カテゴリー「自然・科学」の938件の記事

2022.05.25

『仏教は宇宙をどう見たか』 佐々木閑 (化学同人 DOJIN文庫)

アビダルマ仏教の科学的世界観

Th_311nmc1xmfl 「間は未来から過去へと流れている」ということを私もずっと言ってきているわけですが、同様の捉え方をしていた人たちは無数にいます。

 特に昔はそういうふうに感じるほうが一般的であったようで、たとえば仏教の倶舎論(アビダルマ)の中にも、未来が向こうからやってきて去っていくというようなことが記述されています(ただし因果関係は過去→未来)。

 非常に難解なその倶舎論を、おそらく最大限に優しく易しく語ってくれているのが、佐々木閑先生のこの本ではないでしょうか。

 その独特な時間論についても、映写機を比喩としてわかりやすく説明してくれています。

 そのおかげさまで、やはりアビダルマの時間観と私の時間観は似て非なるものだなと確認できました。私のトンデモ時間論は全く論理化、言語化できていないので、どう違うかの説明すらできないのですが。ただ、違うことだけはたしか。

 いったいいつになったら言語化できるのか。昨日の話ではないが、もしかすると、それは科学者がやってくれのかもしれません(そうだと助かる!)。

 そうした、文系と理系のコラボというか、より高い次元での止揚というか、そんなある種の理想世界を体現してくれているのが、京都大学で化学と仏教を学んだ佐々木先生ですね。

 佐々木先生の世界観との出会いは14年前。知り合いの和尚様から「犀の角たち」をお借りしたのがきっかけ。それから著書や動画を通じて先生からは本当にいろいろなことを学んでおります。

 直接お会いする機会がありそうだったのが3年前。当時の花園大学の学長さんからチベット旅行に誘われた時です。佐々木先生も同行するはずでした。

 しかし、その夢のような旅行はコロナで中止。いまだお会いする機会はありませんが、いずれご縁があるでしょう。

 それにしても、この世界一わかりやすい「倶舎論」も、やはり難解でした(私の頭では)。

 お釈迦様後の仏教論には、どこか行き過ぎた知的遊戯的なところもあって、私のような無明の凡夫はそういう意味で、それってお釈迦様が一番嫌ったことじゃないの!?とツッコミを入れたくなってしまうのでした。

 そしてもう一つ思うのは、2500年前の天才の考えに近づこうとするのもいいけれども、この現代にふさわしい新しい哲学や宗教が生まれてもいいのではないかなということです。

 そのヒントとなるのが、近過去の天才、出口王仁三郎や仲小路彰の残したモノたちであると思うのです。科学万能となった現代においては、そういう思索が、カルトやスピ扱いされてしまう傾向がありますが、やはりそこを乗り越えていかねばならないと思う今日この頃であります。

 少なくとも、お釈迦様や王仁三郎、仲小路が21世紀の今生きていたら、いったいどんな考え方をし、どんな言葉を発するのか、そういう想像力を働かせることは大事でしょうね。

 この本に関するこの動画をぜひご覧ください。後半の「ワクチン陰謀論」と「宗教」に関するところも興味深いです。そのとおりだと思いますよ。

 

 

Amazon 仏教は宇宙をどう見たか

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2022.05.24

現在の観測が過去を変える?!

 日の記事が思いのほか好評だったので、続きを書きます。

 実は「ある科学者」との対話には、もう一つ面白い話題がありまして、それがこちら、理研と日立などが行なった新しい「二重スリット実験」の結果についてです。

V字型二重スリットによる電子波干渉実験
-「波動/粒子の二重性」の不思議の実証を一歩進める-

 読むだけではよくわからないので、上手に説明してくれている動画をご覧ください。

 

 

 つまり、現在の観測が過去を書き換える可能性があるということですね。

 これについて科学者の方は、私の「時間は未来から過去に向かって流れる。よって原因は未来にある」というトンデモ理論(哲学)にかなり近いものがあるとおっしゃるのです。なるほど。

 「未来に原因があって現在その結果が出ている」あるいは「現在に原因があって過去が結果として変化する」という私の(宇宙人的)感覚は、たしかに先日動画でも話したとおり、「コト」世界における時間の流れを前提としていますよね。

 科学で言うところの「観測」というのは、まさに私の言う「コト」ですし、「観測」されないということは「モノ」世界のことです。

 そう考えると、やはり私が前世(?)宇宙で学んだことは地球の未来の科学の成果だったのかもしれません。ということは、私は宇宙人というより、未来地球人?ww

 まあ、それはいいとして、こうして超文系の私の言葉が最先端の科学と結びついてくるというのは面白いことです。楽しい!

