『東京画』 ヴィム・ヴェンダース監督作品
今日は少し時間があったので、小津安二郎のサイレント作品をいくつか観ました。
そしてその後、久しぶりにこの「東京画」を鑑賞。
あれ〜?この映画ブログで紹介してなかったっけ。何回か観たんですけどね。
おそらく15年ぶりくらいなのですが、今回は妙に新鮮に感じました。何が新鮮かというと、この映画を「懐かしく」感じたということなのです。なんとなくパラドックスですよね。懐かしさが新鮮って。
なるほど、令和の時代になり、いよいよ昭和は本格的に「作品」になりつつあるのかなと。
ヴィム・ヴェンダースが訪れたのは、1983年(昭和58年)の東京。
その年、東京の大学生活をする気満々だった私は、運命的に東京にフラれ、山梨の山奥の大学に島流しになりました。まさに運命の分岐点、今思えば東京にフラれて本当に良かった。
そういう意味もあるのでしょうか。ヴェンダースが記録した「東京」には、もう未練も憧れもなく、ただの「浮世」にしか見えません。それこそが「懐かしさ」なのです。そう、懐かしさとは、自分とのある一定の距離を前提とした感傷なのでした。
手が届かないという諦念。手元にあるものはニセモノ。それ自身にはもう会えない。それが懐かしさ。
もちろん、登場する街並みだけでなく、笠智衆も厚田雄春もとっくにこの世のものではなくなってしまいました。私たちが見ることができる彼らや風景はニセモノです。ニセモノの虚しさ、悲しさ。
実はそれこそが、戦後の小津安二郎の描こうとしたモノなのかもしれませんね。
過去は永遠に手にすることはできませんから、だからこそ今も未来も永遠なのです。そうした禅的とも言える世界の真理。そう、この世の真理はただ一つ、全ては去りゆく。全てのモノは変化していくということが、唯一の変化しないコトなのでした。
そういう意味で、このヴィム・ヴェンダースの作品もまた、時という演出を得て、小津作品に並ぶ「懐かしさ」の境地に達したとも言えそうです。
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