カテゴリー「自然・科学」の687件の記事

2018.06.19

生誕109年・没後70年…太宰治 『右大臣実朝』

Th_unknown 日は桜桃忌。今年は太宰治、没後70年、生誕109年にあたる年です。
 それにちなみ、今日は改めて一つ作品を読んでみようと思いました。時間もないので短編を、と思いつつ、結果としてはちょっと長めな作品を選んでしまいました。
 というのは、ここのところの地震のことを考えていた時、そういえば「右大臣実朝」には地震の話がたくさん出てきたなと、ふと思い出したからであります。
 検索してみたら、28箇所「地震」という文字がありました。そう、実朝の生きた12世紀から13世紀にかけては、関東や関西で大きな地震が相次ぎました。
 たしかな記録としては残っていませんが、地質調査の結果、1200年ごろには、今も発生が予測されている南海トラフ巨大地震も発生したと言われています。ちなみに鎌倉の大仏の大仏殿が津波で流されたのは、室町時代の明応の大地震です。
 この「右大臣実朝」は、吾妻鏡を資料として引用し、その無味乾燥な記述から、実朝の人間性を生き生きと描き出すという、太宰得意の小説制作技法をとっています。そう、太宰は原資料をたくみに翻案、換骨奪胎するテクニック、才能に異常なほど恵まれた作家です。
 正直、ちょっとずるいと思ってしまうくらい、うまい。この「右大臣実朝」もまた実にずるい作品と言いいたい。
 執筆時期がまた微妙です。昭和17年から18年。まさに明治維新から現在までの150年の、ちょうど折り返し地点。戦局も暗転していく時期ですね。
 そういう時局だからこそ、歴史物をもって人間を描くという方向に向かったとも言えます。最終的には甲府で作品を仕上げたというのも、私にとってはこの作品を身近にしている原因です。太宰には、山梨の風土が色濃く影響を与えています。
 皆さんも、ぜひこの機会にこの名作を読んでみてください。いつものことですが、内容よりも、その文章のリズム感の良さに、私は惹かれてしまいます。なんとも音楽的です。吾妻鑑と対比によって、それがまた際立っているのです。

青空文庫 右大臣実朝

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2018.06.18

大阪で震度6弱

Th_img_1863 く想定外でした。今日は昨日の群馬の地震について、そして房総半島沖のスロースリップについて書こうかなと思っていた矢先に、まさかの大阪の内陸で大地震。
 本当に地震予知というのは難しいと改めて実感いたしました。考えてみると、東北にせよ、熊本にせよ、全く想定外でしたね。結局、ロバート・ゲラーさんの言う通り、「地震予知は不可能」なのでしょう。
 ただ、これだけは言えます。今朝の地震後にツイートしましたが、「この地震が前震である可能性がある」と。
 言うまでもなく、東北3.11M9の二日前3.9には、三陸沖M7.3が起きていました。また、熊本4.16M7.3の二日前4.14には、同地方でM6.5が発生していました。
 これは予知でも予測でもなく、経験則として「大規模な地震が発生した場合、数日以内にさらに大きな地震が起きる可能性がある」ということが言えるということです。
 東北と熊本の時に、私は警鐘の意を込めて次のような記事を書きました。ぜひお読みください。

2011年3月9日三陸沖地震M7.3を忘れてはいけない。

熊本でM7.3

 さすがにここ数年の2件の実例は無視できなかったのか、地震研も国もはっきりその可能性を言うようになりました。それだけでも大変な進歩です。これだけ多数の犠牲を払って、ようやくそうなったとも言えますが…。
 特に、今回の大阪の地震は内陸であり、複雑に活断層が入り組んだところですから、熊本のように、周辺の断層に影響を与えたと考えるべきです。全く影響がないということはありえません。
 今回の震源は、狭い視点からすると想定外でありますが、広い目で見ますと、いわゆる新潟神戸のひずみベルト上にあります。先日書いた白川郷「帰雲城」の悲劇を生んでしまった天正大地震もそうですね。
 また、東北の時がそうであったように、内陸の大規模地震のあとに海溝型の巨大地震が起きる流れもあります。当然南海トラフ巨大地震の発生は日に日に近くなっているのは事実なので、そちらも要注意ということになります。
 いずれにせよ、日本中どこでも、日々の準備と警戒を怠ってはいけないということです。
 

