文字を持たない選択をした縄文人
昨日、西湖畔の龍宮洞穴でばったり会った方とまさかの再会。もう面白すぎて笑っちゃいます。時代がそういうふうになっているんですよね。旧暦元旦を過ぎてますますその傾向は強まるでしょう。
今日は某所で合宿です。テーマは縄文。今日は直接的に縄文のお話をしませんでしたが、地下水脈では完全につながっているお話をたっぷりさせていただきました。皆さん、目からウロコが落ちまくったことと思います。
ここではその一部、縄文と「文字」の関係についてちょっと書きます。
日本は漢字が入ってくる以前には(西洋的な意味での)文字はありませんでした。それを未開だとか、低次元だとか思う人もいらっしゃるでしょう。
昔の人もそうでした。江戸後期以降、特に蘭学が流入してきた際、日本には古代文字がなかったということにコンプレックスを感じた一部「知識人」が、国学を発達させると同時に「神代文字」を「発見」してゆきました。
その「発見」は(多くの古史古伝と同様)ほとんど「捏造」なのですが、まあそれほどの焦りがあったことは事実で、その気持ちは私も共感するところであります。
私は、たとえば地元の宮下文書について肯定的に言及しているように、そのやむにやまれぬ「捏造」自体は「歴史的事実」なので、いわゆるアカデミズム側のごとく一笑に付すとか、無視するとか、そういう姿勢は取りたくないと思っています。
ただ、最近(いや江戸時代からずっとか)の一部オカルト(スピリチュアル)界におけるブームのように、たとえばですね、カタカムナは縄文人が使っていた「文字」であるというような主張をされると、さすがにドン引きしてしまうのです。
はっきり言います。それは縄文人に対して失礼です!
なぜなら、彼らは戦略的な意味で「文字を持たない」選択をしたのです。そして、だからこそ1万5千年以上その「文化」を持続させえたのです。
世界史を俯瞰してみてください。文字を持った「文明」は例外なく千年持たず滅亡しています。少なくとも戦争を起こし文化を破壊していますね。
文字の発明と使用は人類の特徴です。つまり、この日本列島においても、いつでも文字を発明し使用するチャンスはありましたし、実際それを試みた縄文人もいたことでしょう。
しかし、文字なる「事の端」が、「事(意識)」自身ではなく、あくまでも「端」であって、つまり抽象化、捨象されたものであり、あるいは四捨五入された世界であって、そこには必ず発信者と受容者の解釈が入ってしまうため、文字を使えば使うほど、「真事(まこと)」から離れていってしまうこと、そしてしまいには分裂、分断を生んでしまうということを、縄文人はよくわかっていたのです。
だから、「文字を持たない」選択をした。
これは大変高度な思考です。劣等感を抱くなんてもってのほかで、逆です、誇りに思っていいことなのです。だから、先述の「カタカムナ」の件を失礼だと言ったわけです。
もちろん、文字ではなく(あえて言えば)「デザイン」というものはありました。一つ一つの記号がそれ自体単独で、あるいは単純な組み合わせで、宇宙や神とつながるという機能を持っていた。そういうものはたしかに残っています。
近代西洋的な考えで文字を考案し、それを並べて文章を作るという、まあ現代日本人にとっては当たり前のこと(たとえば私もこうして語って、騙っている)が、実は当たり前ではなく、分断や戦争を生むきっかけになっているということを思い出さねばなりません。
さて、そういう「文字に対する不信感」を持った日本人が、現代に至るまで、どういう独特な文化を創造してきたか。それは私のセミナーや合宿に参加するとわかると思います。出口王仁三郎の耀わんはその文化・芸術の至高点でしょうね。
私の話を聞けば、江戸末期以降の間違った「言霊」論、そして「大和魂」論も完全な形で是正されるでしょう。皆様とご縁のあることを願います。
ちなみに、カタカムナ自体は最も新しい新作神代文字です。多くの神代文字がそうであるように48文字で五十音図を作っている時点で、その時代性が現れてしまっており、日本語学的には古代文字として認められません(かと言ってカタカムナ自体に価値がないとは思っていません)。私はそこは譲れませんね、神代文字研究家として。
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