カテゴリー「文化・芸術」の1000件の記事

2022.08.15

バッハ 『シャコンヌ(オルガン版)』

 

 戦の日。毎年いろいろ思うところはありますが、まずは亡くなった方々のために祈りましょう。

 祈りの音楽という意味では、世界最高峰、いや宇宙最高峰と言って間違いないのが、バッハの無伴奏ヴァイオリン・パルティータの「シャコンヌ」でしょう。

 ヴァイオリン一挺すなわち4本の弦のためにこの曲を作ったこと自体奇跡的です。しかし、実はその限られた音の裏側に、象徴的な世界が広がっていることが、祈りという未来への無限の可能性を示しているのです。

 そういう意味で、多くの作曲家、演奏家たちが、他の楽器のために(あるいはオーケストラのために)編曲を試みてきました。

 そのほとんどが、たとえば私のイメージとは微妙に違いがあって、これだ!というものにはなかなか出会えません。当然ですね。だからといって、自分には才能がないので編曲することはできません。

 はたして、バッハの脳裏にはどういう音が響いていたのか。それを考えるだけでも、実に興味深いし、楽しいし、夢があってワクワクしますね。

 そして、今日、今までで最も自分のイメージに近い、すなわち私が想像するバッハ自身のイメージにも近い演奏に出会いました。

 それがこの演奏です。アドリアーノ・ファルシオーニのオルガン演奏。これは正直びっくりしました。発見がたくさんありました。皆さんにはどう映るかわかりませんが、とりあえず私にとっては今のところベストな編曲です。

 なんとなくですが、この編曲って頭で考えたというより、ダウンロードしたのではないかと思えるんですね。そうとうに深い瞑想状態にならないと、こうはいかないのではないでしょうか。

 歴史の本当の意味も、その背後にあるのです。それを頭で考えるのではなく、まさに直観的にイメージすることこそ大切だと、最近強く感じるのでした。

 過去の意味は、そうして未来に決定されていくのです。楽しいではないですか。

 

 

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2022.08.13

「みんな仲よく」の信念(サンリオ辻名誉会長)

20220814-94829 ンリオ名誉会長辻信太郎さんのロング・インタビューが素晴らしかった。

「戦争だから仕方ない」みんなそう思っていた──サンリオ辻名誉会長が語る軍国主義教育の恐ろしさと、「みんな仲よく」の信念 #戦争の記憶

 サンリオは「山梨王」という都市伝説が生まれることからもわかるとおり、山梨が誇る世界企業となったサンリオ。

 サンリオの前身である「山梨シルクセンター」と仲小路彰の関係についてはこちらに書きました。

 今、私も全く想定外のところでシルクと関わることになっており、まったく不思議な運命を感じずにはいられません。

 私も辻さんと同じく、「みんな仲よく」「世界平和」を目指してのシルク活動です。

 シルク産業からキャラクター産業へと転身したのは、まさに時代の変化を先読みした辻さんの先見の明でした。

 明治時代以降の絹織物産業は、結果として多くの武器を生むこととなり、あの戦争を遂行させる原動力となりました。また、一方で、機械化から取り残された地方の絹織物従事者から仕事を奪い、結果として天理や大本のような新宗教を生むに至りました。

 その点、戦後の絹織物産業は一気に衰退しましたが、一方でそれは新たな産業を生み、そのうちの一つがアニメやマンガなどに象徴されるキャラクター産業です。

 キャラクターという物語の力は、まさに象徴の力であり、それは象徴的であるからこそ、物質的な奪い合いがなく、結果として平和を招来するものです。

 そして、今、私が手掛けている「シルク絃」の開発は、音という象徴の世界を使って世界を変えようというものです。まさに「みんな仲よく」の調和の世界を作りたいのです。

 辻さんのような成功が待っているのか、それとも失敗に終わるのか。今年はその大切な年になりそうです。山梨の偉大なる先人に学びながら、負けないように信念を持って頑張りたいですね。

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2022.08.09

追悼 オリビア・ニュートン・ジョン

 

 あ、私の青春の憧れがまた一つ…。

 オリビアを知ったのはこの曲が初めてでした。当時私は12歳。小学6年生でした。

 白人女性への初恋ですかね(笑)。ステキなお姉さまに対する憧れでしょうか。

 その後、私の大好きだったELOと共演し「ザナドゥ」をヒットさせた時は、不思議なもので恋が成就したような感覚になったものです。遠い存在だった憧れの女性が、急にこちら側に近づいてきたような。面白い感覚ですよね。

