カテゴリー「教育」の927件の記事

2017.05.22

第7回世界教育会議〜日本文化講座

Th_sekaikyouiku201409171 日紹介した徳富蘇峰の「経天緯地」の研究をされた方からの情報。その扁額が奉納されたのは昭和11年。
 昭和11年は日本の近代史を考える上で、一つの分岐点となった重要な年ですね。二・二六事件があり、一般的にはその頃から一気に戦争へ向けての右傾化が進行したというイメージかと思います。
 しかし、どうも実際にはだいぶ違う雰囲気が世の中を支配していたようですね。だいたい、二・二六事件の時の東京も、「せっかく景気がよくてお祭ムードだったのに…水を差しやがって」という感じだったとか。戒厳令で遊びに行けない。東京音頭の時代ですからね。
 事件と言えば、二・二六よりも同年に起きた阿部定事件の方が巷間の話題だったのでは。
 実際、軍部の一部以外はどちらかというと国際的お祭ムードであり、あえて言うならずいぶんとリベラルな雰囲気があったと言えます。
 中止になった1940年の東京オリンピックの開催が決定したのもこの年ですし、紀元2600年に向けて多くの催し物が企画され始めています。その紀元2800年節にしても、今では天皇中心の国家観を象徴しているようなイメージがありますが、庶民にとっては単純にお祝いムードだったようです。
 ただ、昭和12年になりますと、少し雰囲気が変わり始めます。庶民はまだまだ呑気でしたけれども。
 昨日も名前が出てきた和平派の宇垣一成に組閣命令が下りながら、陸軍内の反対によって流産したのは象徴的だったかもしれません。ヨーロッパではスペイン戦線が喧しくなり、年の終わり頃には日独伊防共協定が締結されます。ちょっときな臭くなってきましたよね。
 一方、そんな昭和12年、すなわち今からちょうど80年前の1937年に、なんと日本で第7回世界教育会議が開催されています。アメリカを筆頭に世界中から教育関係者が東京に千人単位で終結し、実に高度な教育会議が行われました。
 どれほど平和的で、リベラルな内容であったかについては、国会図書館のデジタル資料を垣間見るだけでもよく分かります。
 で、その会議の一環というか、プレイベントとして、なんと山中湖で「日本文化講座」が開催されているんですね。10名以上の外国人が山中湖を訪れ、鈴木大拙や谷川徹三らの講演を聞いたり、地元の皆さんと交流したようです。
 たしかにこんなことがあったとはほとんど知られていませんし、もちろん私も全く知りませんでした。地元の人も全く知らない。
 この「日本文化講座」は国際文化振興会(今の国際交流基金)が主催したもののようですが、山梨の山中湖での開催にあたっては、私の勘ですとやはり徳富蘇峰や宇垣一成、そして富士吉田にいた川合信水、また山梨の生んだ鉄道王根津嘉一郎が関わっていると思います。
 この「日本文化講座」については、昨年山中湖で企画展が行われ、新聞記事としてもこのように紹介されました。第1回全日本カーリング大会にもびっくり。
 う〜ん、学校で学んだ歴史とはかなり違う雰囲気だなあ。自分で調べることがいかに大切か思い知らされます。
 この世界教育会議に関する記録などをじっくり読んでみたいですね。鈴木大拙の講演の内容も知りたい。どうも記録映画が製作されたようですから、それの再発見にも期待したいところです。
 のちに疎開してくる仲小路彰は、当然この会議、講座のことを知っていたでしょう。仲小路が富士北麓に一大教育都市を構想したのにも、それが影響しているかもしれません。
 いやあ、近過去の歴史の勉強は実に面白い。


