カテゴリー「経済・政治・国際」の1000件の記事

2021.04.10

『海辺の映画館 キネマの玉手箱』 大林宣彦監督作品

Th_movieposter_ja 日は4月10日。昨年の今日、大林宣彦監督が亡くなりました。

 今日鑑賞したのは、監督の遺作です。

 これはすごい映画ですね。いよいよ映画の域を超えたかもしません。

 夢のごとき時空を行き来する急展開と矛盾。それがいつの間にかリアルに感じられるようになるから面白い。

 正直、死の直前の走馬灯ってこんな感じなのでは、と思ってしまいました。いや、きっとそうなのだろう。

 ウソから出たマコト…映画の域を超えたと書きましたが、映画の機能を考えると、これこそが映画なのかもしれません。

 悲劇が喜劇に、喜劇が悲劇に。戦争が平和に、平和が戦争に。ウソがマコトに、マコトがウソに。

 大林監督が戦争にこだわるのは、単純に「反戦」が目的ではないでしょう。

 変な言い方ですが、好きでないとここまでここまでこだわれないですよ。そこもある意味矛盾なのでしょう。

 なんか最後は、寺山修司の実験映画を観ているような気がしてきました。そう、戦争自体が壮大なる実験なのでしょう。

 実験映画の名作を遺して大林監督はあちらの世界に旅立ったのでした。おそらく向こうから見ると、私たちのこの実生活こそハチャメチャな悲喜劇に見えるのでしょう。

 

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2021.04.02

南海トラフ地震や首都直下地震、富士山噴火。天災リスクのリアル

 

 このところ、富士山ラドン濃度が乱高下しております。10年の経験上、このような時は比較的近場の地下で何か動きがある可能性があります。

 富士山本体の火山活動ですともっと高い数値になると思いますので、どこかの地震活動の予兆かもしれません。

 先日、駿河湾震源の地震があり、当地もドンと揺れました。もう半世紀近く言われている東海大地震も含んだ東南海地震の発生も、いよいよ秒読みになってきたと感じます。

 まあ、富士山噴火にせよ、東南海・南海地震にせよ、首都圏直下地震にせよ、私が生きているうちに起きる可能性は(自分が明日にでも死なないかぎり)100%に近い。

 これほど確度の高い未来の事象なのですから、当然その準備をすべきです。たとえば、今乗っている車が数分後に事故を起こすことがわかっていたら、みなシートベルトをしますよね。

 それなのに、自然災害に関しては、なぜか私たち人間はある種の諦めというか、みんなで見て見ぬふりをするというか。

 そんなことをこの番組では厳しく指摘してくれています。多少脱線しているところもありますが、そこも含めて日本人の問題点が浮かび上がっていますね。

 自然の脅威に関してある種の諦めを持つことは、昨日の内田さんや先日の鈴木大明神が語っているように、一方では美徳になりうると思いますが、それが行き過ぎると弱点に転じます。

 この対談の中でもどなたかが言っているように、私たちの生活がテクノロジーによって「平時」は非常に便利で、快適で、不安が少なくなっています。では、「非常時」はどうでしょうか。平和ボケではありませんが、どうにも私たちは意図的に忘れようとしているようです。

 10年前の、あの大災害でさえ、すっかり過去のこと、他人事になってしまっていないでしょうか。

 天災は忘れた頃にやってくる。その「忘れた」は、記憶が薄れるという意味ではなく、見て見ぬふりをするようになったという意味なのです。

 最後に、私は鎌田浩毅さんのファンです(笑)。以前紹介したこの本おススメですよ。

 地学ノススメ

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2021.04.01

『日本習合論』 内田樹 (ミシマ社)

Th_41rifxmlql の本のクライマックスに登場する、次の一節こそ、この本で内田さんがおっしゃりたかった「可能性」でしょう。

 「氷炭相容れず」というほどに隔たったものを「水波の隔て」に過ぎないと見立てること、遠いものを近づけ、異質なもののうちの共生可能性を見出すこと、僕はそれが「できる」というところに日本人の可能性があると思っています。

 先日の鈴木孝夫先生の「日本の感性が世界を変える」に深くつながる本。そして、三島由紀夫と東大全共闘の話もでてきます。

 内田先生のいう「習合」「雑種」「ハイブリッド」等は、ワタクシのモノ・コト論ではもちろん「モノ」に属し、作られた「純粋」や「純血」は「コト」に属しますね。

 「これからはコトよりモノの時代」という、一般論とは一見逆に感じられる私のスローガンも、こうして解釈すれば多少は理解されることでしょう。

 私の言説は内田先生に比べるとかなり乱暴で粗悪ですが、言いたいことは完全に一致していると感じました。私は日本語のモノ、コト、トキを通して、いつか日本論、日本人論、日本文化論を書いてみたいと思います。

