カテゴリー「映画・テレビ」の1000件の記事

2021.09.18

モロッコのアンダルシア音楽

Th_img_8013 「界ふれあい街歩き」の再放送「シャフシャウエン(モロッコ)」を観ていたら、アンダルシア音楽が流れてきました。

 スペインのアンダルシアの音楽がなぜアフリカのモロッコにということになりますが、そこが面白いところですね。

 もともとイスラム圏だったところに、レコンキスタによってスペインを追い出されたムスリムが移住してきたということですか。

 というわけで、まさに東西が融合というか混濁しているのが興味深い。

 写真でわかる通り、ウードのような楽器とともに、普通のヴァイオリンやヴィオラを使っています。しかし、その演奏法は実にアラブ的、東洋的。膝の上に立てて演奏します。動画で観て聴いてみましょう。

 

 いいですねえ。西の果てのイスラム音楽。それがヨーロッパの楽器によって演奏される。ケメンチェというかレベックのような楽器も見えますね。新旧、東西が混濁しています。

 ちなみに、私もヴァイオリンやヴィオラをこうして膝の上で弾くのを得意としています。これはすぐ参加できそう(笑)。

 別の動画も観てみましょう。一番左にダルシマーみたいな楽器が見えますが、ハンマーで叩いているのか、指やピックではじいているのか。どっちでしょう。

 

 最近、西洋音楽に飽きてきてしまったのか、我が家では世界の民族音楽や、最近の曲でもワールド・ヒットチャートを聴くことが多くなっています。

 実際、世界の最新音楽シーンがちょっとそっち寄りになってきているんですね。これから少しそういう最新音楽も紹介していこうと思います。

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2021.09.16

中川翔子 『綺麗ア・ラ・モード』

 

 れもまた、「ザ・カセットテープ・ミュージック」最終回で「サビ渡し」として紹介された筒美京平作品。

 京平先生、晩年の代表作ですね。

 「サビ渡し」…たしかにこの曲の魅力はサビに入るあの一瞬に凝縮されていますね。

 番組ではしょこたんの歌うメロディーとベースラインの対称性からコード進行を分析していましたね。なるほどでした。

 この半音進行による(結果的にハーフディミニッシュを経由する)「サビ渡し」、この曲のアレンジャーである本間昭光さんがインタビューで言っていましたが、京平先生のデモテープですでに示されていたとのこと。そして、百戦錬磨の本間さんも「お〜、そう来たか」と思ったようですね。

 この「サビ渡し」、おそらく過去にもどこかで使われたコード進行だと思いますが、ちょっと思い浮かびません。もしかして京平先生のオリジナル?

 曲の方につい興味が行きがちですが、作詞は松本隆さんです。とっても素敵な歌詞ですよね。女の子の気持ちを表現する天才だなあ。

 もちろん中川翔子さんの歌も素晴らしい。さすが小さい時から四谷のシャンソンバー「蟻ん子」に通っていただけのことはある。しますえよしおさんの歌声聴いて育ったわけですから。

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2021.09.15

「また逢う日まで」のベース

 

 ゥエルビの「ザ・カセットテープ・ミュージック」が最終回を迎えてしまいました。

 最終回も相変わらずのノリで楽しいまま終わっていきましたが、いつか復活してほしいですね。

 最終回の「閉店セール」で投げ売り(?)された楽曲の中で、テーマとは外れますが、あらためて「すごい!」と思ったのは、尾崎紀世彦さんの「また逢う日まで」。言わずもがな筒美京平さんの名作です。

 けっこうのちの草書体の歌唱を聴くことが多かったので、逆にこのオリジナル・ヴァージョンが新鮮に聴こえました。

 特に楷書体の歌唱のおかげで、いつもはあまり気にしなかったベースラインに正直萌えました。

 編曲も京平先生ですので、ある程度のベースラインも作ったと思いますが、これはやはり奏者のセンスが加わっているでしょう。いったい誰?と思ったら、ああ寺川正興さんか。

 往年の名ベーシストですよね。歌謡曲やアニメ作品でブイブイ言わせていました。

 この「また逢う日まで」では、尾崎紀世彦さんのヴォーカルとベースの絡みで聞かせるところも多い。非常に効果的ですよね。

 ベースのタブ譜の動画もありましたので、興味のある方はぜひ。私も娘に弾かせてみます。

 

