カテゴリー「旅行・地域」の1038件の記事

2017.03.22

修学旅行2日目奈良

Th__20170322_13_15_20 連の「地球平和シリーズ」。やはりここで完結でしょうか。
 聖徳太子の命日であるお会式の日に、毎年法隆寺と中宮寺を参拝させていただいています。職権濫用とも言えますな(笑)。
 今日もまた、「八紘為宇」の夢殿で、強烈な霊感を得ました。苫米地さんに言わせると、こういう厨二病的思い込みというのは統合失調症…いや、統合過剰症らしいのですが、彼の言葉をそのまま使わせていただくと、いわゆる「order」(私の言うコト)にはまらない「disorder」(モノ)受信のためには、世間で言われる「過剰さ」が必要ではないかと思う次第です。なぜなら、それが事実とか真実とか科学的とかいうのを超えて、人を世界を動かしてきたからです。
 そういう意味では、仲小路彰の「夢殿の幻〜聖徳太子の救世悲願」に描かれている世界も非常に過剰に統合されていますね。だからこそ、訴えかける力があるのだと思います。
 ある意味、科学にせよ、文学にせよ、音楽にせよ、人間に与えられた「過剰なる統合意識」によって生まれたコトであって、しかし、いつも言うように、「コトを窮めてモノに至る」わけで、宇宙の真理に近づくための条件を得て私たちはどうすればよいのか、そう、ワイドショーレベルではない、もっと高次元の「興味」を持つべきなのではないかと思うのです。
Th__20170322_13_30_25 仲小路彰は、川添史郎の光輪閣を通じて、高松宮さま、そして高松宮妃喜久子さまを通じて、法隆寺、中宮寺とつながり、「本当の」グローバリズム、すわなち「八紘為宇」を構想しました。21世紀のために。
 いよいよ時代は21世紀となり、「偽物の」グローバリズムは衰退しつつあります。なるほど、まさに今こそ、彼の説いた「グローバリズムからコスミカリズムへ」の実現の時代なのかもしれません。
 そんなことを夢殿の中の救世観音さまと、中宮寺の如意輪観音さま(弥勒菩薩さま)からお伝えいただきました。中二病だろうと、統合失調症だろうと構いません。自分にとっては紛うことなき真実ですし、明らかに自我を超えたところでの理想だと感じていますので。
Th__20170322_12_48_44 お会式…まさに聖徳太子の「和」の精神を象徴していました。仲小路彰によれば、「和」は出雲のオオクニヌシの「和魂(にぎみたま)」。それが憲法の第一条。第二条が仏法。すなわち、日本古来の神道がベースになって、表面上仏教に譲っている(国譲り)ように見えるけれども、あくまでベース(無意識領域)は神道。縄文。
 お会式の音楽は素晴らしいですよ。表向き、すなわちお客様に見えるところでは、僧侶が経を諷誦し、聲明を歌いますが、その裏では伶人たちがずっと雅楽を奏しているわけです。
 同様に、法隆寺も中宮寺も、あるいは東大寺もそうでしたが、寺院は豪華絢爛で大規模ですが、その片隅に無名の神社が点在している。
 私たちの意識の上、すなわちコト領域では、仏教が主体で神道がオマケに見える。違うんです。モノ領域においては、明らかに神道の方が主なのです。
 コトはあくまで人間の脳ミソによる限定された世界。その他、無限の補集合がモノなんです。だから、逆に言えば、全然小さくて良いし、名前なんかいらない。それが神道の世界なのです。
 今日はそんなことを奈良で強く感じました。理屈ではないけれど、間違いないなと。日本はすごい。やっばり聖徳太子は厩戸皇子ではなく、聖徳太子ですよ。

