カテゴリー「書籍・雑誌」の908件の記事

2018.04.10

『ミライの授業』 瀧本哲史 (講談社)

Th_4130o1rvisl 校は、未来と希望の工場である――。そしてきみたちは魔法を学んでいる。
 そうありたいですね。
 なんで勉強しなきゃならないんだ。数学がなんのためになるのか。自分もそうでしたが、生徒は必ず一度はそういう疑問を持ちます。
 そして、自分もそうですが、教師はそれにちゃんと答えられない。
 実際、学校には不合理や不条理がたくさんあって、それを改革していかなければならない時代ではあります。勉強の中身に関してももちろんそうです。
 しかし、人類のみがずっと続けてきた「勉強」には、変わらない何か大切なものがあるに違いありません。その漠然としていた「何か大切なもの」を、偉人たちの勉強と仕事を通じて実感のあることにしてくれるのがこの本です。
 たしかにこういう授業ができるようになりたいですねえ。こういう話を上手にしたい。
 教師ならずとも大人が読むべき本かもしれません。14歳の生徒向けの本のはずですが、大人の方がいろいろ発見があるかもしれません。なぜなら、自分たちには勉強に関して失敗の体験があるからです。
 子どもたちはまだ失敗が足りないですし、あるいはこの本に刺激を受けて失敗をしないかもしれない。そういう意味では、案外子どもたちはこの本に心を打たれないかもしれない。ああそうだったのか!という発見の感動がないかもしれない。ほとんどの大人にはあるでしょう。
 それにしても、偉人たちの人生にも知らないことがたくさんあったなあ。それぞれ名前はよく知っている、一般的な伝記は読んでいたけれども、そこに隠された「何か大切なもの」はずいぶん知らなかった。それこそ勉強になりました。
 近く県の新任教員に対して研修をするんですが、この本、必読書として紹介しましょう。

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2018.03.30

『戦後 春陽文庫 資料集成 β版』 小野純一編 (盛林堂ミステリアス文庫)

Th_7e764766260b6e030e5fddd206f15f32 はあまり詳しくないのですが、知り合いの古書マニアの方から紹介いただきました。
 春陽文庫、私が初めて文庫サイズの本を読んだあの日。ちょっと大人になったような気がしました…ということは鮮明に覚えているのですが、しかし、それが小学校何年生の時だったのか、その本がなんだったのかは定かではありません。
 曖昧な記憶をあえて無理やりクリアに画像処理したところ、どうも江戸川乱歩の「パノラマ島奇談(綺譚)」だったような気がしてきました。まあ、気がする程度ですが。
 そうしますと、たぶん昭和39年版の春陽文庫ですね。友人の誰かに借りた記憶があります。その内容はもちろん、文庫の小ささ、装丁の渋さなどが、きっと少年ワタクシをアヤシイ気持ちにさせたのでしょう。
 さて、そんな春陽文庫、私もその後何気なく何冊か読んでいると思いますけれども、とにかくその全貌が分からないことで、ある意味有名な文庫です。
 その全貌に迫ろうとして断念した人は多数いたでしょう。そんな中、「とりあえず」リストを作っておこうと立ち上がってくれた方がいました。
 小野さんは、昨年の夏頃から神田の古本市場に出回り始めた戦後の貴重な春陽文庫を買いあさり、なかばご自分のためにこのリストを作られたようです。
 それでも、全貌にはほど遠いということでβ版と名付けられているのでしょう。というか、もしかすると永遠にβ版だったりして(笑)。それほどに、この春陽文庫の沼は深いらしい(私は全然はまっていないので分かりませんが)。
Th__20180327_172009 ちなみに、私の職場のすぐ近くにある昭和24年以来続いている本屋さんの屋根横には、堂々と「春陽文庫」の文字が踊っています。
 まあ春陽文庫自体、まだしっかり存続していますから、この看板というか宣伝もちゃんと生きていいるということですよね。
 ちなみに、春陽堂書店と言えばですね、私が今研究しつつある仲小路彰が、東大卒業後編集者として勤めた会社でもあります。仲小路は、そこでヘーゲルやマルクスの弁証法についての本の編集にあたっています。
 考えてみれば、仲小路彰の書き残したモノは、春陽文庫の全貌を森とすればですね、まるで富士山全体とでも言うような量と質と未知・未発見加減です。
 全貌を、なんて言わないで、こちらも「とりあえず」のβ版を作らねばなりませんね。

