カテゴリー「アニメ・コミック」の211件の記事

2020.05.20

赤塚不二夫とトンデモない仲間達!!

 日、我が中学校が舞台となった、水曜日のダウンタウン「先生のモノマネ プロがやったら死ぬほど子供にウケる説」が突然再放送されました。

 もうその時間は寝ていたのですが、多方面から電話やメールなどが入り、何か非常事態かと思いきや、たしかに非常事態でした(笑)。

 こちらでも紹介されているように、私たち出演者はともかく、全く私たちを知らない視聴者の方々までもが大笑いし、感動し、泣いてしまうという不思議。まさに本物のモノマネ芸のすごさだと思います。あらためて超一流の芸人さん、フタッフの皆さんと仕事ができたことを感謝し幸せに思います。

 さて、実はちょうど今日、家族に「全然知らないけれど面白い」モノマネの話をしていたんですよ。それは…三上寛さんの「ミサキ先生」です。これまた偶然「先生」もの。やっぱり先生のモノマネって原点なんですね。

 いや、たまたまこの動画を観て、その部分だけでなく、全編通じて泣きながら笑っていたのです。やっぱり赤塚不二夫はすごい!そして、彼が遊びや仕事で育てた人たちもすごすぎる!昭和はすごい時代だったなあ…と。

 三上さんのミサキ先生は22分過ぎからです。でも、ぜひ全編観てください。ぜひ、ぜひ。タモリさんのナレーションがまた抜群に「愛」です。

 

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2020.05.02

ダースレイダーx宮台真司 #100分de宮台 第3回

 

 日に続き、宮台真司さんとダースレイダーさんの対話です。今回は私好みの内容でしたね。

 ところで、今日初めてオンライン飲み会(勉強会)をやりました。某大手最先端企業の若手社員お二人と「たくのむ」を使っての飲み会(勉強会)。

 以前リアルでも飲み会(勉強会)をやったことがありまが、オンラインでも充分盛り上がりましたね。職業柄か、私がほぼ一方的に話すという形になってしまい、ちょっと反省です。まあ、いわゆるオンライン(遠隔)授業みたいな感じになってしまったということです。

 実際に学校でも遠隔授業をやってみて、これで充分じゃんという部分と、やっぱりリアルじゃないとダメだという部分が明確にわかり始めています。

 まあ当然と言えば当然ですし、最終的にどちらにするか選ばなければならないのではなく、双方を有機的に組み合わせることによって、教育(学校・授業)のバージョンアップを図らねばならないわけですね。

 店飲みか宅飲みかの二択ではなく、それをどう組み合わせたり、相互補完させたりする。そうしたことは、このコロナショックの中で様々な分野で起きています。

 この宮台さんとダースさんの対談では、宗教、文化、教育などで、今後どのような変化が必要なのかが論じられています。そのいずれもが、オンラインで代替可能な部分と、そうでない部分を持っていて、まずはそれがこういうドラスティックな状況の中で鮮明に峻別されてきている。

 実はこういうことは、歴史的に見て、新しいテクノロジーの台頭に天変地異、戦争などが重なって、いつの時代にも起きてきたはずです。

 たとえば自動車が発明され普及して、徒歩で移動する機会が減りましたね。自動車で移動することによって、徒歩なら気づく野の花や虫の音に気づくこともなくなりました。インターネットによるオンライン○○においても、そういうことが起きるわけです。

 それでもやはり自動車をやめようとならなかったように、おそらく宗教、文化、教育においてもテクノロジーの波には抗えないと思います。もちろん、宗教はもちろん、文化、教育も、経済や工業技術や科学に比べるとバージョンアップしにくいことはたしかですが。

 野の花や虫の音に興味を持たなくなることが、人間として退化なのか。いや、逆に野の花や虫の音を意識的に捉えるようになるから進化なのか。そこも難しいところでしょう。

 ただ言えることは、私たちはなかなか逆戻りできないということです。新しいテクノロジーは、常に安全、安心、楽なほうに向かっています。その安心、安全、楽の体験というのは不可逆的なものです。しかし一方で、その反対、危険や不安や苦難は、そのたびにノスタルジーの対象になってゆき、それがまた特殊な文化となって生き残っていったりするので、話はそう単純ではありません。

 まあとにかく、これほどの大きな転換点に遭遇するとは思っていませんでした。あらゆるものをバージョンアップしていかねばなりません。それは面倒くさいことではありますが、それを楽しめるかどうか。私たちは試されていますし、旧来の宗教、文化、教育も試されているのでしょう。

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2020.04.24

新型コロナの弱点は「太陽光」?!

