カテゴリー「音楽」の1000件の記事

2021.04.12

Keith Jarrett Trio 『I Fall In Love Too Easily』

 年亡くなってしまった偉人の一人が、ベーシストのゲイリー・ピーコックさん。

 キース・ジャレットのトリオのベーシストとして、私も何度も生で彼の演奏を聴きました。

 最後は、8年前の東京公演。その時、すでにゲイリーの衰えは隠すべくもありませんでしたが、このトリオならではの理屈ではないシンクロニシティには感動しました。

恐るべきシンクロニシティの群れ〜キース・ジャレット・トリオ

 そんな彼らの油が乗り切っていたころの名演を一つ。東京での「I Fall In Love Too Easily」です。このベース・ソロも実に内省的で美しい。

 

 

 そして、そのソロに刺激を受けたかのような、キースのアウトロの美しさは絶品です。私は、バロック的なキースのインプロヴィゼーション、大好きです。

 その部分の楽譜つきの動画がありましたので、あらためてどうぞ。バッハもこんな感じで即興演奏したのでしょうね。

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2021.04.11

コント 『従軍看護婦』〜由紀さおり 『空の神兵』

 

 日紹介の大林監督の遺作でも、多くの「軍歌」が流れておりました。今ではテレビで流れることはほとんどなくなった軍歌。

 私が子供のころは比較的身近な存在であり、実際私も軍歌が好きで歌本も持っておりました。

 ドリフターズも軍歌のレコードを出したりしていましたし、コントでも兵隊ものは人気がありましたよね。

 やっぱり反戦、厭戦とノスタルジーの矛盾の空気が漂っていたんですね。それをコントなどの笑いに変えたり、高校野球甲子園のようにスポーツに見せかけたりして、なんとなく昇華していたのでしょう。

 で、今日はそんな文化の一つドリフのコントの紹介です。とはいえ、ドリフの兵隊さんものではなく、女性ゲストによるショート・コントです。

 まあ観て、聴いてみてください。コントを超えたコント。軍歌の名曲をこれほどじっくり聴かせるとは。特に由紀さおりさんの「空の神兵」。素晴らしいですね。

 「空の神兵」は、軍歌の中でも特に明るく華やかな歌で、今でも陸上自衛隊の第1空挺団のテーマソングになっており、富士山でもよく鳴り響いております。

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2021.04.09

冬木透(蒔田尚昊)『君が代 パラフレーズ』

 

 日のバッハからの「君が代」です。

 というか、ここ一連の記事の流れです。ウルトラセブンの劇中曲を担当した冬木透さん。

 やはり、昨日紹介したあのセブンの十字架のシーン、冬木さん自身やはりパイプオルガンでキリスト教的音楽をつけたかったのだそうです。

 冬木さんはクリスチャンでして、実際優れた宗教曲も多数作曲されています。

 そんなクラシック音楽(と言っていいのか?)作曲家としての冬木さんは、本名の蒔田尚昊(まいたしょうこう)名義での活動が多いのですが、最近は冬木透名義でも素晴らしい作品を発表しています。

 今日はそのうちの一つ、2007年に作曲された「ピアノのための君が代パラフレーズ」を紹介します。

 お聞きのとおり、国家「君が代」をテーマにした自由な変奏曲というか、パラフレーズ(言い換え)ですね。素敵な曲です。君が代もこうして聴くと悪くないな(笑)。

 君が代といえば、今となってはなんだか変な懐かしさがありますが、2016年リオ五輪の閉会式でのあの君が代。三宅純さんアレンジの、あのブルガリアン・ヴォイス風のあれですね。あの頃は東京オリンピック、本当に楽しみだったのですが…。

 その三宅さんのヴァージョン、ピアノ用の楽譜もあるようです。

 

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2021.04.08

バッハ 『復活祭オラトリオ BWV 249』

Th_49d6a7e0853df326dcca916279e3b4ef 日はお釈迦様のお生れになった日。降誕会。花まつり。降誕は「こうたん」ではなく「ごうたん」と読みます。

 ちょうどこの頃、キリスト教でもお祝いがあります。イースターですね。復活祭。

 そういえば、ウルトラセブンは人類のために犠牲となり昇天しました。十字架にも架けられましたし、キリスト的ですよね。

 ところで、昨年の4月5日に、こんな記事を書いておりました。

コラール「おお人よ、 汝の罪の大いなるを嘆け」(バッハの編曲いろいろと)