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2021.09.05

パラリンピック閉会式

Th_unknown_20210907130201 ラリンピック閉会式にて「TOKYO 2020」が2021年の今日終わりました。

 1940年の東京オリンピックのように中止にはなりませんでしたが、まさかの1年延期。いろいろな意味でオリンピック史上に残る大会となりました。

 様々な問題を抱えたまま始まってしまったオリンピック開会式。それに比べてこのパラリンピック閉会式はそれら問題や競技での感動をも「多様性」の中に取り込み、見事な「調和」の中に大団円を現出しました。

 そういう意味では、実に「後味の良い」大会となりましたね。終わり良ければ…ではありませんが、このパラ閉会式の持つ責務は、私たちが考えている以上に重かったと思います。

 終わりは始まり。「未来への継承」という意味においても、見事なセレモニーになっていたと感じました。

 この素晴らしい閉会式の総合ディレクターを担当したのは小橋賢児くん。

 こちらに書きましたように、彼とは昨年12月に一緒に食事をしまして、直接彼の過去と現在と未来についてお話をうかがいました。

 上記の記事では「来年は一緒に何かできるかもしれません」などと寝ぼけたことを書いていますね。いや、実は…ないない(笑)。

 彼の得意とする花火やプロジェクション・マッピングといった光の技術やセンスはもちろん、誰に対しても愛と敬意を持つことを忘れない彼のパーソナリティが、見事に歴史に残る数々のシーンを演出してくれました。

 素晴らしい仕事をしてくれましたね。次にお会いする時には、心より感謝を申し上げたいと思います。

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2021.09.04

『かぐや姫』 田中喜次監督作品(昭和10年)

 

 谷英二撮影の幻の作品、今日85年ぶりに上映される「かぐや姫」。残念ながらチケットが取れず今回は観ることが叶いませんでした。

 田中喜次は教育映画や初期のアニメ映画で活躍した人。この映画はイギリスの日本協会からの委託で製作されたとのことです。

 円谷や田中の作品という意味でも興味深いのですが、私としては宮城道雄の音楽に興味がありますね。クレジットでは「Music Composed by…」となっているので、作曲が宮城道雄ということですね。

 オーケストレーションは誰でしょうか。時代的には下総皖一かなあ。宮城は昭和10年当時、東京音楽学校の講師。下総は助教授でした。

 今日はたまたま上野の東博で要人にお会いする用事があり、藝大に通う娘のところに来ているのですが、旧奏楽堂や谷中霊園の宮城道雄のお墓などを巡るにつけ、その当時の日本音楽界、特に作曲界の活気を感じることができました。

 この映画での宮城の音楽からも分かるとおり、西洋音楽を巧みに取り入れつつ、日本の音楽を充実させていく姿勢は、まさに聖徳太子の「和」の精神そのものですね。

 実際、開国し和魂洋才を目指し、国際化した当時の日本人にとって、聖徳太子というのはまさに心の支えでありました。明治天皇を聖徳太子になぞらえることもありましたし。

 今日もその要人の方や東博の研究員の方とも話ましたけれど、戦後の聖徳太子軽視の傾向はついに極まって、聖徳太子不在論、さらには教科書からその名を消すという動きまで出ていることは憂慮すべきことです。

 そんなこと言ったら、西方の厩戸皇子たるキリストも否定しなければなりませんよね。まったくぅ。

 …と、話がそれてしまいましたが、それこそほとんど無視され否定されている戦前の文化の正しい評価、復興というのもそろそろ始めねばなりませんね。この「かぐや姫」も早く観てみたい。

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2021.09.02

ダークサイドミステリー 「なぜ人は陰謀論にハマるのか?イルミナティとアメリカ」(NHK)

Th_unknown_20210903140301 日の話の続きで言いますと、私は人工地震によって富士山を噴火させる張本人なんだそうです(笑)。

 陰謀論者なんてそんな程度の人たちです(陰謀論者の皆さん、スミマセン)。

 今日のNHKダークサイドミステリーによれば、私は、陰のそして悪の巨大権力者ということになりますね。なんでバレてるんだ?ww

 実はかく言う私も陰謀論者です。自分の想定外のモノは、実は見えない意志による謀りコトであると考えています。

 ただ、一般的な陰謀論者の皆さんと違うのは、私が「陰の巨大権力者」を感じるのは、予想外に「良いこと」が起きた時なのです!

