カテゴリー「教育」の996件の記事

2018.08.07

暴力・威圧による教育の時代は終わるのか?

Th__20180808_175100 研修会での指導を終え帰宅しました。指導とは言うのものの、特に今回はこちらが学ぶことが多かった。若手教員からいろいろ教えていただきました。
 たしかに時代は変わっている。
 たとえば、「新アンガールズ」と言われる、日大田中理事長にボクシング連盟山根会長に象徴されるような、「荒魂」的世界は、教育から追いやられる時代が来ました。
 今若い先生たちは、体罰や威圧的な発言、行動によって生徒をコントロールするという旧来のやり方を自ら捨てようとしています。これは素晴らしいことです。
 愛のムチ…たとえばこういう言い方によって美化されてきた「暴力」。そういう力が働いてこそ生徒は成長するという、よく考えれば全くエビデンスのない伝説がまかり通っていたのが、学校という異常な空間です。
 150年戦争終結という言い方で、いろいろなところで話していますが、学校のそうした軍隊文化もいよいよ終わらせなければならないですね。
 いや、ホント数ヶ月前までは、「昔はよかった」「今はダメだ」的な発想をしていたんです。お恥ずかしいことですが。
 しかし難しいですよ。今日もそういう話で6時間、グループワークしましたよ。何が間違っていたのか、何を変えていかなければならないのか。そういう検証が全くされてこなかった世界なので。
 若い先生方は大変ですよ。子どもたちは基本、どの時代も変わりません。反抗や怠惰という表現方法しか知らない生徒たちは今もたくさんいます。
 今までは、それを威圧によって3秒でしっかりさせることができました。私も、若い頃そういうことが苦手だったので、自分なりに訓練して、威圧も体罰もできるようになりました。しかし、そういう方法をとっていた頃の自分は、なにか不自然で、教師という仕事に対しても違和感を抱いていたのです。
 今、面白いもので、こういうご時世になりまして、ようやく自分らしく毎日を送れるようになったのです。不機嫌にならなくて、というか不機嫌なフリをしなくてよくなった。
 私、生来の性格で本当に怒りの感情がほとんどないんです。なのに先輩方から、そんなことではダメだ、なめられる、自分はこうして生徒を静かにさせる、と聞かされ、ある意味しかたなくやってきた部分があるのです。
 では、その代替策がしっかりあるかというと、今日の若い教員たちと同じく、これというものがないのです。だからこそ、今日は指導というよりも、本当に一緒に悩みましたよ。
 ただ、本当に時代はそういう「荒魂」ではなく、「和婚」の方向に動いてるのは間違いありません。これは実にいいことなのです。
 人類はいよいよそういう次元上昇の時を迎えているのでしょう。教育とは、未来の大人、すわなち未来の社会を創る営みです。
 子どもたちが、そうした暴力的な教育の世界から解放されれば、もしかすると世界から戦争がなくなるのかもしれません。
 ちょっと前までの私を知っている人は、いったい山口はどうしちゃったのか?と思うことでしょう。しかし、これはどうしようもありません。どの瞬間だったかは分かりませんが、急に変わったのです。
 誰か言っていました。不機嫌によって人をコントロールしようとするのは、赤ん坊と教師だけだと。笑えませんね。

