カテゴリー「経済・政治・国際」の930件の記事

2019.04.11

安藤輝三大尉の遺品が鈴木貫太郎記念館に…

Th_-20190412-84607 わず涙してしまうニュースでした。本当に本当に良かったと思います。なにか自分の中でも一つの区切りができたような気がしました。
 二・二六事件での、襲撃した側と襲撃された側とが、こうしてようやく一つになった。いずれも天皇のことを、日本という国のことを、国民のことを真剣に考えていたのに、あの時代の中でああいう結果になってしまった。
 しかし、それがのちの「開戦」と「終戦」を生むことになる。ここにさらに未来的な意味を見出さねばと思っていた私と家内にとって、このたびのこのニュースは一つの結論、ゴールを示すものとなりました。
 そう、こちらに書きましたとおり、私たち夫婦は3年前、安藤輝三大尉の墓前で偶然に、このニュースでも紹介されている安藤日出雄さんに出会いました。
 そして、そこで、まさに安藤輝三と鈴木貫太郎の話、さらに仲小路彰の話、出口王仁三郎の話をしました。二・二六事件がいかに未来的な事件であったか。安藤大尉も鈴木侍従長も、自らの命をかけて「天命」を全うしたのです。人間の微視的な感覚ではとても評価できるものではありません。
 私たちと日出雄さん夫妻とのお話が、その後の遺品発見、そして今回の奇跡的な和解、融合につながったとは申しません。ただタイミングが合っただけでしょう。しかし、巨視的に見れば、ここにも仲小路や王仁三郎の天からの意志が働いたとしか思えません。私たち夫婦もあの時は完全に動かされていました。
 本当に嬉しいことです。ぜひ、鈴木貫太郎記念館に赴き、安藤大尉の遺品を拝見しながら、天皇を中心とする「融和」「融合」「和解」がキーワードとなる、「令和」の未来について思いを馳せたいと思います。
 日出雄さんの、そして鈴木家の皆さんのご英断に心より感謝申し上げます。

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2019.04.07

『the four GAFA 四騎士が創り変えた世界』 スコット・ギャロウェイ (東洋経済新報社)

Th_71duhozcml GAFA、すなわち Google、Apple、Facebook、Amazon はどのように世界を変えたのか。そして、10年後彼らはどうなっているのか。
 たしかに10年前、これほどまでにGAFAが私たちの生活を支配しているとは思いませんでした。同様に10年後の世界は、まったく今とは違う風景になっているのかもしれません。いや、なっていることでしょう。
 では、どうなっているのか。ただ一つはっきりしているのは、この四騎士の中ではAmazonが生き残るということです。それはこの本の著者だけでなく、多くの予言者たちが語っていることです。
 ここで、私という予言者も勝手なことを語りたいと思います。
 Amazonが他の三者と違うのは、物品という意味でモノを扱っていることです。他の三者は基本的に情報、つまりコトを扱っています。コトはコピー可能ですし劣化しませんが、モノはいくら大量生産品であっても個別の価値があって完全なコピーは不可能です。
 私たち人間自身がモノであるかぎり、私たちはコトだけを食べて生きていくことはできません。違う言い方をするなら、Amazonの最終的な強みは「食品」を扱っているところです。
 私自身、今のところAmazonで食品を購入しませんが、もしAmazonでしか手に入れられなくなったら…つまり、Amazonが取り扱う食品がどこのスーパーよりも新鮮で品質が良く、そして廉価であったなら、スーパーはどんどん潰れ、コンビニはかろうじて緊急用に生き残る程度になってしまったら…結局Amazonから毎日の食品、食材が届くことになるでしょう。
 それも特に注文しなくても、まさに今日食べたいモノが届く…それがAmazonの考えている次の一手です。食品に限らず、私たちがほしいと潜在的に思っているモノが見事なタイミングで「勝手に」届けられる。いらなければ返品すればよい。もしかすると1回くらいは無料お試しがついてくるかもしれない。
 そのように私たちの物質的欲望をハッキングして、その欲望を顕在化させ肥大化させるのが、Amazonの目論見です。
 な〜んて、私が勝手に妄想していますが、逆に言うと、そういう想定通りにはならず、全く違ったモノに私たちが支配されている可能性もあるわけですね。
 実はその方が可能性としては高い。私が想像できるようなことは、私でも回避、拒否することができるわけですから、人類をハックして支配するなんてことはできなくなってしまう。あるいは同じ発想の強力なライバルが登場するかもしれない。
 というわけで、この本はたしかにそれなりに面白かったけれども、全て想定内であり、もしかすると、想定外の未来からすると、全く当たらない予言書となるかもしれないわけですね。
 さてさて、この10年後の自分は、この記事をどのように論評するのでしょうか。楽しみですね。

