カテゴリー「自然・科学」の157件の記事

2010.02.06

病院 vs 権現さま

B0da0e000000f78k 梨県立中央病院に、下の娘とカミさんを迎えに行ってきました。下の娘が鼠径ヘルニアの手術で2泊3日の入院をしていたのです。
 まあ、「脱腸」ってやつですね。女性の鼠径ヘルニア率は2〜3%だといいますが、上の娘も手術しましたし、私の姉もそうでしたから、けっこう我が家系の脱腸率は高い方だと思います。ちなみに男性の鼠径ヘルニア率はなんと25%以上だとのこと。4人に一人ですよ。知りませんでした。
 ちょっとした設計ミスという程度ですから、手術と言っても軽く切って貼るようなものです。私も別に心配もしていませんでしたし、娘本人もママとのお泊まりということで、なんだか非常に楽しみにしていました。
 手術はもちろん問題なく終わったのですが、麻酔で寝ていた娘は寝ぼけて、というか全然記憶がないらしく、術後「手術は?今から?」と言っていたそうです(笑)。
 鼠径ヘルニアは病気というより、先ほども書いたように設計ミスのようなものですから、自然治癒はしません。ごくまれにそれが原因で面倒な病気になることもあるようなので、幼いうちに修繕しておいた方がいいですね。場所が場所ですから、大人になるとなんとなく躊躇されますし。
 で、そんなことをカミさんのお母さんに報告したところ、驚くべき事実が判明いたしました(笑)。
 以下、電話の内容を復元します(秋田弁のまま)。カ=カミさん 母=カミさんの母

カ「○○(娘の名)、しゅじゅつするがら、にゅういんさねねぐなった」
母「あら、なしてよ?」
カ「だっちょうだど。ひゃぐにんにふたりしかならねなだど」
母「あら、おれもだ」
カ「え〜しらねがった、いづしゅじゅつしたなよ」
母「しゅじゅつなさねえ。べってじぎ、ばあちゃんどもんぜんのごんげんさまさおがんできた…」
カ「え〜、しゅじゅつさねぱ、ぜったいなおらねんだど」
母「あや、おれなばえおの。おしてやればひっこむがら…」

Sany0033 お分かりになりますか?簡単に言えば、実は義母も鼠径ヘルニアであったと。そして、病院には行かず、村の権現様に拝みに行った。今でも出っ張ったら押して引っ込めているということです(笑)。
 いやあ、「権現様」ですか!?こっちは最新のホテルのような病院で至れり尽くせりの入院、最新医療の手術をしました(上の娘は静岡のこども病院でした)。それに対して、なんと古典的な対処法でしょう。素晴らしい!
 考えてみれば、昔の日本にはそんな手術はありませんでした。出たら手で引っ込めるしかなかったわけですよね。あとは、神仏にお願いするしかありません。みんなそうやっていたはずです。
 もう少し前なら、病気やケガは「物の怪」のしわざでしたから、それこそ祈るしかありません。貴族なら、医者を呼ぶかわりに坊さんや修験者を呼んで加持祈祷したわけです。庶民は村の社や祠に行って拝むしかありません。
 たしかに、今でも、あの神社は「目の神様」、あの地藏さんは「皮膚病の神様」などと、分業の痕跡が残っています。大きな寺や神社ですと、総合病院よろしくいろいろな「科」が集められていたりしますね。
 カミさんの実家があったあたりは、本当に時代を超えた田舎、絵にかいたような日本の原風景が広がるところです。いまだに「もののけ姫」の世界ですから。
 しかし、なんでも、科学や医療で片づける(すなわちお金で解決する)のではなく、そういう神仏に自分の運命を託す気持ちというのも大切なような気がします。我々現代人はすっかりそれを忘れてしまっていますね。子どもたちもそうです。「想像」や「妄想」、「祈り」、そして「畏怖」というモノから遠ざかっているのが、よくわかります。その結果、ウチの娘たちも「感謝」の気持ちが不足しているように感じます。
 「コト(自己・内部・情報・随意・不変)」と「モノ(他者・外部・現象・不随意・無常)」のバランスが崩れているんですよね。特に、デジタル化による「コト」化の行き過ぎは、たとえば病気やケガに対する人間の抵抗力、あるいは自然治癒力を奪っているように思えてなりません。今こそ、「権現さま」パワーを見直す時なのかもしれません。
 この笑い話は、実は深刻な問題をはらんでいるのでした。

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2010.01.29

なんすかこれ!?

