カテゴリー「音楽」の1000件の記事

2021.01.22

『俺の家の話 第1話』 宮藤官九郎脚本作品 (TBS)

Th_-20210123-120904 やあ、第1話から存分楽しませていただきました。

 これって、クドカンが私のために書いた脚本じゃないですか(笑)。

 プロレス、能、親の介護…。

 しかも「羽衣」。私にとってあまりに思い出深い演目。

 特に今、ちょうど次女が能の道を志して、観山…いや観世流の人間国宝、日本能楽会会長に稽古をつけてもらっているわけでして、間もなく試験もあったりで、見事なタイミングすぎました。

 プロレスについては言うまでもありません。知り合いのレスラーも何人か映り込んでいましたし、長州力役の長州力さんとも不思議なご縁があります。

 もともと、私は能とプロレスを非常に近いモノとして捉えておりまして、たとえばこの日など、まさに能とプロレスのチャンピオンたちをはしごするような体験をしております。

 それにしても宮藤官九郎さんという人の物語力は本当にすごいですね。多くの重いテーマを含みながら、それを適量のユーモアで包み込んでエンターテインメントとする。そうして、しっかり観客を引き寄せておいて、心に楔を打つ。それこそ能やプロレスの名人級の技です。

 長瀬智也さんの存在感に加え、これまた名人級の西田敏行の演技も素晴らしすぎ。

 これからの展開が本当に楽しみです。久しぶりにテレビドラマをちゃんと観ようという気になっています。

 皆さんもぜひ御覧ください。第1話もTVerなどで観ることができますよ。

 俺の家の話 公式

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2021.01.10

絹糸ヴァイオリン(ヴィオラ)

Th_img_7293 急事態宣言がなければ、今日は東京にて演奏をする予定でした。

 先日お会いした、日本を代表する生田流箏曲家、安藤政輝さんとのコラボ。新春ということもあり、宮城道雄の「春の海」を共演するはずだったのですが、残念ながら私は行けませんでした。

 昨年末、安藤先生に初めてお会いした時の記事はこちら

 そこには「シルクとガットの共演」のようことを書きましたが、実は今回は「シルクとシルク&ガット」の共演になる予定だったのです。

 というのは、前回お会いした時に、お琴の絹糸や三味線の絹糸を何本かいただきまして、それを翌日のモーツァルトの演奏が終了してすぐに、私の5弦なんちゃってバロック・ヴィオラに張ってみたのです。

Th_img_7294 お琴の絹弦はD線にぴったり。さらに三味線の二の糸がA線にぴったり。そしてヴァイオリンのE線にあたる5弦目は三の糸を。これはちょっと細すぎ。二の糸を張ってみましたが、さすがにEまでは上げられず(切れませんが)C止まり(ちなみに写真の5弦は三味線三の糸)。

 ということで、本番はC線とG線はガット、D線とA線、そして5弦目Cはシルクというハイブリッド・スコルダトゥーラで調弦して臨む予定だったのです。

 で、肝心の音ですが、これが素晴らしい!びっくりしました。今回はお琴と三味線の弦を適当に代用したので、ややテンションが足りず、音量はガットの8割くらいまで下がってしまいますが、その音質、倍音の豊かな音色は予想以上に美しい。お聞かせできないのが残念です。

 知り合いの琴糸職人さんが、これからヴァイオリン属やヴィオール属のために試作品をたくさん作ってくれるということなので、いずれ「シルク・オーケストラ」や「シルク・コンソート」を実現してみようと思います。

 演奏側としての心配として、より糸は弓で弾きにくいのではないかということがありましたが、これは杞憂でした。裸ガットを弾き慣れている人にとってはなんの問題もないでしょう。

 かつて戦前ヴァイオリンがブームになった時、なかなか弦が手に入らず、多くの演歌師たちが三味線の弦を代用したという話をどこかで聞きましたが、なるほど可能性ふつうにありますね。やってみてよくわかった。

 そしてその音がこんなに素晴らしいとは。現代のヴァイオリン属や、その集合体であるオーケストラの音って、正直どうなの?と思ってしまいます。戦前まではウィーン・フィルもベルリン・フィルも裸のガット張ってたみたいですし、もしかすると、日本にはシルク・オーケストラがあったかもしれない?

