カテゴリー「自然・科学」の618件の記事

2017.02.10

銀谷翠 「認知症は治る!」

 田の素敵な女性たちを集めていろいろ未来的なことをやろうと(勝手に)画策しております。お誘いしたい秋田美人のお一人が「闘う女医」こと精神科医の銀谷翠さんです。
 実はまだ銀谷さんとはお会いしたことはないのですが、今ちょっと関わっている未来医療の関係で、とっても近い位置におられます。ある意味同じ世界にいますので、きっと今年は秋田の美味しいお酒を酌み交わす時が来ることと思います。
 そんな銀谷さんがチャンネル桜の女子会に登場され、現代医療、特に薬漬けの精神科医療に対して、「本当のこと」という爆弾を投下してくださりました。
 私もほぼ100%同意いたします。そして、賢い製薬会社の方々から攻撃どころか理解をいただいているというところに、一筋の光明を見たような気がいたします。
 そして、やっぱり秋田と言えば「納豆」ですよね(笑)。伝統的な和食が一番です。
 いよいよ医療、福祉の世界が変わりますよ。日本が変えていく時が来たようです。
 

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2017.01.14

2017 センター試験国語(その1…現代文)

 Th_kokugo_001 日はセンター試験第1日目。今年の国語はどうだったのか。
 結論から申し上げますと、昨年より難度は上がりましたが、問題の質としては「良」であったと思います。満点が出る「正常な」試験でした。
 昨年は良問であった上に易しめで平均点がずいぶん高かった。そのためあまり文句も言えず、いざ自分の思い通りの問題になると、となぜか物足りなくなったりしました(笑…昨年のレビューはこちら)。
 で、今年もまた良問なので、あまり書くことがないんですよね。困った(笑)。
 あえて言えば、小説が「短編の全文」ではなく、長編の一部に戻ってしまったことでしょうか。そう、ずっと私は「短編の全文」を出せと言ってきたわけですよ。それを2011年の記事で強めに吠えたところ、なんと次の年から5年連続で「短編の全文」が出題された。よっしゃと思っていたら、今年は…。
 しかし、さすがによく練られていて、「長編の一部」であっても、問題としては特に問題はありませんでした(問題が問題なしって変だな)。
 世間では「おっぱい、おっぱい」で騒いでいましたが、まあ、昨年もそうなんですけど、そういう「ネタ」で盛り上がる時は、問題に問題なしということなんですよ。
 あの野上弥生子さんの小説、なんかいいですね。なんか久々に骨のある文章を読んだ気がしました。ああ、これぞ「筆力」という感じの名文ですね。そんな中での「おっぱい、おっぱい」でしたから、私としては特に違和感というか、いやらしい感はなく、やっぱり騒ぐのは「ネタ」レベルでのことだなと感じました。昨年ほどは動揺しなかったでしょう、高校生は(笑)。
 ちなみに評論は「科学批判」、すなわち近代批判の文章で、文系にとっても理系にとっても、とっつきやすいありがちな内容であったと思います(もちろん単純な二項対立ではなく重層性はありますが)。
 最後の問題2問が「適当でないもの」を選ぶ形式だったのは意外といえば意外でした。ただ、センター試験で「最も適当なもの」を選ぶ問題ばかりだと、選択肢の膨大な文章のほとんどが「ウソ」「だまし」ということになるわけで、それはそれでよくないことだとも思うのですよ。言霊的にも。
 その点、「適当でないもの」を選ぶとなると、ほとんどが「正しい」文で、間違い(ウソ)が一つということになるわけで、世の中の実態からすると、こっちの方がより「適当」かもしれない。
 「最も適当でないもの」ということも基本的にありえませんしね。そう、「最も適当」だと、いくつか「まあまあ適当」なものも混入する場合があるわけです。ん?そっちの方がリアル社会に近いか(笑)。
 小説の最後の問題も「適当でないもの」を選ぶ問題でしたね。しかし、こっちは「二つ選べ」。それでも3分の2は「ホント」なわけですから、今年の(近年の)傾向としては「適当なもの」の逆襲が始まっている、善なるものが逆襲に転じつつしるとも言えるかもしれません。
 しつこくなっちゃいますが、やっぱり気になるんですよ、自分が問題作るときにも。大まじめな受験生に対して、いかにも引っかかりそうなウソをつくっていうのが。お分かりになりますよね。
 センター試験全体で言ったら、あるいは私大の選択問題も含めれば、毎年大量のウソや、性格の悪いヒッカケが生産されているわけでして、そういう観点からも、今後の「記述化」への方向性は間違っていないような気もするわけです。
 もちろん、世の中に溢れる「ウソ」や「ヒッカケ」を見抜く力も必要ですから、そうですねえ、私が大臣になったら、「適当でないもの」を答えさせる選択問題と記述問題に出題したいですね。
 あるいは「最もテキトー」なものを選ぶとか(笑)。
 明日は古典について少し書きましょう。

