カテゴリー「経済・政治・国際」の918件の記事

2019.01.16

森達也監督作品 『A2(完全版)』

 日の「A」に娘もかなり衝撃を受けたようなので、続編の「A2」、それも3年前に公開された「完全版」を鑑賞しました。
 作品としては、正直こちらの方が面白かったと思います。オウムの内部というよりも、今回は外部の方に焦点が当てられた、いや、内部と外部との関係の「妙」が上手に表現されていて、それが私たちのよく知る対立と対話の物語に、ある種の興奮や赦しや癒やし、さらには滑稽さまでもが見え隠れしてきます。
 対立という濃厚な接触をしているうちに、いつの間にか友人のようになっていくというのは、よくある物語のパターン。あるいは、たとえば警察という正義が簡単に悪になってしまうという物語。
 そのあたりのあぶり出しのテクニックは見事だと思います。すわなち編集術ですね。御本人も語っていたと思いますが、森さんはかなり意識的に私たちの価値観を揺るがす編集をしています。
 私たちは、映画という時間の流れの中に囚われているうちに、しっかりマインドコントロールされている。それはまさにオウムのテーマそのものでもあるという入れ子構造。すなわち正義もまた洗脳であると。
 森さんの作品には、映画に限らず書物にしても、そういうデプログラムという逆説的な洗脳のシステムがインストールされています。
 ドキュメンタリーだからこそその効果は大きい。現実のように見せかけた「作品」なのですから、それじたいも「FAKE」です。言い方によっては悪質だとも言えます。
 そう、語弊があるのを承知で言うなら、また私自身の得意の語り口のことも棚に上げず言うなら、「正義」のふりをした「悪意」であるとも言えるのです。それもまたオウムの存在そのものに重なります。
 そういう多重構造、多義的な構造こそが、この映画、森作品の魅力であると言えましょう。私は嫌いではありません。
 それにしても、一人ひとりは皆さん、いい人ですね。オウム(アレフ)の皆さんも、警察の皆さんも、マスコミの皆さんも、右翼の皆さんも、住民の皆さんも。それが集団になるとなぜ…そこがこれらかの人類の課題なのでしょうね。

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2019.01.15

森達也監督作品 『A』

 来映画作りに関わりたいと考えている次女と鑑賞。ドキュメンタリーにこそ監督の思想が表現されるということを知ってほしかった。
 バッシングオンリーだったオウム報道の中、あえて中立という立場を取っているかのように見せつつ、結果としてこの映画は相対的にオウムを擁護する形になりました。
 オウムの人たちは純粋な青年たちであり、異常なのは世間の方であるという構図が浮かび上がるようになる。たとえ森さんがそんなことを意図していない、あくまで中立であると言っても、たとえば私のようなオウム世代の人間にとっては、自然にオウムの方にシンパシーがわき、世間に対する違和感が醸成されてしまうように、ある意味たくみに作られています。
 私は完全にオウム世代。オカルトで育ち、バブルに違和感を覚え、仏教に目覚め、正直ギリギリのところでオウムに入信しなかった人間です。いや感覚的にはギリギリとはいえ、現実的な可能性は限りなくゼロでした。なぜなら、私には出家する勇気も根性も全く欠けていたからです。
 そういう意味では今でもオウム真理教という存在や、彼らが起こした様々な事件の評価は、自分の中で定まっていません。
 そのあたりの心情はこちらにも書きました。
 彼らを単純に排除しようとするのは、まさに「殺人」と同じ行為です。出て行け、目の前から消えろ、というのは殺人と同じ発想と言えます。
 昨年、麻原を含む複数の死刑囚の死刑が執行されました。法という国家権力を借りて、ある意味私たちの「排除=殺人」が達成されました。
 さて、それで私(たち)の心の中のオウムは本当に消えたのでしょうか。

