『東京、音楽、ロックンロール』 志村正彦 (ロッキングオン)
お誕生日おめでとう!29歳ですね、志村くん。
今日は大阪でライヴかな。みんなに祝ってもらえたのでしょうね。
そうそう、昨日紹介した「罔象女」の碑のすぐ近くに、志村くんのご実家があるんですよ。志村くん、「罔象女」の存在知ってるかなあ。
29かぁ…私は何してたかなあ。ああ、あのクラスの担任してたころだな。そうそう、明日そいつらに会うんだよな。新宿でイベントを開催するんですよ。あいつらはもう29をとうに越えて三十路か…。その当時の自分よりも教え子が年上であるという、この不思議な感覚。教え子たちにとっては、もっと不思議らしい。あの時のセンセイは、今の自分より年下だっていう…。
ま、自分のことはいいや。また後で。
この本は、フジファブリックの志村くんが、公式ホームページで連載していたネット上の日記を書籍化したものです。5年間に及ぶ彼らの足跡を振り返るという意味でも、また、志村くんのキャラクターを知る意味でも、なかなか面白い内容になっています。妙にリアルなんだよな、まるで自分がミュージシャンになったような気さえする。彼のさりげない日常が、我らにとっては非日常なので。
そんな中、なんだかとっても共感する部分がありました。今の自分というより、やっぱり二十台後半の自分だな。あの頃の自分と重なる部分が多かった。
私もまだ結婚していなかったし、仕事上まだまだな部分と、多少慣れてきた部分とがあって、それから、もうすぐ30なんだから大人にならなくちゃっていう部分と、いまだ学生気分が抜けないようなところがあったりしてね。青春、すなわち「TEENAGER」を引きずっているっていうのかなあ、案外不安定で妄想も盛んなお年頃でしたね、今思えば。
地元民としては、やっぱり志村くんの富士吉田LOVEぶりが嬉しいですね。やっぱり何かのタイミングで吉田うどんを食べに来ちゃうところが、なんともカワイイし、ウレシイ所です。私は人生の途中から吉田のお世話になっている外様ですから、ちょっとジェラシーも感じちゃうんですよ。ああいう濃い土壌で生まれ育ちたかったってね。東京のコンクリートの団地で育っちゃったから。
そういう流れの一つの終着点(執着点)として、あの市民会館ライヴがあったと思うと、また感慨もひとしおですね。
で、そんな彼の日記自体も面白かったのですが、そこに挿入される「今」のインタビューがまた冷静に自分を観察していて興味深かった。ワタクシ的に思わず苦笑&感動してしまったのは、次の部分です。引用させていただきます。ここに文学と音楽のほぼ全てがあると思いますので。
2004年は忙しかったんで、あんり実家帰ってなかったと思うんです。山梨大好きだったんで、アマチュアの頃はよく帰ってたんですけど、メジャーデビューしてから、実家に甘えてたら終わりだなって思って帰んないようにしてたんで、久しぶりに正月に帰ったんじゃないですか。メジャーデビューして地元に帰ったら、モテたりもすんのかなと思ったんですけど、相変わらずモテず、昔からの志村正彦に戻り、全然駄目でした。友達からも、家族からも、特にちやほやされなかったですね。ほんとに誰からもちやほやされることもなく、今に至るんですけど(笑)。
僕ほんとに、そこらへんの学生さより地味な生活をしていて、多分彼女とかもいなかったんじゃないですか。インディーズの頃いたんですよ。いまさら話すことじゃないんですけど、その子と花火大会とか行った記憶はあるんですけど、今ではその子ももう結婚しちゃって、ときの流れを感じます。この前、「子供はできてないんだけど、ぼちぼちやってます」みたいなメールが来て、僕が「ああそうですか。じゃあまあ、今度機会があったらご飯でも行きましょうか」って、後ろめたくメール送ったら返事が返ってこなくて。「なんだよー」みたいな。そのへんが女の子の謎なところで。「思い出話に花を咲かせてみましょうよ。今の人と仲良くしてねー」みたいな感じで送ったのに。女の子って怖い生き物だなって思いました。
ううむ、これって女の子の怖さというより、男の子のお馬鹿さっていう感じじゃないですか(苦笑)。いや、その両方が相まって文学と音楽が生まれるのでしょう。この前椎名林檎のところで書いたことと一緒だと思いますよ。
