カテゴリー「自然・科学」の302件の記事

2012.01.28

山梨県東部・富士五湖地方で震度5弱

Large すがにビックリしました。しかし、直下型だな(震源近いな)とは思いつつ、いわゆる富士山直下(すなわち我が家直下)の揺れ方ではなかったので、それほど心配はしませんでした。
 たまたまパソコンの前に座っていたので、揺れている最中からツイッターで分析・解説してしまいました(笑)。気象庁なんか1時間もかかった上に大したこと言わないし。
 以下ワタクシのツイートでこの地震について復習してみましょう。

・おっと直下型だ。
・富士山ではないか。道志かな。
・でかい。
・物が倒れた。
・余震が続くな。@富士山
・道志川より東のような気もするな。
・また揺れた。
・富士山直下ではありません。
・やっぱり道志川断層だな。よくある地震だ。
・忍野村は地盤が弱いのでよく揺れます。昔、湖底だったから。
・正直兆候はなかったなあ。ちなみに富士山は平穏です。今朝のラドン濃度も13ベクレル。
・あと数回有感余震がありますが、これはこれで収束します。
・また揺れてるな。あえて言えば昨夜強烈な頭痛に襲われた。インフルエンザかと思った。今は治ったから体感だったのかもしれない。自分でもよくわからんが。
・富士山とは直接関係のない断層帯であることはたしかです。東部富士五湖って言われると知らない人は心配するよな。
・下の娘は3回目のでようやく起きたww
・まあたしかにこれだけ連発するのは珍しいかな。広い意味での3.11の余震(誘発地震)だろう。この辺もあの大地震で10センチ以上東に動いたわけだから、活断層に影響があるのは当たり前。

 このあと、我が家は富士山から逃げるように東京へ向かいました。私は半蔵門でコンサートの練習。カミさんと娘たちは東方グッズを買うために秋葉原へ(笑)。
 いや、富士山から逃げる気は全然なかったんです。逆にそれだけ緊張感や切迫感がないということです。本当に逃げるなら、猫たちを連れて行きます。
 結局、予想通り小規模の余震を重ねつつ収束に向かっていますね。
 さて、今回の地震の前兆については最後に記載します。まずは解説。
 今回の地震は、このあたりでは最も活発な地震の巣で起きました。10〜20年に1度M5クラスが発生する地域です。いわゆる道志川断層帯。私の記憶に鮮明なのは、あれは1996年の春だと思いますけど、やはり震度5がありました。あの頃はまだ独身でボロアパートでとんでもなく荒んだ生活をしていました。もともと被災したような部屋だったので被害の詳細は不明でしたが(笑)、いろいろ物が飛び散った記憶があります。
 それから都留の大学に入学した1988年の夏休み。M6が起きています。帰省後下宿に帰ったら、やはり物が散乱していましたっけ。
 その後も震度4以下の地震は多発していましたので、その揺れ方の特徴なども体に染みついています。だから、すぐに「道志かな」と判断できたのでしょう。我ながらすごいな(笑)。
 いつも書いているとおり、このあたりは、北米プレート、ユーラシアプレート、フィリピン海プレートの交合点です。力学的に言えば、太平洋プレートの影響も大きいので、4枚の板が押し合いへし合いしている世界的にも特殊な地域と言えます。だから富士山という素晴らしい山が出来ちゃったんですよね。
 特に道志から丹沢にかけてはフィリピン海プレートの北端ということで、当然地震活動が盛んになります。
 ちなみに伊豆半島はですね、フィリピン海プレートに乗っかってどんぶらこドンブラコと南から流れてきた島でして、ただ火山活動が盛んだったからでしょうか、ちょっと比重が軽くてですね、北米プレートの下に潜り込めなかった。それでドカンとぶつかって半島になったのです。ぶつかった時のしわ寄せが箱根です。
 ですから、道志あたりは、伊豆半島の下の方の重い岩盤が表面から分離して潜り込んでいると言えるわけです。すごいスケールの話ですね。
 そういうスケールで言うと富士山と全く関係がないとは言えないわけですが、現実的には直接富士山の噴火に結びつく地震ではありません。ツイートしたように「東部・富士五湖地方」と言うと地元の人でも「えっ?富士山大丈夫?」と思ってしまいますよね。
 今回の地震で少し意外だったのは、大きな前震があったということです。最初のM5.0が本震だと思いました。ですからその後のM5.4は想定外でした。
 これはちょうど昨年の3.9と3.11の関係に近いのではないでしょうか。本震の震源に隣接する地域で比較的大きな前震が起きうるということを再確認。逆に言えば、どんな地震でも、続いてそれ以上大きな地震か起きることを想定して行動しなければならないということです。
 さてさて、ツイートの中では「前兆がなかった」と書いてしまいましたが、それは得意の地震雲や体感についてことであって、実はある意味科学的なデータを私自身が持っていました。それは大気中のラドン濃度です。
 昨年11月に測定機器を購入し計測を始めたラドン濃度。実は今月15日をピークに異常値が現れていたんです。その後急速に数値が低下、そして発震。典型的な前兆パターンです。それを栃木の研究者様が解析しまとめてくださったので、ぜひこちらでご覧ください。1月28日夜の臨時日報です。
 ボランティア観測網に参加しはじめて1ヶ月ほどで、このような成果をあげることができて良かったと思います。今後もラドン濃度の動向に注目していきたいと思います。
 体感と言えば、昨夜すごい頭痛に襲われたんですよね。インフルエンザかと思ったんです。朝には治っていましたから、もしかすると予感していたのかもしれません。このへんも科学とは別の次元で記録と検証が必要ですね。
 というわけで、このたびの地震は順調に収束していくでしょう。ただ、これから数十年にわたって活発な地震・火山活動期は続くと思いますので、富士山の噴火も含めて、もちろんしっかり想定に入れつつ、自然の声に耳を傾けていきたいと思います。
 特にここ富士山は日本の霊的丹田です。4枚のプレートの力を集中しているという意味では、科学的にもヘソに当たるでしょう。ここでしか分からないことがあると思います。私はそれをしっかり感じ取り、皆様に伝えていければと思っています。

