきました。

 基本、ウチの中学校を取材してくれたのですが、たっぷり日仏の文化や教育についてお話させていただきました。

 おそらく1ヶ月後くらいに動画が完成すると思いますので、公開されましたら、また紹介しますね。

 さて、フランス人と一緒に日常を見直すことによって、私もあらためて「日本の教育」の光と影について考えさせられることになったわけですが、日本人、それも真正日本人を(おそらく)標榜するであろう保守系の人たちは、どのように「日本の教育」を見ているのか、いや憂えているのか、お話を聞いてみましょう。

 たまたまフランスの教育の話も出てきますね。「哲学」を重視していると。

 しかし、今日ギギさんから聞いたフランスの教育の現状とは、ちょっと違う感じがしますね。逆に、フランスには「哲学」がなく、日本には「尊敬・敬意」「公共心」という「哲学」があるというのが、ギギさんの感覚のようでした。

 まあ、どちらが正しいということではなく、いろいろな視点があるということでしょうね。

 それにしても、保守派の安倍さん評は、リベラルのそれよりも辛辣ですね(苦笑)。左右両方から強烈に批判されてきた安倍政権というのは、実はとってもバランスが取れているのかもしれません。

 素読と論理国語の話は興味深いですね。私は(意外かもしれませんが)素読になんの魅力も感じない国語教師です。もともと暗記が苦手だからでしょう。論理的に意味的に構造として理解しないと覚えられないタチなんです。

 そして、国語を文学と言語にはっきり分けよ!と、ずっと言ってきた国語教師はこのワタクシです。

 はたして、保守の皆さんは、「理性」を信頼しているのか、それとも「理性」を疑っているのか…よく分かりません、私は頭が悪いので(苦笑)。

 ただ、たしかに「今だけ、金だけ、自分だけ」ではなく、共同体に対する想像力を重視するというのは賛成です。教育がそういう中で生れる「信用」に根ざしているというのも、その通りだと思います。

 教育とは、学校とは、そして教養とは、道徳とは何なのか。難しいですね。現場の人間には、目の前には現実が横たわっていますし。けっこう「豊饒」ですよ。

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2020.08.21

追悼 山崎正和さん

Th_httpsimgixproxyn8sjpdsxmzo62890620210 作家、評論家の山崎正和さんがお亡くなりになりました。

 山崎さんだったら、昨日の「七つの会議」をどう評したでしょうかね。たぶん厳しい評価なのでは。

 山崎正和さんと言えば、私たち国語教師としては「水の東西」をまず思い出します。いや、ほとんどの方がおそらく高校の現代文(現代国語)の授業で教わった記憶があるのではないでしょうか。

 私もご多分に漏れず高校時代にこの文章に出会って、東西比較文化論の面白さに気づかせていただきました。

 国語教師になってからは、実はこの教材で授業をしたことがありません。

 一つの理由は…これは山崎さん自身も認めてくださって安心したのですが…これが「評論」ではなく「随筆(随想)」だということに気づいてしまったからです。

 ご本人もおっしゃっているように、たしかに評論寄りの随筆ではありますが、かなり感覚的な言葉が並んでおり、ある意味一つの解釈に収まられない面白さがある文章です。

 それは、たとえば小林秀雄の文章にも当てはまることなのですが、それを、「評論」というくくりの中で、あたかも一つの解釈が成り立つかのような授業をするのが、どうにもいやだったのです。

 ましてや、それをテストに出して、◯✗をつけるなんて…なんだかんだセンター試験や大学の個別入試に出てしまっているのですが…教師としての、ではなく、人間としての良心が許さない?!

 まあ、簡単に言えば、随筆は随筆としてそのまま味わいたい、そこからそれぞれ思索を広げればよいと思うわけで、そうだとすると、あえて授業でやる必要はないわけですね。ただそういう理由です(相変わらずの変人でスミマセン)。

 なんか最近、「学校をぶっ壊す」とかイキってる自分を客観的に見ると、つくづく(今の教育制度の)先生には向いてなかったのだなあと思うわけです。生徒は可哀想だよなあ。

 さて、それでも全然反省しないワタクシではありますが、ちょっとセンセーぶって山崎正和さんの作品をおススメするとすれば、これでしょう。「世阿弥」。劇作家、そして評論家、いや随筆家山崎正和の原点は「花伝書」にあり。

Amazon 世阿弥

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2020.08.17

三木たかし 『さくらの花よ 泣きなさい』

 

