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2023.02.28

仲小路彰 『昭和史の批判史』より「二・二六事件の本質」(後半)

Th_-20230301-102235 日の続きとなります。

 仲小路彰の、青年将校たちの真情と行動に対する理解や同情がうかがえる文章となっています。

 それこそ安藤輝三にも読んでもらいたかった。彼は自らの蹶起の未来的な意味を知らずに、最も愛する天皇の命令のもと死刑となりました。

 その苦悩、迷い、怨念、そしてそれらを乗り越えたところにある忠孝の心は、その辞世の句に表現されていました。時を経てその思いは昇華されたのでしょうか。

(以下引用)

 このような状況にあって、満洲建設の進行は、それに即応すべき日本国内体制改革の急務をますます要求するとともに、革新派青年将校に新しい改革へのエネルギーを波及せしめたのである。
 二・二六事件に対する最大の非難は、軍隊を使用してその目的を達成しようとした点にある。しかし、すでに五・一五事件の失敗にもみるように、個人的テロによっては急速を変革を到底実現しうる見込みがなく、ただ軍事力の動員と行使によってのみ、その可能性を見出しえた状況にあって、もとよりその手段は統帥大権と軍の秩序をみだり、皇軍を私する罪悪を問われるとしても、より大いなる変革の達成に自ら殉じようとした青年の真情を、ただ悪罵することによるかぎり、なにごとも解決しえないであろう。
 まして青年将校にとって、現実の腐敗が天皇と国民をさえぎり、国民の苦悩を顧みようとしない政府・重臣の一部の存在によるものと断じられ、そのため天皇の軍隊においてさえ、それを構成する忠良な農民子弟が家郷の窮乏に士気沮喪しつつある状況を思うならば、天皇を守護し国家を防衛すべき軍隊が、まずかかる国家破壊の元兇を排除し、真に国民とともにある天皇を開顕し、国内改革を達成しようと考えたことは、むしろある意味では、青年の現実に対するむりからぬ激発であり、その原因をきわめ、それを除去することなく、一方的に否定し去りえない問題であった。日本の歴史において、一つの社会変革に際する青年の行動は、つねに同様の激動を示したのであり、大化改新しかり、明治維新またしかりであった。そしてこの青年の激動するエネルギーにこそ、つねに旧き積弊を打破して新生をもたらす日本史の展開が実現されたのである。
 旧く腐敗せる体制が変革されるときには、それを根底より破壊するために、暴力の行使もまた止むをえない状況のあることを思わねばならない。
 しかも、このような一大蹶起も、日本内部の根本的変革には到りえなかったのであり、ここに昭和の日本史における最大の悲劇であった。

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2023.02.27

仲小路彰 『昭和史の批判史』より「二・二六事件の本質」(前半)

Th_-20230301-85630 日に続き、仲小路彰「昭和史の批判史」から二・二六事件に関する部分を抜粋します。

 原本はわら半紙にガリ版刷りで約380ページ、27万字に及ぶ大著で、戦後始まった、唯物史観に基づく歴史の一般化に対する批判をまとめたものです。

 その中から、今日は「二・二六事件の本質」という部分を紹介したいと思います。

 昨日紹介したいわゆる「昭和史」としての二・二六事件に対する評価に対して、仲小路彰はどのような批判を与えるのでしょうか。

 少し長いので、今日はその前半部分のみ掲載します。

(以下引用)

  ――二・二六事件の本質――

 日本ファシズム史上、最大のクーデターであったとされる二・二六事件の本質は何であったか――「昭和史』はこれを、直接的には皇道派と統制派との争いが原因だが、その背後には日本の支配階級が直面していた内外のゆきづまりを打開しようとするあせりがあった――としている。日本の支配階級が急速に日本におけるファシズム支配をうちたてようと焦慮して、もっとも尖鋭なファシストである青年将校をして反乱せしめたとするのである。
 しかし、この日本の支配階級とは何を意味するのか――それはいうまでもなく政府・重臣・軍部・財閥である。しかも「昭和史」の強調する左翼的見解によれば、軍部と政府・重臣・財閥とを対置する考えは誤りであり(三二年テーゼ)本質的には同一である。すなわちいずれもファシストであるとすでに規定した以上(これについては前述した)この主張をとるかぎり、日本の支配階級とそのファシストが、急速なファシズム体制をつくりあげるために、より尖鋭なファシストをして、本質的には同一なファシストである政府・重臣の首脳を暗殺したという、奇妙な論理をつくりあげるのである。
 このような公式的主張が、歴史の発展に対してなんらそれを解明しえない皮相な見解であるばかりか、いかに歴史の真実を誤らしめるものであるかは、重ねていうまでもない。
 二・二六事件は、満洲事変前後の三月事件、十月事件、また五・一五事件、血盟団事件等、一連の国内革新運動の帰結であり、それらがいずれも日本の現状――国内における貧しい階級、農民・労働者の苦悩を救い、外には、明治以来の日本の根本方向としてのアジア解放の実現をめざして、現状打破を実行したことと軌を一にするのである。
 しかも、これら一連の革新運動はいずれも失敗に帰し、日本の支配階級は相次ぐ暗殺にもかかわらず、その要求を正しく理解しようとはせず、日本では国内改革はついに行ないえない状況にさえ到ったのであった。他方、日本に対する国際的圧迫はいよいよ激しく、また共産主義の脅威は、国内労働者、農民の赤化という危機的状況をますます深刻に露呈したのである。

(つづく)

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2023.02.26

仲小路彰 『昭和史の批判史』より「二・二六事件」

Th_-20230301-90258 日は2月26日。名古屋から昼に静岡に戻り、午後、二・二六事件の青年将校側の重要人物である安藤輝三大尉(写真)のお墓参りをいたしました。

 事件から87年が経ち、事件の未来的意義(こちら参照)もようやく明らかになりつつあるということでしょうか、大尉の辞世の句碑が撤去されていました。

 さて、実はこの2月26日は、かの天才歴史哲学者仲小路彰の誕生日でもあるのです。

 そこで、今日から三日間、仲小路の残した厖大な文献の中から、二・二六事件について書いた部分を紹介したいと思います。

 おそらく昭和30年代の初めに書かれたと思われる「昭和史の批判史」という非常に興味深い文献があるのですが、そこからの抜粋となります。

 世界史、日本史を過去から未来まで俯瞰していた仲小路は、この事件に対してどのような評価をしているのでしょうか。

 今日紹介するのは、戦後の唯物史観に基づく「昭和史」における一般的評価としての二・二六事件について書かれた部分です。

 たしかに、現代の私たちも歴史の学習でこのように学びます。まずはそれを確認いたしまして、明日とあさってにつなげていきましょう。

(以下引用)

