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2022.12.31

桑田佳祐 feat. 佐野元春, 世良公則, Char, 野口五郎 『時代遅れのRock’n’Roll Band』

 

 年の紅白の最高パフォーマンスは、このおじさんたちだったのではないでしょうか。

 ワタクシたちの世代からすると、憧れのお兄さん、先輩たちと言った面々。

 まさかあれから半世紀近く経って、こんな共演が観て聴けるとは、当時はもちろん、ついちょっと前でさえも思いもしませんでしたね。

 それぞれが一つの時代を築き、そして現役でまだまだ頑張っている男たち。

 ジャンルや表現は違えど、やはり洋楽の影響を強く受け、そしてギターをかき鳴らしながら、日本人にとってのロックやポップスとは何かを問い続け挑戦し続けた男たち。

 かっこよかった。時代遅れ、ダサいというのは半分は冗談であり、今の音楽界、ある意味今日の紅白の内容に対する抵抗でもあったことでしょう。

 時代遅れ…これは深い言葉です。なぜなら、時代遅れと言われるほどに「未来」に生き続けた存在、音楽なのですから。

 全く忘れられてしまったものには「時代遅れ」という称号は与えられません。そして、時代遅れであり続けると、いずれそれは「古典」になっていく。

 彼らの下の世代である私も、大いに刺激を受けました。

 原由子さん、大友康平さん、そして若い世代としてハマ・オカモトさんが手伝ってくれたことも嬉しいかぎりでした。

 令和4年最後にいいモノを体感しました。ありがとう!

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2022.12.30

シンギング・リンとタング・ドラムの共演

 

 年のワタシの音楽活動はいろいろありました。多彩なジャンルのプロフェッショナルの方々との出会いもあり、新たな挑戦をすることができました。

 その一つがシンギング・リンとの共演です。以前、私のシルク・ヴァイオリンとの共演の動画を紹介しました。

 シンギング・リンとシルク・ヴァイオリンの共演

 今回の動画では、私はタング・ドラムを演奏しています。まあ、演奏というほどのものではありませんが。

 たまたま私が購入した格安タング・ドラムが、しずくちゃんの演奏するシンギング・リンとピッチがぴったりでして(めったにない)、即興で共演してみましたところ、なかなかお互い刺激的な掛け合いでできました。

 この動画はそのうちの一つ。30人以上の方が私たち二人の周りで寝転がって音を浴びておりました。お聞きのとおり、中にはいびきをかいて寝てしまう方もいらっしゃる(それで良い)。

 そのいびきもまた、その時にしか生まれない呼吸の音なわけでして、演奏中もそんなに気にならないものです。

 シンギング・リンは多彩な倍音を発音可能ですが、メロディアスな旋律の表現は苦手。そこをタング・ドラムで補うことによって、1時間弱の「楽曲」に変化をもたらすことができます。

 最近は、シルク絃を張ったヴィオラ・ダ・ガンバでも共演させていただいております。自分で言うのもなんですが、これもなかなか良いのですよ。

 来年はもう少し実践を積んで、いろいろなところで披露できるようにしたいと思っております。

 シンギング・リンによる音浴(おんよく)は、今までの音楽的体験とは明らかに違います。無意識に働きかけるというか、いわゆる瞑想や座禅におけるゾーンへの誘導の役割もあります。

 また聴く人の心身だけでなく、その場自体を調整する機能もあるようです。日本発の新しい音世界として注目です。

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2022.12.29

『RRR』 S・S・ラージャマウリ監督作品

Th_unknown_20221231171501 れは絶対観てください!!

 これほどすごい映画は初めてでした!!

 語ることができません。とにかくもう一度観ます!いや、何度でも観ますw

 ウワサには聞いていましたが、みうらじゅん賞を受賞したということで、いよいよこれは観に行かねばと思い、家族と亀有にて鑑賞。この映画のインドの男たちに匹敵する日本人は両さんしかいない!

 歴史的なことで言いますと、大英帝国がいかにひどかったか、そしてインドの独立に日本が果たした役割も大きかったことも思い出されましたが、それ以上に、アジアの「神話」は今でも息づいているということに感動。

 火と水の出会いとは、まさに「龍」です。そう、この映画のパワーは龍だ。

 う〜ん、いろいろ細かいことで書きたいことたくさんありますが、あえて書きません。とにかくこれを観ない人生はもったいない。マジです。家族も泣いて笑ってハマりまくりました。

 3時間の作品なのですが、全く飽きさせません。眠くなるヒマはもちろんありません。物語の力はすごい。やりすぎくらいがちょうどいい。ロジックとかファクトとかエビデンスとか、どうでもいい!

 インド映画の最高傑作であることは間違いありません。いや、映画史上最高傑作の一つでしょう。なんなんだ、この満足感、高揚感。

 年明けには地方でも公開が進むと思います。本当に騙されたと思って劇場に行ってください。スクリーンで観なくちゃ意味ありません。

 RRR公式

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2022.12.28

神宮外苑いちょう並木

Th_-20221231-170004 た忙しくて更新が遅れてしまいました。

 この日は東京青山の神宮外苑いちょう並木にあるレストラン「キハチ」にて忘年会。

 このいちょう並木は明治天皇崩御にあたり、明治神宮内苑外苑が整備された際、高名な造園家であった折下吉延によって設計されたものです。

 折下はフランス式の公園道路を意図したようで、4列のいちょう並木はそれを象徴しています。

 つまり、車道の両脇にいちょうに囲まれた日陰の歩道を創造するという発想です。

 いちょう並木は明治天皇のご遺体が安置された場所に建設された絵画館に向かって、微妙に勾配があり、さらにいちょうの高さも遠近法を計算に入れたもののようで、単なる都市計画というよりも、より宗教的というか、霊的な設計になっているようです。

 ちなみに私はここに立つと、このいちょう並木の通りの90度真西に富士山があることを想像します。

 このことについては、7年ほど前にこんな記事を書いていました(忘れていて検索していたら自分の記事が出てきた…笑)。

 聖徳記念絵画館からの富士山(とその先にあるもの)

 帝都東京にはこうした暗号的なデザインが各所に隠れています。そんな暗号を解きながら歩くと一生飽きないのが東京という街です。

 そしてそれらの暗号は未来に投げられたモノです。それを未来人たる私たちがキャッチできるかどうか。そこに、東京のみならず日本の命運がかかっているのです。

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2022.12.27

円周率を曲にしたら美しすぎた!?数学と音楽の世界 (ナゾトキラボ)

 

