カテゴリー「書籍・雑誌」の1000件の記事

2023.11.15

ナイツ 『野球寿限無』

Th_licensedimage 日より富士河口湖町にて文学講座を担当いたします。今年は十返舎一九の「甲州道中記」。初めての江戸モノです。

 十返舎一九といえば「東海道中膝栗毛」が超有名です。しかしあれは案外読まれていない。めちゃくちゃ面白いのに。皆さんにもぜひ読んでいただきたい。江戸の言葉はほとんど現代語と変わりませんから、古典を読む感覚ではなく普通に読めちゃいます。

 とにかく弥次さん喜多さんの、軽妙かつウィットに富んだ会話がたまりません。明るさしかなく読んでいて爽快な気分になりますね。

 で、こちら甲州篇のドタバタコンビは、千久良坊(ちくらぼう)と鼻毛延高(はなげのびたか)。「ちくらぼう」とは嘘つきのこと、「はなげのびたか」は説明不要ですな(笑)。

 で、講座のために改めて読んでみたら、まあ下品極まりないこと(笑)。東海道よりもずっと下ネタが多い。オチの付け方などは東海道と同じですが、まあくだらなさはでは勝ってますな。ある意味絶品です。

 これを公的な講座でやって良いのか、それも受講生には女性が多いのに…とも思いましたが、コンプライアンスだハラスメントだ、いろいろ世知辛い現代において、一服の清涼剤にでもなればそれも良しと。下ネタは世界を救う。

 で、今日は、昼間は一九の生まれ故郷、静岡市の葵区におりましたが、夜の講座に合わせて甲斐に帰ってきたんですね。途中2時間のドライブの最中、ずっとナイツのネタを聴いていました。

 そうしたら、江戸の滑稽本と現代の関東漫才はとても似ていることに気づいたのです。今さらながらですが。

 いわゆる上方漫才のしゃべくりに対して、ナイツは言い間違いや言葉遊びの巧みさと、絶妙な下ネタで人気を得ました。これって十返舎一九の笑いの手法そのままですよ。

 そこで、今日聴いていて最も笑いつつ感心してしまったネタを紹介します。これはお見事ですね。落語はもちろん、江戸系の様々な芸能を勉強したのでしょうね。

 今から13年前のことなので、野球ネタとか古くなってますが、またそれがいい味出してますし、結果野球を知らなくても楽しめちゃう。これはすごいですよ。

 

| | コメント (0)

2023.11.06

『松葉健康法』 高嶋雄三郎

Th_81uol1vob2l_sl1500_ 日の鎌倉松のイベントで、主催者さまからいただき読んでみました。名著の復刻版。

 なるほど、「松の世」「松寿」「松竹梅」などと昔から言われてきたわけ、そして出口王仁三郎が松に格別こだわった意味がよくわかりました。

 たしかに、明治時代以降、西洋の医学一辺倒になり、こうして「民間療法」は卑下され忌避されてきましたが、近年西洋医学の限界や弊害が見えてきた中、松の復権の時が来ているとも言えます。

 これは、ある意味では幽閉された正神「艮の金神」の復活の雛型でもありましょう。

 「梅で開いて松で治める」。明治時代末期に梅は開き、そしてそののち「竹=武力」の時代となり、そしてようやく松の世が到来せんとしている。

 そういう意味でも、松に再注目し、松のお陰様をいただくことは、とても大切なことだなと感じました。

 実際、いただいてきた、松のお香やタバコをくゆらしますと、空間が浄化され、また心身が浄化される気がします。

 考えてみると、我が家の周辺は全国でも珍しく各種松の原生林が広がっているわけでして、今までその恩恵にあずかってこなかったのは不覚でありました。

 そして、若い頃、「松寿庵」というお寺(現在廃寺)に住んでいたことも、ここにつながるのかと気づいた次第です。

 松の世招来のために、松に囲まれて住む者として、やれることをやっていきたいと思っております。ご縁に大感謝です。

Amazon 松葉健康法

 

| | コメント (0)

