カテゴリー「自然・科学」の667件の記事

2018.02.16

新井紀子 『AIは大学に合格できるか』(TED)

 近、AIの専門家と意見交換する機会が多くあります。そこには実は教育の問題が大きく絡んでくるのです。
 それが一番よく分かるのが、この動画でしょう。
 一橋大学法学部在学中に数学に目覚めるというユニークな経歴をお持ちで、東大合格を目指す東ロボくんの開発者である新井紀子さん。
 AIはすでにMARCHレベルの大学に合格できる能力を持っているけれども、東大に入れないというその理由がよくわかります。
 今ちょうど東大入試国語の指導をしていますが、たしかにあれはAIには解けないだろうなと思います。あまりに文脈力、行間読解力を必要とするからです。
 しかしMARCHレベルなら合格できるとなると、ある程度の知的作業は、人工知能によって代行できるということになります。
 もちろん、それは悪いことではなく、その部分、すなわち機械でも可能な部分は機械にまかせておけばよくて、人間はそういう意味ではとっても楽に生活できることになるということでもあります。
 そして、現状では機械の苦手とする分野について、時々能力を発揮すればよい。
 これは、私たち教育者が学校で行なってきた勉強内容を見直しなさいということでもありますね。機械ができることは学ばなくてもよいというわけではありませんが、力の入れどころに関しては、今までの知識詰め込み型学習、特に一問一答クイズ的知識ばかりをはかる試験に向けての学習ではなく、もっと創造的な学習を促す方向に変えなければなりません。
 つまり、より「人間的」な勉強をしなければならないということですね。これはもちろん悪いことではありません。AIのおかげで、私たちは人間性を取り戻すきっかけを得るかもしれないのです。
 異常に保守的な日本の教育界が、はたしてそういう変化を受け入れられるのか。これこそが、日本という国の未来を占う大きな要素になってくるでしょう。
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.02.13

自動車が本当に「自動」になる日

Th_nvidiaam24 日、AI研究の最先端を行く学者さんとお話する機会がありました。いろいろなお話をしたのですが、一番盛り上がったのは自動運転について。
 私たちシロウトは、いわゆる職人技という部分に関しては、AIは人間には敵わないだろうと思いがちですが、実際は全く逆なようですね。
 とにかく私たちが時間をかけて勉強を重ね習得してきたコトこそAIが得意なのであると。なるほど、考えてみればそのとおりでしょう。
 一方で、技術ではない、そうですねえ、あえて言えば知恵のようなモノ。たとえば想定外の事態に瞬時に対応するようなセンスというのは、なかなかAIには難しい。まあ、私たちが想定外だと感じるモノのほとんどは、過去のビッグデータに含まれる既知のコトなんだそうですけど。なるほど。
 車の運転というのは、道路というインフラや交通ルールのデザインさえしっかりすれば、かなり規則的なコトであり、そういう意味では、AIの最も得意とする分野の一つです。
 逆に言うと、現在私たちが半分カンにまかせて、けっこう死と隣り合わせで行なっている「運転」を、そのままAIに任せると、これはけっこう大変。それこそカンに頼るようなモノ性が高いからです。
 ですから、完全自動運転、つまりレベル5の自動運転を可能にするためには、インフラ、ルールのリ・デザインが非常に重要となるでしょう。
 私たちが今まで当たり前だと思ってきたこと、あるいはずいぶん効率化したと思ってきたことの中には、実は大きなムダがあったりする。それを最先端のテクノロジーが簡単に軽減してくれるというのが、これからの世の中の大きな変革のあり方になります。
 私も自分で自動車を運転して、いろいろなところに移動しています。通勤にも使っていますし、東京や横浜との行き来にも自動車を使いますから、年間にしますと、2万キロ以上車で移動していることになります。平均速度を40キロで計算しても、実に500時間を運転に費やしていることになります。
 私は運転という「スポーツ」自体が好きで、それをすることによってストレス解消をしている部分もありますから、決してムダな時間とは言い切れません。また、かつてはゆっくり音楽を聴いたり、あるいは最近ではネット動画の討論番組をまとめて聴いたりもしているので、それはそれなりに有意義な時間を使っているとも言えます。
 まあ、自動車とは言うのもの、全然自動ではなく、ほとんど手動ですし、オートマによってオートマ化したのはギアチェンジだけですよね。かなりの部分で自分のエネルギーを運転につぎ込んでいる。
 しかし、これが全て自動運転になったら、500時間の自由な時間、より有意義に使える時間が確保できるということです。
 本を読んだり、映画を観たり、楽器の練習をしたり。ま、日常の自由時間と同じく、ムダにゲームをしたり、食べたり飲んだりして昼寝したりするだけになるかもしれませんが(笑)。
 そっか、たしかに今の「手動運転」には「寝てはいけない」という最強の条件があるので、案外有意義な時間を創出しているのかもしれませんな。
 強制的に睡眠を妨げる、命がけで眠気と戦うという意味では、今の手動運転には大きな意味があるのかもしれませんね。
 そんな笑い話的な昔話が語られるようになるのは、そんなに遠い未来のことではないと考えます。少子高齢化、人口減少が避けられない日本は、そしてある程度道路が整備され、また国土が狭い日本は、実はこの部分で世界の先駆けとなるべきなのではないでしょうか。
 もちろん、個人レベルでのムダの排除だけではなく、物流という巨大産業にも革命が起きます。いくら世の中がデジタル化、情報化しても、残念ながら物質をどこかに伝送することはできないので、おそらくあと千年は物流の業界はなくならないでしょう。
 自動運転が実用化すると、たしかに現在の物流関係、あるいは交通関係の運転手さんたちの職は失われるでしょう。しかし、それは時代の流れの中での必然であり、その人たちにはまた違った、ある意味もっと楽な仕事をしてもらうことになるでしょう。
 自動車、列車、飛行機、ドローンなどによる物流が自動化することによる経済効果は非常に大きい。人件費は言うまでもなく、渋滞などによるさまざまなムダも劇的に軽減し、結果として私たちは豊かになることでしょう。
 国家レベルでのイノベーションに期待します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.02.12