 私に数学や物理学の才能があったら、今ごろ…な〜んてね(笑)。

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2022.05.23

この世界を支配する“もつれ”

 

 昨日の核融合発電の記事に登場した「ある科学者」のご専門はこちらの分野です。当然、このエンタングルメントの話も出ました。

 私は数式という言語に全く疎い人間なのですが、なぜかいつも話は噛み合うのです。それは、もちろんその科学者の方が私の言語を深く理解してくださっているからです。

 いや、もしかすると理解ではなく、それこそエンタングルメント(「量子もつれ」という訳語はあまり好きではありません)で共鳴しているのかもしれませんね。

 私自身はよくわからないのですが、どうも私の「モノ・コト論」が量子力学の別表現らしいのです。すなわち、「モノ」が波で「コト」が粒。無意識と意識ですね。そこに最近、私は双方向性を持ったトキを重ねているのですが、それもまた最新の量子力学と親和するらしい…なるほど。

 さらにその方が興味を持ったのは、私のお預かりしている出口王仁三郎の耀わんの情報伝達システムです。

 たしかに、茶碗表面の穴に記述された情報が、茶碗内部にホログラム的3次元世界を投影しているとも言えます。そう、この動画でも紹介されている大栗さんのホログラフィック理論ですよ。

 ようやく東大の物理学が王仁三郎に追いついてきたということですか(笑)。

 私は、ホログラフィックに投影されているというよりは、私たちの脳みそが勝手にそのように「展開」しているととらえています。その辺については自然科学的な宇宙の見方と、物語的な宇宙の見方の違いがありますから、今後も対話を重ねていこうと思っています。

 私はいわゆるスピリチュアルの中の「なんちゃってスピ」「勘違いスピ」「金儲けスピ」は完全否定派なのですが、中にはホンモノも紛れていると実感しており、それがこれからの新しい世界構築のカギを握る存在であると信じています。

 いずれにしても、世の中に溢れるウンコみたいな情報に洗脳…いや、染脳(汚脳)されることなく、未来からやってくる波をしっかり捉えて、自分なりにそれを粒子化していくことが大切かと思います。それが、モノのコト(カタ)化、すなわち「モノガタリ」なのであります。

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2022.05.21

「核融合発電の時代はくるの?」専門家に聞いてみた

Th_20220427gizasks_fusionenergyw1280 いうギズモードの記事を読みました。

「核融合発電の時代はくるの?」専門家に聞いてみた

 ちょうど今日、ある日本人科学者とリモートでお話をしたのです。話題は多岐にわたりましたが、核融合も重要トピックの一つでした。

 その方の見解でも、すでにブレイクイーヴンは突破したが、実用化ということになると今度は科学者の領域ではない部分の壁が高いとのことでした。

 つまり「発電所を建設する」という現実的なフェーズに入りつつあるということですね。今まではあまりそういう話題になりませんでしたから。

 グローバルな視点でいうと、各国がそれぞれに核融合炉を持つのではなく、ヨーロッパはヨーロッパ、アジアはアジアでというように、一定の地域で共用する形の核融合炉を建設することになりそうだとのこと。

 そう、これまではエネルギーの確保が戦争の種になってきたわけですが、これからはエネルギーの「分かち合い」が平和の礎になっていくということでしょう。

 宇宙太陽光発電の構想とともに研究が進んでいるマイクロ波電力伝送システムがここに応用されるのではないでしょうか。

 戦後すぐに仲小路彰は「21世紀は核融合の時代」と予測していました。その頃はもちろん、つい最近までそれは夢物語のように感じられていたにちがいありません。

 それがここへ来て一気に現実化への勢いを増しているようです。

 日本人は「核」という言葉に何重もの嫌悪感を持っています。それは歴史的にしかたない。しかし、だからこそ、それを乗り越えて、未来平和のリーダーにならなければなりません。

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2022.05.18

みうらじゅん×山田五郎 『仏像トーク』

 

 

 岡市の実家におります。そういえば山田五郎さんのご両親は静岡市の出身でしたね。

 ご本人の生まれは東京ですが、少年青年期を大阪で過ごされたので関西弁は流暢です。みうらじゅんさんは京都市の出身ということで、この対談は関西弁で始まりますが、最後の方はお二人とも東京弁(標準語)になっているのが面白かった。