2023.10.25

廣松渉の「世界の共同主観的存在構造」

Th_81ivqeuh6tl_ac_uf10001000_ql80_ 日はお昼は練馬にて仲小路彰に縁の深い先輩方とミーティング。いよいよ本気で頑張らねば。

 夜は赤坂にて講演。昼間からの流れということもあって仲小路彰や出口王仁三郎についていろいろと語らせていただきました。いつものように何も用意せずの講演でしたが、自分でも感心するくらい(笑)勉強になりました。

 経営者の方々が多かったのですが、皆さん感じるところがあったようです。王仁三郎と仲小路に感謝です。

 さて、移動中に見たのがこの動画。廣松渉さんの哲学です。廣松渉さんには、ワタクシの「モノ・コト論」構築にあたり、いろいろ示唆を与えていただきました。特に若い頃、「もの・こと・ことば」には多大な影響を受けました。

 

 

 東大の哲学ですので、仲小路彰の系列でもありますね。カント的な世界観を凌駕していこうとする点でも共通点はあります。というか、近現代の哲学者は皆それですよね。

 廣松さんというと左翼というイメージを持つ方が多いと思いますが、彼は仲小路と同様、そこを通過してその限界を知り、第3の立場を構築しようと奮闘した人だと私は思っています。

 「世界の共同主観的存在構造」というのは、先日紹介した出口さんの「われわれとしての自己」にもつながるような気がします。

 今日皆さんにお話した「雛型」「世界を自分ごととしてとらえる」という私の作法(理論ではない)も、そうした自己脱却的、自他不二的な境地を目指したものです。

 それができるようになることこそが、「大峠を越える」ことであると信じています。

 あまり読書をしない、すなわち先人の知恵に学ばないワタクシでありますが、こうして難解な本をわかりやすく解説してくれる動画には心から感謝します。

Amazon 世界の共同主観的存在構造

| | コメント (0)

2023.10.06

『本學ノスゝメ』出版 クラウドファンディング!

Th_-20231008-121734 然はもう偶然ではなく、間違いなく必然です。昨日新幹線で仕事中、昭恵さんからのメールに続き、久しぶりにある知人からメールが届きました。

 彼は4月の博多セミナーに参加してくれた一人で、その後私の話や耀わんの水の影響もあってか、本格的な書籍を出版する運びとなりました。

 クラウドファンディングで資金を調達したところ、一晩で(!)目標を達成したという報告のメールだったのです。

 「本學ノスゝメ」

 現代にあふれる「末学」ではなく「本學」に立ち返ることを勧める内容とのことで、私も大変興味があります。

 光栄なことに、私自身が彼に伝えた「時間の流れ」に関する話や、出口王仁三郎の耀わんに関するエピソードも収載されるとのことです。

 クラウドファンディングのメインページはこちらになります。

 豊かに暮らせる日本を描く!
誰も言わない日本のあるべき未来を描く一冊を発刊したい

 その素晴らしい内容を垣間見ることができる、目次含む冒頭部分はこちらで読めます。また、動画での紹介もあります。

 皆さんもぜひ応援してください!私からもお願い致します。

 私の「事業」は全て人任せです。セミナーも講演も、一つも自分で企画・集客・運営したものはありません。どなたかのひらめきに乗っかるだけ。ズルいなあと自分でも思います(笑)。しかし、実はそれが「脱自我」のために有効なのです。

 こんなやり方を、ある有名経営コンサルタントさんは「新しいビジネスモデル」と言ってくれました。まあ、たしかにそうかもしれません。神意に従って動かされるだけだから、本当に楽なのですが(笑)。

 書籍、本に関してもそうなのです。私、文章を書くのは全く苦手ではないのですが、どうも一冊の本を書こうとは思えないのです。本当にいろいろな方から「書け!書け!」言われるのですが。

 そんな時に、こうして私の言いたいこと(の一部)を「代筆」してくれる方が現れるとは。本当にありがたい。

 ちなみにいつも申していますが、私には著作権という概念がありません。私の話す内容はかなりオリジナリティにあふれているようですね。他の人は言っていないこと、検索しても出てこないこと、古典作品にも登場しないことが多いらしい。

