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2022.06.13

天才と富士吉田

Oi003236 日、富士吉田が生んだ天才武藤敬司さんについて書きました。そして今日は三沢光晴さんの命日ですね。

 実は今日が命日である天才は三沢さんだけではありません。今日は、あの文豪太宰治の玉川上水に入水した日でもあります。

 その太宰も富士吉田に深い縁がありました。それはのちほど。

 富士吉田、それも現在の下吉田地区、かつての瑞穂村には天才を生む土壌があります。

 いや、「生む」ではなく、「奪う」のかもしれません。それも「文学的天才」を。

 下吉田に命を奪われた文学的天才は少なくとも4人います。

 最初は芥川龍之介。明治45年謎の旅の途中、下吉田に宿泊しています。

芥川龍之介と富士山

 ただの旅先であれば無数にあるわけで、なぜ下吉田だけ特別扱いかと言われそうですが、上の記事にあるとおり、その旅の目的がちょっと怪しいのです。

 芥川の周辺には大本信者が多くいましたから、彼の文学や人生観に王仁三郎が与えた影響は皆無ではないでしょう。芥川自身、第一次大本事件のあたりから心身の不調を強く訴えるようになりました。

 芥川を敬愛していた太宰も大本(王仁三郎)を強く意識した文人でした。作品に何回か大本が出てきます。そんな太宰も富士吉田とは縁が深い。

 いくつかの作品の舞台が下吉田です。それについては以下の記事からたどってください。

もう一つの富士山(その7) 太宰治『富嶽百景』

 ここにも書いたように、太宰の小説に出てくる旅館あとにウチの中学校が建ちました。私はそこの教頭、副校長を務めていたわけです。

 そして、これまた夭逝の天才作家、第100回の芥川賞を受賞した李良枝は下吉田に住んでいました。

もう一つの富士山(その8) 李良枝 『富士山』

 この記事を書いたあと、私は李良枝が通った幼稚園の園長に就任しました。なんとも不思議なご縁であります。

 そしてそして、フジファブリックの志村正彦くん。彼は下吉田の出身。今なお高く評価され続ける天才は29歳で亡くなってしまいました。

 それは、ウチの中学ができる前の冬のこと。ちょうどその中学校の校歌、あるいは愛唱歌を志村くんに作ってもらおうとお願いする数日前のことでした。

もう一つの富士山(その9) 志村正彦と富士山

 あらためて、こうして列挙してみると、なんとも不思議な感に打たれますね。いったいどういう磁場なのでしょう。どういう霊力が働いているのでしょうか。

 私は、(ナイショですが)初代富士吉田市名誉市民である川合信水が鍵を握っていると思っています。川合信水は綾部で出口王仁三郎と(皇室を間にはさんで)深くつながっているのです。だからこそ、綾部に富士吉田からあの「石」が運ばれたのですよ。

「月山不二」誕生70年

 あっそうそう、武藤さんは「文学」ではなく「神話」ですからね。選手としても長生きですし、きっと人間としても長寿でしょう。

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