今日は学校でお仕事。さっそく今年の共通テストの内容を検討。
国語はいつものとおり、ちゃんと解いてみました。ほかの科目は出題傾向を確認するだけ。それでも半日かかりました。
国語は選択肢に紛らわしいものが多く、あいかわらず「間違い探しゲーム」でしかないなと感じました。このテストで本当の国語力が測れるのでしょうか。
他の科目も含めた全体の傾向としては、「新しさ」「実用性」を重視する(重視しているように見せかける)ための「生徒同士の会話形式」の出題がたいへん多く見られました。これは共通テストの特徴です。一見新味がある。
しかし、これもあまり意味がないような気がします。実際の授業で、このような生徒同士の会話はほとんど成り立ちません。つまり、全く新しくなく、また実用的でもない、ある意味古典的なフィクション(理想)の世界です。
ちなみに理・数にはほとんどそのような形式はありません。
で、そんな中、私はですね、どうでもいいことが気になってしまったのですよ(相変わらず私の視点は変?)。
その「生徒同士の会話」にですね、「先生」が加わることもあるのですが、「国語」の古文におけるそのタイプの問題を解いていて、猛烈な違和感とリアル感を抱いたのです。
その部分がこれ。ちょっと眺めてみてください。
違和感とリアル感って矛盾していますが、でも実際そうだったのです。
つまり、こういうことです。
この問題では、先生は丁寧語を使っているけれど、生徒は使っていない。
いや、もちろん、これは先生が生徒3人に話し合いをさせているので、基本生徒は生徒と話している状況です。だから敬語を使わないのは当然といえば当然ですが…。
それでも、先生が途中でアドバイスしてますよね。たとえば、「掛詞」に注目してみると良いですよ、と。
それに対する生徒Bは「掛詞は〜だったよね」と答えています。これも他の生徒に対しての発言と考えれば、まあ自然といえば自然なのですが、その他の部分も含めて、先生は完全に敬体、生徒は常体ということになっていて、さすがに不自然な感は否めません。
他の科目もすべてチェックしてみました。すると、ほかはすべて「先生も生徒も敬体」「先生が常体で、生徒が敬体」のどちらかになっていました。
つまり、国語の問題だけ「先生が敬体なのに生徒は常体」になっているのです。う〜ん、これってどういうことでしょう。国語ですよ、国語。
しかし、実はこれはある意味「リアル」でもあるのです。
現実の教室では、先生が「です、ます」でしゃべって、生徒は先生にタメ口で話しかけるということが、けっこうあります。そのケースでは、生徒がその先生に親近感を持っているか、あるいはハナからなめてかかっているか、どちらかです。
私がこの問題に感じた「リアル」とは、そういうことなのです。
ただやっぱり、授業中にこのような古文に関する高度な会話ができる生徒たちが、先生もいる場でこんなにフランクな感じで話しちゃうかなという違和感もある。
とにかく問題を解きながら、なんかモヤモヤしてしまったのですよ。
全国で数十万の人が受験し、この部分を真剣に読んだはずですが、こんなモヤモヤを感じたのは私だけでしょうね(笑)。
他の科目では誤字などもあったようですが、それより大きな問題なのではと思った次第です。作問者の意図や意識を確かめてみたい…。
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