カテゴリー「自然・科学」の674件の記事

2018.04.18

アインシュタインの教育論

Th_unknown はアインシュタイン自身が語った言葉ではありません。原典はこうなっています。

 教育を次のように定義した人の機知は、けっして誤っていなかったのです。すなわち、「教育とは、学校で習ったことをすべて忘れた後に、残っているものである」と。

 つまり引用の形をとっているのです。しかし、それを誰が言ったのかは不明であり、もしかるすとアインシュタイン自身の修辞法だった可能性もあります。つまり、自身が考えた言葉なのかもしれない。
 いずれにせよ、アインシュタインの教育観がこの言葉で表現されているのは間違いありません。非常に深い言葉ですね。特に私たち教育者としては。
 学校で習ったことなんて、やっぱり忘れちゃうんだよな…というある種の虚しさもありますが、一方で、そうした確かに何かを残すことができる、たとえ意図せずとも…という意味で少し嬉しくなったりもする。
 違う言い方をすれば、私たち教師が教えようとしたことはほとんど忘れ、生徒が自ら知りたがったり、面白がったりしたことは、主体性のもとに記憶されるということでしょう。
 ワタクシの「モノ・コト論」で言うなら、意識化され、データ化された「コト」は忘れてしまう可能性が高いけれども、無意識の体験であったり、言語化されない「モノ」は血肉となって残る可能性があるということですよね。
 なるほど教育の本質を捉えた言葉であると思います。学ぶ立場としての自分自身の体験的にも、これはかなり真実に近いと直感します。たしかに忘れたけれど何かが残っている。残るということは意味があるということ。
 そして学校というシステムへの懐疑の表現としても面白いですよね。私たち教員は常にこれを意識せねばなりません。
 学校で習ったことをすべて覚えていたら、きっとアインシュタインは世紀の大発見をすることはなかったでしょう。

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2018.04.11

「利他の心」…ザ・リーダー 稲盛和夫

 場の先輩に「致知」を借りて読んでおります。表紙は稲盛和夫さん。特集「利他の生きる」。年齢的に否応なくリーダー的な立場にならざるを得ないようになってきた私にとって、稲盛さんは最高の知恵を与えてくれる人です。
 今までも稲盛さんには勝手な親近感を持ってきました。この動画でも「やきもの」という言葉を何度も使っていますが、私の中では霊的な意味でも、また実業的な意味でも稲盛さんは出口王仁三郎につながっていると思っています。
 そのあたりについては、8年前、稲盛さんがJALの再建をまかされた時、稲盛和夫と出口王仁三郎という記事に比較的詳しく書きました。
 その記事では「モノ」と「コト」とという言葉を使っていろいろ書いていますね。今になってみますと、それは谷口雅春さんの言うところの「實相」と「肉体」ということだと分かります。
 そう、肉体というのは目に見える認識できる「コト」なのです。モノではない。そして、實相とは、そういう認識できるコトとコトとの間に縁起している「モノ」のことです。
 この前も物理学者の方と話しましたが、たとえば宇宙空間において点在する星は「コト」であり、それが宇宙の実体ではなくて、それらの関係性、目に見えない関係性の方こそが本体なのではないかと。
 音楽で考えるとよく分かります。ドミソの和音で言うなら、それぞれの三つの音は「コト」です。周波数として認識できますね。しかし、それらが組み合わさって生まれる「雰囲気」、たとえば明るいとか元気とか、そういう関係性によって生まれるニュアンス、ムードというモノの方こそが、音楽の本質であり本体であることは、誰しも分かることでしょう。
 そういう「實相」の大切さに気づくと、肉体にこだわることはなくなります。すなわち自己ではなく他者の方に本質があることがわかり、また他者によって自己が形成されている、すなわち自己には実体はなくて縁起しているだけだということに気づくことになるわけで、そうなると、当然人生は利他的になっていきます。
 経営も人生の一部ですから、神道的にも仏教的にも「實相」を理解している稲盛さんの経営哲学が「利他の心」を原点とするのは、当然といえば当然と言えるでしょう。
 それにしても、こうした経営哲学が中国で大人気というのは、これは悪いことではありませんね。コトを窮めてモノに至る。カネを通じてコトを窮めたからこそ分かるのでしょうね。
 今一番お会いしたい人の一人が、稲盛和夫さんです。
 

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2018.04.10

『ミライの授業』 瀧本哲史 (講談社)

