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2024.01.31

W.F.バッハ 『チェンバロ全曲集』

Blog_import_5d5de70ee0cfc 日公開されたこちらの全集、8時間以上に亘る壮大なものですが、全部聴きました(もちろん「ながら」で)。

 実はこの大バッハの長男に興味がありまして、もし自分が小説なり映画なりを創作するとすれば、一つは彼を材にとって今風なドラマを作りたいと思っているくらいです。

 あのバッハの長男として生まれ、ご多分に漏れず父から期待され溺愛され、直接音楽を指導されました。あまりに偉大な父が自分のために教材用の曲集を作ってくれる。しかし、そんな父を尊敬するあまり、自らの才能の限界を知ることになる。

 次男やもっと下の末っ子バッハたちは、時代に合わせてうまいこと世渡りし、売れっ子音楽家となっていく。

 長男は長男なりに時代の先端の音楽も勉強しますが、どうしても父の呪縛から逃れることができず、古風なフーガや陰鬱な半音階進行などを多用して、周囲からはドン引きされ、どんどん自分の世界に引きこもっていく。

 なんかよくある話じゃないですか。だから現代にも通用するストーリーになりうると思うのです。

 しかし、私はそんな長男バッハの楽曲が好きです。いや、私も長男ですが、父には全く期待されてませんでしたし、だいたい父は凡人以下の人、そして私は父とは全然違う道を歩んでいるので、単純にフリーデマンにシンパシーを抱いているわけではありません。

 父が宇宙音楽史上にも残る天才であったことが、凡人以上の才能を持っていた長男を不幸にしてしまった…父バッハが芸術家としては天才でも、一人間としては非常に欠点の多い人であったということともに、それを見事に引き継いでしまった長男の不幸という側面になんとも切なさを感じるのです。

 フリーデマンが少年のころ、実母が亡くなり、新しい母を迎えるということもありました。新しい母親もいい人だったのですが、やはり少年にとっては複雑な気持ちがあったことでしょう。

 同じ先妻との間に生まれた次男エマヌエルについては、バッハは自分とは全く違う大衆的な天才性を持った友人テレマンに、その名付け役を依頼しました。その願いのとおり、次男バッハは父を尊敬しつつも、大衆的な意味でも世に認められる偉大な作曲家になりました。

 長男と次男の関係性という意味でも「あるある」ですよね。長男はまじめで次男は要領が良い(笑)。

 そんなことを考えながらこの全曲集を聴くとまた格別ですね。いや、普通にいい曲もたくさんあります。しかし、どこか屈折した浮世離れしたところもある。実際、当時は受けが悪く、出版もほとんどうまく行きませんでした。

 こういう開かれた時代になって、ようやく彼の良さ、面白さ、深さが人々に知られるようになるのかも。そうだといいですね。彼の人生ドラマも皆さんに知ってもらいたいところです。

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2024.01.30

『ビリーバーズ』 城定秀夫 脚本・監督作品

Th_71rgsjdgvpl_ac_sl1080_ 城定監督の作品にハズレはありませんが、この作品は特に印象に残る名作でした。

 ピンク映画の巨匠という言い方は、もう古いでしょうね。ピンクの味わいを活かし、動員第一の大掛かりな映画とは一線を画して、日本映画を良き伝統を継いでくれている重鎮と言っていいでしょう。

 新興宗教とエロ。最近もいろいろな宗教団体やカリスマが屹立する団体内のセクハラや性加害が問題になっていますよね。だからこそ非常にリアルです。

 原作の漫画は読んだことがありませんが、こういうテーマのこういうストーリーもまた日本の青年漫画らしい。

 なんで急に見ようかと思ったかと言うと、静岡のセノバで北村優衣さんの広告を見かけたからです。セノバの広告は季節ごとになかなか素晴らしい。

20240131-91903 冬バージョンはこれです。魔法よ、溶けるな。

 この映画の見どころはなんといっても、北村さんの体当たりというか全身全霊の演技でしょう。ここまであっけらかんと青空の下で脱ぐかという感じです。

 あまりに特殊な状況のストーリーなので、そのキャラクターづくり、演技は難しかったと思いますが、実に見事。完璧です。

 もともと「汚れた世俗よ、さようなら」なはずなのに、結局どんどん汚れていく…しかし、リアルでもよくあるように、そこにまた違った意味を持たせてある意味「昇華」「止揚」させてしまう男の「理性のずるさ」と、それを誘発してしまう女の「本能のずるさ」のごった煮が、ある意味美しい。

 そう考えると、これって特殊な状況ではなくて、案外日常なのかもしれませんね。

 まあ、とにかく素晴らしい作品です。何度も観たいですね。

Amazon ビリーバーズ

 

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2024.01.29

モノクロ現像を楽しむ

Img_4568-3_20240130110502 〜と、私ナイショでやってることがいくつありまして、それらは全くの非公開、自分だけの楽しみというやつです。

 その一つが「モノクロ現像」。iPhoneでテキトーに撮ったスナップ写真がどんどん溜まっていく中で、時々それらを素材として「モノクロ現像」して「作品」を仕上げています。

 もともと少年時代から天体写真を撮っていた関係もあって、白黒フィルム「トライ-X」とのつきあいが結構あったんですよね。で、このデジタル時代になっても、なんとなくあの「光と影」の世界が好きなんです。

 そして、本当にどうでもいいスナップ写真が溜まって現代、なんとなく虚しさを感じているのか、ふと白黒(モノクロ)写真を撮ってみたい衝動にかられるのです。

 しかし、今は逆にフィルム・カメラやモノクロ専用デジタル・カメラのハードルが上りすぎてしまい、なかなか撮影はできない。そこでデジタル「現像」でその欲求を満たしているというわけです。

 とはいえ、完全に秘密でやってきたので、ここに作品は1枚しか出しません。スミマセン。もう少し腕が上がったらXとかに上げようかと思っていますが、なにしろなんちゃってなので恥ずかしいのです。それなりの雰囲気だけはすぐ出せちゃうからこそ小っ恥ずかしい。

 しかし、人に見せなくともその現像の作業自体は非常に楽しく、なんちゃってとはいえ、かなりアーティスティックなセンスを使うものなので、皆さんにもぜひ体験していただきたいと思います。

 基本、iPhone用のLightroom無料版でそれなりにできますが(上の1枚はiPhoneだけで作成)、やはりパソコン上で細かくいじるのが面白い。以下のアドビ公式動画を参考に皆さんもやってみてください。

 

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2024.01.28

ニッケルハルパによるバッハのシャコンヌ

 

 昨日の25絃箏に続き、変わり種のシャコンヌを。

 このニッケルハルパはスウェーデンの民族楽器ですが、現在の形になったのは20世紀になってからのことで、かつてはもっと素朴な楽器でした。ですから、私は古楽器というよりは、近代楽器だと考えています。

 一度演奏させてもらったことがあります。なるほどヴァイオリンに鍵盤をつけたような楽器であり、まあ、たしかにヴァイオリンよりはずっととっつきやすい楽器だと感じました。見た目はとっつきにくいのです(笑)。

 共鳴弦やドローン弦を持っていることからも、たしかに近代ヨーロッパ音楽(クラシック音楽)以前の民族的な特徴を備えています。しかし、先程書いたように、一方では半音階を網羅するために鍵盤(タンジェント)の数を増やしたというのは、モダンな要請によるものに違いありません。

 さて、この楽器で弾くシャコンヌはどうでしょうね。一昨日の箏とは、ある意味対極にある楽器です。

 弓奏楽器なので音を持続させることは可能ですが、タンジェント(鍵盤・スイッチ)で音程を決定するので、たとえばヴィブラートやポルタメントなどは原理的に不可能です。

 この曲の難しさ、音程を保ちながら和音を指で押さえるというところに関しては、タンジェントのおかげで容易かつ正確になっています。

 では、そうして生まれた音が感動を呼ぶかどうかというのは、ちょっとまた違う次元の話になりますよね。

 実際、一昨日の箏の演奏と比べると、どこか平板で淡白な感じがしてしまう。ここが不思議なところなのです。ただ正確に音を出せばいいわけではないというところが音楽演奏の難しさ。

 こういう演奏を聴くと、やはりこの神曲は、ヴァイオリンで弾くことに意味があるような気がしてきますね。箏でもニッケルハルパでも、あるいはチェロで演奏する際も、実音より低い音、5度下や1オクターヴ下で演奏することが多く、結果として残響も多く深みのある音世界が現象しそうですが、なぜかやはりのヴァイオリンの、あの低音が限られた中での演奏に敵わないような気がするのです。

 では、他の作曲家の無伴奏ヴァイオリンのための作品に「深み」があるかというと、そうではない。やはり、バッハは天才なのだなあと改めて感じさせられました。

 では、究極のヴァイオリンでの演奏はというと、実はまだそれに出会っていないのです。なんとなくイメージはあるのですが(もちろん自分では弾けない)。

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2024.01.27

『スピリチュアリズム』 苫米地英人 (にんげん出版)

91xfbab07ql_sl1500_ 日は京都は亀岡という因縁の地でセミナーをやらせていただきました。ある意味では日本的スピの「大本」とも行って良い地です。大いに盛り上がりました。

 そんな私はいわゆるスピ系だと思われることが多いのですが、実は完全に反スピです!

