カテゴリー「芸能・アイドル」の54件の記事

2008.03.06

「うたばん」より「松田聖子カラオケ選手権」

Seiko08 ああ、もうすぐ聖子さんのお誕生日ですね!おめでとうございます!
 ふつう、女性の年齢には触れないのが常識ですが、なにしろ「神」でらっしゃるので、人間界の時間の観念に則ったそうしたつまらぬ遠慮など意味を持ちません。千代に八千代に…まさにイワナガヒメの永遠性とコノハナサクヤヒメの美しさとを兼ね備えた究極神「松田聖子の命(みこと)」は、四十六の齢になられまする。
 その記念に行われました「うたばん」内での特別コーナー「カラオケ選手権」は非常に面白かったっす。まず、ファンとして登場したゲストが私としても身近な方々でしたね。
 バレーボールの大林さん…は、あれ?別に今まで何の関わりもないか。しかしデカイな。
 そして対照的にかわいらしいのが、お約束で大林さんのお隣に座らされた米良美一さん。実はですねえ、彼とはですねえ、なんと!一緒にカラオケやったことがあるんですよ。それも松田聖子を熱唱したんです!まだ彼が学生の時ですかね。私が実行委員を務める古楽の祭典「都留音楽祭」に生徒として来てましてね(そう、彼は古楽の人なんですよ。こんなに有名になるとは…)、夜の恒例の宴会の続きかなんかでカラオケですよ。もう、とにかく松田聖子命(いのち)という感じでして、尊敬する歌手は聖子さん!と公言して憚らなかった彼が、とうとう生聖子さんとの共演を果たしたわけです。そんなことを知っている私としましても、今日の番組は感無量でした。彼もいろいろありましたが、再び声が出るようになって、ホントに良かったですね。
Etys 続きましては、角田信朗さん。まあ格闘技好きの私にとっては、非常に身近な方です。彼は英語もうまいし、なにしろ歌もうまい、まさにタレントさんですね。彼の歌った「青い珊瑚礁」は実にパワフルでした。
 大洋ホエールズ時代からずいぶん長くベイスターズファンをやっている私ですから、大魔神佐々木主浩さんについても言わずもがなです。もちろん何度も生で拝見しました。あれ?そう言えば佐々木さんはなんにも歌わなかったな。
 最後に忘れられていたモト冬樹さんとは、私こちらのビデオ映画で共演(?)してます。彼は私のバンドでも定番の名曲「Sweet Memories」を渋く歌ってました。
 しまいには聖子様御自身が「制服」を歌ったりして、実にデラックスなカラオケ大会でしたね。相変わらずタカさんと中居くんの進行は上手いですし。楽しませていただきました。
 番組の冒頭、3月19日に発売の新曲「花びら舞う季節に」を歌われました。春らしい、明るいけれど少し切ないいい曲でした。また生神様にお会いしたいなあ。

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2008.02.05

『松田聖子と中森明菜』 中川右介 (幻冬舎新書)

34498063 読みごたえあり。これは基本文献になりうる。オタク第一世代おそるべし。中川さんはクラシックジャーナルの編集長であり、「カラヤンとフルトヴェングラー」の著者でもあります。
 昨日はある意味「ジャンボ鶴田と天龍源一郎」という、70年代80年代を代表する対照的・相照的な二人を紹介しましたね。今日は「松田聖子と中森明菜」です。今こうしてみると分かります。私がどちらかというと「ジャンボ」や「聖子」のように、根っからの天才、余裕をもって明るく自己の世界を展開した人物が好きだったと。若い頃ね。いや、今でもそうなのかな。ややアマノジャク的な嗜好を持ち、判官贔屓が激しいと思っていた自分の意外な一面…。
 この本、タイトルは「聖子と明菜」となっていますが、ほとんどが聖子に関する記述でした。その前段となる山口百恵に関する記述の方が中森明菜よりも多いくらい。つまり明菜ファンにとってはなんだか悔しい内容になっている。天龍的に言えば「ふざけるな!この野郎!」って感じかな(笑)。私は聖子派ですので全然気になりませんでしたが。
 まあ、結局、聖子と明菜を同じボリュームで語ることが不可能だということでしょう。鶴田は亡くなって歩みを止めてしまいましたからね、天龍はその後の十何年かでなんとか追いついた。だから今なら同列に語れるでしょうけど、そうですねえ、明菜が聖子と同じ紙幅を占めるには、聖子が今すぐに引退して、明菜が90歳くらいまで唄い続ける必要があるのでは。
 さてさて、オタク第一世代を自称する中川さん、この本ではまさにオタク的な仕事をしています。いや、おそらくオタク的な仕事の一部を見せてくれているだけだと思います。とにかく資料集めですよ。徹底的に当時の資料を集めて時系列順に並べて見せる。松田聖子を軸としてその周辺に他のアイドルたちの動向を絡めて、一大絵巻…ではなく一大年表を見せてくれるという感じです。基本的に解釈や意味付けは最低限になっていて、事実を並べることに徹している。
 それが私にはよかった。私、このブログでもかなり我流の松田聖子論を展開してます(芸能・アイドル カテゴリー参照)。私の場合は正直オタクになりきれない人間なので、ちゃんと資料とか読んでないんですね。実は曲も全部聴いてない。それで先走って意味付けや解釈をしてしまってるんです。恥ずかしながら(ま、毎日の記事全部そんな感じですけど)。ですから、たとえその一部であっても、こうして資料を並べて見せてもらえるということは、非常に有難いことなんです。企画展を観るような感じかな。初めて知るばかりで興奮しました。
 やっぱりオタクの基本は「情報」ですね。つまり「モノ」より「コト」。いわゆる「物(グッズ)」もオタク的には「コト」ですからね。たとえばフィギュアとかDVDとか本とかはワタクシ的には情報=「コト」に分類されます。
 で、もちろん話はアイドル歌手自身のみならず、プロデューサーや作家陣たちにも及ぶわけで、ある意味そのあたりの闘い、歌手という商品やメディアを通じての影の部分でのガチンコ勝負が面白かったかもしれませんね。あらためてものすごい才能が彼女たちに集結していたことを確認。
 最終的に興味深かったのは、虚構に徹したように見える松田聖子が、生身で勝負しようとした中森明菜に勝ってしまう点です。これはまあプロレスが総合格闘技に勝つという読み替えですますこともできますけど、よくよく考えてみると、どうも事態はそう単純ではないようなんですね。つまり、聖子の方が、実のところ自己決定権を持っている、ある意味ではずっと主体性を持っていると。虚構や演劇、形式やイメージの中にこそ、彼女らしさが表れている。生身で(本名で)勝負しようとした中森明菜の方が、結果として自己を表現しきれなかった。松田聖子というメディアを通じて蒲池法子が徹底的にそして自然体で蒲池法子を生きた(生きている)のとは対照的に。
 私たちがやっている歌謡曲バンドでは、なんだかんだこの二人が軸になってます。音楽的なコントラスト(メジャーとマイナー、音域や固有の音のピッチの高低)を実際に演奏しながら感じていましたけど、こうして基本文献を読んでみますと、またまたその意味が深く深く感じられますね。勉強になりました。結局は自己プロデュース力かなあ。歌手もレスラーも、そして先生も…(笑)。
 
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2008.01.15

PIANO SOLO やさしく弾ける『松田聖子 ピアノソロアルバム』 (ケイ・エム・ピー)