 追記 これを機にラドン濃度の測定値を毎日朝晩2回ツイッターで公表します。よろしかったらフォローどうぞ(左上の黒猫の足元に入り口があります)。

 30日追記 すっかり地震活動が収束しました。富士山もいつもどおりです。もし心配があるとすれば、道志川断層群の南側にあたる、神縄・国府津-松田断層帯ですね。あそこはM7以上の地震を起こすパワーを持っています。もちろん、東側の立川断層なども同様に活性化している可能性があります。いずれにせよ、東日本を中心にかなり歪みがたまっている(すなわち今までのストレスを解放するきっかけが増えている)状態ですから、いつでもどこでも注意が必要でしょう。

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2012.01.25

三路スイッチ・四路スイッチ…そして脱電力のお話

 日の技術の時間は「3路スイッチ(三路回路)」についてのお勉強。
 皆さんのお宅にもあるのではないでしょうか。階段の上と下で電気をつけたり消したりできるスイッチ。
 ウチの階段にもありますね。ウチのは四路です。つまり、三カ所でつけ消しができるタイプ。
 これっていったいどういう回路になってるんでしょうか。今日は技術の先生がそれを生徒に考えさせました。皆さんも考えてみてください。答えは下にあります。
 四路になるとちょっと難しいですよね。というか、四路スイッチを発明した人は偉い!誰なんだろうか。私は四路は考えてもわからず、答えを見てしまいました。
 技術の先生とも話したんですが、今どきの子どもたちは、たとえばこのようなスイッチがどういう仕組みになっているかなんて、ほとんど考えませんね。
 世の中の機械のほとんどがブラックボックス化していまして、そういう仕組みというものを考えなくても生活することができるようになりましたし、たとえ興味を持ったとしてもそれを確かめる術がないというのも事実です。
 私の子ども時代なんか、まあなんでもかんでも分解してましたからね。それって、つまり「中身はどうなってるんだろう?」とか「どういう仕組みでこうなるんだろう?」とか、そういう興味にかられて、居ても立ってもいられなくなっていたということですよね。
 そして、当時の機械はそれを許す作りでしたね。分解可能でした。今の機械は分解できないようにできていますね。つまり、作った側も修理するつもりがないということでしょう。壊れたら捨てて買い換えると。
 大人がそういう世の中を作ってしまったおかげで、今の子どもたちは「想像力」を失ってしまいました。ウチの学校では、いろいろな意味で「想像力」を育てたいと考えていますので、その一環としてのこの技術の授業です。というか、大人である(すなわち昔の子どもだった)私たち教師の「遊び」という意味合いも多分にありますが(笑)。
 「遊び」には危険も伴います。リスクがなければ「遊び」は成立しません。「遊び」の本質の一つは「危険への挑戦」「未知への挑戦」「想定外への対処」です。そのための最大の武器が「想像力」なのだと思います。
 そうそう、その技術の時間では、「短絡」や「感電」も経験させていましたよ。
 まあそういう「危険」に伴う責任が製造者側に課せられるようになっていますしね、どうしても作る側もそういうリスクを避ける方向に行っちゃいますよね。
 今、いろいろな意味で、「電気」が注目されていますが、考えてみると「電気」自体が得体の知れないものになってしまっています。いや、本来得たいの知れない「モノ」であるはずなのに、ブラックボックスの中でしっかりコントロールできている「コト」であると、我々は勘違いしているのです。
 原発事故なんか、まさにその結末であり、ある意味「もののけ」たる電気、あるいは原子力(核力)、つまり自然の反乱、反撃とも言えなくもありません。
 だいたいですね、この電力社会というのが幻想の産物なんですよ。私も含めて、そこのところに想像力が及ばず、こういう社会に依存して安住してしまった。
 この期に及んで、電気自動車やオール電化とか言っている私たちって…。世の中の自動車が全部電気自動車になったら、いったいどれだけ電力使用量が増えるか。そんなことすら想像できない私たちって(ちなみに原発を新設せずに電気自動車に要する電力を全て火力発電所で補うとすると、肝心の温暖化の問題、化石燃料枯渇の問題も単純には解決しなくなる)。
 今の私たちの使用電力量を半分にするとなると、なにか大変な、ある種原始的な生活に戻るような気がしてしまいますが、実際には1970年代に戻るだけです。あの高度経済成長期の「電力生活」に戻るだけです。
 いや、今では省電力化の技術が進んでいますから、あの頃よりもずっとぜいたくな「電力生活」ができるでしょう。
 そういう意味では、今必要なのは「脱原発」ではなくて、もっと根本的な「脱電力」なんですよね。いや、「脱電力」というよりも「脱過剰電力使用社会」と言った方が正確かな。
 もちろん、一つには私たちの省電力生活化も大事ですけれども、今の電気の垂れ流し状態からの転換を図るために、私のいつも言っている「蓄電」技術の進歩も大切です。大型キャパシタの研究開発に期待します。日本の工業界、逆転の最後の切り札は「蓄電」にあります!
 さて、話がだいぶ逸れたので、最初の問いに戻りましょう。三路スイッチの回路図できましたか?四路をゼロから考えられたとしたら、あなたは天才です!
 では、答えです。

三路スイッチ回路図。

3swlight1

四路スイッチ回路図。

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2012.01.18

フユユスリカ(的人生?)