 このプロジェクト、これからの展開が楽しみです。宮城道雄という東西の音楽を結んだ天才の作品もまた、ここで新しい魅力を発揮するかもしれません。なにしろ、今普通の演奏は、ナイロン弦の箏と金属弦のヴァイオリンによるものなのですから。

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2021.01.09

『パラサイト 半地下の家族』 ポン・ジュノ監督作品

Th_91lfzycgzl_sx300_ 日地上波で放送されたものの録画を観ました。

 先に劇場で観ていた次女の感想のとおりでした。

 後半が雑すぎる。

 前半の明るさから後半の暗さへのコントラストで見せる映画はたくさんあります。古くは小津安二郎の「大学は出たけれど」や、ちょっと昔ではロベルト・ベニーニの「ライフ・イズ・ビューティフル」とか。

 たとえばその2名作のように、それが名作となるには、はやり後半を丁寧に描き、前半を後半がしっかり回収していくことが必要ですが、この「パラサイト」にはそれが感じられませんでした。

 期待や予感に対する回収もないところを見ると、わざと「映画的予定調和」を破壊したのでしょうか。その挑戦がアカデミー賞につながったのなら、一定の評価をしてもいいかと思います。

 全編を通じて、バロックから前古典風な音楽が流れています。コントラストを重視することによって、より劇的な表現を追求したバロック音楽から、それさえも予定調和として、疾風怒濤によって破壊しようとした前古典派の流れを汲んでいるのでしょう。

 それは父バッハと息子たちの対決のようでもありますが、この映画の中で2ヶ所象徴的に使われているヘンデルのオペラ「ロデリンダ」に注目するのも面白いでしょう。ヘンデルは一般に認識されているよりもずっと先取的かく過激で、自己破壊的な作曲家でもありましたから。

 そんなわけで、この映画の終わり近くには、「早く終わらないかな。ロデリンダを久々に全部聴きたいな」と思ってしまったのでありました(苦笑)。

 つまり、この映画は、100年後、200年後、300年後にも高く評価される作品ではないなと思った次第です。ちょっと残念でした。

 ただ、前半の構成や演出、役者さんたちの演技には見るべきものがたくさんありました。まあ、だからこその残念なのですが。

 しいて言うなら、世の喜劇も悲劇も、調和も不調和も皆、「フェイク」によって引き起こされているというメッセージが読み取れたかなあ…。

 では、ロデリンダを聴いてみましょう。オリジナル楽器による演奏ではありませんが、解説や対訳がついているので、この動画が良いでしょう。なぜ、この曲がこの映画に使われたのか、その意図がわかる…かもしれません。こっちは映画以上に長いですよ(笑)。

 

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2021.01.08

ジョン・ルイス 『バッハ 前奏曲BWV 852』

Th_-20210109-102920 日のマイルス・デイヴィスからのジョン・ルイス。

 モダン・ジャズの両巨人の対照的な演奏ということになりますか。しかし、ともにジャズからは遠く離れてしまっているところが面白い。

 もう今から15年以上前に、ジョン・ルイスの『バッハ プレリュードとフーガ vol.1〜4』をおススメしました。今でもこのアルバムは大好きです。

 当時はYouTubeなんかありませんでしたから、言葉で紹介するだけで音は聴いていただけなかった。今ではこうして音を共有できるわけですから、まあいい時代になりましたね。

 で、そこにも書いたのですが、私の好きな第1巻の7番と8番と24番のプレリュードだけ、ジョン・ルイスは楽譜通り弾いているんですね。そしてそれがまた素晴らしい内省的な演奏になっている。

 特にこの7番変ホ長調の前奏曲の演奏は、私にとって衝撃でしたし、今でも毎度お〜っ!となりますね。

 肝心なところでどんどん遅くなるというのは、たとえばカール・リヒターの演奏なんかもそうです。今の人たちは興奮すると早くなるんですけどね。昔の人たちは遅くなっていく。純邦楽でもよくありますね。

 テーマの頭の3音のアーティキュレーションが独特かつ自由に変化するところが、ある意味ではジャズ的ですが、もしかするとバッハもそんな感じだったのではとも思います。

 つまり、フーガにせよ、テーマは均一に弾かなければならないというルールはないということです。考えてみればそれは当然です。音楽はまさに「縁起」していものなので、たとえば同じドの音が周囲の音によって意味が変化するように、テーマもその時、その場でそれぞれ意味が違うのは当然なわけで、それは私たち自分という存在を考えても明らかなことですよね。

 というわけで、ぜひじっくりお聴きください。最後に全巻全曲も貼っておきますので、BGMとしてぜひ。

 

 

 

 

 

