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2025.04.04

日蓮からのボール

Img_9714 川のお寺でセミナー。日蓮宗ですが単立のお寺。素敵な空間でした。

 お寺でありながら、立派な注連縄があるところが素晴らしい。日蓮宗のみならず、かつて仏教は神道を吸収し、本地垂迹を唱えていました。すなわち、仏が主で神が従。

 その考えが正しいかどうかについては簡単な二元論では語れませんが、いずれにせよ、神と仏はある意味仲良く共存していたのです。それを象徴する形としてのこの注連縄。

 明治維新後、廃仏毀釈があって神が主となると、神道は日蓮宗にとって破折の対象となるはずでしたが(現在は基本そのようです)、戦争に向かって日蓮宗的な思想と国家神道的思想が妙な方向性を持って融合していきました。これは実に皮肉なことです。

 日蓮といえば、尊敬する日蓮の研究家の方がお亡くなりになってしまいました。たくさんのボールを受け取った身として今後何をすべきか、もっと教わりたかった。

 法華経についてももっと教えてもらいたかった。そして、仏教とは全く関係ないけれども非常に重要なことも教わる予定だったのが、私の多忙と怠慢のせいで叶わず残念かつ申し訳なく思います。

 その方のおかげさまで、それまであまり興味がなかった日蓮や法華経とのご縁ができました。特に日蓮が佐渡に流されてから身延山に至る中での大きな変化について、その方は私に語ってくれました。

 おそらくそのボール、その方が日蓮から拾ったボールも、私がリレーして拾わねばならないようです。

 ここのところ、私の様々な分野での大先輩が帰幽なされ、なんとも辛い気持ちになっています。それぞれのボールをしっかり受け取って、今からご恩返しするしかありませんね。

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