カテゴリー「ニュース」の910件の記事

2018.06.19

生誕109年・没後70年…太宰治 『右大臣実朝』

Th_unknown 日は桜桃忌。今年は太宰治、没後70年、生誕109年にあたる年です。
 それにちなみ、今日は改めて一つ作品を読んでみようと思いました。時間もないので短編を、と思いつつ、結果としてはちょっと長めな作品を選んでしまいました。
 というのは、ここのところの地震のことを考えていた時、そういえば「右大臣実朝」には地震の話がたくさん出てきたなと、ふと思い出したからであります。
 検索してみたら、28箇所「地震」という文字がありました。そう、実朝の生きた12世紀から13世紀にかけては、関東や関西で大きな地震が相次ぎました。
 たしかな記録としては残っていませんが、地質調査の結果、1200年ごろには、今も発生が予測されている南海トラフ巨大地震も発生したと言われています。ちなみに鎌倉の大仏の大仏殿が津波で流されたのは、室町時代の明応の大地震です。
 この「右大臣実朝」は、吾妻鏡を資料として引用し、その無味乾燥な記述から、実朝の人間性を生き生きと描き出すという、太宰得意の小説制作技法をとっています。そう、太宰は原資料をたくみに翻案、換骨奪胎するテクニック、才能に異常なほど恵まれた作家です。
 正直、ちょっとずるいと思ってしまうくらい、うまい。この「右大臣実朝」もまた実にずるい作品と言いいたい。
 執筆時期がまた微妙です。昭和17年から18年。まさに明治維新から現在までの150年の、ちょうど折り返し地点。戦局も暗転していく時期ですね。
 そういう時局だからこそ、歴史物をもって人間を描くという方向に向かったとも言えます。最終的には甲府で作品を仕上げたというのも、私にとってはこの作品を身近にしている原因です。太宰には、山梨の風土が色濃く影響を与えています。
 皆さんも、ぜひこの機会にこの名作を読んでみてください。いつものことですが、内容よりも、その文章のリズム感の良さに、私は惹かれてしまいます。なんとも音楽的です。吾妻鑑と対比によって、それがまた際立っているのです。

青空文庫 右大臣実朝

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2018.06.18

大阪で震度6弱

Th_img_1863 く想定外でした。今日は昨日の群馬の地震について、そして房総半島沖のスロースリップについて書こうかなと思っていた矢先に、まさかの大阪の内陸で大地震。
 本当に地震予知というのは難しいと改めて実感いたしました。考えてみると、東北にせよ、熊本にせよ、全く想定外でしたね。結局、ロバート・ゲラーさんの言う通り、「地震予知は不可能」なのでしょう。
 ただ、これだけは言えます。今朝の地震後にツイートしましたが、「この地震が前震である可能性がある」と。
 言うまでもなく、東北3.11M9の二日前3.9には、三陸沖M7.3が起きていました。また、熊本4.16M7.3の二日前4.14には、同地方でM6.5が発生していました。
 これは予知でも予測でもなく、経験則として「大規模な地震が発生した場合、数日以内にさらに大きな地震が起きる可能性がある」ということが言えるということです。
 東北と熊本の時に、私は警鐘の意を込めて次のような記事を書きました。ぜひお読みください。

2011年3月9日三陸沖地震M7.3を忘れてはいけない。

熊本でM7.3

 さすがにここ数年の2件の実例は無視できなかったのか、地震研も国もはっきりその可能性を言うようになりました。それだけでも大変な進歩です。これだけ多数の犠牲を払って、ようやくそうなったとも言えますが…。
 特に、今回の大阪の地震は内陸であり、複雑に活断層が入り組んだところですから、熊本のように、周辺の断層に影響を与えたと考えるべきです。全く影響がないということはありえません。
 今回の震源は、狭い視点からすると想定外でありますが、広い目で見ますと、いわゆる新潟神戸のひずみベルト上にあります。先日書いた白川郷「帰雲城」の悲劇を生んでしまった天正大地震もそうですね。
 また、東北の時がそうであったように、内陸の大規模地震のあとに海溝型の巨大地震が起きる流れもあります。当然南海トラフ巨大地震の発生は日に日に近くなっているのは事実なので、そちらも要注意ということになります。
 いずれにせよ、日本中どこでも、日々の準備と警戒を怠ってはいけないということです。
 

