カテゴリー「文化・芸術」の1603件の記事

2018.12.07

ナイツの漫才

 週はずっと堅苦しい文章を書いていました。ようやくそれが一段落したので、全然違う文を作りたくなっていたところに、生徒から仕事の依頼が来ました。
 もうすぐ中学校の文化祭があります。昨年まではがっつり中学校担当だったのですが、今年は高校中心になったので、少し離れたところから協力させてもらっています。
 で、今日の依頼は、私が顧問(仮)をさせてもらっているコント部(仮)の台本づくりです。今年は漫才をやりたいというので、さっそく作ってみました。
 今回参考にさせていただいたのは、ナイツのボケ漫才です。掛け合いではなく、ボケの手数で勝負する系。
 とりあえず、ナイツの漫才をいくつか見て、頭のモードをそれに合わせて、内輪ネタを含む新作を一気に書き上げました。ぜひ本番を楽しみにしていてください(笑)。
 で、今日は参考にしたナイツの漫才を皆さんにも見ていただきます。うるさいしゃべくりや、動き系が多い中、私はナイツのこのスタイルはけっこう好きですね。関東の良さだと思います。落語や漫談の空気がありますね。

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2018.12.05

追悼 ダイナマイト・キッド選手

 しい報せ。私にとっても最強外国人レスラーだったダイナマイト・キッド。タイガーマスクは彼なくしてはありえませんでした。すなわち、今の日本のプロレス、格闘技、さらにアメリカのプロレスもなかった。
 それほど偉大なるレスラーでした。
 この「アナザーストーリーズ」は2年前に放送されたものです。この映像だけでもかなり衝撃でした。しかし受け止めるしかない、とにかく少しでも長く幸せな人生を歩んでほしいと思っていましたが、そんな願いも今ははかないものとなってしまいました。残念です。
 しかし、しかし、彼の偉大な魂は不滅です。彼を尊敬し、愛するファン、若いレスラーたちが、彼の崇高な魂をこれからずっと引き継いでいってくれるものと思います。
 本当に命を懸けた闘いを見せてくれたキッド。私の青春時代の大切な風景を作ってもくれました。そして、今もプロレスファンでいます。心から感謝し、またご冥福をお祈りします。
 60歳の誕生日に亡くなるなんて、まるで小津安二郎ですね。天才の人生の終え方なのでしょうか。

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2018.12.03

【討論】グローバリズムは衰退したのか?

 みません、お騒がせしております。とっても忙しい状況です。家に帰ると疲れ果てて眠ってしまうという感じです。寝ながら半分聞いていたのがこの討論。
 夢の中でなんとなく理解しているから、それはそれで怖いかも。
 いつも書いているように、ここで言われる「グローバリズム」と、仲小路彰の「グローバリズム」は似て非なるもの…いやいや、名前は同じですが中身は全く違います。そこについても、いつかちゃんと発信しなくては。近い未来に実現すると思います。
 夢見半分で気がついたのは、マネーのためにテクノロジーが進歩しているわけではなく、テクノロジーの進歩の上にマネーがあとから乗っかって流通しているということですね。
 ですから、はじめからグローバル経済があったわけでもなく、たとえばインターネットなんかも、それを想定して設計されたわけではない。
 だから、ある意味ではマネーは弱いんですよ。ウイルスみたいなもの。本体がなくなれば全く機能せず死ぬのです。
 それで?だからなんなの?ですが、夢の中で一つの答えを得たような気がしました。ここからの展開はまたいつかまとめて書きます。とにかく眠い。
 まあ、間違ったグローバリズムが衰退して、本来の日本発本当のグローバリズムが勃興してくるといいですね。なにしろ本物は今、国譲りの作法によって雌伏の時を過ごしているからです。雄飛の時は近い!?

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2018.12.02

権代敦彦作曲『子守歌』

Th__20181203_161534 NHKFMで聴きました。心震えるとはこういうことですね。
 附属池田小事件がきっかけで作られた曲。古典的な宗教音楽の要素もありつつ、語りと音楽の微妙な、いや壮絶なぶつかり合いと調和が、なんともすごい(ボキャブラリーを奪われる)。
 この曲のこの演奏にまつわるストーリー「レクイエムに心を動かされ・・・
“附属池田小事件”から生まれた『子守歌』」をこちらで見ることができます(10/23付の動画です〉。
 今回この放送を教えてくれたのは、先日のウリッセの帰還の時にもお会いした古楽仲間です。ウリッセでも波多野睦美さんが素晴らしい歌唱を聞かせてくれましたが、こちらの「子守歌」でも、大変清澄な、まさにこの子守歌にふさわしい天上の声を降ろしてくれました。
 そして、作曲者の権代敦彦さんとは、先日京都男二人旅をさせていただきました。あらためて、とんでもない天才とマニアックな旅をさせていただいたものだと再認識させられました。いやあ、彼は天才です。そして、今、そんな権代さんに新曲を依頼しているところでもあるのです。
 神奈川フィルハーモニー管弦楽団には知り合いも何人かいることもあり、作曲家、歌手、演奏家すべてとご縁がある特別な演奏でもありました。
 音楽が結ぶご縁は、この地上界の関係を超えています。高次元のご縁に動かされる毎日。ありがたいかぎりです。
 

