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2023.12.25

自己肯定感?

Th_hqdefault_20231226193901 日は軽井沢のホテルにてセミナー。90名の「変態」たちが集まってくれました。もちろん「変態」は褒め言葉です。実際、各業界をリードする比較的若い実力者揃いでした。

 そんな皆さんに対し、僭越ながらワタクシが話をさせていただきましたが、予想以上に盛り上がりまして、懇親会も質問の嵐でした。ありがたや。また新たな出会いがたくさんありましたので、これからの展開が楽しみです。

 さて、いろいろ話した中で、「自己肯定感」や「自己実現」という言葉に違和感を抱くという話題がありました。なぜ「自己」にこだわるのか。

 私からすると、「自己」こそが人生の悩みの源泉であり、「肯定」や「実現」できるはずもない「自己」、いや存在するしないかもしれない「自己」に拘泥することこそ煩悩です。

 それに関連してこんな質問も受けましたっけ。「今とはなんですか?」と。私のセミナー、時間論が大きなテーマですからね。

 ちょっと前にもちょこっと書いた記憶があるのですが、禅宗や神道で語られる…というか、一部のスピ系で雰囲気的に語られると言った方が正確か…「今ここ」という概念こそが、「自己」を宇宙の中心に置く思い上がった思想であり、それもまた煩悩なのではないかと、最近の私は考えているのです。

 そういう意味では、いかにして「今ここ」感を捨て去るかが、私の人生における重要なテーマなのです。

 もちろん「自己中心」に関しては、「随処作主立処皆真(随処に主となれば立つところ皆真なり)」という記事に書いたような深読みによって、その矛盾を克服することもできるでしょう。

 しかし、その深読みすらも実は虚しい空回りである可能性が高い。やはり「自己同一性」なるものは完全なるフィクションであって、その亡霊のごとき実態のない「自己」を肯定しようとしたり、実現したりするのは、それは大変無駄なご苦労であることはたしかなのではないでしょうか。

 さて、「自己肯定感」について、かのイチロー禅師が非常に素直にその違和感を表明してくれていて、ある意味スッキリいたしました。否定の必要はないけれども、疑問を持つことが成長につながる。肯定したら謙虚さがなくなる。すなわち「終わり」。自慢は智慧の行き止まりなのですね。

 

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