カテゴリー「心と体」の666件の記事

2017.10.16

『粋な日本人の心得帳』 (枻出版社)

Th_81mbvcd4n8l ろいろ忙しいところに加え、全国でも注目の山梨2区の混沌選挙に関わらざるを得ず、自分もかなりカオスな状況となっております。
 とにかくいろいろな人に会う機会が多い。いろいろなレイヤーの方々。それぞれにしきたりがあったりなかったり。
 いろいろ無礼、不躾があっては申し訳ないと思い、時々確認するのがこの本。
 男性の、様々なシーンにおける「心得」が写真入りでわかりやすく解説されており、大変役に立っております。
 学校で生徒たちが小笠原流の礼法を勉強しているので、私もそちらの授業を見学したり、紹介していただいた本を読んだりして勉強していますが、ちょっと格式が高すぎて、日常の場面でそのまま使うと逆に不自然だったり、ドン引きされたりしそうです。
 その点、この本のレベルはちょうどいいかもしれない。最低限のマナーという感じ。
 でですね、いろいろ勉強し、体験したワタクシの実感を申しあげますとですね、実は、こういう本の内容なんかを完全にマスターする必要はないと。
 どういうわけか、超一流の方々とおつきあいすることが最近多いわけですが、そういう方々も実際はかなりフリーな立ち居振る舞いをされますよ。
 たとえば超一流シェフと一緒にフレンチを食べたり、超一流料亭の主人と和食を食べたり、そういう機会で、こちらはめちゃくちゃ緊張して、相手の方の振る舞いをチラチラ見ながら真似しようと思っていると、案外フリーな感じでいらっしゃったりする。それで安心して、ようやくおいしい料理を堪能することができたりするんですね。
 もちろん、やってはいけないことというのは最低のマナーとしてあると思いますよ。でも、実際のところ、案外ハードルは低くてですね、決してマニュアルどおりにやる必要はないわけです。
 だから、時々こういうマニュアルをちらっと見て、なんとなく覚えている程度がちょうど良かったりします。あんまり堅苦しくやると、逆に不自然、なんかいかにも予習してきました感が出てしまう。
 先日も人間国宝の方に和室でご挨拶することがありました。周囲のお弟子さんやらがガチガチの中、あえてちょっとやわらかい感じで振る舞いましたら、お話が大変はずみました。
 こういう本を手元に置きつつ、そういうことも覚えておくとよろしいかと。

Amazon 粋な日本人の心得帳

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.10.14

『不老超寿』 高城剛 (講談社)

Th_41jceo0zlel 月、53年ぶりの再会(?)を果たした私と高城剛さん。
 その時の爆裂宇宙人トークの一部がPodcast「高城未来ラジオ」で聴くことができるようになりました。記事の下の方に貼っておきますので、ぜひお聴き下さい(てか、これじゃあ仮名の意味がないか…笑)。
 いちおう放送では「教育」がテーマになっていましたが、実際にはかなり脱線してしまいました。ま、いつものことですね。
 番外編として収録後は「医療」の話でも盛り上がりました。私はこの本を読んでいなかったのですが、高城さんから後日談も含めて直接いろいろうかがいました。
 自らを実験台にしての実感的エビデンスをもとにしたお話は、単なる数値の羅列などよりもずっと説得力がある。この本の重みは、まさにそういう次元でのそれです。
 そして、私の方からも、「未来医療」に関する「実物」を提供し、そして体験してもらいました。
 さすがは世界中の最先端医療、さらには逆に太古の医療まで知り尽くしている高城さん、一瞬でその意味と価値を理解されていました。
 ちなみにその「実物」もまた宇宙から降りてきたものです(アブナすぎる?)。ま、宇宙人同志である二人にとっては全然自然な(しかし不思議な)モノでありコトですが。
 宇宙という「未来」から来て、地球に「未来」を届けるというミッションを持った二人は、当然のことながら共鳴するところがあります。ただ作法が違う。彼はたとえば、世界中を旅してこういう本を書くことによって、そのミッションを果たそうとするし、私はに日々の仕事や趣味を通じて地味にやらせてもらっています。
 作法は違いますが、医療に関してはお互い日本の異常な岩盤規制や岩盤慣習に疑問を持っており、そこを突破するために協力していくことを約束しました。
 近々再会の続編が予定されています。はたして、地球人の「不老超寿」に向けてのブレイクスルーは実現するのか!?お楽しみに。
 健康は平和の源。健康的かつ平和的な地球や自分に興味がおありの方は、まずこの本をお読みになってください。また、私のお預かりしている「未来医療」を体験してみてください(メールで連絡ください)。
 では、爆裂(トンデモ?)対談をどうぞ!

