カテゴリー「映画・テレビ」の1000件の記事

2022.08.10

【討論】政治と宗教の深淵

 

 ャンネル桜ならではのメンツ。

 特に上祐さんと宏洋さんが一緒に参戦しているのは珍しいし、ある意味真面目な話に終始しているのも新鮮な感じがしました。

 それこそ、私はオウム&幸福の科学世代です。それぞれの教団に知り合いがいましたし、今でもおつきあいのある方もいます。そういう意味では、統一教会についてもど真ん中に巻き込まれたこともありました。

 つまり、そういう時代だったのです。それを今更、安倍さんの事件をきっかけに急に批判し始めたりすることに、私は強い違和感を抱きます。放置してきたのは皆さんではないのか。

 ちなみに私はあの頃からずっと真剣に宗教と向き合ってきましたし、格闘してきましたし、その結果それなりの安定した立ち位置というのを得るに至っています。それが私の人生だったと言ってもいいほど、自分にも真剣に対峙してきたつもりです。

 今日は旧統一教会の記者会見があり、地上波もネットもほとんど彼らに乗っ取られてしまう状況になっていましたね。彼らの言い分が一方的に語られてしまうという、まあ予想通りの結果でありました。

 政治はもともと「まつりごと」の要素が強く、宗教と関わりを持たないことは難しい分野です。しかし、純粋な結びつきではなく、集票、集金の手段としての宗教団体との関係強化があったことも事実であり、そこはお互いに反省すべきところでしょう。

 今日の会見では、共産主義との対立の話が出てきましたが、政治から宗教を排除しようとしたコミュニズムこそが最も近代的な宗教になってしまったという皮肉は無視できないでしょう。

 それこそが、近代ヨーロッパの自己矛盾の成れの果てです。日本がその真似をしてきた戦後はもう終わりにしたい。この討論の中でも触れられた聖徳太子のご存在こそ、「日本をとりもどす」ヒントとなるに違いありません。

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2022.08.03

解禁!JFK暗殺事件の未公開ファイル

Th_81zdsnivk9l_sx300_ 殺の事後謀略としての定番「Cover Story」。ご存知ですか。

 暗殺者の単独犯であることを、暗殺された側がストーリーとして作り上げることです。

 なんで、暗殺された側が?と思われるでしょうが、それこそが暗殺した側の謀略なのです。

 たとえば、このJFK暗殺事件において、アメリカは躍起になってオズワルドの単独犯であることを強調しました。

 半世紀以上経った今、ようやく機密文書の一部が解禁され、その裏側の事情が鮮明になってきました。

 すなわち、暗殺犯はキューバとソ連と通じていた。しかし当時、それを認めて公表してしまうと、いきなり核戦争になる可能性があったと。

 ご存知のようにオズワルドはすぐに殺害されてしまい、彼自身からの聞き取りは不可能になってしまいました。まさに口封じです。

 このようなことが、現代の日本でも起きていないと、誰が言えますでしょうか。

 マスコミは相変わらず「旧統一教会」問題ばかりを取り上げ、野党もそれに乗っかる形です。

 オズワルドの生い立ちがのちに「物語化」されたように、いやそれ以上の速さで山上容疑者の生い立ちが「物語化」されています。こういう時は注意です。

 もちろん、全てを否定するわけではなく、一面の真実が伝えられているわけですが、そこも含めての、こうした高度な策謀は共産主義国の得意とするところであるのは、半世紀前も今も変わりありません。

 純粋な共産主義には大きな価値を認める私ですが、唯物論と結びついた冷徹なその亜種は、残念ながら日本人には最も理解しがたい残忍性を持っていると感じています。

 ペロシさんの訪台、そして訪日。さあ、歴史はどちらに転ぶのでしょうか。

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2022.07.25

ウイルス療法

Th_-20220726-75257 ロナやサル痘のニュースが流れたあとの、NHKクローズアップ現代は「ウイルスの力を医療に」でした。

 ガンをはじめとする難病治療に「家畜化した(飼いならした)ウイルス」が大活躍しており、驚くよりも感動を覚えました。

 そう、何度も書いてきましたが、私たち人類の進化や健康にはずっとウイルスが活躍してきたんですよね。

 私たちの遺伝子(DNA)の7割がウイルス由来だとも言われておりますし、こうしてウイルスを改良して病気と戦う武器にするというのも、人類の歴史においては必然でした。

 同様に、新型コロナウイルスも、長期的に見れば私たちにメリットを与える存在であるかもしれませんし、それに対抗する新型ワクチンでさえ、私たちを進化させるきっかけとなるかもしれません。