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2021.01.07

マイルス・デイヴィス 『パンゲア』

Th_51koli3qtl_ac_ul320_ 陸移動説からのパンゲアです。

 パンゲアは大陸移動説に基づく「移動前」の超大陸の名前です。

 今日紹介するのは、マイルス・デイヴィスの伝説的ライヴ・アルバム「パンゲア」。

 説明するまでもありませんが、このアルバムは1975年2月1日夜に、大阪フェスティバルホールで行われたライヴを収録したものです。

 驚異的な即興演奏の熱気が見事に記録されており、体調ボロボロのマイルスの、鬼気迫るというか危険とも言える演奏は、もう楽器の種類や音楽ジャンルを完全に超えてしまっていますね。

 ちなみに昼の部は「アガルタ」というアルバムになっています。どちらもすごいのですが、私としてはこちら「パンゲア」の方がぶっ飛んでいて好みです。

 これが「パンゲア」と命名されたのは、なんとも象徴的であります。逆説的とも言える。つまり、モダン・ジャズからどんどん分裂症的に拡大し続けたマイルスの音楽の行き着いた先がこれなのですから。

 まあ、何度聴いても「よくわからない」素晴らしさがあります。まさに「モノのね」です。一度でいいから、こういう音楽を生で聴いたり、あるいは夢の中ででもいいですから演奏してみたいものです。

 

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2021.01.04

『ゴジラ』 本多猪四郎監督作品

Th_81bi3hduc8l_sx300_ 知のウイルスのおかげで、世の中が大変なことになっております。

 平和ボケした現代日本人にとっては、久しぶりの「モノ」体験です。もちろん10年前の大地震や大津波、そして原発事故もそういう体験ではありましたが、こうして外国から侵攻されるのは本当に久しぶりのことです。

 世の中では「鬼滅の刃」が大ヒットしていますね。あれも「モノ」と戦うお話です。そして「モノ(鬼)」の方にもいろいろ事情があって、そこへの共感も含めて、非常に日本的な、すなわち勧善懲悪では片付けられないモノガタリとなっています。

 そういうモノガタリで思い出されるのが「ゴジラ」です。それも初代。思うところあって、ウン十年ぶりに見直しみました。

 驚くべきは、この映画が戦後9年で製作されているということです。

 米ソ冷戦下の水爆実験がもたらしたゴジラの日本上陸。あっという間に東京は元の焼け野原に戻ってしまいます。

 唯一の被爆国、そして敗戦国、事実上のアメリカの属国としての日本において、このような寓話によって戦争批判、核兵器批判、大国批判、科学批判が行われたことに、今さらながら感銘を受けます。

 日本のモノガタリでは、善と悪、加害者と被害者、強者と弱者が判然としないことが多い。あえてそうしていることが多いわけですが、このゴジラもその点、非常に複雑な様相を呈していますね。

 それは先の大戦や、現在のコロナ騒動にも重ね合わせることが可能です。当事者にとっては明らかな「敵」であっても、歴史になるとそう単純な構造で説明つかなくなります。それが、のちの騒動を生む原因にもなるわけですが。

 そうした複雑な利害関係の中に、ヒューマニズムを織り込むところが、日本的モノガタリの良いところであり、また一方で、ある種の美徳主義や根性主義、犠牲賛美主義につながっていることも確かです。

 この「ゴジラ」にあっても、芹沢博士の決断はゴジラの運命とともに一つの哀話として私たちの心を打つものになっています。

 平和と戦争、科学と自然、経済と道徳…あらゆる矛盾が、個人の哀話に回収されてしまい、またそれを「散華の美学」のように受け止めてしまう日本人の心性は、それ自体実は非常な弱点でもあると感じます。

Th_250pxgojira_1954_japanese_poster その点、仲小路彰は、そうしたお涙頂戴的なものではなく、もっと未来的な明るい解決策を提示してくれています。

 水爆についても仲小路は、もちろんその破壊的、悪魔的な力を忌避しつつ、その反面にある「太陽のエネルギー」「融合のエネルギー」といったプラスの側面についても多く語ってくれています。

 芹沢博士の苦悩は、おそらくその当時の多くの科学者の苦悩そのものだったのでしょう。その時代に、仲小路が湯川秀樹をはじめとする多くの科学者に送ったメッセージは、きっと彼らを勇気づけたことでしょう。

