秋田創作家庭料理 『御燗』(おかん)
★「不二草紙を見た」と言うと「いぶりがっこ」サービス!(まじで)。
毎年春は秋田に行っているのですが、今年はちょっと忙しくて断念しました。そう言えば昨年も震災後で行けなかったんだな。雪解けの秋田も大好きなのですが。
しかし!その代わりと言ってはなんですけれども、今日は東京で秋田の郷土料理と秋田のお酒をたらふくいただくことができました。もう大満足です。
それにしても見事なタイミングとシチュエーションだよなあ…。
場所は神保町。日本教育会館の地下にある「御燗」というお店です。なぜ、私がここに行くことになったのか…いろんな事情をご存知の方にはとっても意外に思われることでしょう(笑)…というのは、とりあえず置いといて。
ジュンサイ、ヒロッコ、比内鶏の串焼き、ハタハタの鍋、ハタハタずし、きりたんぽ、いぶりがっこ、刺身、稲庭うどんなどなど、もう超ぜいたくな秋田ならではの料理と、まんさくの花、白瀑、天寿などの秋田の地酒。本当に気分は秋田に飛んでいました。
今回はカミさんと、そして職場の後輩と一緒にうかがったのですが、そのおいしい料理とお酒、そして温かいお店の雰囲気のおかげで、あっという間に4時間が過ぎてしまいました。こんなに時間が早く感じられたのは初めて。そのくらい満足だったということですね。
あんまり集中して飲んだり食べたりしゃべったりしてたので、写真を撮るのをついつい忘れてしまいました。
いや〜、本当に「縁」というのは面白いですね。そう、「縁」というのはですね、ただの「つながり」ではないんですよね。タイミングこそ大切なのです。もう必然としか言えないような、あるいは運命的としか言いようのないようなタイミングに生まれる「つながり」こそが「縁」です。
実は、このお店のおかみさんが、ウチのカミさんの地元の先輩でして、二人は今日24年ぶりに再会したのでした。カミさんの生まれ育ったところは、このブログでも何度か紹介しているとおり、羽後町の山の中でして、地域の人たちはみんな顔見知りという感じのところ。今はお互い地元を離れて違う場所で生活しているのに、こうして四半世紀近くを経て再会できたのは…。
そう、このブログがきっかけなのですよ。たまたまおかみさんが、地元のことを検索していたところ私のブログが引っかかって、写真を見て行ったら、なんか知ってる顔が!…ということらしいのです。
それで最近連絡をくださいまして、このたびの再会が実現したということです。それが、なんとも、素晴らしいタイミングだったのですよ、私や今日同席した後輩にとっても。本当に不思議です。ありえないピンポイントが重なっているんです。確率的にはもうほとんどゼロに近いことが普通に起きちゃうんですよねえ。ありがたいことです。
今日もお店は常連さんとおぼしきお客様でいっぱいでした。場所柄教育関係の方が多いようで、今日も山形の先生方とお話をさせてもらったり、お酒を酌み交わしたり、とても貴重な体験をさせていただきました。いろいろ勉強になったなあ。
そう、団体とか思想とか、そんなの教育の現場にとってはどうでもいいことなんですよね。やっぱり「人」と顔を合わせて話をしなくちゃ。ある意味それこそが教育の根幹でしょう。
途中カミさんが「秋田音頭」を歌ったりしましてね、言葉を超えた交流もできたような気もします。おいしい料理とお酒、そして歌と笑顔があれば、もうそれでいい…そんな気がしました。
ぜひ皆さんも一度お店をたずねてみてください。きっと満足していただけると思います。料理やお酒はもちろん、明るく元気にかいがいしく働くおかみさんと、黙々と仕事をする朴訥なご主人にも、秋田の醍醐味を味わうことができますよ。
ありがとうございました!私たちもまたお邪魔します。本当に私は「縁」に恵まれていますね。ありがたいことです。
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えっ?そうなの?「
だいぶ遅くなりました。こまごました仕事が立て込んでおります。
だから、実を言うと、私にとって重要なのは、この「富士吉田のうどん」が、その名称から離れて充分においしいということです。私は各種カップうどんの中で、特にこの製品を高く評価しています。リアル吉田のうどんよりも頻繁に食べているかもしれない。
非常に勉強になりました。
今日ある方からおやみげとして鎌倉ほしのの「カリッと黒糖まんじゅう」をいただきました。
忙しいのでまたまた軽い話題。
CMも実に面白いじゃないですか。
素晴らしい体験をさせていただきました。皆さんありがとうございました。
正直、書と舞踏は本当に素晴らしかった。台風による大雨と大風、徐々に増水してエネルギーを溢れさせようとする山中湖、それを遮断せず自然に受け入れてしまう歴史ある宿。そうしたシチュエーションも含めて、あまりにも「ライヴ」な瞬間の連続であったと感じました。
そう、縄文的、古代的、純日本的な表現は、「言葉」以前の感動であるべきですね。渡辺さんの書はほとんどが「甲骨文字」。文字以前、言語以前のイメージ世界です。文字も文字となり言語の記号となった瞬間に想像力を失ってしまいます。意味を得てデジタル的な狭窄世界になってしまうんですよね。
今日、志村正彦くんのファンという方とお会いしました。ご夫婦で我が村にお泊まりになっており、明日吉田の火祭りなどを堪能されるとのこと。
ほかのせんべいにはそれぞれ違ったミク(&関係者)のかわいいイラストが美しくプリントされています。ホント、紙にプリントされているがごとく鮮明です。この印刷技術もすごいよなあ。なにしろベースが「せんべい」ですからねえ。
やることが溜まっているので、今日は軽めに…と言いつつ、いつも語りすぎてしまう私(苦笑)。
そう、あのペヤングソースやきそばのパッケージって、大量のカップ麺棚の中でも絶対的に目立つんですよね。周囲がド派手かつイメージ写真に偏ったパッケージになる中で、このシンプルさというか、潔さというか、リアルな昭和っぽさというのは実によろしい。
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