カテゴリー「教育」の1000件の記事

2022.04.28

松浦亜弥 『ずっと好きでいいですか』& MC

 

 ミマセン、あややばっかりで。

 私だけでなく家族みんなが尊敬し、憧れているので仕方ありません。

 歌はもちろん、このトーク力はうらやましいばかり。教員はみんなこのくらいのトーク力とカリスマ性を持っていないとダメですね。いや、マジで。先日も県の教員の初任者研修でこの話したんですよ(笑)。

 特に、この動画の冒頭は最高ですね。自分の間違いを人に押し付けても許される…どころか愛される。こんな人柄と実力を備えてみたい。

 まあ可愛いドSということなんですがね(笑)。そしてオタクたちはドM。そういう関係性の中での存在とも言えます。バンドのやさ男たちも含めて、ぞんざいに扱われれば扱われるほど嬉しかったりするのです(ちょっとわかる)。

 さて、先日久々にそのお姿と歌声を届けてくれたあやや。これは復帰へ向けての第一歩ですよね。ママドルとして、いや永遠のピンアイドルとして世の男たち、(この動画でもわかるとおり、また我が家でもそうであるように)女の人たちをも、幸せな気持ちにしてください。待っております。絶対に生歌を聴くまで死ねません!

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2022.03.18

『トラさん~僕が猫になったワケ~』 筧昌也監督作品

Th_81x8xbdtl_ri_ 日は長女の大学卒業式でした。前半の2年は寮生活、後半の2年は完全リモートで家猫状態。

 まあ、そんなこんなで就職活動も全くせず、しかし就職先はいつのまにか決まるという、それこそ拾われた家猫みたい(笑)。コロナのおかげと言えばおかげですな。

 あいにくのお天気でしたが、皆さん華やかな袴姿で実に春らしく、100年を超える女子教育の歴史の重みというか、格別な品格のようなものを感じましたね。ちなみにウチの娘は、袴姿が普段着である妹に着付けしてもらいました。

 ただ、卒業式で友人たちに久しぶりに会い、しかしもうそこでお別れということで、それはやはりちょっと可哀想だったなと。

 さて、その某女子大と猫と言えばこの映画です。多部未華子さんが卒業生なんです。偉大なる先輩。

 その多部さんが助演として優れた演技を見せてくれるこの映画。猫好きにもたまらない内容ですし、家族愛をさり気なく描いた作品としても、なかなか良いと思います。

 原作がマンガですし、監督さんもテレビドラマのお仕事が多い方ですから、正直チープで軽い印象ですけれども、それはそれで最近の邦画の一つの表現方法となっているので良しとしましょう。

 低予算から来るシンプルさを逆手に取って、大切なテーマを象徴的に仕込むのは、日本の伝統芸であります。

 そう、家猫って、誰かの生まれ変わりのように感じる瞬間もあるんですよね。何かを伝えに来たのかなって。そういう意味ではとてもリアルでした。

 多部未華子さんは安定の好演技として、子役の平澤宏々路ちゃん、そして主役の北山宏光くんも良い演技をしています。ちょっとした時にぜひ観てみてください。後悔はしないと思いますよ。

 Amazon トラさん〜僕が猫になったワケ〜

 

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2022.03.15

占守島の戦い

 

 シアの侵攻に対するウクライナの抵抗の裏に旧日本軍の奮闘が…。

 ロシア人の友人から聞いた話ですが、ウクライナに限らずロシアから独立した国々では、この1945年8月15日以降の日本とソ連軍との戦いについて学ぶことがあるとのことです。

 おそらくウクライナ軍の兵士の中にも、この負けても「本土死守」を果たした日本軍の戦いをイメージしている人がいることでしょう。

 もちろん、これを美談や武勇伝として誇りに思いなさいという単純な話ではないにせよ、日本人がこのような歴史的な事実、先人たちのご苦労を知らないというのは、これはまずいでしょう。