Th_4130o1rvisl 校は、未来と希望の工場である――。そしてきみたちは魔法を学んでいる。
 そうありたいですね。
 なんで勉強しなきゃならないんだ。数学がなんのためになるのか。自分もそうでしたが、生徒は必ず一度はそういう疑問を持ちます。
 そして、自分もそうですが、教師はそれにちゃんと答えられない。
 実際、学校には不合理や不条理がたくさんあって、それを改革していかなければならない時代ではあります。勉強の中身に関してももちろんそうです。
 しかし、人類のみがずっと続けてきた「勉強」には、変わらない何か大切なものがあるに違いありません。その漠然としていた「何か大切なもの」を、偉人たちの勉強と仕事を通じて実感のあることにしてくれるのがこの本です。
 たしかにこういう授業ができるようになりたいですねえ。こういう話を上手にしたい。
 教師ならずとも大人が読むべき本かもしれません。14歳の生徒向けの本のはずですが、大人の方がいろいろ発見があるかもしれません。なぜなら、自分たちには勉強に関して失敗の体験があるからです。
 子どもたちはまだ失敗が足りないですし、あるいはこの本に刺激を受けて失敗をしないかもしれない。そういう意味では、案外子どもたちはこの本に心を打たれないかもしれない。ああそうだったのか!という発見の感動がないかもしれない。ほとんどの大人にはあるでしょう。
 それにしても、偉人たちの人生にも知らないことがたくさんあったなあ。それぞれ名前はよく知っている、一般的な伝記は読んでいたけれども、そこに隠された「何か大切なもの」はずいぶん知らなかった。それこそ勉強になりました。
 近く県の新任教員に対して研修をするんですが、この本、必読書として紹介しましょう。

Amazon ミライの授業

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2018.03.17

キース・ジャレット・トリオ 『アフター・ザ・フォール』

Th_918luzbodl_sl1200_ 日は我が校のジャズバンド部の感謝祭が行われました。6年間お世話になったウチの娘もいよいよ卒業ということで、最後の演奏をしました。
 あっという間の6年間でしたが、まさに人生を変える経験をさせていただき、私としても感謝感謝であります。
 卒業後は東京女子大学にて国際関係などを学ぶ予定ですが、あくまでも未来の夢はプロのベーシストになることです。大学時代には、今までもお世話になっていた先生のレッスンを受けるとともに、大学生ならではの自由な音楽活動をして、いろいろ学んでもらいたいと思っています。
 まさか娘がベースを、そしてジャズをやるとは思いもしませんでした。すすめたことは一度もありませんでしたからね。出会いとは不思議なものです。
 おかげさまで、私も従来好きだったジャズを、また違った視点、聴点で受容することができました。
 最近毎日聴いている、このキース・ジャレットのアルバムも、きっと6年前に聴いていたら、今ほど豊かな感動を得られなかったかもしれません。
 5年前、彼らトリオの日本最終ライヴをジャズ部の生徒たちと聴きに行きました。その時のことはこちらに書いてあります。私にとってもとんでもない日でした。音楽が結ぶ不思議なご縁。
 残念ながらこの歴史的なトリオの演奏はもう生で聴くことはできなくなってしまいましたが、20年前の伝説の録音が先月発売になりました。それがこのアルバムです。
 慢性疲労症候群から復活して初めてのトリオ・ライヴ。あの神がかったピアノ・ソロ録音の次に録音されたトリオ・ライヴ。
 ソロ・アルバムでは、自らが神の化身となって自らを癒し、そして、今度は仲間が彼を癒した。その癒しは、ある種の興奮と瞑想という形で、私たち前に立ち現れています。
 先日、天才物理学者と宇宙論で盛り上がりましたが、その中心には常に音楽が存在していました。そう、コトとコトの間の関係性に立ち現れるモノ、それこそが「空」であると。
 一つ一つの音は、ある意味点でしかないけれども、それが二つ、三つ、四つと重なるごとに、私たちに感情や感動を呼び起こす「何か」が立ち現れる。
 実は宇宙の構造もそうなのではないかと。天体という物質どうしの間に関係性があるように、もしかすると、情報どうしも互いに影響を与えあっているかもしれない。もちろん波動どうしも。
 そして、その、私たちが感知できるコト、たとえば音楽で言えば、一つ一つの音が音楽自身なのではなく、その音たちの関係性こそが、音楽本体なのではないかと。
 つまり、宇宙も、何もないとされている空間、時間にこそ、実は本体があるのではないか…。
 クラシック音楽、すなわち極度にシステム化され、単純化された(とあえて言います)音楽は、宇宙の根源的な法則や調和を象徴します。
 それに対して、多くのテンション(コードもリズムも)を含むジャズは、人間と神との関係を表現しているように感じます。
 もう一方の極致たる、たとえば謡曲などを聴いていますと、それはシステム化されていない、数値化されない関係性の連続です。しかし、ノイズではない。それはすなわち、人間をも含む(地球上の)自然の有り様を表現しているようにも感じます。
 このように実に多様な世界の象徴となりうる音楽というのは、まことに素晴らしい神からの贈り物です。
 ここに歌(言葉)が加わってきますと、さらに複雑な関係性の中の、実に多様な情感が生み出されます。不思議ですし、感動的ですね。
 このアルバムでの三人の生み出す世界は、それこそ人間と神の美しき関係性を象徴していますし、一方では、人間の身勝手さ、粗雑さをも表現しているように思えます。
 ジャズの面白いところは、西洋近代の音楽システムや工業化された楽器の上に立ちながら、神に反抗するかのように、複雑さ、一回性に挑戦しているところですね。
 神様の大きな手のひらの上で、思いっきり人間が遊んでいるような、そんな感動があります。何もないはずのところに、複数の点が生まれ、それらの関係性の中に縁起するモノ。無であり有であるのが、すなわち「空」なのです。
 よく No Music No Life と申しますが、実は宇宙の生命は音楽そのものであるとも言えるので、当然と言えば当然なのですね。
 音楽よ、生命よ、本当にありがとう。