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2019.01.08

教師への夢をあきらめた学生たち…

現役教育大生のリアル 競争倍率低下時代における教育の危機
Th__20190109_170337 日の大学の先生との話の中にも、こういう話題が出てきました。その先生は教師教育学を専門に研究されている方です。
 そう、日本には「教師教育」が足りないんですよ。現場を知らない大学教員が教員を育てる。さらに現場を知らない官僚が教育行政の舵取りをしている。ヨーロッパ、特に北欧の現状を教えていただき、ますますそういう日本の状況に危機感を抱きました。
 ちなみに私はバリバリの現役教員ですが、学校の先生業は決して大変だと思っていません。逆に他の職種に比べると甘い部分が多いと思い続けてきましたので、教職がブラックだなんて全く思いません(異常なのでしょうか)。
 もちろん、ウチは私学ですし、私学の中でもウチの学校はいい環境なのでしょうね。それはありがたく思っています。
 ですから、正直内田さんの本をいろいろ読んだりして驚きました。みんなそんなにイヤイヤ先生をやってるんだと。先ほど書いたように、私にとっては全然ブラックではなく(労務形態に限らず総体としてですよ)、逆に楽しいこと、嬉しいこと、感動することに溢れている、ほかにない恵まれた仕事だと思っていたので。
 おっと、自分語りはいいとして、今回の記事はこちらです。

教師への夢をあきらめた学生たち 現役教育大生のリアル 競争倍率低下時代における教育の危機

 うん、たしかに異常なのかもしれない。教員の世界は。そして、それを変えるには行政、大学を変えなければならない。それはたしかにそうでしょう。
 しかし、なんていうかなあ、こういう発信ばかりあると、ますます教員志望の学生が減っちゃいますよね。大変だけれど充実感に満ちた仕事という側面をもっと知ってもらいたい。
 ウチの学校は特別なのかなあ。公立さんなんかはたしかにより管理するされる体制が強化されているようですね。
 それから、昔、こういう記事を書きました。この考えは今でも変わっていません!

「ブラック」はお好き?(コーヒーの話ではありません)

 ブラックコーヒーを選べない珈琲店がはたして正しいのか。それをあえて世間に問いたいと思います。
 さて、この記事の元になった動画があります。こちらのほうがよりリアルにブラック嫌いなマイルド派の皆さんの言葉を聴くことができます。もちろん、私はこの方々の意見も肯定しますよ。ぜひ対話してみたいと思います。


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2018.12.30

西尾幹二氏に聞く(平成30年年末特別対談)

 年年末になりますと、来年以降の世界や日本がどうなっていくのか考えさせられます。
 私はそれほど悲観的にはならないのですが、たとえばこの西尾幹二さんなんかは、かなり厳しい展望を持っているようです。
 来年は、あえてそのようなご意見もしっかりうかがいながら、いろいろな世代をつないで前向きに行動していきたいと思っています。
 それにしても、西尾さん、一時よりもだいぶお元気になられて安心いたしました。ある意味、怒りというのは大切ですね。以前、こちらにも書きましたが、「いかり」は「いく(いきる)」は同源である可能性があります。つまり「生かり」であると。
 日本文化の中の「荒魂」というのは、まさにそのような機能を持っているのだと思います。和魂だけでは、生命は停滞します。推進力としての怒りというのはありでしょう。
 そういう意味では、最近の私には怒りが足りません。何が起きても、ある意味穏やかです。だからこそ、来年以降は何か違う動きがあるようにも予感しています。楽しみです。
 まずは年明け早々、西尾さんの「あなたは自由か」を読んでみたいと思います。最近、比較的リベラルな方に流れていたので、また本格的な保守の言葉を浴びてみたいと思うのです。

