秋山歌謡祭(メ~テレ)
ウワサに聞いていた番組をようやく視聴いたしました。
たしかに面白い。地上波だが地方局だからこそできた企画ですな〜。
メモ少年の思いが詰まりつつ、決して感動的ではない、チープな完成度(?)の絶妙な面白さでした。
特にCMが良かったなあ…。天才秋山の本領発揮です。
まあ理屈抜きに楽しんでください。
考えてみると、メモ少年って究極のストーカーですが、人生の夢を叶えてしまい憧れの人と会うだけでなく一緒に仕事してしまうあたり、ちょっと私とカブるところがあるかも(笑)。
ウワサに聞いていた番組をようやく視聴いたしました。
たしかに面白い。地上波だが地方局だからこそできた企画ですな〜。
メモ少年の思いが詰まりつつ、決して感動的ではない、チープな完成度(?)の絶妙な面白さでした。
特にCMが良かったなあ…。天才秋山の本領発揮です。
まあ理屈抜きに楽しんでください。
考えてみると、メモ少年って究極のストーカーですが、人生の夢を叶えてしまい憧れの人と会うだけでなく一緒に仕事してしまうあたり、ちょっと私とカブるところがあるかも(笑)。
今回の東北・北海道ツアーが始まる前、冗談で十和田湖に行ったら地震が起きると言っていました。今回久しぶりに耀わん「十和田」が十和田湖に行くので。
それは昭和3年9月、同じく東北・北海道ツアーをしていた出口王仁三郎が十和田湖の湖上に船で出た途端、十和田湖直下震源の大地震が起きた事実があったからです。
半分冗談だったのですが、今回不思議なことに、十和田を背負った私が北上するのに伴って、それぞれの場所で地震が発生したのです。
まあ偶然といえば偶然でしたが、その震源の北上具合が私を追いかけているようで、思わず笑ってしまいました。富士山に帰ってきたら、東北地方の地震止まりましたし。
特に大きかったのは28日の青森県東方沖震源M6.1ですね。
当地方でのM6クラスの地震は2020年12月以来でした。
何度も警告しているように、3.11の最大余震はまだ発生していません。割れ残りとしては、房総半島沖と並んで、ここ青森県東方沖が非常に危険度が高い地域となります。
また、かつての十和田火山の噴火が、東北沖の大地震と連動していることを考えると、東北地方の火山の噴火の可能性も高いと言わざるをえません。
天災は忘れた頃にやってくる。気をつけたいですね。
久しぶりに気動車(ディーゼル)特急に乗りました。北斗です。
まず27日夜に新函館北斗から札幌まで、29日午前中に札幌から新函館北斗まで。27日は夜だったので景色を楽しむことができませんでしたが、おかげで気動車独特の「音」を堪能いたしました。
力行時のエンジン音、ターボ音は気分が上がりますし、惰行時のレールジョイント音、スキール音は心地よい落ち着きをもたらします。
ここのところ自動車か新幹線の旅が多かったので、本当に久々に鉄道旅の楽しさを味わうことができました。
そこで酒を飲みながら考えたことなのですが、人生も「惰行」をうまく使いたいなと。
いつもエンジン全開だとうるさい。うるさいと落ち着きがなくなり、周囲への気配りもなくなります。
燃費も悪くなります。つまり不要に疲れる。
ですから、人生も適度にも「惰行(惰性で生きること)」が必要なのではないでしょうか。
力行と惰行のバランスを考えるのは面白いものです。まさに運転士の気分になります。特に惰行をやめて力行に移行するタイミングは難しい。
ここぞというところでアクセルを踏む(マスコンを引く)わけですが、そのタイミングのはかり方については、昨日も講演でお話ししました。
自動車は接地摩擦抵抗が大きいので「惰行」の参考にはなりませんが、列車は抵抗が少ないので実はかなりの割合で「惰行」しており、その感じが人生にも通ずるところがあります。皆さんもぜひ気動車特急でその極意を学んでみてください。
惰行が上手な人は健康ですし長生きすることでしょう。
そうそう、惰行を極めると経費削減になるという実例があります。参考までに。
この日は札幌にして講演をいたしました。
北海道各地からお集まりくださった皆さん、なんとも明るく純粋な魂をお持ちでいらして、懇親会の二次会に至るまで、本当にこちらも最高に心地よい時間を過ごさせていただきました。
実はこの日は私たち夫婦の結婚25年の日、すなわち銀婚式でして、あんなにたくさんの全く初対面の方々にお祝いいただけるなんて、本当に私たち夫婦は幸せ者です。感謝。涙。
この記念すべき日を北の大地で迎えることになったのも、何かの因縁でありましょう。
ちなみに私の北海道上陸は35年ぶりくらい。スキーで遭難しかけ、すすきので呑んだくれてやらかした苦い記憶が(笑)。東北人の家内はなんと初めて。
また、今回は大学の天文部の後輩が講演や懇親会に参加してくれまして、彼とはそう、37年ぶり!の再会でしょうか。これまたいろいろと不思議な経過があったのです。つながる時にはつながるものですね。
出口王仁三郎の雛型理論によると、北海道は北米大陸にあたります(今回はヒマラヤからシベリアを通過して北アメリカに行ってきたことになります)。
なるほど、両者ともに発見地、開拓地、移住地であり、だからこそフロンティア精神、進取の気質があります。
そんな場所で、多くの皆様に励まされて後半生のスタートを切れたことは大変感慨深く、また刺激的なことでした。
ありがとうございました。また伺わせていただきます!
