カテゴリー「教育」の1007件の記事

2018.10.05

『オカルト化する日本の教育』 原田実 (ちくま新書)

江戸しぐさと親学にひそむナショナリズム
Th_41oku2eqe5l_sx304_bo1204203200_ 日の話(教育勅語トンデモ本?)ともつながりましょうか。
 実はこの本、6月に読んで記事を書いていたのですが、タイミングをはかっていたら、4ヶ月も経って今日になってしまいました。ということは、今日がベストタイミングなのでしょう。
 今年読んだ本の中では出色の面白さ。勉強にもなりました。
 特に後半、近現代日本の陰謀論とオカルトナショナリズムを概観する部分は最高にエキサイティングでしたね。左右にぶれまくるフィクションの生命力に、我ながら感動してしまいました(笑)。
 我ながら…というのは、もうご存知のとおり、ワタクシはまさにその爆発的エネルギーの中で生きてきた人間です。
 実際、この本に出てくるアヤシイ(?)世界のかなりの部分に、私も直接関わりを持っています。会って(楽しく)話したことがある人ばかり。そういう意味では、原田さんよりもよく分かっている部分があるかもしれません。
 そして、もちろん私も「教育」の中心にいるセンセイです。いちおう教育のプロとして、現場をいやというほど知っています。いい面も悪い面も(圧倒的に後者が多い)。
 では、私はどっち側の人間なのかというと、これがまた自分でも面白くてですね、両方OKな立場なんですよね。右・左、宗教・科学などの対立構造についても、どちらも否定はしませんし、どちらも正解だと思っていない。
 昨日もそんな、ある意味ずるい優等生的なポジション取りをしていましたが(笑)、まあ本当だから仕方ない。
 それが私らしさ、つまり「アヤシサ」そのものであり、また、客観的に見れば、そうして地球人の上に立とうとする、それこそエセ宇宙人のいやらしさでもあるわけですが、これはもう生まれ持った性質なので仕方ないですね。諦めてます。
 さてさて、前半の「江戸しぐさ」については、原田さんの『江戸しぐさの正体–教育をむしばむ偽りの伝統』『江戸しぐさの終焉』を読んで記事を書いております。後者の記事には、原田さんご自身がコメントくださりました。今読むと、たしかに原田さんの言う通りで、さすがに私のモダンチェンバロのたとえは、ちょいと牽強付会という気がします。
 しかし、なんでしょうねえ、どうしても「江戸しぐさ」というフィクションにシンパシーも湧いてしまう。自分にそういう嘘つき、ハッタリ屋の部分があるからでしょう。
 「親学」については、これはTOSS、すなわちワタクシの宿敵である向山洋一氏が関わっているので、これまた複雑な気持ちで読みました(向山洋一氏に対する恨み節はこちら)。
 この4ヶ月の間、ずっと「学校こそ諸悪の根源」という本を書こうと思い準備をしておりました(匿名で書こうと思ってたのにカミングアウトしてしまった!)。しかし、ここに来て、やっぱりやめようと思い始めたのです。それは北欧の教育関係者とのご縁ができ、本当にいろいろな人たちとお互いの教育について対話ができたおかげです。
 お互いに、外から見ると全く違った風景が見えてくる。良いところも悪いところも新たに発見できる。あるいは、善悪が逆転したり、自分の中での教育観の変化に驚くばかりです。
 北欧の方々から見ると、軍国主義的、軍隊文化的な日本の教育は、それ自体がオカルトに見えるでしょう。しかし、一方で理想的、先進的に見える北欧の教育がもたらす社会的な弊害というのも実はあり、それはある意味では、科学的ではない理想主義というオカルトに起因しているとも言えるのでした。
 教育は大切です。だからこそ難しい。正解がないが、迷いながら正解を求めるのが教育なのでしょう。そんな難しさの中には、オカルトが入り込みやすい。新しい(しかし古くからありそうな)特効薬のように見えるからです。そういう意味では、常にオカルトとの戦いであるとも言えるかもしれません。

Amazon オカルト化する日本の教育

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.10.04

『聖なる約束4 ヤマト人への福音 教育勅語という祈り』 赤塚高仁 (星雲社)

