カテゴリー「旅行・地域」の258件の記事

2009.07.10

『東京、音楽、ロックンロール』 志村正彦 (ロッキングオン)

86052080 誕生日おめでとう!29歳ですね、志村くん。
 今日は大阪でライヴかな。みんなに祝ってもらえたのでしょうね。
 そうそう、昨日紹介した「罔象女」の碑のすぐ近くに、志村くんのご実家があるんですよ。志村くん、「罔象女」の存在知ってるかなあ。
 29かぁ…私は何してたかなあ。ああ、あのクラスの担任してたころだな。そうそう、明日そいつらに会うんだよな。新宿でイベントを開催するんですよ。あいつらはもう29をとうに越えて三十路か…。その当時の自分よりも教え子が年上であるという、この不思議な感覚。教え子たちにとっては、もっと不思議らしい。あの時のセンセイは、今の自分より年下だっていう…。
 ま、自分のことはいいや。また後で。
 この本は、フジファブリックの志村くんが、公式ホームページで連載していたネット上の日記を書籍化したものです。5年間に及ぶ彼らの足跡を振り返るという意味でも、また、志村くんのキャラクターを知る意味でも、なかなか面白い内容になっています。妙にリアルなんだよな、まるで自分がミュージシャンになったような気さえする。彼のさりげない日常が、我らにとっては非日常なので。
 そんな中、なんだかとっても共感する部分がありました。今の自分というより、やっぱり二十台後半の自分だな。あの頃の自分と重なる部分が多かった。
 私もまだ結婚していなかったし、仕事上まだまだな部分と、多少慣れてきた部分とがあって、それから、もうすぐ30なんだから大人にならなくちゃっていう部分と、いまだ学生気分が抜けないようなところがあったりしてね。青春、すなわち「TEENAGER」を引きずっているっていうのかなあ、案外不安定で妄想も盛んなお年頃でしたね、今思えば。
 地元民としては、やっぱり志村くんの富士吉田LOVEぶりが嬉しいですね。やっぱり何かのタイミングで吉田うどんを食べに来ちゃうところが、なんともカワイイし、ウレシイ所です。私は人生の途中から吉田のお世話になっている外様ですから、ちょっとジェラシーも感じちゃうんですよ。ああいう濃い土壌で生まれ育ちたかったってね。東京のコンクリートの団地で育っちゃったから。
 そういう流れの一つの終着点(執着点)として、あの市民会館ライヴがあったと思うと、また感慨もひとしおですね。
 で、そんな彼の日記自体も面白かったのですが、そこに挿入される「今」のインタビューがまた冷静に自分を観察していて興味深かった。ワタクシ的に思わず苦笑&感動してしまったのは、次の部分です。引用させていただきます。ここに文学と音楽のほぼ全てがあると思いますので。

Pic05_01 2004年は忙しかったんで、あんり実家帰ってなかったと思うんです。山梨大好きだったんで、アマチュアの頃はよく帰ってたんですけど、メジャーデビューしてから、実家に甘えてたら終わりだなって思って帰んないようにしてたんで、久しぶりに正月に帰ったんじゃないですか。メジャーデビューして地元に帰ったら、モテたりもすんのかなと思ったんですけど、相変わらずモテず、昔からの志村正彦に戻り、全然駄目でした。友達からも、家族からも、特にちやほやされなかったですね。ほんとに誰からもちやほやされることもなく、今に至るんですけど(笑)。
 僕ほんとに、そこらへんの学生さより地味な生活をしていて、多分彼女とかもいなかったんじゃないですか。インディーズの頃いたんですよ。いまさら話すことじゃないんですけど、その子と花火大会とか行った記憶はあるんですけど、今ではその子ももう結婚しちゃって、ときの流れを感じます。この前、「子供はできてないんだけど、ぼちぼちやってます」みたいなメールが来て、僕が「ああそうですか。じゃあまあ、今度機会があったらご飯でも行きましょうか」って、後ろめたくメール送ったら返事が返ってこなくて。「なんだよー」みたいな。そのへんが女の子の謎なところで。「思い出話に花を咲かせてみましょうよ。今の人と仲良くしてねー」みたいな感じで送ったのに。女の子って怖い生き物だなって思いました。

 ううむ、これって女の子の怖さというより、男の子のお馬鹿さっていう感じじゃないですか(苦笑)。いや、その両方が相まって文学と音楽が生まれるのでしょう。この前椎名林檎のところで書いたことと一緒だと思いますよ。
 そして、そういうのをこうして正直に、ある意味恥ずかしげもなく万人に公開しちゃうところが、一般人と芸術家との違いだと思いますね。
 うん、実は私も20代の頃、日記を書いていたんです。それは人に見せるものではなかったので、たとえばこのブログのような内容ではありません。今自分で読むのも恥ずかしいというか恐ろしいくらいドロドロの日記ですよ。地下室のどっかに埋もれてると思います。ありゃ、焼いた方がいいな。
 でも、こうして志村くんの日記を読んだり、彼の音楽を聴いたりしますとね、そういう自己のドロドロした部分とか、恥ずかしい部分とか、恐ろしい部分を、ある意味堂々と開陳しちゃう勇気というか、いや、それをしなくちゃいられない衝動みたいなものが、彼の中にあるのが分かるんです。そこが我々と違うなと。彼がこの本の中で言ってる「音楽欲」っていうヤツでしょうかね。
 私は30過ぎて、結婚して、そういう「音楽欲」が減退するかと思いきや、案外ムクムクと肥大化してきたような気もします。もちろん才能がないので、それはくすぶったままですけど。志村くんが、これからまたどういう風に成長していくか、とっても楽しみです。これだけは言えます。20代より40代の方がずっと人生面白いですよ!マジで。自分の未来に期待していいですよ。

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2009.07.09

罔象女命

 イトルをさっと読めた人はすごいですよ。「もうぞうおんないのち」って、どんな女が好きなんだ…とお思いになった方も多いのでは(笑)。
 今日、巡視で学校の近所を歩いていましたら、思わぬ所にこの女がたたずんでいたので、びっくりしてしまったのです。なんで、こんな所に…。
 近くまで行って声をかけようと思いましたが、フェンスに遮られて叶いません。気にはなりましたが、しかたなく写真だけ撮って帰ってきました。
0322 というわけで、答えは「みづはのめのみこと」です。正解者はかなりマニアックな方ですよ。
 神様の名前です。日本書紀にこういう表記で登場します。古事記では弥都波能売と万葉仮名式です。
 イザナミが火の神カグツチを生んだ時、大事なところをやけどしてしまんうですね。その時ちびったオシッコから生まれた神がこの「ミヅハノメ」です。すごい状況ですな。
 結局それが原因でイザナミは死んでしまいます。で、怒ったダンナのイザナギはカグツチを殺してしまう。まあ、現代にこんな事件が起きたら、かっこうのワイドショーネタですね。いや、それどころじゃないか。
 オシッコから生まれた神様ですから水神です。井戸や潅漑用水の神様です。全国の至るところに祀られてますよ。水はまさに命の源ですからね。雨乞いや雨止めの際にも、この神様は活躍しました。
 それにしても、なんで、こんな所にたたずんでいるのでしょう。高速道路の下ですよ。高架の下って立ち入り禁止の空き地になってるじゃないですか。そのど真ん中にけっこう立派な碑がドンとあるんですよ。
 高速道路を造る前、ここに社があったのでしょうか。あとで調べてみます。
1 ちなみにこの辺りは、大昔湖だったと言われています。小舟山(御舟山)という小山を囲むように、小舟湖(御舟湖)という三日月湖があったという記録があります。それが今から1200年くらい前、貞観6年(864年)の富士山の噴火の際、流れてきた溶岩流で埋没してしまったんですね。その溶岩流が剣丸尾です。
 ですから、小舟湖があった頃は、その辺り、すなわち新倉(あらくら)と言われる地域は水が豊富だったわけですね。それで、その頃水神さんが祀られたのかもしれない。
 いや、そうではなくて、湖埋没後かもしれませんね。というのは、地下流水というのは、溶岩流によってけっこうその流路を変えられてしまうものでして、実際、その後新倉地域というのは、水不足に苦しみました。そう、往時の記憶も重ねて、水乞いのために水神である罔象女神を祀ったのかもしれません。
 ウチの学校の母体になっている月江寺の池はその小舟湖の名残とも言えます。その池も、最近すっかり湧水量が減ってしまいましてね、往時の面影が失われつつあります。
 江戸時代には、水害に苦しむ河口湖と水不足に悩む新倉、両方の憂いを一挙に解決しようと、有名な「新倉掘り抜き」が掘られます。なんでもこれは日本最長の手掘りトンネルだそうで、何十年もかけて大変な工事をしたんですけど、いざ貫通してみたら設計ミスで水が流れなかったという、なんとも悲劇的(喜劇的?)な結末を持った大プロジェクトです。しっかし、罔象女さんもずいぶんと厳しい仕打ちをしましたね。
 それにしても、この高速道路を屋根にした社(?)というのも、かなり珍しいんじゃないでしょうか。たしかに雨はしのげると思いますけど、水神さんとしては、これで納得できるんでしょうかね。けっこう立派な石造物ですので、誰がいつ建てたものか知りたいんですけど、なにしろ禁足地なもので、近づけないのが残念です。ま、いつか近いうちに侵入して観察してきますわ。

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2009.07.03

キツツキ(てらつつき)

250pxdendrocopos_major_3_marek_szcz の季節、年中早起きのワタクシは、いつに増してまた早起きになります。もちろん日が最も長い、すなわち日の出の時刻が早いというのも一つの理由です。3時半には薄明が始まり、ああ朝だなという感じになりますから。
 しかし、それ以上の早起きの理由があります。4時ちょい過ぎに目覚ましが鳴るからです。いやいや、目覚まし時計ではありません。天然の、自然の目覚ましであります。
 トントン、トトトト、トン、トン、トトトトトトトトトトトトト…。
 そうなんです。キツツキがウチの外壁を叩くんです。これがまた大音量でして、これで起きないのはウチのカミさんくらいのものです。
 ウチは総杉の外壁ですので、まあたしかに「木」ではありますが、人のウチに穴をあけてウチを作ろうとするのはどうかと…。
 で、その荒っぽいノックの音がしますと、以前はウチの自宅警備員である黒猫たちが、すわ出動とばかりに窓辺でウ〜ウ〜うなってくれたんですが、さすがに家の外の高所ということで、どうにもウ〜ウ〜以上のことはできませんよね。最近では、カミさんといっしょに、耳をぴくりともさせず寝ています。
 このキツツキ、正確に言うと「アカゲラ」だと思います。富士山麓では、キツツキ目・キツツキ下目・キツツキ科・キツツキ亜科としては、アカゲラやアオゲラ、コゲラなどをよく見かけます。どれもとってもカワイイんですけどね、やることはけっこう荒っぽい。
 で、だいたい百回くらいつついてみて、これはどうも普通の木ではないなと思うのか(もっと早く気づけよ!)、傷だけつけて去っていくんですよね。ただ、数年前、かなり根性のあるキツツキが来まして、屋根の裏側にとうとう穴を空けてしまいました。その後なんだか屋根裏で運動会のような音がしてましたから、まじで営巣したのかもしれません。最初はネズミとかヤマネとかかなと思いましたけど、どうもあれは鳥だったらしい。穴を板で塞いだら、運動会も止みましたので。
 ところで、このキツツキ、漢字で書くと「啄木鳥」であるのはよく知られていますね。石川啄木はこれです。ちなみに正岡子規はホトトギスですね。
 この「啄木鳥」ですが、調べてみますと、昔はどうも「キツツキ」ではなくて「テラツツキ」と読んでいたようです。すなわち「寺つつき」。
 10世紀の辞書には「てらつつき」しかありません。それが15世紀以降になると「けらつつき」が現れ、近世になってようやく「きつつき」が定着しはじめます。
 「てら」が「けら」になる音韻変化については、ちょっと説明が難しくなるので割愛しますが、その「けら」がアカゲラなどの「けら」として残っているんですね。
 で、「テラツツキ」については、面白い説話が伝えられています。
200pxsekienteratsutsuki 13世紀の名語記という書物に、「鳥のてらつつき如何。答、寺つつき也。ゆへは、聖徳太子の逆臣守屋を誅罸し給て、守屋が館を没官して、四天王寺を建立し、仏法をひろめ給へりしを、守屋が亡魂そねみて、鳥となりて来て、かの寺をたたき損せむとせし時より、寺つつきとなづけたりと申す」とあり、また同時期の源平盛衰記にも、「昔、聖徳太子の御時、守屋は仏法をそむき、太子はこれを興し給、互に軍を起しゝかども、守屋終にうたれにけり。太子仏法最初の天王子を建立し給たりけるに、守屋が怨霊、かの伽藍を滅さん為に数千万羽の啄木鳥と成て、堂舎を創ほろぼさんとしけるに、太子は鷹と變じて、かれを降伏し給けり。されば、今も怨霊はおそろしき事也」とあります。
 つまり、反仏教派にして政争に破れた物部守屋が、その恨みをはらすためキツツキになって、寺をつついて壊そうとしたということです。
 けっこう地味な報復行動のように見えますが、たしかにやられる側としてはたまりませんね。あの音を聞くだけで恐怖です。安眠できないし。
 鎌倉以降、仏教が大衆化して、仏教に対する恨みというものが消えていく中で、「テラツツキ」という名称も消えていったのでしょうか。ちなみに「ケラ」は「おけら」の「ケラ」、すなわち「虫」を指すという説もあります。そして江戸時代にはキツツキとなっていくわけですが、この「寺」→「虫」→「木」という変化には、意外に深い意味があるかもしれませんね。また、江戸時代には、さきの守屋の怨霊譚から「てらつつき」は妖怪として物語化されていきます。これらの変遷は、日本人の精神史を象徴しているとも言えますね。
 私はまるで坊主のようななりをしていますから、守屋が勘違いしてつつきに来てるのかな。心はどちらかというとモノノベ派なんですが(笑)。てか、ウチは完全に習合してますからね。どうかお手柔らかに。
 それにしても、「屋を守る」名を持つ人が、家を壊してるなんて、なんとも因果なことではありますね(笑)。

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2009.06.28

太宰治 『律子と貞子』

Photo_3 りぎりセーフ。山梨県立文学館で開かれていた「太宰治展 生誕100年」、最終日に行ってきました。
 招待状をいただいたのはずいぶん前。いつか行こういつか行こうと思いつつ、今日になってしまった。たしかにここ数ヶ月、土日というものがなかったからなあ。
 最終日閉館間際ということもあったのでしょうか、とにかくすごい混みようでびっくり。太宰ゆかりの「ホンモノ」の迫力よりも、正直観覧者の熱気に気圧されてしまいました。
 特に団体さんとおぼしき「オバサン軍団」の萌えパワーは、あの阿修羅展にも伍する迫力。おかげで私はすっかり萎えモードに。も少し静かに観ろよ!
 しかし、ある意味、それこそが、この前書いたイケメン太宰の本質であり、そう考えれば実に貴重なライヴ体験をしたとも言えますね。私の不快感(ある種の嫉妬心だったのかも)もまた、彼のトラップ(トリック)に見事にひっかかった結果だったのかも。これもまた彼一流のいたずらなのでしょうか。
 展示内容は、それなりに貴重なものもあり、まあまあでしたかね。しかし、なんでまあ、あんなに「国中」に偏るのでしょうか。山梨と言えば甲府盆地が中心になってもしかたありません。しかし、太宰の文学にとっての「郡内(富士五湖地方)」地方はあまりに重要です。心理的影響ということで言えば、国中以上のものがあります。
 それが、ほとんど天下茶屋富嶽百景でほぼ終了というのは、どんなもんでしょうね。
 まあ、実を言うと「太宰と郡内」の研究自体が進んでいないというのもあるんですよね。というか、はっきり言うと、私がそれをやらなければならない立場なのに、しっかり怠けているんです。どうもそういう「研究」というか「勉強」というのが苦手でしかたない。
 ただ、ここのところ何回か書いているように、来年度ウチの中学が建つ予定の場所は、まんま太宰作品の舞台なので、さすがに重い腰を上げなければならないかなとも思われるのであります。あまりに確率的に低いことが起きているので、そこに意味を感じずにはいられないわけです。
 というわけで、今日は一つそこを舞台にした作品を紹介しましょう。
 『下吉田町という細長い山陰の町に着く。この町はずれに、どっしりした古い旅籠がある。問題の姉妹は、その旅館のお嬢さんである』
 隠れた名作とも言えるこの作品、まさに下吉田が舞台です。そして、作中の姉妹「律子と貞子」の家である旅館のモデル(の一つ)になったのが「杉ノ木旅館」。その跡地がウチの学校の職員駐車場であり、その裏手が中学建設予定地となっています。まんまですね。
 作中に出てくる豆腐屋さんや呉服屋さんも近くにありますし、我々にとっては実に身近な風景が展開されていきます。
  短い作品なので、ぜひこちらで読んでみてください。相変わらず軽妙な文体とストーリー展開ですなあ。そして、太宰の女性観やら恋愛観、結婚観、また聖書マニアの一端などがうかがえる佳作ですよ。
 皆さんなら、「律子と貞子」どちらを選びますか?ちなみに、私なら断然「律子」ですね(笑)。

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2009.06.27

富士山ナンバー

Uni_2730 士山に住んでいる(住所も鳴沢村字富士山)「富士山蘊恥庵庵主」として、ナンバーを「富士山」に替えるというのは、もうほとんど義務のようなものでしょう。その義務をようやく果たしました、半分だけ。
 半分だけというのは、ウチの2台の車のうち1台を「富士山ナンバー」にしたということです。ちょうど私の車が車検になったので、ついでに替えてもらいました。なぜか子どもたちは「山梨」がいい!と言うので、たぶん、この義務遂行はしばらく半分のままになるでしょう。
 ご覧のようにですね、正直デザイン的にはイマイチなんですよね。3文字ナンバーって、たとえば「名古屋」とか「宇都宮」とか「佐世保」とかありましたよね。それらってどうしても窮屈な感じになるじゃないですか。「つくば」とか「とちぎ」とか「いわき」とか平仮名ですと、窮屈感は減少しますが、しかし、これらはこれらでどうも…皆さん思うことは同じだと思いますよ(笑)。
 そうそう、「尾張小牧」はどうか。これはですね、もう窮屈とかそういうのを通り越してまして、ある種の芸術性すら感じさせる無理矢理感がありますので、なんとなく許せるんですよね。憧れなんてものはありませんけど、しかし、路上で出会うたびに、うわぁすげえ!って思うんですよ。そのへんの感覚ってなんなんでしょうね。
 で、「富士山」はどうかと言いますと、ま、こんな感じなんですよ。ううむ、デザイン的にはちょっとイマイチですねえ。「富山」ナンバーの真ん中に±(プラスマイナス)が挟まった感じ(笑)。
 さて、この「富士山ナンバー」、ご存知のように、山梨と静岡両県にまたがる特殊なご当地ナンバーです。つくづくよく実現したなあと思います。富士山の世界文化遺産登録への流れもあるのでしょう。
 富士山を取り巻く静岡と山梨、すなわち駿河と甲斐、表富士と裏富士は、昔から微妙な関係でした。私も以前駿河に住んでいたころ、「山梨」ナンバーを見ると、「山猿」が山から下りてきたとか言ってバカにしたものです。今では自分が見事な「山猿」なわけですが(笑)。
 山梨は、よく言われるように、名前に反して山ばかりの海なし県ですので、よく「海行こう!」と言って、集団で静岡に行くことが多いんですよね。静岡の人たちは「山行こう!」と言って山梨には行きません。そのへんの一方的な感じ、非相互依存的な雰囲気が、どうも両県の間にはずっと横たわっていたようです。実際、山梨の人間は遠慮がなく、ずけずけと静岡に土足で入っていく雰囲気を持っています。これは住んでみてよく分かりました。甲州商人以来の伝統ですな。
 で、今回の「富士山ナンバー」によって、我々山猿はその素性を隠すことができるようになりましたね。ちょっと得したような感じです(笑)。ますますずうずうしくなるかもしれませんが。
 ま、駿河生まれの江戸育ち、現在甲斐在住のワタクシは、とにかくこのナンバーを引っさげて、全国を走りたいという気持ちにはかられますね。くだらない心理ですけど、やっぱりちょっと自慢なんでしょうか。他人はそんなにうらやましく感じないでしょうが。
 自慢と言えば、以前は親の現住所を利用しまして品川ナンバーの軽自動車(笑)に乗ってた時期もありました。たしかに品川ナンバーは別格っていう感じがありました。それに対抗できる地方ナンバーは正直なかった。
 でも、「富士山」は「品川」に対抗できると思いませんか。究極の裏技的に。だって、「富士山」って地名というより、山というオブジェの固有名詞ですから。私も英語で自分の住処を説明する時、「in」じゃなくて「on」使いますからね。
 と、ホントどうでもいいことなんでしょうけど、人はみんなそれぞれの思い入れとかプライドとかを背負って全国を行脚するわけですよね。これがどういう文化的現象なのか、心理的現象なのか、もう少し考察してみたくなります。なんとなく戦国時代あたりまで、そのルーツを遡れそうな気がします。いや、万葉集の頃かも。
 いずれにせよ、私はこれからこの固有名詞を背負っていろんなところに出没いたします。よろしくお願いします。
 ああ、そうそう、ナンバー(番号)は自分の希望のものを取れるのですが、今回は「馬場・鶴田・三沢」という偉大なる故人にちなんだ数字にいたしました。

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2009.06.21

満員御礼!アンサンブル山手バロッコ演奏会

Uni_2683 浜は今年開港150周年だそうで、いろいろとイベントをやっております。その一つであるコンサートに出演させていただきました。
 あいにくの雨にもかかわらず、超満員札止め。大いに盛り上がったのではないでしょうか。ご来場くださった方々に、心より感謝申し上げます。
 今回はアンサンブル山手バロッコにゲスト出演。同団体は、フリーキャスターとして各方面で大活躍、そしてリコーダー演奏家でもある朝岡聡さんが主宰するアンサンブル。横浜で10年以上地道に活動されている団体です。メンバーに、私も所属するカメラータ・ムジカーレの方々が何人かおられ、その関係で今回お声掛けいただきました。ありがとうございました。
 それにしてもたくさんの皆さんのおかげか(?)、降りやまぬ雨のおかげか、熱気&湿気ムンムンでありまして、繊細な古楽器たちは苦労せざるを得ない状況でありました。私も伸びきった弦と弓の毛に大苦戦。まあ、それがまたリアルな古楽表現につながっていたかもしれませんし、決して華々しく明るいことばかりではなかった横浜港150年の歴史にふさわしかったかも(?)。
 今回の演奏曲目は次の通りでした。オールバッハプログラム。
 
 2台のチェンバロの為の協奏曲ハ長調
 ブランデンブルク協奏曲第4番ト長調
 オーボエ・ダモーレ協奏曲イ長調
 カンタータ「悲しみのいかなるかを知らず」BWV209
 (詳細や写真はこちらに紹介されています)

 今回は全ての曲目で舞台に上がらせていただきました。こういう曲をこういう場所で、こうしたプロの方々と一緒に演奏できるなんて、若かりし頃想像できたでしょうか。ありがたいことです。
 そう言えば、横浜には何かと因縁があるんですよね。まず、今回演奏した開港記念館は何度もカメラータ・ムジカーレで使わせていただいています。そして、この建物の斜向かいにある日本銀行横浜支店は、私が幼い頃の父の職場です。その父ともども横浜ベイスターズのファンでしたから、すぐ近くに見える横浜球場にも何度か足を運んでいます。
 それから、何と言っても横浜と言えばあれですね。あれですよ。哀しくも笑える青春の想い出。そう、受験の苦い思い出です。それについては、顛末のほんの一部ですが、こちらに書きました。あっそうか、発表の日のことはまだ書いてないんだ。横浜での生死を分けた事件のことについて…。これについては、生徒たちには毎年話してます。というわけで、聞きたい方は本校へ入学してください(笑)。ちなみに来年度からは私は新しくできる中学校の方の担当になりますから、そちらを受験してください(こんな生徒募集ありか?)。
Uni_2699 今日は、静岡から両親が、川崎から姉が、そして富士山からウチの家族が聴きに来てくれまして、珍しく一族が集合しました。せっかくなので、終演後メンバーとの打ち上げには欠席させていただきまして、一族で中華街に行きました。いちおう父の日ということもありますかね、孫からおじいちゃんに目録など渡したりして、でも、結局夕食代はおじいさん持ちという、なんだかよく分からんことになりましたが、久々にみんなで楽しい時間を過ごしました。
 これもまた、音楽のおかげですね。音楽は人と人をつなぐ。本当にそれを実感する一日でした。ありがとうございました。
 それにしても、坊主頭は目立ってますな(笑)。

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2009.06.19

『回想の太宰治』 津島美知子 (講談社文芸文庫)

06290007 桃忌。いや、太宰生誕100年の日。生きていたら100歳か。
 今年は特別にめでたい気持ちでこの記念すべき日を迎える予定でした。しかし、まさかこんな悲しみの中でこの日を迎えるとは。
 人の命、生と死という、普段意識にのぼらない自分の本質について、憧れる彼らにこうして教われるということは、これはこれで感謝すべきことなのかもしれません。
 今回の三沢さんの件でも、ご家族の心痛は忖度するにあまりあるものがあります。大成する男の裏には必ず良妻ありです。大成する男をタッグパートナーとしたからこそのご苦労も当然あるでしょう。おそらく喜びよりも悲しみの方が多いのではないでしょうか。
 太宰もよく語っていますが、家族、家庭というものが、その男の大成にとって、一見邪魔な存在になってしまうんですね。家庭には恋も革命もない。つまり文学がない。物語がない。
 いや、事後的に言えば、家庭という基盤があっての男の生産活動であったわけですし、恋や革命を意識するのもまた、そうした「ぬくぬくと温かい」家庭があってのものとも言えます。いわば、生あっての死、死あっての生、ということでしょうか。
 そういう意味で、天才に完璧な家庭を用意し、完璧に天才の文学を発動せしめ、完璧に天才の遺伝子を残した石原美知子という女性も、世界の「妻」史上に残る天才であったと言えるでしょう。
 石原美知子さんと太宰治の結婚にあたって、今私の職場がある富士吉田市の下吉田地区も大きな役割を果たしています。地元の人も、あるいは太宰の研究者の方もよく知らない事実があるんですよ(その史料や証拠は消えちゃいましたが)。
 来年度から私の学校では中学校を開校する予定で、私はそれに関わらせていただいているんですが、その校舎が建つ場所は、まさに「富嶽百景」の名シーンの舞台です。不思議なご縁を感じます。
 さあ、その石原美知子、いや津島美知子さんが書いた「回想の太宰治」。ずいぶん前にも読んでいましたけれど、あらためて最新の文庫を読んでみました。いやあ、良かったなあ。太宰の小説よりも、正直私には面白かった。フィクションの裏側に回ってしまったノンフィクションが大好きなんですよ、私。
 そうか、私の趣味って、そういうところにあるんですよね。フィクションとノンフィクション、表裏合わせて一つの総体として見るというか、どちらかに偏るんじゃなくて、両者の間を自由に行き来するのが好きなんですね。なんか、どっちが虚でどっちが実か分からなくなる感覚が面白い。
 いずれにしても、言葉で語られた「コト」は虚であるとも言えるわけで、そういう意味では、両者を同じ土俵で比較しても構わないとも言えます。あえてそうしてみますと、同じ「コト」でも、それぞれの行間にずいぶんと違った「モノ」が立ち上がっているのがわかります。まあ、直截的に言ってしまうと、太宰のそれにはちょっとした悪意が、美知子さんのそれには全面的に善意が読み取れるのであります。
 太宰自身、美知子さんの文章について、たとえば十二月八日で、「主人の批評に依れば、私の手紙やら日記やらの文章は、ただ真面目なばかりで、そうして感覚はひどく鈍いそうだ。センチメントというものが、まるで無いので、文章がちっとも美しくないそうだ」と、直接的に(いや間接的かな)に、ずいぶんとひどい評を書いていますね。
 そうした美知子さんの真面目で純粋で衒わない文章が、常に不真面目で不純で衒ってばかりの太宰の文章と、あまりに見事なコントラストをなしているわけで、もしかすると、太宰は一見馬鹿にしたような評をもって、実はちょっとした尊敬と憧憬とを表していたのかもしれませんね。太宰のことだから、そういう表現しかできないのでしょう。「富嶽百景」における富士山への態度とおんなじ。
 それにしても、このあまりにさりげない美知子さんの文章、あまりにさりげなくない内容はなんなんでしょうね。最も身近にいた人間としても、ここまでしっかり観察して記録するのは、これは常人には不可能なことです。あまりに、肉々しい太宰がそこにはいます。格好つけ、しゃれ、おどけ、いばりちらし、しかし、こっぴどく怒られて小さくなる太宰。そして、それでも言葉を駆使して逃げ道を作り続ける太宰。でも、ちょっぴり優しい太宰。そんな人間太宰がちんまりと息づいています。
 まさに太宰治という浮世離れした男を主人公とするささやかな一代記という風情です。私がジャッジするなら、はっきり申して、生活面でも、人生面でも、文学面でも、美知子さんの勝ちを宣せざるを得ないでしょう。太宰も頑張ったんですけどね、結局最強の良妻賢母王者にはかなわなかったと。
 やっぱり太宰の後期の文学は石原美知子との出会いがあってこそのものですね。そして、学問的資料と文学性とをこれほど高い次元で、さりげなく止揚してしまった津島美知子。そういう女性が、この山梨から出たということを、我々県民はもっと誇りに思っていいでしょう。
 最後に、この本で個人的に感動したところ。美知子さんが太宰の郷里青森の言葉に深い興味を示しているところ。そして、地元民なのに知らなかった郡内地方の内織の話。そして、金木の太宰治記念館に郡内織が展示されているということ。行ったのに気づかなかった…。
 
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2009.06.12

富士にはニャンコがよく似合ふ

↓あまりに、おあつらいむきの富士である。
0306 日、太宰の命日ですね。来週の今日は桜桃忌。生誕祭。今年は太宰治生誕100年です。明日はちょっと東京に行く用事もありますので、玉川上水にでも飛び込んで、いや、お参りしてこようかな、などとも考えております。
 いや、たぶん、行かないだろう。なぜなら、去年、三鷹の禅林寺に参って、本当に参ってしまったからだ。今度も何をされるかわからない。
 …と、ホントに太宰の文体って伝染しますね。太宰体で文章を書こうとすれば、いくらでも書けますし、やはり、そうしますと太宰風な下卑た内容になっていくから面白い。
 ま、今日はやめときます。再びワタクシ流の平成軽薄体に戻します。
 あっそうそう、太宰と言えば、今、奥さんの津島(石原)美知子さんの「回想の太宰治」を読み直しているんですが、実はですね、私が平成の太宰治だと思っているある天才がいまして(誰とは申しませんが、このブログで何度も取り上げている男です)、彼の奥さんもまた、美知子さん同様、とっても大変な思いをしています。そこで、彼女にも「回想の○○○○」を書くことを勧めようかと思ってるんですよ。ナイショですけどね(笑)。って、まだその男は生きてますが。
0307_2 ところで、今日、甲府の方に出張だったので、ついでと言ってはなんですが、帰りに御坂峠の天下茶屋に寄ってきました。ええと、どっかに書きましたけど、私、あそこに関しては、ある事情(太宰のいたずらその1)により、出入り禁止となっています。ですから、そうですねえ、7年ぶりくらいになるんでしょうか。いや、8年ぶりくらいかな。
 その後、「富嶽百景」にも出てくる茶屋のT家の方々といろいろとご縁がありましたので、今回は勇気を出して店の中に入ってみました。
 平日の夕方の中途半端な時間だったので、店内にはお客さんも店員さんもおらず、私の緊張感は行き場を失ってもやもやと漂ってしまいました。しかたなく、土産物コーナーのどうでもいい溶岩の置物などを手にしたり、いかにも大学生のアルバイトが書いたような手書きの張り紙の数々を無意味に眺めたりして、結局すぐにまた店の外に出ました。
 ふぅ。井伏鱒二が去った後の、太宰治の感じたある種の居心地の悪さ(御坂で苦慮のこと)はこんな感じだったのかな、などと、すっきりしない富士を眺めながらため息をつこうと思ったら、あらら、そこに救世主が現れたではないですか!
0310 猫です。猫がくつろいでいます。寝ころんで富士を眺めていた猫が、寝ころんだままこちらを振り返って「ニャー」。私は救われた気がしました。
 そう言えば、太宰の作品には、猫が出てこないなあ。犬は出てきますね。太宰の犬嫌いは相当のものだった。「畜犬談」では、いかにも太宰らしく偽善、偽愛的な物語を展開しています。太宰は愛憎逆転させて小説を書く人です。
 そう、猫、猫は出てこない…ような気がする。太宰好きと猫好きはなんとなく重なるような気がするんですけどね。
 私の印象に残っているのは、「女人訓戒」という、女性の動物性を巧みに描いた小品の一節くらいです。

