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2023.08.31

華頂博一「日本はいつも日本の事だけでなく世界の事も考えている」

 

 ず最初にことわっておきますが、この方は旧宮家、旧皇族ではありません。

 博一さん、ここのところ、YouTubeの人気チャンネルのいくつかに出演し、言いたいことを言っております。

 霊的世界や偽書、皇室などに人一倍興味を持つ私でも(私だから)、ある意味許せない妄想放言が多数あります。

 しかし、この動画で語られていることについては、私は別ルートから似た情報を入手していることもあり、大方同意しますし、よくぞ言ってくれたという気がします。

 昔から、案外怪しい人の怪しい発言の中に真実(事実であるかは別)が含まれていることがありますね。神は、そういう形で世に出すのでしょう。

 博一さんもどこかで言っていたとおり、「隠す」のは「都合が悪い」だけではなく、「真実を必要な時に出すため(の封印)」だということもありますし、あえてテキトーな人に言わせて信憑性を低下させる(世間から無視される)こともあるようです。

 旧宮家や旧皇族に関する「隠された真実」は昔からたくさんありますね。それこそ出口王仁三郎が有栖川宮熾仁親王の御落胤だというのも、その最たるものでしょう。

 昭和の時代には、その有栖川宮の名を騙った事件もありましたね。詐欺事件。

 明治から昭和の初期、そして戦後すぐにも、多くの偽天皇が現れましたし、宮下文書の出自もそういう流れの中にあると言っても良い。

 結局は、ホンモノかニセモノかというのは、歴史的、科学的事実ではなく、その人がホンモノが未来に投げたボールを拾っているのかどうかだと思っています。

 そんなこと言うワタクシも、かなり怪しい人物ですよね。旧皇族とかではなく、旧宇宙人とか言ってるわけですから(笑)。

 いずれ博一さんにもお会いして審神してみたいと思います。

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2023.08.30

『一緒に学ぼう!キリスト教』 (COTEN RADIO)

 日は東京から静岡へ移動。

 東海道(国道1号線)を走ること6時間。箱根の山は天下の険。昔の人はあの標高差900メートルを上り下りしたわけですね。

 で、なんでそんなに時間をかけて下道で移動したかというと、どうしても聴かなければならない番組があったからです。なかなか日常ではまとまった時間が取れないので、運転しながらのながら聴きが一番よい。逃げられませんから(笑)。

 近く、神学を極められた牧師さんとお話する機会があるので、そのために。そして、今構築中の「新新約聖書」のために。

 そう、「旧約聖書」が古くなり、時代に合わなくなったから「新約聖書」ができたわけじゃないですか。しかし、その「新」でさえも2000年以上前のものなので、さすがに「旧」になってしまっているわけです。

 だから、時代に合わせた「新新約」を作ってもいいだろうと。実はこれと同じ発想で、神道や仏教についても、新しい「教義」を構築中です。とういか、全部同じになるんですよ、結局。統合されると。

 おそらく聖徳太子がそれを1400年くらい前にやって、たとえば十七条憲法として表現されているわけでしょう。あれが「新新約」なのかもしれないな。そうすると次は「新新新約」ということでしょうか。

 出口王仁三郎も…などと始まるとキリがありませんね〜。

 という私の妄想はいいとして、今日聴いたのは「COTEN RADIO」の「一緒に学ぼう!キリスト教」です。プリンストン神学校の博士課程に在籍している千葉遊大さんによる講義。

 コテンラジオの非キリスト者のお二人の質問とツッコミも、実に有意義な優良番組です。皆さんもぜひどうぞ。

 千葉さんの公平な語り口にも宗教的誠意が感じられます。そして、何より「神と出会う」という体験、共感いたしました。

 

 

 

 

 

 

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2023.08.29

DDTプロレス 『闘うビアガーデン 2023』

Th_img_2997 女が上野公園の脇に住んでいることもあって、一緒に参戦してまいりました。

 私は二度目。娘は初めて。

 もう面白すぎて笑い疲れてしまいました。文化系プロレスここに極まれり。

 常にファンの期待を裏切る(上回る)企画と脚本を用意してくれるDDT。これは日本が誇る伝統芸能になりえますね。

 次女は芸大で能の勉強をしているのですが、そういう観点でも大変勉強になったようです。

 そう、純プロレスを能とするならば、こちらは狂言。両方のバランスが大切です。

 DDTさんは一つの興行の中でそれらを上手にミックスして見せるのですが、ビアガーデンプロレスは狂言に徹していると言ってよい。

 リングのみならず、会場全体を上手に使っての表現。伝統的な型と変化。観客との一体感。

 ある意味、これらは現在の硬直化した伝統芸能が忘れている要素です。能なんかその最たるもの。

 ストリート・パフォーマンスであったはずの世阿弥時代の能はどんなふうだったのか。現代に世阿弥が生きていたら、どんな興行を打つのか。どんな作品を創造するのか。

 そういうことを考えさせられました。

Th_-20230831-91842 今日一番の試合は、第1試合。ワタクシ、男色ディーノ様に気に入られたのか(笑)、私の後ろでお尻をしばらく突き出してくれました。

 今考えると、アドリブでアクションすべきだったのかとも思いますが、さすがにカメラを構えることしかできませんでした(笑)。

 久々のプロレス生観戦、とにかく飲んで食べて笑って騒ぎました。今年の夏の最高の思い出!

 

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2023.08.28

ヨハン・ファイファー 『ソナタ ニ長調』

 日のヴィオロンチェロ・ダ・スパッラの可能性探索。

 ヨハン・ファイファーはドイツバロック後期のヴァイオリニスト・作曲家です。彼の作品の多くは失われていますが、残存している中で興味深いのはこの「ヴィオラ・ダ・ガンバとオブリガート・チェンバロの為のソナタニ長調」です。

 自筆譜にはヴィオラ・ダ・ガンバもしくはブラッチョ、またはヴィオロン・チェロと書かれており、腕で支える一般的なヴィオラでも演奏可となっています。しかし、音域的には明らかにバス・ガンバやチェロの音域であることを考えると、どうもヴァイオリニストがスパッラで弾くことも想定しているようなのです(勝手な妄想ですが)。

 そして、オリジナルはどうなのか分かりませんが、ソロパートをト音記号で浄書してくれた楽譜が出ているので、まさにスパッラにぴったり。さっそくト音記号で弾いてみましたが、非常に弾きやすく楽しい曲でした。どなたかチェンバリストの方と合わせてみたいですね。

 目立った名曲とは言えませんが、当時のプロイセンの宮廷の緩めな雰囲気がよく分かる音楽ではないでしょうか。

 ガンバでの演奏を聴いてみてください。

 

 

 

 

 ファイファーは、下に紹介するヴィオリーノ・ピッコロのための協奏曲など、変わり種の楽器のための楽曲も書いており、スパッラのことも当然頭にあったと思われます。

 

