カテゴリー「教育」の1012件の記事

2018.12.07

ナイツの漫才

 週はずっと堅苦しい文章を書いていました。ようやくそれが一段落したので、全然違う文を作りたくなっていたところに、生徒から仕事の依頼が来ました。
 もうすぐ中学校の文化祭があります。昨年まではがっつり中学校担当だったのですが、今年は高校中心になったので、少し離れたところから協力させてもらっています。
 で、今日の依頼は、私が顧問(仮)をさせてもらっているコント部(仮)の台本づくりです。今年は漫才をやりたいというので、さっそく作ってみました。
 今回参考にさせていただいたのは、ナイツのボケ漫才です。掛け合いではなく、ボケの手数で勝負する系。
 とりあえず、ナイツの漫才をいくつか見て、頭のモードをそれに合わせて、内輪ネタを含む新作を一気に書き上げました。ぜひ本番を楽しみにしていてください(笑)。
 で、今日は参考にしたナイツの漫才を皆さんにも見ていただきます。うるさいしゃべくりや、動き系が多い中、私はナイツのこのスタイルはけっこう好きですね。関東の良さだと思います。落語や漫談の空気がありますね。

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2018.11.21

田中英道 『日本らしさの基礎を築いた聖徳太子(その7)』

 リーズ最後。なるほど、「遣隋使」「遣唐使」と対等に「遣日使」を想定すべきか。たしかに鑑真はなぜ命懸けで日本に来たのか。なぜ帰化人がこんなに多いのか。渡来人ではなく帰化人ですよ。
 学校の歴史学習においては、とにかく日本は中国から学んだと教わります。しかし冷静に見れば、その逆もあったはず。
 そう言えば、今、百田尚樹さんの「日本国紀」が大変な騒ぎを巻き起こしていますね。読まなくてもだいたい内容が予想される、すなわち、保守派の語る歴史というのはパターン化していて、私もそれをいやというほど読んできたのです。
 それを一つまとめたことに関しては、まあ百田さんの一つの功績だと思いますよ。また、ぜったいに毀誉褒貶があることは予想されたわけですから、さすが幻冬舎さんの商売はうまいということでしょう。
 まあ歴史というのは元来解釈する立場によってその景色が違うのは当たり前です。なにしろ、その時代時代にも、ほとんど無限の多様性を持つ人々が生きていたわけですから。
 それを十把一絡げにして「正解」を得ようというのですから、それは全て「でっちあげ」「捏造」「パクリ」になりますよ。ですから、議論することは意味ありと言えども、それによって勝敗を決しようとするのは、それこそ戦争の歴史に学ばないバカということになるでしょう。
 

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2018.11.14

『自衛隊戦力と交戦権を肯定せよ』 小山常実 (自由社ブックレット)

Th_81p1kirgrdl 守派を自称する方々の劣化が激しい。もちろん劣化左翼としてのリベラルもひどい状況で、今の日本は両翼とも腐ってしまい飛翔することができなくなっています。
 なんて過激な言い方をすると、お前は何者だ!と言われますので、あらかじめことわっておきますが、私は「愛国左翼」です(笑)。
 ま、それも半分冗談、半分本気。つまり両翼を止揚したところに私はいたいのです。出口王仁三郎や仲小路彰、頭山満などに学んでいる者としては当然です。彼らからするととっくに周回遅れですが、それでもジタバタしていきたい。
 さて、劣化保守の中で、地味に燦然と?輝いているのが、これまた地元山梨の郡内地方で地味に輝いている大月短期大学の名誉教授手ある小山常実さん。ブレない筋金入りの保守派です。
 この本も実に論理がすっきりしており、賛成するかどうか別として、大いに納得する内容となっています。
 自民党の改憲案や安倍総理の自衛隊観でさえイマイチ、イマニ、イマサンなのだから、その他は推して知るべし…なんて言っている矢先に私の上空を自衛隊機が低空飛行していきました。
 ここ富士山麓を低空で飛ぶのは自衛隊機か米軍機。高空には旅客機が飛びます。富士山があるおかげで、軍用機、民間機ともに特別待遇されています。日本の上空はアメリカのものですからね。
 ちなみにこの本の目次を次のようになっています。面白そうでしょう。

