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2024.08.20

【戸塚宏】令和の今、体罰を語る

 日は山梨の私学研修で講師を務めさせていただきました。新時代の生徒指導ということで、20世紀的な軍隊教育からの脱却を前提にいろいろお話させていただきました。

 当然、体罰や暴言、恫喝や威圧、無視や差別などの精神的攻撃も否定しました。それは時代の流れとして当然のことではありますが、一方で前時代のあの教育手法が完全に間違っていたとか、意味がなかったとか、そんなふうには思っていません。

 時代によって解釈や価値観が変化するのは当たり前です。百年も経てば評価が180度変わることもがいくつもあることは、歴史を勉強していれば分かります。ものごとはそんなに単純ではありません。

 ある意味無垢な進歩史観から、まるで前時代の人間が愚かであったかのような言い方をする革新主義者もいますし、その反対に「今どきの若者は」に代表されるような間違った保守主義者もいます。

 かと思うと、今日も例としてお話しましたが、今やっている甲子園の抱える軍隊性についてはどちら派も看過してしまったり、まあ非常に人間の価値判断はいい加減なものであります。ノスタルジーなどの感情が論理を超えてしまうわけですね。

 さて、では皆さん。皆さんはこの炎上している動画を見て、どのようにお感じになりますか。私は一概に肯定も否定もできないのです。かなり複雑な感情になりつつ、冷静に分析するのですが、それでもやはり一つの結論にはたどり着けていません。

 人が複数死ぬ事件を起こした人が語っているという前提は一旦外してみてください。その上で、彼の語っていることをどう解釈、判断しますか。

 

 

 

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2024.08.19

いかりや長介と立川談志の対話

 

 日学校の先生方に対する研修の講師を務めます。そこでもある意味厳しく言うつもりですが、学校の先生たちって全然「しゃべりの勉強」をしないんですよ。しゃべりのプロであるべきなのに。まず自分のしゃべりを録音して反省したりすることもない。

 今はYouTubeの時代ですから、本当に簡単に良きサンプルから学ぶことができます。人気YouTuberの語り口も、予備校の先生の授業も、落語も漫才も演劇も、いくらでも勉強できる。

 というわけで、今日も勉強しましょう(笑)。

 昨日は九州人の洒脱な会話を楽しみましたが、今日は江戸っ子の二人の軽妙な会話です。いかりや長介さんと立川談志さん。二人の天才による贅沢な教材です。

 江戸っ子のテンポと間がよ〜く分かりますよね。早口でも間があれば聞き取りやすい。あと表情、手振り身振り。

 それにしてもこの二人の天才の会話、本当に貴重ですよね。今はお二人、向こうでこんな調子で話していることでしょう。若かりし爆笑問題も勉強になっただろうなあ。

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2024.08.18

九州人による爆笑九州談義(筑紫哲也、タモリ、武田鉄矢)

 

 10月に九州ツアーがあります。その計画を立てたりしていました。そこでなんなとく観たのがこの動画。これが実に面白かった!

 この3人、やっぱりすごいですね〜。こういうのをやっていた昭和のテレビもすごかったということか。

 まず「教養」ですね。しかし、その教養がちょっと胡散臭いところが良い(笑)。本で読んだ知識教養とはちょっと違う。生活実感の言語化とでも言うのかなあ。ディテールの真偽はともかく全体としては正しい。

 男たちのこういうダラダラした、ある意味どうでもいい対話って楽しいですよね。日本語が豊かだったとも言える。3人とも比喩が抜群にうまい。

 こういう会話ができる男になりたいですね〜。私も還暦を迎え、すっかり前時代の人間になってしまいましたが、過去を振り返って懐かしむのではなく、先人たちが未来に投げたボールをしっかりキャッチしていきたいと思っています。そして私はいずれこの世を去るので、しっかり未来にボールを投げていきます!

