カテゴリー「経済・政治・国際」の836件の記事

2018.02.20

金嬉老事件から50年…寺山修司版「HAIR」

Th_unknown せずして昨日の記事の続きになりますね。
 今日は金嬉老事件から50年目の日です。私、当時3歳だったんですけれど、なんとなく覚えてるんですね。
 劇場型犯罪のはしり。きっと、テレビで観たんでしょう。
 単なる殺人事件が、犯人の「演劇」によって、いつのまにか差別や人権の問題にすり替えられた、なんとも時代を象徴する事件でした。未来を予言するとも言える。
 そういう意味では現代においても、そうした傾向は続いています。被害者よりも加害者の人権が守られ、それどころか加害者がヒーローになってしまう。
 さてさて、昨日の続きという意味では、この画像を観ていただきたい。これは、仲小路彰邸にて見つかった、ミュージカル「ヘアー」の初期稿の一部です。
 この字を見て、誰の字かピンとくる人はかなりのマニア。ちなみにJ・A・シーザーさんはもちろん分かりましたよ。
 そう、寺山修司です。実は日本初のロックミュージカルとなった日本語版「HAIR」は、当初寺山修司が脚本を書いたのです。
 しかし、それはボツとなり、結局、川添象郎さんの直訳版になった。そのへんの事情については、寺山自身が「ヘアー」白書に書いています。そこに見えない力に妨害されたというようなことが書いてあるんですが、寺山の脚本をボツにしたのは、仲小路彰だと私は考えています。
 ま、そのへんのことについては、いずれ詳しく書きましょう。今日は、とりあえず、その一部をご覧いただきたいと思います。そう、金嬉老事件が何度か出てくるんですよ。
 金嬉老事件は1968年2月20日に起きました。HAIRが上演されたのは1969年12月。寺山版の脚本はおそらく1968年中に出来上がっていたと思われます。
 人種差別、人権問題に劇場型と来れば、これは寺山が注目して当然です。本家HAIRもアメリカにおけるそういう問題を扱った作品ですから、日本語版に翻案するにあたって、寺山らしい仕掛けを施すのも理解できますね。

00330_hair

2

 ここに出てくる「寸又峡」とは、金嬉老が立てこもったふじみや旅館のある場所ですね。永ちゃんは矢沢永吉ではなくて、佐藤栄作総理。
 次の部分には、金嬉老自身の名前が出てきます。ちなみに片桐操は1965年に起きた少年ライフル魔事件の主役です。

1

 たしかに、この過激さでは上演は難しかったでしょう。特に仲小路彰はこういうの大嫌いですからね。寺山が影の大物の力を暗示していますとおり、影の大物が川添浩史を通じてダメ出ししたというのが本当のところでしょう。
 さて、この寺山版「HAIR」は上演されるのでしょうか。今だからこそしたいですね。やりますよ。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.02.19

『愛国とノーサイド 松任谷家と頭山家』 延江 浩 (講談社)

