カテゴリー「美術」の260件の記事

2023.12.08

帰ってきたウルトラマン 『第12話 怪獣シュガロンの復讐』

Th_img_4090 々に観ました。子供の時にはあまり印象に残らなかったのですが、なかなかの名作ですね。

 ウルトラセブンからの流れもあり、帰ってきたウルトラマンもかなり深く、単純な善悪二元論では片付けられない作品が並んでいます。

 これもそうで、車社会に対する一つの警告のような作品です。脚本は上原正三さん。あらすじはこちらをどうぞ。

 ゲストの美少女静香役は久万里由香さん。真理アンヌさん妹さんだそうです!すごい美少女姉妹。てか、三姉妹なんですね。真ん中のお姉さんもモデルなのだとか。お父さんがインド人です。

 劇中では画家の娘。そのお父さんは亡くなっており、遺された絵も焼けてしまう。そして、静香も死んでしまうというなんともやりきれない回。怪獣シュガロンは牛山画伯の魂の化身だったのだろうか…。

Th_img_4089_20231209170501 最後の二つ並んだ墓標のシーン、バックに富士山が見えます。見慣れた鳴沢村の富士山ですね。雪のデザインからして、三湖台あたりで撮影されたものと思われます。

 昭和の40年代、このあたり富士北麓も一気に開発が進みました。映像の富士山にもいくつかゴルフ場が見えますね。高速道路も開通し、観光地、別荘地もどんどん拡大してゆきます。そこに私は住んでいるのでした。シュガロンが怒らないといいですね。

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2023.12.04

バッハ『フーガの技法』を見る

 

 幹線の中で思わず全部見てしまった動画。そう音楽を「見る」という面白さ。

 それも最も幾何学的であるとも言えるバッハのフーガの技法。さらにその名演奏(もちろん生楽器)。

 この演奏、昨年紹介していました。非常に画期的な、ある意味未来的な演奏です。

 バッハ 『フーガの技法』 (オランダ・バッハ協会)

 演奏映像だけでも十分に「見る」楽しみがあったのですが、こうして音楽自体を映像化していただけるとは。

 打ち込み音楽を映像化するのは簡単ですが、こうしたライヴな生演奏を映像化するのは、いくらAIを使ってもめちゃくちゃ手間がかかると思うのですが。

 そのプロレスについては、こちらに詳しく書かれています。すさまじい手作業だったのです。

 この動画から確認できることは、音楽(すなわち時間)は未来からやってくること、過去は残響に過ぎないこと、つまり「今」という点には過去の余韻と未来への予兆が含まれているということです。

 「今ここ」問題は、現代の科学や哲学、宗教、そして私自身の大きな課題なのですが、この動画を全て見て、ある重要なヒントを得ることができました。

 そして、音楽は天使でもあり悪魔でもあること。晩年のバッハが行き着いたのは、宇宙の、そしてその雛型たる私たち自身の、そうした二面性であり、しかしそれらは二項対立するものではなく、昇華されてプロポーションを生むものであるということだったのでは。

 また、抽象的な「音符」の世界と、具体的な「演奏」の世界も同様に高次で融合されるということ。

 この動画の作者は様々な時代の音楽を可視化してくれています。すごいですね。ぜひいろいろ見てみてください。

 YouTubeチャンネル smalin

 

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2023.08.22

映画『君たちはどう生きるか』 宮崎 駿 監督作品

Th_kimitachi 女が観に行きたいというので、事前情報なしで私も鑑賞いたしました。

 結論から言うと「よく分からなかったけど、すげぇな」でした。

 ジブリ作品には元々あまり興味がなく、家族が観ているのを横目で盗み見する程度でしたが、そんな私でもこの作品は「集大成」的には感じました。

 もっとはっきり言ってしまうと、宮崎駿監督というカリスマの最後の仕事に、考え得る最大の才能と時間とお金がかけられたのだから、それはすごいのは当たり前という感じでした。

 冒頭の火事のシーンだけで、世界の美術史に残るであろう「絵」の連続を見せられた感じがして、正直圧倒されました。西洋と東洋の両美術的世界を統合・融合する日本的美術の世界、ここに極まれりです。

