『東京音頭』を唄った三嶋一聲は20世紀の浦島太郎?
予定変更で東京で一日過ごしました。昨日紹介した「226」の舞台の一つである山王ホテル(現山王パークタワー)に行ってきました。そのあと龍土軒へ。89年前の今日、龍土軒で青年将校たちの会議が行われました。
いろいろ思うことがあります。そして来月、物語の続きがある予定です。また信じられないご縁がありました。報告できる時がいつか来ると思います。
さて、出口王仁三郎と二・二六事件の関係、そしてそこにまつわる未来の原因についても中級編でお話いたしますが、映画の中でも歌われていた「東京音頭」(今ではヤクルトスワローズの応援歌として有名ですね)の歌手三嶋一聲と出口王仁三郎との関係も実に面白いのです。
私はその事実に全く無知でしたが、王仁三郎関係の友人がたまたま立ち寄った浦嶋神社でこの本で出会い教えてもらってびっくり仰天。
そう、この本の中に驚愕の事実が書かれていたのです。大正13年、第一次大本事件で仮釈放中の王仁三郎は植芝盛平らとモンゴルへ旅立ちます(チンギス・ハーンとしてエルサレムを目指した!?)。
結果、張作霖によって捕らえられ銃殺刑が決まります(パインタラの法難)。まさに処刑が執行されようという時、すべての機関銃が故障した…と大本では言われていますが、実際はたまたま中国にいた三嶋がいろいろと画策して命拾いしたと、この本には書かれているのです。
この三嶋一聲という人、まあとんでもない人で、この本に書かれたことが事実なら、ぜひ大河ドラマにしていただきたい。なにしろ絵画の勉強にフランスに行ったのはいいが、お金がなくなって「歩いて」(!)日本に帰ってきたのです(もちろん最後は船に乗りますが)。その途上、たまたま(運命的に)王仁三郎一行と出会うのです。まあとにかくしたたかで勘が強い。コミュ力抜群で楽天家。スケールが違う人です。
日本に戻ってからもいろいろ事業をやったりして、なぜか流行歌手になっていくのです。波乱万丈とか、そういうレベルの話ではありません(笑)。
いやあ本当にこの本面白かった。ぜひ一般発売していただきたいですね。そしてドラマ化、映画化していただきたい。
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