カテゴリー「書籍・雑誌」の853件の記事

2017.02.21

仲小路彰 『夢殿の幻〜聖徳太子の救世悲願』より「甲斐の黒駒」

Th_20101004100221 和の天才、いや人類史上最大の天才の一人と言ってもよい、歴史哲学者の仲小路彰。今、その思考と活動の全貌が明らかになろうとしています。いや、知れば知るほどその深さ、広さに全貌が見えなくなってしまうというのが正しいかもしれません。
 群盲象を撫ず。もうどうしようもないほどのスケールですので、群盲の数を無限に増やして、なんとか全体像を輪郭だけでも把握しなければなりません。
 とにかく感じるのは、一部の少数の人が、自分の立場だけで彼を解釈すると、大きな間違いを起こすということです。あまりにその言説が多様なので、ある意味都合の良いところだけを取り上げて、一つのストーリーを作ることができる。これは仲小路彰研究の陥穽であると思います。
 さて、膨大な仲小路の著作物の中でも、ひときわ強力な光芒を放っているのが「聖人伝シリーズ」です。
 釈迦、孔子、ソクラテス、イエス・キリスト、マホメット、聖徳太子という六聖人の未来的本質を示した戯曲調の文章群です。
 中でも白眉は、そうした世界の聖人の思想を融合した聖徳太子について書かれた「夢殿の幻」。これについては、以前こちらで少し紹介しましたが、このたび改めて読んでみました。
 その中で、富士山麓に住む者として、特別な感慨を覚えた部分があります。今日はそれを活字化して紹介いたします。
 山中湖畔に住み、富士山を未来の地球平和の象徴として観じていた仲小路彰ならではの内容です。地元に濃厚に残る徐福伝説などにも触れながらの、実に味わい深い文章となっております。弥勒の世という言葉も出てきますね。また、須弥山(シュメール)と富士山を重ね合わせているところも、仲小路彰らしいと言えましょう。
 では、どうぞお読みください。

