カテゴリー「ウェブログ・ココログ関連」の26件の記事

2009.11.11

『朝紫(紫黒米芋大福)』 みやきん

Img10031570541 ットというのは本当にすごいですね。私もこのブログのおかげでいったい何人の方と出会うことができたことか。それも私からすると出会うはずのないような世界の方ばかり。それは物理的に遠い世界というだけでなく、ステージ的にも遠い世界という意味もあります。とにかくそれが私の人生を豊かにしてくれているのはたしかです。本当にありがたいことであります。
 さて、このおいしいおいしい大福餅も、そういったご縁で頂戴したものです。
 私のマニアックな記事に反応されるのは、やはり同じ趣味をお持ちの方(と言っても、その趣味の範囲があまりに広いようですが…笑)が多い。あるいは、同じ仕事を持っている方、つまり同業者、国語の先生が多かったりします。
 この前、青森は十和田にお住まいの先生からコメントいただきまして、こちらの教材(?)をシェアいたしました。そのお礼ということで、ご丁寧にお送りいただいたのが、この美しすぎる議員ならぬ、おいしすぎる大福でありました。ごちそうさまです。
 いやあ、これは本当に美味しかった。味のみならず、その食感もまた素晴らしい。まずは表面からいきますと、紫黒米のお餅が実にセクシーにやわらかく、もう手に持った瞬間、指でつまんだ瞬間からして至福の時間が訪れます。全体が大きさの割に微妙に重いものですから、そのやわらかさがちょっとした危うさを感じさせます。そこがセクシーですね(笑)。
 そんな柔肌に歯を当てますと、まずは軽みのあるあんこに出会います。この餡がまたいいですねえ。甘すぎない絶妙なさじ加減。あんこって難しいじゃないですか。和菓子は餡で決まります。私はこの餡、気に入りました。原料は当然のごとく十勝の小豆。
 そして、さらに進みますと、そこに現れるのは薩摩芋。これがですね、まるで栗のような食感なんです。まあ、簡単に言えば予想と違って硬い。それがいいですね。こちらはあくまで男性的。その美しい黄色い輝きが、餡の深い闇を照らします。そう、朝紫一つで世界の陰陽を味わえるのですよ。これは宇宙か、それとも胎内か。
 なんて、ちょっとおおげさな表現になってしまいましたが、ホント味的にも見た目的にも、そして食感的にも非常に深みのあるお菓子です。いろいろな意味での存在感があって、そのおかげで、食後の満足感も200%。お世辞抜きにおススメです。本当にありがとうございました。ごちそうさまです!
 数日前には、私の恩師大村はま先生の研究をされていたという沖縄の先生とご縁がありました。これまた、お互いびっくりの運命的な出会いでした。
 ネットとはまさに「縁」ですね。私はこの時代に生まれて良かったと思っています。インターネット、ブログなどは、私に適したメディアでした。やはり、それはテキストがベースになっているからでしょうか。言葉は世界をつなぐ。その言葉のおかげで、私の人生はどんどん変わっていっているのでした。

