カテゴリー「自然・科学」の698件の記事

2018.08.06

『広島、長崎戦跡善後処置緊急具体案」 (仲小路彰)

Th__20180808_84318 島原爆忌。今日はある研修に講師指導者として参加しておりますが、たまたま広島からいらした先生とじっくりお話する機会がありました。
 被爆地ゆえの特殊な教育事情。このたびの豪雨被害について。広島は特別な試練の上に崇高な使命を持っているように感じました。
 仲小路彰は戦後すぐに、広島・長崎両被爆地について提言を行っています。はたしてこれが誰にあてられたものか分かりませんが、結果として、平和記念公園や資料館、そして原爆ドームの保存へとつながっていったことは間違いありません。
 今日はその貴重な文書の一部を翻刻して紹介したいと思います。お読みになっていただければ、仲小路がいかに進歩的、未来的な思想を持っていたかが理解できると思います。メディア戦略や経済戦略なども含め、当時の常識とはかなりかけ離れた、しかし未来的には実際に実現したアイデアが満載です。
 なお、旧字体は新字体に直しました。

 厳秘
  広島、長崎戦跡善後処置緊急具体案
 主要目標
  第一方法
 ウラニユーム原子爆弾を広島及長崎の両都市に使用したる結果を極めて広範囲に渉る各種科学の方面より整然と調査整理して之れを詳細に何等区々たる感情を混ふる事なく大胆率直に全世界に発表すること。
 之れに依りて自ら全世界の各所に軍事的方面より又は道徳的観念より或は宗教思想等の角度より各種の議論多出すべく之等は総て之れを大乗的見地よりなすに委せて唯その究極を之れに依りて最も深刻に人類を反省せしめ、物質文明特に近代科学の飛躍的に進歩せるに比して精神文化の発達甚だしく遅れ、殊に各国家間の国際道義の低下を今後如何に為すべきか、又社会道徳の混乱頽廃せる真相を如何にして正しく進歩向上せしむるかを自ら深刻に考慮せざるを得ざらしむる事。
  第二方法
 世界の宣伝網を活用すべくその中心勢力と協力する事。
 全世界のあらゆる交通及観光会社と提携する事。
 之れを映画化して極力活用する事。
 見学及観覧の為に完備せる大設備をなす事。
  第三方法
 之等のあらゆる方法を活発且つ有意義に実現し、而も之れを我国復興の一大財源たらしむる為に国家直接の機構は之れを唯背景となすに止め、公共又は私設団体或は特設会社を創設して之れに当らしむること。
 国家は即刻撮影、上映其他の権利を之れに与へて確保せしめ、外国人及それ等の会社との交渉は尽く之れに当らしめ今後の大計画及び相互の事情をよく懇談の上少くとも第一回の撮影許可料壱千万弗以上を入手し、直ちに之れを二分し、その一は直接罹災者の救助費の一部となし、その一はあらゆる設備の費用となす事。猶世界に之等の映画を上映する場合の純益の三割以上を提供せしむる事。

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2018.08.04

折りたたみ日傘(晴雨兼用)

Th__20180805_181411 い、暑いシリーズが続きます。
 買いましたよ、とうとう。日傘です。日傘なんて女性のものだと思っていましたが、今や都会では男性も日傘を堂々とさしているようです。
 私、坊主頭、すなわちスキンヘッドじゃないですか。これがですね、真夏は涼しいどころか、とんでもなく熱い(痛い…ちなみに冬はめちゃ寒いっす)。
 で、最近は突然の夕立、いやゲリラ豪雨もあるじゃないですか。そうなるとやはり晴雨兼用の折りたたみ傘がほしくなる。
 実はずいぶん前から私は日傘をさしたかったんですよ。しかし、社会的なパラダイムシフトが起きないと、単なる変人にしか見えなかった。それが、昨日も書いたとおり「ホンモノのトップダウン=天の力」で、なかば強制的にパラダイムシフトが起きつつあるわけです。ラッキーですね(笑)。
 仲小路彰は弟子にこう語ったと伝えられています。

実に簡単です。
常識を捨てればいいんですから。
 

 これはすなわち、私たち凡夫にとってはこういうことを語っていますよね。

実に難しい。
常識や過去や信じてきたもの
を捨てるのは。

 たった日傘でさえも、私たちはなかなか常識を破ることができませんでした。それを見かねた天の神様が、こういう異常な酷暑を私たちに与えてくれたわけです。感謝しましょう。
 そうそう、この傘、軽くて小さくてホントいいですよ。自動開閉の仕組みなんていりません。ただ重くなるだけですからね。

