カテゴリー「ニュース」の796件の記事

2017.04.21

分かりやすいイスラム教講座…加瀬英明x馬渕睦夫『日本らしい国づくり』

 スラム教…みなさんはどういう印象をお持ちでしょうか。なんとなく怖い、あるいはキリスト教より縁遠い感じがする…私も実はそんなふうに思っていました。
 しかし、2年前に仲小路彰の砂漠の光を手に入れて読んでから、すっかり印象が変わりました。
 仲小路彰がこの戯曲を執筆したのは旧制高校から大学時代にかけてといいます。1920年前後のことでしょうか。出版は大正11年です。その時代にすでに決定版とも言える(のちに昭和50年に仲小路自身によって再版されている)ものを作り上げた天才の偉業に驚きますね。
 と言いますか、大正時代にはすでにイスラム教は日本に入ってきており、ある程度定着していたということです。この動画にもありますが、ロシア革命によって多くのイスラム教徒が日本に亡命してきたのですね。大川周明などもその影響下にイスラム研究をしていました。
 というわけで、私たちのイスラム教に対する偏見というのは、案外最近作られたものであるわけですが、その原因も含めて、まさに現代的、未来的な視点からイスラム教を正しく理解するために、ぜひ皆さんにこの動画を観ていただきたいと思うわけです。
 仲小路彰が「預言」したごとく、聖徳太子とマホメット(ムハンマド)は共振しています。そういう意味でも、今こそ私たちはイスラム教を正しく理解し、尊重の心を持たねばならないと思います。私もいよいよコーランを読もうかな。
 ちなみにこの講座のタイトルは「イスラム教と反グローバリズム」であり、また番組の後半の質問コーナーで、加瀬さんが「八紘一宇とグローバリズムは全く違う」という説明をしていますが、仲小路彰的に言えば、「本来の(オリジナルな)」グローバリズム(地球主義)は「八紘一宇」「八紘為宇」と同じだと思います。
 そのあたりは、まだ仲小路彰が表に出ていないのでしかたありません。今世の中でいうグローバリズムとは、ユダヤ金融資本的な経済のグローバリズムのことですからね。
 きっと近い将来には、加瀬さんや馬淵さんも本当のグローバリズムの意味と、その発祥が日本であるという驚愕の事実を知ることになるだろうと信じます。

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2017.04.20

ボリティカル・コレクトネス?