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2023.08.27

令和5年 すすき祭り

Th_img_2965edit 日は吉田の「すすき祭り」。昨日の火祭りは前夜祭であり、こちらが本祭です。しかし、実に地味に催されております。

 まあ、それがいいんですよね。

 私たちもセミナーの別の予定がありましたので、午前中に不二阿祖山太神宮と北口本宮冨士浅間神社を参拝して、午後に行われる「すすき祭り」には参加しませんでした。

 朝の浅間神社には、すすきで作られた大松明が立てられておりました。

 これもあまり言及されませんが、諏訪でもこの日「すすき祭り」が行われてるんですよね。いくつかの御射山神社の「穂屋祭」です。

 富士吉田ではいつの間にか浅間神社ですすき祭りが行われるようになってしまいましたが、元々は諏訪神社がその舞台であったと思われます。

 今日の祭礼の中の「御鞍石祭(おみくらいしさい)」がその名残なのでしょう。御鞍石は諏訪神社の旧社地にあると言われています。

 いずれにせよ、出雲の和魂(木花咲耶姫)と荒魂(建御名方)が明神神輿で一晩一緒に過ごすというのが、この火祭りとすすき祭りの大きな意味であり、それはまさに大国主の復活を象徴するのでした。

 祭りの最後に浅間神社と諏訪神社の真ん中にある「高天原」を、二神を乗せた明神神輿が7周して、それぞれの神社に神霊は帰るのですが、本当の復活の時には、きっと「高天原」にとどまるのでしょうね。

 ちなみに、富士山においては、大国主と国常立は同神と見てよいのですが、それについてはまたいつか。

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2023.08.26

令和5年 吉田の火祭り

Th_img_2971 日は吉田の火祭り。

 今年は今日明日と、愛知方面から来られた方々を中心に、火祭りにちなんだセミナーを開催しております。

 いろいろと奇跡的なことが起こり、非常に濃い内容のセミナーになりましたが、その内容をメモ程度に記録しておきます。

 今日はまず、西湖畔の龍宮洞穴の「せのうみ神社」を参拝。火と水の出会う場所に龍神が生まれた話をしながら太古の厖大な自然のエネルギーに思いを馳せました。

 続いて、河口浅間神社を参拝。ここは「あさま」神社です。龍宮洞穴が出来た平安時代の富士山の神様は、木花咲耶姫なんていう可愛らしいキャラではなく、まさに「あさましい(お手上げな)」神様だったのです。浅間大神(あさまのおおかみ)ですね。男性神です。

 続いて富士吉田市内の宿で、夕刻から飲みながらのお勉強会。火祭りが諏訪神社の例大祭であり、それは秘せられた出雲(大国主)の荒魂を発動させる祭りであること、出雲大社が富士山の支店であること、大国主の和魂は大物主となり三輪山に収まったのち、天津神のふりをして伊勢を巡って木花咲耶姫となったこと、出雲の荒魂と和魂が北口本宮冨士浅間神社境内で再会していることなどを確認しました。

 つまり、吉田の火祭りとは、御柱を立ててそこに火をつけるという、究極の荒祭なのです。これは案外地元の方々も知らない真実です。

 そんな知識を携えて、いよいよ点火式へ。今回は私がなんちゃって所長を務めているCS60富士山研修所にて、西村先生の点火の儀を拝見いたしました。

 そこからはいろいろな方々との奇跡的なご縁が発覚する懇親会へ突入。宿に帰ってからも尽きることなく楽しいお話が続きました。

 私も長年火祭りを楽しんできましたが、こういう形での参加の仕方は初めてでした。

 実はこの日は、昨年に続き八ヶ岳登山にも誘われておりました。今日と明日は、富士山、八ヶ岳、諏訪は、ミシャグジ、御柱祭、すすき祭りで霊的につながっているのです。そういう意味では私の魂は富士山から八ヶ岳にも飛んでいっていたわけです。

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2023.08.25

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり (道元)

Th_dogenzenzi 日は道元忌。とはいえ、本来旧暦ですし、23日とも29日とも言われていますので、全く厳密ではありません。

 永平寺では9月の22日から29日まで、「御征忌(ごしょうき)」と称して厳格な法要が行じられます。

 亡くなったのは1253年ですから、770年前ということになりますね。

 道元の書き残したものは奥深く難解であり、私もまだまだ表面的にしか理解しておりません。

 その点、この和歌はシンプルでいいですよね。

 四季ごとの当たり前すぎる風物を並べ、最後に「すずしかりけり」と結ぶ。センス最高です。

 実は「すずしかりけり」の解釈にキモがありまして、たとえば表面的に「冬雪さえてすずしかりけり」という文脈で読むこともできますし、よくある注解のように、この「すずしかりけり」は全体にかかっており、「すがすがしい」とか「いさぎよい」という意味であるとすることもできます。

 しかし、私はやはり「さえて」からの意味的連続を無視できないと感じております。それまでは名詞を並べておいて、ここでは動詞の連用形+接続助詞「て」ですからね。

 接続助詞「て」は完了の助動詞「つ」の連用形から派生したものであることからもわかるとおり、そこまでの表現、事象を一旦とりまとめる機能を持っています。

 その語感からして、私には「春の花も夏のほととぎすも秋の月も、全ての思い出を覆い清める純白の白い雪がすがすがしい」と捉えられるのです。

 そこには、まさに仏教的な「無常観」があり、また一旦リセットされた純白のキャンバスに春夏秋の風景を描いていくであろうという「再生」「常若」の思想が表現されていると思うのです。

 過去にこだわるな。それがたとえ美しいものであっても。あるいは悲哀に満ちたものであっても。

 いかがでしょうか。

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2023.08.24

追悼 テリー・ファンクさん

 ジェンドが星になりました。

 ファンクスについては、どちらかというとドリー派だった私(と家内)ですが、そのドリーの渋さが生きたのは、テリーの派手さがあったからですね。

 プロレスという異世界の深さを大人になって知ってからは、やはり役者としてのテリーの偉大さを痛感せずにはいられませんでした。

 いろいろと記憶に残る試合はありますが、やはり現地で観戦した「引退試合」でしょうか。あの異様なまでの興奮は、そののち、どんなジャンルでも体験できていません。

 あらためて試合を観ると、ドリーやハンセンはもちろん、当時22歳のテリー・ゴディが素晴らしい役目を果たしていますね。ゴディさんも若くして亡くなってしまいました。

 ということで、久しぶりに引退試合の映像を観ながら、テリー・ファンクさんのご冥福をお祈りしたいと思います。

 

 

 それから、ファンクスと言えば入場テーマ曲「スピニング・トー・ホールド」ですね。こちら日本を代表するハードロックバンド「クリエイション」の楽曲です。かっこいい!

