カテゴリー「音楽」の667件の記事

2010.02.08

レニーニ(山梨とブラジルの音楽の不思議な関係?)

Lenine 梨を代表するミュージシャンは…、ええと、やっぱり森進一と田原俊彦でしょう。ま、それは冗談として、いや全然冗談ではありませんね。
 しかし、一般的には、宮沢和史さん(THE BOOM)、レミオロメン、フジファブリックの志村正彦くんでしょう。彼らがそれぞれ音楽史に残した、「島唄」「3月9日」「茜色の夕日」の3曲の名バラードだけでも、山梨県民としてはもうホントに誇りに思っていいですよね。
 そんな彼らと意外に関係が深いのが、地球の裏側ブラジルの音楽です。宮沢さんのブラジル音楽への入れ込みようは今さら説明する必要もないでしょう。
 レミオロメンの3人はサッカーが好きですから、自然にブラジルの音楽に触れる機会が多いことでしょう。やっぱりサンバかな。
 そして、ちょっと意外かもしれませんが…いや、インタビューでも語ってましたかね、フジファブリックの志村正彦くんの膨大なCDコレクションの中には、ブラジルの音楽がたくさんありました。
 山梨とブラジルが特別何かで結ばれているわけではありません。実は、日本の音楽とブラジルの音楽には根本的に似た部分があるのです。
 それはまず、西洋音楽(ヨーロッパの白人音楽)とアフリカの黒人音楽との距離感です。適度に遠距離だった。そして、そのため独立して発達していた民族音楽の伝統。それらの見事な混合が両国の現在の音楽に共通した独特な魅力を醸し出しているのです。
 そのへんについて語り出すと、とんでもなく長くなってしまうので、あえて、特異な視点(聴点?)から一つだけはっきり言っておきます。
 「日本もブラジルもドミソの持つ不快感に対抗した」
 えっ?と思われることでしょう。しかし、ここのところ繰り返し書いているとおり、「ドミソ」は世界のほとんどの人々にとって、根源的に「不協和音」です。いや、「協和」していますが、「不快」だと言った方が正確でしょうか。「不快和音」。
 だから、ヤマハ音楽教室の「ドミソ、シファソ」なんてのを幼い頃から聞かされていると、本当にダメダメなことになってしまいます。私もその呪縛から解き放たれるのに40年近くかかりました(笑)。
 日本では、その不快感を軽減するために、伝統的な「ヨナ(四七)抜き」に「フム(二六)抜き」を加えたメロディーで対抗しました。演歌の例を挙げるまでもなく、上記山梨の3バンドの音楽を聴けばわかりますね。
 ブラジルでは、和音自体に手を加えて「ドミソ」を駆逐しました。すなわち、「1・3・5」の和音に「2」やら「7」やら「9」やら「13」やら、その他もろもろの「非和声音」を加え、あえて柔らかく美しい「不協和音」を作っていきました。ボサ・ノヴァのギターをちょこっと習うだけで、その複雑な響きに驚くことでしょう。
 ある意味、そうした「西洋音楽(クラシック音楽)」への違和感に抵抗しつつ、それらを呑み込んでしまった音楽が両国にはあるのです。
 ええと、あんまり長くなってもしょうがないので、今日はMPB(ブラジリアン・ポップス)の奇才、マラカトゥーのリズムを世界に知らしめたレニーニの音楽をちょっとだけ聴いていただきましょう。
 宮沢和史さんが共演したことで、私は彼を知りました。適当に何曲か貼っておきますので、ぜひお聴きください。あっ?と思うところがたくさんあると思います。フジのあの曲っぽい、レミオのあの曲っぽい、ブームのあの曲っぽい…そんなところ満載ですよ。そして、これを機に地球の裏側の音楽にも興味を持っていただければと思います。なんて、私も全然勉強不足なんですが。

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2010.02.04

茜色の富士

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04_18_28_06 日は久しぶりに、4月開校の中学の真新しい校舎に入りました。もうほとんど完成です。
 本当に素晴らしい環境です。建物や設備の素晴らしさは、これはもう私でも驚くほどです。実にぜいたく。そして、それ以上に全ての教室から眺められる富士山と富士吉田の街の風景には、長年住んだ者でも感動させられますね。
 この写真は3階の多目的教室から撮ったものです。ちょうど夕日が差して、富士山が茜色に染まろうとしていました。
 本来ならば、この教室にフジファブリックの志村正彦くんを連れてきて、そして、このイメージで歌を作ってもらう予定でした。彼が亡くなってしまったのは、その話をしようと思っていた二日前のことでした。
 まさにこの角度から見る富士山は、志村くんにとって、本当に懐かしい心の風景です。右に月江寺の森、手前に彼もよく遊んだという月江寺の池。この池は「鳴琴泉」という音楽的で風雅な名前も持っています。少年時代の志村くんは、いったいこの泉が奏でるどんな音楽を聴いていたのでしょうか…。
 そんな土地への思い、そして、音楽との出会いのあった中学時代への思い、それを歌にしてほしかった…。
 今は本校の駐車場になっていますが、池の手前には古い旅館がありました。太宰治が何度か逗留した宿です。あの「富嶽百景」の名シーンの舞台です。今日も月夜富士がきれいでした。
 私がなにげなく、本当に偶然に太宰の墓参りをしたのが、志村くんが亡くなる前日の12月23日。その日の記事を読むと、私はなにかを予感していたことがわかります。「太宰、いろいろ訴えかけてきましたよ。鳥肌立ちまくり」…たしかに体験したことのない感覚が私を襲っていました。しかし、その時はこんなことになるとも夢にも思いませんでした。地霊で志村くんと結ばれた太宰が、何かを知らせたのかもしれません。
 このようなことになってしまったのは、本当に残念でなりませんが、その場所で教育に携わることになる者として、いったい若者たちに何を伝えていけばいいのか、私も改めて考えさせていただく機会をいただきました。
 志村くんが心から愛した富士吉田。富士吉田ももっと彼を愛さねばならない、と思いました。私もこの街を、そしてこの街の子どもたちを、もっと愛さなくてはなりません。
 ちょっと頑張り過ぎてしまった彼は、今、大好きな富士吉田の街に帰ってきて、心優しい家族と、いつもの機材に囲まれながら、ゆっくり自分のペースで曲作りをしています。とっても穏やかな心持ちで…。安心しました。

