カテゴリー「映画・テレビ」の1000件の記事

2021.04.11

コント 『従軍看護婦』〜由紀さおり 『空の神兵』

 

 日紹介の大林監督の遺作でも、多くの「軍歌」が流れておりました。今ではテレビで流れることはほとんどなくなった軍歌。

 私が子供のころは比較的身近な存在であり、実際私も軍歌が好きで歌本も持っておりました。

 ドリフターズも軍歌のレコードを出したりしていましたし、コントでも兵隊ものは人気がありましたよね。

 やっぱり反戦、厭戦とノスタルジーの矛盾の空気が漂っていたんですね。それをコントなどの笑いに変えたり、高校野球甲子園のようにスポーツに見せかけたりして、なんとなく昇華していたのでしょう。

 で、今日はそんな文化の一つドリフのコントの紹介です。とはいえ、ドリフの兵隊さんものではなく、女性ゲストによるショート・コントです。

 まあ観て、聴いてみてください。コントを超えたコント。軍歌の名曲をこれほどじっくり聴かせるとは。特に由紀さおりさんの「空の神兵」。素晴らしいですね。

 「空の神兵」は、軍歌の中でも特に明るく華やかな歌で、今でも陸上自衛隊の第1空挺団のテーマソングになっており、富士山でもよく鳴り響いております。

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2021.04.10

『海辺の映画館 キネマの玉手箱』 大林宣彦監督作品

Th_movieposter_ja 日は4月10日。昨年の今日、大林宣彦監督が亡くなりました。

 今日鑑賞したのは、監督の遺作です。

 これはすごい映画ですね。いよいよ映画の域を超えたかもしません。

 夢のごとき時空を行き来する急展開と矛盾。それがいつの間にかリアルに感じられるようになるから面白い。

 正直、死の直前の走馬灯ってこんな感じなのでは、と思ってしまいました。いや、きっとそうなのだろう。

 ウソから出たマコト…映画の域を超えたと書きましたが、映画の機能を考えると、これこそが映画なのかもしれません。

 悲劇が喜劇に、喜劇が悲劇に。戦争が平和に、平和が戦争に。ウソがマコトに、マコトがウソに。

 大林監督が戦争にこだわるのは、単純に「反戦」が目的ではないでしょう。

 変な言い方ですが、好きでないとここまでここまでこだわれないですよ。そこもある意味矛盾なのでしょう。

 なんか最後は、寺山修司の実験映画を観ているような気がしてきました。そう、戦争自体が壮大なる実験なのでしょう。

 実験映画の名作を遺して大林監督はあちらの世界に旅立ったのでした。おそらく向こうから見ると、私たちのこの実生活こそハチャメチャな悲喜劇に見えるのでしょう。

 

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2021.04.07

交響詩「ウルトラセブン」より「第3楽章 ウルトラホーク発進」 / 冬木透

 

 たこのネタでスミマセン。半世紀経って改めてこの番組の影響の大きさを痛感しております。

 音楽面でも大きな影響を受け、今に至っていますね。冬木透さん。彼の音楽については、2月にこちらで少し書きました。

 私が初めて聴いた「大人の音楽」がウルトラセブンの劇中曲でした。今聴いてもとんでもないクオリティです。

 ウルトラセブンが未だに高く評価されているのは、言うまでもなく、子供向け番組でありながら、大人が手抜きせず「未来の大人」のために仕事をしているからです。

 音楽もそう。全く子供に媚びることなく、思いっきり高品質な音楽をぶつけてきました。そういう空気だったんでしょうね、制作現場が。

 ここで紹介した「ウルトラホーク発進」の音楽。このイントロ、テーマ、そして展開部と再現部、全てがまさにドラマチック。ドラマの典型という意味でも、子供はもちろん、大人も魅了されてしかるべき内容でした。

 特にこのイントロ。子供当時の私も異常なほどに好きすぎまして、しょっちゅう口ずさんでました(笑)。いやあ、いいイントロですよね。完璧。

 今さらながらではありますが、冬木透さん、いや蒔田尚昊さんの偉業を知っていただきたく紹介させていただきました。蒔田さんも満州生まれなんですよね。満州生まれの偉大な芸能関係者多すぎ。

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2021.04.06

ウルトラセブン 第38話 『勇気ある戦い』

 