 背景の西洋的リアリズム描写と、キャラクターを中心とした東洋的リアリズム描写の同居という、本来は不自然きわまりないはずの画面が、どうしてここまで自然に感じられるのかという驚き。

 東西は、主に「輪郭線の有無」と「色彩の平板化の度合い」で峻別されるのですが、それを自然に同居させてしまうのは、日本独特の文化であり、浮世絵や漫画、アニメに慣らされた私たちにとってはそれこそ自然なことなのかもしれません。

 それはすなわち、日本人の脳内リアルが、意識(コト・カタ)と無意識(モノ・マナ)の総体とそのバランスであるということなのですが、それがストーリーにおいても実現しているのが興味深かった。

 つまり、「分かる」と「分からない」がそのままの形で放置されることが「リアル」になっていたわけです。「モノガタリ」の本質は実はそこにあり、だからこそ「モノ」を「カタる」と称した。

 そういう意味で、私はこの作品を「よく分からなかったけど、すげぇな」と評し、だからこそ見終わったあとに不快にはならなかったのです。

 これは新しい日本の神話なのかもしれませんね。ある意味そういう陳腐な感想しか出てこない。やっぱり宮崎駿をすごかったということか(なんだか悔しいけれど…笑)。

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2023.08.19

『鎌田東二 × 竹倉史人/対談』 音楽堂のピクニック

 日は鎌倉にて「土偶を読む」の竹倉史人さんと対談しました。100名近くの方においでいただき大盛況。

 竹倉さんと私も、全く打ち合わせなしでしたが、お互いにインスパイアしながらどんどんアンサンブルが盛り上がり、楽しい時間を過ごさせていただきました。企画してくださった友人に感謝です。

 予言どおり(?)、ヴィオロンチェロ・ダ・スパッラでアーベルの作品を演奏することもできました。謎の楽器で謎の曲を霊感的に演奏することによって、今日の対談のテーマでもある「もの」の存在を、「モノのね」たる音楽で体感していただけたのは、私にとっても幸運なことでした。感謝。

 さて、今日の対談の内容はとてもここには書けませんけれども(危険すぎる?)、期せずして竹倉さんの口から鎌田東二先生のお名前があがりましたので、せっかくですから竹倉さんも思わず普通の人になってしまったという(笑)、二人の対談を紹介しましょう。

 ちなみに先日の足利市立美術館での「顕神の夢」展の企画、監修によるものでした。とんでもない人(鬼?)ですよ、ホント。この方がずっとアカデミックな世界におられて、今も京都大学の名誉教授でいらっしゃることは、本当に素晴らしいことです。

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2023.07.05

焼津千手大観音(大覺寺全珠院)

Th_ip230425tan000087000_o 日は母と生まれ故郷の焼津へ。いろいろと偶然(必然)が重なり面白い一日となりました。

 祖父母の墓参りをして、次の用事まで少し時間があったため、すぐ近くの大覺寺全珠院へ。

 2ヶ月ほど前に私は参拝していましたが、母は初めて…かと思ったら、どうも四半世紀ほど前、この千手観音を刻んだことがあるとのこと。

 なんでも、この大観音の制作にあたって、多くの人の願いをこめる意味でしょう、選ばれた人たちが集まってノミをふるったらしいのです。

 しかしその後完成した観音像を拝む機会はなかった。全く計画していなかったのですが、今日、拝観が叶ったのでありました。

 私もそんなご縁があったとは知りませんでした。

 非常に立派な千手観音像です。日本一の大きさだとのこと。

 昭和の一時期にはやった屋外の巨大観音像とは違い、現代の仏師によって伝統的な技法で作られたもの。おそらくはこれから数千年にわたって衆生を救い続けてくださることでしょう。

