青木ヶ原樹海の石塁
今日は父の一周忌で静岡と山梨を往復。
こちらで紹介したルートを走りました。本栖から中之倉を越えて下部に降りるたびに思うのですが、この険峻な道は今でこそループトンネルまでできて大型車でも通ることができますが、昔は大変だったろうなと。
しかし、そうした大変なルートこそが地の利となる場合もありました。甲斐国(山梨県)の戦いの歴史とは、すなわち山深い場所でのゲリラ戦の歴史と言って良い。
武田信玄もそうした山中で騎馬を操るという特殊技術をもって天下を取る寸前まで行きました。
信玄のいわゆる西上作戦が、駿河から遠江という海岸ルートではなく、諏訪から伊那、そして青崩峠からの山岳ルートを取ったのも、そういう理由があります。
ちなみに最近では、海岸ルートが見直されているようですが、陽動作戦のための偽文書も多い時代のことですから、そう単純には判断できないでしょう。
というより、いわゆる西上作戦にも多数の分隊があり、様々なルートで移動していた可能性の方が高いと思います。
今日車で走ってみて、もしかすると若彦路か中道往還で本栖まで到達し、そこから中之倉を越えて富士川沿いに出る部隊もあったのではないかと直感しました(あくまで直感です)。
そうした時に、さらに思い出されたのが、本栖宿付近の青木ヶ原樹海内にある謎の石塁のことです。
バンド仲間でもある地元の研究者が、この石塁について詳しく語ってくれています。
富士山の麓、青木ヶ原樹海に延長2kmの“石の壁” いったい誰が何のために? いまだ解明されない謎
なるほど面白いですね。謎すぎます。
で、今日思ったのは、甲州征伐で武田氏が滅亡した際、残党の一部が青木ヶ原樹海に潜み、ゲリラ戦を企んだのではないかということです。
このような発想に至ったのには、もちろん「宮下文書」における南朝残党の戦いの記録の影響がありますし、樹海近くに住む者として、そしてかつて樹海で未知の洞穴を発見した者としての、体験実感に基づく部分もあります。
あくまで今日の直感ですので、これからそれを基にいろいろ検証してみようかと思います。後南朝勢力と武田氏の関係についても研究はほとんどなされていませんし。
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