カテゴリー「書籍・雑誌」の1000件の記事

2021.01.20

『「生きる力」としての仏教』 町田宗鳳・上田紀行 (PHP新書)

Th_51v0zndriil 日は仏教についての本を読みました。

 先日お会いし、コロナが落ち着いたら飲みましょうと約束させていただいた町田宗鳳先生と、東工大のリベラルアーツ教育院長にして武内陶子さんのダンナさん(!)である上田紀行先生の、めちゃくちゃ興味深くエキサイティングな対談。

 仏教を「未来を切り開く爆発」と捉えるお二人のトークは、噛み合ったり、ぶつかったりしながら、どんどん熱を帯びていきます。

 そこにはいわゆる暗く静かなイメージとは反対の、明るくまぶしい光を感じました。

 本来、宗教とはそういうものなのではないでしょうか。そして縁起とはそういうものなのではないでしょうか。

 私は「生きる力」という言葉があまり好きではないので、よく「死なない力」という表現をします。

 この対談でキーワードとなっている「エロス」と「タナトス」を総合すると、私は「死なない力」になるように思います(なんとなくですが)。

 「死なない」には「生きる」という意味もあり、また死後も生き続けるという意味もあるからです。

 ですから、もし、もし私がこの二人の対話に割って入るなら、『「死なない力」としての仏教』を放り込みたいと思います。

 私は、見た目だけのエセ坊主ですから、人間界では偉そうなことはとても言えませんが、それでも宇宙人の大先輩としてのお釈迦様の言いたいことがなんとなくわかるのです。なんとなく。

 私も、昨日の出口王仁三郎のように、最後は言葉(コトの端)ではなく、何かモノを作って表現しなければならないのでしょうか。そのためにも、この対談のように、自我のコトを徹底的にぶつけ合っていかねばならないのかもしれません。

 最近もある仏教系大先輩との対話の中で、けちょんけちょんにダメ出しされてますが、これからもいろいろな方と「問答」してみたいですね。それが結局、モノの本質に近づく王道なのかもしれません。つまり、漸近線のごとく絶対に到達できないけれど確実に近づくことができる「マコト」が、そこにあるのでしょう。

「生きる力」としての仏教

| | コメント (0)

2021.01.17

今こそ!俺たちの東京スポーツ最強伝説

Th_ermsq_dvcaafy9w548x365 近、ウチの女子3人がK-POPアイドルにキャーキャー言って幸福感を味わっているようで、なんとも羨ましいなあ、男にはこういう世界はないなあ…と思っていたら、ありました(笑)。

 今日新宿ロフトプラスワンで行われたイベント「今こそ!俺たちの東京スポーツ最強伝説」が、実に萌え燃えでした。

 うん、やっぱりこういう世界が好きだし、めちゃくちゃ自分の人生に影響を与えているのだなあと思った次第です。東スポとムーね(笑)。

 まあ、こういう世界観を受け入れられるか、あるいは楽しめるか、あるいははなから無視したり、馬鹿にしたりするかで、人生の豊かさは大きく変わってくることでしょう。

 プロレス、野球、芸能、競馬、性風俗、カッパ、UFO、宇宙人、そして1面タイトル名作集…討論メンバー、ゲストの皆さんの話が抱腹絶倒すぎて、久しぶりに酸欠になってしまいました。ホント男のロマンはここにあり!っていう感じでしたね。女に負けていられるかと(笑)。

 たしかに現在のSNSのフェイクとファクトの按配、そして炎上商法など、ずいぶん昔からやっていたんですよね、東スポさんは。

 これはもう完全に「文化」です。東スポ博物館とか出来たら、ぜったい世界中から人が集まりますよ。ぜひ、あえて「東京」ではなく「富士山」に造ってもらいたい。

 1600円払って、これだけ楽しめるのであれば、めちゃくちゃ安上がりです。とりあえず2回観ました。次は多少オヤジ臭のするウチのカミさんと一緒に楽しもうと思います。

 ということは、カミさんは男女両方の萌え燃えを楽しんでいるということか。最強だな。

 今こそ!俺たちの東スポ最強伝説

 東スポWeb

 

| | コメント (0)