Th_51d85ssyp6l 日は、この本にまつわる人たちが、微妙に日常に食い込んできた不思議な日でした。
 まず、学校においでになったあるお客様の口から「頭山満」の名前が出てびっくり。なにしろ、その方のお父様は玄洋社で頭山満本人のすぐ近くにいたとのこと。事情があって山梨に戻ることになったそうですが、その方のお墓の文字は頭山自身の揮毫とのこと。本当に驚きました。
 たまたま私は出口王仁三郎関係で頭山満のことをよく知っていたわけですが、普通の学校の先生だとあんまり知らない名前なのではないでしょうか。実際、その方も、私がよ〜く知っているので驚いてらっしゃいました。
 その方もおっしゃってましたが、右翼の大物なんていう捉え方は全く間違えています。大アジア主義者ですし、本当の意味での尊王愛国者でした。王仁三郎もそうですが、右も左も関係ない。
 それから、今日はYMO結成から40年の日。そんな日に、仲小路彰文献を整理していたところ、アルファレコードの内部資料とおぼしきものを発見しました。
Th_img_1083 1979年と1980年、すなわちデビューした翌年と翌々年の、YMOに関する内外の記事をまとめた資料です。
 右の冊子の表紙の上に置いてあるのは、資料にはさまっていた川添象郎の名刺です。アルファレコードの取締役制作担当という肩書です。
 この本にも川添象郎さんは何度も登場します。象郎さんは、キャンティのパパ川添浩史(紫郎)の長男。川添浩史は仲小路彰の実動体の一人でした。象郎さん自身も何度も山中湖の仲小路邸を訪れた形跡があります。
 おそらくYMOの活躍を仲小路に報告しに行ったのでしょう。ちなみに細野晴臣さんも中沢新一さんらと山中湖に来ていますが、その時は晩年の仲小路は入院中で会うこと能わずでした。
 象郎さんが関わったミュージカル「ヘアー」の話もこの本に出てきます。以前書いたかと思いますが、仲小路邸では、ボツになった寺山修司版の「ヘアー」の自筆脚本のコピーが発見されました。非常に貴重なものです。
 そう、この本には昭和のアーティストや政治家の名前がじゃんじゃん出てくるわけですが、その人たちのほとんどが、なんらかの形で仲小路彰に関わっています。
 ユーミンというネーミングをしたシー・ユー・チェンさんも、著書の中で仲小路彰の「未来学原論」について書いていますから、当然ユーミン自身もキャンティで仲小路の思想の一端に触れたことでしょう。覚えていらっしゃるかなあ。
 岸信介、佐藤栄作については言うまでもありません。東西冷戦期における、アメリカを利用した日本の復興、独立という観点は、まさしく仲小路彰のアイデアそのものです。
 それからこれもまた不思議なのタイミングだったのですが、私の静岡の実家の町内に、大杉栄の墓があることを本当に最近知りました。安藤輝三でも驚きましたが、もっと近くの墓苑にあったのです。不覚にも知らなかった。
 この週末実家に行く用事があるので参ってみようと思っていた矢先、この本の中に「伊藤野枝と大杉栄」という章があり、興味深く読んだのであります。
 ここにも頭山満が絡んでいたのか。なんとも不思議な感じがします。もう明らかに霊界に動かされている…そう思わずにはいられません。
 それにしても、この本、本当によく調べていますね。私はたまたま仲小路のことを調べていたし、音楽が好きなので、だいたい出てくる名前は知っているものでしたが、普通の人にとってはちょっと混乱するかもしれません。それほど多くの人物が、この松任谷家、頭山家には関係してくるんですね。
 ここに、さらに仲小路彰を絡ませたら、もう日本の政治家、実業家、芸術家はほとんど網羅されてしまうでしょうね。
 御世代わりによって、昭和が前前時代にならんとしている今、こうして昭和のエネルギーが私たちに語りかけてきているモノとは、いったいなんなのでしょう。単なるノスタルジーではなく、真剣に感じ、考えていきたいと思います。
 
Amazon 愛国とノーサイド 松任谷家と頭山家

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.02.15

石橋湛山の元号廃止論

Th_tanzan_ishibashi_2 日、立正大学に通う教え子が学校に遊びにきました。彼は将来的には法華宗の僧侶になる予定です。立正大学は日蓮宗の大学ですから、卒業後別の学校でも勉強する必要があるとのこと。
 短い時間ではありましたが、法華宗と日蓮宗の教義の違いなどについて教えてもらい、大変勉強になりました。
 その立正大学で長く学長を務めたのが、山梨県出身の総理大臣経験者である石橋湛山。
 石橋総理は、たった2ヶ月ほどで病気のため辞任していますが、その裏にはどうもアメリカの策謀があったようですね。なにしろ、あの冷戦真っ只中、ソ連、中国とも仲良くしましょうと唱えたのですから、アメリカにとっては大変面倒な総理だったに違いありません。
 石橋退陣後は、副総理であった岸信介が総理になり、日本の外交政策は完全にアメリカ寄りとなっていきます。
 まあ考えようによっては、当時の自由民主党というのは、保守からリベラルまで、非常に幅広い思想集団だったということがわかりますね。今の自民党とはえらい違いです。
 湛山の父親は身延山久遠寺81世法主、日蓮宗24代管長というバリバリの日蓮信者でしたから、彼の政治信条というのには、仏教の、そして日蓮の思想が色濃く影響しています。
 今でこそ、創価学会や顕正会のおかげで(?)、日蓮というとなんとなく保守的なイメージがありますけれど、日蓮宗と言えども仏教ですから、リベラルな世界観が基礎にあります。
 さて、そんな石橋湛山、ある意味、のちの自民党の総裁らしからず、戦後すぐに靖國神社廃止論を唱えたり、元号廃止論を唱えたりしていました。すごいですよね。まるで共産党(笑)。
 湛山の元号廃止論は、彼が深く関わっていた東洋経済新報の昭和21年1月12日号に掲載されています。時代の流れと社会の状況からして、元号を廃止し全て西暦で統一すべきだという意見です。
 ちょうど今日、新元号を今年の末以降に発表するという報道がありましたね。いろいろと便利なこともあるけれども、たしかにダブルスタンダードで面倒ともいえるし、世界史的に見ればたしかに王権の象徴のような元号が、未来的に必要なのかどうか、最近はそういう議論すらありませんね。
 もちろん私は、言霊的に必要だと思っていますよ。とはいえ、本来の言霊的な機能のためには、明治以降の一世一元の制ではなく、天変地異などでも変更が可能な形に戻さねばなりませんが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.02.14