 の試みは面白い。もともと数学と西洋音楽は同じ土壌で発達したものです。究極的には天文学ですからね。

 そういう意味で、今までも数式の音楽化というのはいろいろな人たちによって試みられてきました。

 しかし、この試みでは10進法を12進法に変換するというアイデアと、それに伴う12音階旋律に上手に和声づけすることによって、なかなか素晴らしい音楽に仕上げています。

 まず半音の並びを音楽的に配置する、そのセンスが優れていると感じました。作者は音楽的な知識と経験が豊富なのでしょう。

 このような試みの逆、即ち既成曲を数値化するというのも面白いでしょう。たとえばバッハのあの宇宙的構造感を持った楽曲は、数学的に美しく表現されそうな予感がしますよね。

 数学者が求める「美しさ」と、作曲家が求める「美しさ」とは、きっと高次元ではつながっている、あるいは同一のものなのではないでしょうか。

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2022.12.26

ロベール・ド・ヴィゼー 『シャコンヌ ト長調』

Robert de Visée: Chaconne, Sol majeur

 日は私の妄想を一つ。

 結局実現しなさそうなのですが、昔から映画が好きで自分でもいつか撮りたいと思ってきました。

 で、大昔若かりし頃、ちょこっとシナリオを書いて絵コンテまで考えた作品がありまして、そのエンディングに使おうと思っていた曲がこれなんです。

 太陽王ルイ14世おかかえのテオルボ、ギター奏者だったロベール・ド・ヴィゼーのシャコンヌです。まずは聴いてみてください。

 

 

 シンプルですが美しい曲ですよね。

 私の映画のイメージは次の演奏動画に近いものと言えましょう。テオルボとバロックギターのデュオ編曲版です。

 

 

 映画を撮る夢はかないそうにないと思っていましたが、同い年の高城剛さんが最近映画を撮り始めたの見て、まだまだ分からんぞと思うようになりました。この曲が劇場に流れる日が来るかも!?

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2022.12.25

レインボー【コント】クリスマス会えないからリモート繋いだらガッツリ浮気してた女

Th_hqdefault_20221226151401 陸信州の旅から富士山に戻ってきました。

 今回の旅はいちおう仕事がメインでしたけれども、いろいろ書いたように、結局、出雲の大国主の荒魂の行方を辿った旅ともなりました。

 そして、そこに時々ちらつく物部氏(和魂担当)の姿。面白いですねえ。

 クリスマスというのも、考えてみると、もともとは冬至の祭。厳しい冬の荒魂から春の和魂への予感を抱かせるものであり、またキリスト誕生の物語とすると、のちの十字架に象徴されるある種の荒魂の発動の予感とも言えるものです。

 出口王仁三郎や仲小路彰が重視した「宇宙の生命的エネルギー」は、このように必ず「和」と「荒」の両面のバランスとアンバランスによって活動するのです。

 それが人間の活動を通じて、宗教や文化、芸術、そして歴史として表現されるわけですね。

 というわけで(?)、突然ですが、クリスマスにちなんだ「和」と「荒」の見事なアンバランスを鑑賞いたしましょう(笑)。

 今日公開されたお笑いコンビ、レインボーのクリスマスコントです。私としては結構ツボにはまりました(笑)。

 「和」の象徴であるはずのクリスマスが、まさかの「荒」れた展開に。その被害者たる男性二人の微妙なアンバランスも笑える。

 池田直人さんの女装ネタ大好きなんですけど、今回は一人二役ということで、もう最高(笑)。とにかく楽しんでください。

 笑いという「和」には、絶対「荒」が必要なんですよね〜。「悪びれろ!」…名言すぎます(笑)。岡山弁というのも昨日からの続き?

 

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2022.12.24

白樺湖と物部氏

 て、今回の旅の最終経由地は軽井沢。

 アメリカの西海岸と東海岸でそれぞれ40年以上、日本の芸術文化を世界に発信してくださったステキなオジ様方にお招きいただいてのクリスマス・イヴ。

 おいしいチョコケーキとお酒とお寿司を堪能しながら、いろいろな話をいたしました。楽しかった!

 ところで、茅野から軽井沢へのドライブルートは、降雪のことも考え、白樺湖から国道152号、142号を通るやや遠回りなルートを選択。

Th_640x480_800a0979bbb627f8a22d0e915ac85 途中白樺湖でトイレ休憩をいたしましたが、湖面もすっかり雪に覆われ、正直どこから湖なのかよくわかりませんでした(笑)。

 秋はこんな感じで蓼科山を望み、紅葉もきれいなのでしょうね。

 さて、案内を見ていてあることに気づきました。

 なんでも白樺湖は、そのように呼ばれるようになる前は「蓼科大池」と命名されていたのだとか。

 もともと大きな人工の溜池であったそうで、戦後すぐに完成した際、時の県知事は「蓼科大池」と名付けたとのこと。

 その県知事さんが、なんと「物部薫郎(ものべくんろう)」さんなのです。

 昨日の話につながりますね。まさかの物部氏が近代にも活躍していた。なるほど、長野県にも物部氏は多くいるのかと思いきや、全然違っていた。

 この物部薫郎さん、岡山県の出身なのです。

 たしかに岡山県には物部氏がけっこういる。奈良の物部氏が、まず大阪の交野に移住し、そこからさらに岡山の方に移動して「肩野物部氏」になっているんですね。

 物部薫郎さんは、おそらく肩野物部氏の系統です(物部家に養子に行っている)。

 それが巡り巡って長野県知事になっているというのは、実に面白く、また運命を感じる歴史的事実です。それも戦後すぐの知事。のちにその戦争に関する発言が原因で知事の座を追われることになるのですが。

 まあ偶然でしょうが、こうして白樺湖に来ることによって知ることがあったわけです。これまた宇宙から歴史を俯瞰しているのかもしれませんね。

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2022.12.23

茅野にて守屋山と守矢氏について思う

Th_img_0931 の日は長野県茅野市にてセミナー。ステキな月心というお店が会場でした。

 こちらも大勢の方にお集まりいただき、大いに盛り上がりました。セミナーの内容については秘密ですので(笑)、ここには書きません。

 さてさて昨日の話、出雲の大国主の分身旅の行方の続きです。

 茅野はまたすごい所ですね。尖石遺跡や縄文のビーナスにも象徴されるように、縄文時代に大変栄えました。

 そして諏訪大社上社前宮。西は杖突峠。東は蓼科などの名峰がずらり。南には八ヶ岳。 

 さて、杖突峠の西には「守屋山」があります。

 守屋という名称から、物部守屋と関係があるように解釈されることもありますが、物部氏は三輪山の大物主を信仰していましたから、つまり「大国主和魂派」であり、諏訪の「荒魂派」とは矛盾します。