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2016.12.14

『衝撃の超能力ブーム~スプーン1本、人生が変わった』 (NHK BSプレミアム アナザーストーリーズ)

Th__20161216_102651 モコンが行方不明になって、テレビがつけっぱなしになっていたところ、この番組が始まりました。観られてよかった。リモコンがなくなったのも超能力のおかげでしょうか(笑)。
 つくづく私は42年前にユリ・ゲラーに影響を受け、そのまま小5病のまま大人になってしまったのだなと思いました。
 そんな私を、大人として、あるいは教師として失格だという方もいるわけですが、まあ相手は子どもですからね、ちょうどいいんじゃないですか。
 もちろん、子どものころとは違った感覚で超能力やユリ・ゲラーについて考えているわけですけれども、人間(自分)の可能性や、未知なる世界への期待という基本の部分は、やはり変わっていないと思います。
 私も「スプーン1本、人生が変わった」一人かもしれませんね。
 そうそう、2年前でしょうか、ユリ・ゲラーが久しぶりに富士吉田にやってきたんですよね。彼はかつて富士吉田に住んだことがあるんですよ。
 若い頃、有名になったはいいけれど、だからこそバッシングを受けてノイローゼ気味になってしまった。その時、隣に住んでいたジョン・レノン&オノ・ヨーコにすすめられて、富士山麓にエスケープしにきたそうです。
 なんでも家族と1年ほど住んだとのこと。そして、元気になってまたアメリカに戻ったと聞きました。
 そんな思い出深い、そして、彼を救ったとも言える富士山麓に久しぶりに来たのです。そして、パインズパークで、知り合いがばったり彼に会ったそうで、その時、目の前でスプーンを曲げてくれたそうです。知り合いはそのスプーンにサインをしてもらって記念に持って帰ってきました。
Th_img_4979 そのスプーンと、そのスプーンに触発されて私が曲げた(捻った)スプーンがこれです(笑)。上がユリ・ゲラー、下が私のです。どっちがすごいでしょう(笑)。
 そんなわけで?私はスプーンを曲げることができます。今日の番組にもあったように、覚醒催眠、それも自己覚醒催眠でしょうね。曲がると思えば曲がるわけですから。
 しかし、スプーンが曲げられたところで何もいいことはありません。せいぜい家族から怒られるくらいです。役に立たないことができてもしかたない。
 ユリ・ゲラーはまさにスプーン1本で人と人をつなぎ、人生を変えた。それはまさに「超能力」ですよね。天才的なスポーツ選手や芸術家と同様、天才的なエンターテイナーは、私たち凡人の能力からすれば、立派な「超能力」だと思います。
 そうそう、私の「超能力」と言えば、以前、今日番組にも登場していた秋山眞人さんとお会いした時、私がいるとUFOが来ないと言われました(笑)。それはそれで普通ではない能力だそうです(笑)。うれしいやら哀しいやら。
 この番組、12月20日(火)夜11時45分から再放送があります。懐かしさ満点ですからぜひ。BSプレミアムです。

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2016.12.07

『脳に免疫力をつければ病気にならない!』 苫米地英人 (コグニティブリサーチラボ株式会社)

