カテゴリー「文化・芸術」の1000件の記事

2022.05.19

『シン・ウルトラマン』 庵野秀明 脚本・樋口真嗣 監督作品

Th_5f5eee6954a11325924c24a43da2fb2c9c285 てきましたよ。昨日の仏像トークにも登場したウルトラマン。

 早くも大ブームが起きているようですが、平日の昼間ということでさすがにガラガラでした。

 賛否両論があるというのは、どんな作品であれ当然のこと。

 しかし、その賛否が自分の中にこんなにも自然に共存するというのは初めての体験でした。

 一言で言えば、物足りない。しかし、やっぱり現代にウルトラマンが再臨するのを目撃できたという意味では感激。

 そう、結局はウルトラマン世代の私たちは、その思い入れが熱く、そして熟成しているだけに、「新」ウルトラマンへの期待はそれぞれであり、それが完全に満たされることもそれぞれありえないので、こういう結論に至らざるを得ないのでしょう。

 では、ワタクシの極私的な期待は何かというと、まさに現在のワタクシのテーマでもある「人類のために命を捧げる」ことの表現への期待でした。

 そういう意味では、あまりにあっさり描かれており、いや私の期待するレベルからいうと描かれてさえおらず、正直がっかりでありました。

 もちろん、それはこうしたヒーローものの宿命、「人類は結局神頼み」という問題提起につながっているわけで、描ききれないのは仕方ありません。

 最終的に何ものにも依存できない、自分たちで解決しなければならない人類究極のテーマですから、まあ今回もまた原点に引き戻されたとも言えますがね。

 その他、オタク的な観点や現代の社会問題的観点での考察は、私以外の無数の人たちがやってくれるでしょうから割愛します(語りたいことだらけですが)。

 追記 でもどうしても一言だけ。「大きな春子ちゃん」!

 

| | コメント (0)

2022.05.18

みうらじゅん×山田五郎 『仏像トーク』

 

 

 岡市の実家におります。そういえば山田五郎さんのご両親は静岡市の出身でしたね。

 ご本人の生まれは東京ですが、少年青年期を大阪で過ごされたので関西弁は流暢です。みうらじゅんさんは京都市の出身ということで、この対談は関西弁で始まりますが、最後の方はお二人とも東京弁(標準語)になっているのが面白かった。

 お二人は、私にとって「独自研究」の師匠であります。昨年みうらじゅん賞を獲った竹倉史人さんもそうですが、「独自研究」とアカデミズムのバランスというのは難しい。

 対談前半の関西弁パートは「独自研究」というより「自分語り」が全開ですが、後半の仏像に関する「独自研究」に至ると、そこはアカデミズムへの挑戦的な意味合いも出てくるので、標準語モードになっていくのでしょう。

 私は残念ながら母語が標準語なので(どこの方言も話せないので)、話の次元(レイヤー)によって言語を使い分けることができず面白くありません。幼少期までは宇宙語話せましたけどね(笑)。

 この対談を見て聴いて思ったんですけど、文系の学問って全部「独自研究」でいいんじゃないですかね。暴論でしょうか。

 結局のところ、文化に普遍的な意味や価値やシステムを見出すことって無理でしょう。それぞれの時代のそれぞれの人間が関わっているわけですから。そして、それらをそれぞれの時代のそれぞれの人間が研究するわけですから。

 その固定化されない「ゆるさ」こそが、文化の人間の生命力そのものなのではないでしょうか。

 それにしてもこのトーク面白かった。元気をもらいました。

 そう、仏像って最終的に人を元気にするものなんじゃないでしょうかね。

| | コメント (0)

2022.05.17

マカロニえんぴつ 『星が泳ぐ』

 日の「島唄」に続き、山梨発の音楽を一つ。

 宮沢和史さん、藤巻亮太くん、志村正彦くんと、叙情的な歌詞と旋律が印象的な山梨のソングメーカーたち。やはり、独特の自然環境と風土、生活文化が反映しているのでしょう。