Amazon あなたは自由か
 

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2018.12.23

宇宙人主催忘年会〜70年前の今日は…

Th_img_3293 年もやってまいりました天皇誕生日。ここ数年恒例になっている山口家主催の忘年会を、今年も開催いたしました。会場はいつもの、日本教育会館地下秋田料理のお店「御燗」です。
 今年は、1歳から10代、20代、30代、40代、50代、60代、70代まで、全ての世代が揃いました!そして世代を超えて次元の高い話で大いに盛り上がりました。
 今年のスペシャルゲストも素晴らしかった。一昨年は安倍昭恵さん、昨年は高城剛さんという大物をお呼びしましたが、今年はあえて次代を担う二十代の若者二人をお招きました。
 一人はここのところご縁の深い「プロ無職」るってぃ君。そして、もうひとりは今日初めてお会いしました映像クリエイター、ミュージシャン、YouTuberである山下歩君。
 二人とも既存の価値観にとらわれないライフスタイルを実現し、私たち旧世代?にもたくさんのことを教えてくれる若者です。彼らの謙虚さ、質問力、吸収力、そしてアウトプット力は本当に素晴らしい!
 そう、いつもテーマを決めずいろいろな話をするのですが、期せずして今日は「アウトプット」が重要なキーワードになりました。そういう時代が来ているのですね。日本人として何をアウトプットすればよいのか。
 今日の忘年会の内容がヒントになるかもしれません。アートとサイエンスの邂逅。再会と言ってもいいかもしれない。ワタクシ流の言い方でいえば、コトを窮めてモノに至るというやつでしょうか。
 「あわい」という言葉も出てきましたね。「間」の「あわい」です。「あふ」を語源とする言葉。日本人は境界領域を重要視する。デジタル的に分析するのではなく、中間色的な曖昧な領域に美を感じる。
 ちなみに「和え物」の「和える」はやはり「あふ」を語源としていますから、「間」=「和」とも言えますね。
 そう、天皇の譲位があり、平成から新しい御代に移りつつありますね。まさに時代の「あわい」です。
 今日、会を始めると時にお話させていただきましたが、実は今日は、あの日から70年の日なのです。
 あの日とは、そう、東京裁判によるA級戦犯(松井石根はB級)7人が巣鴨プリズンで処刑された日です。
 昭和23年12月23日、今上陛下の15歳の誕生日でした。それをもって、来年からこの日は祝日にはならないのでした。そのことを知ってほしかった。
 そういう過去の歴史をも知りながら、私たちは新しい時代を創っていかねばなりません。
 いつも言っているように、時間は未来から過去へと流れます。そういう意味では、過去はどんどん遠ざかります。禅宗では過去はカスだと言い切ります。
 しかし、過去の彼らが未来に投げたボールはまだ私たちの未来にあります。それをしっかり受け止めるのが私たちの仕事です。決して過去をなおざりにするのではありません。過去の人たちが描いた未来を忘れてはいけないのです。
 それにしても楽しい時間というのはあっという間にすぎてしまいます。時間はやはり相対的なモノですね。参加してくださった皆さん、本当にありがとうございました。来年はまた違った形でこの会を発展させていこうと思っています。

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2018.12.22

告知! 「ザ・フナイ」にインタビューが掲載されます

Th_51ykse5adpl_sx348_bo1204203200_ 縁がありまして、12月27日発売の雑誌「ザ・フナイ」にワタクシのロングインタビューが掲載されます。
 タイトルは「時間は未来から過去へと流れている」。時間の話はもちろん、宮下文書、出口王仁三郎、仲小路彰、モノ・コト論など、今までの私の人生の総決算的な内容になっています。
 インタビュアーの新谷直恵さんのおかげさまで、自分でも自分の人生を振り返ることのできる充実のインタビューになりました。文字数は約1万字です。
 錚々たる執筆者の皆様の中に紛れてワタクシごときが自説を滔々と語るのもなんですが、まあそれなりに個性的な内容になっているのではないかと思います。
 多くの皆様に読んでいただけますと幸甚です。

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2018.12.19

『子育て指南書 ウンコのおじさん』 宮台真司・岡崎勝・尹雄大 (ジャパンマシニスト社)

