カテゴリー「経済・政治・国際」の890件の記事

2018.09.20

『水の瀬きよき 学校疎開の記録』 鈴木道子 (文芸社)

Th_61w1vfqslxl_sx335_bo1204203200_ チの夫婦と二・二六事件は深い因縁があります。というか、因縁ができてしまったのですね。
 細かいことはいろいろと書き散らしてきましたが、いつかしっかりまとめなければと思っています。物語としては面白いでしょう。小説や映画にしたら、「できすぎ」なストーリーと言われそうですが。
 さて、私は静岡の出身、家内は秋田、そして二人は今山梨に住んでいます。そうした土地の霊脈が二・二六との因縁を生んだわけです。よく地縛霊と言いますが、やはり場所(トポス)というのは「因」と「縁」にとって非常に重要なのですね。
 具体的に言いますと、静岡で安藤輝三(夫人が静岡市出身・本人の墓もある)、山梨で斎藤実(宮下文書関係)、そして秋田で渡辺錠太郎(某小学校との交流)というところで、いろいろ我らの身に「事件」が起きてきたわけですが、ここへ来て、より穏やかな形で、そうした地縁を感じることがありました。
 一つは、渡辺錠太郎の娘で、父親が惨殺された瞬間を目撃してしまった、あの渡辺和子さんが、山梨に疎開していて、山梨で洗礼を受けて、山梨のカトリック系の幼稚園に教諭として勤めていたという事実。今、そのあたりを調べています。彼女に多大な影響を与えた神父さんがいるはずです。
 そして、このたび、ひょんなことから知ったのが、この本の編者鈴木道子さんが秋田の石澤に疎開していたということ。鈴木道子さんは、安藤輝三が敬愛しつつ襲撃してしまった鈴木貫太郎のお孫さんにあたります。
 石澤と言えば、家内の出身地にほど近く、今でも義父はその地の山に山菜を採りに行っています。私たちも時々、本荘に抜ける時、石澤を通過していました。そして、いつも気になるトンネルがありました。それは「絆の茂里トンネル」。なにか素敵な名前だなあと思いつつくぐっていました。
 そのトンネルの上に、109本の桜が植えられているとは知りませんでした。それを植えたのは、かつて昭和20年に東京から疎開してきていたある女学校の学生たち。戦後50年を機に東京と秋田の絆を記念して植えられたとのこと。
 正直、これまた鳥海山を望む、そして八塩山のふもとというピンポイントでしたので驚きました。
 この本は、そんな時局の中、繊細な感性を持つ12、3歳だった彼女たちの手記などを中心にまとめられたものです。一通り読んでみました。そして驚きました。本当に素晴らしい文章ばかりだったからです。彼女たちが特別優秀だったということもあると思いますが、それ以上にその純粋な心と、さらに純粋とも言える秋田は石沢の皆さんの純粋さ、そして当たり前ですが、戦争などとは関係ない大自然の純粋さ、それらが共鳴して、実に美しい文章になっている。
 地味な本ではありますが、貴重な疎開資料でもありますし、なにより人の心の絆が歴史や時代や事件を超えてつながっていることに感動させられます。
 関係者のみならず、多くの方に手にとっていただきたい本ですね。
 来春には「絆の茂里」をゆっくり訪ねてみたいと思います。