 第四章 甲斐の黒駒

 朝に夕におよそ十年の間、休むことなく太子の愛馬、甲斐の黒駒は、おだやかに広がる飛鳥野をわが主太子をお乗せして、いともまめやかに蹄の音も高く、元気にかけめぐった。
 ある時は春のやわらかな微風のように、花々の間を黒々と毛並を光らせながら走りゆき、ある時は、すさまじい雷光の下をとどろきわたるいかずちにも負けず、その速さを競った。
 冴えわたる秋の月光をあびながら、もの思いにしずまれる太子を、いささかも揺がさぬようにしずかに足を運び、また吉野おろしに道も白く、いてつく上を決してすべらぬ、たしかな足どりでま冬の朝をかけすぎた。
 道のほとりの人々は、いつも太子を拝すると同じく、その黒駒を何よりも親しく送り迎えして、折々のさまざまな好物を馬にささげることもつねであった。
 太子のいますところ馬はあり、馬のいななきが高らかにひびけば、尊い太子のお姿が、人々の眼に何よりも喜ばしげに映じ出された。
 かくもけなげに忠実にお仕えする黒駒を太子はこよなく愛されて、もし季節の変り目に何か馬に異常があり、食のすすまぬ時があれば、太子はそれこそわが身の病い以上に案じられ、その回癒を切に祈られた。
 夜にあっても、時には厩戸を見廻わられ、いかにも御名にふさわしい馬への深い因縁の愛情を示された。
 かくて愛馬は太子のあつい信仰のままに、さながら霊の翼ある天馬と化して、空をしのぎ、雲を分けて天翔りゆくかと思われるほどに成長した。
 いかなる時にも黒駒は、太子をしたって高らかにいななき、そのひづめをひびかせて、太子をお待ちしていた。
 夢殿の夜は、まことに静かで、かなりへだたった厩戸の音が、かすかにひびいて来ることもしばしばである。
 ふと太子は、さえさえとした月光の中に、黒駒のつややかなたて髪と、そのつぶらな眼があさやかに光っているのを見られる。
 太子は軽やかに馬上の人となられー「さあ、行け」と凛然としたお声をかけられる。馬は、いかにもうれしげにその首を動かし、耳を立てて一散に走りゆく。たれもお供する者もない。大和三山は黒々とまなかいにあって、みるみる小さく去ってゆく。
 もはや地上を走るのではなく、さながら天上を風のように天翔ける如くである。山を越え、森をすぎて、河は白々と流れる大和の山河を一瞬にかけ去って、今やはたしもない海の上を雲とともに飛んでゆく。
 長い海浜に打ちよせる波は、白い糸となって連なり、星々は天上の音楽を奏でるかとま近にきらめく。
 はるか彼方には、かぐろくも山脈がさまざまな陰影をもってそびえ立ち、その大いなる自然は、いかにもわが国のたぐいない美の世界を展開している。
 まことに、これこそ地上の楽園であり、そのままが寂光の浄土であると、太子は讃美せられる。ー黒駒よ、汝の故郷はどこか、甲斐の国は、ーいかにも黒駒はそれを知るように、ひたすらに東北への道をひたかけりゆく。
 まさにその時、とうていこの世ならぬ荘厳な須弥山さながらの姿をもって、わがあこがれの富士の霊峰が、あのように鮮やかに鎮もっているのを、太子は展望される。
 しかも東の空は、ようやくほのかに曙の光を予兆するかと白みはじめる。ただ蒼茫たる未生の海原も、たちまち多彩な光のまんだらを現じはじめる。その光は、まさしく霊峰の上にかがやき、永遠の雪は神秘な赤に燃えはじめる。
 天も地も富士によって一つに結ばれ、一切は、その神の峰によって、目さめゆく。まことに天地の別れし時を再びここに相結ぶ、この一刻である。
 その麓には、ほの白く富士川はめぐり、それをさかのぼる所、わが黒駒の故郷の損するのか、今こそ一きわ高く愛馬はいななく。わが故郷はここにありと、心をこめて叫ぶごとく ‥ ‥
 これぞ神のいます聖なる峰か、美しく木花咲耶姫の舞い舞う万古の雪をいただく、白き峰か ‥ ‥
 ようやく山をめぐる霧は限りなく開け、その間に点々と光る首飾りの宝玉の如き湖のつらなり、あれこそが常世の神と称せられる神の姿か、緑なす森の中に生れし神の蚕と云われるものか、これを祭れば老いたるものも若さにかえり、いかに貧しきものも、幸ある恵みをうけるとされる信仰であるか ‥ ‥
 けれど常世とはどこであろうか。それはもと黄泉国とされたものではなかったか。そは死の国であり、死とは何であるか。ここに死を越えるものへのあこがれとして、不老不死への悲願がある。
 さればこそ、かつて、かの大陸の秦始皇は不老不死の妙薬を求めて、徐福らを東海の神仙の島に送ったとのことが司馬遷の「史記」に見られる。
 ついに彼らは帰らなかったが、あるいは、このあたり絹と光る湖のほとりに安住したのであろうか。
 この神の山の麓にこそ、わが夢に見た浄土の地か、常世とは、不死の国、そは弥陀が極楽浄土とされた仏国土か、さらにこの富士のあたりこそ次に来る末世の後の弥勒の世の現ずる地なるか、やがて果てしなき戦乱の世に、ここにこそ果してとこしへの平和の訪れるあたりか、まさしく富士への信仰は弥勒の信仰とともにあるのか。
 弥陀が念じられた須弥山とは、まさしくここ富士の峰か、我もまた徐福の如く、この山麓に、わが愛する黒駒を心ゆくままに走らせて寂光土をここに現ぜんかなーと太子は、明けゆく秀麗な大自然の中を御夢とともに限りなくかけめぐられたのである。

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2017.02.17

『大川隆法の霊言―神理百問百答』 米本和広・島田裕巳 (JICC出版局)