26日の大湯セミナーに続き、この日は十和田湖にてご神事。
我が家の耀わん十和田が十和田湖を訪れるのは、4年ぶりでしょうか。
前日のセミナーでも少し触れましたが、王仁三郎の「十和田湖の神秘」には、いわゆる三湖伝説を超えた興味深い情報がたくさん含まれています。
私の研究も重ねますと、出雲、富士山、十和田とは非常に深い関係があることになります。さらに信州皆神山、羽州鳥海山、綾部本宮山もそこに関わっています。
今回は王仁三郎自身から声を聞くことができる方のお示しにより、それら聖地に因む三つの玉(耀わん)、そして三人の女子が中心となって、十和田の龍神を解放するという神事をさせていただきました。
気温が低く、強い北風が吹きつけ、さらに雪もちらつく重苦しいお天気だったのが、神事が最高潮に達した途端に、黒雲に穴が空き、それがどんどん広がって最後には湖上のみが青天になるという、本当に不思議な現象を体験することとなりました。
ありがたいご縁で集まった参加者の皆さんの純粋な心に、天も動かされたのでしょう。まさに「至誠感神」。「至誠感天」とも言いますからね。
富士越えの龍に象徴されるように、龍神とは、火(溶岩・噴石・火砕流)と水(川・海・湖)との出会いによって生じる水蒸気のエネルギーのことです。
このたびも巨大なカルデラに囲まれてあらためてそれを体感しました。皆さん、ありがとう。
この日は環状列石で有名な縄文の里、秋田県大湯温泉の素敵すぎるお宿yuzakaさんにてセミナー。
出口王仁三郎の耀わんが三つ集合し、感動的な夜を楽しみました。
写真で耀わんの後ろにあるのが、王仁三郎直筆の扇です。
昨日の記事の最後、「誠を極めて神様を感動させられるようにしたいものです」と書きましたが、それを四字熟語で表現しますと、この扇面にある「至誠感神」となります。
「感神」は「神を感ず」ではなく、「神を感動させる」という意味です。
「誠」とは「真実」であり「真事」であり、「命(みこと)」に通じます。
すなわち、神様からのオーダーを素直にさせていただくということです。それが極まると、オーダーを下した神様も感動してくださるのです。そういう神人の関係性が最も尊く、最も正しい。
神人合一、神人一如とはそういうことでしょう。
それにしても大湯はいいですねえ。温泉こそ自然という神の恵みですよね。縄文人は天のオーダーに従って生きていたのでしょう。神が感動して、このお湯をプレゼントしてくれたに違いありません。
この日は家内の両親の金婚式がありました。
明るく元気な秋田の親戚の皆さんにまじって、大変楽しい時間を過ごさせていただきました。
全員がいろいろと出し物をやった中、ウチの次女は芸大で能を学んでおりますので謡を披露。まあお酒を飲む席でもあるので「猩々」でいいのではということで、あまり深く考えずに演目を決めたのですが、なんと義父母の住む十文字町と「猩々」とは浅からぬ因縁があるとのこと。
十文字駅前にも堂々と「猩々」像が立っているのですね。それはレプリカで、本物は十文字図書館にあるとのことで、娘は翌日見に行ったようです。
毎年7月には「猩々まつり」が開催されるということも、正直知りませんでした。
返す返すも今回「猩々」を選んだのは不思議です。
ところで、なぜ十文字に猩々なのか、気になるところですよね。
そこは、こちらの説明をどうぞ。
なるほど、猩々は清浄につながるわけですね。私も最近は日本酒を飲んでばかりですが、飲んでますます清く、誠を極めて神様を感動させられるようにしたいものです。
1週間以上更新が滞っておりました。
東北・北海道ツアーに行っておりました。いろいろと思い出しながら追いついていこうと思います。
この日は秋田に車で移動いたしました。
山梨の富士山から秋田の横手までの移動経路ですが、かつては長野・新潟・山形経由のいわゆる日本海ルートを使うことが多かったのですが、東京に住む次女を拾って行くことが増えたことから、東北道を経由する最短ルートを利用することが増えました。
特にここのところ整備されつつある東北中央道のおかげで、山形の内陸ルートがだいぶ快適になりました。
昨年10月には鮭川から真室川までの泉田道路が開通し、無料区間がさらに増えたこともあって、お財布にも優しい状況になっています。
東北中央道の北の終点は横手になりますが、問題はやはり雄勝峠。雪女伝説もある雪深く、山深い峠ですね。
国道13号の雄勝トンネルの東に新雄勝トンネルを掘る予定だそうが、難工事は必至。開通はいつになることか。
これが全線開通しますと、富士山から横手まで、夢の6時間台(!)も現実のものとなるかもしれません。そうなると飛行機を使うより早くなるのです。
ちなみに30日の帰りもこのルートを使おうと思ったのですが、通行止めやら渋滞やらで見事10時間以上かかりました(苦笑)。
またまた私が宇宙由来であることを証明する発見が!?
