カテゴリー「音楽」の465件の記事

2008.05.16

BUMP OF CHICKEN 『orbital period (DVD)』

4988061180878 あさって、さいたまスーパーアリーナで行われるバンプのライヴに行ってきます。いろいろと紆余曲折がありましたが、結局行けることになりました。本当は小さな箱で聴きたいところですが、まあぜいたくは言えません。楽しんできたいと思います。
 さて、ちょうどそんな時にこのDVDが届きました。届いたとは言ってもワタクシのものではなく、いつものように生徒に頼まれて代理購入したものです。で、早速放課後何人かの生徒と大画面で観てみました。
 うむ、これはライヴに向けてテンション上がりますね。まあ、それほどコアなファンではなく、そしていい年したオジサンではありますが、それでも、彼らの音楽を生で聴き、彼らの姿を豆粒大ながら観ることができると思うと、ワクワクするものです。
 このDVD、アルバム『orbital period』に収められたシングルを中心としたPV集なんですけど、それぞれの楽曲のクオリティーと同様にビデオ・クリップのクオリティーも高く、かなり集中して見入ってしまいました。彼らは本当に独特の世界を作り上げることが出来るアーティストですね。その言葉と音楽と映像の世界に思いっきり吸い込まれて、オジサンはいい気持ちになったのでした。特にああやって暗幕を閉めて大画面で観るといいよなあ。それぞれが一篇の映画のようでもありました。
 今日はそんな感動をちょっとお裾分けいたします。いろんなところから拾ってきたPV映像を順番に貼っておきます。いろいろ理屈をこねるより、聴いてもらい、観てもらうのが一番ですから。リンクが切れていたりしたらごめんなさい。
 いやあ、みんないい曲だなあ。特に「ギルド」は好きだなあ。生で聴いたら泣くな、きっと。
 それにしても藤原は幽霊みたいだな(笑)。細すぎるし白すぎる。まあヲタ的に言えば、あのノドボトケとか鎖骨がいいのでしょう。ワタクシの好みはやっぱり升くんの叩きっぷりですがね。
 あ、あと、バンプお得意の隠しトラック、今回もちゃんとありました。くっだらないけどね(笑)。



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2008.05.03

角石(かどいし) 『若き百姓よ/休耕田に佇つ百姓』

Kadoishi1 日の中世ヨーロッパ音楽とは全く違う…かと思いきや、案外似たものを感じたのであります。なんというかなあ、土着の音楽というか、風土が生む歌というか、言葉が先というか…。とにかく非近代西洋音楽であります。
 今日中古レコード屋さんから届いたこのEP盤、知る人ぞ知る「百姓フォーク」伝説のグループ「角石(かどいし)」のシングルであります。今でも日本の音楽史の中の珍盤として、たとえばこちら「」にも収録されていたりします。
 で、実はこのグループのリーダーで、この濃〜い曲の作曲も手がけ、そして味わい深いボーカルを担当している阿部養助さんがですねえ、ウチのカミさんの実家の3軒隣のご主人なんですよ。全くビックリです。
 いやあ、最近、ウチのカミさんの生まれ育った秋田県の羽後町が、本当にワタクシ的にブームになっちゃってて、ホント驚きなんですね。ちょっとまとめてみますとですね、次のようになります。

 1 土方巽
 2 かがり美少女イラストコンテスト
 3 古典的メイドカフェ
 4 角石 関係記事…この記事
 5 佐藤信淵 関係記事…いずれ書きます

 私のセンサーに引っかかりまくり。いくらなんでも、これは偶然ではないでしょう。あまりにピンポイント過ぎます。日本にはたくさんの「田舎」があるでしょうが、ここまで私の心をひきつける所はないですよ。自然も豊かで素晴らしい上に、独自の文化があまりに私好みです。
 それにカミさんとは結婚してちょうど10年になりますけど、今年になってからなんですね、いろいろと分かり始めたのは。てか、カミさんはほとんど知らなくてですね、私が「○○って知ってる?」と聞くと、「ああ、それは…」という展開が多い。お互いにとって驚くことばかりです。結婚10年目にして、ようやくこの人と結婚した意義が解った…なんちゃってね。
 話を「角石」に戻しましょう。とにかくこの伝説のグループ&楽曲、聴いていただきたいですねえ。すごすぎますよ。著作権の問題もありますが、ここは思いきって音を載せます。あえて音を劣化させるために(?)、こちらのレコーダーで生録したものです。あくまで、部屋の音を生録したということで。たまたま、かかってた曲がこの曲だったと(ありえね〜!ww)。

若き百姓よ
休耕田に佇つ百姓

Kadoishi2
 どうですか!?もう解説は不要ですよね。すごすぎます。ソウルフル過ぎます。かっこよすぎます。このメッセージ性、今のJ-POPなんていうチャラチャラしたものとは比較するのもおこがましい。
 歌詞は右を画像をクリックしてご確認ください。作詞はこれも伝説の農民彫刻家である皆川嘉左衛門さんです。ジャケットの農民像(彫刻ですよ、これ)も彼の作品らしい。
 1979年と言えば、私は一生懸命洋楽を聴いていた時期です。高校に入学した年でしょうか。ヴァイオリンを弾き始めた頃でもありますね。そんなチャラチャラしたことをやっていた少年がいた一方で、当時5歳かそこらだったカミさんの棲む集落では、こんなに熱い音楽をやっている青年がいたわけです。なんということでしょう。
 今度、近いうちに羽後町でウチの歌謡曲バンドのライヴをやろうと考えているんですが、これはもう当然この曲をやらないわけにはいかないでしょう。やりたいっす。ストリングスも重厚に入ってますし、いいんでねえが。こうなったら、養助さんにぜひヴォーカルを!頼んでみようかな。
 ちなみに阿部養助さん、今年町議会議員に当選されたそうでして、また、今でも音楽活動をされているとのことで、町おこしのために一つ音楽の力を利用していただきたく思います。今度、秋田に行った際には、ぜひお会いしたいものです。
 いやあ、不思議な縁が続きますなあ。人生は面白いっす。アンテナを張り巡らせていると、まあとんでもないメッセージがつかまるものですよ。心を開いて待っているという姿勢って大切ですね。
 しっかし、すごい!角石!ぜひカバーさせていただきたい!

