カテゴリー「自然・科学」の1000件の記事

2025.05.21

吉野〜南朝の幻影

Img_0261 良五條市合宿2日目。濃厚すぎる日でした。

 天河神社から丹生川上神社、金峯山寺、吉水神社、如意輪寺などを回りました。おいしい葛切り、松葉寿司、夜の素敵なディナーや各種日本酒などもいろいろ紹介(自慢?)したいけれども、肝心なことだけ一つ。

 結局、南朝の旅だったということです。護良、宗良と来て、そして後醍醐天皇へ。

Img_0294 如意輪寺の後醍醐天皇の御陵(塔尾陵)も参拝しました。近くには長慶天皇の皇子世泰親王の陵墓もあります。

 もちろん、それらは(護良や宗良の墓も)明治時代にほとんど無理やり比定されたものですから、完全に歴史的な本物とは言えないかもしれませんが、しかしそこに人々の思いがこめられ、参拝の対象になってきたのは歴史的な事実です。

 宮下文書にまつわる遺跡群(ほとんどが明治大正期に作られたと思われます)も、実際そこに立つとホンモノかニセモノかはどうでもよくなってしまうんですよね。

 700年に及ぶある種の怨念。そして封印された願いというものが明治期にフィクションであれ復活した。その流れはいまだに続いていると思うのです。

 そして、面白いのが五條市から吉野にかけてもまた、中央構造線の上にあるという科学的事実。これは今まであまり考えたことがありませんでしたが、おそらく後醍醐天皇もそうであったように、多くの霊的能力者が、まさに自然の霊力を利用して朝敵を調伏しようとしたのでありましょう。

Img_0280 吉水神社には南朝御所があり、金峯山寺には護良の陣が布かれました。きっと文観もこのあたりで真言立川流の秘術を斎行したものと思われます。そう感じました。

 そして、金峯山寺といえば、江戸時代にはかの天海が学頭になっているんですよね。私は完全に「霊的」な「モノ」に動かされています。こわいくらい。今回の奈良旅は、私は場所、内容には全く関与せず、本当にお客様として乗っかっただけなのですから。

 佳子内親王殿下からの大鹿村、そして五條、吉野。この南朝の幻影をたどる、いや、たどらされる旅はまだまだ続きます。

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2025.05.18

私的「大鹿村騒動記」

Img_0154 て、大鹿村での合宿2日目。まずは分杭峠のゼロ磁場へ。一般的に知られるゼロ磁場ではなく、かつて連れて行ってもらった本当のゼロ磁場へ。

 今回は本当にクラクラしました。数年前とは全然違う。中央構造線が、日本が、世界が動いているなあという実感。

 空も蠢いている。

 やはり令和七年は特別な年なのでしょう。

Img_0160 続いて中央構造線「北川露頭」へ。ここでは表日本と裏日本の境界、せめぎあい、融合を体感できます。

 いや、そうなんですよ。一昨日、佳子さまにお会いしたじゃないですか。

 日本国民の統合の象徴たる天皇家が、実は700年以上前から南北に分裂している。分裂の象徴になってしまっている。

 ちなみに秋篠宮家は南朝の血筋ですが、北朝のご祭祀、ご神事、芸事をなさっている、まさに統合の象徴なのですよ。

Img_0197 一昨日からの流れで、表日本と裏日本の境界に連れてこられた。そして、もう実は6月18日なので、未来的な話になってしまいますが、私はこのあと、とんでもない「南朝」(裏日本)の旅をさせられることになるのです。

 大鹿村には宗良親王の伝説が色濃く残ります。いや、伝説ではなく、実際に宗良親王は30年もこの地を拠点として、封印されつつあった「裏日本」の復権に奔走したのです。

 葦原神社にも行きました。出雲と諏訪の関係、つまり、それもまた封印された縄文の記憶であり、また富士山という故郷を目指す、出雲の荒魂の彷徨でもあります。

Img_0180 そして、合宿した古民家の裏の巨石群。謎の穴太衆がなぜここに。

 頭も体も魂もいっぱいいっぱい。これは個人的にはまさに「騒動記」。大鹿村を起点とした答え合わせの旅が始まりますよ。

 ああ面白い。

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2025.05.17

『大鹿村騒動記』 阪本順治 監督作品

Images_20250618074401 (忙しくて1ヶ月も放置してしまいましたが、移動の列車の中で少しずつ追いつくよう頑張ります)