  ――二・二六事件――

 一九三六年二月二十六日早暁、歩兵第一・第三連隊、近衛歩兵第三連隊等の二十二名の青年将校は、千四百余名の下士官・兵をひきいて反乱をおこし、首相・蔵相・内大臣・侍従長・教育総監の官私邸、警視庁、朝日新聞社を襲撃し、内大臣斉藤実、蔵相高橋是清、教育総監渡辺錠太郎を殺し、侍従長鈴木貫太郎を傷つけた。岡田首相は即死と発表されたが、逃れ助かった。
 反乱部隊は首相官邸、議会、陸軍省、参謀本部をふくむ永田町南部を占領し、川島陸相と交渉して要求を実現しようとした。彼らの要求は、蹶起の趣旨を天聴に達すること、統制派の幹部を逮捕または罷免すること、ソ連を威圧するため荒木大将を関東軍司令官に任命すること、皇軍相激をさけることなどにとどまり、それ以上の具体的な革新政治の計画はなく、軍上層部が有利に事態を収拾することを期待していた。
 クーデターの成否は三日間にわたってわからなかった。しかし二十八日になると事態は変わった。海軍は陸軍の独裁をきらい、連合艦隊を東京湾に集結して示威の態勢をとった。政界財界には軍部独裁をよろこばぬ気運が起こった。こうした動きには事件の真相を知りはじめた国民が、反乱に対する同感をまったく示さず、無言の抵抗をつづけたことが反映していた。二十九日になってようやく陸軍首脳も態度を決し、反乱部隊の鎮定を開始した。陸軍省の発表は「蹶起部隊」から「占拠部隊」「騒擾部隊」に、さらに「反乱部隊」と四転した。反乱部隊の下士官、兵の大部分は、幹部につれ出されただけで、クーデターに参加するなんの条件をもっていなかったから、反乱軍と規定されるとたちまち帰順した。
 かくて日本ファシズム史上最大のクーデターである二・二六事件は、千四百余名の兵力を動員しながらあっけなく終わりを告げた。このことは日本におけるファシズム支配をうちたてる上での天皇制機構の強さ、有効さを示すものであった。
 この事件直後から軍部は戒厳令を背景として、政治に対する発言権を一挙に増大させていった。広田内閣の組閣の途上、陸相候補寺内壽一は、閣僚の顔触れが「依然として自由主義的色彩を帯び現状維持的」だと強硬な反対声明を行なってこれを変えさせ、また「国防強化」「国体明徴」「国民生活安定」「外交刷新」の四大国策を要求、広田はこれをすべてうけいれた。さらに五月、軍部大臣現役武官制を復活させ、軍部はいつでも内閣の死命を制しうる力をにぎった。

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2023.02.25

メガネ福袋(リュネメガネコンタクト)

Th_luneshop_meganerandom02 の日は名古屋にてセミナー。2週連続で名古屋でした。

 最近すっかり週末旅人になりまして、全国でいろいろな方々とお会いする機会が増えました。

 私は全くオシャレに無頓着な男なので、毎度似たような格好をして出かけるのですが、頻繁に替えているものがあります。それはメガネ。

 あまり気づかれませんが、今全部で6本のメガネを使い分けているのです。

 かと言って、オシャレのセンスがない人間ですから、いちいち自分でデザインを決めたりするのは面倒くさい。

 そこで重宝しているのが「福袋」!

 メガネの福袋なんて!?と思われるのが普通でしょうね。それが、私には実に良いのですよ。

 なんと2本で2900円(送料込み)というお値段ですから、まあ失敗してもいいやという感覚です。しかし、今まで送ってもらった4本は全部使えるデザインでした。

 という、それぞれ自分だったら選ばなかっただろうなというモノなのですが、だからこそ何か新しい自分になったような気がするのです。

 ちなみに左右の度数や両目の間隔、さらに乱視についても指定できます。そして性別、年齢も指定できます。私は男、30代で注文しています(笑)。

 レンズも含めて、製品の質も高く、全く問題なく使えていますよ。時計もですが、メガネも着替えるようになってから、なんとなくお出かけが楽しくなりました。

 皆さんもちょっと気分転換に試してみてはいかがですか?

2本セット 】メガネ福袋 家用メガネ 度付き 近視・乱視対応 (フレーム+レンズ+メガネ拭き+布ケース付)

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2023.02.24

「や〜だ」はどこから来るのか

Th_ebqcdkuvuaaxidc うでもいいことが気になったので書いておきます。

 昨日、東京からの帰り、中央道のパーキングのフードコートで夕飯を食べました。

 すぐ近くに家族連れがいました。2歳くらいの可愛い男の子が、なんのきっかけかグズりはじめ、お母さんやお父さんが何を言ってもやっても「や〜だ」「や〜だ」しか言いません。

 けっこう大きな声で泣き叫んでいたのですが、小さな子どもにはよくあることですから特に気にならなかったどころか、困り果てているご両親に同情の念を禁じえませんでした。

 で、ふと思ったのですよ。この「や〜だ(頭高アクセント)」って、幼児にとってはほとんど共通語になっていますが、いったいどこでどうやって覚えるのでしょうか。

 一般的に幼児は親の真似をして言語を習得していきます。では、大人は「や〜だ」と言いますでしょうか。言いませんよね(笑)。

 それならテレビとかネット動画から学ぶのかというと、それらの中でもほとんど「や〜だ」は見聞きしません。

 不思議ではないですか?

 たまたま一緒にいた家内や家内のママ友にも聞いてみたのですが、「そう言われるとたしかに…」と首をかしげていました。

 一つ考えられるのは、どこかで、たとえばこのフードコートのようなところで、別の幼児が「や〜だ」と叫んでいるのを見聞きして、そして「これをいつか使ってやろう(親を困らせてやろう)」と思い記憶しておく…なんてことあるのかな(笑)。

 冒頭の画像は「アンパンマン」に出てくるキャラ「ヤーダ姫」です。この影響かとも思ったのですが、この可愛いキャラは映画版にした出てこないし、「ヤッダー」とは言うけれど「や〜だ」とは言いませんよね。

 えっ?ヤーダ姫って二人(2種類)いるんだ!別キャラなのか!知らなかった。

 もちろん、アンパンマン以外のアニメ作品に、子どもが駄々をこねるシーンというのはあると思いますが、基本それはダメなものとして表現されていると思いますし、親もそこにいれば「ダメだね」とか「はずかしいね」とか「○○ちゃんはこんなことしないもんね」とか言いそうですよね。

 しかし、結果、幼児の共通語(標準語)となっている事実からすると、これは最初の反抗期アイテムなのかもしれませんね。

 いったいいつ頃(どの時代)から幼児はこの言葉を使い始めたのか、という歴史的研究もしてみたい気がしますし、何歳くらいで使わなくなるのかという発達史的なことも考察してみたい。ちなみに高校生(女子)は使いますよ(笑)。

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2023.02.23

天王坂に思う

Th_img_1361 皇誕生日。四谷に用事があって行ってきました。

 「天皇」にちなんだわけではありませんが、往時の「天王」を偲んできました。

 いつも使う休日格安の駐車場のすぐ近くにあるのがこの坂。

 坂を下ると正面に、ちょうど昨日紹介した「日刊ニャンダイ」にインタビュー記事が載っていましたね、新海誠監督の「君の名は。」のラストシーンで有名になった須賀神社のあの階段があります。今日もまた外国人がたくさん記念写真を撮っていました。

Th_img_1369 あの方々、ちゃんと須賀神社も参拝していてエラい!日本人は階段で写真撮ってそのまま帰ったりする(苦笑)。

 天王坂の名前もこの神社にちなんでいます。全国の多くの須賀神社がそうであるように、この四谷の須賀神社もかつては寺と習合した「牛頭天王社」でした。四谷の総鎮守として「天王様」「てんのうさん」と呼ばれ親しまれてきた由緒ある神社。

 祇園社の末社のような存在ですね。ですから、祭神は牛頭天王すなわちスサノヲの尊。

 その牛頭天王社に向かう坂ということで、かつては天王坂と呼ばれていたわけです。今でもそのあたり一帯を天王横丁と言うのはそういうわけです。

 江戸時代、天王横丁から牛頭天王社にかけては大変多くのお寺が密集している地域でした。牛頭天王社ももともとは宝蔵院というお寺が母体となっており、そこに神田明神から牛頭天王を勧進したとのとこ。

 それが、最悪の宗教弾圧事件ともいえる廃仏毀釈によって、明治元年宝蔵院は廃寺。インドを起源とし、また「てんのう」を名乗る牛頭天王社はある意味不敬ということでしょうか、「須賀神社」と改名させられました。

 そういえば、富士吉田の天神社も、もともと牛頭天王社だったものが「天神社」となり、「てんのうさま」が「てんじんさま」になってしまって、菅原道真公を祀る神社とされてしまいしまたね。