Th_51tilqayql 日の話の続きとなりましょうか。
 昨日の基準で言えば、苫米地さんの理論はぎりぎり「エセ医学」「非科学的」となるかもしれません。苫米地さんは脳科学者ですが、全体として非常に未来的な思考をしますから、今の「科学」(近代科学的手法)では証明できない話も出てきています。
 私はほとんど全てにおいて、苫米地さんの言いたいことが分かりますし、また、それこそ科学的なエビデンスはゼロですけれども、絶対的な「実感」「実観」というのがあります。そこに共感、共振というのがあるのは動かしようのない真実でして、それは、まさに「情報空間」での現象なのかもしれません。
 この本で強調されているのは、私たちの体に起こる変化(たとえば病気)は、脳が作り出したものであり、脳がアクセスしている「情報」のエネルギーをコントロールすれば、病気は治るし、それ以前に病気にならない、つまり健康になるということです。
 「病は気から」と昔から言いますが、苫米地さんに言わせると、それ以前に「健康は気から」ということになる。すなわち「気」とは「情報」であるということです。
 昨日書いた、私が今実体験しているモノも、そうした「情報空間」、別の言い方をすれば「高次元宇宙」にアクセスする道具のようです。
 最先端物理学では、高次元宇宙に関する研究も進んでいます。つまり、苫米地さんの唱える理論や、私の関わっているモノの原理については、未来には「常識」となるのかもしれません。
 科学の世界では、当然と言えば当然ですけれども、事実が先行して、そして私たちの理解がそこに追いついていくわけです。
 昨日も書いたとおり、私たちが理解できないからと言って、その事実の全てを「ニセ」とか「エセ」とか断じてしまうのは謙虚さが足りないと思います。
 もちろん、低次元で詐欺的な行為をしたり、あるいは利己的な行動を無意識的にとったりする人はいますよ。それはすぐに分かります。くり返しになりますが、私はそういう人たちを、人一倍嫌います。当然、自分はそういう人にはなりたくない。
 そうそう、「なりたくない」と書いて思い出しましたが、この本で面白かったのは、「病気にならない」と唱えては病気を招くという話です。
 「無意識は肯定と否定を区別しない」。これはなるほどと思いましたね。たとえば、「病気にならない」と言うのは、「病気」になる自分を想像して、それを否定するという過程を踏んでいるわけですね。「ガンが治る」もガンであることを認めてしまっている。
 たしかに、「ああいう人にはなりたくない」と言った私も、自分に実はそういう人になる要素があるから、それを否定したくて、あえてそういう表明になるわけですよね。
 ですから、苫米地流に「私は健康だ!」と全肯定してしまえばよいと。「私は善人だ!」ってね(笑)。いや、冗談ではなく、たしかにそれが情報のエネルギーを最大化し、そして「コンフォート・ゾーン」を変化させたり、形成させたりする。
 それはやはり実感としてよく分かります。人が私のことを「はったり野郎」と呼ぶのは、あまりにも簡単に断言するからかもしれませんし、人が不可能だと諦めてしまったことを、こりずに追い求めつづけるからかもしれません。
 ありがたいことに、私自身は、苫米地さんが薦める、「ストレス・コーピング」も結構得意な方ですし、ゴールを現状の外に設定するのも日常茶飯事ですし、楽譜を見て楽器を弾く、それもヴァイオリン属を弾く機会が多い。
 苫米地さんが一日一食を否定されているのは、ちょっと残念でしたが、それも理解はできますよ。あくまで、私の一日一食は、自分にとってのコンフォート・ゾーンであって、他人には勧めたりしませんしね。あくまで私の流儀であると。
 ま、いずれにせよ、とても共感できる内容の本でした。一度、苫米地さんともお会いしてお話してみたいなと思いました。レベルは全然違いますが、いろいろな面、たとえば歴史観などでも共有できる部分がありますので。

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2016.12.06

『「ニセ医学」に騙されないために』 NATROM (メタモル出版)