Th_41tdvbirshl_sx337_bo1204203200_ 日はいろいろなお客様が入れ代わり立ち代わりいらっしゃり、合計6時間ほどお話をしました。
 「対話に貴賎なし」がモットーのワタクシといたしましては、大変楽しい一日でした。
 その中のお一人、政治家の方とは「教育勅語」の話になりました。そう、新文科大臣の発言がありましたので、そこからのお話でありました。
 教育勅語が素晴らしいという人と、教育勅語なんかとんでもないという人の溝は埋まりません。なぜなら、論点、評価のステージが全然違うからです。
 私はそのステージを行き来できると自負しておりますので、称賛も批判も両方できるつもりです。
 ただ一つ、直視していなければ教育勅語自身が持つ矛盾もしっかり直視しなければならないと思います。すなわち、教育勅語の眼目である「忠孝」は儒教の教えであり、決して日本古来のもの(国体の精華)ではないということです。
 いや、我が国の国柄は宏遠であり、彼の国の教えをも内包しているのである…なんて言い訳もありえます(いかにも私が言いそう…苦笑)。あるいは、忠孝のルーツは日本であるという言い方もありかな。
 しかし、教育勅語の時代性から考えると、実は単純な構造であって、江戸時代以来の儒教的家族観、友人観の最上位に、天皇への忠義を置いたものにほかなりません。
 そこを基準に論じると、たしかにいいことを言っている部分もあるが、それは別に教育勅語でなくてもいいだろうという、非常に単純な結論に至るわけですね。儒教の教えのエッセンスを紹介したものはほかにもいくらでもあるし、天皇家の素晴らしさを、あるいはあの時代の天皇制の危険を語るものもいくらでもある。
 教育勅語に関しては別にケンカすることはない。どっちも正しいし、どっちも間違っている。原理主義的二元論の罠にはまっているだけです。議論の仕方がいかんのです。
 では、私たち現代人は、教育勅語全体とどう付き合えばいいのか。それ自身が内包する矛盾をどう乗り越えればいいのか。
 というわけで、今日紹介する本は、知り合いである著者御本人からお送りいただいたものです。これは、今述べた二元論的な判断基準によるものではなく、儒教の上に「やまとこころ」を置き、天皇をキリスト(救世主)に見立てるという、全く別次元のお話です。
 これはこれで実に面白いストーリーであり、私は楽しく読ませていただきました。もちろん小馬鹿にしたり、ましてや怒り出したりはしません。21世紀において、そのような読みが可能ならば、それはそれでいいと思います。
 世の中には「教育勅語トンデモ本」というジャンルがあります。この本なんか、その中でもかなり先鋭な存在でしょう。たしかに常識的には「トンデモ」の称号を与えられてしかるべきでしょう。
 しかし、出口王仁三郎や仲小路彰に親しんでいる私としては、こういうトンデモ世界に、世の中の本質が見え隠れしているように思えてならないのです。
 少なくとも不毛なケンカのタネにするよりは、こうして新たな意味を付与する方が、当時の皆さんにも失礼がない…と思います。
 それにしても、著者赤塚さんのピュアな魂と行動力には、本当に頭が下がります。自らのお役目をよく知っていらっしゃる方です。

Amazon 聖なる約束4 ヤマト人への福音 教育勅語という祈り

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.09.20

『水の瀬きよき 学校疎開の記録』 鈴木道子 (文芸社)