 これは私にとっても難題であったわけですが、今回茅野を宇宙から俯瞰してわかったことがありました。

 つまり、大国主の和魂と荒魂は、「富士(不二)山」での再会の約束があったにも関わらず、和魂はついついパートナーが気になって近くまで会いに行ってしまうのですね。これって神話によくあるパターンです。

 しかしだいたいその手の物語では、両者は会えない。イザナキ、イザナミの話もそうですし、ヤマトタケルとオトタチバナヒメの話、そして王仁三郎のクニトコタチとトヨクモヌの話もそう。

 結局、物部氏残党は杖突峠を越えられず、荒魂収まる諏訪へはたどり着けなかった。私のトンデモ説が正しければ、諏訪に収まった大国主の荒魂が慕うのは、自らのソウルメイト、ツインレイとも言える和魂。両者は互いに見える所から互いを思い合い、信じ合い、それが信仰となったのです。

 それが諏訪に古くからあった東国縄文系のミシャグジ信仰と習合し、それを統括したのが守矢氏ということになりましょう。守矢氏は土着の信仰と同化することによって、杖突峠を越え、諏訪の地に居留することになりました。

 物部系すなわち和魂系の守矢氏は、一足先にパートナーである荒魂に出会いましたが、あくまで和魂本体は太平洋(南)ルートで富士山へ向かっています。守矢氏は諏訪に収まっていた荒魂を富士山へ導く役割を果たしたというわけです。

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2022.12.22

立山雄山神社にて

Th_img_0916 の続き。この日は富山にしてセミナー。めちゃくちゃ盛り上がりましたね。楽しかった。

 立山の麓ということで、セミナーが始まる前に、主催者でもある地元の友人に雄山神社中宮に連れて行ってもらいました。

 皆さん、日本三大霊山ってどこかご存知ですか?

 ちょっと意外かもしれませんが、富士山、白山、立山なんですよね。

 そう、今回の旅は富士山から白山の麓、そして立山の麓へという霊山巡りの旅だったのですね。そして翌日は諏訪(茅野)へ。

 つまり、ワタクシ的には、今回の旅の大きなデザインは、出雲の大国主命の「荒魂」の旅路を辿る旅なんですよね。

 白山の白山比咩(=菊理媛)について、かつてこんな考察をしました。

菊理媛(ククリヒメ)の秘密…その1

菊理媛(ククリヒメ)の秘密…その2

Th_img_0917 今回、このトンデモ仮説が正しいのではないかと思わされたのが、雄山神社での直観の内容でした。

 そう、雄山神社の祭神は伊邪那岐命と手力雄命なんですよね。まさに「男神の荒魂」であることを象徴しています。

 大国主は「国譲り」の際、荒魂と和魂に分身し、荒魂は北ルート(北陸回り)で諏訪に一旦収まります。その途中、白山と立山を経由するわけですが、当然隠れ旅ですから、菊理媛(大国主の和魂)となったり、伊邪那岐になったり、建御名方になったりする。

 そして、最後は諏訪信仰や養蚕に乗っかって南下し、諏訪湖からも望める富士山へとたどり着くわけです。

 一方の和魂は大物主を称して、奈良の三輪山に収まり、のちに伊勢を通って南ルートを回して富士山に到着します。

 そして何千年、何万年ぶりに二つの魂は再会し、大国主は復活する。「富士山」という、まさに「不二」の場にて。

 だから、富士山と出雲大社は全く同じ緯度にあるのです。そういう未来的な設計の上に位置している。

 このように、宇宙から俯瞰される「神話」の地政学というのは実に面白い。

 旅の面白さは、その地で宇宙とつながって、ローカルからグローバル、さらにはコスミカルに物語を読み解くことですね。

 

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2022.12.21

恋と愛の違いとは…

Th_img_0912 に出ておりました。

 この日は石川県へ。まずファッション界のカリスマ坂矢さんを訪ねてフェートンティートンへ。

 大勉強4以来の対談でしたが、またまた大盛りあがり。大勉強5はもうすぐ発売になるそうですが、もしかすると多少は私の言葉も採用していただけるかもしれません。

 中でも自分としても楽しかったのは、「恋」と「愛」の違いについてのお話。

 「恋愛」とまとめられてしまいがちなこの二つの言葉ですが、その出自からして全く違います。

 言うまでもなく、「こい」は訓読みで「あい」は音読み。すなわち、「こい(こひ)」は大和言葉、「あい」は漢語(中国語)です。

 「こひ」は「こふ」の連用形が名詞化したもの。「こふ(恋ふ・乞ふ・請ふ)」は「ほしがる」という意味です。

 「愛」は日本に伝来した仏教においては性愛を表すことが多かったため、煩悩の最たるものと捉えられてきました。それが明治以降、特にキリスト教の「LOVE」の訳語として採用されたところから、悪い意味から脱して行くことになります。

 恋愛とひとくくりにされ、男女の恋の意味にも使われ、また神の愛、親子の愛、兄弟愛、愛国心、愛校心など、汎用的な意味を獲得していくのです。

 一般的に「愛」は「無償の愛」すなわち「相手がこちらをどう思うかは関係ない」という性質を帯びていきます。

 一方、古い歴史を持つ「恋」は、基本的に異性間のものであり、よって無償の愛ではなく、あくまでも相手の気持ちも含めての感情です。

 これはある意味皮肉なことですが、日本の文化、言語に多大な影響を受けたジョン・レノンが「LOVE」という名曲を作って、「恋」の本質を表現したことは画期的なことでした。

 Love is wanting to be loved (愛とは愛されたいと望むこと)

 この歌詞は見事に「こひ(恋ひ・乞ひ・請ひ)」の真意を説いてくれていますね。

 つまりそういうことです。誰かに恋するということは、その人が自分のことを好きになって「ほしい」ということなのです。

 皆さんも恋している時、恋していた時のことを冷静に考えてみてください。相手が私をどう思おうと関係ない、とにかく私はその人のことが好きだ、ということはあり得ませんよね。

 必ず「こちらを見てほしい」「私のことを好きになっほしい」と思っているはずです。それこそが「恋」というわけです。

 と、まあ、こんな感じの話をしまして、さらにそこから進んで行ったわけですが、もし気になる方は、大勉強の次号をお楽しみに。

 恋がわかると愛もわかります。そうすると、たとえば仕事は愛であることがわかります。そういうことです。

 

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2022.12.20

冬休みの宿題(ホワイトナンクロ)

