カテゴリー「ニュース」の1000件の記事

2021.01.16

『江戸の妖怪革命』 香川雅信 (角川ソフィア文庫)

Th_51uuenykcdl_sx353_bo1204203200_ あ、昨日「特攻」と書いた共通テストが始まりました。ウチの次女はしっかり玉砕して帰ってきました(苦笑)。

 センター試験時代はよく問題評(批判)をやっていましたが、直接の現場を離れてしまった今、そこまでの根性がありません。ただ、いちおう全部は解いてみました。

 記述式が採用されなかった点も含めて、基本的な構造はセンター試験、いやその前の共通一次試験と何ら変りはありませんが、設問にはそれらしく今風なものも散見されました。

 文章として興味深かった(すなわち高校生も取り組みやすかった)のは、第1問評論の香川雅信さんの「江戸の妖怪革命」の序章でしょう。こちらでぜひお読みください。

 ワタクシの「モノ・コト論」とは少し違う解釈ですが、共通している部分も多かった。

 近世中期から妖怪のフィクション化(キャラクター化)が始まり、実は近代になって再び中世的なリアリズムを取り戻したというのは、よく分かります。

 近代は心霊の時代、現代はスピリチュアルの時代ですからね。私もどっぷりそこに浸かっている。そして、その中心には「私」がいるというのが面白い。

 この本の全編を読んだわけではありませんから、細かいことは分かりませんが、おそらく現代日本の妖怪ウォッチやポケモン、そして鬼滅の刃につながっているような論考になっているのではないかと推測されます。

 私は独自の「モノ・コト論」から、「もののけ」のモノ(無意識・不随意・他者)と「ことば」のコト(意識・随意・自己)を対比させて、妖怪の変遷を捉えており、もののけがいくらキャラ化して(名付けられ、デザインされ、図鑑化されて)愛すべきコトになっても、膨大無限なモノ世界からどんどん「わからないモノ」は供給されて、言葉にはならない「モノ」の気配たる「もののけ」がなくなることはないと考えています。

 新型コロナウイルスもそういう「もののけ」の一つとして健在であり、こうして共通テストという型にはまったコト世界を見事に揺さぶっているのでした。

 そして、香川さんの言うように、そんな「もののけ」を退治することができず、対峙するしかない私たちもまた、「私」に潜む新たな、しかし実は昔からずっと同居している「妖怪」と対峙せざるをえなくなっているわけです。

 さあ、いつになったら、私たちは新型コロナを因果理解の中でコントロールすることができるようになるのでしょうか。しばらく妖怪の跳梁跋扈は続きそうな予感がします。

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2021.01.15

『聖断 天皇と鈴木貫太郎』 半藤一利 (文春文庫)

Th_51qrnjotobl_sy346_ 藤一利さんが亡くなりました。残念です。

 半藤さんにも仲小路彰の残した文書群を見てほしかった。間に合いませんでした。

 半藤さんの本の中で、特に印象に残っているのは、この「聖断」です。

 二・二六事件の安藤輝三の霊に関わってから、私たち夫婦は鈴木貫太郎に対する格別な思い入れを抱くようになりました。

 その鈴木の人柄をこれほど的確に表現した作品はありません。的確ではありますが、実に淡々としている。いわば文学的に表現しているのです。

 そして、その鈴木を照らす天皇の威光、いや鈴木に照らされる昭和天皇の苦悩。

 日本の運命には、やはり神がかった何かがありました。

 たとえば、「聖断」の背後には、やはり安藤輝三の思いもあったことでしょう。

 そうした裏ストーリーを知ってしまってから読むこの本には、別格の感動があります。

 さらに言えば、この本にも重要なポイントで登場する高松宮。その裏に仲小路彰があったわけです。

Th_unknown_20210116143201 終戦へ向けての対ソ政策については、この本だけでなく一般には、近衛文麿に白羽の矢が立ったごとく語られていますが、その裏では、高松宮を特使とする別計画が練られていました。