 そうした長い未来を考えるとたしかに「新しい」わけで、それが奈良・平安の「古い」仏像に風雅を感じる私たちにとっては、ある種の違和感を抱かせるかもしれません。

 しかし少し考えればわかるとおり、いわゆる「古い」文化財もかつては「新しい」ものでした。そしてそれが最も崇高な存在であったとも言えます。

 そういう気持ちで拝顔すれば、おのずと有難みも感じられるものです。

 現在、光背の制作を計画中ということで、現代的お布施であるクラウドファンディングも行われています。

 意外な場所にある知られざる素晴らしい仏像の一つではないでしょうか。

 焼津千手大観音

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2023.07.02

和紙というモノ

Th_img_2682 日は午後から富山県射水市でトークショーでした。これまた多くの皆様にご来場いただき感謝です。

 午前中、泊めてくださった立山の友人と一旦別れ、別の立山の友人と合流。どこへ行くかも告げられず促されるままに彼の車に。車は立山の懐へと向かいます。

 昔ながらの土蔵が並ぶ集落にそのアトリエはありました。

 川原製作所

 先方も誰を連れてくるか知らなかったようで、私という人間をちょっと不審そうな目で追います。それはそうですよね。怪しすぎる。

 そして時とともに、和紙と茶碗…お互いのモノ(物・霊)を通じていつのまにか響き合っていたように思います。

 そんな時こそコトバは無力。本当にうまく話せない自分がいてびっくりしました。

 まさにひょんなことから、伝統的な和紙の世界を継ぎ、そして未来に投げる役についた若者。まちがいなく神様に選ばれたのでしょう。

 昨日の話ではありませんが、やはり彼にはエゴがなかった。だから純粋に師のソウルを受け取れた。なるほど。

 ただ技術的なコトをコピーしているだけではダメ。モノ(ソウル)を招いて一体化せねば。

 それが世阿弥の言う「ものまね(招霊)」なのでしょう。

 自然と人の調和。生活と芸術の調和。民芸以前の芸術。

 そのセンスの良さはおそらく天与のモノでしょう。驚きました。

 陶芸家の奥様が、かなり近いところで出口王仁三郎とつながっていたことにもびっくり。完全なるお導きですね。

Th_22031 そして和紙工芸作家、後藤清吉郎…ウチの先祖がたどりついた静岡に、こんな人がいたとは知りませんでした。不勉強を恥じるばかりです。

 後藤は大分県の出身ですが、富士宮を拠点に全国の和紙を研究し、自らも工芸家として魅力的な作品を多数残しています。そのうちのいくつかを川原さんがお持ちで拝見させていただきました。たしかに非常にハイセンスなデザイン、かつ濃厚な内容でした。

 静岡で民芸というと芹沢銈介が真っ先に頭に浮かびますが、ある意味それ以上の人物がいたのですね。

 お話しながら私も気づいたのですが、ウチの家系も和紙に関わっていたのでした。和紙に関わる仕事(輸出用茶箱の蘭字ラベル)に携わっており、埼玉の小川町から横浜、そして静岡へと移ってきたのでした。う〜ん、ここで和紙が来たかあ…という感じです。

 これから面白い展開がありそうです。モノは人と人を出会わせます。紙は神、そしてモノ(霊)なのでした。

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2023.05.18

『江戸にゃんこ 浮世絵ネコづくし』 太田記念美術館

Th_-20230519-130504 しいのでちょっと古いネタです。とはいえ、今月いっぱいはやっているのでぜひ。

 猫好き、浮世絵好き、日本文化好きにはたまらない展覧会ですね。

 私が行った日は、まあ外国人が多くてびっくりしましたよ。たしかに外国人にとってもたまらない企画でしょう。

 日本人と猫の関係を学ぶにも良い機会です。そう、特に私は「絹」と「猫」の関係、すなわちネズミよけとしての猫の機能に興味がありますので。

 上掲写真、国芳の「鼠よけの猫」は有名ですよね。これも当然展示されていました。

 他にもまさに「猫づくし」で、たっぷり時間をかけて堪能しましたよ。

Th_nyankoflyer1 浮世絵の猫は、決して過度に美化されることなく、ちょっと不気味だったり、どこか愛嬌があったり、ある意味猫の本性が表現されていますよね。

 普段たくさんの猫と生活しているからこそ「わかる〜」という瞬間を捉えたものばかりで、楽しくてしかたなかった。

 また猫の擬人化というか、人の擬猫化というか、そういうシリーズも実に面白い。時代的な制約もあって、猫に託して人間模様、人間社会が表現されていたわけです。

 全体に白猫や三毛猫が多かったので、一昨年亡くなったシローさんや、昨年逃げ出して野良になってしまった千代子のことを思い出しながら拝観いたしました。

 皆さんもぜひ!