 日の朝放送された「ザ・偉人伝 昭和歌謡のヒットメーカー 人生を変えた出会い」を家族で鑑賞。三木たかしさんと浜圭介さんの名曲オンパレード。

 そして、その裏側にある苦悩と出会い。やっぱり昭和的な苦労や理不尽って必要なのかなあと、最近それを批判している私は悩んでしまうのでした(苦笑)。

 さて、その名曲オンパレードの中で、最後の最後、心に残ったのは三木さんご自身の歌唱によるこの「さくらの花よ 泣きなさい」でした。

 新しい挑戦を続けてきた三木さんが、人生の最終ステージで到達したのが、こういうシンプルさ、ある意味での普通さ(ありがちさ)であったこと、そしてガンで声を失う寸前にこうして魂の歌を録音したことに、本当に心震えました。

 もちろん、三木さんの盟友である荒木とよひささんの歌詞も素晴らしい。番組での荒木さんの言葉が興味深かった。曰く「彫刻家が仏様を掘り出すように、三木さんのメロディーから詞を掘り出せばよかった」と。

 現在家族で準備中の「メロディーズ」という企画。すなわち国内外を問わず「美しい旋律」をテーマにしたライヴ活動なんですが、そこにまた1曲候補曲が加わりました。

 もともと三木さんや浜さんら、昭和歌謡が多かった。まあ仕方ありませんね。もう候補曲だけで100曲超えちゃってまして、ここから厳選していくのが難しい…贅沢な悩みです。

 この三木バージョンはヴァイオリンが活躍しますので、私も頑張らねばなりませんね。

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2020.08.14

「楢山節考碑」 (境川町大黒坂)

Th_-20200815-81209 日は、一昨日書いた「楢山節考」についてのプチ・フィールドワークをしてきました。

 記事にも書いたとおり、深沢七郎は山梨の人ですし、「楢山節考」のアイデアのベースは、現在の笛吹市、旧境川村の「大黒坂」での聞き取りにありました。

 今日は、その「大黒坂」に行ってきました。そこに「楢山節考碑」があると聞いたからです。

 山梨のど田舎(失礼)に、カンヌの大賞を獲った作品の碑があるというのは、なんとなく面白いじゃないですか。

 河口湖大石から若彦トンネルをくぐって境川へ。上の地図ですと赤い線です。

 先に書いときますが、帰りは青い線。これはどういう旅かといいますと、俳句・短歌の旅です。

 境川といえば、飯田蛇笏・龍太のふるさと。そして、お隣、今は甲府市の右左口は山崎方代のふるさと。この甲府盆地の南辺、御坂山塊の北面の坂の村が、日本を代表する俳人、歌人を生み出したことに、とても興味があります。これについてはいつか書きますね。

 そして、「楢山節考」という名作も生み出した。実に不思議な土地です。

 ちなみに「楢山節考碑」の場所は非常にわかりにくい。ネットにもその場所が載っていないので、ここにストリートビューを貼っておきます。

 

Th_img_6653 道から少し入ったところにあるので普通ですと見逃してしまいそうですが、近くのつり堀さんがこのように達筆で示してくれているので助かりました(笑)。

 そして、なんと肝心な碑の写真は、帰ってみてみたら見事なピンぼけ!なんということでしょう(笑)。

 というわけで、写真はこちらのサイトが鮮明かつ詳細ですのでご覧くださいませ。

 30年ほど前にできた碑ですが、あまり訪れる人もいないのでしょう、けっこう草や蜘蛛の巣に覆われておりました。

 ちなみに映画撮影の舞台になった信州安曇野の限界集落のような雰囲気は全くない、なんとなく明るい空気を持った集落でした。

Th_img_6648 近くにある臨済宗向嶽寺派の聖応寺にも参拝しました。とても立派なお寺さんでした。本堂や開山堂のほかにも、山門、猿橋と同形式かつ屋根付きの珍しい反り橋、立派な三門(祥雲閣)、茅葺きの鐘楼など見るべきところがたくさんありました。

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2020.08.12

『楢山節考』 深沢七郎原作・今村昌平監督作品

Th_71zqnvqyusl_ac_sy445_ 崎のキリシタンの話から、突然これを思い出して久しぶりに鑑賞しました。

 言わずと知れた日本映画の傑作中の傑作。カンヌのパルムドール受賞も納得です。その年、受賞確実と言われた「戦場のメリークリスマス」も名作ですが、やっぱり今観てもこちらに軍配が上がりますね。