Th_61w1vfqslxl_sx335_bo1204203200_ チの夫婦と二・二六事件は深い因縁があります。というか、因縁ができてしまったのですね。
 細かいことはいろいろと書き散らしてきましたが、いつかしっかりまとめなければと思っています。物語としては面白いでしょう。小説や映画にしたら、「できすぎ」なストーリーと言われそうですが。
 さて、私は静岡の出身、家内は秋田、そして二人は今山梨に住んでいます。そうした土地の霊脈が二・二六との因縁を生んだわけです。よく地縛霊と言いますが、やはり場所(トポス)というのは「因」と「縁」にとって非常に重要なのですね。
 具体的に言いますと、静岡で安藤輝三(夫人が静岡市出身・本人の墓もある)、山梨で斎藤実(宮下文書関係)、そして秋田で渡辺錠太郎(某小学校との交流)というところで、いろいろ我らの身に「事件」が起きてきたわけですが、ここへ来て、より穏やかな形で、そうした地縁を感じることがありました。
 一つは、渡辺錠太郎の娘で、父親が惨殺された瞬間を目撃してしまった、あの渡辺和子さんが、山梨に疎開していて、山梨で洗礼を受けて、山梨のカトリック系の幼稚園に教諭として勤めていたという事実。今、そのあたりを調べています。彼女に多大な影響を与えた神父さんがいるはずです。
 そして、このたび、ひょんなことから知ったのが、この本の編者鈴木道子さんが秋田の石澤に疎開していたということ。鈴木道子さんは、安藤輝三が敬愛しつつ襲撃してしまった鈴木貫太郎のお孫さんにあたります。
 石澤と言えば、家内の出身地にほど近く、今でも義父はその地の山に山菜を採りに行っています。私たちも時々、本荘に抜ける時、石澤を通過していました。そして、いつも気になるトンネルがありました。それは「絆の茂里トンネル」。なにか素敵な名前だなあと思いつつくぐっていました。
 そのトンネルの上に、109本の桜が植えられているとは知りませんでした。それを植えたのは、かつて昭和20年に東京から疎開してきていたある女学校の学生たち。戦後50年を機に東京と秋田の絆を記念して植えられたとのこと。
 正直、これまた鳥海山を望む、そして八塩山のふもとというピンポイントでしたので驚きました。
 この本は、そんな時局の中、繊細な感性を持つ12、3歳だった彼女たちの手記などを中心にまとめられたものです。一通り読んでみました。そして驚きました。本当に素晴らしい文章ばかりだったからです。彼女たちが特別優秀だったということもあると思いますが、それ以上にその純粋な心と、さらに純粋とも言える秋田は石沢の皆さんの純粋さ、そして当たり前ですが、戦争などとは関係ない大自然の純粋さ、それらが共鳴して、実に美しい文章になっている。
 地味な本ではありますが、貴重な疎開資料でもありますし、なにより人の心の絆が歴史や時代や事件を超えてつながっていることに感動させられます。
 関係者のみならず、多くの方に手にとっていただきたい本ですね。
 来春には「絆の茂里」をゆっくり訪ねてみたいと思います。

Amazon 水の瀬きよき
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.09.19

マレビトと教育

Th_img_2613 日は北欧の学生たちがウチの幼稚園を訪問し、日本の幼児教育を見学しました。
 そうとうショックだったと思いますよ。というのは、来週幼稚園の運動会でして、そのための練習をしていたからです。
 ご存知のとおり、日本の「運動会」というのは世界的にも珍しい行事です。すなわち軍隊の教練の一部としての体錬(錬成)大会の流れと、ムラの祭の流れが見事に合流しているからです。
 日本人としては、やはりムラの祭というイメージが強いけれども、外国人から見ると、どう見ても子どもアーミーにしか見えない。
 そんな「日本的」な文化としての「運動会」の練習という、非常にマニアックなシーンをいきなり見たわけですか、それは北欧の皆さんは驚いたでしょう。
 ただし、マイナスイメージではなく、どちらかというとプラスにとらえてくれたようです。北欧は特に子どもを自由に育てる傾向があるので、そのある意味正反対である日本式集団競技的幼児教育は、とても新鮮に感じられ、また自分たちの知らなかった子どもの可能性を読み取ったようです。
 さらに引率した日本人の大学生たちも、自らが通ってきた「教育文化」について考えさせられる機会となったと喜んでいました。まさに国際交流の醍醐味ですね。
Th_img_2617 また今日はラッキーなことに、近所の下浅間さんで恒例の「やぶさめ祭」が行われていたんです。これもまた、日本人でもなかなか体験することができません。私も地元にいながら、ほとんど見たこと、参加したことがありませんでした。
 流鏑馬はもちろん、御神事、神楽、獅子舞など、私にとっても興味深いことが目の前に展開し、さらにそれを外国人に説明することよって、今までとは違った深さで日本という母国をとらえることができました。
 特に個人的に面白かったのは、獅子舞神楽が幼稚園を訪問してくれた時の様子ですね。いわゆる「マレビト」として訪問した神は、まず子どもたちを脅します。怖がらせます。泣きながら逃げ回る園児たち。
Th_img_2615 これなんか、外国から見ると「いじめ」に感じられるかもしれませんね。トラウマになるのではないかと。しかし、でも書いたように、それを大人が音曲やお金、お酒でもってもてなすことによって、「鬼」は最終的には穏やかな神に変化(へんげ)する。
 それによって、子どもたちは神(自然)の性格を知ることができ、また大人に対する敬意や憧れを持つようになる。これって究極の日本的教育ですよね。
 実際、最後、園児たちは獅子たちに「バイバイ」と手を振っていました。これこそが非日常たる祭の機能の一つでありましょう。社会教育ですよ。
 とても楽しかったし、勉強になりました。考えてみると、「外国人」も「客人=まろうど=マレビト」ですよね。大事ですね。外の文化と交流し非日常を作り出すことは。コト世界にあえてモノを招くのであります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.09.15