第一章 自衛戦力と交戦権を持たない国
 一 自衛隊員の捕虜資格
 二 交戦権を持たない国の戦闘自体ーミニ国家にも勝てない
 三 交戦権を持たない国の補給戦ー敗北は最初から決まっている
 四 その他の交戦権否認の不都合
 五 第九条第二項は属国化を招来した

第二章 自衛戦力と交戦権を肯定せよ
 六 正しい第九条解釈をー自衛戦力と交戦権を肯定せよ
 七 「日本国憲法」は憲法として無効である
 八 「日本国憲法」改正では自衛戦力と交戦権は取り戻せない
 九 「日本国憲法」に正しい名前を与えよう

 この本こそ、左派やなんとなくリベラルの方々、そしてなんちゃって保守(&なっちゃんて保守?)の方々に読んでもらいたいですね。そして、まじめに反論、あるいは賛成するために真剣に勉強してほしいですね。
 もちろん私もなんちゃって「愛国左翼」なので、もっと勉強が必要です。たしかに戦争が嫌いでもなんでも、学校で「戦時国際法」についてちゃんと教えられるようにならなくちゃなあ。現実を知った上で、未来のことを考えなければ。
 それにしても、今日は上空がにぎやかだなあ。何かあったんでしょうか。

Amazon 自衛戦力と交戦権を肯定せよ

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2018.11.04

『前祝いの法則』 ひすいこたろう・大嶋啓介(フォレスト出版)

予祝のススメ
Th_81mk6biz35l 年に続き、忍野村で行われた大嶋啓介さんの講演会に行ってきました。ベストセラーになっているこの本の出版記念という名目の講演会。
 居酒屋てっぺんの代表であり、独特の「朝礼」や「予祝」で夢を叶えることを説く伝道師。非常に魅力的な方です。
 高校野球のチームを多く甲子園に導いたり、オリンピックチームを金メダルに導いたり、スポーツの世界でも、彼のメンタルトレーニングは評判です。生徒や選手というよりも、指導者に変化を与えることを主目的としているのも特徴ですね。
 昨年同様に会場の聴衆を巻き込んだ魅力的な講演に、私も引き込まれながらいろいろな意味で勉強をさせていただきました。
 否定的な言葉や勝手な負の思い込みによって、生徒たちの可能性に蓋をしてしまっている…教師には耳の痛い話の連続だとも言えます。
 実は先日、学校でペップトークの講演が開かれたんです。似た部分もありますよね。とにかく肯定する。良い未来を想像する。それによって脳の働きが変わり、人生も変わっていく。
 私も真の日本の教育改革を目指す者として、それらの考え方、実践のほとんどに同意、賛同します。
 しかし、あえて、あえてですが、今日講演後に打ち上げ(来年への予祝の意味合いもあり)に参加させていただいた折、大嶋さんに申し上げたことがありました。
 それは集団心理としての予祝の危険性です。たとえば、先の大戦において、特攻に出発した若者たちは「予祝」をしました。それも、家族や天皇陛下が喜んでくれる思って、心から自分の死を祝ったのです。
 もちろん、全ての若者がそうだったとは言えませんが、しかし、多くがそういう心境で出発前夜に祝杯を上げたのは事実です。
 ですから、予祝がダメとか、みんなでテンションを上げあって、各自の内的な壁を乗り越えるのがダメとか、そういうことではありません。それらをより良いものにしていくために、これからバージョンアップしていくことを願っての苦言でした(本当に不躾に失礼しました)。
 自らの夢を実現することが、場合によっては戦争を引き起こすこともあります。そういう冷静な目をもって、これからの若者たちを導いてほしいのです。
 しかし、さすがは大嶋さん、ものすごく謙虚で繊細でいらっしゃる。しっかり考えてくださりました。悩んでくださいました。さすが一流は違うなと思いました。二流の人は必ず反撃してくるか、逃げます(笑)。
 教育の現場、毎日の教室の中では、こうした「祝」的な非日常性は継続できません。それもまた教師の悩みです。特に軍国主義的な要素の色濃く残る現在の学校制度の中では、大嶋さんのやり方はなかなか浸透していかないでしょう。
 やっぱり全く新しい学校を作るべきなのかなあ…最近、いろいろな人とそんな話もしています。はたしてどなるのやら、私の未来。
 ちなみに、この本のタイトルにある「予祝」という言葉自体は近代になってから生まれたものですし、「前祝い」も江戸時代に一般化した日本語です。もちろんだからと言って、そういう習慣がなかったというわけではない。あえて言語化する必要がないほど当たり前だったというのが、私の考えです。
 もちろん私の「未来から過去へと流れる」という時間観にもつながるところがあります。私自身も独自の人生哲学をしっかりブラッシュアップしていこうと思っています。
 ありがとうございました。