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2018.06.12

米朝首脳会談とプロレス

Th_2018061300000019reut0004view 当に「あっけなく」実現してしまいました。あまりのあっけなさに、感動はあまりありません。それもこの役者二人ですから(笑)。
 私も一度は米朝首脳会談中止という記事を書いてしまったことからも分かるとおり、すっかり二人にだまされました。
 いや、だまされて腹が立つとかではなく、変な話ですが、やっぱりプロレスってすごいなと感心した次第です。
 この「歴史的」な試合と和解、まるでプロレスじゃないですか。もちろん、プロレス信者の私は、悪い意味でそう言っているのではなく、「歴史的」な名場面というのは、ことごとくこのようなプロレス的な世界で展開しているのではないかと。
 昨日の朝日新聞のプロパガンダもそうですよ。今見ればバカバカしていけれども、あの時はそれで何百万の命が奪われたわけじゃないですか。
 だからそういう歴史もプロレス自体も、ぜったいにバカにできないんですよ。そういう「物語」こそがリアルであるというのは実に面白い。
 いわゆる正々堂々のスポーツ的な世界は、実はリアルではないということです。もちろん、今回のプロレスは三流の試合でしたよ。それはプロレスの名誉のために言っておきます。
 もうちょっとピリピリした雰囲気を作ってから、歴史的な和解に持っていくとか、プロレスのストーリーとしてはもっとやりようがあったでしょう。二人がそこまでの役者ではなかったというか…。
 そうそう、これも言うまでもありませんが、かつて「トランプとプロレス」に書いたとおり、トランプは(リンカーンも!)かつてはプロレスラーでした。それがアメリカという国の前近代性を象徴しています。神話の世界なんですね。
 そういう意味では、トランプにとっては、金正恩はヒールとして強力なライバル。その二人が初めて対戦して、まあ予想どおりタッグを組んだわけですよ。あの中身のない同意書を見れば、これはある種の共闘と言っていい。
 それにしてもですね、超ヒールの二人がノーベル平和賞候補のベビーフェイスになって、国際的にはベビーフェイス(赤ちゃんという意味でも)の安倍さんが、ますます国内ではヒールになっていくという、このパラドックスが面白いし、まさに神話的で楽しいですね。
 さて、脇役になってしまったヒール軍団、プーチン、習近平、ドゥテルテ…その他の、今後のプロレス的振る舞い方はどうなっていくのか、非常に楽しみです。