そして、そういうのをこうして正直に、ある意味恥ずかしげもなく万人に公開しちゃうところが、一般人と芸術家との違いだと思いますね。
うん、実は私も20代の頃、日記を書いていたんです。それは人に見せるものではなかったので、たとえばこのブログのような内容ではありません。今自分で読むのも恥ずかしいというか恐ろしいくらいドロドロの日記ですよ。地下室のどっかに埋もれてると思います。ありゃ、焼いた方がいいな。
でも、こうして志村くんの日記を読んだり、彼の音楽を聴いたりしますとね、そういう自己のドロドロした部分とか、恥ずかしい部分とか、恐ろしい部分を、ある意味堂々と開陳しちゃう勇気というか、いや、それをしなくちゃいられない衝動みたいなものが、彼の中にあるのが分かるんです。そこが我々と違うなと。彼がこの本の中で言ってる「音楽欲」っていうヤツでしょうかね。
私は30過ぎて、結婚して、そういう「音楽欲」が減退するかと思いきや、案外ムクムクと肥大化してきたような気もします。もちろん才能がないので、それはくすぶったままですけど。志村くんが、これからまたどういう風に成長していくか、とっても楽しみです。これだけは言えます。20代より40代の方がずっと人生面白いですよ!マジで。自分の未来に期待していいですよ。
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というわけで、答えは「みづはのめのみこと」です。正解者はかなりマニアックな方ですよ。
ちなみにこの辺りは、大昔湖だったと言われています。小舟山(御舟山)という小山を囲むように、小舟湖(御舟湖)という三日月湖があったという記録があります。それが今から1200年くらい前、貞観6年(864年)の富士山の噴火の際、流れてきた溶岩流で埋没してしまったんですね。その溶岩流が剣丸尾です。
この季節、年中早起きのワタクシは、いつに増してまた早起きになります。もちろん日が最も長い、すなわち日の出の時刻が早いというのも一つの理由です。3時半には薄明が始まり、ああ朝だなという感じになりますから。
13世紀の名語記という書物に、「鳥のてらつつき如何。答、寺つつき也。ゆへは、聖徳太子の逆臣守屋を誅罸し給て、守屋が館を没官して、四天王寺を建立し、仏法をひろめ給へりしを、守屋が亡魂そねみて、鳥となりて来て、かの寺をたたき損せむとせし時より、寺つつきとなづけたりと申す」とあり、また同時期の源平盛衰記にも、「昔、聖徳太子の御時、守屋は仏法をそむき、太子はこれを興し給、互に軍を起しゝかども、守屋終にうたれにけり。太子仏法最初の天王子を建立し給たりけるに、守屋が怨霊、かの伽藍を滅さん為に数千万羽の啄木鳥と成て、堂舎を創ほろぼさんとしけるに、太子は鷹と變じて、かれを降伏し給けり。されば、今も怨霊はおそろしき事也」とあります。
ぎりぎりセーフ。山梨県立文学館で開かれていた「太宰治展 生誕100年」、最終日に行ってきました。
富士山に住んでいる(住所も鳴沢村字富士山)「富士山蘊恥庵庵主」として、ナンバーを「富士山」に替えるというのは、もうほとんど義務のようなものでしょう。その義務をようやく果たしました、半分だけ。
横浜は今年開港150周年だそうで、いろいろとイベントをやっております。その一つであるコンサートに出演させていただきました。
今日は、静岡から両親が、川崎から姉が、そして富士山からウチの家族が聴きに来てくれまして、珍しく一族が集合しました。せっかくなので、終演後メンバーとの打ち上げには欠席させていただきまして、一族で中華街に行きました。いちおう父の日ということもありますかね、孫からおじいちゃんに目録など渡したりして、でも、結局夕食代はおじいさん持ちという、なんだかよく分からんことになりましたが、久々にみんなで楽しい時間を過ごしました。
桜桃忌。いや、太宰生誕100年の日。生きていたら100歳か。
明日、太宰の命日ですね。来週の今日は桜桃忌。生誕祭。今年は太宰治生誕100年です。明日はちょっと東京に行く用事もありますので、玉川上水にでも飛び込んで、いや、お参りしてこようかな、などとも考えております。
