カテゴリー「心と体」の746件の記事

2019.04.15

トロッコ問題

 Th_d33enk3u0aanz2f 々ネットで話題になる「トロッコ問題」。学校でもよく使われる「教材」です。
 学校で教材として使うと、多くの生徒が第三の解答を求め始めます。つまり二択は難しいわけですね。難しいから問題なのですが。哲学的、倫理的な問題だと言われると余計に難しい。人間性を試されているような気がするからです。
 個人的な感情を排して論理的に考えると、実は答えは一つになります。自動運転の研究の中で、このトロッコ問題が問題になっているかと言えば、実は問題になっていなくて、答えは一つです。AIには個人的な感情はプログラミングされていません。
 しかし、その無感情こそが問題になるわけです。そこを授業でやると面白い。
 たとえば、横断歩道を渡る6人がいるところに車が突っ込むとする。前の3人は歩くの早い若者、後は遅い老人だとすると、ハンドルはどちらに切られるべきか。これが前の二人が犯罪者、中がニート、後が東大生だったら…とか、そこに動物や知り合いやいろいろなものを混入させていくと、どんどん生徒は迷うようになり、答えが何種類にもなっていくことを実感します。
 それがAIだと答えは一つであると説明すると(もちろん極論です)、「自動運転なんかいらない!」とだいたいの生徒が言い出す。面白いですね。シンギュラリティはこの時点ですでに実現不可能になるわけですね。
 さらにもっと複雑でほとんど無限の可能性のある「現実」で考えていくと、結局その刹那の直感で決断していくしかないことが分かってきます。
 こういう難問にぶち当たらせると、生徒はだいたいふざけ始めます。第三どころか第四、第五の、ほとんどウケ狙いの答えを提示するようになってくる。
 つまりお笑いとは、複雑すぎて解決困難な現実問題の昇華であることがわかりますね。そういうところまで伝えると生徒はとっても嬉しそうな、安心したような表情になります。
 ちなみに、トロッコ問題について、私は個人的な感情込みでも一つの答えにたどり着きます。すなわち、ポイントを切り替えて一人の作業員の方に向かわせるという決断です。
 それはある意味では第三の解答ということになるかもしれませんが、未来の不確定性を考えると、つまり、未来は変えることができる可能性があるということを考えた時、作業員がなんらかの方法で逃げて、あるいは突然の大地震でトロッコが脱線するとかして、死者が出ないですむ可能性を考えた時、その死者が出ない可能性というのは、明らかに一人の方が高い。
 これは何人が亡くなるかというマイナスの視点ではなく、何人が助かるかというプラスの視点からの判断です。
 一般的に、何人が亡くなるかという観点からすると、そこに倫理的、道徳的な「感情」が発動してジレンマが発生します。5人のために他の1人を殺してもいいかというジレンマですね。命を数値化することに対する抵抗もある。
 そこでプラスの発想ができるのも、実は様々な判断を下す際のコツのようなものなのでした。

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2019.03.31

『ストロング本能』 青木真也 (KADOKAWA)

