カテゴリー「教育」の1000件の記事

2024.04.06

『新プロジェクトX 東京スカイツリー 天空の大工事 ~世界一の電波塔に挑む~』

S01001_s 京スカイツリーの見えるところで、この番組を観ました。

 名番組がこのタイミングで復活ですか。

 旧シリーズ、私も大好きでしたし、ずいぶん教材としても利用させていただきました。

 それが、最近の風潮からか、あれこそ「ブラック」「ハラスメント」の昭和的精神論であるかのように非難されるようになりました。

 NHKもああいう番組はもう作れないなと思っていたら、なんとなんと、ほとんど旧シリーズのフォーマットそのままで復活!

 当然この第1回も批判の対象になるでしょうね。感動ボルノとか。男尊女卑だとか。しかし、やはりあえてこういう時代だからこそ、昭和的な、いや古典的なアンチテーゼをぶっ放したNHKさんには、それこそ感動いたしました。

 なんだかんだ言っても、あれだけの構造物を地上に建てるのはとんでもない難事業。そこに精神論や根性論、そしてキーワードにもなった「花見」「飲み会」が必要だったことも事実なのです。

 それを全てブラックとかハラスメントとか言って否定するのは、事実を直視しない卑怯な態度だと私は思います。

 学校で働いていることもあって、たしかに必要以上のブラックや根性は排除したいと思ってきましたが、必要な部分も正直あるんですよね。というか、生徒をはじめ、私含めて未熟な大人もみな、それを求めているところがある。

 つまり、ブッダにはなれないのです。だから難行苦行も必要。だいいちブッダ自身も悟りの過程として難行苦行を選択しましたし。

 苦労自慢は犬も食いませんが、しかし、苦労から生まれた誇りは、万人の栄養になります。少なくとも短期的なサプリにはなりえますね(笑)。

 はたして、NHKはどこまで「不適切にもほどある」番組を作り続けることができるのか。これからも注目です。

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2024.03.22

惟神(かんながら)=大欲

Img_5166 日は富士山スペシャル合宿の1日目。茶碗が11個並んでおります!

 すごいメンバーが集まっております。そして、神の采配の妙…人間界から見ると過労だ倒れたり、入院したりと大変に見えますが…珍しく当日、寸前になってのキャンセルが相次ぎました。そしてそこにキャンセル待ちの方が入ってくるという、まさに神のシナリオ通りなのでしょう。

 ちなみに、私がいう「神」とは「自分以外」のことを指す言葉です。決して特定の宗教とは関係がありません。

 たしかに出口王仁三郎の話が多少入りますが、王仁三郎自身が「宗教がなくなるのがみろくの世」「芸術は宗教の母」と言っているくらいですからね。

 そしてここで言う「芸術」とは宇宙の仕組みのこと。自然と言ってもよい。それこそ自我以外の全てということになります。

 今回たまたまですが、この前ある雑誌の取材を受けたことから、「富士山と出雲」のことについて語りました。そうしましたら、参加してくださっていた世界的なミュージシャンのお二人が急遽、出雲をテーマにセッションをしてくれました。

 もう涙、涙。私の言葉よりなにより、その音楽の素晴らしさよ。歌詞の意味も、今日初めてわかりました。なるほどです。

 合宿のテーマをあえて言葉にするなら「惟神(かんながら)」です。

 自我、自己、自分を捨てて、神(自然、宇宙)の命ずるままに生きる。そこには金や地位や名誉などという小欲はありません。ただただ神の夢の実現のお手伝いをしたいという大欲しかないのです。

 今回も「自己実現」「自己肯定感」を思いっきり否定させてもらいました。それこそ小欲だからです。

 今日は、偶然なのか必然なのか、お隣の会議室でウチの高校の進学合宿が行われていました。ある意味対照的な世界が並んでおり、その両方に行ったり来たりする自分に不思議を感じましたね。そういうお役目なのでしょう。

 高校生たちもぜひ大欲のために励んでほしいと思いました。きっかけは小欲でも良いのです。私もそうでしたから。

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2024.03.15

『漫才協会 the movie』 塙宣之 監督作品

 

