カテゴリー「書籍・雑誌」の915件の記事

2018.05.31

『自然エネルギーが自然にやさしいという嘘』 掛合英紀

 波の掛谷英紀さんが面白い記事を書いていたので紹介します。

 自然エネルギーが自然にやさしいという嘘

 ずいぶん前から私も同じようなことを書いてきました。特に太陽光発電に対する疑念は変わりません。我が山梨県は全国的にも日照時間が長いため、自治体も盛んに大規模太陽光発電施設を誘致してきました。
Th_img_1497 おかげで、せっかくの美しい山や高原の風景がギラギラと台無しになっています。写真は八ヶ岳方面のある風光明媚な場所。実に困ったものです。
 富士山麓の我が村にもたくさんパネルが敷き詰められています。比較的目につかない森の中にあることが多いのですが、いったいどれだけの木を伐採してしまったのか、それによって生態系が崩れたり、土砂災害が起きたりしないか心配しています。
 記事の中で、太陽光発電パネルの寿命は実質10年とあります。これは私の体験的にも正しい。私は自動車の屋根に小型のソーラーパネルを設置して、災害時の備えとしていますが(こちら参照)、6年目にしてもう発電効率は30%(体感)くらいまで落ちています。もちろん、中華製の安物ということもあるでしょうけれども、日本製でもやはり10年もするとかなりへたってくるというのは事実でしょう。
 あと10年か20年もすると、日本中に膨大な廃棄物が設置されていることになるでしょう。いったい昔の人たちは何を考えてこんなに自然や景観を破壊してまで、太陽光発電に飛びついたのか…そう、思われるに違いありません。
 もちろんあの原発事故があってのことだとは理解してもらえるでしょう。しかし、その原発忌避でさえも、かなりの部分で感情論ですね。
 何度も言っているとおり、私の原発に対する考え方は以下のとおりです。

ワシは原発には反対の賛成なのだ!

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2018.05.28

『日本人にとって聖なるものとは何か』 上野誠 (中公新書)

Th_71dpl3belfl 日の記事に「恩」が出てきましたよね。
 筆者は社会学者の見田宗介の著書を引用しながら、「原罪」ならぬ「原恩」という文化について語ります。

 生まれながらに背負った罪を償うために生きるのではなく、生まれながらに背負った恩に報いるために生きる

 この原恩主義が、日本の古代的思考の基底にあるのだと。なるほど、「原恩」という言葉は実にいいですね。
 これはもちろん仏教的な考え方にもつながります。生まれたこと自体が「縁」によるもの。縁に感謝するのが恩です。
 本の内容については読んでいただくとして、私が読みながら考えたことを備忘的に書いておきます。
 まず、「モリ」という言葉について。筆者も言うように、「森・杜」と「盛り」、「守り」とはたしかに結びついている気がします。少なくとも、「森(杜)」と「盛り」とは間違いなく同源です。
 木が茂っているところは「こんもり」と盛り上がっています。その大きなものが「山」ということになり、それもまた「モリ」と呼ばれ、転訛して「ムロ」になっていきます。また、そこから「ムレ」や「ムラ」と言った数(すなわちエネルギー)の多いことを指す語も生まれたと思われます。
 「守り」のモリについては、おそらくはそのエネルギー量の大きさから、孤立の反対概念として派生してきた可能性があると思います(もちろんこじつけかもしれませんが)。
 そうした多義的な「モリ」の象徴が、三輪山であり、それを仰ぐ大神神社であり、そこに祀られているのが大物主大神であり、その本質は「モノ(他者・不可知・不随意)」です。
 これはやや行き過ぎかもしれませんけれども、私としては、その「モノ」こそが宇宙そのものであり、自分を取り巻く世界全体であって、ほとんど無限大なエネルギーをもって、私たちを守っている存在であると感じます。
 すなわち「モノ」の「モ」と「モリ」の「モ」とは同じものであると。そんな気がします。
 ところで、「モリ」の形態についてですが、たとえば三輪山のような山は、大変乱暴に言ってしまうと、半円形のようなカーブを描いています。もう少し正確に言うと、正規分布曲線のような形。
Th_unknown それに対して、我が富士山はどうでしょう。いわゆる「モリ」的な曲線とは逆に湾曲した曲線、すなわち、指数関数の曲線のようなカーブを描いています。
 これは非常に珍しい。だからこそ「不二山」とも書かれるのでしょう。ここまで美しい指数関数曲線を描く山は、たしかに国内には二つとない。
 そうすると、富士山は「モリ」文化、「モリ」信仰とは違うところに位置することになります。この本でもほんの少し富士山についての言及がありますが、ちょっと物足りない気がしました。
 こちら「山部赤人の本当の気持ち」という記事に書きましたとおり、万葉集でも富士山は「モリ」系神(三貴子)を超えた存在として描写されています。
 面白いですね。正直、古代のことは分かりません。正解は永遠に出ません。しかし、この本の著者上野さんのように、万葉集を読み解くことによって、遠く離れた、しかし実はすぐ横に存在する「過去」と対話するのは、実に楽しいことでありましょう。