人生を後悔しない「自分だけのものさし」
20190403-113501 One初の日本大会のメインイベントで、見事リベンジをはたしチャンピオンに返り咲いた青木真也選手。
 あえて打撃(キック)で揺さぶり、見事なタックルから寝技に移行。じわじわと体勢を作り、最後は完璧な肩固めで相手を落としました。
 素晴らしい職人的な試合運びでしたね。いかにも青木選手らしい勝利に、日本中が涌きました。私も実に爽快な気分になりました。
Th_51e8mb087l_sx339_bo1204203200_ ちょうど彼の新著を読んでいたところでした。「ストロング本能」。周囲に流されない、常識にとらわれない、自分だけのものさし。それはつまり「本能」。
 AIの時代にあえて「本能」。いいですね。たとえば総合格闘技はAIやロボットではできません。ぜったい。本能をベースにした論理性が必要です。技術や理論よりも本能が優位なのです。
 イチローもそうですが、青木選手も含めて世界レベルのアスリートになると、「禅」を感じさせる哲学を持つようになります。
 青木選手のこの本もそう。すべてをシンプルにする。悩みや嫉妬をどうコントロールするか。
 ワタクシ流にいいますと「コトよりもモノ」なんですね。まさに「理屈・常識・学問よりも本能」。「科学よりも自然」とも言える。
 もう一つ感じたのは、これもイチロー選手と似ている、あるいは長嶋さんなんかもそうですけれど、一流の人は自分の「言葉」を持っているということ。つまり、コトの最先端たる「ことのは」に操られることなく、逆にそれを操ってモノガタリできるのです。それこそ、辞書的な言葉の意味領域だけでは表現できない、モノ世界をコトのはで語ることができる。そこにイメージとして現出させることができるんですね。
 格闘技の基本は、動物の本能的な「レッスル」です。この世の中は、実は政治も経済も文化もなにもかも「レッスル」なのかもしれない。そんなことを思いました。私が格闘技の観戦が好きなのは、おそらく「コトを窮めてモノに至る」世界があるからでしょう。
 私もこの年齢になり、そしてこういう社会的立場になったからこそ、もう一度自分の「本能」を信じてみようかと思っています。

 

Amazon ストロング本能

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2019.03.20

第六感=磁覚?

 日、今日と面白い記事がありました。

人間の「第六感」 磁気を感じる能力発見 東大など
あなたも「地磁気」を感じる“第六感”がある!? 何に役立つのか 東大の研究者に聞いてみた

Th_unknown コメント欄を見るとまた面白いですね。ブラウン管テレビの話とか。磁気と電磁気、モスキート音、いろいろごっちゃになっていますが、要は今まで科学では証明されていなかった感覚があると信じている人が実に多いということですね。
 私はかなり危ない宇宙人なので(笑)、幼少期からいわば「霊感」のようなモノを信じてきた…というか、それに頼って生きてきました。ですから、別に科学で証明されようがされまいが、その存在は疑わずにきました。
 アブナイとかオカルトだとか非科学的だとか、なんと言われようと構いません。音楽に関する感性すら科学では全く証明できませんが、しかし、そこに感動が存在することはたしかですよね。そういうことです。
 またまたモノ・コト論で申し訳ありませんが、私たち人類が共有しているコトなんてほんのわずかであり、その他補集合のモノの方が圧倒的に膨大であり、また本質であるのです。
 「ものがなしい」とか「もののあはれ」とかいう日本語古来の「もの」は、まさにそういう意味であります。「なんとなく」とか「得も言われぬ」とか、そういう感覚ってない人はいませんよね。
 低気圧が近づくと不調になったり、地震の寸前の体感など、モノとコトの中間のような感覚というのもあります。ちょっと変な話ですが、家族が生理の時、男の私もいつも不調になります。これも科学では証明しにくい共鳴現象ですね。
 いずれにせよ、コト(科学)はモノ(非科学)をついも追いかけている存在なのです。最近の若い科学者の皆さんは、それをよく分かっていらっしゃる。とても良いことだと思います。これからの科学の発見に大いに期待しましょう。

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2019.03.01

一日一食もうすぐ丸15年

Th_2019022800000086dal0006view 日のネットニュースに内村航平もはや仙人?修行僧?1日1食「1000キロちょっと」カロリーの食生活明かすという記事がありました。
 私も今年の春で一日一食生活丸15年となります。有名なアスリートと同じ食事パターン(夕食のみ)というは、ちょっとうれしいですし、自信にもなります。
 実際、一食にしてからというもの、病気知らず。それどころか、いろいろなことが冴えまして、特に直観力のポテンシャル向上はすさまじく、おかげで無駄な時間が大いに減りました。人とのご縁もそうです。タイミングも含めて全く無駄がない。
 これぞ「ハングリー精神」でしょうか。貧すれば鈍すると言いますが、現代においては、富すれば鈍して、貧すると鋭するのかもしれません。
 だいぶ前に内村航平は宇宙人か!?という記事を書きました。最近、すっかり宇宙人という称号が一般化したワタクシでありますが、やはり宇宙人(未来人)は摂取カロリーが少ないというのが特徴のようですね。
 違う言い方をすれば、摂取カロリーを減らせば、だれでも宇宙人(未来人)なれる、すなわち人生を大きく未来的に変えることができるということのようです。皆さんもやってみてください。
 ちなみに内村さんは「僕のやり方はまねしてほしくはないんですが…」と言っているそうです。

