カテゴリー「書籍・雑誌」の947件の記事

2019.04.08

『科学と非科学 その正体を探る』 中屋敷 均 (講談社現代新書)

Th_61we2ytbz3l 1ヶ月ほど前に東大の入試問題に出題された、中屋敷さんの科学と非科学のはざまで…を紹介しました。
 そのまた1ヶ月前にこの本が発刊されていました。東大の入試問題ですっかり(勝手に)意気投合してしまった私は、当然この本を買って読み始めました。
 ものすごく面白いし読みやすかったので、線を引きまくったのですが、読破する前に、それこそ想定外の非科学的「モノ」に襲われまして、その分析と解釈と言語化(コト化)に奔走することになりました。しかし、いまだ「はざま」を漂っております。やはり人間に関わることは、そう簡単にシロクロはっきりさせられません。
 さらにそこに想定外の人事(ひとごとではないジンジ)が降りかかり、ますます非科学的な?毎日になっております。特に幼稚園児に関わるようになりまして、その「モノノケ」ぶりに振り回されている(笑)。
 なるほど、大人になるとは「科学的」になる(なろうとする)ことでもあり、しかし、何歳になっても、いくら仕事(シゴト)を一生懸命しても、自分の中にさえ「非科学的」なモノ(子ども)がいくらでも存在していることに気づかされ、結局安定しない。まあ安定する時は死ぬ時でしょうから、その不安定や不安こそが生命の本質なのでしょうね。
 人生とは、科学自身と同様に、目標というか理想は100%科学的なコト(おそらくマコトのこと)であるが、現実には不如意でゴールのないモノだというコトです。そう、お釈迦様の説いた「マコト」は、世の中「モノ」だよという唯一のコトなのでした。
 というわけで、この素晴らしい本の内容からはかけ離れた(いや実は密着している?)言葉の羅列になってしまいましたね。
 最後にもっと密着していて、かつかけ離れたことを書きます。そう、今まさに私は、誰の目にも再現性はあるが現在の科学では証明されない、あるモノ(物体)に大きく関わっています。これこそ、現代の魔術。未来の科学であると信じています。妖しくて結構。科学(コト)がいつそのモノに追いつくのか。楽しみですよ。

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2019.04.07

『the four GAFA 四騎士が創り変えた世界』 スコット・ギャロウェイ (東洋経済新報社)

Th_71duhozcml GAFA、すなわち Google、Apple、Facebook、Amazon はどのように世界を変えたのか。そして、10年後彼らはどうなっているのか。
 たしかに10年前、これほどまでにGAFAが私たちの生活を支配しているとは思いませんでした。同様に10年後の世界は、まったく今とは違う風景になっているのかもしれません。いや、なっていることでしょう。
 では、どうなっているのか。ただ一つはっきりしているのは、この四騎士の中ではAmazonが生き残るということです。それはこの本の著者だけでなく、多くの予言者たちが語っていることです。
 ここで、私という予言者も勝手なことを語りたいと思います。
 Amazonが他の三者と違うのは、物品という意味でモノを扱っていることです。他の三者は基本的に情報、つまりコトを扱っています。コトはコピー可能ですし劣化しませんが、モノはいくら大量生産品であっても個別の価値があって完全なコピーは不可能です。
 私たち人間自身がモノであるかぎり、私たちはコトだけを食べて生きていくことはできません。違う言い方をするなら、Amazonの最終的な強みは「食品」を扱っているところです。
 私自身、今のところAmazonで食品を購入しませんが、もしAmazonでしか手に入れられなくなったら…つまり、Amazonが取り扱う食品がどこのスーパーよりも新鮮で品質が良く、そして廉価であったなら、スーパーはどんどん潰れ、コンビニはかろうじて緊急用に生き残る程度になってしまったら…結局Amazonから毎日の食品、食材が届くことになるでしょう。
 それも特に注文しなくても、まさに今日食べたいモノが届く…それがAmazonの考えている次の一手です。食品に限らず、私たちがほしいと潜在的に思っているモノが見事なタイミングで「勝手に」届けられる。いらなければ返品すればよい。もしかすると1回くらいは無料お試しがついてくるかもしれない。
 そのように私たちの物質的欲望をハッキングして、その欲望を顕在化させ肥大化させるのが、Amazonの目論見です。
 な〜んて、私が勝手に妄想していますが、逆に言うと、そういう想定通りにはならず、全く違ったモノに私たちが支配されている可能性もあるわけですね。
 実はその方が可能性としては高い。私が想像できるようなことは、私でも回避、拒否することができるわけですから、人類をハックして支配するなんてことはできなくなってしまう。あるいは同じ発想の強力なライバルが登場するかもしれない。
 というわけで、この本はたしかにそれなりに面白かったけれども、全て想定内であり、もしかすると、想定外の未来からすると、全く当たらない予言書となるかもしれないわけですね。
 さてさて、この10年後の自分は、この記事をどのように論評するのでしょうか。楽しみですね。