Amazon GAFA 四騎士が創り変えた世界
 

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2019.03.30

親韓と嫌韓

 度末で忙しくてどうしようもありません。
 そんな中、娘たちが一日中聴いている(観ている)のは、韓国アイドルの歌。VERIVERYとか。
 男の大人の世界では、日韓関係は悪化の一途をたどっておりますが、若者たちの世界、特に女子の中での韓国ブームはすごい。
 一時期の、ちょっと大人な女子(?)がはまった韓国ドラマブーム以上に盛り上がっています。
 そのあたりのアンバランスが非常に面白い。
 たしかに日本史は、嫌韓と親韓のバランスとアンバランスの歴史ですよね。三韓時代から。つまり、朝鮮半島と言ってもいろいろな民族がいるわけでして。
 まあ、それにしても、韓流ブームの時もそうでしたが、韓国の国家的な文化政策っていうのはすごいですね。今は音楽。そして映画。
 工業製品についても、日本の二番煎じという部分はあるにせよ、今や本家を完全にしのぐに至っています。
 中国、韓国、日本という三国で考えると、ここ二百年くらいが異常な状況であって、また21世紀には中国が親、韓国が兄、日本が弟みたいに戻るのかもしれません。保守派はそれを嫌がっているという感じですね。
 私は日本は日本で、のほほんと末っ子生活を送ればいいような気がしますが。長男は父親に対するコンプレックス強くて苦しむから(笑)。
 ということで、保守派がどう考えているか。この討論を聴いてみましょう。彼らは今のK-POPブームなんか知らないんでしょうね。

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2019.03.18

追悼 内田裕也さん

 の周りはピエロばかり…内田裕也さんが昨日亡くなったとのこと。
 内田さんに近いある方から、かなり弱ってしまっていると聞いた矢先でした。
 はやり奥様であるKKさんを失ってから、かなり衰えてしまったとのこと。まあそうでしょう。唯一頭が上がらなかった、それほど尊敬し感謝していた支えを失ってしまったのですから。
 内田さんに近いその方のご主人もとんでもない偉人でしたが、その偉人と内田さんもまた一触即発になったことがあったそうです。いったいどんなことがきっかけでそうなるのでしょう。凡人には分からないすごい世界です。
 私自身はそれほど内田裕也さんに影響は受けていませんが、この東京都知事政見放送はよく覚えています。91年だと思いますから、私は27歳ですか。まだまだ若造でバカすぎた頃です。全然ロッケンロールしてませんでした(苦笑)。
 ロックは反抗です。私は世の中に反抗する勇気も気概も思想も持ち合わせていませんでした。
 今、この時の内田さんの年齢を越えてみて、遅ればせながら少しロックな気持ちになっています。しかし、実際にこうして行動することはできない。内田さんは晩年までずっと政治の現場に足を運んでいましたからね。
 そう、音楽は政治と深い対立関係があるのです。政治が「コト」だとすると、音楽は「モノ」ですから。もののね。今の音楽はどうなんでしょうね。政治と対立していますか?
 今さらながら、内田裕也さんの偉大さに気づきつつある私でした。ご冥福をお祈りします。

