カテゴリー「パソコン・インターネット」の166件の記事

2012.02.09

『ゼン・オブ・スティーブ・ジョブズ』 ケイレブ・メルビー&ジェシー  (集英社インターナショナル)

20120210_164302 日は珍しく体調不良であります。いちおうインフルエンザではないとの診断ですが、いきなり9度近い熱が出たあたりどうも怪しい。
 よって記事も手抜きとなります。ごめんなさい。
 ということで、まだ読んでもいないし、まだ発売されてもいない本を紹介します。
 このブログでも何度か書いてきた、アップルのスティーブ・ジョブズと曹洞禅の関係がよく分かる本になりそうです。
 ちなみに原書の方はアマゾンでも取り扱っております。大した量じゃないし、マンガなので英語で読んでもいいんですけどね。日本語訳の質もわかりませんし。
201110182 ジョブズは、この前IGFの宮戸さんとの会話にも出てきたオイゲン・ヘリゲルの「弓と禅」を、ずいぶん若い頃から読んでいたそうで、その時点で立派な禅マニアだと言えますね。
 ジョブズに曹洞禅を本格的に教えたのは国際布教師の知野(乙川)弘文老師です。アップル社のシンプルで画期的な製品の設計思想に影響を与えたのももちろん、ジョブズの不遇の時代を支えたのも知野老師でした。
 そんな二人の禅問答的交流を紹介したのが、このコミックというわけです。紹介の動画がありましたので、ちょっと見てみてください。

 Amazon ゼン・オブ・スティーブ・ジョブズ The Zen of Steve Jobs

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2012.01.29

ネコと和解せよ

120130_7_08_08 震で切迫している時にこんなネタですみません(笑)。
 いや、私はそんなに切迫していないのですよ。昨日書いたとおりです。
 おとといその地震が起きてから、私たち家族は東京に向かいしました。私は半蔵門にてコンサートの練習、他の女子たちはアキバへ。
 最近娘たちが「東方」にはまっていて、そのグッズを買いに行ったようです。そして、実際にフィギュアやらCDやらを買い込んできました。
 カミさんはカミさんで仕事で使うとか言って、ギコとかモナーとかキタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!とかのハンコをたくさん買ってきました(笑)。
 そして、私に「お土産」として買ってきてくれたのがコレ。
 ツボすぎます。さすが我が家族!
 もちろん、これはアレのパロディーであります。そう、いつかもこのブログで書きました、特に東北地方に多く見られる、あの黒地に白&黄色の文字で書かれた「キリスト看板」です。
 その代表的コピーである「神と和解せよ」の「神」をネコに変えたものですね。これは2ちゃんなんかでは有名なネタでしたが、ステッカーまであるとは…。
 このネタのすごいところは、「神」という文字をただ「ネコ」にして、キリスト教を猫教に変えただけではないというところでしょう。もちろん、ネット上の、すなわちオタクたちの多数派宗教は「猫教」ではありますが、そういう意味だけでなく、「神」という字を「ネ」と「申」に分けるという、ネット上の伝統文化さえも取り込みつつ、かつ「申」の一部を黒で塗りつぶすことによって「コ」を現出させるという高等テクニックも使われているのですからね(笑)。
 だからデザイン的にネよりもコの方が小さいわけです。その実際例(?)を紹介しているのが、こちら「本日のネコと和解せよ」です。
 ちなみにオリジナルの「キリスト看板」コレクションはこちらがなかなか充実していますよ。
 この「キリスト看板」ですが、宮城県を本拠地としている「聖書配布協力会」という団体が全国に設置して回っているものです。
Imgp0626 彼らは比較的穏健な布教活動を行なっています。私、一度彼らと宗教問答やったことあるんですよ。この写真を撮った時です。
 ある朝、我が高校の正門近くで彼らが小冊子を配布していたんです。ウチの学校は思いっきり仏教系ですから、生徒たちも半ば驚き半ば面白がり多少気味悪がってそれらをもらっていました。
 宗教研究家の私としてはこのチャンスを逃すわけにはいかない。私も得意のスキンヘッドを活かして、いかにも坊さん然として一人の女性に近づいていきました。
 彼女は外国人でした。白人です。片言の日本語でした。「どこからいらしたんですか?」「ミヤギです」「ウチの学校は仏教系なんですよ」「ソウデスネ、ソウデスネ」「仏教とキリスト教の違いはどう思いますか?」「ソウデスネ、ソウデスネ」「仏教は寛容ですからキリスト教を受け入れますが、キリスト教は一神教なので、そのへんどうなんでしょう」「ソウデスネ、ソウデスネ」…。
 というわけで、まさに禅問答のような感じでして、私エセ坊主の完敗でありました(笑)。
 調べてみると、この団体のスポンサーさんには、ウチの学校もお世話になっているようでして、まあ不思議な仏縁だなあと感心してしまいました。
 さてさて、このステッカー、どこに貼ろうかな。車?iPhone?職員室の机?
 いや私のおでこに貼りましょうか(笑)。なにしろ、ウチの黒猫ミーといまだに和解できていませんから。