 しかし、それらについても「自分で考えた末の自分の所有物」ではない感覚が強いので、引用や改変は自由なのです。ただし「改悪」は許しません(笑)。

 そうそう、12年前に書いたこの記事の感覚です。

 このブログの著作権について

 それはいいとして、とにかくこの「自分の書きたいことを誰かに書いてもらう」ということ、これは重要なことです。なぜなら、全ての「執筆」は「誰かに書かされている」からです。

 私がちょうど博多に行く機会にこういうプロジェクトが始動し、結果としてたった30分ほどでしたが、この日御本人に博多駅でお会いしてお話することができました。偶然ではなく必然ですね。私たちはより大きな存在に「言わされ」「書かされている」のでしょう。

| | コメント (0)

2023.10.05

『安倍元首相を狙撃したのは本当に山上なのか?』 中田健二

Th_517ahygeell_sl1500_
 の日は福岡の糸島(の山の中)にてセミナーを開催。素晴らしい環境の中、素晴らしい皆様に囲まれて大変楽しく過ごさせていただきました。

 博多に向かう新幹線の中でこの本を読んでいる時、偶然安倍昭恵さんからメールが来ました。世界中を飛び回ってご活躍とのこと。

 さすがです。晋三さんの遺志、すなわち未来に投げたボールを昭恵さんはしっかり受け止め、ご自身なりに、いや昭恵さんにしかできない平和外交をされているのだと思います。

 不思議なご縁でご夫妻を身近に感じることが多かったからこそ、よくわかります。マスコミやネット情報なんか本当にウンコばっかりです(苦笑)。

 晋三さんの投げたボールはほかにもたくさんあって、それをそれぞれの人たちがそれぞれの立場でキャッチしていかねばなりません。

 その一つを中田さんは拾っているのでしょう。事件の真相がわかったところで晋三さんは帰ってきませんが、しかし未来は変わります。

 あきらかに未来を改変(改悪)しようという「向こう側」の動きがあるわけで、それに抗するためにはこうして誰かが科学的に検証しなければなりません。

 昨日のジャニーズとテレビ局の話にも通じますが、世の中には様々な悪意(自己欲求実現主義)を持ったパワーが存在します。もちろん、二元論的な浅薄な陰謀論には与しません。そんなに世の中単純ではありませんから、私たち庶民が簡単に理解できてしまう時点で、それは誤りだとわかります。

 また、それを利用する輩もいるから面倒なんですよね。メディアとは、高次元を低次元に下ろす役割のことを言います。ミーディアムですね。それは単なる窓でしかありません。そこを入口として、実際にあちらに行かねば真相はわからないわけであり、そういう意味でも、たとえば中田さんのような「行動」「実験」「検証」は尊いのであります。

 少なくとも、窓に区切られた世界を「世界」と思い込んでしまう私たち大衆とは大違いでしょう。

 私もできることは何でもする覚悟です。

Amazon 安倍元首相を狙撃したのは本当に山上なのか?

| | コメント (0)

2023.10.01

『幻の弦楽器 ヴィオラ・アルタを追い求めて』 平野真敏 (河出書房新社)

Th_81v1v6jjdqs_sl1500_ 日は小岩でセミナー。そして今日は高井戸で楽団の練習。ちょっと事情があって、今日は普段使っている4弦ではなく5弦のヴィオラを演奏していたのですが、演奏中一番高い弦、すなわちE線が切れてしまいました。

 まあ基本使わない弦なので切れても問題なかったのですが。ちなみにこの弦は三味線の黄色い絹弦でした。まあ、こんな奏者いないでしょうね(笑)。

 5弦のヴィオラと言えば、この本の主役ヴィオラ・アルタも、オリジナルはE線を加えた5弦だったようですね。結果としては、そのE線は廃止され、さらに楽器自体も消される運命にあった…。