 今日紹介するマカロニえんぴつのリーダーはっとりくんは、鹿児島生まれだそうですが、育ちは幼少期から高校時代まで山梨。彼もまた独特な感性を持っているように感じます。

 特に志村くんへのリスペクトは大きいようで、曲作りだけでなくその歌唱にも影響を感じます。

 さて、この最新曲「星が泳ぐ」は、現在放映中のアニメ「サマータイムレンダ」のオープニング曲となっています。「サマータイムレンダ」は和歌山の離島を舞台にしたSFホラー(なのかな)。日本的な風景と文化の中に潜む見えない「影」がテーマということで、特に「影」の濃い山梨発の音楽がぴったりマッチしています。

 なんとなくクセにてなる曲ですよね。シンプルですが、ちょっとしたベースの半音進行が明るさの中に「影」を感じさせます。

 やっぱりJ-Rockって世界的に得意な進化を遂げちゃいましたね。つまり「和歌」や「私小説」の文化、日本文学の正当進化型がそこにあるということです。もっと言うと日本の目に見えない「宗教性」の発現でもあると。

 ですから、アニメと一緒に世界に出ていくのです。40年後にはきっとこれが世界の大きな潮流になると信じています。

| | コメント (0)

2022.05.16

THE BOOM 『島唄』

Th_-20220517-73402 日は沖縄返還から50年の日でした。

 沖縄と山梨、遠く離れ、特に深い関係はないかのように思われますが、実はそうでもないのです。

 まず、50年前の沖縄返還に際しては、山中湖に蟄居していた仲小路彰が大きな影響を与えています。

 仲小路と佐藤は五高時代の同級生。総理となった佐藤はことあるごとに山中湖へ通い、仲小路から重要な情報・アイデアを授けられました。

 この写真は山中湖での貴重な二人の写真です。

 佐藤のノーベル平和賞は非核三原則と沖縄返還が主たるその受賞理由でしたが、その裏には(密約部分も含めて)仲小路の助言があったのでした。

 そうした助言の具体的な内容については現在研究中です。

 さて、時代は移り、返還から20年経った1992年、発表されたのがTHE BOOMの「島唄」です。

 作詞・作曲の宮沢和史さんは山梨県甲府市出身。

 発表当初は、現地の人たちには「なんちゃって沖縄音楽」と揶揄され批判されましたが、今では本土の人たちにとっても、沖縄の人たちにとっても大切な歌の一つになりました。

 この曲の画期的というか巧みなのは、さまざまな音楽的要素が融合・和合しているところです。

 メロディーで言えば、沖縄音階と、本土のヨナ抜き音階と、西洋音階が絶妙にミックスされています。また和音で言えば、冒頭ではノンコード、そして続いてディミニッシュを効果的に使い、またサビではいわゆるカノン進行をベタに使う。それこそ沖縄と本土とヨーロッパ(アメリカ)を見事に組み合わせたと言えましょう。

 そしてそこに乗る歌詞ですね。いや、歌詞が先にあって、そこにそれぞれの「国」の音楽が乗ったのでしょう。たしかに見事です。「和」を基調とする日本らしい音楽なのです。

 

| | コメント (0)

2022.05.15

笑点神回…木久蔵さん司会回

 

 日の「笑点」に、立川志らくさんが登場してましたね。「笑点なんかなくなればいい!」とまで批判していたのに、ちゃんと出演させてあげる番組もすごいが、ちゃんと出ちゃう志らくさんもすごい。

 というか、本来そういうものでしょう。笑いの世界なのですし。ありえないけれど、ロシアとウクライナなんかも、こうして笑いに変換できませんかね。不謹慎を承知の上で真剣にそんなふうに思ってしまいましたよ。

 さて、「笑点」と言うと、ひねくれ者の私はどうしてもこの神回を思い出してしまうんですよね。今日もいいボケ味を出していた木久扇師匠が司会をやった回。

 言うまでもありませんが、キクちゃんは本当はキレッキレに頭いいし、瞬発力あるんですよね。それが期せずして証明されてしまったのがこの回です。

 もう、言葉はいりませんね。素晴らしいジャズのセッション、それもジャム・セッションのようですよ。全体のスイング感の上に展開する変幻自在なリズムやメロディの応酬。なにより本人たちが楽しそう(笑)。エンターテインメントの基本はそこですよね。

