カテゴリー「教育」の979件の記事

2018.04.20

iPad 9.7インチ (2018)

Th_7198bkipayl_sl1000_ 学生になった娘がパソコン買って!というので、まずMacかWindowsかどっちがいいのか聞いたところ、大学のパソコンは全てMacだと言います。
 なるほど、それは良いことだ。ところで、何に使うのか。すると、レポートを書くというので、それなら高いMacを買う必要はなく、iPadでいいではないかと。
 ということで、最近出たiPadの一番安いやつを買いました。そしてキーボード付きケースも買ってセットアップしてやりました。WordとExcelは基本無料です。
 実は私、iPadを買うのは初めてです。父がずっと使っているので、その操作性などはよく分かっていたのですが、こうしてキーボードを接続すれば、ほとんど今までのパソコンと同じように使えるというのは、まあ知ってはいましたが実際やってみるとなるほどなと思いました。
 たしかに一般の人がディスプレー上でやることといえば、ウェブサーフィンとメールやLINE、あとは動画を観るくらい。それならたしかにタブレットでいいのかもしれませんね。
 大学生なんかも、キャンパスで持ち歩くのにパソコンよりタブレットの方がいい。特に女子はね。
 こちら親としましても、出費が約3分の1ですみました。Macは高いですからね。助かる。もちろん学生・教職員価格ですので、さらに割安でした。
 今回の新型iPadは、教育用を謳っていますよね。ApplePencilが使えるようになったらしい。たしかに学校でうまく使うと楽しいかもしれません。あくまで「楽しい」であって、それが学習にとって本当に効率的かどうかわかりませんが
 こうしてタブレットがいわゆるパソコンに取って代わるようになるんでしょうかね。
 ウチのMacも10年選手が2台あって、まだまだ現役なんですが、電源系がちょっと危うくなってきていので、いずれ買い換えなきゃと思っています。1台はiPadでもいいかなあ。いや、ウチは夫婦ともにワープロソフト(アプリ)は、最近奇跡の復活を遂げた名作EGWORDを使っているので、これがiOSに対応してくれるまではMacを使い続けるしかない。
 というわけで、たった一晩ですが、最新iPadで遊びました。あさってには娘のものになってしまいます。まあちょうどいい試用になりました。
 安物のキーボード付きケースもまあまあかな。Windows用の刻印がされているのが?ですし、ちょっとローマ字入力の設定などに苦労しましたが。

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2018.04.18

アインシュタインの教育論

Th_unknown はアインシュタイン自身が語った言葉ではありません。原典はこうなっています。

 教育を次のように定義した人の機知は、けっして誤っていなかったのです。すなわち、「教育とは、学校で習ったことをすべて忘れた後に、残っているものである」と。

 つまり引用の形をとっているのです。しかし、それを誰が言ったのかは不明であり、もしかるすとアインシュタイン自身の修辞法だった可能性もあります。つまり、自身が考えた言葉なのかもしれない。
 いずれにせよ、アインシュタインの教育観がこの言葉で表現されているのは間違いありません。非常に深い言葉ですね。特に私たち教育者としては。
 学校で習ったことなんて、やっぱり忘れちゃうんだよな…というある種の虚しさもありますが、一方で、そうした確かに何かを残すことができる、たとえ意図せずとも…という意味で少し嬉しくなったりもする。
 違う言い方をすれば、私たち教師が教えようとしたことはほとんど忘れ、生徒が自ら知りたがったり、面白がったりしたことは、主体性のもとに記憶されるということでしょう。
 ワタクシの「モノ・コト論」で言うなら、意識化され、データ化された「コト」は忘れてしまう可能性が高いけれども、無意識の体験であったり、言語化されない「モノ」は血肉となって残る可能性があるということですよね。
 なるほど教育の本質を捉えた言葉であると思います。学ぶ立場としての自分自身の体験的にも、これはかなり真実に近いと直感します。たしかに忘れたけれど何かが残っている。残るということは意味があるということ。
 そして学校というシステムへの懐疑の表現としても面白いですよね。私たち教員は常にこれを意識せねばなりません。
 学校で習ったことをすべて覚えていたら、きっとアインシュタインは世紀の大発見をすることはなかったでしょう。

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2018.04.10

『ミライの授業』 瀧本哲史 (講談社)

