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2012.02.03

夏目漱石 『素人と黒人(くろうと)』

20100526201449 「士山の全体は富士を離れた時にのみ判然と眺められるのである」
 今日もまた他人のふんどしです。
 中学高校の仕事をしていますので、小学6年生のために問題を作ったりする一方、大学入試の文章も読まねばなりません。まさに受験シーズンですなあ。この時期は忙しいけれど楽しい。私は普通の国語の先生と言うより受験国語の先生なので。
 今日は昨年の早稲田大学の問題を生徒と一緒に解きました。最近の早稲田の問題は昔に比べると「良問」になっている気がします。単に自分が慣れてきただけかもしれませんが。
 で、その現代文の本文の一つが漱石のエッセイでした。大正13年(1914年)東京朝日新聞に掲載されたものだそうです。
 これがなかなか面白い「漱石節」だったので、思い切って抜粋されていた分すべてを紹介します。
 まあ簡単に言えばいわゆる「玄人」をけちょんけちょんにやっつける文章ですね。こんな口調でここまで言うなんて、いったい漱石に何があったのか、何がこれを書かせたのか、興味のあるところです。
 しかし、ここに書かれていることは、古今東西・硬軟聖俗すべてに普遍的なことであるような気がしますから、単なる個人攻撃、あるいは感情論ではないということですね。そのあたりが漱石らしいところです。
 そして、漱石らしいと言えば、最後の段落でしょうかね。うまいこと逃げているとも言えるし、皮肉がきいているとも言えます。
 なんか、そのあたりは自分の書く文章にも似ているな…いやいや、私が漱石の影響を受けていると感じました。私もよく使う技であります(笑)。
 ところで、どうして漱石は「しろうと」は「白人」ではなく「素人」と書いているのに、「くろうと」は「玄人」ではなく「黒人」としたのでしょうか。
 おかげで、「素人と黒人」でググると大変なことになります(笑)。ぜったいに検索しないようにしましょう。
 漱石のいたずらでしょうかね(苦笑)。
 いや、実際、明治時代には「しろうと」は「素人」という表記しかなく、「くろうと」は「黒人」が一般的であったようです。「玄人」は案外新しい表記らしい。おそらく「黒人」が「黒色人種」の意味として一般化すると同時に、それとの差別化を図って「玄」という字をなんらかの理由で使うようになったのでしょう。
 それまでは「黒人(こくじん)」というと、「しろうと」の反対で「遊女」のことを指しました。
 ちなみに「素人」という漢字は中世から近世にかけて既に一般的でした。
 では縦書きでどうぞ。ルビもつけちゃえ! 面白いのでぜひお読みください。

 良寛上人は嫌いなもののうちに詩人の詩と書家の書を平生から数えていた。詩人の詩、書家の書といえば、本職という意味から見て、これほど立派なものはないはずである。それを嫌う上人の見地は、黒人の臭みをにくむ純粋でナイーブな素人の品格から出ている。心の純なるところ、気の精なるあたり、そこにれ枯らしにならない素人の尊さが潜んでいる。腹の空しい癖に腕でき廻している悪辣がない。器用のようでその実は大人らしい雅気に充ちた厭味いやみがない。だから素人は拙を隠す技巧を有しないだけでも黒人よりもしだといわなければならない。自己には真面目に表現の要求があるということが、芸術の本体を構成する第一の資格である。既にこの資格を頭のうちに認めながら、なおかつ黒人の特色をうらやむのは、君子の品性を与えられている癖に、手練手管てれんてくだの修業をしなければ一人前でないと悲観するようなものである。  ここで、更に新しい所から黒人と素人を比較して見ようと思う。あるものを観察する場合に、ず第一にわが眼に入るのはその輪郭である。次にはその局部である。次には局部のまた局部である。観察や研究の時間が長ければ長いほど、段々細かい所が眼に入って来る、ますます小さい点に気が付いて来る。これはすべての物に対する我々の態度であって、ほとんど例外を許さないほど応用の広い自然の順序と見ても差支さしつかえない。だから芸術の研究もまたこの階段を追って進んで行くに違いない。いわゆる黒人というものはこの道を素人より先へ通り越したものである。そうしてそこに彼等の自負が潜んでいるらしい。彼等の素人に対する軽蔑の念も亦そこからいて出るらしい。けれどもそれは彼等が彼等の径路を誤解して評価づけた結果に過ぎないと、自分は断言してはばからない。彼等の径路は単に大から小に移りつつ進んだのである。浅い所から深い所に達しつつあるのでもなければ、上部から内部に立体的に突き込んで行きつつあるのでもない。大通りを見つくしたから裏通りを見る、裏通りを歩き終ったから、横丁や露地を一つ一つのぞいているという順序なら、たとい泥板どろいたの上を一軒一軒数えて廻っても、研究の性質に変化の来るはずがない。それを低い平面から高い平面に移された様に思うのは、いわゆる黒人のイリュージョンで、平凡な黒人は皆このイリュージョンに酔わされているのである。単にこれだけなら彼等の芸術に及ぼす害毒はさほど大したものでないかも知れない。けれども彼等はこの甘いイリュージョンにあざむかれて、大事なものは何処どこかへ振り落して気が付かずにいるのである。  観察が輪郭に始まって漸々ぜんぜん局部に移っていくという意味を別の言葉で現すと、観察が輪郭を離れてしまうという事に帰着する。離れるのは忘れる方面へ一歩近寄るのと同然である。しかもその局部に注ぐ熱心が強ければ強いほど輪郭の観念は頭を去る訳である。だから黒人は局部に明るい癖に大体を眼中に置かない変人に化けて来る。そうして彼等の得意にやってのける改良とか工夫というものはことごとく部分的である。そうしてその部分的の改良なり工夫なりがごうも全体に響いて居ない場合が多い。大きな眼で見ると何の為にあんな所に苦心して喜んでいるのか気が知れない小刀細工をするのである。素人は馬鹿馬鹿しいと思っても、先が黒人だと遠慮して何もいわない。すると黒人はますます増長してただ細かく細かくと切り込んで行く。それで自分は立派に進歩したものと考えるらしい。高い立場から見下すとこれは進歩でなくって、堕落である。根本義を棚へ上げて置いて、末節にばかり齷齪あくせくする自分の態度に気がついたら黒人自身もしか認めなければなるまい。  素人はもとより部分的の研究なり観察に欠けている。その代り大きな輪郭に対しての第一印象は、この輪郭のなかで金魚のようにあぶあぶ浮いている黒人よりは鮮やかに把捉はそく出来る。黒人のように細かい鋭さは得られないかも知れないが、ある芸術全体を一眼に握る力において、糜爛びらんした黒人のひとみよりもたしかに溌剌としている。富士山の全体は富士を離れた時にのみ判然と眺められるのである。  ある芸術の門をもぐる刹那に、この危険は既にその芸術家の頭に落ちかかっている。虚心に門を潜ってさえそうである。与えられた輪郭を是認して、これは破れないものだと観念した以上、彼の仕事の自由は到底毫釐ごうりの間をうろついているにすぎない。だから在来の型や法則を土台にして成立している保守的の芸術になると、個人の自由はほとんど殺されている。その覚悟でなければ這入はいる訳に行かない。能でもおどりでも守旧派の絵画でもみんなそうである。こういう芸術になると、当初から輪郭は神聖にして犯すべからずという約束の下に成立するのだから、その中に活動する芸術家は、たとえ輪郭を忘れないでも、忘れたと同じ結果に陥って、ただ五十歩百歩の間で己の自由をみせようと苦心するだけである。素人の眼は、この方面においても、一目の下に芸術の全景を受け入れるという意味から見て、黒人に優っている。  こうなると俗にいう黒人と素人の位置が自然転倒しなければならない。素人が偉くって黒人が詰まらない。一寸ちょっと聞くと不可解なパラドックスではあるが、そういう見地から一般の歴史を眺めて見ると、これはむしろ当然のようでもある。昔から大きな芸術家は守成者であるよりも多く創業者である。創業者である以上、その人は黒人でなくって素人でなければならない。人の立てた門を潜るのでなくって、自分が新しく門を立てる以上、純然たる素人でなければならないのである。

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2012.01.27

「リリジョンフリー」というアイデンティティ

Store 道家でもある我が校の校長から宮脇磊介氏の講演録のコピーをいただきました。拝読して感銘を受けましたので紹介させていただきます。
 リージョンフリーならぬ「リリジョンフリー」という発想はなかなか面白いし、日本人のアイデンティティの根幹をうまく表した言葉だと思います。
 「宗教」という言葉や概念からの解放ということで言えば、出口王仁三郎の思想もこれに近いかもしれませんね。
 私は「武士道」という言葉にある種の違和感を抱いてきた者なのですが、今回の宮脇さんの解説により自分なりに腑に落ちるところがありました。
 その他、「武道」ではなく「武芸」、「見」でなく「観」、さらに「観」でなく「映」、スポーツとして勝つために何が必要か…などなど、非常に興味深いお話が盛りだくさんです。
 結局植芝盛平が最強ってことでしょうか。ということは、やっぱりその師である王仁三郎はとんでもない大化物だったということですね。そんなことも再確認しました。
 では、縦書きでどうぞ。

 宮脇磊介 「日本のアイデンティティとは何か」を考える 「国際化する武道」と日本文化に連綿と流れる「普遍的価値」  全日本剣道連盟剣道文化講演会 2011.12.10

(はじめに、の部分は省略させていただきます)