 完璧なライヴ作品と言えましょう。さて、志らく師匠はこのセッションに参加できるのでしょうか。そんなことを想像しながら見直すと面白いですよ。

| | コメント (0)

2022.05.13

ジャンボ鶴田さん23回忌

Th_img_9094 日は山梨が誇る最強プロレスラージャンボ鶴田さんの命日。

 偶然、塩山向嶽寺に用事がありましたので、ついでと言ってはなんですが、牧丘の慶徳寺さんに立ち寄り、本当に久しぶりにお墓参りをすることができました。

 「人生はチャレンジだ!!」

 この言葉にどれだけ励まされてきたことでしょう。迷ったらやめていた自分が、「迷ったらやる」自分に変わったのは、鶴田さんのおかげです。

 そして、今の充実した人生があります。本当に感謝しかありません。

 23回忌の命日にちなんで、鶴田最強説を裏付ける名勝負を紹介します。

 ジャンボ鶴田が新日本プロレスのリングに上った試合。谷津嘉章と組んで、木戸修・木村健悟組と対戦した1990年2.10東京ドームの映像です。

 う〜む、一人だけ次元が違いますね。受けに受けまくり、相手の良さをすべて引き出しての完勝。全く息が上っていないし、最後の余裕の笑顔は、殺伐としがちな対抗戦、それも新日本のリングへのある種のアンチテーゼです。

 鶴田は鶴田。いつもどこでも明るく、楽しく、激しい鶴田。あらためて「最強」を確認できる試合ですね。

 

 

 さて、この日の興行について、谷津嘉章さんが最近語ったのがこの動画。

 糖尿病で片足を切断し、義足になりながらレスラーを続けている谷津さんの、朴訥とした語りが味わい深いですね。義足も「おりゃ」もそうですが、マイナスをプラスに転じて「人生を楽しむ」姿勢には、プロレスという「神事」の世界ならではの物語的魅力を感じますね。

 もちろん、馬場さんと坂口さんの「困った時は助け合う」という関係性にも感動です。まさに「荒魂」の裏側にある広大なる「和魂」ですね。

| | コメント (0)

2022.05.12

『教祖・出口王仁三郎』 城山三郎(その10・完)

Th_images_20220513080001本脱出と蒙古進軍

 王仁三郎の表情は、どの写真を見ても明るい。極端に云うなら、いつも、得意絶頂の顔である。

 だが、王仁三郎が心の底から最も痛快さを味わったのは、大正十三年の蒙古入りのときではなかろうか。

 このとき、王仁三郎は、第一次弾圧事件による保釈中の身であったが、ひそかに日本を脱出、奉天に赴いた。そこには、蒙古軍の将軍盧占魁が待っていた。張作霖の了解の下で、日月地星の大本の神旗をひるがえし、蒙古に向って進軍する。

 盧の軍隊には掠奪暴行を禁じ、王仁三郎らは武器を持たず、米塩を与えながら、宣教と医療をつづける。蒙古人たちは、救世主の再来として歓迎してくれた。

 果てしもない曠野を行く大本の神旗――それは演技ではなかった。宗教上の必要とともに、「『狭い日本にゃ住みあきた』というような、貧乏と縄張りと天皇と警察の日本を離れて『広い満蒙に進出』し、アジアの精神的統一をはかりたいというような「『大陸浪人』式の夢」(乾・小口・佐木・松島共著『教祖』)もあったであろう。

 取り巻きにわずらわされることなく、そうした夢を現実の曠野の上に踏みしめて行く。

 そのとき、彼ははじめて、自分自身が無限に自由になって行くのを感じたであろう。風雲児であることの実感を、しみじみ噛みしめたことであろう。

 だが、それも四カ月間のことであった。盧の西北自治軍の評判が上るにつれ、張作霖は心変りし、パインタラに於て盧軍を討ち、盧以下三百人を銃殺。王仁三郎も、足枷をはめられ銃殺寸前まで行ってから、日本領事館に救出された。

