カテゴリー「書籍・雑誌」の927件の記事

2018.10.08

『大宏池会の逆襲』 大下英治 (角川新書)

Th_71pglillrl 倍一強という、自民党として、いや日本として今までになかった状況が続いています。それが良いことなのか、悪いことなのかは、のちに歴史が教えてくれることでしょう。
 そうした現状は「宏池会」の弱体化であるとも言えます。保守本流、穏健ハト派である「宏池会」が、その内部分裂などによって自らの力を弱めてしまったのは事実です。
 そして、だからこそ「大宏池会の逆襲」なのです。歴史は繰り返す。偏りすぎたものは揺り戻す。これは政治の力学だけでなく、宇宙の法則でもあります。
 そう考えると、今の安倍一強というのは、未来のスウィングのためのバックスウィングということになります。
 今年の夏、バックスウィングの当事者の別荘にお招きいただき、そして2021年以降の話をさせていただきました。
 実はもうそういう方向で動いているのです。政治の現場というのはそういうものです。未来的に今動いている。
 岸田さんが昨年「未来戦略研究会」を設立し、この夏に2050年のヴィジョンを発表したのは象徴的でした。
 そこで私が思い出さずにいられないのは仲小路彰のことです。知られざる黒幕ですから、もちろんこの本にも出てきませんが、宏池会の誕生と成長に、間接的であれ仲小路が影響を与えたのは間違いありません。
 仲小路彰は、熊本の五高で、池田勇人、佐藤栄作と同級生でした。そして、彼らよりはるかに成績が良かった。言うまでもなく、池田と佐藤は宏池会と深い関係があります。
 また、山中湖での隠棲(ある意味院政)にあたっては、富士急行創始者の堀内良平やその子孫たちの援助がありました。堀内家も宏池会の歴史のど真ん中に存在しています。
 戦後、仲小路は吉田茂に多くの提言をしています。仲小路の言う「グローバリズム」や「地球平和」、さらに「未来学」、そしてそれらの中における対米政策などが、吉田に大きな影響を与えたことも間違いありません。そして、それが吉田学校を通じて宏池会の精神につながっている。
 この大下さんの著書が表の宏池会史だとすると、私がここに書いていることは裏の宏池会史ということになるかもしれませんね。
 そろそろバックスウィングも折り返し点に至りつつあります。2021年以降、はたしてどんなスウィングが様々な逆境を打ち返すことになるのか。私は非常に楽しみにしているのであります。
 その時代はきっと(また)富士山が鍵を握ることになるでしょう。仲小路が富士山麓に40年間蟄居していたのには、そういう未来的な意味があったのです。

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2018.10.06

『大正天皇』原武史(朝日文庫)

Th_41uwic3gryl_sy346_ 々大正天皇のお墓参りをしております。なぜか分かりませんが、ふと思い立ってお参りすると、必ずなにか不思議なことが我が身に起きます。
 もともとは出口王仁三郎を通じて大正天皇に興味を持ちました。王仁三郎は一説では有栖川宮熾仁親王のご落胤とも言われております。
 大正天皇は有栖川宮威仁親王を心から信頼し敬慕していました。結果、有栖川宮家は断絶するわけですが、大正天皇はその祭祀をのちの高松宮に託すことになります。
 その高松宮のブレーンだったのが仲小路彰ということで、私の半生におけるキーパーソンは全てリンクすることになります。
 まあ、それはごく個人的なことであって、そこになんの意味があるかはよく分かりません。しかし、その不思議なリンクを考える上で、大正天皇というのはどうしても外せない存在です。
 一般には病弱でちょっと頭も…というとんでもない評価をされてしまっている大正天皇ですが、10年前こちらにも書いたとおり、大正天皇は素晴らしい漢詩人でありました。そこ一つをとっても、とても暗愚の方とは言えません。
 ある意味、時代が強制的に大正天皇を追いやり、まさに暗愚な時代というべき昭和の初期が到来することになります。明治維新150年の今年、大きな流れの中で見ますと、大正天皇は軍事を嫌い平和的世界を切望した方だったことが分かってきます。
 そんな心優しきお人柄をしっかり描写、紹介してくれているのがこの本です。今、考えるべきは、いったい何が、誰が、大正天皇を日本の歴史から追いやったのか、大正天皇が高松宮さまに託した思いはなんだったのか、そして高松宮家も断絶してしまった今、その大正天皇の想起した「国体」はどこにあるのか、ということでありましょう。
 ちなみに大正天皇のお后さま、節子皇后については、同じ原さんの「皇后考」に詳しく書かれています。そちらもおススメです。

