カテゴリー「映画・テレビ」の436件の記事

2010.02.01

『サイドマン ~ビートルズに愛された男』 (NHKハイビジョン特集 フロンティア)

20100202_90833 とこと…「かっこいい」。
 お正月に見逃したクラウス・フォアマンのドキュメンタリー。1ヶ月待って、ようやく再放送を観ることができました。知り合いのクラウスファンが泣きまくったというので期待していたわけですが、たしかにこれは感動ですねえ。
 もちろん、クラウスのベーシストとして、そしてグラフィック・デザイナーとしての業績を振り返るだけでも感激。いやあ、本当にすごい人だ。
 当然、彼にまつわる、ビートルズをはじめとして多くの名バンドの懐かしい映像や曲が流れます。うわぁ、この曲のベースもクラウスだったのか…。
 そして、往年のミュージシャンたちの現在の姿にも感動。ジョンやジョージのように亡くなってしまった方もいるわけですが、逆にいまだに元気な皆さんの笑顔や真剣な演奏姿を見るだけで、もううるうる…。ベテランのレコーディング風景(一発録りセッション)の楽しさ、緊張感…最高ですね。すごい境地です。ランディー・ニューマンの「ショート・ピープル」懐かしすぎ。
20100202_93258 それにしても、リンゴ・スターは元気だなあ。今年70歳ですよね。若い。そして相変わらずのドラミング。ますます味が出ちゃってますね。そして、ちょっと頑固じじい風なシーンもあったりして(笑)。ポール・マッカートニーも元気そうでなによりでした。
 クラウスを一言で言うと、やはり「天才」。なにしろ、20世紀を代表する天才たちが「天才」というのですから、本物でしょう。
 ベーシストととしても唯一無二の存在だった彼。たしかに彼のベースのフレーズは静かですが確乎としていて揺るぎない感じがします。番組中本人か誰かが語っていましたっけ。彼は楽譜は用意する(楽譜を見ておくことは重要だ)けれども、楽譜どおりは弾かない。そして彼の生み出すフレーズは、極端に上下するわけではないが個性的だと。なるほど、そのとおりですね。
 そんな天才音楽家であった彼は、しかし、音楽に飽きてしまいます。そして、ある意味本来の自分の道である「美術」「グラフィック・デザイン」の世界で、これまた大活躍します。
20100202_134755 だいいち、皆さんご存知のとおり、あの「リボルバー」のジャケットは彼の作品ですよね。天はニ物を与えたわけです。それも世界最高レベルで。ううむ、うらやましい。
 しかし、彼のすごいところはですね、どこまでも謙虚であったということです。いや、今でも充分に謙虚ですよ。だからかっこいいのです。誰か(私も含む)みたいに、大したことないのに「はったり」をかまして、目立とうとしたり、かっこつけたり、自慢したりする人間とは違います。
 そういう人間性の持ち主だったのですね。もし、彼がある意味普通に目立ちたがり屋であったら、もっと有名になっていたかもしれません。いや、The Beatlesのメンバーになっていたかもしれません。しかし、それを拒否したところから、現実の、あのThe Beatlesは生まれたとも言えます。そういう人なんですよね。
 そんな彼が70歳になって初めてリーダーとしてアルバムを制作しました。「A Sideman's Journey」…名だたるミュージシャンたちと同行二人…いつのまにか、壮大な自らの旅もデザインされていったのです。その終着点が、美しくリラックスした軽みのあるこのアルバムだったというわけでしょうか。
 すごいですね。またまた尊敬するベーシストが一人増えました。「サイドマン」…私もそういう人になりたいものです。

Amazon A Sideman's Journey

不二草紙に戻る


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010.01.27

『メイド・イン・ジャパンの命運』 (NHKスペシャル)