自立なんて「しないほうがいい」!?

Th_img_5821 総研の深津武馬さんのインタビュー記事オスなんて「いないほうがいい」!? 性を操る細菌の不思議が面白かった。
 オスがいないほうがいいという以前に、昆虫と菌との共生、寄生の奥深さに、ちょっと感動してしまいました。
 意識しているかいないかは別として、互恵関係を作って生き延びる道を選んだ生物たちに、なんとなく敬意すら抱いてしまった。
 そう、生物学とは全然関係ないのですが、最近、近代日本の教育が子どもたちに促してきた「自立」というのが、本当に大切なことなのか、よく分からなくなっていたんですよね。
 それはもしかすると、おとといの西部邁さん追悼番組のところでも書いた、「国家の自立」にも関わってくるかもしれない。本当に自立すべきなのかと。
 変な話、戦後の日本は、アメリカに寄生することによって生き延びる道を選んだとも言えますし、アメリカはアメリカで宿主としてのメリットも計算していたとも言える。お分かりになりますよね。
 主に反米嫌米保守の皆さんは、そんな状態を「情けない」として、盛んに自立を促すわけですね。
 ただ、したたかに、そして賢く宿主の中で生きる細菌の世界を見ると、なんだか、寄生も悪くないなと思うわけです。寄生なのか共生なのかの境界線は、生物の世界でも難しいとのことですが、人間どうしや国家どうしにおいても、その判断は不可能に近い。
 私は、現在の日米関係というのは、けっこう高度な互恵関係にあって、そういう意味では、結果として生命保持手段としてはかなり対等に近い「共生」だと思っているんですね。
 それこそ宇宙からの視点で見ればですね、もしかすると日韓関係も米中関係も「共生」ということになるかもしれない。かつての米ソ関係が非常に高度な両者の生き残り作戦であったように。
 ま、冬虫夏草みたいに、結局宿主を殺してしまうのはどうかと思いますが、基本的に他者の力を拝借するというのは、ある種の知恵と言っていいでしょう。
 あまりに強く自立を志向するというのは、結局お釈迦様の言う縁起する世界観を否定することになりかねません。互いに利用しあい、譲りあって、与えあうというのが、この世の、特に生き物の世界の究極の知恵なのではないでしょうか。
 私がよく言う「国譲り」の作法や理論というのも、ここにつながっているような気がします。
 ところで、人間界でもオスの存在感はどんどん小さくなっていますね。ある意味、最近の男は女に寄生しているとも言える(笑)。
 まあ、男が強くなるのは、戦争の時代だけとも言えますよね。つまり、そんな時も、結果としては死にゆくのは男だということでして(苦笑)。
 はてさて、教育者はどういうふうに教えればいいのでしょうね、これからの時代。とりあえず、自分のことを棚に上げて「自立しろ!」というのはやめようかと思います。
 世話になるというのは、世話する喜びを与えるということでもあります。禅語の「恩を知る者は恩に報いることを解す」ですね。
 そういう意味では、私たち日本はアメリカに依存しつつ、アメリカに布施の喜びを与えている、すなわち方便によって智慧を得るという修行の機会を与えているのです(なんちゃって?)。
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.02.11

