カテゴリー「文化・芸術」の1579件の記事

2018.10.12

Power FemaleーMother Earth/神聖なる女性

Th_img_2770 人であるマシュー・エリクソンの写真展「Power FemaleーMother Earth/神聖なる女性」。本当に素晴らしい展覧会、いや「天」覧会でした。21世紀のアートが宇宙に発信されました。
 写真の歴史と可能性、絵画との接点と相違点、天地人の調和、女性の神聖…本当にいろいろなことを感じさせてくれる素晴らしい作品群でした。
 僭越ながら、多くの皆様の前で、そこで感じたことを言葉に変換してお話させていただきました。私が私の言葉を弄すれば弄するほど、それはアートから離れていってしまう。まさにアートとは言語を超えた存在であることを知らされました。
Th_img_2793 しかし、あえて引用させていただいた仲小路彰の文章は、そのままアートでしたね。天才の言葉は言葉を超えます。朗読させていただきながら感動してしまいました。
 ただ、トークの寸前に降りてきた「かげ」という言葉は、自分においても大きな発見であり、その「場」を表現するのにふさわしかったかなと思います。
 「かげ」…日本語では、「光」「影」「姿」、そして「おかげさま」という四つの意味がある。それがマシューの作品には全て含まれている…。
Th_img_2765 そして、私のエレクトリック・ヴァイオリンの即興演奏に合わせた、マシューの奥様アムリッタ朝子さんの即興舞の美しさ。それはまさに「女性の神聖」そのものでした。あの奇跡的な「場」で共演させていただき光栄です。
 たしかに世界が変わりつつあります。今日も不思議な出会いがいくつもありました。人と人のご縁は、全てこの地球のためにあり、宇宙に開かれており、神聖なるお役目のためだと思いました。
Th_img_2762 これはトークのお礼にといただいたマシューの作品「クリスタル・ジャズ」です。
 まさに私たちの世界はジャズの名手たちの奏でる音楽のように、自由であり、他者との関係性の中で豊かであり、陰陽があり、色彩がある。
 これからも友人たちと、この地球が平和であるために、できることをしっかりやっていきたいと思います。ありがとうございました。

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2018.10.09

追悼 輪島大士さん

 念な訃報です。元横綱の輪島大士さんがお亡くなりになりました。
 横綱としてもそうですが、やはり私としてはプロレスラーとしての輪島さんの思い出が多い。
 特に天龍さんとの壮絶な戦いには、何か言葉にならない感情を湧き起こされました。横綱が前頭力士に「かわいがられる」。人生の過酷な運命の象徴でもあり、また、それを受け入れ乗り越えようとする、人間の強さと悲哀を感じずにはいられませんでした。
 今日は、その「人生劇場」の一つを見かえてみながら、輪島さんのご冥福をお祈りいたします。

 アメフト問題で一躍注目を浴びた日大の田中理事長は、日大相撲部で輪島さんの一つ上の先輩でした。そんなこともあり、輪島さんもアメフトに関わっていた時期もありましたね。あの一件について輪島さんはどんな思いだったのでしょうか。
 そういえば、相撲界を引退した元貴乃花親方が、馳浩元文科大臣と会ったとのこと。「プロレスは?」と聞かれ、「そんなに器用ではない」と答えたとか。
 プロレス的な器用さというのは、本当に奥が深い。貴乃花のような人にはたしかに難しいかもしれませんね。
 そう考えると、当時プロレス不器用に見えた輪島さんも、実は人間としては器用だったのかもしれません。

