カテゴリー「文化・芸術」の1000件の記事

2019.12.13

『若者のすべて フジファブリック 志村正彦がのこしたもの』(NHK甲府 ヤマナシクエスト)

Th_-20191214-114537 当に素晴らしい番組でした。

 思わず2回続けて観て、そして、ずっと号泣し続けました。

 実は、つい先日、ある大切な友人が急逝しました。彼女との出会いのおかげで、私は志村正彦くんや、この番組のナビゲートをした藤巻亮太くんと実際に会って話をすることができたと思っています。

 彼女にこの番組を観てもらいたかった。いや、きっとあちらで観て、そして一緒に泣いてくれたことでしょう。

 志村くんが亡くなって、間もなく10年。本当に彼ののこしたものは、ますます輝きを増しています。私自身も、彼のおかけで人生が全く違ったものになりました。感謝してもしきれません。

 本当にいろいろな音楽、いろいろな言葉たちに触れてきたつもりですが、志村正彦がのこしたものは、まさに「もの」。生きもののように、時代とともにうつろい、新たな意味を生み出し続けています。

 そう、藤巻くんも冒頭で「うつろいゆくもの」という言葉を使っていますね。

Ff080531_2 私は2008年の4月に「茜色の夕日(フジファブリック)」に見る「もの」と「こと」 という記事を書いています。実はこの記事をご覧になってくれた志村くんのご両親が、翌月実現した富士吉田市民会館凱旋ライヴで私を見つけてくださり、志村くんとの対面を実現してくれました。

 そして、今日のこの番組でも最後に放送されたあの、「茜色の夕日」演奏前のMCで志村くん自身の口からも「ものやこと」という言葉が…。

 その後、リニューアルされたふじさんホールで藤巻くんと、また職場ではイエモンの吉井和哉さんと、志村正彦談義をすることになりました。本当に自らの意識や意思を超えたところの「もの」のご縁に感謝するしかありません。

 この番組では、残されたメンバーをはじめ、同級生の皆さんや、志村くんが亡くなったのちに彼の音楽に出会い、人生を突き動かされた人たちが、それぞれ「のこしたもの」をどう受け継いでいくかを語ってくれました。

 私も、先日天に召された友人の遺志も含めて、そうした「もの」をどのようにさらに意味のあるものしていくのかを改めて考えさせられました。ただ志村くんの音楽を紹介するだけでなく、彼が未来に投げたであろうボールの、そのほんの一部でも、ちゃんとキャッチできるようにしていきたいと思います。

 また、志村正彦、太宰治、李良枝…夭折の天才たちの感性を育てた富士吉田、特に下吉田が持っている特殊な霊的磁場についても、生徒たちと一緒に感じて考えていくつもりです。せっかくそこで一日の半分を過ごしているのですから。

 この番組、もちろん志村正彦やフジファブリックを知ってほしいという意味でも、そして富士吉田、富士北麓の魅力を知ってもらうためにも、ぜひとも全国放送してほしい。非常によくできた番組であったからこそ、そう強く望みます。

NHK甲府特設ページ

 

| | コメント (0)

2019.12.12

日本人は物語教徒!?

Th_images 年会は続きます(笑)。

 今日は、某大学の学長先生にお誘いいただき、温泉とお酒とお話を楽しませていただきました。

 いやあ、実に楽しい時間でした。

 昨日、デンマークからその大学に留学に来ている学生さん3人と、両国の教育について語り合いました。

 彼らは数学の先生の卵なのですが、日本の数学のセンター試験を見て、大変驚いていました。

 日本と北欧の数学教育は、見事に対照的なのです。簡単にいえば、答えを重視する日本と、プロセスを重視する北遠。

 テストに対する考え方も全く違います。日本は一発勝負。北欧は積み重ね。

 公平性に対する感覚も対照的。日本は集団全体としての公平性を重視し、北欧は個人の人権レベルでの公平性を重視します。

 何年もかけて非常にアナログ的な方法で徹底的に個人の数学力を測る北欧。日本は記述式の導入さえ頓挫してしまう。そう、日本の場合、個人と個人の関係性にこそ不公平性を見てしまうのです。だから、マークシート式で同時に行い、機械で採点する。個人の裁量によって部分点が発生するようなことはありえません。

 北欧からすると、たとえばその唯一の試験の日に、体調が悪かったりしたらどうするのか、ということになる。それこそが不公平であり不運であり不幸だと考えるわけです。

 しかし、日本ではそういうことはあまり問題にならないどころか、あえて真冬の、地域によって最も不公平のある(たとえば日本海側は大変な雪に見舞われる)、またインフルエンザなどの病気が最も流行する季節に、人生を決する試験を行ったりする。