Amazon 幻の名盤解放歌集 ワーナー ミュージック 春の紅白歌合戦 白組編

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2008.05.02

アンサンブル・ラルバ 『ソプラノとリュートで紡ぐ 中世の愛の歌』

542ga 士吉田パプテスト教会で行われたヨーロッパ中世音楽のコンサートに行ってまいりました。
 歌とサンフォニーは夏山美加恵さん、リュートはルネ・ジェニス=フォルジャさん。
 セフェルディックやトルバドゥールの歌といった、11世紀から13世紀にかけてのイベリア半島の音楽を中心とする大変渋いプログラムでしたが、会場は満員大盛況。私のような古楽人でもなかなか生で聴く機会のないジャンルでしたから、一般の方はどのような印象を持たれたのでしょうね。きっと不思議な感じがしたのではないでしょうか。いわゆるヨーロッパのクラシック音楽のイメージを抱いて会場にいらした方々は、あの非和声的、旋法的、即興的、詩的な世界は、全くの新しい体験だったのでは。
 当時のイベリア半島には、イスラムやユダヤの文化が多く流入し、中世キリスト教音楽と、現地の民俗音楽が混ざり合う、大変に個性的な音楽や詩、そして言語が発達していました。近代的なそれらに統合される前の一種カオスの状況とも言えますね。そこに立ち現れるエネルギーはどこかアジア的でもあります。ああ、そうか、その頃はまだ、「西洋」は確立してなかったんだよなあ。西洋以前、西洋はまだ世界の一地域に過ぎなかったわけでして。
Nm 今日演奏された曲、そして楽器は、明らかに西アジアを発祥としています。リュートと称された復元楽器はほとんどウードですし、歌われる旋律にもアラブ音階が多く混入していました。私は当時のヨーロッパ語についてはほとんど分かりませんけれど、歌われた詩における言葉もかなり古い形なのだと思われます。いちおう私、古い日本語を専門していますから想像はつきます。1000年前の日本語はつまり平安のそれですからね。語彙、文法だけでなく、音韻的にもとんでもなく今と違います。
 そのへんの復元について、どのように行われているのか、夏山さんにいろいろとうかがいたかったのですが、終演後子どもが早く帰りたがっていたので、充分な時間が取れませんでした。残念。
 そうそう、お客さんから「楽譜が残っていないのに、どうやって当時の音楽を復元するのか」というするどい質問が飛んでいましたね。夏山さんは「企業秘密」とおっしゃっていましたが、まあそのへんの事情については私はよくわかります。そして、その企業秘密の部分こそが、いわゆるクラシック的な発想とは違う古楽的な部分であると思いますし、その現代性とも、またその自己撞着性とも言えると思いますね。そうしたファンタジックなところや、フィクショナルなところが面白いんですよね。
Rgf 西アジアで生まれた音楽が、かたやシルクロードを通って東の果て日本(わかりやく言えば正倉院)にたどりつき、かたや西進してイベリア半島にたどりついた。そこでしばらく醸されたのちに、16世紀に両者はグルッと回って(裏側を回ったわけではありませんけど)九州で出会うわけですよね。う〜む。
 そんなことに思いを馳せながら今日の演奏を聴きますと、普段我々が接している近代ヨーロッパ音楽がいかに特殊なものであるか、再び確認されるのでした。それはまるで共通語としての英語のように世界を席巻しておりますね。英語だけが言葉ではありません。それと同様に音楽も実に多様であるわけです。
 英語が機能的で便利であるのと同じように、近代西洋音楽は「便利」で「共有しやすい」、つまり近代合理主義的価値は高いわけですし、実際その特長を活かして我々は高度な作品を構築したのですが、違った価値基準からすれば、それ以上の言葉や音楽は無数にありますね。私たちがそうした別の価値に気づくよう努力しなければなりません。夏山さんもおっしゃっていました。そのために活動しているのだと。
 あと、「詩=言葉が先」ということに関して。これは日本の歌(和歌)の世界も全く同じです。テキストは残っているけれども、旋律は記録されていません。記録する必要がなかったと言うよりも、記録できなかったわけですね。毎回違っていたわけですから。古い日本語では楽器の音色のことを「もののね」と言いました。歌詞は「コト」として言の葉で固定されましたが、メロディーは常に更新されては消えていく「モノ」であったわけです。そして、コトからモノが発するという、我々の一般的な活動(コト化)と逆のエネルギーの流れこそが、芸術の本質であります。
 今までも何度も書いてきましたので、繰り返しになりますが、「モノ」を「カタル(コト化)」して「コト(作品)」が生まれ、それを受容した人から新たな「モノ」が生まれる、そうした循環がすなわち芸術の生命力であり、人間の生命力であるのです。
 と、こんなふうにいろいろなことを考えさせてくれるいい演奏会でした。私の音楽的後半生のテーマがまた明らかになったような気がしました。ありがとうございました。

アンサンブル・ラルバ公式(視聴も可…ぜひお聴きください)

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2008.04.29

Logitec 『iPod対応 ICレコーダーアダプタ LIC-IREC01』

41ef2d2r9ml_sl500_aa280_ 日は、家族+1で東京方面へ出かけました。カミさんは「DREAM.2」観戦のためにさいたまスーパーアリーナへ。私は新宿で5月24日のコンサートのための練習。子ども(+お友だち)は浜松町のポケモンセンターへ。それぞれ違う目的です。
 カミさんのお目当てはもちろん桜庭和志選手。DREAM.1では、その桜庭選手と念願の握手を交わしましたが、今回は「闘うマスオさん芸人」ことベルナール・アッカ選手と駅でバッタリ出会い握手したそうです。さらに King of 39 fan の方とも知り合いになれたということで、大変ゴキゲンのカミさんでありました。あっ、もちろん桜庭選手は勝ちましたよ。思ったより苦戦したみたいですけど。
 子どもたちも久々のポケモンセンターに大満足。大人から見るとただのショップなんだけどな。いやあ、私はポケモンよりもリアル・モンスターにびっくりですよ。まあ先ほどの King of 39 fan の方もカミさんの話によれば相当すごいらしいんですが、大人のポケヲタもすごかったなあ。カゴいっぱいにぬいぐるみを大人買いしてたり、店員さんと仲よくなってものすごくディープな会話してたり。なんだかぬいぐるみの棚の前にしゃがみこんで、ピカチューとポッチャマを両手に持って会話させていたり…笑。いやあ、やっぱりここまで極めなければオタクとかファンとか言えないんでしょうね。尊敬します。
 さて、私は相変わらずディープではなくシャロウな生き方をしてまして、今日紹介するものなんかも、結局あんまりこだわりの感じられない物ですね。いかんなあ。
 私はバロックのアンサンブルの練習をしたわけですが、今日は初めて自分たちの演奏を録音してみました。録音した機材はiPod nanoとロジテックのマイクです。
 最近もYahoo!ニュースに 「高品質ICレコーダー リニアPCMが人気」という記事がありましたね。再び生録ブームだとか。私も昔はデンスケやらDATのデッキやらを持っていて、いろんな音を録りまくった時期がありました。バイノーラル・マイクまで自作してね。あの頃の方がずっとヲタしてましたな。
 このブログではZOOMのH4H2を紹介したりして、実際知人の何人かはこれらを購入されたようなんですが、自分自身は、まあお金もないものですから買わずじまいだったんですね。で、この前の奇跡の救出劇のあと、親父用のMacBookを購入した時にオマケでiPod nanoが付いてきたんで、それを自分のものにしまして、そして、ロジテックの新しく出たマイクを接続して使ってみたわけです。
Licirec01 結論から言いますと、お値段と見た目からすれば、そこそこの音質。練習のチェック用、あるいはコンサートなどの記録用には充分の音ではないでしょうか。ただ、ステレオ感に乏しく、やや低音が弱いのにはがっかり。てか、しょせんボイスレコーダーですからね。基本ボイス用の設定なんでしょう。
 ただiPodによる操作性は非常にイージーでわかりやすく、本当に気軽に録音するにはいいですね。ポケットにすっぽり入りますから、ちょっとした密録にも最適ではないでしょうか(笑)。
 周波数特性は20Hz~16kHz、ファイル形式はWAVE、ビットレートは1441kbbs、サンプルレートは44.1kHzということで、いちおうCD並みの音質ということです。詳しい仕様などはこちらでどうぞ。
 恥を忍んで(?)昨日録音したサンプルを置いときましょうか。ファイルサイズがでかいので、ちょっとだけです。適当に切り取ったものです。えっと、これはルクレールのソナタの、コテコテ演歌風(もしくは韓国ドラマ風)の泣きの楽章ですね。音程の悪さ、アンサンブルの甘さ、わけわからんコブシなどではなく、あくまで録音品質のみをお確かめ下さい。
 マンションの一室での演奏を、3メートルくらい離れた場所に無造作に置いて録音しました。編成はバロック・ヴァイオリン2本、バロック・チェロ、チェンバロです。アッテネータはHiです。イヤフォンで聴くとチェンバロがよく聞こえるのに、ウチのスピーカーだと全然聞こえないな。なんでだろ。ぜひイヤフォンかヘッドフォンでお聴き下さい。
 