昨年6月こんな記事を書きました。
そこにこうあります。
私、自分が宇宙人で、そのルーツが小惑星帯にあるということを、ずいぶん前から言ってきました。
たとえば、高城剛さんとの対談の中で「私たちはどこかの星から一度太陽系の小惑星帯に集まって、そこから班に分かれて地球に降り立った」みたいなことを言いましたよね。
当然、皆さん一笑に付してきたわけですが、どうですか、ちょっと笑えなくなったのではないですか?
リュウグウはアポロ群に属する小惑星です。アポロ群はもともと火星と木星の間の小惑星帯にあったのですが、木星の強い引力の影響を受けて放り出されました。そしてたまたま地球に近接する軌道をとるに至りました。
つまり、私の前世の記憶というのは、DNAに刻まれたこのアミノ酸の記憶なのです!
そして今回、さらに遺伝物質RNAを構成する「ウラシル」が検出されたとのこと。ますます、私の記憶が宇宙由来、それも小惑星に乗ってきたということを笑えなくなってきましたよね!(笑)…と自分で笑っていますが。
これは本当に大変な発見です。今回もあまり世間は騒いでいません。大ニュースだと思うのですが。
北海道大学の大場准教授はこのように語っています。
「今回の検出は、地球での生命誕生の際には、地球外からきた物質が材料となった説を支持するもの」
その通りです!!
前日の劇的なサヨナラ勝ちに続き、劇的どころか、マンガ的、いやマンガを超えた現実としての世界一奪取となりました。
もう涙が枯れてしまいしまた。
これも私が言うまでもありませんが、最後、大谷対トラウトとか、なんなんですか!できすぎでしょう。
もうこの準決決勝を超えるのは難しいでしょうね。少なくとも100年間は。
侍ジャパン。まさに武士道的な精神性の高さ、品格、そういったものが野球を通じて世界に発信されましたね。ベースボールではない野球という文化。
春の甲子園も始まっています。そう、軍隊文化、軍国主義の残影としての甲子園の延長線上にこの快挙があるわけですから、やはり、単純に野球をスポーツとして捉えることは許されませんね。
こういうことは言うべきではないのかもしれませんが、ようやく戦後が終わったような気さえしました。
WW2のリベンジとか、そういうレベルの話ではありません。逆ですよ。昇華というか、抱擁というか、慰霊というか。
やはり一つの時代が終わりましたね。そして新しい時代の夜明けが近い!
野球好きで良かった。本当に感謝。
本当に野球は面白い!
もういろいろ書く必要はないでしょう。あまりにも劇的な村上の復活サヨナラ打でしたね。涙、涙。
何度か書いた記憶がありますが、「野球」というスポーツ(文化)は、宇宙の中でこの地球にしかないのですよ。
ほかのサッカーやテニス、バスケ、ゴルフなどは、とても似たものが無数にあるのです。
つまり、野球は「不自然」「不均衡」「不平等」なのです。スポーツ(ゲーム)は自然、均衡、平等の方向に進化していくはずなのに、野球は違うのです。
だから面白い。体格、体力、スピードだけでなく、精神的なもの、集団的戦略、そして偶然(事故)も勝敗を分ける重要な要素になる。
日本人が得意とするのは、そういうアンスポーツライクなところなのです。
そういう視点でもう一度観戦いたしましょう。
山梨で学校の仕事を終え上京。
神田神保町にて酒席。いつものお店で、リアル戸来(へらい)さんに初めてお会いしました。キリストの子孫ということです。来週、ちょうどキリストの墓参りするところでしたので、このまた偶然(必然)に驚きました。
泊まりは上野桜木の娘のところということで、寝る前に上野公園にてお花見をいたしました。
娘の家は寛永寺のかつての境内の中にあります。つまり、上野戦争の現場でもあるわけで、お花見にも当然慰霊の意味があります。
お花見の名所は、そのような歴史を持つ公園であったり、あるいは墓所、霊園であったりしますよね。
山梨の田舎でも、墓所でお酒を飲みながらご先祖様とお花見をする習慣が残っています。
上野公園のお花見も、コロナで4年ぶりの解禁です。そう、全国でお祭りやこうした慰霊行事が中止になってきました。
そうした霊的な視点からも、ようやく以前の状況に戻れる感じですよね。
一度立ち止まることによって、ルーティンになってしまっていた各種行事の本来の霊的意味を再確認するのも良いことでしょう。
この日は長野におりました。
友人の案内で久しぶりに善光寺参り。
車がパンクしたり、いろいろアクシデントがあったおかげで、かなり予定が狂いました。
しかし、そのおかげさまで、全く想定していなかった「お数珠頂戴」の栄誉に浴しました。
たしかにこの日はお彼岸の中日。午後大法要があるわけです。
私も写真のように跪いて、善光寺住職大勧進の御貫主さまにお数珠で頭を撫でていただきました。
正直、お彼岸も意識しておりませんでしたし、お数珠頂戴というものがあることも知りませんでした。
それなのに、偶然(必然?)に偶然が重なっての最高のポジショニングとなりました。少し遅かったり早かったりしたら最前列に並べませんでした。
貫主さまの「南無阿弥陀仏」が、頭の頂きから体を通って地球に響く感覚はなんとも言えませんでした。ありがたや。
その後、皆神山を訪れ、温泉に入って山梨に戻りました。
皆神山を離れる時、まさに阿弥陀様が降臨いたしました。こんなことあるんでしょうか。
どうもこの日を境に、世界も私も大きく変化するようです。南無阿弥陀仏。
