カテゴリー「教育」の1000件の記事

2021.03.30

『日本の感性が世界を変える 言語生態学的文明論』 鈴木孝夫 (新潮選書)

Th_41k1wdaipyl 年2月に、私の心の師匠、鈴木孝夫大明神が帰幽されました。

 大明神と称させていただくのは、まさに偉大な底ぬけに明るい神であったからです。

 最後の単行本となったこの本を読むにつけ、私の世界観、地球観、生命観、人生観が、大明神さまの影響を強く受けていることに改めて気づかされます。

 私が大明神を勝手に師と仰ぐのには理由があります。そう、一度家内とともに富士山麓の我が村にて酒席を共にさせていただいたことがあるのです。

Th_img_5698 その夢のような時間のことは、本当に忘れられません。まだ髪の毛のあった頃の私の(笑)、その表情を見れば、それがいかに素晴らしかったかお分かりになると思います。

 この本に述べられている言語論、文明論、日本論を、それこそ滔々と溢れ出る泉のごとく語られた大明神。そのコトタマを全身で浴びた私たち。

 思えば、この奇跡的な邂逅の直後から、本当に信じられないような人生の展開が訪れました。まさに神託を受けたごとくです。

 その当時にはその名さえも知らなかった仲小路彰に出会ったのは10年以上あとのことですが、考えてみると、鈴木孝夫大明神の師はかの井筒俊彦。おそらくは井筒氏はイスラーム学者として仲小路彰をよく知っていたと思われます。

 この本で述べられている内容は、たしかに仲小路彰の思想、哲学に非常に近いと言えます。まさに学統という遺伝子のごとき連関を感じずにはいられません。

 そうした大明神さまの思想に触れていたからこそ、私も仲小路の世界にすんなり入っていけたのだと思います。そういう意味でも感謝しかありません。

 私も、大明神さまの遺志のほんの一部でも嗣ぐことができるよう、ますます精進したいと思います。

 さて、この本、本当に全国民の教科書にしたいくらい素晴らしい内容です。そのエッセンスが皆様に伝わりますよう、「結語」の部分を抜粋引用させていただきます。

 このコトタマたちに感じるところがありましたら、ぜひこの本を購入してお読みください。これから私たち日本人がどのように世界に貢献してゆけばよいか、本当に分かりやすく説明されています。ぜひ。ぜひ。

(以下引用)

一、近時のあまりにも急激な人口増を主な原因とする、あらゆる資源の不足と地球環境の劣化のために、人類は産業革命以来これまでたゆまず続けてきた右肩上がりの経済発展を、最早これ以上続けることは不可能となっている。もし無理してこのまま発展を続行すれば、人類社会は収集のつかない大混乱に早晩陥ることは確実である。

二、従ってこのような破局を回避するために人類は、文明の進む方向をできるだけ早く逆転させる必要がある。人類は今や経済の更なる一層の発展拡大ではなく、むしろ縮小後退を目指すべき段階に来ている。比喩的に言うならば、人類はまさに「下山の時代」を迎えたのである。

三、一つの閉鎖系である宇宙船地球号内で人類がこれまで行ってきた、他の生物との協調を欠く自己中心的な活動は、地上にその悪影響を吸収できるフロンティア、つまりゆとりがある間は、弊害があまり顕在化しなかったが、あらゆる意味でのフロンティアが消滅している現在、すべてが一触即発の危機的状態にある。

四、現在我々が享受している生活の豊かさ、便利さ、快適さ、その結果としての長寿社会の到来、そしてそれを支えてきた、食料を始めとするあらゆる物資の増産、経済の拡大、科学技術の進歩のすべては、人類だけの限られた立場から言えば、善であり歓迎すべきことと言える。

 しかしこれらは皆、我々が美しいと思うこの現在の世界、まだ辛うじていくらかは残っている貴重な原生林や、素晴らしい何千万種といる貴重な動植物、空を舞う大型の鷲や鷹、そして海中の美しい魚の群れまでが、恐ろしいスピードで地球上から永遠に姿を消してゆくことと引き換えに人類が手に入れたものであることを知れば、手放しでは喜べない。このことは遅かれ早かれ人類の生存基盤そのものまでが崩れ落ちることを意味するからだ。この美しい地球を今のままの形で子孫に残したいという願望と、人間の限りのない欲望の追求とは両立し得ないことが、今では誰の目にも明らかとなってしまったのである。