あきばお〜こく


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2012.01.16

iPod nano (第6世代)

20120117_162607 日は上の娘の誕生日。もう12歳か。早いものです。
 そして、彼女は今年の春から私の勤める中学・高校に入学します。6年も一緒に登下校するというわけです(笑)。
 そんなに嫌がれていないようなので、ちょっと嬉しかったりしますね。ま、これから父娘の関係がどうなっていくのか分かりませんが。
 と、そんなわけで、祖母から誕生日+合格祝いにこれを買ってもらいました。iPod nanoです。
 届いてすぐにどんどん使いこなしている娘を見ると、まあ今どきの若いもんはすごいなというのと、Appleの製品もまたすごいなということを感じますね。
 もちろん、娘たちは両親のiPhoneをしょっちゅういじっており、そのユーザーインターフェイスには慣れていたわけですが、それにしても子どもが理屈抜きにすぐに使いこなせるというのは、まさにジョブズの考えた「縁」創造空間へのアクセシビリティの高さを表しているでしょう。
 ただ、このiPod nano第6世代に対しては、小さすぎるとの意見もありますよね。たしかに大人、特に大柄で指の太い欧米人男性にはきついかな。さらにディスプレイも小さいわけですから、老眼世代にはつらいかも。
 ちなみにウチでは、iPod nano3台目です。今まで、第2世代と第3世代を使ってきました。これらはMacを買った時についてきたもので、特に買いたくて買ったわけではありませんでした。
 それら及びその後の4、5世代とは大きく変わって、この第6世代はあの独特のクリックホイールを持っていません。あれはあれで便利だったんですけどね。
 まあ子どもにとってはどちらも同じような使い勝手のようですが。私たちアナログ世代からすると、ああいうクリック感というのは忘れがたいんですよね。iPhoneももっとクリック感があるといいな、安心できるなと思ってしまいます。
 そしてこれも勝手な意見ですけど、物としての質感というか、実在感、存在感、そういうことで考えると、やはり小さすぎるような気がします。あの第2世代の感じはとても良かった。昔、こちらにも書いたとおり、おいしそうな質感でした。それに比べるとちょっと味わいに欠けるかもしれません。
 まあそれでも子どものおもちゃとしてはぜいたくすぎるシロモノですね。娘が何を聴いてるかと思えば…全部アニソンでした(笑)。すっかりオタク気質が遺伝してしまったようで、ちょっと困ってます(笑)。

iPod nano 公式

Amazon iPod nano


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2012.01.08

『スティーブ・ジョブズの子どもたち ~ハングリーであれ 愚かであれ~』 (NHKドキュメンタリーWAVE)

