カテゴリー「美術」の58件の記事

2008.04.30

中吊り広告

Yhhjs のように田舎に住んでますと、あんまりお目にかからない電車内の中吊り広告。電車に乗らないし、それ以前に富士急行線には中吊り広告なんかありませんね。車両の壁に渋〜い広告はありますけど。
 昨日、久々に東京の電車に乗ったので、じろじろと見ながらいろいろと考えました。また、考えたのと同時に、見事に購買意欲をかき立てられ、あるものを買うハメになりました。いやあ、都会の人は大変だなあ。いろんな欲望をかき立てられる。それに従うとお金がかかる。ある意味修行だな。
 と、タイミング良く、今日のNHK「cool japan」で「広告」が取り上げられ、その中で中吊り広告も紹介されていました。外国人から見ますと、あの中吊り広告はかなり不思議な存在らしい。彼らの中でも意見が分かれ、華やかだしヒマつぶしになるしカワイイ女の子はいるし、とってもcool!という人と、邪魔だ!not cool!という人と、両方いましたね。とりあえず、海外にはこういうのはないらしい。
 たしかに、部屋の中央にあんなにいろんなポスターがぶら下げてあったら、邪魔は邪魔ですね。でも、無視しようと思えば無視できるし、最近ではデザインに凝ったものも多く、一つの表現の場になっていますよね。実際目を楽しませてくれるものも多い。
1774048028_2100cc3c82_m 今日の番組でも、上に載せたお茶の広告や、右のNHKきょうの料理のテキストの広告などが紹介されていました。こうなると、電車の車内が一つのアート空間になるわけで、日常空間…いや、会社への(あるいは家庭への)道のりという特殊な時空に新たな意味が付加されることになるのかもしれませんね。
 同じく番組で取り上げられていた都会のネオンサインもそうですけど、とにかく全体のことを考えない、あるいは周辺との調和をあえて図らない、ああいう雑多なカオスな表現というのが、日本の風景の特徴になっていることはたしかです。以前はそういうコーディネイトの存在しない街並みなど、私はあんまり好きではなかったのですが、最近はこうやって外国人がcool!と言ってくれるし、なんとなくこれこそ自然な美なのかなと思うようになりました。
 自然界も基本自己中心的だし、隙間や油断があればそこに蔓延る存在ですよね。それが全体として俯瞰すると一つの美を構成したりする。そういう、ある意味「コト化」されない多様性の美しさ、豊かさ、そしてそこに自然に溶け込んで生きる日本人というのは、案外cool!なのかもしれませんね。
 それにしてもですね、日本にはビキニ姿が本当に蔓延してますなあ。この前の「オタクはすでに死んでいる」にも書いてありましたっけ。そして、番組で外国人も言ってましたよ。子どもの雑誌から大人の雑誌まで、とにかく半裸の女ばっかり。言われてみると世界的には異常な事態ですね。実際の街中では、女性のボリューム感、そして露出度の比較的低い日本ですが、なぜか2次元世界になると異様にセクシー満載になりますよね。さすが妄想王国ですね。実は国民総オタク、総萌えなんですかね。
 ああ、そう考えれば、ネットの世界なんか、ある意味世界の中吊り広告みたいなもんだな。カオスにしてセクシー、欲望をかき立てられるし、偶然性も高い。無視しようと思えば無視できるし。ネットは自然のアフォーダンスを再現なのかもしれませんね。
 そうそう、ネットで中吊り広告を実現しようとしたこのサイト、今のところ全く広告主が現れず、ものすごく閑散としてますよ。やっぱり中吊りがないと落ち着かないよな…。
 ちなみにリアル山手線の中吊り広告、2日間で210万円(各車両1枚ずつ)だそうです。案外安い?

Amazon NHK Cool Japan 外国人が感激するニッポンの魅力

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2008.04.20

『木喰展−庶民の信仰・微笑仏』(山梨県立博物館)

Mokujikiten 梨県立博物館で開かれている「木喰展」に行ってまいりました。ここ数日の悲しみに沈んだ心が、少し救われたような気がします。そんなことからも、信仰の本質というものがなんなのか、知ることができたのかもしれません。
 昨年「木喰仏の笑み」という記事を書きまして、ぜひとも実際にあの笑顔にお会いしたいと願っておりました。それが、春爛漫の美しい御坂の、私の大好きな山梨県立博物館で実現しました。
 それぞれの「場」の風土と時間と心を吸収し、木喰さんのふるさとに帰って来たとも言える、100体に及ぼうかという仏像たち。大変に素晴らしい展覧会であり、そして私にとっては巡礼となりました。
 「場」には時間が堆積する…昨日もそのようなことを書きました。そういう意味では、こうして本来「場」にあるべき仏像群が一所に会するというのは、正しいあり方ではないのでは、とも思いながら博物館に向かったのですが、それを超える「モノ」がそこに存在しました。
 つまり、「モノ」に「場」が浸透しているということなのでしょう。「場」には時間が堆積しているわけですから、すなわち「モノ」には時間がしみ込んでいるということですね。人間もまた「モノ」ですから、それと同じ現象が起きるわけですけれど、しかし人間の一生は短いし、妙な意思というものまであるので、自分から「場」の記憶を拒否したり、それをあえて忘却したりします。
2208 その点、こうした物たちは、素直に時間を経過させますね。「場」に集う人々の心までも全て吸収し、風雪に耐え、場合によっては自らを削り与えることによってそれを為してそこにある。
 そんな物の偉さを感じました。しかもみんな笑ってそれをこなしている。なんと美しいのでしょうか。人間はつまらぬ顔をしてそれを怠っている。恥ずかしいことだと思いました。
 今日は、博物館のお隣の施設で、ちょうど記念講演がありまして、木喰研究家として著名な小島梯次さんのお話を聞くことができました。たいへん興味深いお話で、今まで知らなかった木喰像に触れることができました。講演の前に一度展覧会を観たのですが、お話を聞いてもう一度観たくなり、再び入館してじっくり拝見(こういう時パスポートを持っていると得ですね)。やはり同じ像や書画が違って見えました。これこそ、小島さんのお話によって縁起した自分が見た新しい木喰の作品なのでしょう。そして、その感動もまた、あの物たちに吸収されていくのでしょうね。
9708 さて、ここからはあえて表現として、あるいは造形としての木喰作品について書きたいと思います。信仰とは違った視点です。
 昨日の田中泯さんの舞踏では、「前衛は古典」と感じましたが、木喰さんの表現はその逆「古典は前衛」でしたね。ものすごく新しく感じました。
 庶民信仰の象徴的存在ということで言えば、身近なアイドル(偶像)とも言えるわけでして、たしかにキャラクターデザインとして見ますと(失礼)、いわゆる「カワイイ」とも言えます。実際、その曲面(曲線)を中心にした全体的なデザインと、そして時々対照的に配される直線、あるいは全体的なプロポーションや顔の表現におけるデフォルメは、それこそアニメキャラのようでもあります。神像などほとんど「ビックリマン」の世界そのものだと思ってしまいました。
 いや、アニメキャラ(すなわち日本的デザイン)のルーツは実は木喰さんたちにあったのでは。そんなことすら思ってしまうほどある意味斬新でしたね。
 親しみやすさや慈悲という表現が、そうした主に子どもを対象にした現代大衆作品には非常に重要なわけですが、木喰仏にはそれが見事に備わってる。特にお薬師さんや子安地蔵さんには、その要素が強く現れているように思われました。
 体に比して顔が大きめであり、目鼻口にはある種の記号化がなされています。また、首を少し前に出して猫背になって、まるでこちらの話に一生懸命に耳を傾けているような姿には、それこそこちらが子どもに帰ったような気さえするのでした。それにしても、多くの子安地蔵がマリア像のように感じられたのは、これは偶然ではないように思いましたね。九州にも長くいらした方ですし、宗派にこだわらなかった方ですので、あるいは…。
1908 さて、もう一つデザインとして衝撃的だったのは、木喰さんの書画でした。特に利剣名号などに見られるフォントのデザインにはショックを受けました。木像群とは明らかに違う表現です。そのコントラストもあってか、鳥肌が立ちまくり。利剣名号は他にも見たことがありましたが、これは抜群のデザインセンスですよ。すごい。かっこいい。煩悩を断ち切り続ける鋭利な現代性。
 それにしても、木喰さんのバイタリティーは素晴らしいですね。小島さんもさかんに強調していましたが、80歳、90歳過ぎてからのさらなるパワーアップはすごい。本人は600歳まで生きる予定だったようです。歳とともに「願」が増えていくというのもいいですね。「願」というのは願望や欲望ではありません。自らの生の目的です。それも利他を基礎にしている。私もそのように歳をとりたいですね。木食行しようかな。そして廻国。
2021 ああ、そうだ。最後に気になったこと一つ。書画に多く「禁常皇帝」と書かれている(上の写真では珍しく今上ですが)、あれはどういう意味を込めていたのでしょう。「今上皇帝」は、たとえば円空などもたくさん今上皇帝像を彫ったりしてますから、まあ当時としてはメジャーなアイドルだったわけですが、「禁常」という当て字は珍しいのではないでしょうか。その真意を知りたいところです。
 あとなあ、木喰が残した和歌についても書きたいところですが、長くなりますので、またいつか。