五、言うまでもなく現在の人類の在り方、人々の目指す目標に最も強い影響力をもつ文明は、西欧文明、とりわけアメリカ文明である。ところがこれらの文明は極めて強固な人間中心主義的な世界観に基づく、極めて不寛容な排他(折伏)性を本質とする一神教的正確の強いものである。このような性格の欧米の文明が牽引車となって、二〇世紀の人類社会は未曾有の発展を遂げたが、同時に世界は刻一刻と深刻さを増す破壊的な生態学的混乱に加えて、欧米を主役とする植民地獲得競争と様々な対立するイデオロギーに基づく凄惨な抗争の絶えない動乱激動の時代でもあった。

六、一九世紀半ばまでは世界最長の「外国との不戦期間」を誇る辺境の小国であった我が日本も、欧米諸国の強烈な砲艦外交により「国際」社会に引きずり出された結果、イギリスとロシアの演じる中央アジアの覇権をめぐるグレートゲームの片棒を担がされてしまい、当の日本人自身も驚き戸惑うほどの、戦争をこととする並の欧米型国家になることを余儀なくされたのである。

七、このように日本は中華文明の国として優に千年を超す歴史を持つ国から、西欧型文明国家へのパラダイム・シフトを、明治維新という形の無血革命によって成し遂げ、ついで恵まれた地政学的な諸条件と欧米列強間の様々な対立抗争のおかげで、大東亜戦争に大敗北したにもかかわらず、西欧型の、それも経済技術超大国の一員とまでなって現在に至っている。

八、ところがこの日本は「生きとし生けるもの」との共感を未だ保持する唯一の文明国であり、宗教的にも日本人の圧倒的多数は、一神教の持つ執拗な他者攻撃性を本質的に欠く、神道や仏教的な世界観を失わずにもっている。したがってうわべは強力な西欧型の近代的国家でありながら、文化的には対立抗争を好まぬ柔らかな心性、「和をもって貴しとなす」の伝統を、日本はまだ完全には失っていないのである。

九、私はこの文明論で、いま述べたような性格を持った日本という大国が、現在大きく言って二つの、解決のめどさえ立たない大問題ー環境破壊と宗教対立ーに直面している人類社会が、今後進むべき正しい道を示すことのできる資質と、二世紀半にわたる鎖国の江戸時代の豊富な経験を持つ、教導者の立場に立っているのだということ主張している。江戸時代は、対外戦争がなく、持続可能で公害の伴わない太陽エネルギーのみに依存し、無駄なしかも処理に困る廃棄物を一切出さない、理想に近い循環社会であった。

 そして日本が自らの文明の特性を進んで広く世界に知らせ広めることは、要らぬお節介でも軽率な勇み足でもなく、今や大国となった日本がこれまで世界の諸文明から受けた数え切れない恩恵に、日本として初めて報いる、お返しをすることでもあると考えている。

 

Amazon 日本の感性が世界を変える

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2021.03.28

『三島由紀夫 vs 東大全共闘 50年目の真実』 豊島圭介監督作品

Th_71gorvjojwl_sx300_ うやく観ることができました。コロナのおかげで1年以上遅くなってしまいました。

 1969年5月。私はまだ4歳。こういう空気が漂っていることも全く知らず、ウルトラセブンと怪獣のソフビを戦わせていました。

 右翼と左翼なんていう言葉はすでに死語だった時代に大学生になりました。しかし、山の中の公立大学には、この頃の残党が棲息していたりして、そこで初めて「政治の季節」というのが過去にあったということを知りました。

 では、それから40年経った今はどうか。実はどっぷりこの「政治の季節」に浸かっているのでした。

 そうは言うまでもなく、仲小路彰という天才哲学者に出会ってしまったからです。仲小路が残した三島の死についての厳しい論評を昨年紹介しましたね。

豊饒の海〜仲小路彰の三島由紀夫評

 死の1年半前、単身1000人の敵の前に堂々と乗り込んだ三島。その様子を捉えたこの貴重な映像。正直の感想は「?」でした。それは、彼の死に対するある種の落胆と似ているかもしれない。

