『宗良親王信州大河原の三十年〜東海信越南北朝編年史』 松尾書店
前日、合宿終了後、中央本線普通列車でのんびりと大月へ。家内に車で拾ってもらって富士山の自宅に泊まり、この日は月曜日なので学校のお仕事。
大河原時代の宗良親王については、この本が一番詳しいのでは。さっそく購入しました。
私が研究している、山梨富士吉田明見に伝承する「宮下文書」にも、当然宗良親王は登場します。後醍醐天皇の皇子、護良親王の異母弟。
宮下文書にも大河原の文字が見え、また「諏訪七党」がたびたび登場します。
長慶天皇によって准勅撰集とされた「新葉和歌集」にある「北になし南になしてけふいくか富士の麓をめぐりきぬらむ」からわかる通り、富士山にも(おそらく富士吉田にも)来ています。
実際、同歌の詞書は以下のとおり。
「駿河の国より信濃へこえける時、浮島原をすぎて車返といふ所より甲斐国にいりて信濃路へかかり侍るが、さながら富士のふもとをゆきめぐりけるに、山のすがたいづかたよりもたぐひなくみえければ」
考えてみれば、富士北麓、都留の石船神社には護良親王の首級があり、富士吉田の下浅間には護良親王を葬ったと言われる桂の木があります。今日はそのすぐ近くというか、かつては習合していた(そしてケンカもしていた)月江寺で仕事ですからね。
もう完全に南朝の旅ではないですか。そして、翌日からまた、とんでもない展開を迎えます。この日はそんなことなんにも考えてませんでしたがね。

この日、初めての彼との交流は「ピアノ」でした。言葉ではなく音楽の即興演奏コラボですぐにお友だちになりました。音楽で「だっこ」したのです。
この日、そうたくんは学校をサボって私の講演会に来てくれました。そして、8時間にわたり、じっと私の話を聞いていてくれました。私もうれしかった。
今も仕事場の机の上に、いつでも開けるように置いてあります。こんなふうに。「2024年度用 審査用見本」とありますね。

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