2021.01.16

『江戸の妖怪革命』 香川雅信 (角川ソフィア文庫)

Th_51uuenykcdl_sx353_bo1204203200_ あ、昨日「特攻」と書いた共通テストが始まりました。ウチの次女はしっかり玉砕して帰ってきました(苦笑)。

 センター試験時代はよく問題評(批判)をやっていましたが、直接の現場を離れてしまった今、そこまでの根性がありません。ただ、いちおう全部は解いてみました。

 記述式が採用されなかった点も含めて、基本的な構造はセンター試験、いやその前の共通一次試験と何ら変りはありませんが、設問にはそれらしく今風なものも散見されました。

 文章として興味深かった(すなわち高校生も取り組みやすかった)のは、第1問評論の香川雅信さんの「江戸の妖怪革命」の序章でしょう。こちらでぜひお読みください。

 ワタクシの「モノ・コト論」とは少し違う解釈ですが、共通している部分も多かった。

 近世中期から妖怪のフィクション化(キャラクター化)が始まり、実は近代になって再び中世的なリアリズムを取り戻したというのは、よく分かります。

 近代は心霊の時代、現代はスピリチュアルの時代ですからね。私もどっぷりそこに浸かっている。そして、その中心には「私」がいるというのが面白い。

 この本の全編を読んだわけではありませんから、細かいことは分かりませんが、おそらく現代日本の妖怪ウォッチやポケモン、そして鬼滅の刃につながっているような論考になっているのではないかと推測されます。

 私は独自の「モノ・コト論」から、「もののけ」のモノ(無意識・不随意・他者)と「ことば」のコト(意識・随意・自己)を対比させて、妖怪の変遷を捉えており、もののけがいくらキャラ化して(名付けられ、デザインされ、図鑑化されて)愛すべきコトになっても、膨大無限なモノ世界からどんどん「わからないモノ」は供給されて、言葉にはならない「モノ」の気配たる「もののけ」がなくなることはないと考えています。

 新型コロナウイルスもそういう「もののけ」の一つとして健在であり、こうして共通テストという型にはまったコト世界を見事に揺さぶっているのでした。

 そして、香川さんの言うように、そんな「もののけ」を退治することができず、対峙するしかない私たちもまた、「私」に潜む新たな、しかし実は昔からずっと同居している「妖怪」と対峙せざるをえなくなっているわけです。

 さあ、いつになったら、私たちは新型コロナを因果理解の中でコントロールすることができるようになるのでしょうか。しばらく妖怪の跳梁跋扈は続きそうな予感がします。

Amazon 江戸の妖怪革命

| | コメント (0)

2021.01.15

『聖断 天皇と鈴木貫太郎』 半藤一利 (文春文庫)

Th_51qrnjotobl_sy346_ 藤一利さんが亡くなりました。残念です。

 半藤さんにも仲小路彰の残した文書群を見てほしかった。間に合いませんでした。

 半藤さんの本の中で、特に印象に残っているのは、この「聖断」です。

 二・二六事件の安藤輝三の霊に関わってから、私たち夫婦は鈴木貫太郎に対する格別な思い入れを抱くようになりました。

 その鈴木の人柄をこれほど的確に表現した作品はありません。的確ではありますが、実に淡々としている。いわば文学的に表現しているのです。

 そして、その鈴木を照らす天皇の威光、いや鈴木に照らされる昭和天皇の苦悩。

 日本の運命には、やはり神がかった何かがありました。

 たとえば、「聖断」の背後には、やはり安藤輝三の思いもあったことでしょう。

 そうした裏ストーリーを知ってしまってから読むこの本には、別格の感動があります。

 さらに言えば、この本にも重要なポイントで登場する高松宮。その裏に仲小路彰があったわけです。

Th_unknown_20210116143201 終戦へ向けての対ソ政策については、この本だけでなく一般には、近衛文麿に白羽の矢が立ったごとく語られていますが、その裏では、高松宮を特使とする別計画が練られていました。