Th_2020042400000010jij_afp0007view ワイトハウスで、このような会見があったそうです。

新型コロナウイルス、太陽光で急速に不活性化 米研究

新型コロナ、“太陽光”が弱点

 これは非常に興味深い内容ですね。

 インフルエンザをはじめ多くのウイルスが高温多湿に弱いということはわかっています。新型ではないコロナウイルスも同様です。

 しかし、新型コロナウイルス感染症は、アフリカや南米、東南アジアなどでも蔓延していて、どうも高温多湿には強いのではと言われてきました。

 では、この研究結果はなんなのか。フェイクだと言う人もいるようですが、私は「太陽光=高温多湿」ではないというところに注目してみたいと思います。

 実は私、すでに「太陽光」がコロナ禍の解決策になるのではないかと書いてきました。

 まず最初がこれ。2月21日づけの記事。

新型コロナウイルス情報 その4

 ここで、「鬼滅の刃」の話にからめて「陽の光」に期待する話をちょこっと書いています。まあ、これは一般的なウイルス感染症からの想像といえばそれまでですが、鬼滅の話が妙に気になったのは事実です。

 それから最近4月10日づけのこの記事。

ニュース雑感

Th_o1024x771 新型コロナウイルスの弱点は「標高が高い」かもしれない(笑)…と書いています。そして「紫外線」とも。今日のニュースによると、アメリカの専門家も「紫外線」に注目しているようです。

 このグラフを見てわかるとおり、年間で一番紫外線量が多いのは5月です。とすると、5月には一気にコロナウイルスは不活性化するかもしれませんね。

 ちなみに紫外線は標高が100メートル上がると1%強くなります。つまり、私のウチのあたりは標高約1200メートルですので、単純計算でも12%も強いことになります。これ結構な差ですよ。職場のあたりでも7%増しくらいです。

 あと考えられるのは放射線でしょうね。標高が高くなると宇宙線が強くなります。1500mごとに2倍になるといいますから、我が家あたりは東京と比べて1.6倍くらい強いということですね。これもある意味「太陽光」と言えます。

 こんなことを考えていますと、それこそ「鬼滅の刃」の物語や、もっとさかのぼって天照大御神の神話に至るまで、やはり近代科学的視点とは違った「まこと」が語られているのかもしれませんね。そういうモノを軽視してはいけないのでしょう。

 もうこうなったら、人間としてできることはやって、そして「神頼み」「お日様頼み」ですね。人事を尽くして天命を待つ。

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2020.02.29

『AKIRA アキラ』 大友克洋監督作品

Th_498d74a9s 「2001年宇宙の旅」の時なんかもそうでしたが、時代が作品に追いつく感覚って面白いですよね。

 実際は全然追いついていないこともあったりして。

 さて、ネット上では少し話題になっていましたが、大友克洋さんの代表作「アキラ」になんとなく予言的なところがあったんですよね。

 映画「アキラ」が公開されたのが1988年。32年前ということになりますね。

 そして、作品の舞台は2019年の「ネオ東京」。そこでは2020年の「東京オリンピック」の準備が…。

 いや、まず、2020年に東京オリンピックが行われるという発想自体、神予言ですよね。あの頃、だれがそんなこと考えましたか?