 サンプルを聴く

 うぐいすの鳴き声を録ってみました

Amazon LIC-iREC01

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2008.04.26

ライヴ&コンサート情報

5月24日(土)はハチャメチャなダブルヘッダー。25日もやります。どうなることやら…。詳細はこちらで。

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2008.04.25

Eve〜Songs For Sweet Memories

Img55489633 月、久々に歌謡曲バンドのライヴをやります。今回は松田聖子と中森明菜だけでプログラムしようと思ってます。『松田聖子と中森明菜』にも書きましたバロック的コントラストの二人を並べて(おそらく交互に演奏するでしょう)、この世界の表裏を再確認したいと思ってます…なんてね。
 え〜、そこでやる予定の「あなたに逢いたくて」も入っているこのアルバム、生徒のお母さんのを拝借して聴いてみました(とうとう自分より若い親が多くなってきた…orz)。
 まず曲目とデータをコピペします。ご覧下さい。

1. M (プリンセスプリンセス)
 Diamonds C/W(1989)
2. PRIDE (今井美樹)
 ドラマ「ドク」主題歌(1996)
3. 会いたい (沢田知可子)
「トゥナイト」エンディングテーマ(1990)
4. ただ泣きたくなるの (中山美穂)
 ドラマ「もしも願いが叶うなら」主題歌(1994)
5. DEPARTURE (globe)
 JR東日本「JR Ski Ski」CMソング(1996)
6. Choo Choo Train (ZOO)
 JR東日本「JR Ski Ski」CMソング(1991)
7. 恋しさと せつなさと 心強さと (篠原涼子)
 映画「ストリートファイターII MOVIE」主題歌(1994)
8. 男 (九宝留理子)
 三貴「カメリアダイアモンド」CFソング(1993)
9. 慟哭 (工藤静香)
 ドラマ「あの日に帰りたい」主題歌(1993)
10. TOMORROW (岡本真夜)
 ドラマ「セカンド・チャンス」主題歌(1995)
11. やさしい気持ち (CHARA)
 資生堂「ティセラJ」CMソング(1997)
12. 人魚 (NOKKO)
 ボクたちのドラマシリーズ「時をかける少女」主題歌(1994)
13. 部屋とYシャツと私
 (平松愛理) (1992)
14. あなたに会いたくて -Missing You- (松田聖子)
 「ビートたけしのTVタックル」エンディング・テーマ/ キャノン「PIXEL」イメージソング(1996)
15. 誰より好きなのに (古内東子) ドラマ「俺たちに気をつけろ。」挿入歌/
 「目玉とメガネ」エンディングテーマ(1996)
16. Swallowtail Buttrefly~あいのうた~ (YEN TOWN BAND)
 映画「スワロウテイル」主題歌(1996)

 実は私、この時代のJ-POPが一番苦手なんです。苦手というか、ほとんど聴いてなかった。ちなみに洋楽もほとんど聴いてない。では、当時(80年代後半と90年代前半)は何を聴いていたのか。たぶんジャズだったんではないでしょうか。キース・ジャレットとか聴きまくってましたね。そういう年頃だったんでしょう。
 でも、さすがにこのCD、全曲知ってましたね。たぶんテレビで聴いていたんでしょう。つまり、そういうことなんですね。80年代にMTVが始まり、90年代にはCMやドラマとのタイアップこそが売れる条件になった。もう一つカラオケブームですね。楽曲の価値がカラオケで歌えるか、歌いたいと思うか、という方に行ってしまった。音楽がメディア戦略の道具になり、イメージの一部になり、使い捨て商品になった…。
 私、当時はそこんところに非常な違和感をおぼえていまして、また、その打ち込み的無機的な音作りにも拒否反応を示しておりましてですね、そしてその対極的な位置にあるジャズなんかに行っていたんでしょうね。
 そして、こうして十数年経ってまとめて聴いてみますと、まあそんなに悪くないじゃないかと。そういう予想通りの展開であります。なんでも思い出は美しくなるんでしょうか。
 この中で、当時もいいなと思い、そして演奏もしたのが、「Swallowtail Buttrefly~あいのうた~」ですね。それも、なんと学校の体育館の真ん中で、なななんと古楽器で演奏したんですよ。チェンバロ、バロック・ヴァイオリン3本、フラウト・トラヴェルソ、ヴィオラ・ダ・ガンバ、ヴィオローネというすごい編成でした。わけわかりませんね。音が残ってるはずなので探したんですが、見つかりませんでした。今聴いたらいろんな意味ですごそうだな(笑)。
 と、なんだかよくわからん話になってしまいましたけど、こういう初期オジサン、オバサンをターゲットにしたコンピレーションがたくさん出てまして、まあ当時の自分(おそらくは独身時代後期、あるいは新婚時代)を懐かしんだり、若気の至りを反省したりする道具として使われているようです。てか、そういう道具になっていること自体、音楽としては幸せなことなんでしょうかね。
 バブルとその崩壊とその余韻。宴の後のむなしさ。人間のサガが詰まった名品とも言えます。40前後の人は一度借りてでも聴いてみて、いろいろと反省するのもいいのでは。まさに Sweet Memories …甘い夢でしたからね。人生を、世界をなめてました(笑)。
 しかし、音楽って不思議だなあ。なんで「時代」までもが再生されるんだろう。それも自分と社会両方の時代がね。

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2008.04.22

デヴィッド・ヘルフゴット ピアノ小品集(深見東州作曲)