Th_81n1ly4wtul ンコ…と言えば、私、全国放送(水曜日のダウンタウン)で思いっきり宣言しちゃいましたね。「うんこ研究会(所属)!」って(笑)。
 そうそう、その時、私のモノマネをしてくれた神奈月さんが、先日のものまねグランプリ2018で見事優勝しましたね!つくづくすんごい人に真似してもらったものだと改めて感動しますよ〜。
 ということで、私の「ウンコ」好きは全国レベル(?)なので、この本は見過ごせません。自分のほかにも「ウンコのおじさん」がいたのか!と(笑)。
 いや、冗談ではなく、私も教育に「ウンコ」が必要だと日々実感している人間でありますが、この宮台真司さんの「ウンコ哲学」はまさに最古にして最先端の教育論であります。いやあ、やれらましたね。
Th__20181220_90451 本当に読んでいてうなずくことばかり。ここのところずっと苦しんできた、社会と自分のズレ、教育者としての悩みを解決…いや解決は全然しないのだけれど、その原因がどこにあるのか鮮明に示してくれました。すっきりした。
 この本に書かれていることは、私の「モノ・コト哲学」で言いますと、現代は「コト(自我・隨意・言語)」が「モノ(他者・不随意・非言語)」よりも重視されるようになってしまったという憂いですよね。
 そう、ウンコって、自分の中にある他者じゃないですか。ものすごい不随意な存在です。明らかに自分より強い。仕事にせよ、趣味にせよ、他の本能的行動にせよ、便意には勝てない。偉大なるウンコ様との共存こそが人生のテーマなのです。
 だからこそ、子どもたちもウンコが大好き。大人も本当は大好き。それは祭が好きなのと同じ感性です。「法外」。ウンコは法よりも強い。性よりも強いかもしれない。神よりも強いかもしれない。
 だから、私はこの年になってもウンコの哲学的研究をしていますし、実際の授業の中でも、しょっちゅう「ウンコ話」をします。生徒も当然喜びます。
 そして、「ウンコのおじさん」のウンコではない方のキーワード「おじさん」。これも大切ですね。斜めのおじさん。これって本当に大事。本当は学校のセンセーはそういうおじさんでなくてはいけません。
 「損得より正しさ」「カネよりも愛」…やっぱり「コト」よりも「モノ」の時代ですよ。「もののあはれ」とはそういう意味です。「不随意・他者性に対する嘆息・畏敬」ですから。
 いやあ、本当に勉強になりました。掛け値なしに、全てのオトナ必読本です。

Amazon 子育て指南書 ウンコのおじさん

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2018.12.03

【討論】グローバリズムは衰退したのか?

 みません、お騒がせしております。とっても忙しい状況です。家に帰ると疲れ果てて眠ってしまうという感じです。寝ながら半分聞いていたのがこの討論。
 夢の中でなんとなく理解しているから、それはそれで怖いかも。
 いつも書いているように、ここで言われる「グローバリズム」と、仲小路彰の「グローバリズム」は似て非なるもの…いやいや、名前は同じですが中身は全く違います。そこについても、いつかちゃんと発信しなくては。近い未来に実現すると思います。
 夢見半分で気がついたのは、マネーのためにテクノロジーが進歩しているわけではなく、テクノロジーの進歩の上にマネーがあとから乗っかって流通しているということですね。
 ですから、はじめからグローバル経済があったわけでもなく、たとえばインターネットなんかも、それを想定して設計されたわけではない。
 だから、ある意味ではマネーは弱いんですよ。ウイルスみたいなもの。本体がなくなれば全く機能せず死ぬのです。
 それで?だからなんなの?ですが、夢の中で一つの答えを得たような気がしました。ここからの展開はまたいつかまとめて書きます。とにかく眠い。
 まあ、間違ったグローバリズムが衰退して、本来の日本発本当のグローバリズムが勃興してくるといいですね。なにしろ本物は今、国譲りの作法によって雌伏の時を過ごしているからです。雄飛の時は近い!?

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2018.11.24

宇宙人を囲む会(今どきの若者はすごい!)