 すごい。

Th_-20200229-144139 そして、その看板には「中止だ中止!」とあったり、原作には「WHO 感染症対策を非難」とあったり、うん、やっぱり大友さんはすごい。

 まあ、実際に追いついた「東京オリンピック開催迄あと147日」の昨日2月28日は、たしかに新型コロナウイルスのために非常事態になっておりますが、「アキラ」ほどのヤバさはありませんね。

 今が大変だ、オリンピック中止だという人は、ぜひ「アキラ」を観てほしい。まだまだ平和だと思いますよ(苦笑)。

 なにしろ、国立競技場を中心に東京は全て破壊されますから。たしかにあれじゃあ中止はやむを得ませんね。

 実は今日、久しぶりに全編観たのですが、「前総理の税制の失敗」なんかも出てきたり、また軍部が武装して決起したりして、それはまるで二・二六事件のようでもあり、なんかたしかに何かとシンクロしているような気もしました。

 1988年当時、私は24歳、新米教師でした。あの頃はまさか、2020年に昨日の卒業式や来週からの休校のために仕事をしているとは夢にも思いませんでした。2020年は56歳かあ…とは思いましたけどね。オリンピックがあるとは、もちろん考えもしなかったし。全然未来予測できない若者でした。

 「アキラ」のネオ東京は、第三次世界大戦後の復興途上の都市。つまり、大友さんも言うように、1988年の段階では「昭和」の戦後と復興を未来的に描いたわけですよね。

 それがこうして時代が追いついてみると、なんとなく「今」を感じる。やはり歴史は繰り返すのでしょうか。

 それにしても、このアニメ映画、たしかに今観ても、とんでもないスケール感がありますね。ストーリー的にも、映像的にも、令和の私たちの予想をどんどん上回っていく。そして、未来的メッセージ、未来的解答が無限に存在する。

 なるほど、日本を代表する、世界で最も有名な日本アニメの一つであるというのもうなづけますね。

 

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2020.02.21

新型コロナウイルス情報 その4

20200222-120153 だでさえ忙しい季節なのに、新型コロナウイルスのおかげで、さらに忙しくなっています。

 修学旅行やら卒業(卒園)式やら入試やら、その他の行事の内容変更や延期、中止などの業務に追われ、本来やるべきことができない!本来の仕事をやるなってことですかね。やる気だったのに。根本的なところで「やめろ」ってことですかね(笑)。

 まあ私的なことはいいとして、その想定外の新型についてですが、ここ数日の間にも各方面からいろいろな情報が入ってきています。矛盾する情報も多く混乱気味ですが、まあ整理しますと、昨日の出口王仁三郎の言葉につながってくるから、まあ面白いものです。

 王仁三郎曰く「戦争と流行性感冒はつきものである」。

 そう、すなわち「戦争」と「流行性感冒」は同じモノなのです。それが明確になってきた。現代になって。

 情報その1からその3までに書いてきましたように、すでに私たちは米中の戦争に巻き込まれているのです。

 現代の戦争とは、そういう「モノ」なのです。ミサイルやサイバー攻撃は「コト」世界。コト世界はすぐに足がつきます。発射元、発信元がすぐわかる。

 しかし、「モノ」性が強くなると、それはモノノケですから、なかなか正体がつかめない。

 正確に言うと、ウイルスは情報兵器?に書いたように、ウイルスはある意味生物を装った「工業製品」ですので、モノを装ったコトです。モノとコトのあわいなんですね。だから、怖い。わかりそうでわからない。コントロールできそうでできない。

 そうそう、最近娘の影響で、ちょっとだけ「鬼滅の刃」を観たんですが、あの「鬼(モノ)」世界に近い怖さですよ。あれって、まさにあの時代の「流行性感冒」に対する恐怖を物語化したものですよね。

 それが現代の若者にもウケているというのは、実に象徴的であります。

 そして、人間はその「モノ(鬼・病気)」に対して圧倒的不利な状況で戦い続け、しかし最後には「陽の光」に助けられるという。

 今もそうじゃないですか。結局、「陽の光」が強くなって暖かくなれば、自然とパンデミックは収まります。それをじっと待っている状況じゃないですか。

 面白いのは、たとえば、今回のコロナ騒ぎによって、会社や学校が、急に休みやすくなったりする。今日も私自身ぶった切りましたが(笑)、今まで無批判に継続してきた謎の因習が、いとも簡単に変わったり、捨てられたりする。これって人智(コト)を超えていますよ。

