カテゴリー「教育」の986件の記事

2018.06.15

武井壮 『大人の育て方』

 日も他人様のお言葉を拝借いたします。今日は武井壮さんのお言葉。
 最近どういうわけかスポーツの世界に関わることが増えまして(自分はプレーしません)、日本のスポーツの特殊性、特に問題点について語り合う機会が増えています。
 ですので、武井さんのこのスピーチの内容には、実に強く共感しますね。
 学校で働いており、またちょっとした体の調整をする仕事(趣味)をやり始めたので、スポーツをする青少年に出会うことが多いワタクシ。
 正直ですね、親が自分の満足のために息子、娘にスポーツをやらせている家庭が多いことに驚きます。もちろん本人たち、つまり親たちはそんなこと思っていないと思っていると思いますが(すごい日本語だな)。
 武井さんが言うように、あまりに無責任に、子どもたちの大切な時間をスポーツに捧げさせている大人が多い。時間だけでなく、体も酷使していて、その後の人生に支障をきたすようなストレスを与えていることもある。あるいは精神的にも。
 子どもたちも、自分がそのスポーツを好きだ、得意だ、楽しいと思って始めたとしても、いつのまにか、それが嫌いだ、そんなに得意なのではないのではないか、苦しい辛いと思うようになってしまっている。そういうケースも多々見受けられます。
 言うまでもなく、誰もがプロ選手を目指すわけではないし、日々の練習の中でかけがえのないものを学ぶことは事実です。しかし、現状の日本スポーツ界では、ほとんどの青少年、学生スポーツはマイナス面が大きすぎます。
 日本では、スポーツ、特に学生スポーツは「お金がかかって、かつ理不尽」が普通です。アメリカでは、逆に学生スポーツは「お金を生み、かつ科学的」。
 ようやく日本版NCAAが誕生しそうな雰囲気になってきましたが、おそらく日本版は日本的ということに落ち着いてしまうでしょう。
 その理由にはいろいろなことがあります。歴史的、文化的背景があるので、そう簡単には崩れないと思います。しかし、ここのところの、アメフトやレスリング界での「事件」が、日本スポーツを世界標準化するチャンスを与えてくれているようにも感じます。
 おっと、武井さんのお話から、ちょっとずれてしまいましたかね。この講演の要点は、そこよりも、彼の生き方、勉強の仕方にあるのではないでしょうか。

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2018.06.14

孫正義 『就活生よ、君たちはどう生きるか』

20180615_85851 日に続き、超一流の方の講義(スピーチ)を味わってみましょう。
 ソフトバンクの孫正義さんのスピーチ。今日、記事として公開されました。

孫正義「就活生よ、君たちはどう生きるか」感動のスピーチを公開

 「夢」と「志」は違う。よく分かりますね。「感動したら即行動」。そうです、心が動いたら、次は体を動かさないと意味がない。感動した!で終わってしまう人が多いのです。というか、私も含めてほとんどの人がそうですよね。
 「死」を意識した瞬間、欲がなくなってしまう。誰もがそれを体験できるわけではありません。しかし、本気で行動していれば必ずあるのが「絶望」というものでしょう。その「絶望」こそが私たちを強くし、また純化する。もちろん、その逆に陥ってしまう人もたくさんいるでしょう。
 情報革命は人々の笑顔のため。スティーブ・ジョブズにも通じる考え方、感じ方でしょう。利他、布施の最大化に、テクノロジーは大いに役立ちます。見ず知らずの、地球の裏側の人々に対しても、テクノロジーを駆使すれば、布施することができます。
 見ず知らずだからこそ、お互いに匿名であり、個人は抽象化され、一対一のギブ・アンド・テイク関係ではない、純粋な贈与と感謝の感覚を持つことができる。もちろん、そこには金銭が絡むわけですが、高度に抽象化されているので、結果として我欲は個人間には働かなくなる。
 そういう意味で、今、人類は本当に新しいステージに入りつつあると感じます。テクノロジーが近代的経済の観念をぶち壊そうとしている。いいことだと思います。
 若者に負けないように、私も「志」を持って、地球のために尽力したいと思います。それが私自身の幸福でもあるのですから。
 