20120119_90509 のクソ寒いのに(朝はマイナス10度)学校の庭に虫が大量発生しているというので見に行ったら、たしかに蚊のような虫が群れをなして飛んでいました。
 夏の河川敷などでは時々見られる、いわゆる「蚊柱」です。
 さすがにこの季節にこれはおかしいだろ、もしかして地震でも起きるのでは…なんて思いまして、さっそく調べてみたら、まあビックリ。別に異常なことではなかった。いや、ある意味これは普通じゃない虫だった…。
 この「蚊」はいわゆる「ユスリカ(揺蚊)」の一種であり、それも冬に発生する「フユユスリカ」だそうです。まあ、なんで好んでこの季節に出てくるかな…。
 まず、今まであまり見たことのない冬の蚊柱という現象が起きたのかですが、これはどうも昨年の3.11の大地震が影響しているようです。
 このユスリカはきれいな水が豊富にあるところに大量発生するんだそうです。そう、水と言えば、本校の母体になっているお寺の山号が「水上山」であることからも分かるとおり、学校のすぐ横に大きな池があるんですね。
 フジファブリックの志村正彦くんがよく遊んだ池、太宰治の作品にも登場するあの池です。
 この池は、いわゆる富士山の湧水です。池の横の坂は、つまり富士山から流れ出た溶岩流の先端部分でして、そこから地下水が湧き出しているというわけです。
 いつごろからでしょうかね、20年くらい前からだと思いますが、どういうわけかその湧水量が減ってしまっていました。富士山地下のことですから、何が起きているのか分かりませんが、私たちの見えない所で動きがあったのです。
 そのため、しばらくは枯れ池になってしまっていたのを、水道から水を流し込んで、なんとか往時の風情をとどめようとしていたわけですが、残念ながらあまり池水はきれいではなくなっていました。
 そこにあの大地震です。生徒曰く、池で津波が起きていたそうです。たしかにありえますね。そう言えば西湖でも津波が起きていましたよね。
 で、その後、富士山での地震などもあって、また目に見えない所で大きな地殻変動が起きたのでしょう、急に湧水量が増えたのです。富士宮など南麓の湧水も、被害が出るほど増えましたよね。実は北麓でもそうだったのです。
 その結果久しぶりに池の水が適度にきれいになりました。そして、ユスリカが帰ってきたということですね。
 このフユユスリカについて調べてみたら、ちょっと感動しちゃいましたよ。
 あの蚊柱ですけど、あの中にはメスは1匹しかいないんだそうです。あとは全部オス。つまり一人の女を巡っての戦いが繰り広げられてるんですね。知らなかった。
 そしてそして、ユスリカたちは成虫になると1日で死んでしまうんだそうです。つまり、ああやって交尾の機会をうかがい、運良く叶えられると、いや叶えられなくても死んでしまう。メスも産卵するとすぐ死んでしまうらしい。
 だから成虫はものを食べる必要がないため、口や消化器官は退化してしまっているそうです。すごい…。
 というわけで、「フユユスリカ(的人生)」というタイトルで書き始めたんですけど、これをどうやって人間の人生にあてはめるか…なんだかちょっと無理があるし、考えたくないような気が…(笑)。
 まあ、なんというか、そうやって種を保存継続してきたわけで、それはそれでおそらくものすごく充実した人生なのではないか…妙にまどろっこしく、またある意味無駄な時間もたくさんあり、何を食べようか迷っているような人間こそ、自然界では変な生き物なのでしょうね。
 それにしても、なんでこの「フユ」を選んだのかなあ。なんでも冬眠ならぬ「夏眠」をするそうです。ううむ、自然界は奥深い。人間の常識でははかれないなあ。


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2012.01.17

南方熊楠 『土宜法竜宛書簡』より〜「モノ・コト論」

20061013235545 ンター試験も終わり、高校生は国立二次対策、そして私大の一般入試の対策に入りました。ここからがある意味私の腕の見せ所…かな。
 あっそうそう、おととい紹介した今年のセンターの小説問題、ウチの中学2年生に解かせてみました。もちろんなんの対策もせずに。あえて言えば、ウチは出口汪先生の論理エンジンをやってるので、かなり論理的読解力はあると思いますが。
 結果は、当然ながらピンからキリ。ちゃんと選択肢を部分部分にわけ、それぞれ○△╳をつけている生徒もいれば、ロト6式に5分で終わっちゃってるのもいました。しかし、結果としてはみんなあんまり大差ない点になってしまいました。現役の高校生(受験生)ともあまり変わらない現実(苦笑)。
 ちなみに最高点は39点二人でした。立派ですね。
 つまりそういう試験なのであります。センターの国語の小説なんて。
 さて、今日はまた違った意味で「難しい」早稲田の国語のお話。というか、別に早稲田大学の問題についてうんぬんするわけではありません。極私的な動機です。
 私の「モノ・コト論」、なかなか賛同者が現れない(すなわちアヤシイ)わけですけど、実は一見似たようなことを言っている過去の偉人がいるんです。
 その文章が2008年の早稲田の文化構想学部の試験に出ていたんです。実はそれについては、当時、こちらの記事で紹介しています。
 今日はその中から、南方熊楠自身の書簡の部分を紹介します。この書簡の前に、この書簡の内容を紹介している中沢新一さんの「森のバロック」の一部が載っているんですが、それは著作権の問題もあるので割愛。熊楠の方だけ紹介します。たぶん本文は歴史的仮名遣いだと思われますが、ここはテストの本文と同様に現代仮名遣いにしておきます。
 


