カテゴリー「教育」の1000件の記事

2020.09.19

久しぶりのジャズ・ライヴ

Th_img_6834 日は、ふじさんホールにて、ウチの学校のジャズバンド部主催「BIG BAND JAZZ JOINT LIVE 2020」を鑑賞しました。

 本当に久しぶりの音楽ライヴです。客席は1席ずつ間を空けてという形、大きな声はNGでしたが、こういう時間と空間を待ちわびていた皆さんの秘めたる熱気に溢れた、素晴らしいライヴでした。

 前半は我が校のジャズバンド部、後半はゲストの内堀勝ビッグバンドの皆さんの演奏。

 やっぱり生はいいですねえ。ここのところ、ずっと映像でライヴ体験してきましたから、なんか懐かしいというか、改めてライヴの良さを痛感させられましたね。

 内堀さんやゲストのボーカリスト三橋りえさんもおっしゃっていたとおり、このような世情の中、こうしてホールでの本格的なコンサートを実現したことが、まずは画期的だったと思います。

 生徒たちや先生は、もろもろの企画や準備の段階から例年の数倍大変だったと思いますが、その分、こうして生で音楽を共有することのありがたさ、尊さを再確認する機会になったのではないでしょうか。

Th_img_6835 ゲストバンドの演奏者の皆さんもまた、久しぶりのステージということで、いつも以上に一つ一つの音符を楽しんでいるように感じました。そうですね、プロの皆さんこそ、深く感じ入るものがあったことでしょう。

 こうして、日常が戻りつつあるのも事実ですが、しかし、これから寒い季節を迎えるにあたって、どのような試練が訪れるか分かりません。だからこそ、ただ「戻る」のではなく、当たり前だった一瞬一瞬を大切にしていきたいですね。それが私たちのバージョンアップそのものとなるのですから。

 皆さん、本当にありがとうございました。私も今後、バロックだけでなく、珍しくジャズの仕事が控えています。今日のライヴを良い刺激として頑張ります。

 最後に、中高生バンドと共演してくれた、都留市出身の新進サックス奏者石井裕太くん、すっかりプロらしくなり、その演奏も正直見違えるほどにうまくなっていました。今回の内堀勝さんのバンドでの演奏も、きっと素晴らしい学びの機会になったことでしょう。これからの活躍に大いに期待したいと思います。

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2020.09.18

『東大理III 合格の秘訣35 2020』 「東大理III」編集委員会 (データハウス)

Th_41ifnepfmcl_sx325_bo1204203200_ 日、学校に献本が届きました。

 この春の卒業生が見事東大理IIIに現役合格しまして、彼の体験談がこの本に掲載されました。

 錚々たる伝統的進学校が並ぶ目次の中に、地方の地味な本校の名前があって、なんとも言えない感慨を覚えました。

 中学から6年間、彼の学校生活をずっと見てきた(眺めてきた程度ですが)者として、あらためて彼の残した偉大な結果と足跡に、純粋に敬意と感謝の気持ちを抱きます。

 彼には中学入学以前に、すでにしっかりとした学習の基礎がありました。それは公文で培われたものです。

 中学時代は勉強だけでなく、部活動や生徒会活動、そして体験談にも書かれていたとおり様々な行事に積極的に参加し、人間として幅を広げました。ウチの学校が彼に寄与した部分があるとすれば、そこくらいでしょう。

 高校での学習については、正直、学校だけでなく塾の先生方の指導のお陰様の部分が大きいと思います。

 クラス担任やクラスメイトに恵まれたのも事実ですが、このような快挙というのは、やはり彼を取り巻く全ての人たちの力の結集でしょう。もちろん素晴らしいご家族の恩恵は言うまでもありません。

 そういう意味では、本校もまた彼と彼を支えてくれた全ての人々のおかげで、この名誉を得ることができました。違う言い方をすれば、本校の果たした役割はそれほど大きくないということでもあります。

 私はよく言うのですが、学力のことだけで言えば、東大に合格するような生徒は、どこの学校に通っても、あるいは通わなくても(実際そういう例がこの本にもありました)結果は出せると思います。

