カテゴリー「旅行・地域」の1071件の記事

2017.08.13

太平山煙岡神社(羽後町)

 田でお盆の墓参り。秋田の不思議なお盆については、ずいぶん前にこちらにも書きました。あまりに見事な神仏習合。
 その帰り、カミさんが懐かしい所に行きたいということで、いくつかのポイントを回りました。たしかにこれが日本の原風景、ある意味消えてゆく姿もまた、国譲り的な美しさを感じました。
 さて、そんな中、逆にカミさんが地元でありながら、実は一度も行ったことのない所にも行ってみました。
 羽後町の太平山にある煙岡神社です。すぐ近くのみはらし荘には、私も一度連れて行ってもらったことがありますが、煙岡神社は初めて。

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 まず、その社名に興味が湧きますよね。どうも、幻の羽後城の狼煙台だったらしい。証拠はありませんが、たしかにここからの眺望は素晴らしすぎ。狼煙台には最高の山ですね。
 横手盆地を一望できるだけでなく、日本海も見える日があるとのこと。夜景も美しいとか。

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 夕刻、入道雲の立ち上る田園と遥かな稜線は、普段空の狭い山梨県に生活する者にとっては、実に新鮮。と言いますか、なにか異世界に迷い込んだような感じさえします。
 さて、この煙岡(けむりがおか)神社、田代の地主、昨日の鎌鼬美術館の建物の持ち主でもあった、長谷山家によって「再興」されたということです。かつては山自体がご神体であったのでしょう。祭神は結局分からずじまい。
 義父母に聞くところによると、雨乞いの神様だとのこと。社務所は田代の旦金森(だんごもり)にあります(鉱山の匂いのする地名ですね)。麓の人々がお山に雨乞いをしたのでしょう。

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 ちなみに太平山という名前から分かるとおり、煙岡神社の近くに三吉神社もあります。秋田だけでも太平山という山は八つあるとか。本家秋田市の太平山信仰、三吉信仰が各地に広まり、いわゆる太平山講、三吉講がここにも到達していたことがわかります。
 参拝して中を覗かせていただくと、日の丸の扇が祀られていました。どのような由緒がある扇なのでしょうか。

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2017.08.12

鎌鼬美術館(羽後町田代)

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 うやく訪問することができました。素晴らしい美術館でした。感無量です。
 伝説の舞踏家土方巽。若い頃彼の大ファンだった私が、まさか美術館設立に(ほんのちょっとですが)関わることになろうとは。
 というか、それ以前に、まさか自分の嫁さんのお母さんの実家前が、あの「鎌鼬」の撮影場所だったとは…。
 そのあたりの驚きの連続は、こちらからお読みください。まったく人生とは不思議なものです。
 そんな舞踏の聖地、写真の聖地に、本当に素敵な美術館ができました。設立に尽力されたお二人の地元の方とも春に、そして今日もお話させていただきましたが、やはり「場」というのはとても重要です。「場」には「魂」が記録されるのです。
 それはおそらく7次元的意識の世界が、5次元的情報の世界、3次元的物質世界に投射されるということなのだと思います。
 歴史的な作品が生まれた場、その「リアル」を超えるのは難しい。別の場所にいくらお金をかけて資料を集めてもだめです。そこには「魂」が刻印されていないからです。
 土方を研究するある外国人舞踏家は、それこそ義母の実家の前の田んぼの泥を体に塗りつけて舞ったといいます。それはたしかに正しい。50年の時を超えても、そこには間違いなく「魂」が生きていると思うからです。
 鎌鼬の撮影場所ともなった、旧長谷山邸の蔵を改装して作られた鎌鼬美術館。そこに土方がいるかのような「リアル」さを体験できました。
 もちろん、貴重な展示物や美しい田代紹介のビデオも素晴らしかったのですが、やはり、その「体感」ですね。これぞ本当の聖地、メッカであると感じました。
 昨秋の開館以来、冬期は休館、基本土日のみ開館にも関わらず、すでに世界中から1000人以上の人が、この知られざる山村を訪れたとのこと。
 慶應義塾大学という中央と、地元の協力体制、愛情、行動力が、このような遺産を現代に、そして未来に甦らせたのだとも感じました。
 今、富士山麓のいくつかの遺産の保存、顕彰に携わっていますが、なるほど、こういう形を取るのが一番だなと痛感しました。そちらも頑張らねば。
 どうそ、皆さんも、この美術館を中心とした村全体を舞台に、今に生きる土方巽、そして細江英公の魂を体験してみてください。
 私も秋田を訪問したおりには、必ず訪れたいと思います。関係者の皆さん、本当にありがとうございました。
 最後に…ワタクシ的に最も感激したのは、写真集鎌鼬のために撮影され、しかしボツになった、多くの写真をペタ焼きの形でたくさん見ることができたことです。それはまたまた実にリアルな作品群でありました。
 公開することを前提に許可をいただき写真を撮らせていただいたので、どうぞご覧ください。