 すなわち、仲小路のグループは、戦前から近衛が左翼勢力やユダヤ国際金融資本と結んでいて、日本を世界大戦に巻き込ませたことを察知していたので、終戦にあたって再び近衛に「活躍」させることはなんとしても避けたかったのです。

 そのへんの裏事情を知ってから、またこの本を読むと実に興味深い。スリルと言っては不謹慎ですが、ものすごい緊張感の数カ月間ですね。

 さて、半藤さんは昭和史の反省からの教訓として、次の五つを挙げています。

 ①国民的熱狂をつくってはいけない。そのためにも言論の自由・出版の自由こそが生命である。
 ②最大の危機において日本人は抽象的な観念論を好む。それを警戒せよ。すなわちリアリズムに徹せよ。
 ③日本型タコツボにおけるエリート小集団主義(例・旧日本陸軍参謀本部作戦課)の弊害を常に心せよ。
 ④国際的常識の欠如に絶えず気を配るべし。
 ⑤すぐに成果を求める短兵急な発想をやめよ。ロングレンジのものの見方を心がけよ。

 明日から共通テストが始まります。コロナ禍の中でありながら、教育現場はほとんど総特攻の状況です。若者の命よりも予定通り戦うことを優先しています。

 私は昨年からずっと大学のみ9月入学を訴えてきました。コロナなくともこの厳寒期に人生を決する試験を行なうべきではないということです。

 日本はいまだ変わらない。変われない。残念であり、恐ろしいことです。

 半藤さんの遺言をしかと胸に刻み、そんな旧弊と戦っていかねばなりませんね。

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2021.01.04

『ゴジラ』 本多猪四郎監督作品

Th_81bi3hduc8l_sx300_ 知のウイルスのおかげで、世の中が大変なことになっております。

 平和ボケした現代日本人にとっては、久しぶりの「モノ」体験です。もちろん10年前の大地震や大津波、そして原発事故もそういう体験ではありましたが、こうして外国から侵攻されるのは本当に久しぶりのことです。

 世の中では「鬼滅の刃」が大ヒットしていますね。あれも「モノ」と戦うお話です。そして「モノ(鬼)」の方にもいろいろ事情があって、そこへの共感も含めて、非常に日本的な、すなわち勧善懲悪では片付けられないモノガタリとなっています。

 そういうモノガタリで思い出されるのが「ゴジラ」です。それも初代。思うところあって、ウン十年ぶりに見直しみました。

 驚くべきは、この映画が戦後9年で製作されているということです。

 米ソ冷戦下の水爆実験がもたらしたゴジラの日本上陸。あっという間に東京は元の焼け野原に戻ってしまいます。

 唯一の被爆国、そして敗戦国、事実上のアメリカの属国としての日本において、このような寓話によって戦争批判、核兵器批判、大国批判、科学批判が行われたことに、今さらながら感銘を受けます。

 日本のモノガタリでは、善と悪、加害者と被害者、強者と弱者が判然としないことが多い。あえてそうしていることが多いわけですが、このゴジラもその点、非常に複雑な様相を呈していますね。

 それは先の大戦や、現在のコロナ騒動にも重ね合わせることが可能です。当事者にとっては明らかな「敵」であっても、歴史になるとそう単純な構造で説明つかなくなります。それが、のちの騒動を生む原因にもなるわけですが。

 そうした複雑な利害関係の中に、ヒューマニズムを織り込むところが、日本的モノガタリの良いところであり、また一方で、ある種の美徳主義や根性主義、犠牲賛美主義につながっていることも確かです。

 この「ゴジラ」にあっても、芹沢博士の決断はゴジラの運命とともに一つの哀話として私たちの心を打つものになっています。

 平和と戦争、科学と自然、経済と道徳…あらゆる矛盾が、個人の哀話に回収されてしまい、またそれを「散華の美学」のように受け止めてしまう日本人の心性は、それ自体実は非常な弱点でもあると感じます。

Th_250pxgojira_1954_japanese_poster その点、仲小路彰は、そうしたお涙頂戴的なものではなく、もっと未来的な明るい解決策を提示してくれています。

