カテゴリー「ウェブログ・ココログ関連」の24件の記事

2009.06.08

『ウェブはバカと暇人のもの』 中川淳一郎 (光文社新書)

33403502 の本はなかなか鋭い。正しいことを言っています。「ウェブはバカと暇人のもの」。まあ、そのとおりです。
 私はこうしてバカみたいにブログを更新しつづける暇人です。先日、5周年を祝い100万アクセスを祝ったばかりです。5年間も、このお馬鹿な世界にどっぷり浸かり、いい気になって駄文を恥ずかしげもなく発信してきました。
 中川さんからしますと、私なんてまさにバカで暇で思い上がったシロウトということになるでしょう。実際、そう言われると否定できないし、たしかにそれ以上のものではないですね、自分は。
 しかし、一方で、私はこの「ネット社会」「ウェブ時代」に、どこか虚しさを感じてきたこともたしかです。それは、この5年間における、ネット・ウェブ関連の書籍の感想記事を読むとよくわかります。
 ちょっと時系列で並べてみましょうか。自分で言うのもなんですが、なかなか面白いですよ。ペシミスティック時々オプティミスティックっていう感じで。

グーグル・アマゾン化する社会
フューチャリスト宣言
2ちゃんねるはなぜ潰れないのか?
ウェブ時代をゆく
ウェブ時代の5つの定理

 最終的には、どちらかというと、中川さん的といいますか、ひろゆき的といいますか、かなり懐疑的になってますね。やはり、どっぷりその世界に浸かって(漬かって)いて実感する何かがあるのでしょう。
 しかし、今、私はこうして懲りもせずに書き続けています。ほとんど修行のように。いや、ほとんど病気のように。中川さん的に言えば、「暇つぶしの義務化」が進行しているのでしょうか。
 中川さんも私も何度も言っていますが、ネット(ウェブ)社会は、まさに「社会」であって、全く自由、平等、正義ではありません。梅田さんや茂木さんのような頭のいい人、あるいは社会性のある人、処世術に長けた人にとっては、理想的な世界かもしれませんが、我々「集合愚の構成員」にとっては、かなり不自由で不平等で邪悪な世界です。
 つまり、ネット(ウェブ)社会では、その匿名性と即時性、刹那性ゆえに、人は善悪の極端に位置します。すなわち、そこは極端な性善説と性悪説の世界になり、その中間的存在や、その複合的存在が居心地の悪い思いをする空間になります。
 私は、たとえばこのブログを書くあたって、そういう空気に、いやというほどに気を遣いつつ記事を書いているのです。それが意識されていようがいまいが、とにかく、見えない「集合知」と「集合愚」の両方に向けて、そしてその両方と折り合いをつけるべく、メッセージを発しているのです。これは、はっきり言ってリアル世界よりもきつい社会性を要求されている状況とも言えます。
 私のこのブログ、昨日も1日で1000以上のPVがありました。ありがたいことです。しかし、面白いもので、コメント欄が炎上などしたことありませんし、だいいちコメントが非常に少ないんですね。これほどPVがありながら、これほどコメントがつかないブログも珍しいのではないでしょうか。
 それは、単にコメントするまでもない内容であるということで、別に不思議がるべきことではありません。しかしまた、一方では、メールでご連絡いただき、実際にお会いするまでになる、そういう読者の方が多いのも事実です。つまり、私にとっては、このブログは、リアル世界での出会いの窓のような存在なのです。ある意味、そう割り切っている、ネット(ウェブ)というヴァーチャルにどっぷり浸かっていないということなのかもしれません。
 そのように、ネット(ウェブ)を、完全に道具としてとらえている私のようなものにとっては、案外この世界も悪いものではないかもしれない。中川さんが言うように、たしかに「バカと暇人」が跋扈している世界だと、また自分もその一員であると、そうきちんと把握していれば、ここは単なる「自然界」「自然状態」であって、そこでうまいこと生きていくという方法もありかなと思うのです。
 ちょうど、ウチの近所の樹海で生活するようなものです。5年も住んでいれば、毒キノコも見分けられるようになりますし、どこに行けば危険な熊や野犬がいるかも分かる。また、ちょっと嗅覺が働けば、どこに死体がぶら下がっているかくらい分かるようになる。
 逆に、食べ物を得ることにも習熟してくるでしょうし、美しい風景、楽しい洞窟、安全な寝床の場所もどんどんマッピングされていくでしょう。自分にとって有用なコト、必要なモノを手に入れて、それで満足することも可能なのです。
 情報たる「コト」の集合は、結局自然たる「モノ」に還るのだと、私は考えています。ですから、こうしたネット(ウェブ)社会の発達は、実は革命でもなんでもなく、自然回帰の現象だと思うのです。
 そういう意味においても、この本で強調されていたとおり、テレビの影響力は衰えないと思います。特に経済分野、商業分野においては、「コト」が重視されますからね。樹海では商売になりません。テレビは都市的なメディアなのです。ネット(ウェブ)は無秩序な大自然そのものであって、実はメディアですらないのかもしれません。
 私たちは、ある意味忘れかけていた「自然に対する社会性」を、こうして取り戻しつつあるのかもしまれせんね。自然はとっても両極端な社会ですから。そこには自由も平等も正義もないのは当たり前です。

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2009.05.31

感謝!100万アクセス達成!

1 5月31日、東京で隠密活動していたのですが、その夜に100万アクセスに到達したようです。本当に読んでくださる皆さまに感謝です!
 チリも積もれば山となる…いえいえ、皆さまの温かい一票…ではなく、一件というか一見というか一瞥というか一読というか、そういう貴重なもののをチリだなんて表現してはいけませんね、宝も積もれば山となる、とでも言えばいいのでしょうか、いずれにせよ、全ては皆さまのおかげです。ありがとうございます。
 実際のところは、100万アクセスというより、100万ページビューと言った方が正確です。重複アクセスもカウントしていますので。また、100万というのはあくまでも左の猫ちゃんの上にあるカウンターでの話であって、ココログのカウンターではまだ92万ちょっとなんです。ま、でも、まあいいや。とにかくめでたい数字が表示されたことは確かですから。
 それにしてもですね、自分でもこんなにたくさんの方に見てもらえるブログになるとは思っていませんでした。最初の1ヶ月は1日に一ケタのアクセスしかない日が続いていましたからね。それが今では1000を超える日もあったりする…感無量です。
 丸5年で100万ですから、平均すると1日500強ということでしょうか。最初の2年くらいは1日200から300の日が続きましたから、そんな感じでしょう。それが3年目ぐらいからでしょうかね、Googleでの検索順位が突然上がりまして、それで通りすがりの方、一見さんが激増したんです。そこから定期的な読者になってくれた方もたくさんいまして、今さらながらGoogle様の力には驚きを感じます。あんまり悪口言えないな。
 それにしても、こんな一般人の、それも決まったテーマもない、思いつきを書きなぐっているだけのブログに、こんなにアクセスがあるというのも不思議ですね。不必要に長いし、形式もいわゆるブログ風でなく、普通の作文風で読みにくいし。文章自体も平成軽薄体で品格が感じられないし(笑)。
 ただ、本当にブログというツール、メディアの力には感動します。正直、自分の発信しているこのブログのおかげでずいぶんと人生が変わりました。100万のアクセスの中から、どれだけ貴い御縁が生まれたことでしょう。絶対に出会わなかったであろう方々と、どれだけ知り合い、言葉を交わし、そして実は今日もそうだったのですが、実際にお会いすることになったことか。本当にインターネットというのは画期的なインフラですね。まさにインター(つなぐ)ネット(網)です。
 そしてブログというメディアもまた、シンプルではありますが、今までのパラダイムを崩す可能性を持っています。つまり、私のような一般人と、いわゆる有名人が同じ土俵に上がることができる可能性を提供してくれるんですね。
 たとえば、Googleの検索結果では、有名な学者さんや、芸能人さんなどのブログの隣に、私のブログが位置することができるんですね。これは以前の社会ではありえないことでした。だって例えば雑誌などで、有名人の書いた記事と、私が書いた記事が並んで掲載されるなんてことはあり得なかったじゃないですか。
 それと、私の言葉が、そうした方々に直接届くということですね。つまり、私がおススメしたものの作者御自身が、私の記事を読んでくださる可能性が非常に高くなったということです。先ほど書きましたように、どういうわけか私のブログはGoogle様に高く評価されていますので、たとえばCDや本を紹介したとすると、その記事がAmazonの当該ページに次いで第2位に表示されたりするわけです。そうしますと、やはり作者の方々ご本人としては、ついつい読んでしまうのではないでしょうか。実際、そのようなことが機縁で、直接ご連絡いただいたり、お会いしたりする機会を得ています。これも5年前には考えられないことでした。
 ですから、この毎日の修行のような作業も、ものすごくやり甲斐のあるものなんです。私にとっては、原稿料なんかよりもずっとずっとありがたい報酬がいただけるわけですからね。
 いや、それを期待して毎日書いているわけではありませんよ。そういういやらしい気持ちを持つと、文章というのは書けないものです。あくまで無垢に、自分の中から生まれてくる言葉を書き留めているだけです。それが世界に発信され、ある意味私に代わって勝手に活動してくれているという感じでしょうか。そういう意味では、そんな言葉たちにも感謝したいと思います。
 さあ、次の目標は…なんて、あんまり力んだりするとダメですよね。今までどおり自然体で、な〜んも考えず、全てを言葉たちに言霊におまかせします。というわけで、これからも皆さん、こいつら言葉たちをよろしくお願いいたします。とりあえず死ぬまで続けます。たぶん。

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2009.05.02

感謝!不二草紙5周年!