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大嶋啓介公式

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2018.10.17

モニカ・ゼタールンド

 日はスェーデンのウプサラ大学の先生方が我が校を訪問されまして、教育についてものすごく濃い討議をさせていただきました。お互いの教育観、あるいは方法論がまさに正反対。だからこそ学ぶところも多く、両方の良いところをミックスしていくことが大切だという話になりました。
 ないものねだり、隣の芝生は青いということもあるでしょう。いや、隣ではなく、お互い地理的にも歴史的にも遠いので、どこか理想郷のようなイメージがあるんでしょうかね。
 さて、昨日までの即興つながり、ジャズつながりで言いますと、スウェーデンと言えばモニカ・ゼタールンドでしょうね。とってもチャーミングなボーカリストです。
 彼女の半生がおしゃれな映画「ストックホルムでワルツを」にもなりましたので、ご存知の方も多いのではないでしょうか。

 この映画のタイトルにもなっていますように、彼女はジャズ界の大御所であり、憧れの存在でもあった、あのビル・エバンスと共演しています。これがまたいいんですよ。彼女の人柄が音楽に表れていますね。

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2018.10.05

『オカルト化する日本の教育』 原田実 (ちくま新書)

江戸しぐさと親学にひそむナショナリズム
Th_41oku2eqe5l_sx304_bo1204203200_ 日の話(教育勅語トンデモ本?)ともつながりましょうか。
 実はこの本、6月に読んで記事を書いていたのですが、タイミングをはかっていたら、4ヶ月も経って今日になってしまいました。ということは、今日がベストタイミングなのでしょう。
 今年読んだ本の中では出色の面白さ。勉強にもなりました。
 特に後半、近現代日本の陰謀論とオカルトナショナリズムを概観する部分は最高にエキサイティングでしたね。左右にぶれまくるフィクションの生命力に、我ながら感動してしまいました(笑)。
 我ながら…というのは、もうご存知のとおり、ワタクシはまさにその爆発的エネルギーの中で生きてきた人間です。
 実際、この本に出てくるアヤシイ(?)世界のかなりの部分に、私も直接関わりを持っています。会って(楽しく)話したことがある人ばかり。そういう意味では、原田さんよりもよく分かっている部分があるかもしれません。
 そして、もちろん私も「教育」の中心にいるセンセイです。いちおう教育のプロとして、現場をいやというほど知っています。いい面も悪い面も(圧倒的に後者が多い)。
 では、私はどっち側の人間なのかというと、これがまた自分でも面白くてですね、両方OKな立場なんですよね。右・左、宗教・科学などの対立構造についても、どちらも否定はしませんし、どちらも正解だと思っていない。
 昨日もそんな、ある意味ずるい優等生的なポジション取りをしていましたが(笑)、まあ本当だから仕方ない。
 それが私らしさ、つまり「アヤシサ」そのものであり、また、客観的に見れば、そうして地球人の上に立とうとする、それこそエセ宇宙人のいやらしさでもあるわけですが、これはもう生まれ持った性質なので仕方ないですね。諦めてます。
 さてさて、前半の「江戸しぐさ」については、原田さんの『江戸しぐさの正体–教育をむしばむ偽りの伝統』『江戸しぐさの終焉』を読んで記事を書いております。後者の記事には、原田さんご自身がコメントくださりました。今読むと、たしかに原田さんの言う通りで、さすがに私のモダンチェンバロのたとえは、ちょいと牽強付会という気がします。
 しかし、なんでしょうねえ、どうしても「江戸しぐさ」というフィクションにシンパシーも湧いてしまう。自分にそういう嘘つき、ハッタリ屋の部分があるからでしょう。
 「親学」については、これはTOSS、すなわちワタクシの宿敵である向山洋一氏が関わっているので、これまた複雑な気持ちで読みました(向山洋一氏に対する恨み節はこちら)。
 この4ヶ月の間、ずっと「学校こそ諸悪の根源」という本を書こうと思い準備をしておりました(匿名で書こうと思ってたのにカミングアウトしてしまった!)。しかし、ここに来て、やっぱりやめようと思い始めたのです。それは北欧の教育関係者とのご縁ができ、本当にいろいろな人たちとお互いの教育について対話ができたおかげです。
 お互いに、外から見ると全く違った風景が見えてくる。良いところも悪いところも新たに発見できる。あるいは、善悪が逆転したり、自分の中での教育観の変化に驚くばかりです。
 北欧の方々から見ると、軍国主義的、軍隊文化的な日本の教育は、それ自体がオカルトに見えるでしょう。しかし、一方で理想的、先進的に見える北欧の教育がもたらす社会的な弊害というのも実はあり、それはある意味では、科学的ではない理想主義というオカルトに起因しているとも言えるのでした。
 教育は大切です。だからこそ難しい。正解がないが、迷いながら正解を求めるのが教育なのでしょう。そんな難しさの中には、オカルトが入り込みやすい。新しい(しかし古くからありそうな)特効薬のように見えるからです。そういう意味では、常にオカルトとの戦いであるとも言えるかもしれません。