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祈りのかたち−甲斐の信仰−
縄文の美とエネルギー
北斎と広重 ふたりの冨嶽三十六景

山梨県立博物館

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2008.03.17

『かがり美少女イラストコンテスト』(秋田県雄勝郡羽後町)

1kenpomihonキタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!
 やばいっすよ。羽後町。ここのところ、カミさんの郷里秋田県羽後町のネタが多いなあ、と思ってたんですけど、まさかこんなことまで進行しているとは!!
 そう、今年になってからというもの、まずは土方巽&細江英公さんの一件です。鎌鼬についての(ウチにとっての)衝撃的な事実ですね。これでもうウチは大騒ぎでして、いやもう羽後町にも働きかけてぜひ鎌鼬美術館を!という話にまでなっています。
 そして、おとといの記事にも登場した桜庭和志選手が羽後町にやってきました。この記事ですね。これもたまたまとは言え、あまりにタイミングが良すぎてビックリでした。
 そしてそして、これですからねえ…もう何か妙な力が働いているとしか思えません(笑)。
 それにしても…土方巽の暗黒舞踏とこの「萌え絵」とのコントラストはいったい何なんでしょう。永遠に交わることない両者…いやもう、グルッと一周して同じ極点に達しているのかもしれない。実際理解できない人にとっては両者とも全く理解できないでしょう。キモいの一言で片付けられる可能性もあり。一方、単なる芸術として片づけることもできないし、世界に発信され、日本を代表する文化と言われる面では似ているし…。う〜ん、私は頭ではまだ処理しきれてないですよ。
 まず最初に言っておきますが、私はオタク的な視点ではこの企画については何も語れません。なぜなら、私はこっちの世界にはとんと疎く(意外に思われるかもしれせまんね)、あとで列挙するそうそうたる(らしい)絵師の皆さんの名前の中で、存じ上げていたのは初音ミクのKEIさんと、もえたんで間接的にご縁のあるPOPさんだけでした。
 この「かがり美少女イラストコンテスト」は、秋田県羽後町西馬音内本町通り商店街の夏祭り「うご夏の夢市・かがり火天国」の一環として開催される企画の一つで、西馬音内の盆踊りなどをテーマにみんなでイラストを描こう!というもののようです。昨年第1回が行われなかなか好評だったみたいですね。で、びっくりしたのは昨年ゲストに山本和枝先生がいらしたとのこと。とは言っても私はこの方がどれほどすごいカリスマなのかは、前述したように分かりません。しかし、そちらの道に詳しい生徒に聞いてみますと、もうこれはとんでもないことらしいっす。いわゆるエロゲの世界では神なんだそうで、この方の萌え絵のお世話になっている男たちがこの世にたくさんいる…ってことだな。
 で、このような方をこの祭に呼ぶことを提案したのは言いますと、今回の第2回の企画の中心になっている山内貴範さんという方のようです。この方の偉業についてはのちほどじっくり味わっていただくとして、そういう世界を純粋に評価し、東北の片田舎でこの神企画を実現させたのは、どうも元町長さんのさとう正一郎さんのようです。さとうさんには昨年夏偶然お会いしました。さとう氏はウチのカミさんのお母さんの同級生でして、昨年のみちのくメルヘンの際、同じ旧皆瀬村でクラス会やったんですね、それで私たちはプロレス観戦が終わってからお母さんを宿に迎えに行ったんです。その時、私の車を「オ〜ライ、オ〜ライ」と誘導してくれたほろ酔いのオジサンがさとうさんだったということです(どうも、お世話になりました…笑)。
 う〜ん、まあそれはいいとして、かえすがえすも恐るべし羽後町ですぞ。それで今年は第2回の「かがり美少女イラストコンテスト」が行われると。そして、そのイベントの一部としてとんでもない神企画が!!
 以下、こちらやまうち氏による実行委員会の公式ブログからコピペさせていただきます。

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◆「スティックポスターin羽後町」 発売のおしらせ

羽後町観光物産協会は、美少女イラストと羽後町の文化財をコラボレーションさせた「スティックポスター in羽後町」を6月28日(「かがり美少女イラストコンテスト」当日)より発売します。

<特長>
◆豪華作家陣による、羽後町のための描き下ろしイラストを使用しています。
◆地元のプロフェッショナルも参加し、細部まで徹底的にこだわった仕様です。
◆羽後町訪問時のお土産として、誰でも気軽にご購入いただけます。
◆観光ポスターとしても活用できる仕様になっており、町内各地で掲示を行います。

【売価】:525円(税込)
※1つの箱のなかに、2種類のポスターがランダムに封入されております。

【【【ポスターリスト】】】
1◆西馬音内盆踊り(1)     
 画:山本ケイジ
2◆西馬音内盆踊り(2)     
 画:光姫満太郎
3◆西馬音内盆踊り(3)     
 画:香月☆一
4◆雪とぴあ七曲花嫁道中   
 画:西又葵
5◆国指定重要文化財「三輪神社・須賀神社」
 画:KEI
6◆あぐりこ神社と狐の伝説
 画:桜沢いづみ
7◆国指定重要文化財「鈴木家住宅」と茅葺き民家集落
 画:江草天仁
8◆黒澤家住宅
 画:真木ちとせ
9◆旧対川荘(たいせんそう)と庭園
 画:樋上いたる
10◆石馬っこ
 画:夕凪セシナ
11◆元城のケンポナシ
 画:兎塚エイジ
12◆旧飯沢小学校を活用したグリーンツーリズム
 画:POP
13◆五輪坂
 画:奈月ここ
14◆佐藤信淵
 画:大笆知子
15◆西馬音内そば・羽後牛・羽後すいか
 画:うずまき☆ぱんだ
16◆旧羽後交通雄勝線
 画:角館秋月

