カテゴリー「美術」の233件の記事

2022.05.18

みうらじゅん×山田五郎 『仏像トーク』

 

 

 岡市の実家におります。そういえば山田五郎さんのご両親は静岡市の出身でしたね。

 ご本人の生まれは東京ですが、少年青年期を大阪で過ごされたので関西弁は流暢です。みうらじゅんさんは京都市の出身ということで、この対談は関西弁で始まりますが、最後の方はお二人とも東京弁(標準語)になっているのが面白かった。

 お二人は、私にとって「独自研究」の師匠であります。昨年みうらじゅん賞を獲った竹倉史人さんもそうですが、「独自研究」とアカデミズムのバランスというのは難しい。

 対談前半の関西弁パートは「独自研究」というより「自分語り」が全開ですが、後半の仏像に関する「独自研究」に至ると、そこはアカデミズムへの挑戦的な意味合いも出てくるので、標準語モードになっていくのでしょう。

 私は残念ながら母語が標準語なので(どこの方言も話せないので)、話の次元(レイヤー)によって言語を使い分けることができず面白くありません。幼少期までは宇宙語話せましたけどね(笑)。

 この対談を見て聴いて思ったんですけど、文系の学問って全部「独自研究」でいいんじゃないですかね。暴論でしょうか。

 結局のところ、文化に普遍的な意味や価値やシステムを見出すことって無理でしょう。それぞれの時代のそれぞれの人間が関わっているわけですから。そして、それらをそれぞれの時代のそれぞれの人間が研究するわけですから。

 その固定化されない「ゆるさ」こそが、文化の人間の生命力そのものなのではないでしょうか。

 それにしてもこのトーク面白かった。元気をもらいました。

 そう、仏像って最終的に人を元気にするものなんじゃないでしょうかね。

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2022.03.21

高松塚古墳壁画発見50年

 

 から50年前の今日の正午過ぎ、あの高松塚古墳の極彩色壁画が発見されました。その時のニュース、なんとなく覚えています。そして、その後しばらく日本は古代史ブームに湧きましたね。

 ただそのあとがいけなかった。カビだらけになり、さらに不注意から一部が剥がれ落ちたり、1300年間ほとんど完璧に残されてきたものが、たった40年弱ですっかりダメになってしまいました。

 もちろん、発掘の結果、外気が入り、水分が入り、人が入り、虫が入り、光が入りする中で、発見当時の状態を保つことは科学的に考えても不可能であります。しかし、その劣化は最大限遅らせなければならなかったはず。残念です。

Th_003 この写真は教科書でおなじみの発見当時のものです。このような鮮やかさはすっかりなくなってしまいました。

 まあ、これは「発見」の代償とも言えるもので、しかたないのかもしれません。

 とはいえ、10年以上かけて石室ごと解体、修理、修復され、カビも除去されて、なんとか見られる程度にまで復元されました。その結果が上の動画です。

 今後は、気温や湿度などを機械的に調整し、カビが発生せず、また顔料や石材の劣化が起きにくい環境を整えた上で、墳丘内に石室を復元する予定だそうです。

 世界でも珍しい極彩色の人物が、そして四神や星辰図(いずれもシルクロード諸国との関係が明らか)が、これからなるべく長く私たちの目を楽しませてくれることを望みます。

 ところで、高松塚古墳の被葬者は誰なんでしょうね。いろいろとワケありの古墳であることはたしかですが。

 

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2022.01.07

犬目宿からの富士山

 甲州街道ネタが続きます。

 先日は車で走りましたので、なかなか写真を撮る機会がありませんでした。富士山が素晴らしかったのですが。

 というわけで、写真ではなく絵で見ていただきましょう。北斎と広重という両巨頭による犬目富士です。

 上野原、鶴川から野田尻、犬目まで、なぜあんな峠道を通らせたのか不思議だと先日書きましたが、その答えはまさしくこの富士にあったのでしょう。

 特に富士講の栄えた江戸時代には、この絶景は必要不可欠な旅のカンフル剤だったと思います。

 今でも中央線や中央道、あるいは国道20号を走っていると、小仏トンネルや大垂水峠を越えてからのあの山間の雰囲気はなんとなく暗く重たく感じられますよね。

 関東平野から突然(つげ義春風に言えば)チベットに入るのですから。なんとも侘しい気持ちになります。地図を見てください。

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 チベットに入ってから大月約30kmの間、ずっとあの調子だとかなり気も滅入りますし、気が滅入ると体力も落ちる。

