カテゴリー「音楽」の1000件の記事

2020.09.26

トランシルヴァニアの古楽

 

 BTSがアジアからアメリカに進出した話の続きで、アジアがヨーロッパに進出した昔の話を一つ。

 このあたりの世界史にはあんまり詳しくないというか、勉強したけれど忘れてしまっています、実は。

 しかし、世界の大きなデザインとして、ヨーロッパという辺境の地がモンゴルとトルコというアジアの強国にいじめられたというのが、私の雑なイメージであります。

 そういう意味では、トランシルヴァニア地方は非常に複雑な文化を持っています。現在のルーマニアの西部、ハンガリーの東部あたりですかね。

 このアルバムで取り上げられている17世紀はトランシルヴァニア公国時代。ハプスブルク家やオスマン帝国に攻められ、実効支配されていた時代ですね。

 そんなわけで、音楽も非常に複雑。ヨーロッパからバロック音楽も入ってきていましたが、いわば地元ジプシー系の民族音楽もありましたし、トルコが持ち込んだアジアの音楽もあったようです。

 それらが併存したり、融合したりというのが、このアルバムを聴くとわかります。そして、それが絶妙に魅力的なんですね。ある意味ワールドワイドな音楽の坩堝だったのではと想像されます。

 そう考えると、当時鎖国下の日本は、本当に音楽が純粋に発達しましたね。そういう文明国も珍しいと思いますよ。その後開国し、昭和日本がワールドワイドな音楽の坩堝となったわけです。

 そして、今はどうなのか…トランシルヴァニアの音楽を聴きながら、そんなことを考えていました。

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2020.09.25

BTS 『Dynamite』

 

 日の模範的バッハから、いきなりBTSです(笑)。

 アジア人として57年ぶりに、全米ビルボード・チャートで1位に輝いたのがこの曲。言うまでもなく、57年前の快挙は坂本九の「SUKIYAKI(上を向いて歩こう)」です。

 私は今のK-POPには、それほど興味はありません。かつては半分面白がって「韓国テクノ」や「ソテジワアイドゥル」のCDを買って聴いたりしていましたが。

 しかし、最近は、娘二人がBTSだけでなく、その他のグループにもキャーキャー言っているので、ついつい聴いてしまう(聴かされてしまう)日々を送っています。

 そうしますと、今の韓国の音楽は、日本のそれと比べると、たしかにアメリカ向けに職人的に作られていることがわかります。好き嫌いは別として、たしかにうまく出来ているし、歌もダンスも日本のアイドルとは比較にならないほどうまい。

 一方のJ-POPは、日本国内のみを市場とするガラパゴス状態にあります。もちろん、それが悪いわけではなく、ガラパゴスオットセイのように(?)特殊な進化を遂げていて、それはそれで価値があるとは思います。しかし、とてもグローバルに受け入れられるものではない。

 今日ちょうどメールマガジンで高城剛さんが指摘していましたように、20世紀末の英国の「クール・ブリタニア」 を、韓国は国策として見事に輸入し、日本は見事に輸入しませんでした。

 その国家ブランディングの有無が、その後20年以上経って、この違いを生んだわけですね。経済的なグローバル戦略としては、完全に勝敗がついてしまいました。

 韓国映画がアカデミー賞を獲ったことも記憶に新しいところ。ソフトだけでなく、電化製品やIT機器などのハードも、いつのまにか韓国や中国の後塵を拝するようになってしまった日本に、ちょっとした淋しさをおぼえるのも事実です。

 しかし、5年後はどうなっているわかりません。こうした国家的な商業主義が長く続くことはありません。

 一方のガラパゴス日本はどうなっていくのでしょう。こちらもあまり明るい材料は見当たりません。

 ただ、一つのヒントとなるのは、それこそ坂本九さんがアメリカの音楽を吸収しながらも、非常に日本的な音楽を日本語でヒットさせたこと、あるいは、仲小路彰の「未来学原論」に刺激されたYMOや山下達郎さんやユーミンらが、無意識的にせよ21世紀のアメリカやヨーロッパを驚かすような音楽を作ったことです。

 今売れる曲を作るのか、はたまたバッハのように数百年残る音楽を作るのか(実際バッハは当時不人気であった)。もちろん、ビートルズのようにその両方を実現する天才もいるわけですが。

 いずれにせよ、ポピュラー音楽の世界は、今大きな壁にぶつかっています。いわゆるコード進行もメロディーも出尽くした感があり、そこから逃れるようにHIP HOPが売れる時代になって久しい。そろそろ「天才」が現われてもいいかなと思いますね。