 逆に言えば、ウチの学校に来たからと言って東大に行けるわけではありません。ただ行くだけだったら、他の有名校の方がいいでしょう。

 しかし、学校としてできることと言うのは案外勉強以外の部分に多くあり、その面について言うと、幅広い個性を持った幅広い層の生徒が共存するウチの学校は違った価値があると思います。そういう意味で、本校での独特な体験が、彼の将来の医師としての人生に、なんらかの好影響を与えるのではないかと期待をするところです。

 コロナ禍で彼もこちらにずっといて、時々学校に遊びに来ていましたが、ようやく東京に旅立ったようです。

 この本で語った夢を実現できるよう、ぜひ勉強に遊びに趣味に頑張ってもらいたいと思います。

 

Amazon 東大理III 合格の秘訣35 2020

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2020.09.09

論理用語を理解するだけで世界の捉え方が変わる!(出口汪の学びチャンネル)

 

 日の討論でずいぶん誤解され非難されていた「論理国語」。もう何十年も前から国語における「論理」の重要性を訴え続けてきた出口汪さん。

 私の国語の師匠の一人です(もう一人は大村はま先生)。また、これは偶然…いや必然だったのですが、尊敬する出口汪先生はなんと出口王仁三郎の曾孫だったのでした。それを後から知り、またそういうご縁から、のちに何度もお会いすることになったのですから、本当に不思議です。

 さて、出口先生が始めたYouTubeチャンネルが、毎度とても勉強になります。中高生の国語だけでなく、これも不思議ですが、お互いに最近深く関わり始めた「幼児教育」についても、実に有益な情報を発信してくれています。

 この動画はたまたま今日公開されたものなのですが、面白いのは「もの」と「こと」について言及しているところ。

 もちろん、出口先生は受験や一般社会で通用することを伝えていますので、ここで語られている「もの」と「こと」は、普通の常識的な解釈です。

 つまり、私の変わった(一般的ではない)「モノ・コト論」とは逆のことを言っていますね。私にとっては、形のないものが「モノ」であり、言葉に象徴される象(かたちど)ったものが「コト」ですので。「カタ」と「コト」は同源です。

 出口先生の一般論は、明治以降確立し、今につながっているものです。私はそれ以前の日本語の「もの」「こと」を研究した上で特殊な論を立てているのです。そう、一般の人が「時間は過去から未来へと流れる」と言っている後、私は「時間は未来から過去へと流れる」と正反対のことを言っているのと同じ構図です。

 どちらが正しいのかということではなく、視座が違うということですね。これもまた論理的に考えれば分かるはずです。

 ただ、私は江戸時代以前の、すなわち西洋近代の影響を受ける前の、日本人の「哲学」を復活させたいと思っていて、それで現代人と逆のことを言っているわけです(なかなか理解してもらえませんが)。

 古くから変わらない言葉と、私たちの概念(世界の捉え方)が矛盾してしまっているのです。「もの」「こと」もそうです。「もののけ」なのに形があることになってしまうとか、目に見えない「こと」とは言えないで、目に見えない「もの」としか言いようがないとか。

 時間で言えば、先週の「先」が過去だったり、「前(さき)の副将軍」も過去だったりするのに、明治以降「10年先の未来」などという言い方が生れてしまったり。

 そんなわけで、今の仕事が終わって時間ができましたら、「モノ・コト・トキ」という本を書こうかと思っています。私がワタクシ流の「モノ・コト・トキ」論で、どのように世の中を見ているか、皆さんに紹介したいと思います。

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2020.09.08

【討論】安倍政権の功罪と日本の教育

 

 日はご縁あって、フランス人の人気YouTuberのギギさんと丸一日ご一緒させていただきました。

 基本、ウチの中学校を取材してくれたのですが、たっぷり日仏の文化や教育についてお話させていただきました。

 おそらく1ヶ月後くらいに動画が完成すると思いますので、公開されましたら、また紹介しますね。

 さて、フランス人と一緒に日常を見直すことによって、私もあらためて「日本の教育」の光と影について考えさせられることになったわけですが、日本人、それも真正日本人を(おそらく)標榜するであろう保守系の人たちは、どのように「日本の教育」を見ているのか、いや憂えているのか、お話を聞いてみましょう。

 たまたまフランスの教育の話も出てきますね。「哲学」を重視していると。

 しかし、今日ギギさんから聞いたフランスの教育の現状とは、ちょっと違う感じがしますね。逆に、フランスには「哲学」がなく、日本には「尊敬・敬意」「公共心」という「哲学」があるというのが、ギギさんの感覚のようでした。