『日本でも、むかしから、猫が老婆に化けて、お家騒動を起す例が、二、三にとどまらず語り伝えられている。けれども、あれも亦、考えてみると、猫が老婆に化けたのでは無く老婆が狂って猫に化けてしまったのにちがいない。無慙(むざん)の姿である。耳にちょっと触れると、ぴくっとその老婆の耳が、動くそうではないか。油揚を好み、鼠を食すというのもあながち、誇張では無いかも知れない。女性の細胞は、全く容易に、動物のそれに化することが、できるものなのである』

 とすると、あの猫、多分に女性的でもあった太宰治の化けた猫であったのかもしれない…なんてね。それにしても、「富士には猫がよく似合ふ」なあ。やっぱり小説の言葉というのは、作家の極度な(しかしあまり有意味でない)緊張が生むものであり、その力学が日常の風景、すなわち空間や時間を微妙に歪めて私たちに提示されたものなんですね。
 そんな、あまりに基本的なことを、富士と茶屋と猫と太宰と自分に教わった、素敵な一瞬でした。

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2009.06.07

山野草を満喫@芦川渓谷

 日(から今日にかけて)は高円寺の飲み屋で一夜を明かしてしまいました。というか私は店でグーグー寝ていたんですが。最近、高円寺に縁がありますなあ。スネークピットもあるし、フジファブリックの志村くんの思い出の街だし、その他もろもろ。
 で、始発で車を置いた西荻に戻り、仮眠をとってお昼に山梨に帰ってきました。
 静岡から両親が来ていましたので、ここ数年懸案となっていた「笛吹市芦川町にすずらんを見に行く」というイベントを実施いたしました。都会からいきなり自然の宝庫へ。このコントラストが刺激的ですねえ。
 私たち家族は、すずらんの群生地を管理されている方とレミオロメン関係でご縁があり、昨年も6月1日にうかがってお世話になっていますね。それから9月にも例の音楽イベントでうかがいました。本当にいつもいろいろと良くしていただいて、ひたすら感謝です。
 今年は温暖化の影響でしょうかね、すずらんの開花がいつもより2週間近く早く(桜などもそうでした)、残念ながら本来の目的であったすずらんはほんのちょっとしか拝めませんでした。しかし、そのかわりと言ってはなんですけれど、すずらん荘の方に案内してもらって、他の山野草をたっぷり楽しんできました。いろいろと説明していただいたのですが、正直それぞれの名前すらも忘れてしまったので、とりあえず今日は写真を並べておきます。
 本当にいいところですよ。すずらんの季節だけでなく、一年中通して何かしら可憐な花が咲いているそうです。皆さんもぜひ行ってみてください。

Googleマップ

民宿すずらん荘ブログ

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2009.06.04

『富士山―聖と美の山』 上垣外憲一 (中公新書)

12101982 士山はやはり女だ。それを再確認させられた本でした。
 富士山に関する著書は、それこそ山のごとくあります。富士山本人の懐に抱かれて生活する者として、それらを比較的たくさん読んでいる方だと思いますが、本書で初めて知ったこともたくさんあったのには、正直驚きました。まだまだ未知の資料が目の前に積み上げられそうです。
 この本は、「富士山に関する『文化的』なものの総覧である。『富士山の文化史』と言い換えてもよい」と冒頭にあるように、文学作品や美術作品に描かれた富士山はもちろんのこと、富士の名を冠した戦艦や爆撃機に至るまで、さまざまな「文化現象」としての富士山を抽出して見せてくれます。
 その全体を貫くのは、おそらく著者の専門分野であろう「ナショナリズム」であります。ナショナリズムとは、まさに外国との関係における相対的な価値観でありますから、結果として、富士山の姿を描くことによって、日本の外交史の流れと、それによって変化させられた日本人の自意識というものを、そこに読み取ることができました。
 そういう意味で、富士山在住の私にさえも、新たな富士山の姿を見せてくれた好著と言えましょう。
 しかし、ある意味では、自分の実感としての富士山との乖離も感じないではいられませんでした。もちろんそれは著者である上垣外さんの責任ではありません。文化としての富士山を記録し現出させた、過去の「文化人」たちの責任です。
 というのは、文化としての富士山は、どうしても「表富士」に偏りがちだということなんです。裏富士も裏富士、富士山の真北に位置する村に住み、富士山の東北(艮)に位置する市に勤める私にとっての富士山が、そうした「文化的」な富士山と、正確に重ならないのは、これは当然のことですね。
 それが違和感を催すというよりも、もっと複雑な感情を起こさせるのです。嫉妬心のような、被差別意識のような、いや屈折したある種のナショナリズムというか、そう、ちょうどこの地に色濃く残る「富士王朝伝説」や「後南朝伝説」のような、いわば敗者の美意識やナルシシズムのようなものでしょうか、そんなものを感じてしまうのです。
 それもまた「文化」と言ってよいものなのか、私にはわかりません。しかし、裏富士に住み、裏富士と毎日対峙し、裏富士に魅入られた者としては、やはりそこにこだわりたい気持ちがあります。
 この本で紹介されている「文化」の中にも、裏富士ものはあります。万葉集の高橋虫麻呂の長歌から始まり、聖徳太子の甲斐の黒駒による登山伝説や、全編によく引用されている「義楚六帖」の徐福伝説も基本裏富士を舞台としたものですし、富士講の中心も裏富士でした。そして、間もなくちょうど生誕百周年を迎える太宰治の「富嶽百景」は、言うまでもなく裏富士が主役です。
 そう、太宰の語る富士が、比較的裏富士の本質をとらえているかもしれませんね。あの歪んだ愛憎。劣等感と自己愛。単に「聖と美」、すなわち「文化」としての富士山ではなく、ある種「俗と醜」をも包含した「真実」としての実在。それこそが私の富士山です。
 そう考えると、やはり太宰治という男はすごいということになりますね。彼はあの作品で、富士山の裏側と人間の裏側を描き切ってしまった。いや、裏側と言っても、単なる暗黒面ということではありません。裏側の「真実」の妖しい美しさというものもあるのです。
 ここに住んでいますと、裏富士を一つのシンボルとして集結した落人たちや、海よりも山を、森を象徴とする縄文系の人々の息吹を感じます。それがある種のコンプレックスとして堆積し、沈潜し、伏流しているとも言えます。その負のエネルギー…いやその「負」というのは、あくまで「正」から見た相対的なものであって、エネルギーには本来、正も負もないはずですね…そのエネルギーの凝結点が、ちょうどあの戦争が始まる寸前に現れた、太宰治の「富嶽百景」であり、出口王仁三郎の「大本」であったと、私は最近考えているのです。考えているというより、感じていると言った方が正確でしょうか。
 そこでどうしても避けられないのが、冒頭に書いた「富士山は女だ」という「事実」なのです。昨日たまたま「活」について書きましたけれど、まさに「活火山」たる「富士山」と「女」がそこにあるのです。
 実はつい先日もウチの活火山たるカミさん(神様?)が噴火しました(笑)。噴火の原因は本人にもわからないくらいですから、男たるワタクシには全く理解できないのです…いや、たしかに導火線に火をつけたのは私の一言だったかもしれませんが。そこには、表向きの女性的な「聖と美」に表裏隣接する、理屈や社会性を超えたなにか恐ろしい「モノ」があるのです。その「モノ性」こそが、「富士山」と「女」を密接につなげる何かなのです。
 富士の表側に生まれ育ち、まずは「文化」としての富士山に魅せられて、そこに引き寄せられ、そのうちその裏側に囚われて、そして呑み込まれていった私。そんな私から見ると、富士は女だ、女は富士だと思わずにいられないわけです(苦笑)。
 そうしますと、やはり「文化」というのは、男の手による社会的なフィクションだということになるのかもしれませんね。そんなことを考えさせてくれた、この本でした。著者の意図とは全く違った感想でしょうね。上垣外さん、すみません。

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2009.06.01

トマソンと「物語」

2 日は学校が創立記念日ということで休日。仕事と趣味をかねて昨日から東京に来ております。
 昨日は午前中、プロレスリング伝承者の方と150分にわたってじっくり対談。学ぶこと多数。響き合うこと多数。自分のやるべきことに示唆を与えていただきました。
 午後から夜にかけてはコンサートに向けての練習&卒業生にレポートの指導など。あとは飲み会。
 そして今日は、仕事関係で何人かの方にお会いし、そして、その合間に急きょバロック・バンドの練習に参加。さらにそのメンバーの方の案内で新宿界隈あやかし探索。すぐれた先達のおかげで超充実いたしました。いやあ、東京は面白い。渾沌。垂直のみならず水平に歴史の地層が形成されていますね。
 そして、あやかしの地下水脈から湧き上がり、こぼれ落ちる霊気のすさまじさ。先達はそれを見事に感知して私をあちらの世界にいざなってくださいました。
 その「あやかし」については、社会的にいろいろと問題もありますし、私自身が勉強不足の点もありますので、今日は別の「もの」を紹介いたします。
 都市というシステム化された日常的論理の中に現れた「もの」。その一つが「トマソン」です。トマソンとは「超芸術」であり、Wiki的に説明するなら「不動産に付属・保存されている無用の長物。創作意図の存在しない、視る側による芸術作品」ということになります。赤瀬川原平さんらが発見、命名。
 街に自然に(しかし不自然に)存在する意味不明な物件ですね。そういうものに対してある種の感動や感銘や共感をおぼえるのが、トマソニストとでも言うべき人種であり、私は物件に限らずあらゆる事物・事象に関してトマソニストでありたいと思っています。
 ある意味「あやかし」に対する感受性というのも、やはりトマソニスト精神に通ずるものがありますね。その証拠に我が先達は私が見逃してしまいそうであったトマソン物件を発見しました。
 これはなんなんでしょうね。上の写真を見てのとおり、一本の道に突然コンクリートの壁が現れ(しかし、半分だけ)そしてそこから不思議な角度で鉄骨風なゲートが張り出している…。そこをフツウにおばちゃんが通り抜け、自転車が疾駆していく。
0298 もう少し近づいてみますと、こんな感じになっています。このコンクリートの塗り壁も、どこか取ってつけた感があり、つまりは誰かのなんらかの意図というものが感じられます。そして、やはりゲート様の「もの」の微妙な存在感というか、非存在感というか、非日常的な感じがたまりませんね。なんでこういう角度なんでしょう。フツウは道に直角、すなわち壁の延長線上に位置させるべきでしょう。それが、この角度ですからね。謎です。
 長さ自体も斜めに設置するには中途半端でして、向かって右側にも人ひとりが通れるくらいの空間ができています。かといって可動式でもありません。赤い靴を履いているような足下のカラーリングも美しい。
0299 ゲートを恭しくくぐり抜け、反対側の世界に出まして振り返ってみますと、このようになっています。なんと、壁のあちら側(こちら側)には自動販売機が設置されていたのでした。これは予想外でした。まさかこの門をくぐると、そこにペプシが派手ばでしく待ち構えているとは。あの塗り壁の無機質な世界の裏側に、これほどきらびやかな世界があるとは。まさに陰陽表裏一体。そして、無造作に配置されている赤いコーンが、ゲートの足下との絶妙なバランスを取っています。お見事。
 けっこう人通りが多かったので、あまりゆっくり物件を観察できませんでした。まあ、なにしろ新宿の大通りを入ったすぐのところですから、地元ではもちろん有名な物件であり、ある意味日常の風景として、住民たちは慣れ親しんでいるのかもしれません。私には亜空間への入り口にしか見えませんが。
 さて、こうしたトマソン物件の面白さ、魅力というのは、やはりその「モノ性」にありますよね。意識としての「コト」の外側に存するある種の自然体。都市というのは「脳化」の顕著な産物で、ほとんど「コト」のコンプレックスと言える存在です。その中に潜む、いや潜んでいないな、あまりに堂々とした非論理性、非実用性。これは刺激的です。我々が論理や実用だと考えているコトというコーティングの下から破り出たような生命力。これぞ「モノ」の怪たるトマソンの魅力です。
 私たちは、これを飼い馴らすために、説明を求められます。これはきっとこういう事情でこうなったのだろう。人は皆、それぞれの「モノガタリ」を始めます。「カタル」とは「固める」ことにほかなりません。カオスを修理固定するのです。それが私の考える「物語」ですね。
 今日の東京は物語に満ちていました。こんなに語れる街だとは。
 こうした「物語」を生む力は、たとえばユーモアや詩やプロレスといった非日常的な営みの中に散在します。私たちはそうした物語を欲しています。都市伝説はその一つの表れにすぎません。私たちの日常生活のすぐ隣には、必ずこういう物の怪が棲んでいるのです。実に楽しい。都市というウソ(コト・フィクション)に芽生えた徒花…いや、どちらが徒花かわかりませんね。
 いや、実は自分こそがトマソンだったりして…笑。

Amazon トマソン大図鑑

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2009.05.15

『HUMAN LOST』 太宰治 (太宰と王仁三郎)

Dazai_panf 日、小・中といじめに遭い、学校に行けなかった女子の話を聞いて、みんなで盛り上がりました。なんだよ、それって単なる自慢話、モテ話じゃないか!って、みんなでツッコミを入れつつ、大笑い。
 ひどい!とか言わないでくださいよ。本人もめっちゃ嬉しそうでしたし、なんだか「幸せです…」とか言ってたし、まあ、そうやって昇華してやることもまた、先生の大きな仕事です。今になっても、大変だね、頑張れよ、なんて言うわけいかないでしょ。しっかし、面白かったな。
 ちょうど、その前の授業で太宰治の「人間失格」論をやったんたです。青山の過去問に安藤宏さんの文章が出てたんですよ。例の「弱さを演じるということ」「悲劇の主人公になりきれなかった」っていうヤツです。私はそれに昔からとっても違和感を抱いていましたので、そんな話もまじえながら、「ダメ人間とはなんなのか」、「ダメ人間こそ幸福な人間」という話をしました。
 こちらに私の「人間失格」論をちょっと書いてますが、今日の女子の話と、太宰のグダグダ文学は、私にとってはほとんど同じ響きを持っています。なんだよ、結局お前のモテ話かよ!ってね。それで自分は不幸だって愚痴って、人に共感されて、優しくされて、励まされて、いやオレ(ワタシ)の方がダメ人間だと思われることで、相対的に自分が持ち上げられ、しまいには人間を失格になって「神様」に昇格して終わるなどという、究極のギャグでしめくくる。まったくもって太宰(&その女子)のユーモアセンスは大したものです(笑)。
 なんて、ホントのことばかり書いていると、去年の秋みたいに太宰からシャレにならない報復を受けるので、このへんでやめときます。
 まあ、それにしても太宰治との縁にも不思議なものを感じますよ。実は来年度から私が仕事をするであろう場所はですね、太宰治が何度か逗留した、まさにその場所なんですよ。彼の小説にも出てきます。いやあ、ついにここまで来たかっていう感じです。
 今年は生誕100年ということもありますしね、私は「富士山と太宰治」をテーマに、いろいろと読み直しをしてみようと思っています。そこで、今日は昭和11年に書かれた「HUMAN LOST」を読んでみました。太宰が御坂峠を訪れる直接的なきっかけがこの作品にありますからね。
 これはいかにも精神病的な散文詩とも言える作品であり,ある意味とっても太宰らしいトラップ(に見えるトリック)がしかけられている作品です。解釈も無限に広がるでしょう。細部にこだわると全体が見えなくなるという「詩的」な仕掛けが見事ですね。やるな太宰。
 縦書き文庫を埋め込んでみましょう。なにかの関係で見られない人、ケータイでアクセスしている人は青空文庫でどうぞ。あるいはpdf版でどうぞ。

 いかがでしたか?内容以前に、この音楽的な、あるいは講談的なリズムがたまりませんね。天才の技です。うむ、謡の大ノリみたいだ。
 ところでところで、この作品には、ワタクシ的にとっても注目すべき部分があります。そう、太宰治が出口王仁三郎について書いているんですよ!!これは非常に貴重な記述です。

「あなた知っている? 教授とは、どれほど勉強、研究しているものか。学者のガウンをはげ。大本教主の頭髪剃り落した姿よりも、さらに一層、みるみる矮小化せむこと必せり、

 学問の過尊をやめよ。試験を全廃せよ。あそべ。寝ころべ。われら巨万の富貴をのぞまず。立て札なき、たった十坪の青草原を!」

 大本教主とはもちろん出口王仁三郎のことです。この小説が書かれた前年、大本はあの世界史的にも稀有な大弾圧を受けました。もちろんそれをふまえての記述です。王仁三郎は官憲によって収監されました。その時、あのトレードマークとも言える不思議な髪の毛をバッサリ切り(切られ)ました。その姿を新聞か何かで見たのでしょうかね、太宰は。その印象をこうした比喩として使っているわけです。正直、小馬鹿にした感じがしますね。これが当時の、あのご時世の、大本や王仁三郎に対する正しいイメージでありましょうし、あるいは時代の空気がそれを要求していたとも言えるでしょう。不敬の輩、大逆賊の肩を持つわけにもいきませんしね。
 実は当時の文学界と王仁三郎の関係は、意外に深いものがあるんですね。太宰の敬愛した芥川龍之介も間接的に、いや私のカンによると直接的に王仁三郎の影響を受けています。去年芥川龍之介と富士山という記事でちょっと書きましたね。
 あとですね、川端康成は伊豆の湯本館で何度も王仁三郎に会っていますし、あとそうですねえ、有名どころでは、これは文学と言えるか微妙ですが、柳田国男の「遠野物語」の成立にも、大本信者の佐々木喜善が大きく関わっています。その佐々木の友人であり、宗教的ライバル(?)であった宮沢賢治にも間接的に大きな影響がありましたね。エスペラントという共通点もありますし。
 今、ちょっとこういう視点で当時の文学界を眺めなおす作業もやっています。また、面白いことがわかったら報告します。
 ちょっと話がそれました。太宰は「HUMAN LOST」を発表後、富士山に向かいます。そして富士山は彼の人生を大きく変えます。そして晩年、「HUMAN LOST」は「人間失格」へと昇華していくのでした。富士山をしても、彼を根本的に変えることはできなかったのです。
 そして、王仁三郎と太宰は同じ年に天国へ行きました。

Amazon 太宰治全集〈3〉

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2009.05.14

またやっちゃった…「WELLCOME!?」

About_img01 ちら富士北麓では、勝ち負けのないスポーツの祭典「第11回IVVオリンピアード」が始まりました。1968年から始まったこの一大イベント、今回初めてヨーロッパを離れ、日本で、ここ富士山麓で開催されます。折りからの世界恐慌や新型インフルエンザの影響もあり、参加人数の減少が心配されましたが、結局日本を含む27の国・地域から計9000人が参加するそうです。今日は河口湖ステラシアターで開会式が行われ、ウチの学校のジャズバンド部が華やかな演奏を披露しました。生徒諸君お疲れさま!
 そにれしても、このロゴ&マスコット、微妙だな。微妙すぎる…。
 …と、そんな国際的なイベントで、また山梨県はやらかしてしまいました(笑)。
Uni_2544 会場付近に林立する歓迎ののぼり。よく見ますと、いやよく見なくても不自然です。そう、そうなんです。またやっちゃったんです。「WELLCOME」。ここまでこだわるのはどうして?と思わせるほどの徹底ぶりですなあ。
 で、その余計な「L」のところになんだか貼ってある。貼って隠すと余計に目立つ。もういっそのこと、これは山梨の方言表記だということにしちゃえばいいのでは。
 前回2年前は、山梨県の観光キャンペーンののぼりでした。こちらのWELLCOMEですね。これはですね、結局全部回収されて、全部作り直されました。おそらく数十万本。私だけでなくたくさんの人が指摘したんでしょうね。それでいったい県民の税金のいくらが無駄に使われたのでしょう。もうあきれるのを超えて笑えますね。
Uni_2545 で、富士河口湖町としては、2年前もっとすごいことをやらかしてましたね。こちらFESTIBALてす。これはマジやばいでしょう。もちろん誰かが気がついて(というか誰でも気がつくよな)訂正されました…かと思ったら、こちらはけっこううまいことやりましたよ。
 今回のオリンピアードののぼりみたいにテープ貼っちゃうとよけいに目立つし、ほら、そういう訂正シールってはがしたくなるじゃないですか。ある意味強烈なアピール力を持ってしまう。そこで、これはですね、間違った「B」のところに微妙にかかるように、なんだか別の情報が書いてあるシールを斜めに貼っちゃったんですよ。私はそれを新宿駅で見ました。おっ!こう来たか!と感心するやら苦笑するやら…。
 まあとにかくですね、こういう大切なものを作る時には、何重にもチェックをかけましょうよ。いくらお役所仕事とはいえ、いやいやお役所仕事だからこそねえ。
 関係者はもう聞きたくないでしょうけど、やっぱり面白いから、最後に伝説の富士吉田市の大失態を再び紹介します(前の記事から引用します)。もう一度笑ってやってください!!

 さてさて、ついでに面白い話を一つ。地元の人は覚えてますかね。去年富士吉田市でですねえ、2002年のワールドカップの時にカメルーンの選手団がキャンプをしたことを記念して(それ自体よくわからないコンセプトですけど)、記念碑を建てたんですよ。で、盛大に除幕式をした。バッと幕を取ったらですねえ、「World Cup」が「Would Cup」になってた(笑)。で、結局あの大仰な記念碑を作り直したんです。まったくねえ、なんで製作過程で誰も気づかないんでしょう。もう、これは完全にギャグですよね。

オリンピアード公式

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2009.05.13

下吉田駅のベンチ〜ドラマ「祭ばやしが聞こえる」

Uni_2540 日は奉仕活動で地域の清掃をいたしました。え〜とですね、今日は高校総体の開会式の日でして、スポーツマンはそれぞれの試合会場へ、そして選ばれし者たちはあの驚異の演劇空間で行進し、そしてそして、ある意味選ばれなかった(いや、選ばれたのかも)者&高体連に所属せず我が道を行く野球部の諸君は、学校に残って奉仕活動…と、そういうあんばいになっております。実に複雑極まる非教育的状況です(笑)。
 私は一時期、演劇担当(行進担当)でありましたが、最近は選ばれざる者に属することになりまして、学校周辺の清掃の指導をするようになりました。今日もそれです。生徒諸君は大変熱心に清掃に励んでくれまして、道行く方々に「ごくろうさん」「ありがとね」と言われ、まんざらでもない様子。選ばれざるゆえの選ばれし幸福を味わっておりました。いいことですね。
 さて、そんなまじめな生徒を尻目に、私はちょっと自分の趣味に走ってしまいました。ごめんなさい。まずは近所の魚屋さんに突撃し、とんでもないものを借りてきました。これについては、来週あたりご紹介できると思います。初めて会う私に、あんな貴重なものを貸してくださる魚屋さんのきっぷの良さ。かっこいい!粋だねえ。
 そして、生徒を帰宅させたあと、富士急行線下吉田駅に行き、待合室のベンチの写真を撮ってきました。
 この下吉田駅、いろいろな歴史を堆積させた駅です。最近お色直ししてちょっときれいになっちゃいましたけど、基本的な風情は昔と変わりません。昭和4年、往時の名古屋駅を模して(ミニチュア化して)作られたと言われている駅舎です。織物業で当地が栄えていた頃、富士吉田の玄関はこの下吉田駅でした。太宰治も、何度もこの駅を下りました。
 今では全く静かな駅となってしまいましたが、ここから始まる下吉田昭和レトロ地区は、まさに昭和がフリーズドライ化されている遺跡の様相を呈しており、いろいろな映画やドラマの撮影場所となっています。最近では、ウッチャンの「ピーナッツ」や「力道山」(近いうちに紹介します)が有名どころでしょうか。
 ウチの学校はその一角にあるんですよ。いいでしょ(笑)。あっそうそう、フジファブリックの志村正彦くんも、この地域に生まれ育ちました。だからこそ、ああいう音楽を作るようになったんですよ。
 で、今から30年ほど前になりますが、このあたりを中心にオール・ロケが行われた名作ドラマがありました。ショーケンこと萩原健一といしだあゆみが出演した「祭ばやしが聞こえる」です。このドラマでの共演がきっかけで、二人は結婚したのでした。

 私も当時少し観た記憶があります。いろいろ縁があってこの地に生活するようになって、改めて観てみたいと思うのですが、残念ながら再放送もあんまりされませんし、ビデオやDVDにもなっていません。YouTubeに少しだけ上がっていたので、観てみたらまあいろいろ見たことがある風情が…。
2 そこで今日はふと思いついて、下吉田駅に行ってみたわけです。そしたら、なんとまあ、30年前の風情がそのまま残ってるじゃありませんか。上のYouTubeの映像の中で、いしだあゆみが座っていた木のベンチ、まだ普通に使われてました。バックの壁面との位置関係も一緒ですから、まあ間違いないでしょう。
 背板の棒が一本折れちゃってますが、基本昔のままの「たたずまい」を保っております。いろいろな人生を背負って折れちゃったんでしょうかね。それもまた趣深い。
Uni_2542 さすが富士急。富士急は車両自体、一番若くて30歳くらいですからね。私と同じくらいの年齢になる車両もしっかり現役で走ってます。だから、ベンチくらいで驚いてはいられないのかもしれません。鉄道マニアの方々にはたまらないでしょうね。まさに「もったいない」を地で行く…いや、ある意味開き直って古いものを使い続ける空間がここにあります。でも、更新不可能なモノたちのが醸す「たたずまい」は、意外にいいものですよ。

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2009.04.24

草彅(なぎ)剛くんと二・二六事件

27 の続きです。過激すぎて(?)書けなかったことを、今日は書いてしまいます。もちろん、これは私の紡ぐ物語であり、なんの意味もないと言えばなんの意味もありませんので、あしからず。
 まあ、例によって、半分まじめで半分ふまじめなんてす。私はそのスタンスがとっても大切だと思うんですよ。二元的、二分法的な思考からは何も生まれませんから。デジタルは「殺す」行為です(地デジも…笑)。
 さて、世間を大騒ぎに導いた「草彅剛事件」ですが、彼が騒いだ…いや、縄文の祈りを捧げた場所「檜町公園」のことをご存知でしょうか。
 東京ミッドタウンに隣接する近代的な公園ですね。私も一度行ったことがありますが、再整備されまして、とっても清潔なオシャレな公園となっています。
 この公園付近、実は歴史的に見てとんでもない霊的な場所なんです。そう、二・二六事件の決起場所の一つなんですよね。
 ご存知のように、東京ミッドタウンは旧防衛庁跡地に再開発されました。旧防衛庁跡地と言ってしまえばそれまでですが、実はその歴史は江戸時代までさかのぼります(実際は旧石器時代の遺物もたくさん出ていますけど)。
 江戸時代、赤坂檜町には長州藩毛利家の屋敷がありました。当時は檜がたくさんあったそうで、それで檜屋敷と呼ばれていたとのことです。幕末、長州討伐の際、幕府に接収され、のち明治維新で政府のものとなりました。そして、明治4年に軍有地になり、陸軍歩兵第一連隊が置かれることになります。
Rebel_troops_in_february_26_inciden そして、昭和11年(1936年)、ここを舞台にあの事件が始まります。二・二六事件です。
 ここ檜町駐屯地の第一歩兵連隊からは、クーデターに必要な多くの武器が供給されました。その日週番司令であった山口一太郎大尉は、青年将校たちに基本同情的であり、武器の持ち出しを黙認したのです。
 二・二六事件の目的や背景は、単純に「君側の奸」を排し、天皇親政を復活させるということでは表現し切れません。
 以前読んだ『神々の軍隊 三島由紀夫、あるいは国際金融資本の闇』にもあったように、そこにはまさに縄文以来紡がれ続けてきた「縦糸」の存在があったを忘れるわけにはいきません。
 その縦糸に今、草彅剛くんがつながったということですね(笑)。腐った総務省へ天誅を下すために、彼はあの場に導かれ、英霊たちと交信したのでしょうか。
 「クサナギ」の剣は、スサノオの尊が退治した八岐大蛇のしっぽから出てきた剣で、天叢雲剣とも言われますね。「アメノムラクモ」命という神が元伊勢伝承や度会氏の伝承につながるところから、出口なおや王仁三郎への流れも感じられます。このへんについては、私独特の解釈があるにはあるんですけど、今日は割愛します。マニアックすぎるので。
 いずれにせよ、今回の一件は単なる芸能人による泥酔顰蹙事件として片づけるわけにはいきません。彼が韓国との架け橋となっていることも、あることを象徴しているかもしれません。
 「縦糸(経糸)」の地下伏流は、こうして時々地表に噴出するんですよね。霊的な磁場(ポイント)で。ま、こんなふうに今回の「四・二三事件」を見ている人もいないと思いますけど(笑)。私は、半分おふざけ、半分まじめです。
 今回もまた、官憲の手によって、事件は鎮圧されました。鳩山さんに言わせれば、まさに「絶対許さない」不逞の輩、不祥の事件だったのでしょう。歴史は繰り返す…かな?

