カテゴリー「教育」の925件の記事

2017.04.18

追悼 渡部昇一さん

Th_41xw782ar2l 語学者にして保守派論客の重鎮、渡部昇一さんがお亡くなりになりました。
 「知的生活の方法」を読んだ高校生の頃から、言語、文化、思想、歴史観、いろいろな面で大きな影響を受けてきました。最近もネット番組等でお元気なお姿を拝見していたので、突然の訃報に驚いています。
 最も最近の動画がこれでした。渋沢栄一を紹介する渡部さん。渡部さんがご自身の人生を振り返るように、渋沢について語っています。
 私も昨年、仲小路彰研究の関係から、渋沢栄一記念財団の会員になりまして、遅ればせながら渋沢の偉業を知り、その人生訓を学ぶことになっております。
 そんな中、尊敬する渡部昇一先生が分かりやすく渋沢栄一を紹介するとあって、続編も楽しみにしておりました。完結編もおそらく収録済みと思われます。渡部さんが最後に渋沢を語ったというのは、本当にいろいろな意味において象徴的であったのかもしれません。
 ご冥福をお祈りします。

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2017.04.13

金足農業 vs PL学園 (昭和59年夏)

 分がちょっと(かなり)忙しい&国家が危険な状況なので、今日は軽くて重い記事で。
 この甲子園の名勝負、いいですねえ。
 なんだかんだ言って、秋田って名勝負生んでますよね。本当に雑草軍団というか、素朴な田舎軍団(失礼)というか。
 それが強大な敵を追い詰める。しかし、最後は逆転負け…みたいな。6年前の能代商業もそうでしたね。
 こちらに書いたとおり、高校野球(甲子園)は先の大戦のノスタルジーを投影した「文化」です。
 そういう点でも、弱小チームが一丸となって強大な敵にぶつかり、そして玉砕する…というストーリーは感動を呼びます。すなわち秋田のチームは、あの時の日本の象徴というわけです。
 それにしてもですね、かつて強大な「帝国」であったPL学園の野球部が滅ぶとは、まさに21世紀の世界史を予言しているかのようでもあります。
 高校野球(甲子園)は、実に面白いですね。スポーツをこうして「文化」「歴史」化する日本。私は次元が高いと思いますよ。

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2017.04.08

漢文の授業廃止を!?

Th_2017040600000001pseven0001view 田尚樹さんが「漢文の授業廃止を」と言ってましたね。なるほど。賛成の反対だな(笑)。
 まあとにかく百田氏の意見を読んでみてください。こちらです。
 ふむ、まあ氏が中国嫌いなのはよく分かりました。ただどうでしょうね。本当に漢文のせいで、中国への憧れがあるんでしょうかね。
 私はそれほど漢文が好きではないし(入試問題としては好きですし、入試対策を教えるのも好きですが)、自分自身あまり積極的に読んでこなかった。だから、学校で全員が学ばなければならないとは思わないけれども、しかし、たしかに日本文化に与えてきた影響は無視できないので、そうですね、まあ高校では必修ではなく、選択でもいいかもしれませんね。
 中学レベルでは一度やっておくといいでしょう。その時、先生がどのようなところに重点をおくべきか。これは私の考えですが、日本人がいかに工夫して外国語を理解したか、訓点というのは世界でも珍しい素晴らしい知恵です。
 それを学ぶことによって、日常で使われている漢語の構成なども漢文文法的に捉えることができるようになる。そこは強調すべきです。別に中国礼賛ではないですし、百田さん的にも日本の誇りにつながっていいのではないでしょうか。
 考えてみると、漢文のみならず、漢文訓読体というのが、日本の近世、近代において社会や文学に与えた影響は大きい。最近評判の?、そして百田さん大好きの教育勅語だって漢文訓読体じゃないですか。
 日清戦争や日中戦争の時代にも、漢文を排除せず、また漢文訓読体を使ってきました。そんな感じでいいんじゃないでしょうかね。
 ただ、たしかに、センター試験の国語において、200点中4分の1の50点が漢文というのは、さすがにちょっとどうかと思いますがね。
 