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2018.06.10

RADWIMPS 『HINOMARU』

Th_51nejr2hnl_ss500 ックのネタを続けます。こちらは男のロック。男のロックだから、政治だ、歴史だ、思想だという、芸術よりも低い次元で物議を醸しております。
 まあ、もともとロックというものは(フォークも)、政治的であり、歴史的であり、思想的なものでした。だから全然いいのです、本当は。
 特に歌詞というのは言語ですから、純粋な音楽よりも次元が低い(科学的な意味です)。そこにこだわるのは、ある意味J-ROCKのそれこそ伝統であり、文学と音楽を同列に配置する「和歌」の文化そのものです。
 さて、この曲どうでしょうね。聴いてみましたけれど、作家本人の意図は別として、音楽としてはとても「軍歌」とは言えないと感じました。逆にこれを「軍歌」と感じてしまうサヨク的感性の方がずっとアブナイのでは(笑)。
 いつも言うように、戦争反対を唱える人たちの方が、ずっと「あの」戦争を意識していて、つまりある意味では過剰に保存してくれているんですね。「あの戦争を忘れない」って。
 最近それが実に滑稽に見えてきた(失礼)。もちろん、逆の意味で流行っている「ホシュ」「右翼ごっこ」はもっと滑稽ですけれど。
 さて音楽(曲)は良いとして歌詞はどうか。これもある意味「滑稽」です。私も完全なる戦後ノンボリ世代でありますが、しかし、どういうわけか知られざる戦前、戦中、戦後の大量の歌たち、すなわち仲小路彰の作った歌曲をたくさん「読む」機会を得てしまい、もともと国語の教師であるし、またいちおう歌詠みの端くれであって文語を駆使していますから、この野田洋次郎くんのなっちゃってな日本語には、正直噴飯してしまいました。
 もちろん、こういう口語・文語の交錯し混濁する日本語が、今の若者にとって、その正誤がどうであるか以前に、ある種の「雰囲気」を持っていて、かえって新しく、カッコよく響くということもわかります。
 うん、たしかに、近代短歌の世界でもそんなことはしょっちゅうあるし、比較的近いところでは、たとえば松任谷由実の「春よ、来い」なんかも、結構なんちゃってだったりします。もちろん椎名林檎嬢にもたくさんある。
 それでも、なにかオジサンとしては、猛烈な違和感を抱かざるを得ないのは、「御国」とか「御霊」とかいう核心すぎるワードのセレクトセンスや、「日出づる国」だけ歴史的仮名遣いだというところなど、ある意味作者に悪意がなさすぎてですね、なんだか残念を通り超えて、ちょっといい加減にしろよ!と感情が動かされてしまうからでしょう。
 と、自分の日本語もちょっと破綻してきてしまいました。ロックなんだから細かいことはいいのだ!という自分もいますけれど、そんなこと言ったら、ホンモノの軍歌だってロックだぜ!という自分もいたりで、もう大変です(笑)。
 どうせやるなら、もっと本格的に「らしく」創るという選択肢もあったのではないでしょうか。う〜ん、どうなんでしょうねえ。
 いざゆかん!ということでは、仲小路彰の「スメラ民の歌」を思い出しますね。こちらからお聴きください。こっちはホンモノ?いや、ちょっと待てよ、こっちはこっちで…(笑)。

 追記…ホンモノの専門家、辻田真佐憲さんが期待通りの論評をしてくれました。似たこと感じてますね。

RADWIMPS衝撃の愛国ソング「HINOMARU」を徹底解剖する

 追追記…あらら謝っちゃんだ。軍歌もだけど、ロックも終わってんだな。

RAD野田「HINOMARU」歌詞について謝罪 「軍歌だという意図は1ミリもない」

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2018.06.04

グアテマラ フエゴ火山噴火

Th__101863517_mediaitem101863514 米グアテマラのフエゴ火山が噴火し、大きな被害が出ているようです。
 フエゴ山は毎年のように噴火している活発な火山ですが、今回は特に規模が大きいとのこと。
 標高は富士山とほぼ同じ。富士山もこのような噴火を起こしてもおかしくありません。
 特に今日配信されたこの映像はけっこう怖いですね。火砕流のスピードがいかに速いかがわかります。雲仙普賢岳の時もそうでしたが、まだまだ遠いと思っていると一気に呑み込まれる。

グアテマラで火山が噴火 火砕流に飲込まれるパトカー

 富士山でも火砕流が発生する確率が高い。もちろんどの方向に流れ出すかで私たちの運命は大きく変わるわけですが、少なくとも我が家のように中腹にある家はあっという間に呑み込まれてジ・エンドです。
 津波よりも切迫していますから、噴火の兆候があったらとにかく逃げるしかありません。正直、溶岩流はそれほど怖くありません。やっぱり噴石と火砕流ですね。
 そんなわけで、私も富士山のラドン濃度を測定しているわけです。環太平洋火山帯という意味でも、対岸の火事と思っていてはいけません。我が身のことと思い、それぞれに覚悟と準備をしておきたいものです。