20120109_64939 年の年賀状はiPhone5でした。
 もちろんスティーブ・ジョブズへの哀悼の意も込められていますし、今年の私のテーマが「バージョンアップ」であるという気持ちも込められています。
 そして「Stay hungry. Stay foolish」もまた、これからの私や家族のテーマでもあります。
 その言葉が発せられたのが、あのスタンフォード大学でも講演でした。その講演を現場で聴いていた同大の卒業生たちのその後を追ったドキュメンタリーを観ました。
 スティーブ・ジョブズは「アメリカン・ドリーム」の象徴のように言われますが、実際には、ある意味「アメリカン・ドリーム」を実現した若者たちに、それが単なる「ドリーム」であったことを教え、そして「本当の幸せとは何か」という究極的な問答の世界に引き込んでいた…。
 たしかにジョブズは夢を実現しましたし、それなりの「金持ち」にはなりました。しかし、彼の偉業の本質は「カネ(マネー)」では計れないものでした。
 ちょうど昨日「利益(りやく・りえき)」の話を書きましたよね。彼が「りえき」を上げたのも事実ですけれども、それよりも「りやく」を我々に恵み与えたという点に注目すべきです。
 彼はテクノロジーをもって、世界の「点と点をつなぎ」、真に平和で豊かな世の中を実現すべく行動しました。
 もちろん、それが本当に正しいやり方なのかは、まだ歴史が証明するに至っていません。しかし、そういうレベルでの「夢」を実現するために、創造力を発揮して行動したことはたしかです。
 番組中、何人かの若者が投資銀行を辞めるに至ったいきさつが語られました。「他人の仕事をするな」というジョブズの言葉に刺激を受けたものです。
 誰もが「今の仕事は本当に自分の仕事なのだろうか」と考えますよね。しかし、それは、この仕事は自分に向いているのか、自分の能力が活かされているのか、というようなレベルのことですよね。
 ジョブズはもっと高い次元でこの言葉を使っていると思います。つまり、「理想の世の中を創るために、自分の役割は何なのか」というレベルです。
 おそらくジョブズの言葉を思い出して投資銀行を辞めた若者たちは、それに気づいたのでしょう。ただお金を得るだけであれば(つまり「りえき」を得るだけであれば)、投資銀行で1年目から年収1千万円以上もらえるという事実は、ある種の「アメリカン・ドリーム」の実現です。
 しかし、昨日も書いたとおり、自らが「りえき」を得るということは、他者に「りやく」を施すどころか、誰かに損をさせ、誰かを不幸に陥れることなのです。そこに想像力が及ばない状態こそが、「りやく」とは正反対の、悪魔に魅入られた、洗脳された状態だと言えるでしょう。
 ジョブズは「禅」を学んでいました。彼の生き方、言葉の使い方、製品のデザインやコンセプトには、曹洞禅の影響が色濃く見られます。
 おそらく私が彼や彼の作品に共感するのも、そういう部分があるからだと思います。
 一昨日のあの座禅アプリ「雲堂」を、ジョブズはどのように評価したのでしょうか。おそらく知っていたと思いますよ。
 「点と点をつなぐ」…これは「縁起」を積極的に生み出す行為です。我々の間にあった様々な障壁を、彼はテクノロジーで取っ払おうとしました。それはある程度実現していると感じます。
 ただ、まあ理想論は別としまして、日本よりもアメリカの高学歴就職難はひどいですね。アメリカ自身が、旧来の「アメリカン・ドリーム」がフィクションであったと気づき始めています。
 いよいよ世界のバージョンアップの時が来ているのでしょうか。あるいは、ジョブズのような「宗教者」が亡くなって、ますます世界は弱肉朝食の獣のような世界になっていくのでしょうか。
 ところで、番組を観ながら(英語を聴きながら)hire と fire が反対語だということに気づきました。
 再放送が13日(金)18:00からありますので、ぜひご覧下さい。

NHKドキュメンタリーWAVE公式


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2012.01.06

『雲堂』 (iPhone用坐禅アプリ)