Th_81mbxx8vll こそ復刊を願う名著(?)。
 今から25年前の本ですが、基本的なことは何も変わっていませんので、ぜひとも皆さんに読んでいただきたい。
 「〜の霊言」シリーズのパロディで、大川隆法自身の守護霊を降ろしてしまった本。本人のホンネが聞けて実に面白い。
 私の、教団、教祖に対する考え方も四半世紀前から変わりません。申し訳ないが笑ってしまう。しかし、それがこうして生き残り、成長し、ワイドショーネタとなり、政治ネタとなるというのも事実でして、それは私が研究している大本、出口王仁三郎についても全く同じことが言えます。
 昨年、歴史学者の伊藤隆先生にお会いした時にも申し上げましたが、私はそうした民衆の裏の歴史に興味があるのです。なぜ、こんなバカげたこと、嘘っぱちに民衆は踊らされ、そしてその影響もあってか、政治家や実業家、軍人や皇室までが動かされ、事実としての歴史を紡いでしまうのか。
 そう、ある部分では「笑えない」わけですし、もしかすると、向こう側の世界が正しくて、こっち側が間違っているのかもしれない…。
 そういう可能性も含めて、私は宗教に対しては常に冷静でいたいと思っております。いちおうかつて新宗教研究会の会長でしたし。 今は「地獄で会おう会」会長(笑)。
 そう、だいたいの宗教は「天国」「極楽」を目指し、「地獄」に行かないためのものですから、「地獄で会おう会」に入っていれば、絶対に宗教に勧誘されることはありません。最強でしょ(笑)。
 この本では、やはり仏教のほかに、やはり出口王仁三郎や高橋信次の影響が語られています。まあその通りでしょう。現代の新々宗教で両者の影響を受けていないところはありませんよ。
 そのあたりにかなり詳しくなってしまっているワタクシ、おそらく「教祖」になるくらい簡単にできます(笑)。しかし、できるけれどもやらないところが、私の信仰心なのです(なんてね)。
 ところで、昨年公開された「金正恩の霊言」ですが、なんだかこれを聴くと金正男暗殺もさもありなんという感じですよね。なんだかんだ言ってトランプ当選も予言しているし、やっぱり大川隆法先生は、ワタクシと同じくらい立派な霊能者のようです(笑)。

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2017.02.08

『バッハ・古楽・チェロ アンナー・ビルスマは語る』 アンナー・ビルスマ&渡邊順生(著)加藤拓未(編集)

Th_512xlfqfcl_sx355_bo1204203200_ 晴らしすぎる!久しぶりに興奮しながら本を読みました。私が言いたいこと…なんていうと偉そうですが、感じていたことが全て書いてある。
 古楽というジャンルの様々な矛盾…それはあらゆる「ジャンル」に当てはまることですが…を軽く飛び越えて真実に迫っている。私はこういう発想と行動が大好きです。事実ではなく「真実」の探求。
 私はビルスマの演奏を生で聴いたこともありませんし、実際にお会いしたこともないのですが、その息吹というか、DNAというかは、多くの演奏家の方々から感じてきました。
 もちろん、この本での対談相手であり、共著者でもある渡邊順生さんからもいろいろ勉強させていただいています。
 「歌う」ではなく「語る(しゃべる)」。音楽は「物語」。この本における原点は、私の「モノ・コト論」にもつながってきますし、そういった音楽や世界観から感じている高次元宇宙のメッセージとも直結しています。
 そして、最近触れている歴史哲学が「歴史学」の対象ではなく、どちらかというと文学や音楽などの芸術と親和性が高いというのにも関係している。ビルスマのアンナ・マグダレーナ写本に対する姿勢は、まさに芸術家のそれ。
 そう、彼の語る「芸術」と「文化」の違いも面白かった。芸術は「今」生きているモノであると。文化は「コト」なんですね。その「芸術」の生命力の源である即興に関する論もなるほどでした。
 そういう流れの中で、ビルスマの音楽解釈が言語的というより映像的であるというのも納得できるところでした。言語は死んでいるんですよ。コトの葉ですから。固定化されている。映像は流動的です。
 楽譜というのは言語です。そこに生命を吹き込むのが人間の演奏です。ですから、彼が練習での決め事に執着しないというのは当然のことだと思いました。
 また、たとえば私もとらわれてしまっている、強拍(特に1拍目)はダウン・ボウで弾くべきだというような「常識」というコトからも、彼は全然自由です。かっこいいなあ。コトを極めてモノに至る。序破急ですよ。
 そしてワタクシ個人として大興奮したのは、バッハの無伴奏チェロ組曲のヴィオラによる演奏の可能性についての記述です。バッハ自身は当然ヴィオラで演奏した、あるいは作曲しただろうなというのが、私の実感でしたから。
 また、そういうことになると、私がここのところ演奏している5弦ヴィオラの存在もトンデモではなくなってくる。そう、組曲の第6番は5弦のための楽曲じゃないですか!ついでにモダン楽器にガット弦張って弾くことについても、ビルスマさんは私の味方です(笑)。
 そんなわけで、私も5弦ヴィオラでバッハのように(!)この名曲群を演奏してみようかと思っています。
 最後に、皆さんもおっしゃっていますが、この本のとんでもない素晴らしさのバッソ・コンティヌオは、訳・編者の加藤拓未の日本語力であると、私も強く思います。そして付録のCDの価値もとんでもありません。拝聴しながら美空ひばりを想起したことが全てですね。

