カテゴリー「文化・芸術」の1533件の記事

2018.07.19

クローズアップ現代+ 『プロレス人気復活! “過去最高”の秘密』

 日のネタはなんと言ってもこれでしょう。NHKのクローズアップ現代+で新日本プロレスが取り上げられました。
 棚橋選手も出演し、なぜ今プロレスブームなのか、どうやって苦境を乗り越え、そして世界戦略に打って出るまでになったかを解説してくれました。
 いろいろと共感する部分がありましたね。今の新日本プロレスを、かつての新日とは違うと否定してしまうのは簡単ですし、そういう人もまだたくさんいますが、現実は現実です。当時と同じように、いやそれ以上に、プロレス的価値は高まり、人々を元気にしているのです。
 私もある時期、今風なプロレスに違和感を抱いていましたが、今では完全にそれを楽しめるようになりました。もちろんそれとともに、昔のプロレスをまた別の視点から楽しめるようになりました。一石二鳥ですね。
 番組中キーワードになっていた非日常と日常というのは、日本において古くから文化構造の基礎になってきました。ハレとケですね。
 いわば、昔の荒々しいプロレスは、まるでナマハゲか何かのように、日常の中に突如現れ去っていくマレビトのような存在でした。
 それが、今は非日常と日常、フィクションとリアル、ハレとケ、荒魂と和魂などが、決して対立するのではなく、絶妙に融和し、あるいは高め合う存在になっているわけです。
 それが現代の地球文化の行く先を占っているとも言えますし、私たち個人の人生のあり方をも象徴していると思うのです。
 また、番組でも多く語られた、折れない心、負けても立ち上がっていく姿というのは、プロレス業界そのものの姿でもあると同時に、普遍的に人生そのものなのです。あるいは日本のこれからの姿かもしれない。
 古くからのプロレスマニアとしては本当にうれしいですね、いろいろと。また家族で観戦に行きます。どの団体に行こうかなあ。

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2018.07.18

田野大輔 『私が大学で「ナチスを体験する」授業を続ける理由』

人はいとも簡単にファシズムになびく
Th__20180719_114012 近、動画または他人の記事紹介ブログになってますね‥と言われました。
 いや、それでいいと思うんです。このブログを始めた14年前は、まだまだ動画共有文化もありませんでしたし、ツイッターような共有アイテムもなかった。
 今、メディアの環境は大きく変わりました。ネットメディアは「紹介」「共有」の方向性で成熟しつつあります。そんな時代ですから、私のつまらぬ文章をいやいや読んでもらうよりも、よくできた動画や記事などを読んでもらう方がお互いのためです。
 ただ一つ言えるのは、この地味なブログのスタイルは変えたくないということです。最近のブロガーの皆さんは、とにかく「今」読んでもらうことに執心しているようですが、私はとにかくデータとして残して、100年後でもいいから読んでもらおうと思っているんです。
 おっと、関係ない話が長くなってしまった。今日はこの記事を紹介します。
 今月末に公立の校長先生方を前に講演をしなくてはならなくなり、自分なりの戦後教育論を復習しております。昨日の安冨歩さんの動画も、その流れの中で見つけたものです。戦後の学校教育は実は軍国主義、軍隊文化を継承・保存する役割を果たしていた、という視点ですね。
 で、そんな軍国主義、軍隊文化、ファシズムの象徴であるナチズムを、大学生に疑似体験させている大学の先生がいるということで、この記事を紹介します。

私が大学で「ナチスを体験する」授業を続ける理由

 甲南大学文学部教授、田野大輔さん。非常に面白い授業ですねえ。これはちょっとやってみたいかも。私、たぶん総督役うまいですよ(笑)。優れた教員というのは、優れた扇動家でなければならないし、優れた洗脳家でなければならないわけです。
 そうそう、ちょっと話がそれますが、あるクラスでの雑談の中で、「この学校で一番コワい先生って誰?」という話になり、全員に書いてもらったんですよ。
 そうしたら9割が強面の体育の先生とか、部活の厳しい先生とかの名前を挙げたんですが、数人私の名前を書いた。私は全く怒らないし、不機嫌にもならないことで有名な?センセーなので、これはきっとふざけているのだろうと思って確認したところ、異口同音にこう言ってのけました。