富士学苑中学・高等学校ジャズバンド部 第16回リサイタル

Th_img_2547 年もやってまいまりした、本校ジャズバンド部のリサイタル。立ち見の方も多くいらっしゃるほど超満員。ふじさんホールがこれほど埋まることはそうそうありません。
 それほどこのバンドは実力があり、人気があるのですね。実際、今年もまたとても素晴らしい楽しいステージでした。
 富士吉田市長さんも駆けつけてくれまして、祝辞といいますか、いろいろな市の行事で活躍していますから謝辞でしょうか、ありがたいお言葉をいただきました。
 いつも書いているとおり、学校のクラブ活動ということで、毎年メンバーが違うにもかかわらず、こうして高いレベルを維持し、かつその年度のメンバーの個性を活かすのは大変だと思います。
Th_img_2551 今年のバンドは決して派手さはありませんが、しかし、全体のバランスがよく、また音色がソフトで、心穏やかにじっくり音楽に浸ることができました。ていねいなアンサンブルに好感を持ちました。
 3年生はいちおうここで引退となり、それぞれの進路に向けて頑張ることになるのですが、今年はこのあとも横浜や東京ビッグサイトでの演奏、日本医師会でのアトラクションなど、まだまだ活躍の機会があるようです。
 演奏終了後、ある部員の保護者の方と話したのですが、こういう富士山麓の、ある意味田舎の自然の中でジャズをやっているからいいのではないかと。中高生の純粋な魂と自然環境がああいう音楽を生むのではないかと。なるほど。たしかに都会の大学生のバンドはつまらない(失礼)。
Th_img_2548_2 音楽って本来自然の中にあるべきなのかなと思いました。ジャズのソウルは大自然の中にあります。しかし、それが歴史的悲劇の中で皮肉にもアメリカの都会で成熟した。それがまたこうして日本で自然に還っているのだとすれば、それはそれで実に感動的なことですね。そういう歴史的事業に関与している生徒たちは幸せですし、それを享受できる私たちもラッキーです。
 今年の会場の雰囲気は、なにかそういう大きな「愛」とでも言うような揺りかごの中にいるようでした。演奏者たちもいい意味で力が抜けていましたね。前半の本格的ジャズナンバーも良かったけれども、後半、スティービー・ワンダーやサザンのように分かりやすい曲が並んだり、ダンス部とのコラボがあったのも良かった。
 さて、昨年まで6年間同部でベースを弾いていたウチの愚娘も、OGとしてステージに上がりました。そう、卒業生が富士山燦燦楽団というバンドを結成しまして、本格的に活動を始めたようです。
 その練習動画がありましたので、紹介しておきます。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.09.12

時間は未来から過去へと流れている…プロ無職との対話

 日、プロ無職の「るってぃ」さんが我が家に泊まりに来ました。その時の(たぶん)衝撃的な様々な出会いについて、熱く発信してくれています。るってぃさんにとっては新しい発見の連続でしょうし、私としては発信のアウトソーシング大成功ということで、まさにwin-winの関係であります。
 さて、そんな「るってぃ」さんに最初にお会いしたのは5月。その時の対談の様子がYouTubeで紹介されています。
 今日はその第3弾が公開されたということで、今までのものも含めて貼り付けておきます。ぜひご覧ください。
 時間は未来から過去へと流れている…を前提に、いろいろな話をしております。この考え方を身につければ、はっきり言って人生180度変わりますよ。おそらくるってぃさんもその変化を体験中だと思います。