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2018.10.05

『オカルト化する日本の教育』 原田実 (ちくま新書)

江戸しぐさと親学にひそむナショナリズム
Th_41oku2eqe5l_sx304_bo1204203200_ 日の話(教育勅語トンデモ本?)ともつながりましょうか。
 実はこの本、6月に読んで記事を書いていたのですが、タイミングをはかっていたら、4ヶ月も経って今日になってしまいました。ということは、今日がベストタイミングなのでしょう。
 今年読んだ本の中では出色の面白さ。勉強にもなりました。
 特に後半、近現代日本の陰謀論とオカルトナショナリズムを概観する部分は最高にエキサイティングでしたね。左右にぶれまくるフィクションの生命力に、我ながら感動してしまいました(笑)。
 我ながら…というのは、もうご存知のとおり、ワタクシはまさにその爆発的エネルギーの中で生きてきた人間です。
 実際、この本に出てくるアヤシイ(?)世界のかなりの部分に、私も直接関わりを持っています。会って(楽しく)話したことがある人ばかり。そういう意味では、原田さんよりもよく分かっている部分があるかもしれません。
 そして、もちろん私も「教育」の中心にいるセンセイです。いちおう教育のプロとして、現場をいやというほど知っています。いい面も悪い面も(圧倒的に後者が多い)。
 では、私はどっち側の人間なのかというと、これがまた自分でも面白くてですね、両方OKな立場なんですよね。右・左、宗教・科学などの対立構造についても、どちらも否定はしませんし、どちらも正解だと思っていない。
 昨日もそんな、ある意味ずるい優等生的なポジション取りをしていましたが(笑)、まあ本当だから仕方ない。
 それが私らしさ、つまり「アヤシサ」そのものであり、また、客観的に見れば、そうして地球人の上に立とうとする、それこそエセ宇宙人のいやらしさでもあるわけですが、これはもう生まれ持った性質なので仕方ないですね。諦めてます。
 さてさて、前半の「江戸しぐさ」については、原田さんの『江戸しぐさの正体–教育をむしばむ偽りの伝統』『江戸しぐさの終焉』を読んで記事を書いております。後者の記事には、原田さんご自身がコメントくださりました。今読むと、たしかに原田さんの言う通りで、さすがに私のモダンチェンバロのたとえは、ちょいと牽強付会という気がします。
 しかし、なんでしょうねえ、どうしても「江戸しぐさ」というフィクションにシンパシーも湧いてしまう。自分にそういう嘘つき、ハッタリ屋の部分があるからでしょう。
 「親学」については、これはTOSS、すなわちワタクシの宿敵である向山洋一氏が関わっているので、これまた複雑な気持ちで読みました(向山洋一氏に対する恨み節はこちら)。
 この4ヶ月の間、ずっと「学校こそ諸悪の根源」という本を書こうと思い準備をしておりました(匿名で書こうと思ってたのにカミングアウトしてしまった!)。しかし、ここに来て、やっぱりやめようと思い始めたのです。それは北欧の教育関係者とのご縁ができ、本当にいろいろな人たちとお互いの教育について対話ができたおかげです。
 お互いに、外から見ると全く違った風景が見えてくる。良いところも悪いところも新たに発見できる。あるいは、善悪が逆転したり、自分の中での教育観の変化に驚くばかりです。
 北欧の方々から見ると、軍国主義的、軍隊文化的な日本の教育は、それ自体がオカルトに見えるでしょう。しかし、一方で理想的、先進的に見える北欧の教育がもたらす社会的な弊害というのも実はあり、それはある意味では、科学的ではない理想主義というオカルトに起因しているとも言えるのでした。
 教育は大切です。だからこそ難しい。正解がないが、迷いながら正解を求めるのが教育なのでしょう。そんな難しさの中には、オカルトが入り込みやすい。新しい(しかし古くからありそうな)特効薬のように見えるからです。そういう意味では、常にオカルトとの戦いであるとも言えるかもしれません。