盛林堂公式


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2018.03.29

是非初心不可忘

Th_51nry78lul 日は下の娘の人生にとって、とても大きな節目の日でした。
 人間国宝の能楽師野村四郎先生に入門したのです。
 ここに至る過程もいちいち不思議なことばかりでした。すなわち運命であったのでしょう。
 まさか自分の娘がそちらの道に進むとは夢にも思いませんでしたし、人間国宝の弟子になるなどとは夢にだに思いませんでした。
 これから大変厳しい道を歩んでいかねばなりません。私も一緒に勉強させていただきます。
 今日も野村先生は本当に深い話をいろいろしてくださりました。一つ一つのお話がそれぞれ胸に響きましたが、そのお話のベースにあったのは、先生の「勉強熱心」さです。
 芸の道を極めていながら、謙虚、素直、勉強熱心。本当にすごいと感じました。

 是非初心不可忘

 先生が娘のために書いてくれた言葉です。言うまでもなく世阿弥の言葉ですね。
 私たちは「初心忘るべからず」と覚えていますが、実は「是非初心不可忘 時々初心不可忘 老後初心不可忘」という三つの「初心忘るべからず」があるのです。
 そのうちの、「是非初心不可忘」は特に重要だといいます。「是非」とは「ぜひとも」の意味ではなく、「良いことと悪いこと」「正しいことと間違ったこと」という本来の意味です。
 すなわち、何が正しいのか、何が間違っているのか、まだ答えが出ていない時の姿勢、すなわち初心を忘れてはいけないということです。
 私もそうですが、「先生」と言われるようになると、何か答えを知っているかのごとく勘違いをしたり、他の意見を取り入れられなくなったりしがちです。そうした「分かったふり」を戒める言葉とも言えましょう。
 なるほど野村先生は、今もまさにそうして精進しておられる。分からないことは、気づいたこと、疑問に思ったことは、徹底的に調べる。その専門家のところに行って教えてもらう。真理に対して謙虚であり、素直であられる。
 なるほどこれが超一流かと気づかせていただきました。本当にありがとうございました。どうぞ、これからもよろしくお願い申し上げます。私も素直に勉強させていただきます。

Amazon 狂言の家に生まれた能役者


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2018.03.27

『50mm』 高城剛 写真/文 (晋遊舎ムック)

Th_511fbxftxel_sx377_bo1204203200_ すが高城さん。これまたやられましたな。
 不定期刊の雑誌を刊行です。実にデカイ。デカイ雑誌。そして写真は全て50mmレンズで撮影したもの。さらに紙はアドニスラフ。久々に「質感」を体験した。
 ご自身、Kindleが最強とおっしゃっていましたが、そんなご自身からも一本取っちゃった感がありますね。
 なんというか、彼は本当に思考が柔軟なんですよ。たとえば私たち凡人だと、もう紙の本の時代は終わり!と言ってしまったら、紙の本はノスタルジーの対象でしかなくなってしまうじゃないですか。
 それをこういう形で(デカイ!)、一瞬にして未来的なものにしてしまう。ご自身はアマノジャクとおっしゃりますが、決して裏をかいたり、奇をてらったりしているわけではない。ちゃんと意味がある。
 近過去に新しい意味を加えて、超未来的に仕上げてしまう。ずるい。ずるいほどに賢い。
 なるほど、ディスプレイの時代だからこそ、そこに収まりきらない「質感」というのがある。
 ちょうど昨日、私もLPジャケットをデジタル的に再現できないかなと考えていたところなんです。30cm角の正方形の音楽デバイス作ったら売れるんじゃないかと(売れないか…笑)。スピーカーも内蔵してるんですよ。で、ジャケットを眺めるていで持って音楽を聴く。
 そうすると、またジャケット・デザインという文化が復活するんじゃないかと。あの頃は、音楽と美術、そして歌詞カードや解説といった文学が協働してたじゃないですか。それをやりたいんですよね。
 ところで、この雑誌の表紙の写真ですが、新宿でご自身がご自身を撮ったものだと思います。
 というのは、この30分前、私、高城さんと一緒だったんですよ。今から撮りに行くって言って別れた。ちなみにその時、大切なカメラを忘れてったんです。もちろん数秒で気づいて戻ってきましたが(笑)。
 あのあと、こんなカッコイイ写真を撮るなんて。ホント、フットワーク軽いし、切り替えも早いなあ。男として憧れますよ。
 そうだ、さっきの巨大音楽デバイスの話、高城さんにしてみよう。
 あっそうそう、Kindleと言えば、高城さんとワタクシの宇宙人対談がありがたいことに大変好評でして、その全編を収載したKindle本がもうすぐ出るとのことです。うれしいかぎりです。
 対談をお聴きになっていない方は、ぜひこちらからどうぞ。ぶっ飛んでますよ(笑)。