 すなわち、仲小路のグループは、戦前から近衛が左翼勢力やユダヤ国際金融資本と結んでいて、日本を世界大戦に巻き込ませたことを察知していたので、終戦にあたって再び近衛に「活躍」させることはなんとしても避けたかったのです。

 そのへんの裏事情を知ってから、またこの本を読むと実に興味深い。スリルと言っては不謹慎ですが、ものすごい緊張感の数カ月間ですね。

 さて、半藤さんは昭和史の反省からの教訓として、次の五つを挙げています。

 ①国民的熱狂をつくってはいけない。そのためにも言論の自由・出版の自由こそが生命である。
 ②最大の危機において日本人は抽象的な観念論を好む。それを警戒せよ。すなわちリアリズムに徹せよ。
 ③日本型タコツボにおけるエリート小集団主義(例・旧日本陸軍参謀本部作戦課)の弊害を常に心せよ。
 ④国際的常識の欠如に絶えず気を配るべし。
 ⑤すぐに成果を求める短兵急な発想をやめよ。ロングレンジのものの見方を心がけよ。

 明日から共通テストが始まります。コロナ禍の中でありながら、教育現場はほとんど総特攻の状況です。若者の命よりも予定通り戦うことを優先しています。

 私は昨年からずっと大学のみ9月入学を訴えてきました。コロナなくともこの厳寒期に人生を決する試験を行なうべきではないということです。

 日本はいまだ変わらない。変われない。残念であり、恐ろしいことです。

 半藤さんの遺言をしかと胸に刻み、そんな旧弊と戦っていかねばなりませんね。

Amazon 聖断

| | コメント (0)

2021.01.13

神俗もまた不二一如 (出口王仁三郎)

Th_0432 日の続きとなります。

 善悪や正邪が不二であるとはよくわかりました。王仁三郎はさらに神俗も究極的には一如であること語ってくれます。

 これは私たち凡夫にとっては、非常なる救いとなる言葉です。普通の宗教者は、我欲を捨てろと言います。それが第一歩かのように言います。

 しかし、王仁三郎は違う。スケールの違いだと言うのです。自我の宇宙的拡大。私はこの言葉に救われました。そして、今も救われています。

 自分の延長線上に神がいる。そういう意味では私たちは「神の子」「子どもの神」であって、そのまま成長すれば(スケールを拡大すれば)神になれるという自信、安心。

 昨日の「回顧録」の続き、少し中を飛ばして「顕幽一致」のラストの部分をお読みください。

 禁欲主義はいけぬ。恋愛は神聖であると謂って、而も之を自然主義的、本能的で、即ち自己と同大程度に決行し、満足せんとするのが凡夫である。之を拡充して、宇宙大に実行するのが神である。

 神は三千世界の衆生は、皆わが子となし、一切の衆生を済度せんとするための、大欲望があるのである。凡俗は我が妻子眷属のみを愛し、少しも他を顧みないのみならず、自己のみが満足し、他を知らざるの小貪欲を欲にするものである。人の身魂そのものは、本来は神である。故に宇宙大に活動し得べき、天賦的本能を具備して居る。夫で此の天賦の本質なる、智、愛、勇、親を開発し、実現するのが、人生の本分である。之を善悪の標準論より見れば、自我実現主義とでも言うべきものである。吾人の善悪両様の動作が、社会人類の為め済度の為めに、其儘賞罰二面の大威力、大活動を呈するように成るものである。此の大なる威力と、活動とが、即ち神である。所謂自我の宇宙的拡大である。

 孰れにしても、此の分段生死の肉身、有漏雑染の識心を捨てず、又苦穢濁悪不公平なる現社会に離れずして、悉く之を美化し、楽化し、天国浄土を眼前に実現せしむるのが、皇道大本の成神観であって、また一大眼目とする所である。

| | コメント (0)

2021.01.12

善悪不二・正邪一如 (出口王仁三郎)