 さて、映画「ゴジラ」 の話に戻りますが、あらゆる面で、その後のゴジラシリーズ(最近で言えばシン・ゴジラも含む)には到達しえない次元での名作ですね。

 私のように、少年時代単なる怪獣対決ものとして楽しんでいた世代が、こうして大人になってそのルーツをたどり、最も大切なことに気づかされるわけですから、もちろんその後のシリーズにも大きな価値はあると思いますが。

 やはり、何事も「初代」がすごいのですね。それはそうです。無から有を生んだのですから。

 本多猪四郎はもちろん、円谷英二、伊福部昭の仕事ぶりも素晴らしい。宝田明、平田昭彦、そして志村喬ら俳優陣の、内面を表現する演技も見ものです。

Amazon ゴジラ

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2020.12.30

LUCY(루시) 『Snooze (선잠)』

 

 当に残念ですが、レコード大賞があまりにひどいことになっているので、我が家では韓国の音楽番組「The Show」を観ました。

 今の韓国の音楽シーンは、40年前の日本のそれのごとく、なんでもありですし、世界への挑戦の勢いがあります。それに比べてガラパゴス化した日本の音楽業界はどうなってしまうのでしょうか。

 もちろん、江戸時代の鎖国政策がそうであったように、ガラパゴス化も極めれば、浮世絵のごとく世界のアートに影響を与えることになると思いますがね。どうせなら、あと100年くらいこのままでいた方がいいのかなあ。

 それにしても、最近の音楽番組、特にレコ大から紅白への流れの中で、本当に日本人の歌が下手くそすぎていやになりますよね。プロとは思えない。こちらがドキドキしながら聴かなければならないって、いったいなんなんでしょうか。

 それに比べると、韓国のミュージシャンたちはみんな歌がうまい(ダンスも)。まあ、それが最低限の条件だというのは、本来なら当然のことなんですがね。

 で、今日もいろいろなジャンルの面白い韓国音楽を聴いたわけですが、かなり驚き、かつ感動すらしたのは、このバンドLUCYです。

 ありそうでない、聴いたことがあるようでない、非常に新鮮な感じがしました。80年代日本のシティポップの要素も持ちつつ、そこに現代的なセンス、そして微妙なプログレッシブ感、さらに定番のアジアンテイストもしっかりあり、これはいい!と純粋に思いました。

 特に、ヴァイオリン弾きとしては、このシン・イェチャンくんのパフォーマンスにはしびれますね〜。上手いし、センスが良い。

 私もここ45年ほど(!)ヴァイオリンがフィーチャーされたロックバンドをたくさん聴いてきましたが、このバンドでのヴァイオリンの存在感はピカイチですね。

 ここで紹介したセカンド・シングルだけでなく、ほかの曲も非常にセンスが良い。皆さんもぜひ、YouTubeでいろいろ聴いてみてください。

 う〜ん、日本のバンドも頑張ってほしいなあ。バンドだけでなくアイドルも、歌手も…。

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2020.12.28

ギュンター・ロスト(オルガニスト)

 日はオルガニストを紹介しましょう。バッハはもちろん、モーツァルトやショパンをオルガンで弾いてしまう奇人(もちろんいい意味)です。

 まずショパンの前奏曲「雨だれ」から聴いていただきましょうか。これがいいのですよ〜。

 

 

 減衰楽器のための曲を、こうして持続楽器で弾きますと、和声の豊かさや複雑さが聞こえてきて面白いですね。それが作曲家の意図とは違ったとしても、やはり残響や余韻のことを考えると、一度はこうして演奏してみることは大切なことではないでしょうか。演奏家にとって。

 続いて、昨日私も演奏に参加させていただいたモーツァルトのピアノ協奏曲第23番です。昨日のフォルテピアノのソロも素晴らしい、素晴らしすぎるものだったのですが、このオルガン版も実にいいですね。

 

 

 

 

 続きまして、昨日の木内鶴彦さんが「天の川」から聞こえてきた音楽として紹介していた、バッハのチェンバロ協奏曲ニ長調を。元はヴァイオリン協奏曲ですが、それをバッハ自身が演奏するためにチェンバロ・ソロに編曲したものを、さらにオルガンで演奏しています。バッハも一回はオルガンで弾いたことがあるのではないしょうか。

 これまた、オケも含めて素晴らしい演奏ですね。オルガンらしくアーティキュレーションで表現する部分が多くなりますが、オケもそれに見事に呼応していますね。このオルガンは電子オルガンでしょうかね。

 

 