 奇しくも高城剛さんが予言したとおり、パンデミックによって日本は無理やりアップデートされるのかもしれません。

 もちろん残念な一面でもあるわけですが、人間は、そうして戦争やパンデミックといった「つきもの」の力によってしかアップデートできないのかもしれませんね。

 そう考えてくると、たとえば「憲法9条」論議とかなんなの?ということになりますよ。憲法9条をアップデートするの?「軍隊」ってなんなの。もうそういう戦争はそういう次元ではないのです。

 続きはまた。

 

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2020.01.29

『きみの鳥はうたえる』 三宅唱監督作品(+この窓は君のもの)

Th_71vo0ohfmpl_ac_sl1500_ 食後、チャンネルを回していてたまたま始まったので、家族で鑑賞。

 結果として、家族3人すっかり集中してしまいました。いやあ、これは名作だ。

 今、家にいない大学生の長女は、ぜったい「なにこれ?つまんない!」というでしょう。それ以前に、5分と観ていられないと思います。

 そういう人が半分くらいいるんじゃないでしょうか。そういう人たちの方がたぶん普通で、私たち3人がおかしいのかもしれません。まあ、家内はちょうど中間くらいの立場かな(鑑賞中いろいろ質問してきましたが、その観点がちょっと…笑)。

 たぶん、映画を観なれている、特に邦画を好んで観る私と次女は、こういう「言葉にならないモノ」を空間と時間で表した作品が大好きなのだと思います。二人とも「能」が好きですし。

 ストーリーもほとんどなく、セリフよりも無音の時間が長く、ただ淡々と若者のひと夏を描いていく。大きなうねりもないし、結末も「答え」が全く示されない。

 ハリウッド的な映画を期待している人にとっては、正直いらいらしてしまう作品でしょうね。

 ひと夏の青春を…と言えば、「この窓は君のもの」を思い出しましたね。あれも妙に切なくて好きだった。おっとYouTubeに上がってる!ビデオもDVDもないから(中古ビデオが7万円!)、これはぜひ観ておいてください(こちら)。

 「きみの鳥」と「この窓」の違いをあえて挙げれば、役者の演技の巧拙でしょう。はっきり言ってそこは両極端です。しかし、表現されているモノは一緒という、そこが芸術の面白いところです。

 「きみの鳥」はなんと言っても、柄本佑、石橋静河という両サラブレッドと、染谷将太という孤高の天才の三人の素晴らしすぎる演技(演技というにはあまりに自然体)。他の役者さんも含めて、「演技バトル」を観るだけでも価値があります。セリフではなく、行動でもなく、視線だけで言葉にならないモノを表現できる彼ら本当にすごい。

 特に、今回は石橋静河だなあ。お父さん石橋凌のように見える瞬間もあるし、お母さん原田美枝子さんに見える瞬間もありました。もちろん彼女自身である瞬間が一番多く、また素晴らしかったのですが。

 映像も美しい。映像も自然体。街も自然体。名もない人びとの名もない日常が、彼らにとっては最もドラマチックであるという真実。そして、そこには何かわからない共通体験や共通感情というモノがあって、そこに共感する私たちがいる。これって音楽と一緒ですよ。言葉(コト)を超えていますよ。

 「この窓」は、役者も映像も完全にシロウトっぽい。しかし、それでも共感を呼ぶ何か(モノ)が示されています。

 やはり、この両作品を並べて観るのが良いと思います。勇気のない(やさしすぎる)男たちと奔放な女。「この窓」を見つけてしまったので、私もさっそく並べてみます。

Th_unknown_20200130140301 あっ蛇足になりますが、アニメなんかほとんど観ない私が、たまたまテレビで銀魂を観ていましたら、なんと突然「この窓は君のもの」と!銀魂観てる人の中に、何人その映画のパロディ(オマージュ)だってわかった人いたのでしょう。そんなスタッフの遊び心に感動して、しばらく銀魂観てました(笑)。

 追伸…あとで分かったのですが、なななんと!柄本佑さん、この「この窓は君のもの」を「古厩監督の過激青春映画です。MYバイブル的な1本」と言って推薦していたんですね!あまりに偶然(必然)でびっくりしました。

 あまりにもピンポイントでマニアック。やっぱり感じた「モノ」は確かだったんだ。ちょっと感動。

 

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2019.12.28

自動作曲システム 『ORPHEUS』

Th_topm NHKの「ドラえもん50周年 みんなみんなかなえてくれる♪ ひみつ道具と科学」をご覧になりましたか?