ところで、今日、甲府の方に出張だったので、ついでと言ってはなんですが、帰りに御坂峠の天下茶屋に寄ってきました。ええと、どっかに書きましたけど、私、あそこに関しては、ある事情(太宰のいたずらその1)により、出入り禁止となっています。ですから、そうですねえ、7年ぶりくらいになるんでしょうか。いや、8年ぶりくらいかな。
猫です。猫がくつろいでいます。寝ころんで富士を眺めていた猫が、寝ころんだままこちらを振り返って「ニャー」。私は救われた気がしました。













富士山はやはり女だ。それを再確認させられた本でした。
今日は学校が創立記念日ということで休日。仕事と趣味をかねて昨日から東京に来ております。
もう少し近づいてみますと、こんな感じになっています。このコンクリートの塗り壁も、どこか取ってつけた感があり、つまりは誰かのなんらかの意図というものが感じられます。そして、やはりゲート様の「もの」の微妙な存在感というか、非存在感というか、非日常的な感じがたまりませんね。なんでこういう角度なんでしょう。フツウは道に直角、すなわち壁の延長線上に位置させるべきでしょう。それが、この角度ですからね。謎です。
ゲートを恭しくくぐり抜け、反対側の世界に出まして振り返ってみますと、このようになっています。なんと、壁のあちら側(こちら側)には自動販売機が設置されていたのでした。これは予想外でした。まさかこの門をくぐると、そこにペプシが派手ばでしく待ち構えているとは。あの塗り壁の無機質な世界の裏側に、これほどきらびやかな世界があるとは。まさに陰陽表裏一体。そして、無造作に配置されている赤いコーンが、ゲートの足下との絶妙なバランスを取っています。お見事。
今日、小・中といじめに遭い、学校に行けなかった女子の話を聞いて、みんなで盛り上がりました。なんだよ、それって単なる自慢話、モテ話じゃないか!って、みんなでツッコミを入れつつ、大笑い。
こちら富士北麓では、勝ち負けのないスポーツの祭典「第11回IVVオリンピアード」が始まりました。1968年から始まったこの一大イベント、今回初めてヨーロッパを離れ、日本で、ここ富士山麓で開催されます。折りからの世界恐慌や新型インフルエンザの影響もあり、参加人数の減少が心配されましたが、結局日本を含む27の国・地域から計9000人が参加するそうです。今日は河口湖ステラシアターで開会式が行われ、ウチの学校のジャズバンド部が華やかな演奏を披露しました。生徒諸君お疲れさま!
会場付近に林立する歓迎ののぼり。よく見ますと、いやよく見なくても不自然です。そう、そうなんです。またやっちゃったんです。「WELLCOME」。ここまでこだわるのはどうして?と思わせるほどの徹底ぶりですなあ。
で、富士河口湖町としては、2年前もっとすごいことをやらかしてましたね。
今日は奉仕活動で地域の清掃をいたしました。え〜とですね、今日は高校総体の開会式の日でして、スポーツマンはそれぞれの試合会場へ、そして選ばれし者たちは
そこで今日はふと思いついて、下吉田駅に行ってみたわけです。そしたら、なんとまあ、30年前の風情がそのまま残ってるじゃありませんか。上のYouTubeの映像の中で、いしだあゆみが座っていた木のベンチ、まだ普通に使われてました。バックの壁面との位置関係も一緒ですから、まあ間違いないでしょう。
さすが富士急。富士急は車両自体、一番若くて30歳くらいですからね。私と同じくらいの年齢になる車両もしっかり現役で走ってます。だから、ベンチくらいで驚いてはいられないのかもしれません。鉄道マニアの方々にはたまらないでしょうね。まさに「もったいない」を地で行く…いや、ある意味開き直って古いものを使い続ける空間がここにあります。でも、更新不可能なモノたちのが醸す「たたずまい」は、意外にいいものですよ。
そして、昭和11年(1936年)、ここを舞台にあの事件が始まります。二・二六事件です。




























秋田のおみやげとして、いつも職場に配っているのが、これ。お菓子よりも評判がいいんです。生徒たちにも大人気で、たくさん買って行ってもすぐになくなってしまいます。先生たちは「ビールか焼酎がほしくなるなあ…」と、あまりのおいしさに仕事中、ある意味苦しんでいますが(笑)。