Th_unknown_20210113111801 日の「ジョーカー」にも書きましたが、何が善で何が悪かという問いに答えはありません。

 全ての争いごとにおいて、こちらの善はあちらの悪です。また、あの時の善が今の悪であったりするのも歴史の必然。正邪もまた同じ。

 それを悟ることが宗教や哲学の目的であるはずなのですが、それまた逆転してしまって、自らを正善、他者を邪悪と決めつけることに終始してしまっている。

 そのような誤りを正すために、近代に現れた聖者である出口王仁三郎が、こんな文章を残しています。

 「霊界物語」の第一巻第二篇第十二章「顕幽一致」からの抜粋です。

 実はこの文章を含む、霊界物語の冒頭部分は、第一次大本事件の直前に書かれた「回顧録」をそのまま使用する予定だったのですが、当時の幹部たちのご都合(善悪正邪判断)によって削除、あるいは改竄されてしまったいわくつきのものです。

 もう21世紀になって久しいわけですから、そのような当時の(今でも続いている)善悪、正邪を乗り越えるためにも、しっかり読んでおきたいですね。

 今日はあえて「回顧録」に従って引用しておきます。当時の時勢から「霊界物語」では削除された部分もあります。

 (「回顧録」第十二章より抜粋)

 凡て宇宙の一切は、顕幽一致、善悪一如にして、絶対の善も絶対の悪も無い。従って又、絶対の極楽も無ければ、絶対の苦艱も無いと謂って良いのである。歓楽の内に艱苦があり、艱苦の内に歓楽の在るものである。故に根の国、底の国に堕ちて、無限の苦悩を受けるのは、要するに、自己の身魂より、産出したる報いである。亦顕界の者の霊魂が、常に霊界に通じ、霊界からは、常に顕界と交通を保ち、幾百千万年と雖も、易ることは無いのである。『神諭』に示されたる如く、天国も地獄も皆自己の身魂より顕出するのである。故に世の中には、悲観を離れた楽観は無く、罪悪と別立したる、真善美も無いのである。苦痛を除いては、真の快楽は求めらるゝものでない。又凡夫の他に、神はない。言を換えて曰ば、善悪不二にして、正邪一如である。佛典に曰う「煩悩即菩提。生死即涅槃。娑婆即浄土。佛凡本来不二」である。神の道から謂えば「神俗本来不二」が真理である。

 佛の大慈悲と云うも、神の道の恵み幸わいと云うも、凡夫の欲望と云うのも、其の本質に於ては、大した変りは無いのである。凡俗の持てる性質その儘が、神であると謂って良い。神の持って居らるゝ性質の全体が、皆悉く凡俗に備わって居ると謂って良いのである。

 天国浄土と、社会娑婆とは、其の本質に於て、毫末の差異も無いのである。斯の如く本質に於ては、全然同一のものでありながら、何故に神俗、浄穢、正邪、善悪が分るゝので在ろうか。要するに此の本然の性質を、充分に発揮して、適当なる活動をすると、せぬとの程度に対して、附したる仮定的の、符号に過ぎないのである。

 善悪と謂うものは、決して一定不変のものでは無く、時と処と位置とに因て、善も悪と成り、悪も善と成る事がある。人を殺すのは悪に相違ないが、一朝宣戦の詔勅が降って、勇士が戦場に出て敵を殺傷しても、是を以て大悪と云う事は出来ない。寧ろ軍功者として賞賛されるようなものである。

(後略)

 

| | コメント (0)

2021.01.05

『平和と命こそ〜憲法九条は世界の宝だ』 日野原重明・宝田明・澤地久枝 (新日本出版社)

Th_41wlqabuol_sx341_bo1204203200_ 日の「ゴジラ」に主演していた宝田明さん、二・二六事件関係でたくさん著書を読ませていただいている澤地久枝さん、そして、残念ながらお亡くなりになりましたが、心より尊敬し、一日一食生活の大先輩であった日野原重明さんによる「平和と命」への讃歌。