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『鎌鼬 田代の土方巽』 (慶應義塾大学出版会)

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2017.08.11

小野小町伝説

 朝3時に富士山を出まして、12時間かけて夕方3時に秋田に到着。さすが渋滞のピークということで、東北道は使えず初めて常磐道へ。震災の被災地を通りながら仙台へと思いましたら、こちらも茨城県内で渋滞が始まりましたので、日立のあたりで下道に降り、結局秋田県横手市までずっと一般道を走ることにしました。
 時間はかかりますが、もともと運転好きの私や、狭い車内でワイワイやったり、グーグー寝たりするのが好きな家族は全然苦ではありません。
 特に今回は初めて通る地域がほとんどだったので、いろいろ風景やら建物やらを見ながら楽しくドライブしました。
 いろいろ思うところ、感じるところがあったのですが、今日は一つだけ取り上げましょう。
 福島県の小野町。いたるところに「小野小町生誕の地」というようなことが書かれていました。
 ほう、ここにも小野小町伝説があったのか。
 まさに今から向かう秋田県県南には、最も有名な「小野小町生誕の地」があります。そう、湯沢市の小野です。なんとなくですが、小野小町と言ったら秋田という印象がありますよね。秋田美人と言ったり、新幹線がこまちだったり、お米もあきたこまちだったり。
 まあ実はこれも全く確証はなく、ある意味、福島の小野町やその他全国にある生誕地伝説と同じくらいの信憑性(の低さ)です。ただ、古今和歌集において紀貫之が小野小町を出羽国司の娘としているのは大きい。
 福島の方は、小野篁が現在の小野町を訪れ、そこで地元の美女(愛子…めづらこ)と結婚して生まれたのが小野小町という設定。
 ちなみに全国にある小野小町伝説地はこちらでご確認ください。めちゃくちゃ多いですね(笑)。
 実は、このマップに載っていない地味な伝説地が山梨県都留市にあるんです。
 都留市に小野というところがあります。山間の小さな部落です。そこに小野小町のお墓があって、毎年ちゃんとお祭をしています。お寺の関係地内にありますが、お祭は神道式です。
 小野小町の夫とも言われる小野貞樹が甲斐守だったこともあって、このような伝説地が生まれたのではないでしょうか。
 私は甲斐国に流された怪僧小野文観との関係を疑っていますが。
 もう一つ、少し前に所用で通った東京の町田市小野路にも色濃い小野小町伝説が残っています。これもいつか紹介します。
 こうしていろいろな伝説地を回りますと、昔の人々の想像力、創造力のたくましさをひしひしと感じますね。歴史においても、科学的根拠とはどうでも良い、ある種印象派的なリアリズムでいいような気がしてきます。
 あっそうそう、小野町は現代の美女(?)リカちゃんにも縁のある町なんですね。これは知りませんでした(笑)。リカちゃん50周年ということで、こちらも歴史、伝説の領域に入りました。

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2017.08.09

有馬晴信終焉の地「甲斐大和」

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 崎原爆忌。原爆投下の時間に甲府にいました。その後都留で音楽祭の打ち合わせや大学の学長さん副学長さんとお会いする用事がありましたので、甲州街道で笹子峠を越えて移動しました。
 その途中、笹子トンネルのすぐ手前に、長崎に縁の深い方の終焉の地があるので立ち寄ることにしました。
 長崎に縁の深い方…それは、有馬晴信です。有名なキリシタン大名ですね。
 なんと、その有馬晴信は甲斐の国大和の地で斬首されているのです。墓所は不明になってしまっていますが、その謫居したところはわかっています。

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 有馬晴信の甲斐国への島流し(配流)については、没後400年祭の行われた2012年に流刑地「甲斐」という記事の中で一度書いています。
 晴信が配流される原因となった岡本大八事件については、Wikipediaをご覧ください。よく分からない事件です。
 岡本大八事件で、岡本大八は駿府安倍川河川敷で火あぶりの刑に処されています。そして晴信は甲斐国郡内(都留)に島流し。のちに切腹を命じられますが、キリシタンは自死を禁じられていたので斬首となりました。