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2018.10.04

『聖なる約束4 ヤマト人への福音 教育勅語という祈り』 赤塚高仁 (星雲社)

Th_41tdvbirshl_sx337_bo1204203200_ 日はいろいろなお客様が入れ代わり立ち代わりいらっしゃり、合計6時間ほどお話をしました。
 「対話に貴賎なし」がモットーのワタクシといたしましては、大変楽しい一日でした。
 その中のお一人、政治家の方とは「教育勅語」の話になりました。そう、新文科大臣の発言がありましたので、そこからのお話でありました。
 教育勅語が素晴らしいという人と、教育勅語なんかとんでもないという人の溝は埋まりません。なぜなら、論点、評価のステージが全然違うからです。
 私はそのステージを行き来できると自負しておりますので、称賛も批判も両方できるつもりです。
 ただ一つ、直視していなければ教育勅語自身が持つ矛盾もしっかり直視しなければならないと思います。すなわち、教育勅語の眼目である「忠孝」は儒教の教えであり、決して日本古来のもの(国体の精華)ではないということです。
 いや、我が国の国柄は宏遠であり、彼の国の教えをも内包しているのである…なんて言い訳もありえます(いかにも私が言いそう…苦笑)。あるいは、忠孝のルーツは日本であるという言い方もありかな。
 しかし、教育勅語の時代性から考えると、実は単純な構造であって、江戸時代以来の儒教的家族観、友人観の最上位に、天皇への忠義を置いたものにほかなりません。
 そこを基準に論じると、たしかにいいことを言っている部分もあるが、それは別に教育勅語でなくてもいいだろうという、非常に単純な結論に至るわけですね。儒教の教えのエッセンスを紹介したものはほかにもいくらでもあるし、天皇家の素晴らしさを、あるいはあの時代の天皇制の危険を語るものもいくらでもある。
 教育勅語に関しては別にケンカすることはない。どっちも正しいし、どっちも間違っている。原理主義的二元論の罠にはまっているだけです。議論の仕方がいかんのです。
 では、私たち現代人は、教育勅語全体とどう付き合えばいいのか。それ自身が内包する矛盾をどう乗り越えればいいのか。
 というわけで、今日紹介する本は、知り合いである著者御本人からお送りいただいたものです。これは、今述べた二元論的な判断基準によるものではなく、儒教の上に「やまとこころ」を置き、天皇をキリスト(救世主)に見立てるという、全く別次元のお話です。
 これはこれで実に面白いストーリーであり、私は楽しく読ませていただきました。もちろん小馬鹿にしたり、ましてや怒り出したりはしません。21世紀において、そのような読みが可能ならば、それはそれでいいと思います。
 世の中には「教育勅語トンデモ本」というジャンルがあります。この本なんか、その中でもかなり先鋭な存在でしょう。たしかに常識的には「トンデモ」の称号を与えられてしかるべきでしょう。
 しかし、出口王仁三郎や仲小路彰に親しんでいる私としては、こういうトンデモ世界に、世の中の本質が見え隠れしているように思えてならないのです。
 少なくとも不毛なケンカのタネにするよりは、こうして新たな意味を付与する方が、当時の皆さんにも失礼がない…と思います。
 それにしても、著者赤塚さんのピュアな魂と行動力には、本当に頭が下がります。自らのお役目をよく知っていらっしゃる方です。

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2018.09.25

新潮45休刊!?