 宝田さんは幼少期の満州での体験から、絶対に戦争を起こしてはいけないという信念をお持ちです。だからこそ、ゴジラのテーマを見事に体現されたのですね。

 日野原さんも医師として東京大空襲を体験され、澤地さんも満州での生活や焼け野原となった東京での生活、そして二・二六事件の研究を通して戦争反対、平和を強く訴える立場に立ったと言えます。

 私のような戦後生まれ、それも高度経済成長期の東京で育った者にとっては、時間的な意味だけでなく、遠い昔話でした。

 しかし、出口王仁三郎の研究、そして仲小路彰との出会い、さらに80年後に二・二六事件に直接関わるという奇遇によって、完全に自分ごととして考えるようになりました。これは望外に幸運なことです。

 私も一教師として日々関わっている現代日本の教育は、非常に不可思議なことになっています。すなわち、外見上、システム上、慣習上は今でも軍国主義が横行しているのにも関わらず、教科書の中では戦争について語ることがほとんどないという矛盾。これは大問題です。

 ある意味私の敵である日教組も、言葉の上ではさんざん戦争反対を叫びながら、ほぼ完全な形で軍隊文化を継承している。そして、それが、いじめや体罰、暴言や上意下達、閉鎖的で差別的なシステムなど、現代の教育の問題の原因になっていることに無反省です。

 憲法9条についての論議、攻防も、護憲派も改憲派も本質的なところから目を逸らし、ほとんどが自己満足や自己肯定の手段にさえしてしまっている。

 著者お三人が所属している「九条の会」とも、反対側の安倍政権とも非常に近い関係にある私だからこそ、こういうことが言えるのだと自負しています。私は両方と仲良くしていますし、どちらからも仲良くしていただいていますよ。

 ものすごく上から目線で申し訳ないのですが、両者ともに新しい時代の中で一つ上の次元に進化しなければならないのに、残念ながらそれができないほどに凝り固まった世界になってしまっているのです。それを言向け和すには、まず仲良くなって話を聞いてもらい、そして少しでもいいから変化してもらう。それが私にとっての王道なのです。

 なんか偉そうなことを言ってしまいましたが、馬鹿と言われようが、本気でそう思っていますし、たとえば王仁三郎や仲小路の平和観、戦争観というものを知ってしまったものとしては、ぜひとも彼らが未来に向けて遺した言葉を読んでもらいたいと思っています。そして、その機会を作るべく自らのお役目を果たしていきたいと思っています。

 最後にその象徴として、仲小路彰の憲法9条論の一部を転載しておきます。これが単なる護憲論とは大違いであることは、読んでいただければ分かると思います。

 昭和28年12月発行「地球との対話 16 憲法改正可否に関する具体的問題」より

 今後、日本が自ら防衛し、また阻止しなければならない戦争とは、本質的な意味において、世界的破壊性をもった内外よりする革命であり、第三次世界大戦とは、まさに世界革命勢力の侵入に対する防衛に他ならないであろう。日本は現憲法に規定された旧概念の国家戦争には今後絶対参加する意志はなく、この点現憲法の精神は、日本の決意を示すものとして、そのままなんら変更される必要はないのである。

 (中略)

 この観点に立って平和憲法を考えるときそれは日本の進むべき方向を明示した、むしろ、未来への宣言として考えられるべきものであり、近代国家概念をこえた次の時代に導く最も象徴的、哲学的な最高の理想というべきである。そこには改正されるべきなにものもないであろう。

 (中略)

 それは今後全世界にわたる革命による破壊をもこえて、各国各民族をしてここにまで至らしめねばならない地球の普遍的法の原型となりうるものである。

 それは平面的な憲法改正論の次元をこえたものであり、むしろ平和への最高の道徳律として、さながら聖徳太子の十七条憲法が最高の道徳的規範として、今日にいたるまで少しもその意味を失っていないようにいかなる現実の変貌にも耐えて、今後の人類の方向を導く象徴となるものである。

| | コメント (0)

2020.12.22

『異界探訪 パワースポットの最深部に異界への扉があった』 町田宗鳳 (山と渓谷社)