 九州ツアーがより楽しみになってきました。そして「翔んで埼玉3(九州編?)」も楽しみですな(笑)。

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2024.08.17

全日本プロレス祭 アリーナ立川立飛大会

 

Img_7104 の日は還暦の誕生日でした。記念に次女とプロレス観戦。これが素晴らしいプレゼントとなりました。いやあ楽しかった〜。

 今まで観た多くのプロレス興行の中でもトップクラスに満足度が高かった!今の全日本プロレスの勢い、魅力を堪能できました。

Img_7109 会場入りして、娘は斉藤ブラザーズとの写真撮影会へ。私は鈴木秀樹選手のところへ挨拶へ。ちょうど行列に並ぶ娘が近くにいて、「おい!娘!裏切り者!」と言われていました(笑)。今日のタイトルマッチの対戦相手ですからね〜。

 試合の詳細には触れませんが、第1試合の冒頭からずっと会場は盛り上がりっぱなし。まさに「明るく楽しく激しい」プロレスが惜しげもなく展開されました。

Img_7117 実力に裏打ちされたエンターテインメント性とスポーツ性、そしてみんなしゃべりが巧い。演劇集団、お笑い集団としてもかなりレベル高いですよ。

 どの試合も素晴らしかったけれども、やはりメインでしょうかね。私も娘も周囲のファンの皆さんもずっと興奮し、そして感動していました。

20240823-92619 両選手を応援するという、二元論的ではない世界。どちらが勝っても負けても嬉しく悔しい世界。本当にプロレスを好きで良かったなあと実感した一日でした。

 これからの後半生もプロレスしていきます!本当にいい誕生日、還暦の日でした。感謝。感激。感動。

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2024.08.16

『もしも徳川家康が総理大臣になったら』 武内英樹 監督作品

2407_moshi_toku_main1024x724 本橋で観てきました。なぜ日本橋かというと、劇中に日本橋三越本店が出てくるからです。ただそれだけの理由ですが、ゴジラの時もそうでしたが、ゆかりの場所で観る映画はなんとなく良いものです。

 大好きな「翔んで埼玉」シリーズの武内監督の作品ですし、原作も面白かったので期待大でした。

 まあちょっと期待しすぎたからかもしれませんが、満足度は85%といったところでした。もう少し笑えるところがあっても良かったかなと。

 ある程度原作に近い形にすると、単なるギャグ映画にはなりえませんので、そこのところはある意味中途半端になってしまったかなという感じでした。

 もちろん普通に映画作品として捉えると、かなり点数の高いものでしたよ。キャスティングも良かった。特に家康役の野村萬斎さんは、ウチの次女もお世話になっている(お世話している?)わけですが、まあさすがの存在感と台詞回し&身のこなしでしたね。

 そしてまさかの萬斎さんとGacktの「敦盛」を観られるとは!それも観阿弥ゆかりの静岡浅間神社まで!

 テーマは「安寧」でしたね。最近家康案件に翻弄されている私としては、なるほど私に課せられたテーマも「安寧」なのだなと、改めて確認させられましたよ。

 本能寺の変の話題も出てくるし、歴史的な偉人たちが現代にという展開も今の私にぴったり。なんだかんだ千葉さな子が主役ですし(浜辺美波さんが美しかった)。勝手に運命を感じながら鑑賞いたしました。

 最後の家康の長台詞が説教臭くなってしまったのは、それまでの軽い展開(演出)のせいでしょう。コントラストを狙ったのが裏目に出てしまったかなと。

 まあ、もう一回観に行ってもいいかなあ(ちなみに「翔んで埼玉2」は6回観ました)。

 一点気になったのは、原作でも間違えていたのですが、「すべからく」の使い方(意味)です。それについてはまたいつか。

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2024.08.15

【厳秘】大戦終末に関する帝国政府声明の骨子(その3)

 (日からの続きとなります)

 事ここに到り、帝国は何等、如何なる過去なる過去の行掛りにも囚はるること無く、明朗闊達なる万朶の桜の如き心境を以て最後の決を断行し、来るべき世界新秩序の大なる建設創造に最大最高の誠を披瀝することこそ、日本国民の最高の名誉とする所なり。これにより幾多の尊き忠霊も、日本の将来に実現すべき世界建設に欣然参画したる事実を以て必ずや満足し、また幾多の戦災の犠牲をもこれにより正しく補はれんことをも、期して絶対に誤りなからさんことを信ず。

 これ真に仁慈あまねき大御心に副ひ奉る所以にして、まさに最高の忠誠の実の示さるべき唯一の臣道に他ならざるなり。今や帝国臣民は些かなりと狐疑逡巡することなく、即時、新世界建設の喜ばしき大創造に捨身し、以て大東亜戦争の実に聖戦たる、世界史的転換の真の大義を宇内に光被し、御稜威の八紘への宣揚に全身全霊を献ぐべき決定の秋に蹶然、奮起邁進べきなり。

 (終わり)

 いかがでしたか。昭和天皇による一度目の御聖断は8月10日でしたから、この文書はそれを受けてものとなります。連合国側から返答があったのが12日。それをめぐって御前会議は再び紛糾し、14日に二度目の御聖断があって15日を迎えるわけです。

