カテゴリー「文化・芸術」の1000件の記事

2021.09.22

Mohana Bhogaraju 『Bullettu Bandi』

 

 りあえず今日までワールド・ミュージックねたの予定です。

 先日、欧米、特にアメリカが最大の音楽市場と書きましたが、実はそうとも言い切れません。動画サイトでの再生回数を見ると、インドや中南米がすごいですね。

 昨日紹介したプエルトリコのファルッコの新曲も近くビリオン(10億再生)を達成しそうですし、今日紹介するインドの楽曲も今年中にビリオン達成しそうです。

 Mohana Bhogaraju(読み方がわからない)は、近代インド伝統の「プレイバックシンガー」です。つまり、インド映画の挿入歌を歌う人。吹き替え歌手ということですね。

 本人はテルグ語、タミール語、カンナダ語などを話せるようで、特にテルグ語の歌をたくさん歌っているようです。この曲もテルグ語なのかな?全然わかりません(笑)。

 伝統のインド音楽と、現代の打ち込み系音楽を上手に融合していますね。かっこいい曲だと思います。

 インド音楽の微分音は四捨五入されしていまい、結果としてペッタトニックになっていますが、世界の音楽の潮流が7音から5音に移行(回帰)していることを考えると、インドの新しい音楽もこれから大注目ですね。

 あと、やっぱりインド音楽、インド映画というと、こういうユルいダンスですよ。これもこれから来るかもしれませんよ。

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2021.09.20

BTS 『MIC Drop (Steve Aoki Remix)』

 

 BTSが国連総会で演説したというニュースがありましたね。純粋にすごいグループになったと思います。

 ということで、昨日のNCTに続き、今日はBTSの話をしましょう。 

 昨日の記事では「BTSは欧米音楽に魂を売った」と書きましたが、もちろん韓国の国策としての文化輸出の賜物であり、そういう目的を極めて行けば、「最も金になる市場」に合わせていくことは当然です。

 アーティストとして卓越した才能を持つ彼らは、ある意味では表現者としてのそのアーティスト性を捨てて行かねばならず、今、葛藤の中にあることでしょう。

 特に最近欧米市場でヒットした作品の多くが、本来のアジア性を捨ててしまっていることはたしかで、それは自他共に認めざるを得ないところでしょう。

Th_-20210921-71727 そんな中、かつての彼らの作品の再評価が始まっているのも面白い流れであり、たとえば近過去の楽曲「MIC Drop」のスティーヴ・アオキによるリミックスが10億回再生を達成したことも、記憶に新しいところです。

 スティーヴ・アオキは、アメリカ生まれのアメリカ育ちではありますが、両親は純粋な日本人であり、本人も日本人としてのDNAを強く意識していますよね。

 ある意味、私たち日本に閉じこもっている日本人よりも、日本を知ろうとしているかもしれません。

 そんな彼が、やはり母国を離れたBTSとコラボすることによって、欧米の反対側にあるアジアのスピリット、それも「メタ」なスピリットを世界に発信してくれているのは実に有り難いことだと思います。

 日韓友好という意味でも、このコラボは「メタ」ですよね。

 この時代、文化的鎖国を解いて、私たち日本人も「メタ」な日本、日本語、日本文化を操って世界に打って出る(即ち恩返しする)ことも必要ではないでしょうか。

 「メタ」と言えば、ママさん登場のアオキ・ヒロユキさんのこの動画、大好きです(笑)。

 

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2021.09.19

NCT 127 『Sticker』

 

 日、世界の音楽シーンがワールド・ミュージック的方向に進んでいるというようなことを書きました。

 たしかにネット(特にYouTubeやサブスク・サービス)で、世界中の音楽を聴くことができる時代になり、また、100年に及ぶ欧米の商業音楽市場に飽きてしまった人たちが、「知らない音楽」に興味を持つことは当然だと言えます。

 K-POPの世界でいうと、BTSはそうした欧米音楽に「魂を売った」とも言えますが、一方でたとえばこのNCTの新曲など、明らかにそれとは違う路線を目指していると感じますよね。