 電気が光を放ち、光が熱を与うるごときは、物ばかりのはたらきなり。今、心がその望欲をもて手をつかい物を動かし、火を焚いて体を暖むるごときより、石を築いて長城となし、木をけずりて大堂を建つるごときは、心界が物界とまじわりて初めて生ずるはたらきなり。電気、光等の心なきものがするはたらきとは異なり、この心界が物界とまじわりて生ずる事ということにはそれそれ因果のあることと知らる。その事の条理を知りたきことなり。今の学者、ただ箇々のこの心この物について論究するばかりなり。小生は何とぞ心と物とがまじわりて生ずる事によりて究め、心界と物界とはいかにして相異に、いかにして相同じきところあるかを知りたきなり。
 科学のみで今日まで知られたところでは、輪廻ということはたしかにあるごときも、科学のさわること能わざる心界に輪廻行わるるや否やという問いには、実に答えに苦しむ。何となれば、小生今日悪念を生じたりとて明日別にこれがために懊悩せず。多くは忘れ終わるものなり。されば物界に生ずる、これこれの水をこれこれの温度にたけば、これこれの蒸気を生じてこれこれの大いさの物を動かすというとは異なり、心界に生ずる現象はあるいはつねに報あらぬものにやとも思わる。これをきわむるには、小生一人の心できわむるよりほか仕方ないが、右に申すごとく、心界中のみには輪廻ということは、たしかに小生には見えぬ。
 すなわち石が墜ちて瓶にあたれば、石が因となりて瓶を破るように、今日小生善を思いたればとて、別に思うただけの報を思うものにあらず。また悪念を起こせりとて、別に後日これがため悪事を念うということもなく、ただ一座なりのようにも思う。ただ心界に感ずる因縁応報というは、心界が物界に接して作用(事)を生ぜし上のことで始めてあらわるるものと思う。すなわち小生が人の物ぬすむは、小生の心が手をつかいて物をぬすむという作用を現出するなり。その返報としては、あるいは小生が人(小生より見れば物)でどやさるること等あるべし。この物心両界が事を結成してのち始めてその果を心に感じ、したがってその感じがまた後々の事の因となりなり。

 熊楠の「事は心と物がまじわるところに生まれる」という基本的な考え方は、私の「モノ・コト論」とは一見似ていますが、実は非なるものです。
 つまり、私は「心」というか、人間の「認知」こそが「事」そのものであるととらえているんです。目に映り、心に感じた時点で「物」は「事」になるということです。
 今年のセンター評論で言えば、「私」が認知している世界も全て「私(コト)」の一部であり、その他補集合は全て「他者(モノ)」であるということになります。
 だからどうなんだと言われると困ってしまうわけですけど、とにかくそれがお釈迦様が悟った、この世の中の唯一真理(マコト)であるということです。
 そして、その「モノ」と「コト」という言葉の意味と、それに基づく世界の構造を語誌的に証明しようとしているのが、私の「モノ・コト論」だということですね。
 熊楠の書簡の後半部分は、ある意味、あの当時のオカルトブームを想起させますね。そして、因縁応報(因果応報)については、ちょっと考えが浅い気がします(笑)。悪念を抱いた報いが、必ずしもすぐに「罰」として現れるはずありません。もっと超時的、超世代的に応報するものです。