 武道の国際化

 みなさまご存じのように、日本の武道が国際化しております。柔道も合気道も国内の参加人口よりもはるかに多い人たちが、海外で稽古に励んでいます。剣道もまた、海外人口が増えてきて、世界選手権大会がもたれるに至っています。そうした状況下で、特に近年、柔道、なかでも男子柔道が国際試合で金メダルを取ることが難しくなってきました。怪力の選手や巨大な選手に、力で振り回されて、技が出せない哀れな姿がテレビで報じられるようになりました。日本のお家芸であった柔道が、世界各国のレベルに追い付かなくなってきますと、国際団体の中での主導権が日本から離れて行く状況が見られるようになりました。本来の日本の柔道が長年受け継いできたルールが変更され、否定されてきました。白ではなくて、青い柔道着も現れました。日本は、当初、こうした日本流のルールを変えられることに反対しました。
 しかしながら、武道をスポーツ化した以上、また、国際的に広まってきた以上、「テレビ向け」と「コマーシャリズム化」は、必然的であり宿命的であります。オリンピックや世界選手権大会で、世界中の視聴者に分かりやすく楽しんでもらうためには、柔道着の色で識別してもらうのが、最も適当です。普段柔道の試合を見たことも無い視聴者、選手の名前も知らない視聴者が、両方とも白い柔道着を着ていては、興趣(きょうしゅ)が湧いてきません。世界の流れに従わざるを得ません。
 でも、100%国際柔道連盟が決めたことに従ってよいのでしょうか。決してそうではありません。また、国際柔連としても、いかにスポーツ化したからといって、世界の人々から支持されている「柔道」が求める精神面での意味が否定されては、柔道ではなくなってしまう。国際化された「JUDO(じゅうどう)」にも限界があることが次第に分かってきました。海外で柔道に魅力を感じて稽古に励む人たちが求めるものは、「礼に始まって礼に終わる」ことを始め、「謙虚な心」で相手に対峙すること、などの「求道」でした。それまで否定するわけにはいかないことに気付いてきました。皆様方ご案内のとおりです。一方、日本の柔道界には、ぎりぎり最後まで守り抜かなければならない価値は何か、譲ってはならないものは何か、が厳しく問われてくることになりました。
 「日本柔道の真髄」とは何か。それは、「日本文化の本質」にかかわるものであります。言葉を換えて言えば、「日本のアイデンティティ」が問われてきたのです。剣道でも、全く同じ傾向が見受けられるようになりました。武道とは異なる日本文化でも、俳句などでは、国際俳句連盟の方が、海外各国に向けて影響力を持つようになってきています。

日本のアイデンティティ

 さて、ちょうどこの頃、日本の社会でも、武道の国際化とは関わりなく、「日本のアイデンティティとは何か」が、日本の文化人や学者などの間で、にわかに論議されるようになりました。
 武道に限りませず、あらゆる分野に亘って日本のアイデンティティが問われるようになってきたのでした。それには、東西冷戦の終結に伴う「グローバリゼーション」が関わっているように思われます。
 それぞれの国は、言葉の相違だけではなく、それぞれ異なる文化を持っています。お互いの国、相手の国の文化を知り、それと自国、日本の文化との違いを知ることが、国際的な交際や折衝に欠くべからざる要素となってきたのです。文化とは、それぞれの国や民族の「アイデンティティ」と表裏をなすものです。その国の文化の本質・文化の精髄が、その国の「アイデンティティ」に他ならないからであります。
 さようなことからでしょう。文化人はじめ多種多様な人たちが「日本のアイデンティティ論」を取り上げるようになりました。そこで等しく「日本のアイデンティティ」として取り上げられたのは、「武士道」でした。新渡戸稲造氏が英文で著した「BUSHIDO」が、なにかと引用されて、「武士道が日本のアイデンティティである」かのように、喧伝されるようになりました。
 みなさま。武士道を日本のアイデンティティと考えてよろしいのでしょうか。とんでもない話です。ちょっと考えればわかることです。「武士道」という言葉が歴史上、現われたのは、いつごろでしょうか。そうです。戦国時代の後期、武道をおやりの皆様ご存じの「甲陽軍鑑」からです。「武士道」が、武士の行動規範として主張され、広まったのは、江戸時代に入ってからのことです。たかだか400年前のことではありませんか。
 日本の歴史は、神話の時代に始まります。日本の神話を初めて綴ったのは、皆様ご存じの「古事記」です。そこに、「武の文化」ともいうべき「日本文化の源流」が明瞭に示されています。日本人としての価値観も示されている。現在においても、それが連綿と受け継がれている。しかも、途切れることなく、です。「日本のアイデンティティ」が、そこに見出されるのです。にもかかわらず、たかだか400年前からの「武士道」を、1300年ほど前から示された、「武の文化」の長い歴史があるにもかかわらず、「日本のアイデンティティ」とすることは、いかにおかしいことか。子供にでも分かることです。そんなことが、堂々と横行する日本の現状は、嘆かわしい。賢明なる皆様方には、そう御感じであろうかと存じます。
 このようにして、日本は、そして日本人は、日本のアイデンティティを見詰め、日本のアイデンティティを心の中に据えておくことが求められるようになった。そう考えてよろしいのではないでしょうか。  
 「アイデンティティ」と言う言葉は、日本人には分かり難い言葉です。「アイデンティティ」を平たく申しますと、「自分で見つけた自分」「自分自身の個体(個人・民族・国家など)の価値」と考えてよいでしょう。したがって本論では、「日本人自身で見つけた日本ないし日本人」「日本本来の日本の価値」「日本人であることの価値」などと、大まかに理解しておけばよいと考えています。定義にこだわると、「神学論争」に嵌まってしまいがちです。
 日本は、島国です。たしかに、「黒船ショック」がありました。「明治維新」という無血革命も、成し遂げました。しかしながら、これまで、日本ないしは日本人は、「世界の中の日本」「世界の中の自分自身の価値」をあまり考えないでも、なんとかやってこられました。「自分が何であるか」とか「アイデンティティは何か」を問いかけなくても、今まではそれで済んできた。そう思ってきたのでした。それが、日本が国際化から後れをとる大きな原因のひとつにもなっていたのです。
 さて、きょうのお話のタイトルは、「日本のアイデンティティとは何かを考える」とさせていただきました。「考える」としましたのは、「日本のアイデンティティ」について、わたくし自身の考えを申し上げようとしているのではなく、みなさまと一緒に「日本のアイデンティティとは何か」を考えて参りたい、それについて、わたくしとして出来ることは、みなさまと考えるに当たって「ヒント」になるであろうことを提供させていただきたい。さような考えからにほかなりません。この点、あらかじめご理解賜りたい。心からお願い申し上げたい、さように存じております。

 武芸を体験しない文化人

文化人が語る新渡戸稲造氏の「BUSHIDO」を引用する「日本のアイデンティティ論」で痛切に感じられますことは、日本の文化人たちが日本の「武芸」に馴染んでいないことであります。剣道・柔道など「武道」の稽古をした経験が無い人が殆どです。武道への「関心」といっても、せいぜいオリンピックや世界選手権大会でのテレビを見るくらいの程度です。そんな人たちが、「武士道」や「日本のアイデンティティ」を論じて本や随筆を書いたりしているのです。
 さきに申し上げたように、日本の文化の底流をなすものに、「武の文化」があります。日本文化を論じる時、欠かすことの出来ない重要な要素です。
 日本の歴史は、豊葦原瑞穂国(とゆあしはらみずほのくに)の生成に始まります。古事記などが記す神話の時代から、日本人の祖先は、タケミカズチノ神を「武の神」としたように、武を尊び、刀剣に格別の権威を抱いていました。神代(かみよ・神話の時代)にあって、刀剣の持つ力への崇敬の念は、日本人の精神性の柱をなしていました。また、「心身の在り方」として、「明らけく清らけくあること」が尊ばれ、「禊ぎ(みそぎ)」「祓い(はらい)」が、穢れのない清澄な精神に導く手段でした。
 その後の日本の歴史は、武芸におきまして、世界の他の国々や地域で発達した武術と異なって、「相手を殺傷しないあり方」を求めるところに特徴を示すようになりました。「平安な心のありよう」を追及する茶道・華道・能楽など、日本の伝統文化には、日本古来の「武」が尊んできた、「高い精神性」から生まれる「平和な心・清冽(せいれつ)な心」のありようが、底流をなしてきたのであります。
 このように、古事記の時代からの日本にあった「武の文化」が、日本文化の底流をなし、あるいは、直接間接に影響を及ぼしてきたのでした。したがいまして、「日本の文化」を論じる時、この「武の文化」を抜きにして語ることは出来ないのであります。
 また、最近の傾向として、茶道、華道、俳句、柔道、合気道などの伝統文化の中には、日本国内よりも、海外の愛好者人口の多い所も出てきました。また、昨今は、アニメやマンガなどのサブカルチャーと言われるものが、日本の人びとの理解を越えて、世界の人びとの心をとらえるようになっているのです。日本の人びとが、自らの文化の本質への理解を欠いているために、その本質を海外の人たちに解説も出来ない。そんな状態が、許されなくなってきているのです。ここに、きょうのテーマである「日本のアイデンティティ」ですとか「武の文化」への国民挙げての理解が求められるゆえんであります。
 なお、すでにお気づきの方もおられるでしょうが、きょうのお話では、日本古来の武に関する体技を、「武芸」と呼称させていただいております。「武道」「武術」「武芸」と三つの言葉を、使い分けいたしております。「武道」という言葉は、皆様ご存じのように、明治時代に入ってから一般化しました。「武術」という言葉には、技術・技(わざ)に重きが置かれている印象がございます。そこで、日本古来からの「精神性」と併せて「心のありよう」を含めた「武芸」を適当と考えました。