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2019.03.17

田原総一朗の全力疾走スペシャル (BSAsahi)

 覧になりましたか?非常に面白かった。平成を振り返るにはいい番組でしたね。
 なんだかんだ言って、田原さんが平成に与えた影響は大きかった。いろいろ毀誉褒貶ある方ですが、結局与野党問わず政治家、特に宰相たちに大きな影響力を持った「一般人」ですよ。すごいと思います。
 そして萩本欽一さんがまた違った意味で立派だなと思いました。お二人とも昭和の人であると言えるわけですが、ちゃんと平成に、そしてその次の時代にまで適応しているというか、その最先端を走っている。尊敬すべきご両人です。老害とか言ってる人、大丈夫ですか?w
 やはり心に残ったのは、田原さんの揺るがぬ信念の二本柱ですね。

・言論の自由は体を張って(命をかけて)守る。
・戦争は絶対に起こしてはいけない。

 まさにこれが揺らいでいる現代です。昨日の続きで言いますと、天皇陛下はこの戦後の二本の柱をご自身が守ろうとしているのですね。民主、平和こそが日本のあるべき姿です。それを祈り、そして実現せんとしてきたのが、日本の皇室です。
 田原さんは右からも左からも批判されることが多いわけですが、実は天皇、皇室への敬意を強く持った方で、それは揺らぎません。それも本来の天皇、皇室に対する敬意なのです。ですから、近代天皇制、近代の皇室のあり方には苦言を呈すこともある。そこを見間違えてはいけませんね。
 欽ちゃんの「勝つか逃げるか」も良かったですね。これってこの前書いた「逃げ恥の原理」そのものですね。
 それから「これからは修行の時代」というのも説得力があった。学ぶではなく気づくという方法。
 若い人たちが、この両巨人から良い影響を受けることを祈ります。なにしろ、両巨人は若者から謙虚にいろいろ気づきを得ていますから。私たちも含めて次の世代も負けてはいられません。

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2019.03.16

【討論】御代替わりとこれからの皇室


 日は中学の卒業式とジャズバンド部の感謝祭がありました。双方ともに「平成最後の」が枕詞となりました。

 いよいよ5月には御代替わり。はたして新元号は何になるのでしょうか。いずれにせよ、歴史的な「譲位」となるわけでして、その意味は非常に深いと思います(何度か書いてきたとおりです)。

 さて、この討論の中でも言及されていますが、今回の「譲位」、あるいは今上天皇の「退位」は、ある意味日本国憲法下の現行法を凌駕したことです。まさに、憲法よりも天皇陛下のご意思が優先する、優先されるという、日本の国家の本質を体現する現象であります。

 日本の国家の本質を「国体」と表現することには、私は多少の抵抗がありますが、現実としてこのような言語を超えた現象が起きることこそ、この国の名(コト)ではなく体(モノ)を表していると思います。
 さて、新元号は何になるのでしょう。世間ではいろいろな憶測が飛び交っておりますが、そうした内容は避けるようにするのが慣例ですから、ある意味意外なものになることでしょう。ちなみに私は「K…」になると思っています。

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2019.03.11

3.11から8年

 年もまたこの日がやってまいりました。1000年に一度とは言いませんが、100年単位では間違いなく最大級の自然災害だった東日本大震災。
 逆に言えば、100年に一度はどこかでこのような大災害が発生すると考えていた方がよいわけです。まさに忘れた頃に…ですね。一人の日本人の人生の中で、場合によっては二度こういうことを体験する可能性があるわけです。
 では、原発事故はどうなのでしょうか。やはり100年に1回は覚悟しなければならない天災なのでしょうか。言うまでもありませんね。
 さて、今日非常に興味深い内容だったのは、虎ノ門ニュースのスペシャル番組における青山繁晴さんの発言でした。いったい何が問題だったのか。原発自体が問題なのか、それともそれを取り巻く人間が問題だったのか。
 この青山さんの発言も、もちろんある側面でしかないのは分かりますが、ただ、その側面を非常に近距離で見た人の発言として注目されます。ぜひお聞きください。9分あたりからどうぞ。