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2018.06.14

孫正義 『就活生よ、君たちはどう生きるか』

20180615_85851 日に続き、超一流の方の講義(スピーチ)を味わってみましょう。
 ソフトバンクの孫正義さんのスピーチ。今日、記事として公開されました。

孫正義「就活生よ、君たちはどう生きるか」感動のスピーチを公開

 「夢」と「志」は違う。よく分かりますね。「感動したら即行動」。そうです、心が動いたら、次は体を動かさないと意味がない。感動した!で終わってしまう人が多いのです。というか、私も含めてほとんどの人がそうですよね。
 「死」を意識した瞬間、欲がなくなってしまう。誰もがそれを体験できるわけではありません。しかし、本気で行動していれば必ずあるのが「絶望」というものでしょう。その「絶望」こそが私たちを強くし、また純化する。もちろん、その逆に陥ってしまう人もたくさんいるでしょう。
 情報革命は人々の笑顔のため。スティーブ・ジョブズにも通じる考え方、感じ方でしょう。利他、布施の最大化に、テクノロジーは大いに役立ちます。見ず知らずの、地球の裏側の人々に対しても、テクノロジーを駆使すれば、布施することができます。
 見ず知らずだからこそ、お互いに匿名であり、個人は抽象化され、一対一のギブ・アンド・テイク関係ではない、純粋な贈与と感謝の感覚を持つことができる。もちろん、そこには金銭が絡むわけですが、高度に抽象化されているので、結果として我欲は個人間には働かなくなる。
 そういう意味で、今、人類は本当に新しいステージに入りつつあると感じます。テクノロジーが近代的経済の観念をぶち壊そうとしている。いいことだと思います。
 若者に負けないように、私も「志」を持って、地球のために尽力したいと思います。それが私自身の幸福でもあるのですから。
 

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2018.06.08

バックキャスティング(未来から現在を観る)

 日は富士五湖青年会議所の例会にお呼びいただき、皆様と当地方の観光、国際交流の未来について語り合いました。こちらで告知したイベントです。
 客席の皆様からも多くの建設的なご意見をいただき、なかなか充実した会となったと思います。
 私としては、やはり前キヤノン副社長であり東大名誉教授の生駒さんのお話が刺激的でしたね。スケールが大きくて素晴らしい。完全同意です。
 特にお話の中に出てきた「バックキャスティング」は、今ちょうど自分にとっても重要なキーワードの一つです。
 というのは、私がずいぶん前から言っている「時間は未来から過去へと流れている」という考え方に近いからです。
 そうそう、最近プロ無職のるってぃさんが、ワタクシとの対談を上手に編集してくれまして、YouTubeに動画をアップしてくれました。こちらです。

 この動画をご覧になっても分かるとおり、ワタクシの時間観と「バックキャスティング」は本質的には似て非なるものです。だいいち、未来から現在を観ることを「バック」と言っていること自体、根本の時間の流れ方が逆ということですよね。
 しかし、結果としては、フォアキャスティングよりもバックキャスティングの方が、「未来に原因を作って、現在に結果を出す」という意味では(宇宙人的には)正しいわけです。
 言うまでもなく、バックキャスティングとは、もともと環境問題において持続可能な未来を想定し、その未来から現在を観て解決策、やるべきことを決定するという思考方法です。
 実際それをしていなければ、人類は20世紀中に滅亡していたでしょうね。
 この視点、立点の置き方というのは、仲小路彰の「光を背にして立って観る」という考え方と近いかもしれません。生駒さんにも仲小路の「未来学原論」を差し上げましたところ、さっそく興味深く読んでくださっているとのこと。少しお話しただけですが、さすがもうあの難解な書のテーマ、エッセンスは理解されているようでした。
 今後も地域の若者たち、そして世界のトップを走ってきた方々と、いろいろな話をしていきたいと思います。本日はありがとうございました。