 京から横浜へ。今日もいろいろ素晴らしい出会いがありましたねえ。もう全く無駄がないスケジューリング。こうなってくると「楽で楽しい」だけです。

 本当に半世紀ぶりくらいに五反田から蒲田まで池上線に乗りました。懐かしさとともに時の流れを感じましたね。小学校時代住んでいた雪が谷大塚の駅周辺の変貌もですが、子ども心にちょいと怖かった五反田と蒲田がすっかり怪しさが減っていたのにはなぜか残念な気持ちになりました(笑)。

 さてそれらは午後の話でして、午前中は東京でなければ観られない映画でも観ようがと思いまして有楽町へ。選んだのは大好きな東洋館を舞台とした「漫才協会 the movie」。

 そうそう私、昨日までの合宿で、某国民的アイドルの方に「究極のピン芸人」に認定していただきました(笑)。たしかに一人で飽きさせず10時間喋るわけですから、東洋館の15分からすると超ハードと言えばハードですね。

 いや、私、話術に関しては本当に東洋館の芸人さん、つまり漫才協会所属の芸人さんに学んでいるんですよ。これはマジです。テレビの「お笑い演芸館」が好きで見始めたのですが、番組がなくなった今でも、彼らを選んでYouTubeで学んでいるんです。

 テレビの瞬発力に対応した「うるさい」芸人さんにはもうあまり興味はありません。やはり、その「場」を操る話術というか、存在感というか、そういうのが役に立ちますよね。

 そんな私の師匠でもある漫才協会の皆さんの表と裏の姿を描いたこの作品。新会長になったナイツの塙宣之さんが監督ということですが、まあ映画というか、ドキュメンタリー番組という感じでしたね。

 特に芸術性やドラマ性を追求したわけではなく、それがいかにも東洋館的であって、逆に好感が持てました。若手からベテランまで、有名から無名まで、本当に「芸」「笑い」にかけたそれぞれの人生を垣間見ることができました。

 漫才協会に入りたいなと思いましたよ(笑)。今の私の仕事を支えてくれているのは、私の話術を鍛えてくれた数千人の「聞く気がなかった」生徒たちと、そして漫才協会の芸人さんたちなので。

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2024.03.06

足白小学校跡にて

Img_5009 日の東京新橋の廃校から24時間後、福岡の嘉麻市、旧足白小学校跡へ。

 全国の廃校めぐりをしているわけでありません。講演やセミナー、合宿の会場が廃校であることが多いのです。今日は嘉麻市で合宿。

 廃校の利用状況で、その地方の文化度がよくわかります。ダントツで有効利用されているのが福岡県。文化があるということです。

 ここ旧足白小学校は、昨年大きくリニューアルされ、農泊施設カホアルペに生まれ変わりました。

 これがまあ素晴らしいのです。施設も素晴らしいですし、食事やアクティビティも一貫したテーマを持っており、非常に優れた空間となっています。快適そのもの。

 カホアルペ 公式

Img_5010 小倉から2時間弱、遠賀川の源流、嘉穂アルプスの麓。決して便利な場所にはありませんが、だからこそ、都会の喧騒を離れた豊かな自然にどっぷり浸かることができます。

 昨日の新橋桜田小学校は駅の西口の繁華街に隣接していましたから、なんとも対照的な小学校を体感することができましたね。全く違う環境の中で、同じ時に同じ教科書を使って同じ内容を学んでいたと思うと、不思議な気がしました。教育の平均化がはたして良いことだったのか。

 それにしても福岡の皆さんの熱量の高さ、そして明るさ、好奇心の旺盛さには目を見張ります。旅をすると本当に勉強になりますね。

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2024.03.05

桜田小学校跡にて

20240308-92707 の日は新橋にて講演。参加者の中に、400万本売れた某超有名ゲームの生みの親がいらっしゃいまして、講演終了後の懇親会で素晴らしいお話をたくさんうかがうことができました。これからいろいろご縁がありそうです。

 ちょうど私の講演の中でゲームの効用についてお話しました。なぜ小学校に入ると子どもたちはゲームをやりたがるのか。あるいは大人になってもゲームに熱中するのはなぜなのか。