Amazon 水の瀬きよき
 

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2018.09.19

マレビトと教育

Th_img_2613 日は北欧の学生たちがウチの幼稚園を訪問し、日本の幼児教育を見学しました。
 そうとうショックだったと思いますよ。というのは、来週幼稚園の運動会でして、そのための練習をしていたからです。
 ご存知のとおり、日本の「運動会」というのは世界的にも珍しい行事です。すなわち軍隊の教練の一部としての体錬(錬成)大会の流れと、ムラの祭の流れが見事に合流しているからです。
 日本人としては、やはりムラの祭というイメージが強いけれども、外国人から見ると、どう見ても子どもアーミーにしか見えない。
 そんな「日本的」な文化としての「運動会」の練習という、非常にマニアックなシーンをいきなり見たわけですか、それは北欧の皆さんは驚いたでしょう。
 ただし、マイナスイメージではなく、どちらかというとプラスにとらえてくれたようです。北欧は特に子どもを自由に育てる傾向があるので、そのある意味正反対である日本式集団競技的幼児教育は、とても新鮮に感じられ、また自分たちの知らなかった子どもの可能性を読み取ったようです。
 さらに引率した日本人の大学生たちも、自らが通ってきた「教育文化」について考えさせられる機会となったと喜んでいました。まさに国際交流の醍醐味ですね。
Th_img_2617 また今日はラッキーなことに、近所の下浅間さんで恒例の「やぶさめ祭」が行われていたんです。これもまた、日本人でもなかなか体験することができません。私も地元にいながら、ほとんど見たこと、参加したことがありませんでした。
 流鏑馬はもちろん、御神事、神楽、獅子舞など、私にとっても興味深いことが目の前に展開し、さらにそれを外国人に説明することよって、今までとは違った深さで日本という母国をとらえることができました。
 特に個人的に面白かったのは、獅子舞神楽が幼稚園を訪問してくれた時の様子ですね。いわゆる「マレビト」として訪問した神は、まず子どもたちを脅します。怖がらせます。泣きながら逃げ回る園児たち。
Th_img_2615 これなんか、外国から見ると「いじめ」に感じられるかもしれませんね。トラウマになるのではないかと。しかし、でも書いたように、それを大人が音曲やお金、お酒でもってもてなすことによって、「鬼」は最終的には穏やかな神に変化(へんげ)する。
 それによって、子どもたちは神(自然)の性格を知ることができ、また大人に対する敬意や憧れを持つようになる。これって究極の日本的教育ですよね。
 実際、最後、園児たちは獅子たちに「バイバイ」と手を振っていました。これこそが非日常たる祭の機能の一つでありましょう。社会教育ですよ。
 とても楽しかったし、勉強になりました。考えてみると、「外国人」も「客人=まろうど=マレビト」ですよね。大事ですね。外の文化と交流し非日常を作り出すことは。コト世界にあえてモノを招くのであります。

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2018.09.18

『三菱自動車“リコール隠し”の真実』 ドキュメント'04 スペシャル(日本テレビ)

 日の「カメラを止めるな!」とは、いろいろと違いますが、その面白さ、スリリングさにおいては、このドキュメンタリードラマも秀逸です。
 実はこの番組に関しては、13年も前のこの記事で紹介しています。
 13年前はまだ動画共有文化がなかったので、「みなさんに観ていただきたい作品なんですが、観れませんよね」と書いていますが、まあ便利な世の中になりまして、こうして皆さんと共有できるようになりました。 
 リアルタイムで観た番組は録画してDVDに焼き、授業で見せたりしていました。
 もちろん著作権の問題等ありますが、13年前にも書いたようにギャラクシー賞を獲ったような作品は、社会の共有財だと思いますので、ここに紹介しておきます。
 こういう体質は、今もどの企業も、あるいは個人も持っています。隠蔽体質ですね。日本だけではないと思いますが、日本にその傾向が強いのは、ここ数年のニュースを思い出すだけでもよく分かりますよね。
 まあ、自分もいざこういう立場になったら…。
 いずれにせよ、こうした社会の悪を暴き、世直しのきっかけとなるような番組は、どんどん共有してほしいと思います。再度言います。ギャラクシー賞を獲った番組だけでも、常に観られる環境にしてほしい。制作者にとっても、決してマイナスなことではないでしょう。
 出演者にとっても…と、ギャラクシー賞を獲った水曜日のダウンタウン「先生のモノマネプロがやったら死ぬほど子供にウケる説」の出演者であるワタクシは思うのであります(笑)。