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2018.05.29

ナナフシの「国譲り」

Th_wst1805290011p1 ナフシのナナフシギ…「昆虫のナナフシ、鳥に食べられ卵を拡散か 神戸大など研究チーム」というニュースは新しい不思議を提供してくれましたね。
 言われてみると、鳥などの動物に捕食されることによって子孫を拡散するというのは、植物では定番の作戦ですよね。動物にもそういうことがあるのではと、なんとなくですが私は思っていました。動物の糞の中に昆虫などの卵があってもおかしくないなと。
 しかし、実際には今回のナナフシの例が初めてなんですね。逆に驚きです。
 それから興味深かったのは、これがナナフシだったということです。言うまでもなく、ナナフシは「擬態」の王様。木の枝のような姿は、ある意味芸術的でもあります。
 記事にあるように、もしナナフシが繁殖のために鳥を積極的に利用するならば、もっと目立つ姿をしていいはずです。その点、一見矛盾した進化をしていますよね。
 そこがポイントだと思うのです。
 まず、擬態という進化はいわゆる進化論だけでは絶対に説明つきません。すなわち「枝のようになって身を守りたい」という切実なる「意志」がないと、ああはあらない。偶然の突然変異と自然淘汰では説明不能です。
 ここで、最近何度もお話している「時間は未来から過去へと流れている。原因は未来にある」という時間哲学が登場します。
 そう、つまり、ナナフシ(ナナフシ以前のある昆虫)は、過去のある時点において「枝のようになって身を守りたい」と切実に思い、未来のナナフシ像をイメージして、ボールを上流の未来に投げたんですね。で、結果ちゃんとナナフシになった。
 さらに、ナナフシになったのちなのか、その進化の途中なのかは分かりませんが、もう一つ強い未来のイメージを持った。それは、天敵のヒヨドリに食べられたのちも、卵は生き残り、子孫はどこかで繁栄するという妄想。
 その結果、卵の殻は丈夫になって今に至ると。そして羽は必要なくなったので退化してしまったのでは。羽がないから…ではなくて。
 というわけで、こういうことを言うと、またトンデモなことを言っている。全く科学的ではないといわれるのがオチなんですが、宇宙科学的にいうと別にトンデモなことではないんですね。
 おとといも書いたとおり、実際には未来も過去も現在も同時に「今ここ」に存在している。それぞれ並行しているブロックとのやりとりは、高次元のエネルギーによる。高次元のエネルギーには「意識」や「意志」、「感情」も含まれる。これが未来的な宇宙科学の常識です。
 ですから、ナナフシが強い意志をもって未来の自らの姿を理想形に変えていくことは、なんら不思議でもトンデモでもありません。選択肢は無限にあるのです。それを選ぶのが「意志」というエネルギー。
 さて、もう一つ、ナナフシさんと、ワタクシの哲学のコラボをお楽しみください。
 それは私がいつも言うところの「国譲り理論」です(5年前のこちらの記事参照)。譲ることによって、最も大切な何かを純化して相手の中に残す。ちょうど昨日の記事で三輪山のことを書きましたね。大物主は国譲りした大国主の「和魂(にぎみたま)」です。
 ナナフシで考えてみましょう。擬態もある意味では「譲り」です。羽を失うという損失を伴いながらも、自らを他者に似せることによって、自らの命を守らんとする。動物が植物のふりをするわけですから、これは「譲り」でしょう。
 そして、さらに今回の研究結果から分かるように、なんと自らの命を捧げ、相手の中に自らの最も大切なものを残していく。これこそ「国譲り」の精神、文化、作法です。
 大国主がそうでした。150年前、明治維新の日本もそうでした。もちろん、アメリカに捕食された戦後日本もそうです。
 つまり、生命にとって、「譲り」は最高の知恵であり、テクノロジーなのです。
 表面上は完全に欧米化してしまった日本、アメリカGHQによって骨抜きにされてしまった日本。まるでナナフシのようですね。情けないどころか、ちょっとカッコよかったりしませんか。私はそう思っています。したたかですよ、「国譲り」の使い手は。

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2018.05.24

米朝首脳会談中止

Th__20180525_82853 付が変わろうかという時間にこの書簡の内容が明らかにされました。
 ある意味予想通り、米朝首脳会談は中止となりました。まあ、あまりにトントン拍子に進みすぎていて、不自然の感は否めませんでしたよね。
 南北首脳会談が行われた時、朝鮮戦争終結?そして…という記事を書きました。そこにこんな一文があります。