 「違う意味でコワい!」

 たしかに!と他の生徒たち、そして私までもが納得してしまった(笑)。なんでも、私が語る話がぶっ飛びすぎていて本当か嘘か分からないし、いつのまにか洗脳させてそうでコワいのだとか。な〜るほど、そのとおりだ(笑)。
 というわけで、私もこういう授業やったらうまいと思います。いやいや、軍隊的な厳しさは苦手ですから、ちょっと違った方法で同じ効果を上げることができるかもしれません。
 こういうことをしっかり体験しておくというのは、若い人たちにとっては非常に重要なことですね。そして、客観的にその時の自分を分析し、そう簡単にだまされないようにする。
 ふむ、契約、制服、マーク、スローガン、集団行動、大声、糾弾、反復…けっこう、普通に学校の日常でやっていることですよ。危ないよなあ。歌も加えるといいんじゃないかな。
 あと、今日はウチの高校の文化祭があったんですけど、このクソ暑い日に体育館にすし詰めにして、みんなでお祭り騒ぎすると、不思議とですね、熱中症になるヤツが出ないんですよ。食中毒もいっしょ。
 とっても雑で乱暴な考え方ですが、やっぱり気合とか愛情とか感動とかって、抵抗力、免疫力を高めるんですかね…なんていう、非科学的な「根性論」こそ、宗教とも絡んだ軍国主義、軍隊文化そのものだったりします。
 こうして観察していると、本当に学校というところは異常なところだと思いますね。今後も研究を重ねていきます。そして、日本の教育を変えますよ。

Amazon 愛と欲望のナチズム

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2018.07.17

安冨歩 「なぜ『優秀』な人が集まって愚かな暴走をするのか?」

Th_yasutomi550x413 日、東松山市長選で残念ながら敗北してしまった、女性装の東大教授、安冨歩さん。
 一見イロモノのように見えてしまいますが、なかなか面白い人ですし、基本的な発想において私との共通点が多いので、私はけっこう好きです。
 彼の女性装が単なる性的な意味での趣味ではなく、彼自身の人生そのもの、いや日本という国のあり方に関わるものであるということは、次のインタビュー記事をお読みいただくとよく分かります。

なぜ日本の男は苦しいのか? 女性装の東大教授が明かす、この国の「病理の正体」

 戦後の軍国主義(靖国主義)が続き、誤った「男らしさ」「女らしさ」が唱えられ、そして男たちは「ホモマゾ」「立場主義」 に陥っていく。これは全く私の戦後教育論と同じですね。というか、実際、学校現場ってずっとそうだったんだもん。
 いろいろと共感する安富さんの面白い講演があるので、ぜひ御覧ください。これもまた、私の「モノ・コト論」と全く同じ。
 記号化できる(語り得る)「コト」と、記号化できない(語り得ない)「モノ」。近代西洋は「コト」ばかり追究し、結果として、モノ性を内在して当たり前の自己の大部分を否定することになってしまった。

 仲小路彰を研究すると、彼自身も含めて多くのエリートたちが、なぜ戦前、戦中、あのような言説に走り、そして実際行動してしまったのか、とっても興味が湧いてきます。
 そして、なぜ戦後、あまりにも見事に変節したのか。いや、変節したかのように見えて、なぜ日本社会全体としては何も変わらなかったのか。すごく興味があります。
 そして、安富さん、見事な歌下手であります(笑)。ぜひ一度お会いしてお話うかがってみたいですね。
 