 学校教育がそれらを無意識的に隠蔽してきたのは事実です。しかし、この時代になって、こうして動画という新しい教育のシステムによって、それらを知ることができるようになったのは、歴史的必然と言えるかもしれませんね。私もたとえばこの「大人の教養TV」には大変お世話になっております。感謝。

 この占守島の戦いでも分かるとおり、戦争においては条約や国際法などの約束事はほとんど意味をなしません。また、徹底抗戦、無条件降伏といった極端な対応はありえず、あるいは単純な平和主義、人道主義も意味を持たず、実際には裏での外交努力、個人と個人の交渉というものが存在しているのです。

 そのあたりを知るだけでも、私たちのニュースの見方、ネット情報の受け取り方も変わるのではないでしょうか。

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2022.03.08

FACT LOGICAL『日本の“教育問題”を大激論!(2)』(日経テレ東大学)

 

 からの続き。今回も興味深い意見を聞くことができました。

 結論から言うと、4人の中で最も現実的な視点を持っているのは、松本杏奈さんでしたね。彼女自身語っているように、彼女はずっとエリートだったわけではない、いやむしろ落ちこぼれ&問題児だった時代が長かったので、他の人たちのような単なるエリート教育論に限定されない意見を持っているのです。

 松本さん、おそらく勉強嫌い、あるいは勉強わからないお友達がたくさんいるのでしょう(非常に良いことです)。そういう人たちと自分とは違うということをよく知っておられる。

 ここ150年で構築してきた日本式の(軍隊式の)教育システムは、それはそれで非常にすぐれています。それも痛いほど実感してきました。松本さんやモーリーさんが言うとおりです。

 ただ、それが肥大化してしまい、先生の余裕がなくなっているというのも事実。そして、先生の権威がなくなり、すなわち先生の失敗(試行錯誤)を許さない雰囲気ができてしまったのも事実。

 その結果、最初に捨てられたのが、実はエリート教育なのです。ですから、やはりレゴ型のエリート教育は別のルートでやるべきだと思っていますし、実際そういう別ルートを作る準備を、私もしているところなのです。

 既存の学校でのリモートやスタサプ、スマホの利用なんていうのは当たり前。私はずっとそれを主張してきました(実際にはなかなか実現しませんが)。

 それは本来「変えるべきこと」ではなく、時代に合わせて「変わってくこと」であるはずで、実はちっとも革新的なことではありません。それさえも動かないというのは、たしかに悪しき伝統主義であり、保守主義と言えましょう。

 というわけで、今ある学校はただ時代に合わせて進化してゆけば良く、加えてエリート、リーダーを育てる全く別のシステムを作ることが必要ですね。もう一つ加えるなら、落ちこぼれ、学校に合わない子どもの受け皿もあると良い。つまり、3方面の「セーフティーネット」を構築することを考えなければならないということでしょうか。

 そういえば、別件ですが、やはり日本の常識をひっくり返すことをモーリーさんとやろうという話がありました。コロナで一度頓挫しましたが、そろそろ再開でしょうかね。

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2022.03.03

FACT LOGICAL『日本の“教育問題”を大激論!(1)』(日経テレ東大学)

 

 かなか面白い討論だったのですが、これって「日本の教育問題」というより「日本のエリート教育問題」ですよね。

 今、実はちょうど「日本のエリート教育」について大革命を起こそうとしているアメリカ人の方と、いろいろ意見交換したり、現実にその革命を起こすにはどうすればよいかを検討中です。

 ちなみに私は、エリートではない層の教育革命の方に興味があって、そちらはそちらで秘密裏に粛々と進めているところです。

 そうした中で、一つ強く感じるのは、この討論でいみじくも松本さんが述べているように、「ジグソーパズル」型の学校や入試も必要だということです。

 革命というと、現存のものを全て否定して抹殺し転覆を謀るようなイメージがありますが、それは共産党革命であって(笑)、実際には「レゴ型」教育のシステムを新たに作り、選択肢を増やすということであって、既存の「学校」や「入試」は残ってもいいと思っているのです。

