カテゴリー「心と体」の1000件の記事

2023.09.20

『戦後GHQに禁止された神秘の植物「大麻」』 中山康直×川嶋政輝

 

 イフワークの一つが絹と麻の均衡的復活です。

 先日、サトマイさんの動画を紹介しましたが、今日も麻について良い内容の動画がアップされていたので紹介します。

 とにかく麻は万能な植物なのですよ。その安全で万能な植物を禁止したのは、動画で語られているとおり、その裏に石油産業があったからです。

 さすがに20世紀的な石油文明は終焉を迎えつつあるので、こうして麻の「再発見」が進むことは当然の成り行きです。

 前にも書きました通り、かつて世界中で栽培され活用されてきた麻の中でも、特に日本産の麻の品質は非常に高かった。さらに最近の農業技術を応用すれば、日本の一大産業になりえます。「JT=ジャパン・タイマ」という時代が本当に来ると思っています。

 まずは医療用、そして産業用でももちろんOK。この動画でも紹介されているように、ヘンプカーは大変面白いですよね。20世紀的石油産業の象徴たる自動車がヘンプに回帰していくとしたら、まちがいなく世界は変わります。

 今、自動車産業内では、石油産業の上に乗っかったままの「電気」が異常なまでに持ち上げられていますが、その虚妄もそのうち暴かれるでしょう。

 中山さんは同じ静岡県出身の同年代ということもあり、その活動に注目してまいりました。今後何かの形でコラボできればと思います。

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2023.09.16

『ジャニーズの闇と日本の裏に潜むユダヤ!芸能の本質とその神様』 (神社チャンネル)

 

 ャニーズ問題が沸騰中ですね。

 いろいろな語り口があると思います。ある方面から見れば炎上必至ですが、ワタクシの一つの視点としては、ファンの気持ちが置き去りになっているということですね。

 正直、真性女性ファンからすると、外野の騒ぎに腹が立っているのではないでしょうか。そう、そんなことはもう昔からずっと知っていて、それでもファンだったわけですよ。それなのに今頃騒ぎ出した上に、「被害者」の仕事まで奪っていると。

 はっきり言ってしまうと、男性アイドルたちが男性であるジャニーさんに何されようと関係なのです。これが女性相手だったら大変な激情を生むわけですが、そうではないところが大事であって、その延長としてジャニーズは女性問題にはタブーがあったわけです。

 あくまでも「アイドル」。偶像であり、ある種の神であり、それを感じられるからこそジャニーズには格別な魅力があったのです。

 それをこの人間界の人権とやらで語るとは笑止千万。いや怒止千万。

 そうした「アイドル」「芸能」の歴史を語ってくれているのが、こちら神社チャンネルの動画。私もお世話になっております。

 よくぞ言ってくれたという感じですね。ユダヤかどうかは眉唾ですが。

 ちなみに、出口なお、王仁三郎は芸能を非常に重視しました。彼の言説には、今回の一件に関しても示唆的な内容が含まれています。

 すなわち、大本神諭にあるがごとく、古事記に記される岩戸開きはアメノウヅメの「嘘」とタヂカラヲの「力」によって達成されたものであり、二回目の岩戸開きは「真」と「愛」によって完成されねばならないということです。

 日本の近代化は「嘘」と「力」によって成されてきました。それらは芸能界も同じです。しかし、それがいよいよ崩壊する時が来た。変革には荒魂が必要です。今それが発動しているのかもしれません。

 そういう壮大な視点でこの問題を俯瞰すると、ジャニーさんの役割というのもわかってくるというものです。

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2023.09.14

『福田村事件』 森達也監督作品

Th_320_20230915090201 てきました。いやはや、すごい映画でした。

 ちょうど百年前。関東大震災後に起きた悲惨な事件。

 事件の内容やそこに至る経過は歴史的な事実として知っていたつもりでしたが、これほどまでに心を揺さぶられるとは。

 森達也監督の初の劇映画。

 なるほど、監督は今まで主にドキュメンタリー映画を撮り、真実の中から物語を紡ぐという手法を極めてきましたが、今度は逆、物語から真実を紡ぐということに挑戦したわけですね。

 そしてそれは大成功であったと思います。

 この映画の内容に対して、たとえば偏狭な保守主義者たちは、そんな事件はなかったとか、実際に朝鮮人や穢多非人は不逞を働いていたとか言うのでしょうが、それもまた、この映画に揺さぶられているからこその反応です。

