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2022.06.30

人間の知性について 〜ひとくくりにできない才能と広がる未来への可能性〜 (COTEN RADIO)

 

 岡から山梨に戻る車の中で聴きまして、運転しながら思わず膝を打ってしまいました。

 そう、これって最近私がいろいろなところで語っているところです。

 こうして若い人たち、それもいわゆる言語的、論理的な頭の良い人たちが、ある意味自己否定的に問題提起するのは素晴らしい。

 ワタクシのモノ・コト論的に言いますと、いわばコト的な頭の良さだけではなく、モノ的な頭の良さがようやく再評価されてきているということです。

 最近私は言語、中でも文字に対する不信感を訴え、結果として古代日本のような無文字社会の優位性について語ることが多い。あるいは絵画、多くの音楽のように言語によらない芸術の価値、また言語をあえて混乱させた無意味性について考えることも多い。

 ようやくですよ。近代が終わろうとしているわけです。近代の洗脳から解放された若者たちが生まれてきたのは大きい。

 ここで否定されるべきなのは、やはり「学校」でしょう。学校、近代教育こそが、知性の意味を矮小化してしまった。この動画でも語られているように、スポーツをしたり楽器を演奏したり、つまり体を動かすのも「脳」ですから、「頭の良さ」は言語・論理、いわばお勉強だけではないはずです。

 そして、直観や社交性もまた「頭の良さ」の基準となってもいい。そうすると、おそらくどんな人たちもそれぞれの「頭の良さ」を持っているはずであり、現代日本のような偏った基準によるカーストなど意味がないことがわかるはずです。

 もちろん「知性」の「知」が、「知識」すなわち過去の情報の記録を意味することも確かですが、そういう狭義の「知性」の時代は終りつつあるとも言えましょう

 狭義の「知性」において、かなり強いコンプレックスを持ってきたワタクシとしては、やっと自分の時代が来たのだとも感じます。未来の情報の直観に関しては自信がありますので。

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2022.06.29

現代思想2021年5月号 特集=「陰謀論」の時代

Th_41bzoarirls が陰謀論を批判すると、お前こそ陰謀論者ではないかと言われます。たしかにそうです(笑)。

 ただ、私のいう「陰謀」はまさに「陰」で行われており、ほとんど情報として目に触れることができません。

 逆にいわゆる「陰謀論」は、特にネットにおいてはほとんど無限に再生産されており、そういう意味では全く「陰」ではなく「陽なた」的存在です。

 つまり、「○○の陰謀」などと巷間語られる陰謀は、陰謀などではなく陽謀ということであり、それがなかなか消えないということは、一つには「そんなものない」可能性があり、また一つには「一般的な政策や企業の経営方針と同じ」次元のことである可能性があるわけです。

 おそらくその両方が入り組んでいるのが、「みんなが知っている」「ブームになっている」という自己矛盾を抱える「陰謀論」なのでしょう。

 では、なぜこんなに陰謀論が流行るかというと、もう説明する必要もないでしょうが、現代人はさまざまなメディアに触れる機会があり、現実社会とフィクションの区別ができなくなっているということでしょう。

 かつての「物語」はあくまでも「物語」であって、その存在価値は大きかったとはいえ、あくまで「生きる」「死なない」ための現実生活からは絶妙に遊離した存在でした(信仰も含めて)。

 今、人類はある意味豊かになり、ある意味生命の維持が保証されるようになったため、現実生活の方が物語に近づいていっているのです。

 そして、そこに生じるのは、なんと「生命維持の危機」への願望なのです。このグローバルな情報社会においては、その願望は目に見えない敵の想定という形で実現されます。

 いわゆる「意識高い系」の人たちは、ネットのクソ情報を閲覧しまくることをもって「自分は勉強している」と勘違いします。そして、皮肉なことにより原始的、無知的な「勧善懲悪」説に陥っていきます。そして、もちろん、自分を「善」の側に立つヒーロー、ヒロインに位置づける。

 そして、この世界を「賢い善」と「賢い悪」、そして「愚かな無知」とに分断し、「不安」「危機感」という「安心」を得ているのです。

 こうした分断を生む「愚かな陰謀論」こそ、「賢い悪」の「陰謀」なのかもしれないと、一歩進んだことを言う人も現れてきますが、前提自体が「愚か」なので、全く的を射ていませんね。

 そんなに世の中、人間、宇宙は単純ではないのです。

 多くの伝統的宗教も、世を「善」「悪」「愚」に分断して(単純化して)成立、発展してきました。そういう意味では、現代の「陰謀論」は宗教の無力化から生まれた新しい宗教とも言えましょう。

 すなわち、私が言いたいことは、「分かりやすいものには気をつけろ」ということです。それに騙されるのは、不本意にも「愚」そのものですからね。

 私の周囲に見える「陰謀論」たちは、すべて分かりやすすぎます。マンガやアニメの方がずっと複雑で本質的なくらい。

 というわけで、そういう「愚」がどのように発生して蔓延するかを、あえて「賢」の立場から(あるいは「賢」のふりをして)冷静に(あるいは冷静なふりをして)批判的に論じているのが、この特集であります。

 インターネットの動画ばかり見ている人たちは、こういう重い本は読まないでしょうから、この本がワクチンにはなりえないでしょう。あるいは、それこそ反ワクチン的に、こうした「賢」的世界は攻撃対象にすらなるかもしれませんね。

 困ったものです。

Amazon 現代思想2021年5月号 特集=「陰謀論」の時代

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2022.06.28

神社・お寺での祈り方〜正しい「お願い」の内容とは

Th_img_9143 しさが続いております。

 想定外の仕事が舞い込むことが多く、それは本当に有り難いことであります。

 自分から企画したり、思いついたりすることは全くなく、どなたかが持ち込んでくれる案件ばかり。それらはすべて引き受けます。頼まれた仕事は断らない…というのがモットーです。

 富士山合宿(大人の修学旅行)もそうですね。私は全く宣伝、募集をしておりません。先週の合宿にも34名の方が参加してくださりました。うち30名は初めましての方々。

 そんな皆様にも申し上げましたが、神社やお寺でのお祈りのしかたについて、ワタクシの考え方がありまして、今日はそれをここにシェアさせていただきます。「想定外の仕事」につながりますので。

 皆さんは、神社仏閣を訪れた際、どんな祈り方をされますか?

 祈り方というか、どんな内容を神さま仏さまにお伝えしますか?