 他愛のない夢ともいえる。このとき、王仁三郎は、すでに五十四歳。

 そういう他愛なさが、最後まで失われなかったのも、人間王仁三郎の魅力であろう。

 晩年は、黄・青・赤と思い切った色を使って型紙破りの茶碗を焼くのをたのしみにしていた。その茶碗を少しでも人がほめると、やってしまう。「あんたには、いちばんいいのをあげるで」と云って。

 雀や魚をとらえるのが得意であり、沢蟹をとらえて口の中で歩かせながら、そのまま噛み砕いてしまったりした男。童心と見るのも、演出と見るのも、自由である。とにかく、人間くさい男、人一倍人間くさく生れた男に思える。

 大本教徒には不満ではあろうが、教義についての門外漢であるわたしは、作家として理解できる限りの人間像の秘密を追ってみた。

 そして、世間的には怪物であるかも知れぬが、怪物という言葉の持つ非情さとはおよそ程遠い人物をそこに見たのである。

(完)

 

 いかがでしたか。城山三郎による出口王仁三郎伝。気宇壮大な人物像と人生を短くまとめるのは難しいと思いますが、文学者ならではの視点で上手に「予告編」を作ってくれましたね。

 そう、出口王仁三郎は本当にいくつもの「入口」を私たちに提供してくれるのです。本編はその先、それぞれの方々の人生に投影されて現出します。

 私もそんな体験をしている一人。最近、羽賀ヒカルさんと対談でその一端をお話しましたので、どうぞご覧ください。

 

| | コメント (0)

2022.05.10

『教祖・出口王仁三郎』 城山三郎(その8)

Th_seishisama分肌と抱擁力

 宗教関係だけでなく、また国内だけに限られたものでなかった。「万教同根」を説く教義の関係もあって、各国の新興宗教団体と提携し、さらに、大本が中心になって、北京に世界宗教連合会もつくった。(こうしたことも、おそらく既成教団の反感を買ったにちがいない)第一次大本弾圧事件の無罪判決を聞いて、二十カ国の人々によって、王仁三郎をたたえる「賛美集」が発刊されたりもした。

 だが、親分肌であり抱擁力があるということは、時には弊害も生む。心にもないつき合いをし、取り巻きが生れる可能性である。

 王仁三郎の娘出口直日は、こう書いている。

「父はどんな人でも迎え入れ、たのまれれば断りきれず、どこかのよいところを育てようと努力し、どんな辛抱でもしていたようでした。性来が磊落で、冗談ばかりいっていて、何だか雲をつかむようなところがありました)(続・私の手帖)

 そして、その反面、

「父は気が弱くて、それらの人を抑えきれないで、バカげた責任までも負わされてしまったという人です。それでいて、人を責めるでなし、過ぎたことをくやむでなし……」

 取り巻きの害について、彼女が耐えかねて父に注意の手紙を送ったところ、王仁三郎はその手紙を「娘がこう云って来たよ」と、そのまま取り巻きたちに見せてしまったというエピソードが紹介される。つまり、娘の手紙にかこつけてしか苦言の云えなかった弱さがあったというわけである。

 浅野和三郎が、大正十年立て替え立て直し説を機関紙に発表するといったとき、王仁三郎は反対したが、おさえ切れなかった。その結果、大正十年には大本信徒は一大動揺に見舞われることになったが、実際には、世の立て替え立て直しは起らなかった。谷口雅春らは、それを理由に大本を去るという事態も起る。

 心にもないことが、流れの泡のように、次から次へと湧いては消える。そして、それがそのたびに、王仁三郎の身から出たことになる。

 だが、王仁三郎は、陣を退くことなく、戦線を収縮することも好まない。虚像の上に虚像が重なり、一つの怪物像がそれらしく出来上って行くのを眺めている。怪物像を否定して「小さな自分」になるよりも、誤解を浴びたまま「大きな自分」にとどまることを好んだのかも知れない。茶目気と侠客気質という老い銹びた細い柱の上に支えられて。