↓早朝、パジャマ姿で修行に励む筆者
Uni_2462 日、本ブログ「不二草紙 本日のおススメ」は5周年を迎えました。これもひとえに皆様方のご支援のおかげです。本当にありがとうございました。
 5年という一つの区切りを迎えましたので、本日をもちまして、いったん断筆させていただきます。仕事も大変に忙しくなってまいりましたし、社会的な立場も変りつつあり、好き勝手なことを書きづらい雰囲気も周囲に流れています。2000近い戯れ言を書き散らして、地球の文化環境をもだいぶ汚してきましたので、もうそろそろ悪行はやめようかと。そして、なにしろ、毎日の負担が大きすぎます。
 …と書こうかとも思いましたが、やっぱりもう少し続けてみることにしました(笑)。
 いやあ、実際毎日けっこうストレスになってるんですよ。基本前日の分を翌朝早く起きて書くというスタイルなんですけど、もう寝ている最中から、何書こうかな、どう書こうかなと考えてしまい熟睡できない始末。昼間も見るもの聞くもの、全てネタとしてとらえるクセがついてしまいまして、大変と言えば大変(面白いと言えば面白い)。
 とにかくもう三度の飯より…いや一食主義なので一度の飯か…一度の飯と同じくらい大切な生活の一部になってますので、ここでやめると自分が死ぬんじゃないか、頭に栄養がいかなくなってボケるんじゃないかと心配にもなっちゃうんですよ。だから、やっぱりやめたくてもやめられないと。
 三日坊主エセ坊主の私が、これだけ一つのことを続けるのは、本当に珍しいことです。毎日休まず続けるという意味では、まあ生業である今の仕事は別として、つまりは、やらなくてもいいことを5年も続いたわけですからね、これは自分史の中で画期的なことですよ。自分で自分をほめてやりたい!とか思ったら、三人目の(?)自分が「小学校は6年だぜ」と言ってニヤッとしやがった。
 そうか、あれはたしかに毎日6年続いたな。義務教育っていったって、小学校なんか遊びの延長みたいなもんだからなあ。行かなくても生きていけるし。そうか、まだ小学生の自分にも到達してないんだ。あいつに負けるのはちょっと悔しいな、と思えてきました。うん、やっぱりもうちょっと続けよう。来年の今日でようやく小学生レベルなんだな。
 まあ、それにしても、このブログというツールのおかげで、自分の人生は大きく変わりましたね。ちょうどいい時代に生まれたということです。もともと、文章を書くのが嫌いな、というか面倒くさい人間でしたので、どちらかというと、絵や音楽で表現する方に走っていたんです。でも、どこかで文章、言葉に対する未練というか、憧れというか、あるいは、「もしかすると、自分が一番得意なのは、絵とか音楽ではなくて、言葉を操ることなんじゃないか」という妙な、全く根拠のない自信のようなものがあったのも事実でした。それをこうやって実現できる「場」が、実にいいタイミングで現れたというわけです。
 実際、私の頭の中はずいぶんと活性化して、半分諦めかけていた自分の人生というものに、再び光が差した、そう、ちょうど小学生の頃の自分のように、もしかして自分って…みたいな感覚がよみがえってきたんですね。
 また、単なる脳内の妄想だけでなく、私を取り巻くリアル世界もずいぶん変わってきたんです。とにかく、このブログを通じて、多くの方々とつながることができた。絶対に出会うことのなかったであろう方々と、ありがたい御縁で結ばれることになった。これは実に大きなことでした。
 私の分身である私の「言葉」が、ネット社会の気脈に乗っかって、世界中に拡散、いや言葉は「コト」であり情報ですから、拡散して希薄になっていくわけではありませんね、増殖して行ったんですよ。それを偶然、あるいは必然的にとらえてくださった方が本当にたくさんいらして、そして、実際につながった。やはり、言葉はメディアなんですね。媒介するものなんです。
 あと、ブログというメディアが私に適していたのは、「無責任」「いいかげん」が許されるという点です。インターネット世界自体が、そういう「モノ」性を帯びた、メタ・ネイチャーであると思うんですが、私のある種の「物の怪」性が、そこに実にマッチしていたということですね。
 先ほど「何を書こう、どう書こう」とか格好つけて書きましたが、実は何も考えずに、構想もなしに、毎日書き始めているんです。そうすると、どんどん勝手に筆が進む(実際は筆ではなくキーボードですが)。今もそうです。で、これこそが「物語」の本質であると思うんですね。「モノ」を「カタル」という行為は、まさにこれです。そういう意味では、このブログはプチ霊界物語なのです。私自身が、どこかの世界とこの世界との媒介役になっているのかもしれませんね。その証拠と言ってはなんですが、今まで書いてきた2000近い文章の内容、実はほとんど覚えていません(笑)。単にいいかげんなだけかもしれませんが。まさに無責任野郎、ハッタリ王の面目躍如ですな。ははは。
 と、そんなわけで、私の無責任なハッタリ物語を読んでくださる方々に、心から感謝申し上げながら、とりあえず小学生並みを目指して、まずはあと1年間頑張ってみます。よろしくお願いいたします。そうこうしてる内に、100万アクセスにも到達しそうですね。そしたら、また考えます。
 断筆とりやめ!断筆っていう言葉には憧れはありますが、まだそういうレベルではありませんし。精進します。

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2009.04.14

『文章は接続詞で決まる』 石黒圭 (光文社新書)

33403473 の前、「なので」について書きました。書いてみてわかったのですが、私自身話し言葉ではけっこう使ってましたね。そして、それはたしかに「なので」であって、他の接続詞には代えられないということもわかりました。
 そんな「なので」についても、ほんの少しですが触れられています。話し言葉の接続詞として扱われていました。特に問題視はされていませんでした。
 それにしても、よくぞこれだけたくさんの接続詞をとりあげて、それぞれ分析してまとめあげましたね。すごい。
 何がすごいって、その研究の成果もですけど、なんというか、私からしますと、こうして文章作法を文章で書いているところがすごい。わかります?有名な作家の皆さんの「文章読本」なんかまさにそうなんですけど、文章の作法について文章で論じるわけですから。わかります?まず、自分の文章がちゃんとしてなきゃいけないじゃないですか。それってすごいプレッシャーだと思いますよ。
 たとえば音楽の作法を言葉で説明するのは、そんなにドキドキすることじゃありません。絵画とかもそうでしょう。スポーツもそうです。言葉、文章に関する時だけは、なんか、生き方を生き様で見せるような感じで、ちょっとこそばゆいし、自信がなかったりするじゃないですか。
 それを石黒さんは見事にやってのけてるから、偉いなって思うんです。マネできませんね。
 内容的に感心したのは、「文末の接続詞」という発想でしょうか。なるほど、いわゆる接続詞だけではなく、文末表現がそういう働きをすることもありますね。
 と言いますか、文脈というものがあるかぎり、いわゆる接続詞や文末表現だけでなく、全ての文は接続詞的な機能を持っているとも言えますね。あるいは、人生は接続詞だとも…笑。いや、まじでそんなことを思いました。
 ところで、この本でもブログの文体についての記述がたくさんありましたけれども、私のこの文体、先日も書いたように「講演書き起こし体」、あるいは「平成軽薄体」と呼ばれています(自分に)。で、よく指摘されるんですが、今も出てきた「で」とか、「ま(あ)」とか、あと、頻発するいわゆる「順接の『が』・『けれど』」、これは意識的に使っているのかということについて。
 実は、これはかなり意識的に使っています。ブログでの私の文体です。いちおう私も文章家のはしくれだと自認しておりまして、それなりにいろいろな文章を書き分けることができるつもりです。いろいろと事情があって、ブログではこういう文体を使っています。その事情についてはナイショ。
 いやあ、真のプロレスラーではありませんが、実はガチもできるけど、あえて軽薄を前面に出すというのが、私の理想です。なんちゃってね。ま、ドリフみたいになりたいんですよ(?)。
 というわけで(これもよく使いますね。無理やりフィナーレに持っていっちゃう荒技)、この本を読むと、接続詞の使い方が気になって、文章が「決まる」どころか、なんだか関節技が決まっちゃったみたいに身動きできなくなります。つまり、今まで自然に書いていた文が書けなくなる。ご注意を(笑)。

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2009.01.01

明けましておめでとうございます!

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2009 けましておめでとうございます。本年も不二草紙をよろしくお願い申し上げます。
 昨年に続きまして今年の年賀状を公開いたします。すみません、リアル年賀状まだ出してません。昨年末、異常に忙しく出すヒマがありませんでした。今日出します。ごめんなさい。
 あいかわらずくだらない年賀状です。まあこれで初笑いを取れればいいと思ってるだけですが、出すのが遅れちゃ意味ないっすよね。
Presidential_portraits_mount_rushmo 昨年はアメリカで歴史的な大統領選挙がありましたね。それにちなんで(?)今年はこんな年賀状にしてみたのです。みなさん御存知の通り、元ネタはサウスダコタ州にあるラシュモア山の彫像です。
 よくどうやって作るの?時間かかるでしょ?とか言われますが、これはアイデアから画像処理まで、28日の昼間にやってしまいました。ソフトはもちろんアドビのPhotoshop(Elements)ですが、どうせ一日しか使わないので体験版をダウンロードして使いました(笑)。お金かかってません。
 さて、昨夜という今朝は4時半に帰ってきました。カミさんはさいたまスーパーアリーナ周辺で哀愁に浸りながらの年越し、私は50人のプロレスラーの方々とカウントダウン。そして終電を乗り継いでたまアリまでカミさんを迎えに行きまして(というかカミさんのケータイの電源が切れて、なかなか会えないという事態に…)、せっかくだから氷川神社に初詣しようかと思ったんですけど、もう眠すぎてそのまま富士山に帰ってきたんです。帰途ものすごく眠くて新年早々居眠り運転で死ぬところでした。
0238 で、朝は普通に出勤して元旦からみんな勉強です。今年は受験生を抱えてますから特別です。お昼前に、せっかくですのでみんなで近所の浅間神社に初詣に行きました。あいかわらずの明るさと元気さで、我が生徒ながらホント偉いと思いますし、自分もこんなに明るい受験をしていたら、きっともっとまともな結果が出ていただろうになと、ちょっとうらやましく思いました。あと二週間ちょっとでセンター試験です。あさってから最終の仕上げ合宿に入ります。いよいよだな。ガンバレよ!
 今年はまずはこいつらをしっかり片づけて、そして次の仕事をしっかりやろうと思います。そう、今年は仕事を頑張る年にしますね。自分にとっても重要な仕事がいくつかありますので、学校のためにも、生徒たちのためにも、地域のためにも、自分のためにも頑張ろうと思っています。
 もちろんこの不二草紙本日のおススメも息抜きに毎日書いていきますね。今年でこのブログも丸5年になります。そして100万アクセスにも達するかもしれませんね。正直もうやめられない状況でして、息抜きというより修行になってますよ。
 とにかく皆さん、今年も健康に気をつけてテキトーに頑張りましょう。よろしくお願いします!