 講演やセミナーでも「あなたは次のうちどれですか? なんちゃってスピ、勘違いスピ、金儲けスピ」なんていう意地悪な質問するくらいですから(笑)。

 つまり、そういうニセモノの世界にはうんざりしていて、しかしホンモノのスピがあると思っている、あるいは感じている人間なのです。

 ですから、この本はバイブル。ちょっと古いのですが、ある意味今を予言しているとも言えます。

 時代はオウム後、オーラの泉のころ。苫米地さんの江原さんに対する言葉は厳しい。いや、江原さんはただ未熟だと言ってるだけか。マスコミに対する舌鋒が鋭いのです。

 それから私も多大な影響を受けており、昨年はお会いして私が関わった著書をお渡しする機会もあった中沢新一さんへの批判も厳しい。

 たしかにオウムの現場で「脱洗脳」に関わった人ですからね、苫米地さんは。

 キンキラキンでこのタイトルですから、きっと当時はそっち系の人たちがつい手に取ってしまったのではないでしょうか(苫米地さん自体十分アヤシイし)。

 しかし、内容は完全に反スピ。これは作戦でしょうね。

 ただ、科学の補集合世界は常にあると思っていますし、そこに人間がアクセスすることができるということは、たとえば音楽や宗教を通じて体感しているので、そういう意味ではたしかに「霊的人間」だとは言えるかもしれません。

 この名著で苫米地さんは「スピリチュアル=オカルト」と断じています。その通りでしょう。かつて(1970年代)オカルトと称されたものが、オウムの事件を通じて批判の対象となりましたが、その潜在的なブームはずっと(古代から連綿と)続いており、それを金儲けに使えなくなったことに危機感を抱いたマスコミ・メディアが「スピリチュアル」というソフトなイメージを作り出したということです。

 そのあたりを、私はずっとなぞって生きてきたので、よ〜くわかります。

 出口王仁三郎についてのページもあります。比較的好意的に書いていてくれて、ちょっと安心しました。

 苫米地さんがこの本で言いたいことは、最後の「おわりに 生と死とスピリチュアリズム」に簡潔に表現されています。今でもはやっている「なんちゃってスピ」は、2500年前にお釈迦様が否定した、アートマンの存在、永続性、すなわちバラモン教の差別意識や輪廻転生思想やカルマの影響を受けているということですね。

 そして、それがチベット密教やヒンドゥー教につながり、のちのヒトラーのナチズムやオウム真理教を生んだということは重要な指摘ですね。

Amazon スピリチュアリズム

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2024.01.26

『25絃箏によるバッハのシャコンヌ』 木村麻耶

 

 も40年も前から箏でバッハを弾いておりました。都留音楽祭でいったい何曲披露したことでしょう(宴会芸ですが…笑)。

 大学時代、山田流箏とバロック・ヴァイオリンを弾き始め、本当に運命的に3年生の時、「東西古楽の祭典 都留音楽祭」が自分の通う大学を舞台に始まりました。爾来30年以上にわたり同音楽祭の運営に携わりました。

 これは偶然ではありませんよね。私の講演では別の分野での都留文科大学での運命的な出会いの話をしているのですが、実はこれも大きな出会いでした。

 ただ、私は普通の13絃箏しか弾いたことがなかったので、とても一人でシャコンヌを弾こうとは思わなかったなあ。二人でというのは試しましたが、技術的に追いつきませんでした。

 木村麻耶さんの演奏、すごいですね! 泣いちゃいました(涙)。

 25絃の箏の迫力もですが、彼女の鬼気迫る演奏も素晴らしい。25絃の難しさは想像できないほどですが、右手の爪と左手の素手の使い分けや、弾く位置の選択による音色づくりが、音楽的に理にかなっています。

 なるほどこんなに曲中で柱(じ)を動かすんですね。こういう発想はなく、ひたすら押手でやろうとしたのが若かりし私の間違いでした。

 それにしても、ちょっと発見だったのは、この編曲が音的にいうとオリジナルとほとんど変わらない、つまり余計な音を足していないことです。

 チェンバロやピアノ、あるいはハープやギター、オケでやる時は、どうしてもその音世界に厚みを必要とするために、いろいろ音を足すんですよね。

 それがヴァイオリンだとなぜ、あんなに少ない音でその深み厚みが出るのか不思議に思っていたのですが、箏でも余計な音を足さなくよいのだと気付かされました。

 ヴァイオリンはもちろん、箏における演奏上の制約が、実は重要なのでしょう。これって楽器論における重要な課題だと思いますよ。

 基本的に西洋楽器の世界は、やれることを増やしていく方向に進化(?)しました。電子楽器やデジタル打ち込み音楽、AI音楽はその最たるものでしょう。しかし、それらが必ずしも感動を呼び起こさないことは、私たちは体験的に知っています。

 特に本来の音楽がそうであったように、こうして演奏者の姿を見ながら音を聴く体験においては、その制約の中での人間の没頭や格闘が重要な感動のファクターになるのです。歌の世界がその象徴でしょうね。

Amazon 光る空

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2024.01.25

寺田寅彦 『静岡地震被害見学記』 (昭和10年)

20240126-113545 日、山崎貴監督のリアリティーの話を書きましたが、日本人は西洋の自然科学的な理性を受け入れつつ、どこかで古来の芸術的な感性を持ち続けることができる稀有な存在ですよね。

 「アルキメデスの大戦」では架空の天才数学者が登場しました。あの頃の科学者には、まさに理性と感性のプロポーションの取れた天才が多かった。

 寺田寅彦なんかその代表格でしょう。彼の散文、韻文はどれも素晴らしい。そんな彼の一つのエッセーを紹介しましょう。

 昭和10年7月11日、静岡地震が発生しました。久能山付近を中心に大きな被害で出て9人の方が亡くなりました。最大震度は6。M6.4と推定される直下型地震でした。

 私の実家のある谷津山の北西側は大きな被害はなかったようです。やはり川の流域だった地域の被害が大きかったとのこと。東海地震の際の被害想定の参考になりますね。

 さて、その東海地震の危険が叫ばれて半世紀近くになりますが、なかなか発生しません。そうこういしているうちに、比較的安全とされた複数の場所で大きな地震が発生してしまいました。今回の能登半島地震もその一つです。

 この情報化の時代になっても、やはり報道される被害はその実態を伝えているとは言えませんし、ここで寺田寅彦が鋭く指摘しているとおり、逆に被害がない地域のことはなかなか報道されません。

 今回の能登に関しても、たとえば金沢市などではそれほど大きな被害はないので、地元の人たちは能登の復興のためにも観光に来てもらいたいと思っていますが、県外の人からすると「石川県には行ってはいけない」と考えがちです。難しいところです。