 そう、祈りのスタイル、流儀は人それぞれでいいのです。正しい参拝方法というのはありません。

 問題は、手を合わせて目を閉じている時に、どんな言葉を心の中で発しているかということです。

 次のような例は、間違っているとは言えませんがベストではないと、私は考えています。

・(自分が)〜しますように(お金持ちになりますように・健康になりますように・合格しますように 等)

・(他者が)〜でありますように(世界が平和でありますように・家族が健康でありますように 等)

 あるいは「感謝」の気持ちを伝えるだけという人もいるかもしれません。実はそれもあまりよくありません。

 では、どうすればいいのか。

 これは実は相手の立場に立って考えてみると分かりやすいのです。すなわち、神仏の立場になってみる。

 神様は個人的なお願いを聞いているヒマはないほどにお忙しい。そう、自分がとっても忙しいとして、自分の前に現れた人になんと言われたら嬉しいか。そう考えるのです。

 答えは一つでしょう。こう言われると嬉しくて、ぜったいにその願いを叶えてくれます。

 「どうか私を使ってください。私になんでも仕事を与えてください。なんでもしますから、なんでも言ってください」

 これは効果てきめんです。すなわち100%ご利益があります。なぜなら神仏はこう思うからです。

 「うわぁ、まじ? めっちゃ助かる〜。じゃあ、悪いけど、これとこれとこれやっといてくれる? ホント助かる。ありがとね!」

 そう、神さま仏さまに「感謝される」のです。これこそ正しい「お願い」です。

 都合のいい時(悪い時?)だけ、ちゃっかり自分の願い事を言いにくる人が大量にいるとしたら、皆さんどう思いますか。正直、もういい加減にしてくれ、自分でなんとかせい!とか思っちゃいますよね(笑)。

 そういうことなのです。

 ですから、私はいつもどこをお参りする際にも、どうか私を使ってくださいと申し上げます。そうすると、すぐに仕事が来ます。想定外の。それを有り難くさせていただくのです。

 先日の合宿のあと、さっそく皆さんそのようにお祈りしたところ、さっそくいろいろな仕事が舞い込んできたと報告をいただいています。

 これは本当に効果てきめんですので、ぜひ試してみてください。その代わり覚悟も必要ですよ!

 あと重要なのは、自分に合った神社仏閣を見つけることです。やはりそれぞれの神仏のお仕事の分野というのがありますから、やたらな人には仕事は任せてくれません。

 そこのところは、いろいろ勉強も必要でしょうし、能力のある方のアドバイスも必要かと思います。

 ちなみに私の合宿では、それもはっきりお伝えいたしますよ。ぜひおいでください。興味を持った方はメールください!

 

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2022.06.27

中野たむ vs なつぽい (ケージマッチ)

 

 ミマセン、まじ感動しちゃったので(涙)。

 昨日のスターダム名古屋大会、今日大仕事が一段落したところでじっくり観戦いたしました。

 最近のスターダムは選手層の厚さはもちろん、その中でのせめぎ合いから(いろいろなモノを含めての)プロレス技術が一気に向上しており、世界プロレス史の中でも特筆すべき高品質芸術空間になっています。

 今大会も全体に実にバランスよく、満足できる内容でしたが、中でもセミのこのケージマッチが素晴らしかった!

 ともにアイドル出身ではありますが、プロレスの実力とセンスも抜群。身体能力と技術の上に表現力が素晴らしい。

 その二人のはたし合い。いやはたし愛。

 演劇空間とわかっていても、ここまでまじで命がけでレッスルすると、やはり感動しますよね。

 スターダムは初期のころ、よく家族で観戦に出かけたものです。あのころは結構危なっかしい試合が多く、やはりアイドルとプロレスの両立は難しいかなと思っていましたが、いやいやとんでもない、今のスターダムの両面はまさに世界最高レベルです。どこに出しても恥ずかしくない。

 このケージマッチは3カウントのあとエスケープしないと勝利にならないという厳しい(面白い)ルール。当然、高さが加わりますから、心身ともに疲れて集中力を欠く後半は事故の危険性を高くなります。

 しかしこの二人に関しては、本当にそんな心配もないほどに最後まで息を呑む(実際会場は固唾を呑んでいた)闘いを見せてくれました。

 本当は全編見ていただきたいのですが…(私はサムライTVに加入していまして)。

 そしてこの愛の物語はまだ続きます。明日28日に、今度は通常マッチで第2戦が行われます。これは会場で応援したい!どちらを?…もちろん、両者をです。それがプロレス観戦の醍醐味ですよ!

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2022.06.26

『キー・コンピテンシーとPISA』 福田誠治 (東信堂)

ネオリベラル期教育の思想と構造2

Th_51ijbpgwfvl_sx348_bo1204203200_ 日は突然、この本の著者である、前都留文科大学学長の福田誠治先生が我が家にいらっしゃいました。

 1年以上ぶりの再会で、お互い仕事(学校)を辞めていろいろ溜まっていた話を一気にいたしました。

 二人とも今の日本の教育に大変な危機感を持ちつつ現場を離れましたので、不思議なことにいろいろつながることもありましたね。

 もちろん私と福田先生とでは、全くレベルが違いますが、憂えていることは一緒。そして望んでいることも一緒。

 あっという間の3時間でした。

 福田先生の最新刊がこちら。前著「ネオリベラル期教育の思想と構造」の続編ですね。前著も先生からいただき熟読しました。本当に勉強になりましたし、私の先入観が気持ちよく破壊されました。

 今回のこの本も実に面白そうですね。今日は先生から直接解説いただきましたが、これからじっくり読ませていただきます。

 PISAについても、なんか日本の教育界では、その実態もよくわからないまま神格化している部分もあったりして、だからこそ結果に一喜一憂したり、まあ実に情けない状況ですよね。

 今日の話にもありましたが、毎年進化して変化していくのが「キー・コピテンシー」ですし、PISAの本質なのです。画一化し、硬直化していて当たり前な日本の学習内容や学力観、そして教師の頭には理解できなくて当然ですが。

 もちろん、ヨーロッパの教育が絶対に正しいわけではありませんが、いかに日本の教育が前時代的、軍国主義的であるかを知るには、こうして外国の教育事情の実態を勉強することは有用でありましょう。

 福田先生、ありがとうございました。今度はまた飲みながら!

Amazon キー・コンピテンシーとPISA

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2022.06.25

ネットワークカメラ ATOM Cam 2

Th_51gqa5su2vs_ac_ul320_ 近は山梨の自宅にいないことが多いので、リモートで富士山のラドン濃度を監視するためにネットワークカメラを購入しました。ラドン濃度計測器を監視するわけですね。

 今までは古いiPhoneをカメラ代わりに使っていたのですが、常時充電している状態だったからか、バッテリーが膨張して爆発寸前になってしまいました。

 で、一般的な監視カメラとして、つまり動体検知で録画するタイプですと、知りたい時にラドン濃度の数値を知ることができません。

 そこで無料で常時録画できるタイプということで、この国産の評判のいいATOM2を選びました。

 そう、たとえば以前買った中華製のこちらなんか、まあ性能はなかなかいいのですが、常時録画するためには課金しなければならなかったりするのです。うまくできていますね。SDカードにさえ常時録画できないという…無理やりクラウドを契約させるやり方ですね。

 というわけで、こちらはそんなことはなく、しっかりSDカードに常時録画できております。さらにタイムラプス機能もついており、それを利用しての数値監視もできます。

 全体としての作りやアプリの使い勝手も大変よく満足しております。そして安い。さらにケチって中華製を買ったりすると、結局お金がかかってまうという、いわば「安物買いの銭失い」になってしまいますよ。

Amazon ネットワークカメラ ATOM Cam 2

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2022.06.24

ジャルジャル 『しょぼい新入社員だと思ったらすごい奴』

 

 日のロバートに続き、好きなコントを一つ。

 今日はある方とリモート会議というか、ある方からリモート取材を受けました。そこで思い出したのこれ。ジャルジャルのリモート会議ネタ。

Th_-20220624-80927 コロナのおかげでリモート会議が当たり前になり、新しい文化だからこそ、いろいろな「あるある」が生まれているわけですが、これはそんな新しい「あるある」ではない方向に持っていったところが秀逸。

 案外伝統的な「あるある」ですが、それをZoom画面だと一斉に見せられるわけですね。これを舞台でやろうとすると難しいですよ。

 そして、言うまでもないかもしれませんが、やはりワードの羅列による意味の無意味性、無意味の意味性というのが、全体として世の中に対する風刺にもなっていますし、世代間ギャップの象徴にもなっています。