Th_images 野綾子さんが「大人の言葉遣い わからぬ幼稚」というコラムを書いておられました。いわゆるポリティカル・コレクトネスに対する懐疑を主張されていました。
 言葉尻をとらえて、そして場合によっては謝罪させることが普通になる社会が、いかに幼稚なのものであるか、心の奥底を表現できない世界がいかに硬直化したものとなるかを述べておられました。
 曽野さん、2月だったかの南アに関するエッセイなど、それこそ「政治的」にはちょっと不用意だったかなという言説もありましたが、今回の「言葉狩り」に関する考えには全面的に賛成します。いちおう言葉を専門にしている立場としてです。
 「ポリティカル」な世界は、私に言わせてもらえば「コト」世界ですね。法律における言語はそういう性質のものです。あえて言うなら数字、数式に近づけようとしています。ぶれや余白のない絶対言語に近い世界。
 一方、私たちが使う「言葉」は、まさに「コトの端」であり、せいぜいそうした絶対世界の端っこをかじるくらい、そのほとんどは曖昧模糊とした、しかし豊かな「モノ」世界が広がっています。
 それを、差別だとかいう過剰な「忖度」によって制限することに、私も反対です。
 学校現場なんか、本当に最近は堅苦しくなってきています。愛情と信頼に根ざしたコミュニケーションの中には、あえての「悪い言葉」もたくさん存在します。活字にしてしまって、第三者が見れば、とんでもない「いじめ」や「虐待」と取られかねない言葉も日常的に行き交っています。
 もちろん、そこにはお互いの関係性があり、そこに至る文脈があり、言語的な意味論を超えた「創造的忖度」があり、肉体的表情もあります。そんな「コト」にはまらない「モノ」があるからこそ、私たちは教育をすることができます。
 また、それら「モノ」世界を含む可能性を秘めているのが、まさに言葉の力であり魅力であるわけで、それをまるで法律用語のように、堅苦しく縛ってしまうのは、結局人間の「心」をも縛ってしまう結果になると思います。
 英語では「〜マン」という言い方はやめて、「〜パーソン」というようになっていますよね。女性もいるからということでしょう。日本語の「看護師」などと一緒です。
 笑い話ですが、それでは「スーパーマン」も「ウルトラマン」も「アンパンマン」もダメなのかということになってしまいますね。
 スチュワーデスも今はダメですが、スチュワードという言い方もあったわけで、それはそれでいいような気がするんですが。同様に保母と保父でもいいようにも思います。
 なんでも平等、非差別ということになっていくと、結局極端な共産主義国のような「言いたいことが言えない国」「きれいごとだけしか許されない国」になってしまう可能性があります。こわいですよね。
 言葉は生き物です。生き物を人間の都合で縛る、制限するということがどういうことか考えておきたいところです。
 もちろん、逆に全て自由にというわけにもいかないのは言うまでもありません。野放しではなく、自分の「飼い言葉」として、それなりのしつけをしなければなりませんね。お互いに。
 ちなみに、内田樹さんも「政治的に正しいこと」は正しいのか?でポリティカル・コレクトネスに対して鋭い指摘をしています。ぜひご一読を。

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2017.04.18

追悼 渡部昇一さん

Th_41xw782ar2l 語学者にして保守派論客の重鎮、渡部昇一さんがお亡くなりになりました。
 「知的生活の方法」を読んだ高校生の頃から、言語、文化、思想、歴史観、いろいろな面で大きな影響を受けてきました。最近もネット番組等でお元気なお姿を拝見していたので、突然の訃報に驚いています。
 最も最近の動画がこれでした。渋沢栄一を紹介する渡部さん。渡部さんがご自身の人生を振り返るように、渋沢について語っています。
 私も昨年、仲小路彰研究の関係から、渋沢栄一記念財団の会員になりまして、遅ればせながら渋沢の偉業を知り、その人生訓を学ぶことになっております。
 そんな中、尊敬する渡部昇一先生が分かりやすく渋沢栄一を紹介するとあって、続編も楽しみにしておりました。完結編もおそらく収録済みと思われます。渡部さんが最後に渋沢を語ったというのは、本当にいろいろな意味において象徴的であったのかもしれません。
 ご冥福をお祈りします。

Amazon 知的生活の方法

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2017.04.16

Jアラート(全国瞬時警報システム)

 朝やはり北朝鮮がミサイルを発射しましたね。結局「失敗」となりましたが、これは正確に言うと「失敗」ではなく、アメリカによるサイバー攻撃、あるいは電磁波攻撃による「撃墜」ということになります。
 北朝鮮って、やたらミサイル発射に失敗しますよね。さすがに威信にかかわりますよ。まあ、撃墜と言われても悔しいでしょうけれども。
 もう戦争というのはそういう次元なんですよ。白兵戦なんて昔の話です。
 さて、今回のミサイルの件で初めて聞いたという方もいらっしゃるかもしれませんが、日本にはJアラートという警報システムがあるんですよね。もう10年も前からの話です。
 皆さんよくご存知の「緊急地震速報」もその一つです。そのほか、津波や噴火、気象情報などの自然災害、そして、今回のミサイルのほか、テロや空襲警報などがあるんですね。
 もちろん、これが鳴らないに越したことはありませんが、自然災害のみならず、いわゆる有事に関しても、「想定外」は許されません。
 今日は期せずして、熊本地震の「本震」の日でした。昨年の今日の記事がこちらです。たまたま私は東日本大震災の教訓から、14日の地震が「前震」である可能性を示していたわけですが、実際その予想が当たったことを受けて、私としても改めて「最悪の事態を想定する」ということを心がけるようになりました。
 ですから、上の動画を見たり聞いたりして、「その時」冷静に対処できるよう訓練しておくつもりです。
 