 再結成ライヴで聴いてみましょうか。

 

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2023.08.23

守屋山

Th_img_2927 日は家内の仕事の手伝い(?)で守屋山に登ってきました。

 ご存知の方も多いかと思いますが、この山にはいろいろと謎の伝承があります。

 諏訪大社上社の御神体とも言われますし、上社神長守矢氏の関連として洩矢神や物部守屋を祀るとも言われています。

 また、そこからミシャグジにもつながり、諏訪湖から八ヶ岳、富士山へもつながる伝説があります。

 さらにヘブライ語では「モリヤ」とは「ヤハウェが見る」という意味であり、ユダヤ人たちはソロモン王が神殿を建てたシオン山こそがモリヤであると信じています。

 諏訪の御柱祭にユダヤ人が集結するという噂も、実は噂ではなく事実であり、今年も多くのユダヤ人が諏訪湖周辺を訪れました。

 そんな不思議な山ですが、普通の登山で考えると初心者にも優しい山だということで、今回私たちも軽い気持ちで登山を始めました。

 そんな軽い気持ちを神にたしなめられたのかもしれませんが、一番わかり易い杖突峠登山口から登ったにもかかわらず、なんと最初の10分で道に迷うという、本当に恥ずかしいことになってしまいました(笑)。逆にあり得ない。

 無事引き換えして本来の道に戻ったのですが、下山した時に確かめたら、そんな脇道はなかった…あのまま行っていたら、黄泉の国にでも行ってしまったのではないか。ある意味すごい体験でした(汗)。

 ところで、山頂から諏訪湖を眺めながら直観したことがあります。

 諏訪には出雲の大国主の荒魂がおさまっており、一方の和魂は奈良の三輪山におさまって、それを物部氏が信仰したことになります。その両魂が富士山(出雲の御神体)で再び合体して大国主の復活が遂げられるというのが、私の妄想的未来神話なのですが、そのプロセスの中で、諏訪の荒魂を求めて和魂(物部氏)が杖突峠まで来たのだなと。

 しかし、あの西日本と東日本を隔てる巨大な壁(糸魚川静岡構造線の断層崖)を越えることができなかった。お互い見えるところまで来ているのに、陸路では会えなかった。その切ない思いが上社の守屋山信仰となったのでは。

 結局、和魂は南回りの海路を経て富士山に到達し、その間に荒魂も諏訪信仰やミシャグジ信仰として南下して富士山に到達した。その象徴が北口本宮冨士浅間神社と、その本体である諏訪神社の関係であり、もうすぐ催される「火まつり」であると。

 すわなち、富士山での大国主の復活の日は近いということです。

 このタイミングで守屋山に登ることができたのは、やはり偶然ではなく神意ということでしょうか。

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2023.08.22

映画『君たちはどう生きるか』 宮崎 駿 監督作品

Th_kimitachi 女が観に行きたいというので、事前情報なしで私も鑑賞いたしました。

 結論から言うと「よく分からなかったけど、すげぇな」でした。

 ジブリ作品には元々あまり興味がなく、家族が観ているのを横目で盗み見する程度でしたが、そんな私でもこの作品は「集大成」的には感じました。

 もっとはっきり言ってしまうと、宮崎駿監督というカリスマの最後の仕事に、考え得る最大の才能と時間とお金がかけられたのだから、それはすごいのは当たり前という感じでした。

 冒頭の火事のシーンだけで、世界の美術史に残るであろう「絵」の連続を見せられた感じがして、正直圧倒されました。西洋と東洋の両美術的世界を統合・融合する日本的美術の世界、ここに極まれりです。

 背景の西洋的リアリズム描写と、キャラクターを中心とした東洋的リアリズム描写の同居という、本来は不自然きわまりないはずの画面が、どうしてここまで自然に感じられるのかという驚き。

 東西は、主に「輪郭線の有無」と「色彩の平板化の度合い」で峻別されるのですが、それを自然に同居させてしまうのは、日本独特の文化であり、浮世絵や漫画、アニメに慣らされた私たちにとってはそれこそ自然なことなのかもしれません。

 それはすなわち、日本人の脳内リアルが、意識(コト・カタ)と無意識(モノ・マナ)の総体とそのバランスであるということなのですが、それがストーリーにおいても実現しているのが興味深かった。

 つまり、「分かる」と「分からない」がそのままの形で放置されることが「リアル」になっていたわけです。「モノガタリ」の本質は実はそこにあり、だからこそ「モノ」を「カタる」と称した。

 そういう意味で、私はこの作品を「よく分からなかったけど、すげぇな」と評し、だからこそ見終わったあとに不快にはならなかったのです。

 これは新しい日本の神話なのかもしれませんね。ある意味そういう陳腐な感想しか出てこない。やっぱり宮崎駿をすごかったということか(なんだか悔しいけれど…笑)。

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2023.08.21

C.P.E.Bach 『チェロ協奏曲 イ短調』

 

 ィオロンチェロ・ダ・スパッラの可能性を探る毎日です。

 今日はバッハ次男の有名なチェロコンチェルトを弾いてみました。この時代になるとチェロという楽器の演奏法もかなり進歩しており、その音域の広さを存分に活用した曲がたくさん作られました。

 そんな曲はとても私には弾けないわけですが、スパッラならばE線があるのとヴァイオリン運指なので、普通のチェロで弾くより100倍楽です。

 それにしてもこの曲はアヴァンギャルドですよね。まさに疾風怒濤という感じ。バロックから古典派に向かう過渡期、世界史的に言うとマリア・テレジアの時代とかぶります。フランス革命前夜。嵐の予感がしてくる時代です。

 そう、なんとなく私の前古典派音楽のイメージはマリア・テレジアなんですよね(笑)。そんなことを思いながら、この曲を弾くと面白いというか、世の中の奥底から「人間性」「人権」「自由」というものが湧き上がってくる感じがするのです。

 案外、音楽と歴史(社会)を関連付けない演奏家が多いですよね。まあ、音楽は音楽として独立して存在するとも言えますが、楽器や奏法にこだわるオリジナル主義の人は、やはり歴史的な背景を知っておくべきですよね(私は全くの勉強不足です)。

 逆に音楽や絵画、文学や演劇から時代性を読み解くこともできます。それを知ると、逆に作品の現代的意味や未来的意味が見えてくる。そういう体験もたくさんしています。

 この前の竹倉さんとのトークショーでも話題に上がりましたが、「知った上でそれを捨てる」ということがとても大切なのです。それは何も知らない自由とは全く違う次元の自由をもたらしますから。

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2023.08.20

『ケアとうたとアート』(いのちの研究会 基調講演 鎌田東二)

 

 敬する先生方ばかりが集まったこの「いのちの研究会」。毎回オンライン参加し、勉強させていただいています。

 昨年10月に行われた第4回は、昨日も紹介した「スサノヲの子分」鎌田東二先生が基調講演されました。

 その時の動画が公開されていますので、ここに紹介いたします。

 いつものようにほら貝で始まり、ギター弾き語りで終わる鎌田先生の基調講演が面白いのは当然のこと、それぞれのパネリストの先生方のお話も面白すぎる。

 場所が亀岡の大本本部「天恩郷」のみろく会館というのもいいですよね。

 基調講演、鎌田先生らしく、用意したスライドのほとんどを使わないで終わってしまっていますが(笑)、YouTubeの概要欄から資料をダウンロードできるので、ぜひ。これだけでもすごい情報の質と量ですよ。

 

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2023.08.19

『鎌田東二 × 竹倉史人/対談』 音楽堂のピクニック

 日は鎌倉にて「土偶を読む」の竹倉史人さんと対談しました。100名近くの方においでいただき大盛況。

 竹倉さんと私も、全く打ち合わせなしでしたが、お互いにインスパイアしながらどんどんアンサンブルが盛り上がり、楽しい時間を過ごさせていただきました。企画してくださった友人に感謝です。

 予言どおり(?)、ヴィオロンチェロ・ダ・スパッラでアーベルの作品を演奏することもできました。謎の楽器で謎の曲を霊感的に演奏することによって、今日の対談のテーマでもある「もの」の存在を、「モノのね」たる音楽で体感していただけたのは、私にとっても幸運なことでした。感謝。