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2009.04.22

『人體問答』 金子尚政 著 田中義兼 閲

 リードル婦人世界など、実に興味深い貴重な書籍を持ってきてくれた生徒が、新しい資料を提供してくれました。これもまた珍しい。
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 まずは奥付を見てみましょう。
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 明治10年の発行ですね。明治4年に文部省が設置され、欧米の教育法が導入され、5年に「学制」が制定。8年に満6歳から14歳の8年間を「学齢」とすることが決定しました。その直後の、師範学校のテキストですね。人体について、小学生にどのように教えればよいか書かれています。

 ちょっと内容を紹介。「鼻」の部分です。3行目の軟骨の説明が面白いですね。牛肉の白いヤツってことですね(笑)。↓click!
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 実は、この本の面白いのは冒頭の口絵です。全部紹介します。天然色(カラー)です。まず最初の一枚。ステキなパンツはいてますね。
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 二枚目は後姿。江戸の浮世絵の伝統が感じられる描写です。髪形もステキですね。
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 三枚目はガイコツ。腰のひねり具合がキュート。
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 四枚目は血管図。さりげなくイチモツが登場。
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 五枚目は内臓図。内臓が全体に上にあるような…。それよりこの表情ステキ過ぎ。つぶらな瞳。
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 そして謎の六枚目。「闘力の図」って、プロレスだなこりゃ。どう見ても、バックを取ってジャーマン・スープレックスを仕掛けようとしているのに対し、足をフックしてこらえようとしていますね、こりゃ。かっこいいぞ。
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 ちなみに奥付にある發兌人の「内藤傳右衛門」は、今の山梨日日新聞の基礎を作った、甲府の書店温古堂の書籍商です。山梨ではちょっとした有名人ですね。

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2009.04.18

剣丸尾樹海散歩

 日はあんまり気候がいいので、家族で近所を散歩。近所と言っても、ここは富士山ですから、いきなり樹海ですよ。ただ、いわゆる青木ケ原樹海ではなく、剣丸尾という溶岩流上の樹海です。スバルラインの近くと言えばイメージしてもらえるでしょうか。
 子どもたちも様々な発見に大興奮。いやあ、自分たちで言うのもなんですが、いい所に住んでますねえ。最高のレジャーでした。
 以下写真で紹介します。

↓スタートはカラマツとフジザクラとミツバツツジの森から。
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↓まずは鳥の巣を発見。
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↓コブシ満開。
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↓いよいよ樹海らしくなってきました。
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↓一つ目の溶岩樹型を発見。
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↓母親による木登り指導。
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↓二つ目の樹型を発見。今度は侵入成功。
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↓三つ目の樹型では雪を発見!
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↓四つ目は横臥型樹型。天然の冷蔵庫で氷柱もありました。
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↓天然のマユを発見。黄金に輝いていました。
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↓スバルラインのトイレでシュールなデザインを発見。
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↓富士山に穴をあけるアリたち。
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↓樹海にはいろんな形の木があって楽しいですね。
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↓ホオの葉とカマキリの卵で変身!
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↓自然のくぼみで休憩。これが気持ちいいんだなあ。
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↓目をあけるとこんな光景が…。気持ちよすぎ。
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↓ママはこのあと降りられなくなって困ってました(猫みたい)。
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↓ウサギのうんこが金色に輝いて宝石みたい。
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↓富士山麓は今、桜が満開。
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↓ゴールには見事なミツバツツジが。
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 というわけで、楽しい1時間の旅でした。世の中の子どもたちも、DSなんてやってないで、こういう所で遊びましょう。ずっと楽しいし、エキサイティングですよ。

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2009.04.06

いぶりがっこ(の語源)

Lp_iburigakko_tumami_b2 田のおみやげとして、いつも職場に配っているのが、これ。お菓子よりも評判がいいんです。生徒たちにも大人気で、たくさん買って行ってもすぐになくなってしまいます。先生たちは「ビールか焼酎がほしくなるなあ…」と、あまりのおいしさに仕事中、ある意味苦しんでいますが(笑)。
 この製品のいいところは、小袋に入っていて、スナック菓子のようにつまめることですね。たしかに、お酒のつまみにも最高ですね。
 「いぶりがっこ」は漬け物の一種です。「燻り」「がっこ(漬け物)」という名前からも分かるとおり、スモークされているのが特徴です。ものすごく簡単に言ってしまうと、「たくあんの燻製」という感じでしょうか。
 秋田は冬の間日光に恵まれませんので、日干しができません。そこで、昔の秋田の家には必ずあった囲炉裏の上に大根を吊るして、その熱で水分を飛ばしたんですね。結果として、広葉樹の薪から出る香ばしい煙で燻されて、見事なスモーク大根になるというわけです。
 その独特の香と味わいがたまらないんですね。一つ食べますと、止まらなくなることうけあいです。いまだ食したことのない方は、ぜひともお試しあれ。この個装スナックタイプは入門には最高だと思いますよ。
 現在では、秋田でも囲炉裏のある家はずいぶんと減ってしまいましたので、自家製のいぶりがっこというのは、なかなか食べられません。かと思ったら、そうした古来の文化を守ろうということでしょうか、横手市山内地域では「いぶりんピック」なるものが開かれているそうです。手作りのいぶりがっこの味を競う大会だとか。
 どうでもいいことですが、日本語学的に言いますと、「いぶりん」までが平仮名で、「ピック」だけカタカナというのが、絶妙というか意外な秋田的センスだと思います(笑)。
 わが山梨県の鳴沢村も漬け物文化が発達していて、お茶のお伴はお菓子ではなく漬け物です。家庭訪問なんか行きますと、各家庭の漬け物をいただいて、お腹いっぱいになってしまったりします。それぞれ個性があっていいんですよねえ。
 漬け物というのは、優れた発酵食品であり、保存食品ですね。まさに日本の田舎の知恵そのものです。今、そういう文化が絶えつつあるというのは、ちょっと淋しいものです。ウチもそうですけど、漬け物石なんか見たことない子供が増えてるんじゃないでしょうか。
4 ところで、秋田では漬け物全般のことを「がっこ」と言うのですが、どういう語源があるのかと思って、ちょっと考えてみました。
 秋田には、「雅香」がなまったとの俗説があるようですが、日本語学的にいうと、ちょっとありえないでしょうかね。いくら漢語の日常語化することの多い秋田と言っても、やや無理がありそうです。「雅香(がこう)」という漢語は、私の知る限り使われていません。
 「がっこ」の「っこ」が、東北特有のあの接尾辞、つまり愛着を表す「〜っこ」だと考えてもいいのですが、そうすると、「が」が何かということになってしまいますね。「が」だけで使われている例も見当たらないので、これも却下しておきます。
 そうしますと、やはり単純に「こうこう」の訛りだと考えた方が良さそうですね。「おこうこ」とか言う時の「香香」です。これは大根の漬物の女房言葉として広く使われていました。「香」の音読みは本来「かう」ですので、「おこうこ」の歴史的仮名遣いは「おかうこ」になります。
 その「かうこ」が「がっこ」に音韻変化することは、それほど不自然ではありませんね。「はうし(法師)」が「ぼっち」…「ひとりぼっち」の「ぼっち」…になったりする例はたくさんありますから。
 ちなみに、この個装「いぶりがっこ(薪割り)」を製造販売している雄勝野きむらやさんですが、「いぶりがっこ」を商標登録しているんですよね。ホームページが「iburigakko.com」というところがすごい!w

いぶりがっこ小袋入(大)(きむらや)

雄勝野きむらや

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2009.04.05

埋草神社の奇跡!?…スギッチ帰還

2 2年間行方不明だったスギッチが発見されました!
 まずは、その発見の様子を動画にしましたので、左の画像をクリックしてご覧下さい。
 レミオロメンで有名な埋草神社の境内で、スギッチは2年間、じっとうつぶせのまま、発見されるのを待っていたのです!それを、なんと落とし主であるウチの娘が偶然発見するという奇跡。神様ありがとう。そして、スギッチよ、ごめん!
 しかし、結構グロ動画ですね(笑)。目が取れてるし。ま、これだけ見ても事情が全くわからないと思いますので、ちょっと説明します。
Uni_2289 今日は、レミオロメン仲間による恒例のお花見の日でした。御坂あたりは、5分咲きから8分咲きといった感じでしたが、お天気にも恵まれ、みんな大満足。皆さん持ち寄りのお弁当をぜいたくな肴にして、私は地元夏目原の「腕相撲酒造」…すごい名前だな…のにごり酒「黒駒の勝蔵」をぐいぐい頂きました。黒駒の勝蔵とは、有名な甲州の侠客の名前ですね。甲州は独特の侠客文化があったんですよ。
 桜もちょうど満開、菜の花も満開、虫たちもせっせと活動し、生命感溢れる、まさに春!ということで、レミオロメンの歌詞の世界がそこら中に満ち溢れていました。気の合う仲間とこうして1年に1回楽しい時間を過ごせるというのは、実に幸せなことです。こんな出会いを作ってくれたレミオロメンには、本当に感謝です。

Uni_2273 さて、それでですね、我々は最後にこれもまた恒例となっている「埋草神社」への参拝をしました。埋草神社とレミオロメンの関係については、こちらの動画をご覧になるとよくわかると思います。
 境内の桜もまたちょうど見頃でして、子供たちを筆頭にみんな歌う歌う…「Sakura〜Sakura〜♪」。きっと藤巻くんもこの桜を思い浮かべながら、あの曲を作ったのでしょう。
 我々は昨年一昨年も、埋草神社を訪れているのですが、その一昨年ですね、ウチの上の娘が、春休みに秋田でゲットしてきたスギッチの人形をなくしてしまったんですよね。その時はどこでなくしたか、実はわからなかったのです。だから、泣く泣くあきらめてしまっていたんです。
041403 で、今日ウチに帰ってきてあらためて確認したら、その2年前、神社で撮ったこの写真に、スギッチを持っている娘の姿が映ってるじゃないですか。そうか、やっぱりこの時スギッチはこの神社にいたんだ!拡大してみるとこんな感じです。Sgおお、スギッチよ。ごめん!娘はこの後、この神社の境内を駆け回っているうちに、お前を落としてしまったのだ。それから2年間、お前は参道の脇の草むらの中に突っ伏したまま、雨にさらされ、風に吹かれ、雪に埋もれ、雑草や虫たちにまみれ、こうしてじっと待っていたんだな…。うぅ…涙。
 いや、それにしても不思議なのは、この2年間誰にも拾われなかったということです。ある意味保護色であるとは言え、2年前は新品でしたからね、多少は目立つと思いますし、レミオファンのみならず、多くの人が訪れたはずなのに、どうして拾われなかったのか…。
 そしてまた、今日のこの日に、落とした本人、ウチの上の娘に発見されるなんて!もちろん娘はスギッチのことなんて忘れてましたでしょうし、探す気など全くなかったのです。ただ、あの時と同じように、境内を駆け回っていただけです。
 ううむ、やっぱり何か神がかっている。埋草神社の神様(なかなか個性的な神様なのですが…)、ありがとうございました。さっそく、救助されたスギッチを御神体として、ウチの神棚に安置いたしました。
 いやはや、それにしても不思議なことはあるものです。ぞ〜っとする反面、なんかとっても幸せな気持ちですよ。なんかいい予感!(笑)…なんて、スギッチにとってはとんでもない2年間だったと思いますが(泣)。

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2009.04.02

スギ花粉のお話

5 日、生スギッチ初めて見ました。「釣りキチ三平」を観に行った大曲のイオンで仕事してました。なぜかコナン君と一緒にいました。二人はどういう関係なのでしょう。スギッチさんはたしか秋田県の県職員だったと記憶していますが、コナン君の映画の宣伝なんかしてていいんでしょうか(笑)。
 スギッチが県のキャラになるくらいです。秋田県と言えば秋田杉。杉の数はハンパじゃありません。どこを見回してもリアルスギッチ(つまり杉の木)ばかりです。面積比では全国一です。
 では、花粉症の方が多いかといいますと、残念ながら人口比は全国最低レベルです。43位だったかな。これは不思議ですね。
 逆にですね、我が山梨県は花粉症率全国一位です。たしかに周りの人はみんな鼻かんでる。くしゃみをしている。マスクをしている。しかし、杉の木の本数はなぜか全国最低レベルなんですよね。実に不思議だ。
 この事実については、実にテキトーな説明がなされています。曰く、「秋田の人はスギ花粉に慣れている」、「山梨には他県からスギ花粉が飛んでくる」と。
 そんな説明で納得できるわけありませんよね。実にテキトーです。では、どうしてこういうことになるのか。実は生スギッチに会った日まで、私にもさっぱり分からなかったんです。でも、その夜、リアル三平(一平)こと、カミさんのお父さんが、リアル三平(一平)ならではの重要なヒントを与えてくれました。
 ちょっと回りくどくなりますが、その時の話の流れを紹介します。まず、義理の弟と一日一食の話をしてたんですよね。その中で、栄養不足で精力が減退するんじゃないか、というよくある質問をされたんです。で、いやいや、それが逆なんだよ、みたいなことを言ってるところに、義父がやってきました。
 ふむふむ、なるほど、と義父もうなずいています。それで、私が、どんな動物も満腹な時には寝てばかり、ハングリーな時にこそいろいろ盛んになる、ミジンコとかもピンチの時に繁殖するじゃないっすか、というようなことを言ったんですね。そしたら、父がこう言ったんです。
 「そういえば、杉でも日の当たらないような所のやせてる木が、やたらと花粉を飛ばすなあ」
 私はその時、あっそうか!と思わず小膝を打ちました。さすが山のことを知り尽くしている。都会のもやしっ子である私なんかには、そんなこと全然わかりませんよ。
 杉の木も生命の危険を感じると、そうやって子孫を残そうとするんじゃないでしょうかね。生き物として、そういう発想というか、そういう行動に出るのは理にかなっています。
 そうすると、予想されることがありますね。秋田は今でもスギッチ…ではなく杉の産地として有名です。ですから、植林された杉は比較的ていねいに扱われています。しっかり間伐され、枝打ちされ、健康的に育っているものが多い。
 しかし、例えば山梨の杉なんか、たしかにひどいですよ。植えたはいいけれど、もうあとは放置。林業、衰退の一途をたどっていますからね。植えられた杉にとっては迷惑きわまりない話です。もう全てのスギッチが生命の危機に瀕しているとも言えます。ですから、バンバン花粉をまき散らすんじゃないでしょうか。
6 はなこさんという環境省のサイトを見てみましょう。たしかに秋田だけ花粉の飛散量が少ないですよね。これってやっぱりスギッチが元気で幸せだからじゃないでしょうか。
 人間界でも、この飽食の時代はまた少子化の時代でもあります。戦争や飢饉の時には出生率が上がったりもします。先進国よりも発展途上国の方が子だくさんです。まあ、あまり単純に語ってしまうことにも危険性はありますが、全くありえない話ではないのでは。
 杉花粉症は日本に独特の病気です。それも私が生まれた60年代の中ごろから突然始まりました。戦後国策として植林されたスギッチたちが、高度成長の始まりとともに見捨てられていった時期と重なります。
 どんどん豊かになって行く人間と、その人間の都合で集められ、のちに放置された、奴隷たちの反乱なのかもしれません。スギッチを奴隷だなんて思わず、県の職員にまで抜擢した秋田県民には、恩恵だけが与えられているわけです。
 私は、別にそのことに気づいてではありませんが、5年ほど前に一日一食を始め、その翌春には、超重症だった花粉症がほぼ完治してしまいました。それについてはこちらに書いたとおりです。今年もほとんど発症することなく、そのシーズンを終えられそうです。
 私は、結果としてスギッチに大事なことを学びました。花粉症に悩む皆さん、ちょっと発想を変えてみてはいかがでしょうか。

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2009.03.31

『釣りキチ三平』 滝田洋二郎監督作品

Turikichi_sanpei_campaign 「くりびと」の舞台となった山形の酒田や鶴岡、由良などを経由して、秋田から富士山に帰ってきました。雪を頂いた出羽三山や鳥海山、そしてそれらを背景に優雅に飛ぶ白鳥の群れを見た時、やはりあの名作はこの風景によって名作たりえたのだなと実感。東北の自然と人間の織りなす独特の厳しさと温かさが全世界に発信され、あのような栄誉を得たのは、また違った意味で喜ばしいことです。
 さて、その「おくりびと」の滝田洋二郎監督の最新作「釣りキチ三平」を昨日観ましたので、感想など書きたいと思います。この映画は「おくりびと」以上に、秋田の、東北の、日本の自然と人間の関係を示す佳作でした。
 ウチのカミさんの実家は、もともとの羽後町の山村から横手盆地の十文字町(現横手市)に引っ越してきました。近くに高速道路のインターチェンジもあり、大型店舗の並ぶ、都会と言えば都会です。雄物川の流れと豊かな田畑に囲まれ、また遠く奥羽山脈や鳥海山などを臨む、自然に恵まれた所と言えばそうとも言えますが、しかし、幹線国道沿いは、全国どこにでもある無個性な風景に変りつつあります。
 根っからの東京育ちだった私としては、以前住んでいた羽後町の山間部からこちらに引っ越すと聞いた時、身勝手にもちょっと反対してしまいました。なぜなら、あの素晴らしい里山の風景は、私にとってまさに楽園、ちょうど映画「釣りキチ三平」に出てくる風景そのもののような魅力があったからです。
 しかし、実際には積雪は3メートルに迫り、農業経営も困難、医療や生活物資の調達さえ不便となれば、そこに生活する者の苦労は計り知れません。私がどうのこうの言うべき立場ではありませんね。
 実はこの「釣りキチ三平」にはそうしたテーマが仕組まれていました。そうですねえ、私は「一期一会 キミにききたい!…都会と田舎の話@秋田」を思い出しながら観ましたよ。ああいうテーマなんです。で、結末的にも同じになっていました。
 そう、全体にストーリーや演出がベタでして、ある意味、いや本当の意味においてコテコテの映画です。しかし、もともとが娯楽作ですし、なにしろマンガが原作ですからね、これでいいと思います。なぜなら、そうした田舎や自然が勝つという予定調和こそが、我々都会人(今や日本人のほとんどが都会人でしょう)が望むものであるからです。あるいは世界中の都会人(映画を観る人はほとんど都会人でしょう)が望んでいることかもしれない。
 もちろん、都会化とは西洋化であり、もっと限定的に言えばアメリカ化です。ものすごくテーマを拡大すれば、この映画はそうした西洋化、アメリカ化への本能的な反発心が生んだものかもしれませんね。
 特に言語と文明の関係が面白かった。ネタばれになるのであまり詳しくは書きませんが、標準語と秋田弁…とは言っても全くネイティヴのそれとは違うなんちゃって東北弁でしたが(いや、リアルにすると私も含めて都会人には字幕が必要になっちゃう)…との関係ですね。言語こそが文明化の入り口であり、統制的な暴力の源であることを実感しました。
 ところで、「釣りキチ三平」の原作者矢口高雄は十文字町のお隣増田町の出身です。リンゴの唄の故郷ですね。矢口高雄にちなんでまんが美術館なんかもあります。ちなみに、いっしょに観た3歳の甥っ子が住んでいるのも増田町です。映画での三平の家は増田町にあるという設定になっていましたね。しかしロケは増田町では行われなかったとのこと。周辺の横手市、雄物川町、東成瀬村や由利本荘市、湯沢市、ちょっと離れて五城目町などで撮影されました。
 その秋田の自然がですね、非常にリアルで(まあ、そのままってことです)、それに親しんでいる私としては、こうしてあの風景たちが映画に固定されているというのは、また特別な感慨があるものです。私たちは大曲のシネコンで観たんですけど、まわりのお客さんたちも「あああそこだ」みたいな感じで盛り上がっていました。さぞうれしいことでしょう。ま、逆にネイティヴ秋田人からすれば、秋田弁のみならず、「そりゃないだろ」っていうこともあるでしょうけど。
 昔、ある成人映画を映画館に観に行った時、それが山梨でロケされたもので、客席のおじいさんたちが本来の目的(?)を忘れて、「これはあそこだ」とか、「これは変だ」とか熱論していたのを思い出してしまいました(笑)。
 そうそう、十文字町では「あきた十文字映画祭」というイベントが行われています。なかなか渋い映画祭なんですけど、ピンク映画部門があるんですよね。これは素晴らしいことだと思います。世界に誇る日本映画を支えてきたのは、言うまでもなくピンク映画、成人映画でありました。今でも作品としてちゃんと作っている人たちがいるんですね。アカデミー賞監督となった滝田洋二郎監督も、もちろんピンク映画の巨匠でした。というか、私にはその印象が非常に強いのですが。
Ho05 話がいろいろ飛んで申し訳ありません。最後に「釣りキチ三平」に関わる義父のエピソードを二つほど。
 義父はリアル三平というか一平というか、そういう人なんですけど、あのクライマックスのシーン、夜泣谷という設定になっている法体の滝ですね、あの滝の上流に、手代沢という本当にイワナなどの魚の宝庫があるんだそうで、以前家族で法体の滝に行った時、急にそこに行くと言いだしたらしい。本来その沢に行くには、車で山へ登ってそこから歩くらしいのですが、義父は何を思ったか滝を遡上すると。野生の本能でしょうか。映画にも滝の脇を登るシーンがありましたね。まあとっても危険なわけですよ。で、父は滝の脇の崖を、サンダル履きに釣りざおを右手に持ってスッタカタッタと登っていったそうです。いや、あのでっかい滝ではないですよ。その上にさらに2段小さな滝があるんだそうですが、そこです。とは言え、あまりにも無謀なので、家族みんなで「やめれ!」と止めたそうですが、言い出したら聞かないリアル三平は制止を無視して行っちゃって、しばらく帰ってこなかったとか…笑。おそるべし、自然児。
 それから、これは数年前の話ですが、父とカミサンが増田町の山奥の温泉に行ったついでに、そういえばこの辺に矢口高雄の実家があるはずだと思い、どうせなら探してみようということになって、道端で日向ぼっこしていたおばあさんに「矢口さんの家はどこですか?」と聞いたんだそうです。考えてみれば、矢口高雄というのはペンネームですから、こういう聞き方もちょっと変なんですけど、そのおばあさんが何と答えたかとというと…「あ、ここです。私が矢口の母です」。
 ううむ、神がかっている。ウチの突撃力&実現力の源泉はどうも義父にあるようです(笑)。

映画「釣りキチ三平」公式

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2009.03.30

『赤田の大仏』&『折渡延命地蔵・千体地蔵尊』

大仏さんと記念撮影
Akata 3歳にして仏像マニアである甥っ子を連れて、由利本荘市に行ってきました。
 まずは、4年前一人で行って大変不思議な体験をさせていただいた長谷寺「赤田の大仏さん」に再び参拝。今度は大勢で賑やかにお参りしましたので、あの感じはとても味わえませんでした。まあ、おかげで冷静にいろいろと観察できましたが。
 甥っ子によりますと、これは「大仏」ではないとのこと。あくまで「十一面観音像」であると主張しておりました。奈良の大仏を実際に見ている彼からすると、これはまだまだ「大」とは言えないのでしょう。しかし、いったいどんな3歳児なんだ(笑)。
 4年前の記事にも書きましたけれども、本当にこの東北の片田舎にこんなに立派な十一面観音立像があるというのは不思議でなりません。江戸時代、是山禅師が観音像を安置したとのことですが、是山禅師についても正直よく分かっていないようです。いちおう曹洞宗のお寺ということですが、もう山門にいきなり出羽三山の神様が鎮座していますし、大仏の両脇も不動明王と蔵王権現であり、いかにも陸奥らしい、あまりに見事な神仏習合ぶりを見せています。
 毎年8月22日には、なんでも珍しい神仏習合のお祭りが行われるそうで、その説明を読むだけでも、正直ナンダコリャな素晴らしい世界が展開されることがわかります。詳しくはこちらをどうぞ。いやあ、一度実際に見てみたいですね。
 私は感覚からしますと、東北地方に仏教が伝来したのは、けっこう最近のこと(まあ江戸時代中期以降)のようですね。それも古くからの神道や修験道の勢力があまりに強かったので、ある意味歩み寄って習合していかないと布教も難しかったのでしょう。もちろん、単純な本地垂迹などではなく、神道の方が優勢だったように思えます。
 もしかするとキリスト教の伝来の方が、仏教のそれより古いかもしれない。これは冗談ではありませんよ。いずれその辺についても書こうと思っています。カミさんの実家でもちょっと不思議なことがあったりするんで。
Sentai さて、「赤田の大仏」をあとにした私たちは10分ほど車を走らせ、次の目的地「折渡延命地蔵・千体地蔵尊」のある所へ向かいました。峠を上り切って少し下ったところにそれは立ち並んでいました。
 この延命地蔵尊も是山禅師が造ったものだと伝えられています。旅人の安全を祈願して峠に安置したのだとか。それにちなんで、後の人々がお地蔵さんをたくさん並べたようです。今その数は1000以上。なかなか壮観です。いやあ、何にも知らないでこの峠道を夜通ったらびっくりしますね、きっと。急な崖に並ぶ無数のお地蔵さん。旅人の安全どころか、あまりの衝撃に運転を誤りそうです(笑)。
 甥っ子は、特にお地蔵さんが好きだということで、アメを一体に一つずつ奉納しておりました。当然アメは足りるはずもなく、以下同文という感じで省略していました。そりゃ仕方ないですね。一体10円ずつでも10000円になっちゃう。
Uni_2236 そうそう、旅人の安全(?)ということでは、なんだか、道端に超でっかい石が転がってるんですよ。よく見ると説明書きがありまして、「平成の霊石」と名付けられています。なんでも、平成5年に山の頂上からこの巨石(33トン!)が落下してきたとか。危険きわまりないではありませんか。まあ、けが人がいなかったということは、お地蔵さんの御利益があったとも言えますけど。位置的にどう見ても、お地蔵さんには被害が及んだと思われます。いや、お地蔵さんが身代わりになってくれたのか。それにしても危ないなあ。山全体が現在でも危険な状態らしく、頂上付近はしっかりコンクリートで固められています。
 六地蔵の隣に鐘撞き堂があったので、一発ゴーンとやって帰ろうと思ったら、なんと全自動ということで、撞けませんでした(笑)。なんとも複雑な心境。なぜかドリフのコントを思い出してしまった私。すみません不謹慎で。
3 さて、ちょっと興ざめした私たちに感動を与えてくれたのは、峠の帰り道で出会ったカモシカの澄んだ瞳でした。道端でこちらをずっと見ていました。それこそ神々しいお姿でした。
 このあと、私たちは105号線を大曲へ向かい、映画「釣りキチ三平」を鑑賞したのですが、それについては明日にでも書きます。

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2009.03.29

『鎌鼬の里』から小安峡温泉『多郎兵衛旅館』へ

0277 田二日目。まずは昨年の今日も訪問した「鎌鼬の里」へ。義母の実家のある所です。
 「鎌鼬」で土方巽と堂々とわたりあい見事な存在感を示している高橋市之助さんにも1年ぶりにお会いしてきました。残念ながら、奥様は昨年の6月にお亡くなりなってしまいました。3月にお会いした時は、本当にお元気で、あの写真集で見せたふくよかな笑顔で、私たちの不意の訪問を温かく迎えてくださったのですが…。きっと市之助さんもお気を落としていらっしゃるだろうと心配しておりましたが、お元気そうでいらっしゃり、私たちを思い出すと、椅子から立ち上がって私たちを玄関に迎えてくださりました。ありがとうございました。
 「鎌鼬の里」も今年は雪が少なかったと言います。しかし、さすがは日本随一の豪雪地。まだまだ雪がたくさん残っておりました。この雪が春の日差しで豊かな水となり、人々の生活を支え、そして秋にはたわわに実るあきたこまちになるんですね。
 「鎌鼬」からもう45年近くになりますが、この里の基本的な営みは変っていないのでした。
 さて、鎌鼬の里から帰ってきた私たちは、湯沢市皆瀬の小安峡温泉へ。途中、稲庭うどんで有名な稲川町を通過し、右手に毎年夏のプロレス祭り「みちのくメルヘン」の舞台となっている旧皆瀬村役場を見ながら、さらに山を登りますと、まずは大きな皆瀬ダムが見えてきます。たくさんの白鳥が羽を休めていました。
1 そのダムに水を注ぐのが皆瀬川です。そこにかかる橋から眼下を望むと、その深さに本当にめまいがします。旅館のバスの運転手の方が、道端の雪を固めて橋の上から谷底に投げ込んでくれました。その様子を動画に撮ってみましたので、右の画像をクリックしてみて下さい。あの迫力と恐怖が伝わるかどうか。
 そして、その川床から大量の湯気が上がっているのが確認できますね。これが有名な大噴湯です。1時間に98℃のお湯が10トンも噴き出しているとか。でも、あんまり深い谷底での出来事なので、橋の上からではちょっと迫力不足ですね。ずっと階段を下って間近に見ることもできるそうです。あの谷底に降りていくのもけっこう勇気がいりますね。
Photo_01 さて、しばし足をすくませた我々は、近くの「多郎兵衛旅館」に向かいました。今日はここで義父の還暦祝いを催しました。
 お昼過ぎに旅館について、まずはみんなでゆっくり温泉につかりました。なにしろ、この小安峡温泉は、かなり古くからの湯治場であり、「多郎兵衛旅館」の初代の名前も、あの菅江真澄の書物に現れるとのことで、その歴史と価値の重みを実感できます。
 旅館自体は2年ほど前にリニューアルしたとのことで、清潔感あふれる大変立派な造りでしたが、お風呂も含めて、大正ロマンの感じをうまいこと演出しており、レトロな雰囲気も適度に味わえましたね。
 お湯はアルカリ性の単純泉。刺激も少なく、やわらかいお湯で、ちょっと触れるだけですぐに肌がスベスベになりました。湯温も私好みで熱すぎず、ゆっくり休むことができました。あの罰ゲームをやってから、腰をすっかり痛めてしまい、靴下を履くのも難儀な状態だったのですが、おかげでだいぶよくなりました。助かった…。
Uni_2213_6 さあ、お風呂も良かったけれど、なんと言ってもお食事のおいしさについて語らねば…だけど、細かい食材なんかは忘れてしまった。なにしろ秋田独特の食材ばっかりだから、名前からして初めて聞くものばかり。カミさんに聞けば分かるだろうけど、全部書き出すのはちょっと面倒なので、省略します。すみません。下の旅館のホームページで少し分かるかな。まあ、とにかく春の味覚満載で、最高においしかったということです。写真左上の空のお皿には、のちにイワナの蒸し焼きがやってきました。はらわたを抜いて、代わりにバッケ(ふきのとう)とクルミの味噌が詰まっていて絶品でした。
 お酒は、「十二代多郎兵衛」という純米吟醸生貯蔵酒をいただきました。これがまた辛口でうまかった。生にしてはずいぶんと淡麗で、食事の味覚を損なわない銘酒でしたね。つい飲みすぎてしまいました。
 サービスも含めて大変いい印象を持ちました。ぜひ今度は宿泊したいですね。

多郎兵衛旅館 公式

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2009.03.28

秋田に到着

↓秋田のおばさまたちに熱烈に歓迎されるワタクシ
20090328k12 言うのは冗談で、イ・ビョンホンが秋田を去るのと入れ替えに、ワタクシがやってきましたよ(笑)。
 毎年恒例となっている春の秋田訪問。今年は久々に東北道を使いました。いつもはなるべく高速代をかけないため、そして都心の渋滞を避けるために日本海沿いコースで北上しますが、麻生総理のおかげで(?)東北道を使うことができました。計画通り、通行料は2400円。十文字のインターを出る時の、あの「1000円」の表示にはさすがに感動しましたね。通常ですと、加須から十文字まで9900円ですから、ほとんど10分の1です。人間というのは単純でして、麻生さんがいい人のように思えてきます(笑)。定額給付金だってもらえばうれしくないわけないし。ま、政治なんて愚民をどうだますかってことですからね。
 さて、昨夜の11時20分に富士山を出て、今日の9時20分に到着ということで、途中小刻みにPAで仮眠を取りましたので実質8時間のドライヴでした。日本海沿いコースですと、どんなに頑張っても10時間はかかります。ただ、やっぱり東北道は単調で面白くない。特に今回は夜でしたから、なんの刺激もない中8時間眠気を我慢して運転し続けるというのは、なかなか酷です。実質時間は短かったとはいえ、なんだかとっても長いドライヴに感じましたねえ。
 日本海コースは山あり海あり、いろいろな町あり、いろいろな霊場ありで、全然飽きないんですけどね。ちなみに帰りは平日ですので、日本海をまわる予定です。
 というわけで、ちょっと退屈気味に岩手まで来まして、そして北上ジャンクションで直角に曲がり、奥羽山脈を越える段になしたら、突然の地吹雪状態になりました。雪が横から、あるいは下から降ってくる。ああいう状態を「降る」というのかよくわかりませんが、とにかく雪は上から下に移動するものだと思い込んでいる太平洋側の人間からしますと、なかなか刺激的な風景です。
 なんでも今年の秋田は雪が少なく、カミさんの実家のある横手市(以前は羽後町の山奥でしたが)でも、つい先日まで全く雪がないという、ある意味非常事態になっていたそうです。この冬は一度も雪下ろしをしなかったとか。楽と言えば楽ですが、冬に雪の少ない年は冷夏になるとの言い伝えもあり、農業立国秋田としては、能天気に喜んでもいられないとのことでした。
0275 で、朝早く到着したわりに、結局私はず〜〜っと昼寝をしていました。今日の私は、ただ寝て、おいしい芋の子汁をいただいて、おいしい酒を飲んで、フィギュアとK-1を観ただけでした(笑)。この緩い感じが秋田の魅力ですねえ。
 カミさんも言ってましたが、どうしてこうも秋田の昼下がりは眠くなるのか。たしかに、みんな昼寝するんですよね。お昼ご飯のあと小一時間。そういう習慣なんだそうです。たぶん、農業従事者の生活サイクルなんですよね。朝早く起きて、朝飯前に一仕事して、朝ご飯(今で言えば昼ご飯になるんでしょうね)の後、昼寝をして、また夕方まで農作業。そして、夕飯を食べて、お酒をいただいたら寝る。夜は7時半頃には寝てたとか。なるほど、なんとも人間的な、自然的な生活ですね。都会的な生活とはずいぶん違います。
 こうして、年に数回体験する「秋田タイム」は、かなり非日常的であり、最高の気分転換になります。まあ、普段も富士山の大自然に抱かれて生活しておりますが、なんていうかなあ、生活の根本部分というか、人間の根本部分での「自然」を感じられるのは、やっぱりこっちなんだよなあ。実に魅力的な所です。