20221221-84208
 元の文学講座最終日。今年は文学というより日本語をテーマにしましたが、かなり盛り上がりました。
 で、最後に冬休みの宿題として、このナンクロを出題いたしました。
 拾い物ですが、なかなかよくできたパズルです。
 同じ数字に同じ仮名(または黒マス)が入ります。ノーヒントですが、コツがわかると1時間かからず完成できるのではないでしょうか。
 最初の一手だけヒントを。
 左上(1A)から横(右)に向かって見てみてください。
 112323という特徴的な並びがありますよね。この並びは「つつうらうら(津々浦々)」か「いいだくだく(唯々諾々)」しかありません。
 そのどちらかということは「4」は黒マスということになりますよね。
 これで全体の1234は埋められます。
 こういうナンクロができるのは、日本語の音素が少なく、また開音節であるからです。
 他の言語でも不可能ではありませんが、より作りやすいのが日本語と言えそうです。
 皆さんも挑戦してみてください。

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2022.12.19

渡邉賢一 『【全米がハマる】世界的な「SBNR層」の拡大と日本の好機』

 

 昨日の話の続きになります。

 時代が変わってきております。科学、経済、あるいは宗教を、スピリチュアルが凌駕していく時代。原点回帰の時代。アートの時代。

 今年はじめに私も紹介いたしました「SBNR(霊的なれど宗教にあらず)」。やはり富士山麓をそういう意味でインバウンドの聖地にしていきたい。本気でそう思うようになりましたし、今年1年間で具体的にいくつかの動きがありました。

 ただ気をつけたいのは、日本人のスピリチュアルという言葉に対する誤解です。それについてはこちらの記事をお読みください。

 本日も真のスピリチュアリストの方とお会いしましたが、その広大な理想と具体的な現実とのバランスが絶妙であり、大変勉強になりました。

 この動画は、日本経営合理化協会での渡邉賢一さんの講演の一部ですが、とても重要なことを語っていますね。精神資本主義。目に見えない「モノ」が資本。

 そして、渡邉さん流のSBNR。

  sympathy 共感・共鳴

  Be good 好転

  Naure 自然

  Receive 受信

 なるほどですね。

 

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2022.12.18

M-1グランプリ2022 ダイヤモンド【決勝ネタ】

Th_-20221220-110902 〜と、この日は…M−1観てからのワールドカップサッカー決勝だったかな。

 ちょっと日付的には前後してしまいますが、まずはサッカーから。

 本当にすごい試合でしたね。歴史に残る名勝負でした。さすがあそこまでのレベルになるとアートですね。美しい。 

 勝敗はいらないんじゃないかと。いずれスポーツも勝敗なしに楽しめるものになるかもしれません。

 一方、M−1はウエストランドが優勝。賛否両論でしょうね。毒舌ネタ自体は嫌いではないのですが、最終決戦ネタとしては不適だったかなあ。

 どうも最近のM−1は私の好みからどんどん離れていく。今回の最終決戦に残った、「しゃべくり漫才(さや香)、コント漫才(ロングコートダディ)、毒舌漫才(ウエストランド)」は、いずれもうるさすぎた。

 豊かな内容と純粋なしゃべりと絶妙な掛け合いで聞かせる「正統派」漫才の盛り返しに期待します。

 そういう意味で、今回私が面白いなと思ったのは、決勝最下位だったダイヤモンドのネタでした。ダイヤモンドらしい言葉遊びが絶妙だったと思います。

 

 

 

 いちおうコント部(仮)の顧問で漫才の脚本も書いていたワタクシ。実際ネタに困るとコント漫才に走ったり、大騒ぎハイテンション系でごまかしたりしました。

 プロもそっちに行っちゃうのはどうかなあ。まあ、テレビやネットという舞台では、そういう方がウケるわけですから、しかたありませんが。

 ちなみにダイヤモンドの日本語ネタで好きなのは、地味ですが「ひらがなカタカナ漢字」です。これ日本語講座で使えますね。

 

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2022.12.17

【成田悠輔×小松美羽】アートは人間にとっての●●●。

 

 の日は小岩にてセミナー。素晴らしい運営の皆さんと参加者の皆さんのおかげ様で、大変充実感のあるセミナーとなりました。

 友人の画家も秋田から参加してくださり、素晴らしい作品によって場の空気を一気に変えてくれました。アートはすごいなあ。

 おかげさまでセミナーの内容も、アートとスピリチュアルの時代がすぐそこまで来ているということを実感できるものになりました。

 さて、アートとスピリチュアルが近代科学や経済を凌駕していくというのは、ある意味原点回帰でもありますね。

 「芸術は宗教の母」と王仁三郎は喝破しました。そして王仁三郎の言う「芸術」とは神の芸術、すなわち「自然」のことでもあります。

 そのあたりのことも含めて、今をときめく二人の新人類の対談が面白かった。「今までぶっ飛んでる」と言われてきた人たちが、「普通」になっていく時代が来るのでしょう。

 ようやく私も「普通」になるのでしょうか(笑)。まあ、たしかに最近はセミナー講師の依頼がたくさん来ます。そしてすぐに皆さん私の言う「ぶっ飛んだ」話を理解してくださります。

 本当に時代の変革が起きているようですね。

 

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2022.12.16

ジョン・レノン 「魔術的コード転調」10選

Th_images_20221220084501 新がだいぶ遅くなりました。ちょっと忙しかったのと、珍しくお腹を壊しまして寝込んでおりました。

 この日は東京で音楽に関わるいくつかの用事をこなしました。そのうちの一つが演奏実験。友人の音楽家と、今までにないジャンルの音楽をやろうということで1時間ほどセッションにしました。

 もしかすると、このシン音楽はいきなり海外展開するかもしれません。たまたま夜のプロ音楽家たちとの忘年会でそんな話になりました。

 「今までにない」という意味で、あまりに画期的、歴史的な偉業を成し遂げたのはビートルズです。

 ちょうどこの日、飲んで帰宅しましたら、この動画がアップされていたので視聴。興奮してすっかり酔いが覚めてしまいました。

 う〜ん、「今までにない」ことをやるためには、やはりヘタな勉強はしない方がいいですね。過去の情報(私はそれをウンコと言う)にとらわれると未来を創造できない。

 ジョン・レノンの作曲法というか、コード感覚って、やっぱりギター的ですよね。つまり楽器が教えてくれるわけです。だからポールの作曲術はピアノ的。

 やはりギターの方が非西洋音楽的であり、ピアノはいかにも西洋的です。その両方のバランスこそが、ビートルズの特徴でしょう。

 

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2022.12.15

「生まれてきちゃってごめん」vs「生まれてすみません」

Th_unknown_20221214095001 んだかウチの長女がこの曲を聴いてストレス解消しておりました(笑)。というか、完全に解消できたようで、この曲のパワーはすごいという話になりました。

 HoneyWorksの「可愛くてごめん」。TikTokとかではやっているらしい。

 

 