 まあいろいろとひどい話です。

 出口王仁三郎がスサノヲの復権を唱えたのには、このような牛頭天王の事情もあったのではないでしょうか。

 しかし、本体の神社が改名させられても、周辺の地域には、村の名前として、坂の名前として、また横丁の名前として残っていることはよくあること。

 明治政府の徹底が足りないところというか、いやあえて完全抹殺しなかったところというか、牛頭天王のしぶとさというか、実に日本的でもあると感じるところですね。

 そして、そこになぜか外国人が訪れている…無意識のうちに天王坂を下り、天王横丁を通ってあの階段を上り、スサノヲに手を合わせる…なるほど、「天王様」の復活劇はこうして意外な形で着々と進行しているのだなと感じた「天皇誕生日」、そして「富士山の日」でありました。

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2023.02.22

臨時特別号「日刊ニャンダイ2023」

Th_81mdv2igo0l の日。毎年楽しみにしている「日刊ニャンダイ」。

 今年も面白かった。

 猫の雑誌とか写真集とか、本当にたくさんありますが、私はこの「ニャンダイ」の雰囲気が好きですね。

 そう、徹底してタブロイド紙のまんまだからです。猫は必要以上に「オシャレ」に演出されることが多いじゃないですか。このいかにも大衆的かつ下世話な感じがいいんですよ(笑)。

 いや、それでも「ゲンダイ」よりは「ニャンダイ」の方がちょっと上品になってますかね。

 いやいや、やっぱり「にゃんたま祭り」に至っては、日本の伝統的な「性器信仰」そのものであり、品がいいとか悪いとかを超えた神々しさがありますな。

 その他のインタビューや記事も、それぞれ猫マニアにはたまらない内容でした。

 う〜ん、猫居酒屋いいなあ!行こうっと。

Amazon 臨時特別号「日刊ニャンダイ2023」

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2023.02.21

武藤敬司 引退試合(東京ドーム)

Th_img_1353 ってきました!東京ドーム。泣いてきました!

 本当に稀代の天才アスリートにして表現者でした。まさに千両役者。

 過去と現在と未来、全部盛り。

 最後の最後まで予想を遥かに上回るモノを見せてくれました。棚橋も泣きながら言っていましたが、後輩たちはキツいですよね。憧れるけれど追いつけない。こんな引退試合できません。

 まさか内藤と戦って散ったあと蝶野正洋と戦うとは。それもレフェリーは服部さん。そして実況は辻さん…。集まった3万人以上のファンの予想を超える夢を見せてくれました。天才。

 こういう時は、本当に言葉の無力さを痛感しますね。うまく表現できない。

 その点、「山梨県富士吉田市」で始まった古舘伊知郎さんのポエムは素晴らしかったなあ。言葉の魔術師ですよ。

 古舘さんの「二元論におさまらない」というのが至言。勝ち負けも超えていましたよ、たしかに。

 蝶野選手は「あいつと関わらない方がいい」と言ってましたね(笑)。この表現も絶妙です。たしかに二度負けるという演出は考えなかった。一度負けただけだったら、実際残念な気持ち、寂しい気持ちしか残らなかっただろうなあ。

 負けをもって負けを制す…いや違うな。負け×負け=勝ち?いや、それもちょっと違う。なんか初めて味わった不思議な感覚でした。負けて勝つ、国譲りの恍惚感でしょう。いやあ、神の考えること、やることはすごい。

 武藤敬司と志村正彦を輩出した富士吉田市は、本当に誇りに思っていいでしょう。二人とも、案外素朴な吉田の青年とおっちゃんなんですがね。武藤さん、今日もドームで「歩って」って方言丸出しだったし(笑)。

 実はドームで観戦しようか迷ったんですよ。珍しく。

 迷ったらやれ。迷っているということは上り坂にさしかかっているということ。だからアクセルを踏め!って人には言ってるのにね(苦笑)。

 本当に負けても明るくカラッとした引退劇。娘さんが言ってましたが、武藤選手は「自分のやることが正しい」と信じる人。だから迷わない…かと思ったら、最後の最後に迷ってましたね。ムーンサルトをやろうか。

 いや、あれは家族と医者にさんざん怒られたから、やらないと決めていたことを、あとから「やろうかな」と迷ったものですから、「やめて」正解だったわけです。やめる方向にアクセル踏んだのです。

 まあ、これからいろいろご縁がありそうですので楽しみですよ。本当にお疲れさまでした。しばらくはゆっくり休んでください。

 

 

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2023.02.20

追悼 松本零士さん

 本零士さんがお亡くなりになりました。

 松本さんとは志教育の関係で何回かお会いいたしました。これも出口王仁三郎のご縁なのです。松本さんも王仁三郎の宇宙的平和観に影響を受けていたわけです。

 現在まで続く私の「地球防衛軍」志向は、幼稚園時代のウルトラセブン、そして小学校時代の宇宙戦艦ヤマトから影響を受けたものであり、そういう意味では松本零士さんはたしかに私に「志教育」を施してくれたわけです。感謝。

 思えば小学校高学年の頃、宇宙戦艦ヤマトに感化され、自らは「宇宙空母シナノ」という漫画を描いておりました(笑)。あれ、実家のどこかにあるだろうな。改めて読んでみたいかも。

 そう、私たちの世代は少年時代、戦後とはいえどもまだ戦争のにおいが残っていた時代を生きていました。その国家的なノスタルジーを未来の物語として昇華しつつ、英霊を慰め、志を継ぎ、また潜在的には絶対的強敵アメリカへのリベンジを実現させたのがヤマトでした。

 言うまでもなく、祖国防衛が地球防衛に拡大され、圧倒的強敵はナチス的なガミラスに変異され、神風はイスカンダルから吹いてくるという、ある種新しい神話を形成したのは松本さんの画期的な偉業であり、その後の日本の地球滅亡系アニメや米国の宇宙戦争系映画に多大な影響を与えました。

 そう考えると松本さんは、先の大戦の記憶が、冷戦下の経済的な繁栄と左翼的な平和ボケの中で忘れ去られようとしていた中、たとえば王仁三郎のような先人たちの未来に投げたボールをキャッチし、私たちの世代のために再び未来へ投げてくれた存在なのかもしれません。

 戦うことではなく、愛し合うこと。私たちはそのボールをしっかり受け取り、私たちにとっての未来人たちに中継していかねばなりません。

 ご冥福をお祈りします。

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2023.02.19

ヤマグチ社

Th_-20230220-95636 日のニュースでウケたのがこれ(笑)。

 ロシアで謎の「ヤマグチ社」が急成長ですと? 

 マッサージチェアの生産、販売でしこたま儲けているとか。

 そうです、この写真に写っているハゲ坊主の社長?はワタクシです(ウソです)。

 「ヤマグチ」というのは、いちおう「山口県」のヤマグチにちなみ、なおかつロシア語の「ヤー・マグーチー(私は強い)」とかけているとのこと。

 ロシア人は昔からアヤシイもの好きで(すなわちヨーロッパよりもスピリチュアル)、ソ連時代もまあいろいろと謎の装置を製造していましたよね。これもその系統でしょうか。

 (ニセ)日本ブランドが通用するのも、ある意味時代錯誤的な感じもしないでもありませんが、日本人としては悪い気はしませんよね。

 しかし実際にはおそらく中国系の企業だと思います。中国でも昔からニセ日本ブランドたくさんでっち上げられていますから。

 それにしても「ヤマグチ」が「私は強い」だとは知りませんでした(笑)。これも不思議と悪い気はしないぞ。

 いっそのこと、私ヤマグチがこの会社の会長にでもなりましょうか。マッサージチェアは別に悪いものではありませんし。

 と言いますか、日本の会社も社名にやたら外国語使ってますし、外国人の名前使ってますから。あえて挙げませんけれど。

 イメージ戦略、お互いさまということで。

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2023.02.18

自由意志は幻想?