 昨年の今頃、まさに世界は未曾有の「受難」に見舞われはじめていたのでした。記事にもあるように、その時は「復活」を祈りましたが、あまり状況は変わっておらず、世界は「受難節」が続いているようです。

 今年の復活祭は4月4日でした。コロナ禍は続いており、世界の真の復活、再生はまだ先のようですね。

 今日は真の「復活」を祈りまして、バッハの隠れた名曲「復活祭オラトリオ」を紹介します。

 オラトリオというとバッハでは「クリスマス・オラトリオ」が有名ですが、こちらのイースター・オラトリオもなかなかの名曲です。私はけっこう好きです。

 

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2021.04.07

交響詩「ウルトラセブン」より「第3楽章 ウルトラホーク発進」 / 冬木透

 

 たこのネタでスミマセン。半世紀経って改めてこの番組の影響の大きさを痛感しております。

 音楽面でも大きな影響を受け、今に至っていますね。冬木透さん。彼の音楽については、2月にこちらで少し書きました。

 私が初めて聴いた「大人の音楽」がウルトラセブンの劇中曲でした。今聴いてもとんでもないクオリティです。

 ウルトラセブンが未だに高く評価されているのは、言うまでもなく、子供向け番組でありながら、大人が手抜きせず「未来の大人」のために仕事をしているからです。

 音楽もそう。全く子供に媚びることなく、思いっきり高品質な音楽をぶつけてきました。そういう空気だったんでしょうね、制作現場が。

 ここで紹介した「ウルトラホーク発進」の音楽。このイントロ、テーマ、そして展開部と再現部、全てがまさにドラマチック。ドラマの典型という意味でも、子供はもちろん、大人も魅了されてしかるべき内容でした。

 特にこのイントロ。子供当時の私も異常なほどに好きすぎまして、しょっちゅう口ずさんでました(笑)。いやあ、いいイントロですよね。完璧。

 今さらながらではありますが、冬木透さん、いや蒔田尚昊さんの偉業を知っていただきたく紹介させていただきました。蒔田さんも満州生まれなんですよね。満州生まれの偉大な芸能関係者多すぎ。

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2021.04.04

島津亜矢 『SINGER7』より「全力少年」

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 が家で尊敬されている歌手は、美空ひばり、島津亜矢、松浦亜弥、初音ミクです(笑)。

 なぜかといえば、どんな歌でもしっかり自分のものとして歌える人たちだからです。

 特にいい年してまだ歌手になることを諦めない(?)ウチのカミさんは、この人たちをどうもライバルだと思っているらしい(笑)。

 というわけで、そのライバルの中でもかなり強力なのが、この島津亜矢さん。

 先月末に出た「Singer7」もすごい!本当に感動しました。

 どの曲も素晴らしいのですが、ちょっとこれ聴いてみていください。私も大好きなスキマスイッチの「全力少年」です。

 カミさん曰く、この曲、いろいろな意味で難しいそうですが、実にうまい。うますぎる…という難しさもありますが(苦笑)。

 

 先程挙げたライバルたち、みんな何がうまいかというと、音程が正確だというのはもちろん、大きな単位でのリズム感の良さですね(初音ミクはちょっと違うけど)。

 島津亜矢さん、えらいなあ。この一連のカバーアルバム、選曲はスタッフにまかせているそうです。自分が歌いたい歌ではなく、島津亜矢に歌ってほしい歌を歌っていると。だから、知らない曲もあるのだそうです。

 このアルバムの最後の、King Gnuの「白日」もなんだかすごいことになってますね。オリジナルとはまた違ったこの曲の良さ、深さ、歌曲としての質の高さがわかりました。そうそう常田くんって東京芸大のチェロ科だったんですね。たしかにクラシックの要素満載です。納得。

 この曲なんか、美空ひばりもめちゃくちゃうまく歌いそうだな。

 

 

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2021.04.01

『日本習合論』 内田樹 (ミシマ社)

Th_41rifxmlql の本のクライマックスに登場する、次の一節こそ、この本で内田さんがおっしゃりたかった「可能性」でしょう。

 「氷炭相容れず」というほどに隔たったものを「水波の隔て」に過ぎないと見立てること、遠いものを近づけ、異質なもののうちの共生可能性を見出すこと、僕はそれが「できる」というところに日本人の可能性があると思っています。

