カテゴリー「心と体」の692件の記事

2018.04.11

「利他の心」…ザ・リーダー 稲盛和夫

 場の先輩に「致知」を借りて読んでおります。表紙は稲盛和夫さん。特集「利他の生きる」。年齢的に否応なくリーダー的な立場にならざるを得ないようになってきた私にとって、稲盛さんは最高の知恵を与えてくれる人です。
 今までも稲盛さんには勝手な親近感を持ってきました。この動画でも「やきもの」という言葉を何度も使っていますが、私の中では霊的な意味でも、また実業的な意味でも稲盛さんは出口王仁三郎につながっていると思っています。
 そのあたりについては、8年前、稲盛さんがJALの再建をまかされた時、稲盛和夫と出口王仁三郎という記事に比較的詳しく書きました。
 その記事では「モノ」と「コト」とという言葉を使っていろいろ書いていますね。今になってみますと、それは谷口雅春さんの言うところの「實相」と「肉体」ということだと分かります。
 そう、肉体というのは目に見える認識できる「コト」なのです。モノではない。そして、實相とは、そういう認識できるコトとコトとの間に縁起している「モノ」のことです。
 この前も物理学者の方と話しましたが、たとえば宇宙空間において点在する星は「コト」であり、それが宇宙の実体ではなくて、それらの関係性、目に見えない関係性の方こそが本体なのではないかと。
 音楽で考えるとよく分かります。ドミソの和音で言うなら、それぞれの三つの音は「コト」です。周波数として認識できますね。しかし、それらが組み合わさって生まれる「雰囲気」、たとえば明るいとか元気とか、そういう関係性によって生まれるニュアンス、ムードというモノの方こそが、音楽の本質であり本体であることは、誰しも分かることでしょう。
 そういう「實相」の大切さに気づくと、肉体にこだわることはなくなります。すなわち自己ではなく他者の方に本質があることがわかり、また他者によって自己が形成されている、すなわち自己には実体はなくて縁起しているだけだということに気づくことになるわけで、そうなると、当然人生は利他的になっていきます。
 経営も人生の一部ですから、神道的にも仏教的にも「實相」を理解している稲盛さんの経営哲学が「利他の心」を原点とするのは、当然といえば当然と言えるでしょう。
 それにしても、こうした経営哲学が中国で大人気というのは、これは悪いことではありませんね。コトを窮めてモノに至る。カネを通じてコトを窮めたからこそ分かるのでしょうね。
 今一番お会いしたい人の一人が、稲盛和夫さんです。
 

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2018.04.04

睡眠力=幸福力…不眠打破法

Th_img_1306 木しげる先生の「睡眠力=幸福力」というお考えを紹介したツイートが評判になっておりました。
 なるほど、逆に眠れないことほど不幸なことはありません。
 私はだいたいよく眠れるたちでして、そういう意味ではあまり不幸ではありません。
 眠れない時という特殊ケースを思い起こしてみると、だいたい何か気になることがあって、それを考えていて眠れなかったようです。
 そういう時は何かが気になるというストレス状態にあるわけで、不幸だから眠れないという逆の因果関係とも言えます。
 まあ、場合によってはいいことがあって興奮して眠れないということもありますがね。あと、寝る前にコーヒーとかお茶を飲むと私はダメなんですよね。カフェインで覚醒する上に利尿作用でトイレに行きたくなる。
 お酒はその逆。すぐ眠くなる。そういう意味では、やっぱりお酒は百薬の長であり、幸福の元なのかもしれません。
 さてさて、何か気になって眠れない、考え事が睡眠を妨げているという状態を克服する方法を知っていますか?
 実は私はそれができるので、そういう意味でも幸福であります。
 その方法とは…「ムー」です。ムーというのは、私の勝手なネーミングでして、某オカルト雑誌とは関係ありません。
 「あっ、今日は考え事してて眠れないな」という時は、こうすることにしてるんです。そうするといつの間にか寝てる。
 まず、意識して全身の筋肉を弛緩させます。重力にまかせる。モノになった気になる。
 その時忘れがちなのが「顔の脱力」です。だいたい眠れない時というのは、顔に力が入っていて、たとえばグッと歯を食いしばっているんですよ。そこを意識的に脱力するだけでもだいぶ違う。
 そして全身の脱力ができたら、次、視覚の意識です。目をつぶっていると、なんだか変な模様とか見えてくるじゃないですか。その変な模様というか景色の一番遠いところ、すなわち、その見えている暗い景色をですね、宇宙と想定して、その一番遠い奥の方の空間にうごめく模様を見るんですよ。ずっと。それに集中する。
 次が聴覚です。聴覚というか音。考え事の元になる「言語」を遮断するために、無意味な音を頭のなかで発音するんです。それが「ムー」。
 そう、ずっと心の中でムーーーと言い続けながら、ずっと奥の風景を見続けるんです。脱力しながら。
 そうすると、見ている風景も発音している音も聞いている音も、みんな無意味だものだから、ぜったい眠くなる。いつの間にか落ちてます、電源が。
 私はこの方法で100%眠ることができます。どんなに気になること、いやなこと、やらねばならないことがあっても(笑)。
 皆さんもぜひ「ムー」をお試しください。それで眠れたら、まさに幸福力がアップします。幸福力をコントロールできます。こんな素晴らしいことありませんよ。