 どうしても近視眼的感情論が先立ってしまうため、ウイルスというと悪者・敵というイメージになってしまいます。本来正義の味方であるはずのワクチンでさえ悪者・敵にされてしまう。

 そうそう、先日ある集会で「ワクチンを打った人」と聞かれて、ハ〜イと元気よく手を挙げたところ、100人中私と友人の二人だけという、恐るべき光景が現れました。

 おそらくその場の空気から挙手できなかった人が数十人いるのではと推測しますが、これはまずい傾向ですね。分断を生んでいる。今日のホリエモンのニュースもそうですが、どちらの立場の人たちもあまりに強く「予断」しすぎている。

 ちなみにその場で「ワクチン打ってどうですか」と聞かれた私は「パワーアップしました!」と即答して笑いを誘い、その場の凍りついた空気を和ませましたよ(笑)。

 外からの侵入者に対する恐怖感、忌避感というのは、これは本能にインストールされている機能なので仕方ない。しかし一方で、私たちは「和」や「汝の敵を愛す」精神を、やはり本能的に持っているはずです。

 これはそれこそ他人に押し付けるつもりはないのですが、私は新型コロナウイルスにせよ、新型ワクチンにせよ、基本的に受け入れる、もっと言えば友だちになるつもりでいます。

 話を戻しましょう。ウイルス医療、本当に素晴らしいと思いますし、おそらく宇宙からやってきたであろうそれらの元になるウイルスたちは、まさに無償の愛に満ちた救世主なのかもしれません。感謝しましょう。

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2022.07.24

【ひろゆき&成田悠輔】坂上忍が暴露!テレビ滅ぼすのは誰だ? (日経テレ東大学)

 

 回!

 テレビというムラ社会が、どれほど、どんなふうにダメなのか、ある程度知っていたつもりでしたが、こうしてど真ん中にいらっしゃった方の話を聞くと、本当にヤバいことがわかりますね。

 そういう守旧ムラに、ある意味全く関心がなく、結果としてそれを無意識的に破壊する側に回っているひろゆき&成田ペアからは、ある種の憐れみのようなものすら感じますね。

 そんなムラでたくましくやってこられた坂上忍さん、正直すごいと思いますよ。様々な制約の中で、あれだけ視聴者(庶民)の心をつかむのですから、それこそ動物的な勘が優れているのでしょう。

 特に「半歩踏み越える」感覚というのは、だれでもたしかにわかるが、しかし、なかなかそれができない「大人」がほとんどであることも事実です。

 私も人から見れば、半歩踏み越える方かもしれませんが、案外臆病なところもあり、あるいは、人にやらせて一歩下がって見ているようなずるい部分もあるんです。

 テレビや新聞の旧い権威というのものも、そうですねえ、あと10年もすれば、すっかり地に堕ちていることでしょう。そういう中、すでに権威なんてものを捨てている(笑)テレ東は、たしかに伝統芸能的に残るかもしれません。

 いや、YouTubeやSNSなどの新しいメディアは、もっと早く葬り去られるかもしれませんよ。

 そこで私が注目しているのは、「音声メディア」です。

 実際、この対談にしても、音声だけ聞いていれば十分です。彼らの声色からその表情はしっかり想像できますよ。

 ながら聞きも、早聞きもできますし、作る側としても、過剰な編集やテロップなどの文字情報もいらない。

 今のYouTubeの半分は音声のみコンテンツになっていくでしょうね。つまりラジオ文化の復権。

 それにしても、坂上さんの「興奮欲求」体質は面白いですね。わかる気もしますが、自分はそこまでではないかも。そして、3人の共通点、ジムに行かない、お酒好き、友達いない…私も全部当てはまりますので、ぜひ飲み会に入れてください(笑)。

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2022.07.22

橋幸夫 『股旅 '78』

 

 時だョ!全員集合を観ていたら、この曲が流れてきてビックリしました。やばい、カッコいい!

