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2024.01.12

スコット・ロスのレッスン

 

 の動画は泣けました。38歳で亡くなった夭折の天才、スコット・ロスの貴重なレッスン映像。

 かなり痩せていて、彼の死期が迫っていることがわかります。エイズでした。

 このレッスンでは、バロック音楽に限らず、音楽全般に対しての鋭い指摘が多々なされていますね。

20240113-90312 彼のいう「分析」は、決して左脳的なそれではなく、左脳的に機能化されいる「楽譜」から、その背後にある「本体」を右脳的に感得することを言うのでしょう。

 ワタクシの愚説に対応させると、「コト(言語・音符・記号)」は、あくまでも「モノ(本体・世界・宇宙)」の一部であって、その四捨五入された低次なメッセージに囚われると感動も学びも何もないということです。

 物理学的にいうと、意識を通過した「粒子(コト)」は、あくまで主観・主体の視点という窓から見える捨象された世界でしかなく、その補集合たる「波(モノ)」世界が無限に広がっているということ。そして、私たちはその窓から見える限定的で擬似的な世界から、その背後に無限に広がる「本体」を想像しなければならないということです。

 音楽に当てはめれば、作曲者はその本体世界を楽譜という非常に限定された箱に閉じ込めなければならず、それを開封して原型に戻すのが演奏者の仕事だということ。そして、またそれを受け取る聴衆もまた(彼の言う)「分析的」に音の粒を受け取って波に返すという作業をしなければならないということです。

 こうした複雑性こそ、芸術の真骨頂であり、多様性であり、豊かさであるわけです。

 その演奏家としての仕事を見事にこなしたスコット・ロス。だから、彼の音楽は奇をてらうわけではなく、しかし、まるでその瞬間にその作品が未来からやってきたかのように、私たちの心に深く広く染み込むのでありました。

 彼が亡くなって数年後、間接的にですが彼と縁ができました。そのことはこちらに書いています。

 猫と火山を愛したスコット・ロスにシンパシーを感じながら、彼が未来に投げたボールを、シロウトながら受け取って音楽に携わっていきたいと思います。

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