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2017.02.06

『アジアを救った近代日本史講義』 渡辺利夫  (PHP新書)

戦前のグローバリズムと拓殖大学
Th_417xzlk24l 日はこの本の著者の渡辺利夫さんにお会いする機会を得まして、1時間ほど熱い熱い対話をさせていただきました。
 この私にとって望外の幸運に出会えたのは、まさに2週間前に読んだこの本のおかげさまであります。
 仲小路彰の「グローバリズム」を学んでいる私が、なんとなく「戦前のグローバリズム」という言葉に惹かれ手に取ったのがこの本。
 拓殖大学の総長も長年務められ(現在は顧問)、また多くの団体の重要なポジションにおられる渡辺先生は、私からすると雲の上の人物。純粋に本の内容も素晴らしく勉強になることばかりだったのですが、その中になんと、仲小路彰が主宰していた「スメラ学塾」の文字があるではありませんか(文中では「スメラ塾」となっていました)。
 ジャワでの宣伝戦で活躍した、拓殖大学出身の若林光也さんらの活躍ぶりが紹介されていました。ジャワという文字を見て、ふと思い出した文献があり、家に帰って確認してみると、なんとまさに若林さんらの宣伝工作部隊に関する文書があるではないですか。
 驚きのあまりに、先週さっそく渡辺先生が理事長をされている地元山梨総研を突撃力で訪れて、結果今日のこの邂逅に一気にこぎつけてしまいました。普段お忙しく、なかなか故郷である山梨においでになる機会のない渡辺先生が、ちょうどお仕事でいらっしゃるというのですから、完全に目に見えない力が働いていますね。
 さあ、実際にお会いしてじっくりお話させていただいたのですが、いやあ本当に想像以上に魅力的な立派な先生でいらっしゃいました。私のようなどこの馬の骨かも分からぬ者の話を、メモを取りながら一生懸命聞いてくださり、大変有用なアドバイスも多数いただきました。本当に大感謝であります。
 今度また飲みながら(笑)ゆっくり話しましょうとおっしゃってくださり、本当に今後の未来的発展に明るい希望を与えていただきました。ありがとうございます!
 それにしてもこの流れはなんなのでしょうか。全く無駄がないこの流れ。これは大きなことが動き出しますね。皆さんも期待していてください。日本はすごいことになりますよ、きっと。私も微力ながら頑張らせていただきます。
 悠々として、急げ…です。

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2017.02.01

『ビル・ロビンソン伝 キャッチ アズ キャッチ キャン入門』 鈴木秀樹 (日貿出版社)

Th_51isbddgfrl_sx357_bo1204203200_ れはすごい本!マニアにはたまらないでしょう。また昨日のDVDと同様、他の格闘技をやっている方々にも非常に有用でしょう。
 実際昨日の我が校柔道部のDVDの世界ともつながっています。技術的なこともそうですが、この本の著者である真のプロレスラー鈴木秀樹選手の盟友であり、今はプロレスラーにして我孫子市議会議員でもある澤田敦士は、昨日のDVDの主役矢嵜雄大監督の明大柔道部の後輩、それも特別にカワイイ後輩ですからね。
 こちらに実はちょこっと書いたんですが、先日の本校柔道部の祝賀会にも、シャレた(シャレにならない?)電報をくださりました(本当は出席予定だった)。
 もうだいぶ前になりますが、鈴木・澤田両選手は本校の餅つき(笑)に参加してくれたこともあり、その時は矢嵜監督も一緒でした。
 この本、格闘技は観る専門のワタクシには、いわば「実益」というのはほとんどないのですが、もう連続写真を見ているだけでも、それこそスパーリングや試合を間近で(それも解説付きで)観ているがごとき贅沢な興奮がありました。
Th__20170124_7_56_53 というわけで、これはワタクシがにやにやしながら眺めているよりも実益のあるところに置いておいた方がよかろうと思い、矢嵜監督率いる柔道部にこの本を贈呈いたしました。
 そして、さっそく選手たちがこの本を参考に体のさばきやスープレックス(笑)の練習を始めております。いやいや(笑)じゃないですよ。先日も全日本の柔道女子がレスリングの金メダリストたちに、また昨年は男子が青木真也選手に学んでいたではないですか。
 それは本来の柔道ではない!という頭の硬い方もいますが、私や矢嵜先生は逆に本来の柔道は「なんでもあり」「なんでもこい」的な世界であり、今の柔道こそ伝統と言いながら狭い世界に閉じこもってしまったと思っているので、逆に自然な流れに感じられるんですよね。
Th__20170202_10_55_53 今日もサムライTVバトルメンに乱入して本書を押し売りしていた(笑)鈴木秀樹選手。ぜひとも我が校を再訪していただき、柔道部にてセミナーをやっていただきたいものです(押し売りお断り…笑)。
 ビル・ロビンソン先生とアントニオ猪木先生直伝の技術とスピリットを受け継ぐ男、鈴木秀樹選手のこれからの活躍にも期待したいと思います。ワタクシとしては、某メジャー団体に殴り込みをかけてほしいなあ。ぜひ押し売りしに乱入していただきたいと思います。