 歌詞を読んでみますと、たしかに面白い。徹底した自己肯定の歌ですね(笑)。

 特に私がおおっ!と思ったのは、「生まれてきちゃってごめん」という一節です。

 これと表面的には同じ意味になるのが、太宰治の「生まれてすみません」です。両方とも英訳すると「I'm sorry I was born」。

 しかし、おわかりのとおり、文脈的には全く逆の意味になりますよね。これは実に面白い。

 そう、太宰は徹底した自己否定。

Th_-20221214-94450 まあ、「人間失格」につながるとも言える「二十世紀旗手」の「生まれて、すみません」は、ある詩人の一行詩をまんまパクったもので、それこそ謝ってほしいくらいなのですが…つまり、太宰は「自己否定(風)」を商品にして自己肯定していた人物なので、一周回っておめでたいとも言えますね(笑)。

 現代の悩める若者は、こうしてストレートに自己を表現してストレスを発散する。近代の悩める若者は、あのようにひねくれて自己を表現してストレスを発散していた。

 はたして、どっちがいいのでしょうか。

 いつも書いているように、私は、近代私小説というのは日本文学史上、非常に特殊な変態型であると思っています。近代日本が西洋の自我に出会って慣れない思索に興じた、一種の戯れであって、それは太宰と三島の死によって勝手に自己崩壊したと感じています。

 日本の伝統的な潔さ、素直さ、清らかさという意味では、「生まれてきちゃってごめん」の圧勝だと思うのですが、いかがでしょう。

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2022.12.14

テレマン 『ブロッケス受難曲』

 

 日は某音楽大学の学長さんとアンサンブル&お話する機会がありました。

 お互いテレマン・マニアということで、作曲家・演奏家としてだけでなく、啓蒙家、そしてビジネスマンとしてのテレマンについて熱く語り合いました。

 テレマンはいまだに正当に評価されていない作曲家ですね。ちょうど出口王仁三郎や仲小路彰のように、あまりに全貌が尨大であること、また時代を超えた先進性があることが原因でしょう。

 どうも私はそういうのが好きなようですね(笑)。

 また別件でも大いに盛り上がり、次は3日ぶっ通しで飲みながらお話しましょう!ということになりました(笑)。

 さて、そんな話の中で学長さんが感動したというのが、この「ブロッケス受難曲」。ブロッケスの台本は当時大変有名で、ヘンデルやマッテゾンらも作曲をしています。

 たしかに名曲です。1717年ですからテレマン36歳、ハンブルクに移る前、フランクフルト時代の作品ですね。

 多作家で比較的軽いノリの楽しい印象の強いテレマンですが、題材が題材だけに珍しく(?)気合いを入れて作曲している印象を受けます。しかし、バッハほど難解ではない。

 学長さんはリコーダー吹きなので、リコーダーがオブリガートのアリアがお好みということでした。たしかに美しい。楽器の特性を活かす天才ですね。

 私はヴィオラ弾きなので、いくつかあるヴィオラがオブリガートのアリアたち、そしてヴィオラ・ダモーレがオブリガートのアリアに感動しました。そう、テレマンってここぞという時にヴィオラを使うんですよね。ヴィオラ弾きにとっては本当にうれしい。特にこのダモーレのアリアは、ダモーレ弾きにとっては、バッハのヨハネとともに非常に貴重な曲の一つですね。

 この曲ではほかにもオーボエ、ホルン、トラヴェルソ、トランペットなどが実に効果的に使われています。さすがあらゆる楽器を操ったテレマンです。

 正直歌詞の内容がわからないので、日本語字幕付きで聴いてみたいですね。ブロッケスのオペラ的な台本も楽しんでみたいところです。受難の物語とはいえ、当然その先には復活と栄光があるわけですから。歌詞はよくわからなくとも、終曲のコラールは感動的です。

 

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2022.12.13

本田路津子 『耳をすましてごらん』(山田太一作詞・湯浅譲二作曲)

 

 日も女性歌手の唱う名曲を紹介しましょう。ちょっと昔の作品。1972年(昭和47年)ですかね。

 本田路津子さんの「耳をすましてごらん」。山田太一脚本の名作朝ドラマ「藍より青く」の主題歌でした。

 当時小学生だった私は、朝ドラの主題歌が終わったあたりで家を出て学校に向かっていましたので、自然にこの曲は耳に残っておりました。

 久しぶりに聴いて驚きました。非常にユニークな曲ですよね。

 で、作曲は誰かなと調べてみてびっくり!

 なんと、湯浅譲二さんなんですね。そして、作詞は山田太一さん。

 湯浅譲二さんと言えば、現代音楽の作曲家というイメージしかありませんでした。たとえば、この曲なんかはヴィオラ奏者としては、非常に魅力的な作品です(弾けませんが)。

 

 

 まあ、この時代、武満徹や黛敏郎らの例を出すまでもなく、芸術作品と大衆作品を自由に行き来するのが普通でしたからね。それが、双方のレベルを上げる機会になっていたのも事実です。最近はどうもそれが足りないような…。

 歌っている本田路津子(るつこ)さんは、芸能界を引退してからはゴスペルシンガーとして活躍されています。お名前は旧約聖書の「ルツ記」から取られた名前だそうです。

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2022.12.12

森高千里 『SNOW AGAIN』(1997 Live)

 日は富士山麓は雪の朝でした。

 となれば、昨日の記事からの流れで、当然この名曲も聴き直さないといけません!

 実は6年前にもいろいろなヴァージョンを紹介しております。

 今日はそこにない、発売当時のライヴ映像で聴いてみましょう。

 

 

 う〜む、美しい。そして、やっぱり歌うまいですよね。この個性はすごい。今でも超魅力的ですよね。ウチの娘たちも大ファンです。まさに世代も性別も超えた神的存在。

 この転調、とってもステキなので毎度ピアノを弾いて確かめます。なるほどなあ。

 昨日も書きましたが、日本のポップスがある意味ガラパゴス的に進化しているのは、これは結構いいことなのではないか、もしかるすとシティポップのように、この頃や最近の楽曲も数十年後に世界でウケるのかもしれない。

 なんというか、職人芸的に繊細すぎるんですよね。最近、マーティー・フリードマンさんがこんな動画上げてました。なるほどですね。

 

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2022.12.11

MAX 『一緒に・・・ (Happiness 2020)』

 の季節になると頭を巡る曲が、皆さんにもいろいろあると思います。

 私にとっては…山下達郎やバッハではなくて、この2曲。

 私は意外にも(?)この曲ともう一曲がダントツに思い出されますし、今でもよく聴いて涙しています(笑)。

 なんと18年前(!)にこんな記事を書いて紹介しています。

 ベストクリスマスソングは?