 国際試合で金メダルを取るためには、どうしたらよいか

 さて、それでは、まず第一に、日本の武道が当面抱えている国際化に伴う問題点とそれをいかに克服するか、について検討を致したい。第二に、その背景にある日本古来の武芸への関心を喚起する必要性。第三に、日本の武芸を担ってきた先人達が求めた究極のものは何だったか、について、検討を進めて参りたい。
 その上で、連綿として流れてきた「武の文化」を底流とする「日本の文化」に眼を転じて、三つのことを申し上げたい。一つは、その特徴、「日本文化の特質」を、皆様と共に確認し合いたい。二つには、その「日本文化の精髄」が、こんにち、および、これからの「世界に普遍的な価値観」として全世界に向けて提供することが、日本の役割であることを申し述べたい。そして三つめ、最後に、その中で「日本の武道家の役割」、武道家が考え、かつ、なすべきことは何か、を見詰めて参りたい。換言すれば、「日本武道の目的」とするものは何か、ということです。
 まず、当面の問題として、本来日本が元祖であり、日本のお家芸とされてきた日本武道が、各種目の国際試合で、圧倒的に金メダルを獲得するためにどうしたらよいか、について見て参りたいと思います。
 柔道に例をとってみますと、特に、男子の不振には、目を覆うものがあります。負け方の多くは、外国選手の怪力に屈して技を出せないうちに負けてしまうパターンです。「力負け」しないことは、今や、世界を目指すものにとっては、絶対的な必要条件なのです。日本選手は、いくら技が切れて、「美しく勝つこと」や「一本勝ち」を勇ましく宣言しても、外国選手の怪力に歯が立たず、惨めな結果となるパターンの連続です。世界を目指すからには、優れた技を持ち、かつ、長身や目方のある怪力外国選手を相手にして力負けしないだけの怪力と持続力とを持つことが先決です。いくら技が切れても、体力が伴わない選手は、もはや、始めから「国際試合不適格者」として国際試合へのエントリーから外してしまうことです。「国内試合優勝用選手」に甘んじさせる以外に道はありません。
 剣道でも、同様なことが言えるのでしょう。体力とその持続力、集中力とその持続力に加えて、柔道とは異質の様ざまな資質が求められることでしょう。
 怪力に加えて、技(わざ)の習得について格別の工夫があってしかるべきであります。これには二つの道があります。一つは、世界中、古今東西の格闘技の技を取り入れて、必要なものを身につけることです。もう一つは、日本古来の武道家が心血を注いで開発し、磨き上げた格闘技の技を吸収することであります。ここでは、後者について考えてみます。
 世界一を目指すからには、「世界最高の技」を習得しなければなりません。
日本古来の日本の武芸各派が、長年月をかけて、生死を賭けた勝負での「必勝」を期するために開発し、磨き上げてきた独特な技や手法がございます。近代科学では、説明のつかない、無数のノウハウが、そこにあります。
 16世紀後半に、上泉伊勢守信綱が、当時主流をなしていた、力とスピードで相手を圧倒したうえで自分の得意とする技に引き込んで勝つ、という戦い方に囚われないで、相手の動きに対応して、いかなる形の攻撃に対しても無理なく勝つ方法を体系化し、全く新しい流派を創設しました。それが、新陰流でした。また、合気道は、相手の力や心身反応を利用して、相手の態勢を崩すのが基本原理です。
 スポーツ武道の国際試合で勝利を得ようとするのであれば、日本選手は、手近なところに、海外の選手たちが直ぐには真似の出来ない、日本独特の幻妙にして多彩な技と理法が山ほどあることに着目し、その精髄を窮める修練を尽くさなければならないのであります。
 武田惣角の「壁抜けの術」ですとか、三船久蔵の「空気投げ(隅落し)」などもクリアしたいものです。前者は、目にもとまらぬ速い所作(しょさ)と催眠誘導が基礎になっているように思われます。また、相手に触れないで投げ飛ばす「隅落し」は、相手が自分自身でも感じていない心身反応のツボへの刺激と反応の活用と考えられます。夥しい魚の群れが一斉に同一方向に流れるように移動するのは、何百万年という長い年月のなかで、身の危険をかわす必要から、一般の人間からすれば、一瞬としか感じられない時間が、魚群にとっては、身をかわすのに十分な時間となっているからだと思うのです。「凝縮された集中力による時空のスパンの変化」といってよいものでしょう。植芝盛平が屡しば口にしたと言われる、戦地で鉄砲玉が見えるから当たらない、と言ったことは、ある程度合点がいくところです。なお、植芝盛平の十人掛け・十人飛ばしのフイルムを見ると、座位のまま、目にもとまらぬ早業で、前後左右に移動して、体さばきをしていることが分かります。人並み外れた修行の賜物が、そこに明瞭に映し出されているのです。
 勝負での必勝法を見出そうとする時、欠かせないのは、宮本武蔵の「平常心」です。皆様ご存じのように、武蔵は、「平常心」と言う言葉は使いませんでした。「兵法の道において、心の持ちやうは、常の心に変わることなかれ」と説くのを、一般に「平常心」と呼んでいるわけですね。俗な解釈では、「緊張せずに、平素と同じようなリラックスした気持ちで試合に臨め」と理解されています。そんな気持ちで真剣勝負に臨んでは、たちどころにバッサリやられてしまいます。武蔵が言わんとするものは、「必勝は、真剣勝負で相手に負ける事のない最高の精神状態を、日常平素から持ち続けていることによって得られる」と言うことにあるのでしょう。皆様に申し上げるまでもないことです。
 宮本武蔵は、「見(けん)」でなく「観(かん)」と説きました。これについて、植芝盛平が、「観(み)る」でなく「映(うつ)る」じゃ、武蔵はまだ完成していなかった、と評しました。「映る」という捉え方は、柳生家の一大事(秘伝)である「西江水(せいごうすい)」の中にも出てきます。「心が何物にも煩わされることが無くなり、心が明らかとなってすべての道理が分かるような状態である。この状態になると、自ずと敵の心が自分の心に映ってくる」と解説されています。

 武芸を担ってきた先人たちが求めた究極のものは何だったのか

 このように、日本には、他の諸国、特に西欧諸国の近代科学では、到底及びもつかない幻妙な技(わざ)が山ほど開発されてきました。「小宇宙」とされる、人間の経穴や無意識の反射反応を自在に操ることにより、手を触れなくても相手のバランスを崩し、相手の力で相手を無力化する技までも、伝習されているのであります。人体構造における心身の玄妙な働きのメカニズムに、厳しい修行を通じて迫った結果、習得された貴重な文化遺産であります。
 日本の武芸諸流派が共通して鍛錬するものに、「呼吸法」があります。意義の説明の仕方や鍛錬の手法は、まちまちですが、言わんとするところは皆同じです。「心身の働きを自在にする」「集中力を高める」「丹田に気を集める/気を練る/気を蓄える」と、心身の全ての感覚が総動員され、かつ、状況に応じて最も有効に機能する状態を作り上げる効果を期待します。
 森羅万象ことごとく「宇宙のリズム」に随って生成し、消滅します。呼吸の加減は「宇宙のリズム」に則したものであることでなければなりません。結局、諸流派が「極意」「奥儀(おうぎ)」として求めるものは、「無形の位(くらい)」「轉(まろばし)」「無構え(構えあって構え無し)」その他様ざまな表現がありますが、いずれも、「いかなる状況にも対応できる心身の状態」に尽きます。それが「自然のありのままの心身の姿」であり、「宇宙のリズムに適ったあり方」などと表現されるのであります。
 武技が高度なものに磨かれてきますと、重点は「力」よりも「技」へと移ります。次いで「心のありよう」が、修練の目標として見えてきます。さらに進むと「相手を殺傷しないで制圧する」「相手と力によるバトルをしないで勝つ」「気位(きぐらい)/高度な精神力を相手に感応させて戦意を喪失させる」といったことを尊し、とするようになります。
 日本の武の文化は、西欧での武のありようと異質であります。刀剣については、日本では古来から権威あるものとして受け止められ、精神性が尊重されます。天皇の天皇としての証しである三種の神器には「草薙の剣(天叢雲剣・あめのむらくものつるぎ)」があります。海外では、どうでしょうか。ダガーナイフや青龍刀など、精神性の無い「殺傷の用具」でしかありません。また、戦国時代から江戸時代にかけて「武士道」「士道」など武士の行動規範が武家社会の中に広まりました。日本の「武士道」と西欧の「騎士道」もまた、質を異にします。日本では「死生観」を見詰める精神性が強い。これに反して、西欧の「騎士道(chivalry)」では、「勇気」「婦人尊重」などを看板にしていますが、本質は「カッコよさ」の顕示というスノビズム(俗物主義)に過ぎないのです。

 武芸に求めていた究極の目標

 ところで、では、先人が武芸に求めていた究極の目標・究極の理念は、何だったのでしょうか。植芝盛平は、「武技は、天の理法を体に移し、霊肉一体の至上境に至る業(わざ)であり、道程である」(「合気道の精神」)と説いています。「宇宙との一体感/一体化」「宇宙の理法に適った心身の働き」「宇宙のリズムとの調和」などとも説かれています。この場合の「宇宙」という言葉は、「自然」「山川草木・森羅万象」「天」などと置き換えることが出来るでしょう。
 「身心一如(しんしんいちにょ)」と説かれるように、日本では心身は、キリスト教文明で考える二つの別々のものではなく、一つであります。五感や経穴、あるいは、それら以外に未だに発見されていない心と身体の反応・感応のメカニズムは、心身一体のものとして捉えられなければなりません。そうでないと、日本の諸武芸の理法や、それらの奥にある究極の目標である「宇宙の理法」は、理解できません。