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2010.02.03

心の鬼…モノノケハカランダ

P204mane03 日は節分。いつだかのこの日にも書きました通り、我ら出口王仁三郎ファンにとっては「鬼は内、福は内」の日です。
 皆さん、鬼を無反省にいじめていませんか?そろそろ艮(鬼門)に幽閉された国祖「国常立尊」の復権を待望してもいいのではないでしょうか。私たちの考える善悪のほとんどは、自分で判断したものではありません。
 という、ちょっと難しい宗教学的、いや民俗学的、あるいは哲学的な話は置いておいて、今日は文学のお話をしましょう。
 また最後はフジファブリックの志村くんの話になってしまいますが、ご了承ください。それほど、私にとって大切な人だったということです。今まで彼や彼の音楽に興味がなかった方も、これを機にぜひその世界に触れてみてください。
 さて、今日いつもの「モノ・コト論」研究のため、枕草子の注釈書を繰っていましたら、本当にたまたま「心の鬼」が出てきました。「故殿の御ために」という段です。ここには、イケメン藤原斉信が清少納言にかまかけるシーンがあるんです。それを軽くいなす清少納言。つまりはモテ話に振り話、いつもの通りの自慢話ですね(笑)。
 斉信は「夫婦になりませんか」とかまかけるのですが、清少納言は「夫婦になるとあなたをほめることができなくなる」と言って断ります。うん、たしかに人前ではなかなか配偶者をほめられませんよね。「あいつはダメで…」という物言いになります。
 で、そんな微妙な夫婦間の心情について、「心の鬼出で来て…」と表現しているんです。つまり、結婚すると、本当は好きでほめたいのだけれど、「心の鬼」が現れてそれができなくなる、ということです。
 では、この「心の鬼」とは何を指しているのでしょう。
 実は、枕草子の時代、「鬼」は、あの角のはえた赤や青の鬼(虎のパンツの鬼)とは全然違うイメージでした。あれが定着して、「鬼」が悪者になっていくのは平安末期だと思われます。それまでは、中国の「鬼」、すなわち死者の魂というイメージが強かったものと思われます。
 和語ではそれを「もの」と言いました。「鬼」の文字を「もの」と読ませる例が、万葉集なんかにもわんさか出てきます。
 私の「モノ・コト論」の出発点と終着点はまさにそこです。非常に単純です。簡単に言えば、今我々が「物体」「物質」「商品」のような意味で使う「モノ」という言葉も、実は「異界」「自分にとって外界」「思いどおりにならない外部」というような意味だととらえるのです。「もののあはれ」の解釈もそれにもとづき、「不随意(世の無常など)に対する嘆息」とします。これは他の人が全く言っていない盲点です。
 ですから、ここでも「心の鬼」というのは、自分の心の中の「意思に反する」あるいは「制御できない」何か、ということですね。たしかに、恋人どうしが夫婦になった瞬間から生じる、あの妙な違和感というか、変容というものは、なんとも説明がし難いですよね。それを「心の鬼」と言っている。別に恐いものではないのです。不安にはなるかもしれませんが。
 一般的に、たとえば私が読んだ注釈書なんかは、「心の鬼」を「良心の呵責」とか「気がとがめること」などと解釈しています。たしかにそう読めないこともないのですが、ここではそこまで善悪が関わっていないと思います。
 これが、中世以降、先ほどの角のはえた鬼のイメージ、すなわち「悪」のイメージが定着してきますと、「心の鬼」は「邪念」とか「妄想」とか「性的な欲求」などを表すようになるんですね。「豆とりて我も心の鬼うたん」なんていう節分の俳句も生まれたりします。邪念を消そうとしているわけです。
 あるいは恐い者の象徴として、自分の心を抑制する存在としてとらえられることもあります。「心の鬼が身を責める」という慣用句も生まれます。これなんか、やっぱり地獄の閻魔様のようなイメージから、悪事や良心の呵責と結びついているんでしょうね。
 というわけで、いきなり現代に話が飛んできます。
 先ほど書いたように、「鬼」=「もの」とは、自分のコントロールできない「何か」を広く表す言葉でした。そして、その「鬼」=「もの」を幽閉し、あるいは自らの制御下に置こうとしたのが「近代」であると言えます。ですから、我々現代人は、基本的にそうした「鬼」=「もの」を忌み嫌ってきたわけです。見ないようにする、あるいは、皆でいじめる。豆まきはその象徴です。
1 さて、そんな中、「鬼」=「もの」を、決して拒否せず、またそれから逃げずに、しっかり向かい合った青年がいました。それが志村正彦くんだったというわけです。
 彼を評するのによく使われる言葉は「叙情」「変態」などですが、それらはある意味「心の鬼」と言えます。「敏感」で「繊細」な「叙情」は、「説明できない孤独や切なさ」であり、「変態」は「妄想」や「性的な欲求」かもしれません。それらは、古文の時代においては「もののけ(物の怪・鬼の気)」と呼ばれました。
 そう考えると、彼らの代表曲の一つ(音楽的にも世界に不二な存在です)「モノノケハカランダ」は、まさに古典的な日本語、あるいは古典的な日本人の感性や世界観をそのまま継承していると言えますね。
 YouTubeで聴いてみましょう。