紫黒米芋大福(朝紫)/6個入

みやきん

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2009.09.30

美人時計

 日の「アゲアゲ系」な女性の話に対しまして、けっこうこっちは落ち着いてるんじゃないでしょうかね。比較的地味な感じです。いや、男性諸氏としては「アガる」時計なのかもしれません。心静かに燃える…いや萌える。好みの女性が出てくると密かに仕事のやる気がアガるとかね(笑)。
 もう半年くらい前から評判だったこの時計。今回初めてiGoogleに導入してみました。
 いやいや、これで男を上げようというわけではありませよ。実は知り合いの女の子がこの時計モデルとして撮影されたと言ってきたので、じゃあ見てやろうと。
 で、その担当時間(?)というのが、ちょっと微妙な時刻でして、いちおう頑張って見ていたんですが、全然違う女の子が出てきました。ボツになったのかな。それともだまされたのか。いや、実際のところ、かなり多くのヴァージョンがあるようなので、いつかふと現れるんでしょう。
 うん、これってたしかにいいアイデアですね。「1440枚の美女達!!あなたは1分間の恋をする」。
 昨日書くのを忘れましたけど、人間が心からアゲアゲになるのは、実は「恋愛」と「宗教」と「戦争」しかありません。ご存知でしたか?
 今、たしかにそれらが不足してるんですよ。もちろん「戦争」が不足することは悪いことではありませんし、やたらな「宗教」が流行らないのもまあいいことです。しかし、なんで「恋愛」が不足してるんでしょうかね。
 やっぱり、ヒトという種が増えすぎて生殖のエネルギーが減退してるんでしょうかね。たぶん、そうなんでしょう。
 昨日も書いたとおり、とにかく受け身で刹那的なんですよ、アゲアゲが。私の得意の言い方ですと、つまり、「いとをかし」=「超萌え」的な感情ばかりで、熱しやすく冷めやすい。不本意や不随意である「もののあはれ」なんて感じることはあんまりありません。我慢したり、待ったり、長い目で見たり、自ら切り拓いたりするのが苦手。
 リアルな「恋愛」ってものすごく辛いものじゃないですか。特に「片思い」とか「物思い」の時期は。それが今ほとんどないんですよ。高校生見ててても、ホントそう感じます。すぐに結果を求める。で、ダメなら次みたいな。
 それ以前に、リアル恋愛ができない女の子が非常に増えています。男より女の方がそういう傾向が強いって感じがするな。女がそんな具合だから男があきらめてる雰囲気がある。今の学校には、私の高校時代のような、ああいう甘酸っぱくほろ苦い雰囲気はほとんどありませんよ。
 女子はある意味みんな腐女子化しています。狭義の腐女子、すなわちBL的方向に逃げてしまう女の子もかなりいますし、広義の腐女子、ジャニヲタみたいなミーハーな仮想世界萌え方向に行っちゃうギャルも多い。
 一方で、リアルな男関係を好むやつらは、ある意味肉食系でして、それはそれで「恋愛」と言えるものなのか、ちょっと微妙です。ま、それは昔からある世界ですけど。
 で、男ですけど、さっき書いたように、ちょっと諦めちゃってる部分もあります。しかし、男は今も昔も実はとってもセンチメンタルな存在なので、リアル恋愛願望はちゃんとあるんですよね。でも、それをあまりおおっぴらにしちゃうと、リアル恋愛嫌いな女子に引かれてしまう。だから、しかたない、ひそかに恋愛するしかないわけです。
 それって、例えば私みたいな既婚者には、昔からあったことです。結婚すると、恋愛はルール違反ということになりますから。場合によっては万死に値する場合もあるので(笑)、これは慎重にことを運ばねばならない。そういうオジサマ方にも、この「美人時計」は有用でありましょう。
 いちおう「時計」という「まじめな」機能を持っていますから、身近に携帯したり設置したりしても、なんとなく許されるような気がします。単なる美少女写真集がデスクの上にあるのとは意味が違います(違わないか…笑)。
 好みの女性が出てくるまで、ずっと見つめていると、これはたしかに仕事にならないでしょう。でも、たぶん男たちはそんな使い方はせず、ふと見た刹那の偶然の出会いを期待しているんでしょうね。そして、1分後の別れ…(実際は何分間か同じ女性が続きますが)。
 私の「もののあはれ」論に時間論は欠かせません。時間こそが最も不随意な「モノ」であり、また、無常を生み出す根源的存在です。そしてまた、具体的な生活の中で、最も多くのモノ性を帯びた事象が「恋愛」であります。その両者をうまく組み合わせ、我々人間にとっての「刹那」の意味、その充実とはかなさを表現したこの「美人時計」は、なかなかの傑作であると思います。
 ああそうそう、これは女子にとっても無用なものではないようです。都会のリアルクローズの勉強になるとか。なるほどね。
 今後、「美少年」とか「美猫」とか、そういう「萌え」対象への展開が予想されますかね。世界版もいいでしょうし、もう少しエロスを強調したものとか、それこそ「アゲアゲ」なギャル系とか、いくらでも細分化できるでしょう。しかし、あくまで、それらにおける登場人物(猫)は、モデルとかではなくて、日常的なシロウトさんがいいでしょう。その方がよりリアルだからです。

美人時計公式

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2009.06.08

『ウェブはバカと暇人のもの』 中川淳一郎 (光文社新書)

33403502 の本はなかなか鋭い。正しいことを言っています。「ウェブはバカと暇人のもの」。まあ、そのとおりです。
 私はこうしてバカみたいにブログを更新しつづける暇人です。先日、5周年を祝い100万アクセスを祝ったばかりです。5年間も、このお馬鹿な世界にどっぷり浸かり、いい気になって駄文を恥ずかしげもなく発信してきました。
 中川さんからしますと、私なんてまさにバカで暇で思い上がったシロウトということになるでしょう。実際、そう言われると否定できないし、たしかにそれ以上のものではないですね、自分は。
 しかし、一方で、私はこの「ネット社会」「ウェブ時代」に、どこか虚しさを感じてきたこともたしかです。それは、この5年間における、ネット・ウェブ関連の書籍の感想記事を読むとよくわかります。
 ちょっと時系列で並べてみましょうか。自分で言うのもなんですが、なかなか面白いですよ。ペシミスティック時々オプティミスティックっていう感じで。