 「モノ」という言葉が持つそうした深い性質、論理では説明できない性質は、「物語」「物の怪」「物寂しさ」「もののあはれ」さらには「〜なんだもん(の)」に至るまで、私たちのよく知る日本語に生きています。

 さらに言えば、物部氏が信仰した「大物主」にも、そしてその神が象徴する「和魂(にぎみたま)」ともつながってきます。また、その物部氏を倒してしまった聖徳太子が憲法の第一条に置かざるを得なかった「和」に、そのエッセンスが凝縮しているとも言えます。そして、それが「習合」の起点とも言える。

 この本を読みながら、私自身がずっと考えてきた、いや感じてきた何か(=モノ)がはっきりとコト化されたような気がしました。おそらくはそれこそが内田さんの「物語」そのものの機能であるのでしょう。

 実に楽しかった。私もぜひ「頭がでかい」人間になりいモノです(このモノも他者性を表していますね)。

Amazon 日本集合論

 

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2021.03.31

ホモ・パティエンス(悩める人)

Th_utslppsfritt-energisystem_till-press_ 境問題はエネルギー問題であり、それが実は戦争のない平和な世界への基礎課題であることは、皆さんもよく理解されていることと思います。

 それは昨日紹介した鈴木孝夫先生も常に強調していたところであります。

 今日、こんな記事を読みました。

太陽エネルギーを18年間保存できる液体が開発される 常温で保存可能で繰り返し使える

 たとえばこの「太陽エネルギー・ストレージ」など、どう評価すればよいのか。

 なるほど、たしかに北欧の人たちにとっての太陽エネルギーを備蓄することは夢のような話ですよね。

 それは一見、素晴らしいことのようでありますが、あくまでもこれは人間の「快適への欲望」、すなわち分かりやすく言えば、たとえば私が夏のクソ暑い日に、この暑さをあの厳寒期に持っていければなあとか、反対に寒い時にその冷気を夏の昼間に使えればなあとか、快適な春や秋の季節に一年中この陽気だったらいいのになあとかいう妄想の実現のためのテクノロジーだということを忘れてはいけません。

 私たち人類の生活は快適になりますが、はたしてそうして局所的であれ四季をなくすようなことが、人類以外の生物、あるいは地球全体にとっていいことなのか、それは常に意識しなければならないでしょう。

 私もここ20年くらい、エネルギー問題解決のために、核融合発電と大型キャパシタによる蓄電ということをずっと考えてきましたし、実際科学者や技術者の方々と現実的な討論をしてきました。

 しかし最近、ちょっと違うかなとも思い始めているのです。いくら再生可能エネルギーであったり、ゼロ・エミッションであっても、やはり地球環境に人為をほどこすことには変わりないのであって、根本的なところで「環境に優しくない」のかもしれないと。

 究極的には、ホモ・サピエンス、いや鈴木孝夫大明神のいうところの「ホモ・スチュピド・サピエンス(愚かにも賢くもなりうる人)」がいなくなることが最も環境に優しいのではないか。SDGsとかその「人」は叫んでいますが、お前にそんなこと言われる筋合いはないよと地球は思っているかもしれない。

 もちろん、では欲望のままに突き進んで勝手に滅亡すればよいのかというと、やはりそういうことではありませんよね。なぜなら、そのプロセスの中に巻き込まれて迷惑を被る存在があまりに多いからです。

 だからこそ、私たちは悩める人…「悩める」とは「悩んでいる」と「悩むことができる(悩むことに耐えられる)」というダブル・ミーニングです…ホモ・パティエンスでなければならないのかもしれません。

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2021.03.30

『日本の感性が世界を変える 言語生態学的文明論』 鈴木孝夫 (新潮選書)

Th_41k1wdaipyl 年2月に、私の心の師匠、鈴木孝夫大明神が帰幽されました。

 大明神と称させていただくのは、まさに偉大な底ぬけに明るい神であったからです。

 最後の単行本となったこの本を読むにつけ、私の世界観、地球観、生命観、人生観が、大明神さまの影響を強く受けていることに改めて気づかされます。

 私が大明神を勝手に師と仰ぐのには理由があります。そう、一度家内とともに富士山麓の我が村にて酒席を共にさせていただいたことがあるのです。

Th_img_5698 その夢のような時間のことは、本当に忘れられません。まだ髪の毛のあった頃の私の(笑)、その表情を見れば、それがいかに素晴らしかったかお分かりになると思います。