Sms222 昨年は初ライヴ(生神…なまがみ)体験もありました。また自らのライヴでも何度も演奏しましたね、松田聖子。いろんな意味で彼女の神っぷりを再確認させられました。
 もちろん、そういう彼女自身のすごさというのは、ワタクシなどには到底語り尽くせない(って結構語ってますけどね)わけですが、やはり忘れてはいけないのは、彼女に提供された楽曲のクオリティーの高さでしょう。
 そのへんに関しましても、今までいろいろな記事の中で語ってきましたからあえて繰りかえしませんが、一言結論として申しておけば、あのそうそうたる作曲家陣(男も女も)みんな聖子ちゃんに恋しちゃったわけですよ。だから彼ら自身の作品の中でも特に優れたものが生まれて彼女に贈られた。これは恋です。そして、それぞれの天才作曲家たちはお互いが恋のライバルだったわけですよ。そりゃあ「神」曲が生まれるはずです。もし、もしですよ、私が作曲家で彼女に曲を提供することになったら、おそらく歴史に残るとんでもない曲を作ってしまったことでしょう(笑)。
 で、そんな彼らの恋心の発露、すなわち恋の歌(雄叫び…もしくは雌叫び)はどんなふうに奇跡的なのかを知るためには、それらを音楽的に分析するのが一番よい。そして、私たちみたいに実際に演奏してしまうのが一番よい。よい、というか一番ショッキングですよ。ガツーンとやられます。
 ところが聖子ちゃんの楽譜というのはあんまり出版されてないんですよね。まとまったものとしては、このkmpのピアノソロ譜しかないんじゃないでしょうか。まあこの楽譜集には往年の名曲から最新のアルバム曲まで47曲も収録されていますからね、研究したり楽しんだりするには充分でしょう。
 私も昨年末に買ってみましたが、とにかく1ページ1ページすごいことすごいこと。感動しますし、とっても勉強になります。初心者用に移調してあったり、コードもずいぶんと簡略化されていたり、ポイントになるバックアレンジが割愛されていたりしますが、まあそれはそれで自分で補えばいいわけですし、ある意味シンプルな骨組みだけにされていることによって、よりそれぞれの個性が浮き彫りになっているとも言えます。
 それぞれの曲についていろいろと書きたいこともありますが、紙面が許さないのでここでも一言結論だけ。「意外にシンプル」。
 コード進行なんか本当に基本通りなんですね。たまにおやっ?ていうくらい。もちろん、アイドルの楽曲であるとか、イメージ的に(あるいは中森明菜との対比において)長調の曲に限られるといった制約があるため、比較的明瞭な作りにならざるをえないのは理解できます。しかし、その中でそれぞれがここまで深みのある、繰り返しの「消費」に耐え得る作品になっているのは、これはもうメロディーの生命力によるとしか言いようがありません。
 やっぱり、音楽は旋律ですね、最後は…いや最初から。シンプルなコードの上にどれだけ魅力的な旋律を乗せるか。これは実は一番難しいことであって、だからこそあの作家陣が必要だったわけですね。
Mie12 今、ウチの新参猫が発情期を迎えておりまして、一日中スバラシイ歌声を聞かせてくれています。彼女は楽器を弾きませんし、専属のバンドもおりません。ただただ自らの声で(猫にとっては)魅力的なな旋律を奏でるしかないんですね。歌の本質はそこにあるわけです。
 あとですねえ、痛感したのは松本隆の歌詞のすごさですね。阿久悠さんがうつろう時代性、すなわち「もののあはれ」を表現したとすれば、松本さんは時代性を超越したうつろわないイメージを表現していますね。阿久悠さんの「モノ」に対して、松本隆さんは「コト」というわけです。そこが永劫不変な松田聖子という神…「ミコト」を演出しているんですね。そして、その「コトの葉」に刺激された作曲家陣も、時代を超え古びないメロディーを生み出していったと。すごいなあ。まいった。
 では、最後にこのすさまじい収録曲をご覧下さい。これは宝でしょう。宝物館でしょう。四十七士、いや、八百万の神々が集結した出雲大社でしょう(笑)。ありがたく拝読いたしましょう。

【収録曲】秘密の花園/赤いスイートピー/青い珊瑚礁/小麦色のマーメイド/渚のバルコニー/瞳はダイアモンド/野ばらのエチュード/ハートのイアリング/時間の国のアリス /ピンクのモーツァルト/風立ちぬ/白いパラソル/風は秋色/裸足の季節/夏の扉/天国のキッス/天使のウインク/SWEET MEMORIES/ガラスの林檎/Rockn' Rouge/ボーイの季節/Photograph of Yesterday's~蒼いフォトグラフ/瑠璃色の地球/雛菊の地平線/Strawberry Time/制服/抱いて/旅立ちはフリージア/大切なあなた/時間旅行/輝いた季節へ旅立とう/きっと、また逢える…/あなたに逢いたくて~Missing You~/私だけの天使~Angel~/哀しみのボート/Unseasonable Shore/櫻の園/あなたしか見えない(Album Version)/逢いたい/素敵な明日/永遠さえ感じた夜/ウェディングロード/bless you/I'll fall in love/しあわせな気持ち/涙がただこぼれるだけ/蒼い雨/以上全47曲。

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2007.12.26

宝塚に見る「女の嫉妬」の行方

Tcad187 今日は法学部で学ぶ卒業生が学校に遊びに来ました。彼女はいわゆるヅカファンです。特に月組がごひいき。
 私、今までも半ば強引に宝塚のDVDを見せられてきました。最初は正直よくわからんなあ、と思っていたんですけど、やはり世の中で素晴らしいと言われ何十年も生き残っているいるものには、その生き残る理由があるんですね。ジャニーズも実際観に行ったらたしかに素晴らしいエンターテインメントだった。
 で、来年はいよいよ宝塚も観に行くことになりそうです。例によってファンの方々なんかの様子も含めて楽しんでこようと思います。
 今日強引に見せられたDVDは「MAHOROBA/マジシャンの憂鬱」であります。まあ、MAHOROBAの一部だけしか観てませんけど、もうとにかくそれだけでも濃過ぎて最高に面白かった。もう瀬奈じゅんがイザナギとして登場して、いつのまにかヤマトタケルになってる時点で笑えたわけですけど、そうだなあ、やっぱりオウス(ヤマトタケル)が熊襲征伐するシーンかな。そう、オウスが女装してカワカミタケルをだまして殺すところです。
 とっても興味深いですねえ。現実世界では女性である瀬奈じゅんが、まずオウスという男に扮し、そして、そのオウスが女装しているわけですから、えっと、女が男になって女になってるんですね。二重のフィクションです。面白いですね。そして、その女装してめでたく女に戻った(?)瀬奈じゅんは、妙にエロチックに踊り歌います。宝塚ではだいたい巧妙に女性性が消し去られているんですが、このシーンは珍しく女性性が強調されていました。それが実にウソくさくて良かった。
 歌舞伎は男が男と女の両方を演じます。舞台にはリアルには男しかいません。女性不在です。女形は記号化され象徴化された女であってリアル女ではありません。宝塚はどうでしょう。歌舞伎の逆ですね。舞台にはリアル女しかいません。男性不在です。男役さんは記号化象徴化された男ですね。さらに面白いのは女役、娘役さんも記号化されているということです。彼女たちの女性性は巧みに隠蔽されているんです。彼女たちは決してエロチックではない。ボディーコンシャスすら許されません。
 ちょっとそのへんについて考えてみました。
 観客としての女性、市場経済における消費者としての女性を成立させるため、継続成長させるためには、女性に内在するドロドロ、すなわち「嫉妬心」を消し去らねばならない。リアル女性にとって、リアル世界の男女関係における「嫉妬心」は、基本的に不快な感情です。消費者たる女性はそんな不快な感情に対してお金を払ってくれるわけがありません(実はもうちょっと複雑なしくみなんですが、今日は割愛)。
 で、面白いのはですねえ、日本でそういう「嫉妬心消去」のシステムが発達したということですね。世界の中でも特別だと思います。それがそう、歌舞伎や宝塚やBL(ボーイズラブ)なんです。これは、日本の女性が特に嫉妬心が強いということではなく、自らの嫉妬心をシステム(フィクション)の中で消去できてしまうくらい、日本の女性が賢いのだと、私は思います。あるいは、女の嫉妬心の処理方法を各種考案した日本の男が賢かったのかな。ま、とにかく日本はこの点に関しては特別ですし、それらを芸術にまで高めてしまったわけで、まったくすごいことだと思います。
 今日も教え子に聞いてみました。「お前さあ、ほら大好きな瀬奈さまがさあ、こんな可愛い女の人とからんでるけど、嫉妬とかしないの〜?」そしたら、彼女「あっ、言われてみると全然嫉妬しません」って。ほらね。彼女、言われて初めて気がついたのか、リアルな自分と比較して不思議だ不思議だと言っておりました。面白いですね。
 ちなみに、8月に関ジャニ∞に行った時には、こちらに書いたように、5万5千の女の嫉妬心が大爆発して東京ドームを揺らしましたっけ。これは実は見事な演出だったわけですが、そうですねえ、ジャニーズにおける「ホモ伝説」もやっぱり嫉妬心除去システムの一つなのかもしれませんね。
 女の嫉妬心はどんな場合も女に向かいます。ある共通した嫉妬を中心に女が一群をなして盛り上がる場合もありますけど、基本的には彼女たち、そんな自己に内在する「鬼」はなるべく外に出したくないようです。そのためにリアルな「性」を消し去る文化が、それこそ源氏物語あたりから日本では見事に発達したということですね。
 というわけで、そんなフィクション(「コト」)世界に、こいつホントは女じゃんとか、女が男になって女になってるよとか、イザナギがブーツはいてるよとか、歌詞が文語なのに音楽は思いっきり洋楽じゃんとか、そういう野暮なツッコミを入れず、上手にだまされるのこそ大人な世界ですよね。
 そうそう、最後は彼女の専門である法学にまで話が発展しました。私にかかれば、宝塚も法律も全く同じです。そう、法律なんて最たるフィクション(「コト」)ですからね。全てのルールはフィクションです。それに野暮なツッコミを入れたりせず、なんとなくみんなでそれを遵守していく。なんで赤信号は止まれなんだ、オレは進むぞ、とか言わないで。そう考えると、法律は我々国民をある方向に動かしていく演出であることがわかります。そのへんについてはまたいつか。