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2018.05.19

『分断した世界-逆転するグローバリズムの行方』 高城剛 (集英社)

Th_51rnorus5hl_sy346_ 日も登場した高城剛さんが最近出した興味深い本。
 高城さんのすごさは、とにかく自分の足で現地に行き、自分の五感(プラス第六感)で得た情報こそを信じるということです。逆に言えば、マスコミが垂れ流すニュースや、インターネット上の情報は基本信用していないということです。
 ですから、この本には、彼が体験して確かめた各国の実態、情報だけが載っていると言えます。そこから見えてくる、高城さん独自の未来予測がまた面白い。
 彼がこちらに遊びに来た時に、直接聞いた話もいくつかありました。またこの本にはまだ書かれていない情報も教えてくれました。
 もちろん、こちらからもレアな情報をお伝えしました。役にたったかどうかは分かりませんが。
 私たちに共通した話題としては、やはり欧州が分裂していくこと、そして、中東とアメリカの情勢、インターネットが今後障壁を築くであろうこと、日本の今後の立ち位置と役目、本当のグローバリズムとは何かということでしょうか。
 そのあたりも含め、この本に書かれなかったことは、後編の「再び一つになる…」で明かされることになるでしょう。
 高城さんと私とは、ライフスタイルは全く違いますが、なぜか共有できるモノがあります。それはなぜか…。おそらく故郷が同じだからでしょう(笑)。
 まあ、それは冗談としまして、あえて二人の違いを言うならば、地球と日本の未来に対して、私のほうが高城さんよりもやや楽観的だということでしょうか。
 いずれにしても、本当に彼は賢く、魅力的な男です。心から尊敬しています。また近いうちに高城さんにお会いして、じっくり情報交換したいと思います。
 
Amazon 分断した世界

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2018.05.18

Kindleの読み上げ機能

Th_51gadl1g53l 評だった高城剛さんとの対談がKindleで書籍化されました。
 『21世紀の「匿名」ハローワーク: 人には理解されないもうひとつの職業図鑑(未来文庫)』で、取り上げられた6人のうち、一番変な宇宙人が私です…って、「匿名」「仮名」なのに(笑)。
 いや、全然いいんです。別に間違ったこと言ってないですし、ある意味発言に責任を取らなきゃなとも思ったので。もともと実名でも良かったのですが、先方からの依頼が「仮名でぶっちゃけトーク」だったので、こういう形になりました。
 さてさて、最近ですね、たとえば自分の言葉が載っているこの本なんかも、いわゆる読む時間というのが大変少なくて困っているんですね。
 で、新しいスタイルとしての読書、いや聴書とでもいうのかな、口伝的な意味では原点回帰とも言えそうなスタイルを利用しています。
 趣味柄、車で長時間移動することが多いので、運転中に本を聴くわけです。
 本を聴く。昔だったら、だれかに朗読してもらわなければならなかった。それが今ではiPhoneでSiriのKyokoさんが読み上げてくれる。
 ちょっと日本語が不自然ですが…日本語の高低アクセントというのは(私の専門分野です)、案外難しい…、とっても明瞭に、そして要望どおりのスピードで読んでくれるので、とっても便利です。ちゃんとページをめくって先をどんどん読んでくれるし(少し止まるが)。
 これって案外使っている人が少ないようですね。設定→一般→アクセシビリティ→スピーチ→画面の読み上げonでOKです。あとは、Kindleの画面で上から指二本のスワイプでコントローラーが出てきます。
 読み上げ自体はバックグラウンドでも可能ですが、ページめくりをしてくれなくなってしまうので、たとえばナビを起動しながら本を聴くということができない。これが改善されれば最強なんですけれども。
 最近、こうして本を聴いたり、動画の音声を聴いたりしながら、別の仕事や趣味やゲームをやることが増えました。テクノロジーのおかげで、自分も多少なりともヴァージョンアップしているのかなとも思うのでした。
 いや、前に書いたように原点回帰していのかも。考えてみると、音楽だって楽譜を読むのではなく、聴く方が正統ですよね。文字ができて、読むという行為が生まれた。それも近代になって黙読という特殊な文化が入ってきて一般化してしまった。言霊、音霊のない世界が異常だったのかもしれません。
 皆さんもどうぞお試しあれ。