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2008.05.01

ふぅ、戻った…(4歳の誕生日を前に)

↓セッション数の推移
Ga05 Googleに嫌われたという話を、2週間ほど前に書きました。この記事です。3月9日の境にこのブログの検索順位がドカンと落ちて、アクセス数が半減したという話でした。
 それがどういうわけか、(たぶん)今日の朝あたりに、3月8日以前の状態に戻りました。IT業界のある人に、2ヶ月くらいで元に戻るよ、と言われていたその通りになったので驚きました。
 その人の言葉を信じていたのですが、けっこうこの2ヶ月間は辛かったっすね。自分でもそんなのどうでもいいじゃんと思いつつ、なんていうかなあ…モチベーションというか、やり甲斐というのでしょうかね、誰に頼まれたわけでもありませんが、こうして長文を毎日書くのって案外根性のいることなんですよね。その根性がちょっと萎えた。
 これは商売の世界と同じでしょうね。いわば自分の店の前の道の人通りが急に減って、飛び込みのお客さんが減ったという感じだったんです。常連の方はいつも通りわざわざ立ち寄ってくれるのですが、たまたま店頭にあった商品を見つけて入店し、ついでに他の商品も買ってくれるようなお客さんが激減してしまったわけです。
 ウチの店に来る道の向こうの方で突然工事が始まって通行困難になっていた。その工事が終わって昔の人通りが戻ったって感じかな。正直ほっとしました。
 工事してる現場なんか見えなかったので、実は店の改装とかもしてみたんですよ。なんとなく広告が多くてガシャガシャしてたんで、そういうものを店頭から一掃したり、目には見えないような物やゴミも整理しました。でも、その効果が現れたというよりも、やっぱり道の工事が終わったってことでしょうね。
 こう考えると、なんだかんだ言ってGoogle様に依存してるってことですね。もうこれからは彼らを「死体コレクター」とか言いません。ごめんなさい(笑)。
 と、お店になぞらえて話をしましたが、実際の売り上げも激減してたんです。Amazonのアソシエイトとか楽天のアフィリエイトとか、10分の1以下になってました。おかげで新しい本や物を買う資金も枯渇。つまり商品の仕入れも困難になっていたということです。
 またいつ今回のような事態になるかわかりませんし、あるいは本格的に評価が下がって閑古鳥が鳴くやもしれません。また、いろいろな事情から本当に店じまいする日が来るかもしれません。
 実は今日で不二草紙は丸4年、つまり明日4歳の誕生日なんです。1日早いGoogleからのプレゼントだったのかもしれませんね。このおススメはいちおうこの4年間毎日更新してきましたので、神も憐憫を垂れて下さったのでしょう。ありがたく思いつつ、これからも精進いたします。やっぱり商品の質で勝負しなくては。ウチはよろず屋なわけですから、それらしくその道を極めていきたいと思っています。今後ともご愛顧のほどよろしくお願いいたします。

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2007.10.10

『ナノかわゆす・ピコかわゆす』

61ti5bxwnhl_aa240_ 忙しい中頑張って出したこのCDもなかなかの売れ行きだとか。ちょっと生徒に聞かせてもらいましたが、それなりに歌もうまく、ああこの人はいろんな意味で「タレント」がおありだな、と40過ぎたオヤジは思うのでありました。言うまでもなく彼女、ヲタクの中のネ申的存在であり、またカリスマ的ブロガーでもあります。
 さて、そんな「しょこたん」こと中川翔子たんでありますが、私が注目しているのは彼女の生み出す言語であります。いわゆる「しょこたん語」ですね。
 中でも代表的な言葉である「ギザかわゆす」はなかなか興味深いのであります。「ギザ」は「ギガ(giga)」の打ち間違いをそのまま使ったのだそうでして、まあ今風に言えば「超」、古風に言えば「いと」のような強調の副詞ですね。
 「かわゆす」は「かわいい」ということで、単独では「カワユス」とカタカナ書きすることが多い。しかし、前に「ギザ」などのカタカナ語がつくとひらがな表記になるようです。これはなんとなく分かる。「ギザカワユス」よりも「ギザかわゆす」の方がいい。本当のところなぜかは分からないけれど、でもなんとなく分かります。
 さて、もうあまりに当たり前のことで書くのも憚られますが、「ギザ」の本来の形「ギガ」にせよ、「カワユス」にせよ、2ちゃんねるから発した言葉ですね。2ちゃんにおける日本語の様態については、すでに多くの学者さんたちによって研究されている(はずです)ので、ここでは詳しく書きません(本当は書きたいが)。
 で、先に「カワユス」の方について書きますけれど、しょこたんはこれを発展させて「カワユシ」という使い方もするんですよね。これはもう完全に古語返りであります。もちろん、「〜ス」という用法は単純に古語における形容詞の復権、すなわち語尾の「し」を「す」に読み替えたものではないことは、「カナシス=悲しい」「キモス=気持ち悪い」「ウラヤマシス=うらやましい」「ワロス=笑える」などの例を挙げるまでもなく明らかであります。しかし、紆余曲折を経たとは言え、しょこたんによって復元された「カワユシ」にせよ、あるいは若者語として一般化しつつある「なにげに」「さりげに」などの形容動詞連用形に類似する語群にせよ、それらが与えるイメージの中にある種のノスタルジーが含まれているのは確かなようです。2ちゃんでも多用される疑似歴史的仮名遣いなんかもその類ではないでしょうか。
 次に「ギザ」です。このような強調の副詞は、日本語史上決して無視できないものであり、その変遷については既に多くの専門家によって研究しつくされている(はずです)ので、そちらに譲ります。こうした感嘆的な強調表現を憂える方々も多いのですが、では枕草子を見よ!「いと」だ「いみじう」だ「いたく」だ、やたらに出てきます(関連記事)。
 「ギザ」は先ほど書いたように「ギガ」の誤表記なんですが、もう時代は「ギガ」を超えて「テラ」ですので、そちらもかなり使われるようになってます。つまり、こうして感嘆的強調語は、そのインパクトが逓減し、さらなるインパクトを持つ新語にその座を譲っていくわけです。つまり、感嘆的強調語の寿命は短いんですね。それこそが日本語史上の大きな流れであり、多くの副詞が消長した歴史そのものなのであります。
 ま、それはいいとしてですねえ、突然ですが、今日はしょこたんに負けじと新語を考えてみたので、皆さん使ってみて下さい(笑)。
 それはこの記事のタイトルにもした「ナノかわゆす」と「ピコかわゆす」であります。
 今日、ウチのクラスのギャルどもに提案したら、かなり評判よかった。これ使える!これ使おう!はやらそう!って盛り上がってくれました。どうもヤツらの感性のある部分を表現するのに適していたようです。
 つまりですねえ、感嘆的強調ばかりが彼女らの感情ではないということです。「ちょっと」とか「微妙に」とかそういう程度の表現も欲しているわけですね。「ちょっとかわいい」とか「とりたてて強調するほどではないけれど、普通ではなく微妙に惹かれる」とか。で、そんな時たとえば「なにげにかわいくない?」みたいな表現もあるにはあるのですが、そこまでは行かない、だけれど心には止まる、そういう程度を表すいい語がなかった。
 そこに登場したのが、てか、私が生み出したのが「ナノ〜」「ピコ〜」であります(笑)。どうっすか?悪くないでしょう。もちろん「ギガ」とか「テラ」とかのパクリです。逆の発想。
 「ナノワロス」「ピコウラヤマシス」…いいでしょ?音的にもなにげにナノかわゆす(笑)。
 もう誰か使ってるかもしれませんが、まあいいでしょう。気にしません。言ったもん勝ちです。

ps 副詞としての「ナノ」も「ピコ」も科学の発展とともに消え行くのでしょうね。言葉の哀しいサガであります。

しょこたんぶろぐ

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2007.08.29

Tremolo'55 (トレモロゴーゴー)

Discography01 いよいよ、あさってです。本校の学園祭にこの実力派バンドが登場です。知る人ぞ知る、このバンドがなんでこんな片田舎の学校に来てくれるのか。まったく不思議なご縁であります。
 Tremolo'55は、一度聴けば絶対に病みつきになる不思議な魅力を持ったバンドです。私もまあ自他共にあきれるくらいいろいろな音楽を聴き、やってきた人間ですが、このバンドには妙に魅かれましたねえ。なんなとくノスタルジックでゴキゲンだけどちょっぴりアンニュイ、ユーモラスにしてちょっぴり自虐的(?)なサウンドと歌詞。こういう印象を与えるバンドというのは、正直初めてでした。
 このバンドのリーダーであるサギさんとの出会いは今年の4月のことでした。きっかけはこのブログの「グッド・バイ〜私が殺した太宰治」の記事です。太宰が結んだ縁。サギさん、太宰が大好きということで、たまたま私の記事を読んでくださり、そしてメールを下さったのです。その時はまさかこういう音楽の縁になるとはお互い思いもよりませんでした。
 いろいろメールのやりとりをしまして、私がサギさんに太宰関係のあるものをお送りすることになったのですが、そのお礼としてサギさんから送られてきましたのは、3枚のCDでありました。「私たちのバンドのCDです」と。
 さっそく聴いてみました。お〜、これはいいですぞ。ジャズやブルース、ソウルなんかのテイスト、それもですねえ、私たちのバンドのレパートリーである昭和の歌謡曲を支えたあの感じですよ、古き良き時代を感じさせるムード満載でして、だけれどやっぱり今の歌なんですよね。そこのバランスが面白い。ああ、やっぱり私たちの心にも生活にもあの時代の何かが息づいてるんだなあって、あらためて思ってしまいました。
Discography03 彼らの魅力はサギさんの楽曲やヴォーカルだけではありません。メンバーの演奏力の高さはピカイチです。皆さんとってもうまいっすね。プロの方に申し訳ない言い方ですが、正直首をかしげざるを得ないバンドもた〜くさんありますのでね。こういう安定した演奏を聴きますと、やっぱりさすがだなあって思いますよ。あさって生で聴けると思うとワクワクです。
 彼ら、今まで3枚のアルバムをリリースしています。その3枚をサギさんから送っていただいたんですが、それぞれなかなか聞き応えもあり、また変化もあり存分に楽しませていただいています。
Disco_01 1枚目の「トレモロな夜の唄会」はライヴ・アルバム。会場と一体になったノリノリ感が魅力です。楽しそうだなあ。お酒をいただきながら聴きたいっすね。今回は高校という舞台ですから、彼らにとってはアウェーかもしれませんが、まあやっちゃってくださいな。2枚目の「JUMP&WALK」はトレモロらしいちょっと斜に構えた感じの曲が並んでいて、思わずニヤッ、です。3枚目の「SINGLE MALT」は少しpopな感じを前面に出したかなという作り。より音楽的な幅が広がったのではないでしょうか。私はこういうのも大好きです。
 あさって、私も彼らと初めてお会いし、初めて生で彼らの音楽を聴けるわけでして、ワクワクであります。高校生がこういう音楽にどういう反応をするのか分からないという部分もありますが、若いうちに生でハイレベルな音楽に触れるというのは教育的にもいいことだと思います。また、本校のジャズバンド部にとってもいろいろな意味で勉強になることでしょう。
 縁というのは面白い。サギさんに感謝。太宰にも感謝しましょう。また、ブログというメディアにも感謝です。このブログのアクセス数もいつのまにか50万を越えまして、なんだか申し訳ないような気持ちなんですが、本当にこの3年間ちょいでいろいろなご縁をちょうだいしまして、そういう意味では私自身の発した言葉たちにも大感謝しております。