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2017.03.21

修学旅行1日目広島

Th_img_9814 年、この時期は中学校の修学旅行の引率。コースも毎年一緒ですが、その年どし感じることが違うので面白いもので。
 今年は一昨日からの流れで、やはり日本の近過去の歴史と対峙する旅となりそうです。
 一日目は広島。宮島から平和記念公園へ。被爆者の方の講話をお聞きし、平和記念資料館へ。
 欧米の方、特に白人の方が多くてびっくり。昨年までとは明らかに様相が違います。
 これは言うまでもなく、オバマ前大統領の広島訪問と、そこでのあのメッセージ発信があってのことでしょう。オバマさんGJです。
 原爆投下から72年となろうとしています。あと四半世紀も経てば、被爆者の方も限りなくゼロに近くなることでしょう。これはしかたありません。
 その時、私たちはどうするのか。どうあるべきなのか。これが「歴史」の難しさであり、しかし一方でだからこその進化のチャンスでもあるのです。
 たしかに講話を拝聴し、資料に触れると、暗澹たる気持ちになります。二度と繰り返しませぬ…これは当たり前のことです。そこにとどまっていたら、やはり戦後は戦後のままでしょう。
Th_img_9810 私は、最近仲小路彰の思想に触れる機会が多い。彼の非常に未来的な考え方は実に魅力的です。あまりの未来的思考のために、おいおいさっきまで言っていたことはなんだったの?と思われてしまうほどです。
 昭和20年の8月、仲小路は実に彼らしく未来的な提言を多数出しています。政府に向け、軍隊に向け、皇室に向け、国民に向け。
 その一つが、「原子爆弾に就いて」という文書です。おそらく8月20日前後に作成されたものだと思われます(今、調査中です)。
 「幾十万の死傷者を出し、一瞬にして全都市を壊滅に帰せしめたる貴重なる広島および長崎の両都は、これをなるべく現状のまま保存して、あらゆる角度より百パーセントに活用し、もって人類を一大反省せしむる最も迫力在る活資料となし……」
 結果として、広島全都市が活資料となることはありませんでしたが、原爆ドームがこのように「現状のまま」保存されたことは、仲小路の提言の一部が実現したとのだと解釈しても間違いないでしょう。
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 そして昭和30年、坂倉準三ルートで仲小路の影響下にあったと言える丹下健三が、あのように哲学的にシンボライズされた平和記念公園を設計したのは、当然と言えば当然であったと言えましょう。
 そんな仲小路彰の思想、それも彼が21世紀のために遺した膨大なる「提言」を、この時代に世に出すことが、私の天命であると思っています。
 多くの尊き魂に背中を押されて、今、それを命懸けでやろうと思っているところです。

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2017.03.20

興亜観音〜瀬戸龍介さん春分の日特別公演

Th__20170320_9_23_41 海伊豆山に泊まった際には必ずお参りするのが、宿の目の前の山の上にある興亜観音。
 B級戦犯として他のA級戦犯たちとともに処刑された松井石根大将が建立した観音さまです(一昨年のこちらの記事参照)。
 昨日の河野壽さんの運命を変えた二・二六事件は昭和12年の出来事。よく言われるように二・二六事件から、日本は戦争への道を突き進んでいったように見えます(見えるだけで、二・二六事件が直接的な引き金の一つとは考えていませんが)。
 その昭和12年の12月、南京事件が起きます。それを指揮したのが名老将松井石根大将でした。
 今でもその事件の真相について喧々諤々の論争が絶えませんが、いずれにせよ、東京裁判ではその責任を押し付けられ、松井大将は死刑となります。
 松井大将は山中湖に別荘を持っていました。別荘でゆっくりしていた時に、南京戦の指揮官として自らに白羽の矢が立ったことを知ります。その時の苦悩は計り知れません。
 間接的にではありますが、松井大将と仲小路彰は関係しています。山中湖つながりということもありますが、のちの東京裁判に仲小路が秘策を投じたということを考えると、また不思議な縁というものを見出すことができます。
 今日、興亜観音の住職さまとそのことについて語り合いました。たまたま同席していた東京からいらしたという方とも、なんとも不思議なご縁があることが分かり、もうこれは間違いなく、霊的な力、松井閣下のお力添えによって、ことが動いているのだと確信した次第であります。
 たしかに昨年、興亜観音を参拝し、住職さまに初めて仲小路彰のことを語らせていただいてからというもの、あまりに劇的に何かが動き出しました。まさか1年でここまで進展するとは思わなかった。
 まったく不思議なことであります。これからもまた、私は霊界からたくさんのご支援をいただき、背中を押されて生きていくのでしょう。ありがたいことです。
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 さて、熱海をあとにした私たちは、富士山北麓に急いで帰って来ました。尊敬する偉大なミュージシャンであり、僭越ながら魂の友でもあると信じている瀬戸龍介さんのコンサートが忍野村であるのです。
 一昨日でしたか、瀬戸さんからお電話とメールをいただきお誘いいただいたので、家族全員でうかがうこととしました。春分の日の特別ライヴ。そして、忍野村では初めてのライヴ。瀬戸さんも忍野村に住んで10年となるのに、初めてとは私も少し驚きました。
 そして、これが本当にまた素晴らしすぎて言葉にならなかったのです。先日の万有引力「身毒丸」でお会いしたシーザーさんと同様、瀬戸さんもまた、あまりにパワフルで、若い若い。そして、世界に通じるホンモノの芸術家。
 分かっていましたが、深く深く再認識させられました。こんなすごい方と、私も何度か共演させていただいているわけですから(それも即興で)、なんとも自分の図々しさというか、ちゃっかりはったり力には恐れ入ります(笑)。
 音楽ももちろんですが、トークも良かったなあ。大東亜戦争の話もありましたね。原爆や特攻のお話。昨日からの流れにぴったり。
 そう言えば、興亜観音のご住職も原爆のお話をされました。そして、明日の今頃は、私は修学旅行の引率で広島にいるんです。修学旅行も毎年のことですが、ちゃんと考えてきなさい、感じてきなさい、祈ってきなさいとのお示しですね。ありがたい限りです。
 本当に、ご住職さま、瀬戸さん、ありがとうございました。魂のレベルが上がった気がします。そして行ってきます。