 実はこの本の前身である『幻の楽器 ヴィオラ・アルタ物語』は10年ほど前に紹介しております。その後、残念ながら著者で演奏者の平野真敏さんは若くして癌でお亡くなりになってしまいました。

 幻の楽器や変な楽器に異常な興味を持つ(楽器だけでなく、幻・謎・変なモノ大好きな)私は、最近ではヴィオロンチェロ・ダ・スパッラを変な演奏法で弾くのにハマっています。しかし、それはあくまでディレッタント的な立ち位置。

 平野さんは全くそういうレベルでのアプローチではなく、アーティストとして本当に運命的にアルタに出会い、そして謎を解明していくことになります。

 そして、前著の記事にも書きましたが、とにかく文章がうまい!そういう人だからこそ音楽の神様に選ばれて、この楽器の復権を任されたのでしょうね。

 遺稿の「クロアステカ」にもその文才は表れています。発表するつもりはなかったかもしれませんが、しかしだからこそ、てらわない文章の素晴らしいこと。

 最近、この楽器、本が「ゆる音楽学ラジオ」で紹介されました。そちらもご覧ください。

 私もいつかアルタを弾いてみたいでね。

 

 

 

Amazon 幻の弦楽器 ヴィオラ・アルタを追い求めて

| | コメント (0)

2023.09.30

『黒本 五』 高城剛

Th_51ur62utgl_sl1500_ 宙人同級生(?)高城剛さんの「黒本」最新版。

 かつてポッドキャストで対談した時にも話題となった「日本式システム」の話が満載です。ちょうど、教育における「日本式システム」について講演する機会が続くので良き参考書となりました。

 江戸時代に流行った朱子学をもとに作られた管理システムは、200年もの間、私たち日本人を締め付け続けてきたわけですが、一方で生来勤勉かつドMな日本人は、それへも見事に適応して国力をある程度高めてきました。富国強兵です。

 しかし、そんな日本人の「健気さ」を見て脅威に感じたアメリカは、今度はそのシステムの破壊を始めています。

 さて、次もまた日本人は見事な適応を見せるのでしょうか。高城さんは悲観的ですが、私は案外楽観的です。

 「日本式システム」以外にも、「内緒」の話が満載のこの本。たしかに大手出版社からはとても出版できない内容ですが、考えてみればAmazon Kindleというアメリカの情報産物を利用して、それを堂々と発表しているあたり、さすが高城さんというところでしょう。

 かつて、権力者を逆利用して世の中を動かしていた出口王仁三郎や仲小路彰を彷彿とさせますね。

 王仁三郎と言えば、この本の中に、「出口王仁三郎という人物について」という項目があります。さすがの考察なのですが、最後に驚くべきことが書かれていました。

 彼と私は同級(一日違い生まれ)なのですが、お互い大学時代に王仁三郎に出会っていたのですね。完全にシンクロしていてびっくりというか納得してしまいました。

 彼の言う通り、「出口王仁三郎の再解釈は、今後の日本でも水面下で脈々と続くでしょう」。

Amazon 黒本 五

| | コメント (0)

2023.09.13

我慢するな。頑張るな。

Th_8132cspie9l_sl1500_ 阪から静岡に帰ってきました。

 帰りの新幹線で久しぶりに読んだのは、オイゲン・ヘリゲルの「弓と禅」。

 ヘリゲルが到達したという「無我」の境地、弓と矢と的と一体化する境地は、まさに昨日書いた自他不二、神人合一に他なりません。

 私は弓道はやりませんが、楽器「弓」は扱います。

 実は楽器の弓の扱いにも弓道と似たところがあります。というか楽器は全てそうでしょう。人馬一体ならぬ人器一体(?)。

 ヘリゲルは弓の弦を離す時に、師匠から「離そうとしている」と叱られます。また、師匠から学んだ型を再現しようと頭で考えてしまい難渋します。

 音楽道でもそうでして、自分で楽器(たとえば弓)をコントロールしようとしたり、あるいはセンセイから習った持ち方に固執したりしても、美しい音を出すことはできません。

 私は楽器自体から教えてもらうことが得意でして(逆に言うとまともな修練ができない)、最近で言えばたとえばヴィオロンチェロ・ダ・スパッラを肩に乗せて平気で弾いたりするわけです。それが人器一体になるのに最も有効な形であると(楽器から)教わったからです。