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2017.04.26

Jin-Machine 『がんばれ! 桜、アディオス』

 ィジュアル系大好き(生き甲斐)の女子生徒と放課後しゃべっていて、ワタクシがおススメしたのがこのバンド。
 ワタクシ、ただカッコイイとか上手いとか、そういうのでは満足しない体なので(笑)、こういう面白いのが好きです。
 ふざけてるとか言う人もいますが、やはりユーモア、笑いというのは人間だけが持つ非常に高度な文化であります。そう、プロレスなんかでも、お笑い系けっこう好きなんですよ。まさに荒魂と和魂の両方が必要というやつです。
 上の曲はジンマシーンの最新曲です。卒業シーズンにぶつけてきましたね。ワタクシも中学のセンセーなんてのをやってますが、けっこう中学校的感動文化を茶化すことありますよ。コント部でね(笑)。
 この曲はそういう意味でも秀逸です。全ての日本人が共有する中学校文化の「おかしさ」を見事に揶揄しているとも言えるし、逆にユーモアをもってリスペクトしているとも言える…かな。
 こういうセンス好きです。下に公式の振り付け講座がありますが、これも一つ一つ秀逸ですね。くり返しになりますが、好きです(笑)。

 ジンマシーンの名曲(迷曲)はたくさんあります。中でもワタクシが一番笑ってしまうのが、この曲です。音楽的にもかなりプログレしていますね(笑)。ライヴ、盛り上がるでしょうねえ。一度行ってみたいかも。

Amazon がんばれ! 桜、アディオス

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2017.04.18

追悼 渡部昇一さん

Th_41xw782ar2l 語学者にして保守派論客の重鎮、渡部昇一さんがお亡くなりになりました。
 「知的生活の方法」を読んだ高校生の頃から、言語、文化、思想、歴史観、いろいろな面で大きな影響を受けてきました。最近もネット番組等でお元気なお姿を拝見していたので、突然の訃報に驚いています。
 最も最近の動画がこれでした。渋沢栄一を紹介する渡部さん。渡部さんがご自身の人生を振り返るように、渋沢について語っています。
 私も昨年、仲小路彰研究の関係から、渋沢栄一記念財団の会員になりまして、遅ればせながら渋沢の偉業を知り、その人生訓を学ぶことになっております。
 そんな中、尊敬する渡部昇一先生が分かりやすく渋沢栄一を紹介するとあって、続編も楽しみにしておりました。完結編もおそらく収録済みと思われます。渡部さんが最後に渋沢を語ったというのは、本当にいろいろな意味において象徴的であったのかもしれません。
 ご冥福をお祈りします。

Amazon 知的生活の方法

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2017.04.13

金足農業 vs PL学園 (昭和59年夏)

 分がちょっと(かなり)忙しい&国家が危険な状況なので、今日は軽くて重い記事で。
 この甲子園の名勝負、いいですねえ。
 なんだかんだ言って、秋田って名勝負生んでますよね。本当に雑草軍団というか、素朴な田舎軍団(失礼)というか。
 それが強大な敵を追い詰める。しかし、最後は逆転負け…みたいな。6年前の能代商業もそうでしたね。
 こちらに書いたとおり、高校野球(甲子園)は先の大戦のノスタルジーを投影した「文化」です。
 そういう点でも、弱小チームが一丸となって強大な敵にぶつかり、そして玉砕する…というストーリーは感動を呼びます。すなわち秋田のチームは、あの時の日本の象徴というわけです。
 それにしてもですね、かつて強大な「帝国」であったPL学園の野球部が滅ぶとは、まさに21世紀の世界史を予言しているかのようでもあります。
 高校野球(甲子園)は、実に面白いですね。スポーツをこうして「文化」「歴史」化する日本。私は次元が高いと思いますよ。

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2017.04.08

漢文の授業廃止を!?