 冒頭から繰り返される印象的な(チープな笛のような)パッセージは、まあ韓国のヨナ抜き音階の派生とも言えますが、日本人にとっては単なる祭ばやしですよね。

 これが欧米人にはかなりエキゾチック、あるいはオリエンタルに感じられることでしょう。少なくとも、オシャレなコード進行とわかりやすいリズムや構成の「売れ線」の曲とは全く違う感じを受けるに違いありません。

 たしかにNCT自身、アジア中心の多国籍プロジェクトであり、このMVも無国籍風とも言えますね。プロデュースには欧米人が関わってると思いますが、やはり世界市場の動向を見てのこの曲なのではないでしょうか。

 欧米人にとって、日本も韓国も中国も全部同じにしか見えていないとしても、祭ばやしを使われるとは…。日本人は黙っていていいのですか(笑)。

 日本の音楽市場は、こうしたグローバル化の波に完全に乗り遅れています。もちろん、そうした鎖国主義も、その中でしっかり経済として文化として回っているので評価はできます。しかし、韓国のような過度な開国主義をまねる必要はないものの、やはりもう少し世界の広さを感じた方がいいのではないかと最近強く思います。

 それにしても、このNCT127の曲、最初は「?」でしたが、だんだんクセになるから面白いですね。最初の「?」は、すなわち既聴感がなかったということで、何度も聴いていると細部に「なるほど」と感じる発見があって面白いのです。

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2021.09.18

モロッコのアンダルシア音楽

Th_img_8013 「界ふれあい街歩き」の再放送「シャフシャウエン(モロッコ)」を観ていたら、アンダルシア音楽が流れてきました。

 スペインのアンダルシアの音楽がなぜアフリカのモロッコにということになりますが、そこが面白いところですね。

 もともとイスラム圏だったところに、レコンキスタによってスペインを追い出されたムスリムが移住してきたということですか。

 というわけで、まさに東西が融合というか混濁しているのが興味深い。

 写真でわかる通り、ウードのような楽器とともに、普通のヴァイオリンやヴィオラを使っています。しかし、その演奏法は実にアラブ的、東洋的。膝の上に立てて演奏します。動画で観て聴いてみましょう。

 

 いいですねえ。西の果てのイスラム音楽。それがヨーロッパの楽器によって演奏される。ケメンチェというかレベックのような楽器も見えますね。新旧、東西が混濁しています。

 ちなみに、私もヴァイオリンやヴィオラをこうして膝の上で弾くのを得意としています。これはすぐ参加できそう(笑)。

 別の動画も観てみましょう。一番左にダルシマーみたいな楽器が見えますが、ハンマーで叩いているのか、指やピックではじいているのか。どっちでしょう。

 

 最近、西洋音楽に飽きてきてしまったのか、我が家では世界の民族音楽や、最近の曲でもワールド・ヒットチャートを聴くことが多くなっています。

 実際、世界の最新音楽シーンがちょっとそっち寄りになってきているんですね。これから少しそういう最新音楽も紹介していこうと思います。

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2021.09.12

『若者のすべて』が教科書に!

 昨日、KANSASのライヴをおススメしましたが、そういえば10年前にKANSASとフジファブリック(志村正彦くん)の類似性について書きました。

 その記事を今見ると動画が消えてしまっているので再掲しますね。ちょっと長いのですが、今日のテーマにつながっていきますので。

(2011.02.21)

 地平線を越えて(Live at 両国国技館…これ行ったなあ…)