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2018.12.01

ねじ…秋田弁コント「道案内」

 言シリーズ。昨日は最後に秋田弁を聴いていただきました。その秋田弁でコントをする「ねじ」。前も紹介しましたね。秋田弁でアニメの名シーンをやったりする。
 今年は金足農業が高校野球で大変なブームを起こしましたが、実はその金足農業の出身なのが、この「ねじ」。
 で、最近ワタクシ的にはけっこうツボにはまったのが、この究極の秋田弁コントです。そう、究極の外国語なんですよ。
 前、秋田のおっちゃんたちに囲まれて飲んだ時は、本当に「イングリッシュ・プリーズ」って感じでした。ホント、日本語しゃべって!って。日本語じゃないなら、せめて英語で!っていう(笑)。
 そんな異邦人感をうまく表現してくれているコントだと思います。なにしろ発音が日本語と違うもので、文字化されないんですよ(笑)。秋田の人と結婚して20年、ようやく少しリスニングができるようになってきました。
 というわけで、ねじのコント「道案内」をどうぞ。鼻濁音!そして最後はホント何言ってるのか、わかりません。カミさんに聞いてみよっと。

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2018.11.24

宇宙人を囲む会(今どきの若者はすごい!)

Th_img_3148 日は駒場祭が終わってから下北沢へ移動。夜は初めて会う若者たちと楽しい飲み会でした。
 いちおう名目は「宇宙人を囲む会」(笑)。
 宇宙人とはすなわちワタクシであります。自称宇宙人の謎のおじさんに会うために、全国から若者たちがわざわざ集まってきてくれた(遠くはフランス、福岡、山形から…)。
 いや、実は最近、二十代後半から三十代前半の人たちとの交流が多い。多いというか、楽しいので、ついそういう機会が増えてしまうのです。
 今日はこちらで対談もした、プロ無職のるってぃさんが企画してくれました。
 何が楽しいかって、彼らの価値観、ライフスタイルが、宇宙人標準に近いんですよ。
 そう、おじさん世代で言うと、同郷(同星)の高城剛さんがちゃんとそういう生き方を実践してくれています。
 彼らに共通する要素はいろいろあります。
 ミニマリストであること、フットワークが軽すぎるほど軽いこと。お金や名誉に対する執着がない…というか、近代地球人とは違うこだわり方をしている。利他的である。だからシェアするのが当たり前。発信力がある。巷の情報に惑わされない。コミニュケーション力がある。さまざまな部分で壁を簡単に越える。もともとボーダーレスなのかもしれない。自我がない。悟っている。
 これらを一言でまとめるなら、「シェエリング」ということになるかもしれません。家や財産をシェアするのはもちろん、才能もシェアしあう。それはアウトソーシングという形で表れます。
 今日も若者たちに話しましたが、元祖プロ無職、シェアリングのプロ、アウトソーシングのプロはお釈迦様なんです。だから、本当に彼らは悟り世代なのかもしれない。
 いや、無欲ではないから、さとり世代とは違うな。ゆとりとさとりの間(なとり?)でしょうか。非常に面白い、これからの世界を変えていく力を持った世代だと思います。落合陽一さんなんかもその世代の代表格でしょう。軽く既成概念を超越していく。
Th_img_3149_2 今日もそんな彼らからたくさん学びました。お互い学びがあるんですよね。おまけで宇宙から降ろされたあの未来医療CS60も体験してもらいました。みんな感性豊かだし純粋だから効く効く。大笑いしながらみんなで楽しみました。
 軽やかでしなやかな若者たち。私も負けないようにがんばります。しかし、やはり基本は彼らにシェアリング、アウトソーシングしていきますよ。あとは彼らをやる気にさせることが宇宙人の仕事でしょうか。
 ちなみにそういう世代の方々との「宇宙人を囲む会」、いつでもどこでも開催します。もういくつか全く違うコミュニティーの若者たちと開催する予定があります。もし関心をお持ちになった方がおられましたら連絡ください!