モノノケハカランダ

20100204_62102 すごい音楽ですね。イントロからして、私の常識ではありえない音楽です。天才。
 歌詞を読んでみましょう。「思いのほか」、「止まるなって言ってる」、「獣の俺」、「もうモノノケ」、「止まれなくなってる」…これこそまさに「心の鬼=モノ」世界です。
 昔ならこの感情を和歌で表現していたのです。あるいは、皆さん御存知の徒然草冒頭にある「ものぐるほし」という言葉もそうですね。あれなんかも、学校の先生や学者さんたちは、その真意をとらえていません。
 一方の「説明できない孤独や切なさ」についても、もう例を挙げるまでもなく、フジファブリックの曲に満載です。志村くん最後のアルバムとなってしまった「CHRONICLE」は、まさにその双方の「心の鬼=モノ」の競演、せめぎ合いであったと言えます。
 そういう我々がつい幽閉してしまう「モノ」に、正面から対峙したのが志村正彦くんだったわけですね。それを「天才」と言ってしまうのは、もしかすると安易なのかもしれません。彼のその「まじめすぎる」「不器用な」生き方は、すなわち「命を削る」生き方そのものだったわけですから…。

 PS 今日「鬼は内」と言ってマメを食べたら、皆さんが追い出した鬼がみんなウチに来てしまいました。カミさんがまさに鬼の形相になって、ものすごいことになりました(笑)。2時間ほどで正気に戻りましたが、全然覚えてないとのこと…おいおい(笑)。しかし、そういう手荒いカタルシスも必要なんです。あとには晴れ晴れしく澄んだ空気と心が残りました。ふぅ。

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2010.02.02

『THIS IS FOR YOU〜THE YELLOW MONKEY TRIBUTE ALBUM』

51beq52ggll_sl500_aa240_ 成20周年のアニバーサリーを終えたばかりのイエモン。アルバムの完全版が発売されなど、再評価の流れは止まりそうもありません。これを機に、彼らを知らない世代にも、ぜひ、ぜひ聴いていただきたいところです。
 何を隠そう、この私も彼らにはとんでもない影響を受けました。おおげさでなく、私の音楽観、日本語観を変えたと言っていいと思います。今、こうして、たとえばフジファブリックやレミオロメンやバンプなどのJ-ROCKを聴いているのも、彼らのおかげです。
 それまでの私は、洋楽ロック、バロック、ジャズばかりを聴き、そして演奏していました。そこに雷を落としたのがイエモンだったのです。
 その一発目の雷は、具体的に言いますと、あの超名盤「SICKS」です。それについてはこちらの記事に詳しく書いてあるとおりですね。
 それから全てのアルバムを狂ったように聴き尽くしました。ライヴにも行きました。そうこうしているうちに、どういうわけか、吉井和哉さんがご近所さんになり、妙なご縁にまで恵まれて、ますますイエモンの音楽、吉井和哉の歌が、私の心を開いてくれたのでした。ありがたいことです。
 今の若い世代のロック・ミュージシャンにとっても、彼らカリスマ的な存在です。ですから、私と彼ら若い人たちは同じ体験をしているわけですね。そういう部分で、私は自分よりもずいぶんと年下の人たちの音楽や言葉に共感しているのかもしれません。
 それにしても、不思議なことはあるものです。吉井さんがいた河口湖北岸をはさんで、御坂峠を越えたところにレミオロメンが生まれ育ち、こらち側、すなわち富士山側にフジファブリックの志村くんが生まれ育ち、そして、両者とも吉井さんと共演するまでになっていくとは…。
 ちょっと変な話ですが、土地が持つ不思議な霊力のようなものがあり、それが彼らを結んでいるような気さえするんですよね。そして、そこにたまたま私が住み、その磁場のようなものに引っかかって、それぞれ別々にご縁ができて、いつのまにか、それがまた一つになっている…本当に偶然に偶然が重なっているんです。
 吉井和哉さんと志村正彦くんに関しては、実は別の視点でもいろいろと不思議なことがあります。御本人たちは全く意識していなかったと思いますが。
 私はこちらの記事で「吉井和哉は太宰治だ」と書きました。これもまた、単に人間として、天才としてという意味だけでなく、御坂峠という土地が絡んだ共通性です。
 そして、志村くんについては、こちらにも書いたように、中原中也との不思議な共通点があります。あそこに書いた高円寺のみならず、よく考えてみると、フジファブリックが担当したラジオ番組「フジファブリックのGUCHI GUCHI言わせて」はFM山口制作でした。山口と言えば中原中也の故郷ですね。山口から高円寺に行ったのです。なんで、フジが山口だったのか…今になってみると、そこには深い意味があったような気もします。
 こんな感じですから、近年の吉井さんと志村くんの接近は、私には「太宰と中也」の遭遇のように見えていたのです。
 実際の太宰と中也は少なくとも3回は遭遇しています。この二人はなんとも微妙な関係にありました。太宰は中也よりも年下。太宰は中也を尊敬していたようですが、実際会ってみたら、実はとんでもない酒乱で、何度も喧嘩腰に絡まれて、ほとほと閉口してしまいます。最終的には苦手な人間として遠ざけていたふしさえありますね。しかし、ある意味では、同じような魂を持っていた、あるいは同等の才を持っていた二人とも言えます。
 もちろん、吉井さんと志村くんとは、いろいろな面で二人の関係は違ったものですけれども、しかし、もしかすると、「魂」や「才」の部分では何か共通点があるかもしれません。少なくとも私自身にはそれがあるように感じられます。表現の方法は違うけれども、やはり同じ何かがある…。
 そういう意味で、志村くんの実質的なこの世での最終完成音源となったのが、このアルバムに収録されている「FOUR SEASONS」だったというのは、なんとも運命的です。
 私にとっても、好きなイエモンソング、ベスト3に入るこの曲を、志村くんがカバーすると聞いた時には、本当に興奮しました。ある意味夢にも見ない夢の実現でしたから。
 しかし、志村くんが去ってしまった今となっては、かなり辛い歌となってしまいましたね。あまりに歌詞が辛い。叫びが辛い。今まで、自分でもカラオケなどで歌ってきた曲ですが、こんな違った意味を持つようになるとは…。
 きっと吉井さんも辛いでしょう。年末28日の武道館ライヴも苦しかったことでしょう。正月にはこちらにいらしてましたが、いったいどんな気持ちで富士吉田の街を、そして富士山を眺めたことでしょう。
 「勇気が足りない 力が足りない 時間が足りない お金が足りない 空気が足りない 命が足りない」…これを歌った時、志村くんは自らの運命を知るよしもなかったはずです。
 