Amazon 不老超寿

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.09.26

ストレスが地球をだめにする!?

 界の歴史を考えてみると、人間というのはいつも不満をいだき、なんらかのストレスを抱えて生きていますね。
 いろいろな意味で、豊かで平和な世の中になっていると思いますよ。1万年前と比較しても、あるいは100年前と比べても。
 なのに、いつも人間は不満をこぼしている。お釈迦様が「知足」を説いてからもずっとそれができない人類がいる。難しいものです。
 選挙になって、政界も慌ただしく人が移動を始めています。「希望」なんていう党もできたらしい。日本をリセットするって、いったいどうするつもりなんでしょう。リセットしてしまうって革命思想ですよね。右翼じゃなくて左翼じゃないですか。
 私が新党を結成するとしたら、「知足党」という党名にしますね。あるいは「利他党」と合流して「利他知足党」なんていうのもいいかも(笑)。
 希望みたいに「望む」からストレスが溜まるんですよ。足りない、足りないって。満足できないからストレスが生まれる。
 みんな「望み」がないからストレスだと勘違いしてるんですよね。逆ですよ。現状に満足し、ありがたいと感じればストレスはなくなります。
 なんて、理想論を語るワタクシこそが、そんな境地には至っていないわけでして…それでも、昨日も家族で話しましたが、ウチはかなりストレス耐性ある方ですけどね。普通の人じゃ耐えられないだろうな、あれもこれも…と。
 まあ、とにかくですね、そういうストレスという目に見えない負のエネルギーが蓄積しますと、地球がだめになってしまうのではないでしょうか。
 それを鋭く(?)指摘したのがこの曲「ザ・ストレス」です。作詞は森高千里さん自身。作曲は「渡良瀬橋」の斉藤英夫さん。
 PVとしてこんなのもあります。中近東バージョン。謎ですね(笑)。1989年。バブルのまっさかり。バブルであること自体がストレスになってきた頃でしょうか。面白い。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.09.06

伊丹万作 『戦争責任者の問題』

Th_exi_14_03a り合いからぜひ読みたまえと言われたので、初めて読んでみました。
 伊丹万作。言うまでもなく、偉大な映画監督であり、伊丹十三の父であり、大江健三郎の義父です。私にとっては、「手をつなぐ子ら」の脚本を書いた人物としても意識されている。

…だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。  しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」ことを主張したいのである。

 うん、たしかに鋭い指摘ですね。
 この「だまされていた」という言い訳はたしかに、いろいろなところで聞かれますし、私自身ももしかすると、何度か使ったことがあるかもしれない。先の戦争のことのみならず、日常の失敗についてもこう言って逃げたことがあるかもしれない。
 だました側のこともちゃんと書き、状況が一変したとたん、かつての強者を集団で糾弾しはじめる弱者に対する批判も手厳しい。
 まさに弱者こそが強者になりつつある現代における「モンスター◯◯」や「なんでも反対派」に読んでいただきたい名文です。
 もちろん、「だまされてはいけない」というメッセージとして、現代のあれやこれやに当てはめてみてもいいでしょう。「国民は常に指導者たちの意のままになるものだ。とても単純だ」…ちょうど一昨日ゲーリングの名言を引用したじゃないですか。
 皆さんも、こちらでじっくり読んでみてください。