Mzlcngilkor んとも仕事がドタバタしているので、ゆったりとしたおススメを。
 iPhone用のアプリです。あの「彼岸寺」さんが作った坐禅アプリ。
 これ、なかなかいいですよ。本格的です。坐禅が身近になりますね、きっと。
 いちおうワタクシ、エセ坊主、野狐禅いや野狸禅の修行者として、一般の方よりは坐禅に親しんでいる方だと思います。とは言っても、たとえば毎日座っているかというと、全然そんなことはありません。
 我々在家者は仕事はもちろん社会的雑務をもしなければならないので、日常生活自体が修行ということになります。そして、実はそれが一番よい修行法であったりします。
 たとえばこうして毎日ブログを書いているのも、公案と格闘しているようなものですしね。つまり、我々はいつでもどこでも仏教の修行はできるわけですし、考えようによっては、全ての生きとし生ける者が修行中であるとも言えます。
Mzlhbqfsdmt しかし、そうした日常的な「意識」から「意識的」に離れるために、「意識」を捨てる「坐禅(座禅)」をすることは面白いものです。
 ある意味最も手軽で最もお金がかからないレジャー、あるいはレクレーション(re-creation)かもしれません。
 実際に出家して雲水となったり、日曜日にお寺に参禅したり、そういう特別なことをすること自体が「意識」であり、「装置」であるわけです。
 ですから実は、坐禅というのは、それと最も遠い世界であると思われがちなインターネットやiPhoneという「装置」と、とっても親和性が高いんですよね。
 だいいち、インターネットやクラウドという「網」や「雲」は、ある意味自然に近い構造をしていますし、ある意味目に見えない「神仏」世界と似ているとも言えます。
 また、ネットによって生まれる無限の「縁」は、まさにブッダが悟り得た宇宙観であるとも言えます。このアプリにある「Around the world」機能は、本来極私的であり、個の行いであるはずの坐禅を、世界中で何人とか何回とか示すことによって、相互に「意識」の上で結びつけてしまうという、ある種禅的なパラドックスですよね。面白い。
Mzlqsfdbtcy そこなんですよ、今までの禅が限界として抱えていた問題は。つまり、禅は「自他不二」や「縁起」を感得するためのものでありながら、個の問題として語られすぎ、またそういうメソッドとして発達しすぎたのです。
 それをまるでマジックのように、現代のテクノロジーが本来の姿に戻してくれる可能性があると感じますね。
 私の禅語に(?)こういうのがあるじゃないですか。「コトを窮めてモノに至る」。コトとは「意識」そのものです。「装置」そのものです。そこを窮めていくと、いつのまにかモノ(無意識や自然)に還っていくんです。
 そういうアイテムとして、あるいはアプリケーションとして、この「雲堂」は新しいけれども古い禅のスタイルを提案してくれかもしれません。
 「application」という言葉は、本来「一点に没頭すること」という意味を持っています。まさに「執着」の装置です。それを窮めていくと、いつのまにか一点は無限に小さくなって「無」に近くなっていき、その補集合は無限に大きくなって、いつのまにか、二つは一つになり、結果「空」が生じる…。
 なんて、いかにも野狸禅らしく言葉を弄しているワタクシでありますが、そんな理屈は抜きに、この「雲堂」は普通に解説もよくできているし、音もリアル(本物をサンプリング)ですし、とっても有用なアプリです。
 さあ、皆さんもこのアプリでどんどん「意識的」に坐禅してみましょう。世界が変わる、すなわち自分が変わる…かも。それにしても「undo」とはうまい名前をつけたものですな。

雲堂

彼岸寺

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2012.01.04

『さよなら!僕らのソニー』 立石泰則 (文春新書)