 
 

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2017.04.03

テレマン カンタータ『学校の先生』

 日に続いて教育に関する記事。
 いろいろ難しいことは抜きにして、古今東西を問わず、学校のセンセイなんていうのは、まあこんな感じなんでしょうね。
 権威主義は往々にして滑稽です。私もまあこんなふうに見えるのでしょうか(笑)。
 そして、いつの時代、どこの国も、子どもたちは変わらない。退屈なら居眠りするし、つまらなくなればイタズラもする。
 このテレマンの喜劇カンタータ、もちろん原曲はドイツ語ですが、いろいろな国で、それぞれの言葉に翻訳されて演奏されています。
 上で紹介しているのは、イタリア語ヴァージョン。舞台の演出も現代的で分かりやすい。面白いですね。
 日本語でやったら、「ハニホヘトイロハ」とか歌うのかな。
 「こんなアリアはテレマンでも書けないだろう」と言って歌う調子っぱずれなアリアなど、なかなか楽しい内容になっています。

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2017.04.02

【討論】日本の偏向教育を問う!

 友学園問題が、国民に教育を問い直す機会を与えてくれていますね。
 仏教(禅宗)をベースとする私学に奉職する者としても、いろいろ考えさせられることがあります。
 そんな中、この討論は実に面白かったですね。なんか他人事ではない身近な話が続出しておりました。
 まずは山教組の話。今はあの頃ほどではありませんが、全く何もないわけではありませんよ。まあ、公立の先生方も面倒くさがっていますがね(笑)。
 その山教組、いや日教組のドン、輿石東氏が旭日大綬章を受けた時の話も面白かった。菅官房長官もしゃれたこと言いますね。そう、まさに保革相乗りが普通の、謎な県ですから、山梨は。
 あと、私の恩師、大村はま先生の話も出てきましたね。
 ちなみに私の「教育勅語」観はこちらに書いたとおりです。
 暗唱については、私もいろいろ迷いがあります。私は素読にはあんまり賛成しないというか、素読があんまり好きではない先生なのですが、考えてみれば、ウチの学校でも、意味も分からず「般若心経」を暗唱させておりますな(笑)。
 それこそ、塚本幼稚園の園児にとっては、教育勅語や論語なんか、我々にとってのお経みたいなものでしょう。
 そこに目くじら立てるのもどうかとも思いますよね。というか、ある意味、戦後の公教育は、それこそ日教組などによって非常に左に偏った内容になっていましたから、たまに森友学園みたいなのが出てきてもいいと思いますし、実際需要があったわけですからね。
 もう少しまともな人が右寄りの学校作ってもいいんじゃないでしょうかね。え?私がどうかって?いやいや、私は「家庭内左翼」と言われているくらいですから無理無理(笑)。

