カテゴリー「心と体」の636件の記事

2017.03.08

『世界の徳育の手本となった 教育勅語と修身』 小池松次 (日本館書房)

勅語が国際的に有名になった経緯が一目瞭然
Th__20170309_101542 日国会で、福島瑞穂さんが稲田防衛大臣に森友問題でいろいろ質問していました。その中で「教育勅語」に関する考えをただす質問がありましたね。
 いかにも福島さんらしい誘導的質問でしたが、稲田さんもまあ正直に持論を展開しておりました。動画がありますので、ちょっと見てみましょう。
 それにしても、この二人、女同士として絶対合わないでしょうね。友だちにならないでしょう。下世話な話ですが、思想的なことは抜きにして、男の立場からすると、圧倒的に…言わずもがなかな(笑)。

 さて、教育勅語に関しての私の意見は、ずいぶん前に逆・教育勅語教育勅語物語の記事に書きました。
 全肯定でも全否定でもない。そんなのは何に対しても普通の態度です。「全」…ALL or NOTHINGになるから、面倒な(無駄な)衝突が生まれる。
 というわけで、特に全否定(反対)派の方にぜひ読んでいただきたいのが、前掲の「教育勅語物語」の著者による、こちら「教育勅語と修身」です。反対派の絶対に知らない、見たことも、聞いたこともない資料が満載です。そう、これは学術的な資料集と言ってもよい。
 私は、発行者の方から直接いただいたのですが、今はちょっと手に入りにくいようですね。しかし、諸外国がどのように「教育勅語」や「修身」の教科書を評価し、それが現在どのような影響を残しているかを知るには、非常に良い資料となると思いますので、是非にかかわらず興味のある方には、それこそ是非読んでいただきたい。
 以下に内容紹介のパンフの写真を添付しておきます。興味のある方は連絡を入れてみるといいでしょう。

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2017.03.05

パーセル 『組曲第1番ト長調』より前奏曲

Purcell: Suite in G major z660

 日は某神社の月霊祭に参列いたしました。神気に包まれ、心身ともに浄化されたような気がしました。いいものですね。
 さて、お祭が始まる前にBGMがかかっていまして、その一つが「いつも何度でも」でした。たしかに「千と千尋の神隠し」の世界観は、日本の神道そのものですからね。別に場違いな感じはしませんでした。
 さて、この曲を聴きながら、「あっ!」と思った…というか、それこそ降りてきたのは、ヘンリー・パーセルのこの曲のプレリュード。
 「いつも何度でも」ってなんかの曲に似てるなあといつも思っていたんですが、ワタクシ的には(あくまでワタクシ的には)この曲が「元歌」でした(笑)。
 もちろん前半はありがちなコード進行ですし、後半は全然違っていますが、なんというか、メロディーの雰囲気も含めて似ているのではないかと。
 それにしても、このプレリュード、本当に短くてカワイイですね。楽譜を見てみましょう。これならすぐに弾けますね。シンプルなようで、いかにもパーセルらしい。

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2017.02.28

未在

Th_91usrqntzol 日は高校の卒業式。私も司会として、思い入れ深い3年生を送り出しました。
 毎年、本校の名誉校長であられる山川宗玄老大師さまの有り難い戒辞に感動するのですが、今年は「未在」という言葉が強く心に残りました(昨年はこちら)。
 「未在」というと、私も昨年観たプロフェッショナル仕事の流儀の石原仁司さんを思い出します。京都の日本料理屋さん「未在」。石原さん独自の茶懐石は、世界的にも高く評価されています。一生に一度は行きたい店。
 あの番組でも紹介されていましたが、「未在」とは禅の修行には終わりがないという意味です。
 今日、老師は「まだまだ」という言葉で表現されていました。なるほど、「まだまだ」ですね。
 「未在…いまだ(ここに)あらず」。もういいだろうとか、やっと目標達成したとか、そう思った瞬間に人生の修行は終わってしまうということです。
 「未在」という禅語、もともとは宋の白雲守端が出した公案「白雲未在」だそうです。ですから、白雲は自分自身をまだまだと言ったわけですね。弟子からすれば、充分に悟った存在であった師にそう言われて、自分自身の修行を省みたということでしょう。
 私が言うなら、「山口未在」…そんなの当たり前じゃないか!。全然、禅語ではありませんし、公案でもありませんね(笑)。