グーグル・アマゾン化する社会
フューチャリスト宣言
2ちゃんねるはなぜ潰れないのか?
ウェブ時代をゆく
ウェブ時代の5つの定理

 最終的には、どちらかというと、中川さん的といいますか、ひろゆき的といいますか、かなり懐疑的になってますね。やはり、どっぷりその世界に浸かって(漬かって)いて実感する何かがあるのでしょう。
 しかし、今、私はこうして懲りもせずに書き続けています。ほとんど修行のように。いや、ほとんど病気のように。中川さん的に言えば、「暇つぶしの義務化」が進行しているのでしょうか。
 中川さんも私も何度も言っていますが、ネット(ウェブ)社会は、まさに「社会」であって、全く自由、平等、正義ではありません。梅田さんや茂木さんのような頭のいい人、あるいは社会性のある人、処世術に長けた人にとっては、理想的な世界かもしれませんが、我々「集合愚の構成員」にとっては、かなり不自由で不平等で邪悪な世界です。
 つまり、ネット(ウェブ)社会では、その匿名性と即時性、刹那性ゆえに、人は善悪の極端に位置します。すなわち、そこは極端な性善説と性悪説の世界になり、その中間的存在や、その複合的存在が居心地の悪い思いをする空間になります。
 私は、たとえばこのブログを書くあたって、そういう空気に、いやというほどに気を遣いつつ記事を書いているのです。それが意識されていようがいまいが、とにかく、見えない「集合知」と「集合愚」の両方に向けて、そしてその両方と折り合いをつけるべく、メッセージを発しているのです。これは、はっきり言ってリアル世界よりもきつい社会性を要求されている状況とも言えます。
 私のこのブログ、昨日も1日で1000以上のPVがありました。ありがたいことです。しかし、面白いもので、コメント欄が炎上などしたことありませんし、だいいちコメントが非常に少ないんですね。これほどPVがありながら、これほどコメントがつかないブログも珍しいのではないでしょうか。
 それは、単にコメントするまでもない内容であるということで、別に不思議がるべきことではありません。しかしまた、一方では、メールでご連絡いただき、実際にお会いするまでになる、そういう読者の方が多いのも事実です。つまり、私にとっては、このブログは、リアル世界での出会いの窓のような存在なのです。ある意味、そう割り切っている、ネット(ウェブ)というヴァーチャルにどっぷり浸かっていないということなのかもしれません。
 そのように、ネット(ウェブ)を、完全に道具としてとらえている私のようなものにとっては、案外この世界も悪いものではないかもしれない。中川さんが言うように、たしかに「バカと暇人」が跋扈している世界だと、また自分もその一員であると、そうきちんと把握していれば、ここは単なる「自然界」「自然状態」であって、そこでうまいこと生きていくという方法もありかなと思うのです。
 ちょうど、ウチの近所の樹海で生活するようなものです。5年も住んでいれば、毒キノコも見分けられるようになりますし、どこに行けば危険な熊や野犬がいるかも分かる。また、ちょっと嗅覺が働けば、どこに死体がぶら下がっているかくらい分かるようになる。
 逆に、食べ物を得ることにも習熟してくるでしょうし、美しい風景、楽しい洞窟、安全な寝床の場所もどんどんマッピングされていくでしょう。自分にとって有用なコト、必要なモノを手に入れて、それで満足することも可能なのです。
 情報たる「コト」の集合は、結局自然たる「モノ」に還るのだと、私は考えています。ですから、こうしたネット(ウェブ)社会の発達は、実は革命でもなんでもなく、自然回帰の現象だと思うのです。
 そういう意味においても、この本で強調されていたとおり、テレビの影響力は衰えないと思います。特に経済分野、商業分野においては、「コト」が重視されますからね。樹海では商売になりません。テレビは都市的なメディアなのです。ネット(ウェブ)は無秩序な大自然そのものであって、実はメディアですらないのかもしれません。
 私たちは、ある意味忘れかけていた「自然に対する社会性」を、こうして取り戻しつつあるのかもしまれせんね。自然はとっても両極端な社会ですから。そこには自由も平等も正義もないのは当たり前です。

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楽天ブックス ウェブはバカと暇人のもの

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2009.05.31

感謝!100万アクセス達成!

