坂本龍一ピアノ作品集 (イェローン・ファン・フェーン)
改めて坂本龍一さんの作品を聴いています。
先日お会いした川添象郎さんもおっしゃっていたとおり、坂本さんはある意味地味な音楽家です。
運や縁に恵まれて世界的に有名になったのですが、最後までご自身のスタンスは崩さず、「らしい」作品を作り続けました。
バッハやドビュッシーの影響を受けたと語りますが、それ以上に感じるのは、やはり日本人、アジア人としてのアイデンティティーですよね。
西洋音楽と東洋音楽の融合と言うのはやや乱暴な気がします。
融合ではなく、もともと一つであったモノを再構築したのかもしれません。ですから、作品たちには変な意図やテクニカルなものを感じません。
もちろん、ミニマムな音世界ということもあるでしょう。それが本人の言うように自らの演奏技術不足に発するとしても、それもまた自然なことであり、ある意味では「禅的」必然とも言えましょう。
坂本さんは芸大で学んだわけですが、そこで出会った小泉文夫さんの影響を忘れてはなりません。
音楽を含む西洋美学を学び慣れていた小泉さんは、ある日突然自分のホーム・ミュージックである「地歌」に出会って衝撃を受けます。その後の民族音楽界での活躍は言うまでもありません。
私も小泉さんの著作に刺激を受け、大学時代は西洋音楽とともに琴、三味線を学びました。その延長線上に「東西古楽の祭典」である都留音楽祭が生まれ育ちました。
坂本さんは、坂本さん独自のやり方で東西の融合ならぬ、一本の根っこの発掘、再発見を続けました。
このピアノ曲集を聴きますと、その方法が見えてきますね。
バッハに極まった(とあえて言いたい)西洋近代和声音楽を、どう乗り越えるかはその後のヨーロッパ作曲家の大きなテーマでした。
それは面白いことに、また皮肉なことに西洋近代和声からの脱却という、ある意味先祖返りの道を辿っていくのです。
フランス近代の作曲家たちは、ジャポニスムの影響も受けながら、遠く極東の響きを夢想しましたし、その後アメリカで生まれるジャズは、源流たる極西とも言えるアフリカへの回帰を(西洋楽器で)目論みました。
では、日本人はどうしたか。逆に西洋音楽を積極的に摂取しつつ、それを自らのオリジナル音楽で包み込み独自の進化を促していきます。
昭和歌謡はその一つの極点であり、その線上にあるニューミュージック、フュージョン、そしてYMOを生んだのは川添象郎さんらです。
これはあまり指摘されませんが、西洋和声の上にペンタトニックのメロディーを乗せる効果というのがありまして、それは経過音や残響および脳内記憶による瞬間的和声の複雑化の視点から見ると、純粋な西洋ポピュラー音楽に比べて「歯抜け」になるのです。
歯抜けというと否定的なイメージですね。引き算による「間」といった方がいいかもしれません。
私からすると、坂本さんはその「間」を極めることによって、自らのルーツであるとともに地球のルーツである響きと間にアプローチしたのではないかと思われます。
そういう意味では、彼の音楽は太古の音楽であり、また未来の音楽でもあります。これから彼の音楽は、世界中でますます高く評価されていくことでしょう。
Rest In Peace…きっと雲上でヤマハC7をにこやかに弾いていることでしょう。
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