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2018.09.14

ハンソンミンさん講演会

 国から結婚を機に来日し、山梨の市川三郷町の山奥で荒廃した桑畑を再興し、いまや大規模に桑の葉茶の事業を展開している、ハンソンミンさんの講演を聴きにいきました。
 日本を山梨を、祖国・故郷のように愛し、義理の父親をはじめ人生の先輩を、実の父親のように敬い、友人たちを家族のように大切にする男。
 会社「桑郷」の理念は、「百年を生きて千年の未来を輝かせる志で 地元山梨・日本・世界に貢献する」。まさに未来志向ですね。
 実際、ハンさんの講演は実に素晴らしかった。前向きで元気で愛に満ちていました。「志」という日本語を、ここまで体現している人がいるとは。今の日本人の私たちに足りないものをたくさん教えていただきました。
 私も刺激を受けまして、自らのぶっ飛んだ(笑)志を表明させていただきました。家内も泣きながら何か語っていました(笑)。
Th_img_2541 講演後、懇親会がありました。そこでもハンさんはもちろん、彼にインスパイアされた熱い人たちの、それぞれの志を聞くことができました。
 一緒に写真に写っているのは、金丸信&竹下登の孫、すなわちDAIGO&北川景子のいとこの方です。彼もなかなかのやり手と見ました。
 いろいろ楽しい出会いがあります。ここ山梨で、富士山麓で、夢の実現のために手を取り合って頑張っていきたいと思います。皆さん、よろしく!NEXT DREAM!

桑郷 公式

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2018.09.12

時間は未来から過去へと流れている…プロ無職との対話

 日、プロ無職の「るってぃ」さんが我が家に泊まりに来ました。その時の(たぶん)衝撃的な様々な出会いについて、熱く発信してくれています。るってぃさんにとっては新しい発見の連続でしょうし、私としては発信のアウトソーシング大成功ということで、まさにwin-winの関係であります。
 さて、そんな「るってぃ」さんに最初にお会いしたのは5月。その時の対談の様子がYouTubeで紹介されています。
 今日はその第3弾が公開されたということで、今までのものも含めて貼り付けておきます。ぜひご覧ください。
 時間は未来から過去へと流れている…を前提に、いろいろな話をしております。この考え方を身につければ、はっきり言って人生180度変わりますよ。おそらくるってぃさんもその変化を体験中だと思います。

 彼が我が家で出会ってましった「三種の神器」についてのアウトプットは、有料になりますが、こちらで読むことができます。他の記事もなかなか面白いですよ。私も若い人から多くを学ばせていただいています。

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2018.09.04

ウルトラ警備隊マグネットエンブレム

Th_31uqvmrmsvl 実の生活、主に仕事におきましては、いろいろと重い重い課題に襲われておりますが、心はいつも軽やかにいきたいと思います。重い荷物をずっと背負っていると大変ですが、その上に座って休んだり、場合によっては他人や宅配便に頼んだり、荷物を勝手に開いてその一部を見つからないように捨てたり(笑)、そんなふうにすると案外楽しいものです。
 で、そういうずるい方法の一つとして、スケールをめちゃくちゃデカくするというのがあります。
 日常の仕事の憂いなんていうのは、宇宙のレベルから見れば塵以下の存在。つまりそういうことです。
 というわけで、さっそく最近やったのが、自分の車にとんでもないステッカーを貼ること。みんなにバカにされています(笑)。
 それは…そう、番組ウルトラセブンにおける、地球防衛軍の極東基地に所属する精鋭部隊ウルトラ警備隊のあのマークです。
 ウルトラセブンの様々なデザインが秀逸であることは万人の認めるところでありますが、このウルトラ警備隊のマークも非常にかっこよく美しい。私の世代の男の子たちにとって憧れのマークであったと言えます。
 なんでこんなものを今更自分の車に恥ずかしげもなく貼ることにしたのかというと…よく皆さんに言うんですけど、私って永遠の中二病どころか、年中病なんですよ。年中病、すなわち幼稚園の年中さんのまんまってことです(笑)。
 そこに大きく関わってきているのがウルトラセブンです。ウルトラセブンが放映されたのが、1967年から1968年、私が4歳になる年です。つまり年少さんの時だったんですね。
 年中さんになる頃というのは、番組が再放送されたり、様々なグッズや書籍が発売されたり、また後継番組がより大人向けな怪奇大作戦だったりしたこともあって、私なりにウルトラセブンを消化する時代になったんですね。
 で、まじめな話、その時に今の私が形成されてしまった。すわなち、ウルトラセブン最終回のメッセージ「この地球は我々地球 人が自分たちの手で守らなければならないのだ!」が人生のテーマになってしまったと。
 いや、宇宙人を自称するワタクシですから、もしかして自分が地球のために戦っているウルトラセブンだと思っているのかも(笑)。
 まあ、いずれにせよ、宇宙の中の一つの星「地球」を意識するようになったのは事実です。世界ではなく地球。
 そうして最近になって、仲小路彰に出会い、再び世界ではなく「地球」を意識するようになった。仲小路彰も「地球」をデザインして、ある種のマーク、アイコンをいくつか考案しています。
 このウルトラ警備隊のエンブレムも、中央に地球が描かれていますよね。なんだか子どもの時のバカみたいなスケールの発想が、今よみがえっている感じがするんですよ。恥ずかしげもなく。
 で、そういう話をある人たちにしたら、じゃあみんなでこのエンブレムを貼ろう!ということになったんです。けっこうすごい人たちですよ。永遠の少年。永遠の年中病。自分の車がポインター○号であると思いこんで運転している。
 いや、大人がもう一度そういうスケールの発想を取り戻すことが、実は大切な気がしているのです。バカにしてくれても全然かまいません!
 趣旨に賛同していただける方がいらっしゃいましたら、ご連絡いただかなくとも、このステッカーを貼っていただければそれでOKです。街中にこれが広がる日がきっときますよ。