 お二人は、私にとって「独自研究」の師匠であります。昨年みうらじゅん賞を獲った竹倉史人さんもそうですが、「独自研究」とアカデミズムのバランスというのは難しい。

 対談前半の関西弁パートは「独自研究」というより「自分語り」が全開ですが、後半の仏像に関する「独自研究」に至ると、そこはアカデミズムへの挑戦的な意味合いも出てくるので、標準語モードになっていくのでしょう。

 私は残念ながら母語が標準語なので(どこの方言も話せないので)、話の次元(レイヤー)によって言語を使い分けることができず面白くありません。幼少期までは宇宙語話せましたけどね(笑)。

 この対談を見て聴いて思ったんですけど、文系の学問って全部「独自研究」でいいんじゃないですかね。暴論でしょうか。

 結局のところ、文化に普遍的な意味や価値やシステムを見出すことって無理でしょう。それぞれの時代のそれぞれの人間が関わっているわけですから。そして、それらをそれぞれの時代のそれぞれの人間が研究するわけですから。

 その固定化されない「ゆるさ」こそが、文化の人間の生命力そのものなのではないでしょうか。

 それにしてもこのトーク面白かった。元気をもらいました。

 そう、仏像って最終的に人を元気にするものなんじゃないでしょうかね。

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2022.05.14

出口王仁三郎 「天災と人震」(『惟神の道』より)

Th_-20220515-154433 このところ、各地で地震が頻発しております。特に注目は京都の亀岡周辺を震源とする群発地震です。

 3月31日のM4.3震度4に始まり、ほぼ同じところを震源とする地震が続いております。

 亀岡周辺には三峠・京都西山断層帯が走っており、1968年、1972年にはM5を超える中規模の地震が発生していますし、古記録に残る京都盆地に被害を及ぼした大地震のいくつかの震源は亀岡周辺とも考えられています。

 気象庁も注意を促しました。気をつけたいところです。

 さて、亀岡といえば大本の天恩郷。出口王仁三郎は地震についてどんなことを述べているのでしょう。今日はいくつかある言及のうち、昭和10年刊の「惟神の道」から抜粋して紹介しましょう。「天災と人震」という文章です。

 なるほど、我が国の文化は「地震の花」であり、日本は自然(神)の恩寵を多く受けるからこそ、それに背くと天災が起きるというわけですね。そして、天災がなければ「人震」が起きるというのも面白い考え方であります。

 冒頭の部分も含めて、なかなか良い文章ですので、ぜひお読みください。

(以下引用)

 日本の国民は古来抱擁性に富み、世界の文化をことごとく吸収して同化し精錬して更により以上美はしきものとしてこれを世界に頒与する所に日本人の生命があり、使命があり、権威があるのである。しかして緯に世界文化を吸収してこれを精錬すればするほど、経に民族性が深めらるべきはずだのに、現代の日本は外来文化の暴風に吹きつけられるほど固有の民族性の特長を喪ひつつある状態は、あだかも根の枯れたる樹木に等しいものである。日本人は日本人として決して何れのものによっても冒されない天賦固有の文化的精神を持ってをるのである。それが外来文化の侵食によって失はれむとする事は、祖国の山河が黙視するに忍びざるところで無くてはならぬ。
 かくの如き時に際して天災地妖が忽焉として起こり国民に大なる警告と反省を促したことは今代に始まつたことでなく、実に建国以来の災変史が黙示する所の真理である。近くは元和、寛永、慶安、元禄、宝永、天明、安政、大正に起った大地震と当時の世態人情との関係を回顧するも、けだし思ひ半ばに過ぐるものがあるではないか。
 さて、我が国の記録に存するもののみにても大小一千有余の震災を数へることが出来る。その中で最も大地震と称されてゐるものが、百二十三回、鎌倉時代の如きは平均五年目ごとに大地震があったのである。覇府時代には、大小三十六回の震災があった。しかも我が国の発展が何時もこれらの地震に負ふところが多いのも不思議な現象であるのだ。奈良が滅び、京都が衰へ、そして江戸が発展した歴史の過程を辿ってみれば、その間の消息がよく窺はれるのである。
 全体我が国の文化そのものは全く地震から咲き出した花のやうにも思はれる。天祖、国祖の大神の我が国を見捨て給はぬ限り、国民の生活が固定して、腐敗堕落の極に達したたびごとに地震の浄化が忽焉と見舞って来て一切の汚穢を洗浄するのは、神国の神国たる所以である。
 古語に「小人をして天下を治めしむれば天禄永く絶えむ、国家混乱すれば、天災地妖臻る」とあるのは、自然と人生の一体たることを語ったものである。人間が堕落して奢侈淫逸に流れた時は、自然なる母は、その覚醒を促すために諸種の災害を降し給ふのであった。しかも地震はその極罰である。
 我が国に地震の多いのも、神の寵児なるが故である。自然否天神地祇の恩寵を被ることの多いだけ、それだけにその恩寵に背いた時の懲罰は、一層烈しい道理である。もし地震が起らなければ人震が起ってその忿怒を漏らすに至る。近くは天草四郎や由良民部之介、大塩平八郎乃至西郷隆盛の如き、みなこの人震に属するものである。

