カテゴリー「美術」の275件の記事

2024.08.02

艮の金神のお出ましか!

Img_6762 別岳を遥拝して来ました。不思議なご縁あって滝川市の友人にいろいろとご案内いだきました。

 まずは芦別市の真言宗単立寺院光元院へ。日本の体操界を支えてきた大阪大学名誉教授の先生が住職をされています。

 いろいろ驚きがあったのですが、何よりびっくりしたのは先代が懇意にしていたという、あの肖像画家馬堀法眼喜孝の絵がたくさんあったことです。

Img_6745 馬堀法眼は、かの旧一万円札の聖徳太子像を描いた人として有名ですね。歴代天皇はじめ無数の偉人の肖像画を描いてきた人物です。

 我が家には喜孝が描いた出口直、出口王仁三郎、出口澄の肖像画の複製が飾ってあります。その本物は綾部の梅松苑で何度も拝見しております。

 いや、本当に驚きました。七福神像をはじめとして、立派な名品が多数あるのです。それを観るだけでも価値があります。皆さんぜひ訪れてみてください。ある意味有名な北海道大観音のすぐ近くです。

 光元院をあとにした私たちは富良野へ。艮の金神(国常立尊)がお隠れになっている芦別岳を、耀わんとともに遥拝し鬼門開きをするためです。

Img_6778 当初の予定どおり東大の農場にて遥拝したのち、近くにある大本の北海本苑さんをアポなしで訪問しましたところ、私たちを快く受け入れてくださりました。

 神殿にて耀わんを奉り、神職さんに天津祝詞をご奏上いただきました。感動と感謝の時間。

 鬼門開き。これが今の私の仕事であり、セミナーなどのテーマでもあります。隠されたモノ、あるいは洗脳されて忘れ去ってしまっているモノの復活。そういう時が来ているのです。

 神殿には王仁三郎はじめ教主、教主補の多くの作品が飾られていました。それだけでも大興奮でした。友人たちは私の姿を「5歳児みたい」と笑っていましたが、本当に子どもになったような気持ちだったのです。

Img_6812  御神事が終わって外に出ますと、王仁三郎の神聖歌碑の後ろにそびえる芦別岳にかかっていた雲が去り、天の階が降り注いでいました。なんという奇跡でしょう。

 もしかすると、本当に艮の金神がお出ましになったのでは。きっとそうなのでしょう。

 このタイミングで、ほとんど自分の意思ではなく、自然と導かれてここにいるという幸福。本当にありがたいですし、身の引き締まる思いもするのでした。

Img_6775 自己実現ならぬ神実現のために、これからも邁進してゆきたいと思います。本当にありがとうございました。

 北海本苑の神聖歌碑(昭和7年建立、10年弾圧で破壊、41年再建)

 芦別の山はかなしも勇ましも神代ながらの装ひにして

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2024.06.23

歌川広重 『六十余州名所図会〜信濃 更科田毎月鏡台山』

S0000068a 松二日目中級編。今日も盛り上がりました。

 17時すぎに終了後、新幹線で長野へ。長野からは車で山梨へ。富士山に着いたのは22時半でした。やっぱり5時間はかかるなあ。

 さて、車で長野道を走る途中、姨捨SA(上り)に立ち寄りました。ここにある田毎庵の蕎麦が好きなのです。

 本物の手打ちそばですからね。実演しているのを見ることもできます。高速道路上でのそば打ちというのはなかなか見られるものではありません。

 これぞ更科そばなのかは不明ですが、やや幅があってコシもあるこのおそば、なんとも言えないワタクシ好みの食感なのです。今日はかき揚げそばを注文しましたが、かき揚げもエビ満載でとてもおいしい。おススメです。

 さて、「姨捨」といえば、高校の古文の教材の定番でもある大和物語の「姨捨」の段ですね。皆さんも学校で習った記憶があるのではないでしょうか。

 日本全国に「姨捨伝説」はありますが、平安時代からすでにこのあたりの「姨捨」は有名であり、またおそば屋さんの名前のルーツともなった「田毎の月」の景色もまた、多くの文学や絵画の題材となってきました。

 姨捨サービスエリアも「月の里おばすて」として、ちょっと怖いイメージからオシャレな感じに生まれ変わりました。

 「たごとの月」とはまさに「田んぼごとに一つ一つの月」ということで、広重もこのように描いています(クリック!)。


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Img_0243 実際にこのように同時に多数の月が映ることはないにせよ、一つ一つ移動してそれぞれの田んぼに月が映る事実をこのように描いたのでしょうね。日本的リアリズムというやつです。

