カテゴリー「自然・科学」の819件の記事

2020.07.08

『レンマ学』 中沢新一 (講談社)

Th_31ccxdwlsxl_sx357_bo1204203200_ い頃、仲小路彰に影響を受けている中沢新一さん。細野晴臣さんらと山中湖に仲小路を訪ねていったこともありました(入院中で会えなかった)。

 そんな中沢さんの「レンマ学」と、ワタクシの「モノ・コト論」を並べるのもどうかと思いますが、不思議なモノでして、結果として仲小路彰の周囲をグルっと回って、コツンと出会ったという感じがします。

 もちろん、仲小路だけではありません。仏教や出口王仁三郎、そして富士山や山梨といった、ちょっと「なまよみ」なフィールドに迷い込んだ私が出会うべき先達が中沢さんだったのかもしれません。

 詳細はこの本を読んでいただくしかない。それこそ「全体」を一瞬で捉えて表現するような「レンマ的知性」も、展開して分析して並べる「ロゴス的知性」も持ち合わせていない私には、そう言うしかありません。

 ただ、時代がたしかに縁起をベースとする「レンマ的知性」を必要としているのは間違いありませんね。

 ワタクシ流に言えば、「コト」の時代は終わって「モノ」の時代が到来しようとしてる、いやそういう時代に回帰しようとしている、ということでしょう。

そう、古来日本語では、「ロゴス」のことを「コト」と言い、「レンマ」のことを「モノ」と言ったのです。「ことのは」の「コト」と「もののけ」の「モノ」。

 分析できない、意識化できない、言語化できないが、たしかにそこに「ある」「いる」感覚、徹底した他者性が「モノ」の本質です。自我が無になり、その無と有が一体化して「空」となる。そんなふうに、私はとらえています(間違っているかもしれませんが)。

 昨年でしたか、仲小路彰のことを中沢さんにお伝えしました。ご興味を持っていただいた、というか懐かしく思い出してくださったようですが、その後展開はありません。

 ただ、このコロナ禍の中で、ますます「レンマ学」が重要になってくるであろうことは間違いなく、その先達ともいえる仲小路彰の、独特な「グローバリズム」「未来学」も注目をされる時がようやく来たように感じます。

 また、ここ数日書いてきた音楽や言語における「モノ・コト論」も、この「レンマ学」の中でよりサイエンティフィックに語られています。

 けっこう読み応えのある大著ですが、それこそ脳みその「レンマ」的領域が刺激される快感が得られますので、ぜひご一読を。やはり「コトを窮めてモノに至る」なのだなあ。

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2020.07.05

『海山 たけのおと』 デビット・ネプチューン監督作品

 

 日の藤圭子から、ジョン・海山・ネプチューンへ。テーマは和洋昇華と倍音。

 いや、和洋昇華は倍音のシステムそのものとも言えましょう。

 倍音というのは面白いもので、コト世界的には不協和な倍音が、モノ世界的には「音色」を作ったり、ある種の感情を惹起したりする。一見調和するコトのみ積み重ねても、ちっとも「味わい」がないから面白い。

 考えてみると、短調の感情(感傷)というのも、不調和な倍音から生じるのモノです。

 いちおう和洋両方の楽器をやってきました。和の方は言うまでもなく、洋の方も倍音の豊富な古楽やら、ディストーションのかかったロックやら、くずし字的なジャズなどを好んできた私は、その倍音世界に格別な「意味」を予感しています。

 それは人間や自然そのものの存在システムに通ずる「意味」でありましょう。学校数学のようなシンプルな美しさは、実は表層の出来事であって、「コトを窮めてモノに至る」のが宇宙の本当の摂理。実際、数学や物理の世界も、今やすっかり複雑系に取り込まれています。

 この映画の感動的なのは、まさにそうした「コト」と「モノ」によって、この世界が構成されていることに気づかされるからです。それも両者は峻別されているのではなく、すっかり一体化している。