Isbn4886926134 チにあるレアCDの中でもかなりのツワモノですなあ。たぶん当時コスモメイト(現ワールドメイト)の信者だった友人にもらったのだと思います。
 当時というのは今から10年くらい前のことです。97年でしょうか。映画「シャイン」が大ヒットし、そのモデルとなった不遇の(奇跡の)ピアニスト、デヴィッド・ヘルフゴットが脚光を浴びていた時です。私もこの映画で彼のことを初めて知り、彼のラフマニノフか何かを聴いて、それなりの感銘を受けた記憶があります。
 で、突然私のところにやってきたこのCDは、彼の得意とするラフマニノフでもショパンでもなく、なんと深見東州の作品集だったのです。な、なに?!
 ヘルフゴット人気にあやかった深見氏らしい便乗商法(失礼)かと思いきや、なんとヘルフゴットは世に知られる前から深見氏との交流があったとのこと。91年には来日してライブ・ビデオを残しているらしい。
 今思えば、奥さんが占星術師ですし、なにかと深見氏との縁があるパースにお住まいということですので、そういう接点があったのでしょう。もちろん、ヘルフゴット自身の精神疾患や独特の感性が、深見氏の宗教性とどこかでかみ合ったのでしょうね。まあ、それはいいでしょう。
 さて、さて、その興味深い内容でありますが、ええと、私のような凡人には、なぜヘルフゴットが深見氏の曲をラフマニノフやショパンのそれ以上に愛しているのか、ちょっと理解不能なところがあります。いや、もちろんこれは一般的な社会における音楽の常識という狭い世界観の中での話であって、あっちの世界ではどうなのか私は知りませんよ。
 まだまだ私は修行が足りないのか、深見氏の音楽はたしかに純粋で子どもの音楽のようには感じますが、ヘルフゴットのように涙が止まらなくなるということはありませんでした(笑)。
Image02 それにしてもあらためて深見東州という人はとんでもない人ですね。それこそ一般的なこの世では「トンデモ」に属してしまうことでしょう。ご存知の方も多いとは思いますが、彼自身も自らを現代の出口王仁三郎だとお考えのようでして、たしかにその妙ちくりんな宗教活動のみならず、芸術活動の幅の広さは尋常ではありません。王仁三郎ファンの私としては、まあたしかに似ている部分もあるとは思うんですが、それで感心する以前に笑ってしまうのはなんでなんでしょう。そういう笑い自体も彼ら二人に共通している部分なんですけどね。
 久々に深見東州関係のホームページを見て、それこそ大笑いしてしまいました。面白い人ですなあ。皆さんもどうぞ。いちおう神道系の宗教団体の教祖さんですので、その点承知の上ご覧下さい。
 しっかし、大作ちゃんもそうですけど、教祖さんたちってなんでみんな称号コレクターなんでしょうね。やっぱり私がここに書いたように、宗教ってオタク的活動なんでしょうか。

深見東州 芸術・音楽活動の歴史
戸渡阿見 公式サイト

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2008.04.18

『フォーレ レクイエム(ピアノ編曲版)』 ナウモフ

Lvc1007 日はレクイエムを聴かねばなりません。昨年の春も大変に辛い別れがあったのですが、今年もまた…。あまりに若すぎます。辛すぎます。
 私の人生を変えるきっかけを与えてくれた方がまた亡くなってしまいました。それも私よりいくつも若い…。また永遠に恩に報いる機会を失ってしまいました。
 悲しすぎると涙なんて出ないものです。と言いますか、正直まだ事実を処理しきれていません。ですから、もう生きている私が、とにかくしっかり、この時を大切にしていくしかありません。
 ただこのふわふわしたような気持ちをいかにすればよいのか、たいへんに難しいのです。そんな私のどこかたよりない魂を、優しく鎮めてくれる音楽がここにあります。
 レクイエムとは、いったい誰の魂を鎮めるものなのでしょう。レクイエムを聴くのはいったい誰なのでしょう。誰のために演奏されるべきものなのでしょうか。これは音楽がいったい誰のためのものなのかという、根本的なテーマにも関わってきます。
 フォーレのレクイエムと言えば、私はこちらのラター盤を最高のものと思っているのですが、今日はあえて珍しいピアノ独奏版を聴きました。この演奏はもう10年近く前にもなりましょうか、FMか何かでふと耳にして、大変に好ましく思った記憶があります。
 それが、今日NMLのトップページを開いたら、ちょうどそこに紹介されていました。これも不思議なことでした。もう、これは彼と自分のために聴くしかありません。
 人の声からピアノの音へ。この抽象が、私の魂を透明にしてくれます。
 しかし、彼にとって、この現世の音の連なりがどれほど意味のあるものなのか、それは分かりませんし、正直どこか頼りないような気もします…。
 もしかすると、音楽は、生きている私たちにとっては、単なる麻薬のようなものなのかもしれません。そんな気すらしてしまうのでした。そうでないと信じたい自分ももちろんいるのですが…。

NMLジャパンで聴く(会員用)
NML本家で聴く(15分間フリー)

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2008.04.14

『Wonderful&Beautiful』=侘び(?!)

Ooguro01s 今日は新入生のあるクラスで最初の授業。いつものようにいきなり天地がひっくり返るような妙な即興話を2時間ほど。彼らすっかりケムに巻かれて、ワケも分からずニコニコしてましたな。まさに「古今東西・硬軟聖俗なんでもござれ」だったのでは。それにしても毎年やってる教科書を使っての独眼流立体視の術、ウケがいいな(笑)。みんなホント知らないんですよね、この事実。
 さて、そのあと、ちょっと自分のお勉強の時間に、はっと想ったことがありましたので、記録、紹介しておきます。一昨日、昨日の記事の流れが、ひょんなところとつながりました。ここでもまた「古今東西・硬軟聖俗なんでもござれ」ですねえ。
 昨日、レミオロメンの『Wonderful&Beautiful』が歌い上げている、「間違えもある」「不完全でも」「不確かであれ」「不自由であれ」と言った言葉たちが「もののあはれ」を表すと書きましたね。それと同じことを全く違う分野の方が違う形で表現されていたので、うんうんと首肯しきりでした。
 たまたま「楽茶碗」のことをいろいろと調べていたんです。昨日、花畑で陶器の展示即売会がありまして、そこに楽もあったんですね。その時、ちょっと気になることがあったんで、今日ネットであちこち飛び回りました。
 そうしたら、こういうページがあって、樂家15代の樂吉左衛門さんの講演というか講義が載っていたんです。

桑沢デザイン塾<特別講座>デザインの21世紀

 これが非常に面白く勉強になりました。デザイン塾で「デザインにならないように」なんて言うあたりが吉左衛門さんらしいですし、全体に禅味が感じられて素晴らしいお話ですね。
 で、短いものなので読んでいただければすぐにお分かりと思いますけれど、彼が言っていることは藤巻くんが常々歌っていることと本質的に同じですよね。また、彼らがぶつかっている問題点でもあり、私たちファンも共有すべき人生の課題でもあるなと思いました。

「コアを持ちながら変質していく」
「欠けている状態そのままがいい」
「相対的な美’‘流動的な美’‘未完の美’」
「日本語は、何かある物事を‘たった一つのこのようなもの’と表す言語ではない」
「とらえようとするが抜け出ていくという、うつろう感覚がある」
「身体という時間軸を含めた具体性」
「作品に自己意識を持ち込んで完結させ『これです』と出すのが後ろめたい。定点を持つのが嘘くさい」
「作品と自己意識がダイレクトにつながるよりも、(焼き物には)火という自然の不確定さが加わって、自分自身の世界も変質することの‘救い’がある」
 