 被災地入りした寺田寅彦が、正直な感想を述べているこの小文。やはり科学と芸術、理性と感性がうまく融合した作品となっています。ぜひお読みください。

 寺田寅彦 「静岡地震被害見学記」

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2024.01.24

『アルキメデスの大戦』 山崎貴 監督作品

20240126-111504 ジラ-1.0がアカデミー賞にノミネート!すごいですね。日本のVFXが世界に認められる日が来るとは。

 特に山崎監督は私と同い年ということもあり、やはり少年時代の様々な体験がこうして未来に実を結んだのは感慨深いですね。

 ぜひオスカーを手にしていただきたい。

 さて、そんな山崎監督の作品で観ていなかった(観るのを忘れていた)のが、この作品。

 やはり、冒頭のこの大和沈没シーンが最も心に残りました。これこそ山崎節の真骨頂でしょう。それこそ、大和大好きだった少年の私が想像していた沈没シーンを見事に「再現」してくれていました。だからこそショックでもあったわけですが。

 ゴジラ-1.0の感想にも書きましたとおり、山崎監督のVFXのある種のリアリティーというのは、科学的というか西洋の写実主義的なリアリティーとは違う、やはり少年時代の妄想や悪夢に根ざしているのだなと感じました。

 この映画のストーリーは、まあマンガ原作ということで荒唐無稽と言えば荒唐無稽ですけれども、やはり結末を最初に見せたことが、ストーリー展開的にも非常に功を奏しましたね。楽しませていただきました。

 最近、セミナーで「大和」とは「グレートにこにこ」であるという話を必ずします。間違った「大和」魂があのように美しく散り、そして本来の「大和」の時代が訪れようとしていることを思えば、この映画のメッセージにも重みが出てくるというものです。

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2024.01.23

C.F.アーベル 『ヴィオラ・ダ・ガンバの為の易しいソナタ集』

 日は山中湖と埼玉の某市でヴィオロンチェロ・ダ・スパッラの演奏。仲間の皆様のおかげでいろいろな発見があって面白かった!

 演奏した曲の中にこれがありました。息子アーベルのヴィオラ・ダ・ガンバの為のソナタ集です。お父さんアーベルは第バッハと親友でした。そして息子どうしも親密。そう、息子アーベルはバッハの末子ヨハン・クリスティアン・バッハとともにロンドンで活躍していました。

 この「ヴィオラ・ダ・ガンバの為の易しいソナタ集」もロンドンで作曲されています。いかにもアマチュアを楽しませようという意図に満ちた作品ですね。技術的に、ガンバのパートも通奏低音のパートも非常にシンプルで、私たちアマチュアでも初見で楽しむことができます。

 音楽的にも、全て同じ構成でできており、また最後の第6番以外は天真爛漫な長調の曲ばかりです。真ん中の緩徐楽章も全て長調ですからね。そして短調の6番がなんとも際立ちます。アルビノーニとかモーツァルトなんかも短調に数少ない短調の曲に名曲が多いじゃないですか。時代性でしょうか、面白いですね。

 そして、息子アーベルの特徴の一つとして、ガンバのパートをト音記号(すなわち1オクターヴ上)で表記するんですよね。これはたぶんヴァイオリンやフルートなどでも演奏しやすくするためでしょう。

 そのおかげでヴィオロンチェロ・ダ・スパッラでも演奏しやすい。ヴァイオリンのつもりで弾けばいいので。ところどころヘ音記号になって面食らいますが(笑)。

 父バッハの友人であったホフマンが作ったと言われるヴィオロンチェロ・ダ・スパッラ。ガンバ&チェロ弾きだった父アーベルも当然知っていたことでしょう。また、息子たちも演奏したかは別として楽器の存在は知っていたと思われます。

 いろいろなことを妄想しながら、私はいつものように肩に乗せて楽しく演奏いたしました。なにしろ「肩のチェロ」なので。

 

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2024.01.22

『シャイロックの子供たち』 池井戸潤 原作・本木克英 監督

91mw1lhpfl_ac_ul640_ql65_ 近ホテルに泊まる機会が増えました。APAホテルに泊まると、つい観てしまうのが映画です。

 けっこういい作品を無料で観ることができます。先週はこれを観ました。面白かった!

 まず感心したのは、役者陣の軽妙&重厚な演技ですね。柳葉敏郎さんと橋爪功さん、柄本明さんは素晴らしかったなあ。さすがですね。もちろん、阿部サダヲさんも、ちょうどいい存在感でしたし。

 池井戸潤さんの原作は昔読んだことがあったのですが、正直細かいところは忘れている上に、原作とは違う展開になるこの映画は純粋に楽しむことができました。

 かつては花形商売だった銀行員。教え子も金融機関に就職するのはエリートたちでしたが、今や最も大変かつ先が見えない仕事になってしまいましたね。

 この映画においても、「金」と「地位」を巡る様々な欲望、煩悩が渦巻いています。多くの小説やドラマ、映画がそうであるように、最終的には「勧善懲悪」「倍返し」的なカタルシスを味わうことができるわけですが、それってどこか劣等感をベースとした嫉妬心から生じる「煩悩」の表出でもありますよね。

 結果、煩悩vs煩悩になるわけでして、なんの解決にもなっていないというのが、現在の多くのエンターテインメントなのでした。

 昨今かまびすしい文春砲やらSNSの世界やらも、ほとんどが「嫉妬心」の発露であることが気になります。一瞬のカタルシスはあるとしても、根本解決になっていないので次のターゲットを探すことになる。

 なかなか私たちは「魂の大峠」を越えられませんね。シェークスピアの時代となんも変わっていません(苦笑)。

Amazon シャイロックの子供たち

 

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2024.01.21

Suno AI(音楽生成AI)で遊ぶ

20240122-174045 このところ、AIの話が多くなっていますね。それほどに面白い局面になっているのです。

 私はとてもAIを使いこなしているとは言えませんし、そこまでの必要性もありませんので、まあ遊び相手としてつきあっているという感じです。

 まあこうして付き合っていないと、すぐに置いていかれるので。

 で、音楽生成AIもいろいろ試しているのですが、遊びということではこのSUNOが今一番熱いですね。なんとなくそれなりの曲の一部は、あっという間に生成してくれます。

 どこかで聴いたことがあるような、しかし全く新しい音楽をどんどん生成してくれます。このままブラッシュアップすればリリースできてしまいそうなクオリティですよ。

 今日、ごく簡単な指示(prompt)で生成してみた曲を聴いてみてください。歌詞も歌唱も全部お任せですから、私が関与したのは、「こんな感じの曲作って!」という部分だけ。

Neon Banana (synthwave upbeat retro

Banana Boogie (synthwave upbeat retro

Funky Disco Fever (groovy disco funk)

Dance of Stardust (british pop acoustic)

Rainy Love (k-pop upbeat)

 日本語の曲も何曲か生成してもらったのですが、イマイチな出来だったので、もう少し研究してそれらしくしたいと思います。

 そう「らしく」、つまりどこかで聴いたことがある曲、というところがミソであり、現在のAIの限界です。あの時のビートルズやユーミンのようなクリエイティビティはないわけです。そうしたAIの裏側にこそ、人間の存在価値が問われるのでした。

 今年中には全く新しい「組み合わせ」も生み出せるかもしれません。ビートルズやユーミンは組み合わせによって生まれたのか、その検証もできそうですね。

Suno AI

 

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2024.01.20

落合陽一&松岡正剛…智のキャッチボール

 

 の日は千早にてセミナー。こちらも多いに盛り上がりました。福岡の人たちは本当に好奇心旺盛で勉強熱心。どこかとは大違いです(苦笑)。

 さて、この日も懇親会含めれば9時間喋りました。まあいろいろな方向に話が広がる広がる。まあ、それを脱線とも言います。

 ホテルに帰ってからこの動画を見始めたのですが、思わず本編も全て見てしまいました。見るというより聴くですね。傾聴しないとついて行けない。それほど高度で、難解な内容だった一方、すっと腑に落ちたとも言えます。