 さて、今日の対談の内容はとてもここには書けませんけれども(危険すぎる?)、期せずして竹倉さんの口から鎌田東二先生のお名前があがりましたので、せっかくですから竹倉さんも思わず普通の人になってしまったという(笑)、二人の対談を紹介しましょう。

 ちなみに先日の足利市立美術館での「顕神の夢」展の企画、監修によるものでした。とんでもない人(鬼?)ですよ、ホント。この方がずっとアカデミックな世界におられて、今も京都大学の名誉教授でいらっしゃることは、本当に素晴らしいことです。

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2023.08.18

C.F.アーベル 『無伴奏ヴィオラ・ダ・ガンバの為の27の小品』

 日も、ヴィオロンチェロ・ダ・スパッラの可能性を探りました。

 音域的にヴィオラ・ダ・ガンバの楽曲も基本的に演奏できるのもいいところ。ということで、今日はガンバ・ソロの為の曲を弾いてみました。

 カール・フリードリヒ・アーベルのお父さんは大バッハのお友達のガンバ奏者。息子もガンバ弾きで、かつバッハの息子たちと交流がありました。

 特に末っ子クリスチャン・バッハとはイングランドでコンサートを企画するなど親交が深かった。二人のおかげで、ハイドンは有名になり、またモーツァルトも二人やハイドンから大きな影響を受けました。

 アーベルは時代遅れになりつつあったヴィオラ・ダ・ガンバの為の重要な楽曲を多く残してくれました。まさにガンバ最後の輝きといった感じ。

 で、この無伴奏楽曲も非常に魅力的な作品なのですが、楽譜がまさにヴィオロンチェロ・ダ・スパッラ向きなんですよね。

 というのは、基本的に1オクターヴ上のト音記号表記なのです。つまり、(私のような)ヴァイオリン弾きがそのままスパッラで演奏できるわけです。

 バッハもスパッラを好んでいたようですから、その息子たちもたぶん演奏したことでしょう。ですから、いちおうこの曲集はガンバ用とされながら、実はスパッラで演奏された可能性もあるのです。

 というわけで、明日、鎌倉でトークイベントをやるのですが、そこで1曲弾いちゃおうかななどと考えております。練習する時間がないので、ほとんど初見ですが、それもまた面白いかも(笑)。

 

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2023.08.17

プロ野球ナイター記念日〜野球という文化(祭り)

Th_img_2881 日はプロ野球ナイター記念日かつ私の誕生日ということで、家族全員で「ナイター」を観戦してまいりました。

 試合は横浜が快勝した上に、牧、佐野、村上、サンタナが私のために(?)ホームランを打ってくれまして、最高の誕生日プレゼントとなりました。ありがとう!

 戦争が終わって3年、1948年の8月17日に、横浜ゲーリック球場(現横浜スタジアム)で日本初のナイトゲームが行われました。巨人対中日。試合は3対2で中日の勝ち。

 この前日にベーブ・ルースが亡くなっており、試合前に両軍選手による黙祷が行われたとのことです。

 あらためてそれを知ると、時代を経て、戦勝国のスポーツにおいて、敗戦国の大谷翔平が圧倒的な「リベンジ」を果たしてくれていることに感動しますね。それもスマートな形で。

 今、甲子園の高校野球も盛り上がっていますが、何度も言う通り、日本の高校野球は戦争へのノスタルジー演劇、そして若い戦死者たちに対する鎮魂の祭りになっているんですね(こちら参照)。そして、そこから大谷のような選手が育っている。

 リベンジが達成されんとする時に、「丸刈り」(二等兵)から解放されたり、ユニフォームの色がカラフルになったり、その他様々な戦争文化、軍隊文化の色合いが薄くなってきたのは偶然ではありません。

 私は大谷の背後に、散華した多くの若者の御霊を見るのです。野球がスポーツではなく文化であり、日本にとっては歴史を塗り替える祭祀であることを感じながら。

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2023.08.16

アンリ・カサドシュ 『(J.C.バッハ風)ヴィオラ協奏曲ハ短調』

Th_img_2873 ィオロンチェロ・ダ・スパッラが我が家に来ております。

 そこでいろいろな可能性を探っているわけですが、弾いてみてカッコよかったのはこの曲でした!

 カサドシュ兄弟は「偽作家」としてある意味有名ですが、まああの時代は緩かったというか、著作権とか作家性のようなものはあまり重視されていなかった時代なんですよね。

 とにかくヴィオラのためにいい曲を残してくれたのはありがたいことです。

 しかし、いかんせん、このヴィオラ協奏曲、音が高い。ト音記号でも高い方が出てくるので、これは5弦ヴィオラ、すなわちヴィオラ・ポンポーザにぴったりだったわけですが、こうして1オクターヴ下で肩乗せチェロで弾くのもいいですな。

 きっとアンリ本人も喜んでくれることでしょう。私のような「いい加減」な人がいて(笑)。

 作品が時代によって新たな生命を帯びることは、どの時代にもあって然るべきことであり、逆にそれこそが名作の条件なのではないでしょうか。

 あまりにも時代考証や復元精神に偏ると、それは作品(楽器も含む)にとって不幸なことになりかねません。どう考えても、人間より芸術の方が高次元の存在なのですから。人間の都合や自己満足は実に低次元です。

 というわけで、世界のスパッラ奏者の皆さん、ぜひこの「偽作」を弾いてみてください。もしかすると、カサドシュはこの楽器の復活(出現)を予感してこの曲を書いたのかもしれませんよ!

 いやあ、名曲ですなあ。どの楽章も分かりやすい。ポップというか演歌というか(笑)。

 

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2023.08.15

『顕神の夢〜霊性の表現者 超越的なもののおとずれ』 足利市立美術館

Th_img_2864 本の神話的エロスの美術的表現が結集。

 足利市立美術館で開催されている「顕神の夢〜霊性の表現者 超越的なもののおとずれ」に行ってきました。

 鎌田東二さん監修ということで、入り口の正面にはいきなり出口王仁三郎の耀わんが鎮座。そして、出口なおのお筆先やら王仁三郎の書画が並びます。

 しかしそれはあくまでも(出口による)入口であって、その先にはさらにディープな「もの(何か)」の世界が広がっていました。

 岡本天明、金井南龍から円空、村山槐多、関根正二、横尾龍彦、黒須信雄、さらには宮沢賢治、草間彌生、岡本太郎、横尾忠則まで。

 霊界から直接ヴィジョンを受信した天才たちの、圧倒的な「現実との葛藤、格闘」の連続にすっかりやられてしまいました。

 現界と霊界、どちらがフィクションなのか。これからの時代はどちらが優勢になっていくのか。芸術とは何か。アートとは何か。

 会場の最初に提示された王仁三郎の言葉「芸術は宗教の母」。王仁三郎の言う「芸術」とは自然(モノ)と言い換えることができます。「宗教」は「コト」です。モノはコトの母なのです。

 そして、私たち人間は神々の「分霊(わけみたま)」として、神々のオーダー(みこと)を受けて「ミコトモチ」とならなければならない。それこそが「命(いのち・オーダー・みこと)」の本質であります。