 ここで吉左衛門さんがおっしゃっているのは、私の言う「モノ」の本質ばかりですね。さすがです。私のような野狐禅とは違う。
 そして、本当に昨日書いたことや、昨日経験したことと見事につながっているような気がします。妙に腑に落ちました。すすすっと。
 しかしこうして、レミオロメンを通じて、私の中では「もののあはれ」と「侘び」がすっとつながるわけですから、本当に縁というのは面白い。
 藤巻くんの歌う「予報ははずれて 予感は当たった」というのは、前後はそれぞれ逆ですが、吉左衛門さんの言う「偶然と必然’‘自然と人為’という両義性」というのと深く関わっていますしね。ワタクシ的には「モノとコト」というやつです。
 さらに、

「陶芸のへこみや書の筆跡は、時間の中で作家が手を動かした軌跡そのもの。それを見る人も、同じように自分の感性を軌跡に乗せる」

という言葉、これは見る人、聞く人のあるべき姿を語ってお見事ですね。音楽を聴く時も全く同じだと思います。そして、それが、藤巻くんの歌う

Wonderful 限界はない
&Beautiful どんな小さな
幸せでも見つけ出し
光で照らし出すよ
役割だけじゃ 満たされぬまま
冬の中 手を繋いだ
Wonderful 冷たい雪ね
&Beautiful 絡めた指を
ほどかないでと 笑って泣いたね
Wonderful 変わりたいんだ
&Beautiful 奇跡だろうと
降りしきる雪を越え
光を探したのさ
あなたを探したのさ

だと思うんですね。これは単なる恋愛の歌ではない。不確かで不完全で無常なるこの世界を生きていくために必要な私たちの心のあり方が描かれているのだと思います。そう、茶碗の軌跡に乗ろうとするのと同じく、私たちからアプローチして、その人や場を知り、時間の堆積の中に自分自身をもうずめ、そしてつながり続ける。そうすると、私たちは変ることができる。そして、その変ることに「Wonderful&Beautiful」と言えるようになるんです。樂吉左衛門さんの言う、「ただし、きちんと絞り込みがないと偶然性の恩恵はない」…これは深いしある意味厳しい言葉です。
 うん、まさにこれは日本文化の伝統そのものですなあ。「もののあはれ」の本質的な部分が急によく見えるようになりました。本当にいろいろな自分以外の「モノ」に感謝です。

興味を持った方はYouTubeで「Wonderful&Beautiful」をお聴きください。

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2008.04.13

桃の花見 in 御坂 2008

080413f 昨日の静岡ライヴに続きまして、本日もレミオロメンを大満喫。彼らの故郷で恒例の桃の花見です。
 今年もまた彼らを生んだ美しく温かい風土、「場」というものを体と心でじんわり感じてきました。
 まったく縁というのは不思議なもので、二日続けてのご挨拶もあり、初めてのご対面もあり、感謝感激満開であります。
 花曇りのもと、御坂から甲府盆地、八ケ岳方面まで臨める絶景の場所にシートを敷いて、レミオロメンのおかげで知り合った多くの友人たち、そして地元の方とお弁当を食べまして、まったりまったり。桃の桃色、梨やすももの白、菜の花やたんぽぽの黄色、そして、うぐいすやひばりの鳴き声、子どもたちが笑い声に囲まれる…こんな幸せがあるでしょうか。もう何十年も続けている花見でありますが、今年はまた格別なものがありました。
080413u 人と風土が「人」を育て、その「人」が「音楽」を生み、その「音楽」が「縁」を生んで行くんですね。ここのところ私のテーマになっている「場」というものが、いかに我々にとって、あるいは芸術というものにとって大切であるか、再確認した次第です。
 「場」というのは、すなわち「ライヴ」であると思います。「live」とは「生きている」ことであり「本物」ということです。本物であるということはすでに決定して固定された「コト」ではなく、実は未決定であり変化し続ける「モノ」だということです。たしかにliveという英単語にもそういう意味があったと思います。
 たとえばCDで聴く彼らの音楽は、基本デジタル化されていて、それ自体の現象としては変化しない「コト」です。それは本来変化している「モノ」をメディアによって固定して「コト化(カタリ)」したものであって、過去の記録に過ぎません。つまり、それは「物語」なのです。いつかも書いたように、それは受け取り手の欠落を埋めるという意味で、私たちを変化させる機能は持っていますが、それ自体は変化しません。私たちが同じCDを違ったように感じたりするのは、それは私たち自身が変化しているからにほかならないのです。
080413z その点、「ライヴ」は相互作用的に変化が起きます。表現者もその「場」の力によって変化を余儀なくされます。それはコンサートなどだけでなく、たとえば、こうして花見をしている場合、私たちは観客であるわけですが、一方の表現者たる「花」たちも常に変化を余儀なくされます。その原因は、季節の移り変わりによるものであったり、農家の方々の摘花作業であったり、子どもたちの無邪気な花摘みであったりします。
 これは写真鑑賞ではありえないことですね。この幸せな時間もいつか終わってしまう、この花たちもいつか散ってしまう。しかしまた、次に新しい季節が到来し、新しい風景が生み出されていく、おいしい桃がたわわに実る。子どもたちが美しい花を摘んでしまうのは、ある意味残酷であることかもしれませんが、そこには美を愛でる心があるのも事実です。まさにそうした移り変わり行く運命にある「美」に対する慈しみと哀しみの心こそが、「もののあはれ」だと思います。「モノ」の本質である時間の経過を共有することこそ、「場」をともにするということであり、それを理解して自らを処するのが、今風な(しかし古来の)言葉で言うところの「空気」や「雰囲気」を読むということなんでしょうね。
080413t ライヴの素晴らしさとは、まさに互いの「語り合い(語らい)」による相互変化の妙ということになりましょうか。それが人生や人間関係の本質であり、それを象徴的に表現すべきものが「芸術」ということになるのでしょう。
 こんなことを考えてみますと、また「Wonderful&Beautiful」の歌詞も新しい意味をもって聞こえてきます。そう、彼らの感じたWonderful&Beautifulとは「もののあはれ」だったのですね。
 なんて、小難しいことは何も考えずに、無心で風景や人々と語り合った一日でありました。ウチに帰ってきて、自分なりに復習して「コト化」するとこういうことになるというわけです。私の表現はとても「芸術」とは言えない独りゴトですね。失礼致しました。
 あっ、ちなみに最後の写真の奥に見える森は彼らが神社時代を過ごした「埋草神社」の杜です。

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『Wonderful&Beautiful』=侘び(?!)