Th_4130o1rvisl 校は、未来と希望の工場である――。そしてきみたちは魔法を学んでいる。
 そうありたいですね。
 なんで勉強しなきゃならないんだ。数学がなんのためになるのか。自分もそうでしたが、生徒は必ず一度はそういう疑問を持ちます。
 そして、自分もそうですが、教師はそれにちゃんと答えられない。
 実際、学校には不合理や不条理がたくさんあって、それを改革していかなければならない時代ではあります。勉強の中身に関してももちろんそうです。
 しかし、人類のみがずっと続けてきた「勉強」には、変わらない何か大切なものがあるに違いありません。その漠然としていた「何か大切なもの」を、偉人たちの勉強と仕事を通じて実感のあることにしてくれるのがこの本です。
 たしかにこういう授業ができるようになりたいですねえ。こういう話を上手にしたい。
 教師ならずとも大人が読むべき本かもしれません。14歳の生徒向けの本のはずですが、大人の方がいろいろ発見があるかもしれません。なぜなら、自分たちには勉強に関して失敗の体験があるからです。
 子どもたちはまだ失敗が足りないですし、あるいはこの本に刺激を受けて失敗をしないかもしれない。そういう意味では、案外子どもたちはこの本に心を打たれないかもしれない。ああそうだったのか!という発見の感動がないかもしれない。ほとんどの大人にはあるでしょう。
 それにしても、偉人たちの人生にも知らないことがたくさんあったなあ。それぞれ名前はよく知っている、一般的な伝記は読んでいたけれども、そこに隠された「何か大切なもの」はずいぶん知らなかった。それこそ勉強になりました。
 近く県の新任教員に対して研修をするんですが、この本、必読書として紹介しましょう。

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2018.03.29

是非初心不可忘

Th_51nry78lul 日は下の娘の人生にとって、とても大きな節目の日でした。
 人間国宝の能楽師野村四郎先生に入門したのです。
 ここに至る過程もいちいち不思議なことばかりでした。すなわち運命であったのでしょう。
 まさか自分の娘がそちらの道に進むとは夢にも思いませんでしたし、人間国宝の弟子になるなどとは夢にだに思いませんでした。
 これから大変厳しい道を歩んでいかねばなりません。私も一緒に勉強させていただきます。
 今日も野村先生は本当に深い話をいろいろしてくださりました。一つ一つのお話がそれぞれ胸に響きましたが、そのお話のベースにあったのは、先生の「勉強熱心」さです。
 芸の道を極めていながら、謙虚、素直、勉強熱心。本当にすごいと感じました。

 是非初心不可忘

 先生が娘のために書いてくれた言葉です。言うまでもなく世阿弥の言葉ですね。
 私たちは「初心忘るべからず」と覚えていますが、実は「是非初心不可忘 時々初心不可忘 老後初心不可忘」という三つの「初心忘るべからず」があるのです。
 そのうちの、「是非初心不可忘」は特に重要だといいます。「是非」とは「ぜひとも」の意味ではなく、「良いことと悪いこと」「正しいことと間違ったこと」という本来の意味です。
 すなわち、何が正しいのか、何が間違っているのか、まだ答えが出ていない時の姿勢、すなわち初心を忘れてはいけないということです。
 私もそうですが、「先生」と言われるようになると、何か答えを知っているかのごとく勘違いをしたり、他の意見を取り入れられなくなったりしがちです。そうした「分かったふり」を戒める言葉とも言えましょう。
 なるほど野村先生は、今もまさにそうして精進しておられる。分からないことは、気づいたこと、疑問に思ったことは、徹底的に調べる。その専門家のところに行って教えてもらう。真理に対して謙虚であり、素直であられる。
 なるほどこれが超一流かと気づかせていただきました。本当にありがとうございました。どうぞ、これからもよろしくお願い申し上げます。私も素直に勉強させていただきます。

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2018.03.24

金閣…光の演出

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 学旅行最終日は金閣寺と嵐山散策。
 金閣すなわち鹿苑寺、朝一番だったのに外国人の長蛇の列。まあたしかにインパクトあるよなあ、あの作品は。黄金の国ジパング。
 金閣というと、それこそ金箔貼りまくりの過剰なゴージャスさが売りという感じですが、毎度訪れるたびに、どうも本当は違うのではないかと思うのであります。
 というのは、毎年天気が違うわけですよね。それで全然印象が変わってしまう。
 その一つの要因として、光の演出があるなと思った次第です。
 そう、あの池にですね、陽の光が当たるわけですよ。そうしますと、池の面の微妙な波のおかげで、あの金閣に実に動的な光の模様が現れるわけですね。
 実は動画を撮ってきたつもりが、なんだかミスってしまい、手元に残っていませんでした。そこで、YouTubeで分かりやすいものを探したんですが、全然ない!みんな大切なところを見逃している!
 写真じゃ絶対伝わらない、動的な、生命感あふれるデザインですよ。そこに皆さんあまり注目していないように思います。
 朝の時間帯に東側の壁面を見るのが一番いいのではないでしょうか。近くで見られますし。もちろん夕刻の色合いの変化も見ものですが、本来は朝のあの光の揺らぎを見るべきでしょう。
 2年前に撮った写真を見つけました。これでなんとなくイメージできるんじゃないでしょうかね。ああ、動画撮れてればなあ。スミマセン。今度はちゃんと撮ってきます。ただし晴れてないとダメなんですよね。