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2018.06.13

島田紳助 伝説のNSC講義

 日前にネットで評判になっていました。たしかにこれはすごい内容ですね。さすがとしかいいようがない。
 今、個人的にいろいろ考えていること、勉強していることがあるのですが、そのためにもなった。なるほど!と腑に落ちたのは、そういうことを自分なりに考えていたからでしょう。いいタイミングで聴くことができました。
 それぞれの方が、それぞれの仕事や趣味や志において感じることがあるでしょう。だから、自分なりの納得ポイントや解釈については書きません。
 超一流の皆さんの言葉は、結局みんな同じなんですよね。表現は違うけれども。
 ちなみにこの素晴らしい講義(授業)を文字起こししてくれた方がいます。ありがとうございます。
 ああ、こういう授業ができたらいいですねえ。一方的な講義でけっこう。これだけの内容があれば。
 最近、人前でしゃべる機会が多いのですが、これはそういう意味でもとっても勉強になりました。
 心で覚える。心で感じる…か。遊べと。うろうろしろと。結構やってるよな(笑)。良かった。

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2018.06.05

高山昭和館

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 日から岐阜へ研修旅行。高山での散策の時間、昨年は福来博士記念館に行きました。今年はそこまで行かずとも多少マニアックに「高山昭和館」を訪れました。
 規模のわりに入場料800円は高いと思われそうですが、その内容の充実ぶりからすると割安かもしれません。ぜひ高山に行った際にはお立ち寄りいただきたい。
 ようは昭和の商店街や一般家庭、小学校などを再現したのもですが、再現というのはちょっと間違いで、そこに置かれている様々なモノは全て本物です。
 すなわち、県内外から集めたリアル昭和グッズが満載なんですね。それを一つひとつ見ているととっても時間がかかる。規模が小さいだけにその密度が高すぎて楽しいどころか大変でさえあります。
 ところで、「昭和」と一言で言っても、もちろん60年以上あるわけでして、展示はまさにごった煮状態。戦前から平成にひっかかるところまでのモノが、雑然と置いてあります。
 ですから、ある意味では全くリアルな昭和ではなく、イメージとしての昭和なんですけど、そのごった煮見世物的な感じが、まさに「昭和」していて、案外に好感を持ちました。
 以下、そんな「昭和」感を味わっていただきたく撮ってきた写真の一部を羅列します。趣味が偏っているのは、まあご容赦ください。プロレスのポスター一つとっても、まさに「ごった煮」ですね(笑)。
 ある意味歴史や思い出とはこんな「イメージ」で形作られているのでして、ちっともリアルではないのかもしれません。
 ちなみに私以外にお客さんがいなくて、「昭和」を独り占めさせていただきました。静かでいいですよ。写真撮影自由ですし。また昭和好きな家族と一緒にぜひ行きたいと思います。

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高山昭和館

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2018.05.21

しにせ(仕似・老舗)

Th_51rly8k7fbl 日、下の娘は東京にて人間国宝野村四郎先生による能のお稽古でした。
 帰ってきた娘が言うには、「今日はあんまり怒られなかった。しにせるという言葉について教わった」とのこと。「まね」の体が「しにせ」であると。
 なんでも師匠がおっしゃるには、教えると理屈になってしまうのだそうで、そうならないためには弟子が「まねをする」ようにするのだとか。
 なるほど、これはよく分かりますね。言葉にならないモノを無理やり言葉にしてしまうと、いわばコト世界に限定されてしまい、モノの本質が伝わらないということでしょう。
 だから、世阿弥も「物まね」という言葉を重視した。「まね」は私の解釈では「招く」と同源であり、「もの」は他者、自己の補集合を表しますから、結果として「他者を招く」「何かをおろす・憑依させる」ということになりましょう。
 これは実に日本的な文化です。言語を否定する禅の教えにも通じます。言葉(コト)で分かった気になってしまってはいけない。最も大切なモノは言葉では表せません。
 さてさて、「しにせる(古語…しにす)」で気づいた方もいらっしゃるかもしれませんが、「老舗(しにせ)」はこの「しにせる(しにす)」という動詞が語源です。動詞の連用形。
 と言いますか、「ニセモノ」の「偽(にせ)」も、もとは「似せる(古語…似す)」の連用形です。「偽」というと、どうしても悪いイメージがありますが、もともとはただ単に「似せたもの」ということです。本モノに対して似せモノとなると、たしかにフェイクなケースが多くなるため、いつのまにか悪い意味でしか使われなくなってしまいました。
 しかし、世阿弥の時代には、「まね」も「にせ」も決して悪い意味ではありませんでした。逆に良い意味だったとも言えます。自分が何かの真似をして、自分をなにかに似せるというのが、能の基本です。
 モノを招く(ものまねする)ことによって、自らが他者(モノ)の型にはまり、しかし、その型をはみ出してにじみ出るモノこそが、その演者の個性ということになります。
 そうそう、ちょうどこの前、プロ無職の方とも話したんですが、日本の学校は型にはめすぎるけれども、それが逆に個性を生んでいることがあります。
 カタの語源はコトと同じです。すなわち私がいつも言うところの「コトを窮めてモノに至る」というやつで、他者のカタ(コト)にはまりきると、いつのまにか、そこに自己というモノが立ち上がる。
 禅宗の修行も「なりきれ」と言います。作務(掃除などの作業)の時には、たとえば雑巾になりきれと言います。そうするとことによって、実は自我が立ち現れてくる。これは実に面白いパラドックスです。
 あっそうだ、「老舗」の話でしたね。
 「老舗」というのは、もう何代も同じことをしているお店などのことを言います。すなわちカタ(コト)にはまって、先代のやり方の真似をして、先代に似せて…の連続なんですね。だから「し似せ」なのです。
 もう予感がしているかもしれませんが、老舗こそ、それぞれの代によって微妙な個性があったりします。同じことをするからこそ個性が表れる。何代目の、それらしさが出る。
 だからこそ、ずっと伝統を守るわけです。これは生命の基本とも言えます。守ることが実は非常にクリエイティブなことになる。そう、保守と革新は全然反対語ではないんですよ。
 変わりたければ、変えたければ、まず守る。徹底して真似してみる。似せてみる。これは真に創造的な人生を送るための極意なのです。