Amazon 伊丹万作エッセイ集

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.09.01

宇宙人同志との再会・対話

Th_img_1439 縁あって高城剛さんとお会いし、じっくりお話をさせていただきました。
 3時間すぎても話題が尽きずタイムアップ。科学、宗教、教育、文学、音楽、医学、食、健康、歴史、霊界、言語…あらゆる分野にわたる壮大なる、しかし、何モノか一つに収斂する対話でした。
 その内容は、おそらく普通の人が聞いても全く理解できないのではないでしょうか(笑)。
 根本的にはですね、私たちは「同窓生」だったという話。53年ぶりの再会だったという話。
 お互い53歳なのにですよ。
 つまりですね、私たちはこの地球に生まれる前に一緒にいたということです。そして、1日だけ私が早く地球に来て、翌日高城さんが来たということ。
 もう、余計に分かりませんよね(笑)。
 ま、簡単にいえば、私たちは宇宙人だということです。そして、同じミッションを持ってこの地球にやってきた。すなわち「宇宙人同志」
 今まではそれぞれ別々の人生を歩んできましたが、いよいよ再会してこれからは一緒に何かをやっていくということです。
 おいおい、先生!大丈夫?
 そんな声が聞こえてきそうですが、しかたありません。本当のことなので。
 ま、濃密な会話の内容はここではとても開陳できませんが、そのうちに時機がくれば社会現象として現れてくるでしょう。
 一つ言うなら、私たちの「意志」は過去は全く相手にせず、未来だけを見ているということです。時間は当然のことながら、未来から過去へ向かって流れている。
 それからどうも同窓生は全部で20人くらいいたらしいので、ほかの人達ともこれからどんどん再会していくだろうということ。これは面白いことになりましたね。
 それにしても、本当に想像していた以上に波動が合いました。そして、高城さん、素晴らしい。賢い。解き放たれている。謙虚。かっこいい。
 某ホテルのラウンジで異常に盛り上がる宇宙人二人を、金曜日の夜の赤坂に繰り出していた地球人たちは、実に不思議そうな顔をして見ておりました(笑)。
 これから、大きな進展があると思いますので、そのたびに経過報告できる部分はしていきます。お楽しみに。

高城未来研究所

Amazon 高城剛

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.08.25

「シンギュラリティ」はあり得るのか

Th_51gbi8kiigl_sx348_bo1204203200_ 昨日の話の続きでしょうか。私の得意なモノ・コト論と高次元論に結びつけて、「シンギュラリティ」について少し考えてみましょう。
 最近よく聞く言葉「シンギュラリティ」。AIが人間の知能を超えることによって起きる事象のことです。2045年がその特異点だとも言われ、近未来に対する期待と不安からか、多くの書籍が店頭に並んでいますね。
 AIが人類を救うという論もあれば、AIが人類を滅亡させるという論もあり、まさに両極端。いつの時代にも近未来予想はそういう傾向を持ちます。
 しかし、少し冷静に考えれば、今までの歴史がそうであったように、どんな新しい技術革新にもその功罪があって、私たちは、それをうまいことバランスを取りながら、なんとか自分たちの制御範囲内におさめてきたことに気づきます。
 おそらくはAIも同じような状況になるだろうと、私は楽観視しています。
 ただ、今までの技術というものは、身体の拡張としてのそれがほとんどであり、たとえばコンピュータでさえも、せいぜい我々の脳みその記憶倉庫や単純な四則計算分野の拡張程度のものでした。
 つまり、物質次元と情報次元レベルでの拡張にすぎなかったということです。
 では、AIはどうでしょう。
 私はAIもその次元を超えるものではないと考えています。すなわち、物質、情報よりも上位次元にある意識の領域までは、AIは入り込めないと判断しているのです。
 意識とは、意志、感情、祈り、直感というようなものです。なんとなくわかりますよね。それらをあえて言葉(情報)として表すこともできますが、実際私たちの脳の中では、言語を介さずに表出、処理されています。
 私はそれを「モノ」と呼び、いわゆる物質や情報は「コト」と呼んでいるんです。
 西洋近代化以降の日本語の辞書では、「物質=もの」、「情報=こと」と書かれているため、私の解釈と矛盾し、混乱をきたすことが多いのですが、あくまで私は古来の日本語の「もの」と「こと」を研究した結果として、自らのモノ・コト論を構築していますので、そこのところどうかご理解いただきたい。
 つまり、「もののあはれ」とか「物悲しい」とか「〜なんだもの」とか「もののけ」と言った時の「もの」は、物質化、情報化されない、ある意味不随意的な存在(「なんとなく」「なんだかわからないが」的な認識)だということです。
 逆に、言語化(コトの葉化)できる事象、物質が「こと」であると。
Th_511ektzyihl_sx309_bo1204203200_ で、話をAIに戻しますが、いくらAIがビッグデータを収集して、経験的確率的に最良の判断を下したとしても、それはあくまでも「データ」であって、まさに「コト」そのものでしかありません。
 過去そのものとも言えますね。日本語では過去の事象を「こと」と言います。ですから、古事記は「ふることふみ」なのです。
 逆に未来は「もの」ということになります。面白いことに過去の助動詞は「き」、未来の助動詞は「む」であり、「こと」と「もの」同様、kとmの音から成っています。これも偶然ではありません。
 AIは「コト」しか扱わないので、絶対に「モノ」の領域には踏み込めません。未来予測をしているように見えても、それはあくまで、「こうだったからこうする」でしかなく、「こうなりたい」とか「こうあるべき」というような意志ではありません。
 そう考えてみると、生物の進化というのは面白いですね。ダーウィンの進化論を思いっきり否定してしまいますが、私は進化は意志によって起こると考えています。たとえば、「寒いから毛が生えてほしい」とか、「食べられたくないから葉っぱと同じデザインになりたい」とか(笑)。
 つまり、意識という上位次元が、物質という下位次元に影響を与えたわけです。そして、人間はその意識次元への接触能力が、他の生物よりも高かったため、驚異的なスピードと質の進化を遂げたと。
 あくまで私の考えですよ。全然、現代科学的ではありませんが、もしかすると100年後には科学的になっているかもしれません。
 ま、それはいいとして、とにかく(現在考えられている)AIは意識領域にまでは踏み込めないので、どう考えてもシンギュラリティは起きないのです。
 AIはあくまでも記述できる言語の世界でしかありません。人間の心の大部分は言語化できません。モノ・コト論的に結論するなら、AIはあくまでコト、人間の心はモノであるということです。