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 ここでちょっと気になるのは、大八事件で取り調べをする側にあった甲斐国出身の大久保長安も、のちに安倍川でさらし首になっていることです(大久保長安の謎についてはこちらの記事参照)。
 どうも徳川家は甲斐の国に何か特別な感情を持っていたようです。富士山をはさんで、今も静岡と山梨が微妙な関係にあるのは、このあたりからの伝統なのかもしれません。
 晴信を甲斐の郡内に島流しにしたのはよかったけれども、そこはまさに「生黄泉」の国。妙な霊力を身につけては困るということで結局死刑に処したのかもしれません。

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 晴信の悲しい人生について、キリスト教の本国ヨーロッパでは、当時物語として語られていたようですね。そのあたりについても調べてみたいと思います。音楽劇もあったかもしれません。
 話がいろいろ飛んで申し訳ありませんが、今年、30年以上続いた古楽の祭典「都留音楽祭」が最終回を迎えます。有馬晴信が流された地で、当時晴信も聴いたであろう古楽の祭が長く継続したのは、もしかしてそのようなご縁があったからなのでしょうか。
 そんなことを思いながら、晴信終焉の地にお参りいたしました。まさに信仰や音楽は時空を超えるのです。

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 また、キリスト教国によって長崎に原爆が投下されたことを、晴信は遠く山梨の山の中で、どのような気持ちでとらえているのでしょうか。
 なんとも不思議な気持ちになりました。

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2017.07.30

シルクセンター@横浜

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 前も紹介しましたが、昨日演奏会の合間に再び訪問いたしましたので、ここに紹介します。
 一昨日、本当に不思議すぎるご縁で、シルクに関する大きな大きな前進を実感することができましたことを、その時に直観しましたとおり、高松宮妃喜久子さまにご報告感謝申し上げてきました。

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 そう、横浜のシルクセンター内にあるシルク博物館には、喜久子さまの揮毫になる、かつての「シルクギャラリー」にあった「絹の道」の看板や壁飾が展示されているのです。

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 昭和39年(私が生まれた年です)の東京オリンピックを中心に何年間か、「日本の絹を世界の女性に」というコンセプトで作られた高輪光輪閣の「シルクギャラリー」。それについては、今調査してまとめているところですので、近いうちにどこかで発表できると思います。

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 見事な「有栖川流」の文字ですよね。高松宮家は有栖川流の祭祀や芸道を継承しました。有栖川家に続き、高松宮家も断絶してしまったので、現在それを継いでいるのは秋篠宮家とうかがっております。
 少し話がそれますが、競馬の高松宮記念に関係して「シルクロードステークス」というのがありますが、この名称は高松宮家とシルクロードとの深い関係をさりげなく示しています。
 シルクギャラリー(財団名シルクロード・ソサエティ)に関わっていたのが、表面上は川添浩史(象郎)ら。裏には当然山中湖の仲小路彰がいました。そのコミュニティーの一角で重要な地位にあった建築家の坂倉準三。コルビュジェの弟子である彼がこのシルクセンターの設計を担当しました。たしかにこれぞモダニズムというべき、斬新かつ実用的な建物ですね。今でも新しさを感じます。

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 シルクセンターの完成は昭和34年。シルクギャラリーもその頃に始まりました。当時の仲小路の文献を読むと、シルクロード、聖徳太子、絹が一つのキーワードになっていることがわかります。
 仲小路独特の歴史思想の一つである、「日本に世界の文物が集合し、そこで純化・高度化して、それがまた世界に戻っていく」という発想の一つの象徴としてシルクがあったのでしょう。そしてそうした役割を果たす日本人の理想像としての聖徳太子。
 そんなわけで、シルクと富士山の関係も非常に重要になってくるわけですが、一つ山梨関係で面白いことがありますので、少し脱線しますが紹介しておきます。
 横浜のシルクセンターに刺激されたのが、山梨県でも昭和35年に県の団体施設として「山梨シルクセンター」を開設しました。それを引き継ぎ、株式会社にしたのが辻信太郎さん。そうです、今や日本が世界に誇る企業となった「サンリオ」の前身が「山梨シルクセンター」だったのです。
 ある意味、辻信太郎さんが、キャラクター・ビジネスの分野において、仲小路彰の夢を実現したということですね。その後、ご存知のとおり、日本のシルク産業は斜陽の一途をたどるわけですが、そこからあのキティちゃんが生まれ、世界中で愛されているというのは面白い事実です。
 辻信太郎さん、今年90歳になられますが、まだまだ現役で頑張っておられます。辻さんの独特の平和思想も、どこか仲小路彰につながるような気がします。歴史の「綾」というのは実に面白いですね。