 彼が我が家で出会ってましった「三種の神器」についてのアウトプットは、有料になりますが、こちらで読むことができます。他の記事もなかなか面白いですよ。私も若い人から多くを学ばせていただいています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.09.08

告知!9/29,30 『FUJISAN地球フェスタ WA 2018 in 牛久』

Th_img_2505 日は富士吉田にある歴史と伝説の湖、明見湖におりました。昨日告知した「明見湖環境フェスティバル」です。朝、湖の向こうの山並みに虹がかかっているというか、山自体が虹色になっていて感動しました。珍しい現象ですね。
 フェスティバル自体も、とっても平和でゆったりしたムードでして、なんとも心地よい時間を過ごさせていただきました。一方で学術的なプチ・シンポジウムもあったり、本当に素晴らしいイベントになったなと感慨深いものがありました。
Th_img_2507 そう、富士吉田、特に明見という地区は特別に閉鎖的であったり保守的であったりする(いい意味でも悪い意味でも)ので、こういう開かれたイベントが行われるというのは画期的だからです。ここまでイベントを育て上げてきた張本人をよく存じ上げているだけに、そのご苦労には本当に敬意を払いたいと思います。
 会場で、明見湖のほとりに本部のある阿祖山太神宮の大宮司さまにお会いしました。ずいぶん長い立ち話をすることになったのですが、彼の推し進めている全国規模の平和の祭典「FUJISAN地球(ちだま)フェスタ WA 2018」も、ずいぶん大きく発展しました。
 本来地元富士北麓地方で成長すべきイベントなのですが、それこそいろいろな壁があってなかなかうまく行きませんでした。しかし、阿蘇や御殿場などで行なったところ、大きく盛り上がり、そして今年は縁あって茨城県の牛久で開催されることになりました。
Th_top_img01 こちらもまた大変盛り上がっているとのこと。宮司さんともしみじみ話しましたが、本当に正しいことをやろうとすると必ず抵抗勢力が現れ、ある種の妨害活動さえも起きる。しかし、それはそれで相手側にも無意識のうちに守るべきものがあるからであって、決して悪いことではない。そういう時は、外から攻めるというか、外から囲い込む、場合によっては上から動かすことが必要だと。
 いたずらに衝突するのではなく、やり方を変える、視野を広げて外を動かしてみる、あるいは本丸に関しては時を待つ、過去にとらわれない若者の力を借りるというのが大切なのです。
 結果として、本丸もより高い次元において完成成就するというのが理想です。今日の「アスフェス」も実はそういう動きの結果でもあるのでした。
 というわけで、私はうかがえませんが、今年の牛久の地球フェスタをおススメしておきます。かつては私も副実行委員長を務めさせていただいておりました。いつか巡り巡って富士山に帰ってきた時は、また協力させていただきます。2021年かなあ。もっとかかるかもしれませんね。

FUJISAN地球フェスタ WA 2018 公式

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.09.07

告知!9/8 定禅寺ジャズ&明見湖環境フェス

Th_28th_jsf_mv_0427 日はイタリアと北欧の皆さんに学校においでいただき、日本文化を体験していただきました。こういう国際交流の素晴らしいところは、やはり自分たちを見つめ直す機会になるということですね。本当にいろいろな質問をいただき、そのたびに、日本を自分を再発見させていただきました。
 さてさて、明日は明日で本校の生徒たちが活躍する機会がありますので宣伝しておきます。
 まず、全国を股にかけ活躍するジャズバンド部。もう何年も連続して出演させていただいている仙台の定禅寺ストリートジャズフェスティバルです。
 今回はメインステージとなる勾当台公園市民広場でオープニングアクトをまかされました。11時からの演奏となります。皆さんに楽しんでいただけるプログラムを用意しているようです。お楽しみに。
Th_w008_2018081117062594997 もう一つ、本校の茶道部が活躍するのが、明見湖環境フェスティバル。こちらは小規模ながらとってもセンスの良いイベントとなっています。
 実は富士五湖よりも重要な価値を持つ明見湖。自然科学の面からも、また歴史の面からも、そして霊的な面からも最近とても注目を浴びている、いわばパワースポットです。
 いろいろなイベントや出店が企画されています。気軽に参加できるとともに、いろいろ勉強できるイベントですので、ぜひどうぞ。私も出没します(笑)。