Amazon 高城剛 写真/文『50mm』THE TAKASHIRO PICTURE NEWS

 
 

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2018.03.18

『ニャンでもやればできる』 深見東州 (たちばな出版)

Th_71qwfboy7xl 日は深見東州さんのお誕生日です。
 現代の出口王仁三郎とも言える深見さん。実際、ワールドメイトは大本の影響が大ですね。
 深見さん、常にユーモアを忘れない姿勢は好感が持てます。今年お会いしてみたい人物の一人ですね。
 さて、ある人からこの本をいただきました。私が猫好きだと知ってか分かりませんが。
 別に宗教とか関係なく、単純に、軽くいい本ですよ。たしかに誰かにプレゼントするのがいいかもしれません。
 自分では買うまでもないけれども、いただければその恩恵にあずかれる。
 猫ちゃんの写真だけでも充分癒やされるけれども、やはり深見東州さんのポジティヴな言霊に触れることによって、魂の奥から癒やしを得ることができますね。
 正直胡散臭いけれども、なんだか否定できない、批判できない、そういう男って昔はたくさんいたんですけどね。私はそういう男になりたいと思っています(笑)。
 ああ、そうそう、そう書いて思い出した。吉本隆明の王仁三郎評。これですよ。さすが吉本隆明。さすが王仁三郎。

 天然自然のすべてを万霊とする未開的な宗教性のうえに、仏教、儒教、土俗道教などの信仰や倫理を混合したものだが、王仁三郎の気宇の巨きさで、自在に伸縮される容器を具えているといえよう…野放図すぎる柄の大きさをしめしている。いいかえれば、里の活き神信仰としての大本教の反知識性と破れを繕うことをしない庶衆の姿勢が、総合、融和されて出ている。いくらでも侮れるが、侮っても裂け目から、また芽が出てくるような気がして、永遠のたたかいの場を提供しているとおもう

Amazon ニャンでもやればできる

【独占インタビュー】謎多き宗教家、深見東州とは何者か

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2018.03.05

仲小路彰 『女性の問題』(グローバリズム 二十一世紀の世界と日本像より)

Th_00451_1964s390815 日はいろいろな人と女性論を語り合いました。先週のチャンネル桜の討論も「女性の幸せって何?」 でした。
 保守派の女性たちの討論でしたが、これはこれで面白かったし、案外未来的な感じがしました。
 特に「男の幸せが女の幸せ」的な論説は、ある方面からは思いっきり批判されそうですけれども、生物学的には実は本質をついているかもしれませんね。
 「恋の奴隷」からの「実は女優位」論も納得であります(笑)。賢い女は強い。
 よろしかったらこの討論もご覧ください。

 さてさて、ある意味男尊女卑から男女平等へと激動した昭和という時代を裏で動かした、天才哲学者、思想家、仲小路彰は、二十一世紀は女性の時代だということを重ねて予言しています。
 その女性論は非常に深く高尚なものなのですが、今日は仲小路の女性論のわかりやすいものを紹介しましょう。
 この文書には昭和39(1964)年8月15日の日付があります。私が生まれる二日前に発行されたものです。
 冊子のタイトルは「グローバリズム 二十一世紀の世界と日本像」。50年以上前に「グローバリズム」ですよ。いや、仲小路彰はすでに戦中からグローバリズムを構築していました。まだ、英語の辞書に globalism という単語がなかったころからですよ。
 政治、経済、文化など広範な内容なのですが、その中に「女性の問題」という節があります。今日はそれを全文書き写してみたいと思います。
 二十一世紀になった今、この半世紀前の予言を、皆さんはどのように読むでしょうか。