 

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2019.02.08

落合陽一×宮台真司 『次の時代をどう生きる』

 の対談は面白かった。本来の「アカデミック」な存在であるお二人、こうして会うのは初めてだというのはちょっと意外でした。
 お二人の意見には多くの部分で同意。身体性を失いつつあることを、より抽象的なところで虚しく埋め合わせていく現代。はたして人類は、いや人類の幸福はどちらに向かって動いていくのでしょうか。
 宮台さんのおっしゃる、偶発性、未規定性というのは、ワタクシの「モノ・コト論」で言うところの「モノ(他者・不随意・想定外」と完全に一致します。私が「コトよりモノの時代」というのは、まさにそういう意味です。
 そして、自己(コト)が自己で完結するのではなく、他者(モノ)にとって、いかに「他者性・偶発性・エンカウンター」になりうるかというのが、それこそ「ニーズを作り出す」ということなのでしょう。
 そして、それはお釈迦様の語る「縁」と同義になってくる。縁という関係性こそが、私たちの存在そのものなのです。つまり私たちはそれぞれ「自己(コト」であり、「他者(モノ)」であるという、まさに中動態的な存在であることを知るべきです。
 そういう意味で、テクノロジー(機械だけでなく制度なども含む)が「優劣」の「劣」を補助する方向で発達する傾向があるのは、ちょっと問題があると思います。なぜなら、その前提である「優劣」という概念自体が、私たちの社会的な価値観から生まれたものだからです。
 それはたとえば自己の中にも内在します。自己の中の他者(モノ)であるとも言える身体。私たちにとって、最も身近な、自分の思い通りにならない不如意、不随意なモノは、自らの身体です。それを社会的感情に基づいて「劣」とし、脳みその中の言語的情報(コト)を優としてしまったのが、この近代そのものでありましょう。
 その価値観に従ってモノを封じ込め、コトを祭り上げた結果が、この現代です。ですから、これからのテックは、やはり「目が合う」「目を合わせる」「見る、見られる」の関係性を生み出す方向に進化すべきでしょう。
 一方では、最近のファーウェイの話ではないですが、私たちは無意識的に、たとえばスマホに「見られている」状態ですよね。昨日も「あなたがスマホでエロサイトを見ているところを録画しました、ばらされたくなければビットコインでいくら払え」的な迷惑メールが来ましたが、あながちそれもウソではない状況になっています。
 つまり、見られないように、目が合わないようにと、私たちが求めてきた極プライベートな時空間が、実は全世界に見られているかもしれないという、笑ってしまうようなパラドックスを生んでいるわけで、そういう意味では、テクノロジーというのも自然界と同じように、ある種のバランスを勝手にとっていくものなのかなとも思います。
 人間ごときにはどうしようもない、絶対的な他者に対する想像力を鍛えていかなければならない時代が、もう目の前まで来ているのでしょう。それはまさにモノの復権、宗教以前の超古代的なアニミズムのような世界への回帰なのかもしれません。実に楽しみです。

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2019.02.03

宇津保物語の「国譲り」

Th_img_3523 年の節分は楽しい仲間と急遽飲み会。節分で幽閉されるオニの象徴でもある耀わん三つを囲んで大いに盛り上がりました。
 昨年の節分の日、節分と国譲り(譲位)という記事を書きました。国譲りという言葉は本来、天皇の譲位を表す言葉だったというお話。昨日紹介の討論で、水島さんがおっしゃった「出雲の国譲り」を国譲りというようになったのは、実は近代になってからなのです。
 あっという間に1年が経ち、本当に「国譲り(譲位)」の年が来ました。はたして何がどのように譲られるのでしょうか。それは私たち庶民には分かりません。
 さて、「国譲」というと、あの枕草子にも、その言葉が出てきます。有名な「物語は」の段です。