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2017.04.15

報道特注(右)『北朝鮮危機!』

 日の夜、「とある筋から明日は自宅待機せよとの情報が。大事に至らなければ良いのですが。日本を取り巻く情勢は私たちが考える以上に深刻です」とツイートしました。今日15日はもうすぐ終わります。おそらく無事に今日は終わるでしょう。
 「とある筋」がどういう筋であるかはここには書けませんが、とりあえず同筋から、しばらくは同じ危険状態が続きますとの続報をいただきました。
 今日はなんとか無事にすみそうですが、明日は朝から騒がしくなる可能性があります。
 情報の内容は上に紹介した「報道特注」の内容にかなり近いものです。核実験、ミサイル、テロ。アメリカの先制攻撃。
 もちろん、この番組の出演者の皆さんとは、私は立場も考え方も微妙に違いますので、「言葉遣い」は違いますが、情報は共通しています。解釈の問題ですね。
 そういう意味で、皆さんもこの番組の内容を、ぜひ「情報」として捉えて下さい。そして、それを活用してください。
 結局は中国にいろいろお願いするしかないんですよね。日本もアメリカも。そういう中で、北朝鮮問題を利用して中国が発言力を強めていくということも認識しておかねばなりません。
 また、現中国にとって、朝鮮半島と旧満州地域は「清」の亡霊であるということも忘れてはなりませんね。

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2017.04.14

嫉妬心という人類の難敵

Th_rgn1704140001p1 日、甲府で櫻井よしこさんが改憲に関する講演をしたそうです。
 北朝鮮情勢も風雲急を告げております。金正恩、トランプ、習近平、プーチンなどの「荒魂」がぶつかり合う世界の中で、9条を中心に改憲論議が高まるのも当然と言えましょう。
 ところが、最近の私は、改憲には慎重な立場になっています。仲小路彰の憲法観に触れることが増えたからでしょうか。彼の改憲論は実に高度、高次元であり、今こそ多くの人に読んでもらいたいものがあります。
 アメリカに押し付けられたと言われる「非自主憲法」であるということが、はたして本当に日本にとってマイナスなことなのでしょうか。他者性(モノ性)を重んじ、それを自己の内部に包摂し、融合することによって日常的な「コト」に成してきた日本人の本質を忘れて論議すべきではありません。
 今日も、ベテランの共産党員の方とじっくり話しましたが、天皇の存在と絶対平和主義は本来共存できるものであり、今まで右と左という対立軸でもめてきたこと自体、人類のレベルの低さを示しているとの結論に至りました。
 そうそう、最近の共産党は変わりましたよね。赤旗に年号を使うようにもなりました。戦後の日本共産党の変化の歴史を見ると、ある意味健全に進化しているなと思うわけです。まさに「日本」共産党になってきたなと。
 異論はあるでしょうが、天皇や皇室というのは、ある意味原始共産制の象徴のようなところがあります。庶民と同じかそれ以上に質素な生活をなさっていたり、歴史的に見ると、最下位層、すなわち被差別民と直接的に結びついていたり。
 資本主義も共産主義も共通の弱点によって破綻しました。それは私たち人民の「嫉妬心」であります。
 資本主義においては、持たざる者が持つ者に対して嫉妬心を持ちます。共産主義においては、働く者が働かざる者に対して嫉妬心をいだきます。
 そうした人民の負のエネルギーを抑えるために、結局は独裁的な神や人間が圧倒的な圧力、すなわち戒律や法律や武力を使う結果になってしまった。
 実は最も穏やかにその嫉妬心を抑えるのは、絶対的な神への信仰心を持つことが一番効果的なのですが、残念ながら共産主義には唯物論という属性が伴っていたために、それが基本不可能になっていました。
 一方、資本主義においては、旧来の宗教よりも、マネーというモンスター(ちなみに両語の語源は一緒です)に対する信仰心の方が強大になってしまったため、こちらも嫉妬心が増長してしまった。
 そこで登場するのが「天皇」ということになるのです。わかりやすく極論しますと、「天皇さまがあのような生活をされ、利他的に生きていらっしゃるのだから、私たち人民も…」という心の動きが生まれるというわけです。
 これは非常に高度な文化だと思います。そこをもう一度しっかり考えてみる必要があるでしょう。
 仲小路彰の天皇論、そしてそこから発展していく地球平和、グローバリズム、コスミカリズムというのも、また、それとはまた次元が違いますが、やはり天皇から発していると言える出口王仁三郎のみろくの世観というのも、この時代だからこそ顧みられて良いものと思われます。
 そのような発想をしてみますと、日本国憲法というのは、そうした未来的な可能性を示すものであるとも言えると思います。一条と九条は自然に両立するどころか、お互いを活かすものであるとも言えるのです。
 いずれにせよ、私たちにとって「嫉妬心」というのは大変な難敵ですね。なにしろ、お釈迦様が2500年前に「嫉妬心を捨てよ」とおっしゃって以来、ほとんど誰もそれを実現していないわけですから。

