カテゴリー「旅行・地域」の1028件の記事

2017.02.21

仲小路彰 『夢殿の幻〜聖徳太子の救世悲願』より「甲斐の黒駒」

Th_20101004100221 和の天才、いや人類史上最大の天才の一人と言ってもよい、歴史哲学者の仲小路彰。今、その思考と活動の全貌が明らかになろうとしています。いや、知れば知るほどその深さ、広さに全貌が見えなくなってしまうというのが正しいかもしれません。
 群盲象を撫ず。もうどうしようもないほどのスケールですので、群盲の数を無限に増やして、なんとか全体像を輪郭だけでも把握しなければなりません。
 とにかく感じるのは、一部の少数の人が、自分の立場だけで彼を解釈すると、大きな間違いを起こすということです。あまりにその言説が多様なので、ある意味都合の良いところだけを取り上げて、一つのストーリーを作ることができる。これは仲小路彰研究の陥穽であると思います。
 さて、膨大な仲小路の著作物の中でも、ひときわ強力な光芒を放っているのが「聖人伝シリーズ」です。
 釈迦、孔子、ソクラテス、イエス・キリスト、マホメット、聖徳太子という六聖人の未来的本質を示した戯曲調の文章群です。
 中でも白眉は、そうした世界の聖人の思想を融合した聖徳太子について書かれた「夢殿の幻」。これについては、以前こちらで少し紹介しましたが、このたび改めて読んでみました。
 その中で、富士山麓に住む者として、特別な感慨を覚えた部分があります。今日はそれを活字化して紹介いたします。
 山中湖畔に住み、富士山を未来の地球平和の象徴として観じていた仲小路彰ならではの内容です。地元に濃厚に残る徐福伝説などにも触れながらの、実に味わい深い文章となっております。弥勒の世という言葉も出てきますね。また、須弥山(シュメール)と富士山を重ね合わせているところも、仲小路彰らしいと言えましょう。
 では、どうぞお読みください。