Slashgear_cellregza2540x405 本のメイドさんの話じゃありませんよ(笑)。そっちは順調です。
 「日本は何を作るべきか」「日本で何を作るべきか」…日本のお家芸であったはずの「モノづくり」の危機のお話です。
 ここでは日本のモノづくりの象徴「テレビ」が取り上げられていましたが、事情は自動車でもその他の家電でも全く同じです。
 デジタル化、ソフト化、コンピュータ化によって、我々が培ってきた、そして得意としてきた「職人技」が通用しなくなってきているということですね。
 そんな中、日本はどのように生き残っていかなくてはならないのか。東芝では100万円もするテレビの開発に奔走(迷走?)し、JVCではソフトの開発販売でなんとか窮地をしのごうとしていました。
 いやあ、本当に大変だと思います。私の仕事(学校教育)のように、いまだにアナクロにアナログな業界は全然幸せですよ。おそらく100年後もほとんど事情は変わっていないでしょうから。「人づくり」の現場ですから。
 「モノづくり」の現場の変化については、実は今日も実感しまして、生徒や先生方と呆れるやら、おかしいやら、思わず笑ってしまったことがありました。
 職員室のコピー機の調子が悪かったんです。というか、生徒が何か縮小やら両面印刷やら、いかにもデジタルな技を駆使してコピーをしていたら、どうも写像が右だか左だかにずれていて、字が入りきらなくはみ出てしまうと。
 で、だいたい機械やパソコンの不具合については、みんな私のところに来るんですね。なぜか、国語のセンセイが一番機械に強かったりする(…それこそ学校の変なところですな)。
 で、状況を聞くと先ほど述べたような感じだといいます。なるほど、いろいろなデジタル技術を駆使した結果、こうなったんだなと、私は判断しました。生徒もそう思ったから私のところに来たのでしょう。
 さあそれで、今までの経験を活かし、いろいろやってみたんですよ。最後の手段「再起動」はしませんでしたけど、考えられるいろいろな作業(操作だな)をしてみました。しかし、どうもうまく行かない。
 で、小一時間からかったけれどもダメでして、「こりゃあきらめるしかないな」と言った途端、私はあることに気づいたんです。「もしかして!?まさか…」。
 そしたら、まあ案の定というか、馬鹿馬鹿しいというか、情けないというか、やっぱりそうでした。
 単にトレイの中のコピー用紙がちゃんとピッタリ入っておらず、ある方向にずれていたのです!
 はあ?…でしょう(笑)。
 そう、これが昔のコピー機や、普通の印刷機だったら、一番最初に疑うべき点でしょう。それが人間的な、機械的な、アナログ的な発想です。発想以前の常識ですよね。
 それが、生徒も私も他の教員も、みんな「デジタル」的世界に冒されて、こんな子どもでも分かることが分からなくなってしまっていたんです。もう笑うしかないですよね。
 つまり、機械のブラックボックス化が進んでいて、我々は日常的に「ソフト的な問題だ」、「これはどうしようもない」、「たたいても治らない」と思ってしまう習慣がついているようです。
100124_b 正直私も情けなかった。私も少年時代はエンジニアを目指すような、いわゆる「モノづくり」人間でして、そういう目に見える機械的な構造やシステムをイメージするのに比較的長けていると思っていたものですから、こんな単純な、単純すぎることが分からなかったことに愕然とするというか、もう苦笑するしかなかったわけですよ。
 と、これは笑い話でありますが、業界ではとても笑えません。東芝の技術者、それも世界をリードしてきた「職人」たちが、もう真っ暗な画面の前でただ茫然とするしかない姿、ケータイでソフト屋さんにおうかがいをたてる姿は、もうなんというか、残酷というか悲哀というか、とにかく辛いものがありましたね。
 自動車なんかも、20年前までは、エンジンだろうがなんだろうが自分で修理調整しちゃってましたが、今は車屋さんでさえ、部品を注文してアッセンブルするのが仕事みたいになっちゃってます。
 はたして、これは「モノづくり」と言えるのでしょうか。コンピュータのソフトというのは、疑似的な脳です。脳は私の言い方ですと「コト」です。そして「コトづくり」の末、そのコトが暴走すると、それはいきなり「モノ(モノノケ)」になります。手が付けられない「他者」になってしまうのです。恐ろしいことだと思うのですが…。
 同僚が言っていました。これは第二のラッダイト運動が起きそうですねと。コンピュータ打ち壊し。
 いや、そうした方がいいのかもしれませんよ。自分たちの脳よりも優秀で一途で根性のある別の「脳」を作り出してしまったことが、私たちを滅亡に追いやるかもしれないからです。

不二草紙に戻る

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2010.01.07

『Onaraはずかしくないよ』(テレビ東京 ピラメキーノ)

61qowcfelfl_sl500_aa240_ 日の「詩」の世界からいきなりこっちの「詩」の世界に。いや、こっちは「詞」でしょうか。あるいはある種の「シュレヒコール」でしょうか。
 たしかに画期的であります。今までのタブーを破る革命ソングです。大いに思想的、ある意味反社会的な歌ですね。これは力がある。
 ウチは変わった家庭でして、子どものテレビは、NHKとテレビ東京とBSデジタル各局(特にNHK3局)と、CSのプロレス専門局しか見せません。というより、娘たちがそれ以外を観たがりません。親の影響でしょう。
 私もそれでいいと思っています。他の局、つまりテレ東以外の地上波民放はうるさいだけで観る気がしません。
 テレ東のいいところは、低予算のおかげで、逆に内容が充実している、すなわちスタッフやタレントさんの実力がストレートに表現されているところです。派手な演出やネームバリューだけのタレントに頼らないわけですからね。
 娘たちが好んで観ている「ピラメキーノ」も、なかなか面白い企画やアイデアに満ちており、私も好きな番組です。馬鹿馬鹿しさもあそこまで行けば、一つの芸になりますからね。徹底ぶりが良い。
 この番組の中心的タレント(才能)は、はんにゃとフルーツポンチです。特にはんにゃの金田哲くんは、この番組で最も彼らしさを発揮していると思います。
 そんな彼が女装をして(これが妙にカワイイ)歌って踊るのが、この「Onaraはずかしくないよ」です。
 これがなかなかなのですよ。世の中には暗黙のルールというのがあって、それが常識化している、あるいは不文律化していることが多いわけです。我々は、そうした見えない力に呪縛されていることが多々あるわけですね。この「女の子のオナラ」というのも、実に微妙なタブーになっている。
 これは一種のジェンダーとも言えるわけで、男女共同参画社会とか夫婦別姓とかバカなこと言う前に、こういう生理的な問題を解決すべきだと、私はまじめに思うのであります(笑)。
 いや、実は私、この問題について、けっこう深く考えたことがあるんですよ。たとえば、ウチの夫婦というか家族なんかは、オナラ合戦で盛り上がったりするわけですが、反面、ごく最近、ある知り合いの女性が、おそらく私がそこにいることを知らなかったのでしょうね、けっこう豪快にオナラしちゃいまして、それで、私、自分の予想以上に引いちゃったというか、萎えちゃったというか、そういうこともあったりして、いったいこの気持ちの違いはなんなのだろう、ここのところの差というか、一線というか、そういうものが、いったいどこにどのように存するのか、ここ数十年考えてきたわけです。歴史的にどうなのか、世界的にどうなのかも含めて(笑)。
 で、その結論というのがなかなか出なかったところへ、こうして「ブー」…じゃなくて「プー」…この音韻的な感覚というのも面白い研究対象です…と発砲して風穴を空けてくれたのが、この歌だったわけです。
 ま、前にも、古くはサミー坊やの「ONARAソング」とか、近くはのだめの「おなら体操」とかありましたけど、「ONARAソング」はたしかオナラをしてしまった恥ずかしさを歌った歌だったし、「おなら体操」は、ジェンダーの生じる前の幼児を対象にしたものなので、実はなんの解決にもなっていなかったんです。
 今回は小学生以上が対象ですから、革命的なわけです。作詞は構成作家のオークラさんですね。素晴らしいお仕事をしました。
 ちょっと聴いてみてください。