「無鉄砲」とは?

 大入試講座で2011年の国語第四問を指導しました。いつも書いているように、本当に東大の問題を解くのは面白い。いい問題です。対策をするだけでも生徒は大きく成長します。
 で、今日取り上げた2011年の第四問ですが、今福龍太の「風聞の身体」から、アイヌの長老のカタリに関する文章でした。
 丸腰でヒグマと戦う武勇伝。私も生で聞いたことがあるカタリです。そう、もう12年も記事になるんですね、秋田の山村で長老たちの武勇伝大会に参加した時のことをこちらに書きましたっけ。
 やっぱり、秋田の山奥にはアイヌ的な文化が残っているんですね。地名なんかも完全にアイヌ系ですし、顔つきもアイヌかロシアという…。
 武勇伝というカタリは、それが嘘だろうと大げさだろうと、そんな真偽に関する野暮な考察はどうでもいいのでして、上の記事にも書きましたとおり、カタリ自身が「祭」の「場」になっているということの方が重要です。あの時は私もまた、その場に居合わせ、場を演出する「マレヒト(客人)」だったというわけですね。神事に参加していたわけだ。
 さて、こちら東大の問題のカタリですが、ここで面白かったのは「無鉄砲」という言葉です。まあ、とにか面白いので、皆さんも読んでみてください。問題は解かなくて結構です(笑)。

C1

C2

C3

C4

 なるほど、「無鉄砲」という言葉は、面白いですね。字面どおりで解釈するなら、非武装中立(笑)。結果として無茶ということになりますね。自衛軍ぐらいは持たないとと。
 たしかに、丸腰という非武装こそが、最強の武勇伝になりますよね。国際関係、防衛においても実はそうなのかもしれないと思ってしまいました。
 本文にもある漱石の坊っちゃんの「無鉄砲」は、たしかにストレートに非武装丸腰という意味ではありませんよね。どちらかというと「有鉄砲」的なイメージ。ケンカばっかりしてる。けっこう武器持ってますよ(笑)。
 それこそ、近代的な意味においては、鉄砲を持たずに強敵に臨むことは無茶でしょう。しかし、縄文的に言うと、その逆ということもあり得る。
 日本が誇る?平和憲法の意味というのも、近代的、現代的な価値観だけでは計り知れません。なにしろ、昭和天皇のご発案なのですから。
 そのあたりについては、仲小路彰が非常に深い考察を行っています。いつか皆さんの目にも触れることになるでしょう。お楽しみに。
 さあ、「無鉄砲」の未来的な意味はどうなっていくのでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.02.13