 アイドル的な外見と歌声でありながら、アーティスティックな楽曲や共演に恵まれたのは、やはり歌手としての実力、そのお人柄のなせるわざだったのでしょう。

 ガンと戦いながら、社会貢献をいつも考えてこられた方でした。昨年末には、日本国から「旭日小綬章」が贈られました。医療大麻の推進者としてもその界隈では有名でした。

 ご冥福をお祈りいたします。

 

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2022.08.08

誡太子書(花園天皇)現代語訳(5)

 たとえ学問の道に入るといっても、なおこのような失敗が多い。深く自らこれを慎み、有益な友を得て切磋されるべきである。学問でさえ誤りがあれば、道に遠い。ましてやその他のことは言うまでもない。深く誡めて必ずこれを防ぎなさい。そして、近ごろあなたが親しくするところ、すなわちつまらぬ人の慣れ親しむことはただ俗事のみで、本性は相近くとも、習いはすなわち遠い。たとえ生来の徳を備えるといえども、なお感化されることがあることを恐れる。ましてや上智に及ばないことを恐れないでよかろうか。徳を立て学識を成す道は、かつてより由るところがない。ああ、悲しいかな。先皇の諸業績は、今時たちまち堕落してしまうだろう。

 私は本性が拙く、智恵は浅いといえども、ほぼほぼ典籍を学び、徳義を成し、王道を興そうとしている。それはただ宗廟の祭祀を断絶させないためである。宗廟の祭祀を絶やさないかは、太子の徳にかかっている。だから、今あなたが徳を捨てて修めないならば、学ぶべき所を一旦溝に埋めて再び用いないようにしてしまうことである。これは私が胸を撃たれて号泣し、天に叫んで大きく嘆息するところである。五刑のたぐいは数多くあるが、罪として不孝よりも重大なものはない。その不孝の中でも、祭祀を断絶させることよりも甚だしいものはない。慎まねばならない。恐れねばならない。もし学問の功績が現れ、徳義を成就すれば、ただ帝の御業績を現世で盛んにするだけではなく、また美名を来世に残し、上は先祖に大孝を致し、下は庶民に厚徳を与えるだろう。そうすれば、高くしてしかも危うからず、満ちてしかも溢れない。なんと楽しいではないか。一日の屈辱を受けて、百年栄えを保つなら、忍従することができる。ましてや積み重なる古典に心を遊ばせれば、つまらない束縛もなく、本の中で故人に遭えば、ただ聖賢との交流がある。小さな部屋を出ずして千里を思い、あっという間に万古を旅する。楽しみに最も甚だしいものは、これに過ぎるものはない。道を楽しむと乱に遭遇するのと、憂い喜びの異なること、日を同じくして語ることはできない。あなた自身どちらを択ぶべきか、よく審らかに考えるべきである。

(完)

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2022.08.07

誡太子書(花園天皇)現代語訳(4)

 詩書礼楽をもってせずしては世は治めることができない。これを手段として寸陰を大切にし、夜も昼に続いて、精しく研究するのがよろしい。たとえ学問が百家にわたり、六経を暗誦するとしても、儒教の奥義を得ることはできない。ましてや、大学・中庸を学ばずして、治国の術を求めるのは、蚊や虻が千里の遠きを思い、鷦鷯(みそさざい)が九天の広きを望むよりも愚かである。だからこそ考えて学び、学んで考え、経書に精通し、日々自己を省みれば、そのようなことに似ることはないだろう。学問の要たる万物の智を身につけ、まだ起きていないことを先に知り、天命の終始を理解し、時運の難易を区別し、もしくは過去と今を比較し、先代の興廃の道筋を斟酌するなど、変化すること際限がない者である。諸子百家の文を暗誦し、巧みに詩賦を作り、議論を為すことができ、多く官僚が皆それぞれを掌握する所があれば、君主がどうして自らこれらを労する必要があろうか。だから、宇多天皇の遺誡に「天子、雑文に入りて日を消すべからず云々」とあるが、近ごろ以来の愚かな儒学者は、それを学ぶというとただ仁義の名を守ってばかりで、いまだ儒教の本質を知らない。苦労は多いが功はない。司馬遷の言う「博くして要寡きもの」である。また、最近一群の学徒がおり、わずかに聖人の一言を聞いて、自らの臆測の説を用い、仏陀や老子の言葉を借りて、みだりに中庸の意味に取り、湛然虚寂(豊かに落ち着いているさま)の道理をもって儒教の本質となし、まったく仁義忠孝の道を知らず、法度に従わず礼儀をわきまえず、無欲清浄は取るべきものに似ているといえども、ただこれは老荘の道であり、孔孟の教えではない。これは同時に儒教の本質を知らないことであり、これを取るべきではない。