 素晴らしい企画でした。終戦の日に来られて良かった。17日までです。お時間のある方はぜひ。このあとは、福岡久留米市美術館、愛媛久万美術館、愛知藤井達吉現代美術館を巡回します。

 足利市立美術館公式

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2023.08.14

『猫は逃げた』 城定秀夫脚本・今泉力哉監督作品

Th_320_20230816085001 れも好きな映画。城定秀夫さんの脚本が絶品です。

 城定監督はピンク映画の巨匠。いまおかしんじ監督とともに、私の尊敬する監督さんです。

 この業界、お互い助け合うというか、自由にコラボすることも多いんですよね。城定さんと今岡さんもコラボしています。

 そして、城定監督と今泉力哉監督がお互いの脚本を監督するという企画が「L/R15」。

 これは城定さんの脚本を今泉監督が撮っています。猫もあきれる人間の愚かさをエロとユーモアとペーソスで表現していて実に痛快。何度観ても笑いながら泣いちゃう。

 特にクライマックス、不倫ペア4人が集合しての長回しのセリフ回しが最高。演技している4人も本当に見事。映画のような舞台のような漫画のような現実のような。これは名シーンですよ。今泉監督ならではの演出でしょうか。

 もちろん「猫」が持つ不思議な力、人間の運命を動かしてしまう魅力もちゃんと表現されています。猫2匹の「演技」(?)もすごい。

 昭和からずっと、商業性を超えた映画の芸術性を担保してきたピンク映画の世界。こういう現場がいまだ残り、そして若い作家も育っていることは日本の誇りとするところですね。

 浮世絵的な世界観は爛熟するAV世界に生き続けていますが、その一方で古典的な「もののあはれ」文学的世界は、実はこちらに継承されているのですよね。

 その両方のバランスこそが、日本神話的なエロスの世界でありましょう。そのどちらにも「猫」は必ずいるのでした。

 

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2023.08.13

『リュウセイ』 谷健二監督作品

Th_t0018770p ルセウス座流星群、今年は好条件でしたが、残念ながら天候に恵まれませんでした。

 昨日の記事にも関連しますが、大学時代は天文同好会に所属していたので、毎年どこかの山で仲間と観測会をしておりました。

 社会人になり、富士山の懐に住むようになり、日常的に満点の星空の下で暮らすようになると、案外星を見る機会も減ってしまいました。

 今では昔とった杵柄で、幼稚園で園児に星の世界に夢を持ってもらえるよう、プラネタリウムの授業を受け持っております。

 たしかに夢や願い事というのが、大人になると少なくなっていくような気もしますが、自分の夢や願い事が希薄になっていくのは実は悪いことではなかったりもします。

 この映画は、夢破れ、現実の厳しさの中で悩む若者の姿を描いた佳作ですが、単純に夢が叶う物語よりも、ずっと心に染みるものがありますね。

 大きな波のない、ある意味とても日本的な映画であり、結末も特に希望も絶望も感じません。それこそがリアルであり、「自分の夢」という自我を離れていくのは当然として、それをどのようなマインドで迎えるかでその後の運命が変わってくるということでしょう。

 彼らはまだ30歳くらいですから、全然大丈夫ですよ。私は30代までは本当にくすぶり続けていました。それはおそらく若い頃の身勝手な夢にとらわれていたからでしょう。

 40歳くらいでようやくその呪縛から解き放たれて、夢を叶えるなんていう次元ではなく、夢にも思わなかったことが実現するようになりました。今も毎日がそんな感じです。

 そういう体験も踏まえて、この映画は切なさを覚えるというよりも「よしよし」という感じで観ていました。彼らが「夢を諦める」ということの大切さに気づきつつあるからです。

 

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2023.08.12

【日航機墜落事故】真相を隠す日本の闇 (ドントテルミー荒井)

 

 日紹介したドントテルミー荒井さんのYouTubeチャンネル「大人の教養TV」の最新動画。

 今日は日航ジャンボ機墜落事故から38年の日です。私と同事故の関係については、こちらをお読みください。本当に辛い思い出であると同時に、自分に何かできないか模索してきた38年でもあります。

 そういうこともあって、この事故について軽々しく陰謀論的なことを言うことはできませんが、一方である政府筋の方から特別な情報をいただいたこともあり、いわゆる「裏」が全くないとは思っておりません。

 この動画でも荒井さんらしく、ちゃんと現地に行って、そしてなるべく公平な立場で語ろうという配慮を感じます。そして、疑問点もあることを正直に述べてくれています。

 これまた私にとっては重い事実ですが、陰謀論が陰謀論で終わらなかった例として、北朝鮮による拉致事件が取り上げられていますね。そう、私は横田めぐみさんと幼馴染だったのです。たしかに、父親同士の勤めていた日銀内でも長いこと真相はわからずにいたと言います(全く的外れなウワサはたくさんありましたが)。

 ですから、この日航機の事故についても、ある程度時間が経ったところで新たな事実が出てくるのかもしれません。

 一方で、日本に限らず、世界の航空機事故は原因が不明ということが多い。はるか上空での出来事であるため、目撃情報もないケースが多く、機体の破壊の程度も高く証拠が残りにくい。また生存確率も低いため当事者の証言が得られにくい。

 逆に言うと、唯一の手がかりとなるブラックボックスが、文字通りブラックボックス化する(できる)可能性も高いわけです。

 ちなみに8月12日というと、1958年にも航空機墜落事故が起きています。下田沖に全日空機が墜落しました。偶然だとは思いますが、機体の破損が起きた場所が、日航123便とほぼ同じなんですよね。この事故の原因もいまだ不明のままです。

 あらためて両事故の犠牲者の方のご冥福をお祈りいたします。

 

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2023.08.11

【太平洋戦争】開戦から終結までわかりやすく解説 (ドントテルミー荒井)

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 78年前の今日の朝日新聞です。

 皇太子(平成天皇)は当時11歳。戦局に深き御関心とのこと。そしてその左には「一億、困苦を克服 国体を護持せん」との見出しが。情報局総裁の談として「戦局は最悪の状態」とのことで、現実には終戦後の天皇制維持に向けて動いていたのでしょう。

 一方、その左には陸軍大臣の訓示として「死中活あるを信ず」とあり、軍部は玉砕覚悟で最後まで戦うつもりだったことをうかがわせます。

 その下には、ソ連が朝鮮、樺太に侵攻していることが報じられ、日本の敗色が濃厚になっていることを暗に示していますね。

 2発の原爆が投下され、東京はじめ各都市は空襲で焼け野原。紙面では原爆が国際法違反であることも主張されています。

 なぜ、こんな悲惨な状況に追い込まれたのか。太平洋戦争(大東亜戦争)がどのように始まり、どのように展開し、そしてどのように終わったのか、それを約3時間に上手にまとめた動画があります。

 私の感じるかぎり、最大限に公平性を保って説明されており、非常に勉強になりました。部分はよく知っているつもりでしたが、たしかに全体の流れはつかみきれていなかった。

 これは教材としても優れていますね。学校の授業でも充分使えるでしょう。というか、ぜひ使ってもらいたい。

 ドントテルミー荒井さんの動画、いろいろ観ていますが、とても上手に作られています。このようにリズムよく、偏らず、わかりやすく説明できる先生はなかなかいませんよ。

 学習、教育の形態も変わって然るべきです。いつまでも軍隊文化、富国強兵型の上意下達(押し付け)教育がなされている「学校」にしがみついていても仕方ありません。

 

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2023.08.10

『甲州街道から愛を込めて』 いまおかしんじ監督作品

Th_61keqgjsowl_ac_ の映画、なんか好きなんだよなあ…世界で一番小さいロードムービー。

 ピンク映画の巨匠、今岡信治監督の一般作品。とはいえ、醸し出す雰囲気はいつもの今岡節。

 こういう行きずりの男女の切ない刹那の表現、本当にうまいんですよね。高校生から熟年まで、ちょっとした会話や表情や風景によって、心の奥の奥の動きを表現するのがうますぎる!