シルクセンター公式

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2017.07.29

バッハの音楽劇@横浜開港記念会館

Th_7219 来場くださった皆さま、ありがとうございました。横浜市中区制90周年・開港記念会館100周年記念事業として行われたコンサート、それこそ開港記念会館始まって以来最高のお客様の入りと言っても過言ではないほどの大入り超満員でありました。
 そのような記念すべき演奏会にシロウトながら参加させていただける幸せをあらためて感じているところであります。演奏者の皆様本当にありがとうございました。
 この演奏会の告知としてこちらに書きましたとおり、今回の演奏曲目、特に「狩りのカンタータ」は私の大好きな曲。まさかこのような形で自らが演奏することになろうとは思いもよりませんでした。
 あらためまして、企画運営の中心となられた曽禰寛純さんに感謝です。なんでも、曽禰さんも私と同じ気持ちでこの演奏会に臨んだとのこと。つまり、若かりし頃の夢を人生の中で実現したということです。
 私なんか、その夢に乗っからせていただいてちゃっかり自分の夢も実現させてしまったということですが(笑)、曽禰さんの場合は企画・運営・解説・調整、そして演奏&トーク(王様)までこなすという、それはそれは大変な大事業をなさったということですからね。
 さらにちょうど先週、テレビ東京のNewsモーニングサテライトのコーポレートサーチで、曽禰さんのアズビルの社長さんとしてのお姿を初めて拝見した直後だったので、そのバイタリティーとお人柄、そして仕事と趣味、オンとオフの見事な切り替え(いや、もしかするとそれらがうまく共鳴しているのかも)に賛嘆せずにはいられませんでした。番組の動画はこちらでご覧になれますよ。
 仕事も趣味も…というのは私の理想でもありますが、私の場合はなんだかどちらかに偏っているようでして…いけませんな(苦笑)。
 それにしても毎度思うことですが、本当にプロの方々と一緒に音楽を作る機会というのは、ありがたく尊い体験となりますね。本番は言うまでもなく、練習での様々なアドバイスや苦言が、私たちにとっては最高のレッスンとなります。ぜいたくなぜいたくな生のレッスンです。
 また、一流の声楽の方々との共演は、器楽奏者が忘れがちな音楽の本質、「歌」心というものを体感し、共有できる貴重な機会です。本当にありがたく思います。
 さあ、曽禰さんの次の夢はもう決まっているようです。なるほど私も昔からやってみたいなと思っていた曲です。今回とは全く趣を異にする演目になりそうですよ。楽しみですね。皆様もお楽しみに。

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2017.07.28

シルクのご縁(ネットワーク)

Th__20170730_84041 日はシルク関係で素晴らしい出会いがありました。ある意味「再会」なのですが、このタイミングでの完璧なご縁にお互い感激いたしました。
 先日、皇后さまが皇居内の養蚕所でお育てになった「小石丸」の繭糸を使って修復された、国宝級絵巻「春日権現験記絵」のことがニュースになっていましたね。天皇・皇后両陛下がご覧になったと。
 今日お会いした方との間でも、皇室と養蚕、絹のことが話題になりました。そして、富士山、宮下文書、徐福、仲小路彰のことも。
 貞明皇后、高松宮妃喜久子さまから、その長く深い歴史と伝統を伝承された皇后さま。その霊的な本質について完璧な理解をされているものと思われます。
 以前書きました「皇太子さまの御正体山登山」も養蚕と関わっているとも言えます。御正体山は養蚕の神としても信仰されていましたから。
 貞明皇后と出口王仁三郎(綾部)の関係、そして、綾部と言えば郡是(グンゼ)ですね。郡是と言えば川合信水。川合信水と言えば西桂、富士吉田です。そこに徳富蘇峰も関わってくる。
 こうしたある種霊的なネットワークが、実は養蚕、絹織物のネットワークと重なっていることが分かります。そのあたりについて今後も研究していこうと思っています。
 今日の出会いはまさにそうした未来的活動の助けとなる幸運でありました。その方ともしみじみと語り合いましたが、本当に「動かされている」と感じます。
 そして、たまたま、いや必然的に、明日は横浜開港記念館でコンサートに出演します。横浜港とシルクの関係は言うまでもありません。
 会場のすぐ近くに、仲小路彰のアドバイスによって彼の盟友坂倉準三が設計した「シルクセンター」があります。そして、そこには、これまた仲小路彰の発案によって高松宮殿下、喜久子妃殿下がお作りになった「シルクギャラリー」に関する国内唯一の展示物があります。
 今日の素晴らしい出会いをコーディネートしてくださった、ゆかりの皆さまにお礼をすべく、明日は必ず「シルクセンター」を訪れようと思います。
 不思議だなあ。本当に。なぜ私がシルクと結びついたのか。
 

