カテゴリー「文学・言語」の1000件の記事

2023.09.13

我慢するな。頑張るな。

Th_8132cspie9l_sl1500_ 阪から静岡に帰ってきました。

 帰りの新幹線で久しぶりに読んだのは、オイゲン・ヘリゲルの「弓と禅」。

 ヘリゲルが到達したという「無我」の境地、弓と矢と的と一体化する境地は、まさに昨日書いた自他不二、神人合一に他なりません。

 私は弓道はやりませんが、楽器「弓」は扱います。

 実は楽器の弓の扱いにも弓道と似たところがあります。というか楽器は全てそうでしょう。人馬一体ならぬ人器一体(?)。

 ヘリゲルは弓の弦を離す時に、師匠から「離そうとしている」と叱られます。また、師匠から学んだ型を再現しようと頭で考えてしまい難渋します。

 音楽道でもそうでして、自分で楽器(たとえば弓)をコントロールしようとしたり、あるいはセンセイから習った持ち方に固執したりしても、美しい音を出すことはできません。

 私は楽器自体から教えてもらうことが得意でして(逆に言うとまともな修練ができない)、最近で言えばたとえばヴィオロンチェロ・ダ・スパッラを肩に乗せて平気で弾いたりするわけです。それが人器一体になるのに最も有効な形であると(楽器から)教わったからです。

 ここで日本語の話をします。

 家庭や学校や会社など、あらゆる社会的チームの中にあっては、多くの人たちが「我慢しろ」とか「頑張れ」とか言ったり言われたりして生活していますよね。

 これって実は大きな間違いなのです。

 「我慢」は仏教用語では「我に対する慢心=うぬぼれ」という意味です。自慢もそれに近い。自我への執着、すなわち煩悩のボスみたいなヤツですね。

 「我慢しろ!」って、その煩悩をしっかり全うせよと言っているわけで、とんでもない間違いです。それがなぜ良い意味のように使われるようになったのか。日本語史、日本文化史的にとても面白い変遷があるのですが、ここでは省略します。

 そして「頑張る」はもともと「我を張る」「我に張る」から変化した言葉です。まさに「自分が自分が」と頑張っちゃうことです。これも自我への執着。

 「頑張れ!」もまた、煩悩の全うを要求する言葉なのです。

 ですから、最近の私は、「我慢するな。頑張るな」というのです。全てにおいて自分が主人であると思いこんではいけない。自己の(あるいは所属集団の)目標達成のためにガマンしたり、ガンバルのは天の意志に反するのです。

 ちなみに、自己は主人ではないが主(中心)であるということに関しては、10年前の私の気づきをお読みください。

「随処作主立処皆真」  

 弓道も楽器道も、もちろん禅の道も、「我慢しない。頑張らない」ところが原点なのでした。

 最初の「弓と禅」に戻ります。こちらの紹介動画が優れものですので、読む時間がないという方はどうぞ。便利な時代ですね。

 

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2023.08.25

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり (道元)

Th_dogenzenzi 日は道元忌。とはいえ、本来旧暦ですし、23日とも29日とも言われていますので、全く厳密ではありません。

 永平寺では9月の22日から29日まで、「御征忌(ごしょうき)」と称して厳格な法要が行じられます。

 亡くなったのは1253年ですから、770年前ということになりますね。

 道元の書き残したものは奥深く難解であり、私もまだまだ表面的にしか理解しておりません。

 その点、この和歌はシンプルでいいですよね。

 四季ごとの当たり前すぎる風物を並べ、最後に「すずしかりけり」と結ぶ。センス最高です。

 実は「すずしかりけり」の解釈にキモがありまして、たとえば表面的に「冬雪さえてすずしかりけり」という文脈で読むこともできますし、よくある注解のように、この「すずしかりけり」は全体にかかっており、「すがすがしい」とか「いさぎよい」という意味であるとすることもできます。

 しかし、私はやはり「さえて」からの意味的連続を無視できないと感じております。それまでは名詞を並べておいて、ここでは動詞の連用形+接続助詞「て」ですからね。

 接続助詞「て」は完了の助動詞「つ」の連用形から派生したものであることからもわかるとおり、そこまでの表現、事象を一旦とりまとめる機能を持っています。

 その語感からして、私には「春の花も夏のほととぎすも秋の月も、全ての思い出を覆い清める純白の白い雪がすがすがしい」と捉えられるのです。

 そこには、まさに仏教的な「無常観」があり、また一旦リセットされた純白のキャンバスに春夏秋の風景を描いていくであろうという「再生」「常若」の思想が表現されていると思うのです。