1 5月31日、東京で隠密活動していたのですが、その夜に100万アクセスに到達したようです。本当に読んでくださる皆さまに感謝です!
 チリも積もれば山となる…いえいえ、皆さまの温かい一票…ではなく、一件というか一見というか一瞥というか一読というか、そういう貴重なもののをチリだなんて表現してはいけませんね、宝も積もれば山となる、とでも言えばいいのでしょうか、いずれにせよ、全ては皆さまのおかげです。ありがとうございます。
 実際のところは、100万アクセスというより、100万ページビューと言った方が正確です。重複アクセスもカウントしていますので。また、100万というのはあくまでも左の猫ちゃんの上にあるカウンターでの話であって、ココログのカウンターではまだ92万ちょっとなんです。ま、でも、まあいいや。とにかくめでたい数字が表示されたことは確かですから。
 それにしてもですね、自分でもこんなにたくさんの方に見てもらえるブログになるとは思っていませんでした。最初の1ヶ月は1日に一ケタのアクセスしかない日が続いていましたからね。それが今では1000を超える日もあったりする…感無量です。
 丸5年で100万ですから、平均すると1日500強ということでしょうか。最初の2年くらいは1日200から300の日が続きましたから、そんな感じでしょう。それが3年目ぐらいからでしょうかね、Googleでの検索順位が突然上がりまして、それで通りすがりの方、一見さんが激増したんです。そこから定期的な読者になってくれた方もたくさんいまして、今さらながらGoogle様の力には驚きを感じます。あんまり悪口言えないな。
 それにしても、こんな一般人の、それも決まったテーマもない、思いつきを書きなぐっているだけのブログに、こんなにアクセスがあるというのも不思議ですね。不必要に長いし、形式もいわゆるブログ風でなく、普通の作文風で読みにくいし。文章自体も平成軽薄体で品格が感じられないし(笑)。
 ただ、本当にブログというツール、メディアの力には感動します。正直、自分の発信しているこのブログのおかげでずいぶんと人生が変わりました。100万のアクセスの中から、どれだけ貴い御縁が生まれたことでしょう。絶対に出会わなかったであろう方々と、どれだけ知り合い、言葉を交わし、そして実は今日もそうだったのですが、実際にお会いすることになったことか。本当にインターネットというのは画期的なインフラですね。まさにインター(つなぐ)ネット(網)です。
 そしてブログというメディアもまた、シンプルではありますが、今までのパラダイムを崩す可能性を持っています。つまり、私のような一般人と、いわゆる有名人が同じ土俵に上がることができる可能性を提供してくれるんですね。
 たとえば、Googleの検索結果では、有名な学者さんや、芸能人さんなどのブログの隣に、私のブログが位置することができるんですね。これは以前の社会ではありえないことでした。だって例えば雑誌などで、有名人の書いた記事と、私が書いた記事が並んで掲載されるなんてことはあり得なかったじゃないですか。
 それと、私の言葉が、そうした方々に直接届くということですね。つまり、私がおススメしたものの作者御自身が、私の記事を読んでくださる可能性が非常に高くなったということです。先ほど書きましたように、どういうわけか私のブログはGoogle様に高く評価されていますので、たとえばCDや本を紹介したとすると、その記事がAmazonの当該ページに次いで第2位に表示されたりするわけです。そうしますと、やはり作者の方々ご本人としては、ついつい読んでしまうのではないでしょうか。実際、そのようなことが機縁で、直接ご連絡いただいたり、お会いしたりする機会を得ています。これも5年前には考えられないことでした。
 ですから、この毎日の修行のような作業も、ものすごくやり甲斐のあるものなんです。私にとっては、原稿料なんかよりもずっとずっとありがたい報酬がいただけるわけですからね。
 いや、それを期待して毎日書いているわけではありませんよ。そういういやらしい気持ちを持つと、文章というのは書けないものです。あくまで無垢に、自分の中から生まれてくる言葉を書き留めているだけです。それが世界に発信され、ある意味私に代わって勝手に活動してくれているという感じでしょうか。そういう意味では、そんな言葉たちにも感謝したいと思います。
 さあ、次の目標は…なんて、あんまり力んだりするとダメですよね。今までどおり自然体で、な〜んも考えず、全てを言葉たちに言霊におまかせします。というわけで、これからも皆さん、こいつら言葉たちをよろしくお願いいたします。とりあえず死ぬまで続けます。たぶん。

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2009.05.02

感謝!不二草紙5周年!