Disc 1
WELCOME TO MY DOGHOUSE / Scoobie Do
LOVE LOVE SHOW / 奥田民生
SUCK OF LIFE / 毛皮のマリーズ
SPARK / 秦基博
JAM / TRICERATOPS
空の青と本当の気持ち / 星羅
SEA / 山田孝之
BURN / 椿屋四重奏
カナリヤ / tacica
4000粒の恋の唄 / あがた森魚
PUFF PUFF (instrumental) / MORGAN FISHER

Disc 2
FOUR SEASONS / フジファブリック
パール / 黒猫チェルシー
TVのシンガー / 9mm Parabellum Bullet
楽園 / KREVA
SHOCK HEARTS / metalmouse
球根 / THE BACK HORN
追憶のマーメイド / ムック
離れるな / 金子ノブアキ
SO YOUNG / シュリスペイロフ
メロメ (instrumental) / MORGAN FISHER
バラ色の日々 / Nothing's Carved In Stone
プライマル。 / フラワーカンパニーズ

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2010.02.01

『サイドマン ~ビートルズに愛された男』 (NHKハイビジョン特集 フロンティア)

20100202_90833 とこと…「かっこいい」。
 お正月に見逃したクラウス・フォアマンのドキュメンタリー。1ヶ月待って、ようやく再放送を観ることができました。知り合いのクラウスファンが泣きまくったというので期待していたわけですが、たしかにこれは感動ですねえ。
 もちろん、クラウスのベーシストとして、そしてグラフィック・デザイナーとしての業績を振り返るだけでも感激。いやあ、本当にすごい人だ。
 当然、彼にまつわる、ビートルズをはじめとして多くの名バンドの懐かしい映像や曲が流れます。うわぁ、この曲のベースもクラウスだったのか…。
 そして、往年のミュージシャンたちの現在の姿にも感動。ジョンやジョージのように亡くなってしまった方もいるわけですが、逆にいまだに元気な皆さんの笑顔や真剣な演奏姿を見るだけで、もううるうる…。ベテランのレコーディング風景(一発録りセッション)の楽しさ、緊張感…最高ですね。すごい境地です。ランディー・ニューマンの「ショート・ピープル」懐かしすぎ。
20100202_93258 それにしても、リンゴ・スターは元気だなあ。今年70歳ですよね。若い。そして相変わらずのドラミング。ますます味が出ちゃってますね。そして、ちょっと頑固じじい風なシーンもあったりして(笑)。ポール・マッカートニーも元気そうでなによりでした。
 クラウスを一言で言うと、やはり「天才」。なにしろ、20世紀を代表する天才たちが「天才」というのですから、本物でしょう。
 ベーシストととしても唯一無二の存在だった彼。たしかに彼のベースのフレーズは静かですが確乎としていて揺るぎない感じがします。番組中本人か誰かが語っていましたっけ。彼は楽譜は用意する(楽譜を見ておくことは重要だ)けれども、楽譜どおりは弾かない。そして彼の生み出すフレーズは、極端に上下するわけではないが個性的だと。なるほど、そのとおりですね。
 そんな天才音楽家であった彼は、しかし、音楽に飽きてしまいます。そして、ある意味本来の自分の道である「美術」「グラフィック・デザイン」の世界で、これまた大活躍します。
20100202_134755 だいいち、皆さんご存知のとおり、あの「リボルバー」のジャケットは彼の作品ですよね。天はニ物を与えたわけです。それも世界最高レベルで。ううむ、うらやましい。
 しかし、彼のすごいところはですね、どこまでも謙虚であったということです。いや、今でも充分に謙虚ですよ。だからかっこいいのです。誰か(私も含む)みたいに、大したことないのに「はったり」をかまして、目立とうとしたり、かっこつけたり、自慢したりする人間とは違います。
 そういう人間性の持ち主だったのですね。もし、彼がある意味普通に目立ちたがり屋であったら、もっと有名になっていたかもしれません。いや、The Beatlesのメンバーになっていたかもしれません。しかし、それを拒否したところから、現実の、あのThe Beatlesは生まれたとも言えます。そういう人なんですよね。
 そんな彼が70歳になって初めてリーダーとしてアルバムを制作しました。「A Sideman's Journey」…名だたるミュージシャンたちと同行二人…いつのまにか、壮大な自らの旅もデザインされていったのです。その終着点が、美しくリラックスした軽みのあるこのアルバムだったというわけでしょうか。
 すごいですね。またまた尊敬するベーシストが一人増えました。「サイドマン」…私もそういう人になりたいものです。

