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2024.05.31

ジョージ・ベンソン 『恋はみずいろ』

20240605-141401 の日は山梨で学校の仕事を終えてすぐにまた静岡へ。そしてとんぼ返りで夜には山梨で合宿1日目。

 車を運転中、久々にジョージ・ベンソンをたらふく聴きました。来月発売の幻の「ニュー・アルバム」が楽しみです。

 35年前の1989年に録音されたにもかかわらずお蔵入りになっていた『ドリームズ・ドゥ・カム・トゥルー:フィーチャリング・ザ・ロバート・ファーノン・オーケストラ』が発売されるのです。

 収録曲は以下のとおり。

01. アット・ラスト
02. ア・ソング・フォー・ユー
03. プリテンド
04. ア・ロング・タイム・アゴー
05. 恋はみずいろ
06. マイ・ロマンス
07. 枯葉
08. お友達になれない?
09. マイ・プレイヤー
10. イエスタデイ
11. ワン・グッドバイ

 当時においても懐かしかったスタンダード・ナンバーを、バブルを思い起こさせるようなゴージャスなアレンジで聴かせてくれそうですよね。

 先行配信されている「恋はみずいろ」は、言うまでもなく、ポール・モーリアで有名になった名曲中の名曲。このノリノリのアレンジも素晴らしいし、何よりジョージ・ベンソンのボーカルとギターが最高にオシャレ。脂の乗り切った時期ですからね。相当忙しかったらしく、このアルバムがお蔵入りになったのもその忙しさのためだったとか。

 とにかく発売が楽しみです。

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2024.05.30

「こだま」は最速?

B253698829a2b768539d6725bcfa6874ece2ff50 の日は次女と東京から静岡へ。いつもの「こだまグリーン車」を堪能しました(笑)。

 特に今回は速度を表示するアプリを見ながらの旅。ウワサに聞いていた「最高速度」を確認しました。

 つまり、東海道新幹線において最も速いのは「こだま」だということ。

 かつては「のぞみ」と「ひかり」の最高速度は275km/hけれども、「こだま」は10キロ速い285km/hでした。のぞみやひかりの間を縫って走るこだまは、それらに追いつかれないためにちょっと速く走るのだと。

 実際には2024年現在、のぞみもひかりも最高速285km/hなのですが、間を縫って走るのは今も同じ。時々時間調整のために285km/hを超えることもあるとの噂があります。

 で、結論から言いますと、今回の東京〜静岡間では、やはり最高速度は285km/hでした。

 しかし、加速という意味ではいちいち各駅に止まる「こだま」は圧倒的にその機会が多い。ですからあのN700S系の力強い加速感を味わえるのは「こだま」が一番というわけです。

 間を縫い、各駅停車というハンディの中、一生懸命「逃げる」こだまくんは、私にとってはなんとも愛おしい存在です(笑)。

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2024.05.29

THE YELLOW MONKEY 『Sparkle X』

91xbtrukaal_ac_sl1500_ 日は少年時代を過ごした大田区でセミナーでした。いろいろ懐かしいワードが出てきて感無量。皆さんのおかげさまで大変盛り上がりました。

 会場までの道のり、興奮しながら聴いたのがこのイエモンのニューアルバム。

 先日こちらに書いたとおり、東京を離れて住んだ静岡でイエモンの吉井さんとご縁があり、しかし当時はそれに気づかず、続いて移り住んだ山梨でまさかの「再会」をすることになったのであります。

 同世代バンドが、こうして変わらず元気にやってくれていることに、本当に勇気とパワーをいただいております。

 特にこの10枚目のアルバム、ある意味原点に回帰したような吉井節というか、いやイエモン節が炸裂していますね。

 吉井さんの歌詞は相変わらず冴えまくり(日本語の専門家としても発見が多数あり)、バンドとしてのどこか荒削りな完成度は、まさに日本語ロックの粋という感じですね。

 特に今回あらためてグッと来たのはヒーセのベースラインの野太い「声」ですね。雄弁すぎるわけではないけれども、地の底から湧き上がるような響きには心奪われました。

 どの曲が良いというようなことはまだ言えませんが、(イエモンにありがちな)最初は?な曲でも聴けば聴くほど味わいが出てくるのは間違いないと思います。

 ああ久々に生で聴きたいなあ。夏の終わりですかね、やはり。近所ですし。

 

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2024.05.28

ボンポルティ 『トリオ・ソナタ全集』

 

 の録音はいいですねえ。おそらくコレルリの教えを受けたであろうフランチェスコ・アントニオ・ボンポルティ。というか、この時代コレルリの影響を受けていない作曲家はいませんよね。

 この弟子もほとんど師匠と同じ様式で、2つのヴァイオリンと通奏低音のためのトリオ・ソナタを多数書いています。その全集がこれです。

 師匠を尊敬しながらも、そこから旅立とうとする、すなわち守破離を実践した弟子たちもいた中、このボンポルティは忠実に師のスタイルを守ろうとしているように聞こえます。彼は音楽家というより聖職者であったこともあるかもしれませんね。

 しかし、多くの日本の芸事がそうであるように、師匠の真似をすればするほどその差が表れるものです。この曲集にはボンポルティの純粋な個性というか、まじめな信仰心のようなものが溢れ出ているように感じました。

 そうそう、昨日の唐十郎さんの番組でも、こういう言葉がありましたね。

「型があるから型破り。型がないのは型無し」

 そのあたりを演奏家の皆さんもよくわかっており、イタリアの演奏家にありがちな(?)やりすぎがなく、実に心地よく聞くことができました。とはいえ、通奏低音のバリエーションについてはそつなく工夫されていますよね。

 しかし、そんなボンポルティもソロ・ソナタや協奏曲においては、かなり師匠を超えた挑戦をしています。つまり、トリオ・ソナタという形式が、当時の作曲家にとって、ある種の聖典として機能していたということなのでしょう。

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2024.05.27

『越境する紅テント〜唐十郎の大冒険〜』(NHK アナザーストーリーズ 運命の分岐点)

20240528-82041 らためて唐十郎さんのすごさを実感できた番組でした。

 結果として忌日が同じだったという因縁のライバル寺山修司。私はどちらかというと寺山派だったのですが、この年齢になってみると、もっと若い頃に唐さんに触れておけばよかったと思います。

 大学時代、音楽のみならず、演劇やら映画やら舞踏やらにも傾倒しておりました。演劇人であった姉の影響もあって寺山の方に行っていたんですよね。

 そう、考えてみれば根津甚八さんともご縁があったんですよ。彼は都留市の出身。彼の親戚の方には大学時代ずいぶん可愛がってもらいましたっけ。

 ただ二人に共通する「社会への挑戦」や「虚実混淆」については、今の私にも強く影響を与え続けていると思います。

 いや、最近それを忘れていたなとこの番組を観て思ったのですよ。なんとなく居心地の良いところに安住してきたなと。ちょうど勇気を必要とする挑戦案件が来ていたので、唐さんにも励まされたような気がしたのです。