Amazon ウルトラ警備隊マグネットエンブレム

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2018.08.28

学校行けなかった自分へ…中川翔子さんが「オールオッケー!」と言えるまで「しんどい時こそ、夢の種まき」

Th_2018082100000008withnews0005view 読みになった方も多いとは思いますが、自分のためにもここに記録しておきます。
 富士北麓地方は昔から1週間ほど早く2学期が始まります。最近では9月を待たず2学期を始める学校がけっこうあるようですね。
 とはいえ、やはりまだまだ9月1日からというところが多いことでしょう。そういう意味では、今日あたりも溜まった宿題を前にうんざりというか、正直暗〜い気持ちになっている子どもたちも少ないないのでは。いやいや、ほとんどみんなそうでしょうね。自分もそうでしたし。
 私、センセイになってから、ほとんど宿題を出していません。理由は単純でして、自分もいやだったから(笑)。いやいややってもちっともためにならない。
 というのは半分ホントで半分ウソ。回収したりチェックしたりするのが面倒くさいからです(笑)。というか、宿題の効果というのがはたしてあるのか、ちっとも検証されてこなかったと思うんですよ。
 教育現場って万事にそんな感じだから時代に取り残されていくんですよ。たとえば宿題を出すのが仕事だと思っているセンセイもいる。で、提出しないやつらを怒鳴り散らしたり。それがセンセイの姿だと、誰が決めたんでしょうね。
 宿題って、会社で言えば、持ち帰り残業ですよ。それを強制するのは、ブラック企業というか、ブラック学校ということになります。そういう発想はないんでしょうか。
 いつも講演や研修で言っているとおり、センセイという人たちは、学校で居心地が良かったお変人が、勘違いしてその職業に就いているからタチが悪いんです。
 ほとんど自虐的によく言うんですけど、私、生まれてこの方、一度も社会に出たことないんですよ。幼稚園に入る前まではママとずっと家にいたし、幼稚園入園のあとは、小学校、中学校、高校、大学、そして学校に就職して、また学校。学校が「社会」だなんて思っているのはセンセイだけ。
 ある時代までは、軍隊という社会への訓練所にはなっていました。その訓練所は残念ながら戦後もずっとその本質を変えずにきた。だから、体罰もいじめも不登校も、先生や先輩がやたらいばるのも、むちゃくちゃな練習を強いる部活も、みんな軍隊文化そのものじゃないですか。
 誰もそういうこと言いませんが、宇宙人から見ると(?)そのようにしか見えません。間違いありませんよ。
 だから、学校に行きたくないというのは、実に自然なことでもあるし、未来的なことでもあるのです。いちおうセンセイである私が言うんですから、たぶんこれは正しい。
 ようやく、そういうことをはっきり言える世の中になってきた。今までは、このしょこたんの記事にもあるように、学校に行かない、行けないことを、異常ととったり、わがままととったり、弱い人間ととったり、そんな感じでしたよね。
 もちろん、そういう軍隊のような理不尽な環境に耐えることが、実社会で役立つこともありました。特に会社が軍隊的だった昭和まではそうです。
 しかし、いかんせん、もう時代が違うんです。最近、実際に学校という場ではほとんど何も学ばなかったけれども、別の機会にいろいろ勉強して、社会でしっかり活躍している若者たちと対話することが多い。