 先日の鈴木孝夫先生の「日本の感性が世界を変える」に深くつながる本。そして、三島由紀夫と東大全共闘の話もでてきます。

 内田先生のいう「習合」「雑種」「ハイブリッド」等は、ワタクシのモノ・コト論ではもちろん「モノ」に属し、作られた「純粋」や「純血」は「コト」に属しますね。

 「これからはコトよりモノの時代」という、一般論とは一見逆に感じられる私のスローガンも、こうして解釈すれば多少は理解されることでしょう。

 私の言説は内田先生に比べるとかなり乱暴で粗悪ですが、言いたいことは完全に一致していると感じました。私は日本語のモノ、コト、トキを通して、いつか日本論、日本人論、日本文化論を書いてみたいと思います。

 「モノ」という言葉が持つそうした深い性質、論理では説明できない性質は、「物語」「物の怪」「物寂しさ」「もののあはれ」さらには「〜なんだもん(の)」に至るまで、私たちのよく知る日本語に生きています。

 さらに言えば、物部氏が信仰した「大物主」にも、そしてその神が象徴する「和魂(にぎみたま)」ともつながってきます。また、その物部氏を倒してしまった聖徳太子が憲法の第一条に置かざるを得なかった「和」に、そのエッセンスが凝縮しているとも言えます。そして、それが「習合」の起点とも言える。

 この本を読みながら、私自身がずっと考えてきた、いや感じてきた何か(=モノ)がはっきりとコト化されたような気がしました。おそらくはそれこそが内田さんの「物語」そのものの機能であるのでしょう。

 実に楽しかった。私もぜひ「頭がでかい」人間になりいモノです(このモノも他者性を表していますね)。

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2021.03.29

テレマン 『無伴奏ヴィオラ・ダ・ガンバのためのファンタジア』

 

 昨日、テレマンの無伴奏ヴァイオリンのためのファンタジアを紹介しました。今日は無伴奏ヴィオラ・ダ・ガンバのためのファンタジアです。

 なんと、この作品、2015年に発見されたものです。作曲、出版されたのは1735年ですから280年の時を超えて、この現代に蘇った幻の作品なのです。

 当時のテレマンは、経済都市ハンブルクの富裕層アマチュア音楽家の要望に応えることに努めていました。それこそバッハとは正反対の姿勢に見えますよね。しかし、これは実はテレマン自身にとっては、最も「芸術的」な創作動機だったのです。

 たとえばビートルズを想起してみましょう。彼らはファンの期待に応える、あるいはそれを超えようとして、あのような「芸術的」な作品群を発明しました。あくまでもファンの存在ありきだったのです。

 テレマンがどのような信仰心を持っていたか私は知りませんが、おそらくはバッハよりは「神に仕える」意識は低かったのではないかと想像します。

 日本人は、(ヨーロッパ的な)信仰心には厚くないと思います。では、日本ではアートは生まれなかったかというと、とんでもない。いわゆる大衆文化が花咲き、それがついにはヨーロッパの「神は死んだ」時代に大きな影響を与えました。

 私は、そういう意味で、テレマンの世俗性というか、ポピュラリティに共感する者です。そして、そういうリアリズム、すなわち宗教(キリスト)というフィクションに拠らないで(もちろんそこに拠ることも簡単にやってのけていますが)作品を生み出すことができるところこそ、かの大バッハが(嫉妬せず)憧れた部分なのではないかと思うのです。

 というわけで、この作品も、実に見事なアートだと思いますよ。特にガンバ奏者にとっては、この時代にこんな素晴らしい、まさにファンタジーに溢れた作品が「再発見」されたことは、とんでもなく幸運なことでしょう。

 正直ガンバの時代は終わりつつあった頃の作品ですが、だからこそでしょうね、新しいガンバの可能性や魅力を発見する作品になっていると感じます。あっ、これ、ガンバだからこその表現だなと思わせるところ満載ですよ。