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2018.05.08

『フランシス子へ』 吉本隆明 (講談社文庫)

Th_51imwuifkwl ーん、いい本だったたなあ。恥ずかしながら吉本さんのこういう言葉を読む(聞く)のは初めてでした。
 それでも、たしかに予感はあったのかもしれません。亡くなった日にも、追悼 吉本隆明なんていう記事を書いている。「人のいい日本のおじいちゃん」というのは、あながち間違いではなかった。「始原的で最大最強の「共同幻想」たる「言語」に「共同」のプロセスがなくなるということは、そこには辞書的な意味しか残りません。つまり、生きた歴史も時代も国家もそこには立ち現れなくなるということです」と書いたのも結構するどいところを突いているかもしれません。
 しかし、その象徴が「猫」であったとは、そして、亡くなる直前に、こんな素敵な言葉を残しているとは知りませんでした。
 コトを窮めてモノに至る…すでにモノに生きている猫さんを前に、私たち人類はたしかにその二面性、すなわちコト的な自分とモノ的な自分に分離させられます。
 なるほど、猫がつれない時は、私たちは文明人になっているわけか。逆に猫がすり寄ってくる時は、自分も自然なモノになっていると。
 ウチにも6匹の猫がいますが、今までそういう観点で接したことはありませんでした。
 猫は「うつし」かあ。なるほど。「うつし」とは「うつ(空)」なところに何モノかが「うつる(映る・移る)」ことです。
 猫は空なのです。とっくに悟っている知恵者なのです。だから、猫は魅力的であり、猫に私たちは教えられ、導かれてるのでした。
 吉本隆明、やっぱり出口王仁三郎を継ぐ人だったのかもしれません。この本を読んで納得しました。

Amazon フランシス子へ

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2018.05.01

馬場 vs ヒョードル (清野茂樹の架空実況中継)

 成もあと1年。昭和は二時代前になるわけで、昭和生まれの私にとっての明治みたいなものになるわけで、たしかに遠くなりにけりだなあと思うわけです。
 しかし、たしかに昭和という時代と平成という時代はかなり違っており、良き対称をなしているとも言えますね。
 どちらが好きかと言えば、私はもちろん昭和です。面白さのケタが違います。
 昔は良かったとは言わないようにしています、最近は。昭和は懐かしいけれども、あの頃が今より綜合的にベターだとは思いません。
 あの頃のいい加減さは一つの魅力ではありますが、今となってはなくても良かった不条理な不幸もたくさんありましたからね。
 かと言って平成のようなあまりに白黒はっきりした世界も結局は不条理だった。次の時代は、昭和と平成の矛盾をどのように昇華していくかというのが、幸福や平和への鍵となることでしょう。すわなちモノとコトの融合、止揚。
 さてさて、前置きが長くなりましたが、昭和と平成の矛盾を妄想の中で昇華してしまったのが、この架空実況中継」です。
 昭和プロレス、物語的最強人間であるジャイアント馬場と、平成総合格闘技、リアル最強人間であるエメリヤーエンコ・ヒョードルがリング上で相まみえたら…。
 たしかにあり得ないけれども、妄想としては最高に興味深い対戦です。ジャンボ鶴田さんだと、ちょっとリアルになってしまうので、やはりここは馬場さんですよね。
 そして、結果は…お聴きになってください。最高の結末でしょう(笑)。
 こういうのを、いろいろな意味であり得ないと言ってしまう人は、次の時代には生きていけないと思います。大相撲なんかも、こういう物語性を重視しないと、本当に潰れてしまいますよ。
 宗教を信じるのと一緒ですし、天皇を崇拝するのと一緒です。唯物論的な世界観とは対極にある、高次元な物語、すなわち神話こそ、再び私たちが信じるべきモノなのでありましょう。
 しかし、本当に清野さん、プロレスが、格闘技が大好きなんですね。愛ですね。
 そうそう、さっきもやってたんですが、ゲームのプロ野球スピリッツAなんかも、時代を超えてレジェンドが今の選手たちと戦い勝ったりする。楽しいですよ。
 昔から、私たちのファンタジーは、あの時代のあの人とあの時代のあの人を戦わせてきたのです。「最強」とは、その妄想力に対する敬称なのでした。
 ワタクシ的には、馬場さんが42歳というのがツボでした(笑)。たしかに最強だわ。