Amazon 未在
 

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2017.02.10

銀谷翠 「認知症は治る!」

 田の素敵な女性たちを集めていろいろ未来的なことをやろうと(勝手に)画策しております。お誘いしたい秋田美人のお一人が「闘う女医」こと精神科医の銀谷翠さんです。
 実はまだ銀谷さんとはお会いしたことはないのですが、今ちょっと関わっている未来医療の関係で、とっても近い位置におられます。ある意味同じ世界にいますので、きっと今年は秋田の美味しいお酒を酌み交わす時が来ることと思います。
 そんな銀谷さんがチャンネル桜の女子会に登場され、現代医療、特に薬漬けの精神科医療に対して、「本当のこと」という爆弾を投下してくださりました。
 私もほぼ100%同意いたします。そして、賢い製薬会社の方々から攻撃どころか理解をいただいているというところに、一筋の光明を見たような気がいたします。
 そして、やっぱり秋田と言えば「納豆」ですよね(笑)。伝統的な和食が一番です。
 いよいよ医療、福祉の世界が変わりますよ。日本が変えていく時が来たようです。
 

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2017.02.02

「〜がないからできない」=「〜があってもできない」

 日は録画してあったBS朝日「昭和偉人伝〜小林一三」を家族と観ました。
 阪急電鉄の生みの親、いや、近代大衆社会の生みの親、そしてかの宝塚歌劇団の生みの親。そんな一三を生んだのはこの山梨県です。
 山梨が誇る実業家であり、芸術家であったと思います。このたびの番組もよくまとまっていたのですが、残念ながら動画はないので、NHKの「その時歴史が動いた」をご覧ください。
 ああ、山口昌男さんももうお亡くなりになったんですよね。小林一三を「シャーマン」と言うあたり、いかにも山口昌男さんらしい。私も同意します。番組の末尾にある一三の言葉は輝いていますね。私もずっと青春時代でいたいし、夢を、良き未来を妄想して実現していきたいと思っています。

 さて、「昭和偉人伝」では、「金がないから何もできなという人間は、金があっても何もできない人間である」という一三の名言が紹介されていました。なるほどですね。
 これは「金」に限らず、たとえば「時間がないからできない」という場合にも当てはまりますね。私も「時間がない」とか「お金がない」と言ってしまうことがありますが、それはたしかに全て「言い訳」です。かっこ悪いですね(笑)。
 この番組を観て、これからはそういう「〜がないからできない」とは絶対に言わないようにしようと決心しました。
 今、仕事もそうですが、仕事以外でも大きな事業に関わっているので、ついつい「〜がなくて」と愚痴をこぼしがちです。
 やはり、お金も時間も自ら作らなければいけません。「〜がない」ということは、それを作る努力をしていないことを表明しているわけですから、まさに恥ずかしいですよね。
 「才能がない」というのもダメです。才能も作るべきものですし、もっと言えば、お金も時間も才能も、人のものをお借りすることができる。人を使うということも大切なのです。
 ここのところ、戦前の偉人の人生に触れることが多いわけですが、そこから学ぶことは非常に多いですね。単なる懐古趣味や保守主義ではなく、純粋に人間としてそこに学んでいきたいし、それらを真似をしていきたいと思っています。

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2017.02.01

『ビル・ロビンソン伝 キャッチ アズ キャッチ キャン入門』 鈴木秀樹 (日貿出版社)