 ジャルジャルのネタって、そういう深みというか渋みがありますよね。

 最近、このメンバーで「リモート就活」の作品がアップされました。まあ充分面白いわけですが、やはりよくある「初代」を超えられないというやつですね。

 初代の上を行こうとすると、どうしても「やりすぎ」になってしまう。これはどの分野でもあることです。難しいですね。続編の難しさ。

 ですから、ある程度時間を置いての「シン」というのは絶妙なやり方だと思いますし、だいたい伝統文化はそうして発達してきました。

 そんなことを考えながら、その続編も味わってみましょう。まあ、面白いですよ。特に下のお二人は進化してますね(笑)。

 

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2022.06.23

ロバート 『大型新人〜船の汽笛が男を祝う』

 

 日は最高のBGM、すなわちある意味流れ去っていく音楽、耳に残らない音楽、惹きつけない音楽を紹介しました。さすがテレマンですよね。彼の「ターフェルムジーク(食卓の音楽)」はその最たるものでしょう。しっかり聴くとそれはそれで魅力的ですが、BGMにもなりうる。

 その反対は何かなと考えた時、なぜか思い浮かんでしまったのが、これです(笑)。聴かずにいられない音楽。耳に残る音楽。歌詞も含めて惹きつける力が強すぎる歌!

 元コント部顧問のワタクシ、お笑いには結構詳しい方だと思います。そんな私の中の最強ネタベスト10に入るであろう、このロバートのコント。

Th_-20220624-75515 もう最高です。この耳に残る永遠Aメロ。そして厳選されたワードの羅列。無意味の意味性。天才秋山の真骨頂ですね。そして、山本の絶妙なツッコミの間、馬場の非存在感。完璧です。

 これ、数日に一回見ちゃう(聞いちゃう)んですが、一度聴くと一日中メロディーが頭を永遠ループするので注意です。ある意味BGMになってしまって仕事にならない(笑)。

 と言いつつ、また見ちゃった(聞いちゃった)!!

追伸 これ、自分でもできるんじゃないかと思って、カミさんとアドリブ合戦やってみたんですけど、正直全然面白くない!お互い痛すぎて辛いだけ…。天才と凡人の違いを痛感いたしました。

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2022.06.22

仕事に集中したいときはテレマン!

 しさが続いております。

 今日はある書籍の仕事の締め切りの日。おかげさまで先ほど無事終了いたしましたが、朝からノンストップでパソコンに向かっておりました。

 この動画(音楽)がちょうど終わる時に仕事も終りましたので、10時間集中したということですね。お疲れ、自分(笑)。

 というわけで、このあとは祝杯を上げに出かけます。

 BGMにふさわしい音楽って、それぞれの人にあると思いますが、私の場合は実はテレマンがベストなのです。

 気分が悪くならない、しかし聞き入ってしまうこともない。そして飽きない。これが、たとえば同時代の作曲家でもバッハやヘンデルではダメなのです。

 バッハを10時間も流していたら死にます(笑)。聞いていないつもりでも、脳みそに影響が出ます。ヘンデルはついつい聞いてしまう。仕事が中断しがちです。そして、なぜか飽きる。

 さすが当時一番人気の作曲家ですね!当時のポピュラー音楽なのですよ。重すぎず、軽すぎず、上品すぎず、下品すぎない。絶妙です。

 というわけで、皆さんも何か集中したいときには、ぜひこの10時間テレマンマラソンをどうぞ!

 

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2022.06.21

太陽の活動と地球の天変地異

Th_-20220622-74138 んなニュースが。

 太陽の爆発「宇宙天気」が「重大な影響」 官民での警報体制を提言

 ようやくという感じですね。

 最近、能登半島震源の地震が続いていますが、これはおそらく南海トラフ巨大地震につながるものでしょう。

 もちろん東北の大地震からの流れもあってのことです。つまり、最低でも30年単位くらいで見ないと地球の活動の流れは捉えられません。

 しかし、私たち人間はとても空間的にも時間的にも大変微視的です。全体が見えないのです。

 もっと巨視的に言うと、太陽の活動につながる(実はもっと先があるのですが、地球人はそこまで考えなくてもいいでしょう)。

 お天道様が神様であった理由はそこにあるのです。

 そして「天変地異」。この言葉の正しい意味は「天に異変があると地に異変が起こる」ということです。因果関係は双方向的ですが、流動体である「天」「気候」が先に現象化するということであるとともに、もう一つ上の次元で言うと「太陽に異変があると地球に異変が起こる」ということなのです。

 温暖化が叫ばれて久しい。世で言うところの温暖化の原因は眉唾ものですが、事実として気温は上昇しています。その結果、未知のウイルスが発生したり、動植物の移動が起こって世界のエネルギー分布が変化して、人間が戦争を起したりしています。

 実はこの原因は「天」すなわち「太陽」にあるのです。

 上掲の記事にあるとおり、太陽の活動はもうすぐピークを迎え、その後は不活発化の可能性があります。そうしますと、私たちは現在の様々な悩みとは正反対の問題を抱えることになります。

 いわゆる「大峠」は太陽の活動のピークとともにやってきて、そしてその後の変化に適応したものだけが「みろくの世」を築くことになるのではないでしょうか。

 そういう巨視的な、宇宙的な視点を持っていないといけませんね。

 大地震も近いと思っていた方がいいでしょう。

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2022.06.20

『まったく新しい柔道の寝技の教科書』 矢嵜雄大 (ベースボール・マガジン社)

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 嵜先生、出版おめでとうございます!

 我が富士学苑の柔道部指導者である矢嵜雄大先生の新刊。これは身びいきではなく、本当に素晴らしい本です。画期的、歴史的な内容です。

 柔道はもちろん、寝技も自分ではやらない(笑)ワタクシですが、もう最初から写真と文章と、そして動画を見始めたら、まあ止まらない止まらない。

 なんか、私からするとアートなんですよ。美しい。つまり技術の極みというものは美しくなるのです。

 その奥義、コツというものを、これほどわかりやすく表現した本というのは、そんなにないのではないでしょうか。

 そう、こうして「職人」的な技術というのは、今までクローズドに守られ、言語化、あるいはメディア化されることはありませんでした。

 そうした口伝的な性質こそが「職人技」とされてさえいました。

 それをオープンにすることは、ある意味では「敵に塩を送る」ということになりかねません。

 しかし、時代は変わったのです。

 特に保守的な武道の世界において、こうして完全にオープンに自らの「職人技」を開陳した人は、矢嵜先生が初めてでしょう。

 今日、この本をご本人からいただきました。その際も「自分は邪道」「自分は異端児」ということをおっしゃっていました。この本を読めばよくわかりますが、矢嵜先生は柔道だけでなく、ブラジリアン柔術、レスリング、武術、総合格闘技、サンボ、プロレスリングなど、世界中の格闘技からその技術を直接学び、自らの工夫によって柔道にそれらを活かしています。

 たしかに、そうだからこそ大変な逆風もあり、私もそこに巻き込まれたりしまして、ある意味一緒にその巨大な力に抗った戦友でもあるわけですが、やはり歴史は「邪道」「異端児」が変えていくのですよ。それを私は目の当たりにさせていただきました。

 この本、おそらくすぐに日本柔道界の教科書となり、そして予想より早く外国語版が発売され、世界の柔道界、あるいは格闘技界のバイブルになりますよ!

