カテゴリー「美術」の270件の記事

2024.03.23

追悼 寺田農さん

2024032300000050dal0006view 好きな俳優、寺田農さんが亡くなりました。非常に残念です。

 彼の出演作は基本全て好きです。それは本当に単純に彼のことが大好きだからです。

 文芸作品からアダルト・ビデオまで。どれも彼が出演すると深みと渋みが増します。主役を張ることは多くありませんが、その絶妙な存在感は主役以上。作品の質を大きく上げていたと思います。

 彼に底流するのは前衛芸術です。

20240325-95702_20240325095701 そう、農さんのお父様は寺田政明。池袋モンパルナスの重要画家です。油絵が専門ですが、私は彼の装幀、挿絵が好きです。尾崎士郎、司馬遼太郎、檀一雄、野坂昭如らの本に華を添える存在でした。

 池袋モンパルナスと言えば、岡本一平、熊谷守一、小熊秀雄、桂川寛、そして山梨は西桂出身のウルトラマンシリーズ怪獣造型で名を馳せた高山良策…。

 その系譜は戦後、安部公房、勅使河原宏ら戦後前衛芸術の流れつながってゆきます。それはATG映画の世界にもつながっていくわけで、農さんにも大きな影響を与えたことでしょう。

 そうした文化的なベースがあってこその彼の演技、存在感であったことは忘れてはなりません。

 また、自らAVを監督するなど、常識や枠組みにとらわれない自由なチャレンジ精神の源泉も、実は太く力強い日本文化の伝統の上に成り立っていたのでした。

 御冥福をお祈りしつつ、あらためて農さんの作品、そして政明さんの作品を鑑賞してみたいと思います。

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2024.02.15

涅槃図のナゾに迫る!(村松哲文)

Unnamed 文人が文字を持たない選択をした話を昨日書きました。

 そこにもつながる話になりましょうか、今日はお釈迦様の入滅の日「涅槃会」の日となります。

 実は今朝、母が入滅してしまうかと思ったのですが復活しました。今日がごく私的な涅槃会になるところでした。いや、復活したからキリストか。イースターも近いし(笑)。とりあえず一安心です。

 で、文字を持たないという意味では、言葉自体の危険性を諭し、その教えを文字では残さない選択をしたお釈迦様のことも思い出されますね。それについては、明日あたり書こうかと思っています。

 今日は涅槃会にちなんで「涅槃図」の意味について学んでみたいと思います。まあこうして「絵」で表現することも、ある意味文字(言語)表現ではないということの象徴でしょう。

 今回は専門家、駒沢大学の村松哲文先生の解説を聴いてみましょうか。

 

 

 ちなみに悲しむ動物の中に猫がいないのは、麻耶夫人が天界から投げたにもかかわらず木に引っかかってしまった薬袋を、ネズミが取りに行こうと木を登り始めたところ、猫がそのネズミを食べてしまったからだという説があります。それが十二支に猫がいない理由にもなっているのですが、猫が好きな私はその説は取りません!w

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2024.01.29

モノクロ現像を楽しむ

Img_4568-3_20240130110502 〜と、私ナイショでやってることがいくつありまして、それらは全くの非公開、自分だけの楽しみというやつです。

 その一つが「モノクロ現像」。iPhoneでテキトーに撮ったスナップ写真がどんどん溜まっていく中で、時々それらを素材として「モノクロ現像」して「作品」を仕上げています。

 もともと少年時代から天体写真を撮っていた関係もあって、白黒フィルム「トライ-X」とのつきあいが結構あったんですよね。で、このデジタル時代になっても、なんとなくあの「光と影」の世界が好きなんです。

 そして、本当にどうでもいいスナップ写真が溜まって現代、なんとなく虚しさを感じているのか、ふと白黒(モノクロ)写真を撮ってみたい衝動にかられるのです。

 しかし、今は逆にフィルム・カメラやモノクロ専用デジタル・カメラのハードルが上りすぎてしまい、なかなか撮影はできない。そこでデジタル「現像」でその欲求を満たしているというわけです。