Th_51isbddgfrl_sx357_bo1204203200_ れはすごい本!マニアにはたまらないでしょう。また昨日のDVDと同様、他の格闘技をやっている方々にも非常に有用でしょう。
 実際昨日の我が校柔道部のDVDの世界ともつながっています。技術的なこともそうですが、この本の著者である真のプロレスラー鈴木秀樹選手の盟友であり、今はプロレスラーにして我孫子市議会議員でもある澤田敦士は、昨日のDVDの主役矢嵜雄大監督の明大柔道部の後輩、それも特別にカワイイ後輩ですからね。
 こちらに実はちょこっと書いたんですが、先日の本校柔道部の祝賀会にも、シャレた(シャレにならない?)電報をくださりました(本当は出席予定だった)。
 もうだいぶ前になりますが、鈴木・澤田両選手は本校の餅つき(笑)に参加してくれたこともあり、その時は矢嵜監督も一緒でした。
 この本、格闘技は観る専門のワタクシには、いわば「実益」というのはほとんどないのですが、もう連続写真を見ているだけでも、それこそスパーリングや試合を間近で(それも解説付きで)観ているがごとき贅沢な興奮がありました。
Th__20170124_7_56_53 というわけで、これはワタクシがにやにやしながら眺めているよりも実益のあるところに置いておいた方がよかろうと思い、矢嵜監督率いる柔道部にこの本を贈呈いたしました。
 そして、さっそく選手たちがこの本を参考に体のさばきやスープレックス(笑)の練習を始めております。いやいや(笑)じゃないですよ。先日も全日本の柔道女子がレスリングの金メダリストたちに、また昨年は男子が青木真也選手に学んでいたではないですか。
 それは本来の柔道ではない!という頭の硬い方もいますが、私や矢嵜先生は逆に本来の柔道は「なんでもあり」「なんでもこい」的な世界であり、今の柔道こそ伝統と言いながら狭い世界に閉じこもってしまったと思っているので、逆に自然な流れに感じられるんですよね。
Th__20170202_10_55_53 今日もサムライTVバトルメンに乱入して本書を押し売りしていた(笑)鈴木秀樹選手。ぜひとも我が校を再訪していただき、柔道部にてセミナーをやっていただきたいものです(押し売りお断り…笑)。
 ビル・ロビンソン先生とアントニオ猪木先生直伝の技術とスピリットを受け継ぐ男、鈴木秀樹選手のこれからの活躍にも期待したいと思います。ワタクシとしては、某メジャー団体に殴り込みをかけてほしいなあ。ぜひ押し売りしに乱入していただきたいと思います。

Amazon ビル・ロビンソン伝 キャッチ アズ キャッチ キャン入門


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2017.01.17

柔道Jr世界一 『舟久保遥香』(報道ステーション)

 日放送された番組です。ウチはなんとテレ朝が映らないので、今日初めて動画で観ました。
 主役の舟久保遥香は我が富士学苑中学校の卒業、現在富士学苑高校の3年生です。彼女の活躍や人となりについては、このブログでも何度か紹介してきました。
 昨年、松岡修造さんが来校し収録が行なわれまして、このたび晴れて放送となりました。まあ、考えてみれば、松岡修造さんが本校に来るというのもすごい話です。それも遥香のおかげ。
 本当にこの番組で紹介されているとおりです。決して誇張はありません。このとおり不器用だけれども、努力することに関しては天才です。
 そして、持って生まれた「運」もある。平成10年10月10日生まれ、すなわち東京オリンピックの開会式の日(かつての体育の日)に生まれただけでも特別ですよね。
 そして、我が中学が開校して2年目、番組にも登場している矢嵜雄大というカリスマ柔道家(格闘家)とその奥様が、ひょんなことから本校の柔道部の指導をすることになったその年に、彼女は本校に入学することになったのです。これが1年ずれていたら、今の彼女はいません。
 矢嵜先生は柔道界のみならず格闘技界では知られた「寝業師」。その技術を余すことなく吸収した彼女は、まさに畳の上の鬼女(?)。今後、立ち技、投げ技にも磨きをかけ、日本古来の、しかし新しい時代の「本物の柔道」で世界の頂点を極めてもらいたいと思います。
 この番組で紹介されているとおり、矢嵜先生の稽古メニューは、ある意味現代的ではない、かつての根性論的とも言える内容です。しかし、よく話すんですよね先生とも。やっぱり昔のめちゃくちゃな稽古、練習はすごいと。意味があると。私もそう思います。いわゆる科学的、理論的トレーニングによって失われる「モノ」もあると。もちろん、科学的トレーニングも取り入れていますが、基本は古典的な保守的なモノであると感じています。
 普段は本当に天然のボケ&抜けキャラ、とても強そうに見えない(笑)カワイイ彼女ですが、いざ柔道となるとスイッチが入って「カッコイイ」遥香に変わります。ある意味理不尽とも言える古典的な稽古を黙々とこなします。そんなギャップもまた魅力でありますし、人々や神様や仏様に愛され、運と縁をつかめる要因であると思います。
 彼女ももうすぐ卒業。すでに実業団への就職&入団も決まり、2020年の東京五輪金メダルへ向けて、着実に歩を進めつつあります。
 一緒に勉強し泣き笑いしてきた者の一人として、また東京五輪に多少なりとも関わる者として、心から彼女を応援していきたいと思っています。皆さまもぜひ応援してやってください。本当に素晴らしい人間ですので。よろしくお願いします。