 結果として、世界中の柔道の寝技のレベルが上がり、一時期日本は苦戦するかもしれませんが、最後はディフェンスも含めてさらに技は磨かれ、日本柔道の復活と、世界柔道の次元上昇が実現するでしょう。

 本当にお世辞抜きで素晴らしすぎる本です!柔道競技者だけでなく、格闘技関係者、そして武道のみならず各分野の教育者、スポーツ観戦者、さらにアート関係者、職人さんたちにご覧いただきたい。

Amazon まったく新しい柔道の寝技の教科書

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2022.06.19

祝 CS60富士山研修所オープン

Th_img_9289 ろいろな締切に追われておりまして、ブログの更新が遅れております。元気ですので、ご心配なく。

 この日は、私のライフワークの一つである未来医療器具CS60の「富士山研修所」がオープンいたしまして、開発者の西村先生はじめ多くの方々がいらっしゃり盛大に記念施術会を開催いたしました。

 CS60の故郷の一つであり、また地球平和という理念の中心地、そして発信地であるここ富士山麓にこのような施設ができることは、本当に喜ばしいことですし、身の引き締まる思いもいたします。

 金鳥居越しの富士山を仰ぐ最高の場所です。みなさんもぜひ遊びにいらしてください。私も山梨にいる時にはなるべく顔を出そうと思います。

 さて、最近のCS60の躍進はすさまじいのですが、その一つの理由が藤原直哉さんが紹介してくれたことです。

 藤原直哉さんとは王仁三郎のファンクラブ(?)で何度もご一緒していた仲でしたから、まさかここでまたつながるとは思っていませんでした。つまり、CSの動きの後にもオニさんがいるということでしょうね。

 というわけで、西村先生と藤原さんの対談、そして藤原さんと、CSを深く理解され世界中の無医村での医療を充実させようとしている、東大医学部大学院教授である神馬征峰さんとの対談をお聴きください。後半(39:50〜)はCSの話も出てまいります。

 

 

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2022.06.18

WAOS iPhone SE2 / SE3 / 7 / 8 対応 バッテリーケース

Th_51kfnpn9etl_ac_sl1500_ っと使っているiPhone8のバッテリーがかなり弱ってきました。

 電話としては使っていないのですが、携帯PCとしてはかなり酷使していますので、しかたないですね。

 で、バッテリーが1日もたず、外出時、夕方あたりからかなり不安になることが増えたので、久々にバッテリーケースを買いました。

 今までもいくつか買ったことがあったのですが、大容量をうたうばかりに結果として重く、厚くなってしまい、正直持っているのも疲れるほどでした。

 ですので、今回はあえて容量にはこだわらず薄くて軽いものを探しました。

 結論から言うと、これで十分ですね。いつものように使って夕方になっても、バッテリー残量表示は100%。精神的なストレスから解放されますね。

 このケースのバッテリー容量は公称2800mAh。iPhone8やSEのバッテリー容量は非公表ながらだいたい1800mAhと言われていますから、まあ当たり前に十分ですよ。

 よく売られているものが、公称5000mAh以上ですから、これは間違いなくケースとしてはオーバースペックです。

 このケースのバッテリーもおそらく中華製あるあるで公称の7割くらいとしても、約2000mAhはあるでしょうから。ちょうどいいくらいです。

 あとは耐久性です。(娘の)SE2ですと着脱もスムーズですが、8だとすこーしだけ大きいのでけっこうキツキツでして、着脱のたびに接続部にダメージがありそうです。

 私はCarPlayで使うことも多いし、お風呂にもiPhoneを持っていきたい派なので、普段はこのケースは使いません。車以外で外出する時、特に電車やバスで東京に行く時には必需品となりますね。

 ちなみにこの手のケースの良いところは、ヘッドフォン出力端子が使えるようになることです。ワイヤレスが嫌いな私としては、そこにも期待しております。近くちょっといいヘッドフォンを買う予定ですので。

 家内はいまだに7を使っているので(笑)、私よりもこれが必要なようです。もう一台買おうかな。

Amazon WAOS iPhone SE2 / SE3 / 7 / 8 対応 バッテリーケース

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2022.06.17

《大勉強 by PHAETON 》Issue 4 死生ってる?

Th_-20220618-90646 勉強 Vol . 4  が完成いたしました! とてもヤバい内容になりました!最高です。。。

 と、先日、この本のプロデューサーである坂矢悠詞人さんから興奮気味のメールが来まして、さっそく送ってもらい今日手にとったのですが…たしかにヤバい!!

 全てがセンスの塊。手にとった瞬間から次元が変わります。これは本当にすごい世界。

 そう、実は今年2月に、ファッション界のカリスマである坂矢さんにお誘いいただき、石川県は加賀市にありすでに伝説的なお店となっている「PHAETON」およびその隣にある「TEATON」を訪問しました。

 田んぼの中にポツンとある「PHAETON」には東京はじめ全国からお客様が飛行機で買付けにきます。そして隣の「TEATON」は会員制の紅茶専門店。

 もうその存在センス自体に、してやられた感がありました。ファッションから程遠いところにいる私がそこにいることに違和感があるかと思いきや、全然そんなことなかった…。

 そして、坂矢さんと長時間にわたり対談をいたしました。それが今回、6ページ1万3千字以上の記事として紹介されております。

 いやあ、自分で読んでもヤバい(笑)。そう、あのあまりに高次元な空間、センスの塊の空間とおいしい紅茶、ケーキに促されて、私も完全に違う次元に行ってしまいました。

 ああ、ここまで語ったんだと、今さらながら感心してしまいました。やはり、環境というのは大切ですね。

 坂矢さんとは初対面、かつお会いして数十分後からの対談でしたが、坂矢さんの純粋な魂にすっかり魅せられ、実に気持ちよくお話させていただきました。まさに「大勉強」。

 ぜひぜひ皆様にも読んでいただきたいですし、それ以上に、私の体感した高次元をこの本を通じて皆様にも感じていただきたい。本のデザイン、紙の質感、選ばれた、いや降りてきた言葉たち…こんな高次元な本をご自身でプロデュースして、個人で出版してしまう坂矢さんって…。

 坂矢さんと私のロング対談のほかにも、本当に素晴らしいページが連続します。この本が一冊そこにあるだけで、きっと今日という日が、明日という日が大きく変わるでしょう。

 二人とも超ハイテンションになっちゃってます(笑)。というわけで、続きがありそうです。楽しみです。

 お買い求めはこちらから。ぜひ!

 PHAETON

 

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2022.06.16

C.F.アーベル 『ヴィオラ・ダ・ガンバのための Arpeggiata, Adagio, Allegro』

Th_img_9273 日は、ある出版社の社長さんとサシ飲み5時間。感動的な展開がありました。

 そして、この日は渋谷にして音楽関係者の皆様と懇談。

 各ジャンルで活躍中の皆様と情報交換。これから面白い展開があると思います。

 というわけで、ここ数日は本当にいろいろな方々とお会いすることが多く、とても忙しくしております。皆様、初めてお会いするような方々がほとんどなのですが、なぜかすぐに意気投合できるのは、この地球の波動が大きく変わり、高次元での共鳴が起きているからだと思います。

 さてさて、私にとっての音楽的な使命の一つがシルク絃の復権です。

 先日お譲りいただいたヴィオラ・ダ・ガンバの上4本をシルク絃に変えてみました。ガンバ専用に開発された絃ではありませんが、非常に味わい深い音が出ます。

 ちなみに1絃は三味線の2絃、2絃は試作品の一つ、3絃は箏(お琴)の絃、4絃は三味線の1絃であります。音量的にはガットにかないませんが、倍音の豊富な、どちらからというとやはり民族楽器的な豊かな音がします。

