カテゴリー「アニメ・コミック」の98件の記事

2008.05.15

『チーズスイートホーム』 こなみかなた (モーニングKCDX)

07139507 最近ウチの家族がはまっているマンガ。猫好きにはたまらない一冊。
 私もかなりの猫好きですけど、やっぱりウチのカミさんや子どもたちにはかなわないな。とにかく三度のメシよりネコという感じ。
 今ウチには三匹の黒猫がいます。10年前から一緒にいる大和守弥右衛門と丹後守新之助に、最近子猫のミー(いきなり普通の名前だな)も加わりました。これがねえ、なんとも可愛いんですよ。どうもどこからか落ちたかなにかしたらしく、脊髄を損傷していて、下半身が不随なんです。で、当然もらい手がいなかったのをちょっと預かったら、これもまた当然ずっと預かることになっちゃったと。
 私は最初反対しました。ハンディーキャップ猫を育てるのは大変だからです。自分たちの生活だけでなく、ヤエとシンの生活も脅かされると思ったからです。でも、カミさんや子どもたちは、まあ母性本能を刺激されちゃったのか、責任やら運命やらを感じちゃったのか、もう泣いて「飼う」と言い張るわけです。
 私もかなり強硬に抵抗しましたけれど、しかししばらく一緒にいるうちに、様々な心配が杞憂であったことが判明してゆき、今では全く自然に家族4人黒猫3匹の幸せな生活が続いています。
 ということで、迷子の子猫と、それを飼うことになってしまう家族をテーマにしたこのマンガには、たしかに共感するところが多い。
 で、私はそれほどでもないんですけれど、カミさんなんて毎日何度も読んで泣いてる。可愛いと思って、つまり「萌え〜」と思って読んでるのかと思いきや、そうではなくて「切ない…」と思いながら読んでるらしいのです。つまり、古語で言えば、「をかし」ではなく「あはれ」で読んでるんですよね。
 こういうことらしい。このマンガの主人公猫のチーは、最初はママのところに一生懸命帰ろうとしてるんですね。本来のおうちへ。ところが、拾われて人間の家に住み始めて、だんだんとママのことや本来のおうちのことを忘れていってしまう。そして、次第に人間を親だと思ったり、人間の家をおうちだと思うようになってしまう。そのへんの描写がとても上手なんですね。
 時々ふとしたことから思い出すんだけれども、だんだん本当のママの姿や感触が薄れていってしまう。「あれ?なっだったっけ…」という感じで。何か大切なものを思い出しかけるんだけれど、そこは猫だし子どもだから、だんだん「…まあ、いいか」という感じになってしまう。つまり、チーのスイートホーム(ママ、おうち)の変化がテーマなわけです。
 そういう姿をウチのミーやおじさん猫たちに重ねているんです。まあたしかにそういう大切なことを忘れていく、親子の別れというのは、古今東西を問わず文学の重要なファクターでした。「もののあはれ」というやつですね。時間の流れに従って、淡々と悲しむべきことが進んでいく。桜の花が散るように。特に日本人はそこに「切ない美」を感じてきましたからね。ただ悲しいとういことでなく。
 作者もかなりの猫好きですね。猫の表情、動作、人間の様子も非常にリアルです。逆に言えば、猫があまり好きでない人、猫を飼ったことがない人には、ほとんどその微妙なニュアンスはわからないでしょうね。
 このマンガを読んで、猫を飼うようになる人も多いと聞きます。いいことですね。最近、世間は猫ブームです。景気がいい時は犬がはやり、景気が悪いと猫がはやる。なんとなく分かりますね。いつかも書きましたが、私たち人間にとって、犬は生活のためのパートナー、猫は文学のためのパートナーですから。
 今年春からアニメも始まりました。おかげで子どもたちも早起きになりましたよ。

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2008.05.07

『プロレス「悪夢の10年」を問う』 (別冊宝島)

世紀の「大沈没劇」を検証する
Seuyuy たプロレスネタですみません。でも、これは私にとって、自分の生き方そして社会の変化について考える、非常に重要なヒントを与えてくれるもの、いやほとんどテーマそのものなので、どうしても避けて通れないんです。
 やはり、プロレスは自分や社会を映す鏡なんですよね。ですから、プロレスの凋落激しかったこの10年というのは、まさに自分たちや社会が、そういうふうに変わった10年だったということなんです。
 世間ではいったい犯人は誰だ!?のような議論が盛んに行われました。そして、実際にいくつかの原因が取りざたされましたが、どうもすっきりしない。そう、最も激しく犯人扱いされたのは、ミスター高橋の暴露本でしょう。もちろん私もそれを読みましたが、それはまあ不文法を明文化しただけであって、何を今さらとは思いましたが、世の中を改革してしまうほどの力は感じませんでした。やっぱり原因はそれじゃあない。
 このムックも基本、一般論に対する懐疑的な立場をとっています。しかし、だからと言って何か一つの結論が提示されているわけでもない。冒頭に「変わったのはプロレスか、自分か、それとも−」とある通り、結局よく分からないまま終わっています。というか、ずいぶんと話がそれていって、あれ?この本って何の本だっけ?という感じ。そして、なぜかそのそれた部分の方が読み物としては面白かった。
 特に、昭和を彩った怪物記者、怪物編集者の皆さんのくだらない(失礼)ぶっちゃけ話と、彼らに対するある意味プロレス的なわざとらしさを伴った宝島側のツッコミには、大いに興奮させられました(笑)。
 あと、「大沈没劇」のおかげで味わえる哀愁という意味では、最後の阿修羅原のインタビューと劇画が秀逸でした。もうほとんど演歌の世界ですよ。そうそう、去年泣いたラッシャー木村の劇画と同じ「もののあはれ」だな。沈没の美…国際プロレスって本当にいいですねえ。カミさん曰く「人生の春夏秋冬…(涙)」。
 さて、いきなりですが、私はよく分かってるんですよ。なんでプロレスが凋落したか。変わったのは、プロレスであり、自分であり、社会なんです。そうですねえ、順番としては、まず社会が変わった。そして自分(私たち)、最後にプロレスなんじゃないでしょうか。
 2001年、ミスター高橋の暴露本が出版された年ですね、この年は小泉構造改革が始まった年でもあります。そして、どんどん世の中のいわゆる「ムダ」が排除されていきました。全てがリアルにオープンの方向を目指し、それこそがいいという神話が形成されていきました。ガチンコ社会こそが「機会の平等」を生むという幻想が生まれたんです。
 そこで消えたのが例えば談合です。私はこちらで書いた通り、談合こそプロレスであり、それが人間の本質と智恵であると考え、行きすぎた談合はですね、それはいかんとは思いますが、だからと言って、それを徹底的に排除して自分たち個人個人の欲望と無力さを露呈させるのには大反対なんです。
 でも、世の中はみんなそっちの方向に行ってしまった。リアルを求めてしまった。総合格闘技の人気が出たのも、そういう我々の意識が商売になるからでしょう。談合じゃなくて、ガチンコでオープンのオークションの方が正しいし、面白いと思ってしまった。
 レスラーたちも喰っていかねばなりませんから、市場がそちらに流れれば、自然とそういう方向に行きたくなります。特に体の小さな人たちはそうでした。体が小さいと、プロレス的にはルチャをやるしかないわけですから。
 そういう意味で、このムックで一番勉強になったのは元UWFインター山本喧一選手のインタビューでした。彼は本当にいいことを言っています。今、彼は格闘技の世界で頑張っているわけですけど、彼も体が小さかったので、いわゆるプロレスラーにはなれなかったクチです。自分でもそう言っています。彼は「プロレスは化け物の世界」と語っていますが、まさにそれですね。今のプロレス界には馬場や猪木やアンドレや鶴田のような化け物がいません。プチ化け物やシロウトがずいぶんと増えてしまいました。それも凋落の原因でしょうね。
 逆に言えば、それは「見世物文化」の衰退とも言えます。世の中のエセ福祉、エセ思いやり、エセ平等、エセ人権、エセヒューマニズムが、そういう「モノ」を幽閉しつつあります。教育現場でもモノノケはずいぶんと生きにくくなってますよ。まったくねえ。
 大相撲の凋落も、まったく同じ原因でしょうね。日本古来の素晴らしき神道的伝統である、談合的全体主義と見世物的福祉と物の怪への畏敬の念が消えてしまった。残ったのは、我々人間個人の不純なる「自己」と単純な勝ち負けの図式だけでした。そういう「コト」を包み込んでいた母性のようなモノはどこに行ってしまったのでしょうか。人間のデジタル化なんでしょうかね。アナログ的なあいまいさと、美しきムダやムラはもう評価されないんでしょうか。
 …と、話がふくらみすぎてしまいましたね。なんだか自分でも何を言っているのかわからなくなりました。とにかく、とんでもない怪物が現れて、総合でも完全王者になってくれるしかないですね。私たちの欠落感を埋める物語を紡ぐ、そういうある意味天皇みたいな、恒星みたいな、そういう存在が現れねば。朝青龍もジョシュ・バーネットもいいけど、やっぱり日本人のそういう怪物が現れてくれないかなあ…やっぱり三沢さん?