 一方で、リベラルに偏り過ぎな方々は、この映画は素晴らしい、やはりかつての日本(日本人)は間違っていたのだと叫ぶのでしょう。それもまた反応です。

 そうした「反応」が論理より先に感情として現れるということは、そう、私たち自身の中にも「狂気」の種があるからでしょう。もちろん私もそうです。

 森監督の、リアルを凝視してきたからこその演出手腕はもちろん、私は(勝手にですが)荒井晴彦さんの臭いに感心してしまいました。

 ある意味不謹慎かもしれませんが、ああいう時の(残酷なことをする時の)人間の心理、高揚感、非倫理性というのは、なんかエロに通じるなと感じたのです。本能なのでしょうか。

 当時の田舎の日本人の純粋な「不貞」も重層的に描かれていますが、それ以上に純粋かつ集団的な「不逞」の方がエロチックに感じてしまった。

 いかんいかんと思ったけれど、自分の中にそういうとんでもなく恐ろしい種があることを再認識させられてしまった。

 もうそれだけでも、この劇映画の目的は見事に達成されたと思います。少なくとも私にとっては。

 時代という舞台の再現、その上で演じる役者さんの凄まじい演技。物語の力をまざまざと見せつけられた気がします。正直、予想の百倍くらい衝撃的、(感動ポルノではなく)感動的でした。

 もし機会がありましたら、ぜひ劇場に足を運んでみてください。

 映画「福田村事件」 公式

 

 

 岡田斗司夫さんのような感想もありだと思います。

 

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2023.09.13

我慢するな。頑張るな。

Th_8132cspie9l_sl1500_ 阪から静岡に帰ってきました。

 帰りの新幹線で久しぶりに読んだのは、オイゲン・ヘリゲルの「弓と禅」。

 ヘリゲルが到達したという「無我」の境地、弓と矢と的と一体化する境地は、まさに昨日書いた自他不二、神人合一に他なりません。

 私は弓道はやりませんが、楽器「弓」は扱います。

 実は楽器の弓の扱いにも弓道と似たところがあります。というか楽器は全てそうでしょう。人馬一体ならぬ人器一体(?)。

 ヘリゲルは弓の弦を離す時に、師匠から「離そうとしている」と叱られます。また、師匠から学んだ型を再現しようと頭で考えてしまい難渋します。

 音楽道でもそうでして、自分で楽器(たとえば弓)をコントロールしようとしたり、あるいはセンセイから習った持ち方に固執したりしても、美しい音を出すことはできません。

 私は楽器自体から教えてもらうことが得意でして(逆に言うとまともな修練ができない)、最近で言えばたとえばヴィオロンチェロ・ダ・スパッラを肩に乗せて平気で弾いたりするわけです。それが人器一体になるのに最も有効な形であると(楽器から)教わったからです。

 ここで日本語の話をします。

 家庭や学校や会社など、あらゆる社会的チームの中にあっては、多くの人たちが「我慢しろ」とか「頑張れ」とか言ったり言われたりして生活していますよね。

 これって実は大きな間違いなのです。

 「我慢」は仏教用語では「我に対する慢心=うぬぼれ」という意味です。自慢もそれに近い。自我への執着、すなわち煩悩のボスみたいなヤツですね。

 「我慢しろ!」って、その煩悩をしっかり全うせよと言っているわけで、とんでもない間違いです。それがなぜ良い意味のように使われるようになったのか。日本語史、日本文化史的にとても面白い変遷があるのですが、ここでは省略します。

 そして「頑張る」はもともと「我を張る」「我に張る」から変化した言葉です。まさに「自分が自分が」と頑張っちゃうことです。これも自我への執着。

 「頑張れ!」もまた、煩悩の全うを要求する言葉なのです。

 ですから、最近の私は、「我慢するな。頑張るな」というのです。全てにおいて自分が主人であると思いこんではいけない。自己の(あるいは所属集団の)目標達成のためにガマンしたり、ガンバルのは天の意志に反するのです。

 ちなみに、自己は主人ではないが主(中心)であるということに関しては、10年前の私の気づきをお読みください。

「随処作主立処皆真」  

 弓道も楽器道も、もちろん禅の道も、「我慢しない。頑張らない」ところが原点なのでした。

 最初の「弓と禅」に戻ります。こちらの紹介動画が優れものですので、読む時間がないという方はどうぞ。便利な時代ですね。

 

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2023.08.25

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり (道元)

Th_dogenzenzi 日は道元忌。とはいえ、本来旧暦ですし、23日とも29日とも言われていますので、全く厳密ではありません。

 永平寺では9月の22日から29日まで、「御征忌(ごしょうき)」と称して厳格な法要が行じられます。

 亡くなったのは1253年ですから、770年前ということになりますね。

 道元の書き残したものは奥深く難解であり、私もまだまだ表面的にしか理解しておりません。

 その点、この和歌はシンプルでいいですよね。

 四季ごとの当たり前すぎる風物を並べ、最後に「すずしかりけり」と結ぶ。センス最高です。

 実は「すずしかりけり」の解釈にキモがありまして、たとえば表面的に「冬雪さえてすずしかりけり」という文脈で読むこともできますし、よくある注解のように、この「すずしかりけり」は全体にかかっており、「すがすがしい」とか「いさぎよい」という意味であるとすることもできます。