長いツアーに出ておりまして、更新が滞っております。
また別のツアーに出ますので、日記風にその日の話題の一部をアップしていきますね。
この日は金沢におりました。
独特な外観も印象的な尾山神社に関するお仕事をしてきました。
今回のお仕事で初めて知ったのですが、この尾山神社、元々は富山県高岡市の物部八幡神社を勧請したものなのですね。
物部八幡神社といえば、兵庫県朝来市物部にある神社が有名ですよね。
それぞれ祭神は変化してしまっていますが、もともと物部といえばニギハヤヒ。そしてオオクニヌシの和魂を信仰していた部族です。
私は、オオクニヌシの和魂は太平洋ルート(南ルート)を回って富士山に向かっていると考えているので、こちら日本海ルート(北ルート)に物部の痕跡があるとは思いませんでした。
そして、加賀の前田家がそれを金沢の中心に据えたということ。前田家のルーツが物部氏にあるとの説もあるようですが、その真相は今は闇の中です。
しかし、今回のお仕事で具体的な形で物部氏、ニギハヤヒが登場してきました。これからどうも金沢周辺とお付き合いがありそうです。
昨日の老師との問答にも通ずる動画が公開されました。
WBCで活躍中のダルビッシュ有投手が高木豊さんのチャンネルに登場したシリーズの最終回。
その最終回のまた最後の部分が素晴らしい。11分くらいからあとのオマケ部分に、非常に大切な発言がありましたね。
やんちゃでわがままだったダルが、ここまで悟って人格者になるとは。いや、ここまで育ててしまう野球、メジャーベースボール、そして家族の素晴らしさに感動です。
まさに「温故知新」。先人や祖先に思いを馳せ、今の自分の価値を疑い、これからの自分の可能性を楽しむ。
今の自分が縁起した存在であることを悟り、感謝すること、報恩すること、奉仕すること、精進することこそ人生であると気づく。
これは本当に仏教的な境地ですね。
ぜひ、これは英語で発信してもらいたいですね。世界中の子どもや大人に聞いてもらいたい。
若気の至りがあったおかげの今でしょう。そう、若いうちに人を困らせたり、人の世話になったりする方がいいのです。
それこそ「知恩者解報恩」です。学校の優等生なんか、逆に心配ですよ。
WBC、大いに盛り上がっています。日本の精神性や文化の素晴らしさも発信されているようです。
いよいよ舞台はアメリカへ。世界一へ向けて、私も全力で応援します。
今日はまたまた山川宗玄老師と一献傾ける機会を得ました。なんと贅沢なことでしょう。
3時間近く問答を繰り返しながら、本当にありがたい稀有なお話をうかがうことができました。感謝しかありません。
そこではこの言葉は出てきませんでしたが、帰宅してふと浮かんだのは「温故知新」。
以前も温故知新について書きましたっけ。
老師にお会いする前、能を勉強している次女ともいろいろ話したんですよ。
「世阿弥だったら、今どうするか」と。
そう、ひたすら古い伝統を守り続けているだけではいけない。いつかも書きましたでしょうか、世阿弥の「守破離」を用いて語るならば、守る対象は過去、破る主体は現在、離れた結果が未来なのです。
私にとっての温故は、過去の偉大な人物たちが、未来にどのようなボールを投げているかを知ることであり、知新とはそのボールをキャッチすることにほかなりません。
「出口王仁三郎だったら、今どうするか」「仲小路彰だったら、今どうするか」。それらを知るには彼らの生き様と一体化するしか方法はありません。それは一般的な勉強や研究とは違うと思います。
世阿弥ももちろん、あの時代としてはあまりに現代的、未来的であったわけで、彼があの時代の環境の中で何を残したかというよりも、この時代だったら何をするか、あるいは未来だったら何をするかを知ることが重要です。
次女にも言いました。最後は世阿弥に直接聞くしかないねと。
同じく、お釈迦様や慧玄さんに直接聞くしかない。それを可能にするのが、稽古や修行ですね。
文字情報に囚われないようにしなければなりません。そこが私の後半生のテーマです。
RRRを観るとカレーが食べたくなる、という人も多いことでしょう。
もちろん本場インドカレー屋さん(と言っても大概はネパール人経営)に行ってもいいのですが、私「本場」のカレーでご多分に漏れず被災(?)したトラウマがあるので、案外軟弱なタイプです(笑)。
で、レトルトカレーもけっこういろいろ極めている方だと思います。その中では、やはりこのハチカレーの辛口は飽きない定番ですね。安いのでまとめ買いしています。
この価格帯ですと、コンビニでも売っているハウスのプロクオリティビーフカレーも好きな方ですが、あの「具のなさ」感が時々物足りず、結局何かを足しながらフライパンでカレーピラフ風に仕上げたりすることが多い。
その点、こちらはそこそこの中身が感じられるので手軽に食べられますね。味もクセがなく、ある意味覚えにくい味のため飽きないのです。
逆にいうと、毎度「ああ、こういう味だったな」と再確認する、不思議なカレーでもあります。
蜂カレーさん、100年以上前に日本で初めてカレー粉を製造販売した老舗です。レトルトに関しては、駒ヶ根で製造しているとのこと。あのゼロ磁場のすぐ近くですね。どうりでいい波動を感じると思いました(笑)。
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今日は家族全員で激アツ映画「RRR」を鑑賞!
