茅野にて守屋山と守矢氏について思う
この日は長野県茅野市にてセミナー。ステキな月心というお店が会場でした。
こちらも大勢の方にお集まりいただき、大いに盛り上がりました。セミナーの内容については秘密ですので(笑)、ここには書きません。
さてさて昨日の話、出雲の大国主の分身旅の行方の続きです。
茅野はまたすごい所ですね。尖石遺跡や縄文のビーナスにも象徴されるように、縄文時代に大変栄えました。
そして諏訪大社上社前宮。西は杖突峠。東は蓼科などの名峰がずらり。南には八ヶ岳。
さて、杖突峠の西には「守屋山」があります。
守屋という名称から、物部守屋と関係があるように解釈されることもありますが、物部氏は三輪山の大物主を信仰していましたから、つまり「大国主和魂派」であり、諏訪の「荒魂派」とは矛盾します。
これは私にとっても難題であったわけですが、今回茅野を宇宙から俯瞰してわかったことがありました。
つまり、大国主の和魂と荒魂は、「富士(不二)山」での再会の約束があったにも関わらず、和魂はついついパートナーが気になって近くまで会いに行ってしまうのですね。これって神話によくあるパターンです。
しかしだいたいその手の物語では、両者は会えない。イザナキ、イザナミの話もそうですし、ヤマトタケルとオトタチバナヒメの話、そして王仁三郎のクニトコタチとトヨクモヌの話もそう。
結局、物部氏残党は杖突峠を越えられず、荒魂収まる諏訪へはたどり着けなかった。私のトンデモ説が正しければ、諏訪に収まった大国主の荒魂が慕うのは、自らのソウルメイト、ツインレイとも言える和魂。両者は互いに見える所から互いを思い合い、信じ合い、それが信仰となったのです。
それが諏訪に古くからあった東国縄文系のミシャグジ信仰と習合し、それを統括したのが守矢氏ということになりましょう。守矢氏は土着の信仰と同化することによって、杖突峠を越え、諏訪の地に居留することになりました。
物部系すなわち和魂系の守矢氏は、一足先にパートナーである荒魂に出会いましたが、あくまで和魂本体は太平洋(南)ルートで富士山へ向かっています。守矢氏は諏訪に収まっていた荒魂を富士山へ導く役割を果たしたというわけです。
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