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2020.12.26

安藤政輝 宮城道雄を弾く5 「春を奏でる」

Th_71xlqoubgyl_ac_sl1082_ うすぐお正月。お正月と言えば「春の海」。

 今日はご縁がありまして、宮城道雄先生の直弟子、元東京藝大教授であり、日本を代表する箏奏者である安藤政輝先生と「春の海」を合奏をさせていただきました。

 いちおう山田流箏曲をやっていたことがあった私ですが、こうして生田流の頂点にいらっしゃる方と合奏をする日が来ようとは夢にも思いませんでした。

 私は、バロック・ヴィオラを弾きました。

 今日いただいたこのCDの「春の海」では、東京藝大の学長でいらっしゃるヴァイオリニストの澤和樹さん。

 いったいなんでそんなありえないことが起きたかと言いますと…。一つは仲小路彰関連です。仲小路は宮城道雄と親交があり、戦後の重要な日本文化イベントを共に作り上げていました。

 それから、私の「古楽」へのアプローチに興味を持ってくださった方が間に入ってくれたということもあります。

  私は箏曲においてもオリジナル主義を重要視していました。かつても今も、案外なことに邦楽の世界はそういう意識が薄いんですよね。安藤先生は絹糸の弦や象牙の琴柱などを用いており、演奏様式の研究などもされていた研究家でもあります。

 そのようなこともありまして、今後おつきあいをさせていただくことになりそうなのです。おそらく他の宮城作品も合奏する機会があるかもしれません。夢のような幸せです。

 いや、自分で言うのもなんですが、バロック・ヴィオラの生ガット弦の音や表現が、絹糸のお琴の音に絶妙になじむのです。やはり近代的な工業製品とは違う世界があるのですね。感動いたしました。

 絹とガットの「春の海」を披露する機会も近くあるかもしれません。しっかり稽古いたします。

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2020.12.24

追悼 中村泰士さん なかにし礼さん

Th_ent20122508260007p1 リスマスイブはいつまでも悲しい夜。

 「北酒場」のコンビ、なかにし礼さんと中村泰士さんの訃報が…。筒美京平さんに続き、また昭和の文化を支えた天才がこの世を去ってしまいました。

 地元の天才作詞家、作曲家である、フジファブリックの志村正彦くんの命日でもある今日。

 昨年で彼の突然の死から10年ということもあり、一つの区切りをつけたつもりでした。クリスマスイブはクリスマスイブを楽しもうと。

 それなのに。

 今日は先に中村さんの訃報が入ってきました。あらためて北酒場を聴いていたところ、なんと今度はその詩を書いたなかにし礼さんが今日亡くなったとの第一報が。

 クリスマスイブはいつまでも悲しい夜。

 新しい時代が始まるために、古い時代は消える運命なのか。いや、そんなはずはない。

 彼らの詩やメロディーは、もろちん時代を超えて生き続けます。それでもやっぱり悲しい。

 なかにし礼さん、中村泰士さんのコンビと言えば、やはりなんと言っても細川たかしさん。

 北酒場も名曲ですが、デビュー曲である「心のこり」が少年時代の私に与えた衝撃は忘れられません。

 今あらためて聴いてみると、あの頃感じた衝撃というのは、日本語の高低アクセントを無視した中村さんの自由な作曲技法にあることがわかります。

 演歌の世界は比較的アクセントとメロディーの関係性を大切にする、すなわち語りとして聞き手に内容が伝わることを重視していたのですが、中村さんはそれをあえて破った。

 ユーミン、拓郎、陽水ら、いわゆるニューミュージックの若者たちが、そうした作曲伝統を自由に破って、豊かなメロディー世界を作り出していた…それはメロディー(音楽)による言葉への下剋上であった…中、そうした当時の流れを見事に演歌的な世界に持ち込んだ一人が中村さんでした。

 メジャーキーというレベルではなく、解放されたメロディーのおおらかさや明るさが、細川たかしさんの声質や歌唱力、キャラクターとうまくマッチしたのですね。

 もちろん、それを承知し認めたなかにし礼さんの、日本語に対するある種のこだわりを捨てた創造的な愛も素晴らしい。全く新しい歌詞の世界が生まれた瞬間です。作詞家によっては、アクセントをものすごく気にしますからね。シンガーソングライターならまだしも、職業作詞家ならそれが普通です。

 そんなお二人の偉業をしっかり胸に刻み、かつ、彼らの世界観を平成の世にブラッシュアップして聴かせてくれた志村正彦くんにも感謝しながら、「心のこり」を聴いてみたいと思います。レコード大賞新人賞受賞の映像。

 ご冥福をお祈りします。

 

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