私は2回目、家内と次女は3回目、長女は初めてです。
いやあ、もう最高っすね!
アカデミー賞歌曲賞2部門制覇ですか。昨日の話ではありませんが、こうして非西洋の音楽とダンスが世界に広がることは当然の成り行きです。
今回、私はそんな音楽的視点と神話的観点、映像技術に注目して観ようと思っていたのですが、結局また物語の大波に呑まれてしまい、気づいたら終わっていたという感じでした。
前回の鑑賞の感想はこちら。かなり興奮していますね。今回は冷静にと思ったのですが、ダメでした(笑)。家内と次女、3回目でも全く飽きないとのこと。たしかにそうでしょう。
今回は長女は初めてということもあり、それぞれの理解度の違いも明確になり、終演後の自分たちの「語り」部分についても楽しめました。
そうそう、私はこちらの動画で、ラーマーヤナとマハーバーラタ、あるいはインドの土着信仰について概要を知ることができましたので、たしかに物語への没入度が高まりました。
まだ観ていない方、ぜひ、本当に騙されたと思って映画館に行ってください!
(なぜか、全国で山梨と香川だけやってない!頑張れうどん県…笑)
今日は日本の佳曲を一つ。これは美しき歌曲ですね。そう日本の歌曲ですよ。
先日、初めてお会いしたハジ→さん。娘二人は彼の楽曲をたくさん聴いていましたが、私は特にご縁もなく名前を知っている程度でした。
しかし実際お会いしてみると、世代を超えて不思議な共感があり、どうもこれから何かを一緒にやっていくような気さえしたのでした。
彼の感性は、ある意味とても古典的であり、おそらく私のお話した日本古来の時間の流れの話も自然に理解してくださったことと思います。
昨日のフィリピンのバンドもそうですが、やはりこれからはアジアの精神性と歌が、世界を変える…いや、癒やして元に戻していく時代になるのでしょう。
特に日本語が持っている「歌性」(こちらの動画参照)を知ると、書き言葉中心の西欧文化よりも、歌中心の日本文化の方がずっと未来的であり、また高次元であることがわかります。
これは単なる自慢、身びいきではなく、ある意味科学的事実であります。
日本の近代音楽史は、西洋和声音楽の受容の歴史ではありましたが、たとえばこの曲のように、その西洋和声はペンタトニックの伝統的旋律を支える役割を果たしていくことになるのであって、俯瞰すればやはり、日本の音楽の未来的発展のために貢献してくれたと言えるのです。
というか、この地球上の僻地で一時期に限定的に発達したヨーロッパ音楽は、ジャズの例を挙げるまでもなく、世界中の「民族音楽」表現に革命的な進化を及ぼしてくれたのです。
その限定的な近代ヨーロッパ音楽の発達は100年ほど前に終わっています。ヨーロッパ文化は、システムとしての商業音楽としてその後100年の間全世界を覆うことになりましたが、それもまた自壊の道を歩んでいます。
ハジ→さんとは、これからそういう話もしながら、未来の「歌」を紡ぐお手伝いができたらと思います。
忙しく、またまた更新が遅れてしまいました。
今日はフィリピンのオルタナ系バンドの楽曲を紹介しましょう。
最近はアジアのポップスを聴くことが多くなりました。欧米中心の商業的な音楽とは違う、まさに「オルタナティブ」な作品に触れられるようになりましたね。本当に聞き手にとっては素晴らしい時代となりました。
作り手としてはどうでしょう。もちろん、聴いてもらえる機会が増えたとも言えますが、よく言われるようにYouTubeやサブスクによって、作者ではなくプラットホームの方におカネが落ちているのも事実です。
まあ、おそらくそれはシステムとしての問題なので、いずれ変わってくることでしょう。それよりも、こうしてたとえばフィリピンの実力ある若者たちの作品が世界に発信されることは、もちろんいいことです。
おそらく彼らも、日本を含む世界のオルタナに触れながら、こうした自国語に根ざした佳曲を作るようになったのでしょうね。
コード進行に加え、自由なメロディの付け方が魅力的です。懐かしくもあり、新鮮でもある。普通な感じのヴィジュアルもいいですね(笑)。
あの日からもう12年になるのですね。あらためて被災された方々にお悔やみを申し上げます。
あの日父親と祖父母を津波で亡くした少年が、今日WBCで活躍しました。良き弔いとなったことでしょう。
ただ忘れてはいけないのは、あのような超巨大地震のあとには、必ず「(広義の)余震」が発生するということです。
一つは震源周辺の割れ残りを震源とする大地震。もう一つはアウターライズ地震です。
そういう意味で、2011年の東北地方太平洋沖地震の「最大余震」は、まだ起きていません。つまり、それはこれから100%発生するということなのです。
今日は、まさに「天災は忘れた頃にやってくる」という、この人類の経験的知恵を思い出さねばならない日ですね。
このブログでもかつては何度もそれを警告してきましたが、私自身もついつい最近は忘れがちです。今日は、かつて自分が書いた記事を読むことによって、あらためてそのあたりを復習したいと思います。
参考動画
昨日、今日と富士山合宿でした。
その中でも大川隆法氏の話をしました。彼の宗教的系譜、ビジネスとしての霊言、後継者について…。