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2017.01.07

「自由」と「不自由」

Th__20170108_122930 日は我が富士学苑中学の推薦入試でありました。いつものとおり(創立以来)、国語の問題は私が文章を書かせていただいております。それを公開するのもまた恒例です。今年もここにその本文を掲載させていただきます。
 昨日までのシリーズにつながるかもしれませんね。誰が何が「正しい」のか。そんな疑問も含めて、今年は「自由」というタイトルで書かせていただきました。
 ちなみに問いの最後、作文のタイトルは…「自由の国」ではやってはいけないことは何もありません。自分や他人や世界に対して何をしてもかまいません。その「自由の国」に一日だけ行くことになったとしたら、あなたは何をしますか。なるべく具体的に三百字で作文しなさい…でした。
 受験生の小学生たち、それぞれなかなか面白い答えを書いてくれました。入試問題を通じて、しっかり対話ができたような気がして感激いたしました。
 正常か異常か。自由は不自由。不自由の中の自由。画一化の中に溢れ出る「個性」。生きる力ではなく死なない力。そうした一見矛盾するような価値観の中に、教育の本質があると思っています。
 ではどうぞ(当然実際の問題では、空欄や傍線、ルビなどがあります)。

     「自由」

 「本当の自由とは、なんだ?」
 先月行われた、富士学苑中学校の文化祭である「葵江祭」。その中で二年生が発表した演劇「夢屋」の冒頭にあったセリフです。
 みなさんは「自由」とはなんだと思いますか?
 なんとなく分かっていても、いざ説明しようとすると難しいですよね。今日はこの「自由」ということばについて考えてみましょう。
 「夢屋」という演劇の内容を、ものすごく簡単に書きますと次のようになります。

受験勉強や校則など、中学生としてのきゅうくつな生活から逃れたいと思っているユウコは、ある日、夢をかなえてくれる「夢屋」に出会って、「自由の国」に行くことになる。しかし、実際夢がかなって「自由の国」に行ってみると、そこは住みやすい所ではなかった。食べるものも着るものも、その日にすることも、全部自分で決めなければならないからだ。そして、結局ユウコも自分から進んで「不自由の国」、つまり現実に帰ってくることになる。