「世界に平和をもたらす理念」への集約

 武芸の先人達が、後世に残そうとしたものは、何であったのでしょうか。
日本の武芸は、殺傷の技術から出発しながら、その中に「神武不殺(しんぶふさつ)」すなわち「殺すなかれ、破るなかれ」を理想としてきました。そして、「相討ち」から「相抜け」へと脱皮するなど、相手を殺(あや)めたり、傷つけたりする世界から、相手を生かし合う世界へと転化を進めて参りました。
 日本の武芸の中で、代表的なものは、剣術と柔術でした。剣術は、本来、刀剣という「武器」によって相手を殺傷する技術であります。しかしながら、日本では、やがて、相手を活かして勝つことを求めるようになりました。柔術は、もともとから、武器を持たないで、「無手」「空手・空拳」で、場合によっては武器を持つ相手にも勝つ、という技術を目指してきました。 
 柳生新陰流の流祖、上泉伊勢守信綱は、真剣勝負での必勝法を極めようとして、その極意に達しました。しかしながら、上泉伊勢守は、自分が極めきれなかった「無刀の位」を工夫することを、兵法者として名をなしていた大和の国の柳生宗厳(やぎゅう・むねとし)に託したのでした。宗厳は、「無刀の位」を極めることに成功しました。武器を持たないで、武器を持っている相手を制圧する手法を編み出したのでした。これは、塚原卜傳(つかはら・ぼくでん)が、「一の太刀(ひとつのたち)」を考案して、その開発した木刀使いの威力を発揮して、すべての相手を、パワーとスピードで捩じ伏せたのと対照的であります。上泉伊勢守が目的とした哲学は、この卜傳流のやり方を乗り越えることにあったのでした。
 合気道になりますと、これまた、殺傷の技術から出発しながら、次第に、「神武不殺」へと、相手を生かし合う世界へと転化しました。技法、技の出し方も、決して自分自身から先制攻撃をしないことを練磨の基本とし、これを「武の究極の理法」としました。そして、「人と争わず、自然を損なわず、力でのぞまず、対すれば相和す。宇宙との和合を目指す愛の武道(、それ)が、合気道である」(植芝盛平)としたのでした。
 講道館の創設者、嘉納治五郎師範は、「柔道とは、心身の力を最も有効に使用する道」であって、かつ、「相助相譲自他共栄の道」であるとしました。「精力善用」「自他共栄」の理念であります。これは、今日これまで述べてきました日本武芸が長い年月の中で求めてきたものの集大成であると言えるのでしょう。また、日本から世界に向けて、「発信」を意識した一つの体系化された理念でもありました。事実、国際的な武道界で、こんにち膾炙されているところであります。なお、嘉納師範は、「無心にして自然の妙に入り、無為にして変化の神を極む」と説きました。上泉伊勢守・柳生宗厳の「無構え」から進めて、「無心」に到達したのでした。宮本武蔵の五輪書「空の巻」の最後の締めくくりの言葉は「心(しん)は空(くう)なり」とあります。相通じるものがみえてきます。

 「武の文化」を始めとする日本文化を生み出すことができた「環境」

 これまで皆様に申し上げてきた事柄は、異論はありましても、日本人にとりましては、格別の違和感なく理解でき、受け入れられることだと思います。ところが、海外、なかでも白人支配のキリスト教文明諸国の人びとにとっては、なかなか理解されないのです。どうしてでしょうか。理由は、はっきりしているのです。そして、この点は、日本文化の特質、および、その発生の源を考える上でとても大事なことであります。
 日本人は、長い歴史上、ほとんど「宗教」と「イデオロギー」の呪縛を受けてきませんでした。それは、日本にとりまして、とても恵まれた環境だったと言えます。そうした拘束の無い中で、日本人は、自由闊達に精神活動を展開することが出来、様ざまな文化を育てることが出来たのでした。
 海外では、そうはいきません。17世紀以来、世界は、白人によるキリスト教文明支配に覆われました。キリスト教は、一神教の宗教です。人間が創ったフィクションに基づく一神教や一神教文明は、人間が生まれ持った自由で無垢な心と行動を、宗教上の戒律によって、ときには強制的に、一つの方向に、人間を加工してしまいます。
 こうした、ヤーヴェ信仰に基づく、唯一絶対の神への服従を説き、天国と地獄、それに悪魔の存在を心底信じさせられてきた「一神教のユダヤ教(旧約聖書)やキリスト教の世界」は、日本に存在しないと言えるくらい、影響力を持っていません。そのために、日本では、古事記の昔から今日まで、「明らけく清らけく」ある心を、切れ目なく保持しつつ、日本独特の自由な環境の中で、絢爛たる文化が育ってきました。自由で平等な人間性を謳歌し、闊達な神話や芸術作品を産んだギリシャの環境は、キリスト教によって断絶しました。
 この「一神教の拘束から自由な環境」を「リリジョンフリー(religion free)」と呼ばせて頂きたいと思います。英語として、必ずしも正確な表現とはいえないかもしれません。また、もう一つ、一神教の宗教だけからの自由ではなく、他の諸々のイデオロギー上の精神的制約を受けない自由までを含めている。ほぼ完全な「自由環境」を意味しております。その「リリジョンフリーの環境」によって、「日本文化」があるのです。
 「日本人の信仰心」は、学問的には、「アニミズム」として捉えられてきました。西欧キリスト教文明からは、やや軽侮の意味が籠められていました。「日本人は、無宗教だ。野蛮人だ」とする見方です。しかしながら、むしろ、日本が「リリジョンフリー」であることを、誇ってよいことだ。そう強調したいのです。欧米の人から「神(GOD)の存在を信じるか」と、問われることがあります。 日本人の宗教観を確かめたいのでしょう。その時は「一神教の神(GOD)は信じません。宇宙に存在する万物を支配している“宇宙の理法”の存在を信じます。そして、“宇宙の理法/宇宙のリズム“に適った、心身の在り方、呼吸の仕方、物の捉え方、考え方をすることが、”人間本来の姿“と考えています。それが、人に”幸せ”をもたらせもします」と答えればよいのです。
 また、キリスト教文明諸国からは、日本は「神道の国」とか「儒教の国」とか言われてきました。しかしながら、神道には教義も無ければ経典も無い。また、布教行為もありません。宗教の定義は無数にあります。けれども、こうした神道までキリスト教と肩を並べて宗教とはとても言えるものではありません。また、儒教についても、本来、生活上・処世上の指針のようなものでしたし、日本では、中国や韓国よりも遥かに宗教的色彩が薄まっているばかりか、江戸時代に儒学者の手によって加工されて、「武士の行動規範」として、変形・変質されたものになっていました。仏教は、キリスト教・イスラム教と並んで、世界の三大宗教の一つとされてきました。しかしながら、仏教は、もとより一神教ではありません。さまざまな宗派がありますが、教義も、一言でいえば、困った人に投げられる「筏(いかだ)」と説明されています。このようなことから、日本を「リリジョンフリーの国」と表現することが適当でしょう。

 リリジョンフリーの国であることの恩恵

 日本が「リリジョンフリーの国」であることが、どれだけ日本人自身に幸せをもたらせているか、計り知れないものがあります。皆さんにも、お考えいただきたいと存じます。
 リリジョンフリーの日本の環境のもとで、絢爛多彩な文化の花が、長い歴史の中で、いつの時代にも、咲き匂い、咲き誇ってきました。海外からも「日本文化の特徴」と指摘されてきたのは、「わび」「さび」「もののあはれ」「いつくしみ」など、「繊細で洗練された美意識と感性」であります。和歌や俳句には、「人間以外のものの心」を詠(よ)むものが多く見られます。日本人は、人間以外の生命体、動物・植物、ですとか、石や岩のような無機質の物体、ロボット、人工衛星はやぶさなどですね、そういうものを含めて森羅万象すべてに「心(こころ)が存在している」と感じているところから生まれる発想です。何とでも心が通じるのです。ですから、和歌・俳句にあらゆるものの心が詠みこまれるのです。
 日本の文化には、「より高い精神性を求める」という特質があります。その「精神性の希求(追い求める)」は、日本文化の全ての領域に亘って浸透しています。茶道、華道を始め、野球道からマンガ道など、何でもかんでも「道(どう」」をつけてしまいます。また、何でもかんでも「神様」にしてしまいます。千葉幕張には、ロッテを優勝に導いたバレンタイン監督を祀った「バレンタイン神社」があります。東電本社の屋上には、エジソンを電気の神様にした「エジソン神社」があるそうです。地方では、あちこちに〆縄を巻いた大きな岩が、神様として祀られています。
 また、「感謝」の気持ち。なかでもはっきりしているのは、「自然に対する感謝の気持ち」です。キリスト教文明諸国では、「人間は万物の霊長」であり、「人類が自然を征服」する、とされているのとは、正反対です。キリスト教文明諸国での「感謝」は、神が人間に求めるものです。日本人が持つ「感謝」は、本来自然に生まれてくる感情です。では、どういうところから自然に感謝の気持ちが生まれるのでしょうか。それは、「畏敬の念」のあるところに生まれてくるのです。自然に対する畏敬の念が、日本人の「感謝の気持ち」の根源なのです。
 「自由」「人権」などの価値観・概念も、キリスト教文明諸国と日本とでは、異質です。欧米では、「束縛から解放された自由の状態」です。日本の場合は、「人間としてありのままの心の状態」が「自由」な状態です。また、「人権」も、神が人間に付託されたものとされるのに対して、日本ではもともとそれと比較される概念がみあたりません。人も動植物も森羅万象ことごとく平等だからなのです。多くの日本人に気付いてもらいたいことです。「日本は、欧米先進諸国と価値観を共有する」と言われます。なにも相違を積極的に強調する必要はありません。しかしながら、日本人/日本国民としては、心の中では、きちんと整理して、そのアイデンティティを堅持していて頂きたい。そうお願いしたいのです。
 ただいま、「自由」について申し上げました。日本では「とらわれない心」「無心」という言葉でも置き換えられます。そして、これらは、「武の文化」が求めてきたもの、そのものであります。これが、「リリジョンフリーの環境」の下で、初めて存在できる、そして、自分自身で認識できる「人間の本来の姿」なのです。そうした「リリジョンフリーの環境」の中で、日本人の「洞察力」「直観力」が研ぎ澄まされます。また、「想像性(イマジネーション)」「創造性(クリエイテイヴィテイ)」が伸び伸びと発揚されます。世界トップを行くファッションデザイナ―や建築家が日本から生まれるわけです。国家の支援ではなく、文化のお蔭なのです。
 日本の時代劇と米国の西部劇との間に決定的な違いが見られます。日本の時代劇では、武芸の達人が、道角(みちかど)の向こうに潜む敵、あるいは、背面から足音を忍ばせて近付いてくる敵を、「気配(けはい)」で察知します。これに対して、西部劇では、拳銃王といえども分かりません。危険地帯に入って、きょろきょろしたり、石を投げて反応を引き出したりするにとどまります。
 「道徳」にしても、キリスト教文明諸国では、宗教上、神が示すもので、道徳教育は宗教教育の一環です。日本では、躾(しつけ)のように様ざまな価値観などを混然と取り入れた社会行動規範と併せて、個々人の価値観にゆだねられています。日本の武道の目的が、「人格形成」という、日本人の感覚からすれば宗教色の無い道徳的なものとされていることも、「リリジョンフリーの環境」のしからしむところでありましょう。
 近年、日本武道の国際化によって来日して修行する海外選手とは別に、欧米はじめ、海外諸国から日本古来の武芸や文化に強い関心を寄せて遥々来日する人が増えてきました。強くなるための修行だけでなく、日本の武芸や文化の本質は何かを、宗教とは離れて、自ら哲理的(「理」に照らして)かつ体系的に求めます。また一方、アニメやマンガなど日本のサブカルチャーに熱狂する世界の若者が増えています。なぜでしょうか。キリスト教文明の傲岸さやイスラム教諸国との宗教を異にする対決構造。同じ宗教内での宗派の対立など、血を血で争う戦争や紛争に倦(あぐ)んだ人たち、そしてまた、キリスト教の「人間が自然を支配する」とする考えが、自然破壊をもたらし、人類の生存に危機感を抱き始めてきた人たちが、自由な「リリジョンフリーの国・日本の文化」に魅力を感じるようになってきた。そう考えて当たらずといえども遠からず、でしょう。