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2009.03.27

高速.jp

2 よいよ高速道路1000円が始まりますね。ウチも今日の深夜に出発しまして秋田に向かいます。
 昨日書いたように、当初は日本海側を回って新潟の中条まで1000円で行き、あとは「おくりびと」のロケ地などを回りながら下道で行こうと思っていたんですが、雪がけっこう激しいようなので、今回は久々に太平洋側を行こうかと思います。つまり東北道ですね。
 ここ富士山から東北道を行くには、どうしても都心を通らねばなりません。そうすると現状では1000円というわけには行かず、3500円ほどかかる計算になります。
 もともと首都高があんまり好きではないので、いろいろと料金などを検討した結果、圏央道の現時点での終点、川島まで行って、そこから下道で加須まで行こうかと思います。そうすると2400円で秋田の十文字まで行けます。普通だと13000円くらいかかりますから、ずいぶんと安くなりますね。4月28日以降は都心を通ってももっと安上がりになるようです。
 今回、そういう複雑な料金体系の計算に使ったのが「高速.jp」です。
 各NEXCOのサイトの料金検索が、どこも28日にならないと新料金体系に対応しないとアナウンスされていた中(実際には今日使えてましたが)、いち早く19日から使えたのが、この「高速.jp」でした。
 今、夜の10時半くらい。もうすぐ出発するんですけど、NEXCOのサイトは混んでるんでしょうかね、重くて重くて使いものになりません。それに比べて「高速.jp」は軽くていいですね。たぶんシステム自体も軽く出来ているんでしょう。
 この「高速.jp」は、ゴーガという会社の開発したページです。このゴーガという会社、なかなかユニークなサービスを展開していますね。ネットという新しいメディアは、アイデア次第で今までと全く違う世界を展開することができます。
 今日は忙しいので短めに。たまにはこういうのもいいでしょう。
 では、そろそろ出発します。行ってきます。

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2009.03.26

『おくりびと』 滝田洋二郎監督作品

51zibcdjjl_sl500_aa240_ ればせながら観ました。学校で生徒たちと一緒に鑑賞。たしかにいい映画でした。
 内容的には、先月書いた「フィクションから生まれるリアルのお話をちょっと」という記事で予想したとおりでした。あえてその時書いた文を引用します。

 …まず、日本の2作品がアカデミー賞を受賞したことです。「おくりびと」、実はまだ観ていないのですが、観ていなくともじゅうぶんに想像できます。作品としての物語というのももちろんありますが、それ以上に、それ以前に、「納棺師」というお仕事の持つ美しいフィクション性が感動を呼んだのであろうと。
 人間の死はあくまで現実です。それは単純に悲しいもの、あるいは悲惨なもの、汚いものとしてとして片づけられるものではありません。そこに、実に形式的で、様式的で、ある意味フィクショナルな儀式が加わることによって、ある次元に高められるわけですね。そこには、単純な現実を超えたリアルが生まれます。それぞれの人の持つ、それぞれの感情が昇華され、オーガナイズされ、一つの形に収斂していく。
 そのような「カタリ(語り・騙り・形り・固り)」がなければ、私たちはたいがい残酷な現実にさらされて途方にくれるものです…

 このように予想し、まったくその通りだったということ自体、日本映画の一つの「型」を示しているとも言えましょう。私はそれが好きです。小津安二郎作品がそうであるように、「もののあはれ」を「型」を通して静謐に語り続ける。それが欧米でも評価されたというのは、喜ばしいことですね。
 内容については、本当に多くの方々が語ってくれているとおりですので、今日は少し違った視点から感想を書こうと思います。
 まず、全体を通じて、同じ本木雅弘さん主演の「ファンシイ・ダンス」との共通点を多く感じました。まあ、それこそ、日本映画の脚本の「型」であり、王道なんですけどね。
 厭われる仕事。それにいやいやながら従事しなければならない主人公。離れていくパートナー。次第に「形式美」に目覚め、それにはまりつつ、成長していく主人公。予想外の事態がターニング・ポイントとなって、一気にクライマックスへ。
 もちろん、「ファンシイ・ダンス」は笑いの映画、「おくりびと」は泣きの映画という違いはありますが、基本は一緒ですね。そして、本木さんの「仕事」を通じての成長の物語としても、両者は見事につながっているなと思いました。「おくりびと」を観た方は、ぜひとも「ファンシイ・ダンス」もご覧になってください。
 本木さん、その「ファンシイ・ダンス」でも、本職の曹洞宗の僧侶をもうならせる演技をしていましたが、この「おくりびと」でもしっかり役者としてのプロ根性を発揮していますね。納棺師の作法についてはよく分かりませんけれど、とりあえず私の専門(でもないですけれど)チェロの演奏(の型)については、充分に努力の跡がうかがえました。なんの映画やドラマでもそうですが、その道のプロから見ると、ずいぶんと不自然に見えることが多い。特に、ヴァイオリンやチェロは難しいと思います。私も四半世紀弾いてますけど、まだまだかなり不自然です(笑)。本木さん、よく頑張っていたと思います。
 「ファンシイ・ダンス」でも感じましたが、本木さん、とっても器用な上に、身体の線が美しく、何をやっても様になるんですよね。ある意味本職よりも美しい。セリフや表情ではなく、挙止動作で魅せる役者さんは、実は珍しい。それこそ、日本の伝統的な芸能の線上にいるような感じがします。貴重な役者さんです。
 山崎努さんをはじめ、その他の役者さんもお見事。案外広末涼子さんもいい味を出していました。役者さんにとっては、案外死体役が一番難しいんじゃないかな、なんて思いながら見ていました。動きと言葉を奪われたら、これは役者さんにとってはきついですよね。
 映像的には、全体にスローなズームインが多用されていて、観る者の集中力を高める工夫がされていました。また、庄内地方の美しい田園風景や霊山鳥海山が巧みに挿入され、素晴らしい効果をあげていました。
 そうそう、ちょうど明日からあのあたりに行くんですよ。カミさんの実家秋田に行く途中、鶴岡や酒田、由良を通りますからね。出羽三山や鳥海山を望みながら。ちょうどいいタイミングでした。ロケ地巡りしていこうかな。せっかくだから。
 最後に。主人公をチェリストに設定したのは大成功だと思いましたね。楽譜に書かれた音楽を演奏するという行為は、情報という「死体」を、お支度し、お化粧し、旅立たせるようなものですから。私ももうちょっと心を込めて「旅立ちのお手伝い」をしなくちゃって思いましたよ(笑)。

Amazon おくりびと

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2009.03.25

フジファブリック 『Sugar!!』

 WBC2連覇にちなんで、ちょっとフライング気味ではありますが、4月8日お釈迦様の誕生日に(?)発売されるフジファブリックの新曲を紹介します。好きだあ、この曲。元気が出る。
 WBCにちなんだというのは、この曲が J SPORTS の2009WBC中継のテーマソングだったからです。たまたまウチではプロレスのPPVのためスカパーに入会したばかりだったので、何度かこの曲を聴きながら侍ジャパンを応援しました。
 私にとっても特別な思い入れのあるアルバムとなった『TEENAGER』から1年ちょい。満を持して発売となる新曲『Sugar!!』は、なにかが吹っ切れたんでしょうかね、スカッとひらけて飛び出した感じの名曲となっています。
 私はもちろん、彼らにとっても忘れることのできないターニングポイントとなったであろう、あの富士五湖文化センターでのライヴ。あれで何かが終わり、何かが始まったんでしょうかね。
 そうそう、このニューシングルには、ななななんと!その富士五湖文化センターでのライヴDVDがついてくるんです!カメラが入っていたので、なんらかの形でリリースされるかな、と期待していたんですが、実際こうなってみますと、非常に嬉しくワクワクしますね。なにしろ、そのDVDの内容が、こんな感じだからですよ。

 2008年5月31日
 「TEENAGER FANCLUB TOUR」追加公演 at 富士五湖文化センター
 1.大地讃頌 (Opening)※山梨県富士吉田市立下吉田中学校 平成七年度卒業記念(志村在籍)より
 2.ペダル
 3.TEENAGER
 4.茜色の夕日

 ハハハ…下中かよ(笑)。昨日の記事に出てくるヤツらの学校じゃん(笑)。おまえらこんな偉大な先輩がいるの知ってるのか?って感じです。ちなみに平成七年度の大地讃頌には、私の教え子で、今は同僚の先生として働いている子の歌声も入っています。彼女によると、志村君、あんまり目立たなかったけど、目が大きくて可愛かったとか(笑)。なんか地元って感じだなあ…。
 そして、私にとっても志村君にとっても、涙涙の『茜色の夕日』…。これが映像として残るなんてね、もう絶対家宝にしますよ。もうすでに泣けちゃいます。
 さてさて、『Sugar!!』の方に戻りましょう。上のYouTubeでお聴きになってわかるとおり、実に心地よい疾走感にあふれた楽曲ですね。最近、屈折した変態的な短調の曲よりも、こうしたさわやか(?)な長調の曲が目立つ彼らですが、そんな中にもちょっぴり変態が混じっていて、その感じがたまりませんね。
 たとえば、この曲で言えば、1番の「君と」の「と」のCisの音ですね。このたった一音のために、どれほど「君」への思いが変態的になっていることか(笑)。さすがですね。
 そして、サビでの転調。長2度下がる転調というのは珍しいですね。上げたくなるところですが、下げちゃうか。金澤くんのシンセのリフやソロも絶品。特にちょろっと入る非和声音が効果的。フジらしさ満開です。
 それから、なんといっても、今回はプロデュースが亀田誠治さん、ドラムスが刃田綴色くんというのが、すごすぎる!私には夢のようなことです。なにしろ「東京事変」ですからね。私、こちらで、亀田さんと刃田くんについて、ちょいと書いてますね。まさか、彼らがフジファブリックと絡むとはなあ。なんか世の中ワタクシのために回っているような気さえするぞ(笑)。
 刃田くんのつんのめりドラムがいい具合に疾走感を出してますね。ライヴでも彼が叩くようですから、これは楽しみです。どちらかというとすっとぼけた感じの曲が多いフジですが、そこに彼のようなアグレッシヴなドラムスが参加すると、全く違った音楽になっていくでしょうね。今からライヴが楽しみです。
 ああ、また市民会館(富士五湖文化センター)来てくれないかなあ…そんなにしょっちゅうやるべきじゃないのかなあ。じゃあ、都留のうぐいすホールでぜひ!この前ホールの方と話した時、フジファブリックの話が出ましたよ。国中(くになか…甲府盆地方面)のレミオロメンに負けないように、郡内(ぐんない…富士五湖周辺)の雄フジファブリックを盛り上げようって。話通しときますので!

PS 手に入れました!DVD、これは宝物ですね。私の坊主頭もたくさん映ってました…ピカピカ(笑)。かえすがえすも神ライヴでしたねえ…。再び涙、涙でした。

Amazon 『Sugar!!』

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2009.03.22

吉井和哉 『VOLT』

4988006219007 本のロック再び!ザ・イエロー・モンキー時代の超名盤「SICKS」に迫る充実度。いや、より高度な、すなわちストレートでシンプルな日本語ロックになっているかもしれない。
 ソロになってからの吉井さんは、いろいろな意味で自分自身と向かい合うことが多く、そのためそうした内省的なミュージシャンが陥りがちな、短調でコードの循環するパターンにはまっていました。それがある意味では魅力であったのですが、しかし一方で、イエモン時代の妖しい輝きに欠けると思っていたのは、私だけではないでしょう。
 内側に爆縮するのもまたロックの正しいあり方の一つではあります。しかし、吉井和哉のロックはやはり外に爆発してほしかった。もう一度そういう吉井和哉に会いたかった。そんな夢がこのVOLTで実現しました。いやあ、やっぱりスカッとドロッとはじけた吉井和哉はいいぞ!
 久しぶりに音楽自体と戯れられたのではないでしょうか。音楽があって、その先に自分がいて、世界があるという感じ。これまでは、自分というフィルターというか、壁を通して音楽や世界を見ていたようです。
 面白いもので、人は自分という壁にぶつかるとなかなかそれを越えられないものです。そして、その自分という壁を出現させるのは、社会というシステムであることが多いんです。社会とは、もちろん仕事=経済=カネでもあり、家族でもありました。ミルもこう言っています。
「人間の自由を奪うものは、悪法よりも暴君よりも、実に社会の習慣である」
 衝撃的な内容が綴られた『失われた愛を求めて―吉井和哉自伝』で、彼は自分にすがりつくそうした「社会」を強制的に振り切りました。そこで私も書きましたが、彼と太宰治はそっくりです。大宰も家庭という幻想から逃げ出して、そして復活しました。小説で再び自分を乗り越えて、そうして皮肉にも表現者としての自分を取り戻しました。
 そういう意味では、いやらしいほど突き抜けて、自然体の吉井和哉がここにいます。おいおい、お前、それはずるいだろ!そう言いたいほどに伸び伸びしているではないですか。
 彼にとっての本来の自分とは、今その時の「自分」ではなく、彼を育てた過去の全てなのかもしれません。それは、昭和歌謡曲であり、英国のロックであり、憧れた都会であり、遊んだ女たちであり、無心に掻き鳴らしたギターでした。
 今回、ジャケットに、自らが少年時代に描いた富士山を、ある意味白々しく配置したのも、彼らしい逆説的な表現ですね。大宰もそうでした。富士山に畏怖の念を抱きながら、その呪縛から逃れるために、わざと富士山を否定的に描きました。もう吉井さんにとって、富士山は家族のいる場所ではなく、少年時代に静岡から眺めた単なる日本一の山になってしまったのでしょう。
 私も含めて(?)富士山に残された人々は、ではどうすればいいのでしょうか。再び吉井和哉を遠いアイドルとして眺めればいいのでしょうか。私はそれでも全然構わないのですが…。
 それにしてもあまりに自然体な日本語ロックですね。最初は、やったぁ!吉井和哉が帰ってきた!と思いましたが、だんだんむかついてきたぞ(笑)。男として、それはずるいとも思えてしまう。しかし、やっぱり憧れてもしまう。男の中に眠る、反社会的な「ロック」の魂が、そういう感情を芽生えさせるのでしょうね。
 まあ、我々一般人にはできないこと、普通四十過ぎた男にはできないこと、そんなことをやる勇気を持った人間を天才というのでしょう。いつまでも子供で、いつまでも安定的な社会に取り込まれない、フラフラし続ける放浪のパワーを持つ人間、そしてそれを許してもらえる人間こそ、我々とは遠いところにいる芸術家たりえるのです。
 富士山に残された側もたくましく生きてますよ。生きていきますよ。だってくやしいじゃないですか。くやしいからとことんこのアルバムを聴きこんでやろうと思います。
 なんかアナログ盤もほしくなるなあ。アナログ盤でガンガン富士山に響かせてやりたいですよ。
 祝復活!呪復活!吉井和哉。

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2009.03.20

レミオロメン 『TOUR 2009 “風のクロマ”』@静岡エコパアリーナ

1 しぶりにレミオロメンのライヴに行ってきました。私は夏の山中湖以来です。風のクロマツアーの山梨凱旋にも行きたかったのですが、なにしろクラスの生徒が受験真っ只中ということもあって、さすがに自重しました。いちおうみんな満足する進路が決定したので、私もお墓参りのついでに(!)まったりと楽しんできました。
 いやあ、本当にまったりしてたなあ。彼らに言わせると「ほっこり(もっこり)」らしいのですが、それにしても、静岡の皆さん、ものすごく静かでしたね。盛り上がらないとか、そういうことではなく、皆じっくりしみじみ聴いている感じで、無用な手拍子などもなく、私も、同行したカミさんも、今までになく落ち着いて彼らのパフォーマンスを味わうことができました。
 アルバム「風のクロマ」もすっかり染みつき、そして、「レミオベスト」で彼らの歩みを味わったタイミングでのこのライヴ。私(とカミさん)にとっては、そういう意味でも、今までになくしみじみとしたものになりました。
 エコパアリーナに来るのは初めてです。箱としての大きさもちょうどいい感じですし、アリーナ(体育館)にありがちな無駄な反響も比較的少なく、いい音で聴くことができ満足でした。
 ツアーも中盤を過ぎ、武道館での2daysを終えた後ということもあるんでしょうか、演奏自体はかなり安定感があって、安心して聴いていることができました。サポート・キーボードの皆川さんはもちろん(ちなみに野太い声で「皆川〜!」とコールしたのはワタクシです…笑)、今回初サポートとなった名ギタリスト河口修二さんも、すっかり3人の音に溶け込んで、いいアンサンブルを聴かせてくれましたね。さりげない、しかし確実なサポートあっての名演であると思います。
 藤巻くんの声にも、本来の艶っぽさがある上に、高音域の伸びもいつになく(失礼)美しく、以前のライヴに比べると圧倒的にコンディションの良さを感じましたね。今まではこっちがドキドキすることも多かったので(笑)。いい意味で力が抜けていたのは、武道館を終えた安堵感と、静岡のまったりムードのおかげでしょうか。
 神宮司くんのドラムスも、彼らしくていいんじゃないですか。彼はあのキャラが健在であればよし。ま、彼もいよいよ大人にならなきゃいけないんですけどね(笑)。
 さてさて、今回は西スタンドの比較的ステージに近い場所でしたので、特に前田啓介くんのベースに注目して鑑賞してきました。今までも何回も書いてきましたけど、私は彼のベースをとっても高く評価してるんですよ。
 今日のライヴでは、6曲か7曲、ピックを使って演奏していましたね。そのピッキングが非常に正確で感心いたしました。プロの方に対して失礼だと思いますが、本当にうまい。いや、実はプロでもですねえ、ライヴになると、急に雑になる人が多いんですよ。特に、前田くんのパッセージはオクターヴの跳躍とか、けっこうピッキング的には難しい場合が多いんです。今日も何曲か意外な曲でピックを使ってましたね。これはフィンガーだろうと思っていた曲でピックを使っていた。難しそうに見えましたが、完璧に弾いていましたね。
 タイトなリズムを刻む時にはピックを使い、独特のグルーヴ感を出したい時にはフィンガー・ピッキングという感じでしょうか。バンドはベースだなあ、と改めて実感。曲のイメージは実はベースが作っているんですね。
 レミオは、比較的ギターが動かないバンドなので、その分、前田君が高音域を効果的に使って、いろいろとオカズを入れています。ですから、左手的にもかなり難しいことをやっているのですが、こちらも安定していますね。コード的な押さえをしなくていけないシーンがたくさんあるんです。それを実に的確にこなしていました。すごい。
 そうしたテクニックや、ライヴ用のオリジナルなパッセージ(おそらくアドリブを含む)を聴いているだけでも、全然飽きませんでした。ま、そんな聴き方してる人いないと思いますけど。せっかくですから、私は勉強させていただきました。ありがとうございます。
 あと、バンド全体としては、本当にコーラスがうまくなりましたね。皆川さんや河口さんも含めて、とってもキレイな響きを作っていました。藤巻君もだいぶ楽になるでしょう。
 楽曲で印象に残ったのは、そうだなあ…まずは比較的新しい曲、「夢の蕾」と「Sakura」でしょうかね。これって改めて聴いてみますと、なかなかの名曲ですねえ。長調の曲の中で、やや不安定な短調への連続的な転調を織り交ぜ、なんとも言えない浮揚感や切なさを表現してますね。自然な歌詞とあいまって、心に深く残る楽曲になっていると思います。
 そうそう、この2曲、ウチの娘の小学校の卒業式で、両方とも使われたそうです。去年までは「3月9日」だったそうですが。新たな旅立ちソングの誕生ということでしょうか。
 そういう意味では、あのオリンピックソング「もっと遠くへ」も、皆川さんのピアノヴァージョンで聴くと、純粋にいい曲だなあと思いましたね。CDなどで聴くと、どうも大仰な印象になってしまうんですけど、こうしてシンプルなサウンドで聴くといいですよ。
 そういう意味では、私の大好きな「アイランド」をああいう形で聴けたのも良かった。名曲中の名曲ですねえ。いろいろな葛藤を乗り越えて、制作当初とは全く違った意味合いをもって演奏しきっていたと感じました。1ヶ所、コード進行を単純化してあったように聞こえたのですが、あれは脱コバタケという意味なのでしょうか。いかにもコバタケ節というところだったので。
 と、いろいろと講釈を述べてしまいましたが、いやそんなことより何より、いつもながらの温かい時間と空間を味わわせてくれた彼らに感謝したいと思います。まさに春はレミオの季節。これから、山梨は梅と桜と桃と菜の花の饗宴のシーズンを迎えます。車の中で彼らの曲を聴く機会も増えそうですね。 また、近い内に彼らの故郷を訪ねてみたいと思います。いろいろな意味で「春」だなあ…しみじみ、そう感じたライヴでした。

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2009.03.14

コーヒールンバの謎

 日は村の芸能発表会という渋いイベントに参加してきました。いちおう、歌謡曲バンドふじやまのミニライヴということで、一昨年以来の参加です。お客様はお年寄りの方々がほとんどですので、そんな皆さんに楽しんでいただけるよう、美空ひばりを中心に、昭和の歌謡曲を数曲演奏しました。
 前回は上の娘が、そして今回は下の娘が初舞台を迎えました。彼女は、オープニングでリンゴの唄の1番を歌ったんですけど、マイクの調子が悪く、会場に声が聞こえなかったようでした。おかげで、心配した(可哀想に思った)客席のおじいちゃん、おばあちゃんたちが歌ってくれまして、のっけから盛り上がってしまいました。怪我の功名。
 さて、そんな中、大人だけで演奏した曲の一つが、この「コーヒールンバ」です。ウチのバンドは基本コピーから入るんですが、どうもこの曲はコピーがしにくいんですよね。というのはですね、上のYouTubeを聴いていただければ分かると思いますけど、なんとも不思議なんですよね。
 これは、関口宏さんの奥様であられる西田佐知子さんによる歌唱であります。これが日本では定番となっています。日本での、のちの多くのカヴァーも、この演奏を出発点としているようです。
 日本ではコーヒールンバという名前ですが、純粋なルンバのリズムではありませんね。このリズムは原曲でも用いられています。原曲「Moliendo Café(珈琲を挽きながら)」はベネズエラのペローニ作曲。ペローニの甥っ子のウーゴ・ブランコによる演奏でヒットしました。下のものがその演奏です。

 西田バージョンより、ちょっと早くなっていますけど、基本的なリズムは共通しています。このリズムはブランコのオリジナルだそうで、オルキデアというものだそうです(よく分かりませんが)。
 両者を聴いてすぐに気づくのは、特徴的な打楽器のリズムですね。コンコン(キンキン)という、日本の拍子木のような「クラヴェス」の音が聞こえるでしょう。ラテンのみならず、いろいろな音楽でおなじみのシンコペーション五つ打ちです。しかし…。
Cravesrhythm001 この楽譜は、西田バージョンでの、メロディー(ギターによるイントロ)に入ってからのリズムです。もうお気付きの方もいるかもしれませんが、その前のベースが「ミレドシ」とやっている所(ちなみにこのミレドシの音程がめっちゃ悪い!)と、ウーゴ・ブランコのオリジナル全体は、1小節目と2小節目のリズムが逆になってますね。2+3になっています。なんか不思議ですね。
 さらに、このクラヴェスのリズムがですね、西田バージョンではちょっと不思議なことになってるんです。もう一度、西田バージョンを聴いてみてください。なんか微妙にリズムがすれていませんか?なんか、少しずつ段々ずれてくる。
 これって、ダビングの際、テープスピードが一定でなく、結果として微妙にすれちゃったんですかね。それをそのままレコードにして売り出して、そして定番と言われるほどヒットしたわけですから、不思議ですね。デジタル時代では考えられないことです。似たようなケースとして、以前紹介したサザエさんのオープニングがあります。どちらも完璧に直してしまうと、独特の味わいが消えてしまうのでしょう。
 というわけで、この曲は完璧にコピーすることは不可能です。あの微妙なずれに関しては、ウチのバンドの優秀なパーカッショニストでも無理とのこと。単に下手でずれるのとはなんか違うんだよなあ…。

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2009.03.09

レミオロメン 『レミオベスト』(山梨限定盤)

51mfy39wcl_sl500_aa240_ 3月9日です。特別な日に特別なアルバムが発売されました。
 レミオロメンの「3月9日」は、あらゆるジャンルにわたり、おそらく数万曲に及ぶ音楽を聴いてきた私にとって、もしかすると最も大切な曲の一つかもしれません。いつ聴いても、これほど心に染み込み、そして温かい何かで私を包み込んでくれる音楽、そして言葉は、そんなにたくさんあるものではありません。
 そんな、私にとっても、レミオロメンにとっても特別な、大切な日に、これまたスペシャルなベスト盤が発売されたのは、本当にうれしいことですし、何と言っても、ふるさと山梨の風土と人に育てられ、またそれらを心から愛する彼らが、「山梨限定盤」を作ってくれたのは、これは山梨県民としては本当に幸せなことです。
 「ベスト盤」という一般的な概念と、その魅力や問題点については、ここでは語りません。なぜなら、もうそのことについては、世界中で何十年にもわたって繰り返し議論されてきたからです。そして、その議論…ほとんど盲目的な賛美と愚痴のどちらかに分類されますが…が、あまりそのアルバム自体、あるいはミュージシャン自体、そして意見を発する私たちにも建設的な意味を与えるものではないようですから。 
 特に、音楽のデジタル化、個人化の進んだ現代において、こうして一般に売り出されるベスト盤というのは、昔のそれとはずいぶんと意味が変わってきているように思われます。つまり、本当に自分自身のベストを望むなら、いくらでも自分のお好みをセレクトして、アレンジし、iPodに入れればいいだけのことでして、それはいろいろと愚痴を言うヒマがあれば、いくらでもできる作業です。
 たしかに「あの曲が入っていない」「なんでこの曲が入ってるんだ」というような感想は、ほとんど全ての人にあるでしょうし、私ももちろんその例外ではありません。しかし、純粋に、この日に、こうしたパッケージングで、こういう選曲と並びで、このアルバムが発売されたその意味を、それぞれのファンが味わい、考えればいいことだと思います。
 実際、心を無にして、まさに初めて聴くアルバムとして聴けば、統一と変化のバランスのとれた、なかなかの一作品になっていると思いますよ。
 そして、再び聴き直せば、今度は彼らの、そして私たちの大切な風景と時間がそこに堆積し、また新たな情景が現出していることに気づきます。それで充分ですし、それこそがこういうベスト盤の意味だと思いますね。あの曲も入れたいと思えば入れて結構。あの曲がいらないと思えば飛ばして結構。しかし、そこに現れる情景は、もしかすると新たなそれではないかもしれません。今までの自分の見てきた、愛してきた情景が、この世のベストであるとは限りませんし。
 ところで、山梨盤に特別付いてきた「ラジオ」という未発表曲ですが、これはまた、このベスト盤に新たな意味を加える名曲ですね。比較的最近の曲が多くなっているベスト盤本体と対照的に、この「ラジオ」は初期の味わいが濃厚に感じられました。
 彼らにしてはディストーションがきいたギターと、それとユニゾンのベースによる力強いリフが、イントロからずっと続いていきます。まさにロックという感じ。そういう重厚なロックのリズムと響きの中に現れる藤巻君の声。艶があって、ちょっとフェミニンで、そのある意味アンバランスというか、ミスマッチ感というか、ツンデレ感(笑)というか、ああ、これこそレミオロメンの世界だな、と思いましたね。
 どうも、最近はそういう藤巻君の魅力を忘れてた。まあこれは結局愚痴になってしまうんですけど、たとえばストリングスやシロフォンといったある種フェミニンなおかずが多すぎるとですね、せっかくの彼の魅力が減殺されてしまうというか…。ドラムスの治くんがまたフェミニンなので(笑)、結局男らしさでロックするのはベースの前田くんだけになってしまう。そこが最近、ちょっと違和感を催させる原因なのかなあ…などと、また勝手な思いを抱いてしまいました。
 ということで、「シンクレティズム」的、すなわち混淆的な表現、まさに日本のロック、それも田舎の(失礼)ロック、それが彼らの原点であり、魅力なのでした。それはもちろん繊細な「詩」の世界にも言えることです。
 それにしてもなあ、おまけ(?)で付いている滑走路ライヴのDVD、感無量で観ましたよ。私にとっては、あれが彼らとのつきあいの始まりでした。あのライヴから、本当にいろいろなご縁が生まれ、私の人生も大きく変わりましたからね。あれからもう2年半ですか。なんと、濃厚な時が流れたことでしょう。そんな時を演出し、多くの縁を生んでくれた彼らに、心から感謝したいと思います。
 今月20日、久々に彼らのライヴに参戦する予定です。私は感謝の気持ちを胸に、彼らの音をしっかり受け止めてきたいと思います。

ライヴ@エコパ行ってきました

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2009.01.05

『病める舞姫』 土方巽 (白水社)

Yamerumaihime たまた続きです。意図せずそうなっていきますね。というか、視点がそういうふうになっているんで、何に接しても同じように見えるのでしょう。
 文明に対する文化の抵抗。まさに土方巽はその象徴的存在でした。いや、いまだにそういう存在でしょう。
 彼の文章がまた、見事に「もののけ」してるんですよね。憎いくらいです。これはなかなか真似できない。「コトノハ」をして「モノノケ」ならしめるんですから。一見文明の利器を使っているようで、そこから生まれるものは実は文化そのもの。まあ、不謹慎かもしれませんが、旅客機を使って摩天楼を灰燼に帰すようなものですね。
 しかし、この言語以前の言語はなんなんだろう。御存知ない方のために、本当にパッとめくったところを引用してみましょうか。

 『夏の畳の上や縁側で寝て起きた人は、使いものにならないように背たけの伸びた人になっていたのか、くるりくるりと裏返る小さな黄ばんだ手や、涎を啜らせる夏風が、人の顔に触ったりしていた。ふと目を転ずると、汗をかいていた花がただの色になりかかったりしていた。女におおっぴらに畳の上に引っくり返って寝られてしまうと、ああもう御仕舞いだという真から恐ろしい昼間が忘れられない。黒い足形をつけた、あの下駄が懐かしい。私はよく万力に指を挟まれて血豆を作っていた。そうした夏座敷を大人が妙におとなしい踵をつけて歩いていることもあった。目も鼻も眉もずれてしまった人や、眼鏡の蔓が溶けかかっている人が私の夏休みの記憶の中に鮮やかに浮かんでくる。鏡を足で押しながら私には、土間の片隅で言うこともなくなった人のように卵の値段を聞き出している声も聞こえてくるのだ。何の話をしていたのか、妙な湿り気を残して大人が消えていくのをよく見かけた。声を売りに歩いている人が近づいて来る。まるで絵のようにしか話せないが、風鈴も彼岸でひとつ現世でひとつと、音を使い分けてちりんちりんと鳴っていた。そんな音の透間に挟まれたように薄く寝ている人の表情は、僅かばかりある空気の隙間にも挟まっているようだった。炎天下を犬も隙間のように歩いている』