 昨日の王仁三郎も「芸術は宗教の母」「芸術は天地創造の原動力」と言っております。まさに社会に挑戦する芸術家だった王仁三郎。

 番組で特に心に残ったのは、中村勘三郎さんへの影響でしょうか。歌舞伎が本来、庶民に近かった、すなわち反社会的でさえあったということを思い出させてくれたと。

 きっと能もそうだったのでしょう。アバンギャルドが伝統芸能になってしまった。それは芸術としての死を意味するのかもしれません。う〜む、やっぱり能のこともやらねばならないのかなあ。

 唐さんが常に「今」と戦っていたように、世阿弥なら「今」とどんなふうに戦うであろうか。そんなことを考えさせられました。

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2024.05.26

高熊山の岩窟と三つ葉つつじ

Img_5993 日は同志と亀岡の「ギャラリーおほもと」で合流し、大本の方のご案内で高熊山など聖地を巡る勉強の旅に参加しました。

 出口王仁三郎の霊的原点とも言うべき高熊山岩窟には27年ぶりの登拝となります。その時は一人ぼっちでした。

 耀わんを背負って行くのはもちろん初めて。そして、何より多くの仲間と、素晴らしい師に恵まれての登拝です。信徒ではない私たちに、本当に丁寧に説明・案内してくださる師には心より感謝です。

 いろいろと感じること、思うこと、降りてくることがありましたが、何と言っても、私が富士山から来ているということの因縁を強く感じました。

 出口王仁三郎(上田喜三郎)は、明治31年(1898年)旧2月9日、27歳の時、富士浅間神社の祭神・木花咲耶姫命の神使である松岡芙蓉仙人に導かれ、高熊山の岩窟にこもって、7日間の霊的修行をしました。

 のちにその時の体験を記したのが「霊界物語」ということになります。

 「霊界物語」の冒頭、第一巻第一章には次のように記されています。

「高熊山は上古は高御座山(たかみくらやま)と称し、後に高座(たかくら)といい、次で高倉と書し、ついに転訛して高熊山になったのである。丹波穴太の奥山にある高台で、上古には開化天皇を祭りたる延喜式内小幡神社の在った所である」

「また、この高熊山には古来一つの謎が遺っている。『朝日照る、夕日輝く高倉の、三つ葉つつじのその下に、黄金の鶏、小判千両いけおいた』昔からときどき名も知らぬ鳥が鳴いて、里人に告げたということである」

Img_5998 今日感激したのは、その「三つ葉つつじ」が一株だけ咲いていたことです。季節外れの開花です。富士山の三つ葉つつじよりも色が薄く控えめな感じがしました。きっと、私たちを出迎えてくれたのでしょう。

 この三つ葉つつじの下に「黄金の鶏、小判千両」があったのでしょうか。もちろん、それは物質としてのそれらではありません。私はそれらをしっかりゲットしましたよ(笑)。

 惟神霊幸倍坐世。感謝。

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2024.05.25

「なにわ」について

20240527-105511 の日は新大阪にてセミナーでした。大阪で2日連続のべ18時間しゃべり倒しました(笑)。

 昨日のキダ・タローさんの追悼記事では「なにわ」を「浪花」と表記しましたが、皆さんご存知のとおり「なにわ」に当てる漢字は何種類かあります。

 浪花・浪華・難波・浪速…そのせいか、車の難波ー…ではなくナンバーは「なにわ」ですよね。「なにわ男子」も。「ナニワ金融道」はカタカナだ。

 大阪はもともと湾の入り組んだ地域でしたから、「魚庭(なには)」が語源であるというのが定説です。一方、日本書紀には「潮が急なので浪速、または浪花と言う」との記述があるのですが、日本書紀や古事記の語源解説はけっこういい加減ですので注意が必要かと思います。漢字表記から引かれての語源解釈が多いのです。「なみ」が「なに」になるのはちょっと無理がありますよね。

 ちなみに「難波(なんば)」は「なにわ」の音韻変化です。地名として、大阪では「なんば」、兵庫(尼崎)では「なにわ」と読むのは関西では有名な話でしょう。すぐ隣が読みが違うということでは、この前の「江古田(えごた・えこだ)」と同じような面倒くささであります。

12_20240527105701 「なには、なにわ、なんば」が指す地域も時代とともに変遷しているとのことで、その複雑さは関東人にはなかなか理解しがたいですね。

 ただ面白いのは、浪花・浪華・難波・浪速、それぞれの文字によってイメージが変わってくるということ。地元の方がどんな感覚で使い分けているのか、ちょっと聞いてみたいところです。

 ところで、「なにわ」と言えば能の演目にもありますね。「難波」…古くは「難波梅」と呼ばれた世阿弥作の脇能です。この「難波」は、王仁(おうにん)が登場し、また梅の木、そして「木華咲耶姫このはなさくやひめ 」も重要な役を果たすなど、私にとってはとても看過できない作品です。

 明日はそんな流れからか、聖地を訪れる予定です。

 

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2024.05.24

追悼 キダ・タローさん

148 日は大阪梅田でセミナー。大阪の皆さんのパワーはすごいですね〜。

 大阪と言えば、「浪花のモーツァルト」キダ・タローさんがお亡くなりになりましたね。残念です。93歳ですから大往生です。

 私たち関東人からすると、そこまで印象深く残っている楽曲というのはないのですが、大阪の方々からすると多くのローカルCMの音楽など、子どもの頃から刷り込まれた曲が多いとのことでした。

 大衆音楽の歴史を語るにあたり、そうしたローカルな生活に根ざした音楽にも注目すべきでしょうね。本来日本の音楽はそういう存在がほとんどだったわけですから。

 さて、そんなキダ・タローさんの名曲の数々をメドレーにした番組がありましたので鑑賞しました。15年前、生誕78年を祝う(?)番組ですね。今頃、アホの坂田師匠と久しぶりに洒脱な会話をしていることでしょう。そう、キダ・タローさん独特のこのちょっと冷めた語り口がなんとも味わい深いですね。

 

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2024.05.23

「変身」の楽しさ

20240524-91541 日今日は戸隠で合宿。一昨日のイエモンのメンバーに対抗したわけではありませんが、私たちもちょっとカッコつけてみました(笑)。

 赤い髪が私です。

 というか、今回はコスプレのプロの方がいらっしゃったのですよ。それで軽く私もフェイスペイントしてもらったり、ヅラをかぶったりしてみたわけです。

 合宿のテーマの一つは出口王仁三郎です。彼はまさにコスプレの元祖。あの時代に化粧して女装して映画撮ったり、写真集出したり、まあそれは弾圧もされますわ。

 もちろん、それは「神劇」であり、「雛型」であったわけですが。

 映画「昭和の七福神」はその代表でしょうね。

 

 

 今回初めて本格的にフェイスペインティングしていただきましたが、これって快感ですね(笑)。変身願望が満たされると言うより、自分を見る周りの目が変わるので、自分自身を鏡で見なくとも自分が変わっていること、そして外界も変わってることを感じることができるのです。

 縄文時代にもフェイスペイントや刺青が一般的でしたね。変身というよりも、現実界から離れて神に近づく一つの方法だったのでしょう。

 プロレスラーがペイントしたりマスクを被ったりするのもその儀礼の名残ですね。

Img_5932 似合うかどうかは別として、「スイッチを入れる」ためには、この方法はなかなか良いと感じました。この格好で講義しましたけれど、いつもとは違う感覚で、自分自身も楽しめました。