 千曲市では、このあり得ない情景を実現するために、かつてLEDを使って棚田をライトアップしたことがありました。面白い試みですね。

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2024.05.23

「変身」の楽しさ

20240524-91541 日今日は戸隠で合宿。一昨日のイエモンのメンバーに対抗したわけではありませんが、私たちもちょっとカッコつけてみました(笑)。

 赤い髪が私です。

 というか、今回はコスプレのプロの方がいらっしゃったのですよ。それで軽く私もフェイスペイントしてもらったり、ヅラをかぶったりしてみたわけです。

 合宿のテーマの一つは出口王仁三郎です。彼はまさにコスプレの元祖。あの時代に化粧して女装して映画撮ったり、写真集出したり、まあそれは弾圧もされますわ。

 もちろん、それは「神劇」であり、「雛型」であったわけですが。

 映画「昭和の七福神」はその代表でしょうね。

 

 

 今回初めて本格的にフェイスペインティングしていただきましたが、これって快感ですね(笑)。変身願望が満たされると言うより、自分を見る周りの目が変わるので、自分自身を鏡で見なくとも自分が変わっていること、そして外界も変わってることを感じることができるのです。

 縄文時代にもフェイスペイントや刺青が一般的でしたね。変身というよりも、現実界から離れて神に近づく一つの方法だったのでしょう。

 プロレスラーがペイントしたりマスクを被ったりするのもその儀礼の名残ですね。

Img_5932 似合うかどうかは別として、「スイッチを入れる」ためには、この方法はなかなか良いと感じました。この格好で講義しましたけれど、いつもとは違う感覚で、自分自身も楽しめました。

 スキンヘッドはヅラも多様に楽しめるので良いとのこと。そりゃそうだ。なんかちょっと目覚めそうな気配が(笑)。とりあえずいろんな道具を買い揃えてみようかな。

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2024.05.06

宮城道雄・横山大観を拝す

 の日は尊敬する二巨匠のお墓をお参りしました。谷中墓地です。

Img_5472 まずは音楽方面。箏曲の大家、宮城道雄先生のお墓を探しました。

 私は山田流箏曲をやっていたので、当時は生田流の祖である宮城先生に対して妙な抵抗感があったのですが、それはまさに若気の至りでありました。

 のちに宮城先生が仲小路彰と懇意であり、二人が共同して名作をいくつか残していることを知ることになり、また宮城先生のお弟子さんである芸大の安藤先生とも知り合うことになって、急速に尊敬する存在となっていったのでした。

 今は仲小路先生と宮城先生の残した、しかし知られざる作品の復活、復刻に従事させていただいております。この日はそんなことを報告しながら、なにか私にお手伝いできることがあればなんでもいたしますと宣言してまいりました。

Img_5767 続いて美術方面。日本画の大家、横山大観先生のお墓を見つけました。

 大観先生もまた仲小路彰、富士山と深いご縁のある方ですね。

 そして、日本酒に関しても私の師匠です。後半生の半世紀の間、ほとんど食事はせず日本酒(醉心)だけであのバイタリティ溢れる生き方をされた方です。

 ここでも、私にできることがあればなんでもしますと宣言いたしました。お酒もお任せくださいと(笑)。

 お二人が投げた未来へのボールを拾えたら、どんなに幸せなことか。頑張りたいと思います。

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2024.04.15

COTEN RADIOショート やなせたかし編

3baaf3ef1777e10d831f3f8d8a54a2c2cd406112 こ数日かけて全部聞きました。感動いたしました。

 やなせたかしさんと戦争や平和については、やなせさんの生前にこんな記事を書いています。

 「君もアンパンマンになれる!」

 そこにも書いたように、作品アンパンマンには彼の戦争体験と、そこから得た「愛すべき悪」(ばいきんまんに象徴される)思想が色濃く表れています。

 そんなやなせさんの人生と世界観、そして作品について、やなせさん自身の言葉を中心にわかりやすくまとめたこれらの番組。ぜひ多くの方々に聞いていただきたいですね。

 やはり優れた子供向け作品というのは、「未来の大人」にために作られているのだなと痛感いたします。そしてそれを得意としているのが、日本文化の特長でもあります。

 本来の「教育」とはこのようになされていくのではないでしょうか。そのためには「先生」たる大人が、その時代的体験から深く痛感し、そして思索しなければならないということあり、また単なる直接的表現ではなく、まさに「未来的」表現をすべきなのではないでしょうか。

 コテンラジオさんは、そういう教育表現をしているすぐれた「若い大人」の集団だと認識しております。

 来年度の朝ドラは、やなせたかしさんと奥様が主役だとか。とても楽しみですね。大河ドラマでもいいのではないでしょうか。

 