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2018.03.23

ロダン「考える人」は背中で語る

Th_img_1219 学旅行三日目は京都。生徒は東山を自由散策。私も付近を巡回します。
 とは言え、生徒に出会うことはほとんどなく、自分も半分は自由行動です。今年はちょっと興味があることがあって、まずは京都女子大学へ。
 その後、数十年ぶりに三十三間堂を参拝拝観しました。昨日、薬師如来の持つアイテムというかガジェットというかデバイスのことが気になり、どうせならたくさんのモノを見ようと思い、千体の千手観音のところへ行ったというわけです。実際にはさすがに多すぎて逆によく分からなくなってしまいましたが(笑)。
 さて、その後三十三間堂の向かいにある京都国立博物館に行こうと思ったら、なんとただいま休館中。
 しかし、せっかくですので、「お庭だけでいいんですか?」と窓口の人に不審がられながらも260円払って入園しました。入館ではなくて入園。
 まあ、そうしたら、たしかに人が一人もいない。警備の人が数人ヒマそうに立っているだけ。そりゃ誰も入らないでしょう。
 というわけで、あの庭を完全独占しちゃいました(笑)。いや、楽しかったですよ。普段ぜったいに見ないものたくさん見られました。
 特に面白かったのは、あのロダンの考える人と二人きりで対話できたことです。
 そう、京都の考える人は、世界にあるホンモノの考える人21体のうちの一つなんですよね。
 せっかく「考えている」のに、いつも人から見られて不快に思っていたことでしょう。そして、今日に限っては、なんだか変な宇宙人が一人でやってきて、360度ジロジロ見やがった。まあ気分が良くなかったでしょうね。
 というか、銅像も宇宙人も二人とも(?)妙に恥ずかしくてですね、なんだか目が合わせらなれなかったというのが、ホントウのところであります(笑)。
Th_img_1221 そして、面白いことに気づきましたよ。ごめん、考える人よ。
 彼、後ろ姿、すなわち背中が最も何かを語っているんですね。背中に意識がある。びっくりしました。
 案外正面からは「考えている」感じがしなくて、「考えているふり」という感じ(失礼)。背中がちゃんと考えているし、その思索の内容を語ろうとしている。
 背中で語るとはよく言ったものです。なるほどねえ。ちょっと分かったような気がしました。
 私たち…というか、私は日常的にまるでいつも考えているかのような風を装っていますが、それはあくまで表向きであって、本心や本性は無意識的に背中からオーラとして放出されているんだなと。
 なるほど、たしかに人の確かな印象というのは、案外後ろ姿から得られたりするかも。
 …なんてことを、また考えたフリをして、こうしてブログにそれらしく書いている宇宙人でありました(笑)。

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2018.03.21

子を守った母の愛…ある被爆者の奇跡

Th_img_1239 爆者の講話を拝聴いたしました。今年は新宅勝文さん。今年91歳になられるとのことですが、大変お元気でした。
 自らを世界最強の男、化け物と、なかば冗談のように紹介していらっしゃいましたが、その言葉もあながち間違いではありません。
 なにしろ、爆心地から1.5キロの地点で被爆したにも関わらず、ほとんど無傷で、そして現在まで全く病気もせずにお元気であられるのですから。
 近くで被爆した皆さんは、もちろん大変な重症であり、何人もの人を自分の腕の中で看取ることになったそうです。
 その生々しい言葉には、本当に心から戦慄し、あらためて戦争の馬鹿馬鹿しさを確認することになりました。
 講話の最後、思わず私は質問させていただきました。なぜ、なぜ、新宅さんだけが無傷だったのか…。
 新宅さんの答えは、ある意味予想外でしたが、しかし大変納得できるものでした。