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2008.04.29

Logitec 『iPod対応 ICレコーダーアダプタ LIC-IREC01』

41ef2d2r9ml_sl500_aa280_ 日は、家族+1で東京方面へ出かけました。カミさんは「DREAM.2」観戦のためにさいたまスーパーアリーナへ。私は新宿で5月24日のコンサートのための練習。子ども(+お友だち)は浜松町のポケモンセンターへ。それぞれ違う目的です。
 カミさんのお目当てはもちろん桜庭和志選手。DREAM.1では、その桜庭選手と念願の握手を交わしましたが、今回は「闘うマスオさん芸人」ことベルナール・アッカ選手と駅でバッタリ出会い握手したそうです。さらに King of 39 fan の方とも知り合いになれたということで、大変ゴキゲンのカミさんでありました。あっ、もちろん桜庭選手は勝ちましたよ。思ったより苦戦したみたいですけど。
 子どもたちも久々のポケモンセンターに大満足。大人から見るとただのショップなんだけどな。いやあ、私はポケモンよりもリアル・モンスターにびっくりですよ。まあ先ほどの King of 39 fan の方もカミさんの話によれば相当すごいらしいんですが、大人のポケヲタもすごかったなあ。カゴいっぱいにぬいぐるみを大人買いしてたり、店員さんと仲よくなってものすごくディープな会話してたり。なんだかぬいぐるみの棚の前にしゃがみこんで、ピカチューとポッチャマを両手に持って会話させていたり…笑。いやあ、やっぱりここまで極めなければオタクとかファンとか言えないんでしょうね。尊敬します。
 さて、私は相変わらずディープではなくシャロウな生き方をしてまして、今日紹介するものなんかも、結局あんまりこだわりの感じられない物ですね。いかんなあ。
 私はバロックのアンサンブルの練習をしたわけですが、今日は初めて自分たちの演奏を録音してみました。録音した機材はiPod nanoとロジテックのマイクです。
 最近もYahoo!ニュースに 「高品質ICレコーダー リニアPCMが人気」という記事がありましたね。再び生録ブームだとか。私も昔はデンスケやらDATのデッキやらを持っていて、いろんな音を録りまくった時期がありました。バイノーラル・マイクまで自作してね。あの頃の方がずっとヲタしてましたな。
 このブログではZOOMのH4H2を紹介したりして、実際知人の何人かはこれらを購入されたようなんですが、自分自身は、まあお金もないものですから買わずじまいだったんですね。で、この前の奇跡の救出劇のあと、親父用のMacBookを購入した時にオマケでiPod nanoが付いてきたんで、それを自分のものにしまして、そして、ロジテックの新しく出たマイクを接続して使ってみたわけです。
Licirec01 結論から言いますと、お値段と見た目からすれば、そこそこの音質。練習のチェック用、あるいはコンサートなどの記録用には充分の音ではないでしょうか。ただ、ステレオ感に乏しく、やや低音が弱いのにはがっかり。てか、しょせんボイスレコーダーですからね。基本ボイス用の設定なんでしょう。
 ただiPodによる操作性は非常にイージーでわかりやすく、本当に気軽に録音するにはいいですね。ポケットにすっぽり入りますから、ちょっとした密録にも最適ではないでしょうか(笑)。
 周波数特性は20Hz~16kHz、ファイル形式はWAVE、ビットレートは1441kbbs、サンプルレートは44.1kHzということで、いちおうCD並みの音質ということです。詳しい仕様などはこちらでどうぞ。
 恥を忍んで(?)昨日録音したサンプルを置いときましょうか。ファイルサイズがでかいので、ちょっとだけです。適当に切り取ったものです。えっと、これはルクレールのソナタの、コテコテ演歌風(もしくは韓国ドラマ風)の泣きの楽章ですね。音程の悪さ、アンサンブルの甘さ、わけわからんコブシなどではなく、あくまで録音品質のみをお確かめ下さい。
 マンションの一室での演奏を、3メートルくらい離れた場所に無造作に置いて録音しました。編成はバロック・ヴァイオリン2本、バロック・チェロ、チェンバロです。アッテネータはHiです。イヤフォンで聴くとチェンバロがよく聞こえるのに、ウチのスピーカーだと全然聞こえないな。なんでだろ。ぜひイヤフォンかヘッドフォンでお聴き下さい。
 
 サンプルを聴く

 うぐいすの鳴き声を録ってみました

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2008.04.20

『木喰展−庶民の信仰・微笑仏』(山梨県立博物館)