 あらためて藤子・F・不二雄さんの素晴らしさを痛感しましたね。どれだけ未来夢想力があったのかと。

 テクノロジーのおかげで、その「夢」の一部は実現しつつあるという番組でした。中でも私が興味を持ったのは、「メロディーお玉」を実現した「ORPHEUS」です。

 西洋近代音楽のシステムは、たとえば日本の伝統音楽に比べると非常に機械的(限定的)です。西洋近代科学ととにも、というか同じものとして発達したから、テクノロジーによってそれを自動化することは比較的容易です。

 その研究をしているのが、番組でもユニークな存在感を示していた嵯峨山茂樹さんです。嵯峨山さんの自動作曲システムの面白いところは、あくまでも日本語の歌詞に曲をつけることにこだわっているところですね。そこが「メロディーお玉」と共通している。

 私も「日本語と音楽」の関係を大学時代に専門で勉強し、卒論も江戸語のアクセントと山田流箏曲のメロディーの関係についてのものでした(マニアックすぎてなんのためにもならない…笑)。

 日本語は高低アクセントですので、旋律をつける際、どうしてもそれに引きずられるのです。これは英語などの強弱アクセントに比べると、作曲上の大きな縛りになります。

 何度かこのブログでも書きましたとおり、日本語はですね、この高低アクセントともに、音節が必ず母音で終わる開音節構造を持っているがために、旋律を限定的にしてしまう性質を持っていました。

 それらを意図的に解体したのが、ユーミンと桑田佳祐なんですね。ユーミンはアクセントを無視し、桑田佳祐は一つの音符に複数の音節を乗せることをやってのけました。ですから、当初は二人ともに「歌詞が聞き取りにくい」と批判されました。

 しかし、その日本語の縛りから音楽が解放されて、そののちの大衆音楽がいかに発展したかは説明するまでもありません。革命的なことでした。

 で、嵯峨山さんはある意味古臭いこと、すなわち旧来の日本語作曲法に則っているわけですね。高低アクセント(イントネーション)を基本守って自動作曲するようにした(音節についても1音1音節になっている?)。

 あとは、コード進行のパターン、私たちが自然に感じるコード進行をたくさんサンプリングして、そこにメロディーを当てはめていく。これって、まあ、人間がやる作曲の作法と同じなわけですよね。ですから、そこそこの名曲は自動でできてしまう。

 ただ、これはAIそのものの問題点でもあるわけですが、あくまでも、AIが扱えるのは「過去の記憶」でしかありません。過去になかったモノは生み出せない。

 しかし、人間には「未来の記憶」があります(!)。そこが、真にクリエイティヴな生命としての人間の優位性です。

 違う言い方をすれば、人間は神とつながれますが、AIにはそれは無理なのです。

 ま、なんてことは置いておいてですね、とにかくこの「ORPHEUS」、面白いことこの上ないし、とっても勉強になるので、皆さんもいろいろいじって遊んでみてはいかがでしょうか。

 音楽の世界で起きていることを、別の世界も追随します。つまり、未来を占う上でもこの「ORPHEUS」は興味深いのです。

ORPHEUS

嵯峨山先生インタビュー

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2019.12.17

うる星やつら 『大魔神現る!ラムの危険なお買い物!?』

 

 ちゃくちゃ久しぶりに「うる星」ネタ。

 かつては、中学校の教育の一環として(?)、毎年「実写版(プレスコ版)うる星やつら」を制作していましたが、中学校の現場を少し離れてしまいまして残念ながら中断しております。またやりたいなあ。

 そんなこともあって、ここのところ少しアニメうる星やつらを観る機会も激減していたのですが、最近CSテレ朝で放送されているのを録画して、家族で楽しむようになりました。