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2019.02.08

落合陽一×宮台真司 『次の時代をどう生きる』

 の対談は面白かった。本来の「アカデミック」な存在であるお二人、こうして会うのは初めてだというのはちょっと意外でした。
 お二人の意見には多くの部分で同意。身体性を失いつつあることを、より抽象的なところで虚しく埋め合わせていく現代。はたして人類は、いや人類の幸福はどちらに向かって動いていくのでしょうか。
 宮台さんのおっしゃる、偶発性、未規定性というのは、ワタクシの「モノ・コト論」で言うところの「モノ(他者・不随意・想定外」と完全に一致します。私が「コトよりモノの時代」というのは、まさにそういう意味です。
 そして、自己(コト)が自己で完結するのではなく、他者(モノ)にとって、いかに「他者性・偶発性・エンカウンター」になりうるかというのが、それこそ「ニーズを作り出す」ということなのでしょう。
 そして、それはお釈迦様の語る「縁」と同義になってくる。縁という関係性こそが、私たちの存在そのものなのです。つまり私たちはそれぞれ「自己(コト」であり、「他者(モノ)」であるという、まさに中動態的な存在であることを知るべきです。
 そういう意味で、テクノロジー(機械だけでなく制度なども含む)が「優劣」の「劣」を補助する方向で発達する傾向があるのは、ちょっと問題があると思います。なぜなら、その前提である「優劣」という概念自体が、私たちの社会的な価値観から生まれたものだからです。
 それはたとえば自己の中にも内在します。自己の中の他者(モノ)であるとも言える身体。私たちにとって、最も身近な、自分の思い通りにならない不如意、不随意なモノは、自らの身体です。それを社会的感情に基づいて「劣」とし、脳みその中の言語的情報(コト)を優としてしまったのが、この近代そのものでありましょう。
 その価値観に従ってモノを封じ込め、コトを祭り上げた結果が、この現代です。ですから、これからのテックは、やはり「目が合う」「目を合わせる」「見る、見られる」の関係性を生み出す方向に進化すべきでしょう。
 一方では、最近のファーウェイの話ではないですが、私たちは無意識的に、たとえばスマホに「見られている」状態ですよね。昨日も「あなたがスマホでエロサイトを見ているところを録画しました、ばらされたくなければビットコインでいくら払え」的な迷惑メールが来ましたが、あながちそれもウソではない状況になっています。
 つまり、見られないように、目が合わないようにと、私たちが求めてきた極プライベートな時空間が、実は全世界に見られているかもしれないという、笑ってしまうようなパラドックスを生んでいるわけで、そういう意味では、テクノロジーというのも自然界と同じように、ある種のバランスを勝手にとっていくものなのかなとも思います。
 人間ごときにはどうしようもない、絶対的な他者に対する想像力を鍛えていかなければならない時代が、もう目の前まで来ているのでしょう。それはまさにモノの復権、宗教以前の超古代的なアニミズムのような世界への回帰なのかもしれません。実に楽しみです。