 おそらく、一昨日の記事でちょろっと書いた(写真に載せた)、仲小路彰の歴史的名著「未来学原論」を読んでいるから、この対談も理解できたのでしょう。

 50年以上前に書かれた「未来学原論」ですが、この対談にも出てきたワードがたくさん登場します。サイバネティックス、人工頭脳、日本文化の本質…そしてエントロピー。

 松岡さんは、ずいぶん前から仲小路彰に興味を持ってくれている数少ない知識人の一人です。彼の広範かつ深淵な知識と感性は、たしかに仲小路彰に通ずるところがありますね。

 そして、そんな昭和(〜令和)の天才と見事にアンサンブルする(平成〜)令和の天才落合陽一。世代を超えた智のキャッチボールですね。

 この日のセミナー会場に、来週コラボさせていただく天才中学生が顔を出してくれました。こちらも世代を超えた智のキャッチボールができるといいなと思っています。楽しみです。

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2024.01.19

『出口王仁三郎 聖なる英雄のドキュメント』 (みいづ舎)

Img_4541 の日は田川郡香春町にてセミナー。セミナーを開始して、今日は何日でしたっけ?的な話になり、そこで思い出しました。

 1月19日は出口王仁三郎の命日でした。

 自然、セミナーもそちらの話で盛り上がりました。そのあたりも全部オニさんの思い通りなのでしょうね。

 というわけで、今日はそんな王仁三郎の人間的かつ神的な姿を彷彿するのに最適な本を紹介します。

 帯の言葉がいいですね。

「類まれなる王仁三郎の智慧や親しみ、一つの枠に収まらない多様な言動と感性の豊かさ、その知られざる人間性を綴る!」

 長いけれども、的を射た文ですね。身近に王仁三郎を感じていた人たちによる「観察文集」ですから、この本は。

 昭和6,7年の王仁三郎の姿ですから、ちょうど還暦を迎えるころ、今の私と同じくらいということですか。なんだか、全然スケールが違って、もう笑うしかありませんね。

 特に中盤、名ジャーナリストとして名を残した大宅壮一が語るオニ像は読み応えがあります。日本一のジャーナリストをして「(王仁三郎は)日本一のジャーナリスト」と言わしめた王仁三郎は只者ではありません。

 さかんに短歌50万首を詠んだと言っていますね。今では20万首くらいが整理されていますが、本人はその倍以上と言っているわけです。たしかに日常会話が全て「歌」だったと言われていますから、まあありえますか。20万でも世界一です。第2位が明治天皇の10万首です。

 宗教家にして「反宗教」を標榜し、宗教がなくなることを理想とするところは、彼の破天荒さと真実さの真骨頂でしょう。私たちの二元論をいとも簡単に飛び越えてしまう。

 「聖なる英雄のドキュメント」…そこには不思議と「俗なる田舎百姓」がニコニコと笑いながら端座しているのでした。やはり魅力的な人です。

Amazon 出口王仁三郎 聖なる英雄のドキュメント

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2024.01.18

ソニー『デジタルペーパーDPT-RP1』

Img_4537  の日は北九州市は門司にてセミナーを開催いたしました。9時間ほど喋り続けました。楽しかった〜。皆様ありがとうございました。

 さて、ここのところ毎月九州を訪れておりますが、旅の拠点である静岡市からは新幹線で行きます。だいたい、5時間弱ですかね。

 案外、新幹線の車内は快適でして、まとめて仕事ができます。今、ある歴史的名著の再版のために、そのテキスト入力と校正をやっておりますが、この度でもかなり進捗しました。

 バソコンは重いし、原本も持ち歩くにはあまりに重いので、最近は電子ペーパーデバイスを持ち歩いて仕事しております。なにしろ軽い!300グラム程度ですから。そして見やすい。目が疲れない。手書きも快適。

 ただ、あんまり売れるものではないですし、お高いのがネックだったんですよね。しかし、アキバで歩いて見つけましたよ。良き中古を。2万円弱で手に入れました!

 ソニーのデジタルペーパーDPT-RP1。A4サイズの電子ペーパーです。いやはや、これは快適だ。カバーもついていましたが、それも重いので100円ショップの軽いケースを使っております。

 横位置に構え、左右で別のファイルを並べて表示できるので便利ですね。

Img_4538  つまり、楽譜ビューアーとしても使えるということです。自動めくりに対応していないのが残念ですが、この左右分割表示をうまく使えば、譜めくりの問題もだいたい解決できます。

 とにかく分厚い本も楽譜の束を持ち運ばなくてよいのは最高です。もうひと回り大きいB4版だともっと良かったのですが。老眼にはちょっときついかな。

 もちろんバッテリーの持ちもパソコンやタブレットに比べると数倍よく、ほとんど電池切れを気にしなくてよい。それだけでもストレスフリーですね。

 これとポメラ、そしてスマホがあれば、まあ仕事はなんでもできますよ、私の場合は。現地にパソコンとプロジェクターがあれば、リアルタイムでスクリーンに投影できますし。

 あとは電子ブックが読めるようになれば完璧なんですが。 

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2024.01.17

芥川賞とAI

Pic_14044_2_0001 えと、今日は22日です。福岡ツアーから静岡に帰ってきました。

 時間がなく、またパソコンも持っていかなかったので、すっかり記事を溜め込んでしまいました。

 こういう時には、AIが代わりに書いてくれるといいのですが…いや、マジで。この不二草紙の総合文字数はおそらく2億超えているので、AIに学習させれば、いかにも私らしい文書と内容で書いてくれるでしょう。

 なんて、実はこの文章もAIが書いているのです!というのは嘘です(今年中には嘘ではなくなるかも)。

 AIによる文章の生成と言えば、この日に発表された芥川賞。九段理江さんの「東京都同情塔」はAIがテーマの一つとのこと。そして、実際にAIを使って文章を生成し、それをそのまま使っている部分があるとのことです。

 それについて、いろいろイチャモンをつける人がいますが、きっと3年もすれば、その人もAIに文章を書いてもらいうことが当たり前となり、そういえばあの頃はなんか違和感あったのなになあ、とか思っていることでしょう。

 そのくらい、2024年はAIの驚異的な進化の年になると思います。産業革命、インターネット革命に次ぐAI革命です。産業革命にも乗り遅れた人たちがいましたし、インターネット革命に乗り遅れている人たちが今もいますよね。

 それらの革命は、人間の仕事を奪っているかのように見えますから、自分の領域を侵犯されているように感じるのもごもっともです。しかし、結果として産業革命もインネターネット革命も、私たちの生活や文化を豊かにし、また社会の安全性を高めてくれたことは、認めざるを得ないでしょう。

 ただ、問題は、それらが何よりも早く「戦争」と「エロ」に使われてきたことにも注目すべきでしょう。実際、AIもそちらの方面で活用され始めています。というか、私たちが知らないうちに、そちらで大進化を遂げていくんですよね。

 つまり、それぞれの革命の意図…ではなくきっかけが、私たち人類の大いなる煩悩に根ざしているということなのです。

 先日書いたように、AIは私たちの本来の生きる意味、すわなち未来的創造性の発揮を促すものではありますが、そこに至る過程で私たちは必ず大きな壁を越えねばならなくなるのです。

 それが、おそらく出口王仁三郎らが言う「大峠」なのでしょう。

 絵画、写真、シナリオ、音楽、教育などもそうですが、AIにできる程度の作品は、AIに任せておけばいいでしょう。困るのはそのレベルの創造性でプロを騙っていた人たちだけですから。受け取る方にとっては、そのレベルであればそれが人間の仕事でなくとも良いのです。

 そのうちに全編AIが書いた小説が芥川賞を獲るのかもしれません。いや、芥川賞の選考をAIがするようになるかもしれません。

 芥川賞というカビ臭い(失礼)、ある意味悪しき近代の残滓が、AIに侵食される近未来は、案外明るく楽しいのかも。

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2024.01.16

教育とAI

 駄な小手先の技を覚えず、人間として面白くなれる方法を、頑張って考えていただきたい。オタク性が重要。

 教科書で学ぶ時代はとっくに終わっており、動画で学ぶ時代もそろそろ終わり、AIで学ぶ時代が来る。

 とりあえず、後編からご覧ください。これを見て、皆さんはどのように感情が動きますか。

 今日は、私自身の考えは書きません。皆さんがどう感じ、どう考えるかが重要だからです。特に学校の先生、ぜひご覧ください。

 

 

 後編のあとに全編を見る方がいいかも。

 