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2017.01.22

『教養としての「昭和史」集中講義』 井上寿一 (SB新書)

教科書では語られていない現代への教訓
Th_71w8lg7nrl 当の生きた歴史を学びたいと思いつつ、データ的な知識つめこみに対する反動からか、偽史(古史古伝)や出口王仁三郎の物語、さらには陰謀論などに逃避する傾向があった私が、ここ数年でまたある種の「トンデモ」に出会ってしまい、ではますます迷走するのかと思いきや、いろいろな事情からやっと王道、正道に戻りつつあります。
 その、私にとっての最新「トンデモ」は、昨日の記事でも紹介した仲小路彰です。
 昨年、日本近現代史の重鎮伊藤隆先生にお会いして仲小路について意見交換をした時、先生は「アブナイ」と言いました。たしかに、仲小路はいろいろな意味で危ないかもしれません。
 一つには、その遺した情報の内容が実際「トンデモ」であること、そして、その内容が「トンデモ」で片付けられないような「事実」をも内包しているからです。
 前述のように「トンデモ」には全く抵抗がない(免疫がある)、私でもけっこうドン引きするような発見が相次いでいるわけですから、その道の大家としては、今さら火中の栗を拾う必要はないと判断するのかもしれません。分かります。
 私は専門家でも大家でもないので、それなりに仲小路的世界に向き合っていく覚悟ですけれども、やはり王道、正道を知らなければ、その正しい評価さえできません。
 そういう意味で、最近はそうした王道、正道の、それも最新の研究成果をよく勉強するようにしているわけです。
 とは言え、そうしたものはお堅い論文がほとんどでなかなか読む機会がありません。かと言って、本屋に積まれている「日本史ブーム本」の数々は、それこそトンデモな陰謀論か、数十年前の常識の反芻、あるいはある種のイデオロギーを補強するために恣意的に選択され編集された物語であったりして、あまり参考にならないどころか、百害あって一利なしとも言えるアブナイ水域です。
 そんな中、学習院大学学長井上寿一先生のこの本は大変素晴らしいと感じました。最新の研究成果、それも単一の視点ではなく、複数の視点を導入し、また、現代の社会状況とのアナロジーを重視して語ってくれているのです。特に、現代との比較によって、私たちシロウトは深い興味と理解を促されます。たとえば、アベノミクス、トランプ現象、シン・ゴジラ、安保法案、憲法改正問題、なんでも反対野党(笑)などなど。
 この本の冒頭にある井上さんの言葉を引用します。

 歴史とはいわば過去のデータベースですから、それを参照していまの文脈に当てはめてみる。そういうふうに考えれば歴史は無味乾燥なものではなくなります。
 言い方を変えると、今日的な関心がなければ、過去にさかのぼる必要はない。歴史を学ぶ意味はないとさえ私自身は思っています。

 そうした多様性、重層性、また反復性そこが「歴史の生命」ですよね。お恥ずかしい話ですが、この本によって、ようやく歴史学習の面白さを知りました(マジです)。
 特に戦前、戦中、戦後史という、学校ではすっ飛ばしがちなところ、またある種の情報操作によって、近いはずなのに妙に遠かった「近過去」が生き生きと感じられるようになりました。ありがたや。
 もちろんこの本は「シロウト」「一般人」向けですから、情報としては表面的かもしれません。しかし、私のように、この本を入り口として、自分につながる生きた近過去の歴史に興味を持ち、自らすすんで学習し、調査する人が増えるといいと思います。
 学者さんのお役目の一つがこういうことなのでしょうね。結果として、在野も含めて、歴史研究が進み、本当の意味での「戦後レジームからの脱却」「先の戦争の総括」に歩を進めることができるのでしょう。まさに啓蒙の書だと感じました。
 王道、正道知ることによって、ますます「トンデモ」世界に興味が沸いたというのも事実です。その内容が誇大妄想であれ、実際にそれによって多くの人々が動いてしまったのは間違いのない事実ですから。私はそっちの担当が向いているようですし。