 どうでしょうか。これでも結構イメージしやすい部分ですね、ここは。いったいどのような創造のプロセスを経てこのような詩的表現が生まれるのでしょうか。これはもう、近代的、文明的な意味など一切拒絶する、真に原始的な表象世界ですね。
 文法的には実に正しいし、文明的なルールから外れることはないんです。だからこそ恐ろしいテロ行為になりうる。
 あの、機械翻訳による奇っ怪な日本語とは本質を異にしていますね。ふつう、こういうナンセンスな…あえてナンセンスと言いますが…文章を意図的に(文明的に)書こうとするとですね、もっと単純な「○○が○○した」という文章になりやすいものです。
 しかし、土方のこの文章の特徴は、豊かな形容や比喩にあるわけでして、つまり、主語や述語の○○が出てくるまで、淀みなくイメージの連鎖が書きつづられるんですよね。これはもう、ある種の意図や創作を超えています。明らかにアプリオリな心象というものが存在するとしか思えません。
 私は、その、本来私たちは言葉にできない、つまり文明的な道具では表現しきれない「モノ」こそが、「文化」だと思うわけです。
976hijikata18 そういう意味で興味深いのは、この土方の文章(心象風景のスケッチ)を読んで(見て、聞いて、感じて)、より彼の中に存する「モノ」に近づくことができるのは、ウチのカミさんなんですよね。そう、同じ郷土に生まれ、ある意味あの土地の(まるで飯詰のような)呪縛から逃れられない者どうしの共感というか共鳴というか。
 一方、ある程度土方と同時代を生きたとはいえ、ずいぶんと違う環境(高度成長期の東京)で「ものごころ」を付けてしまった私は、彼との間に確かな紐帯を持ち得ないんです。残念ながら、私と土方をつなげるモノ、いやコトは、文明的な日本語、いやさらに進んで標準語(共通語)という利器しかない。
 異文化理解などときれいごとを言ったところで、どうにもならない。理解しきれないから異文化なのだと、いつも私は言っています。それはこういうことなんです。異文化理解という、ある意味無意味で(笑)、かなり暴力的な発想こそが、文明的な偽善のようにも思えてきますね。
 昨日の本の中で、小林さんは、文化の相対化ということについても語っていました。それはわかります。お互いの違いを理解し尊重するということですね。でも、実際、私はこうして同じ日本で、同じ時代の空気を吸ったはずの一人の男の文化すら理解できない。違いがあることは理解できますが、違いは理解できない。そして、尊重なんていう高慢な接し方もできません。
 ただ、ただ、私はこの「モノ」に畏怖を感じます。単純な憧れや、ものすごい遠くの記憶に対する郷愁も感じないとは言いませんが、しかし、それ以前に正直怖い。自分が信用し、駆使しているはずの日本語が、どうしてここまでおどろおどろしく、なまめかしく、そうエロチックにもだえるのか。自分が操っていた、すなわちコト化して馴致していたはずのコトノハが、私の知らないところで成長して、私のコントロールし得ない生き物になっている。これは本当に恐ろしいことです。
 私がアメリカなら、いろいろな文明的武器を使って、この生き物を攻撃するでしょうね。抹殺するでしょう。あるいは完全無視をきめこむでしょう。しかし、私はどうしてもこの生き物と対峙していたいと、強く思ってしまうのです。あわよくば白旗を揚げてもいいとも思っています。
 この感覚は、土方の舞踏そのものにも言えることです。我々が歴史上、あるいは生物進化上一生懸命に飼い馴らしてきたはずの「身体」が、勝手に蠢き出す。文明的な形式や美学や科学的トレーニングなどを、いとも簡単にぶっ壊して、体は体でありながら、しかし自分の体ではない状態。意識という「コト」を上回る身体という「モノ」の意志が、そこに生き生きと息づいているのです。
 私と土方巽との出会い(再会と言っていいのでしょうか)は、ちょうど1年ほど前のことになります。それはそれはあまりに突然の彼の出来でした。それからと言うもの、土方の魂は、それこそ意識や身体の存在すら超えて、私を翻弄し続けています。
 これはもしかすると、私の文明的な胡散臭さに対する、土方からの攻撃なのかもしれません。土方こそ胡散臭い存在だと思っているふしもあった私は、今その胡散臭さと思われていたモノからのすさまじい攻撃を受けて、自らの胡散臭さを露呈され、そして降参寸前の状態にまで追いつめられているのでした。

松岡正剛の千夜千冊「病める舞姫」

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2008.12.16

三井アウトレットパーク 入間

0191 日はクラスのギャル4人を連れて、朝霞駐屯地へ。朝5時過ぎの出発です。防衛大学校の二次試験を受けに行きました。ちょっと前までは自衛隊の方が連れていってくれたんですけどね。最近はいろんな意味で粛正(?)が進んでいて、そういうサービスはなくなってしまいました。
 まあそれにしても、あいかわらずウチのギャルどもはパワフルです。一次試験に受かるだけでも大したものですが、二次を積極的に受けに行くというのもすごい。なんでもイベント化して楽しむ力には、ほんと頭が下がります。
 で、私は彼女たちが試験中、ある私立中学校の設立説明会に参加してきました。いわゆる密偵です(笑)。時間を無駄にせずしっかり仕事してきましたよ。いや、なかなか他校の様子を見る機会が少ないので、こういうチャンスは逃さないようにしなくちゃね。
 いろいろ私も勉強して、朝霞に帰ってきまして、駐屯地の入り口にある「陸上自衛隊広報センター」で、憧れの(?)自衛隊体育学校のレスリング班情報やら、あとこちらこちらでも紹介した、最近の自衛隊萌え系おみやげ情報などを収集し時間をつぶしておりましたら、彼女たち、さすがに疲れた表情で帰ってきました。知力だけでなくけっこう体力もある連中ですが、全くの未知の体験の連続にかなり消耗したようでした。お疲れさん。
 で、帰りに高速のパーキングでメシでもおごってやるか、と思いながら、入間インターに向かっていると、そこに突然ドーンと巨大な駐車場ビルディングが現れたではありませんか!えっ?何?ドワーッ!これがウワサの「入間のアウトレット(の駐車場)」か!
 さあ、そうなったら、もうギャルたちの疲れは吹っ飛びまして、半ば強引に私の運転する車は、夕闇に不気味に浮かぶその巨大なシルエットの中に吸い込まれていったのでありました。そして、そこで「トイレ休憩1時間」ということになりました。めでたし、めでたし。
 なにしろ、入間のアウトレットと言えば、入間インターでの渋滞、というか、入間インターで出る車で圏央道が渋滞するというくらい混むという印象がありましたから、まさか、こんなにすんなり吸い込まれちゃうとは思いもよりませんでした。はっきり言って、行くなら平日の夜ですな。正直ガラガラです。駐車場もたぶん5%くらいしか埋まってない。店内もものすごくぜいたくなほど空いています。ちょっとさみしいくらい。閑古鳥とまでは言いませんが、ねぐらに帰るリアルからすの鳴き声が聞こえるくらいの静けさでしたよ。
 さて、ギャルどもはものすごい勢いで走ってどっか(トイレだろうか…)に走っていってしまいまして、私はその静けさの中にポツンと取り残されまして、なんとも言えない寂寥感に一瞬襲われました。なにしろファッションとかブランドとかには全く疎い人間です。今までも、まあ近所である御殿場のアウトレットとか、小淵沢のアウトレットとか連れていかれたことありますけど、どうにもあの人ごみとアウェー感は堪え難いものがありましたっけ。
 で、今回はと言いますと、まずは人ごみがないということ、それから案外私でも楽しめるお店が多かったため、寂寥感は一瞬だけでして、それなりに楽しい1時間のトイレ休憩を楽しむことができましたよ。男性ものの服だけでなく、帽子のお店、ちょっとした雑貨のお店や、時計のお店、さらにはリスニング・ルームのあるBOSEのお店など、ある種のオタクにも満足できる内容になっていました。
 たしかに、値段も安いみたいですね。うまい買い物をすれば、ネットよりも安上がりかもしれません。うん、混んでない時にもう少しゆっくり見てみたいですね。
 それにしてもですね、こういうアメリカ的なショッピング・モール、ずいぶんと増えましたね。この三井アウトレットパーク入間のすぐ隣にも、例の会員制巨大倉庫(?)Costcoがありましたし、ちょっと行けば、国内最大級のイオン入間ショッピングセンターなんかもあります。なんだか田舎者としては、あの異様な風景には違和感を覚えますねえ。いや、ある意味都会でなはく田舎の象徴的風景か。田んぼや畑の中の巨大モールね。
 そういえば、入間はアウトレットの発祥の地でもありますよね。今日も密偵の仕事中通過しましたが、日本で初めてのアウトレットモールは、現ふじみ野市うれし野(すごい地名だ…)の「RISM(リズム)」です。あそこは旧入間郡ですから。入間は現代的田舎の先駆的存在なのでありました。
 入間郡はですね、古代はそれこそ朝霞駐屯地あたりをも含む広大な郡でありました。そして、現在の入間市はお隣高麗郡でありました。そう、続日本紀にある「元正天皇霊亀二年(716年)五月、駿河・甲斐・相模・上総・下総・常陸・下野・七か国の高麗人1799人を武蔵国に移して高麗郡を置く」というやつですね。つまり朝鮮半島系の渡来人の移住地だったわけです。
 そう考えると、入間がアメリカ的アウトレットモール発祥の地というのも分かるような気がしますね。もともと外来の文化の地だったわけですから。
 ま、そんなとんでもない妄想はさておきまして、とにかく不思議な一日でしたよ。自衛隊の駐屯地から巨大アウトレットモールへ。素晴らしい非日常であり、しかしまた現実的にはアメリカの呪縛とも言えるわけでして…(笑)。私はいろいろ考えちゃいましたが、ギャルたちはただただ楽しかったようです。平和な世の中で良かったな。

三井アウトレットパーク入間 公式

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2008.11.16

『フェルメール展〜光の天才画家とデルフトの巨匠たち』 (東京都美術館)

1 日は日欧バロック三昧とでも言えましょうか。実に面白い一日でした。
 まず、朝早く富士山を出発しまして、武蔵境に車を置いて電車で上野へ向かいました。上野には、私に運命を変えられた(?)教え子二人が待っていました。二人とも才能あふれる芸術家(芸能人)の卵です。
 3人でまずはフェルメール展を観覧。持つべきものは教え子ですなあ。開場前からものすごい入場者の列ができていたんですが、私はある正当な理由によって(決して裏口からとかではありませんよ)、無料ですんなり入ることができました。ありがたや。
 この展覧会の事情に詳しい一人の教え子によりますと、とにかくあのTBSの番組以来、とんでもなく人が増えたとのこと。さらに、あの番組を観て、「青いターバンの少女」や「牛乳を注ぐ女」や「絵画芸術」なんかがあると思って来場する人がずいぶんらしい。それである意味がっかりして帰って行くとか(笑)。いけませんねえ。
 まず、感想の最初にこのことを言っておきましょう。東京都美術館は渋すぎる。せっかくのフェルメールの魅力が半減です。もともとあの建物の構造はいただけませんし、もう少しディスプレイや装飾に工夫があった方がいいのではないですか。でっかい企業がスポンサーになっているんですから、そういう努力もしないと。それこそ昭和40年代の美術展の雰囲気でしたよ。ま、たまにはそれもいいか。でもなあ、あの階段にペタペタ貼られた色ビニールテープによる矢印はないでしょう。あれじゃあ、大学の学園祭ですよ(笑)。あっそうそう、一部屋だけ床がデルフトスタイル(白黒の格子模様)に改装されてましたっけ。そのいちおうやってみました感もちょっと…。
 さて、そんな愚痴はいいとして、フェルメールです。私は本物を見るのは初めてです。こちらもまず一言。おそらく日本人はフェルメールを買いかぶりすぎではないかということ。他のデルフトの画家たち(巨匠なのか?)と比べると、たしかに彼の技術とアイデアは優れていますが、いわゆる歴史的な巨匠たちからすると、その作品から発せられるアウラはちょっと弱いように感じられました。とりあえず、ルーベンスやレンブラントほどではない。
 いや、私は大好きなんです、彼の作品。でも、それが超一流かと言われるとそうとも言い切れない。そうですね、ちょうどフェルメールと同時代作曲家兼演奏家であるスヴェーリンクと同じような感じです。私は彼の鍵盤作品も大好きですが、では芸術的価値がたとえばバッハやクープランなどと並び称されるかというと、ちょっと疑問です。もちろん、その芸術価値とか言うものの実態が何かよくわからない上に、それが作品の同時代的意義を決定するものではないことは解っていますがね。
 と、また前置きが長くなってしまいましたが、そうですね、今回フェルメールとその周辺の画家たちの作品をじっくり観て感じましたのは、やっばり彼らがバロックであるということです。つまり、ルネサンスやマニエリスムと、新古典主義に囲まれたとっても特殊な時期の作家であり作品であるということです。フェルメールの作品もそうですが、宗教的な画題に挑戦するよりも、日常的な時間と空間の切り取りに精根が注がれます。そして、そこに潜むフィクション。ある意味露骨なウソや思わせぶり。
3 よく言われる光と影の極端なコントラスト。前にも書きましたが、これはある意味写真的なラチチュードです。またいかにもカメラ・オブスキュラ的な遠近感。これは自然主義、あるいは写実とは明らかに違う指向です。しかし、一方でフェルメールはそのフィクショナルな遠近法にさらにフィクションを重ねている。「小路」がそれですね。これは片目で見ると、北斎並みに脳が混乱して面白いですよ。
 あとはなんと言っても、女性のいかにも思わせぶりな態度ですね。窓の外の「何か」に気を取られたり、手紙の中の「何か」に没頭したり、いきなり「はい、写真撮るよ」的ないかにもなカメラ目線になったりとか、とにかく画面の外にわざと主人公の意識を放り出すんですよ。これはずるいし巧い技法ですね。その意識の先に何があるんだろうというような、まあ、そういう謎チックなところが日本人好みなんでしょうけど。
 でも、こうした作られた演劇性というか、胡散臭い生命感というのが、いかにもバロックなわけです。これは重要なことです。ある意味それがとっても人間的な結果になるわけですから。人間の存在の本質がそこに現れていると思いますよ。
 というわけで、実はとっても楽しめた展覧会でした。そういうちょっとひねくれた観点からしますとね、会場の最後にあった、フェルメール全作品の実寸大パネルと、商魂たくましいショップの商品たちこそ、一番面白かったかもしれない。実際、そこが一番賑わってましたし。
 そうそう、古楽器奏者としては、フェルメールに限らず多くの作品に描かれていた当時の楽器を見るだけでも面白いですね。あの10個のペグがついていた擦弦楽器は何なんだろう。共鳴弦があるようにも見えたけど、ヴィオラ・ダモーレにしてはでかかったな。ちょっとカッコよかった。
 さて、都美術館をあとにした私たちは、まずは教え子の母校である芸大を散策。私、実は初めて入りました。憧れの芸大に。いかにもなムードに、ちょっとしたジェラシーすら感じてしまいました。これに比べて私の出た大学は…笑。
 さて、そのあとは、上野から谷中付近を散歩。うむ、これは面白い。縄文と江戸と昭和が水平的に地層になっているぞ。いや、もちろん垂直的にもあるんですけどね。あっそうか、つまり波のグラデーションか。遠くから眺めると、それぞれが干渉し合って独特の「TOKYO」の妖しい色彩になるんだな。
 散歩の終着点は根津のおいしいあんみつ屋さん「芋甚」。私は「アベックまめかん」といういかにも昭和バロックな(?)メニューを注文しました。いやはや、ふだんあまり甘いものを食べつけない私ですが、この微妙な塩加減には感動しましたぞ。う、うまい…。そして昭和焼きをお土産にいただきまして、恐縮です。持つべきものは教え子ですな。
 さて、そこから今度はもう一人の教え子を連れて千駄ケ谷に移動しまして、バロック・アンサンブルの練習です。いろんな意味でバロックを味わってきたので、調子よく弾けるかと思いきや、なんだか、どうもイマイチ。変な迷いが生じている。理屈をこねすぎて、バロックの逆襲を喰らったか(笑)。ま、単に自宅練習が不足しているのでしょうが。
 ところで、演奏に難渋しながら思ったんですけど、もともと、バロックの絵画も音楽も、金持ちの生活のバック・グラウンドみたいなもんじゃないですか。それをああやって展覧しちゃったり、こうやって演奏会形式で披露したりして、その作品たち、なんとなく居心地悪いんじゃないかな。じゃあ、どうすればいいかなんて、わかりませんし、だいいち、ここは平成の日本ですからね。もうすでに充分フィクションですよ(笑)。ま、とにかく純粋に作品や作家に敬意と愛情をもって、真摯に取り組めばいいということですかね。
 と、非常に濃厚なスケジュールをこなし、そして、東京で模試を受けたクラスの子を拾って富士山に帰ってきたのでした。ああ、面白かったなあ。

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2008.11.15

『地球の水が危ない』 高橋裕 (岩波新書)

4004308275_2 れはいい本ですね。私たちが当たり前のように思っていること、あるいはそれ以前に当たり前すぎて意識にすらならないこと。それらが実は当たり前でないということを教えてくれます。
 こと水に限らず、そういう「当たり前」「常識」というものが、実はいかに「有難い」のか。それを知ること、そういう視点を持つというのは実に大切です。自分にとっての常識が誰かにとっての非常識である可能性を意識することは、このグローバル化が叫ばれる現代において、ある意味身につけなければならない技術であるとも言えます。
 先日『「水」戦争の世紀』について書きましたが、それよりもさらに基本的な水問題について書かれているのがこの本です。
 そうですね、私の意識しなかった自分の常識、世界の非常識、あるいはその逆、自分の非常識、世界の常識を書いておきましょうか。

 ・水不足と水汚染で世界では年間400万人、8秒に一人が亡くなっている。
 ・世界の半分の人は屋内にトイレを持たない。
 ・地下水に自然のヒ素が含まれる地域がある。
 ・国際河川、国際湖がない日本は非常に特殊な国。
 ・キリスト教とイスラム教、ユダヤ教の争いの種は実は水?
 ・日本は大量の水を輸入している(食糧輸入および輸入木材による間接水の輸入)。
 ・ミネラル・ウォーターの激増は、海外旅行者増が原因?
 ・信玄堤は理想の治水哲学。
 ・水をいかに無駄遣いしないかが文明のバロメーター。

 そう言えば、少し前のNHKクローズアップ現代で、バングラデシュの井戸のヒ素被害の話が取り上げられていました。日本の若者たちがボランティアでバングラデシュその他の地域で井戸を掘ってあげた。現地の人々は冷たくおいしい水が間断なく出る様子に感激し、日本人に感謝する。その井戸にはそれを掘った若者たちの名前が刻まれている…と、そこまではなかなかの美談であります。しかし、なんとその地域の地中深くには天然のヒ素が多量に埋蔵されていたのでした。まさに寝た子を起してしまった状況です。深刻な健康被害が多数発生してしまいました。善意が救いがたい悲劇を生んでしまったのです。
 残念ですが、それはやはり軽率な行動だったと言えましょう。生物の命にとってあまりに大切な水なだけに、念には念を入れて、慎重にことを進めるべきでした。
 また、水という必需品の飢餓状況を、ビジネスに結びつけてしまうのもどうかと思いますね。たしかに、安全でおいしい水を手に入れられない人が世界中に12億人もいるのも事実です。しかし、それを商売にしてしまうのは、それはもう命の売買にほかなりません。食糧とは訳が違います。
 それにしても、日本がこんなに大量の水を輸入していると知りませんでした。たしかに、輸入している野菜などは、栽培するのに現地の水を大量に使っていますね。木材もそうです。私たちは外国の水で自分たちの食糧を作らせているわけです。私にはそういう発想は全くありませんでした。
 あと、国際河川がないということ。これも案外意識されない。これはもしかすると日本が平和な歴史を持つ理由かもしれませんね。たしかに、こんな国はそうそうありません。もちろんスケールを小さくしてですね、日本の中の国と国、今で言えば県と県、あるいは市と村などの水争いはたくさんありましたよ。ウチの近所の市でも、昭和の初めまでは、本当に争いが絶えませんでした。明治、大正あたりの新聞を見ると、しょっちゅう水を巡って大げんかをしています。
 いずれにしても、今日も私たちは一人数百リットルの水を使っています。「湯水のように使う」という慣用句がああいう意味で使われるのは、それこそ日本だけではないでしょうか。世界の常識なら逆の意味になるのかもしれませんね。
 前も書いたように、我が村は数十年前まで一人1日9リットルしか水を使えなかったそうです。いちおう今、世界標準では50リットルで最低限の生活だということですから、本当に苦しい生活を強いられていたんですね。しかし、これも昔話としては片づけられないのです。今、こうして使っている水、あるいは素敵なネーミングを施されて全国にガソリン以上の価格で売られているあの水たちも、電気の力で汲み上げられているのです。もし、何がの事情で電気が使えなくなったら…ま、単純に富士山が噴火して停電になったら、もう水は出ないのです。
 実は富士山には猿がいません。水場がないので住めないということです。もし、水道が止まったら、私たちも猿のようにここから出て行かなければないないのでしょうね。

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2008.11.10

『「水」戦争の世紀』 モード・バーロウ, トニー・クラーク (集英社新書)

1 ソリンがだいぶ安くなりました。今日スタンドへ行ったら125円でした。いったい何だったのでしょう。
 しかし考えようによっては、ガソリンは安い液体だとも言えます。原油を掘り出して、タンカーではるばる運び、そして精製して、各地に運搬して…ということ、それからあれだけのエネルギーを生み出すということを考えると安い商品だとも言えないでしょうか。
 というのは、私の住む鳴沢村の水が1ℓ350円以上で売られているからです。350円ですよ。はっきり言ってひどい商売です。でも、とんでもなく売れてるらしい。いったい何なのでしょう。
 たしかにおいしいですよ。圧倒的に。ウチの水道も基本同じ水ですから、そのおいしさはたしかに世界に誇るべきものだというのはよくわかります。山梨県の環境科学研究所の調査でも、この村、それもウチのあたりの地下水が最も高濃度のバナジウムを含んでいることはわかっています。でも、それをそんなメチャクチャな値段で売っていいんでしょうか。
 先ほど書きましたように、原油は相当の手間がかかっています。しかし、水は基本機械で汲み上げるだけ。最近では加熱処理さえしない業者が増えています。いや、それを売りにしている。殺菌消毒なんてほとんどしません。する必要ありませんから。検査する程度です。つまり原材料費はほとんどタダ。水としての付加価値を上げるのは富士山が勝手にやってくれる。溶岩フィルターによってミネラルが豊富に供給される。それをただペットボトルに入れて、それで1リットル350円で売るんですから、それは法外です。ちなみにエネルギーは0キロカロリーです(笑)。
 今、ここ富士北麓地方には水工場が乱立していまして、まったくひどい状況になっております。そこら中で地下水を汲み上げています。毎日大型トラックがそれらを積んで日本中に富士山の水を運んでいます。いや、いいんですよ。おいしい富士山の水を皆さんに飲んでいただくのは。でも、さすがにもうちょっと安くしたらどうでしょう。まさに水商売、ヤクザ商売ですよ。
 …ということが、実は世界中で起きているんです。ここまでひどいとは知りませんでした。大学で水に関する勉強をしたいという生徒と一緒に、今いろいろと調べております。何冊かの「水戦争」に関する本を買って読んでいるところです。そのうちの一冊がこれです。まあびっくりしました。
 20世紀は石油の取り合いの世紀でした。21世紀は水の取り合いです。ウォーター・ビジネス。まさに「水戦争」。石油は枯渇したら代替エネルギーを考えればいいでしょうけど、水は、これは生命の基本ですからね、何も代替になるものがありません。それを一部のヤクザな業者が牛耳ってしまい、独占して破格な値段で売り始めたら、いったい世界はどうなってしまうのでしょう。というか、もうその利権争いは始まっています。この本にもかなり具体的にそのヤクザたちの名前が挙げられています。
 つまり、水が投資の対象になっているということですね。発展途上国での水道の民営化によって、先進国の投資家たちが、全ての生命の根本である水をカネづるにしようと考えているんです。つまり、それは私たちの命をカネで売買するということです。なんとも恐ろしいことです。
 今や「水」で有名になった我が村ではありますが、数十年前まではとんでもない水事情の村でした。なにしろ、(おそらく全国で唯一だと思いますが)河川も湖沼も一つもない溶岩台地の村なんですから。井戸を掘っても全く水が出ない。溶岩下の伏流水は100メートル以上も深いところを流れているからです。とにかく水の確保は大変だった。天水を集めたり、裏山に横井戸を掘って少量の湧水を確保したり。一人一日あたり数リットルしか使えなかったと言います。今やアフリカでも1日10リットルくらいは使えるんですけどね。
 で、井戸の掘削技術が進み、水道が敷設されて、今私たちは富士山の恵みをたっぷりいただけるようになりました。感謝すべきことです。1日平均一人200リットル以上の水をじゃんじゃん使っています。えっと、1リットル350円だから、1日7万円使っている計算か。家族と猫で30万円くらいですかね(笑)。まあ、それは冗談としても、いや冗談ではないな、実際そういう価格で村の外では売られているんですから。
 あとそれぞれのミネラルウォーターの会社のホームページですね、ひどいのは。まあブランド名も笑っちゃうものばかりですが、とにかくひどく安っぽいイメージ戦略です。ある会社なんか、ウチの水は富士山の山頂に降った雪が400年かかって浸透してきたものです、なんて言ってる(笑)。噴飯ものです。だいいち、バナジウムというミネラルの効用は確認されていません。摂取しすぎは危険である可能性すら指摘されています。健康にいいとか、秘めたパワーとか書いてありますが、いったい何なんでしょうか。
 繰りかえしますが、実際に世界一おいしい水ですから、皆さんに飲んでいただくのは実に結構なことです。しかし、それをむやみやたらにカネ稼ぎに使ってほしくない。水バブルになってほしくない。実際売れているわけで、見た目の上では均衡価格になっている、それだけの価値があると言えるのかもしれません。でも、やっぱり異常です。それが普通になってしまうと、世界で起きつつある「水戦争」はさらに激化して、そして弱き者が被害者になるんです。
 道の駅「富士吉田」でも「なるさわ」でも、無料で水が汲めます。あるいはウチに来ていただければ、いくらでもおいしい水が飲めますよ(笑)。日本は基本どこでもおいしく安全な水が飲めます。皆さんの地元にもきっと、おいしい源泉があるはずです。まずは、身近なところの「おいしい水」に注目してみてはいかがでしょう。そして、たまには「水」について思いを深め、今世界で起きつつあるとんでもない戦争が対岸の火事ではないことを考えてもいいのではないでしょうか。もちろん日本人とし生まれた幸せを味わいながら。水を大切に…命を大切に…なんか珍しくベタな標語になっちゃったな。

富士山なるさわ深層水…富士山が育んだ国内最高峰のミネラルウォーター! バナジウム国内最高水準!バナジウム天然水!

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2008.10.31

うつる…

0181 朝の最近気温、初めて1度を切りました。氷点下まであと一歩です。これで一気に木々が色づいたかと期待したのですが、どうも今一つのようです。
 今日の富士山は風が強く、枯れ葉が乱舞しておりました。本当なら紅葉を散らす木枯らしを恨んだりして、古人にならい歌など詠みたいところですけれど、どうも最近葉の色づきが悪く、そういう気持ちになれません。「風のクロマ」がいまいちっていうことかな(笑)。
 そうそう、昨年の今頃「モミジとカエデ」という記事を書きましたね。そこにも載せた「ウチの裏」ではなく「裏のウチ」のカエデの写真をご覧ください。まだ色づきは半分くらいですけれど、もうすでに根元にたくさんの落ち葉がありますね。10年くらい前は全身真っ黄に色づいてから一斉に落葉したんですけど、どうも最近こんな感じで、いつが黄葉(もみぢ)のピークだったか分からないんです。残念です。
 ところで、昨年の記事に引用した万葉集の和歌を見直していて一つ気づいたことがあったので、今日はそれをメモしておきます。

 秋山に もみつ木の葉の うつりなば さらにや秋を 見まく欲りせむ

 この歌にも出てくる「うつる」という言葉です。皆さんよく御存知の小野小町の歌にもありますね。

 花の色も うつりにけりな つたづらに 我が身世にふる ながめせしまに

 前者では適当に「散ってしまったら」と訳されます(私もそう訳してます)し、後者では「変ってしまったなあ」とか「色あせてしまったなあ」のように訳されますね。で、その本質は何かということを考えたんですけど、これって「移動する」という動作よりも、その結果として、「そこにあった何かがなくなる」という意味ですよね。
 「うつる」の「うつ」は「空」であって、「うつる」は「からっぽになる」という説は、古来唱えられていたようです。復元されたアクセントからそれに反論する人もいるようですけど、いつかも書いたようにアクセントというのは言語現象の中で最も流動的で「うつろいやすい」ものですから、私はその説はとりません。
 そうそう、「うつろう(うつろふ)」という発展形になると、さらによくわかりますね。何かがどこかに行ってしまって、前の状態がなくなっている空しさ。気持ちも季節も栄華もうつろうものですね。
 もちろん、そういうところに私たち日本人は「もののあはれ」を感じてきました。その伝統は今でも続いていて、たとえば昨日のレミオロメンの「風のクロマ」の歌詞もそういう情緒を表現したものと言えます。
 しかし、「うつる」=「無になる」ではないんですね。あくまで今までの位置に存在しなくなるわけで、私たちは置いていかれているかもしれないけれど、それ自身はどこかに行ってどこかに存在しているわけです。その証拠に花の色も紅葉も翌年にはちゃんと帰ってきます。「うつる」には「人が死ぬ」という意味もあります。その場合にもその人はあの世に行ったということで、存在が完全に無に帰すわけではありません。あるいはその人の残した何かが違う形でこの世にも残るじゃないですか。遺伝子だったり、あるいは作品であったり、もちろん記憶であったり。
 そういう循環のようなものに対する感慨がすなわち「もののあはれ」です。それは決してマイナスの感情ではありません。驚きであり、畏敬であり、諦念であり、感動なのです。お釈迦様の唱えた「空」というのもそういうものなのかもしれませんね。
 ところで、「うつる」の他動詞「うつす」ですが、これも同じようなニュアンスにとらえられます。そうするとこの季節にもよく言われる「カゼをうつすと治る」というのも一理ありかもしれませんね。
 あっ、もう一つ。「映る」や「写る」も「移る」と同源です。ですから、写真を写されると魂が抜かれるとか吸い取られるというのは、本体が空っぽになるという語感が残っているということでしょうか。まあ、今やコピーの氾濫する時代ですから、そんなことを言う人もほとんどいませんがね。

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2008.10.13

葬場殿趾&聖徳記念絵画館

2 日は三鷹で大変なことに見舞われました。太宰の霊と遊ぼうなどと不謹慎なことを考えたので、軽くバチが当たったのでしょう(笑)。
 で、結局昨夜は千駄ケ谷の知り合いのお宅に泊めていただきました。いやあ、今思えばあそこに車中泊しなくてよかったな。夜、玉川上水の入水地なんかを巡ろうと思ってましたからね。危ない危ない。
 というわけで、かわりに千駄ケ谷でおいしいお酒を呑みながらいろいろと語りまして、安全で楽しい夜を送らせていただきました。そして、今日の午前中は知り合いに案内してもらいながら、千駄ケ谷、青山、信濃町、四谷付近を散策いたしました。
 まあ、その知り合いの方は大変に東京の歴史にお詳しく、また妖しいワタクシ好みの霊的スポットもよくご存知でして、結局そういうところ巡りになってしまいましたが。いやあ、とっても楽しく興奮いたしましたよ。
 その一つ一つについては様々な事情からここには書けませんが、総論としては近いうちに少しまとめるつもりです。かえすがえすも東京というところは、ものすごい所です。
 で、今日は神宮外苑にある聖徳記念絵画館のことを少し書きましょう。いつも気になっていましたが入る勇気がなく(?)遠くから眺めるだけだった絵画館。ようやく入館です。
0165 その前に絵画館の裏の話をしなければなりません。私たちは先にそちらに行きました。不敬にも私は知らなかったのですが、あの絵画館の裏に「葬場殿趾」があって、そこに素晴らしい霊的御神木が屹立していたのですね。解説によりますと、こういうことのようです。

『絵画館の真裏にある葬場殿趾の石碑は、大正元年9月13日明治天皇の御大喪が旧青山練兵場で行われましたとき、この場所に御轜車(ひつぎを乗せる車)が安置されたことから、外苑造営にあたり葬場殿を記念として建立されました。石壇の中央にある楠は、建立と同時に植樹された記念樹で、今では堂々とした見事な大木に成長し、石碑に優しい影をなげかけています』

 今日は体育の日ということで、いまや一大スポーツ公園となっている神宮外苑には、いつにもまして多くの人が集まり、健康的で平和な汗を流していました。いいことです。しかし、いったいこの内の何人が、この外苑の沿革を知り、そしてこの御神木の存在に気づいていることでしょう…な〜んて、私も今日の今日まで知りませんでしたが。
0163 いやはや、この霊木はかなり来てますね。写真も少しおかしなことになっています。ケータイのカメラで撮ったんですが、なんだかとんでもない光に覆われてしまっています。いつもこんなことにはならないんだけど。このケータイ韓国製だから思わず動揺しちゃったのかな(笑)。幹の部分にも素晴らしい霊魂が宿っていますね。
 写真ではわからないかなあ…とにかくこの地に立ってこの楠を見上げますと、空間がとんでもないことになっているのが分かると思います。御神木によくあることですが、空中の(東京の)気が頂点に収斂して幹を通り、そして根から地下へ抜けていく、そして一部は葉の広がりの中を循環している、あの感じがものすごく強く感じられます。ものすごい磁場が発生している感じですね。まあそれにしても立派な楠だなあ。これは間違いなく東京の一つの中心、根幹です。
0164 その葬場殿趾から見た絵画館の裏側です。これもまた、変な写真になっていますね。この延長線上に有名な銀杏並木があるわけですが、この重要な直線がなぜか正確に南北を貫いていないとか。西に17度くらい傾いているんだそうです。知り合いの方の研究によると、その理由は…とてもここには書けません(笑)。
 さて、絵画館の表側に廻りましていざ入館であります。体育の日の賑わいとは隔絶された不思議な静寂。ほとんど人はいません。なぜか明治天皇とはゆかりのなさそうな若者が数人ソファに寝転がったりしています。
300pxseitokukinen_kaigakan01s1024 この建物も実に立派ですけど、なんという不思議な力学が働いている感じですね。岡山県万成花崗石が先ほどの御神木から放射されるエネルギーを吸収し、一つの大きなバリアのようなものを形成しています。写真の光はそのバリアでしょうか(だんだんトンデモ方向に行ってますが…笑)。まあ、都内にお住まいの方は一度入ってみてください。その力学は誰でも感じることができると思いますよ。
 絵画館に展示されているのは、御存知80枚の明治天皇に関する絵画です。前半は日本画、後半は洋画。いずれも美術作品としてかなりのレベルですから、そういう意味でも勉強になるでしょう。それはそうです。当時の最高の画家が集められていますからね。そして、モチーフは当時神格化されていた明治天皇や昭憲皇太后なわけですからね、ヨーロッパの宗教画のようなものですよ。実は日本を代表する美術作品なのです。美大生とかちゃんと見学に来てるのかな。
Index_img01 番号に従って観ていきますと、ちゃんと明治という時代がわかるようになっています。もちろんそれはある意味偽史でもあるわけですね。ある種のフィクション性というのは、先ほどの西洋宗教画にも当然存在するわけで、いや、それこそが芸術の根幹ですから、この館内では野暮なツッコミは厳禁です。ただただ楽しみましょう。それぞれの絵のスポンサーの名前を見るだけでも面白いですよ。
 昔教科書で見た絵も何点かありました。そう、昔は小学生とかが訪れて明治天皇の威光と偉功を拝したわけですよね。今では本当に静かなものです。昔とは違った意味で、こういう異空間を子どもたちも味わうべきだと思いましたね。私も遅ればせながら「何か」を感じ取りました。

聖徳記念絵画館

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2008.10.12

「参った」…太宰治のいたずら(!?)