Amazon アフター・ザ・フォール

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2018.03.14

ホーキング博士宇宙の起源論

Th_96958a9f889de0eae3e2e1e0e6e2e3e6 ーキング博士がお亡くなりになりました。
 画期的な宇宙論を構築できたのは、おそらく彼の身体的なハンディキャップが影響しているでしょう。そのおかげで、とは言いませんが、大きくプラスに働いたのは間違いありません。
 いわゆる感動の物語ではなくて、宇宙の調和と、地球的な不調和はどこかでリンクしているのです。
 そんなことを思いながら、この動画を観ました。
 おそらく、あちらの世界で、究極の宇宙の真理に出会うのでしょうね。ご冥福をお祈りしますと同時に、感謝と労いの気持ちを送りたいと思います。

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2018.03.12

古事記と噴火した新燃岳。7年前の噴火の直後に東日本大震災があった...

Th_201803120115_top_img_a 燃岳の噴火が収まりません。
 覚えている方も多いかと思いますが、前回大規模な噴火があったのは7年前の1月から4月にかけて。言うまでもなく、その間に東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が発生しています。
 新燃岳のある高千穂峰周辺は言うまでもなく、古事記における天孫降臨の地。
 また、日本という龍体において、東北地方の艮に対して、坤の方角であるとも言えます。
 7年前はそれこそ坤と艮で地異があった。今回も同様と言うのではありませんが、地学的な観点に限らず、霊的な観点での注意も必要かと思っていたところ、竹田恒泰さんが同じようなことをおっしゃっていたのでびっくりしました。
 今日はその動画を紹介します。
 7年前も大相撲という地鎮が機能していなかったしなあ。なんとなくいやな感じですね。

 

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2018.03.08

エトナ山噴火と大地震

Th_mt_etna_and_catania 士山と一緒に世界遺産登録された火山、イタリアのエトナ山。
 エトナ山と関東大震災の不思議な(トンデモな)関係については、以前こちらに書きました。王仁三郎の言霊的世界ですので、理解できない方も多いと思いますが。
 さて、そのエトナ山の噴火と言えば、今から349年前(来年で350年)の今日3月8日の大噴火ではないでしょうか。
 死者1万人。麓の町ニコロシとカターニアが大きな被害を受けました。
 ここで注目すべきは、この大噴火の24年後にその地を大地震が襲ったことです。復興途中のカターニアはこの大地震で全滅状態になりました。
 このエトナ山の噴火と大地震は、明らかに連動したものですが、その間が24年あるというのがポイントです。
 もうすぐ東日本大震災から7年になりますが、地球規模で言えば7年なんていうのは、ほんの束の間。明治の三陸沖大地震の最大余震とも言えるアウターライズ昭和三陸地震も、37年後に発生しています。
 天災は忘れた頃にやってくる…というのは、そういう意味でしょう。
 以前、こんなツイートをしたことがあります。人間はこういうスパンで物事を連関させられないのですね。ですから、常に思い出し、注意喚起をし続けなければならないわけです。

「天災は忘れた頃にやってくる…こういう規模での地異は最低50年単位で俯瞰しなければならない。〈例〉864年貞観の富士山噴火→869年貞観の三陸沖地震(津波)→887年仁和の東海・東南海・南海連動型地震→888年八ヶ岳水蒸気爆発?&山体崩壊→915年十和田大噴火(日本史上最大規模)」
 