 しかし、私はやはり「さえて」からの意味的連続を無視できないと感じております。それまでは名詞を並べておいて、ここでは動詞の連用形+接続助詞「て」ですからね。

 接続助詞「て」は完了の助動詞「つ」の連用形から派生したものであることからもわかるとおり、そこまでの表現、事象を一旦とりまとめる機能を持っています。

 その語感からして、私には「春の花も夏のほととぎすも秋の月も、全ての思い出を覆い清める純白の白い雪がすがすがしい」と捉えられるのです。

 そこには、まさに仏教的な「無常観」があり、また一旦リセットされた純白のキャンバスに春夏秋の風景を描いていくであろうという「再生」「常若」の思想が表現されていると思うのです。

 過去にこだわるな。それがたとえ美しいものであっても。あるいは悲哀に満ちたものであっても。

 いかがでしょうか。

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2023.08.22

映画『君たちはどう生きるか』 宮崎 駿 監督作品

Th_kimitachi 女が観に行きたいというので、事前情報なしで私も鑑賞いたしました。

 結論から言うと「よく分からなかったけど、すげぇな」でした。

 ジブリ作品には元々あまり興味がなく、家族が観ているのを横目で盗み見する程度でしたが、そんな私でもこの作品は「集大成」的には感じました。

 もっとはっきり言ってしまうと、宮崎駿監督というカリスマの最後の仕事に、考え得る最大の才能と時間とお金がかけられたのだから、それはすごいのは当たり前という感じでした。

 冒頭の火事のシーンだけで、世界の美術史に残るであろう「絵」の連続を見せられた感じがして、正直圧倒されました。西洋と東洋の両美術的世界を統合・融合する日本的美術の世界、ここに極まれりです。

 背景の西洋的リアリズム描写と、キャラクターを中心とした東洋的リアリズム描写の同居という、本来は不自然きわまりないはずの画面が、どうしてここまで自然に感じられるのかという驚き。

 東西は、主に「輪郭線の有無」と「色彩の平板化の度合い」で峻別されるのですが、それを自然に同居させてしまうのは、日本独特の文化であり、浮世絵や漫画、アニメに慣らされた私たちにとってはそれこそ自然なことなのかもしれません。

 それはすなわち、日本人の脳内リアルが、意識(コト・カタ)と無意識(モノ・マナ)の総体とそのバランスであるということなのですが、それがストーリーにおいても実現しているのが興味深かった。

 つまり、「分かる」と「分からない」がそのままの形で放置されることが「リアル」になっていたわけです。「モノガタリ」の本質は実はそこにあり、だからこそ「モノ」を「カタる」と称した。

 そういう意味で、私はこの作品を「よく分からなかったけど、すげぇな」と評し、だからこそ見終わったあとに不快にはならなかったのです。

 これは新しい日本の神話なのかもしれませんね。ある意味そういう陳腐な感想しか出てこない。やっぱり宮崎駿をすごかったということか(なんだか悔しいけれど…笑)。

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2023.08.20

『ケアとうたとアート』(いのちの研究会 基調講演 鎌田東二)

 

 敬する先生方ばかりが集まったこの「いのちの研究会」。毎回オンライン参加し、勉強させていただいています。

 昨年10月に行われた第4回は、昨日も紹介した「スサノヲの子分」鎌田東二先生が基調講演されました。

 その時の動画が公開されていますので、ここに紹介いたします。

 いつものようにほら貝で始まり、ギター弾き語りで終わる鎌田先生の基調講演が面白いのは当然のこと、それぞれのパネリストの先生方のお話も面白すぎる。

 場所が亀岡の大本本部「天恩郷」のみろく会館というのもいいですよね。

 基調講演、鎌田先生らしく、用意したスライドのほとんどを使わないで終わってしまっていますが(笑)、YouTubeの概要欄から資料をダウンロードできるので、ぜひ。これだけでもすごい情報の質と量ですよ。

 

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2023.08.14

『猫は逃げた』 城定秀夫脚本・今泉力哉監督作品

Th_320_20230816085001 れも好きな映画。城定秀夫さんの脚本が絶品です。

 城定監督はピンク映画の巨匠。いまおかしんじ監督とともに、私の尊敬する監督さんです。

 この業界、お互い助け合うというか、自由にコラボすることも多いんですよね。城定さんと今岡さんもコラボしています。

 そして、城定監督と今泉力哉監督がお互いの脚本を監督するという企画が「L/R15」。

 これは城定さんの脚本を今泉監督が撮っています。猫もあきれる人間の愚かさをエロとユーモアとペーソスで表現していて実に痛快。何度観ても笑いながら泣いちゃう。

 特にクライマックス、不倫ペア4人が集合しての長回しのセリフ回しが最高。演技している4人も本当に見事。映画のような舞台のような漫画のような現実のような。これは名シーンですよ。今泉監督ならではの演出でしょうか。