 歌詞を記しておきましょう。
 
はずかしがらずにパペピプー
はずかしがってちゃダメピプー
女の子だって出るときゃ出るのよ
パピプペプープープープー
はずかしがらずにパペピプー
はずかしがってちゃダメピプー
オ・ナ・ラ・プリ(Oh! Nice Lovely)
マイステップアッププープープープー
女の子だってみんな1日
10や20のオナラするのよ
だからダメダメルールでしばっちゃ
みんなのオナカがSOSなの
お願いダーリン
許してもう出ちゃいそう
聞いてねダーリン
3・2・1でプップッププー
はずかしがらずにパペピプー
はずかしがってちゃダメピプー
女の子だって出るときゃ出るのよ
パピプペプープープープー
はずかしがらずにパペピプー
はずかしがってちゃダメピプー
オ・ナ・ラ・プリ(Oh! Nice Lovely)
マイステップアッププープープープー
オ・ナ・ラ・プリ(Oh! Nice Lovely)
マイステップアッププープープープー

 「女の子だってみんな1日10や20のオナラするのよ だからダメダメルールでしばっちゃ」という一節が実にいいですね。男も女も基本消化器官の構造は一緒でしょうから、同量の発酵ガスが発生し、対外に排出されているはずです(1日約1リットルだそうです…これを全部ためこんだらたしかにSOSですね)。
 しかし、現実には、その生理現象に対する社会的評価は、とてもとても男女平等とは言えない状況であるわけですね。それをこうして、女性の立場から(しかし、はんにゃの金田という男性が)明るくシュレヒコールしてくれたのです。
 はたして、我々「男女」という社会的言語に縛られた現代日本人は、その数千年(?)の呪縛から解き放たれるのでしょうか。たぶん、難しいとは思いますが…。でも、こういう暗黙のルールを茶化して、一種の緊張をほぐすという行為は、たぶんどの時代にも大切なことだと思います。
 考えてみると、「おなら」というのも「お鳴ら」という意味の女房詞ですから、江戸時代の女性もある意味ギャグ化していたわけですね。ちなみに、「へ」を「ひる」という言葉ですが、奈良時代くらいまでハ行の音は「p」音でしたから、今風に表記すれば、「ぺ」を「ぴる」ということで、実際の音を模したものなのです。まさに「パペピプー」ですね(笑)。

Amazon Onaraはずかしくないよ/ピラメキたいそう(DVD付)

ピラメキーノ公式

不二草紙に戻る

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2010.01.05

『新春! 歌まつり2010』 (NHK歌謡コンサート)

20100106_62356 そるべし!二葉百合子。
 昨日のブッチャー&テリーというレジェンド(おっと長州力もいたっけ)もすごかったけれども、こちらはさらにすごい。芸能生活75年って…。いったいおいくつなんだ?と思ったら、3歳でデビューしているので78歳とのこと。
 そして、その二葉百合子さんの歌がうまいのなんのって。衰えるどころかますます味が出ている。
 今日の「歌謡コンサート」は700回記念ということで「新春! 歌まつり2010」と銘打っての拡大版でして、以下のようなそうそうたる演歌歌手の皆さんが出演され、名曲を熱唱していました(ううむ、一人KYな人がいるぞ…彼は78まで歌えるのだろうか)。

「北酒場」/細川たかし
「北国の春」/千 昌夫
「命くれない」/瀬川瑛子
「襟裳岬」/森 進一
「たてがみ」/長山洋子
「みれん酒」/石原詢子
「祝い酒」/坂本冬美
「関東一本〆」/二葉百合子
「おさななじみ」/坂本冬美・長山洋子
「心のこり」/細川たかし
「星影のワルツ」/千 昌夫
「銀座の恋の物語」/山川 豊・石原詢子
「炎」/冠 二郎
「アメリカ橋」/山川 豊
「まつり」/北島三郎
「さよならはダンスの後に」/倍賞千恵子
「冬景色」/安田祥子・由紀さおり
「雪」/安田祥子・由紀さおり
「冬の星座」/安田祥子・由紀さおり
「千の風になって」/秋川雅史
「天城越え」/石川さゆり
「舟唄」/八代亜紀
「冬のリヴィエラ」/森 進一
「帰ろかな」/北島三郎

 それぞれ当然うまいし、個性もあって良かったわけですけれど、やはり、ダントツの存在感というか、まさに会場を巻き込んだ「芸」を見せつけていた(聞かせていた)のは二葉百合子さんでした。演歌の歴史を語るのには、やはり昭和初期までの浪曲ははずせませんね。
 つくづく演歌とプロレスの世界って似ているなと思いました。この前キラー・カーンさんもそんな話してましたよ。彼は両方の世界をきわめましたからね。
 浪曲や長唄を知らないで節回しだけで歌おうとする若手歌手が多いのは、本当のプロレスリングを知らないで飛んだり跳ねたりする若手レスラーと同じです。
 素人がカラオケをやるように、素人がどんどんリングに上がっているというのも似ています。
 それ以前に、年齢とともに「味」が出るというのも似ていますし、人生が反映する、人生を聞かせる、見せるというのも似ています。
 レジェンドに頼っていて、新人が育ってこないというのも似ていますかね。いったい10年後はどうなってしまうのでしょうか、両方とも。
 昨日も今日も、中堅どころでイマイチ技が単調なの人がいましたね。部分部分はうまいんだけれど、全体としての大きなうねりや、リズム感が足りない。そんなところも共通していました。
 実は今まで何度も書いてきましたが、「本来の」ヤクザがいなくなったのも、両世界の衰退に関係しています。特に地方のヤクザ。最近、地方で歌謡ショーやプロレスが行われなくなったでしょう。こうしたフィクションとリアルの交錯する舞台が、日常に混入しなくなってしまったのは、我々にとって大きな損失ですね。
 それにしても、二葉百合子さん、すごかった。どれだけ努力しているのだろう。他の歌手たちが「日本一!」と言っていましたが、それってお世辞でもなんでもない。実際、彼女たちの先生ですしね。今の演歌界を引っ張る大御所たちを育てたんですから、そりゃあ日本一でしょう。ということは、当然「世界一」ということでしょう。

