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2024.06.03

ハイデガーVS道元…哲学と仏教の交差するところに、はじめて立ち現れてきた「真理」とは?

20240608-95037 の日は学校勤務。朝イチで全校生徒に仏教の授業、午後はあるクラスに「接心」という座禅を中心とした体験授業。

 セミナーでも申し上げておりますが、私にとって最も尊敬する人類(宇宙人?)の先輩はお釈迦様であります。本当の天才。2500年以上前に全てを悟っておられた。

 恐れ多いことですが、そのお釈迦様の教えを現代流に解釈する、いや逆に原点に戻すのが私の目標であり天命の一つです。

 もちろん今までも多くの賢人がその時代ごとにそこに挑戦してきました。その代表格が日本では道元でしょう。

 そんな道元とドイツ近代哲学の雄ハイデガーが出会うとどうなるのか。それぞれの研究者である僧侶南直哉さんと防衛大学教授の轟孝夫さんの代替対談がとても面白かった。

第1回 存在とは縁起である その1

第1回 存在とは縁起である その2

第2回 言語の本質 その1

第2回 言語の本質 その2

 なんとなく道元の方が強い感じがするのは、南老師のキャラのなせるわざでしょう(笑)。

 私からすると、道元こそ言語にこだわってしまった、つまりお釈迦様の教えから遠ざかって苦悩した方だと思うのですが、南さんはもっと言語の力に頼っているように感じる(もちろん私は彼のことを言語を通してしか知らないが)。

 性起を縁起だと言い続けるところとか(笑)。いや、轟さんは不利というか、いや有利なんですよ。ドイツ語を日本語にしなければならない時点で、ある意味言語の完全性を諦めている。

 そう考えると道元さんが、漢語から和語に移っていったことにも意味を見いだせますね。

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