sadとsatisfyと「飽く」
語源が好きです。マニアというほどではありませんが、語源を知りたいと常に思っている人間ではあります。
先日紹介した、堀田隆一先生の「英語の語源が身につくラジオ」からも多くの知見を得ています。
その中で、あっ面白いなと思ったのが、「sad(悲しい)」と「satisfy(満足させる)」 が同源というお話。
これを聞いて「なるほど満足するとなんとなく悲しく(虚しく)なるもんなあ」と思ってうなずいた人、特に賢者タイムを知る男性諸氏は多かったのではないでしょうか(笑)。
私もご多分に漏れず思わず膝を打った一人ですが、さらに面白いことに気づきました。
おそらく賢者タイムは世界共通でしょうから、日本語でもそういう言葉はあるのでは考えたところ、ああ「飽く」がそのものだなと気づいた次第です。
皆さんも古文で習ったのではないでしょうか。結構重要な古文単語ですよ、「飽く(あく)」。現代語で言えば「飽きる」です。
現代語の「飽きる」の意味は言うまでもないでしょう。「飽き飽きする」のように言うとよく分かるのですが、なんとなく「うんざり」な感じを含んでいますよね。
もう結構ですというある種の忌避感、少なくとも不満な感じがします。
では古語としての「飽く」はどうかというと、ご存知のとおり「満足する」という意味なのです。
現代でも「飽くなき挑戦(満足することのない挑戦)」、「飽くまで(満足するまで)」という形で残っています。
つまり、「飽く(飽きる)」も満足することによって生じる不満という、私たち人間の一見矛盾した感情を表現しているのです。
これって人類(特に男性に?)インストールされた根源的なパラドックスなのでしょうか。
満足が満足を助長すると、たしかに快楽的行動は終わりを知らず続くことでしょう。それだと私たちは間違いなく滅びてしまいます。
人類は進歩し、どんどん満足を得られるようになるとともに、どんどん虚しさも感じるようになっており、それが現代の病として問題かしているとも言えそうです。
きっとお釈迦様はそのあたりを悟っており、だから「知足」を唱えたのでしょうし、煩悩をコントロールすることを教えたのでしょう。
そう考えると、今、世界の先進国の多くは「賢者タイム」に入ってるのかもしれませんね。
余談になりますが、Social Anxiety Disorder(社交不安障害)の略とて「SAD」が使われるようになっていますが、ちょっとどうですかね。悲しいほどに気遣いのない略語ではないでしょうか。
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