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2007.10.22

松田聖子 『Seiko Matsuda Concert Tour 2007 Baby’s breath』 (DVD)

↓いい笑顔ですねえ。
Msbb え〜、どちら様がわかりませんが、こちらのブログ経由でウン十万円のお買い物をドカンとしてくださった方がいらっしゃいまして、そのアフィリエイトのポイントで、これ(+何冊かの本)を購入させていただきました。ホントにありがとうございました。
 というわけで、なんとなく申し訳ないような気もするのですが、誰かからのプレゼントだということで、ありがたく頂戴いたします。拝。
 もうあれから4ヶ月以上ですか。なんかあっという間でした。今日このDVDを家族で観ながら、あの感動をよみがえらせるとともに、あらためて聖子様と彼女を支える皆さんの素晴らしいを痛感いたしました。拝。
 私にとっての初聖子様ライヴが、こうして立派な作品となって残るというのは、本当にラッキーで幸せなことですね。私たちの席はけっこう前の方でしたから、まあよく見れば自分も映りこんでるんでしょうけど、まあそれにしてもお客様の皆さんもすごいですねえ。いやあ、あの会場の平均年齢は何歳だったんだろう。当日は私も興奮していて、あんまり周囲を観察していなかったんですけどね、こうして映像で観ますと、かなりすごいことになってます。やっぱりこれは宗教的儀式だわ。「痛い」の一歩手前、いやその領域にかなり入ってるかな…なんて、自分もしっかり参加してたんですが(笑)。
 内容的には当日の様子を報告した一連の記事をご覧下さいませ。一部アクシデント的なところはカットされていましたが、あのトリプルアンコールも含めまして、当日のあの感動的な雰囲気はよく伝わってくる作品となっています。MCもたっぷり収録されていまして、楽曲披露時以外のあのマッタリした空気も楽しめます。
 今回こうして冷静に鑑賞してみますとですね、やはり小倉さんのバンドの良さがよ〜く分かりますね。いちおう女性歌手(?)のバックバンドをやっている者として、これは勉強になりました。ああいう安定した、さりげに超絶テクな、しかししゃしゃり出ない、大人なバンド、いいですねえ。皆さんの人柄が伝わってくるような演奏です。かっこいいっす。
 えっと、ライヴで謎だったストリングスの件ですが、DVDで見てもどうやって音を拾っているのか分かりません。どなたか関係者の方、教えてください。指向性の高いマイクが吊ってあるのかなあ。当日もそうでしたが、このDVDでも、とってもきれいに拾われているんですが…。
 それにしましても、改めて驚きなのは、ツアーの初日をこうして作品化してしまうことですね。そのへんの発想自体、ほかのミュージシャンじゃああり得ません。しかし結果として、これは正解だったと思います。初日は本当に何が起きるか分からない、いやアクシデントとかそういう意味ではなくて、聖子様がどんな服装で登場するのか、どんなセットなのか、曲は何をやるのか、全て分からないわけで、まさに神降臨の現場に立ち会えるわけですからね、観客の興奮も独特なものがあるわけです。全ての時間が新鮮で神聖な期待と感動なんですよね。
 ライヴは行くならツアー中盤にさしかかる頃がいいとか、いやファイナルがいいとか、よく言われますけど、初日ならでは良さというのがあるということが今回分かりました。慣れるとか、こなれるとか、そういう次元じゃないですし、神になれば。逆に神様にさえもあるであろう「初めて」の緊張感というのは味わい深いものなのかもしれませんね。
 とにかく、こうしたいろいろな意味での奇跡的な瞬間がふんだんに収録されたこのDVD、とってもいい出来だと思いますので、もし興味を持たれた方はご覧になってみてくださいませ。
 最後にもう一度、このDVDを恵んでくださった方、本当に感謝いたします。あなたは神です!…えっ?もしかしてご本人様?!(なわけない…でも、あんなお買い物をドカンとしちゃうなんて…いやいや、まさか)