 水爆についても仲小路は、もちろんその破壊的、悪魔的な力を忌避しつつ、その反面にある「太陽のエネルギー」「融合のエネルギー」といったプラスの側面についても多く語ってくれています。

 芹沢博士の苦悩は、おそらくその当時の多くの科学者の苦悩そのものだったのでしょう。その時代に、仲小路が湯川秀樹をはじめとする多くの科学者に送ったメッセージは、きっと彼らを勇気づけたことでしょう。

 さて、映画「ゴジラ」 の話に戻りますが、あらゆる面で、その後のゴジラシリーズ(最近で言えばシン・ゴジラも含む)には到達しえない次元での名作ですね。

 私のように、少年時代単なる怪獣対決ものとして楽しんでいた世代が、こうして大人になってそのルーツをたどり、最も大切なことに気づかされるわけですから、もちろんその後のシリーズにも大きな価値はあると思いますが。

 やはり、何事も「初代」がすごいのですね。それはそうです。無から有を生んだのですから。

 本多猪四郎はもちろん、円谷英二、伊福部昭の仕事ぶりも素晴らしい。宝田明、平田昭彦、そして志村喬ら俳優陣の、内面を表現する演技も見ものです。

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2020.12.31

2020年を振り返る

Th_-20201231-234122 ロナですね。今年は。コロナに始まりコロナに終わる。

 今日もこんなニュースが。

 そのコロナのおかげで、本当に多くのことに気づくことができました。世の中のこと。自分のこと。

 世界や日本や仕事や自分の裏の(無意識の)構造が露呈したということです。

 ピンチをチャンスに。いろいろ挑戦もしました。

 そのおかげで、メディアに登場させていただくことも多かった。本、テレビ、ラジオ、新聞、ネットメディア…。

 素晴らしい出会いもたくさんありました。今日も若手の起業家の方との運命的な出会いがありました。

 いずれも、どなたかの紹介によるものです。ありがたや。

 17年近く、このブログで地道に発信してきた成果がようやく出始めたということでしょうか。継続は力ですね。

 それから、これは個人的なことになりますが、家族ということを改めて考えさせられた1年でした。いろいろな意味で。親として子として。

 いずれにせよ、コロナによってこの世界と自分が大きく変わり始めたことはたしかです。その変化に乗っていくのか、抗って元に戻ろうとするのか。来年からはその二者の分断が進むことでしょう。