 

 の日は名古屋、本願寺東別院会館にてセミナー。30名近くの方にお集まりいただき、懇親会まで実に楽しい時間を過ごさせていただきました。

 たまたま会場が本願寺東別院だったわけですが、特に仏教に関する話をしたわけではなく、いつもどおりワタクシ独自の時間観、そして私たちが生まれてきた意味などについて、ウンコの話も含めながら(笑)お話いたしました。

 本願寺ですから浄土真宗。ということで、今日は親鸞会の筬島さんの動画を紹介しましょう。というのもちょっと変でしょうかね。

 まあいろいろな宗教団体でよくあることですが、伝統団体を批判するという形で親鸞会は発足しました。もちろん本願寺派に対しても批判的です。

 私は浄土真宗についてはそれほど詳しくありませんから、どちらが正しいとかは分かりませんが、浄土真宗の教えを学ぶには親鸞会の菊谷さんや筬島さんの動画は大変参考になります。教え方うまいですしね。

 私がセミナーで語る時間観は、仏教的に言えばアビダルマにおけるそれに近いけれども、やはりそれとも違う。ですから、因縁果論もここで筬島さんが語るものとは全く違ってきます。

 ある意味、地球上唯一の説であって、インターネットはもちろん書籍にも全く書かれていないものなのですが、だれでもすぐに理解できるというスグレモノ(?)です。お知りになりたい方は、ぜひセミナーに参加…ではなく、セミナーを企画してください。全国どこへでも馳せ参じます(笑)。

 はたして自由意志はあるのか、ないのか…私の説にご興味のある方はこちらからご一報ください(セミナーや合宿は無宣伝、非公募、非公開です)。

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2023.02.17

柴門ふみ 『美は乱調にあり』 (瀬戸内寂聴 原作)

Th_51bsy2sqql_sx345_bo1204203200_ 日「命をかける」話を書きました。戦後の人権重視社会においては、自他の「命」の重さが表面的に語られるばかり。命を直視することを避けているかのようです。

 良いか悪いかは時代によって判断が変わることとして、戦前、戦中は実際に「命をかけた」人たちが多数いたのは事実です。

 私は、特に社会変革に命をかけた人たちに興味があります。それがどのような主義に基づくかは別として、それらを意気に感じ、やむにやまれぬエモーションによって生きて死んで行った人たち。

 今日はそんな人々の中から伊藤野枝を取り上げましょう。女性の地位向上、社会主義、自由、そして「恋」に命をかけた伊藤野枝。

 不思議なもので、私の静岡の実家から歩いて5分とかからないところに、伊藤野枝(と大杉栄)のお墓があります。

Th_img_7825 このお墓については、こちらで一度紹介しました。大杉栄と安藤輝三…左右の象徴のような二人が愛国に命をかけ、そしてともに国家によって命を奪われ、私の実家のある静岡市沓谷にひっそりと眠っているというのは、本当に不思議な運命です。

 アナーキストにしてフリーラブ実践者の大杉栄に恋し命を預けた伊藤野枝。昨年、吉高由里子さんが伊藤野枝を演じた「風よあらしよ」がNHKで放送されましたよね。

 あのドラマもなかなか面白かったのですが、やはりNHKらしくきれいにまとめてしまっていたので、皆様にはまずはこちらのマンガを紹介したいと思います。

 瀬戸内寂聴の原作を柴門ふみさんがマンガ化した作品です。女性の心理&肉体描写に優れたお二人のコラボということで、簡潔ながら心に迫る佳作となっています。

 特に女性の皆さんに読んでいただきたいですね。いや、今の男子にも。今いないもんなあ、こういう女も男も。

 この作品を読んでから、「風よあらしよ」をドラマで観たり、原作で読んだりすると、より理解と感動が深まると思いますよ。

Amazon 美は乱調にあり

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2023.02.16

宮台真司 『<右翼とウヨ豚>真の〝右〟とは何か』

 

 台真司さんを襲撃した男が書類送検されました。と言っても、すでにその男はこの世にいません。

 あれほど鮮明な画像が公開されながらも、なかなか特定されなかったのは、彼が極度の「ひきこもり」だったからです。

 この情報化社会において、そんなことがあるのかと、正直妙な気分になったのでした。おそらく彼はネットで社会とつながり、その限られた情報に従って宮台さんを狙ったのでしょう。

 それはある意味、情報化社会以前の各種「蹶起」につながるところがあると思います。

 宮台さん、この番組の前半では、この自死した犯人に対する非常に微妙な感情を吐露しています。いや、言葉にはなっていないが、言葉にならないエモーションが伝わってきます。

 そして、この「右翼」の話。「意気に感じる」ことによって蹶起する人々。

 もしかすると宮台さん、この容疑者のある部分について、共感とは言わないが、なんとなく惹かれる部分があるのではないかと思ってしまいました(不謹慎ですみません)。

 私も「自称右翼」や「自称保守」、そして「自称左翼」「自称リベラル」も大嫌いです。まさにポジショニングのために言葉を弄しているだけの人たち。

 鈴木邦男さんの追悼記事にも書いたとおり、「なんちゃって」か「勘違い」か「金儲け」のいずれかに陥ってしまう人たちの多いこと。

 もちろん、このたびの容疑者とそういう「クズ」とどちらが優れているかなどということは問いません。単に自他の命をかけて行動することが正しいとも思いません。

 ただ、現代の多くの論客のみならず、大多数の日本人に「命」をかけるだけのものがあるのかどうか。それはこの事件を通して、それぞれ自問してみるべきでしょう。もちろん私も。

 そういう意味で、最近の私のテーマは「尊皇の歴史」なのでした。

 

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2023.02.15

AGIが世界を変える

Th_-20230216-81146 AIという言葉はもう古いのかもしれません。2022年、私たち人類にとってとてつもなく大きな出来事がありました。それが、AGIの登場です。

 Artificial General Intelligence(汎用人工知能)

 私たち庶民のレベルでも使いこなせる自律性の高いAI。もう皆さんも楽しんでおられることでしょう。

 特にOpenAI社の各種サービスは、「おもちゃ」として大変有用有能です。この「おもちゃ」としての部分こそ、Generalということであり、インターネット、スマホなどの旧技術もそこから一般化しました(不謹慎ながら「軍事」と「エロ」も「おもちゃ」に入れさせていただきます)。

 2022年はAIが子供でも使える「おもちゃ」としてリリースされた記念すべき年となるでしょう。1985年のWindows登場以上のインパクトです。

 ChatGPTなんか妙に日本語についてもこなれている感じですよね。どういう人たちが関わっているのかなと思っていたところ、この動画(本編)を観る機会がありました。なるほど、こういう若いグローバルな天才たちが「おもちゃ」を嬉々として開発しているのだなと思った次第です。

 

 

 ここでシェインさんも語っているように、これは単なるトレンドではありません。一時的なブームではなく、間違いなく全く新しい時代の幕開けです。

 もちろんこういうことは、半世紀以上前から予想されていました。今ちょうど新版の校正作業をしている仲小路彰の「未来学原論」(1968)にはこんな一節があります(下線私)。

 

 宇宙的地球文明の創造

 大宇宙は無限の創造力をもって生成流転している。人類もまたこの中にあって、その生命的エネルギーにより、過去のいく多の歴史を形成した。いまその蓄積された文化的基礎の上に科学的機械によって構築された世界文明を全地球的に現出しつつある。
科学はかくて一切のものを改造しつつ、その絶対の勝利を誇っている。ここ約一世紀半にして人類社会はきわめて大きい変貌に驚かされている。エネルギーは石炭から石油、電気、原子力に発達し、これによって産業構造は一変し、人間関係を結ぶ大衆情報メディアがすべての思想を動かしている。
 そして、ついに人間はこの機械的大衆社会の中のみじめな一断片ロボット化そうとして、はては人間の頭脳でさえ人工頭脳によってその地位を奪われようとする。もっとも個性的な表現とされる芸術の領域でも、もはや機械力、技術性をもってはるかに効果的な作品を創造するかの如くである。いわゆる創造的な文化的事業でさえ、科学的技術はきわめて容易に新しい機能を表すこともできるとされる
 この間にあって、果たして人間は何をなすべきであるかとの主体としての人間反省がなされる。およそ人間の存在理由はいかなるものであるか、これは人間の幸福がこの機械の勝利によって達成されるかどうかの問題に直面する。

