カテゴリー「文化・芸術」の1000件の記事

2021.01.22

『俺の家の話 第1話』 宮藤官九郎脚本作品 (TBS)

Th_-20210123-120904 やあ、第1話から存分楽しませていただきました。

 これって、クドカンが私のために書いた脚本じゃないですか(笑)。

 プロレス、能、親の介護…。

 しかも「羽衣」。私にとってあまりに思い出深い演目。

 特に今、ちょうど次女が能の道を志して、観山…いや観世流の人間国宝、日本能楽会会長に稽古をつけてもらっているわけでして、間もなく試験もあったりで、見事なタイミングすぎました。

 プロレスについては言うまでもありません。知り合いのレスラーも何人か映り込んでいましたし、長州力役の長州力さんとも不思議なご縁があります。

 もともと、私は能とプロレスを非常に近いモノとして捉えておりまして、たとえばこの日など、まさに能とプロレスのチャンピオンたちをはしごするような体験をしております。

 それにしても宮藤官九郎さんという人の物語力は本当にすごいですね。多くの重いテーマを含みながら、それを適量のユーモアで包み込んでエンターテインメントとする。そうして、しっかり観客を引き寄せておいて、心に楔を打つ。それこそ能やプロレスの名人級の技です。

 長瀬智也さんの存在感に加え、これまた名人級の西田敏行の演技も素晴らしすぎ。

 これからの展開が本当に楽しみです。久しぶりにテレビドラマをちゃんと観ようという気になっています。

 皆さんもぜひ御覧ください。第1話もTVerなどで観ることができますよ。

 俺の家の話 公式

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2021.01.19

日本人は何を考えてきたのか…第9回「大本教 民衆は何を求めたのか」 (NHK Eテレ)

 日は出口王仁三郎の命日。王仁三郎は昭和23年1月19日に昇天しました。

 この日にちなんで、NHK Eテレで放送された番組を紹介します。

 NHKが一宗教団体、それも新興宗教団体を取り上げるのは珍しいですよね。90分にわたる実に濃厚な内容の番組になっています。

 当時北海道大学の准教授だった中島岳志さんをナビゲーターに、東大の島薗進さん、一橋の安丸良夫さん、京大の上田正昭さん、関西学院の對馬路人さんという錚々たる宗教学者、歴史学者の皆さんが、出口なおについて、出口王仁三郎について、大本について語っています。

 いかに大本が民衆宗教の枠を超えて、当時の政治、経済、軍事、思想などに影響を与えたかがよく分かりますね。もちろん、時代的な功罪はあったにせよ、とんでもないスケールで人々を動かしていたのは事実であり、特に王仁三郎を無視して当時の歴史は語れないでしょう。

 いずれ、大河ドラマで王仁三郎の一代記を作ってもらいたいですね。あまりにドラマチックでエキセントリック、センセーショナルでインターナショナル、そしてスピリチュアルな人生ですから。一本の映画ではとても表現しきれません。

 この番組でも最後に紹介される王仁三郎の耀わん。そして、発見されたという、なおの糸車。まさに言葉にできない未来への祈りが、そこに感じられますね。

 

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2021.01.18

『小早川家の秋』 小津安二郎監督作品

Th_5 日の東スポから、すごい飛躍ですよね。

 しかし、アヴァンギャルドという意味では、もしかすると共通点があるかもしれない。

 久々にこの映画を観ていたら、映画大好き、そしてお能を学んでいる次女が、「気持ち悪い」と叫びました。

 なるほど!たしかに今どきの娘っ子にとって、いろいろな意味で「気持ち悪い」のかもしれません。

 そして、その「気持ち悪さ」が、なぜか「気持ち良さ」に変わっていくのが小津映画の不思議です。

 あれだけ「つまらない」「眠くなる」と思っていた能の世界にどハマリするくらいですから、おそらく数年後には小津ワールドの囚われ人となっているに違いありません。

 何が気持ち悪いのか聞くと、これがなかなか的確なのですよ。

 まず、低すぎるアングル。そして、幾何学的に並んだ人物、オブジェ。独特の間。計算され尽くした、しかし一瞬ではわからない挿画的風景。さらにはアグファカラーの不自然な赤。

 たしかにそのとおり。それはそれは「気持ち悪い」でしょうね。よくぞ気づいた!