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2024.03.23

追悼 寺田農さん

2024032300000050dal0006view 好きな俳優、寺田農さんが亡くなりました。非常に残念です。

 彼の出演作は基本全て好きです。それは本当に単純に彼のことが大好きだからです。

 文芸作品からアダルト・ビデオまで。どれも彼が出演すると深みと渋みが増します。主役を張ることは多くありませんが、その絶妙な存在感は主役以上。作品の質を大きく上げていたと思います。

 彼に底流するのは前衛芸術です。

20240325-95702_20240325095701 そう、農さんのお父様は寺田政明。池袋モンパルナスの重要画家です。油絵が専門ですが、私は彼の装幀、挿絵が好きです。尾崎士郎、司馬遼太郎、檀一雄、野坂昭如らの本に華を添える存在でした。

 池袋モンパルナスと言えば、岡本一平、熊谷守一、小熊秀雄、桂川寛、そして山梨は西桂出身のウルトラマンシリーズ怪獣造型で名を馳せた高山良策…。

 その系譜は戦後、安部公房、勅使河原宏ら戦後前衛芸術の流れつながってゆきます。それはATG映画の世界にもつながっていくわけで、農さんにも大きな影響を与えたことでしょう。

 そうした文化的なベースがあってこその彼の演技、存在感であったことは忘れてはなりません。

 また、自らAVを監督するなど、常識や枠組みにとらわれない自由なチャレンジ精神の源泉も、実は太く力強い日本文化の伝統の上に成り立っていたのでした。

 御冥福をお祈りしつつ、あらためて農さんの作品、そして政明さんの作品を鑑賞してみたいと思います。

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2024.02.15

涅槃図のナゾに迫る!(村松哲文)

Unnamed 文人が文字を持たない選択をした話を昨日書きました。

 そこにもつながる話になりましょうか、今日はお釈迦様の入滅の日「涅槃会」の日となります。

 実は今朝、母が入滅してしまうかと思ったのですが復活しました。今日がごく私的な涅槃会になるところでした。いや、復活したからキリストか。イースターも近いし(笑)。とりあえず一安心です。

 で、文字を持たないという意味では、言葉自体の危険性を諭し、その教えを文字では残さない選択をしたお釈迦様のことも思い出されますね。それについては、明日あたり書こうかと思っています。

 今日は涅槃会にちなんで「涅槃図」の意味について学んでみたいと思います。まあこうして「絵」で表現することも、ある意味文字(言語)表現ではないということの象徴でしょう。

 今回は専門家、駒沢大学の村松哲文先生の解説を聴いてみましょうか。

 

 

 ちなみに悲しむ動物の中に猫がいないのは、麻耶夫人が天界から投げたにもかかわらず木に引っかかってしまった薬袋を、ネズミが取りに行こうと木を登り始めたところ、猫がそのネズミを食べてしまったからだという説があります。それが十二支に猫がいない理由にもなっているのですが、猫が好きな私はその説は取りません!w

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2024.01.29

モノクロ現像を楽しむ

Img_4568-3_20240130110502 〜と、私ナイショでやってることがいくつありまして、それらは全くの非公開、自分だけの楽しみというやつです。

 その一つが「モノクロ現像」。iPhoneでテキトーに撮ったスナップ写真がどんどん溜まっていく中で、時々それらを素材として「モノクロ現像」して「作品」を仕上げています。

 もともと少年時代から天体写真を撮っていた関係もあって、白黒フィルム「トライ-X」とのつきあいが結構あったんですよね。で、このデジタル時代になっても、なんとなくあの「光と影」の世界が好きなんです。

 そして、本当にどうでもいいスナップ写真が溜まって現代、なんとなく虚しさを感じているのか、ふと白黒(モノクロ)写真を撮ってみたい衝動にかられるのです。

 しかし、今は逆にフィルム・カメラやモノクロ専用デジタル・カメラのハードルが上りすぎてしまい、なかなか撮影はできない。そこでデジタル「現像」でその欲求を満たしているというわけです。

 とはいえ、完全に秘密でやってきたので、ここに作品は1枚しか出しません。スミマセン。もう少し腕が上がったらXとかに上げようかと思っていますが、なにしろなんちゃってなので恥ずかしいのです。それなりの雰囲気だけはすぐ出せちゃうからこそ小っ恥ずかしい。

 しかし、人に見せなくともその現像の作業自体は非常に楽しく、なんちゃってとはいえ、かなりアーティスティックなセンスを使うものなので、皆さんにもぜひ体験していただきたいと思います。

 基本、iPhone用のLightroom無料版でそれなりにできますが(上の1枚はiPhoneだけで作成)、やはりパソコン上で細かくいじるのが面白い。以下のアドビ公式動画を参考に皆さんもやってみてください。

 

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2024.01.19

『出口王仁三郎 聖なる英雄のドキュメント』 (みいづ舎)