Amazon AIが神になる日――シンギュラリティーが人類を救う
 AIが人間を殺す日 車、医療、兵器に組み込まれる人工知能

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.08.23

ウエイン・W・ダイアー博士 スピリチュアル・インタビュー

 日の続き。自己実現、自己超越とは何か、私たちに分かりやすく説いてくれるのが、マズローの弟子の一人であるウエイン・W・ダイアー博士です。
 自己とは、エゴとは、そしてソース(源)とはなんなのか。奇跡とは、シフトとは…。
 ダイアーはさまざまな質問に、常に的確に、多くの引用や比喩を用いながら私たちに答えてくれます。
 その答えは実にシンプルです。もちろんシンプルだからといって、その実現が簡単だというわけではありません。単純なことこそ難しいというのは、私たちは経験的に学んでいます。
 そして、私たちは困難であるとすくにあきらめてしまいます。結果として、より複雑な世界で苦しむことになります。
 「シフト」は悟りに近い言葉です。複雑な世界から、よりシンプルな世界に進んだ瞬間のことを言うのかもしれません。
 このインタビューでダイアーが語っていることは、彼の贈り物のほんの一部ですが、それでも私たちは実に大きな恩恵を受けることができます。
 今日もあるクラスで生徒たちに話しましたが、ようやく科学の世界が宗教の世界に近づいてきた。
 ちょっと笑い話的に話したんですが、理系の方が文系よりもずっと遅れてると。
 生徒たちはもちろん逆だと思っている、すなわち理系の方が最先端、未来的だと思っていますから、しっかり笑ってくれました。
 考えてみて下さい。今までの科学は、せいぜい物質と情報の次元でしか思考してきませんでした。そういう意味では、すでにあったものの発見しかしてこなかった。それはまるで考古学のようなものです。
 もちろん、その発見を組み立てなおして、新たな物質を作ったり、未来を予測したりはできます。しかし、はたして、その「新しい」何かは、本当に新しいものなのでしょうか。本当にこの世に存在しなかったものなのでしょうか。やはり、発見されていなかっただけではないのか。神はすでに創造していたのではないか。
 そう考えると、文系の多くの学問や芸術というのは、古くからちゃんと意識の世界の研究をしてきたわけで、発見よりもより創造的なことをしてきたとも言えます。
 だから、文系の方が偉いんだよと、自分が理系をあきらめて文系に転向したことを含めて、半分冗談話として語りました。
 皆さんはどう考えますか。
 ダイアーの話を聴いていると、たとえばそういった理系、文系などという分け方さえもつまらないものに感じられますね。
 私は独自の「モノ・コト論」を勝手に構築して、それをもって世の中の全てを観ているのですが、なるほど、最終目標はモノとコトの統合する世界、ただありのままの存在の世界に到達することなのですね。
 これからダイアーの本を何冊か読んでみたいと思います。