 落胆というと失礼でしょうか。カッコ悪さに対して「傍痛し(かたはらいたし)」と感じたのです。そばで見ていて居心地が悪くなる感じ。

 戦いに臨む勇敢な男を期待していたのに、あれ?という感じになってしまった。いや、「乗り込む」まではいいのです。その後のカッコ悪さがどうも痛々しい。

 ここでも、結局、三島は「戦う」と言いつつ、「言向け和す」ことに終始し、ひたすら優しいのです。だから、ああいう和やかな笑いに満ちた時空間になってしまった。

 いや、私はそういう三島の方が好きです。カッコつけていきがった三島よりも、実は優しく空気を読みすぎる三島の方に共感します。

 本来なら、あのような空気になってしまったら、それこそ駒場900番教室で自決すべきだった。そうすれば1000人の敵に勝てたかもしれない。

 彼が近代ゴリラと揶揄されても、自らゴリラを演じ続けて教室を後にできたのは、皮肉なことに心優しき東大全共闘の1000人のおかげだったのです。だから三島の負けなのです。

 市ヶ谷には、そういう優しさがなかった。味方と思った自衛隊員がみんな冷淡な敵だった。だから、もう自決するしかなかった。では、勝ったのかというと、やはりこちらも負けです。

 いずれも「恥」をかかされたから負けです。それが三島の限界でした。それが傍痛しだということです。

 偉そうなこと言ってすみません。ただ、アフター「政治の季節」世代としては、どうにもシンパシーを抱けないのです。

 そういう意味では、いまだに生きて演劇で世の中と戦い続けている芥さんの方が魅力的に感じられました。

 この季節の総括をしなければ次の時代に歩み出せない、つまり、この季節が私たち世代の足かせになっているのですから、これからも仲小路彰を通じて、私なりに学び続けようと思います。

Amazon 三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実

 

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2021.03.18

笑わせて三流、感動させて二流、見る者の人生を変えてこそ一流

Th_sph_20210319oht1i50032t_thum800 たプロレスネタです。興味のない方、スミマセン。

 今日、全日本プロレスで特別興行『血闘 葛西純 対 石川修司 ~CRAZY MONKEY vs GIANT~』というデスマッチが行われました。

 王道の老舗全日でデスマッチが行われることに抵抗があるファンもいたことでしょう。私も正直複雑な気持ちですが、本来プロレスの持つ多様性という観点からは、まあ意味のある大会だったとも思います。

 もちろん、そのあたりを団体としても認識してか、ワンマッチの特別興行だったとのこと。このコロナ禍で、このような濃密な試合が実現しただけでもすごいことなのかもしれません。

 さてさて、今回の勝者は石川選手でした。負けてしまったデスマッチのカリスマ葛西選手の試合後の言葉が印象的でしたね。

…ちょっと昔に誰かが言ったな。『プロレスラーってもんは、笑わせて三流、感動させて二流、見る者の人生を変えてこそ一流だ』ってな。その言葉が正しいのなら、この全日本プロレスの歴史を狂わせた葛西純こそ超一流プロレスラーじゃねーのかオイ!

 誰かとはTAJIRI選手のこと。世界を舞台に活躍した経験のあるベテランTAJIRI選手が自身のツイッターで、こんな発言をしたことがあるんですね。

 笑わせるのはプロレスで三流、そんなのは学芸会レベル。何かを訴えて泣いてもらうのは二流。一流は、感動させて人生になんかしらの良い影響を与える。人生を変える。

 なるほど。教師にも当てはまる言葉ですね。私なんか、自他ともに認める三流先生(笑)。笑わせるのは大得意です。まじめに何かを訴えるのは苦手だし、悪い影響を与えるが良い影響は…?

 まあ、笑わせるのいうのが、実は泣かせるより難しかったりするのですが。

 つまり、笑わせるだけでは私のような三流であって、人生を変えるような影響を与えることができるような人が、泣かせたり、笑わせたりするのが超一流ということでしょうね。たしかに葛西選手はそういうところあるかも。それを「狂わせた」と表現するところも面白い!

 私の教師生活もそろそろ仕上げに入っています。はたして三流は二流、一流、超一流になれるのか!?

 

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2021.03.15

自宅プロレス

Th_s_minkeimorioka3267 日に続きプロレスネタです。

 コロナ禍、三密満載のプロレス業界も大変だったと思いますが、案外新しい興行のカタチを早く確立し、時代の先端をたくましく生き延びているようにも見えます。

 時代に合わせたという意味では、この「自宅プロレス」も実に面白い!