Tremolo'55公式

トレモロ55試聴

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2007.07.18

BlogScouter

Blogscouter フューチャリスト宣言の記事でも、結局ネットは自己顕示欲と自己満足の集積だという結論に至りましたが、たしかに自分のこのブログを書くという行為を客観的に見ると全くそのとおりでして、別に慈善事業で書いてるわけじゃないし、誰かのためになるようになんて、そんなカッコいいポリシーがあるわけではない。なんだかんだ言って、ただ人に話を聞いてもらいたい、認められたいっていう、まあよくあるさびしがり屋の自慢大会、愚痴り大会ってとこですかね。
 2ちゃんも基本的にそんな感じだし。Wikipediaや「教えて!goo」みたいなボランティアサイトも、目立ちたがり屋さんやお節介屋さんの熾烈な戦いが繰り広げられるガチンコのリングとも言えますね。
 で、自分のそういう「言葉」をいったいどれほどの人が読んでくれているのか、自慢や愚痴をどれほどの人が聞いてくれているのかというのが、本人はとっても気になるわけですよ。それで、カウンターをつけてみたり、アクセス解析を導入してみたりする。私もそうです。それで一喜一憂する…というほどでもないけれども、なんとなく常に不安なのかもしれないなあ。キモいけど、「誰かとつながっていたい…」とか(笑)。
 さて、そんなさびしがり屋で、かつ自己顕示欲の強い皆さまのために、最近また新しいサービスが始まりました。Yahoo!ニュースで紹介されていましたので、ご存知の方も多いのでは。
BlogScouter
 なんだかよくわかりませんが、自分のブログの影響力が数値化されるという、まさにモヤモヤをスッキリしてくれる、ワタクシ流に言うと「モノ」の「コト」化、それもかなり安易なコト化ツールであります。
 scoutってことは、スカウトってことでしょうかね。それとも単に偵察ということなんでしょうか。いや、この文を読むとわかりますが、やっぱりいわゆるスカウトだな。

『…さらに!!なんとBlogScouterポイントが上位になった方(庵主…ここんとこ、初期には60点以上って書いてありました)には、ブロガーの皆さんにメリットがいっぱいの「すごい体験!すごいブログライフ!CyberBuzz」から直接登録のお誘いが来るかも…?』

 都会の街に暗躍する怪しいスカウトみたいなもんでしょう。つまり、これを運営しているサイバーバズ社としては、シロウトをスカウトして、その気にさせ、本業である新手の広告代理業(?)に参加させようという魂胆でしょうな。
 今までもこういうサービスはありましたが、比較的シンプルかつ手軽な感じが受けて、私のようにちょっとやってみようかな、いったい自分は何点取れるのかなと、なんとなくドキドキワクワク、いやドキドキワナワナしながら取り付けてみたという人、多いんじゃないでしょうか。
 結果として、私のこのブログは70点くらいから90点くらいの間を行ったり来たりしているようです。この成績がどの程度の偏差値になるのかよくわかりませんが、なんか単に前日のアクセス数に比例して変動してるような気もします。説明によるとアクセス数や被リンク数など15の項目を数値化して成績を出しているということですが、その基準や数値化のルールもよく分かりません。
 そんな怪しいものですが、それでも自分への激励としてはそれなりに役立つかもしれません。毎日テストを受けて次の日採点されて返ってくるようなものですからね。なんだか生徒の気持ちがわかるような…。
 つくづく思います。人間は点数をつけられるのが好きなんですねえ。私は仕事柄、いつもは採点する方なんですけど、実際そういう立場に立つと、その数値が示す内容なんてホントはないようなもんだって、よ〜くわかります。世の中では、と言うか、教育の世界では、やれ5段階評価はやめろとか、順位をつけるなとか、偏差値は悪だとか、いろいろ言われてますけど、本心はみんな数値化、ランキング化を欲してるんですよね。面白いことです。

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2007.05.11

『「書ける人」になるブログ文章教室』 山川健一 (ソフトバンク新書)

Kakeruhito 私にとってブログとは、表現とは何なのか。今日はこの本と「僕らの音楽」からいろいろと考えさせられました。
 まずはこの本、ある意味私以上にヘビーブロガーである職場の後輩が貸してくれました。
 いわゆるハウトゥーな内容を期待している方々には、かなり不満足な内容でしょう。そういう意味で学ぶべき点はほとんどありませんでしたが、あらためて「文を書く」とは何なのかということを考えさせてくれたという意味では、実にいい本だった。
 山川さんは作家さんですからね、やっぱりそういう視点をお持ちなんですよ。ブログのつぶやきも日本文学の系譜上にあるんだと。いや、そういうつぶやきこそが日本の古典的な文学の形であると。それについては、基本的に私も賛成します。ただ発想は逆です。日本文学と言われてきたものの中には、実は文学ではないものがあるのではないか。いや、もしかして日本には「文学」はないのではないかと。そういうことを、それこそここに何度か書いてきましたよね。ま、ブログが文学とは思えませんが、一方で枕草子や徒然草がブログに近いセンスを持っているということは確かです。
 さて、ここからはまさに私のつぶやきになってしまうんですが、なんでこのブログを書いてるんでしょうね。今までちゃんと考えてこなかった。
 はたして私には山川さんの言う「想い」や「エモーション」があるのだろうか。たぶん、ないと思います。どうしてもこれを語りたいという欲求は、実はそれほど強くないのです。こうして毎日書くことは、正直面倒です。いつも言うようにほとんど修行に近い。表現しないではいられない、なんていう境地からほど遠いんですよ。
 では、「ああ今日は何を書こうかな」と考えてばかりかというと、実はそうでもないんですね。いろいろ考えて、よしこれをこう料理して、こんなことを書こう!と決めてからキーボードに向かう、ってことはほとんどないんです。では、どうしているかというと、何も考えずキーボードに指を乗せるんですよ。お題もそれから考える。あとは、勝手に指が動くわけです。
 ああ、これって、自分が「メディア」になってるんですね。「ミーディアム」になってるんですよ。私は仲介役に過ぎないということです。別に降霊してるとか、そんなんじゃないですけど、やはりなんていうか、案ずるより産むが易しって言うんですか、勝手に生まれてくるモノにまかせちゃうっていうかね。与えられたものに単に対峙すれば、そこに勝手に何かが立ち現れるわけです。
 これは努力とか、そういうのではない。自分がこうして生きていて、とりあえず存在しているようなので、その自己をそのまんま他者と向かい合わせてしまうんですね。そうすると何かが縁起する。それは当たり前でして、ちっともエラいことでもなんでもない(エラいっいうのはダブルミーニングです)。
 今日のフジテレビ「僕らの音楽」はレミオロメンと松嶋菜々子の対談でした。レミオロメンはミュージシャンですから、自己表現の欲求を元に活動しているわけですし、また、それを期待される立場です。それだからこそ悩み苦しむことも多いんだなと推察いたしました。一方、役者である松嶋さんは、自己表現というよりも、与えられたもの(役)に純粋に対峙していく、というようなお話をされてました。レミオロメンはそのお話を食い入るように聴いていましたね。
 今回藤巻君が、映画「眉山」の脚本を読んで「蛍」を作った、なんていうのは、そういう意味ではとてもいい経験だったと思います。表現者としての「自分が、自分が」というエネルギーは、当然諸刃の剣になりえます。そのバランスの難しさというのは、あらゆるプロのアーティストが味わうものなのでしょうね。
 で、私はプロでもなんでもないわけですし、まあせいぜい田舎芝居の大根役者みたいなもんです。今後も、与えられたモノと自然体で対話して、自分というよりも相手の何かを引き出して行こうと思ってます。
 というわけで、今日もまたわけわからんモノが縁起いたしましたが、どんなもんだったでしょうか。

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2007.05.02

不二草紙3歳の誕生日

20070502 今日はこの不二草紙の誕生日でした。すっかり忘れていて、今日は何を書こうかなと考えていたんですが、ふとした会話から思い出しました。
 3年ですか。私にしては本当に珍しく続いたものです。これもひとえに読んでくださる皆さまのおかげでございます。ありがたいことです。
 このブログ、3年の間に、のべ40万の方に見ていただき、本で紹介されたり、テレビに出たり、まあいろいろありましたね。オーサーといたしましても、いろいろと楽しませていただきました。不二草紙さんに感謝です。
 何をしても三日坊主の私が、毎日続けられたのはほとんど奇跡に近い。今考えてみますと、劇的に生活を変えたことが奏功したような気がします。つまり、一日一食にして、朝4時起きを実践し始めたのがその頃なんですね。基本的に今でもそういう生活を続けております。
 今や頭も丸めてしまいましたし、なんとなく修行僧のような感じですけど、やはりそういうちょいとストイックな生活をするというのが、何かを継続する秘訣なのかもしれません。健康第一ですしね。この前ホント久しぶりに寝込んじゃいましたが、この3年間は概して非常に体調がよかった。花粉症も治っちゃったし。
 精神的にも肉体的にも健康でないと、何事も頓挫しがちですよね。そういう意味では自らの、そして家族の健康に感謝ですし、また、逆に毎日浮世離れした(?)タスクがあるというのが、健康に寄与したとも言えるかもしれません。人間は日々の「生活」だけでは生きて行けないものなのです。
 「石の上にも三年」とか「継続は力なり」と申しますが、この歳になってこの言葉の意味をしっかりと味わわせてもらっていますね。当たり前のことなのでしょうが、何事も続けていますと、いろいろなご縁が生じ、出会いがあり、そして何かがはっきりと見えるようになってきます。自分が大きく成長したとは思いませんが、自分を取り巻く世界はずいぶんと大きくなりましたね。
 自他共に認める無精者の私のことです。こうしたある種の強制力が働かないと、自分を変革できないんです。不二草紙を始める前までは、そういう自分のダメさをいやというほど実感し、ちょっと諦めモードに入っていたんですね。ところが、自分からハッタリでもなんでもいいから外に働きかけてみたら、ちゃんと何かが返ってくるじゃないですか。それも自分の想定以上のものが。それで自分がいつのまにか拡張されていた。勉強とか努力とかが大の苦手ですからね、内側から変るんじゃなくて、外側から変えてもらったわけです。そういう他力的な発想といいますかね、変な自己への執着を捨てるといいますか、行雲流水といいますか、とにかく自然体でまわりに任せてしまうというのが、自分を変える有効な方法であったと。
 そういうことに気づくきっかけが、インターネットというメディアであったというのは、非常に興味深くもあります。ネットは、不特定多数の皆さんの脳と私の脳がつながるテクノロジーであります。さまざまなボーダーを超えた脳のぶつかり合いの場です。人の脳が考える「コト」は、自己に執着するかぎり「コト」にしか過ぎませんが、こうしてその「コト」どうしが遭遇すると、そこに新しい「モノ」が生まれます。他者の「コト」は最初は理解不能な「モノ」なんですね。そして、それを理解し理解させるために、相互に「モノガタリ」という行為が始まります。「モノ」を「カタル」、ぼんやりした「モノ」に形を与え、固め、共通の「コト」を形成しようとするのが「物語」の本質であると、私は考えています。そういう意味では、この不二草紙はもちろん、ネット上にはそれぞれの物語が無数に展開されているというわけですね。面白い世の中になりました。
 もちろん、脳どうしのおつきあいだけではダメですよね。でも実際、不二草紙を通じて何人もの人と実際お会いする機会を得ていますし、私は最終的にはそうしたご縁を大切にしたいと思っておりますので、そういうご縁をお望みになる奇特な方は、ぜひとも積極的にアプローチしてきてください(笑)。
 とにかく、皆さまのおかげで、毎日充実した生活を送らせていただいております。今後もテキトーに(失礼!)発信してまいりますので、時々ツッコミなどよろしくお願いいたします。

追伸 「不二草紙」本体の方の更新が全く滞っておりますこと、お詫び申し上げます。今年こそは少し動かしていきたいと思っております。

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2007.02.23

不二草紙 on TV!!