Img_4541 の日は田川郡香春町にてセミナー。セミナーを開始して、今日は何日でしたっけ?的な話になり、そこで思い出しました。

 1月19日は出口王仁三郎の命日でした。

 自然、セミナーもそちらの話で盛り上がりました。そのあたりも全部オニさんの思い通りなのでしょうね。

 というわけで、今日はそんな王仁三郎の人間的かつ神的な姿を彷彿するのに最適な本を紹介します。

 帯の言葉がいいですね。

「類まれなる王仁三郎の智慧や親しみ、一つの枠に収まらない多様な言動と感性の豊かさ、その知られざる人間性を綴る!」

 長いけれども、的を射た文ですね。身近に王仁三郎を感じていた人たちによる「観察文集」ですから、この本は。

 昭和6,7年の王仁三郎の姿ですから、ちょうど還暦を迎えるころ、今の私と同じくらいということですか。なんだか、全然スケールが違って、もう笑うしかありませんね。

 特に中盤、名ジャーナリストとして名を残した大宅壮一が語るオニ像は読み応えがあります。日本一のジャーナリストをして「(王仁三郎は)日本一のジャーナリスト」と言わしめた王仁三郎は只者ではありません。

 さかんに短歌50万首を詠んだと言っていますね。今では20万首くらいが整理されていますが、本人はその倍以上と言っているわけです。たしかに日常会話が全て「歌」だったと言われていますから、まあありえますか。20万でも世界一です。第2位が明治天皇の10万首です。

 宗教家にして「反宗教」を標榜し、宗教がなくなることを理想とするところは、彼の破天荒さと真実さの真骨頂でしょう。私たちの二元論をいとも簡単に飛び越えてしまう。

 「聖なる英雄のドキュメント」…そこには不思議と「俗なる田舎百姓」がニコニコと笑いながら端座しているのでした。やはり魅力的な人です。

Amazon 出口王仁三郎 聖なる英雄のドキュメント

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2024.01.17

芥川賞とAI

Pic_14044_2_0001 えと、今日は22日です。福岡ツアーから静岡に帰ってきました。

 時間がなく、またパソコンも持っていかなかったので、すっかり記事を溜め込んでしまいました。

 こういう時には、AIが代わりに書いてくれるといいのですが…いや、マジで。この不二草紙の総合文字数はおそらく2億超えているので、AIに学習させれば、いかにも私らしい文書と内容で書いてくれるでしょう。

 なんて、実はこの文章もAIが書いているのです!というのは嘘です(今年中には嘘ではなくなるかも)。

 AIによる文章の生成と言えば、この日に発表された芥川賞。九段理江さんの「東京都同情塔」はAIがテーマの一つとのこと。そして、実際にAIを使って文章を生成し、それをそのまま使っている部分があるとのことです。

 それについて、いろいろイチャモンをつける人がいますが、きっと3年もすれば、その人もAIに文章を書いてもらいうことが当たり前となり、そういえばあの頃はなんか違和感あったのなになあ、とか思っていることでしょう。

 そのくらい、2024年はAIの驚異的な進化の年になると思います。産業革命、インターネット革命に次ぐAI革命です。産業革命にも乗り遅れた人たちがいましたし、インターネット革命に乗り遅れている人たちが今もいますよね。

 それらの革命は、人間の仕事を奪っているかのように見えますから、自分の領域を侵犯されているように感じるのもごもっともです。しかし、結果として産業革命もインネターネット革命も、私たちの生活や文化を豊かにし、また社会の安全性を高めてくれたことは、認めざるを得ないでしょう。

 ただ、問題は、それらが何よりも早く「戦争」と「エロ」に使われてきたことにも注目すべきでしょう。実際、AIもそちらの方面で活用され始めています。というか、私たちが知らないうちに、そちらで大進化を遂げていくんですよね。

 つまり、それぞれの革命の意図…ではなくきっかけが、私たち人類の大いなる煩悩に根ざしているということなのです。

 先日書いたように、AIは私たちの本来の生きる意味、すわなち未来的創造性の発揮を促すものではありますが、そこに至る過程で私たちは必ず大きな壁を越えねばならなくなるのです。

 それが、おそらく出口王仁三郎らが言う「大峠」なのでしょう。

 絵画、写真、シナリオ、音楽、教育などもそうですが、AIにできる程度の作品は、AIに任せておけばいいでしょう。困るのはそのレベルの創造性でプロを騙っていた人たちだけですから。受け取る方にとっては、そのレベルであればそれが人間の仕事でなくとも良いのです。

 そのうちに全編AIが書いた小説が芥川賞を獲るのかもしれません。いや、芥川賞の選考をAIがするようになるかもしれません。

 芥川賞というカビ臭い(失礼)、ある意味悪しき近代の残滓が、AIに侵食される近未来は、案外明るく楽しいのかも。

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