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2018.03.29

是非初心不可忘

Th_51nry78lul 日は下の娘の人生にとって、とても大きな節目の日でした。
 人間国宝の能楽師野村四郎先生に入門したのです。
 ここに至る過程もいちいち不思議なことばかりでした。すなわち運命であったのでしょう。
 まさか自分の娘がそちらの道に進むとは夢にも思いませんでしたし、人間国宝の弟子になるなどとは夢にだに思いませんでした。
 これから大変厳しい道を歩んでいかねばなりません。私も一緒に勉強させていただきます。
 今日も野村先生は本当に深い話をいろいろしてくださりました。一つ一つのお話がそれぞれ胸に響きましたが、そのお話のベースにあったのは、先生の「勉強熱心」さです。
 芸の道を極めていながら、謙虚、素直、勉強熱心。本当にすごいと感じました。

 是非初心不可忘

 先生が娘のために書いてくれた言葉です。言うまでもなく世阿弥の言葉ですね。
 私たちは「初心忘るべからず」と覚えていますが、実は「是非初心不可忘 時々初心不可忘 老後初心不可忘」という三つの「初心忘るべからず」があるのです。
 そのうちの、「是非初心不可忘」は特に重要だといいます。「是非」とは「ぜひとも」の意味ではなく、「良いことと悪いこと」「正しいことと間違ったこと」という本来の意味です。
 すなわち、何が正しいのか、何が間違っているのか、まだ答えが出ていない時の姿勢、すなわち初心を忘れてはいけないということです。
 私もそうですが、「先生」と言われるようになると、何か答えを知っているかのごとく勘違いをしたり、他の意見を取り入れられなくなったりしがちです。そうした「分かったふり」を戒める言葉とも言えましょう。
 なるほど野村先生は、今もまさにそうして精進しておられる。分からないことは、気づいたこと、疑問に思ったことは、徹底的に調べる。その専門家のところに行って教えてもらう。真理に対して謙虚であり、素直であられる。
 なるほどこれが超一流かと気づかせていただきました。本当にありがとうございました。どうぞ、これからもよろしくお願い申し上げます。私も素直に勉強させていただきます。

Amazon 狂言の家に生まれた能役者


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2018.03.25

薬師如来の薬壺の秘密

 日、薬師如来が持っている薬壺は?という記事を書きました。
 今日は、そこに書いた未来医療の器具の発明者の方(&仲間たち)と飲みました。
 法隆寺での私の発見についても報告いたしましたが、皆さん驚きとともに納得されていたようです。
 この歴史的大発明、現代の「薬壺」の開発はですね、なんと夢の中で行われたのです。まさに夢殿で瞑想した聖徳太子のごとく。つまり未来から降ろされたと。
 実は、今日も地元の方何人かにその「薬壺」を使って施術をしました。皆さんあまりの効能に驚いていました。
 薬師如来の薬壺は、今では「薬壺(やっこ・やくこ・くすりつぼ)」と呼ばれていますが、かつては特に名前はなかったようです。
 日本に仏教が伝来してしばらくは、薬師如来像は何も持っていませんでした。
 中国の古い文献には、「薬師如来には薬器か椀を持たせるべし」と書かれているそうですが、決して「薬壺」ではありません。ですから、正式に「薬壺」を持っている薬師如来というのは、日本にしかないのですね。朝鮮半島にもありません。
Th_20161029kouyakushi09 日本で(つまり世界で?)初めて「薬壺」を持った薬師如来は、白鳳期の名作、そして2年前くらいに失われた右手が見つかった(つまり本体はまだ行方不明)の、あの新薬師寺の香薬師像です。すなわち、日本最古の薬壺は行方不明です。
 しかし、逆に最新の薬壺は今、こうしてここにある。そしてどんどん世界に広がっていっています。
 現在、重要文化財に指定されている薬師如来247体のうち、薬壺を持っているのは約77%である191体。
 もうすでに、現代の薬壺はその数を上回っています。
 薬師如来の効験は、諸根具足(身体障害者であっても 薬師如来を信仰すれば治療される)、除病安楽(病気が治り,心の不安が除かれる)などです。
 現代の薬壺はまさにそのような効果を発揮するようです。私たちは現代の薬壺を持つことによって、薬師如来になれるのかもしれません。
 仏の世界では、(私たちの言う)「薬壺」が一般的だったのでしょう。それが地球(日本)にもたらされることを象徴していたのが、薬師如来のお姿だったのかもしれませんね。
 …と、トンデモな話を書いてきましたが、もしそのトンデモを体験されたい方はメールください。もちろんボランティアで「薬壺」の技を施させていただきます。
 そういえば、20年前、周防国分寺の薬師如来像が持つ薬壺の中に、米や生薬、鉱物などが入っていることが分かりました。この像は江戸時代の作なので、「薬壺」という名称が一般的になり、それなら薬を入れようと考えた人がいたのでしょう。これは唯一特殊な例です。