Blogoods1 今日は2.23、富士山の日です。そんな記念すべき日に富士山蘊恥庵にいいことがありました。
 噂どおり、不二草紙がテレビ(眞鍋かをりのブログッズ)に出ました!日テレさま、ニフティさま、読者の皆さま、ありがとうございました。感無量です…。
 というわけで、眠い目をこすりつつ酒など呑みながら観てました。ちょうど外出していたカミさんも帰ってきまして、さてどんなふうに紹介されるのかな、と二人でちょっとドキドキ。
 最初にこちら「うす~い建物」が紹介されまして、お〜路上観察系ですな、なかなか面白い、オレもいくつか知ってるぞ、とか思いながら観てました。そして、ついに我らが?不二草紙が…ありゃ、「不二草子 本日のおススメ」になってるぞ。まあ、いいや、よくあることですし、清少納言さんのブログ(!あれは最古のブログですよ)も「枕草紙」と書かれたり「枕草子」と書かれたり「枕冊子」と書かれたり、いろいろですからね。私も「不二草子」で検索してもトップに来るように工夫してありますので全然オッケーっす。
 そして「蘊恥庵庵主」を、浜田翔子たんが「うんち・あん・あんじゅ」って読んだ!そこが一番盛り上がりましたね。まあ、グラビアアイドルしょこたん(2号)にテレビで「うんち」と言わせたのは私くらいのものでしょう(笑)。眞鍋かをりさんがすかさずつっこんでました。山咲トオルさんは口アングリ。そりゃあそうだ。
 しかし、なんと言ってもですねえ、一部の不二草紙読者の皆さまはきっと興奮し感動したと思いますが、この写真にも写っているこの記事は…。そう、「第1回 レミオロメン聖地巡礼の旅(その2)」ではありませんか!!もうこの時点でカミさん大興奮。自分が写っている写真がテレビに映っている、ということではなく、レミオロメンのコアな記事、あるいは腐女子記事が映ったからでしょうね(笑)。ぎゃあ〜、どわぁ〜、と大騒ぎになってしまい、全然テレビの音が聞こえません…orz。
Blogoods2 続いて内容を紹介してくれたんですけど、そこでもカミさんの燃え上がった火に油を、いや核燃料を注ぐ記事が…。それも並んで…。日テレさんよ〜、あんまりカミさんを刺激しないでくれ〜。うるさくて聞こえないよ〜。そう、サクこと桜庭和志関係の記事これこれが並んでいる〜!よりによってなんでこれを選んでくれたのか…いや、私もうれしいですよ。しかし、聞こえない…。
 あとでちょっと冷静に考えたんですが、レミオロメンの記事が最初に出てきたのは、これはたまたまその日に収録というか、キャプチャーしたからですね。だからまあ偶然です。そしてサクの記事が並んだのはですねえ、いくつか原因が推測されます。まずディレクターさんか作家さんが桜庭のファンであるという可能性。これは充分考えられる。そして、次にディレクターさんか作家さんが、ウチのカミさんを喜ばせてくれたという可能性。あの頃の記事はそういうミーハーF女子系の話ばっかり書いてましたからね。ま、でもそれはないか。そして、最後の可能性。浜田翔子たんに関する可能性です。翔子たんは、ハッスルサポーターとしてDSEと仕事をしてますからね。しかし、当然ながら、これは非常に微妙な可能性です。もちろん桜庭はDSE(PRIDE)と袂を分かったわけでして…。しかし、私が紹介した本やDVDはPRIDE時代のものですし…。う〜む、謎だ。
 まあ、そんなことはいいとして、というか、カミさんにとっては私の分析なんてどうでもいいようです。「腐女子の思いが通じた。念ずれば花開く」とか言っています。おそるべしFパワー。
 というわけで、カミさんが寝静まってから起き出して、あらためて静かに観賞しました(笑)。いずれにせよ、こういう形で自分の作品(?)がテレビで紹介されたというのは、本当にうれしいことです。いつかも書きましたが、三日坊主(三日エセ坊主?)の私がこれほど毎日続けていることはありません。書いた記事は1000以上になりました。継続は力なりですね。継続しているとこうして思わぬ「縁」が飛び込んでくるものです。これからも頑張りますので、今後ともよろしくお願いいたしますです、ハイ。

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2006.12.11

人生カウンター

15456 この数字はなんでしょう?なんて言われても誰もわかりませんよね。だいたいわかったところでなんの足しにもならない。
 実はこのブログの右の下の方に、「人生カウンター」というのを設置したんです。これは単に、自分が生まれてから何日が経ったのか、が表示されるだけのしろものです。単純なJavaスクリプトです。「カウントアップ」と検索すれば、ネット上にいくらでも転がっています。で、今日で15456日経ったらしい。ほら、なんの足しにもならないでしょ。
 私なんか、今の自分の年齢を間違えていたくらいですからね、もちろん自分が生まれてから何日経ったのかなんて、ちっとも考えていませんでした。で、この前「みんなうんち」の記事を書いた時、一日一回うんちをするとして、いったい何回したんだろうということで、だいたいで計算してみたんですね。そうしたら15000回以上だということになった。
 で、この世に生まれ出て、正確には何日目なんだろう、ということが気になりましてですねえ、ちゃんと計算するのも面倒なので、ネットで探したというわけですよ。探したのが、今月の5日でした。その日で15450日だったかな。うわあ15450日かよ〜って思った。これは誕生日当日は0日と数えていますから、今日で何日目ということではなく、生まれてから何日が経過した、ということですね。まあ、年齢と同じ考え方です。つまり日齢というわけです。
 年齢というのは、自分が生まれてから地球が太陽の回りを何回回って(相対的に)同じ位置に戻ってきたかということですね。日齢は地球が何回回ったかってこと。もう15000回以上も回ってるんですね。
 本当はカウントダウンできればいいんですけど。あと何日って。でも、今の私たちには自分がいつ死ぬかわからないので、残念ながらそれはできません。もちろん、自らの意思で死ぬ日を決めることができるとも言えますが、たとえばあさって自死しようとして、明日事故死するかもしれませんしね。やっぱり無理です。ですから、カウントアップにしてみました。
 御自分の日齢を知りたいという方、あるいは生まれて10000日目、20000日目の日付を知りたいとかいう方は、こちらのサイトで簡単に知ることができます。ただしMacだとダメなようです。
 さて、一口に15000日と言いますが、これは大変なことですね。何事も三日坊主で、まあ、このブログだけはなんとか続いている珍しいことなんですけど、とにかく怠け者な私が、なんと15000日以上続けて生きている。寝たり起きたり、食べたり出したり、泣いたり笑ったり、仕事したり遊んだりして、一日も休まず生きてきた。偉い!いやいや、実は別に偉いわけじゃない。生かされてきたんです。死ぬような事故にも遭わず、死ぬような病気にもならず。素晴らしいことです。感動しますね。そういう「有難い(めったにない)」ことだと毎日意識してますか?そういう感謝と自戒のために設置してみたわけです、この人生カウンター。自分のためです。
 そして、今日という日がまた積み重なった、はたして意味のある一日だったろうか、人のためになることをしただろうか、そんなことも考えたいと思うのです。
 今日読んだ現代文の問題に、別役実さんの文章がありました。現代は「流れる」時間の呪縛が強くなっている、「積み重ねる」時間は意識しないと味わえない、というようなことが書いてありました。なるほど、そうかもしれない。このカウンターもまた、「積み重ねる」時間を体験するための、ちょっとした小道具ということになるかもしれませんね。

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2006.11.17

レミオロメンの原点!

Misaka 昨日30万アクセスを達成いたしまして、いったいどれくらいの駄文を連ねてきたのかなと思い、テキスト化して字数を計算してみました。すると、そうですねえ、だいたい200万字ってとこですか。原稿用紙5000枚ってこと!?新書にして3000ページ分!?いやはや、よくやるわ。いつか全部読み返そうと思ってたんですけど、こりゃあ無理ですな。そんな長い本読んだことありませんから(笑)。ちなみに源氏物語の総文字数は、写本にもよりますが、だいたい100万くらいと言われています(やった勝った!…って問題じゃないっすね)。
 これこそまさに「塵も積もれば山となる」であります。で、思い出しました。一人暮らししてた時、7年くらい掃除しなかったんですね(って簡単に言うなよ!)。そしたら、ほこりや塵などが堆積して、カーペットのようなモノが出来上がった。で、引っ越す時、掃除が大変だなと思ったら案外にも楽だった。つまり、見事にそのカーペットようのモノが、ペラ〜とはがれたわけですね。で、いっぺんに片づいた。これは感動でした。なるほど、こういう行き方(生き方)というのもあるのか。
 で、こんな感じでこのブログの塵やほこりもどんどん堆積していくわけです。堆積してくると山になる。けっこう肥えた土になったりするんですね。そこにいつのまにか草なんか生えてきたりする。それが面白いわけです。つまり、長く書いてますと、どうも基本的な路線というのが固まってくるようでして、たとえば「コト」より「モノ」、「都会」より「田舎」とかね。「人工」より「自然」なんていうのも、まあありきたりですが、色合いとしては出てくる。
 最近では、頭の中では「ココロの豊かさよりモノの豊かさ」なんていうスローガンも生まれてきています。いいでしょ、これ。前も書きましたけど、「ココロ」って「凝る」と同源なんです。こだわりであり、固定化であり、つまり「コト」の権化みたいな存在なんですね。だから、その豊かさを求めると、どうしてもエネルギーの無駄遣いになったり、廃棄物がたくさん出たり、争いが起きたりする。だったら、不随意で無常な存在である「モノ」が豊かになった方が、(人間のためじゃなくて)世界のためにはいいと思うんです。そうでしょ?
 おっと、全然タイトルと中身が違うぞ!と思わせて実は…というのが、このブログの売りです。えっと、どうしようかな。どうやって結びつけようかな。
 あっそうだ。「田舎」より「都会」、「モノ」より「コト」という流れに流されて、自分を見失ってしまいそうな青年たち。そう、Flash and Gleamの記事で紹介した最近のレミオロメンです。で、彼らの本来の姿、そして彼らをとりまく豊かな「モノ」の姿をぜひ観ていただきたい!私はこれを観て、実に豊かな気持ちになりました。これが彼らが育った「田舎」であり、彼らを育てた風土であり、空気であります。ホント、このページの味わいはたまりません。ファンの方も、ファンでない方も、ぜひご堪能下さい。彼らの出身校、御坂中学校のホームページです。
 2003年度三年生を送る会 レミオロメン来校
 「感動しました」と「盛り上がっている教頭先生」の写真、いいですねえ。そして、動画の見事な編集ぶり。教頭先生とおぼしきflash and gleamが…(笑)。
 それにしても、3月9日の発売日に、こんな素敵なライヴが実現したなんて、本当に後輩の皆さん、よかったですね。ちなみに当時御坂中の1年生で、生で彼らを見たという生徒が、ウチの学校にもいます、はい。

ps トップページに戻って、Buuchanちゃんの動画も必ず見ましょう!!