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2018.11.20

田中英道 『日本らしさの基礎を築いた聖徳太子(その6)』

 日は京都花園にて仕事を終えたあと、ゆっくり太秦まで「太子道」を歩きました。ちょうどこの動画の内容とリンクしますね。偶然にしてはよくできすぎている。
 途中蚕の社の三柱鳥居を見たりしながら、太子と秦氏に思いを馳せ、キリスト教ネストリウス派のこともふと思い浮かべられました。そして最後は、中学校の修学旅行以来、すなわち40年ぶりに廣隆寺を参拝しました。
 言うまでもなく、聖徳太子ゆかりの寺。弥勒菩薩、半跏思惟像のあるお寺です。中宮寺の弥勒菩薩さまにはここのところ毎年お会いしていましたが、こちらはそれこそ40年ぶりでした。なんともお美しい。向かって左に少し傾いていらっしゃるのが不思議と印象に残りました。それが一つの動きのエネルギーを生んでいる。
 また隣にあった秦河勝夫妻像にもある種の霊感を覚えました。富士北麓と秦河勝との因縁は深い。深すぎます。富士山と京都、いろいろ不思議なミッシングリンクがあるのですが、そんなえにしをその場から感じた結果、旅の最後は亀岡の天恩郷となりました。そこもまた富士山や「みろく」と関係の深い整地です。
 本当に霊的に動かされた旅でした。いろいろな場所で、いろいろお祈りすること、お誓いすることがたくさんあり、もちろん本来の仕事の上でも学ぶことの多い旅でしたが、それ以上にこのタイミングで一人京都に来た意味がよく分かった気がします。ありがたや。

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2018.11.18

田中英道 『日本らしさの基礎を築いた聖徳太子(その4)』

 詩に恋愛ネタがない、和歌は恋愛ばっかり…というのは確かにそう(笑)。
 ふむ、仏教が恋愛の感性を磨いたと。それはあるかもしれませんね。無常観。たしかに恋愛は、ワタクシの言うところの「モノのあはれ」(不随意へのため息)の代表ですな。思い通りにならない。
 神社(神棚)が「場」や自然、お寺(仏壇)が「人間(個人)」を祀るというのも面白い。それが両方ある、今の私たちの信仰の形は、たしかに聖徳太子が作ったと言えます。
 やはり、神道(という言葉さえありませんでしたが)が仏教を包み込んでいるのが、日本の特徴でありましょう。私は仏教は最強の思想だと思っていますし、お釈迦様は宇宙人だと思っていますが(笑)、それを意識せずとも、すでに日本は自然の中にあって無我、空、縁起を体現していたのでしょう。その姿勢こそが「あはれ」=「諦念」であったのです。

Amazon 聖徳太子 本当は何がすごいのか

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2018.11.17

田中英道 『日本らしさの基礎を築いた聖徳太子(その3)』

 小路彰が聖徳太子を敬愛する理由は、その「融合性」にあります。ここで語られている神道と仏教の融合も、たしかに非常に高い次元での融合を実現しています。
 ただここでは、集団と個という対比をしていますが、私からすると仏教も無我や空、縁起ということからすると非常に集団的な宗教というか思想だと思いますがね。
 まあたしかに、自己を見つめるところから、最終的に自己から離れるという意味では、個人宗教とも言えるかもしれません。
 田中先生も少し言っているとおり、日本が外来のもの、たとえば仏教をスムーズに取り入れたのは、もともと仏教的な思想というか生き方が普通にあったからだと思います。
 それが裏を返せば、外来勢力に制服されなかった理由。つまり、最新技術や最新哲学を持って「おらおら!」とやってきた人たちが、日本人を見て、「あらら、こっちの方が進んでた」と思ったから、自ら帰化したりして日本人になり、日本語をしゃべっていたわけでしょう。普通逆ですよ。
 奈良や京の都の人口の7割が帰化人(渡来人)だった、特に政治、文化の中心は…という説があります。もしそうだとしたら、絶対に日本語は駆逐されたはずですよ。世界史を見るかぎり。

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2018.11.16

田中英道 『日本らしさの基礎を築いた聖徳太子(その2)』

 中先生は「和」を「やはらぎ」と訓んでいます。仲小路彰は「にぎ」と訓んでいます。どちらが正しいかは難しいところですが、少なくとも「ワ」と読んでいた可能性は低い。和語で訓読したはずです。
 日本には文字がなかった。それは劣っていたという意味ではなく、逆に文字という情報次元を超えた高度な科学を持っていたというのにも納得します。
 少し話がそれるようですが、最近音楽の世界がレコードやCDからダウンロードへ、そしてしまいにはストリームへと変化してきているじゃないですか。アナログにせよデジタルにせよ、そのデータを所有するというのは文字によって情報を記録して所有するのと同じことです。それがストリームになりつつある。
 つまり所有しなくなったということです。そして、かつてのように情報というか音楽そのものが向こうからやってくるようになったということです。それはある意味古代の口承文化に戻るということです。私はそうとらえています。
 近代西洋的価値観、すなわちワタクシの言うところの「コト」文明から、かつての日本がそうであったであろう「モノ」文明に再び戻りつつあるのではないでしょうか。そんな話も年末に出る某雑誌のインタビューで語っています。どうぞお楽しみに。

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