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2024.01.15

ひろゆき関連動画

 日は、ひろゆき関連の動画をおススメします。

 まずはABEMAから。超ひも理論の専門家、物理学者の橋本幸士さん出演の動画。これは面白かったですね。橋本さん、いいキャラすぎます。

 

 

 私は全く数学がダメダメなのですが、だからなのか、数学者さんや物理学者さんが大好きです。自分とは全く違う思考法、そして生き方をしているようですが、なんかグルっと回って親近感も抱くのです。

 この番組、そんな橋本さんの独特の思考法を笑いにしようとしているのはいただけませんが、ひろゆきのおかげで、そちらに傾きすぎなかった。こういうところが、ひろゆきの良いところです。ひろゆき自身、論理的、合理的な思考をしますからね。

 ひろゆき、やっぱりすごいな…と思ったら、今日こんな動画が公開されて大笑い。全然、論破できてない(笑)。どんどん小さく傾いていくひろゆき。そんな人間的なダメダメな一面を見ることができ、こちらもまた結局「すごいな」と思ってしまいました。

 ちなみに、何度か書いてますが、中田敦彦さんと福田萌さんの結婚に際して、ウチの家族が多少関わっております(笑)。今でも仲良くやってくれていますね。ちょっと安心しました。

 

 

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2024.01.14

渡辺裕 『サウンドとメディアの文化資源学ー境界線上の音楽』を読んで

20240115-143010 験指導の現場を離れて久しい。今思うと、よくぞ不毛なことをしてきたものだと「感心」します。ある意味低次元なゲームの攻略法を教えることが仕事だったので、それはそれで案外楽しいものでした。だからこそ、不毛と言えば不毛。

 ゲームの攻略法が人生の攻略法になることもあろうかと思いますよ、場合によっては。しかし、ゲーム自体が生徒の将来を決めるというのには、積極的に賛成はできません。

 かつては共通テスト、いやセンター試験のたびに、国語の問題について(に限らず様々な科目の問題について)いちいち評論めいたことを書き、年によっては(今風に言うと)炎上したこともをありましたっけ。

 最近は必要性もなくなったので、あまり記事にしてきませんでした。しかし、今年はあえて共通テストの国語の、評論の本文について書きたいと思います。ただし感想文です。

 音楽評論家…ではなく、音楽学者である渡辺裕さんの本は何冊か呼んだことがあります。特にサントリー学芸賞を獲った「聴衆の誕生-ポストモダン時代の音楽文化」には、若い頃多大な影響を受けました。

 私は「聴衆の誕生」以前の音楽を「聴衆」の前で演奏することが多い。つまり、完璧な矛盾の中にいますので、その居心地の悪さと、居心地の良さ(?)にずっと興味を持っていました。

 自分にとっての、(今となってはノスタルジックな言葉となってしまいましたが)「ポストモダン」はどこへ行くのか、気になっていたわけです。

 今、その幻想的な「ポストモダン」は、よりリアルな形をもって現出しています。ある時期、一気に「聴衆」すら消えてしまい、音楽はごく個人的な持ち物になってしまいましたが、その一方、原点回帰なのか、いや原点ではないな、一つ下の階段に降りたのか、再び「聴衆」的時空間が復活せんとしています。

 今回の渡辺さんの文章は、2013年に書かれたもの。まさに、そうした音楽や芸術の個人化とその副産物の矛盾を突いていましたね。

 元々、音楽含む芸術は、時空を超える性質のものなので、どうあがいても「オリジナル」には戻れません。しかし、戻る意味がないかというとそうではなく、一昨日紹介したスコット・ロスが言うように、一度戻る(そして、また帰ってくる)ことには大いに意味があると思います。

 未来人の素晴らしさ、特権はまさにそれであって、過去人は未来に行って帰ってくることはできません(一部の天才は除いて)。つまり、作者自身さえも、自らが生み出した作品が未来にどのように享受されるか知り得ないわけであり、逆に言えば、作者の限界を超えて未来に行き続けるモノこそが、芸術(作品)であるということが言えましょう。

 私が45年もやってきた「古楽」という概念も今や終焉を迎えようとしています。つまり、モダンに対する「ポストモダン」であった「古きもの」さえも、また「ポスト」を要求する単なる「古きもの」になりつつあるということです。

 私自身、ある種カウンター的な心情(コンプレックスと言っても良い)からのめり込み、肩入れしていた「古きもの」から、ようやく解放されつつあります。音楽しかり、教育しかり。なんだかんだ半世紀近くもかかってしまったわけで、我ながら自分の愚かさに「感心」するのでありました。

 共通テスト国語問題

Amazon 聴衆の誕生 - ポスト・モダン時代の音楽文化

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2024.01.13

龍城神社

Img_4504 日は岡崎城内、巽閣にてセミナー。たっぷり5時間しゃべりましたが、まだ時間が足りませんでした(笑)。

 またスペシャルなこととして、ベリーダンスのチャンピオンの方と、私のヴィオロンチェロ・ダ・スパッラで即興パフォーマンスをさせていただきました。

 楽譜(過去)の再生ではない、未来から来るメッセージを再生する、いわばレコードやCDのピックアップのような存在になるのは、とても楽しいことです。なにしろ、打ち合わせも練習もいらないので(笑)。

 それから出張シェフによる美味しいイタリア料理と日本酒の絶妙の組み合わせ!最高でした。

Img_4498 さてさて、会場のすぐ隣は龍城神社。岡崎城築城の際、また家康誕生の際に金龍が躍り上がったという龍の井の横に神社が建てられました。

 今年は辰年(私は歳男)。龍神大活躍の年です。私が家康の亡くなった駿府城から岡崎城(龍ヶ城)に到着しましたら雨が降り出し、そしてセミナーが始まると雨が止んで虹が現れました。

 私の解釈では、龍は自然の「産び」のエネルギーの象徴です。十二支の中で唯一の架空の動物と言われますが、動物界と言わず自然界全体の生命エルギー、特に火と水の出会いから生まれる水蒸気の上昇エネルギーを象徴していると、私は思っています。

 家康は調和・融和の人ですね。そう、龍神というとどこか荒々しい雰囲気を感じがちですが、実は調和・融和の比喩的な姿なのですよ。

Img_4511 巽閣で21時まで、皆様と楽しい時間を過ごしました。その後は懇親会へ。とにかく今日は素晴らしい皆様に囲まれて、幸せな時間を過ごさせていただきました。主催者の方はじめ皆様にひたすら感謝です。

 3ヶ月で5回岡崎に呼ばれています。家康さん、龍神さんに呼ばれているのでしょう。太平の世、みろくの世を開きなさいとのことでしょうね。頑張ります。

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2024.01.12

スコット・ロスのレッスン

 

 の動画は泣けました。38歳で亡くなった夭折の天才、スコット・ロスの貴重なレッスン映像。

 かなり痩せていて、彼の死期が迫っていることがわかります。エイズでした。

 このレッスンでは、バロック音楽に限らず、音楽全般に対しての鋭い指摘が多々なされていますね。

20240113-90312 彼のいう「分析」は、決して左脳的なそれではなく、左脳的に機能化されいる「楽譜」から、その背後にある「本体」を右脳的に感得することを言うのでしょう。

 ワタクシの愚説に対応させると、「コト(言語・音符・記号)」は、あくまでも「モノ(本体・世界・宇宙)」の一部であって、その四捨五入された低次なメッセージに囚われると感動も学びも何もないということです。

 物理学的にいうと、意識を通過した「粒子(コト)」は、あくまで主観・主体の視点という窓から見える捨象された世界でしかなく、その補集合たる「波(モノ)」世界が無限に広がっているということ。そして、私たちはその窓から見える限定的で擬似的な世界から、その背後に無限に広がる「本体」を想像しなければならないということです。

 音楽に当てはめれば、作曲者はその本体世界を楽譜という非常に限定された箱に閉じ込めなければならず、それを開封して原型に戻すのが演奏者の仕事だということ。そして、またそれを受け取る聴衆もまた(彼の言う)「分析的」に音の粒を受け取って波に返すという作業をしなければならないということです。

