『珈琲時光』 侯孝賢監督作品
小津安二郎に影響を受けた国外の映画監督の作品を続けます。
台湾の映画監督ホウ・シャオシェン。
ローアングルと時空の余韻、間合い、余白に、両者の共通点が見出だせますが、もともとホウは小津の映画にはそれほど興味がなかったようです。
自作を「小津に似ている」と言われて、初めて意識的に小津作品を観るようになったとのこと。彼自身はどちらかというと自分と小津の相違点の方が気になったようです。
2003年、小津生誕100年を記念して、松竹はホウに「東京物語」のオマージュ作品の製作をオファー。
自らの意識とは別に、作品が語る世界観そのものが、この映画の製作の話を引き寄せたとも言えましょう。
私はこの作品が純粋に好きですが、小津マニアからするとその「相違点」に目が行ってしまい、受け入れがたいところもあったかと思います。
そう、小津があまりに孤高かつ完璧な世界を構築しているので、周防のようなパロディやヴェンダースのようなドキュメンタリーならまだしも、こうして真面目にオマージュ作品を作ると、日本人監督に限らず必ず批判されますよね。
特にこの作品は「記念」かつ「東京物語」という大きなプレッシャーがあったわけで、それを考えると、私としてはですね、ホウ監督はよくぞちょうどいいバランス、つかず離れずの立ち位置を見つけたなと思うのです。
一昨日の「東京画」はすでに「懐かしく」なっていましたが、この21世紀初頭の「東京画」は、まだその領域には至っていませんでした。あと20年くらいすると「懐かしく」なるのでしょうか。
歴史が地層的に堆積し、少し歩くとそれらの露頭が連続して現れる、それこそ映画的な都市「東京」。おそらくヴェンダースもホウも、それを感じ、それをフィルムに焼き付けているのではないでしょうか。
そう考えると、それぞれの時代にそれぞれの懐かしさを醸しつつ、常に変化していく東京という街自体が作品であり、また生命体であるとも言えそうです。
あっ、今一つ気がついたのですが、その東京という生命体の血管が鉄道ですよね。小津の作品にも頻繁に鉄道が登場しますが、「東京物語」と「東京画」と「珈琲時光」における鉄道のデザインこそ、私にとっての「懐かしさ」の基準なのかも。
「汽車」は懐かしさを超えて歴史という感じ。「103系」は懐かしさ。「205系」はまだ懐かしさになっていない。ちなみに都営荒川線は別格で、いつも懐かしい(笑)。ちなみに田舎者にとっては、「E235系」にはまだ慣れず未来な感じですな。
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