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2010.01.30

天の歌…

あの日あの時あの場所の富士
Img_0189_3 「にいちゃん、天国でもいっぱい歌うんだって。だから聴いててあげてね」…お通夜で志村くんの妹さんが、ウチの娘たちにかけてくれた言葉です。安らかな志村くんの寝顔を、事情がつかめないまま茫然と見ていた9歳の上の娘は、その言葉を聞いて堰を切ったように泣き出しました。
 本当にウチの家族の日々の愛唱歌はフジファブリックだったのです。もちろん、今でもそうなのですが…。
 ここから先の話はちょっと「痛い」話かもしれません。それでもどうしても書きたいので、読んでやってください。
 今朝、私は実に不思議な経験をしました。私は、いつものとおり、富士山にある自宅から職場である富士吉田の学校に向かいました。いつもの時間、いつものコースです。ちょうどあの日志村くんが天に昇った聖苑の隣を通ってスバルラインに出ようかという時です。その歌は聞こえてきました。
 カーステレオの調子が悪く、最近はほとんど無音の中での通勤が続いていました。だから良かったのかもしれません。静寂の中、突然聴いたことのない音楽が流れ始めたのです。
 それはたしかに聴いたことのない音楽でしたが、しかし冒頭のイントロ部分だけで「フジファブリックだ!」と分かりました。
 ミディアム・テンポで透明感のあるその曲は、イントロから美しく幻想的なAメロに入っていきました。私は息を呑みました。いったいどんな歌声が聞こえてくるのか…。
 それはたしかに志村正彦くんの声でした。私は一生懸命聴こう聴こうとしました。歌詞を聞き取ろうと必死に心の耳を澄ませました。
 途中、スバルラインには、路面に施された仕掛けによって童謡「ふじさん(ふじのやま)」がほとんど暴力的に流れるところがあるのですが、そんな音にはかき消されたくなく、私は対向車のないのをいいことに右側の車線を走りました。
 しかし、どうしても言葉は聞きとれません。でも、メロディーははっきり聞こえます。イントロ、Aメロ、サビ、基本的に同じコード進行ですが、そこに施された旋律の変化とアレンジの変化、そして彼ららしい所々の意外な挿入句が見事でした。いかにもフジらしい楽曲。
 私はその印象的なギターやキーボードのリフはその場で覚えてしまいました。これは学校に着いたら早速楽譜に書き留めておこうと思いました。
 車は富士吉田の市内に入り、突然私に日常が還ってきます。その曲は鳴り続けていますが、しかし、だんだん街の喧騒といいましょうか、日常の霞のような何ががそれをじゃまして、次第に朦朧としていきます。そして、いつか、その音楽はフェードアウトして消えてしまったのでした。
 私はとにかくイントロだけでも忘れないようにと、一生懸命それを口ずさみました。絶対音感がない私は、とりあえず学校のピアノで音をとって楽譜にしようと思いました。しかし、学校に着くと、いきなり仕事がいくつか入ってしまい、そんな時間もなくなってしまいました。
 残念です。今、その音楽の印象は、まさに霞の向こう側といった感じで、たしかに残っていますが、はっきりと音にできないのです。それでも、あの、フジの新曲を聴くドキドキ感、ワクワク感は忘れません。いい曲でした。
 たぶんこれは、人からすれば「気のせい」「思い込み」「(自意識過剰な)痛い話」になるのでしょうが、私はやっぱり妹さんの「天国でもいっぱい歌うんだって」という言葉を信じたい。そんな天の声をたまたま聴くことができたのだと思いたい。ちょっと恥ずかしいけれども、正直そんなふうに思います。
 いちおうそれなりに音楽的な生活をずっとしてきましたから、それが初めて聴く曲なのか、そうでないのか、また、それがどういう個性を持っているのか、いい曲なのかどうか、そういうことはある程度分かるつもりです。だからこそ、あの曲は間違いなくフジファブリックの新曲だったと、私自身は確信を持っています(ホントごめんなさい、自己中心的で…誰も聴けませんものね)。
 しかし、たとえばこういう形ででも、やっぱり志村くんは私たちと一緒にいてくれるんだと思いました。天国でちゃんと歌っていてくれてるんだ。天に才能を返して、天でその仕事を全うしてるんだ…。
 天才という人たちの仕事の一端に触れたような気もしました。きっと彼らはこうして天の歌を心の耳でとらえて、それを私たちにちゃんと聴かせてくれるのでしょう。残念ながら私にはそのような才はありませんでしたが…。
 志村くん、これからもどんどん天の歌を聴かせてください。心の耳を澄まして待っています。
 ありがとう。