危険な反医療論や治療法、健康法から身を守る!
Th_51mundyzcgl 近も、某科学者の方から「ニセ科学」を振り回すなと叱られました。全然振り回してないんですけど。
 そう、お気づきの方も多いと思いますが、私のやっていることの8割くらいは「ニセ…」と言われてもしかたないものですね。
 「ニセ科学」はもちろん、「ニセ歴史学」「ニセ宗教」「ニセ哲学」「ニセ政治学」「ニセ経済学」などなど…。では、いちおう専門の「文学」ではとうかというと、あんまり「ニセ文学」とは言われませんね。そこに事の本質が見えてきます。
 教育ではどうかなと考えると、「ニセ教師」とは言われませんが、「ハッタリ教師」とは日常的に言われます(笑)。
 そんな「ニセ人生」を歩んでいるワタクシではありますが、ここのところさらに危険な領域、「ニセ医学」の方にも足を突っ込んでおります…と、客観的に書けるところが、ある意味ワタクシらしさでもありますな。
 この前も「ニセ科学」と言われて腹が立つわけでもなく、妙に納得さえしてしまったわけですが、こちらの「医学」に関しても全く同じスタンスであります。
 今、関わっている「ニセ医学」は、あまりにその効果が絶大であるため、ここにはその詳細を書くわけにはいきません。しかし、私の周辺にいる方々の多くが「実体験」しているので、どうも単なるマヤカシではなさそうなのです。
 こういうモノがどこから来たかというと、どうも未来から来たようでして、面白いことに、ネイティブアメリカンの有名な長老のお墨付きさえいただいたというシロモノであります。
 おそらくこれを表舞台に出してしまうと、そのモノによって利権を侵される巨大な力の反発を受けることになるでしょう。場合によっては命さえ危ないかもしれない(?)。
 しかし、私は、自分の直観として、これはホンモノだと思っています(全く科学的な判断ではありません)ので、なんとか最終的には世に出したいと思っています。慎重に慎重に事を進めます。
 さて、そんなわけで、世で「ニセ医学」と言われるものがどんなものなのか、そのあたりを勉強しています。この本なんかその入門には最適でしょう。
 ここでしつこく確認しておきますが、私は「ニセ科学」やその一部である「ニセ医学」、「ニセ歴史学」、さらには「ニセ宗教」なんかも基本大嫌いです。それを振り回して金稼ぎするような人は軽蔑しています。
 しかし、世の中には、そういう意味ではなく、現代においては「ニセ」と評価されてしまうモノに純粋に興味を持ち、研究に取り組んでいる人もいるのです。私の知り合いにも、尊敬すべきそういう人たちが比較的多数いらっしゃいます。
 これも言い古された表現で、ある意味注意すべき言葉ですが、「全ての発見、発明は、それがなされる以前には全てウソ、妄想であった」というのも真理だと思います。
 考えてみれば、今の科学の常識も、以前は非常識であったものばかりですね。私たちは人類は、そうした批判や嘲笑を乗り越えて進歩してきたわけです。
 なんでも「ニセ」という言葉で片付けてしまうことは、そうした本来の人類の姿勢から外れていると思います。事実、私は数々の妄想を実現してきました。妄想実現党なるニセ政党まで作っている始末ですから(笑)。
 というわけで、この本の内容も、全くその通りだと思う反面、いや科学的に証明できないからと言って全てがニセとは限らないだろう、とも思うのであります。本当にそれが半々という感じで自分の中にあります。
 それはそれで、自分としては非常に健全な姿勢だと思っています。若い頃はどちらかに偏る傾向があったのですが、ここのところ、さまざまな二項対立の構図は薄れ、うまいこと融合できるようになってきました。年の功ですかね。
 理屈、客観、論理をつきつめるのも人間として崇高な姿勢ですが、それらの補集合たる世界の存在を認めるのもまた、謙虚という崇高なあり方だと思います。

Amazon 「ニセ医学」に騙されないために

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2016.11.27

キャパシタの時代到来か!?

Th_ucf300x225 の前、分かりやすいニュースとして、数秒でスマホを充電!?3万回以上使える超効率バッテリー技術を米大学が開発というのがありました。
 正確に言うと、これは「充電するバッテリー」ではなく、「蓄電するキャパシタ(コンデンサ)」ですよね。まあ一般的には、スマホと言えば充電、充電と言えばバッテリーですから、表現としては良いでしょう。
 私、このスーパーキャパシタについては、7年前にこちらで、「これでエネルギー問題は解決だ!」みたいなことを言っています。地熱発電とキャパシタ。今でもそう思っています。
 あと、そうですねえ、小型核融合炉発電と、人工光合成でしょうかね。これからの日本のエネルギー問題の命運を握っているのは。
 実は、それらについてはもともと日本は得意なんですよね。お家芸にまではなっていないけれど、ずっと世界をリードしてきた。
 特にキャパシタについては、多くの企業が参入しつつあり、たとえば、Google様のニュース検索で「キャパシタ」と入れると、こんなふうにジャンジャン新技術のニュースが出てくる(おそらく7年後でもそうでしょう)。
 私個人としても最近、某重工業系大手に就職した教え子に、これからは大型のキャパシタを開発して、それをコンテナ船に積んで電力を世界中に売る時代だ、タンカーで原油を運ぶ時代は終わる!などと、勝手なアドバイスをしております(けっこう本気)。
 それこそ勝手なコンサルティングですが、これからはキャパシタで伸びる会社の株を買ったほうがよいかも。私は株はやりませんが、純粋に世のために投資するというのなら考えますよ。
 ちなみに超シロウトのワタクシには、キャパシタで蓄電した電気をちびちびとバッテリーのごとく取り出す技術のアイデアがあります。ナイショですけど(笑)。そこが大きな障壁ですからね。
 あとは、しばらくはバッテリーとのハイブリッドです。それも案外行けるのではないかと思っています。専門家の方、ぜひ頑張ってください。大いに期待しております。
 