S 日は愛猫とのお別れの話でした。
 今日はソニーというか、古き良き日本の技術者集団とのお別れなのかなあ。「さよなら!」ですからね。
 そして、なんかもう起死回生は難しい、つまり再会は難しいかなと思ってしまいました。
 これはソニーに限ったことではなく、また、ある意味技術者集団に限ったことではなく、大和魂との別れと言いましょうか、日本の伝統的な精神性との別れと言いましょうか、そういうスケールの話のような気もしてきます。
 そうそう、ちょうど今日はプロレスに関する番組を三つほど観ました。まずはサムライTVでの天龍源一郎とスタン・ハンセンとの対談。そして、新日本プロレスの東京ドーム大会レッスルキングダムの一部、さらにはBS11のアントニオ猪木(IGF)特集。
 その三者三様のプロレス模様の中にもまた、古き良き昭和を懐かしむ部分と、それとは全く違う平成のプロレスをそれはそれで楽しむ部分と、頑固なまでに昭和の魂を伝承し復興しようとする部分と、いろいろなものを感じました。
 おそらくいろいろな分野で同じことが起きているんでしょうね。そして、それがそれぞれうまくいくか失敗するか…。
 ソニーは昭和の職人魂、すなわち創業の精神をいつのまにかなおざりしてしまい、一方でグローバル化というある意味フィクションに呑まれてしまい、そのブランド力を完全に失ってしまいました。
 つまり、方向性とともにそのやり方に大きな問題があったのです。それを丁寧に検証したのがこの本です。
 まあ細かい内容のレビューはAmazonでご覧下さい。私はちょっと違った角度から書きます。
 今、私の学校も変革を迫られています。一般企業ほどではないにせよ、私学ですから当然経営戦略という観点も必要になってきます。
 なんとなく私がそのあたりの担当になっているので、この本はまさに他人事ではない内容でありました。
 時代に合わせる必要があるところと、揺らいではいけないところ、その両者のバランスというのは本当に難しい。
 学校にももちろん「建学の精神」というのがありまして、それは絶対に揺らいではいけないものだと、みんなが認識してはいますが、ソニーと同様、そのスタートに居合わせた人々がどんどん減っていく現状の中で(私も第二世代です)、どう温度差をカバーしていくか、これは大変難しいものです。
 本文にもありましたとおり、だいたい昔気質のトップというのはワンマンでカリスマ性があって、めちゃくちゃな要求を押しつけたりして、しかしそのおかげでいろいろと奇跡的な製品ができあがったりするわけですね。
 それを今どきの若者たちに伝えても全然ピンと来ない。そのとおりやったりすると、つぶれちゃうか、あるいは反発してくるか、とっととやめてしまう。昔はなあ、こうだったんだ!と口角泡飛ばせば飛ばすほど、そのギャップは広がっていきます。
 何十年、何百年もずっと続いているモノというのは、実は変わっていないようで、その時代ごとにしなやかに変身していたりするものです。一見変わっていないようで、実は変わっているとか、一見変わっているようで、内実変わっていないとか。
 だめになっていく過程でのソニーにも「技術力」はあったと思います。時代を読む力もあったと思います。ある意味では、技術力がありすぎ、そして時代を先読みしすぎたような感もあります。
 また、ソニーは変わっていないけれども世の中がダメになったとも言えます。職人の作った高価なものよりも、多少性能が低くても、あるいは壊れやすくても安い方がいいという価値観の蔓延ですね。
 そして、いつのまにか、ソニーはそういう大衆の側に自らの基準を合わせてしまった。グローバルマネー世界に魂を売ってしまった。そうとも取れます。
 教育の現場でも同じことが言えますね。ただ生徒が集まればいいというわけではない。しかし、生徒が集まらなければ学校自体がなくなってしまう。そこで、どこに着地点を見定めるか…これには、実はデータよりも経験的な勘が必要だったりします。それこそ職人的な技。
 難しいけれども、だからこそやりがいがあり、面白い仕事であるとも言えます。教育界では比較的ゆっくり変革していけばよい部分もありますし、保守的で許される一面もあります。
 しかし、さすがにこういう世の中になったからこそ、教育から世の中を変えていきたいという大志が湧いてくるのも事実です。機を逸さないように、存分「勘」を働かせてやっていきたいと思います。
 ああ、それにしても私はソニー信者じゃなくて良かったな。これは信者には辛いわ。私はどちらかというとアンチでしたから、この失敗譚をありがたく他山の石といたしましょう。

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2012.01.01

謹賀新年 2012(年賀状公開)