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2007.10.10

『ナノかわゆす・ピコかわゆす』

61ti5bxwnhl_aa240_ 忙しい中頑張って出したこのCDもなかなかの売れ行きだとか。ちょっと生徒に聞かせてもらいましたが、それなりに歌もうまく、ああこの人はいろんな意味で「タレント」がおありだな、と40過ぎたオヤジは思うのでありました。言うまでもなく彼女、ヲタクの中のネ申的存在であり、またカリスマ的ブロガーでもあります。
 さて、そんな「しょこたん」こと中川翔子たんでありますが、私が注目しているのは彼女の生み出す言語であります。いわゆる「しょこたん語」ですね。
 中でも代表的な言葉である「ギザかわゆす」はなかなか興味深いのであります。「ギザ」は「ギガ(giga)」の打ち間違いをそのまま使ったのだそうでして、まあ今風に言えば「超」、古風に言えば「いと」のような強調の副詞ですね。
 「かわゆす」は「かわいい」ということで、単独では「カワユス」とカタカナ書きすることが多い。しかし、前に「ギザ」などのカタカナ語がつくとひらがな表記になるようです。これはなんとなく分かる。「ギザカワユス」よりも「ギザかわゆす」の方がいい。本当のところなぜかは分からないけれど、でもなんとなく分かります。
 さて、もうあまりに当たり前のことで書くのも憚られますが、「ギザ」の本来の形「ギガ」にせよ、「カワユス」にせよ、2ちゃんねるから発した言葉ですね。2ちゃんにおける日本語の様態については、すでに多くの学者さんたちによって研究されている(はずです)ので、ここでは詳しく書きません(本当は書きたいが)。
 で、先に「カワユス」の方について書きますけれど、しょこたんはこれを発展させて「カワユシ」という使い方もするんですよね。これはもう完全に古語返りであります。もちろん、「〜ス」という用法は単純に古語における形容詞の復権、すなわち語尾の「し」を「す」に読み替えたものではないことは、「カナシス=悲しい」「キモス=気持ち悪い」「ウラヤマシス=うらやましい」「ワロス=笑える」などの例を挙げるまでもなく明らかであります。しかし、紆余曲折を経たとは言え、しょこたんによって復元された「カワユシ」にせよ、あるいは若者語として一般化しつつある「なにげに」「さりげに」などの形容動詞連用形に類似する語群にせよ、それらが与えるイメージの中にある種のノスタルジーが含まれているのは確かなようです。2ちゃんでも多用される疑似歴史的仮名遣いなんかもその類ではないでしょうか。
 次に「ギザ」です。このような強調の副詞は、日本語史上決して無視できないものであり、その変遷については既に多くの専門家によって研究しつくされている(はずです)ので、そちらに譲ります。こうした感嘆的な強調表現を憂える方々も多いのですが、では枕草子を見よ!「いと」だ「いみじう」だ「いたく」だ、やたらに出てきます(関連記事)。
 「ギザ」は先ほど書いたように「ギガ」の誤表記なんですが、もう時代は「ギガ」を超えて「テラ」ですので、そちらもかなり使われるようになってます。つまり、こうして感嘆的強調語は、そのインパクトが逓減し、さらなるインパクトを持つ新語にその座を譲っていくわけです。つまり、感嘆的強調語の寿命は短いんですね。それこそが日本語史上の大きな流れであり、多くの副詞が消長した歴史そのものなのであります。
 ま、それはいいとしてですねえ、突然ですが、今日はしょこたんに負けじと新語を考えてみたので、皆さん使ってみて下さい(笑)。
 それはこの記事のタイトルにもした「ナノかわゆす」と「ピコかわゆす」であります。
 今日、ウチのクラスのギャルどもに提案したら、かなり評判よかった。これ使える!これ使おう!はやらそう!って盛り上がってくれました。どうもヤツらの感性のある部分を表現するのに適していたようです。
 つまりですねえ、感嘆的強調ばかりが彼女らの感情ではないということです。「ちょっと」とか「微妙に」とかそういう程度の表現も欲しているわけですね。「ちょっとかわいい」とか「とりたてて強調するほどではないけれど、普通ではなく微妙に惹かれる」とか。で、そんな時たとえば「なにげにかわいくない?」みたいな表現もあるにはあるのですが、そこまでは行かない、だけれど心には止まる、そういう程度を表すいい語がなかった。
 そこに登場したのが、てか、私が生み出したのが「ナノ〜」「ピコ〜」であります(笑)。どうっすか?悪くないでしょう。もちろん「ギガ」とか「テラ」とかのパクリです。逆の発想。
 「ナノワロス」「ピコウラヤマシス」…いいでしょ?音的にもなにげにナノかわゆす(笑)。
 もう誰か使ってるかもしれませんが、まあいいでしょう。気にしません。言ったもん勝ちです。

ps 副詞としての「ナノ」も「ピコ」も科学の発展とともに消え行くのでしょうね。言葉の哀しいサガであります。

しょこたんぶろぐ

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2007.09.10

さようなら阿久悠さん

今日、阿久悠さんを送る会が行われました。
Akuyu おそらく彼は全ての人の悪友でありたかったのでしょう。そして悪友は私たちに手紙を送り続けた。彼が亡くなってその手紙はもう届かないのかと思いましたが、いえいえそんなことはない。悲しい8月1日のあとも私たちは彼の手紙を受け取り続けています。
 何度も読み返す手紙というのがあるじゃないですか。彼の書いた膨大な詞は、みなそういう手紙なんです。彼は本当にいろいろな人たちに向けていろいろな詞を書きました。アイドルポップスから演歌、CMソングから校歌まで。その数5000以上。
 悪友からの手紙ですから、その言葉に気取りやてらいはありません。私たちの心に直接響く言葉たちです。だから、私たちは何度も何度も同じ手紙を読み返すのです。そしてそこには、あの頃の世の中が、あの頃の自分がしっかりと息づいています。
 阿久さんは、いわゆる流行歌の作詞家でした。その時代の空気をたっぷり吸い込み、その時代のエネルギーを腹いっぱいに満たして、そしてモンスターになっていく歌たち。それを生み出すことに、彼は一種の快感を覚えていたようです。
 毎夜徹夜の放送作家の仕事よりも、原稿用紙2枚書く方がお金になる、というのももちろん魅力だったと言います。しかし、それ以上に、やはり歌は歌い継がれるという性質こそが、彼にやりがいを感じさせたんじゃないでしょうか。テレビ番組の言葉は一過性のものですからね。
 ところで、実は私、彼の仕事ぶりや、彼の残した詞から、自分の「モノ・コト論」のヒントをたくさん得ていたんです。
 言葉が「コト(不変・公理)の端(葉)」であって、本当の「コト」ではない。実は変化する社会や人の心という「モノ(変化・無常)」を写すモノであって、完全なる記号でもなんでもない。それぞれの人のココロの中で凝結して、その人にとっては「コト」的な性質も帯びるけれども、人の成長・成熟とともにココロも変化して、結局は変化していくモノ。もちろん個人の死によって、そのモノ自体にも終わりが訪れます。しかし、それが語り継がれ、歌い継がれていくことによって、私たちは「コト(ミコト・マコト)」に疑似的にではあっても近づくことができる。それこそが「物語(モノガタリ)」であり、「命(いのち)」の本質なんだと。
 阿久さんは「歌は心。時代を超えていく」という言い方がお好きではなかったようです。歌は時代そのものであり、時代によってコロコロ変わる心を写すものであると。彼の基本的な姿勢はそこにありました。変化していく心。
 これはまさに「もののあはれ」であります。自己というモノが他者によって変化させられ、翻弄され、そうしてようやく形を成していく。そこに「あはれ(ああ)」と言うわけです。そこで言葉にできないことを、それでも言葉にしないではいられないという人のサガ。これは例えば伝統的な和歌の世界ですね。そういうものの現代形を彼は聞かせてくれた。
 彼は言います。「私は不幸の一歩手前の切なさを表現したい」…これもまた「もののあはれ」そのものですね。日本人は、不幸の一歩手前、まったく不随意な運命というものに美学を感じてきました。これは人間として非常に高度な状態だと、私は思います。人類の進化形だと思います。
 世界の先進諸国が、科学やら工業技術やらお金やら政治やら軍事やらで「コト化(随意化)」へ向けて邁進し、皮肉にもその中でますます不満・不安を募らせている中で、不幸の一歩手前に実は魅力を感じている日本人はすごいですよ。そのレベルである種の満足を得るわけですから。当然、たまに訪れる幸福への幸福感は増大しますし、不幸への耐性もつきます。
 そんな日本の伝統的な空気を読みつつ、それをその時代の視点でとらえ、生命力あふれる言葉で表現したのが我らが悪友だったわけです。だから、彼の歌(詞)は、私たちに元気を与えてくれるといった性質のものではありませんでした。そういうひたすら前向きという応援ソングではなく、さっき述べたような本当の意味での「生きる力」、知足の心や不幸への耐性を育ててくれる、まさにお釈迦さまの言葉だったのかもしれません。
 私も国語の教師として、また歌謡曲バンドのメンバーとして、これからも彼からの手紙を何度も何度も読み返していきたいと思っています。阿久悠さん、本当にありがとうございました。お疲れさまでした。つきなみな言い方ですけれど、あなたの言葉はたしかに生き続けるでしょう。あなたの言葉そのものに、ものすごい生命力があるからです。私たちはそれらを語り継ぎ、歌い継がずにはいられないからです。