Amazon  折りたたみ日傘(晴雨兼用)

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2018.07.29

落合陽一 「ユビキタスからデジタルネイチャーへ:アート・エンターテイメント・デザイン」

20180730_91348 画の紹介が続きます。そういう時代です。
 そういう時代の象徴の一人が落合陽一さん。言語によるコミュニケーションは決して次元が高いわけではなく、たとえば動画のように視覚と聴覚に直接訴えかける方がより良いという考え方もある。
 そして、その先にはさらなる情報伝達、共有手段の世界が広がっている。デジタルネイチャーの時代。
 旧世代の私たちはそれを拒否するのか、受け入れるのか。教育はどうなっていくべきなのか。いろいろ悩みがあります。
 ただ、彼の話はとっても面白いのです。私は拒否反応どころか非常に興味がわく。しかし、そちら側にいくためには、とにかく自分の常識、過去を捨て去らなければならない。悩ましくも楽しいことです。なにしろ、この歳になって、まるで子どもの時の、あの未知の世界に出会った瞬間のようなドキドキ・ワクワクを感じることができるのですから。
 こういう世界観を、はたして学校は教えることができるのでしょうか。教育は常に最先端を行かねばならないのに、実態は全く逆で旧態依然、非常に保守的なムラ社会になってしまっています。
 今、筑波大学は面白いですね。こういう人が学長補佐とかやってるんですから。大学、特に国立大学が変わらないと、その下の高校、中学、小学校、そして幼児教育は変わりませんよ。やはり、未来に原因を作っていかなければ。

 落合さんのすごいところは、最先端のテクノロジーを荘子や侘び寂びと結び付けられるところですね。スマートです。

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2018.07.27

「どーせむり」をなくそう

Th__20180728_100655 育者としての悩みシリーズ(苦笑)。どんどん悩みますよ。悩むことは楽しいことです。悩むのは矛盾があるからです。対立するナニモノとナニモノかがあるからです。
 先ほど、仲小路彰の研究・顕彰を主導してくださっている方から久しぶりにお電話をいただいたのですが、やはり仲小路彰を理解するにはヘーゲルの弁証法を勉強しなくてはならないとのこと。
 今、いろいろな意味で矛盾、対立に悩んでいる自分にとって、たしかにその解決法は弁証法しかないなと思います。そして、弁証法こそ、未来的な思考方法です。
 考えてみれば、弁証法によって未来的発展を遂げるためには、現在において矛盾や対立がなくてはならないわけですね。ですから悩みに感謝なのであります。
 さてさて、そんな素晴らしい悩みと、その先にある希望を与えてくれるプレゼンを紹介しましょう。
 北海道の実業家植松努さんのTED。本当にいいですよ。植松さんのお人柄もよく分かる。
 学校の先生としては実に耳の痛い素晴らしいお話の連続です(苦笑)。
 たしかにほとんど学校の先生は「どーせむり」のプロになってしまっている。まず自分に対してもそうです。植松さんの言うとおり、教育(学校)とは「死に至らない失敗を安全に経験させる」ものであるべきです。
 失敗を避けるために私たちは「どーせむり」という魔のワードを使ってしまうのですね。
 私も「どーせむり」は人にも自分にも絶対使わず、「だったら〜してみたら」と言い続けたいと思います。

 