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2018.03.23

ロダン「考える人」は背中で語る

Th_img_1219 学旅行三日目は京都。生徒は東山を自由散策。私も付近を巡回します。
 とは言え、生徒に出会うことはほとんどなく、自分も半分は自由行動です。今年はちょっと興味があることがあって、まずは京都女子大学へ。
 その後、数十年ぶりに三十三間堂を参拝拝観しました。昨日、薬師如来の持つアイテムというかガジェットというかデバイスのことが気になり、どうせならたくさんのモノを見ようと思い、千体の千手観音のところへ行ったというわけです。実際にはさすがに多すぎて逆によく分からなくなってしまいましたが(笑)。
 さて、その後三十三間堂の向かいにある京都国立博物館に行こうと思ったら、なんとただいま休館中。
 しかし、せっかくですので、「お庭だけでいいんですか?」と窓口の人に不審がられながらも260円払って入園しました。入館ではなくて入園。
 まあ、そうしたら、たしかに人が一人もいない。警備の人が数人ヒマそうに立っているだけ。そりゃ誰も入らないでしょう。
 というわけで、あの庭を完全独占しちゃいました(笑)。いや、楽しかったですよ。普段ぜったいに見ないものたくさん見られました。
 特に面白かったのは、あのロダンの考える人と二人きりで対話できたことです。
 そう、京都の考える人は、世界にあるホンモノの考える人21体のうちの一つなんですよね。
 せっかく「考えている」のに、いつも人から見られて不快に思っていたことでしょう。そして、今日に限っては、なんだか変な宇宙人が一人でやってきて、360度ジロジロ見やがった。まあ気分が良くなかったでしょうね。
 というか、銅像も宇宙人も二人とも(?)妙に恥ずかしくてですね、なんだか目が合わせらなれなかったというのが、ホントウのところであります(笑)。
Th_img_1221 そして、面白いことに気づきましたよ。ごめん、考える人よ。
 彼、後ろ姿、すなわち背中が最も何かを語っているんですね。背中に意識がある。びっくりしました。
 案外正面からは「考えている」感じがしなくて、「考えているふり」という感じ(失礼)。背中がちゃんと考えているし、その思索の内容を語ろうとしている。
 背中で語るとはよく言ったものです。なるほどねえ。ちょっと分かったような気がしました。
 私たち…というか、私は日常的にまるでいつも考えているかのような風を装っていますが、それはあくまで表向きであって、本心や本性は無意識的に背中からオーラとして放出されているんだなと。
 なるほど、たしかに人の確かな印象というのは、案外後ろ姿から得られたりするかも。
 …なんてことを、また考えたフリをして、こうしてブログにそれらしく書いている宇宙人でありました(笑)。

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2018.03.22

薬師如来が持っている薬壺は?