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2017.03.24

修学旅行最終日〜テレマン最後の受難曲

 学旅行も最終日。午前中金閣寺と嵐山を訪れ、新幹線にて帰途につきました。
 生徒たちは仲間たちと非常に楽しい時間を過ごし、また多くのことを学んだようです。本校では、卒業式を終えたのちに修学旅行ですので、半分は卒業旅行という感じです。高校に行くと、それぞれクラスがバラバラになりますので、本当に友人たちと最後の思い出づくりとなるわけですね。
 今や修学旅行は2年生の時に行く、あるいは3年生になってすぐに行くというのが定番ですが、こういう本当の「修学」旅行もいいですね。
 ちなみに「修学旅行」は明治の初期から長途遠足や行軍旅行という形で行われていました。昭和に入ると、国家神道教育の一環として、たとえば伊勢神宮に参拝するというこような形で定着していきました。
 戦後は当然、そうした目的ではなく、歴史学習、平和学習という目的で行われるようになりました。本校も基本そういう形態をとっています。
 私は団長として毎年引率しておりまして、結果として1年に1回は同じところを訪れることになるわけですね。そのたびにいろいろ感じることが違うわけですが、今年は特に、19日の熱海行きからの流れで、まさに近過去の大東亜戦争史を振り返るような旅になりました。
 そして最終日。どういうわけか新幹線の中でテレマンの受難曲を聴きたくなったんですね。
 テレマンは50曲近い受難曲を書いています。それぞれなかなか興味深い音楽なのですが、特に私がすごいなと思うのは、テレマンの生涯最後の受難曲です。
 このマルコ受難曲、1767年の作といいますから、最晩年も最晩年。亡くなる年に作られています。
 1767年と言えば、ハイドンは35歳、モーツァルトも11歳、あと少しするとベートーヴェンも生まれるというような、古典派の黎明期になります。
 保守的なバッハに比べ、進取の精神に富んだテレマンは、新しい時代の音楽にも敏感でしたから、たとえばこの最後の受難曲なんかも、バロック音楽という枠をはみ出していて、それが不思議な魅力になっています。
 この曲の録音は、1996年のライヴ盤がありまして、Google Play Musicなどで聴くことができます。コラールの和声なんか、かなり新しく、まるでロマン派のような響きがする瞬間まであります。
 自らの死期もある程度意識したのか、他の受難曲よりも力を入れて作曲しているように聞こえます。
 残念ながらYouTubeなどに全曲の演奏はないのですが、第14曲の「Lamento」だけありましたので、ぜひお聴き下さい。この「涙」の表現、今聴いても新しいというか、不思議な感覚になりますね。
 今日はこの曲を英霊たちに捧げたいと思います。

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2017.03.23

修学旅行3日目京都

 学旅行は3日目。生徒たちは午前中清水寺付近を自由散策。午後は妙心寺にて特別参拝&塔頭如是院さんにて座禅です。
 私は、毎年のことですが、清水寺近くの京都霊山護国神社の昭和の杜を参拝いたします。
 霊山護国神社と言えば、坂本龍馬のお墓があったりなど、維新の志士関係の神社というイメージがあります。今年は大政奉還150年ですし、来年は明治維新150年というこもあって、たしかにそちら関係の参拝者(ファン)の姿が、例年より多かったように感じました。
 150年戦争という観点を持つ私にとっても、維新は重要な歴史でありますが、王仁三郎関係でそのあたりの謎は深まったままになっておりますので、そこはひとまず置いておいて、さらに近過去であり、150年戦争の中間地点である、大東亜戦争について思いを深くしているところです。
 ここには、先日の熱海伊豆山興亜観音にもおいでになったというインドのパール判事の顕彰碑があります。地元の方もほとんどご存知ないようなので、今日はここに紹介いたします。
 また、最後に加えて、「昭和の杜」造園建設の趣意の記された銘板も紹介しておきます。大切なことが簡潔に書かれていると思いますので。