 私の説明を聞けば、ただ単に「勉強の妨げ」としてゲームを禁止したり、取り上げたりすることが、いかに短絡的であるかがわかるでしょう。

 特に今日の会場は、30年前に百年以上の歴史を閉じた桜田小学校跡でしたから、いつも以上に「小学校」の弊害について熱く語ってしまいました。

 会場は教室だったところ。黒板も昔のままでした。久々に黒板にチョークで字を書いたなあ。懐かしいというより、いまだこんなメディアを使っていることに改めて呆れたというのが本当のところでした。まあ、いいネタにはなりましたよ。

 ゲームがそうであるように、「上流」を見てワクワク・ドキドキ生きるか、教室がそうであるように、「下流」を見てウンコ詰め込み競争に勤しむか。子どもたちは本能的に生き方を模索するのです。

 対象10年に制定された、桜田小学校の校歌です。これを読んで、いろいろ考えました。学校は変われるのか?

1.堅忍不抜のいしずえに

 純潔至誠の 軒高く

 みくにの花なる 桜田の

 巷を占めて そびゆるは

 我等が学ぶ 校舎なり

2.智徳を磨き 世に立ちて

 世界の文化に 尽すべき

 未来ののぞみ いだきつつ

 日々の課業に 怠らぬ

 我等が校舎は ここなるぞ

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2024.02.29

昭和音楽大学簗瀬進学長の最終講義

20240301-113039  日は昭和音楽大学の学長、簗瀬進先生の最終講義にお招きいただき受講してきました。

 「モーツァルトと啓蒙主義の時代」

 これがめちゃくちゃ面白かった!勉強になりました。

 3月をもって学長を退任される簗瀬先生は、弁護士であり、憲法の先生であり、政治家でもあり、そしてご自身もリコーダーを演奏する音楽愛好家です。

 コロナも挟んだのべ10年間にわたり、副学長、学長として大学を導きつつ、アマチュア音楽家としても活発に活動され、最近は私も一緒にアンサンブルさせていただく機会が増えつつあるところでした。

 今日の講義の内容は、まさに「目からウロコ」。今まで、バロック後期から古典派の音楽の歴史的な背景というのは、いわゆる年表的な感覚ではわかっているつもりだったのですが、いやあ、こういう「政治的」な背景があったのですね。

 啓蒙主義、農奴解放令、革命思想、近代憲法観、そしてヨーゼフ2世やルソーの影響はもちろん、なんといっても啓蒙思想の体現者としてのフリーメイソンの存在の大きさ。

 なるほど〜の連続でした。モーツァルトがフリーメイソンであることは知られていますが、たしかにそんなモーツァルトを生んだのは、間接的であれ、テレマンであったというのは、まさに目からウロコでしたね。

Img_4804 講義の中で、簗瀬学長ご自身がリコーダーを手にして、大学の先生方とのアンサンブルも聞かせていただきました。それがテレマンとバッハだったというのも象徴的。

 たしかにテレマンはギルドを中心とした自由都市をその活躍の場として、裕福になりつつある庶民のために数千曲を作曲した、ある意味初めての近代作曲家ですね。私が中学時代からテレマンが好きだった理由が、今日なんとなくわかりました。

 反面、最後に演奏されたバッハは、やはり「神の音楽」ですね。だいいち、あんなにテクニック的に難しい曲だと庶民から見放されますよ(笑)。

 何度か書いているように、そんなバッハは未来(たとえばモーツァルトの出現)を予感したのか、次男の名付け役を友人テレマンに頼みました。実際テレマンは自身の「フィリップ」をバッハ次男に与え、そしてその次男は父の望みどおり(?)大衆的に成功する作曲家に成長してゆきましたし、末っ子クリスチャンは直接モーツァルトに影響を与える存在になりました。

 ある意味父は反面教師だったわけですね。いや、父はあそこまで「神」の音楽を徹底して昇華することによって、「前時代」を終わらせたのでしょうか。

 いずれにせよ、本当に密度の濃い2時間半の講義でした。簗瀬先生、ありがとうございました。そしてお疲れ様でした。これらかは山中湖で存分遊びましょう!

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2024.02.11

本田雅人・宮本貴奈・ミートたけしが徹底討論!リコーダーは義務教育に必要なのか!?

