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2023.09.30

『黒本 五』 高城剛

Th_51ur62utgl_sl1500_ 宙人同級生(?)高城剛さんの「黒本」最新版。

 かつてポッドキャストで対談した時にも話題となった「日本式システム」の話が満載です。ちょうど、教育における「日本式システム」について講演する機会が続くので良き参考書となりました。

 江戸時代に流行った朱子学をもとに作られた管理システムは、200年もの間、私たち日本人を締め付け続けてきたわけですが、一方で生来勤勉かつドMな日本人は、それへも見事に適応して国力をある程度高めてきました。富国強兵です。

 しかし、そんな日本人の「健気さ」を見て脅威に感じたアメリカは、今度はそのシステムの破壊を始めています。

 さて、次もまた日本人は見事な適応を見せるのでしょうか。高城さんは悲観的ですが、私は案外楽観的です。

 「日本式システム」以外にも、「内緒」の話が満載のこの本。たしかに大手出版社からはとても出版できない内容ですが、考えてみればAmazon Kindleというアメリカの情報産物を利用して、それを堂々と発表しているあたり、さすが高城さんというところでしょう。

 かつて、権力者を逆利用して世の中を動かしていた出口王仁三郎や仲小路彰を彷彿とさせますね。

 王仁三郎と言えば、この本の中に、「出口王仁三郎という人物について」という項目があります。さすがの考察なのですが、最後に驚くべきことが書かれていました。

 彼と私は同級(一日違い生まれ)なのですが、お互い大学時代に王仁三郎に出会っていたのですね。完全にシンクロしていてびっくりというか納得してしまいました。

 彼の言う通り、「出口王仁三郎の再解釈は、今後の日本でも水面下で脈々と続くでしょう」。

Amazon 黒本 五

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2023.09.29

バッハ 『カンタータ130番 主なる神よ、私たちは皆あなたを讃えます』

 

 日は「大天使聖ミカエルの祝日」です。299年前の今日初演されたのがこの素晴らしいカンタータです。来年でちょうど300年なんですね。

 ミカエル天使軍とサタン軍との戦いを表現したこの曲、何と言っても素晴らしいのは3曲目バスのアリアです。

 このアリアの3本のトランペットの、特に1stトランペットのメロディーの美しさは特筆すべきです。バッハにしてはとてもポップですよね。

 このオランダバッハ協会の演奏は本当に素晴らしい。ナチュラル・トランペットの技術はここ30年で格段にアップしましたね。めちゃ難しいと思うのですが完璧です。

 この華々しい三拍子系の音楽、当然ミカエル軍の奮闘の様子を表現しているのかと思いきや、歌詞を見てびっくり。なんと、サタン軍の年老いたドラゴンの戦う様なんですね!

 それを知って聞くと、なんか老龍も可愛らしく感じられるから不思議です。ヨーロッパでは龍は悪いヤツなんですが、バッハがこういう音楽を与えたところを見ると、やはり負けキャラとして多少愛すべきところがあったのかと思えてきます(笑)。

 初演から300年の来年の今日はぜひ生で聴いてみたい。いや、演奏してみたい!

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2023.09.28

神仏習合とケガレ思想(平安時代)|茂木誠 (CGS)

 

 の日は軽井沢から飯能、そして奥多摩湖を通って山梨に帰ってきました。

 そして、現代を代表する禅僧山川宗玄老大師さまとお食事。般若湯を楽しみながら3時間にわたる問答。勉強させていただきました。

 仏教は深いし、未来的な可能性を秘めているなあ。

 考えてみれば、日本で日本的に発展した「禅」は、実は神道的でもあるのでした。特に「言葉」の「意味」にこだわらないところは、古来の「言葉を信用しない」につながります。

 今日の問答では、それを存分に楽しみました。

 茂木さんの語る「神仏習合」「本地垂迹」、そして「ちゃらんぱらん」もまた、日本的、大和的ですよね。これこそ大和魂です。

 「和」は「にこ」。「和々」は「にこにこ」。そう、私、よくセミナーで話しますが、「大和魂」って「グレートにこにこスピリッツ」なんですよね。すべてを笑顔で受け入れる。

 それが、排他的になり、「ナショナリズム」に変わっていくのはなぜか。そして、未来の「ナショナリズム」は、出口王仁三郎や仲小路彰の言う「(真の)グローバリズム」、「コスミカリズム」になっていくのでした。

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2023.09.27

仏教グローバリズムの衝撃/伝来から空海まで|茂木誠 (CGS)

 

 の日は仲間たちと皆神山と善光寺に行きました。

 皆神山の「天岩戸神社」は明らかに古墳です。石室がきれいに残っていますね。それが神社になっている。茂木さんの話にもつながってきます。

 ここは戦中、アマテラスの陵墓とされ、多くの軍人が訪れていました。もちろんそこには出口王仁三郎の影響もあります。そのあたりについては、こちらに書きました。山本英輔、山岸宏…。

 五・一五事件と皆神山

 時代を超えて人を、世界を動かしてきましたね。これからもきっとそうでしょう。皆神山はやばいです。 

 善光寺も面白かった。戒壇廻りはやっぱりすごい「装置」ですね。

 ふと思いましたよ。視覚はたまにはない方がいいなと。視覚に騙されていますから、私たちの日常は。特にこの動画時代においては。

 そう考えると、それこそアマテラスの「岩戸隠れ」には、また違った意味を見出すことができます。闇は決して悪いばかりではないと。

 善光寺はもちろん仏教寺院ですが、特定宗派に属するものではありません。それはある意味では神道や修験道の影響も強いということです。

 動画にもありますように、現代の私たちが考える以上に、神道と仏教は「同一」のものだったのです。

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2023.09.26

ヤマト連合国家vs中華グローバリズム/弥生・古墳・飛鳥時代|茂木誠 (CGS)

 

 きです。この日はリアルに諏訪大社や守屋神社にお参りしました。ちょうど国譲りの話もしました。私は国譲り神話について独特な解釈をしており、それは決して学問的な話ではないのですが、どこか茂木さんの語るところとつながっている気もします。

 オオクニヌシの和魂であるオオモノヌシを信仰した物部氏の話も出てきますね。オオクニヌシの荒魂が収まる諏訪に、和魂が会いに行く、しかしあの大断層(杖突峠)を超えられず、お互いに見える場所にいながら会えなかった、その場所が守屋山、守屋神社だと感じています。

 ユダヤのモリヤ山との関係を語る方もいますが、まあそれはファンタジーとして、実際あそこに行ってみると、あの大断層は脅威ですよ。今は国道が走っているとはいえ、古代においてはあの高低差はまさに「壁」。東日本と西日本を分ける「壁」です。行ってみないとわかりません。

 それにしても、外来である弥生系が神に王になっていく過程が面白いですね。ものすごく単純化してしまうと、縄文のところに弥生が来て、弥生が縄文に合わせたと。そして、合わせた方が「偉い」となっていく。これは面白いし、それこそ「日本的」「大和的」です。