 つまり、想定外の慶事に見舞われた時、神様なのか仏様なのか、あるいはもっと身近なところで言うと亡くなった方々(猫含む)のおかげだと思うわけです。

 正直、悪の陰謀は、こうして様々語られている時点で、すでに「陰謀」ではありません。

 ですから、本当の陰謀とは、誰も語らない「良き陰謀」なのです。おわかりになりますでしょうか。これは大切な真実です。

 というわけで、私は「良き陰謀」に乗っかりながら生きていきたいと思っております。

 ちなみに、気がついていないという意味で「陰謀」になってしまっているのは、コミンテルンの策謀ですね。彼らのそれは、長期間にわたって静かに進行しますので、結果として「陰謀」となってしまうのです。私にとっては、それらは陰謀ではなく単なる謀(はかりごと)なのです。

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2021.08.29

『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』 ケニー・オルテガ監督作品

Th_81tyxvhe9cl_ac_ul320_ 日はMJの誕生日。生きていれば63歳ですか。

 私は完全にリアルタイム世代です。「オフ・ザ・ウォール」はレコードが削れるほど聴き込みましたが、その後は私の音楽的嗜好の変化もあって、それなりに距離を置いて彼を見ていました。

 ところが、一世代若いウチのカミさんが異常なほどのマイケルファンで、その影響で娘たちも私よりもずっと詳しくなってしまった。

 今度はその影響で、私も遅ればせながらマイケルを再評価するという、実に不思議な現象が起きています。

 そして、今日この映画を観て、それこそ遅ればせながら泣いてしまった(家族で)。

 私、彼が亡くなった時も、こんなふうに冷めていたんですね。

 追悼? マイケル・ジャクソン

 そして期せずして、彼は私の中で「復活」してしまったのです。

 なんということでしょう。

 この映像の中のマイケルは50歳。私はとうにその年齢を超えてしまいましたが、はたして私が50歳の時に、これほどまでのパフォーマンスとパーソナリティーを発揮しえたか…なんて、神に対して実に不遜なる文章を書いてしまいましたが、本当にふとそんなことを思ってしまったのです。

 なにより、愛にあふれているではないですか、彼は。歌にダンスに言葉に。

 基本はダンスですね。そこに歌が言葉が乗っている。そうか、ダンスは愛か。

 どうりで私はダンスが苦手なはずだ(苦笑)。

 完璧主義の天才にありがちな、独りよがりな感じは微塵もない。いや、いろいろあってそういう境地に至ったのも事実でしょう。しかし、そんなプロセスさえもその彼のポテンシャルを発揮させる法難だったのかもしれない…そう信じずにはいられないのです。

 愛が深すぎると早死しますね、ぜったい。

 共演者たちを鼓舞し、刺激し、そして成長させてしまうという意味では、美空ひばりと似たところがありますね。それもまた愛の賜物でしょう。

 ますます自分の小ささ、特に教育者としての不甲斐なさ、つまり愛の不足に落ち込んでしまいます。

 おそらく彼は自らの死を予感していたのでしょう。つまり、愛とは命そのものなのです。

 マイケルはこうして復活し、生き続け、愛をふるまい続けるのでした。

 

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2021.08.23

『八月十五日の動乱』 小林恒夫監督・鶴田浩二主演作品

Th_-20210825-83551 葉真一さんがお亡くなりになりました。ワクチン接種をしなかったようですね。

 このような形で、あの強健な千葉さんが亡くなったことは、なんとも言えなく残念な気がします。

 その千葉真一さんが、医師役としてさりげなく出演しているこの映画、宮城事件を描いた作品としては新旧の「日本のいちばん長い日」の陰に隠れて、あまり評価されませんが、実はなかなかの名作です。

 フィクションの部分も含め、人間ドラマとして良いバランスだと思いますし、主役の鶴田浩二が目立たないのが良い。

 目立たないということで言えば、千葉真一もそう。一瞬しか登場しません。この時33歳ですね。前年にアクションスターとして深作欣二作品などに出演して人気を得ました。翌62年は、この映画も含めて幅広い作品10作以上に出演しています。