↓オマケです(こんな写真まで撮らせていただき恐縮です)

Asagao

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2008.04.12

“Wonderful&Beautiful”レミオロメン TOUR 2008 at 静岡市民文化会館

Rs1 レミオロメンの下が民謡、渋いな。そしてその下の「萌」の会とはどっち系でしょうか(笑)。
 山梨凱旋ライヴに続いて2回目のW&Bツアー参戦です。今日は私の出身地静岡。実家から歩いて行ける距離にある静岡市民文化会館でのライヴでした。
 かの幻の迷作「駿府会館」の消滅とともに現れたこの会館。ウン十年前、私も数回ステージに上がっております。まさに思い出のステージ。同じ場所に彼らが立っていると思うと妙な感慨があるのでありました。
 ちなみにこの会館の客席に座るのは22、3年ぶりのことです。あの本田美奈子さんのコンサート以来です。アイドルとして絶頂期の彼女のパワフルなステージを思い出して切なくなってしまいました。
 さて、そんな思い出深い市民文化会館に到着した私とカミさんは、まず楽屋入り口でメンバーのご両親にご挨拶。クワガタのお礼など申し上げます。その後友人たちと合流し座席へ。
 今回の席は一番端ということで、ちょっと音響のバランスが悪かったのが残念でしたが、おかげでいわゆる会場のノリからはいい意味で外れることができ、ゆっくり鑑賞いたしました。二度目ですから違った聴き方ができたのはラッキーだったかも。
 えぇと、でも今回は音楽的なことは書きません。ま、山梨と同じ構成、同じ曲目だったわけで、多少のアレンジの違い、藤巻くんの唄い方の違いなどはありましたが、感想は山梨の時と基本変りませんので。
 今回なんと言っても面白かったのはMCですねえ。山梨、静岡両方に住んだことのある私としては、非常によくわかる話満載でした。
 そう、山梨の人って「海見に行こう」的なノリでよく静岡に来るんですね。静岡=海だと思ってるんです。なにしろ甲斐の国は海なし県ですので。
 逆に静岡の人は、たまに山に行こう、あるいは湖に行こうという感覚で山梨に行く。山梨=山だと思っています。実際そうですが。
 で、今日も彼らがバイクや車で海に遊びに来た時の楽しいエピソードを語ってくれましたが、そういう山梨ナンバーのバイクや車(特に若者)が来るとですねえ、静岡の人は「あっ、山猿ナンバーだ。山から猿が下りてきた」と言ったものです(笑)。ごめんなさい、山梨の皆さん。なんて、私も今ではすっかり山猿なわけですが。
Rs2 駿河の国と甲斐の国の関係は古くからこういう感じだったんですよ。決して仲が良いわけではありませんでした。
 今、私が住んでいるあたりがちょうど関所があった所でして、駿河と甲斐の文化の接点、あるいは衝突点になった場所です。
 それにしても、彼らのやんちゃな話は面白すぎました。ケツは出すし、全裸にはなるし、木馬(?)に乗るし…いや、話の中でですよ(笑)。なんだか、生徒たちを見ているような感じでした。高校生のノリのままやってる。そんなところがまた彼らの魅力なんですね。ほかにもここには書けないような話もあり、そういう意味では地元山梨での公演よりもリラックスしていたような気もします。やっぱり凱旋って特別な緊張や気遣いがあるんだろうな。そんなふうに思いました。
 あっ、あと前田くんの「洗濯ネタ」は今日限定だったのでしょうか。わかる人にはわかる、ツボを押さえたお話でして、腹をかかえて笑わせていただきました。
 さて、明日は彼らの故郷御坂で桃の花見をしてきます。楽しみです。
 「桃の花見in御坂2008」の記事へ

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2008.04.11

源氏物語に学ぶ「通奏低音奏法」その2

Dftf 今日は、チェンバロ&ヴァイオリン製作家の卵がウチに遊びにいらっしゃったので、いろいろと話をうかがいました。そこで思い出したものがあったので記しておきます。
 以前、源氏物語に学ぶ「通奏低音奏法」という記事を書きました。平安のセクスィー部長光源氏さんによるチェンバロ奏法指南です。あそこのシーンでチェンバロ(和琴)の名手として挙げられている当時の内大臣こと「頭中将」が、さらに出世して太政大臣になっていたころ(巻名では若菜上)、彼の息子の柏木(衛門督)が和琴を弾くシーンがあるんです。お父さん秘蔵の名器で通奏低音パート(?)を担当します。今日はまず我流(無手勝流)の訳を載せましょう。本文は最後に。


 朱雀院の御病気が、まだ完治なさらないことから、楽人などはお召しになりません。御笛など、太政大臣がその方面はお整えになって、
 「世の中に、この御賀よりまた素晴らしく美しさを尽くすような催しはないでしょう」
 とおっしゃって、優れた楽器や奏者の限りをかねてから熟慮し準備なさっていたので、忍びやかに音楽のお遊びが催されます。
 とりどりに演奏申し上げる中で、和琴は、かの太政大臣が第一にご秘蔵になっていた御琴です。この楽器の名人が、愛情を注ぎ込んで弾き馴らしていらっしゃる音が全く並ぶものがないほどなので、他の人は音を出しにくくなさるので、衛門督が固く辞退しているのを無理に催促なさると、本当にとても素晴らしく、ほとんど父に負けないように弾きます。
 「何ごとでも、名人の後嗣と言っても、このようには継げないものですよ」と、感心しあっぱれだと人々はお思いになります。
 メロディーに従って楽譜の残っている曲や、演奏すべき音が決まっている中国伝来の曲などは、かえってどう演奏すればよいか尋ね知る方法がはっきりしていますが、心にまかせて、ただ弾き合わせるアルペジオに、すべての楽器の音が調えられている様子は、本当に素晴らしく、不思議なまでに響きます。
 父大臣は、琴の緒をとても緩く張って、たいそう低くチューニングし、響きを多く合わせて弾き鳴らしなさります。息子の方は、たいそう軽やかに昇り立つような音で、親しみやすく明るい調子なのを、「まったくこのようにお上手とは知りませんでした」と、親王たちも驚きなさります。


 どうでしょう。息子の柏木もなかなかやるようですね。お父さんに負けず、そしてお父さんのコピーに陥らずオリジナリティー溢れる演奏をしたようです。特に、楽譜通りでなく、他の楽器の音を自らの響きにおさめてまとめるアルペジオでの即興演奏は素晴らしかったと。これはまさにチェンバロやリュート、テオルボなどの撥弦楽器による通奏低音奏法の理想ですね。
 あと面白いのは調律法でしょうか。頭中将は低めにチューニングしたようですね。テンションを下げるとたしかに響きは豊かになります。
 そうそう、いきなり現代に話が飛びますが、最近復活したX-JAPANも半音下げチューニングしてましたね、たしか。あれはバロック・チューニングを意識したのだと聞いたことがあります。ホントかな。ちなみにBUMP OF CHICKENもほとんど全て半音下げですね。今度5月に彼らのライヴに行く予定なので確かめてきます。彼らも古楽的な要素を持ったバンドですからね。案外、我々古楽人のスタイルが現代ロックに影響を与えてるんですよ。
 洋楽ではヴァン・ヘイレンが有名でしょうか。ジャズでも誰かいたような…。結構いるんですよね。独特の響きを出したい時は頭中将流が手っ取り早いというわけです。
 というわけで、あいかわらず「古今東西・硬軟聖俗」めちゃくちゃな内容になってしまいましたが、いかがでしたでしょうか。では、最後にいちおう本文を載せときます。