 こうした複雑性こそ、芸術の真骨頂であり、多様性であり、豊かさであるわけです。

 その演奏家としての仕事を見事にこなしたスコット・ロス。だから、彼の音楽は奇をてらうわけではなく、しかし、まるでその瞬間にその作品が未来からやってきたかのように、私たちの心に深く広く染み込むのでありました。

 彼が亡くなって数年後、間接的にですが彼と縁ができました。そのことはこちらに書いています。

 猫と火山を愛したスコット・ロスにシンパシーを感じながら、彼が未来に投げたボールを、シロウトながら受け取って音楽に携わっていきたいと思います。

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2024.01.11

AIは「愛」か

11_20240112094801  日は「正解探し」という、笑いのネタとしての画像生成AIの作品を紹介しましたが、今日はAIさんの名誉回復というか、すごいなあと思わせる作品も紹介しましょう。

 もちろんここから手を入れて、さらに「作品化」していくこともできるわけですが、とりあえず「撮って出し」ならぬ「作って出し」です。というか、ちょっとしたpromptで20秒かからず4つずつ作品を生成してしまうAIは、たしかに人間を超えています。

 入力した文章は日本語だとこんな感じ。使ったAIはMidjourney

「ショートヘアーの日本の20代女性。彼女は憂いを秘めた表情をしている。彼女は日本家屋の中に立っている」

 これをDeepLで英訳して放り込みます。日本語でも可ですが、細かいニュアンスは伝わりづらく、やはり英語の方が精度が高くなります。

 何回か同じ文章で試しましたが、毎回違う画像が生成されます。

13  というか、この人だれなのでしょう(笑)。それにしてもとてもリアルというか、作品性、芸術性もありますよね。

 これらもツッコミ入れようと思えば入れられますが、それなりの完成度です。きっと来年の今頃にはもっとすごいことになっていることでしょう。

 いや、AIは過去のデータの組み合わせしかできませんので、その組み合わせの数が増え、処理時間が短くなっていくと、もしかするとどんどん画一化したイメージに収束していってしまうかもしれません。

 たとえば「日本の20代の女性」の顔が、こうして平均化されてくるように。実際、Midjourneyもヴァージョンアップするごと、洗練されすぎて面白みはなくなってきている。初期は写真的ではなく絵画的で、ある意味それはアーティスティックでしたし、ホラーになることも多くあったものの(笑)、意外な画像が生成される面白さはありました。

 昨日のも、変にリアルなので「笑い」につながってしまうのですね。まじめな顔して抜けてるというか。その辺は難しいところでしょう。

12  人間と違ってAIは未来的な情報は取り扱えません。妄想できないということですね。そこは生命と非生命の違いであって、その意味でAIが人間を超える可能性はゼロです。

 生命の宇宙的な存在目的は「エントロピーの減少」にあります。非生命がもれなく「エントロピーの増大」から逃れられないのに対し、生命は意志の力によって、それに対抗することができます。

 その点、AIはちりぢりになった過去の情報を集積し、擬似的に「エントロピーの減少」を実現することができます。しかし、それはあくまでも擬似的なもの。

 人間は、未来の情報すら「修理固成」することができるのです。それこそが「ことたま(事霊)」です。

 近代社会、特に「学校」では、過去の情報の固成が重視されてきました(その最たるものが大学入試)。しかし、それは本来の生命の仕事(為ゴト)ではないことが、AIの登場でバレてしまいました。

 つまり、今まで私たちが苦労し、そして苦労させてきた「コト」は、機械がやってくれることがわかったのです。AIは私たちを救ってくれる存在です。すなわち「愛(AI)」なのです。

 間違った仕事から解放された人間は、未来の情報だけ取り扱えばよい。それこそが本来の創造性、想像性であり、学校が「educate(導く)」すべきことなのでした。

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2024.01.10

正解探し…画像生成AIで遊ぶ

Guccy_59541_baroque_era_musicians_playin  年はAIが爆発的に実用的になった年でした。今年はもっと進化しそう。

 私も文章、音楽、画像などをいろいろ生成してみましたが、まあ、世の中で言うほどのクオリティーではなく、それぞれツッコミどころ満載で笑いのネタにはなりました。

 いや、もちろんあそこまで作れるだけでもすごいですよ。今、ちょうど過渡期というか発展的なので、いわばリアルに近づきつつ細部が甘いという、「不気味の谷」ならぬ「笑いの山」状態にあるとも言えます。

 これはこれで「笑い」の本質に迫れる面白い状況であり、お笑いのネタづくりには貢献してくれそうです。

 もちろん、プロンプトの質のせいでもあるわけで、それは反省というか勉強不足を認めましょう。特に英語が苦手なので。

 そんなわけで、最近はあえて簡単な、しかしある意味マニアックなプロンプトを放り込んで、ツッコミどころ(笑いどころ)満載の作品を生成させて遊んでいます。

 たとえば今日はなんとなく「Baroque era musicians playing inside a church」というテーマで某画像生成AIに作品を作ってもらいました。

 ぱっと見、なんとなく雰囲気出てますが、よく見るとツッコミどころ(笑いどころ)満載であります。一つも正しいものがない!ww

 この堂々たるなんちゃって感が好きですわ〜。間違い探し…ならぬ正解探しが難しい(笑)。クリックして挑戦してみてください。

 

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2024.01.09

追悼 八代亜紀さん

 変なショックです…。信じられません。

 昨年3月にこんな記事を書きましたが、その後日経テレ東大学もなくなり、動画を見ることができなくなりました。日本の財産だと思ったのですが。

 と思ったら、こちらに残っていました。今のうちにぜひ!

 なんでこんな天才、そして天然善人がこれほど早く天に召されてしまったのでしょう。天才、天然善人だからですか?

 歌はもちろん、絵の才能も桁外れでした。

 私がいろいろ語るまでもありませんし、きっと世の中では「演歌歌手」として紹介されるのでしょう。御本人はジャズ・シンガーだと思っていたようです。

 ジャズの本場、ニューヨークでのコンサートは、まさに絶品でした。世界のどこに出しても恥ずかしくない芸術でした。

 改めてその時の歌を聴きながら、ご冥福をお祈りしたいと思います。今まで本当にありがとうございました。

 

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2024.01.08

森のなかの温泉 なんぶの湯

20240109-121134 日はちょっと用があって身延に行きました。ついでに少し足を伸ばして「森のなかの温泉 なんぶの湯」に入ってきました。

 いや〜、あんな天国があるとは。最近家内の影響でいろいろな温泉に入っておりますが、ある意味ここはぶっ飛んでましたねえ。

 いや、お湯もぬるめのアルカリ泉で天国だったのですが、なんという館内の雰囲気がですねえ、「寛容」というかなんというか。

 まあ普通に温泉施設では皆さんリラックスするわけですが、ここはちょっと違う空気が充満しております。

20240109-121252 なにしろ漫画が8000冊も読み放題なのですから!

 大人も子どもも、「森」をイメージした館内のスペース(ハンモックとか箱とかクッションとか)でゴロンとなって漫画を読みふけっている。子どもたちが遊んでいたりして周りはそれなりにうるさいのですが、みんな集中してるから気にしない。

 これは漫画好きにはたまらないスポットですね。私はあんまり漫画を読まないので恩恵にはあずかれませんが。ざっと見たところ有名どころはもちろん、かなりマニアックな漫画も揃っているようです。家内と次女にとってはまさに天国だな、ここは(笑)。

20240109-121327 そして、食事コーナーも大変充実しており、お酒もガンガン出る。大人はまったり温泉につかりながらお酒を飲んで、子どもは親公認で漫画やゲームに興じる。いや、大人の半数は子どもになっている!(笑)

 まあ公的な漫喫みたいなものでしょうか。駐車場に車がいっぱいだったので、浴場も混んでるのかなと思いきや4人くらいしかいない。めちゃ贅沢な入浴タイムを過ごしました。

 つまり、多くは漫画を読んだりまったりするために来ているわけですね。たしかに1000円弱で温泉付きで一日過ごせたら安い天国ですわ。

 「森のなか」と称していますが、周囲は比較的町です。もちろん南部ですから山に囲まれていますが。「森のなか」というより、「なかは森」という感じでしょう。館内が「ナマケモノ」の森になっていますから(笑)。

