カテゴリー「文化・芸術」の1000件の記事

2020.09.23

追悼 アニマル・ウォリアーさん

Th_unknown1_20200924101401 入りばなに悲しい知らせが届きました。

 日米のプロレス界を席巻したロード・ウォリアーズのアニマルさんが亡くなったとのこと。まだ60歳。

 ホークも若くして亡くなってしまいましたが、二人はまさにその試合ぶりのように、太く短い人生を生きたのでした。

 ロード・ウォリアーズが初来日した頃は、その荒っぽいファイトスタイルに、私はかなり違和感を抱き、どちらかというとアンチでしたが、今となってみれば、その後のプロレスの歴史に大きな影響を与えたことに敬意を抱かざるを得ません。

 アニマルさんは、レスラーとしてのキャラクターとは違い、とても賢く人柄が良かったと聞いています。実弟のジョニー・エースさんがレスラーとしてだけでなく、WWEのプロモーターとして活躍し、現在はその副社長に就任していることからも、お兄さんの人柄も想像できますね。

 実質引退後も日本のレスラーの皆さんと交流があったようです。中でもキラー・カーンさんのお店でのこの動画を観ると、そのお人柄が偲ばれますね。3年前ですか…お元気そうだったのに。ご冥福をお祈りします。

 

 

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2020.09.19

久しぶりのジャズ・ライヴ

Th_img_6834 日は、ふじさんホールにて、ウチの学校のジャズバンド部主催「BIG BAND JAZZ JOINT LIVE 2020」を鑑賞しました。

 本当に久しぶりの音楽ライヴです。客席は1席ずつ間を空けてという形、大きな声はNGでしたが、こういう時間と空間を待ちわびていた皆さんの秘めたる熱気に溢れた、素晴らしいライヴでした。

 前半は我が校のジャズバンド部、後半はゲストの内堀勝ビッグバンドの皆さんの演奏。

 やっぱり生はいいですねえ。ここのところ、ずっと映像でライヴ体験してきましたから、なんか懐かしいというか、改めてライヴの良さを痛感させられましたね。

 内堀さんやゲストのボーカリスト三橋りえさんもおっしゃっていたとおり、このような世情の中、こうしてホールでの本格的なコンサートを実現したことが、まずは画期的だったと思います。

 生徒たちや先生は、もろもろの企画や準備の段階から例年の数倍大変だったと思いますが、その分、こうして生で音楽を共有することのありがたさ、尊さを再確認する機会になったのではないでしょうか。

Th_img_6835 ゲストバンドの演奏者の皆さんもまた、久しぶりのステージということで、いつも以上に一つ一つの音符を楽しんでいるように感じました。そうですね、プロの皆さんこそ、深く感じ入るものがあったことでしょう。

 こうして、日常が戻りつつあるのも事実ですが、しかし、これから寒い季節を迎えるにあたって、どのような試練が訪れるか分かりません。だからこそ、ただ「戻る」のではなく、当たり前だった一瞬一瞬を大切にしていきたいですね。それが私たちのバージョンアップそのものとなるのですから。

 皆さん、本当にありがとうございました。私も今後、バロックだけでなく、珍しくジャズの仕事が控えています。今日のライヴを良い刺激として頑張ります。

 最後に、中高生バンドと共演してくれた、都留市出身の新進サックス奏者石井裕太くん、すっかりプロらしくなり、その演奏も正直見違えるほどにうまくなっていました。今回の内堀勝さんのバンドでの演奏も、きっと素晴らしい学びの機会になったことでしょう。これからの活躍に大いに期待したいと思います。