Mokujikiten 梨県立博物館で開かれている「木喰展」に行ってまいりました。ここ数日の悲しみに沈んだ心が、少し救われたような気がします。そんなことからも、信仰の本質というものがなんなのか、知ることができたのかもしれません。
 昨年「木喰仏の笑み」という記事を書きまして、ぜひとも実際にあの笑顔にお会いしたいと願っておりました。それが、春爛漫の美しい御坂の、私の大好きな山梨県立博物館で実現しました。
 それぞれの「場」の風土と時間と心を吸収し、木喰さんのふるさとに帰って来たとも言える、100体に及ぼうかという仏像たち。大変に素晴らしい展覧会であり、そして私にとっては巡礼となりました。
 「場」には時間が堆積する…昨日もそのようなことを書きました。そういう意味では、こうして本来「場」にあるべき仏像群が一所に会するというのは、正しいあり方ではないのでは、とも思いながら博物館に向かったのですが、それを超える「モノ」がそこに存在しました。
 つまり、「モノ」に「場」が浸透しているということなのでしょう。「場」には時間が堆積しているわけですから、すなわち「モノ」には時間がしみ込んでいるということですね。人間もまた「モノ」ですから、それと同じ現象が起きるわけですけれど、しかし人間の一生は短いし、妙な意思というものまであるので、自分から「場」の記憶を拒否したり、それをあえて忘却したりします。
2208 その点、こうした物たちは、素直に時間を経過させますね。「場」に集う人々の心までも全て吸収し、風雪に耐え、場合によっては自らを削り与えることによってそれを為してそこにある。
 そんな物の偉さを感じました。しかもみんな笑ってそれをこなしている。なんと美しいのでしょうか。人間はつまらぬ顔をしてそれを怠っている。恥ずかしいことだと思いました。
 今日は、博物館のお隣の施設で、ちょうど記念講演がありまして、木喰研究家として著名な小島梯次さんのお話を聞くことができました。たいへん興味深いお話で、今まで知らなかった木喰像に触れることができました。講演の前に一度展覧会を観たのですが、お話を聞いてもう一度観たくなり、再び入館してじっくり拝見(こういう時パスポートを持っていると得ですね)。やはり同じ像や書画が違って見えました。これこそ、小島さんのお話によって縁起した自分が見た新しい木喰の作品なのでしょう。そして、その感動もまた、あの物たちに吸収されていくのでしょうね。
9708 さて、ここからはあえて表現として、あるいは造形としての木喰作品について書きたいと思います。信仰とは違った視点です。
 昨日の田中泯さんの舞踏では、「前衛は古典」と感じましたが、木喰さんの表現はその逆「古典は前衛」でしたね。ものすごく新しく感じました。
 庶民信仰の象徴的存在ということで言えば、身近なアイドル(偶像)とも言えるわけでして、たしかにキャラクターデザインとして見ますと(失礼)、いわゆる「カワイイ」とも言えます。実際、その曲面(曲線)を中心にした全体的なデザインと、そして時々対照的に配される直線、あるいは全体的なプロポーションや顔の表現におけるデフォルメは、それこそアニメキャラのようでもあります。神像などほとんど「ビックリマン」の世界そのものだと思ってしまいました。
 いや、アニメキャラ(すなわち日本的デザイン)のルーツは実は木喰さんたちにあったのでは。そんなことすら思ってしまうほどある意味斬新でしたね。
 親しみやすさや慈悲という表現が、そうした主に子どもを対象にした現代大衆作品には非常に重要なわけですが、木喰仏にはそれが見事に備わってる。特にお薬師さんや子安地蔵さんには、その要素が強く現れているように思われました。
 体に比して顔が大きめであり、目鼻口にはある種の記号化がなされています。また、首を少し前に出して猫背になって、まるでこちらの話に一生懸命に耳を傾けているような姿には、それこそこちらが子どもに帰ったような気さえするのでした。それにしても、多くの子安地蔵がマリア像のように感じられたのは、これは偶然ではないように思いましたね。九州にも長くいらした方ですし、宗派にこだわらなかった方ですので、あるいは…。
1908 さて、もう一つデザインとして衝撃的だったのは、木喰さんの書画でした。特に利剣名号などに見られるフォントのデザインにはショックを受けました。木像群とは明らかに違う表現です。そのコントラストもあってか、鳥肌が立ちまくり。利剣名号は他にも見たことがありましたが、これは抜群のデザインセンスですよ。すごい。かっこいい。煩悩を断ち切り続ける鋭利な現代性。
 それにしても、木喰さんのバイタリティーは素晴らしいですね。小島さんもさかんに強調していましたが、80歳、90歳過ぎてからのさらなるパワーアップはすごい。本人は600歳まで生きる予定だったようです。歳とともに「願」が増えていくというのもいいですね。「願」というのは願望や欲望ではありません。自らの生の目的です。それも利他を基礎にしている。私もそのように歳をとりたいですね。木食行しようかな。そして廻国。
2021 ああ、そうだ。最後に気になったこと一つ。書画に多く「禁常皇帝」と書かれている(上の写真では珍しく今上ですが)、あれはどういう意味を込めていたのでしょう。「今上皇帝」は、たとえば円空などもたくさん今上皇帝像を彫ったりしてますから、まあ当時としてはメジャーなアイドルだったわけですが、「禁常」という当て字は珍しいのではないでしょうか。その真意を知りたいところです。
 あとなあ、木喰が残した和歌についても書きたいところですが、長くなりますので、またいつか。

山梨県立博物館関連記事
祈りのかたち−甲斐の信仰−
縄文の美とエネルギー
北斎と広重 ふたりの冨嶽三十六景

山梨県立博物館

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2008.03.17

『かがり美少女イラストコンテスト』(秋田県雄勝郡羽後町)

1kenpomihonキタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!
 やばいっすよ。羽後町。ここのところ、カミさんの郷里秋田県羽後町のネタが多いなあ、と思ってたんですけど、まさかこんなことまで進行しているとは!!
 そう、今年になってからというもの、まずは土方巽&細江英公さんの一件です。鎌鼬についての(ウチにとっての)衝撃的な事実ですね。これでもうウチは大騒ぎでして、いやもう羽後町にも働きかけてぜひ鎌鼬美術館を!という話にまでなっています。
 そして、おとといの記事にも登場した桜庭和志選手が羽後町にやってきました。この記事ですね。これもたまたまとは言え、あまりにタイミングが良すぎてビックリでした。
 そしてそして、これですからねえ…もう何か妙な力が働いているとしか思えません(笑)。
 それにしても…土方巽の暗黒舞踏とこの「萌え絵」とのコントラストはいったい何なんでしょう。永遠に交わることない両者…いやもう、グルッと一周して同じ極点に達しているのかもしれない。実際理解できない人にとっては両者とも全く理解できないでしょう。キモいの一言で片付けられる可能性もあり。一方、単なる芸術として片づけることもできないし、世界に発信され、日本を代表する文化と言われる面では似ているし…。う〜ん、私は頭ではまだ処理しきれてないですよ。
 まず最初に言っておきますが、私はオタク的な視点ではこの企画については何も語れません。なぜなら、私はこっちの世界にはとんと疎く(意外に思われるかもしれせまんね)、あとで列挙するそうそうたる(らしい)絵師の皆さんの名前の中で、存じ上げていたのは初音ミクのKEIさんと、もえたんで間接的にご縁のあるPOPさんだけでした。
 この「かがり美少女イラストコンテスト」は、秋田県羽後町西馬音内本町通り商店街の夏祭り「うご夏の夢市・かがり火天国」の一環として開催される企画の一つで、西馬音内の盆踊りなどをテーマにみんなでイラストを描こう!というもののようです。昨年第1回が行われなかなか好評だったみたいですね。で、びっくりしたのは昨年ゲストに山本和枝先生がいらしたとのこと。とは言っても私はこの方がどれほどすごいカリスマなのかは、前述したように分かりません。しかし、そちらの道に詳しい生徒に聞いてみますと、もうこれはとんでもないことらしいっす。いわゆるエロゲの世界では神なんだそうで、この方の萌え絵のお世話になっている男たちがこの世にたくさんいる…ってことだな。
 で、このような方をこの祭に呼ぶことを提案したのは言いますと、今回の第2回の企画の中心になっている山内貴範さんという方のようです。この方の偉業についてはのちほどじっくり味わっていただくとして、そういう世界を純粋に評価し、東北の片田舎でこの神企画を実現させたのは、どうも元町長さんのさとう正一郎さんのようです。さとうさんには昨年夏偶然お会いしました。さとう氏はウチのカミさんのお母さんの同級生でして、昨年のみちのくメルヘンの際、同じ旧皆瀬村でクラス会やったんですね、それで私たちはプロレス観戦が終わってからお母さんを宿に迎えに行ったんです。その時、私の車を「オ〜ライ、オ〜ライ」と誘導してくれたほろ酔いのオジサンがさとうさんだったということです(どうも、お世話になりました…笑)。
 う〜ん、まあそれはいいとして、かえすがえすも恐るべし羽後町ですぞ。それで今年は第2回の「かがり美少女イラストコンテスト」が行われると。そして、そのイベントの一部としてとんでもない神企画が!!
 以下、こちらやまうち氏による実行委員会の公式ブログからコピペさせていただきます。

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◆「スティックポスターin羽後町」 発売のおしらせ

羽後町観光物産協会は、美少女イラストと羽後町の文化財をコラボレーションさせた「スティックポスター in羽後町」を6月28日(「かがり美少女イラストコンテスト」当日)より発売します。

<特長>
◆豪華作家陣による、羽後町のための描き下ろしイラストを使用しています。
◆地元のプロフェッショナルも参加し、細部まで徹底的にこだわった仕様です。
◆羽後町訪問時のお土産として、誰でも気軽にご購入いただけます。
◆観光ポスターとしても活用できる仕様になっており、町内各地で掲示を行います。