 さらに小津慣れしている私でも、この東宝での小津作品と、大映での浮草には、心地よい不自然さ、心地よい気持ち悪さを感じます。そして、この二大異種格闘技戦作品が好きで好きでたまらないのであります。

 両作品で主役である中村鴈治郎さんの妙演は言うまでもなく、松竹ではありえない役者陣の、ある種の道場破り的な自己表現が素晴らしすぎます。これは静かなる戦いですよね。

 特に、そうだなあ、加東大介さんと森繁久彌さんの老獪な(まだお二人とも若いのですが…)職人芸、そしてクールすぎて短い登場時間ながらインパクトありすぎな宝田明さんかなあ…。もちろん女優陣も素晴らしいですね。

 私が生まれる少し前の、古き佳き日本人の姿もまた、今どきの娘にとっては「気持ち悪い」のかもしれません。美しい所作、言葉、佇まい。美しすぎるのでしょう。

 とにかく世界に誇る超名作の一つです。死ぬまでに何度でも観ますよ、私は。そして、いつか娘も一緒に見入っていることでしょう。

Amazon 小早川家の秋

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2021.01.17

今こそ!俺たちの東京スポーツ最強伝説

Th_ermsq_dvcaafy9w548x365 近、ウチの女子3人がK-POPアイドルにキャーキャー言って幸福感を味わっているようで、なんとも羨ましいなあ、男にはこういう世界はないなあ…と思っていたら、ありました(笑)。

 今日新宿ロフトプラスワンで行われたイベント「今こそ!俺たちの東京スポーツ最強伝説」が、実に萌え燃えでした。

 うん、やっぱりこういう世界が好きだし、めちゃくちゃ自分の人生に影響を与えているのだなあと思った次第です。東スポとムーね(笑)。

 まあ、こういう世界観を受け入れられるか、あるいは楽しめるか、あるいははなから無視したり、馬鹿にしたりするかで、人生の豊かさは大きく変わってくることでしょう。

 プロレス、野球、芸能、競馬、性風俗、カッパ、UFO、宇宙人、そして1面タイトル名作集…討論メンバー、ゲストの皆さんの話が抱腹絶倒すぎて、久しぶりに酸欠になってしまいました。ホント男のロマンはここにあり!っていう感じでしたね。女に負けていられるかと(笑)。

 たしかに現在のSNSのフェイクとファクトの按配、そして炎上商法など、ずいぶん昔からやっていたんですよね、東スポさんは。

 これはもう完全に「文化」です。東スポ博物館とか出来たら、ぜったい世界中から人が集まりますよ。ぜひ、あえて「東京」ではなく「富士山」に造ってもらいたい。

 1600円払って、これだけ楽しめるのであれば、めちゃくちゃ安上がりです。とりあえず2回観ました。次は多少オヤジ臭のするウチのカミさんと一緒に楽しもうと思います。

 ということは、カミさんは男女両方の萌え燃えを楽しんでいるということか。最強だな。

 今こそ!俺たちの東スポ最強伝説

 東スポWeb

 

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2021.01.16

『江戸の妖怪革命』 香川雅信 (角川ソフィア文庫)

Th_51uuenykcdl_sx353_bo1204203200_ あ、昨日「特攻」と書いた共通テストが始まりました。ウチの次女はしっかり玉砕して帰ってきました(苦笑)。