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2018.07.31

ヘッドセットマイク

Th_61ga23lpqml_sl1500_ 日は公立の小中の校長先生方43名を前にして2時間もお話させていただきました。内容は…ナイショです。
 いろいろ反省点はありますが、基本自分自身も楽しかったし、校長先生方もそれなりに興味をもって聴いてくれたようです。
 正直午後の眠い時間帯でしたので、いろいろ爆弾を投下して眠気を吹き飛ばさせていただきました(笑)。
 弱小私立の教頭が公立の校長先生方に対して講演するなんて、まさに「釈迦に説法」。しかし、だからこそかっこつけず自分をさらけ出すことができたと思います。
 いろいろと旧来の教育、学校についてのアンチテーゼを提示させていただいたのですが、だいたいが、プレゼンの形式をとっていたこと自体、フツーの授業に対する批判であり皮肉であったと思います。
 今回、あえてヘッドセットマイクを使わせていただいたのも、そうしたアンチテーゼの一つ。教室では教師が肉声を張り上げるというのが常識ですが、実はマイクとアンプとスピーカーを使ったほうがお互いのためだったりします。
 細かいことは抜きにしますが、とにかく現在の学校文化は150年来全く変わっていないのです。特にそこに巣食う軍国主義、軍隊文化は、さすがにそろそろ払拭しなければなりません。
 ただただ苦渋を強いて、我慢した生徒が偉いというような精神論、根性論は…正直私はそれらを好きですが…さすがに世界的に見ても、あまりに時代遅れというか時代錯誤です。
 というわけで、このヘッドセットマイク、自前の路上ライブ用スピーカーアンプにつなぎまして、実に重宝しています。
 両手が使えるというのは、アクションが可能になる、あるいは手に何かを持つことができることを保証します。それによって、いかに私たちが表現力を得ることができるか。そして、それが受け手にとっていかに喜ばしいことか。
 お笑いのライブを見れば分かりますよね。漫才なんか中央にマイクが立っていますが、ご存知のとおり、あれは単なる漫才のアイコンにすぎません。コント寄りの漫才が増える中、実はそれぞれにピンマイクがあてがわれて機能しているわけですね。
 さすがにヘッドセットですと、お笑いや演劇ですと演技上のじゃまになりますが、逆に歌手なんかだと、ある種のかっこいいアイコンとしてヘッドセットマイクが使われていますよね。
 プレゼンにおいてもそう。プレゼンのアイコンとして機能しています。それを授業に取り入れたらどうでしょうか。ずいぶん昔からずっとそう思っています。
 2学期になったらやってみようかなあ。アンプはこちらで紹介したヤツを腰にぶらさぜてみましょうか。また生徒に笑われそうだな。いや、ブレイクスルーをするイノベーターは最初は笑われるものなのです。

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2018.07.27

「どーせむり」をなくそう

Th__20180728_100655 育者としての悩みシリーズ(苦笑)。どんどん悩みますよ。悩むことは楽しいことです。悩むのは矛盾があるからです。対立するナニモノとナニモノかがあるからです。
 先ほど、仲小路彰の研究・顕彰を主導してくださっている方から久しぶりにお電話をいただいたのですが、やはり仲小路彰を理解するにはヘーゲルの弁証法を勉強しなくてはならないとのこと。
 今、いろいろな意味で矛盾、対立に悩んでいる自分にとって、たしかにその解決法は弁証法しかないなと思います。そして、弁証法こそ、未来的な思考方法です。
 考えてみれば、弁証法によって未来的発展を遂げるためには、現在において矛盾や対立がなくてはならないわけですね。ですから悩みに感謝なのであります。
 さてさて、そんな素晴らしい悩みと、その先にある希望を与えてくれるプレゼンを紹介しましょう。
 北海道の実業家植松努さんのTED。本当にいいですよ。植松さんのお人柄もよく分かる。
 学校の先生としては実に耳の痛い素晴らしいお話の連続です(苦笑)。
 たしかにほとんど学校の先生は「どーせむり」のプロになってしまっている。まず自分に対してもそうです。植松さんの言うとおり、教育(学校)とは「死に至らない失敗を安全に経験させる」ものであるべきです。
 失敗を避けるために私たちは「どーせむり」という魔のワードを使ってしまうのですね。
 私も「どーせむり」は人にも自分にも絶対使わず、「だったら〜してみたら」と言い続けたいと思います。

 

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2018.07.26

ホリエモンが“ゼロ高”創設!目指す教育改革とは?