 原作の深沢七郎は山梨の人。この姨捨伝説も境川の老婆からの聞き取りがベースになっています。

 撮影の舞台は信州安曇野ですが、使われている言葉はコテコテの甲州弁。私たちにはなじみのある響きです。

 この今村版「楢山節考」は、深沢の同名原作と「東北の神武(ズンム)たち」を元に作られました。つまり、東北の寒村の風習(特に性風習)と、甲州の姨捨伝説(棄老伝説)が見事にブレンドされており、結果として、「生まれ、繁殖し、死んでいく」というエロティシズムが表現されています。

 頻繁に挿入される動物の生態が、それを象徴しています。また、原作のように暗く重くならず、どちらかというと明るく描かれている(と私は感じます)ところに好感を抱きます。ある種のたくましさ、そして共同体的愛の強さ、美しさ。

 そのあたりが、キリスト教的とも言えるような気がします。深沢が「おりん」の人物造形に、釈迦とキリストをイメージしたというのも納得できます。死と赦しの美学とでも言いましょうか。

 

 

 ちなみに、我が鳴沢村にも棄老伝説はあります。なにしろ青木ヶ原樹海を抱える貧しい村でしたから。私も樹海の洞窟潜りを趣味にしていた時がありますが、樹海内には「婆穴」「バンバ穴」と称される洞穴がたくさんあり、一通り入ってみました。動物のものと思われる(?)骨が散在している穴もありました。

 今や、ゴルフ場、別荘地(総理の別荘もある)と華やかな村になっていますが、昭和40年代までは水もない(川がない)寒冷な溶岩台地の村、文字通りの寒村だったのです。

 キリシタン大名の有馬晴信が甲州に流されたのは、当地にキリスト教がほとんど広まっていなかったからと言われていますが、実はキリスト的な原罪意識や犠牲、殉教的な意識(無意識)の強いところだったのかもしれません。さすが生黄泉の国です。

 こちらで鑑賞することができます。アラビア語の字幕がつきますが(笑)。これをエジプトの人はどんな感慨をもって観るのでしょうね。案外、砂漠の一神教との共通点を感じるのかもしれません。

 そうそう、ちまたで怖いと評判のスウェーデン映画「ミッドサマー」も、棄老伝説とエロティシズムに基づくものですよね。私はこの「楢山節考」の影響を受けているのではと思っています。

 

 

 ついでと言ってはなんですが、いや、結構この映画の「明るさ」をしっかり捉えたものとして、これも紹介しておきます。志村けんさん、素晴らしい。こうして復活してほしい。そう、キリストの復活とはこういうことだったのでは…。

 

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2020.08.10

『MAGI 天正遣欧少年使節』

 

 

 日の長崎の話の続きというか、そのルーツ。

 こちらにも書いたとおり、私は「千々石ミゲル」のことが気になってしかたありません。有馬晴信との関係や音楽のことだけでなく、彼は本当に棄教したのかという謎…。

 さて、ミゲルも含めた天正遣欧少年使節団の4人の物語。いつか映画化されるといいなと思っていましたが、こういう形でそれが実現するとは。

 いろいろとツッコミどころはありますが、そんな外面のことではなく、やはり純粋に少年らの過酷かつ豊かな旅自体について、こうしてイメージ化してくれたこと、そしてキリスト教や西洋文化の矛盾、日本という国の本質をかなりきわどいところまで描いてくれたことには感動いたしました。

 キリスト教が内包する「死」への憧れと「赦し」の構造が、隠れキリシタンの悲劇を生み、のちには長崎原爆の悲劇を生み、昨日紹介した「浦上燔祭説」を生んだとも言えますね。そのあたりをこのドラマからも考えさせられました。

 彼らが音楽理論を学び、多くの楽器の演奏技術を習得し、貴重な楽器を持ち帰ったこと、そして聚楽第にて秀吉に演奏を披露したことには触れられていませんでした(それは後日譚なのでシーズン2で?)。古楽ファンとしては、そこは少し残念でしたが、実は音楽はその一面に過ぎず、本当に多様な分野において彼らは本当によく学び、それを伝えたと思います。

 ミゲルが、帰国後どのように棄教に至ったのか(あるいは最近の説のように実は棄教していなかったのか)、関ヶ原の戦いから江戸開幕、そして有馬晴信の刑死などが、ミゲルにどんな影響を与えたのか。

 明治以降の日本と西洋との関係、そして未来の日本人のあり方を考える時、彼のキリスト教体験の変遷は大きなヒントとなるような予感がするのです。

 ちょっと私も研究してみます。独自の視点で。

MAGI 天正遣欧少年使節 公式サイト

400年前の西洋音楽と古楽器

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2020.08.05

山梨は首都圏?それとも…

Th_img20160428_1 年、夏は秋田(家内の実家)に行くのですが、今年は自粛することにしました。

 ちょうど一昨日、秋田県知事がこんな会見をしました。

お盆帰省 秋田知事「首都圏から」自粛要請

 首都圏…ん?山梨県は首都圏なのか?