 センター試験時代はよく問題評(批判)をやっていましたが、直接の現場を離れてしまった今、そこまでの根性がありません。ただ、いちおう全部は解いてみました。

 記述式が採用されなかった点も含めて、基本的な構造はセンター試験、いやその前の共通一次試験と何ら変りはありませんが、設問にはそれらしく今風なものも散見されました。

 文章として興味深かった(すなわち高校生も取り組みやすかった)のは、第1問評論の香川雅信さんの「江戸の妖怪革命」の序章でしょう。こちらでぜひお読みください。

 ワタクシの「モノ・コト論」とは少し違う解釈ですが、共通している部分も多かった。

 近世中期から妖怪のフィクション化(キャラクター化)が始まり、実は近代になって再び中世的なリアリズムを取り戻したというのは、よく分かります。

 近代は心霊の時代、現代はスピリチュアルの時代ですからね。私もどっぷりそこに浸かっている。そして、その中心には「私」がいるというのが面白い。

 この本の全編を読んだわけではありませんから、細かいことは分かりませんが、おそらく現代日本の妖怪ウォッチやポケモン、そして鬼滅の刃につながっているような論考になっているのではないかと推測されます。

 私は独自の「モノ・コト論」から、「もののけ」のモノ(無意識・不随意・他者)と「ことば」のコト(意識・随意・自己)を対比させて、妖怪の変遷を捉えており、もののけがいくらキャラ化して(名付けられ、デザインされ、図鑑化されて)愛すべきコトになっても、膨大無限なモノ世界からどんどん「わからないモノ」は供給されて、言葉にはならない「モノ」の気配たる「もののけ」がなくなることはないと考えています。

 新型コロナウイルスもそういう「もののけ」の一つとして健在であり、こうして共通テストという型にはまったコト世界を見事に揺さぶっているのでした。

 そして、香川さんの言うように、そんな「もののけ」を退治することができず、対峙するしかない私たちもまた、「私」に潜む新たな、しかし実は昔からずっと同居している「妖怪」と対峙せざるをえなくなっているわけです。

 さあ、いつになったら、私たちは新型コロナを因果理解の中でコントロールすることができるようになるのでしょうか。しばらく妖怪の跳梁跋扈は続きそうな予感がします。

Amazon 江戸の妖怪革命

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2021.01.14

『芸術は宗教の母なり~耀盌に見る王仁三郎の世界~』 (出口飛鳥)

 

 口王仁三郎ネタが続きます。

 王仁三郎の残した「耀わん」の数々。その魅力と威力を、もしかすると世界で最も実感しているのが私かもしれません。

 また、私なりの解釈ですが「芸術は宗教の母」という王仁三郎の名言についても、ある程度理解しているつもりです。

 しかし、これはあくまでも「かも」「つもり」であって、まだまだ学び、気づくべきことはたくさんあります。無限でしょう。

 この出口飛鳥さんの講義を聴いて、ますますそんな気持ちになりました。それこそ、思い込みや勘違いもあります。日々更新されることこそが、生命ある芸術や宗教のあり方なのではないでしょうか。

 思い込みやドグマは過去へのこだわりでしかありません。それは「死」を意味します。未来から流れてくるメッセージを常に受け取ることが生きること。そのためには、自分を「うつわ(空輪)」にしておかねばなりません。過去の情報は水に流しましょう。

 それにしても、いいお話です。ぜひ一度、ゆったりと耀わんの世界に浸ってみてください。そして、亀岡のギャラリーおほもとへ足を運んでみてください(緊急事態宣言のため一時観覧停止になるようですが)。3月31日までです。

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2021.01.11

『ジョーカー』 トッド・フィリップス監督作品

Th_91ynxgz0gul_sx300_ 昨日の「パラサイト」からの、この「ジョーカー」。

 両作品ともに格差社会をテーマの一つとしていることから、比較されることも多いのではないでしょうか。

 好みは分かれるでしょうけれども、私はやはり映画的な深みという意味で、こちら「ジョーカー」の方を高く評価したいと思います。

 しかし、「世の喜劇も悲劇も、調和も不調和も皆、『フェイク』によって引き起こされている」というメッセージは似ているとも言えます。

 そう、よく言われてるように、この「ジョーカー」の物語自体が誰かの夢や妄想であるということも言えるでしょう。

 というか、もともと映画自体が「フェイク」であり「フィクション」であるはずですから、本来そんなことを考えるのも変な話なのですが、この映画の冒頭で示される「狂ってのは、僕か?それとも世間?」からも分かるとおり、私たちが生きている(と思っている)この世の現実が「フェイク」に満ちているし、それ以前にたとえば自分自身が誰かの夢の登場人物に過ぎないかもしれないという、自己の「フィクション」性をつきつけるのが、たしかに「作品」の役目でもあります。