 そのたびに、なんだか自分が数十年やってきたことに対して虚しさを感じるのですよ。そして、まだあと何年かそういう仕事をやってかなければならない。特にウチの学校は禅宗の教えに基づいているから、よけいに古い価値観に縛られがち。いや、もちろん私がそういう保守的な文化を大好きなことは、皆さんよくご存知でしょう。
 だからこそ悩みが多いのです。どうバランスを取っていこうか。あるいはアウフヘーベンしていこうか。苦しいけれども楽しい。逃げるつもりは全くありません。
 一度自分の信じてきたことやものを否定するところから始めてみようと思っています。とてもとてもマンネリ教師になっているヒマはありません。
 本題とは関係ない自分語りになってしまいましたが、まあ、とにくか中川翔子さんが言っていることは、いろいろな意味で正しい。学校という枠組みからはみ出したおかげで、立派なタレント、アイドルになれたという面も。それは非常に禅的な真実であります。
 苦痛を乗り越えられる人も、それはそれで良いし、長いものに巻かれてうまくやっている人も、それはそれで良い。そして、あまりの苦痛から、別の道、別の環境を探す人もまた、それで正しいのだと思います。みんな頑張れ!…頑張れと言ってはいけないという人もいますが、私はあえて自分も含めて全ての人に頑張れと言いたいと思います。

学校行けなかった自分へ…中川翔子さんが「オールオッケー!」と言えるまで「しんどい時こそ、夢の種まき」

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2018.08.27

アナザーストーリーズ「CD開発 “不良社員”たちが起こしたデジタル革命」

Th__20180827_181243 日の23時45分から再放送がありますので、ぜひご覧ください。
 音楽におけるアナログ、デジタルの問題はもちろん、働き方改革ってなんだろうなあとか、ブラック企業ってなんなのかなとか、高度経済成長、働く男たちのロマンとか…まあ、いろいろ考えさせられました。
 たしかに当時のソニーはとんがっていました。一方で、最後にAppleの話が出てきた時、本当にあの頃の日本企業のやり方が効率的だったのか、ちょっと疑問にも思えてしまいました。
 「あの頃」に憧れる自分と、「あの頃」を美化したくない自分がいるのです。
 それは松任谷正隆さんの、アナログとデジタルの間で揺れるご自身も同じなのかもしれない。最後にやっぱりデジタルがアナログを凌駕してしまったと認めざるを得なくなる、いや、そこに感動すらしてしまう…。
 本当にいろいろなことを考えさせられ、感じることができました。そうそう、スティービー・ワンダーの話も良かったなあ。彼のようなハンディをかかえた人にとって、テクノロジーはまさに神のような存在だったのでしょう。
 というわけで、あんまりネタバレしてもしかたないので、とにかく再放送をおススメすることにします。
 あと、やっぱり沢尻エリカさん、単なるナレーションなのだけれども、とにかくうまい!すごい人ですね。そこもこの番組の見どころの一つです。


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2018.08.24

『特殊有楽街 Special Amusement Center』 仲小路彰(昭和20年8月?)