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2020.09.15

サブスクリプションこそ未来の経済

Th_musicology_00 んなニュースがありました。

 レコードの売上、CDを抜く 1980年代以降で初めて

 正直、こんなニュースが発信される日が来るとは夢にも思いませんでした。

 しかし、記事にもあるように、これは「アナログ回帰」「物理媒体回帰」ということではありません。

 「もの」に対する消費は確実に減っており、その少なくなった物理媒体市場の中で逆転が起ったということです。

 音楽市場での、今年上半期の売上はストリーミングが85%とのこと。

 この流れは止められないでしょう。特にコロナでライヴという媒体が厳しくなっている現状がありますからね。

 ところで、ストリーミングは提供形態であり、そのビジネスモデルはサブスクリプションがほとんどです。

 高城剛さんも言っているとおり、音楽界で起きたことは、他の分野にも広がっていきます。

 実際、サブスクリプションは書籍や映画、飲食、教育、交通などにも拡大しつつありますね。

 私は、将来的にほとんど全ての消費経済はサブスクリプションになっていくと考えています。

 ごく簡単に書くと、全ての国民がある一定のお金を払うと、衣食住や交通、趣味においてある程度の購入権を得ることができるになるということです。

 使いすぎると、スマホの速度制限のように、最低限の生活ができる程度の購入権を残して贅沢はできないようになります。それがある意味セーフティーネットの役割を果たします。

 これには、教育、福祉なども含まれ、サブスクの特長でもあるシェアのシステムも活用されます。

 これはベーシックインカムとは根本的に違った発想です。あえて言えば「ベーシックアウトゴー」でしょうか。

 このコロナ禍の中で、たとえば音楽ライヴや演劇などが厳しい状況になっていますが、それらの配信についても、全体で大きなサブスクリプションを導入するといいと思いますよ。

 月々1,980円払うと、様々なライヴ配信を無制限に観られるとか。980円だと1ヶ月10件までとか。

 そうやってコロナをきっかけに、様々な分野でサブスクを導入するといいでしょう。そこにクラウドファンディングや投げ銭のようなもの加える。誰かやりませんかね。私はアイデアだけ提供しますので。

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2020.09.14

素晴らしい縦読み(横読み)…静岡新聞「大自在」

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20200915-84543 

 ょうどこのコラムが掲載された先週土曜日、静岡市の実家におりまして、リアルタイムで読んだのですが、その時は正直気づきませんでした。まさかの(縦読みならぬ)「横読み」だったとは!

 いやあ、普通に読んだ時も、ああ面白いコラムだなと思ったのです。文章の構成もいいし、静岡新聞もなかなかやるなと。めったに静岡新聞を読む機会がないので。

 しばらくして、このコラムがツイッターで評判になっていてビックリ。

 もうお気づきかと思いますが、そう、一番下の文字を右から横読みすると…すごいメッセージが!

 いやあ、ここまで見事な「折句」はそうそうないですよ。もちろん、こういう言葉遊びは大昔からありました。それこそ「折句」のように。

 あるいは新聞のテレビ欄でも時々ありますよね。そうした遊びが。ネット掲示板やSNSでもよく見かけます。

 しかし大概が、その本文か潜ませた文かどちらかが多少破綻をきたすものなのですよ。その点、このコラムは両方完璧。お見事です。

 特にコラム書式なので、いろいろな制約があって、何文字目に折り込ませれば良いというものでもない。これはずいぶんと時間をかけて作ったものでしょう。

 先に潜文を考えて、それに合わせて本文を作っていったのだと思いますが、まあ大変な作業だったことでしょう。

 こうして注目されることで、コラム本文のメッセージも潜文のメッセージもより多くの人に届くというわけですから、これは古くて新しいメディア戦術なのかもしれません。

 私も入試問題の本文書いたりするので、そこでやってみようかな。

 ちなみにこの文章にはなんの仕掛けもありませんよ…たぶん(笑)。

 

 

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2020.09.11

『ミッドサマー』 アリ・アスター監督作品

Th_202002midsommar_yzwtk_l_full 日は、ドイツ公共放送の取材を受けました。そこで話題になったのことの一つは「集団と個」の問題。

 やはり日本とヨーロッパは大きく違います。言うまでもないけれども、日本は「個より集団(共同体)」、ヨーロッパは「集団より個」。

 もちろん、そんな簡単に対比できるものではありませんが、今日の対話では、やはりそのコントラストが際立ちました。

 欧米の立場から、その問題に深く切り込んだのがこの作品です。

 ホラー映画として「怖い」と宣伝されてしまっていますが、いやいや、実際観たら全然怖くないし、気持ち悪くもない。ホラーを期待していた次女は、心からがっかりしていました(笑)。