 過去にこだわるな。それがたとえ美しいものであっても。あるいは悲哀に満ちたものであっても。

 いかがでしょうか。

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2023.08.19

『鎌田東二 × 竹倉史人/対談』 音楽堂のピクニック

 日は鎌倉にて「土偶を読む」の竹倉史人さんと対談しました。100名近くの方においでいただき大盛況。

 竹倉さんと私も、全く打ち合わせなしでしたが、お互いにインスパイアしながらどんどんアンサンブルが盛り上がり、楽しい時間を過ごさせていただきました。企画してくださった友人に感謝です。

 予言どおり(?)、ヴィオロンチェロ・ダ・スパッラでアーベルの作品を演奏することもできました。謎の楽器で謎の曲を霊感的に演奏することによって、今日の対談のテーマでもある「もの」の存在を、「モノのね」たる音楽で体感していただけたのは、私にとっても幸運なことでした。感謝。

 さて、今日の対談の内容はとてもここには書けませんけれども(危険すぎる?)、期せずして竹倉さんの口から鎌田東二先生のお名前があがりましたので、せっかくですから竹倉さんも思わず普通の人になってしまったという(笑)、二人の対談を紹介しましょう。

 ちなみに先日の足利市立美術館での「顕神の夢」展の企画、監修によるものでした。とんでもない人(鬼?)ですよ、ホント。この方がずっとアカデミックな世界におられて、今も京都大学の名誉教授でいらっしゃることは、本当に素晴らしいことです。

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2023.08.14

『猫は逃げた』 城定秀夫脚本・今泉力哉監督作品

Th_320_20230816085001 れも好きな映画。城定秀夫さんの脚本が絶品です。

 城定監督はピンク映画の巨匠。いまおかしんじ監督とともに、私の尊敬する監督さんです。

 この業界、お互い助け合うというか、自由にコラボすることも多いんですよね。城定さんと今岡さんもコラボしています。

 そして、城定監督と今泉力哉監督がお互いの脚本を監督するという企画が「L/R15」。

 これは城定さんの脚本を今泉監督が撮っています。猫もあきれる人間の愚かさをエロとユーモアとペーソスで表現していて実に痛快。何度観ても笑いながら泣いちゃう。

 特にクライマックス、不倫ペア4人が集合しての長回しのセリフ回しが最高。演技している4人も本当に見事。映画のような舞台のような漫画のような現実のような。これは名シーンですよ。今泉監督ならではの演出でしょうか。

 もちろん「猫」が持つ不思議な力、人間の運命を動かしてしまう魅力もちゃんと表現されています。猫2匹の「演技」(?)もすごい。

 昭和からずっと、商業性を超えた映画の芸術性を担保してきたピンク映画の世界。こういう現場がいまだ残り、そして若い作家も育っていることは日本の誇りとするところですね。

 浮世絵的な世界観は爛熟するAV世界に生き続けていますが、その一方で古典的な「もののあはれ」文学的世界は、実はこちらに継承されているのですよね。

 その両方のバランスこそが、日本神話的なエロスの世界でありましょう。そのどちらにも「猫」は必ずいるのでした。

 

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2023.08.03

寺は消滅するのか?

 

 は、一般人の中ではかなりお寺やお坊さんに近い立場にある人間だと思います。

 なんなら修行に行ってお坊さんになってもいいとさえ思っています。ただ、その根性がないので、資格は持たず、かつての高僧たちのように全国を行脚して「教え」を説いております。

 この動画にあるとおり、江戸時代の寺請制度以来、寺は本来の宗教活動から離れてしまいました。寺というより、仏教そのもの、それぞれの宗派がそれぞれ腐敗していったのです。

 中からなかなか宗教改革ができないので、大愚和尚のように新しい宗派を設立するというのは、世界史上普通のことです。釈迦もそうだったように。

 私はホンモノの「大愚」なので(笑)、「釈迦に説法」をもいとわず、既成仏教を超えた未来仏教の構築を目論んでおります。それは宗教ではなく芸術に近いものです。

 そう、出口王仁三郎が「芸術は宗教の母」「宗教がなくなるのがみろくの世」と言ったことの意味が、最近よくわかるようになってきました(たぶん)。

 先日、この番組に出演されている3人のうちあるお一人の方と飲む機会がありました。そこでも宗教を超えたモノの話をして大いに盛り上がりました。そして、時代の変化の話。

 変化を求められているのは仏教やお寺やお坊さんだけではありません。それらは世間を象徴しているにすぎません。この番組の内容も自分ごととして捉えねばなりませんね。

 なお、ここで「経営という言葉は仏教用語」と説明されていますが、それは正確とは言えません。たしかに禅堂などで使われることはありますが、もともと「マネジメント」的な意味で広く使われていた漢語であり、それを仏教が拝借したと考える方が自然です。