 日の岩井俊二監督の映画からのウルトラセブンです。当然の流れですね(笑)。

 今、円谷プロの公式チャンネルでセブンの第38話が観られるんですよ。昨日の映画の主演でもあった斎藤工さんが変身するシン・ウルトラマンへの流れですね。

 この「勇気ある戦い」、佐々木守脚本、飯島敏宏監督回です。たった24分弱の中で、これだけの要素を盛り込むわけですから、すごいですよね。

 当時の社会問題を含みつつ、宇宙人とセブンの戦いのみならず、人間ドラマ、ヒューマニズムも盛り込むというのが、セブンの特長でしょう。「葛藤」というのが必ず入りますよね。

 こういうところから、無意識の中で学んだことが、今の私の人生を作り上げています。

 昨日の映画でも音楽を担当していた冬木透さんの曲がいいですねえ。途中、最終回につながっていくクラシック音楽(だれの曲かな?)も挿入されています。

 エンディングではダンとアンヌの関係性もさりげなく描かれていますね。

 クレージーゴンの造型や、ミニチュア、そして光学合成も充実しており、たしかにこうして代表作として公開しても恥ずかしくない作品に仕上がっています。

 さて、シン・ウルトラマンはどういう作品になっているのでしょうか。このウルトラセブンのように、半世紀を超えてもいろいろな世代に共有されるような作品がどんどん生れてほしいですね(ウチの娘たちもウルトラセブンマニアですし、幼稚園の園児たちにもいまだにマニアが多いのでした)。

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2021.04.05

『8日で死んだ怪獣の12日の物語』 岩井俊二監督作品

Th_unknown_20210406202801 4月からNHKのBSでウルトラセブンの放映が始まりました。

 こちらに書いたとおり、私の人生はウルトラセブンで始まり、今でもそれが続いています。

 すごい展開の早い、詰め込み感満載の第1回を観まして、あらためてカプセル怪獣(ここではウィンダム)って弱いよなと思っていたところに、実にタイムリーにこの映画を観る機会がありました。

 かなり面白かったですよ。コロナならではの作品。コロナのおかげで映画の方程式も崩れましたよね。崩れて、また新しい方程式が発見される予感がありました。

 岩井俊二監督らしい作品とも言えますよね。同世代としての共感もあり、そしてそれを超える現代性というか未来性というものが提示されて、かなり刺激を受けました。

 ウルトラセブン世代だからこそ楽しめる部分もありつつ、カプセル怪獣を知らなくても充分に見入ってしまう内容だと思います。いや、ウルトラセブンやカプセル怪獣の存在に普遍性があるのかもしれません。

 たしかにコロナは現代の怪獣みたいなものですよね。ゴジラが戦争や核兵器の象徴だとすれば、これから何年かのちに、コロナをモチーフとした怪獣が登場するのでしょうか。

 実際、ウイルスは宇宙からの訪問者、あるいは宇宙人による兵器だという説もありますし。

 個人的には、のんさんがやっぱり宇宙人だなと感じました(笑)。

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2021.03.28

『三島由紀夫 vs 東大全共闘 50年目の真実』 豊島圭介監督作品

Th_71gorvjojwl_sx300_ うやく観ることができました。コロナのおかげで1年以上遅くなってしまいました。

 1969年5月。私はまだ4歳。こういう空気が漂っていることも全く知らず、ウルトラセブンと怪獣のソフビを戦わせていました。

 右翼と左翼なんていう言葉はすでに死語だった時代に大学生になりました。しかし、山の中の公立大学には、この頃の残党が棲息していたりして、そこで初めて「政治の季節」というのが過去にあったということを知りました。

 では、それから40年経った今はどうか。実はどっぷりこの「政治の季節」に浸かっているのでした。

 そうは言うまでもなく、仲小路彰という天才哲学者に出会ってしまったからです。仲小路が残した三島の死についての厳しい論評を昨年紹介しましたね。

豊饒の海〜仲小路彰の三島由紀夫評

 死の1年半前、単身1000人の敵の前に堂々と乗り込んだ三島。その様子を捉えたこの貴重な映像。正直の感想は「?」でした。それは、彼の死に対するある種の落胆と似ているかもしれない。

 落胆というと失礼でしょうか。カッコ悪さに対して「傍痛し(かたはらいたし)」と感じたのです。そばで見ていて居心地が悪くなる感じ。

 戦いに臨む勇敢な男を期待していたのに、あれ?という感じになってしまった。いや、「乗り込む」まではいいのです。その後のカッコ悪さがどうも痛々しい。

 ここでも、結局、三島は「戦う」と言いつつ、「言向け和す」ことに終始し、ひたすら優しいのです。だから、ああいう和やかな笑いに満ちた時空間になってしまった。

 いや、私はそういう三島の方が好きです。カッコつけていきがった三島よりも、実は優しく空気を読みすぎる三島の方に共感します。

 本来なら、あのような空気になってしまったら、それこそ駒場900番教室で自決すべきだった。そうすれば1000人の敵に勝てたかもしれない。

 彼が近代ゴリラと揶揄されても、自らゴリラを演じ続けて教室を後にできたのは、皮肉なことに心優しき東大全共闘の1000人のおかげだったのです。だから三島の負けなのです。