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2018.07.12

石井裕 『独創・協創・競創の未来:タンジブル・ビットからラディカル・アトムズへ』

 〜む、本当に素晴らしい!ワクワクします。
 ずうずうしく言わせていただきますと、時間、未来、現在、過去に関する考え方が、ワタクシと石井先生は一緒ですね。
 テクノロジーの寿命は1年、ニーズの寿命は10年、ヴィジョンは100年。自分が死んでからも残る。
 テクノロジーが未来を切り拓くのではなく、未来のヴィジョンがニーズとテクノロジーを生む。
 だからこそ、私たちはテクノロジーに近視眼になるのではなく、ある意味アホくさいほどの夢、ヴィジョンを描くことですね。
 そして、アート、サイエンス、デザイン、テクノロジーをアウフヘーベンして、総体としてのスパイラルを生み出すこと。
 プレゼンのしかたも含めて、非常に勉強になりましたね。
 タンジブル・ビッツで一躍有名になり、MITの最先端に生き残っている日本人、石井裕さん。かっこいいですねえ。
 MITのあり方に象徴されていますが、やっぱりアートって大切ですね。世界に対して疑問を抱くことがアートの本質。そこからしかイノベーションは生まれない。人類の歴史とはまさにアートの歴史であったわけです。
Th__20180713_113020 未来視力‥いい言葉ですね。そこに富士山があるのも素晴らしい!
 やはり時間は未来から流れてきていて、だからこそ未来に原因を創って今結果を出す。ぜったいにそうですよね。
 いかに壮大な妄想をし続けるか。それこそが重要です。あきらめたら終わり。
 温故知新という言葉に対する解釈も私と同じでした。過去の人たちが、私たちの今を超えたはるか未来に何を妄想したのか。それを知ることは実は楽しいことです。

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2018.07.09

追悼 加藤剛さん‥ドラマ 夏目漱石「こころ」

 た残念な知らせが入ってきました。加藤剛さんがお亡くなりになったとのこと。
 少し特殊からもしれませんが、私にとっての加藤剛さんは、夏目漱石の「こころ」のイメージです。
 加藤さんは「こころ」の朗読をし、舞台やドラマで「先生」を演じてきました。おそらくライフワークの一つと考えていたのだと思います。
 その朗読の録音、舞台やドラマのビデオを持っていますが、そのどれもたしかに素晴らしい。あの深遠なる漱石世界をよく理解し(理解しようとし)、ご自身の中で大変高い次元に昇華していると感じました。
 特にテレビ東京の名作ドラマでの熱演は、その集大成だと感じていました。最近その動画がアップされました。ぜひ皆さんも、加藤さんの名演技をご堪能ください。あまり知られていない作品だと思います。
 私もご冥福をお祈りしながら、このドラマを観て、あらためて「生」と「死」について考えてみたいと思います。

 いくつかの「こころ」の映画、ドラマの中で、最も原作に近く、違和感の少ないのはこの作品です。大山勝美さんの演出、加藤剛さん高橋恵子さん、そして若手女優、俳優たちも素晴らしい。音楽もいいですね。これってペルトかなんかでしょうか。それともオリジナル?

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2018.07.04

筧克彦の「和(にぎ)」論

Th_picture_pc_78b5ffe763971dea1ab47 日は備忘録です。
 戦前、「イヤサカ先生」とも言われた、東大法学科の名物教授にして、神道研究家でもあった筧克彦。
 この人が当時の「皇国史観」に与えた影響は多大です。本人の意志はともかくも、日本が世界と対峙していく一つのきっかけを作ったと言ってもいい。
 私の身近なところでも、彼の名前はよく出てきます。私の三大研究テーマである、宮下文書、出口王仁三郎、仲小路彰、いずれにもやはり影響が感じられます。
 実際、筧は宮下文書の研究機関であった富士文庫の顧問でしたし、王仁三郎とは因縁の中と言える貞明皇后に「惟神」の講義をしています。また、仲小路彰の蔵書の中に筧の著書がありましたし、高松宮さまにも直接講義をしていました。
 そんな筧克彦が「和魂(にぎみたま)」について書いたものを見つけましたので、その一部をここに記しておきます。
 昭和15年発行の「惟神の大道」の一部です。冒頭の大御神様とは天照大御神のことです。