AIに音楽は可能か

Th_750 日は、横浜にてコンサートに出演いたしました。古楽器のアンサンブルでテレマン三昧。
 満員御礼。演奏する側も楽しめるのが、テレマンの良さですね。
 さてさて、ここのところAIなど未来のテクノロジーと、それに伴う人間自身や人間社会(たとえば教育)のアップデートについて考えています。
 そんな流れから、今日は、音楽ってAIでもできるのかなということを考えました。
 音楽ができると言う言葉にはいろいろ意味がありますよね。作曲、演奏、鑑賞、その他…。
 結論から言いますと、やっぱり人間にしかできない音楽ってあるのではないかと。
 そう、いくらテクノロジーが発達しても、やはり生身の体を中心に戦うオリンピックが面白い。限界があるからこそ、そこにドラマがある。あるいは、限界を感じている私たちにとってのブレイクスルーやアップデートの可能性を与えてくれる。
 そういう意味で、音楽もそういう部分があるでしょう。究極の人間技。それはある意味では曲芸のすごさだとも言えます。
 コンピュータ・ミュージックの歴史はもうずいぶん長い。物理的な古典楽器や、人間の歌唱の限界を超えるのは、とても簡単な世の中になりました。しかし、なぜかそれが主流にはならない。それは、やはり、機械には表現できない何かがあるからでしょう。
 そういう個人の技術の話以前に、あの独特のアンサンブル感というのはどうなのでしょう。たとえば私が感じ、合わせている、あの空気。決して理論的ではない、さまざまな呼吸や揺らぎを、同時的にとらえて、瞬時に処理してアンサンブルできる。
 古楽は基本指揮者を立てません。なのに、なんでお互いの体の動きが見えない状況でもアンサンブルができるのか。つまり視覚的なものではないし、単に聴覚の範疇におさまるものではない。
 それがおそらくは「波動」の世界だと思うんですよね。それはおそらく物質や情報の次元ではなく、意識の次元で起きている現象だと思います。あるいは、意識のちょっと下かなあ。
 魚群や鳥群のあの一糸乱れぬ動き、シンクロというのも、そういう領域なのでしょう。私たちがあの現象を全く理解でないのと同じように、他の生物や物質からすると、私たちのあの一糸乱れぬ(?)アンサンブルは信じられない神技でしょう。
 おそらくAIでは不可能でしょうね。様々なビッグデータから、すなわち過去の情報から、ある程度パターン化したアンサンブルは可能でしょう。
 しかし、あの波動による同期というのは不可能ではないでしょうか。
 音楽というモノ自体が、すでに意識に次元へのアクセスツールなのですらか、意識にまで踏み込めない現状でのAIにはとても無理なことかもしれません。
 そう考えると、たとえば囲碁や将棋、チェスなど、肉体性を伴わない純粋な知的ゲームにおいてAIが台頭するのは当たり前です。
 やはり、スポーツと音楽に関しては、当分は人間の優位が続くのではないでしょうか。もちろん、今考えられているシンギュラリティをはるかに凌駕するレベルでのシンギュラリティが、未来永劫にわたって実現しないとは断言できませんが。
 最近の私の興味が、もっぱら音楽やスポーツに向かっているのも、何かの予兆なのかもしれませんね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.02.09