 国際標準に従い、9月入学のために、初夏に試験をすれば、環境的には今よりも絶対に公平性を担保できます。

 しかし、そうならないのはなぜか。

 それは、日本人は「物語」を重視し、そのためなら個人の人権が侵害されてもいいと考えている(感じている)からです。

 つまり、冬の厳しい季節を乗り越え、春を迎える(合格する)という物語。そして、桜咲く季節に卒業、入学を迎える。

 これが初夏に試験で、秋に入学では、なにか物足りない。感動がない。

 不合格という負の出来事さえ、その季節の中では、「桜散る」という「もののあはれ」で表現されたりする。これも初秋では面白くない。

 私が何度も何度も語っている「夏の甲子園=戦争ノスタルジー」という物語と一緒ですね。ドーム球場で人工芝ではだめなんです。

 去年の甲子園で言えば、小国の金足農業は快進撃しても、決勝では連合国の大阪桐蔭に大敗しなければならないのです。先の大戦がそうであったように…。

 国民的な物語が合理性を凌駕する。

 このあたりは最初、北欧の方々には全く理解できないようでした。しかし、宗教を例にお話ししましたところ、ある程度納得したようです。

 たしかに、キリスト教などの「物語」が、たとえば科学などの合理性を超えるというのは日常的にあることですよね。

 しかし、たとえば、日本と北欧の教育のどちらが正しいといった話ではありません。

 北欧の学生さんも、それはよく理解しているようで、国民性の違いであり、逆に非常に興味深い、取り入れられるものは取り入れたいという姿勢でした。

 今日の大学の先生方との会話も、基本そういう内容でした。やはり他者を知ることのみが、自己を知る方法なのですね。お釈迦様の言うとおりです。

 そして、つくづく、日本は無宗教だなんてとんでもない、強力な「物語教」の国だなあと思った昨日、今日でありました。

| | コメント (0)

2019.12.11

祝! 松田龍平 最優秀男優賞受賞

 

 日に続き、普通に考えればとんでもない方との対話を楽しませていただきました。

 全く素晴らしい有難きご縁の数々であります。

 今日は、このニュースに最も身近な方のお宅にお招きいただきまして、実に楽しい時間を過ごさせていただきました。

 今や中国の映画界はアメリカのそれに匹敵するほどの規模と質を誇っています。お金かけているわけですね。中でも海南島国際映画祭は、昨年始まった新興の映画祭。歴史ある国際映画祭に、ある意味現代中国のパワーで殴り込み?をかけている、注目の映画祭です。

 そこで、こうして日本人の、それも私も大好きな松田龍平さんが最優秀男優賞を獲ったことは、大変な快挙ですし、私たち日本人としても実に嬉しいことです。

 なんでも、松田さん、全く受賞を予想してなかったようですね。どちらかという監督さんや綾野剛さんに期待が集まっていたとか。

 おそらく下馬評的にはそうだったのでしょう。そこを、あえて準主役の松田さんを選んだというのも、この映画祭の芸術性の高さを象徴しているように思えます。

 今年は、龍平さんのお父さん、松田優作さんの生誕70年、没後30年という特別な年。そんな年にご長男がこの快挙。きっと優作さんも喜んでいらっしゃるでしょう。

 そんなことを最も身近に感じることができる場で、皆さんとお祝いできたこと、私にとっても至上の喜びでありました。おめでとうございました。

| | コメント (0)

2019.12.10

坂口孝則×モーリー・ロバートソン 『あの日のインディーズバンドの話の続きをしよう』

Th_img_5169 しすぎ!久々に大興奮。

 今日は虎ノ門の某ホテルにて安倍総理やヤフーCEO川邊健太郎さんの話などをうかがったのち、新宿は歌舞伎町へ。ここでの坂口孝則さんとモーリー・ロバートソンさんのお話が最高に面白かった。

 なんとも対照的な世界観でしたよ(笑)。世の中の両面(両極端)を半日で体験してしまった。

 安倍さんと川邊さんのお話の内容は、ここにいくらでも書けますが、坂口さんとモーリーさんのお話は、正直これっぽっちも書けません!