 まあ、ある意味、そうした民俗学的な部分に関して、ウチの家族がいろいろ知りすぎているのかもしれませんが、それにしても、ここで表現されていた「おぞましい(とされる)」習俗は、日本のどこかにかつて存在したもの、そして今でも受け継がれているものばかりでした。

 以前書いたように、棄老伝説とエロティシズムということでいえば、まさに「楢山節考」の焼き直し、ただ舞台をスウェーデンにしただけとも言えます。

 田舎に都会人が迷い込むという設定も、洋の東西を問わず無数にありますしね。観客をそういう「現代の前近代」に引き込むという意味では、横溝正史のシリーズにも共通する感覚がありました。

 というわけで、特に目新しい発見や、衝撃的なシーンはありませんでした(ウチだけか?)。「なんかきれいだったね」という感想は異常なのかなあ。

 話をテーマに戻しますと、そう、結局のところ、「現代=個」「前近代=集団(共同体)」ということで、欧米でもやはりそのような問題意識が表面化していることですよね。

 先日、フランス人YouTuberと話した時も、そんな話になりました。

 欧米から見ると、私たちの「学校」さえも「前近代」に見えるわけです。ただ、面白かったのは、それに対して、フランス人は「ヨーロッパが忘れてしまった大切なモノがそこにある」と言い、ドイツ人は無言で呆れ顔になったことです。

 では、友人であるスウェーデン人の日本映画研究者は、この映画についてどのような評価を下すのでしょうか。いやあ、いろいろな国の人たちと文化に語り合うのは、実に楽しいですね。

 

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2020.09.08

【討論】安倍政権の功罪と日本の教育

 

 日はご縁あって、フランス人の人気YouTuberのギギさんと丸一日ご一緒させていただきました。

 基本、ウチの中学校を取材してくれたのですが、たっぷり日仏の文化や教育についてお話させていただきました。

 おそらく1ヶ月後くらいに動画が完成すると思いますので、公開されましたら、また紹介しますね。

 さて、フランス人と一緒に日常を見直すことによって、私もあらためて「日本の教育」の光と影について考えさせられることになったわけですが、日本人、それも真正日本人を(おそらく)標榜するであろう保守系の人たちは、どのように「日本の教育」を見ているのか、いや憂えているのか、お話を聞いてみましょう。

 たまたまフランスの教育の話も出てきますね。「哲学」を重視していると。

 しかし、今日ギギさんから聞いたフランスの教育の現状とは、ちょっと違う感じがしますね。逆に、フランスには「哲学」がなく、日本には「尊敬・敬意」「公共心」という「哲学」があるというのが、ギギさんの感覚のようでした。

 まあ、どちらが正しいということではなく、いろいろな視点があるということでしょうね。

 それにしても、保守派の安倍さん評は、リベラルのそれよりも辛辣ですね(苦笑)。左右両方から強烈に批判されてきた安倍政権というのは、実はとってもバランスが取れているのかもしれません。

 素読と論理国語の話は興味深いですね。私は(意外かもしれませんが)素読になんの魅力も感じない国語教師です。もともと暗記が苦手だからでしょう。論理的に意味的に構造として理解しないと覚えられないタチなんです。

 そして、国語を文学と言語にはっきり分けよ!と、ずっと言ってきた国語教師はこのワタクシです。

 はたして、保守の皆さんは、「理性」を信頼しているのか、それとも「理性」を疑っているのか…よく分かりません、私は頭が悪いので(苦笑)。

 ただ、たしかに「今だけ、金だけ、自分だけ」ではなく、共同体に対する想像力を重視するというのは賛成です。教育がそういう中で生れる「信用」に根ざしているというのも、その通りだと思います。

 教育とは、学校とは、そして教養とは、道徳とは何なのか。難しいですね。現場の人間には、目の前には現実が横たわっていますし。けっこう「豊饒」ですよ。

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2020.09.06

保江邦夫さんにきく (羽賀ヒカル 神社チャンネル)

 

 

 日に続き、羽賀ヒカルさんの神社チャンネルから。

 この方も、またお会いしたいお一人ですね。かつては、いや今でも、「ぶっとび」と評価されることが多いでしょう保江邦夫先生。時代がようやく追いついてきたかなとも思います。