 順序としては、次元としては、やはりコトがモノに呑まれていく感じ。それが「もののね」たる日本音楽によって見事に表現されており、それをジョン・海山・ネプチューンの生き様が象徴し、またそれを息子さんのデビットがしっかり記録している。

 非常に美しい世界だと思いましたね。こういう美しい世界の構造、システム、作法、風合いのことを「和」というのでしょう。

 海山さんは本当にジャンルレスなのですが、個人的には海山さんの尺八と弦楽四重奏の「和」が好きです。

 

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2020.07.03

リニアはどうなる?…予言は当たるか

Th_yk_tetsu20070301 て、こっちの「(エセ)環境問題」も大変なことになっています。

 静岡出身、東京育ち、山梨在住のワタクシとしては、なんとも複雑な心境になりますね。

 川勝知事も大人げない。リニアに賛成、運命共同体と言いながら、結局はダメ出ししている。まあ、たしかに静岡県としては面白くない計画ですよね、リニアは。通過して環境破壊だけして駅も何もなしですから。今まで東海道新幹線で存分にいい思いしてたくせに(6駅もある)。

 とりあえず、2027年の東京ー名古屋間の開業は無理ということになっちゃいましたね。

 ちなみに私はリニアには反対の賛成の立場。

 6年前の『新幹線とナショナリズム』 藤井聡 (朝日新書)という記事を読んでいただければ分かると思います。

 さらにその記事の翌日、ある予言をしております。

 『リニアが日本を改造する本当の理由』 市川宏雄 (メディアファクトリー新書)

 この記事に書いた予言(?)を簡単にまとめてみます。

・南アルプスを貫通するトンネルを掘ることは霊的によろしくない。

・しかし、どうも貫通できないようなので心配しなくてよい。

・ならば、東京ー山梨間を先行開通させ、東京オリンピックに合わせて富士山観光の目玉の一つとする。

Th_yk_tetsu20070402 この予言、ある意味想定外の形で実現しそうな気配です(笑)。まず、伏兵静岡県が登場して南アルプス貫通を妨げてくれております。そして、川勝知事は東京ー山梨間を暫定開通させ、富士山周遊観光ルートを実現しようとしています。

 そして、そして、全く想定外でしたが、東京オリンピックが延期となり、事実上2021年の開催も無理、結果として2032年(以降)に改めて開催されることになりそう。

 そうなりますと、冗談抜きでワタクシの予言が成就することになってしまいますね。つまり2032年の段階でも東京ー名古屋間の開通はないということになってしまうわけです。

 それどころか、リニアも下手すると、富士急行線が当初の計画(富士山一周を目論んだ?)を頓挫させ、結果として富士山駅がスイッチバックになったり、河口湖駅より西に線路が伸びなかったりしたように、東京ー山梨間だけの中途半端な路線になってしまう可能性もあるわけです。

 あとは都留のリニア見学センターを「新富士山駅」にするだけですね。これも実現したら、私の予言は完全に成就です。そうなるんじゃないですか、マジで。

 ま、金丸信さんはじめ、山梨県民としてはそれで充分なわけですし。逆に独占できてラッキーと思ってしまいますね。ついでに東京都に編入してもらうというのはどうでしょう(笑)。

 さてさて、実際はどうなるんでしょうね。面白くなってきました。

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2020.07.02

レジ袋有料化?