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2018.05.20

熱海(伊豆山)→池袋→中野→富士山

Th_img_1511 日は実に面白い日でした。海から都会、都会から山へという長距離移動の中、本当にいろいろな出会い、学びがありました。
 一つ一つを細かく書いている余裕がないので、ざっと流れだけ。
 実は昨日から熱海の伊豆山に泊まっておりました。恒例となっている親族の集まりです。熱海や伊豆山、そして興亜観音については、毎年記事にしてきましたので、そちらをご参照ください。神々の世から近現代に至るまで、霊的に大変重要な土地です。出口王仁三郎にも縁がある場所ですし、富士山ともつながっています。
 今日は素晴らしい好天、かつ久しぶりに寒気が流れ込んでくれたおかげで、まるで初秋のような爽やかな朝を迎えることができました。
 そんな中、上の娘を東京行きの新幹線に乗せ、両親や親族に別れを告げた我が家の残り3人は、車で上の娘を追いかけて上京いたしました。
 向かうは池袋西口公園。池袋ジャズフェスティバル2018に、我が富士学苑中学・高等学校ジャズバンド部のOB・OGなど関係者で結成された「富士山燦燦楽団」が出演するのです。
 ベースをやっているウチの娘も今春高校を卒業し、晴れて社会人ビッグバンドのメンバーとしてデビューいたしました。
Th_img_1520 池袋ジャズはかなりレベルが高い。アマチュアでもそれなりの実力者が揃っています。そんな中、見事結成したばかりの富士山燦燦楽団はAステージという場を与えられました。栄誉なことですね。
 ある意味同じ釜のメシを喰ってきたメンバーですので、練習の機会は少なくとも、なかなかに息の合った演奏を繰り広げてくれました。相変わらずお見事なボーカルも交えた演奏で、会場の方々も大変盛り上がっていい雰囲気でありました。
 あっそうそう、会場でめちゃくちゃ懐かしい人に会いました!10年ぶりくらいでしょうか。かつてヴァイオリンを教えていた小学生の女の子が、早稲田大学の2年生になって私の前に現れたのです。
 たまたまビッグバンドに参加していたOGの友だちだったということで、ステージを見に来てくれていたんですね。彼女は東京に引っ越してしまっていたので、正直もう会うことはないかなあと思っていたのに、音楽が結んでくれたご縁、感動的な再会でありました。
Th_img_1522 さて、次の目的地は中野です。まずは警察病院の近くに車を停めまして、同病院の敷地内にある「陸軍中野学校」の碑を(裏側からですが)拝見。なるほど、ここがエリートたちを育てた、ある意味あまりに自由な聖地か。
 現代の教育、学校のあり方を「軍国主義・軍隊文化」と批判しまくっているワタクシでありますが、皮肉なことに理想の教育機関は、その軍の中心にあった!…のかもしれませんね。面白いものです。
 さてさて、そこからまた少し移動しまして、来週土曜日(26日)のコンサートの最終練習。何度かプログでも宣伝したラモーのオペラ・バレエ「優雅なインドの国々」ですね。歌手の人たちの「踊り」も完成し、実に楽しいコンサートになりそうです。当日券もありますので、ぜひお越しくださいませ。必ずやご満足いただける内容です。
 たっぷり5時間近く練習したのち、中野にてもうひと仕事。これがまた楽しかった。
Th_img_1528 「プロ無職」の、るってぃさんと初めてお会いしてのいきなり対談。彼がプログに「時間は未来から過去に流れてることを意識できているか?」という記事を書いてくれたのがきっかけ。とってもよく理解してくれている内容だったので、私の方から連絡をさせていただきました。いい予感がしたので。そして、1週間で実際会うことになり、そして意気投合。面白すぎるご縁。
 はっきり言いましょう。るってぃさん、すごい若者です!私も大変刺激を受けました。きっとこれから面白いことが起きますよ。るってぃさんのファンの皆さんも、ぜひご期待ください。
 今日お話したことは、きっとるってぃさんが発信してくれると思います。無精者のワタクシは、こうしてアウトソーシング(笑)。
 最近本当に出会いにムダがない。タイミングが絶妙。初対面から意気投合でソウルメイトみたいな…。もう楽しくてしかたありませんよ。そして幸せだなあって思います。
 いろいろ余韻に浸りながら、疲れも吹っ飛び眠気にも襲われず富士山に戻ってきたのでありました。皆さん、ありがとうございました。おやすみなさい。
 

