カテゴリー「書籍・雑誌」の873件の記事

2017.07.18

『今日すべきことを精一杯!』 日野原重明 (ポプラ新書)

Th_51hsy5xrgl 野原重明さんが、105歳の天寿を全うされました。最期の最後まで、まさに本当の長寿長命、人間にとっての健康、幸せ、仕事の大切さを体現し続けた人生でした。
 このブログでも何回かご著書を紹介してきました。そこにも書きましたとおり、日野原先生と私とはあまりにもその命、人生の質が違いますけれども、ただ一つ共通していたのは、「一日一食」でした。基本夕食一食。
 日野原先生の食生活や仕事ぶりを拝見し、私もずいぶんと勇気づけられ、そしておかげさまで健康に、そして幸福に日々を過ごさせていただいています。
 あらためて、感謝の気持ちを表したいと思います。ありがとうございました。
 日野原さんのご著書で最近読んだのはこの本でした。85歳の時のご本ですから、20年ぶりの新装版ということになります。その時から20年もずっと現役でいらしたんですからね。本当に驚きですし、尊敬申し上げたいと思います。
 105歳ということでいえば、私なんかまだ折り返し地点にすら到達していない。本当に洟垂れ小僧です。
 「人は必ず死ぬのだから、今日すべきことを精一杯やりなさい」という思想は、非常に仏教的であるとも言えます。過去や未来にとらわれず、「今ここ」になりきる。それが難しいから人は「生老病死」に苦しむのです。
 医師はまさにその「生老病死」と対面する仕事。他者の「生老病死」を手助けするとも言える。その四苦は避けられないのだから、いかにその質を上げ幸福に転ずるか、それをアシストするのが医師の仕事とも言えます。
 そういう意味では、私たちは職業上の医師でなくとも、他人の、そして自分の「生老病死」をしっかりプロデュースしていかねばならないはずです。それはもしかすると、修行のような厳しいものではなく、もっと軽やかで楽しいものなのではないか、そんなことを予感させてくれるのが、この本です。
 まさに大往生された日野原さん。医学だけでなく、栄養学、哲学、倫理学、キリスト教や仏教、神道の立場から見ても、たいへん大きな遺産を残してくださいました。本当にありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。 

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2017.07.14

田中英道『聖徳太子の和と悟り』

 中英道さんの聖徳太子論を紹介する記事が続いています。そんな中、ちょうど今日、またこの番組が放送されました。
 「ほとけ」は「ブッダの形」か。なるほど。仏像信仰なんですね。そして、日本の「権威と権力」の基礎を作ったのが聖徳太子だというのも納得です。
 「和」を「やわらぎ」と訓むか「にぎ」と訓むかについては、一昨日書きました。
 私は「和」を英語で説明する時、「global familism」と表現しています。まさに「家」であり、そういう意味で、田中さんの言うとおり「国家」という日本化した漢語があるわけで、それは「nation」とは全く違うわけです。そして、「八紘一宇」「八紘為宇」という概念をも生んだと。
 家の構成員として「役割分担」をするというのは、まさに仲小路彰の「グローバリズム」の発想と同じですね。異論もあるのを承知で言いますが、戦後の仲小路のグローバリズムは、戦前、戦中の「八紘為宇」の巧みな言い換えという部分もあると思います。
 いずれにせよ、聖徳太子という偉大な思想家の影響が、今の日本にもしっかり息づいているばかりでなく、今後世界に広がっていくことを期待します。田中さんのご著書が英訳されるのを楽しみにしています。

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2017.07.13

聖徳太子日本国未来記

Th__20170714_132648 徳太子シリーズ。
 聖徳太子自身が虚構だともいいますが、その虚構が書いたとされる偽書となれば、いったいこれはなんなのか…いや、グルっと回って真実になっているとか(笑)。
 いつの時代にも、この聖徳太子の未来記を持ち出して、ある種の危機感をあおる人たちがいます。南北朝時代から700年以上続いている。これは「真実」です。
 最近でも、未来記を現代流に解釈して、2016年に何かが起きる、それがはずれると2017年に…というふうに、相変わらず「伝統」は引き継がれています。