Th_unknown1 日の悩みの続きです。今日、堀江貴文さんが「学校教育を壊す」と宣言しました。素晴らしいことです。
 私も戦後日本の学校教育は一度ぶっ潰してもいいと思っています。それくらい病んでいますよ(私は)。
 自分がやってきたこと、信じてきたことを疑う、否定するというのは勇気のいることですが、無理に続けている方がずっと疲れますので、私は私の立場を大切にしながらいろいろ悩み、叫んでいきたいと思っています。
 少し前の自分なら、このゼロ高にせよ、先行していたN高にせよ、違和感というか、拒否感を抱いていたと思います。それが今はとても興味がある。
 今までの学校、つまり自分がやってきた教育方法というのも、ある種類の生徒たちには一定の効果があります。もしかすると、これからの社会においても、確率論的には安全安定の人生を用意してあげられるかもしれない。
 しかし、今までもいた一部の個性的な生徒にとっては、こういう個性的な先輩方が創ってくれた新しいタイプの学校は、非常に魅力的でしょう。成果も上がると思いますが、一方、自分が特別だと勘違いしている単なる中二病の生徒が進学すると、よけいにきついかもしれない。
 私も退職したら学校創ろうかな(笑)。

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2018.07.25

ZOZO前澤社長がいま明かす 『私の幸福論、仕事の哲学』

Th__20180726_123234 週あるところで講演をするのですが、そのおかげで大変悩ましい日々を送っています。
 お恥ずかしいかぎりですが、私は学校の先生として30年以上やってきてですね、その仕事にようやく自信を持てるようになったかというと、全くその反対でして、とにかく迷い悩んでしまっているのです。それもその根本の部分で。
 極論してしまえば、本当に学校って必要なのか?今の学校は本当に正しいことを教えているのか?学校の先生って本当はやばい人たちなのではないか?と、そんなことばかり考えているのです。
 特に最近、学校の価値観からはずれた、あるいは正反対な人生観の中で成功している人と話すことが多く、そんな彼らを見ていると、ますます自分のやってきたこと、これからやらねばならないことに疑いや不安を感じてしまうのです。
 まだ直接はお話したことありませんが、たとえば今いろいろな意味で衆目を集めている、ZOZOの前澤友作さん。彼のこのインタビューを読むと、「世界平和」から「競争嫌い」、「幸福論」まで、正直完全に同意します。しかし、彼は、私たちにとっての当たり前な日本の学校、教育に対して、強い違和感を抱いていることがわかります。
 今の彼の大成功と幸福の基礎に、いったいどれほど戦後日本の学校教育が貢献したのか。
 教育論は抜きにしても、大変素晴らしいインタビューだと思いますので、皆さんもぜひお読みください。

 ZOZO前澤社長がいま明かす「私の幸福論、仕事の哲学」

 実際に体現している方と妄想だけの私とを同列に並べるのは申し訳ないのですが、基本的な発想、ある意味宇宙人的な発想は、似ているなあとつくづく思います。
 球団の話も、ちょうど今ある人たちと話していたところでしたので、実にタイムリー。もしかするともしかする?
 最近ストラディバリを手に入れたとか。ぜひ弾かせてもらいたいですね(笑)。いや、自分が億万長者だったらバロック仕様に戻してみたいかも。

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2018.07.23

不機嫌は怠惰の一種である(ゲーテ)