不二草紙に戻る

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.12.31

レミオロメン 祝!紅白初出場

20100101_95827 めでとう!また一つ夢が実現しましたね。
 地元山梨の雄として、長いこと応援してきましたレミオロメンが、とうとう歌手としての夢の舞台「紅白」に立ちました。
 あえて先に書いておきますが、同じく地元として応援してきたフジファブリックの志村くんがクリスマスイヴに亡くなってしまい、私としてはなんとも言えない年末となってしまいました。レミオロメンの3人も志村くんとほぼ同い年ですから、ますます複雑な心境になってしまいます。
 しかし、レミオロメンの快挙については、純粋にお慶び申し上げましょう!
 地元旧御坂町では、のぼりが立ち並び、懸垂幕が下がり、大型スクリーンでパブリック・ビューイングが行われ、お祭りムード満点となっておりました。
 さあ、本番、どうだったでしょうか。演奏するのが「粉雪」と決まって、ますます、我々ファンの緊張感は高まりましたよね(笑)。
 御存知のように、あのサビの「こな〜」の「な」の音程が難しいんですよ。あれは非和声音ですからね。この曲が他のどんな曲とも似ていず、そしてカラオケで歌いにくいのは、そういう理由があるんです。実はAメロの入りも和声の中にない音です。つまり不協和音が美しくユニークなのです。そこが藤巻くんの作曲のオリジナリティーを生んでいるんです。
 というわけで、本人もよくライヴではずすので(笑)、この大舞台での緊張感の中、大丈夫かなあ…と、まあファンはみんな親心というか母性本能をかき立てられてしまうんですね(笑)。
 いやあ、私、車を運転しながら聴いたんですけど、あまりの緊張感にハンドルを持つ手が震えましたよ。
 さあ結果はどうだったでしょうか。
 結論…セーフ!そこはほぼ完璧にこなしました。
 えっと、いちおう歌謡曲バンドのリーダーをやっている者としまして解説いたしますと、藤巻くん、ある意味安全策をとったと言えますかね。「こな〜」の「な」の音程をいきなり取るのではなく、下からずり上げて取っていました。これは歌手がよくやる技法です。装飾音(前打音)からポルタメントさせて、瞬間的に正しい音程を探すのです。
 で、最初の「こな〜」はそうやって、次の「ふた〜」の「た」はストレートにぶつけて大当たりしました。当て所というのは、一度体が覚えると大丈夫なんですよね。楽器でもよくあることです。
 …と、音程は見事でしたが、やっちゃいましたね、歌詞(笑)。
 ちょうど上の画像のところですけど、「同じララライ」って(笑)。いやあ、そういうところがカワイイのですね。ますます、ファンの皆さん、母性くすぐられたんじゃないでしょうか。
 まあ、歴代の名歌手たちも、紅白ではいろいろやらかしてますからね。たとえば自分が(ありえませんが)この舞台に立ったら、もうオシッコちびっちゃいますよね、絶対。
 藤巻くんも堂々としていましたし、前田くんも、神宮司くんも、気持ちよさそうに演奏していました。感慨深かったのでしょうね。
 サポートの皆川さんと河口さんは、もしかして紅白初めてじゃないとか?どうでしょうか。いろんなところでサポートされてますからね。今度聞いてみましょう。
 というわけで、ちょっとしたアクシデントもありましたが、それもご愛嬌程度、いい語り草になるレベルであって、全体としては実に堂々としたステージでありました。
 3月3日にニューアルバム「花鳥風月」がリリースされると発表もあり、また全県ホールツアーが行われるとの発表もされました。山梨県民文化ホールは全4回かあ!どこかで行かせていただきます。
 ホントいろいろおめでとう!レミオロメン!
 最後にあえてもう一度書かせて下さい。御坂峠をはさんで対照的な年末になってしまいましたが、しかし、こうして山梨の若者たちが日本の「歌」を作り続け、歌い続けてくれることに、心から感謝します。きっと志村くんも、レミオロメンの活躍を天国から喜んでくれていると思います。