 今日は時間がありませんので、オリジナル(?)「未来記」から派生したと言える書物の一つを紹介します。ネットで読むことができます。
 慶安元年(1648年)発行の「聖徳太子日本国未来記」。
 まず、弘前市立弘前図書館所蔵のもの。刊本を筆写したものでしょうか。
 続いて、早稲田大学図書館所蔵のもの
 同書は巻末に「摂州天王寺の宝庫より出づ」とありますが、やはりアヤシイと言わざるを得ません。
 やはり未来記に関わっているとも言える先代旧事本紀や、当地に伝来する宮下文書など、江戸期になり版本が出回って、歴史が庶民のものとなってからというもの、どんどんアヤシイ文献が「発見」されることになります。
 それに影響を受け、ある種の事大主義に陥った文化人、学者もたくさんいました。そうした本居宣長や平田篤胤、佐藤信淵、そしてそこに強く共感した近代人、現代人も無数にいます。もちろん大歴史哲学者仲小路彰もその一人です(ワタクシもその一人です…笑)。
 そのあたりの事情や現代につながる意義については、また機会を見て書きたいと思います。

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2017.07.12

田中英道『聖徳太子の日本思想史上の重要性』 (日本国史学会講演)

 日の続きでもう一つ。相変わらず時間がありません。最近はこうした動画の音声を倍速で聴きながら、他の仕事ができるようになりました。おっ?もしかして聖徳太子(豊聡耳)に近づいてきたのか(笑)。
 ま、それは冗談といたしまして…こちらの講演も実に興味深いものですね。
 考えてみると、日本国史学会で講演されている、竹田恒泰さん、伊藤隆さん、渡辺利夫さんとは、個人的にお会いして直接お話をさせていただきましたね。田中さんにはまだお会いしたことがありません。
 伊藤先生、渡辺先生とは仲小路彰の話をしました。お二人ともちょっと引いていました。重鎮でさえも引いてしまうくらい、日本史にとっても、国史にとっても非常にアブナイ存在なのですね。
 さて、そんな仲小路彰の聖徳太子論は、「夢殿の幻〜聖徳太子の救世悲願」に明らかです。
 田中先生のご意見は、仲小路の聖徳太子論と重なる部分も多々あります。さすがですね。特に1条が神道であるという点。
 ただ、田中先生は「和」を「やわらぎ」と訓んでいますが、仲小路は「にぎ」と訓んでいます。すなわち一霊四魂の「和魂(にぎみたま)」。まあ、両方とも同じ意味とも言えますので問題はありませんね。
 仲小路の論が優れていると感じたのは、「和」を積極的に出雲のオオクニヌシの和魂、つまり「にぎ」ととらえているところです。
 出雲の和魂を継ぐ三輪山の物部氏を、蘇我氏とともに滅ぼしてしまったことに苦悩し、結果として、その魂である「和魂」を十七条憲法の第一条に置いた…私にとっては、非常に説得力のある説です。
 そのあたりについても、田中さんにお伝えして知っていただく機会を得たいものです。

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2017.07.11

田中英道『聖徳太子虚構説批判』 (日本国史学会講演)

 変忙しいので、また週末に見た動画を紹介します。昨日の田中英道さんの聖徳太子論。
 大山誠一さんの聖徳太子虚構論に対する批判が中心です。
 私は、たとえば宮下文書の世界をも「歴史」として認証する、つまり虚構さえも虚構という形で存在する事実と認定する立場を取りますので、ある意味、聖徳太子が実在しようとしまいと関係なく「歴史」であることは間違いないと考えています。
 それは宗教というある種の虚構が世界を動かしていることが事実であることと同じです。虚構だからこそ「ある」「あった」とも言えるわけです。なぜなら意識化されているからですね。忘れ去られた以前に、意識化されなかった「事実」も無限にあるわけですよ。
 そういう意味で、私が大山さんか田中さんか、どちらの立場に近いかというと、当然田中さんになるわけです。
 まあ、こうして論争になること自体、異常なほどに意識化されているわけで、その点では、大山さんの視点というのも実は面白い。なぜ「信仰」に至るまで意識的に意識化されたのか。
 今、私はそこに興味がありますし、そこにこそ日本人の歴史の要点があるような気がするんですよね。
 その一つの解答として、くり返しになりますが、仲小路彰の聖徳太子論があるのだと思います。
 

 

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2017.07.04

『安岡正篤の教え』 松本幸夫 (Kindle版)