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2018.10.04

『聖なる約束4 ヤマト人への福音 教育勅語という祈り』 赤塚高仁 (星雲社)

Th_41tdvbirshl_sx337_bo1204203200_ 日はいろいろなお客様が入れ代わり立ち代わりいらっしゃり、合計6時間ほどお話をしました。
 「対話に貴賎なし」がモットーのワタクシといたしましては、大変楽しい一日でした。
 その中のお一人、政治家の方とは「教育勅語」の話になりました。そう、新文科大臣の発言がありましたので、そこからのお話でありました。
 教育勅語が素晴らしいという人と、教育勅語なんかとんでもないという人の溝は埋まりません。なぜなら、論点、評価のステージが全然違うからです。
 私はそのステージを行き来できると自負しておりますので、称賛も批判も両方できるつもりです。
 ただ一つ、直視していなければ教育勅語自身が持つ矛盾もしっかり直視しなければならないと思います。すなわち、教育勅語の眼目である「忠孝」は儒教の教えであり、決して日本古来のもの(国体の精華)ではないということです。
 いや、我が国の国柄は宏遠であり、彼の国の教えをも内包しているのである…なんて言い訳もありえます(いかにも私が言いそう…苦笑)。あるいは、忠孝のルーツは日本であるという言い方もありかな。
 しかし、教育勅語の時代性から考えると、実は単純な構造であって、江戸時代以来の儒教的家族観、友人観の最上位に、天皇への忠義を置いたものにほかなりません。
 そこを基準に論じると、たしかにいいことを言っている部分もあるが、それは別に教育勅語でなくてもいいだろうという、非常に単純な結論に至るわけですね。儒教の教えのエッセンスを紹介したものはほかにもいくらでもあるし、天皇家の素晴らしさを、あるいはあの時代の天皇制の危険を語るものもいくらでもある。
 教育勅語に関しては別にケンカすることはない。どっちも正しいし、どっちも間違っている。原理主義的二元論の罠にはまっているだけです。議論の仕方がいかんのです。
 では、私たち現代人は、教育勅語全体とどう付き合えばいいのか。それ自身が内包する矛盾をどう乗り越えればいいのか。
 というわけで、今日紹介する本は、知り合いである著者御本人からお送りいただいたものです。これは、今述べた二元論的な判断基準によるものではなく、儒教の上に「やまとこころ」を置き、天皇をキリスト(救世主)に見立てるという、全く別次元のお話です。
 これはこれで実に面白いストーリーであり、私は楽しく読ませていただきました。もちろん小馬鹿にしたり、ましてや怒り出したりはしません。21世紀において、そのような読みが可能ならば、それはそれでいいと思います。
 世の中には「教育勅語トンデモ本」というジャンルがあります。この本なんか、その中でもかなり先鋭な存在でしょう。たしかに常識的には「トンデモ」の称号を与えられてしかるべきでしょう。
 しかし、出口王仁三郎や仲小路彰に親しんでいる私としては、こういうトンデモ世界に、世の中の本質が見え隠れしているように思えてならないのです。
 少なくとも不毛なケンカのタネにするよりは、こうして新たな意味を付与する方が、当時の皆さんにも失礼がない…と思います。
 それにしても、著者赤塚さんのピュアな魂と行動力には、本当に頭が下がります。自らのお役目をよく知っていらっしゃる方です。