Amazon 花鳥風月

不二草紙に戻る

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2009.12.23

天龍・太宰・ジャズ・バスケ…

Phot1223_2 皇誕生日です。おめでとうございます。今年は御即位20年ということもあり、特にめでたいではありませんか。
 何度も書いてますが、なぜに日本人は異教の神の誕生日は祝うのに、天皇陛下の誕生日は祝わないのでしょうか!?私は昨夜(イヴ)は、しっかり日本酒呑んで御祝しましたよ(笑)。
 いやあ、飲みすぎた。しかし私はしっかり早起きしまして、6時半からのNHKホリデーインタビューを観ました。ミスター・プロレスこと天龍源一郎さんのインタビュー。これが朝から泣けた!!
 福井放送局、いい番組作ってくれました。いやあ、国家的祝日の朝に、公共放送から天龍のテーマ(サンダーストーム by 高中正義)がかかるなんて…。ハッスルや全日本プロレスの映像が流れるなんて…。もうそれだけでも感動の朝です。
 「故郷の人々に支えられている…」そう言って目に涙をためている59歳の現役プロレスラー。あの長い長い沈黙が、本当にいろいろなことを語ってくれました。素晴らしい編集でした。テレビというメディアで、これほど「沈黙」が多くを語ったのは久しぶりではないでしょうか。うん、もう一度「七勝八敗で生きよ」を読み直そう。ビル・ロビンソン先生と組んで大切なことに気づいたと言います。ああ、一度お会いして天龍さんの生の言葉を聞きたいなあ。
 さて、その感激を胸に、二日酔いの頭を抱えながら、私は散歩にでかけました。武蔵境の駐車場から、東に向かいます。向かった先には三鷹の街があります。
Img_0174 三鷹と言えば、太宰治ですね。禅林寺。去年の10月、とんでもないいたずらを仕掛けてきた太宰と、1年ぶりの再会です(笑)。今年は生誕100年。いつもより多くの花が供えてありました。
 いやはや、昨夜からの流れもあってか、太宰、いろいろ訴えかけてきましたよ。鳥肌立ちまくり。太宰も、こうして二日酔いで三鷹の街を何度歩いたことでしょう。考えてみると不思議な縁がありますね、太宰とは。
 来年度から私が勤めることになるであろう新設の中学校の校舎が建った場所は、「富嶽百景」「律子と貞子」「服装に就いて」に登場する旅館があった場所なんですよ。まさに「池のほとり」です。そこが自分の職場になろうとは…。
Img_0182 1年前のハプニングの舞台となった「三鷹市芸術文化センター」の地下で、ちょうど今日まで「三鷹市市制施行60周年プレイベント生誕100年記念写真展 太宰治の肖像」という展示をやっておりましたので、そちらも開館直後に観てきました。今まで見たことのない、貴重な写真がたくさんありましたね。意外に表情が豊かで健康的に見えました。でも、やっぱり年の割にふけて見えるかな。
 記念にパンフレットとマグカップを買ってきました。マグカップは、来年度職員室で使おうっと。うちわはおまけにいただきました。「季節外れですが…」…たしかに(笑)。
 さて、太宰の気配を連れたまま、私は三鷹の駅に向かいました。なんとも味のある街ですな。またゆっくり歩いてみよう。
Img_0178 次に向かったのは、赤坂です。先日浅草ジャズコンテストでグランプリを獲った我が校のジャズバンド部「ムーン・インレット・サウンズ・オーケストラ(MISO)」が、B♭というジャズ・バーで、日本大学のビッグバンド「Rhythm Society Orchestra」とジョイント・ライヴを行なうのです。先日の浅草には自分の演奏会のために行けなかったので、今回は絶対に行かねば。
 会場は満員。学校関係者だけでなく、一般のジャズ・ファンや報道関係の方々も大挙押し寄せました。本当に注目を浴びていますね。生徒たちも、そして私たち関係者も本当に幸せです。
 富士学苑高校も日大もそれぞれ、ジュニアとレギュラーに分かれての全4バンド。最後は共演。とっても楽しかった。大学生の演奏については、今までコンペティションやプロの講評がある場でしか聴いたことがなく、その時にはある意味私も厳しい言葉を使って批評をしてきたのですが、今回は純粋に楽しめました。これが本来だよなあ。やってる方も、聴いてる方も楽しいのが音楽、ビッグバンドの魅力ですからね。
 高校生は高校生なり、大学生は大学生なりに、それぞれの「若さ」…良い面、悪い面含めて…が出ていて面白かったとも言えます。ジャズに限らず、音楽に限らず、その世代なりの表現や課題があって、それでいいわけですね。特にジャズは、年齢とともに深めることができる(すなわち身体性の関わる部分が比較的少ない)ので、彼らの将来への期待でワクワクしました。若いっていいなあ…。だって、歳をとってどんどんいい方向に行くわけですから、未来に楽しみしかないじゃないですか。
 もちろん、私もまだまだ発展過程だと思っていますよ。なるべく長生きして、どんどん深めていきたいですねえ。最近、体の衰えが、プラスなこと、いいことだと思えるようになりました。若いと身体性が出しゃばりすぎるんで。
 さてさて、続きましては…今日はイベントがめじろ押し!…、ええと、代々木で行われているレスリングの天皇杯にも行きたかったんですよね。復帰した山本聖子と伊調馨の試合、観たかったなあ…。
Img_0179 でも、今日はそれ以上に重要な試合があったんです。それは、また教え子たちの活躍の舞台であります。我が校の女子バスケットボール部の全国大会(ウインター・カップ)の1回戦があったのです。場所は東京体育館…おっとその前に、医学部目指して浪人中の教え子に調査書を渡す仕事もあった。千駄ケ谷の駅で待ち合わせ。そして、彼女も連れて東京体育館へ。
 主力の日本代表選手が直前にケガをしてしまい出場できないという状況の中でしたが、よく頑張りました。なんとか1回戦を突破いたしました。バスケットボールというスポーツは、特に攻守の入れ替わりが激しく、また、休む間の少ない競技ですから、観ている方もハラハラドキドキ。ある意味、野球などとは違い、実力通りの結果が出やすい競技でもありますね。だから今日の対戦相手とは、実際に実力が拮抗していたということでしょう。
 あいつら、いつもは教室で明るく楽しく接している生徒たちなんですけど、こうして全国のコートの上に立っているのを観ると、本当に全くの別人に見えますね。偉いなあ。
 バスケットボールは、ある意味ジャズとは正反対で、身体性、身体能力の占める割合の非常に高いものです。スポーツの中でも、特にそういう傾向が強い。だからこそ、この若さ、この瞬間の輝きというのが美しさを伴うのでしょう。厳しい世界ですなあ…。
 さてさてさて、最後のイベント、プロレス観戦(SUPER J-CUP)…と行きたかったのですが、さすがに体力がなくなり、また時間的に当日券を買うこともできず、断念いたしました。いやあ、もう充分お腹いっぱいですよね。早朝からものすごく濃い時間を過ごさせていただきましたから。
 というわけで、武蔵境に戻り、車内でコンビニのお弁当を食べて、帰宅いたしました。ああ、疲れたけれど実に楽しい天皇誕生日でありました。さて、明日は仕事&教会で奉仕です。私も頑張ろっと。