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2016.11.22

福島県沖M7.4が発生

Th_img_6487 5時59分に福島県沖で大きな地震が発生、津波も観測されました。
 その数分前、秩父地方で深発地震があり、当地も少し揺れました。それで目を覚ました直後に再び緊急地震速報が鳴り、ラジオが緊急情報に切り替わりました。その後のことは皆さまもご存知のとおりです。大きな被害が出なかったようで一安心しました。
 さて、その後ツイッター上である科学者から批判をされ、いくつかのやりとりをしました。あまり気分がいいものではないし、論争は好きではないので、ここで復習はしませんが、例によって「疑似科学」という言葉を使われたのは正直不快でした。
 私の地震予測は常々言っているように「非科学」ですが、「疑似科学」だとは思っていません。もっと言ってしまえば(より怒られるでしょうが)、私のは「非現代科学」であって、もしかすると「未来科学」ではあるかもしれません(笑)。
 ここのところの富士山ラドン濃度の異常や、スーパームーン関係、そして、先日のニュージーランド、和歌山の地震について、このブログでも言及してきておりましたが、月曜日周辺が危険日とさりげなく書いたものが、たしかに「たまたま」的中したということでもあります。
 しかし…科学者の方は、多くの科学者がよく言うように「小さな地震はいくらでも当てられる」という論点で私を批判してきましたが、私の地震予測をご存知の方は、私が決してしょっちゅう注意喚起したり、不安を煽る発信をしているのではないことを理解してくださっていますよね(実際、ずいぶん味方をしてくれました。ありがたや)。
 私の地震予知の方法は、科学者が最も嫌うものであることは認めます。なぜなら、そこには「物語」や「体感」、しまいには「霊感」などという言葉が登場するからです。
 さらには、仲小路彰の歴史哲学、そして科学観(彼はアインシュタインと交流のある科学者でもありました)から、未来学、逆視法(未来から現在を観る)を学んでいます。ある意味、現代科学の因果関係と正反対のものの見方をするので、それはまあ嫌われますよね、科学者さんたちには。
 もう一つ、かっこつけて言うならば、高次元宇宙からの情報(それを直観とか霊感とか呼ぶ)を受け取る環境にあるので、ますますオカルト的、疑似科学、エセ科学的に見えるのは致し方ないと思っています。
 さて、そのような「非現代科学」の視点からしますと、やはり一連の流れは、2011.3.9に似ていると言わざるを得ません。それは誰が見ても「似ている」です。他人の空似であっても。
 科学者はその他人の空似には「なんの意味もない」と言います。私は出口王仁三郎からは雛型理論を学びましたので、そこに意味を見出します。それは「物語」と呼ばれます。ますます科学者ドン引きですよね(笑)。
 それはそれでいいのです。人間の叡智、あるいは自然の叡智、地球の叡智、宇宙の叡智からすると、いわゆる「科学」なんていうものは、実にちっぽけな世界観です。だから理解されなくて当然なのです。だから彼らは結局、疑似「科学」という言葉でしか、我々を批判できないのです。あくまで科学の小さな領域でしかものを考えられない。その他膨大な、ほとんど無限な補集合については、「意味がない」と断ずるしかないのです。
 ああ、結局愚痴になってしまいましたね。すみません。
 そんなことよりも、そうした「物語」的地震予測の立場としては、今後の余震の状況によっては、さらに大きな地震が沖合で発生する可能性があることを意識しておかねばなりません。
 教訓として、2011年3月9日のニュースをもう一度観てみましょう。纐纈先生のコメント、そして福島第一原発の映像が私たちに大切なことを教えてくれます。人間の、(現代)科学の無力さを。
 あっ、もちろん科学者の中にも、私の世界観を認めてくれる方はたくさんいらっしゃいますよ。私はそういう方々から多くを学んでいます。