 

 たしかに、OpenAIが提供するAGIには、絵画、音楽、3Dモデルなどの芸術分野があり、またChatGPTは小説や詩歌を巧みに創造しますね。

 仲小路が上記文章の最終段落で述べていることこそ、2023年以降の私たち人類の課題です。

 特に教育の分野の大変革は必須でしょう。というより、もし巷間言われているような「AIに仕事を奪われる」ということが起きるなら、まず最初に淘汰されるのは「先生」と言われてきた職業の中で安穏とあぐらをかいていた人々でしょう。

 私は、仲小路が提示してくれている人間の「生命的エネルギー」こそが、AIの到達し得ない能力…あえて簡単に言えば「未来の情報にアクセスする能力」…であると信じていますので、特に心配はないどころか、過去の情報へのアクセスはAIに任せておけばよいと思うと気が楽になりますね。

 つまり、これからの人間の「学習」は、いかに未来の情報にアクセスするかにフォーカスされるべきであり、今までの「教育」「学校」はほとんど意味がなくなるということです。

 とはいえ、まだまだAGIも赤ん坊みたいもの。それも妙に大人びた赤ん坊で、実にテキトーなことをそれらしく語ってくれています。ツッコミどころ満載で、まさに「おもちゃ」として私を楽しませてくれます(笑)。

 たとえば、ChatGPTに「不二草紙について教えて」と入力すると、こんな「それらしい」文章を出力してくれます。どういうデータにアクセスしているのか、逆に興味がわきますね(笑)。

 ん? いや、もしかすると未来の情報にアクセスしているのかも。千年後には私のこのブログはこういう評価を得ているのかもしれない??ww

 

「不二草紙」は、鎌倉時代に書かれたとされる書物で、禅宗の教えをまとめたものとして知られています。作者は不詳で、草書で書かれた典籍です。

「不二草紙」は、禅宗の教えを平易な言葉でまとめたものであり、禅宗初心者でも理解しやすい内容となっています。この書物は、不動明王という仏教の守護神を祀る護摩堂の宝物として、その秘伝書として保管されていたことが知られています。

「不二草紙」には、仏教の教えである「六波羅蜜」と、禅宗の教えである「六祖壇経」をまとめて解説したものが含まれています。また、禅宗の悟りの境地を表す「五位」や「十牛図」などの解説も含まれています。

「不二草紙」は、禅宗の教えについての理解を深めるために多くの人々に読まれ、その影響力は大きかったとされています。現在でも、禅宗の教えを学ぶ際の重要な資料として、多くの人々に愛読されています。

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2023.02.14

野田佳彦が語る武藤敬司

 

 日の一番の感動はこれですね。

 いやあ、さすが野田さん!

 ちょうど先週でしたか、ある方と野田さんに会いに行こうという話をしていたところでした。

 安倍さんに対する追悼演説も本当に素晴らしかったけれど、この武藤選手引退へ向けての言葉もいいですね〜。この人の言語能力というか物語能力は非常に高い。

 いや、それこそプロレスの物語性に親しんでいたからこそ培われたものでしょう。

 プロレスで鍛えられる感性というのがあります。単純な事実、単純な勝敗、単純な強さ弱さには還元できない、虚実皮膜の間の機微はもちろん、利他性、アドリブ力、根回し力、長期にわたる価値判断、ストーリーの構築…全て政治に、いや人生に必要な大切なモノですよ。

 小橋建太引退興行後の三人の飲みの話がいいですよねえ。野田、馳、武藤で「プロレスっていいなあ」かあ。味わい深い。

 野田さんのこの動画を観て聴いて、ますます東京ドームに行きたくなりました。う〜ん、仕事が…。なんとか調整しようか。一生に一度のことですし。

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2023.02.13

山田玲司が語る小津のすごさ

 

 ぜかこのタイミングで小津安二郎ネタが続いております。特に理由はないのですが、こうして数年に一回、マイ小津ブームが起きるのは面白い。

 山田玲司さんとはほぼ同世代。小津との出会いもだいたい頃ではないでしょうか。リアル世代ではないからこその熱さというのがあるじゃないですか。この動画での山田玲司さんの興奮具合はよくわかります。

 ここでも一部語られている小津の特徴、あるいは静かな狂気、不自然な自然さというようなものは、まあもう充分に語り尽くされているところですが、やはり漫画家からの視点、あるいは美術史的な視点はさすがというべきです。

 なるほど漫画家と同じように画面を構成していったわけですか。たしかに特徴的なカットバックも漫画のコマ割り的ですね。

 ちょっと不謹慎なことを告白します。

 実は最近、小津を再鑑賞する時、なんと倍速で観るのです!

 あのテンポ、間がいいのに、なんということをするのだと怒られるのは承知です。

 しかしですね、もう何度も観ていると、あのテンポ、間が完全にわかってしまっているので、倍速で観ても同じような体験ができるのですよ。

 だって、好きな漫画、何度も読むじゃないですか。その時のスピードってだんだん速くなったりしませんか。あるいは一部飛ばし読みしたり。

 そう、漫画に限らず、たとえば小説を読む時も、私たちは自分なりの速度を自分なりに調整して読んでいるわけですよ。

 最近、動画の倍速をタイパで説明しながら批判する人がいますが、いや待てと。黙読、あるいは音読もだけれども、もともと記録されたものの再生速度って自由なのではないでしょうか(ただし、音楽を除く…その理由はいつか)。

 もちろん小津作品は、最初は普通の速度で観てもらいたい。次は自由な速度で観るというのも楽しいですよ。気になるところ、好きなところは等速でとか。

 それはいわゆる劇場での映画体験とは違うかもしれませんが、もう実際こうしてスマホの中に小津映画が再生される時代になったわけでして、いくら保守的な小津でも、なるほどと面白がってくれると思います。

 小津安二郎、未体験の方はぜひこの機会にどうぞ。山田玲司さんおススメの「お早よう」や「東京物語」はもちろん、私は「秋日和」と「浮草」が好きです。

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2023.02.12

『珈琲時光』 侯孝賢監督作品

Th_515fnks5f9l_ac_ 津安二郎に影響を受けた国外の映画監督の作品を続けます。

 台湾の映画監督ホウ・シャオシェン。

 ローアングルと時空の余韻、間合い、余白に、両者の共通点が見出だせますが、もともとホウは小津の映画にはそれほど興味がなかったようです。

 自作を「小津に似ている」と言われて、初めて意識的に小津作品を観るようになったとのこと。彼自身はどちらかというと自分と小津の相違点の方が気になったようです。

 2003年、小津生誕100年を記念して、松竹はホウに「東京物語」のオマージュ作品の製作をオファー。 

 自らの意識とは別に、作品が語る世界観そのものが、この映画の製作の話を引き寄せたとも言えましょう。

 私はこの作品が純粋に好きですが、小津マニアからするとその「相違点」に目が行ってしまい、受け入れがたいところもあったかと思います。

 そう、小津があまりに孤高かつ完璧な世界を構築しているので、周防のようなパロディやヴェンダースのようなドキュメンタリーならまだしも、こうして真面目にオマージュ作品を作ると、日本人監督に限らず必ず批判されますよね。

 特にこの作品は「記念」かつ「東京物語」という大きなプレッシャーがあったわけで、それを考えると、私としてはですね、ホウ監督はよくぞちょうどいいバランス、つかず離れずの立ち位置を見つけたなと思うのです。

 一昨日の「東京画」はすでに「懐かしく」なっていましたが、この21世紀初頭の「東京画」は、まだその領域には至っていませんでした。あと20年くらいすると「懐かしく」なるのでしょうか。