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2007.08.24

ロイ・ウッド→YMO→バロン・ブイカ→聖子&秀樹

 長文失礼。皆さんにとってはどうでもいいことでしょうが、私にとってはとんでもなく不思議なことが起きました。
 偶然にしてはちょっと出来すぎでしょう。
 簡単に言いますと、昔録画してすっかり忘れていたビデオを引っ張り出してきたら、ここ数日考えていたことの答えが全部そこに入っていたということです。
Seikohideki まず、発端としては一昨日の記事のコメント欄に書きました「西城秀樹と松田聖子のデュエットによるSweet Memories」です。これをまず思い出しまして、なんとか見つけ出そうと思ったわけです。で、それがすぐに見つかった。8ミリビデオに録画してありました。そのテープを再生したら、ちょうど彼らの歌が始まるところだったんです。その時はラッキー!テープ自体を探す手間、シーンを探す手間、両方がかなり節約できましたので。
 で、とりあえずそれを観たわけです。ああこれはNHK「ふたりのビッグショー」だったんだあ!いいなあ、秀樹うまいなあ。きれいにハモってるなあ…と感動、感心しておったわけです。これはお宝だ、と言うわけでさっそくHDDレコーダにダビングしました。
 さて、それで、そのテープをイジェクトして再び手に取ってみますと、その聖子&秀樹はかなり後ろの方に入っていることがわかりました。では、このテープの他の部分、前の方にはいったい何が入ってるのかなあと、当然気になるわけですね。それで巻き戻してみました。ちなみにテープには「秀樹&聖子」というメモしか書いてありません。
Move1 さてさて、冒頭から再生してみますと、しばらく砂の嵐が続いたのち、いきなりThe Moveの「Fire Brigade」が始まるではないですか!その後同曲の別映像が2本続き、そして「Flowers in the Rain」が2本、「Blackberry way」が2本、あと「I Can Hear the Glass Grow」「Night of Fear」「Tonight」「When Alice Comes Back to the Farm」がそれぞれ1本ずつ。続きまして、The Wizzard時代の映像、「See My Baby Dive」2本、「Ball Park Incident」1本、「I Wish It Could Be Christmas Everyday」が4本入ってました。
 あれれ?こんなの編集した覚えがないぞ。でもなんとなく観たことはあるような…ああそうだ、15年くらい前かなあ、友人がRoy Woodの映像をまとめてくれたような。ああ、そうそうもらったんだ。あの時何回か観て、それからお蔵入りだったんだ、きっと。ロイってやっぱり天才肌ですねえ。楽器(いろいろ)の奏法一つとっても変だし。でも、いろんな意味で日本の歌謡曲やJ-POPに大きな影響があるよなあ。
 で、なんでこれが不思議なことかと言いますと、ちょうどこのビデオを観る30分くらい前になんとなくロイ・ウッドのことを思い出したんです。というのは、テレビ番組の録画予約をするために「デジタルTVガイド」という雑誌を見ていたんですね。で、そこにROLLY(ローリー寺西)の面白い連載があるんですが、それを見て笑っていたら、そういえばローリー、すかんち時代にロイの「I Wish It Could Be Christmas Everyday」を「もしも毎日がクリスマスだったら」という邦題でカバーしてたっけなあ、ってふと思い出したんです(YouTubeで観る)。そんなタイミングだったからホントびっくり。久々にレアな映像観られたし。ラッキーです。ジェフ・リンやベヴ・ベヴァンの若かりし頃も懐かしかったし。
 そして、ロイの次にまたまた、すごい映像が。これもたしかロイの映像をくれた友人がダビングさせてくれたんだと思うんですが、ここに入っていたとは。
Ymo それはYMOのレアVHD「イエロー・マジック・オーケストラ」の映像であります。これは中古でもなかなか手に入らないでしょう。収録されている内容は、今となってはさまざまなDVDでほとんど観ることができるでしょうが、やはり作品として、その映像のパッケージングに意味があると思いますよ。内容はこんな感じです。
 1979年の伝説のグリーク・シアター公演から「東風」「コズミック・サーフィン」「千のナイフ」「ビハインド・ザ・マスク」(ここまでいわゆるA面)、プロモーションフィルム3曲「コンピューター・ゲーム」「テクノポリス」「ライディーン」に、わけわからん映像が数曲(ここまでB面)。
 これは改めて感動しましたね。YMOすごいわ。坂本龍一よりも、高橋幸宏の意外に元気なドラムと、細野晴臣のベースの巧さですねえ。そしてそして、何と言ってもですねえ、矢野顕子さまが「萌え」です。これは「萌え」でしょう!もしかして「萌え系」の走りなんではないでしょうか。あの風貌、オーラ、そしてあの動き。あれはいかんでしょ。観たい方はYouTubeでどうぞ(たとえばこちら…これはVHDには収録されていません)。もちろん、若き渡辺香津美のスーパープレイや、松武秀樹さんのマニュピュレイトぶりも見ものです。
 いやはや、これはテクノとか、そういうのではくくれませんね。音楽的にはとっても深いことをやってる。まさに世界に打って出るには最高の形でしょう。西洋発の、その最先端の機器を使って、やってることは西洋音楽を踏み台にした民族音楽ですからね。やっぱ天才たちのやることは違うっす。今ごろになって彼らの偉大さが分かりました。当時、あんまり好きじゃなかったもんなあ。若気の至りであります。
 で、長くなりますが、これがまたどうして不思議だったかと言いますと、今日の昼間、職場の同僚がブルーノート東京の矢野顕子トリオに行ってきたって話を聞かせてくれたんですよ。矢野顕子がものすごく可愛かったって。オーラがすごいって。そんな話を聞いて、この録画のことを思い出したんです。それで、見つけて見せてあげるよなんて言ってたんです。そしたら、偶然にも偶然、奇跡的にそのビデオが今日見つかったわけです。今日はこれを探すつもりじゃなかったんで。
Buika で、最後にもう一つ、とんでもない映像が聖子&秀樹の前に入っていました。これは完全に忘れていた。なんの番組から録ったのか、それともまた誰かにもらったのか、それすらわかりません。そこに映っていたのは、バロン・ブイカという人物。知ってますか?私も知りませんでした。どうもハンガリーのヴァイオリン芸人さん、というか芸人ヴァイオリニストさんらしいのですか、これがメチャクチャうまいし面白い。ヴァイオリン芸人を目指す(?)ワタクシとしては、これはものすごい師匠に出会ったような感じですよ。まずは彼の技を真似してみたいと思います。とりあえず写真では2本のヴァイオリンを余裕で弾いてますね(笑)。
 というわけで、古いビデオを引っ張り出してきて観ると、これは面白いですね。老後の楽しみがたくさんありますよ、ウチには。数百本の謎のビデオが眠ってますからね。いやあ、それにしても今日の再会はセレンディピティーの連続でありました。不思議だなあ…。

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2007.08.22

「加山雄三ショー 松田聖子 みつめてほしいの」(NHK 蔵出しエンターテインメント)

Mitsumete 「加山雄三ショー 松田聖子 みつめてほしいの」
出演:加山雄三、松田聖子 ほか
曲: 「裏庭のガレージで抱きしめて」「青い珊瑚礁」「白いパラソル」「赤いスイートピー」「チャンスは二度ないのよ」「ぼくの妹に」「SWEET MEMORIES」「STRAWBERRY TIME」「みつめてほしいの」「時には風のように」(初回放送:1987年4月25日)
 う〜ん、いかんいかん。前半見逃してしまった。なんということだ。途中からハッと気づいて録画ボタンを押しましたが、肝心の、加山雄三さんとのデュエット&謎のピエロとハンドベル少女たちという「SWEET MEMORIES」は呆気にとられて録りそこねました…orz
 というわけで、今日のBS2蔵出しエンターテインメントはすごかった。たいがいこの番組で紹介されるのはすごいけどね。ホントにすごかった。
 「SWEET MEMORIES」 と言えば、私たちのバンドでもよく演奏する曲ですが、本当に名曲なんですよね。10年前、46歳という若さで亡くなった天才作編曲家大村雅朗さんの作品です。考えてみますと、八神純子さんの「みずいろの雨」の編曲も大村さんですね。ウチのバンドは大村さんから多くを学んでいることになりますね。
 この曲は「ガラスの林檎」のB面、というかダブルA面シングルという形で発表されました。細野正臣節と大村節の見事なコントラスト。すごいカップリングですねえ。レベル高過ぎです。
 「SWEET MEMORIES」ですが、今思い出したんですけど、西城秀樹さんとのデュエットのビデオもどこかにあるはずです。あの「SWEET MEMORIES」は本気で泣けました。いい歌だったなあ。あとで探してみます。
 まあ、それは置いといて、今回の「加山雄三ショー」ですが、聖子さんが結婚出産で2年ほど休業したのち、ママドルとして復帰した記念すべき番組です。私がテレビをつけた時、彼女感極まって泣いてました。久々ということで珍しく緊張気味、彼女にしてはめったにないことですが音程が低めなんです。それがまたレアな味を出していました。
Hoshiino ところで、この番組のために作られたという「みつめてほしい」ですけど、これは結構貴重な映像・音源かもしれませんね。たぶん正式なレコーディングは行われていないと思います。ですから、この録画でしか聴けないんじゃないでしょうか。作曲は弾厚作(すなわち加山雄三)、作詞はSEIKO名義になっております。お母さんになったのにまだまだ子供っぽい聖子ちゃんの詞に、いかにも加山雄三らしい独特のメロディーが付けられています。これがなかなか悪くない。
 それにしても、加山さん、ほんとになんでも出来る人ですね。作曲の力もものすごいと思います。個性的です。今年70歳ということですが、今でもそのマルチぶりせ健在ですね。今まであんまり好きじゃなかったんですけどね、最近ちょっと憧れるようになりました。実は今テレビでは、ちょうど「思い出のメロディー」の録画の中で彼が唄ってるんですよ。全然変わらない…たしかに永遠の若大将だわ、こりゃ。そして、聖子さん同様、不変の神の領域ですなあ。
 さてこの番組、エンディングもなんだかシュールだったし、ちょっと書いたピエロの登場など、当時のNHKもなかなかやりますな。やっぱりNHKにはアナログ的演出が似合いますね。最近デジタルすぎるような気がするんですが…。
 果たして、数十年後、今の番組が「蔵出しエンターテインメント」のような形で再放送され、「昔はすごかったなあ」って言われるんでしょうか。なんだか「今」に自信が持てないのでありました。