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2019.03.31

『ストロング本能』 青木真也 (KADOKAWA)

人生を後悔しない「自分だけのものさし」
20190403-113501 One初の日本大会のメインイベントで、見事リベンジをはたしチャンピオンに返り咲いた青木真也選手。
 あえて打撃(キック)で揺さぶり、見事なタックルから寝技に移行。じわじわと体勢を作り、最後は完璧な肩固めで相手を落としました。
 素晴らしい職人的な試合運びでしたね。いかにも青木選手らしい勝利に、日本中が涌きました。私も実に爽快な気分になりました。
Th_51e8mb087l_sx339_bo1204203200_ ちょうど彼の新著を読んでいたところでした。「ストロング本能」。周囲に流されない、常識にとらわれない、自分だけのものさし。それはつまり「本能」。
 AIの時代にあえて「本能」。いいですね。たとえば総合格闘技はAIやロボットではできません。ぜったい。本能をベースにした論理性が必要です。技術や理論よりも本能が優位なのです。
 イチローもそうですが、青木選手も含めて世界レベルのアスリートになると、「禅」を感じさせる哲学を持つようになります。
 青木選手のこの本もそう。すべてをシンプルにする。悩みや嫉妬をどうコントロールするか。
 ワタクシ流にいいますと「コトよりもモノ」なんですね。まさに「理屈・常識・学問よりも本能」。「科学よりも自然」とも言える。
 もう一つ感じたのは、これもイチロー選手と似ている、あるいは長嶋さんなんかもそうですけれど、一流の人は自分の「言葉」を持っているということ。つまり、コトの最先端たる「ことのは」に操られることなく、逆にそれを操ってモノガタリできるのです。それこそ、辞書的な言葉の意味領域だけでは表現できない、モノ世界をコトのはで語ることができる。そこにイメージとして現出させることができるんですね。
 格闘技の基本は、動物の本能的な「レッスル」です。この世の中は、実は政治も経済も文化もなにもかも「レッスル」なのかもしれない。そんなことを思いました。私が格闘技の観戦が好きなのは、おそらく「コトを窮めてモノに至る」世界があるからでしょう。
 私もこの年齢になり、そしてこういう社会的立場になったからこそ、もう一度自分の「本能」を信じてみようかと思っています。

 

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2019.03.02

『南朝の雲烟遥かなり』 山地悠一郎 (歴研)

Th_41untyrjiul_sx338_bo1204203200_ 日は鎌倉からお客様がいらっしゃいまして、9時間ずっとおしゃべりしていました。ノンストップで大盛り上がり。全くの初対面だったのですが、同じ波動の中で生きている者どうし、本当に話が尽きず、続きはまた次回ということになりました。
 壮大なスケールの嘘のような本当の物語の入り口は「宮下文書」でした。そこから日本を動かす、あるいは世界を動かすような話になっていきました。そしてそれぞれのストーリーの背後には必ず「南北朝」の話がありました。
 ここ富士北麓は南朝、後南朝の伝説が色濃く残っています。厳しい自然環境の、いわゆる田舎、寒村によくある落人伝説、そして貴種流離譚とも言えますが、どうもその過去、現在、未来への影響力を考えると、そういうスケールでは計れない、非常に奥深い霊的世界があるように感じます。
 今日いらしたご夫婦は鎌倉在住ということですので、旧鎌倉街道や裏鎌倉街道を通じて、ここ富士北麓とつながっている(いた)とも言えますね。
 この本にも、例の護良親王と南の方(雛鶴姫)の話が出てきます。今日も石舩神社の御首級の話をしました。そのあたりのことに、おそらく日本で最も詳しいのが、この本の筆者山地悠一郎さんでしょう。
 山地さんの南朝研究は、ある意味当然のごとく明治以降の南朝史観や皇国史観、そして戦後の熊沢天皇にまで及んでいます。そう、そうした近現代にまで暗い影を落とすことになった南朝、後南朝の「怨念」は、実は今もまさに生き続けています。
 その一つの決算、清算がこの5月1日に行われるわけですね。700年前の後醍醐天皇御即位から始まったとも言える南北朝時代は、はたしてようやく終焉を迎えるのでしょうか。
 今日はお客様と、出口王仁三郎や仲小路彰の話もたっぷりしましたが、彼らもまた南北朝両統に深く関わった人物です。そういえば二・二六事件の話もたくさんしました。そこももちろん関わっています。
 後醍醐天皇の即位が旧暦2月26日、退位が旧暦8月15日というのは、実に象徴的であります。
 ちなみに山地悠一郎さんの息子さんは、あの個性派俳優の六角精児さんです。すごい。