ところで、秋田では漬け物全般のことを「がっこ」と言うのですが、どういう語源があるのかと思って、ちょっと考えてみました。
今日は、レミオロメン仲間による恒例のお花見の日でした。御坂あたりは、5分咲きから8分咲きといった感じでしたが、お天気にも恵まれ、みんな大満足。皆さん持ち寄りのお弁当をぜいたくな肴にして、私は地元夏目原の「腕相撲酒造」…すごい名前だな…のにごり酒「黒駒の勝蔵」をぐいぐい頂きました。黒駒の勝蔵とは、有名な甲州の侠客の名前ですね。甲州は独特の侠客文化があったんですよ。
さて、それでですね、我々は最後にこれもまた恒例となっている「埋草神社」への参拝をしました。埋草神社とレミオロメンの関係については、
で、今日ウチに帰ってきてあらためて確認したら、その2年前、神社で撮ったこの写真に、スギッチを持っている娘の姿が映ってるじゃないですか。そうか、やっぱりこの時スギッチはこの神社にいたんだ!拡大してみるとこんな感じです。
おお、スギッチよ。ごめん!娘はこの後、この神社の境内を駆け回っているうちに、お前を落としてしまったのだ。それから2年間、お前は参道の脇の草むらの中に突っ伏したまま、雨にさらされ、風に吹かれ、雪に埋もれ、雑草や虫たちにまみれ、こうしてじっと待っていたんだな…。うぅ…涙。
先日、生スギッチ初めて見ました。
「
話がいろいろ飛んで申し訳ありません。最後に「釣りキチ三平」に関わる義父のエピソードを二つほど。
3歳にして仏像マニアである甥っ子を連れて、由利本荘市に行ってきました。
さて、「赤田の大仏」をあとにした私たちは10分ほど車を走らせ、次の目的地「折渡延命地蔵・千体地蔵尊」のある所へ向かいました。峠を上り切って少し下ったところにそれは立ち並んでいました。
そうそう、旅人の安全(?)ということでは、なんだか、道端に超でっかい石が転がってるんですよ。よく見ると説明書きがありまして、「平成の霊石」と名付けられています。なんでも、平成5年に山の頂上からこの巨石(33トン!)が落下してきたとか。危険きわまりないではありませんか。まあ、けが人がいなかったということは、お地蔵さんの御利益があったとも言えますけど。位置的にどう見ても、お地蔵さんには被害が及んだと思われます。いや、お地蔵さんが身代わりになってくれたのか。それにしても危ないなあ。山全体が現在でも危険な状態らしく、頂上付近はしっかりコンクリートで固められています。
さて、ちょっと興ざめした私たちに感動を与えてくれたのは、峠の帰り道で出会ったカモシカの澄んだ瞳でした。道端でこちらをずっと見ていました。それこそ神々しいお姿でした。
秋田二日目。まずは昨年の今日も訪問した「
さて、しばし足をすくませた我々は、近くの「多郎兵衛旅館」に向かいました。今日はここで義父の還暦祝いを催しました。
さあ、お風呂も良かったけれど、なんと言ってもお食事のおいしさについて語らねば…だけど、細かい食材なんかは忘れてしまった。なにしろ秋田独特の食材ばっかりだから、名前からして初めて聞くものばかり。カミさんに聞けば分かるだろうけど、全部書き出すのはちょっと面倒なので、省略します。すみません。下の旅館のホームページで少し分かるかな。まあ、とにかく春の味覚満載で、最高においしかったということです。写真左上の空のお皿には、のちにイワナの蒸し焼きがやってきました。はらわたを抜いて、代わりにバッケ(ふきのとう)とクルミの味噌が詰まっていて絶品でした。
と言うのは冗談で、イ・ビョンホンが秋田を去るのと入れ替えに、ワタクシがやってきましたよ(笑)。
で、朝早く到着したわりに、結局私はず〜〜っと昼寝をしていました。今日の私は、ただ寝て、おいしい芋の子汁をいただいて、おいしい酒を飲んで、フィギュアとK-1を観ただけでした(笑)。この緩い感じが秋田の魅力ですねえ。
いよいよ高速道路1000円が始まりますね。ウチも今日の深夜に出発しまして秋田に向かいます。
遅ればせながら観ました。学校で生徒たちと一緒に鑑賞。たしかにいい映画でした。
日本のロック再び!ザ・イエロー・モンキー時代の超名盤「
久しぶりにレミオロメンのライヴに行ってきました。私は