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2010.01.24

高円寺駅南口ロータリー…

Photo 日でちょうど1ヶ月ですね。フジファブリックの志村正彦くんの最初の月命日。
 そんな日にたまたまこの場所に来るとは…。
 全く意図していなかったのです。本当にたまたま別の事情から考えてここになったのです。不思議ですね。
 今日は家族で東京に行きました。私は3月に出演するコンサート(こちら)の練習で北区へ。家族はいつもの浜松町や東京駅、そして浅草見物に行ったようです。
 丸々6時間ベートーヴェンやハイドンを弾きました。さすがにオール初見での練習はきつい…でも、全て初めて弾く、いや聴く曲(全く知らない曲だったのです)に感動。当時のオケのメンバーもこんな感じで楽譜を配られて、初演の曲に臨んだりしたんだろうな、なんて感慨にふけっていました。
 練習を終えた私は、5時近くに北区を出発して、富士山のシルエットに沈む異様に美しい「茜色の夕日」を眺めながら、「環状7号線」を飛ばして高円寺に向かいました。
 最終的に新宿にいた家族と、環状7号線の近くで練習していた私が落ち合うのは、やはりどう考えても「高円寺」になりますよね。自然な流れだと思います。
 家族は北口にいたのですが、停車場所がなかったので、私はガードをくぐって南口のロータリー横に車を停めました。そこら中に車が停めてあったのに、そこだけポカンと空いていたのです。その時はただ単にラッキーと思っただけでした。そこに買い物袋をかかえた家族がやってきました。
 車を停めた時は、気づかなかったのですが、家族が車に乗り込む時、車の窓から外をのぞき込むようにした瞬間、私はとても不思議な気持ちになりました。あれ?この風景…。
 そうです。私は上の写真をふと思い出したのです。たしかここだった…志村くんが立っていたのは!
20100125_62723 確信がなかったので、車の窓越しにiPhoneで写真を撮りまして、ウチに帰って確認しましたら、やっぱりそうでした。まさにその場所にレンズを向けていたのです。
 ただご覧のように、今南口ロータリーは工事中です。リニューアル工事が行われています。
 富士吉田の市民会館(富士五湖文化センター)も今改修中でして、こうして志村くんを偲ぶ風景が変っていってしまうのも、なんとなく悲しい気がしますね。
 この前、「中原中也 『我が生活』」という記事に書いたとおり、志村くんと中原中也は同じ19歳でこの場所に立ってたのですね。感慨深いものがあります。
 高円寺は、ねじめ正一さんの「高円寺純情商店街」や、大槻ケンヂさんの「高円寺心中」を挙げるまでもなく、さまざまな現代の文学や音楽の原点になっています。志村くんも「原点中の原点」と言っていますね。
 古くは、中原中也だけでなく、川端康成も高円寺で貧乏生活をしています。島崎藤村もですね。まあ、とにかく高円寺、阿佐ケ谷、荻窪、三鷹あたりは、そういう空気のある所です。
 志村くんは、ピザ屋のバイトの先輩から高円寺をすすめられたそうですが、「音楽やるなら高円寺に住め」という流れは、たしかに世間にあるようですね。
 考えてみると、役者を目指していたウチの姉も高円寺に住んでいたんだっけ。そういうサブカル的というか、アングラ的な雰囲気もあります。
 私は個人的には本当に最近になって高円寺と縁ができたんです。ここ1年のことです。発端は、プロレスの勉強会で定期的に高円寺に通うようになったということ。そう、スネークピット・ジャパンがあり、ビル・ロビンソン先生が住んでいたというのがきっかけです。
 その後、何人かの教え子がこの近辺に住んでいるのもわかり、年に何度かは通うようになり、高円寺で朝まで飲み明かすなんてこともあるようになりました。それも考えてみれば不思議な流れでした。
 さて、高円寺南口ロータリーで落ち合った私たち家族は、中央高速で富士山に帰ってきました。途中、車は罔象女命の上を通ります。そこから富士吉田市の夜景(含む富士急ハイランド)を眺めました。そして、スバルラインで富士山に駆け上がり、志村くんが天に昇った聖苑のすぐ横を通って、我が家に帰ってきた次第です。
 こうして期せずして、私なりの月命日のお祈りをすることができました。なんとなくですが、やっぱり「ありがとう」と言いたい気持ちです。志村くんの、いろいろな土地土地での、いろいろな思いを感じることができたような気がします。
 おやすみなさい。

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2010.01.23

(たぶん)長生きの凡才作曲家?…29歳の時の作品

Purcell 日の天才作曲家たちに対抗して、凡才のワタクシめの作品を披露します(笑)。つまり、恥をさらします。先ほど確かめてみましたら、ちょうど29歳の時の作品でした。
 私はまだ独身、下吉田のぼろアパートで7年間掃除をしない(!)部屋で、実にダメダメな生活をしていた頃の作品です。
 当時、別に音楽家になろうなどとは考えておらず、単にパソコンやらシーケンサーやらを手に入れたのをきっかけに、ためしに色々と作ってみたという程度です。
 ただ、当時は一人暮らしでヒマだったのか、また、邪魔をする人がいなかったからか、よく酒を呑んでエレピを即興演奏し、「音楽日記」をつけていました。それはそれはかなりシュールな作品集になっております。どこかに録りためたDATがあるはずですが、とても恐くて聴けません。たぶんこのまま封印です。
 で、今日さらしてしまうのは2曲。実は1曲目は以前も紹介したのです。まあまあウケは良かったのですが、久しぶりに公開しようと思ったのは、カミさんの一言がきっかけです。「これ、フジファブリックみたい」…まじかよ!ww
 これ、もう今から16年くらい前に作ったものですからね、実は志村くんよりかなり早くこういう変態的なことやってたってことですか(笑)。
 というわけで、最初は「サザエさんロックヴァージョン」です。こちらの記事で説明したように、これはQY20というYAMAHAの超小型シーケンサーで作ったものです。あの爪の大きさくらいのゴム鍵盤を一生懸命押して、リアルタイム録音したものです。とは言っても、もちろんリズムやコードは「パターン」を組み合わせて作ってありますから、半分は打ち込みということですね。まあ笑ってやってください。ヴォーカルはもちろんワタクシです。メロディーは原曲どおり、コードを変えて作っているらしい…。