 そして、切なさの裏側には優しさがある。結局、いまおか作品というのは人間の優しさの塊なんですよね。

 どんなダメな人間でも優しさがあればいいじゃないかと。どんなダメな人間でも一人は優しい言葉をかけてくれる人がいる。

 いや、ダメだからこそ、人の愛をもらえる。許してもらえる。守ってもらえる。見捨てないでもらえる。

 そういう意味では、ダメ人間肯定映画でもあるわけで、本当に観るとホッとするんですよね。

 この映画、私にとっては見慣れた風景がたくさん現れます。甲州街道ですから。相模湖、猿橋、勝沼。勝沼ぶどう畑での切ない失恋は「この窓は君のもの」とも重なりますねえ。

 さらに実は甲州街道から少し寄り道していますが、富士吉田の某所も大切なシーンで出てきます。

 そしてラスト近くのライブハウスは、先日我が家がライブをさせていただいた下北沢の音倉さん。

 見慣れた風景がこうして味わい深いものになるマジック。すごいですねえ。泣けますわ。

 うん、なるほど、あのクネクネとした山あり谷あり、わびしさ満載の甲州街道は人生そのものですね。

 役者の皆さんも最高。クセのある人物をさりげなく見事に演じています。なんかこういう映画撮ってみたいなあ。お金かけなくてもこんなステキな作品ができるんですね。編集の妙でしょうかね。

 これまたさりげなく切ない濡れ場も効果的。さすがといったところです。

 多作家でもある今岡監督。配信でもいくつか観ることができますので、皆さんもぜひ。

 

 

Amazon 甲州街道から愛を込めて

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2023.08.09

映画『生きる FROM NAGASAKI』 松本和巳監督作品

Th_-20230810-102551 崎原爆忌。戦後78年。いつも思うことは、時の流れは絶えずして、いつか被爆者も兵隊経験者もゼロになる瞬間が訪れるという事実です。

 それが「歴史になる」という意味であるのも真理であり、ある意味そういう「忘却」の瞬間の積み重ねと、それに抗う生命の意志というものが、この世を構成しているとも言えましょう。つまり、モノとコトの拮抗。

 現代においては、テクノロジーによってその「コト」の方法と質は、かつて考えられないほどにリアルになっています。

 この作品のようなインタビューによる歴史の伝承も非常に重要な「コト」です。逆に言うと、私たちは歴史の継承、つまり自然の忘却を人工的に記憶、記録していくために、テクノロジーを発達させたとも言えます。

 オーラル・ヒストリーが文字によってではなく、映像と音声と編集によって記録される時代になり、それが人間という愚かな存在にとって記憶力と伝播力を補うに足る存在になりました。

 松本和巳監督が、このタイミングでこの作品を残してくれたことは、たしかに人類にとって良き知らせであると言えましょう。こういう「コト」がより多くの皆さん、特に若者たちに届くことを祈ります。

 数年前に、この作品の中においても重要な存在である永井隆さんの「浦上燔祭説」を紹介しました。ぜひそれもお読みいただきたい。

 その上でこの語り部たちの言葉と表情を受け取ってもらいたい。広島に建つ「過ちは繰り返しませぬ」の深い意味も理解できると思います。主語を明示しない日本語だからこそ、「罪」を誰かのせいにすることなく、人類全体の普遍的な「真理」として表現しているのです。

 どっかの誰かは、この言葉に違和感を覚えないヤツは自虐史観に冒されているというようなことを言っていましたが、逆でしょう。

 武立さんとセーラーのオルガンを通じての交流…セーラーは朝鮮戦争へ行ったまま帰ってこない。仲小路彰が言うように、第三次世界大戦は朝鮮戦争から始まって現在も続いている、ロシアとウクライナの戦争もその一部である。

 長崎が、人類史上最後の被爆地となることを願います。

 

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2023.08.08

『ひろしま』 関川秀雄監督作品

Th_41x6kdtool_ac_ 昨日は広島原爆忌。明日は長崎。

 今日は広島原爆の悲劇を伝える映画「ひろしま」を鑑賞。原爆投下の8年後に製作された作品です。

 広島市民8万8千人がエキストラ参加するという、おそらく世界映画史上最も大規模な作品です。第5回ベルリン国際映画祭長編映画賞を受賞。

 日教組プロ製作ということで、偏見を持つ度量の狭い右派の方もおられるかもしれませんが、あの当時の日教組、特に広教祖は、本当に純粋に平和を希求していました(その後はまた別の話)。

 このリアルな記憶の集合体は、圧倒的な迫力をもって時代と忘却の波に逆らいます。

 GHQの検閲によって削除されたシーンと、そしてそれに抗してあえて残されたシーン。そのために全国公開や放映にいまだにブレーキがかかっているという事実。

 最近ようやくテレビや配信で放映される機会が増えましたが、やはり基本は地方での独立上映。より多くの方々に観ていただきたいですね。

 オリジナルは白黒ですが、カラーですとあまりにリアルで直視に耐えない、あるいは白黒ならではのリアリズムがあるかと思っていましたら、最近はAIでのカラー化の技術が進み、YouTubeでカラー版を観ることができるようになりました。

 どちらが良いかはそれぞれだと思います。私はオリジナルの方でした。記憶は色ではなく光なのだなと思った次第です。

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2023.08.07

ヴィオロンチェロ・ダ・スパッラの声を聴く〜その4

Th_img_2787 パッラのお話、とりあえず最終回。興味のない方にはなんのことやらの話でゴメンナサイ。

 ただ近い将来、私、旅芸人としてスパッラを背負って全国を回って演奏していくつもりですから、まずは音を聴いてみてくださいな。素晴らしいのですよ〜。

 そう、まず、この楽器の素晴らしいところはですね、小さくてしかも音域が広いということです。旅芸人にはぴったり。歌って踊りながら弾けるのですから。普通のヴァイオリンやチェロでは不可能な芸当です。

 今回はまずは即興でいろいろ弾きながら、楽器自身からいろいろ教えてもらいました。続いて、高倉さんが所有されていたバッハの無伴奏チェロ組曲の手稿のファクシミリをお借りして弾いてみました。

 私、いちおうチェロもなんちゃってで弾きますが、この曲はとても弾けませんでした。しかし、スパッラですとなんとも弾きやすい!(簡単ではないが)。

 スパッラはヴァイオリン・フィンガリングですので、どの組曲の調性でも、一般的なチェロのようなポジション移動はほとんどいりません。さらにあの嫌〜な重音もヴァイオリン・フィンガリングだと実に容易。

 バッハ自身、ヴィオラ奏者でもありましたから、やっぱりこの曲はこういう楽器で弾きながら作曲したに違いありません。確信しました。

 そして、スパッラ5弦、つまり普通のチェロの上にE線が張ってあります。私が普段よく弾く、5弦ヴァイオリンやヴィオラの1オクターヴ下ということになりますね。

 ですので、ヴァイオリンの楽曲をそのまま1オクターヴ下で弾くことができるのです。私の構え方だと、運指も運弓もヴァイオリンと同じですから、難なく可能です。つまり、スパッラの一つの可能性として、メロディー楽器としてですね、ヴァイオリンのレパートリー全てを演奏できるのです!