 スキンヘッドはヅラも多様に楽しめるので良いとのこと。そりゃそうだ。なんかちょっと目覚めそうな気配が(笑)。とりあえずいろんな道具を買い揃えてみようかな。

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2024.05.22

『にほんのうた 音曲と楽器と芸能にまつわる邦楽通史』 みの (KADOKAWA)

61gcnuxprol_sl1500_ 日の記事、イエモンライブのレポをしてくれた「みの」さんの名著。

 いや、ホントこれを批判する人ってなんなの?って感じですよ。すごい偉業を成し遂げましたよ。

 細かいツッコミどころなんて誰が書いてもあるでしょう。なぜなら、対象が音楽、それも大衆音楽なのですから。理屈ではなく感性で続いてきた分野です。

 それにしてもよくぞやってくれました。正直、これって私がやるべきだった仕事です(笑)。

 それこそ縄文の音から純邦楽、昭和歌謡、そして最新のボカロまで満遍なく聴いている、そして演奏しているという自負がありますから。

 そしてその経験から感じてきた「生命」、すなわち連綿と続いてきた「にほんのうた」の世界が、見事にこの本には表現されていると感じました。

 「にほんのうた」の現在進行形の人生というか、様々な成長、出会い、苦難、過去や未来への憧憬、そういう生きた歴史の流れを感じることができるのです。

 もちろん洋楽にも通じたみのさんだからこその視点も多々ありました。単純に西洋と比較して相対化することが良いとは言えませんが、やはり日本文化の特長である受容と融合、そして止揚を再確認するためには、そういう視点も必要でしょう。

 本当に素晴らしい仕事をしてくれました。いずれ増補版、あるは続編が出るでしょうね。「にほんのうた」は生き続けますから。

Amazon にほんのうた 音曲と楽器と芸能にまつわる邦楽通史

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2024.05.21

THE YELLOW MONKEYの東京ドーム・ライブレポ(みのミュージック)

 

 遠の憧れの日本語ロックバンド、THE YELLOW MONKEYの東京ドーム公演。当日(4/27)は京都で講演だったため参戦できませんでしたが、まかさのこういう形でのライブレポを体験できるとは。

 よくぞこうして撮影が許されましたね。もちろん、それはみのさんに対する信頼が信頼があるからでしょう。

 いやあ、それにしても相変わらずカッコいいですなあ。同世代として誇りに思いますよ。行きたかったなあ。

 ニューアルバムも楽しみすぎます。

 吉井さんとは本当に不思議なご縁がありまして、まさかの職場でばったり(?)会って静岡ネタで盛り上がるという恐ろしい運命が…。そこで私の中学の二つ下の後輩だということが判明。当時の家も某スーパーを挟んですぐ近所、さらに業界の共通の友人もいることもわかったりして、まああり得ない展開でした。

 8月には山中湖で会えるかな!?

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2024.05.20

FIRE?

 

 ベプラの「FIRE」特集面白かったですね。なにがFIREって話。

 FIREしたけど再就職するとか、めっちゃ節制生活するとか、憧れたけど現実は全然違ったっていうことですよね。

 結局、「火の車」という意味ではFIREだったということでしょうか(笑)。

 ちなみにひろゆきやミートたけしのような生き方は理想的なのでしょうか。すなわち好きな仕事だけして生きいけるということですね。

 そういう人はそんなにいないと思いますが、私は基本自分で仕事を選ばない、上流からやってきた仕事は全部受け取る人間なので、ある意味彼らより上を行っているかもしれません(?)。

 いずれにせよ、人間にとって最も辛いのは「やることがない」ことです。今日も学校の仕事で、全校生徒に座禅をさせましたが、たった10分でも何もしないことの辛さがわかったはずです。

 結局ないものねだりというか、隣の芝生は青いというか、働いている時は働かなくていい人がうらやましいし、いざ働かなくなると働く環境を欲したりする。わがままなものです、人間なんて。

 というわけで、私は「神(他人)」にすべておまかせという形を取っているわけです。結果として仕事がある時は全力でがんばるし、ない時はぐ〜たらする。

 そういうバランスは神(他人)が勝手に用意してくれるので、正直楽で楽しい。いわゆる惟神(かんながら)な仕事スタイル、ライフスタイルなのでした。

 そうすると面白いもので、(「やりたい仕事」ではなく)「やるべき仕事」が楽しい仕事に変わっていくのでした。

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2024.05.19

バッハ 『カンタータ174番 我いと高き者を心を尽して愛しまつる』

Img_5898 日は杉並の本郷教会にてコンサートに出演。コンサートというよりも「讃美と祈りの夕べ」ですね。

 ペンテコステを祝す、牧師さんの聖書朗読などを交えての礼拝音楽の演奏でした。

 私は、カンタータ68番の有名なアリアで、チェロピッコロ(ヴィオロンチェロ・ダ・スパッラ)を担当。本番では大ゴケしてしまい迷惑をおかけしました。懺悔。

 ちなみにオブリガートであるスパッラのパート譜はト音記号に書き直し、ヴァイオリンの譜読み(運指)で演奏いたしました。当時もヴァイオリン奏者ならそうしたに違いありません。

Img_5897 メインはカンタータ174番。これは15年前にもここで演奏した曲です。その時はヴィオラを担当。今回はチェロパートをスパッラで演奏いたしました。

 第1曲シンフォニアは、有名な(この前横浜で演奏した)ブランデンブルク協奏曲の第3番を元に管楽器などを加えた曲。全部で15パートもあるこの曲、指揮の淡野太郎さんによると、精霊が下った国や地域や言語の数が15であることと関係があるとのこと。さらに、三位一体(3)に五旬祭(5)をかけた数字であるとも。数霊にこだわったバッハなら十分あり得ることですね。

 今回、私はスパッラを文字通り肩に乗せて演奏しました。こういう形でこれらの曲を演奏したのは初めて(いや300年ぶり?)なのではないでしょうか。演奏者の皆さんも興味津々のようでした。

 楽譜付きで聴いてみてください。私は第2曲のアリアのコンティヌオのいかにもバッハ的で感動しました(隣で聴いていました)。

 

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2024.05.18

大霊界のルーツ

51yvkhdnafl_ac_uf8941000_ql80_ の日は故郷焼津でセミナーでした。会場がなんと祖父の生まれた家から50メートルも離れていないという驚きの場所でした。

 主催者さんが決めた会場ですから、自分の意志ではありません。初めてその町に行きました。最近、そういうことばかりです。

 参加者の皆さんも魅力的な方々ばかりで、私自身も楽しく過ごしました。翌日、同地域で「航空祭」が行われるため、前日リハーサルでブルーインパルスが飛び交ったのも楽しかった(笑)。

 終了後皆さんにシェアしたのがこの動画。丹波哲郎さんが耀わんや大本について語っています。

 案外知られていませんが、大ヒットシリーズ「大霊界」は王仁三郎の霊界観をベースにしたものなのです。

 その業績を称えようと、当時の三代教主さんが丹波さんを亀岡に呼んだ時のこと。信徒になろうと考えていた丹波さんに対して、三代さんは「あんたは信徒にならず仕事を通じて宣伝しとして霊界の真実を伝えなさい」と言われたうえ、好きなものを一つ持っていきなさいと、たくさんの耀わんを目の前に出したそうです。

 迷いに迷ったあげく一つの耀わんを選んだ丹波さん。感動してお帰りに鳴ったとのこと。先日、その様子を間近で見ていた方からお話をうかがいました。

 丹波さん、今頃霊界で王仁三郎の弟子として楽しく過ごしいることでしょう。

 

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2024.05.17

江古田と秋葉原

20240520-144353 昨日、大江戸線に乗っていまして、「新江古田」駅を通過しました。この駅名、なんと読むかご存知ですか?