 ですから、あえて厳しい上り坂と下り坂というイベントを設けたのではないでしょうか。ちなみにあの下り坂は盲人が転落することから「座頭転がし」と呼ばれていました。

 そのイベントの感動は、なんと言ってもその犬目峠付近からの富士山の素晴らしさです。全く眺望がきかない山道を登り終えたところで突如現れるあの富士山には、江戸の旅人たちも感激したことでしょう。

 関東平野から見えていた富士山とは明らかにスケールが違う。つまり、ああ富士山に近づいてきたという感動が味わえるのは、その姿が見えなくなってしばらく経っているからです。そういう効果は絶大だったことでしょう。

 では、その感動の富士をご覧いただきましょう。

 まず、葛飾北斎の富嶽三十六景から「甲州犬目峠」です。

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 前景に山が連なるので、裾野はこんなに見えません。しかし、これがある種のリアリズムなのでしょうね。つまり「印象派」的な写実。心の中ではこの広い裾野が想像されるのです。それほどの感動であり、期待であるということでしょう。

 続いて歌川広重の筆を三つ。さすが広重の方が西洋的なリアリズムに基づいていますね。それでも桂川が近くにあることなど完全に虚構です。猿橋付近の風景との合成でしょうね。それもまた「思い出的リアリズム」と言えます。それを真似たのがピカソですよ。

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 皆さん、もしお時間がありましたら、ぜひお車で結構ですから、旧甲州街道犬目宿を通って隠れた富士の絶景をご覧くださいませ。おススメです。

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2021.11.28

『細江英公の写真:暗箱のなかの劇場』 (清里フォトアートミュージアム)

Th_-20211129-105705 日の猪木さん以上にインスパイアされました。細江さん、す、すごい…。

 ごめんなさい、あまりの衝撃に語彙が貧弱になってしまいます。

 今気づいたのですが、なんと12年前、細江英公さんに初めてお会いした日、昨日の番組にも出ていた藤波辰爾さんにもお会いしているのですね。なんというご縁…。

藤波さんと…細江さんと…またまた夢実現(2009.12.19)

 清里フォトアートミュージアム。秋田は鎌鼬美術館の関係者から招待券を送っていただきまして、ようやく訪問することができました。秋田と山梨がまたつながりました。

 細江さんの代表作「鎌鼬」と私たち夫婦の因縁については、こちらからたどってみてください。そして5年前、それは「鎌鼬美術館」として結実しました。まったく不思議としか言いようがありません。

 そんなご縁を頂戴した細江英公さんの作品を、これほどたくさん、いっぺんに鑑賞する機会は初めてです。

 とにかく圧倒されました。それこそアントニオ猪木の名勝負を全部観たくらいの衝撃(すみません、変な表現で)。

Th_img_8405 特に「鎌鼬」のオリジナル・プリントは圧巻でした。その銀が浮き出し、白黒写真に色が生まれていく。デジタルではありえない奇跡です。なんと稲刈り後の田んぼが、リアルな稲刈り後の田んぼ色になっている!!

 現代のデジタル・フォトではありえないことです。いやモノです。生きている。撮影のみならず、現像やプリントに関わる手間と想像力と不随意性こそ、時代を超えるエネルギーの源泉になるのですね。昭和のプロレスや音楽と同じだ…。

 夫婦でゆっくり鑑賞しながら、鎌鼬の各写真を現地に展示というか、ディスプレイできたらいいなあと話しました。そうして、聖地探訪し、変わらぬ稜線と、変わった人の営みを体験する。写真にはそういう使命もあるのではないかと。

 コロナによって2年近く秋田に行っていません。来年にはまた違った視点、意識で「鎌鼬の里」田代を訪問しようと思います。

清里フォトアートミュージアム公式

 

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2021.11.25

縄文ドキドキ総選挙で山梨勢が1位・2位!

Th_2021112415464901 日、「土偶を読む」でサントリー学芸賞を受賞された竹倉史人さんのお話を聞きました。「宗教とはなにか」に迫る、これまた興味深い内容でありました。さすがの視点です。

 竹倉さんともいつか山梨縄文王国探訪をしようと約束しているのですが、その実現に先立ち、山梨の土偶が総選挙で1位、2位を獲ったというニュースが入ってきました。

 縄文ドキドキ総選挙

 上の写真は2位の韮崎市石之坪遺跡の「ミス石之坪」。たしかにアイドル的可愛さがありますね。私は特に横顔が好きです(笑)。こちらからご覧ください。

20211126-84523 1位は南アルプス市鋳物師屋遺跡から出土した「人体文様付有孔鍔付土器」。この土器に造形された「人体」、いや「女神」は、まさにアイドルにふさわしく、まるでダンスをしているような躍動感を持ちます。