 ここで日本語の話をします。

 家庭や学校や会社など、あらゆる社会的チームの中にあっては、多くの人たちが「我慢しろ」とか「頑張れ」とか言ったり言われたりして生活していますよね。

 これって実は大きな間違いなのです。

 「我慢」は仏教用語では「我に対する慢心=うぬぼれ」という意味です。自慢もそれに近い。自我への執着、すなわち煩悩のボスみたいなヤツですね。

 「我慢しろ!」って、その煩悩をしっかり全うせよと言っているわけで、とんでもない間違いです。それがなぜ良い意味のように使われるようになったのか。日本語史、日本文化史的にとても面白い変遷があるのですが、ここでは省略します。

 そして「頑張る」はもともと「我を張る」「我に張る」から変化した言葉です。まさに「自分が自分が」と頑張っちゃうことです。これも自我への執着。

 「頑張れ!」もまた、煩悩の全うを要求する言葉なのです。

 ですから、最近の私は、「我慢するな。頑張るな」というのです。全てにおいて自分が主人であると思いこんではいけない。自己の(あるいは所属集団の)目標達成のためにガマンしたり、ガンバルのは天の意志に反するのです。

 ちなみに、自己は主人ではないが主(中心)であるということに関しては、10年前の私の気づきをお読みください。

「随処作主立処皆真」  

 弓道も楽器道も、もちろん禅の道も、「我慢しない。頑張らない」ところが原点なのでした。

 最初の「弓と禅」に戻ります。こちらの紹介動画が優れものですので、読む時間がないという方はどうぞ。便利な時代ですね。

 

| | コメント (0)

2023.09.07

飯島勲 『横田めぐみさん奪還交渉記録』 (文藝春秋)

Th_942f1ebfa145ddaae2a627358045b6ae_1 ャニーズの会見、皆さん見ましたか。

 帝王の死後、帝国が自壊していくのは世界史の常。もちろん、性加害は許されざる犯罪であり、ジャニー喜多川を断罪すべきは当然のことですが、それを数十年にわたった黙認してきた日本社会の、特に芸能界とメディア、マスコミの悪弊についても、真剣に考えねばなりませんね。

 いのっちが言うとおりです。彼らしく穏やかに述べていましたが、今になって突然糾弾する側に回るマスコミ、メディアも自分ごととして反省し、場合によっては強く責められねばならないでしょう。

 帝国の弊害、自壊ということで言うと、この文藝春秋の飯島勲さんの記録公開記事はとても興味深かった。

 北朝鮮という、歴史的限界を迎えつつある帝国。それを見かねて命懸けで訪朝した飯島さんがギリギリの交渉を行った貴重な記録。

 何度も書いているように、私は横田めぐみさんと幼なじみであり、幼少期に一緒に遊んだ仲です(記憶はほとんどありませんが)。のちにご縁あってご両親が学校を訪問した際、当時のアルバムを見ながらお話もさせていただきました。

 私の父とめぐみさんのお父様とが同じ職場だったのです。また、故安倍元首相夫妻とも懇意にさせていただいていた関係もあって、私にとっては拉致問題は全く他人事ではありません。

 また、飯島さんの並外れた才と行動力についてもよく知っていますから、この記事は格別に興味深く読ませていただきました。

 加えて、学校や身近な地域においても、小規模ながら「帝国」が出来上がっていく過程を見てきましたので、なるほど全て雛型であり、それはすなわち私たち自身にもそのような危険な「種」が存するのだなと感じているところです。

Th_-20230908-101149 利害関係や師弟関係が進むことによって、一人に権力が集中すると、周囲の忖度が始まり、結果その「帝王」は我欲を助長させてしまいます。そして、その多くは本能的欲望の肥大化を生み、各種ハラスメントとして表現されていきます。