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2017.03.22

修学旅行2日目奈良

Th__20170322_13_15_20 連の「地球平和シリーズ」。やはりここで完結でしょうか。
 聖徳太子の命日であるお会式の日に、毎年法隆寺と中宮寺を参拝させていただいています。職権濫用とも言えますな(笑)。
 今日もまた、「八紘為宇」の夢殿で、強烈な霊感を得ました。苫米地さんに言わせると、こういう厨二病的思い込みというのは統合失調症…いや、統合過剰症らしいのですが、彼の言葉をそのまま使わせていただくと、いわゆる「order」(私の言うコト)にはまらない「disorder」(モノ)受信のためには、世間で言われる「過剰さ」が必要ではないかと思う次第です。なぜなら、それが事実とか真実とか科学的とかいうのを超えて、人を世界を動かしてきたからです。
 そういう意味では、仲小路彰の「夢殿の幻〜聖徳太子の救世悲願」に描かれている世界も非常に過剰に統合されていますね。だからこそ、訴えかける力があるのだと思います。
 ある意味、科学にせよ、文学にせよ、音楽にせよ、人間に与えられた「過剰なる統合意識」によって生まれたコトであって、しかし、いつも言うように、「コトを窮めてモノに至る」わけで、宇宙の真理に近づくための条件を得て私たちはどうすればよいのか、そう、ワイドショーレベルではない、もっと高次元の「興味」を持つべきなのではないかと思うのです。
Th__20170322_13_30_25 仲小路彰は、川添史郎の光輪閣を通じて、高松宮さま、そして高松宮妃喜久子さまを通じて、法隆寺、中宮寺とつながり、「本当の」グローバリズム、すわなち「八紘為宇」を構想しました。21世紀のために。
 いよいよ時代は21世紀となり、「偽物の」グローバリズムは衰退しつつあります。なるほど、まさに今こそ、彼の説いた「グローバリズムからコスミカリズムへ」の実現の時代なのかもしれません。
 そんなことを夢殿の中の救世観音さまと、中宮寺の如意輪観音さま(弥勒菩薩さま)からお伝えいただきました。中二病だろうと、統合失調症だろうと構いません。自分にとっては紛うことなき真実ですし、明らかに自我を超えたところでの理想だと感じていますので。
Th__20170322_12_48_44 お会式…まさに聖徳太子の「和」の精神を象徴していました。仲小路彰によれば、「和」は出雲のオオクニヌシの「和魂(にぎみたま)」。それが憲法の第一条。第二条が仏法。すなわち、日本古来の神道がベースになって、表面上仏教に譲っている(国譲り)ように見えるけれども、あくまでベース(無意識領域)は神道。縄文。
 お会式の音楽は素晴らしいですよ。表向き、すなわちお客様に見えるところでは、僧侶が経を諷誦し、聲明を歌いますが、その裏では伶人たちがずっと雅楽を奏しているわけです。
 同様に、法隆寺も中宮寺も、あるいは東大寺もそうでしたが、寺院は豪華絢爛で大規模ですが、その片隅に無名の神社が点在している。
 私たちの意識の上、すなわちコト領域では、仏教が主体で神道がオマケに見える。違うんです。モノ領域においては、明らかに神道の方が主なのです。
 コトはあくまで人間の脳ミソによる限定された世界。その他、無限の補集合がモノなんです。だから、逆に言えば、全然小さくて良いし、名前なんかいらない。それが神道の世界なのです。
 今日はそんなことを奈良で強く感じました。理屈ではないけれど、間違いないなと。日本はすごい。やっばり聖徳太子は厩戸皇子ではなく、聖徳太子ですよ。