 の日は信州大鹿村での合宿セミナー1日目。

 私にとっての大鹿村は南朝宗良親王ですが、それは明日づけの記事に譲りまして、大鹿村を舞台とした素敵な映画を一つ。

 大鹿村と言えば「大鹿歌舞伎」。そして、それを題材とした映画「大鹿村騒動記」です。

 なかなかの出演者陣ですね。原田芳雄さんの遺作となってしまった作品です。原田さん、カッコいいのに三枚目の役もお得意で、ここでも実にいい味を出しています。

 そしてなんといっても、大鹿村の自然と歴史の不思議な魅力ですよね。このたび初めて訪れてみましたが、なかなかの「霊気」が流れたり、淀んだりしておりました。

 南朝伝説、中央構造線、南アルプス、秋葉街道。興味は尽きません。

 この映画には、リニアの話も出てきますが、実際工事が進捗し残土が至るところに積み上げられていました。ここに関しては私も複雑な立場、心境であります。

 大楠道代さん、岸部一徳さん、石橋蓮司さん…私の大好きな俳優さんがたくさん出ています。皆さんもこの映画を観て、実際に大鹿村を訪れてみてください。

 

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2025.05.16

佳子さま降臨

 の日は奇跡的なことがありました!

 町田セミナー2日目だったのですが、朝時間があったので、主催者さんたちに誘われて多摩御陵、武蔵野陵を参拝したのです。3年ぶりくらいでしょうか。

 駐車場に着きましたところ、なんか黒服の警備の方々がたくさんいる。どなたか皇室の方か政治家の方が参拝されるのかなと思いつつ、みんなで貞明皇后のお墓から順にお参りしておりましたところ、警備の方から声をかけられたんです。

 「今から佳子内親王がいらっしゃるのですが、お時間がありましたら、お出迎えとお見送りをお願いしたいのですが」

 え〜!!

 その時、現地には一般の参拝客はほとんど私たちだけ。、もともと参拝客の少ない「聖地」ですが、朝早かったこともあり、特にこの日は静かだったような。

S__16441346 ちょうど昭和天皇の墓参をすませた時、私たちは香淳皇后のお墓の横に案内されまして、そこで佳子さまのお出ましをお待ち申し上げることに。少しずつ人も増えたとはいえ、最終的に一般参拝者は12、3人というところ。幸運な、選ばれた人たちです!

 なんとラフな格好。しかし、背中には耀わんが!まさか佳子さまも耀わん背負った人がいるとは思わなかったでしょう。

 と、そこでまず奇跡が。その数人の中に、なんと知り合いがいたのです!それも1週間前に会った方!最近そういうことばかり。亀岡でも皆神山でも、そして武蔵野陵でも。もうあまり驚かなくなっていますけれど、さすがにお互い静かに興奮いたしました。

 そしていよいよ黒塗りの車から、佳子さまが…美しい、かわいい、おきれい…いや全然違う。尊い、だ。これかあ。推しが尊いというのは。

Img_0134 墓参ですから、ニコニコされていたわけではありませんが、お出ましになった途端、鳥は鳴き出すし、日輪は出るし、空気が完全に変わりました。自然と涙が出てきました。

 昭和天皇と香淳皇后、すなわち曽祖父と曾祖母の墓参を終えた佳子さまは、私たちの方に向かってご挨拶されました。私が最前列でしたので、当然「目が合った」!