 まあ、どちらが正しいということではなく、いろいろな視点があるということでしょうね。

 それにしても、保守派の安倍さん評は、リベラルのそれよりも辛辣ですね(苦笑)。左右両方から強烈に批判されてきた安倍政権というのは、実はとってもバランスが取れているのかもしれません。

 素読と論理国語の話は興味深いですね。私は(意外かもしれませんが)素読になんの魅力も感じない国語教師です。もともと暗記が苦手だからでしょう。論理的に意味的に構造として理解しないと覚えられないタチなんです。

 そして、国語を文学と言語にはっきり分けよ!と、ずっと言ってきた国語教師はこのワタクシです。

 はたして、保守の皆さんは、「理性」を信頼しているのか、それとも「理性」を疑っているのか…よく分かりません、私は頭が悪いので(苦笑)。

 ただ、たしかに「今だけ、金だけ、自分だけ」ではなく、共同体に対する想像力を重視するというのは賛成です。教育がそういう中で生れる「信用」に根ざしているというのも、その通りだと思います。

 教育とは、学校とは、そして教養とは、道徳とは何なのか。難しいですね。現場の人間には、目の前には現実が横たわっていますし。けっこう「豊饒」ですよ。

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2020.09.07

物理的に「時間」は存在しない!! MUTube(ムー チューブ)

 

 よいよ「ムー」が登場で、ますます怪しくなってきました(笑)。

 いえいえ、私の経験上、「ムー」と「東スポ」は時々本当のことを書くのです。全体として胡散臭さがあるために、その真情報まで誰も信じない、あるいは注目しない。だからこそ、本当のことが書ける。

 これは、このブログもそうかもしれません(笑)。出口王仁三郎の霊界物語もそうですし、偽史と言われる宮下文書や仲小路彰の文献群もそうかもしれません。昨日の保江先生もそうですね。

 本当のこと、すなわち危険なことを示すためには、そのようなある種のカモフラージュが必要なのです。これは世の中を見る時の大事な視点です。

 逆に言えば、学校で教えていること、認めていること、それらしく共有されていることこそ、ウソだったりするわけです。

 まさに都合よく編集された「コト」よりも、有象無象の総合体たる「モノ」に本質「まコト」が潜むというパラドックスであります。

 さて、そんな尊敬すべき「ムー」の最新の動画に、ちょうど保江先生や時間の話が出てきましたので紹介します。

 三上編集長とも何度かお会いしましたが、とっても頭の良い、楽しい方でした。

 なんだかんだ言って、昭和の時代から淘汰されないで残ってきた「ムー」と「東スポ」こそ、未来のバイブルかもしれませんね。

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2020.09.06

保江邦夫さんにきく (羽賀ヒカル 神社チャンネル)

 

 

 日に続き、羽賀ヒカルさんの神社チャンネルから。

 この方も、またお会いしたいお一人ですね。かつては、いや今でも、「ぶっとび」と評価されることが多いでしょう保江邦夫先生。時代がようやく追いついてきたかなとも思います。

 その証拠と言ってもなんですが、この動画でも語られ、私もかねてから強く訴えてきた「時間は未来から過去へと流れる」という話が、ここへ来て急速に受け入れられるようになってきています。さっと理解してくださる方がずいぶん増えました。

 カタカムナについては、何も知らないのに懐疑的な私がいましたが、保江先生がおっしゃるなら何かあるに違いありません。なるほど、湯川秀樹と直接つながっていたというのは、あの時代だからこそあり得る話ですね。

 私たちの直観や、陰陽師が身につけていた感覚というのは、まさに「モノ」を「モノ」のまま把握する能力から発したものでしょう。現代人は、なんでも「コト化」(言語化・論理化・数式化…)して捉えるクセがついてしまっている。学校教育の弊害ですね。

 コロナの話も「コト化」(ここでは名付けや数値化)の弊害、そしてそういう負の言霊を使って「戦争」を起こす人たちがいるという、世界の歴史の一側面を明示してくれていますね。

 正体の分らない「モノ」と仲良くし、無意識の領域にまで習慣化した理屈抜きの、たとえば「作法」「礼法」によって、見事にディスタンスを取っていたということですね。実に面白い。