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2018.07.12

石井裕 『独創・協創・競創の未来:タンジブル・ビットからラディカル・アトムズへ』

 〜む、本当に素晴らしい!ワクワクします。
 ずうずうしく言わせていただきますと、時間、未来、現在、過去に関する考え方が、ワタクシと石井先生は一緒ですね。
 テクノロジーの寿命は1年、ニーズの寿命は10年、ヴィジョンは100年。自分が死んでからも残る。
 テクノロジーが未来を切り拓くのではなく、未来のヴィジョンがニーズとテクノロジーを生む。
 だからこそ、私たちはテクノロジーに近視眼になるのではなく、ある意味アホくさいほどの夢、ヴィジョンを描くことですね。
 そして、アート、サイエンス、デザイン、テクノロジーをアウフヘーベンして、総体としてのスパイラルを生み出すこと。
 プレゼンのしかたも含めて、非常に勉強になりましたね。
 タンジブル・ビッツで一躍有名になり、MITの最先端に生き残っている日本人、石井裕さん。かっこいいですねえ。
 MITのあり方に象徴されていますが、やっぱりアートって大切ですね。世界に対して疑問を抱くことがアートの本質。そこからしかイノベーションは生まれない。人類の歴史とはまさにアートの歴史であったわけです。
Th__20180713_113020 未来視力‥いい言葉ですね。そこに富士山があるのも素晴らしい!
 やはり時間は未来から流れてきていて、だからこそ未来に原因を創って今結果を出す。ぜったいにそうですよね。
 いかに壮大な妄想をし続けるか。それこそが重要です。あきらめたら終わり。
 温故知新という言葉に対する解釈も私と同じでした。過去の人たちが、私たちの今を超えたはるか未来に何を妄想したのか。それを知ることは実は楽しいことです。

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2018.07.01

NHK公開収録「にっぽん百名山 富士登山!徹底ガイド」@ふじさんホール

Th__20180702_103448 日は富士山山開きの日。この日にちなんで、富士吉田市のふじさんホールで、NHKの「にっぽん百名山」の公開収録がありました。
 この収録があることを、地元の私は知らなかったのですが、かつてのレミオロメンおっかけ友だちが久しぶりに連絡をくれまして、一緒に行くことになりました。
 会場には、それこそ10年以上前一緒におっかけした(笑)仲間が集まり、久しぶりの再会を喜ぶとともに、年月の流れの早さと、それぞれの人生の変化に、なんともいえない感慨を覚えることとなりました。
 これもまた音楽の素晴らしさですね。
 詳しくは語れませんが、山好きでなくとも楽しめる内容となっていたと思います。司会は、山と渓谷社の編集長萩原浩司さんと、ハリウッド女優にして農家の工藤夕貴さん。萩原さんの穏やかで誠実なお人柄と、いい意味でぶっとんでいる天然(ナチュラル)ガール工藤さんの絶妙なタッグです。
 そこに加えて、ある意味お二人のいいとこ取りをした(?)穏やかで天然の藤巻亮太さんがゲスト。山に関するトークも面白かったけれども、なんと言っても、収録の最後のサプライズ・プレゼント、山中湖の某スタジオで完成させたあの名曲「粉雪」を弾き語りしてくれたことは、私たち長年のファンからしますと、なんとも感動的な出来事でありました。
Th_img_1999 ここふじさんホールは地元の私たちにとっては、いろいろな思い入れのあるステージです。私自身も学校行事や式典などで何度も舞台に上がっていますし、いろいろなミュージシャンのパフォーマンスを見たり聞いたりもしてきました。
 特に、あのは格別な思い出です。そこで、志村正彦くんと同世代、ある意味同郷である藤巻くんが歌ってくれることに、私は感激しないではいられません。
 藤巻くんの生歌をこのホールで聴くのは、なんだかんだもう3回目となります。5年前にはリハーサルに同席させてもらい、彼と志村くんについてしんみり語り合いましたっけ。今日も思い出してくれたでしょうか。
 そうそう、そういえば、この秋に藤巻くんは「」を主催するんですよね。そこにはフジファブリックの山内総一郎くんも参加してくれます。嬉しいですね。行かなきゃ。
 と、個人的にいろいろなことを考え、思い出させたくれる収録でしたが、放送は、山梨県では総合テレビで7月27日(金)午後7時30分から、全国放送ではBS1で7月28日(土)午後10時からとなります。ぜひ御覧ください。私も映ってるかな(笑)。坊主頭を探してみてください。
 

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2018.06.29

鏡の中の自分は自分なのか?