帰宅して夜、WBCを応援して寝ようかという時この動画が公開されました。
これはすごい。ある意味夢の対談ですよ。大川隆法氏と上祐史浩氏。
上祐氏のある種の純粋さ、真面目さを再確認しましたね。長井さんらは笑っていますが、上祐氏は真剣に「隆法先生」とお話していますよね。
この霊言がホンモノかどうかは別として、大川隆法氏、そしてご長男の、とっても人間的な情の部分を上祐氏が上手に引き出しています。
もしかすると原因はコロナだったのがもしれませんが、いずれにせよご本人の想定よりかなり早い死だったようです。
この霊言の中にも出てきた田原総一朗さんとの対談。テレビ嫌いになった原因だとのこと。1991年ですから、昨日紹介した「Choo Choo TRAIN」の年ですか。
この中で、ご自身の死を2037年と予言しています。15年くらい早かった。皮肉なことですね。
改めてこの対談をよく聴くと、正直けっこうまっとうなことを冷静に語っていますよね、先生。宗教家としては普通のレベルの話をしているとも言えます。少なくとも論破はされていません。田原さんは今も昔も変わらずですが(笑)。
昨日、ご縁あって中西圭三さんとお会いしました。私の話を3時間も聞いてくださり恐縮至極です。
中西圭三さん、もう本当に日本のボーカリスト史上に燦然と輝く存在ですよね。
それとともに、おそらく我が国の永遠の愛唱歌となるであろう、この名曲の作曲者としても記憶されるべき存在です。天才。
ZOOの楽曲として発表された時は、バブル絶頂期(最後の年)。オシャレなウィンタースポーツ、スキーツアーのイメージソングだったわけですが、そうした時代性の産物でありながら、すっかり時代を超えて今でも、そしてこれからも愛され続けることは間違いないという普遍性を持った神曲です。
そう、時代性、流行というのは逆に必ず古臭くなってしまうはずなのですが、この曲はどうでしょう、全く古びないどころか、たとえはEXILEのカバーによって新しく生まれ変わり、またこれからも未知のスターたちによってカバーされるたびに魅力を増していくことと思います。
一方で、そうした名曲ほど、作者のオリジナル・バージョンの良さが再発見されることが多いのです。この演奏はまさにそう。
ご本人によると、このバンドはパーカッションの斎藤ノブさんが仕切っており、ベースは青木智仁さん、キーボードは小林信吾さんという今は亡き名プレイヤーお二人とのこと。
ボーカルとバンドがインスパイアしあう、完璧なアンサンブルではないですか!
これぞ、時代を超えた「多幸感」ですよ。ホンモノの幸せは時代を超えますね。
昨日はほかにもたくさんのプロのミュージシャンの方々とご一緒できたのですが、私たち家族も図々しく演奏させていただき、やっぱり音楽って素晴らしいなあと痛感した次第です。ありがとうございました。
さっそく我が家でも、帰宅後、この神曲をカバー演奏させていただきました。気持ち良かった〜!
昨日紹介のTENETと同じくらい、時間軸(設定?)が混沌としていて、一回では理解できない作品がこれ!
かと言って、何度も観ようと思うかというとそんなことはない(笑)。混沌としたままでお腹いっぱいです。
アニメの実写版というのは大概炎上しますよね。これもまた大炎上した作品です。
実際、アニヲタ対ジャニヲタの世界大戦は凄まじかった。まさに住む世界、いや次元が違うじゃないですか。2次元と2.5次元?…両方とも現実世界ではないか(笑)。
おそらくそれも想定済みだったのでしょう。まあSnow Manが主演ですから、作品の評価とは別に、興行収入はそれなりに見込めたことでしょう。
ある意味炎上商法でもありました。なにしろ、確信犯的に「実写」であることを自虐ネタとしてふんだんに使っていますからね。ある意味超越している。
私はどちらのヲタ世界にも属さない(理解はしていますが)、どちらかというと一般人なので、アニメというか原作マンガにもそこまで思い入れはないし、Snow Manもどれが誰かわからないので、まあ純粋に作品のカオスに身を委ねられました。
そう、兄弟のキャラもそこまで理解していないし、アイドルはみんな同じ顔に見えるので、予想に反して六つ子が自然に六つ子に見えました(笑)。
まあ元々赤塚ワールドですから、そこに整合性や論理性なんか求めてはいけないし、ノリとしてはたしかに後期赤塚ワールド的な「やりすぎ」「ぶち壊し」的な感じはありましたね。
この作品は観る人を選びます。一次的にはアニメおそ松さんクラスタとSnow Manクラスタ、そして二次的にはそのどちらにも属さない野次馬クラスタ(私はここに属す)。実はそれらの総計が大量だったという意味では、制作側の計算は正しかったということでしょう。
Amazon おそ松さん
忙しくて更新が遅れております。
時間を早回しして、なんとか現実に追いつこうと思います(笑)。
ウクライナとロシアの戦争はなかなか終息に向かいませんね。両国の複雑な関係の歴史を思うと、単純な善悪二元論では片付けられません。
仲小路彰が昭和28年に著した「世界戦略論」にも、「第三次世界大戦」の一部としてのウクライナの騒擾のことが書かれています。