 答えから言いますと、「山梨県は首都圏」です。関東7都県に山梨県を加えた8都県が「首都圏」であると正式に定義されています。

 山梨県民的には悪い気はしないのですが、他の都県からすると、「あのクソ田舎が首都圏なんて納得できない!」となるのではないでしょうか(笑)。

 山梨県(甲斐国)は昔から微妙な立ち位置にありました。古く奈良時代には「生黄泉の国」なんて言われて、この世とあの世の境と思われたり(笑)。「かひ」という国名からして「境界」という意味の「峡」の意味だと言われていますし。

 しかし、鎌倉時代には幕府に近くなってちょっと存在感が変わり、江戸時代にたまたま江戸の隣、近代には東京の隣になってから、ますますその立ち位置は微妙になってきました。

 上の地図でもわかるとおり、たしかに一見すると東京の隣ですし、その距離もたとえば栃木や群馬より圧倒的に近い。

 しかし、地理的に見ると、関東平野には属しておらず、「山成し」というだけあって山に囲まれた「田舎」です。関東の人たちからすると、関東に入れたくないでしょうね。

 かと言って、中部地方にも入れてもらえないし、入る気もない。私は静岡の出身、東京育ちの山梨県民ですので、そのあたりの感覚は両方向からよく分かります。

 一方、甲信越と言った場合にも、特に新潟県とはあまりに意識的に遠い。日本語学(方言学)的に言うと、いちおう「なやし方言」というのがあって、すなわち「長野・山梨・静岡」に共通する性質があるのも事実なのですが、特に山梨の郡内地方(富士東部地域)においては、関東方言もかなり混入していて違和感もあります。

 そんな微妙な「境界」の独立国山梨ですが、そこに住む人々の中には、近世から、つまり江戸や東京の隣という意識が出てきてから、「首都圏に入りたい」願望が強くなっていったようです。

 たとえば、雨宮敬次郎ら甲州財閥が、東京や関東圏から山梨への交通ルートの開拓に尽力したこと、近くは金丸信がリニアを山梨に持ってきたことなどはその発露でしょう。

 では、現在、山梨は首都圏に参入できたのかというと、実際は奈良時代とそんなに変わっていないと思うのです。相変わらず微妙な位置で微妙な立場のまま。これはもう地政学的にしかたがないことだと思います。

 逆に言えば、富士山をはじめとする霊山の懐に抱かれた「山成し」は、これからもずっと「生黄泉」の国でいいような気もするわけです。どちらかというと私はそれを望みますし。

 いずれにしても、この豊かな自然と東京の隣という地理的好条件を、いまだ本当の意味でうまく活用しているとは思えません。それをなんとかするのも、私のライフワークの一つですね。

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2020.07.29

『向田邦子 イノセント きんぎょの夢』 三原光尋監督作品

Th_61n0aztkbpl_ac_ul320_ 日の無垢な富田靖子さんから、本日は「怖い」富田靖子さんへ。

 いや、ホントに怖かった。女は怖い…。

 不倫される奥さん役を富田さんが演じているのですが、その淡々とした狂気ぶりが怖いのなんのって。

 狂気といえば、映画「十字架」での、息子をいじめ自殺で失った母親役も、ある意味怖かったなあ。うまいと思います。感情を殺した狂気。能の世界にも通じます。

 一方の主役、中越典子さん演ずる不倫相手の女もしたたかですが、しかし最後は「妻」の「勝ち」で、中越さん、なんか可哀想になってしまいました。

 というか、男って馬鹿で情けないですね〜。

 なんとこのドラマを家族4人で観てしまったのですが、最後は口々に「胸くそ悪い!」と、「男」が責められる責められる(笑)。

 向田邦子さんの原作「きんぎょの夢」は読んでいません。しかし、やはり向田邦子さんは「女」を描く天才です。それはこのドラマでも充分伝わってきました。

 このシリーズ、ちょっと怖いけれども全部観てみようかな。何が「イノセント」なのだろうか。

Amazon 向田邦子 イノセント きんぎょの夢

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