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2017.03.19

河野壽大尉自決の地

Th__20170319_15_34_37 日は新入生オリエンテーションのあと、家族で熱海へ。毎年恒例の山口家年度末慰労会であります。
 いつも贅沢なお料理とお酒、そして温泉を堪能し、来年度への英気を養わせていただいていますが、今日は宿到着前に不思議なことがありましたので、それに関することを報告しておきます。
 ご存知の方はご存知のとおり、ワタクシたち夫婦は一昨年の夏より、全く不思議なご縁で、80年前の二・二六事件に関わらせていただくことになりました。
 もう、本当に筆舌には尽くしがたい不思議なことや、辛いこと、そして奇跡なことや、感動的なことに見舞われてきました。
 今だから書けますが…家内は何度か死にかけています。車は2回ひっくり返りましたし(苦笑)。その発端となったのが(家内の)右腕の痛みです。首相官邸(すなわち現場の一つ)に行ったその日から始まった激痛。その後まる1年をかけて少しずつ謎が解け、事が運び、そしてそのたびに軽くなっていった痛み。
 今日その痛みが突然再発したのです。ある場所で…。
 その場所とは、目的の宿に着くすぐ手前。国際福祉大学熱海病院のあたりです。
 同病院はかつての陸軍病院(東京第一衛戌病院熱海分院)。二・二六事件で、光風荘にいた牧野伸顕元内大臣を襲撃し(て、失敗し)た河野壽大尉が入院し、そしてお兄さんが差し入れた果物ナイフで自決した場所です。
 実は昨年のこの旅の時に、二・二六事件と熱海という記事を書いているんですね。そこから1年後、こういうことになるとは…。
 家内が突然痛みを感じて思わず左手で右肩を押さえた時、前方の信号が赤になって私は車を停止しました。すると、そのすぐ右横に上の写真の案内標柱が立っていたので驚いたのです。
 いつか訪れようとは思っていましたが、どこにあるかは全然知らなかった。偶然とは思えない衝撃に思わず絶句してしまいました。
 さあ、ということで、ここからあの時代を巡る、魂の旅が始まることとなりました。明日以降の記事に続く。

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2017.03.17

『地学ノススメ』 鎌田浩毅 (講談社ブルーバックス)