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2019.01.31

未だ木鶏たりえず

 日は雑誌「剣道日本」の「平常心」特集を読みまして、そののち録画してあった警察剣道大会の団体戦を、剣道部に所属している下の娘と観戦しました。
 いやはやすごかった。特に大阪府警と神奈川県警の決勝戦は見応えありましたなあ。娘がさかんに「怖い」と言っていましたが、まさに殺気あふれる戦いでありました。
 警察剣道大会は二十代から三十代という元気バリバリの世代の大会ですから、七段、八段の世界とはまた違う魅力がありますよね。特に警察剣道は足掛けありですから、なんか違う格闘技を見ているようでした。
 さて、剣道日本の「平常心」特集に「未だ木鶏たりえず」の話がありました。ご存知のとおり、木鶏とは木で作った鶏で、何事にも動じない様子を表す比喩です。荘子に見える故事ですね。
 双葉山が連勝を69で止められた時、心の師匠安岡正篤に「ワレイマダモッケイタリエズ」と電報を打ったエピソードは有名です。心が動いてしまったと。
 最近では、その双葉山の話を知っていたであろう白鵬が自らの連勝が63で止まった時、「未だ木鶏たりえずだな」と語りました。この時、白鵬は稀勢の里と肌が合った瞬間、「勝った」と思ってしまったのだそうです。
 この前、大坂なおみさんが同じことを言っていましたね。第2セット、圧倒的なマッチポイントで「勝つ前に勝ったと思ってしまった」と。
 双葉山、白鵬、大坂なおみという、その世界を極めた地球一の人たちでさえ、まだまだ「木鶏」の境地には至れない。特にピンチではなくチャンスの時の心の揺れというのは強敵なんですね。
 まあ、基本努力をしない私にはそんな体験ありませんが。ピンチにはまあまあ強いんですけど(苦笑)。
 木鶏…深い世界ですね。
 

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2019.01.28

「嵐」の予感…その2

Th_jaca56256 Are you happy?
 昨日は「予知夢」の話をしましたが、もう一つ最近偶然といえば偶然なことがありました。
 ある生徒から現在と未来の自分に関する相談を受けまして、その中にジャニーズの話も出てきたのです。
 その生徒の悩みの根幹には「性意識」の問題があり、つまり自分の性別に対する違和感というか、まあ思春期にはよくある悩みとも言えますが、そういう相談でした。
 そこでなぜジャニーズかというとこういうことです。私はずいぶん前から日本の文化における「性別越境」を研究、考察してきました。
 いや難しいことではなく、たとえば現代で言うなら、宝塚における男役とか、やたらテレビで見かけるおネエ芸人とか、女性歌手が歌う男歌、男性歌手が歌う女歌とか、そういうトランスジェンダーの事例ですね。言うまでもなく古くは歌舞伎はそうですし、ある意味相撲もそういう要素がある。土佐日記なんかもそうです。
 ここには日本人のネオテニー(幼生成熟)の問題がからんできています。性未分化の「少年」文化ですね。
 そういう文化の中で言いますと、ジャニーズの特性というのはまさにその性未分化の「少年性」にあるわけです。そして、そこに働く外的反応というのは、恋愛よりも母性愛ということになります。
 恋愛、特に女性の恋愛につきものなのは「嫉妬」です。それを巧みに覆い隠す文化こそが、たとえばジャニーズであり、宝塚であり、BLの世界です。そうしたものが日本で特徴的に発達しているのは興味深いですね。
 要はリアルな男女の「性」への忌避感と、そこに伴うのであろう本能的な「嫉妬」を、文化的発明によって低減される知恵なのです。
 ですから、男だけの世界ジャニーズと女だけの世界宝塚の、両者のファンが基本ほとんどすべて女性だというのも納得がいきます。もちろんBLのファンも女性ですね。
 そう、男はみんなスケベだし、それが嫉妬なんかを軽く凌駕してしまうので、そういう文化的装置はいらないのですよ(笑)。
 ちなみに、イケメンだけど低身長という残念な男と、美女だけど高身長という残念な女という、両極端を輝かせるという機能においても、またジュニアと音楽学校という教育システムにおいても、ジャニーズと宝塚は非常に近い関係といえます。
 ただ、現代において、その機能はますます重要になってくる一方、組織としての構造が前時代的になってきているのは事実です。つまり「ブラック」と言われる(言われてしまう)ようになったと。そういう意味で、ジャニーズの崩壊というのも歴史的必然なのではと、特にここ1年は感じてきたのであります。
 それがいわば「予感」だったと。宝塚は基本テレビとのつながりが少ないので、マスコミ、ワイドショーの俎上に乗りにくいのですが、実際内部では問題が噴出していると聞きます。
 もちろん、これはこうした芸能の世界だけでなく、多くの「昭和」的文化共通の問題です。他人事ではありません。
 話がそれてしまったので戻しましょう。ジャニーズの価値としての「少年性」。これを40過ぎや30代後半のオジサンたちが担うのは限界があるでしょう。彼らがその呪縛から自ら逃れようとすることを責められませんし、そんな無理を強いてきた会社、そしてファン、世間こそ反省するべきかもしれません。
 心からお疲れ様と言いたい。ほとんど宗教とも言える献身的で脱欲的な人生を送ってきたわけですから。