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2023.09.25

古代日本人は狩猟民族だった!?〜後編〜|茂木誠 (CGS)

 

 日の続きとなります。茂木誠さんの歴史講座。

 実は旅先の一つが「諏訪」でした。この動画にもその「諏訪」が登場しますね。

 断層、磁場、レイライン、遺跡と神社。私が皆さんにお話した話を茂木さんもそのまま語っています。パクったわけじゃないですよ(笑)。これが日本文化の基本ですから。

 ミシャグジ、御頭祭、御柱祭、モリヤ山…本当に諏訪は面白い。古くて新しい。そこに富士山と出雲を絡めると実に面白いんでよね。

 アマテラスが弥生的で、スサノヲが縄文的というのはその通りです。スサノヲは騎馬民族的とも言えますが、だとしたら馬の皮は剥がないかなあ。

 まあとにかく茂木さんのおっしゃる通り、中国(唐)という巨大国家の存在が、私たちを「日本人」「大和人」として目覚めさせたのは事実でしょう。

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2023.09.24

古代日本人は狩猟民族だった!?〜前編〜|茂木誠 (CGS)

 日は29日です。旅に出ておりまして更新が途絶えておりました。頑張って追いつきます。

 というか、手抜きで動画紹介を続けます。

 茂木誠さんの歴史解説シリーズです。「日本を取り戻す」をコンセプトとするCGSの動画。CGSは現在参政党代表の神谷宗幣さんが10年前に始めたチャンネルです。

 

 

 「言挙げせぬ国」「日本人は根本的に言葉というものを信用していません」…よくぞ言ってくれました。私もよく講演などでその話しますよね。

 江戸時代後期からの誤った「言霊信仰」には正直うんざりします。特に昨今のなんちゃってスピ系の方々「言霊信仰」「文字信仰」は全く的外れで気持ち悪い(苦笑)。

 狩猟民族、山の民、森の民…たしかに日本のベースはそこにあります。個人的には「日本」は取り戻さなくともちゃんと私たちの中に生き続けていると思います。

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2023.09.23

富士学苑中・高ジャズバンド部 第21回リサイタル「Night and Day」

Th_-20230924-124352 日からの泊まりの仕事を終えて帰宅しまして、ちょいと仮眠をとったあと、夜はふじさんホールへ。

 今日はウチの学校のジャズバンド部のリサイタル。サブタイトルが示すとおり、今年はなんと昼夜二部公演。演歌歌手並みのスタミナと集客力ですね(笑)。

 昼の部はOGにして、先日の山野ビッグバンド・ジャズ・コンテストで「最優秀ソリスト賞」を受賞したサックス奏者の渡邉瑠菜さんがゲスト。

 そしてなんと夜の部は、彼女の師匠でもあり、日本を…いや世界を代表するサックス奏者である本田雅人さんがゲスト。生徒たちにとっても夢のようなステージですね。

 そう、そんな生徒たちのドキドキ・ワクワクが実にいい方向に表れたコンサートとなり、私を含むお客様皆さん全員が、幸せな時間と空間と波動を共有することができました。素晴らしい。そして感謝。

 やはりステージ上の演奏者自身が、その場を楽しまないとダメですね。ただ練習の成果を発表するだけなら、それはまさに「発表会」に過ぎません。発表会の客席は、それをただ聞いたり評価したりするだけ。それもつまらないものです(大概自分の身内が活躍する場面以外は眠くなる)。

 今日は本当にステージと客席が喜びと感動(ドキドキ・ワクワクと涙)で交流できた、まさに「ライヴ」だった思います。生きてて良かった!

 瑠菜さんやバンドの中高生ももちろん上手でしたが、いやはや何と言っても本田雅人さんの圧倒的な存在感には全聴衆&全共演者が度肝を抜かれましたね。

 何度か彼の生音を聴いたことがある私は、ある程度予測して(会場最後方で)彼の音を待ち受けていたのですが、そのエネルギーの高さと言ったら、まあ本当にすごすぎて、正直「ため息」と「涙」しか出てきませんでした。

 隣の野球部関係の先生も、「音楽はあんまりよくわからないけど、これはとにかくすごい世界だということだけはわかった!」と言っていました。私は「そう、大谷翔平の次元だよ」と説明しましたよ、思わず。

Th_-20230924-172242  そんな神と共演できる生徒たちは幸せです。うらやましい…と思っていたら、なんと副顧問兼ヴォーカリストのウチのカミさんが、本田さんと共演しているではないか!カミさんの歌に本田さんのサックスが絡んでくれている!wwwww

 ありえない僥倖です。最近どうもウチのカミさんは歌の神様に気に入られているようで、信じられない人たちと一緒に歌ってばかりです。ありがたや。もちろん本人も大興奮、大感動しておりました。

 いやまずは、このように多く人に信じられない幸せを用意してくれた、顧問の大森先生に心から感謝と敬意を評します。おそらく日本一忙しい校長先生ですよ、本当に。ご苦労さまでした。そして、ありがとうございました。

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2023.09.22

ELO part2 『Love or Money』

 

 日も忙しいので知られざる名曲を一曲紹介します。

 私の音楽ライフのルーツはELOですが、その中心人物ジェフ・リンを欠いたELOがELO part2です。柱がいないわけですから、どうなることやらと思いきや、案外クオリティーの高いオリジナル・アルバムを何枚か発表しました。

 ちなみにライヴでは、ジェフの名曲もジェフ抜きで演奏していましたね。ワールドツアーも積極的にやっていた印象です。たしかにELOが解散して、ロスになっていたファンにとっては懐かしいナンバーを生で聞ける機会でしたよね。

 現在は逆に「ジェフ・リン's ELO」として本家がその活動をしています。

 さて、そんな不思議な存在だったELO part2でしたが、先述したように案外(?)いい曲を作っていました。その代表的なものがこの「Love or Momey」でしょう。2枚目のオリジナル・アルバム収載。

 個人的にはかなり好きな曲でした。「愛か金か」ですね(笑)。1994年の発表ですから、え〜と私はちょうど30歳。独身時代ですな。

 いかにもブリティッシュ・ポップという感じで、なかなか凝ったコード進行を多様しています。ポスト・ビートルズ感満載ですよね。

 ふと思いついて久しぶりに聴いてみましたが、たしかにいい曲です。おそらく世界中に、こうした「売れなかった名曲」がたくさんあるのでしょうね。

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2023.09.21

マスチッティのコレンテ

 

 ょっと忙しいので、今日は知られざる佳曲を一つ。

 イタリアバロックの作曲家ミケーレ・マスチッティはナポリで活躍したのち、その音楽家としての後半生をパリで過ごしました。

 コレッリに師事したようで、師匠の作風をある程度忠実に守りながら、フランス風な洒脱さを兼ね備えるに至り、特にヴァイオリン・ソナタに関しては非常に優れた作品を多数残しています。