 日の岐阜から名鉄で愛知の岡崎へ移動。信長から家康へ。そしてセミナーの内容は明智光秀にも関わる内容。歴史旅は楽しいですね。

 そう、ここのところ岡崎にご縁がありまして、3ヶ月で6回訪れる計算となっております。完全に家康に呼ばれていますね。旅の出発点である実家は駿府城の近くですし、次女は寛永寺の旧境内に住んでおりますし。

 さて、今回のツアーでもお話したのですが、日本人が「たて笛=リコーダー」を吹くようになった事情が面白い。どこかに書いたと思いますが、これってナチス・ドイツの楽器なんですよ。

 いや、もちろんリコーダー(ブロックフレーテ)はバロック時代の楽器ですけれど、学校教育でよく使われる「ジャーマン式運指」のたて笛は、1936年のベルリン・オリンピックのために「作られた」楽器です。

 戦後、ドイツでは忌まわしきヒトラーの楽器として嫌悪されたにも関わらず、日本では学校教育に残るどころか、ほとんど独自の日本文化にまでなってしまいました。面白すぎます。

 かつて友人のオランダ人リコーダー奏者が、「なんで日本人は全員リコーダーを持っていて吹けるんだ?それってヨーロッパ人が全員尺八を持っていて吹けるのと同じだよ!」とまじめに言っていたのを思い出します。

 そして、とうとうこういう領域にまでなってしまったというのが、この動画(笑)。ウチの学校のジャズバンド部も大変お世話になっている、世界的サックス奏者の本田雅人さんも、実はリコーダーのおかげで今があると思うと実に感慨深い。義務教育に必要でしょう!w

 

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2024.02.03

三階菱と小笠原氏

Sankaibishib 分。鬼は内!のお話をいたしました。場所は田川郡香春町。先日王仁三郎の命日に訪れた町です。今回は節分ということで、なにかご縁を感じます。

 と思ったら、町の中にたくさんの「三階菱」が!

 三階菱は我が家の家紋であり、甲州小笠原氏の紋であります。小倉が小笠原氏というのは知っていましたが、ここまでその勢力が及んでいたのだなと感動しました。私の先祖がここまで来ていたわけですから、なんというか時空を超えた再会といいますか。

 小笠原氏は清和源氏の出で、源義光の子孫遠光からの発祥、遠光の長男長清が小笠原村に移住したところから、小笠原を名乗りました。

 甲州小笠原村は旧明野村、現在の北杜市にありました。韮崎の北ですね(道の駅にらさきは小笠原にあります)。私の先祖はおそらくもう少し北の教来石(きょうらいし)山口から出たものと考えられます。うちの家紋は丸に三階菱。本家三階菱からの派生です。

 甲州の小笠原氏は、のちに小笠原兵法、小笠原礼法など生む名家となりました。三階菱紋は、武田の家臣として武田四つ菱を一つ減らして三つ菱にしたとも、あるいは後醍醐天皇から「王」の字をかたどった紋をいただいたが、あまりに恐れ多いので三階菱にしたとも言われています。

 豊前小倉藩の小笠原氏は、小笠原惣領家第20代当主忠真が、信濃松本、播磨明石を経て小倉に転封されたものです。

 明治時代になり、小倉の小笠原氏は伯爵となりましたが、32台当主小笠原忠統は現代に小笠原流礼法を復活させた人物として有名です。私の学校でも以前は、その流れの礼法授業をやっていました。

 時空を超えた再会。つまり、ご先祖さまたちが未来に投げたボールを、思わぬ場所で拾わせていただいたということですね。最近、いろいろなボールがどんぶらこと流れてきますが、ちゃんとキャッチして上で、私も未来への中継プレーをしっかりやりたいと思っております。 

 