Th_post_24888n 然の休刊宣言に驚きました。
 最近の社会の傾向ですが、なにかあると、辞任とか休業とか休刊とか、そういう責任の取り方が多いですよね。
 それでいいのかなあとも思います。
 結果として、小川榮太郎さんや新潮45を批判、攻撃した人たちが正しかったという結論になってしまいました。
 そんなに短時間で正答が出るような単純な話ではないと思うのですが。以前よくあったように、別の雑誌と全面戦争的に識者が言論で戦う、それを読者ら一般市民が観戦しつつ、議論自体も深まり社会の認識も深まるという、そういう道が、こうして簡単に閉ざされしてしまうことに危惧をおぼえます。
 それはすなわち、市民の感情、特に好悪の感情や、薄っぺらい正義感、そして安っぽい嫉妬心などが集合体となって…つまりそれこそ暴力だと思うのですか…倫理観や制度が醸成されていってしまう。
 昭和の言論の内容が正しかったかどうか知りませんが、ただそのプロセスやそこから生まれる文化、あるいは変な言い方ですが愛や友情というものには、シンパシーをいだきます。
 ところで、私が知っている新潮45は、けっこう怪しい雑誌ですよ。エログロというか、未解決事件とか猟奇事件、あるいは赤裸々な性の世界などを扱い、なんというか、カストリっぽいところがあって、それはそれで面白かったし、誰も文句言いませんでしたよね。
 私も何度か書いていると記憶していますが、人権、平等を声高に表現するばかりに、結果として逆差別、不平等を生むことは往々にしてあります。
 最近よく言われる「不寛容な社会」も、ある意味自己に対する寛容を権利として主張しすぎたばかりに、結果それを認めない、あるいは意識していない人への不寛容を生んだのではないかと思います。
 SNSなどが発達して、(ワタクシも含めて)不勉強かつ感情的な庶民が自由に無責任にその思いを発信したり、誰かの思いに乗っかったりできるようになりました。その弊害を見るにつけ、人類はここでも修行をさせられているのだなと感じます。
 ある種の自由を得ると、そこには新たな苦悩(不自由)が待っているのでありました。しかし、それはあくまで修行です。長い目で見れば悪いことではないとも思うのであります。

Amazon 新潮45 2018年10月号

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2018.09.21

小川榮太郎氏が語る「二・二六事件」

 だ今、なにかとお騒がせ中の小川榮太郎さん。彼とウチとは決して遠くない関係なのですが、まあ、あれは批判されてもしかたないですね。特集もちゃんと全部読みましたし、彼の反論ビデオも観ましたが、正論にしてもやはり言い方というものがある。文学的批評というのもありだと思いますが、やはり「感情的」になっているところが分かる文章はいけない。残念です。
 もちろん批判する側も非常に感情的で気持ち悪い。いずれにせよ、日本の論壇はこんなレベルなのかという絶望感があります。
 さて、そんな小川さんですが、歴史、特に昭和史に関する論評はバランスがよく好感が持てます。ここで語られている二・二六事件論もなるほどと思わせるところがあります
 やはり小川さんは文学者であり、歴史としての事実だけでなく、たとえば青年将校の「精神」を評価していますね。結局のところ、この事件が多くの文学や映画に描かれているのは、そういう一面があるからです。
 近代の社会科学としての歴史学は、ある意味唯物論的であり、精神、意識の部分を捨象して成り立っています。そこに異論を投じるのは、たしかに文学者の役目であり、またいわゆる保守論壇の役割であるかもしれません。
 しかし、そこに過度な同情や敵愾心を盛り込んでしまうと、今回の騒動のようなことが起きてしまう。そこが文学や保守の弱点でもありましょう。

Amazon 一気に読める「戦争」の昭和史

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2018.09.20

『水の瀬きよき 学校疎開の記録』 鈴木道子 (文芸社)