 日、「プログレ」の話が出ましたね。私の音楽のルーツの一つは間違いなくプログレです。そう言えば私、一時期「プログレッシヴ・バロック」という古楽バンドやってましたっけ。ま、それほどそういう世界が好きだということです。
 プログレというのは面白いもので、本来アンチクラシック音楽(近代西洋芸術音楽)、民俗音楽回帰というところから始まったはずのロックが、「芸術性」すなわち「複雑さ」「構築美」(最初の変換が「好乳首」になってしまった…爆笑)を求めるという、ものすごい自己矛盾の上に成り立っているんですよね。
 ま、一絡げには言えませんけれど、いろいろな国にそれぞれの民俗音楽と芸術音楽があって、それらをそれぞれの国のロック・ミュージシャンたちが、なんとか融合しようと頑張った時代があったわけです。
 その結果、だいたいがまた新しい矛盾に遭遇することになりました。それは「難解さ」が生む「非大衆性」です。本来大衆音楽であったはずのロックがどんどん難しくなっていって、一度聴いても分からないような方向に行ってしまった。
 日本のプログレもそうだったんです。それはそれでマニアックなジャンルとして魅力的でしたがね。しかし、なかなか商売にはならなかった。自己矛盾は自己矛盾のままだった。
 私も、自分自身がそういう音楽を求めていた時もありますから、この分野に関してはかなりうるさい方だと思いますが、上記のいろいろな事情を考慮した上でですね、フジファブリックの「地平線を越えて」はすごい曲だと思います。
 つまり、そうした自己矛盾を見事に昇華しているということです。8分の12の複合拍子を基本に、変拍子やポリリズムなどを含むことや、また、特殊な転調や先の読めない展開、メロディーではなくパッセージ(リフ)の積み重ねなど、いわゆるプログレの王道をしっかり押さえつつ、メロディー的には日本古来の四七抜きと西洋音階を巧みに混合し、加えて、日本語の譜割りが実にお見事。開音節構造から生まれる単調なシラブルを羅列することによって、音楽的なポリリズムを意図的に無意味化しているところがあります(なんて、いかにもプログレな分析、解説でしょ?)。
 私は、この曲を初めて聴いた時、この志村正彦という男はいったい何者だと思いましたよ。こんな若者がいるのか!これは天才だ。その時は、まさか彼が富士吉田の青年だとは思いもよりませんでした。
 そして、この曲を聴いて、音作り的にはイエスなども想起されましたが、なにより私の印象と重なったのは、アメリカン・プログレの雄、カンサスのこの曲です。「ポートレイト」。
 ELOと並んで、私にヴァイオリンを始めさせたバンドの一つが、このカンサスです。中一の時、こんなのを盛んに聴いていたんですからね、ずいぶんとませたガキでした。てか、みんなこういうの聴いてましたよ、あの時代は。

 

 

 さて、ここからどんな話になりますかと言うと、志村正彦作品「若者のすべて」が音楽の教科書に!という話です。

NHKのニュース

 「若者のすべて」。言うまでもなく志村正彦くんの代表作です。彼亡き後も含めてフジファブリックの代表作と言っていい。

 もちろん志村くんも喜んでいることでしょう。しかし、一方で「若者のすべて」を「代表作」とされることにはどうでしょうか。

 そう、KANSASですと、彼らが得意とする難解なプログレ作品ではなく、美しいバラード「Dust In The Wind(すべては風の中に)」が最も有名な作品となりました。

 

 

 そういうことってよくありますよね。一番売れた曲が「らしくない」ということ。

 フジファブリックの「若者のすべて」もそういう曲だと言えましょうか。

 もちろん、とんでもない名曲なわけですし、当時初めて聴いた時もちゃんと「志村正彦らしい!」と思ったのですが、たとえば最近の若者がこの曲からフジに入って、その他の「(いい意味で)変態的な曲」を聴いたら、ちょっとビックリするかもしれませんね。彼(彼ら)にしてはシンプルな楽曲ですし、歌詞も妙にピュアです。

 旧作から、志村くん最後のアルバムになった「クロニクル」まで変わらず底流する、志村くんらしい抒情性と表現することもできますし、アレンジのちょっとした「面白さ」も彼ららしいと言えますが、やはりどこか屹立した異彩を放っていることもたしかです。

 これって天才によくある「あれ」でしょうか。亡くなる直前も、あまりに「降りて」きすぎて、器たる彼は眠れなかったと。それを書き留めた付箋が壁中に貼ってあったと。

 あの頃の志村くんは、すっかり地平線も自我も越えてしまっていたということでしょうか。そして故郷に一度帰ってきて、そして永遠の旅に出てしまった。

 いずれにせよ、彼の「代表作」が、高校の音楽の教科書に掲載されることになりました。これは本当にすごいことです。

20210913-124625 教育芸術社のMOUSAに掲載されるポピュラー作品の一覧を見てみましょう。

 なかなかマニアックな選曲ですよね(笑)。

 「若者のすべて」は2000年代の代表作品として選ばれたとのこと。

 志村正彦が、服部良一、いずみたく、村井邦彦、山下達郎、織田哲郎らと肩を並べたというのは、純粋に嬉しいですし、とんでもないことだと思います。よく見れば、加藤和彦、甲本ヒロトもいるではないか!米津もたしかに新しいソングライター形ですかね。

 いろいろ小難しいこと書いてきましたが、とにかく、志村くん!おめでとう!ですね。

 なにしろ学校で教えられるのですから。バッハやモーツァルトや八橋検校と並んで!