みちのくプロレスが新企画「自宅プロレス」スタート 選手が出張、反響多く

 ウチでもやってほしい!…けれど、散らかりすぎててデスマッチになっちゃうな(笑)。猫も乱入するし。

 プロレスに限らず、こういう出前パフォーマンスが流行るかもしれません。

 たとえばこの自宅プロレスのように1時間10万円で、ミュージシャンやアイドルを独占できるとすれば、きっと需要はありますよ。

 それこそ「能」なんかもいいんじゃないでしょうか。自宅能。自宅で神事ということです。

 オプションも面白いじゃないですか。選手とちゃんことか。

 エンターテインメントの近代化により、何千人、何万人集めてワーみたいな形が多くなっているからこそ、また、ディスタンスが叫ばれる今だからこそ、1対1とか安全な三密の価値は上がって当然ですよね。

 一度に多くの人に伝えるのは、もしかするとオンラインでもできるかもしれない。ライヴの良さはやはりその「近さ」「独占」にあるのでは。そういう基本に立ち返る良い機会なのかもしれません。

 教育もそうなのかも。オンラインの方が良いことと、リアルマンツーマンの方がいいことと。

みちのくプロレス公式「自宅プロレス」

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2021.03.11

「命の世界」 正眼寺 山川宗玄 老師

 

 日は東日本大震災から10年の日。この日に山川宗玄老師とたっぷり3時間お話させていただきました。まさに「命の問答」であり、有難き時間を共有させていただきました。たくさんの智慧を頂戴いたしました。

 山川老師とはご縁あって年に数回、こうして盃を交わしながら問答させていただくのですが、コロナ禍のためこのたびは丸一年ぶりでした。

 本当にいろいろな話題で対話させていただきました。いつもの通り、野狐禅にもなっていない野狸禅のワタクシの屁理屈に、実に気持ちよくダメ出ししてくださります。

 今年は思い切って、得意の時間論や貨幣論をぶつけてみましたが、見事に跳ね返されるというか、軽くずっと上の次元のお話に持っていかれました。これは本当に貴重な体験です。不思議な快感です。

 老師のような修行を極めた方に、私のような頭だけで考えて全く体験していない者が図々しく問答をしかけることは、本当はあってはならないことかもしれませんが、それでも「なるほど」「面白い話ですね」と聞いてくださり、そして私が私の答だと思いこんでいる、いわば固定してしまった観念をしっかり崩してくれるお話を重ねてくださるのです。

 今日のお話の中に、「学得底」と「体得底」という言葉が出てきました。私は「学得底」。老師は「体得底」。説明するまでもありません。

 「底」に関する問答も面白かった。「底なし沼の底」を目指して修行する。プロレス世界の形容「底が丸見えの底なし沼」に近い感覚かな(笑)。

 私も4月からは多少は「体得底」になるよう精進したいと思います。本当にありがとうございました。いつも思うのですが、録音しておけば良かった…いやいや、過去の言葉たちに囚われてはいけないのでした。記憶ではなく、体の中に残ったモノだけが本物です。

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2021.03.06

『コロナ後のシン・ニホンとは?』 安宅和人・落合陽一・宮田裕章

 

 ょっと忙しいので、こちらの対談を紹介するだけにします。

 ぜひフルで観ていただきたいのですが。

 安宅さんがおっしゃっているように、今後の世界、特に日本にはパンデミックだけでなくディザスターも続けざまにやってくるでしょう。

 そして、それが「変われない私たち」を変えるきっかけになる。残念ながら、私たち日本人の異常な保守性(もちろんその良き部分も認めますが)を崩すためには、自然(モノ)力を借りるしかない。

 そうした天災など「モノすごき」事態を待望すると言ってしまうと怒られそうですが、実際日本の歴史においては、そういう壮大なる外圧が必要だったりするのです。

 番組中盤で示された「失敗の本質」は、その通りだと感じました。すなわち、「目的が不明」「根拠なき希望的観測」「リスク管理ができない」という日本人の本質です。

 それを踏まえた、番組の最後のお三人のまとめの言葉にも大いに納得しました。

 安宅さん…「(平時↔有事)変身able」「Do ゲリラ」

 宮田さん…「壊す力」

 落合さん…「(権力)つくれる人で集まろう」

 これらを実現するために「デジタル」は必須ということですね。わかります。

 私もいろいろゲリラ的にぶっ壊していこうと思っています。同志よ集まれ!