スマホで朝生~激論!AI時代の幸せな生き方とは?!~

 このところとんでもなく忙しいので、とにかく移動の時間には討論番組を聴くようにしています。
 そんな中で、特に面白く、続けて2回聴いてしまったのが、この「スマホで朝生」です。もう1年前の回ですが、まだまだ新しい議論に感じますね。
 モチベーション格差かあ。なるほどね。日本の教育はモチベーションを低下させるというのは、たしかにあるよなあ。
 もちろん、私は違いますよ(笑)。私は、それこそ生徒のモチベーションを上げるのが教師の仕事だと思ってますから。
 たしかにモチベーションは特別に大切だと思います。なぜなら、そのモチベーションはモノ・コト論的にいうと、「モノ」の世界だと思うからです。
 昨年夏、「シンギュラリティはあり得るのか」という記事にも書きましたとおり、AIのおかげで、逆に人間の「意識」を際立たせることになると思いますね。
 モチベーションこそ意識です。AIにもモチベーションもどきを持つことは可能だと思いますが、ホンモノのモチベーションは人間のみに与えられた能力です。
 なんていうと、また人間至上主義だ、近代的な価値観にとらわれていると言われそうですけどね(笑)。ま、地球上では事実人間だけの特権なのでした。そこに気づくのが、21世紀の科学であり、哲学であり、そして教育でありましょう。
 それにしても、この動画、コニタンとハゲー!が出てて笑っちゃいますね。
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.02.01

NEWセーブ90 (水道管凍結防止ヒーター用節電器)

Th_51s7gjbkcbl 日、マイナス20度まで気温が下がった日に、台所の水道が出なくなりました。今まで20年間、凍結したことがなかったし、ほかの水道は問題なかったので、む?これは?と思い確認すると…予想通りでした。
 2004年にこちらの記事で紹介した、水道管凍結防止ヒーター用節電器「節電太郎」の一つが故障していたのです。
 その記事にあるとおり、極寒地の我が家では、フツーにヒーターを稼働させると、なんと1ヶ月の電気料金が10万円になってしまいます(!)。それを90%節約してくれるスグレモノが節電太郎くんでした。
 そんな太郎くんも20歳。たしか耐用年数が10年となっていたと記憶していますから、本当によく頑張ってくれたと思います。ちなみに太郎くんは3台稼働中でして、今回故障した1台以外の2台はいまだにバリバリに節約してくれています。本当に9割カットになるんですよ。1万円ちょっとですむ。
 ワンシーズン約30万円の節約ですから、20年で600万円!?すごいなあ。
 というわけで、故障した太郎くんを新品と交換しようと思ったら、あらまあ、もう絶滅していたんですね、太郎くん。で、ライバルの?NEWセーブ90を急遽購入いたしました。
 とりあえず、凍結してしまった水道管はヒーター直結して溶かし(なんと5時間かかった)、そしてAmazonから翌日届いた新人NEWセーブ90くんを接続しまして、いつもの節電生活に戻りました。
 今回壊れた太郎くんは1口タイプでしたので、3000円弱。あと2口タイプ二つ使っているのですが、それもそろそろ寿命かと思うので、来シーズンには全部新人に交換しようかな。水道管破裂させちゃうと大変ですから。
 3台、全部合わせても1万円ちょっとですから、めちゃくちゃコストパフォーマンスが高い製品です。寒冷地にお住まいの方は必須アイテムでしょう。
 なのに、なんで各社参入しないんでしょうね。ぜったい需要あると思うんですが。やっぱりローカル製品だからかなあ。普通はヒーターなしで水をチョロチョロだしておけば済むのか。こんな極寒地は、山梨、長野、北海道くらいなのかなあ。
 どうせなら、北欧とか、ロシアとかに売れば儲かりそうな気もしますね(笑)。

Amazon NEWセーブ90

テムコ株式会社公式

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.01.31

ブルー・ムーンとは?