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2017.01.16

平井基之 『戦略的〝東大〟合格法 受験勉強には意義がある』 (正論2月号)

Th_1433859_p 日、受験は戦略!と強調いたしましたが、それをもっと論理的に説得力ある形で表現してくれているのが、「正論」2月号の平井基之氏の文章であります。
 平井基之氏…なんて堅苦しい呼び方はやめましょう。私にとって平井くんは盟友であり、尊敬すべき後輩であります(東大に理系、文系両方で合格しているだけでもスゴイ)。
 この記事の筆者紹介にも記されているように、彼は私の学校に勤務し、主に大学進学について多大な貢献をしてくれた先生です。今は独立して「プロ家庭教師」として活躍中です。
 昨年は彼の結婚式の媒酌人を務めさせていただきました(こちらの記事参照)。また、昨年のファーストレディを招いての忘年会にもご夫婦でお招きいたしました(こちらの記事参照)。
 教育を通じて日本の、そして世界の未来を良き方向に導きたいという志において、私たちは共有するものがあると同時に、たとえば「受験」に関しても単なる大学に入るための手段と捉えるのではなく、もっと大きな視点から意味を見出しています。
 受験勉強というと、そのシステムのことも含めて批判の対象になりがちです。だいいち、こんな、大雪が降る確率が高く、インフルエンザもピークを迎えようかという悪条件の時期にやること自体、非常に理不尽です。
 しかし、その理不尽には日本的な深い意味があったりする(理不尽という優しさ参照)。また、そうした理不尽、悪条件を人生の縮図として捉え、それを「根性」+「戦略」によって乗り越えていくというのは、実は大変未来的な勉強になる体験だったりするわけです。
 平井くんとはそんな話もしてきたわけですが、彼はさらに一歩進めて、「国を護る」ためにそうした戦略体験が大いに役立つと語ります。昨日の私の記事で歴史的なことを書いたのには、彼のそうした言説の影響があるのですね。
 自分を知り、相手を知り、社会状況や自然状況を知り、そして未来を構想して、その実現のための現実的戦略を練る。これはたしかに、大学入試だけではなく、スポーツや、さらに国防や外交の世界でも基本中の基本です。
 体調管理や交通手段なども含めて、いかにして自分を有利な立場に持っていくか。それは単なる積み重ね学習や、ましてや根性だけではどうにもなりません。
 特に「情報戦」ですね。生徒たちにはよく話していますが、今の時代、そしてこれからの時代を考えたとき、大学入試において「情報戦」で勝つということは非常に重要です。
 特に教育界では様々な場面で行き過ぎた平等主義、競争排除、失敗忌避が横行しています。そんな中、大学入試は有意義に過酷であり、またある意味平等な体験の場なのです。
 機会の平等とか言いながら、なんだかんだ頑張った者が報われなかったり、正直者が馬鹿を見たりするのが、人日の世の中。そんな中で、私は大学入試は総合的にはかなり平等な場だと思っているのです。
 というわけで、平井くんの文章はとても面白く、納得のいくものですので、多くの学生、保護者、そして先生たちに読んでいただきたいと思います。正論2月号、他の記事も面白かった。ぜひ。

Amazon 正論2月号

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2017.01.03

『ジャニーズと日本』 矢野利裕 (講談社現代新書)