 第四章 甲斐の黒駒

 朝に夕におよそ十年の間、休むことなく太子の愛馬、甲斐の黒駒は、おだやかに広がる飛鳥野をわが主太子をお乗せして、いともまめやかに蹄の音も高く、元気にかけめぐった。
 ある時は春のやわらかな微風のように、花々の間を黒々と毛並を光らせながら走りゆき、ある時は、すさまじい雷光の下をとどろきわたるいかずちにも負けず、その速さを競った。
 冴えわたる秋の月光をあびながら、もの思いにしずまれる太子を、いささかも揺がさぬようにしずかに足を運び、また吉野おろしに道も白く、いてつく上を決してすべらぬ、たしかな足どりでま冬の朝をかけすぎた。
 道のほとりの人々は、いつも太子を拝すると同じく、その黒駒を何よりも親しく送り迎えして、折々のさまざまな好物を馬にささげることもつねであった。
 太子のいますところ馬はあり、馬のいななきが高らかにひびけば、尊い太子のお姿が、人々の眼に何よりも喜ばしげに映じ出された。
 かくもけなげに忠実にお仕えする黒駒を太子はこよなく愛されて、もし季節の変り目に何か馬に異常があり、食のすすまぬ時があれば、太子はそれこそわが身の病い以上に案じられ、その回癒を切に祈られた。
 夜にあっても、時には厩戸を見廻わられ、いかにも御名にふさわしい馬への深い因縁の愛情を示された。
 かくて愛馬は太子のあつい信仰のままに、さながら霊の翼ある天馬と化して、空をしのぎ、雲を分けて天翔りゆくかと思われるほどに成長した。
 いかなる時にも黒駒は、太子をしたって高らかにいななき、そのひづめをひびかせて、太子をお待ちしていた。
 夢殿の夜は、まことに静かで、かなりへだたった厩戸の音が、かすかにひびいて来ることもしばしばである。
 ふと太子は、さえさえとした月光の中に、黒駒のつややかなたて髪と、そのつぶらな眼があさやかに光っているのを見られる。
 太子は軽やかに馬上の人となられー「さあ、行け」と凛然としたお声をかけられる。馬は、いかにもうれしげにその首を動かし、耳を立てて一散に走りゆく。たれもお供する者もない。大和三山は黒々とまなかいにあって、みるみる小さく去ってゆく。
 もはや地上を走るのではなく、さながら天上を風のように天翔ける如くである。山を越え、森をすぎて、河は白々と流れる大和の山河を一瞬にかけ去って、今やはたしもない海の上を雲とともに飛んでゆく。
 長い海浜に打ちよせる波は、白い糸となって連なり、星々は天上の音楽を奏でるかとま近にきらめく。
 はるか彼方には、かぐろくも山脈がさまざまな陰影をもってそびえ立ち、その大いなる自然は、いかにもわが国のたぐいない美の世界を展開している。
 まことに、これこそ地上の楽園であり、そのままが寂光の浄土であると、太子は讃美せられる。ー黒駒よ、汝の故郷はどこか、甲斐の国は、ーいかにも黒駒はそれを知るように、ひたすらに東北への道をひたかけりゆく。
 まさにその時、とうていこの世ならぬ荘厳な須弥山さながらの姿をもって、わがあこがれの富士の霊峰が、あのように鮮やかに鎮もっているのを、太子は展望される。
 しかも東の空は、ようやくほのかに曙の光を予兆するかと白みはじめる。ただ蒼茫たる未生の海原も、たちまち多彩な光のまんだらを現じはじめる。その光は、まさしく霊峰の上にかがやき、永遠の雪は神秘な赤に燃えはじめる。
 天も地も富士によって一つに結ばれ、一切は、その神の峰によって、目さめゆく。まことに天地の別れし時を再びここに相結ぶ、この一刻である。
 その麓には、ほの白く富士川はめぐり、それをさかのぼる所、わが黒駒の故郷の損するのか、今こそ一きわ高く愛馬はいななく。わが故郷はここにありと、心をこめて叫ぶごとく ‥ ‥
 これぞ神のいます聖なる峰か、美しく木花咲耶姫の舞い舞う万古の雪をいただく、白き峰か ‥ ‥
 ようやく山をめぐる霧は限りなく開け、その間に点々と光る首飾りの宝玉の如き湖のつらなり、あれこそが常世の神と称せられる神の姿か、緑なす森の中に生れし神の蚕と云われるものか、これを祭れば老いたるものも若さにかえり、いかに貧しきものも、幸ある恵みをうけるとされる信仰であるか ‥ ‥
 けれど常世とはどこであろうか。それはもと黄泉国とされたものではなかったか。そは死の国であり、死とは何であるか。ここに死を越えるものへのあこがれとして、不老不死への悲願がある。
 さればこそ、かつて、かの大陸の秦始皇は不老不死の妙薬を求めて、徐福らを東海の神仙の島に送ったとのことが司馬遷の「史記」に見られる。
 ついに彼らは帰らなかったが、あるいは、このあたり絹と光る湖のほとりに安住したのであろうか。
 この神の山の麓にこそ、わが夢に見た浄土の地か、常世とは、不死の国、そは弥陀が極楽浄土とされた仏国土か、さらにこの富士のあたりこそ次に来る末世の後の弥勒の世の現ずる地なるか、やがて果てしなき戦乱の世に、ここにこそ果してとこしへの平和の訪れるあたりか、まさしく富士への信仰は弥勒の信仰とともにあるのか。
 弥陀が念じられた須弥山とは、まさしくここ富士の峰か、我もまた徐福の如く、この山麓に、わが愛する黒駒を心ゆくままに走らせて寂光土をここに現ぜんかなーと太子は、明けゆく秀麗な大自然の中を御夢とともに限りなくかけめぐられたのである。

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2017.02.11

トランプ大統領は富士山に来るか?!