Th_2018020100000007cnippou0000view しぶりの皆既月食。観測しやすい時間帯でもあり、天気もまあまあでした。ウチのあたりは何しろ寒いので、寝室の月見窓から鑑賞いたしました(そのうちに寝てしまった)。
 スーパー、ブルー、ブラッドという三つの条件が重なるのは、たしかに珍しい。しかし、ブルー・ムーンというのはよく分かりませんよね。なんでブルーなのかなと。
 と思ったら、なんと間違いなんですね!
 もともと、ブルー・ムーンとは、季節の中に4回満月がある時、その3つ目の満月の名称だったそうです。つまり、こういうことです。
 四季の一つの季節、すなわち3ヶ月の間に訪れる満月というのは、基本3回ですが、太陰暦の1ヶ月、すなわち月の公転(&自転)周期と、太陽暦の1ヶ月とはずれがあるために、たまに3ヶ月に4回満月が来る年があるんですね。
 通常の3回の満月には、1回目、2回め、最後のそれぞれに季節ごと固有の名前がつけられいますが、4回目はめったにないので、3回目の名称がなかったらしいのです。そこで、それを全季節まとめてブール・ムーンと呼んだらしい。
 それをですね、なんでも1946年に天文雑誌の老舗「Sky & Telescope」が間違えて「ひと月に2回満月がある時の両方の呼称」としてしまったというのです。それが今でも通説としてまかり通り、今回NASAまでものがスーパー・ブルー・ブラッド・ムーンと喧伝しているのです。
 まあ、たしかに珍しい現象ですし、それで多くの人々がお月見するというのも悪くありません。細かいことはどうでもいいのですが、本来の「ブルー・ムーン」は実は来年の2月19日です。2〜3年に1回の現象ですので、それ自体はそれほど珍しいことではありませんね。
 間違った説の方のブルー・ムーンも頻度としては正しい方と同じくらいですが、今年はなんと2回あるんですよね。それももうすぐ。3月2日と31日です。その次は、東京オリンピックが終わったあと、2020年10月1日と31日だそうです。
 それにしても、なんで「青」なのか、その理由は分からないままであります。いずれにせよ、ブルー・ムーンは天文現象とは言えません。人間の勝手な暦の中でのことですから。スーパー・ムーンやブラッド・ムーンとは違います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.01.30

文MON next 115号 「音」

Th__20180131_180434 文さんが送ってくれる冊子、いつも面白いし勉強になるのですが、今号は実にタイムリーな内容でした。
 昨日まで、さんざん「音」に関する記事を書いてきましたよね。そこにこの冊子が来た。テーマはまんま「音」。
 「人間の限りない可能性をみつめつづける人間探究誌」を標榜するこの冊子、いちおう定価300円となっていますが、一般の方は入手可能なのでしょうか。ネットでバックナンバーが読めるといいのですが、それも見当たりませんし、Amazonにもありません。
 内容をいちいち紹介できませんので、目次だけ掲載させてください。

 「自閉症児の優れた音楽資質とニューロダイバーシティ」…正高信男(霊長類額・認知科学者、京都大学教授)
 「静けさ、よい響きーコンサートホールのよい音」…池田覺(音響コンサルタント、株式会社永田音響設計代表取締役)
 「見えない相手に繋がろうとする」…林幸治郎(ちんどん屋、有限会社東西屋代表取締役)
 「カタリの力ー稗田阿礼の『誦習』」…北野達(国文学者、米沢女子短大教授、宮内熊野大社宮司)
 ◎わたしの転機◎「独立自尊の喜び」…鈴木孝夫(言語社会学者、慶應義塾大学名誉教授)
 読み聞かせでお母さんの脳もいきいきー絵本の読み聞かせのひみつ
 KUMONのあるところ◎ケニア
 言葉を覚えるには節をつけて歌に…公文公

 ね、面白うそうでしょ。それぞれいろいろ学びがありました。自分は自閉症児なので、コンサートホールを飛び出して、ちんどん屋になって、世界中を嘘ガタリして歩きたいなあと(笑)。
 そして、なんと言っても、我が心の師匠、鈴木孝夫先生がお元気に自己の人生を語ってくれているのがうれしい。
 そう、私のこの劇的な後半生のスタートは、実は鈴木孝夫先生と飲んだあの日に始まってたのです!あそこから、「会いたい人に会える」人生になっていきました。そういう意味でも師匠です。もちろん「日本語」「日本」についても大師匠ですが。91歳になられたんですね。もう一度お会いしたいです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.01.23

草津白根山噴火(ほか)