 音楽もデザインの一つと考えると、その発展の鍵は「違和感」と「慣れ」にあると思います。もちろん「違和感」とは、作り手側のそれではなく、聞き手側のそれです。「慣れ」もそう。どの時代においても、エポックメイキングな表現者は「違和感」という批判にさらされてきたのです。

 BTSに話を戻しますが、彼らに「違和感」があったとすれば、やはりアジア人であるということでしょう。たしかにアメリカ人はそこには「慣れ」ましたね。その業績は素晴らしいと思います。

 ちなみに娘たちはこの快挙に興奮しているのかと思うと、案外冷めていてですね、「まあ、チャートなんて金で操作できる時代だからね。戦略で勝っただけだよ」「昔のビルボードとは違うよ」とのご意見。逆に「坂本九はすごい」と、そちらに感動していました。たしかに(笑)。

 それにしても「上を向いて歩こう」、あの夏の日の航機事故で亡くなったことを考えると、きつい歌詞ですね…。

 

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2020.09.24

バッハ 『平均律クラヴィーア曲集全曲』 ロバート・コスティン(オルガン)

 

 日紹介したロック系(?)オルガニスト、キャメロン・カーペンターとは対照的な、先生系(実際先生です)オルガニスト、ロバート・コスティンによるバッハの平均律全曲。

 本当に模範的で素晴らしい演奏ですね。私の一番キライな演奏スタイルは「中途半端」「意識的に奇をてらう」ですので、ある意味振り切っている両者は好きなのです。

 結局、その人の人柄や芸術性がそのまま表現されていればいいわけですよね。自然体が良い。無理はいかんと。

 なるほど、ボカロに感動するのも、そういうことか。自然体ですからね。

 今までも、オルガンで全曲演奏した録音をいくつか聴いてきました。しかし、どれも途中で飽きてしまっていたんですね。しかし、この先生の演奏は飽きずに全部聴き通せた。

 自然な演奏スタイルだけでなく、音色の「普通さ」も原因していますね。そう、この曲集の「奇をてらった」演奏としては、各曲をチェンバロ、オルガン、クラヴィコードで演奏するというようなものがあります。また、オルガンだけの演奏にしても、曲によって音色を変えているものがけっこうあるんですね。

 しかし、お聴きになって分かるとおり、ここで先生は実に柔らかい音色で通している。それが逆に飽きない原因なのです。

 こうしてオルガンで全曲聴いてみますと、あらためてこの曲集の深さがよくわかります。特にチェンバロやピアノでは表現しきれない「ロングトーン」による多くの不協和音の美しさにしびれます。

 そう、作曲者であるバッハの脳内では(たぶん楽器を弾かずに作曲したでしょう)、常に音価どおり音が鳴っていたはずですので。

 ちなみに原題である「ふ」の「Wohltemperierte」は「平均律」ではなく「良く調律された」でしょうし、「Klavier」は「鍵盤楽器全般」でしょうから、この演奏のように平均律ではなく、またチェンバロやピアノでなくても、決して「奇をてらった」わけではありませんのであしからず。


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2020.09.21

キャメロン・カーペンター 『バッハ 無伴奏チェロ組曲より』

Cameron Carpenter - Johann Sebastian Bach - Cello Suite Elaboration

 

 がベースで、私はチェロでこの曲を練習しておりますが、いろいろな模範演奏を聴いている中で、これが一番ぶっとんでました(笑)。

 オルガニストのキャメロン・カーペンター、歴史的なパイプオルガンに飽き足らず、自分専用のデジタル・オルガンを開発してしまいました。

 たしかにオルガンは、その発音機構からしてデジタルで再現しやすい楽器です。様々な倍音の組み合わせによって音色を作るわけですからね。

 それにしても、彼はファッションも含めて、かなり未来的ですよね。

Th_-20200922-213937 私は中学生の時から、バロックとロックは「ゆがみ」「ひずみ」という面(楽器の音質も含む)、それから一定のリズム、和音進行やメロディー生成のクリシェという面から、どこかつながるところがあるなと思っていました。というか、自分がロックからバロックにすんなり移行したことが、そのなによりの証拠だったわけです。