20170212_92243 倍首相夫妻がお見事な外交をしています。スサノヲとクシナダヒメを上手に持ち上げつつ信頼を得ている様子です。
 ゴルフは最高の密談の場です。自然の中でリラックスしながら、また頭だけではなく体を動かしながら、そして時間をかけて、余計な人間を排して話をする最高の機会です。
 政治、外交のシロウトであるトランプさんが、今や世界唯一の安定政権の主役を頼りにするのは当然でしょう。イヴァンカさんが「アベの言うとおりにして」と言ったとおりですよ(笑)。
 もうこの時点で日本は上位に立ちましたね。相手が聞く耳を持つということは大切です。
 夏にはトランプさんが来日するという話にもなったようです。大いにけっこうでしょう。
 その際にはぜひ富士山へ!
 もちろん富士山という地球平和の中心の山(天教山)を仰いでいただくことももちろんですが、リニアに乗っていただくというのもいいですし、なんと言っても、トランプさん最大のライバルにして盟友であった柏木昭男さんの故郷ですからね、富士吉田や河口湖は。
 というかトランプさん自身、富士山に来たいと思っていることでしょう。
 変な話ですが、私とその周辺のお変人たち(?)は、その日のためにスサノヲと富士山を結びつける神事を行なってきました。まさかこういう展開になるとは思わずに、ではありましたが、結果としてはその日のためにということになりそうな気配です。
 今年になって、さらに動きが加速しています。本当にそれを体感しています。そうしたストーリーの中の重要な登場人物がトランプ大統領であるということです。
 今日は紀元節。安倍首相もこのようなメッセージを出しました。ここにある「未来」の象徴が富士山であり、そして皇室であるのです。日本の象徴である天皇と富士山は、これから地球の融合の象徴となっていくのです。
 どうぞトランプ夫妻、そんな「象徴」の波動を受けにいらしてください。

 

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2017.02.10

銀谷翠 「認知症は治る!」

 田の素敵な女性たちを集めていろいろ未来的なことをやろうと(勝手に)画策しております。お誘いしたい秋田美人のお一人が「闘う女医」こと精神科医の銀谷翠さんです。
 実はまだ銀谷さんとはお会いしたことはないのですが、今ちょっと関わっている未来医療の関係で、とっても近い位置におられます。ある意味同じ世界にいますので、きっと今年は秋田の美味しいお酒を酌み交わす時が来ることと思います。
 そんな銀谷さんがチャンネル桜の女子会に登場され、現代医療、特に薬漬けの精神科医療に対して、「本当のこと」という爆弾を投下してくださりました。
 私もほぼ100%同意いたします。そして、賢い製薬会社の方々から攻撃どころか理解をいただいているというところに、一筋の光明を見たような気がいたします。
 そして、やっぱり秋田と言えば「納豆」ですよね(笑)。伝統的な和食が一番です。
 いよいよ医療、福祉の世界が変わりますよ。日本が変えていく時が来たようです。
 

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2017.02.06

『アジアを救った近代日本史講義』 渡辺利夫  (PHP新書)