サザエさんロック

 続きまして、昨日の記事で紹介したヘンリー・パーセルの変態性に憧れて作ったフーガです。けっこう対位法的には凝ってますね。主題が反行になったり、拡大したり、ストレッタで現れたり。半音階を多用して変態的に仕上げています。今だったら、とても出来ないな、こんな過激な和声。若気の至りですわ。
 これは記憶によると、当時初めて買ったパソコン、富士通の白TOWNSを使って打ち込みしたような気がします。なんのソフト使ったか、いまいち覚えていない。楽譜を書いて作曲したのか、そうじゃないのかもはっきりしません。画面上で音符を置いていったような記憶が…。楽譜もMIDIデータも残っていない謎の作品です。
 まあ力作と言えば力作ですが、その道の専門家の方からすれば、単なるトンデモ作品ということになるでしょう。凡才はしょせん凡才というわけです。まあ、気が向いたらどうぞ。

3声のフーガ

 なんだかんだ言って、その後こうした遊びはしなくなりましたから、やっぱり若さというのはバカさである反面、案外創造的なものなのかもしれません。
 と、久しぶりに音楽を作りたいような気もしてきました。なかなかヒマがないし、集中する環境がないんですけどね。

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2010.01.22

夭折の天才作曲家 ヘンリー・パーセル

250pxhenry_purcell_by_john_closterm 日、Mステを観ていたら、ノラ・ジョーンズが登場したのでビックリ。それまでの、異様に不毛なJ-POP群に辟易していたところに、あの時間も空間もジャンルも軽く飛び越えた楽曲が演奏され、その天才ぶりに余計に驚きました。
 彼女の父はいわずもがな、インドの天才シタール奏者、ラヴィ・シャンカールです。ジョージ・ハリスンに多大な影響を与えたことでも有名なグローバルな音楽家ですね。まだご存命なのでしょうか。
 このMステを観て、聴きながら、改めてフジファブリックの志村正彦くんは天才だったなと思ったのでした。ノラの音楽同様、「今」はどのジャンルにも収まらず、誰にも似ていず、一方で、過去の音楽のエッセンスも感じ、その意味ではたくさんの音楽に似ているとも言える、そういう音楽が今、日本のヒットチャートにはあまりに少なすぎます。
 一般人たるファンを置いていくほどに常に変化し続けるのも天才の特徴です。ジョージというかビートルズもまさにそういう存在でした。
 音楽史にはどの時代にも「天才」はいました。いや、音楽史は天才によって作られていくと言ってもいいかもしれません。のちに「○○派」とか「○○音楽」などと呼ばれ、分類画期されるためには、そのエポックをメイキングする「天才」が必要です。
 そうした天才の中で、「彼がもう少し生きていたら音楽史は変っていただろう」と思わせる、いわゆる「夭折の天才」という人が何人かいます。
 その代表格とされるモーツァルトについては、私は「神童」ではあったけれども、それほど「天才」ではなかったと、かなり辛口な評価しか与えていません(スミマセン)。
 では、私が考える音楽界の「夭折の天才」とは誰かと申しますと、そうですねえ…近いところでは、やはり志村くんも、残念ですが結果としてそういうことになってしまいましたね。
 ジョン・レノンも夭折と言っていいでしょう。ただ、あの時点でもう充分に仕事をしていたとも言えますが。
 もう少し遡って、山田かまちでしょうかね。彼があと10年でも長く生きていれば、音楽のみならず、詩の世界も、絵画の世界も変わっていたかもしれません。
 忘れてはならないのは瀧廉太郎です。彼は23歳でなくなってしまいました。彼こそ世界の音楽史の中でも最も惜しむべき夭折の天才でしょう。彼についてはいつか書きたいと思っています。
 そして、ヨーロッパに目を向けますと、もうこの人しかいないでしょう。イングランドが生んだ天才ヘンリー・パーセルです。36歳で亡くなってしまった彼については、以前『イングランド、我が祖国〜パーセルの生涯』の記事で少し紹介しましたね。
 ちょっと理解してもらえないかもしれませんが、私、志村くんの楽曲とパーセルの楽曲に似た印象を持つんです。そうですねえ、わかりやすく言えば、変幻自在であり、叙情的な面と変態的な面を持ち合わせるというか…。ちょっと言葉で説明するのは難しいのです。とにかく先ほども書いた「過去の遺産を引き継ぎつつ、誰にも似ていない音楽を作る」「型を知りつつ型にはまらない」という「天才」の条件を二人ともしっかり持っていたと思うんです。
 まあ、いろいろ言うより、聴いていただきましょう。今日は2曲。まず、「グラウンド上のファンタジー」です。単純で美しい定番の循環バスの上に、3本のヴァイオリンが「妄想」を紡ぎます。スタイルとしては有名なパッヘルベルのカノンと同じですが、その「変態度=天才度」が違い過ぎます。バロック時代とは思えない実験的な和声がこれでもかこれでもかと展開していきます。先を予想することができません。ある意味プログレしてますね。2小節目の頭の不協和音からしてありえません。
 我々シロウトがこの曲を演奏すると、「間違えた!」「下手くそ」と言われてしまいます。それほど破格な曲です。これを彼は20代で書いていたわけですね。では、どうぞ。