ポスターが入っている箱は、羽後町在住で現在85歳の染織家・縄野三女氏の作品です。
タイトルロゴは、羽後町歴史民俗資料館館長であり篆刻家である増澤廣(土龍)氏の作品です。
解説文は町内の考古学・歴史研究の第一人者である羽後町立図書館長・秋田県考古学協会会長の鈴木俊男氏が書き下ろしました。
町長、副町長、役場の企画商工課、商工会・・・のみなさんと、「羽後町の文化財」(2003年版)をもとに意見を出し合い、題材となる16種類を選びました。
みんなで力を合わせて制作中です。

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 詳細はこちら、気合いの入った記事をごらんください。
 むむむ、正直、私にはわからんのですが、専門家の生徒たちに言わせると、これはもう信じられないアンビーリバブルなインクレディブルなテリフィックな事態、いや事件だそうです。夢のオールスターなんだとか。そう言われるとそういう気がしてきました。
 う〜ん、これはもしかして羽後町がオタクの聖地になるのか…。いや、なるでしょう。そうすると、既に舞踏の世界では密かに聖地となっていて、実際聖地巡礼の旅が行われているようですから、舞踏家とオタクで聖地の奪い合いになるとか(笑)。まるでエルサレム状態だなあ。絶対融合しないか、実は融合するか…微妙であります。しっかし、すごい組み合わせだなあ。
 ということで、これは私も参戦したい!6月28日かあ…「かがり火サウンドフェスティバル」にウチのバンドふじやまも参加しようかな。いちおうボーカルが羽後町出身だし、ギタリストはPOPさんの仕事仲間だし。あっそうそう、「羽後町観光ガイドマップ」はPOPさんデザインなんだそうです…どこまで神なんだ、ふぅ…。
 とにかく、いろんな意味で羽後町を応援していきたいと思ってます。これもご縁ですからね。とりあえず再来週から秋田を訪ねるので、いろいろと活動してこよっと。

関係記事 『をかし』の語源…『萌え=をかし論』の本質に迫る!

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2008.02.11

『日本美ナンダコリャこれくしょん』(NHK BSハイビジョン)

0211_004 面白かった。たしかに「なんだこりゃ」という作品のオンパレードでした。知ってた作品が約半数かなあ。世の中にはまだまだ知らない「トンデモ」たちがたくさんいるんですね。それだけでもうれしくなりました。
 今日は紀元節…いや建国記念の日ということで、なんとなくNHKは古来の日本という雰囲気の番組を多く放送しており、ワタクシとしては非常に楽しい一日でした。ここ数日体調も悪くて、そのおかげですっかりぐーたらモード。今日も一日NHKBS-hiをつけたままで本ばかり読んでました。「右翼と左翼」とかね(笑…明日にでも記事にしますか)。
 で、日本の絶景とか観ながら、やっぱり日本はいいなあ、落ち着いていて簡素で謙虚で繊細で…とか思っていたら、就寝前のとどめがこれですからねえ。やりますなあ、NHK!
 番組の内容は公式ホームページなどでご確認ください。『奇想天外日本にはこんな美の世界があった▽再発見されたスゴイ絵・びっくり建築・不思議な工芸』と銘打って、「過剰」の美を集めてランキングするという番組でした。
 実際登場したのは、えっと全部で21もあるのか。全部紹介するのは面倒ですね(ヒマがあったらあとで全部書き出します)。有名どころでは伊藤若冲とか金閣寺とか日光東照宮とか…と書きますとそれこそコテコテな感じですけど、実際には私の知らなかったものも多く、実に興味深い内容になっていました。
 あと、それぞれの撰者や番付編成者たちですね。スタジオには美術史家の山下裕二さん、サックスプレイヤーの坂田明さん、日活ロマンポルノの(!)美保純さん、そして司会としていとうせいこうさんと神田愛花アナ、ビデオで登場したのが、荒俣宏さん、假屋崎省吾さん、宇崎竜童さん、横尾忠則さん、武田双雲さん、藤森照信さん、う〜ん濃いなあ。おっと一番の「ナンダコリャ」を忘れてた。
Umezu そう、今日の過剰日本美「作品」の中で、私が横綱にランキングしたのは、ジャジャーン!
 「楳図かずお」
 そうです。彼自身が最高のナンダコリャ作品ですよ!彼は岸田劉生の「野童女」すなわち麗子像の一つをリコメンドしたんですけどね、それを紹介するアナタの方がずっと「ナンダコリャ!」ですよ。素晴らしい。まさに過剰の美(?)です。これを理解できず訴訟を起こしちゃう人もいるんだからなあ。野暮を理解しないなんて野暮すぎますよ。粋って野暮を否定するんじゃないんですよ。私だったら、自分の家の隣に紅白の家が建ったら喜んじゃいますけどね(笑)。
 というわけで、なんだかよく分からんことになってしまいましたが、とにかく面白かった。なんていうのかな、一つの視点として、たとえば「待庵」みたいな異常な簡素さというのも、ある意味「過剰」であるということ、これは発見でした。
 そういう「過剰さ」、すなわちそれは「演劇性」「工芸性」「わざとらしさ」なんかにつながっていくんだと思うんですよね。そこに現実以上の現実を見るといいますか、現実を超えた真理を見るというか、いやそんな高邁なものじゃなくて、ウソを楽しむといいますかね、そういうのが今世界で評価されているアニメとかマンガとかメイドとかヴィジュアル系とかにつながってるんでしょう。
 日本人はそれを「カワイイ」とか「きもカワイイ」とか言って片づけちゃいます。つまり私の言う「をかし=萌え」でどんどん処理しちゃうんですね。外国ではそれを「芸術」にまで高めてくれる。それがまた逆輸入されて、今度は「職人芸」や「もののあはれ」にまで昇華されていく。昔からそういうパターンががありますね。
 NHKさんには、ぜひこの企画をレギュラー化してもらいたいですね。「裏・美の壺」とか。まあ考えようによっては「美の壺」で紹介されてるのも、ある意味そういう「過剰さ」が生み出したものたちとも言えますね。日本って案外「中庸」がないんですね。今日読んだ「右翼と左翼」からもそんなことを感じました。面白い紀元節…いや建国記念の日でした。