【売価】:525円(税込)
※1つの箱のなかに、2種類のポスターがランダムに封入されております。

【【【ポスターリスト】】】
1◆西馬音内盆踊り(1)     
 画:山本ケイジ
2◆西馬音内盆踊り(2)     
 画:光姫満太郎
3◆西馬音内盆踊り(3)     
 画:香月☆一
4◆雪とぴあ七曲花嫁道中   
 画:西又葵
5◆国指定重要文化財「三輪神社・須賀神社」
 画:KEI
6◆あぐりこ神社と狐の伝説
 画:桜沢いづみ
7◆国指定重要文化財「鈴木家住宅」と茅葺き民家集落
 画:江草天仁
8◆黒澤家住宅
 画:真木ちとせ
9◆旧対川荘(たいせんそう)と庭園
 画:樋上いたる
10◆石馬っこ
 画:夕凪セシナ
11◆元城のケンポナシ
 画:兎塚エイジ
12◆旧飯沢小学校を活用したグリーンツーリズム
 画:POP
13◆五輪坂
 画:奈月ここ
14◆佐藤信淵
 画:大笆知子
15◆西馬音内そば・羽後牛・羽後すいか
 画:うずまき☆ぱんだ
16◆旧羽後交通雄勝線
 画:角館秋月

ポスターが入っている箱は、羽後町在住で現在85歳の染織家・縄野三女氏の作品です。
タイトルロゴは、羽後町歴史民俗資料館館長であり篆刻家である増澤廣(土龍)氏の作品です。
解説文は町内の考古学・歴史研究の第一人者である羽後町立図書館長・秋田県考古学協会会長の鈴木俊男氏が書き下ろしました。
町長、副町長、役場の企画商工課、商工会・・・のみなさんと、「羽後町の文化財」(2003年版)をもとに意見を出し合い、題材となる16種類を選びました。
みんなで力を合わせて制作中です。

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 詳細はこちら、気合いの入った記事をごらんください。
 むむむ、正直、私にはわからんのですが、専門家の生徒たちに言わせると、これはもう信じられないアンビーリバブルなインクレディブルなテリフィックな事態、いや事件だそうです。夢のオールスターなんだとか。そう言われるとそういう気がしてきました。
 う〜ん、これはもしかして羽後町がオタクの聖地になるのか…。いや、なるでしょう。そうすると、既に舞踏の世界では密かに聖地となっていて、実際聖地巡礼の旅が行われているようですから、舞踏家とオタクで聖地の奪い合いになるとか(笑)。まるでエルサレム状態だなあ。絶対融合しないか、実は融合するか…微妙であります。しっかし、すごい組み合わせだなあ。
 ということで、これは私も参戦したい!6月28日かあ…「かがり火サウンドフェスティバル」にウチのバンドふじやまも参加しようかな。いちおうボーカルが羽後町出身だし、ギタリストはPOPさんの仕事仲間だし。あっそうそう、「羽後町観光ガイドマップ」はPOPさんデザインなんだそうです…どこまで神なんだ、ふぅ…。
 とにかく、いろんな意味で羽後町を応援していきたいと思ってます。これもご縁ですからね。とりあえず再来週から秋田を訪ねるので、いろいろと活動してこよっと。

関係記事 『をかし』の語源…『萌え=をかし論』の本質に迫る!

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2008.03.16

『赤塚不二夫なのだ!!』 (NHKハイビジョン特集)

Aka08
 先月、「トキワ荘の青春」を観て、そして長谷邦夫さんの書いた「漫画に愛を叫んだ男たち」を読み、ついでと言ってはなんですが、赤塚不二夫と出口王仁三郎のコラボレーションであるこちらを読んでいましたから、今日のこのハイビジョン特集は特に面白く観ることができました。
 もうとにかく内容が濃すぎて濃すぎて…。まあ赤塚自身をそのまま紹介するだけでも、それは濃くなりますよ。
 古田新太によるコスプレもまあまあ笑えた。でも、バカボンのパパのコスプレは赤塚自身が一番ですね。ちなみに私も一昨年の年賀状でやりました(41歳の春ということで)。
 みうらじゅん、しりあがり寿、喜国雅彦の3人の現役漫画家によるトークもなかなかでしたね。この中で話されていた、赤塚作品における平等性、すなわち天才もバカもみんな同列になってしまう、あるいは平等に差別されるということには、大きくうなずかせていただきました。
 ケンカやいじめや動物虐待という、今では絶対にタブーになってしまった少年期の体験こそが、彼の(あるいはその時代の大人全ての)仕事や処世術の基礎になっているということ、これにはいろいろと考えさせられました。いちおう教育者の端くれとしてね、ちょっと考えちゃいましたよ。汚いもの残酷なものを子どもたちの世界からどんどん排除していくとどうなってしまうんでしょうか。
 学者さんたちによるプロファイリングはちょっと無理があったかな。でも、その、ギャグを学問的に分析するというギャグをですね、NHKはよく理解しているのか、適度にそうしたお偉いさんを茶化して、結果として彼らを救っていました。これは素晴らしい演出だったと思いますよ。
 中でも特に無理があるなと思ったのは、町田健先生の言語学的分析ですね。「これでいいのだ!」というのが相手を包み込むような表現だとおっしゃってましたが、私はそういう印象はありません。これは全肯定、完全断定の言霊であって、周囲を納得させるというより、有無を言わせない神の言葉だと思うんですね。まあ、王仁三郎の霊界物語を言語学的に分析せよというのと同じくらい無理があるでしょうね。
 後半には長谷邦夫さんも登場しまして、当時のプロダクション形式による創作の様子が紹介されました。ここで感心したことは、赤塚不二夫の天才的なひらめき、そして技術はもちろんのこと、なんといっても彼自身が他者のアイデアをどんどん受け入れる柔軟性や包容力を持っているということですね。人の力を借りることによって自分の能力以上のものが発揮されると。
 これはまさにブッダの悟りの境地ですね。才能が溢れているのにそこに溺れず、またそれを必要以上に信じず、そしてそこにこだわらず、ある意味狭小なプライドは捨てて他力を利用するわけです。これは無我の境地でしょう。いや実際忙しすぎてそういう形態になったとも言えますが、それでもやはり才能があればあるほどこういうことを実行するのは難しいことです。
 それにしてもなあ、なんでこの時代はこんなにすごかったんでしょう。作る側も受け取る側も、そして作品もパワフルだったし、妄想力に長けてたよなあ。できれば今回タモリにも出演してもらいたかったなあ。最近のタモリは全く元気ないですから。久々にはっちゃけてもらいたかった。
 赤塚さん、もう6年も意識が戻らないんですか…辛いですね。いや、それこそ夢の中で思いっきりギャグ飛ばしてるんじゃないでしょうか。あるいは出口王仁三郎と会ってるとかね(笑)。意識を失う前の最後の言葉が「あっオッパイだ!」というのが笑えると同時に泣けました…。

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2008.02.22

『出口王仁三郎 "軍国日本"を震憾させた土俗の超能力者』長谷邦夫 フジオプロ (ダイヤモンド社 コミック 世紀の巨人)