 そう、エリートにはたしかに「レゴ型」の社会貢献をしてもらいたい。しかし、一方で「ジグソーパズル型」の仕事が社会のほとんどを支えているのも事実ですから。

 しかし、いったい誰がその「エリート」なのか、それを見極めるのも現状では難しく、結局この討論で想定されているような人たちも、試験の偏差値が高い人になってしまいそうですよね。

 そのあたりの見極め、そして自己に対する評価は、義務教育の中でやらねばなりません。そうすると、やはり小学校、中学校の先生に意識革命を起こさねばならないことになります。これは大変なことです。

 私の構想も、義務教育(中学まで)は現在のままで、中学卒業以降の選択肢を無数に増やすものなのですが、いくらそういう場を用意できたとしても、正しく評価したり、導いたりする人がいないと、その選択肢を間違えてしまい、結果として今よりも不幸な若者を生んでしまう可能性があります。

 うむ、そういう意味では、やはり「革命」を起こさねばならないのでしょうかね。とにかくその優れたアメリカ人の方とも話しているのですが、文部科学省の外で教育しないと始まりません。文科省の唱える教育改革なんて周回遅れの小手先のものでしかありません。

 社会との連携で考えるなら、やはり経済産業省かなあ。会社の入り口(採用基準)が変わると、下流の学校が順々に変わっていきますから。

 というわけで、エリート教育の「次回」にも期待いたしましょう。

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2022.02.19

岡田斗司夫 『未来を見る方法』

 日、あるYouTubeチャンネルにゲストとして呼ばれました。書き物や普段やっている講演とは全く違い、いやその両方の要素を持っている、つまり何度も繰り返し不特定多数に聴かれるという特殊メディア独特の緊張感と、そして収録後の不満、不安がありました。

 そうしてみると、YouTubeで活躍しいてる人たちは本当にすごいなと思わざるを得ません。それは動画の編集についても言えます。大変な手間と技術とセンスを要するのです。

 さてさて、語り手としての素晴らしさでいえば、この岡田斗司夫さんを挙げねばならないでしょう。本当に尊敬すべきレベルです。

 また私は、個人的に岡田さんに大変感謝をしております。ある意味私を世間さまに売り出してくれた過去があるからです。御本人は全く覚えておられないでしょうが。

 この動画での語りも素晴らしい。この遠い未来を見る方法、つまり教養で標高(視点)を上げることと、遠い過去をも見る(歴史を学ぶ)ことの重要さは、全く同じ語り口で私も講演などでよく話します。あれ?自分がパクったのかなとさえ思ってしまった(笑)。まあ、昔からよく言われていることなのでしょう。

 この動画の元動画もぜひご覧ください。これからのメディア戦略について、まさに未来的な視点と歴史的な視点をもとに語ってくれています。

 

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2022.02.16

『謝罪の王様』 宮藤官九郎脚本・水田伸生監督作品

Th_a1jtdc5exbl_ac_ul320_ 宙的な野暮用(?)で忙しいので、今日もかつて観た映画を一つ紹介します。

 「謝罪の王様」。2013年のヒット作品ですね。

 ちょうどこの頃からでしょうか、私も「謝罪師」になりましてね、いつのまにか「謝罪の神様」とまで言われるようになりました(笑)。

 実際、ちょっと前まで、私の名前で画像検索すると、土下座をしている…いや、さすがにそれはないけれども、マスコミの前で深々と坊主頭を下げる写真が出てきちゃいました(苦笑)。最近はようやく消えて、代わりに猫の抜け毛のヅラをつけた恥ずかしい写真が多数(笑)。ゴメンナサイ。

 ま、仕事柄というか、自分の立場が変わって、さらに運悪く世の中の常識も変わり、たしかにそういう機会が増えていたことは確かです。

 ただ、そこから学んだことも非常に多くありましたし、私の頭頂部にフラッシュを浴びせた方々と、その後仲良くなったりして、まあ自分としては本当に良い経験ができたと思っています。