 影でそれを糾弾する人は無数にいますが、その声は表には出てきません。そこに裸の王様が完成します。そして必ず限界を迎える。しかし、場合によっては、その限界の前にその王様が寿命で亡くなってしまうこともあるのです。

 今回のジャニーズの件も、もう数十年前からずっと言われてきたことです。それがなぜ今になって表に出たのか。単に外国からの指摘があったからなのか。

 ジャニー喜多川の父が高名な僧侶であったことも考え合わせると、ある種の歴史的な日本文化の功罪を背負っていたとも言えましょう。

 低身長の美少年を活躍させる(…すなわち宝塚の逆)場を作り、多くの若者たち(ファンも含めて)を救い、夢を与え、戦後日本の芸能文化を作り上げてきたことも評価しなければなりません。

 ジャニーズの興行に何度か行ったことがありますが、思想的なところも含めて、正直レベルの高い内容で感心しました。

 そう、こういう問題を語る時は、自分ごととしての距離感と、世界史的、文化史的な距離感の両方が必要なのです。また、いつかこのことについては書きたいと思っています。

 ジャニーズの問題も含めて文藝春秋の10月号は、人類の、人間の、自分の愚かさを知るよき教科書となっています。ご一読を。

 文春オンライン 《2013年飯島勲極秘訪朝》7時間全記録初公開

| | コメント (0)

2023.07.25

『法力とは何か 「今空海」という衝撃』 老松克博 (法蔵館)

Th_51sfvzcypbl_sx344_bo1204203200_ 岡・山梨の私学の研修二日目。

 静岡の私学の新任の先生方とグループワークでたっぷり語り合いました。

 その前に朝、会場近くのお寺さんで護摩焚きのパワーを頂戴してまいりました。気合い入れないと(笑)。

 さて、護摩と言えば密教、密教と言えば空海。今年は空海の生誕から1250年の年です。

 考えてみれば、日本最古の私学は空海の創設した綜芸種智院ですよね。828年のことですから、今から1195年前のことになります。

 昨日の講演では、「創立者の夢。未来人の義務」という項目を最後に持ってきましたが、洛南高校や高野山大学の創立者は空海ですからね!すごい。

 そう、この本のサブタイトル「今空海」もそれに通じます。創立者や過去の偉人が、今この時代に生きていたら、どんなことをするだろうか。そういう発想が彼らにとっての未来人である私たちの義務なのです。

 ということで、話があっちこっち行っていますが、この本の「今空海」さん。あえて、実名は出しませんが、存命のあの阿闍梨が引き起こした数々の奇蹟を、ユング心理学の泰斗、老松克博先生が読み解くこの本は、本当に久々に(「土偶を読む」以来?)面白すぎて何度も繰り返して読んでしまった本です。

 私たちの世代には記憶に鮮やかな、あのミグ25戦闘機の函館空港への亡命着陸事件が、実は今空海の法力によるものであったとは。

 たしかに「桁外れ」です。その他のエピソード(事実)もぶっ飛ぶことばかり。

 そして、それが、それこそ昨日の秋山眞人さんの話ではありませんが、いよいよ心理学や量子力学によって解明、証明されようとしているのです。こんなエキサイティングなことがありましょうか。

 とりあえず、だまされたと思ってこの本を読んでみてください。私も、ある友人の僧侶の方に薦められたのですが、最初は多少眉に唾つけていました。いや、しかし、引き込まれて読み進むうちに、間違いなくこれは「事実」であり、その「法力」が本来私たち全てに備わっているものであると信じるようになりました。

 この本の中で、軽く薄く触れられている修行法、瞑想法は、この野狐禅エセ坊主の私でさえ共感・予感できる、ある意味単純なものです。

 世を救うため、徹底的な利他のため、つまり自我や自己の滅却のためなら、命懸けの修行もありなのかもしれません。根性なしの私が、そんなことをふと思ったほど、この本は衝撃的でした。

Amazon 法力とは何か

| | コメント (0)

より以前の記事一覧