…米朝会談は本当に実現するのか。その時も、金正恩はあの満面の笑みを浮かべるのか。
 北朝鮮が実質的に核放棄することはありえません。彼らにとっては、核がなければ国際社会と対等に戦えません。単なる極貧国になってしまいます。そんなことを金正恩が許すわけはありません。

 結論はもう出ていたわけです。アメリカにとっては非核化のためだけの会談。北朝鮮は最初から非核化するつもりはない。これで会談が成立するわけはありません。
 北朝鮮のうまいところは、この会談を先に持ちかけたことです。結果として、「私たちは会談の用意があったのに、アメリカが約束を反故にした」と言える。
 トランプさんはまんまとその作戦にひっかかったとも言えますし、よくあるように武力攻撃を正当化するために「交渉破談」を仕組んだとも言えます。どちらかというと後者かなあ。
 としますと、アメリカの北朝鮮に対する武力攻撃の可能性が高まったと考えるのが良いかと思います。
 言うまでもなく、北朝鮮の裏には中国とロシアがいます。彼らがそう簡単にアメリカとの会談を容認するとは思えません。当然、今回の北朝鮮側のシナリオはそうした大国の思惑を反映したものでしょう。トランプさんも、北朝鮮とやりあっているというより、中露とやりあっているつもりなのでしょう。
 さて、そんな絶妙のタイミングで、安倍総理はロシアを訪問し、なんと21回目になる日露首脳会談を行います。はたして北朝鮮情勢に関して、どのような話になるのか。
 プーチンさんは、安倍さんを通じて、トランプさんにメッセージを送ることになるでしょうね。その内容は…ここには書けません(笑)。
 あっそうそう、今回の「破談」によって最もダメージを受けるのは、もちろん韓国です。せっかくセッティングできていい気になっていたところ、あまりに簡単に中止になってしまった。面目丸つぶれですね。というか、もともと利用されただけですよ。
 いずれにせよ、まず注目すべきは、日露首脳会談です。地上波のニュースではあまりやらないと思いますが。

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2018.05.23

与謝野晶子の未発表「和歌」発見

Th__20180523_142924 日は「和」について書きました。
 和と言えば…短歌か和歌か、これは大きな問題です。昨日、与謝野晶子の未発表の歌が見つかったというニュースがありました。
 各社のニュースタイトルを見ると、和歌と短歌が約半数ずつと、見事に分かれていました。一部「歌」もありましたが。
 私もいちおう歌詠みのはしくれです。単独では歌集を出すほどの実力はありませんが、合同歌集には二回参加させていただきました。
 二冊目の収載のエッセイにおいて、「私は自分の詠む歌のことを「短歌」ではなく「和歌」であると言っている。なんだか、それらしいことを言って、他との差別化を図っているようにも見える。なんとも困ったものだ」と書き出し、勝手な「和歌⇔荒歌」論を展開しました。短歌は長歌の対義語ですが、和歌の対義語は荒歌であると。
 一般的には、江戸時代までの歌は和歌、明治時代以降のものを短歌と認識することがほとんどでしょう。
 そうしますと、与謝野晶子の歌は間違いなく短歌ということになりますが、実際、ニュースにおいても両方の表現が拮抗しているわけですから、実は皆さんなんとなく判然としない気持ちがあるのでしょう。
 たしかに、自分も自分の歌を「短歌」と呼びたくないのは、和歌でなんでいけないのか?という疑問があるからです。
 私にしてみれば、別に明治維新を挟んで、歌が全く違ったものになってしまったとは思っていません。もちろん、石川啄木に代表されるような、近代的自我という幻想を背景に自意識過剰に陥った「私短歌」的作品群は、今でもたくさんあります。逆に言うと、そうしたものを「和歌」とは呼びたくない(なんちゃって…ですけど)。
 では、与謝野晶子の歌は「和歌」なのか「短歌」なのか。これは意見が分かれるところでしょうね。私は…個人的には「和歌」と呼びたい。
 まず、字がうまいから(笑)。写真見てくださいよ。専門家が時間かけて解読したんですよ。伝統的な仮名文字です。これは彼女があくまでも「和歌」を意識していた証拠です。近代に対抗、反抗していた。
 歌としても和歌と言っていい世界観と言葉遣いです。