Th_200pxgoethe_stieler_1828 は先生にしては珍しく?あんまり不機嫌にならない方です。生徒にも「そういえばいつも上機嫌だ」と言われます。
 生徒というのは先生の「不機嫌」に対して非常に敏感です。ほとんど動物的なカンでそれを察知し、自分に被害が及ばないようにします。空気を読むわけですね。まあ、それだけ不機嫌になる先生か多いということです。
 ゲーテは名作「若きヴァルテルの悩み」の中で、ヴェルテルに「不機嫌は怠惰の一種です」と言わせています。高校時代、この言葉に出会ってからというもの、私はこの言葉を座右の銘としてきました。
 では、現在の私があまり不機嫌にならないのは、私が怠惰ではなく勤勉なのかというと、どうもそうでもないようです。
 つまり努力して機嫌よくしているわけではない。たぶん生まれつきの性格なんだと思います。あえて言えば、不機嫌になることによって得るものが全くないと思っているのかもしれない。不機嫌は他人も自分も不幸にします。
 学校の先生は、「不機嫌」を武器にしているところがある。その最たるものが「体罰」であって、ようやく最近それがダメということになりました。
 ですから、かつて私が教員になりたてのころ、まず身につけなければならなかったのは、「不機嫌なフリをする」ということでした。先輩方がそれを実にうまくやっているように見えたからです。
 ある意味自分の主義に反していたわけで、なんとも言えない居心地の悪さも感じていましたが、反面、テクニックとしてうまくいくようになると、なんとなく自分も先生らしくなったんだなと思っていたのも事実です。
 今はもうほとんどそういう無理はしなくなりました。やっぱり自分に合っていないからです。不機嫌になる教師を否定したり、見下したりするわけでありません。やはり単純に自分の性分に合わないテクニックだということです。
 ゲーテは先程の文章のあと、さらに深い、厳しいことをヴェルテルに語らせています。

 不機嫌は、むしろ、自分のくだらなさに対するひそかな憤懣ではありませんか? 愚劣な虚栄によって煽られた嫉妬とつねに結びついている、自己不満ではありませんか?

 さすがゲーテですね。完全同意します。人間の煩悩の中でも特に強く面倒な「嫉妬」と結びつけている。
 私も実のところ、「小さな不機嫌」はあります。そして、それが「嫉妬」に基づいていることも知っています。まだまだ修行しなければなりませんね。

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2018.07.22

松の木の下に松は生えぬ

Th_img_2154 眼夏期講座二日目。
 山川宗玄老大師の提唱は無門関第四十則。言語を超えるにはどうすればよいか。言語を超えるために言語を使ってはいけない。蹴倒する勇気、智慧がなければなりません。
 今回の講座のテーマは「葛藤を蹴倒(しゅうとう)す」でした。まさに、快刀乱麻を断つ、その快刀とはなんなのか、どう手に入れればいいのかを、体験的に学んだ気がします。
 言語というコトは、違う言い方をすれば「容れ物」「枠」。そこに安住するのではなく、そこから軽やかに解放されるというのは、たしかに理想的な生き方ですね。
 そこに重ねた教育論も心に残りました。結局、子どもや弟子を自分の容れ物に入れていい気になっていてはいけないということですね。
 老師がある人から聞いたとして、「松の木の下には松は生えない」というお話をされました。どんな植物も、親木のすぐ下に落ちた種は育たないと。たしかにそうです。親の木は成長しないように毒を出すこともあるのだとか。
 可愛い子には旅をさせよというのと同じですね。護りすぎてはいけない。可愛がりすぎてはいけない。
 教育者として深く考えさせられました。正眼寺の奇跡の松との対比も興味深かった。
 午前中の音楽演奏では、今の若い作曲家の、それこそ古い容れ物からおしゃれに飛び出した編曲術を堪能することができました。
 そして午後の白洲信哉さんの講演。なにしろ父方の祖父母は白洲次郎・正子。母方の祖父は小林秀雄というのだから、まあ驚きです。日本の不完全の美、あるいは日常で使われることによって生まれる味わいについての文化論は非常に面白かった。
 それもまた西洋の容れ物からは余裕ではみ出ていますし、実際、瓶や徳利からは、内容物が染み出してきています。それがまた素晴らしいというのが、日本の美学。お隣の白磁の話とのコントラストには笑ってしまいした。
 ところで、最後に老師の口から出た言葉には驚きました。なんと、あのロスチャイルドが正眼寺を訪ねていた。もちろん梶浦逸外老師を頼って来た。全てを手に入れた大富豪が、「死」について学ぼうとし、わざわざ伊深まで来たのだといいます。正眼寺恐るべし。梶浦逸外畏るべし。

