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2025.04.19

伊勢の外宮に思う

Img_9852 勢でセミナー。セミナー前に急ぎ足で外宮にお参りしてきました。いろいろ感じることがありました。

 伊勢神宮といえば、内宮と外宮の歴史的争いの歴史を思い出さざるを得ません。今でこそ内宮がメイン、外宮はその前菜みたいに思っている方が多いかと思いますが、天照大御神が今のように前面にフィーチャーされたのは明治維新以降、国家神道の歓声に伴ったものであったことも知らねばなりません。

 私はオニサブラーなので、自然と外宮びいきになってしまいます。言うまでもなく出口家と外宮の度会家は同一と言ってもいいくらい縁が深い。

 それより全国の多くの神社の「天照大御神」押しにちょっと辟易してしまうのですよね。アマテラスさんには申し訳ないけれども、「御祭神」の先頭に書かれてある「天照大御神」の文字を手で隠すと、本来のその神社の御祭神が見えてくるのですね。

 天皇のご存在の重要性については誰より理解していると自負していますが、記紀でそのルーツとされるアマテラスを必要以上に押し出すことには抵抗があります。

 明治の国家神道は様々な矛盾をはらんだ一種のフィクション(新しい神話)です。特に「男系男子」を標榜しているにもかかわらず、そのルーツが女性神であるという大矛盾は、野暮、失礼、不敬ながらもついツッコミたくなります。

 どうせなら、アマテラスは「変成(性)男子」であるとでも言ってしまえば…これはさすがに多重的に失礼すぎるか(苦笑)。

 その点、王仁三郎は自由ですね。変性女子であることを公言し、女装するのは当たり前。まさに近代天皇「制」の逆張りトリックスターです。

 今日は時間がなかったこともありまして、柏手さえ打たずにお参りしてきました。そう、一般参拝客の柏手さえも近代のフィクションですからね。ましてや二礼二拍手一礼など…。

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