Th_00_m ールドカップの「美徳(virtue)」について書こうかと思ったけれども、本当にいろんな人がいろんな意見を述べてくれているので、私は遠慮することにしました。
 ただ、基本的にはあの作戦には賛成です。感情的には「侍らしくない!」とか、勝手なこと思いましたが、勝ちが最終目標であるスポーツの世界においては、やはり確率論的に優れた采配であったと思います。
 さてさて、というわけで、「virtue」と「virtual」の話の続きとして、今日は「鏡の中の世界」について考えてみようと思います。
 皆さんは、鏡に映った世界はリアル(ファクト)だと思いますか?それともバーチャル?あるいはフィクション?
 そんなことどうでもいい…ですね(笑)。
 でも、ちょっと考え出すと面白いですよ。答えはなくとも楽しめます。ちょっとした哲学です。
 とりあえず、そこに映っている自分は自分なのでしょうか。もしかして他人?いや、もうひとりの自分とか。
 ちなみに人間以外では、チンパンジーやイルカに「鏡像認知」の能力があることが、科学的な「ミラーテスト」で証明されています。
 これは、鏡に映っている自分を、いわば「alternative fact」だと捉えているのだと思われます。とりあえず自分自身ではないが、自分と同様の属性を持っているものであると認知するということですね。
 思いつきで書いているので、話があっちこっち行って申し訳ありません。鏡の中の世界って、なんとなく「左右逆」になるというイメージありますが、実際には「左右」は変わりません。右手はたしかに右にありますよね。
 そう、実は上下、左右は変わらず、奥行きだけが逆になっているんです。お分かりになりますよね。手前と奥とが逆になる。これが全部ひっくり返っていたら、お化粧や鼻毛切りは実に難しいでしょうね(笑)。ちなみに凹面鏡で焦点距離より遠くに立つと全部逆になります。
 では、なぜなんとなく左右が逆になっているように感じるかというと、自分が向こう側の自分(仮)に立って見た時、右手が左手になっているからです。人間はそのように高度な抽象的な思考ができるということですね。
 さて、そんな矛盾をも抱えた鏡の中の自分ははたして自分なのでしょうか。もう一度考えてみてください。
 なんだかワケが分からなくなってきますよね(笑)。
 私たちは、たとえば車のミラーに映った景色を、とりあえず本物だと思って信用して運転しています。これは、昨日の話からすれば、本物の本質を持った別物、すなわち「virtual」であると認定しているということです。そして、「alternative fact」として運用しているということですね。
 では、鏡の中の自分はオルタナティブな自分なのか…。
 結論は出ないのですが、実はこの鏡像認知こそが、時間の流れ方を「過去から未来」、「未来から過去」と切り替えつつ等価であると考えられる能力に関係していると、私は考えているのです(とか言って、今思いついた)。
 時間が流れてくるのか、自分が歩んでいくのか…未来から今の自分を眺めるのか、今の自分から未来を眺めるのか…音楽は未来から流れてくるのか、楽譜をなぞるように過去から未来へ流れのか…歴史の記述、いや全ての記録は鏡像なのか…。
 哲学はどんどん深みにはまっていき、そしてますます混沌として出口が見つからなくなるのであります(苦笑)。
 まあ、いいや。今日は鏡の自分を見ながら、彼と対話してみます。最近鏡見てないしな(笑)。ちなみに猫たちは鏡に映る自分は自分ではなく、別の猫だと思っているようです。では、鏡に映る別の猫のことを、リアルなその別の猫だと勘違いするのだろうか…猫にも聞いてみます。またいつか続きを書きますね。

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2018.06.28

バーチャルは美徳?

Th_2018062900253093nksports0009view が英語の勉強をする中で、「virtue=美徳」という単語が出てきました。
 ここで彼女にとっては意外であろう情報を提供しました。
 「バーチャル(virtual)」は「virtue」の形容詞形である。
 日本語で「バーチャル」というと、バーチャル・リアリティのイメージが強く、結果として「リアル」の対義語のように言われますが、もともと英単語としての意味は、「実質上の」です。
 ある辞書には、こんな例文が。

Argentina came to a virtual standstill while the game was being played.
アルゼンチンは試合が行われている間,実質的な停止状態に陥りました

 なんだか、今日(から明日にかけて)のワールドカップの試合みたいですね(笑)。ま、この例文ではチームではなく国がということでしょうけれど。
 つまり、ホンモノではないけれども、本質的にはそれ同様であると認定されるというイメージです。別の辞書の例文を挙げてみます。

a virtual genius
天才といって差し支えない人
the virtual head of state
実質上の国の首長
They made us a virtual promise.
彼らは我々に約束したも同然だった.