Th_51zzvcqkdpl_sx314_bo1204203200_ 有引力…と言っても昨日の演劇実験室ではなく、本当の(?)万有引力の話題から始まるこの本。非常に面白くためになりました。
 意外に思う方もいらっしゃるかもしれませんが、国語のセンセーをやっているワタクシは、実は地学の教師になろうとしていたのです。第一志望は某国立大学の地学専攻だったのですが、受験に見事に失敗して、なぜか文学部国文学科に進んだのがワタクシであります。
 まあ、今となってはですね、国語の先生で良かったと思うわけですが、相変わらず地学も好きでして、それが高じてとうとう富士山に住むようになってしまった。地震や火山、天文や気象に興味のある人間としては、富士山は最高の住処であります(笑)。
 そんなワタクシではありますが、たしかに地学の知識はあの頃の大学受験用の知識で止まっているかもしれません。つまり35年も前の知識なんですね。
 この本にも書かれているように、地学の教科書に載る知見は、数学、化学、生物、物理に比べて、ある意味非常に新しい。21世紀的であると。
 しかし面白いですよね。地層にせよ、化石にせよ、めちゃくちゃ昔の情報を研究している。天文学に至っては、超最先端の研究になればなるほど、どんどん古い情報と対峙するようになる。望遠鏡で観る星の光が何年〜何百万年前のものだというのは言うまでもなく、ビッグバンやそれ以前の研究となると、もうほとんど神話的な時間感覚にまで及んでしまう。
 そんなところが、地学の面白さでありましょう。どうしても、過去から学び、現在と未来に生かさざるを得ない。ちょっと歴史学的な、つまり人文科学的な「ロマン」とでも言いましょうか、そんな魅力がありますよね。
 鎌田さんのこの本は、そのあたりを非常に上手に表現しています。きっと鎌田さん自身もロマンティストなんだろうなあ。文章もお上手だし、語り口も人間を感じさせる。
 本来、そういう「人間」や「ロマン」などというモノを排除するのが科学のあり方だと思うのですが、昨日の「万有引力」がそうであったように、まさに「コト(情報・過去)を窮めてモノ(不可知・未来)に至る」世界がここにあるんですよね。
 だから、私は地学が好きなのだなあと、あらためて確認することができました。
 先日、私の「文系的地震予測」に対して、それこそ京都大学の某先生がずいぶんと辛辣に苦言を呈しておりましたが、正直、私は彼のことが心配ですよ(笑)。

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2017.03.11

バッハ 『カンタータ第106番(BWV106)』

 らためまして東日本大震災でお亡くなりになった方々のご冥福をお祈りします。
 昨日につづき、今日もバッハのカンタータで追悼の意を表したいと思います。
 今日は有名な哀悼カンタータ「神の時こそいと良き時」です。
 冒頭の、リコーダーとガンバの織りなすソナティーナは名曲中の名曲ですね。このようにスコアを見ると分かる、いや逆に分からなくなるのは、リコーダーパートの作曲意図です。ユニゾンの部分と、1st単独の部分と、そして、互いが波をずらして干渉(不協和)を起こすところ。これは聴いただけでは分からない、何か楽譜上の暗示があるのでしょう。哲学的、あるいは科学的な何かだと予感されます。
 その後のカンタータ本体においても、リコーダーパートは不思議な構成になっています。完全なユニゾンから思いきや…。
 昨日も書いたように、バッハのこのレベルになりますと、完全に高次元宇宙と直接つながり、すなわち霊的な世界、あるいは私たちの感情、情緒の世界、あるいは歴史をも含む情報の世界が、この現界に再現されることになっているようです。
 キリスト教という信仰を超え、まさに追悼にふさわしい音楽であると思います。御霊安からんことを。

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2017.03.09

『鎌鼬 田代の土方巽』 (慶應義塾大学出版会)

Th_91pqx6n4jil 日3月9日は伝説的舞踏家土方巽の誕生日です。9日生まれなので、本名は米山九日生(くにお)です。
 彼と私の出会い…もちろん生前の彼とではなく、霊的な意味での出会い…は、家内と結婚した時に突然訪れました。ただ、しばらくは私も気づかなかった。
 それが明らかになってゆく過程については、ぜひともこちらから辿っていろいろご覧ください。
 そして、このたび、私たち夫婦の一つの夢が実現しました。「鎌鼬」の田代に土方巽の記念館を。それこそ、私たちが土方と出会った時には、単なる妄想でしかなかったことが、昨年秋、「鎌鼬美術館」として実現したのです。
 それも本当に不思議なご縁が重なり、私たち夫婦も本当にごく間接的ではありますが、この奇跡の実現に関わらせていただきました。本当に不思議な力が働いていると思います。
 思えば、カミさんの生まれ故郷「羽後町」に行ってから、本当に私自身人生が大きく動きました。秋田に全く縁がなかった若い頃に気になっていた、たとえばこの土方巽や細江英公、白井晟一、佐藤信淵、そして「角石」などが、みんな羽後町に関係した人々だった…もう、これは本当に偶然とは思えません。なにしろ、それぞれまあ「秋田」という意識というか知識はありましたけれども、みんな一つの町に収斂していくなんて、夢にも思っていなかったからです。
103_2 それも義母の実家の前で、あの「土方カラス」の写真が撮られていたとは…。
 そして、鎌鼬美術館オープンを祝して、慶應義塾大学アート・センター土方巽アーカイヴの森下隆さんらが、「鎌鼬」の中の「田代」篇を再編集して作り上げたのが、この写真集。
 ホンモノの「鎌鼬」は高価ですので、こちらでそのエッセンスを手に入れるのもいいと思います。貴重な文章もたくさんありますし、私としても格別な感慨がありました。こうして「田代」という地名がパブリッシュされる感動。
 この春休みには、久しぶりに田代に行く予定です。雪解けの田代を訪ね、もちろん鎌鼬美術館にも足を運んでみようと思っています。
 もう偶然なのか必然なのか。最近の仲小路彰との関わりも含めて、どうも私には「掘り起こす」天命があるようですね。ありがたいことです。