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2008.01.16

名著復刻全集 近代文学館

2008011600000315yomsocithum001 芥川賞と直木賞の受賞作が決まったようですね。最近は比較的若い女性が「性と死」を描くケースが多くてですね、なんとも小説自体の逼塞感しか感じないといいますか、ああまたやってらあ的な感慨しかありません。
 私は常々小説というジャンルはとうに死んだって言ってるんです。あれらは近代化という特殊状況の中のナルシシズムが生んだ腫瘍みたいなもので、もうそれ自体の繁殖力もないし、最初は気にしていたその腫瘍の宿主も、もうすっかりその存在を忘れてしまったというか、慣れてしまったというか、これは癌になるんじゃないかとか気にすることもなくなってしまってですね、逆にいつのまにかポロッと取れちゃうんじゃないかという別の不安から、なんだか文化財として保護されているという感じじゃないですかね。
 まあそれは大変に意味のある時代もありましたよ、でも今のこの世の中ではなあ…第一商売になりません。いや、今回直木賞を獲った桜庭一樹さん(桜庭和志ファンなのか?)はいわゆるライトノベル作家さんですから、けっこうもうけてるんじゃないでしょうか。いやあ、いよいよライトノベルが直木賞獲るようになったか。いやいや、直木賞ってもともとライトノベルなのか。まあ、どう考えても芥川賞より直木賞の方が良性腫瘍だよな。
 なんて偉そうなこと言ってますが、私は全く小説というものを読みませんし、もちろん書くこともできません。よって以上の記述は無責任な自意識の発露であり、またそれを無責任に人に押しつけつつ、しかしどこかで共感を期待するという、まさに小説のパロディーとなっております(なんちゃって)。
Fukkoku さてさて、今日のおススメはそうした「できもの」がまだまだ瑞々しく新鮮で、日本人にもてはやされていた頃の状態、すなわち往年の「文学」という文化財を復元したものであります。
 ウチの怪しい和室にある父親お手製の渋い本棚に並んでおりますこれらの本は、いわゆる文学華やかなりし頃の初版本を復刻した全集であります。装丁はもちろん紙質についてもかなりこだわったもので、それなりの評価を得ているしろものです。私がまだ二十代の頃、ある生徒の家に家庭訪問に行きましたらこれが並んでましてね、冗談半分で「譲って下さい」と言ったら、ご両親が本当に格安で譲ってくれました。ほとんど全てアンカット状態、すなわち新品同様だったので、非常にありがたく頂戴いたしました。その後20年間にわたり、ウチのインテリアの中心として相変わらずペーパーナイフを入れない状態で鎮座しております(つまり読んでない)。
 これは本当に譲ってもらって正解でした。調べたら4期にわたって刊行されたこのシリーズ(新選・特選・精選・秀選)全部あるようですし(ちゃんと調べてない)、なにしろ状態がいい。まあ所詮復刻復元コピーモデルと言えばそれまでですが、オリジナルがなかなか手に入らない事情を考えれば充分に価値があるでしょう。楽器と一緒だな。
 そうだなあ、退職後にでもじっくり読もうかな。その頃にはさすがに「性と死」、すなわち「もののあはれ(不随意に対する詠嘆)」も理解できるようになっているでしょう。いや、もしかしすると、一生ナイフを入れないで終わるかもしれまんせが、その時は美術品として子孫に譲りましょう。なんだかウチはそんなようなもんばっかだな。

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2008.01.14

『誰も見たことのないときめきの富士』 ロッキー田中 (飛鳥新社)

41shvnwrgkl_aa240_ 今年も年賀状をたくさんいただきました。その中の何枚かは「郵便番号 富士山 氏名」だけでウチに届いています。ちょっとカッコいいでしょ。住所「富士山」だけです。別に自分が偉いわけじゃないんですが、なんとなく自慢したくてなってしまいます。
 そんなわけで、私は小さい頃からの夢を叶えて富士山の上に家を建ててしまったわけですが、「灯台下暗し」というやつで、10年も富士山に抱かれて生活していますと、その姿を見るのを忘れる日さえあるんですね。まあ、皆さんも地球の上に住んでいて地球を意識しないでしょうけど。
 それでも通勤途中とか、仕事の途中とか、あるいは東京に遊びに行った時とか、ふと美しい富士山に目が留まる時があります。特に遠くから富士山を見た時、それからこれは今日も朝あったんですけど、テレビで映るじゃないですか、ニュースの途中とかに生中継で…そういう時、子どもと「あっ富士山だ。この辺に住んでるんだよ」って指さして、ついでになんだか知らんけど手を振ったりする。映らないって(笑)。変な話ですよね。
 で、どういうわけだか、いわゆる富士山の写真集って今まであんまり好きじゃなかったんですよ。何て言いますかね、ものすごくずうずうしい比喩を使いますとね、ハウスメーカーのCMみたいな感じ。あるいは車のCMかな。あまりに自分が知っている現実と違って美しすぎる。作られた感じがする。写真だからある意味真実のはずなんですけどね。その時間と空間の切り取り方が図ったものだからでしょうか。いや、写真は時間を重層させることのできるメディアなんですよね。切り取るどころか重ねていくことが出来る。そうして「作られた」写真が多すぎるからでしょうか。
 しかし、例えば北斎や広重の富士は大好きだったりする。これって何なんだろうってずっと思ってきたんですよ。見合い写真に照れてるのかなあ…とか。あるいは自分には富士山のいい写真が撮れない…それは機材の違いもありますが、おもに根性の問題でしょうね…というコンプレックスからなのか。
 ところが最近になって純粋にいいなあと思えるようにもなってきたんです。コテコテの絵はがきみたいなのも悪くないなと。単純に富士山のあの神懸かり的な造形を楽しめばいいんじゃないかと。これもまたとっても良くないたとえですけど、絵だと思えばいいのではと。もっと言ってしまうと、写真の場合は塗り絵なのではないかと。
 つい先日発売されたこのロッキー田中さんの写真集も見事な塗り絵です。これはけなしてるんじゃありませんよ。本当に感心してるんです。ものすごくきれいです。実際の生活の中の富士山はこんなにきれいじゃありません。そう、素顔で普段着の富士山は美しいというよりこわい。恐ろしいんです。つまり、こういう写真って、女性が化粧をしてきれいに着飾ってるんですね。それはそれで写真集としては大いに意味があるわけですね。
 ぜひこちらロッキー田中さんの公式ページでその一部をご堪能ください。モデルさんみたいな富士山に正直「萌え〜」ですよ。私も富士山のあの逆三角形を使って塗り絵してみようかな。
 
Amazon 誰も見たことのないときめきの富士

楽天ブックス 誰も見たことのないときめきの富士

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2007.12.13

『スギッチブック』 (R2 ASSOCIATES)