 まとめ

 さて、きょうの皆様へのご報告も、終わりに近づいてきました。ここで、これまで申し上げてきたことを、かいつまんで、整理させていただきたいと思います。
まず、日本の武道が国際化してきて、国際試合で、海外の選手の方が、日本のお家芸である剣道や柔道を脅かす存在になってきた。その結果、日本の武道が守り抜かなければならない価値は何か、すなわち、「日本武道のアイデンティティ」が問われることになってきた。ということでした。
 次に、それでは、「日本の武道の本質」をなすものは何か。それを、武芸の達人といわれた人びとを始め、先人達が武芸の求めてきた究極のものは何だったのか、に目を向けることを通じて、探り当てようと試みました。そして、極意とか奥儀と言われているもの、および、その周辺にある考え方、すなわち、心の在り方、ものの捉え方が、「古来の日本文化の本質」と重なり合う、あるいは、「日本文化の本質」そのものであることが、理解されてきました。
 その「日本文化の特質」とされる多彩な美点は、ことごとく、「リリジョンフリー」ともいうべき、日本独特の自由で自然な精神環境の中で生まれ、そして、育ってきたものである、という姿が浮かび上がってきました。
 そして今、海外の人たちが、日本古来の武芸や、日本に新しく生まれてくるサブカルチャーまでの、幅広い分野に亘って、日本の魅力を感じ、心を寄せるようになってきた。それは、すなわち、日本文化の本質の中に、「世界に共通する新しい価値」、それを背景にした「世界全体に広まるであろう普遍性のある理念」。普遍的理念であります。海外からの関心の高まりは、それが世界に平和をもたらせる理念であることを予感させる現象、と考えてよいものであることが言えるようになってきた。
 つまり、「リリジョンフリーの環境」への憧憬(しょうけい)か芽生えつつある中、海外から日本の武道や文化、サブカルチャーまで、それらの本質を追究しようと人たちは、日本の文化、なかでも「武の文化」が究極的に見出した、「世界に平和をもたらすであろう理念」が、「リリジョンフリーの環境」の中からでこそ、生まれるものであることに、気付いてくることになるのでしょう。そして、そのことが、日本で生まれ育った理念を世界に広める素地になって行くことでありましょう。

 武道家の役割

 そこで、次に考えなければならないことは、「武道家の役割」です。「世界の中の日本」を視野に入れた、日本の武道家の役割です。日本の武道家がこんにち目指すべき目標は、なになのでしょうか。
 日本の武道界では、日本の伝統文化である「武道の目的」を、心技体の一体的な修練を通して「人格形成/人間形成」を図ること、としています。1987年(昭和62年)4月23日に日本武道協議会が制定した「武道憲章」には、その第1条に、「目的」として「武道は、武技による心身の鍛練を通じて人格を磨き、識見を高め、有為(ゆうい)の人物を育成することを目的とする」とあります。
ですが、人格形成/人間形成を図る程度のレベルを目指すことが、いまや、「世界の中の日本武道の目的」として留まったままでいてよいのでしょうか。
 また、新しい技法や心の在り方を開発する動きが見られないことも、大変気になるところです。私は、柳生新陰流について、昭和38年、内務省の柏村信雄先輩に連れられて、参宮橋の道場に行って二十世柳生厳長先生の講道を受けました。落合の養神館道場に変わって柳生延春先生に、そして現在は、二十二世の耕一厳信先生について学んでいます。古武道一般に言えることですが、もっぱら、奥儀を開発した先人の教えを学び、継承するばかりで、更に新たな奥儀・極意を開発しようとする気配が見られないことに物足りなさを感じざるを得ないのです。つい明治・大正そして昭和の初期までは、種目にもよりますが、開発努力の厳しい修行がありました。いまでは、そこそこの心技の継承にとどまっているのです。それはそれで貴重なことです。けれども、それでよいのでしょうか。教えていただきたいのです。
 一方、スポーツ化した武道種目では、試合に勝つことに集中する。これはやむを得ないことですが、経営の厳しい道場はともかく、大学などでは何とかならないものでしょうか。「武道の目標」について、小学生以下には「躾(しつけ」「礼」を、中学生には「人格形成」を、高校生には「武の文化」を、大学生には「リリジョンフリーの国・日本の文化」を、そして、大学研究室、学校・職場・道場指導者などの武道専門家には「日本ないし日本武道のアイデンティティ」「世界を平和に導くに普遍的な理念」を、といった形で整えるなどの工夫があってよいのではないでしょうか。
 「武道と日本文化とのかかわり」については、本日論考をしたところです。この点について、気になることは、海外から武道や文化に強い関心を持って日本に来て修行をし、文化を学ぶ人たちの貪欲な努力です。彼等/彼女らの方が、本家本元の日本の武道家に先んじて「日本武道のアイデンティティ」に到達しかねない懸念です。
 先人たちの厳しい修行の積み重ねの上に築かれた「世界平和実現に向けた普遍性のある理念」、その背景をなす「リリジョンフリーの精神環境」、そこから次々に生まれてくる「繊細にして洗練された日本文化」と「自由闊達な発想力と創造力に富んだ日本文化」を、海外の人たちと十分議論し合えるだけの説得力と、いつでも海外に発信できる力とを涵養することとあわせて、自らが、先人達が見出した極意・奥儀を超える心技の開発を目指すことが、いま、日本の武道家に求められているのではないしょうか。
 時間が参りました。以上を持ちましてご報告に代えさせて頂きます。ご清聴有難うございました。以上


 


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2012.01.26

秋入学?

201201192216066fb 大がいきなりぶち上げた「秋入学」構想。野田首相も賛意を表したとの報道がありました。早慶も基本的に同調する姿勢を見せました。
 正直全く理解できません。あえて「全く」と言いましょう。あえて売国行為だ!と言いましょう。あえて極論を述べさせていただきましょう。
 国の最高学府の頂点に立つべき東京大学がこういうことを言い始めたら、もうおしまいですよ。本当に頭がいい人たちというのは困ります。
 そこまでして優秀な留学生がほしいのでしょうか。外国人に頼らなければ東大の復権はありえないのでしょうか。誰のための国立大学なのでしょうか。
 外に頼る前に中身をなんとかしようと考えないのでしょうか。いや、もちろん考えているとは思いますが、それをなんで先にアピールしないのでしょうか。がっかりです。
 たしかに日本の受験文化は特殊であり、国際化とは正反対の価値観にあるとも言えます。
 前も書きましたとおり、この極寒の季節に人生を決する入試を行うのは、たしかに変なことです。どう考えてもおかしい。
 センター試験に雪の影響があること一つとっても、絶対に地域による不平等が生じていますよね。インフルエンザが猛威をふるう最盛期でもあります。もっといい季節に最高の条件で受験させるべきです。
 しかし、しかし、それが崩れなかった理由には、とっても根深い文化的な側面があります。
 厳しい冬を乗り越えて、そして春の萌す頃に合格が決まり、桜咲く頃に入学する。まさに人生の縮図のような体験をするのが、日本文化としての受験です。
 それがたしかに国際的な価値観からするとナンセンスだというのも十分理解できますけれども、やはり日本人が、理論や理屈や科学的見地や経済性をも無視してきた「文化」には、それなりの意味、言葉にはできないかもしれないけれども、もっと深いところでの意義があったのだと信じます。それをいとも簡単に崩すのはどうかと。
 いや、それ以前に、このたびは入試の季節は変えずに入学だけ秋にするところから始めようとしていますよね。それ自体とっても不自然なことです。人生の重要な半年間をどうするんですか。今挙げれられているようなアイデアのためだったら、とんでもないムダな中途半端な期間となってしまいます。最近増えている推薦入試やAO入試で合格してしまうと約1年無駄になりますよ。
 最終的には全てが欧米流になって、秋入学、秋入試、秋卒業、秋入社のようになれば良いと考えているのかもしれませんが、たとえそうだとしても、あまりに自己中心的というか、独善的というか、唐突というか…。
 そうして論議を巻き起こそうとしているというのも分かりますがね。しかし、もう少し「頭の良い」アピールの仕方というのがあるでしょう。がっかりしました。そこに私学の雄や首相までも迎合するこの国の情けなさたるや。
 秋入学文化への社会全体への移行ということになれば、これは国家の大計とすべき重要問題です。一大学の思いつきのような発言に惑わされることなく、国民全体で本質的な論議をしなければなりません。
 個人的に私は「国際化」のブームは去ったと思っています。グローバリゼーションという名の「顔の見えない」専制、中央集権化が進めば進むほど、再び「顔の見える」ローカルの時代が来ると予感しています。
 そういう時代を迎えるからこそ、今は私たちは自国のアイデンティティを守るべきだと考えています。
 時代遅れ、頭の硬い保守と言われようとかまいません。実際には時代の先の先を読み、柔軟に発想していると自負しているからです。