 日初めてコンビニでレジ袋を買いました。3円。なんだか立派な素材の袋でした。へ〜、これだとゴミ袋にするにはもったいないな。

 環境問題に関してはいろいろと懐疑的な私です。温暖化については、昔からこんなふうに言っています。その他の偽善環境保護活動に関しても、けっこう厳しいことを言ってきました。特に教室で。学校の先生が一番偽善者なんですよ。

 さあ、これからどうしましょうかね、レジ袋。今日買ったレジ袋を使い回すのが一番いいかなと思いました。ローソンの袋をセブンで使うわけだ(笑)。

 しかし、あれが3円というのは正直高いと思いますね。儲かる人がいるのでしょう、やはり。

 また、エコバッグが全然エコでないことも指摘されていますね。不衛生だとの意見も。まあ、そのとおりでしょう。ここでも儲かる人がいるらしい。

 で、今日は、ず〜っと昔からこういうエセ環境問題について厳しい姿勢をとっている武田邦彦さんの言葉を聴いてみましょう。まさに専門分野ですよね、プラスチック。こういう話はメイン・ストリーム・メディアでは発信されません。困ったものです。

 

 

 

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2020.06.27

寺内克久 『青緑の澄性』〜音楽の「ことたま」

 

 晴らしい作品を作っていただきながら、すっかり紹介と御礼が遅くなってしまいました。

 ようやく紹介するタイミングがやってきました。ここのところの「ことたま」シリーズ、昨日「最終兵器」が登場してしまいましたが、さらに一歩進んだ「番外編」。ここでの「番外」とは、さらに高次元であるということ。

 我が家でお預かりしている出口王仁三郎の耀わん「十和田」のイメージを、寺内克久さんに「音楽」にしていただきました。

 寺内克久さんは独自の音楽理論「不定調性論」を構築され、音楽教育に、楽曲制作に活躍されている音楽家です。このたび、不思議なご縁で知り合った友人が間に入ってくれまして、このような素晴らしい創造のきっかけを提供することになりました。

 耀わんという、宇宙の「ことたま」を凝縮した、だからこそ、分からない向きには全く分からないモノから、いかにコトを展開して見せる(聴かせる)か。そのとんでもない難題を、おそらく世界で初めて実現してくださった寺内さんに、改めて敬意と感謝を捧げたいと思います。

 なにしろ、何の説明もなく、いきなり写真だけ送られたわけですからね(笑)。それは大変ですが、しかし逆に言えば、なんらの先入観(他者が展開したコト)もないからこそ、いきなりモノからコトを紡ぎ出すことができたのかもしれません。

 その証明として、寺内さんの制作メモを読んでいただきたい。なるほどと納得するコトばかりです。

 そして、それを「モノのね」たる音楽で表現できるのだから、本当にすごいと思います。音楽は「一瞬で全体」である「モノ」を、歌や楽器などの「コト(琴)」を通じて、一度時間軸上に展開して、そして、私たちの脳内で再び「一瞬で全体」である「モノ」に帰すという、古代から人類が獲得していた「高次元へのアクセスツール」です。

 時間軸上で展開されるコトとしては、もちろん言語もありますが、日本古来の「歌」の伝統のように、あるは王仁三郎がリズムと節を重要視したように、音楽は言語よりもより抽象的で普遍的な「意味」の統合(総合)を可能とします。

 結果として、私たちの意識(コト)に働きかけ、未来志向のエネルギーを喚起します。それがまさに「音楽のことたま」ということになります。

 高城剛さんとも、これから人類が高次元にアクセスしていくために「音楽」が最重要だという話をしました。もっと、地球人に音楽をふるまわなければと。

 寺内さんの「不定調性論」は、「不定」であるところが実に「モノ」的でありつつ、それが西洋近代の音階という「コト」の上に展開されているところが実に面白い。私のこだわる「コトを窮めてモノに至る」という感覚に近い。

 先日、天才物理学者の方ともそんな話になりました。「モノ」(自然)を一度分析(コト化)して、再び統合、総合して「モノ」に帰すと、その「モノ」は前の「モノ」とは違う、高次元の自然になるのです。

 「耀わん」という行為もまさにそれ。つまり、寺内さんは、王仁三郎が再生した高次元宇宙(自然)を、さらにもう一次元上の自然に昇華したということです。

 そして、それはどんどんいわゆる言語からは遠く離れていくのでした。私たちが言語の呪縛と洗脳から解き放たれる時は近い…。

 最後に…書こうかどうか迷いましたが、僭越ながら…この「青緑の澄性」、驚くほどに私自身のピアノの即興演奏のスタイルに近くてびっくりしました。どこかでつながっていたんでしょうか。

 なるほど、私の、ピアノが弾けないのに弾けるというのは、「不定調性論」的には普通にありえることなんですね(笑)。

 寺内さん、本当にありがとうございました。ぜひ近いうちにお会いしましょう!