 市ヶ谷には、そういう優しさがなかった。味方と思った自衛隊員がみんな冷淡な敵だった。だから、もう自決するしかなかった。では、勝ったのかというと、やはりこちらも負けです。

 いずれも「恥」をかかされたから負けです。それが三島の限界でした。それが傍痛しだということです。

 偉そうなこと言ってすみません。ただ、アフター「政治の季節」世代としては、どうにもシンパシーを抱けないのです。

 そういう意味では、いまだに生きて演劇で世の中と戦い続けている芥さんの方が魅力的に感じられました。

 この季節の総括をしなければ次の時代に歩み出せない、つまり、この季節が私たち世代の足かせになっているのですから、これからも仲小路彰を通じて、私なりに学び続けようと思います。

Amazon 三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実

 

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2021.03.26

『俺の家の話』最終回に嗚咽…

Th_-20210328-92436  やあ、本当に感動しました。号泣どころか、自分の嗚咽でセリフが聞き取れないという初めての事態に陥りました。

 宮藤官九郎、そして長瀬智也、西田敏行…その他の皆さん、本当にすごい。これはテレビ・ドラマ史上に残る名作でしょう。

 前にも書いたとおり、能、プロレス、介護と、まさに「俺の家の話」じゃん、と思っていたのですが、そんな次元の話ではありませんでした。

 本当にこの最終回で、私の能やプロレス、そして命や霊に対する考え方が、すっかり変わってしまいました。テレビ・ドラマでここまで自分の魂が変わったのは初めてです。

 娘が能楽師を目指していることもあり、また、まさに人間国宝の宗家と交流する機会もあって、それなりに能について理解しているつもりでしたし、プロレスについても多くのレスラーの方々とお話してきたので、なんとなく分かったつもりになっていたんですね。

 甘かった。どちらも命に、霊に、そして「家」に関わる文化、芸だった。

 少し前に紹介した野村四郎先生のオンライン講座で野村先生がおっしゃっていた「成仏得脱」「祝言性」「悲しみの慰め」ということが、このドラマの最終回を観て、すっと腑に落ちました。まさかこういう形で能の本質に近づけるとは。

 そう、現代の夢幻能だったわけですね。この最終回は。いや、最初からそうだったのかもしれない。

 目に見えないモノの悲しみを、形にするコトによって昇華する。それが能の機能であり、また、怒りや攻撃性を昇華するのがプロレスの機能であり、さらにそれらを総合的に昇華するのがドラマだったのです。

 まさに「モノを招く」という意味での「ものまね」、そして「ワザを招(を)く」という意味での「俳優(わざをき)」であったと。長瀬くんもまた稀有な「俳優」であったと。

 このタイミングで「俺の家の話」を超える「俺の家の話」を、本当にありがとう。クドカン、長瀬くん、西田さん、その他の皆さんに心より感謝します。もう一度最初から全部観ます。

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2021.03.20

地下鉄サリン事件から26年

 

 の日から26年ですか。当時私は30歳。事件を起こした人たちと同世代。そして富士山麓に住み、仏教をはじめとする宗教に興味を持ち、世の中に違和感を抱いていました。

 すなわち、この事件は全く他人事ではなかった。実際、オウムに興味を持ち、今は亡き信者の方々何人かに会ってもいました。まさに紙一重。

 10年前にある本を読んでこんな記事を書きました。

『革命か戦争か オウムはグローバル資本主義への警鐘だった』 野田成人 (サイゾー)

 この記事を書いた時、まだ私は仲小路彰に出会っていませんでした。グローバル資本主義のアンチテーゼとしての革命と戦争というのは、まさに仲小路彰が戦前から取り組んでいたテーマでした。そう、その3者をどのように避ければ良いのか、高次元から考察し続けたのが仲小路でした。

 そう考えると、ある意味オウム事件があったからこそ、私は仲小路彰に出会えたのかもしれません。私(や彼ら)のような低次元の宗教理解では到達し得ない答えを与えられた私は幸運でした。

 もちろん、その答えは目の前に提示されてはいますが、完全に理解できているわけでも、実践できているわけでもありません。それはこれからの私に課せられた大きな大きな課題であります。 

 映画『AGANAI 地下鉄サリン事件と私』、ぜひ観てみたいですね。正直あれから世の中も私たちもほとんど変わっていない。その中で、こうして当事者同士が語り合うということは非常に重要なことです。時間が経つということは、こういうことが可能になるということでもあるのです。

 そうして過去に流れ去っていく「事実」を思い出すだけではなく、未来から流れてくるモノをしっかり捉えることによって、ようやくその流れていったそのコトの意味が分かってくるのです。

 私自身の葛藤もまだまだ続きます。ただその解決策が、自分自身の中の革命でも、自分自身との戦いでもないということだけはわかりました。時がもたらす出会いのおかげで。

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2021.03.09

政見放送(R-1?)