スギッチだよ、全員集合 公式キャラ全113体(1000部限定)
Sugicchibook 今日帰宅するとこんな本が…。なんでもカミさんの自分へのクリスマスプレゼントなんだそうな。まあ安上がりでよろしい。
 以前、こちらに秋田のキャラ文化について書きました。あのあと、ウチではたいへんなスギッチブームがやってきまして、今いったいどのくらいあるんだろう、スギッチグッズ。少なくとも山梨県では一番たくさん持ってるでしょう。Tシャツをカミさんの妹から送ってもらったり、教え子が国体に行ったんでいろいろゴミみたいなものも含めて持ってきてもらったり。ポケモングッズなみにあるかも。
Fujikun3 ちなみに山梨県は杉の花粉症に悩む人が日本で一番多いそうでして、そういう意味では「杉」のキャラには怨みを抱きこそすれ、萌えはしないだろうなあ。ついでに言っておくと、山梨の国体キャラは当然「富士山」の「ふじくん」でした。でも、全然可愛くなかった。今ではちょっとりりしくなって山梨県警のキャラに格上げ(格下げ?)されてます。
 花粉症を克服したワタクシから見ますと、たしかにスギッチはカワイイ。いいデザインです。さすが「ゆるキャラ日本一決定戦」で優勝しただけのことはある(ニコ動→スギッチ~日本一への軌跡~)。このたび晴れて秋田県のキャラに格上げされるということで、これは非常にめでたいことであります。国体のキャラがそのまま県のキャラになったという前例はあるんでしょうかね。
 スギッチの優れている点は、やはりムダがないということでしょう。非常にシンプルなデザインです。その中で上手にそれぞれのスポーツの特徴を表現している。また、基本、目と口だけで表情を作り出している。このあたり、記号化ということで言えばたしかにかなり高いレベルと言えましょう。デザイナーさんの才能がうかがえます。だいたいこの手のキャラはデザイン的にやりスギッチになりがちなんですよね。いろいろその県の名物や大会のコンセプトを詰め込みすぎちゃう。そのへんスギッチは「若杉」だけで勝負しましたから…てか、秋田には名物もコンセプトもない…とも言えるか(笑)。まあ秋田の控え目な県民性が表れてるのかもね。
 この本、いちおう隅々まで見ましたけど、「目」がポイントなのかなって思いました。うるうる目。ある意味古典的なコテコテパーツではありますが、それを堂々と使ったのが功を奏したのかも。寄り目萌えのところにも書いた通り、人間(動物)にとって「目」の記号性というのは非常に重要であります。
Sugi1 その点ちょっと面白いなと思ったのは、時々スギッチの目が変わることです。片目をつぶったりするのはまあよくあるパターンとしても、一部の格闘技のキャラで使われている「にらみ」は興味深い。たとえば、この写真の左側は空手ですね。右は柔剣道。ほかに柔道やレスリングもこんな感じ。なぜか、なぎなたや剣道や相撲は普通のうるうる目です。このへんの「格闘技」か「武道」か、はたまた「伝統芸能」か「神事」かの境目は微妙です(笑)。柔剣道は「口」にも注目です。柔剣道のみで採用されているこの口。にらみ目と相まってかなりの「わるキャラ」を演出していますね。
Sugi2 そんな中でも笑えるのがデモンストレーション競技の「武術太極拳」ですねえ。これはもう完全に「体育」の領域をはみ出ています。スギッチもすでに瞑想に入ってる。これは最強でしょう。目もいいけど、口がなあ。最高だなあ。気を吐き出してるのか吸い込んでるのか。体の部分を見なければ、これは単に眠るスギッチだな。というか、このデモンストレーション自体を観てみたかったような。
Sugi3 さて、長くなってしまいますが、目と言えばまつげのあるスギッチが唯一これ。かわいいですよね。萌えです。いったい何の競技なんだろう、女子バスケか?それならウチの生徒たちはこれってことか?なんて思って調べてみましたら、どうも普通のバスケットボールは普通のまつげなしバージョンとして存在する…では、これはいったい…この「萌え」を催すカワイイキャラの元になった女の子たちとはいったい…ガ〜ン!!わかりました。これはなんと「ママさんバスケットボール」でした!うわっ、人妻に萌えてしまった(笑)。 
 とまあ、いろいろと楽しませていただきました。たしかにじっと見ていると愛着がわいてきますね。スギッチ自身が秋田の新名物になることを祈ります(ついでに「のしろっち」も全国デビューしてほしい)。

購入方法など

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2007.11.30

なんちゃって「仕上げ」担当

Keroro07 いやあ、いい勉強になりました。業界の方は大変ですね。やってみてわかる。
 突然ある人からお願いされまして、ポスターを作ることになりました。村の子どもたちのマーチングバンドがありましてね、そのクリスマスコンサートがあるんだそうです。
 で、うちにその原画が届きました。それはそれは素晴らしい原画であります!ケロロであります!そう、ウチの近所に住むホンモノの原画監督さんがサササって描いてくれた原画なのであります!
 もう彼女プロ中のプロですからね。今やアニメ界では有名な監督さんです。本物のケロロにも実際に関わっておりました。今ではあの作品でもあの作品でも原画監督としてクレジットされてます。
 それだけでウチでは大興奮です。おいおい、原画監督さんからじきじきにお願いされちゃったぞ!とか言ってね。ウチは単純ですから。わ〜い仕上げ屋さんだあ!子どもたちもホンモノのケロロだ!と言って大喜びです。
 さて、実際に仕上げ(彩色)をするのはワタクシの仕事です。とは言ってもウチのMacにはPhotoshopしか入っていません。IllustratorはOS9用しかないんです。ですから、今回の作業は全てPhotoshopで行いました。まあ、シロウトにはそれで充分ですけどね。で、いざ作業スタート!
 まずはスキャンです。まずはbrotherの複合機が活躍。きれいにスキャンできたんですが、ここでまず問題が。そう、原画監督さんの原画、まさにサササって感じなのです。鉛筆で一気に描きあげてある。これだと彩色する際に範囲の指定などに支障がありそう。
 というわけで、ウチのアシスタント(セコンド)がトレースをすることになりました。彼女、まかせとけ!と一言。20分でやってくれと指示しましたが、結局小一時間かかってしまいました。で、出来上がったトレースを見てみると、うん確かに線がきれいになっている。よし早速スキャンだ。
 スキャンもうまく行き、それを拡大表示して細部のチェックをしていると…ん?なんか変だぞ。なんかキャラクターのキャラクターが違うぞ。邪悪なケロロとクルルとか…。そう、トレースの際、微妙に細部の形が変わってしまっているのです。おいおいこれでは中国かどこかのまがい物ではないか!(笑)いやあ、不思議ですね。ちょっとバランスが崩れただけで(ほとんど1ミリ単位)これほど全体のイメージが変わってしまうとは。そう考えるとサササって描かれたプロの絵はホントにうまい!
 アシスタントにダメ出し(早速解雇)し、しょうがないので、Cocoaportraceというフリーのトレースソフトを使ってトレースし直しです。3秒ほどでキレイなトレースが完成しました。ああ、こうやって現場でも人間の仕事は奪われていくんだろうな。
 さていよいよ彩色です。監督さんからは色指定などはなく「全部おまかせ」と言われていますから大変です。時間もないので出来る限り陰影などは省略してシンプルに行きました。それでも時間がかかるかかる。肩が凝る、目が痛くなる。うまく行かなくてイライラする。ほんと大変ですねえ。これを毎日何枚もやってたら気が狂いますよ。好きじゃないとできない、好きなだけでもできないって監督さんもおっしゃってましたが、ホントですね。
 適当に文字など入れたりして、のべ何時間かかりましたかね。なんとかしめきりに間に合いました。めでたしめでたし。こうして真似ごとであっても実際やってみますとね、ホントいろいろ勉強になります。ソフトの使い方なんかも、ふだんはなかなか勉強しないものですが、こうして半強制的な実習によってほとんどマスターできるんですよね。ちょうど年賀状のデザインのシーズンですからラッキーでした。
 というわけで、まあ私のなんちゃってポスターはいいとして、子どもたちの演奏をぜひ聴きに行ってやってくださいませ。ふぅ、疲れたけど楽しかった。

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2007.10.21

『北斎と広重 ふたりの冨嶽三十六景』 (山梨県立博物館)