 この作品が、カール・フィリップ・エマヌエル・バッハのガンバ・ソナタにつながっていったと考えると、父バッハの、次男に託した夢は、見事に実現したと言えるでしょう。

 最後に、私も大好きな、そのC.P.E.バッハのヴィオラ・ダ・ガンバ・ソナタハ長調も聴いていただきましょう。

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2021.03.27

テレマン 『無伴奏ヴァイオリンのためのファンタジア』

Th_220pxtelemann 昨日のCPEバッハのところでも出てきた、バロック期最高のヒットメーカー、テレマン。

 気難しく鳴かず飛ばずだったバッハも、テレマンには敬意や親愛を抱いていたようです。嫉妬したりしないところはバッハの人のいいところというか、救いだったのかもしれません。なにしろ、次男にテレマンにちなんだ名前をつけるくらいですからね。

 それは、きっとテレマンの方もバッハに敬意や親愛を抱いていたからでしょう。自分にはできないことをやっているなと。黒澤と小津みたいに。

 二人のコントラストがよく分かる作品があります。

 ちょうどこの前、庄司紗矢香さんのシャコンヌを紹介しましたよね。無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータとソナタは、それこそ宇宙レベルでの超名曲であり、これを超えることは永遠に不可能です。

 その曲集が作曲されたのが1720年。バッハが35歳の時です(どんな35歳なんだ!)。その作品の深さ、演奏の難しさもあって、当時それなりに知られていたと思います。特に宮廷のヴァイオリニストの間では。

 そして、それから15年後、テレマンもまた無伴奏ヴァイオリンのための作品集を書くことになります。

 その内容は、バッハのそれとはまさに対照的。面白いほどに違った様式と内容になっています。

 バッハが伝統的な組曲とソナタの形式を守ったのに対し、テレマンは自由奔放な「ファンタジア」の形を採用しました。その中にはフーガ楽章もいくつか見られますが、それもまたバッハのそれらとは全く違う印象を与えるものになっています。

 それより何よりですね、いちおう演奏家の端くれとして申すなら、難易度が違うとともに、演奏者だけでなく楽器(ヴァイオリン)の気分が全く違うんですよね。

 楽器が喜んで笑っているか、難しい顔しているか。当然前者がテレマンで後者がバッハです。それは「楽器が鳴る」度合いの違いとも言えますが、いやもっと楽器自身の精神的な問題(?)に関わってきます。これって、演奏者ならお分かりになるでしょうね。

 というわけで、その楽器の喜び、笑顔を感じていただくために、佐藤俊介さんの名演を聴いていただきましょう。楽譜も見られますので、バッハとの違いを視覚からも感じ取ってください。

 全体にアイデアに溢れる魅力的な名曲が並んでいますね。テレマンの面目躍如といったところでしょう。

 おそらくですが、当時のヴァイオリニストの中で「バッハのは難しすぎる!もっと楽しい作品を作ってほしい!」という声があったのではないでしょうか。消費者のニーズに答えるのがテレマンのポリシーでしたから。

 

 

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2021.03.25

C.P.E バッハ 『ヴァイオリン・ソナタ ト短調』

 度末ということもあり、とっても忙しくしております。

 そのため記事の更新が遅くなっている上に、音楽などの動画の紹介が多くなっております。

 今日はバッハの息子の作品の紹介です。この曲、かつては父バッハの作品とされており、BWV1020として知られていたものです。

 ただ、どう聴いても父バッハ的ではありませんよね。そう、いかにも次男カール・フィリップ・エマヌエル・バッハです。

 父の親友でもあった売れっ子作曲家テレマンの影響を強く受けた(フィリップという名もテレマンにちなんだ)エマヌエルは、テレマンの世俗性(ポップ)と父の芸術性(アート)を絶妙なバランスで組み合わせた重要な作曲家であり、のちのハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンにつながる道を開き、また父(大)バッハをのちの世に伝えた重要人物でもあります。

 この曲は、フルートやオーボエで演奏されることも多いのですか、もともとはヴァイオリンのために作曲されました。オブリガート・チェンバロを伴う点では、父バッハの影響を受けているとも言えますが、その機能を見ると、のちの時代のピアノ・パートを伴うヴァイオリン・ソナタの原型を作り上げたと言った方がいいかもしれません。

 華やかな速い楽章も魅力的ですが、それに挟まれた短い緩徐楽章のエマヌエルらしい詩的な美しさが印象的です。これは演奏するのが難しい。どういう気持ちで何を表現すればいいのか、イメージできないのです。キリスト教的な天国観なのかな。

 では、どうぞ。

 

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