吉野〜南朝の幻影
奈良五條市合宿2日目。濃厚すぎる日でした。
天河神社から丹生川上神社、金峯山寺、吉水神社、如意輪寺などを回りました。おいしい葛切り、松葉寿司、夜の素敵なディナーや各種日本酒などもいろいろ紹介(自慢?)したいけれども、肝心なことだけ一つ。
結局、南朝の旅だったということです。護良、宗良と来て、そして後醍醐天皇へ。
如意輪寺の後醍醐天皇の御陵(塔尾陵)も参拝しました。近くには長慶天皇の皇子世泰親王の陵墓もあります。
もちろん、それらは(護良や宗良の墓も)明治時代にほとんど無理やり比定されたものですから、完全に歴史的な本物とは言えないかもしれませんが、しかしそこに人々の思いがこめられ、参拝の対象になってきたのは歴史的な事実です。
宮下文書にまつわる遺跡群(ほとんどが明治大正期に作られたと思われます)も、実際そこに立つとホンモノかニセモノかはどうでもよくなってしまうんですよね。
700年に及ぶある種の怨念。そして封印された願いというものが明治期にフィクションであれ復活した。その流れはいまだに続いていると思うのです。
そして、面白いのが五條市から吉野にかけてもまた、中央構造線の上にあるという科学的事実。これは今まであまり考えたことがありませんでしたが、おそらく後醍醐天皇もそうであったように、多くの霊的能力者が、まさに自然の霊力を利用して朝敵を調伏しようとしたのでありましょう。
吉水神社には南朝御所があり、金峯山寺には護良の陣が布かれました。きっと文観もこのあたりで真言立川流の秘術を斎行したものと思われます。そう感じました。
そして、金峯山寺といえば、江戸時代にはかの天海が学頭になっているんですよね。私は完全に「霊的」な「モノ」に動かされています。こわいくらい。今回の奈良旅は、私は場所、内容には全く関与せず、本当にお客様として乗っかっただけなのですから。
佳子内親王殿下からの大鹿村、そして五條、吉野。この南朝の幻影をたどる、いや、たどらされる旅はまだまだ続きます。

続いて中央構造線「北川露頭」へ。ここでは表日本と裏日本の境界、せめぎあい、融合を体感できます。
一昨日からの流れで、表日本と裏日本の境界に連れてこられた。そして、もう実は6月18日なので、未来的な話になってしまいますが、私はこのあと、とんでもない「南朝」(裏日本)の旅をさせられることになるのです。
そして、合宿した古民家の裏の巨石群。謎の穴太衆がなぜここに。
(忙しくて1ヶ月も放置してしまいましたが、移動の列車の中で少しずつ追いつくよう頑張ります)
ちょうど昭和天皇の墓参をすませた時、私たちは香淳皇后のお墓の横に案内されまして、そこで佳子さまのお出ましをお待ち申し上げることに。少しずつ人も増えたとはいえ、最終的に一般参拝者は12、3人というところ。幸運な、選ばれた人たちです!
墓参ですから、ニコニコされていたわけではありませんが、お出ましになった途端、鳥は鳴き出すし、日輪は出るし、空気が完全に変わりました。自然と涙が出てきました。
ところで、今日は内野席でしたが、私はこの双眼鏡でバウアーの一挙手一投足を食い入るように観ていました。
実は私の大尊敬する天海大僧正が大の桜好きだったことがきっかけのようです。天海に大いに世話になっていた徳川家光が、奈良の吉野の桜を移植させたのが始まりとも言われています。
最近のコメント