 どうでしたか?変態的な美しさでしょ(笑)。
 彼は本当にいろいろなジャンルでいろいろなスタイルの曲を書いているのですが、いわゆる「歌」でも名曲をたくさん残しています。その中でも有名な「Music for a While」という曲があります。
 たまたま、YouTubeに、音楽祭でお世話になったエブリン・タブさんの演奏があったので、まずはそれを聴いていただきましょう。

 神秘的な美ですね。「ひとときの音楽」の意味は深い。
 さらに今日はそのジャズ・ヴァージョンを聴いていただきましょう。志村くんも最後に音楽的洗礼を受けたものと思われるスウェーデン音楽。そのスウェーデンを代表するジャズ・ピアニスト、ボボ・ステンセンのトリオによる演奏です。骨格的には原曲のままです。しかし、この現代性というか、時代を超越する魅力、美しさは驚愕に値します。演奏的にはポール・モチアンのドラムスもいいですねえ…。では、どうぞ。じっくり味わって下さい。

 夭折の天才…たしかに悔やまれる現実がそこにあるのですが、やはり、こうして聴いてみると、天才たちはいち早く「才能を天に返す」運命にあるのかもしれないと思われてきますね。

Amazon ベスト・オブ・パーセル

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2010.01.21

フジファブリック 『熊の惑星』

54_20100121_00002 ほど、富士吉田市の「夕方5時のチャイム」が鳴りました。今日はまた特別に胸に響きますね。
 今日は東京の中野サンプラザにおいて、お別れの会「志村會」が執り行われています。私は仕事が立て込んでいてうかがうことができませんが、知り合いの数人が駆けつけて、現地の様子などを伝えてくれました。
 悲しみは絶えません。しかし、こうしてファンの人たちの気持ちを集める場が設けられたのは、志村正彦くんにとっても、また、メンバーにとっても、親族の皆さんにとっても、そしてなんと言ってもファンの人たちのために、とてもいいことだと思います。
 何ごとにも一つの区切りというか、前に進むきっかけというのは必要です。私も今日、また新しい気持ちで彼の曲を聴くことができそうです。皆さん、ありがとうございました。
 さて、今日はそんな大切な日にちなみまして、一つエピソードを紹介いたします。
 この前記事にしました名曲「若者のすべて」のカップリングに「熊の惑星」という可愛らしく愉快なナンバーがあります。まずは、お聴きください。

 作曲はベースの加藤くんです。中国風なイントロやリズムを伴ったなかなか楽しい曲ですね。もちろん志村くんの歌詞にインスパイアされての曲作りだったことでしょう。歌詞をご覧ください。
20100121_173724 不思議な「詩」ですね。まさに「夢の対決」、夢で見た光景をそのまま言葉にしたような不思議な世界が広がっています。
 「熊の惑星」と言えば、私などアメリカのSF作家R・A・ラファティの「どろぼう熊の惑星」を思い出します。あの短編集、以前図書館かどこかでチラッと眺めたことがあります。けっこう残酷な雰囲気の童話だったと記憶しています。もしかして、志村くん、このあたりからヒントを得たとか。
 軽みもあって、実は残酷でシュールというラファティの味が、この歌詞と不思議に共通していると思います。
 さてさて、そんな熊(なぜか北欧の熊)に対するのは、アジア一のワザの使い手「ひげの太極拳野郎」です。
 この正義の味方の正体について、志村くんが何かインタビューなどで語っているかどうか私は知りません。ただ、この歌詞を聴いた時に、あることをピンと思い出したのです。志村くんの理想の男がこんなところに出てきていると。
 というのは、彼の中学時代の卒業文集に「太極拳男」が登場しているのです。あまり詳しくは書けませんが、彼の目指す「太極拳男」は「効率のいい男」だそうです。
 その文集の文にも、はっきり言って他の生徒たちとは全く一線を画した芸術性(?)があり、もうすでに天才詩人の片鱗がうかがわれます。ある意味ぶっとんでいるんですよね。
 そんな理想の男がひげをたくわえて再登場したと思ったのです。
 たまたまでしょうが、ラファティの熊は北欧どころか、宇宙からやってきた盗っ人エイリアンでして、それを志村くんの目指した理想の太極拳男がやっつける光景が目に浮かんだんですよね。
 旗を取り合っていますが、いったいこの「旗」とはなんなのでしょうか。彼がこの詩について何か語っているのを知っている方がいらっしゃいましたら、ぜひ教えてください。
 繊細で抒情的な詩や、変態的で過激ともとれる詩の多かった志村くんの作品ですが、このような軽みのあるユーモアもまた彼の魅力の一つでしたね。そのへんの幅の広さも中原中也的であるとも言えそうです。
 「若者のすべて」「セレナーデ」「熊の惑星」…たしかに彼の少年時代の香りがする曲たちですね。
 今日はあえてこの曲を聴きながら、あらためてご冥福をお祈りしたいと思います。
 Rest In Peace …

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