ゆとりありすぎ!?
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写真は去年撮ったものです。今日ふと思い出したので紹介しておきます。
山中湖から篭坂峠を越えて、御殿場方面に向かって国道138号線を下っていますと、カーブの正面にこのシュールな看板が目に飛び込んできます。けっこうよく使う道なんですけど、通るたびに笑ってしまうというか、戦慄するというか、なんというか…。
いや、気づくまで、おそらく百回単位でそこを通過し、何気なくこの絵も見てたんですよね。でも、それほど深く考えなかったのか、特に変だとも思わなかったのです。それが、ある瞬間からもうツボにはまってしまい、とても無視できなくなってしまいました。
だって、どう考えても「安全運転」じゃないっすよ!(笑)。まず第一、運転してるのはどう見ても子どもでしょう!これがもし成人だったら、それはそれでコワイっすよ。
さらに運転手も同乗者も、窓から顔を出して、というより身を乗り出して、そしてこっちに向かって手を振ってます。非常に危険な運転ですよね。暴走族の箱乗りに近い状態です。
さらによく観察しますと、この運転手、妙に顔がでかい。これは運転中に顔を出したというより、最初からこの状態で運転していたと考える方が自然です。とても窓から出し入れできる大きさではありませんから。
そして、その運転手の顔の大きさと、同乗者の顔の大きさの比が不思議なことになっている。遠近法を無視したおそろしい構図です。同乗者は助手席に乗っているんでしょうか?それとも、後部座席に座っているんでしょうか。それを考えると、こちらは運転中、心のゆとりは失われ、全く楽しくないドライブになってしまいます(笑)。もしかして、これはホラーなのでは…。
この二人、いちおうシートベルト様の物体を体にからめているようです。そんなところは妙に律義なんですけど、しかし、やはり非常に危険な状況には変わりありません。
いったい、御殿場警察署はいかなる意図をもってたのような看板を設置したのでしょう。だいいち、背後の木が生い茂って、字が読めなくなっています。「心のゆとり○ 楽しいドライブ」の○の部分はいったいなんという文字が入るのでしょう。「で」が一般的な可能性でありますが、いや、このシュールさから言って、そんなに単純なはずはない。少年的に「さ」かもしれないし、やや断定的に「だ」かもしれない。いや、彼らのことです、暴走族的に「じゃ」かもしれない…((((;゜Д゜)))。
とにかくこいつら「心のゆとり」ありすぎじゃありませんか?一般の運転手たちを戦慄させ、たしかに自身は「楽しいドライブ」を実現しているかもしれない。しかし、とても安全運転とは言えませんな。
皆さんも一度生でご覧下さい。このあたりには他にもシュールな看板や標語が散在しております。そういう意味ではたしかに「楽しい」のかもしれません。
ちなみに看板の足に刻まれている文字は「贈 泰平サービス」です。
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今日は嵐の中、父方母方双方のお墓参り。毎日楽しく幸せな生活ができるのも、ご先祖様のおかげであります。
さて、ワタクシ、今日は昼間っからおいしいご先祖様からのプレゼントをいただいちゃいました。日本酒です。写真に写っている揚げとろと日本酒がよく合うんですよねえ。
と言うわけで、とってもおいしくとろろ汁&麦飯、その他とろろ料理、そして私はお酒をいただきまして、ごちそうさまです。実は、みんな出かける前に早めのお昼ご飯を食べていまして、さすがにたくさん食べられないんじゃないかとか言ってたんですけど、みんな食べる食べる。ふだんは夕飯しか食べない私も、とろろなら昼間っからいくらでも食べられます。
今日はいい天気でしたね。雲一つない五月晴れ。ようやく富士北麓にも初夏の気配がやってきました。
結局モンシロチョウを一匹捕獲しただけで、ウチに帰ってきたんですが、庭で遊んでいた娘たち、今度は高級食材を見つけました。そう、
昨日より、ワタクシの実家のある静岡市に来ております。山梨はなんとなく寒くてストーブなんてたいたりしてたんですけど、こっちはもう完全に夏です。寝苦しいなんてもんじゃない。いやあ、隣の県なのにこうも違うか…。
あと、面白かったのは併設されている遊園地(?)でしょうか。それこそ昭和を感じさせる遊具がたくさん。一番笑ったのはメリーゴーランドです。遊具自体の渋さは言うまでもありませんが、なぜか回転中ずっと「山口さんちのツトムくん」がかかってました(笑)。