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2017.03.21

修学旅行1日目広島

Th_img_9814 年、この時期は中学校の修学旅行の引率。コースも毎年一緒ですが、その年どし感じることが違うので面白いもので。
 今年は一昨日からの流れで、やはり日本の近過去の歴史と対峙する旅となりそうです。
 一日目は広島。宮島から平和記念公園へ。被爆者の方の講話をお聞きし、平和記念資料館へ。
 欧米の方、特に白人の方が多くてびっくり。昨年までとは明らかに様相が違います。
 これは言うまでもなく、オバマ前大統領の広島訪問と、そこでのあのメッセージ発信があってのことでしょう。オバマさんGJです。
 原爆投下から72年となろうとしています。あと四半世紀も経てば、被爆者の方も限りなくゼロに近くなることでしょう。これはしかたありません。
 その時、私たちはどうするのか。どうあるべきなのか。これが「歴史」の難しさであり、しかし一方でだからこその進化のチャンスでもあるのです。
 たしかに講話を拝聴し、資料に触れると、暗澹たる気持ちになります。二度と繰り返しませぬ…これは当たり前のことです。そこにとどまっていたら、やはり戦後は戦後のままでしょう。
Th_img_9810 私は、最近仲小路彰の思想に触れる機会が多い。彼の非常に未来的な考え方は実に魅力的です。あまりの未来的思考のために、おいおいさっきまで言っていたことはなんだったの?と思われてしまうほどです。
 昭和20年の8月、仲小路は実に彼らしく未来的な提言を多数出しています。政府に向け、軍隊に向け、皇室に向け、国民に向け。
 その一つが、「原子爆弾に就いて」という文書です。おそらく8月20日前後に作成されたものだと思われます(今、調査中です)。
 「幾十万の死傷者を出し、一瞬にして全都市を壊滅に帰せしめたる貴重なる広島および長崎の両都は、これをなるべく現状のまま保存して、あらゆる角度より百パーセントに活用し、もって人類を一大反省せしむる最も迫力在る活資料となし……」
 結果として、広島全都市が活資料となることはありませんでしたが、原爆ドームがこのように「現状のまま」保存されたことは、仲小路の提言の一部が実現したとのだと解釈しても間違いないでしょう。
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 そして昭和30年、坂倉準三ルートで仲小路の影響下にあったと言える丹下健三が、あのように哲学的にシンボライズされた平和記念公園を設計したのは、当然と言えば当然であったと言えましょう。
 そんな仲小路彰の思想、それも彼が21世紀のために遺した膨大なる「提言」を、この時代に世に出すことが、私の天命であると思っています。
 多くの尊き魂に背中を押されて、今、それを命懸けでやろうと思っているところです。

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2017.03.17

『地学ノススメ』 鎌田浩毅 (講談社ブルーバックス)

Th_51zzvcqkdpl_sx314_bo1204203200_ 有引力…と言っても昨日の演劇実験室ではなく、本当の(?)万有引力の話題から始まるこの本。非常に面白くためになりました。
 意外に思う方もいらっしゃるかもしれませんが、国語のセンセーをやっているワタクシは、実は地学の教師になろうとしていたのです。第一志望は某国立大学の地学専攻だったのですが、受験に見事に失敗して、なぜか文学部国文学科に進んだのがワタクシであります。
 まあ、今となってはですね、国語の先生で良かったと思うわけですが、相変わらず地学も好きでして、それが高じてとうとう富士山に住むようになってしまった。地震や火山、天文や気象に興味のある人間としては、富士山は最高の住処であります(笑)。
 そんなワタクシではありますが、たしかに地学の知識はあの頃の大学受験用の知識で止まっているかもしれません。つまり35年も前の知識なんですね。
 この本にも書かれているように、地学の教科書に載る知見は、数学、化学、生物、物理に比べて、ある意味非常に新しい。21世紀的であると。
 しかし面白いですよね。地層にせよ、化石にせよ、めちゃくちゃ昔の情報を研究している。天文学に至っては、超最先端の研究になればなるほど、どんどん古い情報と対峙するようになる。望遠鏡で観る星の光が何年〜何百万年前のものだというのは言うまでもなく、ビッグバンやそれ以前の研究となると、もうほとんど神話的な時間感覚にまで及んでしまう。
 そんなところが、地学の面白さでありましょう。どうしても、過去から学び、現在と未来に生かさざるを得ない。ちょっと歴史学的な、つまり人文科学的な「ロマン」とでも言いましょうか、そんな魅力がありますよね。
 鎌田さんのこの本は、そのあたりを非常に上手に表現しています。きっと鎌田さん自身もロマンティストなんだろうなあ。文章もお上手だし、語り口も人間を感じさせる。
 本来、そういう「人間」や「ロマン」などというモノを排除するのが科学のあり方だと思うのですが、昨日の「万有引力」がそうであったように、まさに「コト(情報・過去)を窮めてモノ(不可知・未来)に至る」世界がここにあるんですよね。
 だから、私は地学が好きなのだなあと、あらためて確認することができました。
 先日、私の「文系的地震予測」に対して、それこそ京都大学の某先生がずいぶんと辛辣に苦言を呈しておりましたが、正直、私は彼のことが心配ですよ(笑)。

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