 この本に述べられている言語論、文明論、日本論を、それこそ滔々と溢れ出る泉のごとく語られた大明神。そのコトタマを全身で浴びた私たち。

 思えば、この奇跡的な邂逅の直後から、本当に信じられないような人生の展開が訪れました。まさに神託を受けたごとくです。

 その当時にはその名さえも知らなかった仲小路彰に出会ったのは10年以上あとのことですが、考えてみると、鈴木孝夫大明神の師はかの井筒俊彦。おそらくは井筒氏はイスラーム学者として仲小路彰をよく知っていたと思われます。

 この本で述べられている内容は、たしかに仲小路彰の思想、哲学に非常に近いと言えます。まさに学統という遺伝子のごとき連関を感じずにはいられません。

 そうした大明神さまの思想に触れていたからこそ、私も仲小路の世界にすんなり入っていけたのだと思います。そういう意味でも感謝しかありません。

 私も、大明神さまの遺志のほんの一部でも嗣ぐことができるよう、ますます精進したいと思います。

 さて、この本、本当に全国民の教科書にしたいくらい素晴らしい内容です。そのエッセンスが皆様に伝わりますよう、「結語」の部分を抜粋引用させていただきます。

 このコトタマたちに感じるところがありましたら、ぜひこの本を購入してお読みください。これから私たち日本人がどのように世界に貢献してゆけばよいか、本当に分かりやすく説明されています。ぜひ。ぜひ。

(以下引用)

一、近時のあまりにも急激な人口増を主な原因とする、あらゆる資源の不足と地球環境の劣化のために、人類は産業革命以来これまでたゆまず続けてきた右肩上がりの経済発展を、最早これ以上続けることは不可能となっている。もし無理してこのまま発展を続行すれば、人類社会は収集のつかない大混乱に早晩陥ることは確実である。

二、従ってこのような破局を回避するために人類は、文明の進む方向をできるだけ早く逆転させる必要がある。人類は今や経済の更なる一層の発展拡大ではなく、むしろ縮小後退を目指すべき段階に来ている。比喩的に言うならば、人類はまさに「下山の時代」を迎えたのである。

三、一つの閉鎖系である宇宙船地球号内で人類がこれまで行ってきた、他の生物との協調を欠く自己中心的な活動は、地上にその悪影響を吸収できるフロンティア、つまりゆとりがある間は、弊害があまり顕在化しなかったが、あらゆる意味でのフロンティアが消滅している現在、すべてが一触即発の危機的状態にある。

四、現在我々が享受している生活の豊かさ、便利さ、快適さ、その結果としての長寿社会の到来、そしてそれを支えてきた、食料を始めとするあらゆる物資の増産、経済の拡大、科学技術の進歩のすべては、人類だけの限られた立場から言えば、善であり歓迎すべきことと言える。

 しかしこれらは皆、我々が美しいと思うこの現在の世界、まだ辛うじていくらかは残っている貴重な原生林や、素晴らしい何千万種といる貴重な動植物、空を舞う大型の鷲や鷹、そして海中の美しい魚の群れまでが、恐ろしいスピードで地球上から永遠に姿を消してゆくことと引き換えに人類が手に入れたものであることを知れば、手放しでは喜べない。このことは遅かれ早かれ人類の生存基盤そのものまでが崩れ落ちることを意味するからだ。この美しい地球を今のままの形で子孫に残したいという願望と、人間の限りのない欲望の追求とは両立し得ないことが、今では誰の目にも明らかとなってしまったのである。

五、言うまでもなく現在の人類の在り方、人々の目指す目標に最も強い影響力をもつ文明は、西欧文明、とりわけアメリカ文明である。ところがこれらの文明は極めて強固な人間中心主義的な世界観に基づく、極めて不寛容な排他(折伏)性を本質とする一神教的正確の強いものである。このような性格の欧米の文明が牽引車となって、二〇世紀の人類社会は未曾有の発展を遂げたが、同時に世界は刻一刻と深刻さを増す破壊的な生態学的混乱に加えて、欧米を主役とする植民地獲得競争と様々な対立するイデオロギーに基づく凄惨な抗争の絶えない動乱激動の時代でもあった。