 正解は「しんえごた」。そう、西武池袋線の「江古田」駅は「えこだ」なのに、こちらは「えごた」なんですよね。基本同じ地域のことを指しているにもかかわらず読みが微妙に違う。

 この辺の事情については、まあ東京の方はご存知かもしれませんけれど、一般には以下のように言われています。

 江古田は「えこだ」「えごた」? 西武と都営で異なる駅名の読み、なぜそうなった

 なるほど。

 日本語におけるこのような濁点に関する変化というのは案外ありまして、そう地名で有名なのは「秋葉原」ですね。もともと「あきばはら」だったのが「あきはばら」になった。秋葉神社がありますから、もともとは「あきば」。しかし省略形としての「秋葉」は「アキバ」と戻るから面白い。

 濁点位置の交替の例はほかにもたくさんありますが、もっと多いのは濁点の有無による読み方の違いですね。地名で有名なのは先日も通った「米原」。駅名は「まいばら」ですが、インターチェンジ名は「まいはら」です。

 ちなみに「原」の読み方は多様です。たとえば名前でも、「桑原」は「くわはら」だったり「くわばら」だったり、「梶原」が「かじはら」だったり「かじわら」だったり。

 日本語学的、音韻論的にも説明できるところですが、それよりも心理的な影響が大きいものと思われます。地名や名字は多くの人が利用するため、ある種の派閥のような対立構造もできやすい。そこで相手との差別化を図るために、濁点や半濁点を利用するという文化があるのです。

 皆さんの周りにもきっとこういう現象があるに違いありません。探してみてください。

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2024.05.16

のんちゃん(大船観音の娘?)

Oofunakannon08 日は鎌倉にてセミナーでした。懇親会まで含めると11時間ぶっつづけでしゃべりました(笑)。

 今日の受講者は全員女性でした。それも美女ぞろい(笑)。あの方もいらしてビックリ!

 会場の鎌倉芸術館は大船駅の近く。大船といえば、そう大船観音さまですね。まさに女性の慈悲を感じさせる美しい観音様です。

 戦争をはさんで紆余曲折ののちにようやく完成した大船観音ですが、2012年には娘さんを産んでいます(笑)。

 それがゆるキャラ「のんちゃん」。

 プロフィールを見てみましょう。

住まい…鎌倉市の大船駅西口にある観音山
年齢…ナイショ
性別…女の子
ライバル…自由の女神
好きなもの…桜(特に、玉縄桜)
好きな食べ物…最中
特技…ゆるキャラグランプリの紹介では、「ザリガニ」取りと「太極拳」。のんちゃんのサイトでは「船を漕ぐこと」。
言葉遣い…語尾に「のん」を付ける

 観音様には正確には性別はありませんが、のんちゃんは「女の子」なんですね(笑)。

 ゆるキャラが大量発生しているのは、世の中が平和な証拠です。そして女の子のキャラが多発するのもまた、ようやく女性性の時代が到来したことを象徴しているのでしょう。

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2024.05.15

ジャダン 『ヴァイオリン伴奏つきピアノ・ソナタ』

180pxhyacinthejadin の日は東京で仲小路彰関係の会合に参加。いよいよ本格的に動き出しますよ。またまた忙しくなりそうです。

 仲小路彰は作詞、作曲家でもありました。その部分についても私が担当して検証、顕彰していかねばなりません。

 さて、そんなことを考えながらいろいろやるべきことをやったのですが、その時BGMとして流していたのがこちら。

 

 

 ジャダンは18世紀のフランスの作曲家、ピアニスト。フランス革命にも音楽的に貢献した人物です。

 彼の書く曲は非常に洗練されています。やりすぎがないところが良い。常識的に美しい。耳当たりが良い。つまり品が良いのです。

 この録音は当時のフォルテピアノによる演奏ですが、BGMとしてもとても心地よい響きですね。

 ヴァイオリンの伴奏つきピアノ・ソナタと言えば、一般にヴァイオリン・ソナタと言われているモーツァルトのピアノ・ソナタたちがそれに当たりますね。まあ、あのソナタはヴァイオリンもそれなりに活躍しますからね。

 こちらは完全に伴奏というかオマケというかフリカケというか。奏者がいなければ省略してもよいというスタンスで添えられているだけです。それがまた良いですね。こういうヴァイオリンを気楽に弾いてみたいものです。

 それにしても、ジャダン、本当にセンスいいですね。ハイドンともモーツァルトとも違う、いかにもフランスという感じ。私は好きですね。

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2024.05.14

吉田松陰の大和魂

Img_5840 日は秋葉原でセミナー。格別に盛り上がりましたね〜。講演中、いろいろ不思議な現象が多発。特に落としたペンが絨毯の床に立った時には、鳥肌も立ちましたよ(笑)。

 そしてもっと鳥肌ものだったのが、セミナーが終わって懇親会会場へ向かう途中のできごと。

 数少ない男子メンバーでてくてく歩きながら「なにか起きそう」「途中に神社とかありそう」と言っていたところ、道の反対側に神社の幟が見えまして行ってみたところ…。

 なんと、そこは吉田松陰が処刑された場所だったのです。全く事前の知識なく知らない町(小伝馬町)を歩いていたものですから、みんな驚きました。

Img_5849 ちょうどセミナーで(本当の)「大和魂」について語ったあとでした。その文脈では、吉田松陰の有名な辞世の歌の「大和魂」は批判の対象になっていました。

 つまり、本居宣長からの間違った解釈を継いだのが吉田松陰であり、彼があまりに影響力があったために、のちの軍国主義にその「大和魂」が使われたという説です。

 今回の偶然の邂逅は、それに対する吉田松陰自身の反論なのかもしれません。そう、あらためて処刑場において、その歌を読み直すと、また違った解釈が降りてくるのでした。

 まず処刑前に詠まれた有名な歌「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂」。これはやはり素直に読み取ると「命を捨てて国を守る」方向に解釈されますよね。

 では、辞世の歌「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂」はどうでしょう。「身」が朽ちることと対比されて「魂」は留め置くわけですから、やはり「命を捨てて国を守る」と解釈されがちです。

 しかし冷静に観察すると、大和魂について松陰は「やむにやまれぬ」ものであるということ、また「留め置きたい」ものであるということしか言っていないわけですね。

 つまり、私のセミナーのテーマでもある自分の意志ではなく神の意志に従って動く(すなわち自己実現ではなく神実現)のことを言っているだけであると。世の人々が自分の利害によって動き始めた近代において、日本古来の「惟神(かんながら)」の精神を自分は守りたいと言っているのではないでしょうか。