自動車が本当に「自動」になる日

Th_nvidiaam24 日、AI研究の最先端を行く学者さんとお話する機会がありました。いろいろなお話をしたのですが、一番盛り上がったのは自動運転について。
 私たちシロウトは、いわゆる職人技という部分に関しては、AIは人間には敵わないだろうと思いがちですが、実際は全く逆なようですね。
 とにかく私たちが時間をかけて勉強を重ね習得してきたコトこそAIが得意なのであると。なるほど、考えてみればそのとおりでしょう。
 一方で、技術ではない、そうですねえ、あえて言えば知恵のようなモノ。たとえば想定外の事態に瞬時に対応するようなセンスというのは、なかなかAIには難しい。まあ、私たちが想定外だと感じるモノのほとんどは、過去のビッグデータに含まれる既知のコトなんだそうですけど。なるほど。
 車の運転というのは、道路というインフラや交通ルールのデザインさえしっかりすれば、かなり規則的なコトであり、そういう意味では、AIの最も得意とする分野の一つです。
 逆に言うと、現在私たちが半分カンにまかせて、けっこう死と隣り合わせで行なっている「運転」を、そのままAIに任せると、これはけっこう大変。それこそカンに頼るようなモノ性が高いからです。
 ですから、完全自動運転、つまりレベル5の自動運転を可能にするためには、インフラ、ルールのリ・デザインが非常に重要となるでしょう。
 私たちが今まで当たり前だと思ってきたこと、あるいはずいぶん効率化したと思ってきたことの中には、実は大きなムダがあったりする。それを最先端のテクノロジーが簡単に軽減してくれるというのが、これからの世の中の大きな変革のあり方になります。
 私も自分で自動車を運転して、いろいろなところに移動しています。通勤にも使っていますし、東京や横浜との行き来にも自動車を使いますから、年間にしますと、2万キロ以上車で移動していることになります。平均速度を40キロで計算しても、実に500時間を運転に費やしていることになります。
 私は運転という「スポーツ」自体が好きで、それをすることによってストレス解消をしている部分もありますから、決してムダな時間とは言い切れません。また、かつてはゆっくり音楽を聴いたり、あるいは最近ではネット動画の討論番組をまとめて聴いたりもしているので、それはそれなりに有意義な時間を使っているとも言えます。
 まあ、自動車とは言うのもの、全然自動ではなく、ほとんど手動ですし、オートマによってオートマ化したのはギアチェンジだけですよね。かなりの部分で自分のエネルギーを運転につぎ込んでいる。
 しかし、これが全て自動運転になったら、500時間の自由な時間、より有意義に使える時間が確保できるということです。
 本を読んだり、映画を観たり、楽器の練習をしたり。ま、日常の自由時間と同じく、ムダにゲームをしたり、食べたり飲んだりして昼寝したりするだけになるかもしれませんが(笑)。
 そっか、たしかに今の「手動運転」には「寝てはいけない」という最強の条件があるので、案外有意義な時間を創出しているのかもしれませんな。
 強制的に睡眠を妨げる、命がけで眠気と戦うという意味では、今の手動運転には大きな意味があるのかもしれませんね。
 そんな笑い話的な昔話が語られるようになるのは、そんなに遠い未来のことではないと考えます。少子高齢化、人口減少が避けられない日本は、そしてある程度道路が整備され、また国土が狭い日本は、実はこの部分で世界の先駆けとなるべきなのではないでしょうか。
 もちろん、個人レベルでのムダの排除だけではなく、物流という巨大産業にも革命が起きます。いくら世の中がデジタル化、情報化しても、残念ながら物質をどこかに伝送することはできないので、おそらくあと千年は物流の業界はなくならないでしょう。
 自動運転が実用化すると、たしかに現在の物流関係、あるいは交通関係の運転手さんたちの職は失われるでしょう。しかし、それは時代の流れの中での必然であり、その人たちにはまた違った、ある意味もっと楽な仕事をしてもらうことになるでしょう。
 自動車、列車、飛行機、ドローンなどによる物流が自動化することによる経済効果は非常に大きい。人件費は言うまでもなく、渋滞などによるさまざまなムダも劇的に軽減し、結果として私たちは豊かになることでしょう。
 国家レベルでのイノベーションに期待します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.02.12

自立なんて「しないほうがいい」!?