 2年前、ご本人に対面した日の記事がこちらです。まあ、ご本人のことは何も書いていないのですが(笑)。本当にこの南アルプス市のふるさと文化伝承館はおススメですよ。

 この1位、2位を獲得したアイドルの二人は、竹倉さん的には「カモメライン土偶」であり、「とんがり型」です。つまり、果実に包まれたトチノミがモチーフとなっているということですね。なるほど。答えはそれしかないでしょう。

 それほどに当時の山梨縄文人にとって、トチノミは自らの命を支える「女神」であったわけです。

 竹倉さんが、サントリー学芸賞の「思想・歴史部門」ではなく「社会・風俗部門」にて選考されたというのは、まさにこのような次元においての発見があったからです。

 

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2021.10.10

週刊朝日 『東京オリンピック案内』 (1964.9.20)

Img_8190 57年前の今日、東京オリンピックが開会しました。

 私は生後2ヶ月。8月の東京は水不足で、急遽里帰り出産となったため、母の実家のあった焼津で私は生まれました。

 行きは東海道本線で、帰りは開通したばかりの新幹線に乗ったそうです(当然記憶なし)。

 静岡の実家の片付けをしていたら、この週刊朝日増刊が出てきました。私と同い年の雑誌です。

 内容はなかなかの充実です。それはそうですよね。初のオリンピック開催ですから。スポーツも一般的ではなかったので、各競技のルール解説が面白かった。

 たしかに今回の新しい種目もルールを知っていたら、もっと楽しめたかもしれません。

 さて、御存じのとおり、1940年(昭和15年)に開催予定だった東京オリンピックは、戦争に向かう情勢の中で中止となってしまいました。

 今回も1年延期ということで、どうも東京オリンピックは呪われているようです。

 この昭和39年の大会は大成功というように記憶されていますが、実際には今回以上の反対運動があったり、まあいろいろと大変だったようです。

 まあ、なにしろ、焼け野原からたった19年ですからね。まさに「復興五輪」だったわけで、その後の経済大国日本、技術大国日本、スポーツ大国日本のスタートであったとも言えます。

Img_8192  一つ感動したのは、「ピクトグラム」です。今回開会式で大活躍だったピクトグラム。これも御存じと思いますが、昭和39年の東京五輪で初めて登場したものです。つまり、日本産、日本製なのです。

 今でも基本的には同じデザイン方法が踏襲されていますから、いかに当時の日本デザイン陣が優れていたかということですね。

 実は6年前にこんな記事を書いています。残念ながらいろいろあって(足を引っ張る人がいて)永井一正さんは、今回のオリンピックの表舞台から身を引いてしまいましたが、私がこの記事で書いた「おそらくは、6年後の五輪においては、ピクトグラムを超えた「コト」が発明されると予感しています。マルチメディアの時代、日本ならではの自由な発想で、それは実現するでありましょう」という予言、ある意味、あの人力ピクトグラムで実現したとも言えますね。まさかの逆説的方法でしたが(笑)。

 

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2021.09.05

パラリンピック閉会式

Th_unknown_20210907130201 ラリンピック閉会式にて「TOKYO 2020」が2021年の今日終わりました。

 1940年の東京オリンピックのように中止にはなりませんでしたが、まさかの1年延期。いろいろな意味でオリンピック史上に残る大会となりました。

 様々な問題を抱えたまま始まってしまったオリンピック開会式。それに比べてこのパラリンピック閉会式はそれら問題や競技での感動をも「多様性」の中に取り込み、見事な「調和」の中に大団円を現出しました。

 そういう意味では、実に「後味の良い」大会となりましたね。終わり良ければ…ではありませんが、このパラ閉会式の持つ責務は、私たちが考えている以上に重かったと思います。

 終わりは始まり。「未来への継承」という意味においても、見事なセレモニーになっていたと感じました。

 この素晴らしい閉会式の総合ディレクターを担当したのは小橋賢児くん。

 こちらに書きましたように、彼とは昨年12月に一緒に食事をしまして、直接彼の過去と現在と未来についてお話をうかがいました。

 上記の記事では「来年は一緒に何かできるかもしれません」などと寝ぼけたことを書いていますね。いや、実は…ないない(笑)。

 彼の得意とする花火やプロジェクション・マッピングといった光の技術やセンスはもちろん、誰に対しても愛と敬意を持つことを忘れない彼のパーソナリティが、見事に歴史に残る数々のシーンを演出してくれました。

 素晴らしい仕事をしてくれましたね。次にお会いする時には、心より感謝を申し上げたいと思います。

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2021.08.24

「教えて!三田さん」〜聖徳太子と法隆寺展

 日は不思議なご縁によって導かれ、「聖徳太子と法隆寺展」を企画された三田覚之さんに、3時間にわたり直接いろいろなことを教えていただきました。

 細かいことは今は書けませんが…とにかく運命的な出会いであり、神仏に感謝申し上げるしかないような驚きの一日でした。

 教えていただいて解った、この歴史的な展覧会の未来的な意味。祈りの世界。歴史の秘密。そして三田さんの思い、天命。

 動画で三田さんがその一部を語ってくれています。どうぞご覧ください。

 9月5日までです!まだの方はぜひ!