Th_51x7aabw2yl_sx337_bo1204203200_ 近の出会いには全く無駄がありません。そして、全て完璧なタイミング。

 今日もそんな出会いがありました。いつかお会いしたいと思っていた町田宗鳳師とお話をする機会を得ました。

 大徳寺で20年修行したのち渡米、ハーバード大学で神学修士、ペンシルバニア大学で哲学博士となり、その後世界や日本の大学で教鞭をとるとともに、世界各地を旅し、命懸けのとんでもない経験を積み重ねてきた謎の(笑)僧侶です。

 いちおう比較宗教学がご専門で、現在も広島大学名誉教授なのですが、縁あって富士山麓に無宗派の「ありがとう寺」を建立し、それこそ謎のご活躍をされています。

 私の母校の特任教授でもあって、今日はその母校で行われた講演会に飛び入りで参加いたしました。ちょうど仕事で母校に行く用事がありましたのも有り難い偶然、いや必然でした。

 初対面ながら、勝手に私は共鳴する波動を感じまして、いろいろお話をさせていただきました。まだまだ入口の部分しかお話していないので、近く「ありがとう寺」に参拝させていただき、お酒など酌み交わしながらマニアック談義に花を咲かそうとお約束いたしました。

 今日の講演のテーマは「文明論としての『イワンの馬鹿』」。その内容は、まさに今の私の問題意識にぴったり。思いっきり背中を押していただきました。ありがとうございます。

 さてさて、町田先生は本当に多岐にわたるご著書を書かれているのですが、比較的最近出たこの「異界探訪」がまた、私の今の感性にぴったりの内容です。いわゆるスピ系のパワースポット本とは完全に一線を画しております。

 私は普通にこういう話をうんうんと聞ける(読める)のですが、一般の方はどうでしょうね。ご本人も書かれているように、フィクションとして読んだ方がすんなり入ってくるのではないでしょうか。

 そう、世の中のリアル、ノンフィクションが、実はフィクションなのですよ。昨日の冬至をもって、そういうフィクションの時代は終わり、今までフィクションとか、トンデモとか言われていた世界がリアル、ノンフィクションになっていく。間違いなくそうなります。

 そういう意味では、今日からは町田先生やワタクシの時代が始まるのです(笑)。いや、マジで。

 この本でも、異次元からのメッセージを受け取る話が中心になっていますし、それがちっぽけな人間の自我、意識を越えた「無意識」や「マナ」からの情報であることがはっきりと書かれています。つまり、私の言う「モノ」ですね(もちろん「モノ」と「マナ」は同源です)。

 かなりぶっ飛んだ人生を送られている町田先生ですが、そんな先生をびっくりさせるような情報を持って、なるべく早い時期に「ありがとう寺」にうかがおうと思っております。楽しみです。

 町田先生、ご縁を取り持ってくださった先生、そして異次元のネットワークに心より感謝します。ありがとうございます。

異界探訪

| | コメント (0)

2020.12.17

『ゴーマニズム宣言SPECIAL コロナ論』 小林よしのり (SPA!コミックス)

51syzdyuurl_sy346_ 日「2」が出るということで、遅ればせながら読んでみました。

 一昨日ご登場願った宮沢孝幸先生も高く評価している、小林よしのりさんの「コロナ論」。「コロナ恐るべからず」論の尖峰と言ってもいいでしょうか。過剰反応するな、科学的に正しい対処をせよ、インフォデミックを起こすな…。

 まったく恐ろしいモノで、私も半分はこのコロナ論に大賛成ですが、半分はやはり何かを恐れている。様々な情報が飛び交う現代だからこその「余計わからない」があって、なかなか自分が安定しない。

 つまり、モノ(未知の何か)に対して、コト(情報)が無力などころか、コトどうしが新たなモノを生み出してしまっている状況は、非常に興味深くもあります。

 日頃「モノ・コト論」を構築している私ですが、こうして自分の中のモノとコトのせめぎあいを観察することは稀です。モノノケの生命力…それは実は宇宙の誕生にも関係しますが…に改めて感動さえしているところです。