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2018.06.06

白川郷「帰雲城」の悲劇

Th_siru05_01_kaerikumo490x336 日は高山のあと白川郷に行きました。しばらく記事の時間軸が前後しますが、過去も未来も現在に内包されていることを考えれば、日付にこだわる必要はありませんね。
 で、白川郷で驚くべき偶然(必然)の出会いがあって、おかげで研修旅行団の団長であるワタクシが集合に遅刻するというギャグをやらかしてしまいました。
 そのご縁の今後の展開については、動き出したら報告します。
 さて、白川郷と言えば…もちろん合掌造り集落なわけですが、ある意味それ以上にインパクトがあるのが、一夜にして消えた幻の「帰雲城」のお話ではないでしょうか。
 ご存知の方もいらっしゃると思いますけれども、足利義政の名を受けた内ヶ島氏が、信州松代から入植して一時代を築きました。おそらく内ヶ島氏は鉱山の知識・技術を持っていたのでしょう。
 昨日うかがった中にも、「火薬」の話がありました。それは蚕の糞に関わる話でしたが、金にせよ火薬にせよ、戦の基礎になるものですから、この秘境に多くの財が集まった可能性は当然あります。埋蔵金伝説があるのもうなづけるところですね。
 さて、その、権勢を誇った内ケ島氏ですが、まさに一瞬にして全滅してしまいました。
 というのは、天正13(1585)年11月29日(新暦1月18日)の午後11時ころ、あの天正の大地震が発生、帰雲城を見下ろす帰雲山が山体崩壊を起こし、山津波と川の氾濫となって城はもちろん、町ごと壊滅させてしまいました。生き残った者は数名。ポンペイもびっくりの一瞬の悲劇でした。
 天正地震は謎に包まれています。東海・北陸・近畿の広い地域で津波を含む大きな被害を出しました。おそらく複数の断層が動いた地震なのでしょう。日本海側を太平洋側、両方で津波も観測されたようです。
 今でも震源さえ特定されておらず、その被害規模からしてマグニチュードは8を超えていた思われます。直下型のM8は大変です。
 若狭湾から伊勢湾にかけて、日本を完全に東西に分断するような動きがあったということでしょう。今、東京直下地震や東南海地震などの可能性が騒がれていますが、このような、ある意味想定外の震域での大地震も起こりうるということを忘れてはなりません。
 ちなみに壊滅した「帰雲城」やその城下町の位置は特定されていません。山体崩壊の傷あとは、430年たった今でも、はっきり残っています。それが上の写真です。

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2018.06.04

グアテマラ フエゴ火山噴火

Th__101863517_mediaitem101863514 米グアテマラのフエゴ火山が噴火し、大きな被害が出ているようです。
 フエゴ山は毎年のように噴火している活発な火山ですが、今回は特に規模が大きいとのこと。
 標高は富士山とほぼ同じ。富士山もこのような噴火を起こしてもおかしくありません。
 特に今日配信されたこの映像はけっこう怖いですね。火砕流のスピードがいかに速いかがわかります。雲仙普賢岳の時もそうでしたが、まだまだ遠いと思っていると一気に呑み込まれる。

グアテマラで火山が噴火 火砕流に飲込まれるパトカー

 富士山でも火砕流が発生する確率が高い。もちろんどの方向に流れ出すかで私たちの運命は大きく変わるわけですが、少なくとも我が家のように中腹にある家はあっという間に呑み込まれてジ・エンドです。
 津波よりも切迫していますから、噴火の兆候があったらとにかく逃げるしかありません。正直、溶岩流はそれほど怖くありません。やっぱり噴石と火砕流ですね。
 そんなわけで、私も富士山のラドン濃度を測定しているわけです。環太平洋火山帯という意味でも、対岸の火事と思っていてはいけません。我が身のことと思い、それぞれに覚悟と準備をしておきたいものです。