この楽譜は、西田バージョンでの、メロディー(ギターによるイントロ)に入ってからのリズムです。もうお気付きの方もいるかもしれませんが、その前のベースが「ミレドシ」とやっている所(ちなみにこのミレドシの音程がめっちゃ悪い!)と、ウーゴ・ブランコのオリジナル全体は、1小節目と2小節目のリズムが逆になってますね。2+3になっています。なんか不思議ですね。
3月9日です。特別な日に特別なアルバムが発売されました。
またまた続きです。意図せずそうなっていきますね。というか、視点がそういうふうになっているんで、何に接しても同じように見えるのでしょう。
そういう意味で興味深いのは、この土方の文章(心象風景のスケッチ)を読んで(見て、聞いて、感じて)、より彼の中に存する「モノ」に近づくことができるのは、ウチのカミさんなんですよね。そう、
今日はクラスのギャル4人を連れて、朝霞駐屯地へ。朝5時過ぎの出発です。防衛大学校の二次試験を受けに行きました。ちょっと前までは自衛隊の方が連れていってくれたんですけどね。最近はいろんな意味で粛正(?)が進んでいて、そういうサービスはなくなってしまいました。
今日は日欧バロック三昧とでも言えましょうか。実に面白い一日でした。
よく言われる光と影の極端なコントラスト。前にも書きましたが、これはある意味写真的なラチチュードです。またいかにもカメラ・オブスキュラ的な遠近感。これは自然主義、あるいは写実とは明らかに違う指向です。しかし、一方でフェルメールはそのフィクショナルな遠近法にさらにフィクションを重ねている。「小路」がそれですね。これは片目で見ると、
これはいい本ですね。私たちが当たり前のように思っていること、あるいはそれ以前に当たり前すぎて意識にすらならないこと。それらが実は当たり前でないということを教えてくれます。
ガソリンがだいぶ安くなりました。今日スタンドへ行ったら125円でした。いったい何だったのでしょう。
今朝の最近気温、初めて1度を切りました。氷点下まであと一歩です。これで一気に木々が色づいたかと期待したのですが、どうも今一つのようです。
昨日は三鷹で大変なことに見舞われました。太宰の霊と遊ぼうなどと不謹慎なことを考えたので、軽くバチが当たったのでしょう(笑)。
その前に絵画館の裏の話をしなければなりません。私たちは先にそちらに行きました。不敬にも私は知らなかったのですが、あの絵画館の裏に「葬場殿趾」があって、そこに素晴らしい霊的御神木が屹立していたのですね。解説によりますと、こういうことのようです。
いやはや、この霊木はかなり来てますね。写真も少しおかしなことになっています。ケータイのカメラで撮ったんですが、なんだかとんでもない光に覆われてしまっています。いつもこんなことにはならないんだけど。このケータイ韓国製だから思わず動揺しちゃったのかな(笑)。幹の部分にも素晴らしい霊魂が宿っていますね。
その葬場殿趾から見た絵画館の裏側です。これもまた、変な写真になっていますね。この延長線上に有名な銀杏並木があるわけですが、この重要な直線がなぜか正確に南北を貫いていないとか。西に17度くらい傾いているんだそうです。知り合いの方の研究によると、その理由は…とてもここには書けません(笑)。
この建物も実に立派ですけど、なんという不思議な力学が働いている感じですね。岡山県万成花崗石が先ほどの御神木から放射されるエネルギーを吸収し、一つの大きなバリアのようなものを形成しています。写真の光はそのバリアでしょうか(だんだんトンデモ方向に行ってますが…笑)。まあ、都内にお住まいの方は一度入ってみてください。その力学は誰でも感じることができると思いますよ。
番号に従って観ていきますと、ちゃんと明治という時代がわかるようになっています。もちろんそれはある意味偽史でもあるわけですね。ある種のフィクション性というのは、先ほどの西洋宗教画にも当然存在するわけで、いや、それこそが芸術の根幹ですから、この館内では野暮なツッコミは厳禁です。ただただ楽しみましょう。それぞれの絵のスポンサーの名前を見るだけでも面白いですよ。
昨日のモディリアーニとエビュテルヌの愛と死に続きまして、やはり天才的芸術家にして天才的色男と、彼の死を輝かせてしまった悪魔的な女のお話です。太宰治と山崎富栄です。写真もなんとなく昨日の続きっていう感じだな。