 こうして改めて「大和魂」について考えさせられるきっかけを得たのも、まさに自分の意志ではなく、神(故人含む)の意志なのかもしれませんね。

 

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2024.05.13

告知 5/19 バッハのカンタータを演奏します

20240515-120330 然のオファーに驚きましたが、貴重な機会なので参加を決めました。

 淡野弓子さん淡野太郎さん主宰のSDGでの演奏は久しぶり。BWV174は15年前はヴィオラで参加しましたが、今回はヴィオロンチェロ・ダ・スパッラでの参加です。

 スパッラということで、急遽BWV68の二楽章も演奏もすることになりました。ちゃんと練習しないとヤバいぞ(笑)。

 世界で(たぶん)ただ一人、スパッラをその名のとおり「肩」に乗せて演奏するのがワタクシです(笑)。珍しい機会ですので、お近くの方はぜひ。無料です。


2024年5月19日(日) 18:00 開演(17:30 開場)入場無料
Soli Deo Gloria ~讃美と祈りの夕べ~ Vol.417
日本キリスト教団本郷教会礼拝堂 
聖書朗読:宮崎新 本郷教会牧師

[曲目]
H.シュッツ 《カンツィオネス・サクレ》 作品4より
  第31番 <来たれ、我が心に、我願う> SWV83

J.S.バッハ カンタータ第68番 <神、然ばかりに世を愛したまえり>より
  第2曲 <我が敬虔なる心よ>

J.S.バッハ
  カンタータ第174番 <我いと高き者を心を尽くして愛しまつる>
   [聖霊降臨祭第2日のためのカンタータ]

H.シュッツ 《宗教合唱曲集》 作品11より
  第12番 <神、然ばかりに世を愛したまえり> SWV380

[出演]
《BWV68-2》
ソプラノ       宮本泰江
チェロ・ダ・スパッラ 山口隆之

《BWV174》
アルト  柴田圭子
テノール 甲斐高志
バス   淡野太郎

器楽:ユビキタス・バッハ

コルノ    上倉武/稲葉絢子
オーボエ   大木務/山本浩士
コーラングレ 淡野太郎
ヴァイオリン 松永真理子/若尾紀子/大野幸
ヴィオラ   鈴木友紀子/二宮昌世/谷口勤
チェロ・ダ・スパッラ 山口隆之
チェロ    中尾晶子/稲場政人
ファゴット  前原聡子
コントラバス 松永秀幸
オルガン   関田恭子

合唱:ハインリヒ・シュッツ合唱団・東京 & メンデルスゾーン・コーア 有志

S 川田純子/柴田圭子/宮本泰江
A 稲垣麻美/淡野弓子/戸井恵子/中村光子
T 甲斐高志/淡野太郎
B 中村誠一/山村道男

指揮 淡野太郎

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2024.05.12

がんばれ!ベイスターズ

 日から今日にかけては富士山合宿。合計12時間お話させていただきながら、いろいろな方々と交流ができました。主催者の皆さん、いつもありがとうございます。

 今回は日本代表(オリンピック金メダリスト)の元プロ野球選手の方が参加してくださりました。彼は二回目となります。ありがたや。前回はあまりゆっくりお話できなかったのですが、今回ゆっくり野球談義ができました。

 いやあ、本当に素晴らしい方です。世界を舞台に活躍した現役時代はもちろん、引退後コーチとしてもプロ野球界で活躍され、今は解説者として、そしてアマチュアに対する指導者として野球振興に尽力されています。

 プロ中のプロが、どのような視点で野球を見ているのか、本当に勉強になることばかりでした。

 特にベイスターズファンの私としては、ベイスターズの長所と弱点、そしてメジャーで大活躍中の今永昇太投手に対する分析には、ただただ肯くばかり。さすがでした。

 そんなベイスターズ、昨日は7点差をひっくり返すとんでもない勝ち方をしました。ちょうど娘二人がハマスタに応援に行っていたこともあり、私も講演をしながら大興奮してしまいました。

 そんな勝ち方をするのもベイスターズらしさですね。雑と言えば雑(笑)。プロですから、勝ちにこだわることはもちろん、魅力的な試合を見せることも大切です。

 大洋ホエールズ時代から約半世紀、たった一度しか優勝を祝うことができていません。しかし、ファンをやめられないのは、たまにこういう試合を見せてくれるからなんですよね(笑)。

 私の父から3代にわたってのファンです。ずっと辛い悔しい目に遭いながら応援し続けていたからか、最近ちょっとした奇跡が起きつつあります。近いうちにベイスターズに直接パワーを授けることができそうなんです。楽しみです。がんばれ!ベイスターズ。

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2024.05.11

西桂町役場新庁舎

Img_5828 は参加できませんでしたが、今日は西桂町新庁舎の落成記念式典が行われました。

 ウチの学校からはジャズバンド部がお祝いに駆けつけて記念の日にふさわしい楽しい演奏を奉納したとのこと。

 町産の木材や織物をふんだんに使ったこの斬新な新庁舎、あの隈研吾さんの設計です。

 実はですね、今回新庁舎が建った小沼1499番地は、私が2年間住んでいたところなんです!

 大学1年から2年まで、こちらにあったお宅の間借りをしておりました。1年目は3人の新入生との共同生活、そして2年目は私一人ここに残りまして生活しておりました。

 まさか自分の青春の棲家に隈研吾さんの作品が建つとは、さすがに夢にも思っていませんでした。

 大学卒業後はこの庁舎と線路を挟んだお寺(松寿庵)をまるごとお借りして3年間住んでおりました(住職ではない)。今はもうそのお寺もありませんが、あそこでもいろいろなことがあったなあ…。

 西桂町とはその後も深いご縁があります。特に、町出身の川合信水、高山良策、李良枝は私の人生に大きな影響を与えています。

 小さな町ではありますが、ちょうどよい大きさ美しさの富士山と、ちょうどよい距離感から生まれるおいしい湧水、信仰の対象としての三ツ峠など魅力あふれる町です。

 富士吉田市と都留市に挟まれ、どちらからも合併の誘いを受けてきましたが、ずっと独歩の道を選んできました。私はそれで良いと思っています。

 ますますの発展を祈ります。

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2024.05.10

北陸・中京新幹線

20240513-102630 日は小松から敦賀まで新幹線に乗り、敦賀から米原までは特急しらさぎを利用しました。

 しらさぎには初めて乗りましたが、あっという間に米原に着いたという感じでしたね。46km弱、34分ですからね。もう少しゆったり旅を楽しみたいところでした。

 そしてやはり思ったのは、北陸新幹線の延伸ルートは琵琶湖東岸(米原ルート)だなあということ。

 今のところ琵琶湖の西側を大きく回る小浜・京都ルートが有力ですが問題も山積しています。特に京都の山地を地下トンネルで貫くことを反対する地元住民は多い。

 小浜の方々には申し訳ないのですが、北陸から近畿に向かう際、米原で東海道新幹線に乗り換えるなり、あるいは乗り入れるなりしても、あまり所要時間は変わらないと思います。