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2018.02.16

新井紀子 『AIは大学に合格できるか』(TED)

 近、AIの専門家と意見交換する機会が多くあります。そこには実は教育の問題が大きく絡んでくるのです。
 それが一番よく分かるのが、この動画でしょう。
 一橋大学法学部在学中に数学に目覚めるというユニークな経歴をお持ちで、東大合格を目指す東ロボくんの開発者である新井紀子さん。
 AIはすでにMARCHレベルの大学に合格できる能力を持っているけれども、東大に入れないというその理由がよくわかります。
 今ちょうど東大入試国語の指導をしていますが、たしかにあれはAIには解けないだろうなと思います。あまりに文脈力、行間読解力を必要とするからです。
 しかしMARCHレベルなら合格できるとなると、ある程度の知的作業は、人工知能によって代行できるということになります。
 もちろん、それは悪いことではなく、その部分、すなわち機械でも可能な部分は機械にまかせておけばよくて、人間はそういう意味ではとっても楽に生活できることになるということでもあります。
 そして、現状では機械の苦手とする分野について、時々能力を発揮すればよい。
 これは、私たち教育者が学校で行なってきた勉強内容を見直しなさいということでもありますね。機械ができることは学ばなくてもよいというわけではありませんが、力の入れどころに関しては、今までの知識詰め込み型学習、特に一問一答クイズ的知識ばかりをはかる試験に向けての学習ではなく、もっと創造的な学習を促す方向に変えなければなりません。
 つまり、より「人間的」な勉強をしなければならないということですね。これはもちろん悪いことではありません。AIのおかげで、私たちは人間性を取り戻すきっかけを得るかもしれないのです。
 異常に保守的な日本の教育界が、はたしてそういう変化を受け入れられるのか。これこそが、日本という国の未来を占う大きな要素になってくるでしょう。
 

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2018.02.13

自動車が本当に「自動」になる日

Th_nvidiaam24 日、AI研究の最先端を行く学者さんとお話する機会がありました。いろいろなお話をしたのですが、一番盛り上がったのは自動運転について。
 私たちシロウトは、いわゆる職人技という部分に関しては、AIは人間には敵わないだろうと思いがちですが、実際は全く逆なようですね。
 とにかく私たちが時間をかけて勉強を重ね習得してきたコトこそAIが得意なのであると。なるほど、考えてみればそのとおりでしょう。
 一方で、技術ではない、そうですねえ、あえて言えば知恵のようなモノ。たとえば想定外の事態に瞬時に対応するようなセンスというのは、なかなかAIには難しい。まあ、私たちが想定外だと感じるモノのほとんどは、過去のビッグデータに含まれる既知のコトなんだそうですけど。なるほど。
 車の運転というのは、道路というインフラや交通ルールのデザインさえしっかりすれば、かなり規則的なコトであり、そういう意味では、AIの最も得意とする分野の一つです。
 逆に言うと、現在私たちが半分カンにまかせて、けっこう死と隣り合わせで行なっている「運転」を、そのままAIに任せると、これはけっこう大変。それこそカンに頼るようなモノ性が高いからです。
 ですから、完全自動運転、つまりレベル5の自動運転を可能にするためには、インフラ、ルールのリ・デザインが非常に重要となるでしょう。
 私たちが今まで当たり前だと思ってきたこと、あるいはずいぶん効率化したと思ってきたことの中には、実は大きなムダがあったりする。それを最先端のテクノロジーが簡単に軽減してくれるというのが、これからの世の中の大きな変革のあり方になります。
 私も自分で自動車を運転して、いろいろなところに移動しています。通勤にも使っていますし、東京や横浜との行き来にも自動車を使いますから、年間にしますと、2万キロ以上車で移動していることになります。平均速度を40キロで計算しても、実に500時間を運転に費やしていることになります。
 私は運転という「スポーツ」自体が好きで、それをすることによってストレス解消をしている部分もありますから、決してムダな時間とは言い切れません。また、かつてはゆっくり音楽を聴いたり、あるいは最近ではネット動画の討論番組をまとめて聴いたりもしているので、それはそれなりに有意義な時間を使っているとも言えます。
 まあ、自動車とは言うのもの、全然自動ではなく、ほとんど手動ですし、オートマによってオートマ化したのはギアチェンジだけですよね。かなりの部分で自分のエネルギーを運転につぎ込んでいる。
 しかし、これが全て自動運転になったら、500時間の自由な時間、より有意義に使える時間が確保できるということです。
 本を読んだり、映画を観たり、楽器の練習をしたり。ま、日常の自由時間と同じく、ムダにゲームをしたり、食べたり飲んだりして昼寝したりするだけになるかもしれませんが(笑)。
 そっか、たしかに今の「手動運転」には「寝てはいけない」という最強の条件があるので、案外有意義な時間を創出しているのかもしれませんな。
 強制的に睡眠を妨げる、命がけで眠気と戦うという意味では、今の手動運転には大きな意味があるのかもしれませんね。
 そんな笑い話的な昔話が語られるようになるのは、そんなに遠い未来のことではないと考えます。少子高齢化、人口減少が避けられない日本は、そしてある程度道路が整備され、また国土が狭い日本は、実はこの部分で世界の先駆けとなるべきなのではないでしょうか。
 もちろん、個人レベルでのムダの排除だけではなく、物流という巨大産業にも革命が起きます。いくら世の中がデジタル化、情報化しても、残念ながら物質をどこかに伝送することはできないので、おそらくあと千年は物流の業界はなくならないでしょう。
 自動運転が実用化すると、たしかに現在の物流関係、あるいは交通関係の運転手さんたちの職は失われるでしょう。しかし、それは時代の流れの中での必然であり、その人たちにはまた違った、ある意味もっと楽な仕事をしてもらうことになるでしょう。
 自動車、列車、飛行機、ドローンなどによる物流が自動化することによる経済効果は非常に大きい。人件費は言うまでもなく、渋滞などによるさまざまなムダも劇的に軽減し、結果として私たちは豊かになることでしょう。
 国家レベルでのイノベーションに期待します。