 この曲は知らなかったなあ。なんと橋幸夫137枚目のシングルだそうです。78年の時点で137枚かあ…。

 78年といえば、私が最新の洋楽に目覚めた年。ディスコブームの年でもありました。

 この曲もお聴きのとおり、ディスコ音楽を意識していますね。それを「股旅」でやってしまうところが、いやはや、日本というのはすごい。

 橋幸夫さん、ご覧のとおり、三度笠にパンタロン(笑)。見た目的にもかなりのインパクトですね〜。

 作詞は阿久悠さん、そして作曲は井上忠夫(井上大輔)さん、編曲は高田弘さん。この番組でのゲイ・スターズの演奏もカッコいいですね。

 歌詞もなかなかシュールです。リアルタイムで観ていたかもしれませんが、記憶にないということは、私、若気の至りで見た目から拒否していたのかも(トイレに行っていたとか)。

 いや、この曲は現代に蘇らせたいですね。だれかカバーしてくれないかなあ。自分でやればいいのか(笑)。

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2022.07.18

『田中秀臣・森永康平の Nippon学〜三浦春馬、「日本製」、文化と経済』 (読書人)

Th_41f1x9ae4al_sx343_bo1204203200_ 日。一昨日の記事で「三浦氏」のことを取り上げ、そこで三浦春馬さんの名前も挙げました。

 彼の死の意味は、いまだ判然としません。それはそうでしょう。

 なぜなら、彼の存在は単なる俳優としてではなく、日本人の魂のある部分を象徴しているものであり、そういう意味ではこのたびの安倍元首相の死と同様に、日本の、日本人の歴史の裏面にまで踏み込んでいかねばならない重大事象です。

 私も三浦氏の歴史や、西湖という霊的トポスを通じて、その意味を探ってきました。もちろん、まだまだその結論には遠いわけですが、同様に彼の存在を「Nippon」の中に見出そうとする方々がいることに、ある意味安心しました。

 この本には、田中秀臣さん、森永康平さんというお二人の経済の専門家が語る、高次な三浦春馬論が含まれています。

 高次なところから眺めた結果、「敷居の低い経済学」になったところが興味深い。そう、経済というのは、いわゆるミクロやマクロといった平面的な視点では把握しきれない霊的な要素が多分にあるのです。

 リフレ派もMMT論者も金融工学専門家も、そうした平面的な視点しか持ち得ないので、結局どの経済政策もハズレばかり。思い通りにならず、想定外に振り回されてきたのが、近代経済の歴史そのものです。

 高次な霊的要因は、実は「気分」として私たちの身近なところに現出しており、それだからこそアンコントローラブルであるわけです。

 「money」の語源と「monster」の語源が同じで、そして、それが日本語の「モノ(もののけ)」につながるとは、経済学者は知らないでしょう。

 三浦春馬くんは、それを知っていた。感じていた。だから、机上の空論ではなく、「その場」にうごめく「気」を受け取るべく各地方に赴き、「日本製」を遺した。

 彼の繊細かつ敏感な精神と肉体は、その霊的メッセージを受け続けた。もちろん、彼の俳優としての仕事の中でも、それぞれの作品の背後にある霊的なモノを感得して表現していた。

 だから、やはり命懸けだったのです。

 経済は生き物。当たり前のことです。

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2022.07.17

志村正彦&ジャンボ鶴田 (マキタ係長)

 日(昨日深夜)のYBS「マキタ係長」〜「山梨の名曲を聞いて山梨を考察!」は、私の尊敬する(大好きな)お二人の歌を取り上げてくれました。

 まずは富士吉田出身の天才、志村正彦くん(フジファブリック)の「Sugar!!」。

 

 

 

 ちょっと意外だったのは、音楽知識満載のはずのマキタ係長さん、フジファブリックについてはあんまり知らないようで、スージー鈴木さん一人がごく個人的な感想を語っておられたことです(笑)。

 逆に係長が思いっきり語ったのは日川高校の大先輩、ジャンボ鶴田さんに関してです。

 紹介された曲はあの迷曲(?)「ローリングドリーマー」です。

 

 

 いやあ、カシオペアの中野サンプラザ公演でのエピソードは、ジャンボ鶴田史を研究し語る上では、非常に重要な証言ですね(笑)。保子さんと一緒だったのかな?

 番組はTVerで観ることができますので、ぜひぜひご覧ください。

 

 ちなみに、番組中紹介されている「ローリングドリーマーのB面」の自作曲はこれです。鶴田友美作詞・作曲「サヨナラは言わないで」。いい曲です!!