8733hh 今日は数ヶ月ぶりの何もない日曜日。笛吹市御坂の山梨県立博物館に行きまして、富士山をたくさん観てきました。
 途中すっかり秋めいた河口湖畔を走りながらふと目をやると、ホンモノの富士山もいつのまにか雪化粧していてびっくり。富士山に住んでいながら、富士山を見ない日が案外多いんですよ。こういうのも灯台下暗しって言うんでしょうか。近すぎると見えなくなるというコトやモノ、本当にたくさんありますね。
 さてさて、私にとってはそれほどに身近な存在である富士山、いよいよ世界文化遺産になりそうな雰囲気ですね。自然遺産ではないところが、なんとも哀しいところですが、考えようによって「自然」より「文化」の方が人間臭くていいかもしれません。私の富士山への興味も、どちらかというと「自然」より「文化」に偏っていますし。
 さて、そんな文化遺産への気運の高まりの中で、県立博物館が企画した特別展が「北斎と広重 ふたりの冨嶽三十六景」であります。両者の富士山はそれぞれ何度も観てきましたが、こうして並べて観る機会というのは案外少ない。これは面白そうだと出かけたわけです。年間パスポート持ってるし。
 結論から申しますと、予想通りたいへん面白かった。二人の天才の名作を一挙に観ることができたと同時に、それこそ富士山の文化的価値、江戸の人々にとっての富士山というものを改めて考える機会にもなりました。そして、なんといっても、二人の違いが鮮明に分かったのが楽しかった。これは予想を上回る体験でしたね。
 私、絵画や写真を観る時、必ずやることがあるんです。そう、これです。独眼流立体視。写真については単に楽しむためにやるんですが、絵画の場合はそれによって、作者の空間認知がどの程度正確か、あるいは作者が正確さを期していたか、空間の写実性にどれほど価値を置いていたかを知ることができるんです。
 画家の方って実景を片目で見ながら写生しますよね。私もちょっと絵をたしなんでいたんで分かるんですけど、あれって3次元の2次元化には非常に有効ですよね。理屈の上からも分かると思います。で、その作業の逆をやるんです。2次元の3次元化。これは意外に皆さんやらない。美術館に行っても、片目で観ている人はほんの少ししかいません。
 で、そういう変なことをしますとね、北斎と広重、実に対照的だということが分かるんです。つまり空間の認知の違い、いや空間の表現の違いが際立つんです。さっそくやってみましょうか。わかりやすいところで、まず北斎から。
Hokusai066 別に片目で観なくとも彼の空間表現が歪んでいることは明白ですね。実は今日観た全ての北斎がこうだったんです。両目だと一見不自然でない絵も、片目で観ますとね、こちらの脳が混乱を引き起こすんです。本当か?と思われる方は、北斎でイメージ検索して片っ端からやってみてください。かなりおかしなことになってますよ。これはたぶん北斎の意図によるものだと思います。彼の空間認知がおかしかったのではなくて。
 そうした空間の写実性を重んじない傾向は日本絵画の一つの特徴であり、別に彼だけが変だとか、ましてや下手だとか言うべきものでないことは当たり前です。しかし、時代性ということを考えますと、ちょっと異質なような気もしますし、それがまた大変にポピュラーな存在になったというのも、興味があるところですね。
18 一方の広重は、北斎とは本当に対照的でした。ほぼ全て完璧です。脳は全く混乱を起こしません。これも彼の意図だと思われます。今回の企画展でも紹介されていましたけれど、広重が北斎の構図を「恣意的に過ぎる」というような言い方で非難しているのは有名な話です。ある意味アンチ北斎から、あのような正確な空間表現が生まれたのだとも言えそうです。もちろん西洋画の影響、具体的には秋田蘭画の影響でしょうかね、そういうものを指摘することもできるのですが、なんかムキになってるような気さえする正確さです。
 しかし、これは単純に遠近法とかリアリズムとかいうくくりで考えるべきものではありません。広重でさえ、様々なデフォルメや強調を行なっているのは言うまでもありません。
 私が今回感じたのは、彼らは二人ともそれぞれのやり方で3次元の2次元化という絶対的な矛盾を克服したのだということです。すなわち、矛盾を自由ととらえて感性で勝負した北斎と、矛盾に対して理論的に挑戦した広重ということですね。
 いや、本当は私、そんな難しいこと考えてたんじゃありません。広重って私みたいに片目で自分の作品を観て、空間チェックしてたんじゃないかなあ…。あるいは片目で観ることを前提に作ったとか。そう考えると、広重は江戸のステレオ写真だと言った赤瀬川原平さんは、やっぱり鋭いなあ。たしかに、近景にドカンと何かを配する構図は完全にステレオ写真のセンスですね。つまり、広重の絵の面白さは、片目で体験するまさに「独眼流立体視」の面白さであったのかもしれません。
 ほかにもいろいろと書きたいことはありますが(縄文の大豆の話とか…)、今日はここまで。
 とにかく私が今日書いたことに興味を持たれた方は、山梨県立博物館に行きましょう。来月の18日までこの企画展やってます。

山梨県立博物館

Amazon 江戸切絵図・富士見十三州輿地全図で辿る北斎・広重の冨岳三十六景筆くらべ

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2007.08.23

Casa BRUTUS 2007年 09月号『日本建築、デザインの基礎知識2』

4910125410973_2 08月号のル・コルビュジエの特集とともに、建築関係を目指す生徒から拝借して読んでみました。
 私は、4月発売の特別編集「日本建築、デザインの基礎知識」の方は読んでないんですけど、あちらは京都の建築を中心にした内容だったようなので、やっぱりこちらの方がマニアック度が高くて面白そうですね。日本全国の歴史的な建築に目を向けていますので。
 いろいろと楽しい発見がたくさんあったのですが、なんといっても「会津さざえ堂」のインパクトが大きかった。恥ずかしながら私、このトンデモない建築の存在を知らなかったんです。今まで何してたんだろ。これは早速行かねば。
 こいつはすごい建築ですなあ。二重螺旋構造ですか。DNAにして「こより」だとか。う〜む、深くて浅い。重くて軽い。お見事。本来の三十三の札所めぐりをここまでコンパクトにしてしまうのが、実に日本的。そういうミニチュア化、箱庭化、ある意味ひな型化というのは、日本文化の特徴であります。この雑誌にもありましたが、東大寺大仏殿のように巨大化するのと、こんなふうに微小化するのが実は同じ発想に基づいてるんですよ。物理的なスケールとは無縁の世界観です。ただ、そこに「ニセモノ」としての実在感があればよい。あくまでフィクションとしての演劇性といいますか、「物語性」といいますか、そういう非現実的リアリズム(?)によって、ある種の安心を得るんですね。そこが、西洋との大きな違いだと、いつも思ってます。
 マクロもミクロもないんですよねえ。ああ、そういえば、土木工学科に行った教え子が言ってました。学生が二手に分かれるって。なんか、土壌の中の微生物とかに萌えるヤツと、ダムみたいな巨大構造物に萌えるヤツと。おもしろいっすね。
 さて、中ほどと後半には「茶の湯」の世界も特集されています。これがまた面白かった。「へうげもの」の山田芳裕さんと、武者小路千家若宗匠千宗屋さんの茶会対談。これは、古田織部と千利休とのヴァーチャル対決という意味合いもこめられているようです。いまだ踏み込んではいませんが、最近茶道の世界に惹かれまくっているワタクシとしては、このお二人とあのお二人が繰り広げる、穏やかな中にバチバチと火花を散らしまくる対決に「萌え」ました。
 このCasa BRUTUS自体、いかにもジャパニーズ・デザインという感じのこ洒落た雑誌ですよね。構成も意匠もユニークですし、まあ私は読みませんが、バイリンガル・イシューとして英語訳が載っているところなんかも、いい雰囲気を出してます。もちろん、外国人にとっての実用性もありますし。