 にぎにぎしく人々に取り巻かれながらも、王仁三郎の心中には、いつも空洞が穴をあけていた感じである。

(その9に続く)

| | コメント (0)

2022.05.09

『教祖・出口王仁三郎』 城山三郎(その7)

Th_0518完の映画「王仁三郎一代記」

 法的には何の根拠もない大本弾圧の烽火はそうした人々の中からも燃え上ったようである。事実「出口王仁三郎一代記」は、その年の大弾圧によって、遂に未完成に終った。

 多分に王仁三郎の道楽といった感じのするそうした芝居や映画も、教義の普及宣伝にとっては、新しい強力な媒体となった。媒体として義務感でつくったものでなく、王仁三郎がいわば無償の情熱を注ぎこんだだけに、信徒にとっては迫力があった。(教団幹部も信徒も一つになって素人芝居に打ちこむ習慣は、今日まで続いている)

 自己表現欲の一つの変型であろうが、活字文化の利用についても、王仁三郎は積極的であった。

 機関誌を創刊し、ついで、それを旬刊にする。印刷所をつくり、自分も植字や組版に先頭に立って働いた。

 後には、輪転機十台を持つ当時の大新聞「大正日日」を買収。さらに「人類愛善新聞」を発刊。一時は発行部数が百万部を越えた。既存の新聞社をおびやかすに十分な数字である。

 時代に先んじてのマスコミ利用は、彼の先見性を示すものだが、同時にそれはマスコミのすべてを敵に廻すことになった。弾圧直後全国各紙がほとんど筆をそろえて大本邪教説を流したのも、取材の制限という障害のためばかりではなかったようだ。

 ぎりぎり歯ぎしりしながら生きるわけではない。超人的に動き廻りながらも、人生に"遊び"を失わない柔軟な生き方――幡随院長兵衛を夢見たこともある王仁三郎は、人を生かして使うことも心得ていた。

 入信した海軍教官で英文学者の浅野和三郎を十分に活躍させて、軍人層知識層の信者をひろげ、谷口雅春(生長の家)には雑誌編集に腕をふるわせた。世界メシヤ教主の岡田茂吉も、当時は大森の支部長として活躍していた。

 一人の能力では、いかに非凡であっても、成長には限度がある。企業がある程度大きくなれば、多数の人材の能力をフルに発揮させることがトップの仕事になる。

 苦労人で頭がよく、人の心を読むのがうまい。変性女子と言われるほどの柔軟さ、侠客的な親分気質――人を使うには、申し分ない性格であった。

 人を使う能力とは、云いかえれば、組織づくりの能力でもある。

 人類愛善会・昭和青年会・昭和坤生会・昭和神聖会・エスペラント普及会・ローマ字普及会等々、王仁三郎の組織した団体の名前は、列挙にいとまがない。

(その8に続く)

| | コメント (0)

2022.05.08

『教祖・出口王仁三郎』 城山三郎(その6)

Th_0086性男子と変性女子

 出口ナオは、教祖にまつり上げるには打ってつけの人物であった。

 貧しい酒のみの大工の子として生れ、十一歳で年季奉公。結婚した夫(大工)も酒のみで、三年間脳出血で寝こんだ後で死ぬ。残されたのが三男五女(その他に乳児のとき死んだ子が三人)。

 糸引きとボロ買いをしながら、ようやく八人の子供を女手一つで育てた。ところが、折角育てた長女も二女も家出。長男は自殺未遂後、行方不明。いちばんたよりにしていた三男は戦死というみじめな有様――艱難辛苦をなめつくして生き抜いてきた女である。それだけに、その意志の強さや生活力は信徒たちの心をとらえた。

 性格ははげしく戦闘的で、自らを変性男子(女性の形をとった男)と呼んだ。これに対し、王仁三郎は変性女子(男性の形をした女)というわけで、王仁三郎はまたその女役や女房役を実にたくみにこなした。