Dazai13 日のモディリアーニとエビュテルヌの愛と死に続きまして、やはり天才的芸術家にして天才的色男と、彼の死を輝かせてしまった悪魔的な女のお話です。太宰治と山崎富栄です。写真もなんとなく昨日の続きっていう感じだな。
 それにしてもなあ…あぁあ、またやられちゃった。太宰治にいたずらされること何度目か。彼は私を弄んでいるとしか思えない(笑)。ま、なんかの縁があるってことでしょう。
 今日は三鷹で国分寺チェンバーオーケストラの本番だったんです。その本番でとんでもないことが起きました(笑!!)。
 …と、そのとんでもないことは最後に書くとしまして、まずは今朝からの流れを記しておきます。くやしいのでちゃんと記録しておきますよ。
 今日は三鷹市芸術文化センターで本番。朝はですね、6時に富士山を出ました。ずいぶん早い。実は、あるオタク生徒が東京ゲームショウに行きたいということで、三鷹まで乗せてってあげたんです。本人は4時にでも出たかったらしい。なんでも私にはわからんカードか何かが先行発売になるとかで、それを買うためには開門前に並ばなければならないんだとか。
Tomie で、三鷹市芸術文化センターと言えば、太宰の墓所である禅林寺のすぐ近くです。私は、生徒を駅前で下ろしてから、禅林寺近くの安い駐車場を見つけまして、そこに車を停めました。当初は、コンサート終了後そこに車中泊し、一晩太宰の霊と遊ぼうかといろいろ計画してました。しかし、ありがたいことに泊めてくださるという奇特な方が現れて、そちらのお宅に一泊することになりました。
 そんなわけで、だいぶ早く着いたことだし、夜は時間がなくなりましたので、朝一番でお参りしようかなと。で、さっそく「参った」わけです。なんだかんだ言って、私初めてなんですよ。ほかの聖地は何ヶ所も回ったり、それこそ泊まったりしてきましたけど、いろいろと理由がありましてお墓参りは初めてだったんです。ま、霊的なお話ですよ。
 さあそれで、まずは禅林寺の近代的な(?)山門をくぐりまして、誰もいない墓地へ一人歩を進めました。私は一見お坊さん風情ですので、はたから見ればなんかそういう関係者に見えたかもしれませんね。そうそう、禅林寺と言えば私も縁が深い臨済宗の妙心寺派のお寺さんです。これも何かの縁でしょうか。
Moririn ご存知のように、太宰の墓のななめ向かいが森鷗外の墓なんですよね。ある意味自らの希望に従って太宰はそこに葬られたわけで、彼自身が臨済宗だったわけではありません。でも、いちおうお墓を建てたということで、このお寺の門徒になったんでしょう。隣には津島家の墓が立っています。
 ええ、ちょっと墓地内で迷ってしまったんですが、一周して森林太郎の墓を見つけまして、続いてその向かいにある太宰の墓を確認しました。さて、どちらから頭を下げるべきか迷います。皆さんだったらどうしますか。
 私は一刹那迷ったあげく、やはり先輩である森鷗外を先にしました。それが普通なんじゃないかなあ。たしかに目的としては太宰でありましたが、偉大なる先輩に敬意を表さねば、太宰もなんとなく気持ちが悪いんじゃないかと。皆さんどうしてるんだろう。片方だけというのはやはりムリです。なんか背中から視線を感じますよね。
Dazai08 というわけで、先輩への礼拝をすませて、さて太宰さんの方にも丁重に頭を下げました。ついでと言ってはなんですが、この太宰の墓前で自殺を図った田中英光のことも少し思い出しましたね。結局彼も死んでしまいました。
 しかしですね、考えてみると、香華もお供えも準備していません。それで写真だけパシャリとかやってるわけですから、なんとなく申し訳ないなという気持ちもあったんですよ。で、一通り済んだところで、帰ろうと数歩歩いたら、急に呼ばれたんです。おいおい、って。私はそういう生活をしているので、そういうことがあっても全然怖くもないし、びっくりもしないんですけどね(笑)。
 で、なんだろうと思ったら、別に何も言ってくれない。しばらく待ってみたんですけど、沙汰なしなので、しかたなく(?)ケータイでもう一枚パシャリ(ピロリロリン)として、その場をあとにしました。
Zenrinji 帰り際、先ほどくぐった山門になんと東司がマウントされている(笑)ということに、大きな驚きを感じつつ、尿意も感じたのでせっかくですから、その山門の脚と一体化しているなんともハイテクなお便所で用を足しました。あれは画期的だけど、ホントにいいんでしょうか(笑)。やるな禅林寺。
 さあ、それでリハーサルに参加して、そして、禅林寺の隣の八幡様にもちゃんとお参りして、今日の本番が無事に終了しますようにと願を掛けたんですけど…。
 さあ本番が始まりました。最初のモーツァルトの序曲と続くハイドンのシンフォニーはまあ無事に終了。休憩をはさんで後半、ベートーヴェンの「英雄」です。昨日と今日の流れから、1楽章を弾きながら「英雄色を好む」だよなあ、とか思ったのが悪かったんですかね。いよいよとんでもないことの幕開けです(笑)。
 三鷹市芸術文化センター風のホールの素晴らしい響きに酔いしれながら1楽章を弾き終え、さあ2楽章です。最初はいつものように普通に弾き始めたのですが…。
 何小節目あたりでしょうかね。ピアニッシモを静かに弾いていた時のことです。ピアニッシモですよ、ピアニッシモ。フォルテッシモじゃないっすよ。突然、世界を支えている何か、何か張りつめたものが切れたような気がしたんです。
 「あれ?オレ死んだのかな?」
 まじでそう思ってしまいました。コト切れる時ってこういう感じなんでしょうか。
 まあ、本番で弦が切れるというのは、弦楽器奏者なら一生に一回くらいは経験するでしょう。あるいは弓の毛を止めている部分がはずれるということもないとも言えません。
 しかし、しかし、本番中、それもピアニッシモを弾いている時に「弓が折れる」というのはどういうことでしょう!?そう、「弓が折れた」んです!先っちょのとこがきれいに…。
 一瞬何が起きたか分かりませんでした。何しろ自分が死んだのかと思ったくらいですから。ああ、よりによって太宰の墓参りをしてベートーヴェンを弾いている時に死ぬなんて!
 死んだのは私ではなく弓の方でした。良かった…。
 これはさすがに弾けません。弦が1本切れたくらいなら、なんとか弾き続けられますが、弓が弓でなくなった状態で弾くわけもいきません。かと言って、エア・ヴィオラするわけもいかず、さあ困ったぞ。正直、「参った」。
 ベートーヴェンは静かに、しかし荘重に、そして無慈悲に流れ続けます。しかたない、諦めるしかない。様々なアクシデントに臨機応変に対応することに慣れっこになってきたことに、これほど感謝したことはありません。妙に冷静な自分。どちらかというと周りの奏者たちが動揺している…ごめんなさい。
 2楽章はその後10分以上続きました。私は楽器を抱えたまま、ステージの上で皆の演奏を聴くはめになりました。なかなかない経験だぞ。この居づらさはタダモノではない。しかし、これはこれでいいネタになるぞ、などと不謹慎にも、しかし多少太宰風にも思ったりなんかして、でもな、考えてみると、この弓は自分のものじゃないんだ!借り物だ。今、隣の隣で弾いている楽器職人さんのものを借りたんだ!やばい。もしかして数百万もするような名品なのではないか…いかにも使い古されている感じだし。
 いや、まずは2楽章が終了したらどうしよう。3楽章と4楽章もこの状態で何もせず座っているわけにはいかない。かと言ってピチカートで全部弾くというのは、これはベートーヴェンの意図に反する(笑)。いきなり退場するのもなんだし…どうすればいいのだ。
 あっ、そうだ。たまたま明日バロック・バンドの練習があるので、バロック・ボウも持ってきてるんだ!あれを取りに行って再び演奏に参加するのがいいのではないか!しかし、その考えをどうやって指揮者である坂本徹さんに伝えればいいのだ?
 と、ベートーヴェンをBGMにして私の思考はフル回転。そうこうしている内にとうとう2楽章が終わってしまいました。指揮者もさすがなもので、演奏中に生じた異常事態の空気を察してくれまして、替えの弓が楽屋にあるかどうかをジェスチャーで確認ののち、私を送り出してくれました。
 しかし、本当の恥ずかしい事態はそこから起きたと言ってもいいかもしれません。そう、あのステージと舞台裏をつなぐ壁と一体になった扉ってあるじゃないですか。あの分厚いやつです。あれってステージ側から開けようがないんですよ。いろんなところを押しても引いても引っ掻いても全然開く気配がない。これは時間にすれば数秒だったかと思いますが、なんとも気恥ずかしい長い長い時の淀みでした。会場のお客さんはみんな何が起きたのか理解できていませんからね。正直誰よりも多くの注目を浴びてしまいました。エキストラなのにね(笑)。ごめんなさい。
 結局扉はノックしているうちに開きまして(案外古典的な方法だったな…学んだぞ)、楽屋からバロック・・ボウを持ってきてステージに復帰。皆さん、長い長いチューニングをしてくれまして、ありがとうございました。そして、結果として使い慣れたバロック・ボウで3楽章と4楽章を弾き終えたのであります。めでたし、めでたし…なのか?
 いやあ、いい経験しましたよ。太宰さん、なかなかやってくれますね。今までもいろいろといたずらを仕掛けられましたけど、今回は最高でしたね。あっそうそう、結局、その弓の弁償費ですが、0円でした。なんでも、誰かからタダでもらったものだったそうで、もともと何か問題があったんでしょう。逆に変な弓を貸してしまって悪かったと恐縮されてしまいました。まさにいたずらって感じの結末でしたね。
 それにしても、大切な大切な定期演奏会をぶち壊してしまい、本当に申し訳ありませんでした。オケの皆さんごめんなさい。坂本さんごめんなさい。
 打ち上げで、アンケート読みました。「ヴィオラが一人消えてからが良かった」というのがありました。ん?どういう意味だ?(笑)

国分寺チェンバーオーケストラ 公式

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2008.09.27

萌える『あきたこまち』 (JAうご)

Ugokomachi までさんざん書いてきたように(こちらからどうぞ)とっくに「始まってる」羽後町(秋田県)でありますが、今日さらなる強力兵器が投入されました。
 イラストレーター(…というかエロゲーの原画家さんと言った方がわかりよいか)の西又葵さんデザインによるパッケージを採用した「あきたこまち」であります。
 まず単純に、どうですか?いいですよねえ。「萌え」とかそういうのを抜きにして、現代的「小野小町」というか、秋田美人のイメージとしてありだと思いますが。
 これ、今日発売なんですが、なにしろ注文や問い合わせが殺到してしまったようで、いきなり販売停止という状況だとか。
 何度も書いているとおり、羽後町はウチのカミさんの生まれ育ったところです。そしてワタクシ的には、最近の萌える羽後町以上に、あの土方巽の心のふるさととして興味のあるところです。もちろん、そんな「萌え」や土方巽のことなんか全然知らないでウチのカミさんと結婚したわけでして、もうこれは運命というかなんというか、私としてはちょっと恐ろしささえ感じるのであります。
 で、この萌える「あきたこまち」を作っている「JAうご」さんはですね、羽後町の中でも中央部の、明治・新成・元西の旧農協が合併した組織です。新成と言えば、まさに土方巽の心のふるさと米山家のあるところです。新成と言えばスイカ。スイカと言えば土方巽。
 カミさんに言わせると、この地域は羽後町の中でも特別な雰囲気を持っているとか。たしかに、佐藤信淵や土方巽を生んだというだけで、単なる東北の片田舎として片づけられませんね。なんというか、進取の精神があるというか、妙な伝統にとらわれないというか、なんとなくそういう雰囲気を持っていますね。
 JAうごも考えてみれば、ちょっと異質かも。羽後町の他の地域の農協は、お隣湯沢市を中心としたJAこまちに合併されました。そんな中、あくまでも地元に根ざそうと独立したJAうごは、他から見るとちょっと特別だったようです。
 ちょっと聞いた所によりますと、JAこまちはかなり苦戦しているとか。そんな中で、JAうごは持ち前の先進性と商売のうまさで、かなり奮闘しているようです。まあ、今回のこの萌える「あきたこまち」の企画一つとっても、かなりユニークかつ柔軟でないと実現しないでしょうね。農業関係はどうしても保守的になりがちですが、信淵や土方を生んだこの地域のような土地柄が、現代における新しい農業のあり方を提示してくれるのかもしれません。
 今のところ、こういう新しい文化にはまだまだ抵抗や偏見があり、全国のスーパーや百貨店ではお目見えしないとのことですが、まあ時間の問題でしょう。これだけ評判になれば。
Ugono ついでに、西又さん、羽後町特産の高級イチゴのキャラもデザインしました。これです。イチゴの名は「べにほっぺ」…。なんでもウチのカミさんのおばあちゃんもこの品種を作っているとか(笑)。
 ちなみにこのキャラの名前は「うご野(うごの)いちごちゃん」だそうで、まあ、まんまと言えばまんまですな。こちらもマニアの間ではすでに人気のようです。かわいくていいんじゃないですか。
 きっと、これからいろいろなところで追随が始まるんじゃないでかね。作家さんとしても、いい仕事ですし、世界的な戦略としても非常に期待できますから。
 ウチでも「あきたこまち」を注文してみようと思います。ちょっと高いと思われるかもしれませんけど、なにしろ秋田県一の高品質米ですから。ほんとおいしいですよ。一度お試しあれ。
 あっそうそう、石破茂農水相も喜ぶでしょう…てか、石破さんの農政だったりして(笑)。

JAうご 公式

西又葵 公式

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2008.09.21

様々な闘い(ときどき猫)

0156 日は朝から晩までいろいろな闘い模様が…。疲れましたが楽しい一日でした。
 まずは古武道に精通する友人と車で東京に向かいます。車中でも濃〜い会話が…。日本古来の武道やプロレス、そして音楽における相対性について。相手あっての自分。重力とは。「踏む」とは…。
 日本独特の口伝文化の話から、私は「温暖化の原因は実は情報の浪費」などというトンデモ説を語り出します。世間では「モノ」の消費のことばかり言われますが、実は現代は「コト」が爆発的に生産・消費・複製されるようになった時代なんですよね。情報ってエネルギーじゃないんでしょうか。地球の滅亡は、実は目に見えない「コト」の蓄積によって起こったりして。原油なんかの資源の心配する以前に、情報濫費の心配した方がいいんじゃないのかなあ。これについては、またいつか書きます。
 さて、東京に着くと国立に車を置いて、電車を乗り継いで葛飾は立石に向かいます。古楽器オーケストラwith合唱団の練習です。ここでは言葉と格闘。声と合わせることによって明らかになる、言葉と音楽の関係。この二者は融合しそうで融合しない微妙な関係にありますね。もっと幸せな結婚になるのかと思っていましたが、案外せめぎ合っている。
0158 物の音(もののね)と歌(ことのは)は、日本でも対立関係にあったんですよね。今日練習した曲はキリスト教音楽なわけですが、その両者の融合を目指したのは、ヨーロッパのキリスト教音楽くらいかもしれません。たしかにキリスト教的発想ですね。でも、やっぱり現実はせめぎ合いますよ。そこが面白い。神の思し召し通りにはなりませんね。
 さて、練習の合間に私はある場所へ。立石と言えばここでしょう!そう、練習場所のすぐに近くにですね、あの内藤大助選手の所属する宮田ジムがありまして、私はまあ内藤選手にも会えたらいいなとは思いましたが、それよりあの猫たちに会いたいじゃないですか(笑)。で、行ったらいましたよ。いや、内藤選手はお休み。猫ちゃんがいました。
 私がずうずうしく「猫ちゃんの写真撮らせて下さい」なんて、戦いの場に乗り込んでいったら、ジムの皆さんは本当に明るく元気に親切に「どうぞどうぞ」と言って下さいましてね。いやあ、ホント下町風情でいい雰囲気でしたよ。世界チャンピオンが練習してるとは思えない(失礼)なんとも庶民的なムードのジムのそのリングの上に鎮座ましましているお猫様「チャトラン」。可愛いよりも、なんというか神さびてましたな。実際福を招いたわけですし。
 もちろんボクシングは厳しい格闘技であります。しかし、それを囲むこのほのぼのとした雰囲気は本当に素晴らしいですねえ。それがあるからこそ厳しさも引き立つし、その厳しさに耐えられるんでしょうね。そういうバランス、相対性、闘いの裏側の愛みたいなものを強く感じました。
080921 さて、ジムから帰って再び練習。左の写真は帰り道に出会った猫。バイクの上でまったりしているお猫様です。
 夕方、練習が終わりまして再び電車で国立へ。ものすごい雨。雨との戦い。駅前でタクシーを拾います。タクシーの運転手さんも「今日は危ないから仕事は休む」というくらいひどい雨。逃げるに如かず。自然とは戦わないのが日本流です。やりすごす。
 次なる戦いの場は、モダン楽器のオーケストラの練習です。私は古楽器だし、相手はベートーベンだし、これはほとんど異種格闘技戦ですな。フリーのプロレスラーが総合格闘技に参戦するようなものです。実際、かなり苦戦しましたね。でも不思議なもので、やっぱりその場の空気を読んで、相手に合わせる脳ミソモードにすると、だんだん分かってくる。その感覚ってやっぱり面白い。自分がいかに他者になれるかっていうことでしょう。
 練習が終わってからは猫好きが集まって猫談義。猫のあの自然体な生き方こそ理想ですなあ。人間みたいにですね、変に不自然に協調を目指すわけでもなく、無駄な闘いをするわけでもなく、環境に、自然に、他者に合わせて生きている。合わせている意識すらない。かっこいいなあ…いや、やっぱりカワイイなあ。そういう自然体なところがツンデレでまた萌えなわけですね。
 で、夜11時に帰宅しまして、テレビをつけてらサラリーマンNEOが始まりました。出ました!プロレスネタ。サラリーマン体操に「土下座ブレーンバスター」が。あいかわらず笑えますな…しかし疲れすぎて最後まで観る根性がない…。つづきと深夜のプロレスは録画にて。やはり、眠気との闘いには勝てませんね。おやすみなさい。

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2008.09.09

『御祝(ごいわい)』…遠野の秘謡

Goiwai1 、すごい。古いビデオの1本をなんとなく再生してみたら、なんともすごいモノがたくさん録画されていました。1991年、今から17年前のいろいろなテレビ番組が乱雑に詰め込まれています。まあプロレス関係とかMt.FUJI JAZZ FESTIVALとか、全部すごかったんですけど、今日はそのうちの一つ、遠野の不思議な民謡を紹介したNHKの番組をとりあげます。
 NHKのアーカイブスで調べてみますと「にっぽんメロディー探検 遠野民謡 御祝(ごいわい)の秘密」という番組ですね。ちゃんと番組の最初から録ってあるので、事前に番組を知り、録画しようと思ったようですけれど、なぜこの番組を録ったのか、その時「御祝」のことを知っていたのかは、はっきり言って忘れてました。ただ、これは録画しておいてよかった。今観ても実に不思議ですし、心動かされます。
 御祝は、岩手県遠野市小友(おとも)町の氷口(すがぐち)地区に伝わるもので、最近無形民俗文化財にも指定された、大変貴重な音楽遺産です。簡単に言えば、男性が謡を、女性が民謡を同時に唄うという、まあ西洋風に言えばクオドリベットの一種と言っていいと思うのですが、その不思議なハーモニーというか、不協和音の響きが実に興味深いんです。まずは、番組から録った音を聴いていただきますか。
 御祝
 どうですか。すごいでしょう。17年前の私も、今の私もかなり戦慄しましたよ。美しいとは言えないかもしれませんが、なんというか、ものすごく強い音楽ですね。
Goiwai2 この番組で御祝の謎に迫るシンセサイザー奏者星吉昭さん…「姫神」の星さんです。04年にお亡くなりになりました…の功績によって、全国的にも有名になり、国立劇場で演奏会が行われたり、DVDが発売されたり、保存会が発足したりしたようです。
 クオドリベットの例を引かずとも、世界中にこのようなタイプの多声音楽は多くありますし、酔っ払いの芸としてはある意味自然発生的に聞かれますよね。そして、音楽に(騒音に)まみれた現代においては、もしかすると恒常的に御祝状態が続いているとも言えるかもしれません。いや、そこには人間の神への意思なんてかけらもないか…。
 この御祝のような人工的なカオスというのは一種のハレ状態であり、非日常的な祭祀空間であるということです。特に日本の神道的儀式や祭にはそういう要素が色濃く感じられますね。人間の自らの手によって、日常が目指す「コト」性を崩して「モノ」を招来する。そう、日本人はコスモスよりもカオスに神、すなわち自然を見ていたんですね。西洋的な発想とはかなり違うのではないでしょうか。
 そして、そうしたモノ招来の行為自体に「祝性」があり、またそれが「遊び」に通じていました。「遊び」にはルールもあります。この御祝も、一見めちゃくちゃに合わせているように感じられるかもしれませんが、実は互いのキーや重ねるタイミング、リズムの合わせ方など、いろいろなルールがあるようです。そうした、モノ性の中に形成されていくコト性、すなわち混沌な中から修理固成していく「世界」という面白み、あるいはめでたさというのもあるんでしょうね。単なるカオスではダメなんです。
 そういう中間世界的な可変性のようなものこそが、神と人間をつないでいる証拠なのかもしれません。この御祝は、ある意味とても素朴な音楽なのでしょう。でも私はちょっとおおげさにそんなことを感じたんです。日本人として理屈抜きに共鳴する何かがあります。
 一度、生で聴いてみたいですね。できれば国立劇場とかではなく、本当の祝いの空間で。

Amazon 岩手の秘謡 御祝(ごいわい)

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2008.09.08

富士山の鹿に思う

この写真はもらいものです。かわいいですね。
Shika こ数年ウチのあたりでよく鹿を見かけます。出勤や帰宅の際に突然群れで飛び出してきて、轢きそうになることもしばしば。今のところ私は事故を起していませんが、1年に1回くらいは事故現場に出くわします。鹿も大変ですが、車もそうとうのダメージを受けていますね。
 また、飛び出すのではなく、道の真ん中に数頭の鹿が佇んでいて困ることもよくあります。車が近づいても全然逃げないんですよね。まあ、急いでいるのでなければ、野生の鹿を間近に見られるのでラッキーとも言えますが。しかし、実際近づいてみると、とにかくデカイ。あんなのに襲われたらたまらんな。まさにシシ神といった風情。でもやっぱりデザイン的に美しい。子鹿はカワイイし。
 ウチのカミさんなんて、道に鹿を発見すると車を停め、ウィンドウを開け、そして何をするかというと…「はりつめた〜ゆみの〜♪」と米良さんのものまねを始めます(笑)。全曲鹿に向かって歌います。鹿は金縛りにあったように微動だにしません(笑)。
 とにかく最近人の住んでいるあたりに鹿がたくさん出没しているわけですね。それでいわゆる食害を起している。農作物を食い荒らしたり、樹皮を食べまくって木を枯らしてしまったり。
 そうした鹿による食害を防ぐために、最近ウチの周辺でもたくさんのフェンスが張られているんです。今日もたまたまニュースで南アルプスのある山のことがとり上げられていましたっけ。貴重な高山植物や樹木を守るために延々とフェンスを敷設するとのこと。自然保護の観点からそうします、と担当者は言ってましたが、これはどうなんでしょうね。
Uni_1478 まず、ウチの周りでさえもかなり景観が損なわれています。登山者に聞くと、やはり山中に突然あの人工的なフェンスが現れるとガッカリすると言います。景観も大事な自然の一部だと考えると、ちょっと問題があるような気もします。写真はウチの近所のフェンスです。見ての通り、ちょっと回り込めば鹿ちゃんも中に入れます。ほとんど意味がないどころか、延々と道沿いに張り巡らされているので、鹿が道を歩くことになって、よけいに危険なんです。食害に対してはホントに気休め程度のしろものですよ。
 もちろん、我々にとって大切な農作物や貴重な高山植物、自然林を守ることは大切だと思いますが、では、鹿という自然に対してはどう考えればいいのでしょうか。
 よく言われているとおり、人間が保護したがる「自然」というのは、あくまで人間にとって有益な、あるいは愛情の対象になる「自然」であって、たとえば害虫などは保護どころか駆除の対象になってしまいます。何をもって「自然」とするか、これは難しい問題ですね。
 世界自然遺産の知床で、自然保護のために野生の鹿や熊を駆除することを環境省が決めたりしてますね。これもまた妙ちくりんな矛盾に満ちています。まったく人間は身勝手なものです。
 またどこかの村は村ごとフェンスで囲ってしまったそうですね。檻の中の人間(笑)。
 で、最近こうして鹿や熊が里に下りてくる(ウチのあたりを里とは言えないかもしれないけれど)のは、たしかに気候変動による植生の変化というのもあると思います。しかし、多少長い目で見ても、それほど劇的に変化しているわけではありません。では、どうしてこういうことが起こるのでしょうか。
 いろいろな要因が複合的に働いているのは分かりますけれど、私はやはり原因の根底に人間の生活があると思いますね。温暖化が人間のしわざかどうかは置いておいても、こうして森を切り開き、道路を舗装し、家を建てていること、つまり本来鹿の棲む領域に人間が進出している罪は大きいでしょう。鹿は普通に生きるために食物を探しているだけです。そして、だんだん人間に対する警戒心も薄れてくる。
 あと、やはりですね、里で犬の放し飼いが減ったことも大きいでしょう。鹿や猪や熊にとって、野犬ほど怖いものはないですからね。昔のように村の中に犬が闊歩していれば、なかなか彼らは畑に入れません。ところが、最近は、「犬はつないで飼いましょう」的な、まさに文明的人間のわがまま(?)からか、ほとんどの犬は自由を奪われて、結果彼らを見つけても遠くでむなしく吠えているのが関の山という状況になってしまいました。犬もさぞ悔しいでしょう。そのうち、獣たちは犬に襲われないことを知り、我が物顔で畑や里山を荒らすようになります。犬の方もやる気を失っちゃう。そりゃあそうでしょう。
 というわけで、ずいぶんと人間は身勝手なことをし、身勝手なことを言い、愛憎をすぐに逆転させ、あるいはそんなことは棚上げして自己満足的アクションに走る…。
 まあ、人間も所詮は動物であり、自然の一部なわけですから、きっとどこかで誰かに恨まれて駆除されるのかもしれませんね。というか、増殖しすぎてお互いで駆除しあうという素晴らしい種なのかもしれませんね。
 
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2008.09.07

DDT『キャンプ場プロレス〜リングは二万坪の大地〜』@ネイチャーランドオム(山梨県道志村)