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2022.04.12

核融合のギモンまとめて答えます (岡野邦彦)

 

(忙しいので動画の紹介を軽く) 

昨日の記事の対談でも、ひろゆきさんが泉代表にぶつけていた「核融合」。

 仲小路彰は21世紀は「太陽の世紀」であると言いました。「太陽」には二つの意味が象徴されています。

 一つは「女性」。もう一つは「核融合」です。

 仲小路の予言は確かに的中しそうです。その中心となるのは日本。「ひのもと」の国、「あまてらす」の国のお役目がそこにあるのでしょう。

 皆さんもぜひこの動画を観て、誤解をとき、そして明るい未来に夢を馳せましょう。

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2022.03.30

活火山「十和田」噴火警戒レベル運用開始

 

 本最大級の活火山「十和田」。ようやくという感じですが、噴火警戒レベルの運用が開始されました。

 十和田の噴火については、かつてこちらに書きました。その記事を書いた日に、十和田湖の直下を震源とする中規模の地震が発生したのです。今から6年ほど前のことです。

 これも何度も書いていますが、平安時代のある時期は天変地異、特に地異が多かった。

864年貞観の富士山噴火→869年貞観の三陸沖地震(津波)→887年仁和の東海・東南海・南海連動型地震→888年八ヶ岳水蒸気爆発?&山体崩壊→915年十和田大噴火(日本史上最大規模)

 とはいえ、あまり実感して理解しにくいと思いますので、無理やり2011年の東日本大震災にあてはめて記してみたいと思います。

2006年 富士山噴火(実際にはありませんでした)

2011年 東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)

2029年 南海トラフ巨大地震(東海・東南海・南海連動型地震)

2030年 八ヶ岳噴火・山体崩壊

2057年 十和田大噴火

(2059年 白頭山巨大噴火)

 こうしてみますと、南海トラフ巨大地震はいつ起きてもおかしくないことが理解できますよね。富士山噴火も同様です。

 少なくとも私たちが生きている間に、これらのうちいずれかの(あるいは全く別の)地震や噴火が起きることは間違いないでしょう。

 特にここにきて東北地方で地震が増えているのは気になるところです。3.11の最大余震たるアウターライズ地震も起きていませんし、常に気を引き締めていかねばなりません。

 そうした流れもあっての今回の十和田噴火警戒レベル運用開始だと思うのですが、本来なら3.11直後から運用すべきだと思っていました。とりあえず間に合った(?)ので良いのですが。

 ちなみに、最近私がお預かりしている出口王仁三郎の耀わん「十和田」にヒビが入りました(なんと伊勢神宮にて)。使っているものですから、そういうこともあろうかと覚悟していましたし、新しい景色として楽しんでいるわけですが、ちょっと気になるところではあります。ヒビが龍神に見えますので。いよいよお出ましかなと。

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2022.03.20

居心地の良い場所「富士吉田」!?

Th_15916289dd20e591a97832ee12c7186a5d7c4 和26年(1951年)の今日、富士山の艮(北東)に富士吉田市が誕生しました。

 太古富士高天原があった(とされる)地域です。

 その富士吉田市にある学校法人に勤めて35年ほどになりますから、富士吉田市の歴史の半分を体感したことになりましょうか。

 市民だった期間は10年ほど。今は近隣の村に籍があり、静岡の実家で生活することも多くなりました。

 富士山の南側と北側では、気候風土が全く違います。そのため、当然住む人々の生活も、その人柄も大きく違います。

 南麓から北麓へ移住した私からしますと、正直北麓の方が「今だけ、カネだけ、自分だけ」的な要素が強く感じます。もちろん厳しい気候風土が生んだ気質ですから、別にそれを軽蔑したり、嫌ったりしているわけではありません。なにしろ、わざわざ南麓を捨てて北麓を選び生活しているわけですからね。