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2018.02.12

自立なんて「しないほうがいい」!?

Th_img_5821 総研の深津武馬さんのインタビュー記事オスなんて「いないほうがいい」!? 性を操る細菌の不思議が面白かった。
 オスがいないほうがいいという以前に、昆虫と菌との共生、寄生の奥深さに、ちょっと感動してしまいました。
 意識しているかいないかは別として、互恵関係を作って生き延びる道を選んだ生物たちに、なんとなく敬意すら抱いてしまった。
 そう、生物学とは全然関係ないのですが、最近、近代日本の教育が子どもたちに促してきた「自立」というのが、本当に大切なことなのか、よく分からなくなっていたんですよね。
 それはもしかすると、おとといの西部邁さん追悼番組のところでも書いた、「国家の自立」にも関わってくるかもしれない。本当に自立すべきなのかと。
 変な話、戦後の日本は、アメリカに寄生することによって生き延びる道を選んだとも言えますし、アメリカはアメリカで宿主としてのメリットも計算していたとも言える。お分かりになりますよね。
 主に反米嫌米保守の皆さんは、そんな状態を「情けない」として、盛んに自立を促すわけですね。
 ただ、したたかに、そして賢く宿主の中で生きる細菌の世界を見ると、なんだか、寄生も悪くないなと思うわけです。寄生なのか共生なのかの境界線は、生物の世界でも難しいとのことですが、人間どうしや国家どうしにおいても、その判断は不可能に近い。
 私は、現在の日米関係というのは、けっこう高度な互恵関係にあって、そういう意味では、結果として生命保持手段としてはかなり対等に近い「共生」だと思っているんですね。
 それこそ宇宙からの視点で見ればですね、もしかすると日韓関係も米中関係も「共生」ということになるかもしれない。かつての米ソ関係が非常に高度な両者の生き残り作戦であったように。
 ま、冬虫夏草みたいに、結局宿主を殺してしまうのはどうかと思いますが、基本的に他者の力を拝借するというのは、ある種の知恵と言っていいでしょう。
 あまりに強く自立を志向するというのは、結局お釈迦様の言う縁起する世界観を否定することになりかねません。互いに利用しあい、譲りあって、与えあうというのが、この世の、特に生き物の世界の究極の知恵なのではないでしょうか。
 私がよく言う「国譲り」の作法や理論というのも、ここにつながっているような気がします。
 ところで、人間界でもオスの存在感はどんどん小さくなっていますね。ある意味、最近の男は女に寄生しているとも言える(笑)。
 まあ、男が強くなるのは、戦争の時代だけとも言えますよね。つまり、そんな時も、結果としては死にゆくのは男だということでして(苦笑)。
 はてさて、教育者はどういうふうに教えればいいのでしょうね、これからの時代。とりあえず、自分のことを棚に上げて「自立しろ!」というのはやめようかと思います。
 世話になるというのは、世話する喜びを与えるということでもあります。禅語の「恩を知る者は恩に報いることを解す」ですね。
 そういう意味では、私たち日本はアメリカに依存しつつ、アメリカに布施の喜びを与えている、すなわち方便によって智慧を得るという修行の機会を与えているのです(なんちゃって?)。
 

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