岡田斗司夫の頭が良くなる教育論~東京学芸大学講演
昨日に続いて「教育」の話。これは「学習」論ではありませんね。親、社会、地域、国家目線の「教育」。つまりそれらに都合の良いように、子供たちを型にはめていくということで、決して自主的な「学習」ではありません。
いや、もちろん「教育」の重要性は認めていますよ。そこにどっぷり浸かってきましたし。
しかし、その「教育」は、岡田さんがおっしゃるように変化を余儀なくされています。個性や人権という最先端の価値観に旧来の「教育」がそぐわないからです。
しかし、その変容もあくまで「教育」の中で行われていることが、この講義でよくわかりますね。つまり、社会が変わったから教育の内容も変わったという、ただそれだけのことなのです。
宇宙的な常識から言いますと、「学習」の質が変わることによって、社会の方が変わっていくというのが真理です。因果関係が逆なのです。
この地球においても、歴史的なイノベーションを起こす人たちは「教育」の枠に収まりませんでした。最近ではイーロン・マスクなんか典型的ですよね。彼はアスペルガーです。
まずはこの講義のように、「教育」の変遷を学ぶことによって、「教育」というものの「後追い性」を知らねばなりません。
そして、未来の教育を予測するのではなく、未来の社会がこうあるべきだから、教育…いや「学習」は自然とこのような形になるだろうと考えねばなりません。
おそらくその「学習」は、今の「教育」からするとダメ出しされてしまうようなものでしょう。実際そういう子供たちがたくさん生まれてきています。
たとえば、それを今の教育現場では、障害とかグレーとかで片付けてしまっている。
また、学校には勉強したくない、勉強大嫌いな生徒がたくさんいるわけですが、それは現今の教育内容、教科書の内容に対し、子供たちが本能的にその無意味さを感じているからにほかなりません。
本来なら、教師自身それを体験してきているわけで、それなのにそれを押し付けている。つまり体に悪いとわかっている添加物満載の食べ物を、これ食べなさいと言っているのと同じことをしているのです。
もちろん、これは極論であって、意味のある教育内容もあって当然ですし、ちゃんとした先生もいますよ。しかし、一方でこう言われて初めて気づく先生もいる。あるいはこう言われると逆ギレして保身に走る先生もいる(笑)。
と、まあ自分のことは棚に上げて言いたいことを言ってしまいましたが、とにかく、今の「教育」「学校」を完全否定するわけではなく、そこにはまらない子供たちに、別のチャンスを与えてあげたいのです。今はほとんど選択肢がありませんからね。
そういう意味で、私は今、まずは大人を変える必要があると考えていろいろとやっているところなのです。
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