つまり、現在実際にウクライナで起きていることは、潜在的な第三次世界大戦であり、70年前から天才によって予測されていたものであるということです。
近いところでの記憶としては、この映画「TENET」が挙げられますね。冒頭からウクライナ、キーウの劇場でのテロ事件が描かれます。その背景には、第三次世界大戦に臨まんとするアメリカとロシアの存在が。
2020年公開のこの作品も、そうした目に見えない第三次世界大戦の中で描かれたものであって、単なるフィクションとは言えなかったのです。
さて、この映画、一回観ただけではなかなか理解しがたい複雑さを持っています。実際、私も劇場で観た時には正直完全には理解できず、それでこのブログでも紹介せずにおりました。
「時間は未来から過去へと流れる」ということを主張している私としては、当然この「時間を逆行させる」映画には興味を持っていたわけですが、そういう観点からもちょっと予想と違う内容、表現でした。
最近家で改めて観てみましたが、やはりいろいろなところに違和感があり、あまり共感はできませんでした。まあ、映像は逆回転させやすいジャンルですので、それで遊んでみたのかなという程度の感想でしょうか。
逆にいうと、安直に正回転世界と逆回転世界を同時進行させてしまったのが失敗だったかもしれません。
実は単純なストーリーですが、構成と表現(表現不足?)によって、あえて難解にしているような感じ。エンタメとしてはもう少し分かりやすくしてもよかったのでは。
まあ、今どきの映画は、コンテンツとして何度も観ることを前提に作られることも多いわけですから、こういうタイプの作品が増えてしまうのは致し方がないのかもしれません。
Amazon TENET
エル・カンターレが先日昇天しましたが、やはり信徒たちは「復活」を信じているようですね。
残念ながらそんなことはありません。イエスも肉体としては復活していません。
もちろん、精神的な意味で、霊的な意味での復活ということはあるでしょう。それは認めますし、私はいつも体験していますよね。
なぜ私たちは肉体、すわなち物質にとらわれるのでしょうか。
復活といったプラス方向の概念だけでなく、たとえば出口王仁三郎が予言した「大峠」も、みなどこか戦争や大災害のような、物質的なカタストロフィーを恐れてしまいます。いや、待望すらしてしまう。
「大峠」とは、精神的なもの、霊的なものであるべきです。高次元であるそれらの領域が変われば、遅れて低次元な物質世界も変化します。その逆は全くないとは言えないのですが稀有なことなのです。
大川隆法氏が大きな影響を受けた、GLA創立者の高橋信次さんもまた、物質世界にとらわれてはならぬと語っていましたね。
大川氏は高橋氏の「異言」を改良(改悪?)、「霊言」と称して自らの芸となし、物質的な豊かさを得る手段としていたように見えます。
私からすると、高橋氏と大川氏とは、かなり隔たった存在でした。自らの死期という最も重大なことを予言して的中させた高橋氏に対し、全く予言できなかった大川氏という違いを見るだけでも、それは明らかな差だと思います。
また、仏教やキリスト教に対する理解の程度にも、かなり差が認められます。知識として理解度ではなく、それをどう使うかという面においてですね。
ということで、久しぶりに高橋氏の講演を聞いてみたくなり、車を運転しながらこの動画の音声を流し聞きしました。
まず、驚いたのは、とにかく淀みなく話すということですね。これは原稿を暗記しているというようなレベルではなく、明らかに降ろしてしゃべっています。最後までスイッチが入ったまま流れるがごとく。
この4ヶ月後、衰弱死ですか。信じられませんね。
昭和の流行歌手シリーズの続きです。昭和と限定するのはよくないですね。平成、令和においても大活躍中のこの方、八代亜紀さんです。
ただ、今日はその歌ではなく、お話を堪能していただきましょう。いやあ、これは面白かった。
あの、ひろゆきと成田さんがすっかりやられてしまっているのは、あの神回「×ひろゆき vs 韮澤潤一郎○(宇宙人はいるのか)」以来ではないですか(笑)。
このあまりに純朴な天然善人ぶりはなんなんでしょうね。これが天才というものか。
自慢話、無苦労話なのにいやな感じがしない…なるほど。彼らが言っているように、自慢話、昔話が聞いている人にとって不快なのは、その裏に「苦労」「努力」があるからなんですね(笑)。それがないと、もう手放しで祝福するしかない。嫉妬心すらわかない。面白い事実ですね。
未来から流れてくる仕事やご縁をただ無心に無私に受け取っていただけ。なるほど天才だ。なぜか痛快でしたね。憧れはするけれど、羨ましくはなかった。
皆さんもぜひご堪能ください。
それにしても日経テレ東大学がなくなってしまうのは寂しいかぎりですね。
昨日に続き、昭和の大歌手による名唱をご紹介しましょう。
最近新しいジャンル、シャンソンに挑戦中のウチのカミさん。いろいろな方の歌唱を研究しているようですが、まさにジャンルを超えた魅惑の歌声を聞かせてくれるちあきなおみさんは格別なお手本のようです。
この番組では、本当にいろいろな秘蔵映像を堪能できましたね。