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2016.11.19

和歌山でM5.4

Th_img_6460 日お昼ごろ、和歌山県南部を震源とするM5.4の地震があり、広い範囲で震度4の揺れを感じました。遠く離れた当地富士山でも震度1〜2を記録したことからも分かるとおり、やや震源は深め、50〜60kmでした。
 この地震が発生してすぐに私は5年前のある地震を思い出しました。それは2011年2月21日にほぼ同じ場所(深さも同じ)で発生したM4.9の地震です。
 なぜこの地震を覚えているかというと、やはりあの3.11東日本大震災の直前に発生した地震だったからです。また、ニュージーランドのカンタベリー地震の1日前だったこともあります。
 そう、ちょうど先日記事に書いたばかりですが、先週13日にカンタベリー付近でM7.8の地震があったではないですか。そんな流れもあの年の記憶と直結して、思い出したというわけです。
Th_img_6459 もちろん、だからと言って近く日本で大地震が発生すると言うわけではありません。しかし、実際の科学的地震予知が不可能であると分かっている現在、私たちがもし大地震を予測し減災を心がけるならば、そうした歴史、記憶に頼るしかないのです。
 自然にはたしかにある種のパターンがあります。それがたとえ科学的に証明されない、再現性の不確かなものであっても、それを無視するのは愚かなこと、あるいは人間の思い上がりです。
 それと別の視点も。今年の秋は変に暖かい。さらにこの夏から鳥が少ない。ここ富士山麓は野鳥天国なのですが、とにかく夏の朝も鳥が鳴かなかった。ここのところも見るのはカラスの群ればかり。ちょっと異様です。
 最近もすずめの姿が見えないとの報告がありましたし、山に入っても鳥や虫がいないという話もありました。なんとなくですが不穏な感じなのです。
 これは頭で考えているというよりも、勘というか体感というか、自分の中の原始的なモノがなにかを感知している感じなのです。
 もちろん、いたずらに不安を煽る気はさらさらありません。ただ、自分の中で「ちょっと気をつけよう」という気持ちでいることを表明しているだけです。
 何も起きなければ、それはそれで良かったということになりますが、一方で、いつかも書いたように、地震はいつか必ず起きるものなので、できれば早く起きた方がいいという考え方もできる。つまり発生が遅くなればなるほど規模は大きくなるということです。
 3.11東北地方太平洋沖地震の最大余震もまだ発生していませんし、今回の和歌山の地震からも想像される南海トラフの巨大地震の発生も確実に近くなっています。
 とにかく私たちは「天災は忘れた頃に…」を忘れず、常に準備と心構えをしておくことですね。
 我が家で測定しているラドン濃度もここのところずっと高めの状態が続いています。なかなか収束しません。これは経験的には比較的緩やかかつ大きめな動きを捉えているものと考えられます。
 さまざまな情報が次なる大地震の近づいていることを暗示しているのかもしれません。なにしろ、大地震が発生することは100%確かですし、それがこうしている間にも1秒1秒近づいているのもまた100%間違いないのですから。


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2016.11.17

吉田秀雄と鬼十則

Unknown んだかなあ…というニュース。電通が来年度の社員手帳からあの「鬼十則」を削除するとのこと。
 いろいろな意味でため息が出ますね。亡くなった方がいるので、あまり軽々しくは言えませんが、こうして昭和が終わっていくんだなという感慨。
 昭和と言ってもいろいろな側面があります。もちろん、ノスタルジックな「漢」の代表格、吉田秀雄の遺訓が本場から消えるという寂しさという一面もあれば、GHQ主導の電通の創立と繁栄という「戦後」が終わるという、ある種明るい感慨もある。
 私は広告という世界が好きですし、中でも吉田秀雄については、日本プロレスとの関係、すなわち正力松太郎との関係、さらには山梨出身の小林一三との関係などもあって、格別な興味を持っておりました。
 下の画像は、「鬼十則」を新聞で見た小林一三が、大いに共感感激し、「謹賀新年 今日、毎日の夕刊にて貴下に関する記事を拝見しました。ついては、その「鬼十則」なるもの 全部同感にて老生も東宝の若い連中に受け売りしたいと思いますから、原稿紙でも色紙でもよろしいから、 御自筆一枚頂戴いたし度い。新年早々吉報お待ち申し上げます。おねがいまで。」という賀状を送ったの対して、吉田が書き記して返送したものです。
 