Th_2017040600000001pseven0001view 田尚樹さんが「漢文の授業廃止を」と言ってましたね。なるほど。賛成の反対だな(笑)。
 まあとにかく百田氏の意見を読んでみてください。こちらです。
 ふむ、まあ氏が中国嫌いなのはよく分かりました。ただどうでしょうね。本当に漢文のせいで、中国への憧れがあるんでしょうかね。
 私はそれほど漢文が好きではないし(入試問題としては好きですし、入試対策を教えるのも好きですが)、自分自身あまり積極的に読んでこなかった。だから、学校で全員が学ばなければならないとは思わないけれども、しかし、たしかに日本文化に与えてきた影響は無視できないので、そうですね、まあ高校では必修ではなく、選択でもいいかもしれませんね。
 中学レベルでは一度やっておくといいでしょう。その時、先生がどのようなところに重点をおくべきか。これは私の考えですが、日本人がいかに工夫して外国語を理解したか、訓点というのは世界でも珍しい素晴らしい知恵です。
 それを学ぶことによって、日常で使われている漢語の構成なども漢文文法的に捉えることができるようになる。そこは強調すべきです。別に中国礼賛ではないですし、百田さん的にも日本の誇りにつながっていいのではないでしょうか。
 考えてみると、漢文のみならず、漢文訓読体というのが、日本の近世、近代において社会や文学に与えた影響は大きい。最近評判の?、そして百田さん大好きの教育勅語だって漢文訓読体じゃないですか。
 日清戦争や日中戦争の時代にも、漢文を排除せず、また漢文訓読体を使ってきました。そんな感じでいいんじゃないでしょうかね。
 ただ、たしかに、センター試験の国語において、200点中4分の1の50点が漢文というのは、さすがにちょっとどうかと思いますがね。
 
 
 

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2017.04.03

テレマン カンタータ『学校の先生』

 日に続いて教育に関する記事。
 いろいろ難しいことは抜きにして、古今東西を問わず、学校のセンセイなんていうのは、まあこんな感じなんでしょうね。
 権威主義は往々にして滑稽です。私もまあこんなふうに見えるのでしょうか(笑)。
 そして、いつの時代、どこの国も、子どもたちは変わらない。退屈なら居眠りするし、つまらなくなればイタズラもする。
 このテレマンの喜劇カンタータ、もちろん原曲はドイツ語ですが、いろいろな国で、それぞれの言葉に翻訳されて演奏されています。
 上で紹介しているのは、イタリア語ヴァージョン。舞台の演出も現代的で分かりやすい。面白いですね。
 日本語でやったら、「ハニホヘトイロハ」とか歌うのかな。
 「こんなアリアはテレマンでも書けないだろう」と言って歌う調子っぱずれなアリアなど、なかなか楽しい内容になっています。

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2017.04.02

【討論】日本の偏向教育を問う!

 友学園問題が、国民に教育を問い直す機会を与えてくれていますね。
 仏教(禅宗)をベースとする私学に奉職する者としても、いろいろ考えさせられることがあります。
 そんな中、この討論は実に面白かったですね。なんか他人事ではない身近な話が続出しておりました。
 まずは山教組の話。今はあの頃ほどではありませんが、全く何もないわけではありませんよ。まあ、公立の先生方も面倒くさがっていますがね(笑)。
 その山教組、いや日教組のドン、輿石東氏が旭日大綬章を受けた時の話も面白かった。菅官房長官もしゃれたこと言いますね。そう、まさに保革相乗りが普通の、謎な県ですから、山梨は。
 あと、私の恩師、大村はま先生の話も出てきましたね。
 ちなみに私の「教育勅語」観はこちらに書いたとおりです。
 暗唱については、私もいろいろ迷いがあります。私は素読にはあんまり賛成しないというか、素読があんまり好きではない先生なのですが、考えてみれば、ウチの学校でも、意味も分からず「般若心経」を暗唱させておりますな(笑)。
 それこそ、塚本幼稚園の園児にとっては、教育勅語や論語なんか、我々にとってのお経みたいなものでしょう。
 そこに目くじら立てるのもどうかとも思いますよね。というか、ある意味、戦後の公教育は、それこそ日教組などによって非常に左に偏った内容になっていましたから、たまに森友学園みたいなのが出てきてもいいと思いますし、実際需要があったわけですからね。
 もう少しまともな人が右寄りの学校作ってもいいんじゃないでしょうかね。え?私がどうかって?いやいや、私は「家庭内左翼」と言われているくらいですから無理無理(笑)。