 新しいことへの挑戦が多かった今年。決断する機会が多かった今年。密度が濃かったせいかあっという間に過ぎ去ってしまいました。常にフル回転だったのでしょう。

 そんな中、本当にたくさんの方にお力添えをいただきました。あらためて御礼を申し上げます。ありがとうございました。

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2020.12.24

追悼 中村泰士さん なかにし礼さん

Th_ent20122508260007p1 リスマスイブはいつまでも悲しい夜。

 「北酒場」のコンビ、なかにし礼さんと中村泰士さんの訃報が…。筒美京平さんに続き、また昭和の文化を支えた天才がこの世を去ってしまいました。

 地元の天才作詞家、作曲家である、フジファブリックの志村正彦くんの命日でもある今日。

 昨年で彼の突然の死から10年ということもあり、一つの区切りをつけたつもりでした。クリスマスイブはクリスマスイブを楽しもうと。

 それなのに。

 今日は先に中村さんの訃報が入ってきました。あらためて北酒場を聴いていたところ、なんと今度はその詩を書いたなかにし礼さんが今日亡くなったとの第一報が。

 クリスマスイブはいつまでも悲しい夜。

 新しい時代が始まるために、古い時代は消える運命なのか。いや、そんなはずはない。

 彼らの詩やメロディーは、もろちん時代を超えて生き続けます。それでもやっぱり悲しい。

 なかにし礼さん、中村泰士さんのコンビと言えば、やはりなんと言っても細川たかしさん。

 北酒場も名曲ですが、デビュー曲である「心のこり」が少年時代の私に与えた衝撃は忘れられません。

 今あらためて聴いてみると、あの頃感じた衝撃というのは、日本語の高低アクセントを無視した中村さんの自由な作曲技法にあることがわかります。

 演歌の世界は比較的アクセントとメロディーの関係性を大切にする、すなわち語りとして聞き手に内容が伝わることを重視していたのですが、中村さんはそれをあえて破った。

 ユーミン、拓郎、陽水ら、いわゆるニューミュージックの若者たちが、そうした作曲伝統を自由に破って、豊かなメロディー世界を作り出していた…それはメロディー(音楽)による言葉への下剋上であった…中、そうした当時の流れを見事に演歌的な世界に持ち込んだ一人が中村さんでした。

 メジャーキーというレベルではなく、解放されたメロディーのおおらかさや明るさが、細川たかしさんの声質や歌唱力、キャラクターとうまくマッチしたのですね。

 もちろん、それを承知し認めたなかにし礼さんの、日本語に対するある種のこだわりを捨てた創造的な愛も素晴らしい。全く新しい歌詞の世界が生まれた瞬間です。作詞家によっては、アクセントをものすごく気にしますからね。シンガーソングライターならまだしも、職業作詞家ならそれが普通です。

 そんなお二人の偉業をしっかり胸に刻み、かつ、彼らの世界観を平成の世にブラッシュアップして聴かせてくれた志村正彦くんにも感謝しながら、「心のこり」を聴いてみたいと思います。レコード大賞新人賞受賞の映像。

 ご冥福をお祈りします。

 

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2020.12.18

『ゴーマニズム宣言SPECIAL コロナ論 2』 小林よしのり (SPA!コミックス)

Th_51bf5zwfokl 日発売。昨日紹介した小林よしのりさんのコロナ論第2弾。

 折しも、東京で800人を超える感染者が確認され、NHKのニュースでも「緊急事態宣言しかない」的な発言がありました。

 そして、この本でも前著でも高く評価していたスウェーデンの緩和政策について、なんと国王が「失敗」と批判。

コロナ対応「失敗」 スウェーデン国王、異例の政策批判

 実に良いタイミングです。

 昨日紹介した第1弾と同様、マスコミやエセ専門家を批判し、「科学的」に抑圧策やPCR検査、マスクへの批判を繰り返していますが、いまだにそうした意見は世間では少数派ですよね。

 著者は「本の力を信じる」と言いますが、はたしてどこまでこのコロナ論が一般的になるのでしょうか。

 私は昨日書いたように、小林よしのりさんは「コロナ論」を通して、日本文化論を語っていると思います。そちらの意味では、もしかすると歴史に残る名著となるかもしれません。

 実際、コロナ禍を乗り切ることも大切ですが、そこから私たちが何を学ぶか、何を変革する力を得るのか、そちらに意識を持っていくことも重要です。

 終わったあとで、「あれはピンチではなくチャンスだったのに」と後悔してもしかたありません。

 この本で批判されている、現代の「グローバリズム」。私は仲小路彰が構想した本当の「グローバリズム」を研究している者として、特にその部分についてしっかり考えていこうと思っています。

 ある意味、災害、戦争の真っ只中であるからこそ、こういう本を読んで、一瞬でも日本の、地球の外側から現状の自分と社会を見つめ直してみる必要はあるのでしょう。

 些末なことですが、第14章のタイトル「神が与え賜うし呼吸」は、どう考えても「賜いし」の間違いですね。編集、出版のプロの人たちがそういうことに気づかないということに、ちょっとした日本文化の危機を覚えました。

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2020.12.17

『ゴーマニズム宣言SPECIAL コロナ論』 小林よしのり (SPA!コミックス)

51syzdyuurl_sy346_ 日「2」が出るということで、遅ればせながら読んでみました。

 一昨日ご登場願った宮沢孝幸先生も高く評価している、小林よしのりさんの「コロナ論」。「コロナ恐るべからず」論の尖峰と言ってもいいでしょうか。過剰反応するな、科学的に正しい対処をせよ、インフォデミックを起こすな…。