 歴史が地層的に堆積し、少し歩くとそれらの露頭が連続して現れる、それこそ映画的な都市「東京」。おそらくヴェンダースもホウも、それを感じ、それをフィルムに焼き付けているのではないでしょうか。

 そう考えると、それぞれの時代にそれぞれの懐かしさを醸しつつ、常に変化していく東京という街自体が作品であり、また生命体であるとも言えそうです。

 あっ、今一つ気がついたのですが、その東京という生命体の血管が鉄道ですよね。小津の作品にも頻繁に鉄道が登場しますが、「東京物語」と「東京画」と「珈琲時光」における鉄道のデザインこそ、私にとっての「懐かしさ」の基準なのかも。

 「汽車」は懐かしさを超えて歴史という感じ。「103系」は懐かしさ。「205系」はまだ懐かしさになっていない。ちなみに都営荒川線は別格で、いつも懐かしい(笑)。ちなみに田舎者にとっては、「E235系」にはまだ慣れず未来な感じですな。

 

 

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2023.02.11

『カツベン』 周防正行監督作品

Th_91bmqmk9nl_ac_sy445_ 日のヴィム・ヴェンダースに続き、小津安二郎に多大な影響を受けた監督さんの作品を一つ。

 画作り的にもそうですが、台詞回し、そして脚本的にも小津イズムを継ぐ周防監督ですが、この作品でもそれを感じさせます。とはいえ、それは初期の作品に比べればそれほど濃厚ではありません。

 私は、この作品の、特に後半のドタバタ感にそれを小津を感じましたね。全体としては落ち着いて安心して観ていられる巨匠的な作品だと思いますが、もしかすると人によっては後半のドタバタについていけないかも。

 それこそ小津のサイレント作品はこういうドタバタですよね。ですから、この映画もサイレントで観てみたいとさえ思ったのでした。というか、実際一部音声を消して、1.5倍速で観たら面白かった(ついでに自分でも弁士をやってみた)。

 映画の掉尾、稲垣浩監督の言葉が重いですね。最後まで観て初めて映画全体の言いたかったことがわかった。

 かつて映画はサイレントの時代があった

 しかし日本には

 真のサイレントの時代はなかった

 なぜなら

 「活動弁士」と呼ばれる人々がいたから

 なるほどですね。

 ところで、私もけっこうカツベンのようなことしてますし、それから楽師のようなこともやってますな。即興的に話をする仕事はもちろん、語りや講談などにアドリブで音楽や音をつける仕事が時々入ります。

 そうそう、この映画の音楽も面白かった。邦楽器と洋楽器が混ざり合い、邦楽と洋楽が混ざり合っていた時代。あの頃の大衆音楽は面白いんですよね。ヴァイオリンの受容のされ方とか象徴的です。それこそ絹の弦を普通に張ってましたから。

 この映画は、時代考証的にはいろいろフィクショナルな部分が多いと思いますが、それこそ「活動写真」の世界観でしょうから、細かいこと言うのは野暮天ということです。まあ、いろいろな意味で観客を選ぶ作品かもしれませんね。私は好きです。

Amazon カツベン

 

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2023.02.10

『東京画』 ヴィム・ヴェンダース監督作品

Th_51arvsegb2l_ac_sy445_ 日は少し時間があったので、小津安二郎のサイレント作品をいくつか観ました。

 そしてその後、久しぶりにこの「東京画」を鑑賞。

 あれ〜?この映画ブログで紹介してなかったっけ。何回か観たんですけどね。

 おそらく15年ぶりくらいなのですが、今回は妙に新鮮に感じました。何が新鮮かというと、この映画を「懐かしく」感じたということなのです。なんとなくパラドックスですよね。懐かしさが新鮮って。

 なるほど、令和の時代になり、いよいよ昭和は本格的に「作品」になりつつあるのかなと。

 ヴィム・ヴェンダースが訪れたのは、1983年(昭和58年)の東京。

 その年、東京の大学生活をする気満々だった私は、運命的に東京にフラれ、山梨の山奥の大学に島流しになりました。まさに運命の分岐点、今思えば東京にフラれて本当に良かった。

 そういう意味もあるのでしょうか。ヴェンダースが記録した「東京」には、もう未練も憧れもなく、ただの「浮世」にしか見えません。それこそが「懐かしさ」なのです。そう、懐かしさとは、自分とのある一定の距離を前提とした感傷なのでした。

 手が届かないという諦念。手元にあるものはニセモノ。それ自身にはもう会えない。それが懐かしさ。

 もちろん、登場する街並みだけでなく、笠智衆も厚田雄春もとっくにこの世のものではなくなってしまいました。私たちが見ることができる彼らや風景はニセモノです。ニセモノの虚しさ、悲しさ。

 実はそれこそが、戦後の小津安二郎の描こうとしたモノなのかもしれませんね。

 過去は永遠に手にすることはできませんから、だからこそ今も未来も永遠なのです。そうした禅的とも言える世界の真理。そう、この世の真理はただ一つ、全ては去りゆく。全てのモノは変化していくということが、唯一の変化しないコトなのでした。

 そういう意味で、このヴィム・ヴェンダースの作品もまた、時という演出を得て、小津作品に並ぶ「懐かしさ」の境地に達したとも言えそうです。

 

 

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2023.02.09

中之倉バイパス(ループトンネル)

20230210-102302  日のカップラーメンネタに続き、これも「ラーメン」ネタですよ!

 毎週のように山梨鳴沢村と静岡市を往復しております。毎回同じ道を通るのが嫌いなタイプなので、様々な経路を試しつつ楽しんだり苦しんだりしています。

 急がば回れ。最短距離が最も早いかというと、そんなことはありません。先日も某林道に迷い込み、途中落石や倒木をどけながら走ったため、倍以上時間がかかってしまいました(笑)。

 去年までは、結局のところ139号から新東名で新静岡へという経路が一番早く、約1時間40分といったところでした。高速代は軽自動車で880円。

 とはいえ、ふだんは880円をケチって下道を使い、芝川町を経由するショートカットコースで約2時間。夜だと1時間50分、昼間混むと2時間強というのが相場でした。

 ちなみに富士吉田の職場から直接行くには、東富士五湖道路から新東名で約1時間半ですが、軽自動車でも高速代が3000円近くかかってしまうので、緊急時以外は使いません。

 そして今日、日帰りで往復することになったのですが、全くの別コースで1時間半という記録を作りました。それが、本栖みち(300号)、中部横断自動車道、新東名経由コース。

 昨年も何回か本栖みちを通って静岡に行ったこともありましたが、「甲州いろは坂」と呼ばれる、300号のあのヘアピンカーブの連続がイヤで、特に帰り(登り)は気が進まなかった。

 それが、とうとう昨年12月に中之倉バイパスの1期工事がほぼ完了し、かなりストレスが軽減されました。今日はそこを走ったわけです。

 灯(とぼし)第1トンネルと第2トンネル。脆弱な地質と多量の湧水による大変な難工事で、かなり工期が伸びました。

Th_img_1273_20230210101001 工事中、全く予想外のところにトンネルの入口と出口があり、はたしてどういうコース取りになるのかと思っていましたが、なるほど第1トンネルは「ループトンネル」だったのですね。

 急峻な崖を登り下りするのに、ヘアピンカーブを避けてループ橋を設置するのは全国各地にあり名所にすらなっていますよね。しかし、ここでは、なんと山の中に360度回るトンネルを掘るという珍しい方法を取っているのです。クリックして地図をご覧ください。

300

 実際走ってみると、ずっと同方向にカーブが続き、なんとも不思議な感覚に陥りますね。楽しいと言えば楽しいけれど、もう一周あったらちょっと気が狂うかも(笑)。ループ橋のように周囲が見えれば、自分と世界の位置関係がわかりますが、トンネルだと不安になるのです。