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2012.01.13

想像力と倫理

20120114_75327 日のBSフジプライムニュースに、哲学者、環境倫理学者の加藤尚武さんが出演されていました。
 氏の環境倫理学の本は何冊か読んだことがあります。何が書いてあったか全く覚えていないので(笑)、このブログに書いたであろう記事で思い出そうと思ったのですが、検索してみたらありませんでした。
 あっそうか、たしか高校入試の問題で使ったので、それで記事にしなかったんだ。記事見ると何が出るか分かっちゃいますからね。たしかにこれは倫理的に許されませんな。
 その代わりに「子育ての倫理学 少年犯罪の深層から考える」という本の記事が出てきました。これもまた読んだことすら覚えておらず、またこんな記事を書いたことも全く覚えていないという、非常に情けない事実(苦笑)。やはりこのブログは個人的な備忘録としても機能しておりますな。
 さてさて、今日の加藤さんのお話、原発問題を哲学で斬る!ということで、なかなか興味深い内容でした(哲学というより倫理学でしたけど)。しばらくはこちらで見られますのでぜひどうぞ。13日分の後半の方です。
 このムービーに採用されなかった「確率」と「期待値」の話も面白かったですよ。科学の限界の一端を示す話だと思いました。
 すなわち…「1/1万×1/1万=1/1億」という確率計算から原発は安全だと言われてきた。しかし、それぞれの1/1万は独立事象に関することである。しかし独立事象というのは理論上のことであり、現実にはありえない。特に地震や津波による原発事故の場合、それぞれのシステムが「独立」であることはありえない…と。
 また…「10年に1回、10億円の損害」と「100年に1回、100億円の損害」というのは、期待値的には同じだが、我々の生活感、倫理観からすると全く違う…と。
 この話を聴きながら再確認しましたね。数学が象徴するように、科学は人間の想像力(感情)を排除するところから始まるんだなと。
 つまり、基本的に顔が見えないんですよ、人間の。ここのところ何回か書いてきたと思いますが、私たちは相手の顔が見えないと倫理を失います。
 たとえば、今回ですね、こういう事故が起きて、自分や自分の子どもが被曝すると、これだけ大きな騒ぎになる。これは当然です。
 しかし、加藤さんも言うとおり、核廃棄物が自然状態に還るには10万年かかるわけで、じゃあ、それに対しては我々は「感情的」「倫理的」になるかというと、まったくならないわけですね。
 ずばり言ってしまうと、私なんかも、自分の娘たちの将来、娘たちが住む世界の状態を心配できますが、その娘たちの子ども、すなわち孫のこととなると、途端に無関心になり、あるいは悪人にすらなってしまいます。とても10万年後のことなんか想像できませんよね。
 これは大きな人間の欠陥です。加藤さんの言う「世代間責任」「世代間倫理」が欠落しているんですね。特に、カネ、経済性が優先されると、その傾向は強まります。
 では、どうすればその「想像力」を持つことができるのか、あるいは鍛えることができるのか。
 私はそこに必要なのは、感情や想像力、個人の顔を排除する「科学」ではなく、それらを統合する「宗教」だと思っています。「宗教」という名で呼ぶと、我々は経験科学的に(笑)具体的な宗教を思い浮かべてしまうので、本当はその言葉は使いたくないんですけどね。
 ホントしつこくて申し訳ありませんが、私の「モノ・コト論」的に言いますと、科学は「コト」の権化ですから、そっちではなくて「モノ」的世界に生きよということです。「物語」世界とも言っていいでしょう。
 実は人間の脳ミソはそちらの世界に対応するようにできているんですが、今、我々はそちら側をほとんど使っていないようです。コト的な世界、言語によって分析、分節する機能ばかり使っている。数字や言葉やカネはそちら側に麻薬的に働きます。
 もちろん、そちらも必要なのですが、バランスが悪いんですよ、他の動物と比べても。
 実は「倫理」「道徳」「モラル」「良心」というのは、言語の領域、科学の領域で生まれ育つものではありません。教育界ではその逆のことをずっと教えてきちゃいましたね。人間は言語や数字で考えられるから動物より優れていると。間違ってましたね。
 まずは、顔が見える者どうしの「思いやり」、そして、次に今ここにいない顔見知りへの「思いやり」、さらに顔を知らないけれども、確実に存在している無数の他者に対する「思いやり」…こうして我々は「想像力」を鍛えていかなければならないのです。
 難しいですね。我々教師の責任も重大です。教科書を教えながら、科学や論理や言語を教えながら、その補集合(モノ世界)の存在に気づかせなければならないわけですから。
 厳しい道のりが想像されますが、一歩一歩進むしかありません。

Amazon 環境倫理学のすすめ 新・環境倫理学のすすめ

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2012.01.05

予想される地震について(2012.1.5)

 年11月に、房総沖大地震はいつ起きるか?という記事を書いて以来、地震については触れないで来ました。
 私のような者でも、大地震の可能性について書くと、それなりの圧力を受けるものです(苦笑)。言葉というのは難しいものでして、たとえばあの記事に「房総沖大地震が起きる確率は100%」と書くと、それが今日にでも起きると勘違いされるのか、必要以上に恐怖を感じる方や、あるいはそういう恐怖を抱かせるようなことを書くなんてとんでもないとお怒りになる方が現れたりします。
 しかし、こちら「地震予知はどうあるべきか」も書いたとおり、私は私が知り得た情報はやはり機を逸することなく開示したいと思います。もちろん、他の人に迷惑がかからない程度に。
 さて、最近私が感じている、あるいは手に入れている大地震の兆候ですが、やはり房総沖のそれがその第一に挙げられます。
 まず、こちら「再びM9が!?」で紹介しました北大の森谷先生のVHF帯電磁波散乱体探査法による地震予測。あのあと、それこそどういう圧力が働いたのかしりませんが、森谷さんのサイトが閉鎖されてしまいました。
 しかしここで最近のデータが手に入ったのでご覧いただきます。

