『「生きる力」としての仏教』 町田宗鳳・上田紀行 (PHP新書)
今日は仏教についての本を読みました。
先日お会いし、コロナが落ち着いたら飲みましょうと約束させていただいた町田宗鳳先生と、東工大のリベラルアーツ教育院長にして武内陶子さんのダンナさん(!)である上田紀行先生の、めちゃくちゃ興味深くエキサイティングな対談。
仏教を「未来を切り開く爆発」と捉えるお二人のトークは、噛み合ったり、ぶつかったりしながら、どんどん熱を帯びていきます。
そこにはいわゆる暗く静かなイメージとは反対の、明るくまぶしい光を感じました。
本来、宗教とはそういうものなのではないでしょうか。そして縁起とはそういうものなのではないでしょうか。
私は「生きる力」という言葉があまり好きではないので、よく「死なない力」という表現をします。
この対談でキーワードとなっている「エロス」と「タナトス」を総合すると、私は「死なない力」になるように思います(なんとなくですが)。
「死なない」には「生きる」という意味もあり、また死後も生き続けるという意味もあるからです。
ですから、もし、もし私がこの二人の対話に割って入るなら、『「死なない力」としての仏教』を放り込みたいと思います。
私は、見た目だけのエセ坊主ですから、人間界では偉そうなことはとても言えませんが、それでも宇宙人の大先輩としてのお釈迦様の言いたいことがなんとなくわかるのです。なんとなく。
私も、昨日の出口王仁三郎のように、最後は言葉(コトの端)ではなく、何かモノを作って表現しなければならないのでしょうか。そのためにも、この対談のように、自我のコトを徹底的にぶつけ合っていかねばならないのかもしれません。
最近もある仏教系大先輩との対話の中で、けちょんけちょんにダメ出しされてますが、これからもいろいろな方と「問答」してみたいですね。それが結局、モノの本質に近づく王道なのかもしれません。つまり、漸近線のごとく絶対に到達できないけれど確実に近づくことができる「マコト」が、そこにあるのでしょう。
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