↓クリック!!
0004 ンター古文の恋路大将もひどかったけど、こっちはもっとひどいかも。
 某私立大学の医学部を受験した生徒からこんな画像が送られてきました。生物の問題です。
 なんすかこれ!(笑)文章の半分以上が空欄じゃないっすか!?なんかリアルに奮闘した跡が見えますが、結局なんの話だったか分からなかったとのこと。そりゃそうだ。
 彼女、帰ってから知り合いのお医者さんに解いてもらったところ、現役のお医者さんもお手上げだったそうです。
 まあ、これはさすがに笑っちゃうレベルの珍問ですね。センターの古文がロト6なら、こっちは「ナンクロ」ですよ。いったい、どういう力を見ようとしているのでしょうか。
 皆さん、まず問題文を声に出して読んでみてください。数字はちゃんと数字で読むんですよ。「生物のイチ間に見られる二の違いをサンといい…」というふうに。笑わないで最後まで読めた人は合格です(笑)。
 ええと、ちなみにワタクシでしたら、こんな感じで解答しそうです。これじゃダメでしょうか?
「生物の男女間に見られる種々の違いをすれ違いといい、すれ違いには肉体間の違いによって現れる肉体間すれ違いと、思想や性格のすれ違いによって現れる精神間すれ違いとがある。肉体間すれ違いは男女間に根源的原因のある解決しないすれ違いであり、精神間すれ違いは男女間に根源的原因のない解決するすれ違いである…」
 これも正解でしょう(笑)。
20100130_84510 実はこの大学の生物の問題、毎年こんな感じなんですよ。ちょっとこちらもご覧下さい。これも私なりに考えてみましたが、「ヒトではズボンのチャックが破損すると、内部にあるパンツが露出され、恋人友人を介して町にある警察消防報道へと露出が伝えられる…」くらいしか考えられません(笑)。しかし、それで行くと、後半のつじつまが合わなくなっちゃうんですよね。これはかなり高度な国語力というか文学力を要する問題です(笑)。
 これは国語の教材として使えますね。さっそくそういうことが好きな男子生徒が「デスメタル」尽くしで文章化してました。こういうの上手な生徒いるんだよなあ。
20100130_84052_2 最後に数年前のこちらの問題も見てみてください。これなんか最強ですよ。とにかく、最初にやったように数字は数字のまま読んでみてください。
 これってはっきり言って手抜きでしょう。なんかのテキストをテキトーに(いや、パズル風に)虫食いにしただけでしょう。
 もし、そうでないと言うなら、ぜひその意図をお聞きしたい。
 ちなみに他の教科は比較的フツーの問題です。なぜに生物だけ…。
 いやあ、受験生は大変ですわ。お疲れさん。

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2010.01.09

「自然」は「不自然」?

P10406063 ッポン(ラバーカップ)を知らないカミさんが生まれ育った地域の風景です(「知らない」というより「必要ない」か…)。
 まさに日本の原風景。美しい棚田と里山、そして茅葺き屋根…ですが、今日は(も)カミさんに対して、少しいじわるな内容になるかな?
 今日、今年4月開校する中学校の初めての入試が行われました。準備をしてきた者として、実に感無量な一日でした。私たちの教育方針を理解していただき、予想より多くの子どもたちが入学を希望してくれたことに、まずは正直安心しましたし、さあこれからだという身の引きしまるような気持ちもありました。
 今までずいぶんと長く教員生活を送ってまいりましたが、このような充実感と緊張感(+疲労感?)を感じたのは初めてです。いずれにせよ、本当にありがたいことですし、私は特別な幸せ者だと思います。一つの学校の創立に関われるのですから。受験してくれた皆さん、そして親御さん、また学校スタッフの皆さん、本当にありがとうございました。
 以前、こちらにも書きましたように、本校の国語の入試問題は、オリジナルの文章を使います。つまり、せっかく受験してくれる子どもさんのために、メッセージ性のある文章を私自身が書きます。それをもとにシンプルな語句の問題と、情報処理的な問題、そして作文を課します。
 今日はその文章を紹介します。はたして私のメッセージは小学生に伝わったでしょうか。

    自然

 「自然」と書いてなんと読むでしょう。
 そう、「しぜん」ですね。
 そんなこと当たり前です。でも、実はこれがちょっと考え方を変えると、当たり前でなくなります。
 「自」はなんと読みますか? 
 「じ」ですよね。
 さっきは当たり前に「自然」を「しぜん」と読みました。「然」は「ぜん」に違いありませんから、この場合「自」を「し」と読んでいることになります。ところが、「自」だけでは、異口同音に「じ」だと答えます。
 「自然」以外に、「自」を「し」と読む例は、実を言うとないのです。だから、「自然」を「しぜん」と読むのは、ある意味「不自然」だということになります。
 このように、私たちの常識(それはたいがい学校で習うことなのですが)を疑ってみたり、その「不自然」な点に気づいたりすることが、「勉強」や「学問」の面白さを知る原点となるのです。
 ちなみに、仏教の用語としては、「自然」は「じねん」と読みます。「天然」のように、「然」を「ねん」と読むことは日常的にありますから、こちらの方が「しぜん」より「自然」かもしれませんね。
 皆さんもよく知っている「だるまさん」こと達磨大師の言葉にこういうものがあります。
 「結果自然成(けっかじねんになる)」
 一般には、「努力していれば、それ相応の結果が出るものだ」という意味だと言われています。なるほど、私たちはそう信じているからこそ、勉強にしてもスポーツにしても習い事にしても、日々がんばれるのですね。
 しかし、もともとの意味を考えてみますと、「結果」というのは、「果実を結ぶ」、すなわち「実がなる」ということですから、「結果は人間の意思を超えて、自然に出るものである」とも解釈できそうです。だるまさんは、座禅を通して「自分を捨てる」考えをきわめた人ですので、そういう意味でこの言葉を使ったのかもしれません。
 私はこの「結果自然成」という言葉が好きです。どちらの意味でとらえるとしても、全ての「結果」には意味があって、自分や世の中にとって最良なものであるのだと考えられるからです。そうだとすれば、いろいろな「結果」を素直に受け入れることができますね。
 さて、もう一つ、「自然」についての常識を覆してみましょう。
 みなさんは東京に行ったことがありますか? おそらく全員が「はい」と答えるでしょう。
 では、東京と山梨、どちらが「自然」に恵まれているでしょうか。
 そんなことは言うまでもない、山梨に決まってるでしょ。みんなそう考えますね。しかし、本当にそうなのでしょうか。実はこの答も、少し視点を変えるとちょっとあやしくなってくるのです。
 話を分かりやすくするために、私の経験を話させてください。
 私は毎年春と夏に、親戚のいる東北地方のある県に行きます。
 皆さんもテレビか何かで見たことがあるかもしれませんが、東北地方では、一面に美しい水田がひろがり、そして、その向こうにこれまた美しい里山の続く風景が、いたるところに見られます。
 私は最初この風景を見た時、なんとすばらしい自然なのだろうと思いました。
 その感想はある意味では正しかったと思いますが、しかし、あのきれいに区画された田んぼや、整然と杉の木が植林されている山々が、はたして「手付かず」の「自然」なのか、ある時そう考えはじめたら、ちょっと分からなくなってしまいました。少なくとも「多様」な「自然」とは言えないような気がしてきたのです。
 一面の稲穂ということは、そこには「イネ」という植物しかないことになりますね。水田では、雑草や虫はいろいろな農薬によって殺されてしまっています。同じことは杉だけが立ち並ぶ山にも言えます。
 あまりに画一的で単調な「不自然」さが、そこにはあるのです。
 逆に、東京には案外多様な自然が残っているのを知っていますか?
 東京には昔からたくさんの人が住んでいました。そのため、墓地やお寺、神社などがたくさんあります。そういうところは、手入れはされますが、なかなか簡単に木を切ったり、薬品をまいたりはできず、多様な雑木林が残ったり、樹齢何百年の古木が残ったりしているものです。東京の都心部にも、実はかなりの程度「手付かず」の「自然」が残っているのです。
 このように、私たちは視点を変えることによって、違う風景を見ることができるようになります。こういう話を聞くと、次に東京に行った時、電車の窓から見える風景が変わって見えるようになると思います。また、山梨の自然も今までと違った風に見えてくるかもしれません。
 先ほども書いたように、こうした視点の転換こそ、勉強や研究の面白さなのです。
 私たちには、「新発見」をすることは難しいかもしれませんが、「再発見」することはいくらでもできるのです。