 さあ、あらためてこの時代を飾る名曲を聴いてみましょう!

 

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2021.09.09

重陽の節句

 日は9月9日。重陽の節句です。陽が重なるのですから、とってもいい日です。

 いい日なのですが、個人的には公私ともに忙しく、なかなか時間が取れません。

 ですので、今日は「重陽の節句」について、羽賀ヒカルさんにご説明願いましょう。私が言いたいことはだいたい言ってくれています。ありがとうございます。

 どうぞ御覧ください。お聞きください。

 

 

 

 

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2021.09.05

パラリンピック閉会式

Th_unknown_20210907130201 ラリンピック閉会式にて「TOKYO 2020」が2021年の今日終わりました。

 1940年の東京オリンピックのように中止にはなりませんでしたが、まさかの1年延期。いろいろな意味でオリンピック史上に残る大会となりました。

 様々な問題を抱えたまま始まってしまったオリンピック開会式。それに比べてこのパラリンピック閉会式はそれら問題や競技での感動をも「多様性」の中に取り込み、見事な「調和」の中に大団円を現出しました。

 そういう意味では、実に「後味の良い」大会となりましたね。終わり良ければ…ではありませんが、このパラ閉会式の持つ責務は、私たちが考えている以上に重かったと思います。

 終わりは始まり。「未来への継承」という意味においても、見事なセレモニーになっていたと感じました。

 この素晴らしい閉会式の総合ディレクターを担当したのは小橋賢児くん。

 こちらに書きましたように、彼とは昨年12月に一緒に食事をしまして、直接彼の過去と現在と未来についてお話をうかがいました。

 上記の記事では「来年は一緒に何かできるかもしれません」などと寝ぼけたことを書いていますね。いや、実は…ないない(笑)。

 彼の得意とする花火やプロジェクション・マッピングといった光の技術やセンスはもちろん、誰に対しても愛と敬意を持つことを忘れない彼のパーソナリティが、見事に歴史に残る数々のシーンを演出してくれました。

 素晴らしい仕事をしてくれましたね。次にお会いする時には、心より感謝を申し上げたいと思います。

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2021.09.04

『かぐや姫』 田中喜次監督作品(昭和10年)

 

 谷英二撮影の幻の作品、今日85年ぶりに上映される「かぐや姫」。残念ながらチケットが取れず今回は観ることが叶いませんでした。

 田中喜次は教育映画や初期のアニメ映画で活躍した人。この映画はイギリスの日本協会からの委託で製作されたとのことです。

 円谷や田中の作品という意味でも興味深いのですが、私としては宮城道雄の音楽に興味がありますね。クレジットでは「Music Composed by…」となっているので、作曲が宮城道雄ということですね。

 オーケストレーションは誰でしょうか。時代的には下総皖一かなあ。宮城は昭和10年当時、東京音楽学校の講師。下総は助教授でした。

 今日はたまたま上野の東博で要人にお会いする用事があり、藝大に通う娘のところに来ているのですが、旧奏楽堂や谷中霊園の宮城道雄のお墓などを巡るにつけ、その当時の日本音楽界、特に作曲界の活気を感じることができました。

 この映画での宮城の音楽からも分かるとおり、西洋音楽を巧みに取り入れつつ、日本の音楽を充実させていく姿勢は、まさに聖徳太子の「和」の精神そのものですね。

 実際、開国し和魂洋才を目指し、国際化した当時の日本人にとって、聖徳太子というのはまさに心の支えでありました。明治天皇を聖徳太子になぞらえることもありましたし。

 今日もその要人の方や東博の研究員の方とも話ましたけれど、戦後の聖徳太子軽視の傾向はついに極まって、聖徳太子不在論、さらには教科書からその名を消すという動きまで出ていることは憂慮すべきことです。