 とはいえ、完全に秘密でやってきたので、ここに作品は1枚しか出しません。スミマセン。もう少し腕が上がったらXとかに上げようかと思っていますが、なにしろなんちゃってなので恥ずかしいのです。それなりの雰囲気だけはすぐ出せちゃうからこそ小っ恥ずかしい。

 しかし、人に見せなくともその現像の作業自体は非常に楽しく、なんちゃってとはいえ、かなりアーティスティックなセンスを使うものなので、皆さんにもぜひ体験していただきたいと思います。

 基本、iPhone用のLightroom無料版でそれなりにできますが(上の1枚はiPhoneだけで作成)、やはりパソコン上で細かくいじるのが面白い。以下のアドビ公式動画を参考に皆さんもやってみてください。

 

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2024.01.19

『出口王仁三郎 聖なる英雄のドキュメント』 (みいづ舎)

Img_4541 の日は田川郡香春町にてセミナー。セミナーを開始して、今日は何日でしたっけ?的な話になり、そこで思い出しました。

 1月19日は出口王仁三郎の命日でした。

 自然、セミナーもそちらの話で盛り上がりました。そのあたりも全部オニさんの思い通りなのでしょうね。

 というわけで、今日はそんな王仁三郎の人間的かつ神的な姿を彷彿するのに最適な本を紹介します。

 帯の言葉がいいですね。

「類まれなる王仁三郎の智慧や親しみ、一つの枠に収まらない多様な言動と感性の豊かさ、その知られざる人間性を綴る!」

 長いけれども、的を射た文ですね。身近に王仁三郎を感じていた人たちによる「観察文集」ですから、この本は。

 昭和6,7年の王仁三郎の姿ですから、ちょうど還暦を迎えるころ、今の私と同じくらいということですか。なんだか、全然スケールが違って、もう笑うしかありませんね。

 特に中盤、名ジャーナリストとして名を残した大宅壮一が語るオニ像は読み応えがあります。日本一のジャーナリストをして「(王仁三郎は)日本一のジャーナリスト」と言わしめた王仁三郎は只者ではありません。

 さかんに短歌50万首を詠んだと言っていますね。今では20万首くらいが整理されていますが、本人はその倍以上と言っているわけです。たしかに日常会話が全て「歌」だったと言われていますから、まあありえますか。20万でも世界一です。第2位が明治天皇の10万首です。

 宗教家にして「反宗教」を標榜し、宗教がなくなることを理想とするところは、彼の破天荒さと真実さの真骨頂でしょう。私たちの二元論をいとも簡単に飛び越えてしまう。

 「聖なる英雄のドキュメント」…そこには不思議と「俗なる田舎百姓」がニコニコと笑いながら端座しているのでした。やはり魅力的な人です。

Amazon 出口王仁三郎 聖なる英雄のドキュメント

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2024.01.17

芥川賞とAI

Pic_14044_2_0001 えと、今日は22日です。福岡ツアーから静岡に帰ってきました。

 時間がなく、またパソコンも持っていかなかったので、すっかり記事を溜め込んでしまいました。

 こういう時には、AIが代わりに書いてくれるといいのですが…いや、マジで。この不二草紙の総合文字数はおそらく2億超えているので、AIに学習させれば、いかにも私らしい文書と内容で書いてくれるでしょう。

 なんて、実はこの文章もAIが書いているのです!というのは嘘です(今年中には嘘ではなくなるかも)。

 AIによる文章の生成と言えば、この日に発表された芥川賞。九段理江さんの「東京都同情塔」はAIがテーマの一つとのこと。そして、実際にAIを使って文章を生成し、それをそのまま使っている部分があるとのことです。