 中京方面との連結を考えると、米原ルートの方が需要も多く利便性も高いのではないか。

 もちろん、逆に滋賀県民にも反対の声が上がるかもしれませんが、今日しらさぎで走ったかぎりでは、土地の取得も工事もそれほど難しくないのではないかと素人考えながらに感じてしまいました。

 特急サンダーバードの利用状況を見ても、関西と北陸を直接結ぶ価値がどれほどあるのか。さてどうなることやら。

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2024.05.09

新幹線の名前

Img_5806 日は石川県の松任から静岡県の藤枝まで鉄道で移動。IRいしかわ鉄道で小松へ。小松から敦賀まで、開通したばかりの北陸新幹線に乗りました。

 ホームも車両も新品の匂いがしていました。風景も堪能することができました。今日乗ったのはW7系「つるぎ19号」(ちなみに敦賀からは特急しらさぎで米原へ)。

 「つるぎ」はかつて大阪と富山を結んでいた準急列車の名前でしたが、新幹線で復活しました。立山連峰の劔岳にちなんだネーミングです。

 ところで新幹線の名前って、みんな和語(やまとことば)なんですよね…と思ったら、北陸新幹線の「はくたか」は「白鷹」ですので、「白」は音読みですね(立山の開山伝説から取ったものです)。

 それ以外は完全に訓読み、すなわち和語です。これは面白いですね。一般には和語よりも外来語の方がカッコいいと感じることが多い(逆に言うと和語はダサいと感じる)のですが、乗り物だとカッコよくなる場合がある。

 車だと、トヨタの「カムリ」(冠・頭・被り)、スズキの「キザシ」 (兆し)「サムライ」(侍)。バイクだとスズキの「KATANA」(刀)もありますね。いすゞの「アスカ」もありました。

 ただこれらがカタカナやローマ字にしているのに対し、新幹線はひらがなです。これこそ本当は最もダサく幼稚に感じられるはずなのに、なぜか新幹線(列車)だとカッコよくなるんですよね。

 全部見てみましょうか。60年前に「こだま」と「ひかり」に決めたのが良かったのだと思います。音と光で速さとその違いを表した。音を「こだま」にしたのが特に素晴らしい。そこからの流れが令和の時代にも続いているわけですね。

① あさま(北陸新幹線)
② かがやき(北陸新幹線)
③ こだま(東海道・山陽新幹線)
④ こまち(秋田新幹線)
⑤ さくら(山陽・九州新幹線)
⑥ たにがわ(上越新幹線)
⑦ つばさ(山形新幹線)
⑧ つばめ(九州新幹線)
⑨ つるぎ(北陸新幹線)
⑩ とき(上越新幹線)
⑪ なすの(東北新幹線)
⑫ のぞみ(東海道・山陽新幹線)
⑬ はくたか(北陸新幹線)
⑭ はやて(東北・北海道新幹線)
⑮ はやぶさ(東北・北海道新幹線)
⑯ ひかり(東海道・山陽新幹線)
⑰ みずほ(山陽・九州新幹線)
⑱ やまびこ(東北新幹線)
 あっ、これに「かもめ(九州新幹線)」が加わったのか。あと、「あさひ」と「あおば」はなくなりました。
 とりあえず全部乗ることを目標にしております。

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2024.05.08

三草二木(行善寺)

 日は山梨都留でのセミナーと懇親会を終えてから東京八王子へ移動。そして今日、朝一番で移動開始し、昼前には石川県白山市でのセミナーへ。

Img_5791 会場は日蓮宗の行善寺さん。お釈迦様のお母様である摩耶夫人像が祀られていました。奇しくも今日は月遅れの降誕会(お釈迦様のお生まれになった日)。運命を感じました。

 この行善寺を中心として、社会福祉法人佛子園さんが非常に素晴らしい施設を運営しております。まさに仏の愛、そして母の愛の結晶のような空間でした。

 まずは行善寺温泉。地域の方は無料で入浴できるとのこと。足湯はどなたでも自由につかることができます。

 Img_5796隣には立派な飲食施設があります。行善寺やぶそば。ブータン産のそば粉で打ったおそばは絶品でした。夕食にはカレーをいただきました。

 今回の会場も無料で貸してくださったとのこと。素敵なお部屋でした。

 そして、なんと言っても重要なのは、ここが福祉の拠点にもなっているということです。もともと仏教の教えに基づく福祉を実現せんと佛子園が設立されました。

 ここにも子どもたちやお年寄りが暮らしていたり、通ってきたりしています。いわゆる世間でいう障害者も健常者も関係ありません。人間が作った勝手な境界線を、いと簡単に自然に乗り越えている空間でした。

Img_5792 実際、私のセミナー中、絶妙のタイミングで神様のような、仏様のような、あるいは王仁三郎のような子が乱入してきて、とっても楽しいことになりました。私、思わず感動して泣いてしまいましたよ(涙)。

 「三草二木」…法華経にある教えですね。いろいろな草や木があるが、どれも平等に仏様の愛を受け、人や地域や地球や宇宙のためになっている。なんとも美しい教えではありませんか。それを見事に現世に実現している場所があるとは。

 このご縁を作ってくださった主催者さんとは、今日初めてお会いしました。しかし、昔から知っていたかのよう。仏縁、神縁に感謝いたします。

 行善寺公式

 

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2024.05.07

母なる都留文科大学

Img_5800 日は第二の故郷都留でセミナー。いろいろと感慨深いものがありましたよ〜。40年前の自分に教えてあげたいですね。

 会場からは母校が見えました。本部棟、そして理科棟のてっぺんのドーム、手前に音楽棟。私の人生を変えた舞台を眺めながらの6時間にわたるトークはいつになく感動的なものでした。

 甘酸っぱくもほろ苦い思い出もたくさんあります。まさに青春の舞台ですね。

 今日はそんな記念すべき日にちなみまして、数年前、母校の同窓会誌に寄稿した文章を公開いたします。まだ普通に教員(教頭)をやっていた頃ですが、なんとなくその後の人生の転機を予感していたような内容です。よろしかったらお読みください。

 母なる都留文科大学

 富士学苑中学・高等学校 教頭 山口隆之(昭和61年度国文学科卒業)