↓早朝、パジャマ姿で修行に励む筆者
Uni_2462 日、本ブログ「不二草紙 本日のおススメ」は5周年を迎えました。これもひとえに皆様方のご支援のおかげです。本当にありがとうございました。
 5年という一つの区切りを迎えましたので、本日をもちまして、いったん断筆させていただきます。仕事も大変に忙しくなってまいりましたし、社会的な立場も変りつつあり、好き勝手なことを書きづらい雰囲気も周囲に流れています。2000近い戯れ言を書き散らして、地球の文化環境をもだいぶ汚してきましたので、もうそろそろ悪行はやめようかと。そして、なにしろ、毎日の負担が大きすぎます。
 …と書こうかとも思いましたが、やっぱりもう少し続けてみることにしました(笑)。
 いやあ、実際毎日けっこうストレスになってるんですよ。基本前日の分を翌朝早く起きて書くというスタイルなんですけど、もう寝ている最中から、何書こうかな、どう書こうかなと考えてしまい熟睡できない始末。昼間も見るもの聞くもの、全てネタとしてとらえるクセがついてしまいまして、大変と言えば大変(面白いと言えば面白い)。
 とにかくもう三度の飯より…いや一食主義なので一度の飯か…一度の飯と同じくらい大切な生活の一部になってますので、ここでやめると自分が死ぬんじゃないか、頭に栄養がいかなくなってボケるんじゃないかと心配にもなっちゃうんですよ。だから、やっぱりやめたくてもやめられないと。
 三日坊主エセ坊主の私が、これだけ一つのことを続けるのは、本当に珍しいことです。毎日休まず続けるという意味では、まあ生業である今の仕事は別として、つまりは、やらなくてもいいことを5年も続いたわけですからね、これは自分史の中で画期的なことですよ。自分で自分をほめてやりたい!とか思ったら、三人目の(?)自分が「小学校は6年だぜ」と言ってニヤッとしやがった。
 そうか、あれはたしかに毎日6年続いたな。義務教育っていったって、小学校なんか遊びの延長みたいなもんだからなあ。行かなくても生きていけるし。そうか、まだ小学生の自分にも到達してないんだ。あいつに負けるのはちょっと悔しいな、と思えてきました。うん、やっぱりもうちょっと続けよう。来年の今日でようやく小学生レベルなんだな。
 まあ、それにしても、このブログというツールのおかげで、自分の人生は大きく変わりましたね。ちょうどいい時代に生まれたということです。もともと、文章を書くのが嫌いな、というか面倒くさい人間でしたので、どちらかというと、絵や音楽で表現する方に走っていたんです。でも、どこかで文章、言葉に対する未練というか、憧れというか、あるいは、「もしかすると、自分が一番得意なのは、絵とか音楽ではなくて、言葉を操ることなんじゃないか」という妙な、全く根拠のない自信のようなものがあったのも事実でした。それをこうやって実現できる「場」が、実にいいタイミングで現れたというわけです。
 実際、私の頭の中はずいぶんと活性化して、半分諦めかけていた自分の人生というものに、再び光が差した、そう、ちょうど小学生の頃の自分のように、もしかして自分って…みたいな感覚がよみがえってきたんですね。
 また、単なる脳内の妄想だけでなく、私を取り巻くリアル世界もずいぶん変わってきたんです。とにかく、このブログを通じて、多くの方々とつながることができた。絶対に出会うことのなかったであろう方々と、ありがたい御縁で結ばれることになった。これは実に大きなことでした。
 私の分身である私の「言葉」が、ネット社会の気脈に乗っかって、世界中に拡散、いや言葉は「コト」であり情報ですから、拡散して希薄になっていくわけではありませんね、増殖して行ったんですよ。それを偶然、あるいは必然的にとらえてくださった方が本当にたくさんいらして、そして、実際につながった。やはり、言葉はメディアなんですね。媒介するものなんです。
 あと、ブログというメディアが私に適していたのは、「無責任」「いいかげん」が許されるという点です。インターネット世界自体が、そういう「モノ」性を帯びた、メタ・ネイチャーであると思うんですが、私のある種の「物の怪」性が、そこに実にマッチしていたということですね。
 先ほど「何を書こう、どう書こう」とか格好つけて書きましたが、実は何も考えずに、構想もなしに、毎日書き始めているんです。そうすると、どんどん勝手に筆が進む(実際は筆ではなくキーボードですが)。今もそうです。で、これこそが「物語」の本質であると思うんですね。「モノ」を「カタル」という行為は、まさにこれです。そういう意味では、このブログはプチ霊界物語なのです。私自身が、どこかの世界とこの世界との媒介役になっているのかもしれませんね。その証拠と言ってはなんですが、今まで書いてきた2000近い文章の内容、実はほとんど覚えていません(笑)。単にいいかげんなだけかもしれませんが。まさに無責任野郎、ハッタリ王の面目躍如ですな。ははは。
 と、そんなわけで、私の無責任なハッタリ物語を読んでくださる方々に、心から感謝申し上げながら、とりあえず小学生並みを目指して、まずはあと1年間頑張ってみます。よろしくお願いいたします。そうこうしてる内に、100万アクセスにも到達しそうですね。そしたら、また考えます。
 断筆とりやめ!断筆っていう言葉には憧れはありますが、まだそういうレベルではありませんし。精進します。

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2009.04.14

『文章は接続詞で決まる』 石黒圭 (光文社新書)

33403473 の前、「なので」について書きました。書いてみてわかったのですが、私自身話し言葉ではけっこう使ってましたね。そして、それはたしかに「なので」であって、他の接続詞には代えられないということもわかりました。
 そんな「なので」についても、ほんの少しですが触れられています。話し言葉の接続詞として扱われていました。特に問題視はされていませんでした。
 それにしても、よくぞこれだけたくさんの接続詞をとりあげて、それぞれ分析してまとめあげましたね。すごい。
 何がすごいって、その研究の成果もですけど、なんというか、私からしますと、こうして文章作法を文章で書いているところがすごい。わかります?有名な作家の皆さんの「文章読本」なんかまさにそうなんですけど、文章の作法について文章で論じるわけですから。わかります?まず、自分の文章がちゃんとしてなきゃいけないじゃないですか。それってすごいプレッシャーだと思いますよ。
 たとえば音楽の作法を言葉で説明するのは、そんなにドキドキすることじゃありません。絵画とかもそうでしょう。スポーツもそうです。言葉、文章に関する時だけは、なんか、生き方を生き様で見せるような感じで、ちょっとこそばゆいし、自信がなかったりするじゃないですか。
 それを石黒さんは見事にやってのけてるから、偉いなって思うんです。マネできませんね。
 内容的に感心したのは、「文末の接続詞」という発想でしょうか。なるほど、いわゆる接続詞だけではなく、文末表現がそういう働きをすることもありますね。
 と言いますか、文脈というものがあるかぎり、いわゆる接続詞や文末表現だけでなく、全ての文は接続詞的な機能を持っているとも言えますね。あるいは、人生は接続詞だとも…笑。いや、まじでそんなことを思いました。
 ところで、この本でもブログの文体についての記述がたくさんありましたけれども、私のこの文体、先日も書いたように「講演書き起こし体」、あるいは「平成軽薄体」と呼ばれています(自分に)。で、よく指摘されるんですが、今も出てきた「で」とか、「ま(あ)」とか、あと、頻発するいわゆる「順接の『が』・『けれど』」、これは意識的に使っているのかということについて。
 実は、これはかなり意識的に使っています。ブログでの私の文体です。いちおう私も文章家のはしくれだと自認しておりまして、それなりにいろいろな文章を書き分けることができるつもりです。いろいろと事情があって、ブログではこういう文体を使っています。その事情についてはナイショ。
 いやあ、真のプロレスラーではありませんが、実はガチもできるけど、あえて軽薄を前面に出すというのが、私の理想です。なんちゃってね。ま、ドリフみたいになりたいんですよ(?)。
 というわけで(これもよく使いますね。無理やりフィナーレに持っていっちゃう荒技)、この本を読むと、接続詞の使い方が気になって、文章が「決まる」どころか、なんだか関節技が決まっちゃったみたいに身動きできなくなります。つまり、今まで自然に書いていた文が書けなくなる。ご注意を(笑)。