六、一九世紀半ばまでは世界最長の「外国との不戦期間」を誇る辺境の小国であった我が日本も、欧米諸国の強烈な砲艦外交により「国際」社会に引きずり出された結果、イギリスとロシアの演じる中央アジアの覇権をめぐるグレートゲームの片棒を担がされてしまい、当の日本人自身も驚き戸惑うほどの、戦争をこととする並の欧米型国家になることを余儀なくされたのである。

七、このように日本は中華文明の国として優に千年を超す歴史を持つ国から、西欧型文明国家へのパラダイム・シフトを、明治維新という形の無血革命によって成し遂げ、ついで恵まれた地政学的な諸条件と欧米列強間の様々な対立抗争のおかげで、大東亜戦争に大敗北したにもかかわらず、西欧型の、それも経済技術超大国の一員とまでなって現在に至っている。

八、ところがこの日本は「生きとし生けるもの」との共感を未だ保持する唯一の文明国であり、宗教的にも日本人の圧倒的多数は、一神教の持つ執拗な他者攻撃性を本質的に欠く、神道や仏教的な世界観を失わずにもっている。したがってうわべは強力な西欧型の近代的国家でありながら、文化的には対立抗争を好まぬ柔らかな心性、「和をもって貴しとなす」の伝統を、日本はまだ完全には失っていないのである。

九、私はこの文明論で、いま述べたような性格を持った日本という大国が、現在大きく言って二つの、解決のめどさえ立たない大問題ー環境破壊と宗教対立ーに直面している人類社会が、今後進むべき正しい道を示すことのできる資質と、二世紀半にわたる鎖国の江戸時代の豊富な経験を持つ、教導者の立場に立っているのだということ主張している。江戸時代は、対外戦争がなく、持続可能で公害の伴わない太陽エネルギーのみに依存し、無駄なしかも処理に困る廃棄物を一切出さない、理想に近い循環社会であった。

 そして日本が自らの文明の特性を進んで広く世界に知らせ広めることは、要らぬお節介でも軽率な勇み足でもなく、今や大国となった日本がこれまで世界の諸文明から受けた数え切れない恩恵に、日本として初めて報いる、お返しをすることでもあると考えている。

 

Amazon 日本の感性が世界を変える

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2021.03.28

『三島由紀夫 vs 東大全共闘 50年目の真実』 豊島圭介監督作品

Th_71gorvjojwl_sx300_ うやく観ることができました。コロナのおかげで1年以上遅くなってしまいました。

 1969年5月。私はまだ4歳。こういう空気が漂っていることも全く知らず、ウルトラセブンと怪獣のソフビを戦わせていました。

 右翼と左翼なんていう言葉はすでに死語だった時代に大学生になりました。しかし、山の中の公立大学には、この頃の残党が棲息していたりして、そこで初めて「政治の季節」というのが過去にあったということを知りました。

 では、それから40年経った今はどうか。実はどっぷりこの「政治の季節」に浸かっているのでした。

 そうは言うまでもなく、仲小路彰という天才哲学者に出会ってしまったからです。仲小路が残した三島の死についての厳しい論評を昨年紹介しましたね。

豊饒の海〜仲小路彰の三島由紀夫評

 死の1年半前、単身1000人の敵の前に堂々と乗り込んだ三島。その様子を捉えたこの貴重な映像。正直の感想は「?」でした。それは、彼の死に対するある種の落胆と似ているかもしれない。

 落胆というと失礼でしょうか。カッコ悪さに対して「傍痛し(かたはらいたし)」と感じたのです。そばで見ていて居心地が悪くなる感じ。

 戦いに臨む勇敢な男を期待していたのに、あれ?という感じになってしまった。いや、「乗り込む」まではいいのです。その後のカッコ悪さがどうも痛々しい。

 ここでも、結局、三島は「戦う」と言いつつ、「言向け和す」ことに終始し、ひたすら優しいのです。だから、ああいう和やかな笑いに満ちた時空間になってしまった。

 いや、私はそういう三島の方が好きです。カッコつけていきがった三島よりも、実は優しく空気を読みすぎる三島の方に共感します。

 本来なら、あのような空気になってしまったら、それこそ駒場900番教室で自決すべきだった。そうすれば1000人の敵に勝てたかもしれない。

 彼が近代ゴリラと揶揄されても、自らゴリラを演じ続けて教室を後にできたのは、皮肉なことに心優しき東大全共闘の1000人のおかげだったのです。だから三島の負けなのです。