Eru67 先日紹介した名著『漫画に愛を叫んだ男たち』を書いた、準トキワ荘メンバーであり、長く赤塚不二夫のプレーンを務めた長谷邦夫さん。こんなマンガを書いていたんですよ。びっくり。本当に不思議なリンクですよ、ワタクシ的には。でも、なんとなく納得。
 王仁三郎ファンであり、赤塚ファンでもあり、霊界物語全巻と天才バカボン全巻を聖典として神棚に奉納している(笑)私やカミさんは、よく話してたんです。バカボンの世界って霊界物語だよなあ…って。あるいは霊界物語ってバカボンじゃん!って。両方ともカオスのエネルギーに満ちています。諧謔に宿る真理であったり、ナンセンスの中の意味であったり、常識や時空を簡単に飛び越えたり…そして、なんといっても、私からしますと、両者の言語センスが似ているように感じられるんです。お二人ともものすごい言葉の感覚をお持ちですよ。日本語なんていうちっちゃな枠にとらわれていませんし。とにかくいろんなところを自由に行き来する感じですね。
Do1 そんな王仁三郎と赤塚不二夫が、こんなふうにコラボレーションするとは。王仁三郎とバカボンのパパが同じところにいるなんて!長谷さんのおかげです。いや、右の写真はですねえ、バカボンのパパが出口なおに変身してるところです(笑)。すごいよなあ。夢の共演…てか、共演ではなく本人になってしまっているわけで…これはまさにカオスです。そして!レレレのおじさんが「霊霊霊の霊〜ッ!」ですから(笑)。素晴らしすぎます。もうこの時点でワタクシは撃沈されました。
Do2 そして左のページは王仁三郎とニャロメとパパが同一画面に。ちなみに左のコマのおじさんが、長谷さん自身です。ほかにも本官さんやウナギイヌやおそ松くんやイヤミやチビ太やケムンパスやベシや、赤塚キャラが総出演してます。まさに霊界物語みたいですね。個性的なキャラが無意味に(しかし有意味に)登場しては消えてゆきます。基本的に王仁三郎の生涯を時系列的に紹介するのですが、そこにニャロメ一郎という人物(?)がカオス神党という新党を作るという現代劇が絡んでいきます。それでますますカオスになっているかというとそうでもなくて、途中こうして長谷さん自身がたくさん解説してくれているので、これは王仁三郎初心者にも実にわかりやすいと思います。いろんな王仁三郎伝が出ていますけど、やっぱりコミックはわかりやすいですね。
Do3 さて、右の写真は長谷さんが耀わんの中に入っているところです(笑)。もう一人の人物は赤塚不二夫さんであります。これぞ本当の王仁三郎と赤塚不二夫の共演ということになりますね。このページでは赤塚さんが一つの結論的なことを述べています。
 赤塚「七〇歳にしてこの明るさとエネルギーをもちえた点でも驚異だね」
 長谷「かれをカリスマだの巨人だのといってまとめようとしてもまとめきれない」
 赤塚「現代でいえばまさに『カオス』の人だな」
 長谷「そう!それカオスの巨人だ!」
 これはなかなか上手な結論づけですね。次のページでは長谷さんが「決定論的カオス」、赤塚さんが「無秩序状態に潜む法則」という言葉を使っています。これは私が考える「モノ」に潜む真理と重なるところがありますね。私のモノ・コト論では、「モノ」はカオス、「コト」はロゴスに相当しますので。
 いやあ、それにしても面白かったなあ。普通の人が読んだらよくわからんマンガかもしれませんが。もう絶版になってしまったのでなかなか手に入らないようです。私も最近ネットの古本屋で見つけたんですよ。このコミック世紀の巨人シリーズ、ほかには「ノストラダムス」「フロイト」「アインシュタイン」「南方熊楠」があるようです。なるほど。 

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2008.02.16

『漫画に愛を叫んだ男たち』 長谷邦夫 (清流出版)

4860290755 昨日の続き。「トキワ荘の青春」を観てからこの本を読むと、また感慨もひとしおです。
 この本は友人に借りて一度読んでいたんですが、もう一度読んでみたら、今度はかなり泣けました。前回はなんとなく(一級)資料として読んだっていう感じだったんですね。いや、資料としてもこれはすごいですよ。
 長谷さんは、いわゆるトキワ荘通い組で、住人というわけではありません。しかし、赤塚不二夫のプレーンとして、ゴーストライターとして、それ以前に無二の親友としてほとんど半生をともにしていた人ですからね、客観的かつ濃〜く彼らを描写しています。
 感心するのは、とにかくものすごい記憶量だということです。脚色の部分がどの程度あるかわかりませんが、私なんて10年前のことでもこんなによく覚えてないっす。あと、赤塚不二夫以外にもものすごい人脈をお持ちだということ。漫画界のみならず、SF界、映画界、ジャズ界などなど、なんか昭和を象徴するすさまじい面々と行動を共にしています。出てくる名前だけでもウォ〜っていう感じですよ(特にタモリ登場のくだりは圧巻)。まあ、当時は才能が才能を呼び、ジャンルを越えて一つのエネルギーの塊が出来ていたようですけどね。
 そういう強烈な昭和へのノスタルジーというのも感じます。自分の少年時代と重ねての感慨というのもあります。でもなあ、やっぱり、寺田ヒロオの切なさかなあ。
 この本によれば、寺田ヒロオは「トキワ荘の青春」に描かれた通り、優しく面倒見のよい人だったようです。新漫画党の党首だったというだけでなく、いろいろな意味で多くの天才たちの拠り所になっていたんですね。彼が彼らを支えた、生かした、導いたと言えるかもしれない。彼が手塚治虫以降の漫画文化を生んだ、いや育てたという感じすらする。孤独な天才たちの親代わりみたいにね。たぶん兄貴以上の役割でしょう。
 そんな彼は、トキワ荘を出たのち、華やかに活躍を続ける子どもたちと微妙に距離を取ります。そして、漫画界、いやマンガ界に違和感を感じながらコツコツと地味な仕事を続けます。昨日も書きましたが、トキワ荘解体に際しての同荘会にも彼だけは参加しませんでした。そこに集まった、立派に成長した天才たちが、のちに寺さんの死を知った時の衝撃はどれほどのものだったでしょう。酒浸りの末の衰弱死…。
 そんな寺田ヒロオの生と死が、長谷さんの気持ちを動かしたのかもしれませんね。ある意味この本を書くきっかけになったとも言える。長谷さんは、寺田ヒロオと同様に酒に依存する赤塚の姿を見て、彼との別れを決意します。
 この本には赤塚不二夫の意外な一面が描かれています。それを書くための本とも言えるかもしれません。豪放磊落で楽天的で行動的で社交的だと思われがちな赤塚に潜む弱さと孤独…。もうそれだけでも切ないですよ。挫折、成功、栄光、凋落、逃避、友情、裏切り、家庭、芸術…天才たちほど、自らの人生に翻弄されるものです。自らの天才性に照射される自らの欠落部分。まさに「天才バカボン」ですね。自己矛盾こそ最も残酷な刃(やいば)となります。
 私は漫画やマンガ、そして今どきのコミックにははなはだ疎い人間なので、あんまり偉そうことは言えませんけど、それでもなあ、やっぱり人間の、特に表現する人間の、大衆に愛される人間の切なさは感じますよ。まさに、予想外・不随意に対する詠嘆・嘆息…「もののあはれ」だなあ。究極の「もののあはれ」はですねえ、こうした自分に対する「もののあはれ」なんですよね。だって、自分こそが(プラス方向にもマイナス方向にも)不随意な存在(「もの」)であると気づかされるわけですから。
 酒ってそういう「もののあはれ」を一瞬忘れさせてくれる魔法の薬みたいなものなんですね。あくまで一瞬ですが。と言いつつ今呑んでいます。今日は自分のと言うより、寺田ヒロオの「もののあはれ」に乾杯かなあ…なんか切ない酒です。