Th_510zvmnpqsl_sx301_bo1204203200_ 日の続きともなりましょうか。渡辺和子さんは「置かれた場所で咲きなさい」と言いました。それはSMAPの「世界に一つだけの花」につながると言えます。
 渡辺和子さんは父親が背負った「日本の悲劇」からクリスチャンになり、そしてキリスト教に自由と個性と民主主義を見出しました。
 ジャニー喜多川さんは、日系二世としてアメリカのエンターテインメント(特にミュージカル…最初はベースボール)を通して、日本人に自由と個性と民主主義を伝えようとしました。
 そうした戦後のアメリカ文化受容(もちろん押し付けという反面もあるわけですが)の様子を、特に音楽的な背景を詳細に記述することによって明らかにした本です。とても面白かったし、勉強になりました。一気に読んでしまった。
 実は今日、たまたまですが、上の娘が帝国劇場で行われた「ジャニーズ・オールスターズ・アイランド」に行ってきたんですよ。それで大興奮で帰ってきた。なんだか、大好きな永瀬廉くん(と誰か)とハイタッチしただとか…よく分かりませんが(笑)。
 娘は午前中、村の厄払い行事に参加してからの上京でしたから、「神様に感謝!」と言っておりました。まあ、間違ってないな。芸能と神事とは深いつながりがあるのが日本ですから。実際、厄払いをした八幡神社には、立派な回り舞台があります。かつてお隣静岡から芸能集団が来たのだとか(非日常のマレビトですね)。
 さらに面白かったのは、その舞台の内容です。いや、厄払いじゃなくて、ジャニーズの方。なんでも、戦争中の話、大東亜共栄圏のこととか、硫黄島での玉砕(徹底抗戦)の話とか、戦後の復興、過去と未来の東京オリンピックの話などが満載の内容だったとか。
 昨年の舞台も特攻隊の話とか、そういう感じだったそうで、さらに太鼓や三味線の演奏などが繰り広げられたのだとか。
 そう、この本でいうところの「ジャパニズム」満開なわけですよ。アメリカ文化を伝えようとしたジャニーさんが行き着いたのが、実は非常に日本的な、ある意味保守的な世界だったというが面白い(インターネットに消極的な商売の姿勢も保守的と言えば保守的ですよね)。
 これは日本文化の特徴です。浮世絵とフランスのジャポニスムの関係を挙げるまでもなく、日本というのは「逆輸入」によって自己の価値を知ることが多い。また、外来文化を自由に取り入れつつ、いつのまにか、オリジナルより高度な独自の文化に昇華してしまうのが得意。
 そういう意味では、まさにジャニーズ文化というのは、宝塚と同様に、結果として非常に「日本的」な世界を築くに至っているわけですね。面白いことです。
 矢野さんが指摘している、日本のアイドル文化は単なる「未成熟」ではないというのは、ある意味では神道的な「常若(とこわか)」の価値観、思想に近いものがあると感じました。
 そう、SMAPやTOKIOや嵐が実現した世界観、アイドル像は、世阿弥が風姿花伝の「年来稽古条々」で語った、まさにその年齢なりの「花」に該当すると思います。
 そうした、固定概念、社会通念から自由になった「花」のあり方という観点からすると、実は日本はすでに充分に自由や個性を重んじた民主主義の世界であったとも言えましょう。
 逆説的になりますが、ジャニー喜多川さんが示してきた、あるいはこれからも示し続けるであろうモノは、実は、日本人が忘れてしまった「純日本的なるもの」なのかもしれません。それはいつものように「外から観た日本」として意識化されるのです。
 それもまた、世阿弥の「離見の見」に近いところがある。日本人はいつも大切なモノを忘れてきました。それは決して悪いことではなく、私の言うところの「国譲り」の作法ということになります。無意識化することによって純粋保存する、忘れることによって遺すという最強の作法。
 そう考えると、ジャニーズの掟からはみ出して、それぞれの「自我」を発揮してしまいながら「国民的アイドル」となったSMAPという存在と、その解散劇が意味するところが分かってくるように気もします。
 そういう視点で戦後を見直すのに、この本は最適だと思います。ジャニーズのみならず、その背後にある音楽的、芸能的、政治的背景が上手にまとめられています。
 もしかすると、本当に「戦後」は終わろうとしているのかもれません。そのあたりについて、今私は仲小路彰の戦後対米政策を通して勉強しているところです。アメリカの言いなりになっているように見せかけて実は利用していた…そのあたりについて、ぜひジャニーさんとも話をしたいところです。

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2017.01.01

あけましておめでとうございます(2017年賀状公開)