 しかし、ほとんど忘れ去られていますよね。私も数年前まで全く知りませんでした。これがなかなかキャッチーな曲を書いていまして、演奏する側も聴く側も優雅に楽しめるので、これから演奏していきたい作曲家の一人です。

 たとえばこの曲、作品2の3番の3楽章なのですが、始まりはまさにコレンテ(クーラント)というノリですが、各セクションの後半になると、まるでヴェルサイユ宮殿内でのメヌエットのごとく、なんともわかりやすく優雅なコード進行で泣かせます(実際彼はヴェルサイユ宮殿でこの曲を演奏していると思います)。

 フランスのシャンソンや、それに影響を受けた日本の昭和歌謡曲のような感じ(笑)。こういうコテコテな曲があるとは知りませんでした。

 この作品2は全体として非常に良くできた作品集なので、ぜひBGMにでもしてみてください。それにしても、なんでこの演奏、ヴァイオリンとチェロだけなのかなあ。ちゃんと通奏低音に数字入っているのですが。なにか歴史的な根拠があるのかもしれません。解説を読んでみたいですね。

 

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2023.09.20

『戦後GHQに禁止された神秘の植物「大麻」』 中山康直×川嶋政輝

 

 イフワークの一つが絹と麻の均衡的復活です。

 先日、サトマイさんの動画を紹介しましたが、今日も麻について良い内容の動画がアップされていたので紹介します。

 とにかく麻は万能な植物なのですよ。その安全で万能な植物を禁止したのは、動画で語られているとおり、その裏に石油産業があったからです。

 さすがに20世紀的な石油文明は終焉を迎えつつあるので、こうして麻の「再発見」が進むことは当然の成り行きです。

 前にも書きました通り、かつて世界中で栽培され活用されてきた麻の中でも、特に日本産の麻の品質は非常に高かった。さらに最近の農業技術を応用すれば、日本の一大産業になりえます。「JT=ジャパン・タイマ」という時代が本当に来ると思っています。

 まずは医療用、そして産業用でももちろんOK。この動画でも紹介されているように、ヘンプカーは大変面白いですよね。20世紀的石油産業の象徴たる自動車がヘンプに回帰していくとしたら、まちがいなく世界は変わります。

 今、自動車産業内では、石油産業の上に乗っかったままの「電気」が異常なまでに持ち上げられていますが、その虚妄もそのうち暴かれるでしょう。

 中山さんは同じ静岡県出身の同年代ということもあり、その活動に注目してまいりました。今後何かの形でコラボできればと思います。

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2023.09.19

Qiワイヤレス充電つきBluetoothスピーカー

Th_71stxyomll_ac_sl1500_ 外好評な「(アヤシイ)安物買い」シリーズ。

 ある意味「当たり」だった今回の安物はこちらです。Qiワイヤレス充電つきBluetoothスピーカーです。いや、BluetoothスピーカーつきQiワイヤレス充電器かな。

 これは枕元に置くのに最適ですよ。いや、最適ではないがまあまあ適当か。

 まず基本が充電器です。iPhoneを縦でも横でもどちらでもポイと置けば充電してくれます。ポイしやすいデザインと大きさです。そう全体の和太鼓みたいな?デザインが安定感もあり、なかなか秀逸。

 Qi充電なので充電速度はそこそこですし、iPhone本体が熱くなりますが、まあ寝ている間に充電するにはこれで充分ですね。

 そして次にスピーカー機能。これもまあ音質的にはアレですが、おまけだと思えば満足できます。すなわちiPhone本体よりはマシ。低音もまあまあ出ます。太鼓が功を奏しているのか。

 ただ、スピーカーは背面にあるので、ちょっとこもった感じがします。高音は指向性が高いのでしかたありませんね。背面近くに反射板(になるもの)を置くとだいぶ改善します。

 説明書ではステレオと書いてありますが、かなりアヤシイですね。確かめてないですが。まあそこまで求めてないのでいいのですが。

 つまり、寝る時に小さく小さくBGMをかけたいだけなのです。そしてその小さく小さくが重要でして、ウチに転がっているいくつかのBluetoothスピーカーの最弱音が案外大きくて睡眠時には使い物にならなかったのですが、こいつは奇跡的に完璧です(笑)。というのは、iPhoneのボリュームを「無音」にすると無音にならず、極微音になるのですよ(!)。これが想定外に良かった。ただし無音になりません(笑)。

 そしてもう一つの機能、それは「ライト」です。極彩色のLEDがチカチカします。これは完全に睡眠を妨げます(笑)。このディスコ的なチカチカはデフォルトですが、本体に触れることによって、消灯したり、暖色系のライト(照度3段階)に切り替えられます。できれば、消灯をデフォにしてもらいたかった。

 ついでにこのチカチカ、音楽に合わせて光るんですよ。まさにディスコ(クラブ?)。これでは眠れませんね。

 そして、最初のうち正直故障(不良品)かと思ったのですが、そのライトの切り替えが説明書のように指でタッチでは不可能でして、永遠ディスコ状態で我慢しようかと思ったら、なんと手のひら全体で太鼓の胴を包むように触れたら切り替わった。この私用の製品はそういう仕様のようです(笑)。

 あと、これは説明書にも書かれていない機能なのですが、チカチカ最中に電源ボタンをクリックすると、チカチカのパターンが変わりました。こんな隠し機能を見つけるのも楽しみの一つですな。

 なお、背面の電源ボタンを長押ししなければスピーカーもライトもオンにならず、シンプルな充電機能つきスマホスタンドです。それだけでも価値はありますね。

 さらにマイクも内蔵されており、ハンズフリー通話もできるとのこと。2,000円以下でこんなに楽しめるし、まあ実用的でもあるので、久々の「当たり」に認定しました。

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2023.09.18

告知! 10/7・9 横浜にて…

 〜、10月の三連休、我ら夫婦がそれぞれ音楽イベントに登場いたします。

 全然違うジャンルですが、どちらも面白いと思いますのでぜひお出かけくださいませ。

 横浜はまさに西洋音楽流入の最先端でした。そこで象徴的な音楽を演奏できるのは幸せなことです。

 私たち夫婦というか家族、古今東西、まあいろんなジャンルの音楽をやっておりまして、人前でやる音楽が自分の専門かというとそうでもないところが面白いですね。じゃあ専門は何かと言われると…あれ?w

 まあそれはいいとして、まず7日ですけれども、家内が副顧問&ヴォーカリストを務めております、富士学苑中学・高等学校ジャズバンド部が、横浜ジャズプロムナードに出演いたします。

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 場所はみなとみらいのグランモール公園、美術の広場内ステージです。12時55分からの出演。家内も歌うようです。中高生の明るく元気なビッグバンド・サウンドをお楽しみください。

 続きましてワタクシの方です。8日にリハをやりまして、9日が本番。お世話になっている古楽器アンサンブル山手バロッコの25周年記念コンサートにヴィオラで出演します。神奈川県民ホールです。