さすがTBS、8時だよ全員集合の映像が多いのにはちょっと笑いましたけれど、たしかにこうして貴重な歌唱映像がほとんどフルコーラスで残っているというのはドリフのお陰様ということでしょう。
それにしてもうまいですねえ!やはり美空ひばりと同じように、弱音のコントロールが絶品です。これは楽器奏者としても見習うべき点ですね。
どの音域でもそれができないと。
私もちあきなおみさんが歌うシャンソンは初めて聞きましたけれど、いやあ、お見事ですね。まさに語りと歌との自然的連続。
それから古賀メロディー、「人生の並木路」。昭和12年かあ…。そして、「悲しい酒」。やばいですね。古賀政男さん自身も泣いています。
わがままを言えば、もう少し長く彼女の歌を聞いていたかったですね。
遅くなりました。ちょっとイベントが続いておりまして。
この日は甲府でセミナーでした。遠くからもたくさんの方においでいただき、またアメリカの数人ともSkypeでつながっていただき、充実した時間を過ごすことができました。主催者の方はもちろん、皆様に感謝です。
ちょっと忙しいので、しばらくは歌の紹介が続きそうです。
甲府生まれの歌手といえば、まずはなんと言っても森進一さんですね。鹿児島出身というイメージが強くありますが、生まれは山梨県甲府市なのです。
流行歌手として、演歌以外のジャンルも盛んに歌っている森さんですが、特に私にとって忘れられないのは、私も目撃してしまった「日航ジャンボ機墜落事故」の直後の歌番組で、坂本九さんを追悼して涙ながら歌ったこの曲。「見上げてごらん夜の星を」です。
この曲、先日ウチのカミさんも皆さんの前で歌わせていただきました。本当にいい曲ですし、夜空の星になってしまった九ちゃんのことを思うと、ますます切なく胸に響くのでした。
今日は二つの新旧バージョンを聴き比べてみてください。名曲、名唱です。
エル・カンターレ、仏陀の再臨と自称していた大川隆法幸福の科学総裁が亡くなりました。
新宗教研究会の一員として、幸福の科学の創立当時から教団と教祖を観察してきました。正直こんなに早く昇天するとは思っていなかったので、ちょっとした寂しさを覚えています。
信者とアンチ、両方に知り合いが多くいます。さっそくいろいろ連絡が来ております。
多くの宗教団体にあるように、初代のカリスマが亡くなると跡目争いが発生するとともに、教義の解釈などをめぐって分断、衝突が必ず起きます。そして、教勢の低下に向かうというのが常道。
そこで生き残れるかどうかが、新興宗教から伝統宗教への移行の鍵となるのは、歴史が証明しているところです。
正直、現在の幸福の科学の状況ですと、かなり前途多難でしょうね。総裁自身ももう少し時間があると思っていたことでしょう。
まずは教団の方々が、幸福の科学の霊統をしっかり把握する必要があるでしょう。そこには当然、出口なお、出口王仁三郎、高橋信次らがいます。世界宗教の百貨店的なあり方は、聖徳太子にまで遡るかもしれません。
また、昭和の新興宗教教祖たちに大きな影響を与えた、仲小路彰の思想哲学にも注目すべきでしょう。
今、総裁はどのような気持ちでいるのか、それこそ「霊言」を降ろして聞いてみたいものだと思ったところ、(元)ご長男宏洋さんがさっそくやってくださいました(笑)。
いや、これ、かなりリアルですよ。
一昨日の夜、山川宗玄老大師さまと一献傾けました。
心の師とじっくりお話させていただく贅沢な時間。まさに「有り難い」体験。野狐禅を極めんとしている(?)私には、本当に勿体ないことです。
秋に岐阜は伊深の正眼寺さんを訪ねた際、老師さまは大変忙しくていらっしゃり、対面は叶いませんでしたが、このご著書をいただいて下山いたしました。
それから何度読み返したことでしょう。紹介されている禅語はなんと70。それぞれが一つのストーリーであるとともに、それらが有機的に絡み合い、実に豊かに展開する。
一昨日も老師さまに申し上げましたが、この本は本当に生きた「公案」です。
ある意味これほど読みすすめるのに難渋した本はないほど。いえ、難しくはないのです。逆に実にわかり良い。
しかし、この本でも繰り返されているとおり、私たちにとっての「わかり良い」は、実はとても危険です。
禅はその安易な「わかり良い」を排するところから始まると言ってよいでしょう。まさに「如是」。言葉を超えて体験的に「悟る」ことしか許されません。
そう、「公案」や「禅語」という「言語」をもって、最も注意すべき敵である「言語」をやっつけるのです。
そのパラドックスこそ、禅の奥義であり、私がこの本に難渋した理由でもあるのです。
どうでしょうね、今の私にとって、この70の禅語のうち、体得的に血肉になっているなと感じたのは5つくらいでしょうか。表面的にはすべて理解できたつもりですが、どこか他人事のような感じがするものがほとんど。
老師さまとのお話は自然と教育の方面に向かいましたが、まさに今の教育は言語に偏りすぎていますね。そして、人権と称して、皆が自我を最優先するようになってしまった。学校も大変ですが、僧堂も大変ですね。
次、老師さまと問答する時、はたして私はいくつの禅語をものにしていることでしょう。
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