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2017.03.24

修学旅行最終日〜テレマン最後の受難曲

 学旅行も最終日。午前中金閣寺と嵐山を訪れ、新幹線にて帰途につきました。
 生徒たちは仲間たちと非常に楽しい時間を過ごし、また多くのことを学んだようです。本校では、卒業式を終えたのちに修学旅行ですので、半分は卒業旅行という感じです。高校に行くと、それぞれクラスがバラバラになりますので、本当に友人たちと最後の思い出づくりとなるわけですね。
 今や修学旅行は2年生の時に行く、あるいは3年生になってすぐに行くというのが定番ですが、こういう本当の「修学」旅行もいいですね。
 ちなみに「修学旅行」は明治の初期から長途遠足や行軍旅行という形で行われていました。昭和に入ると、国家神道教育の一環として、たとえば伊勢神宮に参拝するというこような形で定着していきました。
 戦後は当然、そうした目的ではなく、歴史学習、平和学習という目的で行われるようになりました。本校も基本そういう形態をとっています。
 私は団長として毎年引率しておりまして、結果として1年に1回は同じところを訪れることになるわけですね。そのたびにいろいろ感じることが違うわけですが、今年は特に、19日の熱海行きからの流れで、まさに近過去の大東亜戦争史を振り返るような旅になりました。
 そして最終日。どういうわけか新幹線の中でテレマンの受難曲を聴きたくなったんですね。
 テレマンは50曲近い受難曲を書いています。それぞれなかなか興味深い音楽なのですが、特に私がすごいなと思うのは、テレマンの生涯最後の受難曲です。
 このマルコ受難曲、1767年の作といいますから、最晩年も最晩年。亡くなる年に作られています。
 1767年と言えば、ハイドンは35歳、モーツァルトも11歳、あと少しするとベートーヴェンも生まれるというような、古典派の黎明期になります。
 保守的なバッハに比べ、進取の精神に富んだテレマンは、新しい時代の音楽にも敏感でしたから、たとえばこの最後の受難曲なんかも、バロック音楽という枠をはみ出していて、それが不思議な魅力になっています。
 この曲の録音は、1996年のライヴ盤がありまして、Google Play Musicなどで聴くことができます。コラールの和声なんか、かなり新しく、まるでロマン派のような響きがする瞬間まであります。
 自らの死期もある程度意識したのか、他の受難曲よりも力を入れて作曲しているように聞こえます。
 残念ながらYouTubeなどに全曲の演奏はないのですが、第14曲の「Lamento」だけありましたので、ぜひお聴き下さい。この「涙」の表現、今聴いても新しいというか、不思議な感覚になりますね。
 今日はこの曲を英霊たちに捧げたいと思います。

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2017.03.23

修学旅行3日目京都

 学旅行は3日目。生徒たちは午前中清水寺付近を自由散策。午後は妙心寺にて特別参拝&塔頭如是院さんにて座禅です。
 私は、毎年のことですが、清水寺近くの京都霊山護国神社の昭和の杜を参拝いたします。
 霊山護国神社と言えば、坂本龍馬のお墓があったりなど、維新の志士関係の神社というイメージがあります。今年は大政奉還150年ですし、来年は明治維新150年というこもあって、たしかにそちら関係の参拝者(ファン)の姿が、例年より多かったように感じました。
 150年戦争という観点を持つ私にとっても、維新は重要な歴史でありますが、王仁三郎関係でそのあたりの謎は深まったままになっておりますので、そこはひとまず置いておいて、さらに近過去であり、150年戦争の中間地点である、大東亜戦争について思いを深くしているところです。
 ここには、先日の熱海伊豆山興亜観音にもおいでになったというインドのパール判事の顕彰碑があります。地元の方もほとんどご存知ないようなので、今日はここに紹介いたします。
 また、最後に加えて、「昭和の杜」造園建設の趣意の記された銘板も紹介しておきます。大切なことが簡潔に書かれていると思いますので。