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2022.07.05

羽賀ヒカル怒る!? 『メディアの闇を暴く』

 

 社チャンネルの羽賀ヒカルさん、最近気合い入っていますね。これは「怒り」でしょう。

 もしかして、オニさんの耀わんでお水飲んだから?(こちら参照)

 いやいや(笑)じゃなくて、本当かもしれませんね。ここのところ耀わんのお水を飲んだ方々の変容ぶりがすごくて、ちょっと怖いくらいです。あの人もあの人も。

 まさに「闇を暴く」人たちが増えています。そして、「闇」から足を洗う人たちも。

 世の中、現世というのは実はわかりやすくて(つまり全然陰謀ではなくて)、批判されたり攻撃されたりする人こそ、正しいことをやっているのです。

 そしてホンモノはその攻撃すら「言向け和し」てしまう。これからの時代は必ずそういう方向に進んでいきます。相手の敵意を愛に変換してしまうのです。

 もともと敵意、悪意というのは「自己愛」に基づくものです。おわかりになりますか。戦争でもそうです。つまり元は「愛」のエネルギーなのです。

 それをこちらも「自己愛」で敵視してしまうと、これはもう衝突と破壊しかありません。お互いに刺し違えてしまうだけ。

 イエスの語った「汝の敵を愛せよ」や「右の頬を打たれたら、左の頬をも差し出せ」というのは、単なる「赦し」の推奨ではありません。

 相手の利己的な敵愾心を、愛の力で言向け和せということなのです。

 右の頬を打たれたということは、右利きの人に裏拳で殴られたということです。これは、殴る方は表拳(?)で殴ることは汚らわしいので裏拳で殴ったということ。これは奴隷に対する態度です。

 その打たれた奴隷が左の頬を差し出すということは、表拳で殴れということです。そこで思わず表拳で殴ってしまったら、両者の関係は対等になってしまいます。

 つまり、相手の攻撃性を利用して、その奥に潜む全てが平等な「愛」の世界に気づかせなさいという教えなのです。

 さて、話を戻しますが、最近の羽賀ヒカルさんの「怒り」に似た激しさは、まさに利他的な「怒り」であり、利己に対する「怒り」です。

 すなわち全ての「怒り」は「愛」に基づいているということ。その「怒り」の本質に気づくことこそ、衝突のない和合した世界への第一歩です。

 お釈迦様は「怒り」を最悪の煩悩として諌めていますが、ある意味それは間違いです。10年前、私はこんな記事を書きました。

 怒り=生かり

 怒りが革新、進化のエネルギー、すなわち生命エネルギーの根幹にあるのも事実でしょう。しかし、利己的な怒りの連鎖はいけません。また、利他的な怒りが利己的な怒りを言向け和すこともあるでしょう。

 そう考えていくと、孔子が弟子の顔回に対して言った言葉は深い。

「怒りを遷(うつ)さず、過ちを貳(ふたた)びせず」

 なるほど。

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2022.06.10

倍速視聴と音楽と…

20220611-85128 近、倍速視聴の賛否を論ずる記事をよく見ます。

 若者のそうした「タイパ」重視、ザッピング感覚に対して、古い世代は眉をしかめているようですね。

 私は古い世代に属すると思うのですが、かなり倍速視聴している方です。

 YouTubeは基本1.75倍に設定していますし、昨日紹介した映画もU-NEXTで1.6倍鑑賞しました。

 鑑賞ではなく消費だ!と怒られそうですが、私はあまり気にしません。

 というか、音楽は当然等速で再生しますし、たとえば小津安二郎の映画は等速でまったり鑑賞します。そう、選べばいいんじゃないでしょうかね。

 基本、言語情報、特に文字情報が多い場合、すでにそれ自体が抽象された世界なので、そんなに問題はないと思います。それも過去の情報ですからね。

 もともと言語、文字は「時短」のために生れたのですから。特に文字は。

 今や私たちが当たり前に行っている「黙読」なんか、日本ではここ150年くらいの作法ですからね。音読が当たり前だった時、それこそ今の倍速視聴を批判するかのような社会的な抵抗がありました。

 さらに「速読」となると、これはもう究極の「時短」であり、昔の人からするととんでもない悪行ということになります。

 つまり、近代以降の多くの作品、メディアが、文字を含む言語に依存しすぎているから、こういうことになるのだと思いますよ。

 記録された文字情報はウンコですから(笑)。

 先程も書きましたが、音楽を倍速視聴する人はいません。できません。1.2倍でもダメですよね。逆に0.5倍でもダメ。

 その事実に注目すべきです。

 音楽は記録されたものであっても、再生時には聴く人にとって未来から(向こうから)やってくるものです。それも言語のように抽象化された世界ではなく、それ自体が世界本体ですから、早くても遅くてもダメなのです。