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2023.07.24

秋山眞人 『日本のオカルト150年史』

 日から、静岡県と山梨県の私学の新任教員に対する研修に、講演講師、グループワーク指導者として参加しております。

 本日は、こういう堅い研修の中ではかなりぶっ飛んだ講演をさせていただきました。講演の依頼が来た時に、いちおう確認しました。「こんな私でいいのですか?」と。

 結果良いとのことで、こんな私が呼ばれる私学界は、けっこう本気で変わろうとしているのではないか、まだまだ捨てたもんじゃないなと思った次第です。

 今日の講演の中で、私が静岡県の焼津市の生まれであることを申し上げました。祖父がやはり焼津の私学の教員であったことも、私に大きな影響を与えていますし、こうして巡り巡って静岡の私学人の皆さんの前でお話できることに、なんとも不思議なご縁、因縁を感じるのでありました。

 さて、焼津と言えば、その地で青少年時代を過ごした秋山眞人さんのことを忘れてはなりません。何回かお会いしてお話させていただきましたが、本当に頭がよく、そして愛に溢れた方で、心から敬愛申し上げています(ちなみに高城剛さんの未来ラジオに秋山さんが出演されましたが、あれは私の紹介です)。

 そんな焼津育ちの秋山さんが、タイムリーに素晴らしい動画に出演されていましたので紹介します。ここで語られている内容、特に教育に関わる部分は、とても今日の私の講演では触れられない領域ですが、実は深くつながってもいます。

 宗教系、非宗教系を問わず、私学の多くが、金儲けではなく、まさに創立者の精神的(スピリチュアルな)意志によって生まれています。

 戦後、唯物論に偏ってしまった公立の教育に対し、物心、体霊のバランスを取りながら若者を育て、そしてこの日本の村立、存続に寄与したということを、私学人はもっと自覚し、そして誇りに思わねばなりません。

 オカルト、スピリチュアルという言葉が無条件に否定され、嫌悪され、そして排除されてきた現代日本。ようやくその間違いに気づき、表面的ではない本来の「霊性」の復活を願う時が来ているのではないでしょうか。

 

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2023.07.17

野村幻雪 三回忌追善会

Th_202305131116346759 誘いいただき行ってまいりました。

 能楽シテ方人間国宝、野村幻雪(四郎)先生がお亡くなりになって、もうすぐ2年。三回忌の追善会が観世能楽堂において執り行われました。

 四郎先生とは、本当に不思議としか言いようのないご縁を頂戴し、教え子や我が子が弟子となり、また私自身も恐れ多くも大変仲良くさせていただきました。

 バロック音楽との対比と融合、富士山と絹織物への奉納など、いくつかの演能機会をプロデュースさせてもいただきました。

 先生との対話から学ばせていただいたことは、他のどんな教育よりも深く尊いものでした。改めて感謝申し上げます。

 このたびの追善会では、観世流ご宗家や先生のお兄様で狂言の人間国宝野村萬さんなど、錚々たる方々が入れ代わり立ち代わり舞台に上がり、現代考えうる最高の霊的時空間を現出してくださりました。

 それこそ言葉で表現するのが愚かにさえ感じる次元でありました。特に「融」の静と動の強烈なコントラストは圧巻でした。まさに鎮魂帰神。

 また、個人的には私の教え子が舞囃子「胡蝶」を舞ったことが感動的でありました。多数の演者の中のただ一人の女性。男性中心だった世界で、彼女のこれまでの苦労と未来への可能性を感じることができました。

 私の娘もその後を継ぎ、古くて新しい芸能の世界を切り開く覚悟のようです。

Th_img_2716 開会の前に、先生のお写真の横で先生の奥様にご挨拶をしたのですが、奥様は大変長い時間にわたり娘に直接お言葉をかけてくださりました。それはまさに野村先生の遺言のごときお言葉でした。娘も私も家内も思わず涙してしまいました。

 「稽古」とは、技術や知識を身につけることではない。芸を通して自らを成長させることである。

 古き伝統を完全に身につけた上で、常に新しいモノへの挑戦を怠らなかった先生。私もジャンルは違えど、そのような精神でこれからの人生を送って行きたいと思います。ありがとうございました。

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2023.07.15

『日ユ同祖論』 (NHK ダークサイドミステリー)

Th_n202312940800000_x 士山合宿2日目。こちら関する話も出てきましたね。

 合宿から帰ってきて録画を見ました。

 それにしても、NHKで日ユ同祖論を扱うこと時代になったのですねえ。感慨深い。

 コメンテーター(専門家)として原田実さんと雨宮純さんが抜擢されるということも感慨深い(涙)。

 番組前半では、(わざと)いかにも日ユ同祖論が正しいかのように語り、後半でそれを論理的に落としていく感じが容赦なくて最高でした(笑)。

 いや、私の合宿のテーマは、宮下文書やら出口王仁三郎やら仲小路彰が中心なので、一見、いわゆるトンデモ情報満載のように感じられるでしょうが、実際参加していただくと分かるとおり、あくまでもそうしたトンデモとは一定の距離を置き、特にそれらに関するネットのウンコ情報には絶対に惑わされないように伝えています。