 そういう意味では、この映画は非常によく計算され、重層的にこの世の「リアル」を表現しているとも言えます。そのクオリティーは「パラサイト」と比較するまでもなく高い。

 バットマンのヴィランの物語としてこの「ジョーカー」を見るのもいいでしょう。善悪が混沌として、いわゆる悪役に共感するのは、日本人としては古くからなじみのある作法です。単純な勧善懲悪が好きなキリスト教国の人たちが、こちら側に近づいてきたのは決して悪いことではありません。

 言うまでもなく「鬼滅の刃」の世界的な人気(?)には、そういう歴史的意味合いもあるのです。

 まあとにかく、とても丁寧に作られ、さまざまな課題を私たちに投げかけてくれるという意味で、「パラサイト」よりずっといい映画だったと思います。

ジョーカー

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2021.01.10

絹糸ヴァイオリン(ヴィオラ)

Th_img_7293 急事態宣言がなければ、今日は東京にて演奏をする予定でした。

 先日お会いした、日本を代表する生田流箏曲家、安藤政輝さんとのコラボ。新春ということもあり、宮城道雄の「春の海」を共演するはずだったのですが、残念ながら私は行けませんでした。

 昨年末、安藤先生に初めてお会いした時の記事はこちら

 そこには「シルクとガットの共演」のようことを書きましたが、実は今回は「シルクとシルク&ガット」の共演になる予定だったのです。

 というのは、前回お会いした時に、お琴の絹糸や三味線の絹糸を何本かいただきまして、それを翌日のモーツァルトの演奏が終了してすぐに、私の5弦なんちゃってバロック・ヴィオラに張ってみたのです。

Th_img_7294 お琴の絹弦はD線にぴったり。さらに三味線の二の糸がA線にぴったり。そしてヴァイオリンのE線にあたる5弦目は三の糸を。これはちょっと細すぎ。二の糸を張ってみましたが、さすがにEまでは上げられず(切れませんが)C止まり(ちなみに写真の5弦は三味線三の糸)。

 ということで、本番はC線とG線はガット、D線とA線、そして5弦目Cはシルクというハイブリッド・スコルダトゥーラで調弦して臨む予定だったのです。

 で、肝心の音ですが、これが素晴らしい!びっくりしました。今回はお琴と三味線の弦を適当に代用したので、ややテンションが足りず、音量はガットの8割くらいまで下がってしまいますが、その音質、倍音の豊かな音色は予想以上に美しい。お聞かせできないのが残念です。

 知り合いの琴糸職人さんが、これからヴァイオリン属やヴィオール属のために試作品をたくさん作ってくれるということなので、いずれ「シルク・オーケストラ」や「シルク・コンソート」を実現してみようと思います。

 演奏側としての心配として、より糸は弓で弾きにくいのではないかということがありましたが、これは杞憂でした。裸ガットを弾き慣れている人にとってはなんの問題もないでしょう。

 かつて戦前ヴァイオリンがブームになった時、なかなか弦が手に入らず、多くの演歌師たちが三味線の弦を代用したという話をどこかで聞きましたが、なるほど可能性ふつうにありますね。やってみてよくわかった。

 そしてその音がこんなに素晴らしいとは。現代のヴァイオリン属や、その集合体であるオーケストラの音って、正直どうなの?と思ってしまいます。戦前まではウィーン・フィルもベルリン・フィルも裸のガット張ってたみたいですし、もしかすると、日本にはシルク・オーケストラがあったかもしれない?