 それについて、いろいろイチャモンをつける人がいますが、きっと3年もすれば、その人もAIに文章を書いてもらいうことが当たり前となり、そういえばあの頃はなんか違和感あったのなになあ、とか思っていることでしょう。

 そのくらい、2024年はAIの驚異的な進化の年になると思います。産業革命、インターネット革命に次ぐAI革命です。産業革命にも乗り遅れた人たちがいましたし、インターネット革命に乗り遅れている人たちが今もいますよね。

 それらの革命は、人間の仕事を奪っているかのように見えますから、自分の領域を侵犯されているように感じるのもごもっともです。しかし、結果として産業革命もインネターネット革命も、私たちの生活や文化を豊かにし、また社会の安全性を高めてくれたことは、認めざるを得ないでしょう。

 ただ、問題は、それらが何よりも早く「戦争」と「エロ」に使われてきたことにも注目すべきでしょう。実際、AIもそちらの方面で活用され始めています。というか、私たちが知らないうちに、そちらで大進化を遂げていくんですよね。

 つまり、それぞれの革命の意図…ではなくきっかけが、私たち人類の大いなる煩悩に根ざしているということなのです。

 先日書いたように、AIは私たちの本来の生きる意味、すわなち未来的創造性の発揮を促すものではありますが、そこに至る過程で私たちは必ず大きな壁を越えねばならなくなるのです。

 それが、おそらく出口王仁三郎らが言う「大峠」なのでしょう。

 絵画、写真、シナリオ、音楽、教育などもそうですが、AIにできる程度の作品は、AIに任せておけばいいでしょう。困るのはそのレベルの創造性でプロを騙っていた人たちだけですから。受け取る方にとっては、そのレベルであればそれが人間の仕事でなくとも良いのです。

 そのうちに全編AIが書いた小説が芥川賞を獲るのかもしれません。いや、芥川賞の選考をAIがするようになるかもしれません。

 芥川賞というカビ臭い(失礼)、ある意味悪しき近代の残滓が、AIに侵食される近未来は、案外明るく楽しいのかも。

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2024.01.11

AIは「愛」か

11_20240112094801  日は「正解探し」という、笑いのネタとしての画像生成AIの作品を紹介しましたが、今日はAIさんの名誉回復というか、すごいなあと思わせる作品も紹介しましょう。

 もちろんここから手を入れて、さらに「作品化」していくこともできるわけですが、とりあえず「撮って出し」ならぬ「作って出し」です。というか、ちょっとしたpromptで20秒かからず4つずつ作品を生成してしまうAIは、たしかに人間を超えています。

 入力した文章は日本語だとこんな感じ。使ったAIはMidjourney

「ショートヘアーの日本の20代女性。彼女は憂いを秘めた表情をしている。彼女は日本家屋の中に立っている」

 これをDeepLで英訳して放り込みます。日本語でも可ですが、細かいニュアンスは伝わりづらく、やはり英語の方が精度が高くなります。

 何回か同じ文章で試しましたが、毎回違う画像が生成されます。

13  というか、この人だれなのでしょう(笑)。それにしてもとてもリアルというか、作品性、芸術性もありますよね。

 これらもツッコミ入れようと思えば入れられますが、それなりの完成度です。きっと来年の今頃にはもっとすごいことになっていることでしょう。

 いや、AIは過去のデータの組み合わせしかできませんので、その組み合わせの数が増え、処理時間が短くなっていくと、もしかするとどんどん画一化したイメージに収束していってしまうかもしれません。

 たとえば「日本の20代の女性」の顔が、こうして平均化されてくるように。実際、Midjourneyもヴァージョンアップするごと、洗練されすぎて面白みはなくなってきている。初期は写真的ではなく絵画的で、ある意味それはアーティスティックでしたし、ホラーになることも多くあったものの(笑)、意外な画像が生成される面白さはありました。