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2019.01.30

追悼 橋本治さん

Th_20190129oyt1i50031l 大なる先達がまた天界に逝かれた。
 先達という言葉を思いついたところ、たまたま内田樹さんも同じく「先達」という言葉を使っておられたのでびっくりしました。いや、恐縮しました。内田さんにとっての先達を、私が同じ言葉で形容するなど…いやいや、高次元は低次元を包括するからいいのか(苦笑)。
 そして、内田さんの追悼文を読んで、いろいろなるほどと思いました。それこそ次元は違えど、自分の今の人生、特にこうして書き散らしている内容というかスタンスの、そのルーツにあったのは、高校時代に読んだ「桃尻娘」だったのだなあと。
 昨年末にも、なんだか偉そうに一般人相手の「枕草子講座」なんかやっちゃいましたが、考えてみるとそのベースにあるのも「桃尻誤訳枕草子」でした。
 世の中の権威や常識を疑うこと、そこに現代的(つまりワタクシ的)視点を自由に貫入させること、ユーモアを忘れないこと。そういうことをたくさん学びました。
 自分のブログを改めて検索してみたら、14年前のこういう記事が出てきました。書評にならない書評を書いている。けっこう面白い。

『「わからない」という方法』 橋本治 (集英社新書)

 さらに面白いのは、たまたまでしょうが、その数日前に紹介した『先生はえらい』 内田樹 (ちくまプリマー新書)と連関した内容になっている。お二人を「賢い」「頭がいい」でやっつけてしまっている(笑)。
 でも、そういうことなんだと思いますよ、今でも。
 本当に頭がいい人、賢い人、えらい人が、こうしてこの世を去ってしまいましたが、本当に頭がいい人、賢い人、えらい人は皆、ちゃんと言葉を遺してくれます。そうしてこの現実界に生き続けるのです。
 とりあえず、現実の世界でお疲れ様でした。ようやく高いところにお住まいになれますね。

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2019.01.24

『ヴィジュアル版 教師の歴史』ディアドラ・ラフテリー 著/立石弘道 翻訳 (国書刊行会)

Th_61b0pwcxo4l_sx425_bo1204203200_ 日、日本の学校の歴史について少し書きました。この本は世界の学校の歴史と言ってよい。学校の主役は生徒ですが、あくまで主体、客体で言うなら、学校の機能主体は教師です。すなわち、学校の歴史とは教師の歴史そのもの。
 この本を見ますと(ヴィジュアル版なので主に「見る」)、やはり近代以降教室(学校)の風景というのがあまり変わっていないことがわかります。
 それと裏腹に変わったものは、教師の地位でしょうかね。たしかに、歴史的に見ますと、古く教師は単に勉強を教える存在ではなく、やや宗教的ともいえる社会貢献的な主体であったことがわかります。「聖職」と呼ばれてしかるべき存在です。
 今はどうでしょう。なんとも不甲斐ない。世のバッシングを受ける対象に変わってしまいました。
 もちろん自分自身もそうです。最近はすっかり開き直って、「尊敬される」「感謝される」ではなく、「面白がられる」教師でいいや、なんて真剣に思っています(苦笑)。
 いや、それで本当にいいと思っているのです。世の中が変わり、学校や教師の意味も大きく変わりました。かつて教師が担っていた社会貢献の一面は、世の中全体で、あるいはその専門職が担うようになってきたという事実もあります。
 生徒にとっての「先生のような大人になりたい」という願望や憧憬の内容も、「楽しそうでいいな」程度でいいのかもしれません。いくらAIが現代的な教師の代わりをしたとしても、決して「楽しそう」ではないでしょうから。

国書刊行会「教師の歴史」

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2019.01.18

『素数はなぜ人を惹きつけるのか』 竹内薫 (朝日新書)

Th_815jmdnwjvl ぜだか素数がマイブームです(笑)。
 とはいえ、私は文系人間。数学が一番の苦手です。しかし、数学的な世界には興味があり、また数学者たちの数奇な(数奇という言葉いいですね!)人生にも大いに興味があります。
 つまり数式はわからないけれども、イメージとしては数学の世界がこの現実の風景に重なって見えているという感じでしょうか。
 なんていうとカッコいいけれど、実際はもっとダサい感覚です。なにしろ、最近の私の「大発見」はこんな程度ですから(笑)。生活の中の素数。

 俳句 5・7・5(17)
 短歌 5・7・5・7・7(31)
 三三七拍子 3・3・7
 漢詩(五言・七言) 5・7
 セブンイレブン(7・11)
 17アイスクリーム
 31アイスクリーム