 「亡くなった母が私を守ってくれたんです」

 被爆する数年前、新宅さんはお母様を亡くしています。別れ際に母親は息子に「おまえは将来世界のために働くことになる」というようなことをおっしゃったそうです。
 実際、今こうして世界中に非常に大切なことを説いていらっしゃる。なるほどなと思いました。
 亡くなった方々、傷ついた方々には心からお悔やみを申し上げます。新宅さんも、なんで自分だけこんなに元気なのかと、ある意味悩み続けたといいます。
 しかし、やはり奇跡というものはあるのですね。科学では解明できない、霊的な意識が、たまたまかもしれませんが、その瞬間、その一点に奇跡を引き起こしたのです。
 霊的な意識というのは時空を超えます。それを愛というのかもしれない。それは強力なエネルギーですから、新宅さん自身の運命も大きく動かしてしまいました。しかし、それをしっかり受け止めて語り部として生きていらっしゃる。
 新宅さん、本当にありがとうございました。いつまでもお元気で。
 

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2018.03.17

キース・ジャレット・トリオ 『アフター・ザ・フォール』

Th_918luzbodl_sl1200_ 日は我が校のジャズバンド部の感謝祭が行われました。6年間お世話になったウチの娘もいよいよ卒業ということで、最後の演奏をしました。
 あっという間の6年間でしたが、まさに人生を変える経験をさせていただき、私としても感謝感謝であります。
 卒業後は東京女子大学にて国際関係などを学ぶ予定ですが、あくまでも未来の夢はプロのベーシストになることです。大学時代には、今までもお世話になっていた先生のレッスンを受けるとともに、大学生ならではの自由な音楽活動をして、いろいろ学んでもらいたいと思っています。
 まさか娘がベースを、そしてジャズをやるとは思いもしませんでした。すすめたことは一度もありませんでしたからね。出会いとは不思議なものです。
 おかげさまで、私も従来好きだったジャズを、また違った視点、聴点で受容することができました。
 最近毎日聴いている、このキース・ジャレットのアルバムも、きっと6年前に聴いていたら、今ほど豊かな感動を得られなかったかもしれません。
 5年前、彼らトリオの日本最終ライヴをジャズ部の生徒たちと聴きに行きました。その時のことはこちらに書いてあります。私にとってもとんでもない日でした。音楽が結ぶ不思議なご縁。
 残念ながらこの歴史的なトリオの演奏はもう生で聴くことはできなくなってしまいましたが、20年前の伝説の録音が先月発売になりました。それがこのアルバムです。
 慢性疲労症候群から復活して初めてのトリオ・ライヴ。あの神がかったピアノ・ソロ録音の次に録音されたトリオ・ライヴ。
 ソロ・アルバムでは、自らが神の化身となって自らを癒し、そして、今度は仲間が彼を癒した。その癒しは、ある種の興奮と瞑想という形で、私たち前に立ち現れています。
 先日、天才物理学者と宇宙論で盛り上がりましたが、その中心には常に音楽が存在していました。そう、コトとコトの間の関係性に立ち現れるモノ、それこそが「空」であると。
 一つ一つの音は、ある意味点でしかないけれども、それが二つ、三つ、四つと重なるごとに、私たちに感情や感動を呼び起こす「何か」が立ち現れる。
 実は宇宙の構造もそうなのではないかと。天体という物質どうしの間に関係性があるように、もしかすると、情報どうしも互いに影響を与えあっているかもしれない。もちろん波動どうしも。
 そして、その、私たちが感知できるコト、たとえば音楽で言えば、一つ一つの音が音楽自身なのではなく、その音たちの関係性こそが、音楽本体なのではないかと。
 つまり、宇宙も、何もないとされている空間、時間にこそ、実は本体があるのではないか…。
 クラシック音楽、すなわち極度にシステム化され、単純化された(とあえて言います)音楽は、宇宙の根源的な法則や調和を象徴します。
 それに対して、多くのテンション(コードもリズムも)を含むジャズは、人間と神との関係を表現しているように感じます。
 もう一方の極致たる、たとえば謡曲などを聴いていますと、それはシステム化されていない、数値化されない関係性の連続です。しかし、ノイズではない。それはすなわち、人間をも含む(地球上の)自然の有り様を表現しているようにも感じます。
 このように実に多様な世界の象徴となりうる音楽というのは、まことに素晴らしい神からの贈り物です。
 ここに歌(言葉)が加わってきますと、さらに複雑な関係性の中の、実に多様な情感が生み出されます。不思議ですし、感動的ですね。
 このアルバムでの三人の生み出す世界は、それこそ人間と神の美しき関係性を象徴していますし、一方では、人間の身勝手さ、粗雑さをも表現しているように思えます。
 ジャズの面白いところは、西洋近代の音楽システムや工業化された楽器の上に立ちながら、神に反抗するかのように、複雑さ、一回性に挑戦しているところですね。
 神様の大きな手のひらの上で、思いっきり人間が遊んでいるような、そんな感動があります。何もないはずのところに、複数の点が生まれ、それらの関係性の中に縁起するモノ。無であり有であるのが、すなわち「空」なのです。
 よく No Music No Life と申しますが、実は宇宙の生命は音楽そのものであるとも言えるので、当然と言えば当然なのですね。
 音楽よ、生命よ、本当にありがとう。