 朱雀院の御薬のこと、なほたひらぎ果てたまはぬにより、楽人などは召さず。御笛など、太政大臣の、その方は整へたまひて、
 「世の中に、この御賀よりまためづらしくきよら尽くすべきことあらじ」
 とのたまひて、すぐれたる音の限りを、かねてより思しまうけたりければ、忍びやかに御遊びあり。
 とりどりにたてまつる中に、和琴は、かの大臣の第一に秘したまひける御琴なり。さるものの上手の、心をとどめて弾き馴らしたまへる音、いと並びなきを、異人は掻きたてにくくしたまへば、衛門督の固く否ぶるを責めたまへば、げにいとおもしろく、をさをさ劣るまじく弾く。
 「何ごとも、上手の嗣といひながら、かくしもえ継がぬわざぞかし」と、心にくくあはれに人びと思す。調べに従ひて、跡ある手ども、定まれる唐土の伝へどもは、なかなか尋ね知るべき方あらはなるを、心にまかせて、ただ掻き合はせたるすが掻きに、よろづの物の音調へられたるは、妙におもしろく、あやしきまで響く。
 父大臣は、琴の緒もいと緩に張りて、いたう下して調べ、響き多く合はせてぞ掻き鳴らしたまふ。これは、いとわららかに昇る音の、なつかしく愛敬づきたるを、「いとかうしもは聞こえざりしを」と、親王たちも驚きたまふ。

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2008.04.06

リアル「茜色の夕日」

Yuuhi08 今日は新宿で練習。5月24、25日に河口湖木ノ花美術館と円形ホールにてコンサートをします。詳細はいずれ。
 今日は楽器がよく鳴り、実に気持ちいい演奏ができました。やっぱり昨日マニアックな話に花を咲かせ、やや二日酔い気味だったからでしょうか。いや、やっぱり「アンサンブル」「モノとの共鳴」「外部の共有」みたいな話をしたからかなあ。なんかとっても腑に落ちるものがあったんで。言葉以上に体が納得したし。
 さて、練習を終え、5時過ぎに首都高に乗り富士山への帰路につきました。そうしたら、本当に見事なタイミングでしてね、まさに「茜色の夕日」が山並みに沈むところでした。すぐにiPodを操作して、例のフジファブリックの「茜色の夕日」を聴きました。
 昨日の話のとおり、「場」というのは実に重要でして、ちょうど環状七号線をまたぐ辺りでしたし、胸にぐっと来るものがありましたね。時間というのは、その場所にどんどん堆積していくものなので、とにかくその「場」に行く、あるいは同じような状況をシミュレーションしてみるということは非常に大切なことです。私がバカみたいに様々な分野での聖地巡礼に励むのはそういう意味があるのです。とにかくその「場」に行って、体で共有したいんです。これはもう理屈ではありません。
 ところで、一昨日書きました「茜色の夕日(フジファブリック)」に見る「もの」と「こと」という記事、ずいぶんとたくさんの人読んでもらえているようで、ちょっと恥ずかしいような気がします。以前にもよくありましたけれど、どなたか奇特な方が2chのフジスレに貼ってくれたようなんですね。どうもです。
 最近アクセス数が半減していたんで、こういうことがありますと、刹那的とは言え少し安心します。アクセス数が半減した理由は単にGoogle八分にあっているからで(おそらく一時的なもの)、通りすがりの方のご来店がほとんどなくなったからです。ある意味純粋な読者だけになっているわけで、それはそれでいいんですけどね。なんとなく不安になるんですよ。売れなくなった歌手の気持ちってこんなんかな(笑)。
 で、ある方からメールで「2chに思いっきり貼ってある」との連絡をいただき、恐る恐るそこをのぞいてみますと、

『志村の歌詞で授業するとはすごい先生もいるもんだな w
 ちょっと感動した』

と言った感じでして、ハハハ、なんかバカにされてるのか、感心されてるのか、よくわかりませんけど、でもやっぱり「感動」が少しでも共有されているのであれば、それは非常にうれしいことですよね。
 常々2chというのは立派な「場」であると考え、どっぷりそこに住まわせていただいているワタクシとしては、こういうことがありますと正直ヤターッなのでありました。
 で、一番笑えたレスはこれであります。どこまで冗談かわからないところが2chのいいところですね。

『フリーダムなティーチャーだなあ。志村の知人かなあ。
  文章を読むに頭の冴える美人娘なんだろうな 』

 なんでわかるんだ(笑)。文は人なり…ですか。三つの文のうち、まあ最初のは当たってるかな。二番目は微妙に不正解。私は直接は知りません。まあ、彼の野球部時代の顧問の先生の娘が、この授業受けてましたけどね。狭い町ですから、いろいろとありますよ、そりゃ。でも、私は知人の知人程度です。そして、三番目は大正解ですな(笑)。こういうところが2chらしさです。このレスした人はなかなかのセンスですよ。読解力および表現力において「優」を差し上げましょう。
 というわけで、リアル「茜色の夕日」を眺めてたら少し思い出すものがありました。繰りかえしますが、「場」を共有することは、他者(モノ)の理解において非常に重要な意味を持つのであります。そういう意味では、2chという場はあくまでもヴァーチャルな「コト(言葉)」によるトポスであって、そこに立ち現れるフィクションとしての「共感」「共有」「共振」を楽しむ、それこそ文学的な「場」であるのかもしれませんね。実に面白いですね。