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 今回はオリジナル・メンバーがソロをとる、ハイドンのヴァイオリン協奏曲、ピアノ協奏曲、モーツァルトのフルート協奏曲に加え、珍しいバセット・ホルンの協奏曲(ロッラ作曲)を演奏いたします。

 それにしても最近、横浜に縁がありますね。特に関内から横浜港付近にかけて。娘二人はすっかりベイスターズのファンになり、ハマスタに通っていますし。

 いや、実は父親が横浜公園に隣接する日銀の横浜支店に長く勤務していたんです。さらに父親の先祖はかつて横浜港から輸出される茶箱のラベルを作る仕事を営んでいたとか。面白いですね〜。

 ちなみに横浜はシルク(絹)に関しても縁深いところ。今回私はシルク絃のヴィオラを演奏します。そうそう、私も以前富士吉田で主催させてもらった全国シルクサミット、今年は横浜開催で、しかも10月6日、7日なのです!横浜市役所です。これまたすぐ近く。こちらにも顔出さねば。なんなんだこの偶然、必然は。

 ついでに、ジャズプロムナードの実行委員長ロバート・ハリスさんは、私のセミナーに参加してくれたこともありますし、全く不思議なご縁です。

 そして、再来年にはさらに…妄想は広がるばかりです(笑)。

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2023.09.17

アニメ映画『犬王』 (湯浅政明監督作品)

 

 日の動画でも紹介されていたアニメーション映画「犬王」。

 娘が能をやっていることもあって興味深く鑑賞いたしました。こういう作品好きだなあ。境界線を感じさせない世界観。

 お変人のワタクシからすると、観阿弥も世阿弥も犬阿弥(道阿弥)も相当ロックなアーティストでした。

 今では能というと静かで眠くなる舞台芸術のように思われていますが、あの時代はその時代性とも相まって、能楽はかなり過激な野外フェスでした。

 そのあたりの空気感を、現代のロックと融合させることによって、見事に表現しているのがこの作品だと言えます。そうした時代を超えた融合に違和感を抱くとするなら、その人は時代や歴史や伝統というフィクションにとらわれているのでしょう。

 そういう意味でも、できれば劇場で鑑賞したい作品ですね。実際、この映画では現代の風景が額縁のように配置されていますが、私たちの側も現実の風景から隔離される空間と時間が必要です。

 近年の名作ドラマ「俺の家の話」の時も、能楽界がざわつきましたが、この映画についてはどうだったのでしょう。伝統に対して失礼だと言った人もいましたが、はて、観阿弥や世阿弥、犬王が現代に生きていたら、もっと過激な作品を世に問うていたのではないでしょうか。

 特に犬王は、世阿弥が「こいつ最高!」と評価したアーティストでしたからね。

Amazon 犬王

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2023.09.16

『ジャニーズの闇と日本の裏に潜むユダヤ!芸能の本質とその神様』 (神社チャンネル)

 

 ャニーズ問題が沸騰中ですね。

 いろいろな語り口があると思います。ある方面から見れば炎上必至ですが、ワタクシの一つの視点としては、ファンの気持ちが置き去りになっているということですね。

 正直、真性女性ファンからすると、外野の騒ぎに腹が立っているのではないでしょうか。そう、そんなことはもう昔からずっと知っていて、それでもファンだったわけですよ。それなのに今頃騒ぎ出した上に、「被害者」の仕事まで奪っていると。

 はっきり言ってしまうと、男性アイドルたちが男性であるジャニーさんに何されようと関係ないのです。これが女性相手だったら大変な激情を生むわけですが、そうではないところが大事であって、その延長としてジャニーズは女性問題にはタブーがあったわけです。

 あくまでも「アイドル」。偶像であり、ある種の神であり、それを感じられるからこそジャニーズには格別な魅力があったのです。

 それをこの人間界の人権とやらで語るとは笑止千万。いや怒止千万。

 そうした「アイドル」「芸能」の歴史を語ってくれているのが、こちら神社チャンネルの動画。私もお世話になっております。

 よくぞ言ってくれたという感じですね。ユダヤかどうかは眉唾ですが。

 ちなみに、出口なお、王仁三郎は芸能を非常に重視しました。彼の言説には、今回の一件に関しても示唆的な内容が含まれています。

 すなわち、大本神諭にあるがごとく、古事記に記される岩戸開きはアメノウヅメの「嘘」とタヂカラヲの「力」によって達成されたものであり、二回目の岩戸開きは「真」と「愛」によって完成されねばならないということです。

 日本の近代化は「嘘」と「力」によって成されてきました。それらは芸能界も同じです。しかし、それがいよいよ崩壊する時が来た。変革には荒魂が必要です。今それが発動しているのかもしれません。

 そういう壮大な視点でこの問題を俯瞰すると、ジャニーさんの役割というのもわかってくるというものです。

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2023.09.15

バッハ カンタータ85番 『われは良き羊飼い』

 

 ィオロンチェロ・ダ・スパッラはヴィオロンチェロ・ピッコロと同じ楽器なのでしょうか。

 私の考えですとYesです。

 バッハはカンタータで比較的頻繁に「ヴィオロンチェロ・ピッコロ」を指定しています。たぶん全部で11曲。

 その中で調号がト音記号、すなわちヴァイオリンのような楽譜で記され、出てくる音は1オクターヴ下というのは5曲。あとの6曲はヘ音記号やハ音記号で記されています。つまり実音どおりの表記。

 前者5曲から考えられるのは、ヴァイオリン奏者が楽器を持ち替えて弾くということ。

 それを実際にやっている動画がありました。2曲めのアルトのアリアで、シギスヴァルト・クイケンがスパッラに持ち替えてオブリガートを弾いています。

 あるあるなのですが、急に楽器の大きさが変わるので、最初は音程がいまいち(笑)。これでまたヴァイオリンに戻るとますます難しい。

 そして私の妄想では、クイケンのようにストラップで首からぶら下げて弾くのではく、ヴァイオリンと同様に肩に乗せて弾いていたのです!