(以下引用)

    女性の問題

 これまで全く家事的な多忙に明け暮れして、ほとんど何らの自主性を持ちえなかった近代女性は、再び原始の女性は太陽であったとの強いあこがれをもって未来的に自由な前進をはじめようとする。
 古いとざされた封建的家庭は、その根底から動揺し、破壊され、その後には全く関節のはずれた体のような苦しみが今日の家の暗いムードとなっている。

 しかし、未来の女性のあり方は、もし女性が男性との同権を主張するあまり、男性と同じ仕方をまねするならば、それこそ、いよいよ時代おくれのあわれな存在となるであろう。なぜなら、すでに戦争のなき世界は、男性中心の社会ではあり得ないからである。
 これを悟らず、これこそが先端女性と思って、ただ男のなす業をわれも負けずにと摸倣し競争するならば、それこそこれ以上の時代錯誤はないのである。
 ある意味で二十一世紀は、平和な文化的世界の典型として、わが平安朝の女性的天才の自由なる表現をなした時代的様相に似たものとなる傾向を示すであろう。
 いわゆる才女と称せられる彼女らは、紀貫之の「土佐日記」を創作せしめたほどであり、かの「源氏物語」にいたっては、日本はおすか全世界にあっても、それに比べるべきものを見出しがたいものである。

 かかる教養ある女性文化こそ、次に来る文明の母胎をなすものであり、ここには男性のなし得ない独特な美的世界の開花を示すものとなる。

 かかる人間をいかにして形成するか‥‥

 その人間教育のためには、先ず地球文明建設というグローバリズム体系を組織する研究所の設立をなす。
 それにより創造的人間をつくり出すアカデミーを必要とする。
 これらの教育機関は、あくまでも自由で純粋な人間開発を目的とするものである。その中心的な地点に、自然美と歴史的伝統を本有して、さらに現代文明のすべてを吸収し、蓄積した日本こそが、最適の地としてえらばれるのも当然である。
 
Amazon 未来学原論―21世紀の地球との対話

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2018.02.27

「ぶるな。らしくあれ」

Th_81ep4qz3wvl 阜は井深の名刹、正眼寺の山川宗玄老師と主席をともにいたしました。
 いろいろありがたいお話をうかがうことができました。やはりワタクシのような野狐とは次元が違いすぎます(当たり前)。
 その中でも、この言葉は心に残りました。どういう文脈だったか、禅語ということではなく、老師さまの小学校の時の若い恩師の言葉だそうで、それが僧侶になってから響いていると。
 たしかに重い言葉ですね。
 たとえば、ワタクシ、とにかくしょっちゅう「先生らしくない先生」と言われます。それを聞いてまたいい気になっている(笑)。
 先生ぶっているわけでは全然ありませんが、先生らしくもない…って、じゃあ、全然先生じゃないってことですよね。これはこれでいかん。
 老師のお言葉からすると、「先生ぶるな。先生らしくあれ」ということになります。先生らしい…というのは難しいけれども、そこを求めて、目指して頑張るべきですよね。
 ただ、「〜らしい」というのは、自分が決めるというよりも、他者の評価という気もします。
 そういう意味では、禅というか仏教にも通じるかもしれません。「職業」らしい…というのに限らず、「名前」らしさ、たとえば「山口隆之」らしさというのも、たしかに自分では分かりませんよね。人から言われて、そうなのかなあと。そして、何回も言われているうちに、自分はそういう人間なんだとか、自分の個性ってこれなんだと信じ込むようになる。
 そう考えると、「らしくあれ」というのは実に難しい。人に評価されたとおりにせよということになりかねない。他者の期待に応えるという言い方もできますが、そこにやはり自我や主体性はありえないのかもしれません。
 やはり縁起しているんですね、自分は。