 王仁三郎の性格の中には、多分に女性的な柔軟な(時に弱い)ものがある。それに、祖父から受けついだしゃれっ気も加わって、彼は大本に祭典などがあるごとに、進んで、女神とか乙姫とか、女装してふるまった。神示によって王仁三郎を変性女子ときめつけたナオにしてみれば、悪い気はしないであろう。

 もちろん、王仁三郎はただナオに気に入られようとして、女装したわけではない。彼は、大本の中に、明るくおおらかな"お芝居"を持ちこむことの必要を感じたのだ。ただ、かたくなに神のお告げを伝えるだけでは、信者の心のつかめないことを。

 王仁三郎は、また、芝居が好きであった。芝居とは、自分と遊び、世間と遊ぶことである。祖父のしゃっ気にも通じる。

 芝居はまた、現実の自分を解放し、さまざまな自分の姿を演ずることである。爆発しそうな自己拡張欲を、そうした形で慰めることもできる。そして、その中で、彼の演出家としての才能も育って行く。

 大本では、王仁三郎が入ってから、次々とあちこちの無人島を買収し、そこを聖地として、教祖以下打ちそろって参拝に出かける。神学上の解釈を別とすれば、これは、教勢伸長の演出に他ならない。

 王仁三郎の芝居好きは、晩年まで続く。神聖劇や神聖歌劇を自ら演出するばかりでなく、主役として出演し、還暦を過ぎた身で布袋・弁財天・恵比寿など、「昭和の七福神」に扮したり、素盞嗚尊(すさのおのみこと)などに扮したりした。

 現在の写真を見ると、扮装もうまく、とにかく一応、役柄をこなしている。しかも、それが還暦過ぎの老人ということになると、何となく気持の悪くなる人もあろう。まるで三十台の女のようなやわらかな肉つき、下り眉、細い目、とても老人とは思えぬ精力的な顔――。

 王仁三郎と"芝居"との結びつきを知らぬ者は、酔興さを感じるよりもまず異様さを感じてしまう。

 王仁三郎は、結構、そうした芝居をたのしみ、また、自信を持っていた。その自信は二重の意味がある。役者としての自信と、そうした芝居をやらせる自分自身の力への自信である。

 昭和十年、王仁三郎は大江山太郎の名で自ら「原作・監督・主演」して、「出口王仁三郎一代記」の撮影にかかる。自信は、二重の意味で頂点に達したわけである。

 王仁三郎が早くから白虎隊(少年隊)など人目をひく組織をつくり、さらに青年隊の大会には白馬にまたがって閲兵するなどということをやったことにも、彼の"芝居"好き、しゃれっ気を感じずにはいられない。(白馬は、元憲兵将校である信徒がすすめてくれたものだが、それがいかにも御料馬白雪に似せているというので、王仁三郎が攻撃される口実の一つになった。後に述べるように、彼には気が弱く、人のすすめを断り切れぬところがある。親分肌のせいとも云えるが……。それに、たとえ誤解を招くとしても、それをおそれて小さくなっているよりも、少しでも大きく振舞いたいという欲求も強かったようだ。自分をいつも自分以上に大きくし、また大きく見せよう、少くとも、自分と等価の表現だけでは満足できないものが、彼にはあった。それを彼の超人的なエネルギーのせいにしてもよいし、自己拡張欲のためと考えてもよい。そして、彼がそうしたエネルギーを奔出させればさせるほど、それがそのまま大本の教勢拡張に役立っていった。発展期の組織には、何よりそういう要素が必要であったのだ)

 王仁三郎の演技は、彼等にとっては余りにも型破りであり、オーバーなものに映った。「チンコウも焚かず」式の生き方こそ宗教者の権威づけと思っていた彼等には、王仁三郎の振舞は、当てつけがましい感じさえする。王仁三郎も時には、それを意識してやっていたきらいもある。そして、いっそういまいましいのは、そうした王仁三郎の振舞がそれなりに抑圧されていた大衆の心をつかんで行ったことである。

(その7に続く)

| | コメント (0)

より以前の記事一覧