 この映画でも戯画的に描かれていますが、本当のところ「謝罪」がいろいろな問題を解決することは確かであります。もちろん、その謝罪にもテクニックがあり、つまり、心からの謝罪ではない場合も当然あるわけですが、しかしやはり「言霊」的な作用というか、とりあえず謝ることの美学というのがあると信じます。

 とは言え、相手に謝罪を要求することにも価値があるかというと、それは別問題ですよ。ただ単にマウント取りたいとか、金をせびるとか、そういう奴らたくさんいますからね。そういう輩には、謝ったように見せかけて後で倍返しするというのが一番。そんな技さえ身につけてしまいました(苦笑)。

 現在、私がとりあえず頭を下げた某巨大利権集団が存亡の危機に直面していますが、それは私の呪いのせいです(笑)。ハハハ。

 当時はこの映画は観ませんでしたが、いろいろ経験したのちに鑑賞してみましたところ、大変共感できる部分が多くありました。さすがクドカンですね。いろいろ経験してるんだろうなあ。

 それにしても、日本人って「謝罪」が好きですよね。北京オリンピックでも、謝らなくていい人が謝っていたりする。また、それを許すことでカタルシスを得る人も多い。もちろん他人のせいにしたり、反撃するよりも、自分が我慢して謝った方が平和的だとも言えますが。ちょっと行き過ぎるところがありますよね。

 

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2022.01.21

THE YELLOW MONKEY 『JAM』

Th_-20220122-121845 U-NEXTでイエモン企画が始まっています。これがファンにとってはなんとも贅沢。

 ウチはケータイでmineo持ってる(4回線)ので、U-NEXT半額なんですよ。ラッキー。

 今日は時間があったので、活動休止寸前2001年の「メカラ・ウロコ 8」ツアーの東京ドーム公演を鑑賞しました。感動でした。

 ワタクシごとですが、この頃はまだ吉井和哉は単なる「推し」の対象でした。毎年12月28日に武道館で彼のことを眺めていました。

 それから何年後でしょうかね、二人は運命的な出会いをするのでした。それも向こうから来た。推しが訪ねてきた。そして実は数十年前に出会っていたことがわかってお互い驚いた…娘に言わせれば、それはもう「死んでもいいレベル」のことだそうです。そりゃそうだ。

 一昨年前の再結成後の東京ドーム公演に参戦する予定でしたが、コロナで延期。11月は仕事が忙しく参戦できませんでした。

 今日、ちょうどその11月公演の「JAM」の動画が公開されました。これはこれで味わい深い演奏ですねえ。2001年とは大違い。

 私もですが、吉井くんも50代になり、すっかり大人になりましたな(笑)。

 

 

 解散前の「JAM」は、これはこれで魅力的です。歌詞の「ジャム」のところでコードを変えたり、最後に転調したり、なんかそういう「JAM」も大好きです。この動画がそのバージョンですね。

 

 

 

 もう今さらな話ですけれど、吉井和哉は天才です。学校のお勉強はできなかったけれど(笑)、そんなの関係ない。音楽のセンスはもちろんです。この「JAM」も、ある意味コテコテの「ドシラソ」ベースに8分の12拍子。特に歌い出しは歌とベースが平行(並行)して「ドシ」と下がってくる。クラシック界では禁じ手ですよ(笑)。それで陳腐にならない名曲に仕上げちゃうんですから。

 そしてそして、やはり日本語のセンスが抜群。学校の「国語」なんかできなくて良かったですね〜。もう近代文学を飛び越えて古典的な言葉遣い、いや「言葉使い」ですよ(魔法使いみたいな意味で)。

 私はこの曲に出会っただけでも、生まれてきて良かったと思いますよ。本当に。ありがとう。

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2022.01.18

小田全宏 『お金に心配しない生き方!「豊かな人生」を歩むため本当に大切なものとは?』

 