 はたしてこの文書の著者はどこから「御聖断」の情報を得ていたのか。そしてタイトルにある「大戦終末に関する帝国政府声明」とは何なのか。実際にはそのようなものは存在しません。12日の段階でそれを発する予定があったのか。

 知られざる昭和の歴史。終戦秘話なのかもしれません。

 いずれにせよ、15日の玉音放送(大東亜戦争終結ノ詔書)は、この文書の内容と全く矛盾しておらず、この文書の著者と安岡正篤が通じていたことも想像されるのでした。

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2024.08.14

【厳秘】大戦終末に関する帝国政府声明の骨子(その2)

 (日からの続きとなります)

 すでに皇軍の進駐せる大東亜諸国は悉く、植民地解放、民俗独立なる世界新秩序の大道を進み、漸くの独立の実をあぐべき成熟の時機の達せんとするを見る。ここに帝国軍隊は、大東亜諸国の自主自衛の達成を促進し、今後の強力なる自らの発展を革新するが故に、一刻も速やかなる撤退を必要とするを認む。特に米英ソ軍との徒らなる解放国内に於ける戦闘の如き、そは全く再び植民地的状態に逆転せしめ、更に戦禍によりいかに悲惨の度を申告にするかに役立つのみにして、真の大戦の目的とは全く矛盾する結果に立到らん。邸作はかくの如き無意義なる無名の戦に流血の惨を続くる如き、これを肇国の理念に反するのみならず、全人類の福祉を祈念し給ふ。

 大御心にも全く悖る所以たるを知り、潔く全世界の真の永遠の平和の為大詔のまにまに、わが戈を捨てんとする決意を有す。

 かくて大東亜戦争により解放せらるべきアジア十億の民は、必ずや帝国が絶対に侵略の意図なきのみか、自らを空しくしてただ全世界のために最大の正しき戦をなしたる世界指摘意義を知るに到り、全世界もまた、わが戦の真意を了解し、真の世界平和の大道に進むことを承認せんこと、帝国が自ら国際憲章に参加の意を表示することによりて明かに実証せられん。

(明日に続く)

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2024.08.13

【厳秘】大戦終末に関する帝国政府声明の骨子(その1)

 79年前の8月12日、あるところからこのような文書が発せられました。だれがどこへ向けてどのような意図で発せられたものかはわかりませんが、縁あって手元にありますので紹介いたします。3日に分けて掲載いたします。漢字のみ新自体に直しました。

 【厳秘】大戦終末に関する帝国政府声明の骨子

 大東亜戦争はすでに大東亜共同宣言に見る如く、あくまでも全人類共存共栄の世界的理念を実現する図に出でしてものにして、大東亜の建設、アジア植民地の解放・独立こそ実に大戦の真の目的の存する所なり。このため帝国は自らの一切をあげてこれが最善の努力を尽し、忠勇無比なる陸海軍将兵は大御稜威の下、すべて特攻隊的精神を以て国体護持のために最高の忠を致し、逐次その理想を着々実現し来れり。しかもこの大方向こそいかにしても避くべからざる世界史的必然の大道にして、これを外にしては絶対に世界の正しき新秩序の建設は不可能なり。

 今や欧洲の状態は、戦争終末と雖も極めて困難なる窮境にあり。更に大戦の申告なる展開により、全人類は悉く救ふべからざる人類絶滅の破局に没落せんとする最後の巌頭に立てり。

 特に米国は人間殺戮のため原子爆弾の使用を実施し、ソ連また参戦し、このため蒙るべき全世界の将来の惨害、蓋し到底言語に絶する最悪の事態発生せんこと既に明かなるを予測し得るなり。

 しかも米英ソ支の諸国もまた、数次の会談によりて決定せられし国際憲章の理想の実現に努力せんとする時、この新しき世界秩序の方向こそ、またさきの大東亜共同宣言の意図する世界建設計画と極めて近似せる内実を有することなるは、その内容の検討と今後の公正なる実施によりて表現せらるることを信じ、帝国はここに自らの利害打算を悉く空しくし、真に特攻隊的精神を以て、天壌無窮の神勅のまにまに有終の美を済さんとする非常なる決意を断行する所以なり。

(明日に続く)

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2024.08.12

ラモー 『優雅なインドの国々より未開人の踊り』

Meets 々に富士山の家に帰ってきましたよ。と言っても、秋田から甥っ子、姪っ子たちが来訪し、それなりに忙しくしております。

 さて、パリオリンピックが終わりましたね。フランスだけではありませんが、ヨーロッパの国々は黒人の選手が多かった。もちろん歴史的なことを考えればそれはしかたないことです。