 今回、コロナ騒動によって、私たちは「コト化」の弊害を知ることになりました。もちろん「コト化」は(都市)社会を形成する上で、非常に重要な方法論ではあります。

 しかし、行き過ぎ、依存過多はいけません。モノとコトのバランスを取ること…それが時間の流れを操ることにもつながるわけですが…が重要になってくるでしょう。

 

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2020.09.05

『歴史を変えた超能力者 秋山眞人先生にきく』(羽賀ヒカル 神社チャンネル)

 

 月にこちらで紹介した秋山眞人さんと羽賀ヒカルさんの対談の続編です。

 ここでの秋山眞人さんのお話も素晴らしいですよ。秋山さんらしい、知識、人脈、そして愛。決して人を驚かせたり、怖がらせたりするのではなく、明るく幸せな未来に夢を馳せることに私たちを導いてくれる。

 「歴史を変えた超能力者」どころか、昭和の初めまでは日本は超能力者大国だった、能力者で溢れかえっていた…そうなんですよねえ。羽賀さんは「出口王仁三郎と高橋信次」に持って行きたかったのでしょうが、いえいえどうして、国民みんなが能力者だったという事実。

 それが日本であり、日本人であったというのも、一面の事実でしょう。そして、それが原因して西洋近代科学的世界観と衝突して、あの戦争が起きたというのもまた事実です。

 昭和天皇と小泉太志命、岸信介と藤田小女姫、三笠宮さまの話などを聴くと、なるほど高松宮さまや佐藤栄作が信頼した能力者が仲小路彰だったということが分かりますね。実際、仲小路彰は皇室だけでなく、多くの新興宗教との交流があったことを示す史料がたくさん出てきています。

 ある意味、戦前、戦中、戦後も、皇室と庶民いっしょになって霊的に日本を守ろうとしていたのですね。

 それが今はどうでしょう。霊的弱体化していませんか。秋山さんもおっしゃっていますが、やはり「教育」なのでしょうか。

 最後の秋山さんのメッセージが美しい。本物、偽物と両断するのではなく、まさに「和」の力で未来を切り開いていく…そんな日本を取り戻したいですね。

 この変革の時代だからこそ、秋山さんにもまたお会いしてゆっくりお話を聞いてみたいと思います。

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2020.09.01

『帰ってきたヒトラー』 ダーヴィト・ヴネント監督作品

 

 日はひょんなことから大変ドイツに詳しい方(と言うよりほとんどドイツ人である日本人)と話をする機会がありました。

 実に面白い人類学的な視点から歴史を振り返ることができ、本当に勉強になりました。さすがゲルマン民族は違うわ(笑)。

 そこでリアルに思い出したのが、この映画。今日の話をうかがってから、もう一度見直すとまた全然違った気づきがありました。

 この独特の諷刺精神というか、ユーモアの感じも、なるほど実は非常にゲルマン的なのかもしれませんね。

 そう、この映画で表現されているヒトラーこそが、ある意味非常にドイツ人的ドイツ人なのかもしれませんね。今日のお話を思い出すと、そう思わずにいられません。

 一昨日の、いかにもフランスといったルノワールの「ピクニック」とは対照的な世界とも言えましょう。

 日本版「Er ist wieder da 〜彼が帰ってきた」を作るとしたら、誰を現代にお迎えしましょうかね。そんなことを考えながら観るのも一興です。

 そう、今日の対談の中に「人種というドイツ語を使ってはいけない」という話がありました。また、「ドイツ人は全くあの戦争を乗り越えていない」という話や、「ホロコーストは全く無感情に行われた」という話もありました。「民族としていまだに上から目線だし排他的だ」とも。

 この映画を観ていると、さもありなんと思えてきて、最後は笑えなくなりますね。

 そして、これも今日の話題になりましたが、バロック音楽においても、なぜバッハのような音楽家が生れたか、これもやはりドイツだからこそということでしょうね。

 ところで、この「ヒトラー」、けっこういい人として描かれていまして、それが本国でも批判の対象になったと言いますが、原作者が言うとおり、こういう「リアル」に向き合わないと、つまり、ヒトラーを完璧な悪魔に仕立てているかぎり、それこそドイツ人は過去を乗り越えられないでしょう。