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2018.05.09

学校は無駄!?

 さに学校で教員業をやっておりますが、本当に疑問ばかりです。こんなことでいいのでしょうか。自信をもって仕事をしていないわけですから。
 いや、この前、ある研修の講師をやらせていただき、そこでも教師とは迷い続ける仕事だと言いました。まさに「是非初心不可忘」ですよね。
 これでいいのだろうかということを忘れて、毎年同じことを繰り返す教師もたくさんいます。そうはなりたくない。
 そういう疑問、迷いというのは本当にたくさんいろいろなスケールであるのですが、根本的な「学校のシステム」についての疑問というのが、実は一番大きいかもしれません。
 そういう意味で、この落合陽一さんとホリエモンさんの話は、実にみにつまされる。第三者的には完全合意です。しかし、現場でそのムダな仕事をしている身としては、なんとも複雑な気持ちになります。
 いや、本当に150年前のまんまな「学校」って本当に意味があるんでしょうか。いや、いくらでも意味らしきものは語れますよ。しかし、それはほとんどがこじつけ、自己弁護です。
 彼らの言う、ここ二十年の日本の凋落というか、テクノロジーの進歩から取り残された日本の残念な姿というのは、この旧態保守でしかない教育、学校がもらたしたものでしょう。
 では、どうすればよいのか。正直なかなか答えが出ません。なかなか自分自身も常識、習慣から抜け出せません。まずいなあと思いながら、また普通の学校の普通の生活を繰り返してしまいます。危機感はあるのですが。
 

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2018.04.20

iPad 9.7インチ (2018)

Th_7198bkipayl_sl1000_ 学生になった娘がパソコン買って!というので、まずMacかWindowsかどっちがいいのか聞いたところ、大学のパソコンは全てMacだと言います。
 なるほど、それは良いことだ。ところで、何に使うのか。すると、レポートを書くというので、それなら高いMacを買う必要はなく、iPadでいいではないかと。
 ということで、最近出たiPadの一番安いやつを買いました。そしてキーボード付きケースも買ってセットアップしてやりました。WordとExcelは基本無料です。
 実は私、iPadを買うのは初めてです。父がずっと使っているので、その操作性などはよく分かっていたのですが、こうしてキーボードを接続すれば、ほとんど今までのパソコンと同じように使えるというのは、まあ知ってはいましたが実際やってみるとなるほどなと思いました。
 たしかに一般の人がディスプレー上でやることといえば、ウェブサーフィンとメールやLINE、あとは動画を観るくらい。それならたしかにタブレットでいいのかもしれませんね。
 大学生なんかも、キャンパスで持ち歩くのにパソコンよりタブレットの方がいい。特に女子はね。
 こちら親としましても、出費が約3分の1ですみました。Macは高いですからね。助かる。もちろん学生・教職員価格ですので、さらに割安でした。
 今回の新型iPadは、教育用を謳っていますよね。ApplePencilが使えるようになったらしい。たしかに学校でうまく使うと楽しいかもしれません。あくまで「楽しい」であって、それが学習にとって本当に効率的かどうかわかりませんが
 こうしてタブレットがいわゆるパソコンに取って代わるようになるんでしょうかね。
 ウチのMacも10年選手が2台あって、まだまだ現役なんですが、電源系がちょっと危うくなってきていので、いずれ買い換えなきゃと思っています。1台はiPadでもいいかなあ。いや、ウチは夫婦ともにワープロソフト(アプリ)は、最近奇跡の復活を遂げた名作EGWORDを使っているので、これがiOSに対応してくれるまではMacを使い続けるしかない。
 というわけで、たった一晩ですが、最新iPadで遊びました。あさってには娘のものになってしまいます。まあちょうどいい試用になりました。
 安物のキーボード付きケースもまあまあかな。Windows用の刻印がされているのが?ですし、ちょっとローマ字入力の設定などに苦労しましたが。