Th__20180825_140134 日はまた歴史のお話。
 今年の終戦の日、以下のような記事をネットで読みました。

終戦わずか2週間後「東京の慰安婦」は米軍のいけにえにされた

 なんとも重苦しい内容であります。これもまた戦敗国の現実です。
 「性の防波堤」たる「特殊慰安施設協会(RAA…Recreation and Amusement Association)」が計画されたのが終戦二日後。そしてその10日後には「慰安所第一号」がオープンしたとあります。
 一方、私がここ富士北麓のご老人たちから聞き取った話には、少し違ったニュアンスのものもありました。
 ここ富士北麓には日本軍の演習場があり、戦後すぐにアメリカ軍に接収され、キャンプマックネアと称されて約10年間大いに栄えました。そこにもやはり公設、私設の「慰安所」があったと聞きます。
 そうした「慰安所」が、たしかに「防波堤」として機能していたのは事実であり、それは見方によれば、日本の高度な防衛作戦であったとも言えます、実際そうした解釈をしている地元のお年寄りも複数いらっしゃいます。
 終戦時の山中湖と言えば、天才歴史哲学者仲小路彰がすでに住んでいましたね。そして、その終戦工作や終戦後の提言などを考えますと、その後の「戦後日本」のスタートに彼が深く関わっていると言って過言ではありません
 実は「慰安所」についても、仲小路は早い時期に重要な提言をしています。そして、それが実際に東久邇宮内閣、そしてのちに首相となる池田勇人に影響を与え、結果として上掲記事にあるRAAが実現したことも間違いありません。
 今日はその提言を活字化して紹介したいと思います。その経済的効果、さらに軍隊帰還の早めるための作戦など、仲小路の卓見を垣間見ることができる重要文書です。
 仲小路は、実際慰安にあたっていた職業婦人たちに対して、「昭和のお吉」と評価し、大変強い敬意を抱いていたとのことです。
 旧字体は新字体に改めました。

【厳秘】
  特殊有楽街 Special Amusement Center

一、占領地域に数個の外界から遮断せる特殊有楽街を設置し他に対し悪影響の波及するを厳に阻止し、猶この地域に一種の異国情緒を濃厚にせる設備を大規模に実施すること
一、この特殊有楽街は嘗つての長崎、江戸等に見る花街組織の上に近代西洋の趣味娯楽を加味しその風俗を飽くまで特殊地域のみ限定すること
一、こゝに働らく人々は一時廃業せる特殊業の者を再び集め、又既に頽廃せる者等をもつて組織し、政府がこれに対し相当積極的な施設をなし飽くまでも一般の風俗の紊乱を厳戒すること
一、この地域に外人部隊の莫大な浪費をなさしむべく特殊なる遊楽設備をなし、戦後経済の恐慌に対する一つの応急措置たらしむべきこと
一、外界から遮断するため所謂出島の如き地域を撰定すること極めて肝要なり、例へば東京にあつては台場、埋立地の利用をなすべきこと、猶既存の特殊街は市中にある限り成可くそれを使用せず都市より遠隔の地区に新しく設置しこれが不要となる時は直ちに全部取壊し禍根をすべて残さざるべく計画すべきこと、成可く焼□(足へんに止)を巧みに利用し一種の緑地化を先づ実現する可能性を示すこと
猶使用後の資材は新しく他に文化設備として転用するも可なり
一、占領軍の国別に応じ彼等の民族的性趣味に最も適合するべ情緒をもつて形成すること、寧ろ租界的色彩を意識的に表示し又彼等の本国に対する郷愁の念に堪へざらしめ軍隊帰還の時期を成可く促進せしむべく企図すること