戦前のグローバリズムと拓殖大学
Th_417xzlk24l 日はこの本の著者の渡辺利夫さんにお会いする機会を得まして、1時間ほど熱い熱い対話をさせていただきました。
 この私にとって望外の幸運に出会えたのは、まさに2週間前に読んだこの本のおかげさまであります。
 仲小路彰の「グローバリズム」を学んでいる私が、なんとなく「戦前のグローバリズム」という言葉に惹かれ手に取ったのがこの本。
 拓殖大学の総長も長年務められ(現在は顧問)、また多くの団体の重要なポジションにおられる渡辺先生は、私からすると雲の上の人物。純粋に本の内容も素晴らしく勉強になることばかりだったのですが、その中になんと、仲小路彰が主宰していた「スメラ学塾」の文字があるではありませんか(文中では「スメラ塾」となっていました)。
 ジャワでの宣伝戦で活躍した、拓殖大学出身の若林光也さんらの活躍ぶりが紹介されていました。ジャワという文字を見て、ふと思い出した文献があり、家に帰って確認してみると、なんとまさに若林さんらの宣伝工作部隊に関する文書があるではないですか。
 驚きのあまりに、先週さっそく渡辺先生が理事長をされている地元山梨総研を突撃力で訪れて、結果今日のこの邂逅に一気にこぎつけてしまいました。普段お忙しく、なかなか故郷である山梨においでになる機会のない渡辺先生が、ちょうどお仕事でいらっしゃるというのですから、完全に目に見えない力が働いていますね。
 さあ、実際にお会いしてじっくりお話させていただいたのですが、いやあ本当に想像以上に魅力的な立派な先生でいらっしゃいました。私のようなどこの馬の骨かも分からぬ者の話を、メモを取りながら一生懸命聞いてくださり、大変有用なアドバイスも多数いただきました。本当に大感謝であります。
 今度また飲みながら(笑)ゆっくり話しましょうとおっしゃってくださり、本当に今後の未来的発展に明るい希望を与えていただきました。ありがとうございます!
 それにしてもこの流れはなんなのでしょうか。全く無駄がないこの流れ。これは大きなことが動き出しますね。皆さんも期待していてください。日本はすごいことになりますよ、きっと。私も微力ながら頑張らせていただきます。
 悠々として、急げ…です。

Amazon アジアを救った近代日本史講座

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2017.02.03

渡辺さんは豆まきをしない?

Th_img_9185 日は節分。我が家の節分についてはこちらに書きました。鬼も内です。
 さて、今日職場でも話題になったんですが、なんだかテレビで「渡辺さんは豆まきをしなくていい」という話題が取り上げられたそうですね。
 全国でも特に渡辺姓が多いことで有名な、我が校のある山梨県富士吉田市ではどうでしょうか。いや、なにしろ、あるクラスなんか生徒の3分の1が渡辺(字はいろいろ)だったこともあるほどです。そんなわけで、この地域ではお互いを姓ではなくて下の名前で呼びます。先生にも渡辺がたくさんいるので苗字では呼ばず、下の名前に先生をつけて呼びます。
 なんでこんなに渡辺が多いかというと、私の調べでは、南北朝時代に落ちてきた長慶天皇のお伴として、摂津の渡辺氏が移住してきたらしい。全国の渡辺氏と同様に家紋は三ツ星に一文字です。
 いろいろな字がある「ワタナベ」さんですが、特に「渡邊」と書く家系は、渡辺綱の末裔を自負しています。渡辺綱は言うまでもなく、大江山の酒天童子退治、一条戻橋で鬼の腕を切り落としたなどの武勇伝で有名な武将。
 まあ、そんな事情で、鬼は「ワタナベ」さんを恐れて近づかないというのが、豆まき不要伝説の根拠のようです。
 で、結論から言いますと、当地のワタナベさんたちは、なんだかんだ言って豆まきをしているようです。豆まき不要伝説を知っている人はいますが、厄払いを重視する土地柄でもあるため、比較的豆まきには積極的なのです。
 その豆まきのしかたについても、部落ごとにいろいろと個性があるようですが、それはまたいつか調べて書きましょう。
 当地で、不要というか禁忌としてもっと根強いのは、小林家が年末の餅つきをしないという話ですね。それは武田と北条の争いに関わる話なんですが、それについてもまた後日。
 さて、富士吉田市下吉田には、そんな渡辺綱を祀った「渡邊大明神」があります。ここは非常に不思議な神社です。
 これも今日は簡単に説明するだけにしますけれど、祭神がですね、まずは渡辺綱というのはいいとして、寒川の神を祀っているんですね。さらになぜか歴代の総理大臣の揮毫が複数ある。
Th_img_7959 上の写真は渡邊大明神・福地八幡神社の扁額ですが、佐藤栄作元総理の揮毫です。拝殿の額は岸信介の書。そんなこともあって、一昨年、安倍総理夫人の昭恵さんと参拝しました。その日の記事にちょこっとそのへんの事情を書いています。お読みください。
 まあとにかく、ここ富士北麓にはいろいろとドロドロとした裏の歴史が渦巻いているんですよ。興味のおありの方は、ご案内しますのでぜひ遊びにおいでください(ご遠慮なくご連絡ください)。