 まあ半分ギャグですが、不思議と言えば不思議ですよねえ。いかにも文系的な大発見でしょう(笑)。
 ちなみに音楽的な観点から言いますと、俳句や短歌、三三七拍子、ついでに漢詩は休符まで含むと完全なる四拍子(八拍子)です。
 素数に魅了される人はたくさんいます。全ての数の基本となる、いわば「元素数」でありながら、なかなかその出現規則性などがはっきりしなかったり、思わせぶりなところが、なんとも人を惹きつけます(って、また文学的な表現になってしまった)。
 そのため多くの素数に関する本が出版されていますが、この竹内さんの本は、その中でも最も文系に優しいものでしょう。私でも理解できる内容でした(一部の数式は見て見ぬフリをしましたが)。
 リーマン予想も含め、わかりそうでわからないところ、またわかったらトンデモなく美しい世界がそこに広がっている予感をさせるところが、特に男性を魅了しているのでしょう。そうそう、素数にはまるのは、数学者に限らず男性が圧倒的に多いのです。
 ということは…素数は女性である。素数がわかれば女性がわかる。女性がわかれば素数がわかる。すなわち、素数がわかれば生命とは何かがわかるのではないでしょうか。
 そんな感じで、私はあくまで文系的(文学的・音楽的)な立場から素数に迫ってみたいと思っています。

Amazon 素数はなぜ人を惹きつけるのか

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2018.12.30

西尾幹二氏に聞く(平成30年年末特別対談)

 年年末になりますと、来年以降の世界や日本がどうなっていくのか考えさせられます。
 私はそれほど悲観的にはならないのですが、たとえばこの西尾幹二さんなんかは、かなり厳しい展望を持っているようです。
 来年は、あえてそのようなご意見もしっかりうかがいながら、いろいろな世代をつないで前向きに行動していきたいと思っています。
 それにしても、西尾さん、一時よりもだいぶお元気になられて安心いたしました。ある意味、怒りというのは大切ですね。以前、こちらにも書きましたが、「いかり」は「いく(いきる)」は同源である可能性があります。つまり「生かり」であると。
 日本文化の中の「荒魂」というのは、まさにそのような機能を持っているのだと思います。和魂だけでは、生命は停滞します。推進力としての怒りというのはありでしょう。
 そういう意味では、最近の私には怒りが足りません。何が起きても、ある意味穏やかです。だからこそ、来年以降は何か違う動きがあるようにも予感しています。楽しみです。
 まずは年明け早々、西尾さんの「あなたは自由か」を読んでみたいと思います。最近、比較的リベラルな方に流れていたので、また本格的な保守の言葉を浴びてみたいと思うのです。

Amazon あなたは自由か
 

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2018.12.29

『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』 松岡錠司監督作品

Th_91l2ml3uljl_ri_sx300_ 日はこの映画に出演しているある女優さんのお宅で楽しいひとときを送りました。たまたま、そのあと地元の民放でこの映画が放映されたのでびっくり。
 今年は樹木希林さんがお亡くなりになりましたね。この映画でガンで亡くなるオカン役を演じられているのもなんとも言えません。
 この映画は言うまでもなくリリー・フランキーさんの自叙伝的小説が原作です。私も同世代人として懐かしい風景を共有させていただきました。
 ところで、この映画と樹木希林さんといえば、日本アカデミー賞総ナメ事件がありますよね。「この結果はおかしい。組織票なのでは」「自分だったら違う映画を選ぶ」「監督に殺意すら感じた」…こんな過激な発言も、女優としてプロ意識、映画愛の表れだったと思います。
 たしかに、原作の明るさがほとんどなく、最初から最後までしんみりとしているのは私もどうかと思いました。しかし、一方で、映画は映画、原作とは別の芸術作品だと考えることもできましょう。
 単独で映画として評価するなら、樹木希林さんの演技も含めてそれなりの逸品だと言えます。
 今日お会いした女優さんも樹木希林さんを心から尊敬しておられました。あらためてご冥福をお祈りいたします。

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2018.12.22

告知! 「ザ・フナイ」にインタビューが掲載されます

Th_51ykse5adpl_sx348_bo1204203200_ 縁がありまして、12月27日発売の雑誌「ザ・フナイ」にワタクシのロングインタビューが掲載されます。
 タイトルは「時間は未来から過去へと流れている」。時間の話はもちろん、宮下文書、出口王仁三郎、仲小路彰、モノ・コト論など、今までの私の人生の総決算的な内容になっています。
 インタビュアーの新谷直恵さんのおかげさまで、自分でも自分の人生を振り返ることのできる充実のインタビューになりました。文字数は約1万字です。
 錚々たる執筆者の皆様の中に紛れてワタクシごときが自説を滔々と語るのもなんですが、まあそれなりに個性的な内容になっているのではないかと思います。
 多くの皆様に読んでいただけますと幸甚です。

Amazon ザ・フナイ vol.136

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