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2009.11.23

多様性(混沌)の美

↓無能の人?
20091124_105842 日、『数学者はキノコ狩りの夢を見る〜ポアンカレ予想・100年の格闘〜』の再放送がありまして、私が2年前に書いた記事へのアクセスが集中しております。私も再び(実際は生徒たちに何度も見せていますので、10回目くらいだと思いますが)観まして、またまた感心するやら戦慄するやら。まあ何度観ても面白いですね、いろんな意味で。
 そして、今日の体験と重ねて、いろいろと思うところがありましたので書かせていただきます。
 数学という学問は大変に面白いと思います。よくそこに「宇宙の節理」「完全なる宇宙の美」を見出すというような言い方がされますね。人間(の生活)を超えた真理がそこにある予感はします。
 しかし、何度も書いているように、数学は宗教と並んで、ある部分では人間の妄想の極みとも言えます。つまり、脳内で構築される「コト」の権化のような存在であり、実はそこに「モノ」の本質は含まれていないということです。そう、私の言う「コト」というのは、人間にとっての随意、不変な存在であり、それは「情報」であるとも言えます。それに対して「モノ」というのは、まさに「物質」が象徴するような、いわば「無常」なる存在であって、常に流転生滅しています。つまり、我々自身がそうであるように、不随意ではかない存在ということです。
 で、お釈迦様は、この世の「コト(真理=マコト)」は、全ての存在は「無常」な「モノ」であることだけだということを発見した天才だというわけです。究極の真理、崩しようのない真理を見つけた…というか悟った。
 それでも、我々の煩悩は、絶対不変で宇宙普遍な「何か」があることを望みます。お釈迦様が観じた「マコト」以外にも「マコト」があるのではないかと期待します。その最たる表現や手段が、「数学」であり「宗教」であると思います。
 あの番組で語られた、様々な理論や予想というのは、実際に宇宙の本質を語っているとは限りません。いや、語っているわけはありません。なぜなら、あくまで、あの数式たちや、イメージや、あるいは多次元世界というステージも、全て人間の脳内という限られた枠の中での出来事だからです。
 ちょっと前に、同じくNHKで「素数」や「リーマン予想」を扱った番組が放映されていましたね。私はあれを観て、単純に「素数」ってずいぶん不自然だよなあ、と思いました。私だったら「素数」に注目するヒマがあったら、ほかの他律的な数字の魅力に注目しますね。私からすると、素数はちっとも美しく感じられない。なんか自己完結しているところが、きれいじゃない。嘘くさい。
 だいいち、「自然数で割り算する」ことの意味がよくわかりません。というか、「自然数」がなぜ「自然」なのか解りません(笑)。バカですみません。
 もちろん、これは私の感性が変なのでしょうけれど、たとえば「π」という数字とか、「円」という図形もまた、私にはとっても不自然に感じられます。
 実際、この世の中、あるいは宇宙にも「真円」なんてものは一つも存在しません。理論上はあるとしても、それはあくまで人間の脳内のことです。だから、「π」にも実在的な意味は見出せません。存在しないからこそ、それは「イデア」であり、崇拝すべき、あるいは感動すべきなのかもしれませんが、どうも最近の私はそういう感性が鈍ってきているようでして、あまりそれらに魅力を感じないんですよ。
 ですから、今日この番組を改めて観て、やっぱりペレリマンはその「コト」に気づいてしまったのではないか、ポアンカレ予想の証明はできても、それが宇宙の真理には全くほど遠いものだったということに気づいてしまったのではないか、そう思いました。だから、フィールズ賞なんていただけないし、もう数学という「フィクション」に絶望してしまったと。
 「言語(コトノハ)」は脳内フィクション用の記号です。数字や数式の記号たちも、もちろん「言語」であります。
 そう、それで今日の別の体験の話です。実体験です。脳内体験ではありません。
Photo 今日、父親に連れられて、私たち家族は安倍川の河原に行きました。私自身何十年ぶりかの体験です。そこには上流から流れ着いた無数の石たちが転がっています。転がっている、ではないな。敷き詰められているかな。その一つとして幾何学的なものはない。そして二つとして同じ形のものはない。しかし、それらがこうして無数に集まって、全体としてなんとも美しい風景になっていました。そのことに私はとても心安らぎ、そして一方で興奮し、またどこかで何か崇高な「モノ」に接したような気がしたのです。
 今、ペレリマンは本当にキノコ狩りをしているのかもしれませんね。それはもしかすると、今日の私のような気持ちなのかもしれません。もちろん、あまりに次元が違うのでしょうが、ちょっぴり似ているとも言えないことはない…かも。
 河原の近くに「石屋」さんがありました。石を削る音がしていました。彼は、この河原から原石を拾い出し、そしてより人間様の観賞に耐え得るように幾何学的な細工を加えて商品を造っているのでしょうか。それとも、その石が川床から受けた自然の造形力に伍するある種の自然力を加えて、芸術作品を創っているのでしょうか。
 私はふと、ただ河原の石を拾って、それを並べていただけの「無能の人」を思い出しました。ペレリマンはもしかすると「無能の人」になりえたのかもしれません。