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2012.01.23

神酒 『靖国』

Img_4381 して私は単純な「右」ではありませんので、そこんとこ世露死苦…とめちゃくちゃな始まり方ですが、気にしないでください(笑)。いろいろ事情があるのです。
 まずは世露死苦などという不謹慎な文字を書いたのは、今日授業で「万葉仮名」の勉強をした時にネタで使ったのと、昨日靖国でそういう人たちを見かけたからです。
 街宣車も数台いましたが、それより昨日はいわゆる暴走族の方々が大挙参拝されていて驚きました。皆さん、菊の御紋やら世露死苦などを背負っておりました。東京には今どきでもこういう人たちがいるんだ。
 で、数台いた街宣車もそうですが、彼ら靖国神社ではとっても静かなんですよね。バイクもエンジンかけてましたが、一生懸命アイドリング状態でソロソロと移動しておりました。
 そして、参拝を終えて神田方面に走っていきましたが、信号二つほど進行したところで、本来の豪快かつけたたましいエンジン音を響かせておりました。なるほど空気読んでるな(笑)。
 というわけで、日本の文化というのは面白いなと思いながら、そうした光景を見ておりました。それで、冒頭のような表現になったわけです。
 さてさて、ワタクシはどうして靖国に行ったのか。そう、ここのところ2週続けて靖国神社に参拝する機会がありましたよね。もしかしてこの人(ワタクシ)そういう人なのか?
 いえいえ、たまたま近くを通ったからです。日本人として、というよりも人間として、近くを通りながら参拝しないというわけにはいきません。
 政治的なことや信条的なことはどうでもいいのです。ある意味歴史もどうでもいい。その歴史とはまさに政治と信条と多分に個人的な心情によって捏造されたものだからです。
 ただ、戦争で亡くなった方がたくさんいるということは誰もが認めざるを得ない事実です。そういう意味では戦犯と言われる人たちも同じです。戦争がなければ戦犯も存在しません。罪を憎んで人を憎まず。
 さて、それはそれとしまして、今日の私の参拝目的の一つは、前から気になっていた「神酒」を購入することでした。ご存知ですか、境内で販売されているお神酒。
 桜の形と色を模した素敵な瓶に入った純米酒です。これがほしかったんですよ。
 まあ、日本酒好きとしてどんな味か味わってみたいというのもありましたけれども、それよりもやはり、この瓶がほしかった。
 300mlで御納めする浄財は1000円ですから、お酒としてはちょっと高めですけども、この瓶が手に入るとなればお安いものです。
 そう、私はですね、いつも買っている紙パックの純米酒をこの瓶に移し替えて呑みたかったのです。まあ、実はただそれだけ(笑)。
 ちなみにこのお神酒ですが、飲んでみると非常にあっさりした味であることが分かります。ちょっと驚くほどに淡麗というか、ある意味澄んだ水のようなお酒です。
 調べてみると、この中身は、あの「澤乃井」の小澤酒造さんの「純米本地酒」のようですね。「澤乃井」と言えば東京を代表する地酒の銘柄です。東京西部に行くと看板をよく見かけますね。会社は青梅にあります。
 さて、このお酒を入手した私は、靖国神社と書かれたカワイイ(娘もほしがっていた)袋を提げて、神保町の、ある意味思想的には正反対の団体のビルの前をうろちょろ(笑)。
Img_4379 その後、昨年3.11で悲しい事故があり、その結果皮肉なことにその長い役目を終えようとしている九段会館(軍人会館)に呼ばれるがままに向かいました。
 そして、写真を撮っていたところ、急に左胸の痛みを感じ苦しくなってしまったので、急いで帰宅の途につきました。
 あまりに多くの歴史を抱えた会館です。様々な人々の人生を翻弄したとも言えます。思えば出口王仁三郎の昭和神聖会の発足もここ九段会館(軍人会館)からでしたね。
 いろいろな「モノ」と感応したのでしょうか。富士山に帰り着き神酒をいただいて、ようやくホッとしました。

靖国神社公式

澤乃井 Web
 

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2012.01.17

南方熊楠 『土宜法竜宛書簡』より〜「モノ・コト論」

20061013235545 ンター試験も終わり、高校生は国立二次対策、そして私大の一般入試の対策に入りました。ここからがある意味私の腕の見せ所…かな。
 あっそうそう、おととい紹介した今年のセンターの小説問題、ウチの中学2年生に解かせてみました。もちろんなんの対策もせずに。あえて言えば、ウチは出口汪先生の論理エンジンをやってるので、かなり論理的読解力はあると思いますが。
 結果は、当然ながらピンからキリ。ちゃんと選択肢を部分部分にわけ、それぞれ○△╳をつけている生徒もいれば、ロト6式に5分で終わっちゃってるのもいました。しかし、結果としてはみんなあんまり大差ない点になってしまいました。現役の高校生(受験生)ともあまり変わらない現実(苦笑)。
 ちなみに最高点は39点二人でした。立派ですね。
 つまりそういう試験なのであります。センターの国語の小説なんて。
 さて、今日はまた違った意味で「難しい」早稲田の国語のお話。というか、別に早稲田大学の問題についてうんぬんするわけではありません。極私的な動機です。
 私の「モノ・コト論」、なかなか賛同者が現れない(すなわちアヤシイ)わけですけど、実は一見似たようなことを言っている過去の偉人がいるんです。
 その文章が2008年の早稲田の文化構想学部の試験に出ていたんです。実はそれについては、当時、こちらの記事で紹介しています。
 今日はその中から、南方熊楠自身の書簡の部分を紹介します。この書簡の前に、この書簡の内容を紹介している中沢新一さんの「森のバロック」の一部が載っているんですが、それは著作権の問題もあるので割愛。熊楠の方だけ紹介します。たぶん本文は歴史的仮名遣いだと思われますが、ここはテストの本文と同様に現代仮名遣いにしておきます。
 


 電気が光を放ち、光が熱を与うるごときは、物ばかりのはたらきなり。今、心がその望欲をもて手をつかい物を動かし、火を焚いて体を暖むるごときより、石を築いて長城となし、木をけずりて大堂を建つるごときは、心界が物界とまじわりて初めて生ずるはたらきなり。電気、光等の心なきものがするはたらきとは異なり、この心界が物界とまじわりて生ずる事ということにはそれそれ因果のあることと知らる。その事の条理を知りたきことなり。今の学者、ただ箇々のこの心この物について論究するばかりなり。小生は何とぞ心と物とがまじわりて生ずる事によりて究め、心界と物界とはいかにして相異に、いかにして相同じきところあるかを知りたきなり。
 科学のみで今日まで知られたところでは、輪廻ということはたしかにあるごときも、科学のさわること能わざる心界に輪廻行わるるや否やという問いには、実に答えに苦しむ。何となれば、小生今日悪念を生じたりとて明日別にこれがために懊悩せず。多くは忘れ終わるものなり。されば物界に生ずる、これこれの水をこれこれの温度にたけば、これこれの蒸気を生じてこれこれの大いさの物を動かすというとは異なり、心界に生ずる現象はあるいはつねに報あらぬものにやとも思わる。これをきわむるには、小生一人の心できわむるよりほか仕方ないが、右に申すごとく、心界中のみには輪廻ということは、たしかに小生には見えぬ。
 すなわち石が墜ちて瓶にあたれば、石が因となりて瓶を破るように、今日小生善を思いたればとて、別に思うただけの報を思うものにあらず。また悪念を起こせりとて、別に後日これがため悪事を念うということもなく、ただ一座なりのようにも思う。ただ心界に感ずる因縁応報というは、心界が物界に接して作用(事)を生ぜし上のことで始めてあらわるるものと思う。すなわち小生が人の物ぬすむは、小生の心が手をつかいて物をぬすむという作用を現出するなり。その返報としては、あるいは小生が人(小生より見れば物)でどやさるること等あるべし。この物心両界が事を結成してのち始めてその果を心に感じ、したがってその感じがまた後々の事の因となりなり。