 大御神様は和魂の神にして和魂により荒魂を用ひ給ふ、大御神様の荒魂は撞賢木厳之御魂天疏向津媛命と称へ奉り、和魂を実現する勇猛心の大本と坐す。和魂とは、本末を立するにより一切に其の所を与ふる有難く懐かしみ思ふ超越心にして、普く大切に(愛しく)思ふことと一致する「うつくしび」(いつくしみ)の心である。而も本末を立し所を与ふるといふ美化作用となる心である。和魂はにぎにぎしく栄ゆる魂である。にぎはひの本となる魂である。「和」は「にぎ」を表す仮字であるが、「にぎ」に在っては漢字「和」のもつ妥協とか正しきを斥ける様な意味はない。それと申すも、和魂は本来正しく直く明かく清く坐す神様の御魂の御性質であるから、妥協の意味なきは申すまでもない。外国にて「和」といふは何と申しても本来思ひ思ひの多数者が妥協して勢に従ふ義が主となり勝ちである。故に「和」の背後には程よく之を革めねばならぬといふ意義が附着して居る。然るに、和魂とは自ら期せずして本末の正しきに帰せしめ又帰入する心で、本末の正しきを立する心ともいひ得、心其の者が「天晴れ、‥‥おけ」と暖く賑やかなものである。此の和魂は其れを実現する方便として荒魂をも準備して居る。荒魂とは現魂(実現する魂)の義で、和魂の本末を立する要求を実現し一切を救済・済度する心である。又、矛盾・反対を歓迎し和魂の要求を徹底する勇猛心なりとも申される。

 面白い内容ですね。私の「荒魂・和魂」観と似ているところもある。私も無意識のうちにいろいろなところから影響を受けているのでしょう。
 ところで、こうした独特の筧の神道観、そして国家観は、もしかすると彼が諏訪の生まれであることから来ているのかもしれませんね。
 そうしますと、まさに出雲の荒魂が発動していたということでしょうか。そして、その裏には和魂がある。あの戦争もそういう視点で観ると面白いかもしれません。ちょっと考えてみます。

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2018.06.23

『あさき夢みし』 実相寺昭雄監督作品

Th_91obrgbmahl_sy445_ の娘と観ました。ますますマニアックになっていくな(笑)。
 ある意味全く面白くない作品でしょう。今なら絶対に作られない映画。ATGの作品はみんなそうか。
 芸術を目指したのでしょうね。古典文学を読むような、現代的な意味での退屈さや困難さがうまく表現されている映画とも言えます。
 しかし、よく観ると、見どころ聞きどころが満載でもあるのです。
 まずはもちろん実相寺昭雄的映像世界。どアップ、歪んだ構図、不思議な光の効果。それが映画的非現実世界を作り出しています。意識して観ると実に面白い。作り手の視点で観るべきでしょう。
 そして今回改めて感心したのは、大岡信の脚本の見事さですね。ストーリーはどうでもいい感じですが、一つ一つの日本語の選び方がお見事。
 もちろん平安時代の日本語ではないわけですが、現代人の理解可能なかぎりでの「疑似古語」が実に美しい。これは本当にすごい。さすが現代語、古語に通じている大岡さんです。
 それから廣瀬量平の音楽。これも「疑似古語」と同様「疑似古典音楽」ですね。うまい。実にいい。
 ちなみに笛全般で名演奏をしている上杉紅童さんですが、今、ウチの娘が野村四郎先生に弟子入りしているのは、ある意味上杉さんのおかげです。私の教え子が能を志すことを決めたとき、上杉さんが山本邦山さんを介して野村先生を紹介してくれたのです。不思議なご縁です。感謝。
 役者さんでいうと、岸田森の坊主頭がエロですね(笑)。耳もとがっていて、ちょっと私は親近感を覚えました。
 あっ、それから能といえば、観世栄夫さんがちょい役で出ています。いい味出してます。
 こういう映画は、実は海外で評価が高いんですよね。YouTubeにあったトレーラーも海外からアップされたものでした。
 独身時代よく観ていたATG作品。久しぶりにいろいろ観てみようかと思います。

Amazon あさき夢みし

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2018.06.22

追悼 ベイダー選手

 ッグバン・ベイダー選手がお亡くなりになったとのこと。昨年は久々に来日し、試合もしたのに。たしかにその時、リング上で倒れたりして、ちょっと心配でしたが。
 ベイダー選手といえば、猪木さんや三沢さんとの死闘も印象に残っています。しかし、なんと言っても衝撃的な記憶になっているのが、不沈艦スタン・ハンセン選手との肉弾戦でしょう。
 こういう人間離れした、そしてテクニックを超えた肉体のぶつかり合いは、日本の相撲にも通じ、世界的な神事とも思えるものでしたね。
 ベイダーがまだレオン・ホワイトと名乗っていた頃の動画がありました。この頃はまだハンセンの貫禄勝ち。