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2019.01.27

「嵐」の予感…その1

Th_unknown の予感がしました。
 皆さんも驚かれたことでしょう、ジャニーズ嵐の活動休止宣言。私もびっくりしました。なにしろ「予感」があったから。
 というのは…昨日の朝、家族に笑われたことがあったんです。実は昨日の朝、変な夢を見たんですね。なぜか私が知り合いと嵐のコンサートに行く夢。
 私はジャニーズ文化には興味はありますし、長女の影響でいくつかのグループはメンバー構成まで知っています。関ジャニ∞のドームコンサートに行ったこともありますし、草彅剛くんとは映画で共演した(というほどではないけれどもにらみ合った)仲です。
 しかし、「嵐」に関しては正直あんまり興味がなかった。興味がなかったというか、あまりにメジャーで日常的すぎ、また何かが起きそうな予感すらしないある種の安定感のおかげで意識してこなかったのです。
 それが夢に出てきたからびっくりした。ちなみにその夢では、いかにも夢らしくいろいろな困難が連続して、チケットを持っているのになかなか会場にたどり着けませんでした。結局、嵐には会えず目が覚めたのでした。
 それを朝、家族に言ったら笑われた。いい年してどんな夢見てるんだと。なんで嵐なんだ(笑)と。
 その翌日、突如このような活動休止報道があり、私はもちろん家族も驚いたのです。もしかして予知夢?
 おそらく単なる偶然でしょう。しかし、昔から「正夢」というものがあります。予知夢というのはありえるのでしょうか。
 私の時間論の中において、「夢」というのは重要なポジションを占めています。すなわち夢の方が本質。逆にいうと、夢ではないこの現実が特殊であるという考え方です。
 本来この宇宙における時間のあり方はこうです。「現在の中に過去と未来がある」。つまり「今ここ」が無限に多層的に同時に存在している。
 それを、私たち生命の脳は、まるで1巻の映画のフィルムを順に見ていくように、一つの「流れ」として把握している。
 しかし、私たちが寝て夢を見ている時、こうした現実の縛りは解かれ、時空をその本質に近い状態で知覚しています。時間があっという間に過ぎたり、空間を瞬時に移動したり、いや、過ぎたりとか移動したりというような「時間の流れ」さえもないじゃないですか。ほとんど全てが同時に起きている。それを起きてから思い出す時、不自然ながら流れに乗せているだけ。
 ですから、私の夢の中に「嵐の活動休止の予感」が現れてもおかしくないのです。
 夢は私たちが高次元につながっている状態なのです。
 「嵐」の予感の話は明日以降にも続きます。