 お二人が一緒に地上波のワイドショーのコメンテーターを務めているとは…ある意味、すごいなあ。ちゃんと使い分けておられる。大人の中の大人ですね(笑)。

 お二人が語った世界とは、いちおう「インディーズバンドの話(のつづき)」なわけで、まあたしかに表面的にはそう表現するのが一番だと思うのですけれど、実際はそこに生き、そして死んだ人間のそれぞれのドラマがあるわけですよね。

 ロック、特にパンクやメタル、あるいはノイズなどは、もともと反社会性を内包しています(ま、日本のそれらは、どこか文学的であったりして、つまり反自己性みたいなものもあったりするのですが)。

 その人々の生き様、死に様を語りだせば、それは放送禁止にもなりますよね。それが実に面白い。それこそこうした「ライヴ」「オフライン」の醍醐味だったりするわけです。

 それにしても、パンクの文脈として、モーリーさんの口から「出口王仁三郎」が出てきた時には、正直ぶっ飛びました。そして、さらなる驚愕の事実が…これも書けません(苦笑)。

 それも含めて、なんだかんだ私の「身内」「関係者」という方々の名前が出てきまして、ああ、なるほど、私ってそういう世界(うまく言えば、清濁併せ呑む世界)に生きているんだなと実感させられました。

 いやはや、お二人のように「好きすぎる世界」があるって幸せですね。そして、その好きすぎる世界に実際に関わったりすると、もう幸せも絶頂でしょう。話が尽きるはずがありません。

 その原動力は、やはり「愛」なんですね。「愛」に貴賎なし!

| | コメント (1)

2019.12.07

出口王仁三郎 『瑞能神歌 一人百首かるた【百鏡】』

Th_5_000000000347 以来さぼっていた作歌を再開しました。

 本当に何かを創造する仕事って大変ですよね。一度さぼってしまうと、どうやって作っていたのか忘れてしまう。できる予感すらしなくなってしまう。

 これがスランプと言われるものなのかもしれませんね。私のような趣味人でさえ、そういう苦悩を味わうわけですから、プロの方々は本当に大変でしょう。

 で、再開のきっかけとなったのが、これです。百鏡。

 出口王仁三郎は日本最大級の歌人です。なにしろ全歌数は15万首以上。ほとんど日常会話が短歌だったらしい。スランプとは無縁の天才です。

 そんな王仁三郎が、自身の歌を百選し、かるたにしてしまったのがこの百鏡です。

 最近、八幡書店から復刻されまして、早速購入しました。これがまあ面白いのなんのって。いや、歌もいつものとおり面白いのですが、何よりかるたの読み札の写真がたまらない。王仁三郎の百面相ならぬ百神相なのです。

 本人はいたって真面目でしょうし、信者さんにとっては面白がるより有難がる対象なのでしょうが、いやいやもう正直「笑ってはいけない」状態ですよ、我が家では(笑)。

Th_4_000000000347 今風に言えば、コスプレ写真集ですよ。まあ貴重な王仁三郎の写真をまとめて百枚見ることができるだけでもすごいことではありますがね。

 なんかこれを眺めていたら、歌ができるような気がしてきた。あれほど意欲もわかず、またできる予感もしなかったのに、あっという間に何首もできてしまいました(クオリティは?)。

 やっぱり自我が強すぎたんでしょうね。作ってやろうという自我が。器になったら簡単にダウンロードできた。たしかにこうやって作ってたっけ。思い出しました。

 オニさん、ありがとう。救われた。さすが救世主。

八幡書店「百鏡」

| | コメント (0)

2019.12.06

佐藤俊介 『バッハ 無伴奏ヴァイオリン・パルティータ 2番』

 

 日公開された動画。すごい。

 ようやくここまで来ましたか、バロック・ヴァイオリンの演奏も。

 バロック・ヴァイオリンのムーヴメントをずっと見てきた、そしてその中で多少は演奏もさせていただいてきた者としては、この境地を若い日本人がやってのけてくれたことに格別な感慨をいだきます。

 言葉で説明すると野暮になってしまいますので、とにかく聴いて観て(ここが大事)ください。

 聖書のように扱われて、そのために、たとえば繰り返しにおける即興的変奏もどこか許されてこなかったこの作品。佐藤さんは、いかにも自然に軽やかにそうしたかつての「良識」を越えてくれました。

 守破離。素晴らしい。

 そして、あらためてバッハはすごい。なんだ、このシャコンヌは。あらためて驚愕。

 シャコンヌの「空」については、昨年こちらに書きました。もう一つ付け加えるなら、このシャコンヌの最後の「d」音が、実はシャコンヌ冒頭の「空」白の1拍目になり、結果として無限にループする輪廻になりつつ、しかし螺旋状に上昇していくという構造になっています(そんなこと誰も言ってませんが、私にはそう聞こえます)。

 しかし、今回佐藤さんの演奏を聴いて、いやシャコンヌの冒頭ではなく、アウフタクトも含めて、このパルティータの冒頭、アルマンドの1拍目にループするのではないかと(初めて)感じました。面白いですね。

| | コメント (0)