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2018.10.07

富士山世界文化遺産登録5周年記念「Mt.FUJIMAKI 2018」

Th_img_2727 に素晴らしいフェスでした。楽しいだけでなく、なんというか深く染み渡るというか、自らのここ10年をも振り返るというか、本当に濃密な時間を過ごさせていただきました。
 まさに10年前、一緒にレミオロメンを追いかけ、このブログがきっかけで知り合い、輪が広がった懐かしい皆さんと再会し、そして、藤巻くんのご両親を始めとする親族の方々(10年の間にめちゃくちゃ増えた!)の隣に陣取らせていただき、いろいろと懐かしい話をしながら、また、「この曲をこの人が歌うなんて、10年前夢にも思わなかったね」という言葉を何度も繰り返しながら、素晴らしいミュージシャンたちの素晴らしい楽曲に涙しておりました。
 セットリストやそのパフォーマンスについては、いろいろな方が報告してくれているので、そちらに任せます。ここは極私的な感想だけ書かせていただきます。
 仲間たちもそれぞれいろいろあったようですが、私たち夫婦も、この10年の間に全く想定外のことをたくさん経験させていただきました。
 特に憧れの人たちとのご縁をたくさんいただいたことには、本当に感謝あるのみです。もとを辿ると、全てが「アレ」に至るのですがね。昨日の記事に出てきた人が作ったモノです。
Th_img_2726 考えてみると、音楽だけとっても、志村正彦くん、藤巻亮太くん、そして昨日お花を届けてくれた吉井和哉くん(中学の後輩なので「さん」はやめます)と、この富士山の麓富士吉田で立て続けにお会いして、お話する機会をいただきました。それだけでも夢のような話ですよね。
 もちろん、今日は天に帰ってしまった志村くんのことも思いながら涙していました。特に山内総一郎くんの「今」にこだわる選曲と演奏、歌唱には、なにか逆に癒やされたというか、そう、山中湖だし、志村くんの曲をやるかもなと期待していた部分もあったんですが、やはり「今」の方が輝いているし、志村くんも天から彼らの音楽を楽しんでくれたと思います。
 和田唱くんが最初に言ってくれましたが、ここ富士山麓には不思議なパワーが流れているんです。彼が大地からそれを感じていることを表現してくれましたが、そのとおりなんです。富士山から直接来ているのではなく、大地にその気が流れている。
 そこに住まわせていただき、そして音楽に少しでも関係させていただいている自分は、これからもその大地からの波動と、宇宙からの波動と、そして私たち生命の波動を調和させ、「もののね」を発信していこうと誓いました。
 そんな大切な節目の日を作ってくれた藤巻亮太くんの純粋な魂に感謝。ご両親にも心よりの感謝を申し上げました。奇跡的に天候に恵まれたのも、藤巻くんの生き様のおかげですし、彼のことを慕い祈ってくれていた人々のおかげだと思います。本当にありがとう。来年も楽しみにしています。

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2018.10.06

『大正天皇』原武史(朝日文庫)

Th_41uwic3gryl_sy346_ 々大正天皇のお墓参りをしております。なぜか分かりませんが、ふと思い立ってお参りすると、必ずなにか不思議なことが我が身に起きます。
 もともとは出口王仁三郎を通じて大正天皇に興味を持ちました。王仁三郎は一説では有栖川宮熾仁親王のご落胤とも言われております。
 大正天皇は有栖川宮威仁親王を心から信頼し敬慕していました。結果、有栖川宮家は断絶するわけですが、大正天皇はその祭祀をのちの高松宮に託すことになります。
 その高松宮のブレーンだったのが仲小路彰ということで、私の半生におけるキーパーソンは全てリンクすることになります。
 まあ、それはごく個人的なことであって、そこになんの意味があるかはよく分かりません。しかし、その不思議なリンクを考える上で、大正天皇というのはどうしても外せない存在です。
 一般には病弱でちょっと頭も…というとんでもない評価をされてしまっている大正天皇ですが、10年前こちらにも書いたとおり、大正天皇は素晴らしい漢詩人でありました。そこ一つをとっても、とても暗愚の方とは言えません。
 ある意味、時代が強制的に大正天皇を追いやり、まさに暗愚な時代というべき昭和の初期が到来することになります。明治維新150年の今年、大きな流れの中で見ますと、大正天皇は軍事を嫌い平和的世界を切望した方だったことが分かってきます。
 そんな心優しきお人柄をしっかり描写、紹介してくれているのがこの本です。今、考えるべきは、いったい何が、誰が、大正天皇を日本の歴史から追いやったのか、大正天皇が高松宮さまに託した思いはなんだったのか、そして高松宮家も断絶してしまった今、その大正天皇の想起した「国体」はどこにあるのか、ということでありましょう。
 ちなみに大正天皇のお后さま、節子皇后については、同じ原さんの「皇后考」に詳しく書かれています。そちらもおススメです。

