『サイドマン ~ビートルズに愛された男』 (NHKハイビジョン特集 フロンティア)
ひとこと…「かっこいい」。
お正月に見逃したクラウス・フォアマンのドキュメンタリー。1ヶ月待って、ようやく再放送を観ることができました。知り合いのクラウスファンが泣きまくったというので期待していたわけですが、たしかにこれは感動ですねえ。
もちろん、クラウスのベーシストとして、そしてグラフィック・デザイナーとしての業績を振り返るだけでも感激。いやあ、本当にすごい人だ。
当然、彼にまつわる、ビートルズをはじめとして多くの名バンドの懐かしい映像や曲が流れます。うわぁ、この曲のベースもクラウスだったのか…。
そして、往年のミュージシャンたちの現在の姿にも感動。ジョンやジョージのように亡くなってしまった方もいるわけですが、逆にいまだに元気な皆さんの笑顔や真剣な演奏姿を見るだけで、もううるうる…。ベテランのレコーディング風景(一発録りセッション)の楽しさ、緊張感…最高ですね。すごい境地です。ランディー・ニューマンの「ショート・ピープル」懐かしすぎ。
それにしても、リンゴ・スターは元気だなあ。今年70歳ですよね。若い。そして相変わらずのドラミング。ますます味が出ちゃってますね。そして、ちょっと頑固じじい風なシーンもあったりして(笑)。ポール・マッカートニーも元気そうでなによりでした。
クラウスを一言で言うと、やはり「天才」。なにしろ、20世紀を代表する天才たちが「天才」というのですから、本物でしょう。
ベーシストととしても唯一無二の存在だった彼。たしかに彼のベースのフレーズは静かですが確乎としていて揺るぎない感じがします。番組中本人か誰かが語っていましたっけ。彼は楽譜は用意する(楽譜を見ておくことは重要だ)けれども、楽譜どおりは弾かない。そして彼の生み出すフレーズは、極端に上下するわけではないが個性的だと。なるほど、そのとおりですね。
そんな天才音楽家であった彼は、しかし、音楽に飽きてしまいます。そして、ある意味本来の自分の道である「美術」「グラフィック・デザイン」の世界で、これまた大活躍します。
だいいち、皆さんご存知のとおり、あの「リボルバー」のジャケットは彼の作品ですよね。天はニ物を与えたわけです。それも世界最高レベルで。ううむ、うらやましい。
しかし、彼のすごいところはですね、どこまでも謙虚であったということです。いや、今でも充分に謙虚ですよ。だからかっこいいのです。誰か(私も含む)みたいに、大したことないのに「はったり」をかまして、目立とうとしたり、かっこつけたり、自慢したりする人間とは違います。
そういう人間性の持ち主だったのですね。もし、彼がある意味普通に目立ちたがり屋であったら、もっと有名になっていたかもしれません。いや、The Beatlesのメンバーになっていたかもしれません。しかし、それを拒否したところから、現実の、あのThe Beatlesは生まれたとも言えます。そういう人なんですよね。
そんな彼が70歳になって初めてリーダーとしてアルバムを制作しました。「A Sideman's Journey」…名だたるミュージシャンたちと同行二人…いつのまにか、壮大な自らの旅もデザインされていったのです。その終着点が、美しくリラックスした軽みのあるこのアルバムだったというわけでしょうか。
すごいですね。またまた尊敬するベーシストが一人増えました。「サイドマン」…私もそういう人になりたいものです。
Amazon A Sideman's Journey
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)


平山郁夫画伯が亡くなりました。アフガニスタンへの増派のニュースが流れる中、どんな思いで天界に召されたのでしょうか。
で、話を秋田に戻しますが、まさに秋田と東京の関係などは、そうした構造の相似形になっているわけですね。ちなみに私は東京育ち、カミさんは羽後町育ちですから、我が夫婦の間にも、そういう関係が成り立っているんですよ。
ここのところ、BUMP OF CHICKENやレミオロメンを通じて、日本のロックについて、いや非西洋的音楽について熱く語ってしまいました。これにはいろいろと理由がありまして、実は今日のこの本の内容とも重なってくるんですよね。











野田秀樹の朗読と渋江修平のアニメーション。そして言葉、太宰治。これは最強でしょう。












ああ、勉強になりました。こういう老師のお話が一番勉強になる。
結婚後の横尾さんは「停滞」を恐れ、常に流動していきます。硬直化した「コト」にとどまらず、常に変化しつづける無常なる「モノ」であり続けるわけです。そこには当然苦悩もつきまとうわけですが、そのたびにまた彼は進化していくのでした。
最近始めたという「PCPPP」面白いですね。「パブリック・コスチューム・プレイ・パフォーマンス・ペインティング」でしたっけ?ああやって観客(?)を前に即興的に絵筆を振るい、さらに自分も「Y字路」に立つ登場人物に変身してしまう。自分も作品の一部になるとともに、なんと言っても、究極の自己滅却してますよね。これは自分との孤独な戦いというイメージの強かった「美術」の現場を大きく変える画期的な試みだと思います。いやあ、すごい。さすが。
渡部潤一さん…。こんなことやってていいんですか(笑)。ま、まえがきで結構辛そうにしてますので、彼自身はこういう趣味はないのでしょう…たぶん。
久しぶりに世阿弥の(実際は観阿弥の…ですが)「花伝書(風姿花伝)」を読んでいます。本来は、世阿弥の使う「もの」という言葉についての分析が目的だったのですが、ついつい内容に心動かされてしまう。学(まね)ぶべきこと多し。
今日のNHK「日曜美術館」では、片岡球子が紹介されていました。私は不勉強で、片岡さんと言えば「富士山」だと思っていました。もちろんその「富士山」たちも、すさまじい高次元のリアリズムを見せてくれますね。コピーからはあまりにかけ離れた表現です。しかし、あまりに富士山らしい富士山。
しかし、今回はその富士山以上に、60歳を過ぎてからの「面構」シリーズや、100歳まで描き続けた「裸婦」シリーズに驚きと感動を覚えました。「面構(つらがまえ)」では、古い日本の彫像や絵画を真似て学んでいました。「裸婦」は、実は片岡さんの苦手とする分野だったそうです。それを最晩年にあそこまで高めた。あえて苦手なモノに臨むその姿勢には心打たれました。
片岡球子さんについて語る銅版画家の山本容子さんの言葉が象徴的でしたね。
評判の阿修羅展に行ってきました。評判通りの混み方でした。
ショップの喧騒を抜けて、すっかり現実の世界に帰ってきた私は、国立博物館の建物を出ました。そこには、あれは何の木なんでしょうかね、巨木が空に向かってそびえていました。ああ、阿修羅と全く同じだ。私はそう感じました。空を支え、地を押さえ、私たちの心を包んでくれる。きっと、あの仏師は自然のこういうところを真似て、ああいう美を作り出していったんでしょうね。そんなことは、あのおばさん方にはどうでもいいことなのかもしれませんが(笑)。
最近のコメント