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2008.04.04

「茜色の夕日(フジファブリック)」に見る「もの」と「こと」


 今日は久々に授業でJ-POPの歌詞をやりました。いかに現代の歌詞の世界が日本の伝統的な文学、特に「もののあはれ」の伝統を継いでいるかいうことです。生徒たちも新しい発見があったのでは。
 いくつかの人と作品を採り上げました、そのうちの一つがフジファブリックの「茜色の夕日」です。来月の富士吉田凱旋ライヴの宣伝もかねて生徒に読んで聴いてもらいました。
 さて、この何気ないが実に切ない曲の歌詞。これは見事に「もののあはれ」の本質を教えてくれます(マジで)。
Akanel 冒頭からハッと気づかされます。「茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました」…これは散文なら「思い出したことがありました」となるところでしょう。それをいきなり「思い出すものがありました」としたところが、志村正彦くんの天才的なところです。詩人なところです。
 そう、私の「モノ・コト論」では「もの」は不随意、漠然、未知、無常、すなわち固定されていない、自分の意識でコントロールされていない状態を表す語でした。それに対して生じる虚しさや無力感、あるいは逆に驚きや感謝、畏怖などを表したのが「もののあはれ」ということですね。つまり、日本の文学に通底する「思い通りにならないことに対するため息」が「もののあはれ」という解釈です。
 で、今私は「思い通りにならないこと」…と「もの」を説明するのに「こと」という言葉を使いましたよね。これこそが、この「茜色の夕日」のテーマだと思うんです。
 さあ、歌詞をご覧下さい。「思い出すものがありました」と、ふと誘発的に思い出された情景や感情は最初ははっきりしません。言葉に、説明になりません。これは私たちも普通に体験することです。自分の意志とは関係なくふと思い出してしまうことってありますよね。
 それを自分で確認していくんです。志村くんもたくさん確認しています。それが「…歩いたこと」であったり、「…笑っていたこと」であったり、「…悲しいこと」であったり。そのあとたくさんたくさん確認して「こと」にしていってますね。
 つまり、確認していくと、それは全て過去の「こと」であって、つまり動かせない「こと」になっているということです。茜色の夕日によって誘発された過去の記憶、それは志村くんにとって、実に切ない、辛い、でもなんか懐かしいことなんですね。どの「…こと」を見ても、思い通りにならなかったことや、なんとなく不本意なことばかりです。その動かせない過去の「こと」全体が、実は「思い通りにならない」という「もの」の本質を構成しているわけです。
 つまり、「もの」は「こと」を内包している、そういう物事の本質を感じさせるんですね。冒頭で「もの」でくくっておいて、その中の「こと」を開陳していく。動かせない「こと」が「もの思い」の原因になっている。過去が動かせない変えられないこと自体が「もののあはれ」の本質になっていると。どこかの有名な哲学者さんは「もの」は「こと」の一部であるみたいなことを言っていましたが、間違いですね(笑)。
 西欧人は一般に不随意を悪として、思い通りにならないことを不快なこととしてとらえ、それをいろいろなワザで乗り越えようとします。日本人はそういう行為を否定しました。「わざわい」という言葉がありますよね。これは「わざはひ」、すなわち人間の仕業の度が過ぎて、よけいに苦しむ状態です(ちなみにその反対が「さいわい(さきはひ)」です)。
 日本人は不随意な「もの」に美を感じ取った。それをどんどん歌にしてきたんです。それが日本文学です。志村くんもしっかりそういう伝統の上に歌を作っていますね。そう、「無責任」でいいんだよ…。身を任せるのが日本人です。
 で、この歌詞の素晴らしいところは、一つだけいい意味での「もののあはれ」が入っていることです。いい意味でのため息があるんですよ。どこでしょう。
 それはサビの部分です。「東京の空の…見えないこともないんだな」のところですね。これは予想を裏切られてはいますけれど、しかし、ちょっと得したというか、救われたというような感じですよね。このコントラストといいますか、スパイスといいますか、とってもよく効いてますね。
 志村くんはそれほど気にせず自然に作っているに違いありません。そこが詩人たるゆえんでしょう。私はしょせんエセ評論家にすぎません。しかし、今日も生徒にたくさん言いましたけれど、作者本人の意思を超えて様々な解釈の可能性があり、それを受け入れて、そして作者の手を離れて勝手に成長していくのが優れた芸術作品の本質であると思います。
 また、こうして解釈してから、彼の作ったメロディーを聴き、彼の歌声を聴きますと、また違った感じがしますよね。生徒もそれを体験したようです。そして、その体験こそが本来国語の授業で教えるべきことだと思うんです。
 「茜色の夕日」…東京から夕日の沈む西の方、すなわちふるさとの富士吉田を眺めていて、いろいろ思い出しちゃったんだろうなあ。私も両国国技館で聴いた時そんなことを思ってしまって泣いてしまいましたよ。短い夏…ここに住んでいればわかりますね。生徒たちもそういう意味でも共感したのでは。
 …と、生徒に興味を持ってもらったおかげか、たくさんゲットしてしまったチケットがさばけそうです(笑)。やっぱりプロモートというのは大切ですなあ。評論家の仕事というのは実に重要なのでありました。

リアル「茜色の夕日」

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2008.04.03

『山下洋輔のジャズの掟(オキテ)』 (NHK趣味悠々テキスト)

Jazz45 今週から始まった「[新]趣味悠々・国府弘子の今日からあなたもジャズピアニスト」を観て、10年前のこの講座を思い出しまして、久々に本棚から引っ張り出してきました。
 ジャズは理論が大切です。自由度が高いからこそルールもたくさんあります。ジャズの演奏をするのには大きな壁がいくつかありますが、この理論の学習も大変なことの一つですね。ジャズのそれに比べればクラシックの理論はちょろいもんです(私はもちろん両方とも完璧…なわけありませんが…笑)。
 私もジャズが大好きでして、楽器をやるものとしてジャズの演奏を志した時もありました。今では完全に諦めちゃってますけどね。そう、今までいろいろなことに挑戦してきましたけど、どうもゴルフとジャズに関してはセンスがないようです。今ではどちらも観る・聴くだけになりました。
 無理なことに果敢にも挑戦していた若かりし頃、何冊かのジャズの理論書を買いました。で、どれも最初の20ページくらいで放り出しちゃったんですね。まあ、音楽の習得は言語の習得に似てますからね。文法はつまらんわけですよ。早くペラペラしゃべりたい、その欲求ばかり先走りましてね。リスニングはそこそこできていたつもり(実際には雰囲気に酔っていただけですが)だったので、辛かったんですね、地道な学習が。
 一番たくさん演奏してきた古楽に関しては、文法の前に無理やり会話させられる機会が多かったので、比較的楽しく習得できました。そう、合奏の経験がすなわち会話の経験だったわけです。もちろん、ずいぶんと時間がかかりましたし、あいかわらずなんちゃってでネイティヴにはほど遠いんですけどね。
 ジャズではそういう機会は全くありませんでしたから。まあ、いきなりNew Yorkかどっかでジャズをやらないと喰っていけないとかいう状況に置かれていたら、今ごろできるようになっていたかもしれませんね、なんちゃってでも。
 で、話を戻しますと、いろんな理論書が無駄になった中で、この本だけは本当に役に立ちました。いや、これによって理論が習得できたということではなく、これによってジャズをあきらめた(そんなレベルじゃないけど)という意味において。
 これ、業界でもけっこう伝説の書なんですよね。とにかくあの山下洋輔さんが「掟」と言い、「掟」を破るなら自己責任で、そして人前ではやらないようにと釘を刺すんですから。一見(一聴)メチャクチャに聞こえる彼の音楽は、実はその掟をベースにして、それをギリギリまで破るところに存在しているのだ、いうことですね。説得力ありすぎ。
 この講座、カトリヤン教授こと香取良彦さん、大坂昌彦さん、納浩一さん、道下一彦さんというそうそうたるメンバーによる模範演奏もあったりして、初心者のみならずベテランをもうならせる内容でした。私も何回か録画しているはずですけど、見つけるの大変だろうなあ。今もう一度観るとまただいぶ違った感想を持ちそうな予感がします。
 とにかくテキストは読んでいて楽しい。理論なんて習得しなくても、ただ読んでるだけで楽しい。山下さん独特の言い回しが面白い。導入の文章は比較的まじめですけど、実践に入るともう山下節全開。リズムは「渋谷」と「御徒町」になるし、ハナモゲラ語まで登場する始末。
 最後、出演者によるジャムセッション(対談)は、ある意味またまじめモードに戻ります。これが深いんだな。全ての音楽を志す人に読んでもらいたい。ジャンルは関係ないですよ。そして、実は音楽に限らない真理もそこにあるんです。人間の生き方、社会のあり方、デモクラシー、喜びや楽しさとは何か…。
 本当に素晴らしいテキストです。もちろん理論書としても優れていますよ。特にブルースとモードの解説は絶品です。

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