 18世紀のフランスが「未開な国々」をどう見ていたかがわかるオペラ・バレエがあります。ラモーの「優雅なインドの国々」です。当時のフランス人の感覚については、世界史的な勉強が不足しているので、あまり正確なことは言えませんが、少なくとも「インド」という言葉が、今のインドではなく、アジア、アメリカ大陸やアフリカ大陸まで含めた「ヨーロッパ以外」を指していたことはわかります。

 バレエに登場するのは、トルコ人、インカ人、ペルシャ人、そしてアメリカ・インディアン。それぞれ決して見下したり、バカにしたりするわけではなく、まさに異国情緒の対象として、異文化として描いているように感じます。特にトルコ人には忖度しているような(笑)。

 さて、この大作の中でも特に有名なのが、アメリカ・インディアンを描いた第4幕「未開人たち」の中の「未開人の踊り」でしょう。

 これを見事に現代的に表現した動画があります。演奏はバロック様式ですが、踊りはヒップホップなどのストリート・ダンスです。これがなかなか素晴らしい。今や「未開人たち」はヨーロッパにとって憧れの対象にすらなっているわけですから、時代は変わったものです。

 

 

 あと、この名曲を現代に蘇らせたといえば、このドミトリー・イヴァンチェイのロックな演奏でしょう。全パート自分で演奏、歌唱しています。

 もともとはヴァイオリンで音楽大学に行っていましたが、今はオペラの歌手として活躍しています。すごいですね。ユーモアも抜群です(笑)。いろいろなヅラをかぶって頑張っています。エレキ・ヴァイオリンもかっこいい!

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2024.08.11

『大鹿村騒動記』 阪本順治 監督作品

814kmvppbfl_ac_sy606_ 日は八ヶ岳山麓から杖突峠を越えて伊那谷へ。

 一昨日と昨日のセミナーの参加者のご縁があって何か所かを訪ねました。伊那谷と言えば、私にとっては後南朝の伝説の宝庫ですが、今回のご縁で春以降に合宿をやることになりそうな村が大鹿村です。

 今日は帰宅後、その大鹿村を舞台として映画を一本観ました。これがなかなかの名作でしたよ。

 敬愛する俳優、原田芳雄さんの遺作となった作品です。原田さんはじめ、錚々たる俳優陣が出演しています。特に三國連太郎さんと佐藤浩市さんの親子共演や、原田さんと縁の深い大楠道代さん、岸田一徳さん、石橋蓮司さんらの演技は見もの。

 大鹿村の自然も美しい。そして何よりこの作品の主役でもある「地歌舞伎」が良い!最近、ちょっと地歌舞伎に興味がありまして。

 ここ富士山北麓ですと吉田歌舞伎がなんとか残存しております。そう、地元鳴沢村にもかつては地歌舞伎があったのですが、今は伝わっていません。しかし、大田和の八幡神社には、実に立派な奈落操作式の回り舞台が残っているのです。あれ、吉田歌舞伎で使えないかなあといつも思っているのですが。

 さて、そんな大鹿歌舞伎を舞台として、実に面白く軽妙な人情劇が展開されております。くすっと笑える喜劇。大好きな荒井晴彦さんの脚本。

 これって日本の伝統であり、それこそ地歌舞伎にもつながりますよね。地歌舞伎ならではの、下ネタというか下世話な笑いも、この作品に登場して良い味を出していますよ。

 最後のオチも実に地方的というか痴呆的というか(笑)。重厚な演技が多かった原田芳雄さんが、最後こういう作品に出会って旅立たれたのは、きっと偶然ではないのでしょうね。

 来年の大鹿合宿が楽しみになってきました!