 けっこう気に入ったので、これからも山梨と静岡の往復の途中に立ち寄ろうかと思います。実際、山梨ナンバー、富士山ナンバー、静岡ナンバーなどがいいバランスで止まっていました。たしかに南部はアジール的空気がありますよね。

 山梨、静岡の各自治体ごとのサービスデーがあるのですが、富士吉田・富士河口湖町の日はあれども鳴沢村の日はなし。両者の仲間に入れてもらいたです…。

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2024.01.07

『バッハとハイヤーム』(コンスタンティノープル)

 

 れは面白いコンサート。ペルシャの天才学者・詩人のウマル・ハイヤームとドイツの天才バッハとの夢のコラボレーション。

 演奏するのは、現代の天才キヤ・タバシアン率いる「コンスタンティノープル」。時代も地域も文化も言語も超えて、大変感動的な演奏会になりましたね。

 シタールの名手キヤ・タバシアンはイラン出身でペルシャの音楽に精通しているのは当然として、アラブやヨーロッパなどの各時代の音楽にも詳しいようです。

 それにしても、中世ペルシャの音楽とバッハがこれほどスムーズにつながるとは。なんでも壁を排してやってみるべきですねえ。バッハと義太夫とか(笑)。

 最近世界中の音楽を鑑賞することが多い中で、中東のそれは格別に面白い。もちろん、歴史的に様々な攻防があって、結果として様々な文化が融合しているのがこの地域の特徴。

 音階一つとってもかなりのバリエーションがあり、ヨーロッパ的でもありアジア的でもありアラブ的でもあり、なんでもありな感じがいいですね。和声音楽誕生の予感があったりもします。

 バッハ家も元々はたしか東ヨーロッパですよね。モラヴィアだからボヘミアン(笑)。ヨーロッパのバロック音楽の中でも特に変態的なのは、案外そんなところにルーツがあるかも。かなりこじれてます。

 今日は某音大の先生とZoomで話す機会がありましたが、古楽とかモダンとかいう壁は取っ払わねばという話をしました。音楽に限らず、文化や歴史はもっとシームレスでグラデーショナルなものでしょう。

 私も後半生は、前半生に作ってしまった壁をどんどん取っ払っていきたいと思います!楽しみ〜。

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2024.01.06

四世 竹本大隅太夫 二世 鶴澤清八『絵本太功記六段目 妙心寺』

 

 智光秀と徳川家康の投げたボールがたくさん飛んできまして、にわかに忙しくなってきております。

 全く意識してなかったのですが、ここ数ヶ月は両者の思いをつなぐ旅をさせられてきました。静岡を起点に、上野、岡崎、琵琶湖、亀岡…。

 また長くご縁をいただいている京都妙心寺も、明智光秀にとっては非常に重要なお寺です。考えてみれば「明智風呂」もありますからね。

 もともと明智家と妙心寺は深い因縁があったようです。この「絵本太功記」を元にした義太夫節においても、妙心寺のシーンはクライマックスの一つと言ってよい。

 今まで統合されていなかったんですよね。ようやく点と点がつながりつつある。興奮の毎日であります。

 わけあって主殺しという不忠を働いた武智光秀(明智光秀)と、母さつきは妙心寺で再会しますが、さつきは息子の不忠を許せず旅立ちます。光秀は憂いのあまり自害しようとしますが、家臣や息子に押し止められます。

 江戸時代は判官贔屓のムードも濃厚で、逆賊&三日天下の明智光秀に対するシンパシーも強かった。オリジナルの「絵本太閤記」は文字通り豊臣秀吉が主人公ですが、こちらの翻案「太功記」は光秀主役となっています。

 歌舞伎の演目としても知られる「絵本太功記」。そうしたムードが「明智光秀=天海」説を生んでいったのでしょう。その流れに乗っかり、戦前の逆賊に対する逆風を逆手に取った(逆✕3)のが出口王仁三郎であり、彼は荒廃した明智の居城亀山城跡を買い取って整備しました。

 それにしても、この四世竹本大隅太夫の語りは素晴らしいですね。迫力に気圧されました。また、それに劣らず二世鶴澤清八の太棹の深みたるや、これまた圧倒的です。カッコいい!

 江戸の文芸や音楽、非常に広く深いものがあります。ワタクシも今年還暦。大学時代には江戸語の研究をしたり、山田流箏曲に勤しんだりしましたが、また原点回帰しようかなと思っております。今まで案外、西洋かぶれでしたからね(苦笑)。

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2024.01.05

C.P.E.BACH 『3重協奏曲 イ短調』(H 430,431,432 から編曲)

 

 バッハの次男、カール・フィリップ・エマヌエル・バッハの作品の中でも最も有名な曲の一つ、このイ短調協奏曲。本人によって、ソロがハープシコード、チェロ、フルートの3ヴァージョンが作られています。

 そして、この演奏では、新たにそのソロ・パートを、チェロ、ハープシコード、フォルテピアノの3つの楽器で担当するよう編曲されています。

 これは実に華やかかつ変化に富んで魅力的な演奏になりましたね。なるほど、こういう楽しみ方もあっていいでしょう。

 今日もあるところでアンサンブルをしたのですが、演奏者と楽器の都合で、本来指定されている楽器とは違う楽器で演奏した曲がたくさんありました。それはそれで新鮮な響きがし、かつ新しい発見も多々あって楽しいものです。

 古典派以降であれば、楽器に記された多くの「文字」や「記号」に権威が付与され、そのとおりに演奏することが常識になっていきますが、バロックや前古典ではそこまで厳密ではありませんでした。

 実際、お父さんバッハも自らの曲を様々な形で編曲しなおし(使いまわし?)ていますし、あるいは最晩年に至っては楽器の指定すらしなくなっていますよね。

 この曲もさんざん聴いてきましたが、この編曲によって、初めて聴くような感動がありましたし、発見もたくさんありました。何より、変化に富んでいて飽きない。

 ハープシコードとフォルテピアノという新旧鍵盤楽器対決も面白いですし、ある意味新興勢力であったチェロのメロディー楽器としての能力も相対的に発揮されていてよろしい。

 それにしても、この曲、カッコいいですね〜。特に1楽章。2楽章もこのヴァージョンで聴くと長く感じられないし、美しくも過激。3楽章も地味だと思っていましたが、いやいやどうして、古典派の到来を予感させる出来ですね。

 時代は、啓蒙思想や古典回帰運動が花開く、革命前夜。まさに疾風怒濤ですね。この曲が発表された1750年…お父さんの亡くなった年でもあります。

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2024.01.04

TRONと国譲り文化

 

 年、純国産OSであるTRONプロジェクトがIEEEマイルストーンに認定されました。世界標準として認められたということですね。

 私たちの生活に欠かせないTRON。WindowやMacやAndroid、iOSなどに比べると私たちはその存在を認識する機会が少ないのですが、実は最もお世話になっているのがこのTRON。

 今ざっと周辺を見渡しても、エアコン、自動車、リモコン、スマホ、カメラ、ルーター…数限りなくTRONがさり気なく働いている機器を見いだせます。

 そう、目立つことなく静かに脈々と行き続け、増殖し、進化してきたのがTRONなのです。

Th_mn_embedded_23062301 この動画でも紹介されているとおり、現東京大学名誉教授である坂村健さんが約40年前に開発されたTRONは、アメリカからの「弾圧」に遭いますが、一見負けたように見せて時間をかけながらこうして勝利しました。

 それは坂村さんが、TRONをオープンソース、オープンデータ、オープンAPIとしたことの結果でもあります。そう、利己の視点から弾圧をしたアメリカに対し、坂村さんは利他に徹することによって結果的に勝ったのです。

 長期的に見れば、利他が利己に勝つというのは、この世の真理であり、それがたとえば宗教や哲学や倫理という形で語られてきました。

 日本の神話で言うなら、出雲の大国主による「国譲り」の物語がそれにあたりましょう。そこでは、おそらく国津神は縄文文化を、天津神は弥生文化を象徴していると思われますが、一見縄文が弥生に駆逐されたように見えながら、実は縄文は無意識の領域を中心に生き続け、そして結果として今も日本という国を支えている。