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 ご覧のように、純粋にデータとして読んだ場合、3.11の前と似たような傾向を示しています。本当に単純に考えれば、ちょうど1年前と同じような減少傾向ですから、また3月頃に大きな地震があってもおかしくないということになります。
 このあと、1月に入ってから傾向は分からないので一概には言えませんが、やはり注意するに越したことはない状況でしょう。
 森谷さんもおっしゃっているとおり、今後M9に近い地震が東日本で起きるとすれば、3.11震源域の北隣か南隣でしょう。特に私は南に注目してきたわけです。
 その他、私も参加している全国ラドン濃度測定網においても、千葉を中心とする関東近辺で地震前の傾向が現れています。
 そして、もう一つ、これはあまり言う人がいませんので、あえて私が指摘しておきますね。
Large 皆さん、今年の元旦の昼間に妙な地震があったのを覚えていますか?そう、午後2時半ごろの震度4の地震です。
 私はその時、静岡市の実家に帰省しており、コタツでくつろいでいたのにも関わらず揺れに全く気づきませんでした。
 富士山より東側ではずいぶんと揺れたのに不思議ですよね。これは、いわゆる異常震域というやつで、このような太平洋プレートの深い所(今回は370km)で地震が起きると、関東や東北、つまり太平洋プレートの西縁が揺れるんですね。震源の近さとは関係ありません。西日本へは揺れ、特にS波は伝わりにくい(この動画参照)。
 実はこれと非常によく似た地震が、3.11の3ヶ月半前に起きているのです。皆さん、ぜったい覚えていませんよね。
 私はよく覚えているんです。なぜなら記事に書いたから。こちらです。なぜわざわざ記事にしたかというと、一つには非常に珍しい地震だと思ったからです。そして、もう一つの理由としては、その日の朝に予知していたからです。
Large1 で、その時の震源と震度分布も再掲してみましょう。どうですか?非常に似た震域ですよね。今回の方が多少規模も大きく、また日本列島に近かったので、揺れも全体に大きくなっていますが。
 問題は、こういう地震がそうしょっちゅう起きないということです。前の記事にも書いたとおり、普通に考えて10年に1回くらいという印象を持っていました。ですから、その時もわざわざ記事にしたんですね。
 ところが、今回元旦に起きたとなると、ほとんど丸1年しか経っていないわけで、それがまず非常に気になるところなのです。
 2010.11.30も2011.3.11も、両方とも太平洋プレートに関わる地震であることにはかわりありません。もし、前者が後者を誘発した、あるいは前者は後者の前震であったとするならば、今回も要注意だということになります。
 房総沖大地震はいつ起きるか?では、「早くて年内(2011年内)、遅くとも3年以内に発生」と書きました。今もその考えは変わっていませんし、ある意味では私の予測のとおりにことが進んでいるようにも感じます。
 いずれにせよ、もうそれなりの準備と覚悟をしなければなりません。だからと言って、私は生活の基本的なスタイルを変えるつもりはありませんよ。たとえば、この冬から春にかけては、ほとんど毎週末東京に行かねばなりません。直前前兆がないかぎりは、もう覚悟を決めて普段通りの生活をするしかないのです。
 直前前兆があれば、もちろん予定を変更したり、避難の準備に入ったりしますが。その時は、できるかぎり皆さんにもその旨を伝えようと思います。
 今、私が最も気にしているのは、「ラジオダクト」という現象です。3.11の前約3ヶ月の間、我が家富士山の北面において、東京のワンセグ放送が普通に受信できるという、UHF波の異常伝播が観測されていました。
 当時はそのことの意味を全く理解できず、「東京のテレビが観られる!」と喜んでいたわけでして、今になっては本当に悔やまれることです。まあ、まさかあのような大地震が発生するとは、その頃は夢にも思っていなかったのでしかたありませんが…。
 ちなみにその異常伝播は3.14くらいには正常化しました。つまり全く映らなくなったということです。それを当時の記事では、「大地震の影響で観られなくなった(異常になった)」と解釈していたのですが、最近になって逆だったと気づきました。バカですね。
 で、今どうかというと、まだ「正常」、すなわち映りません。これがまた映るようになったら要注意だと(勝手に)思っています。
 もちろん、その情報を信じるか信じないかは皆さんの自由です。私でさえ、いやいや、最先端の科学でさえ「絶対」とは言えないのですから。
 どうぞご注意くださいませ。

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2011.12.28

『ビートたけしのガチバトル2011』に思う…

20111229_130356 年に続き年末のガチバトルを観ました。
 ま、本物の格闘技界では、とうとう年末恒例だった「総合格闘技」というガチ(?)での単独興行は不可能になり、プロレスという「物語世界」に力を借りることになりましたが、こちらはどうでしょうか。
 「ガチバトル」に私たちは納得、満足するのでしょうか。
 特に今年は重いテーマに関する激しいバトルが予想されました。もちろん震災、原発事故という未曾有の悲劇が日本を襲ったからです。そういう状況において真っ向から論をぶつけ合うことが、どれほど意味を持つのか、ある意味興味深く観始めました。
 番組ホームページから引用すると、今回のバトルのテーマと概要はこんな感じ。

 <1:放射能汚染はどこまで深刻か?深刻でないか?>
政府が決めた被ばく限度量「年間20ミリシーベルト」は本当に安全なのかを巡り、「1ミリシーベルト以上の場所に住んではいけない」とテレビでもお馴染みの専門家・武田邦彦(中部大教授)が主張すれば、「そんな話は現実的に不可能!」と、澤田哲生(東工大助教)がすかさず反論。そこに大槻義彦(早大名誉教授)が「武田先生の過激な危険論のせいで家庭崩壊したお母さんもいるんです…」と加わり、冒頭からスタジオは大荒れに…。

<2:原発は日本に必要か?不要か?>
続いては、『地震列島ニッポン』に存在する54基の原発を今後どうするべきかを巡る議論に。「常に隠蔽体質の現在の『原子力村』の人間を追い出すべき」と河野太郎(衆議院議員)が声をあげると、脱原発を明確に主張している山本太郎(俳優)も、チェルノブイリの事故を引き合いに出し「日本政府がやっていることがどれだけ非人道的か!」と原発継続派に食って掛かる。山本が福島第一原発の30キロ圏内に暮らす人々へ取材したVTRも見所のひとつ。テレビではこれまで、この問題について十分語る機会が無かった山本太郎が今、その想いを熱く語る。