不二草紙に戻る

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.12.13

『太宰治“人間失格”裁判』 (NHKハイビジョン特集)

20091214_84717 前中、八ケ岳中央高原教会において行われた待降節第三主日音楽礼拝に、奏楽隊の一人として参加いたしました。
 バッハのカンタータ61番「来れ、異教徒の救い主よ」やクリスマスオラトリオのアリアを中心に、賛美歌や説教を交えながらの演奏。今までも何回か教会でカンタータを演奏してきましたが、このような本来の形、すなわち日曜礼拝における全体の流れの中での有機的なカンタータ体験、というのは初めてでした。
 そんな体験をして初めて知る「音楽」の価値、キリスト教の世界観、純粋な信仰の美しさ。もちろん、「異教徒」としてはこれもまた皮相的な体験にすぎないのでしょうが、しかし、私にとっては非常に貴重な経験でありました。言葉にするのは難しいのですが、やっぱり「現場」で感じる「何か」というのはあるものです。
 そんな感動をよそに、自宅に帰ればまた、いつもの俗っぽくて理屈っぽい私が発動します。
 あれだけ、「罪」とか「懺悔」とか言われますと、なんだか本当に自分が「悪人」のような気がしてきますね(笑)。性悪説とも言えなくもない。ああ、やっぱりキリスト教って「悪人正機」なんだな。
 全体に「弱き者」「不幸なる者」への愛あらんことを祈る機会が多かったのですが、私の専門分野から、ある意味意地悪な見方をすると、それら人間の「罪」は皆なにごとかの「報い」であって、結局イエスもそうした因縁からの解脱を説いたのではないか…と。
 悔い改めれば、誰しもが天の国で永遠の命を得ることができる。それは、まさに「一切衆生悉有仏性」であるということの、キリスト教的レトリックであるのかもしれません。
 当時のイエスが仏教…というか、釈迦の教えを知っていたのはほぼ間違いないので(状況証拠しかありませんが)、彼はある意味で、龍樹らよりも本質的にその教えを理解し、より効果的な方法でそれを広めた人物と言えるかもしれません。
 と、相変わらずそんなたわ言を語っている私ですが、その私の前に、これまた天才的に「悪人正機」を現代人に説いて回っている使徒、宣教者が現れました。
 太宰治です。
 昨日放送されたNHKハイビジョン特集「太宰治“人間失格”裁判」の録画を観ました。
 これは実に面白かった。まず企画段階で秀逸。太宰の「人間失格」の本文をもとに、主人公である大庭葉蔵が本当に「人間失格」であるのか、それとも「人間失格ではない(合格)」のかを裁くというものです。
 本文の引用である被告人や証人の発言、そしてそれに対する検察、弁護人の見解も面白い。そして、何と言っても、裁判員たちの喧々諤々が実に勉強になりました。
 もともと、この小説に対する賛否や解釈は、大きく二派に分かれると思うんですよ。それを、それぞれかなり太宰に思い入れのある裁判員たち(猪瀬直樹,  小倉千加子,  木村綾子,  中村うさぎ,  枡野浩一,  森  達也)…そういう意味ではリアルな選ばれ方じゃないですね…が、それぞれの意見を戦わせるわけです。
 事実そこが一番面白かったし、本当に目からウロコでしたね。ああいう面々をあれだけ悩ませ、あれだけ語らせてしまう太宰というのは、本当に「罪なヤツ」であります。
20091214_120142 で、結局裁判長小林恭二が下した判決は…ナイショです(笑)。皆さんはどのように判決を下されますか?
 ちなみに、私はもう最初から決定ですよ。こちらに書いた通りです。タイトルが正しい。大庭葉蔵=太宰治は、「人間失格」して「神」になったのです。まさに悪人正機。ああしてバイブルに匹敵するテキストを残して、そうして懺悔して、永遠の命を得ました。
 最後の審判、それはすなわち、「今」彼が救われるかという裁判です。「最後の」というのは、それもまたキリスト教的なレトリックであります。神も仏も、みんな根は優しい。だから、もっともっと待ってくれます。あの太宰でさえ許されて神になったのですから、私(たち)も安心です。
 人間合格している内は救われませんね。私も早く人間失格しないと(笑)。
 あっそうそう、最後に言いたいこと言わないと。
 今回バッハを弾いて聴いての「最後の審判」。
 この前の「誰がヴァイオリンを殺したか」裁判です。
 (大)バッハを、ヴァイオリン殺人事件の主犯として有罪と認めます。

不二草紙に戻る

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.12.06

『明治・歌の文明開化』 (NHKドキュメント日本のうた100年…5)