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2018.09.20

『水の瀬きよき 学校疎開の記録』 鈴木道子 (文芸社)

Th_61w1vfqslxl_sx335_bo1204203200_ チの夫婦と二・二六事件は深い因縁があります。というか、因縁ができてしまったのですね。
 細かいことはいろいろと書き散らしてきましたが、いつかしっかりまとめなければと思っています。物語としては面白いでしょう。小説や映画にしたら、「できすぎ」なストーリーと言われそうですが。
 さて、私は静岡の出身、家内は秋田、そして二人は今山梨に住んでいます。そうした土地の霊脈が二・二六との因縁を生んだわけです。よく地縛霊と言いますが、やはり場所(トポス)というのは「因」と「縁」にとって非常に重要なのですね。
 具体的に言いますと、静岡で安藤輝三(夫人が静岡市出身・本人の墓もある)、山梨で斎藤実(宮下文書関係)、そして秋田で渡辺錠太郎(某小学校との交流)というところで、いろいろ我らの身に「事件」が起きてきたわけですが、ここへ来て、より穏やかな形で、そうした地縁を感じることがありました。
 一つは、渡辺錠太郎の娘で、父親が惨殺された瞬間を目撃してしまった、あの渡辺和子さんが、山梨に疎開していて、山梨で洗礼を受けて、山梨のカトリック系の幼稚園に教諭として勤めていたという事実。今、そのあたりを調べています。彼女に多大な影響を与えた神父さんがいるはずです。
 そして、このたび、ひょんなことから知ったのが、この本の編者鈴木道子さんが秋田の石澤に疎開していたということ。鈴木道子さんは、安藤輝三が敬愛しつつ襲撃してしまった鈴木貫太郎のお孫さんにあたります。
 石澤と言えば、家内の出身地にほど近く、今でも義父はその地の山に山菜を採りに行っています。私たちも時々、本荘に抜ける時、石澤を通過していました。そして、いつも気になるトンネルがありました。それは「絆の茂里トンネル」。なにか素敵な名前だなあと思いつつくぐっていました。
 そのトンネルの上に、109本の桜が植えられているとは知りませんでした。それを植えたのは、かつて昭和20年に東京から疎開してきていたある女学校の学生たち。戦後50年を機に東京と秋田の絆を記念して植えられたとのこと。
 正直、これまた鳥海山を望む、そして八塩山のふもとというピンポイントでしたので驚きました。
 この本は、そんな時局の中、繊細な感性を持つ12、3歳だった彼女たちの手記などを中心にまとめられたものです。一通り読んでみました。そして驚きました。本当に素晴らしい文章ばかりだったからです。彼女たちが特別優秀だったということもあると思いますが、それ以上にその純粋な心と、さらに純粋とも言える秋田は石沢の皆さんの純粋さ、そして当たり前ですが、戦争などとは関係ない大自然の純粋さ、それらが共鳴して、実に美しい文章になっている。
 地味な本ではありますが、貴重な疎開資料でもありますし、なにより人の心の絆が歴史や時代や事件を超えてつながっていることに感動させられます。
 関係者のみならず、多くの方に手にとっていただきたい本ですね。
 来春には「絆の茂里」をゆっくり訪ねてみたいと思います。

