平山郁夫と「萌え」
平山郁夫画伯が亡くなりました。アフガニスタンへの増派のニュースが流れる中、どんな思いで天界に召されたのでしょうか。
アフガンでの遺跡保存活動をはじめとした、シルクロードをメインストリートとするボランティア活動だけでなく、本職である画業でももちろん国際的な活躍をされました。また東京芸大学長職を務めるなど教育においても、そして、ある意味商売の面でも活発に腕を振るわれました。
芸術家としての絶対条件である「異様なほどのバイタリティー」をお持ちであったと、改めて思います。
今日は、そんな平山さんを、ちょっと(だいぶ?)違った視点から見てみたいと思います。決して失礼にはあたらないと思いますので。
そう思ったのは、たまたま今夜、NHKのクローズアップ現代で「故郷(ふるさと)に“美少女”が来た」と銘打ち秋田県の羽後町での取り組みが紹介されたのがきっかけです。
羽後町については、私は、このような全国レベルでの話題になる以前から注目してきました。右の「人気検索ワード」をクリックしていただければ、このブログでもずいぶんといろいろな視点で語ってきたのがお分かりになるでしょう。
今夜の番組ではいわゆる現代的な「萌え」と豊かな自然しか取り上げませんでしたが、私としては、土方巽&細江英公の「鎌鼬」…新版が出るようですね…や、先日紹介した白井晟一の建築(現存しませんが)、そして佐藤信淵などにも触れてほしかった。そこには、現代的な「萌え」以前のもっと大きく深い「萌え」要素があるからです。
他称(…なぜかWikipediaの「萌え」に私が登場している!?)「萌え」研究家である私からしますと、「萌え」の基本的な性質はネオテニーにあると考えています。すなわち「子ども性」です。一般に文明(大人性)は「子ども性」を刈り取ることによって成立しますので、そうした「侵略」や「略奪」から逃げるために、子どもは辺縁にどんどん移動していきます。あるいは、辺縁には文明が到達しないという言い方もできますが。
そうして、辺縁に文明化していない「モノ」が凝結していきます。それを文明側からは「文化」と呼ぶ場合もあるわけですね。本人たちはそんな対抗意識はないことも多いのですが。
そして、その「文化」は、「自然」という強力な後ろ盾をもって逆襲に転ずる時もあります。まあ、ここでも、人も自然もそんな意識はなく、現実には、文明側からの「憧憬」という形をとることが多いのですが。
たとえば、この前も書いた、西洋美術における「浮世絵」の影響などがいい例です。江戸までの日本は、まさに世界の辺縁中の辺縁、極東であったわけで、そのうえ島国という特殊な好条件をも得て、ある意味孤高の「子ども文化」を醸成していたわけです。そこに、「大人」たる文明国の人間たちは大いに驚き、そして憧れ、不思議な郷愁まで感じて、それまでの自分たちが積み上げてきた「写実」や「科学」や一部「宗教」までかなぐり捨てて、「回帰」を試みたわけです。
で、話を秋田に戻しますが、まさに秋田と東京の関係などは、そうした構造の相似形になっているわけですね。ちなみに私は東京育ち、カミさんは羽後町育ちですから、我が夫婦の間にも、そういう関係が成り立っているんですよ。
それをカミさんは、最初全然理解できなかったようです。「子ども」側だからです。しかし、「大人」がそういうことをしつこく言い、自分以上に「故郷」にこだわり、そして、ついにはNHKという国家的メディアがそれを発信するに及んで、ようやくコトの重要性というか、自らの無意識に沈殿していたモノの重要性に気づいたわけです。
スケールを変えてみると、それが西洋と日本の関係になるというのは、もうお解りでしょう。ですから、この前書いた「世界カワイイ革命」もそうなんですが、これからは、「辺縁」「地方」「子ども」側が発信していく時代なのです。「大人」は自縄自縛で疲れ果てていますからね。
子どもは凝り固まっていませんので、なんでも受け入れて自分のものにしていきますね。日本という国もそれが大得意です。しかし、一方で大人社会に対するなんとはなしの「畏怖」や「謙遜」や、あるいはそこから生じる「自己卑下」のようなものがあるわけです。そこがいろいろな面で障壁になってきたのも事実ですね。
で、平山郁夫さんにようやく話が到達しますが、彼の作品を見れば分かるとおり、彼の美術史における一つの功績は、やはり東西の融合だと思うんですね。彼の嗜好や指向が西に回帰した、つまりシルクロードを遡ったというのも象徴的ですが、それ以上に、絵画の技術としての東西の融合にその大きな意味があると思うのです。
だいぶ前、平山さんと高階さんの『世界の中の日本絵画』を紹介しましたね。あれなんか、私は思わず笑ってしまったのですが、今思えばまさに平山さんの境界なき「子ども性」を表している業績かもしれませんね。
そして、もう一つ重要なことは、彼がそうした西からの憧れを「商売」にしてしまったことです。つまり、それが「萌え」と同じなんですよ。「萌え」のファクターというのは、自然や子どもの中に昔から常に存在していましたが、それが意識されて、そして都会や大人がそれをカネで買うようになって初めて「萌え」という言葉が生まれたのです。
実は日本はそうやって経済大国になったのでした。その美術界での象徴が平山郁夫さんだと言えますし、また、今日のクローズアップ現代のテーマ「地方の時代」のヒントも実はそんなところにあるのでした。
中心と辺縁を結ぶ線。それは自然の中に人が作った道。「萌え」もまた、その道の一つなのです。
山梨にある平山郁夫シルクロード美術館、そんな平山さんの多方面でのご活躍を象徴する存在です。これを機に拝観し、ご冥福をお祈りしたいと思います。
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ここのところ、BUMP OF CHICKENやレミオロメンを通じて、日本のロックについて、いや非西洋的音楽について熱く語ってしまいました。これにはいろいろと理由がありまして、実は今日のこの本の内容とも重なってくるんですよね。
野田秀樹の朗読と渋江修平のアニメーション。そして言葉、太宰治。これは最強でしょう。
久々にコミックネタ。ちょっと気分転換にと思ったら、なんだか余計に気が重くなっちゃった。
腐女子生徒が貸してくれました。これはなかなか面白い。
秋田
だって、だって、あの土方巽&細江英公の「
その他、思いつくままに書き出しますと、菅江真澄や平田篤胤、佐藤信淵らもかなりオタク的だし、狩野亨吉に至ってはいつのまにかエロ画収集家になっちゃうし、ま、さきほどの土方巽なんかも、かなりエロチックですよね。羽後町自慢の国の重要無形文化財
向かいの席の理系チャンにお借りしました。理系チャン、いよいよ理系クンとゴールインかという現状でして、そんな中このコミック・エッセイは、ものすごくツボにはまったようです。あまりに状況が似ているとのこと。
で、そうした神のレベルから見ますと、理系クンやオタクという宇宙に名だたる種は、とっても可愛らしく見えたりするわけです。一生懸命ちょこまかちょこまか自然に対抗しようとしている彼らが、なんだかとっても愛しいのです。つまり、母性をくすぐられるんでしょうね。
渡部潤一さん…。こんなことやってていいんですか(笑)。ま、まえがきで結構辛そうにしてますので、彼自身はこういう趣味はないのでしょう…たぶん。
またまた、向かいに座っている理科の先生からお借りしました。彼女、まあいろいろネタになる本を貸してくれること。
たまたまネット上で
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