ps↓ありました
YouTubeで見る「みつめてほしいの」

参考記事
聖子&秀樹によるSweet Memoriesについてはこちら
『SEIKO MATSUDA CONCERT TOUR 2007 Baby's breath』in さいたまスーパーアリーナ(その1)

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2007.08.05

ゴシックバンド→関ジャニ∞→バッハなど(その2)

場違いな東京ドームの私
Dvc00022_m(昨日のつづき) 下北沢をあとにしたワタクシどもは一路東京ドームへ。
 東京ドームに着くと同時に、卒業生の女の子から電話が入りました。
「ねえ、先生、今、神社にいる?」
「いやさあ、それがね、『じんじゃに』じゃなくて『かんじゃに』なんだよね」
 これはくだらないシャレではございません。どういうことかと言いますとですねえ、こういうことなんです。
 本来ワタクシ、8月4日は地元富士吉田の浅間神社で行われる「薪能」に行く予定だったんです。毎年の恒例行事ですし、今年も狂言は野村萬斎さんでしたので。
 しかし、突然クラスのギャルどもが「関ジャニのチケット取れちゃった!一緒に行こう!」って言い出したものですから、さあ迷いました。能か関ジャニか…そんなことで迷う人もいないだろうな(笑)。
 で、卒業生は当然私のことだから能に来ていると思ったのでしょう。彼女は彼氏とたまたま神社にお参りに行って、なんだか面白そうだから観ようかということになったらしい。まさか、私が東京ドームにいるとは思わず、会場で会おうと思ったんでしょうね。残念でした。
 というわけで、迷った挙げ句の関ジャニ∞。いったいどうだったのでしょう。いろいろ書き出すとキリがないんですけどね、とにかくいろいろなものに圧倒されました。たしかにすごいわ。一度は経験しても無駄にはなりません。まあたしかに感動しましたよ。能ではないが、これは歌舞伎だなって思いました。
 会場に入ると、そこは55000人の観客で埋め尽くされてました。その99.999%が女性です。当然ですね。おそらく男性は数十人という単位でしょう。100人はいなかったんじゃないでしょうか。
 さすがに5万人以上の女性に囲まれるのは初めてです。だ〜れも私なんかに関心がないのは当たり前ですから、意識しないければいいんでしょうけど、しかしあの、ドームに充満した香水の匂いには、正直動揺せざるをえません。視覚的にはともかく、嗅覚的にはちょっと辛いものがありました。
 ところが、コンサートが始まって30分もすると、その「匂い」は「臭い」に変りました。激しい踊りと絶叫により、55000人の汗が見事に蒸発・発酵し、実にサワーな香りが…そうです、酸っぱい臭いです。それが既存の香水の匂いと融合し、実に香ばしい馥郁たる「腐臭」が…(笑)。
 いやいや、今回一番強く感じたのは、やっぱりジャニヲタの皆さんって、見事な「腐女子」だということですね。これは冗談ではなく、やはりジャニーズということですからね、当然と言えば当然です。そういう伝統がある。やっぱり歌舞伎文化だ。
 正統腐女子文化についてはこちらにも書きましたが、あれらって「女性」性の否定から始まるものなんです。彼女たちは女性としてイケメンに恋しているように見えますが、実は現実的な男女関係、すなわち自分が「女性」であることから出発する世界自体をば排除しているんです。リアル女は彼女らの妄想の中では排除されているんですよ。自分も含めてね。基本はあくまで脱現実にあります。自分にとって最も生々しい「女性」性は排除されるわけです。
 それを象徴していたのは、コンサートの中での30分近く続いた「コント(∞レンジャー)」でした。あんまり詳しくは書けませんが、内容は「ブルー」が悪い女にだまされるという他愛のないものでしたが、文化的視点からしますと、たいへんによく出来ており、また興味深いものでした。
 最初、「恋愛ネタ」だと分かった瞬間、場内は悲鳴に包まれました。私も「えっ?」と思いましたよ。一番触れちゃあいけないところだと思ったんで。ところが、それが見事な演出だった。腐女子心を微妙に刺激するナイスな展開を生んでいったんです。
 まず、その「悪い女」がマネキンであったこと。リアル女はタブーです。ああ、こういう手で来たかと。そうして腐女子たちを安心させつつ、ストーリーは男同士の友情物語へと突き進んでいきます。そして、メンバーどうしが殴りあったり、抱きあったりして、いかにもな男世界を描き出すと、彼女らはそのたびにドームを揺るがさんばかりの悲鳴を上げるんですね。これは完全にBLの一歩手前だな、と思いました。そして、その悪い女がメンバーにこづかれる段になると、腐女子たちのボルテージは最高潮。全てのF的怨念、執念、嫉妬、憧憬、妄想は見事に昇華され、ドームの天井を抜けて東京の夜空に無限に広がってゆくのでした。なるほど、こういう世界だったのか…ジャニーズ。予想以上の腐敗度だ(ほめ言葉ですよ、もちろん)。
 実はこういうあたりが、ワタクシにとっては最も感動した点(男としては気恥ずかしかった点)だったのですが、そのほかにも、ドームというとんでもなく広い会場を縦横無尽に使いまくり、ダイナミックな演劇的空間を創り出していたスタッフのプランと動き(案外原始的な手動式ムーブメントが多かった)なんかにも感激しました。もちろん、歌もトークもそつなくこなす関ジャニ∞のメンバーたちはお見事でしたよ。若いのに大したもんです。よく訓練されています。アドリブもきくしね。本当は一人一人について感想を述べたいところですが、私のようなオジサンの理屈っぽい批評なんて誰も聞きたくないでしょうから、今回はやめとます。でも、全体として、とっても良かったっす。私もすっかり彼らのファンになってしまいました。バンドとしての演奏もそこそこ出来てました。ってか、球場の四隅に別れて、よくアンサンブルできるなあ。カラオケではないことは、演奏ミスからよく分かりましたよ。
 ところで、ところで、今回、ジュニアやゲストなど、総勢数十名のジャニーズが登場したわけですが、彼らを除いてですねえ、一番会場の注目を浴びた「男」は、実は私だったかもしれません。
 というのは、最初のMCで、村上信五くんの、「みんな、声出てるか〜?」「イェ〜」みたいなコールがあったんですね。当然、女性ファンの皆さんは大絶叫です。そして、次にネタとしてでしょう(もしかしてお約束?)、「男の人はいますかあ?」と来たんです。そして、「男の人、声だしてますかあ?」と聞かれたんで、これは女に負けてはいられない!と、ワタクシ生まれてこの方こんなデカイ声だしたことないってくらいデカイ声で「イェ〜!!!」って言っちゃったんです。こぶしを上げてね。
 そしたら、なんだかほとんど私しか声を上げてなかったみたいでして、いっせいにお客さん(女性たち)がこっちを振り向いたんですよ〜。2000人はこっち見たな(笑)。なんかしばらく騒然としていました。大笑いです。村上くんも、「いいねえ、いいねえ」と言ってくれました…って私に対して言ったかどうかわかりませんよねえ…すっかり腐男子になってますな、私(笑)。まあとにかく、くじ引きで私の隣になってしまったウチのクラスのN子も、恥ずかしいやらおかしいやらで、腹抱えて泣いてました。
 なんでも、今回の関ジャニ∞初東京ドーム公演は年内にDVDになるとのこと。もしかすると、私と関ジャニ∞とのコミュニケーションが収録されることになるかも。今年はこちら聖子ちゃんのコンサートにせよ、買わなきゃいけないDVDが多いなあ。
 というわけで、とっても楽しく充実した異文化体験でありました。疲れたけど、勉強になること多数な一日でありました。
 で、オマケに本日5日のことも書いておきましょう。昨夜夜中に富士山に帰ってきまして、今朝はまた4時起きして予習などしまして、朝8時には出発。再び東京です。昨日は中世・ルネッサンスと関ジャニ∞。今日はと言いますと、また全くジャンルが違います。9月23日のコンサートに向けての練習であります。私は初参加です。バッハのマニフィカト、ヘンデルの水上の音楽、シャルパンティエのテ・デウムを練習いたしました。我ながらメチャクチャな音楽スケジュールだとは思いますが、それぞれに違う楽しみ歓びがあるんです。私にとってはどれも捨てがたいんですよ。
 なんか理解されないかもしれませんが、最近いろいろなボーダーが私の中から消えていっているような気がするんです。単にいい加減になったとも言えますが、ものすごく心が自由になったような気もするんです。
 今日も実際のところ、指揮の坂本徹さんの御指導の内容がものすごくよく分かった。細かくは言えませんが、明らかに昨日の経験と思索が生きています。ああこれも「人と人をつなぐ」という意味では一緒だなと。音楽は「エンターテインメント」だなと。音楽に貴賎はありませんよ。聴く人、というか、そこにいる人の心をつかんで幸せにすれば、それでいいじゃないですか。