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2017.04.10

保守とリベラル?

Th_44279_368_cc85661cd446058c73e202  進党の長島昭久議員が離党しました。もともと堅実な右派で、民主党、民進党に所属していること自体が不自然でした。そう、民進党自体がそういう矛盾を抱えた野合政党だということですね。
 もちろん自民党もそういう矛盾を抱えた大政党ですが、自民党にはそれを包み込む度量というものがあります。歴史的に見ると、その包摂機能が長期政権の土台になっていることがわかります。
 違いを認める、というのは「自由」「民主」の基本だと思います。
 哲学者ヴォルテールの言葉(と言われる)「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」こそが、自由主義、民主主義の大前提ですよね。
 そう考えると、最近よく使われる、保守とリベラルの対立構図というのは、実に変だということになります。
 いわゆる「リベラル」が相手の自由や人権を認めないというのは、よく見かける風景です。経済学者の渡邉哲也さんがうまいこと言ってましたね。曰く「他人の人権に興味のない人権派、暴力的な平和主義者」(苦笑)。
 言うまでもなく、保守の対義語は革新のはずです。その革新をなんとなく甘くごまかしてリベラルというようになったのはいつごろからでしょうか。
 もちろん、革新(左翼)も保守(右翼)も時代によって大きな変化をし、両者ともその定義が難しくなったというのもありますね。
 そんな中、保守はさすが保守で、「保守」という言葉を保守していますが、革新はさすが革新で、「革新」という言葉をある意味革新してリベラルと称するようになった(笑)。ま、そんな感じでしょう。
 私からすると、保守もリベラルも「雰囲気」に過ぎませんが。
 ちなみに私はどっちなのかというと、どっちでもないというか、どっちでもあるというか…それこそ雰囲気ですね。ヴォルテールの言葉には強く賛同しますから、もしかするとリベラルなのかもしれない。
 ウチの中では「家庭内左翼」と言われています(笑)。国防女子がたくさんいるので。
 保守の定義も難しいですよね。エセ保守もたくさんいますし。勘違い保守もたくさんいる。ネトウヨも保守を自認していたりする。
 私の好きなのは、哲学者適菜収さんの定義ですね。曰く「人間理性に懐疑的であるのが保守」。
 そうすると、私も絶対的に保守ということになってしまいますなあ。ふむ、なら中島岳志さんの「リベラル保守」に近いのかもしれない。自分が何者か…自分を定義すること…難しく面白いですね。

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2017.04.08

漢文の授業廃止を!?

