ここ最近のことですが、菅前首相がインターネット番組に積極的に出演し、舌鋒鋭いあの人たちの意地悪な攻撃にひるむことなく、いや完全に自らがペースを握って、最後には完全にあの人たちを味方としてしまっているのを観ました。
なるほど決して目立つ方ではありませんでしたが、静かなる熱意をもって自らの志を貫かれた方だったなと、あらためて感服しているところです。
ウチのカミさんの故郷の地域出身。カミさんの出身高校の大先輩であり、またおじさんは高校の同級生だったりして、官房長官時代からなんとなく身近に感じていました。義父は菅さんのお父さんのことを仕事柄(農業関係です)よく知っていましたし。
御本人もおっしゃるとおり、国民もまた菅さんが総理大臣になるとは思っていなかった。そして、総理としてはどうなのかななどと勝手に思っていましたが、こういう静かなる闘志を持った政治家もいいものですね。
特に安倍さんのあとを受け継ぐ形でしたから、その対比が明確でよかった。安倍政権の裏方、縁の下の力持ち的な部分が表に出てきまして、そういう意味では、艮(東北)に幽閉された国常立大神の復権という神話的な意味合いもあったと思います。
実際、安倍政権時代、昭恵夫人を同地域にご案内し、当時の菅官房長官の話になった時、ニギハヤヒとクニトコタチの話で持ち切りになりましたっけ。現代の政治もいまだに神話的世界とつながっていると実感できた瞬間でした。菅さんのお母様のご実家はニギハヤヒと深いつながりがあるのです(菅さん自身も知らないと思いますが)。
いずれにせよ、陰陽のバランスこそ日本文化の根幹であり、陰が表に出て光り輝くこともまた歴史上必要なことなのでありました(日本語で「かげ」は光と影両方の意味があることが象徴的です)。
さてさて、前置きが長くなりましたが、まずは日経テレ東大学にて、ひろゆき&成田悠輔と対談する菅前総理。もともとひろゆきさんも成田さんも菅さんを高く評価していたからとも言えますが、非常に実務的でありながら一方で霊的な(?)お話を聞くことができたと思います。
まさに菅さんを突き動かす「モノ」のお話ですよ。はっきり言わないのではなく、言えないのです。なぜなら何モノかに動かされているからです。
つづいて、ホリエモンとの対話。こちらも非常に安定感ある軸のしっかりしたお話に終始していますね。一方で痛感するのは、本当に私たちは「切り取られた」マスコミ情報に振り回されているということ。そして感情的に価値判断しているということ。
そう、菅さんにそれがないのは、彼自身が何モノかに動かされており、そこには自己がないからです。人生の本質が明確なコトではなく、ぼんやりしたモノの方に宿るということを改めて痛感させられました。
そういう意味では、本物の政治家(まつりごとを執り行う人)なのではないでしょうか。
最近のコメント