 ガット絃ももちろん素晴らしいわけですが、その代替というより、全く違う選択肢としてのシルク絃というものがあってもよいかなと思っている次第です。

 高次元での共鳴という意味でも、こうした古代の音に近い響きの復権、再評価というが、今後進んでいくのではないでしょうか。

 まだ、シルク・ヴィオラ・ダ・ガンバの音はここには紹介できませんが、ガット・ヴィオラ・ダ・ガンバの素晴らしい演奏を一つ。

 ヨーロッパで活躍している日本人ガンバ奏者中田健太郎さんによるアーベルの名曲をどうぞ。

 

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2022.06.15

ピンク・レディー 『Pink Lady in USA』

 

 BTSが活動休止を発表しましたね。世界戦略が進み、アメリカのチャートを席捲するようになるにつれ、彼ら本来の尖った部分はどんどん削られ、商業的なアイドルグループになってしまった感じがしていましたから、当然の帰結だとも言えます。

 昨日のビートルズもそうですが、アイドルが成長してアーティストになっていくなら良いのですが、その逆でしたからね。

 韓国の経済的国策の犠牲者という側面もあり、実際メンバーからそのような話が出ておりました。

 ソロ活動を通じて、ようやく彼らも成長の機会、いや人間性回帰の機会を得られるわけです。まあ兵役の問題は残りますが。

 さて、BTSはアメリカのチャートで1位を獲得したわけですが、言うまでもなくアジア人として初めて1位をとったのは日本人です。坂本九さん。

 その後、日本人でビルボードの総合チャートでTOP40入りしたのはたった一人…いや一組…ピンク・レディーだけです。

 特に70年代後半という、最も音楽が生き生きしていた時代のビルボードTOP40はとんでもなくハードルが高かったわけで、いろいろ裏工作も可能になったと言われる現代のチャートで1位になるよりも価値が高いかもしれません。とにかくとんでもない偉業だったわけです。

Th_71yj700glvl_ac_sx355_ 37位にランキングされたのは、このアルバムの1曲目「Kiss In The Dark」です。私もよく覚えていますよ。ラジオ関東の「全米トップ40」で、あのAMラジオの音質でこの曲がかかった時の興奮を。

 アメリカデビューに際し、日本のアイドル的な歌い方ではなく大人なムードで、まさにアーティスティックに歌っており、本人たちも納得の仕上がりになっていたようです。

 アルバム全体として、非常にレベルが高いですよね。これをもってピンク・レディーの最高傑作とする人たちがいるのも納得できます。

 2004年、大人になったピンク・レディーのジャジーな「キッス・イン・ザ・ダーク」もどうぞ。いいですねえ〜。

 

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2022.06.14

ザ・ビートルズ 『バック・イン・ザ・U.S.S.R.』

Th_o0905089814083391056 小路彰が1950年代に書いた重要文書を読んでおります。

 当時のソ連の未来を予測した本ですが、まさに今の状況が書かれており驚愕しております。

 さて、これは1968年の作品ですが、あらためて今聴きますと、歌詞がシャレになりませんね。ウクライナの女、我が心のジョージア(グルジア)…。

 レコーディングでポールがリンゴのドラミングにケチをつけ、リンゴが一時脱退してしまい、また「レボリューション」も同年発表ということで、ビートルズが共産主義者だというウワサも立ったりして、まあ、けっこう危なっかしい作品ですね。

 音楽としては、なかなかシャレたロックンロールですよね。純粋にカッコいい!

 言うまでもなく、チャック・ベリーの「バック・イン・ザ・USA」のパロディーですけど、結果として「back in the US…」連呼のところのタメが曲のキモとなっていますね。

 ポールが2003年にモスクワ赤の広場で演奏した際には、プーチンも聴きに来ました。今、まさにソ連に回帰しようかというロシアの状況を考えると、なかなか未来的な曲だということがわかります。

 

 

 

 歌詞の雰囲気を知るためには、やはり日本語で歌ってもらわねばならないでしょう(笑)。これはこれでカッコいい!

 

 

 

 日本人によるカバーといえば、これを忘れてはいけません。柳ジョージ所属の幻のブルース・バンド「パワー・ハウス」が1969年に出した作品。このアレンジはすごいですね。カッコいい!

 

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2022.06.13

天才と富士吉田

Oi003236 日、富士吉田が生んだ天才武藤敬司さんについて書きました。そして今日は三沢光晴さんの命日ですね。

 実は今日が命日である天才は三沢さんだけではありません。今日は、あの文豪太宰治の玉川上水に入水した日でもあります。

 その太宰も富士吉田に深い縁がありました。それはのちほど。

 富士吉田、それも現在の下吉田地区、かつての瑞穂村には天才を生む土壌があります。

 いや、「生む」ではなく、「奪う」のかもしれません。それも「文学的天才」を。

 下吉田に命を奪われた文学的天才は少なくとも4人います。

 最初は芥川龍之介。明治45年謎の旅の途中、下吉田に宿泊しています。

芥川龍之介と富士山

 ただの旅先であれば無数にあるわけで、なぜ下吉田だけ特別扱いかと言われそうですが、上の記事にあるとおり、その旅の目的がちょっと怪しいのです。

 芥川の周辺には大本信者が多くいましたから、彼の文学や人生観に王仁三郎が与えた影響は皆無ではないでしょう。芥川自身、第一次大本事件のあたりから心身の不調を強く訴えるようになりました。

 芥川を敬愛していた太宰も大本(王仁三郎)を強く意識した文人でした。作品に何回か大本が出てきます。そんな太宰も富士吉田とは縁が深い。

 いくつかの作品の舞台が下吉田です。それについては以下の記事からたどってください。

もう一つの富士山(その7) 太宰治『富嶽百景』

 ここにも書いたように、太宰の小説に出てくる旅館あとにウチの中学校が建ちました。私はそこの教頭、副校長を務めていたわけです。

 そして、これまた夭逝の天才作家、第100回の芥川賞を受賞した李良枝は下吉田に住んでいました。

もう一つの富士山(その8) 李良枝 『富士山』

 この記事を書いたあと、私は李良枝が通った幼稚園の園長に就任しました。なんとも不思議なご縁であります。

 そしてそして、フジファブリックの志村正彦くん。彼は下吉田の出身。今なお高く評価され続ける天才は29歳で亡くなってしまいました。

 それは、ウチの中学ができる前の冬のこと。ちょうどその中学校の校歌、あるいは愛唱歌を志村くんに作ってもらおうとお願いする数日前のことでした。

もう一つの富士山(その9) 志村正彦と富士山

 あらためて、こうして列挙してみると、なんとも不思議な感に打たれますね。いったいどういう磁場なのでしょう。どういう霊力が働いているのでしょうか。

 私は、(ナイショですが)初代富士吉田市名誉市民である川合信水が鍵を握っていると思っています。川合信水は綾部で出口王仁三郎と(皇室を間にはさんで)深くつながっているのです。だからこそ、綾部に富士吉田からあの「石」が運ばれたのですよ。

「月山不二」誕生70年

 あっそうそう、武藤さんは「文学」ではなく「神話」ですからね。選手としても長生きですし、きっと人間としても長寿でしょう。

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2022.06.12

武藤敬司選手引退へ

Th_862afa3f0d1ca1dc6976c0df6189bd7a450x4 ょっと遅くなりましたが、これは書かねばいられません。

 山梨は富士吉田が誇る世界的プロレスラー武藤敬司選手が、来春までに引退することを発表しました。

 武藤選手はウチの学校の母体となっているお寺の檀家さんということもあり、何度かこちらでお会いしたこともあります。そして当然、試合の生観戦も数え切れないほどしてきました。

