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2023.07.02

和紙というモノ

Th_img_2682 日は午後から富山県射水市でトークショーでした。これまた多くの皆様にご来場いただき感謝です。

 午前中、泊めてくださった立山の友人と一旦別れ、別の立山の友人と合流。どこへ行くかも告げられず促されるままに彼の車に。車は立山の懐へと向かいます。

 昔ながらの土蔵が並ぶ集落にそのアトリエはありました。

 川原製作所

 先方も誰を連れてくるか知らなかったようで、私という人間をちょっと不審そうな目で追います。それはそうですよね。怪しすぎる。

 そして時とともに、和紙と茶碗…お互いのモノ(物・霊)を通じていつのまにか響き合っていたように思います。

 そんな時こそコトバは無力。本当にうまく話せない自分がいてびっくりしました。

 まさにひょんなことから、伝統的な和紙の世界を継ぎ、そして未来に投げる役についた若者。まちがいなく神様に選ばれたのでしょう。

 昨日の話ではありませんが、やはり彼にはエゴがなかった。だから純粋に師のソウルを受け取れた。なるほど。

 ただ技術的なコトをコピーしているだけではダメ。モノ(ソウル)を招いて一体化せねば。

 それが世阿弥の言う「ものまね(招霊)」なのでしょう。

 自然と人の調和。生活と芸術の調和。民芸以前の芸術。

 そのセンスの良さはおそらく天与のモノでしょう。驚きました。

 陶芸家の奥様が、かなり近いところで出口王仁三郎とつながっていたことにもびっくり。完全なるお導きですね。

Th_22031 そして和紙工芸作家、後藤清吉郎…ウチの先祖がたどりついた静岡に、こんな人がいたとは知りませんでした。不勉強を恥じるばかりです。

 後藤は大分県の出身ですが、富士宮を拠点に全国の和紙を研究し、自らも工芸家として魅力的な作品を多数残しています。そのうちのいくつかを川原さんがお持ちで拝見させていただきました。たしかに非常にハイセンスなデザイン、かつ濃厚な内容でした。

 静岡で民芸というと芹沢銈介が真っ先に頭に浮かびますが、ある意味それ以上の人物がいたのですね。

 お話しながら私も気づいたのですが、ウチの家系も和紙に関わっていたのでした。和紙に関わる仕事(輸出用茶箱の蘭字ラベル)に携わっており、埼玉の小川町から横浜、そして静岡へと移ってきたのでした。う〜ん、ここで和紙が来たかあ…という感じです。

 これから面白い展開がありそうです。モノは人と人を出会わせます。紙は神、そしてモノ(霊)なのでした。

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