『教祖・出口王仁三郎』 城山三郎(その3)
「安閑坊喜楽」
(僕の人生はどこにある)とうたった喜三郎ではあるが、もちろん、インテリ青年のようにただ感傷的な懐疑にふけっていたわけではない。
日がな一日のはげしい労働。その後でも、時間を見つけ機会のあり次第、勉強を続けた。
夜学に通って漢籍を習い、近くの寺に国学者が滞在すると聞けば、夜毎訪ねて教えを受けた。
歌会に出席し、宗匠について冠句を学んだ。村で出している『あほら誌』という雑誌に、狂歌、狂句、都々逸、戯文と、いくつも、いく通りも投稿して、村人たちの眼をみはらせた。
自分の非凡さを、あらゆる戸をたたいてためしてみたいという青年の客気で、はち切れそうであった。とにかく、無我夢中で勉強した。
獣医の従兄について、牧場で酷使されながらも獣医学をマスターし、獣医試験に合格した。
そして、二十六歳のとき、金を借り集めて乳牛を買い、精乳館という牛乳屋を開いた。
現存の写真の中で、喜三郎つまり出口王仁三郎の最も若いときの面影を伝えるのが、この当時の写真である。
経営者パッカードによれば、現代の重役タイプとは、「『隣家の青年』型のごく普通の顔だちの謙虚な、穏健円満な好青年タイプ」だそうだが、写真の中の喜三郎は正にその条件にぴったり。素朴で働き好き、見るからにすがすがしい好青年である。
黒っぽいハッピに股引、草鞋ばき。強いて何か異常をさがすとすれば、そのハッピの襟の片側に「上田牧牛場」、片側に「穴太精乳館」と大きな字で白く染め抜かれていることである。
わたしは最初説明を読まずにこの写真を見たとき、喜三郎が上田牧牛場という大牧場で働いていたのか、穴太精乳館(?)という商館(?)の従業員であったのかと思った。二十五歳の青年ひとりで牛を飼い、その乳を売り歩いているという姿とはほど遠い。
たった一人分のハッピに大きく染め抜かれた「上田牧牛場」「穴太精乳館」の文字は、自分の事業を大きくしようと決意したその決意のあらわれとも見えるし、また、見せかけだけでも大きく見せようとしたという風にもとれる。野心のひらめきと見るのも、はったりと見るのも、自由である。いずれにせよ、おだやかな好青年の顔と、その文字との不調和さが、見る者の心を落着かなくさせる。
一方、喜三郎は、ただ馬車馬のように名をあげ才能を現そうとしたのではない。山村で、小学校もまともにおえていない身に、当時の立身出世コースとの懸隔が、うすうすわかったのであろう。それに、祖父ゆずりのしゃれっ気も働いてか、ほどほどに遊びを心得ていた。女遊びというような意味ではない。人生に向う態度の中に遊びがあった。まっすぐ驀進してポキリと折れるというのではなく、驀進する自分をぶらりと横道に逸れて眺める余裕である。
彼がこの当時用いたペンネームが、「安閑坊喜楽」。迷惑をかけ通しながら、死ぬときまでのんきにしゃれのめして行った祖父の血を思わざるを得ない。
(その4に続く)
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