Th_51qga0zybpl そるべし山中湖。
 仲小路彰だけでも一生かけても整理しきれないのに、まあほかにもいろいろ出てくる出てくる。
 最近では日本画家、富士山を描き続けた山元桜山に関する文献で面白いものを見つけました。これはこれでかなりヤバイですよ。
 さて、このたび登場したのは、なんとあの「安岡正篤」。私にとっては二・二六事件の思想的背景として、また、玉音放送のあの詔勅に手を入れた人物として、あるいは「平成」の年号の考案者として、それなりに興味を持ってはいましたが、富士山と関係があったとは思っていなかったし、正直言うと著書も一冊も読んでいませんでした。
 そこに突如現れたのでビックリ。
 たしかに、安岡正篤は戦後の歴代総理の指南役としても有名で、たとえば佐藤栄作にも大きな影響を与えています。そうすると、当然仲小路彰との関係も想定されますよね。
 表の黒幕(というのは変か?)安岡と、裏の黒幕(これも変か?)仲小路。
 ただ私の勝手な印象ですと、やはり安岡は陽明学を中心とした中国の思想哲学をベースにしているため、仲小路のような世界的宇宙的なスケールとは少し違うような気がしています。もちろんどちらが優れているとかそういうことではなく。
 というわけで、急遽、安岡正篤について勉強しなくてはならなくなったので、まずは原典に当たるのではなく、良き入門書をということで、この本を読んでみました。
 おそらく専門家の方からすると、本当に入門の入門なんでしょうが、私のような門外漢にとってはまさに門から「失礼しま〜す」というのにちょうどいいくらいでした。
 たしかにいいこと言ってますね。勉強になりました。
 ただなんというか、これは自分の偏見なんですけど、中国って言ってることとやってることが違うじゃないですか。ああいう立派な哲学がたくさん生まれたのは、現実があんまりひどかったからですよね。論語なんか象徴的。
 ということで、またまた勉強しなければならないことが増えてしまいました。やっぱり二・二六事件関係かなあ。安岡が戦前発行していた「篤農」もたくさん出てきました。あの当時のものを読むだけでも面白そうですね。

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2017.06.26

『最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常』 二宮敦人 (新潮社)

Th_61rsvqqq9l_sx346_bo1204203200_ ろいろな意味で憧れの東京藝大。私はとてもとても入れませんでしたが、教え子は入れました。また、最近は藝大卒の方々と共演することが多い。なんだか得した気分です(笑)。
 そうした皆さんは「音校」の方々。とってもまともな皆さんです(笑)。「美校」の知り合いは…あれ?いないかも。
 この本で言うところの「カオス」は正直「美校」の方ですよね。つまりカオスな天才の皆さんとは今のところご縁がないわけです。というか、私のような凡人は近づけない領域なのかもしれません。
 そんなわけで、私がもし藝大に入れるようなことがあったとしして、「音校」と「美校」どっちか選べと言われたとしたら、間違いなく「美校」を選びますね。てか、私の音楽や楽器との付き合い方というのは、ちっとも「藝大(音校)」的ではない(それ以前に音大的ではない)わけでし、どちらかというと「美校」的なカオスの方が自分の得意とする分野のような気がするのです。
 意外に思われるかもしれませんが、私は案外ちゃんと「絵」を勉強しました。先生について勉強したという意味では、音楽と同じくらいの期間(約10年)ということになりましょうか。
 今ではちっとも絵を描かず、あるいはモノを作るようなことはありませんが、かつては音楽よりも美術の方が得意だったし、そっち方面で創造的でした。
 実際、高校の芸術選択は美術を取ったんですよね、3年間。成績も良かった。中学では美術部でしたし。意外でしょ。
 ま、そんなこんなで、いちおう、本当にいちおう程度ですが、音楽も美術もそれなりに分かっているつもりです(あくまでつもり)。
 そう考えるとですね、なんで、「音校」と「美校」が対照的なのか、よく分からない部分もあるんですよね。違う言い方をすると、なんで「音校」はカオスにならないのか。これはある意味良くないことだと思うんですよ。
 ご存知のとおり、両分野ともに、基本基礎や論理やメソッドがあって、それを超えていくのが、いわゆる「天才」だと思うわけですが、なぜ「美校」はいとも簡単に超えていっているのに、「音校」は超えられない(ように見える)のか。
 もちろん、もともと音楽が「コスモス」に収斂してゆき、美術が「カオス」に拡散していく傾向があることは分かります。しかし、実際にはその逆もあり得るのに、なんとなく日本では芸術とアートが分離しているがごとく、両者がぐるっと回って一つになったり、止揚されたりすることがあまりないというのも不可思議なことです。
 いや、実際には音と美の境界線のあの道を軽くまたいで行き来する真の天才がいることも聞いています。しかし、やっぱりそこに分断がある、壁がある、溝があるのは事実でしょう。
 そういう意味で、私は古楽科に期待していたんですよ。ジャズ科みたいになってほしいなと。現状はどうなんでしょうかね。
 また、上野にない第三者的な新興の学部学科の存在も気になります。
 というわけで、藝大にスパイを送り込もうと思っています。上の娘はとっくに諦めているので、下の娘を洗脳して送り込もうかな(笑)。
 おっと、肝心な本の紹介を忘れていた。この本はインタビュー集です。入り口としては面白いんじゃないでしょうか。まさに入り口から中をちらっと見る程度でも、私は充分楽しめましたよ。