 日本は「国譲り」文化の国と言って良い。戦後のアメリカと日本との関係もそうです。いまだ敗戦国としての立場が目立ちますが、時が来れば日本の実質的な勝利が明らかになるでしょう。

 TRONは40年の時を経て、世界の人々の生活を支える基盤となりました。その地位は揺るがないでしょう。歴史を俯瞰すると、そうして私たち日本が世界に利他的な文化を拡散していくのが確認できます。坂村さんを尊敬するとともに、そんな日本に誇りを持ちたいと思います。

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2024.01.03

東京祈りの旅

 日明日、東京で仕事のため、上野の次女のところに宿泊いたします。

 元旦は地震、昨日は航空機事故、そして今日は無事に終わろうかという時、秋葉原の電車内で通り魔事件がありました。ちょうど事件の1時間ほど前に秋葉原駅で山手線に乗り換えましたので、ある意味ニアミスで助かったというところです。

 このような流れの時は、神仏にお祈りしなければなりません。特に荒魂(あらみたま)を和魂(にぎみたま)に変換することが必要であり、それは日本では古くから神道やそれと習合した仏教が担ってきた仕事です。

 昨日書いたように辰年は龍が上昇する年。そこには当然荒魂も発動します。それをいかに和魂=ニコニコに変えていくか。それは神仏の分霊としての人間の大切な役目です。

 そんなわけで、今日は仕事の道すがら寺社に立ち寄りながら祈りを捧げてきました。

Img_4424 まずは寛永寺。次女が住むアパート、そして通う大学は、かつての寛永寺の境内の中にあります。現在の上野公園のほとんど全てが寛永寺境内であったと考えて良い。

 ご存知のように、寛永寺は東の比叡山として、つまり江戸城の鬼門除けとして、家康のブレーンであった天海大僧正によって創建されました。

 天海と言えば、明智光秀の「死後」の姿であるとの説がありますが、それについては別の記事を書きましょう。今年のテーマの一つです。明智光秀が未来に投げたボールと、それを受け取った徳川家康。そして家康が投げたボールを誰が受け取ったのか、受け取るのか。

 今日はお正月の特別寺宝公開の日でした。本尊薬師如来ほか多くの仏像、そして馬堀法眼喜孝による徳川家歴代将軍像も拝観させていただきました。

Img_4425 次は鶯谷駅に隣接する元三島神社。ホームからもよく見えますのでご存知の方も多いかと思いますが、あのラブホテル街の中に堂々と建つ神社です。まさに聖俗相混淆する不思議なゾーンですよね。ちなみに神社の1階は居酒屋が雑居しており、あそこは大山祗命の真下で飲めるというある意味すごいパワースポットです。

 茅の輪くぐりもさせていただきました。まさに聖俗、荒和、男女が交錯しつつ昇華していくエネルギーを感じましたね。すごい。日本ならではの光景であり、信仰の形でありましょう。

Img_4435 市ヶ谷で仕事がありましたので、靖國神社にもお参りしました。とはいえ、大変な行列だったので「遥拝」です。本当は「鎮霊社」にもお参りしたかったのですが、残念ながら叶わず。そちらも心だけ遥拝させていただきました。

 戦没者の英霊の前には屋台が並び、家族や恋人たち、そして外国人の姿が目立ちました。まさに荒魂から和魂へ。時間はかかりましたが、いよいよ「戦後」は終わろうとしているのかと感じました。

 境内近くで某宗教団体が新聞を配っていまして、なんとなく受け取りました。そこの教団も、またそのライバル教団も信仰の柱を去年失っており、今年の動きが注目されます。あらぬ方向に行かねばいいのですが。少なくともその新聞は相変わらずの論調でありました。

Img_4440 続いては徒歩で東京大神宮へ。こちらは靖國以上の大行列でした。よってこちらも遥拝のみ。このたびの災害・事故犠牲者のお悔やみとお弔いをするとともに、私自身も分霊(部下)としてなんでもしますと約束してまいりました。

 東京大神宮は東京のお伊勢さんと呼ばれていますね。関東大震災前の旧社地では大正天皇(当時皇太子)の結婚式が執り行われました。それが現在の神前結婚式の始まりです。

20240104-163340 さて祈りの旅の終点は水道橋後楽園ホール。DDTプロレス観戦です。

 いや冗談ではなく、相撲がその役目を放棄してからというもの、プロレスが唯一の地鎮の祭祀なのです。

 東北の大震災が中止になった大相撲春場所の開催予定期間に発生し、それを受けて大相撲の代わりに1ヶ月後計画停電の中、日本武道館で地鎮のマツリゴトをやったのがプロレス界でした(ALL TOGETHER)。

 今日のDDTも見事に荒魂を和魂に変換してくれていました。最高にハッピーな、誰もが得をする時空間を作り上げていたことに感謝。これは間違いなく神道の世界。神々の戦いと和睦。女性ファン、そして外国人ファンが多いことにも驚きました。

 

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2024.01.02

林千勝「仲小路彰」を語る

 

 日の大地震に続き、航空機の衝突炎上。年始から荒魂が発動しています。

 辰年は、エネルギー上昇の年。

 出口なおに艮の金神が降りたのも、出口王仁三郎によって坤の金神の封印が解かれたのも、王仁三郎が弥勒下生宣言したのも「辰年」でした。

 今年、私は歳男。還暦です。それに先立ち、昨年末には上記弥勒下生宣言の時に製作されたと伝わる茶碗を入手することになりました。いったい今年はどんな年になるのでしょう。

 さて、王仁三郎からの流れで整理・研究させていただいている仲小路彰も今年動き出しそうです。今日も日中「未来学原論」のテキスト化&校正作業をしました。今年中には第六版を出版できると思います。

 チャンネル桜では、新春特別対談として林千勝さんと水島社長が、仲小路彰について対談しました。これも画期的なことですね。

 私たちが整理している山中湖の仲小路邸の映像も紹介され、また一昨年私がテキスト化して出版された「世界戦略論」も紹介されました。ありがたいことです。

 林千勝さんや水島社長(高校の先輩です)の歴史観の全てに賛成ではありませんが、保守の皆さんに正しい仲小路彰像が伝わることは、この時代大変重要なことです。

 いずれ、お二人にもお会いして情報を共有したいと思います。感謝。

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2024.01.01

令和6年能登半島地震

Img_4414 けまして…と言いたいところ、元日から大変なことが起きました。まさかの2024年、令和6年の幕開け。

 能登半島北部を震源とするM7.6の内陸型地震。すなわち直下型地震。震度は7。

 まずは被災された方々のご無事をお祈りいたします。

 震度7は、1948年の福井地震をきっかけに設けられましたが、実際に初めて適用されたのは阪神大震災、その後中越地震、東日本大震災、2回の熊本地震、胆振東部地震、そして今回の7回です。

 心配なのは、今回の断層の割れ方がなんとなくですが、熊本地震に似ているところです。つまり、今回の本震をきっかけとして同程度の、あるいはそれ以上の誘発地震が発生する可能性があるということです。

 昨年12月の中旬、富士山のラドン濃度が急上昇しましたが、その後特に対応する地震は発生していませんでした。もしかすると、この地震の前兆を捉えていたのかもしれません。どうしても後出しになってしまいますが。

 しかし、以前にも能登半島方面の地震の前に変動があったこともありましたから、可能性はゼロではないと思います。人間的には遠く離れていて相関関係はなさそうに思えますが、地球的にはすぐ近く、特に背骨のような日本アルプスの両端とも言えますからね。

 後出しということで言うと、昨日、富士山北麓の電磁波異常が観測され、なんとなく嫌な予感がしたので、家族に注意を促すと同時に、被災した時のために電源不要の石油ストーブを注文したのです。まさかその翌日にこのような大地震が発生するとは。

 能登半島という、ある種特殊な構造を持つ場所では、2020年くらいから地震が多発しています。昨年5月にも群発地震が発生していました。おそらく今回もその延長線上の地震でありましょう。そうしますと、やはり一連の流れがこれで終わるという確証はないとも言えますね。

 皆様の安全、被災地の復興を願うとともに、同時に次の地震にも備えねばならないことを強調しておきたいと思います。

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