定禅寺ストリートジャズフェスティバル公式

明見湖環境フェスティバル公式

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.08.29

『なぜ与太郎は頭のいい人よりうまくいくのか』 立川談慶 (日本実業出版社)

Th_51oust2n6kl_sx349_bo1204203200_ 日の話の続きなりましょうか。「学校」という異様空間の中での優等生が本当に優等なのか。それとも与太郎にこそ生きる力があるのか。
 実はこの問いに対する正解を、多くの先生たちは経験的に知っています。
 もちろん、優等生こそ優等…なのではなく、与太郎こそ可愛げがあり、生きる力を持っていて、なんだかんだ社会に出るとうまくやっていっている。
 逆の心配も常に消えません。すなわち、優等生がダメになるという経験則です。
 ですから、私も含めて、心ある(?)先生たちは、優等生を見つけると、それを崩しにかかります。それこそが仕事だとも言えます。
 今日もたまたま卒業生姉弟とその親御さんが遊びに来たのですが、その卒業生は二人とも、特に弟くんは「学校」的には手がかかりましたが、まあ、大人になったらそれなりにちゃんとやっていけるでしょうというタイプでした。
 そういう目利きをした先生たちは口を揃えて「大丈夫ですよ」と言いましたが、母親は心配でしかたなかったし、今も心配だと、今日は笑っていました。
 立川談慶さん、実は先日、私学の研修で講演されたのです。その話がとても面白かったので、御本人おススメのこの本を読んでみたというわけです。
 うん、たしかに!ということがたくさん書いてありました。談慶さん、山梨の私立の進学校を出て慶応大学に入り、ワコールに就職したという、まあそれだけ見れば、まあ優等生の部類に入るでしょう。
 しかし、そこから会社をやめて、立川談志に入門する。すっかり与太郎になってしまいました(笑)。ある意味、ボケとツッコミの両方を経験、理解している人ならではの、とってもためになる本でした。
 そうそう、ボケとツッコミって、素人のワタクシからすると、ボケがバカでツッコミが賢いのかと思っていたら、逆なんですね。うん、たしかに、ボケは社会の常識から自由で、ツッコミはそこに縛られている。だから、ツッコミの方がバカだと。キンコン西野さんもそう言っているそうです。
 そうした視点の転換を促すのが落語であり、またこの本であると思います。
 談慶さんの言葉を使えば、「敏」と「鈍」のアウフヘーベンでしょうか。二項対立、二元論ではなく、それらをアウフヘーベンするのが落語であり、日本人の知恵であったと。
 ディズニーランドに行くか、家で静かに写経するかで迷ったら、「ディズニーランドで写経する!」だそうです(笑)。なるほど!好きだなあ、その発想。
 時代が急速に変化していく現代、こうして古典の洗練された「型」の世界に、ある意味逆説的に真理を見出すことは、とても大切なことでしょう。それ自体が、現代と過去、新と旧といった二項対立を超えることだと思います。
 それにしても、たしかに談慶さんの話し方をうまかったなあ。あのリズム、間、微妙なずらしや、フリ、オチなど、人前でしゃべることを仕事としている者として、大変参考になりました。