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2017.06.15

『治安維持法』 中澤俊輔 (中公新書)

Th_41x5t5bhlpl_sx319_bo1204203200_ 正組織犯罪処罰法が成立しました。
 私も単純には喜べない立場を取っていますが、しかし、一方で野党や人権派、リベラル派、さらにはマスコミが使う「共謀罪法」、「テロ等準備罪法」が成立したという不正確な言い方はやめてもらいたいと思います。
 ひどいものになると、「現代の治安維持法が強行採決によって成立!」などととんでもないことを言う。印象操作とかの以前に、勉強不足を露呈していて見苦しい。
 私は、戦前の出口王仁三郎や仲小路彰の動きを調べているので、自然と治安維持法にも興味を持ってきました。多少はリアルな当時の現場の様子を知っている者としては、今回の改正組織犯罪処罰法と戦前の治安維持法とは、似て非なるものであるとの実感がありました。
 ちょうどそんなモヤモヤを抱いていたところに、先月末ですか、この本の著者、秋田大学の中澤俊輔さんが、テロ等準備罪が「現代の治安維持法」と言われることへの大きな違和感…何が似ていて、何が違うのかという文章をネットで発表しました。
 皆さんにもぜひ読んでいただきたいですね。治安維持法が暴走したのは事実ですが、それを暴走させた「主体」がなんであったかを知ると、それがそのまま現代でも単純に繰り返されるかどうか、ある程度はっきり分かると思います。
 それ以上に、今回と同じく、治安維持法も生まれるべき理由があったことも理解すべきです。治安維持法がなかったら、どうなっていたかという想像力も必要でしょう。
 もちろん、その「暴走」の歴史は否定できませんし、今後私たちが特定の法律を暴走させる可能性がないとは言えません。しかし、だからこそ、そうした過ち(あえてそう言います)の歴史を感情的ではなく、相対的に、そして総体的に捉える必要があるでしょう。
 そうした高い大きな視点からのより正しい知識を身につけるために、中澤さんのこの本は必読書です。
 とりあえず反対派の方々、また真剣に不安を抱いている方にこそ、お読みいただきたいと思います。
 本当によくまとまっています。私たちの「治安維持法」に対する知識がいかに浅いものか、よくわかりますよ。

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2017.06.14

南伸坊、関川夏央、みうらじゅんが語らう「昭和のエロ」

「昭和のエロ」は温かく、熱心だった
Th__20170615_91324 せずして、一昨日は「昭和」のモーレツ社員、昨日は「昭和」のプロレス、そして今日は「昭和」のエロということになりました(笑)。ま、私も充分昭和の残滓人間だということですね。
 別に昔は良かったとか、今どきの若者は…とか言いたいわけではありません。いや、やっぱり言いたいのか。そういう年齢になったということですかね。やっと大人になったと(笑)。
 で、今日は「エロ」のお話。あんまり面白かったので、ここにそのまま紹介します。文藝春秋に掲載された、南伸坊さん、関川夏央さん、みうらじゅんさんという、それこそ昭和の「おバカな男(もちろんいい意味)」を代表するような方々によるエロ鼎談。