Th_compwwyuwaazjxk 学旅行一日目の広島の夜には知り合いがホテルを訪ねてきてくれました。
 その方は、私のこちらの記事を読んでくれて、そこに書いてある未来医療を体験しに、わざわざ広島から富士吉田に来てくれた方です。
 そして、未来医療を体験したのち、すっかりそれにハマり、この夜にはなんとそのアイテムを持参し、私に施術してくれました。おかげさまですっかり疲れが取れました。気になっていた腰痛もゼロに。
 そして、二日目は奈良。特に毎年法隆寺と中宮寺では霊示を受けるのですが、今年は実に面白いことに気づきました。正直笑っちゃいました。
 法隆寺の大講堂の薬師三尊像を拝観参拝した時のことです。ふと、薬師如来様が左手に持っているモノが目に入り、大変なことに気づいたのです。
 私も持っている、そして昨日知り合いが持参した、その未来医療のアイテムそっくりではないですか!
Th_img_1210 これは違う薬師如来さんが持っているモノの写真ですが、だいたいこういう形ですよね、いわゆる薬壷って。
 そう、私もこれまでずっと、薬壷だと思っていたんですよ。しかし、調べてみると、どの薬師如来像の薬壷も、フタが開かない構造になっていて、つまり壺にしてはちょっとおかしいのだそうです。
 もちろん彫像作品ですから、外見上壺であればいいと言えばいいのですが、仏像たちが持っている他の道具については、けっこうリアルな造形にしてあるものが多い。
 そう、これは、皆さん壺だと思っていたけれども、実はそうではなくアレだったんですよ。もう大昔から、未来医療の道具として天から降りていたと。なにしろ薬師如来さんですから。
 これは大変な発見でした。偶然にしても似すぎている。そうか、左手で持つべきものなのか。なんか分かってきた気がします。さっそく私も左手でやってみます。
 そうか、3月22日は聖徳太子の御命日、お会式の日です。聖徳太子の救世悲願の道具はこれだったのか。

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2018.03.21

子を守った母の愛…ある被爆者の奇跡

Th_img_1239 爆者の講話を拝聴いたしました。今年は新宅勝文さん。今年91歳になられるとのことですが、大変お元気でした。
 自らを世界最強の男、化け物と、なかば冗談のように紹介していらっしゃいましたが、その言葉もあながち間違いではありません。
 なにしろ、爆心地から1.5キロの地点で被爆したにも関わらず、ほとんど無傷で、そして現在まで全く病気もせずにお元気であられるのですから。
 近くで被爆した皆さんは、もちろん大変な重症であり、何人もの人を自分の腕の中で看取ることになったそうです。
 その生々しい言葉には、本当に心から戦慄し、あらためて戦争の馬鹿馬鹿しさを確認することになりました。
 講話の最後、思わず私は質問させていただきました。なぜ、なぜ、新宅さんだけが無傷だったのか…。
 新宅さんの答えは、ある意味予想外でしたが、しかし大変納得できるものでした。

 「亡くなった母が私を守ってくれたんです」

 被爆する数年前、新宅さんはお母様を亡くしています。別れ際に母親は息子に「おまえは将来世界のために働くことになる」というようなことをおっしゃったそうです。
 実際、今こうして世界中に非常に大切なことを説いていらっしゃる。なるほどなと思いました。
 亡くなった方々、傷ついた方々には心からお悔やみを申し上げます。新宅さんも、なんで自分だけこんなに元気なのかと、ある意味悩み続けたといいます。
 しかし、やはり奇跡というものはあるのですね。科学では解明できない、霊的な意識が、たまたまかもしれませんが、その瞬間、その一点に奇跡を引き起こしたのです。
 霊的な意識というのは時空を超えます。それを愛というのかもしれない。それは強力なエネルギーですから、新宅さん自身の運命も大きく動かしてしまいました。しかし、それをしっかり受け止めて語り部として生きていらっしゃる。
 新宅さん、本当にありがとうございました。いつまでもお元気で。
 

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2018.03.18

『ニャンでもやればできる』 深見東州 (たちばな出版)

Th_71qwfboy7xl 日は深見東州さんのお誕生日です。
 現代の出口王仁三郎とも言える深見さん。実際、ワールドメイトは大本の影響が大ですね。
 深見さん、常にユーモアを忘れない姿勢は好感が持てます。今年お会いしてみたい人物の一人ですね。
 さて、ある人からこの本をいただきました。私が猫好きだと知ってか分かりませんが。
 別に宗教とか関係なく、単純に、軽くいい本ですよ。たしかに誰かにプレゼントするのがいいかもしれません。
 自分では買うまでもないけれども、いただければその恩恵にあずかれる。
 猫ちゃんの写真だけでも充分癒やされるけれども、やはり深見東州さんのポジティヴな言霊に触れることによって、魂の奥から癒やしを得ることができますね。
 正直胡散臭いけれども、なんだか否定できない、批判できない、そういう男って昔はたくさんいたんですけどね。私はそういう男になりたいと思っています(笑)。
 ああ、そうそう、そう書いて思い出した。吉本隆明の王仁三郎評。これですよ。さすが吉本隆明。さすが王仁三郎。