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2017.07.24

白隠禅師と(山之上)富士山

Th_000 回の正眼夏期講座、本当にたくさんの気づきがありました。これからも少しずつその成果を書いてゆきます。
 そんな中、全く想定外の大発見もありました。鳥肌が立ってしまいました。
 おそらくどなたもお気づきでないことなのではないでしょうか。しかし、間違いなく正しいと思います。なぜなら御本人からお墨付きをいただきましたので(妄想です…笑)。
 その御本人とは、恐れ多くも、臨済宗中興、今年まさに250年遠忌を迎えている、かの白隠禅師であります。
 ここのところ白隠さんのことが気になってしかたなかったのですが、講習の二日目、山川宗玄老師の提唱「無門関」の中で、ふと白隠さんの名前が出てきました。
 なんと、正眼寺の近くで2年近く修行されていたのだとか。その地の名前にびっくり。「山之上」。
 えっ?もしかして山之上富士の山之上?
 そうなんです。以前、こちらに書きましたとおり、正眼寺のすぐ近くに「富士山」という山があるんです。標高360メートルほどのミニチュア富士山。ちゃんと浅間神社もある。
 そのかつての記事の中では、宮下文書における関山慧玄さんと富士山との関係から、いろいろと類推していますが、そこにさらに白隠禅師が関わっていたとは。
 白隠禅師と言えば、言うまでもなく富士山南麓に生まれ、のちにその地で活躍、お亡くなりになっている方です。

駿河には過ぎたるものが二つあり 富士のお山に原の白隠

 そんなふうに並び賞されていた富士山と白隠。当然お互いに(?)良きライバルとして意識しあっていたことでしょう。
 その白隠さん、富士北麓(山梨側)にも何度も足を運んでいます。今正眼寺で修行中の教え子の実家、明見の慈光院さんとも縁の深い、都留の桂林寺や、先日お世話になった塩山向嶽寺も白隠ゆかりのお寺です。
 かつての鎌倉街道の場所を考えますと、白隠さんが富士吉田に逗留した可能性はかなり高く、そこで宮下文書に関する情報に触れた可能性も充分考えられます。そうしますと、関山慧玄さんのお墓をお参りしたかもしれませんよね。
 いずれにせよ、白隠さんと富士山は格別な関係でありました。
 そんな白隠さん、1715年31歳の時に美濃の山之上を訪れ、巌滝山(現在の鬼飛山)で1年9ヶ月静かに修行したというのです。
Th__20170724_191537 その鬼飛山には、現在無住となっている賑済寺という曹洞宗のお寺があり、そこから山の中腹に登ると、白隠坐禅岩というのが残っています。その鬼飛山から北側を望むと、そこに三角形の「富士山」が見えるのです。
 まさに岳麓の原から見たような方向にちっちゃな山がある。それを白隠さんが「富士山」と名付け、富士浅間神社を勧請したとしても不思議ではありませんよね。
 この250年遠忌というタイミングで、関山慧玄さんのゆかりのお寺で、富士山から来た私にこうしたメッセージが降りたのは偶然ではありません(断言!)。間違いなく霊界からのメッセージです(また統合過剰か?w)。
20170724_191333 というわけで、近いうちにもう一度美濃加茂市を訪れ、鬼飛山に登り、富士山を望んでみようかと思っております。
 このことを山川老師にも申しあげたところ、「なるほど、調べてみましょう」とおっしゃってくれました。
 関山慧玄さんが亡くなってから650年あまり、白隠さんが亡くなってから250年。まさに時空を超えた禅ロマンですね。富士山というのはたしかに信仰の山です。