第1回レミオロメン聖地巡礼の旅の記事へ

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2006.11.10

『グーグル・アマゾン化する社会』 森健 (光文社新書)

433403369501_aa240_sclzzzzzzz_v40027801_ 写真でかいぞ、Amazonよ。今後こうなるってことかな。そのうち慣れるか。
 さて、Amazonはちょっと置いといて、私にとってGoogleはライバルです。こんなことを書くと、失笑を買いそうですが、けっこう本気です。
 どういう意味でグーグル君と好敵手なのかと申しますとですねえ、まあ、まずは彼と接する時に私が何を意識しているかを紹介しますか。ここでは検索機能に限ります。
1 相手の手の内を知り、相手を利用して自分の能力を伸ばす
2 相手にこちらの手の内を悟られないようにする
3 相手に認められようとする
 こんな感じです。これってライバルに対する感情と似てますよね。
 1はそのまんま検索技術の向上を目指すということ。つまり、いかに彼にこちらの希望通りの検索結果を出させるかの勝負です。簡単に言えば、どういう検索ワード、フレーズを使うかということです。これについては「我こそ」と思う方も多いでしょう。私もそこそこ自信があります。よって、いろんな人に頼まれて検索に励みます。
 2はですねえ、ちょっと面倒な話になりますけど、グーグルってサイトや検索内容の情報を蓄積して、その人のパーソナリティーやキャラクターを勝手に決めていくんですね。このサイトの主の趣味はどうもこういうことらしい、とか。で、広告を打ったりする。AdSenseですね。そういう作業をスムーズにさせないようにしたい。別に意味はないんですけど、なんとなく悔しいんで。例えば、このブログなんか、けっこうネタも意見もメチャクチャですので、グーグル泣かせかもしれません。古今東西硬軟聖俗なんでもござれ!なので、抽象しにくいでしょうな。で、実際AdSense見たりすると、けっこう混乱していて面白い。Amazonのレコメンドや自動広告も同様です。
 3はずばりページランクですね。そのページの重要度が、Googleによって10段階で評価される。今、このブログのトップページのランクは「4」です。まあ、地味な個人ブログとしては健闘してる方じゃないですか。どういうところが認められているのか分かりませんけどね。重要なページからそれほどリンクされているとは思えませんけれど。
 で、今日もたまたま感じたんですけどね、ページランクとは関係なく、なんか異様に上位に検索されるページがあるんですよ。右の人気記事をご覧になるとお分かりのように、今日はこの記事の閲覧が久しぶりに激増しました。何があったか知りませんけど、「藤原正彦」という検索ワードで皆さんが(だまされて)訪問しているんですね。この記事、ほぼ一年にわたって、一度もこのランキングから消えませんでした。すごいですねえ。で、なんでそういうことになるかと言いますと、Googleで「藤原正彦」と検索すると、Wiki、はてな、Amazonに次いで、私の駄記事が出てくるんです。84万件中ですよ。ありえません。これはどう考えてもGoogleが間違えています。混乱していますね。そんなつもりで書いてないから恥ずかしくてしかたない。
 優秀だと言われるGoogleのシステムも、こんな単純な勘違いをするものなんです。ページランクの発想は確かに優秀ですが、もちろん完璧ではありません。
 あれ?なんだか話が妙な方向に行っちゃった。ま、これもいつものことで、私の授業とおんなじです(笑)。こんな感じだから、まじめなグーグル君はついてこれないんだよな。ちゃんと本の紹介しないと。
 え〜、そんなよきライバルである?グーグル君や、よきパートナーであるアマゾン君ですけれど、彼らの今までや今後を中心としたWeb2.0の世界の概説書として、この本は実に有益でありました。依然読んだウェブ進化論とかぶる内容も多かったものですから、得意のつまみ読みで1時間ほどで読みきりました。まあ、それだけ分かりやすいということです。
 今、ネットの世界や最先端の商売の世界で何が起きているのか知りたい方には、かなりおススメです。でもきっと来年の今ごろになったら、もう古くさい内容になっちゃうんだろうな。読むなら今です。
 ところで、読んでて思ったんですけど、情報の世界って、エントロピー増大則に対する必死の抵抗なんじゃないかな。網(ネット)張って、やたらリンクさせて、一生懸命つながっていようとする。ばらけてどっかに飛んでってしまいそうな自己や社会なんていう幻想を、なんとかここに留まらせようとしている。
 また、得意の「モノ・コト論」で申し訳ありませんが、エントロピーが増大し続けるということは、全てが不随意に拡散し、また乱雑になっていくということでして、つまり私の言う「モノ」の性質を表しているわけです。それを何とかしようとするのが、「コト化」でありまして、それはすなわち「脳化」「都市化」でもあり、言い方によっては「グーグル・アマゾン化」ということなのです。ここでも、私の「モノ・コト脳」はなるほど!と思ってしまったと。
 ま、「コト」よりも「モノ」を重視するワタクシとしましては、「コト」の権化のような彼らの言いなりにはなりたくないわけでして、上記2のようなささやかな抵抗をしているのでした。ネット上の「モノノケ」であるために…ね。

Amazon グーグル・アマゾン化する社会

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2006.07.21

ミクシィかあ…

Title1 今日こんなことが話題になってました。私は「ぜったいにmixiはやらない!」って豪語してたんですけどね、最近教え子たちにどうしてもあるコミュを作ってくれ、って頼まれて、いやいやながら始めちゃいました。
 で、やってみれば思っていた通りでして、楽しいこともあれば、ある意味?なところもある。思った通りですね。
 私がミクシィをやらないと言っていたのには、当然理由があります。私はブログを丸2年以上やっていますが、時々ミクシィから大量のアクセスがあるんですね。一晩で1300とかね。たぶん、どこかのコミュで私の記事が話題になっているんでしょう。で、ミクシィは閉じたコミュニティーですから、アクセス元に飛んでいこうとしてもいけないわけです。だから、何をどう言われてるかわからない。
 いや、何を言われているかというのは別にいいんです。ほめられてるかもしれないし。ただ、なんというか、その、本人の知り得ないところで、みんなで話してるっていう、その状況がいやだったんですよ。オープン・ネットワークであれば、検索すれば私の記事が引用されているところに行くことができる。また、引用しましたってトラックバックくれる方も多い。ところが、クローズドだとどこか「陰口」的になっちゃうんですよね。
 たとえばその一晩で千以上のアクセスがあった記事なんかも、おそらく千人以上の人が直接読んでるはずなのに、誰もそこにはコメントをつけてくれたりはしない。こちらはオープンになっているのに、なんとなく不公平な気がしていたんですよね。
 それで、自分はミクシィはやらない!と言っていたわけです。てか、誰も誘ってくれなかったとも言えますが(笑)。
 SNSと言うだけのことはあって、やっぱりソーシャルなんですよ。私から見ると、普通の社会とほとんど同じです。昔からある同窓会やクラブみたいなもんです。それをネット上でやるというのは別に悪いことではないと思いますけど、パソコン通信時代のフォーラムとは違って、基本的に本名をさらさないといけない雰囲気がある。やっぱり普通の社会に近いわけで、結局それぞれに現実的な社会性が要求されるわけですよね。喜びも哀しみも楽しみも不快感も疲れも依存症も、みんな現実社会と変わりないような気がします。
 まあ、だからと言って、私が好むオープンで匿名性の高いシステムがいいものであるかどうかは分かりません。ただ、私はそっちの方が好きなんです。2ちゃんに書き込む方が気が楽です(笑)。たぶん私に社会性がないからでしょう。
 で、ミクシィ始めて一ヶ月くらい経ちましたけど、面白いことも多いですよ。ずいぶん昔の(失礼)卒業生と思いがけず再会したりね。そういうのは実にいいことだと思います。どうせクローズドなら、そういうふうに同窓会的なものに特化しちゃえばいいと思うんですよ。ま、それだと単なる会員制BBSになっちゃうわけですが。
 なんて、苦言を呈しておきながら…私はオープンの方でも本名さらしてますから、それを参考に、みなさん私を見つけて、マイミクよろしくお願いします!(笑)
 とにかく人は淋しがりやだということで。

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2006.05.02

いつのまにやら2周年!