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2021.02.26

いろいろな「二・二六」

Th_-20210227-105920 日の「俺の家の話」は神回でしたね。プロレスと能、介護に続き、歌謡曲まで登場して、いよいよ「俺の家の話」が俺の家の話になってきて家族で笑っちゃいました。クドカン、ウチを取材してるんじゃないの?w

 というか、そのように思う視聴者が多いのではないでしょうか。本当に様々なレイヤーにおいて共感を得る素晴らしい脚本だと思います。

 さらにその後、見逃した「ジャイアント馬場23回忌追善興行」の放送を観て、昭和や平成を懐かしみました。

 昼間は、例年の内容とは違わざるを得ない卒業式の予行がありました。次女も卒業ですし、個人的にもいろいろと思うところがありましたね。あさって日曜日が本番です。

 もちろん、二・二六事件から85年の日でもあります。何度も書いていますが、私たち夫婦は80年の時を経て、二・二六事件に完全に巻き込まれ、そしてその霊的解決のお役目を負わせていただきました。あの日から5年ですか。

 その後のこのような展開も含め、本当に霊界の不思議を感じざるを得ません。

Th_51466kwqgll_sx298_bo1204203200_ そして今日は、そこに強く関係してくる仲小路彰の120回目のお誕生日でもあります。仲小路は1901年2月26日生まれなのです。

 今年はいろいろな感謝の気持ちも含めまして、仲小路彰が21世紀の今のために書き遺した文献の整理や出版への活字化のお手伝いをしたいと考えています。

 今年は、仲小路彰がその思想のシンボルとして柱に据えた聖徳太子の1400年遠忌でもあります。旧暦の2月22日が忌日ですから、ここから4月の上旬までいろいろな行事が計画されています。

 聖徳太子にまつわる仲小路文献にも大変重要なものがありますので、それらも日の目を見るように尽力いたします。

 というわけで、今日は本当にいろいろなことを考えさせられる2.26でした。

Amazon 未来学原論

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2021.02.25

(マイナスな)コトタマは恐ろしい…

Th_-20210227-100606 「トタマ」は文献的に言いますと「言霊」よりも「事霊」と書かれることの方が多く、一般的な「言葉が持っている不思議な霊力」というよりは、「意識のエネルギー」と解釈した方が自然です。

 ここのところ、特に「意識のエネルギー」が未来に働きかけていることを実感することが多い。それはマイナスの意識の結果である場合の方が強く感じられます。

 私は、比較的穏やかで人を恨んだりしない性格に見られがちですが、実は心の奥底には強いマイナスの意識も持っています。口には出しませんが、どうしても人道的に許せない人と接していると、絶対に失脚させてやるとまで思うのです。

 ただ、実際に手を下すかというと、そういうことは全くありません。なぜなら、自ら手をくださなくても結果思い通りになるからです。怖いですね(笑)。

 実は今日ニュースになった某団体の元事務局長や会長さんに対しても、2年ほど前に「絶対許さない」「社会的に葬り去ってやる」と真剣に思ってしまいました。それがこういう形で現実化したので、かなり驚いている次第です。

 実際、彼らの保身的、偽善的、高圧的な行動にはひどい目にあいました。彼らの文京区の本拠地に呼び出され、4人の屈強な連中に囲まれて一方的に詰問されました。彼らの権威主義、隠蔽体質をその時確信し、私は時間をかけてでも絶対に反撃してやると決心したのです。

 私の中で、具体的に反撃する術も考えていましたが、結果としては何もせず、ただ意識し続けるだけで「思い通り」になってしまいました。

 怖いですね。

 実はこういうことが結構あります。身近な所はもちろん、こういう全国ニュース的なところまでいろいろです。ですので、自分でも「やりすぎ」に注意しつつ、一方で世の中に跋扈する悪や偽善を退治するために利用しているのでした。

 スミマセン、なんだか怖いことお話しして。

 もちろん、おそらくこれは私だけの意識の結果ではなく、「集合意識」の結果でありましょう。多くの人に恨まれるようなことをするといいことがないということですね。気をつけましょう。

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2021.02.24

保守とリベラル、全ての多様性を奪ったSNSの功と罪【東浩紀×ホリエモン】

 