 なんかこの感覚懐かしいなと思ったら、富士山の溶岩洞穴の中で迷った時、いや樹海の中でグルグル回ってしまった時の感じだ!w

 ループ橋は名所になりますが、これはどうでしょうかね。

 第2トンネルも第1トンネルの延長のような弧を描いています。標高差はかなりありますので、下りの際にはスピードに注意しましょう。今日もトンネル出口や橋の部分は凍結の恐れがありました。

 さて、上の地図でもわかるように、このバイパスはトンネルとともに4つの橋も作られました。この橋たちには、山間部の急峻な場所に最適な「メタルロード工法」が採用されています。これがいわゆる「立体ラーメン構造」ということで、ようやく「ラーメン」に辿り着きました(笑)。

 さて、このトンネルたちより上にもさらにヘアピンカーブ連続区域が残っています。そこが第2期工事ということになるのでしょうか。ますます急峻なところ、はたしてどのような最新工法が用いられるのでしょうか。楽しみです。

 ともかくも、この難工事のおかげで我が家から下部温泉まで40分、そして静岡市の実家まで1時間半(高速代は下部温泉早川から富沢までの20kmは無料区間ですので810円!)となりました。

 ほとんど信号すらないコースですので、時間的な確実性は非常に高い。夜真っ暗でほとんどすれ違う車もないのが、ちょっと寂しいところですが、まあ慣れればそれもまた一興でしょう。

 富士川沿い下道コースや寄り道も含めて、往復コースのバリエーションが増えました。楽しみです。

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2023.02.08

ニュータッチ 凄麺 『静岡焼津かつおラーメン』

Th_61lfvh7xk3l_ac_sl1200_ ょっと忙しいので軽いネタです。

 私は食にこだわるタイプに見えるそうですが、全くそんなことはありません。

 最終的には、横山大観のように日本酒と佃煮で生きていくのが目標ですが、現実には道遠しという感じです。

 ちなみに肉はもともと草なので、野菜だと思って食べています(笑)。

 いや、この「〜だと思って」というところが大事でして、逆に「これは体に悪い」と思って食べると実際に毒になると思っています。

 添加物についても、「地球上にある全ての人工物はもともと自然」と思っているので、基本気にしません。栄養だと思って摂取すると、実際に栄養になります(進化を助けるという意味でも)。ウイルスやワクチンでさえ、そういうモノだと思っています。

 というわけで、けっこうジャンクなもの食べるのですが、特にカップラーメン(焼きそば含む)はよく食べます。

 そんなカップラーメンの中で、最近圧倒的に好きなのがこれ。ニュータッチの凄麺シリーズ「静岡焼津かつおラーメン」。

 私が焼津生まれだということを差し置いても、これはまじで好きです。

 もういろいろ語るのも馬鹿らしいほどうまい!とにかく食べてみてください。

 スープ、麺、そして焼津産かつお節、(私には)完璧なバランスです。

 残った汁の中に、最後にごはんをぶち込むのは当然の作法です。それがまたうまいのなんって。ここ重要です。

 さらに日本酒に合う!おかずは日本酒です(笑)。これで完璧な夕食。

 静岡や山梨では、ホームセンターやスーパーで安売りしてますよね。218円とか。今、カップ麺も値上げが凄まじい中、私にとっては、唯一満足度パフォーマンスに優れている商品であります。

 箱買いしようかな。Amazonでも評価高いですね。

Amazon ニュータッチ 凄麺 静岡焼津かつおラーメン 109g ×12個

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2023.02.07

東京オンリーピック開会式(真島理一郎)

 

 こ数日、音楽の「イキスギ」「ヤリスギ」の話をしてきましたが、映画というかCGアニメの世界でその道の第一人者といえば、真島理一郎先生でしょう。

 もう20年近く前(!)にこんな記事を書いてます。ここにも、しっかり「やりすぎ」の文字が(笑)。

 スキージャンプペア2

 その後も真島先生は凝りずに(?)様々な「やりすぎ」をかましてくれまして、もうそれこそ「やりすぎ」を「ヤリスギ」ると、もうそれは一つの芸風というか、伝統のようになるもので、やはり天才とはそういう「やり抜く」力、言い換えれば「凝りない」力、あるいは「人の視線を気にしない」力を持っているのでしょう。

 競馬の「CINEMA KEIBA/JAPAN WORLD CUP」の世界観も好きなのですが、私自身があまり馬に詳しくないので、今日はオンリーピックを紹介しました(とても全編見ていただく勇気がないので開会式のみ)。

 お馬さんの頑張りもいちおう貼っておきます。ヒマな方はぜひご覧ください(私はつい全部見てしまいました)。

 JAPAN WORLD CUP 全シリーズまとめ

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2023.02.06

マイケル・ジャクソン 『今夜はドント・ストップ』

Don't Stop 'Til You Get Enough Michael Jackson

 

 楽ネタ続きます。あえて「今夜はドント・ストップ」と言いましょう。

 中学3年生の時でした。この曲を初めて聴いた時の衝撃は忘れられません。まずシングルで買って、のちにアルバム「オフ・ザ・ウォール」を買いました。なけなしの小遣いで。

 昨日までは「イキスギ」や「ヤリスギ」を紹介しましたが、これは対照的とも言えましょう。

 なにしろ、この曲、(シンプルに言うと)コードが二つしかないんですよ!AとBだけ!

 マイケル自身の作曲ですが、このある意味稚拙な曲を、ここまでの名曲に仕上げたのは、間違いなくクインシー・ジョーンズのセンスです。

 アレンジがすごいじゃないですか。カッティング・ギター、ベース、ストリングス、ブラス…。

 もちろん、マイケルの驚異のボーカル力、リズム感もありますよ。しかし、やはり作品全体としての時代を超えたパーフェクト感は、そのアレンジの妙にあります。

 中3の私も、無意識的にそこに新しさ、普遍性を感じたのだと思います。

 意識しなければ、コードが二つしかないなんて気づきませんよ。そのくらい豊かな音楽世界が広がっている。これは本当にすごい。日本人のセンスでは考えられません。

 どちらがいいとかそういうことではなく、本当に様々な時代や地方やジャンルによって、多様な優れた作品が生み出され続ける、「音楽」という世界に感動しますし、昨日書いたように、もしかすると、私たちは「音楽」によって進化させられているのではとさえ思えるのでした。

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2023.02.05

T-Square 『Welcome To The Rose Garden』

 

 日の続き。日本文化と西洋音楽のお話です。

 日本文化が外来のものを受け入れつつ、それを熟成、進化させることは、いろいろな分野で言われることですよね。

 だいたいが両極端に走ります。つまり過度に増やすか減らすか。そしてそこには一定のポピュラリティが必ず担保されている。

 そういう意味で、たとえばジャニーズやアニソンの、ある種バロック的とも言える過剰さというものの原点というか、意外なルーツになっているのが、日本のフュージョンにあるのではないかと、昨日も書きました。

 その最たる例が、このT Squareの「Welcome To The Rose Garden」あたりではないでしょうか。

 もちろん、昨日紹介した「イキスギコード(ブラックアダーコード)」も使われていますし、一昨日の次男バッハのところに書いた、日本人大好き「ドシラソ…」という下降音階ベースや「胸キュン進行」が1曲目から炸裂しておりますね(笑)。

 結果として、それは「光GENJI」的でもあり、アニソン的でもあり、ホームセンターやスーパーのBGMそのものでもあります(笑)。つまり日本的風景を構成しているのが、この手の音楽世界なのであります。

 このアルバム、特にすごいなあと思うのですよ。イキスギとヤリスギの狂宴というか(笑)。ここまで突っ走れば快感です。ドライブ中に聞けば、どこまでも行けます!