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2016.12.24

フジファブリック 『眠れぬ夜』

↓お預かりしている志村くんの遺品「アメスピ」
Th_img_6856 リスマスイヴ。すなわち志村正彦の命日。もう7年ですか。年月が経っても彼の遺した宝物のような作品たちは全く色あせないどころか、ますます輝きを増しているように感じます。
 今日はたまたま東京で用事があり、車で環状七号線を移動、高円寺を通過しました。その時聴いていたのがアルバム「MUSIC」。そして、向かった先は、これは偶然でありますが、板橋区「志村」。不思議な感じがしました。
 一仕事終わって富士山に帰る車中、何度か繰り返し聴いて涙してしまったのが「眠れぬ夜」です。
 彼のこの曲、そして曲中にある「さらける」という言葉については、かつてこちらに書きましたので、ぜひお読み下さい。
 まさに「眠れぬ夜」の連続の中で、天に召されてしまった志村くん。ある意味では「さらけて」しまったのかもしれません。そう考えると、この曲の歌詞は胸に深く突き刺さります。
 あらためて、彼と本当のお別れをした2009年12月28日の日の「天に帰った才能とは…志村正彦くんに学ぶ」という記事を読み返してみたいと思います。
 志村正彦は永遠です。

Google Play Musicで聴く

Amazon フジファブリック「MUSIC」

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2016.12.12

森高千里 『渡良瀬橋』

 日も忙しいので他人の褌で…いやいや、森高千里さんの歌で記事を書きます。
 森高さんの代表曲の一つ、「渡良瀬橋」。作詩は御本人。作曲は職人斉藤英夫さん。一昨日紹介した「Snow Again」の高橋諭一さん同様、森高さんに素晴らしい楽曲や編曲を提供している方です。
 まずは、森高さん本人がピアノ、ドラムス、リコーダーを演奏して、ビートルズのレット・イット・ビーを彷彿とさせる映像に仕上がっているオリジナル・ヴァージョンをどうぞ。

 森高さん自身が、この曲が生まれてから20年目となる2012年に次のようなメッセージを残してくれています。なんともしみじみとしたいい話ですね。

 足利市には親戚がいることもあり、また、この歌にも深い関わりがあると言える、「スサノヲの到来」展が開催されたこともあって、何度か訪れたことがあります。
 しかし、まだ歌詞に登場する八雲神社には参拝しておりません。御存知のとおり、(最も有名な)八雲神社の社殿は、2012年、森高さんが参拝した数ヶ月後に不審火で全焼してしまいました。
 再建計画は多難だったようですが、森高さんを始めとする多く方々からの寄付も集まり、そして、昨年、なんと式年造替で解体された、伊勢神宮の伊勢神宮「月読荒御魂宮」の移築という形で再建されることになりました。
 八雲はスサノオ、出雲の象徴。実際、祭神はスサノオです。
 う〜ん、スサノオの力はすごい。天照大神、そして月読命の荒御魂を動かしたか…。結果として、本当に素晴らしい受け継ぎとなりましたね。まさに火事は「国譲り理論」に基づいた必然であったと。
 私も、近いうちに八雲琴を引っさげて参拝し、奉納演奏などさせていただければと思います。もちろん、出口王仁三郎の耀わん「十和田」も持っていきます。あっ、最近出ました歌集「スサノオの海」も奉納します。
 さて、この名曲、いろいろな方がカバーしていますね。まず私が好きなのは、城之内早苗さんの歌唱。大人な雰囲気ですね。