 そういう意味でも、キャメロン・カーペンターの音楽に対する姿勢には、バロックとロックを感じますね。

 おそらくこの発展(Elaboration)については、大バッハも「やるな」とニヤつくと思いますよ。楽器も含めて。

 キャメロン・カーペンターはコロナ禍においても、その楽器のモビリティを活かして、路上ゲリラライヴをやっているようです。素晴らしいと思います。

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2020.09.19

久しぶりのジャズ・ライヴ

Th_img_6834 日は、ふじさんホールにて、ウチの学校のジャズバンド部主催「BIG BAND JAZZ JOINT LIVE 2020」を鑑賞しました。

 本当に久しぶりの音楽ライヴです。客席は1席ずつ間を空けてという形、大きな声はNGでしたが、こういう時間と空間を待ちわびていた皆さんの秘めたる熱気に溢れた、素晴らしいライヴでした。

 前半は我が校のジャズバンド部、後半はゲストの内堀勝ビッグバンドの皆さんの演奏。

 やっぱり生はいいですねえ。ここのところ、ずっと映像でライヴ体験してきましたから、なんか懐かしいというか、改めてライヴの良さを痛感させられましたね。

 内堀さんやゲストのボーカリスト三橋りえさんもおっしゃっていたとおり、このような世情の中、こうしてホールでの本格的なコンサートを実現したことが、まずは画期的だったと思います。

 生徒たちや先生は、もろもろの企画や準備の段階から例年の数倍大変だったと思いますが、その分、こうして生で音楽を共有することのありがたさ、尊さを再確認する機会になったのではないでしょうか。

Th_img_6835 ゲストバンドの演奏者の皆さんもまた、久しぶりのステージということで、いつも以上に一つ一つの音符を楽しんでいるように感じました。そうですね、プロの皆さんこそ、深く感じ入るものがあったことでしょう。

 こうして、日常が戻りつつあるのも事実ですが、しかし、これから寒い季節を迎えるにあたって、どのような試練が訪れるか分かりません。だからこそ、ただ「戻る」のではなく、当たり前だった一瞬一瞬を大切にしていきたいですね。それが私たちのバージョンアップそのものとなるのですから。

 皆さん、本当にありがとうございました。私も今後、バロックだけでなく、珍しくジャズの仕事が控えています。今日のライヴを良い刺激として頑張ります。

 最後に、中高生バンドと共演してくれた、都留市出身の新進サックス奏者石井裕太くん、すっかりプロらしくなり、その演奏も正直見違えるほどにうまくなっていました。今回の内堀勝さんのバンドでの演奏も、きっと素晴らしい学びの機会になったことでしょう。これからの活躍に大いに期待したいと思います。

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2020.09.15

サブスクリプションこそ未来の経済

Th_musicology_00 んなニュースがありました。

 レコードの売上、CDを抜く 1980年代以降で初めて

 正直、こんなニュースが発信される日が来るとは夢にも思いませんでした。

 しかし、記事にもあるように、これは「アナログ回帰」「物理媒体回帰」ということではありません。

 「もの」に対する消費は確実に減っており、その少なくなった物理媒体市場の中で逆転が起ったということです。

 音楽市場での、今年上半期の売上はストリーミングが85%とのこと。

 この流れは止められないでしょう。特にコロナでライヴという媒体が厳しくなっている現状がありますからね。

 ところで、ストリーミングは提供形態であり、そのビジネスモデルはサブスクリプションがほとんどです。

 高城剛さんも言っているとおり、音楽界で起きたことは、他の分野にも広がっていきます。

 実際、サブスクリプションは書籍や映画、飲食、教育、交通などにも拡大しつつありますね。

 私は、将来的にほとんど全ての消費経済はサブスクリプションになっていくと考えています。

 ごく簡単に書くと、全ての国民がある一定のお金を払うと、衣食住や交通、趣味においてある程度の購入権を得ることができるになるということです。

 使いすぎると、スマホの速度制限のように、最低限の生活ができる程度の購入権を残して贅沢はできないようになります。それがある意味セーフティーネットの役割を果たします。

 これには、教育、福祉なども含まれ、サブスクの特長でもあるシェアのシステムも活用されます。

 これはベーシックインカムとは根本的に違った発想です。あえて言えば「ベーシックアウトゴー」でしょうか。

 このコロナ禍の中で、たとえば音楽ライヴや演劇などが厳しい状況になっていますが、それらの配信についても、全体で大きなサブスクリプションを導入するといいと思いますよ。

 月々1,980円払うと、様々なライヴ配信を無制限に観られるとか。980円だと1ヶ月10件までとか。

 そうやってコロナをきっかけに、様々な分野でサブスクを導入するといいでしょう。そこにクラウドファンディングや投げ銭のようなもの加える。誰かやりませんかね。私はアイデアだけ提供しますので。