<3:日本は財政破綻するのか?安泰なのか?>
1000兆円もの借金を抱えた日本経済。それでも国際的に見て日本の財政は安全水準と主張する高橋洋一(嘉悦大学教授)や舛添要一(参議院議員)ら「安泰派」に対し、早ければ3年後には経済破綻すると予想する経営コンサルタントのジェームス・スキナーや元財務省主計局長の片山さつき(参議院議員)ら「破綻派」が牙を向く。

 最初は私もそのガチバトルフィールドに自らの言葉をも投げ入れながら観ていましたけれども、なんか後半はどんどん空しくなってきてしまいました。
 論戦が白熱すればするほど、つまり「専門家」の「言葉」が乱舞すればするほど、たとえばスタジオに招かれていた福島の漁師や農家の方々は置いていかれる。つまり現実からどんどん乖離していってしまうのです。
 これはおそらく皆さんも感じたことでしょうし。番組の最後の最後に福島の方が「一言言わせて下さい」と手を挙げて、そうして発せられた「言葉」。両「言葉」の違いは、なんとも絶望的に大きなものでした。
 そう、「言葉」って本当に「自我」への「執着」の道具なんですよね。もちろん、「言葉」は人と人をつなぐメディアでもあるのですが、それはある意味では、それぞれが「個」として孤独であることの裏返しでもあるわけです。バラバラだから「絆」という意識が必要だと。
 番組を見終った時、私はやはりお釈迦様の教えは正しいなと思いました。言葉にこだわるな。自我にこだわるな。
 そして、もう一つ、今回の議論の基礎にあるのが、全て「カネ」だということ。自分も結局そうなので、本当にこれにはうんざりしてしまいました。
 「貨幣」と「言葉」は似た存在です。どちらも対象に(ある限られた時空で通用する)社会的な価値を与えます。そしてそれは、社会に対する自己の価値を担保するための道具でもあるのです。私のモノ・コト論からすると「コト」世界ですね。
 それらにこだわるというのは、まさに自我に執着することです。ブッダはそれをいさめました。言葉やカネにこだわってもしかたないのです。
 ここから少し(だいぶ?)飛躍した考えを述べさせていただきます。つまりわがままな「言葉」を弄させていただきます。
 たとえばこういう災害が起き、これだけ多くの情報が流れ、我々は同朋が苦しんでいることを知っていますよね。想像力を働かせれば、いつでも被災者の苦労を忖度することができます。その想像力こそが人間の人間たる所以ですから。
 そうしてまずは、政府がお金をどう分配するとか、そういうことでなく、単純に自分たちにとって余っているものを分け与えればいいと考えるべきなのです。仏教で言う「布施」という行為です。「利他」の心です。「慈悲」の心です。
 この期に及んでも、自らの貨幣的な富を追いかけるのではなく、また他人事のように政府に全てを任せたり、ある特定の会社の責任にしたりせず、「無財の七施」や「有財でも七施」を心掛けるべきなのです。
 と言いつつ、私もそれができないで苦しんでいるのです(つまり修行中なのです)。
 仏教経済学というのがあるのをご存知ですか。まさに「布施」「利他」「慈悲」によって成り立つ経済です。これは私の解釈では、成熟した心を持ったものが為す社会主義経済です。
 心の成熟がないのに、富の平等、分配を語ったから、近現代の社会主義や共産主義は負けました。かと言って資本主義が正しいかというと、全くそんなことはありません。それはただ成熟していない人間の心にマッチしていたから勝ったというだけです。
 だから、本当に理想論で申し訳ないのですが、こういう時こそ、そういう「心の成熟」を促す政治家や教育者や、専門家が出てきて論議してもらいたいのです。
 仏教経済学だけでなく仏教政治学というのも、もっと研究されていいのではないでしょうか。
 もう成長はけっこうです。成熟したいものです。まずは自己に執着しないこと。そのための第一歩として言葉や貨幣の価値を疑うことです。
 こういう話は、それこそ現代においては「物語」として一笑に付されるのでしょうかね。私はいよいよ「物語」が復権すると感じているのですが。2012年、コトよりモノの時代は到来するのか。