2019.12.05

富士山消しゴム

Th_41gyy5cenl_ac_ul320_ml3_ 富士が定番化するとのこと。めでたし。

 私も限定発売の青・赤セットを持っています。実はまだ使っていないので、富士山は顕現しておりません。

 地球の歴史スケールで言いますと、富士山はもともとなかったわけで、隆起し噴火し侵食されて今の姿になったわけで、まあこの消しゴムの場合は基本侵食しかないわけですが、「富士山を作る」というコンセプトは歴史の俯瞰という意味でも面白いものです。

 いろいろな富士山グッズを見てきました。その中で、これは傑作の一つですね。なるほどこういう発想はなかった。

 すでに出来上がっているのではなく、本来の使い方をしながら「作る」。これって、何かに似てるなあと思ったのですが、なんだろう。え〜と、う〜ん、出てこない。何かを食べながら形を整える…なんかあったような気がしますが(笑)。

Th_41mliipdtql_sy355_ いろいろデザインも凝っているようで、たとえばここ富士山麓での外国人へのお土産としてもいいかもしれませんね。もちろん、PLUSさんのAIR-INですから、消し心地も最高です。日本品質。

 形が整うまでは、ムダに消して書いてを繰り返したりして。形が整ったら、今度はそれを維持しながら減らしていく。最後は土台の方形の部分がなくなり、本物の富士山のように机に鎮座すると。そこで作品は完成でしょうかね(笑)。楽しそう。

公式特集ページ

 

| | コメント (0)

2019.12.04

まじ、つらみ…

Th_-20191205-103951 じ、つらみが深い…期末テスト中の娘が、そう言っております。

 昨日の「読解力低下」と表裏一体で語られることの多い「若者言葉の乱れ」。はたして「乱れ」と片付けていいのか。

 「〜み」という言葉が耳についてきたのは、昨年あたりからでしょうか。特に若者が使います。30代になると厳しい?

 これは、「つらみ」「やばみ」「うざみ」など、やや語感の強い形容詞(つらい・やばい・うざい)などの語幹に「み」をつけることによって、ニュアンスをやわらかくする、いわば婉曲表現だと思いますね。

 普通に「つらい」とか「やばい」とか「うざい」とか書くと、読み手や聞き手に圧迫感を与えてしまいます。真剣に心配されてしまったりすると面倒だなあという時に、こういう婉曲表現は有効です。

 かつてなら、「つらい(涙)」とか「つらい…orz」とか「つらい…(ノ_・。)」とか、場合によっては「つらい(笑)」とか書いていたのかもしれません。特に文章では書き手の表情が見えませんので、こうして読み手に過度なストレスを与えないような工夫がなされてきました。

 それをさらに簡略化したのが、「〜み」でしょう。「つらい」という言い切りよりも、マ行音の「み」を語末に持ってきた方が、何か柔らかくなる。

 「つらみが深い」というような場合は、「つらみ」は名詞として扱われます。「つらさ」と同じ意味とも言えますが、やはりやや語感が軽くなるように感じますね。

 ちなみに名詞の「つらみ」という言葉、皆さんよくご存知の「うらみつらみ」という言葉として、とっくの昔から使われていました。江戸時代にはやった表現です。つまり、「うらみつらみ」でしか使われなかった「つらみ」という名詞が、この令和の時代になって完全に独立したというわけです。

 江戸時代の「つらみ」は、「うらみつらさ」の「つらさ」が「うらみ」に引きずられて語調を整えたものです。もちろん音に引きずられただけでなく、実際に「形容詞の語幹+み」という表現が古来あったというのも大きい(ちなみに「うらみ」は「うらむ」の連用形の名詞用法です)。

 そう、たとえば今でも「おもしろみ」とか「深み」とか「高み」とか「重み」とか言いますよね。「茂み」という当たり前の名詞も、もともとは「しげし」という形容詞の語幹に「み」がついたものです。万葉集にすでに用例があります。

 さらに言うと、「辛み」を「からみ」と読んだ場合、これは「辛味」と書くこともあります。「甘味」とか「旨味」などもそうですが、味に関する形容詞の場合、和語の「み」と漢語の「味」が混同してしまって、「味」という漢字を当てるようになりました。

 なんか話があっちこっち行ってしまいましたが、とにかく、日本語の歴史においては「若者言葉の乱れ」こそが「言葉の変化・進化」の尖兵なのでした。

 あとは、この新型「〜み」が定着するのか、それとも消え去る運命なのか。

| | コメント (0)