ps 私は、関ジャニ4日の公演で、「男の友情ネタ」の続きとしてですねえ、こちらの記事にも書いた内博貴くんが登場すると踏んでいたんですが、どうも今日5日の公演に登場したようですね。そして、久々に8人で熱唱したようです。事務所は復帰はないと宣言していますが、不祥事をも美談にまで転化してしまうのが彼らの純粋三枚目キャラのすごいところです。近いうちに世間の後押しを得て完全復活することを予言しておきます。

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2007.07.06

『第38回 夏祭り にっぽんの歌』(BSジャパン)

Nipputa 本日は7月の第1金曜日。テレビ東京による恒例の「夏祭り にっぽんの歌」の放映日であります。年末の「年忘れ にっぽんの歌」も良かったけど、今日も見どころ聞きどころ満載でした。
 いやあ、癒されるなあ。和むなあ。これぞ超談合的世界であります。演歌の世界はいいですねえ。共存共栄。お互いの歌を歌いあうのは美しい。というわけで、家族でたっぷり3時間堪能いたしました…と言いたいところですが、途中なぜかガチンコの夫婦ゲンカが勃発し、ちゃんと観てないところがあります、ハイ。
 え〜、出演歌手の皆さんは下記のとおりです。

秋川雅史、麻倉未稀、石川さゆり、石川ひとみ、石原詢子、五木ひろし、伊藤咲子、大下八郎、勝彩也、金田たつえ、佳山明生、関ジャニ∞、冠二郎、香西かおり、小金沢昇司、九重佑三子、こまどり姉妹、坂本冬美、佐川満男、C-C-B、島倉千代子、神野美伽、すがはらやすのり、スリー・グレイセス、芹洋子、田川寿美、田代みどり、田辺靖雄、中澤裕子、西口久美子、ニック・ニューサ、橋幸夫、原田悠里、一節太郎、平山みき、藤あや子、二葉百合子、ボニージャックス、堀内孝雄、本田路津子、前川清、水森かおり、宮史郎、米良美一、矢口真里、保田圭、吉幾三

 渋いっすねえ。ホントそれぞれ面白かったんですけどね、なんていうコーナーだったか忘れちゃいましたが、佳山明生、ニック・ニューサ、勝彩也、大下八郎という連続技には参りました。てか、正直私は一人も知りませんでした、すみません。しかし、この4人が一番濃かったなあ。もう上手いとか巧いとかいう領域を超えて、なんか美味い、旨いって感じでした。初めて食す地方の料理って感じ。アミノ酸豊富。呑まずにいられないっす。
 それと対照的だったのが若手でしょうか。いや、対照的とは言いきれないぞ。例えば私のごひいき関ジャニ∞。私は彼らをかなり高く評価してまして、実は…実は…来月東京ドームの彼らのコンサート、行きます(笑)。彼らはジャニーズにしては珍しく、というかほとんど初めての演歌路線です。もちろん伝統的な演歌ではありませんし、全然ダシが効いてませんが、それでも一生懸命日本の歌を歌おうとする姿勢はほめてやりたいですし、今後の彼らに期待したいところです。だって、出演者見てるといかに日本の歌謡界が若手の演歌歌手を育てなかったか分かりますから。おじいさん、おばあさん(失礼)から、いきなり関ジャニだもんなあ。今回氷川きよし出なかったし。演歌界、10年後とかどうなってるんだろう、ってカミさんと話しました。
 あと若手にして早くも懐かしかったのは、矢口真里、保田圭、中澤裕子の3人によるモー娘。ナンバーでしょうか。もう最近のモー娘。なんて一人も知らんし、元メンバーによるお騒がせなことも頻発したりして、ああ昔は良かったなあ、ああそう言えばオレけっこう矢口のこと好きだったんだ、人には言わなかったけど、なんて感慨にふけってしまいました(笑)。
 クラシック界(って言ってもかなり外れてますが)からのお二人、秋川雅史さんと米良美一さんの歌も複雑な心境で聴きました。
 「千の風になって」、実は私のレパートリーだったんですよ。ていうのは、詩の朗読に即興でBGMを付けるという仕事(ボランティア)をやってる中で、何度かやったことがあるんです。私はあの詩に短調のメロディーを乗せてたんですね。新井満さんの曲も知ってましたが、なんとなく私のイメージからマイナーにしました。それでずっとやってきたんですが、今回こういう形で新井版が100万枚も売れちゃうとやりにくくなっちゃうじゃないですか。てか、もう弾けません。
 米良さんも元気になって良かったですね。米良美一さんとは昔、上の告知にもある都留音楽祭でご一緒しました。あの頃はもちろんこんなに有名になってしまうとは思ってませんでしたから、一緒にカラオケやったりしてましたよ。松田聖子で盛り上がったりしてね。一時期いろいろと心配があったんですけど、ホント良かった。
 バックバンドの演奏や編曲なんかも勉強になりましたし、「歌謡曲の構造」の復習にも最適な3時間でした。それにしても、後半の夫婦ゲンカは痛かったな。佳境だったのに(笑)。

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2007.06.26

『サラリーマンNEOボーナススペシャル』(ウッチャン登場)