 実は数年前に地元でコラボイベントを企画し、ご挨拶までしたのですが、残念ながら諸事情で中止になってしまいました。

 毎度感じることですが、膝の状態は非常に悪く、リング上ではああやって見事なパフォーマンスをしていますが、日常生活では普通に歩くことも困難な様子で、本当にプロレスラーという仕事は過酷であり、まさに命がけでリングに上っているのだなと痛感してきました。

 武藤選手の素晴らしいところは、そうしたハンディをプラスに転じる発想の自由さと豊かさです。

 ある意味一般人以下の運動能力になってしまっているわけですが、それを逆手にとって新しい技や動きを開発し、まさに「魅せる」唯一無二のパフォーマンスを実現してきました。

 そういう意味で最近特に感動したのは、昨年潮崎豪選手からGHCヘビーのタイトルを奪取したあの試合ですね。

 

 

 しかし、それにも限界があります。まあもうすぐ還暦ですからね。ちょうどいいタイミングなのかもしれません。ある程度覚悟してきましたし、心配してきましたので、今はショックというよりも安心したという感じです。

 この日はちょうど夜に「ジャンボ鶴田追善興行」の放送がありました。鶴田さんは正式な引退をする前に亡くなってしまいました。鶴田さんが元気だったら、何歳まで現役で戦っていたでしょうね。ある意味武藤さんとは違った性格ですから、案外早く別の道を開拓していたかもしれませんね。

 それにしても、鶴田、武藤という天才レスラーを二人も生んだ山梨県はすごいですね。そして今、その二人に憧れた鷹木信悟というレスラーが「超一流」の領域に至ろうとしています。

 おそらく民族的・歴史的な意味において、肉体的・精神的優位性を持っているのでしょう、山梨県民は。それがプロレスというフィールドでは存分に活かされるのでありましょう。ほかの領域ではイマイチですけど。

 この次の日、6月13日は三沢光晴さんの命日です。リングの上で亡くなってしまった天才。

 天才レスラーたちの引き際もまた、それぞれの物語、神話です。さあ、武藤さんの引退ロードはどんなものになるのでしょう。くれぐれもお体大切に。

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2022.06.11

時代の試練に耐える音楽を〜山下達郎

Th_616xbjcgnl_ac_ul320_ ょうど昨日、音楽とサブスク、ストリーミングの話を書きましたら、そのあと、こんな興味深い記事が発信されました。

時代の試練に耐える音楽を――「落ちこぼれ」から歩んできた山下達郎の半世紀

 音楽、作家活動に関する非常に素直で示唆に富むロング・インタビューですね。素晴らしい。

 「40年前に言ってよ」が、まさに時代の試練に耐える音楽を作った証拠ですよね。

 消費されて消える音楽ではなく、時代とともにより豊かになってゆく音楽、作品。それこそ芸術(アート)であり、生命の進化の象徴であると思います。芸術はいつも生命の象徴でなくてはなりません。

 つまり、ワタクシ的に言うと、時の流れの上流、ずっと未来へ音楽のボールを投げなければならないということです。

 時代感をなくすということは、まさにそれまでなかった、未来の音楽を紡ぐことですよね。

 では、今のサブスク、ストリーミング音楽はどのように作られているか。それは「今」だけ再生回数を稼げればよいというような感じです。それはそれで、それこそ「今」という時代を象徴するものになるかもしれませんが、未来にわたって成長し、作家の想定を超えて評価されるような「常に新しい古典」になるかと、そうではないでしょう。

 しかし、昨日書いたように、「今」ではない作品が相対的に価値を上げていくようになるのも間違いありません。もうそういう動きが始まっており、その走りが達郎さんの今までの音楽、そしてニューアルバムになるのではないでしょうか。

 おそらく達郎さんの音楽は、ビートルズやクラシックのように、これからもずっと聴きつがれ、世界に広がってゆくでしょうね。

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2022.06.10

倍速視聴と音楽と…

20220611-85128 近、倍速視聴の賛否を論ずる記事をよく見ます。

 若者のそうした「タイパ」重視、ザッピング感覚に対して、古い世代は眉をしかめているようですね。

 私は古い世代に属すると思うのですが、かなり倍速視聴している方です。

 YouTubeは基本1.75倍に設定していますし、昨日紹介した映画もU-NEXTで1.6倍鑑賞しました。

 鑑賞ではなく消費だ!と怒られそうですが、私はあまり気にしません。

 というか、音楽は当然等速で再生しますし、たとえば小津安二郎の映画は等速でまったり鑑賞します。そう、選べばいいんじゃないでしょうかね。

 基本、言語情報、特に文字情報が多い場合、すでにそれ自体が抽象された世界なので、そんなに問題はないと思います。それも過去の情報ですからね。

 もともと言語、文字は「時短」のために生れたのですから。特に文字は。

 今や私たちが当たり前に行っている「黙読」なんか、日本ではここ150年くらいの作法ですからね。音読が当たり前だった時、それこそ今の倍速視聴を批判するかのような社会的な抵抗がありました。

 さらに「速読」となると、これはもう究極の「時短」であり、昔の人からするととんでもない悪行ということになります。

 つまり、近代以降の多くの作品、メディアが、文字を含む言語に依存しすぎているから、こういうことになるのだと思いますよ。

 記録された文字情報はウンコですから(笑)。

 先程も書きましたが、音楽を倍速視聴する人はいません。できません。1.2倍でもダメですよね。逆に0.5倍でもダメ。

 その事実に注目すべきです。

 音楽は記録されたものであっても、再生時には聴く人にとって未来から(向こうから)やってくるものです。それも言語のように抽象化された世界ではなく、それ自体が世界本体ですから、早くても遅くてもダメなのです。

 ただ、音楽もサブスクになりストリーミングになった結果、ザッピングされてしまうことは当然あるわけで、かつてのようにアルバムを最初からじっくり聴くということはなくなってしまいました。

 また、作り手の側も最初の15秒で心をつかまねばならず、たとえば徐々に世界観を立ち上げる長いイントロなどはご法度になってしまいました。そうすると自然「サビ入り」が増えてしまう。

 それは一般的な動画やドラマ、さらには映画の作り方にもなっていますよね。

 私はこういう傾向はある程度しかたないと考えています。そして、こうなったからこそ、そうではない音楽や映画やドラマやスピーチの価値が再認識されるであろうし、その結果「記録」ではない「ライヴ」の価値も相対的に上ってくると信じています。

 小説やマンガの黙読に飽きたらず、それがアニメ化したり映画化したりし、さらにそれが2.5次元化してきたように。

 音楽一つとっても、ここ百年くらいの「録音文化」が異常事態だったわけです。江戸時代までは「楽譜」もほとんどありませんでしたしね。

 楽譜の誕生によって音楽さえ「黙読」できるようになってしまったわけです。

 生きた音楽は未来からやってきます。記録された音楽は、楽譜を1小節の1拍目から順になぞっていくように、過去から未来に向かって進行します。時間の流れが反転してしまった瞬間に生命を失っているのです。