Amazon 大正天皇

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2018.10.05

『オカルト化する日本の教育』 原田実 (ちくま新書)

江戸しぐさと親学にひそむナショナリズム
Th_41oku2eqe5l_sx304_bo1204203200_ 日の話(教育勅語トンデモ本?)ともつながりましょうか。
 実はこの本、6月に読んで記事を書いていたのですが、タイミングをはかっていたら、4ヶ月も経って今日になってしまいました。ということは、今日がベストタイミングなのでしょう。
 今年読んだ本の中では出色の面白さ。勉強にもなりました。
 特に後半、近現代日本の陰謀論とオカルトナショナリズムを概観する部分は最高にエキサイティングでしたね。左右にぶれまくるフィクションの生命力に、我ながら感動してしまいました(笑)。
 我ながら…というのは、もうご存知のとおり、ワタクシはまさにその爆発的エネルギーの中で生きてきた人間です。
 実際、この本に出てくるアヤシイ(?)世界のかなりの部分に、私も直接関わりを持っています。会って(楽しく)話したことがある人ばかり。そういう意味では、原田さんよりもよく分かっている部分があるかもしれません。
 そして、もちろん私も「教育」の中心にいるセンセイです。いちおう教育のプロとして、現場をいやというほど知っています。いい面も悪い面も(圧倒的に後者が多い)。
 では、私はどっち側の人間なのかというと、これがまた自分でも面白くてですね、両方OKな立場なんですよね。右・左、宗教・科学などの対立構造についても、どちらも否定はしませんし、どちらも正解だと思っていない。
 昨日もそんな、ある意味ずるい優等生的なポジション取りをしていましたが(笑)、まあ本当だから仕方ない。
 それが私らしさ、つまり「アヤシサ」そのものであり、また、客観的に見れば、そうして地球人の上に立とうとする、それこそエセ宇宙人のいやらしさでもあるわけですが、これはもう生まれ持った性質なので仕方ないですね。諦めてます。
 さてさて、前半の「江戸しぐさ」については、原田さんの『江戸しぐさの正体–教育をむしばむ偽りの伝統』『江戸しぐさの終焉』を読んで記事を書いております。後者の記事には、原田さんご自身がコメントくださりました。今読むと、たしかに原田さんの言う通りで、さすがに私のモダンチェンバロのたとえは、ちょいと牽強付会という気がします。
 しかし、なんでしょうねえ、どうしても「江戸しぐさ」というフィクションにシンパシーも湧いてしまう。自分にそういう嘘つき、ハッタリ屋の部分があるからでしょう。
 「親学」については、これはTOSS、すなわちワタクシの宿敵である向山洋一氏が関わっているので、これまた複雑な気持ちで読みました(向山洋一氏に対する恨み節はこちら)。
 この4ヶ月の間、ずっと「学校こそ諸悪の根源」という本を書こうと思い準備をしておりました(匿名で書こうと思ってたのにカミングアウトしてしまった!)。しかし、ここに来て、やっぱりやめようと思い始めたのです。それは北欧の教育関係者とのご縁ができ、本当にいろいろな人たちとお互いの教育について対話ができたおかげです。
 お互いに、外から見ると全く違った風景が見えてくる。良いところも悪いところも新たに発見できる。あるいは、善悪が逆転したり、自分の中での教育観の変化に驚くばかりです。
 北欧の方々から見ると、軍国主義的、軍隊文化的な日本の教育は、それ自体がオカルトに見えるでしょう。しかし、一方で理想的、先進的に見える北欧の教育がもたらす社会的な弊害というのも実はあり、それはある意味では、科学的ではない理想主義というオカルトに起因しているとも言えるのでした。
 教育は大切です。だからこそ難しい。正解がないが、迷いながら正解を求めるのが教育なのでしょう。そんな難しさの中には、オカルトが入り込みやすい。新しい(しかし古くからありそうな)特効薬のように見えるからです。そういう意味では、常にオカルトとの戦いであるとも言えるかもしれません。