 専門家のお二人が語ってくれたように、こうしたウンコ情報にはある種の中毒性があり、それが歴史的な日本の立場や個人のスティグマなどに絡み合って、それなりに生き続けていくこと自体は「事実」です。実際に上記私のテーマに関しても、そういった文脈の中で実際に世の中を動かしてしまったのは「事実」「史実」ということになります。

 だから簡単に切り捨てたりバカにはできないわけで、ある意味アカデミズムが高慢な態度に徹してしまうため、そのカウンターとしてトンデモが力を持ってしまうというのも、笑えないパラドックスなのです。

 そこも含めて人間や世界というのは面白いですし、またそうした狭い人間界の補集合として、ある種トンデモない世界が無限に広がっている悦びや幸せを感じざるを得ないのでした。

 再放送が17日の午後11時と、18日の午後5時にあります。見逃した方はぜひ。BSプレミアムです。

 あっ、ちなみに私は日ユ同祖論には否定的ですが、ユダヤ人渡来説には大いに共感しています。

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2023.07.10

グルジェフの音楽

Th_-20230711-82805 日はフジファブリックの志村正彦くんの誕生日。

 今日は地元民にとっての志村くんの音楽について、何人かと話をする機会がありました。彼の音楽の風景は、私たちモロ地元民からすると、非常にリアルなものなのですが、当然他地方の方々にも懐かしさを感じさせる不思議があるんですよね。

 それっていったい何なのか。あらためていろいろ考えているのですが、その一つに、彼の歌詞や旋律に潜む日本人の無意識に働きかける何かがあるように感じ始めています。

 それは思想とか哲学という以前の「モノ(何か)」なわけですが、そのモノを感じる別の音楽があります。もちろん、これは私にとっての特殊な事実なので一般性があるとは思っていません。

 その音楽とは、アルメニア出身の思想家、音楽家、舞踏家ゲオルギイ・グルジェフの作品です。

 私はそれほどグルジェフについて詳しくはないのですが、彼の東洋的(つまり反西洋的)な人間観、宇宙観にはなんとなく惹かれるものがあります。

 そして、彼の残した音楽が、やはり近代西洋音楽を軽く包摂してしまうような宇宙的なスケールを示していて興味深い。しかし、またそこに溢れる「懐かしさ」は一体なんなのか。

 それはまさに志村くんの音楽に通ずるところがあると感じるわけです。皆さんはどうお感じになるか。ぜひお聴きください。

 

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2023.06.30

VRヘッドセット(?)

Th_714og4glbl_ac_sl1500_ のブログで意外にも人気なのが「ガラクタ」シリーズです。

 ガラはガラガラという擬音、クタはおそらく「芥(あくた)」でしょう。すなわち「がらあくた」がガラクタになったのだと思います。

 芥=ゴミがガラガラと今にも崩れそうに積み重なっているイメージです。まさに我が家(笑)。

 小学校高学年の頃からでしょうか、いろいろ分解して改造するクセがついたのは。で、だいたい半分くらいは失敗するので、高い物は分解できません。それで安物を買うようになったのでしょうね。

 ちなみに今回のガラクタは2500円でしたが、なかなか良く遊べますので完全に元は取ったと思います。

Th_2023060600000007mynavin0001view そうそう、ちょうどAppleがゴーグル型のデバイスを発表しましたよね。ええと、あれは約50万円!?たぶんすごいモノなのでしょうが、とても買えませんし、もちろん分解・改造なんてできません。

 こちらはその200分の1のお値段です(笑)。いや、正直言ってこのなんちゃってVR体験の200倍の感動が得られるのでしょうか、あっちは。

 ある意味非常にコスパの良いデバイス(ガラクタ)ですよ。

 どのように使うかというと、一昨日紹介した3Dミラーで撮影した写真や動画をこれで見るだけです。そして、それでもう十分楽しめます。

 このデバイス(ガラクタ)の良いところは、非常にシンプルな構造であり故障は絶対にしないだろうというところと、電源もいらないところ、そして案外良かったのがスピーカーというかヘッドフォンがお値段以上に優秀だったところ。

 そしてそして、何と言っても付属してくるライトニング⇔ヘッドフォン端子のアダプターですよ。単独で買うとなんだかんだ1500円くらいするわけですから、2500円の中にそれが含まれていると考えると破格というか、正直ラッキーです(笑)。

 というわけで、私は合計5000円ちょっとのこのガラクタでリアルなVR体験(?)を楽しんでおります。もちろんYouTubeにある3D動画なんかも楽しめますよ。

Amazon VRヘッドセット

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