 編のタイトルは『SNS時代における「論壇とネット教養」』です。とても面白かったので共有します。

 SNSが人間をおバカにしたのは間違いありません。

 自分もこのブログやツイッターをやっております(最近はClubhouseもかじっていた)ので、ずいぶんおバカになったという自覚があります。

 反面、以前では考えられないような出会いを招いてくれたという功の部分もあります。罪ばかりではないのです。

 罪の部分は、自覚によってなんとかコントロールをすることができますから、要はそれさえできれば、ここでの論点は解決するとも言えましょう。

 では、どう自覚させるか。

 これは教育の問題につながってきます。

 実はSNS以前に、学校教育の段階ですでに「考えない」ことを強要しているのでした。生徒の側も、入試に必要な知識のみを要求し、決して深く考えるという面倒くさい時間を求めたりしません。

 つまり、SNSの罪の部分は、SNS自身の罪ではなく、SNSを登場させ流行らせた学校教育に責任があるのだと思います。

 安直な一問一答的教育(学習)がなされている限り、その解決は困難、いや絶対に不可能であると思います。

 ですから、この問題を根本的に解決するためには、やっぱり「学校をぶっ壊す」必要があるのです。

 ワタクシゴトになりますが、明日、次女が某国立大学の二次試験(の一次試験)を受験します。その世界は、いわゆる学校教育とは全く違う教育がされている世界であり、私は最近そこに古くて新しい教育システムを見るような気がしているのでした。

 正直、SNSとはかけ離れた、正反対の世界ですので。結果はどうあれ、そういう「わかる」ことの永遠にない世界を体験している娘を見ると、少しうらやましくさえ感じます。

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2021.02.23

天覧授業

Th_unknown_20210225133601 日は「象徴の日」。すわなち天皇誕生日であり富士山の日であります。

 かえすがえすも日本文化の両象徴の日が重なるというのは奇跡的なことですね。

 ここ富士北麓地域では、かつて皇室は富士山で即位式をしていたという伝説があります。平成16年に、今上陛下(当時皇太子)がその即位式の霊山、御正体山に登山されたのは偶然ではありません。そのあたりをよく勉強されていますから。

 さてさて、今日、61歳になられた天皇陛下が記者会見を行いましたね。

 世間では眞子さまに関するご発言があったことが注目されていましたが、私は地味に「オンライン」のお話が心に残りました。

 中でも、愛子さまの大学でのオンライン授業に関しての下記のご発言。

 私たちも,愛子がオンラインで授業を受けているのをそばで見る機会もありましたが,私たち自身も,新たな知見を得ることができたり,何か学生時代に戻ったような気持ちになりました。

 私も何度か書いているように、オンライン授業をやってみて気づかされたことが多々ありました。特に、そこに家族がいて見て聞いているかもしれないという事実には、たったそれだけのことで、こちら教える側の気持ちがこれほど変わるのかという発見をもたらしました。

 逆に言えば、普段の私たち教師の授業は、教室という閉鎖的で専制的、さらに独断的な場で行われているのだということです。そこに異常性を感じなかった自分を恥じました。

 本当に恥ずかしいお話ですが、オンラインの方が授業の内容もよくなるし、言葉にも気をつけます。また、生徒の反応や発言を拾うことにもちゃんと意識が向くのです。つまり、普段はかなりいい加減だということですね。

 それにしても、愛子さまの授業を陛下がご覧になっているというのは、考えてみるとすごいことです。つまり「天覧授業」。その授業を行っていた大学教授に、そのような意識があったかどうかはわかりません。スポーツにせよ、音楽にせよ、「天覧…」の緊張感はすごいといいますから、知っていたらいたで大変なプレッシャーだったことでしょう。

 まあ光栄であるとも言えますね。自分だったらどうだろう…。

 天皇に限らず大変な地位の方が市井にまぎれて和光同塵、庶民の生活を見聞するという話は昔からありますね。これが現代においては、オンラインで実現するということです。

 まあ、ツイッターでアメリカ大統領がつぶやいたりするのもそういう種類のものなのかも。Clubhouseで有名人が突然乱入してくるのも。

 「お天道様が見ている」という感覚は、日本人にとって非常に重要なものでした。もかしすると、これからはテクノロジーによって「お天道様が見ている」社会が復活するのかもしれません。いや、「お天皇様が見ている」社会が到来するのかも!?

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