 市ヶ谷には、そういう優しさがなかった。味方と思った自衛隊員がみんな冷淡な敵だった。だから、もう自決するしかなかった。では、勝ったのかというと、やはりこちらも負けです。

 いずれも「恥」をかかされたから負けです。それが三島の限界でした。それが傍痛しだということです。

 偉そうなこと言ってすみません。ただ、アフター「政治の季節」世代としては、どうにもシンパシーを抱けないのです。

 そういう意味では、いまだに生きて演劇で世の中と戦い続けている芥さんの方が魅力的に感じられました。

 この季節の総括をしなければ次の時代に歩み出せない、つまり、この季節が私たち世代の足かせになっているのですから、これからも仲小路彰を通じて、私なりに学び続けようと思います。

Amazon 三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実

 

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2021.03.17

EV推進の嘘

 日、家内の軽自動車が鹿と衝突してしまいました。富士山麓は鹿が多く、年に何度もヒヤッとすることがあるのですが、今回はどうしても避けられずぶつかってしまったとのこと。

 鹿ちゃんはそのまま森に走り去っていったので、まあとりあえずは無事だったようですが、車の方はなんとか走行できるものの、かなりの破損です。さっそくお世話になっている車屋さんに修理をお願いしました。廃車は免れたようです。

 世界的にはEV(完全電気自動車)への移行が潮流のようですが、たとえばここ富士山のように、寒冷地であり、また積雪も多く、さらに坂道やオフロードも多数あり、スタンドはもちろん人家もまばらなところですと、EVはなんとなく不安です。

 今回のような場合にも、EVだといろいろと心配があります。第一、軽自動車のEVってどうなるのでしょうか。

 以前から、私はEV礼賛の流れに懐疑的であり、全自動車が全てEV化したら、その製造過程、廃棄過程においてCO2は今より多く排出されるであろうことや、電気使用量が激増し、その結果原発をあと10機以上作らなければならないことなどを訴えてきました。

 人間というのは常に近視眼であって、自分のところでCO2が排出されなかったり、電気が足りていれば良しとしてしまいます。なかなか時空を超えた想像力を持ち得ない存在なのです。

 今日は、そんなEVの様々な問題点について語っている動画を紹介します。いろいろな意見があったり、技術革新があったりするのは承知ですが、現状あまりに盲目的というか政治的、経済的な流れになっているので、皆さんにもいろいろと考えていただきたいと思う次第です。

 

 

 

 

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2021.03.13

能・狂言から「いま」を読み解く (武蔵野大学オンライン講座)

 

 日、誠に有難いことに、ウチの次女が東京藝術大学に合格いたしまして、この春より能を勉強させていただくことになりました。

 本当に多くの方々のお陰様であり、稀有なご縁に報いることができますよう、しっかり精進させたいと思います。

 私もこれから一緒に能の世界をさらに勉強させていただきます。

 そんな親子の覚悟にちなみ、娘の師匠である野村四郎先生のご講義と仕舞を紹介させていただきます。武蔵野大学能楽資料センターのオンライン講座です。今月末まで視聴することが可能ですので、ぜひご覧ください。

 このコロナ禍だからこそ注目されるべき「能」の世界。見えないモノをカタチにすることよって、それを慰めるのが能の機能の一つでしょう。

 前半の、元国立感染症研究所室長の加藤さんのお話も非常に面白い。なるほど感染症はそれこそ「モノ(不随意)」であり、だからこそ当時の人間にとってある意味とても身近な存在であったのですね。だからこそ生まれた文化もありました。

 科学(医療)だけでは、ここでも言われている「不安の世界的パンデミック」は抑えられません。そこの慰撫は文化の仕事なのではないでしょうか。

 病は気からと申すとおり、不安がこのパンデミックの縮小を妨げているかもしれません。

 モノ(未知・不随意・他者)を敵対視するのではなく、語弊はありましょうが、ある意味仲良き存在として見ることも必要かもしれません。with コロナとはそういうことでしょう。ウイルスを言向け和すことも、きっと昔の人はできた…いや、未来の私たちはできるようになると信じます。

 能の奥義「ものまね」とはそういうことでしょう。「モノを招く」のです。ディスタンスの逆です。

 そして、娘も私も、そうした古くは存した「テクノロジー」を復活させるべく精進させていただきます。

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2021.03.10

東京大空襲から76年

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 日、東日本大震災から10年の日となりますが、こちら一晩で10万人以上の方が亡くなった東京大空襲のことも忘れてはなりませんね。