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2018.08.22

安倍宗任(鳥海三郎)とニギハヤヒ

Th_250pxabe_munetou 田旅シリーズの番外編。
 実はこの旅、最初に企画してくれた方はあの方です(わかりませんよね)。御本人は残念ながら不参加になってしまいましたが、心は一緒に旅してくれたということでしたので、さっそく報告がてら近所にあるプライムミニスターのセカンドハウスにおじゃましました。
 そこで土産話&2021年以降の話をたっぷりさせていただいた中で、いつのまにか話題の中心になっていたのが、安倍宗任さん。
 ちなみに安倍総理のご先祖は安倍宗任です。安倍宗任は秋田近辺にいましたが、前九年の役で捕らえられ、のちに伊予、筑前に配流になっています。東の果てから西の果てまで流されたわけです。そして、その安倍宗任の子孫のうち、山口県長門市油谷に住み着いた一族が、安倍総理のご先祖だと言われています。
 その安倍宗任、実はこの旅で分かったことがあります。
 ウチのカミさんは旧姓「安倍」ですが、「アベ」とは読まず、すわなち「I'm not ABE」でして(笑)、「アンバイ」と読みます。
 ウチの家内の故郷は秋田県の羽後町軽井沢という山の中の集落です。鳥海山を望むその地には「安倍(アンバイ)」さんや「阿部(アベ)」さんがたくさん住んでいます。
 その集落から南側の峠を越えたところに川が流れています。子吉川。鳥海山を源流とする河川です。で、今回義弟が教えてくれたのですが、その子吉川、古くは「安倍川(アベカワ)」と呼ばれていたらしい。
 安倍川と言えば、ウチの実家のある静岡市の安倍川(今年は花火大会が中止になりましたね)、安倍川餅の安倍川が超有名ですが、なんと秋田の安倍の里の近くにもあったのです。
 考えてみると、安倍宗任は鳥海三郎とも呼ばれており、鳥海山とは切っても切れない縁があります。ただ、今までは、本家鳥海山麓の秋田山形ではなく、宮城や岩手の「鳥海」との関係ばかり言われてきた。
 しかし、それは鳥海三郎やその一族末裔が居住したから、のちにそういう地名になったのであり、やはりルーツは鳥海山であってしかるべきです。
 物部氏と安倍氏が深い関係にあることは、たとえば谷川健一さんの「白鳥伝説」にも詳しく書かれています。
Th_images そう、安倍、鳥海と言えば白鳥氏の存在を忘れてはなりません。白鳥氏も奥州安倍氏の系統です。「鳥」の字を使っているのも偶然ではないでしょう。
 そして、白鳥氏、羽後町となると、ワタクシ的大発見である、上到米の唐松神社本社。こちらの記事をお読みください。ほとんど誰も知らないホンモノの唐松神社は、鳥海山を望む形で鎮座しています。
 ちなみにパワースポットとしても有名な協和町の唐松神社。そこに残る物部文書によれば、ニギハヤヒは鳥海山に降臨したことになっています。しかし、そちら有名な唐松神社は鳥海山からはずいぶんと離れた所にあります。謎ですね。
 さてさて、結局何を言いたいかといいますと、安倍宗任は鳥海山を信仰しており、その鳥海山には物部氏の始祖であるニギハヤヒが祀られていたと。ニギハヤヒはその名から想像できるとおり、「和魂(にぎみたま)」を内包しています。
 物部氏が信仰した大和の三輪山に、出雲のオオクニヌシの和魂(にぎみたま)が祀られていたのも、もちろん偶然ではありません。
 そして、その物部の「和」を完全に理解し、物部氏の「国譲り」を受けて、その魂を永遠に残そうとしたのが、聖徳太子であり、その現実的な成果の一つが、十七条の憲法の第一条「以和為貴」なのです。
 さらに言えば、出口王仁三郎も鳥海山を特別な霊山としてとらえていました。田庭の真名井、そして石切神社とイスキリ…ここまで想像力を広げてしまうと、さすがに収拾がつかなくなってしまいましたが(笑)。
 統合失調ならぬ統合過剰なワタクシたちは、そんな話で大いに盛り上がりまして、最後には、アベ氏もアンバイ氏も、「和(にぎ)」をこの国に施すために存在し、現在の立場にあるのだと、まあ、そういう我田引水な結論に至ったわけであります(笑)。
 現在、鳥海山には「大物忌神」が祀られているとされています。「モノ」と「ニギ」との関係については、今研究中ですので、いつか書きましょう。

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