 太田記念美術館公式

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2023.05.14

Style2030 賢者が映す未来〜竹倉史人 (BS-TBS)

Th_4902_32155_ep3 「偶を読む」の著者であり、友人でもある人類学者(独立研究者)竹倉史人さんが出演した番組を観ました。

 一昨年、昨年と富士山の麓に来ていただき、濃〜い合宿などいたしました。また、東京でも何度か飲む機会がありました。楽しすぎるんですよ、彼と話していると。

 けっこう同じ感覚で生きているのですが、私は彼のような勇気がないので(笑)なるべく目立たないようにしています。

 その点、竹倉さんは本当に批判を恐れず表舞台で頑張っておられますね。頼もしい!

 ある意味彼の嫌う「常識」とか、あるいはここでも語っている「存在」とは、ワタクシ的には「コト」世界であり、その補集合たる「モノ」世界、すなわち「現象」「変化」「非常識」こそ、感動や発見や驚きの源泉であるのです。

 「コト」しか認めないアカデミックな世界、いやいや「〜らしさ」を強要してくるこの現代社会において、私たちは本当に行きづらいですね。とはいえ、だからこそ「戦う」面白さを体験できているのかもしれませんから、まあ感謝ですね。

 こちらこちらでしばらく観ることができます。皆さんもぜひご覧ください。

 そして、こちらのグラレコもわかりやすくていいですね。グラフィックは言語よりも「モノ」的ですから。 

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2023.05.11

追悼 のっぽさん

Th_b552b6371472ddcb80d2e4acf8c42eba_1 ろいろありまして、更新が途絶えておりました。ちなみに私は元気です。生きてます。

 さて、この日は「のっぽさん」こと、高見映(嘉明)さんのことをいろいろ思い出しておりました。

 実は昨年9月に亡くなっていたとのこと。

 のっぽさんらしく、あまり人にそのことを語りたくなかったのかな。

 教育者の端くれとしての私は、のっぽさんの子どもに対する接し方に感心していました。のっぽさんの著書、『五歳の記憶 ノッポ流子どもとのつき合い方』はバイブルの一つです。

 子どもを「小さいひとたち」と呼び、話しかける時は敬語を使う。決して見下したりしないし、いばらない。傲慢なの大人が一番嫌いだといいます。

 この世の中では、それはちゃんと意識しないとできない。特に日本は年長者を敬う習慣があるために、逆に子どもへの敬意を忘れがちです。

 私も、のっぽさんが言うように、自分の人生のピークは5歳の時だったと思います。あとはダメになるばかり。ですから、今の私の目標、憧れの人は5歳の自分なのです。私の講演やセミナーでは、そのことを違う言葉で表現しているのでした。

 そう考えると、私の人生を形作ってくれた恩人とも言えるのっぽさん。本当にありがとうございました。どうぞ、ゆっくりお休みください。

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2023.04.22

離愛金剛

Th_aizenmyouou1 の日はお昼過ぎまで長浜のあるお寺を訪問し、多くの仏様を参拝させていただきました。

 中でも強いメッセージを発していたのは愛染明王像でした。

 愛染明王…今ではまるで恋愛成就の仏様のように思われているフシもありますが、あの忿怒のお顔ですからね、そんな甘いものではありません。

 愛染明王の別名は「離愛金剛」。そう、「愛」を離れることこそが本来愛染明王が意図するところです。

 もう少し詳しく言うと、「小愛(小欲)」を離れて「大愛(大欲)」に至るということです。

 それはまさに私の目標でもあります。

 自我中心の狭い愛欲を、宇宙中心の広い愛欲に変化させる。

 二元論に陥って敵対するエネルギーを、全体を俯瞰して統合していくエネルギーに昇華させたいのですね。

 その象徴があの忿怒相にあるのだと感じました。怒りと愛…実は表裏一体というか、同一のものなのです。

 出口王仁三郎が生みの親となった合気道にも通じる部分がありますよね。王仁三郎は元々「愛気」という文字を使った。また「愛善」という言葉もよく使いますが、当然それは「愛染」を意識したものでした。

 今回の西日本ツアーの最後に、素晴らしい愛染明王様に出会うことができたのは幸運でした。本当にありがとうございました。

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