 この発想はあまりなかったかもしれません。チェロという名前に引かれて、あくまでもチェロのパートを弾くもの、たとえば通奏低音やチェロ協奏曲のソロパートを弾くものと考えがちですが、いやいやそんな狭いものではない。せっかく小さくて、そして肩の上でも弾けるのですから。

 さらにヴィオラの代用も可能です。1オクターヴ下で弾くのはもちろん、音域的には実音で弾くことも全然可能です。

 つまり、この楽器は、ヴァイオリンにもヴィオラにもチェロにもなることができる、最強の楽器なのです!

 さらに今回、私はヴィオラ・ポンポーザ指定のあるいくつかの曲の楽譜を持参して演奏してみました。ヴィオラ・ポンポーザについても、いろいろ言いたいことはあるのですが、まあ簡単に言うと5弦のヴィオラ(やヴァイオリンやチェロ)のことです。

 当時のポンポーザ用の楽譜はほとんどト音記号で書かれています。スパッラで弾くと1オクターヴ下になるということですね。何曲が弾いてみましたが、非常に楽しかった。広い音域が生かされます。

 ということで、スパッラは完璧な楽器です!早く手に入れて全国回りたい!!

 追伸 ヴィオラ・ダ・ガンバのレパートリーも完全に弾けます。そして、ギターのように構えて爪弾くのも最高に粋です!

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2023.08.06

ヴィオロンチェロ・ダ・スパッラの声を聴く〜その3

Th_img_2815 てさて、スパッラの演奏方法というか構え方のお話の続きです。

 まず、私の全く素人的な発想というか、これも「人のせい」にして申し訳ないのですが、楽器さん自身からの声によりますと、「スパッラ」とは「肩」という意味だそうで、対比的には「ヴィオラ・ダ・ガンバ(足)」や「ヴィオラ・ダ・ブラッチョ(腕)」がありますね。

 ガンバについては足に挟む(ふくらはぎに乗せる)ということ、ブラッチョは腕で支える(腕の上に構える)ということです。ちなみに、一般的なヴァイオリンやヴィオラの構え方が「ブラッチョ」だと思われがちですが、私はちょっと違った見解を持っています。

 今のヴァイオリンのように、首の根元まで楽器を寄せる持ち方というのは、案外最近一般化したのではないかと思っているのです。今は私も普通のコンサートなどでは、そのような一般的な構え方に近い形を取っていますが、遊びの時には鎖骨の下で構えたり、胸に押し付けて構えたりします。

 世界中の民族楽器や、フォークロアに取り込まれたヴァイオリンの構え方を見ると、ほとんどの場合そのような「肩に乗せない」構え方をしているのです。これは重要な事実です。

 今のように顎当てまでつけて、あごと肩で強く挟んで弾く方法は、まさに「近代的なクラシック(という矛盾した)」奏法です。

 そこに取り込まれていない、つまり古代人(?)や民族音楽奏者にとっては、それは大変不自然な姿です。なぜなら、「歌が歌えない」からです。

 明治期の日本にヴァイオリンが入ってきて、いわゆる「演歌師(演説歌手)」が出てきた時も、彼らは当然歌を歌い、体を動かして演技をしながらヴァイオリンを奏でたので、首から上は完全に自由な状態でした(当然です!)。

 そうしますと、「ブラッチョ」というのは、「腕で支える」「腕の上で構える」という意味であると考えるのが自然でして、「ガンバ」もそんな感じ(ディスカウントも足の上に構える)。

 ということは、「スパッラ」もあくまでも「肩で支える」「肩の上で構える」という含意ととらえるのが自然でして、逆に「肩掛け」に直接つながる感じは(私は)しません。

 肩掛け式の場合は、命名の際「肩」を強調するより、「掛ける」方を強調するような気がしますが、さていかに。

 というわけで、全く学術的ではない勝手な発想なのですが、私はヴィオロンチェロ・ダ・スパッラを「肩の上」に構えたいと思った次第です。

 では、いよいよその形で曲を弾いてみましょう!(続く)

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2023.08.05

ヴィオロンチェロ・ダ・スパッラの声を聴く〜その2

Th_img_2792 日の続き。スパッラの演奏方法についてです。

 10数年前の私も、そして今回の私も、最初はストラップをつけて「肩に掛けて」演奏を試みました。

 しかし、それがどうもしっくり来なかったのです。もちろん慣れていないという要素も多大でしょう。しかし、それ以上に「そうじゃないんだよな〜」的な感じが楽器から伝わってきたのです(笑)。

 自分の立場から言うと、あの構え方ですと弓や腕の重みが弦に乗らないのがどうも違和感。私はもともと弓と腕の重みだけで弾く(つまり弦に弓を押さえつけない)タイプの演奏をします。ですから、一般的なヴァイオリンやヴィオラもなるべく肩の上で平らになるように構えます(普通というか近代以降はやや前に傾ける人がほとんど)。

 そうした「自然な」音の出し方からすると、胸の前に構える「肩掛け」方式はどうもしっくり来ないのです。もちろん、高倉さんも言う通り、明らかにストラップ的なもので胸に前に吊り下げて弾いている絵もありますが、それが全てではありません。

 ということで、私は本当に単純な発想というか欲求に基づいて、普通のヴァイオリンのように肩の上に乗せて(あごでは挟まない)弾いてみたのです。

 そうしたら、まあなんと弾きやすい(音を出しやすい)ことか。そして、危惧された左手の運指にも全く問題がありません。正直10秒も弾けばすぐに左手の作法(楽器の支え方、音程の取り方、ヴィブラートのかけ方など)はマスターできました(楽器から教えてもらいました!)。

 右手、つまり運弓の方は、まあ今まで5弦のヴァイオリンやヴィオラ、そしてヴィオラ・ダモーレなどを弾いてきましたから、そちらもコツをつかむのは難しくありません。

 さらに「楽器の声」を聴くと、楽器自身の胴体を振動させる方法もわかってきます。実際、とても良くなるので、高倉さんも驚いていらっしゃいました。(続く)

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2023.08.04

ヴィオロンチェロ・ダ・スパッラの声を聴く〜その1

 日は一昨日に続き、飯能の高倉匠弦楽器製作工房さんを訪問いたしました。

 高倉さんは日本を代表するヴァイオリン製作者であり、世界を代表するヴィオロンチェロ・ダ・スパッラの研究家、製作者であります。

 いろいろな方々からお名前は聞いておりましたが、ここ最近ご縁があって懇意にさせていただくようになりました。

 スパッラは一般に肩掛けチェロと言われている楽器で、古楽の世界ではここ十年ほどちょっとしたブームになっています。

 古楽界の重鎮、師匠の一人であるシギスヴァルト・クイケンが弾いて解説している動画があります。

 