で、三鷹市芸術文化センターと言えば、太宰の墓所である禅林寺のすぐ近くです。私は、生徒を駅前で下ろしてから、禅林寺近くの安い駐車場を見つけまして、そこに車を停めました。当初は、コンサート終了後そこに車中泊し、一晩太宰の霊と遊ぼうかといろいろ計画してました。しかし、ありがたいことに泊めてくださるという奇特な方が現れて、そちらのお宅に一泊することになりました。
ご存知のように、太宰の墓のななめ向かいが森鷗外の墓なんですよね。ある意味自らの希望に従って太宰はそこに葬られたわけで、彼自身が臨済宗だったわけではありません。でも、いちおうお墓を建てたということで、このお寺の門徒になったんでしょう。隣には津島家の墓が立っています。
というわけで、先輩への礼拝をすませて、さて太宰さんの方にも丁重に頭を下げました。ついでと言ってはなんですが、この太宰の墓前で自殺を図った田中英光のことも少し思い出しましたね。結局彼も死んでしまいました。
帰り際、先ほどくぐった山門になんと東司がマウントされている(笑)ということに、大きな驚きを感じつつ、尿意も感じたのでせっかくですから、その山門の脚と一体化しているなんともハイテクなお便所で用を足しました。あれは画期的だけど、ホントにいいんでしょうか(笑)。やるな禅林寺。
今までさんざん書いてきたように(
ついでに、西又さん、羽後町特産の高級イチゴのキャラもデザインしました。これです。イチゴの名は「べにほっぺ」…。なんでもウチのカミさんのおばあちゃんもこの品種を作っているとか(笑)。
今日は朝から晩までいろいろな闘い模様が…。疲れましたが楽しい一日でした。
物の音(もののね)と歌(ことのは)は、日本でも対立関係にあったんですよね。今日練習した曲はキリスト教音楽なわけですが、その両者の融合を目指したのは、ヨーロッパのキリスト教音楽くらいかもしれません。たしかにキリスト教的発想ですね。でも、やっぱり現実はせめぎ合いますよ。そこが面白い。神の思し召し通りにはなりませんね。
さて、ジムから帰って再び練習。左の写真は帰り道に出会った猫。バイクの上でまったりしているお猫様です。
す、すごい。古いビデオの1本をなんとなく再生してみたら、なんともすごいモノがたくさん録画されていました。1991年、今から17年前のいろいろなテレビ番組が乱雑に詰め込まれています。まあプロレス関係とかMt.FUJI JAZZ FESTIVALとか、全部すごかったんですけど、今日はそのうちの一つ、遠野の不思議な民謡を紹介したNHKの番組をとりあげます。
この番組で御祝の謎に迫るシンセサイザー奏者星吉昭さん…「姫神」の星さんです。04年にお亡くなりになりました…の功績によって、全国的にも有名になり、国立劇場で演奏会が行われたり、DVDが発売されたり、保存会が発足したりしたようです。
まず、ウチの周りでさえもかなり景観が損なわれています。登山者に聞くと、やはり山中に突然あの人工的なフェンスが現れるとガッカリすると言います。景観も大事な自然の一部だと考えると、ちょっと問題があるような気もします。写真はウチの近所のフェンスです。見ての通り、ちょっと回り込めば鹿ちゃんも中に入れます。ほとんど意味がないどころか、延々と道沿いに張り巡らされているので、鹿が道を歩くことになって、よけいに危険なんです。食害に対してはホントに気休め程度のしろものですよ。
さあ、昨夜の熱いキャンプ場フェスに続きまして、今日もまたとんでもないキャンプ場イベントが…。今までいろいろな神イベントに参加してきましたが、ある意味今日のが圧倒的第1位だったかもしれない。みんな「狂ってる(笑)」。そう、(笑)のつく狂気。お馬鹿は素晴らしい。
そして、このとんでもない企画を受けてくれまして、実際とんでもない神興行に仕上げてくれたDDTの皆さんには、心から敬意を表したいと思います。おそるべきプロ根性を見せてくれました。環境とルールを活かしきり、すさまじいばかりの即興的構築力で作品を作り上げる能力は、これは冗談抜きでアーティストとしてとんでもない領域に入っています。これは高度な演劇であり、舞踏であり、音楽であり、スポーツであり、まさに総合芸術、いや本当の総合格闘技であります。


さて、我が家にとってとんでもないスケジュール&内容のキャンプ場イベント2daysの始まりです!