 さあ、みなさん、あなたが「自由の国」に行ったとしたらどう感じるでしょうか。あなたに対して、ああしなさい、こうしなさい、あれはしちゃだめ、これはしちゃだめという人はだれもいません。
 もしかすると最初のうちは「ああ、せいせいした」と感じて楽しいかもしれませんね。しかし、そういう日々が続いたとしたらどうでしょうか。
 みなさんも、夏休みなどの長い休みで、なんとなくヒマを持て余したり、早く学校に行きたいなあと思ったことはないでしょうか。
 人はいざ自由になると、いろいろ不便に感じたり、不安に思ったりするようです。
 たとえば、今日のこの試験で、なんの文章も与えられず(つまり今あなたが読んでいるこの文章がなく)、ただ真っ白な紙が配られて、「なんでも自由に書きなさい」という問題が出たとしたらどうでしょう。さっと答えられますか。原稿用紙のマス目もないのですよ。正直困りますよね。
 「問一〜しなさい。問二〜しなさい。… 問六〜について三百字以内で書きなさい。」というふうに、命令された方がずっと答えやすい。そうですよね。
 古い中国語では、「自由」という言葉は「自分勝手」「わがまま」というような悪い意味で使われていました。それが日本に入ってきたので、古い日本語でもあまりいい意味には使われてきませんでした。
 明治時代になって、それが英語の「フリー」などの訳語として採用されて、「〜からの解放」という意味、すなわち「縛られないで思い通りにできること」というような良いイメージで使われるようになりました。
 ただどうでしょう、先ほどの「真っ白な紙」のように、本当になんの縛りもないということは、実はあまり良いことではないのかもしれませんね。なにしろ全部自分で決めなければならないのですから。その証拠に、ユウコにとっての「自由の国」は「悪夢」となってしまったではないですか。
 中学生になったら、みなさんは「不自由が増えたなあ」と感じると思います。勉強も忙しくなりますし、クラブ活動でも縛られます。制服も着なくてはいけませんし、髪型も厳しく決められます。もしかすると、富士学苑中学は公立中学に比べて「不自由」なことが多いかもしれません。
 しかし、それは決してマイナスなことではないということを覚えておいてください。
 いろいろな決まりや縛りというのは、昔の人たちが「こうしておいて良かった」という知恵です。人生の先輩《ぱい》たちがみんな通ってきた「不自由」、時代が変わってもなくならない「不自由」には、ちゃんと意味があるのです。実は「不自由」は皆さんを守ってくれたり、導いてくれたりするものなのです。
 演劇の中で、夢屋はこう言いました。
 「自由とは、与えられるものではなく、自分で選ぶものなんだ」
 だれからの命令も受けず、アドバイスも受けないで、自分だけの力で全てを選ぶことは不可能です。それができるようになるには、大変な勉強や訓練や我慢《がまん》が必要でしょう。つまり、「本当の自由」を得るためには、勉強や訓練や我慢という「不自由」を通らなければならないのですね。
 富士学苑の母体になっているのは月江寺というお寺です。月江寺の住職になるには、大変な修行をしなくてはなりません。朝三時に起きてから夜寝《ね》るまで、やらなければならないこと、やってはいけないことが全部決まっています。たとえばずっと動かないで座っていたり、難しいお経を唱えたり、ゴミがないのに掃除をしたり、食べたいものが食べられなかったり、しゃべってはいけなかったり、なんの意味があるの? という「不自由」のオンパレードです。それを毎日、何年間もやるのですから大変です。
 その修行の内容はなんと何百年も前から変わっていません。そう、その変わらないたくさんの「不自由」は、最終的に自分自身を「自由自在」にコントロールできるようになるための知恵なのです。
 富士学苑中学校では、その修行を一晩だけ体験する行事もあります。どうですか? ちょっと体験してみたくなってきたのではないでしょうか。

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2017.01.06

キャラメルマシーン(お笑いマジック)