Th_img_5821 総研の深津武馬さんのインタビュー記事オスなんて「いないほうがいい」!? 性を操る細菌の不思議が面白かった。
 オスがいないほうがいいという以前に、昆虫と菌との共生、寄生の奥深さに、ちょっと感動してしまいました。
 意識しているかいないかは別として、互恵関係を作って生き延びる道を選んだ生物たちに、なんとなく敬意すら抱いてしまった。
 そう、生物学とは全然関係ないのですが、最近、近代日本の教育が子どもたちに促してきた「自立」というのが、本当に大切なことなのか、よく分からなくなっていたんですよね。
 それはもしかすると、おとといの西部邁さん追悼番組のところでも書いた、「国家の自立」にも関わってくるかもしれない。本当に自立すべきなのかと。
 変な話、戦後の日本は、アメリカに寄生することによって生き延びる道を選んだとも言えますし、アメリカはアメリカで宿主としてのメリットも計算していたとも言える。お分かりになりますよね。
 主に反米嫌米保守の皆さんは、そんな状態を「情けない」として、盛んに自立を促すわけですね。
 ただ、したたかに、そして賢く宿主の中で生きる細菌の世界を見ると、なんだか、寄生も悪くないなと思うわけです。寄生なのか共生なのかの境界線は、生物の世界でも難しいとのことですが、人間どうしや国家どうしにおいても、その判断は不可能に近い。
 私は、現在の日米関係というのは、けっこう高度な互恵関係にあって、そういう意味では、結果として生命保持手段としてはかなり対等に近い「共生」だと思っているんですね。
 それこそ宇宙からの視点で見ればですね、もしかすると日韓関係も米中関係も「共生」ということになるかもしれない。かつての米ソ関係が非常に高度な両者の生き残り作戦であったように。
 ま、冬虫夏草みたいに、結局宿主を殺してしまうのはどうかと思いますが、基本的に他者の力を拝借するというのは、ある種の知恵と言っていいでしょう。
 あまりに強く自立を志向するというのは、結局お釈迦様の言う縁起する世界観を否定することになりかねません。互いに利用しあい、譲りあって、与えあうというのが、この世の、特に生き物の世界の究極の知恵なのではないでしょうか。
 私がよく言う「国譲り」の作法や理論というのも、ここにつながっているような気がします。
 ところで、人間界でもオスの存在感はどんどん小さくなっていますね。ある意味、最近の男は女に寄生しているとも言える(笑)。
 まあ、男が強くなるのは、戦争の時代だけとも言えますよね。つまり、そんな時も、結果としては死にゆくのは男だということでして(苦笑)。
 はてさて、教育者はどういうふうに教えればいいのでしょうね、これからの時代。とりあえず、自分のことを棚に上げて「自立しろ!」というのはやめようかと思います。
 世話になるというのは、世話する喜びを与えるということでもあります。禅語の「恩を知る者は恩に報いることを解す」ですね。
 そういう意味では、私たち日本はアメリカに依存しつつ、アメリカに布施の喜びを与えている、すなわち方便によって智慧を得るという修行の機会を与えているのです(なんちゃって?)。
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.02.10

【討論】追悼・西部邁と日本

 本が足りない。なるほどそこが寂しがり屋の原点なのかもしれない。
 西部先生がお亡くなりになって、あっという間に3週間になります。
 自裁された日、私は全然かっこよくないですよ!と書きました。
 その気持ちは、正直今でも変わっていません。
 佐藤健志さんが、弟子であるからこそ直截的に、自殺は自分以外をも全て殺す行為である、と言っていますが、そのとおりだと思います。自分を消すということは、自分の肉体で感じ、記憶し、予感している世界、他者を全て抹殺することなのです。
 しかし、一方で、西部さんがお亡くなりになっても、この世はなくならないどころか、あまり大きな影響を受けていません。これはまさに、思想や批評や言論の虚しさにつながる。
 もちろん、この討論に参加されている西部さんの申し子のような方々には、大きな影響を与えていることでしょう。しかし、それも死ではなく生が影響を与えているわけですね。そこには今度は死、自裁の虚しさを感じざるを得ません。
 国家とは何か。母国とは。祖国とは。
 これもまた虚しい事実ですが、実は日本人にとっての国家観などというものは、たかだかここ150年の、それも西洋から押し付けられて、無理やり作り上げようとした思想にしかすぎませんでした。
 だから、結局、国ではなく「母」に帰っていった。母というか母性でしょうかね。だから、亡くなった奥さんに対する、まるで小さな子供のような甘えが現れてしまった。奥さんやお母さんという「女」に帰っていったのでしょうね。
 日本が足りない…それは結果的には母性に対する渇望だったのかもしれません。西洋は父性の原理、東洋特に日本は母性の原理。
 あえてそういう見方をすると、西部さんを一つの象徴とする、日本人の寂しさが分かるような気もしますね。
 仲小路彰が「21世紀は太陽の世紀」と言った意味は深い。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.02.09