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2020.09.04

フリードリヒ・グルダ&ハービー・ハンコック

 

 日紹介したグルダのクラヴィコード演奏が好評です。

 こうして一般の方々にもクラヴィコードという素晴らしい楽器を知っていただければ幸いであります。

 今日はそのグルダのジャズ側の顔を知っていただきましょう。

 こてこてのトリオとかよりも、このハービー・ハンコックとの即興合戦の方が、グルダのジャズ・サイドをより感じることができましょう。

 グルダはチック・コリアともよく共演していますが、私はなぜかハービーとの演奏の方が好きです(理由はわかりません)。

 優れたピアニスト同士のこうした対面デュオには、本当にたくさんの名演がありますよね。私はこの二人のこの日の演奏もその一つに挙げたいと思います。

 なんといっても、二人の表情が良い。ピアノを弾けない私ですが、時々こういう夢を見るんです。夢の中ではなぜか即興でピアノが弾ける(笑)。そして、相手の考えていることがわかって、本当に楽しく会話するかのように、見事な音楽が生れる…夢なんですけどね。

 夢でもたまにそういう体験ができるので幸せです。そして、実際に弾けなくてもいいや、となる(笑)。

 ところで、昭和や平成の時代にはですね、ジャズ・ピアニストがクラシックを演奏するとクラシック畑の評論家が酷評し、クラシックのピアニストがジャズを演奏すると、ジャズ畑の評論家が酷評するということがずいぶんありました。

 私はそういうクロスオーバーが大好きだったのですが、評論家だけではなく、それぞれのジャンルのファンたちまで「ありゃ、ダメだね」的なことをよく言うので、うんざりすることがしょっちゅうあった。

 令和の時代には、そんな「ジャンル」なんていうどうでもいい「コト」から、音楽を解き放ちたいですね。「モノのね」としてそのまま受け取ればいいじゃないですか。

 超一流の人たちは皆、ジャンルレスですよ。一流や二流の人が理屈をこねる。ま、私は五流ですけど(笑)。

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2020.09.02

グルダ、クラヴィコードを弾く!

Th_-20200903-145742 じゲルマン民族でも、ドイツ人とオーストリア人とではずいぶん違うとのこと。

 まあ、オーストリアはアジア系の血もかなり入っていますからね。それはそうでしょう。

 で、ドイツ語をしゃべるピアニストの中で、私がその「柔軟性」ゆえ特別にひかれるのが、フリードリッヒ・グルダです。

 ジャズとクラシックを自由に行き来し、自らも魅力的な作品を作曲したグルダ。もちろん即興もお得意。(二番目の)奥様は日本人ジャズ・ピアニストです。

 彼のバッハやベートーヴェン、けっこう勢いが良くて好きなのですが、最近めちゃくちゃ感心したのが、彼のクラヴィコード演奏です。

 クラヴィコード・マニアだということはどこかで聞いて知っていましたが、実際の演奏は聴いたことがなかった。数年前、プラベート録音の音源が発売になって、その現代的なアプローチに驚いていたところ、YouTubeですごすぎる動画を見つけてしまいました。

 クラヴィコードを操るピアニストといえば、キース・ジャレットですよね。しかし、グルダはそれ以上かもしれないと思いました。特にバッハのプレリュードとフーガの演奏は素晴らしすぎる。フーガでヴィブラートかけちゃうか!w

 実はバッハもこんなふうに弾いていたのかもしれませんね。う〜ん、ますますクラヴィコード欲しくなってしまった。キットで作ろうかなあ。

 そういえば、クラヴィコード…ではなくクラビノーバ(!)で思いっきりバッハ弾いたりしてましたね。楽器にこだわっていないわけではなく、めちゃくちゃこだわった結果なんでしょうね。そうか、私、そういう意味でけっこう影響受けてるかも。オリジナル主義かと思うと、変な楽器で演奏するの好きですし(笑)。

 さあ、どうぞ聴いて、視てください。バッハもですが、祐子夫人との間に生れたリコのための曲もいい!