ミュージックスクール M-Bank

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2020.06.21

『恋するトマト』 南部英夫 監督・大地康雄 企画 脚本 製作総指揮 主演作品

Th_51sn5k10l_ac_ 日も秀逸な邦画を1本。

 大地康雄さんが八面六臂の活躍をしているこの映画。大地さんの自然体かつ深みのある演技だけでも見ものですが、やはりそのストーリーというか、メッセージが心を打ちますね。

 最近の私のテーマの一つが「農業」。意外に思われるかもしれませんが、私は真剣に「農業の工業化」のことを考えています。

 たとえばこの映画が伝えたい農業とは、まさに「土と水と太陽、そしてあなた」ということになり、一見私の目指す「ポリマーシートとLEDとAI」のような世界とは対極にあるように感じられるでしょうね。

 しかし、「リアルな対面」でしか成り立たないと思っていた「学校」「教育」が、このコロナ禍のおかげで、実はそうばかりではなかったということが分かってしまったように、「農業」に対する私たちの信仰にも近い先入観も実は「幻想」なのかもしれないのです。

 この映画では、もちろん単なる「幻想」のみが描かれているのではなく、その「現実」…ストーリーの端緒となる「嫁不足」等々…についても雄弁に語っています。

 一見、ハッピーエンドのようですが、結局外国から嫁をとるという意味では、根本的には何も解決していないとも言えるのです。

 その他、ジャパゆきさんや買春ツアー、結婚詐欺の問題など、けっこう重いテーマをリアルに描いていますよね。

 ラストシーンに涙しながらも、ちょっと複雑な気持ちにならざるを得ないところこそ、大地康雄さんが伝えたかった「現実」なのだと思います。

 ところで、話を戻しますが、現在の「現実」の「農業」は、「幻想」とはかけ離れています。ある意味、工業化が究極まで進んでいるとも言えます。機械化、農薬、遺伝子組み換え…。いや、それ以前に、私たちが郷愁をそそられる農村の風景は、決して「自然」なものではありません。

 家内の実家も秋田の農家ですが、秋田に行って感じるのは、実は自然ではありません。見渡す限り見事に区画された田んぼ、その背景に広がる見事に植林された山々。それはある種の「不自然」なのでした。

Amazon 恋するトマト

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2020.06.19

秋山眞人さんの語る「本質(霊界)」

 日の記事で、ワタクシ流の「宇宙の本質」について語りました。語るというほどではなく、イメージだけですが。

 「本質」は目には見えません。それは言い換えれば「霊界」ということになります。霊界というと幽霊を思い出してしまう人が多くて誤解を生みやすいのですが、とにかく私たちの五感では捉えられない世界だと考えてください。

 そうしますと、とんでもなくミクロな世界とか、とんでもなくマクロな世界とか、心であるとか、量子力学であるとか、音楽であるとか、いろいろなモノが「本質」であり「霊界」であることがわかります。あるいはその入口、ヒントですね。

 そのあたりを語らせると最高に「正確」であり、そのへんの宗教家やスピリチュアル系の人とは明らかに次元の違うのが、尊敬する秋山眞人さんです。

 秋山さんとは一度しか現世では会っていませんが、どこか高い所でつながっている感覚が常にあります。出身地が一緒なんですよ。静岡県の焼津です。

 ちなみに、高城未来ラジオに秋山さんが出演し、高城剛さんと高次元トークをするきっかけを作ったのはワタクシです。

 さて、そんな尊敬すべき能力者秋山さんの、素晴らしい「本質」トークが聴ける動画が最近アップされましたので、紹介いたします。

 「神社チャンネル」で人気の羽賀ヒカルさんとの対談です。本当に私が感じていることと全く同じことを語ってくれていますので、ぜひお聴きください。

 