 その証拠と言ってもなんですが、この動画でも語られ、私もかねてから強く訴えてきた「時間は未来から過去へと流れる」という話が、ここへ来て急速に受け入れられるようになってきています。さっと理解してくださる方がずいぶん増えました。

 カタカムナについては、何も知らないのに懐疑的な私がいましたが、保江先生がおっしゃるなら何かあるに違いありません。なるほど、湯川秀樹と直接つながっていたというのは、あの時代だからこそあり得る話ですね。

 私たちの直観や、陰陽師が身につけていた感覚というのは、まさに「モノ」を「モノ」のまま把握する能力から発したものでしょう。現代人は、なんでも「コト化」(言語化・論理化・数式化…)して捉えるクセがついてしまっている。学校教育の弊害ですね。

 コロナの話も「コト化」(ここでは名付けや数値化)の弊害、そしてそういう負の言霊を使って「戦争」を起こす人たちがいるという、世界の歴史の一側面を明示してくれていますね。

 正体の分らない「モノ」と仲良くし、無意識の領域にまで習慣化した理屈抜きの、たとえば「作法」「礼法」によって、見事にディスタンスを取っていたということですね。実に面白い。

 今回、コロナ騒動によって、私たちは「コト化」の弊害を知ることになりました。もちろん「コト化」は(都市)社会を形成する上で、非常に重要な方法論ではあります。

 しかし、行き過ぎ、依存過多はいけません。モノとコトのバランスを取ること…それが時間の流れを操ることにもつながるわけですが…が重要になってくるでしょう。

 

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2020.09.01

『帰ってきたヒトラー』 ダーヴィト・ヴネント監督作品

 

 日はひょんなことから大変ドイツに詳しい方(と言うよりほとんどドイツ人である日本人)と話をする機会がありました。

 実に面白い人類学的な視点から歴史を振り返ることができ、本当に勉強になりました。さすがゲルマン民族は違うわ(笑)。

 そこでリアルに思い出したのが、この映画。今日の話をうかがってから、もう一度見直すとまた全然違った気づきがありました。

 この独特の諷刺精神というか、ユーモアの感じも、なるほど実は非常にゲルマン的なのかもしれませんね。

 そう、この映画で表現されているヒトラーこそが、ある意味非常にドイツ人的ドイツ人なのかもしれませんね。今日のお話を思い出すと、そう思わずにいられません。

 一昨日の、いかにもフランスといったルノワールの「ピクニック」とは対照的な世界とも言えましょう。

 日本版「Er ist wieder da 〜彼が帰ってきた」を作るとしたら、誰を現代にお迎えしましょうかね。そんなことを考えながら観るのも一興です。

 そう、今日の対談の中に「人種というドイツ語を使ってはいけない」という話がありました。また、「ドイツ人は全くあの戦争を乗り越えていない」という話や、「ホロコーストは全く無感情に行われた」という話もありました。「民族としていまだに上から目線だし排他的だ」とも。

 この映画を観ていると、さもありなんと思えてきて、最後は笑えなくなりますね。

 そして、これも今日の話題になりましたが、バロック音楽においても、なぜバッハのような音楽家が生れたか、これもやはりドイツだからこそということでしょうね。

 ところで、この「ヒトラー」、けっこういい人として描かれていまして、それが本国でも批判の対象になったと言いますが、原作者が言うとおり、こういう「リアル」に向き合わないと、つまり、ヒトラーを完璧な悪魔に仕立てているかぎり、それこそドイツ人は過去を乗り越えられないでしょう。

 よく、ドイツは謝罪し反省したが、日本は…という暴論を耳にしますが、それもまた日本を完璧な悪魔に仕立てているわけであって、それまた自身の過去を乗り越えられない結果を生むでしょうね。

 そんなことも含めて、とても他人事とは思えない、そして単純には笑えない、けっこう重い作品です。

 最近私がそこら中で主張している、日本の学校の軍隊文化に通じるシーンもあります。ある時からの日本の軍隊文化は、それこそナチスから輸入したものですし。

 …と、結局重くなってしまい、コメディにふりきれないところもまた、ドイツ人らしい?w

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2020.08.30

『ピクニック』 ジャン・ルノワール監督作品

Th_71cca5cdrml_ac_ul320_ 象派の巨匠ルノワールの次男、ジャン・ルノワールの名作。

 今日、そのジャンに来日を促した川添紫郎の手紙の原稿を目にする機会がありました。

 結局、ジャンの来日は叶いませんでした。しかしジャンは、フランスで川添の妻であるピアニストの原智恵子や画家の藤田嗣治と交流を持ち、日本への興味は尽きなかったようです。