2019.11.28

ユーミン,ムッシュ with Tin Pan Alley

 

 日に続き、貴重な、貴重すぎる映像(音源)を紹介しましょう。

 コメント欄を参考にしますと、これは1976年3月14日、TBSの「セブンスターショー」のようです。セブンスターショーはサンデースペシャル内の企画で、1976年2月から3月にかけて7週にわたって放送された音楽番組。圧倒的人気を誇ったNHK大河ドラマ「風と雲と虹と」にぶつけた伝説の番組。ラインナップは以下のとおり。

2月15日 沢田研二 
2月22日 森進一
2月29日 西城秀樹
3月7日 布施明
3月14日 かまやつひろし・荒井由実
3月21日 五木ひろし
3月28日 吉田拓郎

 2月29日分は、西城秀樹さんが亡くなった時、BS-TBSで放送されましたね。なんとワンマンで90分(紹介の第5週は二人ですが)。プロデューサーはドラマ界の鬼才、久世光彦さん。

 この動画からもわかるとおり、とんでもない演出をしていますね。当時はそれほど高い視聴率は得られませんでしたが、こうしてムッシュ・ユーミン、ティン・パン・アレーという夢の共演の映像を残してくれたという意味では、さすが久世さん、未来的遺産を残してくれたということです。

 それにしても、本当に貴重な貴重な映像&音源ですねえ。荒井由実の未来的天才性がはっきりと見てとれます。

 未来、そう当時の彼らは、仲小路彰の右腕、高松宮さまの特別秘書であった川添浩史が経営するキャンティに集い、仲小路の「未来学原論」を読んでいたのです。そして、未来を夢想していた。音楽で表現していた。

 実際、川添浩史の息子、象郎さんが設立に関わったアルファレコードの各ミュージシャンたちの音楽(シティ・ポップやテクノ、フュージョン)は、今まさに欧米で大人気となっています。

 この映像も完全に未来ですよね。それこそ未だ来ていない未来かもしれない。これからようやく時代が追いつくかもしれない。

 歌はもちろん、演奏もいいですねえ。細野さんのギターも聴けます。チャイニーズ・スープのヴァイオリンはレコード同様、松任谷正隆さんの弟さんですかね。

 とにかく、毎日のようにこういう貴重な映像を観ることができるYouTubeというやつは、本当にすごいですね。世の中はこのようにどんどんシェリングに向かっていくのでした。仲小路の言ったとおりだ。

| | コメント (0)

2019.11.22

甲野善紀 「教わる」ことの落とし穴

 

 日は都留文科大学国文科の学生さん二人とたっぷりお話をしました。国語の教員を目指す、まさに私の後輩ということになります。お二人とも不思議な、不思議すぎるご縁があってお互いにびっくりしました。偶然は必然です。

 いつもの私らしく、話があっちこっち行ってしまい、結局何を話したか自分ではほとんど覚えていないのですが、たまたま帰ってから観た動画に、そのエッセンスが語られていることに気づき、自分でも思わず「なるほど」と思ってしまいました。

 代わりに(?)語ってくれているのは、かの甲野善紀師であります。言わずもがな、武道の達人であります。最も尊敬する心の師のお一人。

 「教える」こと、「教わる」ことの限界や危険性、すなわち「言葉」の限界や危険性ですね。国語の教員こそが、それらを意識すべきです。

 守破離ですね。学習はすなわち「まねび」「ならふ」こと。真似して慣れることで満足してはいけない。それを「破」って「離」れなければ。

 本当の「師」とはそこへ導く存在です。それを促す存在です。

 私が恩師大村はま先生に言われた言葉を思い出します。「私の真似をするなら100%しなさい」。厳しいお言葉でした。

 これは禅や道の修行と同じことを言っている。真似する、すなわち「守」ることを突き詰めて、結果として、それが無理であることを悟る。その結果、本当の自分に出会うことができ、ようやくオリジナルが生まれる。

 つまり、それこそ都留文科大学の学生だった私に大村先生が言いたかったのは、「あなたらしい国語の先生になりなさい」ということだったのです。

 出会ったのが偉大な師であればあるほど、それを破ってそこから離れることは難しい。高い山を越えて、さらに高い山を築くことは難しいけれども、それに挑戦することには大きな喜びがあるとも思います。

 辛いことと喜びとが一致するということを、なかなか教えにくい世の中になってしまいました。せいぜい、教師(先生)である自分が、そうして生きている姿を見せることくらいしかできませんが、それもまた、いやそれこそが、「教える(教わる)」や「言葉」を超える究極の方法なのかもしれません。

| | コメント (0)

より以前の記事一覧