 天然自然のすべてを万霊とする未開的な宗教性のうえに、仏教、儒教、土俗道教などの信仰や倫理を混合したものだが、王仁三郎の気宇の巨きさで、自在に伸縮される容器を具えているといえよう…野放図すぎる柄の大きさをしめしている。いいかえれば、里の活き神信仰としての大本教の反知識性と破れを繕うことをしない庶衆の姿勢が、総合、融和されて出ている。いくらでも侮れるが、侮っても裂け目から、また芽が出てくるような気がして、永遠のたたかいの場を提供しているとおもう

Amazon ニャンでもやればできる

【独占インタビュー】謎多き宗教家、深見東州とは何者か

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2018.02.28

【討論】サヨクの本質-共産主義は本当に死んだか?

 称右翼、他称左翼のワタクシとしては、とにかく面白かった。いろいろツッコミどころもあるけれども、大方において間違いのない歴史観であると思います。
 間違いはないのですが、それが総体ではありません。世の中に見えていない部分が多すぎる。もちろん私も知らないことばかり。
 出口王仁三郎や仲小路彰を研究していると、本当に世界の、いや宇宙の大きな流れというのは、右左という世界では語りきれないことを知らされます。
 私、冗談で、「左右」が抱えているものは「エロ」だなんて言ってきましたが(我々が左右の手で大事に抱えているものとは…!?)、案外これって冗談ではなくて本質を突いているのかもしれない。
 いわゆる左翼においては、嫉妬心という自己卑下が暴力性と結びついていますし、いわゆる右翼においては、拡張した自己愛が暴力性と結びついています。
 人間の暴力性こそ、エロチシズムですよ。
 それらは、正直言って、両方とも宇宙の摂理から外れている。残念ながら、です。
 そこを乗り越えんとしたのが、おそらくはお釈迦様であったのだと思います。宗教ではありませんよ。宗教は、美化されたエロチシズムの物語に過ぎませんから。
 この討論を聴いていて、自分の中の両方のエロチシズムが、それこそ左右の手の中で暴れだして困りましたが(笑)、今はもう宇宙から地球人のドタバタを俯瞰できるようになっています。
 エロチシズムというのは、男女問わず人類に共通したモノだと考えられがちですが、その概念は男が作り出したコトです。
 結果として、男はそのエロチシズム(暴力性)の虜になってしまっている。だから、エロ対エロはケンカになる。しまいには戦争になる。「本当に死んだか?」なんて確かめたくなる。
 面白くも可笑しい男のサガであります。
 だからこそ、仲小路彰は21世紀は女性性の時代と言ったのでしょう。また、王仁三郎は変性女子を名乗ったのでしょう。

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2018.02.27

「ぶるな。らしくあれ」

Th_81ep4qz3wvl 阜は井深の名刹、正眼寺の山川宗玄老師と主席をともにいたしました。
 いろいろありがたいお話をうかがうことができました。やはりワタクシのような野狐とは次元が違いすぎます(当たり前)。
 その中でも、この言葉は心に残りました。どういう文脈だったか、禅語ということではなく、老師さまの小学校の時の若い恩師の言葉だそうで、それが僧侶になってから響いていると。
 たしかに重い言葉ですね。
 たとえば、ワタクシ、とにかくしょっちゅう「先生らしくない先生」と言われます。それを聞いてまたいい気になっている(笑)。
 先生ぶっているわけでは全然ありませんが、先生らしくもない…って、じゃあ、全然先生じゃないってことですよね。これはこれでいかん。
 老師のお言葉からすると、「先生ぶるな。先生らしくあれ」ということになります。先生らしい…というのは難しいけれども、そこを求めて、目指して頑張るべきですよね。
 ただ、「〜らしい」というのは、自分が決めるというよりも、他者の評価という気もします。
 そういう意味では、禅というか仏教にも通じるかもしれません。「職業」らしい…というのに限らず、「名前」らしさ、たとえば「山口隆之」らしさというのも、たしかに自分では分かりませんよね。人から言われて、そうなのかなあと。そして、何回も言われているうちに、自分はそういう人間なんだとか、自分の個性ってこれなんだと信じ込むようになる。
 そう考えると、「らしくあれ」というのは実に難しい。人に評価されたとおりにせよということになりかねない。他者の期待に応えるという言い方もできますが、そこにやはり自我や主体性はありえないのかもしれません。
 やはり縁起しているんですね、自分は。

Amazon くり返し読みたい ブッダの言葉
 

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