 97年と99年の楽曲ですから、ちょうど結婚を挟んでの想い出が乗っかっているのでしょう。ホント、音楽って不思議ですよねえ。

 で、MAXも森高千里も現役で頑張っているのが良い!素晴らしい。ステキな大人の女性になりつつ、ちゃんと歌を歌い続けていてエラい!

 MAXはこの名曲を一昨年セルフカバーしました。これがまた良いのですよ。オリジナルもいいけれど、やっぱり年取ったオッチャンには、こういう感じもいい!

 というか、全く古びませんね。いわゆる「日本らしい」楽曲です。洋楽風でありながら、ガラパゴス的に進化した胸キュンなコード進行満載。

 そう、これってTUBEの皆さんの作品なんですよねえ。すごいなあ。何度聴いても飽きない名曲。

 

 

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2022.12.10

モーツァルト 『フルート四重奏曲ニ長調』 (クイケン・カルテット)

 元のアンサンブル…とはいえ、みんな外から来た人たちですが…で次にやる曲がこれです。

 私はヴィオラを担当いたします。

 この曲と言えば、究極の名演奏、クイケン・カルテットの録音がありますね。若いころからそれこそレコードが擦り切れるほど聞きました。

 あまりモーツァルトには食指が動かない私ですが、この曲集は本当に素晴らしいと感じてきました。

 モーツァルトらしい楽天的な響き、凝りすぎずあっさりしすぎず、各楽器がよく鳴る全体のバランスの良さ、特に演奏しているとよくわかりますね。

 というわけで、今回皆さんにシェアしたのがこの動画。クイケン兄弟による貴重な演奏映像。ヴィオラはだれでしょうか。

 あらためてクイケン三兄弟はすごいですねえ。それぞれの楽器の頂点を極め、未だに彼らを凌駕するのは難しい。そして、この兄弟ならではの親密なアンサンブル。

 古楽の復興というような狭い話ではなく、彼らが未来の音楽家に与えた影響は本当に計り知れません。

 今回はモダン楽器での演奏ですが、メンバーにはこのような雰囲気を目指していただきたいと思っております。というか、まず自分がしっかり練習しないと。古典派苦手なので。

 

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2022.12.09

追悼 吉田喜重監督

Th_-20221210-104447 念。吉田喜重監督がお亡くなりになったとのこと。

 昨年、奥様の岡田茉莉子さんとご一緒に「徹子の部屋」に出演され、お元気な姿を拝見したばかりでした。その日はちょうど二・二六事件の処刑のあった日でした。その日の記事です。

『戒厳令』 別役実脚本・吉田喜重監督作品

 吉田作品の哲学的な佇まいが好きでした。そして不思議なことに吉田監督は、私の静岡の実家の町内にある二つの墓に眠る歴史的事件の主人公、二人に関する映画を撮っているのですね。

 すなわち、大杉栄(日蔭茶屋事件)…「エロス+虐殺」、安藤輝三(二・二六事件)…「戒厳令」。

 ちなみにその両作品でも音楽を担当している一柳慧さんも、今年10月に亡くなりました。当たり前とはいえ、昭和の文化を支えた偉人たちが旅立っていくのは寂しいものです。

 ただ、昭和の文化はメディア・テクノロジーのおかげで、今でもこれからも追体験できるのは有り難いことです。

 この時代になってわかることもたくさんあります。たとえば「戒厳令」の音楽には、一柳慧に加え、観世栄夫さん、高橋悠治さんも参加しているんですね。すごい。

 ご冥福をお祈りします。久しぶりに「秋津温泉」を鑑賞いたします。

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2022.12.08

『禅の世界』 (NHKほか国際共同制作)

 年もやってきました歴史的特異日。毎年書いていますが、こういうことがあった日です。

 成道会(お釈迦様がお悟りを開いた日)・第二次大本事件・真珠湾攻撃・力道山刺される・ジョン・レノン暗殺・もんじゅ事故。

 今日は学校にて全校生徒に成道会について話をしました。そこで紹介したのがこの動画。

 本校の名誉校長であり、私にとっても心の師匠である山川宗玄老師が住職、師家を務める岐阜の正眼寺。

 老師がまだ雲水だったころ2年にわたって取材を受けたというこの番組。国際共同制作ということもあって、なかなか重厚な内容になっています。

 若かりし老師も時折映っておりますね。この頃と比べて世の中が大きく変わり、このような厳格な修行はなかなか難しくなっているとのこと。

 今日生徒にも話しましたが、弱者によって強者、いや普通の人たちの権利が奪われるのは、人権擁護の行き過ぎだと思います。そのうち反動があることでしょう。

 一方で、お釈迦様が、体験したのちに否定した難行苦行で止まってしまう人たちが多いのも事実。まずは仏教界から次のステージに進んでいただきたいものです。

 

ブロローグ 正眼僧堂の四季

 

第1部 悟りへの道

 

第2部 東と西の対話

 

第3部 禅の造形

 

 

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2022.12.07

隠された昭和東南海地震

Th_unknown_20221208110801 年もこの日に書きました。昭和19年の今日発生した昭和東南海地震。

 昭和東南海地震(1944年)

 南海トラフ巨大地震の発生が日に日に近づいている今、あらためてこの地震について知ることは重要です。

 ちなみに一昨日から昨日にかけて、富士山のラドン濃度がかつてない急上昇をしまして、私自身は警戒モードに入っています。

 経験的には、急上昇から数日、特に1週間から2週間後に発震する傾向があります。その後の上昇は緩やかなので、巨大地震の前兆ではないと思いますが、比較的近くで中規模程度の発震があるのではと考えています。

 さて、去年の記事にも書いた通り、戦時下、それもかなり日本が不利な状況にあった昭和19年末に起きた昭和東南海地震です。当然軍部はこの惨事をひた隠しにしました。

 しかし当然すぐにアメリカにも知られることとなり、ますます日本は厳しい状況に追い込まれていきました。

 その「隠された昭和東南海地震」についての動画がいくつかありましたので紹介いたします。

 今は揺れる前に情報が発信される時代になりましたが、今後の世界情勢によっては、日本も中国同様に報道管制が敷かれるかもしれません。

 そうならないことを祈ります。

 しかし、まあこの頃の日本は大変だったなあ…。

 そして、(不謹慎に思われれるかも知れませんが)もう一度書きます。早く発生してほしい!これ、正直なところです(詳しくは昨年の記事参照のこと)。

 

 

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2022.12.06

女性配偶者を人前でなんと呼ぶか

20221207-162240 日は地元で講演。テーマは日本語の歴史についてなのですが、ちょっとしたきっかけで配偶者の呼び方の話になりました。

 今回は男性から女声配偶者をどう呼ぶかを中心に皆で話し合いました。

 男性の読者の皆さん、第三者がいる時、配偶者をどう呼びますか?