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2008.02.15

『トキワ荘の青春』 市川準監督作品

Akatuka0027 いい映画でした。しみじみ。あったかくも切ない。久々に静かに「日本映画」を鑑賞。
 昨年の9月、本当に偶然ですね、たまたま車を停めた町を散歩していてある路地を曲がったら「トキワ荘跡」に出くわしました。トキワ荘がどこにあったかなんて全く頭の中にありませんでしたから、それはビックリしましたよ。その時、この映画の録画がウチにあるな、帰ったら観よう、と思ったんですが、なかなかこういう静かな映画を観れるチャンスがない。子どもがギャーとか言ってる中ではなかなか…。
 そこでマイナス15℃にもなろうかという早朝4時に起きて観るしかありません。これならさすがに静かですね。
 う〜ん、いいなあ。この空気感いいなあ。特にストーリーがあるわけではない。いろいろな日常をつないでいるだけとも言える。それがある意味ではドキュメンタリー風でもあって、こちらの気持ちがそこの時代、場にすぅっと入っていく。
 皆さん淡々と演技していて、セリフも聞き取りにくいくらいボソボソしています。しかし、それがまたリアル感を増す要因になっている。市川準作品はそういう傾向がありますけど、それはある意味「言葉」に頼らない表現ということでしょう。実際、私たちの生活や記憶の、その「時」と「場」には、発せられた「言葉」というのは少ないものです。
Tanjo05 この映画はいわゆる「トキワ荘伝説」の数々とは違った視点による作品です。トキワ荘伝説のそうそうたるメンバーの中でも、決して主役とは言えなかった寺田ヒロオが、この映画では主役になっているのです。たしか、トキワ荘が取り壊される時でしたか、NHKの番組か何かで当時のメンバーが現地に集まった時にも、彼は参加しなかったんですよね。そういう複雑な気持ちがこの映画には満ちています。
 現実でも他の主役級のメンバーは皆「寺さん」をほめています。年長であり、面倒見がよく、優しく、正直で、漫画にもまっすぐな寺さんを、みんな尊敬していた。しかし、他の後輩たちが時流に乗って売れ出したのに、寺田はいつまでも古典的な少年漫画にこだわり、なかなか売れません。そして、彼はトキワ荘を出ます。
 「青春」という言葉に潜む残酷さといいますかね。切なさといいますかね。夢に満ち、同じ志に満ちた友情が微妙な形で崩れて行く。そこにはかない恋心やはかない命もかかわり、そして別れへ。
 これはある意味ではステロタイプの青春像なのかもしれません。形やレベルは違っても、私たち大人の全てが通ってきた道かもしれませんね。そういう共感も含めて、実にやるせない映画でした。
 この名作が、今DVDにもならず、ほとんど観ることが叶わなくなっているというのは実に残念なことですね。私の記憶では、赤塚不二夫を筆頭にトキワ荘メンバーからの評判も良かった(たぶん)。少なくとも銀河テレビ小説「まんが道」よりは味わい深いと思うんですが…。
 キャスティング的に、今だからこそ面白いのは、生瀬勝久や阿部サダヲの若かりし頃ですかね。あと原一男監督が編集者役で出ています。
 以下にスタッフ・キャストのデータを転載しておきます。

監督 市川準 (1996年)
脚本 市川準 鈴木秀幸 森川孝治
原案協力 『トキワ荘の時代』梶井純、『まんが道』藤子不二雄A、 『トキワ荘青春日記』藤子不二雄A、『まんがのカンヅメ』丸山昭、『トキワ荘の青春物語』手塚治虫他、『トキワ荘の青春』石ノ森章太郎

配役    
寺田ヒオロ  本木雅弘
安孫子素雄  鈴木卓爾
藤本弘     阿部サダヲ
石森章太郎  さとうこうじ
赤塚不二夫  大森嘉之
森安直哉  古田新太
鈴木伸一  生瀬勝久
角田次郎  翁華栄
水野英子  松梨智子
手塚治虫  北村想
石森の姉  安部聡子
つげ義春  土屋良太
棚下照生  柳ユーレイ
編集者・丸山  きたろう
藤本の母   桃井かおり
寺田の兄  時任三郎
学童社編集長・加藤  原一男
学童社編集者・本多  向井潤一
学童社事務員  広岡由里子
娼婦  内田春菊

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2008.01.23

キューティーハニー THE LIVE (テレビ東京)

Honey 今日はちょっと疲れてるのか、授業中変な発言が頻発してしまいました。この「実写版キューティーハニー」の話も昨日したのに、また今日同じクラスでしてしまった。で、生徒に「若年性アルツハイマーですか?」とかつっこまれたので、「いや、もう若年…でもない」と言おうとして、「若年性キューティーハニー」って言っちゃいました(笑)。なんなんだそれ?じゃあ「実写版アルツハイマー」ってか?生徒たち、異様にウケてました。とほほ。
 というわけで、最近硬くて長い話が多かったので、今日は少し軟らかいものを短く紹介しましょう。いや、ある意味これは硬いかも…いや、軟らかすぎるのかも…。
 まったく不覚なことですが、9月に放映開始になったこの番組、今日初めて観ました。本当のことを言いますと、生徒に教えてもらうまで知らなかったんですよ、このような素晴らしい(?)ことが起きているとは。
 キューティーハニーの原作やアニメについては改めて説明する必要はありませんね。で、実写版アルツ…ではなくてキューティーハニーと言えば(…ん?ということは「実写版アルツハイマー」には原作やアニメ版があるってことか?)、佐藤江梨子主演の映画がありましたよね。あのサトエリ版は正直あんまり好きじゃなかったんです。たぶん私の個人的な趣味の問題だと思いますけど。
 で、こちらの実写版はどうかといいますと、これがですねえ、かなり良かったっす。如月ハニー役の原幹恵さん、グラビアアイドルだそうですけど、顔立ちはちょっと地味ですが、なんといってもGカップのボディーはかなりインパクトありますね。アクションもなかなか立派ですよ。あとなんだか良くわかりませんが、クールな青い人とちょっと狂気な白い人(?)もかっこよくてよろしい。
 全体に深夜枠ということで微妙にHな感じがありまして、それがなんとなく懐かしかった。そう、私なんかは9歳とかそのあたりに少年チャンピオンで原作を読んでいた世代ですからね。なんとなく家族にナイショであのHなページを繰る感覚というか、そんなのを思い出しました。つまり、この番組もさすがに娘たちの前では観れない(カミさんとは観ましたけど)。なんかコソコソHなシーンを観るという緊張感が懐かしいんですね。この歳になってキューティーハニーでこういう気持ちを味わうとは(笑)。
 まあ、考えてみれば永井豪ですからね、それが本質であって、そういう意味ではこの実写版はもしかすると王道を行ってるのかもしれない。エロティック・アクション。アニメ版よりもその空気感は原作に近いのかもしれない。受け手に与える精神的作用としてはいい線行ってるのかもしれませんね。
 というわけで、全国的には観れるところが限られていますが、もし皆さんお住いの地域で鑑賞可能ならば是非ともご覧下さい。案外はまるかも、です。少なくともパンシャーヌよりはかなりまともな作りですね(笑)。