 

 

 

 

 

 

 

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2021.08.20

特別展 『聖徳太子と法隆寺』

Th_title 日の記事を書いて思い出しました。この展覧会をおススメしていなかった!

 先日、行ってまいりました。

 結論から言います。中二病でごめんなさい。

 コロナのために予約制となっておりましたが、それなりに混み合っており、多くの展示物を人の肩口から覗く感じで観る感じでした。

 また、あまりに崇高な仏様がたくさん並んでおりますので、どうしても美術品や文化財として観るというよりは、やはり「ほとけさま」と対面させていただくという感じに打たれてしまいまして、ついつい手を合わせてしまうのでした(今回は珍しくそういう人に一人出会いました)。

 そしてそして、このパンフレットの顔となっている、メイン展示「国宝 聖徳太子 坐像」の前に立とうとした瞬間、信じられないことなのですが、すっかりお人払いされてしまい、なんと私以外誰もいなくなってしまったのです。

 そして、そこからおそらく2分間くらいは、私と聖徳太子二人だけで対面し、ずっと対話させていただくという有難き(まさにめったにない)時間を過ごさせていただきました。

 特にその頃ちょうど「法華経」を読んでいたためでしょうか、この坐像の中に奉納されている三経のうちの法華経巻から、なんとも不思議なメッセージを受け取ることができました。

 まったくなんということでしょう。ちょうど私は、仲小路彰の聖徳太子伝「夢殿の幻」全三巻の活字化を終えたところでした。ホント中二病で申し訳ないし、ちょっと気恥ずかしいのですが、聖徳太子さまご本人から感謝のお言葉をいただいたような気がしたのでした。

 聖徳太子が未来へ投げたボールが、今、こうして私のところに流れてきた…。中二病もこじらせて重篤化すると、こんな素晴らしいことがあるのですね(笑)。

 こちらこそ、感謝の気持ちいっぱいで、深く深く合掌礼拝するのでした。

 こんな世の中だからこそ、日本の精神文化の基礎を築いた聖徳太子に、皆さんも会いに行ってみてはいかがでしょうか。9月5日までです。

「聖徳太子と法隆寺」展 公式

 

 

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2021.08.04

高山良策 『ガッツ星人の造形』

Th_unnamed_20210805100601 山良策ネタが続きます。

 私も西桂町に5年以上住んでいましたが、地元の人も高山良策のこと知らないんですよね。案外。

 西桂は本当に小さな町ですが、少なくとも歴史的な天才4人を生んでいます(スポーツ選手除く)。

 川合信水と肥田春充の兄弟、高山良策、そして李良枝です。

 これってワタクシ的にはけっこうすごいことなんですが、やはり地元の皆さんはあまり意識してきません。町としてもあまりアピールしていませんね。

 さて、高山良策ですが、シュルレアリスムの影響を受けつつ、戦中は国策映画のミニチュアを作ったりしておりました。その反動からか、戦後、山下菊二らとともに共産党員として左翼活動にいそしみます。山梨県出身ですから、もしかするとあの「曙事件」にも山村工作隊として関与していたかもしれませんね。

 その後共産党からは離れますが、反戦・平和運動は続けていたようで、ウルトラシリーズや大魔神の造形にも、そうした思想が反映していると考えられます。あの時代ですから、多くの表現者たちがそうした思いを込めて作品を作っていたことでしょう。そろそろそういう視点からの研究もなされていいかと思います。

 さて、そんな高山良策の優れた造形の中でも代表作の一つとして語られるのが、このガッツ星人ではないでしょうか。

 彼が実際にどういう作業でその歴史的な「敵」を作り上げたのか。それが分かる貴重な映像があります。

ある小さな記録

 これはもう完全に芸術の領域ですよね。本当にすごいと思います。限られた時間と予算と人員の中で、毎週のように「芸術作品」を生み出し続けた高山良策。本当に尊敬すべき天才ですよ。私だったら、高山良策美術館を作りますね、町に。

 

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