↓クリック!!
2012 さま、明けましておめでとうございます。
 昨年は本当に大変なことがたくさん起き、私たち日本人は大きな試練に直面しました。そして、大きな転換を迫られた年でしたね。
 今年はいったいどんな年になるのでしょうか。
 私は今年、年男です。だからというわけではありませんが、今年は個人的には人生最大の挑戦の年だと思っています。自分自身も大きくヴァージョンアップ、いやモデルチェンジしなければならない年だと思っています。
 というわけで、今年の年賀状はこれです(笑)。
 勝手にiPhone5を作ってみました。毎年我が家の年賀状はとんでもないものが多く(例えば2011年2010年2009年など…笑)、ある意味皆さまに期待していただいてるんですが、さすがに今年はあんまりおふざけが過ぎるのもなんなので、珍しくクールな感じにしてみました。
 ちなみにこれを作るのにアイデア1時間、作業30分です。今年の年末はいつもよりも忙しかったので、はっきり言って作業的にはかなり手抜きです。すみません。
 その結果、クールであるはずのデザインが、けっこうツッコミどころ満載になっています。よく見ると、いろいろと変なところ(故意にそうした所とミスでそうなった所)があります。
 間違い探しみたいなものでしょうかね。自分としてはツッコミポイントが6ヶ所くらいあります。もしお気づきの点がありましたら、コメント欄にでも書いてやって下さい(笑)。
 ちなみに「A Happy New World」というコピーは、なんとなくAppleがやりそうな雰囲気だなと思ってテキトーに作りました。英語的に正しいかどうかは知りません(笑)。でも、もしかすると2012年を象徴する言葉になるかもしれませんね。流行語大賞狙うかな。
 一方、下にあるスティーブ・ジョブズの名言「Think different. Stay hungry. Stay foolish.」については、ガチで今年の私の目標です。
 というわけで、本年も蘊恥庵庵主と不二草紙をよろしくお願い申し上げます。世界がいい方向にヴァージョンアップ、モデルチェンジしますように。