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2009.11.22

ホッキョクグマ「ロッシー」は可哀想?

Peace60 い夫婦の日。私は久々に家族みんなで静岡の実家へ。ウチの夫婦や私の父母が「いい夫婦」か、実に微妙でありますが、96歳になる祖母を施設に見舞いに行った時は、さすがに祖父母はなんだかんだ言って「いい夫婦」であったと思いました。祖父は93で亡くなりましたが、本当に大往生。祖母も施設のベッドの上にいるとはいえ、体に痛いところなど一つもなく、久々の孫との会話にもユーモアを忘れず、元気と言えば元気。結局、こうしてお互い健康に長生きして、ケンカしながらでも、とにかく長く連れ添うのが一番「いい夫婦」ですね。
 さて、今日は「いい夫婦」とは全然関係ない話。
 夜は母と嫁の合作料理をいただきながら、父が用意してくれていたおいしい日本酒をいただきました。テレビでニュースを見ながらの食事だったのですが、例によって最後は私と父の大げんかで終わりました(笑)。どうも思想的に敵対するんだよなあ…父子ってそういうものなんでしょうね。ある意味ライバル。
 …って、その話がメインではありません。ホッキョクグマの話です。
 静岡のローカル局でこんなニュースが流れました。
ロッシー誕生日に温暖化考える 静岡・日本平動物園で22日フェスタ
 ロッシーというのは、昨年日本平動物園にやってきた人気者、子どものホッキョクグマ(しろくま)です。
 ニュースでは、来園者の子どもがインタビューを受け、「温暖化でホッキョクグマの住むところがなくなってしまうので、温暖化はいけないことだと思います」とか、なんとも言わされた感のあるコメントをしておりました。いや、彼は彼で純粋にそう思って言っているのですから、それはそれでいいのです。
 しかし、そういう言葉の出てくる背景にある、教育現場での指導やら、こういうメディアでの物言いというのには、ちょっとこわいものがありますね。
 もちろん、ホッキョクグマにとっては、温暖化は多少の問題はあります。長期的に見てある程度の移動をしなければならないからです。
 でも、そんな程度の気候変動は地球の歴史の中ではごく普通のことで、そのたびに我々はいろいろな所へ移動して生き延びてきたのです。そちらの話もしなければ。
 それから、これはいつも言っていることですが、ちょっと考えれば分かる通り、気温が上がって二酸化炭素濃度が上がるということは、ほとんど全ての植物にとって望ましいことです。光合成の勉強をした時、そういうふうに教わっているはずです。晴天時など充分な光がある条件下では、現在の地球上の二酸化炭素濃度は低すぎるくらいです。温度についても同じようなことが言えます。
 植物が元気なら動物も元気になります。食べ物が増えますからね。草食動物が増えれば肉食動物も助かります。
 ですから、温暖化すると困るというのは、人間にとって「困る」ということなのです。人間は国家という檻の中にいますので、簡単に移動もできませんし。
 もちろん、これもまた一面的なものの見方であって、極端な論であるわけですが、しかし、そういう視点も持たねばならないと思います。そういういろいろな視点を提供して、クリティカルでロジカルな思考を促すのが、教育や報道の本来の仕事だと思うのですが。
B47 そんな人間の愚かさをまだ2歳にならないシロクマのロッシーは憂えているのでしょうか。この前、遊具のブイを放り投げて、お客さんの頭に直撃させてしまったそうです。怪我をされた方には同情申し上げますが、これによって大好きな遊び道具であるブイを撤去されてしまったロッシーは、ある意味もっと可哀想なような気がしませんか。
 さらに、今日の「温暖化」の話ですけれど、考えてみると、ホッキョクグマの棲み処が暑くなるとかいう問題ではなく、ずっと昔から「温暖」で、さらに「温暖化」している日本の中の「南国」静岡に、こうして親から引き離されて連れてこられたロッシーって、それこそ「温暖化」以前にとっても可哀想だと思いませんか?ww
 …と、こういうことを言いましたら、また親父とケンカになりました。彼は、徹底した温暖化反対論者なのであります。彼は、人間の、欲望に任せた経済活動に異議を唱えているんです。それもわかります。日本の金融の中枢に長く勤めた父親の、せめてもの償いなのでしょう。
 というわけで、親子でもこれだけ意見がぶつかるんですから、世界中からいろんなケンカが絶えないのは、これはしかたありませんな。みんなわがままですこと。