 ただ、音楽もサブスクになりストリーミングになった結果、ザッピングされてしまうことは当然あるわけで、かつてのようにアルバムを最初からじっくり聴くということはなくなってしまいました。

 また、作り手の側も最初の15秒で心をつかまねばならず、たとえば徐々に世界観を立ち上げる長いイントロなどはご法度になってしまいました。そうすると自然「サビ入り」が増えてしまう。

 それは一般的な動画やドラマ、さらには映画の作り方にもなっていますよね。

 私はこういう傾向はある程度しかたないと考えています。そして、こうなったからこそ、そうではない音楽や映画やドラマやスピーチの価値が再認識されるであろうし、その結果「記録」ではない「ライヴ」の価値も相対的に上ってくると信じています。

 小説やマンガの黙読に飽きたらず、それがアニメ化したり映画化したりし、さらにそれが2.5次元化してきたように。

 音楽一つとっても、ここ百年くらいの「録音文化」が異常事態だったわけです。江戸時代までは「楽譜」もほとんどありませんでしたしね。

 楽譜の誕生によって音楽さえ「黙読」できるようになってしまったわけです。

 生きた音楽は未来からやってきます。記録された音楽は、楽譜を1小節の1拍目から順になぞっていくように、過去から未来に向かって進行します。時間の流れが反転してしまった瞬間に生命を失っているのです。

 倍速視聴やザッピングは、そうした記録された芸術を本体だと思いこんできた現代人に対する警鐘なのでしょう。

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2022.06.09

『くちびるに歌を』 三木孝浩監督作品

Th_71di5gcv8bl_ac_ul320_ 、家内と長女が2000〜2010年代のJ-POPのヒット曲をYouTubeでどんどんかけ、私がリアルタイムでキーボードを弾きながら、コード進行を中心に楽曲解説しました。

 酔っ払っていたので実にテキトーでしたが、いろいろと面白い発見がありました。

 その中で、再確認したのは、聴く方も作る方も歌う方も、とにかく「中学の合唱」が原体験になっているということでした。

 これについては、実際現場で「中学の合唱」をに触れる機会がたくさんありましたから、そのたびにこのブログにも書いてきた記憶があります。

 高校の先生だけをやっていた時は、けっこう「中学の合唱」とか「中学の演劇」とかいう特殊な文化を半ばバカにしていたようなところが自分にはありました。若気の至りならぬバカ気の至りでしたね。

 実際、中学生たちの純粋な魂に触れると、大人になってから知った「合唱」や「演劇」にはない、たしかに心を打つモノ(なにか)があることを教えられました。

 そして、自分の中にも、そうした純粋な魂(もしかするとそれを「青春」というのかも)への強烈なノスタルジーがあることを確認しました。

 そういう思いに立つと、日本のガラパゴス化した(悪い意味ではありません)音楽事情にも、一つの大きな意味を見いださずにいられないわけです。

 この映画はそうした日本人全体のノスタルジーの原点を「中学の合唱」を通じて、上手に表現してくれていると感じます。

 

 

 2000年代、2010年代のJ-POPのMVに学校のシーンが多く出てくるのは偶然ではないでしょう(あれほど長いドラマパートを持ったMVが世界にあるでしょうか)。

 非常に単純化し、陳腐に説明するなら、コード進行的には中学の合唱曲の多くがカノン進行(あるいはその派生としてのG線上のアリア進行…すなわちベースラインがドシラソと音階的に下がってくる)が使用されているという事実(この映画の「課題曲」である「手紙~拝啓十五の君へ~」  も例外ではない)。

 もう一つ、これは合唱曲にはあまり使われませんが、中学生くらいになるといわゆる「胸キュン進行」(意図的にソに♯をつけて平行短調にプチ転調する)を体験的に理解できるようになるということがあります。すなわち、「切なさ」を味わうようになるということ。

 この二つのコテコテ要素が、日本のポップスには異常に乱発されるのです。外国では、それはやりすぎるとむず痒くなるそうですが。

 逆に言うと、その二つの要素を上手に盛り込むと「売れる」曲を作ることができるということです。これは2020年代になっても変わっていませんし、これからも続くでしょうね。中学の合唱文化が廃れたり変容しないかぎり。

 そういう視点でこの映画を観ると、大人になってからの「切なさ」の原点が15年前の中学生の自分にあることが分かるでしょう。

Amazon くちびるに歌を

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