 

 

 

 

 

 グルダがクラヴィコードについて説明しています。ドイツ語わかりませんが、なんとなく面白いことを言っていることはわかるような…(笑)。

 

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2020.08.29

G.V.ヴィターリ 『バラバーノ』

Giovanni Battista Vitali Barabano

 

 二次世界大戦に関する新発見史料を読んでおります。

 仲小路彰は「平和のためには戦争を研究しなければならない」とし、戦前には「戦争文化研究所」を創設し、また戦後にも客観的、科学的、総括的、未来的な視点で第二次世界大戦を研究しました。

 そのほんの一部を読んでいるわけですが、なるほど私たちが「学校」で教わってきた、戦争の「一面」だけでは、平和の招来は難しいですね。

 そして、戦争と平和を対義語としている限り、平和と平和が衝突して戦争が起きるという本質をつかめない。

 というわけで(?)、今日はヴィターリのバラバーノという曲を紹介します。

 ヴィターリというと、あの妙ちくりんなシャコンヌが有名ですよね。これは、今日紹介するG.B.ヴィターリの息子、T.A.ヴィターリの作品とされていますが、後世の偽作です。その辺の事情に関しては、こちらが分かりやすいのでどうぞ。

 で、お父さんのヴィターリは、21歳年下のコレッリに多大な影響を与えた作曲家です。その後のヨーロッパ全土におけるコレッリの影響を考えると、バロック音楽の基礎を築いた人とも言えますね。

 さて、そんなお父さんヴィターリは器楽の小品をたくさん書いているのですが、その中でも個性的で魅力的なのが、この「バラバーノ」です。

 「Barabano」とは、エミリア地方のフォーク・ダンスの名前だそうですが、曲調や言葉の響きからすると、バルバロイやバーバリアンに通じる、つまり、「未開」や「野蛮」を表す言葉だったかもしれません。

 当時のヨーロッパは、常にオスマン帝国(トルコ)の脅威にさらされており、彼らの文化や音楽を「野蛮」なものとして感じつつ、どこか屈折した憧憬も伴って受け入れていたようです(トルコ行進曲もその例ですね)。

 まあ、ヨーロッパは何百年も常に戦争状態だったとも言えるわけで、そういう中から、まさに「戦争文化」が育っていったわけですよね。そして、それに付随する形で、音楽や美術や文学や科学も発達したと。

 そんなことを考えながら、ぜひこの「荒魂」音楽をお聴きください。

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2020.08.27

バッハ 『前奏曲とフーガ 変ホ短調(嬰ニ短調)BWV 853』

 

 う30年以上前になりましょうか。当時私はある廃寺に住んでいたのですが、そこになぜか世界的に高名なチェンバロ製作家のデヴィッド・レイさんが一人で遊びにきました。

 彼とこの曲の私の演奏を聴きまして、まあお世辞でしょうけれど、「Excellent!」と言ってもらいました…ってホント?って感じですよね。

 実はこういうことなんです。

 デヴィッド・レイさんが来たのはホントです。今からすると考えられないことですが、ある方の紹介でふらっと遊びに来たんです。

 で、当時20代の私は、今以上に古楽にはまっていると同時に、MIDIでいろいろ遊んでいたので、1988年でしょうか、世界で初めて発売されたデジタル・チェンバロであるローランドのC-20をボーナスはたいて買ったんですね。

 で、これまた懐かしいローランドのシーケンサーMC-300で半年くらいかけて、この曲を1音1音打ち込みまして、かなりリアルな演奏データを作ってあったのです。

 つまり、自分は全く鍵盤が弾けないけれど、この曲はどうしても「こう弾きたい」というのがあって、それを打ち込みで作っちゃったというわけです。

 それをレイさんにも聴いてもらったと。考えてみると、なんと図々しいことか(笑)。なにしろ、彼はヒストリカルな楽器にたくさん触れ、そして、演奏家でいえば、あの伝説のスコット・ロスや、日本人でいえば曽根麻矢子さんらと一緒に仕事していたわけですから(!)。

 今となっては、そのデータが入っているフロッピーもどこかにいってしまいました。なんか、自分でもどんな演奏だったのか、聴いてみたい気がするんですがね。まあ、若気の至りということで。世界的にかなり恥ずかしいことをしてしまったかなと(笑)。

 ま、そんなどうでもいい話はいいとして、この曲、プレリュードもフーガも非常に深い。バッハの名曲の中でも特に優れた作品だと、私は思っています。

 ちなみに前奏曲は変ホ短調で、フーガは嬰ニ短調で書かれています。第二巻では嬰ニ短調に統一されており、この曲だけが、このように異名同調の組み合わせになっています。これは単に、フーガは元々ニ短調だったとかいう次元の話ではなく、深い意味があると考えています(結論は出ていませんが)。

 

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