参考 2012年はスーパー天文イヤー

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2011.12.31

元気ですか!! 大晦日!! 2011

20120101001 井慧は木村政彦にはなれなかったのか…。
 木村政彦の遺志を継ぐ岩釣兼生から、ホンモノの柔道を託された石井は、ヒョードルの強烈な打撃の前に轟沈しました。
 木村ならヒョードルの打撃を捌いて組み付き、超高速の大外刈りで倒してから、得意のキムラロックで勝利していただろう…こんなふうに妄想するのもまた楽しいものですが、現実には今の柔道にはそういう力がまだないとういことが証明されてしまいましたね。
 これはこれで現実として受けとめるべきでしょう。「当て身」とその防御術を復活させるにはとんでもない時間がかかるのではないでしょうか。
 さて、今回の大晦日興行は、アントニオ猪木率いるプロレス団体IGFの力を借りて、総合格闘技のDREAMの試合を中心に展開されるという、今までにない画期的な内容でした。
 ある意味水と油の関係になってしまっていたプロレスと総合がまぜこぜにされた上に、対抗戦まであるというのは、これは本当に夢のようなことです。
 もともとIGFは現代プロレスへのアンチテーゼとして立ち上げられた部分があるので、本当ならなじむはずなんですよね。猪木さんや、あるいは馬場さんまでもが考えていたであろう「プロレスリングこそが総合的な格闘技である」という基本に立ち返っているわけですから。
 で、実際のところどうであったか。
 私はこの大会は大成功だと思いましたね。
 あの会場のファン、そしてテレビやネットで観戦していたファンたちの多くが総合ファンであり、アンチプロレス派だったと思いますが、彼らの知っている最近のパフォーマンス色の強いプロレスと、IGFが示すプロレスリングとはかなり違っているので、ある意味驚いた部分もあったのではないかと思います。
 私はネット観戦派だったので、会場の雰囲気はよく分からないのですが、IGFルールの試合はそれなりに観客の目を引きつけていたのではないでしょうか。
 まだプロレスは死んではいないということを世間に示すことができただけでも、今年の大晦日興行は大きな意味を持っていたと思います。
20120101157 特に、我が家の知り合いどうしの闘いとも言える、ジョシュ・バーネットと鈴木秀樹の試合は、まさに本来のプロレスリング、すなわち、キャッチ・アズ・キャッチ・キャンを体現した好試合でした。その上で、現代的な見栄えのする(大会場でも説得力のある)大技も繰り出され、身内びいきでなく本当にバランスの取れた好試合だったと思いました。会場も「お〜」という感じでしたよね。
 特に第1試合ての所選手のアクシデントもありましたから、プロレスの受け身のすごさ、フィジカルのタフさには皆驚いたのではないでしょうか。そこも含めてプロレスの技術だと思います。ジョシュと秀樹、本当にGJ!でした。
 そして、唯一のIGFとDREAMとの対抗戦、澤田&鈴川 vs 桜庭&柴田。これは面白かったなあ。ある意味プロレスができない四人(苦笑)。いや、器用だけれども不器用というか、プロレスの奥深さに呑まれてしまっている四人が、まさに上田馬之助さんの言う「筋書きにはないドラマ」を演じてくれました。
 あの不穏な雰囲気というか、プロレスの筋書きをギリギリ超えるか超えないかの緊張感と言いますかね、なんかとっても懐かしい感じがしました。
 これで次につながるという空気が出来上がりましたが、はたして桜庭和志がそれに応ずるのか。ある意味大人になれるのか!?これは大変興味があるところです。
 それにしても、ある意味四人と濃密で微妙な関係のある宮戸優光さんが、すごい存在感を示していましたね。放送でもアップでとらえられていました。
 宮戸さんは、今プロレス界でほとんどただ一人、本物の「プロレスリング」を伝導している人です。武道や禅にも造詣が深く、精神性も含めて本当の格闘技をしっかり理解し教えることができる人です。
 そんな宮戸さんの目と心に、あの試合や興行全体がどう映ったのか、ぜひ近いうちに聞いてみたいと思います。私も一観客、一ファンの立場から感想を述べさせていただきたい。
 その他の試合についてもいろいろ語りたいところですが、あまり時間がないので割愛します。なにしろ長い長い興行でした。
 それにしても、あまりにぴったりにカウントダウンを迎えられましたね。もうそれだけでも奇跡です。そこが猪木さんの不思議な力なのでしょう。まさに昭和の化け物、物の怪が生きているという感じでした。
 今日はニコニコ生放送でプロレス&格闘技を観戦し、テレビでは紅白を観賞していました。まさに昭和のヤクザが残してくれた文化遺産ですね。暴力団排除条例のことなどもあり、ずいぶんと状況は変わってしまった今年ですが、結局日本人はこれがないと年を越せません。
 結論、やはりプロは「強さだけではダメ」ですね。いろいろな意味で、力道山や木村政彦、美空ひばり、そして田岡組長の姿を見た大晦日の夜でした。
 


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2011.12.13

未来へのキオク

20111214_124753

 Yahoo!ニュースなどでも紹介されていましたとおり、Googleのストリートビューで被災地の様子が公開されました。
 ストリートビューについては、いろいろな問題も取り沙汰されていましたが、こういう形で被災地の「今」と「昔」を記憶として残すという意味においては、たしかに画期的なことであり、また高く評価されるべきものであると感じました。
 ぜひ皆さんも海岸線を中心に「歩いて」みてください。私も今日、小一時間辺りを見回しながら歩いてみました。
 7月の風景がほとんどでした。いまだ津波の爪痕が克明に残っている中、多くのトラックやパワーショベル、そしてたくさんの作業員の方、住民の方が復興へ向けて必死に働いている様子がうかがえます。
 新聞やテレビで取りあげられる、あるいはネットの動画や写真などで見る光景とはまた違った「リアル」な現地の姿が(ほんの少しではありますが)分かったような気がしました。
 このストリートビューのみならず、Googleらしい情報収集力で被災地の様子を記録し、後世に伝えようとするのが、サイト「未来へのキオク」です。
 こうして、時間だけでなく空間をも超越して、このたびの大震災の記憶が世界中に刻印されていくのは、実に意味のあることだと思います。
 もちろん、視覚だけでは伝わらないモノもたくさんあるでしょう。あるいは興味本位で見られることに抵抗のある被災者の方もいらっしゃるでしょう。
 しかし、私たちの歴史が証明してしまっている、「天災は忘れた頃にやってくる」という言葉に象徴されるような人類のある意味での愚かさを克服していくために、このGoogleのテクノロジーと思想は決して無意味ではないでしょう。
 今日はこのくらいにして、今からまた東北を旅してみたいと思います。