Amazon 鎌鼬 田代の土方巽


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2017.03.03

昭和三陸地震&津波

Th__20170304_130408 までも何度かこの日に書いたような記憶がありますが、今日はひな祭り…ではなく、昭和の三陸地震&津波の日です。死者・行方不明者3000人以上。
 1933年の3月3日の未明の地震。最大震度は5でしたから、東北地方の太平洋岸の皆さんもそれほど危機感を覚えなかったと思います。
 しかし、マグニチュードは8.1。巨大地震でした。皆さんご存知のとおり、その日から37年も前に起きた明治三陸地震の最大余震です。
 37年ですよ。たとえば2011年の巨大地震で考えると2048年になります。巨大であればあるほど、そのタイムスケールも巨大になり、人間の記憶や思考を超えてしまう。そこが怖いところです。
 アウターライズ地震でしたから、陸地からはある程度の距離がありました。揺れが収まってから30分くらいで津波の第一波が来たわけですから、夜中だったし揺れもそれほどでもなかったこともあって避難する余裕はなかったと思います。
 当然のことながら、2011年の東北地方太平洋沖地震のアウターライズ型の余震も発生するでしょう。それがいつなのか。正直全く分かりません。今日かもしれませんし、本震の規模からして50年後かもしれません。しかし、発生することだけは、まず間違いない。
 昨年の夏以来、私が計測している富士山のラドン濃度が比較的高めで推移しています。これが、震災前の正常な状態に戻ったと考えるか、次の大地震の予兆と考えるかは、判断が難しいところです。
 しかし、防災意識上、当然のことながら後者の覚悟はしておくべきです。ワーストを想定するのが防災の鉄則ですから。
 先日、そのラドン濃度値が過去最高タイの42ベクレル毎立方メートルを記録しました。これが何を意味するのかについても、やはりワーストを考えねばなりません。
 考えうるのは、富士山の火山活動、近隣地域(たとえば道志川断層)での比較的大きな地震、東北地方でのアウターライズ地震、房総沖から小笠原沖にかけての巨大地震…あるいは全く想定外の場所での大地震。
 1933年の昭和三陸地震の時の首相はかの斎藤実です。岩手県出身であり、富士山にも縁が深い人物。国際連盟脱退もあり、そして、二・二六事件にて殺害されました。大変な時代でした。
 昔は、大きな自然災害などがあると、年号を変えましたね。ある意味、このたびの天皇譲位問題は、そこにもつながっているのですね。

三陸沖強震及津浪報告

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2017.02.26

戦前戦後史人権フォーラム「2.26事件とゾルゲ事件そして岐阜の人々−安藤輝三・尾崎秀実・伊藤律」

Th__20170227_155826 しくて、こちらも簡単な報告になってしまいます。いろいろ書きたいことはあるのですが…。
 今日は二・二六事件から81年目の日。一昨年から突然、二・二六事件、特に安藤輝三大尉と時間を超えた不思議なご縁をいただいた私たち夫婦。
 この日をどのように過ごすか考えていたところ、なんと2・26事件で反乱指揮の安藤大尉 処刑直前の手紙を26日に中津川で公開というニュースを偶然目にして、急遽岐阜は中津川市に向かうことにしました。
 富士山から中津川まで高速道路を使って約3時間半。考えてみると、リニアが開通すれば10分くらいで着いてしまうんですよね。それほど直線距離は近いのに、南アルプスのおかげでとても遠く感じる「岐阜県」です。
 結論から申しますと、時間をかけて行った価値は充分すぎるほどにありました。安藤輝三さんの甥っ子であられる安藤徳彰さんにお会いでき、そして発見された「遺書」の実物などに触れることができただけでも、本当に感涙ものでしたが、またそれと同じくらい、登壇者の皆さんのお話が興味深く興奮を誘うものでした。