Th_img_3148 日は駒場祭が終わってから下北沢へ移動。夜は初めて会う若者たちと楽しい飲み会でした。
 いちおう名目は「宇宙人を囲む会」(笑)。
 宇宙人とはすなわちワタクシであります。自称宇宙人の謎のおじさんに会うために、全国から若者たちがわざわざ集まってきてくれた(遠くはフランス、福岡、山形から…)。
 いや、実は最近、二十代後半から三十代前半の人たちとの交流が多い。多いというか、楽しいので、ついそういう機会が増えてしまうのです。
 今日はこちらで対談もした、プロ無職のるってぃさんが企画してくれました。
 何が楽しいかって、彼らの価値観、ライフスタイルが、宇宙人標準に近いんですよ。
 そう、おじさん世代で言うと、同郷(同星)の高城剛さんがちゃんとそういう生き方を実践してくれています。
 彼らに共通する要素はいろいろあります。
 ミニマリストであること、フットワークが軽すぎるほど軽いこと。お金や名誉に対する執着がない…というか、近代地球人とは違うこだわり方をしている。利他的である。だからシェアするのが当たり前。発信力がある。巷の情報に惑わされない。コミニュケーション力がある。さまざまな部分で壁を簡単に越える。もともとボーダーレスなのかもしれない。自我がない。悟っている。
 これらを一言でまとめるなら、「シェエリング」ということになるかもしれません。家や財産をシェアするのはもちろん、才能もシェアしあう。それはアウトソーシングという形で表れます。
 今日も若者たちに話しましたが、元祖プロ無職、シェアリングのプロ、アウトソーシングのプロはお釈迦様なんです。だから、本当に彼らは悟り世代なのかもしれない。
 いや、無欲ではないから、さとり世代とは違うな。ゆとりとさとりの間(なとり?)でしょうか。非常に面白い、これからの世界を変えていく力を持った世代だと思います。落合陽一さんなんかもその世代の代表格でしょう。軽く既成概念を超越していく。
Th_img_3149_2 今日もそんな彼らからたくさん学びました。お互い学びがあるんですよね。おまけで宇宙から降ろされたあの未来医療CS60も体験してもらいました。みんな感性豊かだし純粋だから効く効く。大笑いしながらみんなで楽しみました。
 軽やかでしなやかな若者たち。私も負けないようにがんばります。しかし、やはり基本は彼らにシェアリング、アウトソーシングしていきますよ。あとは彼らをやる気にさせることが宇宙人の仕事でしょうか。
 ちなみにそういう世代の方々との「宇宙人を囲む会」、いつでもどこでも開催します。もういくつか全く違うコミュニティーの若者たちと開催する予定があります。もし関心をお持ちになった方がおられましたら連絡ください!

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2018.11.22

御札(ふだ)とお札(さつ)

Th_149dd5 都の旅でも両方に出会いました。というか、お札で御札を買ってる人をたくさん見かけました(笑)。
 と書いてみて、なるほど「御札」は「おふだ」、「お札」は「おさつ」ですね。
 「札」という漢字はもともと単に「木片」を表す字です。すなわち「さつ」は木片ということです。
 木片にはよく字が書かれます。紙がない時代は木片に書きました。木簡とか。
 で、文字を書いたので、「文板(ふみいた)」と言われ、それがなまって「ふだ」となりました。
 大昔は文字も神聖なものでしたから、文字の書かれた木片、すなわち「ふだ」も神聖なものとされました。それが「御札」となって現代でも神聖なものとして扱われているわけです。
 「お札」の方はどうでしょう。今では「紙幣」のことを「さつ」と言いますが、最も古くは「手紙」や「書状」のことを「さつ」と言いました。
 兌換紙幣が登場するのは江戸時代でしょうか。金札とか銀札とか米札とか。その頃から「さつ」が「紙幣」を表すようになったようです。
 その頃にはすでに貨幣経済が一般化し、庶民にとっても「おカネ」は重要なものとなっていました。ある意味神仏よりもありがたいものになってきたんですね。
 そういう意味では、「御札」よりも「お札」がありだかい時代になったとも言える。皆さんはどうですか。「御札」と「お札」、どっちがほしいですか(笑)。
 最初に書いたように、「お札」で「御札」を買うわけですから、そこでは「御札」の方が「お札」よりも価値が高いということになりますよね。
 しかし、それは神社仏閣という非日常空間の話であって、日常的には「御札」よりも「お札」をもらった方が嬉しいでしょう。「御札」の束より「札束」の方がいい!?
 つまり、よく言われるようにですね、おカネ(マネー)が現代の神になったのです。紙が神になるのは、「御札」の時代からあったけれども、現代では仮想通貨のように紙すらない。
 データが神になったというのは、実は昔に戻ったとも言える。そう、もともと神は実体のないモノだったのです。神像ができたのは仏像の影響です。
 ちなみに「マネー」の語源は「モンスター」の語源と重なり、それは「モノノケ」の「モノ」とも重なってきます。面白いですね。
 「マネー」という「モノ(霊)」が世界に広がり、ある意味一神教による征服が完成しつつあります。そうなった時、王仁三郎が喝破した「一神即多神即汎神」が実現するのかもしれません。
 「御札」も「お札」もなくなる日。それが「みろくの世」が到来する日なのかもしれませんね。そういう予感がします。
 そうそう、ちょっと違う視点ではありますが、「御札」と「お札」についてホリエモンがいいこと言ってます。ぜひお読みください

堀江貴文さんが語る「みんな『お金』のことを勘違いしていないか?」

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