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2018.09.19

マレビトと教育

Th_img_2613 日は北欧の学生たちがウチの幼稚園を訪問し、日本の幼児教育を見学しました。
 そうとうショックだったと思いますよ。というのは、来週幼稚園の運動会でして、そのための練習をしていたからです。
 ご存知のとおり、日本の「運動会」というのは世界的にも珍しい行事です。すなわち軍隊の教練の一部としての体錬(錬成)大会の流れと、ムラの祭の流れが見事に合流しているからです。
 日本人としては、やはりムラの祭というイメージが強いけれども、外国人から見ると、どう見ても子どもアーミーにしか見えない。
 そんな「日本的」な文化としての「運動会」の練習という、非常にマニアックなシーンをいきなり見たわけですか、それは北欧の皆さんは驚いたでしょう。
 ただし、マイナスイメージではなく、どちらかというとプラスにとらえてくれたようです。北欧は特に子どもを自由に育てる傾向があるので、そのある意味正反対である日本式集団競技的幼児教育は、とても新鮮に感じられ、また自分たちの知らなかった子どもの可能性を読み取ったようです。
 さらに引率した日本人の大学生たちも、自らが通ってきた「教育文化」について考えさせられる機会となったと喜んでいました。まさに国際交流の醍醐味ですね。
Th_img_2617 また今日はラッキーなことに、近所の下浅間さんで恒例の「やぶさめ祭」が行われていたんです。これもまた、日本人でもなかなか体験することができません。私も地元にいながら、ほとんど見たこと、参加したことがありませんでした。
 流鏑馬はもちろん、御神事、神楽、獅子舞など、私にとっても興味深いことが目の前に展開し、さらにそれを外国人に説明することよって、今までとは違った深さで日本という母国をとらえることができました。
 特に個人的に面白かったのは、獅子舞神楽が幼稚園を訪問してくれた時の様子ですね。いわゆる「マレビト」として訪問した神は、まず子どもたちを脅します。怖がらせます。泣きながら逃げ回る園児たち。
Th_img_2615 これなんか、外国から見ると「いじめ」に感じられるかもしれませんね。トラウマになるのではないかと。しかし、でも書いたように、それを大人が音曲やお金、お酒でもってもてなすことによって、「鬼」は最終的には穏やかな神に変化(へんげ)する。
 それによって、子どもたちは神(自然)の性格を知ることができ、また大人に対する敬意や憧れを持つようになる。これって究極の日本的教育ですよね。
 実際、最後、園児たちは獅子たちに「バイバイ」と手を振っていました。これこそが非日常たる祭の機能の一つでありましょう。社会教育ですよ。
 とても楽しかったし、勉強になりました。考えてみると、「外国人」も「客人=まろうど=マレビト」ですよね。大事ですね。外の文化と交流し非日常を作り出すことは。コト世界にあえてモノを招くのであります。

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2018.09.15

富士学苑中学・高等学校ジャズバンド部 第16回リサイタル

Th_img_2547 年もやってまいまりした、本校ジャズバンド部のリサイタル。立ち見の方も多くいらっしゃるほど超満員。ふじさんホールがこれほど埋まることはそうそうありません。
 それほどこのバンドは実力があり、人気があるのですね。実際、今年もまたとても素晴らしい楽しいステージでした。
 富士吉田市長さんも駆けつけてくれまして、祝辞といいますか、いろいろな市の行事で活躍していますから謝辞でしょうか、ありがたいお言葉をいただきました。
 いつも書いているとおり、学校のクラブ活動ということで、毎年メンバーが違うにもかかわらず、こうして高いレベルを維持し、かつその年度のメンバーの個性を活かすのは大変だと思います。
Th_img_2551 今年のバンドは決して派手さはありませんが、しかし、全体のバランスがよく、また音色がソフトで、心穏やかにじっくり音楽に浸ることができました。ていねいなアンサンブルに好感を持ちました。
 3年生はいちおうここで引退となり、それぞれの進路に向けて頑張ることになるのですが、今年はこのあとも横浜や東京ビッグサイトでの演奏、日本医師会でのアトラクションなど、まだまだ活躍の機会があるようです。
 演奏終了後、ある部員の保護者の方と話したのですが、こういう富士山麓の、ある意味田舎の自然の中でジャズをやっているからいいのではないかと。中高生の純粋な魂と自然環境がああいう音楽を生むのではないかと。なるほど。たしかに都会の大学生のバンドはつまらない(失礼)。
Th_img_2548_2 音楽って本来自然の中にあるべきなのかなと思いました。ジャズのソウルは大自然の中にあります。しかし、それが歴史的悲劇の中で皮肉にもアメリカの都会で成熟した。それがまたこうして日本で自然に還っているのだとすれば、それはそれで実に感動的なことですね。そういう歴史的事業に関与している生徒たちは幸せですし、それを享受できる私たちもラッキーです。
 今年の会場の雰囲気は、なにかそういう大きな「愛」とでも言うような揺りかごの中にいるようでした。演奏者たちもいい意味で力が抜けていましたね。前半の本格的ジャズナンバーも良かったけれども、後半、スティービー・ワンダーやサザンのように分かりやすい曲が並んだり、ダンス部とのコラボがあったのも良かった。
 さて、昨年まで6年間同部でベースを弾いていたウチの愚娘も、OGとしてステージに上がりました。そう、卒業生が富士山燦燦楽団というバンドを結成しまして、本格的に活動を始めたようです。
 その練習動画がありましたので、紹介しておきます。


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