 女性の皆さん、そんな時、配偶者にどう呼ばれたいですか?

 世間一般の答えについては、各種調査結果がネットに載っていますのでご参照ください。

 私は私らしく意地悪な話をしまして、ある意味大ウケしました。以下のとおりです。

 (宮台真司さんが言う)クソフェミの方々のおかげさまをもちまして、以下の呼び名は今後使用禁止となりました(笑)。

 ・妻…日本語としての「つま」は、もともと「端っこ」を意味する言葉であり、たとえば「刺身のツマ」や「屋根の妻」などもそうした語源から発した表現である。つまり、女性配偶者を「主」たる男性に対して「従」の存在とすることとなり、女性差別である。漢字の「妻」も、かんざしで髪を整える女性を模したものであり、つまは常に美しくあるべきという男性の勝手な願望を表しており不適。

 ・家内…女性配偶者は家の中にいて家事をすべきという男性の勝手な妄想による表現であり、女性差別である。

 ・女房…もともと宮中で貴人をお世話する女性の官職名であり、女性配偶者は男性を世話すべきという概念に基づくものであり、女性差別である。

 ・奥さん…女性配偶者は表へ出ず、家の奥で家事をしているという勝手なイメージであり、当然女性差別である。

 ・嫁(さん)…もともとダンナの親が息子の配偶者を呼ぶ時の呼び名であり、また嫁とは本来、男性の家に嫁いだ者を指す言葉であるため、結婚の形態が多様化した現代においては、女性差別にあたる。

 ・細君…妻君(さいくん)の当て字。つまり妻なのでダメ。「細い」という字を当てるというのも、いろいろな意味で失礼。

 ・ワイフ…英語wifeの古態はwifemanであった。manは人間一般を指していたのだが、いつからか男性のみを指すようになり、wifeが独立して女性配偶者を意味するようになったらしい。つまり、男だけが人間で、女は人間とは別の生き物としたのである。とんでもない女性差別である。また、別説としてwifeが「恥」「陰部」を表すとの説もあるらしい。言語道断である。

 どうでしょう。もうほとんど歴史的、伝統的な表現はできないということですよね。「つま」なんか、古事記や万葉集にも出てくるのに。

 で、唯一使用可能のは、私がよく使う「かみさん」です。

 「かみ」は「神」「上」です。言うまでもなく「山の神様」から来たものであり、差別どころか敬意・畏怖の念から出た言葉です。もうこれしかないでしょう。

 「かみさん」は、江戸時代に上方で「良家の未亡人」「義理の母」を指すようになってから、のちに江戸で一般化したものです。

 江戸の庶民は、「おっかないウチのかかあ」の意味で「山の神」という言い方もしていましたから、やはり「かみさん」にもある種の「畏敬」の念が含まれているでしょう。

 刑事コロンボが「ウチのかみさんがね…」とよく言いますが、あれがその含意というか、夫婦関係を示唆していると思います。つまり、全然女性差別ではありませんよね(笑)。

 ということで、法令上も「妻」はふさわしくないので、いっそのこと「かみさん」を正式に採用してはいかがでしょうか。

 逆に「主人」もダメだと言われますよね。主従関係が想定されているから。

 また、旦那は「ドナー」ですから(本当です)、男性は与え、女性は与えられるという固定概念につながるのでNGです。

 かといって、パートナーとか相方とかだと、夫婦という感じがしない。

 もうしょうがないから、あの便利な日本語を使うしかないですね。輪郭のはっきりしない「モノ」。そう、「ウチのもの」ってお互い呼び合うとか(苦笑)。

 ジェンダー意識も強すぎると大変ですな。 

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2022.12.05

ビジーフォー 『笑いのミュージック(金曜娯楽館)』

 日前にクレージーキャッツについての記事で、音楽で遊べるタレントってタモリと所ジョージが最後かなあなどと書きましたが、大切なバンドを忘れていました。

 初期のビジーフォーの貴重な映像を鑑賞してみましょう。

 ベースの島田与作さん、ギターのモト冬樹さん、ドラムのウガンダさん、そしてボーカルのグッチ裕三さん。

 まず皆さん歌がうまい!そして楽器も素晴らしい。特にモトさんのギターは達者。ウガンダさん、島田さんは普通にうまいし、グッチ裕三さんのドラムも素晴らしい。

 音楽で遊べるって本当にステキですね。

 私も都留音楽祭ではさんざん楽器でふざけましたが、やっぱり技術がちゃんとしてないので、どうしても邪道な方向に行ってしまう。残念です(笑)。

 まあそれにしても面白いわ。ものまねでは時々モトさんグッチさんがその後も共演しましたが、もう一度この四人での演奏、そしてコントを見てみたいですね。もう今となっては永遠に不可能となってしまいましたが。

 この前も書きましたとおり、子供のころ、若い頃は、単純に笑っていた多くの昭和の芸が、今となっては「すごい!」になっております。

 能ある鷹は爪を隠す。これ、実に難しいですね。まあ能もありませんが。

 

 

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2022.12.04

『ジオサイコロジー 聖地の層構造とこころの古層』中沢新一・河合俊雄 (創元社)

Th_41ki6ffltal_sx350_bo1204203200_ の日はお昼にある作家さんとお食事し、夕方からはこの本の出版記念イベントに参加しました。

 最初に河合先生の講演、そしてそれを受ける形でのお二人の対談という流れでした。

 会場で発売されていたこの新著を購入し、お二人のサインをいただきつつ、中沢先生には私がテキスト化し校正した、仲小路彰の「世界戦略論」「日本防衛論」の二冊を献呈いたしました。

 こちらに書いた中沢先生との邂逅の夢が、グッドタイミングで実現した次第です。ありがたや。

 やはり中沢先生は仲小路彰には会えずじまいだったとのこと。昭和59年6月22日、細野晴臣さんらと山中湖を訪れた時、すでに仲小路先生は入院しておられたのです。それから数カ月後、仲小路先生はお亡くなりになりました。

 ちなみに訪問の証拠としてその時残した中沢先生、細野さんら4名のサイン色紙を、私は山中湖の仲小路邸で発見いたしました(!)。

 お二人は現世では会えなかったとはいえ、面白いもので、今日のお話、そしてこの本の内容にも、不思議と仲小路彰の影響を強く感じてしまいました。

 日本の、日本人の古層が、未来の地球にどんな影響を及ぼすのか、仲小路彰は数十年前から知っていたというわけです。

 今、仲小路彰の記した原典に触れることのできる数少ない者としての、単なる妄想、統合過剰なのかもしれませんが、それこそ言語や象徴を超えた層で、昭和の天才と中沢先生や河合先生はつながっているのではないかと感じずにはいられません。