 熊楠の「事は心と物がまじわるところに生まれる」という基本的な考え方は、私の「モノ・コト論」とは一見似ていますが、実は非なるものです。
 つまり、私は「心」というか、人間の「認知」こそが「事」そのものであるととらえているんです。目に映り、心に感じた時点で「物」は「事」になるということです。
 今年のセンター評論で言えば、「私」が認知している世界も全て「私(コト)」の一部であり、その他補集合は全て「他者(モノ)」であるということになります。
 だからどうなんだと言われると困ってしまうわけですけど、とにかくそれがお釈迦様が悟った、この世の中の唯一真理(マコト)であるということです。
 そして、その「モノ」と「コト」という言葉の意味と、それに基づく世界の構造を語誌的に証明しようとしているのが、私の「モノ・コト論」だということですね。
 熊楠の書簡の後半部分は、ある意味、あの当時のオカルトブームを想起させますね。そして、因縁応報(因果応報)については、ちょっと考えが浅い気がします(笑)。悪念を抱いた報いが、必ずしもすぐに「罰」として現れるはずありません。もっと超時的、超世代的に応報するものです。

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2012.01.12

藤巻亮太 『光をあつめて』

 日は宮中で歌会始の儀が行なわれました。それにちなんで、本校でも冬休みの宿題で作った短歌でプチ歌会を開きました。
 中学生は初めて短歌を作るので、お題はなしですが、「比喩表現を使う」ということだけは条件としました。
 結果としてなかなか立派な秀歌がそろい、先生たちもビックリ。私自身も、芸術にとっての比喩の重要さを再認識しました。
 あと、面白かったのは、やはり歌の内容が「もののあはれ」になるということですね。つまり、「時間」にまつわるものが多いということです。
 特にそういう指導や鑑賞をしたわけではなかったので、彼らは日本人としての自然の感性で、そのような歌を作ったのでしょう。あるいは「比喩」と「時間」の関係というのもあるかもしれません。
 いずれにせよ、「もののあはれ」=「(時の流れに代表される)不随意に対する嘆息」こそが、日本人にとっての最重要テーマだと痛感しましたね。教え、教わらなくとも、これは我々の遺伝子に受け継がれているものなのですね。
 さて、今日はレミオロメンの藤巻亮太くんの誕生日であり、また、彼の初ソロシングル「光をあつめて」の先行配信の日でありました。
 彼がバンドを離れてソロ活動を開始するということに対しては、私もまあいろいろな思いがあります。それこそ「もののあはれ」ですね。時の流れと、全てのモノの変化の一部と考えれば、別に残念に思う必要はありません。
 「もののあはれ」とはここに明記したように、決して本居宣長の言うようなボンヤリしたものでもジメジメしたものでもありません。ただ「想定外」「不随意」なだけであって、プラスの変化という側面もあるのです。
 そう、この曲の歌詞にもあるとおり、「時の無常の中に花が咲く」こともあるのです。
 生徒たちの「歌」の中には、そういうプラスの「もののあはれ」が満ちあふれていました。つまり、無常、変化というのは、破壊であると同時に再生、成長の物語の源泉でもあるわけです。
 藤巻くんの変化については、私は、まあなんとなくではありますが理解できるところもあるんですよね。あの3人の中では、唯一彼だけが持っているメンタリティーというか、スピリットがあるなと思っていたんです。
 これはある種の宗教性とも言えます。彼の遺伝子にはそういうモノが実際ありますし。私も半分そういう世界で生きていますから、彼の詩やメロディーや声や行動から、そういうモノを感じ取ってきたわけです。
 これは誤解されたくはないのですが、そのどちらが上とか下とかではなくて、とにかく違う次元で生活している人とは、なかなか「仕事」ができないのも事実です。
 誤解しないでくださいよ。ものすごく分かりやすく言ってしまえば、これは「趣味」の問題です。魂の趣味の問題なんです。それを偽って仕事をすることに疲れてしまうことは、実は誰にでもあることではないでしょうか。
 彼がここに至るまでには、いくつかのきっかけがあったと思います。バンドが10年続いてきたというのももちろん最大の理由でしょう。どんな仕事でも10年目はマンネリや商業化の完成期ですから。
 それから、こちらで紹介した「Your Song」にまつわる体験、すなわち志村正彦くんの存在と不在というのも絶対に影響していると思います。
 志村くんは、ある意味アルバム「CHRONICLE」において、バンド内ソロ活動をしてしまったのだと思います。彼が命を賭してそれをやった。藤巻くんはそれを聞き込んだんです。
 そして、その後、あの震災や原発事故がありました。これらの外的な体験、すなわち想定していなかった外からの力こそが、藤巻くんにとっての「もののあはれ」そのものであったのでしょう。
 レミオロメンはフジファブリックと違って、メンバー間の距離が非常に近い。それはそうです。幼なじみバンドなのですから。その良さと弊害という両面は当然ありますよね。藤巻くんは、バンド内ソロ活動はとてもできなかったのでしょう。
 それにしても、フジファブリックはそのフロントマンを突然失ってもバンドは活動を続け、新しい世界を切り拓きつつあり、レミオロメンはそのフロントマンがソロとしてデビューする形でバンド活動は一旦休止…とは、まさに「もののあはれ」ですね。
 そう考えると、世界の長老バンドやBUMP OF CHICKENはすごいな。逆に心配なほどです。誰かがとんでもない我慢をしてるんじゃないかと(笑)。
 さて、楽曲「光をあつめて」ですが、たしかに見事な、躊躇のない藤巻節が展開していますね。素直にいい曲だと思います。単なる幸せの共有という次元を超えたメッセージがこめられていますね。
 ピアノが小林武史さん。結局藤巻くんのスピリッチュアルな部分を理解し支えられるのは、コバタケだったということでしょうか。きれいなピアノを聴かせてくれています。ドラムがあらきゆうこさんというのはやや意外でした。オサのドラムよりも男らしい(決然としている)気が(笑)。ベースは元Syrup16gのキタダマキさん。前田くんとはずいぶんと違ういい味を出していますよ。
 たしかにこうして違うメンバーの音の上に乗る藤巻くんの声というのは、新鮮というか、こちらにも想定外の発見があるというか、とにかくこのソロプロジェクトの始動を純粋に喜びたいと思いました。
 これに伴って、治くんと前田くんもどんな活動をしていくのか、それも楽しみですね。そして、進化した3人が再び音楽を奏でる日に期待したいと思います。

Amazon 光をあつめて

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2012.01.01

謹賀新年 2012(年賀状公開)

↓クリック!!
2012 さま、明けましておめでとうございます。
 昨年は本当に大変なことがたくさん起き、私たち日本人は大きな試練に直面しました。そして、大きな転換を迫られた年でしたね。
 今年はいったいどんな年になるのでしょうか。
 私は今年、年男です。だからというわけではありませんが、今年は個人的には人生最大の挑戦の年だと思っています。自分自身も大きくヴァージョンアップ、いやモデルチェンジしなければならない年だと思っています。
 というわけで、今年の年賀状はこれです(笑)。
 勝手にiPhone5を作ってみました。毎年我が家の年賀状はとんでもないものが多く(例えば2011年2010年2009年など…笑)、ある意味皆さまに期待していただいてるんですが、さすがに今年はあんまりおふざけが過ぎるのもなんなので、珍しくクールな感じにしてみました。
 ちなみにこれを作るのにアイデア1時間、作業30分です。今年の年末はいつもよりも忙しかったので、はっきり言って作業的にはかなり手抜きです。すみません。
 その結果、クールであるはずのデザインが、けっこうツッコミどころ満載になっています。よく見ると、いろいろと変なところ(故意にそうした所とミスでそうなった所)があります。
 間違い探しみたいなものでしょうかね。自分としてはツッコミポイントが6ヶ所くらいあります。もしお気づきの点がありましたら、コメント欄にでも書いてやって下さい(笑)。
 ちなみに「A Happy New World」というコピーは、なんとなくAppleがやりそうな雰囲気だなと思ってテキトーに作りました。英語的に正しいかどうかは知りません(笑)。でも、もしかすると2012年を象徴する言葉になるかもしれませんね。流行語大賞狙うかな。
 一方、下にあるスティーブ・ジョブズの名言「Think different. Stay hungry. Stay foolish.」については、ガチで今年の私の目標です。
 というわけで、本年も蘊恥庵庵主と不二草紙をよろしくお願い申し上げます。世界がいい方向にヴァージョンアップ、モデルチェンジしますように。