物語は住吉(すみよし)。宇津保(うつほ)。殿うつり。国譲りはにくし。埋れ木。月待つ女。梅壺(うめつぼ)の大将。道心すすむる。松が枝。こまのの物語は、古蝙蝠(ふるこうもり)さがし出でて、持て行きしが、をかしきなり。ものうらやみの中将、宰相に子うませて形見(かたみ)の衣など乞ひたるぞ、にくき。交野(かたの)の少将。

Th_utsubo_monogatari_1809edition 「国譲りはにくし」というのは、その前に出てきている宇津保物語の「国譲の巻」のこと、あるいはその内容を指します。殿うつりのシーンは、その巻の冒頭に出てきますので、つまり、「宇津保物語の国譲の巻の殿うつりと国譲りの話はきらい」ということでしょう。
 どうして嫌いなのかというと、おそらく、「国譲の巻」がつまり天皇の譲位にからむ醜い立太子争いがリアルに描かれているからでしょう。
 実は私は宇津保物語はちゃんと読んでいないのですが、ちょこっと覗いたかぎり、結構ドロドロな権力争いのようですね。物語全体はペルシャの琴のお話で、なかなかロマンチックなんですが、国譲の三巻はちょっと現実に引き戻されるようで、それで清少納言は「にくし」と言ったのではないでしょうか。
 このたびの平成の「国譲り」には、そんなドロドロはないと思いますが、私たちの見えないところのいろいろも、スムーズに進むことを祈ります。

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2019.02.02

表現者クライテリオンスペシャル「日本の自死」

 校の先輩でもある水島総さんをファシリテーターとした、チャンネル桜の「闘論!倒論!討論!」。いわゆる保守の「今」を知るために時々拝見しています。
 今回は「日本の自死」という過激なタイトルで、まさに自死した西部邁さんの後継者たちの討論を聴くことができました。
 私も「(過去と現在の)人間の知性を疑う」という意味では保守なのですが、一方で「(未来の)人間の知性を信じる」という意味では革新、いやお花畑だ言われることもよくあります。
 実際両面、両翼を持っていて、その先の融合、統合、和合された世界を信じているので、そういう意味では都合のよい夢想家なのかもしれません。
 途中、京都大学大学院の川端さんが「皇統の歴史を守ることが世界を救う」と言って笑いを誘っていましたが、どうでょう、本当にそうなのではないでしょうか。
 私の尊敬する出口王仁三郎も仲小路彰も、究極はそう言っています。それは一見、極右的思考に見えますが、私からしますと、私も含めてですが、なにかとってもロマンチックなセンスなのではないかとも思えるのです。
 科学や経済や政治や言語といった「コト」領域よりも上位次元の「モノ」領域での感覚です。
 実のところ、「自死」もとってもロマンチックな言葉です。西部さんも痛いほどのロマンチストでした。彼を慕うこの討論の参加者たちも皆、文化や芸術、そして歴史という文学を愛するロマンチストです。
 個人よりも「家(国家を含む)」を大切にするというのも、これは明らかに情緒の産物です。生物の中でも人間だけに与えられた「情緒」。それがあるからこそ、この物質界や情報界を超越した「モノ」世界、「物語」世界とつながることができる。
 酒が好きで、歌が好きで、女が好きで…そういう男どもが、こうして元気であることはいいことですね。彼らは男の弱さも知っているのです。それこそが、彼らが、近代という男の世界を信用しない根源的な理由なのです。母の胎内への回帰を夢見ているとも言えましょう。
 最後にこんなことを言ってしまっては本当はいけないのでしょうが、思わず一言。自ら死んでいくのもロマンチックなことだとすれば、まあ日本が静かに消えていくのもまた、一つの浪漫的物語なのではないでしょうか。究極的に、人間の存在が地球のためにならないという結論は、もうとっくの昔に出ているのですから。
 ならば問われるのは、やはり死に様なのかもしれません。

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