 また、元「実力派」アイドル、松浦亜弥(あやや)さんのカバーも有名です。これもまたいいなあ。

八雲神社公式

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2016.12.04

ユーキャン新語・流行語大賞 2016 について

 「本死ね」をどうとらえるか。私は非常に不快に思います。大騒ぎはしたくありませんが。
 新語・流行語に該当するのかという以前に、自国に対して「死ね」という言葉を使う「大人」の気がしれません。その言葉を使う親の子どもが気の毒です。
 人に「死ね」と言うことはもちろん、たとえば「アメリカ死ね」とか「韓国死ね」とか言えばヘイトスピーチと言われ、そして絶対に流行語大賞には選ばれませんよね。
 まあ、考え方によっては、日本という国の寛容さ、あるいは謙虚さを表しているのかもしれませんね。国譲り理論の一つとも言えます。
 いずれにせよ、こんな言葉を年末に選んで大騒ぎする国もないでしょうね。やっぱり寛容なんですよ。
 ちなみにウチの家族は誰かに「死ね」と言われたら、「ありがとう。言われなくてもいずれ死ぬよ」と言うことにしています(笑)。
 ただ、日本はしなない…と打ち込んで変換キーを押したら「シナない」となりました…これは(笑)。日本の場合は死ねと言われても死にませんよ。だから動じなくていいのです。気分よくないけれども言わせておけばよい。
 それを言ってしまった本人は、ある意味国を家族のように、親のように思っているんじゃないでしょうか。甘えられる存在。親だからこそ言えちゃうというのもあるじゃないですか。
 親も「親に死ねとはなんだ!」と一言恫喝して終わりにすればいいでしょう。
 ちなみに上の動画は民進党の公式チャンネルです。この言葉をこうして前面に押し出してくる民進党。残念ですね。いや、怒られたいのかな。甘えてるのかな(笑)。
 そう言えば先週でしたか、先々週でしたか、蓮舫さんが山梨を訪問しました。輿石東さんを称える会にも出席していましたね。
 今となってみればですが、輿石さんはそれなりの器の人でしたよ。称える会には自民党の地元選出議員さんたちも参加していました。
 かつてはかなり強硬な反輿石だった私が言うのもなんですが、蓮舫さんや日教組のお偉方には、せめてこちらの輿石さんの(産経の!)インタビューを読んでいただきたいものです。
 

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2016.12.02

Jay Hardway 『Sonia』

 ランダで活躍中の若手DJジェイ・ハードウェイの新曲『Sonia』のPVを観てビックリ!見慣れた風景が…カッコよくなっている!
 Martin Garrixとの共作「Wizard」が世界的ヒットになり、今年9月には来日公演も果たしたJay Hardway。日本でも人気が上昇中です。
 そんな彼が来日に際して、日本で、それも山梨で、それも富士吉田を主とする富士北麓でPVを撮ったのです。
 地元の人なら分かるかなあ。ホテル鐘山苑の庭園とか、不二阿祖山太神宮とか、忍野のとうもろこし畑とか(笑)。
 ふむ、西洋人にしてみると、実にエキゾチックなんでしょうね。いや、日本人が見ても、なんか特別な感じがしますよ。
 浴衣姿の女の子が光の玉を追いかけていく。たどり着いたところは、明見(笑)。
 不二阿祖山太神宮の三柱鳥居はたしかにカッコイイかも。それにしても、最後、宮司さんが象さんのお人形を持って微笑んでいるところが、なんとも謎ですね。なんかカワイイ。
 まあ、それにしても、見慣れた風景がドローン撮影するとこんなにカッコよくなるんですね。すごいなあ。もちろん音楽もカッコイイ。日常を編集し直すとこんな別世界が広がるわけです。
 日常の再編集こそは、私たちの人生を豊かにしてくれるアートです。というか、アートは日常の再編集そのものなんですよね。
 もちろん再編集とは映像に限ったものではありません。音楽も文学も絵画も映画も演劇も全てそれです。
 そういえば、12月8日に「スサノオの海」という歌集が出るんですが、私のやっている「短歌(和歌)」なんか、非常に分かりやすい「再編集」の例ですよ。作歌していると、「再編集」という言葉にピッタリな意識になります。
 ま、あまりそういう意識が強くなるといい歌が生まれないのも事実ですけれどね。
 そういう意味では、この「Sonia」のPVはギリギリの線を行っていると思います。

