光明寺さん(小山市)で思う
奈良から帰ってすぐに栃木県の小山へ。由緒ある天台宗光明寺さんでセミナーでした。
お釈迦様を背後に7時間ほどしゃべりました(笑)。奈良からの流れもあって楽しかったなあ。
で、このお寺は旧日光街道小山宿のはずれにありまして、近くには須賀神社もあります。一昨日の奈良金峯山寺の学頭だった天海こそが、家康を日光東照宮に祀った張本人。
平安初期に慈覚大師円仁によって建立されたとされる光明寺ですから、天海もなんらかの形で関わったり、立ち寄ったりしているかもしれません。
結局のところ、江戸時代、天皇家が北朝を名乗っていたわけですが、結局徳川家が南朝の系譜をもってしてバランスを取っていたわけで、その結果としての明治天皇の「誕生」(大室寅之祐が明治天皇として即位)となったのでしょう。
境内にある文化財、宝篋印塔には「応安」の年号が刻まれていました。応安は北朝年号ですね。ちょうど南朝の長慶天皇の時です。「逆修」とありますから、生前に自らを供養するために作った塔なのでしょう。
当時は公式には北朝が正統、南朝は謀反人「南方偽主」とされた時代、特にその傾向が強い時代ですから、たとえ南朝寄りの人たちでも南朝年号「正平」は使いづらかったのではないでしょうか。ちなみに富士北麓にはけっこう南朝年号の板碑なんかがありますが。
そのあたりの流れ、各時代を通じての南北朝正閏問題については、もう少しちゃんと勉強しなければなりませんが、こうして旅をさせられることによって、徐々にですが「実感」することになっております。感謝。

如意輪寺の後醍醐天皇の御陵(
吉水神社には南朝御所があり、金峯山寺には護良の陣が布かれました。きっと文観もこのあたりで真言立川流の秘術を斎行したものと思われます。そう感じました。
さて、一日目のメインは、奈良国立博物館で開催されている「
最後に真っ白な空感に鎮座された中宮寺如意輪観音さま(菩薩半跏像・弥勒菩薩)。少年時代から最も好きな仏像です。
続いて中央構造線「北川露頭」へ。ここでは表日本と裏日本の境界、せめぎあい、融合を体感できます。
一昨日からの流れで、表日本と裏日本の境界に連れてこられた。そして、もう実は6月18日なので、未来的な話になってしまいますが、私はこのあと、とんでもない「南朝」(裏日本)の旅をさせられることになるのです。
そして、合宿した古民家の裏の巨石群。謎の穴太衆がなぜここに。
(忙しくて1ヶ月も放置してしまいましたが、移動の列車の中で少しずつ追いつくよう頑張ります)
ちょうど昭和天皇の墓参をすませた時、私たちは香淳皇后のお墓の横に案内されまして、そこで佳子さまのお出ましをお待ち申し上げることに。少しずつ人も増えたとはいえ、最終的に一般参拝者は12、3人というところ。幸運な、選ばれた人たちです!
墓参ですから、ニコニコされていたわけではありませんが、お出ましになった途端、鳥は鳴き出すし、日輪は出るし、空気が完全に変わりました。自然と涙が出てきました。
その後、娘たちが生まれてからも、ほぼ毎年お墓参りしておりました。
そして、今日発売になったのが、こちらの完全版。
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