Th_2017040600000001pseven0001view 田尚樹さんが「漢文の授業廃止を」と言ってましたね。なるほど。賛成の反対だな(笑)。
 まあとにかく百田氏の意見を読んでみてください。こちらです。
 ふむ、まあ氏が中国嫌いなのはよく分かりました。ただどうでしょうね。本当に漢文のせいで、中国への憧れがあるんでしょうかね。
 私はそれほど漢文が好きではないし(入試問題としては好きですし、入試対策を教えるのも好きですが)、自分自身あまり積極的に読んでこなかった。だから、学校で全員が学ばなければならないとは思わないけれども、しかし、たしかに日本文化に与えてきた影響は無視できないので、そうですね、まあ高校では必修ではなく、選択でもいいかもしれませんね。
 中学レベルでは一度やっておくといいでしょう。その時、先生がどのようなところに重点をおくべきか。これは私の考えですが、日本人がいかに工夫して外国語を理解したか、訓点というのは世界でも珍しい素晴らしい知恵です。
 それを学ぶことによって、日常で使われている漢語の構成なども漢文文法的に捉えることができるようになる。そこは強調すべきです。別に中国礼賛ではないですし、百田さん的にも日本の誇りにつながっていいのではないでしょうか。
 考えてみると、漢文のみならず、漢文訓読体というのが、日本の近世、近代において社会や文学に与えた影響は大きい。最近評判の?、そして百田さん大好きの教育勅語だって漢文訓読体じゃないですか。
 日清戦争や日中戦争の時代にも、漢文を排除せず、また漢文訓読体を使ってきました。そんな感じでいいんじゃないでしょうかね。
 ただ、たしかに、センター試験の国語において、200点中4分の1の50点が漢文というのは、さすがにちょっとどうかと思いますがね。
 
 
 

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2017.04.07

「忖度」とは…

Th_o0412042413757107253 ちおう日本語を専門にしている者として一言。
 「忖度」…今年の流行語大賞でしょうかね(笑)。皆さんはこの言葉を使ったことがありましたか?
 私は時々使っていました。他の言葉と同様、いつか誰かが使っていたのを真似したんでしょうね。
 その時の私の理解、すなわち使っていた時の理解としては、「推量の同義語」でした。
 日本国語大辞典の用例を見てみましょう。