Th_61w1vfqslxl_sx335_bo1204203200_ チの夫婦と二・二六事件は深い因縁があります。というか、因縁ができてしまったのですね。
 細かいことはいろいろと書き散らしてきましたが、いつかしっかりまとめなければと思っています。物語としては面白いでしょう。小説や映画にしたら、「できすぎ」なストーリーと言われそうですが。
 さて、私は静岡の出身、家内は秋田、そして二人は今山梨に住んでいます。そうした土地の霊脈が二・二六との因縁を生んだわけです。よく地縛霊と言いますが、やはり場所(トポス)というのは「因」と「縁」にとって非常に重要なのですね。
 具体的に言いますと、静岡で安藤輝三(夫人が静岡市出身・本人の墓もある)、山梨で斎藤実(宮下文書関係)、そして秋田で渡辺錠太郎(某小学校との交流)というところで、いろいろ我らの身に「事件」が起きてきたわけですが、ここへ来て、より穏やかな形で、そうした地縁を感じることがありました。
 一つは、渡辺錠太郎の娘で、父親が惨殺された瞬間を目撃してしまった、あの渡辺和子さんが、山梨に疎開していて、山梨で洗礼を受けて、山梨のカトリック系の幼稚園に教諭として勤めていたという事実。今、そのあたりを調べています。彼女に多大な影響を与えた神父さんがいるはずです。
 そして、このたび、ひょんなことから知ったのが、この本の編者鈴木道子さんが秋田の石澤に疎開していたということ。鈴木道子さんは、安藤輝三が敬愛しつつ襲撃してしまった鈴木貫太郎のお孫さんにあたります。
 石澤と言えば、家内の出身地にほど近く、今でも義父はその地の山に山菜を採りに行っています。私たちも時々、本荘に抜ける時、石澤を通過していました。そして、いつも気になるトンネルがありました。それは「絆の茂里トンネル」。なにか素敵な名前だなあと思いつつくぐっていました。
 そのトンネルの上に、109本の桜が植えられているとは知りませんでした。それを植えたのは、かつて昭和20年に東京から疎開してきていたある女学校の学生たち。戦後50年を機に東京と秋田の絆を記念して植えられたとのこと。
 正直、これまた鳥海山を望む、そして八塩山のふもとというピンポイントでしたので驚きました。
 この本は、そんな時局の中、繊細な感性を持つ12、3歳だった彼女たちの手記などを中心にまとめられたものです。一通り読んでみました。そして驚きました。本当に素晴らしい文章ばかりだったからです。彼女たちが特別優秀だったということもあると思いますが、それ以上にその純粋な心と、さらに純粋とも言える秋田は石沢の皆さんの純粋さ、そして当たり前ですが、戦争などとは関係ない大自然の純粋さ、それらが共鳴して、実に美しい文章になっている。
 地味な本ではありますが、貴重な疎開資料でもありますし、なにより人の心の絆が歴史や時代や事件を超えてつながっていることに感動させられます。
 関係者のみならず、多くの方に手にとっていただきたい本ですね。
 来春には「絆の茂里」をゆっくり訪ねてみたいと思います。

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2018.09.16

『昭和の怪物 七つの謎』 保阪正康 (講談社現代新書)

Th_51flvr9zzwl_sx303_bo1204203200_ 日は東京からお客様がいらっしゃいまして、いろいろとお話をいたしました。
 その中の話題の一つ。二・二六事件。そのお客様はカトリックのクリスチャンでいらっしゃるので、話は自然と殺害された渡辺錠太郎教育総監の娘さん、渡辺和子さんの話になりました。
 実は我が家は渡辺錠太郎さんと不思議な霊的ご縁をいただいたことがありまして、本当ならその話を和子さんにお伝えしなければならなかったのですが、残念ながら一昨年の年末にお亡くなりになってしまいました。
 9歳の時に目の前で父親が軽機関銃で狙撃され、また日本刀でとどめを刺されるのを見たわけですから、それは大変なショックであったことでしょう。そして、それが戦中に洗礼を受けるきっかけになったことは間違いないでしょう。
 「赦し」を語り続けた和子さんは、はたして父親を惨殺した青年将校たちを赦しているのであろうか…その答えがこの本に書いてありました。
 やはり和子さんも人間でありました。赦せないと。ただ、それは青年将校を赦せないということではなく、背後の構図、裏で動き、逃げていた人たち…具体的には、保阪さんがおっしゃるように、真崎甚三郎であり、荒木貞夫でありましょう。
 それを知って、私は逆にほっとしました。自分だったら絶対に赦せないと思っていたからでしょう。
 NHKラジオでそのあたりについて語った和子さんの肉声がありました。ぜひお聞きください。

 その他5人についても、保阪さんらしい「対話」から得た貴重な情報が満載のこの本。歴史そのものではないけれども、それを身近に体験した人たちの心の中の物語を知ることができます。本当はそれこそが歴史なのでしょう。ですから、人の数だけ歴史はあるわけです。歴史認識なんて千差万別で当たり前なのです。

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2018.09.13

『ブッダの教え 一日一話』 アルボムッレ・スマナサーラ  (PHPハンドブック)