Amazon ザ・シフト
 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.08.22

自己実現と自己超越

Th_hierarchyofneedsplan 日はある研修で、心理学者である国司義彦さんの講演を聴きました。時間が足りなかったからか、講演自体はややまとまりに欠けていましたが、配られたレジュメの内容は実に示唆に富むものでした。
 国司さんが鮎川義介のところで育ったというのにはビックリしましたね。あの時代の超大物に触れていたからこその、今のユニークな活動があるのでしょう。個人的にはぜひゆっくりお話をうかがいたいと思いました。
 国司さんの心理学の中心にあるのはマズローの人間性心理学です。あの欲求段階説のマズローですね。
 あるいはそこから発展したトランスパーソナル心理学。講演では、ダイアーの著書を薦めていましたね。ダイアーになると、ちょっと心理学からスピリチュアルに傾く感じがしますが、時代(科学)がようやくそちらに追いついてきた感のある現代、国司さんのような在野の心理学者の言葉が、俄然真実味を帯びてきたようにも思われました。
 さて、マズローの五段階の欲求説はあまりに有名ですが、国司さんの言うとおり、最終段階、ピラミッドの頂点にある「自己実現欲求」は正しく理解されているとは言えません。
 最も事実とかけ離れた誤解は、「自己実現=わがまま・自己本位」という認識でしょう。そう、世の中で使われる「自己実現」という言葉には、どうしても「単に自分の夢を叶える」という意味合いのものが多く、またその際の「自分の夢」の次元が、「金持ちになりたい」とか「美しくなりたい」とか、そんなレベルの場合が多いようで、そうした誤解が生じるのもしかたないような気がします。
 かつての自分もそう思っていました。しかし、マズローが説く、「自己実現者の特徴」を読めば、そんな次元での「夢の実現」ではないことが分かりますね。復習してみましょう。

 《自己実現者の15の特徴》
・現実をより有効に知覚し、より快適な関係を保つ
・自己、他者、自然に対する受容
・自発性、素朴さ、自然さ
・課題中心的
・プライバシーの欲求からの超越
・文化と環境からの独立、能動的人間、自律性
・認識が絶えず新鮮である
・至高なものに触れる神秘的体験がある
・共同社会感情
・対人関係において心が広くて深い
・民主主義的な性格構造
・手段と目的、善悪の判断の区別
・哲学的で悪意のないユーモアセンス
・創造性
・文化に組み込まれることに対する抵抗、文化の超越

 国司さんの言い方をお借りすれば、「自己実現=世界人類のために自己を活かす」ということになります。そのとおりだと思います。
 私もようやく最近そういう境地に近づいてきたようで、そのおかげか、ピラミッドの下部(欠乏欲求)、承認(尊重)の欲求 、社会的欲求、所属と愛の欲求、安全の欲求、生理的欲求へのこだわりはずいぶん少なくなりました(もちろんまだまだですが)。
 晩年、マズローは5段階の頂点の「自己実現」の先に「自己超越」を想定しました。次に挙げる「自己超越者の特徴」を見ると、より宗教的な世界に近づいていることがわかります。

 《自己超越者の11の特徴》
・「在ること」 (Being) の世界について、よく知っている
・「在ること」 (Being) のレベルにおいて生きている
・統合された意識を持つ
・落ち着いていて、瞑想的な認知をする
・深い洞察を得た経験が、今までにある
・他者の不幸に罪悪感を抱く
・創造的である
・謙虚である
・聡明である
・多視点的な思考ができる
・外見は普通である

 たとえば仲小路彰などは、この境地に至っていたと思います。外見が普通であったかどうかは微妙ですが。
 私たち人間は、欲求のピラミッドを年齢とともに登っていくとも言えます。頂上の先に「自己超越」があるとして、皆さんは今何合目くらいにいますか。
 私も含めて、「承認の欲求」、それも他者から「いいね!」されたいという程度の低次な承認欲求あたりでウロウロしている大人が多いような気もしますが(苦笑)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.08.18