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2018.06.02

告知 6/8 「YouとWin-Win!」国際交流で相互発展

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 週のイベントの告知です。
 富士五湖青年会議所さんがご縁をつくってくださりまして、ワタクシも登壇させていただきます。
 ここ、富士北麓地方は、富士山の世界文化遺産登録を機会に、爆発的に外国人観光客が増えまして、昼間街で見かける人の半数以上が外国人なのではないかと見紛うほどです。
 世界から注目されていることは、地元にとっても大変うれしいことで、また、インバウンドによってこの地方が多少なりとも潤うというのはもちろん悪いことではありません。
 しかし、ただ観光で通り過ぎる人たちを対象に宿泊や物品販売で儲けようというのでは、本当の交流にはなりません。やはり、人と人が実際に交わって、そしてお互いの国の現状や歴史や文化を知り、未来的な互恵関係を創るよう努めねばなりません。
 とはいえ、現実にはそれはなかなか難しいことであります。やはり自治体や公的な団体が中心に;なって大きな旗を振らなくてはなりません。
 そういう意図で開催されるのが、このイベント。
 講演とトークセッションのスペシャルゲストとして、元テキサス・インスツルメンツ社長、キヤノン副社長、キヤノン財団理事長、そして現東京大学名誉教授であられる生駒俊明さんにおいでいただくこととなりました。
 今日、初めて生駒さんにお会いし、JCの皆さん、そして一緒に登壇するふじよしだ定住促進センターの代表理事滝口さんと打ち合わせをしました。
 さすが生駒さん、世界を股にかけて活躍されてきた方ですので、スケールが大きい。宇宙人の(?)ワタクシとしては、そのスケール感がぴったりでして、初対面ながらも大変共鳴させていただきました。
 地元の皆さんはちょっと引き気味だったかもしれませんが、こういうスケールでものごとを進めないと、本当のイノベーションは不可能です。
 ですから、当日の話はとっても面白くなると思いますよ。もちろん、地元の皆さんが「得する」話をします。どうぞお越しくださいませ。
 ところで、生駒さん、ウチのご近所にお住まいでして、音楽、特にオペラの話で大盛り上がりしてしまいました。帰りにはご自宅までお招きいただきまして、仲小路彰の話などもさせていただきました。もちろん技術者、科学者、教育者としてのお話も、実に深みがある。勉強になりました。これからのご縁の展開が非常に楽しみです。
 
 
 

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2018.05.31

『自然エネルギーが自然にやさしいという嘘』 掛合英紀

 波の掛谷英紀さんが面白い記事を書いていたので紹介します。

 自然エネルギーが自然にやさしいという嘘

 ずいぶん前から私も同じようなことを書いてきました。特に太陽光発電に対する疑念は変わりません。我が山梨県は全国的にも日照時間が長いため、自治体も盛んに大規模太陽光発電施設を誘致してきました。
Th_img_1497 おかげで、せっかくの美しい山や高原の風景がギラギラと台無しになっています。写真は八ヶ岳方面のある風光明媚な場所。実に困ったものです。
 富士山麓の我が村にもたくさんパネルが敷き詰められています。比較的目につかない森の中にあることが多いのですが、いったいどれだけの木を伐採してしまったのか、それによって生態系が崩れたり、土砂災害が起きたりしないか心配しています。
 記事の中で、太陽光発電パネルの寿命は実質10年とあります。これは私の体験的にも正しい。私は自動車の屋根に小型のソーラーパネルを設置して、災害時の備えとしていますが(こちら参照)、6年目にしてもう発電効率は30%(体感)くらいまで落ちています。もちろん、中華製の安物ということもあるでしょうけれども、日本製でもやはり10年もするとかなりへたってくるというのは事実でしょう。
 あと10年か20年もすると、日本中に膨大な廃棄物が設置されていることになるでしょう。いったい昔の人たちは何を考えてこんなに自然や景観を破壊してまで、太陽光発電に飛びついたのか…そう、思われるに違いありません。
 もちろんあの原発事故があってのことだとは理解してもらえるでしょう。しかし、その原発忌避でさえも、かなりの部分で感情論ですね。
 何度も言っているとおり、私の原発に対する考え方は以下のとおりです。

ワシは原発には反対の賛成なのだ!