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2017.03.22

修学旅行2日目奈良

Th__20170322_13_15_20 連の「地球平和シリーズ」。やはりここで完結でしょうか。
 聖徳太子の命日であるお会式の日に、毎年法隆寺と中宮寺を参拝させていただいています。職権濫用とも言えますな(笑)。
 今日もまた、「八紘為宇」の夢殿で、強烈な霊感を得ました。苫米地さんに言わせると、こういう厨二病的思い込みというのは統合失調症…いや、統合過剰症らしいのですが、彼の言葉をそのまま使わせていただくと、いわゆる「order」(私の言うコト)にはまらない「disorder」(モノ)受信のためには、世間で言われる「過剰さ」が必要ではないかと思う次第です。なぜなら、それが事実とか真実とか科学的とかいうのを超えて、人を世界を動かしてきたからです。
 そういう意味では、仲小路彰の「夢殿の幻〜聖徳太子の救世悲願」に描かれている世界も非常に過剰に統合されていますね。だからこそ、訴えかける力があるのだと思います。
 ある意味、科学にせよ、文学にせよ、音楽にせよ、人間に与えられた「過剰なる統合意識」によって生まれたコトであって、しかし、いつも言うように、「コトを窮めてモノに至る」わけで、宇宙の真理に近づくための条件を得て私たちはどうすればよいのか、そう、ワイドショーレベルではない、もっと高次元の「興味」を持つべきなのではないかと思うのです。
Th__20170322_13_30_25 仲小路彰は、川添史郎の光輪閣を通じて、高松宮さま、そして高松宮妃喜久子さまを通じて、法隆寺、中宮寺とつながり、「本当の」グローバリズム、すわなち「八紘為宇」を構想しました。21世紀のために。
 いよいよ時代は21世紀となり、「偽物の」グローバリズムは衰退しつつあります。なるほど、まさに今こそ、彼の説いた「グローバリズムからコスミカリズムへ」の実現の時代なのかもしれません。
 そんなことを夢殿の中の救世観音さまと、中宮寺の如意輪観音さま(弥勒菩薩さま)からお伝えいただきました。中二病だろうと、統合失調症だろうと構いません。自分にとっては紛うことなき真実ですし、明らかに自我を超えたところでの理想だと感じていますので。
Th__20170322_12_48_44 お会式…まさに聖徳太子の「和」の精神を象徴していました。仲小路彰によれば、「和」は出雲のオオクニヌシの「和魂(にぎみたま)」。それが憲法の第一条。第二条が仏法。すなわち、日本古来の神道がベースになって、表面上仏教に譲っている(国譲り)ように見えるけれども、あくまでベース(無意識領域)は神道。縄文。
 お会式の音楽は素晴らしいですよ。表向き、すなわちお客様に見えるところでは、僧侶が経を諷誦し、聲明を歌いますが、その裏では伶人たちがずっと雅楽を奏しているわけです。
 同様に、法隆寺も中宮寺も、あるいは東大寺もそうでしたが、寺院は豪華絢爛で大規模ですが、その片隅に無名の神社が点在している。
 私たちの意識の上、すなわちコト領域では、仏教が主体で神道がオマケに見える。違うんです。モノ領域においては、明らかに神道の方が主なのです。
 コトはあくまで人間の脳ミソによる限定された世界。その他、無限の補集合がモノなんです。だから、逆に言えば、全然小さくて良いし、名前なんかいらない。それが神道の世界なのです。
 今日はそんなことを奈良で強く感じました。理屈ではないけれど、間違いないなと。日本はすごい。やっばり聖徳太子は厩戸皇子ではなく、聖徳太子ですよ。

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