 というわけで、私も持ち替えてやってみましたが、やはり音程にちょっと不安はあるものの、非常にヴァイオリン的なパッセージが連続し、なかなか心地よく演奏できました。

 このパートって、たぶんイエスの擬音化ですよね。非常に重要です。実はカンタータにおけるヴィオロンチェロ・ピッコロのパートはイエスの象徴であることが多いのです。特別な楽器だったわけです。

 「イエスは良き羊飼い」というアリアの中でのイエスですので、もう少し柔らかく弾きたいような気もしますが、まあシロウトがいろいろ言う話ではありませんね。

 アーノンクールの古い録音をスコア付きで聴いてみましょう。これはどんな楽器を使ってるのかなあ。縦型の5弦チェロかなあ。

 

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2023.09.14

『福田村事件』 森達也監督作品

Th_320_20230915090201 てきました。いやはや、すごい映画でした。

 ちょうど百年前。関東大震災後に起きた悲惨な事件。

 事件の内容やそこに至る経過は歴史的な事実として知っていたつもりでしたが、これほどまでに心を揺さぶられるとは。

 森達也監督の初の劇映画。

 なるほど、監督は今まで主にドキュメンタリー映画を撮り、真実の中から物語を紡ぐという手法を極めてきましたが、今度は逆、物語から真実を紡ぐということに挑戦したわけですね。

 そしてそれは大成功であったと思います。

 この映画の内容に対して、たとえば偏狭な保守主義者たちは、そんな事件はなかったとか、実際に朝鮮人や穢多非人は不逞を働いていたとか言うのでしょうが、それもまた、この映画に揺さぶられているからこその反応です。

 一方で、リベラルに偏り過ぎな方々は、この映画は素晴らしい、やはりかつての日本(日本人)は間違っていたのだと叫ぶのでしょう。それもまた反応です。

 そうした「反応」が論理より先に感情として現れるということは、そう、私たち自身の中にも「狂気」の種があるからでしょう。もちろん私もそうです。

 森監督の、リアルを凝視してきたからこその演出手腕はもちろん、私は(勝手にですが)荒井晴彦さんの臭いに感心してしまいました。

 ある意味不謹慎かもしれませんが、ああいう時の(残酷なことをする時の)人間の心理、高揚感、非倫理性というのは、なんかエロに通じるなと感じたのです。本能なのでしょうか。

 当時の田舎の日本人の純粋な「不貞」も重層的に描かれていますが、それ以上に純粋かつ集団的な「不逞」の方がエロチックに感じてしまった。

 いかんいかんと思ったけれど、自分の中にそういうとんでもなく恐ろしい種があることを再認識させられてしまった。

 もうそれだけでも、この劇映画の目的は見事に達成されたと思います。少なくとも私にとっては。

 時代という舞台の再現、その上で演じる役者さんの凄まじい演技。物語の力をまざまざと見せつけられた気がします。正直、予想の百倍くらい衝撃的、(感動ポルノではなく)感動的でした。

 もし機会がありましたら、ぜひ劇場に足を運んでみてください。

 映画「福田村事件」 公式

 

 

 岡田斗司夫さんのような感想もありだと思います。

 

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2023.09.13

我慢するな。頑張るな。

Th_8132cspie9l_sl1500_ 阪から静岡に帰ってきました。

 帰りの新幹線で久しぶりに読んだのは、オイゲン・ヘリゲルの「弓と禅」。

 ヘリゲルが到達したという「無我」の境地、弓と矢と的と一体化する境地は、まさに昨日書いた自他不二、神人合一に他なりません。

 私は弓道はやりませんが、楽器「弓」は扱います。

 実は楽器の弓の扱いにも弓道と似たところがあります。というか楽器は全てそうでしょう。人馬一体ならぬ人器一体(?)。

 ヘリゲルは弓の弦を離す時に、師匠から「離そうとしている」と叱られます。また、師匠から学んだ型を再現しようと頭で考えてしまい難渋します。

 音楽道でもそうでして、自分で楽器(たとえば弓)をコントロールしようとしたり、あるいはセンセイから習った持ち方に固執したりしても、美しい音を出すことはできません。

 私は楽器自体から教えてもらうことが得意でして(逆に言うとまともな修練ができない)、最近で言えばたとえばヴィオロンチェロ・ダ・スパッラを肩に乗せて平気で弾いたりするわけです。それが人器一体になるのに最も有効な形であると(楽器から)教わったからです。

 ここで日本語の話をします。

 家庭や学校や会社など、あらゆる社会的チームの中にあっては、多くの人たちが「我慢しろ」とか「頑張れ」とか言ったり言われたりして生活していますよね。

 これって実は大きな間違いなのです。

 「我慢」は仏教用語では「我に対する慢心=うぬぼれ」という意味です。自慢もそれに近い。自我への執着、すなわち煩悩のボスみたいなヤツですね。

 「我慢しろ!」って、その煩悩をしっかり全うせよと言っているわけで、とんでもない間違いです。それがなぜ良い意味のように使われるようになったのか。日本語史、日本文化史的にとても面白い変遷があるのですが、ここでは省略します。

 そして「頑張る」はもともと「我を張る」「我に張る」から変化した言葉です。まさに「自分が自分が」と頑張っちゃうことです。これも自我への執着。

 「頑張れ!」もまた、煩悩の全うを要求する言葉なのです。

 ですから、最近の私は、「我慢するな。頑張るな」というのです。全てにおいて自分が主人であると思いこんではいけない。自己の(あるいは所属集団の)目標達成のためにガマンしたり、ガンバルのは天の意志に反するのです。

 ちなみに、自己は主人ではないが主(中心)であるということに関しては、10年前の私の気づきをお読みください。

「随処作主立処皆真」  

 弓道も楽器道も、もちろん禅の道も、「我慢しない。頑張らない」ところが原点なのでした。

 最初の「弓と禅」に戻ります。こちらの紹介動画が優れものですので、読む時間がないという方はどうぞ。便利な時代ですね。

 

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2023.09.12

鏑射大権現の丸石

Th_img_3098 日は午後から兵庫県内の五つの寺社をご案内いただきました。

 鏑射寺、公智神社、神呪寺、廣田神社、西宮神社。

 それぞれ感じたモノがあり、語りたいコトもたくさんありますが、全てを統べる存在は鏑射大権現の丸石だと観じました。

 あの微妙に扁平な球体は、宇宙そのものを表しています。そこを中心にあの鏑射山自体が宇宙とつながるデバイスになっているのでした。

 さすが聖徳太子のお母様出生の地。

 あの中村公隆大阿闍梨が「法力」を使えるのは、阿闍梨御本人の存在とあの場所が出会ったからですね。

Th_img_3097 丸石と言えば山梨県が有名ですね。滋賀県や岐阜県にも分布しています。そして京都綾部の本宮山に鎮座する究極の丸石「不二の霊石」。

 考えてみれば、阿闍梨の法力はまさに宇宙と人間が不二の状態になることそのものです。それを自他不二、神人合一とも言うのでした。

 なるほど、宇宙人というのはそういうことなのか!と閃きました。

 私もエセ坊主、いやエセ宇宙人を脱して、ホンモノの宇宙人を目指さねばと思った次第です。

 夜は大阪にて関西の友人たちと楽しい酒宴。娘二人もなぜか合流して、実に幸せな時間を過ごさせていただきました。感謝。

 獨鈷山 鏑射寺 公式

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2023.09.11

シュシャヌ・シラノシアン(Vn) 『タルティーニのラルゴ・アンダンテ』

 ィオロンチェロ・ダ・スパッラの可能性を探っております。

 製作者の高倉匠さんも紹介くださったとおり、この「チェロ」はメロディー楽器として、非常に優れています。

 人間の声に近い中音域、鳥のさえずりさえも表現可能な高音域、そして腹に響く低音まで、ワタクシ流に言うなら、まるで美空ひばりのような「歌声」の楽器なのです。

 というわけで、私もなかば興奮気味にいろいろな曲を弾いているのですが、その一つがこの曲。

 そう、スパッラはヴァイオリンの曲は全て演奏できるのです。特に私はヴァイオリンと同じように構えて演奏しておりますし、もちろん運指もヴァイオリン式ですので、なんの苦労もありません。