 昨日のも、変にリアルなので「笑い」につながってしまうのですね。まじめな顔して抜けてるというか。その辺は難しいところでしょう。

12  人間と違ってAIは未来的な情報は取り扱えません。妄想できないということですね。そこは生命と非生命の違いであって、その意味でAIが人間を超える可能性はゼロです。

 生命の宇宙的な存在目的は「エントロピーの減少」にあります。非生命がもれなく「エントロピーの増大」から逃れられないのに対し、生命は意志の力によって、それに対抗することができます。

 その点、AIはちりぢりになった過去の情報を集積し、擬似的に「エントロピーの減少」を実現することができます。しかし、それはあくまでも擬似的なもの。

 人間は、未来の情報すら「修理固成」することができるのです。それこそが「ことたま(事霊)」です。

 近代社会、特に「学校」では、過去の情報の固成が重視されてきました(その最たるものが大学入試)。しかし、それは本来の生命の仕事(為ゴト)ではないことが、AIの登場でバレてしまいました。

 つまり、今まで私たちが苦労し、そして苦労させてきた「コト」は、機械がやってくれることがわかったのです。AIは私たちを救ってくれる存在です。すなわち「愛(AI)」なのです。

 間違った仕事から解放された人間は、未来の情報だけ取り扱えばよい。それこそが本来の創造性、想像性であり、学校が「educate(導く)」すべきことなのでした。

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2024.01.10

正解探し…画像生成AIで遊ぶ

Guccy_59541_baroque_era_musicians_playin  年はAIが爆発的に実用的になった年でした。今年はもっと進化しそう。

 私も文章、音楽、画像などをいろいろ生成してみましたが、まあ、世の中で言うほどのクオリティーではなく、それぞれツッコミどころ満載で笑いのネタにはなりました。

 いや、もちろんあそこまで作れるだけでもすごいですよ。今、ちょうど過渡期というか発展的なので、いわばリアルに近づきつつ細部が甘いという、「不気味の谷」ならぬ「笑いの山」状態にあるとも言えます。

 これはこれで「笑い」の本質に迫れる面白い状況であり、お笑いのネタづくりには貢献してくれそうです。

 もちろん、プロンプトの質のせいでもあるわけで、それは反省というか勉強不足を認めましょう。特に英語が苦手なので。

 そんなわけで、最近はあえて簡単な、しかしある意味マニアックなプロンプトを放り込んで、ツッコミどころ(笑いどころ)満載の作品を生成させて遊んでいます。

 たとえば今日はなんとなく「Baroque era musicians playing inside a church」というテーマで某画像生成AIに作品を作ってもらいました。

 ぱっと見、なんとなく雰囲気出てますが、よく見るとツッコミどころ(笑いどころ)満載であります。一つも正しいものがない!ww

 この堂々たるなんちゃって感が好きですわ〜。間違い探し…ならぬ正解探しが難しい(笑)。クリックして挑戦してみてください。

 

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2024.01.09

追悼 八代亜紀さん

 変なショックです…。信じられません。

 昨年3月にこんな記事を書きましたが、その後日経テレ東大学もなくなり、動画を見ることができなくなりました。日本の財産だと思ったのですが。

 と思ったら、こちらに残っていました。今のうちにぜひ!

 なんでこんな天才、そして天然善人がこれほど早く天に召されてしまったのでしょう。天才、天然善人だからですか?

 歌はもちろん、絵の才能も桁外れでした。

 私がいろいろ語るまでもありませんし、きっと世の中では「演歌歌手」として紹介されるのでしょう。御本人はジャズ・シンガーだと思っていたようです。

 ジャズの本場、ニューヨークでのコンサートは、まさに絶品でした。世界のどこに出しても恥ずかしくない芸術でした。

 改めてその時の歌を聴きながら、ご冥福をお祈りしたいと思います。今まで本当にありがとうございました。

 