 ちなみにリニアの工事完成は数年先送りになりましたよ〜!、頼朝の家来の皆さん(笑)。

 

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2024.08.10

富士山と八ヶ岳のケンカ

Image45 杜市でセミナーでした。八ヶ岳山麓の皆さんは、富士山麓とは違う雰囲気を持っていますね。地元民もですが移住者も違う。対照的とも言えるかも。

 そこで思い出すのが、有名な「富士山と八ヶ岳のケンカ」の話ですね。ケンカの原因は「どちらが高いか」です。

 女神の富士山と男神の八ヶ岳の激しいケンカ(噴火)を見て、阿弥陀様が勝敗を決するために両山に樋をかけて水を流してみることにしました。そして、結果は八ヶ岳の勝ち。

 これは地学的にも正しいものです。今から10万年くらい前までは、実際に八ヶ岳の方が高かったと考えられます。つまり八ヶ岳(古阿弥陀岳)は崩れていなかったし、富士山は小御岳や古富士の段階ですからね。

 その結果に憤慨した女神富士山は、かけてあった樋を振り上げて、男神八ヶ岳の頭をしこたま殴りつけました(笑)。それで山頂が崩壊して「八ヶ岳」になってしまったと。もちろん背は低くなってしまって、今のように富士山の方が高くなったということです。けっこう怖い話ですね(汗)。

 とは言え、数万年前の記憶が伝説になっているとは考えにくいので、もう少しリアルに考えると、平安時代の記憶がそこに反映しているのではないかと推察されます。

 すなわち、私が時々書いている、9〜10世紀の日本の大活動期の記憶です。復習してみましょう。

 864年貞観の富士山噴火→869年貞観の三陸沖地震(津波)→887年仁和の東海・東南海・南海連動型地震→888年八ヶ岳水蒸気爆発?&山体崩壊→915年十和田大噴火(日本史上最大規模)

 ここにあるように、富士山の噴火から始まって三陸沖大地震、そして南海トラフ巨大地震、おそらくその影響で八ヶ岳が山体崩壊しているのです。

 貞観の富士山噴火は3年ほど続いたと思われますし、その後も噴煙は上がっていた可能性が高い。そんな中、巨大地震が連発して、八ヶ岳が崩壊したわけですから、当然当時の人たちは富士山が怒って八ヶ岳が崩れたという感覚だったことでしょう。

 それがこの伝説に反映していると考えられるわけです。

 それにしても、何度も確認しますが、この50年間はすごいですね。ちなみに893年と917年には、お隣北朝鮮の白頭山も破局的噴火を起こしております。

 まだ3.11から13年です。富士山の噴火も南海トラフ巨大地震も、まあこれからであることは確かですね。新しい伝説が生まれるのでしょうか。 

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2024.08.09

模擬原爆パンプキン

20240813-144402 日は甲府でセミナーでした。セミナーの中でも少し話しましたが、今日は長崎原爆忌ですね。

 原爆で亡くなった方々の御霊を引き継ぐのはもちろんですが、忘れてはならないのが、模擬原爆パンプキンによる犠牲者のことです。

 アメリカはせっかく作った原爆の投下に失敗しないよう、同型の模擬爆弾を全国各地に投下して訓練と調査を行いました。長崎に落ちたファットマンの模擬爆弾がパンプキンです(命名が軽くて怒りを覚えますね)。

 全部で52発が投下され、約400人の方が犠牲になっています。

 アメリカはその実体が残らないよう確実に爆破しています。実際の原爆投下の前なのですから、当然と言えば当然のこと。ただ、当時の日本人は、どうも新型爆弾らしいということは感じていたらしい。あまりにも巨大な穴が空いたからです。しかし、それがその数万倍もの破壊力を持つ原子爆弾の模擬爆弾だとは思わなかったことでしょう。

 いくら戦争中とはいえ、このように人命を軽んじ、一般市民をいとも簡単に犠牲にするというのは、やはり許せない暴挙と言えましょう。とはいえ、アメリカだけを責めるつもりはありません。日本側にもそのようなことはいくらでもありましたからね。

 しかし、さすがに原爆の投下はひどすぎる。人の想像力は、その対象のスケールが大きくなるほどに麻痺してしまうのでしょうか。人間の知覚と感情システムの限界。これを超えることが人類の課題ですね。

 

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2024.08.08

日向灘M7.1発生〜南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)

 日は富士山麓で大切な友人の結婚式でした。今後の地球の愛の雛型になるであろう素敵で画期的な結婚式に、心から感動し、祝福の気持ちに溢れました。おめでとうございます。

 さて、その二次会の最中に宮崎県沖日向灘で大きな地震があったとの一報が届きました。

 そしてその後、南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)が発表されました。

 日向灘は南海トラフ地震の想定震源域の最西端に当たります。そこでのM7以上の地震は下のように20世紀以降6回発生しています。

Img_7035

 1968年にはM7.5も発生していますが、そのあとに南海トラフ地震は発生しませんでした。1946年に昭和南海地震が発生していますので、もし関連があるとすれば、1941年の日向灘M7.2の方が前震的な存在なのかもしれません。