 今日、観たのがこの回。後期のうる星は作画や脚本がいい意味でも悪い意味でも暴走気味ですが、この回はパロディがぶっ飛んでいますね。

 まず、「大魔神」自体がパロです。しかし、そのクオリティはかなり低い(笑)。どこが大魔神じゃ!とツッコミたくなるほどの手抜きと言えば手抜き。まあご覧になってください。リアルに描いても、このギャグアニメにはふさわしくないでしょうけれど、もう少しなんとかならなかったのか(笑)。

 一方の、一目瞭然のナウシカはどうでしょう。そう、風の谷のナウシカとビューティフル・ドリーマーは同じ1984年公開なんですよね。まあ、ライバルと言えばライバルですし、のちのジブリの隆盛とぴえろやキティの苦戦を思えば、ある意味分岐点だった年でもあります。

 そんな因縁を知ってから知らぬか、こちらのパロディは手は込んでいます。これもまたご覧くださいませ。笑っちゃいますよね、たしかに。

Th_unknown_20191218131801 特に、ラムちゃんのナウシカは「萌え」でしょう(笑)。

 あっそうそう、今ごろ気づいたんですけど、初音ミクの髪の毛の色ってラムのそれですよね。これもパロというか、伝統継承というか。いい色だと思いますよ。

 最後のメガネに関してはノーコメントで(笑)。

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2019.10.19

【討論】クールジャパンの空虚と日本文化の現在

 日の「東京ブラックホール」で素晴らしい演技を見せてくれた山田孝之さんを、皆さん高く評価されていますね。「全裸監督」、早く観なければ。Netflixかあ。

 ちょっと変な話になりますが、「クールジャパン」は「お寒い日本」になってしまう可能性がありますが、あの時代のアダルトビデオはまさに「ホットジャパン」。今でも、世界で高く評価されています(最近の作品よりも)。水島社長の言う「色ごと」文化ですね。

 さて、今回のチャンネル桜の討論も面白かった。なんといってもカリスマ的なアニメーターである平松禎史さんが参加しているのがすごいですね。その世界に収まらない、まさにメタな視点でのご意見に感動しました。

 特に最後のお言葉。河合隼雄さんの「中空構造」のお話は、一昨日の「ブロックチェーン」の構造ともつながりますね。

 まあ日本文化については、本当にいろいろ言いたいことがありますし、この討論の皆さんの意見に反論したい部分もありますが、とりあえず宇宙人日本人(笑)から、これだけは申しておきます。あいちトリエンナーレもこういう視点で語りたいワタクシです。

 出口王仁三郎は「芸術は宗教の母」と言いました。これはすごい言葉です。そして真理だと思います。

 そこを起点に私の考えを発展させますと、「芸術は政治の母」とも言えます。ですから、ピカソのゲルニカは政治性を帯びても、それ以上に芸術なのです。

 そういう意味では、やはりこの討論で出ていた「土俗性」もまた、芸術の下位概念です。土俗性、地方性、民俗性がなくても、当然芸術は存在できます。

 もっと言えば、「芸術は経済の母」でもあります。また「芸術は科学の母」でもある。究極を言うと、「芸術は戦争以外の全ての母である」となります。

 違う言い方をすれば、「戦争の対義語は(平和ではなく)芸術である」ということです。宇宙的な視点での真理です。これってとても重要です。いずれ詳しく書きますね。

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2019.07.19

『聲の形』 (京都アニメーション制作作品)

 界に誇る京都アニメーション。本当に悲しい、悲しすぎる事件が起きてしまいました。
 不条理な無差別殺人の頻発は何を意味するのでしょうか。
 本当に本当に素晴らしい作品を命がけで作ってくれた方、この不安な世界のために小さな灯りをともしてくれた方、そんな方々が犠牲に…。
 今日は作品を鑑賞してご冥福をお祈りしましょう。生と死を丁寧に描いてくれた、この超名作をおススメしておきます。この作品のメッセージが伝わらなかったのかと思うと、やりどころのない怒りが虚しさに変わりそうですが、いや、それではだめです。
 私たちはこのアニメ映画の登場人物がそうであるように、ぜったいにあきらめてはいけないと思います。未見の方はぜひ御覧ください。作品は生き続け、私たちを励まし続けてくれます。

 

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