第31回都留音楽祭 3日目

Img_1317

 留音楽祭の3日目。3日目と言えば、恒例の海外講師コンサート。
 今年は最終回ということもありまして、世界を代表する素晴らしい歌手お二人においでいただいています。まず、ソプラノのロベルタ・マメリ。そして、テノールのルーファス・ミュラー。今まで大変お世話になり、そしてそれぞれの素晴らしすぎるリサイタルに何度も感動させていただいたお二人です。
 今年はなんと、そのお二人と、そして日本を代表する歌手であるメゾ・ソプラノの波多野睦美さんの三人が共演するという、まさに夢のまた夢のコンサートが実現いたしました。いやあ、夢でも実現しそうにない組み合わせです。
 そして、それが本当に夢でもありえないような至福の時間となったのです。
 本当に初めてです。コンサート中に「このまま死ぬんじゃないか」と思ったのは。神の声を聴いたというか…いや、マメリさんにも申し上げましたが、「天国のささやき」を聴いてしまったと…そんな感じでした。
 三人とも弱音(微音)のコントロールが神がかりでした。そして、それら三神のささやきが共鳴しあい、より微細な世界へ私たちを誘う。
 ああ、なるほど、神の世界は広大かと思いきや、実は極微なんですね。ミクロがマクロ。無限小が無限大というような感じなんですね。
 歌ってすごいなあ…あらためて思いました。そして、音楽はたしかに私たち人間が高次元宇宙(神)につながる方法なのだなあと感じました。
 歌詞の世界も重要ですが、それだけとれば、それはあくまでもこの3次元的世界に刻印された情報にすぎません。しかし、それが音楽に乗ると、突然高次元の宇宙意識の世界につながるわけですから、本当に不思議ですね。
 そういう意味において、たしかに私たち人類にとって、音楽は進化への道標となるわけで、まさに「No Music No Life」ですね。
 それにしても本当に幸せな時間でした。この三人のリサイタルでありながら、大ホールは空席が多かったのは残念といえば残念ですが、逆に言うと、あのうぐいすホールの素晴らしい残響がフルに生かされたわけで、そういう意味においても、大変贅沢なコンサートであったと思います。
 生きていてよかった。大学受験に失敗して都留に来てよかった。心からそう思える瞬間の連続でした。人生とは面白いものですね。
 プログラムを載せておきます。マメリさんもおっしゃってました。パーセルの「ダイドーとイニーアス」はすごい作品だと。歌い手も特別な精神状態に追い込まれるということでした。

Img_1338

Img_1337

 あっ、それから、ある意味お恥ずかしい話なんですが、ルーファスさんの歌と小倉さんのフォルテピアノのおかげで、人生で初めてシューベルトっていいなあと思いました!


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.08.15

『731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~』(NHKスペシャル)

 戦の日。昨日まで出かけていたので、たまっていた録画をいくつか観ました。その一つがこれ。
 人間性を奪う戦争の恐ろしさを感じずにはいられません。
 これを「捏造だ!」と言ってしまうのは簡単ですし、実際、アメリカやソ連の思惑がからんだ難しい事件であることはたしかです。
 南京事件などもそうですが、「なかった」と言ってしまうのは、やはり言い過ぎでしょう。かと言って「あった」として全面的に認めるのもどうかと思います。
 そう、8月15日にはいつも思うのですが、たとえば靖國の英霊たちも、まさに十人十色で、戦争で散ったことを無念に思い、国を恨む人もいれば、お国のために戦ったことを心から誇りに思っている人もいます。
 軍人に限らず、あの戦争を正しかったという人もいれば、いや間違っていたという人もいるはずでし、あの当時もいたはずです。
 いつかも書いたとおり、そうした無数の感情や志、未来への思いなどを十把一絡げにしてしまうのが「歴史」の残酷さだと思います。
 ですから、この番組をめぐって左右の人たちがお互いを認めず、罵り合ったり蔑み合ったりしているのを見ると、実に残念な気持ちになります。
 これもいつも書いているとおり、私たちは、自分の中にも、残酷な自分や弱い自分、ずるい自分、反対に強い自分や正義を守る自分、あるいは迷う自分などがいることを認めないといけません。
 一面的に過去の戦争を語ることが対立を生み、次の戦争を準備してきたという歴史的真実を忘れないことも忘れてはいけません。
 最近、かつて日中戦争に赴いた祖父が書いた本をあらためて読みました。私と同じ高校の教師だった人です。教育者として兵隊になり、戦後帰国してから再び教壇に立った祖父。喜寿を迎えた祖父が書き残してくれた大切な真実です。
 祖父は私にとっては本当に人間味あふれる、尊敬すべき人でした。そんな祖父が戦地でどのような体験をし、どのような精神状況におかれたか、その本には詳細に書かれています。
 ごく身近な人にのみ配布された私家本でしたが、非常に重要な記述も含まれていますので、近くこのブログで全文を紹介しようかと考えています。
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