 気がついたら、今日、「不二草紙」2歳の誕生日でした。
 いつもは原材料探しとその料理にあけくれて、あんまり自らを省みる余裕がありませんでしたが、今日は過去の記事でも読みながら、少しだけ自分をほめてやろうかな(笑)。1年前の記事を見ると、20000アクセスとか書いてありますから、この1年も本当に多くの方々に支えられてやってきたのだなあ、とつくづく感じます。ありがとうございました。
 まあ我ながらよく続いたと思いますよ。なんでも三日坊主の私がよくぞ毎日書き続けました。エライ!たぶん人生において初めてです。毎日のタスクを2年間休まず続けたのは。それもいつやめても構わないようなことですからね。誰に頼まれたわけでもなく、命令されたわけでもなく、お金もらえるわけでもないんで。
 いや、正確に言うとですねえ、ちょっと小遣い稼ぎにはなってるんですよ。なんとなくナイショにしとくのも変ですからここで報告しますが、毎月ウチのブログ経由の売り上げが、Amazonが5万円くらい、楽天が10万円くらいあるんです。で、お駄賃をいただけるわけですね。特にAmazonは非常に助かってます。ここでもいろいろと書評やCD評を書いてますが、そのほとんどはそのお駄賃で買わせていただいてます。ありがたいことです。だいたい私のレビューはおふざけか毒舌なんで、それが売り上げにつながるというのも、なんとなく不思議なような気もしますが。
 また、そのおふざけ&毒舌が、筆者の方や読者の方との思わぬご縁を生んだこともありました。まさにインターネットとはそういう存在なんですね。「ネット」という言葉、今まではなんとなく「網」をイメージしてたんですが、「縁」なのかもしれません。
19061 さて、この2周年にあたって、個人的には非常に嬉しいプレゼントがありました。なんと、なんと、やっと、やっと、我が家にもブロードバンドがやって来たのです!!何を今さら…ですよね。そう、ここ富士山の中腹はふだんそれほど人が住んでいませんので(ちなみにゴールデンウィーク中は人口爆発が起きます)、ブロードバンドなんて夢のまた夢だったんですよ〜。つまり、ほぼ不二草紙の2年間はナローバンド(ダイアルアップで実質43Kbps)で運営していたんです。はっきり言って能率悪すぎでした。さらにOS9使ってたもんだから、せっかく書いた記事が消えたり、フリーズしちゃったりなんて日常茶飯事でした。もうホント涙涙…もののあはれ…の毎日だったんです。
 それがですねえ、やっとこさっとこ、ADSLがやってきたんです。いったいここは何年遅れてるんだ?まだいろいろと調整も必要かもしれませんが、とりあえず平均して15Mbpsくらいは出てるようなので、えっと〜、以前の400倍くらい高速ってこと…なのか!!まあ、マシン(Pismo400でOSX)が非力でして、とてもそこまでの体感速度はありません。それでも、まあ地獄界から人界くらいまでは来たかな。ちまたでは光が差して天界なんでしょうけど。
 それでもホント我慢に我慢を重ねた末の広幅ですので、歓びもひとしおです。カミさんも昼間っから2ちゃん三昧のようでして…。私は早速NMLに入会しました。夢のような音楽ライフであります。ああ幸せ。
 これを機にさらに気合いを入れて頑張りたいと思います。ブロードバントになって庵主はだめになった、なんて言われないようにね。そういうことってよくありますから。当面の目標は1日1000アクセス!
 それでは今後ともよろしくお願いいたします。

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2006.02.24

『サイゾー』(インフォバーン)…『萌え=をかし論』つづき

i-cover0603_02 3月号もいろいろと勉強になりました。ちょっと前に紹介した日経エンターテインメントをライバル視する(?)雑誌、「サイゾー」です。左の画像をクリックしてみてください。「日経○○は書かない…」とあります。日経○○とサイゾーを両方読んでる人ってどれくらいいるんだろう。いわば両誌で世の中の表裏(の一部)っていう感じですから、私のような、表も裏もという知りたがりやさんには、けっこう結構な組み合わせだと思いますよ。ま、両方表だという説もありますが(笑)。
 どちらが好きかと言われると…えっと、両方好きですね。私の脳ミソにも裏表がある。そう裏表がある人間なんですよ、私。
 そうそう、ちょっと報告が遅れましたけれど、先月発売のサイゾー2月号にこのブログの記事が引用されておりました。自分の好きな雑誌に自分の文章が載るというのは、実に心地よいことです。それも投稿したわけではありませんからね。引用していただいたということです。
 そうなんです。敬愛すべきオタキング岡田斗司夫先生が、私の『萌え=をかし』論に共鳴してくださいまして、ご自身のブログに引用してくれました。その岡田先生の記事がそのままサイゾーの『オカダトシオの「mixi日記」』に掲載された、という具合なのであります。
 期せずして、昨月は、島野清志さんのご厚意と岡田斗司夫先生のご厚意により、2冊の本にワタクシめの駄文が掲載され、国会図書館に永久保存されることになりました(?)。ありがたいことです。まさに毀誉褒貶、信賞必罰です(笑)。
 さて、そのサイゾーの2月号にもあったのですが、岡田先生自身は「萌え」を語ることに積極的ではありません。おそらく私同様に、世間で騒がれている「萌え」に違和感があるのだと思います。実際、私はいわゆる「萌え絵」には全然萌えませんし(例の「萌えキャラを描こう」にも感動こそすれ、萌えは感じませんでした)、メイドカフェには興味はありますが(もうすぐ行く予定です)、ほとんど萌えないことと思います(楽しいだろうけど)。
 だけれども、私は「萌え」には興味があります。それは何度も書いている通り、それが日本の歴史の中で連綿と続いてきた「何か」の現代型であると信じているからです。そんな発想、いや実感から、「萌え(オタク)論」の考察を続けているわけですね。先は見えそうで見えませんけど。
 で、私の萌え論に違和感を抱く方も当然いらっしゃいます。違う実感が存在するわけです。それもまた当然ですし、切り口の違いということもあると思います。特によく目や耳にするのは、「性的な感情についてはどう考えるんだ?」です。いわゆる世間で言う「萌え」にはその要素があるのに、不二草紙ではそのことに触れられていない。そこが自分の実感とのズレだ。蘊恥庵庵主は本当に「萌え」がわかっているのか?
 いやいや、よ〜くわかってるんですよ。実感も理解できます。ではなぜ?なぜ目をつぶる?ということですね。
 ずばり言いましょう。「性的なものは商売になるので目立つ」からです。男も女も性的なのものにまず気を引かれます。当然です。ですからそこに目をつけて商売が成り立つ。マスコミやメディアがとりあげることもそうですし、実際にお店も開店するし、製品も大量生産される。だから目立つんです。でも、それが全てではない。人間の他の感情を考えればすぐにわかることです。「悲しい」だけでも考えてみて下さい。商品としての「萌え」に惑わされてはいけません。
 だから私はあえてそこに目をつぶっているんです。そこについては放っておいてもみんなが語ってくれますから。全体像を見たいんですよ。言葉の範疇としても、歴史の流れとしても。まあ、だから難しくなるんですけどね。
 たぶん、明日にはそういう意味でも本質的なことを少しですが書けると思います。とりあえず、今日はここまで。
 ありゃ?全然「サイゾー」のこと語ってないなあ(最近多いっね、こういうパターン…)。いや、とにかく面白いですよ。とにかく公式ページを見て下さい(って全然紹介記事になってないって)。

サイゾー公式

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2006.01.01

明けましておめでとうございます!

redggt1 みなさま、明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
 おそらく今年も、このブログを毎日書き続けるでしょう。基本的には今までと同じスタンスで書いていきたいと思っています。そのスタンスとは…。
 「古今東西・硬軟聖俗なんでもござれ!」
 これですね。やっぱり。右のサイドバーに「最近の人気記事」を設置してありますが、これが期せずして私のスタンスを象徴してくれています。
 1位「萌えキャラを描こう」2位「国家の品格」…もうこれだけでもメチャクチャっすね。「硬軟聖俗」入り乱れてます(笑)。その下に「プチクリ」「もの」「ウォッシュレボリューション」「文学・言語」「映画・テレビ」「アニメ・コミック」「奥崎健三」「物語論・オタク論」「M-Audio」「フィアット・パンダ」「歴史・宗教」「萌えてはいけない!」「身曾岐神社」「中国製ダブルケース」「富士山で東京の地上デジタル放送受信」「美輪明宏」…、なんにも考えてませんね。保守なのか革新なのか、右なのか左なのか、硬派なのか軟派なのか。自分でもよくわかりません。
sdfer ただ、このブログを書き続けることによってハッキリしてきたことがありまして、もうみなさんに「しつこい!」と言われるんですが、「物語(モノ・コト)論」です。これは自分にとってはライフワークですので仕方ない。みなさんおつきあいください。これは、最近で言えば、「武士道」vs「萌え」にもつながるわけでして、まさに人気記事1位2位ですね。本来とは違う形でではありますが、こうしてみなさんに興味を持っていただけるのは、大変嬉しいことでございます。
 ま、とにかく、読者のみなさまに励まされながら、一日一日歩んでいきたいと思っています。よろしくご指導ご鞭撻のほど宜しくお願い申し上げます。
 なんて、今日は朝から「磯自慢」呑んで酔っぱらってるんで、このへんでおやすみなさい…。
 あっ、ちなみに二つの画像は「武士道」と「カワイイ」…つまり「もの」「こと」です。分かる人には分かる。

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2005.12.14

『プチクリ 好き=才能!』 岡田斗司夫 (幻冬舎)

pc1 久々に動かされた本。とりあえず私の言いたいことは、この本に全て書いてありました。私が日々教室で語っていたこと、いや語りたくてもうまく語れなかったことなのかもしれません、とにかく私の人生の中心にあることを、岡田先生が実に明快に、そして明朗に語ってくれました。
 これほど共振する私が、ある意味特別だということはわかります。しかし、これだ!というのは事実ですし、いろいろな先生の中に私のような人間がいても、生徒にとっては全く不利益にはならないでしょう。
 「プチクリ」…プチ・クリエイターということです。それが意味するところは…この本に書いてある通りなわけでして、皆さんに読んでいただきたいので、ここには詳しく書きません。ただ、こちらを御覧になると、その明るく前向きな姿が垣間見られることと思います。
 私はいちおう国語の先生でありながら、他にもいろいろと趣味がありまして、だいたい人からは呆れられるか、うらやましがられるかどちらか、というような人生を送ってきました。自分は好きでやっているわけで、いつかはプロになってやろう、なんて考えているわけではない。実際、いろいろな分野のプロの方とご一緒させていただくことも多くありますが、その度に「いいねえ、アマチュアは…」と言われてきました。「プロは好きなことできなくなるし、なんでもお金の計算になっちゃうんだよね」…本当に何度も聞いた言葉です。
 私は、そんな自分に、時に幸福感を感じたり、時に虚無感を感じたりしてきました。つまり、そんなある意味おいしい立場が心地良かったり、逆にプロになりきれない自分に情けなさを感じたりしてきたということです。どちらかというと後者でしょうか。もっと才能があればなあ、もっと努力ができればなあ。それでも、いろいろな人から(例えば生徒たちから)「なんか楽しそうでいいなあ」と言われることがあんまり多いので、まあこんな人生もいいか、と思うこともしばしば。いったい自分って…。
 こんな私の生き方に「プチクリ」という素敵な名前を与えてくれ、そして思いっきり肯定してくれたのが岡田斗司夫さんだったのです。プチクリが一番幸せな状態だったのですね。やっぱりね(笑)。本当に楽になりました。よし!プチクリを極めるぞ!
 岡田先生、冒頭でご自身のことを「人の才能を見抜き、やる気を出させる」才能の持ち主だとおっしゃっています。人の才能を見抜き、やる気を出させる…これは、まさに私の考える教師の仕事そのものです。勉強を教えるのが教師の仕事ではありません。生徒を自分が考える正しい人間に育てることが仕事…なんて間違っても言ってはいけない。先生がそんなに偉い人間であるわけがない。私もいろいろなところで言っているつもりですが、先生はプロデューサーであるべきだと思うのです。まさに「人の才能を見抜き、やる気を出させる」です。恩師大村はま先生は、まちがいなく名プロデューサーでした。どれほど私を開発してくれたことか。
 「プチクリ」という考え方の誕生、まさにタイムリーでしたね。インターネット、特にこのブログというメディアは、プチクリのためにあるようなものです。ネット上のクリエイティブな表現活動というのは、ある意味理想的な需給関係を作りだします。良ければ、面白ければ、興味深ければ見ます。そうでなければ通り過ぎます。基本的にはお金はからみません。いい意味で無責任に発信、受信できます。私自身も、このブログのおかげで、本当にプチクリ生活が充実しています。そして、どれほど多くの新しい縁が生まれたことでしょう。そして縁がセレンディピティーを生む。幸運をつかむ可能性が生まれるわけです。だから楽しいに決まっている。
 あっ、そうそう私も岡田さん提案の「才能埋蔵マップ」作ってみました。ものすごく膨大になってしまって、結局このブログの内容と同じになってしまったんですよ。ですから、私の完成版才能マップ、いや発展途上だな、とにかく今の自分のマップはこのブログです!もちろん生徒たちにも作らせてみました。みんな一生懸命楽しそうに作っていましたよ。もうその作業だけでも素晴らしい教育活動です。自分にはこんなに才能があるんだ!自信はやる気につながります。
axe3 最後に蛇足ではありますが、うちのカミさんのマップ、あんまり面白いので(変なので)ここにさらします。まあこれも確かに才能だよな…すごいわ。