Th_71xepthv7wl 日の動画の中で、お釈迦様について熱く、しかし軽く語っております。
 そんな憧れのブッダの言葉、いや教えを一日一話ずつ、それも2分の1ページという少ない分量ずつ紹介してくれるのがこの本。
 ちなみに今日のお話は「ひとつのことに徹する」でした。
 この本、もう購入して10年になりますが、毎年毎日お世話になっています。生徒と一緒で、先生の言ったことをすぐ忘れてしまう。10回繰り返しても忘れてしまうから困ったものです。
 基本職場の机の上にあって、毎朝その日のページを開いて読んでいます。数秒で読めます。そして、ああそうだったと思い出します。しかし、また忘れてしまいます。この繰り返し。
 忘れてしまうおかげで、毎年発見があるのも事実です。固定されていないので、解釈もその年年によって違います。そういう面白さもありますね。
 いわば日めくりカレンダーのような感じですね。スマナサーラさんの言葉は、ブッダの言葉というか思想を、現代的に翻訳してくれています。だから、しっくりきます。しっくり来るけれど、いや、しっくりくるからか、また忘れてしまうのかもしれません。
 ちょっと高めの価格設定ですが、これだけ毎日何年も使えるわけですから、安いものですよ。使えば使うほど限りなくお得という、そういう本も珍しいしもしれません。おススメです。

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2018.08.29

『なぜ与太郎は頭のいい人よりうまくいくのか』 立川談慶 (日本実業出版社)

Th_51oust2n6kl_sx349_bo1204203200_ 日の話の続きなりましょうか。「学校」という異様空間の中での優等生が本当に優等なのか。それとも与太郎にこそ生きる力があるのか。
 実はこの問いに対する正解を、多くの先生たちは経験的に知っています。
 もちろん、優等生こそ優等…なのではなく、与太郎こそ可愛げがあり、生きる力を持っていて、なんだかんだ社会に出るとうまくやっていっている。
 逆の心配も常に消えません。すなわち、優等生がダメになるという経験則です。
 ですから、私も含めて、心ある(?)先生たちは、優等生を見つけると、それを崩しにかかります。それこそが仕事だとも言えます。
 今日もたまたま卒業生姉弟とその親御さんが遊びに来たのですが、その卒業生は二人とも、特に弟くんは「学校」的には手がかかりましたが、まあ、大人になったらそれなりにちゃんとやっていけるでしょうというタイプでした。
 そういう目利きをした先生たちは口を揃えて「大丈夫ですよ」と言いましたが、母親は心配でしかたなかったし、今も心配だと、今日は笑っていました。
 立川談慶さん、実は先日、私学の研修で講演されたのです。その話がとても面白かったので、御本人おススメのこの本を読んでみたというわけです。
 うん、たしかに!ということがたくさん書いてありました。談慶さん、山梨の私立の進学校を出て慶応大学に入り、ワコールに就職したという、まあそれだけ見れば、まあ優等生の部類に入るでしょう。
 しかし、そこから会社をやめて、立川談志に入門する。すっかり与太郎になってしまいました(笑)。ある意味、ボケとツッコミの両方を経験、理解している人ならではの、とってもためになる本でした。
 そうそう、ボケとツッコミって、素人のワタクシからすると、ボケがバカでツッコミが賢いのかと思っていたら、逆なんですね。うん、たしかに、ボケは社会の常識から自由で、ツッコミはそこに縛られている。だから、ツッコミの方がバカだと。キンコン西野さんもそう言っているそうです。
 そうした視点の転換を促すのが落語であり、またこの本であると思います。
 談慶さんの言葉を使えば、「敏」と「鈍」のアウフヘーベンでしょうか。二項対立、二元論ではなく、それらをアウフヘーベンするのが落語であり、日本人の知恵であったと。
 ディズニーランドに行くか、家で静かに写経するかで迷ったら、「ディズニーランドで写経する!」だそうです(笑)。なるほど!好きだなあ、その発想。
 時代が急速に変化していく現代、こうして古典の洗練された「型」の世界に、ある意味逆説的に真理を見出すことは、とても大切なことでしょう。それ自体が、現代と過去、新と旧といった二項対立を超えることだと思います。
 それにしても、たしかに談慶さんの話し方をうまかったなあ。あのリズム、間、微妙なずらしや、フリ、オチなど、人前でしゃべることを仕事としている者として、大変参考になりました。

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