 最初のお辞儀の視線の先に私がいる…まさにこれは推し活の原点だ。なんという僥倖。

 今までも多くの推しが向こうから私に会いに来てくれましたが、とうとう佳子さままで(笑)。

 そして、この日から私の天皇家関連の旅が始まるのでした。畏るべし、推し活、いや惟神の道。王仁三郎さんか澄さんが佳子さまに会いたかったのかな。

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2025.05.15

天然温泉 ロテン・ガーデン(町田市)

Img_0121 田で初級セミナー。セミナー終わってから、近くの温泉に行きました。

 想像以上に良いお湯だったのでおススメいたします。

 温泉に関してはそれぞれ好みがありますからね。参考にならないかもしれませんが、とりあえず私は好きなタイプのお湯でした。

 町田の温泉に入るのは初めて。町田でも温泉が湧くというのは意外といえば意外ですが、まあ日本はどこも掘れば温泉出ますからね。

 このあたりは縄文時代の遺跡もたくさん出てますが(会場のすぐ横に立派な環状列石がありました)、さすがに縄文人は温泉には入っていなかったでしょう。

 そう考えると、私たち現代人は、まさに近代技術のおかげで温泉に入れるわけで、先人たちに感謝しなければなりませんね。

 ここのお湯はきれいな琥珀色。夜だったので、最初は黒く見えましたが。なぜ琥珀色なのかは、公式ホームページに書いてありました。

 湯の温度が私にはちょうど良かった。すなわちややぬるめ。もともと熱いのが苦手なので、どこでも半身浴の時間が一番長いのですが、そういう意味においてちょうど良い湯温だったということです。なかなかないのですよ。半身浴にちょうど良いお風呂が。

 私は半身浴というか、ほとんど足湯で全身を温め、最後に温泉の成分を全身に塗るように短く全身浴して出るという、温泉好きからすると邪道な入り方をするのでした。

 また機会があったら行ってみたい温泉です。

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2025.05.02

『皆神山オカルト学序説 -ピラミッド説・皇居移転計画・カゴメ紋解析-』 長尾 晃

91tgcda4dl_sl1500__20250520085101 岡から帰ってきてすぐに信州皆神山で合宿セミナーであります。今回は大本の信徒の皆さんにも参加いただき、私も勉強させていただきました。

 1日目は宿である松代温泉にてセミナー。いろいろとマニアックな内容となりました。

 私もこのブログにいろいろ書いてきましたが、大石凝真素美、出口王仁三郎の話から、地質学的な話、さらに松代大本営まで、まあ本当に不思議な歴史を持った山であります。

 そのあたりをうまくまとめた本があまりなかった。その点、こちらの本はなかなか良くまとまっています。「オカルト」という言葉が入っていますが、あくまで皆神山がなぜ「オカルト」になっていったのかを、冷静に客観的に分析しています。

 いまや「オカルト」は「スピ」となりまして、より多くの「女性」が集まりつつある皆神山。これからどうなっていくのでしょうね。

Amazon 皆神山オカルト学序説

 

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2025.05.01

能『杜若』

Img_9938 岡二日目。大本のギャラリーを訪問し、ゆっくりお作品を鑑賞。母と伊都能売観音さまを引き合わせることができました。

 と思ったら、なんとギャラリーに知り合いが数人!それも最近お会いした人たち。

 最近そういうことが多いのですが、なんの示し合わせもなく、いろいろなところで知人とばったり会うのです。全国で。

 さて、時節柄、万祥池のカキツバタが満開でした。美しい。

 大本さんと言えば、万祥殿にある立派な能舞台も有名です。能をやってきた次女もその素晴らしさに感動しておりました。

 芸術を宗教の母とする大本さんでは、能も大変重要な修行の一つです。ちょうど二日後に「大本みろく能」が行われるところでした。

 能も流派がいくつかありますが、大本さんではその流派が皆仲良く集まります。象徴的ですね。

 ということで、今日は能「杜若」を鑑賞いたしましょう。

 

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2025.04.27

「超々広角」星空観賞用双眼鏡 Super WideBino36(笠井トレーディング)

 