 人生の謎解きは面白い。物語はいよいよクライマックスへ…。
 35年前の4月、私は息苦しく迫る都留の山並みをただ呆然と眺めていた。入学式当日、後悔とは違う一種の恐れを感じた私は、会場の外に出ると見知らぬ街をあてもなく歩いた。自分はこのあとどうなってしまうのだろう。
 恐れは、それを客観的に見ることができるようになって、そこでようやく「謎」となる。自分を揺るがした地殻変動を、因果関係をもって納得しようという余裕が生まれたのである。なぜ自分は都留文科大学に入ったのか。
 しかし、大学時代4年間その謎は解けずじまいだった。なぜ自分は今ここにいるのか。
 すっきりしないまま卒業した私は、縁あって富士吉田市にある私立富士学苑高校に国語科教師として奉職した。禅宗の教えに基づく教育をしている学校であった。
 教師生活を続ける中でも、何度か故郷の静岡に帰ろうと画策した。しかし、そのたび生来の特技である「怠惰」が発動し、その機を逃し続けた。天地人の働きによって、この世があるとしたら、私の功績は「怠惰」くらいのものである。天地が動き、人が動かなかったことによって、私の物語は結果として実に面白い道を歩むこととなる。
 富士学苑高校では、特進コースAとSの立ち上げを任され、またのちに付属の中学校の創設に関わり教頭職を拝命した。30年度は久しぶりに高校に席を戻し、少子化時代の苦しい環境の中で自分なりに戦っている。来年度以降は、また違った立場で学園全体の未来の舵取りをしていかなければならないだろう。
 文大が天職を与えてくれた。これだけでも文大には感謝してもしきれないわけだが、実は職業を超えた私の人生そのものを変えてしまったのもまた、文大という存在なのである。
 文大時代から私を魅了する富士山。この霊山を巡る天地人の不思議な働きに巻き込まれた私の、もう一つの物語が今ここにある。
 ひとことで言うなら、「裏の歴史」と出会ってしまったのである。宮下文書・出口王仁三郎・仲小路彰という順序で富士山の、いや日本の、いや世界の、いや宇宙のアナザーストーリーと出会ってしまった私の人生は、音を立てて大きく動き出すこととなった。
 宮下文書と王仁三郎については書籍も出ているし、ネットにも情報が溢れているが、仲小路彰という人物については、ほとんど誰も知らないだろう。
 この偉大なる天才歴史哲学者は、戦前、戦中、戦後を通じて、この日本という国を裏で動かしてきた。そんな人物が昭和19年から昭和59年まで山中湖畔に独身蟄居していたのである。
 彼の影響を受けた人物名を思いつくままに列挙する。吉田茂、佐藤栄作、松下幸之助、湯川秀樹、原節子、細野晴臣、坂本龍一、谷口雅春…政界、財界、科学界、芸術界、宗教界とあらゆる分野で彼の思想が昭和という時代を動かしていた。
 ちなみに「グローバリズム」という言葉を世界で初めて使ったのは、仲小路彰という日本人であった。昭和21年のことである。
 平成30年、この天才の偉業を発掘・整理していることがきっかけで、私の働く学園と都留文科大学文学部国際教育学科が包括的な提携関係を結ぶこととなった。禅宗を中心とする日本文化と北欧の文化の交流ということで、個人的にはグローバリズム(地球主義)の雛型だと感じている。ひたすら福田学長に感謝である。
 仲小路彰は、東京オリンピックや大阪万博、沖縄海洋博、筑波科学博などを裏で支えた。私も彼の影響を受けてか、近年政府や省庁と連携して国際的なイベントを企画、運営することが多くなってきた。富士山麓で開催した日本ASEANサミットやシルクサミットはその例である。
 国際的なイベントと言えば、もう一つどうしても書いておきたいことがある。
 私が大学4年の時、文大を舞台に「都留音楽祭」という古楽の祭典が始まった。バロック・ヴァイオリンを弾いていた私としては、まさに夢のようなことであった。
 私は第1回から一昨年第31回で最終回を迎えるまで、裏方として働かせていただいた。
 音楽監督である有村祐輔先生とのおつきあいは30年以上になる。都留音楽祭はその使命を終えたが、有村先生と私は新たな音楽祭の船出を計画中である。
 人生の謎解きは面白い。あの時の恐れ、あの時の疑問、あの時の謎が、30年以上の歳月を経てこんなふうに解かれようとしている。
 「謎」は長いこと謎のままだったが、その「謎」との長いつきあいが解答への道を示してくれた。なるほど、疑問がなければ答えもありえない。思い通りの人生には、実は答えがないのではとさえ思えてくる。
 あの時息苦しく感じた都留の山並みは今、私を優しく懐き、私にこの上ない安心感を与えてくれている。都留文科大学は、私の人生の物語を紡いでくれる、母なる大学なのであった。
 最後に。母に対して少し気恥ずかしいのだが、私は今なら素直に言える。ありがとう、都留文科大学よ。これから親孝行をするよ。

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2024.05.06

宮城道雄・横山大観を拝す

 の日は尊敬する二巨匠のお墓をお参りしました。谷中墓地です。

Img_5472 まずは音楽方面。箏曲の大家、宮城道雄先生のお墓を探しました。

 私は山田流箏曲をやっていたので、当時は生田流の祖である宮城先生に対して妙な抵抗感があったのですが、それはまさに若気の至りでありました。

 のちに宮城先生が仲小路彰と懇意であり、二人が共同して名作をいくつか残していることを知ることになり、また宮城先生のお弟子さんである芸大の安藤先生とも知り合うことになって、急速に尊敬する存在となっていったのでした。

 今は仲小路先生と宮城先生の残した、しかし知られざる作品の復活、復刻に従事させていただいております。この日はそんなことを報告しながら、なにか私にお手伝いできることがあればなんでもいたしますと宣言してまいりました。

Img_5767 続いて美術方面。日本画の大家、横山大観先生のお墓を見つけました。

 大観先生もまた仲小路彰、富士山と深いご縁のある方ですね。

 そして、日本酒に関しても私の師匠です。後半生の半世紀の間、ほとんど食事はせず日本酒(醉心)だけであのバイタリティ溢れる生き方をされた方です。

 ここでも、私にできることがあればなんでもしますと宣言いたしました。お酒もお任せくださいと(笑)。

 お二人が投げた未来へのボールを拾えたら、どんなに幸せなことか。頑張りたいと思います。

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2024.05.05

『ゴジラxコング 新たなる帝国』 アダム・ウィンガード 監督作品

Godzillamovie0jpg 女と日比谷にある映画を見に行こうとしたのですが、GWだからかなんと満席。さて、では何を見るかということになりまして、絶対に自分一人では見ないであろう作品を見ようといことになって、これを選びました(笑)。

 いやはや、これはある意味すごい作品ですね。ゴジラ−1.0の対極にある作品でした。

 まず疲れた。目が疲れた。それを求めている人にとっては最高なのかもしれませんが、とにかくいろいろ動きすぎ。映像、編集、展開すべてに間がなく、結果として思考や感情を組み立てる余裕がないまま終わってしまいました。そしてツッコミを入れる隙もないというのがミソ。

 いや、それを徹底しているから、ある意味満足というか、もうお腹いっぱいという感じにはなりました。中途半端だったら損したとか、場合によっては怒りが湧いてきたかもしれません。

 いわゆるB級映画とも違います。チープではない。お金も人も技術もたくさん使っている。役者さん含め、こういうどんちゃん騒ぎを真剣にやっているところには好感すら持ちます。

 もう一度見るかというと、お金をもらっても見ないと思いますよ。まだ後遺症が残っていますから。それを癒やすためにゴジラ−1.0のモノクロ版を鑑賞いたします。

 あっ、一つだけ二人で意見が一致した良いところ…モスラが可愛い!!