 まったく恐ろしいモノで、私も半分はこのコロナ論に大賛成ですが、半分はやはり何かを恐れている。様々な情報が飛び交う現代だからこその「余計わからない」があって、なかなか自分が安定しない。

 つまり、モノ(未知の何か)に対して、コト(情報)が無力などころか、コトどうしが新たなモノを生み出してしまっている状況は、非常に興味深くもあります。

 日頃「モノ・コト論」を構築している私ですが、こうして自分の中のモノとコトのせめぎあいを観察することは稀です。モノノケの生命力…それは実は宇宙の誕生にも関係しますが…に改めて感動さえしているところです。

 さて、出版から4ヶ月が経った今、この本の内容はどのように評価すべきでしょうか。

 ある種の予言書として捉えるならば、やはり半分は当たり、半分ははずれたということになるのでしょうか。

 いや、この本の評価すべきところは、コロナ禍をしっかり日本文化論に落とし込んでいるところでしょう。その部分の内容に関しては揺らぎなく正しいと思います。

 もちろん小林よしのり流の物言い、表現方法に抵抗をおぼえる方もいらっしゃると思いますが、本人も言っているとおり、「愛国」の気持ちがあるからこそのそれらです。

 今までのゴーマニズム宣言もそうでしたが、決して左右の構図には収まりきらないんですね。愛は湧き上がるモノですから、思想というコトを凌駕していくのは当たり前です。

 新型コロナとのつきあいもそろそろ1年となろうとしています。モノがコトとなり、コトがモノとなる日々。そろそろその全体像を俯瞰しながら、自分と世界の本質を見極めてみてもいいのではないでしょうか。

 そのために、この本は大変良い参考書となるでしょう。明日出る「2」の内容も楽しみです。

ゴーマニズム宣言SPECIAL コロナ論

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2020.12.15

宮沢孝幸准教授の「目玉焼き理論」

 

 GoTo 一時停止のニュースが。正直ここ1ヶ月 GoTo の恩恵を受けまくったウチの学校としては、まあギリギリセーフだったなという感じです。思い切った決断をして良かったと思っています。

 実際に旅をした者の感想としては、旅先の方がずっと感染防止対策をしっかりしており(自分の意識も含めて)、本当に GoTo のせいで感染拡大しているのか、私も不審に思っています。

 それを専門的な立場から力説し続けているのが宮沢先生。先生の「目玉焼き理論」は、たしかにわかりやすく、おそらく正解なのだと思います。

 そうしますと、やはり家庭内感染に注意すべきということですね。先ほど書いたように、私たちは旅先ではいつも以上に注意をするのですが、その反対で家庭に戻るとすっかり気が緩んでしまうものなのです。

 非日常では緊張、日常では弛緩というのは、これはしかたありませんが、なんとかそこを踏ん張らねばならないと思います。ある意味、今は毎日非日常ですから、実際に普通の風邪やインフルエンザにかかる人は非常に少なくなっています。

 やはり、私たちには非常事態、非日常が必要ということでしょう。しかし、それがあまりに頻繁にあると慣れてしまい、非日常が日常になってしまう。たしかにその時には、免疫ができている、先日のWi-Fiの記事流に言えば、危険因子を受容しても大丈夫なように我々が進化するとも言えますが、そこに至る一定の期間には相応の注意が必要なのです。

 私が恐れているのは、「受験(入試)クラスター」の発生です。人生を決めてしまう受験(入試)に対して、私たちは嘘をついてまで日常的であろうとしますから。つまり、熱があっても解熱剤を飲んで会場にいってしまうということです。

