吉田松陰の大和魂
今日は秋葉原でセミナー。格別に盛り上がりましたね〜。講演中、いろいろ不思議な現象が多発。特に落としたペンが絨毯の床に立った時には、鳥肌も立ちましたよ(笑)。
そしてもっと鳥肌ものだったのが、セミナーが終わって懇親会会場へ向かう途中のできごと。
数少ない男子メンバーでてくてく歩きながら「なにか起きそう」「途中に神社とかありそう」と言っていたところ、道の反対側に神社の幟が見えまして行ってみたところ…。
なんと、そこは吉田松陰が処刑された場所だったのです。全く事前の知識なく知らない町(小伝馬町)を歩いていたものですから、みんな驚きました。
ちょうどセミナーで(本当の)「大和魂」について語ったあとでした。その文脈では、吉田松陰の有名な辞世の歌の「大和魂」は批判の対象になっていました。
つまり、本居宣長からの間違った解釈を継いだのが吉田松陰であり、彼があまりに影響力があったために、のちの軍国主義にその「大和魂」が使われたという説です。
今回の偶然の邂逅は、それに対する吉田松陰自身の反論なのかもしれません。そう、あらためて処刑場において、その歌を読み直すと、また違った解釈が降りてくるのでした。
まず処刑前に詠まれた有名な歌「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂」。これはやはり素直に読み取ると「命を捨てて国を守る」方向に解釈されますよね。
では、辞世の歌「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂」はどうでしょう。「身」が朽ちることと対比されて「魂」は留め置くわけですから、やはり「命を捨てて国を守る」と解釈されがちです。
しかし冷静に観察すると、大和魂について松陰は「やむにやまれぬ」ものであるということ、また「留め置きたい」ものであるということしか言っていないわけですね。
つまり、私のセミナーのテーマでもある自分の意志ではなく神の意志に従って動く(すなわち自己実現ではなく神実現)のことを言っているだけであると。世の人々が自分の利害によって動き始めた近代において、日本古来の「惟神(かんながら)」の精神を自分は守りたいと言っているのではないでしょうか。
こうして改めて「大和魂」について考えさせられるきっかけを得たのも、まさに自分の意志ではなく、神(故人含む)の意志なのかもしれませんね。
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