釣り人姿のマッスル坂井が飯伏幸太にパワーボムをしかける…
Uni_1455 あ、昨夜の熱いキャンプ場フェスに続きまして、今日もまたとんでもないキャンプ場イベントが…。今までいろいろな神イベントに参加してきましたが、ある意味今日のが圧倒的第1位だったかもしれない。みんな「狂ってる(笑)」。そう、(笑)のつく狂気。お馬鹿は素晴らしい。
 DDTによる世界初「キャンプ場プロレス」に参戦してまいりました!!
 う〜む、このあまりに画期的かつ露骨なエンターテインメント、プリミティヴでクリエイティヴな亜空間をどう言葉で表現すればいいのか。そんな世界初なこと私の文才ではできません!
 試合結果を書いても何も伝わらないでしょう。
第一試合 高木・○飯伏(37:48池の中でのムーンサルト)坂井●・A本多
第二試合 ○山賊(酋長)・山賊A・山賊B・山賊C(11:39池の中での山賊ドライバー)高木・飯伏・坂井・本多●
 結末としては、山賊がプロレスラーに勝ち、山の自然は守られた…??もっとよく分からんだろうなあ。
 詳細な試合内容についてはぐりふぉんさんのブログがそれこそ神業的なレポを書いてくれてますので、そちらに譲ります。あとextreme partyさんの観戦記もいつもながら秀逸(私もずいぶんと写り込んでますね)。ま、この近未来原始的芸術興行は、今月25日にSAMURAIの「DDTドラマチックファンタジア」の中で放送されますので、それをご覧になるのが一番良いかと。実況と解説も最高に面白かったので。
 まあ、とにかくこういうことを企画するやつがいて、それをしっかり受けて神的な興行に仕上げるプロの選手たちがいて、それをこんなところまで観に来るファンたちがいる。これってとんでもなく幸せなことですね(フツーの市民生活を送ってる人には理解できないかもしれませんが)。
 そこに家族で参戦する(そう結構いろいろな攻撃に巻き込まれましたので、まさに参戦でした)家族もそんなにいなかったと思いますし、子どもそっちのけで選手を追いかけてしまい、子どもを山中で迷子にさせる親もそんなに…というかウチ以外いなかったでしょう(すみません、優しいお兄さんお姉さんがた。子どもを保護してくれてありがとうございました)。
 いやあ、バカって素晴らしいですね。つくづくそう思いました。バカじゃないと新しいことはできません。破格なことをするヤツが集まらないと、新しいものは生まれません。今回そういう場にいられたことを幸せに思いますよ、まじで。
 で、こういうことを企画した馬鹿者たちは、私の自慢の教え子です。今日はお笑いトリオ時代のもう一人の教え子も手伝いに来てまして、懐かしい再会もできました。そうなんだよなあ、今回選手とバーベキューした所って、十数年前高校生だった奴らとキャンプしてどんちゃん騒ぎした、まさにその場所だった…あの頃はオレも独身でもっとお馬鹿だったよなあ…。
 彼らそれなりに忙しそうにしてましたので、あんまりゆっくり話ができませんでしたが、まあいつまでもお馬鹿でいてくれ。そして、このイベントを毎年開催できるよう、今回の反省に基づいてより一層の努力を願いたい(たぶん反省も努力も苦手だと思うけど…笑)。応援するよ。
Uni_1457 そして、このとんでもない企画を受けてくれまして、実際とんでもない神興行に仕上げてくれたDDTの皆さんには、心から敬意を表したいと思います。おそるべきプロ根性を見せてくれました。環境とルールを活かしきり、すさまじいばかりの即興的構築力で作品を作り上げる能力は、これは冗談抜きでアーティストとしてとんでもない領域に入っています。これは高度な演劇であり、舞踏であり、音楽であり、スポーツであり、まさに総合芸術、いや本当の総合格闘技であります。
 こうやって自然や人と戯れること、レッスルすること、これは本来なら世の少年たちが皆経験するべきことですね。山や野原を駆け回り、泥にまみれ、橋の上から川に飛び込んだり、わざと崖を転げ落ちたり、花火で戦争したり…基本的に自分も人も自然も(それほど)傷つけずに「遊ぶ」のです。そういう人間として非常に根源的な部分での記憶を呼び覚まされる試合内容でしたね。
 あと驚くべきはですね、選手のスケジュールです。高木三四郎社長は試合後すぐに愛知に飛びました。今日の夜、愛知で行われる「愛プロレス博2008 絆〜KIZUNA〜」で試合をするためです。あれだけハイテンションかつハードなプロレスをしたのち、移動して「普通の」プロレスするんですからね。渋滞に巻き込まれつつなんとか試合には間に合ったようで、まあとにかくお疲れさまです。
 飯伏幸太選手はですねえ、わかる人はわかると思うんですが、なにしろ昨日武道館のノアの興行で素晴らしい神試合をしてるんですよね。結果は負けましたが、最も武道館をわかせた男と言っていいでしょう。そして技能賞を獲得。そんなメジャー・イベントで何万人もの人を感動させて、翌日道志村のキャンプ場ですからね。素晴らしすぎます。ちなみに明日はDDT主催のSEMで再びメジャーな闘いをします。偉いなあ。さすがプロレス界の宝。プロレスの申し子です。
 アントーニオ本多選手も明日SEMのメインをつとめますね。今日自然の洗礼を受けて頭部からかなり流血してましたけど、大丈夫でしょうか。
 私なんて、たった二日間キャンプ場を巡っただけでもうクタクタなのに、レスラーの方々はホントにすごいっす。どんな状況でも、そこにいるお客さんのために最大限のパフォーマンスを提供する…まさにプロの仕事ぶりですよ。私も自分の仕事に関してはプロのはずですが、とてもここまでできてませんよ。う〜む反省、反省。
 さて、試合後、選手の皆さんとバーベキューを楽しみまして、いろいろな選手やファンの方々、そしてリングアナウンサーを務めたRマニアのしゅく造めさんらとお話をしました。皆さんいい意味で狂ってて実に楽しかった。
 アントーニオ本多選手とマッスル坂井選手は二人とも、ウチの娘をつかまえて「本当のお父さんのところへおいで」と言いいながら写真を撮らせてくれました。私…すなわちニセのお父さんがシャッターを押すという妙な状況に、娘たちはなんか混乱してましたね。苦笑しておりました。
 飯伏幸太選手はもちろん大人気です。ほとんど肉や野菜を食べるヒマがないほど、いろいろな人に写真撮影をせがまれてましたが、本当にイヤな顔一つせず、実にさわやかに、そして謙虚にリクエストに応じていました。あの「心」が素晴らしいですね。本当にプロレスを、そしてファンを愛しているのだなあ。なんか小橋建太選手と重なるものがあります。まさにプロレス界の宝です。
 最後にそんな思い出のスナップをちょっと載せておきますね。カミさんも憧れの選手たちとの記念撮影に大興奮。
 ああ、楽し過ぎた。ホント生きてて良かった、いろんな趣味を持ってて良かったと思う二日間のキャンプ場イベントでした。やっぱり「縁」は素晴らしいし、そして「生」はいいなあ。皆さんと同じ空間、時間を過ごし、ともに生きる。一緒に大きな波を作る。これこそが人が生きている喜びですね。みんなありがとう!

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Ibushi

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2008.09.06

キャンプ場パフォーマンス・フェス

Uni_1441 て、我が家にとってとんでもないスケジュール&内容のキャンプ場イベント2daysの始まりです!
 まずは1日目…とは言っても、今日のキャンプ場イベントは夜10時からでして、それまでも家族全員大忙し。私はオープンスクールで一仕事。上の娘は運動会。カミさんと下の娘はその応援です。カミさんは役員なのでまた忙しそう。
 で、それらが無事終了したのち、御坂を経由して旧芦川村(現笛吹市芦川町)のキャンプ場へ向かいます。先日のSLS 2008 in 山中湖で一緒に盛り上がった方々と合流いたしまして、向かいましたのは6月にお世話になりましたすずらん荘のキャンプ場です。今日はここで夜通し音楽(その他)イベントが行われるのです。私もどういうご縁からか、こちらのイベントに招待されまして、ヴァイオリンを持って参戦することとなりました。
 このイベントはある意味ほとんどシークレットという感じですね。いちおう、山梨を中心に活躍している様々なジャンルの若手ミュージシャンたちが集まって、それぞれ演奏したり、ジョイント・セッションをしたりという趣向のようです(実はよくわからない状態で参加していたのでした)。中心になっているのは、ファイヤーパフォーマンスの和火の方のようです。
 深山の中ですので、たしかに音は一晩中出し放題でしょうね。懐中電灯がないと移動すらおぼつかないような暗闇の中、会場には手作りのステージや照明がしつらえられており、案外多くの人たちが集っておりました。みなそれぞれのスタイルでまったりした雰囲気。
Uni_1425_2 オープニングから1時間以上、熱く魅力的な演奏を繰り広げたのは、あの前田タクヤくん(レミオロメンの前田啓介くんのお兄さんですね)が率いるユニット「風カヲル時」。純和風ジャズを標榜するだけあって、まずは尺八、ピアノ、和太鼓(&ドラムス)という組み合わせに新鮮な驚きを覚えます。
 和風などこか懐かしいメロディーと音色でありながら、ハーモニーやリズムはなかなか複雑な作りになっており、たしかにこれはジャズと言えるなという音楽性。なんといっても、キャッチーかつダンサブルで、すぐにオーディエンスがその世界に入っていける、そして一緒に音楽の波を作っていけるのがいい。好きなタイプの音楽ですね。
 今月の24日に甲府桜座で行われるライヴのプレ・演奏会といった感じで、内容もたっぷり、演奏のクオリティーも大変高く、タダで聴かせてもらってなんか申し訳ないくらいでした。身内のライヴということもあってか、タクヤくんのMCも絶好調で、実に和やかな楽しい雰囲気でイベントは幕を開けました。
 その後、ブラジルやアフリカ、そしてオーストラリアなどの民族楽器が登場したり、カポエラや各種ダンスなどの身体表現、そして和火の皆さんのファイヤー・ダンスが披露されたり、とにかく楽しい楽しい。お客さんたちも飲みながら踊る踊る。ふだん10時には寝る私にとっては、かなりきついイベンでありましたが、だからこそハイテンションになってしまったのか、しまいにはたまたまあった一斗缶を頭にかぶって木の枝で自らの頭を叩くという荒技でステージに乱入してしまいました。ああ、何やってんだ…オレ(とカミさん)…いい歳して(笑)。
Uni_1443 もう0時過ぎると私にとっては起きる時間の方か近い時間帯になります。そして買って行った日本酒4合瓶がもうすぐ空になるという時に、ようやく私の本来の出番がやってまいりました。危険だ。みんなで自由にセッションということになりまして、ディジュリドゥーやパーカッションの方々の演奏にヴァイオリンで参戦。正直酔っ払いつつ寝つつですので、何をやったか全く覚えていませんが、ただ楽しかったことはたしか。
 ううむ。なんか朦朧とした頭と体で感じたことなんですけど、久々に音楽の本来のあり方を見直したような気がしました。そうです、いつかも書きましたけれど、本来音楽というのは、演奏者と聴衆の双方によって作られていくものなんですよね。行儀良く座って静かに聴いている(あるいは眠っている?)演奏会というのは異常事態です。演奏者を囲む人々の行うべきことは、「囃し」なんですよね。演奏にインスパイアされ、踊り歌い叫び手を打つ。それが演奏者に対する「囃し」になる。そしてさらに演奏の熱が上がり、それをまた人々を興奮させ…そういう双方向性、インタラクティヴなエネルギーの流れこそ音楽の本質だなあと思いました。
 あと、やっぱり即興演奏の面白さですね。何もないところから、お互いの目を見ながら、空気を読みながら、そしてあの自然の息吹を感じながら音を互いに積み重ねて行く。これは実に面白いし、エキサイティングですよね。なんか楽譜を見てみんなでガツンと合わせるよりも、ずっとリズム的にシンクロ度が高いですね。当然といえば当然ですけど。
 私が弾いた最後の方では、和火のファイヤーパフォーマンスも加わりました。やっぱり火は人を興奮させますね。まさに「ファイアー!!」っていう感じを、久々に味わいましたよ。楽しかったあ。
 一緒に参加した仲間の皆さん、誘って下さった方々、すずらん荘の皆さん、本当にありがとうございました。そしてお疲れさまでした。また来年も是非!次も呼んでもらえるかなあ…。

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2008.08.31

SWEET LOVE SHOWER 2008 in 山中湖

0808311 中湖のきららで行われたスイートラヴシャワー2008の二日目に行って参りました。昨日の、半分あの世の音楽に比べますと、かな〜りこっち側の音楽。本当に音楽というのは幅が広いですね。そして今日もまたライヴの良さを実感。特にこうした野外フェスの素晴らしさはなにものにも代えがたいですね。
 今回はたくさん(10枚以上)チケットが取れてしまいまして、いろんな関係者に買っていただいたので、まあ賑やかかつ不思議なメンバーで参戦いたしました。会場では、いくつかのバンドの親族の方々とも合流し、再会を喜んだり、お初のご挨拶をしたり、いろいろとお礼を述べあったり…実に和やかな雰囲気。
 本日の出演アーティストは次のとおりです。

lego big morl
THE BACK HORN
the telephones
NICO Touches the Walls
SAKEROCK
奥田民生
上原ひろみ-HIROMI'S SONICBLOOM
BRAHMAN
EGO-WRAPPIN'
エレファントカシマシ
くるり
レミオロメン

 朝11時前からたっぷり10時間、どっぷり生の音楽に漬からせていただきました。
 私は基本、Mt.FUJIステージの芝生でまったりしながらの音楽鑑賞。20年ほど前の、あの一連のMt.FUJI JAZZ FESTIVALの雰囲気を思い出しながら、音楽と自然と人々を満喫いたしました。
 それぞれのバンドについていろいろと書きたいところでありますが、長くなりそうなので、特に印象に残ったバンドについて一言ずつ。
 まず何と言ってもツボにはまったのがSAKEROCKですねえ。一瞬にして会場の空気を変えてしまうあのゆるさはたまりません。楽曲のセンスは、実はなかなかのものがありますが、そこに加味されるあのハマケンの謎の言葉たちが、不思議な世界を醸し出します。途中EGO-WRAPPIN'の中納良恵が参加して披露された「スーダラ節」には正直やられました。アレンジの妙。
 案外普通だった奥田民生センセイの次、上原ひろみのバンドが良かった!すごすぎ。もともと今回のフェスのワタクシ的目玉でありましたが、期待にたがわぬ…いや全く期待以上というか、私の想定以上の音楽がそこに展開し大興奮。体が自然に動く、声が出る。完全に上原ひろみたちの音楽に操られる自分。しっかし、すごい演奏力だなあ。周囲がロック・バンドということもありますけど、あまりに突出した個人芸とアンサンブル力、アドリブ力には、もう目が点というか、心が点でした。ホントあの時間と空間だけはMt.FUJI JAZZ FESTIVALのクオリティーになってましたよ。涙が出ました。上原ひろみ、天才!すごい!
 EGO-WRAPPIN'もライヴ・パフォーマンスとしてはなかなか魅力的。中納良恵のある意味シャーマン的な声と動きに会場が揺れます。音楽的にも、ジャズ、ロック、歌謡曲のミックスされた面白さを満喫できました。多少椎名林檎、もしくはウチのバンド(?)とかぶる部分があるかな。
 エレカシはやっぱり独特の世界があるなあ。今まで特にファンというわけではなかったのですが、ついつい盛り上がってしまう自分。宮本浩次という男、やっぱり何か特別なものを持っている。同世代としてはうれしいですね。やっぱり基本が昭和です。フォークの生き残り。「エブリバデー!」っていったい何回叫んだだろう。バンド・メンバー、サポート・メンバーも渋くて巧い。
0808312 さて、今年のグランド・フィナーレは地元の雄レミオロメン。今回私は、地元御坂の皆さんと一緒に応援させていただきました。皆さんの口から思わず飛び出す「亮太!」「啓介!」「治!」の声にじーん…。この夏はオリンピック関係で何度も耳にした彼らの音楽。つまりとうとう国際的にまでなった彼らですが、基本は地元の人々と風土が彼らを支えているんですね。音楽をはじめとする芸術は、決してお金のために存在するのではありません。人と人をつなぎ、人の心を動かし、生きる力を与えるためにあるのです。そして表現する側もまた、多くの人とのつながりの中で心を動かされ、何かを生み出すのです。つまり全てが「縁」によって生じている。そして、また新しい「縁」が生まれる。
 演奏された曲はフェスらしいセレクトでしたね。ただ、アンコールは意外でした。あの滑走路ライヴの時もそうでしたが、奇跡的に雨が上がったあとの「雨上がり」。感激です。そして、最後は夏ですが「粉雪」。そう、この名曲は山中湖のスタジオ「サウンドビレッジ」で生まれた曲なのでした。「粉雪」という曲自身の凱旋、里帰りですね。まさに自然風土が生んだ名曲であることを再確認。
 アンコール前の最大の盛り上がり(であろう)「もっと遠くへ」でのチューニング・ミス、そしてやり直しは、これはまあ彼ららしい等身大の「やっちゃった」でしたね。ほほえましいシーンでした。ああいうのはなかなか体験できませんよ(笑)。私もよく本番でやらかすので、よくわかります。しかし、ローディーさんどうしたのかな…。あと、こういう場では珍しい不審者(酔客)の乱入もあったりで、まあいろいろとアクシデントはありましたが、とっても楽しいレミオロメンのライヴでありました。
 そうだそうだ、レミオロメン、10月にニューアルバム発売との告知がありました。大いに期待しましょう!
 全体にまったりと過ごすことができ、またいろいろな人たちとの会話も弾み、ついでにちょっとお昼寝もし、実に充実した1日でした。来年もまた来たいと思いましたね。近場でこういうイベントがあるというのは、ホント幸せなことであります。参戦した皆さん、そしてなんといってもミュージシャンの皆さん、お疲れさまでした。最高の夏の終わりをありがとう。

SLS公式

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2008.08.15

プロレスリング・ノア presents SEM ex 『みちのくメルヘン物語2008』

湯沢市皆瀬総合支所前グラウンド特設リング
08081502 年もやってまいりました、昨年奇跡の復活(?)を果たした秋田県は旧皆瀬村でのお祭りプロレスです。終戦記念日に毎年奉納される神事としても非常に興味深いこのイベント。特に今年は「小橋建太の命(みこと)」降臨ということで、ある種特別な雰囲気となっていました。
 私もかなり厳しい日程の中でしたが、この神事だけはどうしてもはずせないということで、無理を押して参戦いたしました。娘やカミさんも、昨年大変に盛り上がり、かつラッキーなことが多発したこともあって非常に楽しみにしていたんですが、娘二人が夏カゼをひいてしまい発熱、泣く泣く(ホントに泣いてました)参加できませんでした。つまり今年は私一人で会場へ行ったというわけです。
 さて、このイベントが開催されるいきさつや神事としてのプロレスについては昨年の記事からいろいろと読んでいただければわかると思います。
08081501 今年は予算の関係でしょうかね、ノア全体としての開催ではなく、下部大会形式としてのセムという形で行われました。そのため、昨年までにくらべますと、参加選手数は半減しました。ただ、セムとは言っても特別な扱いなのでしょう、若手中心ではなく、三沢社長はもちろん、小橋、秋山といったベテラン主力選手も参戦する豪華な内容でした。参加選手が減ったおかげで、内容の濃い試合が多かったとも言えますね。試合結果などは公式でご確認下さい。
 第1試合は若手によるスピーディーかつエキサイティングな試合で、まずは会場の人たちをグッと引きつけました。
 続く第2試合は対照的にまったりとした試合。宮城出身で私と同い年の菊池選手が見事に土着の神を演じていました。しまいには泉田選手の後方から腰を突き上げる、牛の交尾のような技(?)も飛び出し、うむこれぞ五穀豊穰を願う日本の神事そのものだと感じました。
 第3試合と第4試合ではモハメド・ヨネ選手のうまさが光りました。彼は体もいいし、なにしろ受けがうまいので、誰が相手でも面白い試合を提供できます。また、相手選手とのコミュニケーションのみならず、お客さんとのコミュニケーションも上手でして、いいプロレスラーだなあと改めて感心した次第です。
 第5試合では、なんといっても太田一平のやられっぷりでしょう。昨年は青木選手がやられ役でしたが今年は一平ちゃん。こうしていじめられて一流になっていくんですよね。そして、こういうやられ役、いじめられ役というのも神話に欠かせない存在。何かが昇華されていくんですね、そうやって。それにしても三沢社長は全然動かないっすね。まあ社長さんですから、ああやって鎮座しているだけでいいんでしょう。
08081503 メインは、地方のお祭り大会とは思えないほどヒートアップしたノアらしい素晴らしい試合でした。大会場でのテレビマッチとなんら変らない激しいプロレス。その中にあって、やはり小橋の存在感でしょうかね。もう入場からして異常な興奮状態。試合でも大技を惜しみなく出し、また退場だけでも15分くらいかかったんじゃないでしょうかね、神の降臨に山中の寒村がある種の陶酔状態に包まれていました。まさにマレヒトの来訪といった風情。小橋選手は終始笑顔でその歓待に応え、一人一人としっかり握手をしていました。写真は退場時に観客といっしょに花火を見上げて感動する小橋選手です。美しい光景じゃあありませんか。
 私も、昨年の腎臓ガンからの復帰を境に、彼から特別なオーラが出ているのを感じています。握手会でもそれは強く感じましたが、今回の興行(祭事)で改めて彼が生き神であることを痛感しました。もちろん、それは彼の人格による部分もあると思いますが、やはり、大病の克服という一つの「物語」が彼に神性を与え、彼の存在自体が現代の神話になっているという事実があるのでしょう。そうした神不在の現代において、彼は非常に貴重な存在です。
08081504 さて、今回は涙をのんで不参加となってしまった娘たちのために、その小橋選手のグッズやサインを入手してきました。バーニングのTシャツにサインをしてもらい、さらにサイン色紙をいただきまして、さらにさらにノアの公式エナメルバッグを購入いたしました。入場の際にも多額の(?)協賛金を奉納いたしましたし、私なりに神への感謝と尊崇の気持ちを表現してきたつもりです。
 県境にある旧皆瀬村は先日の岩手・宮城内陸地震で大きな被害を受けました。今も宮城に通じるはずの道は通行止めが続いています。そのような状況の山村に「神=モノノケ」たちが多数集い、村人とともに自然の中で祭事を行なうというのは本当に素晴らしいことですし、本来の日本的な姿だと思います。天空に響き渡る数知れない小橋のチョップの音は、まさに太鼓の乱れ打ちのようでありました。

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2008.08.14

レストラン 薬膳 遊心庵 (秋田県横手市平鹿町)

Yuushinan1 田のみならず全国で有名な「おはよう納豆」を製造しているヤマダフーズさん。そのヤマダフーズさんが経営する施設「匠の味工房 遊心庵」に併設されている「レストラン 薬膳 遊心庵」に行ってきました。
 納豆マニアである私も、納豆発祥の地秋田を代表する老舗ヤマダフーズさんの納豆は、なかなかうまいと思います。また、各種納豆のみならず、いろいろと新しい大豆製品を開発する、その先取性は素晴らしい。
Yuushinan2 そういえば、自分で納豆を作った時、納豆菌のタネとして同社の「超細か〜いきざみ納豆ミニ」を使いましたね。
 この施設も工場の見学とアンテナショップ的なレストランを兼ねたなかなか大規模なもので、企業イメージの向上と社員の意識向上に一役買っているようです。
 今日はお昼時に家族で訪問しましたので、ランチメニューから、大人は「麻婆ラーメン」を子どもは「お子さまセット」を頼みました。
Yuushinan3 「麻婆ラーメン」は、いわゆる一般的な「麻婆ラーメン」を想像すると、かなりびっくりします。レストランの名前に「薬膳」が入っているとおり、いろいろな薬味というか薬効成分のある食材が使われているようでして、まずはその香りの豊潤さに驚きます。本当に麻婆豆腐からはかけ離れた香りがしてくるんですよ。で、ちょこっとスープをなめてみてまたビックリ。まず印象に残るのは「和山椒」の味ですね。これは好き嫌いがあるかもしれませんが、私は大好きですので正直ラッキーと思いました。
 スープ全体としては全くと言っていいほど唐辛子の辛さは感じられません。辛味が足りなければラー油を足して下さいと店員さんが言ってましたが、これは辛さよりもその複雑な薬味のブレンド具合を味わった方が得です。
 麺は横浜から取り寄せているというストレートな細麺。すっきりしたスープにはこういうすっきりした麺が似合うのではないでしょうか。いわゆる「麻婆ラーメン」にありがちなコッテリ感からすると、全体としてずいぶんと透明感のある味わいです。
 そして、なんと言ってもコロコロころがっている豆腐のおいしさですね。やはりこだわりの豆腐工場直営店です。絶妙な薬味が豆腐本来のおいしさ、つまり大豆のおいしさを引き立ててくれています。普通の麻婆豆腐だと、正直豆腐の味はよくわからないじゃないですか。これはそんなことありませんでした。
 ちなみに、この豆腐は隣の工場で義父が作っているものです。そう、義父は退職後こちらヤマダフーズさんにお世話なっているのでした。子供たちも「おじいちゃんが作った豆腐おいしい」と大喜びでした。
 写真で大きく写っているのは揚げ湯葉ですね。これもまたスープに絡めていただくと本当においしい。味や見た目のアクセントとしてナイスアイデアだと思いました。
Yuushinan5 一方、子どものセットは具体的にはカレーラーメンセットなんですね。で、このカレースープが本当においしかった。子ども用にしておくにはもったいないくらい。これも辛くないんですよ。おそらく豆乳ベースで作っているんでしょう、とってもミルキーで豊かな味わい。子供たちもかなり気に入ったようです。
 おかずに見える青大豆のコロッケも絶品でしたね。青大豆、すなわち枝豆を細かくきざんであります。ずんだコロッケと言ってもいいかもしれません。水々しい色合いと艶と触感が食欲を誘いますね。これはウチでもできるのではないでしょうか。いいアイデアだと思います。
 あとは地元のりんごジュースがたっぷりとついてきまして、これもまたとっても美味。なかなか贅沢なお子さまランチでしょう。
 さて、この遊心庵、ディナーは予約制ということですが、地元浅舞の酒蔵「浅舞酒造」さんの「天の戸」をはじめとして、厳選された日本酒も各種取りそろえられておりまして、これは一度はじっくり贅沢してみようかなと思わせるに充分な内容となっていました。薬膳と日本酒の組み合わせというのもなかなか面白いのではないでしょうか。

匠の味工房 遊心庵
レストラン 薬膳遊心庵
おはよう納豆 ヤマダフーズ

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2008.08.13

14時間かかった…

080813 すがにタフな私も疲れました。先ほど14時間にわたる旅の末、ようやく秋田に到着いたしました。いやはや、トイレにすら行っていないぞ。ずっと運転しっぱなしでした。
 帰省ラッシュの真っ只中ではありますが、いつもなら渋滞知らずのスイスイコース。そう、山梨から長野、新潟、山形を経る日本海コースですよ。混むわけないのになあ…。まあ、混まなくても11時間はかかるんですが。
 今日は特におススメするべきものがないので、すみません、長時間ドライブの顛末を書きます。いや、いろいろ美しい風景に出会いましたけれど、写真すら撮る余裕がありませんでした。とにかく空いている道を探して三千里…。
 ええと、まずですね、カミさんに感謝しなければなりません。最初は非常に腹立たしかったのですが、今ではカミさんは神様だと思って感謝尊崇しております。
 というのは、今日はですねえ、朝3時15分に起きまして、それで3時半に出発するはずだったんです。そうして4時前に河口湖インターを通過し、いわゆる深夜割引によって4割通行料を浮かせるつもりだったんです。ガソリンが高いので、少しでも経費を節約するのは一家の主として当然のことですよね。
 ですから、私は子供たちよりも早く寝てしまい、目覚ましが鳴る前にちゃんと起きました。さあ、あとは家族を起こして車に乗せるだけだと思っていたんです。
 そしたら、なんとカミさんは子どもと一緒に寝てしまったと。そう、ちゃんと準備をしてから寝たなら問題ないのですが、なんと子どもより先に寝てしまったと。つまり準備は全くできていなかったのです。ガーン!こちらは3時半出発で全ての計画を立ててありましたから、それはショックですよね。
 で、もうどうせ割引は無理だからゆっくり出かけようということになったんです。で、時間が遅くなりますと、もう圏央道から関越道というコースは使えませんね。大渋滞は必至です。
 それで、長野回りにしたんです。通行料は、これはもうあきらめるしかない…。
 ところが、結果として、通行料は夜間割引より安くなってしまいました!!神だ、カミさん。
 そう、早朝に北陸道で大事故(トラックの単独事故なんですが)があったんですよ。ニュースでやってました。で、結局新潟の手前がほぼ一日通行止めだったんですよ。
 だいいち、3時半に出発していたら、ちょうど事故が起きた時刻くらいにそのあたりを通過していたはずです。もしかすると、巻き込まれていたかもしれない。直接巻き込まれないにしても、高速道路上で身動きができない状態になっていたかもしれない。
 カミさん曰く、それを見越してあえて眠ってしまったのだ、と。なるほど…。
 というわけで、長野県内で高速を降りてしまいまして、それでオリンピック中継なんかを聴きながらのんびりと走ってきたわけです。結局、通行料は4000円代ですみました。今までで一番お金がかからなかった。しかし、その分、当然時間はかかったわけです。
 9時半に富士山を出発して、秋田の十文字に着いたのは11時半。14時間にわたる旅でした。14時間あったらヨーロッパまで行けるな(笑)。さすがに疲れました。
 しかし、ウチの子どもたちは根っからの引きこもりですなあ。14時間、あの軽自動車サイズの車内にいても全然平気なんだから。恐ろしい忍耐力というか、インドア力であります。
 最後に記録も兼ねて、具体的にコースを書いておきます。一般道も高速通行止めの影響でかなり混んでましたので、急がば回れでかなりジグザグしたコースになりました。
 富士山→R139→精進湖→R358→甲府南インター→中央道→上信越道→豊田飯山インター→R117→川口町→R17→長岡市→R8→三条市→R403→新津インター→磐越道→日本海東北道→中条インター→R7→鶴岡市→R345→R47→新庄市→R13→雄勝峠→十文字
 総走行距離は650キロくらいでしょうか。印象的だったのは、「川」です。ふだん川が一本もない村に住んでいますので、千曲川、信濃川、最上川沿いに走った時に見た風景は特に心に残っています。

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2008.08.03

歌謡曲バンド「みちのく」ライヴ

↓出演前のゆるい雰囲気
楽屋ではありません。ここで演奏しました(笑)。
080803 塚不二夫さんの訃報にうちひしがれながらも、私たちも皆さんに笑いを提供しなくてはなりません。赤塚さんの遺志を少しでも継いで行かねば。
 今回は告知していなかったのですが、ウチのバンドが夏フェス野外ライヴ初参加(?)を果たしました。場所は、初アリーナ公演(?)実現の地、道の駅富士吉田です。
 ま、実のところは、道の駅の夏のイベント「リフレふじよしだ夏祭り」の出し物として、富士山レーダードーム芝生広場で演奏したというわけですが。
 けっこう急な出演決定でしたし、なにしろ私も忙しくて練習のヒマがなかったものですから、ほとんどゲリラライヴみたいになりました。例によって本番2時間前くらいにウチに集まって、ささっと合わせて、まあ大丈夫そうだな、というパターンです。あとは本番の集中力でなんとかすると。練習でいきなり2曲増え、さらに本番で時間が余ったのでまた2曲増えるし(笑)。すごいライヴ(なまもの)だ。
 今回はベーシスト、ギタリスト、パーカッショニストなど、ほとんどのメンバーの都合がつかなかったものですから、特別編成、名称も「ふじやま」ではなく「みちのく」で行きました。
 なぜ、「みちのく」かと言いますと、ヴォーカルの二人が東北出身(秋田&青森)だからです。猛暑の中、「みちのく」というと少しは涼しくなるんじゃないかとも思いまして。
 あとは、私のヴァイオリン&三味線と、キーボード(ピアノ)のみという、アコースティック(アンプラグド)なバンドです。
 演奏した曲目は次のとおり。今回は「みちのく」にちなんで、あの伊藤秀志さんのZuZuナンバーを3曲カバーさせていただきました。あとは、東北を舞台にした曲を何曲か。横文字の2曲はなんとなく…です。まあ相変わらずメチャクチャなセットリストですな。

1 真赤な太陽(美空ひばり)
2 お祭りマンボ(美空ひばり)
3 夢の中へ(東北弁ヴァージョン〜井上陽水)
4 大きな古時計(東北弁ヴァージョン)
5 亜麻色の髪の乙女(東北弁ヴァージョン〜ヴィレッジシンガーズ)
6 津軽海峡・冬景色(石川さゆり)
7 リンゴの唄(並木路子)
8 For You(高橋真梨子)
9 帰ってこいよ(松村和子)
10 Sweet Memories(松田聖子)

 ものすごい炎天下だったので、お客さんは遠くの木陰で聞いているという感じでした。いやあ、夏フェスって大変ですね。あの暑さの中で「津軽海峡・冬景色」もどうかと思いますが(笑)。ま、面白きゃいいでしょ。お祭りですから。
 ビデオを持っていくのを忘れたので、今回は音はありません。個人的には、「夢の中へ」で三味線のリードソロをアドリブでやったのが楽しかったかな(苦笑)。
 この新ユニット「みちのく」もけっこう面白かったかも。こんな内容で良かったらどこででもやりますので、ぜひ声をかけてください。身軽なのでどこへでも飛んでいけますね。