 6年前に「東京大空襲から70年」という記事を書きました。今も私の考え方、感じ方は大きく変わっていませんが、東京のおかれた状況は、6年前に予測したものとは大きく違っています。

 ただ、この近代都市東京の苦悩が、結果として「譲る」ことにつながり、すなわち都市としての「成熟」につながっていくことは確かなようです。

 私の「国譲り理論」は、「忘却」という純粋過去保存の最高の方法を積極的に捉えるものですが、その「忘却」という純粋保存から目覚めさせる、つまり必要な時にその保存したものを掘り返すためには「荒魂」が必要だと考えます。

 その「荒魂」は大地震であったり、戦争であったり、そしてパンデミックであったりします。

 今、まさにその「荒魂」に呑まれ、東京という都市は過去の記憶を呼び覚まそうとしているのです。

 私は東京散歩が大好きなのですが、やはりそれは東京に歴史的レイヤーを感じるからだと思います。

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 先日も日暮里、谷中、根津のあたりを歩く機会がありました。ここは東京大空襲の戦火を免れた場所と言われ、実際古い街並みが残っていますが、実は大空襲の前、3月4日にすでに空襲を受け死者を多数出しているのでした。

 そのため10日は被弾を避けられたのかもしれません。10日は強風ということもあり被害が拡がりました。ある意味不幸中の幸いということです。そんなことを考えながら歩くと、いろいろなメッセージを受け取ることができます。

 ご存知のとおり、谷中にはお寺が密集し、大きな墓地もあります。御仏の御加護があったのかもしれませんね。

 東京の空襲は終戦寸前まで続きました。アメリカは焼夷弾だけでなく、毒ガス、細菌兵器の使用も検討していたと言います。そのような事実も、このコロナ禍をきっかけに掘り起こさねばなりませんし、しっかり語り継がねばなりませんね。

 関東大震災は防災の日として毎年思い出す機会があります。一方、この東京大空襲についてはマスコミでもなかなか報じられることがなく、まさに「忘却」の底に追いやられています。

 日本が悪かったのだから仕方ない…そういう考えがあるのでしょうか。

 様々な悲劇の上にコーティングを施されて成長してきた「東京」。その忘れられた地下水脈が、このコロナ禍に一気に吹き出すのかもしれません。東京オリンピックにまつわる様々な「人災」もその一つなのかもしれません。

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2021.03.09

政見放送(R-1?)

 

 日一番面白かったのはこれでした。今日というか今年になって…かな。

 まさかの小池都知事への公開プロポーズ!

 先日の本物のR-1グランプリが(私には)絶望的に面白くなかったのとは対照的に、こちらは完全に期待を裏切る面白さでした。

 まずトップバッターの河合さん、まあここは期待の通りであり、それ以上でも以下でもなく、まあまあ満足。

 そして次はまあ面白くないだろうなと思っていたら、加藤さんにやられました(笑)。

 そう、もちろんプロのお笑いと比較するのは本当はダメですよ。これって禁じ手ですから。

 私、コント部の顧問やっていた時、こういう禁じ手をよく使ったのですよ。普段面白いヤツ、あるいはいかにも面白そうな外見のヤツが面白いこと言っても全然面白くないので、普段まじめなヤツ、いかにも堅そうなヤツにネタをやらせていたのです。

 もちろん、生徒の場合はプロではないし、自らの殻を破るという教育的配慮(?)ですから、許されるでしょう。

 では、この政見放送での禁じ手は許されるのか?!

 最近、ルールを悪用してNHKの政見放送をネタの舞台にしてしまう人がけっこういますよね。それにはちょっと抵抗があったのですが、この加藤さんは、その(河合さんを上回る)素晴らしい学歴からしても、またある種の佇まいからしても、意図的にやっている感じがしないのです。

 それが最高の禁じ手なわけで、それをこういう場で見せられたら、もうプロもアマも笑うしかないですよね。ホントやられました(笑)。

 笑いすぎて、後半のまじめなお二人まで、なんだかまじめにやっていて面白く見えてしまった。いかんいかん。

 というか、前半の二人も基本的には間違ったことは言っていないのです。いや逆にかなり正しい。政治家が陥りがちな表面的、局所的な問題提起よりも、ずっと本質的、俯瞰的なこと言ってますよ…ね(?)。

 それにしてもプロの皆さん、フリップに頼ってばかりいてはいけませんぞ。

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