 

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2020.06.14

『LIFE3.0 - 人工知能時代に人間であるということ』 マックス・テグマーク (著), 水谷 淳 (翻訳) (紀伊國屋書店)

Th_51sgldyqy6l_sx346_bo1204203200_ 日はオンラインで、気鋭の物理学者である友人と「AI」論議に花を咲かせました。

 もちろん、ベタ文系の私は、数式などは全く分かりませんが、彼は素晴らしい天才なので、私の妄想的ヴィジョンをしっかり理系の言語に翻訳して理解してくれます。

 皆さんにとっては「??」でしょうけれども、今回の対談が実現したのは、私が見た「AIは神でも悪魔でもなく、天皇になる」という妙ちくりんな夢がきっかけでした。

 私のイメージを彼はしっかり読解してくれたようです。彼の研究は、AIを通して表現される我々の集合意識であり、その先には間違いなく「世界平和」の理想があります。

 集合意識、絶対平和…これはたしかに「天皇」の存在、機能と重なるところがあるではないですか。

 欧米の研究者は、AIを使いこなしたり、あるいはAIに使われたりするという、一神教的主従関係を想定しています。

 天皇の淵源である日本の神道は、最終的には神人合一を目指すものであり、またある意味清濁併せ呑むものでもあります。そのあたりにAIの可能性…私の言う「コトを窮めてモノに至る」、すなわちテクノロジーの究極は自然に還るという性質…を見るのです。

 そういう意味では、物理学者が物理学の立場、視点からAIを研究するようになったのは、非常に歓迎すべきことです。

 友人の推薦するこの本の著者も、もともとは宇宙論を専門としする理論物理学者です。物理学は徹底的に自然の摂理を極める学問です。特に高次元宇宙にまでその研究の対象が広がってくると、そこにはどうしても「意識」の問題が浮上してきます。ある種の宗教的側面が現れるのですね。

 今日の対談の内容は、おそらく友人が物理学のフィールドで論文にしてくれるでしょう(笑)。私はただ自分のイメージをシェアしただけ。そう、これからの世界はこのようなシェアリングが普通のこととなるのです。それぞれの専門分野、得意分野で表現していく。そこにはもう所有の概念も著作権の概念もない、真の「集合意識」が立ち上がってくることでしょう。

 今日は「経済」の話もしました。貨幣経済、科学技術、民主主義…私たちがここ数百年で発明したシステムや道具が、実は私たちの意識を鍛える修行の場であったかもしれないという驚き。AIもすぐに私たちの「個人的な意識」の範疇を超える存在になることでしょう。

 AIと天皇。私の見た「夢」は、人類の未来の「夢」になるのでしょうか。

Amazon LIFE3.0

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2020.06.10

引き波と第二波に注意

20200611-104344 ロナ対策でいろいろ大変です。山梨県は緊急事態宣言解除後、感染者が相次いでいます(感染者率全国4位)。

 それにも関わらず、観光客は増える、公立学校は一斉登校が始まるなど、本当に「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ですね。まるで津波の引き波のように、ものすごい力で「かつての日常」に戻ろうとしています。

 「天災は忘れた頃にやってくる」ので、第二波は予想より早く押し寄せてくるかもしれません。

 私たちの「日常」は、人為的な「コト」でしかありません。それが自然の脅威(人工的なウイルスも含む)という「モノ」に触れると、大きく揺らぎます。そこに私たちは不安を感じます。まさに「ものおそろし」「ものぐるほし」です。