Amazon 文章は接続詞で決まる

楽天ブックス 文章は接続詞で決まる

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2009.01.01

明けましておめでとうございます!

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2009 けましておめでとうございます。本年も不二草紙をよろしくお願い申し上げます。
 昨年に続きまして今年の年賀状を公開いたします。すみません、リアル年賀状まだ出してません。昨年末、異常に忙しく出すヒマがありませんでした。今日出します。ごめんなさい。
 あいかわらずくだらない年賀状です。まあこれで初笑いを取れればいいと思ってるだけですが、出すのが遅れちゃ意味ないっすよね。
Presidential_portraits_mount_rushmo 昨年はアメリカで歴史的な大統領選挙がありましたね。それにちなんで(?)今年はこんな年賀状にしてみたのです。みなさん御存知の通り、元ネタはサウスダコタ州にあるラシュモア山の彫像です。
 よくどうやって作るの?時間かかるでしょ?とか言われますが、これはアイデアから画像処理まで、28日の昼間にやってしまいました。ソフトはもちろんアドビのPhotoshop(Elements)ですが、どうせ一日しか使わないので体験版をダウンロードして使いました(笑)。お金かかってません。
 さて、昨夜という今朝は4時半に帰ってきました。カミさんはさいたまスーパーアリーナ周辺で哀愁に浸りながらの年越し、私は50人のプロレスラーの方々とカウントダウン。そして終電を乗り継いでたまアリまでカミさんを迎えに行きまして(というかカミさんのケータイの電源が切れて、なかなか会えないという事態に…)、せっかくだから氷川神社に初詣しようかと思ったんですけど、もう眠すぎてそのまま富士山に帰ってきたんです。帰途ものすごく眠くて新年早々居眠り運転で死ぬところでした。
0238 で、朝は普通に出勤して元旦からみんな勉強です。今年は受験生を抱えてますから特別です。お昼前に、せっかくですのでみんなで近所の浅間神社に初詣に行きました。あいかわらずの明るさと元気さで、我が生徒ながらホント偉いと思いますし、自分もこんなに明るい受験をしていたら、きっともっとまともな結果が出ていただろうになと、ちょっとうらやましく思いました。あと二週間ちょっとでセンター試験です。あさってから最終の仕上げ合宿に入ります。いよいよだな。ガンバレよ!
 今年はまずはこいつらをしっかり片づけて、そして次の仕事をしっかりやろうと思います。そう、今年は仕事を頑張る年にしますね。自分にとっても重要な仕事がいくつかありますので、学校のためにも、生徒たちのためにも、地域のためにも、自分のためにも頑張ろうと思っています。
 もちろんこの不二草紙本日のおススメも息抜きに毎日書いていきますね。今年でこのブログも丸5年になります。そして100万アクセスにも達するかもしれませんね。正直もうやめられない状況でして、息抜きというより修行になってますよ。
 とにかく皆さん、今年も健康に気をつけてテキトーに頑張りましょう。よろしくお願いします!

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2008.05.01

ふぅ、戻った…(4歳の誕生日を前に)

↓セッション数の推移
Ga05 Googleに嫌われたという話を、2週間ほど前に書きました。この記事です。3月9日の境にこのブログの検索順位がドカンと落ちて、アクセス数が半減したという話でした。
 それがどういうわけか、(たぶん)今日の朝あたりに、3月8日以前の状態に戻りました。IT業界のある人に、2ヶ月くらいで元に戻るよ、と言われていたその通りになったので驚きました。
 その人の言葉を信じていたのですが、けっこうこの2ヶ月間は辛かったっすね。自分でもそんなのどうでもいいじゃんと思いつつ、なんていうかなあ…モチベーションというか、やり甲斐というのでしょうかね、誰に頼まれたわけでもありませんが、こうして長文を毎日書くのって案外根性のいることなんですよね。その根性がちょっと萎えた。
 これは商売の世界と同じでしょうね。いわば自分の店の前の道の人通りが急に減って、飛び込みのお客さんが減ったという感じだったんです。常連の方はいつも通りわざわざ立ち寄ってくれるのですが、たまたま店頭にあった商品を見つけて入店し、ついでに他の商品も買ってくれるようなお客さんが激減してしまったわけです。
 ウチの店に来る道の向こうの方で突然工事が始まって通行困難になっていた。その工事が終わって昔の人通りが戻ったって感じかな。正直ほっとしました。
 工事してる現場なんか見えなかったので、実は店の改装とかもしてみたんですよ。なんとなく広告が多くてガシャガシャしてたんで、そういうものを店頭から一掃したり、目には見えないような物やゴミも整理しました。でも、その効果が現れたというよりも、やっぱり道の工事が終わったってことでしょうね。
 こう考えると、なんだかんだ言ってGoogle様に依存してるってことですね。もうこれからは彼らを「死体コレクター」とか言いません。ごめんなさい(笑)。
 と、お店になぞらえて話をしましたが、実際の売り上げも激減してたんです。Amazonのアソシエイトとか楽天のアフィリエイトとか、10分の1以下になってました。おかげで新しい本や物を買う資金も枯渇。つまり商品の仕入れも困難になっていたということです。
 またいつ今回のような事態になるかわかりませんし、あるいは本格的に評価が下がって閑古鳥が鳴くやもしれません。また、いろいろな事情から本当に店じまいする日が来るかもしれません。
 実は今日で不二草紙は丸4年、つまり明日4歳の誕生日なんです。1日早いGoogleからのプレゼントだったのかもしれませんね。このおススメはいちおうこの4年間毎日更新してきましたので、神も憐憫を垂れて下さったのでしょう。ありがたく思いつつ、これからも精進いたします。やっぱり商品の質で勝負しなくては。ウチはよろず屋なわけですから、それらしくその道を極めていきたいと思っています。今後ともご愛顧のほどよろしくお願いいたします。