 

 日一番面白かったのはこれでした。今日というか今年になって…かな。

 まさかの小池都知事への公開プロポーズ!

 先日の本物のR-1グランプリが(私には)絶望的に面白くなかったのとは対照的に、こちらは完全に期待を裏切る面白さでした。

 まずトップバッターの河合さん、まあここは期待の通りであり、それ以上でも以下でもなく、まあまあ満足。

 そして次はまあ面白くないだろうなと思っていたら、加藤さんにやられました(笑)。

 そう、もちろんプロのお笑いと比較するのは本当はダメですよ。これって禁じ手ですから。

 私、コント部の顧問やっていた時、こういう禁じ手をよく使ったのですよ。普段面白いヤツ、あるいはいかにも面白そうな外見のヤツが面白いこと言っても全然面白くないので、普段まじめなヤツ、いかにも堅そうなヤツにネタをやらせていたのです。

 もちろん、生徒の場合はプロではないし、自らの殻を破るという教育的配慮(?)ですから、許されるでしょう。

 では、この政見放送での禁じ手は許されるのか?!

 最近、ルールを悪用してNHKの政見放送をネタの舞台にしてしまう人がけっこういますよね。それにはちょっと抵抗があったのですが、この加藤さんは、その(河合さんを上回る)素晴らしい学歴からしても、またある種の佇まいからしても、意図的にやっている感じがしないのです。

 それが最高の禁じ手なわけで、それをこういう場で見せられたら、もうプロもアマも笑うしかないですよね。ホントやられました(笑)。

 笑いすぎて、後半のまじめなお二人まで、なんだかまじめにやっていて面白く見えてしまった。いかんいかん。

 というか、前半の二人も基本的には間違ったことは言っていないのです。いや逆にかなり正しい。政治家が陥りがちな表面的、局所的な問題提起よりも、ずっと本質的、俯瞰的なこと言ってますよ…ね(?)。

 それにしてもプロの皆さん、フリップに頼ってばかりいてはいけませんぞ。

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2021.03.03

キャンディーズ 『哀愁のシンフォニー』

 

 きなりですが、今日「ドリフ大爆笑」の初回の録画を観ていて感動したので(笑)。歳とったせいか、どうも最近懐かしいネタばかり(笑)。

 1977年2月ですので、私は中学進学の寸前小学校6年生ですね。この曲がすごく印象に残っているんです。当時はもうビートルズにはまっていたりして洋楽傾向、すなわち早めの中二病が始まっていたのですが、なぜかこの曲は好きだった。

 そして、今日久しぶりにリアルな場(ドリフ大爆笑)でこの曲を聴いて、大人になった私は一人納得したのです。当時は全くわからなかったし意識しなかったのですが、作詞なかにし礼(札じゃない…w)、作曲三木たかしなんですねえ。

 それまでのキャンディーズとは違い、ちょっと大人びた楽曲です。

 特に大人になった私が感動したのは、その転調です。

 この曲、基本はCmですよね。中間部の長調の部分、一瞬どういう転調してるのかわからなかったので確認してみると、A♭になっている。すなわち下属調平行調への転調。

 これってクラシックではたまにありますが、ポピュラー音楽ではあまりないんじゃないでしょうか。同主調ほど露骨ではないし、平行調ほど淡白でなく、ちょうどいい具合ですよね。今聴いても新鮮な感じがする。落ち着いた明るさというか。

 そして、その転調のブリッジが実にうまい。行きも戻りも実に自然。これこそ三木たかし先生の、あるいは編曲した馬飼野康二先生の職人技でしょう。

 もちろんキャンディーズのハモりを含めた歌唱もお見事。まさに実力派アイドルグループでしたね。

 洋楽も邦楽もこの時代は非常に充実しておりました。自分の体験としてだけではなく、客観的に聴いても突出している時代です。音楽大好きな娘たちにもいつも羨ましがられています。「これリアルタイム?すげー!」と。

 たしかにこうして大人になっても違った意味で感動できるわけですから、本当に贅沢な幸せなことです。

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