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2018.04.26

紙の電子ペーパー

Th_dbwwsu0aafuuk 初は虚構新聞かと思いました(笑)。ありそうじゃないですか。この微妙な矛盾感。自己撞着感。
 なんとフェイクニュースではなく、大阪大学が開発したとのこと。こちらを御覧ください。ウソじゃないでしょう?
 これは実に面白いですね。
 実は「紙」というのは、「電子」とは相性が悪いんですよね。完全なる絶縁体ですし、透明性がないので表示には適さなかった。だから、あえて「電子ペーパー」を作ったわけですよ。それがまた「紙」に戻ってきたわけですから、ある意味矛盾ですよね。虚構新聞にありがちなネタ(笑)。
 あえて言うなら、なんだろう、金属製の電子マネーとか、そんな感じでしょうか(笑)。
 これはなかなか面白いですね。電子ペーパーの欠点は、やはりあの質感というか、フレキシビリティのなさだと思うんですね。だから、ペラペラとかできなかった。
 究極的に紙に近くなると、昨年末にこちらにも書いた「リアルに数百枚の極薄ディスプレイを搭載した電子ブック端末」というのが、意外な形で実現するのかもしれません。朗報ですね。
 実際、紙というのはとんでもなく耐久性が高いですから。普通に平安時代の紙が残っていますからね。それならついでに電子インクも「墨」を使ったらどうでしょう(笑)。いや、まじに。
 アナログとデジタルの二項対立ではなくて、こういうハイブリッドな発想というのが、これから重要になってくるのかもしれませんね。
 ちょっと話が飛びますが、そうしますと、あのVHDってすごかたのかも!?

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2018.04.10

『ミライの授業』 瀧本哲史 (講談社)

Th_4130o1rvisl 校は、未来と希望の工場である――。そしてきみたちは魔法を学んでいる。
 そうありたいですね。
 なんで勉強しなきゃならないんだ。数学がなんのためになるのか。自分もそうでしたが、生徒は必ず一度はそういう疑問を持ちます。
 そして、自分もそうですが、教師はそれにちゃんと答えられない。
 実際、学校には不合理や不条理がたくさんあって、それを改革していかなければならない時代ではあります。勉強の中身に関してももちろんそうです。
 しかし、人類のみがずっと続けてきた「勉強」には、変わらない何か大切なものがあるに違いありません。その漠然としていた「何か大切なもの」を、偉人たちの勉強と仕事を通じて実感のあることにしてくれるのがこの本です。
 たしかにこういう授業ができるようになりたいですねえ。こういう話を上手にしたい。
 教師ならずとも大人が読むべき本かもしれません。14歳の生徒向けの本のはずですが、大人の方がいろいろ発見があるかもしれません。なぜなら、自分たちには勉強に関して失敗の体験があるからです。
 子どもたちはまだ失敗が足りないですし、あるいはこの本に刺激を受けて失敗をしないかもしれない。そういう意味では、案外子どもたちはこの本に心を打たれないかもしれない。ああそうだったのか!という発見の感動がないかもしれない。ほとんどの大人にはあるでしょう。
 それにしても、偉人たちの人生にも知らないことがたくさんあったなあ。それぞれ名前はよく知っている、一般的な伝記は読んでいたけれども、そこに隠された「何か大切なもの」はずいぶん知らなかった。それこそ勉強になりました。
 近く県の新任教員に対して研修をするんですが、この本、必読書として紹介しましょう。

Amazon ミライの授業

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2018.03.30

『戦後 春陽文庫 資料集成 β版』 小野純一編 (盛林堂ミステリアス文庫)