 そして、1990年東京ドームでの伝説の戦い。最強外人対決、そして新日本対全日本の代理戦争。本当に興奮した記憶があります。あらためて観ますと、本当に本当に肉弾戦ですね。
 両者リングアウトという結末にも、ある意味納得させられてしまいます。勝敗を超えた戦いです。お互いのタフさを信頼しあっての全力ファイトでしょう。

 この日本での対決がアメリカに逆輸入されたのが、翌年WCWで行われた「WRESTLE WAR 1991」での対決。これまたすごいですねえ。まさにスーパーヘビー級どうしの肉弾戦。こちらは両者反則という裁定でした。それもまた不完全燃焼どころか、妙な説得力さえありますね。

 のち、全日本で二人はタッグを組みました。そりゃあ強すぎますよ。1998年の世界最強タッグ優勝戦。最後は負けてしまいますが、逆に二人の強さを印象付けられた試合でした。本当にプロレスは勝敗だけではないんですね。

 あらためてベイダー選手のご冥福をお祈りします。本当に感動を、そして御神事をありがとうございました。感謝いたします。

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2018.06.21

『ツィゴイネルワイゼン』 鈴木清順監督・原田芳雄主演作品

Th_51gjcfrcybl_sy445_ 〜む、すごい…。今さらながらではあるが、本当にすごい。久しぶりに理性が崩壊しました。
 この映画を観るのは実は二十数年ぶり。まさか自分の娘と一緒に見入ってしまう日が来るとは思いませんでした。
 将来映画に関わる仕事をしたいと言い出した下の娘。洋画やアメリカのドラマも好きですが、最近は邦画を静かに観たいと言い出した。いいことです。まあ、彼女は能、箏曲、剣道と、伝統的な稽古の日々を送っていますから、当然の成り行きでありましょう。
 ちなみに、決してそれらを強制したことはありません。紹介もあまりしませんでした。勝手にそっちに進んでいきました。たぶん。
 で、いちおうそこそこ昭和の邦画を観てきた父親としては、タイミングを見て、徐々に名作を引っ張り出してきて見せようと思っているわけです。
 ちょっと早いかなと思いつつ、今回引っ張り出してきたのが、この「ツィゴイネルワイゼン」。
 なぜなら、娘は「恐怖劇場アンバランス」が好きでして(ってその時点でマニアックだし親の影響がある)、アンバランスと言えば、鈴木清順、藤田敏八が監督をし、田中陽造が脚本書いてるじゃないですか。そうすると自然と「ツィゴイネルワイゼン」を観なきゃならなくなりますよね。
 で、観たわけですが、親子で目が点になっちゃいました。私も初めて観たかのような衝撃に打たれました。久しぶりに、盤石だった日常が崩壊しました。それが実に快感。
 意味や因果関係を拒否し、ただただイメージとしての「美」と「エロス」を描ききった作品。たぶん現代の映画やドラマしか知らない娘にとっては、非常に未来的に感じられたことでしょう。いや、能をやっているので、中世的とも思ったようです。つまり時空を超えて美しいし、カッコいい。
 大人になったワタクシの新発見としましては、「美」と「エロス」の双方の底辺に、「嫉妬」があるということでした。なるほど、そうか。
 そして、夢こそが本体であり、現実こそが虛構だということ。あるいは死が本体で生が虛構であるということ。なるほど、これは普遍的な魅力を備えた完璧な映画だ。
 それにしてもなあ、主演の四人の魅力的なこと、この上ない。原田芳雄は言うまでもなく、ある意味シロウトの藤田敏八がいい味を出しすぎている。原田に対して藤田を選んだことがまず成功だし、すごい。両方達者な役者だったら…。
 原田と藤田、そして清順監督は亡くなってしまいましたが、大谷直子と大楠道代は健在でいらっしゃる。やっぱり女は強いのだなあと、この夢と現実をつなぐ映画を観たあと、ふと思いました。最初に死んだのは藤田か。
 原田芳雄が亡くなった時、そして昨年鈴木清順が亡くなった時には、追悼記事を書きましたっけ。