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2024.02.01

『本學ノスゝメ(本学のすすめ)』 尾刀倭

81wbgoucyl_sl1500_ た忙しくて更新が遅れております。頑張って追いつきます。

 この日は静岡から福岡に移動。1ヶ月に1回は福岡に呼んでいただいております。

 この日の夜は福岡のCS60仲間の皆さんと懇親会。おいしい水炊きをいただきながら楽しい時間を過ごしました。

 仲間の一人が大和さん。彼の著書「本學ノスゝメ」、クラファンで多くの賛同を得て出版が実現しました。目標額の2倍以上にあたる100万円を集めました。

 私もお送りいただいた本を読ませていただきましたが、本当に素晴らしい内容でした。

 こういう言い方は失礼かもしれませんが、本来私が書くべき内容を大和さんが代わりに書いてくれたような気がしました。

 実際、私と彼で対話した内容もふんだんに採用してくれており、時間は未来から…の話や出口王仁三郎の「耀わん」も登場しています。

 私、複数の方から出版に関するお誘いを受けておりますが、今はその時期ではないとの直観からお断りをしております。それは、私の「自己」表現よりも、「他者」のフィルターを通して、「他者」の経験や叡智と融合した形の方がいいのではという感覚とも言えます。

 まずはこのような形で大和さんが発信してくれたことに感謝です。まさに、今の日本人が読むべき大切な内容です。

 複数の登場人物による「語り」という形式をとったのも奏功していますね。高次元な内容がすんなり魂に浸透する。説教臭くないところは、本家福澤諭吉をしのいでいると言えましょう。

 目次含む冒頭部分はこちらからどうぞ。

 

 

Amazon 本學ノスゝメ

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2024.01.17

芥川賞とAI

Pic_14044_2_0001 えと、今日は22日です。福岡ツアーから静岡に帰ってきました。

 時間がなく、またパソコンも持っていかなかったので、すっかり記事を溜め込んでしまいました。

 こういう時には、AIが代わりに書いてくれるといいのですが…いや、マジで。この不二草紙の総合文字数はおそらく2億超えているので、AIに学習させれば、いかにも私らしい文書と内容で書いてくれるでしょう。

 なんて、実はこの文章もAIが書いているのです!というのは嘘です(今年中には嘘ではなくなるかも)。

 AIによる文章の生成と言えば、この日に発表された芥川賞。九段理江さんの「東京都同情塔」はAIがテーマの一つとのこと。そして、実際にAIを使って文章を生成し、それをそのまま使っている部分があるとのことです。

 それについて、いろいろイチャモンをつける人がいますが、きっと3年もすれば、その人もAIに文章を書いてもらいうことが当たり前となり、そういえばあの頃はなんか違和感あったのなになあ、とか思っていることでしょう。

 そのくらい、2024年はAIの驚異的な進化の年になると思います。産業革命、インターネット革命に次ぐAI革命です。産業革命にも乗り遅れた人たちがいましたし、インターネット革命に乗り遅れている人たちが今もいますよね。

 それらの革命は、人間の仕事を奪っているかのように見えますから、自分の領域を侵犯されているように感じるのもごもっともです。しかし、結果として産業革命もインネターネット革命も、私たちの生活や文化を豊かにし、また社会の安全性を高めてくれたことは、認めざるを得ないでしょう。

 ただ、問題は、それらが何よりも早く「戦争」と「エロ」に使われてきたことにも注目すべきでしょう。実際、AIもそちらの方面で活用され始めています。というか、私たちが知らないうちに、そちらで大進化を遂げていくんですよね。

 つまり、それぞれの革命の意図…ではなくきっかけが、私たち人類の大いなる煩悩に根ざしているということなのです。

 先日書いたように、AIは私たちの本来の生きる意味、すわなち未来的創造性の発揮を促すものではありますが、そこに至る過程で私たちは必ず大きな壁を越えねばならなくなるのです。

 それが、おそらく出口王仁三郎らが言う「大峠」なのでしょう。

 絵画、写真、シナリオ、音楽、教育などもそうですが、AIにできる程度の作品は、AIに任せておけばいいでしょう。困るのはそのレベルの創造性でプロを騙っていた人たちだけですから。受け取る方にとっては、そのレベルであればそれが人間の仕事でなくとも良いのです。

 そのうちに全編AIが書いた小説が芥川賞を獲るのかもしれません。いや、芥川賞の選考をAIがするようになるかもしれません。

 芥川賞というカビ臭い(失礼)、ある意味悪しき近代の残滓が、AIに侵食される近未来は、案外明るく楽しいのかも。

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