 言うまでもなく、父ルノワールも日本の絵画、特に浮世絵の影響を受けています。特に色彩の面において、それが顕著でした。

 次男のジャンのこの映画はモノクロですが、不思議ときらびやかな色彩を感じさせます。おそらく、父と同様に「光」を重視したからでしょう。結局、白と黒には全ての色が入っているということです。

 これまた言うまでもなく、モノクロの写真や映画、そしてマンガなどが持つ、無限の可能性というものですね。

 そして、この映画のなんとも切ないストーリーも、そしてこの映画自体の数奇な運命も、どこか能のような象徴性、写実ではないリアリズムを感じさせます。

 それこそ「印象」なのでしょう。そう、息子の映画を鑑賞することによって、父の絵画の見方も変わります。絵に命が吹きこまれ、躍動し、時間が流れ出し、ドラマが生れます。

 そして、その数奇な運命の結果でもある唐突な場面転換や時間の経過が、結果としてですが、功を奏しているようです。何かあの時代の残酷さをも象徴しているある種奇跡的な作品と言えるでしょう。

 たった40分あまりの作品です。その中に、あの時代のフランスの光と影が全て表現されていると言っても過言ではありません。

 そんな時代を生き抜き、そんなジャン・ルノワールと交流のあった日本人たちの知られざる人生を発掘することは、私にとっては実に楽しく感動的なことです。まるで、いくつもの優れた作品を鑑賞するがごとくに。

 そうそう、川添の手紙に『ミカド』という言葉が出てきました。ジャン・ルノワールは天皇に興味を持っていたようですね。

ピクニック公式

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2020.08.21

追悼 山崎正和さん

Th_httpsimgixproxyn8sjpdsxmzo62890620210 作家、評論家の山崎正和さんがお亡くなりになりました。

 山崎さんだったら、昨日の「七つの会議」をどう評したでしょうかね。たぶん厳しい評価なのでは。

 山崎正和さんと言えば、私たち国語教師としては「水の東西」をまず思い出します。いや、ほとんどの方がおそらく高校の現代文(現代国語)の授業で教わった記憶があるのではないでしょうか。

 私もご多分に漏れず高校時代にこの文章に出会って、東西比較文化論の面白さに気づかせていただきました。

 国語教師になってからは、実はこの教材で授業をしたことがありません。

 一つの理由は…これは山崎さん自身も認めてくださって安心したのですが…これが「評論」ではなく「随筆(随想)」だということに気づいてしまったからです。

 ご本人もおっしゃっているように、たしかに評論寄りの随筆ではありますが、かなり感覚的な言葉が並んでおり、ある意味一つの解釈に収まられない面白さがある文章です。

 それは、たとえば小林秀雄の文章にも当てはまることなのですが、それを、「評論」というくくりの中で、あたかも一つの解釈が成り立つかのような授業をするのが、どうにもいやだったのです。

 ましてや、それをテストに出して、◯✗をつけるなんて…なんだかんだセンター試験や大学の個別入試に出てしまっているのですが…教師としての、ではなく、人間としての良心が許さない?!

 まあ、簡単に言えば、随筆は随筆としてそのまま味わいたい、そこからそれぞれ思索を広げればよいと思うわけで、そうだとすると、あえて授業でやる必要はないわけですね。ただそういう理由です(相変わらずの変人でスミマセン)。

 なんか最近、「学校をぶっ壊す」とかイキってる自分を客観的に見ると、つくづく(今の教育制度の)先生には向いてなかったのだなあと思うわけです。生徒は可哀想だよなあ。

 さて、それでも全然反省しないワタクシではありますが、ちょっとセンセーぶって山崎正和さんの作品をおススメするとすれば、これでしょう。「世阿弥」。劇作家、そして評論家、いや随筆家山崎正和の原点は「花伝書」にあり。

Amazon 世阿弥

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