 そうだとすると、日向灘のあと5年後に南海地震が発生しているわけで、今回発表された「巨大地震注意」が1週間を警戒期間とするというのには、全くとは言わないものの、ほとんど意味がないと感じます。

 おそらくは東日本大震災の時の反省というか、痛い目によって、ある種の責任回避の手段としての制度であり発表なのではないでしょうか。

 そう、あの時、私が書いたこちらの記事を読んでみてください。

 3.9と3.11の間に何が起きたか。

 専門家はかなり厳しい批判を浴びました。そしてその教訓が熊本地震でも活かされませんでした。

 こちらの記事も読んでみてください。ここに「日向灘M7.1」の文字が出てきます。

 熊本でM7.3

 そうなんです。私としては、「明治熊本地震の10年後日向灘M7.1、20年後宮崎県西部M7.6」の方が、南海トラフ巨大地震よりも気になる流れなのです。今回、2016年の熊本地震の8年後に再び日向灘M7.1が発生したのですから。ある意味、私の予知が当たったとも言えるのかも…。

 地球的な時空のスパンは、人間の常識的なそれとは全く違うことを思い出さねばなりません。

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2024.08.07

オリンピックは◯◯の◯◯である!?

20240812-164146 の日、久しぶりに山梨に帰ってきました。

 パリオリンピックも盛り上がっておりました。体操男子団体の逆転金メダルは劇的でしたね。

 五輪の体操というと、あの話を思い出します。これって言っていいのか…いや、けっこう書いてますね、堂々と。そう、五輪はスポーツの祭典ではなく、サイキックの戦争であると。

 この記事からいろいろたどってみてください。けっこうヤバいこと書いてあります(笑)。

 実は今日はもう12日でして、昨夜の閉会式でパリ五輪は終幕となりました。今回日本は、金メダル数も目標達成しましたし、思ったより(失礼)良い結果を残しましたよね。

 いや、それこそ東京オリンピックの時よりも、日本側のサイキックはだいぶ手薄になっていると聞いていたので、ある意味予想外だったのです。

 特に夏の体操、冬のフィギュアスケートのように「精度」が求められる競技の中でも特に注目が集まるものは、サイキックの戦いが激しいそうです。

 ということは、ああやって中国にミスが続いたのは、陰陽師のおかげ? 橋本選手のあん馬の落下で本気を出しちゃった?

 まあ半分冗談で読んでもらいたいわけですが、世界一を競うあのレベルになると、技術や心理に加えて、そういう世界で紙一重が決まるというのは、実際あるようにも思えてきますよね。

 そういう意味で、今回のメダルが多かったレスリングやフェンシング、そして新興スポーツの分野は、それほど激しい攻撃はなかったのかもしれません。

 

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2024.08.06

上野三碑(こうずけさんぴ)

Unnamed_20240811103101 日は新函館北斗から高崎まで新幹線で移動してセミナーでした。

 新幹線ってやっぱりすごいですね。昨日の北海道縦断は10時間近くかかったのに、函館から高崎まで4時間半ですからね〜。900kmの移動ですから、表定速度200km/hってことですよね。

 朝、新函館北斗を出まして、昼から高崎でセミナーができるのですから、本当にすごいですよ。

 さて、高崎と言えば、駅前にもオブジェがあったり、いろいろパネルがあったりする「上野三碑」です。いちおう日本語や歴史を専門とするワタクシとしてはじっくり味わいたい逸品であります。

 ユネスコ「世界の記憶」に登録されながら、あまりに地味な存在のため、なかなか知られることがない石碑たちですが、日本語の成立や中国語の受容の歴史を知るためには非常に重要な資料です。

 また、関東地方への大陸や半島からの文化の流入の様子や、仏教の拡大の過程を知る資料としても貴重であり、しかもごく狭い地域に三つが揃っていること、そしてそれらの保存状態が非常に良いのも特徴です。

 今回は時間がなくて、現地には行くことができませんでしたが、本屋さんでいくつかの資料を斜め読みしてきました。個人的には「物部」が現れる金井沢碑に惹かれました。

 詳細は以下のHPからどうぞ。

ユネスコ「世界の記憶」上野三碑

 

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2024.08.05

北海道縦断

Img_6933 の日はまず友人の案内でノシャップ岬からサロベツ湿原、そして宗谷岬へ。ついに日本最北端まで到達しましたぞ。

 そして午後いっぱいかけての鉄道移動。最北端の稚内から南端の新函館北斗まで特急乗り継ぎの旅です。

 なんと路線約700km、9時間以上の旅です。700kmと言えば、直線距離で言えば本州の東京青森間より遠い。東京から島根県の松江とか、愛媛県松山くらいの距離ですよ。