Amazon Casa BRUTUS 2007年 09月号

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2007.06.23

縄文の美とエネルギー

縄文王国山梨展−南アルプス市鋳物師屋遺跡の縄文土器−
(山梨県立博物館)
Img_imojiya1up 今日は面白い日でした。遡ってみましょう。
 今は美空ひばりの番組で感動してます。あらゆるジャンルをこなしたひばりさんですが、こうして聴いていますと、やっぱり昭和の音階である四七抜きの女王ですね。娘たちが送ったFAX、しっかり貼られて映ってました(笑)。
 その前は、日本の音階から最も遠いところにいたもう一人の女王、松田聖子をたっぷり聴きました。彼女の唄う楽曲はほとんどが全音階的長音階でした。対照的な二人とも言えますね。
 夕方は抹茶をいただきました。いいものですねえ。(昨日の記事ではありませんが)私が借金して蒐集したお宝の楽茶碗でいただこうという計画だったんですけど、いざとなるとなんとなく恐くなっちゃいまして、結局普通のお茶碗でいただきました。
 さて、それでその前はと言いますと、御坂の山梨県立博物館に行ってまいりました。シンボル展の「縄文の美とエネルギー」を観るためです。
 ちょうど今日午後1時半から学芸課長の中山誠二さんのレクチャーがあるということでしたので、それに合わせて行きましたら、全然お客さんがいなくて、結局ほとんどの時間中山さんを独占できるという幸運?に恵まれました。いろいろとお話をしまして、勉強になること多々。ありがとうございました。ま、どちらかというと私の得意分野ですので、かなりマニアックな会話になっていたのではないでしょうか(笑)。
 展示されていた土器や土偶は、アルプス市の鋳物師屋(いもじや)遺跡から出土した重要文化財で、数としてはそれほどではありませんでしたけれど、内容は実に充実していましたね。縄文中期、このあたりは大変な温暖化でして、今より5度くらい気温が高かったらしい。その頃の縄文人の豊かな生活、豊かな感性を彷彿とさせる、創造力に富んだ土器たち。立体的な造形が醸す陰影は、一つの鮮やかな色彩表現になっていましたね。そこから伝わってくるものは、「美しさ」というよりも「楽しさ」という気がしました。豊かな生活からは「楽しさ」がにじみ出るんだなあ。余裕は遊びを、想像を生む。
 中山さんのお話によりますと、土器に描かれている人物像や幾何学文様には物語的意味があるらしい。縄文人たちは、想像力をもってして神すなわち自然と交流していたんだなあ、きっと。それが楽しくてしかたなかったのでしょう。まさに「エンターテインメント…結びつける力」の原点です。昨日の柳宗悦の言葉からも想像されますね。「物」が私たちと何かを結ぶ力を持っているということ。
 先ほど登場した我が家のお宝…巨人出口王仁三郎の作なんですが…にも、間違いなく縄文スピリットが息づいています。彼が縄文的伏流の噴出であることは多くの人が指摘していところですね。縁あってウチでお預かりしている彼の耀わんは、まさに縄文的色彩に満ちています。深く豊かな森と海という感じです。
 お茶自体はどちらかというと弥生系の文化ですが、茶道の世界には縄文的な遊びの精神が生きているような気がしますね。茶碗の中に宇宙があるとよく言いますけど、それはすなわち茶が人と人、あるいは人とものを結ぶという意味でしょうね。結び=産(ムスビ)。生命力がすなわち宇宙の存在そのものですから。
 昭和の二人の歌姫も、縄文的と言えるかもしれませんね。シャーマン的な存在です。彼女たちの持つエンターテインメント力、呪術性、言霊力、そして母性…。この前の松田聖子のコンサートでもそれを感じましたし、今テレビに映っている美空ひばり…東京ドームで奇跡的な「みだれ髪」を歌うひばりにもそれを感じるのでした。
 というところで、「今」に戻ってきました。私の想像力の旅もこのへんで終わりにしますね。

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2007.06.22

『蒐集物語』 柳宗悦

Yanagi 人間の収集癖といいますか、蒐集本能というのは、実に面白い。面白いけれども困ったものでもあります。Yahoo!オークションなんかに大量の老若男女が集まっている様子は、そういう面白さと困ったちゃん具合をネットというテクノロジーが後押ししている現場の状況とも言えるでしょう。
 私はネットオークションはやらないんです、ほとんど。見て楽しみますがね。今夜もある出物があって、その動向を注視していました。結果、そこそこの落札価格に落ち着いたんですが、おそらく本当にほしい人は逃しましたね。で、そうではなくて、そういう人たちの蒐集本能を利用して商売しようとする、別にそれが悪いわけではありませんが、いわゆる商売人が落札したようです。そういう雰囲気が感じられる現場の空気でした。
 そう考えると面白いですね。散財してまで「もの」をほしがる人と、金もうけのために「もの」を転がす人。両者にとって、それは「もの(物)」ではあるのですが、そこに働いている心理は、「コト」化であります。自分の守備範囲外にある「モノ」をゲットして所有してコントロールするのが、私の言う「コト」化です。
 占いやスポーツやギャンブルに人々が熱狂するのも、不随意の「モノ」と随意の「コト」がバランスよく配合されているからなんですが、コレクションやそれに伴うオークションというのも、そういう面白さを持っているわけです。ま、考えてみれば、市場経済なんて全部オークションですからねえ、つまり、私たちはそういう世界に生きているわけですね。だから生活に喜怒哀楽があって、人生に飽きないのでしょう。「商いは飽きない」とは単なるシャレではないのでした。
 さてさて、そんなコレクションという「愚行」に関する実に面白いエッセイを読みました。演習の授業で青山学院大学の過去問を解いたんですが、それが私の大好きな、民芸の父、柳宗悦の文章でした。「蒐集物語」の一部のようでした。
Syuusyuu_2 右の画像をクリックして読んでいただきたい。問題文のコピーなので、空欄や傍線や漢字の問題なんかがそのままなんですが。文章のリズムが実に素晴らしい。そして、内容も面白いですね。誰しも救われた気がすることでしょう。ああ「愚行」にこそ価値があるんだ、と勇気づけられることでしょう。なるほど、コレクションという愚行が文化の命脈を守ってきたということですか。たしかに。そう考えると、愚行ととれるこうした蒐集本能は、情報保存伝承のためのプログラムであるとも言えますよね。だからバカにしちゃいけない…って完全に自己弁護してます、ワタクシ。メチャクチャ借金して変なモノ集めてますから(汗)。
Sakucolle 最後に最近のウチのカミさんの蒐集癖の成果をご覧にいれましょう。いつのまにか、子どものおもちゃ類の戸棚が、○○グッズに占領されてました…orz。ヒマな方はクリックして見てみてください。何のコレクションか分かった方は、なかなかのマニアですね(笑)…てか、分かるか。ま、これも文化の伝承のためでありまして。でも、どうも女性のこの本能は長続きしないんだよなあ…(汗)。

Yahoo!オークション

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2007.05.23

『奇想の系譜』 辻惟雄 (ちくま学芸文庫)