 倍速視聴やザッピングは、そうした記録された芸術を本体だと思いこんできた現代人に対する警鐘なのでしょう。

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2022.06.09

『くちびるに歌を』 三木孝浩監督作品

Th_71di5gcv8bl_ac_ul320_ 、家内と長女が2000〜2010年代のJ-POPのヒット曲をYouTubeでどんどんかけ、私がリアルタイムでキーボードを弾きながら、コード進行を中心に楽曲解説しました。

 酔っ払っていたので実にテキトーでしたが、いろいろと面白い発見がありました。

 その中で、再確認したのは、聴く方も作る方も歌う方も、とにかく「中学の合唱」が原体験になっているということでした。

 これについては、実際現場で「中学の合唱」をに触れる機会がたくさんありましたから、そのたびにこのブログにも書いてきた記憶があります。

 高校の先生だけをやっていた時は、けっこう「中学の合唱」とか「中学の演劇」とかいう特殊な文化を半ばバカにしていたようなところが自分にはありました。若気の至りならぬバカ気の至りでしたね。

 実際、中学生たちの純粋な魂に触れると、大人になってから知った「合唱」や「演劇」にはない、たしかに心を打つモノ(なにか)があることを教えられました。

 そして、自分の中にも、そうした純粋な魂(もしかするとそれを「青春」というのかも)への強烈なノスタルジーがあることを確認しました。

 そういう思いに立つと、日本のガラパゴス化した(悪い意味ではありません)音楽事情にも、一つの大きな意味を見いださずにいられないわけです。

 この映画はそうした日本人全体のノスタルジーの原点を「中学の合唱」を通じて、上手に表現してくれていると感じます。

 

 

 2000年代、2010年代のJ-POPのMVに学校のシーンが多く出てくるのは偶然ではないでしょう(あれほど長いドラマパートを持ったMVが世界にあるでしょうか)。

 非常に単純化し、陳腐に説明するなら、コード進行的には中学の合唱曲の多くがカノン進行(あるいはその派生としてのG線上のアリア進行…すなわちベースラインがドシラソと音階的に下がってくる)が使用されているという事実(この映画の「課題曲」である「手紙~拝啓十五の君へ~」  も例外ではない)。

 もう一つ、これは合唱曲にはあまり使われませんが、中学生くらいになるといわゆる「胸キュン進行」(意図的にソに♯をつけて平行短調にプチ転調する)を体験的に理解できるようになるということがあります。すなわち、「切なさ」を味わうようになるということ。

 この二つのコテコテ要素が、日本のポップスには異常に乱発されるのです。外国では、それはやりすぎるとむず痒くなるそうですが。

 逆に言うと、その二つの要素を上手に盛り込むと「売れる」曲を作ることができるということです。これは2020年代になっても変わっていませんし、これからも続くでしょうね。中学の合唱文化が廃れたり変容しないかぎり。

 そういう視点でこの映画を観ると、大人になってからの「切なさ」の原点が15年前の中学生の自分にあることが分かるでしょう。

Amazon くちびるに歌を

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2022.06.08

アリソン・バルサムのナチュラル・トランペット

 

 楽をやっておりますので、ナチュラル・トランペットの方との共演も何回かやってまいりました。

 バロック時代のトランペットやホルンには、現代の楽器のようなバルブはありません。ですから、基本的に唇の操作だけで音程を変化させます。当然めちゃくちゃ難しいわけですね。

 しかし、その分、音はピュアで美しい。現代ヴァイオリンとバロック・ヴァイオリン以上に演奏法や音質が違うと言ってもいいでしょう。

 もちろん、どの楽器にもその時代の要請や使命があって、単純に優劣はつけられません。もともと古楽(オリジナル主義)というのは、近代的な進歩史観に対するカウンターとして生れてきたわけですし。

 その点、一般社会に縄文ブームが巻き起こる日本、日本人にとって親和性(&神話性)の高い世界観といえますね。だから、古楽の世界で日本人が活躍しているのでしょう。

 さて、話を戻しまして、ナチュラル・トランペットについてです。

 上の動画では、イギリスを代表する女流トランペッター、アリソン・バルサムが有名なテレマンの協奏曲の第1楽章をナチュラル・トランペットで吹いています。

 最後の表情が、いかにこの楽器が「しんどい」かを表わしていますね。

 それにしてもこの録音の様子、面白い。オルガンは、これデジタル・オルガンじゃないですか?時代を超えすぎでしょう(笑)。

 さて、アリソン・バルサムが各時代のトランペットの違いを紹介している動画もありましたので、ぜひどうぞ。

 

 

 ちなみに、今、家内がトランペットを練習しております。ある意味天才的で、ピストンを押しても全く音程が変わりません(笑)。現代トランペットへのアンチテーゼという意味では、ナチュラル・トランペットと同じかもしれません(笑)。やばいですね。

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2022.06.07

小惑星リュウグウの砂にアミノ酸!!

Th_-20220609-74220 れは大変なニュースですよ!

 皆さん、もっと騒ぎましょう(笑)。

 はやぶさ2が持ち帰った玉手箱を開けたら、まあとんでもないものが現れました。アミノ酸です。

 霊夢さんに解説してもらいましょう。

 

 

 私、自分が宇宙人で、そのルーツが小惑星帯にあるということを、ずいぶん前から言ってきました。

 たとえば、高城剛さんとの対談の中で「私たちはどこかの星から一度太陽系の小惑星帯に集まって、そこから班に分かれて地球に降り立った」みたいなことを言いましたよね。

 当然、皆さん一笑に付してきたわけですが、どうですか、ちょっと笑えなくなったのではないですか?

 リュウグウはアポロ群に属する小惑星です。アポロ群はもともと火星と木星の間の小惑星帯にあったのですが、木星の強い引力の影響を受けて放り出されました。そしてたまたま地球に近接する軌道をとるに至りました。

 つまり、私の前世の記憶というのは、DNAに刻まれたこのアミノ酸の記憶なのです!

 それを知ることができただけでも、今回のニュースはワタクシ的には超特大ニュースです。それも日本が世界で初めて、地球で初めてそれを確認したわけですから。

 やっと私の発言が妄想ではなく、事実であることが証明されました。数百年後、きっとこの記事が読まれて世の中が騒然とするでしょう(笑…いや、まじで)。

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2022.06.06

稲垣次郎とソウル・メディア 『ファンキー・スタッフ』

 

 昨日、昨日のピンク・レディーのバックバンドをつとめ、すさまじい演奏を聴かせてくれた稲垣次郎とソウル・メディア。

 その本道の作品を聴いてみましょうか。1975年の作品「Funky Stuff」です。

 動画のコメント欄をご覧になるとわかるとおり、今、外国、特にアメリカでジャパニーズ・ソウルの再評価、いや初評価が始まっています。シティ・ポップと同じ現象ですね。

 たしかにカッコいい。テクニック的なことは、日本人は器用ですしマニアックですので、本国には絶対負けないと思いますし、グルーヴに関しては、白人や黒人にはないものもあります。いわゆる「レア・グルーヴ」ってやつです。

 楽曲的にはおそらくオリエンタルな雰囲気というのが感じられるのではないでしょうか。21世紀に入ってからの洋楽は、旋律的にはペンタトニックをより多く使うようになり、またコード進行的には循環系を多用するようになりました。

 これはある意味では、原点回帰というか、脱近代というか、懐かしい新しさというか、そういう方向性ですよね。当時の英米ヒットチャート、商業音楽からは見向きもされなかった「僻地」の音楽が、インターネット時代になって再発見、いや新発見されているということでしょう。

 そういう意味で、日本は宝の山。かつての黄金の国ジパングのごとき、羨望の的になっているというわけです。

 稲垣さんはいまだご健在。このようなリバイバル・ブームをどのように感じておられるのでしょうか。やはり、日本人は40年、50年未来の音楽をやっていたのか!?