南伸坊、関川夏央、みうらじゅんが語らう「昭和のエロ」

 そうそう、皆さん、私たちが左右の手で大切に抱いているものって何かわかりますか?
 答えは…こちらに書いたとおり「エロ」です(笑)!
 最近の若者(ああ、言っちゃった)、特に男は、草食系とか言って「エロ」にさえ執着を持たなくなっている。草食系、肉食系についてはこちらに書きましたね。
 私は(エセ)僧職系です。この前、座禅して空っぽの状態にしてアキバに行ったら、一気に肉が流入して満杯になりましたよ(笑)。
 「エロ」は妄想が99%ですから、その時代ごとにそれぞれのメディアがリアルの代替になってきました。それが紙とか人形とかだった時代はまだしも、今ではデジタルになり、そしてVRになり、さらにAIになっていく。
 いったいどうなるんでしょうね。戦争とかではなくて、「エロ」のヴァーチャル化によって、人類は滅びるんでしょうかね。
 というわけで、皆さん、左右の手からエロがこぼれ落ちないように頑張りましょう。

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2017.05.23

『第二次大戦前夜史 一九三六・一九三七』 仲小路彰 (国書刊行会)

Th_41wmdwk5icl_sx359_bo1204203200_ 日、昭和11年、12年は歴史の転換点だというようなことを書きました。しかし、日本国民は案外明るい未来を展望しており、特に都市部はお祭り気分だったとも書きました。
 昭和11年は私の母が生まれた年でもあります。父は5歳。ですからその時の記憶はほとんどありません。時代の空気なんか分かるわけありませんし。
 かつて祖父母に聞いたところでは、やはりそれほど暗い雰囲気ではなかったようです。実際、世界恐慌に伴う昭和5年あたりの昭和恐慌からもいち早く脱し、昭和8年以降は一部の農村を除いて好景気だという感触があったようです。
 この高橋是清による昭和恐慌という大デフレ脱却政策が、アベノミクスに似ているとの見方もありますが、のちに高橋是清は昭和11年、二・二六事件で暗殺され、日本は戦争へまっしぐら…という、それこそ戦後歴史教育に洗脳された悪意ある解釈ですね。そんな単純な話ではありません。
 さて、そのように庶民は好景気に浮かれ、かつての戦争景気の記憶もまだ新しく、ある意味では戦争への期待さえあったとも言えます。そんな中、いったい世界や、世界と直接やりあっていた日本の上層部ではいったい何が起きていたのか。つまり、庶民が知らないうちに、いったい何が進行していたのか。
 それが恐ろしいほどによく分かる本が、この仲小路彰による「一九三六」と「一九三七」です。仲小路彰が高嶋辰彦陸軍中佐(当時)の支援を受け、戦争文化研究所の名の下に全121巻の刊行が予定されていた(実際は43巻まで刊行)「世界興廃大戦史」の一部。
Th_31ogxpnu8l_sx298_bo1204203200_ 昭和16年9月から17年4月までの間に刊行されていますから、間に真珠湾攻撃を挟んでいるわけですね。戦争が始まらんとしているその時に、およそ5年前の世界と日本の動きにその端緒を見ていたのです。
 内容としては、今では忘れ去られた事象も取り上げられており、いったい当時どのような情報源をして、ここまで詳細に世界情勢を分析し得たのか。非常に興味がありますね。
 実はまだ全部読んでいませんし、読んでも知識が足りないために理解できないでしょう。しかし、現代の研究成果よりも不思議とリアルな感じがするんですよね。情報の選択、そしてそれらの配置の妙は、世界史、特に戦争史を知り尽くした仲小路ならではのものでしょう。
 このような本が復刻されたということは、ようやく歴史学の戦後レジームが崩れる時が来たということでしょうか。
 一方で、仲小路彰の全貌を俯瞰した立場からしますと、こうした戦前、戦中の著作のみで彼の業績を評価してほしくないというのも事実です。
 こうした一見右寄りな活動の先にある、終戦工作、グローバリズム構想、未来学こそが、仲小路彰の「本体」であると、私は思っています。
 当然、逆の発想も必要です。つまり、戦後の仲小路彰のみ見ていても、やはりその本質には近づけない。未来から見れば、戦後も戦前も連続した過去であり、またその無限の過去は、その時の「現在」の無限の集合体なのですから。

Amazon 第二次大戦前夜史 一九三六 第二次大戦前夜史 一九三七

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