20091207_62248 しかに素晴らしい番組でした。1997年に制作された「ドキュメント日本のうた100年」のうちの一つ。おととい「BS20年ベストセレクション」として放映されたものを今日観ました。いろいろなことを考えさせられましたね。
 昨日、八ケ岳の麓でバッハを演奏してきました。来週とクリスマスイヴに行われるコンサートの練習です。BWV61「来たれ異教徒の救い主よ」やクリスマス・オラトリオからの抜粋。大変美しい。弾いている自分の心も洗われる。
 しかし、一方では、どこか不思議な感覚にも襲われるのです。違和感とまでは言いませんが、しかし、どこかこそばゆいというか、これってありなのかな?というような…。
 時々書いていますが…つまり、現代日本人でドイツ語もラテン語もわからん、そして、それこそ「異教徒」である私が、坊主頭に数珠を手首にぶらさげてバロック・ヴィオラを弾いて感動している姿が、はたして正しいものであるのか、ということです。
 もちろん、基本いいかげんな私ですから、そんなことをいつも真剣に考えて悩んでいるわけではありませんが、しかし、時々そんな気持ちになるのも事実です。異文化にどっぷり浸かって、異文化をさも解ったように楽しみ、一方で自文化についてはあまり興味を示さないし、実際ここのところ日本の古い音楽を演奏することがほとんどありません。これでいいのか?
 しかし、今日、この番組の録画を観て聴いて、はっと気づかされたことがありました。なるほど、異文化だからこそ解ることもあるし、自分のことには無頓着なのもある意味普通のことであり、そして、何よりそのような自他の区別自体に意味がないのではないか。あくまで一人の人間と文化との出会いなのだ、と。
 昨日のコロンボにおける「ニッポン」の表現もそうですし、もう一つ前の記事に書いた、外国における「ギャル文化」の受容もそうです。たしかに、本家からするとつい笑ってしまうような状況ではありますが、しかし、それこそ浮世絵の「発見」のごとく、異文化からのアプローチによって初めて気づかされる価値や本質というものがある。「状況」と「本質」は違うのです。
 番組では、前半は伊沢修二と滝廉太郎を中心に、明治の日本人がどのように西洋音楽を受容していったのか、日本人がどのように西洋化していったのか、しかし、逆にそれが「日本人としてのアイデンティティー」を強化していったのかが考察、紹介されていました。
 当時の政治的な意図と、日本人の受容力の高さが合致して、ほとんど考えられないスピードで西洋化を実現してしまった歴史…それはもちろん音楽に限りませんが…にも、最近とても興味を持っているので、実に勉強になりました。
 そして、後半、クローズアップされたのは、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)です。実は、私の母方の曽祖父は、当時焼津で医師をしており、ハーンとは昵懇の仲だったということもありまして、私はハーンの「日本受容」「日本発見」という、ある意味鏡像的な歴史にも強く興味を持っております。
 そんなこともあって、この番組で紹介された「瞽女唄」と、それを聴いて発せられたハーンの言葉には、本当に感動しました。感動というよりも、はやり発見ですね。これもまた私にとっては、異文化と自文化の発見に違いなかったのです。
20091207_62116 新潟は黒川村胎内の施設に住む小林ハルさん。幼い頃から目が不自由だったため、生涯を瞽女として過ごした方です。ある意味最後の瞽女。放映当時97歳だったハルさんの歌と三味線。それはもう我々が知っている「音楽」というものではなく、もっと根源的な「うた」でした。音程?リズム?ハーモニー?そんなものは二次的なものにすぎません。
 そして、その「瞽女唄」を聴いたハーンが書き残した言葉。これがまた素晴らしかった。これは外国人でなければ書けない文です。すなわち、異文化からの視点でなければ発見されなかった日本の歌の本質が、実に見事に表現されているのです。それがまた、私には大発見でした。涙が出ました。
 今日は特別、その部分を皆さんにも聴いていただきましょう。こちらをクリックしてください。
 本当に勉強になりました。解説で小島美子先生も知らないことがたくさんあったとおっしゃっていました。河内紀ディレクター、そしてNHKさん、まさにGJ!です。

不二草紙に戻る

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.12.05

『刑事コロンボ 「美食の報酬」』 (NHK BShi)

MURDER UNDER GLASS
61ap235ghll_sx230_ 画し忘れた!残念。
 というわけで、画像はノベル版の表紙。
 今日は、午前中は来年開校の中学校の見学会。午後は八ケ岳へ飛んで、13日のコンサートの練習。長野の山の中の教会で意外な人に会ってびっくり。さらにもう一つ不思議なご縁の方もいらっしゃってびっくり。いやあ、世間は狭いというか、音楽って人を結びつけますねえ。
 八ケ岳から帰ってくると、娘たちが一生懸命テレビを観ている。コロンボです。なんでもその前はウルトラセブンの最終回を観ていたということで、なんてウチの娘たちは「昭和」なんだ!ww まあ、こうして親子で何かを共有できるのはいいことですね。
 で、そのコロンボが懐かしかった。私も中学生の頃観たんですよ。30年分くらいに観ました。
 ワインにフグの毒を仕込む犯人。珍しくその方法が視聴者にも分からないという構成。最後はコロンボのワインにも毒が注入される…しかし、それはコロンボの仕掛けた罠だった。
 なんか印象に残っていたんですよね。日本人が出てきたから。芸者さんも出てくるし、刺し身も出てくる。コロンボが箸で河豚刺しとか食べてるシーン、覚えてました。
 まあ、そのシーンの日本文化がなんともステロタイプなジャパニーズで面白い。それにしても、あの芸者さんの弾く三味線の曲、ありゃなんだ?ありえない。ちょっとかっこいいぞ。微妙にロックしていたような…笑。
 この「美食の報酬」、ストーリー的にもなかなか面白いのですが、今観るとマニア的にもいろいろ興味深いところがあります。
 まず、監督さんがジョナサン・デミなんですね。「羊たちの沈黙」、そして昨年評判になった「レイチェルの結婚」の監督さんです。彼の若い頃の作品ということですね。
Mako_columbo 途中、登場する日本人のおじさん、名ハリウッド日本人俳優のマコ岩松(岩松信)さんです。私は「トラ・トラ・トラ」や「パール・ハーバー」でのマコさんの存在感が印象に残っています。「パール・ハーバー」では山本五十六役でした。マコさんは、アメリカ人の日本の軍人に対するイメージそのものだったのでしょうね。
 で、彼の劇中の名前が、「オヅ」です。たぶん、ジョナサン・デミ監督の趣味でしょうね。当時のアメリカの監督さんは、ある意味みんな「小津安二郎」を通過していますからね。日本では「小津」という苗字は決してメジャーではありませんが、欧米の映画界では「ozu」は日本人の象徴でしょう。
 犯人役も名優ルイ・ジュールダンです。当時57歳ですが、すごく若く見える。ヨーロッパ風の気品が、今回の犯人像に見事にマッチしていました。
 さらに彼の秘書役として出てくるセクシーな女性、ピーター・フォークの実の奥さんだそうです。その頃はもう結婚してたのかな?リアル「ウチのカミさん」というわけですね。
 というわけで、非常に見どころの多い内容でありました。コロンボの料理の腕前も見ることができましたし。レンタルで借りてきてもう一度観ようと思います。

