« 十三(じゅうそう) | トップページ | 「六角堂」 紫雲山頂法寺(京都) »

2023.11.18

在原業平の墓(滋賀県高島市マキノ町在原)

Th_img_3833 の日は滋賀県の高島市マキノ町にて合宿セミナー。古民家をリノベーションした素晴らしい宿にてたっぷり皆さんと交流いたしました。

 やはり「場」は大切ですよねえ。自然環境も素晴らしく、雪が降り、月が雲間から現れ、花が咲き、まさに雪月花の幽境でありました。

 ここには在原業平の墓と伝承される石塔が存在します。今日の私の5時間にわたる講演の中にも、重要人物として現れました在原業平朝臣…あの時(40年前)は彼を恨みましたが、今では大感謝です。

 そして、こういう偶然で、お墓参りをし、感謝を申し上げることができました。まあ、宇宙から見れば40年なんてあっという間なんでしょうね。

 セミナーの合間に一人でお墓を訪ねてみました(実際には19日の朝)。冷めたことを書けば、山村、寒村にありがちな、コンプレックスの反動としての「大げさな物語」であることは間違いないのですが、それをもって学術的に「偽モノ」「噴飯モノ」としてしまうのは、まさに唯物論的な愚かな態度です。

 ずっとそれを真剣に信じてきた人々の意識、命、魂を無視した歴史観には、この世の本質に迫る力が欠如しているのです。

 私が研究している、宮下文書や出口王仁三郎、そして仲小路彰など、まさにそういう人たちから無視され、バカにさえされてきたモノ、ヒトですね。

Th_img_3831 そういう意味で、この石塔(五輪塔?)に対面した際、不思議と富士山麓明見の里や、秋田の某地、その他ご縁があって訪れた山村、寒村ともつながった感覚がありました。

 静かに、深く、忘れ去られた「コト=意識」。

 そう、コトにはモノは宿りませんが、モノにはコトは宿るのでした。そして、忘却という最高の保存方法。手つかず(解釈が関与しない)という完璧な伝承。必要なコトは、モノの中に忘れ去られ、必要な時にこうして現れるのです(私にとっては40年の忘却がありました)。

 顕在的なコト(カタ)にはめられ固定化した現代社会、現代人。いよいよそれを突き破って潜在的なモノ(とそこに保存されたコト)の復権の時代が来るのでしょう。今日のセミナーも結局そういう話なのでした。

|

« 十三(じゅうそう) | トップページ | 「六角堂」 紫雲山頂法寺(京都) »

文化・芸術」カテゴリの記事

旅行・地域」カテゴリの記事

文学・言語」カテゴリの記事

歴史・宗教」カテゴリの記事

モノ・コト論」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 十三(じゅうそう) | トップページ | 「六角堂」 紫雲山頂法寺(京都) »