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2024.05.04

追悼 唐十郎さん

20240505at09s_pjpg 日は朝早く九州小倉を出て東京へ。秋葉原でセミナーでした。昨日の山奥から今日の都会へ。そのギャップがたまりせまん(笑)。というか、日本の幅広さ、奥深さを感じる良い体験でした。

 久々に秋葉原の夜を体験しました。思ったよりも以前の感じが残っていて安心しました。つまり、オタクの皆さんが実に幸せそうに笑っていたということです(笑)。

 文化の多様化、分散化もあって、かつてのオタクの聖地としての秋葉原もだいぶ雰囲気が変わったと言われていますが、その根源的なエネルギー、核となるスピリットは全く失われてないなと感じましたよ。

 外国人の姿も多く見かけましたが、そららもちゃんとヲタ臭を漂わせておりまして、あらためてオタク文化のグローバル化を痛感させられる機会ともなりました。

 さて、そうしたオタク文化を象徴する街としての秋葉原が出現する前、若者のカルチャーの中心は新宿でした。

 そして今日、その新宿のアングラ・カルチャーの象徴、唐十郎さんがお亡くなりになったとのニュースが。

2bf022dc3ea70fc5dc1e27f4e6443b91_1 というか、5月4日って、唐さんのライバル寺山修司の命日じゃないですか!!

 すごい運命的なことですよ。唐さん、きっとその日を選んだんでしょう。

 寺山が亡くなったのは41年前。寺山の分まであの時代のカルチャーを現代に生かし成長させた唐十郎さん。本当にありがとうございました。お疲れさまでした。

 きっと今頃、寺山と再会して、また向こうでバチバチに競い合うのではないでしょうか。ホント、向こうの世界が楽しそうだよなあ。いろいろな人たちがあっちに行っちゃいましたからね。

 御冥福をお祈りいたします。私はまだしばらくこっちで頑張ります!

 

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2024.05.03

KOSelig JAPAN cafe(コーシェリジャパンカフェ) 福岡二日市店

Dsc03262_3jpg の日は福岡県筑紫野市山口にてセミナーでした。運命的な出会いもあって盛り上がりました。感謝。

 筑前前原から電車で二日市へ移動しました。好天のGW真っ只中ということもあって道はどこも大渋滞。電車移動を直感的に選択して正解でした。

 そんなこともあって迎えの車が二日市駅に到着せず、結局タクシーで会場まで行くことになったのですが、駅前で時間調整のために友人と入ったお店のワッフルが抜群に美味しかったので紹介します。

 二日市駅前は一見何もなく、どうしようかと思いました。ところが少し歩いたところに、正直周囲とは全く違うオシャレな雰囲気の建物があり、その中にカフェがあったので入ってみました。

Img_5754 小腹も空いていたので、友人とワッフルとコーヒーを注文。私はサーモンアボカドを、友人はあんこバターをチョイス。

 まずお店で焼いているワッフルがおいしい。トッピングなしでも全然イケるおいしさ。絶妙の甘みと豊かな香り。そして、サーモンもアボカドもちょうどいい味付けで、なおかつたっぷり。これで十分ランチになりますね。

 私が注文した水出しコーヒーも、実にまろやかで美味でした。友人注文のミルク出しコーヒーもおいしそう。

Img_5751 さらにここの特徴は「キャンドルカフェ」であること。いつくもあるキャンドルからお気に入りを一つ選んで席に持っていくと、それに火をつけてくれて、その香りを楽しみながら飲食ができます。なるほど面白いコンセプトだと思いました。ろうそくの炎と店内の暖炉の炎のゆらぎが、ゆったりとしたくつろぎを与えてくれました。

  思わぬ田舎で(失礼)、都会のカフェとは一味違うぜいたくな時空間をありがとうございました。

公式HP

 

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2024.05.02

櫻井神社(糸島市)

Adobestock_486233792scaled の日は糸島でセミナーでした。10時間近くにわたり大変盛り上がりました。糸島では3回目となります。ご縁を感じます。

 今回発見というかビビっと来たことは、糸島市にある櫻井神社の御祭神のことです。昨年文化財指定されました。

 神社としては古い方ではなく、1632年に福岡藩主黒田忠之によって創建されたものです。それ先立って伊勢の神様を勧進した櫻井大神宮が建てられています。

 明治2年に正式に櫻井神社と名付けられたようですが、その御祭神を見ると、伊勢を重んじながらも伝統的なローカル信仰をも大切した姿勢がうかがえて興味深い。

 ・八十枉津日神(やそまがつひのかみ)

 ・神直日神(かむなおひのかみ)

 ・大直日神(おほなほひのかみ)

 Wikipedia「禍津日神(まがつひかみ)」の情報をお借りして三神について考察してみます。

神産みで、黄泉から帰った伊邪那岐命が禊を行って黄泉の穢れを祓った時に生まれた神で、『古事記』では八十禍津日神(やそまがつひのかみ)と大禍津日神(おほまがつひのかみ)の二柱、『日本書紀』第五段第六の一書では八十枉津日神(やそまがつひのかみ)と枉津日神(まがつひのかみ)としている。これらの神は黄泉の穢れから生まれた神で、災厄を司る神とされている。神話では、禍津日神が生まれた後、その禍を直すために直毘神(なおびのかみ、神直毘神、大直毘神)二柱と伊豆能売が生まれている。

 「まがつひのかみ」は「まが」を含むことから一般には悪伸とされています。そしてそれを正すために善神「なほひ」が生じたと。本居宣長もそのように解していますが、平田篤胤は「まがつひのかみ」は善神としているのは面白い。

 いずれにせよ、善悪二元論に陥らず、両方を祀る姿勢は日本文化の特徴と言えましょう。「まが」のおかげで「なほ」が生まれたのだから、「まが」にも感謝する。

 これは例えば、大本が生まれるためには「郡是(グンゼ)」が必要だったというのと一緒ですね。両者は今でも仲が良い。

 そして今回私は勝手に感動したのは、この日の前々日に亀岡で伊豆能売観音さまにお会いしていたことです。つまり、「なほひ」二神と伊豆能売が集合したと感じたのです。

 得意の統合過剰ですが(笑)、伊都国が「伊都」であることも重なって、直観的にそのように感じた次第です。そして、続きがありそうな予感がしております。

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2024.05.01

杜若(カキツバタ)が満開

Img_5657_20240502095001 日は博多におりますが、昨日は京都亀岡にて懇親会。大本の皆さんも交えて楽しすぎる時間を過ごしました。

 懇親会の前に亀山城址を訪問したのですが、内堀に美しい杜若(カキツバタ)が咲き乱れておりまして、本当に感動いたしました。まさに神の芸術です。

 今年はずいぶん早く満開になったとのこと。温暖化でしょうかね。

 こちらの杜若は在来野生種だそうで、もとは愛知県の三河地方に自生しており国の天然記念物。そちらを大本さんが許可を得て譲り受け、亀山城の内堀(現在の万祥池)に移植して保存しているとのこと。

 伊勢物語のあの在原業平の歌が有名ですよね。まさに三河国八橋で詠んだ歌です。

Img_5696 ら衣
 つつなれにし
 ましあれば
 るばる来ぬる
 びをしぞ思ふ

 三河と言えば、やはり明智光秀と徳川家康の関係を思い起こさせますね。個人的にお二人からの案件をたくさん受けていますので感動でした。

 美しい古代紫。時空を超えたナニモノかを伝えておりました。

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