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 私もある程度、本当にある程度ですが、仲小路彰を学ぶ中で、ゾルゲ事件のこと、特に尾崎秀実やその愛人だったと言われる関屋敏子(三浦環の弟子です)、そしてタイムマシーンに乗って帰国し(?)戦後史にまで大きく関わってくる伊藤律についても知識はありました。
 しかし、今日聞いたお話は、そうした私の先入観、先入知識を完全に覆すものでした。陰謀の裏の陰謀。スパイがスパイではなく、スパイではなかったはずの人がスパイだった…。
 そんな単純なことではないかもしれませんが、やはり「真実」を知りたいという気持ち、資料や証言にあたって「嘘」を暴いていくことは、非常に重要なことであり、いよいよ昭和史もそういう対象になってきたのだなと思いました。
 しかし、一方で、たとえば今の私の感想のような、ある種の「個人的興味」によって、実際にその歴史を紡ぎ、またそれを背負わされた人々(本人やその周辺の人々)の人権が蔑ろにされてきたということにも気づかされました。
 今、私もまた、秘された昭和史を「暴く」仕事をさせていただいていますが、そうした視点が正直欠けていたことに反省させられました。
 残された「事実」の上に、生きている人間の、言葉にならないような体験や感情が重なって、「真実の歴史」になっているのだということに、今更ながら気づかされたわけです。
 それにしても、研究者の皆さん、特に渡部富哉さんのパワーには恐れ入りました。まさに執念ですね。
 孫崎享さんとも初めてお会いしお話させていただきました。仲小路彰のことはご存知ないようでした。あま、それそうでしょうね。
 そのあたりは私のこれからの仕事でしょう。
 最後に一つ。安藤輝三の刑死寸前の「怒」とは、何に向いていたのでしょうか。
 ふと、思ってしまいました。もしかして、二・二六事件もまた、あちら側の陰謀だったのではないかと。あり得ることですね。
 非常に純粋に東北の貧困などを憂えていた安藤。彼の目指したものは、ある意味では共産主義革命でもあったわけです。そんな純真さを利用されていたとしたら…。
 それに安藤が気づいたら、それはたしかに「怒」になるでしょう。そのあたりの研究も、もしかすると、私に与えられた宿題かもしれません。

 追伸 27日付けの岐阜新聞に今回のフォーラムについての記事がありました。 
戦前戦後の事件検証 安藤輝三、尾崎秀実、伊藤律を再評価


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2017.02.23

2月23日…「統合・融合の日」

Th__20170224_181833 日は富士山の日にして皇太子殿下のお誕生日であります。
 そして、2年後には富士山の日にして天皇誕生日となる可能性が高くなってまいりました。
 3年前の今日と、2年前の今日、このブログで富士山と皇太子さまのお話を書かせていただきました。
 ほとんどそこに書かれたことが全てであります。「日本の象徴」は天皇と富士山。異論はないでしょう。
 地元の私たちがそうであるように、日々富士山を仰いでいるとついその存在すら忘れてしまう。天皇家もまた同じような存在です。そして、それで良いのだと思います。
 意識化・言語化(コト化)されないモノだということです。それは間違いなく信仰の対象ともなりえますが、しかし、明らかに宗教とは違う。そこがポイントであります。
 さて、3年前と2年前にも書いたとおり、富士山は、国譲りの際に分裂してしまった出雲(オオクニヌシ)の荒魂と和魂が再び融合する場所。統合の象徴であります。
 そして、天皇家も1318年の後醍醐天皇即位以来南北に分裂してしまっていますが、いよいよそれから700年経って2018年に今上天皇の譲位をもって、その歴史を終え、皇太子さまと秋篠宮さまという、まさに南北両朝の霊統を嗣ぐお二人によって、融合、統合の時を迎えることとなります。
 本当の意味での「日本国統合の象徴」たる富士山と天皇。その記念日が重なるのは、これは偶然ではなく必然、運命であります。実に明るい未来が待っていますね。ありがたいことであります。

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