Amazon なぜ与太郎は頭のいい人よりうまくいくのか

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.08.28

学校行けなかった自分へ…中川翔子さんが「オールオッケー!」と言えるまで「しんどい時こそ、夢の種まき」

Th_2018082100000008withnews0005view 読みになった方も多いとは思いますが、自分のためにもここに記録しておきます。
 富士北麓地方は昔から1週間ほど早く2学期が始まります。最近では9月を待たず2学期を始める学校がけっこうあるようですね。
 とはいえ、やはりまだまだ9月1日からというところが多いことでしょう。そういう意味では、今日あたりも溜まった宿題を前にうんざりというか、正直暗〜い気持ちになっている子どもたちも少ないないのでは。いやいや、ほとんどみんなそうでしょうね。自分もそうでしたし。
 私、センセイになってから、ほとんど宿題を出していません。理由は単純でして、自分もいやだったから(笑)。いやいややってもちっともためにならない。
 というのは半分ホントで半分ウソ。回収したりチェックしたりするのが面倒くさいからです(笑)。というか、宿題の効果というのがはたしてあるのか、ちっとも検証されてこなかったと思うんですよ。
 教育現場って万事にそんな感じだから時代に取り残されていくんですよ。たとえば宿題を出すのが仕事だと思っているセンセイもいる。で、提出しないやつらを怒鳴り散らしたり。それがセンセイの姿だと、誰が決めたんでしょうね。
 宿題って、会社で言えば、持ち帰り残業ですよ。それを強制するのは、ブラック企業というか、ブラック学校ということになります。そういう発想はないんでしょうか。
 いつも講演や研修で言っているとおり、センセイという人たちは、学校で居心地が良かったお変人が、勘違いしてその職業に就いているからタチが悪いんです。
 ほとんど自虐的によく言うんですけど、私、生まれてこの方、一度も社会に出たことないんですよ。幼稚園に入る前まではママとずっと家にいたし、幼稚園入園のあとは、小学校、中学校、高校、大学、そして学校に就職して、また学校。学校が「社会」だなんて思っているのはセンセイだけ。
 ある時代までは、軍隊という社会への訓練所にはなっていました。その訓練所は残念ながら戦後もずっとその本質を変えずにきた。だから、体罰もいじめも不登校も、先生や先輩がやたらいばるのも、むちゃくちゃな練習を強いる部活も、みんな軍隊文化そのものじゃないですか。
 誰もそういうこと言いませんが、宇宙人から見ると(?)そのようにしか見えません。間違いありませんよ。
 だから、学校に行きたくないというのは、実に自然なことでもあるし、未来的なことでもあるのです。いちおうセンセイである私が言うんですから、たぶんこれは正しい。
 ようやく、そういうことをはっきり言える世の中になってきた。今までは、このしょこたんの記事にもあるように、学校に行かない、行けないことを、異常ととったり、わがままととったり、弱い人間ととったり、そんな感じでしたよね。
 もちろん、そういう軍隊のような理不尽な環境に耐えることが、実社会で役立つこともありました。特に会社が軍隊的だった昭和まではそうです。
 しかし、いかんせん、もう時代が違うんです。最近、実際に学校という場ではほとんど何も学ばなかったけれども、別の機会にいろいろ勉強して、社会でしっかり活躍している若者たちと対話することが多い。
 そのたびに、なんだか自分が数十年やってきたことに対して虚しさを感じるのですよ。そして、まだあと何年かそういう仕事をやってかなければならない。特にウチの学校は禅宗の教えに基づいているから、よけいに古い価値観に縛られがち。いや、もちろん私がそういう保守的な文化を大好きなことは、皆さんよくご存知でしょう。
 だからこそ悩みが多いのです。どうバランスを取っていこうか。あるいはアウフヘーベンしていこうか。苦しいけれども楽しい。逃げるつもりは全くありません。
 一度自分の信じてきたことやものを否定するところから始めてみようと思っています。とてもとてもマンネリ教師になっているヒマはありません。
 本題とは関係ない自分語りになってしまいましたが、まあ、とにくか中川翔子さんが言っていることは、いろいろな意味で正しい。学校という枠組みからはみ出したおかげで、立派なタレント、アイドルになれたという面も。それは非常に禅的な真実であります。
 苦痛を乗り越えられる人も、それはそれで良いし、長いものに巻かれてうまくやっている人も、それはそれで良い。そして、あまりの苦痛から、別の道、別の環境を探す人もまた、それで正しいのだと思います。みんな頑張れ!…頑張れと言ってはいけないという人もいますが、私はあえて自分も含めて全ての人に頑張れと言いたいと思います。

学校行けなかった自分へ…中川翔子さんが「オールオッケー!」と言えるまで「しんどい時こそ、夢の種まき」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