参考 2012年はスーパー天文イヤー

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2011.12.31

元気ですか!! 大晦日!! 2011

20120101001 井慧は木村政彦にはなれなかったのか…。
 木村政彦の遺志を継ぐ岩釣兼生から、ホンモノの柔道を託された石井は、ヒョードルの強烈な打撃の前に轟沈しました。
 木村ならヒョードルの打撃を捌いて組み付き、超高速の大外刈りで倒してから、得意のキムラロックで勝利していただろう…こんなふうに妄想するのもまた楽しいものですが、現実には今の柔道にはそういう力がまだないとういことが証明されてしまいましたね。
 これはこれで現実として受けとめるべきでしょう。「当て身」とその防御術を復活させるにはとんでもない時間がかかるのではないでしょうか。
 さて、今回の大晦日興行は、アントニオ猪木率いるプロレス団体IGFの力を借りて、総合格闘技のDREAMの試合を中心に展開されるという、今までにない画期的な内容でした。
 ある意味水と油の関係になってしまっていたプロレスと総合がまぜこぜにされた上に、対抗戦まであるというのは、これは本当に夢のようなことです。
 もともとIGFは現代プロレスへのアンチテーゼとして立ち上げられた部分があるので、本当ならなじむはずなんですよね。猪木さんや、あるいは馬場さんまでもが考えていたであろう「プロレスリングこそが総合的な格闘技である」という基本に立ち返っているわけですから。
 で、実際のところどうであったか。
 私はこの大会は大成功だと思いましたね。
 あの会場のファン、そしてテレビやネットで観戦していたファンたちの多くが総合ファンであり、アンチプロレス派だったと思いますが、彼らの知っている最近のパフォーマンス色の強いプロレスと、IGFが示すプロレスリングとはかなり違っているので、ある意味驚いた部分もあったのではないかと思います。
 私はネット観戦派だったので、会場の雰囲気はよく分からないのですが、IGFルールの試合はそれなりに観客の目を引きつけていたのではないでしょうか。
 まだプロレスは死んではいないということを世間に示すことができただけでも、今年の大晦日興行は大きな意味を持っていたと思います。
20120101157 特に、我が家の知り合いどうしの闘いとも言える、ジョシュ・バーネットと鈴木秀樹の試合は、まさに本来のプロレスリング、すなわち、キャッチ・アズ・キャッチ・キャンを体現した好試合でした。その上で、現代的な見栄えのする(大会場でも説得力のある)大技も繰り出され、身内びいきでなく本当にバランスの取れた好試合だったと思いました。会場も「お〜」という感じでしたよね。
 特に第1試合ての所選手のアクシデントもありましたから、プロレスの受け身のすごさ、フィジカルのタフさには皆驚いたのではないでしょうか。そこも含めてプロレスの技術だと思います。ジョシュと秀樹、本当にGJ!でした。
 そして、唯一のIGFとDREAMとの対抗戦、澤田&鈴川 vs 桜庭&柴田。これは面白かったなあ。ある意味プロレスができない四人(苦笑)。いや、器用だけれども不器用というか、プロレスの奥深さに呑まれてしまっている四人が、まさに上田馬之助さんの言う「筋書きにはないドラマ」を演じてくれました。
 あの不穏な雰囲気というか、プロレスの筋書きをギリギリ超えるか超えないかの緊張感と言いますかね、なんかとっても懐かしい感じがしました。
 これで次につながるという空気が出来上がりましたが、はたして桜庭和志がそれに応ずるのか。ある意味大人になれるのか!?これは大変興味があるところです。
 それにしても、ある意味四人と濃密で微妙な関係のある宮戸優光さんが、すごい存在感を示していましたね。放送でもアップでとらえられていました。
 宮戸さんは、今プロレス界でほとんどただ一人、本物の「プロレスリング」を伝導している人です。武道や禅にも造詣が深く、精神性も含めて本当の格闘技をしっかり理解し教えることができる人です。
 そんな宮戸さんの目と心に、あの試合や興行全体がどう映ったのか、ぜひ近いうちに聞いてみたいと思います。私も一観客、一ファンの立場から感想を述べさせていただきたい。
 その他の試合についてもいろいろ語りたいところですが、あまり時間がないので割愛します。なにしろ長い長い興行でした。
 それにしても、あまりにぴったりにカウントダウンを迎えられましたね。もうそれだけでも奇跡です。そこが猪木さんの不思議な力なのでしょう。まさに昭和の化け物、物の怪が生きているという感じでした。
 今日はニコニコ生放送でプロレス&格闘技を観戦し、テレビでは紅白を観賞していました。まさに昭和のヤクザが残してくれた文化遺産ですね。暴力団排除条例のことなどもあり、ずいぶんと状況は変わってしまった今年ですが、結局日本人はこれがないと年を越せません。
 結論、やはりプロは「強さだけではダメ」ですね。いろいろな意味で、力道山や木村政彦、美空ひばり、そして田岡組長の姿を見た大晦日の夜でした。
 


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2011.12.29

たこ八郎 『たこでーす。』

 曲・編曲は久石譲。私は久石さんの音楽ダメなんですが、この曲だけはいい曲だと思いました(笑)。なかなかセンスの良いテクノポップ歌謡に仕上がっていますね。久石さんのチープな(失礼)感覚が見事に昇華しています。
 テクノにソウルフルなコーラス、そして実にブルージーなたこ八郎さんのボーカル。この独特のリズム感、音程感、これは意識してできるものではない。間違いなく隠れた名盤。カラオケで歌いたいけど、ないだろうな。
 カミさんが突然はまったんです。あんまりはまって、ほとんど泣きそうなくらいなので、今日の記事にしてあげることにしました。
 なんで突然…?
 実は、年末恒例の「今年亡くなった人」追悼番組を観ていたら、細川俊之さんと一緒にたこさんがちょっと映ったんですね。それを観て、急にカミさんに何かが降りてきたらしい(たぶん、タコ…笑)。
 カミさんはたこさんのこと、あんまり知らなかったらしく、その後ずっとネットで調べていました。そして調べれば調べるほど、彼のすごさ、深さにはまっていったというワケです。
 なんで年末のこの忙しい時(カミさんは大掃除しながらお節料理を作っている)に、たこ八郎なんだ?wwww
 しかし、たしかに久々に彼のことを思うと、なんとも切ない気持ちになりますね。昭和は遠くなりにけり。
 天才ボクサー、フライ級チャンピオン、ピンク映画俳優、普通の映画俳優、コメディアン、そして「現代の妖精」…。本当にいろいろな側面を持っていた人物ですね。 
 師匠の由利徹さんはもちろん、赤塚不二夫さんやタモリ、たけしなど、大物に愛されました。昭和の芸人さん、スポーツ選手、芸術家は、みんなこんな感じに自由で奔放でした。古き良き時代です。
 人気絶頂の中、海で心臓マヒを起こし亡くなりました。タモリは葬式で「たこが海で死んだ。何にも悲しいことはない」と言ったそうです。
 そんなたこ八郎さんの才能と魅力の一面を垣間見られる映像があったので紹介します。ビートたけしもお手上げという感じですね。ボクサー斉藤清作(河童の清作)の貴重なフィルムも紹介されています。
 なんか泣けますね。本当の笑いにはこういう哀愁が必要なのではないでしょうか。先ほどやっていた某お笑い番組とはあまりに違いますね…。

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2011.12.24

志村正彦展〜路地裏の僕たち

K_img_render 晴らしい催しでした。そして感動よりも、やはり「切なさ」が残りました。
 お世辞抜きに世界に誇る音楽家であり詩人であった志村正彦。彼が亡くなって今日でちょうど2年。今日は三回忌の日です。
 この日にこうして、彼の友人たちが世界中のファンのために、また、彼のことを(悔しいほどに)知らない地元の人たちのために、そして、もちろん彼自身と彼のご家族のために開催されたということは、本当に素晴らしいことです。
 実際各地からたくさんのファンの方がいらっしゃり(地元の方もたくさんいらっしゃいました)、会場に入るのに数時間を要するほどの盛況ぶりでした。
 私も2時間近く並びましたが、その価値が充分にある展示内容であったと思います。友人たちの手によるということで、公的な、世界に開かれたアーティストの一面というよりも、本当に地元富士吉田に根ざした、私的な、人間志村正彦を感じることができるものでした。
 そこに実に大きな価値があると思います。よそゆきの彼のクロニクルに終始してしまえば、そこには彼自身を歴史にしてしまう残酷さが生まれてしまうと思うのです。
 しかし、こうして、ある意味普通の少年、つまり、お調子者でちょっと情けない、でも一方ではわがままで、夢見がちな少年像をリアルに紹介してくれることで、来場された方々にとっては、彼自身と彼の作品の新しい魅力を発見する機会となったのではないでしょうか。
 また、家族を愛し、友人を愛し、学校を愛し、富士吉田を愛し、ファンを愛した志村くんへ、それぞれが愛をお返しする場にもなったと感じました。彼は愛の総量がものすごく豊富だったんです。そして、それは彼が愛に飢えていたことの裏返しでもあります。
 彼の尊敬していたジョン・レノンの言うとおりです。志村くん自身も歌っているじゃないですか。Love is wanting to bo loved.


 
 この2年、ものすごく早く、そして密度の濃い時間の蓄積でした。
 この時間を過ごす間、彼の存在が薄まることはなく、逆にどんどん確かなものになっていくような気がしました。
 それこそが私にとっては「切なさ」なのです。
 私のモノ・コト論で言うならば、生きたモノであった彼と彼の言葉、音楽が、彼の死によってコトになっていってしまう、つまり、私たちの脳内の記憶や、残された情報としての「確か」なものになっていってしまうということなのです。
 それは実は志村くん自身が最も敏感に捉え、そして恐れていたことなのでした。「もののあはれ」ですね。
 それが、ここ「市民会館」で行われている…その事実に気づいた時、私は涙をこらえることができなくなってしまいました。彼がここにこういう形で帰ってきたんだなと。
 あの日、この市民会館が、私にとってのリアルな志村正彦くんとの出会いの場でした。そして別れの場ともなってしまいました。
 市民会館もリニューアルされました。あの楽屋はもうありません。そして三回忌にこうして帰ってきてくれたけれども、もう彼の時は止まってしまっているのでした。

 そう、今日は月江寺駅にあの日と同じ横断幕がかかっていましたね。あれって、あの当時私のクラスにいた女の子のお父さんが考えて作ったものなんですよ。当時の富士吉田駅の駅長さんです(うどんマイスターでもあります)。
 志村くん自身の時は止まってしまっても、彼の遺した作品たちは生き続けます。そして、私たちはそれを活かし続けなければなりません。
 私自身も彼から学んだこと、彼に勇気づけられたこと、本当にたくさんの恩があります。少しでも彼のことをたくさんの人に知ってもらえるよう、こうして私が生きていることを許されている限りは努めていきたいと思っています。
 ちょうど今日も、行列に並んでいる時、偶然ある方々にお会いし、この前突然降って湧いた「フジファブリック学」講座の件が一歩前進しました。また確実になったら告知します。これは私のお役目なのでしょう。頑張らせていただきます。
 志村くんのご家族、友人の皆さま、本当に素晴らしい会をありがとうございました。お疲れさまでした。


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