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2009.11.09

Star Walk for iPhone

20091110_82358 iPhoneを使い始めて1ヶ月ほど経ちました。たしかに便利ですし、使い勝手もよろしい。これは売れますね。もともとMacユーザーである私としては、こういうApple的世界がより広く認知されるということが何よりうれしいことです。単なる物としての価値ではない、人の心を動かし、人をつなぎ、世界の創造力と想像力をかきたてる、本来の「デザイン」がそこにあると思うからです。
 さて、この1ヶ月間、まあいろいろとアプリを使ってみました。基本的に無料のものや、安物しか使っていませんが、まあ使えるのもあれば使えないのもある。おもちゃとしては許せるなというものがほとんどと言えばほとんど。
 そんな中、驚くほど感動したのがこの Star Walk です。いちおう天文ファンである私としては、これはある意味夢のソフトですし、しかしまた、ある意味無用の長物でもあります。
 基本的にパソコン用の天文シミュレーションソフトのライト版という感じですが、なんといってもすごいのは、iPhoneに内蔵されているGPS、電子コンパス、加速度センサーを駆使して、リアルタイム星座早見になるという点です。つまり、星空にiPhoneをかざすと、その方向の星空が画面に表示され、設定によって、星座や星座絵、星の名前などを表示してくれるという機能です。いわば、星空版セカイカメラとでも言いましょうか。
 その精度の高さと追従性の高さは特筆ものというか感動ものです。これは夢だったよなあ。ついにそれが叶ったという感じです。
 無用の長物といったのは、まあ、私くらいの天文ファンなら、いちおう夜空の星を見れば、あれが何座とか、あの星の名前はということはわかる、すなわち昔取った杵柄で、星座早見や全天恒星図が頭の中に入っているということなんですが、それでもまあ、さすがに歳とったし、毎晩6等星まで見える環境にいると、なぜかあんまり星を見なくなってしまうという、妙な逆説的状況(富士山も見ない日があるくらいですから)になっている私としては、そうした記憶を補助するという意味においては有用なのかもしれません。
 またこれは、最近星にちょっと興味を持ち始めた娘たちの勉強の動機付けにはいいかもしれません。今の子どもたちはいいですね。いやいや、恵まれすぎかも。
 この前のデジカメと銀塩カメラの話、デジタルとアナログの話とも重なるかもしれませんね。昔だったら、私のように自分の脳という実は見事にモバイルなディバイスにですね、メモリーさせておくことが最良の手段だったわけですよ。しかし、今こうして、自分を補助する、自分を拡張する、しかし他者と共有するタイプの外部ディバイスを使うようになりますと、脳というディバイスへの負荷が減ってきますね。必要な時にさっと外部ディバイスを取り出せばいいやと。
 それってはたして私たちにとって幸せな状況なのでしょうか。特に子どもたちにとって。このアプリについても、感動しつつ、ちょっと心配というか、複雑な気持ちになるんですよね。難しいところです。
 先ほど、私の記憶を補助するという言い方をしましたけれども、もしかすると、私の記憶をさらに劣化させる、実は悪魔なのかもしれません。そんなこと言ったら、もうケータイとか、パソコンとか、全部が全部「コト化」を助長する悪魔ということになってしまって、我々人間はこうして我が手で我が首をしめているということになりかねませんね。こうして書いている言葉自体が最も古くてタチの悪い悪魔なんですが(笑)。
 ちょっと話を戻しましょう。いつかも書いたと思いますけど、今、私たちの手が届かないモノ、本当にどうしようもないモノ、不随意で手を加えられないモノって、宇宙しかないと言えばそういうことになるんです。
 もちろん、どこまでを宇宙とするかというのは難しい問題です。太陽系内であったら、もうけっこう手を加えてますからね。しかし、たとえば200万光年先にあるアンドロメダ銀河なんか、今こうして望遠鏡で観ることはできますけれど、なにしろ今観ているのは200万年前の光であるし、行こうにも(たぶん)行けません。最新の天文学は、ある意味最古の考古学になっていきます。そういう科学、芸術の分野って、もう宇宙にしか残されていません。つまり、宇宙の前(下・中)では、我々現代人も、星座をつなぎ、神話をつむいでいた古代人と何ら変わらないのです。
 そこが、天文学、星の世界の魅力なんですね。私たちが唯一自分の傲慢さから逃れられるのは、こうして宇宙の前(下・中)に、無重力で、そして無力に漂う刹那だけなのでした。私はこれこそが宗教の根源だと思っています。