 そんな当時の音楽界に、仲小路彰の「未来学原論」が与えた影響はいかばかりだったか。それを今、まさに「新発見」中の私でありました。

 

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2022.06.05

ピンク・レディー / 78ジャンピング・サマー・カーニバル(後楽園球場)

 

 日に続き、ピンク・レディーの絶頂期ライヴを。

 田コロの翌年1978年、後楽園球場で開催されたジャンピング・サマー・カーニバルです。

 私が最も洋楽に熱を上げていた時です。中学1年生ですね。アバやビージーズのヒット曲に加えて、ビートルズのメドレーなど、懐かしいというか、おそらくピンク・レディーののちのアメリカ進出を想定しての選曲でしょうかね。

 特にビートルズのメドレーはよく出来ていますね。前田憲男さんのアレンジです。

 この子供っぽく、たどたどしい英語が案外ウケたらしいですね。日本語の曲を外国人が歌うと魅力的になるのと同じでしょう。

 それにしてもすごいのは、演奏です。稲垣次郎とソウル・メディア。やばいですよね。前田憲男さん編曲、ソウル・メディアの演奏。

 つまり、ピンク・レディーの「ノリ」を支えていたのは、ジャパニーズ・ファンクの魂と技術だったということですか。当時はそんなこと全く知りませんでしたが、こうして大人になってみるといろいろな裏というか礎がわかって面白いですね。

 とにかく演奏だけ聴いても感動できるアルバムですよ。キレが良すぎます(笑)。

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2022.06.04

ピンク・レディー / サマー・ファイア 77(東京田園コロシアム)

 

 日に続き、今はなき田園コロシアムでの歴史的イベントを一つ。

 これは中学1年の時。洋楽に目覚めつつ、どこかでアイドル歌謡にも未練があったころです。夏休み、これは友人たちと「音」だけ聞きにいきました。

 田コロは、田園調布駅の南東隣、少し低いところにあったので、そう古舘さんも言ってましたが、当時の目蒲線と東横線に乗るとチラッと見ることができたんですよね。

 それからすぐ隣が田園調布小学校で、校舎の屋上からよく見えるという噂があり、同小学校卒の友人と校内に潜入を試みましたが(笑)、同じようなことを考えるおバカな少年たちがたくさんいたからか、当日は案外警備が厳しく実現しませんでした。

 細かいことは覚えていないのですが、そのあと、宝来公園で耳を傾けたような…。まあ、とにかく自分たちとしては残念な結果になってしまいましたが、まあそれもいい思い出です。もともと真剣というより、夏休みのネタの一つでしたから。

 そうこうしているうちに、あれから45年が経ち、こうして動画でその様子を観ることができるなんて!当時は夢にも思いませんでした。

 いい時代になりましたね。

 それにしても、このパフォーマンスはレベルが高いですね。歌、踊り、そして演奏。本当に素晴らしい。当時自分たちも口コピしていた「ホテル・カリフォルニア」のカバーを聴けるのも嬉しいですね。ケイちゃんの訳詞です!このハスキーボイス。まるでシャンソンのような語り、泣き…。やばいですね。

 この日の音源は2枚組のLPとして発売されました。上掲の動画だけでなく、洋楽のカバーがたくさんあって素晴らしい内容となっています。こちらもぜひお聴きください。

 

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2022.06.03

スタン・ハンセン vs アンドレ・ザ・ジャイアント(1981 田園コロシアム)

Th_denen_img00 の日は懐かしい田園調布駅近くにて面白い出会いがありました。楽しかった。

 田園調布といえば、私にとっては田園コロシアム!

 プロレスや音楽ライヴのメッカとして、よく潜入したり、漏れ音を聞きに行ったりしていました(笑)。小・中学生時代のことです。

 その中でも特に印象的だったのは、やはりハンセンとアンドレのド迫力対決でしょう。

 とはいえ、この1981年には私は静岡に引っ越しており、現地で観たわけではありません。テレビ観戦でしたが、自分が知っているあの聖地に、こんな神話のような世界が出現していることに感動した覚えがあります。

 これって、昨日づけの記事じゃないですが、グローバルな「縄文体験」ですよね。近代的な言語性や論理性というフレームをぶっ壊す神話的世界。

 最近の形式化されたプロレスとは違う、完全なる野生の闘い。

 もちろん、そこには物語の脚本もあるわけですが、それを超えてしまったところに歴史が生れたわけです。歴史は常に脚本をはずれたところに展開していく。

 言語化の天才、古舘伊知郎さんが、この日のことを語ってくれています。そう、本当に実況なんかしたくなかったのですね。言葉のプロだからこそ分かる言葉の限界でしょうね。

 

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2022.06.02

夢枕獏(作家)×竹倉史人(人類学者)対談

 の日はいろいろありましたが、なんと言っても夜の飲み会が最高に楽しかった。

 気の合う友人たちと、東京の行きつけの秋田料理屋さんで飲みました。

 そこに偶然、晶文社の社長さんがいらっしゃり、お店の女将さんに紹介していただきました。

 晶文社といえば、竹倉史人さんの「土偶を読む」。竹倉さんのみうらじゅん賞受賞祝いもこのお店でやりました。

 そんな話もあって、社長さんとは初対面にも関わらず盛り上がりました。翌日にもメールでいろいろとやりとりさせていただきまして、近いうちに企画会議と称する飲み会を開催することになりました。ありがたや〜。

 さて社長さんとのお話の中にも出てきましたが、竹倉さんの「続・土偶を読む」が秋に出版されそうですね。楽しみすぎます。

 土偶学というか考古学というか、いわゆる専門知へのアンチテーゼ的な意味でも、私のような宇宙人は大興奮ですが、竹倉さんが本編のあと、縄文人からどんなメッセージを受け取っているのかを早く知りたいところです。

 さて、竹倉さんのそんな自由奔放かつ勇気ある学問(遊び)の楽しさが伝わってくるのが、この対談動画。

 神奈川県立音楽堂の企画のプレイベントとしての対談なのですが、なんとぜいたくにも竹倉さんと対談するのは、あの(遊びの)大御所、夢枕獏さん!

 もう説明はいりません。言葉にするとこの面白さは伝わりません。とにかく聞いてください。これぞ縄文体験ですよ。言語化、文字化できないワクワク。ぜひどうぞ。

 

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2022.06.01

岡田斗司夫のシン・ウルトラマン論(入門編)

 みません、ちょっと忙しくて更新が停滞しております。

 いつのまにか6月になり、もう数日が経過してしまいました。

 6月1日に何があったか、ちょっと思い出せないので、前日からの流れとして岡田斗司夫先生のシン・ウルトラマン論を貼り付けておきます。

 皆さん、もうご覧になりました?

 私は5月19日に観てきました。その時の記事がこちら

 そこでオタク的な視点は他人まかせにしていますが、やはりオタクといえばオタキング岡田先生でしょう。

 岡田先生にとっては、まさに超入門編的な内容でしょうけれど、なるほどこういう時はやはり「過去の情報」の蓄積がないと今や未来を楽しめないということですね。

 過去はウンコとか言って、自分の記憶力のなさを肯定しようとしているワタクシでありますが、こういうフィクションの世界、物語の世界においては過去の情報も含めての生命体ですから、やはり過去のウンコを肥やしにしなければならないのだと痛感した次第です。

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