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2018.07.18

田野大輔 『私が大学で「ナチスを体験する」授業を続ける理由』

人はいとも簡単にファシズムになびく
Th__20180719_114012 近、動画または他人の記事紹介ブログになってますね‥と言われました。
 いや、それでいいと思うんです。このブログを始めた14年前は、まだまだ動画共有文化もありませんでしたし、ツイッターような共有アイテムもなかった。
 今、メディアの環境は大きく変わりました。ネットメディアは「紹介」「共有」の方向性で成熟しつつあります。そんな時代ですから、私のつまらぬ文章をいやいや読んでもらうよりも、よくできた動画や記事などを読んでもらう方がお互いのためです。
 ただ一つ言えるのは、この地味なブログのスタイルは変えたくないということです。最近のブロガーの皆さんは、とにかく「今」読んでもらうことに執心しているようですが、私はとにかくデータとして残して、100年後でもいいから読んでもらおうと思っているんです。
 おっと、関係ない話が長くなってしまった。今日はこの記事を紹介します。
 今月末に公立の校長先生方を前に講演をしなくてはならなくなり、自分なりの戦後教育論を復習しております。昨日の安冨歩さんの動画も、その流れの中で見つけたものです。戦後の学校教育は実は軍国主義、軍隊文化を継承・保存する役割を果たしていた、という視点ですね。
 で、そんな軍国主義、軍隊文化、ファシズムの象徴であるナチズムを、大学生に疑似体験させている大学の先生がいるということで、この記事を紹介します。

私が大学で「ナチスを体験する」授業を続ける理由

 甲南大学文学部教授、田野大輔さん。非常に面白い授業ですねえ。これはちょっとやってみたいかも。私、たぶん総督役うまいですよ(笑)。優れた教員というのは、優れた扇動家でなければならないし、優れた洗脳家でなければならないわけです。
 そうそう、ちょっと話がそれますが、あるクラスでの雑談の中で、「この学校で一番コワい先生って誰?」という話になり、全員に書いてもらったんですよ。
 そうしたら9割が強面の体育の先生とか、部活の厳しい先生とかの名前を挙げたんですが、数人私の名前を書いた。私は全く怒らないし、不機嫌にもならないことで有名な?センセーなので、これはきっとふざけているのだろうと思って確認したところ、異口同音にこう言ってのけました。

 「違う意味でコワい!」

 たしかに!と他の生徒たち、そして私までもが納得してしまった(笑)。なんでも、私が語る話がぶっ飛びすぎていて本当か嘘か分からないし、いつのまにか洗脳させてそうでコワいのだとか。な〜るほど、そのとおりだ(笑)。
 というわけで、私もこういう授業やったらうまいと思います。いやいや、軍隊的な厳しさは苦手ですから、ちょっと違った方法で同じ効果を上げることができるかもしれません。
 こういうことをしっかり体験しておくというのは、若い人たちにとっては非常に重要なことですね。そして、客観的にその時の自分を分析し、そう簡単にだまされないようにする。
 ふむ、契約、制服、マーク、スローガン、集団行動、大声、糾弾、反復…けっこう、普通に学校の日常でやっていることですよ。危ないよなあ。歌も加えるといいんじゃないかな。
 あと、今日はウチの高校の文化祭があったんですけど、このクソ暑い日に体育館にすし詰めにして、みんなでお祭り騒ぎすると、不思議とですね、熱中症になるヤツが出ないんですよ。食中毒もいっしょ。
 とっても雑で乱暴な考え方ですが、やっぱり気合とか愛情とか感動とかって、抵抗力、免疫力を高めるんですかね…なんていう、非科学的な「根性論」こそ、宗教とも絡んだ軍国主義、軍隊文化そのものだったりします。
 こうして観察していると、本当に学校というところは異常なところだと思いますね。今後も研究を重ねていきます。そして、日本の教育を変えますよ。