スマホで朝生~激論!AI時代の幸せな生き方とは?!~

 このところとんでもなく忙しいので、とにかく移動の時間には討論番組を聴くようにしています。
 そんな中で、特に面白く、続けて2回聴いてしまったのが、この「スマホで朝生」です。もう1年前の回ですが、まだまだ新しい議論に感じますね。
 モチベーション格差かあ。なるほどね。日本の教育はモチベーションを低下させるというのは、たしかにあるよなあ。
 もちろん、私は違いますよ(笑)。私は、それこそ生徒のモチベーションを上げるのが教師の仕事だと思ってますから。
 たしかにモチベーションは特別に大切だと思います。なぜなら、そのモチベーションはモノ・コト論的にいうと、「モノ」の世界だと思うからです。
 昨年夏、「シンギュラリティはあり得るのか」という記事にも書きましたとおり、AIのおかげで、逆に人間の「意識」を際立たせることになると思いますね。
 モチベーションこそ意識です。AIにもモチベーションもどきを持つことは可能だと思いますが、ホンモノのモチベーションは人間のみに与えられた能力です。
 なんていうと、また人間至上主義だ、近代的な価値観にとらわれていると言われそうですけどね(笑)。ま、地球上では事実人間だけの特権なのでした。そこに気づくのが、21世紀の科学であり、哲学であり、そして教育でありましょう。
 それにしても、この動画、コニタンとハゲー!が出てて笑っちゃいますね。
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.02.08

レア度を高める

Th_images 日もまた昨日までの続きです。本当に最近ある種の危機感をおぼえています。自分ははたしてちゃんとアップデートできているのか。
 未来人、宇宙人(笑)として、ちゃんと一歩先を行っているのか。
 急に現実的なお金の話になってしまいますが、皆さんもよくご理解のとおり、市場経済においては、その価値、すなわち価格は、そのもののレア度によって決まります。
 オークションを考えればよく分かりますよね。基本価格は需要と供給の関係によって決定されます。需要に対して供給が追いつかないとレア度は高まり、価格は上昇します。
 まあ、ここまでは学校の教科書にも書いてあるとおりです。基本はそれで正解です。もちろん、実質的な経済にはさまざまな事情やら、人間の心理が入り込みますので、そんなに単純にはいきませんが。
 そのレア度というのを、少し視点を変えて見てみますと、このようなことが言えます。
 流行を作り出したものは価値が高い。
 そう、何かが流行りだす時、そこにレア度が生まれます。供給が需要に追いつかない。それも実生活の中で簡単に想像できますよね。
 たとえばビットコインなどの仮想通貨の価値、価格が急騰しているのは、そういう現象。今までにない、なにか可能性を感じさせるものに人は飛びつきます。
 そして多くの流行がそうであるように、みんながそれを持ち始めると急にレア度は下がり、価格も下がっていく。そのうちにあるものは忘れ去られてしまう。供給が需要を上回るようになってしまうわけですね。
 では、商品ではなく、人間としてのレア度というのはなんなのか。商品としての人ではなくて、純粋に存在としてのレア度の話です。
 これはやはり、まず超未来的に生きている人でしょう。現在や近未来にはそれほどのレア度はありません。ほとんどの人たちが意識や知識のレベルで共有しているからです。
 それが超未来的な考え方をしている人となると、誰もが想像しないことをいとも簡単に言ってのけたり、やってのけたりするので、そこにある種の需要が生まれます。
 昨日のドームの社員の皆さんもそうですし、落合陽一さんもそうでしょう。私の知り合いで言えば、高城剛さんも最たるものですし、未来医療器具発明者Nさんや天才科学者のFさんもそういう人物です。
 もちろん仲小路彰もそうです。彼なんか、まさにレアそのもの。だいたい普通の市場に現れてこなかったから、ますますレア度は高まり、いくら積んでも会いたいという人が絶えなかった。それは彼がとんでもなく未来に生きていたからです。
 それから、反対に超過去的に生きている人もレア度を上げますね。これは面白いことです。
 たとえば、私には能役者の知り合いが何人かいますが、彼らは600年前のことを基本そのまま受け継いでいます。これはこれでレア度が高く、それなりに仕事になっています。
 お気づきのとおり、もちろんその「過去」が、その過去の時点でとんでもなく「未来」的であったという条件がつきます。過去ならなんでもいいわけではありません。観阿弥・世阿弥の先見性、未来性が異常に高かったのです。少なくとも600年後のことを想像していたわけですから、きっと彼らも宇宙人なのでしょう(笑)。
 さて、そう考えてくると、はたして自分や、自分をとりまく組織にはレア度はあるのか。本当に悩ましいところです。
 観世のような長期的なレア度を目指すのは難しいとはいえ、刹那的なレア度では虚しいだけです。いや、刹那的なレア度を連続的に生み出していくのが、この情報化時代の天才なのかもしれませんね。
 正直、日本の学校は、生徒のレア度を下げる方向に教育をしています。はたしてそれでよいのか。センセーなんていう仕事をしている私は、そこがとんでもなく悩ましい。なんとかブレイクスルーしたい。
 私も悪あがきしてみます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.02.07