2017

 けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。
 今年は平成29年でありますが、来年平成30年がいろいろな意味で重要な年となりますので、その準備期間としてやらねばならなこと満載であります。
 何事も本番よりも事前の準備が大切ですよね。準備がちゃんとしていれば本番はなんとかなるものです。というわけで、今年は真剣にやらなくてはならないですね。
 なのに年賀状は「文春」ネタで作りました(笑)。スタートからして、またふざけてるではないか!とのお叱りの声が聞こえてきそうであります。てか、文春さん、勝手に使ってゴメンナサイ。
 実はリアル年賀状につきましてはですね、プリンタのトナーが品切れで年明けでないと入荷せず、まだ出しておりません。たぶん忘れた頃に届くと思いますがご了承ください。
 今回はPhotoshopを使って、どこまで雑誌の紙面を再現できるかに挑戦しました。結局印刷すると不明瞭になってしまって無駄骨になってしまったのですが、紙の質感とか、裏ページからの裏写り感とか、いわゆる「ワープ(曲げ)」のしかたとか、いろいろ勉強になりました。
 本文も適当に作って書き下ろしたんですが、結局読めません…というか、読めないようにしました。
 実はほかにも暗号めいたことや、隠しメッセージもあるんですけど、ま、誰も分からないでしょう。
 というわけで、今年もまた「地球平和」実現のために、いろいろなところに出没いたしますので、よろしくお願い申し上げます。
 

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2016.12.22

『山口組分裂と国際金融』 猫組長・渡邉哲也 (徳間書店)

インサイダーが明かすヤクザとカネと世界経済の関係
Th_612yaisrkyl_sx339_bo1204203200_ 日の三島由紀夫の話の続きともなりましょうか。
 三島は「暴力」を肯定しました。それは私の解釈によれば、カネや法といった「近代」の否定の裏返しでした。
 私は世の中を理解する時に、あえてですが、「カネ」=「暴力」という等式を使うことが多い。
 すなわち、子どもの世界であれば、ある種の「暴力性」を持った強者が弱者から食べ物を取り上げることができるのと同じように、大人の世界では、「カネ」があると食べ物にありつけるということです。
 もちろん、それは食べ物に限りません。全ての本能を満たすためには、子どもは「暴力」、大人は「カネ」が必要です(あえて極論しています)。
 そう考えると、この本で語られている「ヤクザ」と「カネ」の話は分かりやすくなりますね。ただ、面白いのは、(単なる暴力団ではない本来の)「ヤクザ」にはルールがある。任侠道というルールがあるのに対し、「カネ」の世界、実体経済ではない現代的な「国際金融」の世界はノールールです。
 「弱きを助け強きを挫く」というルールがあるかないか。これは非常に重要な分岐点です。近代合理主義は、そうした保守的な、人間としての信仰心に近い「情」を排除して成り立ちます。結局のところ唯物論なのですね。
 このたびの山口組の分裂が、結局のところ、そうした分岐だったのいうのは知りませんでした。近代合理主義的な六代目山口組と、保守本流で「ヤクザ」回帰を目指す神戸山口組。
 こうしたお互いの軋轢に見られる苦悩は、まさに三島が直面したものと同じではないでしょうか。あえて乱暴に言うならば、三島が神戸山口組で、あの時の自衛隊は六代目側だったと。
 もちろん歴史は単純にはくり返しません。この分裂騒動の結末がどうなるか分かりません。ただ、世界の動きが、経済にせよ、政治にせよ、反グローバリズムの方向に向かっているのは事実です。
 私は、今の世界の動きを、単純に「グローバリズム」に対する「ナショナリズム」の反撃とは捉えたくありません。そうした二元論的な対立軸で世界を捉える時代こそが終わりつつあると思うからです。
 そう考えますと、この山口組の分裂は一つの「雛型」になる可能性もありますね。神に近い世界での「物語」ですから。
 700年間北朝と南朝に分裂したままの天皇家と、このたびの譲位の問題もまた、それに関わっているかもしれない。
 つまり、これからは対立によって結果(勝敗)を決めるのではなく、実際的な意味での弁証法的な方法によって、すなわち融合や統合、止揚、昇華といった形での結果を求められる時代になるのかもしれません。いや、きっとそうです。
 そういう意味で、今後の山口組と神戸山口組の動きには注目していきたいと思っています。
 それにしても、この本は面白かった。戦後の経済史の復習、最新経済の勉強にもなりますし、ヤクザ史としても実に学ぶところが多かった。
 そして、何と言っても、私の「カネ」=「暴力」という、思考の前提がそれほど間違っていなかったということを確認させてくれたことが嬉しかった。
 続編として半分冗談で予告されている「ヤクザと石油」もぜひ読んでみたいですね。
 いつもながらの渡邉哲也さんの分かりやすい(優しい)解説と、博識かつ冷静な猫組長の重厚な語りに感謝です。

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