Star Walk

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2009.11.07

『大人の科学マガジン vol.25 35mm二眼レフカメラ』 (学研)

Img_0065 仕事終えまして、久しぶりに自分の時間がちょっとだけ取れましたので、やりたいことをやらせていただきました。ちょっと前に届いていたのに開封せず我慢していたのがこれ。大人の科学です。
 学研さん、うまいですねえ、商売が。こちらで書きましたように、大人気(おとなげ)ない大人に大人気(だいにんき)の学研「大人の科学」。考えてみれば、誠文堂新光社「子供の科学」のパクりなわけですよねえ。今や本家より売れているわけで、そのあたり、廂を貸して母屋をとられた本家としては、どのような心境なのでしょう。
 今回の付録はたまりませんね。ホントにうまいとこ突いてくる。タイミングも良かった。良すぎ。もちろん私にとってですが。
 ここのところ、あまりに写実的にすぎ、あまりに非人間的なデジカメ的世界にうんざりしていたわけですよ。私は私なりに人と違う個性的なデジカメを使ってきたつもりですけれど、それはあくまでデザインやスタイル、機能における個性であって、やはり撮影された写真は、なんとも無機質な大量生産品のようなものでしかありません。
 それで、最近発売されたYASHICAのトイデジでも買って遊ぼうかなあ、なんて考えていた折だったのです。
 以前、紹介したRolleiflex MiniDigiは、残念ながらお金がなくて泣く泣くスルーしてしまいました。でも、あの記事を読んだ知り合いがすぐに飛びついて買ってくれまして、実際持たせてもらったり、作品をいただいたりすることができまして、なかばうらやましいと思いながらも自分の中である程度満足していたのです。
 それから、最近、やっぱりデジタルじゃなくて銀塩だよなあ…あの感覚をもう一度、とか思っていたんです。1枚にこめる思い入れが違うんじゃないか、って真剣に思っていたところだったんです。プロの撮る商用写真でさえ、なんか味がないように感じるんですから。
 で、そんなこんなを考えているこのタイミングに、こいつが発売されたものだから、もう嬉しくて嬉しくて。銀塩で二眼レフ、もちろんトイカメラ仕様だし、なにしろRolleiflex MiniDigiの10分の1のお値段。
Img_0066 さっそく今晩組み立てましたよ。この組み立てっていうのも萌えですよね。娘たちも私の作業をじっと見つめていました。だんだん出来上がってくるカメラを見ながら「すごい、すごい、パパすごいね」ってほめてくれました。ちょっと嬉しかったりして。全然難しくないんですけど。
 いや、実はけっこう苦労したところもあります。なにしろ「大人の科学」を買う昔子供だった大人は、今そろそろ「老眼」という真の大人の領域に入りつつあると思います。ウチはなんとなく薄暗いし、とにかく小さなバネを固定したりするのが困難なわけですよ。年を感じました。でも、この(半)自作の感覚というのは、昭和の子供時代そのままですね。本当にいい気分転換になりました。
 そして、出来上がったのがこれというわけです。なかなかいい質感です。もちろんオール・プラスチックですから、それなりですが、それがまたトイらしさを醸していてうれしい。プラモデルの軽さ(重さ)というのも、あの頃の記憶そのものであります。
 実は35ミリフィルムを買っていないので、まだ撮影はしていません。フィルム買うのも実は久しぶりかもしれないなあ。売ってるのかなあ(笑)。白黒も試してみたいのですが、通販で買った方が早いのかもしれませんね。街の写真屋さんで売っているのかしら。
 大人の科学本体のムックの方に、撮影例がたくさん載っています。どれも私の望むような素晴らしい作品です。なんといいますかね、結局私が最近求めているのは、「モノ」なんですよ。不随意な存在。思い通りにならない写真。私は子供のころ、天体写真をかなり本格的にやってました(もちろん現像焼き付けまで)ので、そういう体験を人一倍しているわけですよ。その時の感覚ですね。辛いし、もどかしい、でも、うまく行った時の喜び、そして予想外の作品が出来上がった時の感動ですね。また、時間とのつきあいですね。いろいろ待たねばならない。そして、さっきも書いた1枚への思い入れ。気合い。魂。
 やっぱり子供にはそういうモノって大切ですね。最近のデジタル・チルドレンにはそういう体験が不足しすぎです。新しい中学ではぜひ、そういうアナログ体験をさせたいなあ…。
 作品例では、特に本城直季さんのミニチュア写真(実景をジオラマのように撮る写真)、面白っかたなあ。現実のおもちゃ化。ぜひともやってみたいですな。
 実際に撮影したら、デジタル化して(笑)紹介しますね。

ps うまく行ったら、もう1台買って、ステレオ写真ってのもいいかも!?