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2022.08.06

誡太子書(花園天皇)現代語訳(3)

 これに加えて、昔から武力革命が続き、皇室の権威はついに衰えている。なんと悲しいことではないか。皇太子よ、かつての皇室の興廃する理由をよく観察するがよい。手本は近くにあり、明らかに目に見えるものである。ましてや、時は流れ、人が皆暴悪になるに及び、智慧が万物にあまねく広がり、才能が世の太平と波乱を経験する以外に、どうやってこの乱れた俗世間を治めることができるであろうか。そうして凡庸な人々は太平の時に慣れてしまい、かつてのその時の世の乱れを知らない。時代が太平ならば、すなわち庶民と君主といえども治めることができる。でから、堯舜が生まれて庶民の上にいるならば、十の桀紂がいたとしても、世は乱れるはずもない。勢いが治まっているからである。

 現在、いまだ大きな乱に及ばないといっても、乱の勢いがきざしてからすでに久しい。一朝一夕といった少しの時の話ではない。聖主が位にあれば、すなわち平穏であろう。賢主が国政に当てれば、すなわち乱はないだろう。もし主君が賢聖でなければ、すなわち恐ろしいことに乱はたった数年の後に起こるだろう。そして、一旦乱が起きれば、すなわちたとえ賢哲のすぐれた君主といえども、数ヶ月で治めることはできない。必ず数年を待つ必要がある。ましてや凡庸な君主がこうしためぐり合わせのもとに立つならば、国は日に日に衰え、政治は日に日に乱れ、国勢は必ず土崩瓦解するに至る。愚人は時の変化に気づかず、かつての泰平をもって、今日の衰乱を判断する。なんとも誤った考えではないか。近い代の君主はいまだこのような運命には際会していないが、おそらくはまさに皇太子が即位する際、この衰乱の運命の時に当たるのではないか。内に賢明な聴く耳を持ち、外に各方面に通ずる優れた策があるのでなければ、乱国に立つことはできない。これが私が強く学問を勧める所以である。現在の凡庸なあなたはいまだかつてこのような時機というものを知らない。よくその思いをめぐらし、この悪い風習の時代の上に加えなさい。

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2022.08.05

誡太子書(花園天皇)現代語訳(2)

 秦の政治が強かったといっても、漢と並ぶところとなり、隋や煬が盛んだったといっても、唐がそれを滅ぼすところとなった。しかし、へつらう愚人は次のように考える。我が朝廷は万世一系で、かの外国(中国)の、徳を以て政権交代し、武力を以て政権を争うのと同じではない。だから徳が少なくても、隣国がすきを窺う危険性はなく、政治が乱れるといっても、他民族に政権を奪われる恐れはない、これは我が国が守られているのであって、他国にまさっている点である、と。であれば、わずかにでも先代の威光を受けて、最悪の国にしなければ、伝統の法制を守った良い君子として充分であろう。必ずしも徳が堯舜に及ばず、教化すること栗陸氏に等しくないことを心配する必要はない、と。無知な庶民は、こうした言葉を聞いて、皆そのとおりだと思ってしまう。私はこれは深く間違っていると思うのである。

 なぜならば、釣り鐘は響きを蓄えているが、それを叩かなければ、いったい誰がこれを音がないと言うだろう。澄んだ鏡はそこに影像を含んでいるが、すべて鏡の前に立たなければ、いったい誰がこの鏡は映らないと言うだろうか。結果はいまだ顕れずといえども、物の道理はすでに明らかである。よって孟子は紂王を逆賊とし、武王を責めることはなかった。少ない徳で神器を保持しようとして、どうして理の当たるところとなるだろうか。もしそのようにしようと思うなら、累卵が崩れる岩の下にあるよりも危険で、腐った縄が水底の上にあるよりもひどい。たとえ吾が国を他民族からの侵略から守ったとしても、皇位の交替が多くなるのは、そのためである。

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2022.08.04

誡太子書(花園天皇)現代語訳(1)

Th_-20220807-180640 皇陛下がたびたび言及されている「誡太子書」。

 花園天皇が自らの皇太子に対しての大変厳しい言葉を綴った文書です。代々の天皇、皇太子に対する永遠のメッセージとも言えましょう。

 また、私たち庶民の生き方に対する一つの指標であります。

 原文は厳格な漢文で、なかなか読みにくいので、私なりに書き下したのち、わかりやすく現代語訳してみました。

 あくまでもワタクシ流の解釈です。細かい質問などにはお答えできません。あくまでも御参考までに。

 数日に分けて公開します。

 