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2017.07.22

第六十三回「正眼夏期講座」

Th_img_1033 今日から正眼寺で夏期講座。私は初めての参加です。
 本校の名誉校長である山川宗玄老大師が住職をお務めになる名刹です。かつて昭和の名僧(怪僧)梶浦逸外老師が住職をお務めになったことで、川上哲治さんら多くの著名人が自己を見つめて来た修行道場です(こちらの記事参照)。
 臨済宗妙心寺派大本山妙心寺の開山でもある、関山慧玄が9年間修行した場所でもあります。関山慧玄と富士山とは深い関係がある(こちらの記事参照)。今日、富士山に残る古文書をコピーして、教え子でもある隠侍を通じて老師にお渡ししました。そこに関しましては、
 さて、今回の夏期講座、次のようなプログラムとなっております。

(1日目)
受付
開講式
法話 山川宗玄老師 「黙して語る」
斎座
講演 妹尾大先生 「創造的な働き方」の考察
坐禅
薬石
開浴
坐禅
ビデオ鑑賞
解枕

(2日目)
開静
朝課
坐禅
粥座
作務
提唱 山川宗玄老師 「無門関第39則雲門話堕」
坐禅
斎座
講演 野崎洋光先生 「黙して語る歴史の健食」
閉講式

 それぞれ多くの気づきを与えていただきましたので、明日からぼちぼちと別の話題の記事も交えながら報告がてら書いてゆきたいと思っています。では、またのちほど。
 

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2017.07.07

「若者のすべて」@富士吉田市夕方6時のチャイム

 日は月江寺にて宿泊座禅。ちょうど薬石(夕食)前の座禅中に防災富士吉田の放送がありました。
 「今日7日から13日まで、夕方6時のチャイムがフジファブリック(志村正彦)の『若者のすべて』に変わります」という内容でした。
 そして、ちょうど薬石の準備をしている時に「若者のすべて」が流れました。無言の行でシーンとしていた中でしたので、生徒たちの中にも気づいた人がいるのではないでしょうか。
 富士吉田市が生んだ天才音楽家・詩人志村正彦くんのお誕生日が7月10日。その日をはさんで一週間、夕方6時のチャイムが「夕方5時のチャイム」に変わるわけですね。
 お誕生日周辺と命日(12月24日)周辺で、こうしてチャイムがフジファブリックの楽曲になる試みは、地元の有志、志村くんの同級生らの尽力で2012年から毎年実施されています。
 お誕生日の10日はもちろん、明日あさっての土日には、きっとこのチャイムを志村くんの故郷で聴こうと、全国からファンが集まることと思われます。
 志村くん急逝の1年後こちらに書きましたように、本来富士吉田の「夕方6時のチャイム」はドヴォルザークのあの旋律でした。そして、あの旋律と「若者のすべて」のメロディーとは、しっかり有機的に結びついています。
 ですから、一番いいのは、富士吉田で通常ヴァージョンのチャイムと若者ヴァージョンのチャイムを両方聴くことではないでしょうか。
 とは言え、私たちのような地元民ならまだしも、全国のファンの皆さんはなかなかこちらにおいでになれないと思います。
 それでも両方とも聴いてみたい!という方に今日はちょっとした裏ワザをお教えいたします。
 お教えいたしますと書きましたが、私も実は気づかなかったのですが、ある方が私にメッセージをくださりまして、そして偶然にも関係者とその翌日にお会いすることがあっての裏ワザです(まったく不思議なご縁です)。
 それは、富士吉田の研修施設「富士Calm」さんの富士山ライブカメラを視聴するという方法です。

富士山ライブカメラ@富士Calm

 富士Calmさんは、以前フジファブリック学を開催させていただいたり、いろいろとお世話になっておりますし、スタッフの皆さんも大のフジファブリック(志村正彦)ファンということもあって、大いにこの話が盛り上がりました。
 こちらにありますように、富士Calmさんのライブカメラは、野鳥の声も聴くことができるよう音声きれいに発信しております。
 そして、スタッフの皆さんのご厚意により、夕方のチャイムが特別ヴァージョンになる時には、格別のご配慮(調整)をしていただけるとのこと。
 これで遠方の皆さんもほぼリアルタイムで、それも富士山を眺めながら聴くことができます。もちろん、通常のチャイムもですね。ぜひ富士吉田に行きたいけれど行けないという方は、この方法でお聴き下さい。
 皆さんの心が一つになり、富士山の上空にいる志村くんに思いが届けばいいですね!

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