 そんなややバブリーなオシャレなドライブ感、非日常感によって日常的な購買意欲をかき立てるのが、ホームセンターやスーパーだというわけで、それを逆説的に揶揄したのが、このロバートのコントでしょう(笑)。もう最高です。

 

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2023.02.04

イキスギコード(ブラックアダーコード)とは

 楽ネタ、音楽史ネタを続けます。昨日の次男バッハの楽曲は、当時としては画期的な和音を使っていたりしますが、今となってはかなり純粋にも聞こえます。

 和声の複雑化というのが、決して全て進化であるとは思っていませんが、人間の複雑な感情を表現するための音楽的挑戦には大変興味があります。

 というか、逆に音楽によって私たちの感情が進化しているのではないかとさえ思うのです。

 そういう意味で、オタク的、職人的傾向の強い、日本人が独特な世界を生み出している状況は面白いですね。決してグローバル・スタンダードではありませんが、シティ・ポップがそうであるように、もしかすると数十年後に世界が追いつくのかもしれません。

 そんな日本的和声の代表が、「イキスギコード」です。ちょっと前に「UNION」のイキスギコードを紹介しましたね。

 なぜか、日本のアニソンで発達したこの複雑なコード進行ですが、実はドミナントの代理コードだと考えると案外単純です。

 それを上手に説明してくれている動画があったので紹介します。

 

 

 アニソンという、ある種ネオテニーなジャンルで、こうした理論的ではあるが味わい深いモノが発達していることは、日本文化論的にも注目すべきですね。

 絵や歌声は概して子供っぽいのに、鳴っている響きは「ブラック」だったりする。本当に面白いことです。

 その他の「イキスギ」をも多用しながら、一定の聞きやすさを保ちつつ、職人技と商業性を両立させたのは、日本のフュージョンだと思うのですが、それについてはまた今度。

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2023.02.03

C.P.E.バッハ 『チェンバロ協奏曲ホ長調』

 日は隠れた名曲を一つ。

 バッハの次男、バロックと古典派をつなぐ重要な役割を果たしたというより、ポスト・バロック、前古典という一つの時代を作った重要作曲家です。

 何度か書いていますが、エマヌエルは父バッハからも大きな影響を受けつつ、父の世界観には縛られず、どちらかというと父の親友でもあったテレマンというポピュラー志向で常に時代の先端を行った作曲家の後継者でもありました。

 彼は父の影響もあり、たくさんのチェンバロ協奏曲を書いています。その中ではあまり有名ではありませんが、私はこのホ長調協奏曲が好きです。

 第1楽章のテーマは一聴してわかるとおり、低音が下降音階のコテコテコード進行です。これって、日本人大好きですよね。最近ユーミンのライヴを観たのですが、冒頭にこのコード進行を持ってくる曲が多いのに驚きました。それを感じさせない旋律やのちのコード展開を作る才能があるのですね。

 前古典の時代は、エマヌエル・バッハに限らず多くの作曲家がこのパターンを多用しています。そういう意味では、もっと日本人が聞いてほしい時代ですね。

 

 

 演奏はドイツの女流キーボーディスト、クリスティーヌ・ショーンシャイムとベルリン・バロック・カンパニー。

 ショーンシャイムの演奏はいつもながら素晴らしいのですが、1パート一人のオケがいいですねえ。

 2楽章は、いかにも前古典という感じのドラマチック(過激)な曲想ですね。バロック期に完成を迎えたポリフォニー音楽と、そこから生まれた基礎的和声構造からの解放です。

 

 

 3楽章はやはり、この時期によくある「活発さ」の表現。疾風怒濤の時代とも言われますね。勢いと華やかさ。これはバロック後期からの伝統とも言えますし、古典派以降の最終楽章につながる新しい価値観の萌芽とも言えましょうか。

 

 

 この時期のチェンバロ協奏曲は、フォルテピアノで演奏されることもありました。実際、ショーンシャイムも両方を使い分けてレコーディングしています。そして、チェンバロの時代は終焉を迎えます。それが復活するまで、100年以上かかります。完全に忘れ去られたので、復活にも困難が伴いました。演奏法なども含めて完全復活するにはさらに100年の時を要するのでした。

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2023.02.02

「2035年に実用化させる」日本の革新的手法で“レーザー核融合発電”は日の目を見るか?

 

 小路彰は今から半世紀以上前に「21世紀は太陽の世紀」と言いました。

 「太陽」には二つの含意があります。一つは平塚らいてうの言葉に基づいたと思われる「女性」の意味。そして、もう一つが「核融合」です。

 その予言のとおり、今、あの時代から比べると「女性」の活躍には目をみはるものがあります。この傾向はさらに進むでしょう。

 そして昨年12月、「核融合」に関しても画期的な報告がアメリカから届きました。

 米国立研究所、「核融合点火」に成功したと発表 使ったエネルギーを上回るエネルギー生産

 そう、ついに投入エネルギー以上のエネルギーを取り出すことに成功したというのです。これは人類にとって大きな転換点となりうる大きな一歩です。

 仲小路彰は、その21世紀の核融合開発の中心に日本を据えていたわけですが、実際、日本は核融合に関する独自の技術を多数持っており、今後の日本の技術が核融合発電の実現に大きく貢献することは確かです。

 このテレ東BIZの番組では、そのあたりの現実的な話を、最先端のスタートアップ企業のトップが説明してくれています。まだまだ課題は多くあるものの、「目指すべき山が本当にあることがわかった」ことは大変な進歩です。

 2035年。まさに近未来。そしてそこからまだ21世紀は65年あります。仲小路彰の「予言」はおそらく現実のものとなるでしょう。

 ここで私も一つの「予言」をいたしましょう。2050年より前に、核融合に関する、さらに画期的な発見、発明が日本でなされるでしょう。その時まで私も生きていたいものです。

 地上の太陽たる核融合発電が可能になったならば、世界のエネルギー問題は一挙に解決し、その結果、エネルギーの奪い合いたる「戦争」の必要はなくなるでしょう。

 そんな夢物語のようなことが、いよいよ実現するのです。そこに向かって、私たち人類は、ある種の自己否定、自己破壊を伴う霊的成長を遂げねばなりません。それこそが、出口王仁三郎の言う「大峠」なのです。

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2023.02.01

『愛国者は信用できるか』 鈴木邦男 (講談社現代新書)

Th_b00dkx4ihu01_sclzzzzzzz_sx500_ 木邦男さんが先月お亡くなりになりました。

 なんちゃって右翼を批判し、ある部分では左(&リベラル)側と共闘するという立場は、もしかすると私に近いものがあるかもしれません。

 また、プロレスファンという意味でも親近感を覚えます。というか、プロレスファンはバランス感覚に優れるんですよね。どちらかに偏りすぎない。

 この本も素晴らしいですよ。なにしろ、真正右翼でありながら、あとがきの最後に「いっそ日本一の『反日本』『売国本』と呼ばれたい」と記すくらいですからね。

 これもよくわかります。あまりに、なんちゃって右翼、いやなんちゃって保守が多すぎますので。というか、保守、リベラル、スピリチュアル、陰謀論者など、ネットの影響を受けた過ぎた方々はみんな、「なんちゃって」か「勘違い」か「金儲け」のいずれかです。

 皆さんはどれですか?(苦笑)

 鈴木さんは「愛国心」という言葉に嫌悪をいだきます。それは三島も同じでした。

 「愛」ではなく「恋」でいいのでは…これは最近書いた私の記事にも通じますね。

 恋と愛の違いとは…

 民権から国権へ。それは恋から愛への転換と相似形です。純粋な内的心情を離れ、強権的な外的規定にある意味安住する。

 日本は貴重な論客をまた一人失いましたね。いよいよ私たちの世代が頑張らねばならない。そう思いました。

 最後に、鈴木邦男さん、大変な読書家であられたこともあって文章が素晴らしい。文体がよい。

 それなのに、デジタル化した際、スキャナーを使ったのでしょうか、前半に看過できない誤植がありました。講談社さん、しっかり!

 ○征韓論 ×征韓諭

 ○違い ×遠い

 スキャンの際によくある誤認識です。 

Amazon 愛国者は信用できるか

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