未来へのキオク ストリートビュー


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2011.12.09

ツイッターという矛盾

↓鳥のさえずりが大学の「訓告」に
466389094 も尊敬申し上げている早川由紀夫さんのツイートが大きな問題(話題)となっています。
 早川由紀夫さんは火山学者で群馬大学の教育学部教授。早くから、福島第一原発事故に伴う放射線被害の危険性を訴えてきた方です。彼が発表した放射線汚染マップは、私もTwitterでいち早く紹介させていただきました。
 ご存知の方も多いと思いますが、問題となったのは次のツイート。

『福島県の農家は、ことしもコメつくるつもりなんだろか。つくったとして、誰が食べるんだろか。
セシウムまみれの干し草を牛に与えて毒牛をつくる行為も、セシウムまみれの水田で稲を育てて毒米つくる行為も、サリンつくったオウム信者がしたことと同じだ。福島県の農家はいま日本社会に向けて銃弾を打ってる。』

 たしかに過激な比喩ではありますが、実際に起きていることを考えると、これは真実であり、正論であると言えます。
 このツイート(及び以前のいくつかのツイート)に対して、大学当局から訓告が発せられました。そこにはこんなことが書かれています。

『貴殿のインターネット上のツイッターにおける福島県の被災者や農家の人々に対する配慮を著しく欠く発言は、運営に要する経費の大部分を国費によって賄われている国立大学の教員として不適切な発言と言わざるを得ず、「本学の名誉若しくは信用を失墜する行為」を禁止する就業規則の規定に抵触している。よって、今後はインターネット上のツイッターにおける不適切な発言をすることのないようにされたい』

 早川さんのツイートのどこがどう「不適切」なのか。大学の発した訓告を読むと、一連の比喩が福島の方々に対して配慮を欠いており、その行為が群馬大学の名誉や信用を失墜させる可能性があるという点において「不適切」だったということがわかります。
 つまり、ウソをついた結果誰かに害を及ぼしたとか、実際に福島の方を傷つけたとか、そういうことではなく、被害者は群馬大学だということになります。
 これは正直、権力による言論統制、口封じであると感じます。早川さんもそう受けとって「大学の自殺」であるとし、ツイッターやマスコミを介して反撃に出ています。
 そのような一連の流れも興味を引くものでしたが、私としてはその端緒となった「ツイッター」自身の矛盾を改めて考えさせられましたね。
 その矛盾とは…私が2年ほど前に書いたことそのままですね。
 twitter、tweetという「さえずり(つぶやき)」、あるいは「興奮」という、本来全く公共性のない、ほとんど理性を介さないような「独言」が、大衆によって、これまた非常に無責任なワンクリックによって「リツイート」され、それがさらにねずみ算式に無責任度を倍増させていく。そういうシステム自体が非常に問題だと思います。
 私自身、あるツイートが何百何千とリツイートされたことがあり(かの孫正義にまで!)、私の発した実に無責任な言葉が、それこそ私という主体から離れて独り歩きしていくことに、非常なる恐怖と不安を覚えたことがあります。
 そして、今回の早川さんのつぶやきの結末が、上に挙げたような、実に「公共性」を帯びた、個人を感じさせない、形式的で、ある種理性的な「訓告」に至るというところが、まあ面白いと言えば面白いじゃないですか。ついにはニュースで真面目に語られたりして、全くもって滑稽です。
 今回の早川さんのツイートは、政治家や閣僚や官僚の不適切発言や失言とは違います。しかし、システム上、結果としてああいう「公式文書」や「ニュース原稿」になってしまうという結末においては同じとも言えなくもありませんね。
 つまり、私にとっては、もうTwitterの時代は終わるということです。公共性を帯び、公式性を意識して発言しなければならなくなった時点で、Twitterの本来の意義はなくなっているということです。
 そして、それは私が予感したとおり、もともとTwitter自身が持っていた矛盾だということなのです。私もそろそろ潮時かなと思っています。

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