 まずは「共通テストクラスター」が怖い。その後の、私大入試や国公立2次試験での地方から都会への流入も怖い。もう祈るしかないですね。ウチの次女も受験生ですし。

 大学のみ9月入学にし、5,6月に入試をするべきという考えは今でも変わりません。来年度入試が結果としてそういうふうになる可能性もありますよ。

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2020.12.14

追悼 小松政夫さん

Th_unknown_20201215132401 敬する昭和の方がまた一人亡くなりました。いや、昭和の方なんて言ってはいけませんね。バリバリの現役でしたから。

 ここのところ、毎日ファミリー劇場でドリフ大爆笑を観ています。その中で、いろいろな芸能人の方々の再評価をさせていただいていたのですが、その中の筆頭が小松政夫さんでした。家族と「いやあ、すごい!天才だ」と感心しまくっていたのです。

 淀みない台詞回し、一瞬で空気を作る洗練されたアドリブ、古典に通じた教養。この時代に観ると改めてその偉大さに気づかされますね。

 そんな方と、まさかこのタイミングでお別れの時を迎えてしまうとは。

 追悼の意を込めまして、あらためて小松さんの芸に感心してみたいと思います。まずは、ドリフ大爆笑の名場面から。

 

 

 続いて代表的なネタの一つ。同郷のタモリさんと遊びながら考えた、いや生まれたという伝説のコント「寿司将棋」。これ好きだなあ…。


 

 コメディアンとしてだけでなく、映画俳優としても非常に魅力的であった小松さん、来春公開予定だった、拉致問題を正面から取り上げた「めぐみへの誓い」が遺作となってしまいました。個人的に私はめぐみさんと幼なじみであったこともあり、劇場で観るのを楽しみにしていたのですが。

 

 

 これからもしばらく、毎日ドリフ大爆笑で小松さんにお会いしたいと思います。ご冥福をお祈りします。

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2020.12.11

Wi-Fiは頭に悪い?

20201214-173121

 

 構新聞があえて「これは虚構ではありません」とツイートした記事。たしかに虚構新聞にありそうな文章ですね(笑)。

 Wi-Fi電磁波で学力低下を懸念、市議ら意見交換会

 特に佐賀県と秋田県のくだりは笑えない…いや笑えます。

 ウチの学校も、今学期ようやく全教室にWi-Fiの電波が飛ぶようになりました。はたして期末テストの結果やいかに。

 ちなみにこれも笑えないのですが、そうやってお金をかけて電波は飛ぶようになったのですが、誰も使っていないのが実情です。

 教育界は異様なほどに保守的、いや時代遅れであって、いまだにスマホやタブレット、インターネットに懐疑的な教員も多くいます。

 最近私がいろいろなところで暴露しているとおり、学校のルールや授業のあり方、イベントのやり方など、全ての活動は「先生が管理しやすい」を目的として構築されてきたものであり、それを崩すことは非常に難しいのです。

 逆に言えば、生徒の学びの質などというものは、ずっと後回しになっているということ。困ったものです。

 先生たちは自分たちの価値観や伝統的なシステムを無反省に是としており、それが問題だなどとは露ほども思いません。だいたい、そうした牢獄の中で気分よく生徒を演じてきたから、あえて学校に戻るために先生になるわけですからね。私も最初はそうでした。

 ちょっと興奮しすぎて脱線してしまったので、本題に戻りましょう。Wi-Fiなどの電波の影響です。

 そう、私、実はWi-Fiを整備するんだったら、楽天の5Gの基地局を学校の屋上に設置したらどうかとまで考えていたのですよ。5Gこそ悪者になっていますよね。

 新型コロナと同様で、とにかく新しい、そして目に見えないモノに対しては、異常なほどに警戒心を抱くのが人間です。しかし、それが一般的になっていくと慣れてしまう。歴史が証明しているとおりです。

 これは実は慣れだけではなく、人間の順応ということもあるのですよ。免疫力がつく。これはある意味進化だとも言えます。

 昨日の「反新化論」の話ではありませんが、人間は必要だと思ったモノに対しては、自らを進化させて受容していくのです。まさに「意志」が進化を促している。食品添加物などもそう。

 ですから、使われていない電波が飛んでいる教室というのも、実は意味があったりするわけです(ホンマかいな)。

 いやいや、ちゃんと活用しましょうよ、先生方。

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