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2011.12.20

生きる力=死なない力

St02_katada 日は東京で歌会&「望年会」。仕事を終えてすぐに中央道に乗りました。車中、久しぶりにNHKのラジオ第一を(らじる★らじるで)聴いていました。
 その中で防災教育のスペシャリスト、群馬大学の片田敏孝教授の非常に興味深い話を聴くことができました。
 片田先生の指導のおかげで、岩手県釜石市では3000人近くの小中学生の命が救われました。生存率99.8%。救われたというのは正しくないかもしれません。子どもたちが自らの命を守ったということですね。
 とにかく逃げる。一人でも逃げる。まずは自分の命を守る。「想定」を信じない。瞬間の判断で最善のことをする。ここまで登れば安全…ではなく、まだ登れるならまだ登る。家族も逃げていると信じる。一番最初に逃げる人になる。その場に逃げる空気を促す。自然の豊かな恵みを享受するのと同時に、時々起こる災いを上手にやりすごす「作法」を身につける…。
 釜石市を襲った津波はまさに「想定外」でした。ハザードマップは全くあてにならないものでした。しかし、ほとんど全ての児童生徒が助かったのは、片田さんを中心とした日頃の防災教育と訓練が徹底していたからです。
 そうした教育がなされていないと、子どもはまず親に会おうとします。親も子どもに会おうとします。会えずとも連絡を取ろうとします。しかし、それはほとんどの場合、お互いの命を危険にさらす結果を招きます。
 実際、他の地域ではそのような形になってしまったケースが多かったのではないでしょうか。
 皆さんもぜひ、こちら(小中学生の生存率99.8%は奇跡じゃない 「想定外」を生き抜く力)をお読みください。今日の放送の内容とも重なる部分がたくさんあります。
 文科省はここのところ盛んに「生きる力」ということを言います。今日もたまたま文科省の「生きる力」パンフレットが学校に送られてきました。どうぞご覧下さい。先ほどの片田さんの文章と文科省の文章、比べてみてください。どうですか。
 どちらが本当の意味での「生きる力」でしょう。
 語弊があるのを承知であえて言うなら、私の考える「生きる力」は「死なない力」です。
 この世の中は私たちがなるべく「死なない」ように発達してきました。自然科学も社会科学も人文科学も、およそ学問というのものはそのために生まれてきた、そして発展してきたと言ってよいでしょう。
 しかし、今やその学問は形骸化し、断片化し、単なる知識の詰め込みとなり、「死なない力」の育成にはまるでなっていない状況です。そうした学校に向けて「生きる力を!」といくらお題目を唱えても、あるいは単なる流行りにすぎない「PISA型」なる学力観を叫んでも、はっきり言って根本は何も変わらないでしょう。
 我が校でも本当の意味での「生きる力(死なない力)」の育成は大きな課題です。そして、さらにそれを個人のレベルだけでなく、まずはクラス、そして学校、社会、さらに世界に広げるところまで考えています。
 まずは「体験」すること。そして「失敗」しておくこと。「想定内」も「想定外」も「想定」しておくこと。「勘」や「想像力」を養うこと。それらをどう教育の現場で適度に安全に行なうか。そして、もちろん必要な知識も身につけねばなりません。これは大変ですが、やりがいのある仕事です。

 追記 アントニオ猪木さんの説法もぜひお読みください。これもまた「生きる力」です!

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2011.12.17

河口湖北岸の夕景

 日連続で富士山の写真です。
 手抜き記事だと思われそうですが、実際は…そうかもしれません(笑)。学期末、そして募集の時期ということで正直落ち着きません。
 写真撮るよりも文章書く方が時間かからないんですよ、本当は。でも、この季節の富士山は本当にきれいなので、ぜひとも世界中の皆さまに見ていただきたいというのもありますね。
 それから、格安なんちゃってネオ一眼GE X500を買ったので、いろいろ撮ってみたいというのもあります。
 今日は夜、河口湖の北岸にある円形ホールで地元のコーラスを聴く機会がありましたので、開演前に湖岸に出て夕景を撮影してみました。
 夕焼け、富士山、ハクチョウ、ガン、カモ、そして金星…なかなか美しい光景でした。三脚を忘れたので手ブレしてるのもありますが、ぜひご覧下さい。

↓日没。昼間は湖面が荒れていましたが、だいぶ落ち着いたようです。
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↓パノラマ撮影。西の空はまだかなり明るいですね。
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↓鳥たちが集まってきました。岸辺で寝るのでしょう。
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↓色がうまく出ないので、夕陽モードにしてみました。
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↓かなりリアルな発色です。悪くないですね。
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↓見事な湖面のテクスチュア。
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↓向こうの山の明かりは天神山のスキー場です。最近行ってないな。
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↓ちょうどガンの群れがねぐらに向かって飛んでいきました。
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↓富士山をアップにしてみました。ぶどう色ですね。
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↓上空はだいぶ暗くなってきました。
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↓河口湖大橋の明かりもきれいですね。
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↓富士山と足和田山の間に金星が見えてきました。一番星です。
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↓毛づくろいをする鳥たち。
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↓近づいても動じませんな。
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↓鳥たちにも金星は見えているでしょうか。
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↓手持ちだとちょっときつくなってきました。
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↓うっとりする景色。しかし寒い…。
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↓ちなみに天神山は寄生火山です。あの貞観の噴火の時形成されました。
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↓金星以外にも星が見え始めました。そろそろ限界が。
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↓足和田山が湖面に映っています。
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↓最後の一枚。逆さ富士。ピントも甘いし手ブレもしています…限界だ。
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2011.12.16

ダイナミックな富士山の雲

 日は夜明けの富士山を紹介しました。とても穏やかな表情でしたよね。
 今日は打って変わって実にダイナミックな雲が発生していました。ものすごい動きで、ずっと見ていても飽きません。まるで生き物のようです。
 今日は西から湿った空気が流れ込んできていました。その気流が富士山を越える際に雲を発生させていたのです。独立峰を越える気流は非常に複雜な動きをします。写真を見ていただけると分かるとおり、吉田大沢の谷から雲が生まれていますね。まるで噴煙のようでしょう。
 山頂付近はいったいどれだけ強い風が吹いているのでしょう。こんな富士山に登る猛者もいるというのですから恐れ入ります。
 動画でお見せすれば、皆さんにもそんなダイナミズムを体験していただけるのですが、今日はあえて静止画で勝負です。はたしてこのエネルギーが伝わるのか。一つの挑戦ですね(成功しているとは言い難い)。
 ではどうぞ。一気に50枚以上行きます!途中1枚だけ「くじら」がいます(笑)。
 あと、ぜひこちらもぜひ合わせてご鑑賞ください。
 
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