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2023.12.22

仲小路彰 『廿世紀芸術における諸問題ー建築・絵画ー』

Th_-20231224-95730 の日は新宿にて、建築家坂倉準三の研究家の皆さん、そしてご親族などご縁の深かった方々にお会いすることができました。

 新宿駅西口のあの地上と地下の融合した立体的な広場を設計した坂倉準三は、フランスでル・コルビュジエの薫陶を受けたのち帰国、戦前・戦中・戦後を通して仲小路彰に心酔し多くの事業を共に展開してきました。

 そのあたりの忘れ去られた(隠された)歴史の発掘に、私も少しでも貢献できればと思っております。今日はそういう意味で、私にとっても非常に刺激的かつ責任を痛感する一日となりました。奇跡的なご縁に感謝いたします。

 戦後の復興の象徴としての「副都心」計画。戦後も終わりを告げつつある今、渋谷や池袋同様に新宿も再開発の時を迎えています。建築や都市デザインは未来的な存在、未来を創る基盤です。

 そのあたりについて、仲小路彰は昭和30年前後にこのような文書を残しています。「廿世紀芸術における諸問題ー建築・絵画ー」。

 今日、東京理科大の山名教授にその目次を見ていただきましたところ、大変興奮されておりました。さっそく帰宅後スキャンファイルを作成して研究者の皆さんにお送りしました。

 あらゆる分野にわたって、こういう文書が無数にあるのです。政治、経済、文化、芸術、歴史、哲学、科学、宗教…とても一人の仕事とは思えません。もちろん、たとえばこの文献に関しては、盟友であった坂倉準三も関わっていることでしょう。

 私ではとてもそれらの深淵な内容を理解できませんので、今回のように多くの専門家の方に読んでいただきたい。そのように思っております。そして、必要があれば活字化し、出版にまでこぎつきたい。なにしろ仲小路は21世紀の私たちのために書き遺しているのですから。

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2023.12.13

『みちのく いとしい仏たち』展 (東京ステーションギャラリー)

Th_-20231214-94028 日は中野にて某ラジオ番組の収録のあと、東京駅構内にある東京ステーションギャラリーにて開催中の「みちのく いとしい仏たち」展に行ってまいりました。楽しかった!

 「へたうま」ならぬ「へたへた」具合がなんとも愛らしい。

 結論的に言ってしまうと、これこそ日本の浮世絵、そしてマンガやアニメ、キャラ文化の根源だと感じました。

 まず、基本頭がデカい(笑)。つまり2〜4等身プロポーションなんですよね。

 なんでこうなるかというと、これがリアリズムだからです。科学的、寸法的なリアリズムを求めた西洋とは違い、日本は元祖印象派、つまり脳内リアリズムを重視したのです。

 私たちの他人への印象・記憶というのは、どうしても「顔」に重きを置かれます。それは三次元に再現される際、大きさによって強調されます。強調ではないな。自然にそうなる。

 子どもが描く絵もそうでしょう。パパもママも自分も、顔が体より大きかったりします。

 小学校に入って、西洋美術ばかり習うようになり、いつのまにか、そうした自然な不均衡は間違いとされる。一方で、多くの日本人は、マンガやアニメという学校から排除されるモノを通して、子どもの頃のリアリズムを忘れないようにしている。

 このみちのくの愛すべき仏像、神像たちは、学校がない時代の自然な産物です。そして、中央が「大人」のリアリズムや、あるいはそれをさらに進めた美の創造としての造形にこだわったの対し、周辺ではその存在を知りながらも、その模倣に走らず、こうして素朴な子ども的な作品を作り、守り、祈りつづけた。

 鬼や閻魔様でさえ、私たちを微笑ませてしまう。それがお互いの救いとなる。これって、日本のマンガやアニメにおける悪者キャラ人気にもつながりますよね。みんなが救われる愛の世界。

 本当に心が救われました。皆さんもぜひ都会のど真ん中の素敵な「みちのく」空間を味わってみてください。おススメです。

 みちのく いとしい仏たち 公式

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