キューティーハニー THE LIVE 公式

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2008.01.06

『は』

Ha 合宿でなんとなく古事記関係の本を読んでいまして、昨日の「も」と、それから「は」という助詞について考えていたんですね。でも、どうもよく分からなかった。
 で、勉強の合間に家にパンツを取りに帰ったら、子どもたちがポケモンのビデオを観ておりまして、こんなセリフが聞こえてきました。愛すべき悪役ロケット団の二人のお決まりの口上です。
 「なんだかんだと聞かれたら、答えてあげるが世の情…(中略)…ラブリーチャーミーな敵役、ムサシ、コジロウ…」 
 この瞬間、あることに気づいたんですよ。とっても大切なこと。古事記につながること。そして、昨日のつまらぬ記事にもつながること。
 さっきのセリフ、潜在的には、「お前たち『は』何者だ?」という質問に対して、「(私たち『は』)ムサシ&コジロウです」と答えてるわけですね。それで気づいたんですよ。「は」の本質について。
 というわけで、今日は「は」という助詞について考えてみましょう。
 実はこの「は」は厄介ものでして、というか、なんだか厄介に考えられすぎているようでして、私はずいぶん前からその点に関して、違和感を抱いておりました。
 というのはですねえ、この助詞について考える時、「が」や「も」と並べて考えすぎる傾向があるんですよ。たとえば「『が』と『は』はどのように使い分けられているのか」とか「『は』と『も』は語法的に似ている部分が多く、双方とも係助詞や副助詞としてまとめられる」とかね。
 私からしますと、「は」は、「が」とも「も」ともかなり違っているように思われるのですが。で、今日は「は」についての私見を述べてみたいと思います(興味のない方すみませんね。いちおう私の専門分野なんで、ちょっと語らせてください)。
 さっきの、「は」と「が」の使い分け、これっていまだに誰もうまく説明できてないんですよね。偉い(賢い)人たちがいろんな説を出してますが、どうもしっくり来ない。そりゃあそうですよ。第一この二つを比べること自体間違っているんですから。だって、現代語の「が」は古来の日本語の「の」とか「こそ」とか「ぞ」とか「なむ」とか「は」とかの機能を、いつのまにかみんな身につけてしまっているんですから。一方の「は」はけっこう古態を保っていますので、そういう違う素性のものどうしを並べちゃいかんでしょ。総合格闘技の選手とボクシングの選手を同じリングで闘わせるようなものです。
 「も」の方も、昨日書いたように現代語ではだいぶ昔と違う機能を持ってしまっているので、「は」と一絡げにしてほしくない。
Locket では、私の考える「は」の本質とはなんでしょうか。実はそれをロケット団の二人が教えてくれたんですよ。サンキュー、ムサシ&コジロウ。
 そう、それは「質問をする」という本質です。
 言語というのは伝達を目的としています。ですから、必ず相手がいるわけでして、たとえばこうして書いている文章というのも、実は潜在的に会話形式になってるんですよ。文章にせよ、独白にせよ、一方的な語りにせよ、実は会話を仮想している。誰かに伝わるように表現するというには、必ずその誰かの心の中を忖度しながらことを進めねばならないわけですね。常に相手の質問(疑問)に答えるように表現していく必要がある。
 もちろん自問自答形式の文もありますよね。さっき私も使いました。しかし、いちいち一つ一つの文章に質問文を挿入するのは正直面倒です。そんな時、「は」が役立つんですよ。たとえばこういうことです。有名どころで行きますか。

・春はあけぼの…「春は(春と言えば)?」と聞かれたら、答えてやるのが世の情、「あけぼの!」
・たけきもののふの心をもなぐさむるは歌なり…「マッチョな武士の心をも慰めるのは(何)?」と聞かれたら、答えてやるのが世の情、「歌です!」
・吾輩は猫である…「あなたは(誰)?」と聞かれたら、答えてやるのが世の情、「(吾輩は)猫である!」
・名前はまだない…「名前は(何)?」と聞かれたら、答えてやるのが世の情、「まだない!」

 こんな感じです。「○○は╳╳」という表現の背後には、「○○は(いかに)?」という読者の質問が潜在してるんですね(あえてまとめちゃうなら「How about ○○?」って感じかな)。
 いわゆる「ウナギ文」でもそうです。「(あなたは)何になさいますか?」「オレはウナギ」。あるいは、うどん屋で店員が無言で立っていても、「オレはタヌキ」「オレはキツネ」「オレは月見」…というようなことがありうる。ちなみにこれらは(潜在的)質問に対する答えですから、現場でより簡略化するとしたら、「は」の前、つまり分かり切った質問の部分を省略するということになります。すなわち、それぞれ一言ずつ「タヌキ」「キツネ」「月見」という具合に。
 このように「○○は╳╳」という文は、その中に質問と答えを含んでいるのです。表現者の側の言いたいことは、実は「は」の後ろの部分だけで、前は誰かの質問だと考えるんです。
 2+3=5というのも、日本人は「にぃたすさん『は』ご」と読みます。これは「=」をはさんで左右がイコール、つまり等価であるという感じではなく、あくまでも左側が質問で「2+3は?」と聞かれているイメージがあるからではないでしょうか。そして、「5!」と答える。「春はあけぼの」や「オレはウナギ」というのもそれと同じ構造だという気がするんです。
 一方、「○○が╳╳」はちょっと複雑でして、「どちら様がタヌキですか(タヌキはどちら様ですか)?」と聞かれて、古語だったら「我なむ」「我なり」みたいに答えるところを現代語では「私がタヌキ」と言えてしまう(もちろん「タヌキは私」とか単に「私」とかも言えますが)。本来主格を表すだけでよかったはずの「が」が係助詞的な性質をも獲得してしまっているんですね。つまり質問文を内在することができてしまうんです(逆に言えば、古語における係助詞は「は」以外のものも質問を内在できるということです)。でも、本来の単なる叙述の流れをくむ「春が来た」みたいな文には、たとえば「何が来た?」のような質問文は内在しないのが普通です(ちなみに古文ではこういう場合「が」は使いません。「春来ぬ」とか「春来にけり」とか)。
 ついでに言うと、「にさんがろく」「さんしじゅうに」とか九九の暗記では「は」は使いません。これは質問と答えではなく、単なる暗記、事実の叙述に過ぎないからですね。
 「○○は╳╳」は質問と答えであり、答えにはブレがあってはいけませんから、「象は鼻が長い」とは言えても「象は鼻は長い」はちょっと変な感じがする。いろいろな動物の鼻について質問している中で、「じゃあ、象はどう?鼻はどうかな?」っていうシチュエーションもありえますが、やや無理があります。つまり、基本的には、答えに質問が入ってはいけないんですね。
 一方、「象が鼻は長い」とは言えないのは当然です。叙述に質問が入るのは変ですから。「象が鼻が長い」はありえます。それはさっき言ったように「が」に係助詞的な意味合いが含まれてしまったからです。つまり「鼻が長いのは何という動物?」という質問を内在できてしまうということです。そういう質問をされたら古文では「象なむ鼻長き」「象こそ鼻長けれ」、あるいは「(そは)象なり」と言うでしょう。たぶん。
 「誰が」「何が」とは言えても「誰は」「何は」とは言えないのも、「は」自体に質問・疑問のニュアンスがあるからでしょうね。How about who?/How about what?というのは変です。
 そうそう、古事記ではどんな具合かと言いますと(訓み下しの問題はありますけど)、こんなふうになっています。
 「天地初めて発はれし時に、高天原に成れる神の名は、天之御中主神」
 これはロケット団風に言いますと、「…神の名は?と聞かれれば、答えてやるのが世の情、天之御中主神!」ということになりますね。
 ついでにもう少し行きます。
 「次に、高御産巣日神。次に、神産巣日神。此の三柱の神は(どういう神か?と聞かれれば、答えてやるのが世の情)並に独神と成り坐して、身を隠しき」
 こういう具合になっていきます。すごいですねえ。古代の神話「古事記」と現代の神話「ポケモン」のコラボレーション(笑)。たぶん世界初でしょうなあ。
 と、こういう新しい視点を持って、我々が書いている文を見直してみますと、全ての文が「は」系(質疑応答系)と「が」系(単純叙述系)に分類されることが分かってきます。それは、私たちが、相手の質問・疑問に答える形で述べる文と、一方的に自分の知っている情報を述べる文とを、うまいこと織り交ぜながら表現のタペストリーを作り上げていっていることを示しています。
 思い出してみますと、ウチの子どもなんかも幼い時、とにかく会話と言ったら「○○は?」という質問ばかりでした。たぶん彼女らは「は」は質問のための言葉だと思っていたことでしょう。そこにこそ「は」の本質があったのです。
 ただし、「姿は見えないが、声は聞こえる」のような「は」の用法については、昨日の「も」の用法と関連させて考えた方がいい。並べているけれども、やはり後者の方が言いたいことになるという意味で、「も」の効果的並列用法に近い。これは、質問の「は」とは本質的に違う「は」だということです。
 それに関して、辞書を見ていて気になったこと。古今集のこの和歌が例文として出ているんです。
 「秋は来ぬもみぢは宿に散りしきぬ道踏み分けて訪ふ人はなし」
 この三つの「は」をただ主題の提示、題目を示すとして「秋は来た。紅葉はわが家の庭に散り敷いた。道を踏み分けて訪れる人はいない」と訳してあるんです。これはひどいですね。これは、お題目の「は」ではなくて、効果的並列の「は」ですよね。「ちゃんと秋は来た。で、紅葉も散り敷いた。なのに誰も来ねえよ(悲しすぎる!)」っていうニュアンスなのに…。
 と、今日も思いつきをつらつらと書いてしまいました。読んでくれた方、ありがとうございました。では、仕事に復帰します(って今まで何やってたんだよ!?)。