Amazon くり返し読みたい ブッダの言葉
 

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2018.02.26

二・二六事件当日(小島威彦)

Th_2262 日は二・二六事件から82年目の日。そして、仲小路彰の117回目の誕生日となります。そう、仲小路彰は1901年の2月26日生まれなんです。
 ですから、仲小路彰の35歳の誕生日に二・二六事件は勃発したことになります。
 当時の仲小路の家は広尾にありましたから、事件現場の比較的近くですね。仲小路自身がその日のことについて書いたものは、いまだ見つかっていませんが、仲小路の親友であった小島威彦が「百年目にあけた玉手箱」にその日のことを書いています。
 今日はその文章を紹介します。ある意味当時の雰囲気がよく分かる内容です。事件が思わぬ方向に収束していくことを象徴するように、なんとなく冷めた空気が東京を支配していたように見えますね。

…二月二十六日早朝、大雪とともに大事変が勃発した。恰も忠臣蔵の討入りの黎明を迎えたように、東京は深々と降りしきる雪に蔽われた。僕の舎兄清彦はその朝八時半に日比谷公園と向かい合っている勧業銀行本店に出勤したところ、ただならぬ陸軍反乱軍の決起を目撃して、泡を喰って、左近司と軍令部の舎兄秀雄と同盟通信社の義弟波多尚は僕へ電話してきた。「陸軍革命軍は総理官邸において岡田首相、前首相斎藤実、高橋是清蔵相、渡辺錠太郎陸軍教育総監を殺害し、目下その殺害目的は進行拡大中だ。大変な事態だ。日比谷と赤坂方面は蹶起した近衛連隊が陣取って砲門を敷いているようだ。兵隊はすべて銃剣だし、物々しい有様だよ。」僕は身支度をして田園調布から渋谷に出て赤坂へ向かった。もう昼だった。別に銃声が聞えるわけではない。想像したほど騒々しくはない。大きなアドバルンが二本空中に揚がっている。「直ちに原隊へ帰れ!!」と大書した幟が雪空にゆらゆらと風邪に靡いている。拡声器からは引切なしに「直ちに原隊へ復帰せよ。陸海軍はすでに鎮圧の体制を整えた。まだ遅くはない。すぐに原隊に復帰せよ。」僕は二時間余り動静を見ていたが、これ以上の革命的進展はありえないと思い、帰宅した。次から次に号外の鈴の音が巷に満ちている。しかし危機の感情が湧き立っている様相はない。さらに数名の重臣が殺害された。しかし大衆の感情は不景気や沈滞や退廃で燻った暗幕に風穴があいたように受け取っているのであろうか。しばらく沸騰した鉄瓶の蓋を明けて、水でも差せば収まるのかしれない、そんな漠然とした気分が街を蔽っている。

 

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2018.02.22

追悼 礒山雅さん

Th_3122m8l1nwl 報に驚きました。先月末の大雪の時、凍結した道で転んでしまい頭を痛打。結果としてそのままお亡くなりになってしまったとのこと。
 直接お会いしたことはありませんが、ご著書やラジオの優しい語り口が強く印象に残っております。
 特に、6年前マタイ受難曲全曲演奏に参加させていただいた時、あらためてマタイの勉強をし直そうとして手に取った、礒山先生の名著「マタイ受難曲」を読みました。
 長大深淵のこの人類の遺産、宇宙に誇る地球の遺産を演奏するには、それなりの勉強が必要となります。その時、この本は本当に最良のテキストとなりました。この本を読んでいなかったら、本番でのあのような自己発見もなかったことでしょう。
 真摯に聖書と音楽に向かい続けた磯山先生が、こういう形で天に召されるとは、なんとも複雑な気持ちになります。
 ぜひ、安らかにお休みいただきたい。間違いなく磯山先生の命は生き続けます。バッハの音楽が不滅であるがごとく。
 追悼の気持ちをこめまして、私が個人的に大好きな、ヘレヴェッヘの指揮によるマタイ受難曲を聴きたいと思います。

Amazon マタイ受難曲

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2018.02.19

『愛国とノーサイド 松任谷家と頭山家』 延江 浩 (講談社)