Th_7e764766260b6e030e5fddd206f15f32 はあまり詳しくないのですが、知り合いの古書マニアの方から紹介いただきました。
 春陽文庫、私が初めて文庫サイズの本を読んだあの日。ちょっと大人になったような気がしました…ということは鮮明に覚えているのですが、しかし、それが小学校何年生の時だったのか、その本がなんだったのかは定かではありません。
 曖昧な記憶をあえて無理やりクリアに画像処理したところ、どうも江戸川乱歩の「パノラマ島奇談(綺譚)」だったような気がしてきました。まあ、気がする程度ですが。
 そうしますと、たぶん昭和39年版の春陽文庫ですね。友人の誰かに借りた記憶があります。その内容はもちろん、文庫の小ささ、装丁の渋さなどが、きっと少年ワタクシをアヤシイ気持ちにさせたのでしょう。
 さて、そんな春陽文庫、私もその後何気なく何冊か読んでいると思いますけれども、とにかくその全貌が分からないことで、ある意味有名な文庫です。
 その全貌に迫ろうとして断念した人は多数いたでしょう。そんな中、「とりあえず」リストを作っておこうと立ち上がってくれた方がいました。
 小野さんは、昨年の夏頃から神田の古本市場に出回り始めた戦後の貴重な春陽文庫を買いあさり、なかばご自分のためにこのリストを作られたようです。
 それでも、全貌にはほど遠いということでβ版と名付けられているのでしょう。というか、もしかすると永遠にβ版だったりして(笑)。それほどに、この春陽文庫の沼は深いらしい(私は全然はまっていないので分かりませんが)。
Th__20180327_172009 ちなみに、私の職場のすぐ近くにある昭和24年以来続いている本屋さんの屋根横には、堂々と「春陽文庫」の文字が踊っています。
 まあ春陽文庫自体、まだしっかり存続していますから、この看板というか宣伝もちゃんと生きていいるということですよね。
 ちなみに、春陽堂書店と言えばですね、私が今研究しつつある仲小路彰が、東大卒業後編集者として勤めた会社でもあります。仲小路は、そこでヘーゲルやマルクスの弁証法についての本の編集にあたっています。
 考えてみれば、仲小路彰の書き残したモノは、春陽文庫の全貌を森とすればですね、まるで富士山全体とでも言うような量と質と未知・未発見加減です。
 全貌を、なんて言わないで、こちらも「とりあえず」のβ版を作らねばなりませんね。

盛林堂公式


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2018.03.29

是非初心不可忘

Th_51nry78lul 日は下の娘の人生にとって、とても大きな節目の日でした。
 人間国宝の能楽師野村四郎先生に入門したのです。
 ここに至る過程もいちいち不思議なことばかりでした。すなわち運命であったのでしょう。
 まさか自分の娘がそちらの道に進むとは夢にも思いませんでしたし、人間国宝の弟子になるなどとは夢にだに思いませんでした。
 これから大変厳しい道を歩んでいかねばなりません。私も一緒に勉強させていただきます。
 今日も野村先生は本当に深い話をいろいろしてくださりました。一つ一つのお話がそれぞれ胸に響きましたが、そのお話のベースにあったのは、先生の「勉強熱心」さです。
 芸の道を極めていながら、謙虚、素直、勉強熱心。本当にすごいと感じました。

 是非初心不可忘

 先生が娘のために書いてくれた言葉です。言うまでもなく世阿弥の言葉ですね。
 私たちは「初心忘るべからず」と覚えていますが、実は「是非初心不可忘 時々初心不可忘 老後初心不可忘」という三つの「初心忘るべからず」があるのです。
 そのうちの、「是非初心不可忘」は特に重要だといいます。「是非」とは「ぜひとも」の意味ではなく、「良いことと悪いこと」「正しいことと間違ったこと」という本来の意味です。
 すなわち、何が正しいのか、何が間違っているのか、まだ答えが出ていない時の姿勢、すなわち初心を忘れてはいけないということです。
 私もそうですが、「先生」と言われるようになると、何か答えを知っているかのごとく勘違いをしたり、他の意見を取り入れられなくなったりしがちです。そうした「分かったふり」を戒める言葉とも言えましょう。
 なるほど野村先生は、今もまさにそうして精進しておられる。分からないことは、気づいたこと、疑問に思ったことは、徹底的に調べる。その専門家のところに行って教えてもらう。真理に対して謙虚であり、素直であられる。
 なるほどこれが超一流かと気づかせていただきました。本当にありがとうございました。どうぞ、これからもよろしくお願い申し上げます。私も素直に勉強させていただきます。

Amazon 狂言の家に生まれた能役者


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