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2007.10.10

『ナノかわゆす・ピコかわゆす』

61ti5bxwnhl_aa240_ 忙しい中頑張って出したこのCDもなかなかの売れ行きだとか。ちょっと生徒に聞かせてもらいましたが、それなりに歌もうまく、ああこの人はいろんな意味で「タレント」がおありだな、と40過ぎたオヤジは思うのでありました。言うまでもなく彼女、ヲタクの中のネ申的存在であり、またカリスマ的ブロガーでもあります。
 さて、そんな「しょこたん」こと中川翔子たんでありますが、私が注目しているのは彼女の生み出す言語であります。いわゆる「しょこたん語」ですね。
 中でも代表的な言葉である「ギザかわゆす」はなかなか興味深いのであります。「ギザ」は「ギガ(giga)」の打ち間違いをそのまま使ったのだそうでして、まあ今風に言えば「超」、古風に言えば「いと」のような強調の副詞ですね。
 「かわゆす」は「かわいい」ということで、単独では「カワユス」とカタカナ書きすることが多い。しかし、前に「ギザ」などのカタカナ語がつくとひらがな表記になるようです。これはなんとなく分かる。「ギザカワユス」よりも「ギザかわゆす」の方がいい。本当のところなぜかは分からないけれど、でもなんとなく分かります。
 さて、もうあまりに当たり前のことで書くのも憚られますが、「ギザ」の本来の形「ギガ」にせよ、「カワユス」にせよ、2ちゃんねるから発した言葉ですね。2ちゃんにおける日本語の様態については、すでに多くの学者さんたちによって研究されている(はずです)ので、ここでは詳しく書きません(本当は書きたいが)。
 で、先に「カワユス」の方について書きますけれど、しょこたんはこれを発展させて「カワユシ」という使い方もするんですよね。これはもう完全に古語返りであります。もちろん、「〜ス」という用法は単純に古語における形容詞の復権、すなわち語尾の「し」を「す」に読み替えたものではないことは、「カナシス=悲しい」「キモス=気持ち悪い」「ウラヤマシス=うらやましい」「ワロス=笑える」などの例を挙げるまでもなく明らかであります。しかし、紆余曲折を経たとは言え、しょこたんによって復元された「カワユシ」にせよ、あるいは若者語として一般化しつつある「なにげに」「さりげに」などの形容動詞連用形に類似する語群にせよ、それらが与えるイメージの中にある種のノスタルジーが含まれているのは確かなようです。2ちゃんでも多用される疑似歴史的仮名遣いなんかもその類ではないでしょうか。
 次に「ギザ」です。このような強調の副詞は、日本語史上決して無視できないものであり、その変遷については既に多くの専門家によって研究しつくされている(はずです)ので、そちらに譲ります。こうした感嘆的な強調表現を憂える方々も多いのですが、では枕草子を見よ!「いと」だ「いみじう」だ「いたく」だ、やたらに出てきます(関連記事)。
 「ギザ」は先ほど書いたように「ギガ」の誤表記なんですが、もう時代は「ギガ」を超えて「テラ」ですので、そちらもかなり使われるようになってます。つまり、こうして感嘆的強調語は、そのインパクトが逓減し、さらなるインパクトを持つ新語にその座を譲っていくわけです。つまり、感嘆的強調語の寿命は短いんですね。それこそが日本語史上の大きな流れであり、多くの副詞が消長した歴史そのものなのであります。
 ま、それはいいとしてですねえ、突然ですが、今日はしょこたんに負けじと新語を考えてみたので、皆さん使ってみて下さい(笑)。
 それはこの記事のタイトルにもした「ナノかわゆす」と「ピコかわゆす」であります。
 今日、ウチのクラスのギャルどもに提案したら、かなり評判よかった。これ使える!これ使おう!はやらそう!って盛り上がってくれました。どうもヤツらの感性のある部分を表現するのに適していたようです。
 つまりですねえ、感嘆的強調ばかりが彼女らの感情ではないということです。「ちょっと」とか「微妙に」とかそういう程度の表現も欲しているわけですね。「ちょっとかわいい」とか「とりたてて強調するほどではないけれど、普通ではなく微妙に惹かれる」とか。で、そんな時たとえば「なにげにかわいくない?」みたいな表現もあるにはあるのですが、そこまでは行かない、だけれど心には止まる、そういう程度を表すいい語がなかった。
 そこに登場したのが、てか、私が生み出したのが「ナノ〜」「ピコ〜」であります(笑)。どうっすか?悪くないでしょう。もちろん「ギガ」とか「テラ」とかのパクリです。逆の発想。
 「ナノワロス」「ピコウラヤマシス」…いいでしょ?音的にもなにげにナノかわゆす(笑)。
 もう誰か使ってるかもしれませんが、まあいいでしょう。気にしません。言ったもん勝ちです。