Th_afr1801230056p1 日の大雪から一夜明けて、今度は草津白根山噴火のニュースが入ってきました。
 まさに天変地異。日本の自然環境はある意味厳しい。
 天変地異の地異に関して言えば、今日は草津白根山の噴火だけでなく、アラスカ方面でM7.9の大規模な地震があったり、フィリピンのマヨン山が噴火したりと、環太平洋火山帯が非常に活発に活動した感じがしました。
 そういう意味では、ここ富士山も他人事ではありません。今回の白根山も、あの御嶽山も、ほとんど前兆がなく、登山者やスキー客が被災することになりました。
 地震よりは火山の噴火の方が格段に予知しやすいというのが、学会での常識だったと思いますが、どうもそうとも言えなくなってきました。やはり、自然は人間にとって認知制御可能な「コト」ではなくて、不随意な「モノ」なのだなあと、つくづく感じます。
 ですから、奈良時代の日本語などでは、自然自体を「もの」と呼び、また神霊や妖怪のことをも「もの」と呼んだのでありました。納得ですね。
 我が家は富士山の中腹にあります。かつての噴火口もすぐ近くにあります。いちおう地下シェルターはありますが、いざとなったらそんなもの気休めにもならないでしょう。その時はその時と覚悟して、日々の自然の恵みを享受するしかありません。
 ある意味それが日本人らしい、いや人間らしい生き方なのかもしれませんね。
 フィリピンのマヨン山、ルソン冨士とも呼ばれていました。富士山同様、美しい円錐形の成層火山です。
 比較的活動が活発な火山ですが、今回はその歴史の中でもかなり規模の大きな噴火になりそうです。富士山に住む者として、まさに他山の石としなければならないですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.01.17

天災は忘れた頃にやってくる…阪神淡路大震災から23年

Th_mig 年も1月17日がやってきました。
 23年前の今朝、あの兵庫県南部地震が発生しました。直下型M7,3、最大震度は7。
 テレビに映し出されたあの光景は忘れられません。地震でお亡くなりになった方々のご冥福をあらためてお祈りいたします。
 1995年は大変な年でした。1月に震災、3月に地下鉄サリン事件。言うまでもなく、1995年は終戦から50年という特別な年だったのですが、前半にあまりに大きなことがあったため、なんとなくその印象は薄くなってしまいました。そういえばテレサ・テンさんも前半に亡くなりましたね。函館ハイジャック事件も6月でしたっけ。
 そして、偶然と言われれば偶然なのですが、阪神淡路大震災も東日本大震災も、非自民政権時代に発生しています。
 村山政権は自社さ連立政権ではありますが、なにしろ社会党党首が総理大臣でしたからね。本来の自民的なモノからは大きくかけ離れていたことは事実です。
 今、モノと書きましたが、自民党はモノを鎮める「まつりごと」を重視しており、自社さ政権、また民主党政権の時はそれが疎かになってしまったとも言えましょう。
 それこそ唯物論的には、まったく非科学的な因果関係でありますが、私はどうしても唯物論者にはなりきれません。
 特に、先述したように1995年が終戦から50年という節目の年だったというのに、そうしたモノ(たとえば「霊」)をしっかり祀らなかったというのが問題だったのではないでしょうか。
 もちろん村山富市さんは今も昔も靖國神社を参拝しません。最近も安倍さんの靖国参拝を「売国行為」と批判していましたね(苦笑するしかありません)。
 もうお気づきかとも思いますけれども、実は東日本大震災の起きた2011年は真珠湾攻撃、すなわち大東亜戦争(太平洋戦争)開戦から70年の年でした。言うまでもなく、民主党政権時代であり、モノ(霊)に対する「まつりごと」は疎かになっておりました。
 私は自民党の全てを肯定する立場では、もちろんありません。しかし、モノを祀る仕事は天皇だけにまかせておいていいものではありません。
 そういう「まつりごと」を、国民の統合のもとにしっかり行っておれば大難は小難となる、小難は無難となるというのが、日本の歴史そのものであったと思います。
 はたして、今の日本はどうでしょうか。自民党はどうでしょうか。そういう視点で世の中や人間や自然を見ることも大切であると信じます。
 「天災は忘れた頃にやってくる」という時の「忘れる」対象とは、天災そのものではなくて、もしかするとそういう大切な「モノ」のことなのかもしれません。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