オープニングから1時間以上、熱く魅力的な演奏を繰り広げたのは、あの
もう0時過ぎると私にとっては起きる時間の方か近い時間帯になります。そして買って行った日本酒4合瓶がもうすぐ空になるという時に、ようやく私の本来の出番がやってまいりました。危険だ。みんなで自由にセッションということになりまして、ディジュリドゥーやパーカッションの方々の演奏にヴァイオリンで参戦。正直酔っ払いつつ寝つつですので、何をやったか全く覚えていませんが、ただ楽しかったことはたしか。
山中湖のきららで行われたスイートラヴシャワー2008の二日目に行って参りました。昨日の、半分あの世の音楽に比べますと、かな〜りこっち側の音楽。本当に音楽というのは幅が広いですね。そして今日もまたライヴの良さを実感。特にこうした野外フェスの素晴らしさはなにものにも代えがたいですね。
さて、今年のグランド・フィナーレは地元の雄レミオロメン。今回私は、地元御坂の皆さんと一緒に応援させていただきました。皆さんの口から思わず飛び出す「亮太!」「啓介!」「治!」の声にじーん…。この夏はオリンピック関係で何度も耳にした彼らの音楽。つまりとうとう国際的にまでなった彼らですが、基本は地元の人々と風土が彼らを支えているんですね。音楽をはじめとする芸術は、決してお金のために存在するのではありません。人と人をつなぎ、人の心を動かし、生きる力を与えるためにあるのです。そして表現する側もまた、多くの人とのつながりの中で心を動かされ、何かを生み出すのです。つまり全てが「縁」によって生じている。そして、また新しい「縁」が生まれる。
今年もやってまいりました、昨年奇跡の復活(?)を果たした秋田県は旧皆瀬村でのお祭りプロレスです。終戦記念日に毎年奉納される神事としても非常に興味深いこのイベント。特に今年は「小橋建太の命(みこと)」降臨ということで、ある種特別な雰囲気となっていました。
今年は予算の関係でしょうかね、ノア全体としての開催ではなく、下部大会形式としてのセムという形で行われました。そのため、昨年までにくらべますと、参加選手数は半減しました。ただ、セムとは言っても特別な扱いなのでしょう、若手中心ではなく、三沢社長はもちろん、小橋、秋山といったベテラン主力選手も参戦する豪華な内容でした。参加選手が減ったおかげで、内容の濃い試合が多かったとも言えますね。試合結果などは
メインは、地方のお祭り大会とは思えないほどヒートアップしたノアらしい素晴らしい試合でした。大会場でのテレビマッチとなんら変らない激しいプロレス。その中にあって、やはり小橋の存在感でしょうかね。もう入場からして異常な興奮状態。試合でも大技を惜しみなく出し、また退場だけでも15分くらいかかったんじゃないでしょうかね、神の降臨に山中の寒村がある種の陶酔状態に包まれていました。まさにマレヒトの来訪といった風情。小橋選手は終始笑顔でその歓待に応え、一人一人としっかり握手をしていました。写真は退場時に観客といっしょに花火を見上げて感動する小橋選手です。美しい光景じゃあありませんか。
さて、今回は涙をのんで不参加となってしまった娘たちのために、その小橋選手のグッズやサインを入手してきました。バーニングのTシャツにサインをしてもらい、さらにサイン色紙をいただきまして、さらにさらにノアの公式エナメルバッグを購入いたしました。入場の際にも多額の(?)協賛金を奉納いたしましたし、私なりに神への感謝と尊崇の気持ちを表現してきたつもりです。
秋田のみならず全国で有名な「おはよう納豆」を製造しているヤマダフーズさん。そのヤマダフーズさんが経営する施設「匠の味工房 遊心庵」に併設されている「レストラン 薬膳 遊心庵」に行ってきました。
そういえば、
「麻婆ラーメン」は、いわゆる一般的な「麻婆ラーメン」を想像すると、かなりびっくりします。レストランの名前に「薬膳」が入っているとおり、いろいろな薬味というか薬効成分のある食材が使われているようでして、まずはその香りの豊潤さに驚きます。本当に麻婆豆腐からはかけ離れた香りがしてくるんですよ。で、ちょこっとスープをなめてみてまたビックリ。まず印象に残るのは「和山椒」の味ですね。これは好き嫌いがあるかもしれませんが、私は大好きですので正直ラッキーと思いました。