Kisounokeifu こちら『こんなに楽しい江戸の浮世絵』の記事で軽く登場願った辻先生ですが、実は本当にとんでもなく偉大な方なんですよね。今日は辻さんの歴史的名著を再読いたしました。
 す、すごい。すごすぎる。なんだかカッコいいぞ、辻先生。昨日の流れで行くと、辻さんはオタクじゃないなあ。でも、学者としてくくってしまうのもなんだか。
 全体を見渡した上で、埋もれたものを発掘するというのは、かなり難しい作業です。オタクや学者のような微視から入るやり方ではムリですね。ですから、どちらかというと表現者に近いかもしれない。芸術家たちが言うじゃないですか。もともとあるものをつかまえるだけだって。
 とにかくこの本はあらゆる意味でバイブルです。初版が出てからもう30年以上経っているんですよ。しかし、まった色褪せないどころか、近年ますます輝きを増しています。いったいどれほどの研究者やアーティスト、鑑賞者たちに影響を与えてきたのでしょう。
 ここで採り上げられている画家は、岩佐又兵衛、狩野山雪、伊藤若冲、曽我蕭白、長沢蘆雪、歌川国芳などです。この本が発表された時、いったいどれほどの人が彼らを知っていたでしょうか。彼らの絵を観たことがあったでしょうか。
 今となっては、岩佐又兵衛や伊藤若冲はもちろん、他の人たちもある意味日本美術史上の人気者になっています。辻さんのこの本がなければ、こういうことにはならなかったかもしれない。少なくとも数十年、彼らは埋もれたままだったでしょう。そうすると、今アートの世界やサブカルチャーの世界で活躍する、あの人もあの人も、あの作品も生まれなかったかもしれない。ちょっとゾッとしますね。それほど辻さんは画期的なことをしたわけです。
 そして、その名著が3年ほど前に文庫になって手に入れやすくなったわけです。以前は手に入れたくとも高くて手が出ませんでしたからね。私も大学の図書館でむさぼるように読んだものでした。
 パンクなもの、カルトなもの、エキセントリックなもの、エログロやナンセンスは、「異端」として片づけてしまうのが一番簡単です。そうしてこちらも納得させられれば、それなりに安心というものです。場合によっては貶め無視していればいい。しかし、それを巨視的な立場から正統(のすぐ隣)に引き戻し、一般にもそれを納得させるというのは、これは並大抵のことではない。もちろんそれなりの学術的な裏付けが提示されなければならない。私のような、単なるお変人が奇を衒って妙なことを言っているのとは、ちと、いやかなり違いますね。ああ、恥ずかしい…。
 このたび久々にこの名著を読み直してみたんですが、そうですねえ、インパクトはやっぱり若冲かなあ。でも、やっぱり若冲自身には「オタク」を感じちゃうんですよね。ああそう言えばこの記事にもそんなこと書いてたな。非常に微視的。局所的。しかし、昨日も書いたように、オタクは最終的に悟りますので。実際、若冲はオタクしながら仏門を志していたわけですし。こういうアプローチの仕方もある。
 で、現代のオタクたちの作品というか、オタクたちが鑑賞している作品も、又兵衛や若冲が数百年後に辻さんに発掘されたように、天才的な研究家によって再発掘されるんでしょうね。そして、ようやく正統の座を獲得するのかもしれません。きっとそうだ。そうして文化の系譜はつながっていくんでしょうね。
 そう考えると、この本で採り上げられている人たちや、現代のカルトなサブカルチャーは、やっぱり前を走りすぎてるのかなあ。数百年も先を。凡人が理解するのに数百年かかるということでしょうか。そう言えばバッハもそんな感じだったなあ。彼もオタクですから。
 そう、微視を極めていくタイプって、結局巨視タイプの誰かの助けを必要とするんですね。時代を超えた両翼によるコラボレーションによって、ようやくその価値が完成するのかもしれません。うん、文化ってそういうものなのかもしれませんね。決して個人だけでは成立しない。そう考えると、オタクも自立を企てちゃいけないってことですね。もっと孤立しなくちゃ(笑)。
 というわけで、またとんでもない方向に行っちゃいましたけど、とにかくこの歴史的な名著は一家に一冊あってもよいかと思います。図版多数。ただしモノクロなので、いやモノクロだからこそ、ホンモノを観たくなりますよ。私も何年かかけて、実物に会っていこうと思っています。

Amazon 奇想の系譜

楽天ブックス 奇想の系譜

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2007.05.19

ラーメンズ 第16回公演 『TEXT』(NHK ミッドナイトステージ館)

Cul070110 今日の未明に放映されたものの録画を観ました。うむうむ、感心感心。あいかわらずすごい芸だ。
 ラーメンズ、以前第11回公演を紹介しましたね。今回も基本的にあの記事に書いたことと同じ感想を持ちました。完全に芝居ですな。数分間でたった一本のネタを披露するテレビのお笑い番組に、彼らが出ないのも理解できます。2時間近い公演の中に、見事に張り巡らされた伏線の数々。一言も聞き逃さず、大切に記憶しておいて、いつでもそれを引き出せるようにしておかないと、彼らを充分に楽しむことはできません。
 今回は「TEXT」とありますように、今まで以上に「言葉」「文脈」を駆使した脚本であったと思います。日本語の持つ多義性、曖昧さを笑いや驚きに利用していく小林賢太郎さんのセンスには、正直脱帽いたします。2年ぶりの舞台ということですが、たしかにこれだけ緻密なホンを書くには、そして、それを全く傷なく演じるには、それなりの時間がかかるでしょうね。
 昨日も敬語について書きましたけれど、今日のラーメンズのネタの中にも敬語がありましたね。敬語の使い過ぎという、まあありがちなネタですが、やはりその前後の文脈が、そのおかしさを一層強いものにしていました。
 いろいろな意味で「知的」と言えますね。それこそが「お笑い」の枠におさまりきらない理由でもあり、またある意味お客さんを選ぶ理由でもあるわけですが、私など、たまにこうして2時間じっくり知的に集中することに快感すらおぼえます。ま、これが毎日では疲れちゃいますけど。
 知的であるということは、先ほど書いた「記憶」という要素と、もう一つ「予測」という要素があるんですね。記憶に基づいて予測する。その予測通りになる場合もあるし、裏切られる場合もある。そうして聞き手が作品に参加することによって、彼らの芸は完成するのではないでしょうか。そういう意味では、ラーメンズと私たちの知的なバトルが2時間繰り広げられるわけですね。そういう緊張感こそ、彼らの魅力でしょう。
 アドリブが大好きな私が彼らを好むのは、ちょっとした矛盾でもありますが、ここまで見事に構築されると、もう兜を脱ぐしかない。そう、彼らはやはり、美術家なんだと思います。絵画というのは、基本アドリブ性を拒否するものです。ひらめきや瞬間の衝動はもちろん大切ですが、それを表現する技法としては「構築」「計算」「俯瞰」を重視します。キャンバス一面が2時間の公演の全体像としますと、その部分部分はそれぞれに有機的に結びついているわけでして、そのためにその部分部分は綿密に添削、校正されざるをえない。
 この前紹介した鳥肌実とは対極に位置するのかもしれません。鳥肌は「イメージはあれども意味なし」ですが、ラーメンズは「イメージはぼんやりしているけれども突如意味が浮上する」という感じです。部分で勝負する鳥肌に対して、全体で勝負するラーメンズ。しかし両者とも、アドリブが苦手でしっかりホンを作る、というのは面白い事実ですね。いやはや、芸も言葉も難しいし面白い。
 生ラーメンズもぜひ体験してみたいですね。場の空気に包まれながらの知的バトルに参戦したいものです。

ラーメンズ公式

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