 そんなこと言ったら、西方の厩戸皇子たるキリストも否定しなければなりませんよね。まったくぅ。

 …と、話がそれてしまいましたが、それこそほとんど無視され否定されている戦前の文化の正しい評価、復興というのもそろそろ始めねばなりませんね。この「かぐや姫」も早く観てみたい。

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2021.09.03

日本元気プロジェクト2021 世界遺産ランウェイ in 富士山(富士吉田) - FASHION MOVIE

 

 慣れた富士吉田の街がこんなふうに見えるようになるとは。

 昨年亡くなった山本寛斎さんの遺産「日本元気プロジェクト」。

 グローバルに活躍した寛斎さんは、誰よりも日本を愛していました。

 真の愛国者こそ真のグローバリスト…これは仲小路彰の理念であり、たとえば世界的ソプラノ歌手三浦環はそれを標榜し、実践した人でした。

 寛斎さんは加藤登紀子さんとも同じ事務所で仲良しでしたから、当然、仲小路彰のことを知っていたはずです(加藤登紀子さんの旦那さん藤本敏夫さんは仲小路フリークでしたし、加藤さん自身も仲小路の歌曲を歌っています)。

 そういう意味では、この富士北麓で寛斎さんの思いを爆発させたこのムービー、それこそ寛斎さんが最も喜んでいるかもしれません。

 縄文から昭和・平成に至るまで、様々なレイヤーの「遺産(遺跡)」が詰まっている富士吉田。もしかすると、こうして「未来のファッション」を花開かせることによって蘇るかもしれませんね。そんな予感がしました。

 メイキング・ドキュメンタリーも実に興味深い内容です。若い皆さんのコンセプト、思いが、私の知っている「能装束」の世界観に似ているので驚きました。ぜひご覧ください。特に富士吉田の皆さん!

 

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2021.08.29

『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』 ケニー・オルテガ監督作品

Th_81tyxvhe9cl_ac_ul320_ 日はMJの誕生日。生きていれば63歳ですか。

 私は完全にリアルタイム世代です。「オフ・ザ・ウォール」はレコードが削れるほど聴き込みましたが、その後は私の音楽的嗜好の変化もあって、それなりに距離を置いて彼を見ていました。

 ところが、一世代若いウチのカミさんが異常なほどのマイケルファンで、その影響で娘たちも私よりもずっと詳しくなってしまった。

 今度はその影響で、私も遅ればせながらマイケルを再評価するという、実に不思議な現象が起きています。

 そして、今日この映画を観て、それこそ遅ればせながら泣いてしまった(家族で)。

 私、彼が亡くなった時も、こんなふうに冷めていたんですね。

 追悼? マイケル・ジャクソン

 そして期せずして、彼は私の中で「復活」してしまったのです。

 なんということでしょう。

 この映像の中のマイケルは50歳。私はとうにその年齢を超えてしまいましたが、はたして私が50歳の時に、これほどまでのパフォーマンスとパーソナリティーを発揮しえたか…なんて、神に対して実に不遜なる文章を書いてしまいましたが、本当にふとそんなことを思ってしまったのです。

 なにより、愛にあふれているではないですか、彼は。歌にダンスに言葉に。

 基本はダンスですね。そこに歌が言葉が乗っている。そうか、ダンスは愛か。

 どうりで私はダンスが苦手なはずだ(苦笑)。

 完璧主義の天才にありがちな、独りよがりな感じは微塵もない。いや、いろいろあってそういう境地に至ったのも事実でしょう。しかし、そんなプロセスさえもその彼のポテンシャルを発揮させる法難だったのかもしれない…そう信じずにはいられないのです。

 愛が深すぎると早死しますね、ぜったい。

 共演者たちを鼓舞し、刺激し、そして成長させてしまうという意味では、美空ひばりと似たところがありますね。それもまた愛の賜物でしょう。

 ますます自分の小ささ、特に教育者としての不甲斐なさ、つまり愛の不足に落ち込んでしまいます。

 おそらく彼は自らの死を予感していたのでしょう。つまり、愛とは命そのものなのです。

 マイケルはこうして復活し、生き続け、愛をふるまい続けるのでした。

 

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