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2016.11.30

古事記講座終了〜譲位問題について

 日、富士河口湖町にて全5回で担当した「古事記講座」が終了いたしました。毎回熱心に参加してくださった聴講生の皆さま、ありがとうございました。
 古事記講座と称しながら、話は宮下文書、出口王仁三郎、仲小路彰と、いかにもワタクシらしく大脱線しながら天地開闢から悠仁さままで時空を駆け巡りました(笑)。富士山にまつわる「異神話」も堪能していただけたかとは思います。
 特に今日は天孫降臨から未来の日本まで一気にお話しまして、皆さんちょっとついて来られなかったかもしれませんね。なにしろ「国譲り」でいっぱいお話しすぎまして、最終回が超早送りになってしまいました(苦笑)。
 さて、今日は講座のまとめとして、ここ数日でも有識者会議で大きく意見が分かれた「譲位」のことについてお話させていただきました(「生前退位」という言葉は使いません)。
 その時の板書の内容が以下のメモです。お分かりになる方にはお分かりになるでしょうね。かなりきわどいお話になっています(◯で囲ってある人物は富士山に縁の深い方々です)。

20161201_10_32_44

 古事記からの日本の皇室の流れの中には、さまざまな「国譲り」があります。そこを捉えないと、このたびの譲位問題もその本質が見えてきません。
 対立構図が生まれた時に、「譲ることによって生き残る」という手段(作法)をとるのが日本流。
 皇后さまの御製(御歌)をもう一度味わうべきです。

 国譲り祀られましし大神の
     奇しき御業を偲びて止まず

 しかし、国譲りはあくまでも暫定的な措置です。どこかでそれを魂レベルで統合、和合していかねばなりません。それが我々日本の大きな課題なのです。
 「日本国民統合の象徴」という難題に真剣に取り組まれてきた今上天皇のお持ちを考えてみて下さい。
 ここではっきり書いてしまいますが、実は現在の天皇家は、国民の統合以前に、南北朝時代以来の「皇室の統合」ができていないのです。
 しかし、ここへ来て、上のメモにあるように、南北両朝の霊統がバランスよく皇太子さまと秋篠宮さまのお二人にあって、さらに悠仁さまのご存在がある。
 これはまさに、後醍醐天皇以来700年の皇統分裂を再統一するチャンスとなるのです。
 実は後醍醐天皇の即位は1318年。すなわち再来年2018年はちょうどそれから700年目となり、また明治150年にも当たるのです。
 今上天皇陛下におかれましては、現在のさまざまな意味でのお立場では、とても一人でその問題を解決することはできません。
 そういう意味で、ご子息お二人にその大任を託すというのは、大いに結構なことであり、そういう次元で考えると、やはり「お気持ち」を尊重申し上げて、ご譲位をスムーズにできる環境を整えるべきというのが、私の考えです。
 皇太子さまはもちろん、秋篠宮殿下のお役割も非常に大きいと感じています。
 ちょうど今日は秋篠宮さま51歳のお誕生日。昨日それに先立って記者会見がありました。上記のことをふまえた上で、ぜひこの記者会見をお聴き下さい。


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