 誡太子書

 私(花園天皇)が聞くところによれば、天が庶民を生み、君子を立てて民を養うのは、人や物をうまく利用するためである。民は愚かであり、これを導くのに仁義をもってし、凡俗の無知を治めるのに政治を以てする。もしその才能がなければ、君子の位についてはならない。人民の一つの官職でさえも、これを失うと、やはり天下は乱れるという。すきを狙う鬼の災いは逃れることができないのだ。ましてや、君子の大切な仕事については、必ず慎み、恐れなければならない。

 それなのに、皇太子は宮中の人たちの手によって成長し、いまだ庶民の苦難を知らず、常に華やかな衣服を着て、糸を紡ぎ布を織る大変さを思うことがない。いつまでも庶民の供した穀物のおいしい料理を腹いっぱい食し、いまだ種植えや刈り取りの苦労を知らず、国に対してかつて少しの功もなく、民に対してほんの少しの恵みもなかったではないか。

 ただ先帝の残した威光というものをもって、何も考えず君子の政務の重責を遂げようとする。徳がないのに誤って王侯に託し、功もないのにもし庶民の中に赴くならば、これほど恥ずかしいことがあろうか。また、詩書礼楽という庶民をまとめる四術をどうやって習得するのか。皇太子自ら反省してほしい。もし(詩経にあるがごとく)温かみと誠実さの教えをを身につけ、諸事に通じる見識で世の意味を悟れば、それは善いことである。とはいえ、やはり足りないことがあることを恐れ、ましてやいまだ自らが道徳を身につけず、少しでもかの重い位を期待するのであれば、これは求めることと為すべきこととが違っていることになる。たとえば、まるで網を捨てて魚がかかるのを待ち、耕さないで穀物が熟すのを期待するかのようである。これらを得ることは決して難しくない。たとえ勉強してこれらを得たとしても、おそらくはそれは自らのものになっていない。

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2022.08.01

ポール・マッカートニーが語る、ビートルズのヒット曲誕生の裏側と軌跡

 

 れは本当にヤバい動画です。感動を通り越して、敬虔な気持ちにさえなりますね。

 こうしてポールがお元気で、こうしてビートルズの名曲の解説をしてくれるなんて、それこそ夢のような話です。

 やはり、世界の音楽史の中で、ポールとジョンの二人での共作、競作というのは画期的というか、実は空前絶後のことなのではないか。

 その後もこのレベルでの複数人による作詞・作曲というのはありませんから。

 本当に奇跡的な出会いだったのですね。そして、ジョージが魅力的なリフを作る。リンゴは実は全体のコンダクターの役割をしている。

 もっともっとたくさんの楽曲について、解説していただきたい。おそらく皆さん、そう思ったことでしょう。

 それにしてもすごい記憶力ですね。天才はいつまでも天才なのでした。

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2022.07.29

The HU

Th_img_9409 ジロック参戦中の次女から動画が送られてきました。カッコいい!とのこと。音も見た目も。

 モンゴルのロックバンド、The HU。

 たしかにカッコいい。ヘビーだぞ。

 エレキ馬頭琴がヤバい。

 2020年のライヴを御覧ください。

 

 

 娘も言っていましたが、日本の男たちはなんで、あんなに男らしくないのか。

 ロックはこの野太さでしょう。やさ男の女々しい歌は聴きたくない!…とのこと。

 全くそのとおりだと思います。

 もちろん、音楽は社会を映す鏡ですから、日本が平和ボケで男が男らしくなくなっていくのは仕方ないことです。

 モンゴルはいまだ男が男だということでしょうか。たしかに相撲も…。

 それにしても、すごいのは、やっぱりホーミーや馬頭琴などの伝統楽器をうまく利用しているところでしょう。

 ある意味ノイジーで荒削りな音世界ですから、ロックに親和性が高いのは当然です。ボーカルにアナログ・ディストーションがかかってているということですからね(笑)。

 では、日本人が三味線や琴を使ってロックをやるのと同じかというと、やっぱりなんか違いますよね。スピリットが違う。

 The HUは自らの言語と文化を本気で一番カッコいいと思っているのでしょう。日本人はカッコ悪いと思ってますからね、伝統文化を。

 結果、今の日本は、平安時代の貴族文化や、江戸時代の町民文化みたいな感じ。より繊細で内向的でマニアックな方向に進んでしまい、結局西洋音楽の重箱の隅をつつくような音楽ばかりになってしまった。

 もちろん、それがガラパゴス的な独特な世界を生んでいるのも事実です。しかし、ではそれが世界で通用するかというと、マーケティング戦略がどうとかいう次元ではなく、実際難しいのではないでしょうか。

 ちょっとThe HU、注目ですね。久々に新鮮なカッコよさを感じます。私も生で聴いてみたい。

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