 つまり、全てのヴァイオリン奏者にとって、非常に魅力的な楽器が登場(復活)したということです。

 一つ難点を言うなら、調弦の際に一番遠いD線のペグまで左手が届かないのですね。なんとかしたいところです。体の大きな(手の長い)欧米人なら届くかもしれません。

 もしこの楽器を私用に作ってもらうとしたら、少しサイズを小さくする必要があるかもしれません。あるいはペグボックスの改良が必要かも(ヴァイオリンで使っているギア式のペクも有用でしょう)。

Th_71rxgsdjwvl_ac_sl1450_ ところで、この曲のこの演奏、本当に見事ですね。ヴァイオリンはフランス人の女性、シュシャヌ・シラノシアンさんです(難しい名前だ)。

 彼女はモダン・ヴァイオリンも相当うまいのですが、バロック楽器の演奏も素晴らしいですね。

 装飾(即興)はやり過ぎに感じるかもしれませんが、ヴァイオリンって元々こういうタイプの軽業的楽器なんですよ。特にイタリアでは。

 そして、ちょっと嬉しかったのては、こういう前半後半繰り返しのある曲の場合、一般的にはそれぞれの後半で派手な装飾をつけるのですが、こうして「地味・派手・派手・地味」と並べるべきだというのが、実はずいぶん前からの私の主張でした。それをこうしてやってくれましたことに感謝です。

 ちょっとこの装飾をパクらさせてもらいまして、スパッラで弾いてみようと思っております。楽しみ。

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2023.09.10

藤原直哉 『日本と世界は本格的な立替え立直しの真っ只中』

 

 原先生とは不思議なご縁があります。

 もともとともに出口王仁三郎ファンということで、こちらでご一緒していました。

 その後、お会いする機会がなかったのですが、なんと巡り巡ってお互い「CS60」に関わることとなりました。

 あまりにもピンポイントであり、これはもう神仕組としかいいようがありませんね。偶然のように見えますが、完全に必然であります。

 その藤原先生が大本の亀岡天恩郷にて講演されました。当日都合がつかなかったのですが、いち早く配信をしてくれましたので、早速視聴いたしました。

 まさに今、「立替え」は終わり「立直し」の真っ只中ですね。

 私の解釈では、大本のいう「大峠」は、非常に長いスパンで進行しており、人間的な時間感覚だとつい見誤る可能性があるものです。

 世界の、宇宙の雛型としての日本の歴史は、人間的感覚あ離れなければ正しく理解できません。その点が、歴史学者も考古学者も、保守のリベラルもわかっていないんですね。

 藤原先生のお話は、まさに宇宙レベルからの考察です。すなわち、お筆先や霊界物語をベースにして世界を見ているということです。

 先生の素晴らしいところ、私たち凡夫と違うところは、そういった視座に立ちつつ、表の情報にもしっかりアクセスして勉強されているところです。

 だいたいどちらかに振り切って、対極を認めない人が多い。というか、ほとんどがそうですよね。その遠近感の自由さ、豊かさを持つ人は案外少ないものです。

 もちろん、私は藤原先生の意見に全て賛成ではないのですが、その卓見とユーモアから本当に多くのことを学ばせていただいています。皆さんもぜひこの講演をご視聴ください。

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2023.09.09

【大麻合法化】日本人と大麻の歴史から紐解く大麻取締法改正のポイント (サトマイ)

 

 日はあるところで音楽やら農業の話で盛り上がりました。

 音楽も農業も楽しいけれど大変ですね。双方とも西洋化、規格化が進み、日本本来の豊かさが失われつつあるような気がします。

 日本農業の復活に、大麻が果たす役割は大きいと、このブログでも何度も書いてきました。ここへ来て、大麻取締法の改正の話が盛り上がってきたことは良いことです。

 大麻は麻薬という単純な思考に陥っている国民が多い中、この動画は本当に素晴らしい「教材」だと思います。

 最低でもこのくらいの知識は全国民で共有したいですね。

 ちなみに元々「まやく」は「痲薬」と書きました。「痲」は「しびれる」という意味です。それが戦後「麻薬」と書かれるようになり、「麻」=「まやく」というイメージができてしまった…と、よく説明されますが、実は事情はもっと複雑です。

 戦前から「麻薬」という表記があり、また「しびれる」を「麻れる」と書いている例もあり、やはり「麻」が持つ「痲薬」的な性質が意識されていたことがわかります。

 私の家内の実家のある秋田の山奥では、各家庭に「麻畑」があり、それを様々な用途で活用していたようです。その用途の中には、当然「医療」も「嗜好」もあったことでしょう。子どもは近づかないように言われていたようですし。

 戦後、麻の栽培が規制されたのち、その麻畑はタバコ畑に変わったというのも、さもありなんですね。

 ちなみに「痳」は「りん」であり「痲」とは別字、今でいう「淋病」のことです。「麻」「痲」「痳」が混用されてきたのです。

 いずれにせよ、GHQ(アメリカ)が、日本の「麻」に対して、異常ともいえる脅威を感じていたの事実であり、その呪縛からお互いに解放される時は来ていると感じています。

 絹と麻の復活。来年は私もいよいよ真剣に動きますよ。

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2023.09.08

マウリツィオ・カッツァーティ 『モテット』

Cazzati: Motets

 

 期バロック音楽の知られざる名曲ですね、これは。

 カッツァーティは、初期バロックのイタリアの作曲家。初期と言ってもその後期であり、コレッリとも時代的には重なる部分があります。

 しかし様式的にはモンテヴェルディ、カヴァッリあたりを踏襲している感じで、当時としてはやや古臭い音楽と言えるかもしれません。

 ただこうした宗教的音楽については保守的傾向も好まれたので、こうした集大成的な名曲も生まれ得たのでしょう。

 非常に美しいですね。古い様式の中にも、当時のイタリア的挑戦としての不協和音や半音進行の効果的利用も聴いてとれます。

 そしてこの録音、演奏が素晴らしいですね。絶品のソプラノは日本人です。小野綾子さん。このような世界的な活躍をするとともに、地元東北の音楽振興にも尽力されています。

 ヴァイオリンの二人のハーモニーも見事。こういうのを教会で生で聴いたら、それこそ「神とともにある」経験ができることでしょう。

 ちなみにこの録音はフリブールのニコラス大聖堂で行われています。

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2023.09.07

飯島勲 『横田めぐみさん奪還交渉記録』 (文藝春秋)