 あらためて「北海道はでっかいどー」!!そりゃあ9時間かかりますわ。

Img_6922 まずは日本最北端の線路を撮影。気温は15.6℃ですね。

 2012年に新生なった駅舎と複合施設「キタカラ」は現代的で立派。その完成に伴って、本来の位置に線路と車止めを移動して、このような「キタカラ」を貫通するような形になったとのこと。

 キタカラの中にもちゃんとレール様のものが敷設されていて、なかなかおもしろいデザインとなっておりました。

Img_6920 そして、サロベツ号に乗車。そのあとライラック、北斗と乗り継いで、22時過ぎに無事新函館北斗駅に到着。

 風景、走行音、そしてお酒とお弁当を楽しみながらの一人旅。久しぶりにセミナーのない休日だったわけですが、特急に揺られながらしっかり充電することができました。

 すっかり乗り鉄になってしまった私。少年時代の感覚が蘇っております。

 旅人、いや旅芸人もなかなか楽しいですよ。

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2024.08.04

北海道はでっかいどー

Img_6881 まりに言い古された感はありますが、実際に体験するとたしかについ発したくなるパッセージですね。

 もちろん距離的なでっかさも実感しました。しかしこの日は温度的なでっかさに驚きました。

 前日の旭川は最高気温33℃でした。そして、この日の稚内の最高気温は15℃。私が到着した昼過ぎは、天気くもり、気温14℃。風が強く、体感温度は10℃。

 セミナー会場では、なんと暖房が稼働中。たしかに14℃となると、静岡の真冬の最高気温みたいなものです。

 旭川から稚内まで約250km。たしかに遠いけれど、ここまで気温が違うとは。冷房から暖房へ。体よりも頭がバグりました(笑)。

 もちろん特急宗谷で移動しましたよ。今回は北海道フリーパスをフル活用して特急に乗りまくっております。乗り鉄としては楽しい移動時間。

Img_6884 北海道らしさを感じたのは、途中「野生動物」と衝突して15分ほど停車した時ですね。鹿だったようです。地元の人によると場合によっては1時間以上止まってしまうこともあるとのことで、今回は不幸中の幸い。まあ鹿ちゃんは可哀想でしたが。

 鹿と言えば、セミナー会場の外にもふつうに鹿ちゃんたちが散歩してました。富士山麓の鹿たちと比べると、ずっと人に慣れてますね。

 このポスター、なかなかシュールですよね(笑)。最初なんだかわからなかった。そうか、カーリングか。

 

 

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2024.08.03

柔道混合団体銀メダル

20240807-91704 川にてセミナー。意外に暑い旭川へようこそ…と駅前にあるように、たしかに暑い(笑)。湿度が高い中の最高気温33度はけっこうきついですね。

 旭川、駅も大変きれいで、街も思ったより(失礼)大きく、ちょうどさんろくまつり前夜だったこともあってか、とても賑わっていました。2日にわたり美味しい夕食をいただきました。

 さて、夜は柔道混合団体です。教え子の舟久保遥香選手もエントリーしていましたが、登場前に4勝したために戦う勇姿は観ることがてきませんでした。

 最後はフランスに逆転負けの銀メダル。お家芸の柔道がJUDOに押され、東京オリンピックのリベンジができなかったことは残念でしたが、この柔道混合団体という種目はなかなか面白いですね。

 階級を越えた戦いでは、まさに柔よく剛を制すを感じることができますよね。特に二つ上の階級の選手を破った角田選手の巴投げは素晴らしすぎました。

 最後のルーレットもいろいろ憶測を呼んだとはいえ、面白いルールです。最後は立選手がリネールに負けてしまいましたが、私もどうせなら90キロ超級になってほしかったですよ。重量級のエース同士がガチンコであたるのが、やはり柔道の大舞台の醍醐味ですから。

 いずれにせよ、内容の濃い銀メダルでした。おめでとうございました。遥香もちゃっかり銀メダルもらってましたね(笑)。いいチームだったと思います。

 いっとき、私はJUDOに批判的な立ち位置にいましたが、今は少し考えを変えています。そう、日本の柔道が世界のJUDOのおかげで更に進化し、その粋を極めていくように感じるからです。

 そこには当然、「道」としての精神性やふるまいなども含まれるわけです。「道」という文化がスポーツを超えていくこと、それはたとえば野球道がベースボールを超えていっていることにも象徴されていると思っています。

 10年以上前に書いた記事を読んで、あらためてこの本を読んでみようと思いました。学校の先生に対する研修の内容にも大きく関わりますしね。

 スポーツ・体育・東京オリンピック

 スポーツ、体育、道、教育、軍隊文化…私のライフワークの一つのようです。

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2024.08.02

艮の金神のお出ましか!