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2018.03.10

月がきれい第11話より 東山奈央『未来へ』

 日は我が中学校の卒業式。ウチの娘も卒業です。
 卒業式の最後はやはり合唱ですね。歌う方も聴く方も号泣です。
 今年の3年生合唱はキロロの「未来へ」でした。
 たまたまですが、昨日紹介したアニメ「月がきれい」の第11話にこの曲が流れました。放送では入試の日のシーンでしたね。お母さんの手弁当。
 式の間は自分は仕事ですので、あまり感情移入できませんでしたが、帰宅すると娘からの手紙が…。その内容にはさすがに涙いたしました。
 では東山奈央さんの美しい声でお聴きください。切ないのぅ。

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2018.03.05

仲小路彰 『女性の問題』(グローバリズム 二十一世紀の世界と日本像より)

Th_00451_1964s390815 日はいろいろな人と女性論を語り合いました。先週のチャンネル桜の討論も「女性の幸せって何?」 でした。
 保守派の女性たちの討論でしたが、これはこれで面白かったし、案外未来的な感じがしました。
 特に「男の幸せが女の幸せ」的な論説は、ある方面からは思いっきり批判されそうですけれども、生物学的には実は本質をついているかもしれませんね。
 「恋の奴隷」からの「実は女優位」論も納得であります(笑)。賢い女は強い。
 よろしかったらこの討論もご覧ください。

 さてさて、ある意味男尊女卑から男女平等へと激動した昭和という時代を裏で動かした、天才哲学者、思想家、仲小路彰は、二十一世紀は女性の時代だということを重ねて予言しています。
 その女性論は非常に深く高尚なものなのですが、今日は仲小路の女性論のわかりやすいものを紹介しましょう。
 この文書には昭和39(1964)年8月15日の日付があります。私が生まれる二日前に発行されたものです。
 冊子のタイトルは「グローバリズム 二十一世紀の世界と日本像」。50年以上前に「グローバリズム」ですよ。いや、仲小路彰はすでに戦中からグローバリズムを構築していました。まだ、英語の辞書に globalism という単語がなかったころからですよ。
 政治、経済、文化など広範な内容なのですが、その中に「女性の問題」という節があります。今日はそれを全文書き写してみたいと思います。
 二十一世紀になった今、この半世紀前の予言を、皆さんはどのように読むでしょうか。

(以下引用)

    女性の問題

 これまで全く家事的な多忙に明け暮れして、ほとんど何らの自主性を持ちえなかった近代女性は、再び原始の女性は太陽であったとの強いあこがれをもって未来的に自由な前進をはじめようとする。
 古いとざされた封建的家庭は、その根底から動揺し、破壊され、その後には全く関節のはずれた体のような苦しみが今日の家の暗いムードとなっている。

 しかし、未来の女性のあり方は、もし女性が男性との同権を主張するあまり、男性と同じ仕方をまねするならば、それこそ、いよいよ時代おくれのあわれな存在となるであろう。なぜなら、すでに戦争のなき世界は、男性中心の社会ではあり得ないからである。
 これを悟らず、これこそが先端女性と思って、ただ男のなす業をわれも負けずにと摸倣し競争するならば、それこそこれ以上の時代錯誤はないのである。
 ある意味で二十一世紀は、平和な文化的世界の典型として、わが平安朝の女性的天才の自由なる表現をなした時代的様相に似たものとなる傾向を示すであろう。
 いわゆる才女と称せられる彼女らは、紀貫之の「土佐日記」を創作せしめたほどであり、かの「源氏物語」にいたっては、日本はおすか全世界にあっても、それに比べるべきものを見出しがたいものである。

 かかる教養ある女性文化こそ、次に来る文明の母胎をなすものであり、ここには男性のなし得ない独特な美的世界の開花を示すものとなる。

 かかる人間をいかにして形成するか‥‥

 その人間教育のためには、先ず地球文明建設というグローバリズム体系を組織する研究所の設立をなす。
 それにより創造的人間をつくり出すアカデミーを必要とする。
 これらの教育機関は、あくまでも自由で純粋な人間開発を目的とするものである。その中心的な地点に、自然美と歴史的伝統を本有して、さらに現代文明のすべてを吸収し、蓄積した日本こそが、最適の地としてえらばれるのも当然である。
 
Amazon 未来学原論―21世紀の地球との対話

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