 ps 気がついたら「春はあけぼの」について以前こちらに書いていました。「春はあけぼの」は「春はあけぼの」だって。

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2007.12.22

天皇誕生日イヴ…「神の子」多数降臨!!

 今日はイヴですよね、イヴ。えっ?イヴは24日じゃないかって?いやいや今日でしょ、普通に考えて。外来の神(の子)の誕生前夜を祝う前に、国内の神(の子)の誕生前夜を祝うべきでしょう。
 本当に面白い国ですね、日本は。そういう能天気なところこそ世界に誇るべき日本人の特質です。品格です。原理主義に陥らないための最大の防御はこれです。ある意味攻撃こそ最大の防御(ちょっと違うか)。
 そんなわけで、本日、我が家ではちゃんと古来のイヴの習慣に従ってイベントをこなしました(ホントか?)。すごいスケジュールでしたよ。
Shop_mark_tokyo 朝、日本の象徴富士山を出発いたしまして、まずは東京は浜松町にあります、もののけの館「ポケモンセンター」へ。ここは、かつてはまつろわぬモノ(蛮族の神の子)であったポケモンたちが、大和民族によって飼いならされ、集められている場所であります。まずはそこで娘二人がそれぞれ一種類ずつポケモンをゲット!これで彼女らの魂も鎮められまして、その後の予定がスムーズに進むはずです。
 ところで、言うまでもなく「ポケモン」とは「ポケットモンスター」の略ですけど、「モンスター」の「mon-」という冠部は、これは日本語の「もの」と同源に違いありません。これはトンデモ説ではなくて、おそらくまじめに正しいと思います。太平洋の島々に伝わる「マナ(霊魂)」、旧約聖書に出てくる「マナ(食べ物…元々は『これはなに?』という意味のヘブライ語)」も同源ぽいですね。私のモノ・コト論でいう「外部・不随意・未知」を表しているわけです。このあたりについては、いつかゆっくりと。
Oomori39 さてさて、そんなモノノケどもをゲットしたその次は、ウチの神さま、すなわちカミさんの機嫌を取るため、つまり彼女の荒ぶる腐女子魂を鎮めるために大森へ。ここには八郎神社の神の子(?)桜庭和志さんの新しい道場があります。実はまだオープンしていないんですが、どうしても行ってみたいということなので、連れていってあげました。大森は以前私が住んでいたところです(拉致被害者の横田めぐみさんと一緒に遊んでいたんです…同じ寮に住む同い年だったんで…)。道場は完成していませんが、おおみそかの船木戦のために彼はそこでトレーニングを開始しています。しかし、行ってみるともぬけの空。誰もいませんでした。しかし、もうその聖地にいるだけで、ウチの単純な神様は上機嫌。これでよしと。
Meijijingu さてお次は原宿へ移動です。なんか十数年ぶりだな原宿に降り立つの。おお、ゴスロリがいるぞ!そしてそのゴスロリ軍団の先には明治神宮が。なんというコントラスト。私、自分の七五三以来ですよ、明治神宮をお参りするの。子どもたちはゲットしたポケモンを片手に参拝。天皇陛下のひいおじいちゃんがいるんだよ、と教えましたが、そんなことはどうでもいいようでして、なんだかポケモンの人形にも柏手を打たせています(笑)。まあいいでしょう。相変わらず結婚式もたくさんやってました。明治神宮に誰が祀られてるかなんてあんまり考えてないんでしょうね。まあそれもいいことです。参拝者の半数以上は外国人でした。おそらく台湾の方が多いのでは。それもまあいいか。お土産に教育勅語の巻紙でも買って帰ろうかと思いましたが、仕事柄面倒なことになるのも面倒なのでやめました。
 そして、ついに我々は最大の目的地国立代々木競技場へと向かったのでありました。そう、ここで「天皇杯全日本レスリング選手権大会」の二日目が行われるのであります。プロレスマニア、格闘技マニアであるウチの家族ではありますが、その基本となるアマレスの試合を観るのは初めてです。ウチの職場の(教え子でもある)後輩が、ちょっとレスリング界に詳しくてですねえ、一度大会を観るべきだとかねがね私に言っていたんですよ。それが今日実現する。ドキドキワクワク。
Yoyogi2 会場である国立代々木競技場(第二体育館)は言うまでもなく、神の子「丹下健三」の設計による神殿(?)であります。実は初めて入りました。第二の方は。ちなみに第一では、ある意味神「チャゲ&飛鳥」がコンサートをしていました。信者が多数列を成しておりました。やはり古めの神ということで、信者も年季が入っているような(笑)。
Tennouhai さてさて、アマレスです。うわぁ、思ったより近い。入場テーマや選手のコールなど、かなりプロレスチックです。三沢のテーマやプライドのテーマで入場してくる選手がいたりして、私たち家族は大笑い。楽しいぞ。試合中も実況で解説がつくので初心者にもルールがわかります。さすが昔からプロアマの交流の深いレスリング界ですね。
 私たちは各階級の決勝だけ観ました。なんとなく「自衛隊体育学校」応援団の隣に陣取りましてね。試合内容は、グレコローマン、フリー、女子と、それぞれ個性が全く違っていて面白い。プロレス的、総合格闘技的な視点から観ても、ああこういう動きはここに原点があるのかという感じで興味深い。これからプロレスや格闘技を観るにしても、やっぱりこうやって基本や原点を知るということは非常に大切だと思いました。また、今活躍しているあの選手やあの選手、往年の名レスラーの多くが、こういう競技をこうしてやっていたんだな、という純粋な感慨もありました。
Kaori やっぱり伊調馨の圧倒的存在感と強さが印象に残りましたね。考えてみれば世界一強い人(オリンピック金メダリスト)の試合を無料で観ることができるわけですからね。ぜいたくな話です。男子も高校生の活きのいい選手がいたりして、新しい「神の子」の登場を予感させました。もっと観る目をつけたら、これは結構はまるかもしれませんねえ。
Miyuu ところで!試合終了後、帰ろうと思って移動していたら、本当の「神の子」に偶然出くわしました。KIDが「神の子」なんですから、そのお姉ちゃんももちろん「神の子」ですよねえ。そう、テレビ解説していた山本美憂さんが目の前に…う、美しい…!女神降臨!あまりの突然の出来事に私固まってしまいなんにもできませんでした。ああ、タックルくらい…いやいや握手くらいすればよかった…。なんかオーラがすごかったっす。体は思ったより小さかったのですが、発する光が神々しかった…。
 とっても長くなって申し訳ないのですが、実はもう一人、神の子のイベントがあったんです。でも、そちらには行けませんでした。先日ガンから復帰した小橋建太のサイン会です。並べばサイン&握手してもらえたと思いますけど、子ども連れでしたし、寒かったので。残念です。でも、ホント充実したイヴでした。多くの神の子に感謝。

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