 違う言い方をすれば、現代の最先端を行くお二人の先生の魂(霊)に、仲小路彰からの非言語情報(霊)が引き継がれているような気がするのです。

 それはこの本でも語られている、また仲小路が繰り返し語っている「生命の光」そのものなのではないでしょうか。

 歴史を見ても、超天才の仕事は、のちの天才たちによって分担分業されて生き続けます。それはある意味、国譲り神話のオオクニヌシのふるまいに似ているとも言えます。分身して分散し、そして必要な時に再び統合される。

 そういう観点からしても、このお二人の気づきと取り組みは、未来的にとても重要だと感じました。

 いろいろお話をうかがう中で、やはり出口王仁三郎も想起されたわけですが、王仁三郎といえば、17年前、河合先生のお父さまである河合隼雄さんのことを王仁三郎的だと評しましたっけ。そして、これが中沢新一さんとの対談であることも運命的ですね。

 ブッダの夢

 中沢先生のことを「まだ若い」とか、どんだけ自分は若気の至りなのか(笑)。まあ、このころはまだ仲小路彰に出会っていませんでしたから、私のOSのバージョンもかなり初期型です。失礼いたしました。

Amazon ジオサイコロジー 聖地の層構造とこころの古層

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2022.12.03

釈迦に説法

Th_-20221206-101858 の日は西東京市で講演。いつもどおり話があっちこっち行ってしまいましたが、楽しんでいただけたようで幸いです。

 学校で生徒の前でしゃべり倒していた頃はあまり気にしなかったのですが、最近多くの大人の方々を前にお話する機会を頂戴し、それと同時に増えているのが「釈迦に説法」が後で発覚するという事件です。

 今回も歴史的なご当地ネタとして、ある氏族の話をエラそうにしゃべっていたら、なんと東大で歴史を学んだというまさにその氏族のご子孫の方がいて、思わず赤面してしまいました。

 こういうこと、ホントよくあるんですよね。まさに「釈迦に説法」「孔子に論語」「河童に水練」だったと。

 それでは今後は気をつけようと思うかというと、そうではないところが私の困ったところ(笑)。

 私の話す内容は本やネットにはない情報がほとんどですので、実は釈迦や孔子、河童の皆さん、けっこう面白がってくださるんですよね。今回もそうでした。

 そう、私は全く学問的な手法とは違う情報収集手段を持っているので、たしかに彼らにとっては未知の情報、すなわち「モノ」であるわけです。ですから私の「物語」に興味を持ってくださる。

 また上から目線で申し訳ないのですが(宇宙人だから仕方ない?)、ホンモノの「釈迦」や「孔子」は案外「説法」や「論語」を受け入れてくれるんですよ。経験的に、超一流の人たちはみんなそう。

 逆に、二流はもちろん、世間で一流と言われている人でも、ムキになって反論してきたり、バカにしてきたりする人もいる。

 かつてはそういう人の方が多かった。しかし、最近はだいぶ私のような変人の言説を受け入れてくれる、興味を持ってくれる人が増えてきたような気がします。

 最近のワタクシ、年長の男性に大変好かれる傾向があるのですが、それはおそらく彼らが人生の達人になっているからであり、またそうした達人が増えてきているからではないかと感じます。世の中が変わろうとしているのでしょうね。

 というわけで、全く反省することなく、今後も「釈迦セポ」し続けていきたいと思っています。よろしくお願いします。

 あっ、ちなみに比喩的な意味ではなく、仏教の祖「釈迦」にもモノ申し上げていきますよ。

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2022.12.02

神一厘の仕組み(ドーハの奇跡再び?)

Th_newfilejpg 日はこれしかないですよね!

 サムライ・ブルーが死のE組1位通過で決勝リーグへ。強豪ドイツのみならずスペインをも逆転で破りました。

 本当に「キャプテン翼」の時代から考えると夢のような未来ですよね。本当に素晴らしい。

 今回の日本チームが世界に発信している「清らかさ」というメッセージについては、先日のドイツ戦後に書きました。

 清らかさと大和魂(グレートにこにこ)

 今日はこの快挙を純粋に喜ぶとともに、もう一つ宇宙的な視点で書いておきたいことがあります。

 上掲の記事ではあえて詳しく書きませんでしたが、サッカーの中に潜む「不吉なモノを相手の陣地に蹴り込む(不吉だから手で触れない)」という、ある意味いかにもヨーロッパ的な性質は、この大会でも「見られる」ように、帝国主義や植民地支配、そして大戦を生み出しました。

 今回、ヨーロッパとその植民地だけでなく、アジア諸国が活躍してくれたことは、いよいよ19世紀20世紀的な世界史が終わることを象徴しているとも言えましょう。

 仲小路彰が言うとおりです。ヨーロッパは自己矛盾によって弱体化していく。アジア・ニヒリズムはヨーロッパを苦しめることとなり、結果としてアジア・太平洋に新しい文明が起こる…。

 ベスト8を新しい景色の目標とする日本ですが、実はその先にも明るい未来が広がっているかもしれません。旋風はすでに巻き起こっています。

 今日もきっと、選手、サポーターの皆さん、場を清めてくださったことでしょう。いろいろ言われていますが、五輪があり、そしてワールドカップがあり、春にはWBCがあり、近く万博もあります。スポーツを含む文化は、日本にとっては神事なのです。

 三苫選手のあの髪の毛一本の折返し、まさに「神一厘の仕組み」でしたね。

 人間にとっての奇跡は、神にとっては予定どおりなのでした。

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2022.12.01

クレージーキャッツ 結成10周年コンサート

 

 笑いネタを続けましょう。音楽ネタとも言えますね。

 昭和のコメディアンたちはみんな達者です。達人です。特に楽器の演奏はできて当たり前。

 逆にいうと、演奏がいくらできてもダメで、歌も芝居もコントもできなくてはダメ。まさにタレントですよね。

 その象徴的な存在がこのクレージーキャッツ。

 もう説明の必要もないでしょう。とにかくこの演奏とコントを観て聴いていただければ、彼らがまずは超一流のミュージシャンであったことがわかります。

 それを捨てて、あるいは隠して、よりお金になる笑いの方に行ったわけで、ドリフもそうですが、当時子供だった私なんか、彼らの音楽的才能なんて全く知らずに、ただ笑い転げていましたっけ。

 こうして自分も楽器をやり、ちょこっとお笑いっぽいこともやり、大人になってわかる彼らの偉大さですね。本当にすごい。

 このあとのタモリさん、所ジョージさんあたりが、昭和のそういう「タレント」の最後かなあ。

 クレージーとタモリさんとの共演動画もぜひ御覧ください。

 

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