Img_6762 別岳を遥拝して来ました。不思議なご縁あって滝川市の友人にいろいろとご案内いだきました。

 まずは芦別市の真言宗単立寺院光元院へ。日本の体操界を支えてきた大阪大学名誉教授の先生が住職をされています。

 いろいろ驚きがあったのですが、何よりびっくりしたのは先代が懇意にしていたという、あの肖像画家馬堀法眼喜孝の絵がたくさんあったことです。

Img_6745 馬堀法眼は、かの旧一万円札の聖徳太子像を描いた人として有名ですね。歴代天皇はじめ無数の偉人の肖像画を描いてきた人物です。

 我が家には喜孝が描いた出口直、出口王仁三郎、出口澄の肖像画の複製が飾ってあります。その本物は綾部の梅松苑で何度も拝見しております。

 いや、本当に驚きました。七福神像をはじめとして、立派な名品が多数あるのです。それを観るだけでも価値があります。皆さんぜひ訪れてみてください。ある意味有名な北海道大観音のすぐ近くです。

 光元院をあとにした私たちは富良野へ。艮の金神(国常立尊)がお隠れになっている芦別岳を、耀わんとともに遥拝し鬼門開きをするためです。

Img_6778 当初の予定どおり東大の農場にて遥拝したのち、近くにある大本の北海本苑さんをアポなしで訪問しましたところ、私たちを快く受け入れてくださりました。

 神殿にて耀わんを奉り、神職さんに天津祝詞をご奏上いただきました。感動と感謝の時間。

 鬼門開き。これが今の私の仕事であり、セミナーなどのテーマでもあります。隠されたモノ、あるいは洗脳されて忘れ去ってしまっているモノの復活。そういう時が来ているのです。

 神殿には王仁三郎はじめ教主、教主補の多くの作品が飾られていました。それだけでも大興奮でした。友人たちは私の姿を「5歳児みたい」と笑っていましたが、本当に子どもになったような気持ちだったのです。

Img_6812  御神事が終わって外に出ますと、王仁三郎の神聖歌碑の後ろにそびえる芦別岳にかかっていた雲が去り、天の階が降り注いでいました。なんという奇跡でしょう。

 もしかすると、本当に艮の金神がお出ましになったのでは。きっとそうなのでしょう。

 このタイミングで、ほとんど自分の意思ではなく、自然と導かれてここにいるという幸福。本当にありがたいですし、身の引き締まる思いもするのでした。

Img_6775 自己実現ならぬ神実現のために、これからも邁進してゆきたいと思います。本当にありがとうございました。

 北海本苑の神聖歌碑(昭和7年建立、10年弾圧で破壊、41年再建)

 芦別の山はかなしも勇ましも神代ながらの装ひにして

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2024.08.01

北海道に首都を!?

Img_6716 の日は札幌でセミナーでした。会場は旧永山武四郎邸に併設されている旧三菱鉱業寮。今は1階が和洋折衷喫茶ナガヤマレストになっています。その2階の和室でお話させていただきました。

 昭和12年の昭和モダンな建築物。入口上の丸窓が印象的ですね。

 今回のセミナー開催には、永山武四郎の関係者も関わってくださりました。永山武四郎は2代目の北海道庁長官であり、北海道の開拓と北方ロシアからの防衛に心血を注いだ偉人です。

 永山のプランの中には、旭川に京都、東京と並ぶ「北京」を作ろうというものまでありました。それは結果として頓挫してしまうのですが、今それは現実味を帯びているとも言えます。

 異常な暑さを記録している本土に比べると、圧倒的に涼しい北海道。もし、これからも温暖化が続くようなら、冗談抜きで北海道に首都機能を持ってきたらどうかと考えてしまいました。

 雪は大変ですが、交通網はリニアモーターカーにすれば良いでしょう。土地は余りまくっていますので、数千万単位の移住にも十分対応できそうです。

 温暖化や地震、富士山噴火などの自然災害のことを考えると、案外夢物語ではないのでは。永山武四郎の夢が、まさかの150年後に実現したりして。

 旧永山武四郎邸 公式HP

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