Th_942f1ebfa145ddaae2a627358045b6ae_1 ャニーズの会見、皆さん見ましたか。

 帝王の死後、帝国が自壊していくのは世界史の常。もちろん、性加害は許されざる犯罪であり、ジャニー喜多川を断罪すべきは当然のことですが、それを数十年にわたった黙認してきた日本社会の、特に芸能界とメディア、マスコミの悪弊についても、真剣に考えねばなりませんね。

 いのっちが言うとおりです。彼らしく穏やかに述べていましたが、今になって突然糾弾する側に回るマスコミ、メディアも自分ごととして反省し、場合によっては強く責められねばならないでしょう。

 帝国の弊害、自壊ということで言うと、この文藝春秋の飯島勲さんの記録公開記事はとても興味深かった。

 北朝鮮という、歴史的限界を迎えつつある帝国。それを見かねて命懸けで訪朝した飯島さんがギリギリの交渉を行った貴重な記録。

 何度も書いているように、私は横田めぐみさんと幼なじみであり、幼少期に一緒に遊んだ仲です(記憶はほとんどありませんが)。のちにご縁あってご両親が学校を訪問した際、当時のアルバムを見ながらお話もさせていただきました。

 私の父とめぐみさんのお父様とが同じ職場だったのです。また、故安倍元首相夫妻とも懇意にさせていただいていた関係もあって、私にとっては拉致問題は全く他人事ではありません。

 また、飯島さんの並外れた才と行動力についてもよく知っていますから、この記事は格別に興味深く読ませていただきました。

 加えて、学校や身近な地域においても、小規模ながら「帝国」が出来上がっていく過程を見てきましたので、なるほど全て雛型であり、それはすなわち私たち自身にもそのような危険な「種」が存するのだなと感じているところです。

Th_-20230908-101149 利害関係や師弟関係が進むことによって、一人に権力が集中すると、周囲の忖度が始まり、結果その「帝王」は我欲を助長させてしまいます。そして、その多くは本能的欲望の肥大化を生み、各種ハラスメントとして表現されていきます。

 影でそれを糾弾する人は無数にいますが、その声は表には出てきません。そこに裸の王様が完成します。そして必ず限界を迎える。しかし、場合によっては、その限界の前にその王様が寿命で亡くなってしまうこともあるのです。

 今回のジャニーズの件も、もう数十年前からずっと言われてきたことです。それがなぜ今になって表に出たのか。単に外国からの指摘があったからなのか。

 ジャニー喜多川の父が高名な僧侶であったことも考え合わせると、ある種の歴史的な日本文化の功罪を背負っていたとも言えましょう。

 低身長の美少年を活躍させる(…すなわち宝塚の逆)場を作り、多くの若者たち(ファンも含めて)を救い、夢を与え、戦後日本の芸能文化を作り上げてきたことも評価しなければなりません。

 ジャニーズの興行に何度か行ったことがありますが、思想的なところも含めて、正直レベルの高い内容で感心しました。

 そう、こういう問題を語る時は、自分ごととしての距離感と、世界史的、文化史的な距離感の両方が必要なのです。また、いつかこのことについては書きたいと思っています。

 ジャニーズの問題も含めて文藝春秋の10月号は、人類の、人間の、自分の愚かさを知るよき教科書となっています。ご一読を。

 文春オンライン 《2013年飯島勲極秘訪朝》7時間全記録初公開

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2023.09.06

美空ひばり 『端唄草紙』

Th_cokm32713 日は仲間たちとモーツァルトのフルート四重奏曲を中心にアンサンブルを楽しみました。

 合わせれば合わせるほど、少年モーツァルトの天才ぶりを痛感します。間違いなく、すでに完成形として存在している作品をダウンロードしているなという感じです。

 さて、家に帰りましては、昨日に続き日本の伝統音楽を鑑賞。

 変に思われるかもしれませんが、モーツァルトは江戸時代後期の作曲家です(!)。

 その頃、日本にも無名の天才たちがたくさんいました。上方で一般化しつつあった三味線音楽が江戸にも流入し、端唄文化が醸成されていく時代ですね。

 西洋音楽と比較して、楽譜のない日本の音楽を下に見るのは大間違い。実は、私も若い時はそんな大間違いを犯していましたが、今はどちらかというと西洋音楽を下に見るという間違いを犯すまでになりました(笑)。

 昭和の日本の大衆音楽が、西洋音楽のみならず世界中の音楽を吸収消化していったのは事実でして、その反対はあんまりないことからしても、まあ上下とは言わずとも、スケールの大小はありそうですよね。

 そんなわけで、ここのところ、日本の歌謡曲やら小唄やらを紹介しているわけです。

 特に美空ひばりさんのすごさは、世界中の音楽を歌いつつ、当然のように日本の伝統音楽をも完璧にこなしたことです。今日はひばりさんの「端唄」を聴いていただきましょう。

 この頃、同時にジャズのアルバムなんかも録音しているわけで、そっちはそっちで完璧なんですよね。アメリカのジャズシンガーたちがいかに天才的でも、さすがに端唄を完璧に歌うのは不可能でしょう。

 とんでもない天才です。モーツァルトもびっくりでしょう。

 

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2023.09.05

小嶋勇鶴〜小唄と端唄の違い「小唄 水の出花」「端唄 奴さん」

 

 日の三人娘の歌唱の基礎は、端唄、小唄でしょう。そこにジャズやラテン、シャンソンなどが重なって昭和の歌謡曲は完成していきます。

 学生時代、本格的に山田流箏曲をやっておりましたので、長唄や端唄や小唄、新内節などもよく聴いて勉強しておりました。

 卒業後はしばらく純邦楽から離れておりましたが、期せずして次女が芸大の邦楽科で能を勉強するようになり、また家内の歌う演歌・民謡の影響もあって、また興味を持つようになっております。

 端唄や小唄は、一般にはあまりなじみのないジャンルでありますが、現代日本のポップスやロックには、その静かな影響がしっかり刻まれていると感じています。

 わかりやすいところで言うと、椎名林檎さんの歌唱や発声には、明らかに江戸時代の唄物の影響がありますね。彼女の世界観自体がそのあたりですし。

 特に女の色気の表現としては、やはり爪弾き・囁きの小唄が最高のものでしょうね。

 面白いのは、それを若い男性がしっかりやっているところです。小嶋勇鶴さん。春日流で勉強された方です。そういえば、次女の住まいのすぐ隣の隣の隣に春日会の本部がありましたっけ。

 最近は、女性よりも女性らしいパフォーマンスをする男性が増えてきましたね。いいことだと思いますよ。

 上の動画では案外知られていない小唄と端唄の違いを、わかりやすく端的に説明してくれています。ありがたや。

 端唄小唄の中でも最も有名な「梅は咲いたか」を聴いてみましょう。

 

 