株式会社ドーム

 日の続きとなりましょうか。旧来のものを破壊して世界をアップデートする企業のお話。
 今日は仕事で有明へ。懐かしいディファ有明の隣の倉庫、いやビルに行ってきました。株式会社ドーム。アメリカのスポーツウェア大手アンダーアーマーの日本代理店として有名な会社です。
 ディファや有明コロシアムでプロレスを観てきたものにとっては、なんとも時代の流れを感じる風景。2020年の東京オリンピックに関する施設建設工事がいろいろなところで進行中でして、近未来都市が立ち現れる予感をさせつつ、その前夜のなんとも静かな、ある種の寂しさをも感じさせる光景に、思わずため息が出てしまいました。
 さて、そんな近未来の都市に、数年前に時代を先取りしたかのような、一見倉庫、中身は最先端オフィスという自社ビルを堂々と建てたのが株式会社ドーム。
 今日は社内の見学とともに、2時間以上にわたって、社員の方と日本のスポーツ文化、学校体育文化について語り合いました。
 高城未来ラジオでも言いましたが、私は日本の学校文化は軍隊文化そのものだと思っています。その最たるもの、一番分かりやすいのが、日本の学校体育と部活動です。
 いじめの問題も体罰の問題も、硬直した上下関係、権威主義、既得権益による体育会や連盟の構造など、その全てが明治維新以降の軍隊文化がもたらしたものです。
 戦後日本はアメリカに洗脳された、特に教育は…と言いますが、私にしてみれば笑止千万。戦争反対を標榜し続けてきた日教組が守ってきたのは、実は日本独自の軍隊文化です。
 今日も例として話しましたが、甲子園やリコーダーやラジオ体操や徒競走、運動会なんかも、みんな軍隊文化、軍事教練の延長線上にあります。
 それをほとんど誰も意識せず、あたり前のこととして享受し、教授してきたわけで、この岩盤はめちゃくちゃ堅くて高い壁を形成しています。
 そこに挑戦しようとしているのがドームです。アンダーアーマー自体新興の会社ですが、そこと創業以来タッグを組んで、日本の、そして世界の誤ったスポーツ文化を正そう、そしてスポーツ産業によって国家の経済活動、地域の振興に寄与しようと奮闘しています。
 その志は非常に高く、だからこそ会社自体に活気が満ち溢れている感じがしました。旧来の会社や学校の雰囲気とは正反対です。
 しかし、当然、そのような岩盤破壊行為には抵抗勢力が立ちはだかります。今日はそのへんについても、現実的な話をたくさんさせていただきました。あまりに厳しい話をしたので、途中社員の方から冗談で「ああ、もうめんどくさい。やめちゃおうか!」という言葉が出たくらいです。もちろん、実際には私も含めて、強大な見えない敵に対してより一層の闘志を燃やしていたのですが。
 今後、個人レベル、学校レベル、そうして地方レベルで、なんらかのコラボレーションをしていきたいと考えています。
 大きく深く、レベルの高いビジョンのある組織は魅力的です。私たちは単なる物売りではない…その言葉が胸に響きました。
 健康は平和の礎です。私も彼らにない発想を提供しながら協力できればと思います。これからの展開にご期待ください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