 年3月56歳7ヶ月で、長く勤めた学校を早期退職しました。今はいちおう法人の顧問という立場ではありますが、収入は数分の1になってしまいました。

 その他の収入も見込んでいたのですが、面白いほどに様々な力が働き実質はゼロ。友人にアドバイスを頼んであった確定申告も、必要なくなってしまいました(笑)。

 しかし、ある意味とても豊かな生活をしております。今までできなかった(してこなかった)親の面倒を見たり、「大人の修学旅行」を催したり、仲小路彰の文献のデジタル化をしたり、家族との交流の時間が増えたり、とにかく心の面ではとても充実した毎日を送っています。

 まさに誰かのために「やりたいこと」「やるべきこと」をやっているという感覚ですね。

 そして、面白いもので、ギリギリ必要なお金、そして物資が「流れてくる」。こういうことが本当にあるのだと、体験してみて分かりました。ありがたいことです。

 最近も、白米がなくなったら玄米が届き、玄米が尽きたら麦と雑穀がやってきました。そして、それが美味しいし健康に良かったりもする。食に関しても新たな価値観を学ぶことができました。

 ちなみに一番流れてくるのが「日本酒」です(笑)。全国の高級日本酒、とても自分では買わないような逸品が、尽きることなくやってくる。まさに酒清水、酒湧池、猩々の与えてくれた尽きせぬ壺のごとくです。ありがたや。

 昨年の今頃は、私だけでなく家族も大変な不安、特に「お金」に関する不安がありました。なにしろ今年度は娘二人が大学生ですので。それはそうでしょう。

 しかし、やってみたら不思議となんとかなりました。そして今は、家族全員、これからも「なんとかなる」という平安な気持ちになっております。

 さて、そんな折、尊敬する小田全宏さんがこんな動画をアップしてくれました。富士山を世界遺産にした張本人である小田さん、我が家にも遊びにいらっしゃり、一緒に聖山に登ったりもしました。

 その利他的な生き方、徹底した前向きで明るい生き方から、多くの智慧を頂戴しております。

 このお話も、実にタイムリーにお聞きすることができ幸運です。今だからこそ分かるお話ですね。私の場合は(正しい意味で)「Fire」して良かったと思っています。感謝。

 やるべき仕事とは、直接お金になることだとは限らないのですね。

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2022.01.16

令和4年度 共通テスト「国語」

Th_kokugo_001 っそく解いてみましたよ。

 答えが出ないような悪問はなかったと思いますが、せっかく時間をかけて「名文」を読ませるのですから、もっと問うべきことがあるように感じました。

 特に新味を持たせた「メモ」や「ノート」や「話し合い」は、そういう設定自体に意味があるのか疑問に感じました。普通の問題の形式で良いのではないか、そういう新しい形式にして問う意味があるのか、結果として受験生に無駄な時間とエネルギー(頭の転換など)を課しているだけではないかということです。

 そのあたりに、本質よりも形にこだわって(ごまかして)しまうという、学校教育によくある根本的な悪弊が垣間見れるような気がします。

 私自身、少し学校という現場から距離を置くようになり、その結果一般社会に近づいた結果、ようやくそういう問題点が見えてくるようになったとも言えます。

 作問もしてきた立場から言いますと…(問題用に書かれたのではない)他人様の文章の一部を取り上げて「教育的」な問いを作るのは本当に難しい。作問委員の方々のご苦労はよ〜く分かります。

 だから私は自分で「本文」を書いてしまうのですよ。今年も書きました。作問を意識して書けるし、だいいち著作権の面倒な問題がない上に、筆者自身が解けない(正解がない!)という笑えない(笑える?)事態も避けられます。

 なんで、世の国語の先生は自ら「本文」を書かないのでしょうね。文章書くのが得意なはずですが。

 私なんか、いっそのこと古文(擬古文)も、漢文(漢詩)も自分で書いちゃいますよ(笑)。その方が楽だし、早いし。

 まあ、そんな宇宙人の戯言はよいとして、やはり共通テストのような選択問題ですと、「国語力」を測るというより、「情報処理力」あるいは「詐欺に合わない力」を測ることになってしまいますね。それはそれでもしかすると「国語力」よりも大切な力かもしれませんが。

 共通テスト 国語

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