皆既月食と惑星食と本能寺の変
442年ぶりの天体ショーがありました。皆既月食中の惑星食です。
スマホに単眼鏡をつなげて撮影してみましたが、三脚なしではかなりきついですね。まあこんなものでしょう。
今回は天王星食。442年前は土星食。土星食は肉眼でも見えたでしょうから、科学的知識が乏しかったあの時代、かなり衝撃的なショーだったことでしょう。
本能寺の変の2年前です。信長や光秀、秀吉や家康も見たのかな。というか、皆既月食や惑星食は凶兆でしたから、まさに本能寺の変を招くきっかけになったのかもしれません。
信長の命を受け明智光秀によって亀山城が築城されたのが天正6年(1578年)。皆既月食中の土星食は天正8年(1580年)6月15日(旧暦)。
おそらく光秀は当時の3重の天守閣から、この天体ショーを見たのではないでしょうか。
天正8年といえば、信長から光秀に感状が送られるなど、二人は蜜月関係にあったと言われていますが、本当にそうなのでしょうか。
本能寺の変が起きた原因、つまり光秀の信長への謀反のきっかけは何か、いまだに謎ですよね。
「麒麟がくる」でもそのあたりははっきりしなかった。どちらかというと天正10年にあったことに焦点が当てられていましたね。
私は学問的な考証が苦手な歴史家でして、どちらかというと霊的な動きの方に注目してしまいます。
のちに亀山城が出口王仁三郎によって買い取られ、大弾圧を経ても現在まで大本の聖地としてあること、また光秀が本能寺の変のあとすぐに秀吉に討たれていること、いや実は生き残って天海僧正になったと伝えられることなどを考えると、やはり、光秀にもある種の霊感や予知能力があったようにも感じざるをえません。
家康との現実的および霊的な連絡の中で、自らが捨て石になった、ある種キリスト的な行動をとったとも考えられるのです(実際にイエズス会との関係があった)。
そう、天正8年の皆既月食と土星食を見ながら、光秀はすでに信長を討つ決心をしていたのです。
月は信長、地球の影は家康、そして自らはその後ろに隠れる土星…。
てなことを、赤銅色の月を眺めながら妄想していたワタクシでありました。
次は322年後、土星食ですよ!楽しみです(笑)。
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