Amazon 「先見力」の授業 AI時代を勝ち抜く頭の使い方
 

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2018.05.29

ナナフシの「国譲り」

Th_wst1805290011p1 ナフシのナナフシギ…「昆虫のナナフシ、鳥に食べられ卵を拡散か 神戸大など研究チーム」というニュースは新しい不思議を提供してくれましたね。
 言われてみると、鳥などの動物に捕食されることによって子孫を拡散するというのは、植物では定番の作戦ですよね。動物にもそういうことがあるのではと、なんとなくですが私は思っていました。動物の糞の中に昆虫などの卵があってもおかしくないなと。
 しかし、実際には今回のナナフシの例が初めてなんですね。逆に驚きです。
 それから興味深かったのは、これがナナフシだったということです。言うまでもなく、ナナフシは「擬態」の王様。木の枝のような姿は、ある意味芸術的でもあります。
 記事にあるように、もしナナフシが繁殖のために鳥を積極的に利用するならば、もっと目立つ姿をしていいはずです。その点、一見矛盾した進化をしていますよね。
 そこがポイントだと思うのです。
 まず、擬態という進化はいわゆる進化論だけでは絶対に説明つきません。すなわち「枝のようになって身を守りたい」という切実なる「意志」がないと、ああはあらない。偶然の突然変異と自然淘汰では説明不能です。
 ここで、最近何度もお話している「時間は未来から過去へと流れている。原因は未来にある」という時間哲学が登場します。
 そう、つまり、ナナフシ(ナナフシ以前のある昆虫)は、過去のある時点において「枝のようになって身を守りたい」と切実に思い、未来のナナフシ像をイメージして、ボールを上流の未来に投げたんですね。で、結果ちゃんとナナフシになった。
 さらに、ナナフシになったのちなのか、その進化の途中なのかは分かりませんが、もう一つ強い未来のイメージを持った。それは、天敵のヒヨドリに食べられたのちも、卵は生き残り、子孫はどこかで繁栄するという妄想。
 その結果、卵の殻は丈夫になって今に至ると。そして羽は必要なくなったので退化してしまったのでは。羽がないから…ではなくて。
 というわけで、こういうことを言うと、またトンデモなことを言っている。全く科学的ではないといわれるのがオチなんですが、宇宙科学的にいうと別にトンデモなことではないんですね。
 おとといも書いたとおり、実際には未来も過去も現在も同時に「今ここ」に存在している。それぞれ並行しているブロックとのやりとりは、高次元のエネルギーによる。高次元のエネルギーには「意識」や「意志」、「感情」も含まれる。これが未来的な宇宙科学の常識です。
 ですから、ナナフシが強い意志をもって未来の自らの姿を理想形に変えていくことは、なんら不思議でもトンデモでもありません。選択肢は無限にあるのです。それを選ぶのが「意志」というエネルギー。
 さて、もう一つ、ナナフシさんと、ワタクシの哲学のコラボをお楽しみください。
 それは私がいつも言うところの「国譲り理論」です(5年前のこちらの記事参照)。譲ることによって、最も大切な何かを純化して相手の中に残す。ちょうど昨日の記事で三輪山のことを書きましたね。大物主は国譲りした大国主の「和魂(にぎみたま)」です。
 ナナフシで考えてみましょう。擬態もある意味では「譲り」です。羽を失うという損失を伴いながらも、自らを他者に似せることによって、自らの命を守らんとする。動物が植物のふりをするわけですから、これは「譲り」でしょう。
 そして、さらに今回の研究結果から分かるように、なんと自らの命を捧げ、相手の中に自らの最も大切なものを残していく。これこそ「国譲り」の精神、文化、作法です。
 大国主がそうでした。150年前、明治維新の日本もそうでした。もちろん、アメリカに捕食された戦後日本もそうです。
 つまり、生命にとって、「譲り」は最高の知恵であり、テクノロジーなのです。
 表面上は完全に欧米化してしまった日本、アメリカGHQによって骨抜きにされてしまった日本。まるでナナフシのようですね。情けないどころか、ちょっとカッコよかったりしませんか。私はそう思っています。したたかですよ、「国譲り」の使い手は。

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2018.05.27

案因運縁恩…完(金)