*東京新繁昌記〔1874〜76〕〈服部誠一〉初・人力車「盖し人の行く所を忖度(〈注〉ハカル)して而して何れの帰りと唱ふ者は」

*文明論之概略〔1875〕〈福沢諭吉〉二・四「他人の心を忖度す可らざるは固より論を俟たず」

*浮雲〔1887〜89〕〈二葉亭四迷〉一・一一「文三の感情、思想を忖度し得ないのも勿論の事では有るが」

*近代絵画〔1954〜58〕〈小林秀雄〉ピカソ「ピカソの真意を忖度(ソンタク)しようとすると」

 最初の例は、まさに「推量」ですよね。別に「人の心の中」という特定はありません。そして、福沢、二葉亭、小林の例では、それぞれ「他人の心を」「文三の感情、思想を」「ピカソの真意を」という目的語がくっついている。
 そう、やはり「忖度」はもともと「推量」でしかなく、日国も含む現在の辞書的な意味「他人の心中やその考えなどを推しはかること」というのは、ちょっと行き過ぎな気がするんですね。せいぜい「(他人の心中やその考えなどを)」とカッコ書きすべきだと思います。
 では、流行語大賞になりそうな、今の世で使われている、つまり森友学園問題において使われている「忖度」はどうでしょうか。
 「自分より偉い人に気を遣って(無言のうちに)便宜を図ること」という、さらに限定的な意味に、あるいは悪い意味になってしまっていないでしょうか。
 もちろん、先ほどの日国の文例がそうであるように、実際の言葉の意味というのは、時代ともに変化し、そして往々にして限定的になっていくものですが、このたびの「忖度」に関しては、かなり行き過ぎのような気がしてなりません。
 まあ、いずれにせよ、「言挙げせぬ」「コト化しない」という「モノ」文化の日本では、相手の心中を読んだり、言葉なしに阿吽の呼吸で事を進めたり、空気を読んだり、以心伝心と言ったり、そういうモノがコトよりも重視されますよね。そんな中、「忖度」くんが新たな意味を持つようになったということでしょう。
 「忖度」くんの心中を「忖度」するに、ちょっと申し訳ないような気がしますが…。
 今回、誰が「忖度」という言葉を言い始めたんでしたっけ?責任は重大ですよ(笑)。
 それにしても、「忖度」という熟語、漢字の読みの問題としても難しいですよね。漢検準一級レベルかな。
 「忖」という字は、日本では「忖度」以外使いませんよね。「度」を「たく」と読むのはどうでしょうか。これもほとんどありません。
 ちなみに室町の辞書には「忖度 シュント 推量義也」とあります。呉音で「じゅんど」と読んでいたのでしょう。そして、意味は単に「推量」とのことです。

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2017.04.05

報道特注(右)【辻元疑惑追及SP 後編】深い闇!

 日公開された動画。実に面白い。
 今回の森友学園問題。私も先日一方の当事者の方とお会いし、いろいろお話させていただきましたが、まあ、ある角度から見ますと、たしかにこの動画のとおりでもあります。
 「でも」と言ったのには、別の角度もいくつかあるからでして、私はそれのどちらにも偏らない、というか、その当事者の方にもお話しましたが、稀勢の里の大阪場所奇跡の優勝とも絡めてこの問題を捉えるほどの「トンデモ」なので、まあニュースやワイドショー的な「事実(ファクト)」はどうでもいいのでした。
 そう、誰も言いませんが、稀勢の里の奇跡の逆転優勝、あの瞬間、ああこの問題は終わったなと思ったのですよ。
 相撲は地鎮の神事です。ああして、大阪場所で「日本人の」横綱が一厘の仕組さながらの奇跡の大逆転を成し遂げたことの、歴史的、神話的意味を捉えねばなりません(すみません、トンデモで)。
 三月場所ということで言えば、あの平成23年(2011年)のことを思い出さねばなりませんね。あの時こちらに書いたとおり、地鎮の神事(具体的には横綱の四股踏み)が行われなかったがために、あの大震災が起きてしまいました(すみません、トンデモで…笑)。
 いや、そういう視点というのも大切なのですよ。今回の問題の土地は、それこそ「地歴」の複雑に積み重なった土地です。ある種の荒魂が表面化し、それを横綱稀勢の里が踏み固めたというストーリーも、それはそれで面白くないですか?
 奇しくも、横綱は「見えない力を感じた」と言いました。「見えない力」ということを、たとえば政治家や私のような教育者が口にすると、やれスピリチュアルだ、やれトンデモだ、非科学的打などと言われてしまいますが、真のマツリゴトを行う神人とる横綱がそういうことを言っても誰も責めないどころか、共感や感動を呼び、いい意味でニュースのタイトルになる。面白いですね。
 私は、教育者である以前に人間ですし、日本人ですので、そういう「見えない力」すなわち「モノ」を大切にしたいと思っているのです。
 今回の森友問題は「モノ」世界での出来事が、現実界、特に法律や文書などの「コト」世界に噴出してしまったものなので、まあ、皆さんいろいろはっきり言えませんよね(笑)。はっきり言うとしたら、籠池さんのように大嘘つきにならざるを得ません。
 そういう意味では、総理もあまりにもはっきりと「言挙げ」してしまったという落ち度があったのです。日本は「言挙げせぬ国」なんですよね。私もこれ以上語るのはやめます。

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