 この楽器の存在についてはちょっとグレーな部分があります。極端なことを言うと、本当に実在したのか微妙なのです。まあ、存在はしただろうけれども、はたして実用されていたのかどうか。

 古楽の世界は、ある部分では「歴史的」であろうとしますが、元々そのムーブメントが「正統」クラシック音楽に対するカウンター・カルチャーとして生まれたこともあり、その本質に「挑戦的」「想像的」そして「恣意的」な性質を持っています。

 たとえば、当時の絵画から様々な想像をし、それを都合よく解釈し、現代にないモノを「甦らさせる」挑戦を怠りません。40年以上古楽にたずさわってきた者としては、それが面白くもあり、一方では違和感でもありました。

 特にオーセンティックを標榜すればするほど、別ジャンルで言うところの「古史古伝」のような胡散臭さが生まれてしまう。極論的には、どう証明するのか、本当にそうだったのか、ついでに言えば弾いている人も聴いている人も全然オーセンティックじゃないじゃないかと(笑)。

Th_img_2814 で、過去の人たちが上流(未来)に投げたボールをキャッチするのが得意な(?)私は、どういうアプローチで古い音楽や楽器に対するかと言いますと、「楽器から直接学ぶ」「楽譜から直接学ぶ」ようにしているのです(まじめな練習や研究が苦手とも言えますが)。

 今回も久しぶり(たぶん10年ぶりくらい)にスパッラに触れることができた私は、高倉さんの興味深いお話を重要なガイドとして、スパッラ自身の「声」を聴くことに専念してみたのです。

 そうしましたら、なんと「肩掛け」ではなく、上の写真のごとく「肩乗せ」になってしまったのです!(続く)

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2023.08.03

寺は消滅するのか?

 

 は、一般人の中ではかなりお寺やお坊さんに近い立場にある人間だと思います。

 なんなら修行に行ってお坊さんになってもいいとさえ思っています。ただ、その根性がないので、資格は持たず、かつての高僧たちのように全国を行脚して「教え」を説いております。

 この動画にあるとおり、江戸時代の寺請制度以来、寺は本来の宗教活動から離れてしまいました。寺というより、仏教そのもの、それぞれの宗派がそれぞれ腐敗していったのです。

 中からなかなか宗教改革ができないので、大愚和尚のように新しい宗派を設立するというのは、世界史上普通のことです。釈迦もそうだったように。

 私はホンモノの「大愚」なので(笑)、「釈迦に説法」をもいとわず、既成仏教を超えた未来仏教の構築を目論んでおります。それは宗教ではなく芸術に近いものです。

 そう、出口王仁三郎が「芸術は宗教の母」「宗教がなくなるのがみろくの世」と言ったことの意味が、最近よくわかるようになってきました(たぶん)。

 先日、この番組に出演されている3人のうちあるお一人の方と飲む機会がありました。そこでも宗教を超えたモノの話をして大いに盛り上がりました。そして、時代の変化の話。

 変化を求められているのは仏教やお寺やお坊さんだけではありません。それらは世間を象徴しているにすぎません。この番組の内容も自分ごととして捉えねばなりませんね。

 なお、ここで「経営という言葉は仏教用語」と説明されていますが、それは正確とは言えません。たしかに禅堂などで使われることはありますが、もともと「マネジメント」的な意味で広く使われていた漢語であり、それを仏教が拝借したと考える方が自然です。

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2023.08.02

アニメ映画 『はだしのゲン』

Th_81jag31sxtl_ac_ul800_ql65_ 日のクローズアップ現代は『「はだしのゲン」はなぜ消えた?』でした。

 私もモロに「はだしのゲン」世代でして、小学校の教室でみんなで回し読んだ記憶があります。

 このたび広島の平和教材から「はだしのゲン」が消えたことについて、今日のクロ現では暗に保守系団体からの圧力があったことを伝えていましたが、まあその通りでしょう。

 たしかに共産党系、日教組系の出版社で連載された後半はあまりに左寄りで、正直ドン引きするような内容ですが、前半は戦争や原爆の悲惨さ、そしてゲンをはじめ広島の皆さんのたくましさが表現されており、良い教材だと思います。

 まあ、たしかに教材として興味を持つとついつい全巻読みたくなりますよね。そうすると例の天皇批判などに出くわすことになり、それを保守や右翼は許さないというわけです。

 今の時代、いくら左寄りの広島県教職員組合や教育委員会でも、(アナクロな)街宣車などが登場しては面倒だと考えたのでしょう。

 まあ、本当はそうした右の考え方も両方教えた上で結論を出さず考えさせるのが教育だと思うのですがね。

 そのような面倒なことを避けるためには、このアニメ版「はだしのゲン」を教材にするのが良いでしょう。このたび改めて観てみましたが、やはりなかなか良い作品でした。

 過去の悲惨な事実と、未来への希望や勇気、永遠の家族の愛情とその拡張がバランス良く描かれていると思います。子供たちには良い教材でしょう。もちろん扱う教員の資質も問われますが。

 戦後78年。いよいよ記憶が歴史になっていく季節を迎えました。思想や感情に流されず、あの戦争の未来的な意義を真剣に問うことこそ、多くの御霊の「様々な思い」に報いる唯一の方法となるでしょう。

 

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2023.08.01

『あの空の花 長岡花火物語』 大林宣彦監督作品

Th_71xqhwka51l_ac_ul800_ql65_ 8月になりました。日本の夏。戦争の夏。

 今日1日は長岡空襲の日です。昭和20年のあの夜から78年。

 長岡では1日は3発だけ無色の花火が上がるそうです。花火大会は2日と3日。

 この映画でも通奏低音となっている「爆弾」と「花火」の対比。山下清の「みんなが爆弾なんかつくらないで きれいな花火ばかりつくっていたら、きっと戦争なんて起きなかったんだな」という言葉。

 大林作品の中でも、この作品は最高傑作の一つだと思います。独特の表現から好き嫌いが分かれるかもしれませんが、私は対位法的に絡み合って美しく響くストーリーたちと、それをテンポよく伝えるリズムの良さが大好きです。

 やっぱり天才ですよ、大林監督。

 これぞ映画表現です。映画でなければできない表現。日本映画でなければ伝えられないメッセージ。

 元々監督は映画に写実的なリアリズムは求めていませんでしたよね。ファンタジーの中のリアリズムは、日本の伝統的な表現、例えば能や浮世絵のような強力な象徴性を持っています。

 今はとても便利な時代になり、劇場に行かずとも家庭でこういう傑作を鑑賞できるようになりました。あまり知られていない作品かもしれませんが、本当に名作だと思います。ぜひご覧いただきたい。

 夏はいろいろな意味で切ないですね。その切なさこそ人と自然の美そのものなのでしょう。

 まだ戦争には間に合う…まだ◯◯には間に合う。切なさを超える勇気が必要ですね。

Amazon この空の花 長岡花火物語

 

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