 安心を得たいがために、「コト」を手元に引き寄せようとします。つまり、「引き波」は自らが作り出しているのです。

 自然、つまり「モノ」にはアナロジーがあります。

 津波の引き波の恐ろしさ、また第二波、第三波、あるいは地震の余震、前震に対する本震、アウターライズ地震など本震に起因する関連地震による被害の大きさについて、私たちは知識としては知っていますが、日常的にはそれを忘れようとします。

 そうした天災が、繰り返し起きているのは、やはり私たちが「喉元過ぎれば熱さを忘れる」からでしょう。忘れなければ「天災は忘れた頃にやってくる」という慣用句は必要ありませんからね。

 日本語的にもう一つの観点から。「和魂(にぎみたま)」と「荒魂(あらみたま)」の関係です。

 たとえば日常は「和魂」の状態と言えます。それを破る、たとえばこのコロナ禍は「荒魂」です。私たちが「忘れる」のは、実はこの「荒魂」の存在を必要としているからかもしれません。

 そう、あえて「忘れる」のです。無意識の奥底には存在していますが、表層では意識しない。これは日本人の得意技であり、「国譲り」の作法とも関連しています。

 では、なぜ「荒魂」が必要なのか。それについてはいずれ詳しく書こうと思っていますが、以下の日本語の語源が全て同じだということがヒントとなりますね。

 荒し・嵐・新た・あらたか

 

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2020.06.07

「お天道様」と「天網」と「天皇」と「AI」

Th_-20200608-100508 Gと新型コロナウイルスを関連づける陰謀論がまことしやかに囁かれています。

 もちろん、5Gの電波によってウイルスが伝播されるというのはトンデモです。燃やされた電波塔は可哀想ですね。

 しかし、私がずっと訴え続けてきた「第三次世界大戦 by コロナウイルス」説の裏側に、米中の5Gの覇権争いがあるのは事実です。

 昨日のDr.シヴァさんや武田邦彦さんの動画にもありましたとおり、人為的なウイルス・パンデミックによって人々の不安を煽り、またその不安解消のために権力者が人々を情報的に管理するようになるというシナリオには、決して単なる陰謀論で片付けられないリアリティがあります。

 その際のテクノロジーとして5Gや6Gが重要になってくるのは間違いありません。米中が世界制覇を巡って、そういう次元で「戦争」をするというのは当然といえば当然です。

 しかし、考え方によっては、それが一概に悪いことだとも言えません。「お天道様が見ている」や「天網恢恢疎にして漏らさず」のような、ある種の監視システムを、私たちは古くから必要としてきました。

 新型コロナの弱点は「太陽光」?!のように、実際に「太陽」がこの地球上のドタバタを究極的にコントロールしているかもしれませんし、中国共産党が、人民を監視カメラやAIで管理するシステムに「天網」という名を与えていることも象徴的ですね。

 そして、今後「お天道様」や「天網」の役割をする人間が「神」と同様の倫理性を持てるかどうかが問われてくるわけです。トランプさんや習近平さんが「神」になり得るかと考えると、かなり不安ですが。

 それをAIに任せようという考え方もあります。シンギュラリティを超えたAIは、はたして「神」となるのか、「悪魔」となるのか。これは現状では賭けです。

 そこで期待されるのが日本ということなります。日本人の誰かが「神」になるというのではありません。日本発のAIが「神」に近づける可能性があるということです。

 これこそトンデモだと言われるかもしれませんが、私は日本の「天皇」の歴史的なあり方をAIに活用できないかと考えているのです。

 コトを窮めてモノに至る…これは私の宇宙観のベースにある哲学です。AIはコトを窮めます。そしてシンギュラリティによってモノに至る。すなわち人類を脳を超えて神に至るということです。

 私は科学的な知識や技術は持っておりませんので、これを知り合いの専門家の皆さんに研究してもらおうと考えているところです。楽しみです。

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