 日本では、なんとなく「バーチャル・リアリティ」の危険性みたいなことが言われているせいか、「リアル」はよくて、「バーチャル」はダメみたいな雰囲気があります。日本のある辞典の記述です。

実体を伴わないさま。仮想的。疑似的。「―な空間」「―な体験」

 なんとなくマイナスなイメージ、危険な香りがしますよね。はっきり言ってこれは偏見です。
 もともとは、「リアル」の本質(美徳)を備えている別物を指す言葉ですから、決してマイナスなイメージばかりではありません。
 いわゆくVRも、日本では諸外国よりも、「面白いけれども、あんまり深入りするな」的な捉え方をしているように感じます。
 最先端の技術開発の世界では、まさにリアルの「virtue」をいかに再現するかに挑戦しているわけです。
 考えてみれば、テレビで遠くロシアでのワールドカップを観て感動・興奮することができるのも、そうした技術者の努力の結果ですよね。もう私たちはとっくの昔から(言葉を発明した時から)、バーチャルなリアリティの中に生きているのです。
 さてさて、今日の日本の試合、そこには「virtue」はあったのでしょうか。それはまた明日にでも。

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2018.06.27

あなたの街の揺れやすさは?

20180628_95152 日に続きまして、地震防災に関することです。
 昨日は発生が予想される大規模地震の確率を確認しましたが、それとともに重要なのが、自分が住んでいる場所がどのくらい「揺れやすい」のか、あるいは「揺れにくい」のかを知ることです。
 同じ規模の地震でも、その場所の地質、土壌によって、その揺れ方はかなり違ってきます。
 私の住む近所ですと、たとえば忍野村は周辺地域よりも「揺れやすい」。実際、発表される震度も近隣よりワンランク上ということがよくあります。
 それは、同村の中心部が、かつて「宇宙湖(宇津湖…うつこ)」という湖の湖底に位置するからです。今でもそのなごりとして、有名な忍野八海の湧水があります。
 また、同村には富士山の側火山の噴火口もあり、1万年くらい前の噴火堆積物も多少影響を及ぼしているかもしれません。
 そのような地質による、その土地の「揺れやすさ」を知るのに便利なのが、こちらのサイト。

あなたの街の揺れやすさは?

 残念ながら私のウチの住所はありませんが、一番近くの番地で検索しましたところ、上のような結果が出ました。地形の種類は言うまでもなく「火山山麓地」。基本、溶岩流と堆積物の上に立地しています。すごく頑丈というわけではありませんが、たとえば東京23区に比べれば「揺れにくい」と言えるでしょう。
 どうぞ、皆さんお住まいの場所の「揺れやすさ」を調べてみてください。

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2018.06.26

全国地震動予測地図 2018年版

Th__20180627_84503 府の地震本部から今年版の「全国地震動予測地図が発表されました。地道な研究の成果です。研究者の皆さんに敬意を表します。
 ニュースなどで取り上げられていたのは、特に次の地図。
 
2018年版確率論的地震動予測地図

 北海道南東岸で確率が上がっています。このように新しい発見、知見により、確率が大きく変わることもありますし、当然のごとく経年変化で確率が微増していくこともあります。
 全体を見ますと、やはり太平洋側で確率が高いということがわかります。そういう意味では、日本海側は、こと地震に対しては比較的安全だと言えますが、それは非常に長期的な話であり、短期的な視点で見ると、大雪に伴う危険や困難の度合いは高い。
 どちらを選ぶかという問題ではないとは思いますが、本当の「住みやすさ」とはなんなのか、考えさせられる事実ではあります。
 ちなみに私の住んでいるところは、いろいろな震源による強震の可能性が高いうえに、それに伴う富士山の噴火という危険性も高い特殊な地域です。
 あえてそこを選んで住んでいるということもまた、人生におけるいろいろな価値観を反映しているものです。短期的、長期的、メリット、デメリット、安全、危険…。まあ「虎穴に入らずんば虎子を得ず」ということでしょうか。それもまた真理であります。
 さて、この地図に限らず、ハザードマップというのは、あくまで参考資料に過ぎません。それは、過去の情報の累積の上に、つまり科学的に予測されたものだからです。科学の基本は「再現性」です。そういう意味では、地学という分野の難しさ、すなわち「再現性のスパンが異常に長い」ということの難しさをも考えさせられます。
 2010年版の同地図を見てみてください。これがあの、翌年の未曾有の大震災を予測していたと言えるでしょうか。まさに未曾有であったということでしょう。科学、特に確率論の限界です。

2010年版確率論的地震動予測地図

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