追悼!原田芳雄 『原子力戦争 Lost Love』 (黒木和雄監督作品)
追悼 鈴木清順監督

 あらためて昭和の男三人のご冥福をお祈りします。あなたたちは永遠です。


 
Amazon ツィゴイネルワイゼン

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2018.06.17

優れた演奏とは…「記録」と時間の流れ

Th__20180618_114326 日の続きとなります。
 未来から過去へと流れている(と認識していた)はずの時間を、なぜ私たちは過去から未来へと勘違いしてしまったのでしょうか。
 その原因となっているのは、「文字(文)」や「音符(楽譜)」や「録音」という「記録」です。記録するということは、本来流れていくモノを、この現在に固定することです。
 音楽と楽譜の関係で考えてみましょう。音楽は未来から流れてくるモノです。たとえばそれを楽譜に記録したとすると、それを再生するには、1小節目の1拍目から右に向かって演奏していくことになります。
 つまり、音楽を聴く際には客体であった自分が、今度は演奏する側に立つと主体になる。そうすると、記録の古い方、すなわち過去から順に再生していくことになります。
 それはあくまで演奏、再生の方向であって、音楽が聞こえてくる(流れてくる)方向とは違います。その主体と客体の逆転が、時間の流れの認識においても起きました。
 つまり、自分が止まっていて「時間が向こうから流れてくる」のではなく、時間の道のりを「自分が過去から未来へ歩んでいく」というように捉えるようになってしまったのです。
 ここには西洋近代がたどり着いてしまった、個人主義、主観主義が大いに影響しています。ちなみに日本語で「人生を歩む」という言い方をするようになったのは明治時代からです。それまでは、自分が止まっていて時間が未来から流れてくると感じていた…これについては今まで何度も書いてきました。
 しかし、こういう近代的感覚は単純に間違いだとは言えません。なぜなら、自分と時間との関係は相対的であって、どちらを固定するかによって、二種類の解釈ができるからです。
 わかりやすく空間で話をすると、たとえば自動車のナビや、飛行機、電車の運転シミュレーターのように、自分が動いていなくても、自分が動いているように感じますよね。時間においても同じことが言えるのです。
 しかし、相対的に同じと言っても、その本質は明らかに違います。車を運転してどこかに行くのと、ナビの中でどこかに到着するのとでは、もちろん意味が違いますよね。
 実はそこが肝心なのです。たとえば音楽で言えば、完全に即興の音楽というのは、自分が止まっていて向こうから来る音楽をキャッチしていく感じで、楽譜通り演奏するというのは、記録された情報を過去から順に正確に再生していく感じ。明らかにその質は違ってきます。
 あくまでも、本来音楽は未来からやってくるモノ。それを前提にすると、たとえばクラシックの演奏において、優れた演奏とはなんなのか、一つの考えが浮かびます。
 そう、記録された情報を過去から順に再生していくのだけれども、それを聴く人たちには、まるで今生まれたばかりの音楽が、向こう(未来)から流れてくるように感じる…それが優れた演奏なのではないでしょうか。
 いくら完璧にデータ通りに再生したとしても、それが感動を呼ぶとは限らない。いくら完璧なテクニックでミスタッチなく曲芸的に達者に演奏されたところで、ちっとも面白くない、なんてことはしょっちゅうあります。
 上の写真はマタイの自筆譜です。私もかつてマタイ受難曲全曲演奏に参加させていただきましたが、その際の体験が非常に象徴的でした。私はとにかく間違いのないように音符を正確に再生していくことに努めていたのですが…そこで演奏家であるはずの私に奇跡が起きました。向こうから予想しないモノがやってきて私を突き動かしたのです。
 その時のことを記録した「残酷で愚かな自分を発見…マタイ受難曲全曲演奏」という記事をお読みください。この体験は私にとって非常に大きな転機となりました。
 おそらくバッハ自身、向こうからやってくる音楽をキャッチして、そしてこの楽譜を残したのでしょう。きっと涙しながら、感動しながら、神のメッセージを受け取っていたに違いありません。
 そのバッハの感動を「今ここ」に再現できたら、きっと最高の演奏になるのでしょう。難しいけれども、実に興味深い人間の営みではありませんか。

 

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