よひよひに 天の川なみ こひながめ 恋こふらしと しるらめや君

 「天の川なみ」とは「天の川が無いので」と解釈すべきでしょう。無いから乞うのでしょう。「ながめ」はもちろん「眺める」ではなく「物思いにふける」の意味。
 「恋こふらしと」と続けるところがいいですね。なにしろ「こふ」が三回続くわけですから。どれだけ会いたかったかが分かります。その気持ちが伝わらない切なさ、まさに「もののあはれ(不如意の嘆息)」ですよね。
 これを和歌と言わずなんと言うのでしょう。これは晶子の歌の中でも、特に秀逸な作品と言っていい。決して習作などではありません。和歌として完成していると思います。
 


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2018.05.19

『分断した世界-逆転するグローバリズムの行方』 高城剛 (集英社)

Th_51rnorus5hl_sy346_ 日も登場した高城剛さんが最近出した興味深い本。
 高城さんのすごさは、とにかく自分の足で現地に行き、自分の五感(プラス第六感)で得た情報こそを信じるということです。逆に言えば、マスコミが垂れ流すニュースや、インターネット上の情報は基本信用していないということです。
 ですから、この本には、彼が体験して確かめた各国の実態、情報だけが載っていると言えます。そこから見えてくる、高城さん独自の未来予測がまた面白い。
 彼がこちらに遊びに来た時に、直接聞いた話もいくつかありました。またこの本にはまだ書かれていない情報も教えてくれました。
 もちろん、こちらからもレアな情報をお伝えしました。役にたったかどうかは分かりませんが。
 私たちに共通した話題としては、やはり欧州が分裂していくこと、そして、中東とアメリカの情勢、インターネットが今後障壁を築くであろうこと、日本の今後の立ち位置と役目、本当のグローバリズムとは何かということでしょうか。
 そのあたりも含め、この本に書かれなかったことは、後編の「再び一つになる…」で明かされることになるでしょう。
 高城さんと私とは、ライフスタイルは全く違いますが、なぜか共有できるモノがあります。それはなぜか…。おそらく故郷が同じだからでしょう(笑)。
 まあ、それは冗談としまして、あえて二人の違いを言うならば、地球と日本の未来に対して、私のほうが高城さんよりもやや楽観的だということでしょうか。
 いずれにしても、本当に彼は賢く、魅力的な男です。心から尊敬しています。また近いうちに高城さんにお会いして、じっくり情報交換したいと思います。
 
Amazon 分断した世界

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2018.05.17

追悼 西城秀樹さん…「Sweet Memories」「ブルースカイブルー」

 当にショックです。西城秀樹さんが亡くなりました。63歳。あまりにも早すぎる。脳梗塞を患い、大変苦労された中、還暦を祝うコンサートでは元気な姿を見せてくれていたのに。
 本当にカッコよく、歌が上手で、そして何より個性的であったヒデキ。男の私から見ても、この人はカッコいいなと、子ども心に思ったものです。
 そして、大人になってみて分かった、素晴らしい歌唱力。郷ひろみさん、野口五郎さんももちろん歌はお上手ですが、今になってみるとヒデキが一番うまかったのかもしれないと思うのであります。
 それを再認識したのは、そうこの11年前の記事の時でしょうか。古いビデオを再生して驚きました。
 今は便利な世の中になりまして、そのビデオはネット上の動画サイトで観る(聴く)ことができます。どうぞ、皆さんもヒデキの歌唱力をご堪能ください。

 こうしてバラードを、それもハモリパートを歌うと、その歌のうまさがよく分かりますよね。お見事としか言いようがありません。
 ヒデキのバラードと言えば、やはりこれを忘れてはいけません。阿久悠さん作詞、馬飼野康二さん作曲の超名曲「ブルースカイブルー」。スケールの大きな、西城秀樹ならではのバラードだと思います。これをこういうふうに歌える人、そんなにいませんよ、絶対。本当に偉大な歌手でした。心からご冥福をお祈りします。

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