 浜スタジアムで娘たちとベイスターズ vs カープ生観戦。ベイスターズが勝利し最高の気分。

 偶然、大好きなバウアーが先発ということで楽しみにしていましたが、本当に素晴らしい投球内容で、打てない打線も相まって(?)感激する試合になりました。

 いやあ、いちおう小中、そして草野球レベルで投手をやっていた者として、本当に本当にバウアーはカッコいい選手なのですよ。全ての球種の質が異様に高いのももちろん、いわゆる投球術、そして「燃える闘魂」が素晴らしすぎる。

 特に8回のピンチでの投球。思わず泣いてしまいました。ギアを上げて三振を取りに行く姿はカッコいいとしか言いようがなかった。

718tgenjlel_ac_sl1500_ ところで、今日は内野席でしたが、私はこの双眼鏡でバウアーの一挙手一投足を食い入るように観ていました。

 このマニアックな双眼鏡、これもまたバウアー並みに素晴らしいのです。もちろん、星空観賞用に購入したものですが、野球やプロレス観戦、舞台鑑賞にもいいのです。

 とにかく「超々広角」なのが案外スポーツ観戦に適している。なにしろ36度の広視野ですからね。今日も内野席からちょうどピッチャーとバッターが同視野に入る。

 倍率は2倍ですけれど、54ミリの大口径のため、明るさがすごい。つまり鮮明すぎるくらい鮮明に見えるのです。さすが星空用です。

 大口径ですが短焦点なので小型。よってずっと持っていても疲れない。作りは大変しっかりしているので、ある種のずっしり感はあるのですが、それが安定性をもたらしている。

 シロウトさんは、ついつい高倍率なものを選びがちですけれど、そうすると暗いし手ブレするし、本当に使いづらいのです。それに比べてこれはすごい。あの臨場感は低倍率双眼鏡ならでは。早い打球でもしっかり双眼鏡で追えるくらいですから。

 ハマスタでは、安いウイング席での観戦もよくするのですが、肉眼だとボールが見えないんですよね。ところがこれを持っていけば、ものすごい解像度で観戦することができる。ホント最高ですよ。

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2025.03.29

失われた定禅寺と定禅寺桜

Img_9631 台勾当台公園近くでセミナー。懇親会は定禅寺通りにて。ウチの学校のジャズバンド部もお世話になっている、定禅寺ストリートジャズフェスティバルの舞台です。

 定禅寺も上野の寛永寺同様、明治維新に伴う戊辰戦争や廃仏毀釈の犠牲になったお寺。寛永寺は規模縮小して現存していますが、定禅寺は明治6年に廃寺となってしまいました。

 寛永寺ほどではないにしても、かつての定禅寺は今の勾当台公園、仙台合同庁舎、宮城県庁の一部にわたる広大な寺域を持っていたとのこと。上の写真はそのあたり。

 おそらく貴重な文化財も多かったと思われますが、そのほとんどが焼失してしまいました。本当に廃仏毀釈というのはとんでもない宗教弾圧でしたね。特に大都市において。山間部などのある意味ド田舎は難を逃れましたが。

 さて、昨日書いた上野の桜も、東京大空襲でほとんど焼けてしまいました。同様に、定禅寺跡にあった樹齢150年を誇った「定禅寺桜」もまた仙台空襲で焼けてしまいました。これも人災です。

 懇親会では秋田料理店でした。なまはげに襲われました(笑)。終了後は仙台から新幹線の終電で一ノ関へ。明日は気仙沼です。

 

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2025.03.28

上野公園の桜

Img_9586 井の旅を終えて一晩だけ上野へ。秋田から義父母と義甥たちが遊びにきました。

 上野はちょうど桜が咲き始めました。桜の花見といえば上野公園と言われますが、いったいどういったきっかけでそのようなことになったのでしょう。

20250328114506_202798 実は私の大尊敬する天海大僧正が大の桜好きだったことがきっかけのようです。天海に大いに世話になっていた徳川家光が、奈良の吉野の桜を移植させたのが始まりとも言われています。

 そのあたりの話から、のちに花見の名所になる過程などを詳しく説明してくれているのがこちら。藝大アートプラザの記事です。ぜひお読みください。

 上野公園の桜はいつから?歴史や見どころを解説

 奥が深い。勉強になります。ゆっくり散歩したいですね。

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