Neo0626 今日の「サラリーマンNEO」はボーナス・スペシャル。ウッチャンこと内村光良さんと入江雅人さんの共演です。ご存知と思いますが、この二人と言えば劇団SHA・LA・LAですねえ。
 劇団SHA・LA・LAは日本映画学校(当時横浜放送映画専門学院)の9期生たちによって結成された劇団です。いちおう座長は出川哲朗さん(!)、ナンチャンこと南原清隆さんもいたわけですから、これは今思うと凄いですねえ。
 横浜放送映画専門学院は、私の大好きだった故今村昌平監督が開校した学校で、高校時代の私もちょっぴりですが、行ってみたいなあと思ってましたからね、もし私が進学していたら彼らと同期ですので、もしかして…なんちゃって。でも、そういう可能性もないではなかった。姉も当時演劇界にいましたし。
 さて、そんなウッチャンと入江さんの久々の共演、どうだったでしょう。
 全体として、やっぱりいつもと違う空気になっていましたね。ウッチャンはウッチャンらしい演技やテンションですので、ちょっとNEO的に醸成されてきた空気からは浮いていたかもしれません。でも、こういう化学反応というか、異文化交流(ただしルーツは同じみたいな)はたまにはいいでしょう。何度か繰り返していけば、互いになじんでくるでしょう。ウッチャンには、できれば準レギュラー的に参画していただきたい。沢村一樹さんとの共演なんかも観てみたいですしね。
Sarigiwa 今回の放映では、ワタクシ的には「新しいネクタイの結び方講座」が一番面白かった。ウッチャン的異空間の中で、実にNHK的、NEO的だったからでしょうかね。こちらの緊張も解けました。あと、微妙なネタとして、「去り際」における、原史奈の「婚約破棄」発言でしょうかね(笑)。そこにで笑った人がいったい何人いたことやら…。この「去り際」におけるウッチャンが一番ウッチャンらしかったかもしれません。
 ちなみに今回の脚本はウッチャンの従兄弟である内村宏幸さんが担当していました。これも面白い縁ですね。
 いずれにせよ今日の放映で、NEOの笑いというのは観る側にも熟練を要するんだ、ということを再確認しました。民放とは違う微妙な作りの部分、細部のこだわり、人の歴史などを知った上で観ないとわからないところがある。そこが、賛否の分かれる原因でしょう。ある意味、茶道とか剣道とかみたいな、分かる人じゃないと分からないという、なんとも日本の伝統的文化が息づいているわけでして、NHKとしては立派なお仕事をされているとも言えるのでしょう。私は好きです。

サラリーマンNEO公式

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2007.06.23

縄文の美とエネルギー

縄文王国山梨展−南アルプス市鋳物師屋遺跡の縄文土器−
(山梨県立博物館)
Img_imojiya1up 今日は面白い日でした。遡ってみましょう。
 今は美空ひばりの番組で感動してます。あらゆるジャンルをこなしたひばりさんですが、こうして聴いていますと、やっぱり昭和の音階である四七抜きの女王ですね。娘たちが送ったFAX、しっかり貼られて映ってました(笑)。
 その前は、日本の音階から最も遠いところにいたもう一人の女王、松田聖子をたっぷり聴きました。彼女の唄う楽曲はほとんどが全音階的長音階でした。対照的な二人とも言えますね。
 夕方は抹茶をいただきました。いいものですねえ。(昨日の記事ではありませんが)私が借金して蒐集したお宝の楽茶碗でいただこうという計画だったんですけど、いざとなるとなんとなく恐くなっちゃいまして、結局普通のお茶碗でいただきました。
 さて、それでその前はと言いますと、御坂の山梨県立博物館に行ってまいりました。シンボル展の「縄文の美とエネルギー」を観るためです。
 ちょうど今日午後1時半から学芸課長の中山誠二さんのレクチャーがあるということでしたので、それに合わせて行きましたら、全然お客さんがいなくて、結局ほとんどの時間中山さんを独占できるという幸運?に恵まれました。いろいろとお話をしまして、勉強になること多々。ありがとうございました。ま、どちらかというと私の得意分野ですので、かなりマニアックな会話になっていたのではないでしょうか(笑)。
 展示されていた土器や土偶は、アルプス市の鋳物師屋(いもじや)遺跡から出土した重要文化財で、数としてはそれほどではありませんでしたけれど、内容は実に充実していましたね。縄文中期、このあたりは大変な温暖化でして、今より5度くらい気温が高かったらしい。その頃の縄文人の豊かな生活、豊かな感性を彷彿とさせる、創造力に富んだ土器たち。立体的な造形が醸す陰影は、一つの鮮やかな色彩表現になっていましたね。そこから伝わってくるものは、「美しさ」というよりも「楽しさ」という気がしました。豊かな生活からは「楽しさ」がにじみ出るんだなあ。余裕は遊びを、想像を生む。
 中山さんのお話によりますと、土器に描かれている人物像や幾何学文様には物語的意味があるらしい。縄文人たちは、想像力をもってして神すなわち自然と交流していたんだなあ、きっと。それが楽しくてしかたなかったのでしょう。まさに「エンターテインメント…結びつける力」の原点です。昨日の柳宗悦の言葉からも想像されますね。「物」が私たちと何かを結ぶ力を持っているということ。
 先ほど登場した我が家のお宝…巨人出口王仁三郎の作なんですが…にも、間違いなく縄文スピリットが息づいています。彼が縄文的伏流の噴出であることは多くの人が指摘していところですね。縁あってウチでお預かりしている彼の耀わんは、まさに縄文的色彩に満ちています。深く豊かな森と海という感じです。
 お茶自体はどちらかというと弥生系の文化ですが、茶道の世界には縄文的な遊びの精神が生きているような気がしますね。茶碗の中に宇宙があるとよく言いますけど、それはすなわち茶が人と人、あるいは人とものを結ぶという意味でしょうね。結び=産(ムスビ)。生命力がすなわち宇宙の存在そのものですから。
 昭和の二人の歌姫も、縄文的と言えるかもしれませんね。シャーマン的な存在です。彼女たちの持つエンターテインメント力、呪術性、言霊力、そして母性…。この前の松田聖子のコンサートでもそれを感じましたし、今テレビに映っている美空ひばり…東京ドームで奇跡的な「みだれ髪」を歌うひばりにもそれを感じるのでした。
 というところで、「今」に戻ってきました。私の想像力の旅もこのへんで終わりにしますね。

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2007.06.12

『SEIKO MATSUDA CONCERT TOUR 2007 Baby's breath』in さいたまスーパーアリーナ(その3)

Seiko20070610a_1 この不二草紙も丸三年やってきましたが、同じ話題で3日にわたって書くというのは初めてです。それほどの体験だったということです。わかってもらえますでしょうか。
 さて、昨日最後に書いた「重大なこと」についてはのちほどといたしまして、まずはバックバンドについて述べておきましょう。
 今回は小倉良さんを中心としたバンドでしたね。小倉さんは90年代の聖子さんを支えた最重要人物です。聖子さん、2000年代に入って原田真二さんとの蜜月(?)期間がありましたが、またここのところ頼れるオヤジ(すみません)小倉さんとの仕事を楽しんでいるようです。小倉さん以外のメンバーも皆お上手で、初日、DVD収録の緊張を感じさせない、ほぼ完璧な演奏だったのではないでしょうか。やっぱり歌謡曲にはツインギターっすね!
 聖子さんのインタビューで(!)、バンドの皆さん喋らされてましたが(笑)、なんかみんな素朴でいい味出してましたね。聖子先生についてく純朴な生徒たちって感じでした。
 ところで、これは小倉さんのポリシーだと思うんですが、古い曲はなるべくオリジナル通りに再現しようとしていましたね。お客さんが聖子さんに何を求めているか、よくお解りなのだと感じました。さすがです。そして、その思惑通り、私たちは「あの曲」が今ここで甦る感動を味わったわけです。私たちのバンド活動の参考にもなりました。
 で、「重大なこと」の話に行きましょうか。そう、お客さんが何を求めているかという話ともつながることです。
 昨日書いたように、聖子さんの自作曲は相対的には単純でコテコテであります。しかし、生のそれに接して、そして御本人と、また会場の1万5千人の人たちと一緒に歌った時、そんな音楽こそが今求められている音楽なのだと気づいたのです。
 私は当日までニューアルバムを3