20180528_94806 然ですが、宇宙人の地球での人生訓を(笑)。
 ここのところ、素晴らしいご縁のおかげさまで、「良き未来をイメージせよ」という記事がプチ人気になっております。
 5年以上も前に書いた記事が、今ごろになって多くの皆様に読んでいただけるというのは、それこそ5年前に投げたボールが流れてきたという、まさに「時間は未来から過去へと流れている」ことの証左でありましょう。
 ちなみに、宇宙人的に申しますと(笑)、「時間が未来から過去へと流れている」というのは、「地球人は便宜上そのように時間というのものを認知するように進化している」という意味であり、宇宙における時間の実態とは違っています。
 最近地球科学の世界でも「ブロック宇宙論」などが提唱され、現在も未来も過去も同時に重層的に存在していると説明されるようになりました。
 ワタクシの知っている限り、それが正しい。最強の宇宙人たるお釈迦様もそのようにおっしゃっておりますし、日本の神道の「今中」の考え方もそれに近い。未来も過去も現在のこの一点に同時に存在しておると。
 いわば一編の映画のフィルム全体がここに存在しており、それぞれのコマにどういう順番で光を当てて認知していくかということなんですね。
 自分が固定された光点となったと想像すれば、フィルムのコマが未来から過去へと流れていくというのは分かると思います。
 さて、上から(宇宙から)目線で申し訳ないのですが(笑)、地球人がそのように正しく時間の流れを認識したとすると、そこで「夢を実現する」ために必要な作法というのがありまして、その一つがたとえば「未来にボールを投げる」というようなことなのですね。
 で、それを最近まとめてみましたところ、上の図のようになったわけです。ちょうど「あいうえおかき」になっていて覚えやすい(日本人には)。参考にしてみてください。
 まず「案」。これはアイデアです。ふとひらめく場合もあるし、じっくり考えて見つかることもある。いずれにせよ、今までなかったモノ(何か)であるべきです。未来がこうあってほしいという願望と言ってもよい。ここがスタート。
 次に「因」です。ここが「ボールを投げる」に当たります。「案」は「案」のままでは何も動きません。「案」を「因」にするために、未来に投げます。未来にその「案」がどうなっているか、こうなっているに違いないとイメージするのです。
 案外、これをやらない人が多い。「案」はあってもそこに命を吹き込まないんですね。だからここを強調してきました。
 さて、うまく未来に原因をつくりますと、ここからはある意味楽です。逆の言い方をすると、自我を捨てて他者性、不随意性を信頼するのです。ここも人間には難しい。自意識が強すぎるからです。未来を強くイメージした人こそが、それを手放すことができないというのはよくあること。
 お釈迦様が「自我を捨てよ」と言ったのはそういうことだと思います。一度手放すのです。難しいからいろいろな修行方法が編み出された。それでもまだ難しい。
 たとえば「目標」を明確にすることは悪いことではないのですが、それにこだわりすぎると、結局はそれを設定した過去の自分に執着していることになってしまう。だから、ボールを投げたら、とっとと次の「案」を考える方がいいのです。ここが難しい。
 それでも、うまく自我を捨てることができると、投げられた「因」は時間の川の流れにのって「運」んでもらえるようになります。「運」は「運命」でもあります。運命にまかせる。
 そうしますと、「因」は「縁」を得ることになります。流れてくる最中に、ほかの人たちが投げた多くの「因(もとは案)」とぶつかったり、すれ違ったりしながら、お互いに影響を与え合います。私たちの手を離れたところで、形を変えていくわけですね。それを「縁」といいます。お釈迦様の言う「因縁」とはそういうことだと解釈しています。
 そして、いよいよその「因縁」が自分の近くの未来にまで「運」ばれてきます。もうすでに私たちにはその予兆が感じられ、いろいろなことが起き始めます。
 そこで、しっかりご縁の「恩」を感じ、誰にともなく感謝をし、そのご恩に報いるよう、すなわち利他的なまた新しい「案」生み出せるよう生きていると、過去の自分の「案」を「因」たるべくイメージしたのとは違った…たいがいが想定以上に素晴らしい…「果(結果)」を自らの手でキャッチできるようになります。
 これで一つの「夢実現事業」が「完(まっと)」うされます。完成、成就ですね。これが一つのサイクルです。「完」のためには「案・因・運・縁・恩」の一つでも欠けることは許されません。
 もうお分かりと思いますが、そのプロセスで重要なのは、一度「手放す」ということなんですね。自我を捨てる。矛盾しているように感じるかもしれませんが、自分の夢にあまり執着しすぎるのはいけないのです。私から見て、大きな志があるのにそれが実現できない人は、あまりに強い意志で自分の目標を達成しようとしすぎているように感じられるのです。
 ここが「修行」のしどころでしょう。ワタクシ流に言いますと「コト(自我・意識)」を捨てて「モノ(他者・無意識)」に任せよということです。それについてはまたいつか書きます。
 さて、最後に。「完」が成ると、自然に必要な「金」はついてきます。( )をつけたのは、そこは自動支払いなので意識しなくていいということです。勝手に必要なだけついてきます。決して、最初から、あるいは途中も最後もそこを意識しない方がいい。そこを意識すると自我が強くなり失敗します。お釈迦様が「財産」に対する執着を捨てよと言ったのは、そういう意味でしょう。
 今日はここまでにしましょうか。
 

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