20161118_120556

 あらためて活字にしてみましょうか。

1. 仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない。
2. 仕事とは、先手先手と働き掛けていくことで、受け身でやるものではない。
3. 大きな仕事と取り組め、小さな仕事はおのれを小さくする。
4. 難しい仕事を狙え、そしてこれを成し遂げるところに進歩がある。
5. 取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは……。
6. 周囲を引きずり回せ、引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地のひらきができる。
7. 計画を持て、長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる。
8. 自信を持て、自信がないから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚味すらがない。
9. 頭は常に全回転、八方に気を配って、一分の隙もあってはならぬ、サービスとはそのようなものだ。
10. 摩擦を怖れるな、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ、でないと君は卑屈未練になる。

 私も好きですね。これのどこが悪いのでしょう。言葉をそのまま受け取って、ああだこうだ言うほど、我々の文学センスは退化してしまったのでしょうか。電通の内部ですらそうなんですから、いわんや我々一般大衆をや。
 万葉集研究の大家であった中西進先生が、この「鬼十則」にほれこみ、そのエッセンスを「狙え。放すな。ひきずれ」という「鬼三則」に要約したのは、さすが文学の人という感じがしますよね。
 吉田秀雄は「広告は科学であり、芸術である。科学と芸術の融合活動である」と言いました。全く同意ですし、実に素晴らしい文化的な、それも日本文化的な世界観だと思います。
 「鬼十則」、電通さんが使わないなら、私が使わせていただきますね(笑)。


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2016.11.14

スーパームーンと地球潮汐

Th__20161115_105610 地では雨がそぼ降り、とてもお月さまを拝むお天気でありませんでした。昨日は我が寝室の月見窓からきれいに見えていましたが。
 さて、昨日も書いたとおり、スーパームーンがいつも大地震発生のトリガーになるわけではありません。少し考えればわかりますよね。たとえばドアを開けるとして、私たちがだんだん力を入れていって、あるところで扉が動き出す。決して最大限の力を出し切ったところで開くわけではない。
 もちろん、その最大限の力でなければ開かないドアもあるでしょうが、そればかりではないし、最大限の力でも開かないドアもある。
 個別の地震の発生ポイントは千差万別であり、さまざまな力関係が複雑に絡み合っているわけです。
 しかし、なんだか矛盾するようですけれども…私が中学時代、有史以来日本国内で起きた地震で記録されているものを全部調べ上げたところ、月齢7や21あたりでの発震が多かった。つまり上弦・下弦の月(半月)の頃ということですね。まあ、もしかするとなんらかの因果関係があるかもしれません。
 ちなみに、月や太陽の引力によって地面が盛り上がったり戻ったりする現象を「地球潮汐」と言います。東大の次の資料が分かりやすくて勉強になります。

地球潮汐 - 陸地の干潮・満潮

 そこにもあるように、海の大潮にあたるケースでは、地面は30センチくらい盛り上がります。これって結構ダイナミックなことですよね。この堅くて重い?地面が、グググッと30センチも盛り上がるわけですから。私たちを乗せてですよ。
 そのダイナミックな力が、当然地殻内部に影響を及ぼすことは想定されます。地震のみならず火山の噴火についても研究している方がいます。
 引力は距離の二乗に反比例します。このたびのスーパームーンは通常(平均)より5%ほど距離が近くなるので、ええと、どう計算すればいいんだ?(笑)…まあ、それほど大きな値にはならないでしょうね。
 それにしても、最近は「◯◯ムーン」と称して、世界中の人たちが月を眺める機会が増えましたよね。これはこれで面白い文化現象だと思います。
 言うまでもなく、大海や大地をも動かす月の引力は、人間にも強く作用しています。女性の生理的な周期や出産が月の引力と関わっているというのは、おそらく事実でありましょうし、男も狼になる…いやいや、それは冗談…いやいや、何かあってもおかしくないですよね。交通事故や殺人事件の発生率も月齢と関係があるとか。
 というわけで、中学生のワタクシの説に従うと、このあとの下弦の月のころ、すなわち来週の月曜日周辺が危険日ということになりますでしょうか。ま、そんなに自然は単純ではありませんが。


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