Amazon オカルト化する日本の教育

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2018.10.04

『聖なる約束4 ヤマト人への福音 教育勅語という祈り』 赤塚高仁 (星雲社)

Th_41tdvbirshl_sx337_bo1204203200_ 日はいろいろなお客様が入れ代わり立ち代わりいらっしゃり、合計6時間ほどお話をしました。
 「対話に貴賎なし」がモットーのワタクシといたしましては、大変楽しい一日でした。
 その中のお一人、政治家の方とは「教育勅語」の話になりました。そう、新文科大臣の発言がありましたので、そこからのお話でありました。
 教育勅語が素晴らしいという人と、教育勅語なんかとんでもないという人の溝は埋まりません。なぜなら、論点、評価のステージが全然違うからです。
 私はそのステージを行き来できると自負しておりますので、称賛も批判も両方できるつもりです。
 ただ一つ、直視していなければ教育勅語自身が持つ矛盾もしっかり直視しなければならないと思います。すなわち、教育勅語の眼目である「忠孝」は儒教の教えであり、決して日本古来のもの(国体の精華)ではないということです。
 いや、我が国の国柄は宏遠であり、彼の国の教えをも内包しているのである…なんて言い訳もありえます(いかにも私が言いそう…苦笑)。あるいは、忠孝のルーツは日本であるという言い方もありかな。
 しかし、教育勅語の時代性から考えると、実は単純な構造であって、江戸時代以来の儒教的家族観、友人観の最上位に、天皇への忠義を置いたものにほかなりません。
 そこを基準に論じると、たしかにいいことを言っている部分もあるが、それは別に教育勅語でなくてもいいだろうという、非常に単純な結論に至るわけですね。儒教の教えのエッセンスを紹介したものはほかにもいくらでもあるし、天皇家の素晴らしさを、あるいはあの時代の天皇制の危険を語るものもいくらでもある。
 教育勅語に関しては別にケンカすることはない。どっちも正しいし、どっちも間違っている。原理主義的二元論の罠にはまっているだけです。議論の仕方がいかんのです。
 では、私たち現代人は、教育勅語全体とどう付き合えばいいのか。それ自身が内包する矛盾をどう乗り越えればいいのか。
 というわけで、今日紹介する本は、知り合いである著者御本人からお送りいただいたものです。これは、今述べた二元論的な判断基準によるものではなく、儒教の上に「やまとこころ」を置き、天皇をキリスト(救世主)に見立てるという、全く別次元のお話です。
 これはこれで実に面白いストーリーであり、私は楽しく読ませていただきました。もちろん小馬鹿にしたり、ましてや怒り出したりはしません。21世紀において、そのような読みが可能ならば、それはそれでいいと思います。
 世の中には「教育勅語トンデモ本」というジャンルがあります。この本なんか、その中でもかなり先鋭な存在でしょう。たしかに常識的には「トンデモ」の称号を与えられてしかるべきでしょう。
 しかし、出口王仁三郎や仲小路彰に親しんでいる私としては、こういうトンデモ世界に、世の中の本質が見え隠れしているように思えてならないのです。
 少なくとも不毛なケンカのタネにするよりは、こうして新たな意味を付与する方が、当時の皆さんにも失礼がない…と思います。
 それにしても、著者赤塚さんのピュアな魂と行動力には、本当に頭が下がります。自らのお役目をよく知っていらっしゃる方です。

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2018.10.03

菅野よう子インタビュー

Th_kannoyokointerview01 だ停電が続いていますよ!
 真っ暗なので、音楽を聴きながら寝るしかありません(笑)。あるいはスマホでゆっくり読み物を読んだり。
 今日読んで感動したのがこれ。昨日は天才ユーミンの曲を紹介しましたが、こちらも負けず劣らずの天才ミュージシャンです。作曲家として尊敬している菅野よう子さんのインタビュー。
 菅野さんと言うと、ゲーム音楽や、「花は咲く」で有名ですよね。このブログではどうかなと思って検索してみましたら、おおっありました。なるほど坂本真綾さんか!