不二草紙に戻る

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.11.29

内藤大助 vs 亀田興毅

Ba0911298901nsbig_2 やあ、いい試合でしたねえ。ついこの前、久々に辰吉対薬師寺のビデオを見直して感動したばかりだったのですが、それを上回る興奮をおぼえました。
 今日は朝からスポーツ(格闘技)観戦三昧でした。午前中は娘の発表会にちょこっと顔を出し、その後河口湖へ。そう、今日は河口湖日刊スポーツマラソン。全国から1万人以上のランナーが集まる大きなイベントです。
 私の勤める学校では、前日に河口湖畔の清掃を行なったり、陸上部や野球部が設営や運営のお手伝いをしたり、ジャズバンド部が沿道で激励演奏をしたり、いろいろな面で協力しています。そんな関係からか、昨年は大会翌日有森裕子さんがわざわざ本校までお礼にいらしてださいましたっけ。
 今年は知り合いの彼氏がフルマラソンに参加するということで、その知り合いをフィニッシュ地点までお送りしました。彼には内緒でゴールで出迎えるという算段です。あまりに多くのランナーが続々ゴールするので、果たして見つけ出せるか心配だったのですが、お見事出会えたようで良かったぁ…安心しました。
 しっかし、皆さん偉いですね。私なんて前日に湖畔の清掃で4キロほど歩いただけなのに、もう足は痛いし、腰も痛いし(笑)。ひたすら純粋に「道があるから走るのだ」とおっしゃるそうですが、私のようなぐうたら人間とは、皆さんレベルが違うようです。ストイックだなあ。マラソンは自分との闘い。折れない心…まさに格闘技ですね。
 午後はサムライTVで全日本プロレスの「武藤敬司デビュー25周年興行」をゆっくり観戦。好試合の連続に大興奮。ちなみに武藤選手はウチの学校の母体となっているお寺の檀家さん。ご近所さんです。
 そして、夕方は大相撲千秋楽。結びの両横綱の一番は、先場所同様なかなかの迫力。白鵬も一歩一歩双葉山に近づきつつあるなと感心。
 そして、夜はボクシングであります。
 カミさんは一方的に内藤選手の応援に回っていました。子どもたちも内藤びいきだったかな。私は両選手とも好きなので、とにかくいい試合を!と思って比較的冷静に観ていました。結果として、両者のいいところが存分に現れた好試合となり、満足です。もちろん、判定に不服はありません。
 亀田選手というか、亀田家についてはいろいろとバッシングがありましたけれど、やっぱり彼らなりにとんでもない努力を積み重ねているわけであり、どこにそんな親子、兄弟がいるのかといつも私は言っていたのです。もちろんランダエタ戦のようなショッパイ、あるいは痛い内容の世界戦もありましたけれど、それってどちらかというと、彼自身の責任ではなくマスコミやボクシング界の問題だったのでしょう。
 あの試合からすると、本当に素晴らしく成長したと思いました。アウトボクシングの美しさというか、そう、なんだかとってもキレイに見えました。逆に内藤選手の方が雑に感じられた。ある意味亀田選手の横綱相撲だったように見えます。
 いやあ、内藤選手も悔しいと思いますよ。チャンピオンもある意味完璧に自分の試合をしたと思います。しかし、それ以上に亀田選手の内容がよかった。結果として、まるで挑戦者の試合内容のように映ってしまった。ジャッジは最終的にはそういう部分を見ますからね。
 とにかく、シロウトには想像できないような深い駆け引きや読み合い、そしてこの試合に至るまでの研究と精進が、ああいうハイレベルな緊張感と興奮を生むのだと思いました。結果として、TBS的な演出が空しく浮いていたのは面白かった。やっぱり格闘技は演出ではなくて試合内容なんですね。そんな当たり前のことを再確認させてくれました。
 本当に両選手にはありがとうと言いたい。そして内藤選手、お疲れさまと言いたい。少し休んでください。また近いうちに、宮田ジムを訪ねてみようかな。猫ちゃんにも会いたいし(笑)。
 亀田選手、もっともっと自らのボクシングを窮めて、美しいチャンピオンになってもらいたい。それだけの素質は充分持っていると思いますから。
 最後に、今日一日を通して思ったこと…はたして、自分の人生には真剣な闘いがあるのであろうか!?これでいいのか!?自分。今からでも遅くないのかなあ。そろそろ、はったり・ちゃっかりのごまかし人生はやめた方がいいのでは…。

不二草紙に戻る

| | コメント (3) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