作品集 その1 その2

Amazon 大人の科学マガジン(vol.25)

楽天ブックス 大人の科学マガジン(vol.25)

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2009.11.02

USB2.0コンボドライブ(3ポートハブ+8in1カードリーダー)

Img43290684 ういっちょ手抜き記事。でも、案外こういう方が読者にとっては有用だったりします。
 最近買ったもの。USBハブとカードリーダーが一つになってます…って、どっかで聞いたこと、いや読んだことあるような。そうです、7月にPhotoFast CR-8000 Airを買って紹介したんですよね。なのに、なんでまた同じようなものを…とお思いでしょう。
 あれはあれで重宝してたのですが、一つ欠点がありました。それは外部電源、すなわちACアダプターに対応していなかったのです。ですから、バスパワーのみ。それが時々不便に感じられました。
 最近のマウスとか、光学式じゃないですか。あれって案外電気が必要なんですよね。今使っているマウスですと、Airにつなぐと電圧不足で機能しないんですよ。で、結局マウスは本体に直接接続しなくちゃならない。
 あと、ポータブルの外付けハードディスクもつないだりしますから、なんだかんだしょっちゅう電力不足の事態に陥っていたわけです。
 う〜む、その辺なんとかならんかなあ…と思っていたら、最近になってACアダプターから電源を供給できる(ように見える)製品を見つけたので、試しに買ってみたというわけです。
 電源に関する記述は全くないし、それ以前にどこのなんという製品かすら分からない。ただ、写真を見てですね、とりあえずUSBハブが三つあって、メモリーカードも8種類使えて、それで、どうもACアダプター用と思われるプラグ穴があり、さらに上面のなんとも言えないセンスのデザイン画の中に小さく「power」という文字があることだけを頼りに、注文してしまいました。
 結果は…正解でした(笑)。まあ、送料込みで1010円かなんぼでしたから、不正解でもいいと思っていましたが。
 ウチに大量にころがっているACアダプター(なんでACアダプターってどんどん増殖するんでしょうねえ)のうち一番小さいのが、うまいこと使えたようでちゃんと機能しています。これでいろいろな面倒は解消しましたから、めでたしめでたしと。
 しっかし、なんともアヤシイ製品ですね。でも、相変わらずこうしたUSBハブとカードリーダーの合体した製品ってあんまりないので、これは案外貴重なものかもしれません。安いし。
 これは皆さんも一つお持ちなっているとよいかと思いますよ。
 ついでですから、増殖するACアダプターに関する話を一つ。私の予想では10年後くらいには、家庭内からACアダプターが消えると思っています。発電所から家庭(や事業所)へ電気を運ぶのは交流(AC)の方が何かと便利です。それが現在ではコンセントのところまでそのまま交流で着ているわけですね。それをACアダプター(AC/DCアダプター)で直流に変換していろいろな家電などを動かしています。それを、各家庭などで一ヶ所でまとめて変換して、コンセントのところではすでに直流で供給するようにするのです。当然そういう発想はあってもいいと思います。
 そうすると、あの(この)大量に増殖して、案外かさばり絡み合うアダプターが必要なくなるわけですからね。まあ、変圧をどうするかとか、プラグの形状をどうするかとか、過渡期をどう乗り切るかとか、いろいろ問題はありますが。
 ちなみに家庭用太陽光発電は直流ですから、そういった意味でも、これからはDCの時代になるのかもしれません。

USB2.0コンボドライブ 3ポートハブ+8in1カードリーダー

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2009.10.08

台風一過 初冠雪の富士

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Img_0016_2 風で被害に遭われた皆さまに心からお見舞い申し上げます。
 当地富士北麓では、未明に多少強い雨と風がありましたが、朝にはなぜか青空がのぞいておりました。娘たちも、そして私も学校が休みと決まっていましたので、なんとなく得したような、しかし後ろめたいような…笑。
 私は中間テストなど作る仕事がしっかり残っていましたので、午前中は出勤しました。子どもたちは、絶対に外出しないようにと、小学校から強く言われているようでして、台風一過の抜けるような青空をうらめしそうに見ていたようです。仕事とは言え、「いってきます」と言って出て行く私を、うらめしく思ったに違いありません。
 さて、私は午後2時頃まで仕事をしまして、さあ平日の午後にフリーになるのは珍しいことですから、普段あまり行けない「富士吉田市歴史民俗博物館」に行ってまいりました。休日ですとそれなりに人がいて落ち着いて観覧できませんので、こういう日がチャンスです。平日であることに加えて、台風で大荒れになるはずの日ですから。
 実は今、当民博では、私の奉職する学校の母体となっている寺院の歴史的美術品などを展示する「月江寺展」をやっています。それを今日は完全に独占状態(お客さん一人)で堪能してきました。いや、本当に素晴らしかった。そして、いろいろと謎が深まった。それについては、また後日報告する予定です。
 さて、民博をあとにした私は、帰宅せんとしたわけですが、途中車窓から見える富士があまりに荘厳だったので、ウチから少し西に走った「道の駅なるさわ」に向かいました。写真を撮るためです。
 私の予想通り、道の駅を裏側にある駐車場には、多くのカメラマンが望遠レンズの大砲で富士山を狙っていました。そう、昨日初冠雪が確認されたということもありますし、こういう台風一過の時というのは、いつもは見られない雲が発生しますし、だいいち空気が澄んでいて、山肌の鮮明な、ある意味露骨な富士山を撮ることができるんですね。特に夕刻には年に何回かしか見られないような、幻想的な赤富士になる可能性があります。それを狙ってやってくる皆さん。いったい仕事は何してるのかな。みんながみんなプロのカメラマンとはとても思えない。
 私もそんなカメラマンの方々の間に混じって…と思いましたが、考えてみれば私はデジカメすら持っていない。結局最近手に入れたiPhoneで撮るしかないわけで、とてもとても、そんな本格的な皆さんの中に入っていけません。
 そこで、ほんの少し離れたところに車を停め、まあテキトーにシャッターでも切ろうかと思いまして車を降りましたら、ちょうど目の前に大きな水溜まりがあって、そこに見事な逆さ富士が映っていたのです。これはラッキーとばかりに何回かシャッターを切りました。iPhoneのカメラ、なんだかシャッターのおりるタイミングがよく分かりません。おかげで、地面を撮ってしまったり、自分を撮ってしまったり(笑)。
 さあ、そんな感じで、まさにとてもプロの(?)カメラマンさんたちには見せられない状況の中で撮った、一番まともな写真が上の写真です。ちょっと変なものが写り込んでいたのでトリミングしました。
 画質は気にしないとして、どうですか。なんとも荘厳な富士のお姿ですね。首に激しく流れる雲を巻き、しかし、相変わらず何ものにも動じず堂々とましますお姿。これは台風一過ならではの強い富士山です。民博での展示の中心であった「信仰の山」という側面が、最もよく分かる瞬間かもしれません。
 写真をclickして拡大してみると分かるかと思いますが、頂上中央に見える白山岳に、かすかに白い雪が被っています。初冠雪と言われた、その雪です。初冠雪というのは麓で観測されたという意味ですから、本当の初雪とは違います。あくまで麓の人間(気象庁の測候所の係)が判断するものです。
 これから、この「白」が徐々に勢力を拡げ、そして、あの凛とした白富士になるわけですね。季節は確実に冬に向かっています。
 あと、やはり山肌ですね。非常にクリアに見えます(写真はやや不鮮明ですが)。そう、頂上が冬ならば、5合目付近は秋。今紅葉が見頃です。そして、麓にはまだ夏の緑も残っています。都合三つの季節をまとっているわけですね、今の富士は。それがお分かりになるでしょうか。
 紅葉が徐々に山を下りてきます。ウチのあたり(標高1200メートル付近)に来るのは3週間後くらいでしょうか。いよいよ寒い季節、そしていろいろな意味で勝負の季節がやってきます。