坂本真綾 『うちゅうひこうしのうた』

 そこにも書いてますが、菅野よう子さんの楽曲って「職人」を感じさせます。天才というより職人なのかな。いや、天才職人というのが正しいか。
 そんな天才職人が、いかに天才職人であるか、このインタビューを読んでよ〜く分かりましたね。正直、笑いながら読んでしまいました。いや、面白おかしいんじゃなくて、その天才ぶりがぶっ飛んでて楽しくなってしまったのです。

菅野よう子インタビュー

 メロディーやコードではなく、最終的にビートやリズムに逢着したあたり、なにか音楽と宇宙の本質に迫る何かを示唆しているように直観しました。
 最近、作曲家の方とご縁があります。宇宙の波動をダウンロードできる彼らに、ちょっと嫉妬しているワタクシであります。

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2018.10.02

荒井由実 『そのまま』

 BUMP OF CHICKENの「シリウス」や、椎名林檎と宮本浩次の「獣ゆく細道」など、魅力ある作品が発表されて、それも実に素晴らしいと思うわけですが、先日、とうとう松任谷由実(荒井由実)の全作品が配信されることになりまして、毎日のように聴いて感動しております。
 実を言うと、今までアルバムをアルバムとしてちゃんと聴いたことがなかったのです。大学時代以降、何曲も演奏のお手伝いをする機会はありましたが、それはいわば名曲ばかり。ある意味地味なアルバムの作品は、そう、そのアルバムのどこに位置している作品なのか意識せず、聞き流してきたのでした。
 停電していたり、いろいろ忙しかったりしますので、今日はそうした「再発見」の一つを紹介するだけにいたします。
 ファーストアルバム「ひこうき雲」の実質的な最終曲である「そのまま」。ユーミンが中学生の時に作曲したのだとか。なんという天才的な感性でしょう。大人になった私が、なぜか異様に共感共鳴してしまった曲です。
 いろいろ語れてしまうのかもしれませんが、あえてそれは抜きにして、なるべくピュアの心で聴いてみたいと思います。

 変な話ですが、なんだかユーミンに近づいている気がするのです。いろいろな意味で。すごくワクワクするのです。ある意味、若い頃聴き込まなかったからこそ、今こうして新鮮な感動があったりする。曲や歌詞ももちろんですが、演奏一つとっても無限に楽しめます。
 世界の…というより、なんでだろうなあ、「日本の」財産だと思うのであります。

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2018.09.29

J-WAVE INNOVATION WORLD FESTA 2018

Th_img_2670 梨と東京で二つのイベントを途中退出させていただき、向かったのは六本木ヒルズ。
 崎山蒼志くんの歌声とギターの音を聴きながら入場。彼もいよいよメジャーシーンで注目されはじめましたね。
 まずは、宇宙人仲間(?)の高城剛さんが基調講演。帰国直後で時差ボケとの戦いの中「しゃべることなにも考えていません」と言いつつ、始まってみるとまあすさまじく完璧なプレゼンテーション!改めて彼が天才であることを聴衆皆さん感じたことでしょう。
 その天才が語る「30年後の世界」、七つのキーワードは極めて刺激的。しっかり問題提起もしつつ、私たちの脳みそを一気に未来とつなぎ、そして活性化してくれました。
 その衝撃的な内容の一部はここで読めます。