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2019.01.26

ありがとう!大坂なおみ選手

Th_thumb12136174623sports らためてテニス門外漢の私がいろいろ言うのも野暮ですが、やはり感動しましたので一言。
 ちなみに家族の中では唯一まともなテニスの経験がありません。テニスラケットといえば、いわゆるラケットベースでしか振り回したことがなく、つまり全部ホームランになってしまいます(笑)。
 おっと、世界最下位の私の話はいいとして、本題の世界ランク1位のお話を。
 いきなりですが、大坂なおみさんを日本人としていいのかというテーマ自体が、非常に日本的ですよね。さまざまな分野で、特にスポーツ界において、かつてなら「日本人じゃないだろ」と言われてしまうようなスーパースターがたくさん生まれてきています。やっとそういう時代になったのですね。大変良いことです。
 一方でまだまだ日本が遅れているなあと感じたのは、皆さんも指摘されていましたが、「日本人初のグランドスラム制覇」という論調ですね。
 そう、ご存知の通り、ダブルスや車椅子テニスでは、もう何人もその栄誉をつかんでいます。特に国枝慎吾選手は車椅子テニスグランドスラムで42回(!)優勝しています。
 オリンピックとパラリンピックの関係でも日本は同様です。テクノロジーの進化によって、そのうちに記録や勝敗が逆転する可能性すらあるのに。
 今回の、そしてこれからの大坂選手の大活躍によって、そういったいくつかの「差別意識」…いや、「無意識的差別」がなくなっていくことを期待します。
 大坂さんの振る舞いや発言についても、日本人はいろいろ勉強させられていますよね。それがまた「無意識的差別」解消へのきっかけになっているように見えます。
 本当におめでとうございました。そして、ありがとう。
 
 

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2019.01.08

教師への夢をあきらめた学生たち…

現役教育大生のリアル 競争倍率低下時代における教育の危機
Th__20190109_170337 日の大学の先生との話の中にも、こういう話題が出てきました。その先生は教師教育学を専門に研究されている方です。
 そう、日本には「教師教育」が足りないんですよ。現場を知らない大学教員が教員を育てる。さらに現場を知らない官僚が教育行政の舵取りをしている。ヨーロッパ、特に北欧の現状を教えていただき、ますますそういう日本の状況に危機感を抱きました。
 ちなみに私はバリバリの現役教員ですが、学校の先生業は決して大変だと思っていません。逆に他の職種に比べると甘い部分が多いと思い続けてきましたので、教職がブラックだなんて全く思いません(異常なのでしょうか)。
 もちろん、ウチは私学ですし、私学の中でもウチの学校はいい環境なのでしょうね。それはありがたく思っています。
 ですから、正直内田さんの本をいろいろ読んだりして驚きました。みんなそんなにイヤイヤ先生をやってるんだと。先ほど書いたように、私にとっては全然ブラックではなく(労務形態に限らず総体としてですよ)、逆に楽しいこと、嬉しいこと、感動することに溢れている、ほかにない恵まれた仕事だと思っていたので。
 おっと、自分語りはいいとして、今回の記事はこちらです。

教師への夢をあきらめた学生たち 現役教育大生のリアル 競争倍率低下時代における教育の危機

 うん、たしかに異常なのかもしれない。教員の世界は。そして、それを変えるには行政、大学を変えなければならない。それはたしかにそうでしょう。
 しかし、なんていうかなあ、こういう発信ばかりあると、ますます教員志望の学生が減っちゃいますよね。大変だけれど充実感に満ちた仕事という側面をもっと知ってもらいたい。
 ウチの学校は特別なのかなあ。公立さんなんかはたしかにより管理するされる体制が強化されているようですね。
 それから、昔、こういう記事を書きました。この考えは今でも変わっていません!

「ブラック」はお好き?(コーヒーの話ではありません)

 ブラックコーヒーを選べない珈琲店がはたして正しいのか。それをあえて世間に問いたいと思います。
 さて、この記事の元になった動画があります。こちらのほうがよりリアルにブラック嫌いなマイルド派の皆さんの言葉を聴くことができます。もちろん、私はこの方々の意見も肯定しますよ。ぜひ対話してみたいと思います。


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