Amazon 新型 iPad 9.7 キーボードケース

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2018.04.18

アインシュタインの教育論

Th_unknown はアインシュタイン自身が語った言葉ではありません。原典はこうなっています。

 教育を次のように定義した人の機知は、けっして誤っていなかったのです。すなわち、「教育とは、学校で習ったことをすべて忘れた後に、残っているものである」と。

 つまり引用の形をとっているのです。しかし、それを誰が言ったのかは不明であり、もしかるすとアインシュタイン自身の修辞法だった可能性もあります。つまり、自身が考えた言葉なのかもしれない。
 いずれにせよ、アインシュタインの教育観がこの言葉で表現されているのは間違いありません。非常に深い言葉ですね。特に私たち教育者としては。
 学校で習ったことなんて、やっぱり忘れちゃうんだよな…というある種の虚しさもありますが、一方で、そうした確かに何かを残すことができる、たとえ意図せずとも…という意味で少し嬉しくなったりもする。
 違う言い方をすれば、私たち教師が教えようとしたことはほとんど忘れ、生徒が自ら知りたがったり、面白がったりしたことは、主体性のもとに記憶されるということでしょう。
 ワタクシの「モノ・コト論」で言うなら、意識化され、データ化された「コト」は忘れてしまう可能性が高いけれども、無意識の体験であったり、言語化されない「モノ」は血肉となって残る可能性があるということですよね。
 なるほど教育の本質を捉えた言葉であると思います。学ぶ立場としての自分自身の体験的にも、これはかなり真実に近いと直感します。たしかに忘れたけれど何かが残っている。残るということは意味があるということ。
 そして学校というシステムへの懐疑の表現としても面白いですよね。私たち教員は常にこれを意識せねばなりません。
 学校で習ったことをすべて覚えていたら、きっとアインシュタインは世紀の大発見をすることはなかったでしょう。

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2018.04.10

『ミライの授業』 瀧本哲史 (講談社)

Th_4130o1rvisl 校は、未来と希望の工場である――。そしてきみたちは魔法を学んでいる。
 そうありたいですね。
 なんで勉強しなきゃならないんだ。数学がなんのためになるのか。自分もそうでしたが、生徒は必ず一度はそういう疑問を持ちます。
 そして、自分もそうですが、教師はそれにちゃんと答えられない。
 実際、学校には不合理や不条理がたくさんあって、それを改革していかなければならない時代ではあります。勉強の中身に関してももちろんそうです。
 しかし、人類のみがずっと続けてきた「勉強」には、変わらない何か大切なものがあるに違いありません。その漠然としていた「何か大切なもの」を、偉人たちの勉強と仕事を通じて実感のあることにしてくれるのがこの本です。
 たしかにこういう授業ができるようになりたいですねえ。こういう話を上手にしたい。
 教師ならずとも大人が読むべき本かもしれません。14歳の生徒向けの本のはずですが、大人の方がいろいろ発見があるかもしれません。なぜなら、自分たちには勉強に関して失敗の体験があるからです。
 子どもたちはまだ失敗が足りないですし、あるいはこの本に刺激を受けて失敗をしないかもしれない。そういう意味では、案外子どもたちはこの本に心を打たれないかもしれない。ああそうだったのか!という発見の感動がないかもしれない。ほとんどの大人にはあるでしょう。
 それにしても、偉人たちの人生にも知らないことがたくさんあったなあ。それぞれ名前はよく知っている、一般的な伝記は読んでいたけれども、そこに隠された「何か大切なもの」はずいぶん知らなかった。それこそ勉強になりました。
 近く県の新任教員に対して研修をするんですが、この本、必読書として紹介しましょう。

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