未来の都市は「無人」になる―高城剛が語る、衝撃の30年後の世界

 いやはや、本当にすごい人です。そんな人とプライベートでおつきあいできて、宇宙人としては実に幸せであります。頑張らねば。
 教育者としても考えさせられることばかりでした。教師としての最近の悩みは解決しませんでしたが、大きなヒントはいただきました。また近いうちに未来の学校・教育について語り合いたいと思います。
 続いて、トークセッション「テクノロジーが変えるスポーツの未来」。フェンシングの太田雄貴さんと、スキーの皆川賢太郎さんに、落合陽一さんが加わって、スポーツの楽しみ方の未来のお話。なるほど、eスポーツとリアルスポーツの境界があやふやになっていくかもしれませんね。
 もともとスポーツはゲームなわけで、身体能力のハンディを超えて、多くの人が楽しめるようになっていくかもしれませんね。テクノロジーはそういう意味でも、不平等を解決していきます。
 もちろん、トレーニングの段階においてもより科学的な方法が取り入れられていくことでしょう。そんな中、今日も少し話題になっていましたが、「根性」とか「気合」というのが、どう関わっていくのか。それらは科学的に証明できるのか、そこも楽しみであります。
 また、スポーツではない、相撲や武道などはどうなっていくのか。日本だけに残る文化になるのか。それはそれで価値があるようにも思えます。
 次に聴いたのは、高城さんが司会をした「宇宙の歩き方」。山崎直子さん、m-floのVERBALさん、☆Taku Takahashiさんが参加。これがまた面白かった。いや、高城さんの司会がすごすぎた。頭いいわ。回転早いし、硬軟聖俗見事に融合して、台本をぶっ飛ばして疾走してました。
 私も、あの日の対談を思い出しました。本当になんの話題でも深く掘り下げられる、また核心に迫ることのできる知識と創造性。すごいですねえ。尊敬します。
 ちなみに「この会場に宇宙人が、未来人が来てるかもしれませんよ!」という言葉には、正面で聴いていた宇宙人は勝手にドキドキしてしまいました(笑)。来場することは高城さんに伝えてありましたので…。
Th__20180930_165742 そして、最後に聴いたトークセッションがまた面白かった。田原総一朗さん、キングコング西野亮廣さん、そして落合陽一さんのクロストーク。まさにクロストークで、バカ田大の長老田原さんが冒頭から暴走して、そこにツッコミを入れる西野さん、予測変換ならぬ予測翻訳をする落合さん。もう上質のコントを見ているように興奮してしまいました(笑)。
 そうそう、筑波の女子学生が司会だったはずなんですが、彼女を置いてけぼりにして、天才3人が噛み合わないすれ違い系コントを展開していました。しかし!学ぶべき内容が実は多かった。それぞれの言葉に「体験的重み」があって、ワタクシのような妄想だけのハッタリとはえらい違いでした(当たり前)。
 高城さんもそうですけれど、とにかく外に出て、移動して、人に会って、自分で見聞して、それで発信する言葉でないと、人から信用されませんね。頑張らねば。
 というわけで、めちゃくちゃ楽しいイベントでした。こうしてトークライブを聴くことにお金を払うのもいいですね。今回はいろいろ事情があって音楽ライブはあまり楽しめませんでした。来年はVIP席を取ってゆっくり全体を鑑賞したいなあと思った次第です。

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2018.09.28

武久源造さんのシャコンヌ(バッハ)

 日の話につながります。
 武久源造さん編曲の、バッハのシャコンヌがとってもいい。まずは、私の大好きな(実は得意な)クラヴィコードでの演奏をどうぞ。

 言うまでもなく、原曲は無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ。楽器の制約上、演奏できる音はかなり限られます。しかし、だからこそ、そこに「空」が生まれるわけですね。
 特にシャコンヌのような変奏曲の場合、たとえば循環するバスは記憶の中で鳴り続けます。ですから、楽譜上になくとも(つまり実際に発音されなくとも)、そこには存在しているわけです。
 無でもなく有でもない「空(くう)」。そういうことです。
 それを武久さんは見事にダウンロードしてきた。さらに次の動画の解説にあるとおり、その曲の背後の「空」に存在したであろう物語もダウンロードして演奏している。実に面白いですよね。
 フォルテピアノでの素晴らしい演奏です。

 このシャコンヌ、バッハ自身はもちろん、本当に多くの鍵盤奏者が編曲(ダウンロード)して演奏しています。それらはまさに千差万別(レオンハルトやコーネンの編曲も良かった)。「空」ですから「無限」なのです。
 そこがまた「禅」的ですよね。エンプティーだからフルなんです。
 いつかも書いたような気がしますが、「マインドフルネス」が流行っていますけれども、その究極は「マインドエンプティネス」なんですよ。空っぽの器になった時、最も満たされるのです。
 そんなことを、バッハは教えてくれるのでした。特にこのシャコンヌ、本当にすごい曲です。超えようがありません。

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