Amazon プチクリ

岡田斗司夫のプチクリ日記

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2005.12.06

10万アクセス突破御礼〜アクセス解析

cocofc2counterGoogle
 おかげさまで、いつのまにか10万アクセスを突破しておりました。ありがとうございます。7月の終わりに5万アクセスという記事を書いてますから、そこからのペースは速かったですね。
 もともとあったコーナーをブログに移植して、ちょうど1年です。去年の今ごろに比べると、1日あたりのアクセス数は3倍に増しました。まあ、これだけの文字数書いてれば、それなりに見ていただく機会も増えますね。さっきコンピュータに数えてもらったら、ちょうど100万字くらいでした。原稿用紙で2500枚。新書版で1500ページかあ。まあよく駄文を連ねましたね。まあまあのペースかな。ちなみに最高3日で8万字です(卒論…笑)。
 とは言っても、この10万アクセスという数字、あてになりませんぞ。だいたい自分がクリックしてもカウントされるし、アクセス解析の種類によってかなりの誤差があるんですよ。アクセスというよりもページビューという方がより正確かもね。
 このブログには、都合四つのアクセス解析が埋め込まれています。いや、別にアクセス解析マニアというわけではありませんし、実際あんまり見てません。でも、今も一所懸命解析してくれているわけですから、労をねぎらう意味もこめて紹介しましょう。
 まず、ニフティのココログの機能の一つであるアクセス解析ですね。次に、このブログにアクセスすると左上の方でピクピク動く謎の生物です。これはFC2のアクセス解析が棲んでいる証拠です。最初の数秒だけ姿を現します。3番目はカウンターに付属の解析です。これもFC2。そして、最近ためしに埋め込んでみたGoogleのAnalyticsです。上の画像は左からココログ・FC2解析・FC2カウンター・Google、それぞれのトップ画面です。
 で、それぞれ全く解析結果が違うので、あてにならんということです。例えば、昨日のトータルアクセス数は、それぞれ590、672、573、682、てな具合でして、まあ平均をとって600くらいかなって感じです。
 それぞれに得意分野や不得意分野があるようですが、結局あんまり見てないのでよく分かりません。これが商用サイトだったりすると、Googleの妙に詳細な分析(なんかいろいろありすぎてお手上げ)が役立ったりするんでしょうな。これとにらめっこする仕事とかもありそうですね。大変だ。
 それぞれをよく見てみると、人気記事はどれかとか、どこのサイトから飛んできたかとか、どんな検索ワードでたどりついたのかとか、どこの県から何人アクセスしたかとか、新規顧客?とリピーターの割合とか、面白そうなコンテンツが並んでいます。ヒマがあれば眺めてみたいですね。
 しかし、アクセスする方からすると、なんとなく監視されているというか、マジックミラー越しに見られているというか、あんまりいい気はしませんよね。私はあんまり、というか全然見てませんので、気兼ねなくご訪問下さい。
 追伸 右にある「人気記事」もアクセス分析の一つですね。

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2005.05.02

祝1周年!『不二草紙』

_31 思い起こせば1年前。ホームページでも作るか、というノリで始めたこの『不二草紙』。毎日更新を目標にやってまいりました。途中、出張や旅行などでため込んだこともありましたが、なんとか目標を達成できました。読者の皆様のおかげです。はい。
 いやあ、1年前には、この『不二草紙』によって、こんなに人生が変わるとは思っていませんでした。いろいろな方々との出会いもありましたし、自分自身の中でも大きな革命が起きたような気がします。
 インターネットというメディアは、旧来のメディア以上に多くの「縁」を生み出していきます。その縁によって自分が日々変わってゆきます。新しいメディアが思い出させてくれたのは、「おかげさま」という古くさい言葉でした。
 特に「本日のおススメ」をブログという形式に変えてからというもの、本当に多くの方々との出会いがありました。最近では、毎日100件近くがブックマークによるアクセス、200件近くが検索によるアクセス、計300近いご縁が生まれています。おかげさまで、先日、12月からのカウントで20000アクセスを突破しました。予想以上のペースに驚いております。
 私の拙い記事に、コメントを付けてくださった方、またトラックバックを送ってくれた方、またメールにて間違いなどを指摘してくださった方、本当にありがとうございました。
 最近は本業が忙しく、更新するのは「本日のおススメ」だけの状態が続いています。なんとか時間を作って、他のコーナーも少しずつ充実させていきたいと思っています。まあ、牛歩よりのんびり、蝸牛歩のごとく、になりそうですが。
 ところで、去年の今日の記事、たった300字程度なんですよね。内容もなんだかなあ、という感じ。長いと読んでもらえないだろうなあ、と思ってあえて短くしたという部分もありますが、単に書き慣れていていないということもあったのでは。いちおう、毎日、記事を書くのは30分以内と決めていますので、最近はだいぶ早くなったということでしょう。昨日の記事なんか、1800字超えてますからねえ。ちょっと冗長、冗漫な感じですな。いけませんね。
 さてさて、1周年を記念して、左下に「相互リンク」を設けました。「縁」ご希望の方は、ぜひご一報ください。
 では、今後ともよろしくお願いいたします。       
                    不二草紙蘊恥庵庵主 山口隆之拝

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2005.04.06

黒猫マスコット(Maukie)

この黒猫ちゃんは動きません
maukie 一昨日、あるところからのアクセスが異様にたくさんあったので、そのリンク元へ行ってみました。
 そうしたら、な、な、なんと…。うれしいやら嬉しいやら何とやら、正直ちょっと戸惑ってしまいました、ははは。
 なんとまあ、吉原の有名なソープ嬢さんのブログではないですかあ!!入れ墨面積吉原一!!
 いや、ちょっと待って下さい、そ、そんな、疑わないで下さい。あの、え〜と、その…、冷静になれ!自分。
 え〜、全く面識ありません。そのお店には行ったことはありません。ん?日本語は難しいな。そのようなお店には行ったことがありません。登楼など夢のまた夢…。
 で、で、どういうわけかと申しますと…。
 その方はとっても猫がお好きなようで、毎日のように記事に猫ちゃん(キティちゃん含む)が登場しております。で、4月4日の記事は、ポール・ギャリコの「猫語の教科書」に関するものでした。そこに私の10月20日の記事がリンクされていたのです。
 なぜ、私の記事が採用されたのかは全くわかりません。ちょっと前までは確かにググるとかなり上に位置していたのですが、最近はロボットが見落としたらしく、その記事自体は引っかかってきません。まあ、私の記事は完全リンクフリーですので、全然OKなんですが、なんとも不思議な因縁でございますなあ。
 さて、いちおう感謝の意もこめまして、その方のブログをよく読ませていただきましたが、猫に対する愛情のほど、痛いほどよくわかりました(入れ墨の方が痛そう)。
 で、その中になんとも可愛らしい黒猫ちゃんがいらっしゃるではありませんか。非常によくできているflashです。これはどうしても我がブログでも飼ってみたい、と思いまして、いろいろ調べて左上に設置してみました。
 どうです?可愛いでしょう。猫のことを本当によく知っている方の作品ですね。作者は不明だそうですが。
 目の動き、ゴロゴロ、鳴き声なんかも実にリアルです。ちょっとした耳の動きや、ヒゲとか、目の上の毛…ありゃ、まつ毛なのかなあ、まゆ毛なのかなあ…の微妙な揺れ具合なんかも絶品です。
 このような黒猫ちゃんとの出会いを作ってくれました○○さんに感謝いたします。ほんとは○○さんのブログにもリンクしたいところですが、ここは生徒も見ますからね。いちおう自重しておきます。

Maukie Home
設置方法はここが詳しい

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2004.10.07

木下貴雄遺作画集

dfkjpp.jpg
 9月28日付けの記事にコメントをいただきましたyukarinさんの御厚意により、木下氏の画集を手に入れることができました。
 本当に素晴らしい作品たちでした。これほど胸深く迫ってくる絵に出会ったのは、もしかすると初めてかもしれません。テレビでは本当に数枚の絵を瞥見しただけでしたが、その時抱いた感想を、画集をじっくり見た今もまた、再び強く抱いています。
 それは、氏の絵全てから発散される、何か非常に強いメッセージが存在するからだと思います。言い方を換えれば、氏の絵に込められた共通の精神ともいうべきものが、理屈抜きで私の内部と共振したということでしょうか。
 私のような素人が、いろいろとコメントすべきものではありません。それは良く分かっていますが、やはり何かを語りたい。しかし、ことばというメディアは実に頼りない。うまく言えない。こういう体験は久しぶりです。
 私流に言えば、これが「もののあはれ」です。「こと」ではなく「もの」と共振する自分、そして「もの」を「語る」こと、つまり「ものがたり」の難しさを痛感する…「こと」優勢の現代においては、めっきり少なくなった経験です。そういう機会を与えていただいた木下さん、yukarinさん、本当にありがとうございました。
 そして、インターネット、ブログという新しいメディアの可能性を予感させる出来事でもありました。

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