 そう、逆に言うと多くの面で恵まれすぎている南麓(岳南)の皆さんの、あの独特の「のんびり感」に物足りなささえ感じるわけです。

 北麓は南麓に生活的なコンプレックスを感じて生きてきました。それがたとえば「富士高天原」伝説が生まれる本質的原因になっているのです。

 文化の誕生には二つのパターンがあります。一つは豊かな幸せな生活から生まれる文化。もう一つは恵まれない不幸な生活から生まれる文化。

 そのどちらかが優れているというようなことはありません。それは歴史的な文化遺産を想起すればすぐに分かりますね。ある意味、その両輪、あるいはそれらのコントラストがあってこその「文化」であると思います。

 富士吉田出身の有名人、フジファブリックの志村正彦くんや、プロレスの武藤敬司さん、お笑いのニューヨークの嶋佐くんらが、陰影ある深い表現ができるのも、あの気候風土の中で育ったのちに、東京や世界に出ていったからに違いありません。

 さてさて、ブッキング・ドットコムが口コミ評価を集計して算出した「最も居心地の良い場所」ランキングで、富士吉田市が堂々の3位になりました。

 これは本当に驚きです。地元の皆さんはこの事実をもっと知った方が良い。そして誇りに思うとともに、それを活かした観光事業を展開しなければなりません(ちなみに私は今年から本格的に展開しますよ!)。

 これは皮肉ではなく実際問題としてあえて書きますが、もし出身地域以外に移住した方々に「最も居心地の悪い場所」ランキングを投票してもらったら、きっと富士吉田は3位になりますね(笑)。

 正直「来たりもの」にとっては住みにくい場所です。まず寒い(夏は涼しい)し、閉鎖的ですし、保守的ですし、排他的ですし、お金や権力に汚いですし…って日本中、地方はみんなそんなものですけど(苦笑)。

 しかし、そんな「地方性」を軽く凌駕する、まさに世界レベル、いや宇宙レベルで美しい「富士山」がある街、富士吉田。たしかに外国から来たら、その新旧混沌とした街並みも含めて、その全体的空気感は「居心地が良い」と感じるでしょうね。

Th_81b514cea85c490ca838daf87eae41cb 南側や東側からの富士山を見慣れていた私でさえ、最初に富士吉田の本町通りから富士山を見上げた大学生の時には本当に感動しました。生活の情景に溶け込んでいて、かつ神々しい。

 芸術的な風景画とは違う、リアルな生活感をまとった民芸のような印象でした。もちろん、今でもその感じは変わっていません。そんなところに、外国の方が何かを感じるのは嬉しいことです。

 河口湖でも山中湖でもなく、富士吉田市というところがいいじゃないですか。皆さんもぜひおいでください。

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2022.03.19

【討論】大災害がやって来る!その時日本は?!

 

 れは良い討論。錚々たる方々の貴重なご意見をうかがうことができました。

 「防災」「土木」には志が必要です。なぜなら、その仕事が時空を軽々と超え、また多くの命に関わることだからです。「今だけ、カネだけ、自分だけ」とは対極にある世界です。

 本来、教育もそうなんですよね。土木も教育も少なくとも百年の視野を持っていなければなりません。「十年樹木、百年樹人」という言葉があるとおりです。

 しかし、今や「土木」や「教育」はダサい仕事、キツいだけの仕事となってしまいました。というか、そういう「教育」が悪いのですよ。学校教育こそ「今だけ、カネだけ、自分だけ」を助長している。

 もちろん、土木や国土建設は唯物論では処理できません。思いや志、未来への希望、生命への愛情、自然への畏敬がないと成り立ちません。ですから、本来なら大変尊い仕事なのです。

 この討論でもいくつかの例が語られていましたが、古代天皇はじめ歴史上の人物の治水や治山の物語は枚挙にいとまがありません。つまり、そうした事業(仕事)が、その人物の歴史的評価そのものになるということです。

 日本は自然の恵みと自然の脅威の双方が豊かな国です。世界的にも稀有な存在と言えましょう。そんな中で培われた日本人の国土建設、土木事業哲学こそ、国内の防災のみならず、これからの地球建設、あるいは地球平和に有用なものになるかもしれません。

 かつてほどではないにせよ、今でも日本の各種インフラ整備技術が、世界の経済、防災に貢献していますね。そこにもっと誇りを持っていいと思います。

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