 彼は今、自ら小嶋流を創始して関西を中心に活動しているようですが、なかなかの唄い手さんですね。東西の方言アクセントによって旋律が変わるという話は、まさに私の卒論のテーマでした(マニアックでしょう!)。

 せっかくですから春日とよさんの名演もぜひ聴いてみてください。

 

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2023.09.04

江利チエミ・雪村いづみ・美空ひばり〜夢の競演(1980.1)

Th_-20230905-81818 日、江利チエミさんのジャズ民謡を紹介しましたが、チエミさんと言えば三人娘。あとの二人は美空ひばり、雪村いづみ。

 この三人、それぞれ個性が違う魅力的な歌手ですよね。歌がうまいだけでなく、お話も演技も天才的。超実力派アイドルグループですよね。

 そんな三人が歳を重ねて再会し共演している神番組がこれです。三人の関係性(仲の良さ)もさることながら、それぞれ高倉健、小林旭、ミッキー・カーチスらとの出会いと別れなど、人生経験を積んだのちの、人間としての深みを感じさせる歌とトークですね。

 この2年後チエミさんが亡くなり、9年後ひばりさんが亡くなりました。二人とも若すぎた。残されたいづみさんの悲しみはいかばかりか。しかし、二人の遺志を継ぐごとく、86歳のいづみさんは今も引退せず現役です。

 それにしてもこの番組、本当にすごいですね〜。聞きどころ、見どころ満載です。なんか泣けてきちゃった(涙)。

 

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2023.09.03

江利チエミ 『ジャズ民謡』

Th_ml29ltw_1200x1200jpg 日のライヴの余韻に浸りながら(反省しながら)、山梨に帰ってきました。

 車の中で夫婦で歌についていろいろ話したのですが、家内が言うには江利チエミが一番うまいと。美空ひばりもうまいけれど、各ジャンルにわたって完璧なのは江利チエミだそうな。

 で、江利チエミの得意ジャンルの一つ「ジャズ民謡」をいろいろ聴きました。たしかにうまい。ジャズと民謡を見事に融合している。まあ、ルーツ的にはそれぞれ民族音楽だし。

 それぞれのビッグバンドのアレンジも面白かった。中村八大、神津善行、宮川泰、服部克久、山屋清…そうそうたる作曲家陣。演奏も日本を代表するビッグバンドがずらっと並んでいます。

 う〜ん、この時代の歌手はすごかったなあ。今、どうしちゃったんだしょうね。まあ当時は「生きていくため」「食うため」から始まっていますから精神が違うのはわかります。しかし、それだけなのか。今の歌手は歌は歌っているけれど、歌と一体化していないような気がするんですよね。

 なんて、歌が歌えない私が言うのもおこがましいけれど、単に「昭和はすごかった」みたいなことではなく、興味があるのです。音楽以外の分野も含めて。

 まあとにかく聴いてみてください。すごいとしかいいようがありません。いろいろなモノを融合して新次元を開く日本文化の粋です。

 

 

 

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2023.09.02

ヴィオロンチェロ・ダ・スパッラ 大活躍!?

Th_-20230904-95330 日は東京で二つのライヴをしてきました。四谷でシャンソン、霞が関でJ-POP。

 家内が歌を歌い、私が伴奏に参加。いつもはヴァイオリンを担当するのですが、今日はそのパートをヴィオロンチェロ・ダ・スパッラで演奏いたしました。

 ヴィオロンチェロ・ダ・スパッラで現代のポピュラー音楽を演奏するのは、おそらく世界初でしょう(笑)。

 きっと300年前のバッハやホフマンも苦笑していることでしょう。まあ、それが「いい加減な」私のお役目のなのでしょう。まじめな人はやりません。

 聴衆の皆さんはもちろん、バンドの錚々たるプロの皆さんも初めて見る楽器です。どんな音がするのかも全くわからないまま、いきなりリハに入りました。

 両ライヴともに、ヴォーカル、その他の楽器の皆さんは基本アンプを通しましたが、私は完全生音で参加。どうせ聞こえないだろうと高をくくっていたところ、なんと客席ではよく聞こえるとのこと。

 これには私も皆さんも本当に驚きました。つまり、音が届くかどうかは音量ではないのです。

 古楽器特有の倍音の豊かな音響が、電気的に増幅された音に紛れることなく、遠くまで届いた、あるいは観客の心に届いたことは、驚きであるとともに、非常に示唆的であるなと感じました。

Th_-20230904-102032 音の選択と増幅というのは、実は人間の耳が持っている非常に優秀な能力なのです。「耳を澄ます」ですね。

 個々のそんな能力を無視して、経済効率のためにただただ大音量化に邁進した音楽業界、楽器業界は、そろそろ破綻の危機を迎えようとしています。

 最近は、音楽業界に限らず、小さな箱で少人数相手の場をあえて選ぶ表現者が多くなりましたよね。行き過ぎた大規模化の揺り戻しでしょうし、情報化、趣味の多様化の影響でもあるでしょう。

 ようやく本来の(つまり豊かな双方向性を持つ)舞台芸術の形に戻りつつあるのでしょうか。

 音楽の世界でも、近代楽器の偏った常識から解放される人たちが今後増えることでしょう。

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2023.09.01

関東大震災から100年

Th_-20230904-94912 新が遅くなりました。この日は関東大震災から100年の日でしたね。

 私の職場がある富士吉田市では500戸以上の家屋が全半壊しました。おそらく震度6強レベルだったのではないでしょうか。

 これから起きる首都直下型地震や南海トラフ巨大地震においても、同じくらいの揺れが想定されます。

 大正時代に比べれば、家屋の耐震性能は格段に上がっていますが、逆に怖いのは各種インフラの崩壊によるパニックです。

 現代人の我々は、あまりに便利な生活に慣れきってしまっていますので、そういった面での免疫力、耐性はかなり低下しています。

 また、時代を超えて脅威になるのは、情報の混乱とデマです。これは、逆に情報インフラが高度に発達しすぎたために発生する人災でしょう。

 コロナに関する初期の、いやその後も含めてのデマによる不安と国民の分断は記憶に新しいところです。

 また、原発処理水の海洋放出に関する中国の情報操作を見ても、この問題は時代とともにより深刻になってことが予想されますね。

 関東大震災の時のことで言えば、やはり全国各地で起きた朝鮮人・中国人虐殺事件でしょう。

 富士吉田や私の住む鳴沢村でも、震災の数日後、東京方面から不逞鮮人が攻めてくるというデマが拡がり、自警団が組織された記録が残っています。

 そういえば、森達也監督の「福田村事件」が今日から公開ですね。

 

 

 それから思い出されるのは、震災のドサクサに紛れて大杉栄らが惨殺された甘粕事件ですね。不思議なご縁で、私の実家のすぐ近くの墓地に彼らは葬られています。

 大杉栄の墓(静岡市沓谷)

 非常事態における人間の愚かさについて考えさせられる事件ですね。そして、それは決して他人事ではない。自分にもそういう可能性があることを忘れてはいけません。

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