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2008.07.13

告知! 『キャンプ場プロレス』

Ddt やあ、持つべきものは変な教え子だなあ。卒業して社会で活躍する教え子を尊敬することもしばしばではありますが、今回ほど「神」だと思ったことはありません。
 今回の「神」は二人です。二人というか双子です。以前、ウチの学校でも凱旋公演をしてもらった芸人兄弟です。
 来たる9月7日(日)、彼ら、なんとプロレスを主催するというのです。それもおそらく世界初、リングは2万坪の大地「キャンプ場プロレス」です。なんでも、先日会見まで行なったとのこと。
 いやはや、ちょっと常識では計り知れない兄弟ではありましたが、ここまでやるようになるとはね。在学中何回か彼らと一緒にプロレス観戦に行きましたが、今ではそのプロレスの興行主ってことですか。う〜む、正直くやしい。プロレス・ファンとして完全に負けてるぞ。
 ちなみにそのキャンプ場とは、彼らの実家であります(山梨県道志村)。私も生徒たちを連れてキャンプしに行きましたっけ。かなり乱れた記憶があります(笑)。
 あのバカっ広い敷地で、いったいどのようなプロレスが展開されるのでしょう。いわゆるリングは設置しないとのこと。つまり、本当にあのキャンプ場のあらゆる自然と施設がリングだということです。ありえねえ〜。
 そのような、画期的かつ、プロレスラーとしての力量を計られるような状況に立ち向かうのは、あのDDTの4人です。当日は限定1試合。
「高木三四郎・マッスル坂井組 VS 飯伏幸太・アントーニオ本多組」
 ウォ〜!黄金カード。ありえねえ〜。私の大好きな四人じゃあないですかあ。特にプロレス界の宝とも言われる飯伏幸太選手がキャンプ場でどのような戦いを見せてくれるか。これは楽しみです。
 そうそう、高木社長と飯伏選手は、本屋プロレス(!)でも戦ってたっけ(YouTubeで観る)。これはこれですごい。約2坪、超狭い(笑)。ほとんどの戦いは店外(路上)でしたけど、あのアスファルトの上でああいう技をやっちゃうんだからなあ…。キャンプ場ではきっととんでもないことやらかしてくれるでしょう。そこにマッスルとアントーニオも加わるんだからなあ…。きっと伝説的な試合になるでしょう。
 なお、試合観戦後、選手達とバーベキューを楽しむという、アンビリーバボーなコースもあります。もちろん私たち家族はそちらにも参戦予定です。リングアナウンサーは元Rまにあの「しゅく造め」さん。おそろしくゴージャスかつデンジャラスな一日になりそうですね。
 ぜひ皆様もご参加(ご参戦)くださいませ。世界初、自然と闘いつつ共存する(?)究極のプロレスの目撃者になりましょう。道志村の広大な自然を味わうだけでも、充分に感動的ですよ。
 なお、当初企画されたバスツアーは定員に達したため募集を締め切ったとのこと。また、限定60名のバーベキューコースは残りわずかだそうです。お急ぎあれ。
 以下、主催者の発表をコピペしておきます。いやあ…ホント神だわ。


         キャンプ場プロレス 
       
        〜リングは二万坪の大地〜 


□日時 : 2008年9月7日(日) 12:30試合開始
 (雨天決行/但し・台風などにより国道通行止めの場合は中止になります)
□会場: 山梨県南都留郡道志村5964 ネイチャーランドオム敷地内
※全席立ち見 自由席です。

□対戦カード:高木三四郎、マッスル坂井組VS飯伏幸太、アントーニオ本多組
□特別リングアナウンサー 浅井企画所属お笑い芸人 元Rまにあ しゅく造め
□料金:チケット代金(駐車代込み)=1000円(当日1500円)※当日券は限りがありますので先着順です。
バーベキューコース(チケット代・駐車代込み)=6000円(限定60名さま)   
※試合終了後には、選手を交えてのバーベキュー大会!
こちらは、限定60名さまとなっておりますので、お早めにお申し込みください。

□チケット販売先 : ローソンチケット Lコード37168  DDT事務局 03−5360−6653
□アクセス[車に限る]: 中央自動車道相模湖インターから約45分[国道20号で上野原方面へ日蓮入り口交差点で県道76号を左折して青根方面へ進み国道413号を山中湖方面へ]
JR橋本駅より約70分、山中湖インターから約25分。都留インターから約30分
※電車、バス等の交通機関がない為、会場には車でお越し下さい。  
※会場から近い場所の駐車場と遠い場所の駐車場がありますのでご了承下さい。駐車場は先着順です。混雑が予想されますのでお早めにお越し下さい。
□:キャンプ場のホームページです。 http://www.natureland-om.co.jp/
□:プロレス団体DDTのホームページです。http://www.ddtpro.com/

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2008.07.07

『武田百合子 天衣無縫の文章家』 (KAWADE夢ムック)

Yuriko のライバルは武田百合子です。なあんて書いたら、皆さん笑うか怒るかするでしょうね。じゃあライバルでなく恩師というのはどうでしょう。文章の師匠。いや、文章家(?)蘊恥庵庵主の生みの親。う〜ん、それでも皆さん笑うか怒るかでしょうね。なにをたわけたこと言ってるんだ、文章の質が違いすぎて話にならない、と。
 武田百合子さん、もちろん、あの武田泰淳の奥さんであると同時に、自身も優れた作家さんでありました。いや、作家さんとか詩人さんとかいう、そういうジャンルを超えたところにいらっしゃるので、だから皆「文章家」と呼ぶのでしょう。
 百合子さんの代表作はもちろん「富士日記」です。富士北麓、富士桜高原での日々をつづった日記。泰淳と、花ちゃんと、多くの文人と、また地元の人々と、ポコやたまと、そして富士山との13年間の記録。
 私が「富士日記」を初めて手にしたのは、富士桜高原に越してくる時のことでした。学校の図書室で何気なく開いたそのページには、まさに今自分がいる(学校がある)月江寺界隈のことが書かれていました。あまりにリアルで、しかし不思議と夢の中のようでもあり、正直胸のあたりから寒気のようなものがこみ上げて来て、思わず本を閉じてしまったことを思い出します。
 それからしばらく、私は百合子さんとは全く関係なく、私なりの富士桜高原での生活を続けていました。そして、再び「富士日記」をひもといたのが、今から4年前、このブログを始める時だったのです。ブログのタイトルを何にしようか、そんなことを漠然と考えていたら、「富士日記でしょう、やっぱり」と誰かに言われたような気がしたんです。その時は普通に「ああ、そうか」と思いまして、翌日図書室に行って久しぶりに引っ張り出してきたんです。そう、その時は本当に軽い気持ちだった。数年前のあの寒気もすっかり忘れていました。
 そして、あの時と同じように、やはり何気なくその数ヶ所を開いた私は、再びとんでもない恐怖に襲われました。うわぁ、これはダメだ。「富士日記」なんか書けやしない。書けるわけない。そんなたいそうな題名のもとで文章なんか書けない。ほんの数分で「富士日記」というタイトルは却下されてしまいました。
 そしてまた、ああ自分はとんでもない所に引っ越してしまったな、と思ったのです。このとんでもない文章群の生まれた、まさにその場所で、同じように富士を眺め、食事をし、猫とたわむれている自分。山を下っても、目に映る風景は、もう全て「富士日記」に描写されています。あの店、あの鳥居、あの駅、あの郵便局、あのガソリンスタンド…私は、果たして百合子さんのような目でそれら見ることができるだろうか。いや絶対にできていない。そういう恐怖にも似た緊張感が私を襲いました。
Fujinikki それとともに、私はある種の勇気を持つにも至りました。人間は往々にしてこんな時、妙な意志を抱くものです。よし、こうなったら、「富士日記」と全く逆のことをやってやろう、違う土俵で勝負だ(土俵が違ったら勝負になりませんが…笑)。そして、この「不二草紙」が始まったのです。
 まず文体を、私の得意な平成軽薄体(?)にしました。今書いているこの文体です。百合子さんの日記とは対照的な文体です。そして、内容も富士山での個人的な日々の記録ではなく、あえて富士山にこだわらず、この土地に縛られず、そして常に誰かに対して発信する「モノ・コト・ヒトをおススメする」という形にしました。
 つまり、百合子さんの「富士日記」のおかげで、このブログが生まれたのです。違う言い方をすれば、百合子さんの存在から逃げるために、無理矢理ひねり出しているのが、このブログの文章たちなのです。もし、百合子さんの「富士日記」がなかったら、私はほとんど誰にも相手にされない「富士日記」をつけ続けていたことでしょう。あるいは、得意の三日坊主で終わり、毎朝文章を書くなんてことはなかったかもしれません。
 いや、百合子さんの「富士日記」、本当にそれほど「美しい」文章なんです。百合子さんは「美しい」という言葉は安易に使いたくないなんておっしゃりますが、この文章たちを「美しい」と言わず、なんと言えばいいのでしょう。この日記を見てしまったら、もう誰も日記なんて書けません。
 あえて違う表現をするなら、私は「色っぽい」という言葉を使いたい。ここではっきり言ってしまいますが、武田百合子は本当にいい女です。惚れます。振り回されます。あの日記がいいという男性(特に文人)は、正直惚れています。そしてちょっと武田泰淳に嫉妬します。あるいは、泰淳亡きあとの未亡人百合子にドキドキします。そういう「女」性が、この日記にはあまりにストレートに書き留められているような気がするんです。だから、「美しい」と同時に「恐ろしい」。近づいたらやられます。
 こんな書き方をすると不謹慎だと言われそうですが、私が彼女の文章に寒気をおぼえたのは、やはりそういう意味においてだったのです。ものすごい「色」を感じたからです。だから、このムックで彼女について語る男どもは、なんだか堅い言い回しをしていますが、結局みんな百合子さんに惚れていたんだと感じます。「好きです」と言えない男たちのカワイイことと言ったら(笑)。吉行淳之介、村松友視、阿佐田哲也、山口瞳、粟津則雄、坪内祐三、堀切直人、種村季弘、堀江敏幸、安田謙一、巌谷國士、安原顕、川西政明、埴谷雄高…みんな、結局「色」にやられている。ああ、だから村松さんは「百合子さんは何色」を書いたのか。
 ここ富士桜高原に、武田山荘が出来たのが昭和38年暮れ、日記が書かれ始めたのが私が生まれた昭和39年でした。私の生まれた日の日記もちゃんとあります。せっかく近所にいるのですから、その聖地をいつか訪ねようと思っていましたが、残念ながら昨年取り壊しになったそうです。たしかに残念ですが、しかし、なぜか少し安心もしたのでした。

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2008.06.30

『朝鮮通信使』 山本起也監督作品

駿府発・二十一世紀の使行録
Uhfwq 品中、このように地図が南北さかさまになっていましたね。さりげなく回転してました。
 昨年は、徳川家康の駿府城入城400年、そして(江戸時代の)朝鮮通信使が始まって400年という年でした。この映像作品は、それを記念して製作されたものです。
 静岡市在住の私の父が、図書館から借りてきたものを観ました。父は先日、市民文化会館で観たとのこと。静岡市が中心になって製作されましたので、基本的に徳川家康の目指した平和外交の成果としての朝鮮通信使を表現したものになっている印象を受けました。もろちん、21世紀における日本と朝鮮半島との関係を模索する目的の作品ですから、そういう内容になってしかるべきであります。
 作品としては、なかなかきれいな作りであり、取材や構成もしっかりできていて楽しめました。さすが、ドキュメンタリー映画を得意とする山本監督です。静かな中にも強いメッセージを感じさせる好演出であったと思います。
 ナレーションと案内役をつとめる林隆三さんがいい味を出していますね。作品全体の印象に、彼の芸がいかに大きな影響を与えていることか。「語り」の力ですね。
 ご存知のように、朝鮮通信使には、日朝双方にいろいろな思惑があったり、あるいは双方の意識のすれ違いも多々あったりしましたね。この作品では、豊かな文化交流が強調されていましたが、その逆の面、すなわち文化摩擦があったのも事実です。
 静岡の街道筋の人たちも、けっこう大変だったのではないでしょうか。作中にもあったように、そのもてなしにはずいぶんと大きな負担を強いられたことでしょう。彼らが来ることは、一つのお祭りのようなものであったとは思いますし、一つの娯楽、見世物として楽しみにしていたのも事実ですが、家の改修や過度な饗応も大変だったろうし、さらに狼藉をはたらく朝鮮人などもいたようですからね。せっかくきれいにした家を汚されたりして、けっこう大変だったらしい。
 作品にも出てきましたが、僧侶や文人らはそれなりの文化交流をしていたようですね。それも漢文(漢詩)で交流したというのは面白いですね。今でもそうです。私も韓国の姉妹校を訪問したりすると、漢字で筆談したり、あるいは今なら英語ですかね、そういう第三の言語で、それもある意味双方にとって支配的である言語によって交流するんですよ。
 なんとなくそういうことを考えながらこの作品を観ていまして、まあ、通信が「まことをかよわす」という意味だとしても、結局はその場しのぎのもてなしや、あるいは偽造した国書や印や、あるいはそういった第三の言語だったり、つまりワタクシ的に言うと「コト」的(フィクショナル)なつながりであったのだなあと、そんなことも思いました。
 つまりこの世に「真コト」というのはなく、それを標榜すると、どうしても嘘つきになってしまったり、芝居がかったりしてしまうということです。もちろん、全ての異文化交流はそうして始まるわけですし、いや、いつまでたってもそこにとどまるわけですから、当たり前と言えば当たり前なんですけどね。
 もうすぐ、洞爺湖サミットが始まるじゃないですか。これもまた、朝鮮通信使と似たようなもので、それなりの出迎えをして、そしてそれなりの警備をして、それなりの作られた笑顔で会話して、でもそれなりの思惑が交錯していて、で結局それなりの声明を発表したりして、なんとなくお祭りが終わったというか、それなりのアクトをしましたよで終わるというか…。つまり、「マツリゴト」というのはいつの世もフィクションであると。
 それを後世どのように解釈するかというのもまた、非常に政治的、マツリゴト的なものであるわけですね。芸術作品におけるメッセージ性というのは、例外なくそういう性質のものなのでした。ですから、この作品がいろいろな教育現場などで上映されることには、プラス方向にもマイナス方向にも大きな意味があると思います。ま、教育こそ「マツリゴト」の末端であり根幹であるわけですが…。
 山本監督は私の高校の後輩です。私が3年生の時の1年生だと思います。次は監督の話題作「ツヒノスミカ」を観てみましょう。たぶん、監督としては「ツヒノスミカ」の方が自然体だと思いますので。

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2008.06.29

スティックポスターin羽後町

タクシー会社の窓に貼られたスティックポスター群(click!)
Sp01 10時間かけて富士山に帰ってきました。
 昨日は我々のコンサートも大きな楽しみでありましたが、実は私にはもう一つささやかな楽しみがありました。
 そうです。昨日、羽後町では「かがり火天国」というお祭が催され、そして、その中で「かがり美少女イラストコンテスト」や、イラストレーターの西又葵さんのスペシャル・セミナーなどが行われるのです。私はそっちの方のことはあんまり詳しくないのですが、オタク文化には興味を持っていますので、はたしてこの秋田の小さな町にどのくらいのオタクの皆さんが集まるのか、そしてイベントがどのような雰囲気になるのか、非常に楽しみでした。
Sp02 ただ、お祭と我々のコンサートの時間が完璧に一致しているので、残念ながら直接お祭に参加することはできません。まあ、しょうがないな。でも、正直、演奏中もそっちのことがちょっと気になっていたりしました(笑)。
 あと、このお祭に合わせて作られた超豪華なスティックポスターをゲットすること。これは実現しました。地元の書店ミケーネさんに行って、とりあえず5箱(10枚)ゲット。店内外にはいかにもそういう方々が、両手にポスターの箱の入った袋を提げています。なんとなく感動の風景。
Sp03 私は一種類だけダブっていたので、16枚中9枚手に入れたということです。ちなみにこれらはマニアな生徒たちに売りつけます(笑)…と思っていたんですが、実際買って、実際観てみますと、さすが日本を代表するイラストレーターの方々の作品、正直素晴らしい!めんこい!そうか、「めんこい」は「萌え=をかし」なのかもしれない…。いやあ、予想以上に素晴らしい。これはもう芸術の域に入ってますね。私がゲットしたものはのちほど紹介します。
 オウザンのメイド・カフェ(?)の方にも、これらポスターをゲットしたオタクの方々が多数来店されていました。しかし、昨日書いたように、私たちのコンサート&ディナーが開催されることになったので、夕方からは貸し切り状態。お祭が始まる前の夕方にこちらのカフェで優雅にお茶を、と思っていたであろうオタク諸君の夢を砕いてしまってごめんなさい!
 なにしろ、憧れのカフェに来店したとたん、メイドさんに追い返されちゃうんだもんな。これこそまさに「おかえなさいませ(命令形)」ですぞ(笑)。私は店内でいろいろと準備していたんですが、なんか哀愁の背中を見せて帰っていく皆さんが可哀想で可哀想で(?)、ある一群に声をかけてみました。
「ポスター全部集まりました?」
「ええ!コンプリートしましたよ!」
「すごい!」
「1万円かかりました」
「お〜、20箱買ったんだ…」
「40枚ですね。で、16種類コンプリート。まあ、仲間と交換したりして…」
「お〜、すごいですねえ。ところでどこからどうやって来たんですか?」
「東京です!飛行機で来ました!」
 お〜、その熱さを待っていた!さすがですね。こういう行動力というか熱意というか団結力というか、オタクの真骨頂です。私もいちおうオタク研究家のはしくれとして、彼らのその心意気には共感するとともに感動すらしましたよ。
 その後、祭が始まる前の会場付近を探索しました。熱心にイラストコンテストのエントリー作品を吟味する方々や、メイド服とチャイナ服の秋田美人が給仕するビア・ガーデンの開店を待つ人々の、あの静かだが、非常に濃厚な空気は、やはり独特のものがありました。いやあ、熱いなあ。しかし、あの「メイドと語らNIGHT!」というのはなんとも…(笑)。自分のコンサートをそっちのけで、こっちで飲みたいなあ!なんて不謹慎なことを考えてしまった私って…ま、冗談です(笑)。
 ということで、私がゲットしたスティックポスターを紹介します。持っているのは、ウチのクラスの萌え系(?)まきたんです。clickして観てみてください。

BonnodoriIshiumaKenponasiAguriko_2KurosawakeMiwaSatohTaisennsohPop

 どれも美しい作品でありますが、私の趣味といたしましては、やはりウチのバンドにも間接的に縁のあるPOPさんの絵かなあ。純粋にめんこいと思います。カミさんもPOPさんデザインの茅葺き屋根キャラ(?)かやたんに萌えておりました。ちなみにPOPさん製作の羽後町の地図(うごいすマップ)はゲットできませんでした。地元の機動力を活かしてなんとか手に入れたいと思います。
Nobuhirousi_2 ワタクシ的に笑えたのはですね、やはりゲットした中では、佐藤信淵でしょうか。今日、羽後町の歴史民俗資料館に行って(土方巽の鎌鼬の写真展示があったので)、佐藤信淵の肖像画を見てきたんですが、あまりに違うんで大笑いしちゃいました。ポスターでは超イケメンですが、資料館にあったのは…。ちなみに左の画像は秋田市にある彌高神社に残る肖像であり、資料館のものよりも多少イケメン風であります…。
 あとは、そうですねえ。今回はゲットできませんでしたが、「としとらんど」でしょうかね。としとらんどの実態についてはこちらに私のレポートがあります。あのポスターを観て、としとらんどに行ってしまった人たち、ご愁傷様でした(笑)。
Ohzan67 そして、旧対川荘、すなわち昨日コンサートをしたオウザンのメイドさんの絵でしょうか。実際、とっても可愛らしいお嬢さんお二人が、イマンの高級なメイド服に身を包み、それはそれは魅力的でいらっしゃったわけですが、さすがにこういう画風になりますと、ちょっと違った風情になりますね。右の写真は、昨日職権を濫用して(?)撮影させていただいたものです。まあ役得ですな。ごめんなさい、オタクの皆さん!
 でも、冗談抜きで、本物のメイドさんは素晴らしい。正しい文化は正しく継承しなくてはなりませんね。
 それにしても、メイドさんお二人、昨日はお疲れさまでした。お二人だけで、あれだけのお客様をもてなすのは、さぞ大変だったでしょう。昼間はあちら系、夜はディナーとコンサート、そしてその後も我々におつきあいいただき、どっとお疲れになったことでしょう。ありがとうございました。
 それにしても、あらためてこのスティックポスターやイラストコンテストを企画運営し、そして実現に持っていったスタッフの努力には頭が下がりますね。特にオタクの皆さんも「神」と称していた、山内氏は本当にすごい方ですね。今回はお会いする機会がありませんでしたが、いつかお会いして、羽後町の振興についていろいろとお話しさせていただきたいと思います。私もこの町が大好きですので。

お祭りのレポはこちらが秀逸!

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2008.06.28

コンサート in 『Ohzan de imane 村 cafe』(秋田県羽後町)

080628 当に楽しいコンサートでした。聴いてくださった皆様、櫻山の皆様、オウザン村Cafe&Restrantのスタッフの皆様、ありがとうございました。
 最近、いろいろと不思議なご縁というのがありまして、それがいろいろと楽しいイベントを引き起こしてくれます。今回も、このカフェ&レストランが開店したというのを、全く違うことを検索中にたまたまネットで知りまして、春休み、カミさんの実家に滞在中に訪問してみたのがことの始まりでした。
 その時のことはこちらの記事に書いた通りです。その時に「ここでコンサートができたらいいな」と漠然と思ったのですが、その記事にチェンバリストの(そして我が歌謡曲バンドふじやまの生みの親でもある)森洋子さんがコメントくれたんですね。「チェンバロ運びますよ〜!」と。こうなると「やろう、やろう!」という雰囲気になるのがウチのバンドのすごいところです。早速、いつもの突撃力で櫻山のオーナーさんに電話でプロポーズ!そうしたら、櫻山さんの方でも、カフェ&レストランの開店1周年を記念して、何かやろうと考えていらしたとのことで、即承諾してくださいました。すごい展開…。
 ウチもちょうど28日に法事があって秋田に行きますし、リコーダーとパーカッションの飯塚直子さんも、コンサートのために函館の森さんのところに行っているということで、じゃあ、我々は富士山から北上、森さんと飯塚さんは北海道からフェリーで南下して、秋田に集合しようということになりました。
 昨日、秋田の十文字町にて4人は無事集合いたしまして(なんだか妙に感動しました…いつも東京や富士山で会ってるのに…)、カミさんの実家でまずは再会(?)を祝して酒宴が開かれました。そこで、ビックリしたのは、我々の今回のコンサートが、地元秋田の地方紙「秋田魁新報」に記事として取り上げられていたことです。秋田では、このような形のコンサートはちょっと珍しいのでしょう。特に、古楽器でのバロック音楽の演奏というのはほとんどないのではないでしょうか。その記事のおかげもありまして、本番には32名のお客様がいらしてくださいました。キャパシティーの関係で何人もお断りしてしまったということで、予想以上の反響にオウザンさんも驚いていたようです。
 そして、今日、本番です。
 そうそう、今日は羽後町で「かがり火天国」という例のお祭りがあって、全国からオタクの皆さんが集まって来ていまして、こちらのカフェも何しろ聖地ですから、夕方我々が準備しているところにもたくさん彼らが来店しました。残念ながら我々のせいで、予約のお客様しか入店できない状況になっておりまして、可哀想なことをしてしまいました。その点に関しては明日の記事に書きますね。
Ohzan0806 さて、ご予約いただいたお客様にはオウザンの素晴らしいディナーを食べていただきまして、皆さん幸せな気持ちになったところで、いよいよコンサート(ライヴと言った方がいいかな)の始まりです。こじんまりした店内なだけに、逆にお客様との距離が近く、また、やはりおいしいお食事やお酒の効果でしょうかね、皆様すっかり貴族の気分になっていらして、おかげさまでこちら演奏者の方も実に楽しく演奏することができました。
 最近繰り返し書いていますけれど、本当にこういうインタラクティヴなライヴというのはいいものです。堅苦しいコンサートではなく、お互いの表情を見合いながら、そして会話もしながら交流する。音楽だけでなく、本当に心がつながっている感じがして気持ちがいいものです。お互いに幸せな気持ちになれるんですね。うん、空間の雰囲気と食事やお酒の効果というのは実に大切ですね。
 演奏曲目と演奏者を紹介しておきましょう。

1 バッハ G線上のアリア
2 フィドール リコーダー・ソナタ
3 テレマン 無伴奏リコーダー・ソナタ
4 ヘンデル 調子の良い鍛冶屋
5 シューベルト アヴェ・マリア
6 テレマン リコーダー・ソナタ
7 コレルリ トリオ・ソナタ
8 セファルディー民謡 さようなら恋しい人
9 コーヒールンバ

リコーダー・パーカッション 飯塚直子
チェンバロ 森洋子
バロック・ヴァイオリン 山口隆之
歌 山口陽子

 お客様にも、またオウザンの皆様にもご満足いただけたようです。珍しい楽器ということもあったと思いますが、皆さん大変熱心に、興味深く聴いてくださいました。ありがたいことです。私たち演奏者も大変幸せな時間を味わわせていただきました。
Dinner 演奏終了後、オウザンさんのお食事をいただきましたが、これがまたおいしいことおいしいこと。素材の豊かな味を活かすお料理で、野菜もお肉も絶品でありました。一仕事終えた後ですし、もう本当に幸せ幸せ(笑)。ごちそうさまでした。
 ああそうだ、もう一つ驚いたのは、テレビの取材が入っていたことです。地元秋田朝日放送の皆さんがこうしたオウザンの試みを地元の番組で紹介するとのこと。私たちも一人一人インタヴューを受けちゃいました。7月に放映予定とのことです。
Jwsd 最後、メイドさんと記念写真。カシャッ(私のは明日の記事で…笑)。
 とにかく楽しい楽しい、幸せな時間を過ごさせていただきました。あらためて、お客様、櫻山の皆さんに御礼申し上げます。また、いつか演奏できることを楽しみにしています。
ps メンバーの皆さん、お疲れさまでした!また、いろいろ企画しますんで、よろしく!

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2008.06.25

地納豆「栄養納豆」&「富士納豆」

Nattou200 近の納豆はずいぶんとスマートになりまして、スーパーで売っているものは、ほとんどが小粒で臭くなく、そして柔らかい。昔ながらの「便所の臭いのする」納豆がほとんどなくなってしまいました。第一、「便所の臭いのする」便所がなくなっちゃったか(笑)。
 さて、そんな中で、納豆通をうならせる納豆が我が地元にあります。そう、あのフジファブリックを生んだ昭和レトロの街、下吉田にある丸屋納豆・豆腐製造所さんの「五湖名産 栄養納豆」です。
 さすが、昭和の遺跡とも言われる街で作られているだけのことはあって、昔ながらの見事な味わいと歯ごたえを提供してくれていますよ。
 まずはパッケージが素晴らしい。デザインが秀逸。鮮やかな赤の単色刷りで描かれた芸術的(?)な富士山と桜と鳥居は、もうそれだけで日本人の郷愁を誘います。
 第一、「栄養納豆」というネーミングがいいじゃないですか。ある意味非常にストレートですが、案外不思議な語感もある。やはり納豆を食べる目的は栄養補給でしょう。そういう原点すら、ノスタルジーの対象になってしまったのでしょうか。
 そして、今や少なくなってしまった大きめな長方形のパッケージのフタを開けると、まず感動するのは、「タレ」が入っていないこと。小さな「カラシ」は入っていますが、タレはなし。これもいいですねえ。やっぱり醤油か塩ですよ、納豆は。最近の付属のタレはなんだか甘くてどうしようもない。合成調味料の味しかしない。家に醤油くらいあるでしょう。たしかにカラシはない可能性がありますから、こうやって付いてくると助かりますよね。
 さて、納豆本体ですが、これがまた懐かしい。豆がでかい。それこそ最近の量販品は、大豆とは言えないような、小豆のような大豆ばかり。それにくらべてこれはまさに単なる大豆という感じがして、なぜか安心します。そして、プ〜ンと匂ってくる、いや臭ってくるこの「便所臭」…いや「納豆臭」。ウ〜ン、もうすでに唾液の分泌が活発になっているぞ。
 さて、醤油をかけまして、少量のカラシも入れつつ、グルグルゴシゴシとかき混ぜます。本来の納豆はこのかき混ぜ具合で味の調整ができるものです。今日はあんまりたくさんかき混ぜずに、大豆のストレートな味を楽しんでみましょうか。
 そして、この歯ごたえ。固い、硬い、堅い。いいですねえ。この存在感。あの軟弱な連中には納豆の名を名乗らせたくない。舌の上に広がるこの苦味、渋味。これですよ、納豆の醍醐味は。白いご飯にもピッタリ合いますし、卵と混ぜた時も、あのトロトロの中のゴロゴロとした感じが実にいいんですよね。
 まあ、昔の納豆はみんなこんな感じでして、あるいはこの丸屋納豆が特別おいしいわけではないのかもしれませんけど、一種の郷愁とも言うべきものが味覚に影響しているのは事実のようです。あの街並みを思い出しつつ、そしてフジファブリックを聴きながら、この納豆を食す幸せは何物にも代えがたい(フジファブリックはいちおう今の音楽のはずですが…笑)。
 この丸屋の栄養納豆、ネットでも買えるので、ぜひ一度ご賞味ください。
Fujinatto ついでと言ってはなんですが、もう一つ。こちらはちょっと違った味わいですが、大月の富士納豆販売所さんの「富士納豆」も紹介しておきましょう。こちらは丸屋に比べますと、豆も柔らかく臭みも少ないのですが、飽きのこない優しい味です。私はけっこう好きですね。
 こちらのパッケージ・デザインもいいですねえ。モチーフは丸屋さんとほぼ同じですが、3色刷りで少しゴージャスな感じがします。非常にバランスの良いデザインではないでしょうか。
 富士納豆販売所さんは、国の重要文化財「星野家住宅」を所有する星野さんが社長さんを務めています。星野家住宅は、甲州街道の花咲宿の本陣だった建物で、明治天皇も休憩されたこともある由緒ある建物です。
 ちなみに星野さんのおじいさん置塩奇(おしほくすし)さんは、あの有名な北大の寮歌『瓔珞みがく』の作曲者なんだそうな。そのようなこともあるのか、星野家住宅ではよくコンサートが催されています。私もいつかあそこで演奏してみたいなあ。
 そういえば、最近納豆作ってないなあ。こちらの記事によりますとちょうど3年前ですね。あれ以来納豆作ってない。3年前と同様、もうすぐ納豆発祥の地秋田に行きますので、今度こそいい丸大豆を手に入れてこようかな。

富士五湖名産の丸屋【栄養納豆】富士山湧き水仕込みのチョッと"大粒"な納豆です。

星野家住宅・富士納豆公式

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2008.06.17

隣人祭?…気脈との断絶

Photo25992 宅後、NHK歌謡コンサートが始まる前に、クローズアップ現代をチラ見。なかなか興味深い内容でしたが、しかし、ただ単にこれは素晴らしい!とは言いきれない「現代」のありさまでありました。
 「隣人祭」とは、つまり、ご近所に声をかけ、食べ物や飲み物持参で集まったりしてコミュニケーションの場を作りましょうということです。近所の老人が孤独死したことをきっかけにフランスの青年が始めたものが、今や全世界に広がり、各地でそういった「祭」が催されるようになったとのこと。普段人間関係が希薄な、都会のマンションの住民が近所の公園に集まってパーティーを開いたという日本の例なども紹介されていました。まあ、結構なことだと思います。
 私は別荘地に定住しています。ある意味特殊なロケーション&シチュエーションでして、引っ越してきた頃は、いったいどういう共同体が成立するのだろうと不安に思っていたんですが、丸10年住んでみまして、それが全くの杞憂だったということに気づきました。非常