Amazon 愛と欲望のナチズム

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2018.07.17

安冨歩 「なぜ『優秀』な人が集まって愚かな暴走をするのか?」

Th_yasutomi550x413 日、東松山市長選で残念ながら敗北してしまった、女性装の東大教授、安冨歩さん。
 一見イロモノのように見えてしまいますが、なかなか面白い人ですし、基本的な発想において私との共通点が多いので、私はけっこう好きです。
 彼の女性装が単なる性的な意味での趣味ではなく、彼自身の人生そのもの、いや日本という国のあり方に関わるものであるということは、次のインタビュー記事をお読みいただくとよく分かります。

なぜ日本の男は苦しいのか? 女性装の東大教授が明かす、この国の「病理の正体」

 戦後の軍国主義(靖国主義)が続き、誤った「男らしさ」「女らしさ」が唱えられ、そして男たちは「ホモマゾ」「立場主義」 に陥っていく。これは全く私の戦後教育論と同じですね。というか、実際、学校現場ってずっとそうだったんだもん。
 いろいろと共感する安富さんの面白い講演があるので、ぜひ御覧ください。これもまた、私の「モノ・コト論」と全く同じ。
 記号化できる(語り得る)「コト」と、記号化できない(語り得ない)「モノ」。近代西洋は「コト」ばかり追究し、結果として、モノ性を内在して当たり前の自己の大部分を否定することになってしまった。

 仲小路彰を研究すると、彼自身も含めて多くのエリートたちが、なぜ戦前、戦中、あのような言説に走り、そして実際行動してしまったのか、とっても興味が湧いてきます。
 そして、なぜ戦後、あまりにも見事に変節したのか。いや、変節したかのように見えて、なぜ日本社会全体としては何も変わらなかったのか。すごく興味があります。
 そして、安富さん、見事な歌下手であります(笑)。ぜひ一度お会いしてお話うかがってみたいですね。
 

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2018.06.20

草食動物は究極の偏食?

Th_images 日は地域の教育関係者の会合があり、河口湖畔にお住まいのアウトドア・エッセイスト木村東吉さんの講演を拝聴しました。
 私と同様、外からこの土地を選んで住み、ここが世界的にも特別な場所であることを認識されているようで嬉しかった。地元の方々の気づかない(忘れてしまった)魅力を発信してくださっていることに敬意を表します。
 自然の中で不便な生活をして分かる、都会の便利さの危険。都会は、私たちの煩悩を誘発する誘惑に満ちています。
 食についてのお話の中で、お知り合いの栄養士さんが「本来、食べたいものを食べたいだけ食べていればよい」という言葉がありました。
 これはよく分かります。私はもう15年ほど一日一食です。そうなりますと、体が何を欲しているか、よく分かります。野菜が食べたいとか、肉が食べたいとか、甘い物がほしいとか…。
 これは好き嫌いではなく、体が本能的に欲しているのです。それに従っていればいいだけであって、おかげさまで私はとっても健康ですし、体重の増減もほとんどありません。
 一日三食食べなければダメとか、毎日30品目とか、いろいろな「強迫(脅迫)」が飛び交っていますよね。これってとんでもない間違いですよ。
 去年の今ごろも、こんな記事書きました。

牛は草しか食べないのに、なぜ「肉」の塊なのか?

 牛だけでなく、草食動物って、めちゃくちゃ偏食ですよね(笑)。草だけ食べていてもめっちゃ健康です。
 なんで人間だけ、そんな30品目も食べなきゃいけないんですか。変な話でしょう。人間だけ退化しちゃったんですか?
 食べたいもの、そこにあるものを、ありがたくいただいていれば、おそらく健康でいられるのです。余計なもの食べるようになってから、成人病やらガンやらが増えた。これは事実です。
 というわけで、私の理想はかの横山大観。日本酒とつまみだけで84まで生きて、そしてあれだけの作品を残した。今からでもそういう食(?)生活にしたいのですが、誰かお酒のスポンサーになってくれませんか(笑)。

The GreatLife at 5LAKES | 木村東吉のすべての情報がここに

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