ps 副詞としての「ナノ」も「ピコ」も科学の発展とともに消え行くのでしょうね。言葉の哀しいサガであります。

しょこたんぶろぐ

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2007.08.29

Tremolo'55 (トレモロゴーゴー)

Discography01 いよいよ、あさってです。本校の学園祭にこの実力派バンドが登場です。知る人ぞ知る、このバンドがなんでこんな片田舎の学校に来てくれるのか。まったく不思議なご縁であります。
 Tremolo'55は、一度聴けば絶対に病みつきになる不思議な魅力を持ったバンドです。私もまあ自他共にあきれるくらいいろいろな音楽を聴き、やってきた人間ですが、このバンドには妙に魅かれましたねえ。なんなとくノスタルジックでゴキゲンだけどちょっぴりアンニュイ、ユーモラスにしてちょっぴり自虐的(?)なサウンドと歌詞。こういう印象を与えるバンドというのは、正直初めてでした。
 このバンドのリーダーであるサギさんとの出会いは今年の4月のことでした。きっかけはこのブログの「グッド・バイ〜私が殺した太宰治」の記事です。太宰が結んだ縁。サギさん、太宰が大好きということで、たまたま私の記事を読んでくださり、そしてメールを下さったのです。その時はまさかこういう音楽の縁になるとはお互い思いもよりませんでした。
 いろいろメールのやりとりをしまして、私がサギさんに太宰関係のあるものをお送りすることになったのですが、そのお礼としてサギさんから送られてきましたのは、3枚のCDでありました。「私たちのバンドのCDです」と。
 さっそく聴いてみました。お〜、これはいいですぞ。ジャズやブルース、ソウルなんかのテイスト、それもですねえ、私たちのバンドのレパートリーである昭和の歌謡曲を支えたあの感じですよ、古き良き時代を感じさせるムード満載でして、だけれどやっぱり今の歌なんですよね。そこのバランスが面白い。ああ、やっぱり私たちの心にも生活にもあの時代の何かが息づいてるんだなあって、あらためて思ってしまいました。
Discography03 彼らの魅力はサギさんの楽曲やヴォーカルだけではありません。メンバーの演奏力の高さはピカイチです。皆さんとってもうまいっすね。プロの方に申し訳ない言い方ですが、正直首をかしげざるを得ないバンドもた〜くさんありますのでね。こういう安定した演奏を聴きますと、やっぱりさすがだなあって思いますよ。あさって生で聴けると思うとワクワクです。
 彼ら、今まで3枚のアルバムをリリースしています。その3枚をサギさんから送っていただいたんですが、それぞれなかなか聞き応えもあり、また変化もあり存分に楽しませていただいています。
Disco_01 1枚目の「トレモロな夜の唄会」はライヴ・アルバム。会場と一体になったノリノリ感が魅力です。楽しそうだなあ。お酒をいただきながら聴きたいっすね。今回は高校という舞台ですから、彼らにとってはアウェーかもしれませんが、まあやっちゃってくださいな。2枚目の「JUMP&WALK」はトレモロらしいちょっと斜に構えた感じの曲が並んでいて、思わずニヤッ、です。3枚目の「SINGLE MALT」は少しpopな感じを前面に出したかなという作り。より音楽的な幅が広がったのではないでしょうか。私はこういうのも大好きです。
 あさって、私も彼らと初めてお会いし、初めて生で彼らの音楽を聴けるわけでして、ワクワクであります。高校生がこういう音楽にどういう反応をするのか分からないという部分もありますが、若いうちに生でハイレベルな音楽に触れるというのは教育的にもいいことだと思います。また、本校のジャズバンド部にとってもいろいろな意味で勉強になることでしょう。
 縁というのは面白い。サギさんに感謝。太宰にも感謝しましょう。また、ブログというメディアにも感謝です。このブログのアクセス数もいつのまにか50万を越えまして、なんだか申し訳ないような気持ちなんですが、本当にこの3年間ちょいでいろいろなご縁をちょうだいしまして、そういう意味では私自身の発した言葉たちにも大感謝しております。

Tremolo'55公式

トレモロ55試聴

Amazon SINGLE MALT

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