今日は、家族+1で東京方面へ出かけました。カミさんは「DREAM.2」観戦のためにさいたまスーパーアリーナへ。私は新宿で5月24日のコンサートのための練習。子ども(+お友だち)は浜松町のポケモンセンターへ。それぞれ違う目的です。
結論から言いますと、お値段と見た目からすれば、そこそこの音質。練習のチェック用、あるいはコンサートなどの記録用には充分の音ではないでしょうか。ただ、ステレオ感に乏しく、やや低音が弱いのにはがっかり。てか、しょせんボイスレコーダーですからね。基本ボイス用の設定なんでしょう。
中沢さんと対談者たちは言います。異質の「もの」どうしが結びつくエロティックな力。それはロゴスでもコスモスでもない。贈与の力。イマジネールからリアルへ。客観の方へ。物の方へ。コミュニケーションとしての言語ではない。モノとしての言語。嘘こそが存在の様式。
今日は真においしいジュースを紹介しましょう。
人と風土が「人」を育て、その「人」が「音楽」を生み、その「音楽」が「縁」を生んで行くんですね。ここのところ私のテーマになっている「場」というものが、いかに我々にとって、あるいは芸術というものにとって大切であるか、再確認した次第です。
その点、「ライヴ」は相互作用的に変化が起きます。表現者もその「場」の力によって変化を余儀なくされます。それはコンサートなどだけでなく、たとえば、こうして花見をしている場合、私たちは観客であるわけですが、一方の表現者たる「花」たちも常に変化を余儀なくされます。その原因は、季節の移り変わりによるものであったり、農家の方々の摘花作業であったり、子どもたちの無邪気な花摘みであったりします。
ライヴの素晴らしさとは、まさに互いの「語り合い(語らい)」による相互変化の妙ということになりましょうか。それが人生や人間関係の本質であり、それを象徴的に表現すべきものが「芸術」ということになるのでしょう。
レミオロメンの下が民謡、渋いな。そしてその下の「萌」の会とはどっち系でしょうか(笑)。
駿河の国と甲斐の国の関係は古くからこういう感じだったんですよ。決して仲が良いわけではありませんでした。
冒頭からハッと気づかされます。「茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました」…これは散文なら「思い出したことがありました」となるところでしょう。それをいきなり「思い出すものがありました」としたところが、志村正彦くんの天才的なところです。詩人なところです。
右の写真は売店越しのさざえ堂です。なんていうかなあ、日本人のすごさって、こういう職人的なあるいは芸術的な、トンデモない世界に誇る物が俗っぽい商売にまみれるというかなあ、それも神聖な地での供養というか、信仰のようなものと、思いっきり俗っぽいものとの共存というか、いや、あるいは向こう側でそういうものどうしが一つになるというか、まさに二重螺旋構造のようになってるところがスゴイんですよね。行きと帰りと似てるけど違う道を歩むというかね。まさに聖俗清濁併せ呑むというか、ですね。窮屈な線引きをしないところが強いところなのかもしれないなあ。そんな気がしました。
昨日の奇跡的な米山家訪問に続きまして、今日は『
市之助さん、この写真では左から2番目で笑っている方です。奥さんは子どもの足もとで笑っておられる。
土方巽と細江さんと市之助さんら農民たちの奇跡的な出会いは、機会としては奇跡的だったかもしれませんが、その不思議な縁が生み出した「鎌鼬」という芸術は、やはり生まれるべくして生まれたのだな、と今回の訪問で痛感したしだいです。
全く縁というのは不思議なものです。今回も想像外の有難いことがいろいろと…感謝、感謝です。
それは特に古い蔵の内部を見せていただいた時に強く感じました。そこには旧家らしいお宝がたくさん蔵されていまして、それは確かに「蔵」であったわけですが、しかし、そこは同時に子どもたちの遊び場であり、また土方の舞踏のベースになった空間でもあったのです。
そのほか、土方と言えばスイカのイメージがありますけれど、新成はスイカの産地だというのも初めて知り、何か納得。また、土や農作業への憧れと、農家をやめて都会で商売を始めた父親に対する微妙な心理。土方の舞踏の内奥に潜む「何か」が、私にはいくつかはっきりしたような気がしました。