一方、子どものセットは具体的にはカレーラーメンセットなんですね。で、このカレースープが本当においしかった。子ども用にしておくにはもったいないくらい。これも辛くないんですよ。おそらく豆乳ベースで作っているんでしょう、とってもミルキーで豊かな味わい。子供たちもかなり気に入ったようです。
さすがにタフな私も疲れました。先ほど14時間にわたる旅の末、ようやく秋田に到着いたしました。いやはや、トイレにすら行っていないぞ。ずっと運転しっぱなしでした。
赤塚不二夫さんの訃報にうちひしがれながらも、私たちも皆さんに笑いを提供しなくてはなりません。赤塚さんの遺志を少しでも継いで行かねば。
いやあ、持つべきものは変な教え子だなあ。卒業して社会で活躍する教え子を尊敬することもしばしばではありますが、今回ほど「神」だと思ったことはありません。
私のライバルは武田百合子です。なあんて書いたら、皆さん笑うか怒るかするでしょうね。じゃあライバルでなく恩師というのはどうでしょう。文章の師匠。いや、文章家(?)蘊恥庵庵主の生みの親。う〜ん、それでも皆さん笑うか怒るかでしょうね。なにをたわけたこと言ってるんだ、文章の質が違いすぎて話にならない、と。
それとともに、私はある種の勇気を持つにも至りました。人間は往々にしてこんな時、妙な意志を抱くものです。よし、こうなったら、「富士日記」と全く逆のことをやってやろう、違う土俵で勝負だ(土俵が違ったら勝負になりませんが…笑)。そして、この「不二草紙」が始まったのです。
作品中、このように地図が南北さかさまになっていましたね。さりげなく回転してました。












そして、旧対川荘、すなわち昨日コンサートをしたオウザンのメイドさんの絵でしょうか。実際、とっても可愛らしいお嬢さんお二人が、イマンの高級なメイド服に身を包み、それはそれは魅力的でいらっしゃったわけですが、さすがにこういう画風になりますと、ちょっと違った風情になりますね。右の写真は、昨日職権を濫用して(?)撮影させていただいたものです。まあ役得ですな。ごめんなさい、オタクの皆さん!
本当に楽しいコンサートでした。聴いてくださった皆様、櫻山の皆様、オウザン村Cafe&Restrantのスタッフの皆様、ありがとうございました。
さて、ご予約いただいたお客様にはオウザンの素晴らしいディナーを食べていただきまして、皆さん幸せな気持ちになったところで、いよいよコンサート(ライヴと言った方がいいかな)の始まりです。こじんまりした店内なだけに、逆にお客様との距離が近く、また、やはりおいしいお食事やお酒の効果でしょうかね、皆様すっかり貴族の気分になっていらして、おかげさまでこちら演奏者の方も実に楽しく演奏することができました。
演奏終了後、オウザンさんのお食事をいただきましたが、これがまたおいしいことおいしいこと。素材の豊かな味を活かすお料理で、野菜もお肉も絶品でありました。一仕事終えた後ですし、もう本当に幸せ幸せ(笑)。ごちそうさまでした。
最後、メイドさんと記念写真。カシャッ(私のは明日の記事で…笑)。
最近の納豆はずいぶんとスマートになりまして、スーパーで売っているものは、ほとんどが小粒で臭くなく、そして柔らかい。昔ながらの「便所の臭いのする」納豆がほとんどなくなってしまいました。第一、「便所の臭いのする」便所がなくなっちゃったか(笑)。
ついでと言ってはなんですが、もう一つ。こちらはちょっと違った味わいですが、大月の富士納豆販売所さんの「富士納豆」も紹介しておきましょう。こちらは丸屋に比べますと、豆も柔らかく臭みも少ないのですが、飽きのこない優しい味です。私はけっこう好きですね。
帰宅後、NHK歌謡コンサートが始まる前に、クローズアップ現代をチラ見。なかなか興味深い内容でしたが、しかし、ただ単にこれは素晴らしい!とは言いきれない「現代」のありさまでありました。