 さて、出版から4ヶ月が経った今、この本の内容はどのように評価すべきでしょうか。

 ある種の予言書として捉えるならば、やはり半分は当たり、半分ははずれたということになるのでしょうか。

 いや、この本の評価すべきところは、コロナ禍をしっかり日本文化論に落とし込んでいるところでしょう。その部分の内容に関しては揺らぎなく正しいと思います。

 もちろん小林よしのり流の物言い、表現方法に抵抗をおぼえる方もいらっしゃると思いますが、本人も言っているとおり、「愛国」の気持ちがあるからこそのそれらです。

 今までのゴーマニズム宣言もそうでしたが、決して左右の構図には収まりきらないんですね。愛は湧き上がるモノですから、思想というコトを凌駕していくのは当たり前です。

 新型コロナとのつきあいもそろそろ1年となろうとしています。モノがコトとなり、コトがモノとなる日々。そろそろその全体像を俯瞰しながら、自分と世界の本質を見極めてみてもいいのではないでしょうか。

 そのために、この本は大変良い参考書となるでしょう。明日出る「2」の内容も楽しみです。

ゴーマニズム宣言SPECIAL コロナ論

| | コメント (0)

2020.12.16

『銀幕に愛をこめて』 宝田明・のむみち (筑摩書房)

ぼくはゴジラの同期生

Th_51biqjizh8l_sx336_bo1204203200_ 和を代表する俳優の一人、宝田明さん。私にとっては、ゴジラはもちろんですが、やはり大好きな小津映画「小早川家の秋」での爽やかな存在感が忘れられません。

 この本の冒頭にも書かれているように、壮絶な少年時代を送ったにもかかわらず、それを微塵も感じさせない明るさと、一方でそうした体験が基になっているに違いない教養や品格を感じさせる名優さんですね。

 そういう方ですから、本当に多くの映画人に愛されたのですね。この本で語られる俳優さん、女優さん、監督さんらとのエピソードに、そのお人柄がしっかり映し出されています。決して自慢話にはならない謙虚さも良い。

 謙虚さ…ばったり出会った、ずっと若いのむみちさんに構成をおまかせしているところにも、それが表れています。

 実は、この本を紹介してくれた知り合いも、あるところでばったり宝田さんと出会い、その場で意気投合したとこのこと。そんなオープンなところ、そして人を一瞬で見抜く力にも魅力を感じますね。

 どのエピソードも興味深かったのですが、個人的に最も驚いたというか運命を感じたのは、宝田さんのデビュー作が熊谷久虎監督のかくて自由の鐘はなる」だったということ。

 なぜなら、熊谷久虎は仲小路彰の弟子、スメラ学塾で活躍し、義妹の原節子と仲小路をつないだ人物でもあるからです。そして、この本を紹介してくれた知り合いというのは、まさに仲小路彰研究の仲間というか大先輩なのですから。これは運命でしょう。

 それにしても、のむみちさんの知識と構成力は素晴らしいですね。この本はいわばオーラル・ヒストリーということになるわけですが、実にいい具合に聞き手であるのむみちさんの解説が挿入されていて分かりやすいし、良いリズム感が生まれており、なるほどこういう本の作り方はいいなと思った次第です。

 一人の俳優の人生をなぞるうちに、自然と日本映画史を俯瞰できる。また、戦争と平和についても考えることができる。皆さんにおススメしたい本です。

 そうそう、私の中の宝田明さんとして実に強烈で鮮明な記憶については、残念ながら本書には記述がありませんでした。すなわち、NHKで放映されていた伝説のコント番組「サラリーマンNEO」です。Season1から4まで出演されていたと記憶しております。オープニングでのファットボーイ・スリム「ウェポン・オブ・チョイス」の華麗なダンスは忘れられません。久しぶりにDVD観てみようかな。

 映画、ミュージカル、テレビ…日本の文化の中心を支えた宝田さん。まだまだお元気でご活躍いただきたく思います。

銀幕に愛をこめて

 

| | コメント (0)

より以前の記事一覧