 よく、ドイツは謝罪し反省したが、日本は…という暴論を耳にしますが、それもまた日本を完璧な悪魔に仕立てているわけであって、それまた自身の過去を乗り越えられない結果を生むでしょうね。

 そんなことも含めて、とても他人事とは思えない、そして単純には笑えない、けっこう重い作品です。

 最近私がそこら中で主張している、日本の学校の軍隊文化に通じるシーンもあります。ある時からの日本の軍隊文化は、それこそナチスから輸入したものですし。

 …と、結局重くなってしまい、コメディにふりきれないところもまた、ドイツ人らしい?w

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2020.08.21

追悼 山崎正和さん

Th_httpsimgixproxyn8sjpdsxmzo62890620210 作家、評論家の山崎正和さんがお亡くなりになりました。

 山崎さんだったら、昨日の「七つの会議」をどう評したでしょうかね。たぶん厳しい評価なのでは。

 山崎正和さんと言えば、私たち国語教師としては「水の東西」をまず思い出します。いや、ほとんどの方がおそらく高校の現代文(現代国語)の授業で教わった記憶があるのではないでしょうか。

 私もご多分に漏れず高校時代にこの文章に出会って、東西比較文化論の面白さに気づかせていただきました。

 国語教師になってからは、実はこの教材で授業をしたことがありません。

 一つの理由は…これは山崎さん自身も認めてくださって安心したのですが…これが「評論」ではなく「随筆(随想)」だということに気づいてしまったからです。

 ご本人もおっしゃっているように、たしかに評論寄りの随筆ではありますが、かなり感覚的な言葉が並んでおり、ある意味一つの解釈に収まられない面白さがある文章です。

 それは、たとえば小林秀雄の文章にも当てはまることなのですが、それを、「評論」というくくりの中で、あたかも一つの解釈が成り立つかのような授業をするのが、どうにもいやだったのです。

 ましてや、それをテストに出して、◯✗をつけるなんて…なんだかんだセンター試験や大学の個別入試に出てしまっているのですが…教師としての、ではなく、人間としての良心が許さない?!

 まあ、簡単に言えば、随筆は随筆としてそのまま味わいたい、そこからそれぞれ思索を広げればよいと思うわけで、そうだとすると、あえて授業でやる必要はないわけですね。ただそういう理由です(相変わらずの変人でスミマセン)。

 なんか最近、「学校をぶっ壊す」とかイキってる自分を客観的に見ると、つくづく(今の教育制度の)先生には向いてなかったのだなあと思うわけです。生徒は可哀想だよなあ。

 さて、それでも全然反省しないワタクシではありますが、ちょっとセンセーぶって山崎正和さんの作品をおススメするとすれば、これでしょう。「世阿弥」。劇作家、そして評論家、いや随筆家山崎正和の原点は「花伝書」にあり。

Amazon 世阿弥

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2020.08.01

動画編集ソフト 『Filmora9』

Th_unknown_20200802103401 日はオンライン・オープンスクール本番の日でした。生徒や先生方のご協力により、なんとか間に合いました。ライブ配信ではいろいろとアクシデントもありましたが、ギリギリ乗り切りました。このギリギリ感、なんか懐かしいな。学園祭的な感じ?

 さて、そんなワタクシ、なんちゃってYouTuberはお金がありませんので、動画編集ソフトもプロ用は使えません。

 そこで私がMacBook Proで使っているのが、このFilmoraです。これまた中国製。まあ普通のYouTube動画レベルなら、これで十分ですよ。動画の世界はあんまり本格的にやり出すと大変なことになりますから、この程度でちょうど良い。

 そう、逆に言うと、やっぱりiMovieだとちょっと物足りないんですよね。

 このFilmoraなら、タイトルのモーションやトランジションも豊富にあり、まあそこそこのものはすぐに作れます。操作がシンプルかつ分かりやすく、動作も軽いので快適に編集作業ができます。

 無料でダウンロードできるフォントもたくさんあって個性豊か。

 中華ソフトという先入観とは違い、案外(失礼)上品な動画を作ることができますよ。「仕上がり想像以上」というキャッチフレーズに偽りはありません。

 私は教員なので学割が適用されます。そうしますと永久ライセンスが7,980円です。まあ、利用価値を考えれば十分安い価格と言えるでしょう。これからもちょいちょいお世話になります。 

 Filmora公式

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