 えと、これまた昨日の続きですね。言うまでもなく、お笑いというのは「普通」ではだめで、いわば「異常」「異能」「障害」「犯罪」をギリギリのところでプラスに転ずる、人間ならではの非常に高度な文化です。
 だから、私は学校で「コント部(仮)」を勝手に作って、一般の教育現場ではもしかすると「いじめ」や「差別」の対象になりかねないギリギリの個性をプラスに転ずるよう尽力しております(なんて言うとカッコイイけど、実際は自分も含めて「変」を楽しんでいるだけ)。
 そんなわけで、この年末年始もたくさんお笑い番組を観ましたが、やっぱり先程書いたギリギリの線でしたよ。特にそれを痛感したのは、BS朝日の「お笑い演芸館 年越し10時間スペシャル!総勢60組が漫才・コントで大爆笑の初笑い」でしたね。
 「お笑い演芸館」は地上波とは違い、しっかり時間をとってネタを見せてくれるので、とても勉強になりますし、芸人さんの実力も見えてしまう。
 今回は総集編的な構成でしたので、いろいろ「笑い」という文化を総括しながら、ゆっくり観させていただきました。
 繰り返しになりますが、どの芸人さんも、「異常」「異能」「障害」「犯罪」をギリギリのところで笑いに転換してくれていました。
 プロレスなんかもそうですが、そうした「異能」「異形」的な「モノ」を見せる、すなわち「見世物」というのが、この現実社会には絶対に必要です。もちろん、そこにはヤクザさんも関わってきますね。大多数の「普通」「正常」の側のためのアジール。
 今回のこの特番、とにかく10時間もあったので、その中のどれを紹介するか非常に迷いましたが、思い切って意外なところで、お笑いマジックの「キャラメルマシーン」さんを紹介しましょう。
 マジックという非現実、そしてフィクションの中に、「モノ」的な笑いが重なり、独特の世界を作り上げていて、私はけっこうハマってしまいましたね。
 マジックというのは、ある意味では予定調和に陥りがちです。そこに不調和な(異常な)お笑い要素が入ってくる。その違和感というか、妙なバランスいうか、快感というか、そんな魅力がありますね。
 他にもお笑いマジックの方々は大勢いますが、その不調和さという意味でキャラメルマシーンは絶妙だと思います。では、どうぞお楽しみ下さい。


 

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2017.01.05

「普通」とは「健常者」とは?

Th_img_22f1b52335568a94877bb99a80f8 日の「ヤクザ」の話ともつながっていますが、ここのところ「普通」とか「健常者」とか、それってなんなんだろう、自分は普通なのか健常者なのか、それとも異常なのか、などと考えてばかりいます。
 特に学校教育に携わっている者として、最近なぜか増加している「発達障害」などについて、正直違和感を持ち続けているわけです。
 今の学校、特に公教育にあっては、「普通」や「健常者」が心地よい環境のみ整えられ、そこからはみ出る者についてはまるで異物のように扱うという傾向があります。
 もちろん私はその対極にある「異常」な教育者であるわけです(笑)。だから私もここ教育界においては行きづらい部分もある。
 そんなことを考えている中で、非常に面白いネット記事に出会いました。武術家の光岡英稔さんとしょうぶ学園施設長福森伸さんの対談『自分は健常者だと思っている私たち全員が抱える「ある重い障害」』です。
 内容は読んでいただくのが一番ですから、ここではなぞりませんが、私は非常に共感する部分がありました。
 特に面白かったのは、アメリカの自閉症協会によるニューロティピカル(定型発達)の定義です。皆さん、どのくらいあてはまりますか。私もそれなりにあてはる部分もありますよ。なんだかんだ言って、私も「普通」派「健常」派になってしまいっている(?)のだなあと痛感いたしました。

・ニューロティピカルは全面的な発達をし、おそらく出生した頃から存在する。

・非常に奇妙な方法で世界を見ます。時として自分の都合によって真実をゆがめて嘘をつきます。

・社会的地位と認知のために生涯争ったり、自分の欲のために他者を罠にかけたりします。

・テレビやコマーシャルなどを称賛し、流行を模倣します。

・特徴的なコミュニケーションスタイルを持ち、はっきり伝え合うより暗黙の了解でモノを言う傾向がある。しかし、それはしばしば伝達不良に終わります。

・ニューロティピカル症候群は社会的懸念へののめり込み、妄想や強迫観念に特徴付けられる、神経性生物学上の障害です。

・自閉症スペクトラムを持つ人と比較して、非常に高い発生率を持ち、悲劇的にも1万人に対して9624人と言われます。

 まあ、「定型発達という障害」という表現自体がパラドックスを含んでいるわけですが、そういう視点を持ち込むことによって、私たちの常識を揺るがす意味はあると思います。
 定型とはなんなのか、社会性とはなんなのか、障害とはなんなのか、それ以前に発達とは本当に発達なのか…少なくとも教育者は一度は自問自答してみるべきだと思います。
 光岡英稔さんの『教育すると、人間は「弱く」なる!』もぜひ。

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