 このプロジェクト、これからの展開が楽しみです。宮城道雄という東西の音楽を結んだ天才の作品もまた、ここで新しい魅力を発揮するかもしれません。なにしろ、今普通の演奏は、ナイロン弦の箏と金属弦のヴァイオリンによるものなのですから。

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2021.01.09

『パラサイト 半地下の家族』 ポン・ジュノ監督作品

Th_91lfzycgzl_sx300_ 日地上波で放送されたものの録画を観ました。

 先に劇場で観ていた次女の感想のとおりでした。

 後半が雑すぎる。

 前半の明るさから後半の暗さへのコントラストで見せる映画はたくさんあります。古くは小津安二郎の「大学は出たけれど」や、ちょっと昔ではロベルト・ベニーニの「ライフ・イズ・ビューティフル」とか。

 たとえばその2名作のように、それが名作となるには、はやり後半を丁寧に描き、前半を後半がしっかり回収していくことが必要ですが、この「パラサイト」にはそれが感じられませんでした。

 期待や予感に対する回収もないところを見ると、わざと「映画的予定調和」を破壊したのでしょうか。その挑戦がアカデミー賞につながったのなら、一定の評価をしてもいいかと思います。

 全編を通じて、バロックから前古典風な音楽が流れています。コントラストを重視することによって、より劇的な表現を追求したバロック音楽から、それさえも予定調和として、疾風怒濤によって破壊しようとした前古典派の流れを汲んでいるのでしょう。

 それは父バッハと息子たちの対決のようでもありますが、この映画の中で2ヶ所象徴的に使われているヘンデルのオペラ「ロデリンダ」に注目するのも面白いでしょう。ヘンデルは一般に認識されているよりもずっと先取的かく過激で、自己破壊的な作曲家でもありましたから。

 そんなわけで、この映画の終わり近くには、「早く終わらないかな。ロデリンダを久々に全部聴きたいな」と思ってしまったのでありました(苦笑)。

 つまり、この映画は、100年後、200年後、300年後にも高く評価される作品ではないなと思った次第です。ちょっと残念でした。

 ただ、前半の構成や演出、役者さんたちの演技には見るべきものがたくさんありました。まあ、だからこその残念なのですが。

 しいて言うなら、世の喜劇も悲劇も、調和も不調和も皆、「フェイク」によって引き起こされているというメッセージが読み取れたかなあ…。

 では、ロデリンダを聴いてみましょう。オリジナル楽器による演奏ではありませんが、解説や対訳がついているので、この動画が良いでしょう。なぜ、この曲がこの映画に使われたのか、その意図がわかる…かもしれません。こっちは映画以上に長いですよ(笑)。

 

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2021.01.08

ジョン・ルイス 『バッハ 前奏曲BWV 852』

Th_-20210109-102920 日のマイルス・デイヴィスからのジョン・ルイス。

 モダン・ジャズの両巨人の対照的な演奏ということになりますか。しかし、ともにジャズからは遠く離れてしまっているところが面白い。

 もう今から15年以上前に、ジョン・ルイスの『バッハ プレリュードとフーガ vol.1〜4』をおススメしました。今でもこのアルバムは大好きです。

 当時はYouTubeなんかありませんでしたから、言葉で紹介するだけで音は聴いていただけなかった。今ではこうして音を共有できるわけですから、まあいい時代になりましたね。

 で、そこにも書いたのですが、私の好きな第1巻の7番と8番と24番のプレリュードだけ、ジョン・ルイスは楽譜通り弾いているんですね。そしてそれがまた素晴らしい内省的な演奏になっている。

 特にこの7番変ホ長調の前奏曲の演奏は、私にとって衝撃でしたし、今でも毎度お〜っ!となりますね。

 肝心なところでどんどん遅くなるというのは、たとえばカール・リヒターの演奏なんかもそうです。今の人たちは興奮すると早くなるんですけどね。昔の人たちは遅くなっていく。純邦楽でもよくありますね。

 テーマの頭の3音のアーティキュレーションが独特かつ自由に変化するところが、ある意味ではジャズ的ですが、もしかするとバッハもそんな感じだったのではとも思います。

 つまり、フーガにせよ、テーマは均一に弾かなければならないというルールはないということです。考えてみればそれは当然です。音楽はまさに「縁起」していものなので、たとえば同じドの音が周囲の音によって意味が変化するように、テーマもその時、その場でそれぞれ意味が違うのは当然なわけで、それは私たち自分という存在を考えても明らかなことですよね。

 というわけで、ぜひじっくりお聴きください。最後に全巻全曲も貼っておきますので、BGMとしてぜひ。

 

 

 

 

 

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