ロバート・ヒル 『バッハ シャコンヌ』
昨日の「能」でも強く感じましたが、「伝統」というのは非常に難しい。どこまでも旧態を守ればいいというものでもなく、かと言っていたずらに換骨奪胎すべきものでもない。
不易流行とは簡単に言いますが、芸事に限らず、ビジネスでも教育でも、それは非常に難しい決断を迫るものです。
私も古い音楽をやったり、古い日本語や宗教を研究したりする中で、常にそのような迷いにぶつかり続けています。
最近の私は、その人が現代に生きていたらどうしているかを考えるというスタンスです。たとえば、世阿弥が現代に生きていたら、彼のスピリットからして、きっと最新のテクノロジーも駆使しただろうとか。では、どこまでやるだろうか、というのを考えるのが楽しみでもあります。
このバッハのシャコンヌの編曲と演奏も、そういう判断と決断を迫られるものでしょう。
まずは現代にバッハが生きていたらという以前に、(当時バッハ本人も間違いなくやったであろう)無伴奏ヴァイオリンの為の傑作を自分が弾けるように鍵盤楽器用への編曲、あるいは即興演奏をしたら、どういう音を足してだあろうかという大問がありますね。
そしてようやく現代です。当時よりも明らかに音楽体験の広い(深いかどうかは別)聴衆に対してどのような演奏をすべきか、また録音によって何度も聴かれるということを前提とした演奏とはどうあるべきか。
モダン・バッハはもしかすると、電子楽器をコンピュータに演奏させるかもしれない(世阿弥が舞台装置にCGを使うように!)。
いろいろ妄想すると楽しいですよね。
今日紹介するロバート・ヒルの演奏は、彼自身による非常によく出来た編曲ですが、その編曲された楽譜とともに、そこへの書き込みも見ることができ、さらにはそれぞれのレコーディングでの即興的装飾、あるいは音をあえて削除しているところなどを確認できるという意味でも大変興味深いものです。
原曲のニ短調をト短調に転調するのは、古くはグスタフ・レオンハルトもやっており、バッハ自身の編曲にも楽器の特性から来る演奏効果からか、そのような例を見つけることができますね。
今日はロバート・ヒルによる三種類の演奏をお聴きいただきましょう。ちなみに楽器はお兄さんであるキース・ヒルの作品です。キースの楽器製作もまた、単なる「過去のコピー」ではないのは言うまでもありません。
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