Th_51d85ssyp6l 日は、この本にまつわる人たちが、微妙に日常に食い込んできた不思議な日でした。
 まず、学校においでになったあるお客様の口から「頭山満」の名前が出てびっくり。なにしろ、その方のお父様は玄洋社で頭山満本人のすぐ近くにいたとのこと。事情があって山梨に戻ることになったそうですが、その方のお墓の文字は頭山自身の揮毫とのこと。本当に驚きました。
 たまたま私は出口王仁三郎関係で頭山満のことをよく知っていたわけですが、普通の学校の先生だとあんまり知らない名前なのではないでしょうか。実際、その方も、私がよ〜く知っているので驚いてらっしゃいました。
 その方もおっしゃってましたが、右翼の大物なんていう捉え方は全く間違えています。大アジア主義者ですし、本当の意味での尊王愛国者でした。王仁三郎もそうですが、右も左も関係ない。
 それから、今日はYMO結成から40年の日。そんな日に、仲小路彰文献を整理していたところ、アルファレコードの内部資料とおぼしきものを発見しました。
Th_img_1083 1979年と1980年、すなわちデビューした翌年と翌々年の、YMOに関する内外の記事をまとめた資料です。
 右の冊子の表紙の上に置いてあるのは、資料にはさまっていた川添象郎の名刺です。アルファレコードの取締役制作担当という肩書です。
 この本にも川添象郎さんは何度も登場します。象郎さんは、キャンティのパパ川添浩史(紫郎)の長男。川添浩史は仲小路彰の実動体の一人でした。象郎さん自身も何度も山中湖の仲小路邸を訪れた形跡があります。
 おそらくYMOの活躍を仲小路に報告しに行ったのでしょう。ちなみに細野晴臣さんも中沢新一さんらと山中湖に来ていますが、その時は晩年の仲小路は入院中で会うこと能わずでした。
 象郎さんが関わったミュージカル「ヘアー」の話もこの本に出てきます。以前書いたかと思いますが、仲小路邸では、ボツになった寺山修司版の「ヘアー」の自筆脚本のコピーが発見されました。非常に貴重なものです。
 そう、この本には昭和のアーティストや政治家の名前がじゃんじゃん出てくるわけですが、その人たちのほとんどが、なんらかの形で仲小路彰に関わっています。
 ユーミンというネーミングをしたシー・ユー・チェンさんも、著書の中で仲小路彰の「未来学原論」について書いていますから、当然ユーミン自身もキャンティで仲小路の思想の一端に触れたことでしょう。覚えていらっしゃるかなあ。
 岸信介、佐藤栄作については言うまでもありません。東西冷戦期における、アメリカを利用した日本の復興、独立という観点は、まさしく仲小路彰のアイデアそのものです。
 それからこれもまた不思議なのタイミングだったのですが、私の静岡の実家の町内に、大杉栄の墓があることを本当に最近知りました。安藤輝三でも驚きましたが、もっと近くの墓苑にあったのです。不覚にも知らなかった。
 この週末実家に行く用事があるので参ってみようと思っていた矢先、この本の中に「伊藤野枝と大杉栄」という章があり、興味深く読んだのであります。
 ここにも頭山満が絡んでいたのか。なんとも不思議な感じがします。もう明らかに霊界に動かされている…そう思わずにはいられません。
 それにしても、この本、本当によく調べていますね。私はたまたま仲小路のことを調べていたし、音楽が好きなので、だいたい出てくる名前は知っているものでしたが、普通の人にとってはちょっと混乱するかもしれません。それほど多くの人物が、この松任谷家、頭山家には関係してくるんですね。
 ここに、さらに仲小路彰を絡ませたら、もう日本の政治家、実業家、芸術家はほとんど網羅されてしまうでしょうね。
 御世代わりによって、昭和が前前時代にならんとしている今、こうして昭和のエネルギーが私たちに語りかけてきているモノとは、いったいなんなのでしょう。単なるノスタルジーではなく、真剣に感じ、考えていきたいと思います。
 
Amazon 愛国とノーサイド 松任谷家と頭山家

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