 さらに言えば、昭和天皇の姿も声も隠されているのも良い。時代的なことからの配慮だとは思いますが、「日本のいちばん長い日」の旧新の天皇表現の変化と結びつけると、時代とともに戦争と天皇の関係が徐々に変化したことが分かります。

 公開は1962年。東京オリンピックの2年前。やはり、五輪をはさんで日本の戦後は大きく変わったということですね。

 私は五輪の年に生まれましたから、その戦後前期の空気を吸っておりません。よって、こうしていろいろな資料から学ぶしかないのです。

 この映画において、玉音盤奪取に失敗した陸軍兵士たちは、ある意味現場にいたからこそ、陛下の御心に打たれて「情」によって終戦を受け入れることになりましたが、現場から離れた多くの人々は、玉音放送を聞いても終戦(敗戦)を受け入れられませんでした。

 それを「情」ではなく、「理」によって説得したのが、何度か書いてきた仲小路彰の「我等斯ク信ズ(我等斯ク勝テリ) 」だったのです。

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2021.08.22

「諏訪〜なぜ人々は諏訪を目指すのか?〜」 (NHK ブラタモリ)

Th_-20210823-62242 日録画した番組を観ました。ブラタモリ諏訪。面白かった!

 私のルーツにもつながる諏訪。昨日も偶然、諏訪について語り、富士山麓の「諏訪」をフィールドワークしたところでした。

 タモリさんの趣味からして、地質の話に終始していましたが、それはそれで興味深い内容でした。

 そう、「文化=culture」は、まさに「cultivate」。土地、大地の特徴が、我々人間の生活を通して発現したものです。

 ですから、諏訪独特の文化あるいは縄文文化というものは、諏訪の自然環境、日本の自然環境が、そこに住む人というメディアを通して表現した「芸術」なのでした。

 番組でも最後に富士山が登場しましたね。本当に諏訪から富士山が見えるというのは奇跡的なことです。

 人々は諏訪を目指し、そして次はそこから富士山を目指す人々が現れました。私もそうかもしれません。

 その道はシルクロードでもあります。

 もうすぐ吉田の火祭り。公式のポスターにも「北口本宮冨士浅間神社」と書いてありますが、それは間違いです。火祭りは諏訪神社の例大祭すすき祭りの前夜祭です。

 もっと言えば、御射山(みさやま)祭の富士山版です。火祭りとすすき祭りは御射山祭と全く同じ日に行われます。また、ススキが主役になるのも共通。そして、それぞれの裏には国常立尊が存在しています。

 今年の火祭りは規模縮小ながら行われます。これを機に基本に立ち返って、諏訪湖(と八ヶ岳)と富士山を結びつつ、火祭りとすすき祭りを楽しみたいですね。

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2021.08.18

『映画 クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦』 原恵一監督作品

Th_51tcmivael_ac_ul320_ 日の「オトナ帝国」に続き、戦国大合戦。

 言うまでもなく、これもまた同シリーズの名作。

 ストーリーもギャグも秀逸ですよね。

 そして、なんと言っても戦国時代の「戦」の作法がうまく表現されていますね。

 案外、大河ドラマなどでいい加減に現代的な感覚の戦争風に描かれることの多い「戦」。もちろん、このアニメでも時代考証的にはツッコミどころもありますけれど、しかし、その雰囲気、作法はよく再現されていると思います。

 そうした「作法」的な物語性という「モノ」の処理は、まじめなオトナにはなかなか難しいものです。

 つまり、常識や学問や世間という「コト」世界にとらわれると、実に息苦しくなるということです。

 ですから、ああいう、ある種プロレス的に発展した日本独自の「戦」の世界観は、こういう子どもオトナ的なアニメ世界にマッチしているのです。

 まあ、それが「オトナ帝国」のテーマにもつながってくるわけですね。「モノガタリ」によって、その本質を伝えることが必要となると。

 子どもとオトナが交錯する夏休みの映画館という場で、そうした物語によるカタルシスを、両者が語り継ぐ。そういう作品が毎年継続的に生産されているのは、ある種「祭」であり、そこに私は日本の連綿不断の文化というモノを感じずにはいられません。

 ところで、この作品の最後、又兵衛が撃たれて亡くなり、タイム・パラドックスが解消されますが、そこには、まさに「未来に原因があって今現象が起きる」という、私の因果論に通ずるところがありまして、なんとなく納得いたしました。

Amazon 映画 クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦

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