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2009.10.01

再春館…

200pxkitasato_shibasaburo んでもなく忙しく、そしてそのためか体調がふるわないので、今日は短く…したいな。とりあえず元気が出る話題を。
 皆さんは、「再春館」と聞いて、何を思い出しますか?
 最近では、「ドモホルンリンクル」の再春館製薬所でしょうかね。あの、いかにもなイメージCMの化粧品製造販売業者です。それについては、のちほど。
 私は、雷おやじ北里柴三郎でしょうかね。彼は熊本藩の医学校「再春館」の出です。慶応義塾大学医学部の創設者です。日本医師会の創設者とも言えますね。北里大学のルーツであるのはもちろん、医療機器メーカーテルモを作った一人とも言えます。
 「日本細菌学の父」柴三郎はインフルエンザの研究もしていましたからね、今の新型インフルエンザ騒ぎについて、あの世でどんなふうに思っているのでしょう。
 いずれにしても、こんな偉大な医学者を出した「再春館」はすごいと思いますよ。私は詳しくないので個々には知りませんけれども、柴三郎を育てるような優れた教授陣がいたということですね。
A000311 さて、その「再春館」の名をカタって、しこたま儲けているのが「再春館製薬所」です。ドモホルンリンクルです。私は全然関係ない生活をしているので、別に恨みも何もないのですが、やや過剰とも言える「善意」の押し売りに、ちょっと辟易しています。偽善的とまでは言いませんが、ヤクザに銃弾撃ち込まれるような何かがあるんでしょう。
 それこそ柴三郎たちはどんな表情で「再春館製薬所」の奮闘ぶり(?)を見ていることでしょう。美容と医学は、全くの無関係とは言いませんが、本来の「再春館」のモットーからすると、ちょっとどこかズレているような気がしないでもない…。
 で、実は今日のメインは上の二つの「再春館」じゃないんですよ。男としてはこっちでしょ!
 「絶倫シリーズの再春館薬品」
41m443pzx6l_sl500_aa280_ いや、この前のレスリング関係者の結婚式の二次会でですね、くじ引きで私が見事にゲットしたのが、この「再春館」の絶倫セットだったのです!もう何をか言わんや。
 こちらの商品一覧をご覧下さい。というか、それぞれの商品名を大声で呼称しましょう!もうすっかり元気になりますよ(笑)。
 いやあ、昨日の話じゃないけど、最近の草食系男子の生殖力の貧弱さは目に余るものがあります。これはまあ生物学的には仕方ないことなのかもしれませんが、やはり世の中の元気のなさにつながる大きな要因の一つであると思うのですよ。
 最近紹介し、懐古することの多い昭和の巨人たち、みんなものすごい精力でしたからねえ。英雄色を好む。最近では、そうですねえ、せいぜいホリエモンくらいでしょうか。妙な精力をお持ちなのは(笑)。そうだ!「ドモホリエモンリンクル」とか発売したらどうでしょう、再春館薬品から(笑)。
 というわけで(?)、私も人のこと言えないくらい最近元気がないのですが(笑)、なんとなくゲットした精力剤、あんまり試したくないような、いや試したいような…。
 「再春館」…再び春を…。女性はシワを落とすためにワケわからん化粧水に何十万円もかけ、男性もまたあの感覚を取り戻すためにワケわからんドリンクに数千円かける。
 なんとも、面白く、切ないですね。人間ってやつはねえ、ホントかわいい生き物ですわ。
 ところで、本家「再春館」はどういう意味でネーミングされたんだろう…。柴三郎さんに聞いてみようかな。

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