 もちろん「猫」が持つ不思議な力、人間の運命を動かしてしまう魅力もちゃんと表現されています。猫2匹の「演技」(?)もすごい。

 昭和からずっと、商業性を超えた映画の芸術性を担保してきたピンク映画の世界。こういう現場がいまだ残り、そして若い作家も育っていることは日本の誇りとするところですね。

 浮世絵的な世界観は爛熟するAV世界に生き続けていますが、その一方で古典的な「もののあはれ」文学的世界は、実はこちらに継承されているのですよね。

 その両方のバランスこそが、日本神話的なエロスの世界でありましょう。そのどちらにも「猫」は必ずいるのでした。

 

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2023.08.10

『甲州街道から愛を込めて』 いまおかしんじ監督作品

Th_61keqgjsowl_ac_ の映画、なんか好きなんだよなあ…世界で一番小さいロードムービー。

 ピンク映画の巨匠、今岡信治監督の一般作品。とはいえ、醸し出す雰囲気はいつもの今岡節。

 こういう行きずりの男女の切ない刹那の表現、本当にうまいんですよね。高校生から熟年まで、ちょっとした会話や表情や風景によって、心の奥の奥の動きを表現するのがうますぎる!

 そして、切なさの裏側には優しさがある。結局、いまおか作品というのは人間の優しさの塊なんですよね。

 どんなダメな人間でも優しさがあればいいじゃないかと。どんなダメな人間でも一人は優しい言葉をかけてくれる人がいる。

 いや、ダメだからこそ、人の愛をもらえる。許してもらえる。守ってもらえる。見捨てないでもらえる。

 そういう意味では、ダメ人間肯定映画でもあるわけで、本当に観るとホッとするんですよね。

 この映画、私にとっては見慣れた風景がたくさん現れます。甲州街道ですから。相模湖、猿橋、勝沼。勝沼ぶどう畑での切ない失恋は「この窓は君のもの」とも重なりますねえ。

 さらに実は甲州街道から少し寄り道していますが、富士吉田の某所も大切なシーンで出てきます。

 そしてラスト近くのライブハウスは、先日我が家がライブをさせていただいた下北沢の音倉さん。

 見慣れた風景がこうして味わい深いものになるマジック。すごいですねえ。泣けますわ。

 うん、なるほど、あのクネクネとした山あり谷あり、わびしさ満載の甲州街道は人生そのものですね。

 役者の皆さんも最高。クセのある人物をさりげなく見事に演じています。なんかこういう映画撮ってみたいなあ。お金かけなくてもこんなステキな作品ができるんですね。編集の妙でしょうかね。

 これまたさりげなく切ない濡れ場も効果的。さすがといったところです。

 多作家でもある今岡監督。配信でもいくつか観ることができますので、皆さんもぜひ。

 

 

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2023.08.01

『あの空の花 長岡花火物語』 大林宣彦監督作品

Th_71xqhwka51l_ac_ul800_ql65_ 8月になりました。日本の夏。戦争の夏。

 今日1日は長岡空襲の日です。昭和20年のあの夜から78年。

 長岡では1日は3発だけ無色の花火が上がるそうです。花火大会は2日と3日。

 この映画でも通奏低音となっている「爆弾」と「花火」の対比。山下清の「みんなが爆弾なんかつくらないで きれいな花火ばかりつくっていたら、きっと戦争なんて起きなかったんだな」という言葉。

 大林作品の中でも、この作品は最高傑作の一つだと思います。独特の表現から好き嫌いが分かれるかもしれませんが、私は対位法的に絡み合って美しく響くストーリーたちと、それをテンポよく伝えるリズムの良さが大好きです。

 やっぱり天才ですよ、大林監督。

 これぞ映画表現です。映画でなければできない表現。日本映画でなければ伝えられないメッセージ。

 元々監督は映画に写実的なリアリズムは求めていませんでしたよね。ファンタジーの中のリアリズムは、日本の伝統的な表現、例えば能や浮世絵のような強力な象徴性を持っています。

 今はとても便利な時代になり、劇場に行かずとも家庭でこういう傑作を鑑賞できるようになりました。あまり知られていない作品かもしれませんが、本当に名作だと思います。ぜひご覧いただきたい。

 夏はいろいろな意味で切ないですね。その切なさこそ人と自然の美そのものなのでしょう。

 まだ戦争には間に合う…まだ◯◯には間に合う。切なさを超える勇気が必要ですね。

Amazon この空の花 長岡花火物語

 

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